聖徳太子が仏教を進行してたのってなんで?

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1日本@名無史さん
なぜでしょうか教えてください!
2日本@名無史さん:02/08/28 16:20
聖徳太子はキリシタンだろ
3日本@名無史さん:02/08/28 16:23
いや。イスラムだ。
4日本@名無史さん:02/08/28 16:24
>>1よ。君は蘇我氏って聞いたことあるか。
5日本@名無史さん:02/08/28 16:30
小室哲哉が吉本興業に所属した理由と一緒だよ。
6日本@名無史さん:02/08/28 16:33
蘇我氏の功績を朝廷がパクッただけだよ
7日本@名無史さん:02/08/28 17:26
馬子=厩戸
8日本@名無史さん:02/09/11 15:42
>>1

×進行
○信仰
9日本@名無史さん:02/09/11 15:43
振興?
10ネタ:02/09/11 15:43
ロボット作る為だよ
11日本@名無史さん:02/09/11 15:46
聖徳太子はいなかった
12日本@名無史さん:02/09/11 19:03
大臣>>大王
13日本@名無史さん:02/09/22 01:37
仏教といっても、日本では、仏は八百万の神のうちの一つになってます。

また、聖徳太子は、仏教よりも重要視したことがあります。十七条憲法の順序。
14日本@名無史さん:02/10/01 15:38
                                 
15日本@名無史さん:02/10/01 16:46
仏教ではホモセクシャルがOKだからに決まってんじゃん。
16日本@名無史さん:02/10/01 16:53
( ´,_ゝ`)フーン。
17日本@名無史さん:02/10/13 01:50
仏教はたしか3番目じゃないっけ?
18日本@名無史さん:02/10/20 13:48
聖徳太子は豊受大神を祀っていました
http://www.interq.or.jp/sun/tobal/sintou.html
19日本@名無しさん:02/10/20 14:51
てか、聖徳太子自体、平安時代の創作。事跡とて、どれも本当にやったという
証拠なし。

「日出る処の天子・・・」 → 天皇に無断でそんな不遜な手紙出すかよ。へ
たすりゃ百済みたく滅ぼされるって。てか、遣隋使の記録自体ろくにないし。

十七条の憲法 → いつ公布されたわけ?証拠は?

法隆寺 → 材木や若草伽藍の分析から、よそから持ってこられた説あり。有
名な釈迦三尊像の後ろには、「法興三年」とか書いてあるし。それっていつよ?

教典の翻訳 → ほんまかいな。

七人の人の話を・・・ → ワラタ。てか、それも他の人の話か?

いずれにせよ、蘇我宗家の傀儡であることは間違いなく、仏教政策も蘇我氏の
政策というのが定説です。
20日本@名無史さん:02/10/20 18:48
18ですが、隋に手紙を出したのは倭国王・阿毎多利思北孤
(アマノタリシホ(ヒ)コ )です。聖徳太子の名前ではないし、蘇我氏で
もありません。阿毎→アマ アマ部→海部、やっぱ海部氏しかないでしょ
う。日本の記録にこの名前が全然出てこないというのもなにか裏があるから
だと思います。 
 
21日本@名無史さん:02/10/20 19:06
アマノタリシホ(ヒ)コは古代の天皇の称号です。
彦は男性を表す言葉です。
推古は女性なのでアマノタリシホ(ヒ)コ→アマノタリシヒメミコ
が正しい表記です。
アマノタリシホ(ヒ)コは読みのとうり天から降りてきた。
天孫降臨を表す意味なので、一概に海部氏と断定はできません。
>>20
22日本@名無史さん:02/10/20 19:16
20は典型的な馬鹿だな。海部氏って
23:02/10/20 21:16
聖徳太子は、倭国の王タリシホコのことでないの。新興国の日本国が名前を変えて
盗用したんでないの。法興三年は倭国の年号でないの。法隆寺は倭国の寺の材木を
運んで来たんでないの。
24日本@名無しさん:02/10/20 21:21
>18

すげえホムペだね。どういう素性のものかもよくわからん。ホームにも飛ばん
し。でも、いいとこどりばっかりの推測の仕方は、史学会の古代史オヤジと方法
論的には同じだけど。
25日本@名無史さん:02/10/20 21:34
>>23
聖徳太子は、倭国の王タリシホコであったなら推古天皇紀の
一部として聖徳太子を出現させる意味がありません。
推古天皇紀を外して聖徳天皇紀としていると思いませんか?
26日本@名無しさん:02/10/20 21:53
>25

だから、23の倭国とは、近畿ではないという意見であり。
27:02/10/20 22:17
>>26
御意。
中国の記録にタリシホコが登場する以上、ツジツマをあわせるために聖徳太子なる人物
を作り出しんでないの。時の日本国の大王が女だったので物語に工夫が必要だったんで
ないの。ホコはどう見ても男だかんね。でも、太子が日出る処の天子ではツジツマは合
わんわね。何でこんなヘタな工夫をしたのかね。
28日本@名無しさん:02/10/20 23:45
>27

まあ、厩戸王子らしいのが実在はした、ということで。で、その業績をふくらませたのが
ムリムリだったということで。
29日本@名無史さん:02/10/20 23:47
捏造したのはいつ?
30日本@名無しさん:02/10/21 00:16
>29

「聖徳太子」の神格化なら、平安時代と聞き及びまする。
31日本@名無史さん:02/10/21 01:04
>>30
聖徳太子の称号が日本書紀以降付けられた。しかし業績事態は、
変わっていない。ちなみに聖徳太子の正式名称はウマヤドノミコです。
>>26
日本国の称号を国際的に使い始めたのは、天智天皇時代です。
聖徳太子は、倭国の王タリシホコだったならば隋への国書に「日出国天子〜
という文面を使ったというのは矛盾しています。はっきり言って電波です。
32日本@名無史さん:02/10/21 03:30
意外に良スレへと展開しつつあるわけだが。
「進行」は
信仰なのか、振興なのかだけでもハキーリしてほすぃ。
33:02/10/21 21:06
ネットで旧唐書を見るとこんなんあるよ。ワシが抜粋。
倭国と日本国はチョッと違う感じだな。倭は仏教国みたいだし大昔から中国と交流があったみたい。
タリシホコは倭の王でないかな。倭王はずっと前から仏教大好きだったんだろうね。
日本国のウマヤドノミコは後代にタリシホコにすりかえられたっていうことなんでないの。

倭国の条
倭国は古の倭奴国なり。・・・・世ヽ中国と通ず。・・・・其の王、姓は阿毎氏なり。
・・・・すこぶる文字あり、俗、仏法を敬う。・・・・貞観五年、使を遣わして方物を献ず。
太宗その道の遠きを矜(あわれ)み、所司に勅して歳ごとに貢せしむるなし。

日本国の条
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。
あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。
その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず。故に中国
焉(こ)れを疑う。・・・・・
34日本@名無史さん:02/10/21 21:38
アマノタリシヒコは天皇の尊称でつまり倭王です。
ちなみに仏教が日本に伝来したのは欽明天皇時代です。
さらに、その時のも蘇我氏は仏教を進めていますし、
推古天皇時代も乙巳の乱に勝利をおさめた。蘇我氏によって
仏教は、流行していたはずです。
>倭国は古の倭奴国なり。日本国は倭国の別種なり
奴国は大和朝廷ではないでしょう。
35日本@名無史さん:02/10/21 21:50
天皇号・日本国号使用は、天武朝からです。木簡が出てます。

ウマヤドノオウは仏教のカルチャーショックを利用し、
蘇我勢力を伸ばし、アニミズム旧勢力を排斥しようとしたと思われ。
36日本@名無史さん:02/10/21 22:03
>>34
>アマノタリシヒコは天皇の尊称でつまり倭王です。

違いますよ。
37日本@名無史さん:02/10/21 22:15
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/shotoku/tennougou.htm
大丈夫そうなページです。参考にどうぞ。
「疑問の第一は、文中(薬師像銘)の天皇号である。天皇号の成
立については、かつては薬師像銘や天寿国繍帳銘などの法隆寺系史
料によって、推古朝に聖徳太子がはじめて使用したと考えられてい
たが、これらの史料自体の信憑性が問題なのだから根拠にはならな
い。今日では、中国で、唐の高宗の上元元年(六七四)に、君主
の称号が「皇帝」から「天皇」に代わったが、その情報が、天武
朝(六七二〜六八六)に日本に伝わり、持統三年(六八九)に編
纂された飛鳥浄御原令において正式に採用され、天武天皇に対し
て最初の「天皇」号が捧げられたというのが定説となっている。
38日本@名無史さん:02/10/21 22:16
>>36dou?
39日本@名無史さん:02/10/21 22:21
俺も詳細希望。
40:02/10/21 23:04
>>34 >>36
アマノタリシヒコは倭王の個人名(固有名詞)にしか見えんぜ。

>>34
倭国は古の倭奴国なり。
倭奴国は匈奴国のように、蔑んで「奴」という字を使ったとしか見えんぜ。
41日本@名無史さん:02/10/21 23:09
>>40
>アマノタリシヒコは倭王の個人名(固有名詞)にしか見えんぜ。
「天から垂れた人」
天孫降臨の意味です。
昭和天皇は今上天皇でヒロヒトとは使いません。今ちゃうけど。これと同じ。


42:02/10/21 23:25
隋書の問題の個所はこんな感じだよん。
「天から垂れた人」という意味はあるかもしらんが、ワシには個人名にしか見えんぞ。
だれの名前にもそれなりに意味はあろうね。
「今上天皇」は日本国内で国(臣)民が使う言葉で、直接名前を呼ぶのをハバカルためだね。
「昭和天皇」はオクリナ。ご本人の署名は「裕仁」。英文の場合の署名は「Hirohito」。

姓は阿毎、字は多利思北孤、・・・
大業三年、その王多利思北孤、使を遣わして朝貢す。使者いわく「聞く、海西の菩薩天子、
重ねて仏法を興す、と。故に、遣わして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来って仏法を学ぶ」と。
その国書にいわく「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」と。
帝、これを覧て悦ばず、鴻臚卿謂いて曰く、「蛮夷の書、無礼なる者あり、復た以て聞するなかれ」と。
43日本@名無史さん:02/10/21 23:34
>>41
今は平成の御世だから今上天皇とはいわない・・
タリシヒコとは足りヒコで満ち足りた人。権力や財力を持った人。
44:02/10/21 23:46
今、今上天皇といえば、本名は、継宮(つぐのみや)明仁(あきひと)だね。
日本人はハバカッて本名は使わないからみんな知らないよね。
だけど、対外的には当然本名の「明仁」だよ〜ん。

ところで、さっきから気になっているのだが、「北孤」は「ヒコ」と読めるのかえ。
45日本@名無史さん:02/10/21 23:55
「比孤」の誤写だろ

・・・と煽ってみる。アホが釣れるはず(w
46日本@名無しさん:02/10/22 01:12
>41

じゃあ、デビルマンのタレちゃんも天皇だな。(うっ、古っ)
47日本@名無史さん:02/10/22 03:13
>41
日出処の天子で天子って書いてあるじゃんよ。自分を天子っていってるん
だから、アマノタリシヒコは名前なんじゃないの?
48日本@名無史さん:02/10/22 08:41
>>42
中国側がそれを個人名と思ったというのは十分な根拠にならんのでは。
アメノタリシヒコという音(おん)に日本側でどういう意味をもたし
ていたのかを冷静に吟味する方が吉でしょ。
49日本@名無史さん:02/10/22 09:34
姓は阿毎、字は多利思北孤
と隋書に記載されているから固有名詞に思えるが、これは中国人の人名
に関する常識を強引にあてはめたに過ぎない。阿毎多利思北孤は当て字
なのでアメノタリシヒコという音(おん)を考えれば良いでしょう。
隋書では実名となっているが、これを鵜呑みにしてはいけない。最初から
間違った表記をしてるんだしね。
アメ・タラシというのは六・七世紀の大王のに諡号に使われている語彙です。
遣隋使はある大王の諡号を披露し、中国側は倭王の実名と誤記したと考え
られています。>>44きっと古代ならその傾向は強いはずです。
50日本@名無しさん:02/10/22 19:02
>アメ・タラシというのは六・七世紀の大王のに諡号に使われている語彙です。

そのまま答え。おくりなであって、その人の名前ではありません。いかなる時
代にも、いかなる国でも、自分の名前を聞かれて官位やその他の‘語彙’(??)
を言ってしまう人などいません。

まして相手は大中国。官位は自分の方が授ける物であって、名前は名前として
記録しています。(ほかの蛮夷の国も同じく)

間違えれば自分の首も飛ぶ中国の官吏、また国史の場合多くは単独ではなくチ
ームで編集しており、中国側の誤記をイージーに持ち出すことは厳に戒めたい
ところです。
51日本@名無史さん:02/10/22 19:44
>まして相手は大中国。官位は自分の方が授ける物であって、名前は名前として
記録しています。(ほかの蛮夷の国も同じく)
日本は隋の時代は対等な外交を望んでいます。他周辺諸国とは異なる外交をして
います。
>>44きっと古代ならその傾向は強いはずです。
だいたい遣隋使事態が大王の名前を知っていたのかも疑問です。
さらに、知っていたとしても言わなかったというのも考えられます。
>姓は阿毎、字は多利思北孤
この表記はすでに間違っています。首をはねたほうが(・∀・)イイネ
52日本@名無史さん:02/10/22 19:49
実際にはねられているのかも知れませんよ。我々が資料に行き当たって
ないだけかも。(w
53日本@名無しさん:02/10/22 19:52
>日本は隋の時代は対等な外交を望んでいます。他周辺諸国とは異なる外交を
しています。

ワラタ

>だいたい遣隋使事態が大王の名前を知っていたのかも疑問です。
さらに、知っていたとしても言わなかったというのも考えられます。

ワラタ

54:02/10/22 23:08
渡した国書には王の名前が書かれていなかったのだろうか?
だから隋側は使者に王の名前を聞いたのだろうか?
王の使者は王の名前を知らないことがあるのだろうか?
古代の人は今の人より良く間違うのだろうか?

そんなことがある訳ないじゃん。


タリシホコは間違いで、タリシヒコが正しい?
タリシホコで正しいかもしれないし、写本の過程でミスがあったのかもしれないよ。
元々、隋の記録がイイカゲンという根拠にはならないじゃん。
55日本@名無史さん:02/10/22 23:13
間違いというより、文化の異なる者のやり取りでは
一つのものが別々の意味で理解されることもしばしば
あるという話をしているのだと思うが。

56日本@名無史さん:02/10/22 23:43
タイトルの話題とずれてきているような
57:02/10/22 23:56
可能性を言い出せばいくらでもあるだろうね。要は信じるに足る一番高い可能性は
何かということと思うよん。

ワシは、タリシホコは倭国の王の名前で、ウマヤドノトヨミミノミコ(聖徳太子)でも
ヌカタベノヒメミコ(推古天皇)でもないと思うな。
倭国から隋の煬帝へ宛てた国書には、阿毎多利思北孤と署名してあったと思うな。
別段、卑字でもないし。自称だと思うな。
58:02/10/23 00:49
>>56
聖徳太子は実在したか、という話題になっている感じ。
ワシは楽しい。
59日本@名無史さん:02/10/23 01:32
>33
倭国が仏教を敬ってたということは蘇我氏は倭人だったということです
か?日本国は天皇家?
>あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。
こりは天皇家が蘇我宗家を滅ぼし蘇我の領地も得たという意味ですかな?
そして日本国のが倭国より小さかったともとれそうですね。
>あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本と
なすと。←まあこっちかもしれませんが
>その人、入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、
実を以て対(こた)えず。故に中国
焉(こ)れを疑う。・・・・・←これはどんな意味なんでつか?

ところで蘇我氏滅亡の時蝦夷は館に火を放って自害しましたがその時に
「天皇記」なるものが燃えてしまったとか聞いたことあるのですが。。。
なんで蘇我邸にあったのかなと思いますた。やぱーり蘇我氏はすごかった
のかな。蘇我氏マンセー
60:02/10/23 22:24
蘇我氏のことはどうなんだろうね。

旧唐書の表現から受ける印象は、、、
倭は大昔から朝貢して来ている可愛い国。大好き。
日本は馴染みのない新興国で態度も横柄、使者は色々に説明するのでが筋が通らない。
いやな感じ。
という感じかな〜。
61日本@名無史さん:02/10/24 22:31

ところで聖徳太子が仏教を進行してたのってなんで?
いや、信仰してたのってなんで?
62日本@名無史さん:02/10/24 22:33
それとも新興か?
63日本@名無史さん:02/10/24 22:38
>>57
ていうか倭の王ってなに?
64:02/10/24 22:57
>>63
名前は阿毎多利思北孤。
65日本@名無史さん:02/10/24 23:22
>>61
馬子とムフフな関係だったから。
66日本@名無史さん:02/10/24 23:30
>>65
ナルシスト(自己愛者)だったてこと?(w
67日本@名無史さん:02/10/24 23:31
>>64
倭王ってなに?日本に王朝が二つあるってこと??
68日本@名無しさん:02/10/24 23:37
あったといえば、たくさんあったともいえる。地方王権から、
最終的に7世紀にヤマトに統一されるまでのプロセスが、未だ
に霧の中状態れす。

ただ、出雲、筑紫、奈良に大規模な王権が存在したことは、
確実なようですが。
69日本@名無史さん:02/10/25 00:00
>68
丹波は?海部氏は?
70日本@名無史さん:02/10/25 00:11
でソースも希望>>68
71:02/10/25 22:13
この頃の日本の記録は、かの有名な古事記と日本書紀ということになるよね。

これらによると出雲、筑紫、奈良の他に越、毛、吉備とかもあったようだね。
さらに隼人、蝦夷、土蜘蛛とかいうのもいたようだね。記紀がどこまで信用できるか
は別のスレで盛り上がっているようだが、どちらにしても、そんなような国がいくつ
もあったんだろうね。そう考えることはとても自然だよね。
記紀はこれらの国々を従わせる戦いの記録だよね。

ワシの直感では、倭は九州の筑紫王国だと思う。ある一派が何かの理由で九州に居ら
れなくなって命からがら脱出した。日向を出て奈良に到着た。奈良の旧来の支配者と戦っ
てこれに取って代わって奈良を支配した。この一派の大王は天皇を名乗った。その後、
全国平定の戦いに明け暮れる。記紀は全体としてワシにはそう読める。
ただ、あっちこっちにウソっぽいところがある。
聖徳太子のところもウソっぽい代表みたいな感じがするよ。
72日本@名無史さん:02/10/25 22:30
でソースは、根拠は??>>71
73:02/10/25 22:38
ソースは古事記と日本書紀。根拠は勘。
74日本@名無史さん:02/10/25 22:39
>>70
何の本にでも書いてあるよ。
日本の歴史シリーズでも読めば。


>>71
細かいとこで悪いが、推測はありえる話なのでいいとして、
天武までは大王制。
前期大王制は、豪族が後継を決め、
後期大王制は、大王が後継に口を挟めるようになってきた。
即位儀式には、治天下大王の演出として、アイヌや隼人や百済等を呼び、
朝貢が集まる架空の小中華帝国「倭」を演出していた。

天皇号・日本国号は天武から。木簡が出ています。
75:02/10/25 22:54
>>74
そうだったね。天武のところで革命でもあったようだね。

それにしても、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」
とか「天皇号」とか、我国は古代より自主独立の精神に満ちていて気持ちが良いね。
76日本@名無史さん:02/10/25 23:04
ん〜、そうだけどね。
ただ国号「日本」は中国に対して日が出るところだから、
中国嫌いのウヨは、「日本」の国名変えよう運動しなくちゃならなくなるw。
77日本@名無史さん:02/10/25 23:07
>>76
は?

当時は、太平洋の先に人が住む地があることを認識していなかったのでは?
そうすると、日本=日が昇る本であってるでしょ。

対中国どころか、対新羅でもそうだし、対天竺でもそうで、
当時としては、世界すべてに対して日本だけが日が昇る東に位置。
78:02/10/25 23:14
「日本」は「ヒノモト」なんでないのかな。太陽の愛する国かな〜。
日本書紀では中国のことを時々「呉」と書いて「クレ」と読むね。広島県に呉市
があるけど同じ読み方だよね。これって日の暮れる西の国という意味らしいね。
79日本@名無しさん:02/10/26 00:30
>71

>ある一派が何かの理由で九州に居ら
れなくなって命からがら脱出した。日向を出て奈良に到着た。

これは疑問。神武の行程が、余りにもゆっくりすぎ。
仮に二倍年歴などを駆使しても、とても逃亡者とは見えない牛歩。
かといって侵略戦争を一直線に目指したとも取れないので、私的
には、これは一種の口減らしかと。北部九州の人口が飽和状態に
達し、耕地面積も漁獲量も限界に達していたのではないでしょう
か。で、だれか淡路島以東に行く者はいないか・・・と。そして、
それに応じたのが血気盛んな神武兄弟などの若者たちだった、と
いう。

だから、明智光秀ではないが、ある程度の戦力と若者を与えられ、
「切り取り次第与える」とばかりに、体よく放り出されたのでは。
だから、淡路島までは九州王家の顔で長逗留できたものの、結局
は東進せざるをえず、兵力において優勢な長脛彦と硬軟両面で中
心地に向かったものの、あっさり敵視されて惨敗・・・それから
命からがら吉野の山越えで何とか足場を作ることができた・・・
という、決して栄光の戦いではないものの、当初の北九州をでた
事情と扱われかたからすれば非常によく頑張った、という、ご先
祖のがんばりへの賛歌ではないか・・・それが私の考えです。
神武兄弟やその他の若者たちにとって、途中の客人扱いではある
ものの、内心は厄介者扱いされていた時の気持ちは、まさに「俺
たちに明日はない」状態と思われ。
80日本@名無史さん:02/10/26 00:35
キムダルスによればクレは高麗(句麗)の転訛らしいよ
81日本@名無史さん:02/10/26 13:59
で小松は高麗津ね
82:02/10/26 15:42
>>79
そんな感じと思う。>>71では、手短に面白めに書いたけど、そんな感じと思う。
神武一行は九州を本拠地とする倭国王一族の者だったんだろうね。だけど倭国王は
あいかわらず九州にいた訳だね。

神武には日向のアヒラツヒメという妃がいてタギシミミノミコトという息子もいる。
それなのに奈良の地元神コトシロヌシの娘ヒメタタライスズヒメノミコトを正妃として
その間の子を後継ぎとした。その後何代もコトシロヌシの子孫の娘を正妃としている。
奈良に定着してからもヨソモノ一族としての涙ぐましい姿は泣かせるものがある。
83日本@名無史さん:02/10/26 19:45
事代主神は出雲神話の神だったような気がしますが。それとは違うの?
でも事代主を祀る神社は奈良の葛城山麓にあるとか。
葛城山には出雲の神を祀る神社がたくさんあるらしいし。
84日本@名無しさん:02/10/26 19:58
そうなんです。だから、ヤマトと出雲の関係というのも、
史実に残されていないことがたくさんありそうですね。
85:02/10/26 22:18
閑話休題。

ウマヤドノミコの大活躍の話は、日本書紀にあるが古事記にはない。古事記は天皇家
の私的な記録で、日本書紀は公式な歴史書ということが重要だね。奈良の天皇家は
九州倭国の傍系なんだけど日本統一後は本家の歴史を飲み込んで立派に見せたかった
んだろうね。
中国の記録の中に倭国王のアメノタリシホコが登場するので、これを何とか自分達の
歴史に取り込まないとツジツマがあわなくなる。それでウマヤドノミコがやったこと
にした。ということなんでないの。

むしろ、こんなにスグ分かるようなウソをなぜ書いたか。その方が興味があるよ。
それと、ウマヤドノミコは本当はどんな人だったんだろうね。チョッと可愛そうだね。

似たことは、神宮皇后もそうだね。
86日本@名無史さん:02/10/26 22:34
>日本という国号
中華思想に根ざした発想だよ。
奈良時代まで倭とか天皇も使ったりしてたけど。
87日本@名無史さん:02/10/26 23:10
>>86
ゴメン。
>奈良時代まで倭とか天皇も使ったりしてたけど。
のところ、意味わかんね。詳しく書いてけろ。
88日本@名無史さん:02/10/29 23:28
結局、ウッマヤドノミコが仏教を信仰したかどうかは不明ということで。
89日本@名無史さん:02/10/29 23:50
本当のこというと、聖徳太子の業績は、蘇我馬子の業績です。
しかし、中兄大皇子が蘇我馬子を逆賊にした為、業績を削除して
ウマヤドノミコという、血筋的に無難な皇子を聖徳太子とした
だけです。勿論、ウマヤドノミコは義父の馬子の影響で、仏教
に帰依していました。もちろん太子になる条件は満たしていま
したが、推古天皇の希望があり、不運な皇子を聖徳太子と
諡号を与えたのです。その証拠に、古事記には聖徳太子という
人物は記載されていません。
こうして蘇我馬子は悪役として位置付けられました。
90日本@名無史さん:02/10/30 00:12
そういえば丹波には仲哀天皇の五世の孫倭彦王なる人物がいました。
名に「倭」がつきます。
天皇候補だったけど兵士が迎えにあがったら恐くて逃げてしまったんで、
それで次候補の継体天皇が天皇になりますた。あはは。
91:02/11/01 23:30
古事記にもウマヤドノミコのことは書いてあったと思うが。ただ、日本書紀に書いて
あるような超人的な大活躍の具体的な内容は古事記には書いていなかったように思うが。
それがナゼ、蘇我馬子の業績を聖徳太子の業績として書いてあることの証拠になるのか
な? ロジック付いて行ってない。もそっと詳しく書いてけろ。
92日本@名無しさん:02/11/02 06:47
89ではありませぬが・・・。

要するに、寺建てたり、政治を動かしたりするのに馬宿では財力も政治力も役不足かと。
なんといっても馬子あっての馬宿なのは明らかなので。

>90

そのエピソードから、逆に当時の奈良に何か大きな異変があったことがわかるのでは?
だから、命がけの王位継承より、今の暮らしの方がいい、と。
実際継体だって20年も奈良の外をうろうろしてた罠。
93:02/11/02 18:00
日本書紀には、ウマヤドノミコがアメノタリシホコであるとは書いていない。
そう思わせるように書いているだけ。この時代、蘇我馬子の勢力が強かったのは事実
のようだが、蘇我馬子は大臣であって王ではないし、アメノタリシホコという名前でもない。

蘇我馬子の業績をウマヤドノミコの業績として書いた部分がある可能性はないとも
言い切れないが、それだけではアメノタリシホコとの関係は不明だよね。

古事記には、用明天皇の子の一人として、上宮之厩戸豊聡耳命という名前が書いてある。
しかし、名前以外には何も書いていない。推古天皇の皇太子とも書いていない。

まあいずれにしても、恐らく、ウマヤドノミコは実在したのだろうけれど、特に何を
した訳でもない人だったのではないだろうか。
94日本@名無史さん:02/11/02 18:20
89ですがアメノタリシホコが聖徳太子などとは一言も言ってない。
さらに九州に「倭」王朝が別にあるなんて、想像力はありません。
95日本@名無しさん:02/11/02 18:21
まあそこまでいうと、100年前ぐらいの人なんでちょっと言い過ぎかな。
でも、蘇我氏との関係がよくわからないし、本当に摂政だったのかも不明。
仏教についても、教典の注釈とか、寺建てたとかを越えて自分が広めたって
なると正式な修行もしてないのに勝手するな、ってなるし。

あと、官位十二階も非常に怪しいし、あとは嘘っぽい伝説ばっかり。

・・・となると、次は‘何故ウマヤドなのか’となるのだが・・・。

@ 他にふさわしい人物がいなかった。
A かといって、‘蘇我王朝’を仏教を広めた功労者とは認めがたかった。
B 蘇我宗家との対立が事実で、同族でありながら悲運の人という評判があった。
C 法隆寺にどうしても対応させたかった。

こんな所ですかね。
96:02/11/02 20:52
大和王朝内の問題としては何となくそんな感じの仮説が立てられそうかなとは思うけど、
やっぱりタリシホコとのツジツマが説明できないとシックリ来ないンだよね。
97日本@名無史さん:02/11/02 20:54
。・゚・(ノД`)・゚・。自演は辞めようよ

かわいそうで涙が止まりませんよ(つд`)サメザメ
98:02/11/02 21:11
自演ってオレのこと言ってる?
このスレでオレはいつも「倭」で、それ以外はオレじゃないよ。
チョッと書きすぎみたいだから暫らく休むね。
99日本@名無史さん:02/11/02 21:21
>大和王朝内の問題としては何となくそんな感じの仮説が立てられそうかなとは思うけど、
>やっぱりタリシホコとのツジツマが説明できないとシックリ来ないンだよね。

なんか問題あるの?ツジツマがどこ合わないか説明してくれ。
100日本@名無史さん:02/11/02 21:34
ウマヤドノオウジは実在した。
聖徳太子の実在は、不可解。
101日本@名無史さん:02/11/02 21:45
>>98
別に気にすることないと思うよ。
思ったことをどんどん書けばいいじゃん。
102日本@名無しさん:02/11/02 23:24
95ですが、何か?

荒らしはほっときましょう。
103:02/11/03 09:08
>>99
可能性は色々あり得るから仮説をたてて議論するのは当然のことで、それは良いというか、
とても楽しくて大好きなのだが、
隋書に登場するタリシホコのことが説明できる説でないとシックリこないということ。
オレは、タリシホコは、ウマヤドノミコでも蘇我馬子でもないと思う。
104日本@名無史さん:02/11/03 09:12
タリシヒコだけどな。
105日本@名無史さん:02/11/03 09:20
俺はタリシヒコは天皇の名前で、ウマヤドノミコでも蘇我馬子でもない
と思う。
106日本@名無史さん:02/11/03 09:29
称号だよ。
107日本@名無史さん:02/11/03 09:44
タリシホコ、タリシホコという人がいるけれど
隋書にはタリシホコなんて書いてないんだよね。
史料をなんだと思ってるんだろう。
108日本@名無史さん:02/11/03 10:10
『隋書』にあるのは「阿毎多利思北孤」で、「北」が「比」の書き間違いでは
ないかという説もありますな。
109日本@名無史さん:02/11/03 10:13
『隋書』読んでみ!
「阿毎多利思北孤」なんて書いてないから。

「北」だと思いこんでる字をよく見ること。
110日本@名無史さん:02/11/03 10:32
みんな勘違いしてるようだけど、韓国に歴史なんてありません。
古来ずっと日本とシナの一州みたいなもん。
しかも、ベトナムとかのシナに朝貢をしていた地域と比べても、
最下位の扱いを受けていたそうです。慰安婦も朝鮮の文化みたいなもの。
それをここまで成長できたのは日本の統治をうけ、
戦後も日本が援助してきたからです。


111日本@名無しさん:02/11/03 10:34
↑ 基地害ウヨは歴史版にくるなよ
112日本@名無史さん:02/11/03 10:36
嫌韓厨が発作をおこすますた
113日本@名無史さん:02/11/03 10:38
それとも実は隋書にタリシホコなんて書いてない事実を隠蔽するための演技か。
114:02/11/04 16:17
http://www2.plala.or.jp/cygnus/R35.html
「姓阿毎字多利思北孤」と読める。
115日本@名無史さん:02/11/04 19:18
ねえねえ「阿毎多利思北孤」って絶対「アマタリシホコ」又は「アマタリシ
ヒコ」と読むわけ?他の読み方はナッシングなわけ?
「阿」は右側が「可」って字だから「か」と読めない?「何」も「か」って
読めるし。でもやはり「阿」は「あ」であるべきだが。
でも「毎」は普通「まい」と読むではないか。なんで「ま」って決め付ける
わけ?「毎」はさんずいをつけたら「海」になるわけでもしかしたら「み」
や「うみ」と読むのかもしれないぞ!
「多利思北孤」だっていろんな読み方が出来るぞ!
「タリシホコ」じゃないかもよ
116日本@名無史さん:02/11/04 19:21
>>115
じゃあ、君は何と読みたいんだ。
117日本@名無史さん:02/11/04 19:35
アメタリシヒコだろ
118日本@名無史さん:02/11/04 19:42
>>114
いい加減なことを言っては困るねえ。
「北」という字は土偏じゃない。
もともと人が背を向け合う象形だから上の横棒が右にハミ出してはいかんのだ。

「姓阿毎字多利思北孤」と読めるというのは目の錯覚。
読めると言い張るなら
「姓阿毎字多利思比孤」と読めるというのも正解になる。
119日本@名無しさん:02/11/04 19:46
↑ 118は書道を知らない人と思われ
120日本@名無史さん:02/11/04 19:49
↑は漢字を知らないと思われ
121日本@名無史さん:02/11/04 19:55
隋書は単に「比」の左側がはみだしちゃっただけでしょ。
北史じゃちゃんと「比」なんだし。
>>114氏の ttp://www2.plala.or.jp/cygnus/R35.html にある「隋書」の
右から4行目・下から9番目の文字は何と読むのでしょうか?

>>115
神功皇后や応神天皇に結びつけた説を展開していた人が、「タラシヒコ」と
読んでいたのを雑誌かなにかで見たことがあります。
123日本@名無史さん:02/11/04 20:10
なるほど筆写者は北のつもりで書いたみたいだね。
124日本@名無しさん:02/11/04 20:17
そうかな?どちらとも読めるよ・・・。もう少しアップなら、結体のクセ
とかでわかるかもしれないが・・・。ガチガチの楷書なんで、難しい。同時代の
同じ書体を調べるか、せめて同じ写本の他のところででも、クセがわかれば・・・。

119、120の人、偉そうだけど、もしその辺りわかるなら教えて欲しいな。
漏れも少々なら心得があるので。
125118:02/11/04 20:25
わしの誤解のようだ。スマソ
126:02/11/04 21:33
タリシホコかタリシヒコかの議論も楽しい(オレはタリシホコと思う)が、
問題は日本書紀の記事の理解よ。(読み方で理解が変わるならそれも楽しいが。)

「推古天皇15年秋7月3日、小野妹子を大唐に使わした。
小野妹子は煬帝から書を授かったが帰りに百済人がこれを掠め取った、と言った。」
というような記事(省略あり)がある。煬帝は隋の皇帝なのに「大唐」というのも
変だが、ここの記事と隋書の記事にツジツマのあう説明ができる仮説がシックリと来るんだな。

@ 隋書には、倭国の国書に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云々」
  と勢いの良い文面なのに日本書紀には国書のことが全く書いていない。
A 倭国王の名が隋書には姓阿毎字多利思北孤と書いてあるのに日本書紀にはそのような名前の人は
  出て来ない。

まあ、昔から言われている問題なので、改めて言うほどのことでもないかも知れないが、
一応。
127日本@名無しさん:02/11/05 06:54
実に不自然な記事ですね。
そもそも大事な返書をかすめ取られるということが考えられない。重要な国書
なら、それだけで大変なことになるかもしれませんし、予防策として写しを取
るなどの措置をとるでしょう。
隋に使いを送るということ自体、当時の国力からしても相当の予算と準備を要
する大プロジェクトであり、超大国でかつ膨張政策を採っている相手に対して
あのような文書を送ったのも理解しにくいし、色々と不審な点が多いですね。
128日本@名無史さん:02/11/05 12:16
定説では、
>小野妹子は煬帝から書を授かったが帰りに百済人がこれを掠め取った
嘘で、煬帝が推古に対しての返書が無礼だったので、処分したとなってる。
しかし、後の時代になるが、日本が中国に対して尊大な態度を取ったことは
確かです。中華思想が輸入されると、日本版中華思想を行ったのは歴史的
事実です。当時は今ほど情報量もなく、日本は井の中の蛙状態だったから、
当然と言えば当然でしょう。白村江の戦いが起こったのは、こういう経歴
から起こったのだと思います。
129日本@名無史さん:02/11/05 12:54
>>128
そうですね。煬帝に怒られて、というか、ルールを知らないのにあきれられた
らしいが。2度と取り次ぐなと言われたようなので、返事はもらえなかったの
でしょう。
それで、恥ずかしくて、日本書紀には書けなかったと。
ちなみに、その後、へりくだった文面で、再度隋に書いたようですね。
130日本@名無史さん:02/11/05 13:00
>>128
>>処分したとなってる。
これはどこに書いてあるんですか?
131128:02/11/05 13:09
>>130は氏ね
132:02/11/05 21:48
>>126 の@で盛り上がっているようだが、Aはどうかな。
http://ime.nu/www2.plala.or.jp/cygnus/R35.html
の左のページの6行目中央くらいから、
「王妻號鶏彌後宮有女六七百名名太子爲利歌彌多弗利」と読めるね。
(「鶏」というのは、ツクリが「隹」なんだけど、ワープロで字が出ないんで異字体で代用しているよ。)
これって、「王の妻は鶏彌と号す。後宮に女六、七百人あり。太子を名づけて利歌彌多弗利となす。」
という意味だね。ということは、

@倭国王は「姓阿毎字多利思北孤」。
A王の妻は「鶏彌」。
B王の後宮には女が600〜700人。
C太子は「利歌彌多弗利」。

これって、天皇=推古女帝、皇太子=聖徳太子 とどう見ても合わんわなー。
太子の「ワカミタフリ」って誰?
133日本@名無史さん:02/11/05 21:55
ちょっと違う。
A王の妻のことを倭人語で「鶏彌」という。
C太子のことを「利歌彌多弗利」という。
134日本@名無史さん:02/11/05 22:08
遣隋使はなかったとの説も、昔あったな。
ウマヤドノオウジはいたが、聖徳太子はいなかったとの説もあるし。

ちなみに大王推古は、大王スシュンを蘇我馬子が暗殺し傀儡王とした。
外交文書には、推古・聖徳でない可能性も小さいとはいえない。
135日本@名無しさん:02/11/05 22:14
>129

恥ずかしくて書けないと言っても、完成時の相手は唐なので、関係ないのではないでしょうか。
やはり問題は、何故そのような尊大な文章を送りつけたのかということで。

◇もし大和説なら・・・
ただの世間知らずなのか?このような形で朝貢貿易のバックマージンを引き出せるはずは無いの
で、中国との交渉自体の経験が乏しかったのでしょうか?
う〜ん、聖徳太子がそんな過激な人物とはどこにもないし・・・。
あと、考えられるとすれば、上昇期のナショナリズムというか、国家成立の勢いというのがある
が・・・。(成立って・・・?)

◆もし九州説なら・・・
東方からは大和の圧迫があり、韓半島にシフトすることが死活問題だったはず。
百済と組んで、うまくいけば韓半島の勢力版図を変えうるチャンスであったのは事実。仮に隋が
攻めてくるとしても、陸路なら高句麗、海路なら遠方、ということでタカをくくって
いたのかも。もしかすると、挑発しているのか?


・・・どうしても九州王朝側に寄った背景分析になるのは、しょうがないかも。
大和ならば、資源問題も含めて、韓半島の利権に対する依存度は、当時すでに非常に低い。それ
と対隋・唐政策とどちらが重要かといえば、明らかだと思う。
ならば、結局「思い上がり」説にならざるを得ない。(背景が見えない。)
そうすると、それまでも何度も足繁くお伺いを立てては正式な官位を授けられている倭国の後継
者としては、ちょっと考えにくい。

いずれにせよ、なぜ百済と連合を組んでまで、大中国に逆らう必要があったのかということにつ
ながるわけですが・・・・・。
136日本@名無史さん:02/11/05 22:16
この時代に九州説なんてあるわけないでしょ。
137日本@名無史さん:02/11/05 22:29
>>135
129です。
いや、そういう意味でなくて、国書を受け取ってもらえなかった=国際
ルールを知らなかったこと(もしくは倭の論理が通用しなかったこと)が、
倭国の歴史自体にとって恥ずかしかったとの意味。
138日本@名無史さん:02/11/05 23:02
>>136
隋書と日本書紀が
旧唐書くらい一致してれば
だれも異説なんか唱えないよ。
139:02/11/05 23:31
くどいようだが、隋書をよく見ると、「倭王姓阿毎字多利思北孤號阿輩鶏彌」だね。

倭王の姓=阿毎、字=多利思北孤、号=阿輩鶏彌
王妻の号=鶏彌
太子の名=利歌彌多弗利

隋書か日本書紀かどっちかがウソを書いているのか、
一見どっちかがウソのように見えるけど両立する事実がありうるのか。
140日本@名無史さん:02/11/05 23:35
誤訳:太子の名=利歌彌多弗利

正解:太子のことを「利歌彌多弗利」という。
141:02/11/05 23:39
>>140
王のことは倭語で何というのかな?
142日本@名無史さん:02/11/05 23:49
阿輩鶏彌
143:02/11/05 23:53
>>142
その可能性はあるかもしれないね。その場合は、
倭王の姓=阿毎、字=多利思北孤
は個人名ということになるね。こういう名前の人物は日本書紀にはない。
それに男だね。推古は女。
やっぱり隋書か日本書紀かどっちかがウソを書いているように思える。
144日本@名無史さん:02/11/06 00:30
中国側が個人名だと思ってたって個人名とは限らない。
聖武天皇が唐からなんと呼ばれてたかな?日本国王王明楽美御徳さ。
卑弥呼だって個人名じゃなかろう。
これは倭側があえて意識的に諱を上表文に書かなかったとしか考えられない。
もちろん倭王が男とも言えない。
隋書か日本書紀かどっちかがウソを書いているのじゃなくて、外交にウソがあったと捉えるべきだろう。
145日本@名無史さん:02/11/06 00:41
>倭王の姓=阿毎、字=多利思北孤、号=阿輩鶏彌
>王妻の号=鶏彌
>太子の名=利歌彌多弗利


日本書紀と隋書を比べて、ここでわかる事は 号=アホケミ=大王
ぐらいじゃない。
しかし、さらに妻の号と太子の名なんて全く検討も付かない。
妻号=キミ 太子の名=リカミタフリ
このことから、アメタリシヒコの名前にこだわって、日本書紀の記載から
名前を見つける必要はないといえる。
しかし、アメ タリシヒコ の語句は、古代天皇の諡号に使われた語句な
ので、倭国王=天皇のことを表してるのは確かだろう。
146日本@名無史さん:02/11/06 00:53
太子の名じゃないよ。
「名A為B」は「AのことをBという」の構文。
147日本@名無史さん:02/11/06 01:06
太子名付けてリカミタフリと為す。
太子の名前で良いよ。
148日本@名無史さん:02/11/06 11:23
>>145
問題はそんな所じゃなくて
隋の使者はちゃんと倭(仮)の首都を訪れて
王にもあっているのに
日本書紀の天皇とは性が違うところだよ。
149日本@名無史さん:02/11/06 11:50
「利歌彌多弗利」というのは
「和歌彌多弗利(ワカミタフリ)」の誤りだと言われてるけど。
150日本@名無史さん:02/11/06 13:34
>>148
>>145で書いた通りだと思う。アメタリシヒコだけが特別に違ってる
というわけではない。また第一回遣隋使の使者の帰還の際に、隋から
裴世清が同行しているが、その時の隋書の記載も「倭王、小徳阿輩台
を遣わし、数百人を従え、儀杖を設け、鼓角を鳴らして来り迎えしむ」
と記載がある。
アハイダイとは一体なに者なのか検討がつかない。
つまり、隋書の人名を無理やり、日本書紀から出すこと自体無理な話
である。
151日本@名無しさん:02/11/06 18:35
仮に九州説だとしても、そこに登場する名前があまりに異質なので、いずれにしても何らかの
説明は必要でしょうね。同じ事が近畿説にも言えて、日本書紀と当時の実際の事と相当のずれ
があることになってしまう。・・・まさか一般人の人名まですべて「漢風諡号」って訳もない
し・・・・・。

このような事を放置プレーしておいて、歴史学の大家もないやね。
152日本@名無史さん:02/11/06 19:56
「名A為B」は「AのことをBという」の構文。
これを個人名と勘違いするのは大間違い。
わかんとほりが正解だろう。

アハイダイは粟田かなんかで全く不自然でない。

日本書紀の天皇と性が違うとも言えない。
男王だとは何処にも書いてないのだから。
153日本@名無史さん:02/11/06 20:54
>日本書紀の天皇と性が違うとも言えない。
>男王だとは何処にも書いてないのだから

アメタリシヒコ「天垂れた人」で天孫を表している。つまり天皇家は代々
アマタリシヒコの末裔が継承しいる。だから男女関係ないという推論で
どうですか?九州王朝につなげるよりは良い推論だと思います。
>アハイダイは粟田かなんかで全く不自然でない。
日本書記の裴世清の接待役に粟田という人はいません。接待役は三人
いますが、何れも似つかわしくない名前です。
154日本@名無史さん:02/11/06 21:39
じゃ糠手(あらて)は?

155:02/11/06 22:23
さらにくどいようだが、隋書をよく見ると、
http://ime.nu/ime.nu/www2.plala.or.jp/cygnus/R35.html
「使者言倭王以天爲兄以日爲弟天未明時出聴政跏趺坐日出便停理務云委我弟」
とあるね。これって、
「使者が言うには、「倭王は天を兄とし日を弟とし、夜明け前まで座って政を聴き、
日の出とともに理務をやめて我が弟に委ねるという」」というような意味だよね。
倭王は夜だけ執務して昼は弟に任せたのか? 何だこれ???? 「弟」は誰だ?
かつて女王卑弥呼が姿を現さず弟が補佐して政務にあたったというのと似ているな。
「倭王の後宮有女六七百人」というのも卑弥呼に「婢千人」がいたというのと似ている。
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/e-lib/wa/wa.pdf
しかし、日本書紀の推古朝の世界とは全然違うわね。(いや、推古は夜だけ聖徳からの報告を聴いていたのか?)
日本書紀を信じるならば、使者とは小野妹子だね。小野妹子がこういう事を言ったのか?
日本書紀によれば、小野妹子は大唐(? 隋のことかな)では蘇因高と名づけられたとある。
名前までもらって、それなりに信用されていたンではないかな。
何か変。 

それに、
「官有十二等一曰大徳次小徳次大仁次小仁次大義次小義次大禮次小禮次大智次小智次大信次小信
とあるね。要するに、
「大徳、小徳、大仁、小仁、大義、小義、大礼、小礼、大智、小智、大信、小信」の順。
ところが、日本書紀で推古11年12月5日に施行した冠位は、
「大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼、大信、小信、大義、小義、大智、小智」の順。
似ているようだが違う。

何か知らんが、隋書と日本書紀は登場人物の名前以外にも腑に落ちンところが多い。
よく見ると、まるで別の国のことを書いているような感じがする。

倭国王の号「阿輩鶏彌」だけは、「アハキミ」で「オホキミ」とよく似ている。
「大王」のことかな。
156:02/11/06 23:47
そうすると、
王妻の号「鶏彌」は、「キミ」で、「王」か「君」ってとこかな。
これだと「阿輩鶏彌」と「鶏彌」は個人名じゃないって解釈になりそうだね。
157日本@名無史さん:02/11/06 23:56
なんで奥さんがいるのに
倭王が男と断言できないんだよw
あれで判断出来ないなんて言うのは
日本書記に毒されすぎ。
158日本@名無史さん:02/11/07 01:19
「あんたの国って、皇太子をなんて呼ぶの?(名前を聞いたつもり)」
「プリンスオブウェールズ(呼称を聞かれたつもり)」
「なるほど」……φ(._.)『大英帝国の王子、姓は負燐巣尾、名は武上瑠図』

「あんたの国って、王をなんて呼ぶの?」
「アメタラシヒコ」
「なるほど」……φ(._.)『倭王、姓は阿毎、字は多利思北孤』
159日本@名無史さん:02/11/07 06:51
>>157
奥さんがいるなんて書いてないな。予断が入りすぎだね。
160日本@名無史さん:02/11/07 13:15
>「使者が言うには、「倭王は天を兄とし日を弟とし、夜明け前まで座って
>政を聴き、日の出とともに理務をやめて我が弟に委ねるという」」

これは使者が風習を例えて奏上していると考えられます。この言葉が倭の
ありのままの風習と捉えない方が良いでしょう。
十七条の憲法三・八条には、同じ様な語句が使われていることが伺える。
推測するとすれば、天は兄=神、日は弟=天皇、と解釈する。八条では、
役人は朝早く出仕をするように定められている。このことから、兄の神は
夜中に政務を行って、現世の天皇に日の出と共に、政務を交代したと推測
できます。卑弥呼が弟に政務を任せたとすれば、姉から弟であって、兄
から弟ではない。決定的に違います。三条では、君を天とすれば、地を臣と
する。という例えが使われています。天という語句は一般的に例えに使わ
れる語句だったと考えられます。また小野妹子は、天皇を「天垂れた人」
と解釈していたとすれば、天=神と置き換えたと十分推測ができます。
161日本@名無史さん:02/11/07 14:21
>「使者が言うには、「倭王は天を兄とし日を弟とし、
>夜明け前まで座って政を聴き、
>日の出とともに理務をやめて我が弟に委ねるという」」
これは倭王は天と日と同じくらい偉大であることを表していると思われます。
夜太陽が出ていない時も王が地上を治めている・・ということでは?
天子という言葉も使われていますし。
だから阿毎多利思比孤もアマタリシヒコではなくアマテラスヒコではないか
と思うのですがどうでしょうか?もちろん名ではないと思います。大王の
別称が天照彦なのだと思います。
阿輩鶏彌は大王(君)でいいと思います。利歌彌多弗利、これはよくわから
ないですがたぶん名ではなく皇太子を表す言葉ではないかと思われます。
162日本@名無史さん:02/11/07 16:47
当時の倭王は女王でも、これは例外的な状況であって代々女王をたてる国柄だと思われても困るから
隋の使者にはことさら一般論で答えただけでしょ。
163日本@名無しさん:02/11/07 20:27
>162

イージーすぎ。一般論言うわけないって。相手考えろよ。
164日本@名無史さん:02/11/07 20:31
あいては女が王だとナメる鮮卑人です。
165日本@名無史さん:02/11/07 20:55
>>163,>>164
そうじゃない、そうじゃない。
漢代の古い中国人にせよ隋唐の鮮卑系中国人にせよ、
実は案外女権社会・女性上位文化だったというてんでは共通してんだよ

でも表面的な社会は男のものという建前は辛うじて認められてきた。
だから東夷にはもっとひどい「女が王」の国もあるってのが
自己救済/弁明的なファンタジーとして古くから根強く信じられてた。
だから中国人の何かっていうと「オマエんとこは女が王様なんだってな」という
特定の関心のもたれかたに倭人は辟易してた。それなのに推古は女。
だからこそ、くどく一般論を主張せざるをえない。
貧乏共産圏の奴が西側の奴に「資本に搾取されてかわいそうになあ」と本気で同情したり
関東人が大阪人なら漫才うまいはずと思いこんだりするのと同じようなもんだ。
ほんとは自分のコンプレックスを反映してるだけなんだけどな。

北朝鮮が不作の年ほど「共和国は豊作だ」と証拠(?)の稲穂までもちだして
わめく80年代の総連系在日のバカと心理的な原理はいっしょ。
166日本@名無史さん:02/11/07 21:36
どっちにせよ、倭王が男だとも妻がいるとも書いてない。
予断を持ってかかれたものを予断をもって読んでるだけだ。
167日本@名無史さん:02/11/07 23:31
隋書が正確とも限らん。
日本書紀が正確とも限らん。
彼我の些細な違いで騒ぐじゃない!
168日本@名無史さん:02/11/08 21:47
女王を戴いてた新羅が唐から唐の王子を養子にして王にするように圧力がかかったのは歴史的事実。
169日本@名無史さん:02/11/08 22:18
>>168
詳しくおねがいします。
ただ唐は朝鮮半島半分ぐらい占領していたんじゃないの?
170168じゃないけど:02/11/09 00:50
>>169
まだ百済も高句麗も健在のころだよ。
『新唐書』にあるけど、唐の太宗が出兵の要請にきた新羅の遣使に対して、
「女君では隣国に侮られるから、我が宗室の者を王としなさい」と諭した。

それをうけて、新羅では女王推戴派と反対派の対立が生じて、ついには反対派が乱を起こす。
叛乱はあっけなく推戴派の金春秋らに鎮圧されるのだけど、乱の最中に女王(善徳)
が急死。そのあとは妹(真徳)が即位して再び女王体制がしばらく続く・・・
171日本@名無史さん:02/11/09 01:00
>>166
王の妻は〜ってあるじゃん。
しかも自分は兄とも言ってる。
後宮もある。
予断のない人に読ませて
この王は男とは判断できないなんて言う奴なんて
ほとんどいないよ。
日本書紀にあわせたいから
そう言い張ってるだけだろ。
隋書は男と読めるように書いてるくらいは認めても良いんじゃないの。
172日本@名無史さん:02/11/09 01:18
王の妻のことをキミというって書いてある。
「自分は兄」もウソ。
「倭王以天爲兄以日爲弟」は天が倭王の兄で太陽が倭王の弟と読む。

後宮は推古の別邸の海石榴市宮のこと。
後宮といえばハーレムを連想してしまう現代人の錯覚。

男だというのはみんな誤読。
173日本@名無史さん:02/11/09 02:09
定式にのっとって「王の称号は何々、王妻の称号は何々、倭人語で太子のことを何々という」って制度の説明が書いてあるのに、倭王タリシヒコの妻は〜みたいに読もうとするなら予断というより詐欺ですね。
174日本@名無しさん:02/11/09 09:43
>172

おたく、どの文献もそんな読み方してるわけ?それだったら、オタクの考えなぞるのは
どれもみんな推理小説でつね。
175日本@名無史さん:02/11/09 09:53
>>172が普通の読み方だと思います。
176日本@名無史さん:02/11/09 09:59
>>174
あなたが古田派独特の珍読みしてるだけでは?
177日本@名無史さん:02/11/09 10:57
「倭王姓阿毎、字多利思北孤」ってことは
多利思北孤は「字」だから本名じゃないんですよね。
178日本@名無しさん:02/11/09 11:30
古田派とは?普通に読んだだけですが?
179日本@名無史さん:02/11/09 11:39
普通じゃないな。「自分は兄」なんてどこにも書いてない。
180日本@名無史さん:02/11/09 12:32
原文を書いた中国人は「国王といったら当然男だろう」という先入観をもってたろうね。
だが詳しく読むと、やはり倭王が男だと判断できる記述はひとつもない。
男だと思うのは「ヒコ」という語感に引きずられているだけだろう。
181日本@名無史さん:02/11/09 14:53
王妻の号「鶏彌」は、「キミ」で、「王」か「君」と言う意味だから
女性が天皇だったことを意味している。
182日本@名無史さん:02/11/09 15:06
とすると、王としているものは(実は伝えてないけど)故人で、妻である推古がキミ?
183日本@名無史さん:02/11/09 15:22
>>182
故人も天皇ですがなにか?
184日本@名無史さん:02/11/09 15:25
法隆寺金堂薬師如来像光背銘が推古のことを指して言った「大王天皇」が
「オホキミアメタリシヒコ」と訓読されていて、これが当時の推古の称号だった
という説も傾聴に値します。
185日本@名無しさん:02/11/09 20:44
またまたトンデモ説の登場だな。どこにそんな説に説得力があるのよ。仮説でもいい、
考古学的証拠でもいい、なんか出せよ。
186日本@名無史さん:02/11/09 20:57
「大王天」がオオキミアメなのはわかる。
187:02/11/09 22:45
@ 「號」の「阿輩鶏彌」がオホキミで大王の意味とすれば、「字多利思北孤」が大王の意味って説は
つらいなー。「倭王姓阿毎、字多利思北孤」ってことは多利思北孤は「字」だから本名に近いけど本名じゃない。
だけど、日本人に「字」なんて普通はない。外交用に作ったか?国書には何か書いてあったろう。
ところで、推古天皇の本名は? 「推古天皇」は漢風諡号、「豊御食炊屋姫天皇」は諡号で、
どちらも死後つけられた名前。日本書紀には、幼少のときは「額田部皇女」と書いてある。
これが本名か?

A 隋書を論じるまでもなく、当時のトップは「大王(オホキミ)」だよね。そうすると、
その次は「王(キミ)」になるのは言葉の当然だわね。古事記を見ていると、「××王」と書いて、
「××のオホキミ」とフリガナが書いてある人物が大量に出てくるンだが、
これは単に「××のキミ」と読む方が良いような気がして来たね。
だから、「オホキミ」の妻は「キミ」という具合かなー。

B 「使者言倭王以天爲兄以日爲弟天未明時出聴政跏趺坐日出便停理務云委我弟」
の前半「倭王は天を兄とし日を弟とし、」は別に変ではないが、後半の「夜明け前まで座って
政を聴き、日の出とともに理務をやめて我が弟に委ねるという」は相変わらず変だなー。
弟って誰さ?

C 女王卑弥呼に「婢千人」がいた訳だから、倭王の後宮に女六七百人いても倭王が男とは
断言できないなー。ただ、倭王が女だったら隋書に女王と書くのが普通だろうね。
188日本@名無史さん:02/11/09 22:55
「字」は当時の倭国では通称ぐらいの意味じゃない?
つーか姓が阿毎って段階でうそくさいんだから字も号もあてにできないんじゃ?
189日本@名無史さん:02/11/09 22:56
>>187
>国書には何か書いてあったろう。

上表文はふつう「臣○○言」で書き始めるから本名を書くのがしきたり。
倭側がどうしても本名を書きたくなかったから曖昧に長たらしい称号を本名であるかのように書いたという説が最も説得力がある。

>倭王が女だったら隋書に女王と書くのが普通だろうね。

開皇年間の記録は使者の話しか聞いていないから当然倭王が男か女かわからない状態でかかれたもの。
隋側は「当然男だろう」と思ったまま鴻臚の文書か起居注にしるしたものと考えられる。
190日本@名無しさん:02/11/10 05:24
重要な外交折衝がそんなことでいいのか?やっぱり説得力ないが・・・。
191日本@名無史さん:02/11/10 07:51
重要な外交折衝だからこそ、姑息な駆け引きのあとが残っているのです。

開皇年間の国書は自立路線に転換する過渡期とみることが出来ます。
これが日本書紀に記録されなかった最大の理由でしょう。もちろん返使も来なかった失敗策だったこともあるでしょう。

大業年間に尊大な文言で国書を送ったことにも、周到でしたたかな計算があります。
国際情勢のタイミングを機敏に捉えた遣使といえます。
192:02/11/10 17:08
日本書紀もなあ、

小野妹子が推古15年7月3日に使わされたのは「大唐」と書いてある「隋」じゃない。
とにかく「大唐」と書きまくり。「隋」を知らんのか?

推古16年6月15日、小野妹子が大唐から帰朝して、「私が帰還の時、煬帝が書を私に
授けました。ところが百済国を通る時、百済人がこれを探りこれを掠めとりました・・・」
「煬帝」は「隋」の皇帝だし、「煬帝」というのは諡号で死後につけられた名。本名は「楊廣」。
小野妹子は生きてる「楊廣」に会った訳だから、「煬帝」は有り得んわなー。
オレが見ている現代語訳が変なのか?

推古26年8月1日、高麗の使いが来て「隋の煬帝は、30万の軍を送ってわが国を攻め
ました。しかし・・・」
これも何だかなー。ここだけ「隋」だし。隋は高句麗攻めに失敗して滅びる訳だけど、早速、
諡号の「煬帝」か? 「高麗」と「高句麗」も微妙に違うし。

何か深い裏があるのか? それとも日本書紀の筆者がオバカなだけなのか?
193日本@名無しさん:02/11/10 19:04
あまりに無茶な要求が多かったので、テキトーになったのでは。
で、それがテキトーとわからなかったということは、やはり大和が派遣したのでは
ないとしか思えませぬが・・・。
194日本@名無史さん:02/11/10 19:48
>>192
書紀はあとから書いてるわけだし、歴史学なんかないから、固有名詞や用語なんかは平気で編纂当時のものを使っている。
さて、推古紀16年の条には「隋の煬帝」とは書いていない。「唐帝(もろこしのきみ)」である。
仰有るとおり、訳が悪い。
26年の条は、隋や煬帝の呼称はともかく、史実には合ってる。
195日本@名無史さん:02/11/10 20:38
>小野妹子は生きてる「楊廣」に会った訳だから、「煬帝」は有り得んわなー。

>>194も指摘済みだが、日本書紀に書いてないことを批判しても意味がない。

ちなみに紀は地の文の術語を執筆当時(つまり最初の読者にとっての今)に統一している。
しかし話者の発言は変えていない。
だから「隋」とか「煬帝」という言葉は高句麗の使者の言葉として出てくる。
しかも「煬帝」は推古26年つまり彼の死後が初出なので矛盾が無い。

よって「テキトーとわからなかったということは、やはり大和が派遣したのでは
ない」は根拠がない。
196日本@名無史さん:02/11/10 20:40
けっきょく歴史を論じるのにへんな現代語訳の本を読んじゃダメってことですかね。
197:02/11/10 21:03
なるほど。現代語訳ではダメだとよく分かった。疑問が解けて嬉しい。
暇な時に図書館へでも行くかな。

ひとつ疑問が残るんだけど。なぜ、日本書紀は「隋」と書かないのだろうか。
小野妹子は隋の皇帝「楊廣」のことを「唐帝」と思っていたのだろうか。
これは変だよなー。
198日本@名無史さん:02/11/10 21:13
>ちなみに紀は地の文の術語を執筆当時(つまり最初の読者にとっての今)に統一している
199:02/11/10 21:29
「唐帝」は小野妹子の発言で、地の文ではないな。
200日本@名無史さん:02/11/10 21:56
正確にいうと、ごく一部にある外国人の発言だけがいぢられてないんだね。

もちろん後世の唐の訓読であるカラにしろモロコシにしろ本当の唐のことじゃないんだから、当時の口語からしてもそうだったかもしれないが。
紀編纂時の編集方針だったと考えるのが一番納得できるだろう。
201日本@名無史さん:02/11/11 13:36
日本書紀ができたのはずっと後のこと
今でいえば中華人民共和国、中国がすっかり定着した国名になっているけど
その前は清という国であったのに今はその頃のことも中国というし、周や漢の
時代のことだって古代中国というのと同じ感覚ではないですかね
あまりこだわる必要はないんじゃないすか
202日本@名無しさん:02/11/11 18:50
情勢分析の基本なので、間違えるはずがない。膨張主義の隋や唐対策は、半島の事情通や
亡命中国人なども入れて念入りにやっているはず。

>195
>ちなみに紀は地の文の術語を執筆当時に統一している

そのように言われる根拠をよろしく。非常に重要な問題であり、かつ容易に判断を下しがたい
事柄だと思うのだが??
203日本@名無史さん:02/11/11 21:19
間違えてるという発想がおかしいね。
そう通称されていたと考える方が素直さ。
だって現に我々はすっとカラとかモロコシとか訓読し続けてるじゃないか。
UKをイギリスと呼び続けてる我々日本人は、いまだに国号という観念が希薄だよ。
204:02/11/11 22:39
でもなー。統一しているも何も、
日本書紀で中国のことが出てくるのは、ここが最初と思うンだよな。

神功皇后のところで、魏志倭人伝と起居注(晋の天子の言行を記したもの)の引用
があるンだけだけど、これは引用だし。
宋書倭国伝に 讃 珍 済 興 武 の五王が出て来て、
「武」なんて、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王
とかいうスゴイ位をもらっているのに日本書紀には宋のことは何も書いていない。

蛇足だが、イギリス人も、中国のことを「チャイナ=秦」、韓国のことを「コリア=高麗」
と呼び続けているな。
205日本@名無史さん:02/11/11 23:24
日本の書物の中で倭の五王のことが書かれているものはひとつもないん
ですか?
206日本@名無史さん:02/11/11 23:35
天皇が倭王として南朝に朝貢してたなんて書くわけないじゃん。
「書紀」においては日本が中国として記述されているんだから・・・
あと、南朝は「呉(くれ)」と呼ばれているのがそうでしょ。
207日本@名無史さん:02/11/11 23:41
南朝のことを宋とか梁とかいちいちその時々の王朝名で呼ばないで
たんなる地名で「呉(くれ)」と呼んでるね。

劉備の「漢」を王朝名で呼ばずたんに地名で「蜀」というのと同じようなことでしょ。
208日本@名無しさん:02/11/12 06:17
>206

要するに当時の日本の姿勢が問題なのだが。

もし白村江の戦いの後始末なら、100%敗戦国としてへりくだるしかない。そしてそのときに
漢、魏、そして五王の時代の華麗な外交史を書き連ねることは、全く損ではない。
ところが、半島の王権を名乗ると言うことについても全く記述がないわけで、もし尊大に臨もう
とするならそれをしも記述するのが当然。

五王の名前問題にしろ、長安中で古書を買いあさって失笑を買ったぐらいだから、もし伝承に伝
わってない、あるいは中国側の勝手読みであれだけ違う名前になったとしても、十分修正するは
ず。やはり、正式官位を授けられたということまで僭称するのは問題が大きすぎるのと、半島問
題で自己の無責任制を貫くために、あえて九州王家との関係を隠蔽したというのがわかりやすい。
それも日本書紀の編集の大命題ということで。
209日本@名無史さん:02/11/12 06:40
見方がおかしいね。
当時国内では日本が「中国」扱い、中国人を諸蕃扱いしているのさ。
朝貢の事実など書いたら丸損だ。隠蔽して当然。

だいたい九州王家なんて空想上のものを持ち出す神経がわからんが。
210日本@名無史さん:02/11/12 07:05
天皇家と百済の関係はどう言う物だったの?
211日本@名無史さん:02/11/12 08:15
208はまたわけわからんことを・・・
なんで正式官位を授けられたというほんとの事を書いたら「僭称」なんだ?

他のスレでも同じこと逝ってた奴と同一人物かな。
212:02/11/12 23:01
またまた現代語訳で申し訳ないけど、推古記では、
隋のことを「大唐」とか「大国」と書きまくっている。諸蕃扱いしているようには
見えないよ。これは原文でも同じではないかな。
それから、裴世清が持ってきた(と書いてある)皇帝からの書には、
「・・・遠く朝貢される・・・」とある。「朝貢」という言葉が出てくるが、
原文ではどうであろうか。
これらから考えると、過去の中国との朝貢関係は隠す意図はないように感じる。
神功皇后記では、ワザワザ魏志倭人伝を引用していて、その中に「貢」とか
「印綬」とか書いてある。しかし、地の文では全く記事がない。倭の5王の記事は全くない。
これは隠しているというより、記録が伝わっていないと考える方が自然と思う。

この点で、九州王朝という仮説に説明力が感じられるが、
長い歴史の曲折の中で失われたということも考えられるな。自国に伝わる記録がない
ことは書かない、という姿勢は実に真摯とも言える。
213日本@名無しさん:02/11/13 04:35
>211
文章読む力なさげだな。真性厨房か?

>212

記録が伝わっていないということは、古代においては考えにくい。伝承は非常に重要な
仕事であり、かつそのような決定的な事跡を忘れるはずはない。最短でも百年ぐらい前
のことだからね。特に倭王・武の授官された使持節郡督六国諸軍事、安東大将軍とは相
当に高い位になりますので。
「朝貢」についても最近荒らしが「中国人を諸蕃扱いしているのさ」とかほざいている
が、朝貢貿易の意味も知らないようで。白村江の敗北の後でまだそんなことを言うため
に国史の編集・正使の派遣などという大事業を行うわけがない。その点はあなたのいわ
れるように、隠す事でもなんでもないと思います。

「長い紆余曲折」ということですが、例えばどのようなことでしょうか。大王家の伝承
が全て失われるというからには、よほどの大事件ということになりますが。
214日本@名無史さん:02/11/13 05:22
>記録が伝わっていないということは、古代においては考えにくい。

思い込み

>特に倭王・武の授官された使持節郡督六国諸軍事、安東大将軍とは相当に高い位になりますので。

高句麗や百済より格下だってことも知らないのか。アホ!
215日本@名無史さん:02/11/13 05:29
仮に九州王朝があったと仮定しても、
当時の時点で非九州王朝側においても、
倭の五王についての伝承は入手できていたはず。

とすれば、九州王朝の歴史を乗っ取る意図のある非九州王朝側は、
中国の史書にも見える倭の五王についてを、
朝貢とは書かないまでも何らかの形で記述していてもおかしくない。

よって、九州王朝というのを無理に仮定してもその点は解決できていない。
216日本@名無史さん:02/11/13 05:41
>>212
「隠蔽」ったってそんな組織的に歴史改竄してるとかじゃない。
役人根性で「コレまずいよね削っとこう」程度だろう。
基本的に引用文はあまりいじらない。
隋からの返書はたぶん原文の「倭国王」を「倭皇」に改竄しただけで満足したのさ。
217日本@名無史さん:02/11/13 05:55
再び帝京で自殺?
865 名前: 名無しの帝大さん 投稿日: 2002/11/12(火) 23:46
12時過ぎじゃ、もう落ちてたと思う。
12時ごろに八階の授業終って、弁当買ってあそこの前通ったけど、もう青シートあったし。
その10分後ぐらいにはテープ貼られてたし。
落ちたのは、11:00〜12:00の間だと思う。
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=382&KEY=1014211987&LAST=100

【社会】脱税で帝京学園元会長を逮捕
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1036572579/
【社会】合格を寄付金で優先・・帝京大
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1037046545/l50

帝京大学の過去の犯罪特集・1
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/news/1015445145/
218日本@名無史さん:02/11/13 05:57
>>212
>推古記では、隋のことを「大唐」とか「大国」と書きまくっている。諸蕃扱いしているようには
見えないよ。

これは「当時国内では日本が「中国」扱い、中国人を諸蕃扱い…」と書いたとおり、国内居住の中国系を扱う政策のはなし」
いくらなんでも中国本国の目に触れる可能性のあるところで中国を蕃などとは書かない。
開皇の国書レベルの「なんとか対等に」が紀のスタンスだ。
219日本@名無史さん:02/11/13 06:35
日本書紀が一気呵成に書かれたものでないことは常識で、異なる編集グループが相当の時間を置いて何度かにわたって手をつけたことがわかっている。
よって記述も統一性という点では一定の限界がある。個別記事に疎漏はあるかも知れない。
ただ編集方針としては、対中対等外交と半島に対する優越の主張が一貫している。

高句麗や百済より低い官位を中国から貰ったという記事は絶対に削除せざるを得ないだろう。
中国の臣下になったという記述もまずい。

あくまで対等を主張して、相手がある程度それを認めたような言質を取りたいというのは当時の外交政策そのものだ。
中国が日本の使節を朝貢と呼ぶことまでは否定しないが、こちらは「朝貢した」とは口が裂けても言わない。
日本書紀の基本的な姿勢は以上のようなものであろう。
220日本@名無しさん:02/11/13 19:35
>高句麗や百済より格下だってことも知らないのか。アホ!

荒らすなよ。お前のような奴が最近は多くて、日本史板の権威も地に落ちかけとる罠。


221日本@名無史さん:02/11/13 19:36
事実を事実として認めないで相手を荒らし扱いするのはダメだよ。
222日本@名無史さん:02/11/13 19:44
そう。それは逃げ。
223日本@名無史さん:02/11/13 19:49
アホの一言はよけいだな。どちらも紳士的にやれ。
224日本@名無史さん:02/11/13 20:20
ログをみてみよう。
まず>>209は若干ラフな口調だがべつに罵倒もーどではない。
 とくに荒らしという感じもしない。
それを>>213が「最近荒らしが…とかほざいている」と言う。
これに>>214が「アホ!」という。
これを>>220が「荒らすなよ。」と言う。

どうも>>213の「ほざいている」あたりから荒れている。
これ、213=220が相手を一方的に荒らし扱いして罵倒したことが原因ではないの?
225日本@名無史さん:02/11/13 20:46
>>214は「アホ」付きだが反論になってる。
>>220は反論としての内容がない。つまり返答する意思がない。こういう態度が日本史板のレベルを引き下げる。

ようは、紳士でなくてもいいから事実か理屈で勝負しろってこと。
226日本@名無史さん:02/11/13 20:48
ま、無用な争いを避けるためにも「アホ」はやめましょうや。
227日本@名無史さん:02/11/13 20:51
事実関係によれば、無用な争いは「ほざいてる」で始まってると思われ
228日本@名無史さん:02/11/13 20:54
その手の言葉は控えましょう。
229日本@名無しさん:02/11/13 21:25
220だが・・・213とはちがいまつだ。

アホとかいうのはどうかと思ってRESしましたが、何か?
特にここのトピには自分の意見=事実として、人をアホ扱いする人が
多いように思われるので。

>ようは、紳士でなくてもいいから事実か理屈で勝負しろってこと

抵抗あるなあ、こういうの。2ちゃんならではといっていいのか、どうか・・・。
230:02/11/14 00:26
日本列島が最初から統一されていたとは考えられないし、日本書紀にもそんなことは
書いていない。天皇家自体、神武が日向から艱難辛苦を乗り越えて大和に移住したと
書いてある。神武一行が出て行った九州がモヌケノカラになったとも考えにくい。
各地に政治的勢力が成長し、これらを長い時間をかけて大和大王が列島を統一して行った。
これはとても普通の理解で、不思議なことは何もない。

九州には筑紫の君がいて、東国には上毛野の君がいて勢力を持っている。もちろん
他にも色々な勢力があった。継体の時に筑紫の君磐井との大戦争があったし、
天智の時に白村江敗戦の後、唐の捕虜となっていた筑紫の薩屋馬が帰ってきた。
と日本書紀に書いてある。このころまで少なくとも筑紫の勢力は一定程度維持されて
いたのであろう。白村江では、大和と筑紫は連合して唐・新羅の連合軍と戦ったのであろうか。
白村江の敗戦で筑紫の君勢力は完全に衰微したのであろう。

筑紫は朝鮮半島に近いから、独自に中国や朝鮮半島と交流があっても何の不思議もない。
日本書紀は別段こういうことを隠そうとしているようには思えない。

ただ、ところどころ不思議なところがある。聖徳太子のところも不思議がある。
何かありそう。という感じだな。
231:02/11/14 00:29
「筑紫の薩屋馬」は「筑紫の君薩屋馬」ね。
232日本@名無史さん:02/11/14 00:44
>>220
事実を意見だと思っちゃうのはアホなんだろうな。
233日本@名無史さん:02/11/14 01:32
常識的な歴史知識を知らないとそうなる。
日本史板の権威が落ちるというのはそういうことだろう。
234日本@名無史さん:02/11/14 01:49
とにかく、(先に中国王朝へ朝貢を始めていた)高句麗や百済よりも、
倭は格下に置かれてしまっていたのはしょうがないことであり、
また、日本書紀を作成していた時代には中華主義から脱して対等外交を
ポリシーとしていたわけなので、朝貢関連の記録は削除するしかなかった。
235日本@名無史さん:02/11/14 02:38
非常識は珍説の母
236日本@名無しさん:02/11/14 06:25
235は自作自演の荒らし。しつこい。
自分が非常識。
237日本@名無史さん:02/11/14 06:36
>>236 あんたバカだね。複数の人に顰蹙買ってるのに気づいてない。
238日本@名無しさん:02/11/14 07:05
あんたもな
239日本@名無史さん:02/11/14 11:55
けんかは止めて実のある論議をしよう。横すれ御免。
240日本@名無史さん:02/11/14 19:54
九州王朝バカがけんかに持ち込んで誤魔化して逃げようとしてるんだよ。
だって何度指摘されても官位の序列の話を徹底的に無視してるだろ?
卑怯な逃げよ、逃げ。
241:02/11/14 20:18
九州王朝説はそんなに変な説でもないと思うがなー。

朝鮮半島や中国と四の五の四の五のやって衰退した九州王朝なんかより、
それに取って代わったドーンと東の大和王朝が自主独立の姿勢で頑張ったお陰で、
その後の日本の発展があったと思う。とてもラッキーだったと思う。
242日本@名無史さん:02/11/14 20:50
変な説だよ
243日本@名無史さん:02/11/14 20:51
なにも根拠がないからねえ。
244:02/11/14 21:46
九州王朝説の定義が良くわからんから肯定も否定も出来んが、
九州の特に筑紫地域に政治的勢力があったことは明らかな事実だよな。
遺跡も山ほどあるし、日本書紀からもうかがえる。
もし、それだけのことであれば、別段、騒ぐほどのものが感じられない。
245日本@名無史さん:02/11/14 23:35
中大兄は九州王朝側だよ
246:02/11/14 23:52
>>245
なぜそう思うのか書いてくれると、賛成や反対を書けて楽しいし、
話題が転がって楽しいんだけどなあー。
247日本@名無史さん:02/11/15 01:14
定義が良くわからんから肯定も否定も出来ん説なんて変な説だ。
248日本@名無史さん:02/11/15 01:36
官位の序列の話は都合が悪いから無視かね?
249:02/11/16 22:29
倭王は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王」
というスゴイ官位をもらったようだが、高句麗と百済はどんなスゴイ官位をもらったんだ?
オレは都合が悪くも良くもないが、知らんから教えてたも。
250日本@名無史さん:02/11/16 22:33
一番最初の官位は倭は百済より低かった。
しかし、倭が官位を欲しがったので、使持節都督倭・新羅・任那
・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王の官位を貰った。
251日本@名無史さん:02/11/16 22:33
席順が、(朝貢を始めるのが遅かった)倭のほうが後であり、
さらに、倭が百済の支配権を主張しても受け入られなかった。

一方、倭が主張した新羅や任那への支配権は認められた。
252:02/11/16 22:37
で、結局、百済の官位は何だ? 倭より上か?
253:02/11/16 23:12
宋書を見ていると、
http://www.asahi-net.or.jp/~gz4m-frkw/soujo.html#koma
「使持節、散騎常侍、都督營平二州諸軍事、征東大將軍、高句驪王」
「使持節、都督百濟諸軍事、鎮東大將軍、百濟王」
というのがあるな。これと、
「使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王」
はパッと見は同格かなー。倭王の方が支配地域が広いから多少上かなー。
254日本@名無史さん:02/11/16 23:29
この宋書の記事見ると百済と倭が仲良かった感じはしないな。
255日本@名無史さん:02/11/17 00:04
>>253
いや、官位の序列は、征東(大)將軍>鎮東(大)將軍>安東(大)將軍だから、
宋からみた倭王の地位は高句麗、百濟より低い。
高句麗の場合、孝武帝の時に車騎大將軍に進められているし。
256255:02/11/17 00:06
>>255
自己レス
×官位
○官職
257日本@名無史さん:02/11/17 00:59
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/fumi/koten/souwa.htm
違うな安東将軍は倭王が自ら求めた官職です。なぜ安東将軍を求めたかは
讃が安東大将軍に任官された為と考えられます。讃が死に珍が大王になる
と、その為二代目の珍は安東大将軍と六国緒軍事の任官を求めたのだと思
われます。そして一応牽制の為、節度使六国緒軍事を求めたのだと考えら
れます。
258:02/11/17 21:44
宋書の倭の五王のことが日本書紀に全く載っていない理由はこんな感じかな。
@ 当時の記録が失われていた。
A かつて、宋に朝貢してそれほどパッとしない官職をもらったことは、
  日本式完成当時、唐とホボ対等な関係を求めようとしていた大和王朝
  としては書きたくなかった。
B 南朝の宋との関係は、日本書紀完成時の唐に遠慮して割愛した。
C 九州王朝の五王のことなので、大和王朝には記録がなかった。
  たまたま宋書を入手していなかったので、無理な記事を書かなかった。
  ・魏志倭人伝は入手していたので、神功皇后を超人ということにして、
   魏が少々勘違いして卑弥呼の記事を残したと読者が思うように書いた。
  ・隋書倭国伝も入手していたので、聖徳太子を超人ということにして、
   隋が少々勘違いして多利思北孤の記事を残したと読者が思うように書いた。
259日本@名無史さん:02/11/17 21:57
なんで何の根拠もない&ありそうもないCが残るかねー
260:02/11/17 22:35
どれも絶対的な根拠はない仮説だから、説得力があれば何でもありで良いとオレは思う。
決定打があれば別だが。ひょっとしたら全部本当かもしれないし。
261日本@名無史さん:02/11/17 23:01
全部違うよ。日本書紀は日本という国家が固まった時に作られた為
だよ。大和朝廷は日本版中華思想を行なっていたんだよ。だからこ
そ、倭が中国に朝貢していた事実を削除しただけです。日本版中華
思想を行なっていた証拠に、平安後期までは、関東を東夷・又オラ
ンダなどの外国人を南蛮と名付けてきた。これが証拠である。
262日本@名無史さん:02/11/18 02:49
Aは絶対的な根拠あり。
263日本@名無史さん:02/11/18 04:46
つーか、もっと簡単なことだろ
魏からもらった「親魏倭王」の方が宋からもらった征東大将軍よりはるかに格上なわけだから
皇室の先祖に卑弥呼らしき者がいることを匂わせて「そうなのか」と思わせれば、事は足りるだろ
なんでその後の代になって格下の称号(将軍号)をもらったことをわざわざ明示しなきゃならんのだ?
264日本@名無しさん:02/11/18 07:30
261うざすぎ。お前一人のスレかよ。
265日本@名無史さん:02/11/18 08:58
264うざすぎ。お前一人のスレかよ。オモエモナー( ´∀`)
266日本@名無しさん:02/11/23 09:56
どうやら粘着野郎のせいで、このスレも死んでしまったようだな。
267仏教:02/11/24 22:08
新興宗教の仏教に力を入れたのは、聖徳太子が渡来人にあこがれていたから、
268日本@名無史さん:02/11/25 11:42
新思想でもって、守旧派を圧倒しようとしたんでしょう。
269日本@名無史さん:02/11/26 03:21
>258
Cは逆も考えられる。大和王朝の五王のことなのにその後九州王朝が大和を
のっとったから記録が残らなかった。北九州は百済と場所的に近くて任那と
新羅は本州の日本海側に近い。聖徳太子は百済びいきじゃないし、倭の五王
も宋に朝貢してる。天皇家の百済びいきはおかしい。滅亡した他国を復活さ
せるために戦争なんてするかい?普通。それよか任那をもう一度建国するた
めに戦えばいいのにと思う。浅はかな考えかもしれないけどね
270日本@名無史さん:02/12/04 00:18
百済びいきをしたのは斉明と天智の母子だけ

271日本@名無史さん:02/12/04 23:46
聖徳太子が仏教に力を入れたのは、
大和が早く倭に追いついて中華帝国から認められたかったからではないかな。
272日本@名無史さん:02/12/04 23:56
思想という考え方がなかったから、仏教は宗教というよりも思想哲学的な学問として採用しました。
273mmp:02/12/05 01:40
聖徳太子はかなり有能だったのに何で推古天皇のままだったのかな?
天皇になれなかったのはなんで?
四国の温泉が好きだったからかな?
274mmp:02/12/05 01:44
ついでに”日出ところの天子、日没する処の・・・”なんて書類を
隋の煬帝に送ったけど、それこそ無謀な所業に思えるのは私だけ?
でもすごいな、中国の記録に聖徳太子の名前が出てるなんて。
275日本@名無史さん:02/12/05 01:48
>>273
推古天皇が長生きしすぎ。生前に大王の位を譲り隠居する習慣が
なかったんだろうて。
276日本@名無史さん:02/12/05 01:57
>>274
その攻撃的な性格が嫌われてアボーン!
277日本@名無史さん:02/12/05 01:59
聖徳太子が好きだった四国の温泉てどこですか?道後?教えてください。>273
278日本@名無史さん:02/12/05 02:02
道後温泉でっせ。
279日本@名無史さん:02/12/05 02:12
道後か。飛鳥からチト遠いような気もするが、難波に出て船を仕立てりゃ早いのか。
昔のお札の絵のイメージしかないから、温泉マニアとは気づかなかったです。
280日本@名無史さん:02/12/05 05:05
温泉マニア皇族・貴族は多いよ
道後や有馬によく行ってる
281日本@名無史さん:02/12/05 23:38
摂政として精勤してると思ってたら、温泉でシッポリしていやがったわけか。このゴクつぶし!
282日本@名無史さん:02/12/05 23:52
道後温泉に行ったのは嘘です。なんで摂政が温泉行くわけないだろ。
それも摂政なった当初になぜ温泉行くわけないだろ。
283日本@名無史さん:02/12/06 06:23
摂政が温泉行っちゃいけないなんてそりゃ殺生な!
284日本@名無史さん:02/12/06 07:16
ネタスレになっているわけだが・・・。

和歌山はともかく、道後は遠すぎ。そんなにやすやすといける距離ではなく、
当時の航海技術では瀬戸内の難所を沢山こえなければいけない海の旅は、陸
路に比べて安全とはお世辞にも言えない。もちろん斉明天皇のときは別。相
当の軍船だったろうからね。
285日本@名無史さん:02/12/07 15:58
>>274
聖徳太子の名前は中国の記録に出てきませんが?
286日本@名無史さん:02/12/07 16:30
>>284
大分辺りからなら行きやすそうだね。
287日本@名無史さん:02/12/07 16:32
ウマヤドノオウジが正体っすかね?
288日本@名無史さん:02/12/07 16:46
>285

そりゃ、当時からそう呼ばれた訳ではないから・・・。
後世相当持ち上げられたわけで、後世の牽強付会による業績の水ぶくれも、
当然当時はなかったわけ。もし言われているような事績が本当だったら、
それこそ空海クラスの人物として中国側にも記録されたことでしょう。な
にせ、摂政であったかどうかも怪しい、一王子の身ですから。当然蘇我氏
の基本政策に乗っかっていたわけですし。
289日本@名無史さん:02/12/07 17:21
>>288
ウマヤドさんは、皇太子とされたとは書いてあるけど、摂政とされたとどこかに書いてあったっけ?
290日本@名無史さん:02/12/07 17:51
書紀には、万機をつかさどったみたいな表現はあったよ。
それを「摂政」と言ってるんだろう。
291日本@名無史さん:02/12/07 18:06
初歩的だな
292日本@名無史さん:02/12/07 18:41
何が初歩なの???
293日本@名無史さん:02/12/07 19:07
>>288
空海は入唐したがウマヤドさんは日本に居ただけだから唐・隋にとっては無関係だよね。
294日本@名無史さん:02/12/07 19:12
ふざけた手紙を書いて皇帝怒らせた関係。
295日本@名無史さん:02/12/07 19:50
だから、そもそも摂政もどき風情に、そんな手紙を書く権限があったのか、が問題になっているわけだが。
蘇我馬子や蝦夷ならまだわかるけどね。
296日本@名無史さん:02/12/07 19:54
煬帝の怒りが「二度と取り次ぐな」程度でよかった。「クソがき、ぶっ殺す!」だったら
「皇帝は日出る国天子の首をご所望じゃ」となって、双方余計な国力消耗になるところ。
297日本@名無史さん:02/12/07 20:22
>>296
どこを立て読みすればいいんですか。
298日本@名無史さん:02/12/07 20:26
いずれにしても、高句麗が先になるわけだが。
ただし、もしアメタリシヒコ=九州王朝説なら、相手が唐ではあるが、結局
アボンされたことになる。
299日本@名無史さん:02/12/07 20:30
そうだね。
九州の倭はこだわり過ぎ。結局滅び。
300日本@名無史さん:02/12/07 20:59
>>1
冠位・憲法の制定、遣隋使派遣が事実かどうか別として、今まで誰もやらなかったことを
やった人として描かれていることからすると、単に、新しいものが好きだったというのが
真相ではなかったかと思ってます。
政治の指針というより、最近流行の教養の一つとして考えていたのではないでしょうか。
あなたの周りにもいませんか、「○○○○読んだらいいよ」って勧める友人が。
301日本@名無史さん:02/12/07 21:33
推古天皇は推古2年2月1日、ウマヤド皇太子や大臣に詔して、仏教の興隆を図り、
多くの臣・連は競って仏舎(寺)を造った。とか書いてあるから、ウマヤドも寺を
建ててよろこんでいたんだろうね。でかい古墳作ってよろこんでいた時代から、
キンピカの仏像とヌリヌリの寺を建ててよろこぶ時代になっていったんだろうね。
302日本@名無史さん:02/12/08 07:33
で、困るのが学校の歴史の教科書。「聖徳太子」の名前で、通俗的な事績から政治的な
`業績’までなんでもありで教えてるんだろ?その他にも、古代から確定してない事を
歴史的事実として教えすぎ。都合の悪いところだけ捏造とかわめく輩は論外だが、他の
まともな学者連中も、古代史教育ほっといていいのか。「だろう」「らしい」を受験勉
強で覚えるなどという無駄な労力を学生達に強要していいのか?
303日本@名無史さん:02/12/08 07:42
司馬説では仏像、寺院などの新しい文化に衝撃を受けただけのもので
思想に感銘したものではない、みたいなことを言っていたね?

それが本当なら、
ヤンキーがズボンずり下げて歩いたり、ピアスするのと
同じレベルの話だな(w
304日本@名無史さん:02/12/08 07:52
>>302
きみを「だろらし」君と呼ぼう。
305日本@名無史さん:02/12/08 08:16
304は馬鹿。
306日本@名無史さん:02/12/08 11:06
>>302
禿同。専門家が何十年調査し議論しても結論が出ないことを十代の学生に暗記させても意味なし。
そんなことやってるから、このスレでも「北狐か比狐か」とか、隋が発令した将軍位の優劣とか、
どうでもいいような瑣末な知識の披露大会になっちゃう。
307日本@名無史さん:02/12/08 11:42
もっと可哀想なのは消防。意味もわからず、未だに「聖徳太子は七人の
人の話を同時に・・・」とか、「蘇我氏にいじめられた悲劇の人」とか
聞かされてるのは、充分捏造だと思うぞ。
308日本@名無史さん:02/12/08 13:44
>>307
えっ。そんなことを教えているのか?
ウマヤドさんはソガさんが担いでたんじゃないのか?
309日本@名無史さん:02/12/08 14:13
>308

蘇我氏が悪逆で、中台兄の決断を称揚するためにも、平安時代にことさらに聖徳太子伝説
がふくれあがったというのが定説。
実際は、蘇我氏の一族であり、それなのに太子の一族が何故滅ばされたのか、ってかそれ
もどこまで史実なのか、よくわからないことだらけ。

基本的には、仏教に関しては蘇我氏の基本政策でもあるわけで。
310日本@名無史さん:02/12/08 15:49
>>1
キンピカの仏像が綺麗だったからだよ。
311日本@名無史さん:02/12/08 22:10
秀吉と同じ趣味だったのだな・・・
312日本@名無史さん:02/12/11 01:44
実在したかどうか怪しい人物を、
素晴らしい業績の人物のように教えるのは、
捏造以外の何物でもない。

だいたいが、小学〜高校生くらいには、平安以前の古代史なんかどうでもいい。
現代史をもっと丁寧に教えるべきだわさ。
313日本@名無史さん:02/12/12 22:29
歴史の事実とは、史料と遺跡のみ。その他は全て解釈と仮説。
そういう基本的なことを明らかにした教育をすることが必要である。
実在したかどうかは、各自が思うことで、証明はあり得ない。
仮説の命は説得力以外にはない。
314日本@名無史さん:02/12/13 21:15
>仮説の命は説得力以外にはない。

物的証拠がなければ説得力がない。
仮説を、仮説として教えるのなら文句はないが、
あいまいなことを事実と教えるのは、国民をだますことだ。

315日本@名無史さん:02/12/14 13:56
>物的証拠がなければ説得力がない

いえ、物的証拠があれば説得力が増すということです。
合理的な疑いを差し挟む余地のない推論・解釈であれば、
その結論を事実と認定してよろしい。
316日本@名無史さん:02/12/14 14:01
ウマヤドノオウジはいた。聖徳太子はいなかった。
が、定説になりそうな気がする。
317日本@名無史さん:02/12/14 14:43
後世の呼び名にそんなにむきにならんでも・・・と言いたいところだけど、
実際に伝説が学校で公然と語られているのが怖い。天皇の贈り名にしても、
かなり古い、大王とさえ呼べない時代の天皇を「○○天皇」と呼ぶのも、ど
んなもんかね。それだけで先入観すごいし。
318日本@名無史さん:02/12/14 22:05
ウマヤドさんの実在を証明する物的証拠はないだろう。これからも出てくるとも思えない。
ただ、こんな昔の特定の人物について物的証拠が出てくるとも思えない。
だから、物的証拠がないからといって、そのことが実在を否定していることにもならない。

要するに仮説の域を出ることはなかろうよ。
319日本@名無史さん:02/12/14 22:12
>>315
>合理的な疑いを差し挟む余地のない推論・解釈であれば、
>その結論を事実と認定してよろしい。

現代人の感覚で「合理的」と思えることが、古代人の感覚でも
妥当だと誰が判断するの??
320日本@名無史さん:02/12/14 22:26
>>319
それは、>>315の言いってることとズレているだろ。
>>315の言ってること自体は正しいと思うが、
こんな昔の特定の人物について、「合理的な疑いを差し挟む余地のない推論・解釈」
があるとは思えんね。

要するに仮説の域を出ることはなかろうよ。
それで何の問題もないと思うね。
321日本@名無史さん:02/12/14 22:32
>>320
仮説を仮説として教えるのなら、問題はないね。
事実として教えているから、大問題だと言っているんだよ
322320:02/12/14 22:34
>>321
禿同。
323日本@名無史さん:02/12/15 13:09
仮説を仮説として教えるのは、高校レベルから上でいい。
中学レベルでは、定説に近いものと、歴史全体の流れだけで充分。
324日本@名無史さん:02/12/15 18:25
中学と高校でそんなに違うかい?
中学レベルでも、歴史には仮説というものがあって必ずしも分かっている事ばかりじゃないんだなあ、
という理解も大切だと思うよ。
325日本@名無史さん:02/12/15 22:57
今の中学の社会では、定説だって教えるのに四苦八苦してるんだよね。仮説がどうのこうのというを理解できるのは、ほんの一部だけじゃないかな。
326日本@名無史さん:02/12/15 23:06
「捜聖記」読め
327日本@名無史さん:02/12/15 23:31
>>325
白雉化は進むばかりだな。学力の低下は嘆かわしいのお。
328日本@名無史さん:02/12/15 23:44
日本が記紀執筆のために長安で古書を買い漁ったってのはほんとですか?
329日本@名無史さん:02/12/16 17:27
アンチョコ買ったのは事実。
330↓日本@名無史さん :02/12/16 19:42
それにしては、中国の史料と整合性ないよなあ。
331日本@名無史さん:02/12/17 18:44
書き方の参考にしただけ?
332日本@名無史さん:02/12/20 03:44
要するに、記紀は、でっち上げ・捏造だらけで、
あんなものを基準に歴史を語る奴は、DQNの基地外、
って結論でいいかな?
333日本@名無史さん:02/12/20 22:10
何を根拠にそういう大笑いな結論が出るのかな?
334日本@名無史さん:02/12/20 22:34
>332
そのとおり
335日本@名無史さん:02/12/20 22:50
中国の史料は正しいのか?
336日本@名無史さん:02/12/21 16:47
それも色々。信憑性の高いものもあれば、悲惨なのもある。まあ、いずれにせよ、
記紀よりはましか。
337日本@名無史さん :02/12/23 01:35
>>333
まず、「天孫降臨」の歴史的事実性を立証して見せてくれ。
話はそれからだ(大笑)
338日本@名無史さん:02/12/23 08:42
人類が月に到着したことの歴史的事実を立証することは可能かな?
339338:02/12/23 10:42
ネタでつか?
月の遺物の放射年代測定でオワ。まあ、本当に月に行ってたとしてだが。
340日本@名無史さん:02/12/23 14:56
えっ、立証されてるじゃん。
ただ、オカルトを信じてるアホが、事実を信じられないだけで。
太陽の表面温度は実は500度しかない。
このウソがウソであると立証するのって、言葉を信じられないバカには難しい。
表面温度は、数千度。プロミネンスの方がよっぽと高い。
その温度は、現地で測ったものではなく、観測結果からの計算による。
341日本@名無史さん:02/12/23 16:41
で、、「天孫降臨」の歴史的事実性はどうなったの?
342日本@名無史さん:02/12/23 16:54
旧約聖書には荒唐無稽な天地創造が書いてあるから歴史的事実を探る史料としての価値はないってか?
343日本@名無史さん:02/12/23 22:32
>>340
立証して見せてくれ。話はそれからだ(大笑)
344日本@名無史さん:02/12/23 22:35
月の話はもういいよ。関係なし。
345日本@名無史さん:02/12/23 22:49
何事も「立証」することはできないということ。
立証より確信の方が現実的ということ。
天孫降臨も月着陸もね。
346日本@名無史さん:02/12/24 01:39
車の速度違反、飲酒運転。
これらも立証できないと言うんだろーな。
アルコールを検知して、その飲酒量を測定する。
その化学反応と化学式の正しさ。機械の構造の正確さ。
速度をドップラー効果を応用して測定する。その理論の正しさ・・・。
おまえには説明しようがないが、立証はされる。だって、お前バカだから理解できんだろ。
一般的な立証という言葉の用法として、使っているのだが。
キミが納得できるかどうかが立証ではないんよ。
オカルト馬鹿はこれだから・・・・・。
第二次世界大戦があったことも立証できないんだろ、どうせ。
自分の体験だけで生きてろよ、バカは。
347日本@名無史さん:02/12/24 02:30
なるほど、科学性・論理性を理解できないヤツが対象だと何事も実証不能なわけだ。
大変だよな。確かに猿相手に実証できるのは「バナナが存在する」とかその程度の
範囲に限られよう。
348日本@名無史さん:02/12/24 07:47
まあ、放射年代測定や年輪測定法が、土器編年や古墳の編年より「むちゃくちゃ」
といわれる古代史学会だからな。たしかに30年前は失笑ものの技術レベルだった
ようだが、だからって未だに技術進歩を認めないじじいがわんさかいる。そのくせ、
自分の研究では「思われる」「とも考えられる」などの推測のオンパレード。


  こ  れ  っ  て  科  学  者  で  つ  か  ?
349日本@名無史さん:02/12/24 14:02
>>348
助言: そんなやつらとは付き合うな。
350日本@名無史さん:02/12/24 16:42
なんか>>348って無知を絵に描いたようなレスだね。
351日本@名無史さん:02/12/24 16:53
>まあ、放射年代測定や年輪測定法が、土器編年や古墳の編年より「むちゃくちゃ」
といわれる古代史学会だからな。

「放射年代測定や年輪測定法が、土器編年や古墳の編年より「むちゃくちゃ」
だと言ってる古代学者がいるかいないか」は立証できるんだよ。

誰がそう言ってるのか具体例を挙げてもらおうじゃないか。
挙げられなきゃキミは中傷屋だぜ。
352日本@名無史さん:02/12/24 17:52
ぷっ。

知らない方がもぐりだと思われ。
353日本@名無史さん:02/12/24 18:01
はぐらかさないで、名前でもあげてやれよ。
354日本@名無史さん:02/12/24 18:53
はぐらかし うそ 中傷
355日本@名無史さん:02/12/28 21:52
何か不思議な議論になっているようだが、
自然科学と社会科学の違いは相手にしていることが再現可能かどうかだね。

自然科学では、新法則の仮説を立てるとこれを実験で検証する。そして、
もっと大事なことはそれを別の人が追実験する。それでみんなが認める。

ところが、社会科学では追実験ができない。
歴史学で言えば、はっきりしているのは遺跡や古文書が存在しているということだけで、
それに説明を与えることは結局仮説を立てること。だけど、その仮説を自然科学のように
証明する方法はない。
356日本@名無史さん:02/12/28 21:59
>>355
すごい古臭い考えだね。君何世紀の人?
357日本@名無史さん:02/12/28 22:09
>>356
あなたの考えをきかせてくださいな。興味あるから。
漏れは355は古臭いとは思わないしごく当たり前なことをいっていると感じるが?
358日本@名無史さん:02/12/28 23:31
てか、355の言ってる意味が(目的?)わからないのは、漏れだけでつか?
359355:02/12/28 23:45
「立証」という話題が出たので一言。
古代史の仮説を立証することはソモソモできないということ。
360日本@名無史さん:02/12/29 03:14
古代史はね。
月面への人類の到達はどうだろう。

歴史的事実とされるもの。定説を認めないとする立場の人間は、
その拠って立つべき歴史認識そのものが存在しないことになる。
これは、根拠のある新説を提唱していない者に限定だが。
一事においてのみ定説を認めない理由が、自分の根拠のない『考え』である場合、
それは無視されてしかるべきものである。
僕はこう思った。それは言っていいことだが、僕はこう思ったけど、これが真実。
これはアホの言うこと。根拠がそこにないのなら、とりあえず定説に軍配があがる。
361日本@名無史さん :02/12/29 05:30
↑ アホですか?月にこだわってるので、「月面厨」と命名しよう。


・・・てか、スレ違い。
362日本@名無史さん:02/12/29 15:52
アホが一例として出したのが月面着陸。
オカルトバカの発言は無視しましょう。
例として不適当なものを挙げるから論がズレる。
363日本@名無史さん:02/12/29 17:03
通りがかりの者でが、考古学の証明って、数学や物理のようにはいかない
ってことですよね。
どうしても、主観や推論を含めて説明せざる得ない。前提を合意した上で
論議しないと、どんどん話が広がって収拾できない。そんな応酬ですね。
364日本@名無史さん:02/12/29 20:59
>>332 から怪しい雰囲気になっている。
365日本@名無史さん:02/12/30 10:44
>>330
>それにしては、中国の史料と整合性ないよなあ。

何度も色んなところで繰り返し議論されているとは思うが、
具体的にどこが整合性ないのかな?
366日本@名無史さん:03/01/08 21:27
聖徳太子という架空人物はさておき、
蘇我馬子は仏教という当時の最新科学/最新技術を導入したのだ。
367日本@名無史さん:03/01/08 21:30
仏教伝来という場合、当然じょじょに浸透してきたわけだが、どの時点をもって「伝来」と
いうべきなのか?
368日本@名無史さん:03/01/08 22:26
>>366
こういう馬鹿はさて置き、議論続行。
369日本@名無史さん:03/01/08 22:52
で、具体的にどこが整合性ないのかな?
370日本@名無史さん:03/01/08 22:54
よく考えましょう
371日本@名無史さん:03/01/08 23:04
倭の五王

女帝の影が見えない
372日本@名無史さん:03/01/10 23:07
またこれやるのか?
373山崎渉:03/01/11 16:38
(^^)
374日本@名無史さん:03/01/11 23:09
影を見るのは難しい。
影は光のないことである。光を見ながら、光のないエリアを影と認識する他ない。
女帝の影を見たい方は、そのためにどんな光を見れば良いのか。
ああ、もっと光を。
375日本@名無史さん:03/01/15 00:01
聖徳太子が仏教を進行したのは、金ピカの仏像がキレイだったのと、
ヌリヌリの寺がカッコ良かったからに決まっているじゃないか。
376日本@名無史さん:03/01/15 00:07
>>375
どこかで聞いた覚えがあると思ったら、ロシアでキリスト教受け入れた時の
エピソードのぱくりじゃないか。
377日本@名無史さん:03/01/15 00:31
中世にワビ・サビの文化が生まれたのは、古代にキンピカ仏像・ヌリヌリ寺院だったのが、
ちょうどツヤやテカリが落ちて来た時期だったからだね。

古代は、ピカピカ時代。今の日本人から見ると品のない感じだろうよ。
378山崎渉:03/01/16 08:45
(^^)
379日本@名無史さん:03/01/16 23:53
埴輪や土偶の稚拙さと比べれば、仏像のリアリズムは仰天動地の衝撃だったろうね。
380日本@名無史さん:03/01/17 00:31
埴輪や土偶は稚拙ですかね?
素朴な中にも、特徴を強調して、大胆にデフォルメした芸術的ともいえるものがあります。

仏像はリアリズムですかね?
体が金ぴかだったり、後頭部にたくさんの「矢」が刺さったようなのもあるが(笑)
手が何本もあるようなのもあったな。
381日本@名無史さん:03/01/18 19:56
まあ、色々な見方があるとは思うが、
芸術的かどうかは兎も角、技(ワザ)的には仏像の方がスゴそうだよ。

少なくとも、仏像は埴輪や土偶とは全然異質で強烈な印象を与えたことだろうよ。
382日本@名無史さん:03/01/19 02:23
珍しかっただけじゃないの?(笑)
383日本@名無史さん:03/01/19 07:01
用明・推古。オヤジは欽明、母親は堅塩姫(蘇我稲目の娘)。
確実にいえることは、朝鮮系の血がかなり入ってるということ。

蘇我氏の先祖は百済の高級官僚 木満致
で大和の曽我に住んだので蘇我満致と呼ばれるようになったというのが定説。
蘇我満致の子孫は韓子、高麗、稲目、堅塩姫、用明、聖徳太子となる。

馬子、蝦夷、人鹿。蝦夷と人鹿は日本史上「悪人」のレッテルを貼られて、
大海人皇子と中臣鎌足による暗殺を「大化の改新」と歴史教科書や辞書には、書いてある。
しかし、どうみても、改新でなく「クーデター」だよ。
 蝦夷と人鹿が悪人と考えられるのは、天皇家よりも政治力があっていばっていたからで、
ま天皇制がしっかり定まっていない当時としては、ありがちな話だと思う。
384日本@名無史さん:03/01/19 07:46
聖徳太子ってキリスト教徒(ネストリウス派)でしょ?
385日本@名無史さん:03/01/19 15:37
>>384
 という人もいるな。
 聖徳太子が景教徒(ネストリウス派)だったという証拠文書が出てこないと、
爺さんたちは認めないんだよ。
 まえに、348さんが言ってるけどね。
 一般の「歴史学者」は、95%はそれまでの歴史理解を用いて、のこりの5%
だけ新しいことを言うんだ。間違えを指摘されたときに、逃げやすいだろ。
 でないと、「教授」という肩書きを捨てなきゃならないと考えているんだ。
 これは、かなり本当だよ。僕が出会った教授は、ほとんどがそうだった。
 そんなことしてるから、「遺跡の捏造」なんてことが起こっても、いつの間に
か時が過ぎちゃうんだ。あの捏造データで論文書いた教授たちは、今頃ひっそり
と書斎で落ち込んでるでしょうね。
 高校の先生しながら、コツコツと研究している、地方の研究家たちの方がはる
かに誠実だし、真摯だし、真剣だよ。教授って、一度やったら止められないって
話だよ。でも、それで教科書が「墨塗り」されちゃたまらないよね。
 戦争直後の教科書じゃあるまいし。
386日本@名無史さん:03/01/19 19:30
そうだね。漏れは謀大学の史学専攻だが、同じ事漏れらのセンセイ、飲みにいくたんびに
言ってた。
漏れは、歴史学なんて理系に比べたらお遊びという気がする。大学でも工学部や理学部の
連中は勉強しないと容赦なしに落とされてたし。責任も違うしな。計算間違えただけで、
世の中むちゃくちゃになってしまう。
387日本@名無史さん:03/01/19 23:09
史学科の人達はみんな面倒くせーんだろう。気力がなえてるんだよ。
ビタミンとカルシウムが足りないせいと思う。
388日本@名無史さん:03/01/19 23:13
>>386
うん、婦女子の遊び未満だよな。とても成人男子のやることじゃねえ。
389日本@名無史さん:03/01/20 23:59
>>385>>386
想像に難くないね。
若いときは、今を生きなきゃね。

まっ、でも、現代は自由な時代で良いね。通説が何だろうが勝手にドンドン研究して
本出して、当たれば一儲け。中には楽しめるのもある。良い時代に生まれたものよ。
390日本@名無史さん:03/01/31 02:12
>>388
女の子をバカにしないでよね
391日本@名無史さん:03/02/09 11:06
馬子の息子説はどうよ?
392日本@名無史さん:03/02/12 02:42
聖徳太子=入鹿
最初はバカにしていたが否定しきれんとこもある。
393日本@名無史さん:03/02/12 04:26
確かにここの書き込み見てると
とても学問とは思えん
大学の史学科でもこんなことやってるのなら
即刻廃止すべし。
394日本@名無史さん:03/02/24 04:51
ここよりも、聖徳太子伝説の数々の逸話のほうがおかしいと思いますよ。
395日本@名無史さん:03/02/24 06:41
考古学や史学の人こそ、経済学、社会学、数学、理学、医学、化学、天文学
物理学、語学、に精通してなきゃ歴史解釈を提出出来ないと思うんだけど、
実際はこれら学問の素養が無かった人がなってるからねぇ。
まぁ逆に言うと、今は、これだけの学問の成果を利用して新しい歴史解釈を
提案できるルネッサンス期にあるとも言えるなぁ。

早い者勝ちだと思うよ、>若い研究者君。
396日本@名無史さん:03/02/24 08:02
>>395
そんなこと脳タリンの文学部の人間に求めるほうが間違ってる。
病院に入れるほどではない精神異常者の収容所が考古学科や
史学科なんだから、そこでオナニーのような学問もどきをやってて
もらうのが日本の為。 へたに実社会にでると世間が迷惑、
まともな学問的成果は外人に任せとけばいい。
蛸壺学問と学会ごっこはJAPにおまかせ。
397日本@名無史さん:03/02/24 08:42
聖徳太子の仏教信仰は、政治的意図とかではなくて、あくまでも個人の信仰だと思う。
史料が少ない上に、信憑性論議もあるが、一応史料をつなぎ合わせると、極めて矛盾
なく、仏教信仰に基づいた発言をし行動をしている。
十七条憲法には、3番目にあるが、それは、あくまでも十七条憲法が政治目的で作成
されたことで、政治的に大事なのは、「和」であり「遵法」である、次に個人として
信仰すべきは「四生の終帰・万国の極宗」である「仏教」といっている。
その他天寿国繍帳や玉虫厨子に描かれる教義や、晩年の行動や、「世間虚仮、唯仏是
真」(これは世をはかなんだとか現実から目をそむけたとか、言う意味ではなく、広
い意味で、仏教の核心そのもの)などの発言から、極めて純粋な仏教者といえる。
三経義しょなどは、太子の著作かどうか疑問があるが、内容については、極めて太子
の信仰に近いもので、当時では画期的な山の仏教を捨て在家の仏教を奨励する内容に
もなっていて、後の浄土信仰者の太子帰依の根拠にもなっている。
398日本@名無史さん:03/02/24 10:49
神道は「潔癖症」だから。

聖徳太子は「適当でええやんけ。潔癖症はかえって汚い」と普通の事、いっただけ。
399日本@名無史さん:03/02/24 11:16
新興宗教でしょ?当時としては
オウム弾圧しようとして、かえって政権乗っ取られたようなもの <物部氏
400日本@名無史さん:03/02/24 12:27
蘇我・物部の争いは当時のセックス・衛生学の論争だったのだよ。

1)
「潔癖症でかたくなに処女を守る巫女と」と
「やりまくりの商売女」のアソコはどっちが臭い?

2)
処女と非処女、どっちが霊感強い?

「病気が怖くて知識だけの頭でっかちが能がき並べるなぁ!
 理論が実践に勝てるかぁ!!本当はおまえらもしたいんだろ?」
の聖徳太子のソウルフルな一言で物部を粉砕。

「そーだ!そーだ!」と夜遊び四天王が援護。

物部勢をかたっぱしから捕らえて、遊郭に連行。実地体験。

ちなみに(2)の回答。

「非処女はセックスに幻想を持ってるのでたいていズレてます。
 場数を踏んでる玄人のお姉さんのほうがはるかに鋭い。」

「こういう騒ぎを起こすのは絶対あいつ」ピンポン。
401日本@名無史さん:03/02/24 12:56
>>377
ワビ・サビな日本よりも,キッチュな日本のほうが本当の日本という気がしますね.
桃山・寛永美術なんかも金ピカですよ.その伝統をいまに受け継ぐのが霊柩車.
あれは日光東照宮がエンジンつんで走っているようなものだからなあ.
402日本@名無史さん:03/02/24 15:40
「仏教」と「神道」、宗教論争といえば聞こえがいいけど、一番下世話な話。

「処女を失うと、女は霊感がなくなるのか?」とか
「本当にセックスで感染する病気があるのか?」とかいう話じゃないの?

処女の霊視は、「妄想と欲求不満。」だと思うぞ。
手紙のやり取りだけで本当に楽しいんけ?
403日本@名無史さん:03/03/07 01:18
だけど、仏教では、馬小屋での生誕ってい発想ないんとちゃう?
404日本@名無史さん:03/03/14 22:36
最近の解明では、原始キリスト教がトルコ系経由で伝わったものらしい
405日本@名無史さん:03/03/16 00:24
>>401
それは言えるかもね。
でも、古代のキンピカは、中国・仏教関係の世界だから、中華街みたいなノリじゃねえかな。
ちょっと日本人には疲れるかなー。
オイラは桃山系のキンピカなら馴染むよ。
406 :03/03/23 09:34
ブッディスト宮崎哲弥の掲示板もよろしく。

てっちゃんねる
http://jbbs.shitaraba.com/study/2577/tetsuya.html
407日本@名無史さん:03/03/31 00:52
>>404
唐や隋を作った鮮卑も、トルコ系だと言われてるしね。
408日本@名無史さん:03/04/03 18:54
いったんトップにもって行きます
409日本@名無史さん:03/04/03 20:35
最近オンラインカジノでよく遊んでるよ!
30ドルのチップを始めに貰えるのでよかったらやってみて♪
無料でできるプレーもあるし、結構楽しめるよ(^.^)
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http://www14.vis.ne.jp/~gvga/imp
410日本@名無史さん:03/04/03 21:14
>>471
京都を建都した桓武天皇の母型は朝鮮人であった。
こうしたことが明治憲法にある天皇家の大和民族万世一系論など
神話にすぎないことをしめしている。
日本人の精神文化では朝鮮半島(関係者)はたえず下位に置かれてきた。
またプライドの高い日本人は江戸時代の朝鮮通信使に日本を大きく見せようと、
滋賀県近江八幡地区にわざと曲がりくねった道(朝鮮街道)をつくるという馬鹿げ
たことさえしてた。(w
ただ朝鮮人も同じだけどね。
411日本@名無史さん:03/04/05 23:20
す。

412日本@名無史さん:03/04/05 23:24
わざわざ晒しあげしなくても・・・
413日本@名無史さん:03/04/12 00:14
左から閉じろ
414日本@名無史さん:03/04/13 22:14
ちょっとピンチ。でも生き残ってもらわないと困るので書き込んどきます。
415山崎渉:03/04/17 13:51
(^^)
416日本@名無史さん:03/04/18 22:50
ちょっといい話し。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あちこちから悲鳴が聞こえる泣き叫ぶ子供。瓦礫と化した家に押しつぶされる日本人。
「助けて…」という声が絶え間なく聞こえている。しかし被災した神戸の住民は、放心
したように黙って座り込んでいるだけだ。あまりのショックに下敷きになっている人を
助けることさえ忘れているのだ。
「今助ける。まっとけや!」
こう叫んだのは共に住民として神戸に住む在日韓国人達だった。自分も血を流し怪我を
しているにも関わらず救助活動を続けた。
「ぜったい助ける。がんばれや!」こうして懸命な救助活動の末助け出された人
達は1千人以上にものぼる。助けられた中学生の女の子は「在日韓国人の人がいなかっ
たら間違いなく死んでいた」と涙を流した。村山首相を始め救助活動の遅れが多くの助
けられる人たちの命を奪った。「助けるのは当たり前や! 私ら同じ住民やもん!」
オモニ達は目に涙を浮かべていた。
417日本@名無史さん:03/04/18 22:51
>>415
お前誰だ?
418山崎渉:03/04/20 01:53
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
419日本@名無史さん:03/04/20 16:57
>>177
IBM PCの様に一部使いまわしてとか自作で入れ替えというケースは少ない。
420日本@名無史さん:03/04/29 17:30
物部と蘇我の仏教争いが嘘だと判明している現代に、
実在性がほぼないと思われる聖徳太子についてどうと言われても難しいですね。
421日本@名無史さん:03/04/29 20:47
>420
逆に、これだけの重要人物の捏造が可能だったという事実が興味深い。
422日本@名無史さん:03/04/29 22:10
10万円紙幣の肖像画が楽しみだ。
423日本@名無史さん:03/05/02 12:46
結局のところ蘇我氏は朝鮮の豪族だったわけですよね。
それが仏教を持って日本列島にやってきた。
そしてあっという間に日本中に広がった。
424日本@名無史さん:03/05/02 21:23
自民族による最悪の統治は、
他民族による最良の統治よりも優る
425日本@名無史さん:03/05/03 00:56
聖徳太子は臭い
426日本@名無史さん:03/05/03 01:08
>>423
朝鮮のわけがない。蘇我の先祖の名前を見てみろ、韓子とか高麗だぞ。
当時の高麗(=高句麗)は韓族ではなく、韓子は韓族とのハーフの意味。

つまり、もし半島出身だとすれば矛盾した名前を祖先にもつものばかりとなる。
427日本@名無史さん:03/05/03 01:31
冠位十二階で定めた冠位が蘇我馬子にはない。
これは、蘇我馬子が冠位を与える側だったからであるとしか説明できない。
428日本@名無史さん:03/05/03 13:19
>>426
朝鮮民族の祖先=現在の朝鮮民族 と言っても
まったく問題ない
429日本@名無史さん:03/05/03 14:23
今さらなつっこみで悪いんだが、民主主義の3本柱って
「自由」「平等」「博愛(友愛)」だろ。
最後の博愛ってのはわざとなのかどうなのか和訳したときにすりかわってるので、
本来は「友愛」あるいは「同胞愛」
たから、同胞でない者には自由も平等も適用されなくても問題ない分けなので、
別にこれらを突き詰めても矛盾は生じないと思うんだが
430日本@名無史さん:03/05/03 17:10
431日本@名無史さん:03/05/03 17:17
>>428
そういう問題ではなく、高句麗と韓という矛盾した敵国同士二つの名前を持つ先祖。
つまり、明らかに蘇我の先祖の名前は作為されている。
432日本@名無史さん:03/05/03 18:35
蘇我満智や蘇我韓子などの名が「日本書紀」に出てきますが、
彼らが蘇我稲目の先祖であったは、とても思えません。
なぜなら満智(まち)とは、百済人によく見られる名前で、
韓子は日本人と韓人の混血のことを指し、あまりにも抽象的すぎる名前だからです。
433日本@名無史さん:03/05/14 02:57
それをいったら、蘇我高麗にいたっては、高麗とは高句麗の自称名だぜ。
敵対してた新羅(=韓族)・百済の・高句麗の3ヶ国関連が全部出てくるとは??
434日本@名無史さん:03/05/14 18:23
>>428
朝鮮民族の祖先≠現在の朝鮮民族でしょう。
当然
朝鮮民族の祖先≠日本における在日ともいえます。
435日本@名無史さん:03/05/14 18:26
百済語と新羅後、高句麗語は別々の言語であった事から
百済民が日本に来て言葉が通じないのは明白。
高句麗語は日本語に似ていたのである程度は通じたと思われるが。
436山崎渉:03/05/22 03:24
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
437日本@名無史さん:03/05/23 17:47
聖徳太子のころの仏教信仰は流行だよ。
でっかいお寺建てることで自らの力を誇るのが流行りだったんだな。

438日本@名無史さん:03/05/23 18:27
>>437
禿堂。
439日本@名無史さん:03/05/23 18:28
>>435
>百済語と新羅後、高句麗語は別々の言語であった事から
>百済民が日本に来て言葉が通じないのは明白。
>高句麗語は日本語に似ていたのである程度は通じたと思われるが。

ソース希望。
440日本@名無史さん:03/05/23 18:44
>>439
分からないことがあったら博士に訊いてごらんよ?

      ↓ ↓ ↓ ↓
http://acdemy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052236771/150
441山崎渉:03/05/28 11:05
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
442日本@名無史さん:03/05/29 02:36
高句麗語の数詞がなぜ判明しているか、については、朝鮮半島の三国史記の地志で、
旧高句麗領地の地名を新羅の景徳王が変更した、という記事が多数あるためです。

高句麗語地名の漢字表記(当て字=卑弥呼などと同じ)と、
新羅地名に変換後の漢字表記(漢字の意味利用)を対比すればよいわけです。

「三」は高句麗語で「密」なので当時の発音推定により「mit」
「五」は高句麗語で「于次」なので当時の発音推定により「utu」
「七」は高句麗語で「難隠」なので当時の発音推定により「nanun」
「十」は高句麗語で「徳」なので当時の発音推定により「tek」

大和言葉の「み(mi)」「いつ(itu)」「なな(nana)」「とお(to)」と類似しており、
逆に、周辺の中国語/満州語/朝鮮語とは全く異なるという状況です。
443日本@名無史さん:03/05/30 02:45
    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,         
    ||||||||||||||||||ii       
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  i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i  
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 |━-  -━━━ |||||||| |||  
 ,・=-|  -=・=-   / ̄||| ,||||  きみたち死になさい。
 |  /         _!|||||!!  
. | (_,       ̄|||||      
 | ━__━      ||||     
  ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__   ||||     
   ||||||||||||             
    !|||||||!!           
    !||||!       
444日本@名無史さん:03/06/12 21:54
445日本@名無史さん:03/06/21 01:48
高句麗の王子が人質に来たのが聖徳太子?
446日本@名無史さん:03/06/21 01:50
はいそうです!
447日本@名無史さん:03/06/24 23:20
ウマヤドのミコの母はマリアです。アーメン。
448日本@名無史さん:03/06/25 23:33
ベツレヘムでお生まれになりました。
449日本@名無史さん:03/07/06 02:30
馬小屋で生まれたのはキリストとどっちが先なの?
450日本@名無史さん:03/07/06 02:32
聖徳太子って
聖徳短大と関係あるの?
451山崎 渉:03/07/12 12:31

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
452山崎 渉:03/07/15 11:48

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
453日本@名無史さん:03/07/17 05:06
蘇我の先祖の名前を見てみろ、韓子とか高麗だぞ。
当時の高麗(=高句麗)は韓族ではなく、韓子は韓族とのハーフの意味。

つまり、もし半島出身だとすれば矛盾した名前を祖先にもつものばかりとなる。
454日本@名無史さん:03/07/17 10:58
法隆寺五重塔、年輪年代法で663年以降に再建確実!だってさ。
455米CNN:03/07/23 22:11
>> 454

・・・のようだね。
ところで、若草伽藍の南北軸が西に十数度傾いているのは、なぜかな?
456日本@名無史さん:03/07/25 01:50
その方向になにかあるのかな・・・?
457_:03/07/25 01:51
458日本@名無史さん:03/07/25 08:14
>>450
学長が熱心な仏教徒で、
聖徳太子から名前を取ったんじゃなかったっけ。
459日本@名無史さん:03/07/25 08:24
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460SEX:03/07/25 08:31
           , -‐- 、
         /^8 /    ヽ
.       / ノ.//ノノ ))))〉 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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         /、./ l .!
.         l! l\ ll\!!
          ヽ_)l__ノ
461日本@名無史さん:03/07/30 15:25
日本が仏教国なのは太子くんの仕業!
462日本之仔猫:03/07/30 17:39
聖徳太子の時代のキリスト教の影響については↓の、レス29-51を読んでね♪

http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=3229&KEY=1058216463&LAST=100
463山崎 渉:03/08/02 01:22
(^^)
464日本@名無史さん:03/08/03 16:58
465日本@名無史さん:03/08/03 17:03
スレ違い失礼します。
この世の中、2ちゃんねらは沢山いる。
だからこそ調べ上げたい『今何処でこの2chを見ているのか。』
都道府県別に調べ上げたい・・・
裳前らが今、何処でこの2chを見ているのか教えてくれ。

現行スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/bakanews/1059895361/
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
 ..iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
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iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
467日本@名無史さん:03/08/10 03:08
秦氏と景教についての関係は諸説紛々で、
ハッキリせんなぁ。秦氏景教徒説では、まずもって、
大秦景教流行中国碑を秦氏と結びつけるが、秦氏は
まずもって秦の始皇帝の方に由来がある、と。
秦氏が景教と関わりのあることに差し当たり異論は
ないとしても、太秦寺(景教の寺院、広隆寺の別名で
もあるとの由)を菩提寺とした経緯は謎。

太秦というのはローマのことらしいが、秦国と文
字の重なるのは、偶然なのか、シルクロードの果て
に別の秦国を中国人は見たのか。
468日本@名無史さん:03/08/10 07:15
>>1
中国に憧れていたんじゃない

とりあえず。ikomoが日本史を消した事については、ゆるせねえ
469山崎 渉:03/08/15 13:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
470日本@名無史さん:03/08/16 00:51
471日本@名無史さん:03/08/22 00:58
472日本@名無史さん:03/08/22 11:52
刀自古郎女との間に山城皇子をもうけた訳だが、その時代にしては
あまりにも子供の数が少ない。
信憑性の欠ける諸説があるが、女嫌いだったのかな?
それとも自慰にふけってばかりいたとか?
http://www.crystal-online.tv/contents/search/CRL_Facture_Detail.asp?I=NIF&FACTURE_CD=SC-138

473日本@名無史さん:03/08/29 20:50
474日本@名無史さん:03/08/31 00:10
聖徳太子が渡来人てほんと?
475日本@名無史さん:03/08/31 00:12
ってゆーか存在してない。
476日本@名無史さん:03/09/01 18:25
聖徳太子は蘇我氏の総領息子が好きだったので、仏教を
進めたんだよ


                と、あるマンガに書いてあった(曲解済み)
477聖徳太子(・∀・)イイ!!!!:03/09/10 18:35
聖徳太子は神道!仏教!景教!の三位一体を
人格化させたのが聖徳太子
聖徳太子、自身は神道の信者
蘇我氏が仏教を聖徳太子に組み入れる
秦氏が景教を聖徳太子に組み入れる
3宗教を聖徳太子に組み込んだお陰で
日本には和の精神が出来上がったんじゃないの
そして!その和の精神を持ってして出来た事
列島にあった国々を統一して日本と言う国名にした事
その日本と言う国名が現在まで続いてこれた事
それは聖徳太子が神道!景教!仏教!の三位一体で聖徳太子が
人格化され それに和の精神が宿ったに違いない
聖徳太子を持って成せた偉業だったとσ( ̄∇ ̄o) コッチは思う
一国名を千年以上!名乗ってこれた日本はやはり偉大な国である
聖徳太子ヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪
中国にあった国々!朝鮮半島にあった国々には出来なかった!それは
和の精神を人格化!出来なかったからに違いない
_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ばんばん!
478日本@名無史さん:03/09/18 00:25
479日本@名無史さん:03/09/18 00:56
秦氏と聖徳太子と関係有るの?。景教は元はユダヤ教でないですか?。
秦一族は、渡来人・・中国より(ユダヤの混血)・・景教を信仰。
しかし聖徳太子て本当に居たの?。蘇我氏の誰かでないですか?。
480日本@名無史さん:03/09/27 17:39
蘇我満智
蘇我韓子
481日本@名無史さん:03/10/09 21:51
482日本@名無史さん:03/10/16 22:33
483日本@名無史さん:03/10/16 22:53
てか蘇我馬子と聖徳太子は同一人物じゃないの。
馬子に功績がいっぱいあるのに、蘇我氏を滅ぼしたら名聞が立たない
から理想的政治家の側面だけを聖徳太子という人物にしただけでしょ
484日本@名無史さん:03/11/07 01:34
485日本@名無史さん:03/11/29 12:03

高句麗の王子が人質に来たのが聖徳太子?
486日本@名無史さん:03/12/19 14:49
>>485
そうだす…
487日本@名無史さん:03/12/28 08:57
日本語は現在のところ世界のどの言語とも音韻の規則的対応が見出せませんが、
高句麗語の僅かに残った文献の中で、
mil(3)utu(5)nanun(7)tek(10)papa(母)kuuts(口)など
20数種の語彙に関して驚くべき類似点が指摘されている。
488日本@名無史さん:03/12/28 12:06

今夜の実況は こちらで

時空警察 捜査一課 PART 3
http://live6.2ch.net/test/read.cgi/liventv/1072561979/
489日本@名無史さん :03/12/29 22:12
>>487
それ言ったら、今の韓国語だって
日本語と類似してるの多いぞ。
490世界@名無史さん:03/12/30 00:57
>>489 お黙り、第三国人。あんなウンコ言語と日本語を関連付けるなんぞ汚らわしい。
491あぼーん:あぼーん
あぼーん
492日本@名無史さん:04/01/06 20:34
仏教に関するスレがここでしか見つからなかったので、スレ違いだけどお邪魔します。
歴代の大僧正が分かるページとかないですか?
ちょっと気になることがありまして。
493新・三田市:04/01/07 10:12
そがのうまこ = しょうとくたいし
494日本@名無史さん:04/01/07 15:42
「捜聖記」て言う本読んでみな。
おもしろいよ。
495日本@名無史さん:04/01/11 08:09
またトンデモ説が・・
496日本@名無史さん:04/01/11 19:37
なんだこのスレは?とんでも説と電波で埋め尽されてるなw
497日本@名無史さん:04/01/13 22:19
聖徳太子って最後はどうなったの?

中央政権から、左遷されたのか身を引いたのかいまいち 良くわかりません。
また死亡は、大往生だったのでしょうか?

そこらへんの内容が判る資料があったら教えてください。
498日本@名無史さん:04/01/13 22:21
ろくな知的体系がなかった日本で仏教のような整然とした体系を見たら
頭のいい人間なら信者になってもおかしくないよ。
499日本@名無史さん:04/01/15 22:52
あってもそうかも。
500日本@名無史さん:04/01/15 23:28
聖徳宗って他の宗派と仲良いの?
501日本@名無史さん:04/01/28 14:08
蘇我の先祖の名前を見てみろ、韓子とか高麗だぞ。
当時の高麗(=高句麗)は韓族ではなく、韓子は韓族とのハーフの意味。

満致にしても百済であり、支配層ならば夫余族である。
つまり、もし半島出身だとすれば矛盾した名前を祖先にもつものばかりとなる。
502大番長:04/01/28 16:32
なにげに聖徳太子は強いな。
503日本@名無史さん:04/02/01 12:26
そりゃあまあ、日本人の祖先は半島出身者と
混ざりに混ざってるだろうからねえ
でも>>501タンは詳しいのう…
504日本@名無史さん:04/02/08 20:55
若草伽藍の南北軸が西に十数度傾いているのは、なぜかな?
505日本@名無史さん:04/02/28 06:03
聖徳太子の時代のキリスト教の影響について
506日本@名無史さん:04/02/29 18:49

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 又七の海 鈴木大拙
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078045263/
507日本@名無史さん:04/02/29 22:37

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 又七の海 鈴木大拙
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078045263/
508日本@名無史さん:04/03/01 00:49
聖徳太子って朝鮮びいきだよね…
しかも仏教キチガイ
509日本@名無史さん:04/03/01 15:10
天皇家自体が朝鮮人だからな。
だから古墳がトップシークレット。
散々朝鮮を差別している右翼が
実は日王が朝鮮人だと知ったら
暴動おこりかねないからな。
510日本@名無史さん:04/03/01 16:11
>だから古墳がトップシークレット。

明治以前の天皇家の古墳は殆どないし、
その数少ない古墳も江戸期から明治期にかけて
適当にでっち上げたものばかりだから
宮内庁が隠蔽工作で妨害しているだけの話。
511日本@名無史さん:04/03/01 16:55
聖徳太子が平和主義者であるかのようなイメージが広まっているのには異議アリ。
512日本@名無史さん:04/03/01 17:41
大半が盗掘されていて公開したらマズーという話を聞いたことがアル
513日本@名無史さん:04/03/03 11:16
大学院大学 一般教養 古典乙1 入学問題、
以下の説を論評せよ。  制限時間10日

日本書紀で高の字が出たら高句麗と考えよ説。
明の字のついたのはネストリス教、ペルシア・西アジア系説。
大化とは、大きく化けるに成功したの意説。
百済聖明王と欽明は同一人物説。
天智と金春秋は同一人物説。
天武と高句麗の泉蓋蘇文は同一人物説。
朝廷藤原氏は百済滅亡時の亡命王族・貴族説。
古朝鮮語でフジハラはクダラのクニ説。
推古、古を推し量れは卑弥呼、北条政子、女人謙信を思い起こせ説。
日本人の権威恭順の性は倭人伝倭人DNA回帰説。
推古以下の女帝はくっついてた男王が編纂時はがされた説。
権威従順の国、倭国乗っ取りは王族が女帝と仲良しになるだけでOK説。
藤原氏の外戚志向は賢明であった説。
蘇我、我は蘇りの西アジア系抹殺は仏教側の一石三鳥勝利宣言説。
うそも方便、仏教国の賢明さ理解はマックス・ビーバーも絶賛の岩並の実理論での説。
サザエさん人気は女帝到来、倭人回帰願望DNAうずき説。
アサハラ・ショウコウ三代前先祖は北朝鮮秘密警察官説。
オウムは日本の某教団韓国の某教団の援助で大きくなった説。
TVタレントに半島系多いは日韓友好促進支援説。
しこむしてますの屋球人の父は半島からの人説。
KCIAとヤクザ指導層はツーカーの仲説。
時代は今、国境越えて東アジア単位で考えよう説。
514日本@名無史さん:04/03/03 11:30
    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,        
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515日本@名無史さん:04/03/22 10:29
太子さま、うひ。
516日本@名無史さん:04/03/24 19:00
秦氏と景教についての関係は諸説紛々

秦氏景教徒説
秦の始皇帝の方に由来説
太秦寺(景教の寺院、広隆寺の別名でもあるとの由)を菩提寺とした経緯の謎
517日本@名無史さん:04/03/24 21:52
進行ではなく信仰じゃないのか
518日本@名無史さん:04/04/06 04:28
刀自古郎女との間に山城皇子をもうけた訳だが、
その時代にしてはあまりにも子供の数が少ない
519日本@名無史さん:04/04/16 08:33
そっちの方には興味がなかったのか、権力争いに
疲れ果てて子供にその思いを味あわせたくなかったのか。
520日本@名無史さん:04/04/24 17:12
いや、近親相姦というのは、ものすごい天才と、だめなのを生むわけ。

聖徳太子はものすごい天才だったが、遺伝子的に…
521日本@名無史さん:04/05/04 14:51
反対に、だめなのも生まれてるはずだが、歴史に葬られている?
522日本@名無史さん:04/05/20 03:03
名前しか伝わってないパッとしない皇族なんて無数にいるじゃん
523日本@名無史さん:04/05/20 12:55
近畿では西偏6〜7度だから、その北は磁北だろう。
524523:04/05/20 12:57
上のカキコは、>>504へのレス。
525日本@名無史さん:04/06/06 13:18
なんで、聖徳太子は、馬小屋で生まれたの?
526日本@名無史さん:04/06/06 14:09
>>525
ただの伝説だべさ。キリストを真似たんでしょ?
527日本@名無史さん:04/06/06 23:32
法隆寺の救世観音は、なんで光背が後頭部に突き刺さってるの?
もしかして救世観音≠聖徳太子なの??
528日本@名無史さん:04/06/24 01:30
九州年号をもちいていたって聞いたよ
529日本@名無史さん:04/07/22 22:52
九州年号にしては、系列から漏れているのが謎だ。
530日本@名無史さん:04/07/28 11:35
>>4
当たり前でしょそんなこと!
531日本@名無史さん:04/07/29 00:37
>>483
同意。
そもそも馬小屋で生まれたなら、厩(うまや)皇子でいいだろ?
わざわざ厩戸(うまこ)皇子ってかいてるじゃない?
532日本@名無史さん:04/07/29 05:42
↑「戸」がついてることがどうして馬子と同一人物っていう理由になるのか
さっぱりわからんが???
533日本@名無史さん:04/07/31 16:58
聖徳太子は架空人物であることが明白

「日本書紀」によれば推古天皇の摂政としてはじめて中国に使者を
さしむけたというのが教科書でならう日本史。

ところが肝心の中国側の隋書、唐書、新唐書にはそんな記述は
どこにもない。

かわりに同時代の九州「天ノ王朝」に生存した卑弥呼、多利思比狐の名前が
明記されている。

534日本@名無史さん:04/07/31 17:02
現存の日本書紀は平安時代の書記ではなく
鎌倉・北条時宗の時に書き直された占部本と言われる者。
当時、元寇があったため大陸と対等の付き合いをしていたと言う
史実が欲しかったため鎌倉幕府が日本書紀を改ざんした。

535日本@名無史さん:04/08/01 12:01
ホントかよ。
自分の狭い常識以外のことは
全部ウソとしか思えないんだろ
536日本@名無史さん:04/08/20 12:35
史書は、今で言う歴史小説なみに考えるべき。
537日本@名無史さん:04/08/20 12:57
当時の仏教は、今のお寺がこねくりまわしているものとは、違う。
道教とかもあったらしいが、いわば、総合学問みたいなもの。
歌舞音曲などの芸能芸術、医学薬学天文気象学も含まれる。
文明的なものは分化発展したんで、今のお寺はそのカスを守って
いる。集会所としての機能も市民文化センターなどに取られた。
一部のお寺が、幼稚園、学校をやっているのは、なごり。
葬儀も「なんとか典礼会館」などに移り、本堂は立ち枯れる。
538日本@名無史さん:04/08/20 13:43
外国の文明は、宗教の包み紙で来る場合と宗教でない包み紙で宗教が来る場合が
あるように思う。
サビエルは、宗教できて、信長は文明に興味を示した。
臨済宗も臨済学といったことがあった。朱子学や陽明学は学問かと疑う要素が
ある。
今流行りの、ブランド信仰やヨン様ブームも、似た要素を感じる。
宗教の厳密な定義には当てはまらないかもしれないが。
539日本@名無史さん:04/08/22 00:09
そういえば野外ステージのコンサートとか、念仏踊りに似てなくもない。
24時間テレビも、勧進だし。
540日本@名無史さん:04/08/22 22:22
>>539
今日は、るちあのマーメイドパーティのライブステージ見てきたけど、
たしかにそんな感じだった。
541日本@名無史さん:04/08/22 22:51
>>540
現代の極楽浄土を感得してきたわけだ。しっかりお布施を喜捨して。
542日本@名無史さん:04/08/23 08:07
甲子園の優勝旗もお寺さんバックの高校が持って行った。
彼らも歓喜勇躍を感得。
543日本@名無史さん:04/08/25 23:28
面白い見方だけれど、アテネでは同じお寺さんのとこの人は地獄じゃない?
544日本@名無史さん:04/08/30 10:38
海老蔵は名古屋・成田山、和泉元弥は築地本願寺。信心か興行か。
545日本@名無史さん:04/08/30 14:02
546日本@名無史さん:04/09/12 14:37:55
    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ||||||||||||||||||ii        |  1.おフロ上がりに耳掃除をするとしめっている。
    ,,||||||||||||||||||||         |  2.1億円は確実にもらえることを信じなさい。
   i||||||||||||||||||||||||||||i      |  3.妹子とツナはな〜かよし〜〜♪TO NIGHT!
  i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i   |  4.借地人は、礼儀を基本にしなさい。
 ||||||||||||||||||||||||||||||||||| !||.   |  5.まくらの中は〜ツナで〜いっぱい〜〜♪
 |━-  -━━━ |||||||| |||   |  6.ゴネ得をこらしめ、素直な行動をすすめなさい。
 ,・=-|  -=・=-   / ̄||| ,||||   |  7.オアまアッ
 |  /         _!|||||!!  <  8.借地人は、朝早く出勤して、夜おそくまで働きなさい。
. | (_,       ̄|||||       |  9.無限に広がる大宇宙
 | ━__━      ||||     | 10.怒りをおさえて、人の過ちは、怒らないようにしなさい。
  ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__   ||||     | 11.ケツ妹子
   ||||||||||||              | 12.借地人は、勝手に人々から過剰な利益をとってはいけません。
    !|||||||!!            | 13.くらいやがれ!超必殺飛鳥文化アタック!
    !||||!             | 14.借地人は、にくみあったり、ねたんだりしてはいけません。
                   | 15.おじさんどうかお体に気をつけて末永く5日ぐらいお元気で。
                   | 16.借地権を使うときは、時期を考えて使いなさい。
                   | 17.ここって武器いっぱいあるけど何?パン屋さん?               
                   \_______________
547日本@名無史さん:04/09/24 00:17:56
>>533
その通りだが、
多利思比狐は、多利思北狐かも。お決まりのチェックを一応入れておくぽ。
548日本@名無史さん:04/09/24 06:36:38
聖徳太子架空説を頭から否定するつもりはなく、ありえるかもと思っているが
各地の「太子町」の存在は、誰の領地と比定されているの?
549日本@名無史さん:04/09/25 12:10:38
別に関係ないだろ。後世に聖徳太子にちなんで勝手につけた名前だろ。
550日本@名無史さん:04/09/25 16:45:25
聖徳太子ブレーンの秦河勝はペルシャユダヤ系渡来ともいわれる弓月王6代目
部族長、子孫が平安京建立に尽力。御所は元河勝邸跡地(史実)だね
>>516
秦氏景教徒説ーー戦前の佐伯博士説で間違い(晩年に原始ユダヤキリスト教徒説に)
秦の始皇帝の方に由来説ーー日本書紀での記述(実際は古代華僑説、新羅系説、ペルシャ系説)
太秦寺(景教の寺院、広隆寺の別名でもあるとの由)を菩提寺とした経緯の謎
ーー京都太秦に実在してるし。
むしろ、秦氏の松尾の神、賀茂神社のお水取り、葵祭り、バプテスマのほうが重要。
秦氏が開発した八幡宮、稲荷神社だけで全国4万箇所以上をネットワーク。
宮内庁の雅楽は今でも彼らの直系子孫の東儀家によってペルシャ風の音律で奉納。
551日本@名無史さん:04/09/25 16:48:50
736年に景教徒「李密医」らが日本にやって来て、天皇を訪問しました(続日本紀)。
その天皇の皇后、光明皇后は、この李密医から深い感化を受け、やはり「施薬院」
「寮病院」「悲田院」をつくっています。
この時代には朝廷にペルシャ人官僚もいました。
552日本@名無史さん:04/09/25 16:54:32
天皇家はもともと8世紀前後の東方教会保護以前から、聖徳太子ブレーンの
秦河勝のころにすでに実質東方キリスト教会的な政策を導入している。
12階制度、17条憲法は、当初上宮家領地のみに適用させた。
イエス伝承は教養レベルではすでに流入していた。この時代、もうイスラムすら中東に帝国を建設している。
2世紀、使徒トマスの弟子たちがチベットの後漢侵略のとき武帝に伝えたのがはじめ。
553日本@名無史さん:04/09/25 17:02:22
大和朝廷設立期で重要な福井出身の継体天皇の陵墓遺跡から、彼らが
騎馬系しかもペルシャ系(別説トルコ系)の根拠になる遺物ががんがん
出てきている。
あくら座り(胡座)、先のとんがった跳ね返った靴、乗馬パンツ、ツーピース、
髪をたばねたゆずら、埴輪にあるトンガリ帽子、長いラッパ、
大阪、奈良県教育委員会では「当時ペルシャ系文化をもつ渡来人が居住
したことはほぼ確実」としている
554日本@名無史さん:04/09/25 17:10:11
河勝は能楽の祖、世阿弥は子孫。
太子、秦氏が建立の広隆寺の国宝一号「弥勒菩薩像」は景教的といわれる。
「君が代」も秦氏が制作してる
「海ゆかば」も林家だったかな
555日本@名無史さん:04/09/26 03:45:12
>>150
  第一回遣隋使の使者の帰還の際に、隋から
裴世清が同行しているが、その時の隋書の記載も「倭王、小徳阿輩台
を遣わし、数百人を従え、儀杖を設け、鼓角を鳴らして来り迎えしむ」

アハイダイとは何者かわからんが、秦河勝は官有十二等で大仁の後に小徳に昇格している。
17条もそうだが、あれは渡来系貴族官僚のために河勝が作ったようなものだな。
在郷貴族官僚にとっては、クーデターであり、政治的には革命だろう。
実際、小野妹子て何者?河勝がひっぱりだした近江トルコ系華僑。
当時は半島三国、トルコ系、ペルシャ系大陸王族、中華華僑いりみだれての
利権代理戦争のさなか。倭は人口的にも巨大最終市場で製鉄供給量もうなぎ上りだった。
「鼓角を鳴らして」という表記。騎馬文化的セレモニーのノウハウは同系族の
秦氏しか所持していない。裴世清がみた「随書倭人伝の秦王国」のガイドは当然、秦氏。
556日本@名無史さん:04/09/26 04:17:38
当時は広い意味での鮮卑トルコ系、ペルシャ系大陸王族、華僑の軍閥ビジネスの時代。
北魏や隋と唐の場合は漢族の歴史顧問官らが記した記録しかない。
元来、遊牧民は記録を残す習慣は無い。隋唐、どちらも北魏の時代には、
山西省北部から長城を経た内蒙古の広大な地域である武川鎮に普六茹部
と大野部という漢化した鮮卑の貴族ととして繁栄していたらしい。
高句麗、新羅、百済、秦氏もまあ同族。インドからきた仏教は彼等が保護育成した。
もともと北方大乗系仏教は、鮮卑トルコ系、ペルシャ系が基盤をつくり、漢族なぞ僧侶もでなかった。元来原始ユダヤキリスト教、マニ教とかが教典に混入している。現代の仏教イメージとは異なる文化。
557日本@名無史さん:04/09/26 04:57:30
>>230
  天智の時に白村江敗戦の後、唐の捕虜となっていた筑紫の薩屋馬が帰ってきた。
 と日本書紀に書いてある。

うちの先祖の1人は水軍の将軍として派遣された。吉備の地元には、
秦氏の吉備軍が結集した二万(ニマ)という地名が今も残る。2000名の唐の GHQ もどきが進駐して捕虜返還になった時に相当数が
戻って来ている。その後、吉備は当時最先端の巨大山城、鬼の城を建設するが
これは日本書紀には出てこない。
558日本@名無史さん:04/09/26 05:20:17
吉備出雲には大和の記録よりも古い伝承をもつ一族はいくらでもいる。
一族の宮司で亡くなった古老は明治の頃、自宅の庭で魏の青銅鏡を掘る。
彼は初期の吉備秦氏が紀元前後から居住していたと語る。古い華僑か亡命者ですね。
卑弥呼時代の3世紀最大の楯築遺跡は、水銀30キロ使用の道教的痕跡
と埴輪の源流の特殊器台の故郷で、4世紀最大の造山古墳も近所。
大和朝廷が吉備+大和連合政権として、問題はどちらの秦氏が古いのか?
559日本@名無史さん:04/09/26 05:35:15
赤穂、山城の秦氏は始皇帝直系弓月王後継を語るが、これは後の日本書紀の作り話。
欽名天皇の秦大津父あたりからが実在で、朝廷内部では律令税制、大蔵担当
というのが実益的で分かりやすい。当時の天皇一族のなかで納税モデルになり
えた豪族は渡来系、河勝のときには太子宮家の財務は彼が提供していた。太子の斑鳩の里は当初は赤穂の地にあって、後に移動してる。
河勝は赤穂が基盤。河勝誕生説話は吉備の「桃太郎伝説」とほぼ同じで、
葦の船に流されて拾われ卵からうまれる。(旧約聖書モーゼ説話と同じ)
560日本@名無史さん:04/09/26 05:50:42
斑鳩(イカルガ)という意味不明の地名は、古いトルコ語で「まだらの鳩」。太子赤髪像も兵庫の太子町にある(例のなぞの地球儀とかも)。

吉備の秦(はだ/書紀では葉田)が工事した高梁川のたたい堰きは、
今でも活用されているが、当時再大規模のたたらは蘇我馬子に吸収される。
吉備秦廃寺は600年前後建立で、国内最古寺院候補。初の国立寺院百済
寺は別名吉備寺。
蘇我=百済系利権、秦河勝=新羅系利権。太子イメージは日本書記の秦系藤原氏の創作?
561日本@名無史さん:04/09/26 07:04:14
>>555
裴世清、隋書の記載「倭王、小徳阿輩台を遣わし」

秦河勝が小徳ならば
阿輩台=ヤハダ(八幡)、ハダ(秦)、イエフダ(アラム語のイスラエル)
で問題ないんじゃない。なんかムー的だけど W

ちなみに学会では、秦パタン(海)説らしいが、実際は上のレスにあるように
ハダ(秦/葉田)。
いかに学会の研究事例が少ないか。ていうか吉備秦氏研究してないだろ。

562先住民:04/09/28 18:56:06
「倭人と韓人」という本を見つけたので、買ってみた。
2000年も前に、日本列島は、大移民国みたいだな。
半島がガラアキになって、北からまた人が来たみたいだな。
今の半島の人も、日本列島に移民したいけど、もう大勢いるから
来れなくて、フラストたまっているかな。
563日本@名無史さん:04/09/29 09:55:07
欧州も何百年で見ると民族は東から西へ移動していて、スペインやフランスが
東へ移動したってことはないな。ナチスが例外か。
中国も西や北から攻められて困ったが、半島も北から圧力を受けている。
大陸へ攻め返したのは日本の軍部があるが、北から南へというのが、川の流れ
みたいだな。
海岸からってのもあるが、そういう勢力は大陸奥深くは行かないな。
しかし、海岸から陸地へ上がって来られると、反発は凄いな。
サッカーなどでの反発にそういうのはないのかあ。
564日本@名無史さん:04/09/29 16:35:41
少子化で減るから、また来るかもな
モマエら、在日日本人になるな 看板も大分ハングルが出ているし。
そのうち温泉へ行くと、オヤめずらしい、日本の方ですかとか
565日本@名無史さん:04/09/29 23:27:52
中国で、また、南に行きたいと、大勢、大使館に駆け込んだようだ。
寒くなる前だから、シーズン到来かな。
566日本@名無史さん:04/10/02 14:45:14
>>563
大連には、最近日本から出稼ぎに行っている
567日本@名無史さん:04/10/08 22:04:58
「進行する」は「前へ進む」という意味の自動詞だから目的語を伴わない。
よって、目的語を除いてみると、「聖徳太子が進行してたのってなんで?」
という問いが現れる。その意味は、「聖徳太子が前へ進んでいた理由は何か。」である。

普通の人は通常前へ進む。
後ろへも進まないこともないが、前へ進むのと比べると後ろへ進むことは比較的少ない。
疑問の余地はない。
568567:04/10/09 10:01:12
人が前へ進むことが多いのは、目の付いている方向と足の構造が主な要因である。
同様のことは、大半の動物にも当てはまる。
569日本@名無史さん:04/10/09 16:43:00
?? 悪い病気が進行してなきゃいいが
570日本@名無史さん:04/10/09 22:32:56
イカは微妙だ。前へ進むという印象は小さい。
571日本@名無史さん:04/10/09 23:49:24
蟹は横へ進む。海老は後ろへ進む。
572日本@名無史さん:04/10/19 20:47:58
手漕ぎボートは、漕ぎ手にとって後ろへ進む。
573日本@名無史さん:04/10/19 20:58:17
なんだここネタスレか
574完全理論武装論者:04/10/20 00:33:52
>>562>>563
それはですね「紅海方位の法則」と「万里の長城理論」によって引き起こされた
民族大移動の結果ですよ

詳しくはここ↓
紅海方位で見る人類の移動の歴史
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/6270/1089546227/
575日本@名無史さん:04/11/10 22:28:19
なるほど、紅海方位の法則か‥
576日本@名無史さん:04/11/27 13:17:09
しかし、ネストリウス派ではないキリスト教が既に伝わっておったとは。
577日本@名無史さん:04/11/28 09:37:09
伝わってないってw
578日本@名無史さん:04/12/02 18:39:25
焼失前の壁画の断片が出たそうで。
579日本@名無史さん:04/12/29 18:16:52
どこで?
580kk:05/01/03 15:36:53
信濃善光寺に聖徳太子からの手紙がる。
それはともかく、和の精神は聖徳太子から始まっている。
存在を疑うなどというアホは歴史勉強しろ。
581kk:05/01/03 21:36:10
信濃善光寺に聖徳太子からの手紙がある。
それはともかく、和の精神は聖徳太子から始まっている。
存在を疑うなどというアホは歴史勉強しろ。
582日本@名無史さん:05/01/03 21:39:28
            第 一 条

 「和(やわらぐ)を以て貴しとす。忤(さか)うることなきを宗(むね)とす。
 人皆党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。
 是を以て或は君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里に違(たが)えり。
 然も、上和(やわら)ぎ下睦(むつ)びて事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
 事理自(おのずか)らに通(かよ)う。
 何のことか成らざらん。」
583日本@名無史さん:05/01/03 21:40:02
                 第 十 条

  「忿(いかり)を断ち、瞋(いきどおり)を捨てて、人の違(たが)うを怒らざれ。
  人皆心あり。心各執(と)れることあり。
  彼是(ぜ)なれば我は非なり。我非なれば彼は是(ぜ)なり。
  我必ず聖(さか)しきあらず。彼必ず愚(おろか)にあらず。
  共に是れ凡夫ならくのみ。是非の理(ことわり)、誰(たれ)か能く定むべけん。
  相共に賢(さか)しく愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。
  是れを以て彼の人瞋(いきどお)ると雖(いえど)も、還りて我が失を恐れよ。
  我独り得たりと雖(いえど)も衆に従いて同じく挙(おこな)え。」
584日本@名無史さん:05/01/04 00:25:44
当時の文章は漢文だよね。どれ位の人数が読めたんでしょうね。
585日本@名無史さん:05/01/19 15:23:59
レ点さえあれば大丈夫
586日本@名無史さん:05/02/02 02:48:22
訓読みが発明されたしね。
587日本@名無史さん:05/02/03 00:01:09
それにしても、古文書に朱筆が結構入っているのは?
588日本@名無史さん:05/02/03 23:02:36
とうの昔に殺されたうまちゃんの怨念を恐れた不比等が稗田阿礼に成りすまし、太子の伝説
を作った。捏造おみごと。法隆寺再建に妻 橘 三千代(字あってたか?)
の影がちらつく。資財帳にもミッチー名義で色んなものを法隆寺にプレゼント
してます。滅ぼされたのは大変だったけど、いっぱいもらってよかったね。
聖徳太子の名もいただいて。少しはうかばれたのかな。 
589日本@名無史さん:05/02/22 00:12:45
不比等=稗田阿礼なの?
590初陣拾歳:05/02/22 00:16:40
自らがネストリウス派(景教)の教徒であることを誤魔化すためでは?
蘇我氏が物部氏を倒してまで取り入れた仏教が、浸透しつつある中で、自らが景教徒であることがバレたら、ただではすまないだろうから。
591日本@名無史さん:05/02/22 00:34:24
ttp://www.geocities.jp//garbage543210/Videos/20040626.wmv
聖徳太子について・・・キレすぎ。
こわ〜〜(〇o〇;)
592日本@名無史さん:05/02/27 13:45:23
聖徳太子のアホは バカ尻もちゃげて   ふぃん ふぃん
とくしょうはん、しっかり おしいたか   そうだにゃ 何いうとるにょ
仏の手下はいらんぞな  釈迦の切腹  ほとけの丸焼き

馬鹿な釈迦 アホ仏  ついでに馬鹿キリスト あほマリア  もっと言おうか 馬鹿なマホメット
それから 教派神道どもの ばかな神
とくしょうはん、 どうなってるたか  17の数字はなんじゃいな
「和」もいらんぞにゅ  そうにゃんだにぉ

ソレソレ  ふぉっこる ふぁっける   ふぇろはって     
ヴぉお  ヴぉお  ←唇をあわさずに ぼと言う

らての けとほが  今日は  ずぼうと挨拶
さっぴを持てや  釈迦狩りじゃ

「たんあがた どこさ 肥後さ  〜 〜」と歌うのだ  これで料理の歌だ
熊本のそうども  子供に アホなこと 教えるなよ

キリストの目抜けや!!   マホメットの面皮 ひっぱがせ  この悪人どもめ
マリアを裸にして 逆さづり やりでついたら おもしろいね
こんなものは 捨てろ     長い

仏を捨てて ヨイヨイヨイ
キリスト捨てて  万歳万歳
マホメット捨てて  よ〜いやな
593日本@名無史さん:05/03/12 23:40:14
しかし、ネストリウス派が蘇我と組むだろうか?
594その答えはだな:05/03/15 12:09:32
595その答えはだな:05/03/15 12:43:05
あのね。
太古の昔も今も、権力の中枢にいる人間は宗教なんか信じないの。
神なんか信じないの。

高貴な人には、他にもっと幸せなになる現実的な手段があるから。
宗教を信じるのは下々の者だけ。

だから、聖徳太子は2つの神さまを同時に拝むなんて朝飯前。
神に対してこだわりが無い。
純粋に、神についての哲学的持論は自分なりにあっただろうが、俗世の宗教なんか信じちゃいなかっただろうし、
本人自身に神がかりな力もあったという噂もあるし、聖徳太子にとって神様は間に合ってたと思う。

つまり、聖徳太子にとっての神道も仏教もただの、政治手段だったと思われ。

596日本@名無史さん:05/03/16 08:19:59
>>595
政治家に限らない。一部の僧侶などを除くと、宗教で糊口を塗している人も
手段。
太子が新規の政治を行うにあたり、新しいコンセプトとしてより所にしたと
思われる。仏教というと今は、自分の願い事を祈るとか心の安寧を得るとか
があるが、当時は一種の学問だから、新技術導入のような気分があったので
はないか。後、鎌倉幕府が臨済宗にこるのも、武士のしつけのためとかがあ
ったと同じに思われる。(武士が鎌倉の役所へ来て庭で立小便して困ったと
か、石田三成も大阪城で人がやたら立小便して困ったとか、あった。今でも
宗教心が希薄になり、道徳が廃れたと説く人もいる。)

堺屋太一が書いていたが、和魂洋才といった、つまみ食いの手法は太子から
始まったらしい。(李王朝などでは、儒教をやると他の宗教は排斥したが
日本では(明治に廃仏毀釈とかはあったが)ほぼ、つまみ食い。大多数の
よその国から見ると、奇異な習俗になった。おかげで、明治以降、日本は
アジアでも特異に発展したわけではある。
597日本@名無史さん:05/03/16 11:15:42
今の、通称の仏教の概念で、当時の仏教をみると見間違うことが多いと思う。

法隆寺も今は、仏教行事しかやってないと思うけど、講堂などの建物がある
ように、当時は学校だった。(当時、今のように市民センターとか大学とか
もなかったのを思い起こせ)また、仏教のような何かを説くものがあったか
を考えれば、他に何もなかった。

仏教のちょうちん持ちをする気はないが、天文、本草、建築、絵画、彫刻
などのいろいろの知識も付属していた。更に言えば、民謡、演歌、能、狂言、
落語、講談などの芸能も派生したと想像される。うまみがあるものはみんな
他に持って行かれて、仏教は誰も持っていかない葬式をやることになった。
(これとても、なんとか会館が出来て、葬儀はそっちへ行く傾向。お寺を
 使う人は減ってきた。Xジャパンだったけ、たまに使う人がいるのみ。
 あと、相撲が地方巡業で宿舎に使う。昔、軍勢が使った名残だろう)
598日本@名無史さん:05/03/16 11:36:13
NHKの「その時歴史が動いた」の赤壁の戦いで、諸葛孔明が風を呼ぶ祈祷をした
ことを紹介していたが、これとてむやみやたらにやってはいないようだ。
日本でも雨乞いの護摩とかあったが、空模様をにらんでやったようだ。

高僧が池の大蛇を退治したとかの伝説があるが、これとて、本当は毒草を使ったと
想像される。しかし毒草のことをみんなに話すとまずいので、方法はもっともらしい
ことを言ったのではないかと思う。
時代が下るが、医食同源とか、禅宗では、栄養学にも深く通うじている。道元が
唐へわたったとき、食事係の典座はずっと典座をやるというのは、他の人では
まずいことがあったからではとも思われる。部活キャンプの日替り調理担当方式では
不都合というのもうなずける。
599日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:21:24
昔の迷信をやたら合理化して解釈するのもどうかと思われ。
600日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:01:29
ただ、どうかと思われというだけでは、どうかと思われ。
601日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:10:16
太子信仰が盛り上がってからできた後世のいろんな説話は荒唐無稽な迷信が多い。
それまでむりやり合理化するのはどうかと思われ。
602日本@名無史さん:2005/04/23(土) 19:57:02
とりあえず、後世の資料は外すとして、残るのはなあに?
603日本@名無史さん:2005/04/23(土) 20:17:05
幕末の頼山陽が太子の仏教信仰を叩いている。
仏教を信じた事が犯罪扱いらしい。
604日本@名無史さん:2005/05/12(木) 19:38:51
仏も、八百万の神の1つでは?
605日本@名無史さん:2005/05/15(日) 07:10:43
・・・・・・。
606日本@名無史さん:2005/05/15(日) 19:29:29
宗教もお国の事情でいろいろの扱いを受ける。
薩摩では一向宗は禁止だった。長州は受容した。光圀は自分は儒教なのに
藩内の仏教は一部では保護した。庶民をまどわす邪教は排斥。
堺の商人や大奥では日蓮宗がはやったようだ。
日本ではないが、お隣では儒教で首尾一貫させようとして仏教は排斥。
607日本@名無史さん:2005/05/18(水) 08:02:47
age
608日本@名無史さん:2005/05/19(木) 00:14:08
未開という暗闇に覆われた当時の
精神としての人間の知的要求に答えた

仏教に貪るように傾倒したであろう
609日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:01:47
age
610日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:40:14
知的欲求ねえ
611日本@名無史さん:2005/06/24(金) 00:51:47
へんなの
612日本@名無史さん:2005/07/08(金) 01:36:45
613日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:18:30
法隆寺を作ったのは韓国人の技術者。
法隆寺は典型的な韓国式寺院の構造を持っていることは
世界的に有名です。日本人には造れない構造。
法隆寺の解体修理の際に、柱にハングル文字が書かれていたのは
有名な話ですね。法隆寺は別名斑鳩寺と言いますが
斑鳩=イカルガ=イ<接頭語> + カル(加羅、加耶) + カ(処)
を意味します。わかりましたか?
614日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:47:33
なるほど韓国の人もがんばってたんですね
がんばれがんばれ
615日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:52:44
そういわれてみれば確かにそうだな。
馬鹿にしてスマン!
616日本@名無史さん:2005/08/05(金) 22:55:08
>>613
ハングルは李氏朝鮮王朝の時代、世宗大王のもとで学者たちによって
1443年に作られ1446年に『訓民正音』という書により公布された。

時代ずれとるやんけ。
617日本@名無史さん:2005/08/06(土) 07:29:32
>>613
韓国人を、今韓国と言っている地域から来た人という意味で使っているなら、
ま、いいかって思わないわけじゃないけど、当時「韓国」とは言わなかった
はずだ。百済も新羅に圧迫され、新羅も高句麗に圧迫され、当時から以降
北の方からどんどん違う民族がやってきて、今半島を支配している人は
その末裔ではないのか。渡来人のスレではそういうことで話が通っている。
「国」という語を入れると、暗黙のうちに「国籍」が匂うからね。
618日本@名無史さん:2005/08/26(金) 18:33:18
で、何が言いたいの?
619日本@名無史さん:2005/09/14(水) 01:54:05
しらん
620日本@名無史さん:2005/09/17(土) 00:46:23
儒教と仏教が当時中国から日本に伝わっていた。
儒教を選ぶと中国が中心になってしまう。
神道では中国に相手にされない。
そこで、中国と対等外交を結びたかった聖徳太子は
インド伝来の仏教を選んだという説がありますが、
皆さんのご意見は?
621日本@名無史さん:2005/09/17(土) 10:12:59
賛成します、国際化のためには何でもします。
622日本@名無史さん:2005/09/17(土) 14:58:24
厩戸皇子の父親である用明天皇が崇仏派だったから
息子も父の方針を継承した
用明天皇が崇仏派だった理由は、母が崇仏派だった
蘇我稲目の娘だったから

簡単に言ってしまえば、蘇我氏の目標を蘇我系皇族だった
用明や厩戸+推古天皇が推進した
623日本@名無史さん:2005/10/05(水) 22:39:49
そうかね?
624日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:50:04
しらんがな
625日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:12:19
苦肉の策です

法華をきちんと解読できると
おや そうかい
と納得できるな
626日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:41:34
アホだから
627日本@名無史さん:2005/11/18(金) 08:05:00
↑あほは君…
628日本@名無史さん:2005/12/04(日) 11:28:16
629日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:24:28
んちゃ
630日本@名無史さん:2006/02/12(日) 12:01:10
保守
631日本@名無史さん:2006/03/24(金) 11:19:37
点検
632日本@名無史さん:2006/04/09(日) 10:36:36
捕手
633日本@名無史さん:2006/05/14(日) 09:23:02
法隆寺を作ったのは韓国人の技術者。
法隆寺は典型的な韓国式寺院の構造を持っていることは
世界的に有名です。日本人には造れない構造。
法隆寺の解体修理の際に、柱にハングル文字が書かれていたのは
有名な話ですね。法隆寺は別名斑鳩寺と言いますが
斑鳩=イカルガ=イ<接頭語> + カル(加羅、加耶) + カ(処)
を意味します。わかりましたか?
634日本@名無史さん:2006/05/21(日) 21:34:45
太子講に入るにはどうしたら?
635日本@名無史さん:2006/05/21(日) 21:36:36
あるいは上宮一家の血脈に連なる人たちを探しています
636日本@名無史さん:2006/05/21(日) 22:51:22
>>633法隆寺を作ったのは韓国人の技術者、なのは別にどうでもいいが、なぜに柱にハングル文字が書かれて? ハングル文字の歴史は1446年からでは?
637日本@名無史さん:2006/05/22(月) 17:15:37
>>635
聖徳太子の子や孫(上宮王家)は
一族が全員自決しているから
現代に、その子孫は一人も残っていません
638日本@名無史さん:2006/05/30(火) 16:44:33
639日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:19:08
ところで、興亡古代史を読んだ人いますか?
結局、聖徳太子は何処からきた椰子だったの?
640日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:25:20
>>633 それはハングルでなくてアラビア文字を書いた柱があったことの
間違いだろう。それでペルシャ人の建築技師が来日していたのではないか
という説があった。

 奈良時代にハングルがあるはずもない。仏教寺院だから梵字はあっても
おかしくない。

641日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:20:14
>>639
トルコだよ
642日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:24:34
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643日本@名無史さん:2006/06/09(金) 14:18:14
>>639
突厥の王様
644日本@名無史さん:2006/06/09(金) 16:20:16
>>1

中国向け。
半島と地味に交流を続けていても意味ないから、当時の国際情勢に従ったの。
645日本@名無史さん:2006/06/14(水) 20:08:45
スレちがいだけど。。
ユーミンは半島の隠れ進取派だって・
情熱=逃避なんだそうで、そうだよね・・粘着質な黄色部族が御国の国益にも

公に実質付与できないとなれば、幻想世界で伸びるってのは得意分野かも・(聖徳太子もかもね・)
世間のマーケットで認知されることに異様に固執する情熱=逃避も
そんな何か、思いいれがあってこそってあるかもね★
646日本@名無史さん:2006/06/14(水) 20:22:33
単に神道が頭悪そうだったから
647日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:27:00
  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,         
    ||||||||||||||||||ii       
    ,,||||||||||||||||||||      
   i||||||||||||||||||||||||||||i    
  i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i  
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 ,・=-|  -=・=-   / ̄||| ,||||  きみたち死になさい

 |  /         _!|||||!!   ワタシはもっと西から来たから黄色人でない!
. | (_,       ̄|||||      ちなみに父はでぶではない!
 | ━__━      ||||     
  ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__   ||||     
   ||||||||||||             
    !|||||||!!           
    !||||!       
648日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:21:34
アホだからだろう
649日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:03:13
ユーミン ハ ?・
650日本@名無史さん:2006/07/07(金) 15:48:36
 聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。


651日本@名無史さん:2006/07/11(火) 04:24:51
隋のような先進国の真似をしたかったんじゃねぇの?
家永が「日本思想史に於ける否定の論理の発達」の論文で言ったような
釈迦と同レベルの思惟力を持っているわけがない
652日本@名無史さん:2006/07/14(金) 11:56:09
 日本に渡来した秦一族(フリーメーソン)
 秦の始皇帝は日本に自生する不老長寿の薬草を求めるために、徐福を派遣したと
あるが、本当は日本の優れた神書(天皇記など)を盗み出す事が目的であった。焚
書抗儒は日本の神書をあたかも中国の書物であるかのように書き直し、その神書を
焼却し、作業に関わった儒者を生き埋めにした事件である。四書五経、東洋医学は
日本文化の精華なのです。
 白鳳時代、朝鮮人(秦一族)の蘇我氏(フリーメーソン)によって日本は乗っ取
られ、日本の国体、神道破壊の計略にかかり、神代文字の古文献は改ざんされ、悪
魔の仏教に汚染された。
 蘇我氏(中大兄皇子は百済皇子豊璋)は政敵物部氏を滅ぼし、大化の改新によっ
て聖徳天皇(聖徳太子)を暗殺し(聖徳太子は蘇我氏の血筋ではない。高貴な天皇
家が朝鮮人を妻にしない)、蘇我氏は悪名が広がったので藤原氏と改名し、日本の
政治を牛耳った。麿と言う言葉は日本語と馴染みがなく、朝鮮王家の人が使した王
(自分)と言う意味である。天皇家は偽者(朝鮮人)であり、日本は昔からフリー
メーソンに支配されていた。
 藤原氏は藤の生命力をめでて、家紋とした。斎藤道三、木下藤吉郎・秀吉、細川
藤孝、徳川家康はフリーメーソンである。
 家康の正体は世良田元信で、松平元康を殺し元康に化けた。元康の嫡男、信康と
その妻築山殿は邪魔になり殺された。
 徳川家康は岡崎で産れたのだから、岡崎に霊廟(東照宮)を建てるのが筋である。
 寛永21年家光は上野国新田郡世良田庄の長楽寺隣に日光東照宮の奥殿(実は遺骨)
を移築して世良田東照宮を建てた。
 ここを中心にして、東北(表鬼門)に日光東照宮があり、南西(裏鬼門)に久能
山東照宮がある。と言うことは、世良田庄を鬼門の金神の祟りから護る為の呪術を
施した事になり、徳川家康は世良田元信である事の証拠となる。

653日本@名無史さん:2006/07/14(金) 16:25:33
左翼の蘇我氏に対抗するために、敢えてその蘇我氏と共存する道を選んだ右翼の聖徳太子だろ?

現代に例えると、小泉が創価と渋々手を組んでいるのと同じだな。
654日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:47:40
宗門大学一覧
浄土宗・浄土真宗の浄土系大学
埼玉工業大・大正大・淑徳大・東海学園大・☆佛教大・京都文教大
武蔵野大・同朋大・龍谷大・京都女子大・大谷大・大阪大谷大・兵庫大
以前の宗門では東洋大も含んでいたが、今は手を切っている。
曹洞宗
東北福祉大・駒澤大・駒澤女子大・愛知学院大
真言宗
大正大・高野山大・種智院大
天台宗
大正大・京都精華大
宗門大学 僧侶養成校「同宗派に複数ある場合ランク順」
浄土真宗本願寺派・・龍谷・同朋・九州龍谷短大
浄土真宗大谷派・・大谷・大谷短大
浄土宗・・佛教・大正・西山短大
曹洞宗・・駒澤・東北福祉・愛知学院・鶴見
臨済宗・・花園
日蓮宗・・立正・身延山
真言宗・・大正・種智院・高野山
天台宗・・大正

宗門大学 非僧侶養成大学
浄土真宗本願寺派・・京都女子・京都女子短大・武蔵野・兵庫
浄土真宗大谷派・・京都光華女子・大阪大谷・各地の大谷短大
浄土宗・・京都文教・淑徳・東海学園・埼玉工業・華頂女子短大・淑徳短大
曹洞宗・・駒澤女子
日蓮宗・・文教
和宗・・四天王寺国際仏教

655日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:40:43
>>653
まさか君は小泉を右だと思っているんじゃないだろうなw
656日本@名無史さん:2006/08/10(木) 20:34:04
進行じゃなくて信仰ですよ。
657日本@名無史さん:2006/08/20(日) 12:27:51
 天皇家はフリーメーソンだった
 狛犬を研究して分かった事だが、神社の前に護りの神獣として据えてある狛
犬の起源は古代イスラエルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、
左のものは狛犬で本当の姿は一角獣の麒麟である。右左で阿吽の形になってい
る。
 古代のイスラエルは北王国ヨセフと南王国ユダの二つに分裂していて、ヨセ
フ王国の紋章が一角獣(ユニコーン)であり、ユダ王国の紋章が獅子である。皇
室に伝わる紋章には右に獅子が、左に一角獣(ユニコーン)が描かれ、中央には
12匹の獅子が描かれている。これはイスレエル12支族を表している。
 ヨセフ王国の10支族が中央アジアに移った。彼らは肌の色が白いことから
白狄族と呼ばれ、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍団を組織して中国を制覇
し、秦帝国を築いた。秦帝国滅亡後、北魏を建国した。後に朝鮮に移って百済
王家にとって代わった。
 百済王子豊璋と新羅王武王が三韓の挨拶の時に聖徳天皇を殺害し、中大兄皇
子(百済王子豊璋)は一時難波へ逃れ、聖徳太子の子高市皇太子と孫長屋親王を
殺害して、草壁皇子にすり替わったのである。その前は中大兄皇子に化けてい
て、大化の改新の後ずっと、天皇に成れなかったのは聖徳太子の子が天皇に成
ったためで、推古、皇極天皇などの女帝は虚構で、その後に天智天皇となり、
自分の子を文武天皇にしたのある。こうして、日本はフリーメーソンの陰謀に
よって乗っ取られたのです。
658日本@名無史さん:2006/08/28(月) 13:57:06
 日本書紀に隠されていた暗号
 なぜ、男性天皇であった伝統が聖徳太子の時代から女性天皇に変ったのか。
このことに疑問を感じないのは不思議である。日本書紀は矛盾点が多く改ざん
されている可能性があるため、内容が難解で改ざんしにくい先代旧事本紀大成
経を調べてみると、推古天皇治世の中に突然、欽明天皇の事績が出てくる。こ
れにも改ざんの魔の手が伸びていた。何か手がかりがないかと見ていると、見
出しが目に入った。帝皇本紀上巻上に継体天皇の事績が書かれている。その後
を推定すると、上巻下が安閑天皇、中巻上が宣化天皇、中巻下が欽明天皇、下
巻上が敏達天皇、下巻下が崇俊天皇となる。次が聖皇本紀上巻上となっている。
聖徳太子の聖の字と一致するから、聖徳天皇に推定する。上巻下は高市天皇、
下巻上は天武天皇、下巻下は長屋天皇となる。このように推定した根拠を示す。
 日本書紀によると、欽明天皇と石姫皇后の間に2男1女が生まれ、皇太子は
箭田珠勝大兄皇子と言い、二男は渟中倉太珠敷尊と言う。ここでおかしいのは、
二男の名前が本名でなく、諱(死後の尊称)であり、珠の一字からこれは箭田珠
勝大兄皇子の諱である。すると二人の天皇のうち一人は偽者であると言う暗号
になり、用明天皇の存在が消えてしまうのである。敏達天皇が亡くなればその
皇太子・彦人大兄皇子が天皇になればよい。敏達天皇と広姫皇后の皇太子押坂
彦人大兄皇子の又の名を麻呂古皇子と言い、用明天皇と広子の長男も麻呂古皇
子と言う。同じ名前なら入れ替えても同じであると言う事は入れ替わったと言
う暗号である。押坂彦人大兄皇子は麻呂古皇子(朝鮮人)に入れ替わったのであ
る。彼は皇太子なのに天皇になれず、いつ亡くなったのか分からない。まるで
聖徳太子とそっくりである。聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で、皇位継承
第1候補者で天皇になっていた。このことを隠すための嘘の女帝が推古天皇で
ある。用明天皇は聖徳太子の血筋を朝鮮人に卑しめて、天皇になれなかったと
するための虚構である。高貴な天皇家が朝鮮人を妻とする筈がない。
659日本@名無史さん:2006/08/28(月) 13:59:39
 朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
 日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
 大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。
 二人は天武天皇の血筋ではない。
 天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
 文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。
660日本@名無史さん:2006/08/29(火) 18:43:40
ぷりぷりぷー
ぷりぷりぷー










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661日本@名無史さん:2006/09/02(土) 12:38:18
 長屋親王は天皇になっていた
 天皇は中国語読みではてんのうだが、日本語読みではあめのすめらきと読む。
天孫降臨説から天を前につけているが、皇の一字で天の下を治める尊と言う意
味である。また、王は1国を治める君主である。皇子は天皇の嫡流の子で親王
はその孫である。王子は嫡流外の子を指す。
 昭和63年から長屋親王邸の木簡の発掘調査が行われた。邸宅は5.7ha
の広さで、不比等邸に匹敵する。
 宅地東辺に掘られた溝から大量の木簡が発見された。
 長屋親王宮大贄鮑十編
 これは長屋親王に献上された干しアワビに付けられた荷札で、大贄とは天皇
の食物を表す。長屋親王は皇太子になる前に、天皇の代理を務めていた?献上
する者が親王と尊称し、大贄と書いた。
 吉備内親王大命以符 婢筥入女進出
 吉備内親王の命令で端女の筥入女を呼び出す。大命とは天皇の命令を表す。
これは長屋天皇の死後、その室である吉備内親王が天皇の代理を務めていた?
 長屋親王御命符
 長屋親王の命令書に御命が使われており、これも天皇の命令を表す。
 長屋皇宮俵一石舂人夫
 長屋天皇の宮で人夫が米一石搗く。
 後皇子 後皇子命宮
 後天皇の子 後天皇の子の宮殿
 芳野幸行用貫簣
 天皇の芳野御幸(外遊)用荷物
 長屋親王邸の木簡が千年以上の間保存出来た理由は、粘土によって密閉され
て、空気と水から遮断されていたからです。溝に廃棄後すぐに、粘土で埋めら
れたと考えられる。すると、この木簡を後世に残そうとした意図が読み取れる。
 以上のことから推論すると、長屋親王が前皇(聖徳天皇)の孫で後皇(高市天
皇)の死後、長屋親王が天皇の代理を務めたのは祖父、父が相次いで殺された
からである。後に天皇になったが藤原氏の陰謀によって毒殺された。その室吉
備内親王が天皇の代理を務めていたが、長屋天皇一族すべてが殺された。その
事実を後世に残そうとして、家臣が木簡を土に埋めて隠したのである。
662日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:06:36
資本主義経済は悪魔の偽りの経済だ
 資本主義経済は弱者の犠牲の上に成り立つ経済であり、ちょうど江戸時代、
武士が百姓を奴隷にして重い年貢を取り立てて、百姓の生き血をすすっていた
事と同じである。その時は生き血をすすられて犠牲になる者が大勢いたから、
経済がなりたった。今のようにぜいたくになって、犠牲になる者が農家しかい
ない状態では経済が成り立つ訳がない。それが今の不況の原因である。勝ち組
が負け組の生き血をすすっているのだ。悪魔の吸血鬼アメリカに国益を絞り取
られ、国が破産しているのにそれを借金で誤魔化している。最後には国に、金
と資産をかすめとられ、円が大暴落して、日本は物を輸入することが出来なく
なって、食料危機となり大パニックとなる。後は戦争を待つのみ。
 2・26事件はその悪魔の資本主義経済が原因で起こった
 昭和11年2月26日、青年将校率いる決起部隊が政府要人を殺害する事件
が起きた。首謀者は暗黒裁判によって裁かれ銃殺刑に処せられた。
 当時の日本は世界大恐慌の影響で経済が沈滞し、関東大震災によって発生し
た大量の不良手形が原因で銀行、企業が相次いで倒産し、民衆は金に困窮して
生活苦にあえいでいた。農村はアメリカ向け輸出生糸の暴落とそれに連動して
米価が暴落し、東北地方はそれに輪をかけて凶作にみまわれて飢餓に苦しみ、
娘の身売りなどで命の糸をつないでいた。
 民衆が塗炭の苦しみにあえいでいる原因は、政権維持にしか眼中にない政党
と、これに結託し民衆の膏血を絞る財閥と、これを擁護して圧迫する官僚と腐
敗する軍部にあり、これらの特権階級が搾取しているからである。したがって
、疲弊した農民を救うためには、税金の免除と米価の安定を図る必要がある。
その障害となる特権階級の奸賊を倒し、国民を愛する天皇の考えが行き届く国
家に建て替えようと青年将校が決起した。しかし、昭和天皇は朝鮮人で偽天皇
だから、奸賊と同類で、彼らの尊い意志を無視して抹殺した。
 彼らが頼りにした真崎大将はソ連の工作員で、満州侵略に反対していた皇道
派の軍人を抹殺するために、青年将校をそそのかし、実行させたのである。天
皇を中心とした統制派の軍部の陰謀である。
663日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:09:16

インド人が朝鮮経由でアメリカに移民したら朝鮮人か??

在日朝鮮人がアメリカに移民したら元日本人か??

もう少し頭使おうよ!!
664日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:33:15
 聖徳太子の謎
 蘇我馬子の専横によって、蘇我稲目の娘の子が用明天皇になり、次に崇俊天
皇になった。崇俊天皇が暗殺されて、蘇我氏の血筋の男子が絶えた状態になっ
た。当然聖徳太子が天皇になれば良いのに、用明天皇の妹が推古天皇になった。
なぜ、太子は天皇になれなかったのか。摂政を務めるなら天皇になれば良い。
 この後押坂彦人大兄皇子の子が舒明天皇になり、其皇后が皇極天皇になった。
皇極天皇在位中に蘇我入鹿が専横の罪で中大兄皇子に暗殺された。彦人皇太子
は蘇我氏の血筋ではない。なぜ、天皇の血筋が本筋に戻ったのか。どうして、
本筋に戻った事が蘇我入鹿の専横となるのか。皇極天皇は後に斉明天皇になる。
この辺りの皇位継承はおかし過ぎて話しにならない。時の彦人皇太子がいつ亡
くなったのか分からないのもおかしい。
 聖徳太子は仏教を普及させた事になっているが、神道の奥義書、先代旧事本
紀大成経を撰述している。この中に予言書の未然本紀がある。神仏論争時代に
この両立は難しい。
 太子の正妃は莵道貝蛸皇女であるが、太子が病となり、妃の膳大郎女が看病
して二人が同時に亡くなった。太子の死亡年が621年と翌年の2説ある。太子
を妻でなく妾が看病し、二人が同時に死亡し、その年が2説ある。こんな話は
不自然であり、2説あるのは捏造の疑いがある。
 「上宮聖徳法王帝説」に、聖徳太子と山背大兄王が親子でないと言う人がいる
ようだが、それは良くない事だとある。そのように言論統制するのは本当の事
が広まると困るからである。書記は太子の子が山背大兄王だと言っていない。
 729年に長屋王が死亡し、737年藤原不比等の4子が疫病で死亡した翌年から
藤原氏が法隆寺の食封を再開し、夢殿を建立した。これらの行為は長屋王の怨
霊封じであり、長屋王が太子の孫だと分かると、法隆寺が太子一族の怨霊封じ
の祈祷をした事が分かる。
 隋書に、600年倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比孤(天足彦)で天下を支える
男(天皇)となる。この時は推古天皇で男の天皇は聖徳太子以外は考えられない。
665日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:36:34
 法隆寺の謎
 聖徳太子は607年に法隆寺を父用明天皇の為に薬師如来像を本尊として建てた。
 しかし、623年に太子の菩提を願って遺族が造った釈迦如来像と鎌倉時代の阿
弥陀如来像が同じ金堂に三具並んでおり、中央の釈迦如来像が本尊だと分かる。
薬師如来像は釈迦如来像に比べて鋳造技術が進歩した物であり、前者の方が後
作となり、製造年が逆転する。法隆寺の本尊が2具あるのはおかしい。
 書記に670年に法隆寺が焼失したとある。しかし、「法隆寺縁起幵記資財帳」
には再建されたと言う記載が無く、建物の尺度が大化の改新以前の高麗尺で後
の唐尺でないから、再建説は成り立たない。様式も雲形斗?など飛鳥時代の物
である。西院伽藍内を掘ったが焼土は無かった。
 すると、若草伽藍説が出てきたが、再建するなら同じ場所に建てる筈で、法
隆寺の南に面する向きと若草伽藍では、ずれている。区画の時代が違うのだ。
 609年に造られた飛鳥寺の丈六如来像の大衣は、右肩から前を覆って後ろへ
回して左腕前膊にかけているから襟が2重である。しかし、法隆寺の釈迦如来
像は襟が1重で最後は左肩の背面に垂れている。作者は両方とも止利で、前作
が正しく着用し後の物が着用法が分からないのは理解に苦しむ。釈迦如来像は
溶銅が拙く鋳造し直した跡がある。
 このように文化が衰退したのは侵略されたからであり、大化の改新を境とし
て飛鳥から天平へと移り、唐様式になったのも侵略が原因である。
 書記が670年に法隆寺が焼失したと記した目的は、唐文化によって再建した
事にしないと飛鳥文化の技術の高さを否定出来ないからだ。
 やはり、聖徳天皇は大化の改新時に暗殺されて、それを隠蔽する為に622年
に病死したと言う嘘を後世に残す為に釈迦如来像が造られ、薬師如来像は聖徳
太子の様な聖者が仏教を勧めたと言う方便で仏教を普及しようとした。其像が
あった寺が太子の崇りで焼失したから法隆寺に移したのである。
666日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:39:43
よくわからんが、聖徳太子が大化の改新まで生きてたなら推古の後の天皇になってたはずだな
667日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:17:35
>666 一体何歳になるんだよwww
668日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:36:07
ファチマ第3の予言
 貴方たちは、私の忠告を妄想だと言って無視したり、自分の知識を誇って、
無知だとあざ笑って、自尊心を満足させましたね。それで、改心の機会を失い
ました。
 麻原の死刑が確定したように、貴方たちの死刑も確定しました。原爆の超高
熱で焼かれるのです。どこへ逃げても、天変地異によって、マグマと津波の生
けにえになる。たとえ、あの世へ逃げても、地獄の極熱の業火で、魂まで焼き
尽くされる。悪業の報いを受けるのである。そうしなければ、犠牲になった動
物たちの魂を救えないし、宇宙が破滅する。
 聖母マリア像が血の涙を流している。神が貴方たちを哀れんで、救えない苦
しみの血涙を流しているのです。
669日本@名無史さん

アホ