1 :
日本@名無史さん:
よく言われてるのが、無謀で勝ち目のない戦で
これが原因で豊臣家の土台が揺らいだと言われてるが
蒲生氏郷なんかは大賛成で出兵に対して乗る気だったし
当時の日本の軍事力はついさっきまで戦国時代なので
兵士も戦慣れしてるし、銃、武器に関しても
かなりの世界レベルだと言われている
明の情報をさぐり、もっと緻密な計画を建てていたら
無謀どころか、かなりいい線までいったと言う話が
ありますが どうよ
2 :
日本@名無史さん:01/11/28 01:03
秀吉、家康、利家が現地で指揮すれば
もっと可能性があると思うよ
はにゃーん
てかちゃんと赤本でも読んでなさいって凝った。
なんか同類のスレがいっぱいあるように思うけど
>>2 無理だよ。その土地に人が住んでる限り。
その土地を支配するなんて事は無理。
人種を絶滅させるか、イナゴみたいに資源だけ奪ってくるなら別だけど
どっちにしてもまともな事ではないな。
6 :
日本@名無史さん:01/11/28 03:07
5>
昔は 違うだろ?中国だって 何回かは漢民族の上に他の民族が支配したじゃん
中央集権国家体制が未完成で外征するシステムになってなかったの
も失敗の一因でしょう。
また、明を滅ぼした清とよく比較されますが、清の創始者ヌルハチは
明征服を果たせずに死亡、清が明を征服するのに30年以上もの歳月を
要しています。
当時の明は秀吉の出兵などで疲弊していたので国力は
ぼろぼろ。その明を倒すのにも内乱に乗じてようやく可能だったのです。
秀吉(日本)が明を滅ぼすには大陸の人身把握や政情に深く絡んで
いないとやはり難しかったと思われます。
軍事的には陸から攻めるには大量の野戦軍を南満州平野に優位に
展開するには歩兵部隊では難しい。
海軍力を強化して遼東半島から山海関付近に上陸して一気に北京を
落すことが考えられますが、北京城を包囲して陥落させるには
長い時間が必要となります。
純軍事的には大変な事業で、どうしても清のように相手の内情
に通じた政略を要することになるでしょうが、それは日本が一番
苦手とするところで、やはり無理だったのではないでしょうか。
しかし、朝鮮半島のいくらかの領域を長期にわたって支配
しつづけることはできたと思われます。
事実、秀吉軍はそれを実行していました。
朝鮮の役で日本の国力が疲弊したというような文を見かけますが、
実際はそれに反して戦後も人口は急増し新田は開発され、
造船技術、大砲の製作技術なども進歩していましたから、
長期戦能力はあったと思われます。
しかし江戸時代のような鎖国体制は維持できなかったでしょうから、
危険を伴う冒険的な時代が続き、日本史は変わっていたでしょう。
みんな誤解しちゃいかん、秀吉が相手にしたのは明国領朝鮮であって
朝鮮ではない。
しかし朝鮮出兵は秀吉以外は嫌々だと思っていたが
1が言ってるようにそうでもなかったんだな。
蒲生氏郷以外では誰が推進派だったの?
>>1 >>9 あの、蒲生氏郷は朝鮮出兵を聞いて「猿めは狂うて異国でのたれ死ぬつもりか」と激昂してますよ。
彼が乗り気だったというソースを示してください。
加藤清正が大唐にて十ヶ国を拝領するとはりきった話しと
亀井これ矩(字がでない)が貿易の利から半島への国替えを希望したくらいで、
基本的には石田三成も含め、
ほとんど反対してました(正面きっては言えませんでしたが)
さて、朝鮮の役で日本があれだけの軍事力を持ちながら成功しなかったのは
秀吉が朝鮮半島攻略を関東攻略や東北攻略と同じくらいに考えてたからです。
つまり、日本の国内戦のようにその土地の支配者を倒せば
その土地の支配権や徴税権が手に入るといった考え方ですね。
証拠に日本軍は当初、一年分くらいの兵糧の補給しか考えてなかったんですよ。
あとは「現地からの年貢徴収でなんとかなる」と
しかし、現実は農民は逃亡し、民衆ばかりではなく女子供までもが日本軍に反抗しました。
こんな事は当時の日本の国内戦では考えられないことですよね?
民族闘争だったわけですよ。
12 :
日本@名無史さん:01/11/28 21:48
age
13 :
日本@名無史さん:01/11/29 10:55
蒲生氏里が賛成派というソースは漏れも知りたいage
14 :
日本@名無史さん:01/11/29 12:30
確かに秀吉の考えだと日本と韓国がまったく違う民族だとわかっていなかったと思われる。
その証拠日本列島は幾つかの国だと秀吉は考えていた節がある。結局何もわかっていなかった。
15 :
日本@名無史さん:01/11/29 14:19
清は山海関が騎兵で乗り込む障害だったから難儀したわけで、
呉三桂の手引きで入関したあとは、あっというまに制圧に成功してますね。
16 :
日本@名無史さん:01/11/29 17:55
結局、秀吉に何か真剣さが感じられないんだよね。
朝鮮半島より向こうに対して、
どれだけの情報を入手していたのかなぁ。
17 :
日本@名無史さん:01/11/29 18:40
18 :
日本@名無史さん:01/11/29 19:29
>>17 ゲームマニアの感覚で歴史語ってるスレにワロタ
19 :
日本@名無史さん:01/11/29 19:49
>>18 それが日本武士世界最強信者や島津信者に多いからどうしようもない。
しかも日本海軍は米海軍を圧倒したとまで言うやつもいたぞ。
あそこのゲーオタは小説家の書いた歴史を100%事実だと思ってる。
>>19 いや、逆に「朝鮮よくやった派」に多いんだ、そういうの(藁
>18
そうか。俺が見たのは以前から↑のが多かったんで
「こりゃあチョンの妄想を笑えないだろ〜」と感じてるんだわ。
>>19 そう、なんつうか武将ヲタは装備や編成とか、戦術とかばっかりで、
朝鮮頑張ったっていうのは「義兵」とか「民衆の抵抗(笑)」とか
そんなレベルなんだよな・・
ある種のロマン主義というかね。夢を語るのが好きな人たちだなと。
23 :
【^▽^】東夷ジョーカー@穢土:01/11/29 20:47
秀吉の目的は朝鮮ではなく大唐国(明)の征服。
更には天竺(インド)にまで進出しようとしていました。
九州征伐の頃には唐征服を考えていたようです。
24 :
【^▽^】東夷ジョーカー@穢土:01/11/29 20:49
訂正:九州征伐の頃には既に唐征服を・・・
25 :
日本@名無史さん:01/11/30 01:55
age
こんな事言うと、韓国人(ソニン)に怒られそうだけど、
「日本史の教科書を面白くしてくれた秀吉に感謝!」
朝鮮人同士で戦争させて特需で儲けるのが一番賢い。
28 :
日本@名無史さん:01/12/01 00:28
変な意味じゃなくて
昔は領土拡大主義だから、今のモラルで秀吉を非難する奴はバカ
それやったらチンギスハ(カ)ーンもフビライも
ナポレオンも誰も彼も非難したれや 今の価値観と一緒にすんなって
日本の歴史のなかで海外まで野望を持っていた数少ない人物というだけで英雄
結果はどうあれ(最初は成功してたんだから)
>>28 誰もモラルの点から非難してる人いないけど?
少なくともここには。
30 :
日本@名無史さん:01/12/01 00:51
>>23 真の目的は、戦国でさめやらぬ熱気を外に向ける為だったと思うが。
31 :
日本@名無史さん:01/12/01 00:52
>>28 確かにな。
朝鮮出兵は暴挙で秀吉好きの漏れも晩年はちょっとフォローできないと
思っていたが・・・もし朝鮮・明を蒙古のように支配していたら
英雄になっていただろうな。
その後の日本史変わりまくってるだろうが。
34 :
日本@名無史さん:01/12/01 00:58
さちこ出て来い ゴラァ
35 :
日本@名無史さん:01/12/01 01:01
なんかすごくまともなスレだな。
激しく同意!
会寧まで清正行ったのは、ロマンだなあ〜
島津の八千対20万もね。
やっぱ戦争はロマンだね
>>28 は面白いことを言いますね。
中学高校の授業で先生にそれを言ったらどう反応するかな(w
実は、オレも同じことを考えてる。
あそこで、秀吉が
「じゃあ、あとは国内弾圧だ。生意気な武将を次々潰しちゃえ」
てなことで、家康の先走りをやったとしたら、どうだろう。
ま、それはそれで評価されているのかもしれないが、
なんかスカスカの治世でおわってしまうのじゃないかな。
もしかすると、明治維新やその後の大陸出兵への意志もなく、
外圧に押されっぱなしで植民地の運命をたどって今日に至る
平坦などこかの国のような運命になっていたのかも。
それは、それでいい?
ってな声も聞こえそうだが、それじゃ、
「日本」
は今存在しないなという思いもある。
いずれにせよ、日本史における秀吉は、やるべきことをやった英雄だと
思います。
37 :
日本@名無史さん:01/12/01 03:13
家光の時代に、明が清に攻め込まれた時、日本に支援を求めてきたけど、
この時に参戦したらどうだったのかな。明と共倒れか ? (汗。
支援に成功して清を撤退させられれば、朝鮮半島の南半分くらいは貰え
たかも。
>37
それは知らなかったな。
日本に助けを求めるってのは相当ワラにもすがる思いだったんだな。
39 :
日本@名無史さん:01/12/01 04:55
朝鮮出兵をやったのが,豊臣家の衰退の原因になったと考えるひとが
多いようなのですが,ほんとのことをいうと,それは逆転して考える
ほうがわかりやすい.
もし,出兵しなかったら,豊臣政権が長期政権になりえていたか?
そう考えるひとは,多くないのではないか.
つまり,朝鮮出兵したから短命政権におわったのではなく,もともと
政権基盤の弱かった豊臣政権による,政権延命策が「唐入り」であり
このような努力をしたにもかかわらず,たいした効果をあげられなかった
とみるべきであろう.
40 :
日本@名無史さん:01/12/01 15:25
江戸時代までで世界史に名前が出て、恥かしくないのは秀吉ぐらい
足利義満は媚野郎(秀吉と反対のことしてる)
生出から考えて関白になり、明征服まで考えていた
それだけで単にスゴイヨ
41 :
日本@名無史さん:01/12/01 15:59
>>41 農民から這い上がって、本朝初の「対外侵略戦争」を実行に移したのは、やっぱエライよ。
秀吉ありがとう。
43 :
日本@名無史さん:01/12/02 00:51
猿顔は別にして秀吉は日本の誇るべき人物だよ
44 :
日本@名無史さん:01/12/02 00:52
さちこ出て来い ゴラァ
>44
さんかタンつけなよ。
数少ない女性住人なんだから。
亀甲船ってカコワルイね。
47 :
日本@名無史さん:01/12/02 13:42
さちこは本当に女性かアヤシイ
タダの男の歴オタと見た
48 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/02 13:57
秀吉は朝鮮人を劣等民族だの賎民だのとは見なしていなかった。
さちこは叩くといなくなるよ(名無しになるのか)
そんな事より蒲生氏里朝鮮出兵乗り気説のソースを出してくれ
50 :
日本@名無史さん:01/12/02 14:42
ヘキテイカン(漢字わすれた)の戦い。
日本軍、明軍を破る。意義は大きい。
>>1 一応、朝鮮出兵で朝鮮内の諸将が意気消沈してる時、
蒲生が「私にまかせろ」と大タンカを切った話しはありますが
それは諸将を励ますためで意味が違います。
彼も出陣前から大反対でした。
52 :
日本@名無史さん:01/12/02 15:40
>>51 さちこが出てきた
ソースはトンカツじゃゴラァ
ちょっと待ってて、今忙しいから
53 :
日本@名無史さん:01/12/02 16:05
いくら朝鮮政府が派閥争いで混乱していた上に軍備が希薄だったからって言っても、
出兵当初から加藤清正と小西行長が対立しているんだから失敗するわな。
よって
================終 了=================
小早川・加藤・小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ
>>53 賛成、小西は最初っから無理だとわかってたし。
57 :
日本@名無史さん:01/12/02 16:22
>>47 うーん、そのような態度ではさち子はもう二度と出てこないだろ。
某スレで「日本史板、コテハン居なくなりましたね」とか言ってからね。
58 :
日本@名無史さん:01/12/02 16:35
さちこカンバック
待ってるぞ
君がないスレなんか何もないカラッポな毎日だよ
♪さ〜ちこ〜思い〜どおり〜 さ〜ちこ〜レスして〜ごらん〜
60 :
日本@名無史さん:01/12/02 18:07
当時の朝鮮の人口や石高はどの程度だったのか教えて下さい。
61 :
日本@名無史さん:01/12/03 15:33
>>60 推定人口1150万、当時の税収などから400万石程度。
(笠谷和彦「加藤清正と端川銀鉱」より)
62 :
日本@名無史さん:01/12/03 16:02
>>61 朝鮮半島の広さは日本の本州と同じくくらいだから、意外と広い。
当時の地図は朝鮮半島がやたら狭く書かれていて、ある武将が朝鮮は思ったより広いと発言しているように
どうも日本の諸将は戦前、朝鮮を関東や九州程度に考えてた様子がある。
63 :
日本@名無史さん:01/12/03 16:06
>>60 それと、確か朝鮮全土を一時的に占領した時、
諸将は朝鮮の全石高を約1100万石相当と算出した。
勿論、実際は
>>61さんの数字くらいなんだろうけどね。
あと、朝鮮の北の方は寒くて米は取れません。
>>61 その資料はおかしいでしょう。推定人口は間違いじゃないですか?
600万人前後と見るのが妥当です。
65 :
日本@名無史さん:01/12/03 17:57
猿はたいしたもんだよ
1万円の札にしろ
景気回復
66 :
日本@名無史さん:01/12/03 17:59
現在の南北朝鮮合計の国土面積=日本本州−青森県。
韓国=北海道
ふふふ
こちらでもやってるのですか・・・
何を?
69 :
日本@名無史さん:01/12/03 22:55
ところで現在の韓国人って秀吉のことをどう思ってるんだろうね?
大阪の人は知ってると思うけど、大阪城には韓国人の観光客がかなり多いですよね?
憎んでいたら、大阪城なんか見たくも無いと思うのが普通なんじゃないかな?
70 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:17
けっこう秀吉って名前いっぱいいるよ。
補足:朝鮮人でね。
72 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:21
もしかしたら韓国では豊臣秀吉は英雄なのか?
73 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:25
>>69 今の大阪城の堀やら石垣やらは、
徳川幕府が豊臣時代の大阪城の上に盛り土をして
造ったものだろが。
韓国人が憎む秀吉の大阪城ではないから構わないんだろ。
74 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:29
かもね。自分の子供には「強い」「りっぱな」名前をつけたがる、って
やつかもしれん。
75 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:33
>>73 そんな細かい事気にしてないと思うよ、韓国人は。
大阪城=豊臣秀吉 のイメージでしょ、やっぱり。
というかこれは韓国人だけじゃなくて、日本人もやっぱりそういうイメージ持ってると思うよ
76 :
日本@名無史さん:01/12/03 23:37
そこらへんのチョソに聞いてみろよ。
77 :
日本@名無史さん:01/12/04 04:10
明は兎も角、半島南部位迄なら技術的には可能だったんでしょうが、
動機は秀吉個人的にはロマン調が入っているかもと想像したりもする。
ということは、戦略的には破綻しているので長期的にはダメか。外圧、
外征を利用して内部を抑えて終わり、という意図はなかったのか。
78 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:00
>>69 >>72 >>74 違うね。
韓国では豊臣秀吉は伊藤博文と並んで極悪人とされてるよ。
この二人は日本語読みしてもらえず、プンシンスギル、イートンパンムンと呼ばれています。
朝鮮の役を描いた映画でも極悪人として描かれてたしね。
ちなみに朝鮮人ほど執念深い国民はいないですよ。
今だに朝鮮の役や日韓併合を憎んでいるから。
>>70 それは初耳、ソースはあるの?
どっちにしろ豊臣秀吉とは関係ないと思うよ。
79 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:01
80 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:13
400年前の朝鮮の役を憎むのは流石に執念深過ぎるが、
半世紀ちょっと前まで続いた日韓併合を憎むのは当然と思われ。
81 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:18
82 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:23
朝鮮の役当時の日本軍の蛮行を思えば、
彼らが恨みに思うのは当然かもな。
それに役の結果国土は興廃し李朝文化は停滞したんだし。
83 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:35
なんかなあ、日本人は朝鮮の役を日本国内の戦国時代の合戦のような爽やかさというか
武士道的な武士と武士の命のやりとりのような思いで見ているような人が多いんだよね。
半島の人たちにはとっては自分たちの存亡をかけた生き死にの戦いで
日本人は侵略者であり化け物かエイリアンのような存在だったんだよ。
そもそも彼らの朝鮮の役は「倭乱」
日本軍を「倭賊」、日本武将を「倭酋」などと悪意の篭った呼び方をしている。
島津や加藤清正を彼らが鬼と呼んだのも日本では誇りのように言われてるが、
韓国での「鬼」は意味が違う、死霊とか幽鬼という意味で純然たる罵り言葉だ。
84 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:49
明治期の薩長ら西国人が朝鮮侵略へ異常な執念を燃やしたのは、
連中には豊臣期の祖先から受け継いだ侵略者の血が流れていたからだろ。
85 :
日本@名無史さん:01/12/04 07:56
>83
ここらへんは尚武の伝統がある民族かどうか、にもよると思われ。
日本では、平安時代とかを除いて武士政権から昭和20年まで、
武張っていることは勲章であり尊敬もされ、それゆえ社会の良才が
軍人方面に自然と集まった。
それに対し、中国文化は文の国であることを誇る伝統だから、どちらかと
言えば軍人は軽く見られ尊敬されない。自然、社会の最高の才能は文官と
なる。中国語の諺「良い鉄は釘にしない、良い人間は兵にしない」というのは
そこらへんの価値観を表現しているわけ。そして朝鮮文化は小中華だから当然
そういう軍人蔑視の伝統も受け継いでいるわけ。
満州族国家の清人がそれゆえ中国文化を馬鹿にし、なんか流れ着いた日本人に
多大なる友情を示し、「君らの文化は尚武の気質があり、我々のと同じだ」
と言ったという記録がある。
良くも悪くも我が文化の戦士の伝統(warrior cultureという)は
昭和20年に根こそぎにされた感があるが、わずかにポップカルチャー系、
アングラ文化系に、民族の血に残る過剰な暴力性への憧憬が見て取れる程度か。
86 :
日本@名無史さん:01/12/04 08:36
西国人の自己中心的で隣国人への配慮が全く無い歪んだ愛国心や郷土愛は迷惑千万。
87 :
日本@名無史さん:01/12/04 09:56
88 :
日本@名無史さん:01/12/04 10:20
89 :
日本@名無史さん:01/12/04 13:28
>>88 近代とは少し違うにしろあったでしょう。
加えて言うと、朝鮮は中国に支配される事は慣れてましたが、
他の民族、モンゴル族、女真族そして日本の侵攻には結構、激しく抵抗しました。
そして、日本の場合は近代になって支配されたため、
朝鮮の役がその近代の支配と結びつけられ、ことさら激しく非難されているようです。
90 :
日本@名無史さん:01/12/04 13:42
ただ、攻められた朝鮮の側はともかく、
日本側、特に秀吉には「侵略」なんて概念はなかったでしょうね。
まあ「朝鮮征伐」という言葉はありましたが、
この「征伐」という言葉から秀吉の思考がわかりますね。
91 :
日本@名無史さん:01/12/04 14:48
秀吉にとっては、九州征伐、小田原征伐の延長って訳か。
92 :
日本@名無史さん:01/12/04 14:52
日本を侮辱しつづけた大陸の者どもに対して
日本の存在価値を認めさせる正義の戦い。
93 :
日本@名無史さん:01/12/04 14:54
てっ事はもしかすると、
朝鮮の役の恨みとか英雄・李瞬臣の話しとかは
400年間、脈々と持続してきたと言うよりも、
朝鮮人が戦後になって言い出した事なのかも?
94 :
日本@名無史さん:01/12/04 15:11
スペインとポルトガルで世界を2分した時の境界線が朝鮮半島だったので
秀吉はそれを阻止するために出兵した・・・
というのを聞いた覚えがあるのですが、これは?
95 :
日本@名無史さん:01/12/04 15:14
>スペインとポルトガルで世界を2分した時の境界線が朝鮮半島だったので
朝鮮半島は通っていないよ。
日本列島を二分していたけど。
96 :
日本@名無史さん:01/12/04 15:48
>>19 お前の誤読力からして、彼らのほうがお前よりも優秀だな。
煽りを遅レスする奴って脱力するよな。
カキコミ時間が昼間なら尚更な。
98 :
日本@名無史さん:01/12/04 18:43
「スギル」って名前のつく人、韓国にもいそう。
99 :
日本@名無史さん:01/12/06 01:39
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ・∀・)< あげるのだ♪
( ⊂ ⊃ \____
( つ ノ ノ
|(__)_)
(__)_)
100 :
名無しさん脚:01/12/06 09:07
結構多い。
楊秀吉 安秀吉
蒲生氏郷の出兵賛成論だが、思い出すと
明石散人という作家の本で見かけたと思う
コイツはめちゃくちゃな事かくが
この部分についてはマジで書いてたと思う
まぁコイツのハッタリだったらウソになるわな
サチコ教えてやったぞ
カキコせえや
102 :
とある難民:01/12/20 15:42
過去ログを拝読したが
このスレでまだ出兵の功罪論があがってないようだ。
随分落ちてあまり議論が盛り上がってないので
あえて横レス失礼ながら問題提起してみる。
確かに荒れる心配はあるが
議論を深めるために踏まなくてはならない
不可欠なプロセスだ。
あえて私は歴史的功績を論ずるが
親韓嫌韓が舞い込んで荒らさぬように
どちらも刺激しにくいテーマとして
日本の産業発展に与えた影響を挙げてみよう。
伊万里焼の開祖、李参平なくして
日本の陶芸史は語りえないのは
嫌韓の人も認めざるをえないだろう。
当時花形の世界的輸出産業セラミックス業界の発展に尽くした
朝鮮半島出身者の功績を称えるには私もやぶさかではない。
今は日本の血肉ともなった人々に私は満腔の敬意を表する。
103 :
日本@名無史さん:01/12/20 17:20
他に、金属活字がもたらされたことによって、
新しい印刷技術が加わったことも挙げられる。
金属活字を献上された朝廷ではいくつか書籍を
印刷しているし、徳川幕府も初期のころに
この技術でいくつかの書籍を印刷していたと思う。
104 :
ワシントン会議:01/12/21 15:16
信長も天下統一の後、海外出兵を匂わせているけど、秀吉の出兵って信長のパクリ?
105 :
日本@名無史さん:01/12/21 17:16
>>104 秀吉は農民出身で教養が無かったのでどこまでが日本なのか知らなかっただけ
>>105 それはチョット無いべ・・・
只、ボケ始めていたんだろう。
107 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:30
108 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:33
とにかく、秀吉は日本がいくつかの国が集まって出来ていると考えててたみたいで、
朝鮮とかも討伐して当然だと思ってたみたい。
110 :
日本@名無史さん :01/12/23 15:37
煩悩の数にちなんで
〈 ̄ヽ
,、____| |____,、
〈 _________ ヽ,
| | | |
ヽ' 〈^ー―――^ 〉 |/
,、二二二二二_、
〈__ _ __〉
| | | |
/ / | | |\
___/ / | |___| ヽ
\__/ ヽ_____)
はい、続けてちょうだい。
111 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:38
>>109 うーん、どうだろう? 私は無かったと思うよ。
秀吉は良くわかってなかったように見える。
112 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:42
まあ、四国征伐、九州征伐、小田原征伐、奥州征伐の延長に朝鮮征伐があったんだろうね。
それまでの征伐では秀吉は大軍を送り込むごとに自分の権威と権力と領土が増えたわけだからね。
朝鮮征伐も簡単に考えてたんだろ。
113 :
日本@名無史さん:01/12/23 15:42
>>109 〜だべ。
〜だね。
〜だがね。
〜でんがな。
〜でっしゃろ。
〜だぞね。
〜だしょ。
〜でごわす。
〜にだー。
お国言葉も違うしな。
115 :
日本@名無史さん :01/12/23 18:35
朝鮮国内で官僚同士の派閥闘争の激化して
西人党派、南人党派、北人党派に分裂した事に加えて、
1591年11月に遼東総兵官の李成梁が失脚、北京に送還させられた事が
秀吉に朝鮮出兵を早めさせたっていう説は、
笠谷和比古氏でしたっけ?
116 :
日本@名無史さん:01/12/23 18:45
明石散人氏は永楽帝同様、織田信長、豊臣秀吉も「大モンゴル帝国型の中華秩序」
を目指していたとの電波発言。
秀吉の目標は朝鮮でなく「唐入り」すなわち明国にあったことを
思い起こしてもらいたい。
秀吉は京都にはいる感覚で北京に入ろうと考えていたのだろう。
その意味では
>>116氏のいう学者の発想も一理あるかもしれない。
天竺もだよ!
119 :
日本@名無史さん:01/12/23 22:52
>>116 「永楽帝―中華「世界システム」への夢」(講談社選書メチエ144)
の著者、檀上 寛氏の受け売りでは?
たしか明石氏は高橋克彦との対談でも
杉山正明氏の研究成果についても言及してるし。
120 :
ビートたけし:01/12/24 16:58
なんだかものすごい事になってまいりました
バウッ!バウッ!
122 :
日本@名無史さん:01/12/25 00:01
どうでもいいけど
さちこの○んこてどうよ
ピンクかな
123 :
日本@名無史さん:01/12/25 11:10
>>114 朝鮮語も方言みたいなもんだろ
モンゴル〜半島〜日本だけ文法が同じだからね
124 :
日本@名無史さん:01/12/28 23:55
足利義満の朝貢を恥じ秀吉が唐入りを計画
125 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:43
秀吉は家康に第三次朝鮮出兵を遺言していなかったっけ?
上杉景勝がなかなか上洛しないので「高麗の沙汰うんぬん」とか言っていたけれど
126 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:19
age
127 :
日本@名無史さん:01/12/30 21:18
けど秀吉てエロじじいだね
朝鮮の女は連れて帰らんかったの?
128 :
日本@名無史さん:02/01/02 00:38
笠谷和比古・黒田慶一『秀吉の野望と挫折―文禄・慶長の役と関ヶ原合戦―』なんか読むと、
碧蹄館、蔚山、泗川といった陸上の大会戦は、すべて秀吉軍側が勝利をおさめたと書いてある。
軍事的には、無謀な出兵でもないみたい・・・
129 :
日本@名無史さん:02/01/02 01:08
>>1 そもそもさぁ、秀吉って裏工作で敵を崩しておいてから実際の
戦闘に持ち込むのが得意なんだよね。まともな武力衝突なんて
仕掛けない。
それが他民族相手じゃ、裏工作が通じない。それが判らなかった
のかなぁ。やっぱりボケちゃったのかねぇ
>>10 亀井は琉球守を名乗ることを秀吉に許されてましたね。
>>38 鄭成功という明の海軍閥が日本に支援を求めてきました。
鄭成功の母親は日本人であったのが日本に支援を求めた理由の
1つです。鄭成功は明の皇帝から国姓爺(こくせんや)という
名を与えられていました。近松門左衛生門の「国姓爺合戦」で
日本では名が知られてます。
130 :
日本@名無史さん:02/01/02 01:48
悪い事ばっかりするな・・
関西人は!
131 :
日本@名無史さん:02/01/02 02:11
朝鮮出兵は元寇のお返しだよ。
132 :
日本@名無史さん:02/01/02 02:31
>>131 高麗を滅ぼした恩国である朝鮮を攻めるとは。。。。
133 :
日本@名無史さん:02/01/02 07:44
134 :
日本@名無史さん:02/01/02 08:07
李氏朝鮮は悲惨な社会だったが、もし秀吉が征服していたら
ましな社会になったのかな?ましになったら、それは日本にとって
いい事なのか?それから朝鮮人の日本への大量流入は起きたのか?
悲惨な社会のままなら、それは日本人のせいにされるのではないか?
明も満州族に征服されて発展したんだ。人口も激増し、領土も増えた。
三代目の皇帝がいい統治をしたんだ。
秀吉が征服していたらもっと発展していたのではないか?そしてそれは
日本にとっていいことなのか?
そのあたりも征服の是非論の視点として重要。
135 :
日本@名無史さん:02/01/02 08:22
>>134 訂正
いい統治をしたのは四代目〜六代目の皇帝だった。
>>133 ヌルハチ(女真)は幼い頃から明の影響下で営みを続けてきた。
清の明征服は中華圏域内での内乱的要素が強い。
138 :
日本@名無史さん:02/01/02 15:32
明軍の介入を阻止なり撃破はなりした上で
朝鮮民衆の反抗を抑える具体的な術を説得力を以って提示しない限り
パラレルワールドとしての意味合いもないIF論に他ならない。
それよりも日本板で展開するスレとしては
日本の政治秩序や産業基盤などに与えた影響を列挙し
妥当性を語り合う方が遥かに歴史学的な成果が期待できるというものだ。
とりあえず必ずしも強制とは限らんが連行者や接収文物が
日本の産業技術に与えた好影響を思えばすべてを日本社会にとっての
否定的次元で語るのは無理があるだろう。
ただ嫌韓ウヨやサヨの、為にする議論ではシバシバ等閑視されるのが難だ。
今ヘタレでも昔ヘタレと決め付けるのは馬鹿丸出しだな。
139 :
日本@名無史さん:02/01/02 18:49
140 :
日本@名無史さん:02/01/02 21:06
>128
講談とかの「30万の敵の過半を討ち取り」じゃなくて、ドラえもん6巻の
のびた対ジャイアンみたいな勝ちかただからね・・・
141 :
日本@名無史さん:02/01/02 21:15
>>140 日露戦争で日本が勝てたのも、ロシアが革命前夜だったというだけではなく、
英国だけでなく、アメリカをはじめその他の欧米諸国が日本支持という状態だったからだよ。
ところが朝鮮の役では日本軍がいくら頑張ろうと、
有利にとりなしてくれる味方も無ければ、民衆の支持もない。
たかだか十六万の兵がいかに頑張ろうとも意味無し。
>>141 で、主体としての日本への観点はあなたにはないの?
143 :
日本@名無史さん:02/01/02 23:53
よくないよ。他人とこにせめこむんだから。
今でもあっちの人は根強く根強く覚えてるよ。
144 :
日本@名無史さん:02/01/03 16:50
何言ってんだよ、このスレのみんな!
日本に一級品の陶器と磁器の窯元が作られたのは
朝鮮出兵のおかげじゃないか。
豊臣政権の寿命なんて後世の日本人にとってどうでもいいじゃないか。
侵略は日本の国益にかなっていたんだよ!!
この時、大量の美人を武将たちが側室にして強制連行したからこそ
これだけの美女が今の日本に満ち溢れているんだし。
145 :
日本@名無史さん:02/01/03 17:13
>>141 朝鮮の民衆は日本軍に付き、両班を襲っていたらしい。
「日韓2000年の真実」より。
146 :
日本@名無史さん:02/01/03 17:49
>>145 最初の内は多くの民衆が日本軍を解放軍と錯覚したからね。
ただ最後まで解放軍で押し通せた日本占領米軍と違い
田畑が荒れ果てても地代の徴収を強行し
糧食の現地調達に依存しようとしたのが
日本に多大な復興援助を行ったアメリカとの決定的差異だな。
147 :
日本@名無史さん:02/01/03 17:53
ぬるはちにワラタ
148 :
世界@名無史さん:02/01/03 18:01
そういえば、ヌルハチも1593年に朝鮮に出兵しようとしてるね。
149 :
日本@名無史さん:02/01/03 18:10
明の福建の総督が島津と提携して大阪攻撃しようとした計画があったとか
150 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:12
ぬるはちにワラタ
151 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:22
ヌルハチの弟はムルハチ、スルハチ、ヤルハチ、バヤラ。
152 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:24
>秀吉の目標は朝鮮でなく「唐入り」すなわち明国にあったことを
>思い起こしてもらいたい。
当時は明だけでなく朝鮮も「唐」って呼んでたんじゃないの?
それに「から」とは、元々朝鮮半島南部の「加羅」のことだというから、
日本人の中には朝鮮と中国は区別がつかない人も少なくなかったのでは?
153 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:02
>>152 天竺(インド)まで逝く予定だったんだよ
154 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:08
インドは強かったろ。
仮に信長・家康が行っても瞬殺されるのがオチ。
>149
明がタイに水軍を出す様に伝える計画もあったとか。
>153
高山国(台湾)やフィリピンのスペイン人、インドのゴアのポルトガル
人にも降伏を勧めたそうです。
156 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:22
インドってそんなに強かったの?
157 :
日本@名無史さん:02/01/05 02:40
>>156 ムガール帝国のアクバル大帝(1556〜1605)の頃ですな。
オスマントルコの海軍も撃退しているし、インド中南部や中央アジア、
チベット南部、アラカン(ミャンマー西部)にも出兵してます。
158 :
日本@名無史さん :02/01/05 02:51
>>157 アクバル大帝も晩年は自分の神格化構想の失敗や息子の謀反など
諸問題が起きてる。
159 :
日本@名無史さん:02/01/08 22:44
秀吉は朝鮮南部で進駐をやめ、家康を移す
これ最強
160 :
日本@名無史さん:02/01/08 23:35
>>134 李氏朝鮮が悲惨な社会だったとはいえない。
朝鮮王朝は鎌倉時代から明治まで存在した。 当然、名君もいれば暴君もいる。
日本でも農民一揆があちこちで起こってた。決して「いい社会」ではなかった。
>>145 民衆というより「ノビ」とよばれた奴隷階級の人たちね。
民衆=「ノビ」ではない。
インド・トルコは中国との貿易に無関心だったのか?
元代にはムスリムの商船は中国沿岸を自在に往来していたが,
明代になるとムスリム商人は東アジアから姿を消す。
この辺にも近代において制海権をキリスト教圏に奪われる前兆が表れている。
162 :
日本@名無史さん:02/01/11 23:00
age
163 :
日本@名無史さん:02/01/14 16:57
当時のへッポコ水軍では、朝鮮半島近海の制海権もままならないのに
インド洋までカバーするのは無理と思われ。
陸路は遠過ぎるし、ダメだこりゃ!
でも、日本の歴史を楽しくした功績は大きいよ。秀ちゃん。
>>129 裏工作は一応成功してたで。でもそれが逆に朝鮮の派閥抗争激化させてしまって
結局水泡に化した・・・。
165 :
日本@名無史さん:02/01/14 17:53
大義名分掲げるなら、清正が保護していた宣祖王の長男を
朝鮮国王に擁立すりゃ良かったのに。
世子冊立めぐって明と朝鮮もめていたんだからさ。
166 :
日本@名無史さん:02/01/14 17:58
清正が人質の王子を丁重に扱ったて話
本当?
167 :
日本@名無史さん :02/01/14 18:05
本当だよ。二王子からの加藤清正あての感謝状が和歌山に残ってる。
168 :
日本@名無史さん:02/01/14 18:41
朝鮮は明に援軍を要請して、講和交渉に入れてもらえなかった
マヌケな奴。他力本願の報いだ。
169 :
日本@名無史さん:02/01/14 18:51
>>129>>164 正徳帝の時に反乱起こした皇族の子孫とも裏工作していたはず。
鳳陽(安徽省)と南京で挙兵する計画は、結局どうなったのかしらん?
170 :
日本@名無史さん:02/01/14 18:57
>>169 福王だっけ?でも福王は万暦帝の次男だし・・・
171 :
日本@名無史さん:02/01/14 21:23
加藤清正と石田三成
武将としてどっちが上よ
>>171 清正は実は、鍋島直茂から「狂人」と呼ばれたらしい。
だから、清正のほうが上。
173 :
日本@名無史さん:02/01/14 22:20
劉備じゃねぇーけど、
やっぱり「知と勇」は両方必要だね。
174 :
日本@名無史さん:02/01/15 02:35
175 :
日本@名無史さん:02/01/15 02:44
手柄立てたのに褒美がもらえず
豊臣幕府に仕えていいのかと
武士の中に不満が出たから
それおおさえる為に出兵したと
習ったけど違うのかな?
177 :
日本@名無史さん:02/01/15 03:31
178 :
日本@名無史さん:02/01/15 19:36
清正は出兵前に、明の朝廷に対して
「日本も韃靼と接しており、われらに北虜を征伐させていただきたい」との
書状を送っているが無視されてるとのこと。
(ソースは 別冊歴史群像「島津戦記」の、島津と明の秀吉打倒計画)
179 :
日本@名無史さん:02/01/16 04:45
>>152 言葉の問題じゃなく、実際に「唐入り」を目論んでいたのです。
これは歴史的事実。
秀吉も朝鮮と明は区別して認識していた。
ただ、一般の日本人の一部が今でもそうであるように、明も朝鮮も
同じという漠然とした概念であったかもしれない。
秀吉が半島の南半分をよこせ、と言ったり和戦の交渉の態度を見ると、
当時の日本人は朝鮮は半ば「無主の地」と見なしていたようにも思える。
180 :
日本@名無史さん:02/01/17 17:31
>>179大内氏は「我が祖は百済の聖琳太子にして、貫土(祖先発祥の地)に参らんと欲すなり」
とか言ってる。
181 :
日本@名無史さん:02/01/17 18:35
>>180夫余に墓参したいから道明けろって言っていたやつね。
182 :
日本@名無史さん:02/01/18 12:28
>>181「夫余」ってかつての百済の首都の方だよね?
それとも百済や高句麗を出した方の夫余じゃないよね?
183 :
日本@名無史さん:02/01/18 14:29
元が日本を攻めた時もそうだが、日本海渡って海上補給をし続けるのは当時の造船技術じゃ無理だな。
大戦中の米軍なら可能だったかも知れんが‥。
実際もし半島と地続きなら侵略は充分可能だったと思われ‥。
日本でも大型帆船が作られつつあったが、技術的にはまだまだ‥。
すべてのつまずきは海上補給が続かなかったことに尽きる。
184 :
日本@名無しさん:02/02/03 13:31
明の万暦帝は近隣の「朝貢国」である琉球、安南諸国、シャム、ルソン(スペイン)、
ジャワ(オランダ)、アモイ(ポルトガル)にも日本出兵を号令してたりする。
結局実現できなかったからいいものの…
>>184 実現しておればよかったね。
元寇の二の舞。
栄光の歴史にまた花が添えられたのに。
186 :
日本@名無史さん:02/02/10 22:00
>>184 宇佐八幡では異国調伏やってなかったかえ?
187 :
日本@名無史さん:02/02/10 22:38
耳そぎの話しが虐殺とからめて話されていますが、あれは首獲りの
代わりに行われたもので当時の習慣ですから、それを虐殺とからめて
話すのはおかしいのでは?
それから朝鮮人は普通の民間人までもが戦闘に加わってきたために
これを殺すことになってしまったのはある意味仕方のないことだと
思います。
188 :
日本@名無史さん:02/02/11 00:20
>>187 そう、朝鮮の役は民族闘争であさって、プロの軍人同士の闘いなどではなかったから、
女性や子供までもが、輸送や工事や様々な雑務などの戦闘補助および、時には実戦参加を行った。
彼らを殺すのは議論があるが、現代戦でも戦略爆撃というのがあるので。
189 :
日本@名無史さん:02/02/11 01:24
>>69 古いレスで恐縮だが、
韓国人は大阪城を見てあまりの大きさに驚くのだそうだ。
日本はイメージ的に韓国人から小さいと思っているかららしい。
外郭なんかも含めると、当時はもっと大きかったと思うけどね。
面積も日本より韓国(北朝鮮含めず)の方が大きい
と思ってる人が多いみたい。
井沢元彦「恨の法廷」より
190 :
日本@名無史さん:02/02/11 01:27
>189
韓国人はそんなに日本について無知なのか?
しかし井沢じゃあ、ある程度の「含意」は考えないとね……
191 :
日本@名無史さん:02/02/11 01:34
192 :
日本@名無史さん:02/02/11 01:51
李朝の王子を捕虜にした時、
傀儡政権を立てるという戦略は日本軍にはなかったのかな?
中国の王朝交代の前後は傀儡にした皇帝から
帝位を禅譲されるケースって結構あったけど、
日本の戦国下克上では傀儡という考えはないのかな?
193 :
日本@名無史さん :02/02/11 01:53
>韓国人は大阪城を見てあまりの大きさに驚くのだそうだ。
最近の韓国人は大阪城ぐらいじゃもう驚かないよ。
むしろ日光東照宮の方が驚いてるね。日光東照宮のことを「日本の紫禁城」って言うし、
家康の墓前に置かれてる、朝鮮国王から贈られた「九鼎」や
東照宮宝物館蔵の朝鮮二王子が加藤清正へ送った「感謝状」の方が驚くよ。
あの騒がしい人たちが例外なく黙っちゃうほどだから。
194 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:20
>朝鮮二王子が加藤清正へ送った「感謝状」
これ、どんな内容なんですか?
教えて下さい。
195 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:33
@君側の奸臣を排除し、民政の安定を施行したこと
A正統な「次期国王」として遇してくれたこと
B女真族の侵入を鎮圧したこと
C中華の礼儀を墨守したこと
などなど・・・
>>195 ありがとう!
しかし何?
この内容、日本人が見ても驚くよ。
197 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:44
>193
大阪城に匹敵する巨大な遺構は韓国にはないのにね。
あえて驚かないようにしているのではないでしょうか。
ま、別に驚いて欲しいとも思いませんが。
198 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:53
>最近の韓国人は大阪城ぐらいじゃもう驚かないよ。
ということは昔は驚いてた
ってことでいいんですか?
199 :
日本@名無史さん:02/02/11 02:59
>最近の韓国人は大阪城ぐらいじゃもう驚かないよ。
よく意味が通じません。
>>198 20年ぐらい前までの話。ソウル五輪以降はもう驚く事もないですねぇ
>>199 大阪城ぐらいの「大規模な建築物」の間違い。スマソ。
201 :
日本@名無史さん:02/02/12 15:29
2chの過去ログを拝読してみると
朝鮮出兵に関して嫌韓論者にも韓国擁護者にも欠けている
視点があることに気が付きます。
現代以前において世界の製品需要の内、
巨大なシェアを占めていた、花形輸出品目である磁器が
なぜ江戸時代になって品質面で国際競争力を
備えるにいたったのでしょうか?
日本に一級品の磁器の窯元が作られたのは、
朝鮮出兵のおかげじゃないですか。
日本に金属活字が伝わったのは、いつの事でしょうか。
学術書やその他文物が持ち出されただけでなく
儒学者まで連行されたからこそ
姜と藤原惺窩(せいか)との出会いから江戸儒学が生まれたのです。
金ユンジンと藤原紀香(のりか)との出会いとは訳が違います。
豊臣政権の寿命が縮まったなんて
後世の日本人にとって、どうでもいい事でしょう。
侵略は日本の国益にかなっていたんですよ!!長い目でみれば。
コピペご苦労様(藁
203 :
日本@名無史さん:02/02/12 16:11
>202
で君自身の意見はどうなのか?
205 :
日本@名無史さん:02/02/12 16:31
>>204 これも朝鮮出兵でもたらされたものなのか?(禿藁
206 :
日本@名無史さん:
>204
ワラタ(^∀^)イイ!!