後村上天皇ってどうよ?

このエントリーをはてなブックマークに追加
145日本@名無史さん:03/08/17 01:15
なんで光明皇后と同じ名を?
光明天皇って子供いたかな?
146日本@名無史さん:03/08/28 09:28
>>145
坊主になった皇子が1人いるらしい
147日本@名無史さん:03/08/30 14:04
しょーじじん。。
148日本@名無史さん:03/08/30 14:59
ウェルカム、腕噛む、何処噛むねん!!
149日本@名無史さん:03/09/05 21:05
150丹羽の杏ちゃん:03/09/05 21:14
山崎渉はここにもいるのか・・・
151日本@名無史さん:03/09/06 14:27
>>61
北畠は村上源氏と摂関家がすべてを仕切る摂関政治の復活が信条の究極の「抵抗勢力」。
後醍醐の新政は武士の時代からの逆行は不可能と悟り、臣下に特定の権力者を置かず、公武双方を治められる体制「天皇による院政&幕府」を目指していた。
どちらが現実的かは明白。
>>132
後醍醐の兄・後二条天皇の在位3年での急逝で正統な後継者・邦良親王(後二条嫡男)が小さかったため、
持明院統の花園の即位が繰り上がり、なおかつ大覚寺統が不利にならないように邦良の前に後醍醐を立てた。
従って後醍醐の皇位は中継ぎでしかなかった。
だが、邦良も急死したためその次の皇太子の予定だった持明院統の光厳が繰り上がり、その次は邦良の息子とされたために後醍醐系の即位の芽が潰えた。
このため、後醍醐は倒幕という実力行使以外に自分の子に皇位を継がせる方法がなかった。
ちなみに光厳の皇太子は邦良の息子・康仁親王である。恐らく以後は崇光→康仁の子にまわして両統迭立を守るつもりだったのだろう。

後宇多−後二条−邦良親王−康仁親王(嫡流)

   −後醍醐−後村上(傍流だが実際の流れ) 
152日本@名無史さん:03/09/13 23:47
153日本@名無史さん:03/09/14 01:49
>>151
後二条の在位は7年の誤りです。
154日本@名無史さん:03/09/27 03:26
後醍醐は5回くらい偽物を渡してますが、あの中に実は本物があったらしい
155日本@名無史さん:03/09/27 03:28
↑ソースは?
156日本@名無史さん:03/10/06 21:55
157日本@名無史さん:03/10/06 22:04
正平の一統のとき、南朝は北朝の神器を没収している。
実はそれまで北朝が持っていた神器こそ本物だったのではないか。
つまり、光明院に渡した神器が本物。
158日本@名無史さん:03/10/06 22:47
↑根拠は?
159日本@名無史さん:03/10/08 19:21
梅松論だしょ。
160 :03/10/08 19:24
161日本@名無史さん:03/10/17 23:51
162日本@名無史さん:03/10/19 09:11
>>159
足利系だから即信用は出来ない、勿論尊氏も馬鹿じゃないから花山院に後醍醐を閉じ込めたときに確認はしただろうが。
163日本@名無史さん:03/11/11 04:47
後醍醐による偽三種の神器のせいで、いまつたわってるのはにせものなのがくやしい
164日本@名無史さん:03/12/04 03:39
後醍醐は5回くらい偽物をみんな(実の子にまでも‥)に渡してますが、
あの中に実は本物があったらしい
165日本@名無史さん:03/12/30 23:34
96代 後醍醐院
97代 光厳院
98代 後醍醐院(重祚)
99代 光明院
100代 崇光院
101代 後光厳院
102代 後円融院
103代 後小松院
104代 称光院
166日本@名無史さん:03/12/30 23:37
熊沢天皇の先祖
167「後」がつく天皇:03/12/31 02:53
>>98
50代桓武(柏原)・・・104代後柏原
51代平城(奈良)・・・105代後奈良
52代嵯峨・・・88代後嵯峨
53代淳和(西院)・・・111代後西
54代仁明(深草)・・・89代後深草
[55代文徳・・・102代後花園(後文徳)]
56代清和(水尾)・・・108代後水尾
57代陽成・・・107代後陽成
58代光孝(小松)・・・100代後小松
59代宇多・・・91代後宇多
60代醍醐・・・96代後醍醐
61代朱雀・・・69代後朱雀
62代村上・・・97代後村上
63代冷泉・・・70代後冷泉
64代円融・・・北朝5代後円融
66代一条・・・68代後一条
67代三条・・・71代後三条
168「後」がつく天皇:03/12/31 02:56
>>98
72代白河・・・77代後白河
73代堀河・・・86代後堀河
74代鳥羽・・・82代後鳥羽
78代二条・・・94代後二条
80代高倉・・・後高倉院(守貞親王)<後堀河天皇実父>
83代土御門・・・103代後土御門
90代亀山・・・99代後亀山
92代伏見・・・93代後伏見
95代花園・・・102代後花園(後文徳)
北朝1代光厳・・・北朝4代後光厳
北朝2代光明・・・110代後光明
北朝3代崇光・・・後崇光院(伏見宮貞成親王)<後花園天皇実父>
115代桜町・・・117代後桜町
116代桃園・・・118代後桃園

なお、後花園は、いったん後文徳という名を送られたが、文徳が謚号であることにあとで気付いて、後花園と訂正された。
169日本@名無史さん:03/12/31 03:00
>>122
後村上は、正平一統があるから、歴代に入れてもいいんじゃないの?
あと、後醍醐の重祚に名前をつけるのならば、北朝側で後醍醐の院号として検討されていた「元徳」が良いと思う。
170日本@名無史さん:03/12/31 03:40
171日本@名無史さん:03/12/31 03:44
京都には、「金閣」「銀閣」の他に「銅閣」もあります。

鹿苑寺舎利殿(通称:金閣)
http://saranomiyako.easter.ne.jp/page003.html
慈照寺観音殿(通称:銀閣)
http://saranomiyako.easter.ne.jp/page087.html
大雲院祇園閣(通称:銅閣)
http://saranomiyako.easter.ne.jp/page088.html
172日本@名無史さん:03/12/31 23:39
>>166
あれは偽称。
173日本@名無史さん:04/01/01 22:17
偽神器をいくら作っても、本物は、かなりぼろいだろうし、
錆びもついているから、後から作った偽神器とすぐ見分け
がつくと思うが?(当時は古く見せる技術も現在ほど、
ないだろうし。)
それと後醍醐天皇自身、神器本体を実見したことがあるのか?
174日本@名無史さん:04/01/02 15:49
大阪の住吉大社の宮司の津守氏の館を10年間皇居とした天皇だよね。
175日本@名無史さん:04/01/03 10:18
南朝を正統とする場合でも光厳を認めていいんじゃないか?
南北分裂は光明からとしてみることも可能。
176日本@名無史さん:04/01/03 13:25
後醍醐の花山院幽閉から正平一統までの間は、明らかに北朝側が本物の三種の神器を持っていた可能性が高いと思うのですが?
177日本@名無史さん:04/01/03 18:35
光厳天皇は自分も皇統に加えるべきだと思う。
しかし、現在では誰が天皇の皇統の変更をすることが
出来るのだ?やはり、内閣が閣議で決めるのか?
178日本@名無史さん:04/01/03 18:37
>>177
皇室自らが宣言すればよいのでは?
179日本@名無史さん:04/01/05 13:59
内閣にも宮内庁にもそんな権限ないし、学問上の問題でもないから学者も関係ない。
別に誰が勝手に決めてもいいんじゃない?
ただ、それが一般に流通するかどうかの問題でw
178のいうとおり皇室ではこうやってますといえばそれが一番影響力あるだろうけど
皇室は明治天皇の決定をかえないだろ
180日本@名無史さん:04/01/05 21:04
天皇の皇統を示す、大統譜は法律による公的なものだから
(皇統が公的なものだからこそ、歴代天皇陵や皇族墓を行政機関
で内閣府の外庁の宮内庁が国費で管理されている。)
皇室の一存では皇統を変更することはできない。
皇室会議で発議され内閣が閣議決定、天皇が公布、内閣が
官報で公示が現憲法下で出来る皇統変更だと思う。
皇統が国の管理下でなかったら神武天皇陵など神話の世界の
天皇陵を国費で管理されることは現憲法では許されない。
181日本@名無史さん:04/01/18 22:04
後醍醐による建武の親政が始まるのだが、後醍醐は自分が
隠岐に流されていたときに光厳が即位していたことを認めない。
その間も自分が天皇だったと言い張る。この時、光厳は太上天皇の位を贈られるが
「天皇だったものではないが特別に」と後醍醐にいわれる。
182日本@名無史さん:04/02/01 22:28
まずは光厳天皇の即位を公認するところから始めるべき
183日本@名無史さん:04/02/07 20:30
山奥に住んでる人は謎が多いね。
184日本@名無史さん:04/02/09 01:12
このスレまっとうな意見が多くてつまらないな

185日本@名無史さん:04/02/22 03:59
村上の治世自体がでっちあげの嘘だからなぁ
186日本@名無史さん:04/02/23 19:44
釣り餌が壮大すぎて食いつけるようなデカイ魚がいないようだね
187日本@名無史さん:04/03/13 15:09
甲冑を着て戦った天皇かこいいーー
188日本@名無史さん:04/03/13 15:47
>>178
皇室会議じゃないのか?
189日本@名無史さん:04/03/16 19:23
>>188

179のとおり
190日本@名無史さん:04/03/17 00:16
>>1
>戦で撤退する時、甲冑を見たら矢が二本
>突き刺さっていたとか。
>古代以降、こんな戦闘の経験をした天皇もいないだろう。

つーかそこまで戦場のさなかに入っちゃうのは古代にも滅多にいないだろ
191日本@名無史さん:04/03/17 20:46
カコイイ
192日本@名無史さん:04/03/17 20:47
虎ノ門書房本店の吉岡さん、かわいい
193日本@名無史さん:04/04/10 19:30
吉野の旧御所へ行ってきたが
あんな山奥の民家とは
落ちぶれ果てた様子がありありと目に浮かび
しばし涙
194日本@名無史さん
私も落涙した