韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?

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498日本@名無史さん
【日韓】武寧王生誕祭で友好確認 韓国・公州市民ら180人参加 唐津市・加唐島…佐賀[06/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1117998524/
499日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:49:55
武寧王は日本に帰化できればよかったのに
500日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:02:10
【韓国】伽耶時代の古墳から木棺を搬出。木材は日本産の可能性大 [06/22]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119632341/
【1500年前の木棺発掘…韓日交流史を明らかにしてくれるか】

■アンカー
古代韓日交流史を明らかにしてくれる木棺が千五百年ぶりに日の目を見ました。
現場の権ヨンイン記者です。
■記者
去年木棺が発見された慶尚南道昌寧の松硯洞第7号古墳です。
木棺を取り出すのに先立ち、発掘団が作業が無事に終わるように祈って礼をしています。
いよいよ木棺が千五百年ぶりに日の目を見る瞬間です。300キログラムの木棺が用心深く移されます。
搬出作業には特殊製作した無振動車まで動員されました。
木棺はこれから約5年間、分析と保存処理作業を経った後、一般に公開される予定です。
<この後にある木棺の説明については聯合ニュースの記事が詳しいので、下記ご参照>

▽ソース:SBSニュース(韓国語)(2005/06/22 09:57)
http://news.sbs.co.kr/culture/culture_NewsDetail.jhtml?news_id=N0311768776
動画→ http://news.sbs.co.kr/common/movcenter/mplay.jhtml?fname=nw0121c086038&news_id=N0311768776&category=N1§ion=08&type=vid
501日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:03:45
【「昌寧松硯洞7号墳のクスノキ木棺は日本産」】(前半)

慶尚南道昌寧郡の松硯洞古墳群の中で 6世紀初め頃に築造された第7号墳の「秣桶型(丸太型)木棺」
を作るのに利用されたクスノキは朝鮮半島自生樹木である可能性はほとんどなく、日本列島から入って
来た可能性が大きいことが分かった。
同時期に築造された公州の武寧王陵から出土した王と王妃の木棺も、日本列島だけに自生する金松と
判明したことがあり、5〜6世紀の朝鮮半島と日本列島の間の緊密な交流が、改めて考古学的遺物で裏
付けられた。
松硯洞古墳群発掘調査機関である国立昌原文化財研究所の依頼で、7号墳出土の秣桶型木棺の分析
などに力を注いでいる木材組織学専攻の慶北大の朴サンジン教授(65)は、「漢字で予樟木と表記される
クスノキは亜熱帯樹木で、現在朝鮮半島では済州島以外に南海岸の極一部の地域でだけ自生している」
と15日語った。代わりにクスノキが現在集中自生する場所としては、朝鮮半島周辺では中国中国南部と日本
列島が代表的なものとして挙げられている。
朴教授は、「松硯洞古墳群が築造された三国時代当時に気候がどうだったかによって、クスノキが朝鮮
半島にも自生していた可能性がないではない」としながらも、「当時の植生は現在とあまり変化がないと
いうのが一般的見解であり、したがって松硯洞の木棺の材料であるクスノキが朝鮮半島の生産品である
可能性はゼロに近い」と語った。<中略>
502501:2005/06/25(土) 03:04:05
したがって、この松硯洞の木棺の材木は、当時の歴史的情況から見て中国南部地域と日本列島の2ヵ所
のいずれかである可能性はほとんど確かと思われ、中でも武寧王陵の木棺や昌寧一帯に位置した伽耶
諸国と倭国の緊密な関係を考慮すると、日本列島から持ちこんだ可能性がより大きいと考えられている。
そうした推定は、この7号墳のすぐ隣にある6号墳に対する昨年の調査の結果、石を積んで作った玄室の
壁面全体が朱で塗られていたという点からも、有力に裏付けされている。
道教神学で永遠不滅の仙薬として特に愛用された朱砂(硫化水銀)で玄室壁面を染めるこうした手法は、
古墳時代の日本列島の古墳の埋葬風習として典型的に確認されている。
一方、今年も松硯洞古墳群に対する調査を続けている国立昌原文化財研究所は、長さ3.4m×幅1.2m×
高さ 40cmほどと測定されたこの丸太木棺を、来週中に玄室から搬出して昌原の研究所に移し、保存処理
に入る予定だ。
池ビョンモク所長は、「保存処理施設を既に昨年中に用意しておいた」と語った。

▽ソース:聯合ニュース(韓国語)(2005/06/15 09:28)
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html

※文中の「硯」は、本当は石へんではなく山へん。
503日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:08:58
>>502

そうした推定は、この7号墳のすぐ隣にある6号墳に対する昨年の調査の結果、石を積んで作った玄室の
壁面全体が朱で塗られていたという点からも、有力に裏付けされている。
道教神学で永遠不滅の仙薬として特に愛用された朱砂(硫化水銀)で玄室壁面を染めるこうした手法は、
古墳時代の日本列島の古墳の埋葬風習として典型的に確認されている。
  >>124
504日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:09:29
*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html
玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部に
しか見られない「コウヤマキ」であることが確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王
自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000
点近い遺物が出土したが、驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。すべてが中国の
南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。

「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので
島君(せまきし)と言う。」という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は
斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王
という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?

武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち
武寧王は日本人なのか? どうして佐賀県で産まれたのか?
505日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:11:09
【高句麗】中国人研究者「好太王碑、新資料発見で改ざん説否定された」[06/23]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119618672/
506日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:20:52
『木棺中央部に大量の貴重な水銀朱』1月12日発表

竪穴式石室に敷き詰められていた朱(赤色の顔料)のうち、被葬者が安置された木棺中央部だけに貴重な
「水銀朱」を大量に使い(厚さ4、5cm)、石室内のほかの部分の顔料はベンガラ(酸化鉄)を用い、
使い分けをしていたことが分かった。
このような使い分けは、弥生中期末の北部九州地方が国内最大の出土例としてある。吉備地方(岡山県
南部)の弥生末期の墳丘墓でも水銀朱を木棺内に厚く敷き詰めた例があることから、初期大和政権が
西日本各地の葬礼様式を取り入れていたことを裏付ける発見といえそう。
朱は死者の再生祈願の呪術(じゅじゅつ)としてまかれるとされる。
ベンガラは鉄分を含む土を焼けば簡単に作れるが、水銀朱は原料の「辰砂」の産地が限られ、製法も
複雑なことから貴重で、これほど大量に使われた例はまれという。
魏志倭人伝は、水銀朱について「その山は丹(辰砂)あり」と倭国の特産物とし、卑弥呼が正始四年
(243年)に魏に献上したと記載。邪馬台国時代に大量に使われていた可能性が高い。
畿内にも「大和水銀鉱床群」があり、邪馬台国が大和にあったとすると入手は容易で、魏志倭人伝の
記述と一致するとの指摘もある。
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/kurotuka3.htm
507日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:46:12
"昌寧松硯洞 7胡粉くすのき木管は日本産"
ttp://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html
 機械翻訳 http://whatever.say.jp/program/snap_shot/site/11196376358948/
韓半島自生可能性ほとんどない亜熱帯樹木 昌原文化再演旧ソ,来週に木管収拾
慶南昌寧郡昌寧邑宋懸里古墳群の中で 6世紀初盤頃に築造された第7胡粉の 'まぐさ桶型
(丸太型) 木管'を作るのに利用されたくすのきは韓半島自生樹木である可能性はほ
とんどないし日本列島から入って来た可能性が大きいことで現われた. 似ている時期に
造成された公州武寧王陵の出土王と王妃木管も日本列島でばかり自生する禁松(金松)で
明かされた事があって5-6世紀韓半島と日本列島の間の緊密な交流は今一度考古学籍遺物に
裏付されるようになった. 松硯洞古墳群発掘調査機関である国立昌原文化財研究所(所長持病目)
依頼で 7胡粉出土まぐさ桶型木管の数種分析などに力を注いでいる木材組織学専攻慶北大
朴祥陣(65)教授は "漢字で礼葬目(予樟木)で表記するくすのきは亜熱帯樹木で現在韓半島では
済州島外に南海岸極めて一部地域でばかり自生している"と� 15日言った. (以下略

国立公州博物館
ttp://www.lit.kyushu-u.ac.jp/his_kor/chungchon2.html
忠清南道公州市にある、国立公州博物館の入り口前にある木です。
公州市には、百済第25代武寧王(462-523)とその妃の陵墓があり、
博物館には武寧王陵の内部を再現した部屋があります。その武寧王の
棺には、南日本の高地帯でしか採れない金松という木が使われて
いるそうです。写真は、その金松だそうです。

武寧王陵の木棺
ttp://hb3.seikyou.ne.jp/home/Hideo.Yoshii/gyouseki/kongju01.html
武寧王
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B
武寧王伝説
ttp://www.sagatokimeki.ne.jp/genkai/schooling/koen/03/koen3-1.html
百済中興の主、第25代武寧王の謎
ttp://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2004_02_01.htm
「大王のひつぎ」実験航海 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/002/da_002_04070101.htm