日本ってそんなに魅力なかったんかな?
1は漢民族
3 :
日本@名無史さん:03/01/24 21:35
4 :
日本@名無史さん:03/01/24 21:37
裏切者が居なかったから。
今は違う。
アメリカの植民地ですが。
6 :
日本@名無史さん:03/01/24 21:37
世界の端っこのほうにある無資源列島だったから
7 :
日本@名無史さん:03/01/24 21:41
民が鬼のように優秀だから
民は優秀か〜?
売国奴の偉いさんがいなかったから良かったんじゃないの〜?
9 :
日本@名無史さん:03/01/24 21:54
10 :
日本@名無史さん:03/01/24 22:03
>>4 馬鹿だなおまえは。
織田家臣にも豊臣政権のなかにも徳川幕府内にも裏切り物はいただろ
当然大日本帝國内にもな!
11 :
日本@名無史さん:03/01/24 22:28
運が良かったから
12 :
日本@名無史さん:03/01/24 22:37
江戸の人口はロンドンやパリより多かったていう話だから、侵略するのにかなりコストがかかったんじゃないかな?
あと金と銀のレートが列強に比べて金が安かったから、無理して攻めるより貿易したほうが得だったんだと思う。
危険な時期を金で買ったといえるかも。
13 :
日本@名無史さん:03/01/24 22:43
国民の教育水準が世界一だったから
14 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:01
どこかと違い文化水準と社会制度が高く軍隊による支配が無理と考えられたため。
単純に遠いからじゃねえの
16 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:15
欧米諸国から遠かったのと中国大陸に目が向けられていたことと
大金掛けて武力で支配するより単に貿易した方が儲かると判断したから
17 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:18
もう一つ付け加えると幕府も明治政府も案外強固な支配体制であったこと
どちらも軍事政権みたいなもんだったし
18 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:19
封建制度がよかったんじゃない。幕府の影響力の低下も大きい。
ようするに幕府を屈服させても、諸藩が従わないから
支配するのは容易じゃないと判断したんだろう。中央集権の清朝
みたいにはいかなかった。
あとは異人とみると切りかかってくる攘夷活動に恐れおののいた
という感じか。
それと日本は尚武の国。4国艦隊に破れても、再度攻めてくれば30万動員して
徹底抗戦してやると豪語した長州藩。
薩英戦争で英国艦隊に甚大な被害を与えた、薩摩武士の勇猛さ。
死を恐れない、武士道精神が植民地化を防いだのだ。
19 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:29
あとは日本の戦闘能力の高さ。
なにしろ日本には戦闘要員である武士が300万人もいるんだから。
これは他のアジア諸国とは比較にならない。どう考えても日本侵略は無理だ。
また、列強のアジア侵略におて、唯一挫折したのが
撤退を余儀なくされた薩英戦争だろ。これが決定打だな。
20 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:30
幕末、佐幕派か倒幕派かという
正反対の信条を持っていたとはいえ、
指導者はみな日本の未来を案じていたことを思うと、
日本という国を築いた先祖に申し訳ない、と
現代の売国奴野郎どもは思わないのだろうか。
もしかしたら日本には民主主義に変わる何か新しい政治体制が
必要な時代がきたのではないか。
21 :
日本@名無史さん:03/01/24 23:57
そんなの思い付かないよ
22 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:01
日本は色んな面においてお隣の某国とは違っていたというわけですな
23 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:04
24 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:16
25 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:37
当時の列強国は、貧しい日本が旧体制を捨て、多くの留学生を
海外に派遣したり、外国から技師や教官を招いたりして、1から
西洋の技術を学び、新しい習慣や優れた文化を取り入れようとした
のを見、他のアジア民族より先進的な民族だと思ったのだろう。
植民地支配というより、我を師と慕ってくる可愛いヤツらだと思った
んじゃないの?
特に大英帝国は、未開国に慕われると寛大になるって聞いた事がある。
26 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:40
初めに来たのがアメ公だったからだよ。
馬鹿が脅すから急速に軍備が整ってイギリスフランスが
食い物にしようと思った頃には植民地支配が出来るレベルじゃなかった。
実は黒船来航時アメリカはたいした事なかったんだな
目一杯虚勢を張って4隻黒船を引っ張ってきただけだよな。
アメリカが伸びたのは第一次大戦の特需のお陰。
イギリスとかフランスの方が((((;゚Д゚)))ガクガクブルブルだったと思う
27 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:55
>>26 その艦隊を率いてたペリーって、本国では別に大した
人物ではなくて、その反動からか、日本を含めアジア
各地で威圧して回った下衆なヤツと聞いたが?
28 :
日本@名無史さん:03/01/25 00:56
29 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:05
>>28 アジア各地では住民は家に閉じこもって逃げ出したらしいが、
唯一 日本人は最初こそ恐れていたものの、次第に好奇心に
かられて遠くから見てる者、仕舞いには海岸は人だかりになって
弁当を売る者や絵を画く者まで現れ、役人が小船で近付き艦内に
乗船、これを見たペリーは他のアジア人と日本人の違いに驚いたらしい。
30 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:10
すべて、平家のおかげである。
31 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:15
帝政ロシアは、未開地は容赦なく支配下に組み入れ、毛皮の上納義務を課したり
税という名目で搾取の対象にしたが、日本のように社会基盤のしっかりした国に
対しては、支配より貿易相手として考えたらしい。
32 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:22
仮にどこかの国の植民地になってたら日本語はなくなってる訳?
33 :
日本@名無史さん:03/01/25 01:31
相手国にもよるんじゃないの。
しかし日本は、韓国併合後、あまりの識字率の低さに驚き
学校でハングルを教えたりもしている。
>>26 じきに南北戦争が始まったからね。それどころじゃなくなった。
しかし、残虐度で言えばコンゴを支配したベルギーが最強かと。
税が払えない原住民の片腕を切断したとか((((((゚д゚;))))))ガクガクブルブル
日本に来なくて良かった。
35 :
日本@名無史さん:03/01/25 18:51
おめーら
ペルリ来航の3年後に、国産蒸気船を作った国だぞ。
これぞ神州日本の底力ぞ。
毛唐なんぞ、相手になるか。
37 :
日本@名無史さん:03/01/25 18:54
日本を植民地にした場合、どんな産物を本国へ持ち帰ることができるの?
>>37 お茶……位しか思いつかん。
金銀や銅はすでに輸入国になってたし。
富国強兵、脱亜入欧、帝国主義、
これらの政策が正しかったから。
ご先祖さまが血を流して戦ったから。
40 :
日本@名無史さん:03/01/25 18:58
絹、浮世絵
奴隷
42 :
日本@名無史さん:03/01/25 19:53
チン仏
43 :
日本@名無史さん:03/01/25 20:00
どちらかというと朝鮮半島のほうが独立を維持する力があったと思う。
日本はノーマークだったと思う。
44 :
日本@名無史さん:03/01/25 20:07
>>43 朝鮮は、歴史的に従属してしか存在してないのは、どう説明する?
45 :
日本@名無史さん:03/01/25 20:10
燃料基地かなんかにしかならないとふんでいて、
列強が得るものが何か計り兼ねていたこと、
で、ほっといたら、勝手に文明開化してた。
というのが真相だろ?
46 :
日本@名無史さん:03/01/25 20:16
明治維新後40年弱でロシアに勝つ日本
47 :
日本@名無史さん:03/01/25 21:33
当時の日本において最も危険な国はロシアじゃなかったのかな?
欧米諸国は上記の説明のとおり日本を侵略する程の勢力にはならなかったが
ロシアは違っていた。
日露戦争は避けられなかった戦争だったし、そういう意味で日本は
ロシアに勝つために開国し、維新を成し、近代化を進めてきたようなもんだ。
48 :
日本@名無史さん:03/01/26 00:40
ていうか江戸時代末期からつい10年前まで日本最大の敵国はロシア(ソ連)だろ。
49 :
日本@名無史さん:03/01/26 13:38
ってかなぜかアジア諸国ってすごくねばり強くてなかなか植民地化出来なくて
もううんざりしてたからじゃないの?
50 :
日本@名無史さん:03/01/26 13:59
>>49 2次大戦まで、植民地化を免れたアジアの国家は、
事実上、日本とタイだけでは?
51 :
日本@名無史さん:03/01/26 14:21
種子島に伝わった鉄砲をわずかなの期間で大量に生産したから。
52 :
日本@名無史さん:03/01/26 14:35
チベットも(1949年?に)中華人民共和国が侵略するまでは、
ダライ・ラマを元首とする独立国だったのではなかったかな。
ダライ・ラマが逃げ出してインドのラダックに亡命政権を作った
のは戦後のこと。
アヘンで骨抜きにされなかったから、というのも結構重要と思う。
54 :
日本@名無史さん:03/01/26 16:29
このスレ見るとナショナリズムが高揚する。
神の国って、なんかまんざらでもないな。
55 :
日本@名無史さん:03/01/27 00:11
欧米列強国は既におなかいっぱいで、各植民地からの産物
を売る市場程度にしか思わなかったとか。
人口が多く独自の流通制度が整っていれば商売優先!
56 :
日本@名無史さん:03/01/27 00:17
ハリス「彼らはみなよく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も
貧者もない。これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を
開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する
所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国に
おけるよりもより多く日本において見いだす。生命と財産の安全、全般の人々の質素と
満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」彼は江戸城内で将軍家定に
謁見した際「大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。
だがそれは、想像されうるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。
燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイアモンドをちりばめた刀もなかった。
私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったといっても過言ではない。」
オールコック「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧
については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を
横切って、非常なゆたかさの中で所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそ
うな住民を見ていると、これが圧政に苦しみ、過酷な税金をとりたてられて窮乏している
土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向き
のよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという
印象を抱かざるをえなかった。」
ちょっと時代は下るがチェンバレンによると
「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。」「一般に日本人や極東の
人々は、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である」「金持ち
は高ぶらず貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だ
と心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
このような尊敬できる国を植民地にしようという発想は
普通もちません。
>>56 すばらしいがそれをもって日本を侵略するの意無しとするのはちょっと科学的根拠ではないような・・・
情緒的な面で戦禍を免れたのは第二次大戦末期の京都くらいではないだろうか?
59 :
日本@名無史さん:03/01/27 12:37
日本が植民地にならなかった理由。
それは中国の惨情を知ってた幕府外国奉行が
毛唐どもに隙をつかれぬ巧みな外交交渉を維持、
そろそろヤバイ時期に明治維新を興したから。
英、仏とも成す術なし。
普通はこういわれています。
1、1860年代はイギリスを中心とする産業資本全盛時代で、イギリスは
自由貿易を第一と考え積極的な植民地政策は取らなかった。
2、諸列強が互いに勢力均等を保っており、1国だけが強硬な態度は
とれなかった。
3、クリミア戦争・南北戦争など列強の国内事情が悪化していた。
4、イギリスは日本の市場的価値をあまり重視せず、中国・インドに
比べると対日外交は2義的であった。
5、セポイの反乱や太平天国の乱のような排外的民族運動の苦い経験
により軍事行動をひかえた。
61 :
日本@名無史さん:03/01/27 14:50
age!
62 :
日本@名無史さん:03/01/27 15:31
事実上、アメリカの準植民地みたいなもんだろ
63 :
日本@名無史さん:03/01/27 15:58
属国であることは、自他ともに認めている。
>>56 考えてみれば、日本ほど単一民族で(今のところ)成功してる国は
無いよな。他の単一民族国家だと韓国は北チョソと分裂しているし、ソマ
リアなんかは無政府状態に陥っているし。
語弊(cf:単一民族国家とはウヨの驕りだ!)があるから、言っておくけど、
北海道のアイヌは良くも悪くも事実上、消滅しつつあるし、沖縄にしても
文化的には違いがあるが、生物学的・言語学的には日本人と同類なんで
(琉球語は日本語における、日本語と二分する大方言となっていて、完全
に独立した言語では無い)、ここでは単一民族という事です。
66 :
日本@名無史さん:03/01/27 17:13
今はもう下り坂だけどな、この国………
67 :
日本@名無史さん:03/01/27 18:00
>>1 武士道精神が生きていたからです。武士道の下では西洋の騎士道も
色褪せるくらいです。幕末では「武士道」は武士のみならず、町民や
農民からみても理想の精神でした。
68 :
日本@名無史さん:03/01/27 18:48
アメリカ 南北戦争で忙しい
イギリス セポイの反乱の事後処理で忙しい
フランス メキシコで失敗したところで普仏戦争
ロシア クリミア戦争後も南進を狙うが不調
要するにみんな忙しかったからだな
69 :
日本@名無史さん:03/01/27 21:06
地理的に極東で
島国だったからでしょ。
軍事的に攻めるの面倒だったんじゃない。
70 :
日本@名無史さん:03/01/27 21:14
戦国時代の日本人の強さを恐れていた、という話を聞いた事がある
東南アジアに進出していった日本人の活躍は西洋にも伝わっていた
71 :
日本@名無史さん:03/01/27 21:19
明治維新期の革命家の気風が今の日本から失われつつあるのは確かだな
72 :
日本@名無史さん:03/01/27 21:22
戦後、アメリカに骨抜きにされますた。
73 :
日本@名無史さん:03/01/28 02:25
アメリカは巧妙な政策で、経済大国を舎弟に持ちました。
日本は 稚拙な政策で、満州・朝鮮などをを失いました。
74 :
日本@名無史さん:03/01/28 02:32
日本はネ申の国です
75 :
日本@名無史さん:03/01/28 03:06
日本もまた、従順なフリして米国を利用、おかげで戦後
平和を享受しながら豊かな国になりました。
アメリカは 日本をふにゃチンにしすぎて後悔してます。
「アー、セメテイギリスナミノシャテイニスベキダッタ・・」って。
76 :
日本@名無史さん:03/01/28 04:36
イギリスはグラッドストーン内閣だったし
>>58 京都に戦災がなかったというのは俗説。空襲はあった。
ガイシュツだがやはり一次産業的に取って行くものが無かったからだろう。
欧州人が米をたくさん食ったり、緑茶マイウ〜って飲んだり、うめぼしが大好きだ
ったり、ショウユソースが大ブレイク起こしたり、酒はやっぱ芋焼酎よね〜
とかなってればまた全然違っただろうけど。
(だって現代でも起きないもん。いいとこ回転ズシくらいだろ)
そういう意味での文化格差が中国よりも開いてたってことだな。
(海外に通用する物って電器製品と車くらいだもんな〜。それもここ数十年のことだし)
あとどこかの板の同じようなスレでも言ったけど、欧州本国から軍隊を派遣する事情は、
当時はまだ厳しかったはずだ。アヘン戦争時でも4000人ほど。
(2次の際は10000越えたが。ただそれは1次での勝算があり、体制を決定づける
自信があったから)
政権が惰弱な国々ならそれで十分かもしれんが、いくら幕末とは言え、それで日本の
体制を支配できるとは思えんよなあ。はるばる海越えて、取るものもない国へやって
来るのはかなりの愚策でしょう。
植民地化するよりも外交で交流し、中継点として置いておくのが最も安全かと思われ。
(これは今も一緒かな。)
79 :
日本@名無史さん:03/01/31 00:59
天然資源が豊富で農産品もたくさん、しかもどっかの国みたいに
中国ベッタリ体制だったら日本を巡って英・仏・蘭・露が日本で
勝手に戦争してたかも。
80 :
日本@名無史さん:03/01/31 01:10
>>78 一次産業を文化と思っているところがすごいね。
ひょっとして、天然資源も文化と思っているの?
中国が海外で通用するものは料理くらいだろ。
81 :
日本@名無史さん:03/01/31 01:21
78がいいたいのは食文化じゃないかな。
欧米列強が中華料理ほしくて中国目指したとは思えんけど。
天然資源目当てでしょ。
82 :
日本@名無史さん:03/01/31 03:56
市場だろ
83 :
日本@名無史さん:03/01/31 05:06
そだね.茶と市場だね.
84 :
レ・ファニュ:03/01/31 05:08
緑茶はイギリス人の好みに合わなかったのかな?
85 :
日本@名無史さん:03/01/31 08:55
東南アジアにリストラされたサムライの傭兵が渡っていたころ、かれらは
現地の人から「戦争の鉄人」と呼ばれていました。
西洋人もこれらの日本人を「頑丈で勇敢。すこぶる強靭」と恐れていました。
86 :
日本@名無史さん:03/01/31 11:19
幕末〜日清背なそうくらいまではロシアは日本を恐れるどころか侮りきってたんじゃない?
幕末にロシアが起こした択捉の日本施設襲撃事件では
ロシアのわずか数隻の軍船と数十人の兵士の夜襲によって、百数十人も居た南部・津軽藩の兵たちはひびって、
ほとんど戦わずに我先に逃亡してしまい戦闘にすらならなかったという。
択捉の防衛施設を見たロシア軍人は「ロシアの寒村なみ」と冷笑し、
のちの樺太の日本最大の軍事施設すら「ロシア兵80人も居れば陥せる」となめられてたという。
日清背なそうは日清戦争の間違い。
それで、そこまでロシアは日本を見くびっていたのに
できるだけに穏便に話し合おうとし、日本を尊重した条約を結ぼうとしたのは
ロシアは市場としての日本を重視し、友好的にやっていく意向だったらしい。
88 :
日本@名無史さん:03/01/31 12:10
ロシアかあ。
それにしても何でこのスレタイトル「西欧列強」なんだろ?
それだとアメリカやロシアが入らんじゃないか?
89 :
日本@名無史さん:03/01/31 18:45
>>84 緑茶を輸入しました。赤道付近で発酵しました。紅茶になりました。
イギリスの紅茶は、中国の緑茶です。
だから、貿易赤字で、解決のためにアヘンを売って戦争ふっかけた。
今、考えるとすごいね。ま、どこかの国も麻薬売りつけてたけど。
>>58 >>77 京都は、5発目の原爆投下予定地でした。投下爆心地予定地は、
今の京都駅のやや西です。文化財を守るとかの話は戦後のフィクションらしいです。
毎度のことだが、世界史解っとらんヤシがこういうスレ立てるからさ。
>78であんなにわかりやす〜く書いてやってんのに、
>>80〜83の連厨がコレだろ...
(一人かもな)
低すぎて書く気も失せるよ。
大航海時代〜植民地支配への流れなんて考えたこともないのじゃろうて。
そんなんじゃ受験しても受からんわな。
91 :
日本@名無史さん:03/01/31 19:01
つまり、在*が幅を利かせる現代日本はもうダメぽってことやね
「勤勉=悪」みたいな戦後教育で、日本は沈んでいくぽ・・・
某国みたいになりつつあるぽ・・・
92 :
日本@名無史さん:03/01/31 20:26
微笑みの国 タイ
93 :
日本@名無史さん:03/01/31 21:33
過労死企業戦士を育てたのは戦後教育なのだが。
そこを変えようとしてると、一応、ゆとり教育を評価したいが。
まあ、ゆとり教育の新の狙いは別にあると思うが。
94 :
日本@名無史さん:03/01/31 21:41
語尾がぜんぶ「が」で終わるのは
自分の主張に対する無責任さが図らずも現れているものといえよう。
95 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:23
今の中国が傲慢でエラそうで、しかも軍備の近代化を推し進め、
宇宙開発にやっきになっているのは過去の恥辱の歴史の裏返し
とみてヨロシか?
96 :
日本@名無史さん:03/02/01 11:34
>>94 「いえよう」というのも客観性を偽装している責任回避文章と「いえよう」。
97 :
日本@名無史さん:03/02/01 12:32
そうか?
98 :
日本@名無史さん:03/02/01 12:55
なんか違う感じだね
99 :
日本@名無史さん:03/02/01 13:41
いきなり煽られてくやしかったんじゃない?
でもちょっとピントがずれてるな。確かに。
まあ、話題を戻そうぜ。
ゆとり教育=勤勉は悪、ではないと思うけど。どうよ?
100 :
日本@名無史さん:03/02/01 18:07
>>78は無視されたのが余程くやしいかったのかな。かなり痛々しい。
101 :
日本@名無史さん:03/02/01 18:13
枝葉末節なことにいちゃもんつけてるとバカにされるぜ。
102 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:26
中国と日本の違いを教えたもれ
中国は西欧に吸い尽くされたのに、日本はそうならなかったのはなぜ?
103 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:49
中国は西欧に吸い尽くされてはいない。
のらりくらりと西欧の圧迫を斥けていた。
最終的には精神的革命と大衆を動員した運動によって、
崩壊させられた末に西欧の経済的侵略を受けたと言った方が正しい。
諸外国の勢力圏による分割と言うものも、
実は清が潰れた後の政権が自分達を正当化する為に使ったもの。
下手をすれば各種の契約を相互に保障しあった清国の崩壊で、
事実上の現物接収として諸外国に分割される事も有り得た。
104 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:53
ある意味では太平天国の乱も西欧諸国とは無関係ではないだろう。
有名な無敵軍も実はそこに属するアメリカ人やイギリス人が、
清国軍と太平天国軍側に何回も所属を変えている。
要するに中国で戦乱を起こさせて混乱に乗じて奪う事が、
自分達の利益となるからであり実際にこの時期に奪われた物が多い。
105 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:57
国民党による革命は欧米日の諸国が支援していた為に、
絶対的に正しいと言われているし、
太平天国の乱も欧米の諸国が支援する場面も多く、
これもまた正しいものといわれ続けているが、
実際には中国の政体を混乱させて、
そこから多大の利益を引き出したと言う意味では、
そこに住む人達に責任を持たない略奪だともいい得る。
106 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:59
まさに辛亥革命は清国と欧米諸国との経済的契約を、
純粋な経済的侵略に移し替える為の混乱だと言ってよい。
107 :
日本@名無史さん:03/02/02 18:49
中国の大人口が市場の魅力。日本は重要視されてなかった。
太平天国の抵抗では、変革を目指した抵抗軍より、弱い政府の清を
欧米は支持している。
が、十数年、太平天国が続いたのは立派。
民衆に平等革命の神話を残し、後の共産等軍支持の基盤となってる。
洪秀全の子守唄は、今も生きてると聞いたことがある。
108 :
日本@名無史さん:03/02/03 01:09
オスマン帝国、ムガール帝国、清帝国、カージャール朝ペルシャ帝国、
アフガニスタン王国、ネパール王国、インカ帝国、アステカ帝国。
109 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:20
明治・大正の先任達は中国が植民地化してどれだけひどいことだったかを知っていた・
国内での対立であったが、外国とは一体でなった。
戦後吉田首相も安全はアメリカにまかせ、経済立国で国民の幸を選んだ、
中国は今も複合民族国家であるから、何処か外国に悪の敵を見つけて、
国内統一を図らないといけないんだ。
110 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:24
中国は、もう外敵無しでも求心力あるんでないかな。
経済発展は、求心力と思う。
北は単一民族だが、外敵無しにはやっていけない。
111 :
日本@名無史さん :03/02/03 11:34
日本は戦国時代からずっと西欧の植民地化にさらされてきた。
だがキリスト教に対する反発が組織的、効果的になされたため、それを350年
にわたってブロックすることができた。
その後、鎖国政策は、実は西欧列強を幕府が一元的に把握し、つけいるスキを与え
なかった、鎖国は効果的に列強の動向を把握できた。
幕末〜維新期にその情報の集中と有能な指導者により、綱渡りのような改革に成功
した。混乱する国内を統一し、条約締結に成功したことが大きい。
112 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:45
他が忙しかったから植民地化されなかった、などと言うのは理由になりません。
中国を植民地化する間も彼らは忙しかったからです。
また当時3000万の人口を持つ日本に市場としての魅力が無かったというのも牽強付会。
上の誰かがロシアが市場としての魅力を感じていたと言っているように。
結局、中国には統一して事に当たる力量がなかったこと。
日本にはあったこと。
ペリー来航以来40年弱にして起きた日清戦争のありさまを見れば瞭然。
113 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:47
西日本から東北まで教会が立ち。
数百万の信者と、数名の大名をゲットされてるが?
ま、秀吉以降、キリスト教を抑えたのは事実だね。
代償は、仏教の退廃と非宗教化かな。
条約締結成功?
威嚇された不平等条約だが。
その辺の解釈は?
114 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:53
日本が市場価値として魅力の的であったことは、イエズス会文書などでも
明らか。戦国期から金産出量が多かったこと、農業生産量の飛躍的増大
も魅力的であったはず。
ある意味、戦国時代の軍事革命や、太閤検地による農奴の解放や、楽市
楽座などの自由経済政策が、砲艦外交・奴隷制度を中心とする列強の政
策を実行しにくくしたのではないか。
115 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:57
>>113 >数百万の信者と、数名の大名をゲットされてるが
キリスト教の広まりから排除までは、相当な困難と流血があったのは事実。
だが、インドをはじめアジア各国での圧倒的なキリスト教の攻勢が結果的
に日本で挫折したことに注目すべき。
>威嚇された不平等条約だが。
同じ不平等条約でも、清が結んだのとは、ぜんぜん内容が違う、しかもそれは
段階的不平等条項解消を将来に見据えて結んだもの。
実際、まもなく、日本は不平等条項の解消に成功する。
116 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:08
>>114 ふむ、おもしろいね。なるほど。農奴解放?自作農創出って意味かな。
>>115 キリスト教についてはそうだね。
かくれは、けっこういたが。私は東日本人だが、近くにマリア内蔵仏
があるよ。
清との違いはどこだろ。治外法権と関税自主権無しは同じだよね。
領土割譲や租借地のことかな?
段階的不平等条約解消とは、よくわからないな。
秘密協定でもあったのかな?
個人的には、不平等条約は日本の知識・実力不足。
条約改正成功は、日本の近代化の成功の代償と思うが。
皮肉的に言えば、朝鮮に不平等を押し付け、日清日露で勝ち、
侵略者側についたことが欧米に認定されたのかな?
117 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:19
>>116 >清との違いはどこだろ。治外法権と関税自主権無しは同じだよね
まず外国人商人の国内旅行を禁止した。これにより日本人がもめごとを起こし
それを治外法権をタテに外国が内政に介入するという、清と同じ破滅への道を
最小限にすることに成功した。
開港する港を最小限にした。(確か3つだけだったような)
イギリス・ロシア・フランスの進出を抑え、比較的強硬でなかったアメリカを
最初の交渉相手とし、中心にすえた。
>個人的には、不平等条約は日本の知識・実力不足。
それを言い出したら、当時の列強と平等条約を結べる国はどこにも存在しない。
植民地とはそういうもの。
>条約改正成功は、日本の近代化の成功の代償と思うが
近代化をしないと、平等条約が結べないことは、当時の江戸幕府の知識人にも
分かっていた。国内の攘夷論者や国体維持派を抑えつつ、あれだけの条約を
結べた江戸幕閣の能力の高さを評価すべき。
井伊大老にしても、よくいわれる「国賊」論みたいのは、まったく当時の状況
を知らないヤツの言うこと。
118 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:44
>>117 なるほど。居留地制限が日本にはあったが中国にはなかったってことか。
そうなの?生麦事件など、馬で散歩してたようだが。
旅行禁止と言うのは知らなかった。サンクス。
港は5つ(長崎・兵庫・神奈川・新潟・函館)だね。
中国も制限してたと思うが。
君は、中国侮蔑者じゃないようなので、話が聞きやすい。
林則徐や洪秀全なんかは評価してるの?
119 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:52
まあ、とにかく日露戦争で負けなくて幸運だった。
120 :
日本@名無史さん:03/02/04 00:02
>個人的には、不平等条約は日本の知識・実力不足。
同時期の天津条約と比較してごらん。
幕府は多くの制約のなかでかなりベターな選択をしてるんだよ。
121 :
日本@名無史さん:03/02/04 01:01
日本が植民地にされなかった理由。
チョンマゲ頭に西洋人がたまげたから。
122 :
日本@名無史さん:03/02/04 01:08
>>121 あたまに短銃のせて威張ってる香具師が大勢いたんだから、
そりゃたまげる罠。
123 :
日本@名無史さん:03/02/04 02:41
>59,60,68に賛成
教科書では近代の始まりをペリー来航からとしているけど、
アヘン戦争敗戦からとしたほうが分かりやすいと思うな。
戦国期は秀吉や家康のように戦の中で生き抜いてきた、煮ても焼いても食えない連中が
いては当時の西洋諸国の武力では植民地化は到底無理、頼みのキリスト教による宣撫も
下心を見破られては如何ともできなかった。
幕末はシーボルトなどの報告である程度日本の実情も判っていて、支配構造もしっかり
してたため迂闊に植民地化出来なかったのだろう。
125 :
日本@名無史さん:03/02/04 08:45
>>1 今、アメリカの属国同然だろうが?
まあ、それはさておいて<ロシアに少し領土取られたんじゃない?
樺太・千島交換条約で「樺太・全千島、共に日本固有の領土であり政府は交換という名目で樺太を手放した」
と怒る人もいたそうだし。
126 :
日本@名無史さん:03/02/04 08:59
それはその通りです。千島はコサックが南下。ライフルでアイヌを
脅しラッコの毛皮をとりながら南下しました。
勇敢なアイヌに殺害され一時北方に退去しますが、幕府の管理がにぶく
また南下してきました。
樺太は日本が管理してましたが、不平等条約下ロシアの軍人が入り込み
放火、殺人を繰り返し、非武装であった日本の官憲が制圧できず
彼我の圧倒的軍事力の差からなくなく手放したのです。
北海道が日本の領土であると認識されるように
なったのはいつごろからなんですか?
128 :
日本@名無史さん:03/02/04 09:42
応仁の乱のころ、安東氏が館を建設し北前船と蝦夷支配の基地とした頃から
本格化し、松前藩ができた頃が正式領土となるのでは。
>>128 なるほど。
とするとそれまでは無主の土地だったんですか?
それともアイヌの国があったんでしょうか?
無知ですいません。
130 :
日本@名無史さん:03/02/04 10:00
>>129 専門じゃないけど、国とは言えないような状態で、アイヌが居住していた
と思う、和人の移住もあり、両者に小さな衝突が時々あったような
131 :
日本@名無史さん:03/02/04 10:10
>>130 私が聞いた話しでは蝦夷地への和人の移住が始まったのは
奥州藤原氏の滅亡後だそうです。
とはいえ、それ以降も渡島半島の南端にいくつかの小さな居住地があっただけですが。
132 :
日本@名無史さん:03/02/04 10:19
松前藩の支配すら松前と函館の二つの町を拠点としての支配にすぎず。
札幌なんて明治以降に開発されたものでそれ以前はカゲも形もなかったしね。
133 :
日本@名無史さん:03/02/04 11:45
アイヌは単一種族でなく、いくつかいた。
蝦夷・樺太・千島列島各地にすみわけしていた。
国はなかったが、生活基盤があり、集団定住生活をしていた。
室町時代に倭人に対するアイヌの抵抗が起きている。
交易は割と盛んで、沿海州・樺太・蝦夷・千島・本州の交易ルートがあった。
松前の昆布が沖縄まで行き、昆布の取れない沖縄が今も一人当たり消費量が
日本一というのは面白い。
ま、これは江戸期日本の国内流通の発達のせいだけどね。
134 :
日本@名無史さん:03/02/04 11:51
>>133 昆布については、前NHKかなんかでやってたけど、室町末期〜江戸期に
北前船ルートで活躍した商人(富山の売薬みたいな)が、昆布を鹿児島から
沖縄まで売って回った。富山の商人のエネルギーには、真宗の布教活動の
意味もあったらしい。江戸時代は領内を越えて(自分の檀那寺を越えて)
布教することを禁じられていたため、薩摩・奄美・琉球という、監視の及び
にくい地方に積極的に出かけていた。薩摩も沖縄と同じぐらい松前昆布の
売れ行きがよかったらしい。
135 :
日本@名無史さん:03/02/04 12:42
>>134 なるほど。おもしろい。
薩摩は浄土真宗はキリシタンなみに禁止だった気がするが。
で、沖縄では真宗信者が多いの?
なんか、キリスト教が多そうなイメージだけど。
136 :
日本@名無史さん:03/02/08 15:53
植民地を免れたどころか大英帝国と同盟まで結ぶ日本。
137 :
日本@名無史さん:03/02/08 16:12
イギリスのポチと呼ばれた日本・・・。
138 :
日本@名無史さん:03/02/08 16:12
資源も乏しく土地も狭い。植民地にする魅力がなかっただけだろ。
139 :
日本@名無史さん:03/02/08 16:29
労働力さえ供給できるなら、植民地にする意味はあるよ。
140 :
日本@名無史さん:03/02/08 16:43
あの時期の欧米は、低賃金労働者でなくて、原料と市場を求めてた
ような。
141 :
日本@名無史さん:03/02/08 16:59
じゃあ、時期的に運がよかったと。魅力がなかったわけじゃないって
ことね。
142 :
日本@名無史さん:03/02/08 17:04
その時期の欧米から見れば魅力がなかったってことでしょ。
143 :
日本@名無史さん:03/02/08 17:21
しかし人口もそこそこ多かったわけでしょ。
魅力ないとは思えないけどな。
144 :
日本@名無史さん:03/02/08 17:51
豊臣秀吉がキリスト教を禁教にしたのが幸いした。
本当によかった。ほっ。
145 :
日本@名無史さん:03/02/08 20:02
イギリスと決別し、ドイツと組んで破滅する日本。
>>143 人口だったら中国の方が目一杯いるわけで。
沖縄や九州に出稼ぎに来てた位だし。
147 :
日本@名無史さん:03/02/08 23:06
2・26事件が、アジアモンロー派が英米協調派を押さえつける良いきっかけ
だったとか。
新秩序はが、英米協調派を駆逐したわけかな。
冷静に分析すれば、ドイツは英米に勝てないとわかったろうに。
思い込みというのは、恐ろしい物だ。
148 :
日本@名無史さん:03/02/09 20:55
緒戦の勝利に惑わされたとよく言うがな。
独ソ不可侵条約で、ドイツの総点検をすべきだった気がする。
NHKで見たんだけど、ハリスが日本で通商条約ゴリ押ししていたとき、
英仏連合軍が日本に向かって中国のどこかを出向していた。
いわく、「武力に訴えてでも先に通商条約を結ぶ」と。
ヤバいと思ったハリスは、一刻も早く条約締結するようにさらに押す。
一方、英仏よりはまだアメリカの方がマシだと知っていた幕府全権大使二人は
アメリカとの条約締結に奔走。しかし、天皇の許可がどうしてもおりない。
それではだめだと、井伊は首を縦にふらない。
そこで大使二人がそのむねハリスに伝える(相談する?)と、驚いたことに、
ハリスは「諸外国の軍事侵攻があった場合、アメリカが仲裁する」という
保証書(?)をしたためたそうだ。
これをお土産に、全権大使が井伊をかきくどき、天皇の許可なしの条約締結に
ゴーサインを出した。
かくして英仏連合軍が到着したとき、日本は既にアメリカにツバを付けられた
形となっており、それ以上の条約を要求することは難しくかったと想像されます。
結局今と同じように、少なくとも開国当初は、やはりアメリカの軍事力に守られた
部分がかなり大きいと思います。最初にきたのが、一応正義の味方ぶりっこのアメリカ
だったことは、日本に取ってラッキーだったんじゃないでしょうか。少なくとも
ペリーのとき、ペリーは武力行使を政府に禁じられてました。
一方で当時の世界情勢を冷静に見極め、見方を変えれば「守ってもらう」という
屈辱的状態であっても、真剣に国の将来を思い、自らの地位などなげうってでも
アメリカとの条約締結に奔走した全権大使二人は本当に偉かったと思います。
関税自主権の放棄、治外法権の容認という不平等な面があったにせよ、
京都開港と商人自由旅行を断固としてつっぱねたのは非常に大きな功績です。
大使いわく、「内乱は戦争よりも恐い。」
これはのちのち、今でも通用する政治力学だと思われます。
150 :
日本@名無史さん:03/02/10 10:22
アメリカは英米とも打ち合わせていたとも聞くが、いかに?
151 :
日本@名無史さん:03/02/10 10:23
ありゃ、
×英米
○英仏
だな。
152 :
日本@名無史さん:03/02/11 02:48
すでに衰退著しいスペイン、ポルトガル。
勢力拡大の英、仏、蘭に新興国・アメリカ。
これらの国々は相手の縄張りの取り合い戦争は好まず、タイ国は
英仏間の緩衝地域として独立を維持できたと聞いたことがある。
小笠原諸島も英米が領有主張したが、争いを避けて元来日本領だった
という事で解決している。
これら列強国の政治的駆け引きで日本は独立を維持できたのかも。
いいかえれば、争ってまで奪うに値しない地域ってことかな。
153 :
sexyQ:03/02/11 02:55
それに幕末動乱期はちょうど英仏露はクリミア戦争、アメリカは南北戦争、ドイツは帝国成立期などFAREASTに関与する余裕がなかったのでは
154 :
日本@名無史さん:03/02/11 02:59
極東の名のごとく、遠すぎたことが幸いした。
ペリーが戦争を議会に禁止されてたという故事もある。
補給線を構築できやせんのだよ。ロシアが満州に食指を
伸ばしてきたのもシベリア鉄道ができてから。それ以前は
事実上戦争はありえなかった。
155 :
日本@名無史さん:03/02/11 03:13
>>152 奇説ならべるおめでたい人間がでた。左翼ってやつ?
それとも3C政策とか朝鮮学校だとならわないのか?
156 :
日本@名無史さん:03/02/11 03:23
植民地にしたとしてもどっちみち何十年かで独立される予感があったのでは・・
あと、アメリカとソ連が日本を植民地化した日本の領土圏を奪いアウのは必死。
朝鮮半島が良い例。
157 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:01
渡海作戦は難しいというかリスクが大きすぎる。
上陸作戦は言うほど簡単じゃない。
158 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:06
たまたま地理的に恵まれて到達したのが地勢学的に最後だったってだけだろ。
後10年ズレてたらかなりヤばかった。
159 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:36
開国した後に軍事技術が急激に発達したことが
幸いした。まだペリーとかの時代は帆船が現役で
稼動してた時代だ。
明治になると装甲と重砲の戦艦の時代になる。
160 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:39
単純に「奪い取る物」が当時の日本には無かったからでは?
インド・中国・アフリカ…などには、鉱物資源や茶・麻・香辛料・ゴム?
などの作物資源も豊富で、植民地経営するには格好の土地だったはず。
日本はそれらの土地以上に豊富な資源が無かったのだから、植民地にする意味が無い。
しかし開国が遅れてたら、侵略されていた可能性もある。
アジア・アフリカの列強による分割が一段楽すれば、残る土地に列強諸国が殺到するかもしれないから。
161 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:46
>>149 最初に通商を求めて来たのはロシアで追い返しただろ?
次に来たのもロシアでそれも追い返しただろ?
162 :
日本@名無史さん:03/02/11 06:48
オランダじゃねえの?
東洋圏で唯一の西洋的近代国家の思想(好きな表現ではないが)が
理解できると感じたのかも。気に入られたというか、こいつらは
我々のような国家になりたいと、やる気まんまんだなと思われたとか。
その当時から現在を考えると、なんだかんだと西洋スタイルが強いと
言わざるをえない。ま、悪い面もあるわけだけどね。
>>161 「最初にきたのが」って部分へのツッコミですね。わかります。
でも正確に表現しようとすると長くなるですね。。。
日本の流儀に従い、長崎で「紳士的に」交渉している限りは、
条約締結は無理だったでしょう。
その一方で、そのまま日本を放置していてくれたとも考えにくく、
いつか、そしていずれかの国による「力」の外交で無理に門をこじ開けられるのは
時間の問題だったと想像できます。
一番最初にそれをやったのがペリーであり、アメリカであったということ
ですね。
私が知りたいと思うのは、
1.日本には植民地としての魅力がなかった
2.日本は他アジア諸国と「ひと味違った」から植民地化しなかった
というよくある論調の根拠です。
1については、ペリー出航を知ったロシア政府がこのように言っています。
「アメリカが得るであろう利益を、我々は手をこまねいて見ていてよいのか」
イギリスは、「日本はアメリカに任せておけば良い。もしアメリカが日本を開かせた
なら、我々はそれに便乗するだけだ」と言っています。
多かれ少なかれ、日本に対する野心はどこの列強も持っていたということでは
ないでしょうか。(主に市場としての魅力でしょう)
2については、確かに日本を訪れた外国人の中に、日本の近代国家としての
素養を言及する向きもあるわけで、ペリーでさえその一人であるわけですが、
それが政治的決断の場面でどれだけの意味を持っていたのかと言うと、
単なる「個人的感想文」程の意味しかもたないのでは?
政治的決断のプロセスで、確かにそれが取り入れられたという文献がない限り、
あまり説得力がないと思われるのです。
166 :
日本@名無史さん:03/02/11 12:09
専門家でないのだが、
>1.日本には植民地としての魅力がなかった
市場としての魅力は、インド・中国よりは劣っていたでしょう。
ただし、魅力ゼロではない。だから、ペリー条約締結後、各列強は続いて締結した。
原料面ではインドネシアやマレーより劣るが、地下資源の魅力はあったかも。
まあ、中国がメインで、日本はオマケだったのは、確かと思う。
>2.日本は他アジア諸国と「ひと味違った」から植民地化しなかった
イギリスは、インドで他民族植民地支配の対価が高いことを実感していた。
部族集団段階だと殖民地にしやすいが、民族国家だと対価が高い。
中国も半植民地といわれているが、列強は利権が目的で、
完全に国を支配しようとはしていない。
167 :
日本@名無史さん:03/02/12 00:46
>>166 中国がどのように権限を制限されていったかも全く理解せずに
書き込むのな。
植民地支配がどのような手順で行われて行くのかも理解してないし
思想(思いこみ)だけで語ろうとするなよ。
>イギリスは、インドで他民族植民地支配の対価が高いことを実感していた。
あんた、日本が列強に並んだのは何年だ?
イギリスの植民地支配の歴史と一緒に年表にして提示してくれないか?
168 :
日本@名無史さん:03/02/12 01:01
チャンドラボーズどころかガンジーも知らないんだろう。
第一次世界大戦の要因も知らないだろうし
第二次世界大戦後の歴史も知らない。
典型的な事大主義者。
169 :
日本@名無史さん:03/02/12 11:31
>>167 >>168 意見が違うなら、自分で意見を書けばいいこと。
煽るだけの厨房か?
典型的な自己意見不足者。
170 :
日本@名無史さん:03/02/12 14:48
1945年8月15日をもってアメリカの植民地になりましたが何か?
171 :
日本@名無史さん:03/02/12 15:54
>168 む! チャンドラもビハリも知ってるが?
172 :
日本@名無史さん:03/02/12 16:07
コスト的に全支配よりも支配者に影響力を持つのが上策。
実は批判、抵抗勢力が大きいほど支配はしにくい。
インドや中国などは、近代化がなされておらず異民族支配
であったために抵抗能力が低かった。
やはり第一は地理的条件でしょう。
列強の東アジアにおける最終目的は対清交易です。対清交易の要衝に当たる
東南アジアはそのためにことごとく植民地化されました。日本は西欧諸国から
清のアクセスには関係ない土地です。そのため西欧諸国の本格的な進出を受け
ずに済んだと言えましょう。そのため極東においては朝鮮半島や台湾も西欧の
支配下に置かれませんでした。一方、新興のアメリカ合衆国はというと太平洋
を通って清へ赴くアクセス路の要衝にわが国があります。このため、合衆国は
強硬な姿勢で通商を求めました。日本が植民地化されなかった第二の理由がこ
のアメリカ合衆国です。当時、合衆国は1850年の妥協で南北問題が小康状態に
なっていたとは言え、国内に大きな火種を抱えている状況でした。事実、1854
年にはカンザス・ネブラスカ問題で問題は抜き差しなら無い状況に陥っていま
す。このため海外での負担は国家の死活問題にもなりかねない問題でした。そ
こで当時のフィルモア大統領も特使に武力行使の絶対禁止を厳命しています。
要するに、@地理的問題A合衆国の事情がわが国を植民地化から回避せしめた
主要因と考えられます。
174 :
日本@名無史さん:03/02/12 20:54
植民地化されなかったのは実に明治維新のおかげでしょう。
原因はどうあれ危機を感じ蜂の巣をつつくような騒ぎをして
国民国家をつくりました。外国に侵略される、というその危険意識のみで
突き動かされたのだと思います。
第二次大戦でこてんぱんにやられましたが経済力で世界2位になりました。
これも敗戦というショックに猛反応して得た結果でしょう。
175 :
日本@名無史さん:03/02/12 21:04
>>173 なるほど
そうするとアメリカがハワイに手出しした理由もわかりますね。
>>174 第二次大戦開始当時は経済力世界6位でしたっけ?
176 :
日本@名無史さん:03/02/13 13:35
>>174 ペリー来航から維新まで15年もあるから、やるきだったら、その間にやられてる
のでは。
欧米の事情が大きいと思うが。
>>174 6位っつうと、米>英>独>仏>露>日かな?
米の10分の一くらいだっけ?
今は、どうなってんだろ。これだけ不景気でも、まだ2位なの?
177 :
日本@名無史さん:03/02/13 13:39
相手が、新興国家アメリカだったから。
イギリス、フランスなら間違いなく植民地。
でも、太平洋戦争で負けて、実質、占領されたけど。
178 :
日本@名無史さん:03/02/13 13:45
先日のドイツの外相か誰かがブッシュにかなり強い事いってたな。
「我々は、アメリカに民主主義を学んだ。しかし、今回、イラク攻撃を
国民に説得する信念を、私は持ってない!」
ブッシュは怒ってた。
小泉!お前もシャンと言わんかい。菅に負けっぱなしだぞ!
179 :
日本@名無史さん:03/02/13 13:47
ドイツは言えるのに、なぜ日本は言えないんだろ。
イージス艦と戦闘機で北より強いはずなのになぁ。
180 :
日本@名無史さん:03/02/13 14:18
自立してないから。
181 :
日本@名無史さん:03/02/13 18:10
182 :
日本@名無史さん:03/02/13 18:29
自民党はアメリカの買弁だから。
それをカムフラージュするために国民には狂信的なナショナリスト
としての姿を見せ続けざるをえない。
183 :
日本@名無史さん:03/02/13 19:08
理由は一つじゃないだろ
欧米の事情、地理的な問題、先人たちの必死の努力etc・・
全部がひとつになった結果だろ
ここもニンニク臭いスレだな。
様子見が得策って判断は正しいよ。明確にするってのは当事者になるって
ことだ。当事者になると容易に退けないようになる。
合衆国のように。ドイツのように。どっちにも行けるようにしておくのが
政治というものだ。政治に決断は必要だが今じゃない。
幕末も西欧諸国は様子見だったんだよ。徳川のように愚かな封建領主が
続いて徳川家のみの利益を追求し、売り渡すようなことがあれば・・・
やられていた。現に北海道の開発権を売り渡して独立しようとした
反乱分子も存在した。迅速に鎮圧し明治政権は確固たる地位を確保した。
西欧諸国にとっては当事者になってまで介入するより・・談合でお互いに
利益の方がよかったのだ。
平時は様子見も得策だがいざというときは決断しないと時流に乗り遅れてしまう。
決断とは、その決断が外れたときの自己の没落と周囲の嘲笑に耐えうる覚悟ができる人のみ為せる技
187 :
日本@名無史さん:03/02/15 17:12
正直当事者になるより、後乗りの方がいいんだよね。
ヘタに手を出して泥沼のリスク負うより。
様子見じゃないじゃん。
現状、イラク問題に関して日本はあきらかに米英よりだろ。
189 :
日本@名無史さん:03/02/15 18:34
米英支持を明確化したようです。
北朝鮮で米軍に助けてもらう、それを当てにしての支持のようですね。
>徳川家のみの利益を追求し キミはお勉強が足りない
ペリー艦隊は江戸城を制圧することは無理だっただろう。小田原城の占領も難しい。
なんとか日中に城を落とすことができても、夜には船上に戻らなくては危険だ。
食料弾薬も占領を維持するほどにはない。
192 :
日本@名無史さん:03/02/16 13:46
結果的に、徳川家の利益のみに固執する勢力が退場して
くれたことが大きい。
193 :
日本@名無史さん:03/02/16 13:58
asagiopwgj jhg
194 :
日本@名無史さん:03/02/16 14:06
薩長のおかげで日本は救われた
ソースは時代小説だったと思うけど(剣の天地?)、戦国時代は全世界の鉄砲の
1/3だか1/4が日本にあったらしいね。また別のところから知ったことだけど、
ポルトガルかなんかの宣教師が日本の軍事力では植民地化は無理だと王に報告
したという話を聞いた
196 :
日本@名無史さん:03/02/16 14:24
薩摩一藩だけでも大英帝国と互角の戦争をするくらいだから
日本を植民地にはできないと欧米列強は諦めたそうだ
やたらと電波が来るなあ。
198 :
日本@名無史さん:03/02/16 16:45
>>196 当時の薩摩は日本の中では飛びぬけて強かったので例外。
199 :
日本@名無史さん:03/02/16 16:48
確かに薩摩は健闘したが、鹿児島市街のほとんどが燃えた。
イギリスが薩摩は強いと思ったより、
薩摩がイギリスの力を実感した、
が、より正確な表現では。
200 :
日本@名無史さん:03/02/16 18:27
薩英戦争は双方が勝ったと主張した。
鹿児島市内が火の海になったのは確かだが、日本の旧式砲弾の直撃を受け
英国艦隊の司令官が戦死し、英国艦はイカリを切って逃走している。
当時ヨーロッパではイカリを切り捨て逃走することは一番不名誉とされた。
戦後英国は薩摩にイカリの返還を要望。薩摩は回収して返還している。
201 :
日本@名無史さん:03/02/16 18:53
キリシタン禁制
202 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:00
>>196 あんた三戦板の島津厨だな、どこをどう取れば、
>薩摩一藩だけでも大英帝国と互角の戦争をする
になるんだろうか?
イギリスの艦隊の一つがやってきただけだろう。
203 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:04
薩英戦争で確かに薩摩は頑張ったのは事実だが、
そのかわり、北では
>>86の書き込みにもある通り、
数十人のロシア兵と数隻の艦船にコテンパンにやられてナメられてる。
204 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:09
>>198 近代戦なら佐賀じゃないかな?
ちなみに英軍に被害があったのは不用意に近づいたからに過ぎない。
205 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:10
>>204 不用意に近づいたのは野蛮な東洋人が大砲で反撃なんて
気の利いたことができるわきゃないと思ってたのかな?
日本人は土人程度に思われてたの?
206 :
日本@名無史さん:03/02/16 19:44
薩摩は強かったんだよ。英国の方も欠陥砲身で火力が激減して
士気が落ちた。
指揮官も死亡したし。
207 :
日本@名無史さん:03/02/16 20:34
>>204 国の強さは軍隊の装備だけではない
佐賀が最強だったら、薩摩や長州に明治維新の主導権を握られていない。
佐賀はハード(装備)は良いが、ソフト(政治、思想、団結)が弱かった。
208 :
日本@名無史さん:03/02/16 21:04
>>202 お前馬鹿か?
戦争の呼び名を考えてみろよ。
「薩英戦争」だぞ?
「薩艦戦争」でも「日英戦争」でもない
だいたい艦隊をやっつけただけってどういうことだ?
英国と日本は海を遠く隔てた国同士ではないか?
戦争するのに艦隊を派遣するのは当然だろ?
つまり「薩英戦争」における英国とは艦隊そのものだよ。
もうアホか、馬鹿かと。
209 :
日本@名無史さん:03/02/16 21:39
>>206 思い出した。砲が故障続出で全く戦闘にならなかったんだ。
あと当日海が荒れていたのも大きい。
それで薩摩も何とか対抗できたんだ。
あと甲板上の兵員に死傷者は出たが、船はノーダメージだったな。
210 :
日本@名無史さん:03/02/16 22:21
211 :
日本@名無史さん:03/02/16 23:11
下関の賠償は幕府が払ったが、薩英の賠償はどうなったん?
212 :
日本@名無史さん:03/02/16 23:18
幕府に借金しました。
ただし幕府潰しました。
213 :
日本@名無史さん:03/02/18 23:24
>>203 薩英戦争で頑張ってそれなりの戦果のあった薩摩が危機感を持って明治維新を起しているのに
ロシアにコテンパンにされた東北人は何の危機感も持たずに無為に時を過ごしている
うちに賊軍になってしまったのだなあ。
東北人はレベル低すぎるな
>212 明治政府は債務ひきついだんかな?
215 :
日本@名無史さん:03/02/19 09:07
>214
ちゃんと引き継いだみたいよ
それで、全部返却したのは第一次世界大戦頃のはず
昔の人は偉かったねぇ
216 :
ないすなこめんと!:03/02/19 11:58
薩英戦争で頑張ってそれなりの戦果のあった薩摩が危機感を持って明治維新を起しているのに
ロシアにコテンパンにされた東北人は何の危機感も持たずに無為に時を過ごしている
うちに賊軍になってしまったのだなあ。
東北人はレベル低すぎるな
217 :
日本@名無史さん:03/02/19 12:00
それなりの戦果などないだろがヴォケ
218 :
このスレの結論:03/02/19 12:01
日本列島に「薩摩隼人」という部族が存在したからである!!
おまえ等、全員 敬礼!!!
219 :
日本@名無史さん:03/02/19 13:19
薩摩の砲台配置は優れていた。
12ヶ所ほどの砲台があり、腔綫(こうせん)のない、先ごめの大砲
が87門、ずらりと眼下の港へ筒さきをむけていた。
はげしい風浪で動揺する甲板上の砲よりも、大地にすえつけられた大砲
は足場がしっかりしている。爆発しない鉄丸をこめてうつだけだが、
正確に照準されているし、もっとも有能な砲手たちが操作したので、
眼下の英艦によく命中した。
なかでもめざましいのは、「ユウライアス」の艦長ジョスリン海軍大佐
と副長ウィルモット海軍中佐を一瞬のうちに討ちとった40斤
(2.4Kg)砲弾の一発であった。
220 :
日本@名無史さん:03/02/19 15:14
薩英戦争
1863年(文久3)薩摩藩とイギリス艦隊との間で行われた戦争。
1862年生麦事件に関し,イギリス代理公使ニールは幕府に対しては公式謝罪状
と償金10万ポンドを,醍摩藩には犯人の処刑と償金2万5000ポンドを要求し,
幕府はこれに応じたが,醍摩藩は応じなかった。そこでイギリスは翌年6月28日
艦隊7隻をもって鹿児島湾に侵入して醍摩藩と交渉を始めたがらちがあかぬまま,
7月2日藩船天祐丸,白鳳丸,青鷹丸を捕獲した。醍摩藩はただちに開戦命令を発し,
正午天保山砲台はじめ諸砲台一斉に砲撃を開始した。荒天のなかではげしい交戦が
続けられ,翌日もまた小規模の交戦があったが,4日になると船体の修理,
石炭・弾薬・食料などの欠乏のため空しくイギリス艦は退去した。
イギリス側は2時間も応戦が遅れ,パーサス号は錨鎖を切って待避し,
また旗艦ユーリアラス号艦長ジョスリング大佐,副長ウィルモット中佐をはじめ
戦死13名,負傷者50名の損害,醍摩藩側は戦死5名,負傷者十数名にすぎなかったが,
集成館,鋳銭所や城下町の1割を焼失し,また前述の汽船3隻,琉球船2隻など
を焼亡するなど物的損害は大きかった。この戦いでイギリス艦の用いたアーム
ストロング砲の射程は醍摩藩砲台の4倍の火力であったから,醍摩藩人に無謀の
攘夷の非を手痛く反省させた。そこで大久保利通らを遣わしてイギリスと和を
結んだが,この戦いによりイギリスは醍摩藩の実力を評価し,醍摩藩は西洋文明
の優秀さを深く悟り,これに学ばんとして以後急速に醍英の連携が成り立った。
65年(慶応1)3月には渡英留学生19人の派遣を実施し,またイギリス商人グラバー
の艦船・兵器斡旋等,幕末の政局に大きな影響をもつに至った。
221 :
日本@名無史さん:03/02/19 15:31
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1031320565/l50 248 :日本@名無史さん :03/02/08 20:52
山本五十六は奥羽越列藩同盟側の長岡藩の出身で、薩長に長岡を焼け野原にされたことを恨んでいた為、
大日本帝国=薩長明治新政府を潰すことを考えていた。
連合艦隊司令長官となった山本五十六は、
航空戦には、ド素人の南雲忠一を虎の子の第1航空艦隊の司令長官に任命し、
ミッドウェイ海戦で虎の子の第1航空艦隊が全滅するように仕向ける。
なぜなら制空権を失えば戦争に負けるから。
素人の南雲忠一はハワイ空襲で絶対必要な反復攻撃を行わず、アメリカ軍の戦力を壊滅させる事ができなかった。
さらに山本五十六推奨のミッドウェイ海戦で致命的な失敗をし、第1航空艦隊の空母は全滅。
そして大日本帝国=薩長明治新政府の消滅を確信した山本五十六は、ブーゲンビル上空に消えていった。
正直薩摩が英国を味方につけたことが大きい。
フランスが幕府に肩入れしていることへの対抗処置だと
思われるが・・・後にフランス皇帝が失政などで本国に
余裕がなくなって英仏ともに揉めるのを恐れたというの
もある。
223 :
日本@名無史さん:03/02/19 19:22
薩摩は薩英戦争で英国に叩きつぶされて、
以降、パークスの奴隷となった。
224 :
日本@名無史さん:03/02/19 19:41
225 :
日本@名無史さん:03/02/19 19:50
>>223 全然叩き潰されていないじゃん。
薩摩一藩で英国と戦争しても負けないんだから、たいしたものだ。
226 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:07
227 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:18
英国のボロ負けだろ?
指揮官まで戦死してるし、死傷者の数も英国の方が甚大。
228 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:20
薩摩が強かったおかげで日本は奴隷国家にならずにすんだ。
これは日本だけではなく、アジア人全体の地位向上に役に立った。
薩摩藩の人たちに感謝しても、しきれません。
229 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:22
もしまともに戦ったら負けた。
英軍は砲の大半が故障・不調だったのに、よくやったと思う。
230 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:24
>>229 砲の故障とか言って見苦しいよ。
英軍では砲の整備もろくに出来ないのか?
メンテナンスも戦力と考えると
薩摩軍>>>英軍だな
間違えた。
この戦いで既にボロ負けですね。
まともにやったら想像もつかん。
232 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:25
>>229 砲が故障していたというソースは何ですか?
そんなに大半の砲が故障するなんてあり得るんですか?
ちょっと考えづらいのですが。
233 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:26
234 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:29
まあ、当時の日本で薩摩藩以外の藩で英軍と互角に戦えた藩は無いだろうなぁ?
英軍も相手が悪かったということだ。
235 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:29
まじめに答えると帝国主義の時代をつくりだしたのが他ならぬ日本だったから。
自由貿易帝国主義から公式の帝国主義へと移行する契機は日清戦争(アジアでは)。
236 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:31
>>235 自由貿易帝国主義って聞いた事が無い
これの定義は?
237 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:32
>>234 英軍が油断しただけ。薩摩は少しマシってとこか。
238 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:38
いずれにせよ薩英戦争大敗北後のサツマは、
英国の卑屈な奴隷だ。
239 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:39
前出の南部藩や津軽藩が英国と戦争をしていたらと仮定するとゾッとする。
南部藩や津軽藩は英軍に占領されていただろう。
薩英戦争は表面的には英国勝利かもしれないが、薩摩の意識改革にもつながったし、
それによって維新の首班たる原動力にもつながったし、意義深い戦争でだと思う。
もっとも興味深いのは、当時最新鋭と言われたアームストロング砲が実は薩英戦争で初めて
本格的実戦に使用されたということ。
実は、当時のアームストロング砲は開発後間も無いため構造的欠陥が多く、時々砲身が爆発して兵士が死傷する事件が頻発していた。
改良に改良を重ねて、やっとまもとな大砲になったのは日清戦争辺りだとか。
だから幕末当時はイギリス海軍が試験的に採用していただけで、決して優れモノとはいえないシロモノであった。
241 :
日本@名無史さん:03/02/19 20:56
242 :
日本@名無史さん:03/02/19 21:24
243 :
日本@名無史さん:03/02/19 21:37
このスレの住人は司馬遼太郎ファンが多いのでは?
「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などを読むと当時の列強と
日本の関係がよくわかります。
なによりもスカッとします。
244 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:12
樺太の領有権を放棄した薩長は腰抜け
245 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:16
>>239 長州だって外国相手に馬鹿げた戦争をしているんだが?
246 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:19
>>244 馬鹿でしょ?
樺太が両国雑居地にされたのは幕府。
その後樺太と千島を交換したのは明治政府
その後南樺太を日本の領土に復帰させたのは明治政府
つまり明治政府の力で領土が増えてるのに気づかないの?
お馬鹿さん(w
247 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:20
自作自演うざい
248 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:23
そして馬鹿は黙り込むのであった(藁
249 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:42
薩長がロシアに押しまくられて樺太の領有権を放棄したのは事実だよ。
250 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:45
>>249 まだ馬鹿が粘着な事言ってるよ
自分の間違いを認めろよ、見苦しい
251 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:45
1万円と10円を交換したようなもんだ罠w
252 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:46
日露戦争に勝てたのは小栗のおかげ
253 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:49
明治政府に渡された時に樺太は日本の領有地ではなかったOK?
最終的に樺太は露西亜と半分ずつ領有。しかも千島列島を露西亜から手に入れたOK?
つまり千島列島の分日本は領土を増やしているOK?
馬鹿でもこれくらい分かるだろ?OK?
わざわざ自分でぼけて自分でつっこむなよ
255 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:54
>>254 あのなあ、なんでも自作自演と思い込むなよ
知ったか厨房よ
256 :
日本@名無史さん:03/02/19 22:57
日本が侵略されなかったのは
井伊直弼の開国の英断があったからです
彼が居なければ
あっさり、分割統治だったでしょう
水戸斉昭はアホだし
257 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:01
いや、井伊直弼なんかがずっと生きていたら日本は大混乱の末
分割統治されていただろう。
258 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:04
馬鹿いうなよ
257
あんた、井伊大老があっての
開国、富国強兵じゃないの?
259 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:07
井伊大老は単に外国の圧力に負けただけのヘタレじゃん。
外にはヘタレのくせに内では大弾圧。
こういう奴は嫌だよねえ。
>234 肥前は?
261 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:36
>明治政府に渡された時に樺太は日本の領有地ではなかったOK?
幕府は樺太の領有権を放棄していない。
同時にロシアもサハリンの領有権を主張してたけどね。
この問題を薩長はロシアに卑屈に譲歩することによって解決したんだよ。
今日の北方領土問題の根はここにあると言ってもいい。
262 :
明治は遠くになりにけり:03/02/19 23:39
日本が侵略されなかったのは
運がよかったからです。みんなも運をバカにしちゃいけないよ。
263 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:43
英国やアメリカは日本を植民地にしようなんて気はもってなかった。
もしその気なら戊辰戦争の内紛に乗じて
簡単に日本の一部を分捕ることができたはず。
薩長が日本を危機に追いやったけど、運がよかったため、
侵略されなかったってとこだろうね。
そんな一言で簡単に言えることなのかねぇ
265 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:09
>>263 植民地経営があんまり儲からない事に気付いて、
日本を植民地にするよりは、武器を売ったり借金をさせたりして
儲けようって考えだったんじゃないのかな?
266 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:21
>>263 あの当時に地球を半周して日本ほどの大国を占領できるわけないじゃん。
欧米がしなかったのは、あくまで能力の問題。
租借も薩長は嫌っていたからありえない、
欧米からの借金さえもそれを気に租借されるかもということで、殆ど断っているくらいだからねえ。
そこにいくと幕府側は、薩長に勝つ為に莫大な借金を背負ったり、
鉄道の敷設を欧米資本で実施したりとあまりに警戒感がなさすぎた。
幕府が統治していなくてほんと良かった。
267 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:29
>>266 戊辰戦争が長期化したら真っ先に資金難に陥るのが薩長。
英国の傀儡となり九州に植民地国家を樹立するしか生き延びる道はなかったと思う。
268 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:33
>>267 ???
新政府側はそれほど借金してないぞ、それどころか多くの兵力を出した長州なんか一切していないほどだ。
けど旧幕府側は莫大な借金をしつつ、抵抗を続けていたわけだが。
長期化するほどの国力はないぞ、
まあ領土を担保に金を借りれば別だが、そこまで落ちぶれてはいないと思いたいねえ。
269 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:35
あれ?新政府って資金難に陥ってなかったっけ?
270 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:36
佐幕派の人間に良心なんか期待するなよ、
奴等は薩長さえ潰せれば、日本が植民地に成り下がっても構わないと思っているんだゾ。
271 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:37
>>270 佐幕派の人達も、お前よりはマシだろうな。
272 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:38
>>269 そりゃ多少は苦しかったが、欧米から借金は殆どしていないし、
幕府のように内外問わず、大借金を抱えていたわけではない。
資金力で考えれば、幕府は今の日本と同じ。
国力こそでかいが、莫大な借金で首が回らない状態。
>>270 欧米に喧嘩を売った薩長は、自分達の土地が植民地にされるという
危惧はなかったのか?
274 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:46
>鉄道の敷設を欧米資本で実施
同じことを明治政府もやってる罠。
幕府は殖産興業の事業資金を欧米のバンクから調達しただけ。
それを「大借金を抱えていた」云々というとらえ方しかできないのは、
薩長が経済に関して幼稚園児並の知識しか持ってなかったから。
275 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:51
野党のときは攘夷
与党になったとたん、開国。
どっかの政党のことじゃないよ。社○党
276 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:53
277 :
日本@名無史さん:03/02/20 00:56
>>276 本当にそんな意識だったのかよw
幕府を攻撃したってのに。
278 :
日本@名無史さん:03/02/20 01:01
>>274 明治政府と幕府では借金の規模が全然違うのだが。
まあ借金してでも近代化するのを是とするかどうかというのなら、人によって判断が分かれるけどな。
279 :
日本@名無史さん:03/02/20 01:12
それに幕府は銀行からの借金というより、借款じゃなかったかな。
280 :
日本@名無史さん:03/02/20 02:52
281 :
日本@名無史さん:03/02/20 08:27
「ユウライアウス」の艦長と副長を一瞬のうちに討ちとった40斤砲弾が
着弾した時、2人は艦橋でクーパー提督のそばに立っており、クーパーは
前かがみで地図をのぞいていた。「おい、少年兵(ボーイ)、そのゴチャゴチャ
を片づけろ!」提督は、首のない2個の死体をチラッとふりかえって命令し、
再び地図に目をおとした。やがて風雨が最高潮にたっしかけたころ、英艦隊は
桜島のかげに退避し、翌朝、陸の砲塁にむかってさりがけの数発をうちこみ、
横浜へひきあげた。
鹿児島湾の海戦はこうして終わったが、両者はそれぞれ自軍の勝利を主張した。
イギリス側は、町のほとんどを焼いたし、1ヶ月後ではあるが、とにかく
賠償金を払わせた、という。
しかし薩摩側は、賠償金を払ったのは「殿様の仁慈(ノブレス・オブリジ)」
による見舞金であり、英軍は大損害と多数の死傷をこうむったうえ、敵前上陸
もできずに追いかえされたではにか、と主張した。
282 :
日本@名無史さん:03/02/20 13:09
おまえら自作自演もここまでやれば立派だよ。
ほとほと感心した。
284 :
日本@名無史さん:03/02/20 22:21
薩摩は頼もしい藩だな。
長州存亡の危機の時も長州を助けてやってるし。
薩摩がなかったら、長州は幕府軍に踏みにじられて滅亡していただろう。
285 :
日本@名無史さん:03/02/20 22:38
>>284 その割には長州人が薩摩叩きをしているようだけど
>>280 借款がなにを意味するか、知らないのか。
武器を金を払って買った事を、助けたと言うなら、武器商人は全ての国で救国の英雄ですね。
289 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:17
290 :
日本@名無史さん:03/02/21 20:44
>>288 あの当時、村八分状態の長州に武器を売ってくれるとこなんかありません。
恩知らずの長州人は犬にも劣ります
291 :
日本@名無史さん:03/02/21 21:27
東郷平八郎は「鹿児島湾海戦」に参加している。
袖のきゅうくつな羽織とみじかいハカマをつけ、家紋をしるした丸帽子をかぶり
刀を二本腰にさし、火縄銃を肩にして、弱冠17歳の東郷平八郎は、丘の砲台
の一つに勤務しながら、砲火の洗礼を受けたのである。
クーパー提督のシナ方面艦隊が鹿児島湾に侵入したとき、東郷少年と兄達に
とって、父を助けて砲台を守ることが、倫理上の至上命令であった。
むかし、スパルタの母が出征する息子に「盾をたずさえてかえれなければ、盾に
のってかえれ」と告げたというが、東郷の母は、息子たちを初陣へおくりだす
とき、ただひとこと「負けるでない」と、スパルタの母以上の簡潔な一語を
はなむけにした。
292 :
日本@名無史さん:03/02/21 23:46
>>290 元々英国から直接購入していましたし、幕府が禁止したあとは、
国外の上海経由で武器を購入する計画が進行していました。
薩長同盟がとりあえず出来たので、薩摩経由も使ってやっただけです。
薩長同盟がなかったら第2時征長はどうなっていた?
やっぱ幕府のボロ負けだろうな・・・。で薩摩が接近すると。
薩英戦争>>>>下関戦争
長州はヘタレだね
296 :
日本@名無史さん:03/02/26 00:21
武器購入とは言うけれど、
南北戦争が終わって余った武器を押しつけられただけ。
297 :
日本@名無史さん:03/02/26 02:33
>>295 薩英戦争 英国艦7隻 砲門数101門(砲の数には諸説あり)
馬関戦争 四ヶ国連合艦隊で総艦艇数17隻 砲門数288門(砲の数には諸説あり)
(上陸部隊2000名)
どっちがへタレかと言われれば、薩摩だよな、
298 :
日本@名無史さん:03/02/26 02:48
ちなみに兵員全てで5000名です。
なお阿片戦争では16隻兵員4000名砲門数は500門強です。
(ただ時代が違うので、砲門の威力などに大きな差があるかも。
清がへタレなのか、長州が根性あるのか。
299 :
日本@名無史さん:03/02/26 02:56
まず、近代文明を知らない未開の土人に近代兵器の威力を見せつける。
場合によっては、軽く地域紛争を起こしてみるのが一番手っ取り早い。
そうして屈服させた土人どもを忠実な下僕として飼い慣らす・・・
これが列強の植民地支配の常套手段。
薩英戦争、馬関戦争はまさにセオリー通りのイニシエーションで、
これにより西国の無知な土人は見事にパークスの下僕となってしまった。
300 :
sexyQ:03/02/26 03:11
とにかく、日本の独立は守られたのだからヨシとしましょう
まあ、ペリーは沖縄を乗っ取る事も出来たか。
302 :
日本@名無史さん:03/02/26 03:17
>>301 でも琉球王朝は薩摩と違って知性があるから
英国の傀儡になるようなことはありえない
>298 阿片戦争があったから各藩はあせって20年かけて武装したんだよ
>南北戦争の武器
アメリカは儲けて日本は幕末維新戦争で損害を大きくしたのですね
305 :
日本@名無史さん:03/02/26 13:47
生麦事件から11ヶ月目の1863(文久3年)年、8月14日、101門の
砲数をほこるイギリスのシナ方面艦隊が、鹿児島湾に入って来た。
旗艦「ユウライアラス」には海軍少将オーガスタス・クーパーが乗り、後続艦
は「パール」、「ペルセウス」、「アーガス」、「レーネホース」、
「コケット」、「ハボック」などである。
306 :
日本@名無史さん:03/02/28 19:18
307 :
日本@名無史さん:03/02/28 19:22
東大バカは、白旗説は偽だと言い張ってるそうだ。水戸とか言ってんじゃんかよな。
308 :
日本@名無史さん:03/02/28 23:31
>>306 事実誤認を指摘された殺魔が釣りだと言い張っています。
309 :
日本@名無史さん:03/02/28 23:46
>>297 薩摩は薩英戦争で勝利したが
長州は馬関戦争で一方的な大敗北したじゃないか?
310 :
日本@名無史さん:03/03/01 00:34
>>309 薩英戦争で薩摩が勝利???
城下町を焼き払われ、砲台は全滅、艦隊も全滅
これで勝ったと言えるのか?
勝ったと言っているのは薩摩だけ。
旗艦艦長を殺せたことを勝利というなら、長州も馬関戦争では、
英国艦隊の旗艦に砲撃を加え、艦長に重症、仕官数名を殺傷している。
まさか上陸していないことを勝利とか言わないよな、上陸したのを追い払ったわけではなく、
上陸してもないことを勝利とか言わないよな。
311 :
日本@名無史さん:03/03/01 10:26
戦争における勝利とは戦争目的をどれだけ達成したかどうかで判断される。
戦闘における勝利とは戦闘目的をどれだけ達成したかどうかで判断される。
損害の多寡で判断されるのは偶発的な交戦のみ。
英が薩摩の完全な屈服を目的としていたのなら作戦は失敗だが
威力を示して今後の対薩、対幕交渉を有利に進めるということなら成功といってよい。
薩摩にとっては英軍を撃破するというレベルなら失敗だが
上陸を阻止するということが目的であるならば成功したといってよい。
結局どちらが勝ったかはこのレスでは置くが。
312 :
日本@名無史さん:03/03/01 13:15
戦争は負けないこと自体が勝利となる。
313 :
日本@名無史さん:03/03/01 14:05
薩摩が戦争後、攘夷の無謀さを悟り、英と近づいたことから見ると、
結果的には負けてよかった。
314 :
日本@名無史さん:03/03/01 14:39
>まず、近代文明を知らない未開の土人に近代兵器の威力を見せつける。
>場合によっては、軽く地域紛争を起こしてみるのが一番手っ取り早い。
>そうして屈服させた土人どもを忠実な下僕として飼い慣らす・・・
>これが列強の植民地支配の常套手段。
>薩英戦争、馬関戦争はまさにセオリー通りのイニシエーションで、
>これにより西国の無知な土人は見事にパークスの下僕となってしまった。
薩英戦争は、薩摩にとっては存亡をかけた必死の戦いだったが、
英国にとっては日本に対する示威行動の一つにすぎなかった。
そして薩英戦争圧勝後の英国は薩摩という道具を手に入れ、
日本における政治的黒幕としての地位を確立した。
英国の完勝だろうね。
315 :
日本@名無史さん:03/03/01 19:09
でも長州はもっともっと惨敗で完敗だねw
316 :
日本@名無史さん:03/03/01 19:53
薩英戦争後、一番重大な点は、リチャードソン殺害の主犯とみられる
奈良原喜左衛門という異常に短気な武士ををはじめ、誰一人引き渡され
たり、処刑されていないし、だいいち、逮捕されてさえいなかったという
事実だ。この措置は主君が家臣をいたわるというサムライ倫理にしたが
ったに過ぎない。
英国艦隊の旗艦「ユウライアラス」は艦長を倒され、錨の鎖を断ちきり
逃走しており、当時の海戦常識から言えば英国の不名誉極まる敗走で
あり、かっこうのつかない英国海軍は薩摩に錨の返還を懇願している。
上陸もできなく逃走した英国側の敗北はあきらかである。
薩摩がヨーロッパの海戦を知らなかったので錨を素直に返還しただけで
ヨーロッパの国なら応じなかっただろう。
317 :
日本@名無史さん:03/03/01 21:11
長州の馬関戦争は攘夷運動により勃発。
薩英戦争の原因は生麦事件。
生麦事件は大名行列中に無礼だった英国人を無礼討ちにした
つまり長州人は人種差別主義者。
薩摩人は日本人も英国人も平等に扱う平等主義者である。
318 :
日本@名無史さん:03/03/01 21:14
生麦事件は、幕府のお膝元でいやがらせをしてやるでごわす、
という程度の軽い悪意で起こした事件。
まさか国元の薩摩が英艦隊に砲撃されるとは思ってなかった。
319 :
日本@名無史さん:03/03/01 22:46
>>311 つーか英国は上陸兵など殆ど連れてきてないわけだが。
兵員は全部で1500人もいない。
艦の維持のことも考えれば、上陸できるわけがない。
元々上陸する事を前提で、数千規模の兵力持ってきていた馬関戦争の時とは前提が違う。
>317 そんでもって、キミの謂いには平等であることはよいことなのだという価値
前提が見うけられる。それについては浅いとは思わなくて?
321 :
日本@名無史さん:03/03/01 23:01
>>320 >キミの謂いには平等であることはよいことなのだという価値
前提が見うけられる。
それはキミの思い過ごしだと思わなくて?
322 :
日本@名無史さん:03/03/01 23:07
>薩英戦争は、薩摩にとっては存亡をかけた必死の戦いだったが、
英国にとっては日本に対する示威行動の一つにすぎなかった。
そして薩英戦争圧勝後の英国は薩摩という道具を手に入れ、
が
>英国艦隊の旗艦「ユウライアラス」は艦長を倒され、錨の鎖を断ちきり
逃走しており、当時の海戦常識から言えば英国の不名誉極まる敗走で
あり、かっこうのつかない英国海軍は薩摩に錨の返還を懇願している。
結果がこうなのだから英国は戦争の目的を十分に果たしていない
こんな無様な醜態をさらしておいて示威行為もないだろうw
323 :
日本@名無史さん:03/03/01 23:25
【なぜ】日本は西欧列強の植民地にならなかったの?
日本が優良なホモ市場になると見越したから。
324 :
日本@名無史さん:03/03/01 23:26
薩英戦争
英国の目的は示威行動
薩摩の目的は防衛
英国の目的は果たせませんでした
薩摩の目的は果たせました
やっぱり誰が見ても薩摩の勝ちだろ
>321
317は薩摩はスゴいんだってことを主張したいんでしょう。
でもその根拠である「平等主義者である」←「平等は善」のところが崩され
ちゃったら、主張もポシャるよね。根拠の基盤が浅くないかいってこと。
326 :
日本@名無史さん:03/03/02 00:23
>>325 別にそんな意味あいは無いですが?
被害妄想というか、細かいというか、
よく「ウザイ」とか言われるタイプじゃないですか、アナタ?
327 :
日本@名無史さん:03/03/02 00:25
樺太の領有権を放棄した薩長は腰抜け
>英国艦隊の旗艦「ユウライアラス」は艦長を倒され、錨の鎖を断ちきり逃走しており、英国海軍は薩摩に錨の返還を懇願している
薩摩がヨーロッパの海戦を知らなかったので錨を素直に返還しただけでヨーロッパの国なら応じなかっただろう
そんな重要だと思ってない錨をわざわざ引き上げて返したの?
>薩摩がヨーロッパの海戦を知らなかったので錨を素直に返還しただけで
ヨーロッパの国なら応じなかっただろう
俺には仲良くなって色々教えてもらうために工夫して引き揚げたように思う
北海道ですらまだ自立してないのに・・・樺太なんていらんだろ。
正直。
330 :
日本@名無史さん:03/03/02 16:07
薩英戦争後に薩摩と英国が近づいたのは、その後の日英同盟となり
日露戦争に日本が勝利する一つの重要な要因になったことを考えると
薩摩の深謀恐るべし!って感じだな。
331 :
日本@名無史さん:03/03/02 17:09
薩摩がそんな先のこと考えてるわけないじゃん。
基本的に薩摩は無定見な日和見主義者。
時勢に応じて自藩の利益になる勢力との野合を繰り返してきただけ。
結果はどうあれ薩摩が英国の走狗となったことは重大な売国行為だよ。
識字率。
333 :
日本@名無史さん:03/03/02 17:26
>>331 薩摩が英国の走狗となったって何をさして言ってるのかな?
日英同盟は日本にとっては大きな国益になったはずだが?
わずか2年で鉄砲の国産・量産化を成功させたことが、大きいよ。
ペリーよりも200年も前の話だけど、潜在的に「日本人は他のアジア人とは
違う」という意識はあったんじゃないかな?
335 :
日本@名無史さん:03/03/02 17:59
>331
>薩摩がそんな先のこと考えてるわけないじゃん
島津斉昭は開国と近代化の必要性を痛感していたが、
開国はともかく近代化を突き詰めると身分制度を解体し、
自分自身の権力、政治特権を否定することにつながることを悟り、
身動きが取れなかった。
島津斉昭の理念を、階級的制約を受けない薩摩の下級武士である西郷たちが
実践し、明治維新に大きく貢献した
336 :
日本@名無史さん:03/03/02 18:09
>>335 西郷たちの活躍の蔭で薩摩の上級武士の妨害は無かったのかな?
島津斉彬健在の頃は守られていたと思うが、久光の時代は西郷と島津家は
先代の蜜月時代のようには援護してくれなかったのではないかな?
337 :
日本@名無史さん:03/03/02 18:09
西郷は、薩摩士族の暴発を抑えきれずに挙兵したのだが。
階級的制約の観点からは、西南戦争は維新に対する旧士族反革命
ではないかい?
338 :
日本@名無史さん:03/03/02 18:56
理屈の上じゃ西郷だって分かっていただろう。
大久保のようにクールになりきれないところが、
西郷の人間的魅力であり、政治家としての欠点。
339 :
日本@名無史さん:03/03/02 18:58
みんなが中国みたいに私利私欲に走らなかったから
340 :
日本@名無史さん:03/03/02 19:11
>>335 その島津斉昭の理念とやらを、幕府改革派が郡県制導入をもって実践しようとしたところ、
それに危機感を持った西郷などの保守反動派が復古クーデタを起こした。
西郷や大久保の本質は時代を逆行させようとした反動だよ。
西郷は自滅したけど大久保は変節することによって生き延びたけどね。
341 :
日本@名無史さん:03/03/02 19:45
やはり、他の東洋の国と違って日本が武士道の国だったことが大きい。
島津久光は薩英戦争前、次のように言っている。
「攘夷には反対であるが、英艦隊が来た時には、武勇の家名を恥ずかしめぬよう
一戦を交える覚悟である」
英艦隊が来た時、薩摩側は「藩主は遠い山の中の温泉に行っているので、
戻るまで待っていただくか、それとも重臣と交渉するかしてほしい」という回答
だった。英艦隊はしびれをきらして攻撃開始。
薩摩の方が悠々自適であった。
戦後も海戦中の英艦隊の甲板上の軍楽隊を「あれはよかもんじゃった」と
いち早く取り入れ、日本で始めて軍楽隊を組織した。
342 :
日本@名無史さん:03/03/02 19:48
>英艦隊が来た時、薩摩側は「藩主は遠い山の中の温泉に行っているので、
>戻るまで待っていただくか、それとも重臣と交渉するかしてほしい」という回答
武士道…ねぇ
343 :
日本@名無史さん:03/03/02 20:05
>337
>階級的制約の観点からは、西南戦争は維新に対する旧士族反革命
明治維新の直後から、志士たちの分裂が起こった。正義感が強く、
国民みんなが安定した生活ができるように願っていた者と、
俗物的で虚栄心が強いもの達である。倒幕戦で三井を筆頭とする大商人たちが資金提供し、
維新後も新興企業家が台頭してきて政治に強い影響力を持つようになった。
西郷はもちろん正義感の強いタイプの人間だったから、倒幕に協力してくれた
下級武士が没落していったり、貧農が相変わらず貧しいのを尻目に伊藤や大久保たちが
経済人と癒着して贅沢な生活をし、貧困者の救済を二の次にしているのが我慢がならなかった。
結局、支配階級が領主から市民階級(ブルジョア)に代わったが、庶民の生活は貧しいままであった。
この状態を改善しようにも、倒幕戦で西郷自身が三井から資金援助を受けていたので、進退きわまってしまった。
344 :
日本@名無史さん:03/03/17 18:18
箱館政府を樹立しようとした香具師は売国奴
345 :
日本@名無史さん:03/03/19 10:01
ヨーロッパの進出、植民地政策はキリスト教布教と両輪であったことは事実。布教活動にとって
協力者をまず作りビジネスに繋げていく。ここには協力金という形で金が動いていた。
東インド会社のシステムがまさにそうであり、最終的には軍隊を送り込み要塞基地を構築する。
このたくらみを逸早く見抜いたのはあの豊臣秀吉であり、九州進出時にバテレンがすでに土地を占有し
ている事実と背後に軍艦がひかえているのを眼にしたわけだ。
東大系の欧米史観による検定教科書には出てこないが、日中混血の鄭成功がその拠点の台湾要塞を
東アジア諸国連合軍4万で攻撃、見事にオランダから奪い返した事実は日本ではほとんど評価され
ていない。
なぜなら欧米史観からみるとこうした被征服者の反乱成功の事実は都合が悪いからである。
属国教科書には当然載せられないわけだ。
346 :
日本@名無史さん:03/03/25 18:59
植民地政策に走った日本は謝罪しる!
347 :
日本@名無史さん:03/03/25 19:05
348 :
日本@名無史さん:03/03/25 20:59
大体明治維新からだろ西欧の猿真似
してるのは。
独自の政治思想や発想を持てなかったのさ。
あの明治維新のやり方を反省しようよ(W
349 :
日本@名無史さん:03/03/26 14:54
狩猟民族は本質的に消耗第一主義なんだな。食料や物資が欠乏し始めると手っ取り早く他からの収奪を考える。
だからどっかの王室のように、上品ぶってはいるがその出自はというと海賊だったりするわけだ。
行動規範はどうにでも理屈は付けてくるだろうが、やってることはいまも古と少しも変わらねえってことになる。
どこからかごっそり奪い取ってこないことには、おっつけ全部干上がってしまうと言うことだろうね。
彼らは血を流して奪い取る使命感と、後の達成感とにやはり本能が疼くんだろうね。
日本史と世界史とを線引きしてそれぞれ視点を変える?
欧米史観そのものじゃん。
350 :
日本@名無史さん:03/03/26 15:09
文明化されているかどうかだよ。
収奪型の社会だと交易が成り立たないが貨幣経済が
成り立ってる社会なら交易できる。戦争より交易した
方が儲かるのだよ。交易を邪魔する存在ならこちらが
なんとかせねばならんだろうという発想が後についてくる。
351 :
日本@名無史さん:03/03/26 15:34
交易でも金融でも他国より優位に立つ、国益を最優先するよする国家戦略の有無。
それがいまの日本にあるか?英米にあるか?
文明のあるなしに関係なく、現実はみてみりゃあ分かろう。
交易と力づくの収奪ならかってバイキングの常套手段やったのう。、
352 :
日本@名無史さん:03/03/26 16:31
>>350 つまり「自由貿易帝国主義」ゆえに日本は植民地化の危機を免れたっていうこと?
でも芝原拓自はそれゆえに危機が中国より大きかったって言ってるぞ。
353 :
日本@名無史さん:03/03/26 16:46
東を見ろ!
悠々と広がる太平洋。
まさに太陽ののぼる国だ。
西を見るな!
354 :
日本@名無史さん:03/03/26 17:14
灯の本の厨房国
355 :
日本@名無史さん:03/03/26 17:25
交易の安定化が実現されれば別に植民地にしなくてもいいのだよ。
植民地経営のコストは意外なほど高い。故にその権益を保持するために
さらにコストをかけなければならない状況に陥りやすい。
交易が普通に行われるのならそれにこしたことはないのだ。
近代的な中央集権ではなく、封建制だと分裂もしくは、不安定化の
要素が大きいが、日本は幸いなことに近代的な中央集権に移行し、
窓口とルールが安定したことで貿易相手国として西欧諸国にとっても
これ以上のことを望む必要がなくなった。税率など諸国にてって都合が
よかったというのもあるだろう。商売にとって安定していることがなに
より優先される。投資するにしてもな。
356 :
日本@名無史さん:03/03/26 18:01
皆しゃんはいまの日本が独立国だと思いまふか?
世界第3位の国防予算を持ちながら日本は何故テポドンにビビルのでふか?
国防予算といっても自衛隊は災害救助隊のことでふよね?アメリカに対して日本は発言権がありまふか?
欧米の教科書によると、属国は一応発言権があるそうですが属領にはないのだそうです。
日本はアメリカの植民地だとハマコウ先生、テレビでのたまふ。してその真相は?
忠犬小泉とか今日の新聞にありましたが、日本はポチなんでふか?
イラク戦の戦費を日本が負担させられるようですが、すでに多額の米国債も買わされていて
コストを支払っているのはやはり日本が植民地だからでふか?
357 :
日本@名無史さん:03/03/26 20:28
358 :
日本@名無史さん:03/03/27 10:01
>>356 文句あるならもう一回戦争してみるか?
byブッシュ
359 :
日本@名無史さん:03/03/27 11:19
「【なぜ】日本は西欧列強の植民地にならなかったの? 」じゃあなくて、
ここは「【なぜ】日本は米国の準植民地状態が続いているの? 」に変え間ひょう
360 :
日本@名無史さん:03/03/27 11:42
イラク戦の次は日本じゃあ!!
361 :
日本@名無史さん:03/03/27 12:04
対日戦略私案
1 油止めにしてやる
2 ヒボシにして飢えさせる
3 傭兵を撤退してやる
4 対米債務をディフォルトしてやる
5 1から5まで全部やらかす
6 当面、1から5までをちらつかせて脅す
サイヤ人だったから植民地にならなかった。
それだけのこと。ageるな。
兵隊も出さずに平和に生きれることを考えればかなりよい境遇だと思うが。
アメリカの兵隊は砂嵐の中で何十万の兵が大変な目にあってる。
364 :
日本@名無史さん:03/04/02 16:18
>348
>大体明治維新からだろ西欧の猿真似してるのは。
明治維新の本質は日本が近代国家に生まれ変わったことであり、
これはそれぞれの国によって時期の違いこそあれ、すべての国が経なければならないことです。
現代において前近代国家はおそらく存在しないでしょう。
ただ、近代国家の成立はヨーロッパやアメリカなどがいち早く達成していたため、
日本は文化的な面においても欧米の模倣をしないとそれらの国に認めてもらえないという思いが強かったんでしょう。
その典型が鹿鳴館外交ですね。
しかしその一方で、日本独自の権威で新体制をまとめる必要があったために、
天皇を表に出してきたんですね。
365 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:24
稚拙なことを言うね。
366 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:33
明治維新の前は中国の真似。
367 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:35
今は韓国の真似もしてるよね。
368 :
日本@名無史さん:03/04/02 19:55
369 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:00
剣道、漫画、桜…みんな真似ジャン(w
370 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:03
小中華なんて言葉を作った国にシナ文化以外になにがあるの?
ハングルとキムチぐらいだろ
371 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:08
ハングルといえばかな文字はハングル(というかその原型)を真似たもの。
剣道は知らなかったけど朝鮮半島から伝わって日本文化の根幹に入っているものがかなり多いのは確か。
372 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:16
ハングルとかな文字、はたして成立が先なのはどっちでしょう。
373 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:17
374 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:18
375 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:20
歴史系の板ってニダーさんがよく紛れてくるよなぁ。
376 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:23
まあまあ。
>>372はきっとかなのほうがハングルより古いから
>>371は間違いだって言いたいんでしょう。
わざわざ
>>371が括弧つきで「原型」って書いてるのに馬鹿な話だけど(藁
世宗大王が制定するずっと以前からハングルの原型は存在したわけで。
377 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:25
>>376 ああ、そういうことか。
しかしそんな基本的なことも知らない奴がしたり顔で
>ハングルとかな文字、はたして成立が先なのはどっちでしょう
なんていってるのを想像すると失笑を通り越して哀れみすら覚えてくるな。
378 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:31
ここ世界史板じゃないよ。
379 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:34
>>378 うむ。
ハングル→かなはほぼ定説なんだしこれ以上語っても嫌韓ドキュソがわくだけだから
この話題はこれで終わりにしろや。
380 :
日本@名無史さん:03/04/02 20:43
??????????????????????????
????????????????????????
381 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:16
>>379 嘘つけ!
漢字→かな
だろ!
何で
ハングル→かな
なんだよ?
第一日本にハングル文字なんて入ってないだろ?
少しは頭使って嘘つこうね♪
382 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:17
>>381 ハア…
どうしてこう空気読まないでひたすら無茶苦茶な自説を書き連ねるヤシが多いんだろ?
いずれにせよ嫌韓厨房のせいでこのスレ完全に終わりだね。
384 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:25
大英博物館の日本語ページ
http://www.britishmuseum.co.jp/HTMLKorea01.htm >初期、朝鮮は4国に分かれていたが、三国時代(紀元前57-後668年)には、
>半島南中央の伽倻国が南東の新羅に併合された。高句麗が北に、百済が南西
>に領土を占めた。高句麗では階段ビラミッド状の石墳が建造され、内部石室
>には漢様式の影響を強く受けた壁画や現在のハングルの原型となる文字が描
>かれた。百済は海路で南中国と交流があり、また百済の美術工芸家が数多く
>日本に帰化して仏教美術の手法を伝えた
386 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:43
>>376と377、379は釣りをしてんの?
それとも真面目にいってんの?
387 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:46
388 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:47
>>385 これ見るとハングルの方が古いのは確かみたいだなあ。
389 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:49
日本と言うのは、古来から黄色人種の王者であり…。
390 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:50
奈良は朝鮮語とか電波飛ばしているのと一緒でしょ。
どこにでもいるんだよ、
言語で偶々一致したとか、この方が納得できるとかいって外国語だという馬鹿。
ユダヤ人と日本人は兄弟だって主張している馬鹿の親戚だよ。
391 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:51
カナ文字の原典も古いわけで、
392 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:52
原典じゃなくて、原型だ、なんでこんな間違いをしたんだろ。
393 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:52
どうせチョンのデンパ本をマジに受け取った低脳だろう。
394 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:54
また嫌韓ドキュソの自作自演ですか。
395 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:55
>>389-
>>393 低脳。ソースもなしに妄想を垂れ流すなよ(w
396 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:57
大英博物館の日本語ページ
http://www.britishmuseum.co.jp/HTMLKorea01.htm >初期、朝鮮は4国に分かれていたが、三国時代(紀元前57-後668年)には、
>半島南中央の伽倻国が南東の新羅に併合された。高句麗が北に、百済が南西
>に領土を占めた。高句麗では階段ビラミッド状の石墳が建造され、内部石室
>には漢様式の影響を強く受けた壁画や現在のハングルの原型となる文字が描
>かれた。百済は海路で南中国と交流があり、また百済の美術工芸家が数多く
>日本に帰化して仏教美術の手法を伝えた
397 :
日本@名無史さん:03/04/02 21:57
>>395 オマエこそ
かな文字はハングル文字が原型だというソース示してくれんかのうw
398 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:04
時々いるんだよ、電波学者の出鱈目な論文(つか作文)みて、
こんなハングルを参項に、かな文字は作られたってアフォ
399 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:09
韓国にある4世紀の遺跡からかな文字の原型とされるカク(漢字でない)筆が多く見つかってるわけで。
漢字→かなというのは朝鮮の影響を軽視したい戦前史学の残滓、
ようするに幻想なんだよな。
400 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:10
401 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:11
とりあえずここまでの流れ見る限りハングル→かな派のほうが
圧倒的に説得力あるね。
かな→ハングル派は具体的な話がまるでない。
402 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:13
>>398 みたいなのを見ると、結局自分が拠って立つところの常識が
崩れていくのが怖いんだろうな、単に。
実に非科学的な態度だよ。学問版に来る資格がないといっても過言じゃない。
403 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:14
404 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:16
今の学会の通説では漢字→仮名なんだけど?
405 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:17
>>403 無根拠の決め付けはいいから早く具体的な話を出しなよ。電波君。
406 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:18
407 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:20
>>401 かな→ハングル派なんているか?
漢字→かな なら主張しているが?
こんな細かなところでも
ハングル→かな派の捏造癖が垣間見れて面白い
408 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:21
>>406 学会員って何よ?馬鹿じゃねえの。
つうか、マジで漢字→かな派はレベル低すぎ。勘弁してくれよ。
409 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:22
>>405 だからハングル→仮名の具体的な話しってどれよ?
410 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:24
どうやら文盲が一名混じってるな。
411 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:24
>>408 ヤレヤレ冗談も通じないのかよ・・・
痛すぎですな
412 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:26
だからハングル→仮名を主張している馬鹿は、
朝鮮語で万葉集が読めると一頃話題になったものの残滓だってば。
413 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:28
414 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:33
415 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:39
416 :
日本@名無史さん:03/04/02 22:41
415が誰だか1発でわかるな。。。
417 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:00
何せ彼はデンパ本に騙されるくらい単純なバカですから(藁
というわけで
ハングル→かな派の圧勝に終わったようです。
419 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:03
>【なぜ】日本は西欧列強の植民地にならなかったの?
一言で言えば日本を植民地化するのは不可能だったからです。植民地化
するには最終的には陸戦兵力を送って陸上部隊により国内要地を制圧す
ることが必要です。
当時日本の軍事力は海軍力こそ貧弱だったものの陸戦能力は幕府諸藩
合わせて30万人。アヘン戦争当時のイギリス軍総兵力は5千人前後、
アロー戦争時は英仏合わせて1万人前後。これ以上の兵力を送り込む
ことは当時の艦船能力からいって不可能です。
さらに中国や朝鮮が朱子学と儒教の影響から武を卑しめ文官統治
を行っていたため士気は低く兵は弱兵であったのと異なり、
日本は士族階級が存在し武術も盛んでした。
420 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:03
徳川家康は極めて賢明な人で九州に大大名を多くおいたのは薩摩対策
のほかに当時フィリピンを領有したスペイン対策のためともいえそうです。
もし仮に列強が玄関港長崎に上陸したとしましょう。
英仏両軍1万人とします 。長崎を隔年警護していたのは肥前佐賀藩です。
佐賀藩は戦国時九州の3分の1を領有した関係から兵は多く最大動員
能力は3万人近いと思われます(島原の乱参照)。さらに隣国筑前肥後
の援兵を合わせれば5万人前後で英仏軍に対することになります。
勝敗は明らかでしょう。もし鹿児島に上陸したとしても薩摩藩77万石
一手で十分勝ちうると思われます。西南の役のような激戦が南九州の
地で展開されることを考えれば列強による侵略は不可能だとわかるでしょう。
当時の日本は清国や他のアジア諸国とは異質だったのです。
>>420 農民相手にあそこまでてこずったのに英仏相手に「勝敗は明らか」なんですか。
大英博物館の日本語ページ
http://www.britishmuseum.co.jp/HTMLKorea01.htm >初期、朝鮮は4国に分かれていたが、三国時代(紀元前57-後668年)には、
>半島南中央の伽倻国が南東の新羅に併合された。高句麗が北に、百済が南西
>に領土を占めた。高句麗では階段ビラミッド状の石墳が建造され、内部石室
>には漢様式の影響を強く受けた壁画や現在のハングルの原型となる文字が描
>かれた。百済は海路で南中国と交流があり、また百済の美術工芸家が数多く
>日本に帰化して仏教美術の手法や建築技術、仮名文字の原型などを伝えた
423 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:29
>>422 分かった分かったから、もう止めろ。
ネタとしても面白くない、信じる馬鹿が出たらどうする。
万葉集と土佐日記の中の人も大変だな
>>423 止めろだと。馬鹿言うな。
楽しい老後のために今から明日の電波の種をせっせと巻いておかねばいかんだろうが!
止めるな!
426 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:38
今の日本は洒落にならん、プロ市民を増やしてどーする。
>>426 そんなこと言ってあなたも高校生くらいの時には
朝日新聞読みながら「うーん、自衛隊いらないな」とかしたり顔で言ってたくせに〜
白状しちゃえ〜
428 :
日本@名無史さん:03/04/02 23:42
>>422 >初期、朝鮮は4国に分かれていたが、三国時代(紀元前57-後668年)には、半島南中央の伽?国が
>南東の新羅に併合された。高句麗が北に、百済が南西に領土を占めた。高句麗では階段ビラミッド
>状の石墳が建造され、内部石室には漢様式の影響を強く受けた壁画が描かれた。百済は海路で
>南中国と交流があり、また百済の美術工芸家が数多く日本に帰化して仏教美術の手法を伝えた。
「ハングル」・「仮名文字」なんて一言も無い・・・。ツマンネ
いや俺は、小学生の時から火葬戦記にはまってましたんで、、、
家には零戦モノの漫画もありましたし、、、、
>>429 なんだ。生粋のぐんこく主義者ですか。
あのね、これからは平和。あと韓国、特に太極旗とサッカー。
史学なら百済帝国研究。零戦とか玉砕とか、もうはやらないよ。
まあ確かに今は、韓国を話題にしたほうが笑える。
433 :
日本@名無史さん:03/04/03 02:42
明治維新のおかげ
434 :
日本@名無史さん:03/04/03 02:45
>>419 >さらに中国や朝鮮が朱子学と儒教の影響から武を卑しめ文官統治
>を行っていたため士気は低く兵は弱兵であったのと異なり、
>日本は士族階級が存在し武術も盛んでした。
でも朝鮮も西欧列強の植民地にならなかった。
435 :
日本@名無史さん:03/04/03 03:04
日本の植民地になったけどな
436 :
日本@名無史さん:03/04/03 03:13
日本の植民地になったのは1910年だから
日本の植民地になったから西欧列強の植民地にならなかったのではない。
437 :
日本@名無史さん:03/04/03 03:52
当時半島は日本と中国の勢力圏の中間でめんどくさかったでしょ。
438 :
日本@名無史さん:03/04/03 04:40
日本に侵略されていなかったら間違いなくロシア帝国の版図の一部
になっていた
439 :
日本@名無史さん:03/04/03 04:59
>>419 西洋列強が本国から陸上戦力を送り込んで植民地獲得?
むしろ現地土豪を手懐けてでしょ。
日本の場合、徳川がヘタレで内戦が早く終了したのでインドのようなことにならなかった。
440 :
日本@名無史さん:03/04/03 05:05
へたれというより
インドのようになるまいとする徳川方の賢明な施策があった。
勝海舟に感謝。
441 :
日本@名無史さん:03/04/03 06:32
まあ,アヘン戦争よりも前から,海外事情にくわしく危機意識をもっていた
連中が,結構いたというのが大きいわけだが.べつに幕府にかぎらずね.
442 :
日本@名無史さん:03/04/03 06:43
具体的には,渡辺崋山のような「経世学的な」傾向をもつ洋学者もあげるべきだろうけれど
世間一般への影響の大きさでは,後期水戸学のほうが大きいのよね.
会沢正志斎の『新論』(文政8年,1825年)は,アヘン戦争に衝撃を受けたひと
の間でよく読まれたというし.
443 :
日本@名無史さん:03/04/03 11:27
薩摩や長州は、欧米と思いっきり戦争して負けたのに、なぜ領土の割譲を強いられずに済んだんでしょうか?
あそこら辺で欧米が日本本土に橋頭堡を築き、さらに周囲の領土の侵食を開始してたら、日本も中国みたいな
情けない状態になったと思うが、そうはならなかった秘密は?
444 :
日本@名無史さん:03/04/03 16:15
>443
>薩摩や長州は、欧米と思いっきり戦争して負けたのに
この認識が極端なんです。
長州で四国連合艦隊を下関で迎え撃った時、相手は16隻の軍艦でやってきた。
初日の戦いで長州側の負傷者十数人、外国側もほぼ同数。外国艦4隻が被弾して相当の打撃を受けた。
二日目の戦いでは長州側の死者12人、負傷者30人、外国側も死者8人、負傷者40人を出した。
外国艦の先頭艦の副艦長が重傷、フランス艦の操舵長などが死亡した。
三日目に外国軍の陸戦隊が上陸したが、奥地に進撃すると奇兵隊が善戦し、
指揮官アレクサンダー大佐を負傷させた。
もちろん、大勢としては長州の敗北だが、外国軍にも相当の損害を与え、それなりに善戦したのである。
だから講和でも外国軍は賠償金も取らず、彦島の租借も断念したのである。
445 :
日本@名無史さん:03/04/03 16:21
薩摩の場合もあれは薩摩の勝ちと言って良い内容
薩英戦争でも通説と違って薩摩は結構善戦してます。
確かにイギリスの軍艦の砲撃によって鹿児島は大火を起こしましたが、
薩摩の砲弾を避けるために沿岸からできるだけ遠ざかったところにとどまり、いかりを下ろしていたのです。
その背後に桜島があり、そこには砲台が設置されていました。
その桜島の砲台からの砲撃がイギリスの旗艦に命中し、艦長は死にました。
そのためイギリス艦隊はあわてていかりを上げる暇も惜しんでいかりを切って退却しました。
この戦いも長州と四国連合の戦いと同様、大勢としては敗北だがよく善戦し、相手にも相当の打撃を与えることができました。
結局、講和で賠償金は払うことになりましたが、今後は仲良く貿易をしていこうとなったのです。
447 :
日本@名無史さん:03/04/03 16:44
>大勢としては敗北
ここに異議あり
448 :
日本@名無史さん:03/04/03 17:23
当時の戦争って講和が終結だったのよね。
続けるのはどっちも損だからわりと早めに解決。
総力戦だと・・・・・そう単純じゃない。
449 :
bloom:03/04/03 17:24
450 :
日本@名無史さん:03/04/03 22:24
>>448 総力戦かどうかと終戦の形態とは無関係。
451 :
日本@名無史さん:03/04/04 16:14
>447
薩摩は賠償金払うことになったんだから、一応薩摩の敗北ってことになるんじゃないの。
戦闘そのものは6:4くらいでイギリス優位だと思う。
452 :
日本@名無史さん:03/04/04 16:26
そんか得かと言う問題だ。
453 :
日本@名無史さん:03/04/04 20:57
>>451 確か薩摩は賠償金支払ってないんじゃなかったかな?
幕府が薩摩に代わって勝手に支払ったんじゃなかった?
454 :
日本@名無史さん:03/04/05 13:06
ロシアはクリミア戦争、アメリカは南北戦争でそれどころでは
なくなった。英仏は、中国、インドシナで活動中で駐在大使
以外は、なんら積極的ではなかった。各国の利害が絡み合い
はっきりいって相互にカルテルのような感じで突出をさけた。
賢明な判断だ。
455 :
日本@名無史さん:03/04/06 15:41
( ・д・)投資家いないとな・・・・・
456 :
日本@名無史さん:03/04/13 20:22
やっぱり明治維新以降経済が発展し、近代的軍事力を持ったからでしょう。
457 :
日本@名無史さん:03/04/18 01:19
ヤレヤレ冗談も通じないのかよ・・・
痛すぎですな
458 :
日本@名無史さん:03/04/18 14:32
>457
どれが冗談なんですか。
459 :
日本@名無史さん:03/04/18 14:37
>>453 薩摩は幕府に借りて、イギリスに賠償したと聞きましたが
460 :
日本@名無史さん:03/04/18 20:22
タイも西洋の植民地にならなかったよね。
461 :
日本@名無史さん:03/04/18 20:40
薩英戦争は薩摩のぼろ負けということで決着しますた。
24 :日本@名無史さん :03/04/13 19:19
英艦隊の砲撃で薩摩側砲台はことごとく壊滅、
街の過半を燃やされ数え切れないほどの家屋が焼失してる。
結局、薩摩藩は英国の要求通り、生麦事件の賠償金を支払い、
下手人を死罪に処すとの文書も交付してる。
ま、薩摩のボロ負けだろうなw
25 :日本@名無史さん :03/04/13 19:21
>>24 賠償金は払ってないし、下手人も死罪にしてないですが?
捏造でつか?
26 :日本@名無史さん :03/04/13 19:33
>>25 ん?
薩摩は幕府から7万両を借金をして英国に賠償金を支払ってるよ。
下手人は死罪にすると約束したけど、実行せずうやむやにした。
462 :
日本@名無史さん:03/04/19 00:15
日本が西欧列強の植民地にならなかったのは幕府のおかげ
463 :
日本@名無史さん:03/04/19 20:41
幕府が続いていたら、日本は西洋の植民地になってた。
464 :
日本@名無史さん:03/04/19 21:14
むしろ、その方がよかった。いまだってアメリカの植民地だし。
465 :
日本@名無史さん:03/04/19 21:25
つまり明治維新ってのは
無 駄
ということですか?
466 :
日本@名無史さん:03/04/19 21:37
イ エ ス
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
468 :
日本@名無史さん:03/04/22 21:03
えっ、日本ってアメリカの植民地だったんですか?!
469 :
日本@名無史さん:03/04/22 21:05
何をいまさら・・・
470 :
日本@名無史さん:03/04/23 17:18
えっ、日本って中国に服していたんじゃなかったんですか?!
471 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:17
>>465 日本を軽く見すぎているよ。
明治維新を起こし、いち早く近代化しアジアで最初に白色人種国家に戦争で勝った。
このことが他のアジア・アフリカ諸国に影響を与え、独立するきっかけを作った。
もしも日本がなかったら、アジア・アフリカは今でも白人国家に収奪されるだけの存在だったかも知らない。
海外で出てみたら、肌で感じると思うけれど日本人は人気があるよ。
特に西アジアでは日露戦争で勝った国というイメージで好意的に接してくれる人が多い。
日本は彼らに勇気を与え、民族の誇りを取り戻すことに貢献した。
明治維新は、日本だけではなくアジア・アフリカの解放の第一歩だったのだ。
そして、アジア最初の殖民地保有国となり、中国などに大迷惑を与えた
帝国主義国歌になってしまったのだが。
ネルーもがっかりしてたな。
473 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:23
↑
氏ね
474 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:30
ネ ル ー も が っ か り し て た な
475 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:53
476 :
日本@名無史さん:03/04/23 20:55
だからほんとはタイがもっと見直されるべきなんだよ。
日本みたいに自らが侵略者にならず、独立を維持したんだから。
「なぜ、タイは西洋の植民地にならなかったの?」
477 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:30
日本は侵略などしてないけどね。
あれなんですよ。
日本史板っててどんなもんかな?
やっぱ詳しい人が多いのかな?
歴史を専攻してる人が論戦を繰り広げているのかな?
なんて思いながらやって来てみて、初めてみたのがこのスレなんですよ。
日本史板も色々におう人がいるなぁと。
なんかもういいやって気持ちになりました。
479 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:49
>>478 そうですね。
否定ありきで史観を組み立てる人が多いですな。
現在の倫理観で否定しようが肯定しようが一向に構わないんですが、
史実を情勢、背景、立場、理由をベースに評価できない意見が多いですな。
「酷いことした」という前提で歴史を組み立てる意見が目立ちます。
480 :
日本@名無史さん:03/04/23 21:55
まあ、自国民にも相当酷いことやってるけどな。
482 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:11
慰安婦は日本人が5割だった。それなのに「女性の人権を考える〜」やら
「国際女性〜ネット21」やらのフェミ団は日本人慰安婦には無関心。
満州でソ連兵や中共兵に襲われた女性も無視。悪い事をした日本人に人権はありません
483 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:15
中国人や韓国人は戦前の日本を侵略者と決め付け、非難するのが好きだが
帝国主義の本家本元である英国を非難しているところを見たことがない。
不思議ですね。
なぜ日本人がやれば悪であり、白人がやれば悪ではなくなるのだろうか?
484 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:16
自 業 自 得
日本が朝鮮支配に対し己の責を認め謝罪するのは、やったことがたいしたことではないからと言えるでは?
イギリスなんぞがアフリカにやったことに対して己の責を認めようものなら国家としてのアイデンティに関わる。
そう思うのです。
そしていったん謝ると中韓はコンプレックス丸出しに日本を叩きまくると。
486 :
日本@名無史さん:03/04/23 22:34
>>485 謝っちゃーイカンのですよ。
何があろうとも。
日本は日本の正義を貫こうとしただけだと、言い続けねばならんのですよ。
朴正煕や周恩来がいたときは、それが言えたんですよ。
この二人がいなくなって、またうるさくなったんですよ。
487 :
日本@名無史さん:03/04/24 00:24
>486
>日本の正義を貫こうとした
日本の正義って何ですか?
>477
>日本は侵略などしてないけどね。
えっ、日本はアジアを侵略してないんですか?!
わかりました。質問を訂正します。
「日本とタイはなぜ西欧列強の植民地にならなかったの?」
488 :
通りすがりだが:03/04/24 01:20
>>487 >日本の正義
アジアの欧米植民支配からの解放独立と近代的経済システムの普及
およびブロック経済圏の確立。
いわゆる「大東亜共栄圏」の建設。
>日本とタイはなぜ西欧列強の植民地にならなかったの?
君主主権の明確化による独立の確定。
外交政策を基本方針とした国家建設。
489 :
日本@名無史さん:03/04/24 01:24
だいたい日韓併合を推進し歓迎したのは朝鮮人だろ。
なにが悲しくて日本が朝鮮と対等合併しなきゃならないんだよ。
日本は貴重な資金を朝鮮半島開発に惜しげもなく投下し、
朝鮮半島の社会資本や産業基盤を築いた。
経済的な収支をはじけば、収奪されたのはむしろ日本のほう。
490 :
日本@名無史さん:03/04/24 01:29
アホがほたえとるw
491 :
日本@名無史さん:03/04/24 01:41
492 :
通りすがりその2:03/04/24 02:17
大韓帝国末期の大きな政治勢力は3つ。
専制政治に固守する高宗皇帝と亡き明成皇后の一族である閔家勢力の皇民派。
議会政治の導入と維新を目指す開化派。
思想をベースとした農民勢力の東学派。
日本に支援を望んだのは開化派と東学派。
最終的に併合を望んだのは開化派。
日本が韓国への請求を放棄した資産総額は、
少なく見積もっても16兆円。
最大60兆円程度と試算される。
493 :
日本@名無史さん:03/04/24 15:07
植民地経営ってのは、損な場合が多い。投資額が膨大になればなるほど
権益を譲れなくなり泥沼と化す。満州や今のチベットとかもそうだよな・・・。
494 :
日本@名無史さん:03/04/24 16:09
>489
>経済的な収支をはじけば、収奪されたのはむしろ日本のほう。
でも日本が支配しなきゃ、ロシアが朝鮮半島を支配してたんじゃないですか。
何のための日清、日露戦争だったの?
495 :
日本@名無史さん:03/04/24 16:14
ロシアが半島を支配して
朝鮮民族を丸ごとカザフスタンあたりへ持っていけば
穏やかな21世紀の東アジアになった予感
496 :
日本@名無史さん:03/04/24 16:22
ソ連って民族をまるごと移住させたりして土地から切り離そうと
したんだよね。
497 :
日本@名無史さん:03/04/24 17:18
当時の日本人たちがロシアの南下を食い止めようとしたのは間違いだったんですね。
498 :
日本@名無史さん:03/04/24 19:09
まあ、結局そういうことになるな。
499 :
日本@名無史さん:03/04/24 22:09
ちゃんと植民地奴隷として酷使すればよかったんだよ。
日本人と同化させようとしたり爵位を与えたりと、
なんで朝鮮だけ特別扱いしたんだろ?
500ゲトスッサー
501 :
大久保利通:03/04/25 05:41
スレに戻って議論をお願いします
では、基本はこれと言われていますが。
1、1860年代はイギリスを中心とする産業資本全盛時代で、イギリスは
自由貿易を第一と考え積極的な植民地政策は取らなかった。
2、諸列強が互いに勢力均等を保っており、1国だけが強硬な態度は
とれなかった。
3、クリミア戦争・南北戦争など列強の国内事情が悪化していた。
4、イギリスは日本の市場的価値をあまり重視せず、中国・インドに
比べると対日外交は2義的であった。
5、セポイの反乱や太平天国の乱のような排外的民族運動の苦い経験
により軍事行動をひかえた。
実は、外債による鉄道建設
伊藤と大隈は鉄道建設費272万5000円の大部分をイギリスからの
外債にたよっている。
あくまで銀行から、米英などの政府の買いつけは断っている。
506 :
日本@名無史さん:03/04/26 13:42
>>505 で、なにが言いたいの?
明治政府が乱発した外債=借金は、デフォルトした場合、
担保である日本の関税収入などが英国の手に落ちる仕組みになってた。
「米英などの政府」を背後で手繰っているのは金融資本。
多くの植民地は欧米銀行からの借金をネタに蚕食されてるんだよ。
>多くの植民地は欧米銀行からの借金をネタに蚕食されてるんだよ。
一国でもいいから、銀行からの借金で領土を租借された国を教えてくれ。
どうしてもこじつけたがってるとしか思えない…
509 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:33
根拠を求めると消える毎度毎度のパターンだなw
510 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:48
すると幕府の借金も銀行からの借金だから全く問題なかったわけだなw
511 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:55
幕府は政府借款。
しかも小栗上野介は四国を担保にフランスから借款までしていた。
まさに売国奴とはこの男のためにあるような言葉であろう。
倒幕があと10年遅れていたら日本はフランスの植民地になっていたのは
確実だった。
513 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:58
>>511 フランスの殖民地も悪くないんじゃない?
514 :
日本@名無史さん:03/04/27 21:58
515 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:01
お前らフランス人の搾取の苛烈さを知らないからそんな事言ってられるんだよ!
フランス人、あらゆる人種の中で最も強欲な豚人種だよ
516 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:03
>>511 ちみがナニを読んでそんな妄想をいだいたのか知らないけど、
その「四国を担保」とした契約の条文を教えてくれ。
>倒幕があと10年遅れていたら日本はフランスの植民地になっていたのは
>確実だった。
これに関しては笑うしかない。
517 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:07
>>511は借款と借金は違うと言い張ってたヴァカだろ
518 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:11
なぜかこの板では小栗を過大評価している香具師が多いが
彼の人は日本を外国に売り飛ばそうとしていた先の見えない小人である。
519 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:13
フランスならOK
520 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:22
>>518 「国土を担保にした」ってのは勝や薩長が流したデマ。
実際のクーレーとの契約にはそんな担保条項は一切ないんだよ。
そして小栗に融資したのは英仏の銀行ね。
ただのプロジェクトファイナンスだよ。
維新後薩長は横須賀造船所などが差し押さえられるのを危惧して、
借金をオリエンタルバンクに借り換えてる。
小栗がクーレーからの投資で殖産興業を目指したことと、
薩長が借金で鉄道をつくったこととの間に本質的な違いがあるというのなら、
きちんと説明してごらん。
>>510 直接フランス政府から借金している、金の出所は銀行だが、貸しては政府。
>>517 まだ理解できてないのか。
>>520 目的は同じでも手段が違う。
誰も幕府が近代化を目的にしていないとは言っていない。
問題なのは幕府が外国政府からの借款により開発を行った事。
銀行からの借金からなら文句は言わん。
ついでに俺は511じゃないからな。
523 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:32
>>520 なぜ同じ幕臣の勝がそんなデマを流すのか?
やはり国土を質に借金しようとしたのではないか?
政府からの借款を理由に領土を租借されたり鉄道利権を譲った例はある。
525 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:39
>>523 だから担保の話が事実ならその契約上の根拠をだしてみろ
526 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:39
欧米の銀行や外商による前貸や事業投資→
契約不履行→経済の根幹が欧米に支配される
これは基本的な植民地化のパターンでしょ。
もし明治政府が鉄道の借金をはらえなかったら、
外国貿易や鉄道の経営権が英国の手に落ち、
日本は半植民地国家になってたかもね。
ちなみに日本が欧米資本に経済を支配されなかったのは、
通商条約により内地通商権を禁止したことが大きな理由。
すべて幕府のおかげだ。
527 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:40
なんでもありの時代のような気もするが
いきなり軍事侵攻で植民地ってあまり無いものなのかな?
19世紀の世の中で圧倒的軍事力の格差がある国が
劣等国を侵略する場合でもやっぱり大義名分が必要なのかな?
528 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:44
>>527 軍事的に占領するのは不経済なんだよ。
「自由貿易」の大義名分のもとで、
生かさず殺さず支配するのが近代的植民地支配。
529 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:44
世界の端っこだからね
日本は
530 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:45
531 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:47
>>522 外国政府からじゃなくてフランスの実業家からじゃない?
で、本質的になんの違いがある?
政府が悪くて銀行がいいってのはどういう理由さ?
532 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:50
>もし明治政府が鉄道の借金をはらえなかったら、
>外国貿易や鉄道の経営権が英国の手に落ち、
>日本は半植民地国家になってたかもね。
完全にお前の妄想じゃん。
534 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:51
>>523 勝は小栗に嫉妬しまくりだったからな。
うかつに勝の発言を信用すると2chで恥をかくよ。
>>531 だからさっさと銀行からの借金で、領土を担保に取られた事例を出せ。
536 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:53
小栗真理教徒が2chでは大発生しているからな。
537 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:53
>>533 国家にとって最も重要な関税を担保にしてたんだから、
あながち妄想とも言えない。
いずれにせよ薩長は売国奴であることだけは間違いないね。
何の為に明治政府が、諸藩の外国からの借金を禁止し、
何の為に明治政府が、幕府の借金を銀行からに変え、
何の為に明治政府が、外国政府からの借款を断り銀行から借り入れたのかも分からんとは嘆かわしい。
先人の苦労って中々理解されないものだね。
539 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:57
小栗こそ最低の売国奴。
処刑されて良かった。
540 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:57
>>535 >>526が理解できない?
マーカンタイルバンクやオリエンタルバンクは、
英国の植民地政策の先兵。
逆におまえは何が言いたいの?
541 :
日本@名無史さん:03/04/27 22:59
542 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:03
どうでもいいことで熱くなるな。
おまえらの実生活に関係ないだろw
>>540 だから具体的な例をさっさとあげたら?
銀行からの借り入れを理由に領土を租借された事例をね、
544 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:03
明治政府は統一国家である日本のため
徳川幕府は徳川幕府だけのために外国から借金しますた。
小栗は売国奴という自覚の無い売国奴。
545 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:04
>ちなみに日本が欧米資本に経済を支配されなかったのは、
>通商条約により内地通商権を禁止したことが大きな理由。
>すべて幕府のおかげだ。
その幕府の条約締結の努力に敵対して、
外国人を斬り殺してた尊攘派は売国奴。
>>541 理解できないの?それとも理解したくないの?
547 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:05
>>541 脇からスマソ。場所がら「日本が西欧列強の植民地にならな」いようにするため
だと思われ
そういやさっさと開港しとけばいいものを、賠償金を払う事を選び、
結局賠償金も取られ、予定通り開港され、賠償金の未払いを理由に関税まで引き下げられたアフォは統治機関がありましたな。
549 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:08
バタビアを中心とするアジア貿易に巨利を博したオランダ東インド会社は,
70年代からジャワ中部のマタラム・イスラム王国の内紛に乗じて介入し,
少しずつ領土を拡大した。とくに1755年のマタラム分割により,ジャワ
の大部分を直轄領とした。
イギリス東インド会社は、インド支配を進め、アヘン栽培を行い、アヘン戦争
を引き起こし、香港割譲などの尖兵であった。
550 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:12
明治政府は借金一つにしろ慎重に借り入れ先を選び、
借り入れ量を極力少なめにしていた。
これは日本の近代化を送らせた面もあるが、外国の植民地化を防いだという見方もある。
どっちがいいかは分からんが、博打を避けていたのが明治政府で、博打好きだったのが幕府。
これは両者の性格の違いだろうね。
明治維新前も、外国から薩長(長州に至っては全く)は借金を極力しなかったのに比べ、
幕府や幕府よりの諸藩は借金漬けだった。(なお国内の商人からも莫大な借金をし大坂商人没落の一因とも言われる)
552 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:16
>>549 条約締結権や植民地経営権などの特権を与えられていた
東インド会社を単なる民間企業と勘違いしている厨房発見w!
553 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:17
>>538 >何の為に明治政府が、幕府の借金を銀行からに変え、
薩長は幕府のソシエテ・ジェネラル銀行からの借金を、
より危険な契約内容でオリエンタルバンクに付け替えただけだろ。
この行為になんの意味があるのかをきちんと説明しる。
554 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:20
ほとんど外国からの借金で日露戦争を始めた薩長こそ博打打ちだと思うけどw
555 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:22
>>553 誰かが引用したサイトによると。
差し押さえの為に動いていたそうだが。
556 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:22
自国の商人や銀行の利権が侵害された瞬間に政府が軍隊を派遣して、
領土を分捕ってしまう。連携プレーだね。
557 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:22
558 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:25
559 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:27
>>553 薩長が契約の一方の当事者(幕府)を倒したんだから、
フランスは当然資産の回収に全力を尽くすだろ。
薩長は自分が引き起こした不始末の責任をとっただけ。
別に偉そうに自慢することでなはい。
>>553 幕府がした返せる当てもない借金のせいで。苦労したんだね。
>>559 不始末を仕出かしたのは幕府だろ。
フランス政府からの240万でもキツイのに、
追加で600万はないだろ。
英国からの300万でさえ返しきれてないのにさ、
これって多重債務以外の何物でもないぞ。
562 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:32
今の国・地方のかかえる借金が700兆円で
毎年1%の経済成長して返していくと試算しても300年かかる
駅前で中村敦夫が演説していたぞ。
これは幕末よりも深刻な危機ではないか?
外国からの借金と国内からの借金の区別がつかない御仁がおられます。
564 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:34
てゆーか薩長ヲタって英国のオリエンタルバンクからの借金なら安全と錯覚してない?
関税収入を担保にとられるなんてお間抜けもいいとこ。
565 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:37
>>560-561 幕府が残した経済的遺産のおかげで無能な薩長ですら借金を返済できましたがなにか?
566 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:39
>>564 あの時は幕府の不手際で、関税が5%しかなかった。
つーか関税なら領土を失う心配は一切ないよ。
幕府って外国からも国内からも借金漬けで、経済的遺産の欠片もなかったんだけど。
569 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:43
小栗が無責任な売国奴ということがわかっただけでも勉強になりますた。
570 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:45
>明治政府が頼ったのが、オリエンタルバンク。というより当時の在日公使のパークスだ。政府
>は急きょ、オリエンタルバンクから50万ドルの巨額の借金をすることになった。しかし、利息は
>年15%、元金は2年据え置きの10年返済と厳しいものだった。政府は横浜港の関税収入を担
>保として差し入れた。英国側から要求されたとしたほうが正しい。外国に門戸を開いたばかり
>の明治政府に担保に差し出す資産らしいものはほかになかった。
結局薩長は英国政府に泣きついたんだねw
50万ドルって幕府がした借金の何分の一だろうか。
572 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:52
幕府は外国から莫大な借金をしても政権を維持できなかった
明治政府は幕府のした借金の十分の一の借金で日本を近代化し
先進国の仲間入りを果たした。
ゆえに無能なのは幕府なのは明らかw
573 :
日本@名無史さん:03/04/27 23:59
小栗は売国奴で、しかも無能ということがわかっただけでも勉強になりますた。
574 :
日本@名無史さん:03/04/28 00:01
575 :
日本@名無史さん:03/04/28 00:06
幕府の240万ドルの借金は主に横須賀製鉄所の建設に当てられてる。
横須賀製鉄所は先進的な生産ラインを有し、
会計も従来の大福帳から複式簿記に切り替えられていた。
日本の近代化は幕府の営為の延長上にある。
576 :
日本@名無史さん:03/04/28 00:57
英帝&仏帝の奴隷
関税5%を日本人に押し付けた
小栗は最低の屑。
本来斬首以上の刑で嬲り殺しにすべき所を
たかが斬首で済ませた薩長軍はバカ。
577 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:00
薩長は日本を滅ぼしましたがなにか?
578 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:01
東国人は日本を滅ぼしましたが何か
579 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:03
あの〜、ボクたちって、滅ぼされたくせに2ちゃんなんかやってていいんでしょうか?
580 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:48
日本が植民地にならなかったのは
勝が主張するようななぁなぁ政体論を
薩長が踏みにじり
小栗や会津をぶっ殺す事で
それなりの主導権を確立したからに他ならない。
581 :
日本@名無史さん:03/04/28 01:58
その薩長はパークスの奴隷だったわけだが
582 :
日本@名無史さん:03/04/28 02:31
英にとっての幕府って
低関税押し付けるためのカモで
いい奴隷だったんだけど、それだけ。
交易反対派も独力で抑えられないくせに
分不相応に単独主権者ぶってんのが
内戦の火種でうざったいから
なぁなぁ政体への移行を望んだだけ。
幕府が勝手に瓦解して
薩長があそこまで暴走するとは予想外でしょ。
真のパークスの奴隷は誰かと言われれば幕府かと、
恫喝1回でいいなりになってたし。
584 :
日本@名無史さん:03/04/28 21:22
585 :
日本@名無史さん:03/04/28 21:36
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
586 :
日本@名無史さん:03/04/28 21:39
587 :
日本@名無史さん:03/04/28 21:52
日本は西洋列強になったからです
予の究極の政治力の為せるところだっぺ。
そのほうら、予のように、内戦を避け、公武合体による
御一新を実現するために、将軍職を擲つなどという真似が
できるか?
589 :
日本@名無史さん:03/04/28 22:08
将軍様も明治政府になって良かったと認めたんだね!
>>589 予は明治になって働きもせず遊んで暮らすことができたし、
大正まで生き長らえることができたから、まあ良かったかもだっぺ。
ちなみに、予が水戸の百姓女に生ませた子供の子孫が、
井川慶という男だ。
591 :
日本@名無史さん:03/04/28 22:57
592 :
日本@名無史さん:03/04/28 23:20
593 :
日本@名無史さん:03/04/29 20:05
>587
なぜ日本は西洋列強になれたの?
594 :
日本@名無史さん:03/04/29 21:26
15 :日本@名無史さん :03/04/29 13:59
川路聖謨、岩瀬忠震、水野忠徳、栗本鋤雲、小栗忠順、大久保一翁、永井尚志等々、
きら星のごとき幕府の人材には感嘆せざるを得ない。
これに対し同時期の反幕派には西郷や高杉のようなカスしかいなかった。
595 :
日本@名無史さん:03/04/30 01:34
慶喜は人材じゃないの?
596 :
日本@名無史さん:03/04/30 03:30
「眠れる獅子」の幻影の影に隠れることができたというのもあるかも。
日清戦争で「張り子の虎」と底がわれるころには、日本はすでに近代化に
向けて一直線。近代化推進についての国論はほぼ統一されていた。
597 :
日本@名無史さん:03/04/30 16:46
地理的な条件が良かったんだよね。
598 :
日本@名無史さん:03/05/02 11:20
中国が防波堤になったと
599 :
日本@名無史さん:03/05/02 12:05
誰も日本を植民地にしようなどと本気で思ってなかった。
欧米が日本に求めたのは中国貿易の中継・補給基地としての役割。
日本を相手にしてた外国商人は雑魚ばかりで、
グラバーやスネルなどは本国ではほとんど無名。
600 :
日本@名無史さん:03/05/02 12:34
>>582 英にとっての薩摩って
日本人同士で潰し合わせるための駒で
いい道具だったんだけど、それだけ
西洋の情報ろくに知らないで
分不相応に尊王攘夷論者ぶってたのに
薩英戦争で武器の性能差にびびって
尊王開国に変節してやんの
幕府主導の統一政権で開国して富国強兵しようと思ったのに
薩摩が内乱引き起こすなんて予想外でしょ
601 :
日本@名無史さん:03/05/02 13:16
> >ハルノートを飲めば、石油禁輸は解除されるのに、
> >なぜ後一年しか持たないのでしょうか。
>
> これは本当ですか?
第2項 合衆国政府及び日本国政府の採るべき措置
6.合衆国政府及び日本政府は互恵的最恵国待遇及び通障壁の低減並びに生糸を自由品目として据え置かんとする米側企図に基き合衆国及び日本国間に通商協定締結の為協議を開始すべし。
この部分です。ちなみに最恵国待遇とは、
2国間の通商航海条約において,締約国の一方が他方の国民に,最も有利な地位にある第三国(最恵国)の国民に与えるのと同等に与える待遇。
by:平凡社 世界大百科事典より
ということで、これを相互に受ければ、日本とアメリカとの貿易はイギリスやオランダと同等の条件になります。もちろん石油も自由に輸入できる。
生糸がどうこう書いてあるのは、これが当時の日本からアメリカへの主要輸出品だったからでしょう。石油輸出停止の代わりに日本も生糸の輸出停止をしましたから。
602 :
日本@名無史さん:03/05/04 15:50
>600
>薩英戦争で武器の性能差にびびって
むしろ彼我の力の差を正しく認識し、攘夷の不可を悟ったというべきでしょう。
603 :
日本@名無史さん:03/05/04 16:22
>600
幕府主導の近代化は限界があるよ。
604 :
日本@名無史さん:03/05/04 23:45
自民党主導の行政改革に限界があるのと同じだな
605 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:01
>>599 日本が中国との中継貿易で列強になったというのは
朝鮮人ぐらいしか思いつかない。
606 :
日本@名無史さん:03/05/05 13:04
薩英戦争で武器の性能差にびびって
>むしろ彼我の力の差を正しく認識し、攘夷の不可を悟ったというべきでしょう。
言い方が全く正反対だけど、意味は同じわけで
漏れは薩長側を悪く言う方だから、上の言い方を選んだだけですよ
幕府主導の近代化に限界があるというのは賛成できないな
薩長側も保守の象徴である天皇を明治維新の求心力に持ち出したわけで
幕府側と薩長側の限界にそう差があるとは思えない
それに、幕府側だって充分な危機意識を持ってた
自民党みたいなのと一緒にするのは幕府側に失礼
幕府の基本方針にそう差がないのに、幕府と戦争起こした薩長には
日本の将来より、自分達が権力握る方を優先したような感じがするから
漏れは薩長が嫌いなだけで、評価はできるとは思ってますよ
607 :
日本@名無史さん:03/05/05 13:27
正直、今となっては幕府でも薩長でもどっちでもいい。
ただ両方のヲタが幼稚な罵り合いをするのは見てられない。
608 :
日本@名無史さん:03/05/05 13:50
>>606 馬鹿だな。
既成勢力の排除に戦争が最も効率が良かったから戦争したんだろ?
すべて話し合いで解決できるほど人間は賢くないよ。
逆に現在の行政改革や構造改革が進まないのは武力を使えないからともいえる
609 :
日本@名無史さん:03/05/05 14:40
>606
>幕府側と薩長側の限界にそう差があるとは思えない
幕末に小栗と慶喜が目指していた近代化は、あくまで譜代や旗本などの
領主階級を存続させ、国家権力の支配的地位に就かせることを前提としながら、
徳川家を中心とした領主階級が権力を握ることになっていた。
身分制度の再編である。これでいくら経済や政治体制を近代化しても限界がある。
薩長は確かに天皇を担ぎ上げたが、明治維新以降、権力に大きな影響力を与えたのは、
市民(初期のころは三井などの大商人、その後新興の企業家が急速に台頭してくる)である。
華族とか士族、そして爵位などがあるが、彼らは市民と結びついて初めて権力に影響力を持つことができた。
610 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:40
幕府の近代化は、もしそれがなされていたら、政治体制的にはヨーロッパの絶対主義に相当する。
この時代、国王が領主の一部を味方につけ、全国を支配していた。特権商人もいたが、経済的恩恵は授かっても権力に
たてつくことはできなかった。
江戸時代も相当中央集権化が進んだが、幕府の経済基盤は幕領からで、全国民に税を課すことはなかった。
各藩の家臣団も一応存続していた。幕府は全国的な軍事組織を持っていなかった。
フランスの絶対主義の時代は、各領主の所有する騎兵団は解散させられ、国王軍に編入された。
また、国王の名で国民に税を課していた。
いずれも中央集権の進んだ領主制であることに変わりはないが、形式的には、
幕藩体制は絶対主義とは言えない。
日本は、絶対主義を跳ばして明治維新で近代国家に成った。
611 :
日本@名無史さん:03/05/06 17:17
タイも明治維新とほぼ同時期に独自の近代化をやってたんだよね。
612 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:51
結論
19Cに近代国家に生まれ変わったから、それに伴い政治、軍事力、産業の発展
が進み、国力が充実した。
アッラーがそれを望まれたから。
在日がいなかったから。
615 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:15
まとめると、19Cの日本でアッラーがそれを望まず在日もいなかったから、
612の過程が進んだ。(タイも同様)。
616 :
日本@名無史さん:03/05/07 16:16
タイは日本が発言力を持つことになって防いだんだとおもうけど。
618 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:50
日本が誰に対して発言力を持ったの?
イギリスとフランス?
両国は、タイに侵攻すれば日本が介入することを恐れて手を出さなかったんですか。
619 :
日本@名無史さん:03/05/09 01:57
チョソ・ジャップ間の白人コンプレックスからくる近親憎悪は
いつ頃から始まったのだろうか?
620 :
日本@名無史さん:03/05/09 05:56
>>619 おまえも19世紀の朝鮮人と一括りにされたくは無いだろう。
男は朝鮮ひげ(どじょうひげ)、女は乳房だして薄汚れた白衣で
ぶつぶつ言いながら歩いてんだぞ。
朝鮮の悲惨さを楽しむのに講談社学術文庫からでてるイザベラ
バードの朝鮮紀行はお勧め。一度読んでみろ。
621 :
日本@名無史さん:03/05/09 14:34
>620
あなたは今の朝鮮人と一緒にされて平気なんですか。
(あなたが少なくとも3代前まで日本民族以外の血が混じっていないと仮定して)。
622 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:37
結局タイはなんで植民地にならなかったの?
623 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:39
624 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:44
耕作地は少ないうえ凶作やなんやで自国民さえ満足に食わせることが出来ん国を
植民地にしたってしっかたなかんべさ!何か、資源でもあればともかく何も出ない。
>>624 じゃあ、グリーンランドはどうして植民地になったんだろう?
626 :
日本@名無史さん:03/05/09 21:12
グリーンランドてよく知らないが寒いとこと違う?強力な統治者もいなく
原住民が住んでるだけならたいした抵抗もなく占領できるしとりあえず
早いもの勝ちで領土にしとこう、なんて考えでないの。海獣や鯨なら当時は
使い道あったし、鉱物資源もあるかもしれないし・・・。
>624
当時(19世紀)の日本より豊かなところって・・・どこ?
支配者たる武士階級ではなく、町人文化が隆盛した江戸期の日本。
ある程度の経済的余裕があってはじめてそれは可能。
自国民にさえ食わせることが出来ん国、というのは無理があるのでは。
それを言ったらもっと悲惨な国が植民地になっている・・。
628 :
日本@名無史さん:03/05/10 10:09
スレざっと読んだけどタイの近代化について詳細きぼん。
629 :
日本@名無史さん:03/05/10 14:02
>627
>支配者たる武士階級ではなく、町人文化が隆盛した江戸期の日本
武士といってもピンからキリまであるわけで、譜代大名や旗本などは権力の中心部につき、財政的特権を得ていた。
下級武士はどんどん没落。武士の中での階層分化が広がったんです。
町人文化は確かに隆盛しましたけど、その時点ではまだ権力の座についていなかったことも認識しておこう。
630 :
?n??N:03/05/10 14:23
>>629 権力を握っていない町人が、文化の担い手であったことが重要なのでは。
・貨幣経済の流通
・識字率の上昇
・時間的、経済的にある程度の余裕があること
『耕作地は少ないうえ凶作やなんやで自国民さえ満足に食わせることが出来ん国』
ではこの環境はありえないのではないかと思うのです。
631 :
日本@名無史さん:03/05/10 14:31
>>630 光と影がある。米の値段によっては、農村での10年おきの飢饉餓死者だけでなく、
大阪など大都市でも餓死者が大量に出ている。大塩の乱の大阪飢饉は有名。
町人も農村も武士も階層分化していた。ある意味、階層分化は資本主義のゆりかごだが。
光と影の両方をバランスよく見ることが大事と思われます。
632 :
日本@名無史さん:03/05/10 14:43
>>628 >タイの近代化
4世王モンクット(在位1851‐68)は,先進資本主義諸国の自由貿易要求
を受け入れ,開国政策によって,近代化の契機を開いた啓蒙君主として
知られる。55年に締結されたボウリング条約は,支配層の伝統的経済基盤
をゆるがせ,タイに社会秩序の再編成を迫った。また米輸出の解禁は商品米
の生産を刺激し,やがて無人のチャオプラヤー・デルタをタイ最大の穀倉
地帯へと変貌させた。
5世王チュラロンコン(在位1868‐1910)は,イギリス,フランス両植民地主義
勢力の圧力を受けながらも,巧みな外交政策によって植民地化の危機を回避し,
国内にあっては門閥の勢力を排除しつつ,タイを近代国家へと脱皮させ
ることに成功した。有能な王弟ダムロンを内相に起用して地方行政制度
を整備せしめ,タイ国史上初めて,絶対君主による領域支配の貫徹する
集権的統治体制を確立した。行政組織の近代化にあたっては,各国へ留学生
を派遣して人材の養成を図る一方,多数の〈御雇外国人〉を招聘(しようへい)
している。日本からも政尾藤吉,安井てつなど,刑法,女子教育,養蚕
などの専門家が渡タイした。
633 :
日本@名無史さん:03/05/10 14:43
(続き)
チュラロンコンのつくった近代的国民教育の基礎は,6世王ワチラウット
(在位1910‐25)の時代に〈初等教育法〉(1921)が成立し,義務教育制度が
導入されることによって確立した。外国留学を経験した最初のタイ国王である
ワチラウットは,文人としての評価はあるものの,すぐれた統治者とは
いいがたかった。とくに〈スアパー〉と称する国王直属の疑似軍隊を
つくって軍人の反感を買い,放漫な財政によって国家財政の危機を招くなど
の失政は,のちに大きな禍根を残した。1925年王位を継いだ7世王
プラチャーティポック(在位1925‐35)は,財政再建に苦慮したが,
世界大恐慌の発生という不幸が重なり,行政整理,官吏の減俸措置は
伝統的な王族支配に対する批判を生み,ついに32年文武の若手官僚を
中核とする人民党のクーデタ(立憲革命)が発生してタイの絶対王政は
終りを告げた。
この後、立憲君主制ですね。その後も紆余曲折を経ますけど。
シャムを「自由」と言う意味のタイに変更してますね。
外交が上手いのかな?戦後はアメリカの反共政策に目をつけ、
それにのって割と上手くやってます。
634 :
日本@名無史さん:03/05/10 16:00
>632/633
勉強になりました。教科書や参考書には、列強がどこを侵略し、植民地にしていったかの記述ばかりで、
タイが独立を守ったことの説明がありません。
自由主義史観、戦争責任追及派、いずれも日本の対外進出は侵略だったか止むを得なかったかの論争に終始していて、
日本みたいに対外進出(侵略)せずに独立を守ったタイの歴史は、眼中にないみたいです。
635 :
日本@名無史さん:03/05/12 18:02
西尾「アジアで唯一独立を守ったのは日本だけである」
上杉「日本はアジアに謝罪しなくてはならない。」
国を守って、個人守らず − 有事法制の正体!
国民のほとんどは政治家にダマサレテイルのに気付いていない。
北朝鮮問題を利用して、政治家のための国に変わっていっていることに
国民の多くは気付いていない。
気付いた時にはもう遅い。
いや、・・ダマサレ続けたほうがある意味、幸せ。(笑)
有事法制賛成論者のみなさん、ダマサレ続けてください。
それがあなたの生きる道!!!!!!
638 :
日本@名無史さん:03/05/13 06:13
>>634 タイってざくざく領土削られて植民地になってるよ。
北海海、九州、四国、島々切り取られた状態で
対外進出(侵略)せずに独立(わらい)を保って意味あんの?
北海海、九州、四国、島々の人々に対して恥を知れよ。
639 :
動画直リン:03/05/13 06:21
641 :
日本@名無史さん:03/05/13 08:55
>>638 半分も取られてないんじゃないの?
日本は南方進出して、明治以来の領土の四分の一になりましたが?
タイは実は少し、海外進出してる。
バーネイ条約
1826年にイギリス東インド会社とシャム(タイ)王国との間に締結された
通商条約。イギリス東インド会社は1817年以降ペナンを基地としてシャム
との貿易に進出したが,法的な保護はなかった。一方,シャムはナコーン
シータマラートを基地としてマラヤへの進出を図り,21年にケダを侵略し,
さらに24年にはセランゴールにも侵入しようとした。東インド会社はバーネイ
(バーニー)Henry Burney を派遣し,交渉の結果,シャムのケダに対する
宗主権を認め,ペラクを緩衝地帯とすることとした。またバーネイはバンコク
におけるイギリス商人の通商の権利を確認し,シャムの支配下にあるマラヤ諸王国
(ケダ,ケランタン,トレンガヌ)におけるイギリス商人の貿易活動の自由を獲得した。
これによってイギリス東インド会社のマラヤ諸王国への政治的不介入
という基本方針が確認された。
生田 滋
(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.
642 :
日本@名無史さん:03/05/13 08:59
ボウリング条約
1855年4月,タイがイギリスの全権代表ボウリング縁 John Bowring(1792‐1872)
とバンコクで締結した最初の修好通商条約。12条の修好条規,通商章程
および税率表よりなり,自由貿易の原則,一律3%の関税,外国人の居住
ならびに土地購入の条件,領事館の開設などが定められた。この条約,
およびこれに引き続きタイと先進資本主義諸国との間で次々に結ばれた
同種の条約によって,タイは近代国際法秩序を前提とする世界貿易体制に
編入されることとなった。これに伴い旧来の閉鎖的な王室による独占貿易
機構の崩壊過程が進行し,貿易独占から生じる利潤に依存したタイの
伝統的権力機構は再編を迫られた。この条約以後タイの米輸出が大幅に
増加すると,その需要に応じて米の生産を拡大させるため,無人の荒野
であったメナム川大平原一帯に急激かつ大規模な開田が始まり,今日
見られるようなデルタの大稲作地帯が出現した。
643 :
日本@名無史さん:03/05/13 09:02
チュラロンコン 1853‐1910
タイ国王ラーマ5世。在位1868‐1910年。19世紀末から20世紀初頭にかけて
イギリス,フランス両植民地主義勢力対立のはざまにありながら,強力な
指導性を発揮して〈チャクリ改革〉と呼ばれる国内統治組織の近代化を達成し,
タイの独立を全うした名君として知られる。1868年に15歳で父王モンクット
の後を継いだが,摂政統治の期間中にジャワ,シンガポール,インド,
ビルマを旅行し,植民地統治の実情視察を通じてヨーロッパ近代文明
の吸収に努めた。73年成年に達したチュラロンコンは漸進主義に基づいて
諸制度の改革に着手,92年には王弟を中核的閣僚に配した内閣の下に
近代的政府を発足させた。地方行政組織の整備を重視した王は,王弟
ダムロンを内相に起用し,中央集権的原理に基づく領域支配を可能とする
統治機構をつくり上げた。国家財政,法律,徴兵制,国民教育,郵便電信,
近代医療など近代国家の備えるべき諸制度の基礎は,すべてチュラロンコン
の42年に及ぶ治世に形成されたといってよく,タイ国最大の総合大学
(1917創立)も彼の名を冠している。近代化政策の推進にあたっては積極的
に外国人専門家を雇用したが,求人先を分散させ特定国の影響の過大化
防止をはかった。日本からは政尾藤吉が招聘(しようへい)され,刑法起草
に参画している。
644 :
日本@名無史さん:03/05/13 09:33
>>638 >タイってざくざく領土削られて植民地になってるよ。
>北海海、九州、四国、島々切り取られた状態で
>対外進出(侵略)せずに独立(わらい)を保って意味あんの?
>北海海、九州、四国、島々の人々に対して恥を知れよ。
タイが割譲した、マレーの一部とラオスの部分は、タイが18世紀に
侵略した部分。カンボジア西部は19世紀にタイが侵略した部分。
北海道四国九州とはちょっと違う。
例えるなら、朝鮮・満州を切って戦争を回避し独立を守ったって感じ。
646 :
日本@名無史さん:03/05/13 23:55
>>645 タイの周辺国はどういう因縁をつけられ、いつごろ植民地になっていった
か。
>例えるなら、朝鮮・満州を切って戦争を回避し独立を守ったって感じ。
って感じで信用できる相手だったと思うのか?
その辺教えてくれよ。
ビルマ、カンボジア、ベトナムの歴史を調べればわかるでしょ。
19世紀の英仏は、露骨な領土拡張主義。
タイと日本は、列強のパワーバランスと外交で切り抜けた。
その後の生きる方策はちがくなったけれど。
ただ、言えるのは、タイが割譲した地域は、四国・九州のような長く本国で
面積%も大きいものではなく、18・19世紀にゲットした部分だと言うこと。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
649 :
心と心のふれあいを大事にしたい関西人:03/05/24 21:28
世界史の中で激しく上下した日本と、地道にこつこつとやってきたタイ。
どっちの国民が幸せなんだろうなー。
650 :
日本@名無史さん:03/05/24 21:32
終戦直後まではタイの方が幸せ。
高度成長以降は日本の方が幸せ。
651 :
日本@名無史さん:03/05/24 21:49
攘夷運動と尊王攘夷に関して教えてください
652 :
兵は関東人:03/05/24 22:44
>649
おいおいタイの貧乏さ悲惨さを知ってるのか?
無知なままタイを持ち上げるなよ。
名前を『無知無知な関西人』に改めたほうがいい。
653 :
日本@名無史さん:03/05/24 22:48
タイに行ってきたけど日本の方がいいと思ったよ。
川で排泄したり、食器洗ってるんだよ。
お寺しかないし・・・旧日本軍のろう人形かんとか
あって、残虐こういをしたとか書いてるし・・・
唯一の同盟国だったのに。
654 :
日本@名無史さん:03/05/24 23:25
>>1 マジか? 明治維新をやったから。近代化を国を挙げてやったから。
日清戦争も最初は勝てるか?だったし。日露戦争は文字通り「皇国の興廃」を賭け、亡国の恐怖との戦いだった。
今の日本は、改革マインドを失ってて危ないゾ。
655 :
日本@名無史さん:03/05/24 23:54
まあ、戦前は日本も貧乏だったから、
>>650が妥当だな。
無謀な戦争のあげく原爆落とされる方が悲惨だ。
>655
日本の場合、貧乏は戦争末期〜戦後しばらくのほうが酷い。
それ以前は当時としては真っ当な国民生活を送ることができた。
大きな視点から眺めれば、明治の『富国強兵』は機能していたと思う。
その日本を欧米との駆け引きにうまく利用したのがタイ。
国民生活レベルでは戦前も戦後も日本とタイの間にはかなりの落差がある。
そもそもタイに日本と同等の軍事力と産業があったのならば、武力でイギリスなどを
追っ払っていただろう。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>>658 >日本の場合、貧乏は戦争末期〜戦後しばらくのほうが酷い。
そうかもね。「軍国主義」のレッテル貼られた戦中の軍事費よりも
GHQや米兵に対する費用のほうが多かったというから。
戦争終わって逆に軍事費が増えたという矛盾
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
戦前日本はナチスドイツ軍を受け入れていたから
普通の植民地と違い、既に存在する上意下達社会の上だけすげ替えられた。
661 :
日本@名無史さん:03/06/29 23:53
age
662 :
世界@名無史さん:03/06/30 00:05
馬鹿だから。
別にどうでもよかったんじゃない?僕は日本人だが日本が優れ
てたとかそういう詭弁を並べ立てて自画自賛するネット右翼にはうんざりする。
たいしたことない国にすぎないのに・・・
664 :
日本@名無史さん:03/06/30 14:34
>>663 日本人を語るなんてさすがだな、朝鮮人。
そのたいしたことの無い国に
お前の祖国はかつて併合されたんだが。
しかもお前の祖国の強い哀願によって。
当時(日露戦争後)海外で日本人を名乗れば一流国の待遇を受けれたので、
お前の爺さんたちはこぞって「日本人」を名乗ったのを知らないのか?
明治維新により独立を保ち近代化を果たした日本はやがてアメリカに負けるが、
広大な太平洋を挟み大艦隊を用いて、国力に10倍もの差があるアメリカを相手に
4年ほど戦えたのは世界史上「日本」のみだ。
5流国の朝鮮人が日本を卑下するなど勘違いも甚だしい。
>663
明治時代は優れてたと思うがな。
西洋思想を漢字に置き換えられる人材が官民にいたってのが凄い。
今は官民ともにバカばかりだから、カタカナ言葉をそのまま使ったり強引に感じにして意味不明になったりしてるけどね。
今でも、>663 が大好きな中韓も明治時代に日本人の造った漢字を使ってる。
666 :
日本@名無史さん:03/06/30 14:59
>>663 どうでもいいのなら、日本国籍捨ててどこかへ行けや。
日本に愛着も何も感じず、それどころか、変な電波飛ばすなら
君は害しかない存在。
よって北朝鮮こそが君の安住の地といえよう。
逝きたまえ。
>>663 http://that.2ch.net/test/read.cgi/gline/1054441162/ 詭弁のガイドラインを君におすすめする。
君の場合は4の主観で決め付けるだな。つまり君のほうが詭弁なんだよ。
理屈を示して弁論していくことを普通詭弁とはいわない。
確かにある特定の板だと日本マンセーがいきすぎている部分もある
まぁこれも常識範囲内なんだけどね。なんてたって身内びいきはどこの国もあたりまえ。
日本がたいしたことない国と位置づけしてしまうと、「たいしたことがある国」
はほんと極少数になってしまうよ。文句をいいたいなら理屈をいいましょう
>>649 タイってこつこつってか全然変わらない国だよねw
昔から貧乏。
言うならば独立地獄。
生かさず殺さずって感じ。
イギリスにでも占領されたらもしかしたら香港とかみたいに発展できてたかも。
生きてるのが(主権持ってるのが)幸せとは限らないっていう典型的な国のような感じがするw
ハワイに住んでる人だってアジアとかの貧乏国家みたいになってまで独立した状態でいるのならアメリカに併合されててラッキーってのが本音だろ。
フィリピンだってたぶんそうでしょ。
独立してる=植民地よりは裕福と思ったら大間違いだよ。
アフリカなんて植民地の時のほうが裕福だったって国がほとんどなんじゃなかったっけ?
669 :
日本@名無史さん:03/06/30 18:42
>>668 いや、タイは豊かな国だよ!!これは東南アジア全般に言えることだけど
本来なら生きていくのに困らない(それ以上)の食物生産がある。タイは植民地にはなって
いないけど、その他の東南アジア諸国は植民地後プランテーションなどのせいで
主食の様なものから商品作物(タバコ、ゴムetc詳しくは自分で調べてね!)などに転化させられたのが、
いまの貧乏状態の原因。タイはそういうことが無かったので、今でも見渡すかぎり
田圃なんてのは普通のこと!!
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(^^)
672 :
日本@名無史さん:03/08/10 13:00
軍事力の差だろう。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
674 :
日本@名無史さん:03/08/16 13:08
675 :
日本@名無史さん:03/08/17 20:20
アメリカやロシアそれでもって西欧がなぜ開国を迫ってはるばる日本を
目指したの。 当時 朝鮮も鎖国に近い政策とっていたのに、みなパス。
半島には関心なかったの?
676 :
日本@名無史さん:03/08/29 00:40
日本に来るまでに、疲れちゃったから
日本は僻地
西欧はオスマントルコや清などの大国との正面衝突は産業革命まで避けて、
専ら国家機構の存在しない「僻地」を植民地化して勢力を拡大していた。
ゴメン
何でタイは植民地にされなかったのか教えて?
681 :
日本@名無史さん:03/08/30 12:00
>>680 外交力!第二次世界大戦後期の外交をみれば見事というしかないでしょ。
682 :
日本@名無史さん:03/08/31 01:29
武士道があったから。
684 :
日本@名無史さん:03/08/31 11:01
薩英戦争で薩摩たった一藩で英国相手に勝利したから
列強は日本は「手ごわい」と思ったから手を出さなかった
685 :
日本@名無史さん:03/08/31 11:42
歴史を偽造してはいけない。
薩摩は英国に負けたんだよ。
負けて下僕になったの。
686 :
日本@名無史さん:03/08/31 12:04
このスレ見てると
「日の本の臣民で良かったな」と思います
age
687 :
日本@名無史さん:03/08/31 12:37
国が滅びる時ってのは多かれ少なかれ内紛で国がカタガタな状態の時。
国内勢力を上手く利用して切り崩すのには適さないスピードで日本国内が固まって
しまったからだと思うけど。
欧米各国が日本国内勢力をそれぞれ後押しして牽制し合ってる間に簡単に植民地に
できない体制と軍事力を持ってしまったって感じ。
建前でも天皇が居るから国内が早くまとまって植民地化を免れたと皇室好きの自分は
天皇に絡めて考えちゃうw
688 :
日本@名無史さん:03/08/31 12:40
なぜ植民地にならなかったかだ?
英国にそのつもりがなかったからだろ。
英国にそのつもりがないにもかかわらず
幕府は英国を失望させる愚行を繰り返すばかり。
攘夷派は自力で抑えられないわ、横浜鎖港をほざくわ
下関の開港に反対するわ、開国派の雄藩相手に内乱起こすわ
列強間のバランス無視してフランスとくっつくわ。
それでも英国が幕府の単独主権を承認しつづけたのは
恫喝して低関税を日本全体に飲ませる窓口として。
これが済んだらさっさと幕府見限って
薩長を利用して、日本のガン細胞を取り払った大手術
それが明治維新。
薩摩は英に負けたわけでもないし勝ったわけでもないだろ。
英は目的を達成できなかったし、薩摩は防衛ラインを守りきった。
690 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:05
普通に考えて別に極東にそれほど固執する
理由ないよな・・・インドと中国だけでも大変なのに。
691 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:21
>>689 しかし城下町大火事になったんだよね。
あと薩英”戦争”は大きく出すぎ。
692 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:39
下関を焼かせなかった高杉は結果的に
スゴイのかもしれん・・・。
693 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:57
下関戦争で高杉って何か活躍したのか?!
長州は一方的に四国連合軍に蹂躙されただけだろう?
694 :
日本@名無史さん:03/08/31 17:22
戦後交渉に引っ張り出されたんだよ。魔王のような格好って
評された大仰な服装で賠償金払わなきゃ下関市内をを砲撃する
って恫喝する列強連合艦隊相手になんだかんだいって丸め込んだ(?)
。結果的に下関は焼かれず、租借もされず..ちなみに賠償金は攘夷を
一応命じたことになってる江戸幕府が払うことになりました。
薩摩は鹿児島を砲撃で灰燼に帰したり生麦事件で賠償だの薩摩軍船を
拿捕だの・・収支で言えば大損害どころじゃないかも。そのまま捕虜
仕官は英国に。
695 :
日本@名無史さん:03/08/31 17:37
よくらからんな
>>693 死傷者は薩英戦争と同じく長州の方が少ない。
697 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:14
>>694 幕府もまさか攘夷を決行するバカ藩がいなかったと思っていたのに
長州は真性のバカだったことを知らなかった徳川慶喜のミスが招いた
戦争だよな
698 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:33
むかし、シャムで山田長政率いる日本武士団(とはいえないか・・)と
スペイン軍が衝突したことがあって勝利したよな。詳しくは忘れた・・。
もし日本がインカもしくは東南アジア並に軍事的に弱かったならば
下手すればインカのように200人程の軍勢に制圧されていたかもしれない。
日本の武具は当時海外にまで出回るほどの武器輸出国だったし、
そんな気も起きなかったのだろう。
幕末の薩英戦争もそうだが、日本人自身がそれとは意識せずに
日本の軍事力を見せびらかし、欧米の腰を引かせていることもあるな。
現代だって日本を通常兵器で侵攻できるのは米軍くらいで、その米軍だって
結構な損害が出るだろう。
>697
慶喜の御膝元で天狗党が慶喜の横浜鎖港を真に受けて挙兵しましたが何か?
700 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:49
慶喜の政治的かけひきを理解できずに攘夷決行した長州はDQNそのものw
701 :
日本@名無史さん:03/09/01 00:08
>>694 長州が砲撃したのは外国商船ばかり
たった一隻の戦艦ワイオミングに完敗した長州は口ばかりのヘタレ
703 :
日本@名無史さん:03/09/03 22:45
チョン州は情けないなあw
704 :
日本@名無史さん:03/09/10 20:05
商船にだけは砲撃できても戦艦には砲撃すらできないチョン州の情け無さには泣けるなw
水戸は役人が警備している公使館へ討ち逝った。
長州は無人の建築中の公使館に放火した。
706 :
日本@名無史さん:03/09/10 21:19
輸出産業を持っていたこと。
日朝貿易での中国産生糸貿易で巨額の銀が流出するのを防ぐために新井白石が
養蚕を奨励し、1750年ごろまでに自給できるようになったこと。
その生糸を輸出に振り向けられたこと。
朝鮮通信使が1760年代に実質終わってしまったのもそのせいだと思う。
707 :
日本@名無史さん:03/09/18 02:13
708 :
日本@名無史さん:03/09/25 21:45
チョソ臭人はたった1隻の戦艦に手も足も出ないで赤子の腕をひねるくらいに
簡単に敗北してしまったことを考えると
薩摩の強さはあの当時の日本の中では群を抜いているな
709 :
日本@名無史さん:03/09/25 21:56
下手に植民地なんかにしたら軍隊の駐留費なんかで大変
不平等条約結んで稼ぐほうがまし
列強同士の牽制もあったみたいだし
あと、中緯度で魅力なし(中国もあくまで半植民地状態)
逆に蝦夷あたりは中国交易用の海産物目当てにフランスが狙ってた
710 :
日本@名無史さん:03/09/25 22:10
711 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:19
チョソ臭は薩摩の助けが無ければ滅亡していたのは確実だし
薩摩のように西洋の軍艦とまともに戦えるわけないよな
713 :
日本@名無史さん:03/10/04 20:04
薩摩の援助がなければ滅亡してただろ?
戦艦一隻に完敗するヘタレチョソ臭じゃ一国で幕府を相手に戦えるわけない
チョソ臭は薩摩と竜馬に感謝すべき
714 :
日本@名無史さん:03/10/04 20:14
>>713 明治維新が成功できたのは、長州人の優れた才覚によるところが大きい。
715 :
日本@名無史さん:03/10/04 20:20
薩摩は体育会系
長州は文化系ってことか?
716 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:02
>715
うまいこと言うね。
どちらも一藩で当時の世界帝国達と
わたりあった英雄的地方だよ
>684
無理矢理船に乗り込んで示現流を喰らわせてやればもっとよかったのに。
719 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:53
日本が植民地になる危険性が高かったのは、
戦国時代と幕末のどちらでしょうか?
720 :
日本@名無史さん:03/10/05 03:18
>>719 幕末にきまってるよ。
っていうより、戦国時代の日本を負かすのは当時の欧州の国では無理。
721 :
日本@名無史さん:03/10/05 09:04
いや戦国時代に日本を狙っていたのは欧州というよりも
朝鮮だったらしいぞ
だから秀吉は関東を後回しにして九州征伐を優先させ平定したとかいう話
722 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:21
幕末でも植民地にするのは無理。
全国の兵力を合わせれば、かなりのもの。
723 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:31
>>722 全国の兵力はたいしたものだろうが
日本統一国家が存在していない幕藩体制では無意味な話だな
724 :
日本@名無史さん:03/10/05 12:57
戦国期に狡猾なイギリスにつけ込まれたとしたら、
ヤバカッタカモヨ!
725 :
日本@名無史さん:03/10/05 13:16
竜馬がイギリスとフランスが日本国内を
内戦状態→のっとりに持ち込もうとしているのを
察し、止めようとしてたらし。
でも、イギリスから大量に武器を購入し
後もどりできない薩摩に殺された?
726 :
日本@名無史さん:03/10/05 13:18
727 :
日本@名無史さん:03/10/05 19:40
薩摩長州は偉い
728 :
日本@名無史さん:03/10/05 20:04
秀吉が朝鮮を攻めた時の官軍が2000〜5000人くらいしか居なかったんじゃない?
とても日本をどうこうしようとしていた形跡はなさそうだが。
729 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:19
>>725 イギリスは本国の財政難で極東艦隊を大幅縮小しており、
中国のゴタゴタ処理で手一杯。
とても自力で日本を植民地化なんて無理。
フランスも本国の政争で極東の小島に関わる意欲も能力もなし。
植民地化の危機なんて存在しなかったんだよ。
ただイギリスは直接統治はしなかったけど、
薩長という傀儡を使って日本の国家転覆に関与したことは事実。
日本が植民地になる危険性が高かったのは間違いなく幕末だろうね。
730 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:33
確かに幕府がなにも考えずに、フランスから借金して、
危うく国が乗っ取られるとこだった。
幕府が滅ばなかったら、日本は占領されていたかもしれん。
731 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:50
フランス領の方がよかった。
732 :
ウマヤド王:03/10/06 01:11
イギリスはインド・中国という象を食べるのに精一杯でその脇にあるミミズにはたいして興味を感じなか
ったのでは?ロシアはナポレオンの遠征で乗り遅れた。アメリカはこんな力無し。どう?
733 :
日本@名無史さん:03/10/06 01:37
734 :
日本@名無史さん:03/10/06 01:45
735 :
日本@名無史さん:03/10/06 03:12
いやいや、戦国期の津軽に宣教師が来たとしたら、どうであろうか?
西日本に比べたら、大きな戦国大名もいない。
また、戸来村にはキリストの墓伝説もあることだし、布教は容易だったかもしれない。
また、倭人に搾取されつつあったアイヌ人にキリスト教が広まる可能性もある。
事実、幕末期にはロシア正教の洗礼を受けたアイヌ人も多かったらしい。
津軽に宣教師が来なくて良かったですね。
しかし、来たとしても、津軽弁の壁をやぶれなかったかもね。
736 :
日本@名無史さん:03/10/06 03:26
ごめん
>>735 津軽に宣教師が来ても頑迷固陋、閉鎖的な津軽人が受け入れられるはずが無い。
言っている事を理解するどころか同じ人間として扱ってくれるかさえ怪しい。
津軽人=南洋やアフリカの人食い人種以下の存在。
739 :
日本@名無史さん:03/10/13 16:37
津軽って青森だよ。三沢ですな
740 :
日本@名無史さん:03/10/13 20:03
419 :日本@名無史さん :03/04/02 23:03
>【なぜ】日本は西欧列強の植民地にならなかったの?
一言で言えば日本を植民地化するのは不可能だったからです。植民地化
するには最終的には陸戦兵力を送って陸上部隊により国内要地を制圧す
ることが必要です。
当時日本の軍事力は海軍力こそ貧弱だったものの陸戦能力は幕府諸藩
合わせて30万人。アヘン戦争当時のイギリス軍総兵力は5千人前後、
アロー戦争時は英仏合わせて1万人前後。これ以上の兵力を送り込む
ことは当時の艦船能力からいって不可能です。
さらに中国や朝鮮が朱子学と儒教の影響から武を卑しめ文官統治
を行っていたため士気は低く兵は弱兵であったのと異なり、
日本は士族階級が存在し武術も盛んでした。
420 :日本@名無史さん :03/04/02 23:03
徳川家康は極めて賢明な人で九州に大大名を多くおいたのは薩摩対策
のほかに当時フィリピンを領有したスペイン対策のためともいえそうです。
もし仮に列強が玄関港長崎に上陸したとしましょう。
英仏両軍1万人とします 。長崎を隔年警護していたのは肥前佐賀藩です。
佐賀藩は戦国時九州の3分の1を領有した関係から兵は多く最大動員
能力は3万人近いと思われます(島原の乱参照)。さらに隣国筑前肥後
の援兵を合わせれば5万人前後で英仏軍に対することになります。
勝敗は明らかでしょう。もし鹿児島に上陸したとしても薩摩藩77万石
一手で十分勝ちうると思われます。西南の役のような激戦が南九州の
地で展開されることを考えれば列強による侵略は不可能だとわかるでしょう。
当時の日本は清国や他のアジア諸国とは異質だったのです。
>730
同じことなら薩長にも言えますが。
「日本人は全滅する位徹底的に戦う国だ、何万人つぎこんでも支配は出来ないだろう」
アメリカ公使
関係ないが如何してこんな発言をしたんでしょうか。
743 :
日本@名無史さん:03/11/23 05:23
i
744 :
日本@名無史さん:03/11/24 10:51
インドとか中国の方が先だろ。どう考えても。
インドも中国も地図上はでかいくせに、撃退しようという能力もなければ、
そのための組織運営もできなかった。ましてや近代産業を興そうなどという
発想はごく一部の上層部にしか思い浮かばなかった。
東南アジアは言うに及ばず、支配されるのが当たり前、のような顔をして
数百年も時が過ぎていた。
>421
あれは小西や有馬の遺臣が統率してたからだと思います、
キリスト教があったにせよ農民だけだったらあんなに長引かなかった
でしょう、幕府も板倉勝重を送り込んだミスもありましたが、これに
つきましては松平信綱の計算があったと思うのですが。
747 :
ムガール女真:03/12/11 11:32
インドも中国も異民族に支配されてて
支配者と民衆民族が一致してないところが
あったんだよ。マハラジャとか今でもいるし。
支配者にとっては、支配者の既得権益さえ
保全してくれればって話。幕府が続いて
たら徳川家の護持の為にひどいことになって
たかもしれない。北朝鮮とかも
そんな感じだよね。
749 :
日本@名無史さん:04/01/11 11:05
殖民地政策の終焉とちょうど当たってたから。
西欧白人による世界の席巻は大航海時代に始まり、いまだ継続しているわけで。
20世紀前半の日本の抵抗は、日本の従属。中国の自立回復。第三世界の名義的独立という結果をもたらした。
20世紀後半から現在にかけ、東南アジアは通貨危機に沈み、イスラム世界は闘争に敗北しつつある。日本もまた従属を強めつつある。
そして中国は存在感を増しつつも、白人との「最後の対決」に近づきつつある。
21世紀。米中の最終戦争が、非白人世界の完全な沈黙をもたらすだろう。
戦争で荒廃しつくした地球のわずかな恵みを白人のみが享受する最後の時代が訪れるのだ。
751 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:36
752 :
日本@名無史さん:04/01/16 10:13
>>750 今がいいから先もいい、という風に必ずしも奈良に、というのは、歴史が証明しているよ。
753 :
日本@名無史さん:04/01/16 10:13
>>752 すまそ、
>奈良に は ならない のミスタイプです。
754 :
日本@名無史さん:04/01/16 11:02
西日本の優秀な遺伝子が日本を動かしていたから。
>>750 >戦争で荒廃しつくした地球のわずかな恵みを白人のみが享受する最後の時代が訪れるのだ。
アホ言え。白人は少子化で終わりなのよ。多産のイスラムの勝利は近いよ。
>>738 ナニャドヤラを知ってるかい
日本にキリストとその弟の墓があるとかいってるのって
青森ぐらいじゃないの?
九州ですらそんな伝説あるか?
757 :
日本@名無史さん:04/01/17 10:43
ムシカ
758 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:20
天皇陛下のお陰
759 :
日本@名無史さん:04/01/30 17:36
>>1 糞以下のゴミ国家で、どこの国も関心を持たなかった。
やっぱ当時は貧乏で山だけの島国だと看做されていたんでしょう。
事実そうだったし。
761 :
日本@名無史さん:04/01/31 02:14
>760
もっと危険 ソマリアみたいなモンでしょ
762 :
日本@名無史さん:04/01/31 02:55
既出だろうが、武家時代が長く続いた「尚武」の国だから。
763 :
日本@名無史さん:04/01/31 07:51
薩長土肥・明治新政府(=後の大日本帝国≒現政府)は何をもたらしたか。
・敗戦により、異国に占領される。
・敗戦により、アメリカ軍の基地が日本本土に租借・建設され、日本はアメリカの半植民地となる。
・敗戦後つくられた新憲法は、連合軍総司令部(GHQ)の民生局の職員が1週間で、にわかに、つくった、まがいものとなった。
日本国憲法の原文は英文でMade in USA。
・敗戦により、国軍が持てなくなる。
・太平洋戦争末期、アメリカ兵・ソ連兵に、下は女学生から、上は主婦まで、レイプされまくって、多数の混血児が生まれた。
・戦災により、歴史的文化財が数多く破壊。
・敗戦により異国の属国となり、祖先を敬わない若者が急増。
・あわや天皇が戦犯として処刑される事態に。
・処刑は免れたが、今でも欧米ではヒトラー・ムッソリーニ・ヒロヒトは3大汚物、人類の敵。
・朝鮮を併合してしまい、朝鮮人が大量に本土に流れ込む。
・朝鮮と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
・中国と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
・敗戦により建国された北朝鮮が、日本人拉致事件を起こす。
・肥前佐賀藩出身・大隈重信によってつくられた早稲田大学のサークルが、性犯罪史上最悪の連続集団強姦事件を起こした。
よって諸悪の根源は薩摩・長州・土佐・肥前佐賀の存在そのものに起因し、
薩長土肥人が何かやると日本にとって、ろくな結果にならないということになる。
764 :
日本@名無史さん:04/01/31 08:49
>>760 >やっぱ当時は貧乏で山だけの島国
ん?
日本に来た西洋人はみな褒めてますよ?
765 :
日本@名無史さん:04/01/31 08:53
とりあえず人口はやたらと多い国だよな。
767 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:46
間違いなくアメリカのフロンティアに組み込まれる筈だったが、
フィリピンの方が簡単に手に入りそうだからそっちにアメリカのフロンティアが移動した。
それがよかったに。
768 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:36
769 :
日本@名無史さん:04/01/31 17:21
>>755 現実には資本格差はどんどん広がっているがね。
770 :
日本@名無史さん:04/01/31 17:28
武士道はエライ。
公家社会が続いてたら日本は間違いなく朝鮮みたいな三流国になってた。
771 :
日本@名無史さん:04/01/31 17:47
現在、日本が五流国である現実を見るにつけ、
公家社会が継続していればと思うのであります。
772 :
日本@名無史さん:04/01/31 17:56
いまは田舎の百姓と土建屋の社会
773 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:09
田舎の土建屋と百姓は殆んど旧家だろ、都会の土建屋は怪しいが。
ゼネコンは旧士族が多いし。
役人や大企業に河原者や町人が増えたのが日本が荒れた原因だろ。
774 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:18
士族オタ、必死だなw
775 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:35
河原者ヲタ必死ですなw
776 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:40
>役人や大企業に河原者や町人が増えたのが日本が荒れた原因だろ。
やはり薩長が諸悪の根元。
777 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:41
薩長罵倒ヲタ必死だなw
778 :
日本@名無史さん:04/01/31 18:42
おまいら、みんな必死すぎw
779 :
日本@名無史さん:04/02/01 10:45
近代化は、新政府のおかげなんだけどね。
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ドキ( ・∀・ )ドキ(・∀・ )
( ∪ ∪ .(∪ ∪ ) ∪ ∪ )
と__)__∧__∧ __人___)∧__∧(___つ
( ;) ドキ (,, ; ) ドキ
/ ヽ ⊂ ヾ
.と_と__) .(゙ ,,,)
>>779 近代化は、みんな幕府が既に着手してたんだけどね。
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ドキ( ・∀・ )ドキ(・∀・ )
( ∪ ∪ .(∪ ∪ ) ∪ ∪ )
と__)__∧__∧ __人___)∧__∧(___つ
( ;) ドキ (,, ; ) ドキ
/ ヽ ⊂ ヾ
.と_と__) .(゙ ,,,)
>>764 それは承知していますが、江戸後期からの写真を見ていくと、外国人に比して
日本人がやけに小さすぎると感じます。礼儀正しく、教養があったのは確かでしょうが、
動物性タンパクをあまり摂っていないためか、貧乏に見えてしまうのです。
782 :
日本@名無史さん:04/02/06 11:02
_
, ´/, '^^ヾ
卯ミ!|リノ)))リ
.lヾゝ゚ ー゚ノリ ホウ
`゙(iつf⊃
く/_|〉
!_ハ_)
783 :
日本@名無史さん:04/02/08 20:55
ここまで読んで、みなさんの様々な異論、卓見、とても面白く、勉強になった。
浅学非才な俺の感想は、やっぱり戦国時代から生きるだの死ぬだのなにもせず200年間も
考えつづけてきた武士という、ある意味キチガイ集団がいたんじゃ征服はできないよなあーというものです。
みなさんのレスを読んでると列強は植民地化のアプローチは試みていますがみんな武士どもがはばんでますもんね。
誇りをもって生きることは平時はシンドイですが難所、切所では我が身を助けますね。
それにつけても西洋人はヤクザなみのあくどさですね。
他人を恫喝して家のひさしを自由に使えるようにして、
後でその家の子がひさしにあるものをいじっただの難癖つけて母屋のっとるやり方ですね。
白人たちを人類に対する人道、道義上の罪ということで国際法廷に訴えたいですね(冗談
784 :
日本@名無史さん:04/02/09 00:43
>>56 ハリスやチェンバレンがみたのは日本の特殊な地域だったのでは?
いまの団地とかに案内してたら日本なんか殲滅すべしと思ったかもよ。
自分から植民地志願したんです
植民地化するコストとその後に得られる利益を総合して考えると
マイナスになると予想したからに過ぎない。
タイも同様。
787 :
日本@名無史さん:04/02/17 14:03
思いっきり辺境でしたから。ドイツ公使なんか別の国の人に
委託ですよ。やる気になってたのは、仏ぐらい。でも晋仏戦争で
大敗したり皇帝が失脚したりしてとてもそれどころでは・・・
英国は仏国が調子にのらない程度に。アメリカは南北戦争だし
ロシアはクリミア戦争。どこも介入なんてする気ゼロでしょ。
>>784 当時は西欧の農民や労働者の生活の方が日本の農民より過酷だったのかもしれない。
資源の無い日本が有色人種国家では圧倒的になり資源が豊富だった中印がど貧乏とは皮肉なものだね。
資源なんて長期的に考えれば無いほうがいいのかな?
790 :
日本@名無史さん:04/02/18 16:25
極東で本気だったのはロシアと後の日本だけ。
>>1 それはな、日本は実力的に植民地側ではなく列強側だったからだ。
ロシアとタイマンやって勝つような国を、当時どこの国が植民地にできたよ。
793 :
日本@名無史さん:04/02/20 15:01
なかなか良スレage
794 :
日本@名無史さん:04/02/20 16:13
ロシアはアホみたいに兵員を無駄に消耗してるよ。
どこと戦ってもあんな感じ。そりゃ革命おこすわ。
経済大国が,自由貿易を主張するのは,いつの時代でも当然だね.
イギリスは自国の商品の力に自信をもってゐたから,自由貿易が成立しさへすれば
武力を動員しなくても市場を支配できると考へてゐたのだよ.
s/武力動員がコストがかかる/武力動員はコストがかかる;
>>789 あなたの直感は,ただしい.
自由貿易体制のもとでは,資源の初期賦存状態が産業構造を決定する.
天然資源が豊富な国では,天然資源集約産業への特化が生じそれ以外の産業が衰退する(リプチンスキーの定理)ため,
技術集約産業や人的資源集約産業の発展が遅れる.
天延資源の豊富な国ほど貧困からの脱出は難しいのは,パラドクスでもなんでもなく,ごくごく自然の理なのです.
アメリカは?
799 :
日本@名無史さん:04/02/28 21:19
801 :
日本@名無史さん:04/02/28 21:46
【なぜ】日本は西欧列強の植民地にならなかったの?
ながらく鎖国やってて、開国直後急ピッチで軍隊の近代化を成したから。
あと、列強の気をそらす事件とかあったから。
アメリカは天然資源豊富だな
mL( ^∇^ )グッチャー!
804 :
日本@名無史さん:04/03/21 07:34
ドラッカーの本を読もう。なぜ明治維新が成功したか。目から鱗が落ちる。
>>1よ理由はどうあれ自分らが白人共に家畜扱いを受けなくて済んだことを先祖に感謝しとけよ
806 :
日本@名無史さん:04/03/21 09:42
>>789 日本が資源の乏しい小国とい概念自体が間違い。
まず日本の領土は意外と広い、
もちろん、アメリカやロシア、中国、インド、ブラジルといった広大な国とは比べものにならないが、
そういう領土大国を除いた国の中ではかなり上位に属する広さだよ。
ヨーロッパで日本より広い国は数国程度。そして領海は西ヨーロッパの広さにも匹敵する。
資源もそれなりにいろいろ取れる。
というか江戸時代にオランダが日本から輸入した銅はヨーロッパで1.2を争う程のシェアがあった。
あと金や銀、鉄、石炭、硫黄なども結構、産出してるしね。
食料生産も本腰入れれば現代の日本人を養う事は可能と思われる。
少なくとも日本が「小国」なんてのはデタラメだな。
807 :
日本@名無史さん:04/03/21 09:49
小国観ってのは中国から見た日本観だからな
>1
西欧の植民地にはならなかったけど。
米国の植民地ですよね。w
809 :
日本@名無史さん:04/03/21 12:51
>領土大国を除いた国の中ではかなり上位に属する広さだよ
なんで「領土大国」を除くんですか?
>領海は西ヨーロッパの広さにも匹敵する。
なんで海域面積と陸地面積を比べてるんですか?
>金や銀、鉄、石炭、硫黄なども結構、産出してるしね。
金の年間生産量は約1000トン、うち国内鉱山からの分は3.8トン(3.8%)、推定埋蔵量ベースでの比率はもっと下がる。
鉄鉱石は100%輸入。
石炭の推定埋蔵量にいたっては11兆トン、うち日本は85億トン(0.1%未満)
すごい資源大国ぶりですね。
戦前くらいまでに出超になっていたのは「そんなに使わなかったから」ではないかと。
>食料生産も本腰入れれば現代の日本人を養う事は可能
自給率100%が「資源大国」の証明なんですか。
>>806 はとんだウソツキあんどシッタカ野郎だなw
>>809 日本が小国だとしよう。
ヨーロッパの大半の国も新興独立国家もみな小国だが、それでも満足か?
個人的には大国だの小国だのといった表現はどうでもいいんだが、
人によってはまるで日本が世界最小のチンケな国であるかのような言い方をするから
さすがにそれは認識違いではないの?と言いたい。
>>811 アホかおまえは。
>>809どこに「世界最小のチンケな国であるかのような言い方」をしてる部分があるんだよ。
おまえの脳内では「日本は資源大国でない」=「世界最小のチンケな国」、か。おめでてーな。
811はどうでもいいとかいいつつめちゃくちゃこだわってるよな
カッコワル
814 :
日本@名無史さん:04/03/21 13:09
やめろ
815 :
日本@名無史さん:04/03/21 13:16
頭の弱いレスする奴は叩かれる。どこでも同じ
816 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:08
明治維新の時近隣他国は清を始めみな
欧米列強の植民地化されていた、当然未開拓の日本も
彼らのターゲットだった、幕府側、倒幕側に分かれた英仏
そして米、すべて日本を吾配下に置くべく虎視眈々と機をうかがっていた
その機とは、それは、天皇をめぐり幕府と倒幕派が内戦を起こし
日本の国力が低下した時、大義名分を持ち参戦しようとしていた
それが出来なかったのはすべて、江戸城無血開城のせい
内戦が起こらなかったからこそ、内戦に乗じて植民地化を
画策した欧米列強も大義名分無く手を出せなかったのが真相
明治維新が流血革命になっていたら、いまごろ君は日本語より
英語かフランス語のほうが楽に喋れたはずだよ
どっちがよかったのかはわかりません
>>812 興奮すんな。
別におまえを指して言ってるわけじゃないから安心しろ。
自意識過剰だ。
818 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:21
江戸末期に結んだ通商条約などを見ると、狙われていたのは事実だよな。
819 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:21
>>816 >明治維新の時近隣他国は清を始めみな欧米列強の植民地化されていた
明治維新(1868年)時点の清をのぞく近隣他国の状況
ロシア(列強)、朝鮮(清の属国)、フィリピン(スペインの植民地)、ハワイ(独立)
台湾(清の領土)、琉球(旧薩摩藩の属国、日本領として確定せず)
欧米列強の植民地になっているのはフィリピンだけ。
>>817 おれのことを指摘されてるなんて一言も言ってないよ。妄想君w
>>816 句読点をちゃんと使えるようになってから書き込めよ。低脳。
824 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:31
>>819 くわえて清もアヘン戦争に負けて開港のレベルだしなあ。
日清戦争敗北後にならないと半植民地化までいかないししなあ。
ようするに
>>816は感覚でものを言うだけの馬鹿だっことだねw
19世紀のスペインは「列強」とはいえない。
したがって、当時の日本の近隣諸国で「欧米列強の植民地」は皆無だったといってよい。
というわけで816が無知まるだしってのに同意。
826 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:36
私の考えでは、西洋列強諸国は日本や中国(清)は植民地政策は不可能だと考えていた節がある。
それ故に、あの当時は条約のみの締結で満足したんじゃない。
ただ清が日本に負けて状況が変化したと思う。
犬と中国人入るべからず。
828 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:43
300年前にフィリピンがスペインの植民地になったことに危機を抱いた日本!
戊辰戦争のような内戦を起こして列強に漬け込まれることも無く独立を維持したのでした。
めでたしめでたしw
830 :
日本@名無史さん:04/03/21 14:48
>>829 近隣というからには隣り合っていないとなw
832 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:12
>>831 例えば東南アジアを入れても明治維新の時点で具体的に植民地化の真っ最中ってところはほとんどないよ。
ずっと以前から植民地化されたところか、維新後の時代に攻略されているところがほとんど。
なぜに植民地化の『最中』であることにこだわるのか?
被植民地一筋数百年といった国も日本にとって不利になることこそあれ
有利になることはない・・。
834 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:20
>>833 16世紀に植民地化されている事実に
19世紀の日本人が危機感を覚えるというのは不自然です。
家老「欧米列強が近隣諸国を侵略しています。わが国も危機感をもたねば」
との「そうか、具体的にはどこだ?」
家老「マレーです。琉球、ルソンを越えてさらに南です」
との「ふーん…で、いつの話じゃ?」
家老「今から300年ほど前になりますか」
との「…もういい、おまえクビな」
835 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:22
どちらにしても植民地化される可能性と危険性はあったろう
それを上手く回避できたことが歴史的事実として重要な点だ
植民地化の前後は枝葉末節
木を見て森を見ずの典型的近視眼だな
836 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:25
>>835 もちろん、一連の流れは単に816の論法の不備を指摘してるだけですから。
>どちらにしても植民地化される可能性と危険性はあったろう
前提としてあげた条件が誤っているので少なくとも
>>816に関してはこれはいえないね。
で、戊辰戦争は内戦じゃないのかい?
はやく答えなよ
>>816
>>834 何から説明したら良いのか分からないが・・・・
『黒船』に対する危機感というのは、実は結構以前からあったのだよ。
840 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:29
下関が東洋のホンコンになれば面白かったのに・・・
>>839 「黒船に対する危機感」を否定している文章はここ50レスの中で皆無ですが。
>>840 ホンコンはもともと東洋…ってこの流れどっかで見たな。
>>840 どこかで見たレスだ。
そして俺が答えた記憶がある。
本物のホンコンも東洋なのでその表現はおかしいよ。
844 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:31
ま、大正力をA級戦犯容疑者扱いされた
読売は
あおっているけど平静。
845 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:34
木を見て森を見ずの典型的近視眼だな
>>841 834の文だけに対するレスだと思ってくだされ。
歴史的な現象は切断されているわけではないということです。
木が一本も無いのにそこは森だと言うことはできないわけで。
849 :
日本@名無史さん:04/03/21 15:56
木を見て森を見ずの典型的近視眼だな
>>834と
>>819を総合すると・・・
ホント(?)の近隣諸国は植民地になっていないが、東南アジアは
16世紀から植民地だった。
19世紀前後に黒船が日本近海に姿をみせるようになり、そしてアヘン戦争。
日本人は危機感を感じた。
で、いいですか?
なんで
>>816みたいなみたままバカまるだしのレスにそんなにこだわってるのかがわからん。
で、戊辰戦争は内戦じゃないんですね?
そうなんですね。
>>853 ええ、そうです。もちろん長州討伐も西南戦争も内戦ではありません。
もちろん英仏は虎視眈々と口実をつける機会をうかがっていましたが
馬関戦争や薩英戦争のような事態はおこりませんでした。
>>852 同意。みんな、なぜ816にこだわっているの?
856 :
日本@名無史さん:04/03/21 16:08
頭の弱いレスする奴は叩かれる。どこでも同じ
857 :
日本@名無史さん:04/03/21 16:09
経済的な植民地化としてみると中国も日本も国内の金や銀の流出が続いているうちは植民地化しないのでは?
歯止めがきかなかった場合のその後が問題だが。
>>858 もうちょっと推敲してから書き込んでね。
>811
ヨーロッパはインドとか中国とかと一緒で
ひとつの地域だろ。
小国一つ一つがインドの州一つ一つに等しい。
州によって言葉が違ったり民族が違う。
ただその中で何とかひとつの世界を作っている。
日本はというとヨーロッパで言うとトルコみたいな位置だね。
トルコってヨーロッパそれともイスラム?見たいな感じ。
日本もいったいどこに所属しているのか不明。やはり
トルコに近い。
中国が日本嫌いなのも分からなくはない。
だって日本が日清戦争に勝ったから
ハイエナ(列強)を引き連れてきちゃったわけだろ。
中国人にしては日本なんか西洋かぶれの裏切り者
ぐらいにしか見えないのでしょう。
その後案の定、泥沼の日中戦争やっちゃったしね。
ただ日中戦争が中国を完全に目覚めさせてしまった原因だろうね。
根本的な問題に戻りますが。
1945年以降は植民地ではないのですか?
863 :
日本@名無史さん:04/03/21 20:34
>>855 歴史ヲタには、地味でひとつのことに固執するタイプの奴が多いんでしょう
816のように大局観から物事の本質をつかんで分析するという理数系タイプの
抽象化、理論化が苦手な人が多いんで琴線に触れるんじゃないかな
>>863 >>816が物事の本質をつかんでいるようにみえるとしたら
君は病院に行ったほうがいいと思うよ。
866 :
日本@名無史さん:04/03/21 20:44
>大局観から物事の本質をつかんで分析するという理数系タイプの抽象化、理論化
なんだそれ(失笑
というか自分の知っている難しい言葉を頑張って並べたみたいなコメントは止めとけよ。
みてるこっちが恥ずかしくなる。
といいつつあげ。
>日本は西欧列強の植民地にならなかったの?
そこが浣腸とのちがうところ
そうですね。
今日、帝国主義に対して自立している中国や朝鮮に比べ
アメリカの植民地に堕している日本の現状は実に惨めで悲しいと思います。
869 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:03
>>863 大局的と大雑把は違うよw。
>>816は全然歴史を理解していないじゃん。
日本史の江戸幕府末という一部しか知識としてなさそうだし。
せめて世界史レベルで語らないとな。
新撰組はテロ、薩長もテロという理屈と同じ低レベルになるぞ。
>>870 何を言うんですか。愛する祖国を見捨てることなどできません。
日本が米国の植民地という境遇から脱し、中国、朝鮮の弟分として自立できるまで私はがんばります。
872 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:12
>>871 よく言った!
それでこそ日本男児の鑑!
中国、北朝鮮は西洋人に占領されてないだけまし。
かりに日本だけでなく中国も北朝鮮も
西洋人に占領されたらモンゴロイドなんか滅ぼされてるに違いない。
ううーん。志が高いんだか低いんだかw。
876 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:20
>西洋人に占領されたらモンゴロイドなんか滅ぼされてるに違いない。
日本と朝鮮は1945年に西洋人に占領されたはずですが。
もしかしてわれわれがいるのは死後の世界ですか?
877 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:27
>>816だって大雑把に見れば許容範囲だと思うよ。
内戦はあったし血も流れたけれど、中国大陸のように100年内乱の国だったら
収集つかないからね。
何度「〜革命」を銘打ったことか。そして何回潰れたことか。
彼らの民度にもかかわることだけど。
その程度で
>>816を許してやってくれ。
>>861のほうがずっと的外れだろ。
>876
はぁ?
誰も見てなければ西洋人はいくらでも悪事を働くって言いたいわけだよ。
いま朝鮮と日本のモンゴリアンを絶滅させようとしたら中国が過剰反応を
起こすのは必死だろ。
880 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:33
>>56はすばらしい。
それなのにロシアのような鬼畜国を
賛美してわが国を卑下しようとする
自虐馬鹿サヨが横行しているのは実
に嘆かわしい。
>471-472のバカチョンが普通にスルーされてるのにワラタ
882 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:36
>誰も見てなければ西洋人はいくらでも悪事を働くって言いたいわけだよ。
なら最初からそういえばいいじゃん。
>>873から君がホントはそう言いたいんだってことを読み取るのは超能力者でもムリだろうな。
883 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:36
>873 :日本@名無史さん :04/03/21 21:15
>かりに日本だけでなく中国も北朝鮮も西洋人に占領されたらモンゴロイドなんか滅ぼされてるに違いない。
>876 :日本@名無史さん :04/03/21 21:20
>日本と朝鮮は1945年に西洋人に占領されたはずですが。
>もしかしてわれわれがいるのは死後の世界ですか?
>879 :日本@名無史さん :04/03/21 21:31
>>876
>はぁ?
>誰も見てなければ西洋人はいくらでも悪事を働くって言いたいわけだよ。
アフォの逆ギレの好サンプルw
>>883 確かに絶滅はしていないが、あんな境遇にはなりたくないよ。
言葉尻を捉えるのもほどほどにしようじゃありませんか。
>>885 アイヌ人は和人の侵略によってひどい境遇に置かれ、
いまやアボリジニ以上に数が少なくなってますね。
白人のことをとやかく言えないね。
>>887 また阿呆が来た。
次から次へと世話のかかる・・・。
白人とアボリジニと日本人とアイヌが決定的に違うところは
日本人はアイヌ+和人の混血がほとんどだってことだ。
少なくとも2000年かけて少しづつ
どうかしていって日本人が誕生したんだ。
糞白人と一緒にするな。
>>888 いや、マジでわかんないっすよ。
どうしてこの流れで突然モンゴリアンが出てくるんですか?
教えて。
>>889 ウソつくなよ。和人とアイヌの混血が進んだのは近世以降だ。
892 :
日本@名無史さん:04/03/21 21:53
近世どころか縄文時代に既に大量混血してるんだよ。
ていうよりアイヌは日本人の起源の一つなんだよ。
なんでアイヌの話になってんだ?
アイヌの定義が人によりかなり違うことがあるから、まずそこから議論しろ。
でもここでやるな。
>>892 それは人種の話であって民族の話ではないよね。
近世にはいって厳然として和人と別に存在したアイヌを絶滅寸前までに追いやったのは歴史的事実。
白人に完全に滅亡させられたのはタスマニア人くらいだろ。
技術水準とか絶対数とか諸々の条件を考慮すれば
「西洋人に占領されたらモンゴロイドなんか滅ぼされてる」
とか言い切るのはあまりも拙劣。
>>895 確かにそうだが、論文じゃないのだからさ・・。
もう少し滑らかな会話ができないものか。
タスマニア人だって一応存在はしているんじゃなかったっけ?
一応はね・・。
897 :
日本@名無史さん:04/03/21 22:07
日米戦争敗戦により、日本はアメリカの半植民地・属国・軍事拠点となり、
現政府は、アメリカの傀儡政権・親米政権・売国奴政府。
これも全て、薩摩藩と長州藩が、徳川から政権を無理やり奪って、つくった明治帝国が、日米戦争をやったせい。
第十五代将軍・徳川慶喜が計画した、大君国家になっていれば、こんな事にはならなかったよ。
薩摩人と長州人は、永久に日本人に謝罪し続けろ。
>897
そこの会津だか新撰組だかのファン。
同じ文章をあちこちにコピペすんのやめろ。
ウゼー。
899 :
日本@名無史さん:04/03/21 22:13
木を見て森を見ずの典型的近視眼だな
900 :
日本@名無史さん:04/03/21 22:16
とりあえず下関が東洋のホンコンになってたら(ry
基礎的な陳述能力の無い奴が多すぎ。
「なぜ俺の言ってることがわからない〜」
って、小学生かおまえは。
903 :
日本@名無史さん:04/03/21 23:08
日本の世界での国土面積の順位が220ヶ国中61位なのに「小国」ってやっぱりおかしいよなあ。
日本はイギリスよりもドイツよりもイタリアよりもオランダよりも広大なんだけどね。
ついでに言うと排他的経済水域の順位にいたっては世界で6位なんだけどね。
61位なら偏差値で見ると大国に分類してもいいかもね。
どうだろう。その順位なら小国に分類されると思うけど。
領土大国:5〜10位くらいまで
その次:30位くらいまで
それ以下は面積的には群小国家、だな。
ロシア、中国、アメリカ、オーストラリア、が領土取りすぎ。
インドも広いね。
907 :
日本@名無史さん:04/03/22 06:16
日本は平和だなw
908 :
日本@名無史さん:04/03/22 08:14
欧州人の作った世界地図を見れば一目瞭然。日本が一番遠く彼方にある。
普通なら行きたがらないよ。
909 :
日本@名無史さん:04/03/22 19:08
>>905 「中程度」ならまだしも「小国」という表現が不思議なんだよ。
あとイギリス人は本州とほぼ同じの大きさのグレートブリテンを広大な島と表現してるが、
日本人は日本は狭いなんて言ってるね。
910 :
日本@名無史さん:04/03/22 19:14
>>906 日本は全土が温帯かそれに近い住みやすい使える土地ばかりだよ。
ロシアみたいに使えない土地ばかり広がってても管理費がかかるだけだ。
あと中国とインドは人口密度も日本なみに高いし、中国は西方に使えない土地もたくさんある。
オーストラリアは乾燥地帯が多いし、カナダはロシアと同じく寒すぎて使えない土地多すぎ。
そう考えると確かにアメリカは凄い。
ブラジルやインドネシアも良いが人類の生命線(酸素生産などで)とも言える原生林を無闇に破壊されては困る。
911 :
日本@名無史さん:04/03/22 19:16
広大な土地を持つ国こそ、無闇に人口を増やしたり森林を切り開いたりせず、
地球人類のための自然保護・環境管理をする責務があるんだろうね。
そうなると列島すみずみまでの土地開発を推進したり、
リゾート開発やら干拓とか河口堰などの土建屋のための自然破壊大規模工事、
狂乱地価やら土地成金の問題を持つ日本人なんかより、
ロシア人やオーストラリア移住者なんかの方が広大な土地管理者には適任のような気がする。
実際、皮肉なことに樺太・千島やシベリア、オーストラリア、カナダの自然は
彼らが領有してるからこそ守られてる部分があるんだよね。
913 :
日本@名無史さん:04/03/22 19:31
沿海州とかバハロフスク州、シベリアなんかも中国領や日本領ではなくロシア領だからこそ自然が残ってるのであって、
中国領なんかだったらたちまち人口密集地帯になって自然が破壊され公害が発生して、
日本には酸性雨の嵐が来るんじゃないだろうか?
そう考えると少なくともあこら辺がロシア領であることは日本人にとってはラッキーだよね。
>あとイギリス人は本州とほぼ同じの大きさのグレートブリテンを広大な島と表現してるが、
>日本人は日本は狭いなんて言ってるね。
イングランドはほとんど平野。日本は関東平野以外はほとんど山みたいなもん。
>910
ほとんど温帯だもんな。
アメリカは、中国人やインド人なら
20億人以上住めるんじゃないか。
917 :
日本@名無史さん:04/04/17 15:14
山ばっかだけどな。
918 :
日本@名無史さん:
>>912 ブラジルは世界の反対の声を無視して、どんどん山林を切り倒して
開発をしていますが、どうしますか?
やはり、イラクのように征伐しないといけませんか?