日本人の先祖って

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1蛭子
結局渡来人なのね。
少なくとも近畿は渡来系に席巻されちゃったからやんごとなき
あの家計もチョンコかチャンコロの子孫だったのか。
高天原は大陸ということなんだね。
2日本@名無史さん:01/12/09 22:09
西日本人は渡来系。
東日本人は渡来系と縄文系の温血。
3蛭子:01/12/09 22:11
浩宮の歯の大きさ調べたら一発らしいよ
4日本@名無史さん:01/12/09 22:16
渡来人ではなく帰化人。
5日本@名無史さん:01/12/09 22:18
当時の大陸、特に長江流域には、今の雲南や東南アジアの人々の祖先が
多く住んでいたらしいよ。
大陸からやってきたから即、漢民族ってわけではないだろう。
6日本@名無史さん:01/12/09 22:19
>>3
歯は小さいよ。
少なくとも平均より小さい。
7日本@名無史さん:01/12/09 22:20
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。
          ------------------------
 アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
 また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
 宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
 二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
 また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
 同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
8日本@名無史さん:01/12/09 22:23
んじゃ、皇族関係の女系もたどれる一族のミトコンドリア調べれば
いいわけか。
LHAと歯形も調べてやれば男系もおおよそたどれるからあのお方の
家系がどこからやってきたかわかっちゃうね
9蛭子:01/12/09 22:25
>>6
でもあの方のお顔どう見ても縄文系じゃないよ
10日本@名無史さん:01/12/09 22:27
>>9
だからさー、
あの顔が天皇家のスタンダードではないだろうよ。
11日本@名無史さん:01/12/09 22:28
>9
天皇家はみんな鼻が高いよ。
12日本@名無史さん:01/12/09 22:29
天皇家は関西出身だから渡来系だったんだね
13日本@名無史さん:01/12/09 22:32

天皇家は九州南部出身だから縄文系。
14日本@名無史さん:01/12/09 22:37
確かに皇太子は大陸っぽい顔してる。
15蛭子:01/12/09 22:39
>>13
九州南部じゃ熊襲か隼人じゃん
無理矢理縄文人にするなよ
16日本@名無史さん:01/12/09 23:12
やっぱり陵墓を開いて骨が残っていたら徹底的に検査するしかないでしょ
17蛭子:01/12/09 23:22
髭の殿下も外国行って墓暴きしてないで身近な墓をあばけば
いいものを・・・
18日本@名無史さん:01/12/09 23:24
>>5
そもそも漢民族も南北では違うから漢民族自体、北方の騎馬民族と南方のタイ語圏の人の
集合体と考えたら良いかもしれませんね。
19日本@名無史さん:01/12/09 23:25
削除人の更迭
ローカルルールの制定

に向けて動きたい

ローカルルールには
史観論争の禁止(政治思想板へ)
朝鮮差別の禁止(ハングル板へ)
皇室罵倒の禁止(最悪板へ)
の三条を盛り込みたいと思う

同意していただきたい
20日本@名無史さん:01/12/09 23:26
>>15
神話に忠実なら初代神武天皇は南九州の出身のはずだが。

ここにカキコしてる人はみんな数時間前のNHKの番組みたのかな?
21蛭子:01/12/09 23:27
>>19
賛成できかねます
22日本@名無史さん:01/12/09 23:28
>>21
アズマを容認せよと?
23日本@名無史さん:01/12/09 23:32
朝鮮半島のある王族が権力争いに破れ日本に落ち延びたのが天皇家のルーツ
という説もある。
24日本@名無史さん:01/12/09 23:34
日本人の先祖って中国の越人達じゃないのかな?
刺青するところなんか倭人と同じだとか風習とか似てそう。
九州に渡来してそのまま倭人なったとかだったら神話書かれてる
事ともあってると思う。
25日本@名無史さん:01/12/09 23:35
>>20
あれは大陸の影響を避けて僻地に避難していただけ。
事実、大陸での混乱と共に北上を開始した。
渡来系だけに大陸の情勢には敏感だったという事。
26日本@名無史さん:01/12/09 23:53
まあ天皇家が大陸から渡ってきたと考えるのが自然だろうね
27日本@名無史さん:01/12/10 00:08
現在、削除人は非常にアズマより、もしくはアズマ本人であり、

削除依頼の実現さえ非常に困難な状況にあります。

このような事態を打開するために挙板一致でアズマ規制の
ローカルルールを設定しましょう。

年内にこの板を正常なアズマ以前の状態に戻すのが我々の
目的です。
28日本@名無史さん:01/12/10 00:10
そうだ!!
速やかに反アズマ=コヴァを追放せよ!!
29日本@名無しさん:01/12/10 00:11
ユダヤ系も入ってきてるでしょ、多分。
神輿のルーツとか、神社のユダヤマークとか
30日本@名無史さん:01/12/10 00:14
新井うざい
31日本@名無史さん:01/12/10 00:20
弥生人って中国から沢山来たんだってね。
俺には曹操の血が入ってるかもしれないと思うと興奮するよ。
32 :01/12/10 00:25
NHKの番組を見る限り、大陸から来たのは今で言うボートピープルだった
みたいだね。
西日本が人口希薄だったとしても、すぐに王国を築けるわけはないし。。。
日本列島に住むようになってから、部族の抗争などを通じて有力な首長が現れ、
それが天皇家の祖先になったっていうことじゃないの?
大陸から渡ってくる段階から「天皇家」があったとは思えないな。
33日本@名無史さん:01/12/10 00:38
自分がせっかく書いたレスが、アズマの駄スレageのお陰で
誰の目にも触れる事無く沈んでいって悔しい思いをした経験
ありませんか?

アズマの暴挙は一年にも渡って続いています。
放置を続ける限りアズマは此処を去らないでしょう。

そろそろ、アズマを何とかすべく行動すべき時ではないでしょうか?
まずはローカルルールの設定からでも同意していただけませんか?
34日本@名無史さん:01/12/10 00:46
>>33
逝って佳し
35日本@名無史さん:01/12/10 01:27
またチョンのウリナラ起源説かよ。
なんの根拠もないよ。
皇太子の顔がどうだとか言ってるレベルだもんな。(藁
36蛭子:01/12/10 23:04
>>35
また皇国史観なのね。そろそろ現実を見つめないといけなくってよ。
まさかいまだに天から降って来た民族なんて考えてないわよね?
チョンコやチャンコロの子孫だって早く認めなさい。
37日本@名無史さん:01/12/11 00:20
天皇と一般的な日本人の起源は分けて考えた方がいいと思う。
38菊段幕:01/12/13 01:26
んなわけない
39日本@名無史さん:01/12/13 12:59
>>1も天皇もチョン
純粋な日本人は俺だけ
40日本@名無史さん:01/12/13 13:44
大陸の方角を向いて埋葬されてる渡来人の墓の跡の
話があったけど、同じような人種の分布図を見ると、
朝鮮半島の南端と山東省のあたりに分布してたね。
倭人がかつて半島の南部を勢力範囲にしていた記録
や任那の範囲にも一致するから、なかなか説得力が
あると思った。天皇の起源についてはよくわからないけど。
41蛭子:01/12/13 23:09
>>39
お黙り、土蜘蛛のくせして
42日本@名無史さん:01/12/16 22:58
つまり、まとめると、少なくとも縄文式土器が多数半島南部に存在することにより、
縄文時代から日本列島の人々(縄文人)は半島南部を勢力圏においていた。

さらに文献が残る時代(日本での古い分類だと弥生時代及び以降)においても、
日本列島の人々の勢力の半島への影響が複数の文献・史跡で同様に見られる。

そして日本列島の人々が最後に半島への影響力を失ったのが白村江の戦い。
このとき、鮮卑民族が作った唐により倭+百済は破れ去った。

その後、百済の知識人/技術人や王族/貴族は日本列島へ移住。
そして倭人と協力して日本国を作り上げていくことになる。
43日本@名無史さん:01/12/22 00:39
百済や倭や蝦夷などは日本の構成要素の一つ
44ここがすごいよ日本人:01/12/23 05:10
7>
日本遺伝子学会がどんな人らかよー知らんけんど、
支那人っても、あんなバカでけー国であんな混沌とした歴史なんだから、
地域によってじぇんじぇん違うと思うんだけどね。
支那人といって一筋縄にしちゃいけねーと思うんだけんどね。
朝鮮だって歪んだ儒教文化のせいかなんか知らねーけど、血統とか家柄とか
出身地とかに異常にこだわるじゃん。それにずーっと支那のシモベだったわけでしょ。
こっちもまた一筋縄にしちゃいけねーと思うんだけんどね。
ま、その点日本は一部家柄にこだわるけんど、血には全くこだわらんからね。
地方との違いも、江戸時代は人の往来は不自由だったみたいだけど、
明治以降自由になったわけだしね。
それに、遺伝学のことあんまよー知らんが、
「母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。」
とあるけど、大陸系の女性が多かった、縄文人男性が大陸系女性と通婚するケースが
多かったとか考えられるんちがいます?

つんまり、オイラが言いてぇのは、
「遺伝学のデータだけで日本人の祖先は支那、朝鮮人だぁ!っつうこと止めまひょ。」
でごじゃる。えっ、んなこた分かってるって???
失礼おば致しやした。
45日本@名無史さん:01/12/23 06:16
日本の歴史解釈がゆがんでいるため、この程度で問題になるのか。
自国の防衛くらい胸を張ってできるように自虐史観を脱しよう。

http://www.asahi.com/national/update/1222/012.html
海上保安庁法は11月の改正で、領海内では船体射撃の結果、
船員らの生命や身体に危害を与えても刑事責任を問われない規定ができた。
今回は領海外のため、原則として免責の対象外だが、海保は「相手が発砲してきて
危険を感じたため、あくまで正当防衛で応戦した」としている。
46日本@名無史さん:01/12/23 06:30
刑事訴訟法
第212条
 1 現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。
 2 左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに
  認められるときは、これを現行犯人とみなす。
 一 犯人として追呼されているとき。
 二 贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
 三 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
 四 誰何されて逃走しようとするとき。
47日本@名無史さん:01/12/28 19:04
縄文人だって、列島以外からきた。
渡来人といっても、いつの時代にきたかどうか。

白村江の頃までに来た渡来人はすぐにすっかり日本人になった。区別つかない。
48日本@名無史さん:01/12/29 00:34
日本人の起源って複雑?
日本語の起源も分かっていない?

ヨーロッパはケルト系、ゲンルマン系、スラブ系とか
結構分かっているけどね。

縄文系、渡来系という名称は何とかならない?

まあ、いずれにしても日本人は縄文系と渡来系の混血ってことですか?
49【^▽^】西川@武蔵中:01/12/29 00:57
縄文人は、ブリヤート系と近い種族、アイヌと
近い種族、インドネシア系と近い種族などが
長い時間を経て混合し形成されたと想われる。

弥生人は、華中、華南、華北、南朝鮮など
から移住してきた種族が混合した人々だと想われる。
50日本@名無史さん:01/12/29 01:22
>>ジョーカーさんへプレゼント(わお)

http://www.boyerection.net/(白人少年)

http://www.xangelsx.net/(白人少年)

http://www.enter-to.net/~2141824/galleries/(日本人少年)

http://www.xboysx.net/(白人少年)
51日本@名無史さん:01/12/29 01:59
沖縄県の人とか北海道の人はどうなるんでしょうね?
大和政権のころは日本て小さいしね〜。江戸時代でさえ蝦夷は外国だった。
サントスも今月から日本人だし、日本人の定義が難しいな。
いや、話の腰をおってすまん!
52日本@名無史さん:02/01/04 12:12
沖縄県は言語的に見て、ずっと昔からヤマト民族と同言語族だったと思われ。
53日本@名無史さん:02/01/04 12:14
>>52
そうなの?
発音は全然違う感じするけど
54日本@名無史さん:02/01/04 16:12
やんごとなき家計は、三輪さんを祭った自転で日本神になった。
鏡やお日様は、自分ちで陰で祭った。強制すると白い目で見られた。

お日様をありがたるのは、きっと渡来系の血がなせるってことで
日の本には、希望の楽園があると考えて、やって来たんでしょう。
実際あったわけで、
過程はどうでも、奴隷制は根付かないわ、人を家畜化しないわ。
山の蛇を、神又は神の使いだといわれて納得しちゃう人は、
縄文系の影響を受けているわけね。
大切な食料や薬草ある森や山を乱獲しないよう独占しないよう人を阻む。
それと、食料(鼠を近付けない)を守る神でもあった。
これが後世、神聖な場(神社)の付き物(守り神)となる。

大蛇伝説は、江南系渡来人のドラゴン伝説(治水水田)と結びつき融合。
又、塚と墳墓をも融合。
加耶系倭人は、高句麗との戦いで騎馬文化と鉄を持って帰参。
江南系百済人は、扶餘系文化と混合して、仏教文明(文化)を持って帰朝。
神と仏の戦いの末、両者とも、やんごとなき家計の尽力により融和。
蛇の神格は薄くなったが、根深く縄文系神社に居座る。

と言う事で、この国では外来が来ても融合するか、妥協する歴史がある。記紀は、この伝統的な融和政策の結晶で、やんごとなき家計は立派に
祖の機能と象徴をはたしている。

融合できる(出来た)人間が日本人で、先祖ってことでいいんでないの。
55日本@名無史さん:02/01/04 16:15
天皇制はいいと思うし日本に大統領なんて似合わないと思うけど
日本の基層民族である縄文の血が薄いのは許せん
基層というか先住民族なんだし
皇室はどいつもこいつも細目のノッペリ顔ばっかりだ
縄文系の血をいれて欲しいよ
56どうでもいいことだが...:02/01/04 16:19
蛭子って俺の中学時代の友達の苗字じゃん...
57日本@名無史さん:02/01/10 13:55
ヒルコは、なんというか、日本の危機を救いそうな気がする。
58日本@名無史さん:02/01/10 14:21
雅子は縄文の血が濃そう
ポリネシア系だよ
浅黒いし
59日本@名無史さん:02/01/10 14:33
>>55雅子は縄文が濃いよ。
大和田家は新潟県村上だろ。
縄文が濃いのはあたりまえ。
俺の父親もここのでだけど。
顔は雅子より濃いよ。
60日本@名無史さん:02/01/10 14:39
新潟が縄文系だと?ぬかすな
ちょん系だろうが!!
61日本@名無史さん:02/01/10 15:57
おまえらみんなチョン丸出しの顔してんだろ!
62日本@名無史さん:02/01/10 19:58
雅子は、ほっといたら眉毛繋がりそう
ポリネシア系の証拠
63先祖は:02/01/31 16:39
猿だろう。
64日本@名無史さん:02/01/31 18:06
>63
正確には
サル(類人猿)とヒトとの共通の先祖だろ。
65日本@名無史さん:02/01/31 20:28
日本人の祖先は中央アジアからバイカル湖あたりに達し、さらに東進し、約2万年
前、樺太経由でやってきた縄文人です。
去年、新潟に行きましたが、確かに男は髭が濃いし顔の彫りも深いような印象が
ありました。
66 :02/01/31 21:47
タイ系というより、ヴェトナム系、マレー・ポリネシア系では??
67 :02/01/31 21:50
>>58
チッソの一党、江頭2:50の遠戚。
68薩摩人:02/02/01 16:55
ちょん系新潟人の血が入り、今後皇室は衰退の道を歩むであろうことは
容易に想像できる。(合掌

よりによって新潟とは・・・・・
泣きたくなった。
69日本@名無史さん:02/02/09 00:06
皇室に入った新潟人の血って誰?
70日本@名無史さん:02/02/15 17:50
柳原愛子
71日本@名無史さん:02/02/15 17:52
>>55
つーか、今の天皇家だけで見ていないか?
明治天皇なんて濃い顔だろ。
72日本@名無史さん:02/02/15 17:54
>>59
母方は佐賀藩出身だぞ。
父方のほうの祖父母を見る限り、
縄文系とは言いがたい。
73日本@名無史さん:02/02/22 23:39
http://homepage2.nifty.com/YAJI/images/syouwa.jpg

「天皇家は血が濃い」とよく聞く。本当に血が濃いのか6代前から調べてみた。
現在の調査では、正親町三条実同が、二回出てくるだけなので、
一部のものがとなえている噂は全く根拠のないことであるとわかる。
むしろ、2代前くらいまでの国内でも移動が珍しかった時期の日本においての
一般庶民のほうが、おそらく血が濃いと言えるであろう。
縄文系も弥生系も半島系も南方系もへッタクレもないよ。
75日本@名無史さん:02/02/26 00:46
天皇家は様々な日本人の血を採り入れた日本人の代表です。
76日本@名無史さん:02/03/03 02:04
>現在の調査では、正親町三条実同が、二回出てくるだけなので、
一部のものがとなえている噂は全く根拠のないことであるとわかる。

でもさあ、6代祖で名前の判明している人間の大部分が藤原氏系貴族であり、
つまりは同族間で延々婚姻を繰り返してきたことを意味してると思うのだが?
77日本@名無史さん:02/03/03 02:06
>>68
 継体天皇は、越前の血が混じっているから、新潟と似たようなもの
でしょ。
78日本@名無史さん:02/03/10 16:34
継体天皇は越前よりも近江って感じ?
さらに新潟は越後だから全然ちがうよ
79日本@名無史さん:02/03/18 17:38
>>76
禿同
80日本@名無史さん:02/03/24 19:11
遺伝学やったことなくても少し考えるとすぐわかるよ。

どんなに濃い血を重ねてきても、
1代でも民間から血を導入したら一気に半減。
もちろん、その瞬間には色々と遺伝学的に起こるのは有名だけどね。

どちらにせよ、愛子内親王には小和田家系が1/2で、正田家系が1/4で、
天皇・藤原家系が残りの1/4でしょう。
81日本@名無史さん:02/04/08 01:17
もはや藤原家の血はほとんど残ってないな
82日本@名無史さん:02/04/08 06:45
藤原家の血それじたいがいろんなものの混ざったもので、
なにか特別の固定的なもんじゃないだろうが。
83日本@名無史さん:02/04/08 07:08
日本猿では?
84愛子の血筋:02/04/12 00:48
愛子の母は橋本和子。和子の父は橋本龍太郎。和子の母はアイシンカクラ家の血筋。
橋本龍太郎の父が龍伍で祖父は卯太郎。龍伍の母が、大室ヨネ。ヨネの父が大室庄吉。
庄吉の兄が明治天皇(大室寅之祐)。庄吉の父がGk作蔵。庄吉の母が興正寺スヘ。
スヘの父が興正寺昭。ここまでワカルが後は不明。
85戸栗六之進:02/04/16 23:17
アバウトな俗説。A型=中国大陸から、B型=朝鮮半島から、O型=南方から。本当かよ!?
86日本@名無史さん:02/04/16 23:20
わたくしA型ですがとっても南方系の顔立ちですけど・・・>>85
87日本@名無史さん:02/04/27 21:40
顔立ちなんて関係ねえべ
88日本@名無史さん:02/05/08 13:11
あまり良い話題がない
89日本@名無史さん:02/05/18 03:15
関係ねえべ
90日本@名無史さん:02/05/18 04:02
天皇中心の大和民族以外は、アイヌ民族と琉球民族なのだが、
天皇をチョソと言ってるヤシはそのどちらかなのですか?
91日本@名無史さん:02/06/03 00:11
92日本@名無史さん:02/06/03 00:20
(琉球は日本語の傍流とされるが)言語の種類が民族の種類と動議ならば、
日本にはこれくらいの民族がいると言ふ。

大和民族(日本語
アイヌ民族(アイヌ語
琉球民族(琉球語、琉球方言
朝鮮族(朝鮮語
93日本@名無史さん:02/06/22 23:22
94日本@名無史さん:02/07/07 21:28
sag
95日本@名無史さん:02/07/27 23:14
96日本@名無史さん:02/08/03 17:28
>92
>大和民族(日本語
古代から、日本語使ったのか?おめでたい。
ついでに、縄文人は、北方系?あんたら、そうだろう。

おれは、タミール系 チベットには、頑張ってもらいたい。
97日本@名無史さん:02/08/04 00:07
皇族の発祥は古代バビロニアの「愛情、太陽神リラ」だって
それが日本に渡り、天照何とかになったみたい。
98日本@名無史さん:02/08/15 00:30
99日本@名無史さん:02/09/03 00:21
1001:02/09/03 02:53
w
101日本@名無史さん:02/09/03 04:42




弥生人と帰化人は人種も来た時間も違う。

弥生人は『中頭』で華北系。
帰化人と百済人は『短頭』で半島系。

弥生人は前3世紀。
帰化人は5世紀、百済人は7世紀。

弥生人はそんなに多く渡来していない事が近年分かってきた。
最近、俄かに卑弥呼が縄文系だった可能性が高まってきている。


102日本@名無史さん:02/09/03 04:49
天皇家は縄文人の王。
その後、弥生人と百済人に人種侵蝕を受けて容貌が変化。
皇族の顔が二極化するのはこの為。

明治天皇の顔をよーくご覧なさい。
無ければ、高円宮殿下の顔をよーくご覧なさい。
103日本@名無史さん:02/09/03 05:01
皇族の祖先が大陸のワニ族っだていうのを
前に読んだんですけど、ワニ族について教えて。
104日本@名無史さん:02/09/03 05:49
あまりにアホすぎ。少しは勉強しろよ
105日本@名無史さん:02/09/03 11:42
104が短頭だと言う事が分かった
106決定:02/09/03 13:57
日本人のルーツは

  『 汁 』

これで文句ないだろ?
107日本@名無史さん:02/09/03 19:23
>>104
分からないことには反応しなくてよし。
逆に知らないことは素直に聞くこと。
108日本@名無史さん:02/09/03 19:48
このネタは人類学板の方が詳しくないか?

>>102
明治天皇の写真ってほとんど修正されてるから
109日本@名無史さん:02/09/03 20:06
>>108
明治天皇って高円宮に似てるよ。
高円宮の方が縄文ぽいと思うが。
110日本@名無史さん:02/09/16 01:41
111日本@名無史さん:02/09/23 12:38


112日本@名無史さん:02/09/25 18:54
明治天皇の肖像は写真じゃなくて絵だろう。
それみて縄文系といってもなあ。
それに入れ替わり説もあるし。
113日本@名無史さん:02/10/07 02:21
114日本@名無史さん:02/10/07 02:23
このスレは空上げが多いのでレスは不要です。

特別発言したい方以外は無視進行でお願いします。
115日本@名無史さん:02/10/07 03:20
>>112
じゃあ全くの捏造とでも?
116日本@名無史さん:02/10/26 12:07
117日本@名無史さん:02/11/10 18:35
うん
118日本@名無史さん:02/11/30 16:41
119日本@名無史さん:02/12/14 11:58
120日本@名無史さん:02/12/16 06:04
同じ地球人じゃないか
121日本@名無史さん:02/12/16 16:24
おまえバカか?
高天原は、宗教的な概念だろ。
古代の日本人は、日本の上空に神々が住む世界があると信じた。
それが高天原だろ。
122日本@名無史さん :02/12/16 16:38
高天原は、宗教的な概念だろ。
そんなことはないと思う。
高天原が中国大陸?まあ、むこうの方だとすれば
古事記や日本書紀の説明がつくような気がするけど?
123日本@名無史さん:02/12/16 16:58
124日本@名無史さん:02/12/18 10:12
人類は皆アフリカ人である
125日本@名無史さん:02/12/18 15:36
>>124
そういう次元の話してるんじゃないの。
126日本@名無史さん:02/12/18 17:05
【古代】弥生人(渡来人)のルーツ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1038750075/

ここに詳しいよ。
127日本@名無史さん:02/12/29 19:13
128日本@名無史さん:02/12/29 20:34
>>109
それ書いたあとに、高円宮がお亡くなりになったため、
全国民にお顔が知られることに。
129日本@名無史さん:03/01/08 06:18
高円宮さまの御顔が日本人の起源っぽい
130山崎渉:03/01/11 16:50
(^^)
131山崎渉:03/01/16 08:57
(^^)
132日本@名無史さん:03/01/17 02:08
133日本@名無史さん:03/01/17 02:32
≪1864年、イギリス人のF・ベアトにより撮影された江戸のパノラマ写真≫

愛宕山という20メートル位の小さい丘から撮影されました。
映像に矢印を2秒くらい置いておけば拡大できるので(右下に出るマークをクリック)
是非 スクロール して楽しんでください。(IE6のみ)
http://aquarius17.cool.ne.jp/dc2wp/up/box/sub.cgi/scene0130.jpg

↑写真の30年後の1897年、ソウル南大門路はこちら。(東洋のシャンゼリゼ)
http://www2.nhcc.go.kr/photo/img/bmp/S1437.JPG

   パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ   
 ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧ 
 (   )】      (   )】    (   )】  「きゃ〜東洋のシャンゼリゼ最高!」
 /  /┘    /  /┘    /  /┘  
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ     
134日本@名無史さん:03/01/27 10:35
>>128-129
高円宮の跡継ぎって、承子さまになるの?
135日本@名無史さん:03/01/27 10:54
136そぼくなぎもん:03/01/27 12:17
マルチポストは「組織」からの指令によるものなのだろうか?
137日本@名無史さん:03/02/04 00:59
138日本@名無史さん:03/02/11 07:30
高円宮って、わりと縄文日本人系の顔だよね?
139日本@名無史さん:03/02/11 07:49


◎二重瞼の出現頻度

アイヌ96.8%
奄美諸島84.0%
北海道73.2%
新潟70.4%
三重67.5%
京都66.9%
山形65.8%
奈良58.1%
朝鮮南部42.1%


140日本@名無史さん:03/02/22 14:03
多いと言われる京都も、新潟と比べて調査誤差程度しか変わらんじゃん?
141日本@名無史さん:03/02/24 15:40
倭人はコリア民族の中の一番劣った部族が半島から追い出されて
先住の野蛮人と混じっただけです、よってコリアは倭のルーツであると
同時にコリア民族は倭人より一段上の優れた民族であるといえます
(倭の文化自体コリアのパクリですし)
142日本@名無史さん:03/03/02 19:25
>>141
たしかに、百済人は半島から追い出されて日本へ亡命帰化し、
高句麗人も一部は日本へ多くは渤海へと合流したわけですが、
決して劣っていたわけではありません。

あなたは新羅人が百済人や高句麗人よりも優れた民族だとなぜ主張するのですか?
143日本@名無史さん:03/03/15 17:20
そもそも、新羅人の成り立ちは、中華系、韓系、倭系の混合民族ですよ。
144日本@名無史さん:03/03/22 20:48
そして、新羅人系に満州系と蒙古系が押し寄せて混血して、朝鮮民族を形成ですな。
145日本@名無史さん:03/03/22 21:19
神武天皇は縄文人ですよ
146日本@名無史さん:03/03/29 16:05
ちがうよ
147日本@名無史さん:03/04/05 10:35
饒速日は縄文人ですか?
148:03/04/05 23:23
「鐘路の金」って知ってます?
チョソの教訓は自国に優秀な香具師が現われた時は必ず自国を自滅させると信じられすぐに頃されてしまいます。
なので優秀な遺伝子がry
149あぼーん:03/04/05 23:24
150日本@名無史さん:03/04/13 18:45
ここでやりましょう。重複スレをふやすのは、よろしくないですし。

1 名前:浅見真規 03/04/13 09:27
まさか天から降臨したなんて本気で信じてませんよね。
(ただし、キチガイウヨは除く)

日本列島先住民の縄文系じゃないですよね。
と言って朝鮮人とも違うようだし。

で、古事記「因幡の白兎」伝説の元ネタが天皇の先祖が
揚子江経由で日本に来る途中で見たワニの話だとすればと
考えれば疑問氷解です。天孫降臨はヒマラヤ下りでしょう。
(ちなみに私は古文で「ワニ」がサメだと習ったとき
「エー?」と思いました。)

http://izumo.cool.ne.jp/masanori_asami/wani/wani_counter.html
151日本@名無史さん:03/04/17 20:26
>>150
浅見真規さん、朝鮮人というのは当時まだ形成されてないです。

半島には多くの民族が住んでいました。中国史書にあるように倭人も漢人もです。
今は絶滅した夫余系の人々が一番勢力を占めていました。
152 :03/04/17 20:57
>>151
馬韓が夫余系とするのは日本では疑問視されているよ。
夫余系が南下したのは4世紀。百済は征服王朝とされるのが
いまだ一般でしょう。
読み違えであれば、失礼。
153山崎渉:03/04/20 02:04
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
154日本@名無史さん:03/04/20 08:52
馬韓の下層民は韓系で、支配層が夫余系。
155 :03/04/20 09:36
>>154
それは伯濟國が夫余系に征服されて百済になってからのことで
はないのか?
馬韓では馬に乗ることを知らないとする記述も三国志あるし
馬韓が夫余系とする根拠は?
156日本@名無史さん:03/04/20 09:40
>>155
夫余系の定義がこの場合どうなるの?
たとえば、日本語と数詞が全く一緒な高句麗は夫余系?
157日本@名無史さん:03/04/20 09:42
日本人は弥生時代と古墳時代に、大陸人や半島人に
「人種侵略」というヒドイ目に遭わされている。
さんざん美種日本人はレイープされ、醜い顔にされた。

よって、謝罪と賠償を要求する!
158 :03/04/20 09:57
>>156
何の話をしている?
馬韓が支配層は夫余系で被支配層は韓系と書いたのは
あなたでしょ?
すでに百済に先立つ馬韓において夫余がいたという根拠
を聞いている。
それから日本語と高句麗の数詞がまったく一致するという
事実はありません。
これについては本筋とは関係ないので回答は必要ないです。
159日本@名無史さん:03/04/20 09:59
>>158
日本語と高句麗の数詞で一致しないものがあるとでも?
反論するならば一致しないものを例示してみてくださいね
160 :03/04/20 10:02
>>159
だから、それについての返答は必要ないといったのに。
三、五、七、十という数字ついての類似があるということです
これが数詞すべて一致しているといえますか?
161 :03/04/20 10:03
>>159
そんなことではなくて、先の問いに答えてください。
162日本@名無史さん:03/04/20 10:10
日本語と高句麗語の数詞(判明分)はすべて類似性があり、
逆に、高句麗語の数詞と類似性がある言語は世界中の比較で存在していない。

これは、人種的にはともかく、言語族としての共通の蓋然性が高いと思われる。
163161:03/04/20 10:12
>>162
>>159と同じ人ですか?そんなことはどうでもいいんだが
164161:03/04/20 10:13
>>159
そろそろ出かける。返答まだかい?
165日本@名無史さん:03/04/20 10:14
日本人の先祖を探るうえで、日本語と兄弟語の存在はかなり意味大きいと思われ。
166日本@名無史さん:03/04/20 10:15
ようするに、日本にも夫余の影響が出てるってこと?
あるいは日本の古代支配層が夫余系?いつごろ?
167161:03/04/20 10:16
>>159
回答まだかよ
168日本@名無史さん:03/04/20 10:16
>>158
百済の設立年月日はいつなんだろ…
169日本@名無史さん:03/04/20 10:18
ワイとかも夫余系なんでそ?
170161:03/04/20 10:18
>>166
百済は伯濟國の後裔とされてはいるが、実際は夫余系
による征服王朝とする説がある。
だから、もともと馬韓に夫余がいた根拠を聞いている。
171日本@名無史さん:03/04/20 10:21
しかし伯濟國は韓系ではないんだろ
172日本@名無史さん:03/04/20 10:23
そもそも中国史書には、辰韓を除いて言葉はほぼ一緒とあった気が。
で、その唯一違う言葉がのちの新羅語だよね?
173161:03/04/20 10:25
場韓で馬に乗ることを知らないと三国志にはある。
高句麗を別種にもつ夫余系ならば馬に乗るとしないのは
不自然ではないですか?
174日本@名無史さん:03/04/20 10:27
はぁ?夫余系だから騎馬民族だとおもってるんですか?
175日本@名無史さん:03/04/20 10:29
そもそも騎馬民族ではなく半猟半農の民。

例えば高句麗においても内部では複数民族がいるが、
南部のほうの人々は耕作をしていたようだ。
176161:03/04/20 10:29
>>174
そうではなくて、もともと夫余系が馬韓にいた根拠
があるのかと訊いているんだよ。
177日本@名無史さん:03/04/20 10:31
単に馬に乗らない夫余系がいただけってことですな
178161:03/04/20 10:31
>>177
だからその根拠はなんですかと聞いている。
179日本@名無史さん:03/04/20 10:34
北京原人です。
180日本@名無史さん:03/04/20 10:34
なんか混乱しているようですにゃ

そもそも、夫余系=馬に乗る、というのが前提としておかしいにゃん
だから馬韓の民が馬に乗ることを知らない、という記述に影響しないにゃん
181161:03/04/20 10:36
>>180
そうではなくて、夫余系がもともと馬韓にいたとすることを前提
にして話しているようだが、その根拠はあるのですか?と訊いている
馬に乗らないという事は疑わしめる事実であろう。
182161:03/04/20 10:37
簡単だよ。根拠はなにと訊いている。
183日本@名無史さん:03/04/20 10:39
夫余系がもともと馬韓いたのではないのは明らかで、
問題は、いつ頃に夫余系が半島南部にまで至ったか、だろ?

倭や韓ですら半島南部に来てその時点でせいぜい数百年だぞ
184161:03/04/20 10:42
>>183
いや、違う。俺はあくまで馬韓に夫余がいたのかとまず訊いている。

185161:03/04/20 10:43
>>183
「夫余系がもともと馬韓いたのではないのは明らかで」
この根拠は?
186日本@名無史さん:03/04/20 10:47
>>185
日本列島が縄文期にはいったあと、
半島のほうでは遺跡が全く見られない時期が続き、
ほぼ無人であったと思われる。

半島へ入ってきた全ての民族はそのあとから。
187日本@名無史さん:03/04/20 10:52
朝鮮半島に最初に入った北方系はワイ[シ歳]族や貊族ですね
188日本@名無史さん:03/04/20 10:54
扶余は採集・狩猟・漁撈の民であって馬とは関係ないと思われ
189日本@名無史さん:03/04/20 10:55
加羅に倭人が入ったのは紀元前だろうな。
1世紀には倭奴国王が金印をもらってるし。
190日本@名無史さん:03/04/20 10:58
東夷伝によると、夫余、高句麗、東沃沮、ユーロー、ワイは同言語系。韓は別。
191日本@名無史さん:03/04/20 11:02
三国志の巻三十の魏書三十の烏丸鮮卑東夷伝第三十の韓条のところの、
弁辰についての記事で、この国は鉄を産し、
韓、ワイ、倭はそれぞれここから鉄を手に入れている、とありますね。

この時点で、弁辰と韓とワイと倭は、それぞれ別なものだったわけです。
192日本@名無史さん:03/04/20 11:12
日本人は弥生時代と古墳時代に、大陸人や半島人に
「人種侵略」というヒドイ目に遭わされている。
さんざん美種日本人はレイープされ、醜い顔にされた。

よって、謝罪と賠償を要求する!
193日本@名無史さん:03/04/20 11:13
おそらく、161は、半島には韓族だけがずっと前からいて、
そこへ馬に乗った扶餘が現われたと、思っているらしい。
194日本@名無史さん:03/04/20 11:22
コリアン=渡来人=先進的大陸民族

倭人=倭列島先住の土人=文化が無かった

今でも土人の血が濃い地域は吐く血とか基地害が多いみたいですね(^^)
195日本@名無史さん:03/04/29 00:01
先進的大陸民族のなかに、コリアンってはいるの?
196日本@名無史さん:03/04/29 01:58
>>195
コリアン民族が形成されていない以前に、
漢民族も倭人も文化を持っていたから、
形容矛盾だよね。
197日本@名無史さん:03/04/29 02:28
前にNHK特集で「日本人」っていうのがあって、それによれば、
>>65 の通り、2万年前くらいに陸続きだったシベリアから来た
ブリヤートが日本の原住民であり(=縄文人)、その後、今の福建省や
朝鮮半島から面長の奴ら(=弥生人)が水田という技術をもってやってきた。
原住民との間に、当初は争いがあったが、次第に水田という先進技術を
学ぶようになり、混血も進んで、仲良く暮らすようになった、と公共放送
らしい内容だった。
198日本@名無史さん:03/04/29 03:09
ブリヤートにしないとヤバイ事になる、
チベット「ラサ」と関係がアルカモとは言えないだろ。
199日本@名無史さん:03/04/29 11:44
200ネオ麦茶R:03/04/30 20:30
200ゲッツ!
201日本@名無史さん:03/05/08 19:54
チベットとの関係は、中国を意識してNHKとしては言えない
202日本@名無史さん:03/05/08 20:47
高句麗と数詞が一致することから日本語の祖語と言われているけど本当か?

現代 いち、に、さん...が中国読みしてるからといって日本語は中国語と一緒
なんて言う人いないだろ。
203_:03/05/08 20:50
204日本@名無史さん:03/05/08 20:53

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
205日本@名無史さん:03/05/08 21:34
ビルマ、日本語、高句麗とで共通点がある。
では、この三者をどのように解すべきか。
http://www.sun-inet.or.jp/~ryr58037/kr_orig.htm
206日本@名無史さん:03/05/09 02:37
昔モンゴル高原にコーカソイドの遊牧民がいたらしい。
墓から明らかになっている。
彼らが樺太経由で日本上陸して、人口増大させていれば日本は東アジアで
他国と一線かくす国になっていただろうな。
残念ながら朝鮮半島経由で弥生人が来てしまったのが現実。


207日本@名無史さん:03/05/09 02:44
遊牧民が、はたして列島で生き残るか?
208日本@名無史さん:03/05/09 23:21
支配者階級はツングースってことで決着しましょうよ。
209日本@名無史さん:03/05/09 23:37
ぜんぜん違うだろ。
どこからツングースがでるんだ?
210日本@名無史さん:03/05/09 23:39
>>206
それはモンゴルの西隣 新橿ウイグル辺りのことだろ。
それだったら彼らは今でも1/4位はコーカソイドの血が入ってるだろ。
211日本@名無史さん:03/05/09 23:43
読み返していくらかわかった。
つくづく半島人はゴミだな。
212日本@名無史さん:03/05/09 23:46
>>194
渡来人=コリアンではないですよ。
現在の在日も殆ど新羅族。韓国語も新羅語。
倭人=渡来人と縄文人の混血でしょう。文化が無かったとはこれいかに。
今でも賎人の血が濃い地域は白丁とか変態、キチガイが多いみたいですね(^^)が正解。
213ネットdeDVD:03/05/09 23:47
あれっ!昨日頼んだのにもう来てる本当に安かったのでびっくりしました


http://ime.nu/ime.nu/ime.nu/www.net-de-dvd.com/
214日本@名無史さん:03/05/10 00:05

半島経由での移民がなければ進化遺伝子が注入されず、優秀な日本人は生まれなかった。
ただ彫りの深いエキゾチックな顔からヒラメのようなのっぺり顔の醜い容姿になったことは残念。




215日本@名無史さん:03/05/10 00:07
>>214
半島のどこが優秀なんですか?w
216日本@名無史さん:03/05/10 00:09
半島人が誇るべきものといえば、捏造癖、虚言癖、犯罪性向
くらいなものでしょうか。
217日本@名無史さん:03/05/10 00:11
サムソンはソニーを凌駕しますた。
218日本@名無史さん:03/05/10 00:26
サムソン半導体は今年イソテルを抜いて世界一。
219日本@名無史さん :03/05/10 00:32
半島にも一、二社くらい世界一があっても良いんじゃないの?
それだけだけど。
220 :03/05/10 04:42
稲作も確定的な証拠は出ていないですよ。遺伝子レベルの研究が勧めば
分かるかもれませんが。半島の遺伝子ではないことは周知の通りでしょう。
混血は優秀な民族を生むのは歴史が示す通りではないですか?
しかも半島も日本と同じく人口は非常に少なかったと分かっています。つまり
半島も弥生渡来人による混血によって優秀な人間を生んだという事では?
もともと韓人は逃亡奴隷民族ですよ。魏志韓伝にも書かれています。
221日本@名無史さん:03/05/21 18:59
                  
222日本@名無史さん:03/05/22 01:59
サムスンて政府が育ててる会社だろ?
223山崎渉:03/05/22 02:45
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
224日本@名無史さん:03/05/22 05:02
半島体の製造会社?
225山崎渉:03/05/28 11:14
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
226日本@名無史さん:03/05/29 00:12
227日本@名無史さん:03/06/07 16:55
日本列島が縄文期にはいったあと、
半島のほうでは遺跡が全く見られない時期が続き、
ほぼ無人であったと思われる。

半島へ入ってきた全ての民族はそのあとから。
228日本@名無史さん:03/06/07 17:32
朝鮮人が日本人のルーツです
229日本@名無史さん:03/06/07 17:43
>>228
違います。歴史をきちんと勉強してください。
230日本@名無史さん:03/06/07 18:01
日本人のルーツ
元は縄文人(沖縄顔)が中国から来た弥生系に駆逐されつつも混血する→
のち朝鮮系の渡来人とも混血→
雑種の方が病気にも強いよ。きっと
231日本@名無史さん:03/06/07 18:11
イヤなの?
半島と濃い血でつながってるのが。
ぼくらも天皇も、韓国や北朝鮮の人とはみんな混血なんだ、
素晴らしいことじゃないか。
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20020320articles/ja_nih.html
http://www.jtu-net.or.jp/library/zissen/kk/kk08/kk8001_2.htm
現在の埼玉県南部,ここには若光を祭る神社が建てられ、
今も若光の直系の子孫が神主をしている。
このように朝鮮人が建てた神社は、今も日本全国に数多くある。
京都にある高野新笠の墓の周辺住民は、新笠が朝鮮人だとは知らなかったと口をそろえる。
 竹林に包まれた新笠の墓は、散歩やハイキングには格好の小高い丘になっている。
桓武天皇の母であることや彼女の名前が書かれた碑が立っている。
しかし、彼女の経歴を語る物は何もない。
 「朝鮮人だなんて知らなかった」と、近所に30年近く住む主婦は驚く。
彼女たち日本人にとって、これは高野新笠という女性の歴史を知るいい機会ではないだろうか。
それは日本人自身の歴史を知ることにもなるのだから。
http://www.asahi-net.or.jp/~tq8r-tnk/020316.htm
http://members.tripod.co.jp/esashib/fukasaku05.htm

232230:03/06/07 18:29
>>231
ぜんぜん嫌ではないよ。
それが日本人やからね。
233 :03/06/07 19:00
>>231
濃い血でつながっているというのは歪曲。
武蔵国における朝鮮由縁はすでによく知られたことだが、
そのいきさつを知れば悠長なことを言ってられないと思うが(w
234 :03/06/07 19:01
235 :03/06/07 19:03
>朝鮮人が建てた神社

これも歪曲だと思うよ
236 :03/06/07 19:05
厳密に言えば高野新笠は
倭人系朝鮮人ということになろう。
237 :03/06/07 19:09
>>230
ちなみに雑種率でいえば朝鮮人のほうが上です。
彼らの方が南方系血が多い事も分かっていますし。
238日本@名無史さん:03/06/07 19:23
高野新笠は日本に来て何代目よ。あほくさ
9代さかのぼって百済人だろう。

>>234
それでは高野新笠の系図がわからない。
239日本@名無史さん:03/06/07 19:25
白壁王(のちの光仁天皇)と、のちの高野新笠(百済王子孫)との間に、
山部王(のちの桓武天皇)が生まれた当時(737=天平9年)は、
まだ聖武天皇の時代で、天智天皇の孫である白壁王は傍系のはるか彼方。
さらに737年には、聖武天皇の娘の阿倍内親王はまだ皇太子にもなっておらず。

つまり、当時どうでもいい存在であった白壁王が、
もはや下級官僚であった百済王子孫の娘と結婚しても、影響まるでなし。
(もちろん百済王子孫といっても年月が立って混血が進んでいたと推測。)
240日本@名無史さん:03/06/07 19:26
ところが、その33年後の770年に、称徳天皇(阿倍内親王)が崩御すると、
他の有力な天武系の王たちをさしおいて、
藤原の策略により、なぜか白壁王が皇位継承してしまった。[1回目の問題]

その時点でようやく山部王は山部親王(のちの桓武天皇)とはなるのだが、
母がそういうわけなので皇太子にはなるわけはなく、
当時の光仁天皇(白壁王)の皇后である井上内親王(聖武天皇の皇女)が
産んだ他戸親王(聖武天皇の外孫)が皇太子となる。
241日本@名無史さん:03/06/07 19:26
このままいけば、母がそういう事情である山部親王には皇位継承の目は無し。
しかし、山部親王は藤原吉子と藤原旅子を夫人としていたのである。
ここでまた、藤原の策略により、皇后(井上内親王)と皇太子(他戸親王)が、
773年に呪詛による大逆という無実の罪にはめられてしまう。[2回目の問題]

その結果、高野新笠が皇后へと昇格、山部親王も皇太子へ昇格。
そして781年には山部親王は皇位継承して桓武天皇になってしまうのである。
こうして、当時の藤原の事情での策略による偶然が重なり、
百済王子孫のおそらくかなり薄まってしまっていた血が皇室に混入した。
242日本@名無史さん:03/06/07 19:27
>>241
皇后には生前はなれなかったはずではないか?
243 :03/06/07 19:29
もともと倭と百済は軍事(倭)と文化(百済)を共有する関係であったことから
も往来は頻繁に行われていたと思われる。しかしその交流は一部の特権階級
が主ではなかったのでは?
244日本@名無史さん:03/06/07 19:32
渡来系は桓武天皇まで出世には限界があった。
したがって交流と言えるほどのものであったか。
245 :03/06/07 19:33
新羅、高句麗の人間が畿内で勢力を拡大させないよう、
東国の武蔵や相模の一部の地域に流したが正解だろう。
246日本@名無史さん:03/06/07 19:34
渡来系では半島ばかり注目されるようだが、
一番多いのは中国人。それで半数。
247日本@名無史さん:03/06/07 19:37
朝鮮系はむしろ関東に多い
西日本は主に中国系、東日本は主に北アジア系、
イヌイットとかソクーリですよ?
248 :03/06/07 19:39
そう遺伝子レベルでも中国系のものの方が含有率が高い。
249日本@名無史さん:03/06/07 19:39
>>247
百済難民総数が2000-3000人。高句麗が1700人
当時の日本の人口の総数が600-700万人で
関東に多いなどとはいえない。微々たるもの。
250日本@名無史さん:03/06/07 19:41
高句麗などは数百年同族婚ばかりして日本人とは
交わらなかったはずだ。
251日本@名無史さん:03/06/07 19:45
>>248
遺伝子レベルではなく新撰姓氏録中渡来系氏族の内訳。
252 :03/06/07 19:47
朝鮮人はその土地に故郷縁の字を使って同族が集まって生活していたらしいからね。
混血も極力避けたらしい。現在の在日も同族結婚を勧める親が多いそうだ。
253日本@名無史さん:03/06/07 19:53
すでに1000年以上も経っていて形質うんぬんするのはあれだが、
そういった縁をもつ里に住む人たちは手足が小さく、ちょうど両班型の
形質をもっていたとネットできいたことがある。
どこたずねていったのかは聞かなかったが。
254日本@名無史さん:03/06/08 16:30
255日本@名無史さん:03/06/08 17:12
>>1
古代の半島は倭人文化圏だろう。
半島から来て日本へ移住した渡来人は、朝鮮人じゃないだろう。

こういうスレがあるぞ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054447079/l50
256日本@名無史さん:03/06/08 17:15
>>247
古代日本には、朝鮮人は来てないよ。
いいかげんなこと言うなよ。
257日本@名無史さん:03/06/08 17:24
来てるじゃん、テンコロがそうだよ。
顔みりゃ判るだろ。
258大塚裕司:03/06/08 17:32
259日本@名無史さん:03/06/08 18:19
>>257
神武天皇が中国人(徐福)って説か??
260日本@名無史さん:03/06/08 18:25
>>257
おまえが言ってるのは、天皇のことだろうが、天皇は日本人じゃん。
顔見りゃわかるだろう。

そもそも、古代日本では、朝鮮人は入国禁止だったんだぞ。敵だったから。
261日本@名無史さん:03/06/10 21:20
>>231
埼玉県にある高麗神社(コマ神社)は、朝鮮人が建てたものじゃないだろう。
狛人(コマ人)が建てたんだろう。
狛人は、朝鮮人じゃないだろ。
狛人は倭人の支族だろうね。ヤマトと狛が友好関係にあったのは、同じ倭人で
言葉がよく通じたからだろ。
高句麗人は朝鮮人だろうけど。
高麗神社は、高句麗人とは無関係でしょ。狛人が建てたわけだからね。

>>236
倭人系朝鮮人ではなく、倭人系半島人ね。
「朝鮮人」だと民族になってしまう。

262日本@名無史さん:03/06/10 21:38

在日がよく言ってる、混血が良いなんて大ウソ!

日本人の歯並びが悪いのは、在来種と渡来種が混血したせいである。
在来種は小さな歯と小さな顎、渡来種は大きな歯と大きな顎。

歯が在来系、顎が渡来系でも、歯が渡来系、顎が在来系でも、
歯の大きさとそれを受け止める顎の大きさが違うために、前歯の
がたつき、または八重歯が発生しやすくなり、日本人に歯並びの
悪い人が多いのである。

混血はむしろ肉体的に奇形が起こりやすいという良い具体例である。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwik1362/haisha/ha03.html
263日本@名無史さん:03/06/10 21:39
シュメール人
264日本@名無史さん:03/06/11 20:31
>>261
たしかに、コマ神社が高句麗人によって建てられたという説は、
信じ難いよねえ。
コマ人と高句麗人が、はたして同じ民族なのか・・・。
なんか、無条件に「同じ民族」という扱いをされているけど。
疑問だよね。
265 :03/06/14 23:13
l高句麗人も純粋な朝鮮人とは言いがたいがね。モンゴルとの交流の歴史を見れば。
266日本@名無史さん:03/06/15 16:59
>>264
高句麗という国は、他民族国家だった可能性がある。
高句麗人とは別に、コマ人(狛人?)という民族がいたかもね。
で、コマ人のほうは、高句麗が建国される以前から、ヤマトと交流があり、
友好関係にあったんじゃないかな。
コマ人は、倭人だった可能性が高い。
267日本@名無史さん:03/06/28 01:04
268日本@名無史さん:03/07/08 01:05
269日本@名無史さん:03/07/08 02:33
絶壁あたまのテンコロは朝鮮人 ♪
270日本@名無史さん:03/07/08 02:35
絶壁といえば、半島人は驚異的だな。
日本人にはまずいない。
271日本@名無史さん:03/07/08 09:36
高尚な話をしているところに下世話な話ですまんが、子供のころの同級生に
髪の毛や目の色も黒く、ご先祖も全員日本人なのだが、顔立ちが
ケント・ギルバートそっくりの人がいた
そいつの顔を見るたび、日本人っていろんな血が混じっているなと実感した
272日本@名無史さん:03/07/12 23:10
小笠原諸島のコーカソイドのひとたちは日本語しゃべってるけど風貌は
273日本@名無史さん:03/07/14 00:25
274日本@名無史さん:03/07/14 02:09
>>261,>>264,>>266
高句麗とコマは同じもの。倭国とヤマトみたいなもの。
漢文でいう時の表記と自国語での発音のちがい。
275日本@名無史さん:03/07/14 03:36

在日が色々と人種工作をやっているけど、真相はかなり違う。

形質を大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭〜過短頭、日本人は中頭〜短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻〜中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約3割、日本人が約7割。

一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁頭の傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形質もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
韓国人は人種的に日本人とかなり異なり、異人種であるという事が分かる。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
276日本@名無史さん:03/07/14 05:06
@
「韓国 A型32% B型30% O型27% AB型11%
華北 A型30% B型29% O型33% AB型8%」
と、韓国と華北は陸続きだけあってよく似ているようだ。

日本は、
「日本 A型38.7% B型22.2% O型29.2% AB型9.9%」

と日本は半島に比べてA型が全体に多く、B型が少ないことをまず確認。

日本のA型B型の分布をそれぞれ見てみると。
「A型
島根41.3%
熊本41.2%
北九州41.0%
九州全般に40%程度
中国・四国がそれに近い程度
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北海道、東北、茨城、千葉、長野、諏訪、沖縄は36〜37%程度と少ない」

「B型
青森25%
秋田24.5%
諏訪24.1%
愛知23.8%
長野23.3%
静岡23.2%
石川23.1%
北海道、岩手、茨城は23%程度
栃木23.0%
和歌山23.0%
島根は19.9%と少ない」
277日本@名無史さん:03/07/14 05:07
A
韓国は日本に比してA型が少なくB型が多いのだからもしも入ったのであれば
九州等西側にB型が多くなければならないが、事実はその逆。九州を中心に
西側にA型が多い。A型は西高東低です。B型はその逆。
青森から入ったのでしょうか? w

次に半島を詳しく見ると
「昔のデータでは、A:B:AB:Oが、
A=31 B=31 O=28 AB=10 朝鮮半島北部(1935) n=11.093
A=31 B=30 O=29 AB=11 朝鮮半島中部(1935) n=6,468
A=36 B=27 O=26 AB=11 朝鮮半島南部(1935) n=6,465
A=34 B=30 O=24 AB=12 済州島(1935) n=903
A=30 B=26 O=34 AB=10 ソウル(1962) n=1,208
出典:改訂第二版『「血液型と性格」の社会史』松田薫さん」
http://www2.justnet.ne.jp/~shozo_owada/world.htm

半島南部に注目しましょう。言うまでもないですね。W
278日本@名無史さん:03/07/14 05:10
樺太とか千島はどうなんですか?
279日本@名無史さん:03/07/14 05:20
どうなんでしょうね。
調べてみてください、ロシア人入植後のものを調べても意味がないので
調べるのが大変そうですね。
280日本@名無史さん:03/07/14 06:56
何と、
クロード・ボリロンは、大真面目に「人類は実験室で作られた」と言っていますが。
281日本@名無史さん:03/07/14 07:01
http://homepage2.nifty.com/knjobama/kimono-1.htm
右上の女は中国人らしいけど、見えんな。
282日本@名無史さん:03/07/14 10:07
アフリカ大陸の「イブ」
283日本@名無史さん:03/07/14 23:23
チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種
チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種
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チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種 チョンはゼッペキ人種
284山崎 渉:03/07/15 11:36

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
285日本@名無史さん:03/07/16 20:27

在日がよく言ってる、混血が良いなんて大ウソ!

日本人の歯並びが悪いのは、在来種が渡来種と混血したせいである。
在来種は小さな顎に小さな歯、渡来種は大きな顎に大きな歯。

歯が在来系、顎が渡来系でも、歯が渡来系、顎が在来系でも、
歯の大きさとそれを受け止める顎の大きさが違うために、前歯の
がたつき、または八重歯が発生しやすくなり、日本人の歯並びは
悪くなってしまったのである。

むしろ混血は肉体的に奇形が起こりやすいという具体例の一つである。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwik1362/haisha/ha03.html
286日本@名無史さん:03/07/16 21:13
樺太・千島に古くから居住していたアイヌはB型が多いですな。
%はバスク人が近いそうな。
287日本@名無史さん:03/07/16 21:28
http://www4.justnet.ne.jp/~tankentai/data/minzoku/japan/ainu.htm

やたらにA型の多いところと、B型の多いところがあるのが不思議。
288日本@名無史さん:03/07/22 21:13
倭と百済は軍事(倭)と文化(百済)を共有する関係であったことから
往来は頻繁に行われていたと思われる
289日本@名無史さん:03/07/22 21:18
北部九州の渡来系弥生人と中国山東省で発掘された前漢時代の墳墓より出土の
古人骨とが酷似しているという日中共同の調査結果が、今年はじめに発表された。
現代の科学的人類学的分析で、古人骨に高い類似性が指摘されたわけである。
前漢は日本の弥生時代前半に当たり、大陸から古代人が農耕や金属器文化など
と共に次々と渡来していた可能性が出てきた。
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
が、再び鍼医・徐福の渡来伝説や日本人の起源が新たな注目を浴びることになった。

http://kanemasa-web.hp.infoseek.co.jp/data4/kojin.htm

従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
290日本@名無史さん:03/07/25 21:18
「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」

http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
291日本@名無史さん:03/07/26 18:54
>>290
>朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず

そりゃそうだろ当時 半島には倭人が占めていたのだから。
土井が浜人は中国は山東省人だとするば
日本人だけごっそり入れ替わったってこと。
292日本@名無史さん:03/07/26 19:04
>>291
いや、もっともな意見だがその後につき
----------------------------------------------
* 後漢書
弁韓 「其國近倭、故頗有文身者。 」(その国倭に近く、故に、すこぶる文身者あり)
馬韓 「其南界近倭、亦有文身者。」(その南倭に近く、亦文身者あり)

* 三国志
辰韓 「男女近倭、亦文身。」(男女倭に似、亦文身)
馬韓 「其男子時時有文身。」(その男子時々文身あり)

* 梁書
百済 「其國近倭、頗有文身者。」(其の国倭に近く、すこぶる文身者あり)
293日本@名無史さん:03/07/26 19:13

◎韓国朝鮮人の過短頭(横から見た図)



   / ̄ ̄|
  /    |
  |/   C|
 /  >   |   ←ゼッペキ頭で耳から後ろがない!
 ~|___ |
    |   



294日本@名無史さん:03/07/27 19:23
・・・どこがもっともな意見なんだ
295日本@名無史さん:03/07/29 21:39
>>294
もっともな自論をどうぞ。
無ければ君は屁垂れ。
296日本@名無史さん:03/08/01 09:02
297山崎 渉:03/08/02 01:10
(^^)
298日本@名無史さん:03/08/03 22:55

北部九州の渡来系弥生人と中国山東省で発掘された前漢時代の墳墓より出土の
古人骨とが酷似しているという日中共同の調査結果が、今年はじめに発表された。
現代の科学的人類学的分析で、古人骨に高い類似性が指摘されたわけである。
前漢は日本の弥生時代前半に当たり、大陸から古代人が農耕や金属器文化など
と共に次々と渡来していた可能性が出てきた。
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
が、再び鍼医・徐福の渡来伝説や日本人の起源が新たな注目を浴びることになった。

http://kanemasa-web.hp.infoseek.co.jp/data4/kojin.htm

従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説ということである
299日本@名無史さん:03/08/03 22:56

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」

http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
300日本@名無史さん:03/08/04 22:38
でもさ日本人と韓国、朝鮮人が同祖だって確固たる証拠が出たら
日韓併合論がまた沸きあがるだろうな。それも半島サイドからの意見として。
その可能性高いと思うよ。例えば次の様な文献が出たとしたら、

1.言語学的(ロゼッタストーンみたいな、中国語Vs古代朝鮮Vs倭語の対応表で多くの類似が判明)
2. 沼地などからDNA採取できるような骨髄、又は人体一部発見。両者に多くの一致。
3. 謎の5、6世紀を解き明かす古文書が中国から出土。百済と倭が同一王だった。
4. 天皇陵を開示。当時の秘密が明らかに、天皇は完全な帰化人だった。

など真実が暴かれたら同祖論も夢じゃない。
あと逝っとくが漏れは挑戦神社ないよ。     

301日本@名無史さん:03/08/04 23:05
帰化人だよ。
302日本@名無史さん:03/08/04 23:17
>>300
工作乙枯
303 :03/08/05 00:30
朝鮮人の先祖なら知ってるよ。

朝鮮人の先祖=倭人。
304日本@名無史さん:03/08/05 01:12
>>303
じゃ漏れの脳内妄想で1コ付け加えるよ。

>でもさ日本人と韓国、朝鮮人が同祖だって確固たる証拠が出たら
>日韓併合論がまた沸きあがるだろうな。それも半島サイドからの意見として。
>その可能性高いと思うよ。例えば次の様な文献が出たとしたら、

>1.言語学的(ロゼッタストーンみたいな、中国語Vs古代朝鮮Vs倭語の対応表で多くの類似が判明)
>2. 沼地などからDNA採取できるような骨髄、又は人体一部発見。両者に多くの一致。
>3. 謎の5、6世紀を解き明かす古文書が中国から出土。百済と倭が同一王だった。
>4. 天皇陵を開示。当時の秘密が明らかに、天皇は完全な帰化人だった。
5. 半島人の元は倭人の移住からはじまったことが判明。対馬海流からして北上移動説が有力化。
  倭人の船(日本原産の井草船が韓国で大量発見)

など。  
305日本@名無史さん:03/08/05 14:23
306日本@名無史さん:03/08/05 21:08
日本人の祖先は縄文人。これ決定的。朝鮮人の先祖はツングース。
307日本@名無史さん:03/08/05 21:12
>>305
日本人の二重構造を見ると縄文系の方が渡来系よりカコイイことが
わかるな。
308日本@名無史さん:03/08/05 21:20
http://www.nnn.co.jp/tokusyu/kamijiti/kikou/kikou0307271.html

同じグループに属していても、
東日本の人骨のDNAは「ブリヤートと一致」と言い、
西日本の人骨のDNAは「韓国人と一致」と言う。

ちなみに>>305のリンク先の縄文人のDNAは、ブリヤートとの一致は1つもない。
http://homepage.mac.com/azsyano/.Pictures/DNA%20Archl%20HP/shinoda1.jpg
309日本@名無史さん:03/08/05 23:16
>>304
日本と朝鮮が合邦したら怖いものなしだな。 これ最恐。
争い事は鮮人にまかせ、頭使う事は日本人にまかせろ。
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
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 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|
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iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
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313日本@名無史さん:03/08/11 09:52
314山崎 渉:03/08/15 13:15
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
315日本@名無史さん:03/08/16 02:30
316日本@名無史さん:03/08/16 03:16
>>309
ブー。

日本人と朝鮮人が合体したら、

不細工な馬鹿になります。
317日本@名無史さん:03/08/16 06:16
つか、寄り目になる。



寄 り 目 に な る !
318日本@名無史さん:03/08/16 14:52




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。




319日本@名無史さん:03/08/22 12:12
320日本@名無史さん:03/08/29 20:43
321日本@名無史さん:03/09/04 22:18
322日本@名無史さん:03/09/06 18:19
山東半島からやってきました。
そのなごりで現在の中国語と日本語は文法上きわめて類似点
があります。またモンゴル人、朝鮮人が苦労する抑揚も
苦労することがありません

323日本@名無史さん:03/09/06 18:22




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。

また、韓国朝鮮人の帰化が年間約1万人も!



324日本@名無史さん:03/09/06 18:28
「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」


満州のウラルアルタイ語族が山東半島にも、日本列島にもやってきたと
考えるほうが自然でしょう。漢族が日本人の祖先ならに日本書紀など歴史書に
われわれは漢族であるぞ周りの蛮族とは違うぞと必要以上にしるされているん
じゃないかな?
325日本@名無史さん:03/09/06 19:28
弥生人は満州人種とは頭の形から違うと思われ。
326日本@名無史さん:03/09/08 22:34

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌の色が黒い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★ゼッペキ頭(過短頭)★


韓国朝鮮人の帰化や混血で日本人に増えている形質一覧
327こんな奴らと一緒か?:03/09/08 22:56
328九州王朝大好き ◆q0FP2AXqkY :03/09/08 23:09
>>322
山東半島から日本に来ている中国人ですか?

もしそうなら、新生児の蒙古斑は、山東半島ではどうなんでしょうか?
背中一面にある、大きい、小さい、殆ど無い?
329日本@名無史さん:03/09/09 00:09
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
330 :03/09/11 01:19
朝鮮人も蒙古班でるよ。
モンゴロイドはアルコールに弱い体質。
朝鮮人は日本よりアルコール分解力が高い。
ちなみに中国人も酒に弱い。
つまり日本人と中国人は下戸。朝鮮人は日本人と中国人よりは酒が強い。下戸ではなかろう。
中国人も蒙古班出るでしょ。だってタイ人すら出るんだから。
331日本@名無史さん:03/09/17 22:30
332日本@名無史さん:03/09/25 22:49
333日本@名無史さん:03/09/26 16:33
>>65 さん が手堅いんだろうな
その後 半島から来た人や大陸、南方様々交じり合い長い年月の中で
日本人が作られたと、
334日本@名無史さん:03/10/03 20:58
335 :03/10/10 13:50
>>333
その半島ってのが元は大陸だ罠。さらに言えば、半島南部の渡来人は元は倭人が祖先。
336日本@名無史さん:03/10/13 01:00
本当か?
337日本@名無史さん:03/10/13 01:19
縄文時代後期には、朝鮮半島南部にも縄文土器が見つかり進出は確実。
さらに、稲作ができていたのは朝鮮半島南部のみ。

これらより、朝鮮半島南部〜日本列島が同一勢力圏だったのは確実と言われている。
338日本@名無史さん:03/10/13 01:31
同一勢力圏だったということが、半島南部の人間の先祖が倭人であるという
ことの証明には必ずしもならないんじゃないの?
339日本@名無史さん:03/10/13 01:36
縄文期の稲作も、縄文土器も、当然ながら日本列島のほうが先。
朝鮮半島南部は倭人の周辺文化圏だった。
340日本@名無史さん:03/10/13 03:09
でも結局 朝鮮人(天孫族w)に征服されたんだけどな。
大部分の日本人は倭人でも、天コロは朝鮮人。
341日本@名無史さん:03/10/13 07:25
天孫族弥生人は山東人だし、彼らは征服なんかしていない。
ただ海上交易商をしながら日本に広がっただけ。
342日本@名無史さん:03/10/13 07:32
なんでテンコロだけが朝鮮人なのよ?
ぜんぜん論理的ではないな。
343日本@名無史さん:03/10/13 07:38
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344日本@名無史さん:03/10/13 10:22
港川人が日本人の先祖という説は否定されたの?
それだと海洋系をベースに大陸の血が混じっていったことになるけど。
ああ、沖縄も昔は大陸と地続きだったっけか。
345日本@名無史さん:03/10/13 10:53
>>342
天コロ一家だけじゃないよ。天コロと一緒に来た天〜〜命の子孫と
いうのは皆チョン。 まあ上級貴族はチョン、倭人を征服したから
当然だな。 下級貴族(丹波氏・菅原氏)なんかはチュン。
それで下民が倭人。 筋が通ってるだろ(w
346日本@名無史さん:03/10/13 11:10
もう誰も釣れないだろ?
みんなただひたすらオマエをリアル馬鹿鮮人だと思ってるだけだよ。
347日本@名無史さん:03/10/13 11:17
日本人の先祖は日本人
弥生人が朝鮮人などというのはデタラメ
弥生時代に遡っても日本語と朝鮮語はほとんどつながりがない
ましてやシナ語とは天と地ほど違う
348日本@名無史さん:03/10/13 13:11
>>345
小林の小説見すぎなんじゃないの?(笑)
当時の日中韓の状況を考えればありえない論だ罠。
349日本@名無史さん:03/10/13 13:12
縄文土器の裏付けが否定されない限り半島の倭人由縁は確実だろうね。
350日本@名無史さん:03/10/13 13:13
半島南部と九州の繋がり合いから最近、日本人と倭人は別種などと主張する人も多くなったね〜♪
351日本@名無史さん:03/10/13 15:35
>>348
小林の小説って何? ヨシリンは小説なんか書いてないだべ?
てか小説なんて読んだことねえよ。記紀が小説というならよんだけど(出来の
悪い政治小説だけど)
352日本@名無史さん:03/10/13 16:40
>>351
駄目だコリア
353日本@名無史さん:03/10/17 01:12
>>348
確かに、小説とでも言わないとなりませんね、あれは。
354日本@名無史さん:03/10/24 22:28
日本人の先祖はサル。
355日本@名無史さん:03/10/28 04:40
>>354
中国人の先祖はサル。
朝鮮人の先祖は熊。それ以前はサル。
356日本@名無史さん:03/11/06 22:59
357日本@名無史さん:03/11/06 23:03
私は日本人に微塵たりとも似ていない、凄まじい限りの醜い朝鮮顔を知っている。
それは、

色が黒く、不格好で異様な面長で、顔に立体感や凹凸感がさっぱり無く、
鼻が潰れたように低く、離れ目の細い寄り目に、
薄いハの字眉で、唇が下品で締まりが無く、歯がデカくて歯茎が黒い。

つまり、焼きいも寄り目朝鮮顔の事。
あれは世界一気持ちの悪い変態顔です。
358日本@名無史さん:03/11/24 15:02
前田亜季の目がしらの形が良いと思うのだが?
359日本@名無史さん:03/12/07 08:51
>>330
イタリア人の子供にも蒙古班あるよ、これマジです。
360日本@名無史さん:03/12/18 20:52

朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)

これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
これより前に南方から移住してきた人々=縄文人
361日本@名無史さん:04/01/06 01:08

こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
362日本@名無史さん:04/01/06 01:33
縄文人は樺太経由の北方系。
363日本@名無史さん:04/01/07 20:23
>古代朝鮮人の中でも特に優秀で海を渡る気概のあった人
>+南洋の海洋性民族の中でも特に運が良かった人=現代日本人の祖先
>古代朝鮮人の残り滓=現代朝鮮人の祖先

↑これ、実は在日特有の日本人洗脳表現

日本人は朝鮮系なんだから、在日が住んでも、同化しても良いじゃないか、
という下心らしい。全部嘘だが。

あたかも大量の半島人が古代の日本に渡ってきて日本人の祖先に
なっていったかのようなレトリックだが、事実は逆で、
半島人など、古墳期に関西へほんの数千人しか来ていない。

大量に海を越えていったのは縄文期や古墳期の日本人の方。
日本人種と満州人種の混血人種が朝鮮人。
古代日本人こそが朝鮮人の祖である。
364日本@名無史さん:04/01/10 19:33
古代高句麗(コグリョ)語が現代の日本語に一番近いとは驚きました
365日本@名無史さん:04/01/16 22:16
ダメだコリア!
366日本@名無史さん:04/01/16 22:20
秋田や佐渡にコーカソイド系民族が流入してる説もあるね。
367日本@名無史さん:04/01/16 22:49
秋田美人。ロシア人の血が入ってるからとか。
368日本@名無史さん:04/01/16 22:52
秋田美人は民謡から来てるんだろ
369日本@名無史さん:04/01/16 23:16
特命リサーチでも秋田のコーカソイド流入説をやってた。
370日本@名無史さん:04/01/16 23:24
アイヌもコーカソイド説があったが今ではきっぱり否定されている。
アイヌは北方系モンゴロイドの特徴であるGm遺伝子を高い頻度で持っている。
北方系モンゴロイドの特徴である血液型B型を高い頻度で持っている。
371日本@名無史さん:04/01/16 23:33
日本人て色んなカオの人が居るよなあ・・・混血民族でしょう。もともと。-
372日本@名無史さん:04/01/16 23:50
民族と人種は違うからな
373日本@名無史さん:04/01/17 06:29
お前ら勘違いするな

東 京 に 芸 能 人 の よ う な 奴 は 

一 人 も 歩 い て い ま せ ん
374日本@名無史さん:04/01/17 06:31
俺の先祖はサムライ。
農民なんかじゃないよ。
375日本@名無史さん:04/01/17 08:52
意味無いな
376日本@名無史さん:04/01/20 21:35
朝鮮人の方が日本人よりも南方系の遺伝子をもっている。
アイヌも沖縄も日本人は北方系モンゴロイドの遺伝子。
377日本@名無史さん:04/01/20 22:15
日本人の祖先が朝鮮半島から渡って来たのではなくて、
朝鮮半島人の祖先の方が日本から渡って来たという事だろ。



その後、満州人と混血して人種が分かれた。
378日本@名無史さん:04/01/20 22:20
占領時代にもっと黒人の血を入れておくべきだった。
379日本@名無史さん:04/02/03 23:45
朝鮮人も蒙古班でる??
380日本@名無史さん:04/02/04 00:00
でる。
381日本@名無史さん :04/02/04 00:01
私の先祖は武士
382日本@名無史さん:04/02/07 15:52
人類アフリカ起源ならいずれも渡来なわけでw
383日本@名無史さん:04/02/19 10:01
hoshu
384日本@名無史さん:04/02/19 18:22
>日本人の祖先が朝鮮半島から渡って来たのではなくて、
>朝鮮半島人の祖先の方が日本から渡って来たという事だろ。

奴ら熊から生まれたらしいから
遠い昔、アイヌと関係があったのかもな。
385日本@名無史さん:04/02/19 21:05
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種
(モンゴロイド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、
特有な偏平な顔と、ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主
で、蒙古皺襞(しゅうへき)のために、つり上がったような目を有する
ものが多い。身長は大部分が世界諸民族のうちでの中の下を示し、小部
分が中に入る。そこで大部分が中の下、小部分が小の身長の日本人より
も、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、小部分が超短頭に属する。
日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、朝鮮人のほうが短頭
の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭の部に入る。
頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば偏平
なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの
出現率が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直で
ある。朝鮮人の頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛
は、日本人と比較すれば一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なの
で、腋臭(わきが)は日本人よりも少ないとされる。
386日本@名無史さん:04/02/19 21:07
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の
日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分
にしたがって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに
いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は
最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。
同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。
以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
むしろ縁が深い。
387日本@名無史さん:04/02/19 21:08
ABO式血液型の調査結果によれば、O型27.9%、A型32.3%、B型29.5%、
AB型10.3%を示し、日本人とくらべてA型が少なく、B型が多い。
民族指数(A+AB)/(B+AB)は、蒙古、満州、北朝鮮、中部朝鮮、
南朝鮮、九州と地理的に南下するにしたがい、それぞれ0.75、0.91、
0.99、1.05、1.25、1.62としだいに大きくなる。朝鮮人のMN式、Q式、
およびE式血液型はほとんど日本人に大差がない。生体測定で、特別の
地位を示す済州島資料はABO式血液型においても、また北朝鮮型を
呈する。指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)
388日本@名無史さん:04/02/19 21:57
漏れの先祖は朝鮮から来たらしい。
秀吉の朝鮮出兵の際に日本側に雇われた建築技師か何かで、撤退時に
日本に連れ帰ってもらった亡命者らしい。
(注:拉致とか強制連行とかと呼ばれるものとは違う)

ある大名に(多分 渡来人→珍しい といった理由で)スカウトされ、
遠方の某藩の大名の従兄弟か何かという虚偽の系図と
日本人らしい姓を賜って、中堅くらいの藩士の待遇で仕えてたんだって。

その後400年(≒20世代?)くらい混血が進んでるから、その人の遺伝子なんて
1/2^20 ≒ 0.000095%くらいしか残ってないと思うけどね。
389自治会:04/02/19 22:42
はいはい。考古学に逝ってね
390388:04/02/19 23:33
>>389
そうか、ここの自治会の解釈では、戦国時代頃までは考古学の範疇なんだな。
391日本@名無史さん:04/03/07 10:29
港川人が日本人の先祖という説は否定されたの?
392日本@名無史さん:04/03/07 13:38

◎朝鮮人は日本人と満州人の混血人種


朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)
393日本@名無史さん:04/03/20 02:56
394日本@名無史さん:04/04/06 04:06
弥生時代に遡っても日本語と朝鮮語はほとんどつながりがない
ましてやシナ語とは天と地ほど違う
395日本@名無史さん:04/04/24 17:09
琉球語と日本語は、ほぼ遠い方言関係と証明されてますよ。
396日本@名無史さん :04/04/24 17:14
神道って南方の神話ととても似通っているんだってね。
ハワイの女神も島を産んだって言う話だし、浦島太郎も
ポリネシア風の格好がまざっているしね。
397日本@名無史さん:04/05/04 14:51
開音節の日本語が好き
398日本@名無史さん:04/06/12 22:25
     _,,,,,,,,
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このレスを見た人はコピペでもいいので
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そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
399日本@名無史さん:04/06/18 00:07
400日本@名無史さん:04/07/19 00:42
401日本@名無史さん:04/08/11 00:36
けっきょく、中国大陸沿岸部の農耕漁労民が日本人の先祖の主力?
402日本@名無史さん:04/08/11 00:42
主力は今も縄文人だよ。

全体的に縄文が7割、弥生が3割
場所によっては弥生が4割

河北省、山東省あたりの華北人が朝鮮を侵略して日本に入ったのが
渡来系弥生人。
403日本@名無史さん:04/08/11 01:14
弥生人は確かに華北系なのだが、華北のどのあたりに居た華北人なのかが、
分からない。
朝鮮を侵略した事を考えると、場所的に考えれば、最も朝鮮に近い
河北省、山東省あたり。政治的に考えると都・長安のあった内陸部の
陜西省あたり。
404日本@名無史さん:04/08/20 23:26
山東省でそ
405日本@名無史さん:04/09/01 00:45
越人って、日本列島へ直接逃げたの?

それとも海に近い側を北上してから?
406日本@名無史さん:04/09/01 00:57
いや、遼寧省。
朝鮮を侵して日本に入ったとなると、朝鮮に一番近いのは遼寧省。
その遼東半島から弥生人骨と全く同じ人骨が出ている。
407日本@名無史さん:04/09/02 23:12
稲作伝来と渡来人は全く関係が無いので、もう切り離して考えるべき。
水田稲作は、渡来人がやって来る700年ほど前に九州北部で既に始まっている。
渡来人たちは朝鮮南部や九州北部に入ってから、初めて稲作を覚えたのである。
408日本@名無史さん:04/09/23 22:39:09
409日本@名無史さん:04/09/26 14:26:41
長野県で聞いた話
昔その村に”どうそじん”という人たちが現れ嫁不足の村に女の子を連れてきたそうだ
彼らは道祖神(=そこでは双体道祖神などあるように縁結びの神様でもある)と同じ読みであったため
たいそう手厚くもてなされたとか
また最近の話ではその土地に住むお金持ちが結婚もせず金をばら撒き自分の子を村の住民に産ませ育てさせた
そうな
この二つの話がどうつながるのか?だったわけですが
この日本に同祖人はいますよそれもかなりの割合で・・・
ここでの同祖人っていうのは遺伝がどうのとかではないです
彼らは・・・
410日本@名無史さん:04/09/27 14:00:15
>>396
顔立ちもそれっぽい人が結構いるよね。
411日本@名無史さん:04/10/02 08:47:05
明治時代に、関西から東京に来た天皇家の皇太子も、一重まぶた・超細目・平面顔。これが関西人の顔。
明治天皇が東京に来て、皇太子で五代目だが、まだ一重まぶた・超細目・平面顔。
六代目の愛子ちゃんも、一重まぶた・超細目・平面顔だね。

美智子さん・雅子さんと、縄文系の遺伝子が入ったのに、一重まぶた・超細目・平面顔になるという事は、
関西人の渡来系の遺伝子は相当、濃いという事。

http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2002/1001/cea02.jpg
412日本@名無史さん:04/10/02 08:54:22
>>60
北陸・東海以東は縄文系だよ。
遺跡の分布の研究から、縄文人の85%が東海・北陸以東の東日本に住んでいた事が判明している。


3年前に録画した、NHKスペシャル・日本人はるかな旅・第5集から抜粋。

B52−DR2という遺伝子は、
現在の関西地方・中国地方・九州北部地方・朝鮮半島に多い。

弥生時代に、九州北部付近に上陸した渡来人は、
中国地方・大阪平野・濃尾平野まで一気に進むが、進出は、そこで止まる。
濃尾平野の東は深い森におおわれ、縄文系の人が数多く暮らしていた為。

遺跡の分布の研究から、縄文人の85%が東海・北陸以東の東日本に住んでいた事が判明。

水田を切り開く事が困難な深い森、縄文人の高い人口密度、
東日本は渡来人にとって容易に入り込めない土地だった。

その為、東日本に進出した渡来人は少数で、
その少数の渡来人と、縄文人が、共同生活・混血する事で、現在の東日本人が形成された。


日本人はるかな旅 DVD-BOX

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005V47U/249-9198818-8468320
413日本@名無史さん:04/10/02 08:56:00
>渡来系の遺伝子は相当、濃いという事。


渡来系遺伝子が濃いという表現は人類学住民として宜しくない。
渡来系の形質遺伝の方が強いという表現にしましょう。
414日本@名無史さん:04/10/02 08:57:52
ここは人類学板ではなかった。鬱氏
415日本@名無史さん:04/10/02 09:26:57
>>192
二重で、ある程度ほりの深さがあれば、縄文人と渡来人の混血の方が美形だよ。
配合が難しいね。

一代目
AAの二重の縄文人と、aaの一重の渡来人からは、
100%の確率で、Aaの二重が生まれる。

二代目
Aaの二重の人と、Aaの二重の人からは、
25%の確率で、AAの二重が生まれ、
50%の確率で、Aaの二重が生まれ、
25%の確率で、aaの一重が生まれる。

このケースだと、三代目は、両親が二重なのに、25%の確率で、aaの一重になってしまう。w


Aが1つ以上で二重になり、
aが2つだと一重になる。


http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruiden/iden2.htm
416日本@名無史さん:04/10/02 20:38:37
おいおい、二重は劣勢遺伝で一重は優勢遺伝。逆になってるぞ
417日本@名無史さん:04/10/25 00:02:19
418日本@名無史さん:04/10/31 00:01:55
シベリアの発祥の北方系モンゴロイドの標識遺伝子である黄色のGM遺伝子
このGM遺伝子は日本人で26%で朝鮮人は14.5%で北部の漢民族は11.7%持っている。
419日本@名無史さん:04/11/05 23:36:35
南方モンゴロイドの赤のGM遺伝子は東南アジアと中国南部でかなり多い。
420日本@名無史さん:04/11/20 20:36:11
東南アジアの具体的にどのあたりですかね?
421日本@名無史さん:04/11/20 20:43:39
>>420
タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ベトナム、フィリピン、中国南部。
422日本@名無史さん:04/11/27 03:53:19
ミンナ間違い。日本人は天から降臨してきた民族なの!昨日、一人降りて来たのみたよ。空から。
423日本@名無史さん:04/12/07 18:16:51
失われた十民族のうちの一つっていう説は、どうなの?
424日本@名無史さん:04/12/09 23:17:08
いきなりそんなどてらい電波をぶつけられても。
425日本@名無史さん:04/12/27 01:31:10
すごく疑問なのは、
どうして琉球語は、日本語(大和語)と同じ言語族なのか、ってこと。

母音変化などの対応が完全につくし、
元は完全に同じ言語だったってことが完全証明されてる唯一の言語。

つまり、琉球エリアの広いところにすむひとたちは、祖先が同じなのですよね。
426日本@名無史さん:04/12/27 01:50:41
漢民族に押し出されて東の果てに追い込まれたのが
倭人。

弥生時代に朝鮮半島系に征服され(出雲の話)
さらに天孫降臨で大陸系に征服され
土民はおまえら倭人。
支配者階級は大陸系。とチョン。
427日本@名無史さん:04/12/27 05:53:27
>>426
あの、それが万が一正しいとしても征服系も被征服系も現日本人の先祖なんだが?
在日は20世紀以降の移民だよ?
428日本@名無史さん:04/12/27 06:22:29
大陸も朝鮮半島も関係ないんだな。
渡来系はモンゴルあたりから朝鮮を素通りして日本に来た集団なんだから。
429日本@名無史さん:04/12/30 08:45:52
日本とシュメールは同祖ですよね?
www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/kojiki.html
430日本@名無史さん:04/12/30 08:56:56
シュメールもモンゴルorトルコ系かもしれんね。
431日本@名無史さん:04/12/31 01:59:21
>>429
韓国を構成する12カ国の1つがシュメールだった、ということは、
その中の何人かが日本に移住して国を建てたとしても、本体はやはり韓国だと見るべきだと思うが。
432日本@名無史さん:05/01/01 08:45:03
またぞろ、ゆんゆん電波飛んでるな‥
433日本@名無史さん:05/01/07 22:44:14
BC2004年にシュメールが滅亡、脱出した民族が、船に乗ってカラチ、モヘンジョダロへ移住、
BC2000〜1600年頃に、崑崙山脈にいたスメル族(クメル族→コウメ→コウメイ族)と融合して、
インド南端などを経由しスマトラ、インドネシア、ベトナムなどを移住しながら、
最終的に日本までたどり着いたものと考えられます。
そしてこの人々が「大和族・海人族」として記憶されるようになったのです。
この海人族は新しい土地に拠点を作り、九州を中心の先住の毛族と共生していったと考えられます。
最大拠点は日向で日向王国=高天原となり、内陸には深入りせず、
主として「津」に船だまりをつくって生活し、
各地に毛族と和合した集落が出来、米作を広めていったと思われます。
434日本@名無史さん:05/01/09 05:01:59
たしか、イギリスも
いろんな奴に征服されてたよね。

イギリスのもともとの先住民はケルト系で
そこにラテン系が進入
しかし、ローマ帝国が解体するとゲルマン系が進入
けるとは現在ウェールズとスコットランドの一部に住んでるだけらしい。
ほかはみんなゲルマン系でゲルマン系でも
スカンジナビア経由の連中やら
デンマーク経由の連中やら
オランダ経由の連中やら
何種類も部族がいたらしい。

日本もチョット前まで北海道は函館とかしか
事実上の支配地はなくほかは国外だった。
それと沖縄も薩摩が制圧するまでは国外だしね。
435日本@名無史さん:05/01/11 20:09:31
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15)

 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%

 このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に
よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。
又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると
考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c)
で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも
高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。
私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に
高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に
南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面
に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・
民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
436日本@名無史さん:05/01/11 20:31:55
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
437日本@名無史さん:05/01/11 22:32:03
よく沖縄は薩摩が来るまで国外とか、明治から日本になったとか書く人がいるけど、
鎌倉か室町時代から琉球は国は違うが日本人というのが国の見解になってると思う。
関が原の合戦の時にも双方から、「天下分け目の戦である、どっちにつくか」
と使いが来てるし。
438日本@名無史さん:05/01/28 17:56:00
そうなんだ?
439日本@名無史さん:05/01/28 20:25:38
>437
日本人の思いこみだよ
440日本@名無史さん:05/01/28 20:40:59
言語的にも沖縄は日本文化圏に含まれるでしょ。
441日本@名無史さん:05/01/29 19:28:51
>>402
>河北省、山東省あたりの華北人が朝鮮を侵略して日本に入ったのが渡来系弥生人..
華北人だと、納豆やチマキ食文化や風習の類似から移動交通があった現代
中国の西南在住少数民族との繋がりが説明できないだろう。
442日本@名無史さん:05/01/29 19:48:22





◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%





443日本@名無史さん:05/01/29 19:51:30
韓国人から縄文人のmtDNAが19%ほど検出される。

しかし弥生期の渡来人が持ち込んだと見られる近畿などの西日本を
中心とした 日本人最多のHLA遺伝子のB52-DR2(DR15)は韓国人は
とても低いのに、モンゴル人は高い。

ちなみに華北人は1%ほどで、韓国人と同じくとても低い。

これら最近の科学の結果は何を意味しているのか?
444日本@名無史さん:05/01/29 22:32:50
>>443
>モンゴル人は高い..華北人は1%ほどで、韓国人と同じくとても低い...
これらの現代人の値と比較するのに問題はないのですか。混血の程度如何は
無視してよいのですか。
445日本@名無史さん:05/01/29 22:51:35
また、本土日本人とくくりが大きすぎるのも問題だな。
日本人は各地方でたしかDNAがだいぶ違うと思うが?
外国も各地方別にしないと科学的で無いのでは?
446日本@名無史さん:05/01/29 23:05:57








日本人になりたいチョンコロが集まるスレだなここはw
残念ながら根本的に全く違うからw







447日本@名無史さん:05/01/29 23:51:24
中国人は、弥生人の最大の特徴であるB52-DR15(B52-DR2)が
ほとんど無いんだよね。華北人でやっと1%ほど。
華北以南はほとんどナッシング。

韓国人も1.4%ですこぶる低い。

結局、モンゴル人の5.9%で、弥生人の故郷はどこなのか、
科学的に答えは出てしまった訳だよ。
448日本@名無史さん:05/01/30 00:32:05
日本列島は朝鮮や中国と違って、モンゴル人に根こそぎ侵略され、同化したのですね。
449日本@名無史さん:05/01/30 00:48:37
彼らを連れてきたのは半島に出入りしていた元倭人であった縄文人だと思われ。
弥生人と縄文人が仲が良かった事が弥生遺跡から出土する人骨から見ても分かる。
ただ彼らは居住区を縄文人と住み分けていた事も分かっている。
やがて人口が増えて九州北部から縄文人の少なかった西日本一帯に広がっていった。



450日本@名無史さん:05/02/05 11:02:11
>>449
「バクリッコ煩悩」
 = 貿易
 = 異質なものの流入(文明・文化)
 = 発展。

その前に、 「マンモス人?」 と 「水軍系(東南・南)」・・・・・・
        
451日本@名無史さん:05/02/05 11:03:31
ラピト人?
452ラピタ人 と 菊水族:05/02/05 11:04:52
ラピタ人
453日本@名無史さん:05/02/20 23:11:37
先祖なんて、3代前ですら憶えてない民族なんだからねぇ。
その事実だけでも、中国人や朝鮮人とは違う価値観の民族が
大部分だったんじゃないかな。



454日本@名無史さん:05/02/21 02:02:28
中国人とは全然違う。
外見や遺伝子も違えば、言語も根本的から違う。

朝鮮人とは近いが、やはり違う。

日本人は間違いなく中国や朝鮮をルーツに持つ集団ではない。
455日本@名無史さん:05/02/22 12:56:56
ルーツどころか、関西の人間は朝鮮人と全ど同一人種だぞw
あと、言語と遺伝子は関係無いから。
456日本@名無史さん:05/02/22 20:10:53

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
457日本@名無史さん:05/03/12 23:52:35
とすると、日本人の祖先の一つは、夫余族?
458日本@名無史さん:05/03/13 00:05:09
夫余は満州東部に居たから違うな。
モンゴル以北の部族だろうね。
459日本@名無史さん:05/03/13 01:20:00
扶余は満州北西部の東遼河から農安あたり。
扶余の末裔の達末婁等は、モンゴル系民族となった。
460日本@名無史さん:05/03/13 01:27:29
>>459
ハイ!
で、そのソースは?
461日本@名無史さん:05/03/13 02:23:25
>>460
扶余の地であった吉林省の扶余、農安が満州東部ではあるまい。
清朝の東三省では、扶余から洮児河を渡ればモンゴルのジェリム盟
ではないのか。満州東部は靺鞨で、それ以前は挹婁が住んでおった。
北扶余の末裔の達末婁は、「新唐書渤海伝」に嫩江(黒竜江省から
内モンゴル自治区)を渡って住んでいると出ている。
462日本@名無史さん:05/03/13 02:39:50
蝦夷征伐の足ががりとして、関東に多くの人を移住させ、開拓に当たらせた。
その移住民とは、主に奴婢、浮浪人、蝦夷征伐軍に従軍した兵士、百済など朝鮮半島からの移住民、
朝廷軍に降った蝦夷「俘囚」などである。

この後の戦いでも同じですが、将軍などの幹部は別として、蝦夷と直接鉾を交わす下級
兵士たちは板東(関東地方)から動員されていきます。
都からくるのは罪人・賤民・などでした。

http://www17.cds.ne.jp/~stray/yokohama/yurai.html
胸刺の刺は朝鮮語の で矢が胸をさすことをいい、朝廷の先兵として入植した朝鮮人の開発するさまをあらわした。

http://www5.tok2.com/home2/okunouso/0111.htm
武蔵・相模の地は、高麗・高句麗・百済・新羅など朝鮮半鳥系の帰化人によって開拓され、
武蔵の区域は二分裂し、互に本系を表示する「宗国」「主国」の意を古朝鮮語の訓で称え「ムネサシ」と云い、
一は「胸刺」の字をあて、一は「ネ」が略された「牟邪志」の字をあてて表わしたもので、
これに対して相模の地域の方は、本系を表わすのに「真」を用いて「真城(マネサシ)」(真倉)といい、
これが後に相模の枕言葉になったものである。
463日本@名無史さん:05/03/13 08:19:41

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%

日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
464日本@名無史さん:05/03/13 08:23:47
夫余は主に朝鮮半島に定着した北方モンゴロイドだろ。
夫余が弥生倭人なら、朝鮮人と西日本人の遺伝差がこんなにも違うまい。
465日本@名無史さん:05/03/14 01:01:42
>>464
朝鮮半島に定着した夫餘族は支配階級だけで人口比率からいったらたいした割合ではない。
しかも百済・高句麗が滅亡した段階でほとんど出て行ってしまったし。
466日本@名無史さん:05/03/14 19:16:04
夫余とは時代が違う。

夫余はBC2C、弥生人はBC4〜5C。
夫余はまだ居ない。
弥生人の時代に合った北方モンゴロイドは匈奴と東胡。

倭人は朝鮮半島には全く定着しなかった人類集団だよ。
おそらく匈奴か東胡の一部が九州北部まで流れて来たものだろう。
それか、全く関係ない部族がモンゴル以北から流れてきたもの。
467日本@名無史さん:2005/03/29(火) 04:24:16
DNA鑑定だと日本人の先祖ってシベリアの少数民族らしい
だいぶ前にテレビでやってた
その民族と日本人の顔がそっくりで、ぱっと見分からなかった
468日本@名無史さん:2005/03/29(火) 04:42:58
>>466
匈奴や東胡は北方モンゴロイドではなくコーカソイド。
つーかその前にBC4〜5Cなら匈奴・東胡もまだいないのだが・・・。
469日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:50:17
>>468
概ね同意だけど、東胡は違う
匈奴もコーカソイドじゃないと思うが。
470日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:11:41
コーカソイドでいいだろ。
471ミックス:2005/04/09(土) 18:02:13
北海道在住です

母方、ひい祖母さんが樺太人であるためか
立派な髭にダークブロンド混じりの毛が生えます
1900年以前の樺太の状況、ロシア人との関係が知りたいです
父は鹿児島の熊襲なのですが
自分も背が小さく、まつげが長く二重で目が茶目でキラキラしています
そのせいなのかもみ上げがユダヤ人のようにカールしていたりします
熊襲がどこから来たのかもよくわかりません・・

日本人朝鮮人中国人の女性とはイケないので悩んでいますw
独身で終わる花かと思ってますが・・・w

日本人でお気に入りはベッキーぐらいでしょうか・・
472日本@名無史さん:2005/04/16(土) 05:53:18
女真〜満州族は日本人と似てたのかな?
言葉は似た所があるような気がするんだけど。
満州帰りの人教えてください。
473日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:51:48
>>472
戦前満洲におられた村松一弥氏は、著書「中国の少数民族」で、
「騎馬民族日本征服説(中略)この論の当否はともかくとして、
東北アジアのアルタイ語系狩猟騎馬民族の物の考え方とか、行動の原理
とか、習俗は、意外に日本に近いものがあるという実感をもった日本人は
少なくないはずである。江上波夫氏も、蒙古に行って、遊牧民の中に
入って生活した時の実感が、その論をたてるひとつの動機になったと
いう。私自身も吉林の大学で、漢民族、蒙古族、満州族、朝鮮族などと、
さまざまな民族の学生と一緒に寮生活をすごしたことがあるが、蒙古族の
学生とは、日本人の地のままでつきあえる感じであった。
満州族も日本人に近い感じだった。いずれも、ウマがあうという表現を
用いていいだろう。
けものを追い、森林や草原を動きまわる生活で養われたカンを第一と
する生き方、ものの考え方と共通するものが、確かに我々日本人に
あてはまるようである。日本人も直感を重んじる。」と述べられて
います。戦前満洲におられた方は、満洲人に親しみをもっておられる
方も多いのではないでしょうか。
474日本@名無史さん:2005/04/30(土) 02:11:59
ブリヤート人に満州族
475日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:39:01
NHK総合TV「遥かなる日本人の故郷」では。BC300年ごろ
中国戦国時代,今の山東省にあった日本人の祖国が
戦争で負け,難民として 朝鮮半島経由で日本に亡命したとあった。

結局,日本人とは,BC300年ごろまでいた旧山東省人なのだ。
(縄文人はブリヤート人)
中国の戦乱を避け,難民となり,当時全人口20万人弱の日本に
移り住んだのだ。

これはNHKだけでなく,学会の定説のようだ。
476日本@名無史さん:2005/04/30(土) 15:42:07
日本人は朝鮮人と縄文人のハーフが「進化」したのです。

つまり朝鮮人は生きる化石なのです。

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=09485400&p=%BF%CA%B2%BD&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1
477日本@名無史さん:2005/04/30(土) 18:44:13
笑わせるね。

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度


本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%


日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
478日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:06:03
応神より前の渡来人の実態を知りたい
479日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:22:47
>>478
1、いつの時代かは諸説あるが新羅から天之日矛
2、崇神朝末期に任那人
3、仲哀朝に秦氏の先遣隊

これぐらいじゃね?
480日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:35:18
ttp://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/wissenshaft.htm#basic

お前ら全員、とりあえずここのサイトを見てみろ。
言語学的にはオーストロネシア系にツングース系が混じったという説が有力。
481日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:13:30
ツンギーデ自体が多種だからな。

ブリアートだろ。
482日本@名無史さん:2005/05/20(金) 04:08:36
>>480がいってるのは「言語学的ツングース系」でツングース語のこと
>>481のいってる「ツンギーデ」はツングース人種のこと。

ぜんぜん関係ない。
483日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:42:46
じゃあ、おまえ、ツンギーデが遺伝的に単種だったとでも思ってるの?w
484日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:13:52
>>483
ツンギーデが多種だという>>481の内容には
まだとくに踏み込んでイエスもノーも言ってはいないが何か。
485日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:53:59
北方モンゴロイドと言え。あほどもが。
486日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:06:34
北方モンゴロイド=ツンギーデ

ツンギーデは学名で北方モンゴロイドは訳語ないし俗名。
487日本@名無史さん:2005/06/02(木) 19:41:44

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
488日本@名無史さん:2005/06/02(木) 19:42:01
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は
必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。

つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と
朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、西日本一帯に広がって
土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。

朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種の土着系が住んでいたと考えられるが、
弥生人が素通りして日本列島へと消えていったその数百年後、
ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も
支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島
北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、
ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
489日本@名無史さん:2005/06/02(木) 23:23:03
朝鮮半島で一番古い古代民の遺跡って何だろ?
490日本@名無史さん:2005/06/15(水) 18:05:48
たしか、半島では、8000年前に一度、人類が絶滅しているとの考古学結果が公認されてるはず。
491日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:53:57
>>490
ソースは?
492日本@名無史さん:2005/07/03(日) 14:18:18
ブルドッグ
493日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:52:43
●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。

5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html
494日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:53:02
日本人からはほとんど南方系が出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
495ベンゼン中尉 ◆DYfZNhP6fc :2005/07/03(日) 21:11:49
日本人の先祖は縄文人である。
これは隠せない事実だ。
496日本@名無史さん:2005/07/17(日) 15:04:56
>>491
地層で確認されたんだよ。1万何千年まえかの骨は確認されたが、
その次までかなり空白期間があった。
497日本@名無史さん:2005/07/22(金) 04:20:56
元々人類はお酒に強い上戸ばかりだった。ところがモンゴロイド(黄色人種)
、コーカソイド(白色人種)、ニグロイド(黒色人種)とに分かれた後、
モンゴロイドのたった一人に突然変異が起こり、酒の飲めない遺伝子D型が発生、
この世に下戸が生まれた。混血により”D”の遺伝子を持つ人が各地に広がって
いった。この突然変異は2万5千年〜3万年前に起こったとみている。
 原田助教授らが遺伝子検査で下戸のDD型とND型の分布を調べると
、白人と黒人はゼロ。しかし日本人は40%、中国人(漢民族)は50%、
韓国人は25%が下戸という。東南アジアではベトナム人は57%だが、
タイ、フィリピンは低く、南米のモンゴロイド系住民の比率はさらに低くなっている。

http://www2.ttcn.ne.jp/~ginjo/sake/ginjo20.htm
498日本@名無史さん:2005/07/24(日) 16:39:57
下戸の割合ってどんなに高いかなあ?
499日本@名無史さん:2005/07/24(日) 16:42:23
蛭子えびすにわろた
500日本@名無史さん:2005/07/24(日) 19:36:01

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
501日本@名無史さん:2005/07/24(日) 19:37:03
5)朝鮮民族も、地理的な隔たりが無い点に於いては、日本民族と同じで
ある。ただ、日本民族と朝鮮民族の間には、かなり高い異質性が存在する。
朝鮮民族は、基本的には日本民族と同じ北方型蒙古系民族に属するGm遺伝子
パターンを持ちながら、それよりはるかに強く漢民族などの影響(混血)を
受けていると見られる。中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などに
よって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血の機会
がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/gmdna.html

強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
強く漢民族などの影響(混血)を受けていると見られる
502日本@名無史さん:2005/07/24(日) 19:38:20
HLA遺伝子で日本人からはほとんど南方系のハプロタイプが出てこない。
朝鮮人は2番目に多いハプロタイプに南方系が出てくる。
漢人に犯られた事が原因。

◎本土日本

B52-DR15 8.2%(弥生) > B44-DR13 5.2%(縄文) > B7-DR1 3.6%  

◎韓国

B44-DR13 4.5%(縄文) > ★B44-DR7 3.8%(中国) > B13-DR7 3.4%

>タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、
>これは日本人ではほとんどいないということです。

http://www.hananoki.npo-jp.net/kitaori/kaihou/24gou.html
503日本@名無史さん:2005/07/24(日) 19:38:54
弥生人は朝鮮半島から渡来したんじゃなくて、モンゴル以北から
朝鮮半島を素通りして日本に渡来したのである。

朝鮮半島は弥生人に素通りされただけで、朝鮮半島には弥生人は
ほとんど定着していない。

だから、日本人とモンゴル人は最大のハプロタイプが同じで、
同祖を高頻度に共有しているが、朝鮮人にはこのハプロタイプが
わずかしか見られない。

その代わり、朝鮮人には中国人に多く見られるハプロタイプが見られる。
これが日本人にはほとんどない。

日本に弥生人がやって来た後、朝鮮半島は中国に侵略されたからである。

朝鮮半島人はハプロタイプが日本人と6割以上も違う異人種である。
504日本@名無史さん:2005/07/24(日) 19:39:26
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は
必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めしている。

つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と
朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、人口爆発して西日本一帯に広がり、
土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。

朝鮮半島は当初は日本の縄文人に近い土着系が住んでいたと考えられるが、
弥生人が素通りして日本列島へと消えていったしばらくした後、
ついに朝鮮半島は華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年間も
支配された。その後、今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島
北部を侵略され、土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、
ここにようやく朝鮮民族が形成されていったのである。
505日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:50:23
506日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:47:46

 YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。

 中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。

http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm

アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
アジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や中国、シベリアにはみられない
507日本@名無史さん:2005/09/02(金) 02:08:19
うそ
508日本@名無史さん:2005/09/03(土) 12:42:31
一般的に言えるのは、人種あるいは血縁などで民族をどうのこうの言っても意味が無いってこと。
地球のホモサピエンスは完全に二種類に分類される、性悪説主張派と性善説主張派の二種類だ。
古くはユダヤ人とぺリシテ人の戦い、新しくは冷戦・対テロ戦争、これらの世界紛争も性悪説派と性善説派の戦い。

性悪説は旧約聖書に書いてある。またマーク・トウェインの『人間とは何か』(岩波文庫)にも判りやすく書いてあるので、株をやっている人は読むべきだ。
株・投機などの世界的な資金の流れの変化は、性悪説と性善説の戦いに、けっこう関連性があると思うな。
509日本@名無史さん:2005/09/09(金) 06:26:29
古代日本って、合衆国みたいな感じだったかもね。
確かに、民族をどうのこうの言っても意味が無い。
510ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 08:35:11
縄文人も弥生人も半島人もいらない。 縄文時代にはフィン・ウゴル系やテュルク系のコーカソイドが住み、縄文時代末期からアーリア系−古代ウイグルあたりのイラン系−のコーカソイドが進入。 これなら良かった。
511ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 08:37:10
漢人もモンゴル人も東南アジア人やミクロネシア人もいらない。
512ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 08:39:05
というのは冗談で、本当は508さんと509さんの意見に賛成。
513ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 08:53:37
ただ、506さんが書いていることは私も聞いたことはある。 それに、縄文系の男は顔は濃いけど精液は薄そうだし、弥生系の男は顔はさっぱりしてるけど精液は濃そうだ(それが精子の数と関係あるかどうかわからんけど)。
514ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 23:02:38
ヨン様もザーメンが濃そうだなぁ。
515日本@名無史さん:2005/10/03(月) 01:46:43
>>475
>結局,日本人とは,BC300年ごろまでいた旧山東省人なのだ。

当時の斉には、白人も住んでいたという話を聞いた事がある。
燕(北京近辺)という説もあったよね。

当時の中国にはいろんな民族や言葉が存在したのだろうな。
516日本@名無史さん:2005/10/03(月) 01:52:02
>結局,日本人とは,BC300年ごろまでいた旧山東省人なのだ。


アホだろこいつw
517日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:39:37
なんでや
518日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:46:51
華北人は二重まぶたの人種。

日本人の約半数の二重まぶたは約45%のYAP+の土着系由来だから、

約半数の日本人の一重まぶたは一体何なの?って事になる。
519日本@名無史さん:2005/10/19(水) 22:57:54
45%もいないよ。
整形が殆どだもん。
520日本@名無史さん:2005/10/19(水) 23:11:48
まだ日本語が読めないのか?

45%は日本人のYAP+の頻度だよ。

ちなみに日本人の二重まぶたは60%くらい。
521日本@名無史さん:2005/10/29(土) 12:09:20
>そもそも日本人種なんて存在しない。

日本人種は確実に存在している。日本人種に一番近い人種は間違いなく
朝鮮人であるが、朝鮮人の容貌や形質、頭示数、二重瞼率、発毛の具合など、
朝鮮人の身体的特徴は日本人種とはかなり違っている。

しかも朝鮮人のHLA遺伝子は日本人種となんと60%くらいも違っている。
日本人種に一番近い朝鮮人でさえもこの程度なのである。
その他のアジアの人種ならば、それ以上に違っているという事になる。
つまり、日本人種は日本列島だけに存在する日本独特の人種である。

更に、少数民族を除き、YAP+遺伝子を東アジアで唯一高頻度に持っているのは
日本人種だけである。YAP+遺伝子は日本人種が間違いなく存在しているという
決定的な証拠である。日本の周辺人種にはこのYAP+遺伝子がほとんど無い。

http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
522日本@名無史さん:2005/11/06(日) 06:57:13
ヤップー
5233番3:2005/11/14(月) 14:05:36
YAP+は日本の辺境部の縄文系の人に多い。一方、弥生末に楽浪方面から日本に
渡来し、同様にチベットにも入ったと思われる西戎系は、記紀によってスサノオ、月読命、
天日槍の処遇を見ると辺境に地に置かれた。つまり、既に1000年も前から流入の続いて
いるYAP+を持たない北狄・ツングース系は稲作地帯を占拠していたのであろう。
現在まで生き残ったアイヌ・沖縄人は古墳時代に入っても遅くなって渡来し、石積墳、
石工文化を持ち込んだYAP+系、西戎・楽浪系と混血した。上記の
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
はこの間の事情を全く逆に捉えている。
5243番3:2005/11/14(月) 17:35:58
景行、ヤマトタケル、仲哀の九州での激しい戦闘を考えると、九州から西日本、」
沖縄にかけては西戎系というか、楽浪系文化乃至は匈奴系文化の侵入があった
のかもしれないが、その侵入が在来人の殺戮を伴うような、たとえば、吉野ヶ里、
山陰、土居が浜のような様相を呈したのかどうかは不明。山陰とか、土居が浜と
いうのは特殊な場合ではないのだろうか。
525日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:02:08
おいおい!日本人の祖先は日本人だって!!
あったりまえじゃん
526日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:17:01
中国人は発狂するかもしれないが、三国志は我々の弥生系先祖の話である可能性がある。
5273番3:2005/11/15(火) 07:43:45
石積文化は弥生末期に讃岐・阿波・淡路・河内・播磨・但馬に到来。石工文化は
支石墓をこれに含めるなら、はるかに早く、須玖時代頃からなのだろうか、北西
九州に到来している。これはそれ以前からある甕棺墓に重なっているので何らかの
関係があるのか。これの到来とその他の地方の方形周溝墓は対になって、前方
後円墳と四隅突出墳のように地域的に分かれるのか。つまり、大掛かりな渡来は
少なくとも2回あり、九州北西とその他の地域、瀬戸内東部と山陰という風に都度
住み分かれたのだろうか。
528日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:22:43
吉野ヶ里も纏向もチョンだよね。
5293番3:2005/11/15(火) 11:49:49
チョソンにつき、韓国学界はそんなに海外に出たようなことはいってないね。
なんだか少数民族みたいだ。
The Ancient Yan and the Ye-maek Chosun
http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1366591/posts
5303番3:2005/11/15(火) 19:29:12
基本的には秦の亡民と呼ばれる複雑なキャリアの民族であったようだ。
531日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:31:29
ま ず 初 め に Y A P + あ り き 。

日本人種の平均で約45%がYAP+遺伝子を持つ。
つまり自動的に約45%が土着の縄文系。

渡来系は女性をあまり伴わない傾向。
つまり日本人種は半分以上が土着の縄文系。

YAP+を前提にY染色体とmtDNAを解釈するべきなのである。

いきなりY染色体とmtDNAから入っていくから、
ほとんどが渡来系で、土着系がほとんど無いなんていう
頭の弱い輩による馬鹿げた解釈が出てきたり、
在日の人種工作の格好の餌食になってしまうのである。
532日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:31:54
>日本は縄文:弥生=3:7ぐらい。


↑ちょっと前に流行ったこれ。

YAP+を通せば、一発でデタラメという事が分かる。

日本人種の平均で約45%がYAP+遺伝子を持つ。
つまり自動的に約45%が土着の縄文系。

そして渡来系は女性をあまり伴わない傾向。

たったこれだけでも日本人種の半分以上が土着の縄文系である事が
いとも簡単に分かる。

本当のところは大よそ、縄文:弥生=6:4 前後だと思われる。
533日本@名無史さん:2005/11/15(火) 21:26:29
>>523
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
↑こういうのはあまり鵜呑みにしちゃいかんよ。
ページ策者がプロデュースしてあるなんて科学にもならん。
534日本@名無史さん:2005/11/15(火) 21:32:16
↑いつもの台湾の南方人
535日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:51:23
536日本@名無史さん:2005/12/15(木) 17:40:12
日本人口が300〜500万人くらいの古墳時代、
中国系の半島帰化人がトータルで8000人ほど来たというだけ。

日本人の血の構成の0.2%ほどで、日本人には朝鮮や中国の血はほとんど
入っていない。

日本人に入っているのは、弥生期に北方アジアから朝鮮半島に定着せず
短期間で突き抜けて日本まで来てしまった単種の北方モンゴロイドの血。

これが半分くらいで、残り半分が土着系。
537日本@名無史さん:2005/12/15(木) 17:47:52
歴史板まで朝鮮電波か?


呆れる
538日本@名無史さん:2005/12/16(金) 01:04:36
>>536
土着系とは何か?
日本で人類が発生したのか?
539日本@名無史さん:2005/12/16(金) 20:35:46
土着系とは永らくその地域に定着し、その風土に最も適した形質や容貌、
または遺伝子などを獲得した地理的に安定した人種を指す。
540日本@名無史さん:2005/12/16(金) 20:45:40
土着系とは、議論している時代より相当古くからその土地に住んでいる者達を指す。
結局、相対的な意味しかない。彼らも、どこかから来た者達に過ぎない。
要するに先住民と同義語。
541日本@名無史さん:2005/12/16(金) 20:48:02
日本で人類が発生しなかったという証拠はあるのか?
542日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:12:37
人類の歴史はそれほど長くもないし、人類の移動は連続的ではない。
アフリカを出た人類は、最初の比較的短い期間の間に各地に移動し、一旦定着した。
これが後に土着系と呼ばれる。相対的な表現としては先住民とも言えるが、
より正確には、第1定住民というべきか。
543日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:14:55


◎人類は1人の女性から生まれた?


細胞の呼吸をつかさどるミトコンドリアという小器官があります。
ミトコンドリアは核にある遺伝子とは違って、細胞質遺伝をしますから
(精子には細胞質がありません)母系遺伝をします。この遺伝子を解析
して人類の起源を探ると、人類はアフリカにかつていた一人の女性に
帰着するといいます。ところが現人類が持つHLAの多様性は人類が
進化した数百万年でできたとは到底考えられません。人類発祥のときに
でに「もとになる」HLA多様性は存在したに違いありません。
人類は「多発的」に発祥したとしか考えられない、・・・これがHLA
多様性の進化から考えられる唯一の結論です。

544日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:57:16
>>543
そんなことはいえない(まあ、釣りとは思うが)。
それは、数学的なトリック。
ミトコンドリアの系列がたまたま一人の女性に到達するからといって、全ての人類が
一人の女性のみから生じたというのとは全然違うよ。
その意味では、「多発性」は当然のこと。
だけど、それは地球上の地域的な多発性を意味するものでもない。
545日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:57:56
神国だから、先祖は神に決まってる。
546日本@名無史さん:2005/12/16(金) 23:09:53


◎人類は1人の女性から生まれた?


細胞の呼吸をつかさどるミトコンドリアという小器官があります。
ミトコンドリアは核にある遺伝子とは違って、細胞質遺伝をしますから
(精子には細胞質がありません)母系遺伝をします。この遺伝子を解析
して人類の起源を探ると、人類はアフリカにかつていた一人の女性に
帰着するといいます。ところが現人類が持つHLAの多様性は人類が
進化した数百万年でできたとは到底考えられません。人類発祥のときに
でに「もとになる」HLA多様性は存在したに違いありません。
人類は「多発的」に発祥したとしか考えられない、・・・これがHLA
多様性の進化から考えられる唯一の結論です。

http://www.marrow.or.jp/NWJ97/bank-hla.html
547日本@名無史さん:2005/12/16(金) 23:30:03
人類は、犬のような体毛も、豚のような脂肪ももたない。
熱帯以外では服を着たり、暖房手段がないと生活できない。
人類の故郷は、明らかに熱帯である。
548日本@名無史さん:2005/12/16(金) 23:50:20
>>546
人類のミトコンドリアの起源が到達する一人の女性は、多くの人類と生活していた。
彼女は、最初の人類ではない。

例えば、日本の公家を考えてみよう。中世以降は、ホトンド全ての公家は藤原氏である。
他の氏族はほとんど全部落ちぶれて、子孫を残せなかった。(後に、藤原氏は、鷹司、九条、・・
と多くの家に分かれて行った。)
さて、全ての藤原氏は、一人の男、藤原鎌足に帰着する。しかし、藤原鎌足は最初の公家ではない。
藤原鎌足は、多くの公家と暮らしていた。
549日本@名無史さん:2005/12/17(土) 01:02:13
>>548
なんだかワロタw
550日本@名無史さん:2005/12/17(土) 19:21:22
日本で人類が発生していないのなら、結局、日本人は渡来人だな。
というか、世界中のほとんど全部の民族は渡来人だ。

だから、問題は、どこで人類が発生したかどうかという1点となる。
まあ、アフリカだろ。
551日本@名無史さん:2005/12/17(土) 19:28:53
♪縄文時代が〜 夢なんて〜 
 あとから〜 しみじみ 思うもの〜

♪縄文時代の〜 真ん中は〜
 土器を作って いるばかり〜
552日本@名無史さん:2005/12/17(土) 21:11:32
縄文人が日本へ渡来した最初の奴らかどうか分からんよ。
やつらだって、先住民を追い払ったか、先住民と混血したんじゃねえの。
553日本@名無史さん:2005/12/18(日) 00:12:07
古墳時代・飛鳥時代より前は、史料がないからほとんど歴史家の手に負えないんだよ。
だから、彼らは常に古墳時代辺りから後のことしか関心がない。
だから、それより前に日本列島にいた者達を十把ひとからげに土着系と呼ぶのだな。
本当は、縄文人と呼ばれる者達にも、波乱万丈の歴史があったんだろうけど、
今では、土器の分類くらいしかできない。

それだけのことだよ。
554日本@名無史さん:2005/12/19(月) 16:28:32
遺伝人類学や形質人類学が

あるじゃないか。あるじゃないか。
555日本@名無史さん:2005/12/19(月) 21:31:24
>>554
それらの人類学で何が分かったのかな。
色々分かったんだったら、縄文人を土着系と一言で片付けることから
ボチボチ卒業できるのかな。
556日本@名無史さん:2005/12/20(火) 14:31:41
永遠に卒業するつもりなど無いがw

土着系=その地域の自然や風土に最も適した形質や肉体を獲得した人種。
557日本@名無史さん:2005/12/20(火) 20:27:21
縄文人は、その土着系の定義に当てはまって、それ以外は当てはまらないのかな。
558日本@名無史さん:2005/12/22(木) 16:38:31

 YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。

 中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。

http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm
559日本@名無史さん:2005/12/23(金) 13:43:17
>そもそも日本人種なんて存在しない。

日本人種は確実に存在している。日本人種に一番近い人種は間違いなく
朝鮮人であるが、朝鮮人の容貌や形質、頭示数、二重瞼率、発毛の具合など、
朝鮮人の身体的特徴は日本人種とはかなり違っている。

しかも朝鮮人のHLA遺伝子は日本人種となんと60%くらいも違っている。
日本人種に一番近い朝鮮人でさえもこの程度なのである。
その他のアジアの人種ならば、それ以上に違っているという事になる。
つまり、日本人種は日本列島だけに存在する日本独特の人種である。

更に、少数民族を除き、YAP+遺伝子を東アジアで唯一高頻度に持っているのは
日本人種だけである。YAP+遺伝子は日本人種が間違いなく存在しているという
決定的な証拠である。日本の周辺人種にはこのYAP+遺伝子がほとんど無い。

http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-52.htm
560日本@名無史さん:2005/12/26(月) 19:04:47
なんたって、縄文人は2万年も日本列島に暮らした訳で、非常に安定した民族
といえる。世界初の土器文明だ。案外、世界の文明は日本発ではなかろうか。
561日本@名無史さん:2005/12/26(月) 19:13:24
あたり。

今のハイテクは縄文土器から。
562日本@名無史さん:2005/12/29(木) 16:19:11
中国が4000年の歴史といったって大したことはない。日本は2万年だからね。
563日本@名無史さん:2005/12/29(木) 17:39:43
1万年だね。
564がいやまん:2005/12/30(金) 09:14:58
細石刃ってのがすげーんだね。
565がいやまん:2005/12/30(金) 10:44:52
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/dairyA/encarta/harukanarutabi/siberia/dougu.html
2万年ほど前のシベリアの細石刃が縄文に先行し、これは北米にも渡ったようだ。


566日本@名無史さん:2005/12/30(金) 22:14:15
細石刃考えた香具師ってすごいね。

あれはピストルの弾丸と同じ。

体内に入ってから中の火薬が破裂するのと似て、
体内に入ってから細石刃が骨を砕くのだよ。
567日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:25:48
>>562
>日本は2万年だからね。

日本国は1700年ぐらいの歴史しかない。
それ以前は「日本列島先住民」のもので
今の「日本」とは別物じゃねか。
568日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:29:30
>>567
まあそうだね。
そうすると、中国や韓国の歴史は、せいぜい数十年という感じで、
生まれて間もない新しい国ということね。
569日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:49:51
寂しいこというな、まあそうなんだけど
570日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:51:08
というか
国家というものとは何か?を研究されたし。

それこそ無。

民族などという語りから、時代おくれ

現代をいきろよ みんな。
571日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:52:39

そいうこと

別の国の歴史として認識しなくちゃな
572日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:01:50
遺伝的にはどうであれ朝廷の豪族は半島との同族意識はなかったでしょう。
すっかり日本土着人の意識だったと思います。
573日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:06:53
てゆうか・・・・
そんなに過去にサカノボッテどうすんの?朝鮮人。マーボ人。
574日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:11:50
古墳時代、東北関東の人種構成が著しく変わってしまっているわけであるが
これはどうしても半島か大陸の開拓民が大量に入植してしまったせいとしか
万葉語もすっかり上達しているようです。
当人達はどういいう意識であったのであろうか・・・
575日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:15:45
富と引き替え、あるいは内乱収束の目的の為に外人部隊を
投入したんだ。
576日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:22:34
モンゴル人とか朝鮮人って平均してみると日本人より渡来的だけれど、
個別にみると日本人の方が渡来的にみえるときがままある。
朝鮮人、モンゴル人、特にモンゴル人は顔に均質性がありソフトで
極度に新モンゴロイド的なイメージがない。

一方日本人は個別でみるとかなり渡来的な顔がいる。
しかし堀の深い顔もモンゴルよりは俄然多い。
577日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:03:49
>>574
全くそうは思えません。
西日本の日本人が大量に東日本へ移住したと考えられます。
578日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:08:48
眼底の突出が出雲、関東東北で高いのですから
おそらくそれはないでしょう。
宮沢、鳩山タイプの顔の中心です。関東東北は。
出庭も多い。
人骨データみてね
579日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:14:44
>>578
出雲の人々が東日本へ移住した訳ですね。
580日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:16:41
ドジョウすくいも、アリ?
581日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:19:17
もうずいぶん前から土井が浜タイプが
本土人(東京人)の祖先と言われていたでしょ
あれ出雲が中心なんだよ。眼底の突出が特徴。
これは九州に渡来した渡来人とは別の系統であると考えられるわけですが
文化、言語面とかでみてそれを裏付けるような証拠ばかりなので
漏れは99%そう確信している。
582日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:22:40
土井が浜は山口県豊北町だよ
583日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:26:27
土井が浜、吉母よりも
出雲の古浦が関東東北の人の故郷さ、
その前は新羅、
その前は高句麗の白頭山のあたり・・
584日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:27:55
渡来人かどうかは別にして、出雲の日本人が東日本へ移住したんでしょ。
585日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:32:46
出雲ってことDあから ドジョウすくえって意味だろ?
586日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:37:46
どうも、渡来人という場合、
弥生人を指す人と、
記紀の時代に半島や大陸から来た人達を指す人
がいるようだよね。

この他に、
縄文人だって大昔にどこかから渡来したという人
記紀の時代より後の渡来をいう人
というのもある。

587日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:44:20
このさい微生物の世紀までもどそうか?
588日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:51:58

倭人が国を作って「日本」に改名したわけだから
倭人以前は日本列島先住民ということでいいんじゃないの。

倭人を日本人とすることに抵抗感はないけど。
589日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:36:31
断定は出来ないけど出雲から東に広がったのは
白狄族なんじゃないかな。
顔が極度に新モンゴロイド化している。

北部九州に渡来したのは扶余の棄民、
畿内に渡来したのは扶余も含めた百済、新羅雑多な韓系
590日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:41:47
腐れネタ乙
591日本@名無史さん:2006/01/08(日) 23:36:11
age
592日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:15:02
>>589 ← 在日寄り目ビビンバの願望w
593日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:34:30
>>588
倭人は、倭国と日本国を作ったんですね。その後、日本国は倭国を併合したのです。
だから、日本国は倭人の国でOK。

しかし、倭人以前というものがあるのかどうかは分かりませんね。

倭人以前を日本列島先住民というと、
いかにも日本列島先住民のいた日本列島に倭人という別の民族が
よそからやってきて、新たに日本列島の支配者になったみたいですが、
そんな事実があったのでしょうか?
594日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:47:18
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137884195/l50
3 :日本@名無史さん :2006/01/22(日) 09:04:15
この少しあとに苗字制度が始まるのだが当時の人はまだ苗字がない。
http://www.loops.jp/~asukaclub/syoki.html
http://www.dai3gen.net/ems.htm
当時の日本人の名前の変化面白いよ。
名前は身分、生活様式、渡来か否かを顕す
九州の土蜘蛛の方々(足、手、耳垂、鼻垂)等体の名前がついてる。
倭人伝によると投馬国は彌彌那利、彌彌とおそらくミミ=耳で
土蜘蛛系だろう
初期の大王にも足がついてるのでやはり元は九州の土民の血が濃いのかも

筑紫国熊県の方は名前に熊がつく、熊襲国の人は鹿
動物の名前が好きみたいだ、狩猟民族の名残か
当時の大和政権の上層部は
彦(日子)、日、五十、鈴などを名前につけている。
特に出雲系に近い人は鈴、五十を好む。銅鐸、五十猛(スサノオの末裔だから)
ニギハヤヒも日だね。
九州の上層部の人は田という言葉が好きなようである。水田稲作
この少し後に近畿に白というトーテムが入る。

渡来アイテムは五十、鈴、日から白へと変わる。
東北に白という地名が多いのは新しい渡来人が入ったか、
新しい畿内文化が入ったかいずれか。
595日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:50:20
イザナギの頃日本はまだ自らの子孫だけを司令官にする文化はないけど
出雲にニギハヤヒが渡来したころから渡来臭がもの凄く濃くなってくる。
なぜなら司令官をかならず高麗人にしなければならないという
法律があるから。
596日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:51:33
東日本一帯は特にそうで、渡来系の姓ばかりになる。
597日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:55:38
結局、土蜘蛛一人で
田油津姫ってのは百姓の長だったんだろ。
田がついてるから
年貢拒否して殺されたか
598日本@名無史さん:2006/01/22(日) 10:58:56
かの東夷は狂暴で陵辱も恥じず、村に長もなく各境界を侵し争い、
山には邪心、野には姦鬼(かんき)がいて往来が防ぎ多くの人を
苦しめている。その東夷の中でも蝦夷は特に手強い。男女親子の
区別もなく、冬は穴に寝て夏は木に棲む。毛皮を着て血を飲み、
兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走る様
は獣のようだという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。
矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びているという。
あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔りの時をねらって作物をかすめ取る。
攻めれば草に隠れ、追えば山にはいる。それで昔から一度も皇命に従った
ことがない。

毛皮着て悪さばっかりしてるキチガイが蝦夷か、
大王にけちょんけちょんに貶されてる。
599日本@名無史さん:2006/01/22(日) 11:13:37
>598
古代東日本のことをいってるの?
600日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:12:55
★古代カラ半島国家の歴史 4★
〜謎の民族=カラビトの正体〜

古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
601日本@名無史さん:2006/01/22(日) 16:53:03
★古代カラ半島国家の歴史 4★
〜謎の民族=カラビトの正体〜

古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を
組織的に展開しているが、これはデタラメなのである。
古代日本に移住したのは、カラ半島に住んでいた倭人=カラビト(韓人)であり、彼らは日本民族
だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。

つまり、
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
日本人と韓国人は同祖ではない。
602日本@名無史さん:2006/01/22(日) 17:52:44
>>601
ではなぜ朝鮮人にYAP+がまーったく無いの?


 YAP+型は“縄文系”の男性とみられる。宝来聡・総合研究大学院大学教授
(人類学)の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられる。古い形質を
残した遺伝子型のようだ。このタイプはアジアでは日本列島だけにあり、朝鮮や
中国、シベリアにはみられない。世界を見渡しても日本人のほかには黒人にしか
みられない変わった遺伝子型だ。

 中堀教授は、YAP+の集団を「タイプ2」とした。タイプ2は、都市部では
北から南まで均等に分布し、金沢、福岡、大阪、札幌のいずれで調べても、人口
の三割程度を占める。しかし本州や四国の山間部では五割を占めていた。
弥生人に追われた縄文人という通説にほぼ合致する結果だ。精子濃度が薄いという
特性があるという。

http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2003g.htm
603日本@名無史さん:2006/01/22(日) 18:05:55
ユダヤの10部族でしょう。
604がいやまん:2006/01/23(月) 12:09:47
日本人の血にはチベット人の血が濃い。それはユーラシアでは最もアフリカに近い
血である。
http://www.genome.org/content/vol7/issue10/images/large/gr.3f2.jpeg
中堀氏などはこれを縄文時代からのものだとしている。
漏れはそうではなく、チベットが、トバンなどといわれる時代、中央ユーラシアに
トバツ、タクバツなどといわれる民族のいた頃日本に来たのだと思う。日本では
トバ、ツクバ、ツボケなどといわれる地名とか、ツクバに見られるカガイの風習、
これは雲南にも残るが、そういうものが入ってきた時代のことだと思っている。
これが到来する前の日本人の血は朝鮮、中国とにたYAP(-)であったと思うのだ。
遺伝子学者の電波に迷わされることなく、研究結果の分析には考古学者、文献
学者を介入さすべきであることを強調したい。
605がいやまん:2006/01/23(月) 12:28:08
エジプトに侵入したフルリ人はピラミッド、スフィンクス、地中海、ナイル川、黒海等を
「”西海の南、流砂のほとりに、赤水を前にし黒水を後にした大山崑崙の丘がある”
とされている。海内西経では”崑崙の城に九井九門があり、開明獣がその門を守り、
人面虎身、東に嚮(む)かって崑崙上に立ち、鸞鳳(らんほう)などがその盾の上に
いる”」 ・・・これが山海経に収録されたんじゃないか。
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/konron.html
と述べ、これをチベットのカイラス山に発見し、
http://www.d6.dion.ne.jp/~s.yosida/Photo/kailashN.html
http://www.d6.dion.ne.jp/~s.yosida/kailash.html
その後、月氏、匈奴の群に入り、馬韓月支国経由日本に入り、
日本のピラミッド 葦獄山(あしたけやま)
http://www.ourmystic.net/pyramid/ashitake/0001.html
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.51.47.711&el=133.5.46.111&la=1&fi=1&skey=%c2%e7%b9%f5%cc%dc%bb%b3&sc=8
クロマンタ(黒又山)関連事項最新情報
http://www02.so-net.ne.jp/~masakats/kuromanta.html/
その他近畿にも同様の風景を発見、崇拝の巨石遺跡を残しているが
前にも紹介したとおり、各地に天日宮、田和山、熊野のようなピラミッド、古墳の原型
を残す。
チベットに入ったものは密教・タントリズムを作り、
Tibetan Origin of Tantrism
http://www.dalitstan.org/journal/buddhism/bud000/tib_tant.html
これはやがてインドでヒンズー教、仏教となり、Uターン。
日本に向ったのは豊前の伝承にある天竺から投げられた5本の霊剣、
神武の言うニギハヤヒ等のいくつかの天孫(沖縄とか、秋田、山形、
丹後などにも入ったのだろう)となるのであろう。ヒマラヤ・雲南省等の
少数民族やタミール語と関係を持ってくるのかもしれない。剣山、伊勢神宮と
ユダヤ人も案外何らかの根拠があるのかもしれない。
月支族が英彦山、熊野、月山に原始チベット密教(オークニェフ文化からの
http://www.hyperborea.ru/RU/SCI/AR_02_16.GIF )原始修験道を伝えた
可能性もある。神武の熊野遠征もこの伝道活動の一環であったのかも。
606がいやまん:2006/01/23(月) 12:31:27
大塚初重先生御提供 将軍塚
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012f3.jpg
チベット 将軍塚のようなもの
http://www.saferates.com/Tibet.htm
こんなのが日本にもたくさんあるんだ。田和山、熊山、天日宮
等、百済にもある。
607がいやまん:2006/01/23(月) 12:43:53
ジッグラト・ピラミッド→(スピンオフ)→西欧巨石文化/
アルタイ高地性山城→万里長城→チベット・高句麗→日本高地性集落
といった流れであろうか。
608がいやまん:2006/01/23(月) 12:51:30
大相撲黒海の故郷グルジアはヒッタイトに近いが、支石墓のふるさと。これが大量
に見られるのは遼寧から朝鮮・九州。これは銅・鉄等を加工する宗教と関係がある
のだろうか。話は変わるがYAP(+)の先祖はピラミッド、万里の長城とあるいは鉄器
使用による石組み技術を持っていたのかも。
609がいやまん:2006/01/23(月) 15:48:50
ところで巨石文化、ピラミッドでは北極星が重要になる。これは関係なかろうか↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1136970327/menu:110
北極星は「北辰ともいい,中国では見かけ上不動の恒星で,天空の星座がこの星を
中心として回転することから,古来方位を定めるのに利用されるとともに,もっとも尊貴
な星として崇拝されてきた。《史記》天官書などの記述によると,北極星は天帝太一神
の居所であり,この星を中心とする星座は天上世界の宮廷に当てられて紫宮,紫微宮
とよばれ,漢代には都の南東郊の太一祠においてしばしば太一神の祭祀が行われた。」
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%94%D1%8C%D0%B0%D0%B9%D0%B0%D1%87%D1%8B
この星の一族は中山道から秩父に到来しているがどんないきさつがあったのかなー。

610がいやまん:2006/01/23(月) 16:54:00
上の下の方のリンクは無関係のものがくっついて入ったもので、無視願う。
611がいやまん:2006/01/23(月) 17:07:12
下記のリンクの巴形銅器
http://www.maibun.com/KihonDate/open/open2.html
http://agatazin.jp/kagami/archives/000065.html
http://www.osaka-c.ed.jp/okayama/yosinogari/12_ibutu_seidouki/02_igata/idx0327212601.htm
は北斗七星が北極星の周りを回ることを表し、これは製鉄・鍛冶などに関連している
んじゃないかと思うんだがな。天御中主命の御神体では。
http://www.sky.sannet.ne.jp/y-shida/san..titibujinja/titibu.html
612がいやまん:2006/01/23(月) 18:45:13
しかし、羽の数が7本とかでないので関係ないか。探求を続けることにしよう。
613がいやまん:2006/01/24(火) 09:36:55
YAPの起源についてはアンダマン諸島の方面かなとくぐっていた矢先、
「アルタイ語族のアルタイ、トゥーワ、トルコグループのヤクート、モンゴルグループの
ブリャート、ツングース・満州グループに属するエベンキというシベリアの五大固有民族
集団において対立遺伝子及び10個のY染色体2対立遺伝子座ハプロタイプ (YAP, DYF155S2, Tat, DYS199, SRY-1532, SRY-2627, SRY-3225, M-4, M-9 и DAZ)の分布
が発見された。タイプ分類にはPCRとジェル電気泳動が使用された。研究対象人口
集団の遺伝子多様性レベル及び遺伝的分化の特徴づけが行われたが、トゥーワ人
の遺伝子多様性が最高であることが特徴的であった。ブリャートについては内部集団
間の信頼性に足る差異が判明した。系統発生分析法により、調査対象人口集団間の
遺伝学的関係が判明し、これらシベリア諸民族の遺伝子的近縁性が立証された。
ユーラシア地域におけるY染色体の起源と拡散問題が検討されている。」
こんな情報に遭遇。びっくりしたなー、もう。
614がいやまん:2006/01/24(火) 10:36:05
「伝説によると、まだ日本に仏教が伝来しない時代、人皇10代崇神天皇(一説では西暦紀元元年の弥生時代中期)の御代、
すでに日子山権現(権現とは仏の仮の姿)の霊神が、天竺から東に向って五つの霊剣を投げだといわれ」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor1959758
この伝説の伝える「天竺」こそ、YAPの歩んだはるかなシルクロードの道を伝えているのではなかろうか。
615日本@名無史さん:2006/01/24(火) 10:40:19
彦は日子、火子と二つあった希ガス
ミコとはもしかして水子・・か
616がいやまん:2006/01/24(火) 10:45:13
チベットと北方ユーラシアをつなぐ伝承の一つとしては↓
「シャンバラ伝説:チベットの奥地に存在するといわれる仏教徒のユートピア,
シャンバラ Shambhala(Shambala)をめぐる伝説。後7世紀ころからチベットの
仏教文献にその名が現れるようになり,シャンバラを聖なる蓮に見立てた
曼荼羅も制作されている。チベット仏教のもっとも高遠な教えといわれる
〈カーラチャクラ・タントラ〉(〈時の輪の教義〉の意)を信仰するこの聖都には,
精霊の軍団を率いる帝王がいて,やがて起こる最終戦争に勝利して世界に
永遠の黄金時代を招来するという。この楽園伝承の形成にはネストリウス派
キリスト教やイスラム教の影響も認められるといわれる。チベットではこの聖
都が北方にあるとの信仰があり,20世紀初頭にロシアは自国が同じ北方に
位置することを利用して13世ダライ・ラマに接近をこころみるという事件も起きた。
一方,《西蔵大蔵経》中に,入滅直前の釈梼がシャンバラの帝王シューチャンドラ
にカーラチャクラを伝授した経緯など詳細な来歴を記した経典も存在することから,
この聖都を実際に発掘する試みもなされている。
 この伝説は17世紀に F. カブラルらイエズス会の東洋布教報告を通じてヨーロッパ
に伝えられ,チベットに対する秘教的な聖地崇拝観がかたちづくられた。19世紀には
ブラバツキーが出,シャンバラの賢者マハトマからの使命と称して神智学運動を
開始し,またシャンバラ伝説をさらに神秘化させたと思われるスリランカの地下聖都
アガルタAgharta 伝説が,東洋通のフランス人神秘家ダルベードル Saint‐Yves d’
Alveydre によって喧伝された。20世紀に入ってからは,ロシアの神秘思想家レーリ
ヒが本格的にシャンバラ思想を展開し,ソ連とアメリカの和解と心霊的な世界連邦樹
立を目指して活動した。そのため,アメリカではこの名がユートピアの同義語となり,
J. ヒルトンの小説《失われた地平線》(1933)に描かれたチベット山中の理想郷シャン
グリラ Shangri‐La のモデルともなった。のち F. D. ローズベルトはメリーランドの
大統領別邸(現在のキャンプ・デービッド)を,平和への希求を込めてシャングリラと
名づけた。」
617日本@名無史さん:2006/01/24(火) 10:53:14
月(渡来?)、火(土着)、水(土着)、木(渡来)
金(渡来)、土(土着)、日(渡来?)

木=スサノオ
618日本@名無史さん:2006/01/24(火) 11:01:26
戸はヘブライというデンパ?説があるが
漏れは基本的に蛇(へび)系を示すと思うけど

スサノオに退治された越のオロチ(蛇)の
末裔と思う。
スサノオもオロチというツングース語を使うとこみると
朝鮮の血濃いな〜
619日本@名無史さん:2006/01/24(火) 11:08:03
おれは、縄文人純血だよ
将来、ノーヴルズって名乗ろうかとおもってる
620日本@名無史さん:2006/01/24(火) 11:11:25
ヤマタノオロチ、北陸、越の蛇トーテムの人々は蛇のように連隊をくみ
スサノオ軍と対決した。
大彦(四道将軍)もまたスサノオと被るのであるが、
脱解、大彦がスサノオ伝説に織り込まれたか・・?
621日本@名無史さん:2006/01/24(火) 11:12:54
>>619
そういうこと根拠の無いこと言い張るのは

朝鮮の血が濃い
622日本@名無史さん:2006/01/24(火) 11:27:25

蛇とは、もしかすると北陸の縄文(縄)かもしれんな〜
あの手の土器はあのあたりが中心
しかしあの辺、白山、金、虎と渡来アイテムもあるが

>>619
住んでる場所、苗字を教えてください。
623がいやまん:2006/01/24(火) 14:25:41
>>613 このYAP関連情報につき国立民族学博物館は5年前には既に情報を
入手しているはずだ。していないとすれば、非常に活動がおかしい。
624がいやまん:2006/01/24(火) 15:09:51
>>613 対立遺伝子及び10個のY染色体2対立遺伝子座ハプロタイプ
(YAP, DYF155S2, Tat, DYS199, SRY-1532, SRY-2627, SRY-3225, M-4, M-9 и DAZ)の分布
が[発見]された・・・ではなく[調査]されたのようだ。ひょっとしてその後の公表データ通りYAPは
ほとんどなかったのかもしれない。それにしても、そのデータは非常に役に立つ。日本当局も
交流を深めてはどうか。
625日本@名無史さん:2006/01/24(火) 15:12:43
仙台中華街の唄



仙台 仙台 中華街〜♪
仙台 長町 中華街〜♪
本場の味が 味わえる〜♪
チャイナタウンが やってきた〜♪

産地が 不明の 魚介類〜♪
薬まみれの お肉たち〜♪
七色に光る川の水
吸って育った野菜たち〜♪

今日もおいしくできました〜♪
626がいやまん:2006/01/26(木) 09:08:50
>>612
星 曼 荼 羅 平安時代のお星様に関する基礎知識
http://members.jcom.home.ne.jp/outo/tenmon/mandara.htm
これによれば「津田左右吉氏によると「春秋緯」の「合誠図」に「天皇大帝は北辰の
星なり」という文章があるそうです。(「天皇考」より) 「天皇大帝」というのは道教の神で、
最高神である天帝の別名であるとも、また北極星を神格化した神とも言われ、同じく
「春秋緯」に「北辰は五星なり」との記述もあることから、この「天皇大帝」はいわゆる
「北極五星」のうちの一つと見なされていた可能性が高いと思われます。」
すると、巴形銅器につき、金海で発掘されたとされるものは任那が皇室直轄地である
デモンストレーション用、菊の御紋の先駆的なもの、大和のは本家のものと考えると
朝日遺跡のものを、当時のS字甕、伊勢津彦等が諏訪方面に向かって移動していた
こと、狗奴国問題、更には、トルコ伝承である甲賀三郎、イランの国譲り伝承などから
して、どうも、アルタイ地方の鍛冶・冶金に関わる渡来人の影響がある感じがする。

627がいやまん:2006/01/26(木) 09:30:48
しかし、金海、雄城台遺跡出土出土のものは逆卍、ヒットラーだった。
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.htm
朝日遺跡のものだけが卍で北辰北斗信仰に近い。すると、イラン
系統と秦系統があるってことか。
628がいやまん:2006/01/26(木) 11:34:22
戦国末、あるいは秦代か、の中国出土の絹織物には逆卍があるという。ルーマニア
とウクライナの中間にあるトリポリエでは神官が四季の星座を観測していたのが
逆万時の始まりという説もある。トリポリエはピラミッド時代であるから北極星はツー
バンとなる。ところで、ツーバンはアラビア語で竜を意味するようである。チベットに
入ったトバンも、日本のトバ、筑波等も原始の意味は竜であったのかもしれない。
629日本@名無史さん:2006/01/29(日) 14:04:36
★★ 古代朝鮮人は、日本に移住していない ★★

朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『輝かしい先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。
630日本@名無史さん:2006/01/29(日) 14:14:00
精子。
631日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:34:45
>>629
私は馬鹿デースと言ってるようなもんだろw
632日本@名無史さん:2006/01/29(日) 20:11:20



こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された


633日本@名無史さん:2006/01/29(日) 20:13:08


●従来の日韓同祖論


×朝鮮半島から弥生人がやって来て、日本の縄文人を征服して滅ぼした。


●日韓同祖論の真相


○弥生人は北方アジアから朝鮮半島を短期間で突き抜けて九州北部に
渡ってきた北方系の種族で、朝鮮半島には縄文人に近い土着の種族がいた。

634日本@名無史さん:2006/02/01(水) 14:12:07
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレC
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137675415/l50
635日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:52:31
      
636日本@名無史さん:2006/03/19(日) 12:24:21
★ 百済は日本人が建国した ★

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。
637日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:16:24
★ 百済は日本領土 ★

百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
638日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:18:52
>637
納得
639日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:27:53
九州と四国と佐渡島が本州と陸続きだったらいいのにな。
640日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:39:44
戦後の反日自虐教育によって、
多くの日本人は、「日本が世界屈指の大国になったのは、明治以降だ」
と、信じ込まされているが、実は日本は古代から大国だったのである。

この事実を、これから、多くの日本国民が理解するようになるだろう。

641日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:41:34
>640
俺もそう思う。
642日本@名無史さん:2006/03/19(日) 13:44:02
>640
早くそうなってほしいね
643日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:16:30
百済のような小国が、なぜ300年以上に渡って、
高句麗帝国との戦争を続けることが可能だったのか?
この疑問に、朝鮮人工作員が答えることは絶対にないであろう。

★ 百済は日本領土 ★

百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
644大バルス帝国陸軍:2006/03/19(日) 16:13:00
日本人の先祖は中国の南の人々らしいです
でも北京の人ときたら偉そうな口たたいて
645日本@名無史さん:2006/03/19(日) 19:08:49
うそこきチャンコロは氏ねよ
646日本@名無史さん:2006/03/20(月) 17:29:44
★ 朝鮮人の日本侵略史 ★

【第一次侵略=356年】
ワイ人=朝鮮人の金奈勿(キン・ナブツ)が、稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪、
志良岐を乗っ取る。稲飯命王朝が滅亡。金氏新羅の建国。

【第二次侵略=562年】 朝鮮人国家=新羅が、日本領=任那を武力攻撃。任那は滅亡した。

【第三次侵略=660年】 新羅が、唐軍と共に日本領=百済を侵略。百済は滅亡した。

【第四次侵略=811年・12月】 新羅の賊船が対馬近海に出没するので、警備させる。

【第五次侵略=813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。
(省略・・・)
【第十五次侵略=1419年(応永26年】
朝鮮が、日本領=対馬を、倭寇征伐の名目で侵略する。朝鮮では己亥東征という。
太宗は「倭寇の根拠地は対馬だ」と言いがかりをつけ、対馬を侵略した。これにより6月19日、李従茂指揮の
227隻、1万7258人からなる船隊が、朝鮮の巨済島から対馬にむかい、翌20日に対馬浅茅湾の土寄崎に停泊。
当初、朝鮮軍は対馬の民家1939戸を焼き、多数の日本人住民を虐殺した。しかし、同年26日に仁位郡に進攻した頃から
対馬の伏兵に反撃され、朝鮮軍は2500余人の損害を出した。そして、宗貞盛の撤兵要求を受け入れて7月3日に
巨済島に引き揚げた。

◆ 倭寇は朝鮮人だった! ◆
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/wa1.html

◆ 日韓歴史問題 2◆
http://mirror.jijisama.org/rekisi2.htm
647日本@名無史さん:2006/03/20(月) 18:09:56
>>644
越人は、漢人とは違う民族だけどね。
つまり、中国人ではない。



648日本@名無史さん:2006/03/20(月) 19:48:28
漢人よりも南方人的要素が強い人種。
649日本@名無史さん:2006/03/20(月) 21:18:15
日本の一生

戦国時代 → 暴走族
江戸時代 → ニート・ひきこもり
明治維新 → 就活
明治・大正・昭和初期 → 先物販売営業(詐欺師)
敗戦 → 逮捕
戦後 → 更正施設
バブル崩壊 → 釈放
現在 → のたれ死に
650日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:07:35
中国に『山海経』という古文書がある。
山海経は、中国でもっとも古いとされる地理・博物書であるが、この書物の中に
義和国という国が登場する。

【山海経・義和国の話】
東海の外側に義和国という国がある。その国には女が住んでおり、名を義和(ぎか)という。
義和は今、太陽に水浴びをさせているところである。

古代日本の呼称である「倭国」が「和国」に改号される時、山海経に登場する義和国から、
『和』の字を借りて、和国にしたのかもしれない。
義和国を支配する義和という女神は、日本神話の天照大神にそっくりである。
義和も、天照大神と同じように太陽の女神なのだ。
山海経によると、義和国には扶桑という巨大な神木があり、扶桑の枝には十個の太陽がとまって
いるという。
そして、義和が十個の太陽を支配しているとされているのだ。
日本神話の天照大神の原型は、この義和なのかもしれない。

■『山海経』について■
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/sengai.htm


651日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:55:11
★ 倭寇の正体は朝鮮人だ!! ★

韓国朝鮮人は、
「日本の海賊=倭寇が、過去に何度も韓国を侵略し、我々韓国人に多大な被害を与えた!」と、
主張して、日本人をよく非難する。
しかし、韓国人のこういった主張は大ウソなのである。倭寇の正体は韓国人=朝鮮人なのだ。
韓国朝鮮人は、金氏新羅の時代から活発に海賊活動を行っていた。
そして、朝鮮海賊にとって、第一のターゲットは、常に日本人であった。
我々日本人こそが真の被害者であり、韓国朝鮮人は加害者なのである。韓国朝鮮人は侵略者なのだ。
新羅時代、朝鮮海賊が対馬海峡や九州西岸海域に出没し、日本人を襲って殺傷する事件が多発した。
大和朝廷は、大宰府の水軍に対し、海上警備の強化を命じた。大宰府の取り締まりが厳しくなった結果、
朝鮮海賊は「商売アガッタリ」状態になった。そのため、しかたなく、朝鮮海賊は自分たちの国の人間を
襲うようになった。
この時、彼らは朝鮮人らしく悪ヂエを発揮して、新羅王府の取り締まりから身を守るため、
自分たちが朝鮮人である事を隠し、日本人に偽装した。
「オレたちは倭人だぞォ!」と、アピールしながら海賊活動を展開したのだ。
これが倭寇の正体なのである。倭寇とは朝鮮海賊のことなのだ。

★きままに歴史 『元寇と高麗』★
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
652日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:25:44

■弥生人中国説の容疑を厳しく追及するスレ■
1 :出土地不明 :2006/02/15(水) 22:30:31 ID:nevCGQAC

江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、

何で当時の中国の主流だった灰釉陶や印文硬陶が伝わってないのかね?

最低でも何で粗悪な灰陶くらい伝わっていないのかね?

何で漢字の前身である金石文も伝わっていないのかね?

何で青銅貨などの金属貨幣くらい伝わっていないのかね?

何で木製車輪のような便利な良いものが伝わっていないのかね?

何で当時の中国で主流だった土とん墓が主流にならないのかね?

何で弥生文化は紅陶文化と支石墓文化なのかね?

これらは当時の朝鮮から満州にかけての文化ですよ。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1140010231/
653日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:42:05
弥生人がモンゴルからきたなら
なんで日本には遊牧文化がないんですかね?
654日本@名無史さん:2006/03/28(火) 04:35:56
>>653
10世紀ごろのモンゴル人が紀元前の日本に来た訳じゃないから問題はない。
モンゴル人が不変の存在であると考えること自体が根本的におかしい。
655日本@名無史さん:2006/03/29(水) 11:47:13
>>654
10世紀でもモンゴル人は十分に遊牧民ですが何か?

それでも関係ないというのなら、どこのどんな民族がきても
「不変の存在であると考えること自体がおかしい」んだから
中国人がこようと朝鮮人がこようと
シベリア人がこようとベトナム人がこようと
まったく問題ないですね。
それともモンゴル人だけがころころ変わるんですかね?
656日本@名無史さん:2006/03/29(水) 15:07:00
>>655
アフォですか?それとも朝鮮人でしょうか?
弥生人の流入は紀元前2世紀ごろだろ
10世紀にモンゴル人が遊牧生活をしていても
紀元前の日本に流入できるわけないだろが。
タイムスリップしたのかよ。
日本語の起源は現代韓国語と言い出す朝鮮人と何が違うんだ?
モンゴル人の歴史を紀元前まで遡って検証するべきに決まってる。

戦国自衛隊の影響か。
657日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:59:19
★ 百済は日本人が建国した ★

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。

第一次百済は、乾馬国(コマ)と呼ばれていた。
これは、帯方郡が、古代日本人から駒国(コマのクニ)と呼ばれていたためである。

百済を建国したのは日本人であり、そこに住んでいた民族も日本人=倭人であった。
朝鮮人は、半島北部に住んでいたワイ人であり、百済人ではないのだ。
朝鮮人=ワイ人と、百済人を混同してはならない。
658日本@名無史さん:2006/03/30(木) 19:08:27
崇神天皇は、任那を建国したから
「初国知らす清めら御子人」なんだろう。
659日本@名無史さん:2006/03/31(金) 18:18:15
◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆

3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。
660がいやまん:2006/03/31(金) 18:45:35
>>658

広辞苑では↓

み‐ま【御体】
天皇の御身体。おおみま。四時祭式「御体(辞に於保美麻と曰ふ)を卜(ウラナ)ふ」

み‐まし【御席・御座】
天皇または貴人の御座所。また、その座に敷くもの。おまし。神代紀上「新宮(ニイナエノミヤ)の―の下に

きには城という意味がある。

ゆえに、ミマキイリヒコとは天皇陵被葬者というおくりな、かと思うんだ。
イニエというのはイノシシかもしれないが何らかの供物=ニエをささげる
役を果たすエローイひとではないか。

イリヒコ、イリヒメというのは古墳に埋葬されたエローイヒトという風に解釈できる。
キというのは、天皇陵クラスの大きな古墳。これで案外正解だと思っている。

トトビモモソというのは飛ぶ鳥型、ダンサーのスカートのような(フロリダのダンサー)
ものかなと思っているが。もちろん古墳の形のこと。
661がいやまん:2006/03/31(金) 18:49:07
というのも宇佐神宮にも馬城という地名があるが古墳ならわかるが馬の城
では話にならないからだ。
662日本@名無史さん:2006/03/31(金) 18:49:16

在日必死すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
663がいやまん:2006/03/31(金) 18:54:58
神功皇后がおなかが大きくなりすぎてスカートの周辺に小石をつけたというのは
下世話の話だろう。本来は偉大な女王が屋外に出られるときにスカートが疾風で
あおられるのを防ぐための工夫であり、いかにエローイ女王であったかという
表現が誤り伝えられてのと思うのだが。
664がいやまん:2006/03/31(金) 18:58:03
フランスのドガの踊りこみたいなのはなんか骨が入っていてふくらませてあり、
庭でそのままおしっこできるとか言うね。
665日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:19:43
666日本@名無史さん:2006/04/22(土) 15:46:42
>弥生人の流入は紀元前2世紀ごろだろ


渡来人がやって来たのは弥生前期中頃のBC7C頃。
扶余の時代とは全然違うんだよ。


>渡来人の存在を否定するわけではないが、その遺伝的な影響が及びだしたのは、
>弥生開始期ではなく、弥生前期末以降の、北部九州で青銅器などの大陸系の遺物が
>急増する時期だというのである。

>板付遺跡にも近い福岡空港内の雀居(ささい)遺跡では、弥生前期中頃の墓から、
>非常に面長で扁平な顔つきをした長身の女性人骨が発見された。しかも奇妙なことに、
>この渡来系弥生人によく似た女性は、下顎切歯と上顎犬歯を対象とする、縄文後晩期
>の人々や新町遺跡のときと同じく、支石墓の被葬者と同じような抜歯風習の痕跡を
>残していた。

http://www14.plala.or.jp/bunarinn/dairyA/encarta/yayoiiseki/jiyomonkarayayoi/jiyomonyayoi.html
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/shiryo7.pdf
667日本@名無史さん:2006/05/02(火) 04:26:06
渡来人って別に今の半島人とは別種でしょ
縄文土人と有能な渡来人がマイルドされ同質化したのが現日本人
668日本@名無史さん:2006/05/02(火) 12:13:29
もともと半島人は中央モンゴロイドだよ。

渡来人は北方モンゴロイド。

半島を突き抜けて来ただけ。
669日本@名無史さん:2006/05/02(火) 14:09:52
渡来人なんてごく少数だろ
精神や価値観も違うし
チョンみたいに目が細い奴も少ないし
なにより日本人が特亜人と能力が同じなら中国、朝鮮に侵略できないだろ
670日本@名無史さん:2006/05/07(日) 10:34:12
渡来人というのは、半島南部にいた倭人のこと。
異民族に侵略されて列島に逃げて来たんだよ。
渡来人も列島の倭人と同じ種。だから言葉も通じた。
現在の半島人は倭人ではない。
671日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:29:43
またあ
672白馬青牛:2006/05/24(水) 00:42:59
漢人の奴隷民であった倭人が、能力云々もあるまいにのう。
また、嫌韓厨の妄想か。
673:2006/05/24(水) 01:21:00
妄想乙w
674日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:33:21
倭人と韓人は別種だけれど、フランス人と比べれば遥かに似ている。
倭人とフランス人は別種だけれど、ピグミーと比べれば遥かに似ている。
675日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:55:06
もともとの半島人は古モンゴロイドに似た中央モンゴロイド。

その後、朝鮮半島には様々な北方モンゴロイドの部族が侵入してくる。

渡来人は北方モンゴロイド。

単に半島に定着せず突き抜けて来ただけ。
676日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:42:15
ほう
677日本@名無史さん:2006/06/29(木) 19:48:32
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
 共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
 入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
 ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
 ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
 代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
 クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
 む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
 鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。        」

* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
678日本@名無史さん:2006/07/01(土) 14:44:38
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実はほとんど流れていない。
続日本紀によると、7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
帰化人の最もピーク時だった7Cでも全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まる4C中頃、続く5〜6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
679日本@名無史さん:2006/07/14(金) 08:58:51
つーか、そんな時代の史書の数字が正しいという保証はどこにもないじゃん。
680がいやまん:2006/07/14(金) 10:28:15
>>666

技術移転は以心伝心、人間の接触がなければ伝えられない秘伝、ノーハウの部分が
あるので、エンジニア・スーパーバイザー(シャーマン的)の渡来は不可欠。

雀居集落については縄文の中心地である東北大洞人が乗り込んできた集落であり、
縄文の旧習を維持しなくてはならないような環境下、姑が厳しいような環境に入ったと
考えられるのではなかろうか。郷にいれば郷に従えである。
681日本@名無史さん:2006/07/14(金) 11:24:12
>>678, >>679
妄想だが、渡来人はどっちかというとその知識・技術などで貴種といわれる階層
になった傾向がある。古来、貴種を我が家にも貰いうけたいという人は多かった
から人口比よりは混ざり方は多いと想像する。極論では日本人は殆どが天皇家の
末裔という話もある。マユにツバつけて読んでおいてね。
682日本@名無史さん:2006/07/14(金) 11:31:37
渡来人骨、鵜を抱く女。

鵜飼も半月型石包丁も支石墓も無紋土器も、

ぜーんぶ満州から伝わってきている。
683日本@名無史さん:2006/07/14(金) 12:06:37
>>681
最初の半島帰化人である弓月君(秦氏)を呼んだのは
仲哀天皇なんだがw

つまり半島帰化人が来るずっと前から天皇(当時は大王)は
居たんだよ。
684日本@名無史さん:2006/07/14(金) 13:54:32
>>682 満州から伝来したとしても半島経由とはかぎらず、カラフト経由も
あり、直接日本海を渡って来たというケースも考えられるな。

 カラフト経由なら冬には満州と地続きになるので対馬海峡より容易に
渡来できただろう。
685日本@名無史さん:2006/07/14(金) 14:16:42
>>683
弓月氏≠秦氏が定説ではなかったか?
686日本@名無史さん:2006/07/14(金) 14:48:48
>>684
さっぱりさらさら考えられない。

北海道北岸に弥生遺跡も弥生遺物も無いからである。

それに弥生期の北海道は続縄文文化が栄えていた。

>>685
チミ日本史に向いてないよ。

687日本@名無史さん:2006/07/14(金) 16:21:47
日本人の祖先は宇宙人だという説もあるが、
これを真っ向から否定せずに、可能性論として挙げておく。
688日本@名無史さん:2006/07/14(金) 16:27:28
>>682
横レス失礼しますよ。

日本の鵜飼については7Cの「隋書」に出ているが、それより以前の記録は
定かじゃないんじゃないか?
鵜飼の伝播範囲は、東南アジア〜中国中南部〜中国東北地方だから、
伝播の経路としては、東北→南部じゃなくて、その逆だろう。
弥生時代の吉林周辺で鵜飼が行われていた記録はあるのか?
689日本@名無史さん:2006/07/14(金) 16:31:09
>>682
ついでに言うと、朝鮮半島では鵜飼が広まっていないんじゃないか?
だとしたら、弥生時代以前の昔から相変わらずその地で鵜飼生活を
続けていた人間(土着)が(仮にいたとして)、半島で文化を広めずに
日本に渡来した事になるが、そんなに鵜飼の歴史って古いのかよ?って
素朴な疑問が発生する。
690日本@名無史さん:2006/07/14(金) 16:32:46
技術のあるニューカマーが、ネイティブと同じ習俗を持つ場合、
ニューカマーが奴隷として連れてこられたケースに多い。
所謂、弥生人は大陸から物々交換によりもたらされた職能奴隷でしょう。
ネイティブと一部の職能者により、以前から水稲の発達した北九州に
大陸系の影響が比較的弱く、一方で大阪から名古屋にかけて大陸系の影響が強いのは、
九州の勢力が、関西地域を職能奴隷と労働奴隷を用いて急速に開拓し、
そして、その後定着した名残です。
691681:2006/07/14(金) 17:23:15
ま、日本列島で人間が発生してないことは確かだから、どっかから来たんだ。

>>681
半島帰化人というといろいろ差し支えるから、自分は「渡来人」としか
言わない。

>>690
思い出した。瀬戸内海の生口島なんてのは、考えると恐ろしい名前。
あそこは主にどこから連れてきていたんだろう。
りっぱなお寺があった。タコメシもうまかった。
692日本@名無史さん:2006/07/14(金) 18:41:47
>>691
半島帰化人というのは、弥生期以降の比較的新しい時代で、
百済とか新羅とか加羅とか具体的な出身国名がハッキリして
いて、なおかつ亡命など目的があって来日した人のことを
言うのではないだろうか?
他民族雑居時代のどこの馬の骨ともわからない椰子に関しては、
大陸出身とか、半島からの渡来という漠然とした言い方をする
ように思う。
693日本@名無史さん:2006/07/14(金) 19:03:21
>>691 日本列島は1万数千年前には大陸と地続きで日本海は内海だったのだ
から大陸から移動してきたことは確かだろう。1万数千年前というとまだ
日本人、シナ人、朝鮮人という民族成立以前の人種であまり意味の無い話に
なるが。

 その後、大陸から分離して1万年ほどかけて日本列島内で融合してできた
のが日本人だ。朝鮮半島は6世紀になってもまだ多民族地域で朝鮮人という
民族は形成されておらず、日本民族の方が早くから形成されていたことは
確実だろう。

694日本@名無史さん:2006/07/14(金) 19:22:54
1 福沢諭吉 「脱亜論」 (明治18年)( 1885年!)

<要約>

”日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を
共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差がある
のか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれ
ほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知
りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わな
い。  国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き
直って恥じることもない。もはや、この二国が国際的な常識を
身につけることを期待してはならない。

東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという
幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、
欧米と共に進まなければならない。 ただ隣国だからという理由だけ
で特別な感情を持って接してはならない。 この二国に対しても、国
際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。

 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
695日本@名無史さん:2006/07/14(金) 19:36:15
帰化人とは通訳なしで会話の出来る人達、つまり倭人系五世とか六世
渡来人とは通訳が必要な人達。
玄界灘を中心に半島南部と九州北部は倭人の国(馬韓、弁韓,秦韓)
東夷伝に倭の那国が極南界也と書いている
韓の文字が付いてるので、韓国人は感違いしてる
そこへ半島北部から難民やら移民が入って来て百済や新羅が出来て行く
696691:2006/07/14(金) 19:41:36
>>678 が誤解を生みやすいのは、「半島帰化人」と「朝鮮半島の血」を同じに見て
いるところだな。

ところで、朝鮮という国は、1392 年以来というのと、もっと昔にちょろっとあった
いうのがあるが、そんなことは気にせず、朝鮮半島とは現在の地理としての半島名を
言っているのかな。国名と民族と地理を分けて話して欲しいところだな。
697日本@名無史さん:2006/07/14(金) 20:32:06
今の韓国人、朝鮮人は地理名と民族名の分離が出来てない
朝鮮半島と言うと、すぐ何千年も前から、朝鮮民族が住んでたと
思い込んでる、ほんとに困ったもんだ、国上げて思い込んでる
歴史をやる以前の問題!学問じゃ無く政治なんだよ彼らのは。
698日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:34:40
>>693
当たり前だ。“朝鮮人”なんて、物凄く新しい民族名だぞ。特に済州島(耽羅)
なんて、中世まで独立国だったからな。
“日本人”も新しいのだが、“漢民族”も他民族を巻き込んで膨張し続けたから、
今の状態に落ち着いたのはつい最近だ。
雲南とか海南の人間が本格的に漢化したのは、かなり新しいんじゃないか?
699日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:25:01
>>698 いやわしが言いたいのは国家の成立というより、日本語族、朝鮮語族
シナ語族という意味の民族で、この意味で言えば日本人は少なくとも魏志
倭人伝の時代には成立していて、朝鮮人は新羅の統一までは多民族地域
だっただろうということ。

 シナの場合は夏、殷人がシナ人だったのかどうか分からない。シナ人と
いう名前からすると秦の時代には成立していたのだろうと思う。
700696=691:2006/07/14(金) 23:34:02
goo で英和、和英を引いて見たら、日本で表記の「朝鮮」は南北、半島、海峡、「〜人」
ともに、korea だな。しかも korea の語源は高麗とある。

思いつきの私見だが、高麗というと、百済、新羅は別な感じがする。
これからは、英語にならってコリア半島とかコリア人とか言ったらどうかな。
(埼玉は日高に高麗神社があるが、だれも在日のための神社とは思うまい。
 1200年前の渡来人には大事だが、その後の渡来人にはなんの愛着も無
 かろう。違うかな。そういう識別が大事ではないのかな。)
あれもこれもごっちゃにした日本での用語が混乱の一端とも思える。(もし
くはその混乱に便乗してシメシメと思う人の術中にはまっている。)

江戸時代の朝鮮通信使以来、李氏朝鮮に敬意を払ったなごりを引きずって
いないか。
701白馬青牛:2006/07/15(土) 00:09:37
>>684
樺太経由は、蝦夷を圧迫したオホーツク文化人(粛慎)の事か。
ただし、日本海を直接渡って来たと云うのは唐代の事で、以前は航海で
交易する軸線ではない。渤海使節が敦賀に到着するはずが、対馬〜出羽に
漂着しとる。リマン海流の流れを考えるとのう。同じ事は江南と日本の
関係にも云える。対馬海峡が主なルートであったろう。
>>699
魏志倭人伝の時代には、日本民族が成立しとらんわい。倭人は漢人の
奴隷民で南方習俗じゃ。倭国大乱期は人口減少もあったろう。
やはり世界的に、4世紀以降の北方民族南下で、日本民族は成立した。
古墳時代から渡来系と縄文系の混血が見られることから明らかじゃろう。
702日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:37:32
>>700
江戸時代の朝鮮通信使に敬意なんか払ってません
絵を良く見なさい、裏門から入ってるじゃないですか
敬意を払った人は表門から入ってます。良く見てね!
703日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:44:01
敬意を払った人を二階から覗いたら、その場で切り捨てご免です
通信使は単なる見世物です、像やキリンと同じです、絵を良く見てね!
704日本@名無史さん:2006/07/15(土) 01:33:28
>>694
福沢諭吉は偉い、今ほどこの言葉が身にしみる時代は無い
隣国の方達は1000年前も100年前も現在も、ほとんど頭の中は変わってないな
隣国だと思うから、だめなんだな、外国が近くに有るだけか。
705日本@名無史さん:2006/07/15(土) 02:23:52
>>701 魏志倭人伝の倭語は日本祖語で日本語族としては成立していて奈良
時代の日本語との連続性もある(一時、北方系の影響を受けて8母音に
なったり、母音調和していたかも知れないが)。

倭人がシナに朝貢していたことは事実だが、隷属していたとは言えない
だろう。そう言うのなら朝鮮は歴史時代を通じてずっとシナに隷属していた
ことになる。

 シナ人が日本を植民地にしていたような事実があれば隷属といえるが、
朝鮮、ベトナムと異なり日本には邪馬台国時代を含めて歴史上、そんな時代
は無かった。
706日本@名無史さん:2006/07/15(土) 02:29:01
金・正・日
707日本@名無史さん:2006/07/15(土) 06:56:58
>>699
成立はそんなに古くないんじゃないか?
漢民族中国人を英語で言うとHan Chineseだ。
これが正しい。

>>700
wikipedia英語版などで、日本人は弥生時代にKoreaから渡来したと
堂々と書かれているが、あれはどうなのだろうなあ?
そもそも当時高麗はおろか統一国家も存在していないわけで。
Koreaだけで、朝鮮半島全体の事を指しているのかどうか…
ちなみにChinaという単語も堂々と使われている。
これが、中国大陸を漠然と指しているのか、いわゆる漢民族の統一
王朝を指しているのかもさっぱりわからん。どう考えても、古代
中国大陸は多数の国家(あるいは民族国家)に分かれて存在していた
はずなので、例えば斉とか燕とかと具体的に書くべきだろうし漠然と
continentalと書くべきだと思うんだが、おいらにはよくわかりません。

>>700
神社って言うのは、鎮魂など色々な性質があって、亡命者の精神的
拠り所になっていただけなんじゃないのか?という気もする。
神と崇拝して建立したものではないものが多いと思うぞ。
708日本@名無史さん:2006/07/15(土) 06:59:49
× continental
○ continent
709700:2006/07/15(土) 10:25:39
スレタイの本筋からはずるが、ちょっと補足。
>>702, >>703
時の政府が敬意をはらったかどうかは別にして文人墨客は、こぞって詩文の添削を
頼みに行ってるとか、読んだことがある。だれだか、korea に生まれたかったとか
言ったのがいなかったか。この手の人間は書物を残していて、後の人間を誤導しや
すいと思う。
>>707
神社というのは、いろんな目的で立てられる。稲作や飲料水の水源保護のために
みんなが山を荒らさないためにも作る。共同体の精神的拠り所の場合もある。
高麗神社も、後世に最初の渡来人の(苦労の)記憶をとどめるためだろうと思う。
単なる石碑よりは念がいった建造物といえるだろう。

金達寿だったか、書いていたが、在日の迫害のタネを探そうと高麗神社に行って
宮司にご苦労があったでしょうと聞いた。高麗澄雄さんは1200年前の渡来
ですからと質問を歯牙にもかけなかったそうだ。金さんは栃木は小俣の神社でも
同じ目に遇っている。
710日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:06:44
>>709
>高麗澄雄さんは1200年前の渡来ですからと質問を歯牙にもかけなかったそうだ。

日本人の感覚としては、当然そうでしょうな。どんな物凄い大昔であることか…!
歌舞伎にも高麗屋ってのがありませんでした?
711日本@名無史さん:2006/07/15(土) 12:35:36
>>707 Han Chinese、これは直訳すると漢秦族となるので秦の方に重点が
あるのでは?

 秦はローマにまで知られた大国ですでにシナ人の統一国家だったと言える。

 日本の大和朝廷国家、朝鮮の新羅に相当するシナ人国家だろう。
712日本@名無史さん:2006/07/15(土) 12:47:03
>>709 1200年前より新しい400年前の朝鮮人陶工にも迫害はなく士分扱い
だったらしいな。

 だいたい1200年前で百済、高句麗人だったとすると朝鮮人とは別の民族
だろう。新羅人としても今日の朝鮮人と同一民族とは思えない。

713日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:29:04
1 福沢諭吉 「脱亜論」 (明治18年)( 1885年!)

<要約>

”日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を
共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差がある
のか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれ
ほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知
りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わな
い。  国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き
直って恥じることもない。もはや、この二国が国際的な常識を
身につけることを期待してはならない。

東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという
幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、
欧米と共に進まなければならない。 ただ隣国だからという理由だけ
で特別な感情を持って接してはならない。 この二国に対しても、国
際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。

 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
714日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:30:29
>>700
江戸時代の朝鮮通信使に敬意なんか払ってません
絵を良く見なさい、裏門から入ってるじゃないですか
敬意を払った人は表門から入ってます。良く見てね!
715日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:31:47
敬意を払った人を二階から覗いたら、その場で切り捨てご免です
通信使は単なる見世物です、像やキリンと同じです、絵を良く見てね!
716日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:33:30
今の韓国人、朝鮮人は地理名と民族名の分離が出来てない
朝鮮半島と言うと、すぐ何千年も前から、朝鮮民族が住んでたと
思い込んでる、ほんとに困ったもんだ、国上げて思い込んでる
歴史をやる以前の問題!学問じゃ無く政治なんだよ彼らのは。
717日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:38:34
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
 共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
 入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
 ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
 ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
 代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
 クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
 む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
 鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。        」

* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
718日本@名無史さん:2006/07/15(土) 14:04:50
>>711
漢民族=秦人じゃないんじゃないか?
Han Chinese=漢民族であって、あくまでも漢(Han)だから。
重点としては前半に置かれていると思う。
ただ秦が西洋でも有名で、古代の文献に残っている関係で、
適当にChineseと表記しているだけだと思う。
漢民族が秦人意識を持っていた(持っている)とは、とても思えない。
韓国人≠高麗人(Korea)なのと同じことでは?
719日本@名無史さん:2006/07/15(土) 14:23:25
秦人なんて中心性にないだろ、おそらく。
極めて、政治国家戦略的な臭いがする。中国
720日本@名無史さん:2006/07/15(土) 19:27:35
東北 藤原三代 この技術は京の都を通さず韓半島から直接入った?
三内丸山の高望は出雲神社と同じく海上から見える灯台の役目?
721日本@名無史さん:2006/07/15(土) 19:36:48
日本人は、神国日本で生まれた天皇陛下の股肱である。
722日本@名無史さん:2006/07/15(土) 20:16:36
神の子孫
723709=700:2006/07/15(土) 20:23:15
中華人民共和国と日本では表記するが、英語では The People's Republic of China
だな。どこにも「中華」なんてない。今となってはそういう慣習となったから変える
のは面倒かも知れないが、The People's Republic of China 建国以前の話はそれ
ぞれの国名、民族名、地理名などを使うと、ここでの議論も混乱が減るんじゃないか。
ついて来れない人が多くてダメかな。
724日本@名無史さん:2006/07/15(土) 20:51:29
なんか冷た〜い、ソーメン食べたいな〜〜  グ〜 グ〜
725日本@名無史さん:2006/07/15(土) 21:49:43
>>718 シナ人自身が漢民族と自称しているのだから漢=ヤマトのような語感で
秦以前になると倭のような語感になるのかも知れないな。

 しかし秦の始皇帝によって初めてシナが統一して漢字、度量衡も統一したのだ
から中国は秦から始まると考えるのが自然と思う。

 何故、漢字、漢民族といって秦字、秦民族と自称しないのだろう?

726白馬青牛:2006/07/15(土) 22:52:52
>>705
「漢委奴國王」の金印から、漢に直属する地域の隷属民じゃった。
生口160人も献上しとるし。甕棺も倭人化した漢人の棺かも知れん。
港市の漢人商人の可能性もありえる。邪馬台国も大林太良氏の云われる
漢人商人と倭人との間の、《強い民族間圧迫という環境》が想定され、
「卑弥呼に憑依したのは、漢民族の精霊だったことになるかもしれない。」
卑弥呼の鬼道は道教であり、精神的にも漢人に隷属しとったろう。

雲南の「滇王之印」は、「漢」の字がついとらんゆえ、滇王が漢皇帝に
直属せんかった。まあ、スキタイ系遊牧文化の影響の強いおそらく羌系と
思える滇国は、軟弱な倭人の奴国とは較べもんにならんくらい戦闘力も
あったじゃろうし。どう考えても倭人は漢人の隷属民じゃったと思うよ。
727日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:40:40
>>726
長老〜、またそんな妄想を。
“漢民族の精霊”ってどういう意味ですか?

>雲南の「滇王之印」は、「漢」の字がついとらんゆえ、
滇王が漢皇帝に直属せんかった。

滇国は、ただ単に交通の要衝にあった為に、丁重に扱われた
だけでは?当面の利益が確保できればいいというような冷めた
間柄だったと思うんですけど。
728日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:43:57
>>726
>卑弥呼の鬼道は道教であり、

そうなんですか?どこで覚えたんでしょう?
729日本@名無史さん:2006/07/16(日) 00:12:48
>>726 漢委奴国は植民地だったかも知れないが、邪馬台国の卑弥呼は親魏
倭王で、魏倭王ではなかった。

 倭の五王もシナの称号と朝鮮南部の支配権を要求していたが、隷属して
いた形跡は無い。

730白馬青牛:2006/07/16(日) 00:21:51
>>727728
またそんな妄想?妄想は、わしへの反論者が繰り返しとらんかいのう。
滇王が漢の使者に漢と我が国とどっちが大きいかと云い、交通路が
開通してない為に、滇国や夜郎国は、漢の広大さを知らんかったんじゃ
ないんか。卑弥呼の漢民族の精霊や道教の影響については、
http://www008.upp.so-net.ne.jp/oldkino/Tao626.html
の中頃に、『邪馬台国』大林太良著の解説が出とるが、[第八章]倭国大乱の
原因と結果P155〜【新興宗教鬼道】のP185〜P190を読みん
さい。
731723=709:2006/07/16(日) 05:51:38
反論ではなくて、>>728 に似た疑問ですが、大陸との往来で遣隋使、遣唐使は
海路渡航で船の沈没、漂流など危険が大きかった話があります。卑弥呼の時代
はどういう状況だったのでしょう。似たような危険があったけど果敢に往来した
のか、その後のやり方よりはうまくやっていたのか。
732日本@名無史さん:2006/07/16(日) 08:08:11
山東半島辺りを目指して航海したんじゃないですか?
733日本@名無史さん:2006/07/16(日) 10:14:11
>>730
卑弥呼の鬼神道が中国の道教の影響を受けた可能性が高いからと言って、
なぜそれが“漢民族の精霊”に憑かれたことになるのか、さっぱり解り
ませんです、ハイ。
論理の飛躍を見る気がします。

とういうか、貴殿がなぜそこまで倭人を見下したいのかが解りません。
漢民族のことも嫌っているようですが、先祖が遊牧民族系の方ですか?
734日本@名無史さん:2006/07/16(日) 11:04:44
卑弥呼はイタコだったのではないか?それをシナ人が道教の鬼道と勘違い
しただけだろう。
735日本@名無史さん:2006/07/16(日) 11:10:05
>>734
卑弥呼の時代には、朝鮮半島南部まで道教の影響が
及んでいたらしいので、日本にも入ってきていたと
は思われ。
736日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:29:10
卑弥呼の時代、道教は神道と呼ばれていた。



737日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:37:20
中国江南人+漢人(華北人)+朝鮮人+モンゴル人+ポリネシアン÷5=日本人
738日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:46:39
↑クセエ妄想南方人種チャンコロwwww

739日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:49:51
>>736
本当か?
740日本@名無史さん:2006/07/17(月) 01:31:13
>>736 邪馬台国で七福神を崇拝していたような形跡は無いが。
741日本@名無史さん:2006/07/17(月) 01:36:04

【 ☆ 決定 ☆ 朝鮮族の母体はエベンキ系「沃沮、濊狛」人  】

(イルクーツク=連合ニュース) 金兵曹記者 ="バイカル湖隣近の少数民族
エベンキ族'は現在までアリラン'と `スリーと'という単語を使っています"
アリランは迎える、スリーは感じて分かる『アリランスリー』と'は
古代北方シャマニズムの葬礼文化で 「魂を迎えて別離の悲しみをたえる」と言う
今は朝鮮族も忘れてしまった、意味だったことに推定される"と強調した。
エベンキ族の祖先は「熊と人間の女との間に生まれた」と檀君神話と同じで有る。
沃沮人はオンドルの発明者、虎が好きで体を浮かす様な舞をする、ソッテも大事。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1661088&st=writer_id&sw=wakatakeru

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866
742日本@名無史さん:2006/07/17(月) 02:34:11
弥生時代に入って縄文の痕跡はほぼ排除された。
悲しいがほんとうの話
743日本@名無史さん:2006/07/17(月) 03:12:07
>>741 どこかに「とうとうたらり」という呪文を唱えている種族があれば
日本人の先祖も分かるのだが。
744日本@名無史さん:2006/07/17(月) 03:31:51
聖なるところが上にあって
醜なるところが下にあるという神話観は
やっぱり半島の影響が大だと思う
745日本@名無史さん:2006/07/17(月) 06:14:49
その半島の神話は、中国のパクリですけどね。
746日本@名無史さん:2006/07/17(月) 06:16:13
>>742
そんなことない。
縄文的な土器、縄文時代からの伝統である竪穴式住居などは、
しっかりと受け継がれていた。
747日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:02:37
748日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:14:49
床の間って縄文時代の竪穴式住居の名残でしょ
749白馬青牛:2006/07/17(月) 23:24:03
>>731
弥生期から遣隋使までは、「波立たず油の如き黄海は」と、船航が容易な
朝鮮〜山東の黄海ルートでしょう。航海の軸線であった訳で果敢に
往来した訳ではありません。
遣唐使は、新羅を避けたせいか、新たに東支那海を直接横断するルートで
あったので、航海途中、西朝鮮海流を北に流されると、山東にたどり着く
が、航海を無事進んでも今度は、東支那海流で南に流される危険がある。
それ故、難破、沈没、漂流を繰り返した。と云うことです。
中国でも、内陸のステップ・オアシスのシルクロードと共に東南アジアの
南海路は重視しましたが、江南から見て航海に容易でない、台湾・琉球・
日本はさほど重要視されておらず、東支那海流を南下して黒潮に乗ると、
黒潮は死の海で漂流出来る可能性すら低いですしね。
まあ、黄海、東支那海の元締、海賊の大親分、新羅人の張保皐(我が国では
張宝高として知られる)親分に頼れば、優秀な新羅船に乗って無事日本へ
帰還することが出来たでしょう。
750白馬青牛:2006/07/17(月) 23:55:48
>>733
外来の支配異民族による(経済的に漢人商人の文化浸透要素も含む)圧制に
おける外来の精霊による憑依現象。が、何で論理の飛躍になるんですか?
それが倭人を見下した事にはならんし、漢人を含め好き嫌いの問題では
無いでしょう。先祖が遊牧民族系かどうか調べる術はありませんが、
現代本土日本人が7、8割北アジア系である可能性が強いことから、
遊牧民族系とも同一先祖を持つ可能性は、高いとも云えます。
751日本@名無史さん:2006/07/18(火) 00:12:48
囲炉裏は縄文時代からあっただろう。
752731:2006/07/18(火) 00:23:20
>>749
どうも。
つづめれば、隣の家と仲が悪くなって、一軒置いた隣と付合わざるを得なくなり、
往来が困難な経路になったってことですね。
753日本@名無史さん:2006/07/18(火) 06:42:00
>>750
>現代日本人が7、8割北アジア系

これって、縄文人まで含めていますか?
754日本@名無史さん:2006/07/18(火) 08:02:51
北アジア系というよりは、東アジア系でしょう。
755日本@名無史さん:2006/07/18(火) 09:32:14
日本人は99%北方アジア系。
756日本@名無史さん:2006/07/18(火) 15:48:15
インドネシア語 顔muka>ムカフ、ヌカ(額),目mata>まつ・毛,手tangan>
た・づな、た・な・ごころ,鼻hidung,足kaki>駆け・る

という身体語は素人が見ても日本語と関係があるように見えるが、これらの身体語
は北方系だろうか?北方にはこういう単語は見当たらないようだが。

 他にもビルマ語系言語やマレー山地族語と日本語の身体語の類似があるらしい。


757日本@名無史さん:2006/07/18(火) 15:58:27
そんなの2万年以上前の縄文語に決まってるだろうが。
758白馬青牛:2006/07/18(火) 22:45:39
>>752
百済があった時代なら、黄海ルートを使えたと云うことです。
>>753
縄文人まで含め難い。縄文人は、遺伝子的に北方説と南方説、様々な見解が
ありますが、形質的に低顔で、中国南部(華南)人や東南アジア人と
共通性が多い。弥生人も北九州や中国地方西部等の一地域に渡来型が
見られるが、弥生期、山陽地方でも縄文系が多かった。古墳期の北方民族の
大量移住で渡来系が増え、形質的にも北方渡来系が南方系(日本在来系)を
凌駕したと云えます。
759日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:04:07
古墳期、北方民族が大量に日本列島に移住したっけ?

760日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:02:24
>>757 2万年?これだけ類似性が分かるほど語形が保たれているという
ことはせいぜい数千年前の単語としか思えないが。
761白馬青牛:2006/07/19(水) 00:18:40
>>759
小山修三氏は、日本列島の人口を、縄文末期16万、弥生期60万、
古墳後期(奈良)540万とされる。起源後千年間の農耕民の年平均
人口増加率0,044%から弥生時代の人口増加では増えきれんし、
弥生後期の倭国大乱の時代には、中国の黄巾の乱の様な人口減少傾向が
あったのではないか。その後四世紀頃、気候寒冷期に北方民族が
南下移住したのは、中国の五胡(北朝)、中央アジアのエフタル、
西洋のゲルマンも含め、日本も渡来型と縄文在来型と混血型が増えた
こと(特に西日本は渡来系)から、古墳期の列島大量移住は、想定出来る。
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/inkouen(UI).htm
に、田村貞雄氏の小山修三氏による推定人口の引用が出とる。
我々日本人(特に西日本人)は、縄文人や弥生倭人要素を持つ、基本的に
古墳期の北方民族南下移住民であり、逆に縄文人や山東系?弥生倭人を
主体とした者ではないと思う。
762日本@名無史さん:2006/07/19(水) 01:24:25
>>758 古墳期の北方民族の大量移住で渡来系が増え、形質的にも北方渡来系
が南方系(日本在来系)を凌駕した

・・・朝鮮語や満州語と日本語の相違から見ると、その北方渡来系という
のは元々日本語を話していた日本語族としか考えられないと思う。

 そして先住系縄文人?が身体語に僅かに残っているような南方系言語を
話していたのだろう。そして日本語の発音に南方系(ポリネシア系?アイヌ
系?)の痕跡が色濃く残っているのは人口比で先住民の方が多かったから
ではなかろうか?
763白馬青牛:2006/07/19(水) 01:46:27
>>762
日本語族と云う曖昧な概念じゃが、現在、英語を喋るポリネシアンや、
ネイテイブ・アメリカンは、アングロ・サクソンに分類されるんか?
ほいで、文法がアルタイ語系であるので、支配階級は北方系であろう。
人口比で先住民の方が多かったと云う人類学的な根拠は?
764日本@名無史さん:2006/07/19(水) 02:07:06
>>763 英語を話すポリネシアンやインデアンは言語の元がイギリスにある
ことが分かっているが、日本語のもとになった言語は大陸北方のどこにある
のだろう?古墳時代という最近の民族移動なら文法だけでなく単語そのもの
が類似する語族が北方に居なければおかしい。王をオホキミ、スメラミコト
と称する種族は北方におらず、百済、新羅でさえ、オラカ、カムキという
日本語と関係の無い称号を使っている。

 人類学的かどうか分からないが、日本人は北方大陸人に比べて毛深い人間
が多いらしい。この遺伝子はどこから来たものだろうか?
765白馬青牛:2006/07/19(水) 02:39:08
>>764
>文法だけで無く、単語そのものが類似する語族が北方に居らなければ
おかしい?言語は、様々な文化要素から変容する微妙な問題であるが、
満洲人の征服王朝である清朝が、文法的にも被支配者の漢語系に
なったのは、非征服民の漢人文化要素が強かったので、別として、
ザ・バイカルの遊牧ツングース系が生活様式からモンゴル語化したのは、
モンゴル系の支配下にあった訳で無く、文化的変化で、言語も変わった
要素は無視出来ん。高句麗語が解明出来んのに、百済・新羅の
言語が日本語と関係の有無を語っても意味がない。
北方大陸でも、イヌイットやチュクチ等は毛深いそうじゃが、アイヌ系の
巻き毛と違い、極北人種は直毛タイプが多いらしい。複合で無く、毛深さは
遺伝的単一標識なので、何処からと断定は出来ん。南方も中国南部両広
地域は毛深いので、南方起源も考慮しても良いと思う。
766日本@名無史さん:2006/07/19(水) 07:27:46
インドネシア以南になると、南方でもかなり毛深くなる。
767日本@名無史さん:2006/07/19(水) 08:09:49
>>765
>南方中国両広地域は毛深い

すみません、これ初耳なんですけど。
ソースがありますか?
768日本@名無史さん:2006/07/19(水) 08:21:13
ぶっちゃけ、呉越の難民でしょ。

船で海流づたいに、あるいは南西諸島つだいにやってきた。
769日本@名無史さん:2006/07/19(水) 09:11:12
>>768
で、その呉越の難民が持ち込んだ物的文化は?
770日本@名無史さん:2006/07/19(水) 14:51:07
どこかの段階で日本列島にごそっとやってきたというのではなく、長い時間かけて日本列島に来た集団が融合し一定の日本人の原型を作った。
その後の文化受容はこの集団が主体となった。

そうとしか言えん
771日本@名無史さん:2006/07/19(水) 18:02:46
>>765 「古墳時代という千数百年前に大量移民があったとすれば」という前提なら、
朝鮮語か満州語にもう少し単語そのものが類似する語彙があるはずと思うが、
大した量がないのは
@大量移民がなく列島内で人口増殖があった、
A大量移民が満州人や朝鮮人と関係の薄い、日本語祖語を話す種族だった、
のどちらかだろうと思う。

 日本人が比較的毛深いのは列島内にいた毛人(アイヌ系?)の影響と思う。

772日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:46:03

◇倭人語?
わし、わしら、われ、われら、わら、わあら、わたし、わて、わてら、
◇江南人語?
おれ、おれら、おら、おらら、おのれ、おいら、おまえ、おまえら、おぬし、おぬしら、
◇渡来人、女性語?
うち、うちら、うっとこ、うぬ、うぬし、ウリ
◇支配者語?
きみ、きみら、きさま、きさまら、
◇自分、他人、を表す言葉、主に【わ群】【お群】【う群】【き群】これって民族の違い?

だれかエロイ人おしえて!
773日本@名無史さん:2006/07/19(水) 22:13:12
「ウリ」って渡来語じゃなくて、韓国語だろう?!
774日本@名無史さん:2006/07/19(水) 23:01:03
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           ◥◣   █▅▂         ┃  馬鹿にはコピペできないミッキーマウスだよ。
            ◥▂  ▓█▅▂  できるものならやって味噌♪
           ▂▅▆▆◣ ▀▓█▀ ◢▆▅▄▂
775白馬青牛:2006/07/19(水) 23:37:59
>>767
日華事変の折、衛生関係の仕事をされた方は、医療や、現地女性との
性交渉、戦場に遺棄された女屍の観察から、湖南省境から広東省に
入ると性毛が多くなり、日本人と酷似しているとされる。
>>771
大した量がないと断定するんは、どの程度の類似で持って判断されるんか。
@の列島内での人口繁殖について、世界的に紀元後千年間の農耕民の
年平均増加率0,04%が何で日本だけが繁殖率が増えるんか。
日本は世界と離れた星に存在するんんか?
A人類学的にも満洲・朝鮮渡来を否定出来る要素は薄い。
じゃが、満洲と朝鮮を同一視しとらんか?朝鮮は越文化や、人種的にも
北方南方の混合種族であり、満洲人とは人種も多少違う。
南方的要素は日本より朝鮮の方が強かったかも知れんね。
776日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:23:52
>>775 満州語は知らないが日本語と朝鮮語で類似する単語は150語〜200語
程度らしい。これを教育漢字1000、常用漢字2000語程度と比較すると
15%〜20%、または7.5%から10%程度の類似とおおまかに考えられる。

 で、一言語の変化率は1000年で20%程度が消えて80%ほど残るらしい。
 2000年で64%、3000年で51%ほど残る計算になる。で、朝鮮語と20%
程度類似しているとすると分離してから7000年程度経過している勘定に
なるというのが、20年ほど前の説だった。10%の類似なら10000年以上前
になる。

 どっちにしても古墳時代に半島や大陸から渡来したとしても、それは
今の朝鮮人や満州人の先祖とはあまり関係の無い集団だったことになる。

 またその他の地域でもないので、日本人は元々、列島内で繁殖していたか、
大陸で満州人や朝鮮人の先祖とは別の集団としてまとまっていたのが、列島
に移住してきたのだろうと考えられる。

 人種的に満州や朝鮮と近いとしても言語上は関係の薄い集団で言語が
違うということは同族ではなかったということだろう。朝鮮人と満州人が
人種的に近くても同族ではないのと同じ。



777白馬青牛:2006/07/20(木) 01:25:22
>>776
トルコ系の言語は、トルコ共和国と中央アジアのウィグル語が近いように、
草原・オアシス地域なら、距離が離れておろうが、類似性が多い。
モンゴル語族もそうであろう。じゃが、森林地帯のツングースは、
エヴェンキの様な北ツングース語群と満洲人の南ツングース語群と類似性が
強いとも云えん。言語は地理的に近いから必ずしも類似するとは云えず、
環境や、ツングース系のように移住地で馴鹿、遊牧、狩猟、漁撈と生業を
変えるように、言語も他民族から影響を受け易い集団を同一視して語るのも
可笑しいと思う。言語の変化も民族集団の環境によって違う。
朝鮮人や満洲人の先祖と余り関係のない集団でないとしたら宇宙から
来たんか?また列島で繁殖と云う生殖能力が特別に強い集団があったんか?
朝鮮人と満洲人は人種的に近いか?形質的に満洲人の方が狭顔で朝鮮人は
南方要素も含む中顔型であろう。両者は容貌が違うよ。江上波夫氏は
満洲人の方が、日本人に近い容貌とされるが、わし自身の経験でも、
そう思えた。
778日本@名無史さん:2006/07/20(木) 01:45:42
>>777 たしかにノムヒョンや金大中、全トカンのような容貌はフィリピンの
マルコス大統領に近いと思う。

 朴正煕のような容貌が典型的朝鮮人で、金ジョンイルはシナ人のようだと
思う。
779石頭:2006/07/20(木) 01:59:51
1万年まえ、文字があるの?
日本はね、もどもど文字がない国でした、中国から伝われたことで、
漢字は中国発明したものだっから、確実だよ。

中国、日本語、韓国、千年前の話し言うと、みんな親族になるかもしれない、

780石頭:2006/07/20(木) 02:10:24
日本の右側、下は海でしょう?
左側は中国
上は韓国、
中国や韓国と関係ないなら、アメリカ人海を渡ってきた人間かも、
日本人は、アメリカ人の先祖だ、


781日本@名無史さん:2006/07/20(木) 03:20:46
>>780 日本人とアメリカインデアンとは関係があるという説もあるが。

 日本の北はカラフトでその先はシベリアだから、関係はあるのだろうな。
 日本の南は沖縄、台湾、フィリピン、インドネシア、ポリネシアだから
シナ、朝鮮と同じく関係があるだろう。
782日本@名無史さん:2006/07/20(木) 06:36:41
>>772
「われ」は、たぶん最初は「あ」か「わ」一字だから、「我」か?
「おれ」、「おら」等は「於〜」か?
「君」(kun)は「君」(jun)「国王、主君、男子に対する尊称」
由来だが、「きみ」も「人民を治める王」、「諸侯や大名」、
「目上の者を尊んで呼ぶ言葉」→「男性が対等か目下のものを丁寧に
呼ぶ言葉」という意味だから、おなじく「君」から来ているのか?
きさま、きさまら、は「貴」様、「貴」様らだから、「きみ」とは
違うんじゃ・・・

すみません、さっぱり解りませ〜ん。適当に答えました。
783日本@名無史さん:2006/07/20(木) 07:57:05
>>772
面白い見方だね。特に【う郡】は西日本でしか使わないから、
渡来系ってのには説得力があるような。

支配者語は上の人も言ってるように、Youを表す言葉じゃなく、
支配者を表す言葉(王or君:きみ)由来だろうから、
独立しているとは限らない。
(江南、縄文、渡来のどれかの一部の可能性が十分にある。)
784日本@名無史さん:2006/07/20(木) 09:50:27
>>775
台湾では、伝統的に顔面の「脱毛美容」が盛んです。
要するに、「毛深い」女性が多いということでしょう。
785日本@名無史さん:2006/07/20(木) 13:48:06
>> 772
儂(nong):(方言)あなた、おまえ
      (古代の詩文)私


儂には、「私」と「あなた」の二つの意味がある。
5〜6世紀の呉地方では、自分のことを「阿儂」と言っていたらしい(どこかで見た)
ので、オノ、オノレ、オレとかはそうなのかも。
ちなみに現代の上海語でも、「儂」を使う。
786日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:01:29
まーた汚らしい南京虫が湧いている
787日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:53:00
    ↑
凌遅三千刀、滅九族!
788日本@名無史さん:2006/07/20(木) 15:16:42
ミクロネシアの人々はすんごい毛深いよ
ジャワ島とかあのへんのひとは毛深くない
789日本@名無史さん:2006/07/20(木) 15:46:51
陰毛はどうか知らんが、日本人にスネ毛、胸毛、背中の毛が見られるのは
ミクロネシアでなくて毛人(アイヌ人?)の影響だろう。
790日本@名無史さん:2006/07/20(木) 18:12:23
>>788>>789
オーストラリアのアボリジニとかは胸毛が生えててかなり毛深い印象が。
それから、ニュージーランドのマオリとかも。
かつての大相撲のハワイ勢とかも毛深かった。(武蔵丸など特に…)
フィジーとかの人もスゴイことに。(しかも筋骨隆々で怖い)
791日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:51:02
毛深い人は人情があるという、冷たい感じの人は毛が薄い
と言うことは日本人のほとんどが新しい渡来人と見た方がいいかも
792日本@名無史さん:2006/07/20(木) 20:56:20
>>791 日本人の男ではスネ毛が生えている方が多数派で、シナ、朝鮮人は
生えていないそうだが。

 特に朝鮮人はヒゲも眉毛も薄いようだ。
793日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:30:23
>>783 で西日本では、というのを見てフト思ったのですが、
今はいろんなことを陸地基準で考えると思いますが、昔の交通手段は海や川だったと
思います。ローマ帝国も地中海中心とかを思い合わせると、九州と半島も別ではなく
海域を介して一体的で、九州の北と南の方が疎遠だったとも思えます。
そういう仮定で考えると、西日本といっても
対馬海峡圏、瀬戸内海圏、太平洋側圏、日本海圏と細分化されそうに思いますが、
もうこういう見方は既出で、話にならんということになっているのでしょうか。
794白馬青牛:2006/07/21(金) 00:04:18
>>778
朝鮮人は、南方系も多いと思う。HLAでも、韓国人に1番多い
B44−DR13は、日本の東海、北陸と共通するが、韓国人に2番目に
多いB44ーDR7は、タイ人に多い東南アジア系であろう。
韓国人に3番目に多いB13−DR7や5番目に多いB52−DR15は
西日本にも多いがモンゴル系、北方系であろう。
古代韓人も南方系習俗が多く、海岸地帯に分布する櫛目文土器の北方系
と云うか、樺太のニブヒ・ギリヤーク等のシベリアの古アジア系と
混じったんかも知れん。
>>784
台湾人(内省人)は、福建省を中心とした華南移住民ですしね。
>>793
九州北部は、磐井の乱や肥前国諸群司の新羅通諜事件、後の倭寇が済州島民
や、半島で屠殺を業とし、賤視されたモンゴル・ツングースの分派である
楊水尺(後の白丁)も含め、共通項が多く、倭寇エスニック集団と視る
べきでしょう。西日本が海洋的な点と線の世界から農耕的な面の世界に
移行するのは、おそらく戦国期あたりでしょうか。
795日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:07:11
パチンコ板で嫌煙者と喫煙者がくだらない議論を繰り広げております。

パチンコ店は底辺の糞が集まる糞エリアでマナーも糞もないぽという喫煙者
パチンコ店は不特定多数の人が利用する娯楽遊戯施設なので健康増進法に従い
禁煙及び分煙をして嫌煙者に迷惑をかけないよう配慮すべきという嫌煙者

パチンコをやらない方のパチンコ店に関するイメージやパチンコをやる喫煙者、嫌煙者
どちらの主張が正論なのかはたまたどちらも糞なのか書き込みしていただければと思います。
くだらないこととは思いますがご協力お願い致します。

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/slotk/1152891792/l50
796日本@名無史さん:2006/07/21(金) 10:44:15
>>794
タイ族は雲南から南下した民族。
朝鮮は華北人の植民支配を受けている。

B44ーDR7の起源は華中の内陸部あたりで、そこから南北に
拡散していったのだろう。

それと櫛目文土器は北方に行くほど見られず、やはり朝鮮櫛目文土器は
縄文前期に九州で使われていた曽畑式土器がルーツだろう。
797白馬青牛:2006/07/21(金) 23:24:29
>794の訂正、モンゴル由来とされるB13−DR7は、韓国人には
多くても、日本人には多くない。
>>796
タイ族は、現在雲南省にも多いよ。大タイ族(タイ・ヤーイ)とは
雲南タイ族のこと。HLAでは、江南あたりで北方系と南方系に分れるが、
形質的にも云えるであろう。華北人の影響よりも、韓族の南方系要素と
思われる。
櫛目文土器は、フィンランド・ロシア・シベリア等、北方ユーラシアの
森林地帯に分布する、狩猟・漁撈民の文化であり、朝鮮半島でも、海岸や
河川の漁撈民の文化。曽畑式土器との類似があるが、日本から朝鮮・
シベリア・北欧まで、広まったとは考え難い。北ユーラシアの文化のルーツ
は、日本と云えるだけの根拠でもあるんか?
798日本@名無史さん:2006/07/22(土) 00:04:29
これなんか参考になりますかね?

HLAハプロタイプの年代推定と歴史の対応付け

http://www.pag1u.net/kodai/hla.html
799793:2006/07/22(土) 17:46:57
>>798
指紋なんて結構海上交通圏と似たような部分があるのを初めて知った。
もっと検証されると面白い。
800日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:50:22

長江河口付近から日本への人々の移住

 中国の周代の後半(東周時代:春秋戦国時代=BC771〜BC256)には中国各地に
封ぜられた周王室の王や各地の豪族が独立し、互いに争いを繰り返し次々に淘汰
されていきました。負けた国の王やその一族は、殺されたり奴隷にされたり、あるい
は新天地を求めて韓半島さらには日本まで渡ってきたと言われております。そのよう
な中、春秋時代の末期に長江河口付近では呉と越が争い、越に滅ぼされた呉王夫
差の親類縁者は海に逃げて日本に漂着したと伝えられます。紀元前473年のことで
す。晋書などに「倭人自ら(我々は周の王族で呉国の創始者である)太伯の後(子
孫)であると謂う」とありますが、倭人の伝承を書きとめたものと考えられます。「資治
通鑑」(1084年成立)という中国の史書には、「周の元王3年(BC473)、越は呉を亡ぼ
し、その庶(親族)共に海に入りて倭となる」という記載があるようです。また日本側に
も「新撰姓氏録」の記載など呉から日本への移住を裏づける文献も豊富です。以上
から北部九州の甕棺文化は長江河口地域を追われた呉の人々によってもたらされ
たと考えれば、すんなり理解できるように思います。
801日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:54:51
甕棺墓ふ〜〜ん
802日本@名無史さん:2006/07/23(日) 01:35:04
甕棺墓はBC35Cには既に日本にあるのだが。

春秋戦国時代の中国から渡来人がやって来てるなら、
灰陶も幾何印文も三足器形も幾何印文も雷文も酒器も原始漢字の金文も、
もう証拠が出まくりだろがw

チャンコロの知能指数はホーント児童並み。
803日本@名無史さん:2006/07/23(日) 01:51:27

魏志倭人伝には「邪馬台国の住民は全身に刺青をして抜歯をしたり歯を黒くしていた。」
と記述があります。

刺青・抜歯・歯を黒くする風習は中国の長江周辺の呉や越にみられます。
朝鮮半島には「刺青・抜歯・歯を黒くする文化」はありません。

また日本と長江周辺には夜這いの文化はありますが、朝鮮半島にはありません。
一部の文物の一致点が無いからと言って、これらを無視することは出来ないでしょう。
804日本@名無史さん:2006/07/23(日) 02:15:37
朝鮮半島には刺青もお歯黒もあったようだが。

抜歯は縄文中期の東日本の文化から広がっている日本独自のもの。
805日本@名無史さん:2006/07/23(日) 02:55:11
>>163

Googleで長江 抜歯

と検索してみなさいウンザリするほど出てくるから、勉強してね。
半島南部は、倭人が居ったからな。
806日本@名無史さん:2006/07/23(日) 03:33:23
抜歯は世界共通の原始文化。おまえこそ勉強しろよ。


抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに
行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。
現在でもアフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に
残っています。

http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-64.html
807日本@名無史さん:2006/07/23(日) 03:44:52
刺青も単に原始社会における人類共通の原始文化。


習俗としての刺青は世界に普くある。たとえば南米先住民やポリネシアの部族、
エジプトのミイラからも刺青の跡が発見されており、またアイヌや奄美大島、
沖縄の習俗も明治時代まで続いていた。

http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/index/04st/04book/aesthetics/09.html
808日本@名無史さん:2006/07/23(日) 05:09:17
>>804
弥生人も抜歯していた。
抜歯=縄文風俗という風に一般に理解されているのは悲しい(涙
809日本@名無史さん:2006/07/23(日) 05:24:24
>>804
『梁書』百済伝には「其國近倭、頗有文身者」と書かれているそうだ。
つまり、百済は倭に近いので、文身するものが頗る多い」という意味
である。

つーのを、最近あちこちに出没しているエベンキ小僧の資料で見た。
810日本@名無史さん:2006/07/23(日) 05:35:35
>>800
どうでもいいが、「甕棺墓」って、かなり広範囲で確認されるぞ。
紀元前数世紀には、ジャワやベトナムでも甕棺墓による埋葬が行われ
ている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%95%E6%A3%BA%E5%A2%93
811日本@名無史さん:2006/07/23(日) 06:18:59
>>800ソースはここか?

http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page011.html

韓半島北部では甕棺墓が出土せず、半島南部と日本列島の広範囲に分布。
年代的には、日本列島→半島南部ということなのか…?
812がいやまん:2006/07/23(日) 09:11:47
倭人は満州から楽浪に入った後、海人族となり、韓国南西部を対馬、九州
へと向かったと考えて見たい。倭人の列島における呼称は大倭であるが、これは
母音調和によりアワとなったケースもあると考えると、阿波、安房、淡路、宇和島、
輪島、粟島、沖縄など島を橋頭堡として後背地を押さえた痕跡が伺える。
アワギガハラの意味とか、沖縄にある阿波の語源がよくわかる。阿波の大麻彦
は大東彦の意味と考えられる。沖ノ島、彦島、厳島、江ノ島など、韓国のチンド、
ヌクトのように島に神女が置かれる時代のことかもしれない。こう考えると鳴門
の萩原1号墳と同じ銅鏡を持つホケノヤマ古墳がこれと関係するのかもしれない。
813がいやまん:2006/07/23(日) 09:21:40
そうすると、ホケノヤマ以前の唐古・鍵とか、河内の池上曽根とか、吉野ヶ里とか
銅鐸とか、こうした衛氏朝鮮時代というか、戦国末時代というか、の列島渡来人は
倭人ではなく何人なのかという問題が出てくる。扶余かな。
814日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:06:18
>>813
戦国七雄?
815日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:17:33
>>812
天と海
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/amatoama.htm
その海人族については、こんな意見もあるよ。
海人族と白山信仰が深い関係にあるとしている。
816がいやまん:2006/07/23(日) 10:18:09
東夷系、西戎系として整理するとタガール、オルドスなどの短剣系統は北部九州
の銅剣銅矛、中原の銅鐸は東夷、すると、近畿・中部の朝鮮に近い遺伝子は東夷系
かなということになるが、犬戎、狛の感じも強い。
817がいやまん:2006/07/23(日) 10:36:02
シーレーンを保安するのは高地性集落、灯台、のろし、太鼓、ほら貝、太鼓、鏡、
長距離航行に不可欠な天体地図等だが、古代出雲大社とか、吉野ヶ里とかの
見通しの効く建造物の必要であったことであろう。出雲から沖ノ島は見えないかな。
隠岐島なら射程距離内だろう。山伏の帽子なども航海中に天水を取得するには
非常に便利だ。そして持衰、生口をバラスト調整に積み込んで神に祈る。
818がいやまん:2006/07/23(日) 10:40:36
そういえば白山も、金毘羅さんも、長白山も天池がある。水の神に海難厄除けを
いのるのであろうか。
819がいやまん:2006/07/23(日) 10:53:56
太鼓・鏡では敵味方・階級・SOS等のモールス信号にも似た合図があったのではないか
と思う。
820がいやまん:2006/07/23(日) 11:09:03
>>817
萩市見島を経由すれば多分、出雲・見島・沖ノ島・対馬・釜山でがっちりした
シーレーンが確保されたはず。これで出雲大社の謎も解けた。後は隠岐・丹後・
敦賀・近江・奈良と楽勝。
821がいやまん:2006/07/23(日) 11:17:14
話は変わるが、内行花文鏡、方格規矩鏡等というのは古代航海時代、三角縁
神獣鏡というのは古墳葬礼陽といった感じがする。
822日本@名無史さん:2006/07/23(日) 11:44:38
>>816

その近畿・中部の朝鮮に近い遺伝子つうのは、この表のどれに当たるんだべか?
http://www.pag1u.net/kodai/hla.html
823日本@名無史さん:2006/07/23(日) 11:45:12
靖国参拝をしよう!!! 8月15日 正午集合
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/event/1153481083/
興味がありましたらイベント企画板へ来てください。

そして、できれば足跡を残してください。
824がいやまん:2006/07/23(日) 13:42:43
>>822 HLA では B44-DR13 2 900年前 ← 2500年前 1
これはY染色体ハプログループO-47zにあたると思う。
825日本@名無史さん:2006/07/23(日) 14:57:05

甕棺で見える韓半島西南部及び南部の状況

実は韓伝では半島の中央部及び東南部については今まで見てきましたようにかな
り詳しい記述があるのですが、西南部については見るべき記述がありません。その
一帯を含めて馬韓であると思われるかも知れませんが、馬韓は半島の西側中央部
付近にあったと考えられており、南に下がってくるのは後の百済の時代に高句麗に
圧迫されるようになってからであります。当時はまだ西南部までは勢力は及んでいな
かったと考えられます。



では西南部はどうなっていたかということですが、倭人が居たと考えるのがすんな
りと説明できるように思います。根拠の一つは甕(かめ)棺墓です。ご承知のように甕
棺墓は日本では弥生時代の北部九州を中心に発達した独特の墓制で(他の地域で
は見られない)、素焼きの大型の甕棺に死者を葬るものです。同じような甕棺墓が韓
半島西南部を流れて木浦にそそぐ栄山江の流域を初めとして韓半島の西南部及び
南部一帯から沢山発掘されています。
826日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:07:52
甕棺の源流は中国に見られます。中国では甕棺に子供を葬る風習が全土に広ま
りましたがその年代は放射性炭素(「はじめに」参照)による測定の結果紀元前4000
年ごろと考えられます。同2500年ごろには子供だけでなく、成人も甕棺に葬るところ
もでてきました。このころのものは形(合わせ甕棺)が北部九州のものとそっくりのも
のもあります。大きさは子供用のものは全長80センチほど、成人用のものは180セン
チくらいのもあります。中国全土ではその後、この風習は消滅するようです。その理
由としては時代と共に北方系の木槨・石槨・石室等の墓制が浸透したことによる影
響だと考えられます。これまでにわかっている限りでは、最後まで(戦国時代終わり
ごろまで)甕棺の風習が残っていたのは長江河口地域です。
827日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:09:12
長江河口地域での甕棺の風習が見られなくなる頃から北部九州で甕棺の風習が
始まったと考えられます。それから遅れて韓半島南部でも甕棺の風習が始まること
を発掘結果は示しております。残念なことに現段階では日本と同様に韓国でも土器
編年が主流で放射性炭素による年代測定は殆んど行われておりませんので甕棺の
風習がはじまる正確な年代はわかっておりません。一応、北部九州では紀元前2世
紀末ごろ、韓半島南部では4世紀ないし5世紀とされておりますが正確な測定が行
われれば今少し古いことが明確になると考えられます。(一部ですがそれを裏付ける
データも得られております)
828日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:10:28
韓半島の北部からは甕棺墓は全く見つかっておりません。このことから考えて韓
半島南部の甕棺の風習が、古代中国から韓半島の北部を経由して伝わった風習が
時間を経て残ったものである、とは考えにくいようです。また、長江河口地域から直
接伝わった可能性も考えなければなりませんが、北部九州に比べて時間的にかなり
差があることからそれも考えにくいようです(長江河口地域で風習がなくなって何百
年も後に伝わるとは考えにくい)。尤も、北部九州と韓半島南西部及び南部の甕棺
は多少形が異なっていますがこれは甕棺の作り手の違いとして理解できる範囲だと
考えられます。以上のことから甕棺墓は長江河口地域→北部九州→韓半島南部へ
と伝わったと考えるのが一番理解し易いのではないでしょうか。
829日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:11:45
従来、東アジアの文化伝播ルートとしては、中国→韓半島→日本、或は、中国→
日本というような線は考えられても、日本→韓半島という線はあまり考えられてこな
かったようです。少なくとも甕棺に関しては日本→韓半島という流れを考える必要が
あるように思います。

ここで少し考えて頂きたいことは、墓制というものがそれだけで単独に伝わるもの
なのか、ということです。ごくわずかの例外もないとまでは申しませんが、墓制を守る
人々の移住に伴って伝わるものであると言うことに異論は挟みにくいのではないでし
ょうか。しかも長江河口地域と北部九州との間には広い海が横たわっています。そ
の海を隔てて単に墓制だけが伝わったとは考えられません。必ず人の移住があった
はずです。そうだとすれば、長江河口地域から北部九州へ甕棺文化を伝えた人々の
移住の痕跡があるはずです。
830日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:20:40
え〜〜っ 韓国の全羅南道一帯は北部九州倭人の国だったのか!
831日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:23:31
>>824
900年前だから新しくないか、その遺伝子?
832日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:27:10
>>830
倭人が半島南部にいた事は、大陸の古文書にはたいてい書いてあります。
後から来た連中と混血したか、列島に逃げ出した椰子が多かったと
思います。
833日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:29:15

今でも韓国人と日本人の墓制は全く違うしな(これだけ交流が有っても)
全羅南道一帯に甕棺墓や前方後円墳があると言う事は純粋に倭人達の国
その北部に百済系の国が有った漢江あたりまで。
この状態で何百年も続いた、これで東夷伝、日本書記の話が理解できるな!
834がいやまん:2006/07/23(日) 16:33:49
>>825-829
甕棺についての情報ありがとうございます。こういうのもあります。
http://www.people.ne.jp/2005/10/24/jp20051024_54574.html
中日合同調査で墓や陶器が出土 甘粛省
http://www2.odn.ne.jp/nov.hechima/yayoijidai.html
日本列島に甕棺墓風習と水田稲作がセットで入ってきたにもかかわらず 甕棺墓は
狭い北部九州に限られ 水田稲作は 北海道を除く日本列島の全域に広がっている。
 これはどういうことだろうか おそらく 弥生時代の水田稲作には 甕棺墓とセットに
なった水田稲作と 甕棺墓に関係しない水田稲作の異なった二つの系統があった 
と解釈するのが素直であろう。 この推理をもう一歩進めると 北部九州の水田遺跡
にある水田稲作は 甕棺墓をともなう南インド系で 甕棺墓をともなわないで全国へ広く
波及した水田稲作は 拙著「安曇族」に記した 中国大陸系となる。 さらにもう一歩踏
み込むと 南インド系の水田稲作は その広がりから見て 弥生の産業革命に結び
ついておらず 弥生の産業革命に結びついたのは中国大陸系の水田稲作ということに
なろう。 したがって 水田稲作による産業革命が起きたきっかけを弥生時代の開始
年代とするならば 紀元前5世紀に固定してもいいのじゃないかと思うがいかがなもの
だろうか。

安曇族はいいことにして、南インド系は、漏れとしては甘粛方面の小麦栽培技術
(小河墓遺跡参照)が渤海湾沿岸地方で長江河口方面からの稲作技術と合体
し、それが列島内部で再分列行進となったと考えたいところなんですがね。
そして、甘粛方面から九州に入るのは羌、テイなどのYAPプラス遺伝子ホルダー
であったと。

835日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:02:06

>>833 上の方に有ったスレだけど

『梁書』百済伝には「其國近倭、頗有文身者」と書かれているそうだ。
つまり、百済は倭に近いので、文身するものが頗る多い」という意味
である。

この意味が良く理解出来ますね! 
近いと言うより国の境がはっきりしない位、一体の状態だな。



836日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:35:16
韓半島北部とは民族構成や文化が異なったらしく、入墨をした倭人は
いなかったらしい。
837日本@名無史さん:2006/07/23(日) 19:06:31

半島南部は戦前の満州国状態、そして半島東海岸北部からは
エベンキ系、沃姐人、ワイ狛人が侵入して来て新羅をつくった。
まるで満州国にロシア人、モンゴル人、中共が侵入を狙って居た様に
そして百済の白村江で終了ってとこか!
838日本@名無史さん:2006/07/23(日) 21:55:51
アホが多いな。
甕棺墓(土器棺墓)が日本に出現するのは縄文前期中頃。BC35C頃。



青森県内の縄文時代早期から中期後葉の墓を集成し、埋葬方法の種類と
移り変わり、配置についての基礎的な分析を行った。青森県内の埋葬方法は、
早期後半に大半が出そろい、前期中葉に土器棺墓、前期末葉にフラスコ形
土坑が出現して副葬品の量にも差が生まれる。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/special/koubo_sha.html

839日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:13:42
中国ではBC40C頃の甕棺墓があるらしいから、日本列島へ波状的に
来た可能性がありませんか。
840日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:23:46
>>834 南インド系の水田稲作・・・そういえば五島列島あたりでインド系
楽器、子持ち何とかというのが出土したというニュースもありましたね。

 大野晋がタミル人渡来の物証とかで喜んでいた。しかし、安本美典氏の
説ではビルマ語系江南人とかでボド語族はアッサム地方に居るので北東印度
ということになってしまう。
841日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:26:43
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1153660796/l50

【芸能】NHK朝ドラ「純情きらり」ヒロイン・宮崎あおいと同棲が報道された高岡蒼甫、2ちゃんねらーに宣戦布告「たまには外に出て陽を浴びろ」

そもそもなんでそんなに必死なんだよ。しかもネットの中だけで。
じゃあその必死さで君らが日本変えてくれよ。世界変えてくれよ。大歓迎。
自分はそういうタイプの人間じゃないだけで、彼らにとって
某巨大掲示板がお友達でもいいだろう。 別に否定はしない。
それで救われてる奴もたくさんいるだろうし。
(内容は知らないが)一時期流行った電車男みたいに。

ただ俺が嫌いなのは、その逆もあるってこと。誹謗中傷もある。
それはやめなよ。何が楽しいのかと。何が悲しいのかと。
みんな必死に生きてるんだし家族もいる。守らなきゃいけないものもある。

どう思おうが勝手だけど、たまには外に出て陽を浴びてほしい。

http://sense-sense.jugem.jp/ (削除されたのでこちらに保存してあります→http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2006/07/22_01/image/03_02.jpg
842日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:27:05
黄河や長江が洪水になり、村ごと流され流木などにつかまり4、5日
海に漂っていたら、九州か出雲、能登、辺りに漂着した
こんな人達4000年の間に相当数、いると思うな。
沖縄の漁師が伊豆諸島に流れついた話も聞いたことあるな。
843日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:33:01
長江流域に甕棺墓が出現するのはBC30C頃。つまり日本の方が早い。
やはり仰韶文化から朝鮮経由で伝わったのだろう。



屈家嶺(くつかれい)文化【湖北省】
(紀元前3000?〜紀元前2600?)
1954年、湖北省京山県屈家嶺で遺跡が発見されました。
出土土器は黒陶を特色とします。
大渓文化を継承し、職集団の分業化が進み、城壁都市が出現しており、
城内には運河もありました。
甕棺墓の副葬品から、貧富の差があったことがわかっています。
http://www.allchinainfo.com/history/period/changjiang.html

844白馬青牛:2006/07/23(日) 22:40:00
話が墓制の話になっておるが、甕棺は華北に起源があり、北部九州や朝鮮
半島南部に見られ、人骨から北方新モンゴロイドであり(文化的には
南方民族要素が強い)、一方、支石墓は、朝鮮西海岸から九州西部に
見られるが、西九州の人骨に限って云えば、古モンゴロイドの縄文型で
あり、九州北部の甕棺の被葬者とは人種が違う。倭人は人種的概念でなく、
北方系、南方系の多種族が混合した漁撈民の文化概念じゃろう。
波の高い東シナ海〜日本へ直接文化流入する可能性は低い。航海の軸線
から山東半島あたりで南北両要素が混合した可能性の方が高い。
ウルルンが始まるので、ここまでとする。
845日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:54:26
何で縄文前期中頃から弥生前期中頃までの渡来人前の
甕棺墓の埋葬人骨が北方新モンゴロイドなんだよ。

それに何で河姆渡遺跡に見られる南方系の木製鋤、黒陶、釜・甑・鉢
などの器形や水田が縄文期に無いのかよーく考えなよ石頭くん。
846日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:36:41
文化で調べるより発掘物の埋葬人骨DNA調べればいいのに。
何十億円かかるかわからんけど。
847日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:36:51
>>844
同意です。東シナイ海航路は危険です。
山東〜遼寧付近から、海路半島南部へ向かった可能性はありますか?
半島北部には甕棺が見当たりませんし、より日本の文化に近いのは、
半島南部です。甕棺の出現年代は、日本列島の方が半島南部よりも
ずっと古そうですが。

>>843
爆発的に流行する時期がより大事だと思います。
848日本@名無史さん:2006/07/24(月) 00:09:49
俺が思うに、縄文稲作も甕棺墓も高床式も、5〜6000年前に遼東・朝鮮経由で
日本に伝わったが、日本ではそこそこブレイクしたが、伝来先の
遼東・朝鮮ではあまりブレイクせずに短命で消滅していった文化だと思うね。
849日本@名無史さん:2006/07/24(月) 00:37:09
>>848
ブレークしないどころか、半島南部では大ブレークですよ。
但し甕棺の出現年代が、日本のほうがはるかに古いのです。
高床式も日本のほうが古く、スケールも規模も圧倒的なの
です。
850白馬青牛:2006/07/24(月) 00:43:26
>>845
弥生中期以降の渡来系弥生人のことを云うたんじゃが、龍山文化に代表的な
黒陶が江南にあっても全体的に南方系と云う根拠は?
>>846
篠田謙一氏のDNAでは、遼寧・山東・朝鮮の集団に近いとされてますが。
>>847
航海の軸線から山東、遼寧から、海路で半島南部へ行った可能性は強いで
しょう。半島北部は出土品が乏しいと云うか、詳しく解ってないでしょう。
彩陶や黒陶は遼東半島まで及び、北朝鮮の雄基にもありますね。また
三足土器も、熱河蒙古〜満洲の松花江流域近くまで広がっております。
黒陶文化がモンゴル・ツングース系によってもたらされ、櫛目文土器が、
古アジア系のニブヒ・ギリヤーク系とも考えられます。墓制は、現地民の
影響も受けるので、墓制から種族集団を特定することは、難しいで
しょうね。彩文土器を使うた民族が必ずしもイラン系でないように。
物質文化だけで民族は特定出来ません。成人用の甕棺は、北九州から
半島南部へ行ったと云えるでしょう。しかし日本文化と云うより九州北部
の文化で、弥生後期、鳥取の青谷上寺地遺跡の文化とはまた違うでしょう。
851日本@名無史さん:2006/07/24(月) 00:51:19
>>850
DNAに関しては、先生方によって諸説あるようなので、
断言はできない状況ではないでしょうか?
ブリヤートと仰られる方も、江南と一致したという
方もいらっしゃいます。
852白馬青牛:2006/07/24(月) 01:06:15
>>851
先生方によって諸説とは、どのようなものですか?具体的に。
そのブリアートや江南と一致するとされた方は、誰ですか?
853日本@名無史さん:2006/07/24(月) 10:50:38
俺が思うに、縄文稲作も甕棺墓も高床式も、5〜6000年前に遼東・朝鮮経由で
日本に伝わったが、日本ではそこそこブレイクしたが、伝来先の
遼東・朝鮮ではあまりブレイクせずに短命で消滅していった文化だと思うね。

それが数千年の時を経て日本から朝鮮に逆輸入された。
854日本@名無史さん:2006/07/24(月) 12:21:08
>>850
弥生中期以降なら弥生中期以降と先に言っとくれ。
弥生中期以降ならそれで何も問題ない。

河姆渡文化が南方系だと言うのは、釜が南方地区新石器文化の特徴と
見解されているため。

もちろん釜なんて器種は日本には古墳期まで伝わってない。
南方系の渡来人の線はほとんど無いと言って良いだろう。

それと黒陶、三足器などの華北の影響も内蒙古南部・満州南部・朝鮮北部まで。

それ以北は別の文化圏になってくるので黒陶文化がモンゴル・ツングース系
と言い切ってしまうのはちょっとどうか?

やはり遼東の華北系文化が満州南部・朝鮮北部に拡散したと見た方が無難であろう。
855日本@名無史さん:2006/07/24(月) 12:26:25
周知のことなので話題にならないのかも知れないが、素人考えだけど、稲作というのは
温暖な気候と水の便に依存している。灌漑用水の技術が用いられるようになると広大
な平地も水田化されるが、初期の水田は側に里山がないと水が取れない。明日香の風景
を眺めても、山とそこそこの平地でしか水田ができなかったのかなと思う。(後、段々
広い所へ移っていく。棚田はその点巧妙な手法だが人手と石垣技術が要る。)
都を海岸でなく盆地に作るという習慣も、食糧・水田の確保がキーではないだろうか。
(海岸では敵に襲われやすいというのもあるが、これは人が海運に依存している証左
 でもあろう。九州北部も低い山と平地が繋がっている。)
こういう視点で見ると、半島は南部は水田適地がありそうだが、北部は少ないのでは
ないだろうか。今でも見る写真では、畑作が多いように思うが、どうだろうか。
畑作で食うや食わずでは、墓を営むような余裕はないのではなかろうか。
こういう議論は済んでいるなら、スレ汚しコメン。
856日本@名無史さん:2006/07/24(月) 12:36:52
日本の神々が最初に住んでいたのは滋賀県
857日本@名無史さん:2006/07/24(月) 14:09:40
>>812 沖縄とは「沖の倭」ということですか?
858がいやまん:2006/07/24(月) 14:31:20
ウチナーなんていうものの、やはり、沖、隠岐、息長などに含まれる沖と
宇和島、淡路等の大倭(オオワまたはアワ)の合成ではないかと。久米島
等は久米兵士が防衛に当たっていた国境の島かな。
859日本@名無史さん:2006/07/24(月) 14:52:10
沖縄人、アイヌ、そして関東〜東北にも多い毛深いタイプはどこから来たの?
日本周辺じゃ南方にも北方にも毛深いモンゴロイドいないけど。
ちなみに私は山梨の山間部出身で非常に毛深く、金玉袋にも毛が生えてます。もちろん耳垢は湿っていて腋臭も強い。
860日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:17:15
>>857
魏志に出てくる「裸国」とかはそうかも知れん。
沖縄は暖かいから、夏場は、上半身裸・フンドシ一丁でもOKだ。
861日本@名無史さん:2006/07/24(月) 21:50:40
弥生人のDNAは古代中国人
さて、その絹織物と養蚕技術の伝来ルートとしては、従来の定説では、華北〜朝鮮半島経由だと
されてきた。ところが吉野ヶ里遺跡から発見された四片の絹織物を鑑定したところ、江南地方で
ある「華中」に特有の蚕である太い「四眠蚕」であることが分かった。このことから大陸文化の
(=弥生文化)の伝来は、長江流域の江南からの直接ルートが強く推測される。
 そして、最近、日中の「江南人骨日中共同調査団」の調査結果(1999年3月)が、その直接
ルート説をさらに補強した。これは、江南地方の紀元前5〜8世紀の人骨と、福岡県筑紫野市出
土の人骨(紀元前後)について、「ミトコンドリアDNA分析」という方法で、塩基配列を比較
したところ完全に一致したというものである。
 以上のような事実をつなぎ合わせると、大陸の華中(江南地方)から直接、吉野ヶ里など北部
九州へ渡来人がやって来た可能性が強くなり、大陸文化の伝来についても、華北〜朝鮮半島経由
以外に江南からの直接ルートの存在を強く示唆される。
 これまで、大陸との交流というと、魏と邪馬台国というように、魏(華北)の地域との関係が
どうしてもクローズアップされがちだった。しかし、吉野ヶ里遺跡の絹片や人骨の分析により、
呉(華中=江南)地域との交流の存在が実証されたというわけである。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=65883
862日本@名無史さん:2006/07/24(月) 21:52:33

一九九九年三月一九日ニュース報道。江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博
物館名誉研究員が団長)は、江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十
七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、歯を調査。特に、歯からD
NAを抽出して調査し、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の
梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列
の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。
863日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:04:55
>>858 そういえば邪馬台国=宇和島(大倭島)説というのもありましたね。
愛媛=女王国とか。

 沖縄=沖ナ倭はちょっと出来すぎのような気もしますが。
864日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:08:50
>>859 胸毛、背中の毛は少数派だが、玉袋の毛は誰でも生えているのでは?
865日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:36:10
おれのさおにちょっとはえちぉる
866白馬青牛:2006/07/25(火) 01:31:23
>>854
南方系の渡来は、弥生・古墳期には直接的には少なかったと思うが、
間接的に朝鮮半島南部の南方系が入った可能性はある。また縄文期は、
港川人や江南の玦状耳飾等の文化が流入しとる。
三足土器、特に鬲型土器の文化は、黄河流域より北の長城・内蒙古
オルドス地帯に中心があり、それが南下して中国の三足土器になったとも
考えられると江上波夫氏は云われたが、時代が遡るほど、長城以北の
牧畜民と華北の文化は近いので、あり得ると思う。それ以北は、
シベリアの櫛目文土器文化圏。
>>861862
わしの意見は、嫌韓厨の集う『日韓同祖論を滅ぼせ!!』に書いとるけえ、
ここでは簡単に、渡来系弥生人との関連で一部と全体は違う。また全体と
しては江南よりも、遼寧や山東の方が近いであろう。江南に結びつけたい
人が多いね。他に樋口隆康氏とか。
867日本@名無史さん:2006/07/25(火) 06:54:23
>>852
これ、私の勘違いかも知れません。
誰かが指摘していますが、この調査に当たったのも篠田先生でした。
春秋〜前漢時代の人骨と渡来系弥生人の配列がよく似ており、特に春秋
時代の3体と弥生人が一致したという話でした。これが、99年の調査だと
思うんですが。

>ブリヤート

これは、NHK以降の大騒ぎですよ(苦笑)
868がいやまん:2006/07/25(火) 12:53:55
>>861
徐福のようなコースだが、韓国に何も残らないのが不思議だ。細烏女が新羅に
絹織物のようなものを下賜したといい、細烏女は三国人のような感じだ。楽浪にいた
倭人の海人族が中継したのだろうか。
869がいやまん:2006/07/25(火) 13:07:32
>>868
高度に組織された技術移転を伴うことだから何らかの政治的意図があったとしか
考えられないが、歴史上日中間でありえるのは徐福の件だけだ。百工の一部かな。
ありそうなのは海人族の要求を受けたと見られる第二次渡海の時だ。
870日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:19:20
玦状耳飾も遼東・朝鮮経由だろう。


興隆窪(こうりゅうわ)文化の発見はその一つである。この文化は内モンゴルと遼寧省西部の
墳にある興隆窪遺跡によって名付けられたものであり、今から8000〜7000年前の文化で、
東北地方で最も古い新石器時代文化である。

興隆窪文化の石器は打製の鋤が一番多く、そのほか石皿、磨棒、スクレーバー、石庖丁、磨製石斧
などがある(図4)。また玦状耳飾り、擦り切り技法で作られた玉斧、玉管と玉匙(ぎょくひ)
などの玉器も出土している(図5)。玦状耳飾りは今まで最古と言われていた河姆渡文化のものより
ほぼ1000年古く、東アジアで一番古いものである。
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm
871日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:34:37
>>862
>>江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)

若干暴走気味で有名な鳥越先生の著書に、徐国(安徽省中心)の建国神話が卵生神話で、これが
半島に伝わり、日本にも変化して伝わったような事が書いてあったようななかったような。
(うろ覚えですたい。)
872日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:39:43
>>870
逆に古過ぎない?

その手の耳飾なら、日本周辺のあちこちで出土しているよ。
もっとも、一番タイプが似ているのはどこか?って事が重要に
なるんだろうが。
873がいやまん:2006/07/25(火) 13:43:11
YAPというY染色体遺伝子は稲作に先行する照葉樹林文化と関係があるのでは
と考えていたが、中国でそんな形跡がなく、ボトルネックとなり、四苦八苦してい
たんだが、興隆窪文化と三内丸山の類似、そして、中国西北、西南の環境異変
を考えると、なぜ日本にこの遺伝子が生き残ったのかの大きな謎が解けそうだ。
874日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:46:31
>>870
豚の飼育が行われていた?っていのが興味深いね。
けっこう高度だ。
875日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:59:12
興味が尽きない。

三内丸山の縄文人は、ホリの深い顔立ちだと思うが、
その当時の中国東北も、ホリ深い顔のYAPホルダーだったのか?
876がいやまん:2006/07/25(火) 15:36:34
だろうね。そして環境異変により消滅。日本は世界遺産の白神山地ブナ原生林
と共に生き延びた。・・・こいつは欧州のYAP-E型についても適用できるかなー。
欧州の農業浸透には先行する森林文化があったということで。
877日本@名無史さん:2006/07/25(火) 15:56:05
>>872
いや、古くない。
同様のピアスの出土年代は、江南よりも日本のほうが古くなるので、
年代別では、中国東北文化圏>日本列島>江南、か。
878白馬青牛:2006/07/25(火) 23:18:14
>>867
篠田氏は、渡来系弥生人を江南でなく、遼寧、山東等華北を中心とした
地域集団と近いと云うことではないでしょうか。
http://homepage.mac.com/azsyano/Personal10.html
南方系の雲南や北方のブリアートは、縄文人とも関連しますね。
>>870872
玦状耳飾については、わしの方に誤認があったので反省します。
http://www.nihonkaigaku.org/03f/i031213/t1.html
の5にも、結論(ー技術の違いによる二大文化圏ー)で日本は非ロクロ系で
北方系の特徴、南中国、台湾、ベトナムは、ロクロ系で図3にも出ており
ました。篠田氏のDNA縄文期の、遼寧方面の影響と関連出来る要素です。
「原モンゴロイドが新モンゴロイドの伸張によって周辺に押しやられた姿を
示しているようにも見える」とも云えますね。日本列島でも周辺部は、
古いタイプが残っておったことと同じでしょう。日本列島周辺の
ハツカネズミのDNAで、東北北部や北海道が中国南部、台湾、フイリピン
のカスタネウス型(他の日本列島は東北アジアのムスクルス型)や、
港川人骨と中国南部広西の柳江人骨の類似等、縄文期の南方要素は
ありますが、縄文期の北方要素も否定し難い。中国東北文化(蒙古の熱河・
満洲地域)は、高度な文明が営まれ、三足土器、後の燕文化、遼寧青銅器
文化、政治的にも北朝や扶余・高句麗等多大な影響を与えております。
879日本@名無史さん:2006/07/25(火) 23:56:24
>>878
どうでしょう?
確か江南人骨の解析を行ったのも篠田先生で、そのとき一致を確認しています。
880日本@名無史さん:2006/07/25(火) 23:58:14
>>878
そちらのリンク先、混み合っているのか、今開けないようなので、
後で拝見してみます。
881白馬青牛:2006/07/26(水) 01:22:35
>>879
江南は北方系と南方系の分岐点でしょう。形質や遺伝子でも云えます。
江南をどの地域から指すのか?難しいですね。山東沿岸は抜歯等文化要素
から江南系と見做すか?歴史・農業の畑作・稲作の生業から淮河を南北の
違いと見做すか?江南の言葉通りでは長江以南を江南となる。
形質から現在の中国南部(越文化)人は低顔南方型で、中国北部人は、
高顔北方型とは云えるでしょう。華中デルタ地帯は、華北周人の系統
(同姓)の呉人が移住も北方系の南下の一部とも考えられます。
882日本@名無史さん:2006/07/26(水) 05:34:45
縄文人と弥生人の混血だろ。
883日本@名無史さん:2006/07/26(水) 05:36:24
国立博物館に骨格標本があるだろ。
884日本@名無史さん:2006/07/26(水) 10:15:38
>>878
この資料は、縄文・弥生人骨と“現代の”山東人、遼寧人、朝鮮人、あるいは
ブリヤート人、雲南人との比較とその結果確認された共通性では?

江南人骨調査は、同時代の骨と骨同士の遺伝子解析結果だったと思います。
885がいやまん:2006/07/26(水) 13:03:12
>>878
http://www.nihonkaigaku.org/03f/i031213/t1.html
要するにケツ状イヤリングは満州起源ということ、製造技術は非ロクロ、ロクロ
の二大文化圏に分かれるということですね。技術の複雑さから見るとこれも北方
が先で、それが発展して南方、ロクロ、になったのではないかな。複雑なものが
単純化されるとか考えにくい。
886日本@名無史さん:2006/07/26(水) 13:26:39
半月型石包丁も満州南部から。




龍山文化(紀元前30世紀−前20世紀)の特徴的な半月形石刀が、
吉林、永吉、?安、?春、通化、桓仁などで出土。

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus-tsusi/tungus-tsusi-1-gaiyou.htm



887日本@名無史さん:2006/07/26(水) 18:19:30
>>885
それって、今話題の「遼河文明」?
888白馬青牛:2006/07/26(水) 22:39:56
>>879884
篠田氏の江南人骨の解析とはこれですか?
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/yayoizin3.html
江南人骨35体の歯の試料から12体のDNAを抽出し、揚州市等の
江南人骨と北九州の渡来系弥生人骨との位置関係は、縄文人と比較すると
近い距離にあるように見える。春秋時代末期の江南人骨2体が、すでに
渡来系弥生人と共通の塩素配列を持っていたことであろう。何れも曖昧な
表現になっております。12分2じゃあ、苦しいですね。歯の大きさも
違いがあるようです。現代でも中国は南に行くほど南方系が増え、
渡来系弥生人と一致が少なくなるのも当然の事ですが、樋口隆康氏をはじめ
江南派の人達は少しでも一致があると日本人の起源は江南と云いたがる。
889日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:00:48
>>888
たぶんその時の調査です。
形質も含めて、縄文人にはあまり似ていなかったようです。
ただ、同時期の人骨(弥生)を比べた際に、形質的には全て弥生人の寸法に、
当てはまっていたようです。遺伝子レベルでは、春秋〜前漢時代の配列が
弥生人によく似ており、そのうち秋時代3体が弥生人が一致したそうです。

ただし、骨が古いのと個体数が少ないので、確定的な事が言える段階には
ないという事だったと思います。
890日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:00:53
流木が来るんだから、漂流すりゃ来るんだろうねえ。
891日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:02:37
>>889
>秋時代3体が弥生人が一致した→春秋時代3体が弥生人と一致した

失礼しました。
892日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:10:52
>>890

越前クラゲも上海あたりから流れて来ますぜ!みなさん迷惑してます。
893日本@名無史さん:2006/07/26(水) 23:14:45
>>889
98年11月からの調査ですね。ちなみに、春秋時代人の上顎の左右側切歯の
抜歯なども確認されています。

もっとも、単にそういう結果が出たというだけに過ぎません。
そこから何かを妄想する必要もないかと思います。
894白馬青牛:2006/07/27(木) 01:10:46
>>891892
波の荒い漂着ルートでは、文化や人の流入の根拠にならんよ。
交易出来る航海の軸線でないとね。
895日本@名無史さん:2006/07/27(木) 01:29:41
インドネシア語 目マタ、手タンガン、面ムカ>向かう、脚カキ>駆ける、
なども椰子の実とともに流れ着いたようだ。

896日本@名無史さん:2006/07/27(木) 11:06:26
菜畑遺跡に水田技術を伝えたまでは良かったが、
自郷の土器技術は伝えずに、異郷の土器技術を伝えてしまった
江南渡来人って一体?????


続く(かもしれない)
897日本@名無史さん:2006/07/27(木) 11:34:09
異郷の土器が本格的に広まるのは、4世紀だ。
898がいやまん:2006/07/27(木) 12:42:35
白馬青牛さん、
>>連続する複数の書き込みに言及する場合>>aaa-zzzというように数字列aaa、zzz
等の間を英数字のハイフンで結ばないとエラーとなってしまいます。今後とも有益な
書き込みをよろしくお願いします。
899白馬青牛:2006/07/28(金) 01:07:07
>>890-892
漂流ルートでは、交易するにも安全な航海は出来んよ。
>>898
ご教授有難う御座います。がいやまんさんの古代北ユーラシアの岩画や
出土品、地図方位による文化要素等の知識には感心しております。
(わしの場合、有益な書き込みになるかどうかは解りませんし、駄文です
けど)こちらこそ、よろしくお願いします。
900890:2006/07/28(金) 13:21:59
>>899
漂流では、意思をもった行動にならないから、学会なみの議論は成立し難いのは
分かるが、(時代は違うが)ジョン万次郎とか大黒屋光大夫とか、偶然がきっかけ
で、歴史の軌道が修正される例もある。偶然が最初の知識になる。

司馬遼の「街道を行く」が史書とは言わないが、「韓のくに紀行」に半島から冬は
対馬にやってきて春になると半島に帰るという記述がある。風の向きが丁度いいら
しい。これを思い出したわけではないだろうが、今対馬では町おこしに半島の人用
のリゾートを作るという。
潮の流れ、風の向きは人の記憶を長くするものかと思う。
(といいつつ、出水、垂水とか水害の多い地域を名前に残しておきながら、また
水害に遇う悲劇もある)
901日本@名無史さん:2006/07/28(金) 18:46:10
>>900
ペニシリンの発見とかね。
唐代の女性の化粧も、額に落ちた花びらがきっかけだっけ?(ふしぎ発見)
902日本@名無史さん:2006/07/28(金) 19:56:37

【黒色磨研土器】 縄文後期(BC11C〜13C)

 縄文土器のうち、表面をヘラなどでみがきあげた土器を磨研土器といいます。この種の
土器ははじめ赤褐色であったが、後期ごろから黒色化する傾向をしめし、ことに九州を
中心に後期後半ごろから、器面が黒色の光沢をもちロクロを使用したと思われる、
黒色磨研土器が普及します。この土器は、縄文文化独自の形成とみるべきではなく、
江南の各遺跡から多量に出土している黒陶の関係をかんがえなければなりません。

**鴨緑江流域一帯の積石塚からは褐色磨研土器、黒色磨土器、灰色土器などの土器類と
環頭大刀、合口、槍、鉄斧などの鉄製武器、銅鐸、透彫り文装飾、小釘打ち薄銅版の青銅器
と装飾品が出土し、褐色磨研土器と黒色磨土器は紀元前3世紀の遺物として認められている
http://www.himawari.ed.jp/nuki_e/nukigawaiseki.htm
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/sousetu/sousetu1-1.htm
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/category/hakubutsu/kouko2.html
http://www.vill.tsumagoi.gunma.jp/siryoukan/kannai.htm
903日本@名無史さん:2006/07/28(金) 20:18:22
縄文人が半島南部に移住して弥生土器、須恵器作ったかもしれんな!
なかなかセンス良いしシャープやな縄文とは思えんな。
904日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:15:05
長江河口地域での甕棺の風習が見られなくなる頃から北部九州で甕棺の風習が
始まったと考えられます。それから遅れて韓半島南部でも甕棺の風習が始まること
を発掘結果は示しております。残念なことに現段階では日本と同様に韓国でも土器
編年が主流で放射性炭素による年代測定は殆んど行われておりませんので甕棺の
風習がはじまる正確な年代はわかっておりません。一応、北部九州では紀元前2世
紀末ごろ、韓半島南部では4世紀ないし5世紀とされておりますが正確な測定が行
われれば今少し古いことが明確になると考えられます。(一部ですがそれを裏付ける
データも得られております)
905日本@名無史さん:2006/07/28(金) 22:17:48
これ>>902と比べて見てよ、よそに有ったコピーだけど黒陶だな

17番の「陶釜」なんて雰囲気がよく似ているんではないかい?
他にも色々あったが、面倒なので一個だけにする。

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
906白馬青牛:2006/07/29(土) 01:40:06
>>900
漂流では、漂着先で定着することは難しい。船舶技術史の石井謙治氏も
漂流者が文化の根をおろしたことはなく、ある程度の力がないと、
『バタン漂流記』のよう奴隷か殺されるかで消えてしまう。とされる。
渤海の使節が出羽に漂流して、蝦夷に殺されたこと等考慮すると、
余程渡来者は、原住民より、軍事、経済、技術で優位に立たんと、
原住民に喰われる。
朝鮮半島〜日本は航海の軸線であり、行って帰れると云う交易路でも
あったとは云えます。
907日本@名無史さん:2006/07/29(土) 02:14:17
漂着した人間が漂着先に多大な影響を与えた例としては、種子島へ漂着した
ポルトガル人が日本へ鉄砲を持ち込んだのが、大きかっただろうな。
戦国時代を終わらせるほどの影響があった。

 古代でも稲のモミや、武器、伝染病を持ち込んだということはあったの
では?
908日本@名無史さん:2006/07/29(土) 03:52:07
909日本@名無史さん:2006/07/29(土) 04:23:11
日本人の顔ってどうみても北方系が多いよな。
ということは、DNA的には弥生系が主流で増えてきたにちがいにない。
言語も朝鮮語と相性が高いそうだ。
しかし、それ以上に琉球語と親密だ。
沖縄は、どう見ても南方系の顔。
言語ベースは南方系が主流のように思える。

ということは、南方系の集団にちょこっと北方系が混ざり言語的に南方系に従属する。
またちょこっと北方系が混ざり言語的に南方系に従属する。
またまたちょこっと北方系が混ざり言語的に南方系に従属する。
またまた・・と逐次的に混ざりつつ、DNA的に北方が南方を凌駕していったのではないだろうか?

稲作は縄文時代からあったらしい。
南方系はけっこう人口が多かったはずだ。
渡来人が数百部落移民してきても、包み込むだけの勢力はあったと思える。

さて、貴族文化を見ると、
美意識は今とことなり、北方系の顔を良しとしている、
今の美意識は西欧のような彫りの深い顔を良しとする風潮だが
これは、当時の人種の占める割合と関係性があると見て良いのだろうか?
舶来品を好むのが日本人だが、昔もそうだったのだろうか?

支配者は北方系だったのか、南方系だったのか。
渡来人と好きこのんで婚約する庶民は多かったとは思うが
貴族はそんなことをしていたのだろうか。
910日本@名無史さん:2006/07/29(土) 04:56:40
まあ、民俗学的な古層をひっくり返すには、虐殺か圧倒的な数の支配だよなw
今から沖縄本島を完全遮断しても新モンゴロイド化は止まらんからよ。

面は北方ずらで民俗学的には、あっち系と言うおかしな現象も起こるだろw
911日本@名無史さん:2006/07/29(土) 05:07:33
しかし、今の台湾を見るに
若者は台湾語より北京語をかっこいいという理由からよくしゃべるようだ。
これは、政府が中華民国から流れて樹立したことに関係するように思う。
今、台湾では、母語を積極的に使っていこうとする運動があり
これもまた政治的な思惑を考えさせる。

言語は案外、政治的に簡単に変更できるのかもしれない。
もっとも、これは近代の教育機構によって一極的な人材の大量生産を可能にさせたことに
起因するものかもしれないが・・。
912日本@名無史さん:2006/07/29(土) 07:42:22
>>909 沖縄は、どう見ても南方系の顔。

・・・沖縄人はフィリピン人やインドネシア人に似ているか?南方より
アイヌ人に似ているという説もあるが。
913日本@名無史さん:2006/07/29(土) 07:53:16
>>911
これは、政府が中華民国から流れて樹立したことに関係するように思う。

・・・いや国民党系外省人がマスコミを支配しているのが原因らしい。

 民進党は台湾語擁護策を取っているようで、台湾は言語戦争の場にも
なっているのだろう。シナ本土でも上海語、広東語、福建語、客家語が
北京語に同化されることはあり得ないと思う。
914900:2006/07/29(土) 07:56:52
>>906
どの時期か、どういう人かというのを限定していないので、議論が成立しないのかも
知れないが、百済が滅んで亡命者が来た時、近江地方へ定住を勧めたということなど
を考えると、手付かずの地方が結構あったと想像する。ましてやそれ以前ではまだまだ
逃げ込む場所はあったろう。

傍証でしかないが、諏訪神社の所在地が点々としてあるのを見たりすると、当時は氏族
の固有の神を祭る習性があったことを考え合わせると、そのルートで奥地へ移動したと
想像できないか。

交易路の重要性を否定するものではないがが、交易路の発見にまさか船団を組んで海路
調査とかやったわけでもないだろうと思う。何日間が漂流して運良く帰った人が東へ行
くと緑豊かな島があったとか言ったと思う。どの星がどの辺に見えたとか知見が集積さ
れたのではないだろうか。
915日本@名無史さん:2006/07/29(土) 08:18:42
>>912
沖縄は、縄文人の顔だろう。
縄文人は。北方古モンゴロイドであって、南方人では無いらしい。
一昔前の定説では、縄文人=南方系 だったが、最近ではそうでは
ないらしいという話だ。
916日本@名無史さん:2006/07/29(土) 08:22:49
>>909
>舶来品を好む

これはそう。
特に近代以前は、色白で切れ長の目が美人とされたから、公家や武家は
競って薄顔美形と結婚したと思う。もともと先祖は縄文顔だったかも
しれないが。

ところが現在は、薄顔=平べったい顔、となってあまりイメージが良く
なくなった。だから、皇族も積極的に濃い顔の人と結婚している。
917日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:20:40
>>916
そんなこたーない。
現在こそ、うす顔、無毛の天下。濃い顔、多毛は男女ともにイメージ悪い。

「皇族も積極的に濃い顔の人と結婚している。」←馬鹿w
918日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:36:24
多分、鬼女板の読みすぎでマサコを「濃い顔」と勘違いしてるんだろうな。

「濃い顔」ってのは、男なら平井堅や川平慈英、村上弘明みたいな顔。
女なら仲間由紀恵や中山エミリ、遠藤久美子のような顔をいうわけで、
キコもマサコも全然濃い顔ではないんだがw

マサコは顔がむくんだせいもあるけど、普通に日本の中年オバチャンの顔。
919日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:12:35

【黒色磨研土器】 縄文後期(BC11C〜13C)

 縄文土器のうち、表面をヘラなどでみがきあげた土器を磨研土器といいます。この種の
土器ははじめ赤褐色であったが、後期ごろから黒色化する傾向をしめし、ことに九州を
中心に後期後半ごろから、器面が黒色の光沢をもちロクロを使用したと思われる、
黒色磨研土器が普及します。この土器は、縄文文化独自の形成とみるべきではなく、
江南の各遺跡から多量に出土している黒陶の関係をかんがえなければなりません。

**鴨緑江流域一帯の積石塚からは褐色磨研土器、黒色磨土器、灰色土器などの土器類と
環頭大刀、合口、槍、鉄斧などの鉄製武器、銅鐸、透彫り文装飾、小釘打ち薄銅版の青銅器
と装飾品が出土し、褐色磨研土器と黒色磨土器は紀元前3世紀の遺物として認められている
http://www.himawari.ed.jp/nuki_e/nukigawaiseki.htm
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/sousetu/sousetu1-1.htm
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/category/hakubutsu/kouko2.html
http://www.vill.tsumagoi.gunma.jp/siryoukan/kannai.htm
920日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:14:27
これ>>919と比べて見てよ、よそに有ったコピーだけど黒陶だな

17番の「陶釜」なんて雰囲気がよく似ているんではないかい?
他にも色々あったが、面倒なので一個だけにする。

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
921日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:58:05
アメリカに渡った人たちは、北方系?
922がいやまん:2006/07/29(土) 13:21:40
↓これはアメリカに渡ったのはバイカル・モンゴル辺りからとしている:
http://www.nyas.org/ebrief/miniEB.asp?ebriefID=357
923日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:22:43
縄文後期中頃に伝わった遼東・朝鮮経由の黒陶擬似の黒色磨研土器ね。

朝鮮半島の無文土器の遺跡では黒色磨研土器や丹塗磨研土器もよく出土する。

なぜ朝鮮経由なのかと言うと、黒色磨研土器が伝わった縄文後期中頃(BC15C前後)
の中国では既に原始磁器時代に入り、主流が灰陶であったのと、
やはり中国土器の代表器形である三足器形が無いからである。

それに甑や豆などの器形も無い。

また縄文後期(BC20C)と河姆渡文化時代(BC50C)では時代が3000年ほども
違う事もお忘れなく。
924日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:40:38
日本人は大陸・半島より古い血を多く持ちながら新しい血の文化を
積極的に取り入れることで発展してしまったブレンディ民族ということかね。
アイヌ・琉球は新しい文化と同化することを拒み、ただ自然と共に生きることをより好んだ。
日本人も、自然への憧憬をもつがそれ以上に集団存続の危機のとき
敵国文化を積極的に取り入れて、自然を逆に壊すことさえ厭わないように思う。
925日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:00:50
■歴代天皇【日本版ダヴィンチコード】■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1148778771/49-54

卑弥呼は、神功皇后ではないようだね。
卑弥呼は垂仁天皇と同時代の人間だから・・。

第13代=成務天皇の時代には、卑弥呼はすでに死んでいる。
926日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:30:02
>>925
天皇の年代を記紀のまま考えるのは意味ないだろう。

記紀にかいてあることは、なんらかの事実や古い言い伝えを
反映したものであるという見方に立ったとせよ、
(私はその考え方をある程度支持するが)
書いてある年代をそのまま信じるのはオカルトだろう。

神武天皇が仮に実在したとした場合、鏡や鉄器などの習俗からして
その年代は紀元後になるだろう。

岩戸隠れのエピソードは卑弥呼トヨ関係のエピソードではないかと思う。

アマテラスの存在自身は神話であり、中国江南を中心に大陸に広く類型的にある
3貴子伝承だが、岩戸隠れのエピソードは日本オリジナルで、
女王が立って戦乱を収め、死後に男王が立ったら国が混乱して、また女王を立てて収めた
という記憶を、類型的神話の中に織り込んであるように見える。

なぜなら、岩戸とは墓の蓋のことだし、再臨したアマテラスは性格が全く違ったからだ。
再臨したアマテラスは、何事もタカムスヒやオモイノカネに相談するようになった。
(以前は独断で決めていた)

アマテラスの系図を見ると、アマテラスの息子の嫁がタカムスヒの娘でオモイノカネの妹である。
この人が2代目アマテラスだと考えると、タカムスヒとオモイノカネに相談するのは筋が通る。
その人の名前は、萬幡トヨ秋津師姫命。台与がモデルなのかなと思わせる名前である。
927日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:08:26
しかし、わっかりやすい捏造をわざわざするかな〜と思ってみる。
当時の人間もそんな馬鹿じゃないだろう。
あくまで仮説としては聞くが事実として語られると違和感ありすぎ。

戦国時代の文書は各武家で戦の勝敗の見方がかなりちがうことがあるが
俺はすべて真実であると思う。あるいはすべて捏造だと思う。
なんちゅうか人間てありのままを見ることできんと思う。
928日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:52:49
>>923
朝鮮半島の無文土器の遺跡では黒色磨研土器や丹塗磨研土器もよく出土する。


朝鮮半島からのは、新しすぎないか、ロクロも定説と違うな(定説ではAD4C)
929日本@名無史さん:2006/07/29(土) 17:30:30
あっ み〜つけたあ〜

黒陶、灰陶、工作員は半島自慢してるって事は半島人か、在日か、
あちこちでコピペしてるな、毎日毎日ごくろうさんです、暑いけどがんばれ。
一日50ヶ所位コピペしてるん、儲け過ぎだよ少し回してくれよ!
930日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:49:13
>>908-909
言語の交じり合いは、日本ほど多いのはないんではと疑問に思った。
同じ意味の用語の言い換えは一杯あるし、方言もいろいろ。
908 では、言語からのルーツを探すのは投げ出したようにみたが、沢山ある用語を
仕訳けてそれぞれの語源を探すなんて、労多くして功少なしってことでもう止めた
ってことですか。
多くの用語に付き合ってきたせいで、ひらがな、カタカナ、漢字、横文字など
に抵抗感はなくなった代わり、一方英語は何年習ってもダメも多い。なんかあり
そうですよねえ。
931日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:04:42
>>918
この、たわけ----っ!!

川平滋英は、母親がアメリカ人だよっ。
932日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:05:44
滋英じゃなくて慈英か。
933日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:21:19
「高校生のための論理思考トレーニング」には面白いこと書いてあったな。
八百万の神様の思想があるとかなんとか。なんかこじつけくさいと思ったが面白くはあった

個人的には聞き取りが問題だと思う。
日本人は文語は得意でも、口語はまるきしだよね。本番一発で勝負するよりおうちでしこしこが好きな人種なんだね
934930:2006/07/29(土) 22:26:04
>>933
時間的空間的に多くのグループがやってきて、それぞれが固有の氏神さまを持って
いて、縄張り争いをするところは別にしてナアナアでやっているうちに、神さまは
みんなのを拝んで置かないとモメルってんで、神式ではああいう祝詞になったんか。
なんか納得するところある。
時も丁度、梅雨明けで各地の神社の御祭りが始まっているが、もう忘れてしまった
共通の祖先=氏神を持ち出して、お互いイジメ合うのは止めようとか、助け合おう
とか、意識無意識は別にして、確認しているんだろうねえ。

落下傘で領主になった殿様が、土地のお宮に寄進したりお参りするってのは、その
土地(住民)への表敬だもんな。
935白馬青牛:2006/07/30(日) 00:20:55
>>914
陸兵を従軍する時期を新航路を造った唐代より前とした方が良い。
逃げ込む場所を探すのも容易でない。交易路で、自由に移住言う出来る
ほど、移住も簡単では無く、少数では現地民に喰われるし、ある程度の
集団で渡来せんといけん。
渤海使節が現地民に虐殺されたのも少数であった訳で、オホーツク文化人の
ように、ある程度の集団で移住すれば、なめられることもない。交易路で
移住するとなると、海路調査とまで行かずとも、軍事力かあるいは経済力、
技術力に、原住民より高度な技術を持つ集団であったろう。倭人に対する
漢人商人のように。交易路は陸地の見える地域を目指したのであろう。
また漂流した部族において漂流先で、種を残した部族の実例も無い。
その場合、奴隷化されるのがおちであろう。
936日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:19:34
>>935
>倭人に対する漢人商人

文献等あれば、教えてください。
937白馬青牛:2006/07/31(月) 02:25:59
>>936
>935は、前文を削ったので可笑しゅうなった。波の荒い新航路は
渤海〜日本も含め、唐代以降ということです。
漢人商人については、>730に挙げたサイトの文を読まれると良いで
しょう。港市に漢人が出向いてなかったのであれば、倭人伝ももっと
曖昧なものになると思う。文化度の高い民族が交易に出かけ、文化度の
低い民族が隷属するのは当然で、例外の事例があるのであれば、挙げて
いただきたい。日本が島国で独特とかの一国中華思想ではなく。
938日本@名無史さん:2006/07/31(月) 12:59:09
>>937 倭国のシナへの隷属度は、海を隔てていたので、地続きの半島より低かった
のでは?まあ、楽浪郡という植民地を作るほどだから、当然、半島の方が隷属的
だったのだろう。

 漢人が海外進出して華僑が現地経済を牛耳るようになったのは、中世以後の話で
秦、漢時代に海外進出していただろうか?シナは大陸国家として拡大しただけでは
ないか?


939白馬青牛:2006/08/01(火) 00:27:46
>>938
『魏志』韓伝において、韓人は反乱を起こし漢人に抵抗しておるので、
倭人のように隷属、従順であったと云い難い。人種は別として倭人も
韓人も越系文化要素が強いが、倭人の方が漢人に隷属した海人系、
韓人の方は農民系要素が強いとも云える。朝鮮が海洋的になるのは、
高句麗・百済の影響が強いのであろう。統一新羅は海洋王国とも云えるが、
海賊の親分の張保皐が海民として新羅中枢部から軽視された事、
高麗期においても、楊水尺が賤視され事等、朝鮮は内陸の陸地民要素が
強かったのでないか。一方日本は、海洋王国新羅と違い、白村江以来
内陸国家的となったが、瀬戸内・九州沿岸の海洋性は無視出来ん。
漢人は、武帝が衛氏討伐の為、陸路と海路の両方を使うたが、海路は、
海を渡って朝鮮を攻めた。海軍を率いる楼船将軍は楊僕。王険城が容易に
陥落せんかったのは、陸軍と海軍の作戦不一致にあろう。我が国に
おいても帝国陸軍と海軍の関係同じようなもの。「史記、朝鮮列伝、
第五十五」に出ておるよ。黄海は後の、渤海の山東襲撃と遼東から
海路攻める場合もあり、山東・遼寧(満洲)・朝鮮は、黄海海洋文化圏とも
云える。中華帝国が大陸要素が強いのは事実であるが、海のシルクロードと
云われる江南〜東南アジアの南海路や黄海海民文化もあり、古代から
大陸要素だけで、説明出来ん。
940日本@名無史さん:2006/08/01(火) 01:54:41
>>939 海のシルクロードと
云われる江南〜東南アジアの南海路や黄海海民文化もあり、古代から
大陸要素だけで、説明出来ん。

・・・そのわりにはシナ人が台湾へ移住したのが清初というのは、どういう
ことなのだろう?華僑の進出も日本人の南方進出時代と変わらないようだ。

 倭寇が初期の日本人中心から後期のシナ、朝鮮人中心に変わって行った
のも日本人の方が先行している。

941白馬青牛:2006/08/01(火) 22:24:11
>>940
中国人が台湾へ移住したんが遅かったんは、東支那海流が北から南へ
流れ、沖に出ても黒潮は北上するので安定した航路でない。
しかも交易利益は南海路「真珠街道」の方が良く、東支那海の東側より、
南の扶南等の東南アジアの方面に関心があった。
倭寇以前に新羅人が北九州を度々襲ったので、日本列島の住民が先行しとる
と云えん。倭寇や古代の倭人が中国、朝鮮の海民も含むエスニック集団で、
列島住民のみでないことは同意。
942日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:25:52
>>941 倭寇以前に新羅人が北九州を度々襲ったので、日本列島の住民が先行しとる
と云えん。

・・・それ以前に倭人が渡海して新羅の王城を7日間?ほど包囲したり、高句麗と
戦ったりしていたので、列島住民の方が先行しているのでは?このときの倭人は
エスニック集団ではなく倭人のみと思われる。

943日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:05:18
神様
944白馬青牛:2006/08/02(水) 01:36:42
>>942
高句麗にはボロ負けしたけどね。倭人集団は。エスニック集団でないと
する根拠は?倭人は列島のみでなく、半島も含む海民集団じゃろう。
以前と云うても、結果として本土日本人が、人種的に琉球やアイヌ人と
違い、東北アジア系となったのは渡来系に人種的にも圧迫されたと云う
こと。在来系は渡来系に支配されたと云うことじゃろう。
945日本@名無史さん:2006/08/02(水) 02:58:20
>>944 この時の倭人がエスニック集団だったとしても新羅を攻めるのに新羅人は
含まれていないだろう。倭人に百済人が混じっていたかも知れないが。

 渡来系といっても高句麗語、百済語と日本語は関係あるかもしれないが、新羅語
とは関係が薄いらしい(by 李基文)。言語は軍事または文化の優れた方が支配
するのだから倭人の方が支配勢力として残ったはずだ。

946日本@名無史さん:2006/08/02(水) 10:06:14
ちなみに、高句麗語は事実上復元不可能に近いらしい。
これ以上言うと、いい〜やそうではない、という意見が続出するからやめる。
947日本@名無史さん:2006/08/02(水) 13:52:53
>>946 高句麗語が復元できるのなら、魏志倭人伝の倭人語から古代日本語を復元
できるだろうな。高句麗語は倭人伝の倭語以下程度しか分かっていないようだ。

948日本@名無史さん:2006/08/02(水) 23:35:52
縄文語の復元が一時期流行ったが、あれは何だったんじゃ?
949白馬青牛:2006/08/03(木) 00:42:13
>>945
新羅とする民族集団が形成されておったと断定出来んけどね。
倭人の方が韓人より、漢人に隷属する等、文化的に先進的であったとは
思う。じゃが、小国の新羅に対しても、倭人集団は、結局攻略出来ず、
新羅を大国化させたので、軍事的優位とまで云えん。
倭の軍事文化的序列と云えば、江南の南宋の官品から高句麗と較べると、
高句麗の463年車騎大将軍、480年驃騎大将軍と第二品に対し、
朝鮮南部に支配権を主張した倭は、438年〜478年、第三品下位の
安東大将軍。ようやく479年の鎮東大将軍。百済は458年既に
第三品上位の鎮東大将軍であり、百済よりも低い。所詮倭は朝貢する
わりに、南朝からも相手にされてなかったと云うことじゃろう。
950白馬青牛:2006/08/03(木) 00:55:44
>>949
の、補足として、高句麗の車騎大将軍・驃騎の将軍は第二品。
四征・四鎮(鎮東)の将軍は第三品上位。四安(安東)・四平・
征虜・冠軍等の将軍は第三品下位。
951日本@名無史さん:2006/08/03(木) 05:43:14
>>949 倭の五王は加羅、新羅、百済、弁韓、辰韓などの半島南部の軍事
支配権をシナに認めさせたのではなかったか?

 その後、新羅が唐と組んで百済、高句麗を滅ぼす大国になったのは唐の
時代という後世のことだ。
952日本@名無史さん:2006/08/03(木) 20:48:02
■歴代天皇【日本版ダヴィンチコード】■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1148778771/49-54

どうやら、百済を建国したのは神功皇后のようだ・・・。
百済が最初に建国されたのは西暦314年。
神功皇后の時代と重なる。

 百済国=百姓国(はくせい国)
  百姓=多くの姓=百官(多くの官吏)

やはり、楽浪郡の役人たちの亡命政権らしい。
953白馬青牛:2006/08/03(木) 22:40:18
>>951
倭は、百済まで加えようとしたが、江南政権の宋に拒否され、江南政権から
見て倭より格上の百済は認められてない。江南と倭の関係が如何に
薄かったかと云うこと。
新羅は徐々に大国化したので、唐代に突如大国となった訳でもない。
>>952
語呂合わせは、馬鹿馬鹿しい。西尾氏も韓国ナショナリストと同じく、
江南思想の儒教朱子学(攘夷思想)で同じ穴の狢。韓国人と嫌韓人は、
性質が同類であろう。
954日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:44:44
くだらない!
955日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:49:45
『新しい歴史教科書をつくる会』の設立者の一人であり、
文学博士である西尾幹二氏が、朝鮮民族の性質について鋭い意見を述べているので紹介します。

【外が見えない可哀そうな民族】−西尾幹二氏−月刊誌『正論』より

我々はイスラム教徒が毎日時間がくると一斉に座して、手を前につき、アラーの神に祈りを捧げる風景を見て、
我々とは異なる宗教社会の存在をありありと感じることが少なくないであろう。
しかし、朝鮮半島となると、これは近隣で生活上の見かけも似ているので、我々とは異なる宗教社会が
あそこに存在するとは、なかなかに気がつかない。実は韓国人と韓国社会は、イスラム教とイスラム社会と
同程度か、あるいはそれ以上に、日本からはへだたる異質な社会なのである。
(省略)
西尾幹二先生の論文、実に素晴らしい。韓国人の妄論をバッサリと斬り捨てています。

【外が見えない可哀そうな民族】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150817829/217-223
956日本@名無史さん:2006/08/04(金) 17:25:01
しかし、朝鮮半島となると、これは近隣で生活上の見かけも似ているので、我々
とは異なる宗教社会があそこに存在するとは、なかなかに気がつかない。

・・・北鮮のジョンイル教や南鮮の統一協会、摂理、原理運動などを日常的に
見ているので、日本と異質な社会だと誰でも気付いているだろう。

 気付いていないのは、地球市民や左翼小児病者だけだろう。

957日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:15:06
日本に来る韓国のタレントの、日本での報道を韓国ではどう見ているかを日本で
報道すると日本人によく事情がわかると思うがそういうのはみないねえ。
韓国では、韓国で人気がないから日本へ行っているくらいの扱いかも知れない。

韓国で人気があるタレントで、日本に来るのと来ないのとの情報もないよねえ。
こうなると芸能ダネでなくなるか。
958日本@名無史さん:2006/08/07(月) 15:54:52
先史日本語と関係があると思われる沖縄の言葉を紹介
沖縄(本島)の言葉には母音「あいうえお」が「あいういう」となっている。
つまり「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化したものが多いのである。
日本標準語の母音を「あいういう」にすれば、沖縄の方言になるものが多い。
米(こめ=kome, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
    →kumi=「くみ」と発音される
酒(さけ=sake, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化 する法則を使えば
    →saki=「さき」と発音される
心(こころ=kokoro,「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
 →kukuru=「くくる」と発音される
手(て=te,「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば,
→ti=「てぃ」と発音される。
の(no, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
→nu=「ぬ」と発音される。(例)島人ぬ宝=島人の宝 親おやoya→uya「うや」と発音される。
♪てんさぐの花tensagu nu hana」→tinsagu nu hana「てぃんさぐぬ花」
この(kono→kunu=「くぬ」と発音される。
清ら(きよ)ら=kiyora、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
→kiyura(きゆら)→chura(ちゅら)と発音される
(例)この清ら(かな)こころ→「くぬちゅらくくる」と発音
 他にも音声変化の法則があり、また古語に属する言葉も多く残っている
ので、方言をべらべらーっとまくしたてられると他県の人は外国語を
聞いているように思うだろう。 (例)敬語的表現の「〜そーれ」→「候え」、「給り」→「給われ」
東風平(こちんだ)→「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」(菅原道真)
南風原(はえばる)の南風(はえ) とぅじ(妻のこと)→刀自(とじ)など
文法上の構造も、語源的にも 日本語と同一であり、中国語とは異なる。
沖縄の言葉は現代日本語より、むしろ中世以前の日本語に近い言葉であろう。
おきなわ の ことば     → うちなあ ぬ くとぅば
959日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:28:04
琉球語のフラットなイントネーションと、九州全土、北陸、東北、北海道
なんかのフラットなイントネーションが非常に似ていると感じる。


声調の変化にも似た抑揚の大きな関西弁は、際立って異なる趣を感じる。
960日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:30:40

八咫烏,八咫鏡の話

咫というのは、中国(周の時代)の一寸に当たる単位で大きい意味も、八咫烏は
『日本書紀』では頭八咫烏と表記され、頭が八寸もある大きな鳥を意味する。
また足は三本であったという。これは太陽神の使いであるからで、
「太陽には三本足のカラスがすむ」という中国の神話に基づくものであろう。

八咫烏と言えば紀(キ)の国、熊野神宮、周王朝の姓は姫(キ)咫は周の一寸
これはなんか、クサイな!!八咫烏は東方扶桑の木の枝から昇と言う。クサイな。
961日本@名無史さん:2006/08/08(火) 00:43:36
>>959 四国も関西アクセントだが、渡来人は九州、中国を飛び越えて、近畿、
四国へ大量に渡来したのか?
962日本@名無史さん:2006/08/08(火) 00:47:51
>>959 声調の変化にも似た抑揚の大きな関西弁は、際立って異なる趣を感じ
る。

・・・朝鮮語はフラットだから、関西、四国へはシナ人が渡来したという
のか?



963日本@名無史さん