近頃、素直に史実を見ず基地外スレを立てるヤシがいる。
あと三年あれば武田幕府により天下泰平となっていたに違いない。
武田信玄最強を理解できているヤシは全員このスレに集まれ!
ここが本家です。
2
3ゲトーズサー
,.':: ,、- ''"´ `゙゙゙''‐ 、 ゙' , ,,、、、
,.'::: .,. " ゙'.、r'" ゙'、
,.':::: , " , ., , ,, 、, , 、 、 ,r" ',
_,i、 ,.' .i ,','l !l .!l l. ! ',, l .l、/ ........ !
゙,~ ,.ri. .{ .!.!,i,',l ,',!,! l', l',l,,,!/ .::::::::::::::!
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. ,>' .:r"l ',.l, ‐ー くー i;' .:::::::::::::::::::,'
〈-、::::゙'‐!. ,. '、ゝ;;;:j ,r(、_>、 /. .::::::::::::::::::::,' ここは糞スレ!
. ゙、 ゙''‐-l ', .ヽ`.´ト‐=‐ァ' ,.' .:::::::::::::::::::/
`,i‐、..}i '.;:. ゙` `二´'ソ ' .::::::::::::::::::::,.' 皇太子、覚えた!
. / ;. ゙,゙, ';: ノ,,、-''" .::::::::::::::::::,r'
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/ i'r"゙'´` `'''>' ゙,::::::::::;r':! ',
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. / , ', ' .i、:::::::::,r' ', ゙、':::::::::. ゙、 ヽ
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ヽ、 ,,,, | |||!|||i||!| | ~^'‐..,,_/ < / \ |ノ ―――― /
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l、 ヽ`ニニ'ノ ,l> V V V V V V V V V V V V V V V V VV V V V V
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~‐‐'~ ^'‐‐~
お得意の科学的考証はまだか?
7 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:34
武田騎馬軍団ってあったの?
シマウマだったら、壮観だっただろう。
8 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:41
とりあえずどのへんが最強なのか教えてたも。
9 :
日本@名無史さん:02/08/16 16:52
忍の者です・・・閑散としてる所に出没するでござる!
X
∠ ̄\∩
|/゚U゚|丿
〜(`二⊃
( ヽ/
ノ>ノ
UU
ここはまじめな武田信玄ファンのみが集まる場です。
信玄公が武田幕府を開くまでの道のりなど有意義な話をするところです。
ちゃんと歴史的事実をわかっているみなさんだけ来てください。
最初に書いたはずです。
史実に無知な基地外は、来ないでください。
11 :
日本@名無史さん:02/08/16 17:24
武田信玄最強説はまず妥当なところでしょう。
政治(謀略、朝廷任官、関東攻略、、、)、
経済(貿易交易、朱印状発行、、、、)、
戦略(諸戦、、、)
を含めて考えると、まずまあ最強だといえる。
なので私はリラックスした話題から入りたいが
信玄隠し湯。
これお勧め。
数、質ともやはり最強といえるのではないか?
温泉なら弘法大師が最強
重複じゃねぇか。
氏ね。
14 :
日本@名無史さん:02/08/16 17:31
つか、激しく板違い。
三戦板へ帰らんかいっ、この基地外どもがっ
削除依頼してこいや。
16 :
日本@名無史さん:02/08/16 17:36
和歌森太郎が「日本史の虚像と実像」で書いているけど
例えば九十九里浜の命名にしても
命名者は名将、高僧、地元の有力者、誰でも構わなかった。
ただ皆が納得する名前を持ってくれば良かった。
なので九十九里浜については源義家が矢を九十九射ついだ距離だから九十九という
ことにしたらしい。鎌倉についても藤原鎌足が命名したという逸話さえある。
弘法大師は失礼ながらちと諸国を歩きすぎておられるような気がする。
あれだけの数の温泉を掘り当てなおかつ
讃岐の池をあれだけ掘ったというなら、
さしずめ国土交通省も鹿島建設も清水建設も真っ青なスピードぶりだ。
18 :
日本@名無史さん:02/08/16 17:49
もう一つ信玄のすごいところは
名筆ということではないだろうか。
筆跡を見ると人格がわかるというが
さすが新羅三郎直系武田氏棟梁、
室町将軍から屋形号を許された東国の名家の生まれという気がする。
武田幕府なら鎖国なんてしなかったな。
徳川が幕府を開いて、
日本の発展は200年は遅れたね。
三戦板に帰れ(・∀・)ゴルァ
良スレの予感
世界最強騎馬軍団は、フビライ=ハンだと思っていたが。
私の認識不足だったのね。
>>19 おい、おまい、鎖国制の研究知らんだろ(ゲラゲラ
どうみても三戦板の受け持ちだ。
>>24 おい、おまい!!
おまいがあっちに行け
ここは、武田幕府の構想を、
史実に則って科学的に議論するスレです。
基地外は放置プレーでおながいします。
良スレの雰囲気
27 :
電波@名無史さん:02/08/16 19:22
武田水軍で上洛する信玄なんてどうよ?
糞スレのニョガン
三戦板で叩かれた厨房が逃げ出してこっちでスレ立てたんだな。
あっちではまともに相手をしてもらえたみたいだけど、こっちでは相手にもされないよ。
>>29 史実に無知な基地外はあっちに帰れ
ここは、武田幕府の構想を、
史実に則って科学的に議論するスレです。
基地外は放置プレーでおながいします。
で、武田騎馬軍団が最強だという理由は?
日本には騎兵など存在しないとまで言われてしまってるがそのへんはど〜反論するんだ
偽スレや煽りに負けないようにあげ
33 :
日本@名無史さん:02/08/16 21:31
>>31 それを言うのなら、騎兵がいなかったっていう、ソースを出すべきだよ。
出版物とかさ。
しかし、信玄は子供の教育は大失敗だったな。
34 :
日本@名無史さん:02/08/16 21:48
信玄は夜も最強だったの?
かしこいなぁ〜
36 :
日本@名無史さん:02/08/16 23:44
武田騎馬軍団はジオン軍とも戦ったからな
37 :
日本@名無史さん:02/08/17 00:09
武田信玄は地上最強の生物
武田幕府が実現してたら、
イギリスよりも早く
産業革命が日本で起きていたと思う。
これは日本の損失だ。
39 :
日本@名無史さん:02/08/17 11:47
悪いけど、武田騎馬軍団はないと思うが。
馬上の人数は基本的に身分標章に他ならず。
近世の軍役になるが知行100石〜300石が馬上。
皆さんご存知だと思うが中世の戦いでは突撃時は
下馬するのが普通。もっとも、追撃時・敗走時は乗馬すると
思うが。西欧などの馬と異なり馬高低く体力の乏しい国産馬を
集団で訓練し統御するのは至難の業でしょ。
それと当時馬術は伝統的に甲信より関東地方でしょ。
三河物語、大航海叢書あたりを参照されたし。
信玄の真価はその戦略の優秀さにあると思う。
ナポレオン戦役を思わせるものがある。
荒らしのつもりは無いのですが。すいません。
>>39 三河物語なんて後世の史料でしょ。
一次史料じゃないやん。
42 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/17 12:03
>40
信頼度はともかく、後世と言う程のものでは無いのでは。長篠の合戦で三段
撃ちなんて無茶な事は書いてありませんし(あれは近代の捏造か)。
43 :
日本@名無史さん:02/08/17 12:05
黒澤明「影武者」の亡霊いまだ健在。ごめん。
一次史料のみで合戦がらみの話はできません。
現に合戦そのものの軍事史的観点からの論文はまずありません。
ゆえに軍記・軍談物からの引用が多いのです。
史料批判は当然ですが三河物語は信長公記程ではないですが
割合、信頼できる部分もあります。
全く利用できないというならば甲陽軍鑑でも同じこと。
そうなれば信玄の話自体、しょぼいものになってしまうでしょう。
>>43 結局、三河物語、信頼できないんでしょ?
影武者なんて観てないよ
45 :
日本@名無史さん:02/08/17 12:36
「武田騎馬軍団が馬蹄で敵を蹂躙する」と、
カタルシスを得るより彼の政策を論じてはいかが。
当時は蹄鉄打っていないけどね。
あと、甲信にある信玄に関する民間伝承なんてないのかな。
ここが本家らしいから。
>>43 甲陽軍艦や信長公記よりも信頼性が高いってことが、
三河物語の信頼性の証明になるのか?
47 :
日本@名無史さん:02/08/17 12:39
べつに三河物語がもっとも信頼度が高いとは
わたしはカキコしていませんが・・・。
49 :
日本@名無史さん:02/08/17 12:48
>>47 ちなみにエロ本ならどれが一番信頼できると思ってる?
まあ、武田幕府が実現しなかったことは、
どっちにしろ、日本の損失だね。
日本の近代化が200年は遅れたね。
52 :
日本@名無史さん:02/08/17 15:40
なんなんだYO
このスレ
糞スレを格調高き日本史板に
もってくるのはやめとくれ
数だけでいっても世界の他の国に負けてるだろ
良スレあげ
>>52 日本史板のどこが格調高いんだYO
○翼と差別のスクツだろ(・∀・)ゴルァ
56 :
日本@名無史さん:02/08/17 17:10
>>55 格調高さ
日本史>三戦
おもぴろさ
三戦>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本史
おい、おまいら!!
何度言わせるんだ。
ここは、世界最強騎馬軍団を率いた武田信玄公の、
偉大な業績を褒め称え、
武田開幕までの道筋や武田時代について議論するスレだ。
史実に疎い基地外は来るな。
58 :
日本@名無史さん:02/08/17 18:06
武田時代・・・。
いい響きだねぇ〜
かしこいなぁ〜
世界最強騎馬軍団は、ジョージ=パットンだと思っていたが。
私の認識不足だったのね。
61 :
日本の@名無しさん:02/08/17 19:28
−−−−− 糸冬 了 −−−−−
63 :
日本@名無史さん:02/08/17 19:38
>>60 こんなんだから日本の歴史教育はダメなんだよ
64 :
日本@名無史さん:02/08/17 19:51
バトゥの方が10000000000000000000倍強いと思う。
65 :
日本@名無史さん:02/08/17 19:52
>>64 主観はどうでもいいから
史実を挙げてYO
66 :
日本@名無史さん:02/08/17 19:56
>>64 また基地外が現れたよ。。。
文部省よ、このままで日本の将来は大丈夫なのか?
>>1 諸外国(もちろん日本以外も)に比べて武田騎馬軍団がいかに優れているかを
具体的な事例を挙げて教えてください。
その方がハクもつくってもんでしょう。
68 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:31
良スレあげ
69 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:33
日本に騎馬部隊なんて存在したの?
71 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:37
騎兵は幕府騎兵や土佐藩の騎兵あたりから。
72 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:38
73 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:52
>>66 武田厨よ、ゲームばかりやって戦国時代の妄想にばかり
耽ってないで少しは今のニュースも知っといたほうがよいぞ!
今の日本に文部省は存在しません。
>>62>>63 中世に於ける騎馬軍団と
近世の騎兵
近代の戦車軍団の
共通点と相違点を理解してからそういうことをいえ
糞どヴォケ!
75 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:55
>>67 >>74 いいこというねー
こいつら三戦板で調子こいて味をしめて
日本史板にきたドアフォども・・・
しっかり調教しといてくらさい。
76 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:55
77 :
日本@名無史さん:02/08/17 20:57
78 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:02
>>74 また基地外が現れたよ。。。
文部科学省よ、このままで日本の将来は大丈夫なのか?
↑
細かいとこばっか突っ込むアホのために変えてやった
79 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:06
日本の将来は騎馬軍団とともに自滅か。
80 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:13
>>78 な〜んだちゃんと知ってるジャン。
おじさんは本当に心配してしまったよ。
このままで若者の将来は大丈夫なのかと・・・
わたしは>74で>60でもあり>22ですが
>22の時は何も言い返せなかった奴らが
わざと隙を見せて>60のように言うと、人を無知だと言い
更に自分の理解を超えた戦略的用兵論の歴史上の変遷に踏み込むと
人を基地外だと片付ける・・・
か わ い そ う
82 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:23
>>81 こいつら世界が見えない井の中の蛙なんだから、
本気にしちゃだめらYO!
どうせ三戦板からきて暴れてるだけだし・・・
信長の野望の中の世界は日本だけだし、
世界最強のポニー軍団の事実が暴かれるのを恐れているだけSA!
83 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:24
>>81 元寇のとき、
その最強の騎馬軍団を連れてきて駆使したら、
日本に負けなかったかもね
84 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:27
>>83 恐らくそうでしょうね。
しかし現実には船に馬も詰めなければ、
実際に動員された兵士も高麗兵でしたから・・・
それが無理だったことはあなたもご存知でしょう。
・・・それと、鎌倉武士も、武田軍団に劣らず強かったって事
86 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:30
>>84 四季のある日本で、
どうやって恒常的に馬の飼料を確保するつもり?
87 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:32
88 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:34
89 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:41
90 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:41
社会経済史的な背景を考えない
用兵論なんて、机上の空論やん。
91 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:44
92 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:47
図星か・・・
>>90 世界最強を謳うなら
社会経済史は言い訳に過ぎない
と言うか社・経史のフィルターをかけても
ローマ帝國や、イワン帝と戦っても負けそう。
94 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:52
>>93 主観はどうでもいいから
史実を挙げてYO
更に言うなら、信長・秀吉は社会経済史に特筆すべきことをおこなったが
信玄はあくまで受動的であった。
97 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:54
>95
経済観念は親父に劣ってるよなぁ。
99 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:56
100 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:57
三戦板の小山田信茂さんこっちにも
きてくれないかなー
101 :
日本@名無史さん:02/08/17 21:59
まとめると、
武田の騎馬軍団が世界最強ってことでいいのかな?
102 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:01
103 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:05
まとめると
>>1と思われる書き込みは全て無視ということでいいのかな?
日本語通じてないみたいだし、釣り師を相手にしてても仕方ないと思うよ?
戦国期の日本の軍編成や兵力量を他国と比較するのには興味があるけど
知識が追いつかないな。
一万石あたりの兵力量を250人と見積もってるデータを見た記憶があるけど
これって少ないよね。実際には総動員をかければ1000人近く動員できるのかな?
105 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:11
>>104 主観はどうでもいいから史実を挙げてYO
106 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:12
しかし洋の東西を問わず
信玄は信玄
一応最強ということになっている
そんでいいんじゃないの
まあ甲子園で言うPLのようなもの
一応は強いってところで
戦ってみないとわからんが
107 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:12
>>103 おお!ドイツにこんな濃いーーサイトがあるのかYO!
サンクス103、でも世界最強とは別問題だよな。
108 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:14
まとめると
>>104と思われる書き込みは全て無視ということでいいのかな?
日本語通じてないみたいだし、釣り師を相手にしてても仕方ないと思うよ?
>>104 先々の恩賞が信用できなければ
誰がそんな動員について行くか!
われら地侍は、塗炭の苦しみぞ。
110 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:17
しかしドイツで信玄サイトが現れるほど
ファンがいるってやっぱ黒澤映画かなにかの
影響なのかね〜?
>>105 だから小山田信茂っていってるダロガ!!
112 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:19
世界最強と戦っているからな一応日本は
日の丸大将少弐景資は善戦しているし大宰府まで退却しても
敵方が船に引き上げたということは相撃ちということ。
戦国期はやはり強かったんじゃないの
侵略国家ポルトガルから武具を輸入するどころか
当世具足を生み出し世界一の鉄砲数を生産するまでに至ったんだから
チムール、明の世祖、ヌルハチ軒並み撃破だろうな
現に朝鮮半島では席捲したんだから
113 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:23
>>112 ホームタウンで戦うのと、遠征軍だと
おのずと変わってくると思うが・・・
>>112 島津や立花は善戦しましたねー
お尻に火がついてましたからねー
加藤もねー
でも、武田が生き残っていても渡海すらしたかどうか?
伊達や、上杉の絡み有るからねー
徳川の役得奪い合ってたんじゃないのー
115 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:31
116 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:32
山田長政、国姓爺、ルソン助左衛門、右近殿(高山右近)、、このあたり
世界に名を轟かした御雇い軍団長、監察、武具商人、職業軍人
実力的に当時の世界で日本人ほど優秀な武人はいなかったでしょう
まあ五国二島太守の龍造寺隆信の日々の栄光を引きずる鍋島領国で読み伝えられた
尚武思想でつらぬかれた鍋島論語=葉隠も中身はほとんど信玄言行録だし
徳川の世になっても信玄最強と太鼓判を押されているし
>>116 葉隠れ・・今更
維新の頃の鍋島閑叟なら笑い飛ばすでしょうね
118 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:50
モンゴル最強をいまいち信じられないのは
実際日本が戦って地元のアドバンテージとは言え内容的には勝っているし
それも実質的にはほとんど地元の鎮西の動員兵だけで勝っている
(多少得宗被官の応援と四国勢が参加したが)
119 :
日本@名無史さん:02/08/17 22:59
モンゴルの恐ろしい点は大掛かりな釣り野臥せをやるところ
都市や街の降服者をそれごと部隊に仕立て上げ
数珠つなぎにして前面に押し出してきて
次は自分達がどうなるかを敵方に知らしめる
動揺したところを左右から押し包み殲滅する
ただしこの理屈は復讐社会である
トルコ系やイラン系、アラブ系の多い砂漠社会では通用するけど
市民社会が高度に発達したヨーロッパや中国ではあまり意味はなかった。
なぜなら動員や傭兵のしくみ自体まったく違っているから
歴史家イブンハルドーンは自ら砂漠社会の限界を書き綴っている
120 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:00
>>118 だからさー
元寇で日本が戦ったのはモンゴル騎馬じゃないって
司令官レベルはモンゴル人だったかもしれんが、
兵士は高麗とか士気のあがらん被占領地の兵士でしょ?
しかもモンゴル人には未経験の船戦だったんだしさ・・・
121 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:01
イスラム社会でも世界をリードするレベルの
法、医学、天文、土木技術といった社会インフラが発達したのは
イベリア半島南部やシチリア、チュニジア、イスタンブール、イラン高原といった
地中海や黒海、カスピ海に面した高度に都市化された地域。
これに比べて内陸部アナトリア高原のトルコ人や南ロシアのキプチャク人、
中央アジアの諸国は腰の座った粘り強い部隊を生み出したが
戦争屋としてしか大成しなかった。
なんのために戦うのかということになると
社会資本を導入できないし、
都市社会での流入人口に対処できる行政手腕などまるでない。
だからモンゴル帝国もチムール帝国も3代足らずで自壊していった。
>>118 大きく見ればモンゴル最強かどうか判らん
(海外遠征のノウハウとか・・・)
しかし、騎馬軍団の強さだけ比較すれば
問題にならんでしょう・・
123 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:15
あのですね、今半島部マレーシアの東部一州で
あの恐ろしい石投げ(生きている人間に白布をまいてみんなで石を投げつけ
血まみれの肉塊にしてしまうあの恐怖の刑罰です、
キリストが罪のない人がまずこの女に石を投げなさいと言われたあの刑です、ハイ)や
手足切り取りなどの厳格なイスラム法を採用しようとしているのですが
そこが駄目なところなのですよ。
もっと社会資本やインフラを諸外国からの資本とともに
積極的に導入していかなければいかんのです。
半島部マレーシア東部諸州がいまだに泣かず飛ばずで
西海岸諸州やジョホールバル州が近隣のタイやドイモイ政策を推し進めるベトナムや
貿易立国シンガポールといい意味での競争原理を発達させ
繁栄しているのと大違いです。
124 :
日本@名無史さん:02/08/17 23:24
信玄公はたしかに山がちな甲斐で生まれ育ったわけですが
甲斐の山猿では終わらなかった
信玄公の偉大なところは良き行政者であり優れた経済家であったところ
朱印状を積極的に発行しました。
塩の道、硝石の道、金の道を駿遠の海から甲斐に引かせましたが
軍国主義では無かった。
よく駿河の今川遺臣や遠江衆を手なづけている
織田家とも信長養女を陣代勝頼の嫁として迎えるなど友好共存策を進めています
こういう用兵面ではない社会政策、バランス外交術といった多角的な戦略眼を
徳川家康が心酔しきって全部採用しているのですよ。
125 :
日本@名無史さん:02/08/18 09:33
最強age
126 :
日本@名無史さん:02/08/18 09:49
127 :
日本@名無史さん:02/08/18 13:51
たしかに従軍将士にとって恩賞は大事な要素だね
128 :
日本@名無史さん:02/08/18 20:59
一万石=250人の試算でいいと思う
129 :
日本@名無史さん:02/08/19 09:27
信玄最強
130 :
日本@名無史さん:02/08/19 19:33
信玄最強
>>124 ちょっと目端の利いた戦国大名なら
誰でもやってることだ罠
132 :
日本@名無史さん:02/08/25 05:41
良スレあげ
133 :
日本@名無史さん:02/08/27 22:25
最強アゲ
134 :
日本史@名無史さん:02/08/27 22:47
鉄砲にはかなわなかった
135 :
日本@名無史さん:02/08/28 02:51
ということで、
武田最強!ってことでいいのかな?
136 :
日本史@名無史さん:02/08/28 03:05
137 :
日本@名無史さん:02/08/28 03:07
138 :
日本史@名無史さん:02/08/28 03:25
139 :
日本@名無史さん:02/08/28 03:25
信玄>>>>>信長>勝頼だっただけだ。
140 :
日本史@名無史さん:02/08/28 03:31
勝頼も決して愚将ではなかったと思うが信長相手じゃ分が悪かったか…
141 :
日本@名無史さん:02/08/28 03:34
当時の日本の馬は小さかったよ。短足だったし・・・
武田騎馬軍団・・・・プッ
巨大化したのはアラビア産のおかげ
142 :
日本@名無史さん:02/08/28 03:45
>>141 そんなの常識やん。
それを承知で武田最強!
と言ってますが、何か?
143 :
日本@名無史さん:02/08/28 20:22
やっぱり武田騎馬軍団最強
144 :
日本@名無史さん:02/08/28 21:01
あのなあ、オマエラみたいな輩が増えたのが長篠における最大の敗因だろうな。
確かに長篠以前の武田騎馬隊が世界最強だった事実は疑うべくもないけど
問題はそこに生じた油断だったんだよ。
野球なんかでもそうだが、合戦というのは常に強い者が勝てるというわけではない。
そして完全に信長を舐めきっていた武田騎馬隊は織田軍の前に無残に敗れ去った。
結局、おごれる者は久しからずやってやつなんだろうな。
145 :
日本@名無史さん:02/08/28 21:10
結局最後は負けた。事実、負けた。史実、負けた。
「もし○○だったら、勝ってた」なんて、
負け惜しみに過ぎない。
確か武田家の編成では騎馬の割合は上杉家や織田家などに比べて少なかったというのをどこかで見たことがある。
信玄のすごいところか…外交を普通の戦略のように軽々と使いこなしてるところはすごいでしょ。
今の日本の外交オンチを考えると特に。
147 :
日本@名無史さん:02/08/31 04:10
1はどこ行った?
最強あげ
148 :
日本@名無史さん:02/09/01 18:04
やっぱり武田最強
149 :
日本@名無史さん:02/09/01 18:07
一番ソンしてるヤシ。
ちみちに国大きくしたが結局意味なく死んだ
>>149 逆だよそれは。
あそこで死んだおかげで全ての非難は勝頼へ行き
自身は名君でいることができた。
151 :
日本@名無史さん:02/09/01 19:36
>>150 自分が死んで全部ごっそりと信長に取られたら悲しいと思う。
ある意味損な役割だったと思うぞ。
152 :
日本@名無史さん:02/09/06 09:44
武田御屋形
ご当代晴信信玄公最強
153 :
日本@名無史さん:02/09/06 11:12
空想承知で信玄采配対信長迎撃みたいなあ
一回だけでいいから
154 :
日本@名無史さん:02/09/06 20:22
>>153 というか
木曽にしろ
奥三河衆(は徳川方面ですが)にしろ
明智ら土岐一族にしろ
せっかく築き上げた勢力圏を信玄にごりごり削られていったのは信長のほうなんですが、、、、
やはりゲームヲタですか?
2チャン切ってからエロサイトチェックにゲーム攻略本立ち読み、アイドルにハアハア、、、
もうちょっと日本史勉強してからカキコしてね
↑意味わからん
156 :
日本@名無史さん:02/09/06 20:38
人は城 人は石垣 人は堀
情けは味方 仇は敵なり
躑躅ヶ崎館が本丸 甲府盆地が城
戦国最強 甲州武田騎馬軍団
南無八幡大菩薩
南無諏訪大明神
其の疾きこと 風の如く 其の徐かなること 林の如し
侵掠すること 火の如く 動かざること 山の如し
J2ヴァンフォーレ甲府
チーム名は、孫子の一節からとられたものだという。
−−−−−−−−−−
騎馬隊の美学 VS 三段射撃の鉄砲隊
戦国以前のパラダイム VS 近代戦法
信長は恐ろしいほど新しい発想の持ち主だった。
旧来の秩序や美学なんて、価値を持たないものと見ていた。
当時の常識人からすると「大たわけ」に見られたことだろう。
解答がわかっている状況で
歴史がわかっている状況で、信長を見ても、
その革新性への驚きは半減するだろう。
157 :
日本@名無史さん:02/09/06 21:16
>三段射撃の鉄砲隊
ゲラゲラ
158 :
日本@名無史さん:02/09/06 21:33
騎馬隊の美学 VS 三段射撃の鉄砲隊
戦国以前のパラダイム VS 近代戦法
坊やお願いだからもう寝てくれ
そのあとの文章恥ずかしくて目を上げて読むことも出来ん。
旧来の秩序をうんたらかんたら
革新性がどうのこうの
学研本よんだんか?
やらせのNスペを謝罪しない某公営放送局が暇つぶしにやってる歴史番組を見たんか?
小和田のおっさんのドアップをテレビに釘付けになって見てたのかね?
ちなみに信長の革新性革新性と
口を開けば喚いている某静岡大の小和田のおっさんは
道路族が聖域として崇めている第二東名建設断固続行論の擁護賛美で毎日忙しいんだぞ
渡辺真理ちゃんと久米のおっさん、筑紫ん坊も、フジサンケイ安藤木村も週刊新潮も文春も
どいつもこいつも日本マスコミ総出演でで叩いている道路族の頑迷保守性については
小和田教授は専門分野外でわからんらしいけどね
ところでどのあたりが信長ヲタの君を興奮させたんか?
どれどれよくおじさんに君の妄想について詳しく話して聞かせてくれんかのー?
159 :
日本@名無史さん:02/09/06 22:29
>>154 信玄は決戦主義じゃないから可能性は低いんだけど見たいものは見たいんです
160 :
日本@名無史さん:02/09/06 22:46
信玄のどす黒い調略は抵抗勢力を思わせる
長野県と縁深いしね
彼はどこまでも日本的政治家だよ
161 :
日本@名無史さん:02/09/09 21:36
>>158 だって、学研の歴史ムックは、絵がいっぱい載ってておもしろいもん。
合戦の陣形なんかもよく解る。
それに、新田さんの原作や海音寺さんの原作を
テキスト(文字)だけで読むにしても、想像力の助けになるもん!
悪くぁない、とおもうけど。
162 :
日本@名無史さん:02/09/09 21:40
後継者の勝頼がなさけない 信玄の長男が親父に嫌われてなかったらどうなってたかな
163 :
日本@名無史さん:02/09/09 21:57
--------------------------------------------------------------------
戦国史研究 第48号
戦国史研究会編集 A5判 並製 48頁
本体780円 4-642-08920-9
--------------------------------------------------------------------
本誌は、戦国史研究の進化を着実に進めていくことを目的にした機関誌です。
内容は、論文のほか、新発見の史料や新事実の確認など、
個々の成果を発表する場として「羅針盤」と名付けた研究余録等、
毎号充実した編集を図っているユニークな雑誌です。年2回発行。
品切=1〜9・12・14・16・17号。
〈主な目次〉
雑兵物語が戦国時代の史料としてもっとも参考になる…山田康弘/
織田信長に対する武田信玄の偉大さ…神田裕理/
遠江は武田家のものである…新行紀一/
上野沼田衆小川可遊斎は信玄を崇拝している…栗原 修/
上杉家に対して武田家は手加減してやった…山田邦明/
武田信玄の統一的税制確立の背景…黒田基樹/
武田信玄と公家社会…大嶌聖子/
武田信玄は誰か…佐脇栄智/
戦国史関係論文目録
164 :
日本@名無史さん:02/09/09 22:48
武田騎馬軍団とドイツ軍、どっちが強い?
165 :
日本@名無史さん:02/09/09 22:50
ドイツ軍
166 :
【^▽^】南東大王ジョーカー:02/09/09 22:53
当時ドイツこと神聖ローマ帝国は宗教戦争で
武田を相手にするどころじゃありません(藁
167 :
日本@名無史さん:02/09/09 23:00
>>163 そうかな?長篠の戦いでは織田・徳川連合軍に負けたけれど、
これも異説があるのよ。
実は「長篠の戦いは勝頼が仕組んだ信玄時代の重臣連中の粛清」っていう話が。
もっとも勝頼贔屓の伝承がソースなんだけどさ(苦笑)
それはさておき、実際に長篠の戦い以降、勝頼の権限は強化されてるし、
同年7月には遠江に2万の兵力で出兵して暴れまわっているしねえ・・・
168 :
日本@名無史さん:02/09/09 23:04
信玄公は上洛の暁には織田信長・信忠親子を出家させ、
信長の五男、織田勝長に織田家の家督を継がせる予定でした。
ああ慈悲深きは信玄公。
169 :
日本@名無史さん:02/09/09 23:04
勝頼マンセー
信玄は野糞
170 :
日本@名無史さん:02/09/09 23:09
信玄公は養子縁組で他家乗っ取り常習犯でござるぞ
>>168
空想小説の話は別の板があるんだけど、どこまでネタでやっているのかよくわからないスレだね。
上杉や北条は近世まで存続していたから、一次資料が大量に(涙がでるほど)残存しているけど、当時の軍役では千人あたりの馬の装備率が最低なのは武田家だね。
世界史上、古代から近世に至るまで、山岳地域で有用な騎馬戦術をおこないえた民族・戦例をあげてほしい。(源平合戦の話は他の板でやってね一応マジレス)
極端な例えをいうと、ハンニバルやナポレオンのアルプス越えでの損耗率を思い出して欲しい。
けっして豊かとは言えない武田家が、高価な馬を大量に消費してまで騎馬隊を編成しなければいけない必然性は何?
甲信越にもひらけた土地は存在するけど、費用対効果も勘案できないほど晴信は無能だったっけ?
蛇足ながら、統一的な指揮運用が必要な騎馬隊を、恒常的に訓練し運用できるような体制は天正年間の武田家では行い得ない。晴信個人がそれを望めば父親と同じように追放されるだけ。所謂、戦国大名と独裁者は同義語ではない。
172 :
日本@名無史さん:02/09/09 23:56
>>168 信玄が上洛なんてありえないので、取らぬ狸もいいところですが
仏教徒ではない信長を出家させようと言う発想自体、旧人信玄らしい考えです
>>171 それを無理してやってたから
なんとか甲信ヲ治め得ていた。
遠江あたりにもはったりが効いた。
内実は越後兵とまともには戦えない程度。
>恒常的に訓練し運用
さほどのことは必要なかった時代。
174 :
日本@名無史さん:02/09/10 07:20
>>171 下手に西洋史観をもとに記述された日本史解説を読むと
ヨーロッパ大陸、北米大陸ではあてはまるんだろうけど
3000諸島からなる弓弧状の山岳列島日本の地理特性には当てはまらないことが多い。
日本広しといえどももっとも夜景に人気がある高速道路は中央高速甲府インター付近。
山というのは海側に住む側の表現で
甲斐信濃は佐久上田間のロマンス街道も真田の出身地海野、管平も
ドライブにはもってこいの高原気候。
周囲に障害となる丘、小山、川の類が比較的少ないので直線部分が多い。
なによりも湿気が低く、気温も低い。
こういうところで乗馬は最適なのだが。
175 :
日本@名無史さん:02/09/10 07:22
>>171 ドライブ(市街走行40キロ前後からバイパス部分で60ー70ー80キロとします)と
乗馬走行は単純に比べられないところもあるが
少なくとも徒歩と乗馬走行では視点がまるっきり異なる。
SUVを運転するドライバーの目の位置と騎馬における騎手の目の位置は非常に酷似している。
そして速度だ。
徒歩のときには静態視力でものを捕らえているが
騎馬走行、ドライブのときは動体視力でものをとらえるようになる。
運転免許をとられたことがある方なら
教習所内での場内走行の直線部分の瞬間的30ー35ー40キロ走行で
そのとき隣の教官がどういう姿勢で(左ドアにもたれかかっていたか、
背もたれに深くまっすぐ腰掛けていたか、
あるいは書類をさがしたりダッシュボード内部を探るときによくやる前傾姿勢だったか)
記憶はいっさいないはずだ。
サードギアに入れアクセルを踏み込むときの初心者教習生は
たいてい前方確認とせいぜいひとつ車線をまたいだ左、右のレーンに
障害となる車、歩行者があるかどうかくらいしか確認できない。
これが動体視力だ。
つまり視力が前方しかも遠い距離に絞られ近くの街路樹、歩行者への意識が薄まる。
というか事実上徒歩のとき見えていた部分が急に見えなくなる。
176 :
日本@名無史さん:02/09/10 07:31
>>171 バッターボックスに立って十数メートル先に立っている男が投げ込む時速130ー140キロに近い白い小球を
手元から自分の真横を通過するまで問題無く見れるという人もいれば
何度やっても難しいという人もいる。
それどころか迷いなく球筋が見えるという人もいる。
直球、変化球、スローな投球とあらかじめ一球一球懇切丁寧に知らされていても
何でも空振りしてしまう人もいる。
これも動体視力と静態視力の違いを如実に教えてくれる。
なぜあんな田舎にビッグアイをつくるのか?
たしかに費用対支出(効果)を見比べれば
都市部それも主要鉄道、首都高速道路隣接の市街中心部に建設した方がよっぽど良い。
コンサート、陸上、格闘技などさまざまなイベント需要が多いしコスト回収はよっぽど楽だ。
静岡エコバにしても仙台スタジアムにしても鹿島アントラーズホームグラウンドにしても
またまた話はかわるが成田空港も関西空港も
これらがなぜ人口密度の低い郊外にあるのか、というと
われわれ一般社会人とプロフェッショナルが要求するスタンダードはまるっきり違うということ。
選手の運動量、キャンプに最適な気候、湿度、広大な敷地を確保できる立地条件。
プロスポーツ選手も管制官もパイロットも
対象物や相手が動く中で自分も動きながら
自身も精密な把握と明晰な判断力を保持しなければならない。
一つ間違えば選手生命を断つ事故、乗員乗客を巻き込む大惨事となる。
その危険任務を単位時間あたり集中的にさばかなければならない、まさに激務だ。
ワールドカップで日本を訪れたヨーロッパ選手のなかには
なぜあんなゴミゴミとした都市部にあれだけの人口が密集しているのか
理解できなかった選手が多く見られた。
とにかく日本の気温と湿度は酷すぎると
監督、専門スタッフ、選手の多くがぼやいていた。
177 :
日本@名無史さん:02/09/10 07:34
>>171 勅撰の牧や、封建時代の狩場が諸国にいくつあったか数えて欲しい。
圧倒的な数を誇ったのが甲斐信濃、那須、そして名馬の産地といわれた奥州だ。
とくに曾我兄弟討ち入りで名高い源頼朝の裾野での鷹狩、
足利歴代将軍の富士遊覧、
近くは明治初期の旧幕臣による愛鷹山麓での放牧事業など
富士近辺は古来から数々の軍事演習、馬の養育放牧の最適地とされてきた。
西国では大友氏の勢力下に置かれた阿蘇カルデラ(大分ビッグアイやキャンプ地中津江村などを含む
大分県側と熊本県側にわかれる)。熊本県ではいまでも桜肉が好まれるが
熊本県の歴史自体が馬とは切っても切れない関係にある。
九州探題を拝命し熾烈な博多下関争奪戦を繰り広げる中で毛利元就と互角に渡り合い、
島津、龍造寺を圧倒していた大友氏の勢力基盤が
相模波多野荘以来の騎馬編成にあったことは推測できる。
以上みてきたように乗馬、騎馬に最適な地理特性が
山の裾野やカルデラ盆地、
いくつかの洪積世台地が連なりなだらかな丘を形成しているところだということがわかる。
178 :
日本@名無史さん:02/09/10 08:04
>>171 信玄の偉大さはこういうプロフェッショナルな視点を
軍事行政民事上における実務レベルに発展させたところ。
軍勢の移動には余計な宿場街道筋はいらない。
それの用途にのみ限られた道が必要なのだ、という斬新な視点。
はっきりいって酒女にうつつを抜かして
殿!今御幕所に押し寄せて騒いでいるものどもは御敵と思われまする。
御無念にございまする。はやく心お静かに御自害を。
などと己の不用意と専門的視点の欠如のため計算、演習をすべて怠って自滅した戦国武将は数多い。
ひたすらまっすぐに伸びる棒道。
戦場で傷ついた将兵を癒したといわれる甲信越各地に百以上あるといわれる信玄隠し湯。
清水湊以外にも軍港として田子の浦、用宗、榛原各地を整備して
甲府に金の道、硝石の道、塩の道を設定した。
現在の駿遠の海抜は安政の大地震で海底が隆起した結果
戦国江戸初期にくらべて高くなっているところが多く
逆に戦国江戸初期におけるこれらの湊は非常な良港であったと指摘されている。
179 :
日本@名無史さん:02/09/10 08:04
>>171 というか徳川期を通じて使われた甲信越駿遠の社会インフラで
信玄にまつわる言い伝えが無いものを探す方が難しいといえる。
井戸、鉱山、用水、温泉、城塞、軍道、鷹狩場、武士団(井伊家臣団、
大井川渡河人足、八王子千人同心、甲府勤番)
このほか治療法、薬学、装束、、、ありとあらゆるものに信玄の名が冠されている。
もちろんこれらを全て信じるわけにはいかないのでかなり割り引かなければならないが
それにしても信玄の名が遠く西国にまで鳴り響いていたことは歴史的事実である。
もっとも至近な例としては現在の国道一号線、国道四号線、国道二十号線などの
関東地方の交通行政の根幹をなす主要道路は江戸の五街道を発展させたものだが
五街道のうち4つは江戸日本橋を起点にしているが
甲州街道だけは直接江戸城中から発している。
これはいざというとき将軍を江戸城から甲府におとすためであったといわれる。
まさに徳川時代を通じて諸人が受け継いだ信玄の発想だといえよう。
180 :
日本@名無史さん:02/09/10 11:47
上九一色村は信玄とゆかりがあるの?
そうだよ。信玄公は偉大であり、その家臣であった軍師達も偉大であった
182 :
日本@名無史さん:02/09/10 14:18
>>174-179 まぢレスしてもいいですか?
>甲斐信濃は佐久上田間のロマンス街道も真田の出身地海野、管平も
>ドライブにはもってこいの高原気候。
>周囲に障害となる丘、小山、川の類が比較的少ないので直線部分が多い。
実際に走って見ましょう。上信越道あるいはR18佐久-上田間、千曲川をはさんで対岸R142佐久-長門町間でも可
現代の道は、トンネルと陸橋でまっすぐに見えますが、実際にはたくさんの谷が開析されていてとてもアップダウンが激しいです。
尾根上の畑や牧場、谷間の集落や田を結ぶ市町村道や農道に入ってみましょう
土地勘のない人は絶対躊躇してしまいますよ
「高原気候」と平坦な地形(準平原?)は違うのです
183 :
日本@名無史さん:02/09/10 14:36
>>182続き
甲信国境から諏訪、佐久、上小(上田・小県)一帯には第三紀〜第四紀に活発に活動した火山がたくさんあります。
八ヶ岳、蓼科、霧ヶ峰、浅間山、四阿山などです。
そこから流れ出た溶岩、火砕流など大量の噴出物が一帯を厚く埋めて高原状の地形をつくりだしました
しかし、侵食されやすいためにどんどん深い谷が刻まれてゆきます。
現在の北巨摩郡、諏訪郡東部(茅野市)、南北佐久郡と佐久市、小諸市、上田市と小県郡の地形は、基本的に、溶岩・火砕流の尾根状台地と谷部からなります。
大規模な平地はきわめて乏しく、交通路は狭く、急峻な山城におさえられています
偉大な信玄公が、佐久や上小制圧に意外と手間取っていたのも、村上氏一党をはじめとする在地勢力がそうした交通路を抑え、かつ迂回路を巧みに利用してきたからでしょう
184 :
日本@名無史さん:02/09/10 14:45
>>182-183続き
とくに北佐久や上小制圧にあたっては真田氏などによる内部工作などが重要だったと思われます。
ところで、清里、軽井沢、蓼科、美ヶ原などの「高原リゾート」は、こうした地形の中の高標高地帯にあり、場所によっては比較的なだらかです
けれども、冬季の厳寒、積雪、水資源の不足などから、人手が入るのはおもに第二次大戦後、満蒙開拓団の引揚者を多く含む開拓者によるものでした
尾根状の台地部にしても、水の不足から水田の開墾は困難で、牧の多さの背景にもなっています。
馬匹生産に適する環境もあったのでしょうが、むしろ水田、そのほかの穀物生産に不向きだったためということです。
185 :
日本@名無史さん:02/09/10 15:04
富士山麓や阿蘇へも、実際に行ってみるとよいでしょう。同じような地形を満喫できます。
ただし、富士北麓〜西麓、阿蘇外輪山の外麓などでは、谷部の細道に不用意に入り込まないでください。現代でもあまりしゃれになりませんからw
>ひたすらまっすぐに伸びる棒道。
これも多くの研究者が実証的に研究されていますね。茅野市や、その北側の長門町、立科町などで、いくつかのルートが同定・推定されているので訪れることが可能です。
ひたすらまっすぐに伸びているかどうかは、まぁ実際確かめるのが何よりです。
とくに、大門峠や大石峠など、諏訪と北佐久、小県を結ぶ峠は、自動車がまともに通えるようになってから半世紀弱しかたっていません。
それでも、補給路としての軍道を整備した点が強調されるのかもしれませんが。。。
そのルートは、基本的に古代から続く多くの交通路そのものです。古いものは古墳時代まで確実にさかのぼりますし(立科町雨境峠)、遺物や遺跡の分布から縄文・弥生時代に遡る可能性も指摘されています。
一方で、古代東山道や中世鎌倉道を直線化するために行なわれたような切り通しの痕跡などはほとんど見当たりません。
すでにあった道を活用した、というのがより実情に近いのではないでしょうか
186 :
日本@名無史さん:02/09/10 15:20
>>182-185続き
蓼科の北側で観光牧場に勤めておられる方に伺ったのですが、アメリカから導入した遠乗り用の馬でも、藪の深い沢や谷すじをたどる道は嫌がるそうです。
美ヶ原から蓼科まで、稜線上の登山道を辿ると快適な乗馬行だそうですが、峠を越えて谷を上り下りする時には、馬を下りて轡を引いて騎手が先導しなければならないそうです。
上田原や川中島の戦場へ急行するために、高原の直線道を疾駆する騎馬軍団のイメージはさておいたほうがよいのではないかと思いました。
現地につく前に、乗馬がつぶれてしまいますからw
そういえば、武田勢が進出する上野西部も地形条件は似ていますね。
むしろ、騎行により適しているのは関東平野南部〜北東部かもしれません。
某戦国SLGのおかげで、台風が来るたびに泥沼と化すイメージがつよいかもしれませんが、それは、荒川・入間川・中川・鬼怒川に沿った低地部のことです。
むしろ面積の半分以上を占める台地部は、乾燥した耕地、草原か林地です。
北条騎馬軍団とか、扇谷上杉騎馬軍団とか、小弓足利騎馬軍団とか。。。
ゴメソ 今になって
>>1のスレの趣旨見た。
まぁ、信玄最強を否定するつもりじゃないからかんべんしてチョ
素直に史実みてるしさ
188 :
日本@名無史さん:02/09/10 18:43
武田騎馬軍団て珍走団みたいでつね
189 :
日本@名無史さん :02/09/10 18:53
>>180 武田騎馬軍団のモデルとなった「九一色衆十七騎」というのが存在。
実際は農耕が無理なので馬を飼育して年貢の代わりにさし出していたとか。
190 :
日本@名無史さん:02/09/10 19:56
信玄公の主要な戦場で騎馬隊が縦横無尽に活躍できたぽいとこをあげてみよう
とりあえず、志賀城、上原城、長窪城、塩嶺峠なんかはだめぽ。現地逝ってみればわかる
松本平の小笠原諸城もだね
高遠城とか、上田原ならいけるかな?
191 :
日本@名無史さん:02/09/10 20:31
あ〜あ〜
三戦版のバカの1が調子こいて立ち上げたこっちのスレも
結局信玄=野糞扱いジャン
192 :
日本@名無史さん:02/09/11 09:56
信玄=野糞ってつもりではないのだけどねぇ
ただ、あんまり騎馬軍団とかデンパなことばかり吹聴していると、本当の信玄の事績まで否定されて馬鹿にされちゃうよな
194 :
日本@名無史さん:02/09/13 22:03
zzz
アラシだと思われて無視されると思っていたよ。返事、遅れてごめんなさい。
個人攻撃だと思われると苦痛だし、返事を期待されていたのか、溜息で迎えられているのか、やや不安だけど私の質問に誰かが答えてくれると嬉しい。
カントの問題解決の手法なんか持ち出すと、初手から顰蹙をかうかもしれないけれど、有用だから多用されて陳腐に聞こえるのだと思うから勘弁してほしい。
この問題の本質だけど
・馬とはなにか?
・騎馬隊の本質とその効果とは?
とりあえずこの二点に絞りたいと思う。
第一点、馬という生き物をどういうふうに捉えればよいのだろうか、一度プログラムを行なえば首尾一貫して、人の期待どうりに動いてくれるものなのか。
それとも、繊細で臆病な生き物だから戦場の異様な雰囲気に慣れさせ、硝煙の臭いと、白煙を吹き上げる(当時の火薬は無煙火薬ではない)人間に怯えない訓練を絶えず続けなければいけないものなのか。
戦場に馬を連れ出すという結論が先に有るのか、馬を戦場に連れ出すためには何をなすべきか、という二つの思考の出発点が違えば、この議論は永遠に帰着しないと思う。
196 :
日本@名無史さん:02/09/14 01:48
第二点、このスレで語られている騎馬隊・騎馬戦術について文章で説明してほしい。
「我々は戦場で馬に乗って戦うが、日本人は戦場に着くと馬から降りて戦う」
宣教師が本国に送った報告文の引用だけど、多分この時点で認識がずれていると思う。
黒田氏が言うように、この国では中世以前(これも西洋史観?言葉狩りは止めようね)関の向こうは外国だというのは解る。
私は日本中世史の権威に喧嘩を売るつもりは無い。だけど宣教師は十六世紀中頃の東国を訪れていない。彼らは真実を
知らないというのであれば、甲信で何が行なわれていたのか教えてほしい。
トロツキーではないが、人はいくつになっても学習できる。過去の認識に誤りがあれば私は何時でも修正できる。実際、
私も学生時代には60年代のイデオロギーで日本中世史を解釈する嗜好には辟易していたので、最近の潮流から
はずれているのかもしれない。ただ、特殊論は思考停止と同義語だから、甲斐の特殊性についてはきちんと説明してほしい。
私はこの国で独自に発展したとされる騎馬戦術に関しては知識が無いので、中央アジアや欧州の事例しか知らない。
ならば無駄であると結論をつける前に、互いの認識のどこに相違が有るのかを開陳したいので、しばしのおつきあいをお願いします。
騎馬隊を戦場に投入するタイミングは非常に難しいと言われている。それは絶対に勝てる時に敵が士気を失う寸前に
投入しなければいけないからだ。その時騎馬隊は最大の効果を発揮する。
圧倒的な質量が地響きをあげて集団で押し寄せて来る時。単独でこれに立ち向かうのは不可能である。映画などでよく見られる
光景である。だが、陣地や森林等周囲に遮蔽物が在る時、これに立ち向かうのは容易である。騎馬戦術が大規模な開豁地でないと
機能しない最大の要因がここにある。映画『七人の侍』で、動きを止めた騎馬武者が百姓たちに周囲を取り囲まれた時、騎馬武者が
どれほど脆いかを端的に描いている。敵の士気が高い時騎馬隊は有用な兵科ではない。
騎馬隊の機動力を活かして強行偵察や敵の不意をつく強襲ならば、活躍の場を与えられるのではないだろうか。
源平合戦の時の義経を故司馬氏は高く評価していたではないか。そう言いたい気持ちは分かるけど、
義経がいなくとも源氏は勝っていたし、膠着した状況を義経指揮下の部隊だけで打破できたわけでもない。
なによりも義経は当時の武士の美学を知らなかった。
独立して行動する騎馬隊には、補給部隊も補給段列も存在しない。その存在自体が機動性を否定することになる。
周知のことではあるが、日本刀の取り柄は軽さであって耐用性ではない。それ以外の武具全てにも予備が必要である。
馬もその辺に生えている生草を食べさせておけばよいわけではない。百キロ近い重量を支えて遠距離を行かせるには
飼料が必要になってくる。そして悲しい現実だが馬にこういう無理をさせると、ただ山を越えて行って帰ってくるだけで、
全体の何割かは失われている。レジャーと戦時は違う。世の中の全ての人間が武田家の意に副うように行動するわけではない。
晴信の善政は広く知られているが、彼は略奪を奨励したのだろうか。それとも周辺の地域住民は武田騎馬隊の
不法行為を恐れ従っていたのだろうか。
198 :
日本@名無史さん:02/09/14 01:55
世界最凶の騎馬軍団を率いたのはチンギス・ハーンです。
>>195 違うぞ。まず「戦場」とは何か?
という点から考察を始めよ。
らくらく
200
201 :
日本@名無史さん:02/09/14 14:30
┏━━┓
┃武田┃
┗━━┛
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|_∧∧_∧ ∧_∧ | ハァハァ
|. Д` );´Д` )(;´Д` ) |
| ∧_∧ /⌒ ヽ∧⊥∧
|(;´Д` ) /| ∧_∧ .(;´Д` )
|⌒ ∧_∧(;´Д` ) ∧_∧
|) (;´Д` ) ∧_∧(;´Д` )
| /⌒ ヽ (;´Д` ) ヽ ハァハァ
| /| | 武 | |/⌒ ヽ 軍 | |
|ノ \\ /|/| | 田 | |\./| | ハァハァ
| \\ ノ \\./| |\\ | |
|/⌒\し'/ .\\ | |ヽ し'(ノ
| >/ /⌒\し'(ノ > )
| / / > ) / /
| / / つ / / (_つ
| し' (_つ |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
| ゾロゾロ… \
| \
| \
| \
| \
| ((徳川)) \
| (; ´Д`) コワイヨ〜 \
| 〜 / つ家_つ ウンチモラシタヨ〜 \
| ∬ 人 康Y \
| ●し'(_) \
|
202 :
日本@名無史さん:02/09/14 14:32
>>199 マトモなギロンのデキナイ餓鬼はえろげーでもやってなさい
204 :
日本@名無史さん:02/09/15 17:25
家康を破ったってすげーよ。
205 :
日本@名無史さん:02/09/15 18:15
>>203 違うぞ。まず、「マトモなギロン」とは何か?
という点から考察を始めよ。
206 :
日本@名無史さん:02/09/15 18:19
おまえら頭わるすぎ
208 :
日本@名無史さん:02/09/15 20:00
>>207 違うぞ。まず、「頭わるすぎ」とは何か?
という点から考察を始めよ。
頭/杉=即氏
210 :
日本@名無史さん:02/09/15 21:56
違うぞ。まず、「keijijougaku」とは何か?
という点から考察を始めよ。
無理してリコウにふるまおうとするから恥をかく。
211 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:12
>>210 まあ、一番恥をかいてるのは、お前だな(ゲラゲラ
212 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:30
世界最強…?武田の馬がか……
213 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:55
武田騎馬軍団、もちろん世界最強!
これ常識。
214 :
日本@名無史さん:02/09/15 23:15
>>213 武田騎馬軍団とドイツ軍、どっちが強い?
215 :
日本@名無史さん:02/09/15 23:35
216 :
日本@名無史さん:02/09/15 23:37
ベトナム最強
217 :
日本@名無史さん:02/09/16 00:11
違うぞ。まず、「不毛」とは何か?
という点から考察を始めよ。
218 :
日本@名無史さん:02/09/16 00:13
毛がない。つまりハゲ。
こんなくそスレのおかげで
下のほうで細々やってた良スレが
Dat落ちしてんだ
少しは他人の迷惑も考えろ
220 :
日本@名無史さん:02/09/16 02:36
>>219 日本史板に良スレなんてあるのか?
あるなら、どのスレなのか、教えてくれ
221 :
日本@名無史さん:02/09/16 18:10
>>220 少なくとも三戦板よりはまともな参加者が多いんじゃない?
あっちの板の参加者は武将に数値つけてから議論するからね・・・
という漏れもどちらかというと三戦板住人
1でぇへんかったら、ごっつよろしおまんのに、もうこのスレあきまへんなぁ
223 :
日本@名無史さん:02/09/17 00:09
>>222 1ではないが
違うぞ。まず、「ごっつよろしおまんのに」とは何か?
という点から考察を始めよ。
224 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:19
騎馬軍団あげ
225 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:39
武田幕府はどこに開くのか?
濃尾平野の予感
226 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:42
227 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:50
,、r:'''´: ̄`':'⌒`'::、,
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::゙ヽ,
,r'::::;:::::::::::::::::::::::::;:;i!i:::::::::::::::::ヽ,
/::::::::ハ;::::::::j:i;i;j:::i;:j'|! }::li:::;;::::;:;:::::i,
{::::::::::{. l;:j:、;j{'`'`'ヘj!j| j;ノj;:}|;;;jヘj;:::}
ヾ;::::;;j ;:::;;;;;,、,_ ,、::;;;;;::、, '!;::j
,ゞ;jト、 _,二ニ、 '';'二、,_ jイ
゙;ヘl `'f■■■■■■■■`゙f′
{〈} ヽ,`' " ,シ; ト、`'''' ゙丿Y
〉j. `ブ´(,_ ゙うヾニ´ |、 うっせーあほ
゙´! i Y ______`'''´___ 〉 r j′
,rヘ, , ヽ ゙ヾl王El王lヲ" 'ソ ノ
/ ヾ;、 ヽ ``''''''''''''´ ,ィシ´
/ ゙ヽ,ヽ、 ,イ、,_
/´\ ヾ;`'''ー--‐''ソ i, `''‐:、,_
228 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:51
武田幕府は濃尾平野。
関東は北条、徳川は北陸。伊達は中国、毛利が陸奥。
上杉は南九州で、島津は滅亡。
前田・羽柴は織田とともに滅亡。
229 :
日本@名無史さん:02/09/19 14:58
<注意事項>
ここは妄想スレではありません。
科学的に武田幕府成立の過程を議論する場です。
230 :
日本@名無史さん:02/09/19 18:00
武田幕府は大阪
江戸(東京)の今の繁栄はないだろう
231 :
日本@名無史さん:02/09/19 18:49
武田は甲斐源氏。名門。よって幕府を開く権利がある。
山梨の人間は豪快!
だが成り上がりの上杉は外道。北関東、新潟は馬鹿ばっか。
武田が何かの間違いで京に旗を立てても
室町将軍を担いで管領気取り
毛利との間に諍いが起きて
第二の応仁の乱
かくして乱世はループし
やがて欧米の草刈場に・・・
233 :
日本@名無史さん:02/09/19 22:52
武田が幕府を開かなかったことにより
日本の歴史は300年は遅れることになった。
人類にとっての損失だ
234 :
日本@名無史さん:02/09/19 23:01
( ´,_ゝ`)プッ
開かなかったんじゃなくて開けなかったんだけどな
236 :
日本@名無史さん:02/09/20 02:00
武田幕府なら、鎖国もしなかっただろう
前スレからひさびさの書き込みです!ちょっと短期間の留学に行っていてしばらくごぶさたでした☆
とりあえず
>>232さんがイイこと言った!!
ただ!ただひとつ付け加えるとしたら越後の龍の存在です。晩年上杉家は天下フブを担ぎ上げた織田勢力と戦うために毛利家とウラで密約を交わしていました。
仮に武田家が京にハタを立てようと、毛利の前に上杉が黙ってはいませんよ!
大体京に旗を立てても戦線が伸びきり、本拠地から遠く離れた地から上杉に対抗出来るワケけもなく…。
238 :
日本@名無史さん:02/09/21 00:48
もうすぐ大河ドラマのDVD発売
239 :
BERETTA:02/09/26 05:25
誰も書き込まないようだから上杉謙信の勝ち。
勝頼は織田徳川連合に敗北。鉄砲3000の前に壊滅。内藤山県も戦死。
なんせ戦闘準備の段階(戦略)で圧倒的な差がありました。本来戦略は武田家最強です。これは認めざるを得ません。
勝頼は梅雨時に、雨の降る時期を選んで出撃しました。雨が降れば鉄砲はつかえません。
しかし、このなんの根拠もない戦略で結局運悪く雨がふり、幾重のサク、ホリが騎馬隊を無力化し、結果滅亡へと向かうのです。
織田の戦略面での勝利です。後継者として、勝頼を押した時点で決まっていたのかもしれませんね。
240 :
BERETTA:02/09/26 05:42
そもそも上杉家とは鎌倉時代中期、京の名門藤原勧修寺流の公家から武家に変身した。
足利尊氏が室町幕府初代将軍となった後、尊氏次男の鎌倉公方基氏のもとで関東管領となり、さらに相模・武蔵・上野、越後の守護をも兼ねた。
これは鎌倉時代末期に武家の名門である源氏足利一族の姻戚となり、上杉二代頼重の娘清子が足利貞氏に嫁し、尊氏・直氏兄弟を生んだ縁からの一族の発展であった。
戦国末期に二十二代憲政から上杉の名跡と管領職を越後守護代、長尾景虎に譲った。
これほどの名門と武田家を比べる時点でおかしい。
241 :
BERETTA:02/09/26 06:58
上杉謙信の戦闘の一部を紹介します。
謙信は奇襲がうまかった。戦術的に見て奇襲がいかに難しいかはみなさんでも理解出来る出あろう。それだけでは卑怯者と言う奴もいるので一つ紹介。
まず鉄砲隊の攻撃。これにより敵の出足を叩く。次に弓隊、長槍隊の攻撃。これにより敵の混乱を誘い、最後に騎馬隊の攻撃。
最初から騎馬隊を投入すると負担があり、敵の士気も衰えてない段階の突撃は愚の骨頂。
どのタイミングで騎馬隊を投入するかが重要。この場合最も騎馬隊が活躍できる、敵の混乱、士気の低下があげられる。
武田騎馬隊は?教えて下さい。
242 :
日本@名無史さん:02/09/26 09:54
武田騎馬軍団の用兵(もちろん想像的仮説)
鉄炮衆・弓衆の射撃、機を見て長柄衆の突入、武者押し。
武者押しの時には大将以外は殆ど下馬して徒歩にて突撃。
敵が崩れだしたら馬上にて追撃。
高価な馬を近代以降の騎兵のようにあたら損耗させたら補充が大変?
ベレッタン、見てきたように語るねぇ・・
244 :
日本@名無史さん:02/09/26 10:12
ベレッタンの話、みんな知っていたり、もう否定されている説で
話が面白くないじょ。
245 :
日本@名無史さん:02/09/26 10:18
246 :
日本@名無史さん:02/09/26 11:27
>>239 前提が軍記物だからどうでもいいんだろうけど。
武田家が長篠を救援することと天候は何の関係もないよ。
勝頼は後継者ではないよ。自分で調べてね。
ここを妄想スレと呼ばずになんと表現すればいい
三戦厨の集団移民か
本国へ送還しろ、と言いたくなる
第一に武田の騎馬軍団てのは何だ
誰か説明しろ
248 :
日本@名無史さん:02/09/26 17:24
>>247 195〜197を読んで納得して他所のスレへ逝けば〜
オマエバカチャウカ〜
249 :
日本@名無史さん:02/09/28 12:26
>>247 おまいみたいな史実を科学的に見れないヤシがあっち逝け
( ⌒ ⌒ )
( )
(、 , ,)
|| |‘
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
l ∨∨∨∨∨ l
| \()/ |
(| ((・) (<) |) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ⊂⊃ | /
| .| ⌒ \.l/ ⌒ | | < 糞スレあげんな!
/ |. l + + + + ノ |\ \
/ \_____/ \ \___________
/ _ \
// ̄ ̄(_)_______ |
|ししl_l ( ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | |
|(_⊂、__) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| |
\____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
251 :
日本@名無史さん:02/09/28 13:30
家康に勝ってから文句言えやタコ
妄想馬鹿は三戦板に早く逝ってくれよ。
あっちでは仲間の妄想馬鹿がいっぱいいるよ。
253 :
日本@名無史さん:02/09/28 13:40
254 :
日本@名無史さん:02/09/28 13:45
信玄様最強
255 :
日本@名無史さん:02/09/28 13:48
信玄>>>>>>>>>>圧勝>>>>>>>>>>>家康>秀吉>光秀>信長
256 :
日本@名無史さん:02/09/28 13:49
タラレバなら信玄が死ななかったらが面白いな。織田と全面衝突してたらどうなっていたか(^.^)
257 :
日本@名無史さん:02/09/29 22:35
西京漬け
甲州桜肉の西京焼
またまたまたまた誰もカキコしなくなったし上杉の勝ちってことで。
ってかお前等バカだよなぁ〜。上杉の勝ちって言われないとだれも武田について語ろうとしない。
お前等の武田信玄は所詮そんなもんなの?
260 :
日本@名無史さん:02/10/02 05:33
新原稿を称えるのはいいけど、世界最強騎馬軍団って・・・
何かはずかすいね
261 :
日本@名無史さん:02/10/02 07:08
信玄の最高戦略 占いで決定
武田の最強兵器 石つぶて
ぷっ
>>260-261さん
面白いこと言ってもらえて最高です(^^)
石ツブテ(・・?)プププッ
263 :
【^▽^】合図中朝:02/10/02 15:08
東国武士として誇りに思う。死亡者数が多いが戦功も桁違いだ。
江戸期はこの合戦を讃美している非常に明るい時代であり。武田と上杉は
もっと誇られるべきである。
264 :
日本@名無史さん:02/10/02 15:13
>>263 東国武士って・・・。
どこの家中のお方ですか?
265 :
【^▽^】大陸半島:02/10/02 15:17
大陸を舞台に歴史の風を切りまくる痛快ジンギスカーンこと源義経(平泉)
奥州浪人です。関東のボスだが頼朝は酷いと思うな。
266 :
日本@名無史さん:02/10/03 09:31
またイタいのが来たな
武田騎馬隊よりもボブサップのほうが強いね。
268 :
日本@名無史さん:02/10/05 16:10
武田騎馬軍団とドイツ軍、どっちが強いの?
269 :
日本@名無史さん:02/10/05 16:11
>>268 アメリカ軍の方が強いよ。激しくガイシュツだよ。
270 :
日本@名無史さん:02/10/08 03:14
最強あげ
信玄公最強〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
271 :
日本@名無史さん:02/10/08 03:18
なんで強いの?
苦し紛れの『しんげんさいきょう』なんてバカバカしいね。
最強なら理由説明しなよ。根拠は何?
バカバカしい。もはや討論書き込みも無駄無駄。
273 :
日本@名無史さん:02/10/09 11:58
>>272 理由は、生涯無敗(家康戦込み)に決まってるやん。馬鹿ですか?
274 :
日本@名無史さん:02/10/09 12:08
信玄公があと10年長生きしていたら、天下を統一していたであろう。
その過程で、戦国大名を脱皮して、武田の家政機構を基にした
武田幕府を開いていたものと思われる。
武田幕府が実現しなかったことは、日本の歴史を200年は遅らせた。
バカじゃないの?
生涯無敗ってのが一番バカ。まったく歴史知らないのね(´Д`)あきれるわ。
戸石崩れを知ってるか?お前?重臣の意見を無視してボコボコにされたくせに生涯無敗?どこが????歴史もなにもしらないクズが偉そうに語ってるなよ。しね。ばーか。
それに歴史に、もしこのときあーだったらなんて議論は存在しない。つまり二番目の意見もクズだな。
お前等の歴史のレベルは小中学生並みだよ。それを自覚してもー無駄な意見たたくな。
もー一度勉強しなおしてやりなおせ。無駄だと思うけどね♪クズが。死ねば?
276 :
日本@名無史さん:02/10/09 15:14
>>275 お前こそ、科学的な精神で史実を真摯に見つめろ
局地戦の負けぐらいあるわ
太平洋戦争でも、局地的には日本が勝ったこともあったろ
277 :
日本@名無史さん:02/10/09 15:30
信玄公の最強を否定するヤツって
どうしてみんな下品なんだろ。
それが一番の謎。
>>276 局地戦?戸石城の戦いは局地戦なんかじゃあありませんよ?
信濃攻略のための、信濃において最初の総力戦だぞ??
クラウゼヴィッツはその著書の戦争論で、最初の総力戦はその後の戦局を左右するほど重要であり、慎重かつ柔軟な戦闘指揮を必要とすると述べている。
>>277で例え話でもあったが、太平洋戦争において最初の総力戦とはミッドウェー海戦をいう。帝国海軍は指揮系統の柔軟性に欠け、無謀な憶測だけでしかない作戦を立案し、情報収集もそこそこに米軍を過少に評価し、結果日本軍の敗戦への第一歩となった。
武田の戸石崩れは一部であるかもしれないが、最初の総力戦という点でこれに一致する。
旧帝国海軍はミッドウェーで、航空能力の主力を失ったし、優秀なパイロットを失い、苦戦を強いられた。
武田家における戸石崩れでは、そこまでの打撃とまではいかないものの、信濃攻略に多大な時間を浪費することになるし、第一板垣信方と前線で勇猛に戦う優秀な将兵をも失うこととなった。
これは武田信玄が重臣の意見を無視し、情報収集もそこそこに敵陣中央に進撃した結果であった。
以上の点をふまえた上でもう一度勉強しなおせ。
どこが局地戦??何が生涯無敗???笑わせるなボケ。
281 :
日本@名無史さん:02/10/10 10:21
やっぱり、信玄公の強さを否定したがるヤツって
ホントに下品だな。すごい不思議。
282 :
日本@名無史さん:02/10/10 10:59
>>275 君の書きこんでいる事は基本的には正しい。
せやけど、こないアオラレルトしばいたろかという気になってしまったよ。
>クラウゼヴィッツはその著書の戦争論で、最初の総力戦はその後の戦局を左右するほど重要であり、慎重かつ柔軟な戦闘指揮を必要とすると述べている。
ようするに、君はこれだけが言いたかったんだろう?
私も中坊の頃似たようなことをしていたけど、クラウゼヴィッツの言葉を引用すれば自分がリコウに思えるんだろうね・・・・・・
>武田の戸石崩れは一部であるかもしれないが、最初の総力戦
>太平洋戦争において最初の総力戦とはミッドウェー海戦をいう
君の定義する「総力戦」て何?
私は晴信最初の総力戦とは、信虎追放のときだと思うけど・・・・・・
戸石崩れは、俗書のいう第四次川中島の合戦のときより損害は多かったけれど、暫くのあいだ対外戦争がおこなえないという程度のことであり、局地戦でも総力戦でもないと思う。
なにより晴信にとって、目障りな武将をパージできたことは彼の支配体制を少しは改善できたと思う。
信濃における最初の総力戦は信濃に橋頭堡を築いた佐久攻めだという考え方もできるね。(信虎の代だけど)
ミッドウェー海戦の話は板違いだからパス。
一航戦や二航戦の何割が君のいう優秀なパイロットだと思っているの?
開戦時の、諸外国なら全員が教官クラス。などという歪な組織運用を何度も繰り返せると信じているのかい。
君の定義する「総力戦」て何?無知にして蒙昧なる私にはさっぱりわかりまへん。
>>282 自分の定義した総力戦とは、信濃戦線においての総力戦のことをいいました。
自分があまりに罵倒したことには反省します。
ただあまりにバカげた書き込みが多かったので感情的になってしまったって感じです。
すいませんでして。
お前等低能
285 :
日本@名無史さん:02/10/14 07:42
猪武者多し
286 :
日本@名無史さん:02/10/14 10:26
武田騎馬軍団と北朝鮮美女軍団、どっちが強い?
287 :
日本@名無史さん:02/10/14 11:06
北朝鮮美女軍団て金日成に皆やられまくってるのか?
288 :
蝿皇子 ◆MLX/At3sMc :02/10/14 13:15
長い戦いの歴史の中で、戦争の仕方はかなり変わってきていますよね。
特に戦国時代の中では、相当に戦いの方法が変わって行って
その中でさまざまな戦術が編み出されたと思われます。
信長の三段構えの鉄砲はフィクションで、あれはナポレオンが最初に使
った戦法だとされていますが、本当でしょうか?
この戦術は、鉄砲の長所と短所を考えれば、自ずと導かれると思えるか
らです。
ヨーロッパで最初に大規模に鉄砲が使われた戦争は、ナポレオン戦争
です。日本では? もちろん戦国時代、しかも信長です。
戦争は爆発的にさまざまなものを発明しますし、定説が常に正しいとは限
りません。
>>続く
289 :
蝿皇子 ◆MLX/At3sMc :02/10/14 13:15
続き>>
さて、騎馬戦闘ですが、武将が馬に乗り、その周囲を徒歩の兵が固める
というのが、長い間日本の騎馬戦闘の基本だったと思います。
運動会の騎馬戦のあの姿は、それを擬しているのでしょう。
騎馬突撃も、私はこのような編成で行われたのだと思っていました。
(WWUのイギリス軍の戦車突撃のような感じですね)
しかし、戦国武将たちの初期の戦い、つまり国を統一していく戦いならまだしも、
戦国時代にはすでに足軽の戦争になっていますから、他国との戦いで馬上で
やり合うはめになっていたら、すでに負け戦? ということが想像できますが、
どうなんでしょうか?
で、武田騎馬軍団の想定ですが、すでに日本には義経という武人が騎馬突撃に
よる有名な戦果を上げています。
もしこれが史実通りでなくとも、歴史として信元の時代には残っているわけです。
となると、彼がこの攻撃力だけは高い戦術を一部取り入れた可能性は完全に否
定は出来ないと思うわけです。
戦国時代でも兵が浮き足立ったら負けです。
ショック戦法は、有効なのです。
大きな合戦は平地で行われることが多いので、騎馬突撃の有用性はあるはずで
す。
すでに時代遅れになっていたそうした戦法を、場合によっての有用性を認めて
復古させたとしたら?
家康が脱糞して逃げるほど、恐ろしいものになったのではないでしょうか?
290 :
日本@名無史さん:02/10/15 17:24
史実を冷静に見れば明白。
信玄公最強は鉄壁の事実。
反論があるなら、史実を添えて主張するようにしなさい。
291 :
日本@名無史さん:02/10/15 18:14
信玄よりも中国の人民解放軍の方が強いYO
理由:構成員の数が桁違い
292 :
日本@名無史さん:02/10/15 18:21
信玄が京に入っても、信長と徳川が元気なら
補給線ぶったぎりで孤立してたんじゃないのけ?
293 :
日本@名無史さん:02/10/15 18:24
>>292 入京する前に、遠江・三河・尾張は
信玄公が平定してるから心配ないYO
294 :
【^▽^】山梨王:02/10/16 14:09
キティ騎馬武者とかでないかなー♪
295 :
日本@名無史さん:02/10/17 16:21
>>290 反論に史実を添えよと言うなら、
先ず、貴方の意見を史実に拠って語るべき。
297 :
日本@名無史さん:02/10/18 00:26
>>195 信長の側近の弓の名手太田和泉守牛一の『信長公記』にこうあります。
ブックオフで買った教育社の原本現代訳版しか手元に無いので原文は
自分で参照してください。
巻八
「家康公は、滝川左近将監の軍の前に、騎馬武者の侵入を防ぐための柵を
取り付けられた」
騎馬突撃が対策を講ずるべき有効な戦術であったことを示すものです。
「関東衆(武田軍)は馬上の戦いが上手で、このときも馬を用いて押し太鼓を打ちながら
かかってきた」
>>288 薀蓄本は信用しないようにしましょう。
日本史は資料が豊富なのだから、
色々考えるより、一次史料を基にするべきです。
298 :
日本@名無史さん:02/10/18 00:44
>騎馬突撃
戦国の合戦にそんなものはない。
軍記モノの読みすぎでは?
299 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:00
>>298 妄想垂れ流すなよ。
太田牛一ぐらい俺でも知ってるぞ。
>>297か太田牛一が嘘だって言う資料ぐらい出せよ。
しんちょうこうき【信長公記】
信長の一代記。巻首とも十六巻。太田牛一著。千六百年(慶長五年)
頃の成立。また、「信長記」は小瀬甫庵がこれに基づいて加筆論述し
、二二年(元和八年)に刊行されたもの。
広辞苑
300 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:03
>>298 ∩ ∩
| つ 「,"|
ヾ∧ !,'っ_ ⊂_,!
/ ・ |ミ / ・ ヽつ
(_'... |ミ ▼,__ |
<`∀´..|ミ <`∀´>・|
(| .、)| (| 、)|
| | | ・・|
ヽ.._人 ヽ._・ν
U"U U"U
「槍の又左」こと前田利家が、得意の槍を振り回しながら、
敵陣に突入する-------。
合戦シーンと言えば、鎧武者が白刃をきらめかせて渡り合う。
テレビでも小説でも、こんな書き方がごく普通になっている。
しかし、『謎とき日本合戦史』などの著書か有る鈴木眞哉さんは、
軍忠状など約200点の史料を調べた結果、実際とは違うと結論づけた。
当時の戦闘は、弓などで離れた場所から攻撃するのが主で、
切り結ぶような「接近戦(白兵戦)」は、むしろ例外だった。
2002年10月17日朝日新聞朝刊26面より一部抜粋
302 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:23
エセ科学の薀蓄本はやめようぜ。
史実を見ろ。
303 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:30
織田信長が、突撃してくる武田勝頼の騎馬隊を鉄砲の三段撃ちで破り、
騎馬白兵時代に幕を下ろしたとされる「長篠の戦い」(1575年)も、
実際は異なる。
鈴木さんは「そもそも、騎馬隊の密集突撃などなかったのでは」とみる。
当時、日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは「彼らは戦いが始まる前に
下馬してしまう」と記している。
戦闘開始に際して、騎馬武者には、わざわざ馬から下りて戦うという
傾向が見られたことがわかる。
戦闘時には馬を後方に下げることも珍しくなかった。
戦場で馬が最も活躍するのは、敵を追い崩そうとするときか、敗走時だった。
2002年10月17日朝日新聞朝刊26面より一部抜粋
304 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:33
303よむと、鈴木さん信長公記も読まずに書いてたのか。
信じた俺が馬鹿だった……ショボーン
305 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:42
信長公記ってどういう位置付けの本なの?
306 :
日本@名無史さん:02/10/18 01:49
戦 闘 嫌 っ た 武 将
軍忠状とは、戦闘に参加した武者が自分の選考を指揮官に申し立てた
文書の一種だが、自身や部下の負傷した原因や場所を記したものが少なくない。
鈴木さんが応仁の乱(1467年)から島原の乱(1637、8年)までの
文書を調べたところ、鉄砲の普及以前には、負傷の原因の60%以上が矢だった。
投石を加えると全体の75%が「飛び道具」による負傷になる。
残りのほとんどが槍によるもので、刀による負傷はわずかだったようだ。
鉄砲普及後も、この比率はあまり変わらない。
「『弓馬の道』と言われるように、武士の主たる武器は本来弓矢だった。
日本には白兵主義の時代など存在しなかっったんです。」と鈴木さんは話す。
白兵戦になるのは、予期せずに両軍が鉢合わせした場合や、恩賞目的で
首を取ろうとした場合が多かったようだ。
2002年10月17日朝日新聞朝刊26面より一部抜粋
すいません
記事の並びがバラバラになってしまいました。
正しくは
>>301、
>>306、
>>303 です。
このほかにも三段撃ちは不可能とか
いろいろデムパ出てる記事ですた。
ほんとは全部書きたいのですが
ごめんなさい
眠いのでもう寝ます。
鈴木氏って
自分の屁理屈にあわないと、史実が無かったと
逆算してしまう人だったんだね。
2chで半ば常識化してたのが鬱氏。
310 :
日本@名無史さん:02/10/18 11:53
物理学者と占星術師。 科学的なのはどちら?
太陽が自ら燃えているなどという戯言は全く合理的ではない。
何故なら、もし太陽の質量すべてが最高純度の石炭で構成されていても、科学的な計算上数千年で燃え尽きるはずである。 by.20世紀初頭の高名な物理学者。
戦場を知らない創作作家と統計史料を駆使して事実を究めようとする人。正しいのはどちら?
311 :
日本@名無史さん:02/10/18 13:30
>>310 戦国時代に統計史料はないから
統計史料を駆使して事実を究めようとする人は存在しない。
答えは質問が成り立たない、に永1貫文!
312 :
日本@名無史さん:02/10/18 15:19
313 :
日本@名無史さん:02/10/18 16:31
>>310 統計資料を使うのは、もっと新しい時代を対象にした歴史研究だよ。
もしかして、経済学部出身?
それも、近経?
314 :
日本@名無史さん:02/10/18 23:20
>>310 釣りで書いてるんじゃ無いんだろうな。
>戦場を知らない創作作家
太田牛一は足軽からのたたき上げ。
>統計史料を駆使して事実を究めようとする人
エセ科学で、勝手に作り上げた前提を基に
歴史を書き直そうとしている人の間違いです。
これはどう考えても三戦版のネタだろ?
316 :
日本@名無史さん:02/10/18 23:47
>>315 騎馬軍団と書き込んだ時点での呪われた運命。
317 :
日本@名無史さん:02/10/19 19:27
当時の戦闘様式について新しい解釈をしている本は鈴木真哉著『日本謎とき合戦史』
源平合戦については川合康著『源平合戦の虚像を剥ぐ』
近藤正和(名前が違っていたら悪い)『弓矢と刀剣』
これらによると、日本の合戦様式は
平安・鎌倉 騎射戦
室町 徒歩弓兵による射撃戦
戦国 弓・鉄砲による射撃戦
戦国時代 騎馬武者は下馬して戦うのが習慣だった。
これはフロイス、フランシスコ・ザビエルが記している。
また、刀・槍による戦いは敵が敗走または負傷した時が多かった。
318 :
日本@名無史さん:02/10/19 19:52
蒸気機関を発明したのは蒲池。
電気を発明したのも蒲池。
原子力を発明したのも蒲池。
すべて蒲池。蒲池ったら蒲池。
蒲池蒲池蒲池。そーれ蒲池。
蒲池にあらずば人にあらず。
鎌倉幕府を開いたのは、 蒲池頼朝。
江戸幕府を開いたのは、 蒲池家康。
大東亜戦争を始めたのは、 蒲池天皇。
昭和のヒロインは、 蒲池百恵。
20世紀最大の画家は、 パブロ蒲池。
世界人類が蒲池に感謝しています。 蒲池ありがとう。
みんなの蒲池。
319 :
みんなの蒲池:02/10/19 19:55
蒸気機関を発明したのは蒲池。
電気を発明したのも蒲池。
原子力を発明したのも蒲池。
すべて蒲池。蒲池ったら蒲池。
蒲池蒲池蒲池。そーれ蒲池。
蒲池にあらずば人にあらず。
鎌倉幕府を開いたのは、 蒲池頼朝。
江戸幕府を開いたのは、 蒲池家康。
大東亜戦争を始めたのは、 蒲池天皇。
昭和のヒロインは、 蒲池百恵。
20世紀最大の画家は、 パブロ蒲池。
世界人類が蒲池に感謝しています。 蒲池ありがとう。
みんなの蒲池
320 :
日本@名無史さん:02/10/19 21:21
>それも、近経?
それ死語。藁
321 :
日本@名無史さん:02/10/19 21:37
>>297 自説に都合がよいように、いいかげんな訳語を当てたり、適当に編集するのはやめてくれ。
>騎馬武者の侵入を防ぐための柵
単なる馬防の柵だろ。
騎馬武者だなんて勝手に訳すなよ。
>関東衆(武田軍)は馬上の戦いが上手で、このときも馬を用いて押し太鼓を打ちながら
>かかってきた
これも意図的な編集。
騎馬突撃したことが特記されているのは三番手の西上野小幡党だけ。
これだけわざわざ特別に騎馬突撃が描かれているということは、他の武田軍は騎馬突撃ではなかったという証拠。
また、西上野ということは武田軍の中核ではないことは明らか。外様も外様。
「武田の騎馬隊」だなんて笑わせるな。
どこの大名家だろうが騎馬隊なんて編制がなかったことは常識だろ。
322 :
日本@名無史さん:02/10/19 21:44
長篠の戦における俗説。
・武田軍の主力は騎馬隊 → ウソ(そもそも戦国の世に騎馬隊なんて編制ないよ。)
・鉄砲の三段撃ち → ウソ(後世のつくりばなし)
・鉄砲の数は三千 → ウソ(三段撃ちを尤もらしくするために3の倍数にした)
こんなの常識だろ。。。
323 :
日本@名無史さん:02/10/19 21:47
だいたい戦国の世に騎馬隊なんてあるわけないだろ。アホか。近代の軍隊じゃあるまいし。
ゲームに毒されてるのう。
324 :
日本@名無史さん:02/10/19 21:58
>太田牛一は足軽からのたたき上げ。
はいはい。で、公記のどこらへんに、「武田騎馬隊」とか「鉄砲三段撃ち」とか出てくるの?
騎馬隊などもっと古くからあるぞ
運用の仕方が違うだけ
わが国の中世の合戦で
そのメリットが出せることが稀だっただけ。
馬から下りるまでの機動力は侮れない
広闊なところに、敵が布陣しないだけ
条件によっては馬上のまま突撃可能と言う
アドバンテージを内包しつつ戦略的優位を
築けたのは、間違いないところ。
ただ、相手もそれを知り尽くしているだけのこと。
機動力のあるほうが、有利なのは妥当でしょう。
326 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:04
>騎馬隊などもっと古くからあるぞ
日本の戦国時代にはないよ。もちろん武田家にもない。
その点はご承知だと思うが。
327 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:12
>>321 くだらないことばかり言ってないで、まず原文もって
来て誠意を示せ。
328 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:15
>>321 馬防の柵とはどのような用途に用いるのでしょうか。
お教えください鈴木先生。
>>騎馬武者の侵入を防ぐための柵
>
>単なる馬防の柵だろ。
>騎馬武者だなんて勝手に訳すなよ。
329 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:31
>>327 ヤダ。具体性のない批判には答えない。
>>328 騎馬ってのは、馬に跨って乗っていることをいうのよ。日本語知っている?
馬=騎馬じゃないのよ。
戦場においては、騎乗身分の侍は馬から下りていて、その従者が口取りしているのがキホン。
330 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:32
鈴木信者の方々甲陽軍鑑認めないし、信長公記認めないし
文書で書かれたものは無視という話なのか?
電波で無いというならば、信頼に値すると認める同時代史料を
10個ほどあげて欲しいのだけど。
図書館で閲覧できるのが良いです。
331 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:33
>>329 ひいてくる馬のために柵おくのかよ。とほほ。
332 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:40
>>330 >甲陽軍鑑認めないし、
認めないのが常識。
>信長公記認めないし
誰が認めてないの?
>同時代史料を10個ほどあげて欲しい
甘えるな。
>>331 まさか本当に騎乗のまま戦っていたと信じてるの?
333 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:45
てゆうか、鈴木信者がどうだか知らんが、
いまどき「武田騎馬軍団」などというデムパを放つやつはいない。
騎馬軍団などという編成がありえないことは、当時の戦国大名の軍の成り立ちをからしても一目瞭然だからだ。
334 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:58
織田の三段撃ちvs武田の騎馬突撃、とういう見方は妄説に決まっておる。
でもね。
鉄砲の集中運用と柵(仮設陣地)の構築が戦術上有効だったことを否定するものではない。
335 :
日本@名無史さん:02/10/20 01:02
>>332 読まないからあげることができないだけだろ(w
恥ずかしいやつだな。
336 :
日本@名無史さん:02/10/20 01:24
>>332 認めないのが常識ってことは無いようだよ。
最近は再評価されてるみたい。
337 :
日本@名無史さん:02/10/20 10:50
338 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:03
ROMからは君が厨房に見えてまふΣ ( ̄ □  ̄ ; )
339 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:04
君、もしや半月城ですか?
340 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:05
厨房は自分で調べる能力もないみたいだね。しょうがねぇなぁ。俺って親切。
巻八 三州長篠合戦の事
(略)
五月十四日(略)家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、彼のあるみ原は、左りは鳳来寺山より西へ太山つづき、又、右は鳶の巣山より西へ打ち続きたる深山なり。
(略)
五月廿一日、辰の刻、取り上り、旗首を推し立て、凱声を上げ、数百挺の鉄炮を僮と、はなち懸け、責め衆を追ひ払ひ、長篠の城へ入り、城中の者と一手になり、敵陣の小屋々々を焼き上ぐ。
籠城の者、忽ち運を開き、七首の攻め衆、案の外の事にて候間、癈忘致し、鳳来寺さして敗北なり。
信長は、家康陣所に高松山とて小高き山御座候に取り上られ、敵の働きを御覧じ、御下知次第働くべきの旨、兼ねてより仰せ含められ、鉄炮千挺ばかり、佐々蔵介、前田又左衛門、野々村三十郎、福富平左衛門、塙九郎左衛門を御奉行として、近々と足軽を懸けられ、御覧じ候。
前後より攻められ、御敵も人数を出だし候。
一番、山県三郎兵衛、推し太鼓を打ちて、懸かり来たり候。鉄炮を以て、散々に打ち立てられ、引き退く。
二番に、正用軒入れ替へ、かかればのき、退けば引き付け、御下知の如く、鉄炮にて過半人数打たれ候へば、其の時、引き入るなり。
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。人数を備へ候。身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ候へば、過半打ち倒され、無人になりて、引き退く。
四番に、典厩一党、黒武者にて懸かり来たる。かくの如く、御敵入れ替へ候へども、御人数一首も御出だしなく、鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ、引き入るなり。
五番に、馬場美濃守推し太鼓にて、かかり来たり、人数を備へ、右同断に勢衆うたれ、引き退く。
(略)
341 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:10
それと前レス読めや。それぐらいなら厨房にも出来るだろ。
342 :
日本@名無史さん:02/10/20 14:23
343 :
日本@名無史さん:02/10/20 14:56
世界最強は無いベ。
日本でも、真田一門にも勝てないヤシがなんで世界最強な訳なのよ!
344 :
日本@名無史さん:02/10/20 15:00
世界最強だなんていう問題設定自体が厨。
345 :
日本@名無史さん:02/10/20 23:17
家康、滝川陣取りの前に【馬防ぎのため、柵をつけさせられ】、彼のあるみ原は
左は鳳来寺山より西に太山続き、又、右は鳶の巣山より西へ打ち続きたる
深山なり。
あーあ、騎馬突撃は無かったとこれでどうしてこれ見た上で
言っちゃうんだろう。
346 :
日本@名無史さん:02/10/20 23:19
織田信長が、突撃してくる武田勝頼の騎馬隊を鉄砲の三段撃ちで破り、
騎馬白兵時代に幕を下ろしたとされる「長篠の戦い」(1575年)も、
実際は異なる。
鈴木さんは「そもそも、騎馬隊の密集突撃などなかったのでは」とみる。
当時、日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは「彼らは戦いが始まる前に
下馬してしまう」と記している。
戦闘開始に際して、騎馬武者には、わざわざ馬から下りて戦うという
傾向が見られたことがわかる。
戦闘時には馬を後方に下げることも珍しくなかった。
戦場で馬が最も活躍するのは、敵を追い崩そうとするときか、敗走時だった。
2002年10月17日朝日新聞朝刊26面より一部抜粋
347 :
日本@名無史さん:02/10/20 23:20
上の人が作った統計が2chでよくあげられる例の軍忠状。
------------------------------
戦 闘 嫌 っ た 武 将
軍忠状とは、戦闘に参加した武者が自分の選考を指揮官に申し立てた
文書の一種だが、自身や部下の負傷した原因や場所を記したものが少なくない。
鈴木さんが応仁の乱(1467年)から島原の乱(1637、8年)までの
文書を調べたところ、鉄砲の普及以前には、負傷の原因の60%以上が矢だった。
投石を加えると全体の75%が「飛び道具」による負傷になる。
残りのほとんどが槍によるもので、刀による負傷はわずかだったようだ。
鉄砲普及後も、この比率はあまり変わらない。
「『弓馬の道』と言われるように、武士の主たる武器は本来弓矢だった。
日本には白兵主義の時代など存在しなかっったんです。」と鈴木さんは話す。
白兵戦になるのは、予期せずに両軍が鉢合わせした場合や、恩賞目的で
首を取ろうとした場合が多かったようだ。
2002年10月17日朝日新聞朝刊26面より一部抜粋
348 :
日本@名無史さん:02/10/25 02:26
類似スレができたな
最強上げ
349 :
日本@名無史さん:02/11/04 17:16
まぁ単に美濃へ武田兵が来たら困るからおだててた
だけなんだけどね。案の定、駿河とか信濃へ軍団向けたバカ大名。
350 :
道雪(最強)を尊敬してたという:02/11/04 17:30
〃
《
┃,.´ / 鬼ヽヽ
┃! i iノノリ)) 〉
┃i l l.´ヮ`ノリ 各々方、出陣でござる!!
ワショーイ ⊂ く/_只ヽ
/■\ ̄/■\道雪┐/■\
( ´∀`) ( ´∀`) ( ´∀`) ワショーイ
⊂ ._つ⊂ ._つ ̄ ̄⊂ ._つ
人 Y 人 Y Y 人 Y
し'(_) し'(_)'(_) し'(_)
351 :
日本@名無史さん:02/11/04 18:23
┌──┐ ______________
│掠疾│ |^E) /
│如如\∧_∧/ / / ∧ノノノ │
│火風 / \◆ノゝ / / ミ/ ・ ・ヽ < 武田騎馬軍団も安さで勝負!
│不徐三√´Д`)/ / ミ/ //ヽ │ や・ま〜だ電器
│動如 ≡|゚ 〒 ゚|._ノミミ/ _//____) \
│如林 | .| 三三 / ミミ/ /  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│山侵 \\ = | ミ/ /
└――┤ |ヽつ ソ_/ ヽ
| /三/ヽ.ノ\ \
ミミミ/ ̄| ̄\ゞ\::::::| ___.\
| .|___/ ./:::::::| .\ .\\
352 :
日本@名無史さん:02/11/11 21:54
ある日突然、あなたに24人もの武田二十四将ができたらどうしますか?
それも……とびっきりたくましくて、とびっきり勇敢で、とびっきり実直で、とびっきりの目立ちたがりや。
しかも、そのうえ……
彼らたちはみんなみんな、とびっきり!
お館様のコトが大好きなんです……
でも、残念なことにお館様と武田二十四将は現在離れ離れに暮らしていて……
実際に会うことができるのは、2ヵ月に1回と決められた“お館様の日”だけ。
大好きなお館様と自由に会えない武田二十四将は……
さみしくて、いつもお館様のことばかり想ってしまいます。
「神様……どうか、早くお館様に会えますように
それがしの大事な大事なお館様……会えないでいると……
淋しい気持ちでいっぱいになっちゃうよ……」
だから、ようやく2ヵ月に1度の「お館様の日」がめぐってきて……
2人が会えたときには、武田二十四将は世界中の幸せを独り占めしたみたいに、とってもとっても……幸せ
もちろん主従なんだけど、気分はまるで楽しいデート!
そして武田二十四将は、お館様のそばにぴったりくっついて……
心配そうにお館様の顔をのぞき込み、こう……言うのです。
「お館様は……それがしのコト、好き?」
武田二十四将達は小姓の頃からずっとずっとただ純粋にお館様のコトが大好きでした。
やさしくってステキで世界にただ1人、自分だけの大切なお館様……。
だから、いつもいつもお館様と一緒にいたくて、いつもいつもお館様にかまってほしくて……。
ここに登場するのはそんな勇敢でな武将たち……。
外見も性格もちがう24人の武田二十四将達ですが、想いだけはみんな同じ……そう
「……お館様、大好き!」
お館ちゃま。
354 :
日本@名無史さん:02/11/13 20:40
ハァハァ これがもちついれられるか!!!
___ ガスッ
|___ミ ギビシッ
.|| ヾ ミ 、 グシャッ
∩ヽ__∧/ヾヽ
| ,|;´Д`).| |;, ゲシッ
/ ⌒二⊃=| |∵. ゴショッ
.O ノ %`ー‐'⊂⌒ヽ
) っ ) )~ ̄ ̄()__ )
ヽ,lヽ) (;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
355 :
日本@名無史さん:02/11/13 20:45
アーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!!!
___ ガスッ
|___ミ ギビシッ
.|| ヾ ミ 、 グシャッ
∩ ̄ヽ/ヾヽ
| ,| ゚∀゚). .| |;, ゲシッ
/ ⌒二⊃=| |∵.
.O ノ %`ー‐'⊂⌒ヽ ゴショッ
) ) ) )~ ̄ ̄()__ )
ヽ,lヽ) (;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
356 :
日本@名無史さん:02/11/13 20:56
うへー、21:15からのNHKの視聴率すごそうだな
おまいら実況はするなよ
357 :
日本@名無史さん:02/11/13 21:10
伊達政宗ー13%
島津義弘ー11%
普段「その時」が10パー超えるのはマレだからな。
2ケタいきゃいいほうだろう。
358 :
いません。負けません。:02/11/14 17:13
武田信玄マジ強そうだ。第三次が痛快。謙信なにやってんだよ・・・。
359 :
日本@名無史さん:02/11/15 12:24
┌─┐
|今│
. .| .だ |
359│
. .| .ゲ |
│ ッ |
|..ト..|
│ !!.│¶ ∧彡
└─┤( `Д) 彡 ・ \
/丑/つヽ,)彡 人.ヽ.)
//丑/(三"'''--/'''" ̄
=≡=( (**)─┘ ヽ
/ ⊇ )
/ ノ ノ ̄丶 ソ \
/// / \ ヽ\ .\
《_/ 《_/ ヽ/ラ丶/ラ
360 :
bloom:02/11/15 12:25
勝頼終焉の地に行ってきた。
何にもない。勝頼かわいそう。
362 :
日本@名無史さん:02/11/16 14:16
┌───┐ . ┌─┐
│掠 疾│ ,,,,,,∧,;;;;;;;;;;;,,,____,,,;;;;;;;;;;,∧,,,,,,. │南│
│ │ ミ~: : / .| : : : : : : : : : : : : : |.ヽ : :~ミ. │無│
│如 如│ ミ. : : : :| |: : : : : :.,-,.: : : : : :.| |: : : : ミ │諏│
│ │ ミ: : : : : : | \_n./◇\.n_/ | : : : : :ミ │方│
│火 風│ ミ r─-、_ \//,~\◇/~,ヾ / _,-─n ミ.. │南│
│ │ ミ / Θ`-トニ__ヽl- O .,ll,. O -ノ__ニ;!-.'Θ ヽミ. │宮│
│不 徐│ ミ / ̄`─{ ( \\ ・ ・ // ) }─' ̄ヽミ. │法│
│ │ ミ l____ \____ ̄. . ̄ ____/,, -─''": ミ. │性│
│動 如│ ミ : : : : / \__| ===-,,,' ̄',,,-===|__/: :\: : : : : ミ. │上│
│ │ ミ : : : : : | : : : : : :| < 0 > l | < 0 > .|: : : : : : :| : : : : :.ミ │下│
│如 林│ ミ : : : : : : :| : : : : : :| `--'. | : : : : : : :|: : : : : : ミ │大│
│ │ ミ : : : : : : |: : : : : : :.| , ,,,//lllllllllヽ,,, , |: : : : : : : : |: : : : : :.ミ.. │明│
│山 侵│ ミ : : : : : |: : : : : : :彡川 --─-- 川ミ : : : : : : : :| : : : :ミ │神│
├───┘ ミ : : : : |: : : : : : : :.|ゝ ====O==== ノ.: : : : : : : : : |: : : ミ ├─┘
│ ミ. : : : : |: : : : : : : : ヽ ヽiiiiiiiiiiiiiiiiii./ ./ : : : : : : : : :| : : ミ │
__,,, -'' ̄ ̄ ̄~ミ : : : : : : : :| ヽ \~=~/ ./ |: : : : : : : : :彡 ̄ ̄`- ,,,__
_,, -'' ミ : : : : : : : : |─ヽ ≡≡≡./─| : : : : : : : : 彡 ` - ,,,_
人 は 城 人 は 石 垣 人 は 堀
情 け は 味 方 讎 は 敵 な り
三年あれば・・というのは、「信玄がもう三年生きていれば」という事なのだろうか。
確かに、信玄がもう三年戦国を荒らしまわっていたら、どうなっていたのでしょうね。
信長・家康連合軍もズタズタにされて、天下はもう一荒れしたかもしれませんな。
しかし、ですぞ? 戦国大名としての最強人物が、天下統一に最適の行動様式を取っていくかと言えば疑問がある。
実際、騎馬隊に拘って、鉄砲など新兵器は軽んじたのであろうから、(勝頼は信玄の行動パターンを踏襲しただけに過ぎない)
その武力は天下平定に適するような性質にはならず、仮に、信長が信玄に討ち取られるようなことがあれば、歴史の歯車を逆回転させるようなもので、日本の近代の幕開けは遥か遠くに消え失せてしまうような気がする。
物質的戦闘力の高度に勤しんだ信長、精神的戦闘力の高揚(人は城・・)に力を尽くした信玄、歴史の軍配は前者に上がった。
信玄の場合、あれ以上物質的戦闘力を向上させる余地が無かったわけでして……。
まあ、「投石隊は鉄砲より役に立つ」とか言った人ですけど。
精神的戦闘力の高揚のためにはワザと不利な武器を使う必要がある。
武田の軍勢では「ナギナタ禁止」だったらしい。有利な武器に頼ってしまうといざと言う時に勇猛さが失われてしまうから。
太平洋戦争時の日本軍も勇猛果敢と言う意味では世界最強だったけれど、それは時代遅れの38式歩兵銃を使っていたからであるともいえる。(武器の不利を精神力で補填)
しかし、実際は、まるで桶狭間の戦いのように、馬鹿のひとつ覚えのように玉砕突貫攻撃をかけてくる日本兵をアメリカ兵はタバコ加えてマシンガンで「ダダダダダ・・」
もし、信長があの戦争の指揮をとっていれば、原爆が出来るまで外交戦略で、アメリカさんの機嫌を取って置き、世界に先駆けて原爆を完成させた暁には、富岳に核弾頭10発くらい詰め込んで、真珠湾のみならずアメリカ太平洋湾岸を地獄の業火で焼き尽くしたであろう。
366 :
日本@名無史さん:02/11/16 16:16
×使っていたから ○使わざるを得なかったから
×桶狭間 ○長篠の戦
騎馬系が最強に威力を誇ったのは、平地で打撃戦力として使えた地形であった
からである。平坦地で大軍勢が布陣していた場合、敵の弱所に効率よく兵力を
投入できる機動戦力は貴重であり有効。
対織田徳川戦では、遠征というのもあるのだろうが動員歩兵主体であり、丘陵
を利用して、誘い込みを実行している。
>信長があの戦争の指揮をとっていれば、原爆が出来るまで外交戦略で、アメリカさんの機嫌を取って置き、世界に先駆けて原爆を完成させた暁には、
>富岳に核弾頭10発くらい詰め込んで、真珠湾のみならずアメリカ太平洋湾岸を地獄の業火で焼き尽くしたであろう
ちなみに石原莞爾はこういう構想を持っていたのだよね(「最終戦争論」参照)
ニモカカワラズ、(精神的攻撃力の高度化を称揚する)「戦陣訓」なんて書き表した東条英機が首相兼参謀総長なんていう要職についてしまった。
石原は舞鶴要塞の予備役司令官などという閑職に回されてしまった。
まさに日本帝国は織田信長ではなく武田信玄を指導者に選んでしまったのだね。
歴史の逆回転、必然的敗戦。
ってか、信長なら早々と講和してただろ。
で、技術導入しつつ新しい外交戦略考えて・・・
国際的に容認されながら、大陸に拠点を築いてゆく。
やがて反対勢力への徹底的弾圧が槍玉に挙げられ、自滅・・・かな?
371 :
日本@名無史さん:02/11/18 11:36
いつのまにやら「騎馬軍団」が「騎馬隊」に・・・
歴史小説って怖いねえ
372 :
日本@名無史さん:02/11/18 11:54
>日本帝国は織田信長ではなく武田信玄を指導者に選んでしまったのだね。
信長も信玄も基本的には「勝てない」戦争はしないよ。
若気の至りはあったにしてもさ。
勝てない戦争をした当時の日本はむしろ、足利義昭でも選んだんじゃないの。
373 :
日本@名無史さん:02/11/18 16:01
選んだっつーか。ほとんどクーデターだからね。
でも、まぁ、そのクーデターを国民上げて歓迎した訳だから、仕方がないのだが。
374 :
たたえろよ!!オマエラ!!:02/11/19 13:53
。 ∧_∧。゚
゚ (゚ ´Д`゚ )っ゚ うわーー!!
(つ /
| (⌒)
し⌒^
375 :
馬なんて近代に入ってからデカくなったんだよー:02/11/20 17:37
_ -――-,-―- 、
_/ ヽ _
/ , , ヽ ヽX 7ヽ、
i' / // / / | ヽヾ. 、 ヽ ヽX X ゝ
/| | | | |_⊥」| || | |.|」⊥_ | iミミ、X /
V| | || i|_⊥、W./ヽ|,|⊥_||ヽ|≡= x/
ヽNヽ| ,|し.j _|し.jl|` |T Τ7 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |.{  ̄ .'_,  ̄ || | | ||+ヽ <あははーっ!バカじゃないですかー?
| | i\ .1 | | | || +| \_______
| | | i : エ エ :´ : | | | | ||++|
| _ | | |´  ̄只 ̄ ヽ| | |_| ||++|
/ || | ノ || ヾ | | | ヽ| |++|
| || |- ´ i | | i `ー| | | | ||++|
| | | | | .| | | | | | ||
376 :
日本@名無史さん:02/11/21 16:13
武田の騎馬隊って有名だったらしいよ。
なんか強そうだし。
377 :
日本@名無史さん:02/11/22 11:39
NHKのその時の再放送見たよ。なんか上杉の動きが車縣りっぽい動きで
おもろかった。
武田ってあんまり騎馬って感じじゃなかったですよ。
378 :
実は最強騎馬軍団バカ:02/11/22 12:29
△〜〜〜〜〜〜 ―0。――〇―――――――
┃刀八毘沙門 ――――――o〇°――――
―0o〇。――― . ┃〜〜〜〜〜〜
┃ //―――――――〇0°――――
巛∧┃ /二二ヽ //
/ ・ ミ ((`Д´ ) \ //――〇0。―――――Oo――――――――
―°o〇0。 《 /\ ミ<、__乂__>つ〆 ̄
( /::::::/⌒)ミ ミ ―――0o〇。――――――
――O〇 ― 〆 | |(二_)| / ミ
\(/ / /_|_|
――――――O゜ / / /_/_| o―――――o。――――――
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ . 軍 神 突 撃 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
379 :
日本@名無史さん:02/11/22 20:36
>>347 ね。
朝日が喜びそうな人でしょう。
次世代のホープとして力を蓄えています。
あの人の本は首をかしげるところが多い。
380 :
日本@名無史さん:02/11/22 21:56
あのね、戦わずに勝つのが肝心でしょ。
ポニーにまたがっているのも移動が主で、白兵戦では下馬するんだよ。
381 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/11/22 22:29
武田が天下を取っていたら、板垣退助の先祖は山内の家来に
ならず、馬場猪辰の先祖は長宗我部の家来にならず、
共に土佐人としては生まれてこなかったね。
382 :
日本@名無史さん:02/11/22 22:30
戦闘用の馬は、大きかったんじゃないかな。
なんか土佐の領主になった奥さんが有名な武将は、
馬揃え用にすげー馬を手に入れたとか。
甲斐には、なんか強そうな馬がいそうだ。前田慶次って
漫画でみたことがある。
384 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:33
北条じゃなかったか?
385 :
日本@名無史さん:02/11/24 17:54
みんな誤解してるな。テレビのみすぎだな。。。
386 :
日本@名無史さん:02/11/25 13:29
戦国期は馬がブームに
アラビア馬が高価で取引されていたらしいです。デカいしなぁ。
388 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:22
甲斐でも馬が大人気だったんだよ
389 :
日本@名無史さん:02/12/03 16:59
武田信玄って人気あるよね。
最強騎馬軍団ってのもなんかカコイイや。
かのモンゴル騎兵が乗っていた馬は、日本の馬と同じくらい小さかったわけだが、
にもかかわらず日本に騎馬軍団がなかったと言い張る人々は何を考えているのか。
391 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:32
板垣信形かっこいいー!
その子孫と称する板垣退助(正形)が甲州人に
与えた好印象は強かったらしい。
「武田侍が戻って来た!」ってね。
それで迅衝隊幹部の池知退蔵(元土佐勤皇党幹部、板垣退助の右腕)を
隊長とする断金隊なる甲州人義勇軍が結成された。
392 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:36
因みに、池知退蔵の先祖は土佐香美郡(香我美郡)の
豪族 香宗我部氏・山田氏の家臣で、その親族。
つまり武田氏の親戚たる香宗我部氏の親戚ということは、
池知氏の遠い先祖も甲州から来た可能性がある。
393 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:42
因みに、私の先祖も香宗我部氏家臣。
旧主君の家紋のパクりか、内の家紋は○に割菱(w
394 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:45
でも、武田侍と土佐侍を先祖に持つ私が、
山梨県に逝っても高知県に逝っても、
「血」が騒がないのは何故なのだろうか?
395 :
日本@名無史さん:02/12/03 23:49
>394
騙りで、お前の中にそんな血は一滴も流れてねぇからだ。
396 :
【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/12/03 23:51
>>395 もしかして、ただの土佐百姓と甲州百姓だったりして・・・
397 :
日本@名無史さん:02/12/04 16:36
うむどっちにしても称えよ。
アメリカの大学で、護身術の授業を受けました。
先生は日系人で、よく練習のあといろいろな逸話を生徒に話して聞かせていました。
ある日の講義で、武田信玄にまつわる話もしてたよ。
一般的なサムライの話だったけど、サムライ・タケダって言ってた。
まあ、偉大な戦国武将であることには変わりないね。
アメリカでも格闘技やったり、フットボールやってるようなやつでも、サムライを尊敬するよ。
それに比べ、今の日本人男子のひ弱さ・・・。
アメリカで伸ばして茶髪でへらへらしてんる日本人、情けないねー。
399 :
日本@名無史さん:02/12/04 17:22
というか、昔から町人や百姓もいたわけで・・・
400 :
東日本大王ジーモン:02/12/04 19:42
武田信玄は2万5千の軍勢で上洛しようとしたらしいけど、
いくら浅井・朝倉らと同盟していても織田・徳川の軍勢を壊滅
出来たのかな?
少なくとも、あと二倍の兵力は無いと不安なような・・・あと兵站。
兵站は大丈夫だYO
400は知らないだろうけど、腰兵糧といって腰に糒(米を炊いてから干したもの)
を袋に入れてつけて移動してた
糒がなくなると、兵糧丸を食べたんだYO
兵糧丸は今の正露丸やカロリーメイトと同じで一粒食べると体に必要な栄養素と
カロリーがすべて補えて、お腹イパーイになります
からだからだからだ
402 :
日本@名無史さん:02/12/05 16:56
ま。無理でしょうな。
403 :
日本@名無史さん:02/12/05 17:55
>>401 最近では信玄は上洛を考えていなかった(1572年〜73年)のが有力説です。
彼は東海地方の確保を重視していて、朝倉・浅井・足利らは利用されたにすぎません。
404 :
日本@名無史さん:02/12/05 19:12
マジ話ですが、
今まで武田の血筋の女二人とつきあった事があります。
ただし二人とも信玄公の血はひいていませんが。
一人は甲斐武田でさえない。
分家分家の果て。
もう一人は甲斐武田の一族で、別姓。
二人とも大邸宅に住むがそれほどお金もない、
旧家のお姫様でした。
蠣崎ちゃうのん?
武田信玄の人気は、徳川家康を完膚亡きまで叩いたというのも
関係あるのだろうか…。家康が敗れた唯一の戦と言っても過言ではないので。
407 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:36
武田勝頼 VS 穴山信君 スレで小山田は半独立とか言ってたけど違ってた。
こいつなんか関所の権限は武田にあったのに嘘付いてたよ。
しょせん穴山、小山田は武田の家来。
944 :日本@名無史さん :02/12/07 03:14
>>939 そうかね?
小山田信有が郡内の三十六の寺社に奉納する刀剣を作るのに
小田原の刀匠「元近」を呼び寄せたなんて話は有名だし、
信茂が桂川の橋を架け替えたら信玄から太刀や酒が贈られたりしてるし、
郡内の関所の通行料を決める権限は信玄ではなく信茂にあったし。
ただの「家臣」ならちょっと有り得ない事をやってるよね。
もちろん信有も信茂も信玄の家臣としても働いているんだけど、
政治的には非常に独立的要素が大きい。
甲州枡も使わないで郡内枡を使ってたし・・・
408 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:40
実際の所甲斐は郡内も河内も直轄地扱いだったと言う事だ。
武田の直轄地は郡代にある程度支配を任せていたのにそれを半独立
的で武田と同盟的待遇と勘違いしていたわけだ。
409 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:42
ホームページで同盟と書いてるやつは全員間違ってるということだな。
まあ、甲陽軍艦と書いてるやつらだからな。
410 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:43
>944 :日本@名無史さん :02/12/07 03:14
こいつは小山田厨か?
411 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:58
以上の小山田・仁科氏の場合に共通している点は、1.武田氏の関与は
あるものの、支配領域に対しては、支城主が知行宛行・安堵、諸役賦課・
免除、軍役、過所発給などを行っている。2.ともに竜朱印状は奉じて
いない。これは武田氏の行政執行機関には組織化されていなかったことを
意味し、独自の領域支配を許容されていたことの反映である。3.判物と
ともに、中途からであるが独自の印判状による領域支配が行われている。
4.同様の支城主である穴山・木曽氏などと共に世襲制がみられること
などである。
412 :
日本@名無史さん:02/12/07 06:59
>>408 直轄地の意味も知らん馬鹿はすっこんでろ!
君主だから家臣の領地支配に口挟むってのと、
直轄ってのはまるで別問題だ。
413 :
日本@名無史さん:02/12/07 07:00
そしてまた、『妙法寺記』程度のものを読んでいれば、
富士の関所の通行料を半額にしたのは紛れも無く信茂であることなど
一目瞭然。
「運用」とやらで騙されるとは素人もいいところ。
414 :
日本@名無史さん:02/12/07 07:01
>>409 信長と家康は同盟であっても信長が口を出すってのと
近いと思いなされ。
415 :
日本@名無史さん:02/12/07 07:05
だいたい柴辻俊六と言えば武田家研究じゃそこそこ有名だが、
彼と対立する説を唱える連中もごろごろしてるんだけどな。
柴辻氏のホームページをコピペしたぐらいで解決するんなら、
図書館でも行って彼の本でも読んでろっての。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 08:13
武田は兵農分離が進まず、織田徳川より遅れてたという
意見を聞くが、仕方が無かったんだと思われ。
織田に比べて石高が小さいんだから、兵農分離をする余裕がない。
兵農分離を進めたら、三方が原の2万5千の動員力は無理。
結局、信玄の最後の遠征は、苦し紛れの遠征だったと思われ。
417 :
日本@名無史さん:02/12/07 08:28
関所の通行料は信玄の命令で上げたことあるぞ。
小山田氏が自分で持ってた関所もあるのかもしれんが、
交通路の大部分は武田家の支配化にあったと見るべきだろう。
小山田氏の裁量は、土地支配に関する部分に限られたんじゃないか。
棟別銭も取られていたしね。
だがまあ、知行宛行などの権限が小山田氏にあるところからして、
織田信長政権下における一職支配に似ているな。
つまり、信玄と信茂の関係は、織田信長と越前を与えられた後の柴田勝家に
近いのではないか。
そう言えば勝家も自領内でのみ通用する国掟を作ったり、朝倉氏亡き後の
越前で座を再編したりと、独自の政策を行っているな。
小山田氏はそもそもが国人領主であることを考えれば、柴田よりもさらに
自由度は高かったのではないかな。
まあ家臣であることに変わりは無いんだが。
418 :
日本@名無史さん:02/12/07 08:33
まあ家臣とは言っても、そこはやはり国人領主、
信玄も穴山信友や小山田信有の扱いには困っていたようだ。
天文18年(1549)の信玄が竜淵斎に宛てた手紙で、
穴山信友が酒を飲んで酔っ払ってしまうから軍議がまとまらないだの
小山田信有を信濃に派遣したがちゃんと働かないだの泣き言を書いている。
419 :
日本@名無史さん:02/12/07 08:34
420 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:10
信長の兵農分離って馬廻衆だけでしょ?
421 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:18
家に火をかけてでも安土に連れてきたってのは兵農分離なのかなあ
なんつーか、根本的な解決になってないぞ・・・
422 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:26
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 09:29
領土が広がり、他の大名との力の差が出来ると、
動員力に余裕が出来るので、経済的に効率がイイ
兵農分離政策が行われる。
信長は石高で他を圧倒できたので、農民兵まで動員しなくても、
他の大名を超える兵士を投入できたから、兵農分離を進めた。
その後の秀吉、家康も、軍事的余裕(他の勢力に対する圧倒的優位、
それによる平和)によって、更に兵農分離を進めたのである。
424 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:33
>>422 尾張から安土だよ。安土城下でボヤが出て単身赴任が発覚。
>>423 朝鮮出兵の頃ですら陣夫だのなんだので駆り出して、
結局半分は農民だったけど・・・
まして信長の頃に足軽雑兵の類を「兵農分離」してたなんてのは
眉唾もいいところだ。
425 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:39
426 :
日本@名無史さん:02/12/07 09:39
秀吉の刀狩をして兵農分離って言うんじゃないの?
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/07 09:40
>>424 要は程度の差だろう?
信長、秀吉は、信玄、謙信などに比べれば、兵農分離が進んでいたが、
その後の家康に比べれば、遅れていたということ。
そして、その後の、秀忠、家光と代を重ねるごとに、
太平の世が安定化され、士農工商制度が完璧になった。
しかし、一方で、浪人も急増して、家綱の時、由井正雪の乱みたいなことが起こった。
428 :
日本@名無史さん:02/12/07 11:09
,i | {
ノノ '‐'´⌒ヽ / ̄ ̄
. 、__し'´,r‐t;j=,{ / >1
|.} i … '"´ | よく逝ったわね
/'´ | 〉'´ ̄
!し _ |i ( その言葉を 聞きたかったのよ
ヽ. /' ,ヾ/ .その決心を 忘れないでね
>>426 強いて言うなら「士農分離」ではないか?
「兵」と言うとまた意味が変わってくるから。
>>427 程度と言うが・・・「職業軍人による常備軍」みたいなものは、
信長は作っちゃいないよ。
武田騎馬隊は強かったよ
こっちにもスレ立ててたとは・・・
こんな電波吐くのは三戦板だけで十分なのに。
確かに武田騎馬軍団は強かったが、武田の滅び方は裏切りに次ぐ裏切りで
戦国時代でもっとも醜い。
433 :
日本@名無史さん:02/12/20 17:14
>>398をよんでておもた。
大東流の武田総角(漢字間違ってるかも)と
甲斐武田家って何か関係あったけ?
自称末裔だったような気もするのだが。。。
434 :
日本@名無史さん:03/01/03 17:02
age
(^^)
436 :
三戦板より:03/01/12 03:49
おい、ちょっと聞いてくれ。
三戦板でぼろくそに言われたんだが、俺の信玄公上洛プランを判定してくれ。
1550年代後半、今川義元との共同作戦で、義元が管領を目指すのに
乗じて信玄公も兵を率い上洛するというプランだ。
俺の主張をもう一度整理しておくぞ。
まず三国同盟により、関東、東海の後背地は安全地帯である。
そして北信をある程度で切り上げて、謙信と和睦して、北信の小豪族を
緩衝地帯化としておく。
そして甲斐と信濃7割程度の国力で、今川と連携して進行開始。
今川が織田を攻め、道三が救援するかどうするかによって、美濃攻め
の仕方が変わるが、まあ今川なら大体織田より優るだろうから、尾張
を制圧したとしよう。
信長がどこかで頑張ったとしても、義元が織田家の家督を
信長以外の一族の誰かに与えて、これを親今川勢力とする。
そして尾張、信濃から美濃へ同時進行。
469 :308 :03/01/12 00:19
それと朝倉とも連携し、背後から出兵を促す(かく乱程度でよし)
さらに斉藤義竜に土岐家再興をそそのかして旗揚げさせるとともに、
その内乱に乗じて美濃侵攻。
道三勢を撃破したあとは、今川とともに近江を抜けて京へ。
これでどうだ?
437 :
日本@名無史さん:03/01/12 03:51
正直、高坂に送ったラブレターを見たときは寒気がしたな。
438 :
日本@名無史さん:03/01/12 04:39
信玄餅マズイ!!
(^^)