武士の次男三男は何してたの?

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1日本@名無史さん
武士の次男、三男・・が全部武士になったら藩の経営成り立たないと
思うんだけど実際家を継げない武士の次男以下はどうやって食ってたの?
野に下り豪農や商家に養子ってパターン?
2徳川秀忠:02/02/21 21:33
三男ですが、何か?
3:02/02/21 21:35
もちろん他家、親戚(武士)に養子って事が多いんだろうけど
石高って青天井じゃないでしょ?
4日本@名無史さん:02/02/21 21:39
当時は、死亡率が高いから、跡継ぎのいない家がたくさんあったのでは。

と、適当に思いついたことをいってみる。
5日本@名無史さん:02/02/21 21:40
うんこしてました。
6日本@名無史さん:02/02/21 21:43
吉田松陰は兄は杉家で叔父は玉木家だな
7日本@名無史さん:02/02/21 21:57
武士だけの問題か?
百姓の次男や三男も同じじゃないのか?
8日本@名無史さん:02/02/21 21:59
>6
それもそうだが百姓には資格(士籍)ないんじゃない?
9日本@名無史さん:02/02/21 22:02
今や地球規模での次男・三男問題が起きつつある
10日本@名無史さん:02/02/21 22:03
>1
そういうのを部屋住みといいます
長男の家に居候として飼い殺し
運良く長男にあとつぎがなければ家をつぎます
手柄を立てて別家を起こしたり、親族の家に養子にいったり、まあそれぞれひとごとに生き方があったようですな
11日本@名無史さん:02/02/21 22:07
>11
何もチャンスがなかった場合、もしかして嫁ももらえないの?
12日本@名無史さん:02/02/21 22:21
そう言えばうちの家は豪農の出だが武士の六男を養子にもらってる
13日本@名無史さん:02/02/21 22:36
部屋住みから一気に出世した代表は、徳川吉宗・井伊直弼など。
14大半の部屋住の行末は・・・:02/02/21 22:39
>>13 浮浪者ですか?
15天皇崇拝:02/02/21 22:39
>>13 浮浪者ですか?
16日本@名無史さん:02/02/21 22:45
自分の意志とは関係なく子供作れないって悲惨だな
17日本@名無史さん:02/02/21 23:36
士族の次男ですが何か?
18日本@名無史さん:02/02/21 23:40
まあ分家してもらえるほど身代に余裕があればまだしも、
後は商人の家に奉公か養子に出されたり寺に預けられたり。
19日本@名無史さん :02/02/22 00:23
オナニー三昧
20日本@名無史さん:02/02/22 00:25
武士だけじゃなくて、農民も長子相続が基本だったから、次男以下は
一生独身の冷飯食いというケースが多かったよ。
21浅野大学:02/02/22 02:10
え?俺?
22日本@名無史さん:02/02/22 07:24
だから日本は長男にこだわるんだ
23日本@名無史さん:02/02/22 07:42
次男三男の面倒も兄嫁が・・・ハァハァ
24日本@名無史さん:02/02/22 07:55
剣の腕が立てば実家の援助で道場開くって手も
あるよな。
25日本@名無史さん:02/02/22 08:04
武家の場合、余裕あれば部屋住み
運動神経良ければ剣術使い、独立
頭が良ければ学者で身を立てる、独立
大抵は、寺に入り長兄死去などの時は還俗。つまりホトンド独身

農家は単なる労働提供、ホトンド独身
新田開発なんかあれば独立できたが。

一家ご先祖固定した社会のため、パイ(分け前)を増やすことが
出来なかった。
現在の経済不況で市場パイが小さくなったので独身が増えたのは
当然のことわり、である。  ホントはそれだけではないけどネ
26日本@名無史さん:02/02/22 08:25
あのなぁ、何か取り柄が在れば、養子に逝ってたんだよ。
全ての家に男の子が出来る訳じゃないからね。
27日本@名無史さん:02/02/22 08:48
>>23

(次男) ね、義姉さん……私の、手でお願いします。溜まってしまって……我慢できないのです。

(三男) 私のも、左手で。もう、こんなになって……あぁ、どうか。
28日本@名無史さん:02/02/22 09:45
>>25
深沢七郎「東北の神武たち」では,農家二三男の悲哀が
よく描かれていると思うぞ。
29テーマ悲惨すぎ:02/02/22 09:49
長子相続はいつから一般的になったんだ?
30日本@名無史さん:02/02/22 12:02
古代は末子相続が結構あったよな。
鎌倉の頃は分家-山分けパターンだったが、
結局揃って貧乏になっただけだった。
それ以降じゃねーかな?>>29
31日本@名無史さん:02/02/22 12:50
>全ての家に男の子が出来る訳じゃないからね。

乳幼児死亡率も高い時代だしね。
32日本@名無史さん:02/02/22 16:28
長子相続が一般的になったのは、
江戸時代から。
33日本@名無史さん:02/02/22 19:19
徳田新之助は、め組に入り浸り
「貧乏旗本の三男坊」だった。
34日本@名無史さん:02/02/22 19:30
たいくつ。
退屈しのぎにちょっと薩摩まで。 いくらなんでもなー。 木永氏の豪華な着物のまま薩摩までたどり着くのか?
それにしても誰にきずつけられたんだ、みかんの傷は。なぞだ?

35日本@名無史さん:02/02/22 21:53
つ、つくづく現代に生まれて良かった・・

もしかすると江戸は当時から次男三男の街だったのかな?
実家じゃ部屋住みでも江戸に来て傘張りでもすりゃ奥さんくらい
もらえそうだし
後は武道と学問か・・・
そう思えば現代ともあまりかわらないような・・・
36決戦湊川!:02/02/22 21:55
江戸時代の次男、三男はヤクザ者になるんだよ。
そんなの常識だろ。
37日本@名無史さん:02/02/22 22:00
男が余ったと言うことは女も余ったと言うこと。
となると女は奉公か遊女?または妾?

厳しい時代だな
明治維新マンセー四民平等マンセー
38日本@名無史さん:02/02/22 22:22
狭い家の中で長男夫婦がエチしてる時、部屋住みはどういう思いで
聞いてただろう!
間違いもおきたと思われ・・・
39日本@名無史さん:02/02/22 22:43
>>38
昔はそういうのはオープンだったみたいだよ。
40日本@名無史さん:02/02/22 23:01
そうか!俺が独り身なのは、そのせいだったのか

納得、うんうん
41日本@名無史さん:02/02/22 23:08
>>38
いわゆる「ラブホ」はオレが子供のときは
「不倫のニホイがする・・」ところだった
後年知るところに拠れば、日本の貧しい家庭家屋による
「家族に気兼ねする必要の無い場所」の提供

帰郷の時に兄夫婦姉夫婦が競争のようにやり始めたのには
閉口、いや「閉耳」した
42日本@名無史さん:02/02/23 17:18
ハァハァスレになってきた!
兄嫁萌え!
43日本@名無史さん:02/02/23 17:53

下級武士の映画を作る話が新聞に載っているが、とにかく下級武士の
ふだんの生活についてはほとんど資料がなく、苦労しているようだ
44日本@名無史さん:02/02/23 18:20
江戸は女より男のほうが多かったらしいね。
45日本@名無史さん:02/02/23 18:21
享保まではそうらしいけど、
どっかで比率が一緒になったはず。
文化・文政だったかな?
46日本@名無史さん:02/02/23 21:10
>>42
>>27のような展開にか?(w
漏れも性欲処理してくれる兄嫁欲しい・・・
47日本@名無史さん:02/02/23 21:12
>>41
兄夫婦のほうはいいが、姉夫婦のほうの声はじつの姉だろ。
さすがにきついな。
48日本@名無史さん:02/02/23 21:21
部屋住みの次男以下は、藩のお役にも付けなかったの?
バイトくらいは有り?(○○役助(タスケ)とか)
49日本@名無史さん:02/02/23 21:29
俺長男だが、次男のほうが出来が良い。
次男に母の面倒を見て欲しい。
50日本@名無史さん:02/02/23 21:33
>>34のは、旗本退屈男の話か?
「みかんの傷」ってなんだよ、「みかん」って!?
51日本@名無史さん:02/02/23 22:49
このすれ読んで兄嫁に萌えそう
52日本@名無史さん:02/02/24 00:33
やっぱり人妻だけに処理の仕方は心得ているからな
53日本史@名無史さん:02/02/24 00:38
学者や医者ってのも多かったんじゃないかな。長崎留学などしたり。
54日本@名無史さん:02/02/24 00:53
総領の甚六とは俺のためにあるような言葉だ
55日本@名無史さん:02/02/24 00:57
井伊直弼は藩主になるまで、どうやって性欲処理をしていたのでしょうか?
56日本@名無史さん:02/02/24 01:10
>>55 たか女がいるだろ
57日本@名無史さん:02/02/24 02:24
>>56
たか女に手コキしてもらってたってことか。
いーなー、美人だったそうだし。
58日本@名無史さん:02/02/24 23:06
何かいい小説無いかな
59日本@名無史さん:02/02/25 03:39
>>58
井伊直弼の小説?「花の生涯」とか「桜田門外の変」とか?
60日本@名無史さん:02/02/25 06:13
故井伊直愛は双子なのか?
直弼ー○ー○ー直愛ー○ー○ー○
61日本@名無史さん:02/02/25 20:56
>59
いや次男三男武士の悲哀を描いた
62日本@名無史さん:02/02/26 00:14
寺というものは、貴族武家の次男三男を処分するのが、レーゾンデートルだった?
63日本@名無史さん:02/02/26 04:06
>>62
なんかリエゾンっていう、エロゲーを思い出すなぁ。
64日本@名無史さん:02/02/26 05:00
川路トシアキラの奈良奉行時代の日記にいろいろ書いてある。
美丈夫の某門跡と若くて美しい某尼門跡なんか理想のカップルだろうに
もったいないことだとかね。尊い身分の方々のことをセクース処理はどうして
るんだろうかとか、まあ下賎なもんだ。
65日本@名無史さん:02/02/26 11:47
後北条は城下に次男三男あつめてこうあれば、恩賞もあった。
これは当時、特別なことだったらしいけど。
66日本@名無史さん:02/02/26 14:52
>>65
 戦国時代なら戦などで出世も望めただろうからまだマシだっただろうな。
 前田利家が良い例だろう。
 あ、でもあれは半ば謀略で兄貴から家督奪ったみたいなもんか。
67日本@名無史さん:02/03/02 19:44
佐賀では初期は足軽はいなかった、秀吉の朝鮮渡航のときに仕方なく増員せねば
ならず、鍋島武士、鍋島家臣の次男、三男を足軽にした。足軽っていっても他国の様
な雑兵ではなく立派な武士でしたが。
これが後の佐賀藩独特の手命槍という佐賀でも佐賀本藩だけにある身分の起り
です。普段は町民など、商人などを佐賀城下で暮らしたり、城下の四方に配置されて
暮らしていた、何かある時は刀をとって馳せ参じた。島原の乱の時もそれで鍋島軍は
3万5千人もの兵力を繰り出し展開することができ蒲原大善(足利今川一門)が鍋島一番乗り
を果し敵方の旗を奪取した。佐賀城下の町民が元武士なので苗字帯刀を許されていた。
いつ何時に敵が攻めてこられてもいい様に。
68日本@名無史さん:02/03/02 20:20
fがえ
69日本@名無史さん:02/03/02 20:33
>67肥前小城の桓武平氏千葉氏一門の江藤新平って確か手明槍の身分
だったようだね?確か、佐賀藩の小役人だったのは本で読んだけど
そんなイワレから来てるんだ。
70日本@名無史さん:02/03/02 20:47
廣島藩浅野家では、二男以降は「安井」姓を名乗らされてたらしいっす!
71日本@名無史さん:02/03/02 22:06
浅野自体もたいした名前じゃないくせにね(プ
72日本@名無史さん:02/03/10 19:18
もっこりしてた。
73日本@名無史さん:02/03/10 20:05
西欧でも貴族の次男坊以下は聖職者、軍人、時代が下れば植民地の
官吏になるしかなかった。養子制度がないから他家を相続するわけには
いかない。日本は厳しい身分制度があっても養子制度がその弊害を大分
緩和できたと思う。もっとも当時は幼児死亡率も高いし、参議院の比例
代表みたい順位に繰り上がって、徳川宗春のようにめでたく本家相続も
珍しくない。
田舎の豪農とかでは長男に家督を譲ると、隠居領としての田畑以外は長男に譲り
自分は先祖の位牌を持ち、次男以下を引き連れて家を出ることがあった。
次男はその隠居領を相続する。これを隠居分家といった。
何代かすると、どちらが本家なのかわからなくなる。なにしろ先祖の位牌は
本家にないため、分家のほうが本家を主張したりする。
いわゆる本家争いはこのような理由で起きたらしい。
悲惨なのがオスマントルコ。スルタンが即位すると最初に命じるのが兄弟の
処刑。自分が即位したからにはもう血筋のリザーブは不要。
宦官が絹のロープで絞殺した。高貴な身分なので麻でなく、わざわざ絹を
使うんだけど、そんなところに気を使われてもネエ。
時代が下るとさすがに殺さなくなったが、ハーレムで飼い殺し、これなら
いっそ次男のほうが・・・・
74日本@名無史さん:02/03/10 20:09
義姉の手コキを受ける日々……
75日本@名無史さん:02/03/10 20:13
藤沢周平の短編には部屋住みの若者の話が多い。

飼い殺しの肩身狭い生活のまま年を取って死を迎えたり
下働きの形で妾をあてがわれるが子供ができたら堕ろされる、
という話もあれば、
貧乏家の次男坊が位の高い家に婿入りして筆頭家老に上り詰める
なんて話もある。
76日本@名無史さん:02/03/16 02:24
>>75
なんていうタイトルの短編集?例に挙げた話が載っているのは。
77日本@名無史さん:02/03/18 15:15
age
78日本@名無史さん:02/03/19 04:04
厄介松平
79日本@名無史さん:02/03/20 00:56
街を同じ部屋住み仲間と共にトグロを巻いて
偉そうに歩いていた。乱暴狼藉したり。
80日本@名無史さん:02/03/30 01:47
部屋住みのまま壮年期・老年期まで生きたなんていう例もあったのかなあ?
81日本@名無史さん:02/04/01 01:52
鬼平犯課帳(読んだのはさいとうたかをの漫画だけど)に
部屋住みだけど剣術の腕前を見込まれて養子に迎えられる話とか
腕前サパーリで家も貧乏だから嫁もらえないとか色々なエピソードがあって面白い。
鬼平の父親も元は部屋住みで、下女に手を出し鬼平が生まれたので
下女の実家の農家を継いだが、本家の跡取りが急死し鬼平の父親が
呼び戻され無理矢理姪と結婚させられていた。
その姪に子供ができなかったので、農家で育った鬼平が跡取りになった。
82日本@名無史さん:02/04/09 18:48

それは事実じゃないけど。
83日本@名無史さん:02/04/09 18:59
江戸の役人も商人も独身が非常に多かった。
従って、江戸は男ばかり。
いまだに、結婚して男は一丁前と言われる由縁也。
長屋では未婚の母が普通。体たらくな男子は働かず女性が切り盛り。
よって未婚の方が何かと楽だったらしい。
従って、明治時代になると庶子が一杯いたとされ、養子も多かった。
84_:02/04/09 19:08
長子相続は基本だろうが、次男三男は養子だろう。漏れの家は爺さんが士族の三男だったが、維新がおこらにゃ、母親の家の家督(16松平のとある藩の家老職の家)を次ぐ筈だった。漏れのうちは昔松平から分家して臣に下ったから家柄『だけ』はよかったけど、貧乏侍だったって。
85日本@名無史さん:02/04/09 19:13
子供は天からの授かりものです。よって、一族皆繁栄の為、持ち回りします
86日本@名無史さん:02/04/15 20:08
男女の出生比がほぼ同じなのは、昔も今もいっしょ

ところが武士階級の相続権は男にしかなかった

従って、よほどのことがない限り養子の口がないということはないと思われ。

それでもダメなら飼い殺しだが、いやなら芸や学問で身を立てるとか

坊主になる。それでも食ってはいける(w
87日本@名無史さん:02/04/16 17:44
旗本の4人に1人が養子だと
放送大学の授業で教わりました。
88日本@名無史さん:02/04/27 12:56
へえ。
89日本@名無史さん:02/05/04 14:25
部屋住みのままだと永久に結婚できないの?
90日本@名無史さん:02/05/08 22:56
トキとジャキは何してたの?
91日本@名無史さん:02/05/16 23:17
なにそれ?
92日本@名無史さん:02/05/25 12:10
b
93日本@名無史さん:02/06/01 23:27
94日本@名無史さん:02/06/02 00:14
>>90
ジャキ -> ジャギ
95日本@名無史さん:02/06/04 12:22
結構死にますから。吉宗とか兄全員死亡します。
96日本@名無史さん:02/06/04 14:34
漏れも三男ヒッキーですが何か?いくら家督を継いでも役無しだとツライYO
兄貴達は家を出ておいらが家に残る事になったけど無職だと肩身狭いYO

97日本@名無史さん:02/06/05 00:42
>>95
あれも陰謀臭いけどね。
98日本@名無史さん:02/06/18 02:20
99日本@名無史さん:02/06/18 20:16
義理の姉、つまり兄嫁のことをなんと表記したんだろう。
やっぱり義姉さん?
100日本@名無史さん:02/06/18 20:20
>>99
「嫂(あによめ)」じゃない?
101日本@名無史さん:02/06/18 20:22
竜馬は脱藩したのさ。
カッコいい。
102p:02/06/18 20:57
家督継承予備要員
103日本@名無史さん:02/06/18 20:59
兄が死んだらさぁ〜〜
104日本@名無史さん:02/07/03 18:23
養子縁組をして他家に出る。
それができないと、ヒサン
105日本@名無史さん:02/07/27 18:50
106日本@名無史さん:02/08/07 23:45
              
107日本@名無史さん:02/08/08 02:19
おまんこしてた
108日本@名無史さん:02/08/08 03:01
岡田以蔵は次男かなんかの子孫だったな
109日本@名無史さん:02/08/08 04:52
>>104
ヒサンて?
110日本@名無史さん:02/08/08 04:53
とある旗本の三男坊は、じつはあばれん坊将軍だったのれすよ。
111日本@名無史さん:02/08/08 10:05
徳田虎之助だろ知ってるよそんなこと
11254:02/08/09 05:48
ばーか上田馬之助だろ
113日本@名無史さん:02/08/09 08:44
>109

いちおうマジレスしとくけど、下級士族だと嫁ももらえず
一生、兄貴の扶養家族。兄が亡くなったら兄の子の扶養家族。
飼い殺し。死んだあと戒名・墓も兄よりランク下
114日本@名無史さん:02/08/09 17:51
居候、3杯目には・・
という境涯だな。外出する際の支度(衣装や供回り)も
兄の子以下だろうし、兄嫁にチクチクいびられ・・
115日本@名無史さん:02/08/09 18:46
じっさいには養子のクチはあったと思われる

禁治産級のDQNでなけりゃね
116日本@名無史さん:02/08/09 20:59
下級武士に供回りははないと思われ、、、
117日本@名無史さん:02/08/09 21:35
下級でも当主なら、最低下人の1人は従える筈

最低でも下人、両刀、袴が揃わなければ外出しないのが武士たるもの
(部屋住みとかは別よ)
118日本@名無史さん:02/08/09 22:05
しかし、30俵2人扶持とかでは下人も雇えないのでは?
119日本@名無史さん:02/08/10 09:42
武士の次男、三男の仕事と言えば(特殊な状況だけど)仇討もあるよね。
これってやらないと家を相続できないって本当なんですか。
なんか成功率低そうな気が・・。(相手の情報とか得難そうだし)
時代小説なんかで、「苦節十ウン年、やっと仇を追い詰めたり」とかいうの
あるんだけど、念願の仇討果たして国へ帰ったら「アンタ誰?」なんて
事にならないのかなー。
120日本@名無史さん:02/08/12 02:07
オナニー
121日本@名無史さん:02/08/20 09:35
122日本@名無史さん:02/08/20 09:38
おれ次男で、30才無職。
親にたかって生きてるよ
123日本@名無史さん:02/08/20 22:46
ステキ!
124日本@名無史さん:02/09/01 00:07
部屋住みですか?
125日本@名無史さん:02/09/01 04:35
許可・登録制だから必ずしもやらないといけないわけじゃない
>>119
126日本@名無史さん:02/09/01 04:39
お江戸でござるでヒナコ先生が何か言ってたな…。
忘れたけど。
127日本@名無史さん:02/09/01 07:26
息してた
128日本@名無史さん:02/09/01 07:34
許可・登録制だから忘れられる心配もない
>>119
129日本@名無史さん:02/09/01 08:44
>>119

鴎外の「護持院原の敵討」読んでみな
実話を元にしたものだから

あだ討ちすべき長男が逃げてしまい、
あだ討ちを遂げた姉(妹だったかな?)
のほうが、婿を取って家名相続
めでたし、めでたし
130日本@名無史さん:02/09/03 12:12
>118
そんなことないよ。
町方同心は30俵だけど、市内を回る時は、必ず小者が荷物を持って従った。
131日本@名無史さん:02/09/03 15:34
「おぅ何してんの?」
「オナニィ」
132119:02/09/03 19:12
>>125 128
あ、そうなんですか。どうもありがとうございます。

>>129
面白そうですね。姉or妹、すごい烈婦なのかなぁ。
さっそく探して読んでみますね。
133日本@名無史さん:02/09/06 15:04
家臣の貸し借りは2以上茶飯事だったらしいよ。
134日本@名無史さん:02/09/11 02:36
手に職ない次男三男ってヒッキーみたいなもん?

ヒッキーって
↓こっちのひっきーね
(−_−)
(___)        (ん?雪だるまみたいになった?)
135日本@名無史さん:02/09/11 02:38
ある貧乏旗本の三男坊は、悪人という悪人を成敗するのが趣味だったらしいぜ。
136日本@名無史さん:02/09/11 02:46
>>135
桃太郎侍とかそういうのですか?
137日本@名無史さん:02/09/11 09:36
別家と分家はどう違うのですか?
138日本@名無史さん:02/09/11 09:40
女性器はイヤラシイ形をしているが、個人的にはもっともっと
イヤラシイ形をしていてほしかったと思う。
 一例を挙げると性的に興奮したら女性器から最長3mぐらい
まで伸びるような触手を出して男性器に絡み付き、膣内に引き
込むといった機能が備わっていてもよかったのではなかろうか。
 もし実際に女性器にそうした機能があったとしたら、私は小学
6年生ぐらいの色白で髪が長くて大人しい、赤いリボンとフリフリ
フリルの可愛い服がトレードマークの学校一の人気者美少女小
学生に生まれ変わりたい。
 そして学校で授業中エッチなことを考えたために、自分の意に
反して膣内から触手がうねうね出てきて、最初はスカートの上から
膣口を手で押さえ込もうとするが、押さえつけようとしている手の
脇から触手がはみ出してきて、ついにはスカートの裾まで進出し、
恥ずかしい粘液まみれの触手が生々しい臭気を周囲に漂わせな
がら斜め前の席に座っている好きな男子の股間に伸びてゆく場面を
クラスメイト全員に見られてしまい、赤面した顔を両手で押さえて泣き
じゃくったあげく、遠い街の学校に転校したい。
 しかし、この子に限らず初潮を迎えた女の子の誰もが一度は経験
する、触手の試練。母親は娘と風呂に入りながら、自らの少し色素
沈着のすすんだ触手を見せ、「みおちゃんももう直ぐこんな風に触
手が出てくるようになるけど、驚いちゃダメよ。」と、微笑ましい
家庭の性教育がなされたりするものなのである
139日本@名無史さん:02/09/11 14:01
>137
漢字みればわかるじゃん。
140日本@名無史さん:02/09/11 15:22
だから、どうちがうのか
わからん。
141日本@名無史さん:02/09/11 16:21
>140
分家=分かれた家
別家=別の家

これならわかるでしょう。
142日本@名無史さん:02/09/11 18:50
137でも140でもないけど、
つまり、分家は本家から知行地とかを分けて貰って興した家で、
別家は別にまったく新しい家を興した家という事?
143日本@名無史さん:02/09/11 19:51
そもそも本家とは何ぞや?
山名氏は新田氏の分家として出発したけど、
新田氏が没落したので、それからは独立して本家とは言わなくなったのか?
144日本@名無史さん:02/09/12 02:29
145日本@名無史さん:02/09/12 04:54
夜はだいたいオナニーしてるよ
146日本@名無史さん:02/09/15 20:27
分家の逆の「合家」というのも有ったそうですが、
どのようなものかわからんのです。
貧しい2家が合体するとか?
147日本@名無史さん:02/09/16 05:36
148日本@名無史さん:02/09/16 10:02
age
149炯炯:02/09/17 06:09
部屋住み冷や飯喰らい飼い殺しのスペア
150日本@名無史さん:02/09/17 12:09
次男三男は、兄嫁の手コキによって毎夜性欲を処理されていた。
そういうのも嫁の務めなんだな。
151日本@名無史さん:02/09/17 16:18
井伊直弼たんも十数男で、捨て扶持暮らしだったよ!!!
なんとか茶道で食いつなごうとしていたらしい
運良く兄貴の養子になって井伊家相続→大老・・ウマー・・
江戸時代はほとんど人口増えなかったアンド、江戸中期からは改易が
あまりなくなったから養子にもじゃんじゃん逝けたよ・・
(改易されても、新しい大名あんど旗本はその石高に似合った家臣雇わなきゃいけないし・・・)
ちなみに、農村の次男、三男坊は読み書きそろばん覚えて都会へ丁稚奉公なり
だから、江戸等都会は男ばっか・・・・
152日本@名無史さん:02/09/19 02:53
新田開発も限界が来たということでしょうか?
153日本@名無史さん:02/09/19 02:55
江戸時代は、間引きをしなかったらしい浄土真宗や隠れキリシタン、
農業ではなく手工業が主だったらしい被差別部落民の人口は増えたそうです
154日本@名無史さん:02/09/23 15:20
>>146

本家が絶えて誰もいなくなったので
分家が祭祀を引き継いだ例を知っています
そのようなことでは?
155日本@名無史さん:02/09/30 02:09
徳川頼房の息子達もちと可哀相。
家康の男系の孫は殆ど新知で立藩してるのに。。。
頼重から頼隆まではいいとして、頼雄は50過ぎてようやく
独立だし、雑賀氏を継いだ重義は万石未満でしかも陪臣身分。
頼泰や房時なども家老扱いでダレソレ?状態。
156日本@名無史さん:02/10/01 04:20
今や長男はジジ・ババ付などと呼ばれて損な時代です。
とくに農家の長男などは嫁不足と過疎にみまわれています。
二三男は気ままに都会に出てサラリーマンとなって世帯を築いている。
歴史は逆転しました。
しかし世界恐慌になれば会社がバタバタ倒れ、その二男三男も安泰ではない。
157日本@名無史さん:02/10/12 18:26
158日本@名無史さん:02/10/12 19:36
小早川家みたいな感じ???合家って???
159日本@名無史さん:02/10/13 23:27
西郷隆盛の弟二人(三男・四男)は幕末に結構活躍してますが、
あれは幕末という特殊状況のせい?
160日本@名無史さん:02/10/13 23:51
領地持旗本の手代として出された奴らは悲惨。
旗本の領地変えは頻繁に行われるが、そのまま放置。
田舎だから旗本に連なるくらいは残ってても家柄の扱いは下の部類。
161日本@名無史さん:02/10/14 00:11
「幕末百話」のある古老の談話によると
剣術道場では長男以外の子弟(いわゆる次三男)は
月謝が半額で良かったそうですな。
162日本@名無史さん:02/10/14 08:27
>>161
今の保育所、幼稚園と同じシステムか・・。
163日本@名無史さん:02/10/14 08:43
せ○ず○、こいてますた。
164日本@名無史さん:02/10/14 08:58
時々、街中へ出て暴れん坊やってた。
165日本@名無史さん:02/10/14 09:47
まあ、当時は吉原などの遊郭があったから
性的処理はそこでしてたんじゃないのかな
166日本@名無史さん:02/10/14 12:19
167蝿皇子 ◆MLX/At3sMc :02/10/14 21:07
>>165
吉原は高級でとても部屋住みには・・・・・
他にも多くの娼婦が居たわけですし
ヨタカの値段は屋台のソバと同じ値段。
峠の茶屋でも、ちょっと奥の間で茶屋の
娘を買えたそうです。
どうやら性欲の捌け口はそこそこあった
ようで。
貧乏長屋では、一人の女を皆で扶養し
ながら共通の女房としていたという話も。
168日本@名無史さん:02/10/31 21:25
大名の次男以下で、大藩に養子に行って活躍する人もいるよね。
松平容保や春嶽みたいに。。。そんなに多くないか。
169日本@名無史さん:02/11/03 20:11
>>168
細川重賢、上杉治憲、井伊直弼、山内容堂など養子大名の方が活躍している。
170日本@名無史さん:02/11/27 12:27
サヨナラ.サヨナラ.サヨナラ...
171日本@名無史さん:02/11/30 16:37
172日本@名無史さん:02/12/14 11:58
173日本@名無史さん:02/12/14 13:24
>>171
>>172
語るネタもねぇクセに無理にageるなよ!無学めが!
174日本@名無史さん:02/12/16 04:53
十四男の井伊直弼は大老になった
175日本@名無史さん:02/12/16 05:20
>>174
すげえな、おい。
176日本@名無史さん:02/12/29 14:15
十四人も男の子がいた直弼の父親がすごいね
177日本@名無史さん:02/12/29 14:28
>>174-175-176
ひとつの情報を言い方変えてるだけのクソレスだ。しかも周知すぎるし。
173の言うとおりだ。

次男といえば画家の酒井抱一は姫路藩主の弟だね。養子には行かず
(仮養子の経験あり)、中年で出家して画業で名を残した。
178日本@名無史さん:03/01/10 18:00
妻帯はしたんですか?
179山崎渉:03/01/11 16:41
(^^)
180日本@名無史さん:03/01/13 19:49
旗本奴=チンピラ
181日本@名無史さん:03/01/13 19:56
沖田総氏も次男だったね

182山崎渉:03/01/16 08:47
(^^)
183日本@名無史さん:03/01/16 19:24
184日本@名無史さん:03/01/21 00:23
妻帯はしたんですか?
185日本@名無史さん:03/01/21 00:45
妻帯はしたんですか?
186日本@名無史さん:03/01/21 00:46
妻帯はしたんですか?
187日本@名無史さん:03/01/21 00:55
腹帯はしたんですか?
188日本@名無史さん:03/01/22 00:30
下帯はしたんですか?
189日本@名無史さん :03/01/25 15:32
貞操帯はしたんですか?
190日本@名無史さん:03/01/28 11:16
191日本@名無史さん:03/01/29 00:19
昼間はパチンコ
192日本@名無史さん:03/01/29 01:04
妻帯はしたんですか?
193日本@名無史さん:03/01/29 07:05
ぐっすん・・・読んでいると次男の俺としては、なんか泣けてくる。
つらい時や悲しいときはここを見ることにするよ・・・
がんばれ次男!負けるな三男!
194日本@名無史さん:03/02/01 15:20
夜中はチンコ
195日本@名無史さん:03/02/01 16:37
昼間はマンコ
196日本@名無史さん:03/02/02 01:00
ゴムはしたんですか?
197日本@名無史さん:03/02/02 13:51
いいえ、代わりといっては何ですが、風呂場でコーラを注入して済ませました。
198日本@名無史さん:03/02/02 14:30
昼間はウンコ
199日本@名無史さん:03/02/02 14:46
車の改造
200日本@名無史さん:03/02/02 14:52
今だ200!ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
     ∧∧   )      (´⌒(´
  ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ
201日本@名無史さん:03/02/02 15:01
家計に余裕があればやっぱり江戸とか逝って剣術が学問で身を立てるのが
いいんだろうな。。。
かくいう漏れも地方出身の次男坊。兄貴は地元の大学へ・・・。
202日本@名無史さん:03/02/03 22:04
身を立たずとも、マラは勃つ。
203日本@名無史さん:03/02/11 12:42
妻帯はしたんですか?
204日本@名無史さん:03/02/11 21:21
いいえ、代わりといっては何ですが、右手でしごいて済ませました。
205日本@名無史さん:03/02/12 06:04
次男の俺は坊主になる!高野山へいくぞっ!皆ついてこい!
206日本@名無史さん:03/02/12 12:47
一応妻帯はできました。
ただし正式な妻ではありません。
207日本@名無史さん:03/02/16 15:10
ゴムはしたんですか?
208日本@名無史さん:03/02/16 23:30
自転車には乗れるのですか?
209日本@名無史さん:03/02/18 19:24
紐と逆玉狙ってました。
210234:03/02/18 19:30
ある程度の大身だと次三男でも妻帯できました。
但し正式な妻ではなくてお手伝いとかそういう名目になります。
211日本@名無史さん:03/02/19 03:58
高校には進学しましたか?
212日本@名無史さん:03/02/22 23:32
校則で自転車はヘルメット着用ですか?
213日本@名無史さん:03/02/23 02:15
ヘルメットは不要ですが、ゴム着用です。
214日本@名無史さん:03/02/25 09:27
中身なし クソスレsage
215日本@名無史さん:03/02/27 22:20
妻帯はしたんですか?
216日本@名無史さん:03/02/28 15:28
しました
217日本@名無史さん:03/03/01 13:09
妻帯はしたんですか?
218日本@名無史さん:03/03/02 23:15
脱糞はしたんですか?
219日本@名無史さん:03/03/03 01:14
はい。そこを男友達に覗かれたため、以来排泄を見られることで興奮するようになりました。
220日本@名無史さん:03/03/04 22:47
食糞はしたんですか?
221日本@名無史さん:03/03/07 21:58
飲尿はしたんですか?
222日本@名無史さん:03/03/14 00:04
はい!
223日本@名無史さん:03/03/16 01:33
陰部を見せたのですか?
224日本@名無史さん:03/03/19 03:12
225日本@名無史さん:03/03/19 19:37
226日本@名無史さん:03/03/22 16:18
保守
227日本@名無史さん:03/03/23 19:51
革新
228日本@名無史さん:03/03/30 22:10
保守
229徳川吉宗:03/04/06 01:42
私の場合は三男です。
しかも最初、親父に放っとかれました。
その後、江戸に送られて暮らしてたんですが、ある時綱吉公に「俺も三男だ。兄貴が死んで将軍になった。お前も頑張れ」といわれ、兄貴達の死を願っていたらホントに死んでくれました。
んで、紀州を継ぎ、財政を再建し、その実績とを武器に将軍になりました。
こういったラッキーでもない限り三男の未来は暗いです。
三男諸君、兄貴の死を願いなさい。
230日本@名無史さん:03/04/07 12:52
>>229
嗚呼。俺の弟達もおまいさんのような頼もしいやつらだったら
安心して死ねるものを。
231クサイ:03/04/09 01:57
>>230
兄さん、父さんの後継は私に任せて、安心して氏んでくさい。
232日本@名無史さん:03/04/12 04:36
>>231
しかし、おまいさんだって父と兄もろとも氏んだのでは?
233日本@名無史さん:03/04/17 11:58
で、妻帯はしたんですか?
234山崎渉:03/04/17 12:44
(^^)
235日本@名無史さん:03/04/18 00:22
山崎さんは妻帯してまつか?
236日本@名無史さん:03/04/18 00:49
離婚されますた
237日本@名無史さん:03/04/18 00:53
井伊直弼の話がチラホラ出てるが、
彼は確か父の跡を継いだ長兄以外は全員他家に養子に出てて
ひとりショボーンと取り残されていたが、嗣子のない長兄の死で
家の跡を継いだんだっけ?
運がいいんだが、悪いんだか。
238日本@名無史さん:03/04/18 09:11
>>236
離婚されたとはいえ、一度は結婚できたんだぁ〜w
239山崎渉:03/04/20 02:00
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
240日本@名無史さん:03/04/29 00:49
子供はいるんですか?
241日本@名無史さん:03/04/29 01:20
徳川慶喜の後継ぎも7男だね
慶喜が特旨をもって別家を立てたのは還暦をとっくに過ぎてからだからな
他家へ養子に行ったのは仕方ないとして
4男の厚は分家して男爵にされたわけだから
慶喜が公爵になった時には腸が煮え繰り返ったと思われ
242日本@名無史さん:03/04/29 02:06
三田佳子の次男は地下室で何してたの?
243日本@名無史さん:03/04/29 09:00
次男三男は一生結婚できない
出家するのみ
244日本@名無史さん:03/04/29 11:31
んなこたあない
245日本@名無史さん:03/05/03 06:46
さぁ
246日本@名無史さん:03/05/03 07:40
昔は売春公認・夜這いやりまくりだったので、部屋住みのヒッキー(武家)&
家人同然(農民)でも童貞を貫くということはない。

白川郷の合掌作りの家が20人くらい住めるようになっているのは、部屋住みの男・女
がそれだけ多かったからだよ。少なくとも農村では貴重な労働力。
新田開発があれば、小作人として独立できる。
昔は小作人というのは、喜んでなったのも多いのだよ。
247日本@名無史さん:03/05/03 13:34
なんか、意地になってエロネタ書き込んでる香具師がいるが、憐れだな(w。

次男三男の事で、旗本奴の話が出てこないのが不思議だね。まぁ旗本奴は全部が全部、次男
三男てわけじゃない(水野なんて長男だしね)からあれだが、部屋住みの次男三男がエネル
ギー持て余して町奴と喧嘩をしてたって側面はあるよね。

養子の話もあったし、それなりに消費されていた次男坊以下だが、それで全員が養子になる
訳でもない。兄貴のスペアとして一生結婚もできず部屋住みと言うのは当たり前だった。
もっとも、必死にエロネタ書いてる莫迦野郎が妄想するような、兄嫁との関係は、儒教道徳が
厳しかった時代にはほとんどなかった(0じゃないだろうが)。

167が言ってるように、当時は吉原で遊女5千人と言われる(宝暦の頃はもっと多かった)人
間がおり、廓の東西のおはぐろどぶに沿ってある「河岸」と呼ばれるあたりには、切見世女郎
と言われる遊女は、一ト切(約10分)百文で買春していたりした。二八蕎麦が、2×8=16
の掛け牒で約十六文だった(末期は三十文近かった)ことを考えると、現在のピンサロとコスト
パフォーマンスは近いと言えるかな?

五代目古今亭志ん生の落語「お直し」などを聞くと、線香が一本燃え尽きるのを目安に買春し
ていたようで、時間延長するのを「お直し」と言っていた。もちろん、これより安い、河原で
ゴザを引いてやっていた夜鷹などもいたので、ムラムラ来ても性欲処理の方法はいくらもあった。

落語の話が出たついでに言えば、近代落語の祖と言われる三遊亭円朝は、大聖寺藩士の家系だが
武士から芸人になる例はいくらもあったようだ。円朝の「お若伊之助(根岸お行の松 因果塚の
由来)」を見ると、登場人物の伊之助は武士の身分を捨てて一中節の師匠になって身を立てる
道を選んでいる。話自体は創作だが、円朝自身が元武家で、生没年は(天保10年:1839〜
明治33年:1900)という事を考えると、当時よくあった事だと考えられる。
248日本@名無史さん:03/05/15 20:23
>三遊亭円朝は、大聖寺藩士の家系だが

どの程度の格式の家系だったんですかね?
249山崎渉:03/05/22 03:19
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
250日本@名無史さん:03/05/23 20:15
251山崎渉:03/05/28 11:05
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
252竹田丹後守:03/05/28 21:16
(スレ違いかも知れませんが)

「浪人」は何世まで武士身分を保てたんですかね?

そもそも、浪人本人は武士身分であることをどうやって他者に対し証明したの
でしょうか?
253日本@名無史さん:03/05/28 22:16
武士の次男三男、というスレですが、町民の話も出てきたので。
武士は「家」を守るために長子相続が鉄則、次男三男は日陰者というのは既出の通りです。
しかし、町民は末子相続が基本。子供は生まれた順に独立するもので、最後に生まれた子供は親の面倒を見る代わりに財産(と呼べるものがあるかどうかは別として)を引き継ぐ、という形でした。
長子相続は家制度を守る必要から生まれたもので、家を維持する必要が無い庶民には無関係なものなのですが、そうした事情に疎い田舎の下級武士層を中心に構成されていた明治政府は、一律に武家社会のしきたりを社会全体に敷衍していきました。
現在は子供が親の面倒を見る時代ではなくなっているのは周知の通りですが、にもかかわらず我々の祖父母の世代が「理由は説明できないけど」財産は長男が受け継ぐもの、と固く信じているのはその名残です。
254日本@名無史さん:03/05/31 18:34
庶民ていうか、農民の場合も田畑とかがあるから長子か末子が継ぐのが
原則だったりはあるよね。
末娘が親の面倒みるとか、地域によってマチマチだけど。
明治政府とその後の軍国主義で、武士なんて全人口から見たら少ないはずの人達の
しきたりがまるで日本そのものの伝統みたいになってるよねぇ。
255日本@名無史さん:03/06/02 13:04
商家の場合、特に近江商人の場合は息子は他所に養子に出して、娘に商才のある番頭を
婿養子として迎えていたらしいね。息子は放蕩して身代を潰す可能性が高かったし、
実際に商才があるかどうかの見極めも難しかったようだし。

ある意味、女系相続だわね。
256日本@名無史さん:03/06/12 21:18
257日本@名無史さん:03/06/13 00:28
>>253
>町民は末子相続が基本。

それは間違いです。一般化してはいけません。
あなたの地方だけの話では?
258日本@名無史さん:03/06/16 00:27
>>253
それは、全てあなたの思い込みです。
259日本@名無史さん:03/06/19 02:00
ははは
260日本@名無史さん:03/07/03 00:26
261日本@名無史さん:03/07/10 00:36
262日本@名無史さん:03/07/16 00:58
妻帯はしたんですか?
263日本@名無史さん:03/07/16 01:15
今川義元と本流(長男)じゃないね、寺に預けられた口だし。
毛利元就も次男だしね。
清洲会議でも幼児の三法の家督に部外者は意見を言えない。
やはり、保険ぐらいの待遇じゃない
264日本@名無史さん:03/07/23 00:27
265日本@名無史さん:03/07/28 22:22
で、妻帯はしたんですか?
266日本@名無史さん:03/07/29 02:17
>>262=265
過去レス嫁
267山崎 渉:03/08/02 01:27
(^^)
268日本@名無史さん:03/08/03 01:05
腹帯はしたんですか?
269日本@名無史さん:03/08/08 01:10
はい
270 :03/08/13 13:10
271日本@名無史さん:03/08/13 13:12
退屈じゃよ。退屈しのぎにちょっと薩摩まで・・・
っって荷物も持たず、すんごい派手な着物で、しかも着流しで、薩摩まで
272日本@名無史さん:03/08/13 18:56
幕末では、見廻組で活躍してまつた。
273山崎 渉:03/08/15 12:45
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
274日本@名無史さん:03/08/15 13:33
>>271
天下御免の向こう傷?
275日本@名無史さん:03/08/16 00:09
276日本@名無史さん:03/08/17 10:32
>>274
彼はれっきとした当主では?
277日本@名無史さん:03/08/23 18:34
妻帯はしたんですか?
278日本@名無史さん:03/08/30 15:28
妻帯はしたんですか?
279日本@名無史さん:03/08/30 19:05
>過去レス嫁
280日本@名無史さん:03/09/05 21:53
妻帯はしたんですか?
281 :03/09/06 03:23

武家の次男三男は飼い殺しと書いている人が多いですが、
養子制度があったため、
利発であったり、運動能力があったり、外見が良かったり、
また名門の出であったりと傍目に見ても優秀な兆候のある
次男三男は養子先が先に決まったのだと思います。

要するに何十年も本家で飼い殺しの憂き目をみた次男三男は
今のサラリーマン社会でも出世できないような凡人というか
平均以下の能力しかないような人物だったのではないでしょうか?
282日本@名無史さん:03/09/06 11:53
>281
井伊直弼は?
283日本@名無史さん:03/09/06 12:46
井伊直弼はハゲシク不細工すぎたようで
284日本@名無史さん:03/09/08 00:58
飼い殺しの武家二,三男や商家の奉公人のために吉原があったんです。
285日本@名無史さん:03/09/08 01:11
》1
松平健のことか?
286日本@名無史さん:03/09/14 14:29
287日本@名無史さん:03/09/23 20:40
妻帯はしたんですか?
288日本@名無史さん:03/09/25 01:35
妻帯はしたんですか?
妻帯はしたんですか?
妻帯はしたんですか?
妻帯はしたんですか?
妻帯はしたんですか?
289日本@名無史さん:03/09/25 14:19
ひきこもり?
290日本@名無史さん:03/09/25 14:24
>>253
タワケの語源は?
農民は長男相続じゃなかったの?
291日本@名無史さん:03/09/25 19:32
>290
時代によります

当然ながら
292日本@名無史さん:03/10/02 00:54
293日本@名無史さん:03/10/09 22:19
>>291
具体的には?
294日本@名無史さん:03/10/10 03:14
>293
???
295日本@名無史さん:03/10/12 12:45
時代劇板で聞いても答えが返ってこなかった為、ここで教えて下さい。
養子・婿養子となるまでは長男の厄介者として部屋住みなのはわかる。
で、なんの仕事もさせて貰えなかったの?(家の手伝いとかナシとして)
藩の役職にはつけなかったんですか。
296日本@名無史さん:03/10/12 13:11
京都見廻組は旗本・御家人の厄介で組織されていた。
297日本@名無史さん:03/10/12 16:22
>>295
状況によります。
当然ながら。
298295:03/10/14 12:50
>>297
そうですか。そうですよね。ありがとう。
299日本@名無史さん:03/10/15 00:28
平時は無役で自宅待機だけど、戦時には動員かけられますよ
300日本@名無史さん:03/11/05 23:20
301日本@名無史さん:03/11/16 20:50
先日武家屋敷を観て来ました。
日常起居していたと言う居間には、見事に何もありませんでした。

それで感じたんですが、武士は自宅で何してたんでしょ?
書見?庭で素振り?

年中そんな事してたとは思えないんですが、
ことに部屋住みの次男三男は何して日々を過ごしてたんでしょ?
302日本@名無史さん:03/12/06 12:43
自慰
303日本@名無史さん:03/12/06 15:41
次男三男は妻がいなくて悶々とし
長男は男色に耽って女を顧みない。
歪んだ貧富の世界。
304日本@名無史さん:03/12/06 16:19
長男が早死にして次男が跡継いでたりすると、
必ず「暗殺?」と思ってしまう。
長男・次男ともに早死にして三男が跡継いでたりすると、
もう三男が毒盛ったとしか考えられない。

そんなケースのほうが少ないだろうとは思いつつ、
次男、三男で家継げたヤツをどうしても悪人に見てしまう。
305日本@名無史さん:03/12/06 16:33
次男、三男でホモることはなかったの?
306日本@名無史さん:03/12/06 16:42
寺で男色が流行るわけが分かったよママン
男達の町、江戸で男色が盛んなわけも分かったよママン
戦国の武士が戦場でする性欲の処理の男色が
江戸時代では廃れなかったわけが分かったよママン
307日本@名無史さん:04/01/10 12:34
308日本@名無史さん:04/01/14 05:07
男同士でセクースするぐらいなら
脳内妄想彼女でオナーニしたほうが何ぼかましだわい
309日本@名無史さん:04/01/21 23:23
310日本@名無史さん:04/01/26 00:43
>>308
一度やってみなよ。
マジデおすすめ。
311日本@名無史さん:04/01/27 18:31
吉原の常連客のほとんどは部屋住みさんだったようだね。

312日本@名無史さん:04/02/04 22:32
313日本@名無史さん:04/02/15 13:14
314日本@名無史さん:04/02/15 13:28
武士なんてのはなんの目標もない人間が安定だけを求めてなる
職業なわけで。どっちかというとしょうもない人間の集団だ。
風俗嬢からエネルギーをもらうがよい。
315日本@名無史さん:04/02/15 19:58
>>282
このスレ始めてきた者です。
井伊直弼は養子先候補の占い師に
「剣難の相がある」と言われ先方に断られた(弟の方が選ばれた)といいます。
実際は肖像画にもみられ
しかも井伊の赤鬼とよばれたぐらいですので頑固そうでコワオモテです。
その後は養子先も見つからず
井伊家の家臣には厄介者の
藩主の弟と思われていたようですね。
つぎあての着物、質素な食事などが支給されるが
惨めな気持ちだったようです
埋もれ木の舎(や)で読書、剣術の稽古、古典教養などで
一生を終えるつもりだったようです。
316日本@名無史さん:04/02/16 03:44
>>1
足軽だったウチのご先祖様のばやい。

● 普通に分家。
● 兄の死、病、失踪の為、繰り上げ当選。←コレ多い。
● 渡り徒士になった。←フリーの侍の事らすぃ。
● 坊主になった。
● 他家に養子にいった。
● 商家に養子にいった。
● べっ甲やかんざしの職人になった。
● 行方不明。←何気に多い。

そんなカンジでした。
317日本@名無史さん:04/03/08 19:37
318日本@名無史さん:04/03/08 20:50
お江戸八百八町の心意気
 持家なんぞけちくせえ 米が切れたら稼ぎに行く 江戸っ子気質は火事のせい “出世”なぞどこ吹く風
 江戸の男の八割は一生独身 江戸に生まれていたならば 前世は武士の女房でございました

八つぁん、熊さん、カカアの暮らし
“時代劇”など起こらない お上のお沙汰も庶民にゃ無縁 飢饉よりよっぽど怖い現代の交通事故
 煮炊きも掃除もカカアはしない

 江戸っ子渡世は週休五日
 江戸時代の日本は南国だった!?住んでみりゃわかる江戸の快適 狭くて暗くてどこが悪い 
“下町情緒”なんぞとんでもない 江戸っ子の95%は江戸生まれじゃない 今日は魚屋、明日は八百屋の気楽な稼業
 ローン知らずの“その日ぐらし”
 大江戸サラリーマンは給料すえおき
 名前も住まいも気軽に変えて はからずも江戸っ子人生 江戸っ子顔負けの転職人生  いきあたりばったりが私の流儀
 人生思うようには行かないものだ  浮世絵研究じゃ飯は食えぬ  江戸を他人とは思えない  浮世絵はもともと江戸みやげとして作られた
 江戸っ子は人生のことで深く悩まない

人間死んじまっちゃあ遊べねえ  暗いからメークも衣装も派手に決める  現代人の遊びはしみったれ  色の道に野暮言うんじゃねえ
 遊女は避妊をどうしていたか “吉原”は江戸時代の芸能界 恋はあっても、愛はない 浮世絵師は人気商売 人気への敏感さはテレビ界に通じる
 芸術家だけでなく商売人だった北斎  スポンサーなしで頑張った広重  新技術の開拓者としての歌麿 江戸とハイカラが生んだ新聞錦絵
 時代の息吹を伝える「鬼っ子」 新聞代は上天どんぐらい  「解体新書」に似た洋風のイメージ  大首絵のヘンな色っぽさ  ミュシャもクリムトも浮世絵の影響を受けている

319日本@名無史さん:04/03/24 18:59
320日本@名無史さん:04/04/15 22:54
321日本@名無史さん:04/04/29 07:37
322日本@名無史さん:04/05/20 12:22
323日本@名無史さん:04/05/20 12:44
中級以上の武士も農業をすることが多かったのですか?
324日本@名無史さん:04/05/20 19:30
ydおy9うdふぃうぐいいhsぢおほ だよ。
325日本@名無史さん:04/05/22 19:52
11代将軍徳川家斉は側室40人に男子28人・女子27人の子をもうけた。
子息の養子先に選ばれた諸国の大名の中には家督を横領されたものもあったという。
326日本@名無史さん:04/05/23 00:43
>>325
たとえばどこの藩?
327日本@名無史さん:04/05/23 00:45
武士の三男坊だったら気楽な2ちゃんねる暮らしを満喫できるぜ!!
328日本@名無史さん:04/05/23 00:47
御宿かわせみへ婿養子
329日本@名無史さん:04/06/13 16:24
>>327
ぬるぽ
330日本@名無史さん:04/06/14 05:44
次男三男は、兄嫁の手コキによって毎夜性欲を処理されていた。
そういうのも嫁の務めなんだな。
331日本@名無史さん:04/06/19 12:00
>>304
吉宗はどうよ!
332日本@名無史さん:04/06/19 12:04
当然・・・です。
彼の場合、兄弟だけでなく、
親戚、本家筋にまで魔の手を・・・
333日本@名無史さん:04/06/19 12:15
鎌倉時代は次男だろうが三男だろうがみな財産を分けていた。
長男に比べると違いはあっただろうが。
しかしそうすると2代、3代と相続していくと、どんどん分割されていき勢力が弱くなっていく。
鎌倉武士が困窮したのはこれも一つの原因だった。
334日本@名無史さん:04/06/19 14:38
時代はぐっとさかのぼるけど、蒙古襲来絵詞の竹崎季長は武家の五男で
当然ながら領地も家臣もゼロ、だからこそ無茶やって恩賞をせしめようと
したわけだ。平和な時代はいくさで名をあげることが出来ないから、さらに
大変だったんだろうね・・・・

同じ肥後の話だが、加藤清正が熊本で神様に祭り上げられているのは、
彼が新田開拓や治水をやって田畑を飛躍的に増やし、次男坊や三男坊
も土地を持てるようにしたからなんだと。
これにより領土争いも減って、めでたしめでたしだってさ
335日本@名無史さん:04/07/18 00:57
336日本@名無史さん:04/08/09 13:23
age
337日本@名無史さん:04/08/09 14:26
おぅ何してんだよぉ?オナニー
端午の節句好き?パチンコ引くパは?
338日本@名無史さん:04/08/09 20:48
明治になって、士族と平民の線引きのとき、
次男、三男は、どうなったんでしょう。

あるいは、おじいさんの代に次男三男だった連中は、
どうなったんでしょう。士族になったのかな(士族、卒族)。
339日本@名無史さん:04/08/26 19:26
age
340日本@名無史さん:04/08/26 19:36
次男三男は、ある程度の学問があれば、養子要員としての価値があった。
341日本@名無史さん:04/09/14 08:23:51
age
342日本@名無史さん:04/09/29 19:24:31
age
343日本@名無史さん:04/09/29 19:40:35
>>338
親の戸籍に入ってる間は士族
分家独立すれば平民
家老の子の原敬が平民なのはそのため
344日本@名無史さん:04/09/29 19:51:16
>>343
それは知らなかった。士族は士族だと思ってたよ。
勉強になった。サンクス。
345日本@名無史さん:04/10/05 02:40:12
江戸時代初期の浪人には長男も次男も関係なく、さまざまな境遇の者が武芸者もしくは浪人となって諸国を練り歩いていたが、
江戸中期から幕末にかけての浪人(脱藩者)はたいてい次男以降の者だったと言われる。
346日本@名無史さん:04/10/25 13:38:33
age
347日本@名無史さん:04/10/26 05:07:53
348日本@名無史さん:04/11/12 20:22:27
保守
349日本@名無史さん:04/12/01 15:33:23
age
350日本@名無史さん:04/12/18 19:17:20
保守
351日本@名無史さん:04/12/18 20:23:23
>>338
食えないから、軍人にでもなるか
学問をして出世するしかなかったのでは
352日本@名無史さん:04/12/18 21:06:25
桑名藩士だった先祖だけど、戊辰戦争時、長男は国許の本家を継ぎ恭順。
次男、三男は桑名隊に身を投じ本国から遠く離れた宇都宮、越後
加茂でそれぞれ戦死したらしい。
家督を継げないだけ、ある意味自由な行動が取れたのだろうか?
353日本@名無史さん:04/12/19 10:24:40
ニートは日本の伝統
354日本@名無史さん:04/12/19 16:05:37
戦争がなく太平の世になると、戦死者が減るから男が余る
次男、三男は嫁ももらえないので兄上にこづかいをもらって、吉原に遊びに行く
355日本@名無史さん:04/12/20 06:26:08
金で武士の身分を買ってた。皆武士になりたがったので幕末には武士が人口の過半数を超えるくらいになって
えらい事になってたらしい。真のサムライは人口の一割程度。残りは自称サムライ。ぷぷ
356日本@名無史さん:04/12/22 22:51:01
うちの祖母の祖父は確かに購入したよ。
金払って、形式上の養子になったそうだ。
357日本@名無史さん:04/12/24 00:24:59
新撰組の近藤も多摩の百姓のくせに、武士きどりだったね
358日本@名無史さん:04/12/24 03:00:54
>>357
徳川家の旗本連中も元を辿れば似たようなもんでは?
359日本@名無史さん:04/12/24 04:00:19
内藤吉兵衛という甲州浪人がいて、流浪の末豊後日田に流れついて、代官所手代と養子縁組し、子が産まれた。
吉兵衛は、さらに江戸にゆき、御家人川路家の「株」とやらを買い、その子を川路家養子にした。彼がのち勘定奉行にまで栄達する川路左衛門尉聖謨、彼である。
井上清直や根岸鎮衛、久住美佐渡守らも似たような境遇で下級幕吏から出世した。
次男三男や浪人の子が幕臣になって栄進する機会が全く無かったわけではない。ただ株の相場は高い。三百両らしい
360日本@名無史さん:04/12/25 00:14:37
川路聖謨か
プチャーチン 下田 地震 津波 ディアナ号大破 戸田号建造 と連想が働く
江戸開城のとき自害したんだよね
361日本@名無史さん:05/01/02 23:22:54
三百両ってどれぐらいの価値なのかね?
362日本@名無史さん:05/01/03 00:00:55
1両はおよそ5万円から10万円ぐらいだろう
300両なら1500万円〜3000万円てイメージか
363日本@名無史さん:05/01/03 01:26:53
>>361
一両の三百倍です
364日本@名無史さん:05/01/15 08:56:40
age
365日本@名無史さん:05/01/15 11:08:29
大名の次男、三男って何してたの?
366日本@名無史さん:05/01/31 13:55:03
保守
367日本@名無史さん:05/01/31 14:25:52
>>365
養子のもらい手探し。
368日本@名無史さん:05/01/31 15:23:36
>>365
捨扶持貰ってお控え様ってこともある。
子供は作らせないことが多いみたいだけど、いる場合もあって山内容堂がそれで、
嫡流の従兄弟兄弟が早死にしてその弟が幼少だったので中継ぎとして襲封した。
369日本@名無史さん:05/01/31 18:59:06
>359
甲州浪人・・て武田の遺臣じゃないですよね。
甲府勤番→永のお暇てやつでしょうか・。
370日本@名無史さん:05/01/31 20:09:38
綱吉とか柳沢家の時に何かしくじりやって浪人?
371日本@名無史さん:05/02/18 10:42:22
保守
372日本@名無史さん:05/02/19 18:25:11









373竹田丹後守:05/02/20 00:40:35
3年前に立てられたスレがまだ残っていたのか
374日本@名無史さん:05/02/20 10:38:26
過疎板だからねぇ
375日本@名無史さん:05/03/07 17:42:55
保守
376日本@名無史さん:05/03/09 21:16:11
>1
厄介松平知らないの
377日本@名無史さん:05/03/10 16:44:03
>>352
正解だと思う
脱藩浪士のほとんどは次男三男だというからね
378ササキ:05/03/20 20:56:13
武士の二三男が就職もなくモンモンとしていたとき、突然ペリーの艦隊が浦賀に
現れ幕府諸藩の一部高級官僚は高禄をもらっているのに無能ぶりをあらわす。
そこで各地の二三男は騒ぎだし明治維新となる。
379日本@名無史さん:05/03/20 21:07:33
つうより、明治維新は上級武士VS下級武士という側面もあるな
各地の下級武士が動いて明治維新が成就した
上級武士が無能さを露呈した

380日本@名無史さん:05/03/20 23:29:36
昔は良かったなあ・・・・・
今や、弟は部長(もうすぐ取締役)で、俺はヒラ(w
381日本@名無史さん:2005/04/07(木) 18:12:28
歳いくつよ?
382日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:42:58
保守
383日本@名無史さん:2005/05/05(木) 12:49:16
age
384日本@名無史さん:2005/05/22(日) 11:21:20
 
385日本@名無史さん:2005/05/22(日) 20:36:44
旗本の次男三男が集まって、旗本奴などという不良グループを作って
いたが、大名の次男三男が集まって、大名奴とか作らなかったのかな。
 大名の子弟は正室腹なら、次男以下でも江戸生まれ・江戸育ちが基本で
国許には住まない訳だし。
 大名奴 冷飯組
首領 徳川吉宗(紀伊徳川家四男)
副首領 井伊直弼(彦根井伊家十四男)
組員  松平容保(美濃高須松平家9男)
組員  秋月(上杉)鷹山(日向秋月家次男)
組員  酒井抱一(播磨酒井家次男)
 冷飯組に対抗して、尾張藩主の二十男、徳川宗春が尾張藩士の次男以下
を集めて作ったのが、金鯱組。首領はもちろん、宗春ね。
 金鯱組と冷飯組は吉原など繁華街でいつも喧嘩していた。
386日本@名無史さん:2005/06/01(水) 20:41:42
冷飯組のやつ、町中でケンカするような
メンツじゃないだろ。松平容保なんか、兵隊にならんやないかw
吉宗は、鯖江で3万石もろとったやん。
387日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:45:29
庶子の庶子の庶子はどうなったんだろうね・・・
388日本@名無史さん:2005/06/04(土) 21:34:34
普通、部屋住みには妻子は作らせない
389日本@名無史さん:2005/06/05(日) 02:56:37
西郷のすぐ下の弟(西郷吉二郎)は妻子がいた。
 しかも、苗字が西郷姓のままだから、養子に行った訳でもない。
 もしかしら、兄貴の功績で別家を立てたのかな?
390テレアポ舞台の馬場厚:2005/06/05(日) 03:02:11
どうですかね
391日本@名無史さん:2005/06/05(日) 20:17:07
部屋住みの子(つまり当主の従兄弟筋)で藩主になった例もいくらかはあるから、
余裕のある藩はそこまでうるさく言わなかったんでは。
養えるのならスペアは多いほうが良いし。
392日本@名無史さん:2005/06/05(日) 20:54:47
徳川吉宗は将軍になったらから目立つけど同程度の幸運児って結構多いみたい。
例えば毛利重就、
本来なら萩毛利家の分家の長府毛利家のそのまた分家の清末毛利家の実質四男(しかも
兄二人は同母)に過ぎないはずだったわけで、清末の当主になれれば好運としか言いよう
がないくらいの立場だったはずなのだが。
好運1、長府家が潰れて清末家が実質長府に成り代わり。
     一万石の部屋住みのはずが4万8千石の部屋住みに。これはたいしたことないが。
好運2、清末家が復活し、次兄が当主に、三兄が本家の一門(家老)の養子に。
     部屋住みがお控え様に昇格。(ちなみに同母弟は譜代の藩主に)
好運3、長府の当主になった兄が死亡、庶子がいたのだが幕府届出されていなかったため
    認められず、かわって長府の当主に。ここまででも十分強運だがなんと更に。
好運4、本家萩の当主死亡、本家の当主に。
好運5、本家当主の忘れ形見は女の子だった。(男であれば養子とするよう遺言あり)
好運6、前当主の遺言により養子をとるも死亡。
     本来は中継ぎ当主のはずが、実子に後継がせることに成功。

以後嫡子が萩本家の当主、庶長子とその弟が長府藩主。
   実質末子の子(重就の孫)が嫡子の次の本家当主、以後両者の子孫が交互に当主に。
なにか偶然もここまで続くと吉宗同様怪しいかも。
393日本@名無史さん:2005/06/05(日) 23:29:24
井伊直弼は?
394日本@名無史さん:2005/06/15(水) 20:56:22
age
395日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:09:07

大名の次男三男と2・300石の次男三男では比較にならん
396日本@名無史さん:2005/06/27(月) 01:04:18
そりゃそうだろ
397日本@名無史さん:2005/06/27(月) 02:39:22
>>389
吉次郎は西郷より先に死んだと思うが
398日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:46:16
有馬則維は
300石の旗本の次男坊→3千石の旗本の養子→20万石の大名
399日本@名無史さん:2005/06/27(月) 10:01:31
>>392

将軍・大名だから目立つが旗本なんかでも結構ある。
それだけ医学・医療が発達していなかったのだろう
400日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:58:07
保守
401日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:50:27
ヨーロッパだと兄が死ぬと祝報が届いたらしいね。
日本のほうが養子というはけ口があるからまし。
402日本@名無史さん:2005/07/11(月) 15:51:54
司馬遼太郎の短編にいろいろ次男の話がある。部屋住みで古本ばかり読んで一日を過ごしてる
青年が、家老の娘にみそめられて入り婿の話が決まったとか。
403 :2005/07/11(月) 23:18:01
確かに有名人で養子は多いよね。
404日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:18:05
三男は天下取り確率異常に高いね。
源頼朝、織田信長、徳川秀忠、徳川吉宗。
三日天下だけど平宗盛、幼君だけど豊臣秀頼
405日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:45:54
良家の養子くちは、「あたまの出来がよい」か「剣の腕前が凄い」の
いずれか。両方ともだめなのは、一生部屋住みか出家、または坂本竜馬(次男)
のように脱藩し浪士化。
だから小禄の武家でも長男を暗殺して後釜に座る話が絶えなかった。
406日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:14:07
ある藩の状況を調べてみるとその藩の場合はほぼ全員に養子の口が合ったらしい。
なお養子先はほとんどが実家と同程度の石高。
それにやや下が続きやや上は余りなかったらしい。
家老級に限ると同家格の家が少ないので、格下の家が多かった。
また上士・徒士・足軽の身分階層を越える養子縁組はほとんどなく、養子縁組による身分
上昇効果はなく、むしろ身分固定化に寄与したという結論。

もっとも別の藩では農民のパートタイムの足軽から功労で譜代格になり、
後継ぎは農民だが、下の子は足軽から徒士に昇格とか、
同じような身分から120石だかの上士の養子に行ったりする例もあるらしい。
407日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:10:16
公家や戦国大名はよく出家してますけど、江戸時代の大名旗本陪臣の場合は、
次男以下を僧侶にするのは一般的じゃなかったのですか?
408日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:01:12
保守
409日本@名無史さん:2005/08/05(金) 23:51:13
410日本@名無史さん:2005/08/20(土) 12:39:53
保守age
411日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:04:24
age
412日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:44:00
うちは侍の家だったらしく、生真面目な家系だったので次男、三男は江戸に出して
大工や職人にさせてたらしい。
その名残でうちは祖祖父、祖父、父、漏れと大工。その前は知らないが、たぶん大工だったっぽい。
413名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:07:55
神道禊教の開祖・井上正鉄(1790〜1849)は館林藩士安藤真鉄の次男で
梅田村(春日部市)神明宮の神主になった。
 
俺は禊教の信者じゃねえぞ。
414日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:01:35
え?
415日本@名無史さん:2005/10/06(木) 22:18:38
武士の次男三男は何してたの? ・・そう重要なポイントですね!。

このなかに、ちょっと近ずいたのがひとつありますね。昔は、長男社会・・貧しかったこともありますが、家を取るのは長男だけだった。
あの旗本でさえ、旗本の恩恵を受けるのは長男だけだった。では次三男はどうしたのか。それはもう8歳くらいで家を出されたのです。
どこ得だされたのか、それはまだいいほうで、お寺だった。表向き『手習い』と言う名目で、坊主の下に出されます。表向きは手習いで、
もちろん手習いもするのだが、12,3になると、坊主の性欲の処理に奉仕させられます。いわゆる『寺小姓』です。昔は「稚児」といってたやつで、
『小姓』と『蔭間』を一緒にしたようなもので、振袖を着て坊主の夜の伽をします。あの振袖火事の振袖とは、寺小姓の振袖です。(振袖は男の子の衣装だった)

商人や普通の家庭では、男の子は『蔭間』に売られて売色させられていた。
普通の武士の子弟も同じような運命にあっただろう。
416日本@名無史さん:2005/10/06(木) 22:45:34
他家への養子
417日本@名無史さん:2005/10/07(金) 20:54:23
418日本@名無史さん:2005/10/07(金) 23:12:36
>>415
男色は日本の「公家・武士・僧侶」の文化。農家には男色は無かったらしい…。

漏れはホモじゃないよ(念のため…)
419日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:04:02
寺小姓は、主に上級の家柄である「旗本」の次三男が主に供給源だった。8歳くらいから家を出され、他の「小姓」、「陰間」と同じく12,3〜4の頃が盛りだったが、せいぜい、15,6位までで、20位になるまでには、
たいてい寺を出されたと言う。しかし、いくらか金を持たされ、それを元手に何かする。養子という道もあったろうが、すべてがそういうわけではなく、まだ社会保障も、児童福祉法もない時代、長男と次三男は格段の違いだった。
旗本でさえ双だったろうから、それ以外の貧乏武士とか、普通の商売人にいたっては、ひどいものだったはず。坊主は、結婚してはいけないし、誰でもする、女との交合(性交)も許されなかった。女犯といってこれを破ることは
犯罪であって、晒しとか追放、死罪にされた。当時、男色(衆道・少年愛)が一般的であった。坊主は、「稚児」とかが居た。街で陰間を買うこともできた。次三男は、自分の食いっプチを自分で稼ぐことが必要で、そのためかわ
いがってもらうため、好色坊主の元に出された、これが「寺小姓」だった。体を捧げることによって、生きていくのは、女(女色)と同じだった。でも男の子でも、美貌の男の子(美童)はすごい需要があったからまだいい。
『蔭間』は、多数の男の相手をさせられたのに対し、寺小姓は小姓と同じように和尚専用で、可愛がられるからまだよかった。
420日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:31:36
つらい生活だな、江戸時代も
421日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:50:52
「寺小姓」は、「陰間」よりよかった。それは、相手するのが、不特定多数ではないということ。
寺小姓もせいぜい15,6くらいまでで、20位になる前に、寺を出された。
でもいくらか金を持たされたそうで、それを元手に何かした。
子どもが自分でくいっぷちをかせぐには、労働か自分の体を売るこしかないことは、
女と同じだった。美貌の子(美童)は、男色で需要があり高く売れた。

旗本の子は、まだ寺小姓という道があったが、貧乏武士とか一般商売人などの子は
蔭間に売られたりして、体を売った。

422日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:31:35
日本は、いつのまにか豊かになったが、つい昭和30年代初めごろまで貧しい時代だった。昭和20年代くらいまで食うや食わずやの時代だったと言えよう・。
子どもは昭和20年ごろまでは、小学校6年卒業すると、奉公に出されたが、小学校卒業を待たずに奉公にだされるということもあった。映画「二十四の瞳」にはこのあたりがでている。

江戸時代ともなれば、それはひどいものであったろう。今、世界のあちこちで、何千万人もの児童買春があるが、日本でもそれが普通だった。
423日本@名無史さん:2005/10/08(土) 13:25:19
>>422
美少年でない三男はどうする?
424日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:27:52
江戸時代は商人が栄えた時代だった。大尽といわれる商家の金持ちは、遊女とともに、蔭間を買い蔭間遊びをしたという。
一般の次三男は、8歳位から「丁稚奉公」に出されたという。丁稚奉公先で、美少年というわけでなくとも、それなりに可愛い子は
番頭さんや旦那さんとかに可愛がられた。

 ビートタケシの『座頭市』にもそんな場面があるが、男の子好き、「男色」すきの番頭さんなんかに愛され可愛がられると言うことが在ったようだ。
「寺小姓」のような美少年(美童)でなくとも、ちょっとかわいかったりすれば、可愛がられたと思います。
可愛がられると言うことは、ちょっと失敗しても叱られない。そのかわり、ちょくちょく、寝室に呼び出され性欲の放出の対象とされる。されることは、蔭間も寺小姓も、小姓も大体同じ。
いずれにしても、男色は蔭の男の子の生きる方法でもあったろう。いずれにしても、昔は就職は今の8,9歳、まだ10歳にも満たない小学校低学年で、小さな子が生き
ていくためには、誰かに可愛がられる必要があったと思います。可愛がられるには可愛いこの方が得だったろう。
425日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:59:24
426日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:06:36
このBBSの『江戸の性風俗』に陰間のことが書いてある。
427日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:28:51
江戸時代は、子どもが世の中に出て行くのが今よりずっと早い!!。
たとえば、今成人式は満20歳だが、昔は『元服』といって15歳だった。
15歳とは数えで、満で言えば13歳何ケ月か。今で言えば中学1,2年生だった。
衆道とは元服前の前髪の美童をあいする風俗。12,3というのは、美童盛りと言われた。
これは、小姓、寺小姓、蔭間皆同じだった。これらの年頃の男の子は、元服してないが、
重要な役割を負っていた。

元服前の美童のことを若衆(わかしゅ)と言うのに対し、年長者を念者(ねんじゃ)といって、
若衆と念者の間では、「義兄弟の契り」と言うのを最初にして関係を続けた。
これは、男女の初夜の儀式と同じものだった。そういうわけで、肉体的関係なので、男色関係は深いかんけいだったようだ。

売色の陰間は別として、念者がつけば、次三男でも幸せになれたろう。ただし、元服前にだが。男色関係は特殊なものではなかった、夫婦と同じ肉体を交える強固な関係だ。
まだ年端もいかないか弱い男の子が世の荒波にもまれ、年上のものに可愛がられ保護を受けるためには必要な制度と言えるかもしれない。しかし、一心に身を捧げなければいけないもの。
428日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:00:10
今、飽食の時代と言われ久しい。コンビニに行けば何でも売っている、食べ残しの弁当がたくさん捨てられている。
米が余るようになったのは、いつごろからだと思いますか?。日本で米が余るなんていわれたのは、昭和も戦後、
昭和40年代に入ってからの話です。それまで、冷害凶作とかいうのがしょっちゅうあったのです。昭和のはじめ東北
の大凶作とういうのがあり、これによる農村の疲弊が太平洋戦争にいたる遠因の一つになってるということも言われています。

江戸時代ともなれば、旗本といえども、まず食べ物からして、家族全員・・子ども全員を賄うことはできなかったでしょう。
今のようなフリーターとかは許されなかったはずです。10歳近くになれば、自分でくいっぷちをかせぐことがもとめられるのは普通だった。
旗本はまだよかったということ。お寺と言うのは昔は格式が高く、学校のような、大会社のようなものだったろう。なお、「小姓』に請われたり、
賄賂にされたりと言うこともあった。これも7,8歳くらいから。(夜の勤め・夜伽・を含めて小姓としても勤めは12,3からだが。)

一般の子弟は「丁稚奉公」か、もっとひどいと、「陰間」に売られてしまうと言う厳しい世の中だった。
429日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:13:56
>>424
>ビートタケシの『座頭市』にもそんな場面があるが、男の子好き、「男色」すきの番頭さんなんかに愛され可愛がられると言うことが在ったようだ。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33601/
430日本@名無史さん:2005/10/15(土) 13:03:18
食料のことに関しては、貧乏百姓の次三男も、旗本の次三男も口減らしという点ではさほどかわりはなかった。むしろ、
旗本の次三男のほうが、体、性をひさぐという点では過酷だったといえよう。
貧乏武士の次三男も同じ。今のように20近くまでただ働きで、食わせてもらうなどということはありえないことだった。
431日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:44:58
>>430
詳しく
432日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:10:26
>>431
日本の歴史を解くキーワードそれは[口減らし]という事ではないでしょうか。
日本は豊かな国だと思っている向きもあるかもしれないが、日本の歴史はつい
昭和30年代くらいまで貧しい国で、その歴史は、食料との戦いだっともいえる。
食料があまるなどというのは、戦後も10年以上たった昭和40年代のことで、
米が余るなんていわれてまだ40年たっていない。
江戸時代などは、しょっちゅう飢饉の連続だったし、明治時代以降昭和に入っても同じだった。
口減らしは、ぎりぎりの
状態で行われるもので、庶民も武士も10歳前に行われていた。
貧しい百姓では間引き〈嬰児殺し・子を流すとも言う〉は当たり前だったのに
比べたらまだましだった。
口減らしは、奉公、養子、子売・・・・などいろいろあったろう・。「おしん」、
「野麦峠」などはこうした話。・「越後獅子」(角兵衛獅子)・・などもこうした
生きるか死ぬかぎりぎりの策だったという。
・楢山節考(中世・庶民)
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/samata/folk10.htm   
 http://homepage2.nifty.com/masako-taki-1272/hon-bukiminawarabeuta.htm
・壬生義士伝・・江戸時代・武士
  http://www.hi-ho.ne.jp/mi-inoue/movie/mibu.html
  http://www.h2.dion.ne.jp/~ewyra/mibu.html
 飢饉により南部藩内でも、口減らしのため子を流すことがおこなわれていた。吉村家では妻と2人の子を抱えているが、
3人目の子を身ごもっていた吉村の妻しづは口減らしのため子を流そうとする。腕も立ち学問も秀でていた吉村は、藩の子弟に剣術、
学問を教授していたが家族を養うために脱藩する。脱藩は大罪であるが、事前に打ち明けられていた大野は厳しい態度をとりながらも、
密かに通行手形を準備する。
433日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:12:07
・小姓・寺小姓 ・・江戸時代・武家
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93
   ・・また貧しい武家の次男・三男は、口減らしと学問習得などの理由で、寺に売られ、『寺小姓』として僧侶の身の回りの
世話をしたり、女犯を恐れる僧侶の欲情のはけ口の役割を果たした。
大抵十八・十九と成人する頃には、纏まった金をもらって旗本株を買うか、町家に囲われるなどして寺を出された。
 ・「アマゾン移民事業」・・昭和・戦後
  http://plaza.rakuten.co.jp/natsubooks/diary/2004-09-30
434日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:15:11
・壬生義士伝・・江戸時代・武士
  http://www.hi-ho.ne.jp/mi-inoue/movie/mibu.html
  http://www.h2.dion.ne.jp/~ewyra/mibu.html
   飢饉により南部藩内でも、口減らしのため子を流すことがおこなわれていた。吉村家では妻と2人の子を抱えているが、3人目の子を身ごもっていた吉村の妻しづは口減らしのため
子を流そうとする。腕も立ち学問も秀でていた吉村は、藩の子弟に剣術、学問を教授していたが家族を養うために脱藩する。脱藩は大罪であるが、事前に打ち明けられていた大野は厳しい
態度をとりながらも、密かに通行手形を準備する。
435日本@名無史さん:2005/10/21(金) 16:17:18
家の家系は、下級の武士だったので次男三男は農業やってました。
長男もほとんど政をせずに、農業やってたそうです。
436日本@名無史さん:2005/10/25(火) 23:15:50
時代・地域によっても多少違いはあるかもしれないが、歴史から学ぶ事があるとすれば、永い将来を考えた場合、第一に食料・・農業〈生産〉
の事があげられるのではないでしょうか。今、日本は豊かになり飽食の時代と言われ久しくなりました。今なんでも外国から輸入が可能となっており、
食料需給率の低下は恐るべき状況にあるといえます。一方で、農業を軽ンずる風潮も進んでいます。食を海外に頼る事の愚かさ、危うさにも思いを致すことが大切だと思います。

・飢饉の歴史
 http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_19/vol19_2m.htm
 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/saigai.html
 http://rms1.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/sakumotureigai/5-1_h.htm

・昭和・東北大凶作
 http://www.mumyosha.co.jp/01new/kyosaku.html
 http://www.mumyosha.co.jp/cover/kyosaku.html


437日本@名無史さん:2005/10/29(土) 22:36:24
堀田正俊が出てねえな。
438日本@名無史さん:2005/11/07(月) 02:38:54
堀田胡瓜
439日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:37:06
440日本@名無史さん:2005/12/10(土) 12:28:39
441日本@名無史さん:2005/12/10(土) 12:37:11
飯食って糞してオナニーしてた
442日本@名無史さん:2005/12/10(土) 16:58:02
吉原へ通っていた。
443日本@泣無史さん:2005/12/12(月) 20:11:41
くだらん
444日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:38:08
age
445日本人:2005/12/20(火) 20:53:50
 ぺりーの艦隊が浦賀に現る。そして欲求不満の二三男が騒ぎ始めたのが明治維新。
446日本@名無史さん:2005/12/20(火) 20:57:49
大名等上級武士の場合は、実は生きてさえいれば結構跡を継げている。
死亡率高いから。
447日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:07:31
age
448日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:33:02
何も心配はしなくても長男が死ねば次男が跡取り。
次男が死ねば三男と言う事でチャンスがある。
449日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:06:53
酒・女・博打
450日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:18:31
そこで石見銀山の出番でつよ
451日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:43:37
EAT FUCK KILL
452日本@名無史さん:2006/01/29(日) 02:17:30
兵力の数の埋め合わせ=中・下級武士の次男・三男(いつもは部屋住みの暇人)

453日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:13:52
貧乏な武士は子供を多くはつくれない。女子しか生まれないこともある。
当時は死亡率も高い。しかし、跡継ぎは必要。
だから、次男・三男でも、長男が死ねば繰り上げで跡取りだし、
養子の口も多かった。

要するに、元気で育てば、大抵はどうにかなった。
454日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:31:20
自称旗本の三男坊が将軍様だったり
455日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:12:19
家老の家とか、藩主に側室を代々出してる家って、側室用娘のはずれとして息子も大量に生産したと思う。
456日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:51:20
井伊直弼は、待ち続けて、ついに大老になりました。
457日本@名無史さん:2006/03/03(金) 19:38:43
貧乏武家の次男、三男

旗本の中小姓なんてのもありか。
仕官できてラッキー、でも微禄の若党。
458日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:34:17
あんまりおらんだろ。
459日本@名無史さん:2006/03/32(土) 14:34:08
そうやね。
460日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:04:13
豪農の歴史に「武家から婿養子を貰う」と書いてあったのを、見た事があります。
普通はありえない話ですが、豪農側の資料に何人かの武家からの養子の話が書いてありました。
ですから世間的に認知されなかった、長男以外の子供が存在してたのと、
家の格をあげたい「豪農」で子供のやりとりがあったのだと思います。
農家は一婦多夫制のとこもあったらしいですね。
兄弟で一人の妻を娶る(子どもを増やさない為)所があったようです。
461日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:01:20
age
462日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:28:36
「厄介おじ」って武家の部屋住みが語源?

自分が部屋住みなら、刀鍛冶+刀身専用の彫金職人になって一儲けを考えるけど、徳川幕府だと
武士の副業って許可されてないですよね?
自宅に勝手に炉を設けたらお咎めがあるのかな・・
旗本が金がないから小料理屋を開店・店長になって改易とかの事例が本に載ってたけど・・・

でも内職はokだったんだから、よくわからんな。
463日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:42:57
虫とか金魚の養殖、傘張りとかやってたみたいだけど、下級武士とか浪人だけ?
464日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:50:46
このあいだテレ玉で仕掛人みたが
本業が金魚の養殖の御家人出てたよ。
465日本@名無史さん:2006/05/12(金) 23:47:12
寺小姓は、主に上級の家柄である「旗本」の次三男が主に供給源だった。
次三男は、自分の食いっプチを自分で稼ぐことが必要で、そのためかわ
いがってもらうため、好色坊主の元に出された、これが「寺小姓」だった。

 暴 れ ん 坊 将 軍  〜番外編〜
ホモ「お武家様のお名前は?」
徳川吉宗「俺は、徳田新之助。貧乏旗本の3男坊だ。」
ホモ「あらぁ、じゃぁあたしと同類?」
徳川吉宗「ぶ無礼者。成敗!!」
ぐさっ!
466日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:54:30
ほー
467日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:05:33
武士の次男=ニート
468日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:24:15
三男=スクラップ
469日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:26:25
養子
470日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:05:15
○まずは養子。
一族、同等階層が中心だが、寺僧社家や医家もある。
○郡代代官の手代や地役人等になり独立。
○新規取り立て・加増大名・旗本、あるいは御三卿への仕官。
○一生飼い殺し
471日本@名無史さん:2006/05/26(金) 00:32:01
死亡率が高く、不妊治療もない時代だから、こどもが多く育つのは珍しく、
とてもめでたい。実子の跡継ぎが一人も育たないことは珍しくない。
社会保障のない時代だから跡継ぎがいないということは、老後は悲惨。

だから、武家に次男三男が育てば、養子の先には全然困らない。
血統が繁栄し、万々歳。
472日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:38:17
天皇家や徳川宗家にしても実子の相続は途切れがち。
養子は普通のことというより、養子で相続できるだけでもめでたいことで、
そうでなければ断絶する他はなし。
473日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:37:28
切腹だろう
474日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:45:45
んだな
475日本@名無史さん:2006/07/14(金) 00:44:05
おにゃにー
476日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:32:58
ん?
477日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:43:08
>>1 可愛そうにチョン切られた
478日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:45:54
百姓の家は、全く血縁がない者でも名跡(株)を継ぐ。
479日本@名無史さん:2006/07/31(月) 22:22:13
奉公とか養子か?
480日本@名無史さん:2006/07/31(月) 22:32:07
百姓には公式には名字も氏もない。
それは、公家や武家ほど血統を重視しないことの現われだよ。

百姓の家は企業と同じさ。血縁者で跡継ぎがなければ、
有能な者を連れてきて跡取りにした。
もらい子に嫁をもらって跡取りにすることも充分ありうる。
481日本@名無史さん:2006/07/31(月) 22:36:53
相撲
482日本@名無史さん:2006/07/31(月) 23:49:15
>>479
潰れ百姓が出ると、他人が家を継ぐケースも出てくる。
483日本@名無史さん:2006/08/02(水) 19:21:59
幕末の見廻組は、主に武家の次男、三男が中心に活躍してたと聞くが。
484日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:08:21
そうなんすか
485日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:29:59
殆どが兄貴に食わせてもらってプータローやる。悪くないかも。
486日本@名無史さん:2006/08/23(水) 06:35:23
居候、三杯目にはそっと出し
487日本@名無史さん:2006/09/19(火) 18:24:28
>>480
百姓にも名字持ってるのはいたよ
庄屋や名主クラスだけどね
488日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:29:10
江戸時代の百姓は、庄屋クラスしか公式には苗字を持っていなかった訳だけど、
実際には結構苗字を持っていたらしいよ。
489日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:35:41
名乗れなかっただけというのが通説だよな
屋号とかを代わりに使ってるうちに忘れてしまって、
明治になって新しく苗字を付けたって人もいるらしいけど
490日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:59:53
そそ。
実際はみんな苗字持ってた。
公的文書にサインするときに苗字を書いちゃいけなかったってだけ
491日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:58:33
主人と全く血の繋がらない小作階層でも
主人と同じ苗字を称してたのは内緒。
492日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:08:00
名字というものは、そもそも名田の名前から来ているもので、要するに地名から
生じたものだね。だから、血縁とは微妙に異なる。氏とも基本的に異なる。

だから、名字は、分家したり居住地が変わると、どんどんと変化し得る。
小作層とて、その土地の名前を名字として名乗ることも、特別不思議なこと
ではないね。ただし、江戸時代は公式には許されなかったけどね。
493日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:12:37
私の家は名家でした・・・・幕末まで・・・・・


名家だった時に望まれて次男を傍流に養子にだしたら
傍流は現代でも名家で次男は歴史に名を残してしまいますた



長男・・・・・orz
494日本@名無史さん:2006/09/20(水) 05:12:34
江戸時代に上級の武士と豪農、豪商との結婚ってけっこうあったんでしょうか
495日本@名無史さん:2006/09/30(土) 12:26:15
親が死亡して、兄の世話になっている場合、どんな面をして
こずかいを受け取っていたんだろうか>武士の次男以下

兄嫁との権力バランスも気になるし(笑

歴史群像などの書物も、偉人ばかりじゃなく「部屋住み特集本」を出して欲しい。
参考資料が、あんまり残ってないのかな?
496日本@名無史さん:2006/10/01(日) 13:29:15
大名や高禄な家なら捨て扶持渡して知らん顔。
497日本@名無史さん:2006/10/01(日) 22:01:04
井伊直弼の前半生を見よ。
498日本@名無史さん:2006/10/02(月) 11:28:54
米村圭伍という作家の小説にはよく冷飯食いたちが出てくるけど、
気ままなやつばかりw
499日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:58:15
  
500日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:07:10
500ゲット
501日本@名無史さん:2006/12/03(日) 21:27:10
>>495
歴史と旅 S56年4月号
特集 大江戸旗本八万騎

古本で手に入れた。
部屋住みの話は無いけど面白いよ。
502日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:23:25
hu
503日本@名無史さん:2007/01/14(日) 04:58:17
ニート
504日本@名無史さん:2007/01/15(月) 01:11:14
>>494
よくて妾じゃね?
武士でも上級武士と下級武士との間に嫁取、養子取で分不相応はなかったらしいから。
行儀見習いで奉公してた町娘を見初めたら、妾がギリじゃないかな?
505日本@名無史さん:2007/01/15(月) 01:54:17
上級武士だと妾というより側室の方が正しいような
506日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:35:12
部屋住みでも、余裕があれば嫁は取れた。
ただし、赤子は間違いなくまびかれる運命。
生きてて人生を楽しんでいいけど、子孫は残せない、と。
507日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:14:19
>>506
それじゃ嫁の来てがないな。
家捨てて浪人にでもなるか武士捨てた方がまだ良いような…。
元々妻子なんかイラネって人なら兎も角。
508日本@名無史さん:2007/03/18(日) 02:12:10
ho-
509日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:48:27
次男・三男であることの問題は家督ができないということにある。
ちょっと錯綜してるが、明暦ごろはだいたいこんな感じ。

オフィシャルな意味で「その家の子」を残す権利があるのは、家督を継いだ一人のみ。
それ以外は庶子。系図にも載らない。嫁も取れない。生まれた子は続柄をごまかして籍をとる。
だから書類上は異常に子沢山な長兄がいたりする。
(正式な婚姻をするには主に届ける必要があるが、そのためには目通りを済ませている必要があり、
 目通りをするには家督をしている必要があるという三段論法による。
 家同士を勝手に結びつけさせないのは封建社会の基本だ)

でも出仕はできるし、役米がもらえるなら経済的にも妾は作れる。さて、ここで問題がある。
妾のいる次三男が、兄の死亡や出家・隠居で繰り上がったら妾はどうなるか?
繰り上げ当選で嫁になるのか?もちろん、駄目だ。
正式な婚姻をするには、あくまで契約の段階で届出が必要だから。

だから妾として家に入れたらその女は一生妾のまま。妾の産んだ子があっても、
その後で嫁に子ができたら妾の子は次三男に格下げ。「嫡子」は長子であり嫡出子のことなので。
そういう事情があるので、早くに妾を持った次三男はあんまり妻帯しない。
510織田信長:2007/04/13(金) 12:59:35

あんたたちは頭が狂っているのを知らぬか。お前どもは呪われておるぞ・
丑みつ時に2ちゃんねるユーザーを呪うぞ。
日本は狂っている。実は私は武士の末えいだ。呪いの音楽。椎名林檎を聞け。
勝訴ストリップ、カルキザーメン栗のはなを聞くと怨霊に祟られるぞ。
最後の警告だ。お前らは地獄に落ちるぞ。八大地獄で閻魔が会おうではないか。
511日本@名無史さん:2007/04/13(金) 13:06:07
上は井伊大老から下は徒士足軽に至まで次三男以下は大変だね。
他家に養子に出るのが一番よいコースだよね。
学や武技ををきわめて一家を成すのは至難の業だろうし。
百姓に養子にはいる例もあるしな。
512日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:38:31
実家が豊かだと他家に養子に行っても実家に住んでることがあるね
吉田松陰は杉百合之助の次男で藩の兵学師範吉田家の養子となり
17歳で明倫館教授となったが死ぬまで杉家に住んでいたし
松陰の学問の師・玉木文之進は百合之助の弟で杉家の庭に家を建てた
513日本@名無史さん:2007/04/13(金) 22:01:28
>実家が豊かだと
この場合だとあくまで相対的に豊かって話ですよね?
杉家だけをとれば格別豊かとは言い難いですよね?
514日本@名無史さん:2007/04/14(土) 00:16:02
吉田家が貧乏すぎたのか…
515日本@名無史さん:2007/04/14(土) 01:12:43
杉家は田畑を持ってたから自分の食い扶持は自分で稼げた
藩士としての家禄以外の収入があるなしの差は大きい
516日本@名無史さん:2007/04/14(土) 01:16:14
杉家って高八石一斗三升だっけ?
517日本@名無史さん:2007/04/14(土) 01:30:25
江戸時代を通して、3000万人ぐらいの人口に
保たれてたから、2男3男でも武士として
何とかなったのでは?
518日本@名無史さん:2007/04/14(土) 01:49:36
それにしても桂小五郎が木戸孝允、佐世八十郎が前原一誠、
村田蔵六が大村益次郎になったけど名前だけでなく名字も
変えちゃうってのはどういうことなんだろう
他藩でも三岡八郎が由利公正、中村半次郎が桐野利秋とか
519日本@名無史さん:2007/04/14(土) 01:50:01
島根県のみなさん、パチンコをするなら、

  優良パチンコ店 エイトワン

に行こう! 遠隔(※1)を絶対やってないのは「エイトワン」だけ!
違法ロム(※2)を絶対使ってないのも「エイトワン」だけ!
エイトワンでは、遠隔等が可能な設備は入れていません。 ロムも、警察がチェックしやすいようにしています。

詳しい方はご存知の通り、どんなにパチンコの遊戯人口が変動しても、その市場規模は変わりません(※3)。
要するに、客が減っても、残った客から絞り盗る量を増やして調整しているのです。
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遠隔も違法ロムも、絶対やってないのは「エイトワン」だけです!

※1…遠隔とは
 「お、あの客は新顔だな。勝たせて味を占めさせるか。遠隔操作で設定変更しよ」
 「客が減ってきたな。ま、設定を絞めて(1人あたりから)搾る量を増やせばいいか」
 「あのオヤジ負け続けてるからそろそろ辞めるかもな。今日は勝たせてやるか」

※2…違法ロムとは
 「うちのアタリ確率は、もちろん他と同じ『○○○分の1』ですよ!(ロムいじってるからウソだけど)」

※3       市場規模   遊戯人口
 平成06年 30兆4,780億円 2,930万人
 平成08年 30兆0,630億円 2,760万人
 平成10年 28兆0,570億円 1,980万人
 平成12年 28兆6,970億円 2,020万人
 平成14年 29兆2,250億円 2,170万人
 平成16年 29兆4,860億円 1,790万人
520日本@名無史さん:2007/04/14(土) 02:07:05
おめこわいいにおい
521日本@名無史さん:2007/04/14(土) 02:27:49
>>518
武士じゃない香具師は、スレ違い。
522日本@名無史さん:2007/04/14(土) 14:35:34
>>521
スレの流れ止めてんじゃねえよ屑野郎
523日本@名無史さん:2007/04/15(日) 18:14:10
>>521
桂小五郎って武士じゃなかったのか。そんなこと今まで知らなかったよ。THX。
524日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:27:42
>>523
マジで医者の息子っての知らなかったの?
一応、和田家(木戸の実家)は藩医の家。村医者の藤村家(大村の実家)よりは身分がいい。
ちなみに久坂玄瑞も藩医。
525日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:42:06
藩医は広い意味では武士になるんじゃないの?
526日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:03:29
大きい藩だと1000石くらいもらってちゃんと子供を作れる場合もあるようだ。
しっかり孫の代まで続いて、又従兄弟の藩主が跡継ぎなしに死んじゃって藩主の座が回っ
てきたりとか。運だよなあ。
527日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:21:55
>>525
医者、僧侶なんかは武士にはならない。武士になってしまうと殿様を診察すること=
殿上に上がり席を同じにするってことで、家老並みに身分にしないと診察さえ身分の関係で
出来なくなってしまうので、身分制度上、武士とは別の世界の人になる。
528日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:14:59
厄介
529日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:38:14
>>524
おいおい、それを言ってしまうと勝小吉も武士じゃないことになるな。武士の家に養子に入れば一応武士なんじゃないのか?
530日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:40:02
旗本株を買ったんだよな。>勝家(かつけ)
531日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:42:24
本人は武士になったが、"武士の次男、三男"でないことは確かだろうが。
532日本@名無史さん:2007/04/16(月) 00:36:46
公家の次男三男はどうしてたんだ?
533日本@名無史さん:2007/04/16(月) 00:45:50
>>527
んなこたあねえよ。
藩医は藩士だよ。
534日本@名無史さん:2007/04/16(月) 05:22:01


>>532
出家
535日本@名無史さん:2007/04/16(月) 16:05:00
そもそも藩士なんて言葉もおかしい。
536日本史@名無史さん:2007/04/16(月) 16:08:23
忍者
537日本@名無史さん:2007/04/16(月) 16:10:00
半七捕物帳には部屋住みは高等遊民、ある面優雅、ある面悲惨として紹介されてるようね。
よくこういう人たちは性の対象としてはまともに人間をあてがわれず、獣としかできなかったなんて話があるが、ああいうのはねただよなあ。
だってさあ、江戸にせよ地方にせよ、女性も男性と同じ数だけいたろうし、江戸にはそれほど獣はいなかったろうし。
538日本@名無史さん:2007/04/16(月) 16:20:56
江戸は、武家・町人ともに、女性より男性がかなり多かった。
特に武家は、参勤交代で江戸に単身赴任する者が圧倒的に多かった。
539日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:45:05
>>538
だから慰安婦として朝鮮から強制連行したのですね。
540日本@名無史さん:2007/04/22(日) 01:16:16
養子制度って公家と武家じゃ違うもの?
たとえば日野富子の義兄(日野押内大臣勝光)は、
長兄次兄が出家と死亡でナシになったので長兄の養子に入って日野家を継いでる。
つまり富子から見たら叔父が兄になったわけだが、こういうのは武家でもできるのかな?
541日本@名無史さん:2007/04/22(日) 13:10:49
江戸時代になったら大名家や旗本家の相続もそういう形式ですね
弟は跡継ぎのない兄の養子になって相続
井伊直弼とかもそう

安土桃山時代以前はそいう形式は取らなかったような>武家
542日本@名無史さん:2007/05/17(木) 00:24:56
>>532
親藩だったからかもしれないけど、上の下くらいの位置のうちの家の場合、
長男だから跡継ぎっていうことはしていない。
病弱だったり、頭悪かったり、側室腹だったり、その他諸々の問題を
色々踏まえたうえで、一番良い男子もしくは女子を跡継ぎにしてきてた。

代によっては、頭の出来も体の丈夫さも兼ね備えた男子が複数いた場合は、
分家もして貰ってたみたい。そこまでしてもらえるほどでもない子は
速効婿養子に行ってるけど。

男って、生まれる確率も育つ確率も当時は女よりもかなり低かったから、
実際は、よほど男系の強い血筋の家以外は現代の人間が考えるほど、
次男とか三男っていう問題は少なかったんじゃ?
つか、ぶっちゃけ、同じくらいのクラスの家臣同士って、親戚だから、
上げたり貰ったりだったから、婿養子に行かせるも貰うもさほど
気にかけなかったみたい・・・。

才能のいいコは、他の兄弟に比べて、跡取り要員に入れられてるから、
なかなかしっかり分家してもらえなかったりで、そっちのジレンマも
きつかったらしい。

ちなみに、うちの祖父が4男だったけど、兄弟の中で一番出来が良かったのと、
跡取りの長男とは親子ほどの年の差だったのとで、他の兄弟みたく分家させて
もらえなくて、跡取り要員してたよ。

その長男が息子が生まれてから急逝して、その息子が成人するまでは後見人
して、成人してからも相談役みたいなのしてたわ。
ちなみに、戦後も、藩主に呼ばれての仕事が色々あったんだけど、そういう
のは、その息子じゃなくて、祖父がやってた。

543日本@名無史さん:2007/05/17(木) 00:26:22
>>540 541
うち、平安時代まで行くと、貴族の端くれだったけど、そういうのは、
公家も武家も関係なくやってたよ。

系図上親子が兄弟になったり、甥が兄になったり・・・。
あの時代、代と年齢が今より随分と入り乱れてるんで。
一夫多妻制の賜物っていうかね・・・。
544日本@名無史さん:2007/05/17(木) 02:30:41
平安どころか幕末明治時代あたりでもそんなだよ
545日本@名無史さん:2007/05/17(木) 09:15:03
>>527
医者は別世界の人ではない。
医者という職業の場合、生まれによって士の医者とか農の医者とかがいて、それぞれの身分の患者を診る。
医術の腕によって身分が上昇することもあるというだけ。
もとの身分が百姓でも藩の医官に取り立てられた時点で士分になる。
旧軍隊でも医官は最低でも軍医少尉の将校身分(士分)。
藩医もお目見え以下の軽い身分ではないので藩主と直に対面しても問題はない。

僧侶の場合も、宮家、公卿、大名の家出身者は出家時点で位が高い。
ただ農の生まれの僧侶でも学問や修業の実績により高位の僧侶になれる。
高位の僧侶になった場合は身分が上昇したも同じで、将軍家や殿様と直に対面できる。



546日本@名無史さん:2007/05/24(木) 15:31:34
士の医者って、町人とか農民とかは診れなかったの?
547日本@名無史さん:2007/05/24(木) 15:40:12
>>546
士分でも浪人の場合は、町人診なきゃ餓死してしまうし、
奥医師なんかの場合でも、大商人が大金積んで診てもらう様な事は、
あったようだな。いいバイトだ。
548日本@名無史さん:2007/05/24(木) 17:21:53
>>546
「医は仁術」という建前があるから、診てよい

部屋住とか小普請医者だと、修行の一環として診る。
侍医・典医でも公務の合い間なら、診てよい
549日本@名無史さん:2007/05/24(木) 23:09:12
>547.548
ありがとう
550日本@名無史さん:2007/05/25(金) 03:46:41
江戸時代の医者に、法印とか法眼などの称号を持つ医者がいるが、
あれは、朝廷から貰うの?
それと、法印などの称号を持っていると、なんか処遇が違ってくるの?
551日本@名無史さん:2007/05/25(金) 05:42:00
法印、法眼、法橋などは朝廷から貰う僧位のことだよ。法印の方が格上。
幕府の奥医師なんかは法印、法眼の位。
幕臣でいえば奥医師が町奉行などの幕府役職に当たり、法印が従五位下越前守などの官位官職に当たると考えればいいんじゃないの?
まあ、坊主に与える位だけど、医者も坊主頭だからいいんじゃないの。

大昔は正規の医師自体が院(寺)に属していたのかもしらんなぁ。
この辺はようわからんわ。




552日本@名無史さん:2007/05/25(金) 08:40:26
>>550
任命は幕府が勝手におこなうが、あとで高家が京へ行って
宣旨をもらってくる
称号を持ってると、儀式などの席順が変わる

将軍の侍医の場合、御匙(侍医長)に任命されたのち
法印になる。「実」に後から「名」を添える感じ
553日本@名無史さん:2007/05/25(金) 15:07:43
>>551-552
サンキュー(^-^)/
わかりやすい解説に感謝。
いやぁ、2chも捨てたものじゃないなぁ。
554日本@名無史さん:2007/05/25(金) 15:25:33
一般論だけど昔は科学・教育・医学などが宗教と分離してない。
なので僧侶・神官の類から医師が生まれてくることはよくある。
布教の時に当時としては最新のサイエンスを利用するのも一つの有力なやり方。
555日本@名無史さん:2007/05/25(金) 16:11:15
版画家で僧侶でもあった棟方志功は「法眼」の称号を真言宗本山より与えられている。
556♯tokubetu:2007/06/02(土) 00:58:11
test
557日本@名無史さん:2007/06/02(土) 08:44:35
無頼の群れに身を投じる

バイト

たまに勉強

558日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:12:50
NN?
559日本@名無史さん:2007/08/12(日) 17:05:47
滝沢馬琴
560日本@名無史さん:2007/08/12(日) 18:47:03
宗家を継げなかった次男、三男等は他家に養子に入ったりしてた。
561日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:12:28
飼い殺し
562日本@名無史さん:2007/08/13(月) 00:40:57
め組に入り浸って世直ししてた
563日本@名無史さん:2007/08/13(月) 03:44:30
家系図のねつ造
564日本@名無史さん:2007/08/13(月) 18:12:47
妻帯出来なくてセンズリばかり
かいてた連中も大勢いたゼッ!!!


565日本@名無史さん:2007/08/17(金) 15:43:36
昔は仏門に入って妻帯もせず口減らしが常套手段だったが
江戸時代頃は 坊主も女房持って子作りしてたからな
566日本@名無史さん:2007/08/17(金) 17:37:26
切腹!
567日本@名無史さん:2007/08/17(金) 19:09:41
維新後の話なので、直接は参考にならんが、明治初年の例。

俳人高浜虚子(清)は松山藩の剣術師範だった中級武士の息子だが、
廃藩後、無職になった父親は松山郊外に帰農し、すでに成人だった上の兄たちは
県庁の役人に就職したり、小学校の先生になっている。
一方、虚子のすぐ上の兄は学問嫌いだったのか、職人の徒弟になっている。
568日本@名無史さん:2007/08/18(土) 07:30:13
婿養子になるか、坊さんになるかじゃないのかな。
旗本・御家人だと安く御家人株が安く手に入ったり、
コネで新規採用されたりしたんだとか。
高禄の家だと本家から捨扶持もらって一生厄介のままの人もいたみたい。
569日本@名無史さん:2007/08/18(土) 11:38:43
商家に奉公に出るのもいたよ
商才があって娘がいれば婿養子になったり、いなければ商家を起こしたりも。
570日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:52:53
安田財閥の創業者の安田善次郎は富山藩の足軽の息子だったが、
幕末に江戸に上って商家に奉公していた。

身分制度の時代に武士の子が商家に丁稚奉公して町人になるのに
内心抵抗はなかったのかな?
571日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:27:10
ないないw
働けば三食白米が食べられて妻帯も出来る、早く家を出たかったってさ
うちの話だけどね。
572日本@名無史さん:2007/08/18(土) 21:07:08
やっぱ、帰農が圧倒的に多いと思う
573日本@名無史さん:2007/08/19(日) 06:39:49
高徳藩1万石の初代の戸田忠至は、宇都宮侯の弟の厄介。
幕府の大番与力木村家(現米八十石)の養子になったが、離縁して、
宇都宮藩の家臣に戻った。
そのあと、山陵奉行に任命されたり、藩を救ったりして、
分家して大名になった。


574日本@名無史さん:2007/08/22(水) 18:18:27
一介に与力で終わったかもしれない男が1万石の藩主か。
575日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:23:58
井伊直弼は家督継ぐまでオナニー
576日本@名無史さん:2007/08/31(金) 09:47:36
長野主膳に感謝感謝
577日本@名無史さん:2007/09/12(水) 22:22:55
人力車夫
578日本@名無史さん:2007/09/12(水) 22:57:58
>>570
足軽は武家ではありません。
579日本@名無史さん:2007/09/12(水) 23:10:16
>>551
施薬院全宗、法印。を調べると流れがよくわかる。
580日本@名無史さん:2007/09/13(木) 01:06:17
足軽は卒族だっけか
下級士族も卒族も似たようなもんだろ
581日本@名無史さん:2007/09/13(木) 02:17:24
>>580
藩によっては平民
582日本@名無史さん:2007/09/16(日) 15:33:34
薩摩は士族の範囲をもっとも広く採用したのですか?

甘やかしすぎたから西南暴乱
583日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:40:04
土方だろ
584日本@名無史さん:2008/01/27(日) 11:46:41
上で次男以下は分家とあるけど、
分家されるには何か理由があったの?
結婚とかしなくても分家できた?
あるいは結婚を理由に分家?

たとえば武田信繁は次男だけれど、別に家を構えて
信玄の臣下となってますよね。
そうなった経緯を具体的に知りたいのだけど
ご存じの方は教えて下さい……
585日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:20:11
簡単に分家なんてできないよ
586日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:43:04
次男三男は、兄嫁の手コキによって毎夜性欲を処理されていた。
そういうのも嫁の務めなんだな。
587日本@名無史さん:2008/01/27(日) 13:23:10
経済的余裕があれば分知による分家は当主の意志次第。
だから初期は分家が多いけど、中期以降はよほどの僥倖。
柳沢みたいに急速に加増された家以外は分家無理じゃないかな?
家光の頃までは幕府の方で分家奨励してたようだ。
番衆が増えるから軍事力の増強になる。
588日本@名無史さん:2008/04/04(金) 23:42:37
他家に養子を押し付けて一門を増やすこともある
589日本@名無史さん:2008/04/05(土) 00:08:40
>>586
次男三男になりてぇ
腰振るの面倒だからな
590日本@名無史さん:2008/05/08(木) 23:24:57
前田治脩は十男で部屋住みどころか出家の身だった。
徳川吉宗、井伊直弼並に運がいい。
591日本@名無史さん:2008/07/08(火) 20:30:14
家斉の父、一橋治済も最初は宗尹の三男坊にすぎない
592日本@名無史さん:2008/08/02(土) 21:19:08
大名同士で養子を出す貰うってのは、大名同士で決められたの?
593日本@名無史さん:2008/08/02(土) 21:27:03
幕府に願い出て許可をもらわにゃならん
594日本@名無史さん:2008/08/02(土) 21:38:38
それは江戸時代の話?
それともそれ以前から?>許可
595日本@名無史さん:2008/08/02(土) 21:39:44
まあ許可もらうのは当然として
何かルールみたいなのはあったの?
過去に養子や嫁を出したり貰ったりが何回かある親戚筋とか
正室の兄弟姉妹の縁戚からとか、そういうのは分かるんだけど
それまで何の縁もゆかりもない家からポンっと養子が入ってくるケースって
どうやって決まったんだろうと思って
たまたま、殿様同士が個人的に仲良かったとか、そういう理由?
幕府から押付けられたりとか、そういうのもあったんかな?と思って
596日本@名無史さん:2008/08/02(土) 22:03:26
僧侶とかじゃない?
福沢諭吉は次男で生まれたとき
父親から将来坊主にするって言われてたし。
597日本@名無史さん:2008/08/03(日) 00:06:57
>>595
幕府の実力者や譜代の名門の子をもらったりしたみたいよ。
弾除けになるからね。
598日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:28:59
真田幸専
天明5年(1785年)11月4日、松代藩の第6代藩主・真田幸弘の養子となった。
養父幸弘には四人の男子がいたが、いずれも早世してしまった。
そのため、井伊家から幸専を娘婿として迎え、嗣子としたのである。
養父幸弘は、真田一族ではなく、幕閣有力者の子弟を養子として迎えることで、
幕府との結び付きを強め、財政危機を招く課役を避けようとしたという。


でも、隅田川の改修などに16000両かかり、真田家だけでは調達できず
実家の井伊家から5000両ほど借金して、さらに財政が圧迫しました とさ。
599日本@名無史さん:2008/08/03(日) 08:58:37
松平容保は_之丞のまま、つまり高須の庶子のままの方が良かったんじゃないの?
本人含めて誰にとっても。
600日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:03:16
>>595
そりゃあそう言うのが望ましいけど、適格者がいない場合もある。
いても競合で敗れるとか、お控えとして実家ががっちり握ってるとか。
でやむなく縁の薄い家から選ぶ場合は、>>597のようなことを考慮するのは当然。
将軍家とかからの場合は押しつけもあるよな。
601日本@名無史さん:2008/08/05(火) 20:14:13
>>509
徳川宗直みたいな人も居たんだな
602日本@名無史さん:2008/08/05(火) 20:18:35
>>599
会津は誰が養子に行っても、最後は幕府と心中してる。
松平容保が会津に行かなかったら、桑名か高須を継がされてる。
603日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:16:34
>>602
でも「養子だからなおの事家訓に従う」って決めたのは容保の判断で、周りは反対してたって云う
んだから誰が養子でもってのは違うんでは。
604日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:19:43
>>600
将軍家とかからの押しつけは徳川 家斉の時が多かったね。
605日本@名無史さん:2008/09/21(日) 06:34:37
次男はいらねーんだよ。武士も農民も関係ないの
606日本@名無史さん:2008/09/29(月) 13:54:01
●▲大名・旗本・公家などの庶子について▲●
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1217583033/
607日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:05:20
ほー
608日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:04:31
>>604
実際に子孫を残せてるのは蜂須賀家くらいのものだが
609日本@名無史さん:2009/01/30(金) 01:18:56
内藤なんて、井伊家の天下り先みたいだ。
610日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:00:33
>>608
蜂須賀も結局断絶したけど
611日本@名無史さん:2009/04/09(木) 16:57:59
>>609
延岡藩はほとんど養子だもんな。
612日本@名無史さん:2009/04/16(木) 19:56:19
跡継ぎ長男がヨメを取って子が生まれるまで婿に出してもらえなかったんだから
酷い話だ
613日本@名無史さん:2009/04/26(日) 14:21:10
614日本@名無史さん:2009/05/11(月) 00:15:12
615日本@名無史さん:2009/05/11(月) 10:46:29
>>612
それは凄いスペアだなー
616日本@名無史さん:2009/07/19(日) 23:40:45
617日本@名無史さん:2009/07/20(月) 00:55:44
>>615
井伊直弼とかもうちょっとで飼い殺しだった。当主である兄が死んで家督を継いだが・・・。
618日本@名無史さん:2009/07/20(月) 20:15:16
まあ、でも埋木舎って上級クラスの武家屋敷だし、
生活の心配もなく、学問や趣味三昧の生活だったわけだし、
下級武士や庶民に比べたら、恵まれた境遇といえるんじゃないか?
619日本@名無史さん:2009/07/20(月) 21:38:54
>>618
まぁ確かに、今の俺よりははるかに良い。
620日本@名無史さん:2009/07/21(火) 02:10:28
埋れ木の舎時代に長野と出会ったのは運命のいたずらか
621日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:37:38
いま、コミック乱Twinsで「吉宗が嗤う」つう漫画を連載してるぞ
622日本@名無史さん:2009/07/24(金) 01:30:43
漫画なんて読まねえよ
623日本@名無史さん:2009/07/24(金) 07:14:16
漫画や小説がソースです(キリッ
624日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:21:13
ゲームよりいいじゃない
625日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:33:39
講談がソースの中央義士会という団体もある。
626日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:44:24
一般に「史実」と言われるエピソードも、ソースは講談の類が多いもんなw

プロの研究者はそんなことはしないが。
627日本@名無史さん:2009/07/26(日) 14:21:03
下克上の時代はなんでもアリだから意味がない。
次男三男も主家に叛意のあるものに担がれれば、
勢力となりうる。なにより長男だってすぐ死ぬし。

泰平の時代は長男は簡単には死なない。
次男三男は不慮の事態の為のスペア要員。
それまでは単なる居候。"ご厄介"という言葉はここから来る。

ただ企業体の傍系構成員ではあるので、
ポストの空き状況次第ではなんらかの役に付けたかもしれない。
ただ自由はない。
武士農民ともに同様。
次男三男の自由を認められた明治以降日本の人口は急増する。
628日本@名無史さん:2009/07/26(日) 21:09:18
>>625
スレチガイだけどマジで?
629日本@名無史さん:2009/10/15(木) 07:44:20
そうだろうか?
630日本@名無史さん:2009/10/15(木) 11:12:12
出家
631日本@名無史さん:2009/10/15(木) 13:20:08
新知召出
分知分家
養子縁組
学者
武芸
出家
厄介

632日本@名無史さん:2009/10/16(金) 03:17:16
うちの一族は神主、庄屋、下級武家、商家で
血の補完をやってたみたいな話を聞いた
全部、先祖は同じ

そのうちどれかの男子が絶えると
どれかの家の次三男が養子入りする決まりがあったらしい

庄屋ッつっても十町ほどのしょぼいやつだけど
633日本@名無史さん:2009/10/17(土) 13:30:31
養子といっても、婿養子が多かったんだろうな。

せめて並み程度ならいいが、すごいブスだったら部屋住みのほうがいいかも。
634日本@名無史さん:2009/10/18(日) 01:14:54
昔は嫁の容姿はどうでもいいの。花街があるから
635日本@名無史さん:2009/10/19(月) 04:14:25
花街もだけど金のあるとこならお妾さんが普通にいたからな
636日本@名無史さん:2009/12/20(日) 00:50:31
ほほー
637日本@名無史さん:2009/12/20(日) 01:18:38
たとえ婿になって家付き娘が不細工でも、
厄介と言われて暮らすよりはいいんじゃないのかな。

もとの生家でも我慢することの多い生活だったろうしね。

638日本@名無史さん:2009/12/20(日) 03:40:05
寺の小僧か婿養子要員だろ

もしくは病弱な長男がもしもの時のスペア
639日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:17:18
他の武家に養子に行くのが大半だろ。
640日本@名無史さん:2010/02/21(日) 01:25:02
そういえば坂本龍馬も二男なんだよな。
だから思い切りよく脱藩できたんだろうな。
641日本@名無史さん:2010/02/21(日) 20:53:09
うちは武家の家系で系図があるんだけど、見るとよくわかるよ
ニ男は養子、三男は出家。早世も多い。
ニ男が一人分家してるが、それは父親が藩主からの加増分をニ男に分け与え、さらに藩主へ願い出ている。
子供が女子一人なので他家のニ男が婿養子として入っている。
642日本@名無史さん:2010/02/28(日) 10:17:15
クロスワードパズルを埋めたいので教えてください

Q.江戸時代、家督相続前の嫡男や独立できない次男三男などをこう呼んだ

A.○○○○(4文字)
643日本@名無史さん:2010/02/28(日) 10:39:57
>>642
「部屋住み(へやずみ)」と云われたと思うけど
644日本@名無史さん:2010/02/28(日) 11:10:28
>>643
ばっちり埋まりましたサンクスです
ちなみに、今日の読売朝刊です
勉強になりました
645日本@名無史さん:2010/02/28(日) 15:48:55
私もクロスワードが解けず、ネットを彷徨い続けて辿り着きました。
すげー、すっきりしました(^^
646日本@名無史さん:2010/02/28(日) 16:12:30
そのパズルは部屋住で正解だろうけど
厄介(やっかい)とも呼ばれたんじゃね?
647日本@名無史さん:2010/02/28(日) 16:40:26
>>646

俺も厄介かと思ったが、嫡男という語にひっかかったので
書き込まなかった

648日本@名無史さん:2010/03/21(日) 14:36:06
厄介だろ
649日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:45:05
厄介者
650日本@名無史さん:2010/03/28(日) 22:21:09
結局 一旗揚げよぅと政治家に 今なら … 伝統(長子型)社会の破壊者に御成?よい意味で?
651日本@名無史さん:2010/05/03(月) 10:08:56
なんだそりゃ
652日本@名無史さん:2010/08/10(火) 12:44:13
age
653日本@名無史さん:2010/08/10(火) 16:13:15
ニートだろうなぁ
あるいは浪人にでもなって暗殺か盗人でもするか
654日本@名無史さん:2010/08/10(火) 18:54:54
次男三男は相互オナニー鑑賞
655日本@名無史さん:2010/08/11(水) 04:34:46
長男は確実に子孫を残すのが役目
次男三男はパイオニアとなって新しきものにチャレンジするのが役目
確実に子孫を残す保守的な要素と熾烈な競争社会が混在する理想的な社会だったのかもね
656日本@名無史さん
>>642
オジカス