元寇は中国ではなく、モンゴル人だったし、
隋、唐はなんで日本を支配しようとしなかったの??
まじで教えてください
2 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:26
まじで板違いです
3 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:28
>1
そう書くと世界史板になるから、日本史板的に書くとすれば、
「なぜ古代の日本は中国から攻められなかったの?」
とするのが定石。
4 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:28
まず日本に人員を送るためには大量の船が必要。なおかつ日本海の航海は危険を伴った。
それよりも周辺の辺境を攻めた方がコストもかからずに楽だったからと思われ。
悪いこた言わない。
まじで知りたいなら世界史あたりで聞いた方が良いと思う。まじで。
7 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:29
中国は中原っつって中国全てが天下だと思ってたんだろ。
日本なんてとるにたらない存在だったんじゃないの?
8 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:30
卑弥呼の使者がきたない格好してチンケな貢物もってきて・・。
そんな国攻めてどうする?
9 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:32
鄭和の大艦隊時代の明はやばかったようだ。
能力的には十分。
義満のあと、将軍が朝貢をやめたら怒って皇帝が日本侵攻準備を始めた。
だけど、初代皇帝が遺訓で、攻めてはならない国の一つに日本を入れていたので
取りやめたそうだ。
10 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:32
古代中国は、今でいうところの外務大臣的ポストは重要な役職ではなかた。
古代中国は、外国のことをあまり考えてなかたと思う。
11 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:34
>初代皇帝が遺訓で、攻めてはならない国の一つに日本を入れていたので
ここんとこ詳しく説明きぼんぬ。内容によっては三日三晩問い詰めたい。
12 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:34
日出る処の国だったから
13 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:35
14 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:36
西尾莞爾と中西輝政の「日本文明の主張」で中西が語ってた。
歴代中国王朝は、日本をかなりの大国とみなしていたそうだ。
攻めてはいけない理由は語ってなかった。
元が失敗して、その後、崩壊したからじゃないか。
15 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:41
>14
うーん、なぜなんだろう?
16 :
日本@名無史さん:02/08/06 20:43
中国=中華文明の通用する地域。
よって日本は領域外。
日本が中国に手を出さないかぎり討伐の対象にもならない。
日本を攻めてもメリットがなかったから。
これが言いすぎであるなら、日本を攻め込むのにかかる費用を、
日本を支配化に置いて得られるメリットが上まわらなかったから。
つまり、日本を攻めても損するばかりだったから。
>>9 明の初代皇帝って朱元璋だよねぇ。
日本と何か関連が?
19 :
日本@名無史さん:02/08/06 22:21
鄭和の海外進出を阻んだ人物が王朝内にいたんでしょ。
それがなかったら中国が先にアメリカ大陸を発見して世界地図が
変わっていたかもしれない。
20 :
日本@名無史さん:02/08/06 22:35
21 :
日本@名無史さん:02/08/07 00:36
朱元璋は外国と組んでクーデター未遂を起こしたとして、
大量に、建国の功臣を処刑している。(1万人)
ちなみに明転覆を謀った国ってのが日本。
もちろん言いがかりな訳だが、
元の侵攻を二回も跳ね返したのが、中国ではどう映っていたのか、
ある意味示していると思う。
22 :
日本@名無史さん:02/08/07 00:44
>21
マジ? 初めて聞いた・・
これって、彼の妄想からきたもの? それとも、地図にダーツを投げて適当に決めたとか?
23 :
日本@名無史さん:02/08/07 01:02
陸続きの韓国を攻められんのに、日本を攻められる訳がない。
また、逆に日本が攻めてきた時には国防費が財政を圧迫して明の滅亡の原因の一つになったし。
下手すると国内で反乱が起こりかねないのでそんな余裕はなかった。
24 :
日本@名無史さん:02/08/07 01:09
>22
妄想というよりも、「中国転覆を企んだ」として、
人々を(無理にでも)納得させられる勢力って事でしょう。
モンゴルは落ち目で無理だし、女真は弱体。
高麗は、朝鮮建国されたばかり。
まあ、消去法の可能性が高いけど。
25 :
日本@名無史さん:02/08/07 01:33
要するにあれでしょ、周りを海にかこまれてて交通の便が悪い狭い島国な上に、
日本ってあんがい人口多くて兵力もあるから攻めるだけ損ってことでしょ。
26 :
日本@名無史さん:02/08/07 05:00
隋も唐も、高句麗や新羅の抵抗にあって
チョン半島を完全支配できなかったではないか。
歴代中国にしろ蒙古にしろロシアにしろ、日本を攻めるなら
半島を南端まで直接支配することが条件だ。
それが出来たのは元だけ。
だから半島を直轄領にした漢の武帝の日本侵攻説があるだろ。
>>8 ああ「生口120人」とかいう奴ね
アレあんまりおいしくなかったんだよな
28 :
日本@名無史さん:02/08/07 05:09
ベトナムだって元の侵攻をくい止めているしなあ
ちょっと眉唾だな
29 :
日本@名無史さん:02/08/07 05:16
日本海側の中国人達は徐福伝説を信じている人が多いよ。
30 :
日本@名無史さん:02/08/07 05:52
三国志の時代に呉が日本を攻めようとして大艦隊を準備したことはあったよ。
「そんな遠い国まで行きたくないよー」と艦隊が丸ごと夜逃げをして計画はアボーン
このスレ、まじでべんきょうになりました。
32 :
日本@名無史さん:02/08/07 07:27
>>1 おいおい、元が蒙古民族だというならば、
隋と唐は鮮卑民族だぞ。立場は同じ。
日本と戦争をした清も満州民族。
万が一、秀吉や関東軍が勝利して中国をある程度上の期間支配していたら、
元や隋や唐や清と同様に、日本民族が支配する国ができるだけ。
そして、元や隋や唐や清と同様に、中国歴代王朝の一つと数えられたであろう。
33 :
日本@名無史さん:02/08/07 07:44
海を越えて、兵を送るということが
いかに難しいか、ということだろ。
現代においてすら海上輸送のみにしか頼れない地への
軍隊の派遣は非常にコストがかかるし
制空海圏共に確実に確保しているという前提があればの話しだ。
ましてや近代以前のさほど造船技術も発達していない国家が
海を隔てた地へ兵を送ると言うことが、いかに困難なことか
容易に察しがつくだろう。
派遣軍が海上封鎖されて本国からの兵站が遮断されたら終わりです。
全滅するか完全降伏するか二つに一つ。
34 :
日本@名無史さん:02/08/07 08:44
>32
元の他民族性と、随と唐を同列に論じるのは全くもって間違い。
たぶん、隋唐王朝の太祖に混じっている異民族の血のことを言っているのだろうけど、
そんなことを言い出すなら、周も、秦もそうだわな。
元は、異民族の集団だった。隋・唐は単に王朝の創始者に異民族の血が混じっていただけ。
別に配下の集団が全て中国語を話さない異文化を持つ者だったわけでは全くないよ。
35 :
日本@名無史さん:02/08/07 08:50
>14
>元が失敗して、その後、崩壊したからじゃないか。
たしかに、俺も日本は攻め取るのが非常に難しい国で、たとえ歴代中国王朝が兵を送ってもそうそう負けなかったろうと思う。しかし、元が失敗したのは日本でだけじゃないよ。ベトナムでもジャワでも失敗。なので、
日本征服失敗→王朝崩壊、ってのは因果関係あると言えない。
むしろ、元は内紛がひどくて滅んだと思う。後半の皇帝の平均在位年数を見るとスゲェ・・
36 :
日本@名無史さん:02/08/07 08:52
>32
でも隋唐国家にも、異民族的な部分はあるよね。国際性もそうだし。それに純然たる漢民族国家なら、武則天は実権ある皇后で終わり、即位はできなかったのでは?
37 :
日本@名無史さん:02/08/07 09:05
隋は楊氏,唐は李氏と,いちおうは中国人の名家を名乗ってるのでね.
それまでの北朝の鮮卑族王朝とまったく同一視はできまい.
38 :
日本@名無史さん:02/08/07 10:14
当時のことを考えれば日本という国を攻め落とすのには
長期戦を想定して作戦を立てなくちゃあいかんが船を使っての
遠く海を隔てた日本への兵站はままならず作戦そのものが
不可能。何せ撤退する場所がない。周りは海だから。
なにより陸地での戦闘になれていても海上での戦闘にはなれていない。
実際海上戦闘に手馴れた日本軍に歯が立たなかった。
元寇は短期戦しか想定されていない。長期戦など鼻から無理。
よしんば日本を攻め落とせるとしても多くの犠牲を払うことになる。
それこそ国が滅びかねないほどに。
39 :
日本@名無史さん:02/08/07 10:38
朝鮮征伐で秀吉が送りこんだ諸藩の軍隊、特に島津藩がトラウマになっているようだね。
なにせ、生け捕りにした朝鮮軍捕虜の腹を裂いて生キモを食ってたっつーくらいだから。
怯えるのは無理もない。
日本は“強い”と言うよりも“キチガイ的戦闘集団”の国と思われてたみたい。
まさに東夷だな。
また鎖国前まで日本は世界一の鉄砲保有国だった、キチガイに刃物だ。
こんな蛮族相手に消耗戦するバカはいない。
中国の指導者(というより官僚かな)が優秀だった事の証明です。
40 :
日本@名無史さん:02/08/07 20:59
>>37 隋も唐も、北朝の鮮卑族王朝が中華化しただけでは?
もちろん、元も、従来の蒙古族から見れば、明らかに中華化してできた国。
さらには、清も、女真族の風習などすべて持ち込んだとはいえ、中華化したといえる。
秀吉が長安かどっかを都にしていれば、日本的な風習を持ちながらも、
同じように中華化したであろうと思う。
中国は昔も今も多民族国家であり、中華だけが共通アイデンティティ。
それに反する集団がいれば、どの民族かに関わらず、中国から独立しようとする。
1500年前なので状況はもちろん異なるが、日本(倭)は当時精神的に独立したね。
41 :
日本@名無史さん:02/08/07 21:27
42 :
日本@名無史さん:02/08/07 21:30
>40
初めの文から最後の文まで突っ込みどころ満載だな。(苦笑)
>>33につきる
そこまでして攻めてそれだけのリスクに見合う物が手に入るかどうかが問題
むしろ北の異民族を攻撃したほうが自分たちの安全保障になるし
西や南に出たほうがよっぽど経済的によいと思う
こっちから海を越えて攻めるのが困難ということは
向こうから攻めてくるのも大変だということだし
44 :
日本@名無史さん:02/08/07 21:55
>万が一、秀吉や関東軍が勝利して中国をある程度上の期間支配していたら、
>元や隋や唐や清と同様に、日本民族が支配する国ができるだけ。
>そして、元や隋や唐や清と同様に、中国歴代王朝の一つと数えられたであろう。
おいおい、秀吉の時代ならともかく関東軍まで含めるのは無理があるぞ。
実際、日本の支配はもはや同化する形じゃなくて、日本が日本語や日本式のものを押しつける形であって
最後まで中国化しようとはしなかったな。
実際今でも科学技術にしろ何にしろ、日本→中国の流れで中国人が日本化しようと努力しようと努力してるな。
近代に入ってからは「中華」なんて概念とっくに崩壊してるよ。
どうも。勉強になります。
ところで、古代中国人が日本人を尊敬していた、または、
好意を持っていたというなことはないのかなぁ?
46 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/07 22:32
>45
一応唐代には東方の第一の席を許されており、「東方君子の国」と見られて
いたようです。明代の「五雑俎」にも好意的に紹介されています。
江戸時代にも荻生徂徠の著作や吾妻鏡などが翻訳されており、中国で失われ
ていた古典籍が日本で発見された事もあった。
・・・但し人物像は半裸で描かれています。
47 :
日本@名無史さん:02/08/07 22:37
>>46 金印を与えられたのは唯一、倭だけではなかったっけ?
48 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/07 22:47
>47
匈奴王は駱駝の彫刻のついた銅印で楽浪郡の太守が銀印で・・・日本は蛇の
彫刻された金印。他にもありませんでしたっけ。
49 :
日本@名無史さん:02/08/07 22:51
>>46 マジ?
誰が翻訳してたの?翻訳できるぐらい日本語できる奴がいたんだ。
中国の古典が日本で見つかったのは知ってたけど。
でも徂徠のは漢文じゃないの?
50 :
日本@名無史さん:02/08/07 22:52
海の向こうからは高く評価されるみたいで、琉球も金印だったと思う。
上の飾りは覚えてない。これにも順序があったと思うけど。
>1
明も日本に、服属を要求したよ。
当然使者は帰らぬ人になりましたけどね。
51 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/07 22:53
>49
漢文だった筈です。19世紀には「徂徠先生」の伝記も書かれている。ただ
絶対化されていた孔子の言動に史料批判を行った為に批判する人も多かった。
唐が日本に侵攻したことがあります。
この時日本は、戦闘もなく、唐軍を受け入れました。
7世紀終わり頃、唐の軍が北九州に駐留したことがありましたよ。
7世紀半ば過ぎ、唐新羅対百済倭戦争で百済が滅亡した時、日本の総大将が捕虜になりました。
それから数年後、唐軍はその捕虜をつれて北九州に来ました。
その時戦闘もなく、唐軍は博多の北東の地に駐留しました。
中国側の記録と日本側の断片的な記録でわかります。
53 :
日本@名無史さん:02/08/07 23:48
ネタは辞めれ。
日本の総大将って誰?
55 :
日本@名無史さん:02/08/08 00:23
>>52 白村江の戦いのことでしょ?
井沢元彦の逆説の日本史で書いてるね
56 :
日本@名無史さん:02/08/08 00:27
ふと思ったのだが、
隋、唐を古代に入れてしまうのか?
57 :
日本@名無史さん:02/08/08 01:06
金印については、他にもあったのでは。
派兵しなかったが、いわゆる鶏肋であったのでは。
燕とか、公孫氏はどうだったのだろう。
58 :
日本@名無史さん:02/08/08 01:13
>>55 北九州占領はともかく
天智天皇は本気で怖がってたみたいだね
中国地方を要塞化して超縦深陣地を築いているし
都も琵琶湖まで退避している
まぁ実際問題、兵站の問題から言って、占領どころか揚陸も
難しかったでしょうが・・・
>>・・但し人物像は半裸で描かれています。
日本も江戸時代まで(つーか田舎のほうじゃいまでも)
夏は半裸スタイルだから
あながち間違いでもないかも(w
たしか、雲南にあった〔シ眞〕テンが
金印を貰ったと、世界不思議発見で言っていた記憶が(かなり前なのでウロ
博多の金印と一緒で、蛇が刻されていた筈
61 :
日本@名無史さん:02/08/08 02:35
62 :
中華@名無史さん:02/08/08 03:28
>>21-24 遅レススマソ!
明建国期に臣下と日本が手を結ぼうとした。と言う事象に付いては
朱元璋が、臣下の胡惟庸が、当時中国を悩ませて居た倭寇と手を結び
謀反を起こそうとした。と言う事を指して言って居たと思いますよ?
63 :
日本@名無史さん:02/08/08 03:36
漢民族同士だから戦わない。
64 :
日本@名無史さん:02/08/08 04:13
65 :
日本@名無史さん:02/08/08 07:38
>62
そうか・・ ってことは、この場合の「倭」というのは実際には必ずしも日本の事じゃないね・・
連中がどう思ってたにせよ、倭寇は偽物が非常に多かったし。
「倭寇」の「倭」ってのは字義通りの意味ではないんですか?
「日本そのもの」だけを指しているのではなく。
漢民族同士のほうが攻めて来る可能性高そうな気がするが・・・(笑
>>54 「サツヤマ」と言う人物が日本の文献に出てきます。
7世紀末まで続いた九州王朝説で考えると、九州王朝の天子となります。
>>56 政治制度として、平安時代まで古代ですから、隋唐も古代になります。
>>57 ベトナムにも金印を与えました(現存の有無?)。
中国は前漢以前から歴史的に、日本とベトナムを重要視していました。
>>58 >>63 >>66 ココに言う倭とは、中国沿岸に住む海洋民の倭です。
日本や韓国の倭ではありません。
倭人とは、海洋民・小柄(日本では中柄)・蒙古斑有りの東シナ海両岸に住む人種です。
cf.関西人のような中国人で上海近辺でも見かけます。
自分の子供や子供の時蒙古斑があったと言っています。ん
(中国人には蒙古系以外は蒙古斑がありません)
>>66 元々倭は「委」であったが、中国人(朝鮮人)に比べて小柄であったので、人偏を付けて「倭」とした思う。
>>61 水城は十分見ました。大宰府の博多よりと有明湾よりの2方面にあります。
対唐戦争に備えて整備されたようです。
対唐戦にそなえ、政治組織も神社(天神)も博多から大宰府に移転しました。
でも、白村江海戦で日本軍は完敗した後、本土決戦はありませんでした。
それで、大宰府にも、水城にも7世紀半ばの戦場の痕跡はありません。
69 :
日本@名無史さん:02/08/08 18:23
>>1 >なぜ唐は日本支配をしなかったか?
唐は日本を支配しました。彼らの論理で。
大和政権は遣唐使を派遣しました。これは唐から見ると臣下(支配国)のご機嫌伺いとなります。
70 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/08 18:27
>59
鋭い(藁)。褌だけとか上半身裸とか子供は素っ裸という状態が日本本来の姿(?)
だった。少なくとも中国や朝鮮、ヨーロッパ人よりも裸を好んだ。
やはり湿気が多いからじゃないかね?
「裸文化」という点ではヨーロッパが一番じゃないか?
あそこまで裸を恥じないのは珍しい(w
>70
日本限定と言うより、東南アジアの文化性かも
タイ・カンボジアの路地・田舎なんぞ、よく、おーさんが、土手腹さらしてます。
74 :
日本@名無史さん:02/08/08 23:28
元は水に潜る海洋民なので、冬以外は裸が標準。
75 :
日本@名無史さん:02/08/09 00:02
>>1の「古代の中国」とは、清あたりまでを指すのだろうか・・・
「近代以前の中国」という意味か?
76 :
日本@名無史さん:02/08/09 00:11
そういえば芥川が「私は支那人が肌を晒してるのを身た事が無い」と
「支那遊記」かで書いてたな。
近代でもそうなんだから昔はもっと肌隠してたんだろうな。
でも支那服ってクソ暑そうな感じがするけどそれでも肌見せなかったの?
地方によっては日本より熱くなるとこあるじゃん。
77 :
日本@名無史さん:02/08/09 00:18
中国人が、日本の職人とかが町中で肌脱ぎになってるのを見て、なんたる野蛮人・・と凄く驚いた
記録は枚挙に暇がない。理由は、上で書かれているような日本文化の深層のポリネシア性が
漢民族には理解できないとゆうことだろう。
ここで、何か気が付かないか?
バイカル北方系のみなさん。
79 :
日本@名無史さん:02/08/09 00:30
>>77 それは単に中国人が儒教でがんじがらめになっていたからでは?
暑かったら片肌脱ぎとかになって仕事した方が合理的な気がするけど・・・
もちろんギリシアとか欧州みたいにヌーディストビーチとか、モロな裸体文化にはやりすぎって気がするが。
80 :
日本@名無史さん:02/08/09 00:41
代々、朝貢しているんで攻める必要はないんだろ
乾燥してるとこだと気温が高くても日陰だと涼しかったりするし
日が落ちるととたんに寒くなったりする
LAに逝ったときに
皮ジャン来たヤシとTシャツ一枚のヤシが並んであるいてたりしたよ
中国も暑い時期でも乾燥してるとこなら暑苦しい格好でも着てられるんじゃない?
82 :
日本@名無史さん:02/08/09 01:19
>>70 朝鮮人も最近まで、結構裸が多かったみたいだよ。
ある意味、日本より、南方系の風俗が残っているくらいだから。
>82
まだ、踏ん張っている部分が、あるのか?
84 :
日本@名無史さん :02/08/09 01:34
世界丸見えで見たが、中国の少数民族の中には、混浴の習慣があるところもあるらしい。
録画してて、ラッキーとおもた。
その当時の航海は命がけだから
86 :
日本@名無史さん:02/08/09 06:26
宮崎市定的には,六朝隋唐は中世という時代区分でしょ
経済の基本が荘園制だということで
87 :
日本@名無史さん:02/08/09 07:22
>84
ていうか我が日本の江戸時代がまさにそう・・
>78
そこ俺が頼もうと思ってるとこだから、名前出すの止めれ。
90 :
日本@名無史さん:02/08/09 10:35
>>84 江戸時代末期にも来日した西洋人が混浴の風習を結構
驚きで残していますね。また伝染病は混浴の習慣のために広がりやすいとも。
淫らな習慣との表現が多いです。
17、18世紀で言えば日本は世界的に見ても強かった。
まず西洋辺りと比べると人口が多いこと武器の種類と質。
鉄砲の生産量が多かった事。
ただし鉄砲は武士から見れば強力な武器とは考えられていたが
魅力のある物かと言えばそうでもなかったようです。
いろいろ有るが日本が島国である事、兵の質が高かったこと
長い航海をして攻め入るには強く割りに合わないこと。
>73
宮本常一先生の書いておられた通り、やはり南方系の風俗なのでしょうね。
>82
両班と庶民ではやはり違ったのでしょう。前者は死んでもやりそうにない。
>90
西洋人、その頃から入浴を体に悪いと思い込んで年に一回くらいに押さえていまし
たから。洗髪は月に一回。
92 :
日本@名無史さん:02/08/09 11:28
答えはひとつしかねぇ。
攻める気がなかった
朝貢してる属国をワザワザ攻めないよ
94 :
日本@名無史さん:02/08/09 16:25
海は偉大だな。
でも攻めてくれば返り討ちにしたのに、少し残念。
戦国時代に明対日本ならけっこういい勝負したんじゃないの
96 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/09 16:28
>94
当時の明にはそんな海軍力も気力もありませんでした。現に朝鮮で日本軍と
戦っていた時にはシャム海軍に日本本土を攻撃してもらおうという計画を立
ている。地理感も頼りなかった。
97 :
日本@名無史さん:02/08/09 17:27
>おいおい、秀吉の時代ならともかく関東軍まで含めるのは無理があるぞ。
>実際、日本の支配はもはや同化する形じゃなくて、日本が日本語や日本式のものを押しつける形であって
>最後まで中国化しようとはしなかったな。
>実際今でも科学技術にしろ何にしろ、日本→中国の流れで中国人が日本化しようと努力しようと努力してるな。
>近代に入ってからは「中華」なんて概念とっくに崩壊してるよ。
これはきわめて危険だと思う。結局満州を武力で日本が取り返したけど。
半分は中国の領土、半分は露西亜領に今ではなってる。
あれだけ引っ掻き回していろいろと努力した領域を結局や面の好き勝手
にされたのだから。中国は勤勉で貪欲な民がたくさんいる国であること
を忘れずに。
98 :
日本@名無史さん:02/08/09 17:33
>>1よ元寇は普通に蒙古族という中国人の仕業だぞ。
米しか取れないよーな国、攻めたってコスト倒れ
元寇は黄金の国なんていうガセネタ信じたからだろ
100 :
日本@名無史さん:02/08/09 17:46
元寇の時に日本に責めてきた連中の中でいわゆる中国語をしゃべってた連中
はどのくらいいたの?半分以上なら。司令官がいくらモンゴル人でも
中国が責めてきたのと変わらないんじゃ。
しかも中国人の中でもモンゴル人も中国人なんだろ。
だいたい、日本は太古の中国人がつくったもんだろ。
101 :
日本@名無史さん:02/08/09 18:05
>>95 明軍に勝てなかったけど負けなかったのでは?
102 :
日本@名無史さん:02/08/09 21:14
>>101 こっちから攻める時も海が邪魔になるという罠。
103 :
日本@名無史さん:02/08/09 21:39
これから先、攻めてくることはなかろうか
104 :
日本@名無史さん:02/08/09 21:41
経済的にはそろそろやばいな
106 :
日本@名無史さん:02/08/09 21:52
>>104 中国と日本のGNPなりGDPを比較してみろ。
イメージだけで語るな。
107 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:01
>>106 これからせめて来るってんだろ
大体オタクGNPなりGDPって意味わかってんの
単純な比較相対で物逝っても意味ねーんでねーの
どっちも経済的にはヤヴァいという罠。
言葉タラズ
ネタニモナットラン
110 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:12
<<104
うむ、まったくである。
2000年現在、日本のGDPは約500兆円。
世界合計額の15%(世界第2位)を占める超大国。
中国・韓国・台湾・タイ・マレーシア・シンガポール等
アジア主要国GDP合計額の約2倍。
日本がやばくなれば、アジア各国に飛び火する。
だから日本の不況が国際会議でとりあげられるんしょ。
111 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:22
そうだとも言えるし、そうでないとも言える。
もしこのまま亜細亜諸国の経済がEU程度に重なり合ってそれこそ共栄圏になったら、ほとんど
アジア内部での侵略なんてナンセンスになってしまう。
一方、99%あり得ない不測の事態にも備えなければならないのが国防なので、中国が愚かしくも
戦争をしかけてくる事がぜってぇない、と決めつけるのもマズイ。
ただ、通常戦闘だったら中国ごときに負けるわけないと思うけどね。
日本海の存在自体が100個師団?分の防衛力だとかなんとか・・
112 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:23
そうでない
日本発の世界恐慌って奴ね
IMFまかせにできた隣国のようにはいかんからなぁ
114 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:42
>>110 >中国・韓国・台湾・タイ・マレーシア・シンガポール等
>アジア主要国GDP合計額の約2倍。
何故合計額にしたの?中国より台湾のほうが大きいよね。
115 :
日本@名無史さん:02/08/09 22:53
116 :
日本@名無史さん:02/08/09 23:00
主要国全部のさらに二倍ちゅう規模の大きさが重要なんだが
117 :
日本@名無史さん:02/08/09 23:06
なんのきぼー???
118 :
日本@名無史さん :02/08/10 00:33
世界丸見えでもやってたが、中国の特殊部隊は洒落にならんぞ。
自衛隊のレンジャー部隊ぐらいじゃとても勝負にならん。
しかし、経済的理由だけで台湾を併合しようという動きがあるのをみると
可能性が全くないとはいえないなぁ。
その中国に多額のODAをやってる日本って、自分で自分の首をしめてる?
119 :
日本@名無史さん:02/08/10 00:36
>>118 日本自衛隊はもっと強いです。
強いと言えない軍隊です。
120 :
日本@名無史さん:02/08/10 00:38
日本は経済でしか大きくなれない国だから
ODAは馬鹿の極みです、みなさんの税金です
プライドだけは一ちょ前だけどお先真っ暗な2CH住民の我々の如く候
122 :
日本@名無史さん:02/08/10 00:47
>>122 どうでもいいけどageんなよ
んな意味無いレスで
>>118 可能性は0ではないけどまずないと思われ
経済的理由で併合を望むならなおさら軍事侵攻の達成を目指す可能性はないかと
125 :
日本@名無史さん:02/08/10 01:21
えーガイシュツですが…
日本が唐に攻められ占領されたってネタのもと
鈴木治「白村江」(学生社)です。
米軍に占領されて民主主義いれ憲法つくった様に
唐に占領され唐の文化受け入れ(天平文化が唐風
ってのは習ったでしょ)大宝律令つくったという…
天智は殺されたとか天武は忍者だとか、
井沢(「隠された帝」)も豊田(「英雄・天武天皇」)も
なんとか恵子センセイも、みんなみんなみんな♪
ネタ本につかってます。トンデモだけどこれは
かなりツボにくるぞ、楽しいぞ。学生社の本読む
人は読みましょう。アカデミズムでも「藤原鎌足とそ
の時代」(吉川弘文館だったかな?)でそれと大宰府
の構造結びつけてる人いたし。
126 :
日本@名無史さん:02/08/10 01:26
そうですね
彼の国の日昇国への経済的侵攻は遅かれ早かれ顕在化するでしょうから
アジアの経済の覇権争いで軍事云々で仇敵※国と軍事的喧嘩する
必要はないと思われ
124へのレスですた
人民解放軍サイコー
21世紀は、アメリカ軍 対 人民解放軍がトレンドだね
>>89 残念ながら純粋培養の日本人です。
しかも、390年間、代々平城京の上で生活してきた者です。
奈良に住んでいるにも関わらず、私はちょっと頭が柔軟すぎるので、
6〜8世紀の日本の最大の政治権力は、699年まで九州王朝が、
700年から大和王朝が持っていたとみなしています。
純粋培養の古田信者と思われ
131 :
>>52 >>68:02/08/10 04:22
132 :
日本@名無史さん:02/08/10 04:29
攻める攻めないじゃなくて
もともと属国だからですよ。
しかも、島流しの地
でないと、一国の女王に「卑」なんて
つけません。
133 :
日本@名無史さん:02/08/10 06:03
日本を攻める暇があったら北方の騎馬民族をなんとかしようと
思うのが普通では?
134 :
日本@名無史さん:02/08/10 09:03
>133
そりゃそうだな・・w
135 :
日本@名無史さん:02/08/10 09:13
>経済的理由だけで台湾を併合しようという動きがあるのをみると
どうかな・・ 今回のあの中国軍人の恫喝、俺にはむしろ彼らの無力さ故の焦りを感じるんだが・・
今、この時点で(アメリカが共和党で戦争辞さずモード)、先進国クラブの隠れメンバーである
台湾に軍事行動起こす度胸というかアフォさを現中国政府が持つと思う?
俺は全くありえないと思う。で、実態としてのまったき無力を心理的に代償しようとしてあぁゆぅ
発言が出る、と・・
136 :
日本@名無史さん:02/08/10 09:33
ただの脅し
ホントにやれば台湾中国両方の経済が痛烈な打撃を受ける(実際の戦禍よりも経済制裁や株価の暴落によって)
しかし脅しすらやらないと国内での立場が悪化する、もしくは政権基盤が怪しくなるから
138 :
日本@名無史さん:02/08/10 15:06
>>97 何が言いたいのかよく分からん。何が危険なの?
>中国は勤勉で貪欲な民がたくさんいる国であることを忘れずに。
そりゃよく働く奴はどこにでもいるだろう。「いない」なんて誰も言ってないよ。
>結局満州を武力で日本が取り返したけど。>半分は中国の領土、半分は露西亜領に今ではなってる。
>あれだけ引っ掻き回していろいろと努力した領域を結局や面の好き勝手にされたのだから。
まあ日本は戦争政策ミスって自滅した結果領土を失ったんだけどね。
中国は実力では取り戻せてないよ。
近代以降は中国が、日本を始め欧米を模倣しているのであって、世界を“中華”に服属させるみたいになってないよ。
「中華」なんて概念とっくに崩壊してるわけ。
それと
>>93の日本語はちょっとおかしいような・・・もしかして留学生?
139 :
日本@名無史さん:02/08/10 16:27
>138
>>93の日本語はちょっとおかしいような・・・もしかして留学生?
????どこがおかしいんよ? そりゃ表記が少し乱れてはいるけどw、ここ2chだし・・
>138は2ch来るの初めてか?
対岸の台湾ですら放置プレイが多かったからな。
>>139 前から来てるよ(w
2chの「表記が乱れてる」タイプの文章じゃないだろ。
>あれだけ引っ掻き回していろいろと努力した領域を結局や面の好き勝手にされたのだから。
明らかに「おかしい」だろ?
なんとなくなら分かるが。これが日本人だとしたら文章下手。
まあ本人の返答を待とう。
143 :
日本@名無史さん:02/08/11 08:39
>141は、現代日本の若人の文章力レベルを依然として非常に高く想定している幸せな旧世代であろう。
街へ行って若い連中の話を横で聞いててみ。
>97 ぐらい全くフツーだろぅ。
昔はちょっと教養があると言われるには、「純粋理性批判」の一冊や二冊読んでて当たり前だったが、
今はそーゆー堅いものは誰も読まんだろ。マルチメディアの時代だしな。
てことで、論理的構成力が衰えていくのは当然。また文体もそれを反映して個々の文たちの結びつきが
ルーズになってきているのだと思う。
144 :
日本@名無史さん:02/08/19 02:24
足利義持は名君ということでよろしいか?
145 :
日本@名無史さん:02/08/19 02:26
よろしい
146 :
日本@名無史さん:02/08/19 07:33
>>26がいいこと言った。
朝鮮が盾になっていたんだね、きっと。
147 :
日本@名無史さん:02/08/19 08:30
水城による水浸し作戦が実行されたことはあるのでしょうか?
元に対してはなぜ実行しなかったのでしょうか?
148 :
日本@名無史さん:02/08/19 12:59
結論
日本こそが本当の中国ということでOK?
だな、中国が、混血したということで。
天皇陛下の威光によってであります。
151 :
日本@名無史さん:02/08/19 20:42
攻めても利益もうまみも見合わない。
>だな、中国が、混血したということで。
意味不明。中国ほど混血が進んでる国は無いと思うが。
153 :
日本@名無史さん:02/08/19 22:12
中国が日本を侵略しなかったのは、価値観の問題だと思うね。
中国人って、朝鮮を占領せず、かといって南方にも進出せずにいるから、
あまり異民族の征服には興味ないみたいだね。
持ってる土地が十分に豊かで広大だいなうえに、自分たち中国人が一番、
人口が多いからかもね。
誰かがつっこむ前に言っておくけど、日本を攻めたのはモンゴル人。
>152
gm遺伝子上の、南方の進入ということだ。チベットを孤立させた。
155 :
日本@名無史さん:02/08/19 23:32
>誰かがつっこむ前に言っておくけど、日本を攻めたのはモンゴル人。
教科書比較でやったが、中国の歴史教科書ではモンゴル人は「兄弟民族」
みたいな表現になってるようですな。(オリジナルは読んでない)
先ずは中国史を勉強する事だな。
そこに、皇帝の成すべき事が書いてあるから。
まあ簡単に言うとだ、
1.匈奴等の夷敵を排除すること。
2.黄河の治水。
3.西方への領土拡大。
皇帝というのは、この3つのことを行うことを民衆から求められているといって良い。
はっきり言えば、近代は別として、中国にとって日本などどうでも良い国なんだよ。
中国独特の政治思想によって国が治められてきた事に気付け。
あと、元寇で攻めてきたのはモンゴルの為政者と言う事は指摘しておく。
あと、世界地図を開いてみな。
中国の東に何があって、北に何があって、南に何があって、西に何があるかと言う事だ。
そうすれば、>>1でさえ、領土拡大が何を意味するのか分かるだろう。
歴史的大局観と言う物を身に付けなさい。
158 :
日本@名無史さん:02/08/20 07:15
>>157 それは、中国にとって西が一番おいしくて、東(や北)は意味がない、
ということですか?
すいませんね、歴史的大局観と言う物が身に付いていないもので。
159 :
日本@名無史さん:02/08/20 09:40
>>157 現在の俺達が地図イメージして感じる様な事は古代中国では感じられんだろうが。
地球が丸く、日本の東は大海がずっと続いているというのは近代の感覚だよ。
古代中国人はそこまで知らないって。
天竺とかなんとなく程度だろ。西に大秦国があるのをしらせたのは誰だったっけ。
160 :
日本@名無史さん:02/08/20 09:45
あのさ、みんなにもあったでしょ、
>>157みたいな時期が。
始めて歴史を勉強して、本に書いてあったことを自説のように
満足げに話してた、あのころが。
まあ
>>157みたいなデムパ理論はどんな本にも書いてないだろうけど、
生暖かく見守ってあげようよ。
161 :
日本@名無史さん:02/08/20 10:22
今、いきなり思ったが、元も中国なんでは?
異民族が支配した王朝が中国でなかったら
金と清は完ぺきアウト。隋唐も血筋的には微妙だぞ。
ついでにどこまでが古代?
辛亥革命まで全部古代っすか(中国の見解らしい)?
今ふと思ったんだが、中国歴代王朝が結局朝鮮半島すら攻め落とす事ができ
なかったのは、秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮の後ろに明がいたのと同じで、
中国側から見て朝鮮の後ろに日本がいたからではないのか?
ニダの地は不毛だから、力を入れない。
165 :
日本@名無史さん:02/08/22 02:04
>あと、元寇で攻めてきたのはモンゴルの為政者と言う事は指摘しておく。
総指揮をとったのは漢人の武将ですが…まあ細かい突込みだけどね。
もう
>>156-157は恥ずかしくて出てこれないかな(ププ
刀伊の賊(女真人)来寇事件が1019年(寛仁三年)平安時代にあった。
南蛮の賊(西洋人ではない)が薩摩を侵した事件が1020年(寛仁四年)平安時代にあった。
シルクロードを通じて、西方の物資が運ばれてきただろが。
現在のタリム盆地が栄えてた時代に、中国はその西域を欲しがったんだよ。
シルクロードという大動脈が有ったのに、当時の為政者はそれを意識できなかったとでもいうのか?
繰り返し、繰り返し、中国の為政者が西域遠征を繰り返したという事実を考えろ。
シルクロードの東の端が中国だぞ。日本的世界観で語るのはやめろ。
誰も、当時の中国人が世界地図を見ながら考えたとは言っとらんだろうが。
西に何があって東に何があるかと言う事は当時の中国為政者は十分把握しておろうが。
俺が世界地図を開けといったのは、頭の中に簡単な地理観が存在していない奴がいるから見なさいと言ったまでだ。
世界地図を見たときに、シルクロードや西域が思い浮かばないようなヴォケは逝ってよし。
各王朝が行った遠征を、年表と共に抜き出してみろ。
大規模な遠征がどの方向に繰り返されたのか分かるだろう。
バカに言っとくが、古代、中国と日本の間にシルクロードレヴェルの流通が存在していたら中国も日本の制圧を真剣に考えただろう。
そういう意味で、西と東の意味を考えろ。
大体、世界地図も見ずに世界史を語ろうとするんだから始末が悪い。
169 :
日本@名無史さん:02/08/26 04:33
バカ再来さらしあげ
170 :
日本@名無史さん:02/08/26 07:51
大型デムパの登場ですな。
久しぶりに見物しがいがありそうだ。
いきなりですけど何で昔の人は海の向こうに国があるのがわかったんですか?
当時の私でしたら海の向こうは海としか思えないないのですが。
700年代に海の向こうに中国があるなんてなんでわかったのでしょうか?
向こうから先に来たにしてもなぜ日本がここにあるとわかったのですか?
言葉はどういう風にやり取りしたのですか?教えて下さい。
172 :
日本@名無史さん:02/08/26 14:28
>>171 >いきなりですけど何で昔の人は海の向こうに国があるのがわかったんですか?
対馬まで行けば、向こうに陸地が見えますよ。
>700年代に海の向こうに中国があるなんてなんでわかったのでしょうか?
なぜ700年代という時期を出しているのですか?
その頃はすでに遣隋使・遣唐使を送っている時代です。また白村江の戦い
の実在を認めるなら、すでに海外での戦争も体験している時代ということ
になります。
173 :
日本@名無史さん:02/08/26 17:55
卑弥呼の時代から日本人は大陸に何かが住んでることは知っていましたよ。
174 :
ハワイ・マしー沖海鮮丼:02/08/26 18:17
なんかあんまり興味なかったみたいっすね。
海渡るのがメンドクサカッタノカモ
色々ありがとうございます。
その時期から大陸の存在もしっていたのですか?>173
ちなみに言葉の壁はあったのでしょうね。
176 :
日本@名無史さん:02/08/26 21:34
関係ないけど、伊豆半島から、伊豆七島がはっきりと見えるんだね。
対馬からの朝鮮半島とか、稚内からの樺太もそんな感じですか。
173さんではありませんが、おそらく卑弥呼の時代には大陸に
文化があることは理解してるはず。
股関節の左右がs
つーか日本人の源流の一つが中国の江南地域なのだから、祖先が住んでいた
土地の事は知ってたでそ。
つーか紀元前から丸木船に乗って大陸や半島とは頻繁に行き来してたでそ。
公式の記録に残ってないっつーだけで、交流の密度、頻度が以外に高かったでそ。
>交流の密度、頻度が以外に高かったでそ。
ミスタイプでそ。
交流の頻度・密度は意外に高かったでそ。に訂正するでそ。
鬱だ死のうでそ。
あんまり、海を境界として、考えるな、何故縄文が成立したのか?
182 :
日本@名無史さん:02/08/26 22:50
「日本の歴史 第0巻」に日本海は内海説やってるね。
富山を中心にマップを作ると、確かに日本は大陸に近い、ちゅうか一部。
>>168 古代中国人は正確な太平洋側の地図を持っていたのか??
184 :
日本@名無史さん:02/08/27 00:20
兵站の問題からいって、不可能。
よって論外。
185 :
日本@名無史さん :02/08/27 08:06
>>171 >当時の私でしたら
・・・八百比丘尼でつか?
>>182 海保だったか海自だったかはさかさまの日本地図を使っているそうだが、
その地図を半島から見るとみるとまさに内海だったよ。韓国、北朝鮮が
日本の地勢的意味がよくわかる。
中国各王朝の政策軸
1.匈奴等の夷敵の排除。
2.黄河等の河川の治水。
3.西域への領土拡大。
中国史を学ぶときは、この3つを軸に学べや。
そして、1、2、3によって国が疲弊し、王朝が滅んでいったのも学べや。
なぜ中国が西域にこだわったのかも学べや。
西域に砂漠しか思い浮かばない奴は逝ってよし。
西域とか、シルクロード、オリエント、ローマ帝国等の関係が分からないヴォケは世界地図でも見ながら勉強しなさい。
188 :
日本@名無史さん:02/08/29 05:07
激しく言いにくいのですが、
シルクロード交易は不確定、不規則なコミュニケーションのため
元代などを除いてあまり利益は無かったと聞きますが。
西域方面への拡大は主に安全保障とそれにかかわる要路の
確保が目的だったわけで。ここに居るデムパさん、
唐代の都護府の位置をご自慢の世界地図で確認してみてください。
大抵の王朝は西域の諸国家と戦争していますが、占領、領土拡大につながったのは
わずかで実際は協力した民族を認めて友好関係を築き、冊封体制に組み込む解決が
7,8割だったわけで。
ひとつ質問ですが、実際にオリエント、ローマと中国の西方政策がどのような外交的鞘当を
繰り返してきたのか、後学のため教えてもらえませんか?
タラス河畔のような遭遇戦ではなく、大秦王安敦の使者のように、
明確に中国を目指したわけでもなく到着してしまったなんちゃって使節でもなく。
189 :
日本@名無史さん:02/08/29 23:14
>>187には、「3.西域への領土拡大。」について説明してもらいたい。
190 :
日本@名無史さん:02/08/30 00:11
交易での利益がほしかったら西域よりマラッカ海峡の方を取ってると思うんだが・・・
>>187 偉そうに世界史の大風呂敷広げている割には、説明できるほどの学力がない
やっちゃと思われ(w
多少は教えてやれよ。(w てか、他にもまともに歴史知ってるヤツがいるのか、
ここは。いい加減なスレ違い議論が繰返されているだけのようだが。
答えとしては確かに
>>26が正解。隋は高句麗遠征に2度も失敗して国内の反乱を招いて
いるし、唐も初めは新羅と結んで半島進出を覗ったが、結局は高句麗滅亡後、統一を
達成した新羅に撃退されている。この時期唐は武后・イ后の禍で政権が乱れているし、
以降においても内乱等があって、外征できるほど国内は安定していない。700年代には
タラス河畔でイスラムに敗れているし、ウイグルや吐蕃に台頭を許しているし。とても
日本に手を伸ばすほどの余裕はありませんでした。いじょう。
192 :
日本@名無史さん:02/08/30 02:36
たぶん187は井上靖か田中芳樹でも読んで歴史に興味をもったばかりの
高校生と思われ…
あんまり虐めるなよ(w
193 :
日本@名無史さん:02/08/30 03:42
読まずにレスするが、タイ・ビルマ・マレー・フィリピン・ボルネオ等に
侵攻してないのと同じ理由なんだろう
>>191 は、隋の時代についてのみの記述かと思われる。
古代中国という以上、(秦)漢〜唐の全体像を捕らえていない。
残念だが、この程度かこの板は。
そもそも、中国史を中国側の観点から捉えている記述が少ないねこのスレは。
いくつかのサイトを見てきたけど、やはり西域への領土の拡大政策は、前漢や唐の遠征を見れば明らか。
キミたちホントに中国史勉強してるの?
まさか隋の東征だけで古代中国史を語ろうとしてるわけじゃねえだろうな?
196 :
日本@名無史さん:02/08/30 14:59
>>195 >いくつかのサイトを見てきたけど、やはり西域への領土の拡大政策
>は、前漢や唐の遠征を見れば明らか。
その辺を詳しく教えてください。お願いします。
201 :
日本@名無史さん:02/08/30 17:51
おお〜。
匈奴は我らが信長みたいな奴らだったのね。
203 :
日本@名無史さん:02/08/30 17:58
>>200 大月氏は東西交易路を押さえてて豊かに生活できたから
むりに復讐戦を挑む必要がなかったんだよ。ていうか、
大月氏が繁栄してたって自分で書いてるのに、最後の分は余計だ。
ほんとは、ここに、年代ごとの遠征場所と、それに擁した大軍の数を書きたいんだけど、
なかなか見つからないね。それを見て各個人が独自に判断してくれるといいんだけど。
感覚的には、中国古代史は、ほとんど匈奴VS漢民族で埋まりそう。
>>203 そうだね。まあ、煽りも有りと言う事で。
206 :
日本@名無史さん:02/08/30 18:10
>>204 対匈奴の戦いは、多分に防衛上の必要性があり、
漢の対外的侵略性の証左として考えられない気がするが。
また西域への進出ももともとが対匈奴戦の同盟者さがし
が初めの動機という印象が濃いよね。
204さんはその辺をどう総括してるのかな?
また、古代中国が日本を攻めなかった理由はどう結論づける
のですか。スレッド内容に沿った話をよろしく。
>>203 あと、タリム盆地は、AC200年ぐらいまで、水の都だったそうだ。
タリム盆地自体が相当栄えていたらしいぞ。
ソースは前NHKでやってたけど。
最大都市で10万人だったそうだ(
>>200あたり)。
タリム盆地全体で考えたら、結構な人口が想像できる。
>>206 >>204の1行目ような議論の展開を考えています。
私としては、秦〜唐までを古代中国として考え、
詳細な遠征史(遠征場所+大軍の人数)を書き出し、
北(匈奴等)、西(西域)、南方(越等)、東方(高句麗等)
への遠征の規模、回数を比較して、いかに中国古代王朝が西に
こだわったかを明らかにしたい訳だが、まだ、具体的なデーターが無い。
西域への魅力は、張騫の具体的な報告文や、
征服後の貢物の詳細が分かれば良いのだが。
とりあえず史記を当たって見るか。
ホントは唐代ぐらいの西域と日本の朝貢を比べてみたいのだが、
漢文読めんし、資料も良く分からない。
各人調べてくれ。
210 :
日本@名無史さん:02/08/30 18:41
少々期待したのだがなあ。
後日ということで勘弁してくれ。
>>194、195、197
いや、だから何が聞きたいんだ?何故日本に手を出さなかったか、っちゅう話だろ?
なんで西域事情を掘り出してこなけりゃならんのじゃい。軽視しているとかいう問題
じゃなかろう。スレ違い、板違いだっつーの。
それよかわしの191程度ぐらいは、まずスッと書いてくれよな。(w
教科書を真に受けて思考してると、唐がえらい強大な国と勘違いするだろうが、実の
ところは軍事的にはそれほど強国ではなかったっちゅうことじゃ。もちろん統一を
果たしたことは偉業と認めるよ。文化的な業績も認める。だが対外政策においては消
極的というか、守勢色の方が強かったと思うぞ。西域に版図拡大したといってもシル
クロード確保したにすぎんからな。元の時代なんかとは質が全く違う。
>>208 秦〜唐までで可能性ある候補ならば後漢の成立時ぐらいかな。奴国の金印の件もあるし。
しかしこの時点では、まだ東方の事情っつーのがあんまり分かっていなかったからなあ。
結局は無理かも。
西域の話すんのはいいが、日本史板という事をお忘れなく。
でもまあ北方異民族といって、匈奴と大月氏しか上がってないところみると、受験生か
素人さんなんだろうねえ。(w
これほど真剣に議論をしてくれるなんて、
スレを立てた甲斐がありました。
ども。
214 :
日本@名無史さん:02/08/30 20:35
農耕民族である漢民族は何も生産できない海を極度に海を恐れた。
実際は、魅力がなかったからじゃない?
215 :
日本@名無史さん:02/09/02 01:18
2チャン風に言うと
東方アジアでベキン(旧名も含む)落してない民族は何処でしょう?
長安やら、洛陽やら、歴代の中華帝国の都の位置を見れば分かるだろう。
本質的に中華帝国は、大陸の内陸国家なんだよ。
219 :
日本@名無史さん:02/09/02 07:49
日本刀がおそれられ文化的にも超絶文明国と考えられてた
からかも。
書道で有名な欧陽修の歌あるじゃん。
海を越えて兵隊を出すのは大変だからさ
221 :
日本@名無史さん:02/09/04 16:46
日清戦争の数年前,親善(実際は威圧)にやってきた清国艦隊の提督が
「山の中腹まで耕さねば食っていけない貧乏国が我が大清帝國に楯突くなど笑止」
という報告をしてる。
実際日本の国土は80%が山だし,古代の中国人も同じような考えだったのでは?
「こんな国いらない」って。
中国人が喜びそうな物って日本には干しアワビぐらいしか無いし。
>>221 アホだな、その艦長も。
それぐらい国土の開発が進んでるって証拠だったのに。
しかもその時の清国船員らは日本人に乱暴狼藉をはたらいていったそうだな。
「かわいそうな中国人」のイメージがいかに間違ってるか分かるよ。
連中の勘違いした傲慢さはそれからすぐ日本人に懲らしめられる事となりましたw
http://www.fourmilab.ch/cgi-bin/uncgi/Earth 人工衛星の画像によるアジア。
夜の画像の人は、時間を6時ぐらいに合わせてみよう。
四川盆地もでかいが、タリム盆地も華北平原以上にでかい。
漢の武帝が西域遠征をしたとたんに、西域からの朝貢が相次いだと言う。
AC200年ぐらいまでは、タリム盆地は湿潤な気候で、水の都だったらしい。
まあ、平野の規模で比べるのもなんだが、中国にとって、朝鮮半島や日本の意味と言うのをこの画像を見て考え直したら良い。
上のリンクで、
Time:UTCを6時ぐらいに。
Image Size:1000pixぐらいに。
あとは、中国のあたりを選択すればよい。
ちなみに、中国の古代王朝が都とした長安(漢)は四川盆地の北方の、狭い三日月形をした盆地。
洛陽は華北平原の出口あたり。
そこを中心として考えれば、朝鮮半島の距離すら、西域とほぼ等しい。
正直言えば、長安周辺の狭い盆地ですら、日本全国の平野の規模を上回ると言うのに。
さらに言うなら、広大な湿潤な盆地が西域に広がり、おびただしい朝貢の数々。珍しい鉱物資源や、名馬等。
西域の繁栄振りは、張騫の武帝への報告で明らか。
シルクロードの開発により、交易路も開けた。
古代中国にとって、土地として、交易として、文明のレベルとして、戦略上、どこを攻め取るのかが、適切に判断できないような奴は中国の皇帝にはなれないと言える。
226 :
日本@名無史さん:02/09/05 04:31
周以降の歴代の漢人の王朝は、いわゆる「覇道」を邪とした。
朝貢してくる国をあえて武で征服する必要性を感じなかった。
227 :
日本@名無史さん:02/09/05 10:32
>222
親善に来た清国艦隊は日本の軍人や政府高官を旗艦に招いた。
ところが砲塔に洗濯物ぶらさげるは甲板にゴミ散らかすはひどい状態。
ある海軍の高官は,すごい軍艦だがそれを操る人間は恐れるに足らず
と,清の軍紀の緩みを見抜いたんだとか。
スレ違いすまそ。
228 :
日本@名無史さん:02/09/05 11:29
漢人のあこがれは
崑崙>>>>扶桑
ということでしょうか。
なんやかんやいって
今の中国嫌いだけど
昔の中国は、好きなんだよな。
日本の文化のルーツって中国が多いし。
なんでもかんでもウリナラ起源って必死に噴いてる某国とは器が違うよな。
中国も台湾くらいに、政策的にも、対日感情も和らいでくれればなぁ。
230 :
日本@名無史さん:02/09/05 22:10
元寇で攻めて来たのは、主に蒙古に服属した高麗と南宋の軍隊。
蒙古族は将校クラスがほとんど。
231 :
日本@名無史さん:02/09/05 22:16
>>230
支配者モンゴル人にとっては痛くも痒くもなかったんだろうな。
漢人、朝鮮人の血がいくらながれようとダメモトで日本を占領できりゃ
いいやって感じ。まかりまちがって、日本が何の役にも立たない国
だと後でわかっても失うものはないし、って乗りだな、きっと。
同族が攻めていく前提の古代中国では、犠牲が多そうなのに、利益
があるかどうかわからん戦いに船を出す馬鹿はいなかったてこと
だよね。
232 :
日本@名無史さん:02/09/05 22:48
血の気の多い漢人を海の向こうに送って始末できて、一挙両得ウマーとか。
それに比べ、匈奴が攻めてきて本土決戦のありの状態で味方の戦力を海の藻屑にはしたくないよな。
233 :
日本@名無史さん:02/09/07 00:18
まあ、現代で言えば日本におけるタイとかあっちらへんに対する感覚に近いのかもね。
こう言ってはなんだけど、あまり興味なしだからね、、、先進国にとっては。
日本海があって面倒くさかったから
235 :
日本@名無史さん:02/09/07 00:36
>>233 確かに余程の馬鹿でない限り出兵しないだろ。
236 :
日本@名無史さん:02/09/07 00:39
そういう0.3秒考えればわかりそうなことに
ああでもない、こうでもない、言ってるこのスレの連中って
いったい何物。
237 :
日本@名無史さん:02/09/07 00:39
>>234 それガイシュツ。
239 :
日本@名無史さん:02/09/07 02:10
同じこと書いたやつはすでにおるぞ。ゴラァっていう意味だ。(わら
何か難しいか?(わら
240 :
日本@名無史さん:02/09/07 04:50
241 :
日本@名無史さん:02/09/07 04:59
242 :
日本@名無史さん:02/09/07 18:17
後周の『義楚六帖』巻二十一・国城州市部四三
に書かれている、
「彼の国古今侵奪する者なく、竜神報護す」
っていう、日本対する知識(思いこみ?)も大きかったかも。
243 :
日本@名無史さん:02/09/07 19:16
それって、「東の国」と「風水上の東の守り神蒼龍」という連想から来た
だけなのでは。なんかそれ以外に根拠はあるのだろうか。
244 :
日本@名無史さん:02/09/11 17:05
AGE
245 :
世界@名無史さん:02/09/11 17:24
>>242 あと、五代十国時代に呉越国(902?〜978)が
日本に「朝貢」したって言う事も関係しているのかも・・・
246 :
日本@名無史さん:02/09/11 18:43
阿倍仲麻呂って、あちらでは実際どれくらいの評価だったんだろう?
247 :
日本@名無史さん:02/09/12 15:12
248 :
日本@名無史さん:02/09/14 03:59
ほんとダYO
>>246 司経校書、左拾遺、左補闕、儀王友、衛尉少卿、秘書監兼衛尉卿を経て
左散騎常時・鎮南都護で、李白・王維と交際してんだぞ。
大したもんだよ。路(さんずい有り)州大都督を追贈され
日本でも正二位を贈った。
惜しい人材をとられたもんだ。
それと同時にさすが大帝国唐ってのも大したもんだな。
倭人を斯様に遇するとは。
>>245 何でもかんでも聞くまえに自分で調べなよ。
年表の945・947・953・957あたりに載ってるよ。
250 :
日本@名無史さん:02/09/14 10:35
>>249 そんなの君信じてんの?って意味だったのだが。
251 :
日本@名無史さん:02/09/15 00:12
大和中心で考えてるとなかなか真実は見えないよね。
現実には、中国から見たら”倭”扱いなわけだから。
252 :
日本@名無史さん:02/09/15 01:34
近代にいたるまで「日本」はなぜ、北海道を領有しようとしなかった??
という問いとおなじような気がするね
253 :
日本@名無史さん:02/09/15 01:38
辺境の島は相手にする必要も無いのだよ。
鎖国論などというものも日本人の一歩的な思い込み。
254 :
日本@名無史さん:02/09/30 01:30
いや、中国側の皇帝が遺言で、日本を攻めるべからずと残している。
もしも取るに足らないならば、こんなことをわざわざ言わない。
255 :
日本@名無史さん:02/10/11 20:17
鮮卑族である隋も唐も、倭と同じく周辺の蛮族の出だったため。
逆にいうと、倭からみれば、同じく周辺の蛮族相手なので、対等外交を試みた。
256 :
美麗島の名無桑:02/10/11 20:23
>252そりゃぜんぜん違うだろ。
北海道を領有しようとしなかったのは気候が寒冷ですみにくいから。
ところが、他の地域は世界でこれ以上無いというくらいあらゆる面で
恵まれている。神懸り的な歴史・・
257 :
日本@名無史さん:02/10/11 20:44
元寇のとき、船が沈んだのは、その船を造った朝鮮の人たちが
わざと沈むように仕組んでたからだという事です。
決して神風なんかではないんですよね実は。
258 :
日本@名無史さん:02/10/11 22:44
>257
じゃあ、陸上戦追っ払ったのはどう説明するのちょんくん。
手抜きしてわざと死んだの?ありがたいね(W
259 :
日本@名無史さん:02/10/11 23:15
>>257 おまえ馬鹿かw
数の上では主力は高麗兵だぞ
わざと自沈仕組むなんて事は、腐れ鮮人の捏造で、
蒙古の手先として思いっきり攻めてきている!
260 :
日本@名無史さん:02/10/12 08:28
>>258-259 正式には船を造ったのは現韓国の済州島ね。
ワザと船が壊れやすいように手を抜いたのは本当ですよ。
一時的に蒙古に臣従してからも民衆まで服従したわけではないんですね高麗は。
元軍が長い間ヴェトナムや日本を攻められなかったのは
高麗や中国が長い間蒙古の侵略に徹底抗戦してたからですよ。
要するに元軍の撃退はヴェトナムや日本単独では成し得なかったという事です。
もう少し当時の国際情勢を勉強しましょう。
そうすれば神風に頼る間抜けな民族から脱することが出来るはずです。
261 :
日本@名無史さん:02/10/12 13:31
>>260 > ワザと船が壊れやすいように手を抜いたのは本当ですよ。
その主張の根拠は? なにかの記録に残っているんですか?
彼の国の主張の傾向を知っている人にとっては、「またねつ造か!」
という気持ちになりやすいので、根拠を具体的に教えて下さい。
というか、短期間に大量に船を造れば粗製濫造にもなるだろうし、
台風で船が沈んだって恥ずかしい事じゃないんんだから、素直な
気持ちで受け止めればいいのに、なんでそんな見栄をはるのか・・・。
>元軍が長い間ヴェトナムや日本を攻められなかったのは
>高麗や中国が長い間蒙古の侵略に徹底抗戦してたからですよ。
日本には2度も攻めてきたし、東南アジアにも元は遠征しています。
全て失敗だったんですけどね。高麗はあっさりと元に征服された
「貴重な」国です。というか、国としては元に完全に臣従していて、
日本侵略を積極的にそそのかしておきながら、「徹底抗戦」って・・・・(w
>要するに元軍の撃退はヴェトナムや日本単独では成し得なかったという事です。
>もう少し当時の国際情勢を勉強しましょう。
>そうすれば神風に頼る間抜けな民族から脱することが出来るはずです。
元軍の海外遠征の成績を素直に見つめましょう。
歴史を客観的に見つめる心を持たないマヌケな民族に比べると、遙かにマシ、
ということです。
262 :
日本@名無史さん:02/10/12 13:41
>>261 >その主張の根拠は?
世界不思議発見と思われる。先週ちょうど済州島やってた。
板東英二がパーフェクト達成!
263 :
日本@名無史さん:02/10/12 14:11
>>261に言われたからじゃないけど、どうせチョソの歴史捏造でしょ?
それをまともに受け取ると
壊れやすく造った→日本助かった→恩のあるチョソに対し(以下略)
ってな感じになるんだと思う。
264 :
日本@名無史さん:02/10/12 17:14
>>261 済州島にちゃんと残ってますよ。
わざとすぐに沈む船を造ったのは事実のようです。
攻められてもないのに鎌倉幕府って元寇が原因で潰れちゃったんだよな・・・
265 :
日本@名無史さん:02/10/12 17:32
>>264 > 済州島にちゃんと残ってますよ。
何が残っているんですか?
文書? 伝承? 石碑?
それと、記録名と中身を引用してくれませんか?
266 :
日本@名無史さん:02/10/12 18:22
>>265 ま、おちつけ。
高麗が船作りをサボタージュしてたのは、ほぼ事実。
高麗王(使者?)が元の皇帝に無理ですと言いに行ってる。
わざと沈むようにと言うより、突貫工事と手抜き工事でそうなった。
別に韓国側はその事を恩に着せてないよ。
一方、鎌倉武士団が1281年の2度目の元寇のときに奮戦したのも事実。
一度目は元の引き上げで九死に一生を得たが、
2度目は良く戦った。
ただ、神風・神国意識は、後世に禍根を残したね。
あれは、天皇家や寺社勢力の武士への対抗コマーシャルだったんだけどね。
3度目の元寇は、高麗やベトナムの不穏な動向から中止となった。
特にベトナムの抵抗は根強かったようだ。
267 :
日本@名無史さん:02/10/12 19:16
>>266 > ま、おちつけ。
本人はいたって落ち着いているつもりです。(笑)
> 高麗が船作りをサボタージュしてたのは、ほぼ事実。
> わざと沈むようにと言うより、突貫工事と手抜き工事でそうなった。
> 別に韓国側はその事を恩に着せてないよ。
だから、「残っている」と言われている記録を紹介して欲しいだけなんです。
何があなたに「ほぼ事実」と言わせているんですか?
単に主観的な、或いは常識的な考えでは、私も
>というか、短期間に大量に船を造れば粗製濫造にもなるだろうし、
と言ってます。でも、それに反したり、補足したりする記録が有るのだったら
知りたいだけです。より真実に近いことが知りたいんです。
> 高麗王(使者?)が元の皇帝に無理ですと言いに行ってる。
日本三征に関してそれを言ったのは中国人です。
日本三征に関する高麗の考え方に関しては、
『元史』巻一二・世祖本紀 至元十九年七月条に、
「高麗国王、自ら船一百五十艘を造り征日本を助けんことを請う」
と出ています。史書を見る限り、やる気満々でした。
文永の役は1274年
弘安の役は1281年
至元十九年は1282年
いいじゃん高麗が抵抗したから日本は
かろうじて首がつながった、それでOK
韓、日の友好関係にもそれが事実ってことでいいよ。
当時世界で最も劣ってたであろう日本じゃ元が本気で
攻めりゃハナクソみたにふっとんでただろどうせ。
269 :
日本@名無史さん:02/10/12 19:26
主力の一つである自国民の乗る船を粗悪品にするなんて・・・むちゃくちゃですね。
270 :
日本@名無史さん:02/10/12 19:38
頭隠してエラ隠さず->268 ”半島と組むとあぼ〜ん”の法則のおかげです
271 :
日本@名無史さん:02/10/12 19:39
>>269 中国側は「高麗の国民が船を粗悪に作った」と主張し、
韓国側は「旧南宋の国民が船を粗悪に作った」と主張。
272 :
日本@名無史さん:02/10/12 20:49
韓国の厨房は「ウリナラのおかげで日本は助かったニダ!」と主張
273 :
日本@名無史さん:02/10/12 22:08
>>267 >> 高麗王(使者?)が元の皇帝に無理ですと言いに行ってる。
>日本三征に関してそれを言ったのは中国人です。
あ、誤解。
高麗王が無理だって言ったのはね、弘安の役の前だよ。
司馬の本か何かにのってた。
この話題のポイントは、3回目の元寇がなぜ来なかったかと言う点かい?
んなら、一般にはベトナムの抵抗かな。
征服される前は、高麗はわりと激しく元に抵抗してたよ。
274 :
日本@名無史さん:02/10/12 22:14
崔氏武臣政権の時代にモンゴルの侵入。
高麗は都を江華島に移し、抗戦。
江華島戦中に崔氏政権が崩れ、高麗政府は都を開京へ。
対モンゴル抵抗戦争の最も盛んだった三別抄が粘るが失敗。
これ以来、高麗は元の圧力を受ける。
元の勢いの弱まったコンミンワンの代に北進。
275 :
日本@名無史さん:02/10/12 22:19
隋・唐・元・明・清と、朝鮮半島が緩衝地帯になってくれたおかげで
支配されずに済んだように感じる。
朝鮮半島は、日本に向けられた刃でなく、日本を守ってくれた懐刀で
ないかな。
中国には東方伝説があって、
東の島国の倭や日本には、憧れめいたユートピア的印象があった。
金を日本は良く持って行ったしね。
中華権威に対する多少の無礼を大目に見てもらった模様。
また、東方のあの国が何かやってるよって感じかな。
日本は韓国に感謝して謝罪しる!!!
277 :
日本@名無史さん:02/10/12 23:09
((((;゚Д゚)))ガクガク
ってか、島国っつーのも支配を受けなかった要因の一つでしょうよ。
元寇に関して、ベトナムとか日本は東洋の中心に近い国々の抵抗のおかげで助かったという事だね。
その後の日本の失態はそれが理解できてなかったからだと思うのです。
神風なんか存在しないのですよ。
280 :
日本@名無史さん:02/10/13 01:17
>>257 で、「ワザと船が壊れやすいように手を抜いた」のソースは?
確かに大戦では世界に恥さらしたな日本は。
風に頼った弊害でしょ(w
282 :
日本@名無史さん:02/10/13 01:29
結局妄想かよ…
283 :
日本@名無史さん:02/10/13 01:50
元寇で盛り上がってるが
>元寇は中国ではなく、モンゴル人だったし、
>隋、唐はなんで日本を支配しようとしなかったの??
とこれはいかに?隋唐も鮮卑なんだが…
そもそも元が中国でないというのはどういう意味?
じゃあ清は中国じゃないんですかい?
284 :
日本@名無史さん:02/10/13 01:58
隋も唐も元も清も支配層は漢民族ではないけど、国としては中国です。
中国は漢民族のものでもないし、漢民族の国でもないです。
漢民族は単に人数が多いだけで、構成要素の一つ。
285 :
日本@名無史さん:02/10/13 02:32
唐までは
漢文化>北方
という観念が北方民族・王朝にもあったけど
宋以降は
漢文化<北方
が確固たるものになって、それ以降北方の優位は近代までほとんど
揺るがなかったから、「構成要素としての漢(民族、文化)」の
意味は、宋を境に全く変わっていると思う
286 :
日本@名無史さん:02/10/13 02:47
>>273 > あ、誤解。
> 高麗王が無理だって言ったのはね、弘安の役の前だよ。
> 司馬の本か何かにのってた。
1回目と(実際にはなかった)3回目は積極的だったのに、
2回目だけは無理って言ったって事ですか?
あなたが言っているだけではちょっと信用できませんね。
司馬って言うのは、司馬遼太郎のこと?
小説とか紀行文の類がソースなんですか?
287 :
日本@名無史さん:02/10/13 03:54
>朝鮮半島は、日本に向けられた刃でなく、日本を守ってくれた懐刀で
ないかな。
ワラタ。こういう事いう奴マジでいるんだなw
つーか攻める目的がないだろ。中国には。耕す土地が欲しいだけならシナ大陸にいくらでもあるし。
満州もそうだが野っ原だらけだったわけだし。
現在でも中国は原野そのままのところが幾らでもある低開発国だぞ。
中国は自国を隈なく開発できる国力もないのに、わざわざ日本を攻めて土地獲得したって無駄なだけ。
ローマ帝国のハドリアヌス帝だってトラヤヌスがメソポタミア辺りまで征服して最大版図を達成してたのに、
東方領土は長大過ぎて維持不可能、って自発的に放棄してるぐらいなんだし。
こっちには広大な日本海まであるのにそれを挟んで国を拡大しようとするほどバカじゃないだろう。
モンゴルみたいにコストを度外視した征服欲でもない限りは。
>>268 :日本@名無史さん :02/10/12 19:25
いいじゃん高麗が抵抗したから日本は
かろうじて首がつながった、それでOK
韓、日の友好関係にもそれが事実ってことでいいよ。
「高麗が船の手抜き工事をした」事のソースを出せと言ったら、
日本人語って誤魔化しますかw
流石朝鮮人、嘘と捏造のスキルが高いなあ。
ちなみに、不思議ハケーンでの、↑のソースは、
「絵」でした。しかも、現代絵画っぽかった気がする。
あの番組、「世界不思議な捏造発見」に名前変えろよ。
290 :
日本@名無史さん:02/10/13 06:38
>>288 フビライもその辺の所は理解していたようで、第2回目の元寇
(弘安の役)の直前に次のように言ったと『元史』日本伝に書かれています。
「(前略)朕、聞く、漢人の言に、『人の家国を取るには、百姓・土地を
得んことを欲す』と。もし尽く百姓を殺さば、徒に地を得るとも何の
用かあらん。また一事あり、朕実にこれを憂う、おそらくは卿が輩
和せざらんのみ。(後略)」
1回目の元寇(文永の役)の様子は、
「官軍整わず、また矢尽き、ただ四境を虜掠して帰る」
という簡単な記述しか有りませんが、恐らくフビライはもっと詳しい実態
(=虐殺)を知っていて、2回目の前に釘をさしておいたのでしょう。
元も中国人も、土地が欲しくて外国を攻めた訳ではなく、人を
支配下に置くことが主目的だったと思います。
人がいれば権益が発生し、それを手中にできる、という訳です。
291 :
日本@名無史さん:02/10/13 09:28
海が脅威だったんだろ。それまで河でしか戦わなかったんだから。
292 :
日本@名無史さん:02/10/13 10:18
違うでしょ。
中国は中原、中華という言葉からもわかるように、漢民族にとっては
あそこが世界の中心であり、わざわざ辺境の日本なんか攻めてもしょうがない。
漢民族系の王朝は、異民族から中原を守るために南北西域を攻撃したことは
あっても、わざわざ領土を広げたり人を獲得するために辺境になんか行きません。
ひとたび統一王朝の皇帝となれば辺境になんか目をむけないし、軍事力を
持ったが皇帝ではない人間は、辺境なんかより中原の覇者をめざします。
293 :
日本@名無史さん:02/10/13 10:30
そもそも
>>1は自分が日本人であるがゆえに日本の価値を高く見ているのだろうけど
それは身びいきに過ぎません。
中国から見れば仙人の国、黄金の国といった興味はあっても、大して価値の
ある国としては見ていません。
漢倭奴国王の金印や秀吉に「日本国王に封じる」と言ったことからも分かる
ように、中国からしてみれば中国に従う辺境の小国に過ぎません。
そのほかにも、朱印船のように決まった数量限定の印をもつ者にしか
貿易を認めなかったし、秀吉に対して「(属国として)貢物を持ってくるのは
認めるが貿易は認めない」と言ったことからも、日本に侵略するほどの価値が
あるとは認めていなかったのですよ。
294 :
日本@名無史さん:02/10/13 11:08
>>293 あほか
侵略する価値ってなんだ?
中国人が日本を「仙人の国」、「黄金の国」と見ていたのなら、価値は
有るじゃないか。
臣下の礼をとって言うことを聞いている国に対しては侵略する必要が
ないだけだろうが。
元だって最初から日本侵攻をするつもりでいたわけではない。
高麗人の提案から文永の役まで約9年あいている。その間に何度も
使者を日本に送ってが、日本が臣下の礼をとらなかったから
侵略してきたんだ。
295 :
日本@名無史さん:02/10/13 11:21
296 :
日本@名無史さん:02/10/13 12:16
>>287 :日本@名無史さん :02/10/13 03:54
>>朝鮮半島は、日本に向けられた刃でなく、日本を守ってくれた懐刀でないかな。
>ワラタ。こういう事いう奴マジでいるんだなw
ワラタ。理解できないんだな。w
297 :
日本@名無史さん:02/10/13 12:59
>>292 漢民族系の王朝ってどれですか?
隋も唐も元も遼も金も清も、漢民族系の王朝ではないですが。
298 :
日本@名無史さん:02/10/13 13:03
金方慶は「我が軍は混合軍でありながら、度々勝利を得たのは、 みな一致協力して決死の覚悟で戦ったからであります。
いま、この英気の緩まぬうちに、さらに激しく攻めたてて勝敗を決め、進んで九州全土を制圧して根拠地とするならば、一挙にこの国を征服することは容易であります。
しかし、この機を逸すると、再び日本を手に入れることは出来ません。すでに敵地にあり、一刻の猶予もならないと考えます。
日本を攻めろと盛んに炊きつけてるわけだ。
いやー危険極まりない懐刀だなw
299 :
日本@名無史さん:02/10/13 13:03
>>296 デムパを理解できる人は少ないので解説してくれ。
国を挙げて日本侵攻に協力しておいて、なんで懐刀なの?
300 :
電波@名無史さん:02/10/13 14:02
>>299 清が1636年に朝鮮を下したあと、朝鮮が何度もひそかに日本に援軍を求めたってことと
勘違いしているんじゃないか?と言ってみる罠
これ以上の解読(裏読み)は当方不可能。
301 :
日本@名無史さん:02/10/13 14:11
元寇以外のときに、日本にむけられた刀であったことはなかった。
逆に、半島が歴代中国と戦ってくれたおかげで日本は侵攻を受けずに済んだ。
秀吉・近現代と半島は日本の大陸への侵入路となっていった。
との、逆説的表現ダヨン。
302 :
日本@名無史さん:02/10/13 14:30
>>301 いや、清は朝鮮に何度も日本が清に朝貢するよう促しているし、
島原の乱が勃発した時、清はどうも日本に兵を出すような動きが
見えるんだよね。(「大宗実録」とか)
あと、台湾平定後(1683年)にも同様の行動が見られるよ。
もっとも、清がロシアやジュンガルとの抗争で立ち消えになっているけどね。
303 :
日本@名無史さん:02/10/13 14:50
その朝貢要求をのらりくらりとかわしたのが良かったかな?
朝鮮も少し上手くやってくれたようだし。
日本は東方伝説でちょっとのびのびさせてもらってたよね。
オランダが砲撃してたな>島原の乱
304 :
日本@名無史さん:02/10/13 15:05
>>294 勘違いしてるんじゃないか?
>中国人が日本を「仙人の国」、「黄金の国」と見ていたのなら、価値は
>有るじゃないか。
始皇帝のような仙人マニアは別として、中華の人は野蛮な辺境国に大して
興味はないと思われ。
>>293の言うように身びいきに過ぎない。
今でこそ大国のひとつだが、当時は侵略する価値がない田舎者にすぎないでしょ。
>元だって最初から日本侵攻をするつもりでいたわけではない。
>>293は漢民族の中華思想の話をしているのですよ?
元はモンゴルの膨張侵略主義をもとにした国家で、漢民族の中華思想に同化して
騎馬民族の荒々しさを失うのは、はるか先のこと。
306 :
日本@名無史さん:02/10/13 19:05
>>305 > 勘違いしてるんじゃないか?
そうなのか?
> >中国人が日本を「仙人の国」、「黄金の国」と見ていたのなら、価値は
> >有るじゃないか。
> 始皇帝のような仙人マニアは別として、中華の人は野蛮な辺境国に大して
> 興味はないと思われ。
>
>>293の言うように身びいきに過ぎない。
> 今でこそ大国のひとつだが、当時は侵略する価値がない田舎者にすぎないでしょ。
中国の歴代皇帝は辺境にも興味を持ち続けていたよ。未開の外藩を撫慰し、儒教によって徳化する事が皇帝(天子)の
すばらしさを示すことになると考えられていたわけだから。まさに中華思想の基本。だから東西南北の外夷に使者を送って
「異俗を求訪」させたわけだ。
で、あなたの言う「侵略する価値」って何なの?
> >元だって最初から日本侵攻をするつもりでいたわけではない。
>
>>293は漢民族の中華思想の話をしているのですよ?
中華思想を持った漢民族にとって「侵略する価値がない」ってどういうことなのよ。「中国に従う辺境の小国」なら、価値云々の前に、
必要が無いじゃないか。だいたい、
>>293では漢民族ではなくて中国と書いてある。中華思想なんて漢民族でなくても持っていたん
だから、漢民族限定だったら明確に書きなよ。というか、今になって漢民族に限定する意味がわからないんだけどね。
過去の発言の意味を変えようとしているのか?
> 元はモンゴルの膨張侵略主義をもとにした国家で、漢民族の中華思想に同化して
> 騎馬民族の荒々しさを失うのは、はるか先のこと。
『元史』日本伝や「蒙古国牒状」を読んでみてよ。元寇の前には中華思想そのまんまの事を言っている。
307 :
日本@名無史さん:02/10/13 22:56
>>306 一次資料を読むには力不足のようですね。
誰かの解説書をまず先に読むことをオススメします。
308 :
日本@名無史さん:02/10/13 22:58
309 :
日本@名無史さん:02/10/13 23:27
倭が魏に朝貢したので、魏の敵=呉が、倭に攻めようとしてた。
唐津から呉が攻めて来そうだったので、吉野ヶ里要塞をつくったけど、結局来なかった。
白村江の敗北後、倭は唐の進駐軍2000人に占領されたけど、これも攻めたといえると思う。
皇太子の薩耶麻を捕虜にしたしね。
漢民族はもともとシルクロードの敦煌の奥地からやってきて、黄河を下って定着したので、
海岸や島の領土占領に関心がなかったんだが、南方の華南などにいた連中は、
先進文化をもっていて、さかんに航海してた。
が、この南方中国人はちゃんばら嫌いで「よそ者」とは仲良くしてた。
だから「侵略」しなかった。
三国の呉は、人口不足を補うため倭に攻め込み3000人を大陸に送りこんだが、
正規軍の1万人を病気で失い骨折り損と本で読んだよ。
311 :
謎を解きたい人間:02/10/14 00:37
吉野ヶ里遺跡は三国時代より二世紀もの以前の事、佐賀県の山奥だ。
でも貝の跡などがある。呉の侵入の備えに作るには無理があるね。(笑)
当時は佐賀平野もなく約二千年かけて、
海水が引いていって出来た平野だから三国時代は吉野ヶ里より、
南に集落は移動していると予想されているんだ。
そうだね大陸(漢民族)からの進行に備えるためにあったのなら、
大漢帝国時代ではないのかな?
312 :
謎を解きたい人間:02/10/14 01:20
そうそう中華の進行の可能性としてこんな事、読んだたことがあるよ。
始皇帝の命により、二度に渡り不老長寿の妙薬を求め徐福が、
二千人(ほとんどが非戦闘員)もの人々を連れて倭の国に着たとか。
当時の有明海に入り、山と山の間だったため、
山門(ヤマト)ともいっとか?(笑)
佐賀県大和町の更に奥にいくと金立という場所がある。
徐福の倭の国最初に降りた土地との言い伝えだね。
その後、さまざまに地に旅をして徐福伝説を残すことになるんだ。
もっとも単なる言い伝えだけどね。
でも始皇帝死後帝国は滅亡。
漢帝国が成立してしまった。
帰るべき国を失った徐福は漢帝国が攻めてくるのではと思い
九州よりはるか奥地の近畿後の三輪山に拠点を置き、
北部九州には砦を築き漢帝国の進行に備えたとかね。
もし後の邪馬台国北部九州と近畿論構図になった原因だったら滑稽だね。
だってどっちも元は一緒なんだから(笑)
でもこの歴史年表も確かな書物もない倭の時代。
何があったなんかさっぱりわかんない、
古事記なんかはさすがに信じられないしね。
でも神話は世界歴史上からもわかるように、
実話からアレンジして出来たもの常だから
何かモチーフになる人物がいたと思われるんだ
スサノオなどいい例かもね。出雲の最強騎馬軍団を率い
突如倭国を震撼させたこの男は
朝鮮からの流れ者だったとか・・・
現在の天皇は実は朝鮮系ではないかという歴史家のいる。
その倭国にのちに占領支配された朝鮮国は皮肉だけど
案外中華という大国よりもっと身近の朝鮮からの
脅威のほうがあったのかもね。
当時の倭の国は異民族がたくさん流れてきたとか、
おいおい半島に住んでた人=朝鮮人と勘違いしてないか?
スサノオは半島から帰ってきたんだろう。当時倭人は多数が半島に居住してたんだし、
白村江以前は百済、新羅も属国状態だったしな。新羅王室の祖先は倭人という説も強い。
百済の支配階級は扶余系だし、現在のいわゆる“朝鮮人”とは関係ないよw
王仁も華僑だしな。今みたいな民族国家があったと誤解いしてるだろ。
314 :
日本@名無史さん:02/10/14 14:17
倭人は日本人でも朝鮮人でもない。いわば、双方の祖先かな。
列島西部と半島南部が生活圏。
海をまたいで、生活圏文化圏交易圏ができていた。
任那支配の理由にもならないし、
日本支配の理由にもならないよ。
315 :
日本@名無史さん:02/10/14 22:54
まぁ、東北人の俺にゃあ、倭人や韓人がどうだろうと知ったこっちゃ
ねぇんだがな。にしても、脳味噌ン中が19世紀で止まってるヤツが
多数見受けられるな。いや、「戦後」と言ったほうが適切かな。せめ
て網野ぐらい読んどけや。んな難しいモンじゃないんだから。
316 :
日本@名無史さん:02/10/14 23:17
渡ってきた半島人に日本は実質乗っ取られてますけどね。
攻められてないけど支配されてますね。
現在の韓国人でも日本人のことを倭人て呼ぶ人もいるけど
これって侮蔑の意味なの?
それとも倭人に深い意味があるのかな。
318 :
日本@名無史さん:02/10/14 23:57
単純に侮蔑でしょ
319 :
日本@名無史さん:02/10/15 00:08
そもそも、中華思想の漢民族が、わざわざ辺境の倭人の国を欲しがるわけない
と思われ。
漢民族系の中国統一王朝の武力は、北や西、南の異民族侵入防止か
あるいは侵入防止のための先制攻撃以外に対外に向いたことがない。
>>1は日本の価値を重要に思いすぎだよ。
侵略しなかったんじゃなくて相手にしてなかっただけ。
321 :
日本@名無史さん:02/10/15 03:11
このスレは日本と中国の話なんだからチョソはどっか行け
中国が朝鮮を侵略するほどの余力があったのは
漢と唐の2回だけ。それも半島で力尽きてる。
まして日本まで攻めてくることなど不可能。
(あ、モンゴルは別な。あれ中国じゃないから(w)
323 :
日本@名無史さん:02/10/15 11:27
あえて攻める「実利」が少ない。
324 :
日本@名無史さん:02/10/15 12:25
>現在の韓国人でも日本人のことを倭人て呼ぶ人もいるけど
>これって侮蔑の意味なの?
日本人に中国を「支那」と呼ぶ人がいるのと同じことかと。
歴史的にそうじゃんといいつつ、侮蔑がはいっている。
325 :
日本@名無史さん:02/10/19 00:27
もし、半島が日本を元から守っていたとしても、(嘘臭いが)
近代以降、半島をヨーロッパからの分割侵略から守り、
清からも守り、国を独立させてあげたのは、日本である。
むしろ、半島の保護をやめてからの方が、日本経済は
良くなった。
326 :
日本@名無史さん:02/11/01 00:54
朝鮮を併合したのが失敗の元。
戦前の日本は(親日派=開明派の)朝鮮人にうまく騙されただけ
327 :
日本@名無史さん:02/11/12 10:32
「中国」は中原を中心とした内陸の流通文化圏を指すと思われ。
歴代皇帝はこの流通の頂点に立つこと。皇帝がどの民族であっても
この流通システムは変わらない。日本はこのシステムからはずれてる。
現在は漢民族が「中国共産党」という新しい王朝でこのシステムを
維持している。日本は朝貢さえしてくれればよいと、考えているのでわ?
328 :
日本@名無史さん:02/11/12 20:16
つーか「漢民族」なんて消滅してるし。
まあ「中華」なんて高崎山のサルと同じで「お山の大将」の思い込みだもんな。
ギリシアやインドとかの文明が中国より劣ってたとかはとても言えないのに「俺様が一番だ!」
みたいな勘違いで周辺国を野蛮扱いするとw
古代四大文明の一つだった頃にはそれなりの根拠があったかもしれんが、現在みたいに日本に養ってもらい
思想・文化等すべて外国から教えてもらっていながら「中華」なんて誇大広告もいい所だよなw
329 :
日本@名無史さん:02/11/20 01:39
中共はどうせ滅びるとしても、
いままで民主的な国家は中国に存在したのでしょうか?
330 :
日本@名無史さん:02/11/20 05:03
二回目の元寇の時日本が奮戦できた理由、元の歩兵は集団戦法で闘うため平地などでは
5,6人で囲んで槍や毒矢で攻撃、という方法が多かった。
日本の武士はまだ1騎打ちの時代という事もありタイマン戦がほとんど、
船の上では一対一になりやすいのでタイマンになれてる日本兵のほうが強かった
331 :
日本@名無史さん:02/11/20 07:57
>>328 中国はお山の大将かもしれんが、おまえの頭のレベルも同じレベルじゃんw
ギリシアやインドが・・・って、何千年も昔のマスコミもなく
行商人レベルの交流しかない時代にどうやって、ギリシアと自国の文化を
比較するんだよ
それに昔の話をしているのであって、現在を比べて何を主張したいの?
これだから、頭の悪いうえに偏狭なナショナリストはダメなんだよなあ
支離滅裂じゃん
332 :
日本@名無史さん:02/11/20 09:50
決して半島のおかげではないと言う事だな。
333 :
日本@名無史さん:02/11/20 19:19
>>331 おまえこそ馬鹿じゃん。勝手にナショナリストと思い込んでやんの。
俺は「日本が世界一の国だ!」「日本の他に優れた国は無い」とか一言も言ってないw
優れた文明圏には敬意抱いてるっつーの。
原理さんご苦労さん。
335 :
りーぺんれん:02/11/21 14:16
>324
「中国」を支那と呼ぶことに侮蔑が入っていると断定しているがそうとは限らない。
そもそもかの国の人が自らの国を「チョングオ」といった時には「世界の中心である
我が国」という意味が入っている(現在形)。そして他の国(日本)の人がかの国を
「中国」と呼んだときは恐れ多い中央の国という意味があった(過去形)。今では中
華人民共和国の略称だと思っている人が多いが、本当は間違いである。そもそ
も国名である中国という語に固有名詞がないことが普通はおかしいでしょ。英訳
すれば「The Center 」とでもなるのかな。こんな国名をアメリカ人や英国人が認め
るわけがない。
これに対し「支那」は単に英語のChinaの日本語訳である。従って「支那」という語
を使うのは日本だけであるけれども、もともとはかの国の古文献(今は忘れた)に
出てくる語が出典である。理屈のわかるかの国の人は「少なくとも漢字で書くのは
やめてくれ」というそうである。確かに「那」の字がなんとなくという気がするが、もと
もと彼等の先祖が当てた字であるし、言葉でいったときには漢字でいったかカタカ
ナでいったかは分からない。
要するにかの国を「支那」「シナ」と称したからといって侮蔑しているとは限らない。
一方上記の意味を知っているる人が彼の国を「中国」と呼びにくいことも理解すべ
きである。
336 :
日本@名無史さん:02/11/21 14:16
>324
「中国」を支那と呼ぶことに侮蔑が入っていると断定しているがそうとは限らない。
そもそもかの国の人が自らの国を「チョングオ」といった時には「世界の中心である
我が国」という意味が入っている(現在形)。そして他の国(日本)の人がかの国を
「中国」と呼んだときは恐れ多い中央の国という意味があった(過去形)。今では中
華人民共和国の略称だと思っている人が多いが、本当は間違いである。そもそ
も国名である中国という語に固有名詞がないことが普通はおかしいでしょ。英訳
すれば「The Center」とでもなるのかな。こんな国名をアメリカ人や英国人が認め
るわけがない。
これに対し「支那」は単に英語のChinaの日本語訳である。従って「支那」という語
を使うのは日本だけであるけれども、もともとはかの国の古文献(今は忘れた)に
出てくる語が出典である。理屈のわかるかの国の人は「少なくとも漢字で書くのは
やめてくれ」というそうである。確かに「那」の字がなんとなくという気がするが、もと
もと彼等の先祖が当てた字であるし、言葉でいったときには漢字でいったかカタカ
ナでいったかは分からない。
要するにかの国を「支那」「シナ」と称したからといって侮蔑しているとは限らない。
一方上記の意味を知っているる人が彼の国を「中国」と呼びにくいことも理解すべ
きである。
337 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:33
338 :
日本@名無史さん:02/11/29 23:37
我々が日常的に使っている漢字語のなかには、開化時代、日本が作った用語が
数え切れないほど多い。文化、文明、思想、法律、経済、資本、階級、分配、
宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、
質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義…。
明治時代の思想家である福沢諭吉は、こうした造語に貢献した代表的な人物だ。
speech→演説、debate→討論、copyright→版権、などの訳語が福沢の作品だ。
韓国人に耳慣れた単語である「民族」も、正してみると宮崎という日本人が1880年代に
フランス語「Assemblee Nationale(フランス下院)」を「民族会議」と
翻訳したところから始まったものだという説が有力だ。
「民族」は1890年代に入って初めて韓国語に編入された。
339 :
チンターチョン:02/11/30 01:16
>337
もっと詳しくいうと、「共和」という言葉と「国」という言葉は古いシナ語です。republicに共和国の訳を
あてたのは確かに日本人です。で、本来のrepublicのシナ語はなにかというと、そう御存知世界に
おとなりと、もうひとつある「民国」です。それで現在の中国が国名に共和国をつかった理由もはっき
りするでしょ。
あと「自尊心を捨てて云々」はいただけない。そんなことを言えば漢字という、もろにシナの古名の字
を使っている日本人の自尊心はどうなるの。
もうひとつ面白い話を。「畑」という漢字は完全な和製漢字であるが現在の中国の辞書に出てくる。も
ちろん和製漢字と書いてある。何故かというと毛沢東の演説で「畑支那派遣軍司令官」のことが出て
くるためこれをいれておかないと毛沢東の演説が文字にできないためです。
漢字の話はおもしろいが言語板でやれ
341 :
日本@名無史さん:02/11/30 05:50
遣唐使の成功率って三割ぐらいだろ。
東シナ海は実質、渡航不可能なのじゃよ。
ところで、琉球国はなぜ日本を攻めなかったの?
343 :
日本@名無史さん:02/12/08 13:48
345 :
日本@名無史さん:02/12/08 21:37
>>341 遣唐使の頃にはまだ琉球国はないのでは?
まだ野山を駆け巡ったり海に潜ったりしていたと思うよ。
それでも琉球国は比較的早く国のテイをなしたようだけどね。
台湾はもっともっと野山を駆け巡り続けたようだよ。
346 :
豊臣朝鮮守秀吉:02/12/14 12:38
手引き好きの朝鮮人の口車に乗ったのが蒙古
シナ人は朝鮮人の性癖を見抜いていたし、見下していたから
口車に乗らなかった。
>341
完全なる異質なら攻めただろう。古層は、ハヤト。
新興国琉球がなぜ朝鮮より格上?
まあ一つだけ言っておこう
倭寇の事を考えると、中国に国力が無かったから
と
交易 (こっちの感覚) は、ずーと続けてたから
350 :
◆GHCQHIKARU :02/12/19 22:07
つーか、これって高学歴が通う高校の先生だったり教師は知っているはず。
まじで。勉強してみれば分かることだし。
まじで。
本当。なんだ。まじで。
351 :
日本@名無史さん:02/12/20 22:37
倭寇が古代にあったか?
フフ、確かに
>>1へのレスではないな。まぁ、歴代通してといった所。
漢人(と意識していた)王朝で日漢で一番緊張した出来事で取り合えず倭寇。
古代では唐との半島での戦いだろうが、もともと、遼東の安全での戦い(唐側)だから
交易さえできれば東夷の国々は別にどうでもで、意思が無かっただけだし、日本に来る国力も無かった。
なんせ、高句麗一国に対し新羅と同盟しなければ勝てなかったんだからな。
ついでに、漢が衛満の子孫を倒した理由は、(倭との)交易を邪魔したからが表向き。
353 :
日本@名無史さん:02/12/21 10:46
古代史では、中華王朝はダントツの国力があるスーパー大国と考える人が多いようだが、
確かに疑わしいね。
354 :
日本@名無史さん:03/01/01 19:53
中華王朝といっても、ほとんぞが異民族の立てた王朝。
漢民族が立てた王朝って片手で数えるほどしかない?
355 :
日本@名無史さん:03/01/01 20:45
>30
当時の地理観では日本列島は呉の真東にあったんですよね。
もしその遠征艦隊が出発していたら東シナ海で立ち往生……いや、海流に乗ったら九州に到達してたかも。
356 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:15
異民族が立てた王朝が、黄河・長江地域を辺境として扱っているんではなくて、むしろ、
勝者がやって来てそこで中華皇帝になっているところが中華エリアのサスガだよね。
その意味で、やっぱりオーラがあったことは確かだろうね。長い文字文明と地域の生産力が
頭抜けていたんだろうね。
だけど、海の向こうの日本列島を直接支配できるほどの軍事力を持っていたわけではなかった。
当時の科学文明の程度では、中華帝国だろうが何だろうが、それほどの軍事力を持つ国・民族は
地球上に存在しないということだよね。
まあ、別に不思議なことは何もない訳なんだが。
357 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:18
中国って統一国家っていうけど、各地の群雄の連合体だろ。
日本に攻めても利益ないし。
358 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:18
日本にうまみが出てきたのは、室町以降の金山開発の進展からでないの?
もう中国(明)に力なくなってたし。
359 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:40
倭王は中華帝国に朝貢していたらしいから、自らを臣と認めていた訳で、
それで充分だったということでしょ。海の彼方の地域を直轄する意味はないでしょ。
問題は、仮に倭王が朝貢しない場合にどうするか、ということでしょ。
@攻めて朝貢させるのか、A直轄地域にするのか、B無視するのか。
現実は、朝貢がない時期にはB無視していたようじゃんか。
朝鮮半島が、朝貢国だったり直轄地域だったりの限界エリアだった訳なんで、
要するに、遥か海の彼方の不思議な人達が住む伝説の島国という感じだったんでしょ。
360 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:51
朝貢なんてすぐにおわって、6世紀には、
東の皇帝から西の皇帝へ手紙を送る間柄だよ。
361 :
日本@名無史さん:03/01/02 21:54
攻めたって、攻めたって♪ああ、すっかたなかんべさ〜♪(お花チャンの節で)。
362 :
日本@名無史さん:03/01/02 22:15
363 :
日本@名無史さん:03/01/03 07:20
日本はムーと仲良かったから侵略なんてしたらムーを敵に回すことになる
364 :
日本@名無史さん:03/01/03 13:00
唐人は、日本にはゴジラがいるから、攻めて行くのが怖かった。
蒙古は、何でも征服バカだから、遠征したらゴジラにアボーンされた。
365 :
日本@名無史さん:03/01/03 13:02
樺太方面からなんで攻めてこなかったんだろ?
どっかのスレに、樺太最南端には、元の遺跡が残っているという話しが
あったけど…。
366 :
日本@名無史さん:03/01/03 13:10
昔のゴジラはキングギドラとかガイガンとか宇宙からの侵略者を倒してたのに、
何で最近はただ暴れるだけのDQNになっちゃったんですか?
367 :
日本@名無史さん:03/01/03 13:16
むしろただ暴れるゴジラが正当なんだが。。。
368 :
日本@名無史さん:03/01/03 13:25
樺太で元とアイヌは戦ってますよ。
沿海州でも戦ってたんじゃないかな。
その後、アイヌは現に朝貢する関係となった記憶が。
369 :
日本@名無史さん:03/01/05 17:35
樺太→北海道→東北→鎌倉
こんなんじゃ大変だろう。
連中も楽がしたかったんだよ。
>>362 唐朝の側がそう認識していたことは間違いないでしょう。
>>345 隋書には「琉求」という国の記事が一応はある.
しかし,これは現在のフィリピンか台湾あたりにあったと考えられている.
沖縄とは無関係のようだ.
372 :
日本@名無史さん:03/01/05 21:31
>>370 すなわち、朝貢があれば素直に喜び、なければないでお構いなし、これが中華帝国の
対日姿勢の基本ということだよね。
373 :
◆GHCQHIKARU :03/01/05 21:32
シルクロードで貿易をやっていたから、利益を相互に取り合って生活していたはず。
まじで。 どちらも平和好きな国だったってことでしょ
374 :
◆GHCQHIKARU :03/01/08 21:56
平和好きな国だったってことでしょ
(^^)
376 :
日本@名無史さん:03/01/11 23:23
中華帝国が平和好きとは珍しい意見也。
377 :
◆GHCQHIKARU :03/01/13 22:45
つーか、中国は高句麗遠征で一度 滅びているし、
まじで。
378 :
日本@名無史さん:03/01/14 00:37
まあ古代朝鮮の人口は2億人だから中国も手出しできない
379 :
日本@名無史さん:03/01/14 09:14
つーか現在「中国」になっている地域のかなりの部分を支配する大国だったYO。>誇大挑戦
380 :
日本@名無史さん:03/01/14 15:01
隋は朝鮮半島までで精一杯だった。遠征には、お金がかかるらしい。
朝鮮に騙されて時間稼ぎされた挙句に、寒冷地で越冬。ナポレオンや
ヒトラーなみにボロボロになりました。
唐はちょっと賢くて朝鮮の北のほうを取り込んで同士討ちさせました。
南のほうを支援したのが古代日本。唐は、お金がかかるの分かってたので
長期的な遠征はしませんでした。
381 :
日本@名無史さん:03/01/14 17:52
大金かけて日本を攻めたところで得るものは何もない。金ピカの国なんてのは
某のねつ造だし、中国は日本が農業主体の貧しい国だという実態は知っている。
コスト・パフォーマンスの観点から見れば日本を攻めても何のメリットもない。
382 :
日本@名無史さん:03/01/14 18:23
朝鮮通信使の書いた記録に「耕して天に至る、ああ、貧なるかな・・・」と
あるの以前読んだことあるが(棚田を見たときの感想)。
383 :
日本@名無史さん:03/01/14 23:50
軍船に限らず、船が未発達だったんだよ。
商船もアジア規模の長距離連続運航は難しい、
だから当然商業規模も狭い、総じて商業は近代と比べりゃ当然だけど未発達と。
だから領土の価値を農業ベースでみる、となれば、日本を獲る旨味がほとんどない。
日中航海をらくらくやってのける軍船もないから、純軍事的にもキビシイ。
半島の南端まで直接領有しなければ渡海侵略は思考の外、
という書き込みがあったけど、これは実に鋭いと思った。
北方の遊牧民との争闘が中華の矢鱈な南下を阻んでいたという指摘もかなり妥当。
384 :
日本@名無史さん:03/01/15 00:09
対馬海峡が微妙に距離があるからに決まっているよ。
それに比べて、ドーバー海峡は微妙に狭い。
この微妙な違いが、日本とイギリスの歴史の違いの源だよ。
フィリピンほど大陸から距離があればモハヤ話題にもならない。
実に微妙な距離。
385 :
日本@名無史さん:03/01/15 01:27
攻めこむのは基本的に蛮族であって、中原の歴代王朝はいかに蛮族の進入を阻むかが基本姿勢。
その王朝が蛮族起源であっても、一旦中原に王朝を樹立すると基本姿勢は守りに入る。
中原にはそれこそ無いものは無かったほどだから、征服するメリットがない限
りわざわざ苦労して辺境を攻める馬鹿はいない。
征服行為もあくまで経済原則にのっとってなされるが、安全保障の観点から
経済原則的には通常ペイしなくても征服の対象となる場合がある。
一例をあげると古代ローマによるブリタニアの征服。
経済的には常に赤字、植民地経営の収益が費用を上回ることは常になかったが、
それでも征服したのは、ガリアの反体制勢力が対岸のブリタニアに逃げるのを
防ぐためと、ブリタニアからガリアへの蛮族の進入を防ぐため。
要するにガリア属州の安定化のためにやむなく征服した。ガリアの安定はイタリア本国の
安全保障に不可欠だったからである。
中原の王朝から見ると、日本は経済的な観点からも安全保障の観点からも、攻める価値のない国
であったので攻めなった。能力の問題ではなく、費用効果の問題で攻めなかっただけ。
訂正。やっぱり最初は安全保障の観点から征服したのかなと。
そもそもカエサルがガリアを征服したのは経済的観点からではなく、
安全保障の観点からであった。経済的な効果はガリアがローマ化した後の話。
というか、ローマと中国をいっしょに論ずることに無理があるかも。
読み流してください。
(^^)
388 :
日本@名無史さん:03/01/17 03:12
>>386 例えば、ロシアの軍事南下政策がなければ、日本も半島進出する必要なかった。
もっとも、半島が自分で守る力があればそれすら要らなかったのだが。
389 :
日本@名無史さん:03/01/18 02:34
中国の皇帝支配というのは、都市の支配が基本。
この場合の支配というのは流通拠点を押さえるということ。つまり、皇帝の財
政の基礎は都市にあり、農地ではない。黄河文明を起源とする中国文明は農業
文明ではなく商業文明であって、商業都市から搾取する税収入で帝政が成立し
ていたのだ。
だから、わざわざ海を越えて日本を支配するメリットはなかった。
一方、日本では、税というのは稲などの農産物、課役などの労働力になり、中
国とは根本的に異なっている。
390 :
日本@名無史さん:03/01/25 19:24
そこまで分析した上ではないと思うよ。
単に、海を隔てて遠かったから、という方がモットモらしいよ。
391 :
日本@名無史さん:03/01/28 22:15
卑弥呼は、狗奴國と仲悪かったとき、魏に助っ人を頼んだら、
塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書、黄幢をもたらし、難升米に拜假せしめ、檄をつくりてこれを告喩す。
とさ。
この時、魏軍が来たんじゃなかろうかね。
魏軍は来なかっただろうね。
393 :
日本@名無史さん:03/01/30 23:08
>>392 塞曹掾史張政等は、証書(紙切れ)、黄幢(黄色の吹流し)、檄(木札)だけを持って、
丸腰で来たのかえ?
そんなものが、狗奴國にキキメがあったのかえ?
この時は来なかったにしても、イザとなったら来ると思うに足りる事象が過去にあったんじゃ
なかろうかね。
394 :
日本@名無史さん:03/01/30 23:24
力なき外交は相手にされないからな。
∧_∧
( )
────-o────/ \────────
\\ //\ \
.. \\// \ \
\/ ) ∴)ヾ)
/ / ⌒ヽ
/ /| | |←
>>7 / / .∪ / ノ
/ / . | ||
( ´| ∪∪
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(´ ノ (´ ノ
396 :
日本@名無史さん:03/01/30 23:29
>1
自分が皇帝だったと想像してみよ。
日本を攻めて得することあるか?
ない
398 :
日本@名無史さん:03/01/31 00:05
攻める・攻めない以前に、例の中華思想により、かの国の皇帝
にとっては日本は遠方の属国だとの意識があったものと思われ。
属国に敢えて攻め入る必要があるとすれば、本国を脅かす程の
力を持ちえた場合に限られる。日清戦争あたりまで時代が進んで
も、国力では中国と日本は比較にならなかった。軍事力に限って
も、日本が中国に対して優位であったのは、日露戦争後から大東亜
戦争敗戦までの、ほんの一時期に過ぎない。
399 :
日本@名無史さん:03/01/31 00:41
中国は慕ってくる者を損得抜きで諸手を上げて歓待した。
朝貢するとその何倍もの価値の品を下賜する。
室町幕府などはそれを逆手にとって、しこたま儲けたほどだ。
財政的に苦しくなっても彼らの価値観である儒教は、朝貢に倍する下賜を
やめることを自らに決して許さなかった。
遠まわしにあまり来ないでくれと言ったんだけどw
なんか律儀というか、偉そうにしてる割にかわいいと思えてしまう。
微苦笑を禁じえない。
神話やら日本対する畏怖やらを持ち出してくるのは少しおかしい
中国の皇帝はそこまで馬鹿じゃないだろ。少なくとも当時の事情を知っていた為政者であって、リアリストだったはずではないか。
平野も無い。
石油も無い、
鉄資源も無い。
生活に必要な自給できる資源が全く無い。
地理的にも交易の要所でもない。
無い無い尽くしの日本列島。
歴史的に日本が大陸に夢を求めて進出する傾向は理解できるが
中国や朝鮮は日本に何を求めって軍隊を派遣せねばならんのか?
中国(元の時期をのぞく)の周りにはいくらでも敵と征服しなければならない土地がある。
なぜ、それを放置して大金を使って日本を征服しなければならないのか。少なくとも皇帝という為政者のすることではないだろ
401 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:46
少なくとも鉄(砂鉄)はふんだんにあったよ。
というより、砂鉄は中国でも日本でもどこにでもあるんだが、
製鉄には大量の樹木が必要。中国は漢代に鉄器生産のピークを迎えたが、
次第に山々の樹木を切り尽くして鉄不足になっていく。
中国の山は木を切ると禿山になるためだ。日本の場合は雨が多いので、
30年もすれば禿山も元の緑の山に戻る。室町時代には、日本から中国への
最大の輸出品は日本刀だったくらいだ。彼らは日本刀が欲しかったのではなく、
鉄が欲しかったので、日本刀は鋳潰されて鉄器になった。
402 :
日本@名無史さん:03/02/01 00:52
中国の自然破壊は、数千年の昔から進んでいて、黄河周辺の荒野は、
その成れの果て。
>>400 お前、めちゃくちゃやな。
石油が重視されだしたのは、19世紀も後半になってから。
当時、誰も欲しいなんて考えていない。
鉄が無いって、日本刀の伝統をどう考えてんだ?
タタラ製鉄の長い歴史を知らないようだな。
生活に必要な自給できる資源が全く無いのかよ。
それで、江戸時代、鎖国を続けたのに、どうやってあんなに経済が発展
できたんだ?
全部輸入してたのか? もしかして俺の知らない歴史を知ってるのか?
日本は砂漠や荒地などの耕作不毛地やハゲ山が少なくて有名だがな。
ちょいと説明してくれないか?
皇帝「何故倭國侵略不可?」
宦官「要多額金銭及多人数」
将軍「我同意尚軍船及荷船過不足」
一同「面倒臭・・・大臭!」
405 :
日本@名無史さん:03/02/01 19:45
中国だって、手当たり次第に征服したわけではなくて、
基本的には征服するより交易相手にした方がもうかる。
戦争時の軍事費だけでなく維持にも出費がかさむから。
後漢になってから前漢時代の辺郡で赤字経営の郡をかなり独立させてる。
高句麗なんか最初はそうやって独立民営化させられて作られた国。
>>400 ないない尽しじゃなくて、人口だけは多かったから漢帝国からすると
市場としては魅力的だったという説もあるよ。
で「真番之利」といわれた鉄を倭人に売って儲けたんだろう。
これが後世になっても弁韓の鉄を求めて倭人が半島に交易に出かけていた根源。
407 :
日本@名無史さん:03/02/01 21:45
408 :
日本@名無史さん:03/02/01 22:48
蓬莱の国は、神秘的だったからだよ。
唐が攻めるなんてとんでもない。
409 :
日本@名無史さん:03/02/01 23:51
中国は、後世になって日本から事あるごとに戦後賠償や歴史認識問題、教科書問題
とかを指摘されるのが嫌だったんだよ。
なるほど。半島の奴らが厄介だったから、同じだと誤解してたんだね!
411 :
日本@名無史さん:03/02/02 22:05
確かにプライドの高い中国が、日本に「お詫びしろ」とか言われ続けて、
土下座外交するのは嫌だろうなぁ。たとえそれが遠い未来であっても
412 :
日本@名無史さん:03/02/02 22:07
確かにプライドの高い中国が、日本に「お詫びしろ」とか言われ続けて、
土下座外交するのは嫌だろうなぁ。たとえそれが遠い未来であっても・・・
413 :
日本@名無史さん:03/02/02 22:10
>>403 横レス失礼。
タタラ製鉄は半島からの職能移民集団が、日本の古代の鉄を支えました。
特に出雲地方ですね。
日本に緑が多いのは、山岳地が多いせいと、急斜面の山地が多く
伐採に不向きだったからです。
414 :
日本@名無史さん:03/02/03 00:59
>>413 思いこみ強い人は見てきたように言うな。
415 :
日本@名無史さん:03/02/03 01:30
日本海があるというだけで、40個師団に相当する防御効果が
あると試算した例もある。
半島や西域や北方騎馬民族と一緒に語るのは無理がある。
416 :
日本@名無史さん:03/02/03 11:15
>>414 内容でご批判お願いしまつ。頑張ってアタマ使ってくらはい。
417 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:19
例え海を越えて渡ってきたとしても
古代の稚拙な造船及び航海技術では
ひとたび海が荒れれば補給路を失って
完全に孤立。
後は全滅です。
418 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:23
>>415 日本のまわりには、世界でも有数の、航海困難な海域が、まるで日本列島を
ぐるっととりまくように存在してる。
太平洋にしても、日本から数マイルが一番困難で、それを過ぎると、非常に
楽にサンフランシスコまでいけてしまう。
日本列島じたいが天然の要害になってる、この状況が日本人のDNAを作っ
てることもまた真実。
419 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:36
>>418 古代や中世では、倭人や倭寇の交流が活発だが。
季節風を上手く利用すれば、
北九州⇔対馬⇔半島
九州⇔中国揚子江下流地域
九州⇔琉球⇔中国
は、割と行けたのでは?
420 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:46
>>419 もっとも問題なのは、「台風銀座」と呼ばれる、世界有数の暴風雨発生地帯
であることだろ。倭人や倭寇の交流が活発なのは、海の民と呼ばれる、
海賊集団の航海技術が優れていたからで、一般の人間や航海不慣れな正規軍
などには、魔の海域であることには間違いない。
鑑真の日本渡海への度重なる失敗とか、遣唐使の廃止とか、元寇の失敗とか
大規模航海の困難さの例は枚挙に暇ない。
421 :
日本@名無史さん:03/02/03 12:58
>>420 なるほどね。熟練した海の民なら平気だが、
不慣れな海軍はだめってことか。
鄭和はアフリカまで行ってたが、彼なら平気だったかな?
ま、沿岸航海だが。
彼が来たらうけてたと思うが。
422 :
日本@名無史さん:03/02/03 14:52
本質的には,軍事的な問題よりもむしろ,島国特有の政治風土の問題ですね.
島国では,武力を支配原理とした異民族支配が成立しにくいのです.
武力占領じたいが困難さではなく,その後の支配が難しさにおいて
島国は大陸の地つづきの国の比ではありますまい.
s/が/の
424 :
日本@名無史さん:03/02/03 14:56
渡海作戦って背水の陣そのものだからなぁ・・・。
撤退が難しい&補給線を構築できない。
普通やらないよ。
「征服」ではなく「侵略」ということでは、実は運が良かったというの
が一番の結論かも。
白村江の敗戦後の日本朝廷は、マジでびびってたんだけど、たまたま
高句麗や新羅に手を焼いてて日本まで来れなかったとも言える。
もっとも、新羅を下したとしても、彼らが日本を征服できたかどうかは
疑問だろうけど
426 :
日本@名無史さん:03/02/03 15:17
モンゴルに九州を征服され、傀儡政権ができてたら、
その後の日本は多様性が増し、明治以降の膨張国家の悲劇を避けられてたのではと言う人が
以前、NHKに出てたが。いかがなものか?
427 :
日本@名無史さん:03/02/03 15:34
>>426 多様性と膨張国家の問題はまったく別だと思うけど。
アメリカとドイツを見比べればわかると思う。
428 :
日本@名無史さん:03/02/03 21:49
>>426 確かに万世一系や単一民族の神話とか偏狭なナショナリズムは、
ちょっとは違ったかもね。
429 :
日本@名無史さん:03/02/03 22:11
隋と唐は、朝鮮半島で手を焼いていたから、日本までは無理だったのだよ。
430 :
日本@名無史さん:03/02/03 22:13
当時の朝鮮人は強かったのか?中国を恐れなかったのか?
431 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:05
窮鼠よく猫を噛む。
432 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:10
じゃ、朝鮮はずっと属国だったってわめいている奴等は嘘つきだな。
クソ。騙されてた。
433 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:35
新羅と百済と高句麗以外の朝鮮はずっと日本か中国もしくは高句麗の
属国か従属国じゃん。変なやつだな。
434 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:46
そうだな。
高句麗・新羅がそれなりに半島でつっぱっていた時代が、隋・唐の頃だからね。
隋・唐が日本までは無理だったのだよ。
終わりかな?
435 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:51
∧_∧
( )
────-o────/ \────────
\\ //\ \
.. \\// \ \
\/ ) ∴)ヾ)
/ / ⌒ヽ
/ /| | |←朝鮮
/ / .∪ / ノ
/ / . | ||
( ´| ∪∪
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
(´ ノ (´ ノ
436 :
日本@名無史さん:03/02/03 23:52
高句麗は朝鮮じゃないからとりあえず関係ない。
百済と新羅は日本の属国やん。
437 :
日本@名無史さん:03/02/04 00:11
結論は、カエサルは偉大だったってか?
438 :
日本@名無史さん:03/02/04 12:30
百済と新羅が日本の属国?
対中国外交上、日本に朝貢形式を取ったことと属国は意味が違うと思うが。
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440 :
日本@名無史さん:03/02/04 13:52
>>438 >対中国外交上、日本に朝貢形式を取ったことと属国は意味が違うと思うが。
なるほど。では言い直しまつ
×百済と新羅は日本の属国
↓
○百済と新羅は、倭の朝貢国だったが、倭の属国ではかなった
>>440 いや、中国が倭の軍事指揮権を認めているくらいだから属国といって問題ない。
少なくとも広義の属国といえる。
百済と新羅の歴史は、倭の従属に対する反発と離脱による自立の確保の歴史。
新羅は最終的に目的を達したのだから大したものだ。
442 :
日本@名無史さん:03/02/04 16:31
>>440 了解
>>441 広義というと、曖昧では。広義なら室町日本も属国になってしまう。
新羅を評価してるから、あなたは嫌韓厨房ではないようだけど、
最近、へんな輩がでかい顔してるからね。
中国が認めたのは、対新羅政策があったからで、
新羅としては、朝貢は対中国政策上は行うが、属国意識はなかったのでは。
後の新羅の動向は、あなたが書いたとおり。
( ゚,_ゝ゚)ペラペラ(きなくさい) 訳:戸田奈津子
中国にはそんな力はなかった。東に軍勢持ってくと
西から攻められて滅亡。これ常識。
単に脅威度の違いだろ。
俺は古代中国の北方進出は基本的に北方騎馬民族への防衛策だと思っている。
歴代王朝が北方騎馬民族に苦しめられ続けたのは周知のとおり。
仮にもし日本が中国へ頻繁に侵攻してきたならシナ王朝は日本への侵攻・占領を考えただろう。
実際には白村江と秀吉の朝鮮征伐ぐらいしか例はないが。
シナ王朝はあの版図を維持するだけで手一杯だろ。
445 :
日本@名無史さん:03/02/06 08:54
>>444 そうだね。農耕民族の騎馬民族からの防衛。
逆に、農耕民族が騎馬民族の土地をじわりじわりと耕し侵略してったと
言う人もいるが。
あの広さで、多言語で中央主権が保てたのがすごい。
漢字のパワーか?
446 :
日本@名無史さん:03/02/06 14:31
日本と朝鮮と遊牧騎馬民族とが同盟結ばれたらかなり厄介だから
あまり刺激しなかっただけだよ
447 :
日本@名無史さん:03/02/06 14:44
日本は渤海と仲が良かった気がするが。
渤海はやられそうだったから日本に朝貢して協力を
得ようとしたのだな。合理的精神だ。
449 :
日本@名無史さん:03/02/06 21:23
まだやってたの?
450 :
日本@名無史さん:03/02/06 22:31
渤海
727年(神亀4)を皮切りに,日本へ往来した使節は34回を数えた。
当初は政治的意図からのものであったが,唐との関係が修復されるにつれ,
交易が主たる目的になる。渤海からは熊などの毛皮,日本からは絹織物類が
主な交易品であった。
また,日本にとって渤海は,唐との通交の中継地の役割を果たした。
例えば,唐への留学僧が渤海を経由して往来し,安史の乱の情報は渤海を通じ
てもたらされた。
第3代大欽茂(在位738‐794)の代になって渤海と唐は和解し,
以後両国は概して平穏な関係が続いたようである。
渤海との名前は唐からもらったようだ。
451 :
日本@名無史さん:03/02/07 14:17
結論として遠かったということだな。
452 :
日本@名無史さん:03/02/10 21:11
そのとおり。
453 :
日本@名無史さん:03/02/10 23:18
454 :
日本@名無史さん:03/02/11 09:44
へへへ
455 :
日本@名無史さん:03/02/11 11:58
江戸時代の百姓のうち、水田耕作民は6割とも言われてるようだが。
他は、山や海の民。交易民も入るらしい。
456 :
日本@名無史さん:03/02/16 16:37
外国から見たら、今でも漢字を使っている日本は十分に
中国の属国なわけだが・・
457 :
日本@名無史さん:03/02/16 16:44
アルファベット使ってる国はシリアの属国なのか?
458 :
日本@名無史さん:03/02/16 16:52
室町期は、全国流通貨幣は中国銭だった。
中国北部文化の奈良・平安が、
中国南部文化の鎌倉・室町と融合したと、文化的にはなるらしい。
自立は、江戸時代中期頃からのようだ。
江戸時代にも、漢訳の西欧本に世話になってるが。
解体新書も漢訳出版らしい。
交易で山ほど銭が儲かったらしいからなぁ。
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462 :
日本@名無史さん:03/02/20 23:48
簡単な問題。
東亜地図を開き、長城にマーカーで線を引けばわかるよ。
結論に必要なレシピは以下の通り。
・当時の船舶技術では朝鮮南端までを柵封ではなく直轄にせねば日本進攻など空論
・古代の満州は「蛮族」の住む未開地。
・漢民族の開拓とともに北方フロンティアは北進したが、古代は清代などよりもフロンティアがもっと南だった・後に元を打ち建てる、北方は強大
(参考)信濃進攻により上杉圏と干渉した武田はついに京に達しなかった
地図とこのレシピから同時に、なぜ元に至って初めて日本まで軍隊を送って来たかもわかるね。
463 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:15
唐は侵略してきたよ。
唐・新羅連合軍 対 倭・百済連合軍 663年白村江の戦い。
勝利した唐は九州を占領。
唐はこの頃、異民族を管理支配するための督府という機関を各地に設置していた。
太宰府は、唐が設置した督府、正式名称は筑紫(九州)都督府。
筑紫都督府という言葉は記紀にもでてくる。
464 :
日本@名無史さん:03/02/22 00:21
で、大和朝廷にも唐人(マッカーサーみたすな進駐軍)がきていたはず。
だから、この頃の日本の文化は唐風。
遣唐使でご機嫌とり。
でも、672年壬申の乱で天智を殺し天皇になった天武は頑張った。
唐とのやりとりが一度もないからね、天武は。
↑電波は消えてください
>>463 侵略というより、防衛線を広げつつ追撃してきた、と言った方が誤解が少ないように思うが
まあこの理屈で行きゃ満州国も防衛の拡大線と言えるわけでこれまた違う誤解が出てきそうだが
467 :
日本@名無史さん:03/03/02 07:11
>>1 >>463 元が支配者層をもってモンゴル人だというならば、
隋と唐は、トルコ系の鮮卑族だぞ。
468 :
日本@名無史さん:03/03/02 09:09
中国人の定義は日本人の定義がそうであるように極めて難しいが、、、
中華思想に基づく生活様式・社会制度をもつ人間たちを仮にその定義におくなら、
ツングース系だった清王朝はおおむね中国と言えるが、
モンゴル系である元は「中国人」たちから見ればやはりアウトサイドかも。
当然だよな、本土日本人にも一種の中心性があるだろ。
470 :
=強制終了=:03/03/10 23:39
>1
費用対効果
日本を建国したのは徐福だと。
中国では言い伝えられているから。
>471
それなら、沖縄では無く、日本は中国領が正しの?
473 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:36
近代以前の日本の場合遣唐使廃止後などいくらかの例外をのぞき、
ほとんどの時期ぶっとおしで中華には「朝貢」してる。
しかし「柵封」は権力者によってまちまち。
474 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:42
あの国は使いを出したら「朝貢」とみなす国だからね。
こっちの主観と向こうの主観の違いは踏まえておかないと。
475 :
日本@名無史さん:03/03/12 09:05
そんな力、中国にあるわけないだろ。
全盛期の唐だって百済や高句麗までの併合すらできなかったのに。
476 :
日本@名無史さん:03/03/12 11:28
朝貢している=属国という恒等式を前提にはしてないよ。
貿易という、きわめて形而下的なシロモノを中華思想の形而上にあてはめればそうなる、というだけの話だし。
形而下的に言えばむしろ中国皇帝は大損してる。
ところで徐福はほんとうに日本に文明をもたらしたのか。
・稲作の伝播と徐福日本遠征が同時期である
・初期九州弥生人の頭骨と中国秦時代人の頭骨複数の特徴が一致する
478 :
日本@名無史さん:03/03/12 21:10
朝貢と貿易は必ずしも関係ない。朝貢と冊封も必ずしも関係ない。
朝貢の2文字に反応してすぐ国家間上下関係を想像するのはDQN。
479 :
名無的発言者:03/03/12 22:38
中国は昔から共和国てきな要素をもつ、中国を統一するのは一つの族で他の部族を
配下にする。政府を建てた部族は税金や軍隊を管理することが仕事。
朝鮮は中国を宗主国とあおぎ、中国も配下の一つの部族とみなしていた。
中国から見れば日本など人口も国としても小さすぎて、眼中になかった。
だから攻めてこなかった。
>>478 だから朝貢と国家の上下関係は関係ないって。
友好使節を送ればみな朝貢扱いにしちゃうんだから。
貿易と朝貢の関係については俺はよく分からないなあ。
日本の場合、中国とは少し離れすぎてる。
当然大掛かりな船団で積荷を運ぶことになるわけだが、
その場合、朝貢してこない国=友好使節も送ってこない国(当然官許もないだろう)が、
中国との貿易なり上陸なりが許されたかどうか。
481 :
日本@名無史さん:03/03/14 22:31
661 耽羅国,日本に使臣を派遣。
666 耽羅,日本に使臣を派遣。
667 耽羅,日本に王子である故如を派遣,貢献する。
669 耽羅,日本に掾磨を派遣,貢献。
帰国の時に錦,纈,紺布,桃染布,斧,月子等を得てくる。
674 耽羅,日本に久麻伎王子等を派遣して貢献。五穀種子を得てくる。
676 耽羅,日本に王子である久麻芸,都羅,宇麻等を派遣,朝貢を捧げる。
日本に調使として久麻伎を派遣。
677 耽羅王姑如,日本で難破(大阪に到着)。
678 日本,耽羅の客人に船一隻を遣る。
679 耽羅,日本に都羅王子を派遣,朝貢を捧げる。
耽羅人(都羅王子),日本から帰国。
685 高句麗と耽羅に派遣されていた日本の使臣が帰国。
686 日本,使臣を耽羅に派遣。
688 耽羅に派遣されていた日本の使臣帰国。
耽羅王,左平職の加羅を日本に派遣,朝貢する。
482 :
日本@名無史さん:03/03/16 00:12
日本が遠かったからさ。
中国はイギリスもエジプトも攻めなかった。みんな同じ理由さ。遠かったからさ。
483 :
日本@名無史さん:03/03/23 07:19
たとえば、始皇帝は金髪で碧眼だったと記録されている。
これは明らかにコーカソイドの特徴であるが、
中国歴代王朝は異民族による支配の歴史でもあるので不思議ではない。
唐や隋もトルコ系の鮮卑族が支配層であるし、
元は蒙古族ならびにその下に色目人であり、
清は満族(女真族)であるのは御存知の通り。
その他にも渤海、遼(契丹)、金、西夏など、ほとんどが漢族とは異なる。
これらをひとまとめにして、安易に、中国・中国人と表現するのは本質を失う。
484 :
日本@名無史さん:03/03/23 07:36
詩聖「李白」は、西域の少数民族ソグド系の血を受け継いだ人物で、
紅毛碧眼の持ち主だったようなので、中国人といっても、ピンキリですな。
485 :
日本@名無史さん:03/03/23 08:31
ねえねえ、みんなはどうしてそんなに物知りなの?
どんな勉強したらみんなみたいになれるの?
どうしてそんな細かい事項まで頭の中に保持していられるの?
486 :
日本@名無史さん:03/03/23 09:08
鮮卑はモンゴル系じゃないんですか?
487 :
日本@名無史さん:03/03/23 09:27
>>483 >始皇帝は金髪で碧眼だったと記録されている。
それって本当?どこに出ているの?
聖徳太子は赤髪だったって説は聞いたことあるけど。
488 :
日本@名無史さん:03/03/24 04:25
age
489 :
日本@名無史さん:03/03/24 04:59
だって日本国は朝貢国だったんだからわざわざ征服する必要ないじゃん。
わけわかんないモンゴル人だけは征服しようとしたけどね。
今も日本はODAという名目で朝貢してるんだから安泰さ。
490 :
日本@名無史さん:03/03/30 19:31
倭は唐と戦争したが?
モンゴル人に征服されていれば、今頃半島と同質国家か?
紙の歴史をでっち上げるのに必死だろうな。まあ、今の日本が均質化したとは言え
それぞれの地域で、民俗学的古層を温存出来たことは奇跡に近い。
492 :
日本@名無史さん:03/04/06 00:35
660年の日中戦争により、半島争奪戦は、日本が負けたわけですな。
493 :
日本@名無史さん:03/04/07 21:57
494 :
日本@名無史さん:03/04/07 22:26
日本書紀斉明天皇六年七月
春秋智、大将軍蘇定方の手を借りて百済を挟み撃ちて亡しつ。
百済自亡。由君大夫人妖女之無道。擅奪国柄。謀殺賢良故。
495 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:10
>>492 負けたのは倭だよ。半島争奪戦でなくて、倭が半島から追い出されたんでは?
496 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:35
たしかに負けたのは倭人の国、倭だな。
概念として、今日の日本とはちょっと違う。
ゲルマン人の大移動とは言うが、ドイツ人の大移動とは言わない。
497 :
日本@名無史さん:03/04/12 16:51
半島の倭は新羅に侵略されました。いまだに回復されていません。
498 :
日本@名無史さん:03/04/12 16:55
元は日本を侵略しようとしましたが、失敗しました。
499 :
日本@名無史さん:03/04/12 16:57
日本は清国から朝鮮を解放し、ロシアの侵略から朝鮮を守りました。
500 :
日本@名無史さん:03/04/12 22:03
明治時代になっても台湾を化外の地といってるような国だからねえ。海越えてまで領土広げようという意慾がないのだよ。
その代わり内陸部は侵略しまくり。
501 :
日本@名無史さん:03/04/12 22:13
>元寇は中国ではなく、モンゴル人だったし、
>隋、唐はなんで日本を支配しようとしなかったの??
>
>まじで教えてください
日本には征服するだけの価値がなかったんだよ。いまと同じ。
502 :
日本@名無史さん:03/04/12 23:32
隋は対高句麗問題で、倭と仲良くしたかった。
唐は新羅に完敗し、倭を属国化しつつあったが、大和朝廷に噛み付かれ、
突厥・吐蕃との戦いが優先事項になり、撤収。
503 :
日本@名無史さん:03/04/13 00:04
>隋、唐はなんで日本を支配しようとしなかったの??
隋・唐には、それだけの意欲も能力もなかったんだよ。
504 :
日本@名無史さん:03/04/13 00:09
隋・唐は、北狄とみなされていた鮮卑族の出身。
東夷とみなされていた倭と立場は一緒。
(^^)
506 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:23
古代だよなー。やっぱ遠いよ。仮に攻めても兵站がもたないね。
どう見てもありえねえなあ。
507 :
日本@名無史さん:03/04/18 22:27
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
509 :
日本@名無史さん:03/04/20 21:47
>>507 ものは良いようだけど、やっぱ遠いからだね。
どんな大帝国でも地球全部を支配出来ないのであれば、
どこかに限界エリアがある。そこのところをどう言うかだよね。
510 :
日本@名無史さん:03/04/21 00:22
冬の日本海は荒ぶるぜよ。
511 :
日本@名無史さん:03/04/21 00:32
>>509 ほんと、そのとおりで、唐の周辺国支配は結構ダメで、
特に東アジアは、腰が引けてる。
極東最後の拠点が倭国だったけど、列島内紛に伴い消滅。
512 :
日本@名無史さん:03/04/21 01:09
>>511 >極東最後の拠点が倭国だったけど、列島内紛に伴い消滅。
電波野郎は氏ね。
514 :
日本@名無史さん:03/04/21 01:32
>>513 原文で読んでら電波が。
日本人自尊心高いアルね。
唐に対する尊敬無いアル。不遜で信用できないアル。
で、日本人の説明無視して↑だけを根拠に作った話だぞ。
お前は文章をどうやって読んでるんだ?あ?
515 :
日本@名無史さん:03/04/21 03:44
>>514 真性○○か。日本語も読んだほうがいいぞ。
まあ、感染するからあっち行けや。
シルクロードの陸路の交易が盛んになったのって、けっこう時代が下ってからじゃなくったっけ?
>>516 BC8Cごろらしい。ちゃんと調べていないけど・・
518 :
日本@名無史さん:03/04/30 00:15
黄金の国
519 :
日本@名無史さん:03/04/30 05:24
古代中国が半島から南下できなかったのは
朝鮮が宗主国だったからだよ
超古代朝鮮が古代中国を作ったって学校で教えてもらったし
あぼーん
521 :
日本@名無史さん:03/04/30 08:17
オーストラリアがニュージーランドに攻め込むかい?同じだよ
あぼーん
>>519 DNA的に完全否定できるね。多分。その論理。しかもその思想は
半島の極右が語っている有名な話だよね。何度も聞いたから耳にたこだな(笑
大きい倭を小さい日本が吸収した結果、日本国が出来たとか聞いたがな。
>519
古代中国の中心性は南の方だろ?
526 :
日本@名無史さん:03/05/04 19:00
あぼーん
528 :
日本@名無史さん:03/05/07 20:11
中国人は戦が弱いから。
確かに日本海はあった。しかし『異民族』としての活力をまだ持っていた
蒙古はそれでも日本を攻めた。
みんな中国に過大評価を与え過ぎ。
中国から見た日本は、例えるならば幕末江戸幕府からみた薩摩藩
(あくまで例えです)。
529 :
日本@名無史さん:03/05/17 23:16
たとえとして、薩摩藩はいかがなものか…
朝貢国だからだろ
わざわざ責める必要ない
中国人は戦争嫌いじゃん。
どちらかというと夷をもって夷を制すっていうのが中国人。
中国人は戦わずして勝つ天才。
>日本には征服するだけの価値がなかったんだよ。いまと同じ。
今は侵略するだけの価値があると思うよ。だって中国にとって
アメリカがじゃん。
534 :
日本@名無史さん:03/05/18 23:43
>532
中国人はむしろ内乱の天才。
戦争は弱いが、仲間割れには本領を発揮する。
文化大革命はその最高傑作。
戦争は嫌いだが集団リンチは好き。
535 :
日本@名無史さん:03/05/19 00:13
隋⇒高句麗と戦争してたから
唐⇒遣唐使を送ってたから
日本が輸出していたものは結構価値があるものが多かったので
(真珠、螺鈿細工、漆器、工芸品)価値はある国だったと思いますよ
ただ責めようとまではおもわなんだ
そういえば、唐で安史の乱が起こったとき、日本と渤海が組んで
新羅を分割しようとしたっていうのは、本当ですが
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
537 :
日本@名無史さん:03/05/23 00:28
>>535 臨戦態勢に国を挙げて進めた様々な記録が残っている
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
539 :
日本@名無史さん:03/05/29 02:42
安史の乱に乗じて日本が唐を制覇
中国の歴史を見れば分かるだろう。
かの国の軍隊は言わば『統率の取れない烏合の衆』。
劣勢と見るや、寝返って自国に敵を引き入れることが頻繁にある。
満州族は漢族に比較すれば圧倒的少数にも関わらず攻め入った。
541 :
日本@名無史さん:03/06/08 02:17
唐や隋もトルコ系の鮮卑族が支配層であるし、
元は蒙古族ならびにその下に色目人であり、
清は満族(女真族)であるのは御存知の通り。
その他にも渤海、遼(契丹)、金、西夏など、ほとんどが漢族とは異なる。
これらをひとまとめにして、安易に、中国・中国人と表現するのは本質を失う。
542 :
日本@名無史さん:03/06/08 02:58
Already occupied.
まだこんな妄想スレ続いていたのか。
そもそも
>>1のスレを立てた意図は「あの古代中国ですら侵略できなかった日本は神の国」
と日本マンセー論に持って行きたかっただけだろう。
いつまでも釣られてんじゃネーヨ!
・中華、すなわち中原こそが最高の場所であり、力ある者は全て中原を目指すので
あえて辺境に目を向ける必要が無い。
・同じ理由で一度中原の支配者になると、同じように中原を目指す外敵を防がないと
いけないので、わざわざ中原の兵を裂いてまで辺境に侵出することはしない。
・地続きのアジア各国ですら侵略していないのに、船を使わないといけない島国に
兵を送るという戦略的愚行を犯す理由がない
・中華思想は、そもそも周囲の文明の劣った野蛮な辺境国家に対して、あえて
侵略して支配するほどの価値を認めていない。
だから、中国が他の国を支配するのは無く、他の国々が貢物を持って中国に
「支配されたい、中国の藩国になりたい」とやってくるべきだと思っている。
実際、朝鮮も日本も中国の藩国であり、漢倭奴国の金印も、そののちの
朱印船・勘合貿易においても、(実情はどうであれ)日本は中国の藩国という
立場であり続けた。
既に被支配国であるのに、わざわざ手間隙かけて侵略なんかするわけないでしょ!
>543
>日本マンセー論に持って行きたかっただけだろう。
すごいな・・・、君の(ry
・
・
・
・
・・・全然、説得力ないな。
545 :
日本@名無史さん:03/06/12 19:11
546 :
日本@名無史さん:03/06/20 02:19
蓬莱というのは日本のこと?
548 :
日本@名無史さん:03/06/25 00:26
500以上レスがあるのに重要なことが抜けてませんか?
白村江の戦いに大勝した唐、新羅がなぜ攻めてこなかったのか?
それは朝鮮人(亡命百済人)のおかげです。
白村江以後、多くの山城が北九州や瀬戸内沿岸に造られました。
大宰府の大野城や畿内の高安山城などです。
これは日本の軍事史上画期的な出来事でした。
これまでの防御施設は環濠集落や豪族居館などのちゃちなものでしたが、
この山城の出現により日本も大陸国家なみの
軍事施設を手に入れることができました。
もちろんこの技術を伝えたのは百済から亡命した朝鮮人です。
このことは日本書紀にも書かれています。
唐、新羅が攻めてこなかったのは、以上のような日本の防御体制の整備も
一因になっていることは間違いないでしょう。
ここではみなさんが無知なのかわざと無視しているのかわかりませんが。
>>548 なるほどなるほど、今の日本が有るのも「朝鮮のおかげ」
という事ですか。
誇らしいですね、ホル、ホル、ホル、ホル
さんざ既出だが、百済人=現朝鮮人では
ないだろうにw
550 :
日本@名無史さん:03/06/25 19:32
百済人を助けるために出兵したんじゃないの?
551 :
闇の古代史さん:03/06/25 22:27
私も52氏が述べているように、663年の白村江の敗戦後、日本いや九州倭国が
唐に占領されていると思いますよ。日本書紀には、唐の進駐があったとされる
記述が残っていますし、旧唐書には日本列島には3ヶ国あったことが書かれています。
倭国(九州が中心)・日本国(近畿)・毛人国(関東方面)の3ヶ国ではないでしょうか。
552 :
日本@名無史さん:03/06/25 22:52
白村江って、どう読むんだ?
「シラムラエ」でいいのか?
553 :
闇の古代史さん:03/06/25 23:01
>白村江って、どう読むんだ?
ハクスキノエでも、ハクソンコウのどちらでもよいのではないでしょうか。
>>551 2千人で国土の占領はできませんよ。
しかもその人数の多くが返還された捕虜だったそうです。
>>552 「はくそんこう」もしくは「はくすきのえ」と読みます。
念の為
朝鮮人云々はともかく、白村江の戦い以後、各地に造られた山城や
大宰府の要塞化などは、大陸軍の侵攻に対する抑止力になったと
私は思っています。
555 :
闇の古代史さん :03/06/25 23:15
>>548 こういうチョンが日本にいる原因を作った戦前の日本の政策を反省しましょう
556 :
闇の古代史さん:03/06/25 23:28
>555は私ではないが
>548
旧唐書には日本列島には3ヶ国あったことが書かれています。
倭国(九州が中心)・日本国(近畿)・毛人国(関東方面)の3ヶ国ではないでしょうか。
に対する回答は?
>>555 私は日本人です。念の為。
半分釣り目的で煽りっぽいレスをした私にも責任はあります。
スマソ。あと、549の方、お約束に感謝します。
しかし、レスの内容は事実です。
日本の防衛体制の整備も考慮に入れるべきだと思います。
>>556 大宰府の要塞化、北九州や瀬戸内沿岸に山城を築城、近江京への遷都
これらの一連の動きは一体的な動きだと思います。
従って日本は一つの国だったと思います。
559 :
日本@名無史さん:03/06/25 23:43
歴史に「もし」は無いつか、人文・自然地理的にそれ以上領土を広げ難かったからご指摘の古代中国が成立した。
560 :
闇の古代史さん:03/06/25 23:49
>548
それでは、私への回答にはなっていませんね。翻訳本でも構いませんが、
古代中国の史書を、よく読んでいただきたいものです。
こんなトコロでエラソーな奴。
562 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:07
おいおまえら双方とも、日本史板住民なら、以下の記事を知っているだろ?
麟徳二年、封泰山。仁軌領新羅及百濟・耽羅・倭四國酋長赴會、高宗甚悦、櫂拜大司憲。(舊唐書 列傳第三十四 劉仁軌)
於是、仁軌領新羅・百済・耽羅・倭人四國使、浮海西還、以赴太山之下。(冊府元龜 巻九八一 外臣部 盟誓 高宗麟徳二年八月条)
563 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:14
東アジア史ではまあひとつの重要ポイントである「泰山の召集」ですが、
記紀に載っていないためか日本においてはなんと知らない人までいるようです。
麟徳元(664)年7月、唐の高宗は、
麟徳3(666)年に泰山に封禅の儀をあげる旨を告げ、諸王に
麟徳2(665)年10月泰山に集まるよう命じた。そして、次の各記事によれば、
麟徳2(665)年8月以降、劉仁軌は、倭を含む四か国の使と共に泰山に向った。
その四か国とは、新羅・百済・耽羅・倭であり、強いて言えば終戦の平和の誓い。
564 :
闇の古代史さん:03/06/26 00:18
>562
漢文はいいんですが、誰が見ても分かりやすい説明をしてもらいたいものです。
565 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:19
この頃は、耽羅(現在の済州島)は一つの国だったんだよなあ。
唐も新羅や百済や倭と対等に扱ってる。
566 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:22
>>564 『泰山の召集』というキーポイントを知らずに、
白村江の戦後の各国の関係を論じるには無理があることでしょう。
倭が唐に占領されたとかいう妄想まで書き込む人もいるし。
567 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:23
>> 隋、唐はなんで日本を支配しようとしなかったの
それ造船技術が当時は格段に低かったから、海を越えての侵略はむずかしかった
だろうよ。
それに日本も含めたアジア諸国は中国に対して朝貢してたからべつに侵略必要
なかったんじゃない?
>新羅及百濟・耽羅・倭
日本はケツか
569 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:57
あいうえお順で、くだら、しらぎ、たんら、わ。
570 :
日本@名無史さん:03/06/26 01:07
「古代」の造船技術では、無理でしょうな。
貿易であれば、10隻派遣して半分が無事なら大成功だが、
遠征なら10隻が10隻とも無事に辿り着けねばならない・・・
571 :
日本@名無史さん:03/06/26 01:33
とにかく唐としては、戦線拡大する余裕はなく、
泰山の召集にあるように周辺諸国を一堂に集めて平和的戦後処理するしかなかった。
572 :
日本@名無史さん:03/06/26 07:37
白村江の戦い以後は
新羅、唐の怒りをかってしまい日本遠征どころか「家来になってもいいから助けて」と日本に泣きつく。
唐、遣唐使も来たからこれ以上日本に干渉しなかった。むしろ律令制度等を日本の使者に伝えた。
そうこうしているうちに衰退期に。
573 :
日本@名無史さん:03/06/26 10:11
遣唐使が終わるまで、日本はずっと朝貢しつづけていた。
はっきり言えば、服属。
遣唐使がある時、唐の皇帝名代の使者を連れて帰ってきたとき、
朝廷は大騒ぎ。
臣下には、日本が中華で、中国は蛮であると説明してた。
つまり嘘をついていた。敗戦前の、上では機関説、下には現人神と同じ構造。
日本が中国に臣下の礼をとっているのを知っていたのは、朝廷上層部と
遣唐使代表などのごくわずか。
結局、紛糾の末、天皇は、玉座を降りて、対面した。
北面して完全に臣下の席についた説と、東西でごまかしたとの説がある。
どっちにせよ、玉座を降りて、臣下の令をとった。
ここまで服従してれば、攻めて来ないでしょ。
(「日本の歴史05」講談社・坂上康俊)
574 :
日本@名無史さん:03/06/26 10:14
へええ何天皇?
575 :
闇の古代史さん:03/06/26 12:06
>563
その「泰山の召集」『だけ』を読んでも、なぜ東アジア史での重要なポイントになるのか
私には理解できませんね。ただ、これが終戦後の『服属の誓い』とすれば重要な意味を
持つことになりますが。そう言えば、自宅にある本に、この「泰山の召集」が載っていた
ことを思い出した。別に重要だとは思わなかったけどね。
一番重要なのは、旧唐書による倭国と日本国は別種であるとの記述である。
旧唐書には日本列島には3ヶ国あったことが書かれています。
倭国(九州が中心)・日本国(近畿)・毛人国(関東方面)の
3ヶ国ではないでしょうか。
576 :
日本@名無史さん:03/06/26 12:56
577 :
日本@名無史さん:03/06/26 19:06
>>573 坂上康俊さんはなにをソースに書いたんでしょうね。
578 :
日本@名無史さん:03/06/26 23:29
>>574 御座を降りた天皇は、光仁天皇。このいきさつを見ていたのは、皇太子山部、
のちの桓武天皇。対面の儀は、宝亀10(779)年、5月3日。
>>577 いきさつは、「続日本紀」と東野治之「遣唐使船」
唐のまねをしすぎたため、形式上、唐を蛮国としたいきさつは、平野邦夫「国際関係における
帰化と外蛮」
しかし、この嘘ギャップで唐で遣唐使がいざこざを起こさないように、いましめた
詔勅は、「続日本紀・宝亀7(776)年・4月15日条」
天皇が御座から降りざるを得ないだろうと言うのは田島公「日本の律令国家の賓礼」
天皇が降りるかどうかの議論は壬生家史料(現在行方不明)
この資料には偽物説もあるが、国学者の創作であれば降りたことになってる理由が理解できない。
天皇の降座は止むなしとの石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)らの意見が多数派となり決定。
これは田島の先の論文と、森公章「古代日本における対唐観の研究」
旧唐書によると、この件のかなり以前に、唐の太宗の使者「高表仁」と倭の王子が、
礼を争い、高は怒って使命を述べず帰ってしまったことがあり、それ以降は、
この日本中華の嘘ギャップが露見するのを恐れ、唐の使者は遠慮してたらしいが、
このときは来てしまったので、仕方なかったらしい。
579 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:24
いいねえ。やせがまん。これぞ大和魂。やせてもかれても体面を重んじる。
いいねえ。貧しくても、遅れていても、決しておれない。
最近の日本人は忘れたのかな、この気概。
580 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:25
忘れるっていうかそんな状況にならないじゃん。
あるとしても会社の上司に怒られても我慢することぐらい。
581 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:34
いいねえ。やせがまん。これぞ主体思想。やせてもかれても体面を重んじる。
いいねえ。貧しくても、遅れていても、決しておれない。
最近の北朝鮮人しかもってないね、この気概。
というわけで、そんな気概これっぽっちもいりません、ハイ。
582 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:37
いらないっていっても本人たちにとっちゃあありがたいことだと
思うけどね。
困るのはほかの人々なわけで、本人にとっちゃあ幸せでしょ。
583 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:42
「然(ちょうねん)が、983年に宋に入っている。
従来は巡礼のためと理解されていたが、石上栄一氏の10世紀の外交分析
の中で、これは宋を中心とする国際秩序の中に日本は自らを位置づけた
ことと理解されている。
都に行き、太宗に朝見して、日本の風土や皇統を述べている。
これは、朝貢にほぼ準じた行為であり、「宋史」491巻の日本国伝の書き方からは
宋側からは、朝貢と受け止められている。
寂照も、また真宗に親謁している。
10世紀後半でもまだ、中華秩序に入ってたんだね日本は。
石上栄一「日本古代10世紀の外交」(東アジア世界における日本古代史講座・7)
学生社
584 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:45
宋って異民族に朝貢してたんでしょ?
なんでさ?
戦争で大敗を喫したのがきっかけ。
金で解決したら、もめるたびに解決金が増えていった。
よく言えば、対等外交で名より実をとったとも言える。
この宋に朝貢は、半島と日本と越南くらいか?
586 :
日本@名無史さん:03/07/12 16:49
>>584-585 だけど、最初の夏は東南アジア系だし、殷はもともと北狄、
北周や隋や唐や北魏はすべて鮮卑系、遼は契丹、元は蒙古、金や清は女真、
といったように、ほとんどが異民族による王朝だったわけですよ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
588 :
日本@名無史さん:03/07/17 04:37
たとえば、始皇帝は金髪で碧眼だったと記録されている。
これは明らかにコーカソイドの特徴であるが、
中国歴代王朝は異民族による支配の歴史でもあるので不思議ではない。
589 :
日本@名無史さん:03/07/23 04:28
周囲の異民族が代わる代わる王朝を打ち立ててきたのが中国の実態
ほとんどが現在は漢民族になっています
590 :
日本@名無史さん:03/07/23 08:57
>>853 で、日本国王に封じられた人物と天皇は同一人物なのかい?
日本国王に該当する者が、日本国内では飽くまで天皇に臣従していたのなら、
日本の体制は中華秩序を無視していた事になるが。
591 :
日本@名無史さん:03/07/23 09:10
>>853って何?
日本国王が内外部に対して国の代表者たる態度で行動し、
それが天皇でないとして、
天皇がそれを阻止できないのなら、
中華秩序に内包されたことになる。
外交とはそういうもの。
593 :
日本@名無史さん:03/07/23 09:29
>>591 てーと足利義満は日本国王に明から奉じられ、ときの天皇が阻止出来なかったから
中華秩序に内包されてた訳だ。秀吉は奉書を蹴ったが、対馬藩はなんとか誤魔化し
てしまった。家康は日本国王に奉じられ中華秩序に内包された。
さすが、1868年ともなると。もうシナは奉書すらだせない状態、日清談判破裂
してとなったのか。フーン
594 :
日本@名無史さん:03/07/23 09:35
暗記科目しかできないくせに、偉そうなこと抜かすなよ、
義満やら徳川が日王名乗ったのは天皇がいるからだし、
朝貢貿易は日本の国益になるからだろ。
596 :
日本@名無史さん:03/07/31 20:46
天皇や朝廷が存在しないと、征夷大将軍の立場がなかったから。
597 :
日本@名無史さん:03/07/31 22:23
>>548 本当ですか?それまで日本にはまともな城ってなかったの?
百済人のおかげで築城の技術を知って助かったんですか?
天皇ってもはや皇帝の僭称で
大逆、不遜にあたるが
どの皇帝も攻めなかったのは
単に遠いしめんどいからか?
599 :
日本@名無史さん:03/07/31 22:56
1へ
中華思想
柵封受けてりゃ攻めない
朝鮮と同じ
>>599 まぁせめ落とす力が無かったんだろうけどな。
東洋に兵を持ってきたらほかの地方が黙ってないだろうし。
601 :
日本@名無史さん:03/08/01 01:40
だいたい、中華思想て言うのは
中国とその周辺国が世界のすべてであって、
優越民族と被差別民族の構図だから、
征服しちゃ行けない対象なんですよ
異民族の存在意義もそこにあるわけ。
だから秩序を守るための防衛のみ。
ただエラぶっているだけではなく、
朝貢外交も中華を権威づける外交
なのだよ1へ。
(^^)
603 :
日本@名無史さん:03/08/09 06:48
ちなみに、歴代の優越民族は、ほとんどが、非漢民族です。
漢民族の建てた国が大陸を支配した時期はほんのわずかしかありませんが、
それさえも、周辺諸民族への毎年の朝貢をすることで成立していました。
>>601 まずは、正しい大陸史を勉強してみてください。
604 :
日本@名無史さん:03/08/09 06:55
(統一)中国の中心が今の北京辺りに移ったのは,元以降です。
それ以前は,より内陸国のイメージが強いですね。
日本との地理的距離感はかなりのものだったでしょう。
北京のあたりは辺境の地だったよ
606 :
日本@名無史さん:03/08/10 22:19
>603歴代の優越民族は、ほとんどが、非漢民族です
だから、結局中華思想をもつに至るだろ、それわかってないんじゃないの?
俺は中華思想の話をした
>周辺諸民族への毎年の朝貢
は、中華思想の例外であって、優越民族は必要とあらば
思想など破るに決まっている。
607 :
日本@名無史さん:03/08/10 22:39
大遼も金も北京の地を首都としていたと思います。
それ以前も鮮卑系などの諸王朝が支配しています。
また、元のあとは明が北京を支配していますが、
お金で買ったも同然で、北方民族へ明から朝貢するありさま。
もちろん、そのあとは再び女真族による清の首都になります。
金とかって中国に入るのか?
609 :
日本@名無史さん:03/08/11 04:40
>>608 遼→金→元が、中国のメインストリームだろ。
北京や黄河流域を押さえていた。
日本も、藤原伊房が遼へ朝貢したりしている。
610 :
日本@名無史さん:03/08/11 04:46
中国西域を押さえていたのはチベット系タングート族の作った西夏。
西夏文字を持ち、唐が滅びたあとの東西交易路を押さえていた。
この観点からは、唐(鮮卑系)→西夏(チベット系)→元(モンゴル系)だな。
611 :
日本@名無史さん:03/08/11 05:03
そのあいだ、漢民族は宋という国を作っていたけど、弱くて、
遼(契丹)へは毎年銀100,000両&絹200,000匹の貢ぎ物をし、
西夏へは毎年銀72,000両&絹153,000匹&茶30,000斤の貢ぎ物をしていた。情けない。
613 :
日本@名無史さん:03/08/11 05:59
って古田ネタなわけじゃん>泰山の召集
615 :
日本@名無史さん:03/08/14 02:23
ほとんどが半島の香具師だよ。
モンゴルと漢民族は違うぞ。
日本は古代中国人がつくったなんていう説、本気にしないように。
トンデモ本読むのやめれ。
615はなにがいいたの?
わ〜、誤爆しますた!逝ってきまつ…。
618 :
日本@名無史さん:03/08/14 03:46
チャイナの次に大国な上、文化レベルも高いし、海の上だからな。
陸続きの北方にさえ手を焼くチャイナには不可能な事だよ。
総力戦ならともかく。
チャイナ人が今のような同一性が持ち始めるのは、
20世紀になってからだし、脅威も無いのに、総力戦はできないよ。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>1:出来ればやっている。出来なかったのだ。
元はモンゴルだが、兵員は支那人、朝鮮人の合同だ。
621 :
日本@名無史さん:03/08/16 03:34
東アジア史ではまあひとつの重要ポイントである「泰山の召集」ですが、
記紀に載っていないためか日本においてはなんと知らない人までいるようです。
麟徳元(664)年7月、唐の高宗は、
麟徳3(666)年に泰山に封禅の儀をあげる旨を告げ、諸王に
麟徳2(665)年10月泰山に集まるよう命じた。そして、次の各記事によれば、
麟徳2(665)年8月以降、劉仁軌は、倭を含む四か国の使と共に泰山に向った。
その四か国とは、新羅・百済・耽羅・倭であり、強いて言えば終戦の平和の誓い。
622 :
日本@名無史さん:03/08/16 10:53
ずばり
面倒だから
623 :
日本@名無史さん:03/08/17 20:11
日本は当時から大国だったから、簡単には攻められなかった。
16世紀でみると人口は中国全土で6千万、日本(西半分)で3千万人もいた。
ちなみに半島は300万人(w
624 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:13
>>599 日本は柵封は聖徳太子以来受けてませんよ。
各幕府が名乗ってるという形をとっているので日本国としては服従してませんよ。
皇という字を使えてるのもたしか日本だけでは?
625 :
日本@名無史さん:03/08/17 21:19
>>623 へぇ〜。
日本ってかなり国力あったんだなぁ。
とゆうかなぜ朝鮮人はそんな人口増えたんだろう?
今もそのくらいなら中国と分割統治とかできただろうに。
626 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:42
>>625 自作自演?
中国七千万
日本千五百万
朝鮮一千万
628 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:47
なぜ古代の中国はローマを滅ぼさなかったのか?
629 :
日本@名無史さん:03/08/31 10:04
桓武天皇は日本の天皇で唯一、封禅の儀式を行った。
これは討伐の対象にならんのかね、
討伐どころか、空海が代宋に拝謁して、
皇帝の前で、書を披露するという栄誉をうけている。
630 :
日本@名無史さん:03/08/31 12:31
>>1 過去スレ一切見ないでかきこ
600以上有るのは一見さんにはきついよ
新羅が唐の子分で有り続けたら攻めてきたんじゃない
当然過去スレで誰か言ってるよね
スレ汚してゴメンね
昼飯食ってくるよ
631 :
タラス紙電波:03/08/31 16:08
隋とか唐は遠征でマジ国が傾いたんだよ。半島進出とかイスラム圏までとか。
渡海遠征など不可能。その点唐の善隣外交は成功だったわけ。
コスト的に。ちなみに唐の外交のおかげで日本では、中国人は江戸時代が
終わるまで唐人って言われてました。
632 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:45
古来中国人(≒漢族)は戦が苦手。
中国人は海を渡って戦はできない。
古代の日本は意外と大国。大国というより強国のほうが近いかな。
よってわざわざ日本を攻める余裕はない。
戯言はさておき、古代の中国を『中国』と呼ぶことには多少抵抗はあるよね。
633 :
日本@名無史さん:03/08/31 17:31
ちょっと考えると、確かにおかしいな〜と思うけど、あんまり抵抗は無い。
634 :
日本@名無史さん:03/09/01 09:46
古代フランスはユーラシア大陸にまたがる大帝国を築いた!
・・・これは違和感あるな
635 :
日本@名無史さん:03/09/21 07:30
北周や隋や唐や北魏はすべて鮮卑系、遼は契丹、元は蒙古、金や清は女真
簡単な理由。
海を渡って、侵略した経験無し。元になって初めて。・・・
637 :
日本@名無史さん:03/09/21 15:32
>>636 同意見。それに日本を実際より遥か東方に広がっていると見ていた節もある。
実際に日本の東の果てまでに行った中国人(古代)はいなかったから、日本は東の果てまで続いていると誤解した。
ハワイやネイディブ・アメリカンが朝貢に来ていたなら、そこまでの過大評価はなかったかも知れんが。距離的に有り得ないものな。
638 :
日本@名無史さん:03/09/21 15:45
華北文化は、意外と黄河地域以外には
興味がなかったようだが・・・金とか蒙古が
漢民族圧迫しなきゃ長江文化
中心にならなかったと思うよ。南宋とか清代
の大商人文化はやっぱ北方民族系の圧迫が
遠因だし。
639 :
日本@名無史さん:03/10/01 22:26
640 :
日本@名無史さん:03/10/07 11:19
公衆衛生概念が欠如していたために
民族移動に近い遠征など不可能だったのだ。
タラスでも蒙古襲来でも悪疫で戦う前に
戦力消耗していたとのこと。赤壁でも実際は
悪疫で退却だというしな。
641 :
日本@名無史さん:03/10/07 14:40
日本がアホみたいに強かったからだよ。
元寇のことを、元だけが来たような印象があるけど
実態は、アジア史上例を見ない、大連合軍。
フビライの厳命により、宋、漢、朝鮮、元 アジアオールスター軍団が
10年の歳月をかけ、戦闘の準備をして、上海側と、朝鮮側から5000艘がやってきた。
このユーラシア大連合軍に日本は勝ってしまった。
暴風雨で助かったというのは間違い。
ナント、鎌倉武士は、九州に3ヶ月間、
一兵たりとも、敵兵を上陸させなかった。
アホみたいに日本軍が強かったのだ。
3ヶ月も九州の海に漂ってたらそら台風で全滅するっちゅーの。
鎌倉時代でさえこの強さ、 その後の戦国日本に中国一国で勝てるわけが無い。
その後、フビライが何度日本を攻めようとしても、朝鮮も中国も泣いてやめさせたという
642 :
初めてっす:03/10/07 14:50
僕が思うに,海を渡って日本を攻める前に,中国全土を支配すること
が精一杯だったんじゃないでしょうか。実際,建国しても倒されているので,
統一といっても,中国の各地に気を配る必要があったのではないでしょうか。
643 :
日本@名無史さん:03/10/07 14:55
日本が凄いのは、元に対するその姿勢。
朝鮮王から、日本と古来から対立してる高麗を征服した大帝国が、通商を望んでるという手紙が来た。
それだけだったら、日本は通商を開始したかもしれない。
しかし、その手紙に 「いい返事しないと元を怒らせる・・・うんぬん」と余計な文字が書いてあった。
これに、ピク!っときたのが日本。 「いい返事? アホかおまえら、返事なんか出すかこらー」
と通商の話を全く無視してしまった。
朝鮮王が、オタオタして何度も説得にくるが、全く無視。一字の返事すらださない。
とうとう、フビライの直部下が調査にくるがそれも無視。 地上最強の元への理由。「文が無礼だから・・」
フビライは、そんなバカな・・と思ったらしく、対馬の若者を元都に連れて行き、歓待して対馬に返す。
「これで、元の偉大さも日本に伝わるだろう・・・」 が・・・・ 日本全く無視。
この何年か後、怒りに狂ったフビライは、日本侵略にやってくるのだった。 しかし返り討ち。
>>641 君はあっちこっちで電波だな。
江南軍は、予定より遅れて6月18日に慶元を出発し、7月に平戸や
五島列島に到着し、東路軍と合流した。
その後博多、大宰府を攻略すべく7月下旬に肥前鷹島に移ったところ、
7月30日夜、大風が吹いて元軍は壊滅的打撃。
江南軍と東路軍の合流は7月中旬で、博多湾突入は7月27日。
暴風雨は7月30日。
文永の役で上陸され日本軍が大宰府まで退却したのは知ってるんだろうな。
645 :
日本@名無史さん:03/10/07 15:08
さて、敗れたフビライは、諦めず、親交のあつい宋から、日本に使者を出させる。
「元はいまや、大陸全土、漢も南宋も朝鮮も西国も皆支配しました、日本は返事すら出さないのは無礼だと
怒ってますよ、せめて返事を出しましょう、さもないと・・」
日本の文化の源流、中国。この中国さえ侵略してしまった、世界一凶暴な元からの手紙・・・・
無視・
無視は?
無視 え?えーーーー 「さもないと・・・」が又、鎌倉武士の琴線に触れたらしい。
世界一の帝国? 関係ありません・・・・ その場でばっさり 元と宋の使いは揃って晒し首
フビライはまたまたキレテ、前回の2倍の兵力を、朝鮮ルートと中国ルートからおくる
史上最大の侵攻を企てます。・・・ しかし その結果。 惨敗。 元惨敗。
朝鮮禿山、宋軍惨敗・・・ 一歩も上陸できませんでした。
日本の凄さは、戦力よりむしろ、この尊大さ。 アホみたいな強さの源だろう
646 :
日本@名無史さん:03/10/07 15:12
>>644 君? 君はどこぞのスレでデンパ少年と呼ばれてる彼だな! (爆)
平凡社の百科事典は買ったかい?
647 :
日本@名無史さん:03/10/07 15:14
おっと、↑のデンパな「君」は、644のことね
649 :
646 647:03/10/07 15:31
>>644 日本が褒められると、すぐ枝葉末節なケチをつけるんだな、
文頭にデンパをつけて、まるで全部が違うかの印象を与えるのはテクニックなのか?
一歩たりとも・・・・そうだな、海岸で戦ってたんだから一歩たりともは間違いだな (藁
船から部隊基地を陸地に移させなかった。といえばいいのかな?
こういうのを、表現として陸地に一歩も上げなかったというんだよ。
船から基地を陸地に移せなかったから、台風で全滅したんだよ。主旨わかって反論してんのか?
650 :
646 647:03/10/07 15:34
ちょっとまて、
>>648 ?
お前は、漢が北朝で、南は漢と呼ばないとホザイて、バカにされてた奴だろ?
違うのか?
そのレスは、おまえのバカを晒した記念すべきレスのはずなんだが?
651 :
日本@名無史さん:03/10/07 16:00
当時の航海技術で渡海による派兵は難しいことは、後年の秀吉でも保証済み。
それに元は騎馬民族だし、その強制で船を出す羽目になった漢人たちにも
戦意はない。
台風による効果を「神風だ、日本は神国だ」と言うようなバカが日本を
一度潰してしまった。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053186219/l50 のスレといい、このスレといい、何が何でも日本が昔から凄い国でないと
我慢できない人がいるみたいだなあ。
あっちのスレで言い負かされたので、今度はこっちのスレをageてるようだ。
ちっぽけな島国が、独自の文化を維持しつつ中国やヨーロッパの文化をも貪欲に吸収し、
敗戦を体験しながらも、今や大国の仲間入りしただけで十分すごいことだと俺は思うんだが。
過去を歪曲して飾りたて、自国を古来よりすごい国のように吹聴するのは、チョソみたいで
見っとも無い。
・・・って言うか、チョソ工作員が小林よしのりの影響を受けた引き篭もりネット・ナショナリストを
煽るために書いてるのかもな。
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653 :
646 647:03/10/07 16:16
>>651 なんだ、やっぱり 君か (笑
「中国や朝鮮の格下だった日本」 という君の思いが
日々打ち砕かれる感想はどうだい?
で? なに? 戦意がないからやられた?
はいはい、元ではやる気がなくて5000人全員死んでしまってかわいそうだね。
日本武士が強かったんじゃなくて、宋や朝鮮兵が疲れていただけだったんだね。
船から、下りたくても下りれないで暴風雨の中死んでいく気持ちって
味わいたくないなー。 もう船から下りて戦うより死んでしまいたかったんだね。
日本は弱かったのに、気弱なんだね。
秀吉は、補給海路を絶たれたので失敗したのであって、地上戦は大成功だったんだけどね。
君はいつもいつも、思慮が浅いなー ギャフンといわせてくれよ
中華皇帝=後北条氏
中原=小田原
倭国=安房
倭国王=安房里見氏
655 :
646 647:03/10/07 16:19
あっ間違った 5000人じゃないか、5000艘で5万人だっけ?
ところで元や高麗やそのた出兵した国々では二回の敗戦と二回神風をどう評価していたのだろう?
ことによっちゃ、この戦の失敗がその後、「日本は鬼門だ」と思わせたといえるのではないか。
657 :
646 647:03/10/07 16:37
>>656 フビライの代だけでも、その後、なんとも日本征服の計画がなされてるよ、
死ぬまでに何が何でも日本を征服するのが夢だったんだけど、
そのたびに、宋や朝鮮が反対してる。
朝鮮王にいたっては、朝鮮が禿山になってしまって国が滅んでしまうと泣いてる。
宋の将軍達も、日本は、大きくて人口も多いから征服は無理だと、
明の初代が、日本だけには手を出すなと言ったとあったが、
気持ちは判るね
658 :
日本@名無史さん:03/10/07 16:54
>>657 しかし、洪武帝は九州の「懐良親王政権」に対しては、
当初はものすごい高圧的態度を取っているけどね。
ところが逆に日本側に「あなた方はあの野蛮な蒙古とは違うのでしょう?」と言われて
態度を軟化せざるを得なくなり、
「懐良親王政権」は、まんまと明から「日本国王」に任命されているわけで。。。
まあ、国家交渉で日本にまんまとやられたって所もあるんじゃないかにゃー?
659 :
日本@名無史さん:03/10/07 19:30
日本の良心朝日新聞のなかでも選ばれた優秀な記者が
担当してる天声人語に書いてあることのほうが正しい。
------
日本は一方的な侵攻を受けた経験がほとんどないといっていいだろう。
外国の軍隊から理不尽な侵攻を受けた経験のことである。はるか昔、
13世紀の「蒙古(もうこ)襲来」が唯一に近いかもしれない。
あのときも突然モンゴル帝国が攻めてきたのではない。攻撃の6年前から
何度か外交文書が高麗経由で幕府、朝廷に届けられた。鎌倉幕府は
すべて無視した。
モンゴル側が「返事がないからには攻撃の準備をせざるをえない」と
最後通牒(つうちょう)めいた通告をしてきても、なすすべはなかった。
幕府は当時の国際情勢にまるで無知だった。知る機会がまったくない
わけではなかったが、内政に手いっぱいで知ろうとする意思がなかった
ようだ。
最初の攻撃は1日で終わったが、『日本の歴史10 蒙古襲来と徳政令』
(筧雅博・講談社)などによると凄惨(せいさん)な戦いだった。鎌倉武士の
誇りである名乗りをあげての一騎打ち戦法で立ち向かったものの敵が
応じるはずもない。集団で取り囲まれて次々命を落とした。外の世界を
知らない悲しさである。
鎌倉幕府のまずい対応にもかかわらず、幸運も重なって2度の侵攻を
食い止めたが、日本史に残るまれな「有事」の経験だった。歴史を
見渡すと、これ以外の「有事」はほとんどが日本から仕掛けたか、
あるいは日本の軍隊が外に出かけていたときに起きた「有事」だった。
言い換えれば自ら招いた「有事」だった。
こうした歴史を振り返ると、今の有事法制論議がどちらを向いているかが
気になる。間違っても「有事」を招くような方向であってはならない。
>>659 見方を変えればここまで歴史は曲げられる、という見本だったよね。
でもそんなおぞましい時代は終わりました。
661 :
646 647:03/10/07 20:25
659 の記載事実は実に正しいね(笑)
さすが朝日がどんな時でも情報操作!
ある事象を隠蔽すれば、逆の印象を与えられといういい例だね。
・朝廷も幕府も無礼な元に怒りまくり 記載なし
・元と宋の使者を斬首してさらし首にして挑発 記載なし
・武士は3ヶ月間、陸地に上陸させなかったので 記載なし
・嵐で敵は滅亡した
・武士の一騎打ちなど元に通じなかった
・何も準備しなかった
・元のことなどより内政で忙しい
下の4つだけの事実を並べると、「能無しのウサギちゃんが運良く助かりました」
って事になるんだね。 上の3つの事実を並べれば 運でもなんでもないんだけどね
そして、たいした準備もせず敵をあしらっちゃった。
元軍に敗れる事など考えてないのか
武士は武名を上げることばっかり意識して、一騎打ちしてばっかり
まあ余裕なんだな、
まあ、陸続きであったら負けただろうな。
663 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:33
>>661 ていうか上の三つを記載しても印象変わらないんですけど…
664 :
646 647:03/10/07 20:37
>>659の
鎌倉のまずい対応が、日本を危機に招いた 有事法制云々というところが又いいね
鎌倉が元に一歩も引かずに、相手にしなかったおかげで
元率いるユーラシアオールスター全てに、日本最強伝説を残す事ができた。
もし、鎌倉が恫喝通商に応じて弱腰でいたら朝鮮と同じ禿山の運命だったろう
そもそも、日本に来たオールスター軍は、武器の他に
穀物の種や耕作道具を持ってきていた。そのまま領土にする予定だったんだろう
侵略方の皇帝は部下に新しき領土を与え続けなければ、
鎌倉や豊臣のように不満を裁けないからね、元とて同じで、
日本は侵略予定地だったんだろう。
665 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:38
>>661 三つ目はともかく、上二つがつくと余計ひどくなるが。
666 :
646 647:03/10/07 20:44
うん?
3つとも、能動的な立場を表現してるんだよ。
朝日を読むと、「受動的でしかもその戦いは通じなかった」
実際は、「能動的に喧嘩を買い、しかもその戦いは強すぎて、敵を海に釘付けにした」
667 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:45
668 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:58
>>664 3ヶ月間上陸させなかったのは文永と弘安のどっち?
669 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:01
少なくとも646 647よりは朝日新聞のほうが信用できることは確かだ
670 :
646 647:03/10/07 21:05
いいよ、いいよ 自作自演は (笑
朝日信じる奴は君だけだ
672 :
646 647:03/10/07 21:07
僕もまいっちゃった 降参!
673 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:14
>>668 文永の役は十月五日に対馬に向かうことにし、十月十四日に上陸してる。
鎌倉幕府が十分に準備していた弘安の役だ。ただ、646 647が言っているように
強すぎたってことはない。
675 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:25
>>664 ユーラシアオールスターだって。
プッ バカじゃねーの。
モンゴルと中国と朝鮮だけじゃねーか。
各地の方面軍は、侵略地で徴兵して兵をそれぞれの方面で使うのであって
元の全ての地から日本に責めかかってきたとでも言っているのか?
676 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:29
>>666 > 実際は、「能動的に喧嘩を買い、しかもその戦いは強すぎて、敵を海に釘付けにした」
能動的に喧嘩を買った? 喧嘩を売られた時点で、受け側なんだが・・・
強すぎて、ってアンタおかしいんじゃないの?
677 :
646 647:03/10/07 21:34
>>675 その頃の中国は南北2つだから、4つの軍隊なんだよー
元の全ての地から? どこにもそんな事書いてないよー
オールスターってのは、それぞれからの選抜 だから ぴったりなんだよー
俺の負けでいいってゆうのに、必死だねー
678 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:34
679 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:37
みんな、"646 647"を許してやってくれ。
引き篭もりで友人のいない"646 647"は、他人とのコミュニケーションの
仕方が分からないんだ。
だから、こんな妄想を書き散らして相手をバカにするような態度しか
取れないんだ。
"646 647"は、本当は寂しがり屋なんだよ。
本当は、みんなと和気あいあいに歴史について語り合いたいんだ。
でも、30過ぎのデブの歴史オタだけど、精神年齢はまだ厨房なんだよ。
みんなやさしくしてやってくれ。
>>679 \(^o^)/ 了解。
やさしくしてあげるから、お友達になろう > "646 647"
まずはメルアド欄に「sage」と入れることから、一緒に勉強しようよ!
681 :
646 647:03/10/07 21:40
>>676 しつこいなー俺の負けだっていってんのに (笑
例えば、朝鮮はね恫喝されて従ってしまったのね
日本はね、2度にわたって、使者を公的にさらし首で切り殺してるのね
こういうのを、日本では 「喧嘩を買ってやった」 て能動表現と言うんだよ。
君の学校は特殊だから細かい日本語知らないのかな?
682 :
646 647:03/10/07 21:48
まずね、、自作自演がばれないようにやろうよ。
俺が負けだっていってんのに・・・・ (笑
俺また、他のスレみたいに、君の小さな尊厳を傷つけて
ストーカーのように、自作自演攻撃されるのいやなんだ
それなのに、君に負けだ負けだと言っても
君、バカだから、墓穴をほって、晒し者になる・・・・・
そのいつものパターンで俺を恨むのはやめてくれ!
よく分からん小芝居が続いているが、朝日新聞はダメ新聞であることは確実。
684 :
646 647:03/10/07 21:58
>>683 迷惑かけてスマン。 朝日ダメ新聞・・同意だね。
有事立法の反対に元寇を持ち出すあたりが凄い
しかも、元の恫喝を無視した鎌倉を責めてる・・・ 凄すぎ
685 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:02
元の恫喝を突っぱねた日本は、悪である。
アメリカの恫喝を突っぱねたイラクは、悪である。
日本の恫喝を突っぱねる北朝鮮は、悪である。
686 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:10
>>686 おいおいくだらん小芝居に俺を巻き込むのは止めてくれ。
わざわざHNつけたのだから。
>>659の朝日的小噺が気に食わないだけ。
>>687 "646 647"の友達って時点で恥ずかしい
689 :
646 647:03/10/07 22:25
>>690 ??何で?
別に友達でもなければ、敵でもないよ。
>>659の文章読んで「んなアホな。」と突っ込む人は普通だと思うけれど。
何か問題でも?
特別なことは何もやらかしていないよ。まだw
692 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:32
>>678 実際、逆侵攻の計画はあったよ。取り止めになったけど。
和泉元彌が元寇に鉄槌を食らわしました!
朝日の記事が誘導的なのは確かとしても646 647はキモ過ぎ
>>694 646 647氏の意見は清々しくて、よろしい。
一見大袈裟だが、それほど間違ったことは言ってない。
696 :
日本@名無史さん:03/10/08 01:07
>>641の元寇の話、面白いですね、
運だけで勝った、神風って聞いてたので。
勉強になりました。
朝日信者うざいです
夜中にねばねばと大変ですね。
>>666 朝日の社説に、
>>661の上の二つの要素を足すと、
日本ごときが愚かにも元に喧嘩を売り、あまつさえ元の使者を斬ったが、
実際に喧嘩を売ったら無残にも歯がたたず、
たまたま台風がきたおかげで運良く助かった、という流れになる。
よりひどい印象になるわな。
ちなみに、去年の大河ドラマ「北条時宗」の流れは
こんなん(時輔という偽善者がいたのでもっとひどいが)だった。
北方民族に悩まされてそれ何処ではなかったのでは。
700 :
日本@名無史さん:03/10/08 06:48
>>698 でも、本当は実際に喧嘩を売って、連戦連勝したんだから
そんな解釈持ち出す意味あるの?
すでに、上でバカにされて終わってます。
>喧嘩を売って
うられたんだろ
朝廷が返書を出そうとして、幕府にとめられたこともあった
>連戦連勝
対馬や壱岐がほぼ全滅したのは知ってるのか
ここは「古代」スレです。
元寇を持ち出したアホは誰だ!
702 :
日本@名無史さん:03/10/08 14:12
>>元寇の人に敵意をむき出しだが、このスレはずっと明の話が出ていて
古代の話などないです。
対馬を全滅させた朝鮮軍はゆるせませんね。あれは朝鮮が最初に犯した蛮行ですね。
戦略的な意味などあまりない土地での暴挙はゆるせません
通商に対する返事を望んだだけの使者は、別に喧嘩を売りに日本に来たわけではありません。
その後も、返事をよこすようにそれなりの地位のある人間が来ていたのです。
朝日の記事にあるように、日本が蛮行に及んで
日本が元に喧嘩を売ったのです
たとえ挑発されたと思っても、それを乗った時点で日本が悪いです。
今の北に対する姿勢をみても危険な感じがします
>>702 朝鮮じゃなくて高麗な。
で、通商が望みだったなら、
元は、それ以外の余計な要求を取り下げような。
704 :
日本@名無史さん:03/10/08 16:17
705 :
日本@名無史さん:03/10/08 18:56
結局、はじめから倭奴だったから攻める必要はなかったのね。
赤マフラーの神通力
707 :
日本@名無史さん:03/10/08 19:16
>>1 人間がゴリラやチンパンジーの社会を征服しないのと同じ。
708 :
日本@名無史さん:03/10/08 19:51
とりあえず元軍の結果だけ見てみよう。
文永の役のときは、引き上げる途中で大風で大破。
弘安の役のときは、3ヶ月もの間上陸できずに台風で大破。
今はこれが一般的な見方ですね。
これだけで朝日新聞の昔話のうそ臭さ、イデオロギー臭さが分かる。
709 :
日本@名無史さん:03/10/08 21:03
>>1 日本は島国だからだ。
当時は海を渡るのでも命がけだった訳で何ヶ月もかけてワザワザ攻めるか?
1万5千の東路軍は江南軍を待ってたんだよね。
主力の江南軍10万がついたのは7月15日前後。
7月27日が総攻撃だから海上にいたのは2週間くらい。
暴風雨は、7月30日。
鎌倉武士は確かに小船で良く戦ったがね。
南宋人は殺されないで奴隷にされたんだっけ?
その後、彼らはどこいったの?
711 :
日本@名無史さん:03/10/09 17:55
日本は小船しか作れなかったのか?
712 :
日本@名無史さん:03/10/09 17:59
出無精だったんだろ。
日本は大きな船要りませんがな、敵が其処に来ているのですから、
海戦は日本の方が得意ですよ、元とか高麗のように内陸でないから
大きな軍船は日本に幾らでも有りましたが、小舟の方が小回り効き
ますから。もっとも元も最初は通商のみ望んでいたのでしよう。
714 :
日本@名無史さん:03/10/09 19:39
句読点のつけ方がキモいです。
715 :
日本@名無史さん:03/10/09 20:17
キモイと言うより頭が悪い!
実際に、声に出して、読んでみれば、分かる。
716 :
日本@名無史さん:03/10/09 20:32
ということは
>>715は声に出して読んだんだな。キモイやつめ。
元寇の合間やすぐ後に、商人の行き来が普通にあるってのが不思議な感じ。
やっぱり中世ってのはいわゆる「国家」はなかったのかねぇ。
日本が小船で攻めに来るので、元軍は夜襲を恐れて、鎖で船どうしを結んでいたらしい。
それで、暴風雨の被害をもろに食らったとか。
大船破却令というのが、鎌倉幕府から出ていた記憶が。
貿易には中国のジャンク船が来てたからかな。
ちなみに、元が攻めてきてても、唐物狂い(中国舶来品バブル)の風潮は収まらず、
ますます盛んになったとか。
718 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:58
中国は海渡るのが面倒だったんじゃん!
720 :
日本@名無史さん:03/10/10 00:00
しかし、日本も無茶苦茶だなー、手紙が無礼か無礼じゃないかで、
世界最大の帝国を敵に回したんだろ?
元も、まさかそんな理由で使者が切りつけられるとは理解できんだろうな
これで勝てたからいいものの、負けてたらしゃれんならん。
神国日本に無礼だ!って鎌倉も朝廷も言ってるんだから、そのことから
デンパな国なんだよ
元からの手紙は好意的って解釈する専門家もいるんだがな。
とにかく、当時の航海技術としては結構遠く離れたところにあってよかった。
数十万規模で、九州に限らず何箇所かからせめられたらやばかった。
>>717-721 モンゴルからの国書は好意的だった。
では日本側が誤解したのかというと、それも考えられない。
それ以前から日中の交流は盛んだったのだし、モンゴルは日本側の常識に配慮して
中国式の国書に仕立てており、すでに貿易が盛んだった時代の幕府に情況を理解する上で情報不足などあり得ない。
不可解なのは鎌倉幕府の反応であって、なぜ過剰反応したのかは謎。
モンゴル側には不可解な点はない。
724 :
日本@名無史さん:03/10/10 08:01
>>718 そういうレベルの低い話は、散々既出なので、どうでもよいのだよ。
どうして、クシャーナ朝(北インドからアフガニスタンにかけての当時の大国)と
倭国にだけ、金印が与えられたのか、など、中華視点での国際情勢を考えるべし。
725 :
日本@名無史さん:03/10/10 12:35
ただ単に、せめてはみたけれど台風でやられた。
それを日本側は「神風」と勝手に解釈した。
そして太平洋戦争で「神風」が出てくる、と。
あのとき中国が襲ってこなかったのは「神風」で国が守られているからだ!
なんて勝手にでっちあげて国民をマインドコントロール。
単なる台風だったのに。
それは「レベルの低い話」で片付けられてしまうか。
でも案外歴史ってこんなものだと思う。
後々、色々と尾ひれがついていくものだからさ。
726 :
日本@名無史さん:03/10/10 13:46
>>725 君、せめてスレよめよ。
3ヶ月も上陸させない日本軍の力があったから、暴風雨でやられたんであって
君の話は、戦前の神風話そのもの。
偶然の神風で守られたってマインドコントロールされてんのは君。
元寇後、
朝廷側は、朝廷の祈祷が暴風雨(神風)を呼んだのだと、朝廷の力を誇示する。
鎌倉側は、祈祷や暴風雨の力とされるのに反発する。戦ってた奴が祈祷のおかげだ
と言われたら怒り心頭だろう。
727 :
恩賞くれって:03/10/10 14:13
寺院とかが勝手に言ってるだけなんだよな・・・。神風
728 :
日本@名無史さん:03/10/10 16:07
実際、米空母群も、日本の軍用艦船ならびくともしない台風で、
大損害を被っているのだけどね。
日本の軍用艦船が転覆事故の反省から船体強度を凌波性に割いているのに対して、
米国の軍用艦船は、船体強度を専ら対砲雷爆撃対策に回していたから。
729 :
日本@名無史さん:03/10/10 16:43
しったか君ハケーン!
730 :
日本@名無史さん:03/10/10 16:50
>>728 三陸沖の三角波とボリバー丸のことか?
造船技術は、秀逸なのは間違いない。
731 :
日本@名無史さん:03/10/10 18:06
日本側も頑張ったかもしれないが、そもそも
宋、漢、高麗は、そんなに戦意が高くなかったのでは?
なんで俺達がてめーら(元)のためにそこまでって感じで。
732 :
日本@名無史さん:03/10/10 18:28
負けたら死ぬんですけど。
733 :
日本@名無史さん:03/10/10 18:30
>>731 戦意は非常に高かったんじゃない?
なにしろ、日本侵略をさそったのも彼ら自身だし、
壱岐・対馬などでの残虐行為も熾烈を極めてた。
734 :
日本@名無史さん:03/10/10 18:54
大陸から日本に来るには遠洋航海になる。
遠洋航海用の造船技術が発達していないので、沈没しやすい、迷いやすい。
挙げ句の果てには積載能力不足で食糧不足で栄養失調。
このような困難を乗り越えてまで果たす価値は日本に無い。
辛うじて元寇の目的が日本の金だったが、
それもフビライが伝え聞いた国中が金で出来ているというのがウソだったから
それ以降は攻め取ろうという酔狂なことをする支配者が出て来なかった。
こんな理由でいいんじゃない?
735 :
日本@名無史さん:03/10/10 20:37
>>734 遠洋航海というほどには、離れてないと思うが
そんなに当時の造船技術は、しょぼかったのでしょうか?
おまけに東シナ海も玄海灘も比較的穏やかな海でつよ。
736 :
日本@名無史さん:03/10/10 20:43
海洋民族としては、倭寇とか海賊がいるけど比較的
日本は優れてるんじゃないの?島国で船の材料の木材も豊富。
大陸内陸部の人たちは海も見たことないだろうし。
源平合戦の平家は船で陣を構えてたみたいだし。
737 :
日本@名無史さん:03/10/10 20:50
それにやっぱ辺境の地だったからじゃないの?
占領する価値もなかったんでしょ?
>>735 バルチック艦隊と比べると全然大したことのない航海だわな。
739 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:05
>>736 倭寇とか海賊にも造船技術でまけるのですか?
「島国で船の材料の木材も豊富」って何故ですか?
だいたい、倭寇の多くは大陸の人達だったのですが・・・
740 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:09
兵站が続かなかった。これが大きい。
741 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:15
>>739 すまんな。じゃ、興味がなかったんじゃないかな?
742 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:16
743 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:21
744 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:23
中世でもいいですよ、
なんか基本的に映画とかで見るのは陸上戦が多い気がする。
それに内陸部だと海まで行くのがタイヘンそうですよ?
745 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:28
746 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:32
>>745 河もしかりですが湖もデカイですね。
海みたいですよ?本当に。
747 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:33
中国の歴代ほとんどの国は周辺異民族がうちたてたものですが、
同時に、漢民族が立てた場合のときは特にですが、
周辺異民族へ逆に事実上朝貢してたわけです。
金品を毎年送ったり娘を嫁に出したりと。
逆にいうと、攻められる立場のほうが、中国なわけです。
もちろん、攻められる前に攻めるしかないともいえます。
748 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:35
要するに絶海の孤島の日本列島になんか関心がなかったんだろ。
朝鮮もろくに占領できないのに日本なんてとんでもない。
>>736 >大陸内陸部の人たちは海も見たことないだろうし。
はじめて瀬戸内海みた中国人が「日本は小さな島国ときいたが、そこそこの川もあるじゃん」といったとか。
>>735 >おまけに東シナ海も玄海灘も比較的穏やかな海でつよ。
えっ!? いくらなんでも玄界灘は穏やかじゃないでしょう。
750 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:46
河川上の船上戦とか湖を利用した湖上戦とかになるんでしょうかね。
わざわざ海を越えなくても広い領土があるから攻めなくてもいいんじゃ
ないの?
751 :
日本@名無史さん:03/10/10 21:46
太平洋側にくらべれば玄界灘も穏やかなんじゃない?
752 :
日本@名無史さん:03/10/10 22:21
喫水が浅い時点で転覆しやすい。
ガレーじゃなく、風力だけで進んでいたのなら黒潮を乗り越えられない。
とはいうものの、北米西岸からジャンク船の残骸が発見されてるから、
やっぱ攻め取る価値無しだったんじゃないの?
ずっと飽きもせず「攻め取る価値無し」って言いつづけてるのは、同じ香具師か?
ごくろうさんなこったw
754 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:32
現に攻め取る価値がなかったんだから仕方ないわな
755 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:39
古代より、中国というか漢民族は侵略される側だわな。
そもそも、元寇って、モンゴルだったわけで。
さらに、常に侵略される側だった朝鮮族というのもいるが。
756 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:42
>753
同じじゃないな。
費用対効果で攻める価値無しという以外にどんな理由がある?
757 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:50
朝鮮が征服されないと攻めてきません
あまりに広大すぎて、維持するだけで一苦労。
それに、ある程度の距離海を越えての遠征なんて政権が安定していないときにやるのは自殺行為。
それだけの価値を日本に見出せなかっただけでしょ。
「守成難矣」という考え。
759 :
日本@名無史さん:03/10/10 23:56
価値を日本に見出せなかっただのではなく、
中国はいわゆる最盛期といえども、
周辺異民族からの侵入を防ぐのにせいいっぱいで、
とても日本を攻める余裕がなかっただけ。
蒙古族による元の時が始めて攻める機会を得たというわけ。
もちろん、失敗に終わった。
3度目も狙っていたが、周辺異民族との紛争で余裕がやはりなかった。
760 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:07
>>759 だから、危険を冒すだけの価値がなかったのでしょ?
危険を冒しても、得るものが大きいと思えばやりうるわけで。
761 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:18
>>760 は真性のアホだな。
中国側に余力が全くなかっただけ。
余力ができた時は、元寇のように攻めている。
同様に、なぜ日本が中国に攻めていかなかったかも、余力がなかっただけ。
余力ができた時は、20世紀前半のように攻めている。
価値がないならば、どちらも攻めていない。
余力ができれば、危険を冒す可能性はあれど、攻めている。
762 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:30
>>761 ただ、相手の国を占領する価値があるかどうかは時代によって違うけどな。
20世紀に中国へ日本が進出していったのは他の時代に比べて大陸の一部を確保しなければならない理由が大きかったせいだし
763 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:31
元時代の中国はモンゴルの一部だ。ほかの時代とはいっしょに扱えない。
764 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:40
>>763 なるほど。モンゴルには日本を攻めるパワーがあったけど、
中国自体には、そのパワーがなかったのね。
765 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:46
20世紀の日本が中国に進出したのはロシアを中国に来させないためだろ。
余力のあるなしとはあんまり関係ないような。
つか、余力がないまま大陸に進出したからあんなことになったのでは。
766 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:48
>>761 余力だけで説明しようとしているお前が真のアホ。
767 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:51
どうしてロシアは南下しようとしたの?
768 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:53
>>765 ようするに、ロシアさえ来なければ、
中国は攻める価値すらなかったと?
769 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:55
国境という明確な概念が出来たのはいつ頃?
とくに半島と日本とか行き来してたでしょ?江戸時代。
770 :
日本@名無史さん:03/10/11 00:58
>>761,766
アホアホ言うと説得力がない。
元寇は元の特異性もあるが、朝貢拒否がきっかけ。国力が史上最大の帝国の最盛
期だから十分にあったのもあるだろう。
古代に関すれば、朝貢している国にわざわざ海を越えて攻めるまでもないし、儒
学的な考えも多少含まれるのでは。
それから侵攻した場合、自国が受けうる被害に対して日本占領の利益が小さいと
いう判断もあっただろうし。
771 :
日本@名無史さん:03/10/11 01:00
もともと日本には中国を攻める余力なんかなかったと思うけど。
せいぜい朝鮮までだろ、日本の余力の及ぶ範囲は。
>>770 儒教じゃなくて、中華思想です。
そもそも中国は中華思想に基づき、何らかの力を持った存在は「中原に鹿を追う」ことこそを
最高としており、その力を塞外の地に振り向ける意義を感じません。
だからこそ、歴代中国に現れた力ある者たちは中に力を向けて、中原を制するほうに向い、
周辺国家を制圧することは基本的に行いません。
そして中原を制した者に徳があれば、周囲の野蛮な国々はその徳を慕って向こうのほうから
入朝して来るであろうと考えました。
その考えは、中原の周囲に住む諸民族にとっては共通の認識であり、また他の地からやって
来た異民族たちもその思想に影響を受けて力の内向化を図りますが、急速に膨張していく
モンゴルからの侵略者だけは、その影響を受ける前に勢力を拡大していったので、奥州や
西アジア、日本などを侵略したというわけです。
つまり、別に日本に限らず、朝鮮、モンゴル、西域、インド、タイ、台湾などの「野蛮な
周辺国家」を侵略する価値や魅力を元々感じないだけの価値観・思想が根本にあるに過ぎないわけです。
773 :
日本@名無史さん:03/10/11 02:28
>>772 よくある、中華思想の間違い。
そもそも、異民族であっても中原を制すれば中国を名乗れる
という思想が中華思想なのであって、それに最も反発しているのは
ほかならぬ、漢族。 漢族は中原中華主義ではなく、
排他的民族主義であり、漢人以外を蛮族としている。
だから江南の地であっても蜀の地であっても、漢人が政権をたてれば
そこが中国。たとえ中原を取られてもそれが異民族であれば
それを正当中国とはみない。
それに対して、
中原さえとればそれが異民族であっても中国と呼ぶ、
選民漢族逆鱗の思想が中華思想
774 :
日本@名無史さん:03/10/11 02:31
フビライは、2度の失敗の後、死ぬまで何度も
日本征伐計画を立てている。
日本は江戸末まで世界最大の金産出国だったので、フビライは
そこに目をつけたのではといわれている。
775 :
日本@名無史さん:03/10/11 03:26
今でも金は眠っているけど採るのが大変なので、枯渇扱いとなっているのだよね。
776 :
日本@名無史さん:03/10/11 04:11
鹿児島には世界最高の含有率を誇る金鉱があるな。
>>772-773 中華思想といっても、誰かが体系的に論理づけたわけではなくて気分のようなものだから
時代によって結構ちがってたりすんだよ。
春秋戦国の中華思想と、隋唐の中華思想と、宋以降の中華思想ではぜんぜんちがう。
778 :
日本@名無史さん:03/10/11 06:47
何思想でも構わんが、古代の造船技術では大軍を日本に送れない
から陸続きの所しか攻められないでしょうに。
遣唐使船なら10隻送って1隻帰ってくれば万々歳だが、
軍勢の9割が沈んだら遠征失敗やで。
779 :
日本@名無史さん:03/10/11 07:48
>>778 >遣唐使船なら10隻送って1隻帰ってくれば万々歳
これ、よく聞くけど事実なの?
しかも、元寇の時代と遣唐使の時代を同列に論じてるし・・・
あ、元寇の話じゃないのかな?
780 :
日本@名無史さん:03/10/11 08:46
>>778 なぜこんなアホが、日本史板にいるんだ?
781 :
日本@名無史さん:03/10/11 08:50
>>780 なぜこんなアホが、日本史板にいるんだ?
782 :
日本@名無史さん:03/10/11 10:00
778=781じゃないよね?
日本攻めるわけ無いじゃん。だって天皇はチャンコロなんだもん。
大蒙古国・国書
天に守られている大蒙古国の皇帝から日本国王にこの手紙を送る.
昔から国境が接している隣国同士は,たとえ小国であっても貿易や人の行き
など,互いに仲良くすることに努めてきた.
まして,大蒙古皇帝は天からの命によって大領土を支配してきたものであり,
はるか遠方の国々も,代々の皇帝を恐れうやまって家来になっている.
例えば私が皇帝になってからも,高麗が蒙古に降伏して家来の国となり,
王はと私は父子の関係のようになり,喜ばしいこととなった.高麗は私の東
の領土である.
しかし,日本は昔から高麗と仲良くし,中国とも貿易していたにもかかわらず,
一通の手紙を大蒙古皇帝に出すでもなく,国交をもとうとしないのはどういうわけか?
日本が我々のことを知らないとすると,困ったことなので,特に使いを送り
この国書を通じて私の気持ちを伝えよう.
これから日本と大蒙古国とは,国と国の交わりをして仲良くしていこうでは
ないか.
我々は全ての国を一つの家と考えている,日本も我々を父と思うことである.
このことが分からないと軍を送ることになるが,それは我々の好むところでは
ない.日本国王はこの気持ちを良く良く考えて返事をしてほしい.不宣
至元三年八月(1266年・文永三年)
チャン・フンダオ(陳興道) ?‐1300?Tran Hung Dao
13世紀,元軍の侵攻を打ち破ったベトナムの民族英雄。
本名はチャン・クオック・トゥアン(陳国峻)であるが,興道王であったことから
この名が一般的。
宗室の一族に生まれ,幼時から群書を博覧して著名であった。
1257年モンゴル軍の第1回侵入に際しては北辺を守って大功をたて,
83年,元軍の第2回侵攻に際して,国公としてベトナム軍の総指揮官に任じられた。
85年,一時はハノイに侵入した元軍のために,中部ベトナムのタインホアにまで
退却したが,清野策(敵が利用できぬよう家屋などを取り払う作戦)をもって元軍
を苦しめた後,バンキエップ(万劫)で大破してベトナム境外に駆逐した。
87年の第3回侵攻では海路からバクダンザン(白藤江)に集合した元の水軍と補給船を,
あらかじめ打ち込んだ杭にひっかけて全滅させた。
戦後,この功により大王に進封されたが,1300年ころ病没した。
死後,興道大王として神格化され,8月20日の命日には国をあげての大祭が挙行
される。兵法家として《兵書要略》《万劫宗秘伝書》等の書がある。
チャン朝はモンゴルの侵略とその抗戦で知られる。モンゴルは1257,84,87年
の3度ベトナムを襲うが,特に1283年にはチャンパの征討の道を得ると称して,
数十万の元軍が陸・海路よりベトナムに侵入しようとした。
上皇チャン・ニャントン(陳仁宗)は天下の父老を集めて徹底抗戦を宣言し,
チャン・フンダオ(陳興道)を国公として諸軍を率いさせた。
84年元軍はベトナムに入寇し,翌年昇竜城(ハノイ)を占領し,上皇は南方に
逃れた。しかしただちに反攻が始まり,その年のうちに元軍は国境外に駆逐
された。
87年には3度,元軍が海路より侵攻したが,翌年チャン・フンダオはこれをバク
ダンザン(白藤江)に迎撃して破った。
94年,世祖フビライの死とともに,元はベトナム侵攻を最終的に中止した。
787 :
日本@名無史さん:03/10/11 22:47
ベトナムは何で陸路なのに強かったんだ?神風もなかったのに。
789 :
日本@名無史さん:03/10/11 23:18
大平原がないとか、気候の問題とか?
790 :
日本@名無史さん:03/10/11 23:34
>>787 ベトナムの友人は、ベトナムの戦法として味方陣地内に敵をおびき寄せて
駆逐するのが得意だと言っていた。
対米戦も基本的にはそうだったと言っていた。
その代わり、攻撃するのは苦手だとも言っていた。
白藤江で元軍を殲滅した時も、港湾に木杭を打ち込み、その中に敵船を
招き入れ、逃げれないようにして攻撃したらしい。
その時の木杭がハノイの博物館に展示されている。800年もたっている
のでもうボロボロだが。
791 :
日本@名無史さん:03/10/12 01:39
テロリズムの国なんだよ、昔から。
そりゃ自国領外でテロに頼ってちゃ弱いわな。
百済とは全て海を渡ったという字であり、これは百済が中国渡来人で構成されていた
証拠でもある。百済南北の闘争もこれが由縁であり、新羅と高句麗とは次元が異なるのである。
百済の建国年次は、その前身の馬韓伯済国から百済国にかわる時期とみ、
「三国史記」による3世紀の古爾王代とする説もあるが、「晋書」馬韓伝などから
4世紀前半とした。
百済の建国者は始祖神話などから夫余・高句麗系の移住民とされる。
初期の百済の領域は漢江流域で、この地域は南方の韓族系文化と北方の高句麗
系文化の共存地域であり、そのことが百済史の特徴にもなっている。
ベトナムの元への勝利は日本よりすごい感じだな。
あと、寺社への祈祷依頼は、幕府が出して、恩賞も幕府が出してたような。
九州では、地頭より寺社領の恩賞を優越して、御家人の反感かってた気がした。
796 :
日本@名無史さん:03/10/12 11:53
>>784 チョンは脅かされたたら、簡単に股を開いたのに、
なんで、日本は元の手紙を 無礼者 と無視するんだ!
チョンは無血降伏で元の領土になる事を我慢してるのに、
何で、日本は交易を望まれたくらい、で無視するんだ!
かっこよすぎだぞ!
モンゴルは反抗する奴はこっぴどい目にあわせるが、いったん服属すると様々な恩恵がある。
高麗も例外ではなかった。
高麗はモンゴルに反抗して領土を削られたりしたのは最初だけ。
王子を大ハーンの宮廷に常駐させられ、高麗での服装もモンゴル式に改め
モンゴル人の王妃を迎えた。高麗王は大ハーンの一族としての高い地位を与えられ、
さらに「征東行省」の長官に任ぜられて、満洲をも支配していた。
モンゴル帝国の中で、これほど優遇された民族も珍しい。
元冦の時は高麗も被害者、というのは情況からいってムリな理屈。
朝鮮人の歴史の中で、モンゴルに服属していた時代がもっとも繁栄していたのは事実。
1231年、モンゴル初めて高麗に侵入。以後、連年侵入。
1259年、高麗国王・高宗、モンゴルの属国となりその太子はモンゴルに赴く。
モンゴル服属以前は平壌あたりが高麗領の最前線基地だったが、モンゴルに服属して以後は、
歴代の高麗王は、遼東から満州あたりを管轄する(高麗本国も含む)「征東行省」の長官を
兼ねるようになり、高麗人コロニーがこれらの地域に一挙に広がった。(後に消滅)
1263年、高麗国王・元宗、日本に倭冦の禁圧を乞う。
1274年、文永の役(第1次元冦)
1275年、高麗の領土だった慈悲嶺以北の地をモンゴルに編入。
1278年、高麗の忠烈王、モンゴルの服装に変更。
1281年、弘安の役(第2次元冦)
1302年、高麗の忠烈王、元の朝廷に参内しモンゴル女性と結婚。
799 :
日本@名無史さん:03/10/12 13:41
もはや日本史板じゃないな。
800 :
日本@名無史さん:03/10/12 13:52
うんこ
801 :
日本@名無史さん:03/10/12 14:58
>>794 日本が「蒙古」を正当な中国と認めていなかったかららしい。
古来より、中国(中原の国)は一文字の国号をつけており、周辺には二文字以上の
漢字をつけて呼んでいた。
しかも「蒙」なんて言う悪字を使った国は中国から見て蛮族扱いをされていた証拠になる。
朝鮮や日本のように朝貢した国にはそんな悪字は使われないから一目瞭然。
そんな国が「皇帝」なんて称号を自分でつけて日本に国書を持ってくればうさんくさいと
思われて当然だったらしい。
『無礼者』『DQN』と思われて放置だったとか・・・
803 :
日本@名無史さん:03/10/12 15:04
>>801 アホか、蒙古も唐も異民族。 日本は唯我独尊の国だから、中華思想で判断するわけないだろ
804 :
日本@名無史さん:03/10/12 17:37
何が何でも中華思想で東亜を語りたい人がいるようですね( ≧∇≦)ブハハ!!
>>801 井沢の受け売りじゃないか(w
ネット以外で話すと恥ずかしいですよ。
806 :
日本@名無史さん:03/10/12 18:54
結局、今も昔も日本は勝ち組!
まあ、昔は不戦勝だがな。
いや元寇はちゃんと陸地で戦っているが・・・
809 :
日本@名無史さん:03/10/12 19:42
元・高麗連合軍は、台風に負けたのであって西国武士に負けたのではない。
秀吉軍は、病気に負けたのであって明・朝鮮連合軍に負けたのではない。
大日本帝国は、補給線の長さに負けたのであってアメリカに負けたのではない。
ナポレオンもヒトラーも、冬将軍に負けたのであってロシアに負けたのではない。
810 :
日本@名無史さん:03/10/12 20:34
>日本は唯我独尊の国
奈良朝から平安朝初期にかけて、朝廷儀式の唐風化が圧倒的に推し進められた。
桓武天皇は、中国皇帝儀式をまね、天命による皇帝即位儀式を行う。
しだいに天皇即位服は唐服となり、各公卿も唐服で参加。
この風潮は、幕末の孝明天皇まで絶えることなく続く。
朝廷・公家において、古式にのっとってというのは、この10世紀の唐風のことで
あり、それ以前の古代にさかのぼることではなかった。
朝廷・公家の日本の伝統は唐風であるというのは、明治まで綿々と続いた。
さらに、鎌倉時代の「日本は神国」というのは本地垂迹説にかかわる仏教思想である。
天照大神は、仏教の最高神の大日如来の化身とされ、
伊勢神宮も、仏教作法を入れないのは、仏教思想にもとづいて説明されていた。
また、天皇は鎌倉後期から即位儀式で、大日如来の守護を受ける仏教の密教秘儀を行って
おり、これも幕末の孝明天皇まで続いた。
明治以後の「神国思想」とそれ以前では、断絶がある。
811 :
日本@名無史さん:03/10/12 20:51
>>810 質問なんだが、そもそも唐自体が、鮮卑から漢化して儀式の漢式になった国だろう。
唐風と漢風はどの程度違うのか? また日本においての唐風という言葉は
唐が滅亡した後も、大唐の国 唐物と 言っていたように、
本当の唐文化と必ずしも一致しない。
この点をどう考える?
812 :
日本@名無史さん:03/10/12 21:36
>>811 >唐風と漢風
唐は隋に引き続き、行政や軍事といった国家の根幹にかかわる制度に
ついては、おもに北朝の伝統を受け継いだ。
芸術や文学については、漢民族の伝統を守ってきた南朝の貴族文化を
受け継ぐことが多かった。
文化においては、漢は統合主義(中国各地の一本化)と儒教主義。
唐は、国際主義と仏教主義(廃止の時期も二度あったが、日本は
大いに仏教を吸収した)。
>本当の唐文化と必ずしも一致しない
結論から言えば、朝廷儀式や年中行事においては本物の唐文化と一致する。
朝廷儀式や年中行事における先例・古式とは、平安初期・前期の「唐」文化。
これは、「唐」そのもので、遣唐使が学んできたものを生かした。
それ以前の古代にはさかのぼらない。
さらに朝廷・公家儀式行事の先例主義の先例とは、平安初期・中期の「唐」そのもの。
元や宋や明の文物への「唐物狂い」とは一線を画する。
訂正
×10世紀の唐風
○平安初期・前期の唐風
ベトナム>鎌倉武士?
814 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:01
>>812 おいおい、平安初期の唐風文化ってのは「唐+北魏」の文化だぞ。
奈良時代から、唐風文化が日本に本格的に吸収され始めるが、
日本国内ではふつう唐の文化といい、平安初期から前期に
唐の文化が朝廷に定着したといっても、間違いというわけではない。
816 :
日本@名無史さん:03/10/13 10:23
唐は国際文化で世界中でブームになってたらしい。
シルクロードとかな
817 :
日本@名無史さん:03/10/13 12:05
>>787 ベトナムは森ばかりで草原がない。遊牧部隊が攻めるのは容易じゃない。
818 :
日本@名無史さん:03/10/13 13:18
>>812 スレ違いになるのでこのへんで止めたいところだが、
記述にあるように、軍事政治以外は南朝、北朝においての漢式が継続されて唐式と
表現されるようになったと思うのだが? 唐代で国教となったのは道教であるが
道教は国を超越しており南朝も道教が盛んだった。漢式+道教+西域文化が
唐式というのが実際ではないだろうか? 唐の礼服が漢と無関係のオリジナルだとは
考えられないので、ちょっとクグッテ調べることにしよう
819 :
日本@名無史さん:03/10/13 20:35
天皇が攻めてきた
漢の影響があろうがなかろうが唐から学んだんだから、
唐風でよかろう。
漢にこだわらないと、何か困るのか?
821 :
日本@名無史さん:03/10/13 22:32
スレの結論
元寇で、4カ国連合軍が日本征服に2度チャレンジしたが、
陣地を陸地にあげる事一度も叶わず、全滅した事で、
日本侵攻など夢物語となった。
私論
今の日本人って、古代中国人が日本に渡って作ったんじゃないの・・
823 :
日本@名無史さん:03/10/13 23:04
北方遊牧民やら何やらにレイプされまくった分際で
同一DNA呼ばわりとは片腹痛し支那人め。
824 :
日本@名無史さん:03/10/13 23:18
>>822,823
はっきりと結論が出ていないことについて言い過ぎだろ。
ここは学問版。冷静に反論してください。
825 :
日本@名無史さん:03/10/13 23:20
826 :
日本@名無史さん:03/10/13 23:26
>>822 あなたの1行は現代日本人の妄想と同じ。
>>824 何の根拠もない821の私論にどうやって冷静に反論するの?
828 :
日本@名無史さん:03/10/14 01:31
829 :
日本@名無史さん:03/10/14 13:23
中日の学者200人余りが11日、北京で行なわれた学術シンポジウム
「有史以前の中日文化交流―――興隆溝遺跡の報告」に参加し、内蒙古(内モンゴル)
自治区の興隆溝遺跡と日本の新石器時代の文化遺跡についての比較研究が発表された。
研究により、耳飾りの玉と首飾りの管玉(くだたま)は同時期に出現することが
多いということが明らかになっている。玉の大きさは2〜10センチで、紀元前6000年頃の
中国東北部と紀元前5000年以前の日本で使用されていた。また、日本の土器が日本で
しばしば見られる丸底器から平底の筒型器に替わり始めたのもこの時期。土器の形状や
文様の特徴も中国東北地区の遺跡からの出土物との類似点が多い。
中日の学者は両国の有史以前の文化遺跡の研究を通じて、中国文化の日本列島への
影響は紀元前5000年までさかのぼることができると発表した。
http://fpj.peopledaily.com.cn/2003/10/13/jp20031013_33112.html
830 :
日本@名無史さん:03/10/14 13:31
>>828 根拠のない私論だから妄想だと言われるのも甘受しなきゃいけないよな。
831 :
日本@名無史さん:03/10/14 13:40
スレの結論
元寇で、4カ国連合軍が日本征服に2度チャレンジしたが、
陣地を陸地にあげる事一度も叶わず、全滅した事で、
日本侵攻など夢物語となった。
私論
今の中国人って、古代日本人が中国を征服して作ったんじゃないの・・
832 :
日本@名無史さん:03/10/14 16:31
833 :
日本@名無史さん:03/10/14 16:34
現代中国人の祖は周が元になってるわけで、
それ以前の殷人は周に追い立てられて半島や日本に逃げ込んだ。
というわけで、殷人が半島や日本人の祖先の一派を成しているかも知れない。
と考えても、別に日本人に都合の悪いところは特にない。
834 :
日本@名無史さん:03/10/14 16:56
海があったから。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
835 :
日本@名無史さん:03/10/14 16:56
海があったから。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
836 :
日本@名無史さん:03/10/14 17:08
別に日本人だって筍みたいに生えてきたわけじゃないし、
大陸から渡ってきたことには異論はないでしょう。
それが、南回りか北回りか、半島回りか知らないけれど
その時に、古代中国というものが体をなしていたかどうか
が問題。古代中国人が作ったと言っても別段妄想ではないと
思うが。
>>836 大陸からわたってきたら古代中国人が日本人を作ったというのが妄想の域を出ないな。
ユーラシア大陸の諸民族はみんな中国人が元といいかねないな。
その言い分だと
838 :
日本@名無史さん:03/10/14 18:42
>837
そういうことじゃなくって、どこか特定の人種だけを起源とするのが妄想的だということだ。
どこかで何かしら混じり合ってるんだし。
まあスレ違い。
839 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:15
>>821 秀逸
朝鮮人が朝鮮は他国を侵略した事がない。 と言い張るのと同じことで、
過去小さな侵略が繰り返され現在の朝鮮の領域が確定した
という事実を忘れているようなもの。
日本は、古代の中国から繰り返し渡ってきた渡来人が渡ってきて、
その都度在来種との小さな戦争があったと考えられる。
その歴史の中で、渡来種が在来種に勝ったことが1度くらいはあるかもしれない。
在来種全勝ならば日本は在来種の国だがね。
縄文人から弥生人に代わってるのでだからその時点で一度、大陸に征服されてる
840 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:18
>縄文人から弥生人に代わってるのでだからその時点で一度、大陸に征服されてる
( ´,_ゝ`)プッ
>縄文人から弥生人に代わってる
この発言者は何十年前に教育を受けたのだろう
842 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:27
縄文人は、中国から渡ってきた渡来人に征服されてそれが弥生人となった
まるで縄文人と弥生人が全くの別物みたいな言い草だな、その珍説だと。
845 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:36
縄文人は、髭ももじゃで、彫りが深く、襷がけの衣で生活していた。
弥生人は、髭が薄く、彫りが浅く、丁度埴輪の格好をしていた、ヤマトタケルの様式であるう
846 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:37
縄文猿は、中国から渡ってきた渡来猿に征服されてそれが弥生猿となった
847 :
日本@名無史さん:03/10/14 19:40
えーーー これって何時、時代遅れの説になったの?
骨格が同じって事になったの?
おまえらの言い草だと縄文人は日本で筍のように生えてきたみたいだな。
在来種っていったって、そいつらも遡れば他所から着たんだろう?
849 :
日本@名無史さん:03/10/14 20:25
縄文人はサイバイマンだった。
850 :
日本@名無史さん:03/10/14 20:26
>>848 日本列島が大陸と地続きであった時代に、古代中国人もいないし、
ユーラシア大陸を支配した(!)という古代朝鮮人もいない。
だから何?
851 :
日本@名無史さん:03/10/14 20:28
縄文系のイケメンっていうのはせいぜい織田裕二とか押尾学とかのレベル。
ほとんどは竹中直人・出川哲郎とかあの辺の風貌だよw
>>851 ニヤニヤ。竹中直人が縄文系?出川哲郎も弥生混血のように見えるけど(w
縄文人はあんな風貌じゃないよ。
縄文人はくっきり2重瞼でなければならない(奥2重は却下)
日本人の2重瞼率が高いのは縄文系のオカゲ。
ちなみに朝鮮の2重瞼率は3割以下(その3割も中国系や倭人系によるもの)。
でも西洋でモテるアジアンビューティーは一重だったりするわな。
そんな事実は無い。
857 :
日本@名無史さん:03/10/14 21:15
>>855 一重と言うよりは切れ長な。
パッチリ系の目は、あっちのくそでかい目と比べるとぜんぜんパッチリじゃないからね。
858 :
日本@名無史さん:03/10/14 21:16
>>855 そーでないと、オリエンタルムードがないのだよ。きっと。
859 :
日本@名無史さん:03/10/16 16:36
日本はよほど辺境だったんだろうなあ
楊貴妃が日本に来たとかいうのを昔読んだ記憶があるんだがあれって本当にきたんか?
>859
本当に来てればもっと有名だよ。
それって確か楊貴妃は日本で死亡したとかいうトンデモ系の話じゃなかったっけ?
862 :
日本@名無史さん:03/10/16 17:51
熱田神宮に江戸時代まで楊貴妃の墓があった。
明治になって潰された。
つーか、他所の国に墓作られるくらいの人間を生み出してろよ古代日本。
そういう意味では、極東三馬鹿による近年の
「現代日本文化は○○が創った!」妄想は、日本の勝利と言える。
彼らが日本の権威を欲しているのだからね。
865 :
日本@名無史さん:03/10/16 19:43
>>864 ウヨとして、敗北を教えてくれた人に敬意を表する
確かに、他所の国に日本人の墓伝説がないってのは、
最大の屈辱だ。 ローマに、聖徳大使の墓があったと
ローマ人が唱えてくれないものか
866 :
日本@名無史さん:03/10/16 19:46
>>1 簡単なこと!中国人は海が怖い!見たことない人が多い。
867 :
日本@名無史さん:03/10/16 20:13
>確かに、他所の国に日本人の墓伝説がないってのは、
>最大の屈辱だ。
それは単なる人の流れなんじゃないの?
>>868 それはエジプト人がエジプトこそが邪馬台国といってるの?
言うメリットなんか全然ないと思うんだが。
>>869 ちゃう
ある日本人が邪馬台国はエジプトにあったと主張した。
かなり昔の主張だけどな。
つまり昔の倭国は南ユーラシア大陸一帯を支配していたというもの
871 :
日本@名無史さん:03/10/16 22:27
>楊貴妃
能にもなってるからなぁ。
シテは楊貴妃の霊ですw。
国性爺合戦も中国ものだしなぁ。
解体新書すら漢文であったのに( ゚д゚)ポカーソ
やっぱ1980年代以前の日本は駄目ポ。
873 :
日本@名無史さん:03/10/16 23:12
>>872 あの1980年代のバブルが日本が繁栄した唯一の時代だと認めたね!
その謙虚さは日本人に世界市民への道を開くものであり
将来起こるであろう国家統廃合の動きへ向け、日本国の
発展的解散が可能だということを示すものだ。
874 :
日本@名無史さん:03/10/16 23:16
いまやバブル期に浮かれて国の借金すら返さなかったことに後悔しきり。
記録をどこまで更新するんだろ。
875 :
日本@名無史さん:03/10/16 23:17
古代の中国なんてない!
876 :
日本@名無史さん:03/10/17 18:55
中国の犯罪者は日本に攻めにきてる。
877 :
日本@名無史さん:03/10/17 19:07
曹操は好色で権謀術数に長けた人間、そして皇帝にならなかった。
ラインハルトは顔がきれいな完成された専制者。軍事ロマンチスト。
孔明は政治家で実務家で文人。勝ち目のない、そして専門外の戦いに身を投じた人間。
ヤンは軍人になりたくなかったし、勝ち目のない戦いはしない主義。
878 :
日本@名無史さん:03/10/18 12:54
ヤンがいなくてあっさり連敗で降伏したほうが
被害が少なかったような気がしないでもない。
ラインハルトはナポレオンのパクリ。
曹操は皇帝になる必要なかっただけじゃん。
>>872 >解体新書すら漢文であったのに( ゚д゚)ポカーソ
なんで?
別に仮名文字や和語を蔑視していた訳ではなく、論理を構成する言葉として漢文が流通していたからでしょ?
現代日本の科学技術論文が、英語で書かれることが多いのと事情は大差ないんだが。
それとも、何でも民族固有の文字で書かなきゃいけないのかい?
そんなつまらんこと言ってるのは某国だけでしょ。
ユーラシア大陸西部でアルファベットがほぼ共通の文化基盤を持っているのと同様、
ユーラシア大陸東部では、漢字・漢文がほぼ共通の文化基盤を持っているだけ。
たかが漢文使ったくらいで、日本の独自性や優秀性−少なくともトインビーが
一文明圏として評価するだけの独自性を持ち得た文化的優位性−の反証とはならん。
>>873 >将来起こるであろう国家統廃合の動きへ向け、日本国の
>発展的解散が可能だということを示すものだ。
真っ先に朝鮮半島が解体されるわけだが。
881 :
日本@名無史さん:03/10/21 16:09
882 :
日本@名無史さん:03/10/21 16:23
>>879 現代の英語による論文と同様ということは、漢文で書くことによってそれを用いる文化圏
の他国の人にも読まれることを想定していたってこと?
>>883 読んでくれ。
>論理を構成する言葉として漢文が流通していたから
ところで、883君は江戸時代の日本文を読んだことあるんだろうな?
議論の前に知っておきたい。
>>879 まあ、とりあえず問には答えとく。
ある。
しかし、単なる疑問に対してそういう敵意すら感じる文を返されても困る。
現代、科学技術において日本人が英語論文を書くことが多いのはそうしないと他国の人に読ん
でもらえないからというのが大きい。世界的に有名な人や研究なら話は別かもしれないが、
欧米人にとって敷居の高い日本語では他国の人はなかなか読まず、鮮度が大切な論文において
は致命的。分野によっては数日の差でも重要だから。
現在の状況でも、日本人が書いた英語は読みにくいものが多いとされ、そのことが原因で論文
をなかなか読んでもらえず、評価されにくいと言われる。
それに対して、国内だけが対象なら不慣れな英語で書く必要などないのだから、書きなれた日
本語を使用するだろう。なぜなら、微妙なニュアンスの違いも表現でき、より読みやすく正確
な文章を書くことができ、逆に日本人によく読んでもらえるからである。
以上から同様なら江戸期の漢文もそうなのかな?と思ったわけ。
江戸期は知識人がよく読んだのが漢文だったんだよね。
しかも純粋な漢文とは異なる江戸漢文なるものもできていた。
漢訳洋書から西洋の知識を吸収していたというのもあるんだろうけど。
>>884 すまん。ウヨ扱いされたからな(w。チト神経質だった。
多少例が悪かったことも詫びておく。すまねぇw。
sage。
(参考になる?)
平仮名,片仮名が生みだされたのちも,漢字で文章を書くことは行われ,公文書,
公家日記などはもちろんのこと,もともと平仮名で書かれたと思われる《伊勢物語》
にも真名本と称する漢字のみで書かれた写本が存在するほどである。
中世においてこの傾向はいっそう強く,《平家物語》《曾我物語》などの軍記物語
の諸本においても真名本がみられる。
このことは,漢字で文章を綴ることへの価値意識が背景になっているとともに,
漢文が僧侶を含めた知識階級にとって必須の教養であったこと,さらには,漢字
が1字1音の平仮名にくらべて表意的であるという文字言語としての特徴にも由来
すると思われる。
また,漢文を訓読した訓読文は,現存の漢字仮名混じり文の母体であり,
《今昔物語集》の文章はその先駆けといえるだろう。
近世においても漢文の役割は依然として変わらず,江戸時代の学問の中心を
なす。たとえば,《古事記伝》を著し近世国学の主流を築いた本居宣長は,
《日本書紀》が正格の漢文体で書かれ漢文として必須の故事,出典を踏まえて
いることを〈漢意(からごころ)〉による潤色とみなし,《古事記》が同じく
漢字で書かれているにもかかわらず古意を伝えていると述べている。
しかし,その宣長の《古事記》を読み解いてゆく方法は,儒学者荻生徂徠が
うちたてた〈古文辞学派〉の精神を背景としている,という逆説がみられる。
このように,漢文によって思考し,みずからの考えを表現することが,日本の
文化全体に及ぼした影響ははかりしれない。
明治になって,外国語をとりいれるとき漢文が果たした役割,たとえば〈理想〉
〈概念〉などの訳語をみるだけでも,そのことは知られよう。
明治以後も近世以来の伝統は大学の漢文学科,中国哲学科などに継承され,
民間にも漢詩の結社や漢文塾などが少なからずみられた。中等教育では明治
国家の儒教的教育理念に支えられて,国語科とともに漢文が重視され,いわゆる
〈英数国漢〉として主要科目の一つとみなされていた。
敗戦後,漢文は国語科の一部分として扱われ,高等学校では選択制とされた
が,1952年〈東洋精神文化振興に関する決議案〉が衆議院で可決されるなど
漢文復活の論議が盛んとなり,60年の学習指導要領改訂により国語科必修科目
に含められ,63年以後実施された。
891 :
日本@名無史さん:03/11/11 13:33
中国も、古代の当初は漢民族だったけど、魏のつづきの晋のあとは、
5胡に占領されて、そのままその中の勝利者の鮮卑(その中には匈奴貴族も)が、
北魏のあと北周やらを経て隋および唐と、ここまでは拓跋鮮卑系だったから。
892 :
日本@名無史さん:03/11/11 19:47
はるばる東シナ海を越えて攻めるリスクと
それによって得られるであろう成果とを天秤にかけて
皇帝は言った。
"駄目だ、こりゃっ"
フビライは高麗軍のやる気の無さに呆れた。
駄目だコリア
元寇は中国です。民族がモンゴルだったら中国でないの?
唐は漢民族だから中国じゃない、って言う?
清は満州族でだめとか?
なら最初から漢民族はなぜ日本を〜って書いたら?
895 :
日本@名無史さん:03/11/12 00:32
南北朝時代・隋・唐とかも実際は日本わざわざ自分から攻めるほど
余裕無かったからだろ。
>>894 モンゴルが今で言うところの「中国」を征服したのが元って言いたいんだろ。
元はあくまでもモンゴル帝国の一部であると。
イギリスをインドと言わないのと同様ってこと。
897 :
日本@名無史さん:03/11/12 00:50
遠かったから
『中国』という言葉が諸悪の根源。
支那大陸はヨーロッパ大陸のごとく、諸民族が割拠している大陸。
無理矢理ひとつの国に仕立てているのが現代中国。
その概念(=ひとつの国)で支那の歴史を追うから見誤る。
ヨーロッパと異なるのは、割拠・混血しているうちにウジャウジャと
現れた雑草の如き無知な民が、自分のことを「漢族」だと思うように
なったこと。
899 :
日本@名無史さん:03/11/12 03:00
戦略的価値がないからじゃないの?
まあ、
>>1は国粋主義者だから「日本は素晴らしい国だから、侵略されて当然の価値がある」
という前提になりたっているが、兵員をワザワザ輸送して侵略するほど戦略的価値などないし、
元寇はモンゴル帝国からの侵略者で中国からの侵略者じゃない。
また歴代中国王朝は、そもそも外征など基本的にやらない。
@蛮異は中国の徳が高ければ向こうから入朝して来るという儒教的な思想
A歴代王朝は慢性的に財政不足。また軍事力を外征に使うことによる中原の軍事力空洞化・政治不安を考えれば、
外征はコストパフォーマンスにあわない
Bましてや陸続きにインド・タイなどの侵略すべき豊かな国々がいくらでもあるのに、海を渡る意味がない
Cそのうえ日本は、大抵の時代において敵国ではなく藩国であった。侵略する理由がない
D当時の航海技術・造船技術で、一国を侵略するほどの大兵力を渡海させることはむり
というわけで、中国王朝が日本を侵略する理由・意義は全くない。
そして皇帝以外に有力な軍事力保有者があらわれた場合は、当然ながら辺境侵略より
「中原に鹿を追う」ので、やっぱり日本には来ない。
901 :
日本@名無史さん:03/11/12 07:00
>>894 おいおい、唐は漢民族じゃないぞ。
拓跋鮮卑系が支配勢力。
大陸にも南北朝時代があって、
北朝というのは匈奴や鮮卑などの五胡が立てた政権。
そしてそれらのうち、大陸統一したのが隋と唐。
ちなみに、漢の後継の魏と晋は、五胡に敗れた。
一部が南へ逃げて南朝を作ったが、それも最後は敗北。
902 :
日本@名無史さん:03/11/12 07:01
わざわざ侵略するだけの価値なんかなかったんだろう、日本には。
歴代支那国は戦が弱い。
それだけ。
>また歴代中国王朝は、そもそも外征など基本的にやらない。
こいつの頭では、大化の改新も無かった事になっているらしい。
典型的なサヨ史観。
905 :
日本@名無史さん:03/11/17 21:45
>>901 そうそう、南朝が滅んで
漢の支配地は日本と百済だけになった。
百済も滅んで、
世界で日本だけが正当なる漢の継承国である。
朝鮮は、鮮卑系の分派が征した国であり、日本と朝鮮が水と油であるのはそのため
なんか既視感のあるレスが・・・
907 :
名無し贈は鼻がウナギだ!:03/11/18 00:08
>>896
当時は中国=元
>>1は
元寇がモンゴル人といっている時点で厨だろ
>世界で日本だけが正当なる漢の継承国である。
キチガイって後から後からいくらでも湧いてくるもんだなぁ
>朝鮮は、鮮卑系の分派が征した国
キチガイって後から後からいくらでも湧いてくるもんだなぁ
911 :
日本@名無史さん:03/11/24 21:57
>1
つーか「漢民族」なんて消滅してるし。
まあ「中華」なんて高崎山のサルと同じで「お山の大将」の思い込みだもんな。
ギリシアやインドとかの文明が中国より劣ってたとかはとても言えないのに「俺様が一番だ!」
みたいな勘違いで周辺国を野蛮扱いするとw
古代四大文明の一つだった頃にはそれなりの根拠があったかもしれんが、現在みたいに日本に養ってもらい
思想・文化等すべて外国から教えてもらっていながら「中華」なんて誇大広告もいい所だよなw
古代は「お山の大将」で「ぼくんとこが一番だ!」と思ってるから攻めなかったわけ。
912 :
日本@名無史さん:03/11/26 23:30
>>629 郊祀のこと?
文徳天皇も行ってるぞい。
913 :
日本@名無史さん:03/11/27 00:04
>>1 そのうち攻めにいくので乞うご期待。核兵器もあるでよ。
914 :
日本@名無史さん:03/12/06 18:02
>>1 (隋に)朝貢して属国になることで安全保障条約を結んでいたから。
それに直接支配するよりも倭国王族からチンケな貢物を何度も貰ってるほうが飼いならし易かったんだろ。
なぜか?
常に北のほうで遊牧民の軍事力という危険にさらされていたので、軍事的・財政的に苦しかったから。
朝貢と冊封の別のないカキコをまた性懲りも無く…。
以下ループ♪
916 :
日本@名無史さん:03/12/28 09:07
中国といっても、北魏より以降は、漢民族でないからなあ。
北魏というか、隋だべ〜。
あの頃はまだ一応南方で踏ん張ってたからさ。
918 :
◆twvFDaYEVE :04/01/08 11:13
遠征ってよっぽどじゃない限りしないんだよ・・。
隋が滅んだのだって半島に大軍勢送って疲弊したって
のがあるみたいだし。古代中国にとって正直あんまり
メリットがない。唐にしてもタラス戦いで散々だった
りする(余談だが捕虜によりアラビアに紙が伝わった。)
後の友好国際化に方針転換して紛争自体をやめた方が
やっぱよかったんだよ。このおかげで日本人は中国人の
ことを江戸期が終わるまで唐人って言ってたそうな。
919 :
日本@名無史さん:04/01/17 10:41
単純に遠かったんだろ
920 :
日本@名無史さん:04/01/17 10:42
921 :
日本@名無史さん:04/01/17 10:46
海を渡る技術がとてつもなく低かった。
鑑真って坊さん日本に来ようとして遭難しまくりだったそうだし。
大軍なんて無理にきまってんじゃん。
仮に攻めるなら、日本よりも、西に向かった方がどう考えても利益が大きいだろ。
923 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:22
シナ兵は弱いから
924 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:25
シナ兵得意の人海戦術が海の向こうでは使えないから。
925 :
日本@名無史さん:04/01/17 11:32
古代中国政権にとって華北以外は蛮族の住む
どーでもいい土地だったんだよ。揚子江以南の華南
とかも宋の時代まで大規模に移民した形跡がない。
古代なんか楚とかかなり大雑把に括られてるくらい。
モンゴルが征服して東西に進出したことはかなり異例。
っつか外から来るのすらいらねーって中華思想が
出てくる。
日本は神の国なので,外から来る凡俗は(゚听)イラネーです.
文句ありませんよね,支那コロども.
シナはなんかねー
史書みるとねー
中華圏内での戦いはねー
すげー美談とか戦法とかあるんだがねー
他部族との戦いになるとねー
滅多に勝てたためしがないー
つまり、内に強く、外に弱いねー
地政学上、北方や西方から進出してくる敵には脆いのでしょうね。
インドだって似たようなモンですし。
929 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:12
最初の夏は東南アジア系だし、殷はもともと北狄、
北周や隋や唐や北魏はすべて鮮卑系、遼は契丹、元は蒙古、金や清は女真、
といったように、ほとんどが異民族による王朝だったわけですよ。
もちろん、宋などは逆に異民族の方へ朝貢しているありさまです。
930 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:15
>なぜ古代の中国は日本を攻めなかったの?
中国人同士の殺し合いが忙しかった。
931 :
日本@名無史さん:04/01/30 22:47
攻めても価値のない蕃人国だったから。
『中国』は別に領地拡大の戦争をして、国土を広げたわけではないからな。
むしろ逆。
辺境の異民族が中原に攻め上り、漢族その他を支配することで
中原の領土ともとの自領土とが『中国』となった。
その結果混血して民族意識に希薄な『中国人』は自分を漢族と思うようになった。
今の中国は、旧日本軍によって大陸の隅々に至るまで国民党や馬賊などの
武装勢力が一掃された後に、共産党勢力が入り込んでできたもの。
実に『中国』的な伝統にのっとった国家成立だ。
『中国』は戦争に負けて大きくなった。
933 :
日本@名無史さん:04/01/31 03:06
世界史板から来た者ですが
なんか日本って少なくとも20世紀以前は超田舎国家といった見方がほとんどですが
世界史的に数字で比べてみると
首都の規模からいってもコルドバやカイロとそう変わらなかったりするし
日本の世界総生産に占める割合は10世紀以降4,5%台で維持しているし
なんか少なそうに見えるけど 現在のドイツが5%程度、19世紀のイギリス本土が
8%と言う数字と比較したらたいしたもの、それに19世紀初頭までは
オーストリアやアメリカよりも総生産が大きかったし
思うに、超田舎国家観はあまりにも巨大な隣国があったってのと
明治以降の政府の正当性から出たものなような気がします。
イスラム圏でも鉱物の豊富な極東の島があるってのは
知ってましたし。
過去の栄光よりも未来を見つめていたい、老い無き二千年帝国萌え
935 :
日本@名無史さん:04/01/31 12:40
m9( ^,_J^)ノ <戦争の原因は軍隊です。
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <中国が日本に攻められたのは、中国に軍隊があったから?
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <そうです。中国が非武装なら、戦争は起きなかったOK
kouei34
http://i.z-z.jp/?kouei37
936 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:37
>>935 なんだこの馬鹿。
何が言いたいのか分からん。
シッシッ
937 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:47
今のアメリカに対する小泉みたいにごますりがうまかった。
938 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:30
単に子分だって認めてたからでしょ。光仁天皇土下座事件とか、日本国王
源義満とか卑弥呼とか。 子分じゃないっていったら元寇みたいに攻めてきた。
まあ幸い台風が吹いて助かったけど、今みたいにODAを差し出して中国様に
恭順の意を示すのが分相応ってこった。
939 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:38
中華ヲタ必死だなw
940 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:41
まあ、事実だからしょーがないw
941 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:42
事実ヲタ必死だなw
古来より『中国』の戦争なんて
>>932が述べてあるとおり。
今も昔も口だけなんだよ。
943 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:45
光仁が土下座したのかあ。
ま、チョンの奥さん(側室)もらってるくらいだしな。
944 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:49
チョン奥さんヲタ必死だなw
945 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:54
チョン(任那)光仁天皇が、チョン(百済)の嫁はんを貰ったのが
珍しいだけで、チョン(任那)同士はあたりまえ。万世一系のチョン
そもそも任那も百済もチョンと関係ねえじゃねえか!
947 :
日本@名無史さん:04/02/01 00:53
光仁天皇は任那から来たのか?
948 :
日本@名無史さん:04/02/01 11:23
古代中国の海洋技術は低い。だがそれ以上に
公衆衛生技術が低く遠征は困難。長江を越えるのも難しい。
949 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:27
まあ、朝鮮の荒れ果てた大地をみたらその先の島に肥沃な大地が広がってるとは
思わないわな。
950 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:37
m9( ^,_J^)ノ <戦争の原因は軍隊です。
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <中国が日本に攻められたのは、中国に軍隊があったから?
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <そうです。中国が非武装なら、戦争は起きなかったOK
kouei34
951 :
日本@名無史さん:04/02/01 13:07
http://jpnkiryaku.hp.infoseek.co.jp/histo2.html 「遠矢」とはいうものの、両軍の距離は五十〜七十メートル程度で、走れば十秒もかからないほどの至近距離である。(『平家物語』延慶本、倶利伽羅峠の合戦など)。
これは、矢の有効射程距離による制約であるか、または楯の向こうにいる敵を射るために山なりに打ち上げたものであろう。
十分に弓を引き絞るため、兜を脱ぐこともある。
矢による狙撃を行いながら接近していき(急所や鎧の空き間を狙う)、敵を圧倒しながら接近戦に移行していく、と考えればよい。従って、騎馬を使用するのは、
逃げていく敵の追撃が主となる(『三河物語』大阪夏の陣の部分)。その接近戦にしても、一騎打ちとは限らない。「轡を並べて駆け入る」「敵を中に取り籠める」という表現がある。
元寇当時の日本において接近戦の比重がさほど高くないことは、『蒙古襲来絵詞』に描かれている武装を見れば分かる。南北朝時代・戦国時代とは異なり、
小具足(諸籠手・脛当・膝鎧など鎧兜で保護できない部分の防具)が発達していないからだ。南北朝時代においても、主力武器は依然として弓箭であった。
鈴木眞哉氏が(1333-1387)の軍忠状百八十点(のべ五百七十四人分)の戦傷を調査したところ矢疵が86.4%,切疵9.2%,石疵/礫疵2.8%,鑓疵/突疵1.4%という結果だった(『謎解き日本合戦史』講談社)。
こんな具合だったから、形勢は楯突戦においてほとんど決定してしまい、絵に描いたような一騎打ちはなかなか発生しなかったらしい(『平家物語』延慶本第二末。小壺坂合戦における和田義盛の言葉)。
『蒙古襲来絵詞』(後世の加筆部分を除く)を見ると、よく分かる。三井資長は、名乗りもあげず馬上から射掛けて敵を追い散らし、逃げる者には容赦なく矢を浴びせて射殺している。
白石通泰以下百騎もまた同様で、旗持ちを先頭に、各人が弓をつがえて蒙古に射掛けている。
だが、困ったことに、この「楯突戦」は、軍記物語には簡単にしか記されていない。「矢戦をする」という表現がそれである。一方で、一騎打ちの場面は詳細に描かれている。
手柄を得るには、敵の首を持ち帰らねばならないからだ。
古代大陸人なら海を埋めて日本にせめてくるくらいのことはやりそうだが。
953 :
日本@名無史さん:04/02/02 16:56
昔は陸続きだったらしい。
954 :
日本@名無史さん:04/02/02 18:19
>>953 このスレ内で
君の発言が
一番輝いている
956 :
日本@名無史さん:04/02/04 11:06
氷河時代が終わって陸続きじゃなくなったから
そんなに渡ってこれなくなったんだよ。
>>1 「別の国」というイメージがなかったから。
今の日本に喩えれば、「なぜ静岡県は長崎県を攻めなかったの?」って感じ。
958 :
日本@名無史さん:04/02/04 12:06
957はバカ丸だし
957に従えば、長崎県が静岡県を北海道に駆逐しただけなので
日中戦争も何ら遺恨を残しませんね♪
960 :
日本@名無史さん:04/02/07 09:50
台湾ですら辺境だったんだし
961 :
日本@名無史さん:04/02/22 03:46
中国が、周辺民族へ朝貢していた例のほうが多いので、なんとも言えんわな。
隋・唐ってトルコ系の帝国じゃなかった?
純粋な漢民族によるシナ帝国支配って漢、北宋と明のほかにあったの?
秦はアーリア系の血が混じっていたなんてウワサもあるしさ。
隋・唐から北宋まで同じ人種。秦漢時代の漢人と鮮卑との混血。
「漢民族」なんて被征服民の妄想なんだから、
真面目に相手するだけ損だね。
あいつらには、支那で十分。
965 :
日本@名無史さん:04/02/23 19:30
>>962 鮮卑はモンゴル系を主にしてツングースが少々混血した連中というのが
大昔からの通説だったと思うんだが、2chではあちこちでずいぶん前から
「鮮卑トルコ系説」が流布してるねー。これの出典どこだろ?
つーか戦ってるやん。白村江で。
任那は日本領ですよ(w
967 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:23
単に興味がなかったから。同じ理由で清帝国も台湾を放っておいた
キョード、センピ、キッタン、マンシュー。
中国の歴史は、征服民族を逆に同化し、「中華」を拡大してきた歴史。
西洋の進出がなければ、300年後ぐらいには日本の番だったかもしれん。
>>968 そんなこた、よくいわれるけど俗説にすぎない。
970 :
日本@名無史さん:04/03/13 15:15
古代日本史の検討の上で貴重なのでそろそろ次スレお願い
(規制中でたてられないので…)
971 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:35
>中国に人権上の問題があるとしてもそのことで過去の日本の行為が正当化
>される訳じゃない。やっぱりこれからも日本は歴史に則って反省し続けて行かないと。
過去の日本の行為に問題があるとしても、そのことで中国のチベット大虐殺が正当化
される訳じゃない。やっぱりこれからも中国は歴史に則って反省し続けて行かないと。
972 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:49
古代中国から見たら、倭人はサルみたいなもの。
人間様がゴリラやチンパンジーの社会を征服するかい?
支那はサルだから、海が怖いんだよ。
なんか聞いたことある
975 :
日本@名無史さん:04/04/05 02:11
靖国の英霊が護ってくれているのかな
護国神社だって護ってくれているよ。
977 :
日本@名無史さん:04/04/10 13:59
まだ航海技術が発達してなかった。
碇とかそのへんから。
978 :
日本@名無史さん:04/04/10 14:40
単に攻勢限界の外にあるからですよ。
距離と海のために攻めていくのがたいへんだし、たとえ一度は攻めても
補給を維持できない。
隋による高句麗征服も補給ができずに敗れた。
白村江のあと唐に反抗した新羅も、補給が続かず攻め切れなかった。
そのことは唐が日本に補給品を出させていることからもわかる。
つまり、新羅がすでに攻勢限界の外にあったのだ。
>>978 「攻勢限界」というのは距離的な概念なのか?よくわからないな。
対象がどれぐらい強大か弱小かでどうにでも変わってしまう概念じゃないか?
980 :
日本@名無史さん:04/04/11 11:49
高句麗は・・朝鮮山城というか鉢金状に住民そのものが
籠もってまったく出てこないという戦い方を隋に対して
展開。ようは持久戦だな。なまじ大軍を送り込んだ隋は
補給が保たず戦わずに敗退。隋書によれば交渉するたびに
引き延ばされズルズルと対陣して騙されたという。
981 :
日本@名無史さん:04/04/11 12:24
おかげで隋・唐は日本に攻めてくることができなかった。
日本は高句麗に感謝しなければならない。
高句麗は、日本が唐と挟撃態勢を作らなかったことに感謝せねばならない。
983 :
日本@名無史さん:04/04/11 15:00
>>987 だからさ。距離と輸送能力の関数なら、本国に近いほど強力な軍を送れて
遠いほど派兵できる軍事力が弱くなるわけだろ。
つまり対象が弱小なら、遠くでも十分な軍を送れるし、
強大な敵なら、あまり遠くの敵には派兵できない。
つまり「攻勢限界」の距離というのは、対象がどれぐらい強大か弱小かで
どうにでも変わってしまう距離じゃないか。
__
`ヽ, `ヽ /゚ヽ
,.' -─-ヽ. / ヽ
<i iノリノ))))>/ )
ノl i_゚ ヮ゚ノli / (
( (i/wkつつ7 )
∠,ノ,イつつ (,
[攻勢限界]