1 :
日本@名無史さん:
吉備氏の発祥と発展。
またその衰退について語りませう。
(和気氏等でもOKっす)
2 :
日本@名無史さん:02/01/11 18:49
キビタン←なんのことだか分かる人は、田舎者です(w
3 :
日本@名無史さん:02/01/11 18:54
吉備真備:旧氏名は下道(しもつみち)朝臣。下道氏
746(天平18)年、吉備朝臣に改氏した。名は真吉備にも作る。
父は右衛士少尉下道国勝。
母は楊貴(八木)氏(奈良県五條市で発見された墓誌がある)。
男子に泉、女子に由利(姉妹ともいう)がいる。
下道氏は吉備地方に勢力を誇った地方豪族吉備氏の一族。
姓は初め臣、684(天武13)年に朝臣賜姓。
4 :
日本@名無史さん:02/01/11 18:58
吉備の乱で思いっきり叩かれました。
5 :
日本@名無史さん:02/01/11 19:03
吉備王朝って大将が大和馬鹿にした踊りしたのがばれて滅んだんだよね。
なんか情けなくない?
6 :
日本@名無史さん:02/01/11 21:15
7 :
日本@名無史さん:02/01/11 21:30
だけど、吉備由利ちゃんが阿部ちゃんの晩期のお世話してたんだよ?
真備より年上ではそんなことできないんじゃない??
8 :
日本@名無史さん:02/01/12 15:59
>6
吉備下道系図のサイトご存知でしたら教えて下さい。
9 :
日本@名無史さん:02/01/14 08:01
>7
かなり高齢だった模様
続紀には年齢を推定する情報は載ってない
あるいは先にどこかに嫁いでいた後、未亡人となって仕えたのか?
妹・娘とする説はその系図を知らなかった研究者の推定と思われ・・
>7
サイト上にはないかも
『古代氏族系譜集成』に収録されています。
10 :
日本@名無史さん:02/01/23 04:31
真備の母親を髪支媛としてるやつだね
11 :
日本@名無史さん:02/01/23 07:21
>>5 事実ならね。権力者が目障りな地方の勢力を潰す時は必ず無理矢理な言いがかりをつける。
で、歴史書は時の権力者側の良いように書かれる。
12 :
日本@名無史さん:02/01/24 00:41
吉備が移動して大和朝廷作ったらしい。
なんか感動した。
13 :
日本@名無史さん:02/01/27 21:22
吉備真備のおかげで由利ちゃんが阿部ちゃんに仕えるようになったのか?
それとも吉備由利ちゃんのおかげで真備が偉くなれたのか??
14 :
日本@名無史さん:02/01/27 21:23
中田氏再興
15 :
日本@名無史さん:02/01/28 00:24
稚武彦 吉備武彦 御友別 稲速別[下道国造祖] 饒別彦 速津彦[下道臣祖]
速津彦 窪屋 津布子 香斐 勝鹿戸 古瀬[下道朝臣祖] 鹿瀬男 圀勝 真備[吉備朝臣祖]
16 :
日本@名無史さん:02/02/06 18:45
稚武彦の親は誰よ?
17 :
日本@名無史さん:02/02/07 01:30
孝霊だよ
そんなことも知らないのでこのスレきてんのか?
世界の定説だぞ
18 :
日本@名無史さん:02/02/15 10:56
なるほど。孝霊天皇が実在していたのを知り、安心しました。
19 :
日本@名無史さん:02/02/15 16:33
上道臣は?
20 :
日本@名無史さん:02/02/16 04:40
>18
今頃知ってどうすんだよ。世界の定説だぞ。最高裁の判例によると(以下略)
>19
稲速別の兄弟仲彦の子孫だよ。そのくらい自分で調べてくれよ。
定説は世界に一万(以下略)
21 :
日本@名無史さん:02/02/21 21:32
稲速別って皇孫?
22 :
日本@名無史さん:02/02/25 04:12
吉備由利ちゃんと阿部ちゃんとのからみがウマー
23 :
日本@名無史さん:02/03/03 06:01
どちらが年上なのでしょうか?
24 :
日本@名無史さん:02/03/08 19:57
吉備真備の姉か妹か娘か姪かで、かなり歳ちがうもんなあ。
25 :
日本@名無史さん:02/03/19 14:27
あたしは14歳だと信じています
26 :
日本@名無史さん:02/03/23 15:31
うむ・・・
27 :
日本@名無史さん:02/03/23 16:21
真備って頭良いよね。
28 :
日本@名無史さん:02/03/24 07:27
うん、がんばったよね。
地方豪族出身で右大臣までに
29 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:16
自作自演でむりやりアゲてるようなスレだな
31 :
日本@名無史さん:02/04/21 13:46
地方豪族出身なんですか?
なんかむかしから続く名門のような??
地方豪族の名門
倭に反抗したこともある
33 :
日本@名無史さん:02/05/01 13:46
吉備下道のほうが偉いんだっけ?
34 :
日本@名無史さん:02/05/07 18:27
あげ
35 :
日本@名無史さん:02/05/19 16:02
>>28 奈良朝廷での吉備真備の出世は個人の才によるもので、出身氏族の勢力によるものじゃない。
>>1 吉備氏の興亡というなら、勃興期から雄略朝までの大和政権との抗争衰亡までが
照準だろう。
36 :
日本@名無史さん:02/05/26 02:26
>35
あのさ、28だけど。だから俺そうやって書いてんじゃん。27を受けて。
地方豪族の分際で右大臣にまでなって、よく頑張ったと。
菅公より出世だよ。出身氏族の勢力によるなんてどこにも書いてないじゃん。
もしかしてヴァカ?
37 :
吉備弓削部虚空:02/05/26 02:42
私は?
38 :
吉備下道臣前津屋:02/06/03 00:17
>>37 くそ〜っ、大王にチクリやがって!!
恨んでやる〜!!
39 :
日本@名無史さん:02/06/03 00:23
岡山の吉備、山陰の出雲、大和の天孫
九州にはどんな王朝があったの?
40 :
日本@名無史さん:02/06/23 17:01
大和の吉備と関係あるの?
41 :
日本@名無史さん:02/06/23 20:29
大和の吉備って?
42 :
日本@名無史さん:02/06/29 16:20
吉備由利たんの生年月日って記録ないの?
阿倍たんとどちらが若かったのかくらいは判明してる?
43 :
日本@名無史さん:02/06/29 16:32
九州には日向王朝。
吉備王朝は日向王朝の配下が建国
大和も日向を故地とす。
常識でしょう。
44 :
日本@名無史さん:02/06/29 18:06
>>42 アベ、アベと言ってるけどなんのアベの事?
解るように言ってくらはい。
45 :
日本@名無史さん:02/06/29 22:58
阿部内親王のことか?・・・って女だろ、おい(w そっち系なのかよ
>>42は。(w
そりゃどう考えたって阿部の方が年長だろう。
母娘の差ぐらいは開くだろうなあ。
47 :
日本@名無史さん:02/07/02 22:28
>>46 でも、吉備下道系図信じるなら20歳ぐらい由利のほうが年上
お、系図持ってる人出てきたじゃん。↑ よかったね>42.
>>47サン、教えてあげれば?
49 :
日本@名無史さん:02/07/16 00:39
由利ちゃんが20歳ならいいなー
50 :
日本@名無史さん:02/07/16 00:45
>43
一度辞書で「王朝」ってひいてごらん
51 :
日本@名無史さん:02/07/17 23:01
残念だね、>42(49?)
>47は教えてくれないみたい。
しかし20も年上ってほんとか?内親王の方が先に死んだんだよな?
じゃ一体由利って幾つだったんだ・・・(49の夢を壊すようで悪いが)
52 :
日本@名無史さん:02/07/31 23:16
阿倍内親王の方が先に死んだ(というか当時は天皇)のは事実らしいが、
吉備由利が20歳だとすると、長年仕えてきた点に矛盾するっぽい。
53 :
日本@名無史さん:02/08/02 23:26
そのへんが真備の影響力ってやつじゃないのか。
やっぱ母娘の差ぐらいで妥協じゃないか。娘といっても歳40、50にはなってたろう。
阿部没のときは。
54 :
日本@名無史さん:02/08/16 03:28
由利ちゃんは14歳の女子中学生であってほしい
55 :
日本@名無史さん:02/08/16 13:05
奈良にも吉備という地名が2ヶ所(桜井市と高取町)あるけど、
吉備氏と関係あるのか?
56 :
日本@名無史さん:02/08/24 23:17
吉備由利ちゃんって、一般の女の子なのに従三位まで行ったんでしょ?
仲麻呂の乱での活躍の結果なのかな?
57 :
日本@名無史さん:02/09/01 00:21
仲麻呂の乱のときって、まだ、二十代だよなあ。
58 :
日本@名無史さん:02/09/13 03:03
う〜〜〜ん・・・
59 :
日本@名無史さん:02/09/17 12:47
岡山県下の吉備氏は分家の流れ。
九州の葦北や駿河の廬原の方が吉備氏の本家。
60 :
日本@名無史さん:02/10/05 02:58
仲 麻 呂 の乱 の時 には、由 利 ち ゃ んは 既 に後 宮 に出 仕し て蔵 司の女 官とな ってま したよ。
61 :
日本@名無史さん:02/10/19 16:48
age
62 :
日本@名無史さん:02/11/07 01:03
吉備「真備」の表記が定着したのは、宣長のおかげ?
63 :
日本@名無史さん:02/11/15 12:55
むかしは、真備じゃなかったの?
64 :
日本@名無史さん :02/11/16 03:43
続日本紀でも「真備」「真吉備」と2通りの表記で定まってない。
たしか、宣長は「真備」を唐で使用した略表記と考えたんじゃなかったかな?
単純に兄が本家で弟が分家だと思ってるのがおるが。
廬原の祖彦刺肩別や葦北の祖彦五十狭芹彦のほうが分家。
吉備上下道の祖稚武彦のほうが本宗家。
当時は武内宿祢の子たちの例を挙げるまでもなく、末子・弟相続。
成人した兄たちが分家して出ていき、残った弟が継ぐのが一般的。
66 :
日本@名無史さん:02/11/29 06:30
すると、吉備真吉備が本名なのかしら?
67 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:55
へんな名前
69 :
日本@名無史さん:02/12/16 23:57
吉備本家はいまどうなってる?
70 :
日本@名無史さん:02/12/17 00:47
吉備だんご屋さん
71 :
日本@名無史さん:02/12/26 22:11
>>47 由利ちゃんのほうが20歳年下、の間違いでは?
県犬養三千代さんと吉備由利さんは、あこがれの存在。
(^^)
74 :
日本@名無史さん:03/01/13 03:20
吉備由利にも賜姓すべきだったと俺は思うが
75 :
日本@名無史さん:03/01/15 14:59
吉備真備はいい男な印象をもつ。
(^^)
77 :
日本@名無史さん:03/01/17 03:11
由利ちゃんがあれだけ可愛いんだから、父親もかっこいいでしょうね。
78 :
日本@名無史さん:03/01/22 23:24
79 :
日本@名無史さん:03/01/23 00:32
>75
阿倍ちゃん×真備のカップリングキボン。
しかし、由利ちゃんが可愛いって
そのイメージはどこから来るの?
80 :
日本@名無史さん:03/01/23 00:50
やっぱ 名前じゃないの。
81 :
日本@名無史さん:03/01/23 00:51
吉備真備=谷啓
吉備由利=磯野貴理子
82 :
日本@名無史さん:03/01/23 15:41
皇太子としてのお勉強中に真備と出来てしまう阿倍ちゃんは可愛い。
84 :
日本@名無史さん:03/01/23 21:17
>>83 つまり、元明天皇らに使えた功績が認められて
県犬養橘三千代→県犬養 橘 三千代
となったように、孝謙(称徳)天皇に使えた功績を認めて
吉備由利→吉備 ○○ 由利
としてやっても良かったんじゃない?
と74さんは言いたかったのではないかと
「吉備真吉備」記述は『続日本紀』の霊亀年間の記述の辺り
(まだ吉備真備が留学帰りでぺーぺーの頃)で出ていたのでは うろ覚えでスマソ
85 :
日本@名無史さん:03/01/23 21:21
86 :
日本@名無史さん:03/01/23 21:26
なるほどね〜。ナイス解説!
しかし留学帰りでも下級氏族なんでしょ、吉備真吉備って。
それが晩年には右大臣にまでなれたんだから
凄い頭が良かったんだね。
阿倍ちゃんが余程、信頼していたと断定する。
87 :
日本@名無史さん:03/01/23 21:28
86のレスは84のレスについて
書いたものです。
今見直したらすごいパンチミスが
>県犬養橘三千代→県犬養 橘 三千代
だったら全然改名したことになってないじゃん(w
正しいのはもちろんこちら
県犬養三千代→県犬養 橘 三千代
でした。。。
せっかくお褒めにあずかったのに、実に申し訳ない
奈良時代は切腹の習慣はないようなので回線切って逝ってきます(w
89 :
日本@名無史さん:03/01/31 07:59
みちよちゃん派のほうがここでは人気なの?
ゆりちゃん派のほうがてっきり多いのかなって
90 :
日本@名無史さん:03/01/31 21:35
漏れは阿部ちゃん派で真備萌えだ。
91 :
日本@名無史さん:03/02/01 13:04
>>89 漫画では長岡良子画でも里中真智子画でも三千代ちゃんはどっちかというと
気のきつそーな女
に書かれてますな(w)
由利ちゃんは里中真智子の『女帝の手記』のおわりぐらいにちこっとでてきて
何か地味な存在。
ところでまじめな話になるが、吉備真備の死後、息子の泉は藤原式家の陰謀
にはまって?左遷されてしまうのだが、泉以後の吉備氏は史上から消えたの?
92 :
日本@名無史さん:03/02/01 16:53
真面目な話大歓迎だけど、あなたの疑問に正確に答えられる人が、2ちゃんにいるかしら?
真備以降、吉備氏は奮わないでしょう。
どーしてかな?
93 :
日本@名無史さん:03/02/01 16:55
真備一代だけで、よくこの時代まで栄光が語られてこれたね。
すっごーい。
94 :
日本@名無史さん:03/02/02 12:30
>>92
と言う92さんはその後の吉備氏の行方についてご存じのようなので
教えて下さいませage
96 :
日本@名無史さん:03/02/10 11:39
真備は下道。一方、上道の方は神主などに成り下がったようです。
97 :
日本@名無史さん:03/02/11 17:18
皆様!聴いておくれ
岡山県に{吉備真備駅}があるのを見付けてしまった。
真備ファンのわたしは結構、感動した!
周辺はかなり田舎みたいだが、駅はすごく綺麗だった。
それから近くに{吉備真備公園}というのもあるんだそうな。
同郷に「金田一の横溝先生」がいらっしゃるんだって。
この二人は、岡山県のスターらしい。資料館まであるし。
こういうの知ると、日本は中央(真備の時代は奈良)だけ
ではなく、地方にもしっかり人間が住んでいたんだなとわかる。
98 :
日本@名無史さん:03/02/11 17:31
*岡山県真吉備群真備町
*大阪府大阪市阿倍野区阿倍筋
と言う地名もある。
歴史上の人物名が地名になってるなんて、そこに歴史の生霊を感じてしまい、なにか素敵です。
99 :
日本@名無史さん:03/02/11 17:37
阿倍ちゃんが信頼していた家庭教師→それは真備!
っていうのは、もう学会とかでも常識になっているらしい。
やっぱ、真備が右大臣にまでなったのは阿倍ちゃんと信頼関係
が存在した証かな。
100get!
101 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:47
>100
とっとと死ね
102 :
日本@名無史さん:03/02/27 03:24
かつて、陰陽家の賀茂氏が真備の子孫という俗説がありました。
103 :
日本@名無史さん:03/03/02 01:48
吉備真備と真備町って、関係あったけ?
母方が真備町出身だが、あまり印象がない。最近はどうかしらんが、
地元では大和朝廷以前の吉備王国の古墳などの独自性のほうが観光でも
PRされていて、歴史有名人では付近の雪舟のほうが有名で郷土の自慢と
なってる罠
104 :
日本@名無史さん:03/03/04 16:29
岡山県だけでなく、和歌山県にも吉備群というのが存在してるし。
下道姓だったけど吉備姓を賜り真備が
吉備という地名の代表者になったのかな?
吉備氏は吉備国=岡山の出身なのだが
吉備真備自体は大和国=奈良生まれと言う説もある罠
>>103
106 :
日本@名無史さん:03/03/05 00:36
唐から帰朝した際は、死ぬまで平城京
近辺に家を構えたのでしょうか?
だとしたら、悔しいながら右大臣を辞職した彼は
その後の政局をどう思って眺めていたのでしょう。
やるせなかっただろうな。子供達孫達が慰めたのかしら?
あぼーん
あぼーん
109 :
日本@名無史さん:03/03/15 17:16
たとえ吉備真備自体は大和生まれとしても、
出身地が吉備だと行ってもよいのでは?
110 :
日本@名無史さん:03/03/22 00:12
親の実家が吉備ならばそうかも
111 :
日本@名無史さん:03/03/30 05:57
由利ちゃんって、独身のままだったの?
オレでてきちゃいけなかったのかなー
113 :
日本@名無史さん:03/03/30 17:27
115 :
日本@名無史さん:03/04/07 00:47
吉備上道臣の女稚媛と雄略天皇の間には、
磐城皇子と星川皇子しかいなかったの?
あぼーん
117 :
日本@名無史さん:03/04/07 03:19
118 :
日本@名無史さん:03/04/07 03:28
星川皇子は反乱というよりは、吉備系を警戒した勢力によって殺されたのが真相。
119 :
旧吉備国在住:03/04/07 10:48
>>118 お袋さんが吉備上道臣出身で、天皇(名前忘れた)の死後、そそのかされて反乱を
起こすもアボーン。
ついでに吉備上道臣もアボーンじゃなかったけ。
>天皇(名前忘れた)
雄略ね
ちなみに、吉備上道臣は管掌していた山部を没収される
121 :
旧吉備国在住:03/04/09 09:30
あぼーん
(^^)
124 :
日本@名無史さん:03/04/19 17:30
星川皇子を狙ってものではなく、
外戚としての吉備勢力の台頭を恐れた大和現地勢力が先に潰したと思われ。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
126 :
金田一耕助:03/04/24 17:09
>>97 横溝氏は神戸出身です。
氏は胸を患っていたため、戦争中に現在の真備町に疎開していました。
氏の小説で岡山が舞台になる小説が(比較的)多いのはそのためです。
>>103 吉備真備の母方は楊貴(八木)氏です(名前は不明)。
真備町からは真備の父方の祖母の骨蔵器が江戸時代に発見されたのです。
それ以降、現在の真備町一帯が下道氏ゆかりの地ではないかといわれています。
>>105 多分そうでしょう。父の国勝は右衛士少尉下でしたから。
阿倍:子曰く、君子の天下に於けるや、適も無く…
真備:意味は?
阿倍:えーっと、きみこちゃんが…
真備:違うだろ!
オレの名は真備。軽い気持ちで引き受けた家庭教師で、出来の悪い教え子に苦労させられる毎日を送っている。
阿倍:ぶつなんて、ひどーい。
真備:愛のムチだ。
阿倍:うー、ぱおぱおぷー。
出来の悪い教え子…。だが、コイツを一人前に育て上げるのがオレの仕事だ。
阿倍:はーい。しつもーん。
真備:おっ、めずらしくやる気じゃないか。なんでも言ってみろ。
自慢じゃないが子供のころから神童と呼ばれ、留学経験もあるオレだ。どんな質問にも答える自身があった。
阿倍:せんせーはカノジョいるんですかー?
オレはずっこけた。
・「当然だ」と答える。
・「募集中だ」と答える。
・「………」無視して授業を進める。
128 :
日本@名無史さん:03/05/01 00:33
阿倍内親王にアタックされたい…
129 :
日本@名無史さん:03/05/08 01:01
真備の娘の由利ちゃんのほうが可愛かったよね
130 :
日本@名無史さん:03/05/18 05:29
真備としては、娘の由利と阿倍内親王のレズに対して、
どう思っていたんだろう?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
132 :
日本@名無史さん:03/05/23 20:53
二人とも可愛いから、絵になってたのでは?
134 :
日本@名無史さん:03/05/27 21:39
130と132は同一人物なんだな みっともねぇー
みっともねぇ奴は称徳スレに引っ込んでろ!!
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
136 :
日本@名無史さん:03/05/28 16:56
星川皇子は反乱というよりは、
吉備系を警戒した勢力によって殺されたのが真相
137 :
日本@名無史さん:03/05/28 18:15
138 :
日本@名無史さん:03/06/07 07:31
里中真智子の『女帝の手記』
がいしゅつ?
西郷信綱の「古代人と夢」にキビノマキビの話が出てきます。
それによると、マキビは本来ウダツのあがらない小役人で終わる予定の人生だったが、
マキビは某人の見た「正夢」を呪者から買い取った(昔は「夢」の売買が行われていた)
ために、大臣まで出世した、という話。
※確認しないで書いてるんでディティール違うかも。
140 :
日本@名無史さん:03/06/15 04:11
由利ちゃんの出てくるコミックスないですか?
>>140 『女帝の手記』里中真智子
主人公は孝謙(称徳)天皇。由利ちゃんは出てくることは出てくるが、余り期待しないように。
142 :
日本@名無史さん:03/06/25 00:36
由利ちゃんと阿部内親王の美少女ペアで、奈良時代を色鮮やかに描いて欲しいですね。
143 :
日本@名無史さん:03/06/26 02:24
温羅伝説に隠された史実とは何ですか?
ももたろー♪
145 :
日本@名無史さん:03/07/01 00:28
百済はローマの植民地でつ
147 :
日本@名無史さん:03/07/09 21:02
148 :
日本@名無史さん:03/07/12 23:54
上吉備と下吉備のいわば仲間割れって感じ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
151 :
日本@名無史さん:03/07/17 04:46
吉備上道臣の女稚媛と雄略天皇の間には、
磐城皇子と星川皇子と額田皇女の曾祖母
>>143 そんなことすぐ気づくだろ?
日本に流れてきた半島の食いつめ者は治安悪化の元凶ってこと。
153 :
日本@名無史さん:03/07/23 04:30
星川皇子があまりにもうかつなことをしすぎたんだよなあ
154 :
日本@名無史さん:03/07/25 02:32
☆☆なぜか売れたうれちゃったブス芸能人☆☆
藤原野理科 ただデカイだけのブスブタ
MEGUMI オマエは山田花子やヤワラよりもブスだつーことに気づいてるよなー
小池栄子 はぁー肥満者のケツみたいなデカ乳きも 顔が変だぞブス女
上戸彩 口がゆがんでる。きもいー口裂けブス 人相悪いね
はなちゃん 一言オマエはブスぶす なのにおまえの髪型ー何じゃありゃ
見ててウザイんだよ 万年ブス。ああいった髪型は顔が
美しい人がするもんなの。オマエみたいなブスが顔面さらしてどうするよ?
井川遥 ブスだねーこんな汚物ぶすに癒されねぇーよ!!テレビに顔だすなブス
毎晩漬物石を顔に乗せて寝てるつぶれた顔のブスぶす
整形化粧お化け→→浜崎あゆみのパナソニックのCMが気持ち悪くてたまらない・・・。
視聴者を殺すきかぁ?
森永も食品売るのに整形化け物浜崎あゆみをつかうなよー
はくぞー化粧お化け浜崎あゆみが宣伝するものは一切買いたくない。
155 :
日本@名無史さん:03/07/27 17:00
岡山大学落ちて吉備路20kmを一人でマラソンした若き自分がなつかしい。
(^^)
157 :
日本@名無史さん:03/08/03 04:03
磐城皇子の自制力に期待
158 :
日本@名無史さん:03/08/10 00:21
由利ちゃんのぱいぱん
159 :
日本@名無史さん:03/08/10 01:08
銀糸を作ったのも吉備氏だっけ?
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
161 :
日本@名無史さん:03/08/16 14:16
162 :
日本@名無史さん:03/08/21 13:05
163 :
日本@名無史さん:03/08/21 16:40
´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*
http://www.gals-cafe.tv ´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*
夏なのにカノジョがいなくてこまってるそこのアナタ!
同じくカレシのいないなつきちゃんに会いにこないっ?
一週間の間、10分間はカクジツにさんごはあなたのもの♪
え?それ以上?それはぁ・・・えへっ(≧▽≦)~~*
アナタがなつきにもっと会いたくなってくれたら、かな☆
ここで待ってるから、必ず来てね!来てくれないなら…おしかけちゃうぞ♪
´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*
http://www.gals-cafe.tv ´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*
164 :
日本@名無史さん:03/08/22 11:30
このスレ勃って2年近くなってるが未だにスレタイにある
和気清麻呂が一言も語られてないわけだが・・・
165 :
日本@名無史さん:03/08/23 00:56
広虫おねえたま。
166 :
日本@名無史さん:03/08/23 03:10
>>164 ほんじゃ、家のばーちゃん(藤野家出身)の家計図をみると
垂仁天皇−鐸石別命−雅鐸石別命−田守別王
−茅彦王(氏祖・備前美作国造)−麻巳目王−意富巳目王
−伊比遅別王−伊大比別王−萬侶−古麻佐−佐波良
−佐波豆−宿奈−平麻呂
−和気清麻呂
となっとります。
茅彦王は「神宮皇后に従ひて新羅國征伐。
仲愛(仲哀)天皇50年忍熊別皇子逆謀ありて皇后の命にて針間(播磨)、
吉備との堺山に和気関を造りて之を誅し軍功に依りて藤野県に
封じられ因為藤野氏。」だそうです。
誤字が多い上、麻巳目王から伊大比別王まで「王」となっているのが
よくわかりません。
その後、
和気清麻呂−廣世の系統が本家のようですが、うちのばーちゃんの家は、
清麻呂−眞鋼−眞典−(さらに分家)時雨の系統で、代々典薬頭となり、
その子孫の邦央が鎌倉末期に備前に帰国、息子の氏秀が南朝について
武家に下ったとなっています。
まあ、作ったぽい家系図ですが、ご参考まで。
167 :
日本@名無史さん:03/08/29 21:36
168 :
日本@名無史さん:03/09/05 08:29
169 :
日本@名無史さん:03/09/13 14:30
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l:::::::::. |
|:::::::::: (●) (●) | きびだんご食べたいな。
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
171 :
日本@名無史さん:03/09/19 19:23
吉備津彦って桃太郎?
172 :
日本@名無史さん:03/09/27 22:12
>>166 プライバシーに関することなのにありがd
>>171 桃太郎のモデルと言われてるね>吉備津彦命
ただし島に渡ったわけではなくてじもぴ〜の豪族と戦ったと言うことのようだが。
174 :
日本@名無史さん:03/10/04 13:11
由利、和泉、牧雄・・・カミさんはどういうひとだったのかな??
女には奥手だった(と思う)真備のハートを射止めたのは、いったい
どんな女性だったのだろう???
>>174 真備の妻に関しては、史書には記録無く一切不明です
真備の母に関してはお墓が出てきたので氏は分かってるんですが
由利に関しては真備の娘ではなくて妹という説もあるね
176 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:25
実は今、真備主役の小説を書くべく勉強中なのです、マジで。
売れる売れないは別として、そういう小説があってもイイと
思うんです!!存在してもイイだろ〜!・・・と。
↑こういう風に言ってるヒトを、過去にネット上でも見掛けた
ことがありますが、なかなか実現しない・・・。
でも実際今書いてるんです。
あ。何か注文ありますか??
「こういう風にしろ!」
とか
「こういう風にはするな!!」
とか・・・
177 :
日本@名無史さん:03/10/06 12:46
>>176 小説いい物が出来上がるように頑張ってくださいな。
178 :
日本@名無史さん:03/10/06 12:52
>>176 真備ってあの陰謀だらけの時代に生きていて不思議と
「〜の乱」「〜の変」とかいう大騒動に関係していないね。
野心家に利用される愚か者でなかったところをみると
やはり堅実者だったとおもう。
179 :
日本@名無史さん:03/10/06 15:16
>>177 >>178 尊敬する人物なので、良いモノを書かないと申し訳が立ちませんね。
でも長寿なのでカナリの長編になりそうだ・・・。あと史実として
分かっていないところも多い。特に初回の唐での様子などは期間が
長い上に想像で書く部分がどうしても多くなりそうです。
とにかく何処へ行こうと行かされようと、納得出来ない左遷であろうと
決してキレず、卑屈にならず、その場その場で誠実に生きた真備に人間性
を描きたいです。頑張ろう!
180 :
日本@名無史さん:03/10/08 12:39
あんたは大金持のお嬢さんだ
俺は貧乏人で両親もいない孤児さ
だからあんたのような世間知らずの苦労無しのお嬢さんをみると、本当は腹の底でムカムカしていたんだ
その鬱憤を晴らす時が来たと行ったら分かるかな?
大丈夫長く苦しませるようなことはしませんから
僕はこう見えても紳士なんだ
いや苦しませるなんてむしろその反対だ
あなたにはまず快楽を味わって貰わないと僕の気持ちが満足できない
この僕のような貧乏人の下で令嬢のあなたが組伏せられて歓喜の声をあげてお願いする
とっても絵になる構図だと思いますがね
やめて何するの?
これを注射するとあなたも人間の本性が出て身も心も社会の鎧から
開放されて自由になるんだ
だんだんと気持ちが良くなって来て僕に心から頼むしかなくなるんだ
あなたは牝犬になるんです
あああああっぁぁぁあううううううぁつううううぅぅぅ
181 :
日本@名無史さん :03/10/11 01:28
吉備氏と賀茂氏のつながりがわからない・・ヽ(`Д´)ノウワァァン!!
182 :
日本@名無史さん:03/10/11 03:53
>181
古代は資料が少ないからねぇ
まして、貴族以外の氏は殆ど残されていないでしょ。
183 :
日本@名無史さん:03/10/11 05:37
>>181 つながりなんかねえよ
後世の賀茂某が、先祖の賀茂吉備麻呂を真吉備と同一視
(恐らくわざと)したから、尊卑分脈以降誤解がひろがってんだよ
184 :
日本@名無史さん:03/10/11 20:19
>>176 極端に硬派すぎてもつまらないが、女に弱い真備はみたくないなw
女にデレデレする真備はみたくない。
真備はやはり幼少時代ー遣唐使として若い頃唐で勉学に励んで暮らしていた
二十年間が、興味大ですね。
遣唐使として海へ渡った時はたしか20歳でしたっけ。
当然若い真備にも恋のエピソードがあったでしょうね。
想像をたくましくするとおもしろい。
185 :
日本@名無史さん:03/10/12 16:23
>>184 禿しく同意!
22で出航、23で長安に到着だったかな。
186 :
日本@名無史さん:03/10/12 20:54
行って帰ってまた行って帰って・・・二度の危険な航海に
びくともしない幸運ぶりがすごい!!
187 :
日本@名無史さん:03/10/15 23:10
>>170 キビ団子食べたいね。桃太朗さんももたろさん♪
188 :
日本@名無史さん:03/10/25 06:26
今週のトリビアから
桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べて若返ったおじいさんと
おばあさんがセックスしまくって生まれた。
189 :
日本@名無史さん:03/10/25 17:11
みんな、もっと真面目に発言しよーぜ!
190 :
日本@名無史さん:03/10/25 17:22
おばあさんが、桃をかち割ったら、半分になった血まみれの桃太郎が
死んでました。って話だったっけ。
>桃太郎は桃から生まれた……
このような改作が出来たのも、「竹取物語」が脳裏にあったからだろう
192 :
日本@名無史さん:03/10/29 23:42
竹から生まれる(男根)
桃から生まれる(女陰)
て感じかな。桃から生まれたという説話の方がなんかヤラシイのう はぁはぁ。
193 :
日本@名無史さん:03/10/30 23:56
みんな、もっと真面目に語り合おうぜ!
194 :
日本@名無史さん:03/10/31 19:25
>>176 片桐樹童の小説『吉備真備陰陽変』以上のもの
書いてください
195 :
日本@名無史さん:03/11/01 08:47
>>181 >吉備氏と賀茂氏のつながりがわからない・
備前国にも、賀茂の地名があったような。
196 :
日本@名無史さん:03/11/02 18:23
>>194 [飛べ麒麟]という小説にも真備が出てきますよ。
未読なので本の感想はかけません。
読んだらカキコすると思います。
この時代の歴史小説はもっと出されていてもいいのに・・・
真備を扱った小説は殆どないのが残念でならないので、>176さんに期待
します。
火の鳥鳳凰編で知りました
198 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:15
火の鳥の真備は、皺だらけの狡猾そうなおじいちゃんだったので萎え。
しかもチビだったしな。
仲麻呂も出ていたけれど、こちらも意地悪そうなまさに悪人顔で
権力の亡者扱いだった。
あたらずも遠からずだけどね。
199 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:18
史書の記載され伝説化するほどの秀才だった苦労人真備に逢ってみたいなぁ。
凄い人だっただんだろうな。
しかもうら若き可愛い内親王の家庭教師役を任されるなんてうらやましいなんて幸運なんだろう。
200 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:19
二百
201 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:21
>>199 あと仲麻呂もどれだけ秀才だったのか、確かめてみたい。
一緒に仕事はしたくないタイプだけれどw
202 :
日本@名無史さん:03/11/07 21:28
和気清麻呂ってなんかムカつく!
みんな詳しいな・・
オレ調べるのヤになっちゃったよ
たまたま見た本に463年吉備田狭(きびのたさ)が反乱をおこす
って書いてあるけど何者?
検索読むの面倒だから簡潔に教えてくれ
204 :
日本@名無史さん:03/11/08 23:31
>>203 田狭の妻の稚媛が絶世の美女だったんで雄略天皇が彼女を手に入れようと
、朝鮮の国司に飛ばされちゃうんだよな。
留守にしているうちに妻を天皇に取られたことを知った田狭は、日本には
帰らず、任那に留まって新羅と結ぼうとしたとか・・・
雄略が死んだあと、稚媛は生んだ皇子といっしょに乱を起こして鎮圧され
るオチがつく。
205 :
日本@名無史さん:03/11/10 18:10
真備小説、執筆中。
難波を出て長安に入り、就学先が決まるところまででA−4にして41ページ。
長生きだからかなりの長編になりそう・・・。何巻かに分かれますね、当然。
206 :
日本@名無史さん:03/11/11 19:59
>>205 頑張れ!
真備って二十年間唐にいたんだよなー二十年だよ!凄い!
日本語忘れるくらい猛勉強した若い頃、帰国した後の人生
をおもい描いたりしていたのだろうか?
207 :
日本@名無史さん:03/11/20 21:26
>>176 小説執筆はかどっていますか?
頑張っておもしろい作品を完成させてください。
楽しみにしていますよ。
>>204 オオ ひさびさに見てサンクス 遅レススマソ
神話か・・・でも年表に書いてあったんだよな・・史実?
雄略朝のことはおおかた史実と見られてるんじゃないかな。
とくに朝鮮関係の記事は百済三書に基づく部分がかなりあるだろうということで。
210 :
日本@名無史さん:03/11/22 13:46
>>194 読んだ。
立太子前の阿倍内親王を、今風の萌え萌えキャラにした点は、
おおいに評価すべきだと思う。
他のキャラもイイ。
藤原房前の悪役っぷりとか、真備に歪んだ友情を抱く玄ムとか。
ただ、時代考証はどうなんだろう?
あんなに火薬をドッカンドッカン爆発させていいものか・・・
これより面白い小説、となると大変だな。
205、ガンバレ。
>>210 それは、「吉備真備陰陽変」の方だよね!?
212 :
日本@名無史さん:03/11/23 01:36
>>211 唐から帰国した真備は四十歳
その年代からはじめて日本で活躍するんだから
まさにオヤジパワー炸裂と云ったかんじだねw
くたびれない、怠けないよほど精神が頑丈にできてた人っぽい。
213 :
日本@名無史さん:03/11/23 01:37
だからそういってんじゃないの?
他になにか作品あんの?
214 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:00
ただ単に宇多天皇と藤原氏の確執で取り立てられただけだろ?>菅原&吉備
215 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:06
宇多天皇の頃吉備氏ッていたの?
216 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:08
>>214 単純すぎる理解で頭軽いな。
歴史を知らないからか・・・w
217 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:18
岡山人が2人釣れますた。
219 :
日本@名無史さん:03/11/23 02:57
歴史の真実をみると真備は敗者
なのに悪評が皆無である点を
みても努力家で素晴らしい人だったと思う。
220 :
日本@名無史さん:03/11/25 01:15
>>218 岡山県って田舎だよね。
昔も岡山県が田舎もの扱いされていたですか?
でも古代史では吉備地方ってわりと重要で有名な地方なんでしょ。
古代は有名地でも、近代化??に乗り遅れたとか???
222 :
日本@名無史さん:03/11/25 02:35
>>220 古代においては山陽の中心地だったはずだが、
いつだろ広島と逆転したのは。
やっぱ毛利元就以降かな
223 :
日本@名無史さん:03/11/25 05:08
失礼な、古代も近代も先端地域です
古代ーーー大和、出雲、吉備、北九州、日向は別々の王朝、星川王子の乱以前は、名目上は
王国連合。巨大古墳では、応神仁徳陵以前では大和より巨大。元伊勢もあるし、神武滞在伝承
賀茂の同族の鴨一族は日本書紀にもよくでてくる。太子の飛鳥寺とほぼ同時期の6世紀には
渡来系最大の秦氏の根拠地には最大規模の寺院(秦原廃寺)があり
「非大和式の吉備式瓦が生産され、街路は五条で設計されていた」独自外交、交易、軍備
寺院建設、留学生派遣、大和と異なる独自文化的国家の研究はかなーり重要。
最近発掘された8世紀のたたら跡は当時の北東アジア最大規模。
224 :
日本@名無史さん:03/11/25 05:30
近代ーーー日本最初の近代西洋美術館である大原美術館とか、近代宗教、労働運動
、福祉運動とか比較的進歩的土壌があるが、クールすぎて郷土愛とかがあまりない
ので、「吉備王国」研究とかにも関心なし。「武蔵」とおなじ。
企業でいうとベネッセ、最近の人物でいうとハシリュウ、星野仙一かな、なんとなく
吉備真備のキャラがみえてくるでしょう。
226 :
日本@名無史さん:03/11/25 17:37
>>224 キャラ?タンポポの種って感じかな。
風に吹かれて飛んで行って、どんな場所でもとりあえず花を咲かせる。
(いい意味で)
227 :
日本@名無史さん:03/11/25 21:00
>>223・224
222っす。
一般には中国地方の中心てゆうと今では広島だと思うんだけど
(これまで否定されると話が続かないんだが)
いつからそうなったんだろうかな、と思って。
お説に依れば近代はまだみたいだから、昭和になってのことかしらん。
229 :
日本@名無史さん:03/11/29 01:14
>>174 百合の花、清らかな泉、のどかな牧場をイメージさせる名前だな。
真備が名前を付けたのならとてもセンスがよろしいね。
>>228 岡山も広島も江戸時代には大藩があったからね どっちもどっちかな。
やっぱり昭和以降なんかねえ>広島が中心になったの
あ、その前に広島が中国地方のホントの中心になった時代が一瞬だけありました。
毛利家が本拠を広島城に置いていた頃。ホントに一瞬だw
しかし広島は原爆で一度完膚無きまでに消去されていたりするのだが。。。
231 :
日本@名無史さん:03/11/29 12:02
>>229 従三位まで昇った吉備由利は称徳女帝の病床に唯一入ることを許された
らしいね。里中コミックにはチラっと登場するけど、何か人の良いオバ
チャンって感じで萎え。由利は真備の妹っていう説も存在するらしいが
娘説が有力だね。小説とか漫画に出すなら若くて利発そうなイメージで
描いて欲しい。
232 :
日本@名無史さん:03/11/30 14:13
>吉備由利は称徳女帝の病床に唯一入ることを許された
それでレズのことをユリというのか…
233 :
日本@名無史さん:03/12/01 03:20
っていうか
>>232が由利に萌える理由は、称徳女帝とレズだからと妄想している
からなのでしょう。
234 :
日本@名無史さん:03/12/01 03:25
あれ
235 :
日本@名無史さん:03/12/01 10:49
HPの性格からして、奈良時代知らない人ばかりしかよってないだけかもw
学術的に見ると、奈良時代は一番研究が深化してしまってる時代かも知れない?
237 :
日本@名無史さん:03/12/01 12:03
奈良時代。特に寿命の短かった平城京は何か独特の深みを感じる都なので
興味は尽きない。不比等・四子・長屋王・聖武・光明子・諸兄・玄ム・広嗣
奈良麻呂・孝謙・道鏡・清麻呂・・・短くても濃い時代だよ。
平城京が存在した時代≒真備が活躍した時代。
んん・・・やっぱり興味は尽きない。
238 :
日本@名無史さん:03/12/01 12:05
あ。押勝を忘れてはいけない。真備の宿敵。
239 :
日本@名無史さん:03/12/01 19:44
>>237 そうね魅力的な人物がわんかさいるものね。
作家に才能があれば小説の題材に充分使えるわよん。
240 :
日本@名無史さん:03/12/01 21:21
>>239 でも売れないんだよね…三田誠広の『天翔ける女帝 孝謙天皇』の
真備も良かったのに。
『
由利「相手の出す目を読んで、どんな数が出ても勝てるように、先、先を読んで
いけば、必ず勝つ戦略が見えてまいります」
阿倍「真備もさように先を読んで生きてきたのじゃな」
由利「父には誤算がございました」
阿倍「いかなる誤算じゃ」
由利「賽で七の目を出すことは出来ませぬ。父はどうしても七を出さねばならぬ
戦略を立ててしまったようでございます」
頭の良い娘だ。この娘なら七の目でも出せるかもしれぬ。』
由利タンの見せ場はこれくらいだったけど。
レズ妄想由利ヲタきもい
由利カマノスケ
243 :
日本@名無史さん:03/12/03 09:45
ユリタンハァハァ(;´Д`)ハァハァ…ウッ
244 :
日本@名無史さん:03/12/04 10:50
245 :
日本@名無史さん:03/12/05 23:49
246 :
日本@名無史さん:03/12/06 00:02
247 :
日本@名無史さん:03/12/06 03:55
http://www.webtsc.com/kanko/momotarou/densetu/densetu1.html>製鉄技術を吉備の国に伝えたのが、百済の王子といわれる温羅
「鉄は国家なり」と言われた時代、当時の最先端技術であった「製鉄」のテクノロジー
を持った吉備の国は、産業国家として繁栄していました。温羅は「吉備冠者」と呼ばれ、
人々から尊敬されたでしょう。温羅一族とはまさに、明晰な頭脳と高度な職人の技を持つ、
プロの技術者集団だったと考えられます。でも、そんな吉備の国の繁栄は、全国統一を
もくろむ大和朝廷から見ると、面白いはずはありません。朝廷は、技術者集団の指導者
である温羅を滅ぼし、吉備を朝廷に全面服従させることを企みはじめます…。
吉備の国に繁栄をもたらした恩人を殺された人々の悲しみは、いかばかりだったでしょうか。
「温羅の首の13年間のうなり声」とは、実は、吉備の民衆の怨嗟の声、慟哭、弔いの祈り
だったのではないでしょうか。民衆の恨みと温羅のたたりを恐れた朝廷側は、仕方なく
吉備津神社を建て、温羅の首を竃の下に埋めます。そして、竃の火を炊くという表向き
の理由で、温羅の霊を弔うことになります。その死を悼む吉備の人々も、こぞってこの神事
に参加したでしょう。民衆は、表面的には朝廷の統治に従いながらも、彼らの心から温羅
への想いが消えることは、決してなかったのではないでしょうか。
大和朝廷の野望の犠牲となって死んだ、悲劇の英雄・温羅。この悲しい物語は、中央集権的
な史観の中で封印された、「もうひとつの桃太郎伝説」なのかもしれません。
---真備はウラの転生也。こういうのは?
248 :
日本@名無史さん:03/12/06 07:34
アホかよ
「吉備冠者」なんて呼び方がそんな時代にあったわけないだろ
後世の伝説じゃん
249 :
日本@名無史さん:03/12/06 10:59
温羅に支配されるのと大和王権に支配されるのって、
在地の民衆にとってなにか違いがあるの?
250 :
日本@名無史さん:03/12/06 17:47
北朝鮮に占領されるのと米国に占領されるのと
国民にとってなにか違いがあるの?
251 :
日本@名無史さん:03/12/06 17:49
>250
食糧事情にでかい差が出ますなそれは。
252 :
日本@名無史さん:03/12/06 21:22
紀元前からの華僑都市のなかでも吉備、出雲は巨大で大和と対立していた。
「もののけ姫」の製鉄所をめぐる攻防のように、古くからの渡来系の蘇我、物部との対立
にくわえ、高句麗、新羅、百済、加那、鮮卑系王族入植地、先住縄文系いりみだれての
倭人都市連合が「日本」に発展統合されるための独立の戦いでもあった。
8世紀以前には日本はないので、真備たちの留学は18世紀の新興米国貴族が英国の親戚
のもとで教育をうけさせていたようなものかも。
253 :
日本@名無史さん:03/12/06 22:26
>>252 新撰姓氏禄まで待つまでも無く、日本書紀でも諸蕃氏族と皇別・神別氏族は厳しく
区別されている。
8世紀の段階まで、中国を「親戚」のような目で見ていたかどうか疑問。
254 :
日本@名無史さん:03/12/06 23:05
確かに最近の渡来系(6世紀以降)、百済集団移民は別にして、故地を親戚として
みることはないかもね。
しかし、秦氏のように族長(王)任命権を天皇にゆだねつつも、各王朝や有力紙族と
バランスをとりながら財閥的な組織網をその後も東アジアに保持した渡来系もいる。
はったりも含め、始皇帝直系とか、東漢氏の霊帝子孫という中華系統ヒエラルキーは、
アジア共通の権力、利権の調整文化だろうから、書紀をかいた藤原家などを彼らが
どういう目でみていたか。というか有識人口でも納税人口でも過半数だった新渡来系が
旧渡来系の日本独立運動を、華僑ビジネス的にどう利用したか知りたいね。
9世紀ですら福岡の納税者の8割が渡来、吉備でもまだ6割いた。
現代においてすら、台湾独立は、内省中国人派にはアンビバレンツな状況を生んでるからなあ。
255 :
日本@名無史さん:03/12/06 23:26
個人的には魏志倭人伝にでてくる鬼国などは、大平道とか五斗米道教団に類似する
道教の華僑宗教コミューン(亡命コロニー)で、卑弥呼という倭人と華僑都市連合が
推戴した宗教的教祖とギルド的権益をシエアしていたと思う。
吉備王国は地理的に、古くは鬼国、隋書東夷伝の「秦王国」そのものであっても
おかしくはないと思う。巨大な造山、作山古墳は当時の海岸線沿いで、6世紀の
秦寺(総社市秦、飛鳥寺規模)跡地も大陸、半島に直行できる立地だった。
256 :
日本@名無史さん:03/12/06 23:31
>254 内省中国人派
まちがえた、外省人派でした
電波もここまで来と壮観だね
258 :
日本@名無史さん:03/12/07 06:32
257よ
岡田の「倭国」がでたのは何年前か知ってるか?
アジア史とか中国史の連中のあいだでは、日本史の時代遅れぶりや考古学のねつ造、DQNぶりに
辟易してるそうじゃないか。外務省や経済産業省は対中国政策では岡田史観を
採用してるぞ。国内4位の巨大古墳が天皇綾でないとすれば、誰の墓なんだろうね?
259 :
日本@名無史さん:03/12/07 07:13
とにかく我が国の最古の正史である「日本書紀」を実際編纂した学者の半分が
華人で、半分が中国留学、半島留学帰りの倭人だったのは事実なんだから
そこから認識していくしかない。
大体このスレで吉備式瓦と飛鳥式瓦の違いを説明できるひととかいるのかな?
いろいろ聞きたいこともあるのだが。あと古代天皇の祭祀近習たる少子部
が、何故に秦氏と隼人に限定されていたのか?とかさ
まさか秦氏と天皇神道確立の関係を無視して、この神の国を語ったりしないだろうね
中華文化からの離脱で、吉備真備らが悪戦苦闘したのはまさにそこら辺が
ポイントだったような気もするんだけど。
>有識人口でも納税人口でも過半数だった新渡来系
>外務省や経済産業省は対中国政策では岡田史観を採用
>「日本書紀」を実際編纂した学者の半分が華人で、半分が中国留学、半島留学帰りの倭人
電波ばっかりだなー。ソースは出せる?
261 :
日本@名無史さん:03/12/07 19:54
ーー引用『日本書紀の謎を解くーー述作者は誰か』(森博道著、中公新書1502、99年)
『日本書紀』成立の謎
持統朝に続守言と薩弘恪が書紀α群の撰述を始めた。続守言は巻一四から執筆し、巻二一の修了間際に倒れた。
薩弘恪は巻二四〜二七を述作した。文武朝になって山田史御方がβ群の述作を始めた。 元明朝の和銅七年から
紀朝臣清人が巻三〇を撰述した。同時に 三宅臣藤麻呂は両群にわたって漢籍による潤色を加え、さらに若干の
記事を加筆した。 こうして元正朝の養老四年(七二〇)に『日本書紀』三十巻が完成し撰上された。
唐人の続守言と薩弘恪は正音により正格漢文でα群を述作した。つまり中国人が中国語で述作したのだ。
倭人(日本人)の御方は倭音により和化漢文でβ群を述作した。 若くて優秀な清人は倭習の少ない漢文で巻三〇を
述作したが、藤麻呂の潤色・加筆には倭習が目立った。
262 :
日本@名無史さん:03/12/07 20:11
263 :
日本@名無史さん:03/12/07 20:21
岡田といえば、最近小林よしのりとかが絶賛して、一躍保守政治家や
若手官僚の歴史テキストとして活用されはじめた
彼の古代中華華僑都市論は、大変合理的で、従来のサヨ文化人の半島渡来日本
開拓論など話にならないhど経済合理性が高い
264 :
日本@名無史さん:03/12/07 21:14
>>259 森博道の本は出てすぐ有名になったから読んでるよ。細かいところは忘れたけど。
>>261をどう読んでも
>「日本書紀」を実際編纂した学者の半分が華人で、半分が中国留学、半島留学帰りの倭人
とは読めない。
草稿まとめたのが続守言と薩弘恪、山田史御方の3人で、唐人系帰化人2人と日本人1人。
それを元に完成させたのが紀朝臣清人と三宅臣藤麻呂で、日本人2人じゃん。
ついでにいうと日本人3人のうち誰が中国留学組で誰が半島留学組なんだ?
>>258-264 岡田英弘は毀誉褒貶が激しく、単純にマンセーもできないし電波扱いもできない。
いろいろな評価を総合すると、大掴みなビジョンとしては学界を揺るがしかねないものがあるが
どうも各論になると細かいところはいい加減なため
オタクっぽい歴史マニアやそれぞれの専門家にはかなり不評を買ってる。
岡田本人は既存の歴史学のパラダイムに挑戦しようとしており、規定の枠にとらわれた目からみて
電波っぽく見える時はあることは否定できないし、それはそう見える人がおかしいからではなくて
逆に学問にはまりすぎてるからとも考えられる。岡田説が学界で主流でないのは、頭から拒否されたり
論破されたりしたからではなくて、やや扱いかねているからだろう。
個人的には総論賛成・各論反対。スケールのでかいところは好きだしな(w
ちなみに外務省や通産経済省は政策として参考にすることがあっても問題ないだろうが
外務省や通産経済省は歴史学の専門家ではないのでお忘れなく(w
世界史板では昔は岡田を評価する人と半々くらいだったけど最近はアンチ岡田の方が多そうな感じ。
ちなみに漏れはアンチ岡田ではないのでよろ。
268 :
日本@名無史さん:03/12/07 22:49
どうかな、岡田は従来のサヨ、ウヨ両方の天敵だろ
あるいはニューナショナリズムの史学的原点になる可能性はある。
陳寿の三国志、東夷伝が司馬の晋内政の権力闘争の妥協の産物で
卑弥呼を政治的必要から過大に描いたとか、邪馬台国論争の位置記述が
いかに適当で恣意的なばーちゃるなものだったかを論理的に分析した功績は
大きい。実際、記述どうりの行程だとグアムあたりになるし、呉に対する
牽制から今の台湾、フィリピンあたりにおき、同盟を結んだ司馬家の功績を
演出したわけだからな。
岡田は騎馬民族ではなく、中華化された騎馬系商人が渡来し、都市ギルドを建設
した説。古事記を偽書とする姿勢とか、日本史学者にとっても天敵なんだろうな。
269 :
日本@名無史さん:03/12/07 23:00
>>268 謎の古代史を扱うのはウヨサヨにとって、それだけ危険ってことかな?
暴かれて困ることが多いのでは?
>>268 岡田は本人の学説とは別に主観的にはウヨ。
>>269 「暴かれて困る」なんてのはまるで暴かれる前から自分は真相しってるみたいな口ぶり。
電波っぽく聞こえるな(w
271 :
日本@名無史さん:03/12/12 09:56
まあどうでもいいのだが、吉備王国に詳しい人もっと情報くれ
漏れは10歳のときに歴史教師だった祖父から、古代吉備の伝承をきいて
実家の庭で鶏のえさ場にされていた秦寺の礎石にロマンを感じて以来
数十年、気になってしょうがない。門外漢だからとにかく情報がほしい。
検索しても大半は、ユダヤとか景教とか、そんなのばかりで新しいのがない。
秦氏、吉備、秦王国、渡来華僑と神道、天皇を研究してるひと、いませんかー?
>秦氏、吉備、秦王国、渡来華僑と神道、天皇
こんなのばかり。
誰かまともな人いませんかー?
273 :
日本@名無史さん:03/12/13 05:56
岡田説すきだな、271も興味深いけど、
なぜデンパ扱いされてるの?
神道と華僑の道教の関係とか研究してるひといるよ
>>273 >神道と華僑の道教の関係とか研究してるひといるよ
それくらい皆知ってるでそ
神道と華僑の道教の関係っつってもいろんな説がありうるわけで
個人的には岡田説を全面支持はできない。
ちなみに電波よばわりしてるのは一部の歴史ヲタ。
本物の専門家は2chで悪口はいうかも知れないが(w)まぁ敬遠かな。
それも単に面倒くさいからで深い理由はないと思う。
275 :
日本@名無史さん:04/01/09 07:32
従三位まで昇った吉備由利は称徳女帝の病床に唯一入ることを許された
276 :
日本@名無史さん:04/01/09 07:38
ゲイだったからな
>>276 用語の使い方を間違っているような。。。
278 :
日本@名無史さん:04/01/25 01:08
>>277 おまえこそいつまでこのスレに執着し続けるつもりだ?
そうやって荒らして何が楽しいんだ?
おまえのやってることはただの荒らし。その自覚を持て。
280 :
日本@名無史さん:04/02/07 11:15
従三位まで昇った吉備由利は称徳女帝の病床に唯一入ることを許された
とても可愛くて素敵な女性だった
281 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:33
資料が皆無の由利の母親はどんな女性だったのだろうか?真備とはいつ何処で
出逢った?最初の帰朝の後だと思うんだけど・・・。奥手の真備は唐では淡い
恋愛程度で結婚はせず、帰朝して四十過ぎてから出逢った二十代半ばの女性と
恋に落ちて結婚、由利が産まれる。由利は三十代後半という若さで逝ってしまう。
これでいいでつか?
282 :
日本@名無史さん:04/02/15 00:38
>>280 その一文をもってくるところから考えると
由利レズ妄想できるから「素敵な女性」だったと評価してるんだ。
283 :
日本@名無史さん:04/02/15 23:42
由利はどーでもいい
阿倍タンが一番可愛い
ハァハァエッチしたい
284 :
日本@名無史さん:04/02/16 11:23
>281
下級官人の家に生まれた性格の良い女性かイイ。
由利の母となると、やはりある程度はキレイなヒト。
285 :
日本@名無史さん:04/02/16 20:38
由利は武士でたくましイメージがある
真備の娘だもんな
阿倍は気がつよい
286 :
日本@名無史さん:04/02/16 20:44
ゲイ
287 :
日本@名無史さん:04/02/17 00:19
由利は『くの一』みたいなイメージでも面白いカモ。
父のために密かに動いて諜報活動をしてたとか(無いかな)。
でも阿部の病床に唯一近づくことを許された割には「帝の遺言」をでっち上げた
藤原に敗れ去る父を、手をこまねいて見つめるしかなかった由利・・・
無念のまま父より先に逝ってしまった由利・・・
288 :
日本@名無史さん:04/02/17 18:05
まさか娘に先に逝かれるとは思っていなかった真備
289 :
日本@名無史さん:04/02/19 03:44
魏志倭人伝に載ってる「投馬国」は吉備あたりだって言われてるよね。
290 :
日本@名無史さん:04/03/07 10:27
由利ちゃんが長生きしていれば、真備の推挙した天皇になってたはず。
291 :
日本@名無史さん:04/03/24 20:50
たった30人の物部に滅ぼされるなんて、下道臣は弱っちい氏だった。
292 :
日本@名無史さん:04/04/11 00:52
製鉄技術を吉備の国に伝えたのが、百済の王子といわれる温羅
293 :
日本@名無史さん:04/04/11 01:20
沈みそうだったのに上げるんじゃねぇーよおい!
294 :
日本@名無史さん:04/04/25 10:39
本当にたった30人だったの?
信じられんね
295 :
日本@名無史さん:04/05/06 01:15
阿部と由利の関係で、真備が先に遺言を真偽はともかく公表する機会はあったと思う。
なぜ、藤原に先を来されて、真備案が失敗したのかについてご意見を聴きたい。
296 :
日本@名無史さん:04/05/19 00:56
ふじょう
297 :
日本@名無史さん:04/06/06 09:56
称徳女帝が崩御のあと、吉備真備と由利が推していた
智努王と大市王は両祖父は天武天皇と天智天皇で、
天智の女系を考慮しての天武系としてベストに近い案だった。
298 :
日本@名無史さん:04/06/24 01:33
ベストに近い案を、百済王の子孫へと変更したのが、藤原氏。
299 :
日本@名無史さん:04/06/25 01:44
久しぶりだね君まだ生きてたの?
300 :
日本@名無史さん:04/06/25 02:46
桓武天皇へは、藤原乙牟漏、藤原旅子、藤原吉子、藤原小屎、藤原仲子、藤原河子、藤原東子、藤原上子、藤原平子が嫁いでいたので、しょうがない。
>>300 でもその中で確実に立太子前の桓武に嫁いでたのが確実なのは乙牟漏だけじゃなかったっけ?
ところで「小屎」って何回見ても思うが、人間の名前として不適切なんじゃないかと
今回法律が変わってこういう珍名が今後は増えるんでしょうな。はあ。板違いスマソ
302 :
日本@名無史さん:04/07/24 04:39
小屎って、どういういみ?
わざと悪い意味の名前をつけるのは魔除け信仰だろ。
304 :
日本@名無史さん:04/08/21 21:31
その点、由利ちゃんは現在でも通用するね。
三千代ちゃんモナー
306 :
日本@名無史さん:04/09/16 01:53:09
三千代ちゃんって、再婚したとき何歳だったんだろう?
>>306 生年が分からないのでだいたいの推測になるが
長男・橘諸兄の誕生が684年
不比等との間に光明子を産んだのは701年
この頃の女性の初婚年齢が14〜15歳位なので
15+(701−684)=32
・・・下限は32歳ぐらいか。
308 :
日本@名無史さん:04/10/03 02:36:22
光明子が最後の子?
>>308 最後の子は橘諸兄夫人・藤原多比能。尊卑分脈か何かに載っていたかと(うろ覚え
しかし諸兄と多比能は同母兄弟となるため、反対する意見もあったと思う
310 :
日本@名無史さん:04/10/13 00:43:36
311 :
日本@名無史さん:04/10/13 19:29:26
同母兄弟でも問題無し。当時さけられてたのは同父母兄弟婚。
312 :
日本@名無史さん:04/11/06 22:49:22
異父同母でもいいんだ?
だめ。
異母兄弟は当然いろんな人が知られているけどw
異父兄弟はあまり例もないため異父兄弟婚の例をほとんど見いだせない
ので真相は?なのではなかろうか。
この時代ではっきりとした異父兄弟と言えば
・新田部親王と藤原麻呂
(母・藤原五百重娘、新田部親王の父・天武天皇、藤原麻呂の父・藤原不比等)
・橘諸兄/橘佐為/牟漏女王と藤原光明子/藤原多比能
(母・県犬養橘三千代、諸兄らの父・美務王、光明子らの父・藤原不比等)
ぐらいかなあ。
両方共に藤原不比等が絡んでるのが笑えるw
315 :
日本@名無史さん:04/11/21 01:14:48
なんで笑えるの?
317 :
日本@名無史さん:04/12/03 00:32:58
死ぬんじゃないの?
僕は死にましぇん!!
319 :
日本@名無史さん:04/12/19 00:34:14
>>314 えっと、その異父兄弟婚って、どういうこと??
いくら父が異なっても、兄と弟が結婚するなんて…
320 :
日本@名無史さん:05/01/02 18:54:42
>>314 大友皇子と十市皇女のペアを忘れてるよ。
(母・額田王、大友皇子の父・天智天皇、十市皇女の父・天武天皇)
>>319 >>314の下段の用例で明らかだが、兄弟姉妹を代表して兄弟と
言うのだよ。児童の保護者を父兄と言うのと同じ伝。
>>321 大友皇子の母は伊賀宅子娘だから
大友皇子と十市皇女は異父兄弟にならないのでわ
真備派が天皇になってたら、真備は藤原氏を一掃して、第2の鎌足になってたかも。
それにしても、超国宝級である「吉備大臣入唐絵巻」がアメリカに流出したことは残念でならない。
324 :
日本@名無史さん:05/01/21 04:40:52
由利ちゃんが女帝になっていただろうね
吉備氏の議論は任那スレじゃなくてこっちでやれ。
327 :
日本@名無史さん:05/02/01 10:43:41
329 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:58:37
5世紀の大豪族・葛城氏の「王宮」か 奈良で巨大建物跡
http://www.asahi.com/culture/update/0221/011.html 奈良盆地南部の奈良県御所(ごせ)市で、石張りの堀に囲まれた5世紀
前半(古墳時代中期)の巨大な建物跡が出土した。古墳時代としては最大
級の規模で、県立橿原考古学研究所が21日、極楽寺ヒビキ遺跡と命名す
ると発表した。盆地を見下ろす標高約240メートルの丘陵にあり、大豪
族葛城(かつらぎ)氏が治めた一帯の「王宮」のような施設だったらし
い。火災で全焼した痕跡があり、葛城氏が雄略天皇に焼き打ちされた日本
書紀の記述を裏付ける可能性もある。
農地整備に伴い調査した。敷地面積は約1500平方メートルで、北と
東が谷に面し、南と西の二方に堀(幅約13メートル、深さ約2メート
ル)があった。西側に主要な掘っ立て柱建物跡(約15メートル四方)が
あり、東側は約500平方メートルの広場。塀の跡や、物見台らしい小規
模の建物跡も見つかった。
主要な建物の中心部分の柱は直径約45センチで、太さや並び方などか
ら2階建てと推測される。ひさしを支えた柱もあり、西面と南面には縁側
があったらしい。1階部分の床面積約225平方メートルは、古代の代表
的な豪族居館跡とされる群馬県群馬町の三ツ寺1遺跡の大型建物(約17
0平方メートル)を上回る。
建物や塀などすべての柱跡からは、焼けた土や灰が見つかった。日本書
紀では大王(天皇)と姻戚関係にあった葛城氏は、皇位継承をめぐる争い
から雄略天皇に攻められ、焼き討ちされたと記され、当時の権力闘争を知
る手がかりになりそうだ。
遺跡からは祭祀(さいし)儀礼で使う高坏(たかつき)が見つかった
が、日常生活で使う土器などは出土しなかった。同研究所は「居住場所で
はなく、祭祀や政務を執り行った行政管理センター的な施設だった」とみ
ている。
330 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:59:47
極楽寺ヒビキ遺跡の北東約400メートルにある南郷安田遺跡では95年、17メートル四方の建物跡が見つかり、
葛城氏の祭祀施設とされた。今回の建物跡はやや小さいが、同遺跡を見下ろす高台にあることから、別の機能を持つ一
帯の中心施設とみられる。
現地説明会は26日午前9時半〜午後4時。奈良交通が近鉄忍海(おしみ)駅から専
用バス(有料)を運行する。遺物展示は同日午前9時〜午後5時、同駅下車徒歩4分の葛城市歴史博物館で。
〈葛城氏〉 朝鮮半島に出兵した将軍襲津彦(そつひこ)(4世紀末から5世紀前半ごろ)が始祖。当時の日本は、
讃、珍、済、興、武の「倭の五王」が中国に盛んに使者を送って国際的地位を高めようとしていた。
日本書紀によると、襲津彦の娘磐之媛(いわのひめ)が仁徳天皇の皇后になって履中(りちゅう)、反正(はんぜ
い)、允恭(いんぎょう)の3天皇を産むなど、仁徳から仁賢まで9代の天皇のうち8人が葛城氏出身者を妃や母とし
ている。天皇(大王)家との深い結びつきで政治基盤を固めていったが、五王のうち「武」とされる雄略天皇が登場す
ると、天皇の政敵と目された皇子らとともに攻められ、勢力を失ったという。
331 :
日本@名無史さん:05/03/10 23:54:42
age
吉備郡真備町にはやたらと土師って苗字が多い。
333 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:09:52
吉備真備の子孫でもいるの?
334 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 06:45:36
由利ちゃんって、子孫いる?
マジレスすると
真備には和泉という息子が居たが、政争に巻き込まれて失脚
その後政界に復帰するが、子孫の行方は史書に出て無く不明だったかと。
由利の子供は一切の史書に出てこない。
おそらく彼女は未婚だったのではと思われる。
336 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 03:48:14
由利はレズだったから、しょうがない
を(ry
338 :
日本@名無史さん:2005/05/23(月) 22:58:39
和泉クンの子孫はどこへ!?
339 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:01:07
吉備氏出身の黒姫の伝説で仁徳天皇が行ったのは、
倉敷市玉島黒崎でいいのか?
341 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:30:51
黒
吉備真備は軍政家ってイメージ
343 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 00:57:30
そうなの?
345 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:35:51
346 :
がいやまん:2005/08/26(金) 06:50:51
楯築遺跡が弥生末期の倭国最大の王者の墓のようだ。この近辺に関する伝承は
圧倒的に孝霊天皇に関するものが多いし、ランクでいけば孝霊天皇の右に出る
ものはない。倭人伝では男王→ヒミコ→男王→トヨと言った感じだが、この男王は
孝霊帝、支維国というのは紀伊国、キビというのはアワ同様食料、保食に関する
言葉で実際の古代の行政地区名は投馬国とすると世帯数的に矛盾はなくなるし、
水路で纒向に直結する。孝霊帝は大和黒田の庵の辺に離宮を持っていたが、
投馬国の大王で楯築に葬られた。当時は倭国大乱の時代で群雄割拠していたとは
考えられないだろうか。
347 :
がいやまん:2005/08/26(金) 07:12:49
もしこの大王、岡山県人であったとしたら、当時倭国は匈奴の文化圏まで包含して
いたか、さもなくば、匈奴文化圏の影響下にあった近隣の国、名称からすれば馬韓
月支国またはその出先の辰韓を傘下に収めていたということになる。秦の始皇帝
にも似た辰砂によって保護された墳墓は前代未聞であるし、量的に平原遺跡周辺の
三雲遺跡などの北部九州を上回るのではなかろうか。
348 :
がいやまん:2005/08/26(金) 07:22:34
もう一つの考え方は、楯築遺跡をアメノヒボコ等渡来人が作ったものであり、その
王が葬られているとすることである。しかし、アメノヒボコは最終的に出石に領地を
安堵されたとされるのであるから一件落着している。
349 :
がいやまん:2005/08/26(金) 07:40:26
北陸には気比、気多などの神社があり、応神、継体等にはホームベースのように
扱われているので何らかのオーソリティーがあるのかと思われる。例えば、伊都の
県主が新羅のオロサン(蔚山)の天下ったとするが、オロというのはエベンキ語では
鹿のことである。気比神社にはツヌガアラヒトが渡来する。これは思うに辰王というのは
スサノオにポストとして提示された海の守り、海部大臣ということではなかろうかと思う。
この竜神のシンボルが中国のキリンのように鹿の角、七支刀もそうだが、だったと推測
する。これは匈奴の石板墓文化の鹿石である。この象徴的な霊石が気比神社に移動
されたことが、極東の中心を敦賀に移すということであろう。実際、敦化等というのは
いまだに吉林省あたりに残っているようだが。長くなったが、楯築にもこの気比神社
から使いが出たのではなかろうか。吉備と言うのは大和朝廷のクーデターか何かで
投馬国が食糧供給国、アワのようなもの、に落とされ名称が変わったということも
考えられる。
350 :
がいやまん:2005/08/26(金) 07:44:28
大和の東部後背地にツゲといった地名があるが、春日神社の鹿との関係で
こうした用語が使われるのではないのかも一考の要があろう。
351 :
がいやまん:2005/08/26(金) 08:19:40
岡山は桃が名物だから桃太郎というのは現代人にはよくわかるが、古代史には
桃太郎、高橋秀樹はおかしい。百渉、つまり、半島では百済、倭国では物部といった
移動性多部族集団(非専業農民)といったものではなかろうか。
352 :
がいやまん:2005/08/26(金) 18:08:32
邪馬台国には唐古鍵環濠集落程度しかなかった時代投馬国には後の邪馬台国に
流入する人口を合わせた人口が集中したはずであるが、仮に九州から移動したとする
と九州の農業経済は崩壊する。しからば、どこから来たのかと考えると投馬国の
後背地妻木晩田遺跡、更に、妻木晩田遺跡に流入してくるのは辰韓、弁韓(伽耶)
方面からの採鉄カラユキ倭国人と月支・秦流民であったのではないかと思う。その
間の事情はアカルヒメとかツヌガアラヒト、延烏朗(ウラと違うか)、細烏女、息長大姫
の伝承が大いに参考になる。ウラといえば浦島太郎も候補者である。丹後には由良
とか鬼が多い。
353 :
がいやまん:2005/08/26(金) 18:25:34
倭国乱時代の新羅にどこからか異民族が侵入した記録はないかと見てみるんだが、
高句麗とか、靺鞨とかとんでもないことばかりである。後代の靺鞨にいた地方という
のならば話はわかるが。ツングース系の来襲があったということであろうか。
354 :
がいやまん:2005/08/27(土) 10:50:16
それにしても超国宝級である吉備大臣入唐絵巻がアメリカに流出してしまったことは遺憾である
356 :
がいやまん:2005/09/09(金) 13:02:23
358 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:22:00
359 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:04:26
>>354 >倭国乱も基本的には..纒向という落下点に向って進むプロセスの一部と考えられる..
纒向遺跡の始まりは3C初め、倭国大乱は卑弥呼死後の3C中盤以降でなかったか。
360 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 19:41:43
>>335 >和泉という息子が居たが、政争に巻き込まれて失脚その後政界に復帰...
泉は、785年種継暗殺事件に連座、805年赦免、806年より参議に。桓武の死期に
至っての赦免だから、政治勢力としては復活不能だったろう。
361 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 13:22:06
奈良桜井市吉備の地は、吉備氏の大和出張所?
吉備氏の、とは言い切れないけど、吉備国と関係のある土地とは推測できそう。
桜井市や橿原市は他にも他国の国名がそのまま地名になっているところが多い。
おそらくその地から連れてこられた人が定住したところなのではないかと考えられている。
吉備吉備
365 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 03:43:59
上から読んでも下から読んでも
きびまびき
ほ
367 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 08:48:01
age
368 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 15:53:19
>>173 >桃太郎のモデルと言われてるね>吉備津彦命
>ただし島に渡ったわけではなくてじもぴ〜の豪族と戦った...
じもぴ〜の豪族って、何のこと?
温羅さん
maintenance
371 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:53:51
こうもり塚古墳って黒姫のお墓だよね?
黒姫伝説くわしい人それについて教えて欲しいな
「黒姫のお墓」は伝説。こうもり塚は6世紀後半の古墳だ。
373 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 08:08:57
伝説ということは、黒姫は実在の人物ではないのですか…
色々聞きたい事がありますが、スレ違いなのでやめておきますね。ありがとうございました
真備が日本に中国兵法を伝えた。
真備吉備
376 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 03:04:45
377 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 12:42:58
ん?
378 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 19:33:10
◆◆『2ちゃんねる』と朝鮮総連 ◆◆
在日朝鮮人が、戦後の日本で組織的なスパイ活動を展開していることは、
国際政治に詳しい人々の間では、常識として知られている事実だ。
スパイ活動の中心的役割を果たしているのは、もちろん朝鮮総連と韓国民団である。
とくに朝鮮総連は、情報収集と宣伝工作活動のために、インターネット上でいくつもの
掲示板を運営している。それらの掲示板の中で最大規模のものが、皆さんもご存知の、
あの『2ちゃんねる』である。
『2ちゃんねる』は、とうぜん防衛庁や公安調査庁から監視されているのだが、
ここで気になる事がある。それは、『2ちゃんねる』の管理スタッフは、防衛庁や公安などの
国家機関が、『2ちゃんねる』が朝鮮総連の運営するウェブサイトであることに気づいていると
いう事を、知っているのかという事だ。
『2ちゃんねる』の管理人たち、つまり、朝鮮総連=インターネット工作班の朝鮮人たちが、
自分たちが日本国家当局から監視されている事を承知の上で、『2ちゃんねる』で反日宣伝工作を
展開しているとしたら、「いいコンジョウしている」と言えるだろう。
Xデーが来たら彼らは終わりだが、その日が来るまでは『2ちゃんねる』上で反日宣伝工作を続けて
いくつもりなのだろう。逆に言えば、『2ちゃんねる』が運営されている間は、
朝鮮総連はまだ大丈夫である。しかし、朝鮮総連が日本当局に潰される時になれば、
『2ちゃんねる』は何の予告もなしに、ある日、とつぜん閉鎖されるであろう。
380 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:15:24
>>381 神功摂政前紀(仲哀九年三月条)
「吉備臣が祖鴨別を遣して、熊襲国を撃たしめたまふ云々」
>前後方央円墳
双方中円墳な
385 :
がいやまん:2006/05/06(土) 12:42:32
その時代大和は未だ大型古墳時代には入っておらず、桃太郎の出身地とされる
敦賀、由良という地名の多い丹後、但馬、播磨、出雲、豊前辺りとの関係が強かった
んじゃないかな。高地性集落をプロットすると吉備が中心となるとしている向きもある。
また魏志倭人伝には投馬国という大国が出てくるが、これは吉備にあった勢力が
東進する姿ではないかと思っているんだが。
>>385 上3行は、何を伝えたいのか主旨不明だし、日本語文脈自体も不明だぞ。
文脈というのを、国語の授業で教えられなかったか。
桃太郎の出身地は、敦賀、由良のどちらで、丹後、但馬、播磨、出雲、
豊前のどの国の地とされるんだ?近隣国と関係が強いのは至極当然の
事だろ。高地性集落群の点描地図中心が吉備だとして、同心円状でも
ない限り、図心に一体何の意味があるんだ?
>>346-
>>354を、読み返してみてくれ。レスが一つもつかないのは、
過疎スレ、連投への反感だけではないと思うぞ。
387 :
がいやまん:2006/05/06(土) 17:41:26
スマソ。ちょっとスーパーにお使いに出ていた。吉備については他にも
倭国乱という有益なHPがあるし、楯筑関係でもすごく立派なのがある。
楽しいものだ。古代史の宝庫といえるかもね。
388 :
がいやまん:2006/05/07(日) 10:12:45
>>346 孝霊は大和の田原本町ではなく、播磨の黒田の出身ではなかろうか。投馬国
というのは、丹後、但馬、淡路、阿波、讃岐、紀州程度の広域文化圏のことかなと
いう感じもする。これは孝霊が伯耆、吉備に出兵し、淡路に遊び、モモソヒメが
讃岐に祭られていること、播磨にはイワの大神というのがあるが、巨石文化と
関係するのであろう。
389 :
がいやまん:2006/05/07(日) 10:17:31
孝霊の次の時代、モモソヒメの時代、播磨は東海の勢力を一掃し、制圧した
出雲、吉備の捕虜の手により箸墓古墳を完成させたのであろう。
390 :
がいやまん:2006/05/07(日) 10:23:34
気比神社であったか、桃太郎の彫刻がある。漏れは気比というのはウルサン
方面の迎日という言葉と関係があるのではと思っていた。というのも、新羅の
ツヌガアラシトを祭ったとされるからだ。しかし、トルコ族にはキビというのがあるし。
楯筑遺跡の中円双方墳は日月を祀るトルコの風習、墓制なのが不思議だ。多分、
新羅には遠いユーラシア文化が入っていたのだろう。
391 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:49:02
猿雉犬は何であったの?
392 :
がいやまん:2006/05/08(月) 08:13:10
393 :
がいやまん:2006/05/08(月) 08:29:29
シカとドラゴンだが、こないだ苅谷俊介が隠岐諸島を巡ったときに牛が海を
渡るのを放映した。あれが牛ではなく鹿であった場合ネッシーよりも怖い
龍になるはずだ。昨日だったか苅谷修介が沖縄を旅する番組で沖縄独特の
龍柱という石柱が示された時、漏れはモンゴリアの鹿柱そのものではないか
と思った。鹿島神宮にはなまず石というのがあるようだが、どうもこれくさい。
394 :
がいやまん:2006/05/08(月) 08:43:23
ついでだが、クサカ、アサカ、キサカ、ヒサカタなどという言葉の中にあるのは
サカであるが、この場合は方角だ。前に来るのは色だろう。たとえば太陽が
真上に来る夏至の日にキサカヒメは黄金の矢を射る。金峰山はなぜ全国に
あるのかを良く考えてみよう。この背後にあるのは五行説だ。すると狗邪韓国
はクサカ、南西国となり、肥後、河内などで中央から見て南西の要地という
ことになる。わかるかな。では、東京の飛鳥山と熊野の飛鳥、足助などはとうか
というと朝鮮語の安宿ではなくどこかの山とか、天を遠望するといった意味では
ないかな。
395 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 09:46:50
ほほう
396 :
がいやまん:2006/05/24(水) 10:03:05
こうしたクロスワードパズル的解決法からして「ツヌガアラシト」を変数、未知数と
見立て、その実体を解くと「魏の張政」となる。そして、記紀の編集者に悪意はない
と仮定すると、ツヌガ<敦賀<=通化=頓化=<頓宮と解釈し、ツヌガアラシトとは中国
の地方行政府の長官ではないかということになるのだが。どうかな。
397 :
がいやまん:2006/05/30(火) 13:28:50
東洋史において、キビという言葉には吉備、羈縻、鉄勒キビ族、カラキビ等がある。
吉備の伝承の桃太郎には犬、猿、雉が出てくるが、キジというのもバイカル方面の
種族だ。氏族的なものに動物名を使用するというのが満蒙的である。出雲には
月氏来襲伝承がある。楯筑の中円双方墳はトルコ族のひげクルガン同様日月
崇拝要であろう。楯筑の石柱(メンヒル、ステラ)はモンゴリア高原のものだ。吉備には
製鉄伝承が多いがトルコ族にも多い。楯筑には月の形をした石があるが高知では
月山神社で月弓命、つまり、トルコ族の軍神の魂だろうが、月弓とされている。鉄勒の
キビ族は中央アジアの歴史に消えてしまうのであるが、楯筑でも征伐されたウラ等が
どこから来たとかに目星がつくと面白い。桃太郎、月山などは全国にあり、ナマハゲ、
春駒のようなのはタタール、トルコがスイス、ポーランド、カンガル犬はトルコへと広ま
っている。犬といえばチベットにチベタン・マスチフという大型の牧畜用の犬があるそうだ。
398 :
がいやまん:2006/05/31(水) 14:13:54
http://gumilevica.kulichki.net/English/gml_pics/hph04.png この地図において満州・朝鮮半島を見ると上から夫余、弁韓、辰韓となっている。
漏れの仮説ではこの南北配列はその後朝鮮半島南端で東西配列となる。そして
五行説の方角から馬韓、弁韓、辰韓となる。こうした世界観が海人族によって日本
列島各地に伝えられ、犬、猿、雉のフォークロアになったのだろう。また、半島南端に
達した瀬衛鉄関連文化は豊前、出雲、伯耆、若狭湾から吉備、播磨、大和、近江
へと伝わってゆくのであろう。騎馬民族説ではないが海人族による情報の移動と
民族の移住問題を混同するとおかしくなるのだろう。
399 :
がいやまん:2006/05/31(水) 14:16:01
製鉄と打ったが指が動かず妙になってしまった。スマソ。
400 :
がいやまん:2006/05/31(水) 14:25:09
漏れも、出雲伝承の月氏国王ヒコハニの来襲とか、韓伝の月氏について西域の
月氏国と関連があるのではと勘違いをしていたようだ。あれは記紀とか神社伝承
にある月弓、つまり、秦氏の標榜した弓月、軍事部族といった意味ではなかろうか。
もちろん辰韓と西域の間で交易関係はあったことであろうがそれとは別の問題だ。
箸墓が夕月嶽を指向するのは単に宗教的な、たとえば、江戸に護国寺があったり
する程度のことでななかったのではなかろうか。
401 :
がいやまん:2006/05/31(水) 14:41:39
402 :
がいやまん:2006/05/31(水) 15:57:01
403 :
がいやまん:2006/05/31(水) 16:48:41
ところで、モンゴル語でウランというのは赤、フフというのは青だそうだ。鬼のウラ
というのは赤鬼、フフ鬼は即青鬼ということで、この話自体が外来のもので、要するに
渡来人が多かったということに過ぎないのかもしれない。
404 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:25:15
そうだね
405 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:25:58
がいやまん
406 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:48:31
>>397 >>398 犬、猿、雉(鳥)は、中国でも縁起の良い動物だよね。
猿は特に縁起がいい。孫悟空も猿だし。
桃太郎の「桃」も縁起がいい。桃源思想。
桃太郎が、犬、猿、雉を連れて鬼が島へ鬼退治…というのは、中華の鉄則に
基づいたものです。その中でも、猿が活躍するというのは、まさに中国的です。
407 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 07:52:04
>>がいやまん
近所を見ないで、中央アジアとか遠くばかり見ていると「灯台下暗し」になるぞ。
日本の古典多くは、中国の古文書や伝説の影響を受けているのだ。
完全な「日本オリジナル」というものがどの程度あるのかわからん。
『日本書紀』だって、半分は中国人が筆を入れたっていう話もあるぞ。
408 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:43:00
ほう
409 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:09:34
うほ
410 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:03:46
411 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 19:30:55
吉備津彦は、本当は吉備氏の祖先神だとか?
413 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 06:41:28
414 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 09:57:20
がいやまん、いいところついてるよ
誰か岡山の吉備王国各研究機関のレポート、まとめてくれないかな?
俺も実際に脚を運んだ東アジア最大の鬼城の復元には、相当の予算出してるみたいだけど、
県だけでやってるのか、国はかねだした?(文部省、怠けてると文教委員会で削るぞ)
8-9世紀当時、白村江会戦のときに吉備真備町のニマに秦氏系軍団が全国から
2万人も結集して唐新羅連合海軍に決戦を挑むという古代北東アジア史でも最大級の
スペクトラルな要所。敗北後、唐の進駐軍が大宰府まできて捕虜返還がされたのか、
吉備まで唐進駐代表部はきたのか?
いずれにせよ、地元には1600名〜4000名の捕虜返還がされたと伝承されている。
砦だけで周囲4キロ規模のウラ伝説の鬼城が、大和政権の正式の官城ではないところが
ミステリーであり、肝。
とりでや門の模様がチベット、トルコ、中央アジア風と感じるけど、県教育委員会は
よい仕事をしているなと、80歳近い秦氏末裔の家族がいってたぞ。戦前の青年会の
成人式はここでやっていたらしい。
415 :
日本@名無史さん: