1 :
日本@名無史さん:
淀の方を暗愚だと言う人は多いけど、そろそろ再評価すべきではないか。
そもそも家康(徳川)側にとっては秀頼の存在は極めて危険なものであった
から、大阪城から他への転封などされたら、後は適当に言いがかりをつけられて
改易→斬首の可能性が非常に高かった。それにもし生きながらえたとしても、
浪人や秀吉政権下での織田信雄、今川氏真のような生き様がよいものとも思えない。
そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのはあながち間違った
選択肢とも思えない。
それに負けたとはいえ、大阪の陣でも家康本陣まで迫ったこともある。
桶狭間のときの信長よりは、勝算があったのではないか。幼少の頃から、
蝶よ花よと甘やかされて育った茶々姫がここまでの大勝負を家康相手に打ったの
だから、彼女の持って生まれた才能は、かなりのものがあると思う。織田家の
血筋の中では、男系よりも市の方の三人の娘の方がはるかに資質が高いと思える
のは私だけでしょうか。
2 :
日本@名無史さん:02/07/18 21:30
2get
3 :
日本@名無史さん:02/07/18 21:33
どっちでもいいや
4 :
日本@名無史さん:02/07/18 21:40
たしかに彼女の公道はどう解釈するかで、アホか戦略家か評価わかれるね
漢字間違ってるよ。
6 :
日本@名無史さん:02/07/18 21:43
とにかく茶々は可愛そうだったと思ってるよ
親父二人とも猿に殺されて
そのうえ猿に抱かれて その器量も無いのに秀頼を生んだというだけで
豊臣家の最高権力者に・・・・・
父親を殺した恐るべき戦から秀頼を守ろうと家康の無理難題も
聞いてきたのに最後はだまされて家康に殺された
なんか悲しみに満ちた人生だなって
数多くある「秀頼生存伝説」でも、秀頼・幸村たちは生き延びているのに、
淀君だけはちゃんと死んだことのなってる話が大半を占めているのって・・・、どうよ?
8 :
日本@名無史さん:02/07/19 15:02
それは、母親お市の方も炎に包まれて死んでいるし、佳人薄命っていうのは
なんとなく庶民の願望だからでしょう。
でもあの無能家臣団でよく戦ったと思うよ。
9 :
日本@名無史さん:02/07/19 15:08
ねねと比べりゃマシってだけ
10 :
日本@名無史さん:02/07/24 11:07
ねねは最後に愛情を茶々に取られたことがよほど憎かったんだろうな。
まあ、考えてみれば、秀頼なんて自分にはなんの関係もないしな。
11 :
日本@名無史さん:02/07/25 11:35
淀の方って本当に美人だったんだろうか。素顔が知りたい
13 :
日本@名無史さん:02/07/25 14:43
>>11 浅井長政は肥満体だったようだから
彼女も「でぶ」だった可能性はあるな
14 :
日本@名無史さん:02/07/25 14:49
>>13 どっかの寺だかに残されている肖像画を見る限りでは、
大柄に見えるよね。
15 :
日本@名無史さん:02/07/25 14:57
外交や内政はともかく
軍事指揮は駄目そうだな。
太閤が死んでから密かに学習すれば
よかったのに。
16 :
日本@名無史さん:02/07/25 16:07
大野クンとはデキてたのかな?
>16
♥
18 :
日本@名無史さん:02/07/25 16:57
淀の方を再評価すべきという点に関しては激しく同意するが
>>1タソは少し過大評価しすぎているように思われ。
大坂の陣で、豊臣家があそこまで奮戦できたのはやっぱり
浪人衆の活躍が大きかったためと思う。
19 :
日本@名無史さん:02/07/25 17:01
もう大人だからって言われるとちょっととまどう
まだ子供だからって言われるとちょっとくやしい
オトナジャナイ
コドモジャナイ
ただの15歳
でも、それが、うれしい
20 :
ベタ藤原 ◆MNjfnp0E :02/07/25 17:07
美人の基準は時代、文化ごと違うからねぇ……
平安時代は、今で言うデブが美人だったんだけど、戦国〜安土桃山時代はどう
だったんだろう?
今の基準からすると美人じゃないかも……
>1
長々と自説ご苦労だが、全くといっていいほど
当を得ていないぞ(苦笑。
>そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのはあながち間違った
>選択肢とも思えない。
これは全然違います。
はっきりいって淀君の対家康への戦略は全く一貫性を欠いています。
ま、行き当たりばったりということです。
そういう意味では秀頼の方が遙かに家康の真意を理解していたといえるでしょう。
女性の感情むき出しの政策の為、和議の使者を発したかと思えば
浪人衆や武器弾薬兵糧を買い漁ってみたり。
>それに負けたとはいえ、大阪の陣でも家康本陣まで迫ったこともある。
これは幸村の作戦が効を奏したのであって全くもって淀君は関与貢献してないですよ。
デタラメもいい加減にしてください。
逆に秀頼の出陣を最後になって押しとどめてしまったのは淀君本人。
あの場面で千成り瓢箪の馬印を押し立てて前線へ秀頼自身が出馬すれば
少なからず戦局が動いた可能性もあったのです。
その最後の望みすら潰した淀君の愚行を鑑みても
彼女を評価することなでできないはず。
逆に、女性に権力を与えるとこうなる、という
悪い見本にはなりますな。
22 :
日本@名無史さん:02/07/25 18:16
>>21 それに加えて、冬の陣で大砲が恐くなって和議結ぶとか
史実どうりであれば、女性に権力を与えるとこうなるの悪い見本ですね
しかしそれらの淀の愚行は江戸時代の捏造がかなりあるんじゃないかと
校正な淀評価の意見とかも聞いてみたい感じします
それと秀頼の秀吉の子かどうかの問題も、どこまで信憑性があるのか?
同じような疑惑に平清盛、斉藤道三の子とかありますがそれらは前の夫
の種かどうかで、そっちの方が高貴な種だから利用した面もあっての
疑惑であるが、淀の場合は浮気だけに。。。
23 :
日本@名無史さん:02/07/25 18:22
どうかんがえても、捨も秀頼も秀吉の子じゃ無いと思う....
あんんだけ女好きが一子も為さなかった事を考えれば、
なにか生殖での障害が有ったと思われる.
急に淀殿で立て続けに生まれているというのは不信満々.
三成か大野治長かどちらかの子であるんじゃないかな?
ソースも資料批判も無い妄想だけど(w
24 :
日本@名無史さん:02/07/25 18:34
秀吉が何故認知したのか?
それも自分の数少ない身内の秀次を殺してまで
何かそこに歴史の謎を感じますね
話変わりますが、淀って日本人で初めてタバコを愛用した人って事に
なってますね
かなりのヘビースモーカーらしくストレスいっぱいの人だったらしい
25 :
日本@名無史さん:02/07/25 21:12
>>21 ねねは武将じゃないんですよ
見る角度を変えれ
26 :
日本@名無史さん:02/07/25 22:11
しかし豊臣って最後情けないぐらい裏切られましたね
豊臣側へ付いた大名って古田織部ぐらいですからね
しかし木村重成は父親が秀次の筆頭家老で、事変の際殺されたのに
なんであんなに最後までがんばったでしょうか?
よく淀も信用し重く取り立てたのでしょうか?
27 :
日本@名無史さん:02/07/25 22:15
28 :
日本@名無史さん:02/07/25 22:30
>>26 淀の方が美青年を愛していたから。
きっと夜伽も一度は。
あんな奴より俺のことを再評価しろYO!
30 :
日本@名無史さん:02/07/25 22:48
豊臣政権は、犯罪的侵略によって無数のアジア人民を虐殺しなければ
瓦解していたと言われている犯罪政権である。つまり、豊臣の栄華は
日本人民からの収奪とともに、無数のアジア人民の血によって
あがなわれていた性質のものなのだ。
淀君や秀頼の地位や財産は、大勢のアジア人民の
想像を絶する悲劇によって、彼らにもたらされたものである。
しかるに、そのような侵略の産物を継承する淀君や秀頼は
アジア人民になにか謝罪の意を示したであろうか。
自分達の栄華が、アジア人民の血によって購われたという
犯罪的な事実について
いかなる謝意を表明したのであろうか。
彼らは殺されなければならなかった。平和外交を旨とする
東国政府の討伐軍の攻撃を受けることで、自らの犯罪行為を
償わなければならなかった。彼らは虐殺されて当然の存在であった。このスレの
>>1ら、淀君ら犯罪者にに同情を示す馬鹿は、自らが侵略主義に同調する犯罪者であることを自覚すべきである。
31 :
日本@名無史さん:02/07/25 22:54
32 :
日本@名無史さん:02/07/25 23:00
もちろん、われわれ平和を愛する東国人は
江戸城を占拠する西国ヤマトの酋長に対しても同様の
主張をもつことは周知のとおりである。
33 :
日本@名無史さん:02/07/25 23:01
徳川政権は、犯罪的侵略によって無数の西国、アイヌ人民を虐殺しなければ
瓦解していたと言われている犯罪政権である。・・・以下略
34 :
日本@名無史さん:02/07/27 12:31
万が一、淀の方がつけた日記なんぞがあった上で
どこか旧家の蔵からでも発見されたら
内容によっては国宝認定されるのだろうか?
35 :
日本@名無史さん:02/07/27 14:30
親父が持ってた何十年か前の三文歴史SF小説
南条範夫『わが恋せし淀君』を読んで、好きになりました
36 :
日本@名無史さん:02/07/27 18:38
東国人は田舎者の野蛮人!
37 :
日本@名無史さん:02/07/27 18:54
木村重成の兜=ベッカムのシャツ
38 :
日本@名無史さん:02/07/27 19:18
秀頼は後に由井正雪と名乗る
後の閑院宮直仁
39 :
日本@名無史さん:02/07/29 11:27
昔のNHK「春の坂道」では、大阪夏の陣の場面で、淀の方(岸田今日子)が
「みんな死ぬではないぞ。いよいよとなれば、妾が駿府へ行く。内府殿は妾を
好いているから、それでみんな助かるぞえ」みたいなことを言っていたなあ。
実際に家康は後家好みだし、淀の方が本当に絶世の美人だったら、十分ありえたかも。
もしそうなっていたら、姉妹で徳川家の家政を牛じれたわけだ。
40 :
日本@名無史さん:02/07/29 11:43
>39 父親のほうに似ていたのでは、という説もあるみたいだぞ
今に伝わる長政の肖像画は全て後世の想像図で、
実際の顔がどんなだったか判らないのに?
>>41 ひとつは淀殿が描かせたものでしょ。
彼女が幼いときに死んだとはいえ、あれだけ太った絵を描かせたからには
それが浅井長政の最大の外見の特徴だったのでは?
43 :
日本@名無史さん:02/07/30 22:44
若いデブか。家康も若い頃からデブだしな。
44 :
日本@名無史さん:02/07/30 22:48
公家化の道を徹底的につきすすめばまだよかったんだが・・・
45 :
日本@名無史さん:02/08/01 10:20
>44
そうだね。
ただ彼女の中には武家の血が流れているから、、、
46 :
日本@名無史さん:02/08/01 10:52
秀吉は自分の血筋が卑しい事を百も承知していたからこそ織田家、浅井家の後裔である
淀君と秀頼に全てを託した。
そして利家が何とかサポートしてくれると思ったんだな。
家康には自分の妹を嫁がせて、自分と同レベルまで引き下げてやろうと画策したのかな?
47 :
日本@名無史さん:02/08/01 10:54
考えてみれば、信長も秀吉も自分の妹を嫁がせた相手に裏切られてるんだな。
48 :
日本@名無史さん:02/08/01 13:08
>48
そうですね。家康が肥り始めたのは40代後半から50歳頃。
また、関ヶ原のころも(既に肥満はしていたが)回虫やら
サナダ虫やらがいて、征夷大将軍・右大臣に就任する頃ほど
デブではなかったらしい。
大坂の陣で、我が山宗我部率いる土佐隊は長宗我部隊と
(俺に追い払われ浪人と化した)山内隊を撃滅。
哀れかつての「主君」盛親と康豊・忠義は打首獄門に(w
そして、俺(土佐山宗我部藩祖)は家康から松平姓を
名乗ることを許される。
そういえば、細川忠興の次男坊か三男坊もお家での対立で浪人になり、
大坂の陣に豊臣方として参戦したような。
53 :
日本@名無史さん:02/08/01 13:26
>53
サンクス!
55 :
日本@名無史さん:02/08/01 20:05
いつもこんなスレが立つけどだいたい評価しようのない人物だよね。
日本は言いたいこと言えるいい国だからなにいってもいいけど・・・
56 :
【 ´,_ゝ`】参議ショッカー:02/08/02 15:44
>51
貴様には「平平(ひらだいら)」姓で充分じゃ。
57 :
日本@名無史さん:02/08/02 23:59
>>56 ワロタ。
てか
>>51よ、スレ違いだ。
日本史版にいるやつはオマエの先祖の話しなんぞ聞きあきとるわ。
夏房は(・∀・)カエレ!!
58 :
日本@名無史さん:02/08/03 13:41
淀の方の墓はどこにあるんだろうか
59 :
日本@名無史さん:02/08/09 16:08
大阪城の中ではないの?
60 :
日本@名無史さん:02/08/09 16:12
>>58 大阪の梅田の繁華街にほど近い「太融寺」という寺にあります。
61 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:13
彼女が幸村のように
侍女と共に特攻をかけていたら、
感動的なのにな。
62 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:18
このスレで秀吉の正室のことを「ねね」と言ってるやつがいるが、間違いだと思う。
正しくは「ね」「おね」であります。自ら発給した書状には「ね」とあるし、秀吉からの
おね宛ての書状にも「ね」または「おね」とある。
63 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:25
淀川にその名をとどめる人間のどこが暗愚だと?
てか、淀君って、秀吉の愛人だったの?何だったの?奥さんが北政所だしょ?
てか。「よどんでる」の「よど」とは関係ないのかしら?
64 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:29
なんか俺、淀殿と築山殿ってイメージかぶる。
65 :
日本@名無史さん:02/08/09 19:32
>>61 本陣に辿り着く前に
討ち取られて
家康に首実検させられる妄想。
67 :
日本@名無史さん:02/08/18 14:35
今度は家康にレイプされます
68 :
日本@名無史さん:02/08/19 09:30
少なくとも田中真紀子よりは政治力があるな。
彼女は関ヶ原で家康に与した清正や正則を伏見での家康・秀頼会談で
与力に付けた。
政策がほぼ同じに関わらず橋本派の連中を敵視し、政策の違う森派と連携し
自爆した田中真紀子よりは上。
69 :
日本@名無史さん:02/08/19 10:56
秀吉には二回も城を攻められて親父や母親を殺されてるわけで、
そんな淀殿が豊臣家を必死に守るってのもなんだかなあ・・・
しかも最後はやはり落城して息子ともども死んじゃうってなあ・・・
もう言葉も出ないくらい悲惨。
70 :
日本@名無史さん:02/08/22 04:14
>>64 それは池上季美子をイメージしてないか?
大河どらま
'81 おんな太閤記 淀殿(池上季美子)
'83 徳川家康 築山殿( 同 )
71 :
日本@名無史さん:02/08/23 16:07
やはりヨドは、目が大きくてきりっとした美人というイメージがあるな。
72 :
日本@名無史さん:02/08/23 16:12
俺は、藤村志保の淀殿がよかた。
73 :
日本@名無史さん:02/08/25 19:23
今回の茶々の子役はなかなかきりっとしていていい感じだな。
74 :
日本@名無史さん:02/08/25 23:47
はたして淀は秀吉に愛情をもっていたのでしょうか?
むしろ心の中では仇と思っていたのではないかと邪推
してしまいます。淀の前半生を考えると。
75 :
日本@名無史さん:02/08/26 00:14
>>68 胴衣。
淀君は秀頼による寺社の修復・再建というのも、単なる浪費ではなく、
寺社勢力を豊臣側に組み込むという意味もありますから。
さ て 、 秀 頼 は 誰 と の 子 カ ナ ー ?
バカな女性だったから、(晩年の)秀吉に愛されたって見方もある
バカで愚かしい若く美しい女が老人にはたまらんのではないかと
78 :
日本@名無史さん:02/08/28 21:27
かつての上司の女をスケベ心から陵辱したら、
たまたま世継ぎを産んでくれた。
それだけのこと。
本当に有能だったら、密かに豊臣恩顧の大名を
まとめあげるぐらいできただろうよ。
北条政子みたいにね。
79 :
日本史@名無史さん:02/08/28 21:45
豊臣恩顧の諸大名離反させた人だぞ?あまり評価する余地ないな
秀頼が1万石で秀忠の御伽衆に加えてもらえば、現代でも生き残っていたと思う
大柄だったらしいよ。デカイ女がヒョロヒョロの爺さんを抱きしめる・・
なんかマニアックな世界
大阪城なんかさっさと捨てれば良かったんだよ
俺なら鼻毛はやして、踊り踊って、大阪城なんかさっさと捨ててたな
そうしたら、多分生き残ってたよ
田中真紀子以下って奴はまずいない。真紀子よりそこら辺の石ころの方がよほど役に立つ。
85 :
日本@名無史さん:02/08/28 22:08
>>83 淀はね。でも秀頼は確実に殺されただろう。
そかな?秀頼が頭悪くて人望なかったら、殺されないだろう
87 :
日本史@名無史さん:02/08/28 22:22
秀頼は暗愚。外堀を埋めるの条件をのんだり馬鹿丸出し
最後は命乞いをしたが受け入れられず自害
88 :
日本@名無史さん:02/09/07 18:33
女武者として
氏ねばよかったのに。
89 :
日本@名無史さん:02/09/07 19:04
万田久子が淀殿に扮し、「歴史は、わらわが作る。家康、勝負!」と言うセリフの
CMがある(鉄管を作っている会社で、その鉄管で落ち延びる設定)。
きりっとした万田久子の淀殿はなかなか良い。
そこの社長は、家康嫌いで、万田久子のファンなんだろうな。
90 :
日本@名無史さん:02/09/09 01:43
>81
もしそうだとしたら、秀吉は平均より小柄だったらしいからちょっと変なカップル
だね。
91 :
日本@名無史さん:02/09/09 11:46
>90
淀どのが
秀吉を絞め殺したとかいう、
妄想を小説の種にしたヤシもいるな。
晩年なら体力的には十分可能だろうが。
92 :
日本@名無史さん:02/09/09 12:34
角栄が今太閤だから真紀子は淀でいいだろ。
93 :
日本@名無史さん:02/09/10 13:20
無位無官てのは可愛そう。
秀吉も朝廷に働きかけて
やれば良かったのに。
でも淀はあほだろ・・・。
95 :
日本@名無史さん:02/09/10 14:11
金製の繋目金具と銀製前立てに
燃え立つ緋縅の鎧兜具足一式で
身を固めた淀の方の勇姿が、
奇策中の奇策として半裸姿の侍女騎馬軍団と共に
憎っくき内府殿、家康の陣中目掛けて
突進していくさまをビジュアル化したら様になるな。
96 :
日本@名無史さん:02/09/10 15:03
>95
鉄砲の横列射撃で数を減らし、
馬の体力が尽きた所で下馬して
押し寄せる雑兵でもを小脇に抱えた薙刀で
なぎ倒す父親譲りの体躯の淀の方さま、ってか。
97 :
無職95↑の中身:02/09/10 19:06
俺は彼女を長槍の穂先で
討ち取りたい。
断末魔のうめきと表情とを
堪能したい、
って所か?
98 :
日本@名無史さん:02/09/10 20:08
ここにカキコしてる連中
何様ですか?
99 :
日本@名無史さん:02/09/10 21:19
「淀殿」に扮した万田久子(秀頼役は浅利陽介)に萌えまくるスレですが、何か?
駄スレで100げっと
101 :
日本@名無史さん:02/09/12 10:34
家康が京都の伏見城で
秀頼と面会する前に
病気でポックリ死んでいたほうが
本人にとっても豊臣家にとっても
幸せだったような。
万田久子好き
103 :
日本@名無史さん:02/09/14 22:48
104 :
日本@名無史さん:02/09/15 22:32
>>75 寺社への多額の寄進は、神仏のご利益を期待したものと思われ。
決してアホだというつもりはありませんよ。
豊臣の隆盛を、神の奇跡に頼らざるを得なかった心中を
思うと可哀想です。
淀殿って本当に美人だったの?
106 :
日本@名無史さん:02/09/16 01:32
,.、,・ ,,'ヽ' γ⌒γ⌒/⌒/^ '・,.
:¨゛ ヾ;: ,ゝ`/~ /~ /~ '・, ,'・, . '・,.,
:ヾ´ ・ '・,.ヽ;:〈(_| | |~ |~ /・, . '・,.、,'
:ゝ ・ '・,.;:;;:::'''::/~ /~ /~ ~ /~ //・ '・,.、ヽ
:《 ・ '・,.()/)/~ /~ |~/~ |・ '・,.、 ,'・, ,'・,
ソ;: '・,.、:¨゛ヾ\〈,|,,、,,|,,、,,,,,|~,,,,、〈~/,'・,,'・, ::::ヽ
;;|;: '・,.、: //)/~ /~ |~/~ :;| ヽ: ヘ:
< ヽ:; _,,___ \〈,|,,、,,|,,、,,,,,|~,,,,/ _,,___ /:/: :ヽ
( \; /∴,,゙・;;^\ヾヽヾヽヘヘ//∴,,゙・;;;^\ ;| |:
\\ |;:「●;,,''“。∴・ | "ミヾ丶/ 「∴;, ,''゜∴,・ | ;:;| :|
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;:| │ ノ " /:
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;:\ ,'・,∵,'・,,'・_,'・,..' ,.、∴ ./
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_/`ー-、 ∵,'・, ,'・,,'・, / ,.-'" \
/ ,.-'" \: .,.-''" |::;
/ \ ____>、,.-''" ;;:: |
,,..-‐'''""" |/―――――\ /―――――、/丶ミヾ
\ / ゛゛ヾ
107 :
日本史男たく-:02/09/16 01:50
106のAA意味不明
108 :
日本@名無史さん:02/09/17 15:45
前田家のおまつさんを見習って、
率先して江戸に赴くべきだったな。
109 :
日本@名無史さん:02/09/17 19:58
>>1 浅井三姉妹
長女・茶々(秀吉側室) =己のわがままで豊臣家を潰したDQN
次女・初(京極高次正室)=徳川・豊臣両陣営に顔を立てて京極家を守ったバランスのとれた人
三女・お江与(徳川秀忠正室)=次男偏愛の結果、後継抗争に勝った長男に捨てられたダメな人
・・・・やっぱ淀君ってダメじゃん。
大阪の陣で息子には徳川につかせ、自分は出家して家を出た上で姉のもとに行く、という妹・初のバランス感覚を見習うべきだったな。
110 :
日本@名無史さん:02/09/19 10:53
実際に大阪の陣のときに家康と淀の方の一騎打ちがあったらどっちが勝ったかな?
111 :
日本@名無史さん:02/09/19 22:01
>>110 勝った負けた以前に、そんなもの天地がひっくり返っても起こりません。
112 :
日本@名無史さん:02/09/19 22:27
淀殿はそんなに美人じゃなかったそうですよ。
松の丸殿 加賀殿には到底及ばない容姿だったらしい。
しかも痘瘡のあとがあばたになっていたらしいし、
不倫でも何でもして孕みでもしないと、自分の存在理由が
なかったのではないですかね。
秀吉に飽きられたらくいっぱぐれちゃうし、
ちょっとつまんで捨てられちゃった、名もない愛妾がごまんといたようですし…
113 :
日本@名無史さん :02/09/19 23:31
それで家来をちょいとつまんで、秀頼を産んじゃったというワケか。
なるほど。
114 :
日本@名無史さん:02/09/20 22:24
115 :
日本@名無史さん:02/09/20 23:19
>>112 現存史料に容姿の程度についての
言及は一切無いんだよね。
美貌で有名な人で無かったのは確かかと。
当時の基準で不美人かどうかは、
まったく分かりませんが、
母親の影響からそこまでじゃないだろうかと。
116 :
日本@名無史さん:02/09/21 08:14
秀吉は容貌よりもブランド志向が強かった。
117 :
日本@名無史さん:02/09/24 21:12
>81 91
なんか興味そそるなあ。しかも美人でなっかたという説もあるし。
118 :
日本@名無史さん:02/09/24 21:25
美人じゃないほうがそそるだろ?
119 :
戦国最後の女武者の死:02/10/07 16:39
厚化粧の大柄な熟年女武者が
桜縅の鎧と、金の前立ての兜、
そして具足一式に身を固めたまま、
草地の中に薄目を開いて
半開きの口からお歯黒の歯列を覗かせて
横たわる情景って萌えないか?
ゴージャスなお姿を目に焼き付けた後で
下馬した後も討ち取りにてこずった雑兵どもが
身ぐるみ剥いでいって最後に生まれたままの観音姿を披露させる。
首を落として首実験に備える前に衆人環視の辱めを受けるだろうか?
120 :
人生日々平凡:02/10/07 16:55
しかし秀頼は本当に秀吉の息子か?あれだけの好色家の秀吉が淀の方だけとは・・
121 :
日本@名無史さん:02/10/07 17:06
>>119 持ちあまりのする白桃の両胸だったら許す。
122 :
日本@名無史さん:02/10/07 17:12
>>119 金箔を貼り付けた面頬をしていたら許す。
いま、カナフ○ックスのバイブもといパイプを使って大坂城から逃げてきたが・・・・
なんじゃこの醜怪な建物だらけの国は?
しかも、妾の目の前で、巨大で醜悪なな蟹が足を上下に動かしておるぞ!
124 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:30
>123
すぐに戦国の世にお戻りならないと、
汚い空気と病原菌とでお体を害しますよ。
でも戻る場所ないか。
せめて田舎に行って昔の風景を偲んでいて下さい。
ついでに、あなたをズリネタにする連中に何か言ってやって。
125 :
日本@名無史さん:02/10/11 11:50
明後日に瀬戸さんの淀の方が、
豪奢な身なりで拝めるぞ。
でも武装姿は大河の最後まで無理だろうが。
126 :
日本@名無史さん:02/10/12 15:43
>125
いや、分からんよ。
マツが死んだのは、
秀忠の御代だし。
127 :
日本@名無史さん:02/10/12 22:59
秀頼は愚人ではなかった、という説もあるけど
どうなんだろ
128 :
日本@名無史さん:02/10/12 23:21
>>127 まあボンボンだしね
妖怪みたいな家康相手じゃどうしようもなかったろ
129 :
日本@名無史さん:02/10/13 21:19
>>127 愚人でなかったとしても、淀の方には最後まで頭が上がらなかったのはイカンなぁ。
・冬の陣
「和議だとぉ!?まだ戦が始まったばかりやんけ!!」
・夏の陣
「ええーい!ワシが戦に出るといったら出るんじゃー!!」
・最期
「なんで山里なんかに行くんじゃ!天主に火薬を詰め込んで華々しく死んでやる!!」
130 :
日本@名無史さん:02/10/13 22:40
淀殿が控えめの行動をしていれば、豊臣家重臣は割れなかったのに・・・
だからやっぱり淀殿はダメだ、という考えはいかが?
131 :
日本@名無史さん:02/10/13 23:47
132 :
日本@名無史さん:02/10/14 00:04
淀殿が、秀頼を武門の棟梁として育てられなったことが敗因。
133 :
日本@名無史さん:02/10/14 00:17
家康が付けてくれた片桐なんぞ速攻で始末するくらいの気概があれば
とも思うが、それはそれで人望無くすだけとも思える。
家康相手にするには忠輝引き込んどくぐらいの謀略が必須だな。
134 :
日本@名無史さん:02/10/14 00:33
城を枕に討ち死にした淀殿・秀頼と
城を明渡して余生を全うした「最後の将軍」と、
どっちがドラマになる?
135 :
日本@名無史さん:02/10/14 01:20
>>134 今までの小説や映画の扱われ方見てたらわかるだろ
136 :
日本@名無史さん:02/10/14 13:26
豊臣政権が確立したころから秀吉は貴族化してきたから
秀頼が武家の棟梁としての気質に欠ける育ち方をしたのも解らなくもない。
葵でも秀頼の衣裳は水干だったしな。
137 :
日本@名無史さん:02/10/14 13:51
葵では、家康は秀頼の風格・将来性を恐れていたよね。
淀殿がいなければ、そこそこやれたんじゃないの?
138 :
日本@名無史さん:02/10/14 14:01
伊達や島津や細川、上杉、毛利はともかく、
豊臣譜代の家臣(加藤・福島等)だけでも
大坂城にたてこもっていたら恰好良かったのに。
どうせ後で潰されるんだから。
139 :
日本@名無史さん:02/10/14 14:12
三成がいるから、だめだろう。
というか加藤・福島が豊臣方なら家康は手を出さないでしょ。
140 :
日本@名無史さん:02/10/14 15:14
所 詮 、 秀 頼 は 農 民 の 子
…なのに大阪城如きにこだわるから追討されるのだよ。
大叔父の織田信雄の教訓から学べば良かったんだよ。
141 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:15
北条政子と淀殿って、権力の頂点にいたという点で、境遇似ているかも。
>>140 信雄はまたいとこではないのか。
大叔父といえば有楽斎……
143 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:29
>134
蔵に隠れたたんじゃないの?
144 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:38
>>1 おまえバカじゃないのw
情勢に対応できずヒステリックにその場その場でしのいできた結果、戦争に
なっただけだし、ましてや「家康本陣に迫ったこともある」って、
淀君が作戦をたてたわけでもなければ、指揮をしたわけでもない。
ましてや戦いに自ら出たわけでもない。
大砲の弾打ち込まれただけでビビるような女に何ができるの?
どうせ、歴史書なんか読んだことなくて、ゲーム攻略本ぐらいで淀君を
知った程度なんだろ?
妄想もいい加減にしろよ。
145 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:40
1人で全国を敵にする、良くも悪くも男じゃ出来ない。
146 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:45
>>144 てめえこそ馬鹿か
そんじょそこらの庶民に生まれてたらできねーことなんだよ。
トップの器量はいかに優秀な部下を使うかにあるんだ。
100点満点とはいかなくても
多くの武将が夢を見て集まっただけでもたいしたもの。
じゃあ何か?さっさと徳川の軍門に下っていれば評価が高かったって言うのか?
ちがうね、どうせ大坂城に立てこもっていれば勝てただのヘタレだの
結果だけ見て非難するタイプだよ
>>144は。
147 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:52
歴史には不明な部分が多いので、ある程度は想像・推測で補う必要があります。
でも想像・推測と妄想は違います
>>146は妄想厨房ですね
148 :
日本@名無史さん:02/10/14 17:54
149 :
日本@名無史さん:02/10/14 18:01
144こそヒステリック
150 :
日本@名無史さん:02/10/14 18:01
>>146は別に妄想しているわけではないと思うが・・・
>>148 豊臣の名と修理の呼びかけで集まったんだよね
淀はむしろ薄汚い浪人が嫌いだったんだし
困るようなあ、
>>1や
>>146のような電波系には
152 :
日本@名無史さん:02/10/14 18:12
>>151 そんじょそこらの庶民に生まれてたらできねー=豊臣の名
トップの器量はいかに優秀な部下を使うか=修理他
ということで、
>>146の主張と合っているのじゃないか。
口が悪いが。
test☆
154 :
日本@名無史さん:02/10/14 19:20
とりあえず豊臣滅亡の責任は淀よりも北政所にあるな。
良妻のイメージあるけど、秀吉同様
晩年はアフォだと思います。
北政所が良妻イメージなのは、結果的に徳川方だったからじゃない?
アホが多い中で良いこと言ったね>155
157 :
日本@名無史さん:02/10/14 20:10
北政所は、淀が実験を握った豊臣家よりも、
子飼いの加藤清正・福島正則や、実家の浅野氏、
その辺が存続すれば十分だったんじゃないかなぁ。
158 :
日本@名無史さん:02/10/14 20:16
ねねに実権があれば豊臣家は滅びてなかったよ。
159 :
日本@名無史さん:02/10/20 09:59
瑣末な事だけど、淀の方って秀吉に対してどういう気持ちでいたんだろうね。
生涯を通して見ると、「秀吉」の「豊臣家」の女、というよりも
「浅井の姫様」にして「信長の姪」という意識のほうが強いような
気がするんだけど。
もちろん、「秀頼の母」なんだけどね。
160 :
日本@名無史さん:02/10/20 11:29
>>141 似ているだろうか?
後鳥羽上皇を打つときの演説は御家人たちの団結を固めるほどの
名演説だったのは有名。
しかし淀殿が甲冑を身にまとい
家臣どもを叱咤した時は,みんな萎えてしまったとのこと
やはり世の中を見る力,家臣を掌握するカリスマ性において
似てないと思う。
>>160 北条政子のイメージは、後に実権を握ったのが北条氏だったという
こともあるんでは?吾妻鏡だって北条より。
そういう点では、淀は全く逆。(敵方が後の世の覇者)
162 :
日本@名無史さん:02/10/20 15:29
淀は嫌いなんだが…
北朝鮮に対する一貫性の無い対応とか見てると
現代の日本人も大して変わらないような気がするよ。
人は歴史から学ばない…
163 :
日本@名無史さん:02/10/20 15:54
>161
それはそのとおりだと思う。
しかしながらバックグラウンドのない立場
実家の知名度を含めても似ていない。
と思いますが。
尼将軍のほうは敵対する御家人のほかに身内人もライヴァル
だったし。
164 :
日本@名無史さん:02/10/21 03:56
大河ドラマを参考にして考えたんだけど、淀殿ってのはある意味もっとも
女らしく生きた女性だったんだよ。
165 :
日本@名無史さん:02/11/06 00:29
本当は可哀想な人なのに
誤解した向きが多いなあ。
166 :
日本@名無史さん:02/11/11 15:24
そうそう。淀殿ほど可愛そうな女性はいないよ。
女性のわりに失策も無く立派に戦ったと思う。
167 :
日本@名無史さん:02/11/20 22:23
全然話しが進まないんで、ここで一つネタを提供・・。
関ヶ原合戦時の裏には淀(三成派)とねね(家康派)の対立があったと
言われるがこれについてどう考えますか?
ほんとに淀は三成派だったのか?その辺を特に議論してみましょう。
淀と三成をくっつけるのはよくある話しなんで、私はあえて
淀は家康派だった説を押します。理由はまた改めてカキコみます。
みなさんはどうでしょうか?
>>167 「妹の舅だから、悪いようにはしないはず」と考えたという仮説でつね?
身内に拘った淀のことだから、可能性ゼロとは言えないな。
169 :
日本@名無史さん:02/11/22 01:44
age
170 :
日本@名無史さん:02/11/22 20:09
淀の方が三成のためになんかしたっけ?
淀殿は大野治長と親しかった。
大野治長は関ヶ原の戦いで福島正則についていた。
よって淀殿は東軍。
172 :
日本@名無史さん:02/11/28 14:50
淀はあの時点では、東国に配流されていた愛人(晴長)がようやく許されて家康側に
いたのだから、その安否は気遣っただろう。まして、家康は出発する時点では、
淀様と秀頼様から刀も頂いて。。。という形式で出発しているわけだから、
勝つ方の味方というのが正しいと思うよ。家来同士の喧嘩なんだから。
173 :
日本@名無史さん:02/12/14 23:42
大阪方と江戸の秀忠が組んで、駿河の家康をあぼーんしようとしたのが
大久保忠隣改易事件や大阪の陣の発端って話は本当かな?
174 :
日本@名無史さん:02/12/14 23:56
>>173 初耳です。よろしければ詳しく教えてください。
大久保が改易になったのは、彼の政敵本多一族の策略によるものと
記憶してますが違うのでしょうか?
175 :
日本@名無史さん:02/12/15 00:01
>>174 そういえば本多一族からも大阪方についた人いたね。
176 :
日本@名無史さん:02/12/15 21:25
スレが生き返り始めたage
177 :
日本@名無史さん:02/12/16 15:26
淀と秀忠が組んで親爺をアポンか・・・・
大河の淀が利長を色仕掛けで誘惑して前田家を自分の傘下におこうとしたという方が
現実性があるけどな。
毛利輝元もそうだろう。
淀というのは、稀代の色事師かも
178 :
日本@名無史さん:02/12/16 22:38
淀君は不細工だったみたいなことが、過去ログになかったけか?
179 :
日本@名無史さん:02/12/21 20:17
大野くんとは何回やったのかなー
いいな淀のお汁一日中なめられる
180 :
日本@名無史さん:02/12/23 14:19
>>178 すごい美人だろ。太閤の妾なのだがら。あと市の娘なのだから。ちなみに
義経不細工説も怪しい。なぜなら母親が美人であるから。
181 :
日本@名無史さん:02/12/23 14:42
なぜ母親が美人てわかるんだ。
あの時代の美人はオカメハチモク
182 :
日本@名無史さん:02/12/23 15:26
>>181 肖像画を見る限り、淀殿はお市の方に似ているな。
もっとも、おかあちゃんの方が美人だが。
183 :
日本@名無史さん:02/12/23 15:34
昔の場合、暮らしは本能的で結構セックスはフリーだったらしい。
今みたいに情報通信がないので密会も白昼堂々、夜這いはあたりまえ。
どこの国の貴族も同じだが大阪城内もかなり性風紀は乱れていたはず。
秀頼の父親だって誰だかはわからない。
その教訓を見て、徳川は大奥を作って男子禁制にした。
>>182 肖像画を見る限り、浅井長政似だと思うぞ。
むしろ妹の徳川秀忠室の方がお市に似てる。
185 :
日本@名無史さん:02/12/23 20:22
>>183 だとしたら秀吉は秀頼のことを「頼みましたぞ〜頼みましたぞ〜」といって
逝かなかったと思うが?「徳川はん、わしが逝ったら天下とってもいいよ」
くらい言ってたと思うが?
186 :
日本@名無史さん:02/12/24 13:20
夏の陣で淀の方が万が一、
自害できぬまま
身柄を拘束されていたら、
果たしてどのような境遇になっていたか。
187 :
日本@名無史さん:02/12/24 13:44
淀の方は大坂夏の陣で自害出来ずに生き残り、
徳川家康の妾にされて男児を生んだ。その男児
こそ、通説では徳川秀忠の隠し子とされている
会津藩初代藩主保科正之であるとの説あり。
家康は夏の陣の翌年氏んでますが、何か?
ネタニマジレスカコワルイ???
189 :
日本@名無史さん:03/01/10 22:43
救出age!
(^^)
(^^)
192 :
日本@名無史さん:03/01/21 23:40
age
193 :
日本@名無史さん:03/01/21 23:48
タヌキおやじ、けっこう精力絶倫じゃん、しかし、五十近くなって
子供産む淀も凄い!当時の人間は何食ってたのだろう?
194 :
日本@名無史さん:03/01/22 00:06
徳川家康の最後の息子である頼房が生まれたのが1603年
家康62歳のとき
男は何歳まで子供をつくれるんだろうか?
195 :
日本@名無史さん:03/01/30 15:25
北政所が後世では賢妻で淀が悪妻とされているのは、すべて江戸時代の世論操作の
たまものです。
勝った徳川政権が都合の良いように脚色している。
こうすることで、秀吉の子孫を殺したことの最悪感を少しでも薄めようとしているのです。
でも実際には、上にもあるように秀頼と北政所は血もつながっていなし、他人。
それよりも子供の頃から育て上げた、清正、正則、そして実家である浅野家の方が
大事に決まっているでしょう。だいたい、江戸時代には浅野家からの経済的援助で暮らした
んだろう、おねさんは。
淀の方は実際に政治や戦いの経験がないのに海千山千の徳川家康相手によく政治闘争、戦争
を戦い抜いたと思うよ。実際にもう少し早く家康が死んでいれば・・・
秀忠・お江与の力関係、千姫の存在などから、豊臣家が大大名として存続した可能性
は高いと思う。
でも案外、途中で豊臣の姓を返上して、浅井もしくは、織田に戻ったりしてね。
茶々と江与の合作でそういうシナリオもあり得たと思う。
196 :
日本@名無史さん:03/01/30 15:35
スレの趣旨と違うこと書いて申し訳ないが、この人は物事を情緒的に
見過ぎ、と言うか人並みだったんだろうな。
少なくとも、権力者の愛人が公に発言力もってうまくいった例は少ないで
特に中国とか
197 :
日本@名無史さん:03/01/30 15:38
あと、北の政所は、豊臣を売った裏切り者だと思う。
朝鮮出兵のミスがあっても、豊臣方の方が慎重に戦えば勝算は高っかたと思う。
再評価できん
199 :
日本@名無史さん:03/01/31 07:55
やっぱり真田忍者が
暗殺すべき女だった。
200 :
日本@名無史さん:03/01/31 10:41
いや真田忍者が暗殺すべきは家康だったのではないかと
隆慶あたりは淀殿と秀忠を元凶にしてるね。
202 :
日本@名無史さん:03/01/31 10:55
>>193 は?
秀頼ですら淀君が26の時の子なんだけど。
203 :
日本@名無史さん:03/01/31 11:02
>>1 まあ、私もその説には半分くらいは賛成です。
何はともあれ淀君が非難されているのは彼女が女性だからであって、
もしも、男であれば「最後まで武門の意地を貫き通して死んでいった」とか評価されてたと思います。
>>21 そういう一つの辞令を持って女性蔑視するのは、良くないですね。
なら、男性が政権を持って失策で滅んでいった事例は一度も無いとでも言うのでしょうか?
逆に女性の権力者でも国や勢力を繁栄に導いた例はいくらでもありますが?
204 :
日本@名無史さん:03/01/31 11:09
実は秀頼の忘れ形見が千姫の腹の中に生きておったのじゃ。
「くの一忍法帖」より
205 :
日本@名無史さん:03/01/31 16:05
実は秀吉の忘れ形見が淀殿の腹の中で15年間も生きておったのじゃ。
その子は、いきなり17才の少年として自害した淀殿の腹の中から誕生する。
そう、その秘密を知ってしまったから、忠輝は隔離されてしまったのである。
彼の名は、松平忠明。
なんちゃって
206 :
日本@名無史さん:03/01/31 17:32
207 :
日本@名無史さん:03/01/31 17:40
>>203 母親、お市の死に様がトラウマになってんじゃないかな?
父、浅井長政を殺され、共に落ち延びた母は再婚相手の柴田勝家と共に自害。
こんな生き方をしていたら人生観もそれなりのものがあったはず。
208 :
日本@名無史さん:03/02/02 16:28
淀の方については、
蔵の中で命乞いに期待をつないだ最期が気に入らない。
潔く天守閣で自害するか、
さもなくば少しでも薙刀といった武術の心得があるのなら
緋縅やら黄縅の鎧に身を包み、
息子と水盃を交わしてでも反対を押し切り、
希望者を引き連れて家康本陣めがけ
特攻をかけて欲しかった。
戦国時代には女中引き連れた女武者突撃の前例もあるし、
討ち死になり自害なりした後、
どこかへ丁重に遺体が埋葬された方が
ロマンがあって良かった。
209 :
堊咒蟲ヰ魯蝣蟆蝌ゐ覦憙鳧膩鐚ゑ:03/02/02 16:56
妾は、日本初の、女性スモーカーぢゃ。
出雲の於国なんて、まだまだ『かぶきもの』ぢゃないぞよ。
秀頼が千姫以外の女に手をつけて子供までできたってのも滅ぼされた大きな要素だと思う。
豊臣家に徳川の血が入れば、豊臣恩顧の大名を手なずけるためにも禄高を削る
ことはあっても滅ぼすまではいかなかったと思う。
秀頼が千姫以外の女に手をつけて子供までできたときには、豊臣恩顧の大名も
喜ぶよりバカなことしなたあ、とか思って愛想がつきたんじゃないかな?
211 :
日本@名無史さん:03/02/03 14:02
>208
藏の中での命乞いってこのあたりはあくまで小説・ドラマのフィクションでしょ。
実話なの?
212 :
日本@名無史さん:03/02/04 13:22
淀の方の正確な没年、
すなわち生年について
現在の学界では、
定説ってないのかな?
知名度が高い割には、
容姿の評判など、
結構、謎が多い人なんだよなあ。
213 :
日本@名無史さん:03/02/05 14:27
>212
実際に会ったことのある人が限定されているからでないかな。
生まれた頃は小谷城だし、その後も隠遁生活で清洲会議のときから急に脚光を
浴びるも、その後はまた秀吉の膝下でしょう。
214 :
日本@名無史さん:03/02/09 19:36
信長ゲームで浅井家でゲームをして、茶々姫が生まれたら武将として育てるを選択。
けっこう有力な武将になった。無事に日本制覇完了。ただし、秀頼は当然のことながら
出てこない。
215 :
日本@名無史さん:03/02/09 20:05
春の坂道の歴史解釈では、大阪の陣の原因のひとつを家康の淀の方に対する横恋慕
にしていたね。
淀の方が、みんなに「死ぬでない。いざとなれば妾が駿府の家康の元へ嫁せば許されるのじゃ」
みたいなことを言っていたもの。
実際にその時点でそういうことがもしおきて、淀が閨で家康の種も身ごもり男子を
生んだ後で、家康が死んだらどんな歴史になっていただろう。
217 :
日本@名無史さん:03/02/13 23:51
ほほう。
色仕掛けか。そんな才覚があれば秀吉没後直ちに(若くてきれいなうちに)家康
の側室になればよかったのに。
そうすれば確かに歴史は変わったと思う。
218 :
日本@名無史さん:03/02/17 02:23
淀の方が閨で家康を責め立てるってか?
そんなことしたらすぐにアポンされるわい。
まあ年増の淀殿をわざわざ連れてこなくても
家康は若い娘っ子に不自由してないわけで。
でも家康は年増好みだったからなあ。
淀殿を迎えれば、名実ともに秀吉を凌駕できるもの。
221 :
日本@名無史さん:03/02/24 19:30
>>220 それほど年増好みでもないんじゃないの。
結婚経験がある女が多いといっても二十歳前後でしょ。
222 :
日本@名無史さん:03/03/05 02:40
エロばばあ
223 :
日本@名無史さん:03/03/07 22:37
ふと疑問に思ったのだが、
たしか山岡荘八先生の『徳川家康』第二十五巻にて
淀の方のdead bodyが徳川方によって検分されるシーン(見てきたような嘘だけど)で、
彼女の歯は鉄漿で真っ黒に染められていたとあったはず。
これって確証は無いだろうけど、時代考証としては十分説得力があるものか?
お歯黒は既に大部分の上流武家女性社会で定着していた習慣なのか?
秀頼は公家として育てられたから淀の方も後から公家女性の風習に倣ったという可能性もあるのか?
淀の方の容姿の評価、推測よりも気になる。
もうだめぽ。。。
225 :
日本@名無史さん:03/03/07 23:33
>223
>淀の方のdead body
なかなか良い趣味してるな(w
というか、山岡さん脱線しすぎ。
226 :
鯨海酔候。。:03/03/08 03:38
まあもし秀頼が降伏したなら大名としての豊臣家くらいは残ったと思われ。。
秀頼が降伏したと仮定すると、おそらく淀はしばらく人質となり、秀頼自身
は東北の2〜30万石程度、もしくは中部、近畿、東海辺りに5万石以下の
大名となっていた可能性は高い。まもなく秀頼は隠居。嫡男の後見人、とい
った立場になるだろう。
確かに関が原後、加藤、福島らの旧豊臣系大名が取り潰されているが今や名
門といえる豊臣家については減石こそあれ取り潰しはないであろう。加藤ら
の改易はまあ、家格、過去の歴史から見て誰しもある程度は納得できるが豊
臣家まで改易となると徳川の評判はガタ落ちになる。まだ徳川将軍家とはい
え草創期でありその基盤も磐石とはいえないし、かつて豊臣家につき、豊臣
に対して同情の感を持っている大名も少なくない。しかも家系的に名門とは
いえない徳川家(家系を捏造はしたが)はきまって足利家、土岐家、今川家と
いった名家を保護し、自らの権威を高めようとしていたふしもある。これら
のことを考えるとやはり改易はないと思われる。
227 :
日本@名無史さん:03/03/08 14:04
228 :
日本@名無史さん:03/03/10 10:51
薙刀で戦わんかい、ゴルァ!
229 :
日本@名無史さん:03/03/14 18:04
だれか群馬の某所に伝わる淀君生存伝説語ってください。おながいします。
230 :
日本@名無史さん:03/03/16 15:22
age
231 :
日本@名無史さん:03/03/30 22:40
age
232 :
日本@名無史さん:03/04/03 22:22
>228
まじめな話し、淀の方が長刀ふりかざして突入したら当時の武士は斬れなかった
と思う。
233 :
日本@名無史さん:03/04/04 18:21
>232
侍女たちと美々しい衣装や化粧とで
遠目からも女である事を分かるようにアピールしたら、
奇策中の奇策となったのではないだろうか。
234 :
日本@名無史さん:03/04/06 16:34
そうして、家康だけを狙い虜にして交渉すれば豊臣家(というよりも浅井家)は
再興なっただろうな。浅井秀頼に改名してさ
( ´_ゝ`)フーン
236 :
日本@名無史さん:03/04/15 11:35
age
(^^)
238 :
日本@名無史さん:03/04/18 13:02
騎乗位で家康を襲う淀殿にハアハア
239 :
日本@名無史さん:03/04/18 13:48
女の身で武装したまま軍議に出席して
総司令官のように軍令を下したって
徳川方がでっち上げた根も葉もない話だったりして。
>>234は私じゃないぞ。
妄想にも程というものがあろう(w
>>233に続けて言えば、
家康本陣近くで淀の御方は
討ち死にか身柄拘束だな。
どちらに萌えられようか?
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
242 :
日本@名無史さん:03/04/20 18:29
>240
死んだふりに1票。そして家康が淀の方の遺体に近いずいた瞬間に懐剣で胸をグサリ。
243 :
日本@名無史さん:03/04/21 10:58
>242
その前に検死で
バレバレだろうけど。
でもよく描かれているよね。淀の方が麗しい衣装を襷掛けにして、上から胴丸つけて
長刀片手に軍議に臨んでいる姿。もし美人だったら萌えるけど、夏の陣の頃は
40過ぎているんだよな・・・
245 :
日本@名無史さん:03/04/25 20:48
淀の方の最期って
何が一番萌えるかなあ?
女武者は確かにカコイイけど。
246 :
【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守:03/04/25 20:50
淀の方のヴァギナは名器。
247 :
【^▽^】会津大将ジョーカー岩代守:03/04/25 20:53
秀頼との母子相姦も凄いね。
248 :
日本@名無史さん:03/04/29 13:46
彼女の遺品って
何があるのだろう?
249 :
日本@名無史さん:03/04/29 15:12
>>1 >織田家の
血筋の中では、男系よりも市の方の三人の娘の方がはるかに資質が高いと思える
おいおい 1さんよ・・・信長と市の方は本当の兄妹じゃないぞ。
信秀の養女で実子ではない
よって淀の方は織田家の血を引いてない。
250 :
日本@名無史さん:03/04/29 15:37
歴史はワラワがつくる。
251 :
日本@名無史さん:03/04/29 15:56
>249
養女といっても
親戚筋じゃなかったっけ?
252 :
日本@名無史さん:03/04/30 10:38
全く無縁の女では浅井も納得しないだろ。
確か信長の従姉妹だったと思うが。
なんかの歴史本で、家康が淀殿の死体を見たら顔にアバタがあって
しかも情けなく太ったしまりない体だったので、「こんな女に引っかかる
奴の顔が見たいもんだ」と愚痴ったことが乗っていた。
むろん、フィクションだが。
254 :
日本@名無史さん:03/04/30 12:32
家康は結婚・出産経験のある女を好んだらしい。つまり子供を
安心して産める丈夫な女を求めたわけだ。特に40歳過ぎからこの
傾向は強くなった。ただ家康が淀殿を後家として迎えるなんて
あるだろうか。勝気な女なんて家康の好みに合わなそうだが。
255 :
日本@名無史さん:03/04/30 13:48
>>253 その歴史本がフィクションながら随分、気になります。
もしタイトルなりなんなり部分的にでも
本の特定につながるような
書誌情報を覚えていましたら
教えてくださいませ。
m(><)m
256 :
日本@名無史さん:03/04/30 14:21
>>252 武田勝頼の最初の正室も信長の従姉妹。その間に生まれたのが武田信勝。
257 :
日本@名無史さん:03/04/30 18:42
>>253 たしか淀ノ方は
若いとき疱瘡に罹ったはずだけど、
幸い軽症で済んだため、
お化粧で誤魔化せる範囲だったんじゃないかな。
厚化粧のヨカーン。
258 :
日本@名無史さん:03/04/30 18:57
前衛の裏付けと云うと、例えばバウハウスの「伝統」との融合とか? 私も
それなりに、構成学などによる裏付けは必要だと思います。ただし、東洋的伝統を西欧的
視点に準拠させようとするのは困りますが。あちらに迎合するかの様に準拠させるのでは
なく、差異の肯定を踏まえて西欧美学をこちらから変えていくくらいでなくては。音楽と
の類比などはたまに見かけますが、この場合も当時の前衛技法と伝統技法との接点を掘り
下げる事に意味があったのではないかと。例えばシュプレヒシュティンメ(朗唱)の場合
は、文学性の表出方法を全く異なる仕方で組み込んだ事例と云えるでしょうから、この手
の主体的パラダイム内における前衛性については、革命的要素と或る程度分けて考えた方
がよさそうな気がします。
前衛書や墨象が伝統書の枠組みからの離脱を意図しているなら、その動機自体はなんと
なく推察できます。先ず伝統との比較があり、次にそれを拠り所とした遊牧的離脱作用が
ある、とする様な。ところが他方では、芸術にこだわりすぎるあまり芸術自体の消尽作用
が見失われている様な気もします。消尽とか蕩尽と云わず、一種のプラグマティズムと云
った方がいいかしら。芸術でない筈のものの中に芸術があり、芸術とは無関係な作用と芸
術的作用とが同一のマテリアルの中に折り畳まれている状態。平たく云えば用美一体。こ
こでは見方次第で中身ががらりと変わるから、鑑賞者の育成が不可欠になる、と。
母語表記に漢字を使わない人々にとって、漢字はそれ自体が前衛的な刺激をアフォード
する筈。同じ感覚を共有しようとするなら、日本人はいっそ漢字を捨ててしまえばよい。
〜が、これだと本末転倒になると思います。伝統書との境界も潜勢的な流れにおいて転倒
するし、却って未来がなくなっていくかも(未来が過去を指示して空中分解する)。
当たり前の事が当たり前でなくなるとき、当たり前の事が分かる人々にとってそれは鼻
持ちならないか、もしくは新鮮な感動となるでしょう。もちろん、その逆もある筈。読め
るという事が当たり前でなくなると、昔の文盲とは異なる知的文盲の世界が創発する筈。
そうした時代の要請に依拠しすぎると、芸術自体が従来の文化とは別の地平で空回りし始
めるのではないか…と、そんな気がしています。
259 :
日本@名無史さん:03/05/01 13:45
>254
フィクションなら、秀吉死後に家康が権力掌握のためか、淀の方に懸想したという
のは、いくつかあったぞ。実際に、北政所が西の丸を退去したあとは、同じヤネの
下で生活していたわけだし。
しかし、驕慢な淀の方には袖にされたというストリーが多い。
実際、秀吉死後すぐのころだと、淀の方はまだきれいだっただろうしありえない
話ではない。
>259
春の坂道では、淀の方の台詞で、
「内府を嬲って嬲って、嬲りたおして、妾の前に拝跪させればよい・・・」
みたいなのがあったな。
261 :
日本@名無史さん:03/05/06 09:39
息子に代わって小具足を身に着けたまま床机に座り、
最高司令官としての軍令を下したって
本当なのだろうか?
262 :
日本@名無史さん:03/05/07 06:08
>261
それはどうやら実話のようです。
但し、現実的に言えば、将領たちの出した結果を決裁していただけで、軍令を
下すというよりは、天皇陛下が詔勅を発するのに近いイメージのようですけど。
263 :
動画直リン:03/05/07 06:20
264 :
日本@名無史さん:03/05/15 14:23
下働きの下女として幼少より淀の方に仕え、
大阪落城の際に生き延びた「きく」さんが
残した口述が彼女の死後に筆記されているけど、
淀の方本人の人となりにまったくと言っていいほど、
触れてないのは少し解せない所がある。
側近ではないが噂の類も含めて淀の方に触れずじまいなのは
やはり幕府を恐れて当人もしくは編纂者が憚ったりしたのだろうか。
下記に原文及び文献解題のリンク。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/okiku.htm 私としては容姿やエピソードに筆が渡って欲しかった。
265 :
日本@名無史さん:03/05/15 14:25
現在、生きていれば、教育ママになっていそうなイメージ
お受験なんかもやりそう。ブランド物をそろえて。
そして秀頼は超マザコン
266 :
日本@名無史さん:03/05/15 22:17
茶々はもしかしたら豊臣を滅ぼしたかったんだったりして。
しかも、我が手で。
父母を殺した挙げ句に、親切面して引き取った憎い敵の秀吉。
だけど秀吉に逆らっては自分ばかりか妹たちの身も危うい。
柴田の家が滅びた時だってまだ10代前半だろ?さぞ落ち延びる前に親に妹たちの
面倒を言い含められたことだろう。末の妹は10歳にもならなかったんだろ?嫌がる
妹達をなだめすかし、無理矢理連れだしながら、茶々の心中はいかばかりか。
実父、実母、養父の死を見て、茶々が「絶対に妹たちを守る」「浅井の、織田の血を
残してやる」「父母を殺した奴に復讐してやる」と思ったとしても不思議はない。
最初は自分が天下人秀吉の気に入られることが唯一の手段だったけれど、時がす
ぎ、妹が家康の跡取りに嫁ぎ、元気な子供を何人も産んだ。
秀吉が死に、次にはその妹の嫁ぎ先と争うようになる。けれど、豊臣が勝とうが、徳
川が勝とうが、いずれにしろ浅井・織田の血はちゃんと天下人の中に残ることが確定
している。
そうなったときに自分の身と妹の身を秤にかけ、情勢を見て、一体淀はどう思ったの
か……
もしかしたら憎たらしい秀吉の血と名を残すことより、妹とその子供達の血を残す事
を選んだかも……
↑妄想だけどね。
267 :
日本@名無史さん:03/05/18 19:36
>266
ありえる話。
よく考えたら、お市の方の血ってすごいね。天下の2大大名家を制覇している。
お市の方自信は織田
お淀は豊臣の西太后だったんだろうな。
清朝もジキがいなけりゃ立憲君主制で
生き残れたかもしれないのに。豊臣
は淀にかき回されすぎたね。
270 :
日本@名無史さん:03/05/19 12:25
領国支配も行い国際貿易港を管理する名義上の城主の後見人たる
いわば事実上の大阪城主よりも
屋敷の大型版とはいえ鶴松を産んで産後の肥立ちを終え、
あらためて息子と憩う名実ともに「淀の方」たる
淀城城主の茶々姫が萌える。
あの小城の遺構は移築されたりして
ほとんど残っていないが、
発掘してなにか縁の物が見つかったら良いのだが。
彼女にとっても一番幸せだった時代かも。
271 :
日本@名無史さん:03/05/20 19:21
>270
ソースは随分昔に忘れてしまったけど、
淀の女城主だった頃に
お堀端か近くの池なんかへ
スッポンポンのまま
飛び込んで泳いでいたって記憶あり。
あと大坂の陣の頃かな、
重さ60キロもある大鎧をつけたとか
かんとかって
ホントカヨ?
しかりなんで秀吉は三姉妹の中で茶々を選んだのかな?
年の順で発育が早かったから
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
いややはり一番の美貌だったからだと信じたい。
276 :
日本@名無史さん:03/05/22 18:26
>275
豊臣氏が滅亡しなかったら、
彼女の遺骨もおそらくは菩提寺に保存されたまま永代供養され、
近年になって学術調査で頭蓋鑑定よる肉付けなどで
容貌もかなりの精度で判明しただろうに残念至極。
悪いのは淀の方か家康かは知らないが。
せめて彼女が自害もかなわぬまま捕らえられていたらなあ。
淀の方って、秀吉よりも身長が高かったってホントウかな
278 :
日本@名無史さん:03/05/27 18:21
>277
たぶん本当だろう。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
280 :
日本@名無史さん:03/05/29 21:11
281 :
日本@名無史さん:03/06/02 11:35
>>276 淀の方が自害もかなわぬまま
生きたまま捕らえられても、
秀忠の義理の姉だから
アクシデントでもない限り、
陵辱はされないだろうな。
沐浴して白装束を勧められ、
幔幕か屏風で仕切られた囲いの中で
懐剣を渡されるとか。
282 :
日本@名無史さん:03/06/02 17:50
彼女が女の子を産んでたら
後の人生行路はどうなってただろうか。
ポスト秀吉は秀次政権となって
腹を痛めた娘が政略結婚で嫁がされた後に
戦乱が巻き起こったならば、
娘の嫁ぎ先が彼女の身柄を引き取ってくれそうなもの。
そうでなくても二人の妹たちのどちらかは面倒を見てくれるだろう。
283 :
日本@名無史さん:03/06/10 00:01
活発な議論の種が
ひとまず尽きたこのあたりで、
淀の方の実像を明かすのに有効な史料(伝聞ネタなど三次以下の史料も必要だろうが)と、
小説や戯曲などにフィクションながら人格が表現された文学的資料とを
有為の方たちが列挙したら如何。
好学の士にとっても淀の方萌えにとっても
それぞれ有用だろう。
284 :
日本@名無史さん:03/06/10 15:07
それはいいですね。
資料や出所をフィクション系とそれ以外とに分けてそれぞれ書き出していけば
いろんなことがわかるかも。
フィクションだって、それなりにそう想像させる何かがあるから生まれるわけで
どこにも淀の方を貞淑でおとなしいだけの女とは書かれていないあたり、
ある程度、時代の雰囲気を物語っている。古ければ古いほど、フィクションでも
価値は大きいと思う。
285 :
日本@名無史さん:03/06/10 15:08
もしあれば面白いのは、お初の日記なんかねえ・・・
もしくは回想録とか。
少女時代の話しがほとんどないだけに貴重な資料になるはずだが。
287 :
日本@名無史さん:03/06/11 23:47
山本七平の「徳川家康」は参考になるぞ。
実資料をふんだんに使って、家康や茶々の実像にせまっとる。
288 :
日本@名無史さん:03/06/12 13:01
>>264 あれはちょっと残念だね。
下働きの下女だから、
たいした情報源にはならないだろうけど、
仕える下々たちにとって
どんな女主人だったのか知りたかった。
289 :
日本@名無史さん:03/06/12 14:16
>287
その本は近刊でしたっけ。
>>289 近刊じゃないが、図書館に行けばあると思うぞ。
291 :
日本@名無史さん:03/06/20 14:48
age
292 :
日本@名無史さん:03/06/21 20:35
戦国の世の女武者突撃伝説は真実だ。
決して妄想ネタではない。
以下のサイト参照。
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/tsuruhime.htm 蔵の中で保証も無いのに命乞いなんて
彼岸の太閣が嘆くだろう。
総大将の秀頼なら敵に首実検されぬために、
天守閣か本丸御殿かで腹を切るべきだったろう。
ただし淀の方は七手組の精鋭護衛兵と侍女たちの希望者を引き連れて特攻もよし。
将軍秀忠の義姉だから遺体を陵辱される心配も無かろう。
息子と水盃を交わした後で
特攻はかけずとも本丸御殿の内外で命数尽きるまで
天下人の妻であり母であるとの誇りを以って
これ以上無いほどの華麗な軍装に身を包んで戦えば
本能寺での濃姫伝説(実際には信長の側にいなかったけど)以上に、
後世、絶好の被写体となったであろう。
凄艶美こそ戦国の最後の名花にふさわしかったろうに。
293 :
日本@名無史さん:03/06/21 20:45
>凄艶美こそ戦国の最後の名花にふさわしかったろうに。
名花かどうか意見が分かれる。
>292
可能性としてはありえたが、
やってないからには仕方がない。
295 :
日本@名無史さん:03/06/22 16:43
>>292 『翁草』では数え年で享年49歳だが、
最近の研究では実年齢45歳か46歳かが妥当らしい。
まあ、いずれにせよ淀の方の最期は早ければ早いほど艶っぽい。
そして彼女が豊家の獅子身中の虫には違いない。
大野治長など彼女あっての腰ぎんちゃく。
慶長16年1611 16 徳川家康秀頼(19歳)と会見
慶長18年1613 18 方広寺鐘銘事件
真田幸村や豊家の行く末を心から心配する忠臣やが、
秀頼を手元から手放すくらいなら戦もやりかねない淀の方を伏見会見事件で見限り、
方広寺事件の間までに排除すれば世のためだった。
ただ暗殺するにせよ他殺には見えないようにしないと、
これを機に関東方と険悪になっては困るけど。
大阪城の御殿にこもってるだろうから、きわめて困難だろうが。
外傷や外見の異変が無ければ年齢的にも心の臓の病で片付けやすいので、
その線を狙うかな。風呂場や寝間狙いか。
名取裕子や樋口可南子、松居一代が似合うような
権高女の最期を演出してみたいものだ。
>保証も無いのに命乞い
保証があるなら命乞いなんてする必要ないじゃん。
297 :
日本@名無史さん:03/06/22 17:44
もし必殺シリーズの秀のような手だれが標的の首の盆の窪のような急所を
外傷無しに一刺しで仕留められるとしてね。
美を追求した映像化をするとなると萌え萌えなのが例えば、
お客あしらいの間で美女の誉れ高い知り合いとの夕方の再会を前にして(これも殺しのセッティング)
秀吉が死んで以来、習慣となってる寝間での朝化粧だけでは足りず
競争意識に駆られお色直しに侍女どもを引き連れたまま
廊下から久方ぶりに化粧の間へ入った昼下がりの淀の方が
華麗な打ち掛けを脱がせて衣桁に掛けさせたまま
もろ肌も脱がせて鏡台の前に差し出された紅毛氈と
その上の厚く柔らかそうな錦の座布団に正座する。
彼女が御部屋女中に化粧づくろいをさせ、
次の間に護衛の美少年小姓たちが控えている中を
トリッキーに仕掛けるというのは、
中年オヤジの視聴者がハラハラもドギマギもしそうで良いな。
単独犯では難しく女中の助けが必要そうだが。
進入経路の確保については
淀の方側近のお局さまの浮気相手として
お櫃に入れられ本丸御殿入りとかで
もろ女ならではの弱点を突くとかね。
その保管場所が化粧の間の押入れだとか。
「かんざしで一突き」ってのは江戸以降なのかなぁ?
299 :
日本@名無史さん:03/06/24 12:00
時代考証的には細針で一突きか。
小姓が守るはずの次の間から白煙が吹き出てくる。
ト書き〜思わず腰を浮かし錦帯に挟んだ懐剣を両手で握り締めて、あえぐ〜
淀の方「なにがっ、なにが起きたのじゃ!藤丸(愛童)はどうした!」
うろたえ騒ぐヘアドレッサーやメイクアドバイサーや祐筆(代筆者)以下、
お役の御殿女中たちと彼女たちを束ねるはずの御局様(危機管理意識欠如)。
すかさず同じ間でも六曲一双の金屏風の背後に控えていた下々の一人が小走りに進み出て。
女中「おのおの方、うろたえ召されるな。お袋さま、念のため。こちらへお出で下さいませ。」
淀の方「おお、そちは頼もしいのお。瀬尾と吉野(護衛役女中たち)も参るがよい。他はここを守れ。」
全員「ははっ!」
先導する女中が押入れの観音扉の錠を同輩から取り寄せ開ける。
淀の方「はて、なぜそのような所に。」
女中「すぐに騒ぎも片付きましょうし、ぜひ御覧頂きたいものが」
不信感に制されぬようパニックに弱い淀の方の心理の虚を把える。
300 :
日本@名無史さん:03/06/27 08:12
301 :
日本@名無史さん:03/06/30 15:27
>300
淀の方もお京の方を見習うべきだったのか?
というか長刀くらい練習してたのだろうか?
302 :
日本@名無史さん:03/07/01 18:51
淀の方が長刀の達人だったらよかったのに、
そして大阪夏の陣があと10年早くおきれば、30代。
映像的にも十分に耐えるなあ。
303 :
日本@名無史さん:03/07/04 08:41
浅井長政の娘としての茶々は好き
豊臣秀吉の側室としての淀は嫌い
304 :
日本@名無史さん:03/07/05 16:15
淀の方の悪役演技指導。
天守閣の地下蔵に分け入り
中に積まれている金塊や
天正ものをはじめとした大判小判に
手を触れて戯れる。
反感買いまくり。
305 :
日本@名無史さん:03/07/08 12:14
なんか知らんが淀殿とうちの母親が被る・・・
>>305 おまいとお拾いもキャラかぶるんだろうな・・・
高校のときパロディ寸劇で大坂冬・夏の陣をやったけど、
そのとき家康役をやった俺が淀殿役の女の子に、
「いい加減白旗振れや、この親バカ糞ババア!」という
セリフを言い放った事が懐かしい・・・
まあ考えてみたら74歳の家康が49歳の淀殿に「ババア」と
いえる義理はないよな(笑)
308 :
日本@名無史さん:03/07/08 17:49
家康、勝負!
秀頼は淀が浮気してできた子だろ。
確率論でしかないが、考えればわかるだろ。
310 :
日本@名無史さん:03/07/09 00:18
あー、ところで大阪とか京都とかだと今でも豊臣贔屓なの?
淀の方の評価も他の地域より点数高いの?
以前阪神ファソなんで甲子園逝ったんスよ んでついでに大阪城も逝ったんスよ
城ん中が歴史博物館みたいになってたんで見てきたんスけどね
「徳川の糞野郎!東軍の奴らは裏切り者!
最期まで豊臣に仕えた大名はいいヒトだ!
あああ!本当は大阪が日本の中心だった筈なのに!」
いや、どこにもそんなこと書いてなかったけど・・・
でも展示をした人の思いがなんとなく伝わってきたような気がした
それまで2chとかで「東京は!」「東京に負けない!」とかいう煽りを見て正直「?」だったが
少し気持ちがわかったような気がした
312 :
日本@名無史さん:03/07/09 12:05
>>311 北関の人間が阪神ファンになるなんて酔狂だね
俺は京都出身なんで素直に巨人ファン
313 :
日本@名無史さん:03/07/09 12:46
大野治長が悪い
あぼーん
>>310 京都生まれ神戸在住ですが島津オタになって秀吉大嫌いになりました
それ以前もビジュアル重視なんで猿顔の秀吉はいまいちだったんだがw
それにしても秀吉って案外と大坂在住期間って短いんでは?
>>312 京都は素直に阪神ファンが多いと思う。。。
サッサと大和・郡山城に退去しときゃあねえ…。
318 :
日本@名無史さん:03/07/09 13:11
秀頼と家光は従兄弟同士なんだよな。
319 :
日本@名無史さん:03/07/09 13:13
320 :
日本@名無史さん:03/07/09 13:14
321 :
日本@名無史さん:03/07/09 13:19
IFだが・・・・もし、ねねが子供を産んでいて、
秀頼と同じような年頃で家康が関が原を起こしていたら、
ガラと展開変わるよな・・・・。
清正や正則は問答無用で西軍だろ?
家康は江戸夏の陣で滅んでいたかも・・・。
家康は勝ち目のない戦はしないと思うが・・・
それに その時はその時でまた違う争いになりそうだしね
秀頼 vs ねねの子 とか
>>319 あたり 初は京極高次の正室
>>320 戦国時代には既にあったらしい
文禄・慶長の役の際の朝鮮側の史料でも
「釜山の民衆もすっかり日本側の習俗に染まって歯に黒い物なんか塗って(以下略)」
とか言う記述があるらすぃ。
>>322 重臣の篭城策をしりぞけて
信玄に打って出て大敗して脱糞してかえってきたのだが。
325 :
日本@名無史さん:03/07/09 14:53
脱糞!?
>>323 初(常高院)には実子がいないよね。で、お江与の4女を養女にもらって
妾腹の嫡男・忠高に娶わせた。でも、こちらも子は出来ず終い…。
>>325 そう、脱糞。恐怖のあまりウンチ漏らしちゃったw
ふんどしで脱糞したらどうなるんだろう?
馬上で脱糞したらどうなるんだろう?
329 :
日本@名無史さん:03/07/09 15:38
330 :
日本@名無史さん:03/07/09 19:39
エロ時代小説では必ずレイープされるよね
これがほんとのダッフンダ!
333 :
日本@名無史さん:03/07/10 07:53
335 :
日本@名無史さん:03/07/10 21:29
>>334 デブ専・フケ専・スカトロ・・・お前、趣味濃いな。
336 :
日本@名無史さん:03/07/11 09:12
>>335 そこまで言われてるのをみると家康が可哀想になってくる・・
337 :
日本@名無史さん:03/07/11 12:28
338 :
日本@名無史さん:03/07/11 13:30
俺も徳川嫌い。
【右翼】まれに見るバカ中宮【キチガイ】
くそ野郎が2chはくだらないと馬鹿にしてます!
12歳少年の実名を晒してます!
宝島社から「まれに見るバカ女」を出したぐらいで浮かれている右翼崩れの中宮崇。
2chレベルのことしか書けねーくせに何いきがってんだか・・・
ライターの癖に、か弱い素人女をホームページと著書で叩きまくり!
結局言い負かされて逃走(藁)
女子学生レイプで大学を退学になった鬼畜!
大月隆寛の金魚の糞!
拉致を売名に利用の守銭奴!
日記で朝鮮人への差別用語連発の変態!
金のために宇多田ヒカルと藤原紀香に粘着!
女の敵!日本のクズ!アメリカの奴隷!
皆さん抗議を集中してください。
http://www3.diary.ne.jp/user/312071/
>>337 東京はいろんな要素が入りすぎて徳川の地元とはいえんなー。
徳川お膝元と言ったら三河のほうじゃないか?
浜松とか。
341 :
日本@名無史さん:03/07/13 16:43
あげ
342 :
日本@名無史さん:03/07/13 17:48
淀>>>>>>>>>>>>>>家康
>333
いや、でもされててもおかしくないんだよね家康に限らずだけど
344 :
日本@名無史さん:03/07/14 12:07
おえっ・・
吉法師×竹千代は歴史同人腐女子の基本ですなw
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
347 :
日本@名無史さん:03/07/16 20:55
淀殿ファンはいないの?
348 :
こういう情景なら萌える:03/07/17 11:21
>347
ここに居るぞ。
一様に緋縅(ひおどし)の小具足を身にまとい朱塗りの脇差を腰にさした
淀の御方付き御局たち数人を引き連れ、
輸入ものの木綿無地を仕立てた白地で矢柄模様の小袖を襷がけにした
十数人の御殿女中たちに前後左右を取り囲まれ警護される、
五尺六寸(1.7m)はある父譲りの長身で
肩幅も胸板もある女武将としての貫禄十分の、淀の御方。
きりりと結んだ白地の鉢巻へ留めた額正面の鉄製の鉢金(はちがね)の、
(鉢金→
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C8%AD%B6%E2&kind=jnのA)
五七桐の家紋を線彫りした彫り口へ施した金泥が、燭台の蝋燭の火を受け鈍く光る。
烏の濡れ羽色に光沢を放つ丈なす黒髪には兜代わりに
金鍍金の表面の上にサファイアやルビーを象嵌した鉄製の宝冠が煌く。
彼女一人、金銀で装飾された小具足に萌黄の腹巻きを締め、
黄金造りの大小を手挟んで摺り足で白足袋を櫓の回廊に進める。
冬の陣の篭城戦を間近に控えての城内巡視の一行の前に
足軽はじめ侍大将たちも平伏する。
豊太閤に愛された頃からさして寄る年波を感じさせぬ松坂恵子のような白皙の美女か、
あるいは姥桜ながらも健康で豊満な肉体からのフェロモンと
紅がかった白色の献上お白粉で繕った美貌とで
なお男心を時めかす戦国最後の貴婦人。
未だ持ちあまりのする白桃の美乳が練り絹の下に揺れ、呼吸と共に息づく。
だったらエーナー。
349 :
日本@名無史さん:03/07/17 11:43
凛々しい女武者の淀なら萌えるかも・・
350 :
日本@名無史さん:03/07/17 16:06
>>347 そんな健気で40代半ばにてなお凛々しい
そしてタカビーでもなく周囲に優しい御母公をイメージしても、
やっぱり秀頼可愛さで牢人と引き離し、
軍議でも息子の口を封じる所か
自ら決裁して軍令を下す勘違い女。
そもそも美々しく飾り立てられた女に最高司令官なんて務まるわきゃない。
太閤が軍略や政略をレクチャーしたのでもあるまいし。
しかし体もデコレーションも美しいなら敬意を払って死美人を演出してあげよう。
まず下手に変死すると城内の者が疑われそうだ。
勝利の為なら鬼ともなる真田幸村、その手の者が徳川の仕業に見せかけて除去する。
毒殺も良いけど美しさに欠けてしまうかも。
♂武将と異なり兜は被らないから、
♀武将ならではの黒髪越しに延髄をグサリがシンプルあんどビューティーフル。
ただでさえ緩みがちな軍紀引き締めがため、
夜間の軍事演習に際して女の虚栄心をくすぐり女中衆を引き連れての御臨席を願う。
野外の幔幕を彼女が陣取る床机のすぐ背後におき、
彼女の背後の闇に手練れの針師を潜ませる。
相棒とのヒットアンドランが決め手。
長年の平和になれて警護が緩んでいるという前提ならな。
BGMは必殺シリーズの「鉄のサンバ」。
松の丸殿に次ぐ美貌をうたわれつつ世評に反して
乳兄妹の大野治長にも体を許さなかった孤高の寡婦が
顎をあげ、公家眉を吊り上げ、目をいっぱいに見開き、半開きの口もとから
数瞬、体を硬直させて、はじめはスローモーションのように後ろへ反り返り
くずおれていく。
351 :
日本@名無史さん:03/07/17 16:58
ある種のマニアだな
353 :
日本@名無史さん:03/07/18 12:58
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
354 :
日本@名無史さん:03/07/21 15:33
戦を起こし世を荒廃させるのはいつの世も男たち。
家康さえ豊臣家に忠誠を誓っていれば、
関ケ原や大坂の陣はありえなかった。
被害者の女性に罪をなすりつけるばかりか、
妄想で陵辱するのは無礼千万。
355 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:25
淀がもし男だったら彼女の評価は変わっていたかな?
357 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:45
>>355 単純に織田秀信になるだけな気がする・・・。
359 :
日本@名無史さん:03/07/21 16:49
淀がもし居なかったら大阪の陣で豊臣家は滅んでなかったかな?
大坂の陣を考える前に関ヶ原を考えなくては。
>>359 戦で取りうる選択肢は増したろうな。
逆転できるかは別としてな。
淀がいなかったら秀吉の後継ぎが生まれないだろうから・・・
いいかも。
秀次の時代になってた。
秀次は福島正則と親しいため、豊臣政権の中枢が文治派から武断派
に代わり、外様大名も西国より東北などが台頭してきて、政権構造
そのものが大きく変わってしまう。
365 :
日本@名無史さん:03/07/22 17:25
>355
それは前提からしてありえない。
男だったら、浅井が滅びたときに打ち首にされている。万松丸だっけ?
彼女の男兄弟は皆殺し。
366 :
日本@名無史さん:03/07/22 17:33
367 :
日本@名無史さん:03/07/23 13:11
大坂の陣に大坂方として浅井長房という人が参加してて、淀殿の弟と言われてるけどホント?
>>364 > 秀次は福島正則と親しいため
親しいのか? 本によると、高野山への使者が日頃不仲な福島正則だったので「ああ、太閤
は私を生かしておくつもりはないようだ」と察したことになっているが。
家康・氏郷・政宗・義光ら関東・東北の分権派大名と親しかったという話は聞いたことがある。
369 :
日本@名無史さん:03/07/23 14:06
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30872886に紹介されている、
『あずみ心理解析書』
第3章 『あずみ』に登場する歴史上人物の表と裏
を数日前、図書館から借りて読んでいたら、
登場人物である淀殿についての説明があった。
そうしたら歴史資料によると大坂の陣において
80キロもある大鎧をつけて城内を馬に乗って巡視してたんだと。
いくら大柄でも女性だと凄すぎるような、ホントかよ?
外国からの輸入馬じゃないと馬だって、たまったものじゃないような。
該当の資料について御存知の人がいれば、書名その他、書誌情報を教えてたもれ。
370 :
日本@名無史さん:03/07/23 14:28
>>367 それは多分真田十勇士として出てくる架空の人物だったと思う。
371 :
日本@名無史さん:03/07/23 14:33
>>370 大坂冬・夏の陣の両方の陣配置図にも載ってるよ。
>>355 万福丸は磔か串刺しになったけど周防守という人がいる(次男)
いっぱい名前があって覚えられないが
福田寺の坊主の正芸 政賢 井頼などが同じ人だったはず
戦国三姉妹物語にはそのことが書いてあったはず
>>上のは365の間違い
鬱だ氏のう
374 :
日本@名無史さん:03/07/23 15:13
375 :
日本@名無史さん:03/07/23 15:15
>>354 >家康さえ豊臣家に忠誠を誓っていれば、
関ケ原や大坂の陣はありえなかった。
確かに淀の方の「失政」のみを責める人は、
とどのつまり歴史感覚を欠いているんだよな。
山岡の原作大河小説やその大河ドラマ化の影響で
徳川家康は無駄な流血を嫌う平和主義者というイメージが流布しているけど、
実力者が天下を取るためには大量の流血など
意に介す必要はないとする戦国の論理の体現者であっただけ。
儒学的観点からすれば「王者」にあらずして「覇者」。
秀吉が死去した時点では前田と並ぶ大大名としての格付けなのだからな。
内府どのが、本当の「平和主義者」だったとするなら、
前田利家やその跡取と協調して睨みを利かすだけで天下は丸く収まった。
家康が平和主義者・・・ありえねー
377 :
日本@名無史さん:03/07/23 15:31
福島正守とか正鎮ってのもいるけど福島正則の親戚だろうか?
378 :
日本@名無史さん:03/07/23 22:11
>>376 きっと山岡版 家康に騙されているんだよ。
379 :
日本@名無史さん:03/07/23 22:22
何も国松まで殺すことなかろうに・・・
380 :
日本@名無史さん:03/07/23 23:06
いくら秀頼の生母でも政治の表にですぎた。
その点では、北の政所は秀吉の正室にも関わらず、
当時の女の役割を心得ており、政治にあまり口出し
をしていない。北条政子なみに政治力があれば、別だが
好き嫌いで物事を判断するし、(片桐や真田の進言には
耳を貸さなかった。)性格が田中真紀子に通じるものがある。
淀君みたいな女性はどの時代にいても癌。
>>379
源頼朝の例以来、武士の世界では負けた敵将の男子の子供は
処刑するのは、あたりまえ。
淀君の兄で浅井の長男も信長によって、串刺し磔にされ殺された。
ちなみに秀頼の女児は尼寺送り。
381 :
日本@名無史さん:03/07/23 23:25
えらい家康は嫌われているが 父を家来に
殺され、人質に出され、長男を信長の命令
で殺さなければならないなど、戦国時代の
どの武将よりも怒涛の人生を送ってきた。
そして、信長や秀吉の死後の情勢を見ている
から、自分が生きている間に抵抗勢力を滅ぼす
ために残酷なことも必要条件だったと思う。
死ぬ間際まで、幕府や徳川のことを考え安らぐ
暇がなかったのだから、人間の人生としては、
家康はかわいそうだったと思うよ。
382 :
日本@名無史さん:03/07/23 23:27
家康も可哀相だが淀はもっと可哀相だと思う。
383 :
日本@名無史さん:03/07/24 02:33
北政所が政治に口出さなかったって本当?逆の事読んだよ すごい政治家だったと それだと彼女の評価が下がってしまうよ
385 :
日本@名無史さん:03/07/24 04:59
北政所と淀ってどっちのほうが美人?
どちらがより秀吉に愛されたのかなあ?
386 :
日本@名無史さん:03/07/24 17:20
>>380 当然だな。
さっさと在日どももぶっ殺して串さし貼り付けにすべきだと思うね。
387 :
日本@名無史さん:03/07/27 23:25
>>369 80キロもある大鎧は作り話でしょ。
いくらなんでも無理。
388 :
日本@名無史さん:03/07/27 23:48
淀の方は後世、徳川の御用達史家に
悪評を流されただけです
実際は、清楚で美しく、物わかりの良い女性でした
片桐家の史書にはそう書いてあります。
390 :
日本@名無史さん:03/07/28 00:26
391 :
日本@名無史さん:03/07/30 22:54
392 :
日本@名無史さん:03/08/01 14:26
>>348 >一様に緋縅(ひおどし)の小具足を身にまとい朱塗りの脇差を腰にさした
淀の御方付き御局たち数人を引き連れ、
輸入ものの木綿無地を仕立てた白地で矢柄模様の小袖を襷がけにした
十数人の御殿女中たちに前後左右を取り囲まれ警護される、
五尺六寸(1.7m)はある父譲りの長身で
肩幅も胸板もある女武将としての貫禄十分の、淀の御方。
きりりと結んだ白地の鉢巻へ留めた額正面の鉄製の鉢金(はちがね)の、
(鉢金→
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C8%AD%B6%E2&kind=jnのA)
五七桐の家紋を線彫りした彫り口へ施した金泥が、燭台の蝋燭の火を受け鈍く光る。
烏の濡れ羽色に光沢を放つ丈なす黒髪には兜代わりに
金鍍金の表面の上にサファイアやルビーを象嵌した鉄製の宝冠が煌く。
彼女一人、金銀で装飾された小具足に萌黄の腹巻きを締め、
黄金造りの大小を手挟んで摺り足で白足袋を櫓の回廊に進める。
冬の陣の篭城戦を間近に控えての城内巡視の一行の前に
足軽はじめ侍大将たちも平伏する。
漏れはガラシャ夫人萌えで
清純な感じのしない淀の方に萌えなかったけど
その手のコスプレなら、なかなか良いな。
(^^)
394 :
日本@名無史さん:03/08/07 19:52
>>375 >山岡の原作大河小説やその大河ドラマ化の影響で
徳川家康は無駄な流血を嫌う平和主義者というイメージが流布しているけど、
実力者が天下を取るためには大量の流血など
意に介す必要はないとする戦国の論理の体現者であっただけ。
立川文庫流狸親父のイメージから
脱却を図ったのは良いけど
贔屓の引き倒しをやってシマータのが、
山岡先生さ。
395 :
日本@名無史さん:03/08/08 14:14
>>380 万福丸って淀の兄だったの?弟じゃなくて?
>>395 信長公記には10歳くらいとあったはずだから兄
お市の結婚が遅くて万福丸をお市の実子にしたい場合は弟にされることが多い
そうでないこともあるが
397 :
日本@名無史さん:03/08/10 02:09
>>394 宮本武蔵ですら求道者にしてしまった吉川センセとどっちが上?
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
399 :
日本@名無史さん:03/08/16 14:44
400
小説家ってほとんどこれが史実だといわんばかりの書き方するから
固定概念が生まれてしまうのだと思う
月宮の人はどうかと思う
401 :
日本@名無史さん:03/08/18 11:03
彼女の遺体が残ってたら
ロマンがあるのになあ。
って普通は逆かもしれないが(w
402 :
日本@名無史さん:03/08/29 00:39
404 :
日本@名無史さん:03/09/05 08:30
淀の方に懸想したと言われるのは、前田利長、徳川家康、石田三成、
晩年で大野治長。
やはり相当に美人だったのは間違いあるまい。
406 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:24
フィクション性が強くても構わないから、
美貌で華麗な軍装の女武将としての姿を描いた
作品を見たい、読みたい。
同時代史料(半庭某の証言)だと息子に代わって
軍令を下して城内の士気を低下させたとされているけど、
後世の我々が、必ずしもそのまま受け取る必要は無い。
アンチ淀の方の司馬遼さまは、
たしか『豊臣家の人たち』の彼女のパートで、
そっくり受け売りして淀の方を貶めているけど。
407 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:28
小大名になっても豊臣の家
が続いていれば、
明治維新によって
公爵に復活したと思う。
豊国神社を復活したし、
薩長は元西軍
408 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:30
公爵家なら、摂政・関白
総理大臣・元老にも
なれたかも
409 :
日本@名無史さん:03/09/06 14:32
>>406 お前の妄想の受け売りよりははるかにマシだろうにw
淀の方好きな連中はこのスレに多いだろうが、
お前ほどのキモヲタは世の中に多くないと思うから
お前が満足するよな本は、探すよりも自分で作ったほうが早いぞ、絶対。
で、それを作ったら、そのキモい妄想を他人には見せずに
棺桶の中にまで持って行って灰にしろ。わかったな?
410 :
日本@名無史さん:03/09/06 15:14
>407
足利(朝敵)家の爵位を考えると疑問
411 :
日本@名無史さん:03/09/06 16:33
>409
おれは406のような小説があったらきっと買うぞ。
412 :
日本@名無史さん:03/09/06 22:58
405さんありがとでも確か名古屋山三というのもあったような
413 :
日本@名無史さん:03/09/07 15:26
でも松の丸殿と違って、
同時代資料に美人だとは記されていないんだよな。
別に徳川時代の資料隠滅に引っかかるようなタブーでも無さそうだが。
414 :
日本@名無史さん:03/09/07 16:59
>413
そういう理由のひとつに若くして表舞台から消えた女性と
老醜(まあそういっても淀の方で40後半か)まで一線にいた女性の違いも
考慮しなければ。
夏目雅子とか原節子とかは美貌の時代しか伝わっていないじゃない。
そういうのと似た側面もあると思う。
415 :
日本@名無史さん:03/09/07 20:05
例えば今現在の資料が未来に全然残らなくてアニメ絵なのばかりが残ったとしたら
後世の人たちはそれから判断するしかないわけだから
肖像画ってわざと悪く描かれたりよく描かれたりするわけだし
あと証言とかもあてになんないし
たまたま美人だという証拠が残らなかっただけかも
>>406 つまり高島礼子に淀殿役をやって欲しいのだな
同意だ
418 :
日本@名無史さん:03/09/13 08:55
辻君>>>淀君
419 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:28
その時代の美意識があるから、淀も市もどうなのかなと思うけど、
西洋人宣教師も細川ガラシャを美人と言っていたから、
美貌は本物らしい。
明智光秀が謀反人になっても夫から離縁されなかったのは
そのせいだろうとも言われている。
420 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:02
賢夫人ぶってて
そのくせお市の娘の淀が産んだ秀頼には
豊臣家を継がせたくなかったのがみえみえで
のちに姑息で陰険なやりかたで天下人になった
家康なんかに大事にされた「北の政所」なんかよりは
はるかに好きだけどな。
ま、淀の妹が生んだ家光が3代目になったから別にいいけど。
結局北の政所は夫の血筋を天下人としては残せなかったわけだ。
わたしに言わせれば、こっちのほうが馬鹿だわ。
421 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:11
>>419 宣教師の判断はキリスト教保護/迫害で
かなり点数にゲタはかせるから当てにしないほうがいい。
>>420 藻前に好きに言わせる価値はないなw
>>421は
北の政所同様容姿に恵まれないか,あるいは家康と同じくらい陰険か
きっとそのどちらかなんだろうね
423 :
日本@名無史さん:03/09/15 19:38
>>420 娘を通じて天下人として子孫に血を繋いだ浅井長政は見事だな。
424 :
日本@名無史さん:03/09/15 19:50
本人はドクロだがな。
425 :
日本@名無史さん:03/09/15 21:52
>>422 悔しいからといって頭の悪い煽りは止めましょう。
淀の方好きが全部北政所嫌いというわけでもない。
426 :
是非にあらず:03/09/15 23:00
>>422 >淀の方好きが全部北政所嫌いというわけでもない。
???
誰がそんなこと言ってます?
悔しいからといって意味不明なレスは止めましょう。
あなたが好きだという北政所の擁護にもならないのでは(笑
>>424 >本人はドクロだがな。
妹をもらっておきながら裏切って
自身に妹婿を殺させたんだから
信長にすればそれくらいして当然なんだろう。
正室や嫡男を信長の命で処分して
保身をとった家康よりは、漢だとは思うがな。
ま、これも信長の娘とうまくやれなかった信康は
それだけで徳川家の嫡男失格だという理屈も成り立つけどさ。
427 :
426の訂正:03/09/15 23:08
細かいけど一応
一行目 ×>>422→○
>>425
ドクロより玉露になりたかった・・・
429 :
日本@名無史さん:03/09/15 23:39
北の政所を庇護する人いないの?
ここでわざわざ擁護しなくても
世間的には北の政所派の方が多数派
431 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:49
>>429 庇護できる香具師はいないな。
太閤の正妻を庇護出来るほどの大物なのかおまいはw
432 :
日本@名無史さん:03/09/17 08:19
>>430 世間一般の価値観で満足してるようなやつは
わざわざこんな場所にくる必要もないと思うがw
433 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:53
北の政所は何も守るものがない。単なる自己保身。
淀の方の方が数段偉い。
考えてもみなよ、いくら信長・浅井長政の血筋を受けているとはいえ
武芸や戦略といったものについて何も教育を受けていない単なる婦女子だよ。
しかも美貌だけでのし上がった、今で言えば松島奈々子とか飯島直子とかああいう
子がだよ、百戦錬磨の家康とけっこういい勝負をしたというのはすごいことだよ。
435 :
日本@名無史さん:03/09/19 14:03
大阪のジンや関ヶ原の頃に家康と淀の方が閨房で一戦交えたらどうなっていただろうか?
関ヶ原直後であれば、妹とふたりで組んで徳川家を壟断することも可能であったと
思うのは妄想か?
毎晩家康を閨房で攻め続ければ、早く死んだかもしれないしね。
>>435 疲れて眠っている家康を殺してしまえば、終了。
437 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:16
大阪夏の陣の前に家康が病気か何かで死んでいたらどうなってたのだろう?
井上靖の「淀どの日記」は面白かったなあ。
もう40年以上も前の小説だから歴史関係のことで
間違っているところあるんだろうけど、京極高次や秀吉の側室との
人間関係の確執みたいなものがうまく描写されていると思う。
決してドラマティックに書かれているんじゃないんだけど、
従来とは一味違う茶々の人間像が生き生きと浮かび上がってきた。
この本では茶々とお初は美人で一番下の小督は平凡な顔とあるけど
そういう伝記がなんかあるのかな?
信康の処分は単なるお家騒動だったという説もあります
信長にしてもわざわざ朝倉を攻めた理由はなんだろ?
淀どの日記は「小督」は顔についての伝記は特になかったと思う
8歳差になってたけど普通は6歳差なんじゃ
440 :
日本@名無史さん:03/09/23 15:41
側室一の美貌とされている松の丸殿は病弱で
安泰を気遣う秀吉の手紙が今に残されてもいる。
お市の方は楚々たる美女だったが、
父親は体格に優れていた人だったらしい。
娘は父親に似るという巷間の言い伝えから察するに、
淀の方は顔よりも肉体で魅了したムチムチ美女だったのでは。
天然痘に罹ったりもしたが、
痘痕は白粉で隠せる程度なので
同時代人の印象には残ってなかったと。
二度の妊娠からも健康的な印象を受ける。
秀吉が死んだ後は気鬱の病にかかったりしたようだけど。
441 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:57
そういや秀吉が淀に宛てた手紙ってないの?
火の元に気をつけろとかなんとかの手紙があったはずだが
443 :
日本@名無史さん:03/09/25 20:44
>440
今風に考えれば、モデルみたいな体型かな
444 :
日本@名無史さん:03/09/26 20:59
>>440 この頃の美人は太目がスタンダードだから、
体形的には、ねねも淀もけっこう同じだったかもね。
どうしても片方が肥満系だとライバルは痩せ型のイメージになっちゃうから。
家康に対する三成も、痩せ型と思われがちだけど、
骨格は華奢であっても肖像画は結構下膨れだからね。
デブ信玄に対する謙信も、実は下膨れ面だし。
445 :
日本@名無史さん:03/09/30 21:49
大柄で豊満な淀の方と小柄でやせぎすの秀吉か・・・
>>441 結構のこっているはず。いいサイトをご紹介できないが。。。
私が知っているのは
「秀頼かわい〜。わしも早く名護屋みたいな田舎から都へ帰りて〜
秀頼のちゅーはわしのもんじゃ〜淀ばかりには吸わせんぞ〜」
と言う内容のやつ。内容はうろ覚えでかなりはしょってますので念のためw
淀ばかりではないが、この時代に男性から女性に送られた手紙は
直接本人宛ではなく、何故か宛先がその侍女になっていることが多いね。
何故だろう?
淀殿は浅井一族の菩提はとむらってるけど
柴田一族はとむらってる形跡がなかったような
淀殿にとっては柴田はどうでもよかったんでしょうね
年頃になって母親の再婚っていうのはいやなもんだし
>447
父親は特に長女を可愛がる傾向にある(らしい)
父親が死んだのはある意味母親のせい
淀はお市に対して複雑な感情を持っていたのだろうか
449 :
日本@名無史さん:03/10/09 19:55
>445
抱きごこちが良かったのかな。
結局勝家はどーでもよかったということで 両親の菩提は弔ってるし。
>>447 袋の小豆のことをいってんのかな
フナの腹に密書を詰めてっていう十市皇女の逸話が元ネタかと
まあやってない派だが
お市が状況を知っていたとしても見殺しにはできんというだけの話。
母親と重ねてみてたとしたらいい気持ちはしないだろう
秀吉の気持ちなんかどうでもよくってもプライドが傷つく
451 :
日本@名無史さん:03/10/16 21:21
一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ
453 :
日本@名無史さん:03/10/20 23:09
淀の頭の中は、常に織田家と浅井家の血筋を残すことで一杯だったような気がする。
>>453 だったら大阪城も領地も家康にくれてやって、高家か小大名になって
生延びればよかったのに。
455 :
日本@名無史さん:03/10/21 07:47
女は自分と自分の生活が全く変わらなくて
世の中のほうが都合よく変わってくれることを
信じて疑わないことがあるのがすごいのです。
456 :
日本@名無史さん:03/10/25 13:58
age
457 :
日本@名無史さん:03/11/05 10:23
妄想ではなく史料に基づいた学術的な著作や論文によって
秀吉亡き後の、淀の方の事跡をたどりたいものだ。
どなたか御存知の方はいないか?
例えば何かの論文で彼女がキリシタン嫌いで
お膝元の河内での禁止令を徳川政権にせがんだりした
史実についての言及があったはず。
458 :
日本@名無史さん:03/11/05 14:15
秀頼の父親候補筆頭の大野ハルナガって子供何人いたの?
大野治長は治徳(信濃守)という息子がいる
そのほかは知らん
淀殿のことについては戦国三姉妹物語あたりを見とこう
460 :
日本@名無史さん:03/11/11 03:02
>457
そのような文献が出てきたら、非常に興味深いのだが・・・
どこかの旧家にでもあるかな。
まだあったのかこのスレ
長生きスレだな。
といいつつ立ち上げたのは私だったりする
463 :
日本@名無史さん:03/11/13 19:42
淀の方?
初セクースは誰とだったのだろう・・・。
ヒヒ親父の秀吉?
464 :
日本@名無史さん:03/11/14 21:00
前田利長という説もあるね
>>465 セックスの相手としてはともかく、子供の父親としては不適格だよね。
秀吉と同レベルに種が薄そう。
467 :
日本@名無史さん:03/11/20 00:17
前田利長も子供いなかったからなあ。側室も作らなかったのかな。
468 :
日本@名無史さん:03/11/20 14:15
淀の方と秀頼及び首脳陣との感情的、政治的関係について、
何かを示唆してくれるような史料ってないのかな。
大坂方の政策の立案過程とか、知りたいものだが。
とりあえず大野治長は淀の方の個人的信任によって
今風に言えば首相やってた、ってことで良いのだろうか。
>>467 何人かいたみたいだけど結局男の子は産まれず
夭折した女の子がいたらすぃ
淀の方ネタではないのでsage
470 :
日本@名無史さん:03/11/28 17:04
>467
奥さんは上からもらうと、浮気・側室持ちにくいものな。
信長の実娘だもん。
淀殿からどんどん外れるのでどんどん下げるけど(w
利長が永姫を妻にしたのは1582年のこと。
その年に本能寺の変が起こって、信長は死んでおります。
側室が少ないのは、遠慮したと言うより、利長の性格かも知れない罠
奥さんを上からもらうと実家が恐ろしいので側室持ちにくいのは確かなようだ。
奥さんの性格にもよるだろうけどね(w
472 :
日本@名無史さん:03/11/28 22:15
この話題続けて悪いけど、
蒲生氏郷も奥さんは信長の娘で側室がいなかったよね。
徳姫を怒らせて切腹に追いこまれた徳川信康のことがあったからかな。
信長の娘で子沢山はいなさそうだ。
473 :
日本@名無史さん:03/12/01 13:26
淀殿暗殺計画を扱った歴史小説や
それが成功してしまう火葬戦記系などのイフもの小説って
どういう作品があるのだろうか?
474 :
日本@名無史さん:03/12/08 16:15
彼女は秀吉没後、
なんと城中の人たちに呼ばれていたのかな?
「御母公さま」なんて萌えるが。
475 :
日本@名無史さん:03/12/08 16:55
>>380 あの時代はいろんな女性が政治に口出ししてる。
足利氏姫なんか公方職についてるよ。
今川家の寿桂尼も自ら文書を発行してるし。
女性が政治に口出ししてはならないと、されたのは江戸時代。
>>420 北の政所は別に秀頼の事を嫌ってたわけじゃないでしょ。
秀頼も北の政所になついていたし。
淀殿は江戸時代に「淀君」という架空の人物として
物語などで悪女として書かれたため、実像が歪められた可能性が高いです。
結局暗愚
477 :
日本@名無史さん:03/12/08 21:13
>>475 そこまで遡らなくても、
安土桃山でも北政所や前田まつなんかは、筆頭家老以上の政治的影響力。
ただし、淀の方は彼女たちとちがって、
夫の家臣団が認めている実力・実績以上の権限を振るおうとしすぎた感はある。
ところで秀頼が北政所になついていたという史料はあったっけ?
478 :
日本@名無史さん:03/12/09 16:06
歴史小説で「淀君」とか登場人物に呼ばれていたら、
激萎えする人は他にいますか?
最近の作品でも結構、そういうケースがあるんだよな。
479 :
日本@名無史さん:03/12/09 23:24
ちょっと割り込んでスマソ
>>474 淀の方は「お袋様」と言われていたようです。
ちょっと良いソースが提示できないので申し訳ない。
では続きどぞー
481 :
日本@名無史さん:03/12/12 15:26
>>480 確か大坂落城後に記された伊達政宗の手紙には
「お袋」と呼び捨てであったはず。
ただ城中の人たちが何と呼んでいたかは確証は無いんじゃないかな。
少なくとも現代人には所帯じみた(当時はもっと別の語感もあったのだろうけど)
表現だし、
>>474の「御母公さま」の方が確かに感触よし。
森進一の「お袋さん〜♪」が耳にちらついてくるのって嫌だし(T-T)
482 :
日本@名無史さん:03/12/12 17:44
>481
「御母堂さま」萌え。
483 :
日本@名無史さん:03/12/18 16:24
関ケ原の後、何年かして秀頼が
疱瘡かなにかの病気に罹り
祈祷の甲斐かどうか知らないが
助かったらしい。
でもその時に彼が死んでたら、
淀の方と豊臣家はどういう運命を
たどっていたのだろうか。
484 :
日本@名無史さん:03/12/21 00:40
身代わりをたてた。
秀吉はいないけど、とにかくもう一人生んだw
486 :
日本@名無史さん:03/12/21 10:33
>478
オレもあなたと同じように思ってますが何か?
487 :
日本@名無史さん:03/12/21 18:13
中途半端な女武将だな。
488 :
日本@名無史さん:03/12/22 01:13
>>483 秀頼が疱瘡になった時にはもう息子の国松をしこんでいたと思う。
翌年誕生しているから。病み上がりでそうそう子作りに励まないだろう。
だから大阪の陣では国松が秀頼の役をしただろう。
489 :
日本@名無史さん:03/12/24 19:01
大野治長との艶聞って
真実は永遠に闇の中か。
秀頼を賢君にするために
淀の方が暗愚にされたんだよ
491 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:31
492 :
日本@名無史さん:03/12/28 02:43
太閤びいきの大阪人に
実家の浅井家再興さえ強引にやれないようでは、
淀殿の政治力などたいした事ないよ。
494 :
日本@名無史さん:03/12/28 04:25
そう言えば生き残った弟に淀殿は会っているんだよね。
何で浅井家を継がせなかったんだろう。
秀吉は浅井家の長男を串刺しにしているからなんとなくいやだったのかな。
秀頼が未来有望じゃなかったら大坂で散った武将達が報われなさすぎるしな
496 :
日本@名無史さん:03/12/28 23:43
所詮外見しか能のないヒステリー体質の普通のおばさんだからな。
何をどう再評価したらよいのやら。
それと大阪の陣は豊臣方が勝負をかけたのではなくて家康の策謀に
かかってズルズルと開戦に持ち込まれて、あげく詭弁にだまされて講和
して牢人諸将の献策も受け入れず、身の回りの女官や乳母の子など
身内しか信用せずに自滅したのでは?
これらを見てると普通の主婦が重責を負わされて気の毒にすら思える。
497 :
日本@名無史さん:03/12/29 01:39
関が原の戦後、伊達政宗が家康に秀頼を江戸に引き取って
養育したほうがいいとか意見したそうだが、
なんで家康は秀頼を抱えて江戸に連れてかなかったのかな?
強引にやろうと思えばできたでしょう。
秀頼を刺して自分も死ぬとか言うヒステリー体質の普通のおばさんが居たとか
499 :
日本@名無史さん:03/12/30 02:35
>>497 それをすると淀殿の抵抗にあう他、豊臣家を滅ぼす口実を
失う罠
どのメディアを見ても、だいたいヒステリーな女としてしか書かれていないので、
このスレは面白いです。
501 :
日本@名無史さん:03/12/30 07:41
再評価というか
最近では関ヶ原〜大阪の陣の時点でも、
現実はともかく形の上では徳川家は豊臣家の配下であり一家老に過ぎなかったという見方が有力になってる。
だから、一応、淀君の姿勢は正しいと言えば正しいんだな。
淀君は見方を変えれば「愚かな女性」などではなく、
理不尽な要求に決して屈することなく服従より死を選んだ烈婦と言えなくもない。
502 :
日本@名無史さん:03/12/30 07:54
>>496 うーん?
現代でも聡明な女性もいれば愚かな女性もいるしねえ。淀君がたまたま愚かな女性だけだったんだろうね。
寿桂尼やまつみたいに家を救った賢い女性もいる。
ちなみにまつが人質になって江戸に行った件は利長ではなくまつの発案・主導だそうだ。
前田利長は架空の家康暗殺計画疑惑を仕掛けられた挙げ句、
前田征伐を宣言した家康の理不尽さに怒り最初は徹底抗戦を主張してた。
それをまつが家臣に謀り家臣と共に利長をなだめ説得し自ら人質になって江戸に行ったそうだ。
まあ普通はそんな理不尽な事されたら抗戦するだろうね。
実際、上杉だって上杉征伐に対して抗戦を宣言したしね。
そう考えると淀君も利長、上杉景勝、直江兼続と同じ事をしただけでそんなに愚かでもなかったのかな。
503 :
日本@名無史さん:03/12/31 20:56
>>502 そうかなあ?
当時の日本では男女の教育も違ったし、「賢い」といっても、おねやまつのように
せいぜい「裏から内助の功で支える」よくて「守備型」がせいぜいだったんじゃないの
新人研修で教わったんだけど、同じ能力を持っていても人間にはリーダータイプとサポートタイプがあるのだという
当時の女性に関して言えば、前提として「サポートタイプ」でないと、能力がある無いの評価すらされないような気がする
当時の日本で男性の2倍3倍政戦両略に優れていても、良くて変わり者か、
悪ければでしゃばり・女失格と判定されるのがオチ。
まして教育や周囲の環境が違えば、よど殿が暗愚というのはどうかしらん
504 :
日本@名無史さん:04/01/01 19:20
>>501 理不尽な要求に屈して周囲の献策を要れず冬の陣のような愚劣な講和をして
大阪城の防御力をゼロにした大砲恐怖症のヒステリーおばさんは淀殿だろう。
そのうえ最後まで和議を望んで夏の陣の秀頼の出陣をとどめるなど防戦の
指揮命令系統をぐちゃぐちゃにし、あげく命をおしんで山里廓の蔵に逃げ込んで
命乞いをするなどの醜態をさらしているが?
どう解釈したらそういう結論がでるのか・・・・
秀頼が母の言うことを気にするほどの暗愚だった
オワリ
507 :
日本@名無史さん:04/01/03 04:49
>>507 小説や大河ドラマを元にして発言するのが正しいことなのか
そしてソースのない情報は馬鹿にされるのが当然なのですが
淀の方のことを考えると、なぜだか泣きたくなる。
510 :
日本@名無史さん:04/01/03 21:16
511 :
日本@名無史さん:04/01/03 21:46
512 :
日本@名無史さん:04/01/04 04:14
>>505 ではそちらが根拠としているソースは何ですか?
513 :
日本@名無史さん:04/01/04 09:34
>>512 熱くなるな。
505ではないけど、504は歴史小説読むのが好きそうな雰囲気が
漂っているから、突っ込まれたのではないかと。
ヒステリーおばさん、指揮命令系統をぐちゃぐちゃに、などが
根拠なさそうに思われるんだけど、どうなのかな?
515 :
日本@名無史さん:04/01/04 19:38
>>514 で、そちらの根拠は具体的にどの史書のどの部分の記述を指してるの?
516 :
大坂城将兵たち:04/01/05 16:51
セ〜ノ〜ッ!
お ふ く ろ さ ま か 右 府 さ ま か
総 大 将 を は っ き り さ せ ろ
517 :
日本@名無史さん:04/01/05 22:52
まあ一般的に発行されてる小説なんかを見れば504の評価のほうが
自然に思えるね。
淀殿を再評価したい人っていったい何を根拠にしてるんだろう?
誰かソース示してくれないかな?
あぼーん
政にまで手を出す淀が暗愚か
それを止められない秀頼が暗愚か
520 :
日本@名無史さん:04/01/06 22:10
意識的ではないかもしれないが閨閥をつくり豊臣家の主導権を握り、
家康に翻弄されて豊臣家を滅亡させた淀君が最大の戦犯。
仮に秀頼の実母が北政所なら豊臣家が滅びることはなかっただろう。
521 :
日本@名無史さん:04/01/06 22:25
正直な話…浅井久政の悪い遺伝子が淀君に遺伝していたのだと思うが…
522 :
日本@名無史さん:04/01/06 23:04
>>521 禿げ同
久政じゃなくて亮政か長政か、もしくは叔父の信長の遺伝子を受け継いで
いれば・・・
523 :
日本@名無史さん:04/01/06 23:10
まあはっきりしてる事は
おねや松、千代に比べれば限りなく禿げしく暗愚だってことで
524 :
日本@名無史さん:04/01/07 11:55
小説やドラマなどでの既存のイメージを、その時代の史料と照らし合わせて一度
疑ってみることは必要だと思います。
果たして淀殿を再評価するにまでに至るかは謎ですが。
それでも淀殿を一方的に悪女、愚女とする小説やドラマは、徳川の御用学者の史書(明良洪範など)や、
江戸時代中期の俗書(翁草など)、卑俗な講談を元にしているのではないでしょうか。
おねや千代は賢女として知られていますが、千代のへそくりの逸話は後世の創作である可能性がある、つまり
伝承の域を出ないものです。
戦時は盛んに美談として喧伝されたようですが・・。
おねにしても、歴史家の会田雄次は、豊臣滅亡後おねは寂しさを紛らわすためか、
自邸に芸人を呼び集めて連日ドンチャン騒ぎをしていた、今の祇園はその名残だ、
よっておねも賢女にあらずと言っています。これも出典を明確にしていないので
俄かには信じがたいですがね・・。
ドラマや小説によく描かれるおねvs淀殿=善悪賢愚の対立の構図は、
分かりやすいし、大衆受けもいいんでしょうが、果たして歴史はそんなに
単純なものなのかどうか。
525 :
日本@名無史さん:04/01/07 12:55
>>524 俺もそう思う。
江戸時代の太閤記とかにも、淀君という架空の人物にされ、
政治に口出しする悪女として描かれている。
淀殿は政治が苦手だった事は間違いないと思う。
政治でのストレスから胃の病気になってるし。
526 :
日本@名無史さん:04/01/07 18:57
>>政治でのストレスから胃の病気になってるし。
だったらなぜ片桐や親戚の信雄、有楽斎あたりに任せないのだ…
527 :
日本@名無史さん:04/01/07 19:59
>>524 「千代」ってのは山内一豊の妻の事?
山内一豊の妻が夫に馬を買ってやったという話しですが
あれはヘソクリなどではなく、妻の財産で買ってやったものです。
戦国期の(というか江戸時代以前の)女性は財産権や収入がありました。
また基本として財産は夫婦でも分有制です。
夫に高利で金を貸したなんて逸話もあります。
528 :
日本@名無史さん:04/01/07 21:02
>>527 うんうん。
足利氏姫なんかも夫の頼氏と領地は別々で子は氏姫の所で育っている。
529 :
日本@名無史さん:04/01/08 08:27
>あれはヘソクリなどではなく、妻の財産で買ってやったものです。
その通りです。言葉を選び間違いました・・。ご指摘どうもです。
530 :
日本@名無史さん:04/01/08 21:25
531 :
日本@名無史さん:04/01/08 22:06
負けたやつを悪く言うのは日本人の悪い癖だね。
武田勝頼や今川氏真、北条高時や石田三成も実像以上に悪く言われている。
532 :
日本@名無史さん:04/01/08 22:15
>>531 勝った側が歴史を書くんだから,
仕方ないかと. 日本に限ったことでは無かろ.
533 :
日本@名無史さん:04/01/08 22:18
>>531 さらに小説やドラマで暗愚に描かれ、余計に評価が悪くなっていく。
>>533 だからと言って、利害関係のない後世の人間がその価値観にお付き合いしてやる必要も
ないはずなんだが。
535 :
日本@名無史さん:04/01/09 00:35
>>533 それはそうなんだが,
利害関係のある支配体制が存続しているあいだは,
世捨て人になってドロップアウトするのでも無い限り
その価値観におつき合いしないといけない. そうこう
しているうちに, その価値観の当否を問おうにも
よほど頑張らないと事実関係が分からなくなって
しまう.
現代ではリア勝者を酷く描かれる事にはつっこまないのな
537 :
日本@名無史さん:04/01/09 00:46
>>536 リア勝者は酷くいう奴もいれば、逆に崇拝して調べてる奴もいるから
つっこまなくてもいいんじゃない。
538 :
日本@名無史さん:04/01/09 00:52
逆に幕末だと敗者ばかりが持ち上げられてうっとうしいことこのうえない
幸村なんてもう何がなんだか
>>540 関ヶ原の敗者で増田長盛や丸毛兼利を持ち上げてるような人は見かけない。
大坂の役の敗者で大野治長や渡辺糺を持ち上げてるような人も見かけない。
敗者の誰かを持ち上げたいなら、その仲間の誰かを貶めるしかないだろう。
負けた側にはそれなりの理由がなければならないからね。
淀の方もその一人だな
545 :
日本@名無史さん:04/01/14 21:43
>>1
ものすごい妄想だな。で、ソースは?
546 :
日本@名無史さん:04/01/14 23:45
長生きですね。このスレッド。
淀の方は、「再評価」というよりは「再研究」が必要じゃないかと
思ってます。
547 :
日本@名無史さん:04/01/15 01:19
淀君という呼び方は、秀吉が彼女のために建てた淀城にちなむものだ。
淀は、江戸時代には淀藩となった。
徳川幕府が最後の抵抗を見せた鳥羽伏見の戦いで、朝敵となった徳川
慶喜は敗退し、譜代の藩であった淀藩に逃げ込んで再起をはかろうと
した。当時の淀藩主は老中稲葉正邦。稲葉家は、あの春日局の実家筋
だ。しかし、淀藩は朝敵となった幕府軍を入れることを拒否。ここに、
徳川幕府は完全滅亡することとなった。
548 :
日本@名無史さん:04/01/15 21:34
真紀子よりずっと良し。
549 :
日本@名無史さん:04/01/18 02:07
再研究がなぜ必要なのかがわからない。
550 :
日本@名無史さん:04/01/18 08:43
>>539 真田信繁は真田家を残した点からみると勝者だろ。松代藩
552 :
日本@名無史さん:04/01/18 22:40
>>547 淀君というのは「淀」ではなくて「君」のほうに問題がある。
「淀にちなむ高貴な女性」を言い表すなら本来「淀の方」と呼ばなければならない。
「淀君」の「君」は「辻君」(店を持たない路上(辻)で商売する最低限の売春婦(君))と同じ意味での「君」。
つまり女性に対してあきらかな蔑称。
そのため、徳川時代に淀の方を貶めるためにわざわざ「淀君」と表記した、といわれる。
554 :
日本@名無史さん:04/01/19 21:21
>>553 兄貴ではなくて父の昌幸の方針のおかげ。
ちなみに一族が敵味方に別れるのは源平
以来の家を存続させるための手段の一つ。
関が原の時も肥前鍋島家を初めどこの大
名家もやってること。
鍋島は違うのでは?
556 :
日本@名無史さん:04/01/26 10:46
たしかに産所としてあてがわれた淀城の女城主ではあったけれど、
この頃の淀の方や、城についての史料は
一切残っていないのかな?
鶴松を生んでからも2歳ちょっとで彼が夭折するまで、
この城に居座っていたのは確かだし、
何か逸話がないのかな?
太閤からの手紙ぐらいか。
557 :
日本@名無史さん:04/01/26 22:44
>557
そうだよ。信繁は、甥っ子を残すため(信之家が徳川になめられないように)に大阪城で死んだんだろ。
信之は律儀だけど怒らすと怖い家って印象を与えて
559 :
日本@名無史さん:04/01/28 16:57
裏切り者の家康に屈せずに、豊臣家を守り抜こうとした烈婦。
悪く言われるのは徳川が勝ったから。
560 :
日本@名無史さん:04/01/29 00:27
>>559 いつ守り抜こうとしたんだよwww
どこが烈婦なんだ?劣婦じゃないの?
561 :
日本@名無史さん:04/02/01 20:51
>>264 遅レスだけど、
淀の方の侍女なんだから、
お目見え以下の身分で
いくら下働きといってもさ、
何年間か仕えた人からの聞き取り文献のはず。
よもやま話でも、
容姿や人となりについて
まったく触れず仕舞いとは考えにくい。
やはり幕府が気になって
記録には留まらなかったのだろうか?
562 :
日本@名無史さん:04/02/01 23:51
563 :
日本@名無史さん:04/02/02 09:04
実際、淀には何の権力も無くて、内応派の連中が勝手に講和して逃げてったのを
全て淀のせいにされたわけだが・・・
564 :
日本@名無史さん:04/02/02 21:19
ソース厨、ウザイ。
566 :
日本@名無史さん:04/02/03 15:19
>>552 >>そのため、徳川時代に淀の方を貶めるためにわざわざ「淀君」と表記した、といわれる。
どの文献に「淀君」と表記されはじめたの?史書だったら天海あたりの入れ知恵か?
戯作とかじゃないよね?
567 :
日本@名無史さん:04/02/03 15:22
>>23 >>一子も為さなかった
若い頃は生ませてたはず
569 :
日本@名無史さん:04/02/04 12:26
>>568 いや、秀勝は三好吉房と瑞龍院の子でしょ?じゃなくて、実子がいたような気がする・・
あんまり問題にならないってことは女の子だったかも?
羽柴秀勝は3人いる
石松丸秀勝(南殿の子らしい)
於次丸秀勝(信長の息子)
小吉秀勝(瑞龍院ともの子)です。
572 :
日本@名無史さん:04/02/04 21:11
石松丸秀勝って南殿の連れ子なの?
>>571 小吉秀勝は一腹と一眼を間違えて伝えられてただけのようです。
574 :
日本@名無史さん:04/02/05 00:30
一腹って何?
一腹は同腹の意味、この場合秀次と同じ腹(母)から生まれたと言う意味。
永井路子著の乱紋で前に秀勝を一つ目に書いたけど修正されてたりした。
576 :
日本@名無史さん:04/02/05 23:37
永井路子やるなあ。歴史小説といえば井上靖の「淀どの日記」が好きだったな。
安西篤子の「淀どの哀楽」ってあるらしいけど、どうよ?
577 :
日本@名無史さん:04/02/06 16:21
秀頼に対しては、「馬鹿な母親の犠牲になった」
「本人の器量は悪くないが、淀の育て方が悪かった」など、
同情的な見方をする人が結構多い気がする。
豊臣家滅亡は淀殿一人が悪いという考えはいまだに根強いのかな?
578 :
日本@名無史さん:04/02/08 10:03
まあここのスレの論法でいくと大野治長も智勇兼備で
忠烈無双の悲劇の名将ってことになるんだな?
579 :
日本@名無史さん:04/02/08 23:22
>>577 そんな考えは根強いか?どこのソースを元に言ってるの?
結果的に豊臣家が滅んでしまった以上、淀殿が悪いでしょ
織田はまがいなりにも残ってる。
豊臣も残す手段はあったろうに、自分で道ふさいだとしか思えん。
581 :
日本@名無史さん:04/02/09 00:41
再評価した結果淀殿は糞だったという結論でいいのかな?
582 :
日本@名無史さん:04/02/09 02:06
万田久子の淀殿にチンポ、ビンビンだよ。
583 :
日本@名無史さん:04/02/09 13:14
天下を取った豊臣が、徳川に屈するなんて屈辱。
のうのうと生き恥を晒さなかった淀はえらい。
584 :
日本@名無史さん:04/02/10 22:22
>>583 醜く生に執着した結果死に追いやられたんじゃないの?
585 :
日本@名無史さん:04/02/12 21:34
>>578 そのとおり。
ここのスレでは今川氏真も斜陽の今川家を支えて最後まで抵抗した
名将らしいよ。
586 :
日本@名無史さん:04/02/13 01:17
今川って滅んだの???
587 :
日本@名無史さん:04/02/14 09:06
関が原の時の西軍は敗者とはいえそこそこの評価をされているのをみると
淀殿や大野治長の無能扱いは実際に無能だったんだろうな。
588 :
日本@名無史さん:04/02/14 12:03
淀は実際はかなり、しこめだったらしい
淀が亡くなった後、縁者が似絵を描いて欲しいと、絵師に依頼したが
絵師は相当困惑したらしい
というもの、美女ならばそのまま描けば良いが、しこめとなると
そのまま描くわけにはいかず、なんとか人に見るに耐えうる様に
描かなければならないからだ
589 :
日本@名無史さん:04/02/14 22:09
残ってる似絵は美女だぞ
590 :
日本@名無史さん:04/02/14 23:18
だから、あれは何とか人に見られる様に描いただけ
今だってほらっ、よくあるでしょう
お見合いの写真に、かなり手を加えたりする事が
591 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:24
父親似だったんだな
592 :
日本@名無史さん:04/02/15 23:44
太閤があんなに惚れ込んだのに。顔だけが女性の魅力じゃないけど。
593 :
日本@名無史さん:04/02/16 23:20
大阪の陣のころはただのおばさんだが若い頃は美人だったんじゃないの?
中身は愚劣みたいだけどw
594 :
日本@名無史さん:04/02/17 20:56
疱瘡にかかってブスになったと聞いたことある。
若い頃は美人だったんだよ。やっぱり土台はよかったということ。晩年の顔に困惑しただけだろ。
596 :
日本@名無史さん:04/02/18 03:11
美人三姉妹か
まあ、30越えると一気に崩れる女性も多いですからね
ロシアとかトルコあたりじゃ30を境にして前と後では別の人種みたいだもんw
598 :
日本@名無史さん:04/02/18 21:28
ここのスレは外見の再評価をするスレなのかw
599 :
日本@名無史さん:04/02/19 13:48
淀の方の容姿についてか。
時代によって美意識にズレがあるし、
個人によっても差異がある。
数百年前の社会的評価が、そのまま今日に当てはまる訳でもない。
楊貴妃だって、現代の中国人の多数にとり美人と判定されるかは、かなり疑わしい。
むしろ当時の世相との絡みで俺が興味深いのは、
彼女が天然眉を抜いて公家眉にしてたのか?とか
江戸時代の多くの既婚女性のように鉄漿で歯を染めていたのか?とか
そういう点なんだけどね。
史料不足からして確率論でしか語れないのが辛そうだが。
600 :
日本@名無史さん:04/02/19 22:31
600
太閤はお歯黒にしてたらしい。
まあ公家になってたからということもあるだろうが。
淀は結局地下人のままなんだっけ。
公家になってたのなら太閤の好みからしてお歯黒かもしれん。
602 :
日本@名無史さん:04/02/23 10:28
>601
たしか宮中の位を貰ってたような。
昔ネットサーフしていて、
この女のプロフィールみたいので
藤原○子という名も持ち合わせていたかと。
今探してもヒットしなかったけど。
603 :
日本@名無史さん:04/02/23 19:28
それは北の政所ではないだろうか?
従一位 藤原羽柴吉子→豊臣羽柴吉子 ではあるが。
604 :
日本@名無史さん:04/02/23 21:01
淀殿は「藤原菊子」という名も持っています。
ですから位階を授かってはいたようですが、詳しいことは不明ですね。
ちなみに妹のお江は、「藤原達子」です。
605 :
日本@名無史さん:04/02/26 22:50
>>604 淀殿は地下人じゃないの?
そのソースよろ
あの家康にあそこまで抵抗した事は
本当に立派です
前田のまつとはえらい違いです
それゆえ、淀の名は永遠です
608 :
日本@名無史さん:04/02/28 14:11
>>607 てゆーか状況分析のできない馬鹿ってこわいね( ゚,_ゝ゚)プ
609 :
日本@名無史さん:04/03/01 00:27
610 :
日本@名無史さん:04/03/07 15:50
徳川なんて豊臣を裏切った糞みたいな人間だろ。
豊臣も織田を(ry
612 :
日本@名無史さん:04/03/08 00:46
613 :
日本@名無史さん:04/03/18 11:12
あげ
614 :
日本@名無史さん:04/03/19 14:42
淀age
q∧ ∧
(*゚ー゚)
/ ||y||ブ
ノ_/'ノゞヽ
ていうか淀殿が懐妊した頃には石田三成はとっくに朝鮮にいたんだろ?
だったら三成=秀頼の親父説はあり得ないんじゃ?
あり得ないねぇ
617 :
日本@名無史さん:04/03/28 14:41
彼女は女武将だったのか?
最期は女武者としての装いだったのか?
政治家として決断を下したのか?
618 :
日本@名無史さん:04/03/31 00:16
>>617 このスレたてたヤシは戦国無双のやりすぎなんだよ
>>618 戦国無双でるずっと前から立ってるけどね
620 :
日本@名無史さん:04/04/10 08:21
日本史上有名な女性である事は間違いない
621 :
日本@名無史さん:04/04/10 09:00
淀君には熱烈ファン多し!
622 :
日本@名無史さん:04/04/12 00:40
>>618 一次資料の「当代記」にも「駿府記」にも
武将として、政治家としての真偽に関して、
傍証的ながらも、言及があるぞ。
やっぱりって感じ。
実績については否定的な評価ながら、それはある意味当然のことだ。
最期の姿については、証人が死に絶えた以上、なんとも言いようが無いけど。
623 :
日本@名無史さん:04/04/12 13:54
「駿府記」は家康の側近によって書かれた物(後藤庄三郎か林羅山か?)なので、
淀殿の評価が厳しいものになるのは仕方がないことかと思います。
「当代記」は・・、一次資料ですか?
貴重な史料だという意見は聞きますが、その記述にかなり誤りがみられるとの意見も
聞きます。
専門家ではないので、何とも言えませんが・・。
624 :
日本@名無史さん:04/04/16 08:29
明治の歴史学者山路愛山の著した「淀君論」が、非常に面白かった。
要約すると、「淀殿は勝気な女丈夫などではない。ごく普通の、平凡な女」ということになるようだが、
北政所との確執については、「これを立証する確かな資料はなく、淀殿をおねに楯突いた高慢な悪女とするのは
冤罪」、さらに石田三成との不義疑惑については「歌舞伎や芝居の類を以って古人を律するは愚」と、ばっさり
切り捨てている。
難解な文章だが、短い論文なので何とか読めた。
出典や参考文献が詳細に示されているのも心強い。
岩波文庫「豊臣秀吉」下巻の巻末に収録されてますが、絶版です・・・。
もしご興味を持たれた方がいれば、図書館等で探してみて下さい。
625 :
日本@名無史さん:04/04/16 09:18
極普通の平凡な女が豊臣の行く末に口を挟んだところに悲劇が
秀吉は、自分が種無しだと言うことを知っていたはずだ。
にもかかわらず、淀の生んだ二人を何故認知したのか?
秀吉のホモの愛人の子だったからではないか?〈俺の代わりに、、て事
って説を私の同級生が唱えておりましたが、ふと思い出したもので美しくない話をスマソ
秀吉はホモではない
628 :
日本@名無史さん:04/04/26 15:17
『関ケ原合戦 家康の戦略と幕藩体制』笠谷和比古著
講談社選書メチエから上梓された本で、まだ書店にも並んでる所があるはず。
その本文に所収された、付家老の片桐による決済の公文書の文面に、
淀の方自身の裁量による、豊臣家蔵入地の年貢につき十分の一減免の事項が記されていた。
そうそ、豊臣家の蔵入地って関ヶ原合戦後はどういう状態だったんだろうな。
漏れは島津ヲタなんで(ニガワラ)加治木とか出水とかが浮かぶんだが
この2つは慶長の役以後に島津家に返却されたし。
他にも全国に豊臣家の蔵入地が置かれていたと記憶してるんだが・・・
実質摂河泉3カ国しかなかったんだろうか>関ヶ原後の豊臣家蔵入地
やっぱり淀はぬるぽ
631 :
日本@名無史さん:04/06/05 07:58
必殺シリーズの復活には、
「必殺! 大坂の陣」で血祭りにあげたら。
知名度高いし。嫌悪度高し。
>>630 ガッ
おそっ(汗
>>631 必殺復活自体無理だろ
藤田まこと年だし
三田村邦彦はすっかり三枚目路線だし
鮎川いずみは会社社長になっちゃったし
633 :
日本@名無史さん:04/06/09 12:30
634 :
日本@名無史さん:04/06/20 04:36
そういえばNHKの「その時歴史が動いた」の淀殿の回では同情的に描いていたな。
2年前くらいだったのでオボロだけど、やっぱり徳川幕府の宣伝によって不当に
貶められたという内容だった。
635 :
日本@名無史さん:04/07/20 18:38
再評価するには政策だけど、
関が原以降の朝廷政策ってどんなもの?
636 :
日本@名無史さん:04/08/03 20:46
淀の方が秀頼以外に姫も産んで
大坂の陣の時は、実家に戻るか、夫ともどもかで
一緒に篭城していたら面白かったかも。
637 :
日本@名無史さん:04/08/04 07:18
>>1 >桶狭間のときの信長よりは、勝算があったのではないか。
夏の陣では、家康は3日の手弁当でやってきた。
とにかく、大野らの無能武将の意見にひきずられ、真田
幸村の能力を飼い殺しにし、籠城策を採ったのはまずかった。
淀君といえば、戦闘になれば、大筒の威嚇射撃ですっかり怯え、
わらわらと不利な要求をのんだ、哀れな女性という印象しかない。
638 :
日本@名無史さん:04/08/04 09:25
豊臣方が弱くなったのは、秀吉があまりに淀君・秀頼を可愛がりすぎたことが一因かもね。
淀君と秀頼を可愛がるあまり、甥の秀次やその他の親戚、側室を敬遠し、潰してしまった。
しかもそのあと、秀吉は姫君もふくめて子供をつくることができなかった。あの年齢では
やむをえないが、血縁を外に広げられずより親密な味方を作ることができなかった。
まあ夏・冬の陣が起こったあの当時の状況ではそんな血縁関係も無意味だったかもしれないが。
家康方の場合、仮に家康や秀忠があの戦で死んだとしても孫の家光や義直ら末子も健在だから
跡継ぎには困らない。本多や井伊、酒井といった有能で直言も辞さない忠臣にも恵まれていた。
何かとあの当時、豊臣方には不利な要素しか残っていなかったんだろうね。
639 :
日本@名無史さん:04/09/02 18:46
>>636 それも良いけど、
本丸に篭ったまま、
薙刀で奮闘して、
戦死が良い。
家康や秀忠に検分される。
640 :
日本@名無史さん:04/09/04 01:55
秀吉は大柄の女性が好みだよね。ねねも大柄だしな。
641 :
日本@名無史さん:04/09/23 20:12:52
徳川の操作によって悪人とされたのは淀殿と石田三成。
かわいそう過ぎる。
徳川のそういう卑しいところが嫌いだよ。
642 :
日本@名無史さん:04/09/23 20:16:31
淀が策謀を巡らせて家康を攻めさせなかったとか
冬の陣の和議交渉で大阪方が有利に展開させたとかならともかく
単に引き篭もってただけじゃないか、大筒打ち込まれて一気に弱気になっちゃてるし
淀殿は何でも人任せ。
自分から何をしようとした訳でもないし、
再評価なんてできましぇ〜ん
644 :
日本@名無史さん:04/09/23 21:02:17
普通のお姫様として育ってきたのだろうから、家康みたいなあんな怪物相手にできるわけないだろ。
関ケ原で恩顧の大名や石田三成失った豊臣家でなすすべもなかったはず。
最終的に敗者だから悪者にされてもしょうがないだろうが、徳川があることないこと書いた歴史書のまま悪者にされていることがかわいそうなんだよ。
密通だの愚女だの。
1が再検証しようっていってんのはそのことなんでねえの?
徳川捏造歴史書のままドラマとか歴史小説とかで悪女にされ、世間もそれを受け入れちゃってるし。
645 :
日本@名無史さん:04/09/28 16:35:25
夏の陣を控えて、東西手切れで常高院が城を出たとき、
淀の方の形見になるやもしれぬ餞別品とか、渡されなかったのかな。
期待極薄だが遺髪とか、もし発見されたら、どうなるか。
646 :
日本@名無史さん:04/10/05 01:29:28
お江与タンもがたいがよかったらいやだな…3人の夫の間に十人近い子供設けてるし、気性の激しさと淀に勝るとも劣らない巨体で秀忠を尻に敷いてたりして。
>>646 つか、事実そーだし
(体型は肖像画で見る限りは豊満ではなかったようだけど)
648 :
日本@名無史さん:04/10/05 12:19:16
お江与の方は大変小柄だったと何かで見た希ガス・・・
649 :
日本@名無史さん:04/10/05 17:45:40
お江与タンの骨を鑑定したら小柄だと分かったらしいよ
小柄なのに8人も生んだのはすごいね。
両親ともに大柄なのに誰に似たんだろう?
650 :
日本@名無史さん:04/10/05 19:02:51
お江与タンってうんちするの?
651 :
日本@名無史さん:04/10/05 19:31:15
しないよ
652 :
日本@名無史さん:04/10/05 22:22:14
お江与タンは出産のたびにうんこ漏らしたよ
653 :
日本@名無史さん:04/10/06 00:47:51
お江与タソは夜の営みにおいても秀忠を翻弄してたんだろうな・・・(;´Д`)ハァハァ
654 :
日本@名無史さん:04/10/06 01:34:18
年下の童貞相手じゃさぞかし不満だっただろうに
655 :
日本@名無史さん:04/10/06 02:49:09
さっき戦国三姉妹物語をよみました。
捏造された悪女のレッテルをはられている淀の再評価みたいなのがされておりました。当時の手紙とか時代背景に関するを元に調査されているからあながち間違っていないように思えます。
とりあえず悪く言われているのは後世に創られたものらしいです。
容姿も母親に似てたらしいです。秀吉は年齢関係なく(もちろん幼女でも)家柄のいい美人を側室にしていたから長女を選んだのはお市に似た美人だったからだろうとのこと。
性格としては、しっかりした妹おもいの素直な女だったのではないかとの評価がされておりました。
北政所との確執も特になかったみたいです。むしろ側室としてある程度の分はわきまえていたようです。
秀吉死後の2人の決別は若君の養育と亭主の菩提を弔う、という当然の作業を2人で分担していたのではないかと。
(ちなみに気になる秀頼の実父についてはあいまいになってました・・・。通常城内は普通密通出来ない構造になっていたようです。しかし当時から治長の名前が噂になってたらしいです。)
読み終わった後、淀が悪女として定着していただけになんだか拍子抜けしました。そこまで悪い女でも権力欲の強い女でもなかったようだと。
ドラマや小説とかは悪役を仕立て上げて面白おかしくしないとつまらないですからね。
でも、すごく美人で性格が超悪くて浮気して子供作っちゃったのに秀吉には愛されてる淀のほうが魅力的な気がするのは私だけ?!
656 :
日本@名無史さん:04/10/21 00:02:54
秀吉を色仕掛けで蹴落としたんだから家康のことも色仕掛けで責めれば落とせただろうに。
上淫の美人さらいの秀吉が執着したんだから相当美人だったのだろうに。
戦で真っ向挑んだのがこのひとの敗因
>>656 築山殿で懲りたのかどうだか、家康の好みは主に下級武士か庶民の後家さん。
よって淀殿は家康から見ればストライクゾーン外なので通用しなかったのかと思われ。
658 :
日本@名無史さん:04/10/21 02:56:33
淀殿が身分の卑しい女ばかり側に置いてる家康を、敬遠したとも言われてる
どちらにせよ、その頃の淀の方は女性としての盛りをとうに過ぎているでしょ。
660 :
日本@名無史さん:04/10/21 17:33:29
50歳も生きれば上等だったこの時代(17世紀前半)、淀の方はもう30半ばから40代。
確かに性的な魅力はもう薄れていたと思う。家康は年増好みだったというけれど、
さすがに彼にとっても彼女はさほど関心を引く存在ではなかったんだろうな。
661 :
日本@名無史さん:04/10/21 18:10:16
淀君って蔑称なんだってね
662 :
日本@名無史さん:04/10/21 19:10:50
>>660 家康がたてまえ上人質として淀殿を娶ろうとしてたんじゃなかったっけ
>>661 中期江戸幕府の史書御用達の作家が作った蔑称
過去レス見てて思ったんですけど
淀は晩年実際に気鬱(ヒステリー)を患ったのですが、ここにレスしてるアンチの方々がヒステリーを「キーキーわめく事」と勘違いしてる人がいるのに笑った。
気鬱は昏倒することです。ひっくり返ること。よろしいか?
665 :
日本@名無史さん:04/11/07 16:00:55
>>655 >とりあえず悪く言われているのは後世に創られたものらしいです
同時代の武将が、悪し様に罵っている文書が残ってますが。
>>666 御袋(=淀君)もかねての御口ほどなく候て、むざと御果候
(元和元年5月18日 伊達政宗の書状)
>>667 政宗かよ、信憑性ゼロっつーかお前が他人のこと言えるのかと。(w
669 :
日本@名無史さん:04/11/07 20:58:43
>>668 政宗の発言は、概ね東軍の代表なものの見方だから、まあムキになるな。
問題なのは、すべてを仕切り、軍事にまで口を挟んだため、味方の諸将から、
反感と顰蹙買ってるなことだわなw
大坂の様体、軍陣の体、万事母儀(=淀君)指出たまい、これによって
諸卒色を失う。(「当代記」)
不倫の噂も世間では大評判で、当時の朝鮮の知識人も記録に
残しているな。(「看羊録)
秀頼の母方(=淀君)、大野修理らと通じ身ごもれるあり
政宗は家康方なんだから「悪く」言うのは、そりゃ敵なんだから、
相手が有能であろうが無能であろうが関係なく悪く言うでしょう。
で、江戸時代に「淀君」は「悪女」になったわけだけど、
この「悪女」つうのは、現代的な意味での「悪」とはちょっと違う気がするんだよね。
宗教的な意味が含まれてるからね。
で、江戸時代の「悪女」が、現代的に解釈されて、今に至ってるんじゃないかな。
つまり「悪」つうても、少なくとも三種の「悪」があって、それがごっちゃになってる
希ガス。
>>640 チビはそういうのが好きになる傾向があるみたいね
673 :
日本@名無史さん:04/11/10 07:16:54
>>1 >そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのは
あながち間違った選択肢とも思えない。
いや、選択は、やはり間違っていたと…。
家運が衰頽しているにもかかわらず、名家意識にかたまり、最終的に
軍事的に滅亡されていくパターンは、後北条家と瓜二つだ。
>>671 でも同時代の人物で秀頼を悪し様に言った人間ってあんまりきかないんだよなぁ
ボンクラって風評もあるけど家康に大器の風格があると思わせた、なんて話もあるし
淀はマイナスイメージ一辺倒なのにな
秀頼はほとんど外に出てないから、周りも悪く言いようが無いのだろう。
だって知らないんだから。
676 :
日本@名無史さん:04/11/23 02:20:49
女の人の鎧姿っていいね
677 :
日本@名無史さん:04/11/23 08:42:36
>>662 >中期江戸幕府の史書御用達の作家が作った蔑称
しかし、何でまた幕府の安定期にことさら豊臣家をけなす必要性があった
のかな? 悪く言うんだったら、世間の同情も集中してた大阪陣直後あた
りが効果的だったろうに。
678 :
日本@名無史さん:04/11/23 09:30:05
でもまぁ
何度も何度も出てこいと言われる度に
仮病使ってたのは賢くないよ
>>677 江戸幕府中期あたりにもなるとさすがに幕府に反感をもつ輩もでてきたのさ。
で、豊臣人気がちょっとぶり返してきたから幕府のご用達の史学者がおおいに捏造を含めて関が原あたりの史書を作り変えたというわけです。
そこで三成と淀殿が悪者にされたわけだ。
主君を操作する周りの人間が悪いからそれを家康様wが成敗した=幕府偉い
みたいな。
きたねえ・・・。
>>679 もちょっと具体的にどこにどんなことが書いてあるのか、一つでいいから例示してくれ。
この手の話は何回も見たことがあるが、具体例が書かれてあるのを見たことがない。
682 :
日本@名無史さん:04/11/28 17:57:12
「淀君」蔑称説は、wikipediaではあくまで「説」としてるね。徳川幕府による陰謀「説」。
時代も、江戸中期ではなく「初期」だとしてる。(以下「淀殿」から引用)
大坂の役から元禄時代にかけての江戸時代初期の日本では、真田信繁(幸村)、
後藤又兵衛(基次)、塙直之(団右衛門)ら大坂方の武将たちが、上は大名
から下は庶民に至るまで幅広く多くの人々から英雄としてもてはやされ、あ
る意味一大ブームを巻き起こしていた。(一説によると三代将軍、徳川家光
は大の幸村ファンであったとも言われる。) が、大坂を攻め滅ぼした幕府
としてはこのような事態を放っておく訳にもいかず、かと言って全部を取り
締まることも事実上不可能であった為、大坂方に悪役が必要となったのであ
ろう。
>>679氏の意見とも微妙に違ってるし、よくわからんな。
>>669 >味方の諸将から、 反感と顰蹙買ってる
と、あるが、家康を倒したくてたまらない浪人衆は秀頼出馬など、大坂方首脳陣と意見が割れてきちゃったのだから仲が悪くなってもしょうがない。
この場合、浪人衆はあくまで大坂方のために働くように集められたのだから言うこと聞かない浪人の方がまずいよ。
>>681 江戸時代に書かれた絵本太閤記だとすでに「淀君」という蔑称がつけられております。
リアルタイムで「淀君」などと呼ばれていたわけではないのに。
「絵本太閤記」が幕府のご用達の史学者の捏造かよ?
685 :
日本@名無史さん:04/11/29 07:01:34
>>683 「絵本太閤記」の成立は1802年で、幕末も近い。内容も、史書ではなく、
娯楽・文芸作品のフィクションだが。。
幕府がからんでいたのではなく、庶民レベルで、面白おかしく「淀君」と
呼んでたのが真実じゃないのかな?
「公式記録」なら、絶対残っているはず。やはり幕府「陰謀説」?
686 :
日本@名無史さん:04/11/29 11:14:40
私も淀殿悪女論は読んだことがある。小和田哲男氏の「戦国三姉妹」って本。
↓
「徳川家が豊臣家を滅ぼしていく過程は、徳川家を美化、賛美する立場に立って書こうとすれば、石田三成と淀殿を悪人に仕立て上げなければ成り立たない。
江戸時代、徳川幕府御用史家によって幕府創業期の記録がまとめられ、家康の伝記が書かれるが、彼らは家康を正義として書かなければならない宿命を負わされていた。必然的に淀殿のことも悪くかかれる結果となった。」
と、あるのだけど、その家康の伝記っていうののタイトルが書いていない。歴史学者が言っているのだから間違いはないと思う。
当時の公式記録には「淀君」と書かれたものはひとつもない。後日史家によってまとめられた「伝記」にいろいろ問題があるようだ。
687 :
日本@名無史さん:04/11/29 11:23:10
淀殿の不倫がはっきりと記されるようになったのは神沢杜口の『翁草』
神沢杜口:京都奉行所与力 本の成立:1772-1791
まあ悪く書かれるのは当たり前といえば当たり前。
江戸時代の人間だって馬鹿じゃない。
悪く書かれているから悪いんだなんて単純な奴はそうそういない。
問題は「捏造」かどうかってこと。
不倫の噂はフロイスも書いているように、同時代からすでにあった。
「事実」かどうかは知らんが、「捏造」ではないし、貶めるためでもないと思う。
まあ小和田氏の話なんて、話半分に聞いておくのが無難。
689 :
日本@名無史さん:04/11/30 02:20:46
猿の側室にされたんだから不倫くらいさせてやれ
結局「淀君」という呼称について、庶民側は「○○女史」「女帝○○」といった類で、
それほど悪意として受け取っていなかったのではないか。大体、幕府側の記録がはっ
きりしないというのも怪しすぎる。いくら調べても出てこないっておかしすぎる。
それに引き替え、家康の正室「築山殿」は幕府は確信犯的に徹底的に罵倒してる。
「武田と内通した淫乱な女」とか。家康の正室殺しを正当化するために、幕府の史家
が築山殿の悪行をでっち上げている。「殿」という呼称には、「君」などより陰湿な
いやがらせの臭いがする。
>>690 いや、そうは思えないのですが・・・。
築山殿に対しても淀殿に対しても相当陰険だと思いますよ、徳川幕府は。
だから具体的に史料を出せつうの。
> まあ小和田氏の話なんて、話半分に聞いておくのが無難。
と、決め付けられる
>>688は日本史学会の泰斗。
694 :
日本@名無史さん:04/12/02 22:43:39
「明良洪範」は?幕府の官撰史料だって。17世紀の史料。
「淀“君”は大野治長と密通して棄君と拾君を産んだ」と記されているって。
>>688 歴史学者のほうが君の言うことより信じられると思うけど
>>692 なぜそんなに態度がでかいのだ
幕府の官撰史料で後世にまとめられたものなのに密通を断言とは・・・。
拾のみならず棄丸まで・・・。
棄丸の件については完全に憶測でしょう。
まずは「幕府の官撰史料」の定義からだな。
697 :
日本@名無史さん:04/12/03 07:35:59
>>694 18世紀の資料じゃないの?(サイトをググってまとめると)
『明良洪範』は慶長〜正徳年間(1596〜1716)にかけての事績
(=江戸時代の伝承)をまとめたもの。 真田増誉著。
18世紀初頭に成立。正篇25巻、後篇15巻。武将・家臣の「言行録」
が主で、武士の「心構え」を説くものが多い。正篇24・25巻は婦人伝。
内容はよくある“古老ばなし”と言った感じで、ずいぶん憶測もあり、
読み物としては面白おかしく読めそうだが、資料的価値としてはどう
なのか。。「淀君=蔑称説」の決定的な証拠とも思えない。
それに18世紀初頭にまとめられたとして、そこから「淀君」を蔑称として
庶民層に普及・浸透させる活動でも幕府がしていたの?
698 :
日本@名無史さん:04/12/04 06:53:39
徳富蘇峰曰く、
およそ寡婦は、多くの場合に於いて、評判の種子となるものだ。
いわんや三十三歳の美人においてをや。吾人は淀殿の身上に、
種々の悪風聞をきたしたことが、必ずしも偶然ではなかったと
思う。…それが事実であったとするも、事実でなかったとするも。
699 :
日本@名無史さん:04/12/10 15:09:52
「女大名」としての
民政についての評価は
資料的に困難だろうな。
同時代史料で何か評価があったら
興味深いのだが。
>>698 淀が生きているときにも治長との噂はあったらしいから、密通が事実である可能性もなきにしろあらず。
萩藩閥閲録や朝鮮の役で捕まって日本に連れてこられた姜抗もそんなことを書いている。どちらも巷に出回っている噂を元にして記したものだから本当はどうかわからねい。
ただ、生まれてからずっと一緒にいる乳兄妹なら他家臣よりも親しいだろうから、まわりが疑惑の目で見るのもしかたないだろう。
一辺倒に体の関係が云々という薄っぺらい関係だけではなかったとは思う。本当の兄妹みたいな絆ではなかったのだろうか。
憶測で噂が広まるったのはその辺からきているのでは?
秀吉の子を産んだのがただ一人だったから疑惑の種にもなりやすいし、そのせいで豊臣家が滅びちゃったし。
>>697 歴史研究家ではないから史料を引っ張って提示することはできないのだけど、淀殿研究をしている歴史家の人はみな幕府御用達の作家が「淀君」として辱めたといっているんだよね。
『明良洪範』も徳川の関係者が書いたものだし、淀を辱めるキャンペーンとしては当時としては十分だったのではないでしょうか?メディアは書物だけなのだし。
資料的価値云々って、内容が古老ばなし程度のものであってもかかれたことには変わらないのだから。
『明良洪範』→慶長・元和から宝永・正徳にいたる幕臣の事績を中心に記述された記録。幕臣真田増誉が記した。
これって十分徳川方の史家によるものなのではないですか?
>>700 『明良洪範』って、史実的には嘘や間違いだらけだし、憶測が多いね。
内容も伊達政宗が幕藩邸で相撲をとっただの、家康が林羅山から講義を
聴く態度が悪くて一喝されただの。これ「正史」とは呼ぶのはどうかなと。
例えると、岩波書店『日本史講座』という研究書・学術書ではなく、
○○文庫『なるほどなっとく、武将の面白エピソード集(江戸時代編)』
のようなノリですからねえ…。
>>701 それは例えがおかしい。内容の信頼性が問題なのではない。
幕府の意図を反映しているかどうかが問題なのだ。残念!
で、『明良洪範』は、やはりそういう書物ではない。
703 :
日本@名無史さん:04/12/13 07:27:24
>>702 「淀“君”は大野治長と密通して棄君と拾君を産んだ」(『明良洪範』)
秀頼が秀吉の実子ではないとする文献は、俗説・異説の類にあたる。
704 :
日本@名無史さん:04/12/13 15:44:53
「どうやら子供ができたらしいの」
「え、姉さん、まさか、それって関白様の?」
「ううん、多分違うと思うの。私生むのよそうかな」
それを聞いていた家康登場
「そんな事おっしゃってはなりませぬ、
貴方様のお体に宿った命は間違いなく関白様のものです。
それは私が保障いたします。まわりの者が何を言っても私が貴方様とお子様を
お守り致します。安心してお生み下され」
家康の秀次暗殺計画がスタートした瞬間であった、説です
秀次を亡き者にする事でしか大逆転のチャンスは家康にはなかったでしょうから
705 :
日本@名無史さん:04/12/23 01:00:11
>>704 新説だなこりゃ。
茶々と妹(初かお江かどっちかわからんが)との会話が非常に軽くて笑えた。
706 :
日本@名無史さん:04/12/26 10:02:41
『看羊録』という書物では、家康は淀に気があったようなことまで書かれ
ている。淀はフェロモン全開の熟女であったことは確か。
しかし、決断力や先見性となれば、「鉄の女」ことM.サッチャーなどには、
足下にも及ばない普通の女性だった。
707 :
日本@名無史さん:04/12/26 23:43:46
なぜサッチャーが例に引かれているのか分からん。
関が原の後、家康が淀を側室にしようとしたっつうのを聞いたことがある。
良くも悪くも因縁のカップルだな。
どこで聞いたの?
2ちゃん
711 :
日本@名無史さん:05/01/14 00:58:53
家康×淀君ってクドい組み合わせだな〜。
腹上死は出来そうだけど。
712 :
日本@名無史さん:05/01/14 21:13:42
淀君萌え〜
714 :
日本@名無史さん:05/01/15 00:18:48
関が原直後の淀君なら30歳くらいだから確実に家康には勝つ<床の上では
715 :
日本@名無史さん:05/01/16 22:19:30
秀吉死去の際、淀殿を前田利長(利家の長男)の正室に据えようと
三成が推挙しようとしていたというおぱなし(群雲関が原へという小説ですが)
があったのを思い出した。
他にも淀殿の嫁ぎ先候補としては上杉景勝もいますたし、無論家康もおるし
この3名のどれかになら淀殿が嫁いでも良いのでは?
ただしそうなると淀殿を受け入れた大老が次の天下を動かすわけだが・・
716 :
日本@名無史さん:05/01/17 06:33:19
>>715 前田利長には信長の娘お永がいるから正室は無理だろうけど側室としてなら利長、景勝、家康どれかに嫁ぐのはありだね。
秀吉が指示するなら確実に家康だろうけど(秀吉が指示ということはまずありえないど)、三成が指示するなら利長か景勝だろうね。
三成がそこまで出来れば関ヶ原までの政局もかなり変わっていただろう。
淀の側近あたりが猛烈に反対しそうだが。
717 :
日本@名無史さん:05/01/17 13:13:45
そもそも淀本人が強烈に反発するんじゃないの?
718 :
日本@名無史さん:05/01/17 15:15:15
この際武家は離れて、公家衆なら妻に欲しいのはいたんじゃない?
摂関の後妻とか
719 :
日本@名無史さん:05/01/17 16:51:43
仮に淀が大名に嫁ごうにも「私は右大臣秀頼の実母、豊太閤の元第一側室」
という風を絶えず吹かされてどこもひきうけ手が無いと解されよう。
720 :
日本@名無史さん:05/01/17 20:53:03
美人なら気位が高くても可
721 :
日本@名無史さん:05/01/18 07:38:38
家康は築山殿で懲りてるからなあ
722 :
日本@名無史さん:05/01/19 01:08:44
>>706の『看羊録』って売ってないのかな。日本語版
723 :
日本@名無史さん:05/01/19 09:41:18
>>722 看羊録 : 朝鮮儒者の日本抑留記 / 姜◆U6C86◆ [著] ; 朴鐘鳴訳注<カンヨウ
ロク : チョウセン ジュシャ ノ ニホン ヨクリュウキ>. -- (BN00343793)
東京 : 平凡社, 1984.12
v, 310p ; 18cm. -- (東洋文庫 ; 440)
注記: 解説: p297-310
ISBN: 4582804403
著者標目: 朴, 鐘鳴(1928-)<パク, チョンミョン> ; 姜, ◆U6C86◆(1567-1
618)<キョウ, コウ>
分類: NDC8 : 210.49 ; NDLC : GB327
件名: 日本 -- 歴史 -- 安土桃山時代 -- 史料 ; 文禄・慶長の役(1592〜15
93,1597〜1598)
724 :
日本@名無史さん:05/01/20 02:19:29
↑これって家康と淀殿のあやしい噂とかものってる?
725 :
日本@名無史さん:05/02/17 07:21:41
載ってたとしてもただの伝聞だろ
726 :
日本@名無史さん:05/03/09 14:00:26
有名人だけど、
確たる情報に乏しい人
154 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 05/03/10 03:32:33
流れぶったぎりスマソ。
朝鮮出兵で日本に連れてこられた儒者の手記「看羊録」を購入したら、びっくりすることが書かれてたんですけど。
『関ヶ原の前年、家康が秀吉の遺命をたてに淀殿を室にしようとした。しかし淀殿は大野修理と通じ妊娠していたのでこれを拒絶して従わなかった。』
家康はものすごく怒って大野修理を関東に流した。他の記録でも確かに大野は関ヶ原前年に関東に流罪になっている。
(以下略)
(((((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
728 :
日本@名無史さん:05/03/13 19:30:36
やっぱり家康が!求めていたのか!
729 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:35:52
何を?
730 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 08:39:06
正室に懲りて、後腐れのない女が好みの家康が淀どのを欲しがるとは
思えないよ。
ところで、秀吉没後、淀どの母子が大坂城に入った時、北政所が入れ替わるように
出て行ったのはやっぱり巷間で言われるように、淀どのが出て行けよがしをした
せいなの?それとも家康の差し金?
北政所は使いみちがありそうなのに、なんで淀どの(とその側近)は手元に
置いておかなかったんだろうね。
超一般向き(ちうよりハイカー向き?)の本『戦国の女たちを歩く』(山と渓谷社)では
「本来なら正室が先代の供養+跡継ぎの後見をするものだが
豊臣家の場合は北政所が尼となって秀吉の供養をし、
秀頼実母の淀殿が後見となって役割を分担した」
と言うようなことが書かれていた。
上の文章は原文通りではなく私なりにまとめました。
ただ、この本の著者の田端泰子さんはかなり淀殿びいきなのでその辺割引いてみる必要はあるかも。
732 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 12:43:49
>>731 さんくす。
北政所を野に放ったのが、大坂方の最初の失敗だったんだろうな。
だからって、辞を低くしておねを立てるような淀どのでもなし。
733 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:07:08
「野に放つ」というんだろうか、ああいう状態を。
735 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 15:09:05
『徳川家康 第25巻』
道喜の書き残した紙片には、
「――上様二十三歳の首級、毛利勝永どのはね参らす。ご母公さま四十九歳、荻野道喜刺し参らす……」
と書いてある。そして、そのように秀頼の屍体のわきには首が飾られ、淀の方の屍体は胸を刺されたまま薄目をあけて陰雨にうたれている。
‥‥中略‥‥
ざくろのように傷口をひろげた胸は、すでに閉じられていたが、薄く開いた唇からはまっ黒に染められた前歯が光ってのぞき、その下に丸い舌がのぞいている。
吐血の名残りであろう、妙に赤い舌の尖から雨水が薄い血になって首すじに流れていた。
淀の方、土葬伝説か。
736 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 17:47:41
淀の母、お市は秀吉に自害にまで追い込まれているし
ロリの時に秀吉とセックス三昧
挙句に親の敵の子供生まされて、
大阪城で子の秀頼とともに炎に巻かれて死亡。
淀殿、乙wwwっうぇwwww
ざまー味噌wっうぇwww
>>690 亀で恐縮だが「殿」は出自が比較的よい女性に
普通に使われる呼称だと思う。
陰湿ないやがらせの臭いなど全くしない、憶測しすぎ。
家康の妻妾でほかに殿と呼ばれるのは
下山殿・お都摩=甲斐の名門秋山家の娘、梅雪の養女。十五万石の母
蔭山殿・お万=母が北条一族
房総の名門の正木氏の娘、紀伊家尾張家の祖の生母
出自不明者も多い家康側室に中でこの2人は良家の出身。
神尾一位殿=雲光院お阿茶(出自はともかく重く用いられ出世もした)
築山殿は正室で今川義元の姪だもの、尊称で「殿」がつくんだよ。
age
739 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 03:35:02
age age
740 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 21:34:56
>>704 面白いけど、その段階では家康が関わるとは思えん。
741 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:28:15
737
どうでもいいけど、お万が生んだのは紀伊頼宣と水戸頼房だよ。
尾張義直の母はお亀。
742 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:47:25
>>736 相手が秀吉ってのがかわいそう。
せめてもう少し男前とセックス三昧なら仇敵でも報われただろうに。
この人、なんで出家しなかったの?
側室だから? それとも誰かに再嫁するため? 知ってる人いたら教えて。
744 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 03:39:52
>>743 再嫁の話もでてたようだ。
家康の正室だったっけか。密通事件云々で結局なくなったらしいが。ソースはかんようろく。(漢字わすれた)
結局再嫁しなかったけれど、秀吉いないから秀頼の後ろ盾として出家するわけにはいかなかったのではないかな。
もし家康に嫁いでいたらどうなってたのかな?
745 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 13:17:01
再嫁かどうか解らないが、駿府に人質にいく話はあったと思う
人質=再嫁となるか解らないが、周りの反対で無しになったんだっけ?
むしろ茶々は北之庄城落城直後に秀吉避ける為出家した方がいいのではって思ったけど
妹や家臣の事考えたら無理だろうね。それ思うと秀吉マジ最低。でも自分なりに
茶々が秀吉の側室にならなくて済む方法を考えたんだけどねねに直談判するってどうだろ?
ねねとしては側室増えてほしくないし、茶々の境遇はあまりにも気の毒。
だから大蔵局を交渉役にしてねねに会わせてもらって秀吉の説得をお願いする。
失敗しても城内でねねを味方につけられるし。ところでねねと茶々って本当は
険悪な仲じゃないって見方が強まってるんだよね?自分的にもそうであってほしいな。
747 :
誘導:2005/07/08(金) 18:00:50
748 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:55:29
太閤没後といえば、利長に再嫁するという噂があったんだよね?
これを推し進めなかった理由は何だろう?
両家にとって、それ以上の縁組はないと思うのだけど。
(高台院が反対でもしたのだろうか・・・)
そりゃ利長には慶長4年当時は正室がご健在だから無理でしょう。
(ちなみに織田信長の三女(四女だったかも試練))
まあ、正室の後ろ盾はいませんから無理矢理押しのけてでも・・・
と言う策を取れなくもないが
利長正室と淀殿は従姉妹同士ですから・・・やっぱり無理なんじゃない?
750 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:48:06
大坂の陣を迎えることなく家康が死んでたら、
秀忠の妻は淀の妹で、しかも秀忠は恐妻家だったということを
考慮すれば、あるいは政権を再び豊臣家に禅譲していたかも知れぬ
>>750 徳川家臣団のクーデターで将軍が交代するだけかと思われ。
752 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:49:09
>>751 誰に・・・???忠直卿はないだろうし、あとは、幼年すぎる。
松平忠継か?松平忠明か?
753 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:08:04
松平忠輝
正室おしのけての利長への再嫁は、利家も芳春院も許さなかったと思われ。
いかに秀吉政権を経た後とはいえ、この舅姑の利長正室への気づかいっぷりは凄いよ。
いへやすの正室になる
これが最強だったろうに。
でも猿の次は狸。すごいなあ。
前田家に入るケースとは異なり、家康に嫁いでもメリットがないよ。
757 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:39:39
>>754 まぁ虐めでまぁノイローゼ事件もあったようだし。
758 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:52:01
名古屋げっと♪
>>758
おめでd
>>757
(・∀・)ニヤニヤニヤニヤ
ソ ー ス は ?(w
慣れないアニメを手がけたせいで手塚プロが破産したという
経緯があったにも関わらず、再びアニメの仕事をしようとした手塚治虫に、
「もうアニメはやめて下さい」と夫人が懇願したところ、
手塚は「女が仕事のことに口を挟むな!この淀君!!」と罵ったそうだ。
淀殿って本当に「女の浅知恵」の代名詞みたいに使われてるんだね。
手塚が関西人ってのもあるだろうけど、なんか面白かった。
妻の立場なら危ないことしようとすればそりゃ言いたくもなるわな。
ソクラテスの奥さんだって、金もろくに取らず学問三昧ならがみがみ
言うよ。
アニメやマンガ関連の人の生活ぶり考えると手塚こそへたな前例作りやがって
・・・なんだけどな
奥さんならそりゃ口も挟みたくなるよ。
>>629 備中にも領土があった。
秀頼旗本の七手組の一人伊東というのは備中で一万石以上を領有している。
片桐や織田有楽をも豊臣家臣と考えるなら、大和にも領土があったこと
になるし。
765 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:30:36
766 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:01:03
ほほう
767 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 21:32:09
家康派の俺から見ても、淀殿は再評価されるべきだろうな
今でも家康嫌い・秀吉贔屓の人がうようよいるのは、淀殿の対徳川強硬策による部分が大きい
たとえ豊臣が政権を取り戻したとしても、徳川ほどうまく治められたとはとても思えない
であるなら、徳川に篭絡され一大名に転落するより、
派手に散って、後世に名を遺す道を選んだのは大正解だったと思う
768 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 21:50:31
前田利家の妻と比較されるのが悪評の原因の一つかも
どんなことにも忍従して家を残すのが良いのか?
それとも、誇りのために生き抜くのが良いのか?
その辺は本来、個人の好みだと思う。
そこを徳川の世に残った人達だのから来る、歴史的先入観が邪魔して・・・・
誇りのために討ち死にした武将なんて腐るほどいるのにこの人だけ悪玉に上がるのはやはり女だからなのだろうか。
770 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:53:23
ちょっと違うんじゃないかな
秀吉を美化することによって、豊臣家が滅亡した責任がすべて押し付けられる
家康が悪者扱いされるのと同じような理由
もう一つは、徳川方からも悪女扱いされる
両方から悪者にされているのはちょっと、いや、すごくかわいそう
なんか納得いかない話だなぁ。豊臣を滅亡させたいと思っててもおかしくない位秀吉に振り回されて、
徳川だって妹の嫁ぎ先なのにね。でもこの人はもっと自分を大事にすべきだったんじゃないかなって思う。
772 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:47:07
>>771 豊臣家を秀吉の家だと見て、正妻の家と見たら恨みとかで潰したいかもね。
でも、秀頼に終始付いて、全体の指揮を正妻から簒奪したことから考えると
豊臣家=自分の家という図式だったんじゃないかな。
それと一部で姉妹不仲説みたいのもあったから、ライバル心とかでも拗れたんじゃないかな?
幾つかの小説とか読むと、頼る人が居なく、それでも自己を守らなきゃというのが健気で、すごくかわいそうだと思った。
特に関が原や夏の陣とか、淀はどちらかというと止め役だったみたいだし
北政所(ねね)と淀殿(茶々)は別に仲悪くはなかったって考え直されてきてるけどね。
茶々自身、ねねに対してはいびられでもしない限り恨む理由ないと思う。
秀吉のせいで死に別れた母親と同年代だし、秀吉の女癖の悪さも自分を側室にした時点でよくわかっただろうし。
子供がいないから後継者争いにも縁がない。寵愛だって秀吉のことなんか本気で好きじゃないだろうし。
そこんとこはねねだってわかるだろうな。
774 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:04:10
>>773 周囲の分裂のせいで利用されたというのがあるらしいよ。
武断派は子飼いだからねねより。
ならば、石田達、あとの文官達は次代の母上様って
そのため、不仲であると流布されて、喧嘩状態にされたとも聞いた{本人達の意思は無視で}
775 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:06:24
北政所と淀殿は互いに無関心だったよーな気がする。
立場や境遇も違うし。
777 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 09:24:51
家康は淀殿のおかげで豊臣を潰せたと思っているかな
三成のおかげで天下が取れたと言っているほどだから
778 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 09:31:23
於祢(北政所)のほうが愚女かも知れない。
淀殿への対抗意識から豊臣家を潰すが如き真似を
やってのけたと云ってもよい婦人なのだから。
北政所は西軍の勝利祈願してますが何か?
780 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:31:34
>>779 北政所=三成派が本当だとしたら、三成に組みし負け組みになりながらものちに家康に生活援助してもらっているのだから、北政所のほうがタチ悪いぜ。
結局関ヶ原以後は豊臣家自体の領地もばりばり減らされているのに北政所だけ立場の温存。
最近よくみかける「北政所=三成派」
これは確定と考えていいのだろうか?
それと大阪の陣の際に、北政所に何か動きはあったのだろうか?
いずれにせよ、おねの気持ちがどうであれ、家康にしてみれば、寡婦の北政所だけでも尊重して、
豊臣家恩顧の人々を少しでも懐柔したいところがあったのでは
>>781 北の政所が大谷と従兄弟だったという説があるが。
尤もその場合、秀吉の義父と家康の実母が遠縁になってしまう。
馬鹿か利口かは別として、我儘DQNの淀はどうしても好きになれん。三成は好きなのに
お市と長政のイメージが良すぎて、なんであんなアホが産まれたのかと思う
別に我儘ってことはないだろ。彼女が主戦派ではなかったって最近では見直されてきてるし
ねねとの仲も悪いわけではなかったって言われてるし。わが子の為に頑張るのは当然のことだろうし。
大坂の陣のきっかけってかなり言い掛かりだしな。
785 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 03:37:25
>>781 北政所=三成派説がどうしても納得行かない。
北政所=三成派なら、加藤福島をたしなめることくらいできたろうに。
>>783 我儘っつうのがどこからでてきたのかわからん。
たぶん大河とか歌舞伎の影響かな。
秀吉死後の行動だけ見ても、仕方ないと思わざるを得ない。
786 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 04:04:05
北政所が、
子のないための実権を淀に握られ、京にしりぞきながらも
秀吉とともに豊臣家を築き上げたのはこの私、
「あんな豊臣家は滅んでしまっても構わない」などと思考する展開は
後の歴史作家の女心を邪推しての想像の後付だろうし。
淀殿が豊臣を滅ぼした、というより
たびたびの転機に大阪首脳陣とともに判断を誤り
豊臣家が滅ぶ時期を早めた・・・・、という見方をしてますが。
上昇気流に乗ってやる気まんまんの家康と対立したら
物事すべてが悪いほうに転がっていくのも仕方なしかな。
そういえば全然関係なくて申し訳ないんですが
大阪の陣で幸村の意見を却下した話って本当なのでしょうか?
淀の方が愚かな悪女なら、徳川は悪者にならずに済む。
それだけのことでしかない。
淀も秀頼も後世に史家が論評するに足りる資料は残っていないのだから。
>>787 大阪の陣の戦略云々ってどうせ作り話だろ?
幸村の意見却下とか誰が記録してんだよ・・・。
790 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 16:55:42
当時の大坂城内にいた人は殆ど戦死したんだから徳川に都合よく何とでも書ける罠
徳川の時代だから歴史は多少変えれるだろうしね。
792 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:08:10
ウゴウゴ
793 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 13:16:14
794 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 06:43:06
お茶々と大野修理が乳兄妹だというのは事実ですか?
尊敬すべき井上靖や杉本苑子の小説には、そんなことは書いてないのですが。
796 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 21:29:14
>>772 >幾つかの小説とか読むと...健気で...止め役だったみたいだし
あのね、小説は作家の想像なんだが、特に人物像は。小説や漫画を契機に歴史
好きになるのは良いが、混同はいかんだろ。
>>794もそうだが。
スレ題に沿って言えば、豊臣家存続の政治的才覚面では、暗愚の一語に尽きるな。
芳春院と比べると引き立つ暗愚さだな。政治的に取るべき処し方は、秀頼と大阪
城を高台院に渡し、自らが高台院のように隠棲だったな。そうすれば秀吉恩顧の
大名を糾合できたのにな。
>>796 高台院(ねね)は自分から大坂を出て秀吉の弔い役をかってでたというのが通説では・・。
高台院が大坂を出た後も連絡をし合ってたという話もあるし。
>>797 >高台院(ねね)は自分から大坂を出て....
後継にと、諸大名に秀吉が遺言した秀頼の生母が大阪城内で秀頼の傍にいたら、
そりゃあ城内に高台院の居所はないだろ。
高台院を秀頼後見人に押したてて、大阪城に同居していれば、秀吉恩顧の大名
が分裂せずに、家康に対抗しえたものを。
>>798 手垢の付いた通説だな。
お前は東条英機も大悪人だと思ってるだろう。
>>794 小説と通説の歴史を分けて考えられないのは
最近の若造の傾向なんだろうか・・・、やはりゲーム脳とか?
小説と歴史の本を併読してれば自然に判別できることなのにな。
ところで、お茶々は秀吉の死後に落飾しなかったの?
>>801 801げとおめでとう
じゃなくてだな
淀殿は出家してない
秀吉の側室の中には再婚した者も多い
>>799 >手垢の付いた通説だな
而して、貴殿の淀殿の政治的能力評価は如何。
>>802 ありがとん
家康の場合とは違うんだね。
そういうところも徳川時代にお茶々が悪者にされた要因になってるのかな?
家康の側室でも出家してない人いるね。
阿茶の局は家康の遺言のため家康が死んでも出家しなかった。
その後秀忠が亡くなったときに出家して尼になっている。
家康の孫・家光の側室の於万の方も家光に一番寵愛されたのに
家光死後もなかなか出家しなかった。
夫が死んだら正室から側室まで落飾する習慣が根付いたのは
意外に時代が下がるのでは無かろうか。
>>803 799ではないのだが、家康や高台院は1大名として
豊臣家を残そうと努力したが、淀殿の政治センスが
愚劣すぎたために、豊臣は滅びざるを得なかった。
と、いうのは戦後の徳川方のWGIPではないのか。
もういちど、東京裁判を再評価するように
淀殿も再評価しよう、というのがこのスレの趣旨だと思う。
>>806 同意。
高台院の政治力と言うのは、夫である秀吉への影響力であって、太閤没後の力は不明。
(五奉行体制の確立後だから、浅野・石田とのコネクション程度かもしれない)
淀の方にいたっては、彼女の動向や意向も伝わらないし、そもそも豊家の家政自体への関与度すら判っていないのでは?
808 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:47:23
>>805 落飾といっても完全に尼さんになるわけではないみたいよ。
809 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 22:54:47
武断派も文治派も、ともに北の政所寄りだったと言われてるし。
淀には一時期(秀頼誕生から関ヶ原くらいまで)、家康が接近した形跡が
あるとの話も。
後ろ盾の欲しい淀と、豊臣政権内での影響力拡大をもくろむ家康の思惑が
一致したのだろう。関ヶ原の勝利で家康にはもはや淀など用済みとなった
わけだが、彼女にはそれを理解するに至るまでになお数年の年月を要した。
徳川は豊臣のよき家臣であり続け、いつか政権を返してくれる日がくると
じっと信じていた。
悪女のイメージが強い淀殿だけど、本当は信心深い女性だったみたい。 お姫様育ちゆえ、それなりに教養もあっただろうに。悪女、豊臣の癌って言われて何だか可哀相。
本当も何もw、当時の人々はみな信仰を持ってるのが普通で・・・
富を持つ上層階級の女性なら寺の復興や開基に関わるのは当然なんだが。
一族や亡き夫・供の菩提を弔うというのも、
武家の女の仕事の一つだからな。
813 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 03:03:03
この時代に女性の政治力なんてのは皆無でしょう
せいぜい、夫や息子に口を挟むくらいで
淀殿は、口を挟まなかったから無能と言われる所以なら、
秀吉政権時に口を出していた北政所なら、徳川の天下を阻止できたか?
なんですよ
秀吉子飼いの武断派だって、本当の忠義があるなら、秀吉の遺言通り、秀頼を盛りたてなければ
いけないはず。結局は、個人の都合や感情、損得で動く連中
政所とて、嫌な思いをする可能性もある
三成こそが忠臣だと思う
だからこそ、三成に全権任せて、そして負けただけ
そして落城と共に自害した、戦国女生としては、当たり前、むしろ良く出来た女性だと思うけど
同意。例え負けと解っていても最後まで敵に屈しなかったところは戦国の女として評価されると思う。北政所なんて相手に庇護されてのうのうと生きたんだからその方が恥ずかしいよ。
r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ
. 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i
i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l
. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ せめて『北政所』中公新書ぐらい読もう
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ , な!
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
:::::::::::::::::::::::::::::l ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /
::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ /
816 :
りな姫:2005/11/05(土) 14:57:08
話かわるけど、淀殿の養女、宗子は大阪の陣のとき、どうしてたんでしょうか?
淀殿という女性を上手く操縦できなかった大阪首脳陣も
頼りないものがあるな。
烏合の衆の砦・・・と化してしまったのも、時代の流れだね。
818 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 04:54:35
アゲ
819 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 06:35:51
貞女になるのも時間の問題かな
逆に北政所が保身ゆえに、徳川に寝返った事も、最近の予備校あたりでは教えてるから、イメージ変わるかもね
>逆に北政所が保身ゆえに、徳川に寝返った事も、最近の予備校あたりでは教えてるから
をいをい、予備校ってそんな試験に出ないようなことを教えてるのか?
どこの予備校だ?
821 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 12:01:15
>>809 寝返り方便続出の関が原で「交流」とか「連絡」とかだけでの決め付けはちょっとどうかと思う。
>武断派も文治派も、ともに北の政所寄りだったと言われてるし。
文治派も武断派も北政所寄りってソース何?
秀吉没後〜関が原以前に三成と北政所の交流があったから文治派は北政所派とかいう輩もいるのだが、なぜ閨閥前提で考えるんだ?そもそも淀vs北政所の構図すら怪しい。つうか交流あったからって一体。
豊臣中枢にいた長束や片桐さえどっちつかずの様相を示しているのだし、実戦に直接関与していない淀と北政所がどちらに組みしていたかなど「交流」ごときじゃわからない。
・・・たとえ淀が西軍東軍のどちらかに組みしていたとしても淀殿=愚女の定説を固持する人は多いので
淀殿西軍なら、勝ち組の家康を支持しないなんて馬鹿、(保身しかやってないのだが)先を見据えた北政所さすが。
淀殿東軍なら、家康側についても「関ヶ原の勝利で家康にはもはや淀など用済みとなったわけだが(略」
などと妄想含めてケチョンケチョン。
淀は性格が悪いから西軍東軍どちらからも孤立していたに違いないなどと根拠のない発言すら見たことがある。<関が原スレ(書き込んだ人の固定観念?!)
>淀には一時期(秀頼誕生から関ヶ原くらいまで)、家康が接近した形跡があるとの話も。
家康は秀頼後見をして西の丸にいたのだから普通淀とも連絡とるだろうに・・・。
誰と誰が連絡を取ったかくらいでは関が原相関図は決められませんよ。「連絡」だけで言ってしまえば、大津城攻めの際に淀は京極家に「西軍方として連絡」をしているわけだし。
・・・長文失礼しました。
一番、評価すべきは浪人衆
長文を書くなら、改行や段落に気を配ることだね。
824 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 21:41:30
浪人衆はすでに評価されていると思うのだが。
浪人といえば黒田さんち結構雇ってましたね。
826 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 04:52:41
まあ淀殿が政治オンチなのは庇いようがないのだが、それと対になって
北政所が政治感覚があると持ち上げる人のが問題?
ただ、その手の文章書く人が、中途半端な物書きだったり、学者崩れだったり
するんで、普通に読む人には、変な納得をしてしまう…
確かに、妾をバカ呼ばわりして、正室を賢女にしておけば、無能な奥様方には受けるし
しかし、今の熟年離婚する妻達は、北政所に近い物を感じる今日この頃
>>826 大河板や時代劇板にも存在する正室厨に言ってやれよ。
828 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:41:31
浅井姉妹板が無くなったから、アゲとく
829 :
とまり:2005/12/25(日) 06:00:42
早かれ遅かれ戦って豊臣は滅んだやろうけど、戦う時期が早すぎたとは思うけどもう少しねばって豊臣恩顧を何とか説得できなかったんかなーとは思う
830 :
とまり:2005/12/25(日) 06:11:18
まぁ、第一の失敗は関ケ原の時に幼くてもいいから総大将を秀頼にして豊臣恩顧派に知れわたるように全面に出し戦場で本陣に座っていたら関ケ原は西軍が勝っていてもおかしくないけどな…この時点で作戦負けやったね
831 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 14:51:47
家康に逆らい抜いた、それだけで尊敬しちゃうね。
山内なんとかみたいにへこへこなびいたヤツなんかぞっとするぜ。
832 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 14:53:43
最初の落城で父を失い、
二番目の落城で母を失い、
最後の落城でみずから命を失った、
泣かせるじゃないか。
一度目の落城で一家滅亡し、二度目の落城で貞操を失い、三度目の落城で、全てを喪失した。
>>830 秀頼を前面に押し出せば、豊臣系大名が寝返るなどと考えるのは、
妄想以外の何ものでもないのだが。
835 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 05:18:51
夫の意志を継ぎ、破れたら息子と自害する
ってだけなら貞女だな
836 :
「豊臣記」:2006/01/03(火) 07:16:22
>>1 そうだな、君だけだ。
淀がいなけりゃ歴史は豊臣にもう少しはやさしい。
淀がいてからねね様は家康を支持し→豊臣崩壊。
淀はまったくのサゲマンってことになるな。
837 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:08:55
淀といい、江与といい、きっつい娘が多いな。
もう一人はどうなんだ?
キツくなければ、生き残れない時代だったのでは
北政所とて、かなり強い人だし…自分の上司に亭主の浮気が納まらない!何とかならないか
って、上司(信長)本人が側室大勢、しかも正妻以外に子供沢山産ましてるのしってるくせに…
ある意味、痛烈な嫌がらせだ
839 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 07:19:36
830>っていうか、関が原の合戦のときは、秀頼って中立の立場だったんだよ?
ここで秀頼が戦ってどうすんだよ!
840 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 09:15:04
武将の娘というより、武将のような凄みがあるー男だったら華があって面白かったかも、
でも、男だったらとっくに処刑されていたか・・・
841 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:06:29
家康側の影響で悪く言われているのは事実。しかしそれを差し引いても馬鹿。
842 :
◆XXQBSmDJEo :2006/01/06(金) 12:38:09
「秀頼様のお種は、実は貴方ですぞえ、江戸殿」
843 :
日本@名無しさん:2006/01/06(金) 16:38:28
秀頼が七手組1万を率いて関が原に出陣すれば、おそらく福島・浅野・京極・池田・田中ら
豊臣恩顧の大名は戦意を失い、秀頼に弓を引けなくなるだろう。
それは、他ならぬ家康が知っていて憂慮したといわれている。
実際、大坂夏の陣でも秀頼が出陣する直前に、和議を持ち出して止めさせている位だ。
>>842 津川雅彦と小川真由美で想像してしまった・・・
845 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:35:12
>>842 秀吉に子種がないのは本人も承知していて、
淀殿に孕ませた男の身分からあえて処罰できず、強引に己の子と言い張った
という話があったな。
秀吉の子でないのは家康も三成もみんな承知しているけど父親が父親だけに
豊臣家の表看板として扱わざるを得ないって
でもなーいくらなんでも秀頼の父親が八条宮智仁親王というのは・・・
無茶なような気もするが、そうだったら面白いがw
846 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:31:58
>>845 出自コンプのある秀吉のことだから、ありえない話ではないね。
>>841 家康ばかり言われるが難波戦記など浪人たちを持ち上げる講談の創作もある
848 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 02:00:20
茶々あげ
849 :
金吾秀秋:2006/01/17(火) 06:06:03
淀殿すきだぜ(´・ω・`)
850 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 09:48:24
妹とは仲よくなかったみたいだね
851 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 17:51:03
>850
ここは日本史板ゆえ
ソ ー ス 希 望
853 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 04:23:13
淀より初のほうがずる賢い
854 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 04:31:09
age
855 :
初:2006/02/12(日) 16:46:22
>850 何故に?私が何をしたと言うのじゃ!一般庶民の分際で無礼な!!
私は豊臣家と徳川家の間にたって、いろいろと気を揉んでおったのにぃ!!(泣)
淀君はわざと大阪の陣を引き起こしたんだよな
それによって浅井の敵を討ったんだ偉いお方だ
857 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:09:17
それは歴史の結果から見た意見だと思います。
だって、淀殿が秀吉の側室となったとき、誰が
豊臣家は滅びると思ったでしょう?
私は茶々(淀殿)が秀吉の側室になったのは、
そんな打算はなく、秀吉に無理やり側室にされたんじゃ
ないかと思います。(秀吉って口が上手かったらしいから。
適当に理屈言ってたんじゃないですか?)
それを言うなら、
その権力に惹かれて、自分から媚びを売って側室になった可能性もあるわけで。
父母の供養も出来るし、贅沢三昧も出来るし。
案外互いの利害の一致だったかもよ。
859 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 13:27:03
それもそうですね。
でも、きっと茶々も、まさか豊臣家が滅びるとは思っていなかったでしょうね。
ちょっと可哀想。…
淀がかわゆいかが、一番気になるよ。デブの浅井長政に似てても、
織田の血を入れるメリットがあったんで側室にしたのか、
お市のように美人だったんで、お姉さん僕の側室なってんか?だったのか
861 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 15:38:46
茶々は3姉妹の中では一番美人だったってきいたことがあります。
それに、ただ織田の血を入れたいだけなら、別に茶々じゃなくても初でも江でもどっちでも
いいでしょうし。それに、織田信長の娘も、その弟の娘も、秀吉の側室になっていた人は
いましたよ(三の丸殿でしたっけ…?)
いまさら、織田の血をいれるためだけに茶々を側室にしたとは思えません。
やっぱり、茶々は母親似の美人さんで、性格も良かったんですよ。多分…
話は変わりますけど、茶々は秀頼が豊臣家を継いだあとも、権力を弄んでいたと言うわけ
ではなく、秀頼の教育ばっかりしてたそうですね。教育ママ…
大阪夏の陣のときも、徹底抗戦を主張したのは、秀頼やその家臣(大野治房・木村重成)
で、大野治長や茶々は、止めようとしてたそうですし
あと、茶々は「上様」って呼ばれてたそうですよ。将軍かよ!!
862 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 12:39:39
いまだに淀「君」とか呼んでる馬鹿がいることが驚き
863 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 13:17:21
別に淀君と呼ぼうがどうでもいい事
まあなんか「君」には侮蔑の意味があったらしいけどね
でもそんなの俺たちには関係ないししったこっちゃない
864 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 13:41:43
茶々が側室にならなかったら、誰の妻になってたんだろうか?
866 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 17:11:54
864>豊臣秀次、豊臣秀勝あたりの、秀吉が関係結んどいて損はない人のもと
じゃない?北条氏とか。
大野治長と結婚してほしかったけど、無理っぽいナァ
この人、やってることは両親とたいして変わらないのに、なぜかイメージ悪いね。
868 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 06:56:34
きっと北政所が「賢婦人」って言われてるから、そのライバル的存在である
茶々は悪者扱いされるんだよ。
実際は、仲良しだったって訳じゃないけど、多少の付き合いはあったらしいし、
秀頼が痘瘡にかかったときは、お見舞いの手紙を北政所が送ってたらしいし。
869 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 14:38:59
今で言う和泉節子のような婆=淀君
870 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 15:26:58
俺、もしかしたら大野治長の末裔かもしれない
大阪だし名前も大野だし家康大嫌いだし
侍みたいに前頭部の髪の毛無いし。
徳川にとって邪魔な存在だったんだから、
滅ぼすことが正当であるような愚女と喧伝しないとね。
872 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 02:05:04
おね、まつ、千代が戦国の三大賢女らしいが、
三人とも徳川方についた人だよね・・
873 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 15:19:58
あぁ、それ私も思った。
870>そうかも知れないね。よかったぁ、大野治長の子孫生きてて…。
874 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 11:46:37
同じ賢女でも、寿桂尼は知名度イマイチだしな
875 :
日本@名無史さん:2006/03/17(金) 17:35:23
>>874 はぁ?
なんで寿桂尼だすのかわからんが、
有名すぎる淀殿と引き合いにだすのが不思議だな。
>>875 wikiを参考にするのは個人の自由だけど
ちゃんとした資料本読んで情報の選択眼をやしなう事も大事かと。
>>875 そりゃあ、当時としては他所ではありえないくらいの
贅沢&権限があった「慶長の大奥」の経験者が
その後の金も権力もない肩身のせまい味気ない暮らしの中で
若かりし頃の栄華を思い起こせば
過去の主人がいい人か悪い人かなんかは全然関係なく
墓参りの一つくらいしたくなるんじゃねw?
そもそも江戸時代は、寺参りは女の娯楽のトップだよ。
ところで「君」は遊女に付ける称で
「淀君」という言い方は徳川幕府によって貶められた物だから
「淀殿」といえ!
・・・と言いだしたのは誰なんだろう。
実は『姫君の華麗なる日々』という展覧会の図録を見ているのだが
尾張藩の奥方で公家から向かえた女性は「〜君」というのが敬称。
上記の論に依れば公家から来た正室の女性は側室よりも軽視されていたという事になるが
>>880 多分コレが初出。
ある天下人の側室が、自分が朝廷から貰った官位がないため、
いろいろな呼び方で呼ばれることを嫌い、五大老に申し出た。
「内府、私、なんだか地下人扱いされるの嫌ですから、"淀の方"とか"淀の人"はやめてください」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだい? 秀頼様の母上を呼び捨てするのもなんだし」
「では"君"ではいかがでしょう?」
「え、なんだって?」
「"方"では無く "君"にしてください!」
「今のままでもいいんじゃないの?(笑)」
「いいから"君"にしてください! 今すぐ!」
大阪城一同大爆笑
882 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:23:46
880>きっとそれは江戸時代に入ってからの話だと思います。
源氏の君、朧月夜の君・・・とは王朝文学の世界だけど。
でも、古代からの遊女史はじめ江戸時代の隠し売女の呼称を列記したものに、
○○君・・・というものが多いのも事実。
ってか、淀の方生存当時は淀「君」なんて呼ぶ人はいなかっただろう。
885 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 20:14:34
ていうか淀殿の描写が入る創作物って大体が家康サイドか幸村とかのだろ。
そうなるとどうしても馬鹿女にされがち、秀吉物でも北の政所を贔屓したいらしく
嫌な女にされがち。
政策面で見ても相手が家康では仕方が無いと思う、女性だし。それを暗愚だとかなんとか
何百年も酷評しやがっててめぇらそれでも男か!?
治長乙
883、884だが
明治の文豪・坪内逍遥によって明治時代に書かれた
(今でも頻繁に上演される)新歌舞伎「沓手鳥狐城落日」で、
大阪落城時の糠倉の場での「淀君狂乱」の芝居が大評判をとったことも
今日までの淀「君」呼称の隆盛につながっているだろう。
千姫が逃げないように裾を踏んで座していたり、
落城間際はほとんど狂者のような振る舞いをする
権力をもった女性の性格悲劇に着目した戯曲だからね。
耽美派・谷崎潤一郎作の新作歌舞伎「盲目物語」にも
驕慢な美少女という設定で登場する。
世間一般のイメージを反映させている性格設定なのではあろう。
織田の姫を散々側室にしといて、さらに当時としてはやや行き遅れの茶々を側室にしたのだから、秀吉も相当な粘着体質か?
憧れの人の面影を重ねたか、ただ単にタイプだったのか・・・。
とりあえず、親の仇である秀吉の元に望んで行ったとは思えん。
現代的な考え方で言ってしまえば、幼馴染の治長と逃げる、というのが一番幸せだったのだろうな。一族郎党、秀吉によって皆殺しになるだろうけど。
>>888 仕事上の付き合いというか、政治的な理由も大きいのでは?
両親と死んだ方が幸せだったかもね、市が勝家と再婚するまで10年くらいあるけど
どこにいたんだ?尾張?
891 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 15:34:43
清洲城だったそうです。
892 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:40:30
従五位、藤原菊子?
893 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:09:24
892>淀殿のことだけど、何か?
>>889 秀吉の側から見た政治的な事情という意味ですか?
お市が死に、孤児となった茶々をわざわざ側室にするのは政治的なメリットはないと思う。
それ以上に、政治的メリットがありそうな織田家の娘(信長娘、信包娘)はすでに側室に上がっている。
そうなると、個人的趣味で側室に上げただけのような気がするのだが。
896 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:06:32
897 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 11:46:35
功名が辻で、淀殿が凄く馬鹿な人風に描かれそうな気がするのは俺だけ?
(だって原作ではそうだったし…)
898 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 13:05:58
そうされると思う。あれでは、ねね、ちよが賢く描かれるから、どうしても
その対極の人物が必要だもの。
でも、ほんと淀の方は男のように政治や軍事の教育を受けたりしたわけでも
ないのに、家康相手によくねばったと思う。地頭はかなり賢そうな予感。
そのうえに秀吉が求めたお市様似の美貌。もてるわけです。
899 :
笹岡:2006/04/15(土) 13:49:19
お江与さまはお福さまを毛嫌いしております。
900 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:12:35
>>898 >そのうえに秀吉が求めたお市様似の美貌。
それはどうかな
秀頼は肥満だったらしいが、母親として心配ではなかったのだろうか…。
昔は飢えていてぎすぎすの人の方が多かったから
肥満=豊かな象徴 ということで気にはしてなかったんだろう(推測)
淀殿自体も豊満(といえば聞こえはいいが、要は肥満)と聞いたことがあるが…
昔と今じゃ美意識とか基準が違うからな
昔はやせてるってのはそれだけで醜かったらしいし
じゃあちょっと小デブな方が行けば
結構もてるのか。
905 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 03:24:13
>>900 じゃあなんで秀吉は行き遅れの茶々をわざわざ側室にしたんだ。
下2人のほうが年齢的には頃合も良かっただろ?
906 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 08:00:28
お初は知らないけど、お江は小柄だったらしいから、あまり好みじゃなかったとか。
907 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 14:09:58
三姉妹の美醜なんて実際に書かれてる文書はなく
みんながここで思ってるのは、
たまたま読んだ資料本や小説での著者イメージで書かれた
容貌や容姿に過ぎない・・・という事に早く気づけ。
まぁ、ブスなら側室にはなれん。織田家は美形だったらしいから
たぶん三人とも美人だったんだろ
>>909 だから当時の美男美女の観点と今は全然違うっての。
今じゃデブでも〜戦国じゃー美人〜♪
912 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 14:48:27
今のブスとかも平安時代ならモテる
もし信長とか秀吉とか戦国の殿様に意識だけタイムスリップしたらさ、別に他の男に嫉妬とかされずに
好みの美女(現代基準の)選び放題、女性からはめちゃ感謝される、とかならない?
淀殿の墓に、大坂城の侍女や侍女の子孫が毎年お参りに行く
会合みたいなのがあるらしいが、どっかのサイトに説明載ってるのかな?
あればパクリにならない程度に加筆しようかなと思うが
916 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 16:11:58
浅井は戦国一の美男子だったんじゃなかったの?
当時の基準で。
917 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:23:06
美意識そのものより、
その当時の価値観に合ったタイプや流行りがあったんだろう
>>916 >戦国一の美男子
一体誰が決めたのか?
歴史作家の適当本にでも書いてあったのかね。
肖像画集めて戦国大小名池面選手権でもあったのwww
宇喜多秀家は全ての大名が集まる伏見で容姿日本一と言われた
(まあ秀吉が言っただけだが)から、
豊臣政権下では一番カッコイイ若者だと主張してもまちがいではないな。
920 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 16:17:08
もうすぐ1000に到達するんだから、誰が美男だったかの話じゃなくて、淀殿についての話をしよう。
あと80しか表示されないんだから。
921 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 17:39:13
大野治長とはどんな関係だったんだろうw。
922 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 16:27:54
923 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 08:36:25
ツンデレ?
淀の方が夏の陣後捕らえられてたら家康か秀忠の妾にされていたと考えてよいの?
秀忠の場合奥さんが許しません。
家康だって年増のオバハンはいらんでしょ。
お梶とか阿茶とかいたし。若い子だっていたわけで。
大坂の陣は、姉妹丼を食したかった秀忠の野望から始まった一戦であった。
927 :
日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:26:25
どうせなら、関ヶ原直後あたりに徳川家に行っとけばよかったのに。
米軍が日本に駐留することはアメリカ自身の極東防衛の前線基地を確保出来ることで
米国にとって相当な利益があるにも拘わらず、在日米軍の再編成費用3兆円を日本からせびり取る積りらしい。
本来なら、基地使用料を米国が払っていてもおかしくない。
それでもそう言うことをしようとするのは、民主主義が未発達で未定着な
国を米国が負担までして守りたくないからだ。
本当は軽蔑しているからだ。
下っだらない天皇なんか信奉しているからそう言うことになるのだ。
世界中のどの国だって日本を本気で尊敬してる国なんてありャしない。
民主主義の発達を阻害している天皇制は日本の国益を著しく損ねている。
こう言うところで本音が見え隠れする訳だね。
280 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/05/04(木) 00:12:24
なんかスレの趣旨を無視して
南京事件関係とか半島関係のコピペを張り付ける香具師が多いねえ
ヤパーリ連休中だから?
930 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 11:47:25
淀殿じゃないんですが
京都の小野随心院の表書院で
「徳川秀忠夫人の天真院尼によって再建された(以下略)」
なる説明があった。
お江与の方の戒名は崇源院だし、だいいち尼になってないし
この天真院尼って誰やねん。
もっとも当の随心院のパンフでは「天心院は九条家関係者」ともなっていて
正体は把握されてないような感じではあったがw
寺や神社って、歴史好きからみたらハァ?な検証無し説を
平気で掲げることもあるよ。
普通の観光客は歴史上女性の法名なんて知識に無いわけだしね。
「寺の伝承ではそうなっている」ってことでok。
崇源院と九条家なら関係はあるから、
人名が混乱したまま伝わっているんじゃないかな。
932 :
sage:2006/05/10(水) 15:08:04
淀がそこまで言われる程のアホだったかは、実際わからんけど。
政治的敗者だし。でも
>>1の超がつく程の淀擁護はありえない。
中川清秀あたりのカスは実は相当善人で、上司を大事にしますとか
言ってるレベルだと思った
933 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:20:29
そうなの?
934 :
日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:09:20
結局ねねとの仲はどうだったの?
935 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 18:55:12
仲良いというわけでもなければ、悪いというわけでもなかったらしい。
結局淀が夏の陣後家康に投降してたらどうなったんだ?
やっぱり磔刑?
一応秀忠の正妻の姉だから磔は難しいかも
しかし、日本史板なので「if」はあってはならないのだが
あえて「淀が夏の陣後家康に投降してたら」と考えると
出家させられると言うのが妥当な処分かな
結局淀殿の性格を考えると投降は間違ってもテラアリエナサスw
ともかく江戸には移されるんじゃないかな。
表向き丁重に、実質監視ばりばり。
何でも淀のせいにしたほうが都合がいいよね。
豊臣が滅んだのは淀が愚かだったからですよ、
別に滅ぼすつもりはなかったけど、時勢の読めない
淀がいうことをきかなかったからですよ、てね。
実際どうだったかは知らんけど。
940 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:32:02
悪の化身みたいな家康相手に
あれだけよく頑張ったと思うよ
941 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:12:52
淀たんも治長もよくがんばった。
淀長さんもがんばった
943 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:01:03
>>930 天真院尼・・淀の方の娘じゃないの?
淀の方の娘って苦情家に嫁いでるじゃん
>>931 一応養女として預かり養育し嫁がせてるんで淀の方の養女になると思うのだが
944 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 19:25:06
淀たんにまつわる資料って
やっぱり少ないの?
人いないね。高慢で淫乱と悪評の高い淀たんですが
北政所と京極龍子、初の三人で淀殿の供養をしたり、
命日に侍女が墓前に集まったりと、ちゃんと周りと
うまくやれてたみたいね。
こうも悪女だといわれると本当は違うんじゃないかと
勘繰りたくなるよね。ほかにも築山殿とかさ。
宅間守を慕ってた女もいる訳だし、物好きもたまにはいるよね
ライバルだと言われている北政所&京極竜子が供養してくれているから、
少なくとも同性間では上手くやれていたんじゃないかな。
異性の目から見ると、お姫様育ちの高慢さが鼻について嫌われていたのかも知れないが。
よくいる異性からは嫌われるけど、同性からは好かるタイプというか。
>>947 と言うか流れを見る限り男は男でも武断派系
今で言う体育会系の男に嫌われまくってたって感じがする
男でも文治派系の男達とは上手く言ってた感が有るし
体育会系の男連中からすれば仮に元々が上司の妻で有っても
女からあれこれ色々言われる事には我慢がならなかったんじゃないかな
「俺が使えたのはあくまでも太閤様だ、オマエなんかじゃない。」
って言う怒りみたいなものって言うか。
戦場で戦ってる男ってどうしてもそう言う男同士の価値観ばかりが優先されるから
城で籠ってる女があれこれ偉そうにするな黙ってろ
って言う感情になりやすいのかもしれないし
949 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 15:04:36
大坂の陣で、茶々たんが自ら人質となって和睦を
受け入れようとした説の信憑性は高いの?低いの?
>>945 悪女と伝承される女性には何かある
そう伝えなければ都合の悪い事情があって・・・そう伝承された、と
考える人だって、普通に多いぞ。
少しでも歴史を学ぼうと思ったら、
伝承とか巷説を脳内白紙にして、事績を追うもんだからな。
築山殿のほうはずいぶん見直されてきてるよね。
彼女も本当に気の毒なひとだ。
けど、火のない所に煙は立たないとも言うしなぁ……
そう思われる要素が皆無だったわけではないんだろうとも思う。
いや、些細なことを大きく取り上げて、結果悪女に仕立て上げただけかもしれんが。
醍醐の花見の盃争いだって第三者が書き記したものだから信憑性もあるし。
けど、国松丸の弔いや淀殿の供養は行っているし……淀殿と京極竜子は喧嘩友達だったとか?
953 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 20:54:29
醍醐の花見の盃争いは信憑性はないと思う。
理由はそのエピソードは陳善録という前田家家臣村井重頼が書いたもので早い話がまつ様マンセーの為の創作としたほうが納得いく。
ほかの資料に残っているというなら別だけど。
953に賛成。
面白おかしい閨房争いの話なので、興味本位で普及してしまったかと、
>>952 ○○が淀の方の供養をしたした・・・と
色んなスレで書いてる?
大河の前から史実のように語られてるきがす>盃争い
まあ元ネタみたいなものはあったんだろうけど
淀殿の
秀頼をなかなか諸将の前にださない
死ぬ前に命ごい等は事実だとしたら
愚かといわざるを得ないんだけど…
>>956 大河の前って? 意味がわからん。
ま、錦絵になるほど世上には流布してたんだろうけどさ。
華やかな花見の席における絢爛豪華な装いの女同士の争い、
太閤記は広く読まれていたわけだし、庶民の興味をそそったのだろう。
>>949 「駿府記」
著者は林羅山、または後藤光次とも
>>958 おお、サンクス
無知なもので駿府記という名前すら
全く知らなかったんだが
家康側近の日記ということなので
信憑性が高いということでいいんだよ、ね?
もちろん講談よりはずっと高いと思う
962 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 14:16:14
淀殿は浪人集めて家康に勝てると思ってたの?
963 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 14:24:38
小父の信長は美男子、いとこの京極高次も美男子、京極竜子は絶世の美女だったんだから淀君は美人なはず
金があるんだから上手く指揮すれば浪人集めて勝てると思うよ
964 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:13:32
どっちでもいいや
淀君って言い方はアカンのではなかった?
いやあ…スレタイ見て思ったんだけど
美人で性格は優しいってところは認められるけど
やっぱり人間の器とかっていうのは浅はかだったんじゃないのって思ったの。
現に周りの大名衆は味方にいなかったし
どの辺を再評価するの?
966 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:21:22
たしかに彼女の公道はどう解釈するかで、アホか戦略家か評価わかれるね
967 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:28:14
アフォな評価しか耳にしないので戦略家なケース教えて
968 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:35:07
漢字間違ってるよ
969 :
日本@名無史さん :2006/07/24(月) 15:45:55
福島正則・加藤嘉明・浅野長晟が大坂城に駆けつければ、勝てたかも。
970 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:02:51
とにかく茶々は可愛そうだったと思ってるよ
いや一番かわいそうなのは鵜だよ。
鵜はせっかく食べた魚を人間のために(ry
972 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:43:37
973 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:48:33
「茶々御寮」ってサイト、以前見たら当時の公家の資料引用して
淀殿に関する悪い噂を論破していたなあ・・・
読み終えて、少なくとも小説で書かれて来た様な人格破綻者ではなかったことは分かった。
あのサイト、まだ続いてるだろうか?
続いてるけど更新されてない
やっぱ武断派の大名に嫌われるタイプだったんじゃないの?
だから勇猛な大名のほとんどが獲る事が出来なかった
文治派系の人間とは割りとうまく言ってたっぽいけど
体育会系の男に嫌われるって事は何だろうな
やっぱ女がでしゃばるな系の男とかと折り合いが合わなかったんだろう
やっぱり美人 根は優しい 可哀相 まではわかるけど
戦略家 カリスマ性 等には再評価できないのだが
どうしても物語では凡愚と書かれても仕方ないのでは?
美人でも不細工でもどっちでもいいが。
自分の考えでは、父親似の大柄で顔立ちも大まか。
出自への矜持やプライドで驕慢な迫力美人に見せていた。
化粧や衣裳も当時の一級品だろうし、
幼い頃から紅絹で磨きたててた肌、
特権階級の女性としてその念入りに拵えた美しさだったろう。
権力者の思い人という存在は「美人」を印象づけるだろうが、
顔立ち秀麗とは言い難い容貌だったような気がするが。
性格なんてのは実際もっと霧の中だ。
ましてや小説内での設定なんて、作家のさじ加減でどうにでも変わる。
小説の性格設定をいちいち検証してたらきりが無い。
大坂城に招いた信雄には逃げられる上に
有楽はスパイでもう踏んだりけったりだな
淀は糞
淀は糞
983 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 03:02:45
こんなスレがあったとは・・・
功名が辻の淀は深田恭子にやってほしかったと思うのですが。私は♀ですが
あの白痴に、か?
むしろ吐く血だから、じゃまいか?
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
991 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:05:28
落ちる前に埋め
992 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:07:08
落ちる前に埋め
993 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:09:56
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
995 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:11:00
落ちる前に埋め
996 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:12:03
落ちる前に埋め
茶々たんまんせー
落ちる前に埋め
落ちる前に埋め
1000 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:18:03
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。