1 :
日本@名無史さん:
近代日本最強のジャーナリストについて語りましょう。
2 :
日本@名無史さん:02/05/11 08:21
徳富蘇峰 とくとみそほう
1863〜1957
明治〜昭和期のジャーナリスト・評論家。
本名は猪一郎(いいちろう)で、小説家徳冨蘆花の兄。
肥後国水俣(熊本県水俣市)の郷士の子として生まれる。
熊本洋学校でキリスト教にめざめて同志社に入学、新島襄から洗礼をうける。その後キリスト教からはなれ、帰郷して大江義塾を開校。
著書「将来之日本」で名声が高まると塾を解散し上京、1887年(明治20)民友社をおこして雑誌「国民之友」を、90年には「国民新聞」を創刊。個人の権利を尊重し平等な社会をめざす平民主義をとなえた。
しかし日清戦争を機に国家主義に転じ、日本の大陸進出の必要を主張し、政治的には桂太郎と密接な関係をもつようになった。
以後、国家主義・軍国主義・皇室中心主義をとなえ言論界での指導的役割をはたす。太平洋戦争の日米開戦時には宣戦の詔勅(しょうちょく)を起草し、1942年(昭和17)には大日本言論報国会・大日本文学報国会の両会長に就任。
敗戦後は戦犯容疑者として公職追放された。
100巻の大作「近世日本国民史」ほか著書は多数。
"徳富蘇峰" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001. (C) 1993-2000 Microsoft Corporation. All rights reserved.
3 :
◆y51nNMT6 :02/05/11 08:26
3げろ
4 :
日本@名無史さん:02/05/11 08:55
平泉澄のようなもんか・・・
5 :
日本@名無史さん:02/05/13 17:39
この人、大久保利通マンセー本出してますな。
すさまじい長生きだな。
7 :
日本@名無史さん:02/05/13 17:57
清沢洌にケチョンケチョンに貶されているね。
暗黒日記に対米戦、「第一等の罪人」だそうだ。
具体的にどんな言論活動をおこなっていたの?
明治期はわりかし著名だけど。
>2
>個人の権利を尊重し平等な社会をめざす平民主義をとなえた。
>しかし日清戦争を機に国家主義に転じ、日本の大陸進出の必要を主張し、
>政治的には桂太郎と密接な関係をもつようになった。
国家主義に「転じ」ではないと思う。
青鞜のメンバーも尽く大日本婦人会に参加していたしね。
国民の解放には国家の膨張が必要と考えた訳だろう。よく知らんが。
政治思想かな?史学にもだけど。
8 :
日本@名無史さん:02/05/13 19:24
大作「日本近世国民史」だが、全部読んだわけではないけど、最初に皇室中心
主義と帝国主義を基調とすると宣言している。
しかし、江戸時代・幕末史を読むかぎりでは、幕府の政策の評価や民衆の動向
などにも目配りした、かなり客観的な記述になっている。
蘇峰の平民主義の一面もよくでている。
戦後A級容疑者(何かの官製団体の会長をやっていたため)となったため
あまり評判は芳しくないけど、もう一度見直されてもいいのでは。
10
11 :
日本@名無史さん:02/05/17 14:17
>5
それ読んだ。『大久保甲東先生』だっけ。
講演でしゃべったのをまとめたものだから、読みやすくて面白かった。
復刻されないのかなぁ。
12 :
西国のアズマ帰依者:02/05/17 15:28
そういえば鷲田小弥太がこんなこと言ってた
徳富の再評価が行なわれるのかね
http://ilk.co.jp/washida/nichinichi/0002.html 日本の歴史学者や経済史学者は、徳富蘇峰『近世日本国民史』(全100巻)
や高橋の百冊を超える著作を影では猪俣や野呂と同じようにこっそり参照しながら、
引証箇所を明らかにしないばかりか、まったく知らぬ半兵衛の顔で過ごしてきた。
しかし、読者は正直なもので、いまなおこれだけの大著を含む著作が再刊されたり、
売れているのである。
13 :
日本@名無史さん:02/05/17 19:19
>高橋の百冊を超える著作
って高橋亀吉のことか?
14 :
日本@名無史さん:02/05/18 06:00
>清沢洌にケチョンケチョンに貶されているね。
でも馬場恒吾(清沢の親友)は蘇峰大好き(w
15 :
日本@名無史さん:02/05/19 22:00
漏れは蘇峰ファンだが、皇室中心主義は何とかしてくれ
16 :
日本@名無史さん:02/05/20 23:34
「日本近世国民史」しか再評価されんのか
透谷に影響を与えたという「静思余禄」も再評価きぼん
17 :
日本@名無史さん:02/05/21 00:05
晩年、
「自分は変節者だと言われてきたが、その場その場で最良と思える選択をしただけだ」
と言っている。ある意味正しいだろうな。
近世日本国民史、講談社学術文庫から出ていたが
絶版にされてしまった。惜しい限り。
昭和の軍国主義喧伝は駄目だが
皇室中心主義はそれなりに評価してもいいのではなかろうか?
近代日本で核となるものは皇室しかなかっただろう。
ところで昔、ドナルド・キーンが蘇峰の明治時代の日記を
朝日新聞で連載により紹介していた記憶があるんだが・・。
蘆花の方かな?女中と性交して射精しただのひどく生々しい記述だった覚えがある。
18 :
日本@名無史さん:02/05/21 00:12
戦後日本をどう見てたんだろう
そうなんよ、蘇峰の主唱した「皇室中心主義」という観念が、今日彼の著作の
評価を難しくさせているんだよな。
確かに蘇峰のイデオロギーは国家主義なんだけど、盲目的な藩閥政府追従
じゃないんだよな。
20 :
日本@名無史さん:02/05/21 01:40
皇室中心を唱えながら、『国民史』では、必ずしも薩長におもねるような叙述はしてないんだよね。
この点は現在でも蘇峰研究のテーマになっているね。
当時、蘇峰の国民史は日刊紙に掲載され、元勲政治家から庶民まで毎日広く読まれていた。
で、出典は忘れたけど、たしかこういう話があった。
日頃蘇峰を攻撃している言論家(?)某が、面と向かって曰く、
「徳富くん、君の政治論ほど公平さに欠くものはない。しかし、なぜ
『国民史』はあそこまで公平に書けるのか。不思議だ」
これ、誰の言葉だったかなぁ。出典が分かる人いる?
21 :
日本@名無史さん:02/05/22 21:51
田舎紳士がいつのまにやら
肥後もっこすだから。
23 :
日本@名無史さん:02/06/16 00:52
いい言葉だ。誰?
24 :
日本@名無史さん:02/06/18 01:09
「吉田松陰」これから読むよ
25 :
日本@名無史さん:02/06/29 15:57
私の遠い親戚らしいのですが、血筋とかはどうなんですか?
26 :
日本@名無史さん:02/06/29 16:01
>>20 うろ覚えだが、服部之総じゃなかったか?
蘇峰とは対極的な立場のマルクス主義歴史家がいったので、「有名」
な批評となったような気がする。
27 :
日本@名無史さん:02/06/29 19:29
服部之総の『明治の政治家たち』も名著だな。
今は絶版かもしれんが図書館などで見かけたら読んでみると良い。
マルクス主義でも国家主義でも物事の本質をついていれば、
イデオロギーは関係ないと感じさせる。
『必勝国民読本』
29 :
西国のアズマ帰依者:02/07/07 22:42
うーん、徳富蘇峰を捕まえて
服部が「くん」づけするだろうか…
年齢が違いすぎる気がそこはかとなく
30 :
日本@名無史さん:02/07/08 02:14
実家に徳富蘇峰からの手紙があるよ。手紙をばらして屏風にはってある。
うちの死んだじいさまがプレゼント送った時のお礼状らしい。
別に親交があったわけではないらしいので、ファンレターへのお返事と思われる。
31 :
日本@名無史さん:02/07/08 02:16
>>30 そりゃ貴重だね。コピーを蘇峰研究者に送ると喜ばれるよ。
新撰組スレで必ずと言っていいほど、クソ野郎が出てくるね
屋代俊幸。やしろとしゆき 東京都ねりま区の住民
このバカは、現実社会で散々の問題を起こし
その逆恨みを2ちゃんねる日本史板で繰り広げている
逆恨み行動は、根拠の無い事実無根の誹謗中傷を個人情報の露出をもって書き込みすること
最近も、その書き込みに対し知人と思われる人物から
実名は止めようよ。どんな理由があろうと、匿名で中傷するのは卑怯だよ。
とか
お前位だよ。冗談の通じない陰湿人間は。
そんなに文句があるなら、その場でヤジ飛ばせよ。
まっ、そんな根性お前にはないだろうけどな。
陰でこそこそ、人の悪口書いてるのがお前には、お似合いだよ。
そんなに暗いことばっかり思ってるから、
歩いてるときの目つきが悪くなるんだよ。
なんて言われてるんだ。
自分は匿名と言う隠れ蓑(正体バレバレだけど)で
他人は実名で、好き勝手な悪口三昧を書き込む
前にも、実名書いて仕返ししてやれって意見もあったが
あえて、そのバカの名前は書かないで練馬の引きこもりヲタクと呼称してたけど
相変わらず、態度を改める意志は無いようだ
だから、ソイツの名前もここで公表してやるよ
屋代俊幸 やしろ としゆき
練馬の厨房 4年前には、複数の女性に対しストーカー行動を行ったヤツ
自筆で謝罪文をかいても、裏では反省しないで2ちゃんで逆恨み行動するヤツ
東京近辺で歴史研究の会合等があれば、この名前には注意しとくように
ここで言わなくても、この名前は有名だけどね