漏れ幕末人だったら多分佐幕派

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1日本@名無史さん
昔からの文化とか秩序とか大事にしちゃうのだろうな、やっぱ。
ぱっと思考転換なんてできねーよ。あばー。
2日本@名無史さん:03/02/11 14:56
>>1 ( ´_ゝ`)フーン
3日本@名無史さん:03/02/11 14:57
>>1
おまいさんは秩序の賛美者だな
自民党支持か?
4日本@名無史さん:03/02/11 15:35
まあしかし、「勤王の志士」と言うものの大半は
ただのゴロツキだよ。
御用金名目でいきなり踏み込まれて金を巻き上げられたり、
天皇奪還の目的で京都の街に火をつけようってんだから、
庶民はたまったモノじゃねえぞ。西郷は幕府と戦争したかったが、
大政奉還で口実を失った。そこで、伊牟田尚平と益満休之助を江戸
にやって、幕府を挑発するために相良総三を暴れさせたのだ。
十分に金を支給された相良は、江戸で強そうな浪人屋ゴロツキにわざと
喧嘩を売り、そのあげくに相手に羽織りや金を与え、
「食えなかったら三田の薩摩屋敷へ相良総三を訪ねて来い」と言う。
すると、十中八九は訪ねて来た。薩摩屋敷の浪士は30〜50人の徒党を
くんで富豪の家に押し入り、三千〜九千両の大金を奪った。
これが薩摩屋敷の焼き討ちにつながるのだが。
京都では国元から「禁裏手入れ」と称して莫大な金を取り寄せ、
祇園・島原で豪遊したのだ。自分が遊ぶために勤王の看板を
かけている者が多かったとは、新撰組の結城無二三が
言っているぞ。勤王思想とは「勤王にも佐幕にも」当時の
常識。薩長が幼帝を取り込んで官軍を自称し、幕府に
モンクツケさせなくしただけ。
5日本@名無史さん:03/02/12 01:44
>>3
おまいさんは、ゴロツキ・押し込み強盗・
公金横領・陰謀家の賛美者だな。
コイツラ犯罪者だぞ。
真面目で正義感の強い者が賊軍の汚名を着せられ、
靖国にも合祀されぬハメになったのだ。
「勝てば官軍」とは、こういう事を評したのだ。
薩長に大義がなかったから天皇を押し立てたんじゃないか。
それが天皇制強化につながったんだろ。
そのくらい気付けよ。
6 :03/02/12 01:51
↑は、死体処理班
7日本@名無史さん:03/02/12 02:19
チミ↑は、ちゃんと反論したまい。
8日本@名無史さん:03/02/12 02:25
蝦夷共和国にも天皇がいたって本当ですか?
9日本@名無史さん:03/02/12 02:40
>>8
いねーよ
10日本@名無史さん:03/02/12 02:55
 
 ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanboku5.html

 ここに、東北諸藩は天皇を擁立したって書いてるけど・・・
11日本@名無史さん:03/02/12 03:37
ttp://homepage.mac.com/macshoji/history/bosin.html

俺は勤皇でも佐幕でもないけど、
ここのサイトの人ってかなり偏っているな。
12日本@名無史さん:03/02/12 03:41
>>10
奥羽越列藩同盟と蝦夷共和国って同じなの?
13日本@名無史さん:03/02/12 04:09
蝦夷共和国が旨くいってたらどうなってたのかなあ
14日本@名無史さん:03/02/12 06:37
>>13
中華民国と中華人民共和国みたいな関係かな?
15日本@名無史さん:03/02/12 21:46
>>13
意外と今よりも発展していたりして
16日本@名無史さん:03/02/13 02:09
>ただのゴロツキだよ。
それを言うなら新撰組もかわんねーよ(w
17日本@名無史さん:03/02/13 22:30
>>16
そういう言葉はageで言ったらどうだい?
18日本@名無史さん:03/02/14 00:36
>>16
おまい、何も判ってないな。
京都の治安を守っていたのが京都所司代だ。
ところが、嘉永・安政以後、浪士がしきりに入り込んで秩序を乱し
始めた。これに手を焼いて、文久2年新たに京都守護職を置いたのだ。
新撰組は京都守護職からの委任で京都市中の警察権の一部を握っていた。
新撰組は要するに治安維持のための警察だよ。
マル暴のデカがヤクザ臭いからと言って、デカはヤクザではない。
チミのために役立つだろうから、
スレ「明治維新の思想的原理とは何であったか?」のレス258〜260を
読みタマイ。
19日本@名無史さん:03/02/14 00:51
新撰組=マル暴のデカ
浪士=ヤクザ

なんて図式はあまりにも単純な理解に見えるなあ。
20日本@名無史さん:03/02/14 01:04
>>19
18じゃないけど、複雑な理解とはどういうものか教えてほしいな。
21日本@名無史さん:03/02/14 02:28
16レベル用に、元治元(1864)年の池田屋事件の新撰組を例にして考えよう。
古高俊太郎は「数十人が徒党して、風向きを考えた上で、
御所を焼き払う」とゲロしたと京都所司代は発表。
その計画は、「北風を待って洛中に火をつけ、その混乱に乗じて
天皇を長州に移し、中川宮・松平容保の参内する途上を要撃する」
など恐るべきものであった。これは犯罪である。
1)御所を焼き払う事を目的として、京都市中に放火を計画。
放火は犯罪である。言うまでもない事だが、言わねば判らぬ者もいる。
実際に放火すれば、木造建築のみの京都は大火になったはずだ。
町人や公家の損害・迷惑は計り知れない。
2)天皇の誘拐計画。当時の天皇は孝明天皇で、公武合体が天皇の意志。
長州にさらわれて、倒幕のために担がれるのは迷惑センバン。
故に、誘拐罪成立。
3)中川宮・松平容保の公武合体派の要人の暗殺計画。
要人の暗殺計画は犯罪に決まっている。
池田屋に集まった桂小五郎・宮部鼎蔵ら約20名の「勤王の志士」は、
「勤王」とは名ばかり、天皇の意志に反して天皇の誘拐を謀り、
その為のドサクサを作るとして市中放火という手段を計画。
「勤王の志士」とは、自分らが権力を握って出世するためには
天皇の意志をないがしろにし、京都市民の迷惑などどうでもよい
というやり方である。「世の中を良くする」との大義なぞなかった
と断言できる。つまり、彼らはゴロツキ。
新撰組の手入れに刃向かえば、斬られて当然。事実、新撰組は
多勢に無勢ではじめは苦戦した。
22日本@名無史さん:03/02/14 09:29
漏れは佐幕だな。
23日本@名無史さん:03/02/14 14:18
「勤王の志士」諸君、
当時は百姓・町人は表だって武士にモンクつけられなかったが、
本当に民百姓のことを考えたのかね?
佐幕の治安出動の方が、よほど民生の安定に役立ったと思えるのだが。
24日本@名無史さん:03/02/14 14:51
「御用盗」に資金援助していた、という一事だけでも「佐爆」になりたくなる。

ちなみに賊軍となった我が故郷ではお年寄りは「維新」をいまだに「瓦解」と
いっております。
でもそういうところで苦労した人が頑張った結果、陸軍皇道派の首魁となって
日本を二度目の「瓦解」に追い込んでしまったところがどうにもならん皮肉。

漏れの先祖には戊辰戦争で斬首された人と東京裁判でA級戦犯・絞首刑と
なった人が揃っています…。
25日本@名無史さん:03/02/14 18:22
>>24
小説だが、一読をオススメ。
田宮虎彦(昭和31)「霧の中」新潮文庫
薩長の官兵に肉親を陵辱・惨殺された旧幕臣の遺児が
日本の強大な新権力を仇とねらい、激しい復讐心を秘めながら
落魄流浪の剣士として、明治・大正・昭和を生き抜くという、
凄惨な人生の裏街道を描いた小説。

小説家・榊山潤は義父・佐倉強哉(元・二本松藩士)について、
こう述べている。
この人(佐倉)が大戦後まで生きていたら、
薩長ついに倒る、とほくそ笑んだかも知れない。
私はそんな空想に動かされる。
26日本@名無史さん:03/02/14 20:15
>>25 そうだねえ……佐幕というか、元幕府関係者の時代に対する価値観
って知りたいなあ。特に十五年戦争とか。
27日本@名無史さん:03/02/14 20:26
まーな常識人は、砂漠人だろうな。
無知蒙昧な人、現実に猛烈に不満がある人なんかは、革命派。
28日本@名無史さん:03/02/15 00:33
蝦夷「共和国」という国はなかったのだが。一体誰が共和国と言い出したのやら。
29日本@名無史さん:03/02/15 00:48
>この人(佐倉)が大戦後まで生きていたら、
>薩長ついに倒る、とほくそ笑んだかも知れない。

そういう人って、どれぐらいいたのかな?
30日本@名無史さん:03/02/15 00:50
極東板最大プロジェクト

党結成準備HP:http://members.tripod.co.jp/WGIP/index.html
31日本@名無史さん:03/02/15 01:13
>>11
確かに偏向してるね。
薩長が勤皇だと強調しているところが笑える。
32日本@名無史さん:03/02/15 19:42
>>26
旧幕臣・福地源一郎は明治元年に「江湖新聞」を発行し、
その「薩長論」で逮捕された。
「政権は朝廷に帰せずして、かえって薩長に帰す。
しからばすなわち、幕府倒れて薩長は第二の幕府をなす。
これ決して、維新の目的にあらざるなり」
彼が捕らえられたのは上野戦争の後であるが、上野戦争の同囚に
「ろくな調べも受けないで、死罪を申し渡される者が少なくない」
と言われ、自分も殺されるかと思った。
新聞の発行は止められ、間もなく他の新聞もみな発行停止となった
という。これを見ても、できたての新政府が、依然として徳川幕府の
封建制を濃く受け継いでいたことがわかる。
それが薩長政権の本質であったと、この人(佐倉)は説明した。

この辺が佐幕の「明治維新」に対する最大公約数的評価でしょう。
33日本@名無史さん:03/02/15 20:13
>>24
昭和の東北の軍人が国を滅ぼしたといわれるけど
それによって島津斉彬が発端となったといわれる
海外への領土拡大の野望が一切おじゃんになったわけだ。

薩長閥はそのまま今でも残ってるだろうが、
倒幕派が描いた壮大な計画だけは壊滅させることができただけでもいいんじゃないかな。

大戦に勝ってたら薩長・東北の新しい体制ができてそうで、それはそれで嫌だ。
34日本@名無史さん:03/02/15 20:20
う〜む……、
チミは左翼教条主義者かね?
35日本@名無史さん:03/02/15 21:45
>>24,25
佐幕の会津藩の最後と大日本帝國の終戦前後は似てる。

白虎隊と少年兵
城下町に火を点けられるのと都市空襲
理想と正義を掲げて闘っても戦後は賊軍とされたのと、戦後は侵略国とされたのと
会津藩の旭日旗と日本海軍の旭日旗

会津の苦しみを新政府は受けたわけだ
36日本@名無史さん:03/02/15 22:30
会津藩が京都守護職となり、新撰組を組織したんだね。
37日本@名無史さん:03/02/15 22:49
知識人は佐幕派になるのが道理だろうね。
新興宗教にかぶれやすい頭の弱い香具師が倒幕派に流れた。
38日本@名無史さん:03/02/15 22:54
国を滅ぼした河井と山本56は何もかもクリソツ
39日本@名無史さん:03/02/16 00:06
うーむ。33みたいな考えかたは左翼教条主義者なのですか?
40日本@名無史さん :03/02/16 17:09
キンノー浪士は叩き斬れ!
コレ基本ね
41日本@名無史さん:03/02/16 17:18
東北人の粘着な怨念を感じられる名スレですなw
42日本@名無史さん:03/02/16 17:20
漏れだったら、絶対に勤皇の志士として暴れまわっていただろうな
その方が楽しそうだし、時代の潮流に乗るというのは成功の秘訣だ。
43日本@名無史さん:03/02/16 17:28
42は池田屋で殺されました。
合掌(-人-)
44日本@名無史さん:03/02/16 17:28

たしか大久保利謙さんは佐幕派だった
45日本@名無史さん:03/02/16 17:28
倒幕派=勝ち組
佐幕派=負け組

これはどうしようも無いくらいの真実w
46日本@名無史さん:03/02/16 17:40
幕府側=権益にしがみついた醜い老人ども。
倒幕派=日本を思う若き国士たち。
民衆も260年間も続き、権益を独占し、腐敗臭漂う徳川幕府の政治には
厭き厭きしていた。
最初から勝敗は目に見えていた
47日本@名無史さん:03/02/16 18:25
>>46
明治〜戦前の知識人や庶民は、単なる派閥抗争であったと見ていましたよ

そしてその延長線上に、当時(明治・大正・昭和)の軍や政界の権力闘争
があった。
48日本@名無史さん:03/02/16 22:13
>>47
実際にその時代を生きて経験したわけでもないくせに
妄想癖がひどいようだね

あと権力闘争のなかった時代があるなら教えてくれw
49日本@名無史さん:03/02/16 22:15
蝦夷共和国って逝き印マークみたいだね。
50日本@名無史さん:03/02/16 22:16
>>47
そんな認識では知識人失格だよ。
いったいどんな知識人が明治維新は単なる派閥抗争と認識していたんだ?
名前出しておけ。
51日本@名無史さん:03/02/16 22:20
俺は中立派だな。そしてあらゆる女とセックスしまくる。
産ませまくって男を上げる。最後はアメリカ人になりたい。
52日本@名無史さん:03/02/16 22:38
>>51
岩村くんが「中立は認めない」と言って攻めてくるよ
53日本@名無史さん:03/02/16 22:59
佐幕派=理性と常識を体現。全面的な国家改造に着手する。
倒幕派=藩単位の既得権益にしがみつき改革を拒んだ凶暴な反動勢力。
54日本@名無史さん:03/02/16 23:02
>>49
[蝦夷共和国]は、左翼のプロパガンダだよ。
幕府残党が共和制を志向するわけがない。
55日本@名無史さん:03/02/16 23:09
江戸時代が昔からの文化とか秩序を継承した時代だって?

1よ、気は確かか? たかだか300年前の三河のどこの馬の骨か分からん
ような連中が作った幕府だぞ。日本の歴史から見れば、それはごく最近のことで、
さらに異端な時代であることは間違いない。例えば、江戸時代に一般化した騎馬などという文化。
この野蛮な風習は朝鮮百済の末裔とアイヌの混血である東国土人固有のものである。

江戸時代が日本の文化伝統を育み継承したなど、紛れもない事実誤認である。

56日本@名無史さん:03/02/16 23:11
>>54
小栗にしろ西周にしろ共和制を考えてたんだよ。
天皇をかつぎだしてインチキ君主制をでっちあげた倒幕派は醜い。
57日本@名無史さん:03/02/16 23:22
>>56
>小栗にしろ西周にしろ共和制を考えてたんだよ

小夜は、すぐにばれるようないい加減な嘘をつく。当時の佐幕派は皇室自体は支持・尊敬
していたのだけど。

58幕臣:03/02/16 23:23
>>56
「明治維新」の真相がこれほどまでに解明されて来たのは
ここ十年ばかりのことでしょうか。
まあ、バカは相手にせんことです。
59日本@名無史さん:03/02/16 23:27
>>58
その真相とやらを教えなさいよ。ちなみに、僕も佐幕派だ。倒幕派は当時の「左翼」じゃ
ないかと思う。革命(暴動による政権奪取)のためなら手段を選ばない連中で、共産主義・
の連中は倒幕派の思想的子孫じゃないかという気がしている。
6059:03/02/16 23:29
倒幕派 → 自由民権運動 → 共産主義・無政府主義 → (敗戦) → 反日史観
 → 佐幕派のふりをする(アズマ)

という流れじゃないかな・・。
61日本@名無史さん:03/02/16 23:31
>佐幕派=理性と常識を体現。全面的な国家改造に着手する。
旧い固定概念にとらわれて、侍の特権にどっぷり浸かって平和ボケ、
精神論ばかり唱え、不平等条約しか結べなかった分際でよく言うよ(w
6259:03/02/16 23:34
>>61
佐幕派 = 守旧的だが、バランス感覚にすぐれる。守旧的だからこそバランス感覚に
優れるといったほうがいいね。改革にも熱心だが、改革のために国家の屋台骨をぶちこ
わそうとしない。
63幕臣:03/02/16 23:35
>>59
意見はほぼ正しい。
佐幕派なら「真相」は自分で調べろ。
薩長や明治政府の息のかかっていない中立や佐幕の意見を探せ。
それから、明治政府の言い分と付き合わせろ。
どっちが本当か、自分で判断しろ。
6459:03/02/16 23:55
>>63
幕臣が共和制を考えていた、という資料はあるのですか?。
政権運営担当者を選挙で選んだ、という資料しかないけど。

「共和制を考えていた」というなら、将軍も天皇もトップにしない制度を考えていた、
ということになる。幕臣がそんな日本の伝統に反する制度を作るわけないと思うけど。

例えば・・。戊辰戦争でも、幕臣は皇族を自分のたちの君主にしていた。
65日本@名無史さん:03/02/17 00:44
>>21
京都所司代なら公正に理由発表すると信じこんでるんだねぇ

素直でいい子なんだろね
純情純情w

66日本@名無史さん:03/02/17 01:48
>61
>改革のために国家の屋台骨をぶちこわそうとしない。
ヲイヲイ、それは
>53の
>藩単位の既得権益にしがみつき
これを幕府の既得権益にしがみついて、と言い換えて同じじゃねぇか?(w
67幕臣:03/02/17 02:32
>>64
>>63を補足する。
この板のスレ「【全共闘】新左翼【赤軍】」の46〜54を読め。
51は俺の意見だ。
選挙で選ぶのは「基本的に」共和制と言うことだろう。
これは蝦夷共和国での話だ。
山内容堂が倒幕派に先手を打って大政奉還させたのは、
平和的な解決を目指したからだ。天皇を元首とし、そのしたに
諸侯と公家の上院、藩士・平民らの下院を置き、「公議政体」で
政策・法令を定め、慶喜を上院議長兼執政権者とし、有能の諸侯で
政府を組織する、いわば天皇制下の諸藩連邦をつくる構想があった。
ところが、倒幕派は慶喜を排除して領地を取り上げ、朝廷が全権を
握る、実質は薩長が握ることを考えた。その為に幕府を挑発して
鳥羽伏見で戦に持ち込んだ、と言うことだ。
68日本@名無史さん:03/02/17 02:44
>>66
違うよ。
幕藩体制の維持が不可能であることを最も深く理解していたのは幕府側。
彼らは幕藩体制下で中央政府としての役割を果たし外交問題に取り組んでいたからね。
幕府は不必要な混乱を避けつつ中央集権国家に移行しようとしていたのであって、
>>62が言うようにみごとなバランス感覚をもっていた。

ところがこうした幕府の改革を自藩の危機ととらえたのが尊攘派。
木戸の書簡などを読むと、
玉を握って大芝居を打たないと長州・薩摩・安芸は滅亡するなどといった妄言だらけ。
倒幕派は明確な現状認識も変革プランもまるで持ち合わせておらず、
単に「藩単位の既得権益」が脅かされるという恐怖心に突き動かされていた。
「王政復古」という反動的なスローガンの背後には矮小な利己主義しか見えない。
69幕臣:03/02/17 03:01
>>68
いい視点だ。
70幕臣:03/02/17 03:36
明治政府の宣伝にのった教科書や小説しか読まない者は
今でも多いが、真相究明は進んでいるようだ。
賊軍の汚名を着せられてのこの100年以上は、
つらいものがあったな。
俺たちも靖国神社に祀られたいものだ。
71日本@名無史さん:03/02/17 04:14
まず言えることは、1は旗本として生まれても浪人として
生きるしか無かったろうと言うことだ。
72日本@名無史さん:03/02/17 04:36
幕府は長州さえ取りつぶすことさえもできなかった。
西端の弱小と戦ってさえも負ける。この時点でだめぽ。
参勤交代もやめちゃうし、挙国一致の力も断固とした
意思も力も幕府には無かったんだよ。

>倒幕派は明確な現状認識も変革プランもまるで持ち合わせておらず、
薩長のトップはともかく影で操ってた裏方は認識してたよ。

   五箇条の御誓文
     一、 広(ひろ)ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決(けっ)スヘシ
     一、 上下(じょうげ)心(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ盛(さか)ンニ経綸(けいりん)ヲ行(おこな)フヘシ
     一、 官武(かんぶ)一途(いっと)庶民(しょみん)ニ至(いた)ル迄(まで)各(おのおの)其(その)志(こころざし)ヲ
        遂(と)ゲ人心(じんしん)ヲシテ倦(う)マサラシメンコトヲ要(よう)ス
     一、 旧来(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破(やぶ)リ天地(てんち)ノ公道(こうどう)ニ基(もとず)クヘシ
     一、 智識(ちしき)ヲ世界(せかい)ニ求(もと)メ大(おおい)ニ皇基(こうき)ヲ振基(しんき)スヘシ
73日本@名無史さん:03/02/17 05:11
>>72
「薩長を影で操ってた裏方」とやらが、五箇条のご誓文の精神を身につけていたなら、
そもそも幕末の混乱は生じなかったでしょ。
五箇条の御誓文が出されたのは戊辰戦争の真っ最中。
薩長がこの時期にしぶしぶ開国和親を表明したのは、欧米の承認を得るためのポーズにすぎない。
ま、パークスに捨てられたら破滅するしかないんだから当然だね。

むしろ薩長の本音は、五箇条の御誓文と同時に出された五榜の掲示にある。
ここでは儒教道徳の厳守、徒党禁止、キリスト教禁止などが告示されており、
幕府以上に旧主的な本性をさらけ出してる。
74日本@名無史さん:03/02/17 05:59
漏れは早稲田出身なので、大隈派だな
75日本@名無史さん:03/02/17 06:57
( ゚ Д゚)<初めてこの板に来たけれど・・・

>>68 面白くないな。
お伊勢参りが幕末に大流行し、ええじゃないかダンスが流行ったのも、
尊王運動と関係がある。ディオニュソス的な衝動に日本全体が衝き動か
されていたんだから。
尊王攘夷や王政復古を、ただ単に「反動的なスローガンの背後には矮小な
利己主義しか見えない。」なんて解釈しかできないのが近代歴史学の限界だ。
それじゃあ、天皇制も日本の歴史も分からないよ。
76日本@名無史さん:03/02/17 07:11
>70
佐幕のくせに靖国に祀られたいとはどこか間違ってはいやしませんか。
漏れは敵側の神社に祀られたいなんて死んでも思いません。
77日本@名無史さん:03/02/17 07:21
民族戦争じゃぁ無いんだよ。
ここも糞スレだ!!>>76みたいな反日がいる。
お前は勝手に死ね!!!!!!!殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!!

2ch最大の隔離板、日本史板の最大の隔離スレ、反天皇スレ・・・・

pupupupupu!!!!!!!!!!!! どうせ、皆殺しにされるんだから、オナニーしテロ
馬鹿サヨちゃん
76は反日糞サヨの反靖国工作員!!!!!!
殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!! 殺してやる!!!!!!!!!
ころすぞ!!!!!殺すぞ!!!!!!
反日糞サヨ、最後の砦、隔離板の日本史板の反日反天皇スレにも危機が!!藁

768 名前:日本@名無史さん :03/02/17 00:59
>>762
あ〜あ、とうとうローカルルールスレにここが槍玉にあがったねえ
スレ立てはもう少し考えようぜ、id表示になるかもしれないぞ。

絶滅寸前の馬鹿サヨ、最後の砦日本史板が痴情の楽園じゃなくなっちゃうの!!
いいじゃない。どうせ、反日馬鹿サヨなんだから、生きてても死んでても、
関係ないんだから。w 蛆虫は死ね!!

81日本@名無史さん:03/02/17 10:22
>>78-80
いいからもうちょっと勉強してこい。ボク。
「!」だらけの文章なんて、お前が嫌いな左翼のアジビラの真似かと
思われるぞ(藁


ところで佐幕にせよ倒幕にせよ、勢力として「共和制」を指向していた、というのは
ちょっとなかったんでは?と思う。欧米列強でも当時進行形で共和制だったのは
アメリカ合衆国だけだったし(しかも南北戦争の混乱でアジアへの影響力低下中)。

好奇心の強い一部の知識人だけが、「共和制」を唱え(てみ)た、という程度だった
のではないでしょうか?横井小喃なんかは唱えた途端に斬り殺されていますが。

あと、榎本武揚の「蝦夷共和国」は、大義名分として君主に立てるべき徳川宗室が
不在だったため便宜的に「共和国」を名乗ったのでは?と思います。
(そもそも「共和」という言葉自体が中国の周王朝で君主不在時に諸侯が代理執政
したことが由来ですし、漢籍に明るい幕末時の知識人がそのことに思い当たらなか
ったとする方が不自然なような気が…)
82日本@名無史さん:03/02/17 11:43
自演ウゼ
83幕臣:03/02/17 13:05
まあ、共和制はあまりこだわらないでいい。
誰カサンらの我田引水だからな。
尊皇は幕末の常識。
「勤王か?佐幕か?」は、薩長のプロパガンダだな。
彼らは「勤王」ではない。
「薩長政権か?公議政体か?」が穏当だ。
84907:03/02/17 13:12
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85幕臣:03/02/17 13:24
佐幕の「公議政体」は、必然的に立憲君主制をめざしたと言える。
倒幕側は、元もと陸軍だけ整えた田舎者だから展望はない。
錦旗を独り占めして力押しでゴリ押ししたのさ。
大義は錦旗しかない。だから天皇大権の
「天皇を専制君主とする絶対主義国家」を定めた明治憲法だ。
天皇を神格化せざるを得ないから「不磨の大典」だ。
ところが、日清戦争の時、憲法の解釈が確定し、日本は
立憲君主国家になったのだよ。これは小室直樹の意見だ。
天皇の攻撃中止命令を内閣が拒否したのだ。伊藤博文は
この時になってやっと「絶対主義ではヤレン」と気づいたのだな。
その後、立憲君主制で何とかやっていたのだが、「不磨の大典」を
変える訳にはいかない。「維新の元勲」が死に絶えて抑えが効かなく
なった所で、「統帥権干犯問題」が出て来たのだな。軍部を抑えられ
なくなって、あの通りの敗戦だ。
要は、薩長が大義も知らぬ田舎者のくせに陰謀と武力でゴリ押しし、
天皇の権威にしかすがるものが無かった事が原因だ。
「明治維新」の無理がたたったのさ。
「薩長ついに倒る」とはこのことだ。
86日本@名無史さん:03/02/17 13:49
自演ウゼ
87日本@名無史さん:03/02/17 14:06
>>85
頭悪いねぇ
薩長軍閥がなくなったせいで日本はやらなくていい戦争に突っ込んだんだぜ
大局的な戦略眼もないくせに戦争キチガイの山本や石原、南雲らはどこの出身だw
88日本@名無史さん:03/02/17 20:35
>>87
司馬遼太郎と陳舜臣と金ナントカの対談本で、戦争指揮がうまいのは九州人で、
兵が強いのは東北人だというのがあった。うろおぼえだが。
89日本@名無史さん:03/02/17 20:56
>>87
いやいや、松岡洋右の外交手腕は見事としか言いようがないですなあ。
お前もそう思うだろ?
90日本@名無史さん:03/02/17 21:01
>>89
松岡はいつから軍人になったんだ?
91日本@名無史さん:03/02/17 21:05
レール自体は薩長が引いて、東国の連中がそれを奪ったという気がするな。
92日本@名無史さん:03/02/17 21:11
>>90
松岡が軍人になっただなんて誰も言っていない。
やらなくていい戦争に突入させたのは誰なんだよ?
93日本@名無史さん:03/02/17 21:13
>>90
松岡は病死しなければ絞首刑間違いなし。
そういえば文官のA級戦犯ってもう一人いたよね?
94日本@名無史さん:03/02/17 21:15
>>91
終戦末期の陸軍・海軍大将にも山口や鹿児島の奴がいるんだけど?
95日本@名無史さん:03/02/17 21:15
だから自演ウゼ
96日本@名無史さん:03/02/17 21:24
日本をチョソだらけにするわヒトラーと同盟するわ、
長州人に外交をまかせると日本はとんでもないことになる。
97日本@名無史さん:03/02/17 21:26
松岡は軍事同盟結んだけど戦争始めたわけじゃない
その時点では戦争回避は可能だしね
山本五十六がアメリカを世論的にまずいやり方で攻撃して
その後のミッドウェーの作戦立案、展開も最悪だったのも事実
98日本@名無史さん:03/02/17 21:28
>>97
どうやったら戦争回避ができるとでも?
99日本@名無史さん:03/02/17 21:30
思ったんですけど
>>70の人はまさに靖国に祭られてるじゃないんですか?
靖国はそもそも賊軍、官軍関係なく祭っているでしょう?
特に怨みの強い賊軍の霊なんて、まさに靖国が作られた目的、
慰霊される本体とも言うべきものではないんですか。
誰も突っ込まない所をみると、おいらの認識が間違ってますか。
100日本@名無史さん:03/02/17 21:31
>>99
西郷隆盛は祭られていないけどね。
そのくせ、吉田松陰なんかは祭っている。
101日本@名無史さん:03/02/17 21:35
>>98
戦争参加は他国に強制されるものじゃない
現実にドイツがモスクワに進撃してる時に日本は参戦しなかったろうが
102日本@名無史さん:03/02/17 21:37
東條英機って東北系だよね
10376:03/02/17 21:40
漏れが反日?笑わせるな。
家光公の時代を理想とする超保守派だぞ。
104日本@名無史さん:03/02/17 21:42
>>101
どうやったら戦争回避できるかを答えてな。
105日本@名無史さん:03/02/17 21:44
東条が首相になった時は、
日米開戦不可避の状況に追い込まれてた。
東条はアフォ松岡の犠牲者だね。
106日本@名無史さん:03/02/17 21:45
>>104
ニホンゴワカラナイ?かわいそうに(w
107日本@名無史さん:03/02/17 21:49
ちゅーかオメーラ幕末人だったら百姓だろがボケ。
オメーラ腰抜けじゃ何もできんよ藁。
108日本@名無史さん:03/02/17 21:51
>>101
経済封鎖をされて、日本が干乾びるのを待つつもりなのかな?
109日本@名無史さん:03/02/17 21:55
>>108
経済封鎖で滅びた国なんてないね
110日本@名無史さん:03/02/17 21:58
>>106
どうやら日本語が通じないらしい。
111日本@名無史さん:03/02/17 22:26
>101
>戦争参加は他国に強制されるものじゃない
>現実にドイツがモスクワに進撃してる時に日本は参戦しなかったろうが
そりゃそうだ。
松岡たちの軍事同盟の構想は、日独伊+ソ連で完成する手はずだったんだから。
112日本@名無史さん:03/02/18 01:35
松浦とヒトラーが虐殺しようとしたユダヤ人を岐阜人の杉浦千畝が救った。
ええハナシや〜・゚・(∩Д`)・゚・
113日本@名無史さん:03/02/18 20:02
松浦って・・・松岡だろ?
114111:03/02/18 23:14
杉浦じゃなくて杉原千畝だよ。大事な人を間違ってんじゃねぇよ。

あと、樋口季一郎少将も、ユダヤ人に対しては寛大な措置をとるようにと述べ、
安江仙江大佐とともにポーランドを脱出してきたユダヤ人に便宜を図っている。
この前例が後に杉原の発行したビザで満州を通過するのにも有効になったと
言われている。
115日本@名無史さん:03/02/19 00:46
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1031320565/l50

248 :日本@名無史さん :03/02/08 20:52
山本五十六は奥羽越列藩同盟側の長岡藩の出身で、薩長に長岡を焼け野原にされたことを恨んでいた為、
大日本帝国=薩長明治新政府を潰すことを考えていた。

連合艦隊司令長官となった山本五十六は、
航空戦には、ド素人の南雲忠一を虎の子の第1航空艦隊の司令長官に任命し、
ミッドウェイ海戦で虎の子の第1航空艦隊が全滅するように仕向ける。

なぜなら制空権を失えば戦争に負けるから。

素人の南雲忠一はハワイ空襲で絶対必要な反復攻撃を行わず、アメリカ軍の戦力を壊滅させる事ができなかった。

さらに山本五十六推奨のミッドウェイ海戦で致命的な失敗をし、第1航空艦隊の空母は全滅。

そして大日本帝国=薩長明治新政府の消滅を確信した山本五十六は、ブーゲンビル上空に消えていった。
116日本@名無史さん:03/02/19 19:29
佐幕派(・∀・)イイ
117日本@名無史さん:03/02/19 19:41
>>115
見事でごわす・・・
118日本@名無史さん:03/02/19 19:50
>>72
さんざん攘夷を煽っておいて
いまさら「智識ヲ世界ニ求メ」もないだろヴォケ
119日本@名無史さん:03/02/20 05:47
>さんざん攘夷を煽っておいて
ここと
>いまさら「智識ヲ世界ニ求メ」もないだろヴォケ
この間には、外国にボロクソに叩かれたというのがある。
だから開眼して「智識ヲ世界ニ求メ」ということなのだ。

都合が良いといえばそれまでだが、それくらいの柔軟な思考を持っていなければ
クーデターと革命を同時に起こすのは難しかろう。
120日本@名無史さん:03/02/21 20:30
(・∀・)イイne!
121日本@名無史さん:03/02/21 21:23
漏れは異人嫌いだし天皇好きだから尊皇攘夷に走っただろうな。でも、幕府も好きだから
尊皇攘夷の公武合体派かな。ということは島津三郎みたいな感じ? 旧一橋派の復権の
幕政改革マンセーみたいな。
問題は薩摩が長州デムパと仲良くなってからだなぁ。あれにはついていけないYO。
どこに逝こう…
122日本@名無史さん:03/02/21 22:03
>>121
慶応義塾へ福沢先生をたずねなさい。
123日本@名無史さん:03/02/21 22:16
>>121
徳川家の末路に、家臣の一部分が早く大事の去るを悟り、
敵に向て曾て抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自から家を解きたるは、
日本の経済に於て一時の利益を成したりと雖も、
数百千年養い得たる我日本武士の気風を損うたるの不利は決して少々ならず。
諭吉
124122:03/02/21 22:54
↑は、婉曲すぎて意味判らん。
で、明治34年の「痩我慢の説」より解説。
「270年の大政府が、二・三の強藩の兵力に対して毫も敵対の意なく、
和を講じ哀を乞うて止まなかったのは、世界に例を見ない。
勝安房が江戸の民を塗炭の苦から救ったことは大功かも知れないが、
新政府の新貴顕となって愉快に世を渡っているのを
怪しむ者もないのは奇怪である」

う〜む……、福沢先生も武士だったのネ。
125日本@名無史さん:03/02/23 17:09
在野を貫いた福沢はまさに武士だね。
榎本は見苦しいし、勝の俗物的振る舞いの数々は醜悪の極みだ。
126日本@名無史さん:03/02/24 17:10
>>125
言いたい放題したくて野に居続けた、という考え方もあるが。
127日本@名無史さん:03/02/25 10:42
榎本は武将タイプじゃなくてテクノクラートだからなぁ。
128日本@名無史さん:03/02/25 10:46
東北人は、第二次大戦を敗北に導くことで薩長に復讐を果たしたのでしょうか。
東條、米内その他。
129↑↑↑:03/02/25 12:08
何でもかんでも「戊申の恨み」で東北人が動くと思ってる馬鹿発見。
130↑↑↑ :03/02/25 13:21
じゃ、「東北人は無能の売国奴」ということでいいんだな。
131日本@名無史さん:03/02/25 13:30
漏れの5代前までは幕府御家人だったからやっぱ佐幕派かな。

朝敵なめんなよゴルァ!
132日本@名無史さん:03/02/25 18:58
>>130
お前の有能なご先祖は何していたんだよw

つーか、東条も米内も戦争は望んでいなかっただろ。
それのどこが売国奴なんだ?
133日本@名無史さん:03/02/25 22:26
>>132
ああ、じゃあ言い換えるわ。
「東北人は無能のクズ」ってな。
134日本@名無史さん:03/02/25 23:00
トランプのババ抜きで最後にババを引く者=東北人
つまり東北人はドン臭い。
135日本@名無史さん:03/02/26 03:33
>つーか、東条も米内も戦争は望んでいなかっただろ。
山本たちも戦争は望んでいなかったしな。
じゃああの戦争を望んだのは一体誰なんだ?(w
136日本@名無史さん:03/02/26 10:32
>>135
実はニューディールが行き詰まっていたF.ルーズベルトだといってみるテスト
137日本@名無史さん:03/02/26 11:01
>136
ソレダ!w
138日本@名無史さん:03/02/26 18:57
>>133
少なくとも、有能なやつは君みたいな発言しないよ。
139日本@名無史さん:03/02/27 11:19
>136
>実はニューディールが行き詰まっていたF.ルーズベルトだといってみるテスト
今ブッシュを見てるとそーなんだろうな、と思ってしまうよね(w
140日本@名無史さん:03/03/02 23:13
ねえねえ、ヨクわかんないけど攘夷派が頑張ってなきゃ日本は植民地になってたのかな?
141日本@名無史さん:03/03/03 01:59
攘夷左幕倒幕開国その他全ての思想が存在したことが結果に結びついた。
ヨクわかんないんだったら勉強しろ
142日本@名無史さん:03/03/04 23:00
日米修好通商条約結んだ時点で、植民地に片足突っ込んでたも同然かも。
143水戸浪
真の尊皇攘夷は水戸である。