1 :
日本@名無史さん:
高木アキミツの成吉思汗の秘密を読んだのだが、義経がチンギスになった可能性はあったのだろうか?
俺は衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
2 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:42
東北・北海道のいろんな場所で義経伝説があるらしいね。
北海道に義経の官位の通称だった判官って言葉が
(水戸黄門の黄門=中納言みたいなもの)
随分古くから伝わってたらしいけど
その判官を指す人物は14世紀の人のようで義経とは別人らしい。
しかし蝦夷・樺太・沿海州・満州を越えて
蒙古の王になるとは話が壮大すぎる。
3 :
日本@名無史さん:01/11/07 20:13
年代が合わない。
以上、このスレ終了。
*********************** 終 了 ******************************
4 :
日本@名無史さん:01/11/07 23:16
>>3 戦国・三国志板と勘違いしてない?
日本史全般だから別に年代制限なんてないんじゃない。
このスレ面白そうだからもっと盛り上げよう。
さげ
*********************** 終 了 ***************************
6 :
日本@名無史さん:01/11/07 23:30
なら義経生存を匂わす伝説について
7 :
ワシントン会議:01/11/08 13:30
よく源氏の旗とジンギスカンの旗が似ているとか、両雄の生い立ちが似ているとか、色々あるが全部ノストラダムスの予言と一緒、後づけだったらだれでもできる。しかしロマンはあっていい。
8 :
日本@名無史さん:01/11/08 13:32
なんで両親や幼名やいろいろ伝わってるチンギス=ハーンと
義経が同一人物だなどという可能性があるんだ?
9 :
日本@名無史さん:01/11/08 13:35
>>4 3が言いたい年代はそう言う意味じゃないと思うんだけど?
10 :
ワシントン会議:01/11/08 14:00
義経とハーンは歳も近く、ハーンが歴史の表舞台に出たきたのは衣川から10年ぐらいしてからだったと思うが。
11 :
日本@名無史さん:01/11/08 14:18
奥州藤原氏が日本海を挟んで、沿海州、満州あたりと近い関係にあったということを暗示してるということはないのかな?
12 :
日本@名無史さん:01/11/08 14:28
義経は「仁義好かん」そうだから、無理と思われる。
西シベリアを見よ。
ハンチマンシー族自治区というところがある。
そう八幡氏。
義経はモンゴルではなく、西シベリアまで行ったのさ。
14 :
日本@名無史さん:01/11/08 22:02
仮に義経=チンギス・ハンだとしたら
山田長政みたいに移住先で武勇が買われて
手柄を立ててどんどん出世し、
道三のように最後に国を乗っ取ったってケースだろうか?
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~ /| タカクカイマース
/ /組 .|
/ / り |
/ / ぎ | ∩
【◎ 】 【◎ 】/ に /■\// / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~| お ( ´∀`)< いらないクソスレはありませんか〜?
∩/| 廃品回収 | /■\∩ ) \
\( |_________| ( ´∀`)///| \__________
(/≡≡≡≡≡≡≡≡≡7/ )/ /
///■\廿/■\ //| U / /| クソスレ回収に参りました〜
//(´∀` )(´∀` ) // | / /||||
[]_// ((⌒) )( )//[]ノ/ /
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /
| (O) | /
|品○_____○__品| /
(__________)
16 :
日本@名無史さん:01/11/09 11:02
17 :
ワシントン会議:01/11/09 13:28
いくら荒唐無稽な説でも誰だってロマンを持っていいはず、ロマンがない歴史など面白くない。
18 :
超はずかピー:01/11/09 17:32
ロマンとでたらめは別
19 :
日本@名無史さん:01/11/09 17:36
北海道のあちらこちらに、義経が滞在したと伝えられる石碑が今でも残っているyo
20 :
日本@名無史さん:01/11/09 17:40
東北にはイエス・キリストが滞在したと伝えられる石碑が今でも残っているyo
義経がジンギスカンとは思えないが・・・
当時の状況から考えて、実戦経験のない奥州騎馬軍の強化の為に蒙古
へ渡り、そこで援軍要請か外人部隊公募の為に渡った可能性はある。
22 :
日本@名無史さん:01/11/09 17:59
つ〜か、首実検したの景時だろ?それで間違いなく義経の首だっつったんだろ?
それなら義経が落ちてる可能性なんてほとんど0じゃん。
23 :
日本@名無史さん:01/11/09 18:13
北海道でジンギスカン鍋に、英雄の最後としては悲しすぎる。
くらだない話をやめて、この噂自体を検証してほしいな。
この話って私が子供の頃からもうあったけど、いったいいつくらいから広まったのだろうか?
もう鎌倉時代からそんな噂があったのか、明治になってから出来たのか?
25 :
日本@名無史さん:01/11/09 20:13
小矢部全一郎って人が『成吉思汗ハ源義経也』を書いて
それがベストセラーになったのが初め。
たしか、大正くらいじゃなかったかな?
原型は室町時代の義経蝦夷行伝説と
江戸時代の「清朝皇室の先祖は義経」っていうヨタ話。
26 :
日本@名無史さん:01/11/09 20:13
>>24 江戸中期に偽家系図の制作を生業としてる男が
金史別本という偽書をでっちあげ、
最初に義経が大陸に渡ったと言い出したんだが。
なんかこのネタ随分前に6chの世界不思議発見でやってたけど江戸時代に義経が大陸に渡って金という国の将軍になったというフィクション本がこの説のきっかけになったてやってたけど
。あと平泉に義経の身代わりになってくびを鎌倉に送った人の墓があるって行ってたっス。その首は酒漬けになってたけど膨れてて判らなかったって。まあ全て鵜呑みにするわけではないですけれども
28 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:01
ネタってのはもしかして、
義経=チンギス説自体のこと、言ってるの?
ならわかる。
30 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:06
>>24 残念ながら義経=ジンギスカン説はホントのことだね。夏目漱石の「我輩は・・にもこの話が出てくる。
100年くらい前の人間ならダレでも知っていると言う事だよ。
朝敵になった義経が海外でヒーローになったのでは困るわけ。カミカゼが吹かなくなるでしょう。
まあ、北海道の至るところでジンギスカン鍋でもつつきながら考えてちょうだい。
31 :
日本@名無史さん:01/11/09 22:16
「義経=ジンギスカン説」だけど…与太話と分かりつつ、何度か歴史に
この話が現れるのは、日本人は蒙古を支配して良い(ついでに北海道も)
って根拠として利用したい人がいたからでは?
現に沖縄を薩摩藩が支配したとき、利用したのは沖縄の王族が日本人の
英雄の子孫だったという神話(与太話)だったと思うのですが…詳しい話
は忘れました。どなたかフォローを…
32 :
國學院大學一OB:01/11/09 22:19
>沖縄の王族が日本人の英雄の子孫だった
源為朝のことですな。
為朝はともかく尚氏と倭寇のつながりは指摘されているところです。
数年前に、日テレでジンギスカンの墓の調査をやってたようだけど
あれから、どうなったのでしょうか・・・
34 :
日本@名無史さん:01/11/09 22:31
豊臣秀頼が薩摩に逃亡したって噂はどう思う?
>>25-31 ご教授、有難うございました。
噂にも、それが広まる根拠というのが(
>>31さんのように)あると思うのですけれど、
室町時代や江戸時代にどういった背景があったんでしょうねぇ?
>>35 室町時代は蝦夷に和人が進出した時期、
江戸時代は樺太方面に幕府の探検隊が入って
ツングース系の民族や清の出先機関と接触した時期だからでは?
そんな陰謀論くさい推測を抜きにして、
単純に義経びいきのロマンもあったと思うけどね。
37 :
日本@名無史さん:01/11/10 06:12
シーボルトは、どこから義経=チンギス・ハン説を仕入れたのでしょうか?
38 :
日本@名無史さん:01/11/10 06:35
修羅の刻の義経の話の後書きを読め。
作者はなかなか良い事言ったぞ。
39 :
日本@名無史さん:01/11/10 07:09
>>25 小矢部全一郎って、他にも、日本ユダヤ同祖説も言ってるんだよな。
「日本及日本国民之起源」
そんなひとの主張をマジにうけとってもなあ。
この義経=チンギス・ハン説に限らず
為朝=琉球王祖説、日ユ同祖論、日本人ムー大陸支配民族説、
木村鷹太郎の日本人祖先世界支配説、竹内文書等の偽書も
対外侵略の根拠とされてるんですね。
それと維新以降の日本の対外に関する劣等感をカバーするため
の論でもあるんです。
挙げ句の果てが耶馬台国はエジプトにあったとか、
日本人は全世界の祖であり三千億年前にプレアデス星団から
飛来したとか
ニューヨーク、ヨハネスブルク、サンフランシスコなどの
地名は三千億年前、日本人が全世界を支配してた時からあったなどの与太話しですね。
これらの説は異端の史学者や神秘主義者が唱え、
軍人や政治家や宗教者の間に広がりを見せてました。
この手の維新〜戦前に流行った与太話しは他にも掃いて捨てるほどありますよ。
山根キクの著書「キリストは日本で死んでいる」では
キリスト、モーゼは日本で死んでおり、シャカ、マホメットは日本に修行に来て英知を学んだとあります。
キリスト渡来は二度あり、一度目はいわゆる「空白の期間」に渡来し越中の偉人に真理を学び、再び向こうへ帰り、
二度目は処刑のさいは弟のイスキリを犠牲にして再び日本に渡来し、
青森の戸来村で妻をめとり子孫を残し、百六の天寿を全うしたそうです。
こういう説て同じくらいに義経=チンギス説は納得できます。
維新〜戦前の無知からきた、あんまりバカバカしい説は淘汰されて、
義経=チンギス説のようなマシな説が今日に生き残っているわけです。
42 :
日本@名無史さん:01/11/10 10:52
>>11 >奥州藤原氏が日本海を挟んで、沿海州、満州あたりと近い関係にあった
ということを暗示してるということはないのかな?
あるでしょう。黄金は貿易で得たものと思われます。
>>26 鎌倉時代からすでに御曹司島渡りという義経が北海道に渡った話がある。
井沢元彦なんか相手にしちゃいかんよ、君。
44 :
日本@名無史さん:01/11/10 11:09
>>43 それはお伽話しみたいなもので、
衣川以前に義経が千島に渡った話しで、
しかもエンマ大王に経文を受け取ったとかいう
幻想的な話しですよ。
45 :
日本@名無史さん:01/11/10 11:23
>>43-44 しかしその幻想的な話が義経伝説の発端になったとも考えられますね。
46 :
日本@名無史さん:01/11/10 11:47
>>11 日本海を中心にした極東アジアの地図を書いてみると
当時の海外との交易ルートというのがよくわかります。
47 :
日本@名無史さん:01/11/10 12:33
>46
奥州藤原氏が、沿海州、満州の民族との流通ルートを持っているのであれば、大陸に落ち延びたという伝説ができたのは理解できる。
しかし、行ってるなら弁慶も一緒に行ってるのでは?
48 :
日本@名無史さん:01/11/10 15:32
>>48 弁慶は無数の矢を浴びて仁王立ちの死。
これは有名な話だと思うけど。
ドカベンでも再現されてるし。
49 :
日本@名無史さん:01/11/10 16:03
チンギスハーンの子分に、大柄で道具をたくさん持ってる人はいたのかな?
50 :
日本@名無史さん:01/11/10 16:30
51 :
日本@名無史さん:01/11/10 16:33
懐かしいねぇ、王狼伝。
53 :
日本@名無史さん:01/11/10 17:10
この説はトンデモ説の一つでしかない
>1
そんな事ある訳ないでしょ
おバカさん
55 :
日本@名無史さん:01/11/10 17:28
>>53 そうなんだけど、日本の海外進出とそれにたいする理屈付けとして
考えると結構面白いものがあるよ。
例えば、タイの山田長政とか、マレーのハリマオとか…。
56 :
日本@名無史さん:01/11/10 17:39
>>55 ただ、その中に「ムー大陸」のような明らかにおかしいのがあるのはどうだろう?
57 :
日本@名無史さん:01/11/10 17:51
>>56 ムー大陸だって、かなり前は「いかにもありそう」だった気がする
なぁ。海底地形図が出てきて、こりゃありそうにもないって気がして
きたけど。
でも、人間ってそういった物に惹かれる事があるのは事実でしょ。
JPホーガンのSF「造物主の掟」とかにも描かれているとおり、宇
宙時代にもそういった物が蔓延しているかも知れず。
そういった「怪しい物」は無下に否定しても消え去る訳じゃ無し、
説得された人も「お前はそう言うが、可能性としては残っているだろ」
と心の底で思っているんじゃないかな?
ちょっと離れて見ていて、色々な怪しい物の共通性とか類似性とか
を考えるのもまた面白いかも…。ただ、ナチスはユダヤ陰某論で政権
を取ったし、オウムは独自とんでも理論で信者を集め実際にテロを行
った事は忘れちゃいけないかもね。
>>57 けどムー大陸は無いだろ。
あれは文献を見たといってるのがチャーチワードしかいないし
チャーチワードもその文献を後悔したわけじゃないし。
スレ違いなのでsage
糞スレ終了。
氏ね、電波ども
60 :
日本@名無史さん:01/11/14 05:09
義経が討たれたのは夏
鎌倉で首実検が行われたのは死語一ヶ月以上経ってから
腐乱が進んで判別できなかったのでないかという推測から
義経は生きているのではないか? という説が生まれたんじゃなかったけさ?
61 :
日本@名無史さん:01/11/14 05:51
偽史冒険世界
62 :
日本@名無史さん:01/11/14 06:10
ナガヤマだろ。ドキュン歯医者の。
あーあ、チョンの教科書なら
とっくに既成事実になってるのにね(w
64 :
日本@名無史さん:01/11/14 07:02
>>60 その首実験うんぬんは一応はまともな意見だが、
藤原氏が義経を哀れみ、逃がして替え玉を使った可能性はある。
しかし、だからといって、義経=チンギス説は飛躍しすぎ。
世界史板の過去スレ チンギス=義経といえる だったかな?
見つからない。。。。
66 :
日本@名無史さん:01/11/14 08:57
1は「成吉思汗の秘密」読んだんだよね?
だったら作中で反論が展開されてるのも知ってるよね?
残念だけど、あれが結論だよ。
ただ
>>64が述べている通り、衣川で死ななかったって可能性は残されてる。
でもそれはあくまでも可能性であって、それ以上でも以下でもない。
ロマンがあっていいお話だとは思うけれどね。
67 :
日本@名無史さん:01/11/14 09:03
チンギスの幼名テムジンだったていう事実ってのは無視ですか?
68 :
日本@名無史さん:01/11/14 09:19
>>67 テムジンがどうしたの?
モンゴルの少年、テムジン君でしょ?
70 :
日本@名無史さん:01/11/14 16:03
>>68 何が言いたいのかわからないのですが?
というか67の言いたい事がわかってます?
71 :
日本@名無史さん:01/11/14 16:51
>69
んで、どんな由来があるのですか?
72 :
日本@名無史さん:01/11/14 16:54
そもそもこの説の根拠がよくわからんのだが。誰かその根拠を解説してください。
ちなみに自分はトンデモ説だと思っています。
普通に考えて、義経=チンギスだったら征西なんかしないで日本遠征を企てると思いますがね。
糞スレ終了。
74 :
日本@名無史さん:01/11/14 22:05
>>72 いやいや5代かけて力を蓄えてから
初代(義経)のリベンジ!
しかしとばっちりを受けたのは頼朝の子孫ではなく
北条一門だった。
75 :
日本@名無史さん:01/11/14 22:32
76 :
日本@名無史さん:01/11/14 22:40
>>74 発祥でなく、根拠か?
ゴメン、長くなるから本読んで、
一般向きの書籍で十分だよ。
77 :
日本@名無史さん:01/11/14 23:11
>>47>>48>>49 1が示している高木の小説は私も20年くらい前に読んだ。
成吉思汗は大柄な体型、一方義経は小柄な体型として伝わって
いる。義経はチンギスになってから人の前に出る時は、威圧感
を相手に与えるため、弁慶をかわりにたてたのだと書いていた
な・・・
あの小説のなかで個人的に気にいったのは、成吉思汗という漢字
はチンギス(義経)自身が当てたもので「なす よしもがな」と
静御前が読んだ歌に対する返歌になっているということかな。
義経=チンギスは、ホントなら世紀の大トリックだけど、まず
マトモに考えると無理だなぁ。頼朝におわれて戦意喪失する人
が大陸で勝ちつづけるとは思えんよ。
>>77 トンデモであるが、楽しめるよな。
>成吉思汗という漢字 はチンギス(義経)自身が当てたもので
そこにもう一つの根拠が隠されているんだな。
別の章で、チンギスは文字についての素養がないことが書かれている。
不思議でしょ。チンギスは文字を知らない。
なのに漢字を選定している。
もしかして、モンゴル文字がわからないだけで、
異国語であるはずの漢字の知識はあったということ?
そもそもモンゴル文字が制定されたのがチンギス・ハンの時代だべよ。
80 :
日本@名無史さん:01/11/19 06:00
よくチンギス家の家紋=笹竜胆って言うけど、どの程度似てるの?
81 :
日本@名無史さん:01/11/19 08:30
モンゴル文字ってのは、ジンギスカンが自ら命じてトルコ文字をもとに作らせたんだけど
自分は生涯これを学ばず、漢字しか書けなかった。
漢字を知らなかったという説も伝わっているが、
自ら漢字で「成吉思汗」とサインした記述もあるため
少なくとも豊臣秀吉と同じ程度には知っていたと思われ。
82 :
日本@名無史さん:01/11/20 19:51
義経はチンギス・ハンでしょ
83 :
日本@名無史さん:01/11/21 21:32
チンギスハンは別として、自分が知らないだけで
実は義経の子孫なんて人もいるだろうね
京から奥州に落ちる道中でも種蒔きは欠かさないだろうし
立寄る村々でとっかえひっかえと・・・
太宰治は著書「津軽」で、鎌倉時代の名も無き不良青年二人組が田舎娘をたぶらかし
て歩いたのではないか?という説を立てている。
85 :
日本@名無史さん:01/11/22 20:59
>>84 自分の発想パターンを反映させてるだけだろう
>85
そうかもしれん。太宰自身「羨ましい」と書いてある位だから。
87 :
日本@名無史さん:01/11/23 12:55
万田久子がCMで、義経からジンギスカンになってるよ。
88 :
日本@名無史さん:01/11/23 12:59
We are the World.
司馬氏の街道シリーズに、今(こん)氏の話が出てくる。
今氏は金、昆に繋がるらしいんだけど、何れも北方民族の系譜らしい。
満州の愛親覚羅氏は「アイシンギョロ」、確か金の仲間(だか兄弟)という
意味になるらしい。北方での民族(交易)交流は間違いないよね。
高木氏の文献にある、金の産出地が北海道・シベリアというのはかなりイイ線
言ってると思う。
初代清衡の「中尊寺建立願文」に、大陸にも影響力を暗に誇示する個所があるし。
またオホーツク文化・擦文文化の盛衰もこの時代に思いきりリンクしていて、
なかなか興味深い。
源義経がジンギスカンと同一かはともかく、津軽十三湖〜北海道にまで、
幼少期も含めて行ったことはあったんじゃないかな。衣川以降、
落ち延びたことまでは期待してるんだけど。
90 :
日本@名無史さん:01/11/23 14:13
コン(今、金、昆、紺)とかコンノ(今野、金野、昆野、紺野)
っていう名字は東北にはくさるほどあるよ。
91 :
日本@名無史さん:01/11/24 01:54
92 :
日本@名無史さん:01/11/24 07:46
93 :
日本@名無史さん:01/11/24 09:42
>>91 詳しく誰か解説して欲しいんだけど、
その清朝の祖が義経だったという偽文と
義経=チンギス説とどう関係あるわけ?
清とチンギスなんてなんの関係もないのでは?
だからクソスレあげんなって
95 :
日本@名無史さん:01/11/26 04:43
清とチンギスは、関係ないの?
>>95 チンギスと元なら関係あるけど、
満州人の建国した清と何の関係があるわけですか?
時代も全然、違うし不可解です。
>>93 その手の説で義経が大陸に渡って武将に…という話の下地ができたからでしょう。
当時の大陸の武将でもっとも有名なのはチンギス・ハンなんだから、
伝説中の義経の転進先がランクアップしても不思議じゃない。
もともと大金(後金)を称していた清は、
モンゴル族の支配をはじめるにあたって
大元皇帝の末裔であるモンゴル王侯から
元の玉璽を譲られ、国号を大清に改めるという形式を取った。
これは清朝はまず明を飛び越えて元から正統性を引き継いでるってこと。
98 :
日本@名無史さん:01/11/27 01:14
>>89 >高木氏の文献にある、金の産出地が北海道・シベリアというのはかなりイイ線
>言ってると思う。
同感です。奥州平泉の豊富な金を東北で賄えることは可能か?
>>93 http://village.infoweb.ne.jp/~fwht5110/HJ15.htm 滅ぼされた元の子孫、成吉思汗の末裔はどうなったのでしょうか。
実は、その子孫たちが明を滅ぼし清を建てたのだというのです。
イギリス公使デビスの『清国総録』によりますと、
『成吉思汗の孫、忽必烈の子孫は、明朝のために放逐されて、
蒙古の故地及び満州にのがれ酋長の娘と結婚して、諸公子を産んだ。
彼らはやがて勢力を増し、後に大挙して明朝を滅ぼし、国を清と号した。
清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、このためである。』
となっているのです。
99 :
日本@名無史さん:01/11/28 07:17
シーボルトのバカ
100 :
日本@名無史さん:01/11/28 23:34
大河ドラマ「炎立つ」や水曜大型時代劇「武蔵坊弁慶」等、義経がでるドラマ
を見るたびに「はっきりとでなくても良いから、成吉思汗になったと匂わせて
終わってくれ」と思うのですが、さすがに無理ですなー。
101 :
日本@名無史さん:01/11/28 23:42
>>100 そんなことやりやがったらNHKを永遠に許さん。
102 :
日本@名無史さん:01/11/29 20:33
「それからの義経」
NHKが無理でも民放の正月ドラマ程度ではどうだろうか?
103 :
日本@名無史さん:01/11/29 20:44
>>98 滅ぼされた元の子孫てゆーけどさー、
モンゴルに逃げかえったあともチンギス時代と同じくらいの領土はたもってたんだぜ?
その北元に北方を脅かされていた事が明の国力が落ちた原因の1つでもあるんだよ。
そう馬鹿にしたもんじゃないぜ。清とごっちゃにすんなよ。
104 :
ワシントン会議:01/11/30 13:02
100、そういえば萬田久子さんのCMではそういう結末だったなー
105 :
日本@名無史さん:01/11/30 13:34
偽史運動ですか?
106 :
日本@名無史さん:01/11/30 13:37
>1
ゼロです
107 :
日本@名無史さん:01/12/05 07:57
108 :
日本@名無史さん:01/12/05 08:41
いや、ゼロだろ。チンギス側の記録を見れば義経じゃないのははっきりしてるじゃんよ。
義経=チンギスで騒いでるのは日本だけだしな。それも一部の日本人だけだし。
109 :
日本@名無史さん:01/12/05 08:46
チンギス=義経説の可能性が0でないならば、秀吉=猿とか家康=タヌキのような説だって信じられるはずだ。
110 :
日本@名無史さん:01/12/05 11:57
いや0ではないよ! 0.0000000001%くらいの可能性はある(藁
どっちにしても、まともな人間が、まともに論じるようなもので無いことは確かだ。
111 :
日本@名無史さん:01/12/05 17:00
>>110 そういう意味で言えば厳密には0ではないけどね。
まぁチンギス=義経の可能性は110さんが言ってる事が答えだろうね。
どっかで入れ替わっちゃって誰もきずかなかったんだ!とかいう可能性も
0.00000000000000000000000000001%くらいはあるだろうし。
112 :
日本@名無史さん:01/12/05 23:04
>>108 >いや、ゼロだろ。チンギス側の記録を見れば義経じゃないのははっきりしてるじゃんよ。
「チンギス側の記録」って脳内での創造物?何語でかかれてたんだろ。ムフー。
否定する文献があれば、紹介してくれるとそれはそれで楽しめるのに。
私は0.005%くらいかな。根拠は上の人と同様になんにもありませんけど。(藁
>>112 「元朝秘史」とかじゃないの?ムフー(意味無し)。
114 :
日本@名無史さん:01/12/06 04:33
なんかもうこのスレ結論が出ちゃったっぽいので、
誰今度は義経がチンギスになるまでの過程を妄想して書いて欲しいの心。ムフー。
なんかもうこのスレ結論が出ちゃったっぽいので、
誰か今度は義経がチンギスになるまでの過程を妄想して書いて欲しいの心。ムフー。
116 :
日本@名無史さん:01/12/06 10:02
結構前のことだけど、ある板で義経チンギス説をパロディって知盛チンギス説を
でっち上げた奴がいたが、むしろ義経説より説得力(?)があったね(藁
117 :
日本@名無史さん:01/12/11 07:03
終了
井沢の小説で芥川龍之介が
義経清祖説の謎を探るって話があったけど
あれは面白かったなぁ
あーゆー小説をもっと書いてくれればなぁ..
なんて小説だっけ?
義経はここにいるだった ←お勧め
120 :
ワシントン会議:01/12/12 14:20
俺もそれ読んだ、山県有朋が出てくるやつだろ。
>>120 そうそう
「朕の姓は源、義経の裔なり、その先は清和に出ず、故に国を清と号す」
忌み名を避けるから 先祖の文字は使うわけないって結論だったな
モンゴル史学者によると、『元朝秘史』に描かれたチンギスの歴史のうち、
1203年ぐらいまでの記述は全く信憑性がないそうだ。
他のモンゴルの史書『元史』や『集史』とも全然かみ合わないからってさ。
つまり、チンギスの1200年以前の生い立ちについてはまだ何もわかっていないわけで、
1189年に死んだとされる義経がジンギスになれる可能性は
この観点からだけで言えば完全に否定されるわけではない。
123 :
日本@名無史さん:01/12/13 06:16
>>122 ・・・がそんなこと言ってたら、イルボン電波ってあの国の
人に言われるよ。
つーか、
>>3とか
>>8とかの間違いをただしたまで。
しかし、思うに、説がある以上は一応検証してみるのが学問的良心ってもんだ。
何もその辺の知識のないやつが、最初からないって決め付ける方が、
よっほど、チョン的独断だといえる。
125 :
日本@名無史さん:01/12/13 06:32
なにいってんの?
127 :
ワシントン会議:01/12/14 13:57
121確か、作中に明智小五郎も登場したよなータイトルは「義経幻殺録」だよね。
128 :
日本@名無史さん:01/12/14 14:07
まず義経は牛乳をたくさん飲まなきゃな
夏目漱石の我輩〜にもこの話出てくるよん
>>127 あぁ それそれ.
井沢元彦はあの頃に良質な作品が集中してるね.
芭蕉なんとかとか
131 :
日本@名無史さん:01/12/16 06:28
義経の父義朝は左馬頭
馬頭の音読は「バトウ」
バアトルと似てるNE!
132 :
日本@名無史さん:01/12/17 05:28
杉山正明の『モンゴル帝国の興亡』に次のように書かれていました。
「彼(ジンギスカン)の生涯については、これまで山ほどの著述が古今東西の人によって物語られている。
読み物としてはすぐれたものも多い。しかし、率直に言って、どれも確かなものはない。
それはチンギスカンについての史料が、あまりにも虚実入り混じり、
どこまでが伝説や創作で、どこまでが史実であるのか分からないからである。
彼の生涯については彼の子孫たちが作らせた東西文献の中に語られる。
漢文の正史である『元史』、モンゴル語を漢字で表記した『元朝秘史』、そして、ペルシア語によるモンゴル正史の『集史』。
この三つが基本史料となる。その他、いくつかの文献がある。
ところが、それらが噛み合わない。特に権力者に浮上するまでの時期についてはどうしようもない。
これまでの著作は、三つの基本史料のどれか一つ、もしくは二つに基づいた。
しかし歴史研究として信頼に足るチンギスカン伝を著わすには、
どうしても最低限、漢文・モンゴル文・ペルシア文を自在に読みこなす必要がある。
三つ全てを厳密に読みこんで、相互の一致・不一致を網羅し、どこにどれだけの問題と謎があるのか、
その輪郭をくまなく指摘するという当然の基礎作業は、残念ながらこれまでのところ為されていない。
そのため、すでにあるさまざまに素晴らしい著作や意見も、
その研究者や歴史家のすぐれた個性による見解・感想・評論・物語の域を出ていないことになる。」
以上です。杉山正明といえば、この方面では今最も注目されている人ですよね。
私は『元史』と『集史』は読んでいないのですが、上の文を読むと、72の方がおっしゃるように、記述がばらばらみたいですね。
確かに、チンギスの前半生(権力者に浮上するまでの時期)については、まだ全然確かなことは分かっていないということみたいです。
(下に続く)
133 :
日本@名無史さん:01/12/17 05:30
私が読んだ本(『それでもやはり成吉思汗は源義経である』)では、
『元朝秘史』におけるチンギスの前半生を、義経の日本における生涯を描いたものだと解釈してあるのです。
ですから、チンギスはもちろん義経ですが、
その他、オンカンは頼朝、ヂャムカは範頼、ボオルチュは武蔵坊弁慶、ヂャルメは佐藤兄弟、セングムは梶原景時、ブルカン山は藤原秀衡、などなどとなっています。
日本における義経の歴史を、舞台をモンゴルに移し変えた上で、描いているということです。
そして、もちろん若干の変更操作は加えられているとのこと。
たとえばチンギスはオンカンを倒しますが、オンカンが頼朝ならば、チンギス(義経)が彼を倒すというのは史実に反しています。
しかし、これは、頼朝から逃れて云々という状況を書くと、その後に王となるチンギスの歴史(後半生=史実)との接続がうまくいかなくなるから、
そのように書いたに過ぎないとされてます。また、創作の中で復讐が遂げられたようなものだとも書いてありました。
まあ、そんな感じです。
えー、あと、もちろんタタル部族などは実際に存在していますが、そういうことについても、
義経の歴史を、多くの場合モンゴルにある地名、部族名などに置き換えて表現しているのだから、それらがモンゴルに実在しているからというようなことは全然否定根拠にはならないとされてます。
それと小谷部説についてですが、私は小谷部の本は読んでいないので分かりませんが、
木彬光の『成吉思汗の秘密』は小谷部説をもとにしていると書いてありましたから、ああいうものだと思っていいんですかね ?
そうだとすると『それでもやはり〜』では小谷部説はあまりとり入れられていません。紹介はされていますが。
それと、語呂合せというのをおっしゃってますが、私は語呂合せ、すなわち音の一致というようなことは重要なことと見なしています。
といっても、ジンギスカンはゲンギケイがなまったものという解釈は採れませんが。
『それでもやはり〜』という本でも語呂合せはそれなりに重要な手法ではあります。でも、音よりは訓の方がより重要かもしれません。
ジンギスカン義経のスレがあったので、
知られていないこの説を少しずつ紹介していこうと思っていたのですが、書いていいですか ? (^_^;)
暇なときにだけですが。
134 :
日本@名無史さん:01/12/17 05:33
そもそもなぜ『秘史』というタイトルなのか、
これについては、たとえば、チンギスの非行についても記述されているからとか、
後継者がチンギスの遺命に背いた形で決められたからだという解釈があるそうですが、
これはとても納得いきませんよね。
そのくらいで『秘史』などという仰々しいタイトルがつけられるとは考えにくいです。
もしそうだったら世界中のあらゆる史書は『秘史』とされるべきですし、
『日本書紀』なんてもうめちゃくちゃですよね。
やはり、この史書には重大な秘密が隠されていると考える方が自然なのではないでしょうか。
135 :
日本@名無史さん:01/12/17 06:49
>>130 芭蕉魔星陣
井沢元彦の数ある駄作の中の1つだと思う・・
赤穂事件を扱った「元禄15年のクーデター」は面白かった
136 :
日本@名無史さん:01/12/17 07:00
チンギス・ハーンの前半生に不明瞭な点があるのが
義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まあ、その可能性が0.00001%から0.00003%に上昇したとか言うのならわかるが
137 :
日本@名無史さん:01/12/17 07:13
トオリル・ハンは金と交易しワンの称号をもらった実在の人物だし、
他のモンゴルの王や部族の多くも実在が確認されてるよ。
メルキト族への復讐だの、チンギスの母の話しを義経話しにこじつけるのは無理がある。
138 :
日本@名無史さん:01/12/17 08:40
安徳天皇→ジンギスカン 説というのはどうであろうか
他国の英雄を取り上げるなんて失礼な事をしちゃいけません。
140 :
日本@名無史さん:01/12/17 23:05
>チンギス・ハーンの前半生に不明瞭な点があるのが
>義経=チンギス説が結び付くと思うのは浅はかすぎる。
まぁ、もっともな意見だね。
同一人物だったと証明足りうる条件はどんなものがあるんだろう。
遺骨でも見つかれば判別可能なのかな。
子孫とかだとどうだろう。
また日本に義経のDNAって残ってるのかな?
骨なんかでたらこんな説はでてこないだろうし。
141 :
日本@名無史さん:01/12/19 08:53
全ての著作が歴史の異説発想の根拠になっているのなら、数年後には日本は第2時世界対戦で戦勝国になったという奴が出てくるんだろうなぁ。
142 :
ワシントン会議:01/12/19 14:50
井沢の小説で日本人と韓国人が天国で裁判する話があったけど、題名を忘れたが結構面白かった。
義経とチンギスが違う人物だと証明できないんなら同一人物だ!
というのは確かにむちゃくちゃだね。
144 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:38
>>143 彼らは二人にこれだけの共通点があると述べてるよ。
ただそれを否定できる人はまだいないんでないの?
「前半生に不明瞭な点云々」というのはその時期の話をもって否定の根拠
とする人への回答をしてるだけだとおもう。
145 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:41
146 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:49
日蓮の弟子、日持が北海道>サハリン>沿海州>満州を経由して
大都(北京)で布教していたのが元ネタ とはおなじみ網野善彦氏。
このスレでチンギス=義経の根拠として出ているのは
・チンギスは幼少時に不明な点が多い
・チンギスは文字についての素養がないのに成吉思汗という号を自から定めた
の2点のみですか?
148 :
日本@名無史さん:01/12/23 07:32
149 :
日本@名無史さん:01/12/28 06:06
昨日たまたまこういう主旨の本を読みました。テムジン=天神
、モンゴルではチンギスカンのことをクローと呼ぶこともあるそうです。
チンギスカンの取った戦法が、義経と同じものがいくつかあるとか。
2%くらい信じはじめています。皆さん、どう思われますか?
>>147 51 名前: ぴーちゃん 投稿日: 2001/04/28(土) 05:58
チンギスの歴史を描いた『元朝秘史』の前半部は、
義経の日本での歴史を、舞台をモンゴルに移して描いたものだという説もあるね。
つまり、「元朝秘史」に描かれたチンギスハンの前半生は、実は義経の日本での歴史を描いたものだと。
それによると、チンギスの最大の敵はメルキド族というんだけど、
チンギスはこのメルキドを、まず黒い谷において攻撃し、
その後さらに、エルディシ水というところで、このメルキドの大半のものを水死させて殲滅したのであり、
それはちょうど、義経が平氏を一の谷で破り、
その後、壇ノ浦でほとんどの者を水死させて殲滅したのと全く一致するとか。
しかも、年代的にもほぼ一致するそうな。
(ちなみに、五行思想では一は北の数で、その北の色は黒であるから、一の谷=黒い谷)、
おまけに、チンギスのもう一方の敵はタイチウドというのだけど、
これは平清盛の弟の平忠度という名を基に作った名だって。
他にもいろいろチンギスの前半生と義経の生涯は一致する点が多いらしい。
そもそも、『元朝秘史』などに描かれたチンギスの生涯は、虚実入り混じっていて、今もって正確なところはわからず、
事実だといえるようなものはだいたい1203年あたりからだということだ(by杉山正明)。
だから、このスレの上の方でいわれている親の名前がわかっているとか、
義経とは年代が合わないというような否定根拠は、全然間違っているそうな。
ま、チンギスは義経だって断定的な調子で見るのはどうかと思うけれど、
両者の一致を見比べてみるのはなかなかおもしろい。
敵を谷に追い詰め、その後、海で殲滅させるという全く同じ経過をたどった戦いが、
日本とモンゴルでほぼ時を同じくして起こっていたというのは、
義経=チンギス説に結びつけなくても、オレ的にはすごく興味を惹かれる。
151 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:50
>>149 チンギス・ハンをクローと呼ぶ事実などありません。
日本の狂信的チンギス=義経論者の聖地巡礼的な調査による、
いかがわしいものです。
戦法の一致については名将の戦法などそんなものです。
それと、義経=チンギス説のロマンにひたる人に言いたいのですが、
さしずめ、義経=チンギス説は坂本竜馬=ヒトラー説もしくは西郷隆盛=スターリン説、
もしくは山本五十六=ポル・ポト説のようなものです(年代のズレはご容赦を)
何が言いたいかと言いますと好意的なイメージの英雄を極悪な人物になったというような、
彼らの英雄性を誹謗するような説なのです。
なんていうか、日本人にはチンギスは草原を駆け世界に覇を唱えた爽やかな英雄のイメージがありますが
実際のチンギスは虐殺した人数、一千万、世界中に略奪と強姦と破壊の嵐を尽くした人物で、
「敵を虐殺し、美女を我がオルドに入れるのが最大の喜び」と称した人物です。
他にホラズムの破壊の件や死の間際に彼を侮辱した西夏という国を根絶やしにし破壊尽くせと遺命したりしました。
まあ、だから義経=チンギス説が否定されるべきとは言わないけど、
義経ファンは彼がこんな人物になったという説のどこが嬉しいんだか・・・まあ、たんに無知なだけだろうけど・・・
152 :
日本@名無史さん:01/12/28 07:57
前に日本はモンゴルに元冠の損害賠償をモンゴルにすべきだというスレがあったけど、
もし、その理論で義経=チンギス・ハンなら日本は世界にどれだけ損害賠償をしなくてはいけないかわからないね。
何千兆円かな?
結局、義経=チンギスは日本人がアジアを支配して良い口実として受け入れられたよね。
153 :
日本@名無史さん:01/12/30 06:51
シーボルトって、誰から義経=チンギス聞いたんですか?
154 :
日本@名無史さん:01/12/30 07:38
>>153 さあ、先に日本に来てた外人が適当な事、言ったんじゃないの?
そういう日本にも東洋にも無知な外人の言うことに深淵な意味やら、深い情報源やら求めるのは妄想。
155 :
日本@名無史さん:01/12/30 09:56
まあ、これは日本人がこよなく愛する「悲劇の名将」話によるものだね。
妄想でもいいんじゃないの?
本人が幸せならば!!
156 :
日本@名無史さん:01/12/30 13:54
義経の両親はモンゴル族の女とその女を犯したタタル族の男とでもいうのか?
157 :
日本@名無史さん :01/12/30 23:12
さっきテレビで見たんですけど(笑)、チンギスハンだけ日本式の弓を使ってたっていうのはマジなんですか?
158 :
日本@名無史さん :01/12/30 23:30
1、モンゴル語が話せない
2、モンゴルの戦争に「やあやあ我こそは」ではやっていけない
3、息子の年齢が合わない
よって義経=チンギス説は難しい。
あの番組って憶測の理由付けをきちんとしてないからどうなのか良くわかんないんだよね
160 :
日本@名無史さん :01/12/31 00:42
ていうか義経、苗字に風呂はないだろ!
161 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:44
>>157 その番組見てないけど、なにを根拠にそんな凄いことを言ってたんだ…?
162 :
日本@名無史さん:01/12/31 00:44
秀吉は武者働きが鬼神の如くあった侍に鬼の姓を与えた。
>>162さん
鬼もちっとすごいけど、風呂のほうが小学生とか学校で馬鹿にされそうだね
さすが自分が牛の若だけはある
164 :
日本@名無史さん:02/01/02 02:43
元=源氏のゲン
清=清和源氏の清
9本の白旗と笹竜胆の紋章
日本式の弓を使う
戦法が酷似
チンギスハンの墓が発見されれば結論はでるかも
165 :
日本@名無史さん:02/01/02 06:31
チンギスの笹竜胆の紋章は、どれくらい似てるの?
日本式の弓を使う ソースは?
166 :
日本@名無史さん:02/01/02 07:31
>>157 時空警察見たよ。チンギスだけがモンゴル人の中で例外的に長い弓を使い、
それは世界では日本だけで使われる長さだったらしい。
両者の年代・年齢もほぼ一致。
紋章が同じ。完全に一致するという程ではないが。
首実検だが、東北地方に残るまっとうな文献によると、義経の守役は義経と
うりふたつと記されている。身代わりになったのではと。
その番組じゃないけど、身長も同じだったらしい。チンギスは高くみせる細工を
していたけど、死後の記録によるともっと小さかったことが判明。
北海道には少数民族によるサハリン・沿海州経由での大陸交易ルートがあり、
それに乗って日本を出たのではないかと。
167 :
日本@名無史さん:02/01/02 07:51
56 名前: ぴーちゃん 投稿日: 2001/04/29(日) 01:32
いろいろ書き込みがあって面白いですね。
私が読んだ本は、『元朝秘史』の漢語文を解読してあるものでした。
『元朝秘史』の現存するものは漢字文のものだけですが、
原典はウィグル式モンゴル文字で書かれていたというのが有力な説ですよね。
しかし、未だに、現存している漢字文『元朝秘史』が原典である説を唱えている学者もいます。
私が読んだ本の作者は、この漢字原文説にのっとって、
『元朝秘史』の漢語文を解読していて、これが結構面白いです。
チンギスの父を殺したタタルは漢字で「塔塔児」と書きますが、
義経の父を殺した長田忠致の忠致はタダチと読めますから、
濁点を移動させれば「塔塔児」とほぼ同音。
そして、メルキド退治の際にチンギスとともに戦ったオンカン(王罕)とヂャムカ(札木合)は、
頼朝と範頼となってました。
確かに義経は、頼朝の命によって範頼と共に平氏と戦ったのですから、この三者で戦ったといえるわけで、
まず、その点で一致します。
そして、頼朝は鎌倉幕府を開いて日本の王になった人物であり、また鬼冠者という名を持っているので、
そこからオンカン(王罕)という名にされたと推測されてました。
それと、範頼は蒲冠者という名を持っていますが、
ヂャムカは漢字で「札木合」で、札は「サツ」、木はカタカナの「ホ」と見なすと、
札木は「サツホ」となり、
さらに、サは草かんむりに、ツはさんずいにそれぞれ似ており、ホは甫におきかえられるので、
ここから、「蒲」という字がまず出きる。
さらに、ヂャ・ム・カという名を逆に読むと、「カムヂャ」すなわち冠者であるから、
ヂャムカ(札木合)という名からはまさに蒲冠者(範頼)という名が取り出せるとなってました。
もちろん、「元朝秘史」では、人物の間柄には変更が加えられています。
そのまま兄弟と書かずに幼馴染とか、父の知り合いとかに変えられているのです。
しかし、この変更も義経は実際、兄弟とは離れて暮らしていたのだから、
ある意味で範頼は義経の幼馴染であるという点からいっても、
根拠ある変更といえるかもしれません。
(上の書きこみでヂャムハとありますが、漢語文に従えば「ヂャムカ」が正しいです。)
168 :
日本@名無史さん:02/01/02 07:53
56 名前: ぴーちゃん 投稿日: 2001/04/29(日) 01:32
また、オンカンはやがてチンギスと対立しますが、そのときセングムという讒言者がいました。
これは頼朝が梶原景時の讒言によって、義経と対立を深めていったのと一致しています。
もっとも、セングムはオンカンの子となっていますが、
これは頼朝の言うことをなんでも聞く佞臣の景時を、子に見立てたものに過ぎないということでした。
しかし、チンギスの母は問題ですね。
私の読んだ本の作者は、
チンギスの父が殺されて部族のものがタイチウドの方にいってしまうのを、
馬に乗り旗を振って呼び戻そうとしたチンギスの母の姿は、
以仁王の発した平家追討の令旨を持ちまわって各地の源氏を鼓舞して回った源義盛だといってます。
確かに、義経の父義朝が殺された後、源氏家人たちは多くが平氏になびいていってしまったのですから、
チンギスの父が殺された後、部族のものがタイチウドの方に行ってしまったというのはそのこととして理解できます。
しかも、タイチウドは平忠度という名と一致するのですからなおさらです。
また、チンギスの母が元メルキドであったと記されているのは、
義経の母常盤が、義朝の死後、一時平清盛の妾になっていたという事実が反映されているということでした。
もちろん、常盤が清盛の妾になったのは義朝の死後ですが、
出来事の順番を入れ替えてこのように記したのだと解釈されていました。
(つまり、間柄は微妙に変更されているし、一人の人物の中に何人かの人物が集約されていたり、
出来事の順番が入れ替えられたり、圧縮されたりもしているので、その辺を見ぬかなければならないということでした。)
他にも漢字文の解読で面白いのはたくさんありました。
でも、今は疲れたのでここまで
あー、そうそう、上のほうでチンギスと義経の性格の違いについても言及されてますが、
それは井沢さんもいってることですよね。
でもそれは全然根拠にならないし、認識不足でもあると思います。
義経の好色さは有名だし、また、人は変わり得るものでもあり、
頼朝にひどい仕打ちを受けたことで、憎悪の念が義経を残酷にしてしまったということもありうるからです。
また、「元朝秘史」を読めば、チンギスは決してめちゃくちゃな性格の人間ではないことが分かります。
むしろ、義経と同じように部下を愛し評価する人物でもあります。
169 :
日本@名無史さん:02/01/02 07:54
時空警察!見ました。義経がチンギスハンってちょっと無茶でしょ
>>158にプラスして
だいたいモンゴルの人達がどこの馬の骨ともわからんような外国人を受け入れるかが
問題。ましてやそんなやつをリーダーにするなんて
義経がモンゴルまで逃げただけなら可能性はあると思うが。
>>164
面白いと思うけどそれじゃ〜ノストラダムスの
文字を並べ替えたら なんとusamaと読めるではないか〜!!
とゆう理屈と同じ。
170 :
日本@名無史さん:02/01/02 23:36
>>150 >チンギスの歴史を描いた『元朝秘史』の前半部は、
>義経の日本での歴史を、舞台をモンゴルに移して描いたものだという説もあるね。
>つまり、「元朝秘史」に描かれたチンギスハンの前半生は、実は義経の日本での歴史を描いたものだと。
171 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:32
最近やってるCMで義経と弁慶がでてるやつおもしろい。
だって最後、背景がモンゴルなんだもん。
>>171 俺も見たよ
時空警察もそうだが今年は、義経チンギスハン説が流行りか(w?
蒙古原爆固め
174 :
日本@名無史さん:02/01/04 20:22
175 :
日本@名無史さん:02/01/04 23:28
>>174 IT系の企業のCMだったと思う、まだ一度しか見たことないけど。
q
177 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:35
178 :
日本@名無史さん:02/01/09 20:17
20年くらい前、NHKの歴史番組(歴史への招待かなにか)で、
義経=ジンギスカン説の検証をしていたような気がする。もちろん
NHKなので、ひとつひとつの問題について否定的な証拠を積み上げ
ていく内容だったが、最終的に否定しきれない点も残り、歴史のロマン
を残して番組が終わる・・・という構成だった記憶がある。
179 :
日本@名無史さん:02/01/09 22:19
>>167 >チンギスの父を殺したタタルは漢字で「塔塔児」
タタル部ってチンギス以前に無かったんかな?
漢字表記は当て字だよね(夜露死苦みたいな…)
長田忠致も範頼も関係無いな。
>(上の書きこみでヂャムハとありますが、漢語文
モンゴル制作の映画ではヂャムハって言ってたよ。
「カムヂャ」じゃ無くて「ハムぢゃ」だね。
180 :
日本@名無史さん:02/01/09 22:19
1783年の『国学忘貝』に、「図書集成」には
「朕姓源義経之裔其先出清和故号国清トアリ清ト号スルハ清和帝ノ清ナリ」
と書かれていることを紹介しています。
つまり、中国の清王朝の先祖は源義経で、清という国号は清和源氏からとった
というのです
なるほど。日本が満州国を建国したのには
このような歴史的背景があったわけですね。
182 :
日本@名無史さん:02/01/09 22:38
チンギスハンは大男。
源義経は148センチメートルと推定されていて、身長が合わない。
池乃めだかは149センチメートル。
池乃めだか>源義経
183 :
日本@名無史さん :02/01/09 22:43
チンギスハンは義経?どうやって義経は言葉を覚えたんだよ。勝手な事
も大概にしろ。義経は死んだの。昔の伝説みたいなのをバカみたいに信
じてんじゃねーよタコども。
ただ実は近藤勇は生きていて後にアメリカに渡ってあの暗殺されたケネ
ディになったと言う話は信じてるけどさ。年齢合わないけど近藤なら年
齢くらいどうにでもできるだろうし。
184 :
日本@名無史さん:02/01/10 08:52
同感、同感。
マカロニの穴はスパゲッティを抜いてできたっていうほうが何ぼか信じがいがある。
185 :
日本@名無史さん:02/01/10 11:35
モンゴルは日本人の祖先といわれている
民族が住んでおられます(顔立ちそっくり)
本当にチンギスハーン=義経なら
義経もビックリしたろうね
186 :
日本@名無史さん:02/01/10 12:29
チンギスハン=義経はどうかと思うが、
義経の子孫やゆかりの人間が大陸に渡った可能性はあると思う。
秋田美人の理由は白人の遺伝子が入っているから、ってのも有るしね。
大陸との交易ルートも有ったことだし、どこかで生き延びていた可能性
まで否定する気は無い。
188 :
日本@名無史さん :02/01/10 13:18
実は影武者の方が生き延びてチンギスハーンになったのであって、本物の
方はとっくに死んでいた。
あと弁慶も生きていてアメリカに渡ったらしい。
189 :
日本@名無史さん:02/01/10 13:36
何で源義経=「げんぎけい」=ジンギスカンが出てないの?
190 :
日本@名無史さん :02/01/10 13:56
この手の話ってさ、実はエルビスプレスリーが今も生きて居るとか言って
るヤツと同じレベルの脳味噌しかないんだろうね。
義経はほぼ間違いなく死んでる。日本人は伝説好きで困る。
191 :
日本@名無史さん:02/01/10 14:54
あと、ジェロニモは、尾張藩の失踪武士、なんとか次郎右衛門だって話もあったね。
192 :
日本@名無史さん:02/01/10 15:21
肖像画はそれっぽくないよね・・・
義経は出っ歯らしいが
あまりにも現地にとけ込みすぎな点も不利だ
193 :
(-_☆):02/01/10 15:26
>>186の意見が正しいと思う。
ただ、渡った理由としては実戦経験の無い欧州騎馬軍強化の為の傭兵募集
の線が強いと見ている。
194 :
(-_☆):02/01/10 15:32
訂正
欧州騎馬軍 → 奥州騎馬軍
195 :
日本@名無史さん:02/01/10 16:14
>>190 プレスリー生きてると思ってる米人は実際けっこう多い。
国内でさえもバカにされてるが、後生大事に信じてる。
196 :
日本@名無史さん :02/01/10 16:19
197 :
日本@名無史さん:02/01/10 16:32
義経、弁慶一行が北海道に渡った可能性はかなり
高いね。
伝説では衣川から青森県の三厩に至る逃亡コースが
はっきりと存在しているし、北海道には弁慶岬という伝説地
があるそうだ。
さらに、イザベラ・バードの記録によれば明治時代までの
アイヌには義経を祭っていたもの達もいたらしいのである。
義経一行が北海道まで行っていたとすれば、アイヌが大陸との
交流を通じて義経伝説を大陸に伝えたとしてもおかしくはない。
進化論すら否定してる人たちもいますから。
199 :
日本@名無史さん:02/01/10 16:36
>>197 義経弁慶が生きて渡った可能性は非常に怪しいと思うが、彼らと一緒に戦った
連中が渡った可能性は高い.. ようにも思う
200 :
日本@名無史さん:02/01/10 16:58
ていうか、弁慶って実在したのかな。
201 :
日本@名無史さん:02/01/10 18:38
義経=末弟
テムジン=長兄
こんな矛盾は犯さない気もするが・・・
202 :
日本@名無史さん:02/01/10 18:43
このスレッドを韓国人にみせてやりたい
203 :
日本@名無史さん:02/01/11 23:00
age
204 :
日本@名無史さん:02/01/14 20:08
age
205 :
日本@名無史さん:02/01/15 12:07
神奈川在住で、藤沢市に義経首塚があるけど、偽首だったのかな?
首洗いの場とかもあってさ。
実際は焼き首だったんでしょ?
原型がどどめてなかったのは確かだよな・・・。
ジンギスカン説は無いと思うけど、せめて逃げ延びてひっそりと余生をすごしたって
いう事があってもいいよな。
TVとかじゃ美化されてるけど、幼少期、頼朝から逃亡期はかなり悲惨だったろうからな・・・。
まぁこのスレを見て、みんないかに義経好きかが分かるよ。
206 :
日本@名無史さん:02/01/15 21:25
だから清の皇帝が証言してるんだって。
愛信覚羅家は清和源氏の流れを汲んでいるって。
207 :
日本@名無史さん:02/01/16 01:17
>>206 それは時期にもよるが、
満州に対する日本の持つ権利の正当性を認めさせるために
日本が圧力をかけたとは考えられないか?
とか言いながら、俺も義経=チンギスを信じたいんだよな。
208 :
日本@名無史さん:02/01/16 07:59
209 :
日本@名無史さん:02/01/16 10:14
そもそも、義経⇒チンギスハーン って説は、どういう共通点に立脚しているの?
年代だけ?
210 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:05
>207
江戸時代の話しだぞ?
211 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:08
212 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:11
「一番好きな天皇様」スレよりコピペ
270 :日本@名無史さん :2001/06/27(水) 22:43
やっぱり多くの日本人の先祖になった清和天皇かな。
その子孫には中国の皇帝になった人もいるしね。
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
213 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:15
>>212 2chのカキコがソース................
214 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:29
もともとの醤油はこれ
既出だが。
「朕姓源義経之裔其先出清和故号国清トアリ清ト号スルハ清和帝ノ清ナリ」
(『国学忘貝』「図書集成」1783)
215 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:31
「朕姓源義経之裔其先出清和故号国清トアリ清ト号スルハ清和帝ノ清ナリ」
「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
(『国学忘貝』「図書集成」1783)
216 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:34
いつ誰が満州に渡ったんだろう?
217 :
日本@名無史さん:02/01/16 11:41
義経の子孫の源康熙(コウキ)
218 :
日本@名無史さん:02/01/17 07:45
219 :
日本@名無史さん:02/01/17 17:09
>>218トンデモ本って言葉が流行りすぎたから、
間違った使われ方するなあ。
トンデモ本というよりも偽書もしくはインチキ本だよ。
220 :
日本@名無史さん:02/01/17 17:55
まずは
長山靖生『偽史冒険世界』(ちくま文庫)
を読め
221 :
日本@名無史さん:02/01/18 14:53
愛新覚羅の子孫のDNAと、日本の源氏の子孫のDNA
を相互比較して鑑定すれば、何代前で、つながった
のか・・あるいはデタラメなのか判るはずだから、
誰かやってくれないかな・・・
222 :
日本@名無史さん:02/01/19 07:02
愛新覚羅家とチンギス家は、男系で繋がっていないと思はれ
223 :
日本@名無史さん:02/01/19 15:44
>>217名前に康がつくところなんて日本人の血をひいてるぽいね。
訓読みするとなんて読みになるんだろう?
やすき?
225 :
日本@名無史さん:02/02/01 07:57
『元朝秘史』って確か秘密にされてたんだよね。
わざわざ 秘密にしていた理由は何?
226 :
日本@名無史さん:02/02/01 08:06
しつこいようだが
ディズニー映画じゃあるまいし、他国の英雄をパクるのはやめろ
227 :
日本@名無史さん:02/02/01 08:18
平賀源内が皇帝ナポレオンになった、と言える勇気を持とう
228 :
日本@名無史さん:02/02/01 12:18
>>227 鑑真がガンジーになったというより無理がある
229 :
日本@名無史さん:02/02/01 12:22
*********************** 終 了 す る な ***************************
230 :
日本@名無史さん:02/02/02 11:39
日本武尊がイエス・キリストになった、と言える勇気を持とう
231 :
日本@名無史さん:02/02/02 11:46
考古学を研究している私は、先日、研究室にこもる生活のあいまの息抜き
のつもりで、近所にある縄文遺跡を散策していた。
そのとき、ふと傍らの草むらを見た私は、偶然そこに乾電池が転がってい
るのを発見した。
縄文時代の遺跡に乾電池!こいつは大発見だ!
私は震える手で乾電池を握り締め、研究室に戻るとその分析を開始した。
もし、これを縄文人が造ったのであれば、彼らはわれわれがこれまで考え
ていたよりもずっと、高度な文明を有していたということになる。
乾電池の表面には文字らしきものが書いてあった。驚くべきことにそれは
アルファベットだった!なんということだ。縄文人は地中海文明と行き来
するほどの一大文明だったのだ!
アルファベットを読んでみる「Panasonic」…Panasonic!パナソニック!
まさに空前の発見だった!わたしはおもわず天を仰いで涙した。自らの幸
運に感謝した!
縄文文明は地中海にまで版図をのばし、電力を使用するほどの高度な文明
だった!そして、その時代からすでに松下電器産業は存在していたのだ!
それから、私は文字通り寝食を忘れて新たな論文の作成にとりかかった
232 :
日本@名無史さん:02/02/02 21:00
カルト板だったのか(藁
松下は大正7年3月創業ですよ
>232
わかった。こうしよう。な?
テメェは金魚だ。金魚になるんだ。あの赤いやつだよ。わかるな?
なに、なんで「金」魚なのに「赤」いのかって?誰が質問していいっつった?
もとはといえば全部クソスレ立てたテメェがいけねぇんだゾ?何様のつもりだ?
もう許さねぇ。テメェは今すぐに幸福の科学の事務所のエンブレム剥がして持って来い。
リミットは2分。コンマ1秒でも遅れたらザーメン2万ガロン飲め。いいな。クソが
235 :
日本@名無史さん:02/02/03 08:15
236 :
日本@名無史さん:02/02/09 07:50
仮に義経=チンギス・ハンだとしたら山田長政みたいに移住先で武勇が買われて
手柄を立ててどんどん出世し、道三のように最後に国を乗っ取った
可能性 18.2378%
40すぎた外人のおっさんに一族の命運を任せると思う?
238 :
日本@名無史さん:02/02/09 12:30
239 :
日本@名無史さん:02/02/11 07:37
怖くて押せないYO!
240 :
日本@名無史さん:02/02/11 13:46
>1さんが内閣総理大臣になれる可能性よりは、はるかに小さい
241 :
日本@名無史さん:02/02/21 06:27
>>1 衣川で死なかった可能性80%
↓
蝦夷まで行った可能性95%→76%
↓
大陸まで行った可能性50%→38%
↓
戦の才能を発揮できる可能性80%→30.4%
↓
モンゴル統一の可能性0.1%→3.04%
義経がチンギス・ハンになれる可能性 約3%
242 :
日本@名無史さん:02/02/23 11:58
そういう問題じゃないような気もするが
243 :
日本@名無史さん:02/02/24 00:47
1 衣川で死なかった可能性2%
↓
2 蝦夷まで行った可能性50%→1%
↓
3 大陸まで行った可能性1%→0.01%
↓
4 戦の才能を発揮できる可能性20%→0.002%
↓
5 モンゴル統一の可能性0.01%→0.0000002%
ぐらいが妥当だろ
244 :
日本@名無史さん:02/02/24 05:49
清については、秀吉の朝鮮出兵時の残党が、何らかのカタチで、
かかわったと見たら面白いんじゃない。
その方がまだ可能性がある。
245 :
日本@名無史さん:02/02/24 21:35
義経がジンギスとは思わんが激しい皇国シニアンがこの説をつぶしにかかる理由がわからん。
246 :
日本@名無史さん:02/02/25 05:17
皇国シニアンってなんぞや
247 :
日本@名無史さん:02/02/26 07:09
ジンギスカンの前半生が創作されていることは確かで、
『元史』とか『集史』とか『元朝秘史』とかでは皆それぞれにばらばらなことを書いてあるんだぜ。
それでよく、チンギスの子供の頃を知る人や親族が云々と断定的なことが言えるもんだな。
かえって否定派の無知やいいかげんさを露呈しているようなもんじゃねえか。
そんな基本的な知識もないのにそんな断定的な否定をするということが、
前にレスで言われていたような、結論先にありきの態度じゅないのかい ?
248 :
日本@名無史さん:02/02/26 07:49
1 衣川で死なかった可能性0.00000001%
↓
2 蝦夷まで行った可能性→0.0000000000001%
↓
3 大陸まで行った可能性→0.000000000000000000000000001%
↓
4 戦の才能を発揮できる可能性→0.00000000000000000000000000000000000001%
↓
5 モンゴル統一の可能性→0.00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%
249 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:51
>>247 チンギスの前半生がある程度創作されてるのを
義経=チンギスの証拠のように語るのは
浅はかすぎると前に言われたはずだが?
最近のモンゴルの研究ではかなりチンギスの生涯もこんなもんだろうというとこがわかってる。
モンゴル人が詳細に研究してるんだよね。
モンゴルにも大学の史学科とか研究機関がいっぱいあるんだよね。
ウランバートル大学歴史学科とかの資料、読んだの?
そこではチンギスの詳細な研究や資料があるんだよ。
日本人が一部の資料の矛盾程度を大げさに騒いだり、怪しげな資料からの情報を鵜呑みにすべきではない。
なんだか、外国人がやってきて、いい加減な研究を発表をするのは良くあることなんだよね。
昔、白人が世界のあちこちを研究する時、何か高度な移籍とか見つけると、
ずぐに「現地人にこんな高度ものが、創り出せるわけがない、白人が来た証拠だ」とかいって、
いい加減な研究を発表するのを思いだすな。
日本についても、明治初期にきたマクレオドとかいう商人が「日本人、朝鮮人の起源の研究」とかいう、
日ユ同祖論の元祖たるいい加減な本を出してる。
日本人も世界の歴史もろくに知らずにあちこちで日本人がどうこうのトンデモ本を出してるな。
「耶麻台国はエジプトにあった」とかさ
250 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:58
逆に考えてみよう。
建国の主が外国人の可能性を。
たしか、源頼朝についても、若い頃、空白の期間があるんだよな。
もしも、モンゴルにメルキト族の王子が源頼朝になったという伝承があったら、それを信じるのかな?
あるいは足利尊氏や信長や秀吉や家康が実は外国人だったという可能性は・・・
うーん、秀吉ならかろうじてありえるかも、
しかし、少年の頃にやってきたのなら、ともかく
40を越えたおっさんが王になるのは難しいのでは?
251 :
日本@名無史さん:02/02/26 09:06
昔、モンゴルである日本人ルポライターが「日本では義経がチンギスハーンになったという話しがある」
とモンゴル人に話したところ、イヤな顔をされて「馬鹿馬鹿しい噂話し」と一蹴されたという。
まず、モンゴルではそんな馬鹿話しはだれも信じてないのと、
モンゴル人の英雄が外国人だなんて話しは不快だという事だ。
思うにチンギスが義経なんて話しは日本人にはロマン、もしくは自慢でも、
モンゴル人にとっては民族の英雄を誹謗し、不快を与える話しだという事をお忘れなく。
252 :
日本@名無史さん:02/02/26 11:41
>>251 まあモンゴル人の反応は当然だけど、同じことを日本人が朝鮮人に対して言ったら
差別呼ばわりされることだろうな。
253 :
電波@名無史さん:02/02/26 12:15
>251-252
逆に日本の皇室にチンギス=ハーンの血が流れている、って言ったら
モンゴル人は喜びそう。
254 :
日本@名無史さん :02/02/26 12:45
>>244 1636年の清の朝鮮侵入と
1651年のロシア=コサックの侵入では降倭兵(もう二世や三世だが)が
活躍し、「朝鮮八旗」として編入されている、とか。
(ソースは金在徳著「降倭苗裔譚」)
255 :
日本@名無史さん:02/02/26 12:45
あまり知られていませんが、
徳川家康は実はチンギス=ハーンの三番目の息子の子孫なのです。
家康の先祖はフビライと争って負けて日本に逃げて、
三河の国に住むようになったと言われています。
256 :
日本@名無史さん:02/02/26 14:21
家康の祖先の出自はかなりあやしいからな。
源氏なんて大嘘らしい
家康は願人坊主出身で幼いころ駿河に売られて・・・
云々の例の説もあるしな
257 :
日本@名無史さん:02/02/26 14:47
徳川家の家紋の三つ葉葵は、三番目の息子であることを示しています。
また葵の葉は、遊牧民が家畜の資料にする牧草を意味します。
もとは別の植物だったのですが日本に定住するようになって
葵ということになってしまったのだそうです。
258 :
日本@名無史さん:02/02/28 07:21
1 衣川で死なかった可能性100%
↓
2 蝦夷まで行った可能性95%→95%
↓
3 大陸まで行った可能性50%→47.5%
↓
4 戦の才能を発揮できる可能性95%→45.125%
↓
5 モンゴル統一の可能性%→10%→4.5125%
259 :
日本@名無史さん:02/02/28 07:26
衣川で死なかった可能性を100%にするような無理な仮定をしても、
最終的には4%くらいにしかならないんだね。
260 :
日本@名無史さん:02/02/28 07:30
じゃあ50%にするよ
義経がチンギス・ハンになれる可能性 2%
261 :
日本@名無史さん:02/02/28 07:36
2%か。
ほとんどゼロに近いですな。
黄金の国ジパングって平泉だと思ってた。
263 :
日本@名無史さん:02/03/01 07:57
義経がモンゴルで戦死した可能性は40%もあります。
264 :
日本@名無史さん:02/03/01 12:20
チンギス=ハーンが義経というのは、韓国人が日本の空手や剣道は韓国の〜のマネだって言っているのと同じレベルだよな。
265 :
日本@名無史さん:02/03/01 17:33
チンギス・ハンは義経のマネ
266 :
日本@名無史さん:02/03/01 18:25
>>244>>254 倭寇や朝鮮征伐の時に日本の侍の剣術の強さにおそれいたった明は
以後その剣術を採用したらしいね。
267 :
日本@名無史さん:02/03/01 18:26
いまでも中国武術では苗刀という刀が使われていますが、これは
もともと日本刀を模して造られたものです。
268 :
日本@名無史さん:02/03/01 18:29
ところで、義経ですが、「大日本史」に義経蝦夷地渡航説が
記されているそうです。
また、なぜか北海道に義経にまつわる伝説が多く存在したのも
事実であり、当時、義経に関わった人物が蝦夷に渡航した可能性は
かなり高いものと思われます。
>義経がモンゴルで戦死した可能性は40%もあります。
?モンゴル→平泉の間違いでわ
270 :
日本@名無史さん:02/03/01 18:53
資料に大日本史を出されてもなあ。
272 :
日本@名無史さん:02/03/03 04:14
1 衣川で死なかった可能性95%
↓
2 蝦夷まで行った可能性95% →約90%
↓
3 大陸まで行った可能性50% →約45%
↓
4 戦の才能を発揮できる可能性95%→約43% 大陸でひっそりと暮らす→葯2% → 葯2%
↓
5 モンゴル統一の可能性0.1% →葯0.04%
戦死する可能性50% →葯21%
チンギスハーンの家来になる50%→葯21%
お約束のツッコミだがよー
約と葯の使い分けは何なんだよ
274 :
日本@名無史さん:02/03/04 18:09
八ツ墓村の作者(名前わすれた)とか、高木アキミツとかは
角川春樹が個人的趣味で売り出さなかったら、ホームレスになって
路上で窮死してたんじゃない?
275 :
日本@名無史さん:02/03/04 19:26
>>270 水戸徳川家篇の権威ある資料だろ。
これ以上の資料が他にあるのか?
276 :
日本@名無史さん:02/03/04 19:55
義経は死んだはずなのに北海道各地に義経ゆかりの石碑がばんばん立っている!
だから北海道ではモンゴル民族の食習慣のジンギスカンばかり食べさせられたし、
何にでもバターを入れる!
277 :
日本@名無史さん:02/03/06 05:26
義経がモンゴルの王になったなど、絶対ありえない。大陸に一つとして文書が残っていない。
所詮戦前の大陸侵攻の国策に乗った、ムネオのような輩の妄想だよ。
チンギスハーンって、モンゴルの民族ではなかったんだよね?
どこからともなく、突如現れた。
出生がわかってないはず。
279 :
日本@名無史さん:02/03/06 07:52
>>277 幕末以前ですが、、
シーボルトは『日本』という書に、彼の友人の吉雄忠次郎が義経はジンギスカンになったことを確固として信じている、と記しているそうです。
そしてこの「世界的事件」に歴史家が注目するようにとも書いているそうです。
(某HPより)
280 :
日本@名無史さん:02/03/07 20:21
『成吉思汗ハ源義経也』
という徳川家達が題字を書いた権威ある書物によれば、ジンギス・カンの父の
名は「エゾカイ」という名であるようです。
「エゾカイ」つまり「蝦夷海」です。
ジンギス・カン本人が義経だという可能性は非常に低いかもしれませんが、
ジンギス・カンが義経ゆかりの人間になんらかのつながりがあるという
可能性は捨てきれませんね。
281 :
日本@名無史さん:02/03/07 20:23
チンギス・ハンの生年ははっきりしませんが、1155〜1167頃とみられており、
1159生まれの源義経と確かに同年代です。また奥州で義経が亡くなったとされ
ているのが1189年ですが、チンギス・ハンがモンゴルで兵をあげたのが1188年
頃のようですので、ギリギリで年代が一致します。また源義経という文字を
中国語読みしますと、yuan-yi-jing となり、これがチンギス・ハンの幼名
「テムジン」と似てないこともない、という人もあります。
282 :
日本@名無史さん:02/03/07 20:35
正統清和源氏の子孫であり、かつ尊皇家でもあったテムジンは
じつの弟を殺そうとした冷酷非道な兄頼朝が朝廷をないがしろ
にして造った鎌倉幕府が許せなかったんだな。
そして、その腐れ鎌倉幕府を打倒するという夢を子孫に託します。
それがフビライの元寇となって実現したのです。
しかし、いかに腐れ鎌倉幕府を倒すのが目的と言えども、天皇の
家臣筋であるところのフビライが主君であるところの天皇の国に
弓を引いたことは事実。
そこでこれをこころよく思わない神々が神風を起こしてこれを
撃退したのであった。
283 :
日本@名無史さん:02/03/07 20:39
信長は音読みすれば「シンチョウ」つまり「秦朝」であり即ち「秦王朝」
であります。
信長が中国所縁の人物である可能性は捨てきれませんね
って馬鹿馬鹿しい妄想だよな
284 :
日本@名無史さん:02/03/07 21:47
面白いね! 本当に面白い。
ウチの大学の図書館には、凄い本があるよ。
例の大室天皇系のヤツだけど、『元朝秘史』に出てくる
チンギスの祖先を、イェスゲイが義朝で、誰それが義家
で、誰だれが頼義だなんて、比定までしているよ。
>> 247
> ジンギスカンの前半生が創作されていることは確かで、
> 『元史』とか『集史』とか『元朝秘史』とかでは皆そ
> れぞれにばらばらなことを書いてあるんだぜ。
残念ながら、これはちょっと違うね。『元史』と『集史』
&『聖武親征録』の情報と、『元朝秘史』の情報とが、
矛盾しているということでっせ。そして、後者は、史料
としての性格が他の三史料とは異なっている、というワ
ケで、都内某私立大学の講義で、そのように習ったこと
があります。
286 :
283さん、ばんざい:02/03/08 20:45
なんでもできそうでウレシイ
頼朝はライチョウと読めるから、高麗王朝しゅっしん
287 :
そうだ、その調子:02/03/08 20:51
源 義朝は
魏王朝の後裔なるぞ〜
288 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:00
>>274 そんなことないよ。
あなた、日本の探偵(推理)小説史にくわしくないね。
横溝正史ははじめから探偵小説界で高い評価を受け、探偵小説界のドンたる江戸川乱歩に注目されてたし、
喬木アキミツも処女作「刺青殺人事件」で新人賞をとって注目されてたんだよ。
289 :
名無しのオプ:02/03/08 21:07
ジンギスカンの秘密とノストラダムスの秘密は
喬木アキミツの中でも特殊な作なんだよ。
刺青殺人事件は良いよ。
密室の浴槽に女性の首と手足4本が産卵しているという衝撃の出だし、
密室トリックと密室にする動機は「?」だが、そのほかのトリックはなかなかのもの。
290 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:12
小説家なんだから、食うために何を書いてもよし
真に受けるアホは逝ってよし
・・そう言えば「日本沈没」が流行った時、マジに小松左京に
沈むんでしょうか、と聞いたバカがいた由
291 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:13
>>290 そうだけど、高木の場合は本気で書いてたフシがあるので。
292 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:19
売るためには、当然それくらい言うぜ。職業に対するたてまえさ
演じたけど、この役には同感できませんでした、という俳優がいるかい?
293 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:37
ツーカ、いやいや演じましたなんて言った日には
だれも見にこないだろうな
294 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:40
>>292 高木アキミツという男はオカルト信者でね、
あちこちで占いの有効性を説き、盲信してるんだよね。
「当たらぬも八卦、当たるも八卦というのは占い師の腕の問題で、一流の占い師なら必ず当てることがてぎる」
とかも言ってる。
そもそも、彼が作家としてやっていく決意を固めたのもある易者の助言からだそうだ。
ジンギスカンの件も「霊感」によるもので、
義済は衣川で死んでいないと直感したのだそうだ。
295 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:49
トンデモ本作者には金目当ての確信犯型と
真面目に信じている天然型がいるけど、高木アキミツと高橋克彦は天然型だよ。
逆に五島力や矢追純一が確信犯型なのは皮肉な話だ。
マジメ(?)な奴の方が天然型なんだよな。
296 :
日本@名無史さん:02/03/15 07:34
大元史では、義経が死んだ年から7年間、成吉思汗伝も不祥になっている。
元皇室は、源氏と同じく笹竜胆を紋章にしている。
軍旗も同じく白旗である。
297 :
日本@名無史さん:02/03/15 09:42
仁義須加んぬ
>>296 すこしは前レスを読め。ウサギも白鳥も源氏と言ってるのと同じだぞ
ふんどしは源氏、こしまきは平家
まあまあ、どうあってもそう信じたいんだから、許してやれよ
実証とか論理という言葉すら知らないんだから
思想・信条として「俺が信じるから義経はチンギス・ハンなのである」
というのは勝手さ。宗教板・オカルト板でならね
そうだ、オカルト板へ逝け。
今なら前世が仁科盛信だったやつもいるから。
302 :
日本@名無史さん:02/03/17 06:34
>>296 >元皇室は、源氏と同じく笹竜胆を紋章にしている。
ほんとなの?
303 :
日本@名無史さん:02/03/17 08:10
302=296
(・∀・)ジサクジエン !!
304 :
日本@名無史さん:02/03/18 00:18
共通するササリンドウの紋について
例の八切止夫さんがおもしろいことを言ってます。
(日本人が単一民族ではないという前提で)
源氏自体が後の元と同族の出だったと。
ベーリング寒流に乗って沿海州や北朝鮮から日本列島に流れてきて
左右に分かれ出雲から秋田へと分散上陸した騎馬民族が源氏の祖先。
元寇とは、北条氏が源頼朝を落馬即死の格好で始末してから、
次々と同族、源氏を討ち滅ぼした(梶原・和田・三浦)ことに対しての、
民族の復仇で、日本を源氏の世に戻す為のもの。
そのため実際に行なわれた文禄・弘安の役を含め何度も執拗に計画されたと。
ありうるんですか?
305 :
日本@名無史さん:02/03/18 00:29
紋章でいえば源氏の紋ではないのに、
牛車の車型の紋を、源氏車紋と言うのは何故?
306 :
日本@名無史さん:02/03/18 06:42
>>304 高木アキミツの次は、八切止夫だとさ(大藁)
307 :
日本@名無史さん:02/03/18 06:54
>306
ただの牛車紋に過ぎぬが、源氏物語絵巻に見えるので、かく言う
本で 元皇室は、源氏と同じく笹竜胆を紋章にしている。
って読んで、調べたのですが、
元皇室の紋章が見つからないので、質問しようとしたんです。
これじゃ自作自演ですね スマソ
309 :
日本@名無史さん:02/03/18 07:27
元の紋章は知らないが、そもそも清和源氏が笹竜胆紋であるというのが
俗説であり、誤りである
310 :
日本@名無史さん:02/03/18 18:50
これだけ証拠があるのにまったく関係ないというのが
かえって不自然だと思う。
おそらくなんらかのつながりはあると思う。
311 :
元大本営参謀:02/03/18 18:56
うむ、
これは一般にはあまり知られていない事実だが
大東亜戦争中に日本陸軍によっておこなわれた
ルーベンスボルン作戦でジンギス汗の末裔の娘が
任務についていたことがあるのじゃ。
この作戦については今もって極秘事項であるから詳しい
ことは語れぬがな。
312 :
日本@名無史さん:02/03/18 19:21
>310
>これだけ証拠があるのに
??? どこに?(大藁)証拠という言葉も知らんクルクルパーは来るな。
同じモンゴロイドというつながりか?
>>310
狂気でなければ、歴史ゲームの弊害、ここに極まれりだな
どうせなら「マッカーサーは日本人だった」くらいのことは言え!
原点に戻って、1さんの言う通り
>衣川で死なずに逃げ延びたぐらいはあったと思うのだが。
それくらいのところは可能性として1パーセントくらいなら認めてもよい。
どこかで静かな余生を送らせてあげたいと思うのは人情というものだ
だが、チンギス・ハンになったなどとは論外中の論外
だいたい、よその国の英雄をパクろうという発想が卑しすぎる。あさましい
310さんへ
あなたがカビの生えたトンデモ本とかゲーム本・マンガ本からの引用をやめて
モンゴル語を習い、現地に3〜5年滞在して、未見の資料を持ち帰ったら
その時点で、検討の対象にしましょう
318 :
日本@名無史さん:02/03/19 16:14
だって、義経と、チンギスハンの肖像画は似ても似つかぬ。坂東英二?
319 :
日本@名無史さん:02/03/19 20:21
大陸から日本にものが伝来するというケースは認めるのに
日本から大陸に偉大な人物が伝来したという事実を認められない
既成概念に縛られたやつらは悲しいね。
320 :
日本@名無史さん:02/03/19 20:24
いいえ、神武=扶余王仇台も認めたくないようだ
321 :
日本@名無史さん:02/03/19 20:37
>>319 「○○であった」と主張するほうに証明する責任があると思われ
|∀゚) ダレモイナイ…
|⊂ ロケットデ ツキヌケルナラ
| イマノウチデスネ トガシセンセイ
キュ ♪
キュキュキュキュキュ ∧∧ ♪
キュ ヽ(゚∀゚)ノ
キュキュキュキュキュ ( へ)
キュ く
キュ
L i v e L i k e R o c k e t !
♪
♪ ∧∧ キュキュキュキュ
ヽ(゚∀゚)ノ キュ
(へ ) キュ
> キュキュキュキュキュキュ
323 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:16
チンギスハーンは大男だったそうで、実は彼は義経ではなく武蔵坊弁慶だったのです。
仕える主君を失い大陸を彷徨う弁慶。
手におえない暴れん坊だった彼は義経に出会い彼に負け、以後、彼に仕えることが生きがいだった。
義経の死に際の弁慶えの言葉は「これからは、好きに生きろ」
そして彼は昔の暴れん坊に戻ったのだった。
誰かこれをネタに小説でも書きな。
>>323 それ悪くないね。武蔵坊は実在の人物であり、じっさいは右筆的な仕事を
していたらしいから、教養人で、中国語・モンゴル語ペラペラだったとか(笑)
>>284 >ウチの大学の図書館には、凄い本があるよ。
>例の大室天皇系のヤツだけど、『元朝秘史』に出てくる
>チンギスの祖先を、イェスゲイが義朝で、誰それが義家
>で、誰だれが頼義だなんて、比定までしているよ。
それなんて本?
大室天皇系って何?
大室天皇ってのは、明治天皇が大室某という土民とすりかわっているという妄説。
学会はもとより、どこからも相手にされていない究極のデムパ。
まともに相手にすると、キチガイが食ってかかってくるから無視すること
ゼロ
328 :
日本@名無史さん:02/04/01 16:30
329 :
日本@名無史さん:02/04/01 19:51
義経の日本での行動力を見てるとチンギスハンになってもおかしくないような。
頼朝は無理だろうけど。
330 :
日本@名無史さん:02/04/01 19:54
モンゴルの神話も日本の神話も最高の神が女性だったよな。
331 :
日本@名無史さん:02/04/01 21:06
>>323 ハーンは大男とされていたが、確か、元朝秘史によると、死後まるで縮んだかのように
小さかったと書いてあり、大きく見せかける細工をしていた可能性がある。
ナポレオンも背が低かったので、常に馬上から命令したそうだ。
332 :
日本@名無史さん:02/04/15 03:30
義経も背が低いね
333 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:42
義経が蒙古へ渡り、ジンギスカンを名乗ったのは明白な事実だ。
同じように丹下左膳はハイチに渡り、フランソワ・マカンダルと名乗ったのさ。
334 :
日本@名無史さん:02/04/24 05:16
ザグレートムタは、武藤敬二なのか。本当に。
335 :
日本@名無史さん:02/04/24 07:28
ハーン&ナポレオン&義経=背が低い、ゆえに同一人物。メデタシメデタシ
336 :
日本@名無史さん:02/04/24 07:30
当時は世界各国ほとんどの人種はちびだったんだってよ。
たまに弁慶みたいなのがいるとエレ―大男みたいになるんだよ。
337 :
日本@名無史さん:02/04/24 07:49
152 :日本@名無史さん :01/12/28 07:57
前に日本はモンゴルに元冠の損害賠償をモンゴルにすべきだというスレがあったけど、
もし、その理論で義経=チンギス・ハンなら日本は世界にどれだけ損害賠償をしなくてはいけないかわからないね。
何千兆円かな?
>>335 謝罪と賠償(以下略)
可能性0.1%やね
本当は零っていいたいけど
コレに限らず世の中に絶対はそうそう無いしね
339 :
日本@名無史さん:02/05/05 06:17
じゃあ衣川で死なかった可能性は何%ぐらいあるの?
生物としての義経は、あるいは生き延びたかもしれないが
武将としての生命はそこで終わったのだから、それでいいじゃないか
まったく厨房は・・(以下略)
341 :
日本@名無史さん:02/05/09 04:36
20%
>330
天之御中主神は性別・姿形なく地上にその身を表さない神様ですぜ。
性別のある夫婦神が生まれるのはずっと後の事。
343 :
日本@名無史さん:02/05/09 22:29
義経がチンギスハーンになったという伝説は、事実ではないでしょう。どう考えても
無理があります。おそらく、義経を慕っていた民衆が歴史上での大人物と重ね合わせたのでしょう。
344 :
日本@名無史さん:02/05/14 05:13
345 :
日本@名無史さん:02/05/26 04:38
でもチンギス家の家紋が、源氏の笹竜胆と同じなのは偶然なのかな?
346 :
日本@名無史さん:02/05/26 05:55
偶然
元の紋章は知らないが、そもそも清和源氏が笹竜胆紋であるというのが
俗説であり、誤りである
村上源氏の紋じゃなかったっけ?>笹竜胆
清和源氏も確かにつけてたかも知れんけど…
349 :
日本@名無史さん:02/06/02 01:58
じゃあ、なぜチンギス家の家紋は笹竜胆なの?
遊牧民族に家紋ってあるの?
350 :
【^▽^】武蔵坊ジョーカー:02/06/02 02:17
義経はチンカスハーンのような強姦大王にはなりません。
このスレまだあったんだね。
隔離スレ?
352 :
日本@名無史さん:02/06/08 18:05
青い狼、白い雌鹿ってどういう意味ですか?
353 :
日本@名無史さん:02/06/08 19:48
既出じゃないようだね。
大正時代、後に杉原千畝の逃がしたユダヤの民がシベリア鉄道に乗って満州まで来たおり、
彼らを満州に定着させたり、日本へ行かせるべく様々に骨を折った豊田なんとかという陸軍中将が、
まだ若い武官としてハバロフスクだかに赴任していた当時(大正時代)、
大通りの公園のレーニン像の陰に隠れるように正体不明の碑があって、
よく見ると、源氏の家紋である笹竜胆が刻印されていた。
(確か?)書かれている文字も漢字だった。
豊田が調べると、(確か?)そのあたりの土中から、その町をつくっている頃、出てきたという話。
ソ連人は、意味もわからず、とりあえず石碑なので建てておいたらしい。
笹竜胆様の家紋を持つような習慣は、そのあたりの原住民にはないことから、
豊田は義経伝説を考え、日本の専門家に調査する手はずを整えた。
ところが、数日後、その石碑のところに行ってみると、石碑が引っこ抜かれていて、
どうやらソ連側が、調査の話を聞きつけて、ヤバイと思ったのか、
その町を流れる河(黒竜江だかウスリー川)に石碑を捨ててしまった、ということだった。
という話が、豊田に関する読み物のなかにあった。
この話は、秘密だよ。ロシアが聞いたら、また川底から引っ張り上げて、
今度は本当に闇に葬り去るかもしれないので。
豊田。名前は忘れた(○○郎)が、確かアリューシャン列島の島(キスカ島?)から、玉砕寸前の日本兵を、
米軍の目をかいくぐって帰還させる作戦を立てた人。誠実な人柄で、当時の軍人にありがちだった
胡散臭さはない人物だった。
354 :
日本@名無史さん :02/06/08 22:48
実は源九郎義経はあの時死んでおらず、青森に逃げました。
しかし北海道には渡らず、青森の港から大陸に渡り、平泉の金売りきちじから
聞いていた、テムジンに会いに行く。そしてテムジンの側近として生涯仕える。
355 :
日本@名無史さん:02/06/08 22:51
ある日突然、日本人がモンゴルに行って、その地でモンゴル語?も話せないのに、首長になれるかね?絶対クーデター起こるでしょ。
356 :
日本@名無史さん:02/06/08 22:58
テムジン側近説はどうよ!
358 :
日本@名無史さん:02/06/09 17:40
359 :
日本@名無史さん:02/06/09 17:41
360 :
日本@名無史さん:02/06/09 17:45
義経はジンギスカンになれるか!?
361 :
日本@名無史さん:02/06/09 17:52
353が言ってるのは、樋口季一郎の事だと思われる。
362 :
日本@名無史さん:02/06/09 19:23
平泉の金売りきちじのはからいで、
青森の港から大陸に渡ったが、金軍に奴隷として捕まりかけたが、
テムジン率いるモンゴル軍に助けられる。天才的騎馬の技術と勇猛果敢な
ところとが認められテムジンの影武者となる。
数年後テムジンは暗殺されたが分裂を恐れて、公表されず、
源九郎義経が後を次ぎチンギス=ハーンに即位する。
363 :
日本@名無史さん:02/06/10 00:23
363
チンギス・ハーンも義経も共に身長150センチ以下。
チンギス・ハーンは底高の長靴を履いていた。
モンゴルの或るラマ寺では、チンギス・ハーンの命日のお祭りに垂れ幕を掛けるが、
そこには「笹りんどう」の紋がついている。これは源氏の紋章とおなじ。
チンギス・ハーンの即位は、衣川の戦いより17年あと。義経のあぶらが乗り切る年齢だ。
満州には「ゲンギケイの墓」なるものがある(法庫の西)。
チンギス・ハーンは生涯読み書きができなかった(日本人だからモンゴルの字は読めなくて当然)
etc
365 :
日本@名無史さん:02/06/10 00:54
これだけ状況証拠が揃っているんだから確実だな。
366 :
日本@名無史さん:02/06/10 01:41
義経の絵の目とチンギス=ハーンの絵の目は似てる。
367 :
日本@名無史さん:02/06/10 01:42
重厚な大鎧に長大な弓で戦う日本の武士が
軽装・短弓で機動力を活かして戦うモンゴル騎兵に
馴染めるはずもなし
368 :
日本@名無史さん:02/06/10 15:48
>>367 義経の使っていた弓は特殊な弓だよ。
それから重い鎧を着ても義経は少林寺拳法の軽功をマスターしてるから
ノミのように飛べるんだよ。(八艘飛び)
義経流忍術として今でも残っている。
369 :
日本@名無史さん:02/06/11 02:17
>>364 >モンゴルの或るラマ寺では、チンギス・ハーンの命日のお祭りに垂れ幕を掛けるが、
>そこには「笹りんどう」の紋がついている。これは源氏の紋章とおなじ。
>満州には「ゲンギケイの墓」なるものがある(法庫の西)。
ソースあるの?
370 :
日本@名無史さん:02/06/11 02:25
>義経の使っていた弓は特殊な弓だよ。
どんな弓だよ(w
>それから重い鎧を着ても義経は少林寺拳法の軽功をマスターしてるから
>ノミのように飛べるんだよ。(八艘飛び)
少林寺開山の方が源平合戦より後という罠
>義経流忍術として今でも残っている。
絶対義経の流れじゃないから大丈夫(w
371 :
日本@名無史さん:02/06/11 02:49
しょうゆならある。
デムパの物語は面白いよ(www
みんな、あまり歴史初心者をいじめないようにな。
ほどほどに諭してあげて。
義経生存説を主張したいやつらは、ちゃんと文献名を
明示するようにね。
(くれぐれも自分の空想を展開しないようにね)
>>373 義経生存説=ソースは全てデンパだからさぁ。
375 :
日本@名無史さん:02/06/11 04:27
age
源氏の一族は凄ェな!
日本を統一し、モンゴルを統一し、琉球を統一し・・・・・・
東アジアはみな源氏の子孫が創った国家だ!
377 :
日本@名無史さん:02/06/11 13:59
少林寺拳法の開祖、達磨大師の奥義だよ
達磨大師は6世紀頃の人だからあってるだろうが。
だから開山が後だろうが関係ないだよ。
少林寺と言ったの少林サッカーを意識して言っただけだ(W
378 :
日本@名無史さん:02/06/11 14:11
大体少林寺の開山は西暦496年来朝したインド僧・跋陀のために孝文帝の命で建立された
んだぞ。なにが源平合戦より後だよ。嘘をつくなよ。
菩提達磨は西暦527年(北魏孝昌3年)、
インドより来朝し、広州、南京、長江を経て少林寺に入った。
源氏も、その源流はインドにある。
新羅はインドのナーガ族のジジュウモニから始まったが、新羅武士の花郎を源花と言い、これが源氏の始まりだからだ。
380 :
日本@名無史さん:02/06/21 03:33
本当に衣川で死んだの?
381 :
日本@名無史さん:02/06/30 07:37
死んだよ
382 :
日本@名無史さん:02/07/03 11:29
生存説については、東北の岩谷堂とかいろいろ遺跡があるじゃない。
書き物を残した、とかいって家宝にしてる旧家もあるし。(ホントかどうかは別・TVででてた)
具体的に。
誰か、そういういいつたえのある場所の近くの人とかいないの?
383 :
日本@名無史さん:02/07/03 13:02
>>370 長弓だね。
当時世界では日本のような長弓は使われておらず、モンゴルもその例にもれず
短弓だった。
ただ、チンギス・ハンが使用していた弓は長弓だったらしい。
現物が今も残ってるのかな? テレビで見た気がするけど・・・。
まあ、漏れはチンギス・ハンが義経だなんて説は信じないけどね。
384 :
日本@名無史さん:02/07/04 04:28
>>383 長弓を使用していたとか、チンギス家の紋章が笹竜胆とかの正確なソースあるの?
あやしい本やテレビでしか見たことないんだけど
>>384 弓に関しては残念ながら正確なソースはない。
あくまでテレビで見た程度。
紋章に関してはさぱーりです(;´Д`)
386 :
日本@名無史さん:02/07/06 03:25
ゲンギケイ(源義経)を蒙古式発音で読むと、「ジンギスカン」となる。
387 :
日本@名無史さん:02/07/08 12:07
お話しとしては面白いし状況証拠もあるようだが疑問もある。
後世元寇が起きた時なぜ九州に執着したんだ?
青森にでも上陸して騎馬で駆け上った方が有利だと思う。
クビライが義経の子孫であればそれぐらいの情報は有していたと思うのだが。
388 :
日本@名無史さん:02/07/08 12:35
>>386 だから、ジンギスカンじゃなくてチンギスハーンだろうが。
389 :
日本@名無史さん:02/07/08 12:48
義経モンゴル皇帝に大決定!
ついでにモンゴル人に皇国史観を教えたら?
390 :
日本@名無史さん:02/07/08 13:33
この、チンギスハン=義経と言う説は、
元々は、日本の小説が元だって聞いたことがある。
詳しくは知らんが。
なんか、チンギスハン=義経っていうのは、
韓国の「何でも韓国起源みたい」でイヤだな。
391 :
日本@名無史さん:02/07/08 14:07
>>390 そうそうモンゴル人からみれば「な〜にいってんだか」
ってかんじだよ。根拠は皆無。
392 :
日本@名無史さん:02/07/08 14:15
これってモンゴル人からしたらちょうど韓国マスコミがサカーの中田とかを在日認定とかしてるのと同じなんだろうな。
394 :
日本@名無史さん:02/07/08 14:55
>>391 さまざまな屁理屈のような証拠が出てくるのは
日ユ同祖論とかにそっくりですね。
395 :
あ〜ほ〜まぬけ:02/07/08 18:36
212,213,214,215の皆様さんの仰る、
>「朕姓源義経之裔其先出清和故号国清トアリ清ト号スルハ清和帝ノ清ナリ」
>「朕の姓は源義経の裔なり。その先は清和に出ず。故に国を清と号す。」
>清の第6代皇帝乾隆帝(清の黄金時代の皇帝)
>(『国学忘貝』「図書集成」1783)
に付いてですが
「史談と史論」(海音寺潮五郎/講談社文庫/1977年初版)の下巻「義
経と弁慶」の稿の更に小項目の中でこの話題に触れておりそれによると
「(前略)桂川中良(十代家治、十一代家斉の頃の人。蘭医。)がその著
『桂林漫録』の中でこう言っている。
『自分はかねてから。『国学忘貝』に言う所の『図書集成』中の『図書○
勘』(○=字が出ない車偏に口と耳)なる書を見たいと思っていたところ、
この頃兄桂川甫周が幕医であるお陰で見ることが出来たが、『図書集成』
中には『図書○勘』なる書はない。総目録を検しても見当たらない。従っ
て、乾隆帝自筆の序文などあろうはずなし』」
あと、「別本金史外伝」についても同書の中で、儒者・篠崎東海が沢田源内
(偽史書作りで有名な人。偽系図作りをショーバイにしていたらしい)を追求
したら源内が自分のデッチアゲだとゲロッた、とのこと。
更に明治時代になって、ある人が当時の儒者の団体「斯文会」に、
「『清王朝の先祖が清和源氏の義経だ』という説をある書物で読んだ。
調査して欲しい」
と依頼した。そこで「斯文会」では大学教授(どこの大学かは記載無し)の
蒲生重章をして、当時の清国公使に問い合わせした所、
「わが皇上の先祖は金源(いまいち意味不明)の後より出ている。
貴邦の源氏とは関係ない」
という回答だったそうな。で、海音寺潮五郎は以下の様に記している。
「いずれも何より信じたい、そうであってほしいといった心持があふれて
いることが感ぜられる。」
396 :
日本@名無史さん:02/07/08 22:03
>>387 俺は義経=チンギス説は全く信じてないけれど、モンゴル帝国はサハリン出兵を
している(フビライの時だったかな?)。日本を目指していたのかどうかまでは
知らないが。
ニコリスク(ウラジオストクの近く)の西域のドイツ人製粉工場の敷地に、
「寛永13年湖北進馬三千匹云々」と刻んだ日本人の残碑があったと、清の「西比利東倫紀要」(一八八五年)は報じた。
ジンギスカンは一二二七年八月一五日「吾は故郷に帰らんことを望む」といって66歳の生涯を閉じたが、京都の鞍馬寺では毎年8月15日を密かに義経の命日として法要を営んできた。
鞍馬寺では、義経と言わず、「遮那王」と言っている。
義経が生まれたのは1159年(平治元年)であるから、1227年には数え年で69歳。ほぼ一致している。
ジンギスカンの父はニルン族の中のキャト族だったという。
これは、日本族のなかの京都族と示唆しているのであろう。
聖武天皇のとき、渤海の使節がやってきて、「渤海は本国、日本はその枝国」といって、日本の天皇家は満州にある渤海の子孫であると主張して、通訳なしで話したという。
おそらく義経は、このことを知っていたのであろう。サハリンからロシアに渡り、黒竜江をどんどん遡っていけば、必ず言葉の通じる同胞がいる、と。
寛永13年は1636年なのだが、どこで義経とつながるのか?
というよりも江戸以来のデムパ説は語るに価しない。
399 :
日本@名無史さん:02/07/09 13:39
モンゴル人の英雄を外国人だといってしまうのはどうかと思うぞ。
証拠証拠とおっしゃいますがもし裁判にかけるとすれば
証拠不十分で訴えは却下されると思うぞ。
400 :
日本@名無史さん:02/07/09 14:15
日本人もチョンのようなことを言っている。。。恥ずかしいことなのか?
402 :
日本@名無史さん:02/07/12 03:20
モンゴル帝国を打ち建てた「草原の英雄」チンギス・ハーンの墓ではないか
とみられる遺跡が、中国内モンゴル自治区で見つかった。
1227年、西夏征服の帰途に病没したチンギス・ハーンの墓の所在を
めぐっては現在も論争が続いているが、遺跡発掘に当たった考古学者は
「これこそ本物」と確信しているという。
11日の中国紙・北京晨報によると、内モンゴル社会科学院の考古チームは
同自治区西南部オトク旗(旗は行政単位)の草原で、チンギス・ハーンに
関係があるとみられる大規模な遺跡を発見。
高さ数十メートルの赤い砂石の山の側面に多くの石窟(せっくつ)が掘られていた。
石窟内から、人々の尊崇を受ける家族の図柄やモンゴル族の埋葬を描いた壁画が見つかった。
ソース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020711-00000458-jij-int
義経の証拠二題。
その1)
ウラジオストクの東北120キロのところにスーチャンという場所があり、漢字で「蘇城」と書く。
「蘇城」という城があり、そのまま地名となっている。
この城について昔からの言い伝えがあり、
「むかし、日本の武将が危難を避けて本国を逃れ、この地に城を築いた。
武将がここで『蘇生した』といったので、「蘇城」と命名された。
武将はこののち城を娘に任せ、自分は中国本土に攻め入って強大な王国を建てた」という。
これは、義経以外に考えられない。
その2)
義経と抗争した頼朝は「日本民族の子孫であるアリアン民族」が、世界の開化国造りに活躍した史実を考証するために、
三浦実顕等三名を1198年(建久9年)から1211年(建暦元年)までの10年以上にわたって大陸に派遣した。
衣川で義経が死んだとされる年月から10年後に出発し、調査団が大陸にいる間にジンギスカンは即位している。
これは調査団に義経の動静を探らせることが真の目的だったのではないか。
つまり、頼朝は義経の国外逃亡を知っていたということ。
ジンギスカンとの接触を試みたのであろう。
404 :
日本@名無史さん:02/07/17 05:50
朝鮮人並の電波だな
モンゴル人が読んだら卒倒しそうな内容だw
義経が在日と証明されれば、確実にチンギスハンになります
407 :
日本@名無史さん:02/07/17 10:01
仮にテムジン=義経だとしたら
どこで彼はボルテと知り合い、部族の主たる名分を手に入れ
オン・カーンに援助してもらえたのでしょうね・・・
408 :
日本@名無史さん:02/07/17 10:49
信長は朝鮮からの帰化人です。
だから日本の古来からの権威や伝統を徹底的に破壊した。
秀吉はのちにそのことを知って朝鮮を征伐を決意した。
信長の先達が義経である。
かれは常盤の胤ではなく帰化人であり貴族政治が武家支配に取って変わられる
のに対して反抗した。
平泉からの伝説は朝鮮の英雄をたたえるための壮大な物語である。
409 :
日本@名無史さん:02/07/17 13:14
モンゴル相撲ってあるだろ。 あれを伝えたのは義経主従だって噂もあるわけよ。 実際当時の日本の相撲はまだ土俵がなかった。 そしてモンゴル相撲の前に踊る踊り、 あれは源平の戦いの死者を弔うためのものだったんだな。
410 :
日本@名無史さん:02/07/17 13:19
しかし、これだけ証拠となるものがあると やはり単なる作り話では済まされないな。
さらに義経の証拠二題
その3)
古くからあるアイヌ民族の言い伝え
「昔、ホンカン様は金色の鷲が飛ぶのを見て、その鷲に従い、昔先祖が往来した海を渡って、大きな河のあるクルムセ国にお行きなされた」
ホンカン様とは判官様、すなわち義経のこと。
陸奥から蝦夷に渡ってきた義経は、アイヌに農業の技術などを教え、神と讃えられた言い伝えがある。
ウラジオストクの北部に「ハンガン岬」というところがある。
地名の由来は定かではないが、地元の人たちは、ただ、
「昔、ハンガンというひとが居たところだからだ」と答えるそうだ。
その4)
「兵力において劣るテムジンは、尋常の手段をもってしては勝ちを制するのが難しいのを知り、まず諜者に敵情を探らせた。
諜者は、敵軍は金帳のなかで盛宴を張っている。急いで侵入して討ちたまえ、と報告した。
テムジンはただちにチュルチェやアルカイなどの武将を先頭に、疾風のごとく突進して懸崖を下り、山の下のチェルという所に陣をしいた敵軍を、不意に襲撃して皆殺しにした。」
この戦法は、鵯越(ひよどりごえ)の逆落としの戦法で源平戦の死命を制した、義経の行動と同工異曲。
旧日本軍の名参謀大場少将は、この戦法を、
「義経の戦術と同一である」と言い、さらに、
「同じ作戦は、同一人物でないとやれない」
と言った、という。
412 :
日本@名無史さん:02/07/27 01:58
↑ソースは?
413 :
日本@名無史さん:02/07/28 23:29
♪ジュースもソースも、カ ・ ゴ ・ メ !
414 :
日本@名無史さん:02/07/29 01:03
昔の日本はチョー○ンなみの電波国だったんですねぇ。
416 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:13
417 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:19
ノストラダムスの日記を預言書と言って必死にコジツケしてる連中にソックリ
そうそう、それにチョー先人は事実を捻じ曲げるのが得意なのだが、
ジンギスカンは、まだ確かなことが分かっていない存在なのだから、
あれこれ空想したり、調べたりしたって問題ない。
ていうか、ジンギスカン義経説を頭から否定してる奴って、
実はジンギスカンについて全然知らなかったりするのが多いな。
これって、作る会の教科書に対して「読んでないけど抗議する」と言ったチョー鮮ばばあといっしょじゃねえの?
420 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:28
本気で痛い。
さすが夏。
>>420 じゃ、ジンギスカンはどういう人なのか詳細に述べてみなさい。
422 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:33
あ、電波君が絡んできた
コワー
>>417 おまえ真性のアホだな。
ノストラダムスの日記ってなんだよ。
預言書(「諸世紀」)は日記じゃね〜よ。
ほんと、「知らないけれど抗議する」「読んでないけれど抗議する」の見本だな。
ば〜か、低脳、ゴミ、かす、とっとと消えろ。
424 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:41
まだ預言書とか言ってるよ
大槻教授〜助けて〜
>>424 本人が預言書っつってんだからしゃーねーだろうが、ば〜化
大槻なんて専門家の間では笑いもんになってるような奴が、おまえの教祖様なのか、あわれなこった。
426 :
日本@名無史さん:02/08/04 05:53
あ、厨のお得意発言
専門家(研究家・学者・学会)の間では〜だ
笑わせすぎ〜
大槻教授〜、こんな事言われてますよ〜
427 :
おほほ ◆hn2j27AA :02/08/04 05:56
大槻がデンバなのは……事実。
そういや、味方のはずの「と学会」からもけなされてたな。
428 :
日本@名無史さん:02/08/04 06:07
>>423 >>425 キリスト教などで、神の「言葉を預かって」広めるのが「預言」
占いなどで未来の出来事を「予め言う」のが「予言」
ノストラダムスがやったのは明らかに「予言」だ。区別してくれ。
ついでにいうと、彼の予言詩集を「諸世紀」と言うのは誤訳。
「百詩篇集」とでも訳するのが正しい。
429 :
日本@名無史さん:02/08/04 07:01
>>420 じゃ、ジンギスカンはどういう人なのか詳細に述べてみなさい。
430 :
日本@名無史さん:02/08/04 10:50
でも義経=テムジンって考えるとトーリルハーンやジャムカとの関係が説明できない。
義経が可哀想だし生きてて欲しいってゆう気持ちはわかんなくもないけどね。
やっぱただの空想だよ。
431 :
日本@名無史さん:02/08/06 22:46
>ノストラダムスがやったのは明らかに「予言」だ。区別してくれ。
ノストラダムスがやったのは意味ありげな詩を書いただけじゃないの?と突っ込んでみる。
432 :
日本@名無史さん:02/08/06 23:11
義経=チンギス・ハーンというのは、元は北海道の売れない作家の
小説が始まりらしい。詳しくは、知らんけどな。
でも、「義経=チンギス・ハーン」って言うのは、韓国人が「日本の文化は、
全て韓国起源」と言うのと同じで、みっともないからやめてほしい。
>432
>義経=チンギス・ハーンというのは、元は北海道の売れない作家の
>小説が始まりらしい。詳しくは、知らんけどな。
知らなさ過ぎ。
そこまで何も知らなくて、よく口が出せるね。
434 :
日本@名無史さん:02/08/07 04:53
>>432に対する
>>433の突っ込みワラッタ
>詳しくは知らんけどな。
大まかにも知ってないやんけ!
>「義経=チンギス・ハーン」って言うのは、韓国人が「日本の文化は、
>全て韓国起源」と言うのと同じで、みっともないからやめてほしい。
お前のレスがみっともないからやめて欲しい!
本当に
>>432はよく口が出せたもんだ
435 :
日本@名無史さん:02/08/07 05:24
最近はジエンが流行ってるのか?
436 :
日本@名無史さん:02/08/09 02:49
ジエン=自演
437 :
日本@名無史さん:02/08/09 13:36
通りすがりに最初から読んだけど、
否定派の書込みは、何も知らないことと頭が悪いことが如実に出てるね。
そういう私も否定的なんだけど。
438 :
日本@名無史さん:02/08/10 00:01
ジンギスカン鍋好きです。
みなさんは好きですか?羊が苦手の人もいるようですが健康にいいですよ。
日本では江戸時代からいわれていた珍説ですね。
442 :
日本@名無史さん:02/08/14 00:21
島田荘司の「ロシア幽霊軍艦事件」を読んだ。
で、思ったんだけど…、
アナスタシアと同じように、義経は衣川で高次脳機能障害になっていたっていうのは
どんなでしょう??
これだと義経とチンギス・ハンの風貌が違っていることも、性格が異様に攻撃的かつ
残虐になっているのも説明できる。
おそらく言語(日本語)もかなり喪失していただろうし、記憶も断片的になっていた
はずだ。
443 :
日本@名無史さん:02/08/14 02:37
>442
>義経とチンギス・ハンの風貌が違っていることも
どう違ってたんだ?
アナスタシアと義経、デmパとびmクリ。
445 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:20
風貌もそっくり<義経、ハーン
446 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:21
俺が、米国同時多発テロの首謀者であることも
肯定も否定もできまい。
447 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:25
ジンギスカン鍋、ちょいと臭うね。冷えると油が固まるのも今市
448 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:26
弁慶なんじゃないか?
449 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:35
言葉も通じない胡散臭い連中が武器持ってウロチョロしてたら、朝鮮、中国にさえ
たどり着けずに途中でなぶり殺しだわな
450 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:38
>>449 源氏の御曹司に向かってそんな......
451 :
日本@名無史さん:02/08/15 16:42
いや、向こうの連中から見たら胡散臭いという意味で、他意はござらぬ
452 :
日本@名無史さん:02/08/15 17:18
>>451 逃亡中の人間が武器を見えるように携帯してるのは不自然
ある歌舞伎の舞台では義経一行は山伏に変装し、逃亡している事が描かれている。
453 :
日本@名無史さん:02/08/15 17:19
勧進帳?それは国内の話では
454 :
日本@名無史さん:02/08/21 21:23
元寇はチンギスの孫であるフビライが、
頼朝の建てた鎌倉幕府への復讐のため、なんて話もあるそうだ
もしやがいしゅつ?
0%で無いが、限りなく0%に近い。
age・・・てもいい?
エビフライ・飯 !!
458 :
日本@名無史さん:02/08/28 17:18
>454
復讐を企てていたなら、孫の代での元寇は説明不能。
本人は東にはほとんど興味がなく、征西に情熱を傾けていたと思われ。
459 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:05
むしろ大陸から流れてきた人物が騎馬戦法を得意としていて、義経になった。
と考えたほうがまだ可能性がある。
460 :
日本@名無史さん:02/08/28 23:07
バツゥの方が強い!!
ハーンは背が高く、義経は背が低い。
しかし死後ハーンの背は、シークレットブーツでごまかされていたことが判明。
これは高木氏の調べで分かっている。
462 :
日本@名無史さん:02/09/02 04:41
30%ぐらいはあるんじゃないかな
463 :
日本@名無史さん:02/09/05 03:40
短期間で異国の言語を習得するなんて凄いね。
そんな事、あるわけねぇだろ。
このカスどもが。
言語の点についての言及を見て思い出した。
岩波新書の『元朝秘史』(小澤重男著)には次のように書かれている。
「私はモンゴル語を勉強し始めて数ヶ月を経たないうちに、モンゴル語という言語は、なんとも、日本語によく似た言語だ、こんなにもよく似た言語が日本語の傍にあったものだ、という深い感慨を持った。」
確かに、モンゴル語は、欧米語や中国語と違って、その文法が日本語と同じなのだ。
そして、小澤重男は、『元朝秘史』の文の中にある「顔色を失う」という表現について、
岩波文庫の『元朝秘史(下)』の159ページ注釈で、次のように述べている。
「<顔色を失った>は、日本語の<顔色を失う>と同様に、勢力を失うの意である。このようにモンゴル語には、日本語とよく類似する表現がしばしば見られることに、私は大きな興味を覚える。」
すなわち、モンゴル語は、その文法が日本語と同じである上に、その表現においても類似するものが多々見られるということであり、
これは、中世モンゴル(ジンギスカン)と日本(義経)のつながりを暗示する一つの傍証的価値を持つものではないだらうか。
オハイオは「おはよう」に似てるから、
英語は日本語と同型だってな…
>>464 >短期間で異国の言語を習得するなんて凄いね。
>そんな事、あるわけねぇだろ。
>このカスどもが。
おまえみたいなアホには、異国の言語の習得ということが途方もなく難しいことに思えるのかもしれないが、
並以上の頭脳の持ち主においては、1年とか2年、現地の者と行動をともにすれば、
会話に充分な程度は軽くマスターできるだろう。
もちろん、そのくらいの、いやもっと長い時間的余裕はあったろうよ。
しかも、上に書いてあるようにモンゴル語の文法は日本語と同じだそうだからなおさら習得は容易だったろう。
それに義経にしろ弁慶にしろ、寺に長くいたおかげで、
多くの漢籍に通じ、漢文も達者に書くことができたくらい優秀なのだよ。
おまえのスカスカ頭を基準にして考えんなよ。
確かにおまえの半ば空洞になった脳髄では、5年たっても10年たっても異国の言語の習得は無理だろうよ。
(もっとも、義経自身が言語をマスターしなくても、
ブレーンの誰かがモンゴル語に通じれば、充分軍隊の指揮は取れるようになるがね。)
ともかく、おまえみたいな脳みそあぽーん人間は、知らないことに口出ししても恥かくだけだから、
おとなしくオナニーでもしてろ。
468 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:26
469 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:48
・・・このスレってさ、「飛行機の起源はウリナラニダ」
っていうのとよく似た趣旨だと思うんだけど・・・
470 :
日本@名無史さん:02/09/05 23:57
471 :
日本@名無史さん:02/09/06 00:52
>>467 弁慶を実在人物として扱ってる時点でお前はゴミだ。
>>470 韓国って何でも自分たちが最初とか、起源とか言うのが好きだな。
国際的信用を失うって事考えてないんだろうな。
>>472 俺から言わせれば、義経=テムジンという時点でゴミ。
日本人の美談妄想に駈られてるバカは
>>470の韓国人並の恥じだ。
>472
>弁慶を実在人物として扱ってる時点でお前はゴミだ。
ハァ???
>>469 >>473 おまえらのような書きこみをしているハエは上の方にもたくさんいるぞ。
それらについては、
>>418がすでに答えている。
まあ、何も知らないやつは、469や473のように言ってれば、
基本的な知識すらない低脳のくせに、
何かいっちょ前に知ったやつのように見せかけられるということだな。
おまえらがまともだというのなら、ちゃんとした根拠を示して
否定意見を言ってみろ。
言えんだろ、無知低脳諸君よ。
あまえらは
>>418の言っているとおり、朝鮮の慰安婦と同じレベルの人間なのだよ。
おい、言い忘れたが
>>472よ
おまえの意見こそ、まさにトンデモだな(w
こんなこと言ってる奴につべこべ言われたくないもんだ。
477 :
日本@名無史さん:02/09/06 17:40
義経が笹竜胆を使った事実なんてないんだろう?
まだこのクソスレは続いてたのか・・・
>>475 >根拠を示してちゃんとした否定意見を言ってみろ
ふん、電波なたわごとにいちいちまともに相手してもらえると思うのか?
ジンギスカンに謎が多いから、仮説を立てるのは勝手などというなら、
「シェークスピアは実は日本人だった」などという仮説が出てきても
まじめに検討するわけか?
脳内で電波遊びをするのも、2chでオナニーに励むも貴様らの勝手だが、
はっきりいって惨めだぞ?
あと、弁慶は実在だろ?
日鮮同祖論と、広まった背景は一緒なのになあ…
>>478 >ふん、電波なたわごとにいちいちまともに相手してもらえると思うのか?
じゃなんでこのスレを覗くんだ? 立派に相手にしてるじゃないか(w
気になってしょーがないんだろ。
このスレを覗いて何か否定意見を書きこむんだったら、 ちゃんと根拠を示すのが当然だよな。
無知でそれが出来ないことを、そんな逃げ口上でごまかしちゃいかんよ。
>ジンギスカンに謎が多いから、仮説を立てるのは勝手などというなら、
>「シェークスピアは実は日本人だった」などという仮説が出てきても
>まじめに検討するわけか?
そりゃ仮にそういうことを示す何らかの根拠が出てくれば、 仮説を立てて検討した方がいいだろうな。
しかし、残念ながら、シェークスピアが日本人であることを示唆するような事象は何一つない。
従って、そういう仮説を立てて検討する必要はないということだ。
ジンギスカン義経説は、無根拠に現われてきたわけではない。
両者の共通点などといった端緒があるからこそ、仮説が立てられ検討されているわけだ。
その程度のことも分からんか?
>あと、弁慶は実在だろ?
誰に言ってんだ? 474に言えよ。 それになんだ、その「弁慶は実在だろ?」の「?」は?
実在に決まってんだろうが、ぼけ。 なんで「?」なんかつけてんだ、おい。
そのくらいの知識すらあやふやなのか、おまえはよ。
それでよく偉そうに書きこめたもんだな。 勉強して出なおしてこい。このガマ。
481 :
日本@名無史さん:02/09/06 23:35
あげ
>479
>日鮮同祖論と、広まった背景は一緒なのになあ…
ほう、どう一緒なのかね、ぜひ聞かせていただきたいものだね。
ていうか、おまえ、日猶同祖論と間違えてないか?
(それだったらともに小谷部という共通点もあるしな。)
まあ、ここにもアホが一人ということで。
文献には弁慶の記述は無い。
一応それらしいのはいるが、別人。
そいつをモチーフにした感が強い。
>483
『平家物語』には何度も「武蔵坊弁慶」という記載がある。
物語とは言っても、架空の人物が描かれたものではないから、実在は確実。
もっとも、『義経記』などに描かれたその人物像については、多く潤色されているだろうがな。
あのねえ僕ちゃん、歴史を語るなら、最低限の知識くらい持ちなさい
>482
日鮮同祖論は、日本の朝鮮支配を正当化することを助けるので広まりました。
義経テムジン説は、丁度満州=モンゴル族の土地を支配しようとしていた頃に、
一所懸命広められました。垂れ流したのが電波民間右翼と言うのも同じです。
「一視同仁」って言う歴史用語の意味を知らないなら、とっとと寝なさい。
大正政変の時のじゃないですよ。
>484
事実に嘘を混ぜるからお話と言います。事実だけなら記録です。
立川文庫には真田幸村も徳川家康も登場しますが、
猿飛佐助も霧隠才蔵も架空の人物です。
実在は確実などとのたまうのは、貴方の知性に、
疑問を抱かせる効果しか得られないので、感心しません。
これはこれは、ご高説ありがとうございます。
>義経テムジン説は、丁度満州=モンゴル族の土地を支配しようとしていた頃に、
>一所懸命広められました。垂れ流したのが電波民間右翼と言うのも同じです。
これはジンギスカン義経説を否定しようとするものが常に持ち出すことだかな。
実際には、この説が大きな話題となった後に、軍部が満州侵攻の口実として利用したに過ぎない。
ジンギスカン義経説は、シーボルト以来、大陸侵攻とは全く独立に検討されてきたものだよ。
このように大陸侵攻と結びつけて解釈することは、 論理的に否定できない者たちがやる卑怯で姑息な手段というわけだ。
>事実に嘘を混ぜるからお話と言います。事実だけなら記録です
おまえも偉そうに書いてるわりにはひどいバカだな。
嘘を混ぜているから物語と言っているのではなくて、 語りの文体になっているから「物語」なの、わかる? 僕ちゃん?
そのくらいの概念すら把握してないの? おまえはまず国語からやり直した方がいいね。
「平家物語」はその素材を全て事実に基づかせた歴史文学。
なにか? 立川文庫が嘘があるから、『平家物語』も嘘があるという論理なのか。 お笑いだね。
『平家物語』はそれ独自に検討されるべきで、
もし『平家物語』に嘘があるというのなら、どこにどういう嘘があるのか、まず指摘もらおうじゃないか。
それを何一つ指摘できないで、『平家物語』にも嘘があるはずだとは、こりゃまた呆れた論法だね。
ちなみに、どうせ、読んでもいないのだろうから、言っとくが、
『平家物語』の弁慶像は、後に『義経記』他で描かれる伝説的な姿とは全く違うもので、
他の従者と同列に置かれた地味な存在に過ぎないのだよ(もちろんそれら他の従者たちは実在の人物だ)。
このように、特別目立った働きをするわけでもない人物を、他の実在の従者たちの中に取り混ぜて創作する必要があると思うのか?
もし、仮に人物を創作するのなら、もっと目立った存在として描くだろうよ。
要するに、この点からも弁慶の実在は疑えないわけだ。
『平家物語』には義経のこともたくさん書いてある。
義経スレに割り込んで、偉そうにのたまうのなら、 義経とその周辺について、最低限の知識ぐらい持ちなさいね。
487 :
日本@名無史さん :02/09/08 17:14
弁慶については正史『吾妻鏡』にも二ヶ所記述があるよ。
>>483 の言ってることはでたらめだってことだね。
488 :
日本@名無史さん :02/09/08 17:56
揚げ
( ´,_ゝ`) 義経しゃんは語学のてんさいだたのれすね
日本史板のレベルってこんなものか…
ってまあ、所詮2chだしな。
sage
492 :
日本@名無史さん:02/09/08 19:08
>490
そう、おまえより少しましなくらいなレベル。
>>490のレベルがどんなものかぜひ見てみたいね。
ここのアホ達を解りやすく例えるなら。
某捏造ゴッドハンドがかなり距離が離れた遺跡から出土された石器が合わさったので
「移動していた」と苦しい説明をしたのと同じ。
捏造犯が沢山いる
>495
具体的に言ってみろ。言えんだろ、ヴォケ。
知らないならつべこべ言うな。
「読んでないけど抗議する」チョン国の自称慰安婦とはおまえのことだ。
それに残念ながらここでは、ジンギス義経説を罵倒する者のほうが、
弁慶非実在なる電波説を発し、
「文献には弁慶の記述はない」などという大嘘ついて、
チョン並みの根拠捏造をやらかしているのだからな。
議論を見かけ上有利に運ぶ簡単な方法はね、
自分では意見の根拠を述べずに、
相手の出してくる論拠を取り敢えず罵倒しておくことなんだよ。
白を黒だと言い切りたいときにお勧めだぞ。
>495
ここのアホ達って、もちろん495も含まれるんだろ?
499 :
日本@名無史さん:02/09/10 03:52
500 :
日本@名無史さん:02/09/10 08:33
義経が死んだとされているのが、だいたい30前後。
チンギス・ハーンが世界の歴史の表舞台に出現してきたのが、だいたい40くらい。
それ以前のチンギス・ハーンの出自は未だに謎のままである。
語学能力習得はやる気があれば5年くらいで現地人と遜色無いレベルに達する事が出きる。
もし、ボオルチュが弁慶だとしたら・・・?。
501 :
日本@名無史さん:02/09/10 16:38
いつも気になってたけど、
京都の鞍馬寺でしずか御前の法要があって、
それが成吉思汗の命日だっていう話。ほんとなのかなあ。
ジンギスカン=義経を当時の関係者が本気で信じていた
ことの傍証になっておもしろい話だと思ったが。
これも高木ちゃんのヨタなのか。
502 :
日本@名無史さん:02/09/10 16:50
てゆ〜か、
ほんとだとしたら、当時の関係者はジンギスカン=義経を
本気で信じていたことになるやね。
つまり成吉思汗こそが「しずやしず…」の返し歌だという
高木ちゃんのヨタの傍証。
浪漫チック過ぎて鼻血がでちゃうかも。
誰か電話で真相を聞いてくれないか。
>>500 確かにジンギスの歴史で確実とされているのは、ジンギス40歳ぐらいから。
すなわち、1200年頃からだ。
それ以前の部分は、虚構だか事実だかわからないとされ、専門家もいまだ結論を出せないでいる。
そして、義経の死んだとされるのが1189年(31歳)だから、
まず、時代的にはどんぴしゃり。
まさに、ジンギスの謎の前半生時代と義経の生きた時代は重なる。
そこで、「元朝秘史」に描かれたジンギスの前半生の記述は、
義経の生涯が描かれたものなのではないのか、
日本での義経の生涯を、舞台をモンゴルに移して描いているに過ぎないのではないのかという仮説が立てられ、
両者の歴史が比較されている。
それについては、どっか別のスレにも書いてあったので省略。
だが、一個面白いのをここに挙げれば、
ジンギスは、タイチウド族と戦いを繰り広げ、タイチウドを殲滅するが、
その際、まず、ある谷においてタイチウドを上方から奇襲して打撃を与え、
さらに、最後はタイチウドのほとんどの者を、海か湖かで水死させたことになっている。
これは、義経が平氏を、まず一の谷で上方から襲い(鵯越)、
さらに、最後は壇ノ浦でほとんどの者を水死させたのと全く符合している。
他にも、よく見ると、両者の歴史は符合している点が多く、
この説は非常に興味深いものだ。
そして、このような観点から見ると、「元朝秘史」において弁慶に相当するのは、
確かにボオルチュしかいない。
というか、弁慶に相当しそうな人物も確かにいるというところが面白いところなのだ。
>501.502
木彬光の作品の根拠はほとんど小谷部全一郎からの引き写しで、
あまり大したものとは言えない。
といっても、小谷部はちゃんと現地を渉猟して集めたのだから、
尊重はしなければならない。写真も数多く取ってきてあるしな。
ジンギスの命日というのもどうかね。
ジンギスの命日については、いまは8月25日とされていて、高木本にある8月15日とは違っている。
高木本にはジンギス=義経という仮説を立てる端緒としての根拠は数多くあるといえるが、
本格的に研究したものとは言えないのではないか。
ヨタ話といわれても仕方ないものもあるだろう。
この本に書かれているレベルではあまり論じたくない。
505 :
日本@名無史さん:02/09/11 04:55
偶然とは思えない一致だ
506 :
日本@名無史さん:02/09/11 07:05
一致とは思えない偶然か?
507 :
日本@名無史さん:02/09/11 08:05
>>486 この板で史料論語るのも空気読めないアフォだと分かった上ですが、ちょっとお聞きください
「平家物語」と一口に言いますが、語り本系、読み本系などいろいろとテキストがありますね
「徒然草」では、吉田兼好が、信濃前司行長が作り、生仏(琵琶法師)に語らせたとあります。
つまり、琵琶法師の語りにより受け継がれたもの、口頭伝承をベースにしているのです。
日本における瞽女歌をはじめ、口頭伝承は、あらすじや決り文句はあっても、語り手により、時と場合により語句が変えられることがあります。
聞き手にあわせて、あるいは時代の流れにあわせて、新たなエピソードを盛り込んだり、いくつかの語りを合わせたり。。。
西アフリカの口頭伝承を研究している川田順一氏は、付加された解釈を取り除いて本体を探り出さないと歴史にアプローチできないと指摘されています。
もっとも一般的な覚一本は、14世紀に明石検校が定めたもの、その流れを組むものです。
つまり、実際に出来事がおきた12世紀末から、文字として定着するまでに100年以上の期間があるのです。
実際に、13〜14世紀の書物からの影響と考えられる節や言い回しも指摘されています。
508 :
日本@名無史さん:02/09/11 08:10
南京大虐殺や従軍慰安婦が虚構であったように、絶対だと信じていたものが
崩れると言う事はままある事。
義経がジンギスカンだったという、一般的には電波とされるものも、これか
らの歴史検証においては、明らかになるかもしれない。
でも、もしこれが真実だったとしたら、モンゴル帝国に侵略された国から謝罪
と賠償を請求されるのだろうか?
509 :
日本@名無史さん:02/09/11 08:13
まあ、ジンギスカンの墓を見つけ出して、その遺体のDNAと頼朝あたりの
DNAを検証してみれば答えが明らかになるだろう。
510 :
日本@名無史さん:02/09/11 09:34
>>507つづき
一方、ほぼ同時代に書き記されたものもあります。
九条兼実の日記 「玉葉」 (1164〜1203年、2年分欠)
藤原定家の日記 「明月記」(現存は1180〜1235年分)
藤原定親の日記 「山槐記」(1151〜1185/1194年まで?、欠落あり)
吉田恒房の日記 「吉記」 (1166〜1193年、欠落あり)
兵部卿平信範の日記「兵範記」(1132〜1171年、欠落あり)など
これらは、京の公卿が個人的に見聞したこととその感想ですから、当然、同時代史の全てではありません。
けれども、京とその周辺で起こったこと、関心をもたれていたことが、かなりリアルに記されているともいえます。
「玉葉」保元2年閏10月17日「頼朝の弟九郎」が軍を率いて上洛するらしいとの伝聞の記事があります。
公卿たちの耳目に義経の存在が明らかになったのはこのころからで、以後、記事は続きます。
入洛と義仲追討以後は、公卿たちは直接義経と交流をもつ場合も少なくなかったでしょう。義経自身や彼の軍勢、周囲への言及もあります。
しかし残念ながら、武蔵坊弁慶なる人物は該当するものがなさそうです。
義経の失脚、都落ち以後は、記事が少なくなり、伝聞ばかりになるのは彼らの立場上仕方ないことなのでしょう。
511 :
日本@名無史さん:02/09/11 09:36
>>507 >>510つづき
また有名な「吾妻鏡」「百錬抄」といった史書もあります。
これらは同時代に記されたものではなく、さまざまな記録(公文書も含む)、情報、伝聞などを総合、取捨選択して編さんされたもので、成立年代はやや下って13世紀後半〜14世紀初と考えられています。
慈円の「愚管抄」は、やはり多くの資料を取捨して注釈を加えたもので、1220年に書き上げられたものです。
武家政権成立の公式記録といえる「吾妻鏡」は、当然、都合の悪い出来事は無視したり、書き換えたりされている部分があるでしょう。けれども、506にあげたような史料とのつき合わせによるチェックも可能です。
この「吾妻鏡」などにも、武蔵坊弁慶は見当たりません。
藤原秀衡が奥州を発つ義経に随行させた佐藤継信・忠信兄弟、頼朝の命で義経暗殺を企てた土佐房昌俊などの名はあるのですが。
かわりにといっては何ですが、吉野落ちした義経を助ける多武峰の十字坊、ほか悪僧8人、比叡山に義経を匿った悪僧俊章・承意・仲教ら3名の記事はあります。とくに俊章は、義経奥州落ちにあたって「長途送ル」の記事があり、武蔵坊弁慶のモデルではないかともいわれています。
512 :
日本@名無史さん:02/09/11 09:37
>>507 >>510-511つづき
こうした史料をみると、義経の周囲に、彼に好意をもち助けた僧体のもの「悪僧」がいたことは間違いないようです。しかし、「平家物語」で流布したような、万人の耳目を引く武蔵坊弁慶なる存在については、はっきりとした記録はないのです。
私は、このことをもって「弁慶はいなかった」とは言いません。
「弁慶」に似た人物はいたようですし、その中の誰かに後に「平家物語」に収録されるようなエピソードをもった者がいたかもしれません。ただし、それが一人であったのか複数人のエピソードが寄せ集まったものなのかは不明です。
各史料の記録、編纂からさらに100年近く、あるいはそれ以上の時間を経た「平家物語」の成立までには、治承・寿永の乱(源平合戦)当時だけでなく、その後のさまざまな出来事が、語り物のパーツとして付加されてきた可能性があります。
また「弁慶」なる人物は実在したが、現存する史料では意図的に排除されてきたが、口頭でのみ伝えられてきた可能性もないとはいえないでしょう。
しかし、現状では、「弁慶」は、いたかもしれないし、いなかったかもしれない、モデルになる一人または複数の人物をもとに創作されたのかもしれないという不確実な存在ということになります。
>>507 >>510-512結論
したがって、チンギス-ハンことテムジンの周囲に「弁慶」と似た人物がいるということをチンギス-ハン=義経説の根拠とするのは可能でしょうか?
「弁慶」の存在自体は、あくまで可能性、「仮説」で、霧の中です。
その「弁慶」に似ているかもしれないというのも可能性、「仮説」です。
「弁慶」はいたかもしれない、その「弁慶」に似ているかもしれない。
かもしれない×かもしれないということで、不確かさは二乗になってしまいました。
この可能性に賭けること、仮説を支持すること自体は否定しませんが、他者への論証となると、非常に弱い根拠といわざるを得ないでしょう。
史料を持ち出して論証する、他人の見解に反駁するためには、それなりの手順が必要です。
この板でそんなことを言っても野暮なだけですが。。。
ただ、誰かの受け売りよりも、自分でいろいろな本を読み、さまざまな人の見解を検討して、考えて結論を出すのも面白いですよ。
もうそろそろうざいですね。
回線切って逝ってきます。
やっぱ、弁慶は存在せずか。
吾妻鏡に載ってるとか言ってたのが居たような気がしたが、気のせいか?
あれ〜。
でも、弁慶については『吾妻鏡』では二ヶ所実在が確認できる、って持ってる本に書いてあるよ。
新人物往来社の『源義経のすべて』って本。
吾妻鏡そのものを読まないで書いたのは悪いけどさ。
516 :
日本@名無史さん:02/09/11 16:15
文治元年11月3日 鎮西へ零落する一行の記事
行家・義経・前中将時実・侍従良成・伊豆有綱・堀景光・佐藤忠信・伊勢能盛・片岡弘経・弁慶法師以下200騎(300騎とする別伝あり)
同11月6日 大物浦で乗船が転覆後、義経に同道するものの記事
伊豆有綱・堀景光・武蔵房弁慶・静
この2ヵ所でしょうか?
これが「平家物語」ほかで大活躍する武蔵坊弁慶と同一人物といえるかどうかですね
奥州落ちの義経に随った可能性があるのは、比叡山の悪僧俊章ですし…
517 :
日本@名無史さん:02/09/11 16:57
なんや、やっぱり弁慶の記述あるやん。
487は483が、弁慶の記述はないといったことに対して突っ込んだんだから、
おまえが正しい。安心しろ。
>>507 >>512 『平家物語』については、確かに507で言われているとおりのことはあるだろう。
たとえば、ギオウの話などは、その観点から読まなければならないものかもしれない。
しかし、源平の戦いという軍記物語の部分についてはどうか。ちょっと違うのではないか。
ここは基本的に、実在の人物・出来事をもとに描かれているのは明白だが、そこにおいて、弁慶だけがどうして創作されねばならないのか。
486に書いていることをもう一度読んでもらいたい。
だが、まず言っておかねばならないのは、あんたは一つ大きな勘違いをしているということだ。
あんたは「『平家物語』で流布したような万人の耳目をひく武蔵坊弁慶なる存在」と書いているが、
繰り返し言うが、『平家物語』における弁慶は、伝説的素材の加わった後の弁慶ではなく、
伊勢義盛や佐藤兄弟、江田源三といった他の従者と同列に置かれた地味な存在に過ぎないのだよ。
ここには、誰かをモデルにしたというような潤色の跡はさらさらない。
そして、他の従者や、この軍記部分に描かれる人物達が全て実在人物であるのに、
なぜ、この特に目立った存在でもない弁慶が、創作される必要があるのか?
あんたの言ってるのは、時代が下がった後の『義経記』他で、超人的人物に潤色された弁慶のことだろう。
>>484でも書いたように、 このような超人的人物としての弁慶像は潤色の結果であり、
それが、他の誰かをモデルにしているということはあるかもしれない。
しかし、そのことは、弁慶という本体自体が存在しなかったということではない。
弁慶自体は『平家物語』の記述などから実在は確かなのである。
繰り返し言っとくが、伝説の加わった弁慶像と、本体としての弁慶ははっきり区別してもらいたい。
おれが実在していると言っているのはあくまでも、伝説的形姿をまとわない本体としての弁慶なのだよ。
>>484 ですでにちゃんとそういうふうに書いているからな。間違うなよ。
なお、吾妻鏡については、吾妻鏡の方が『平家物語』を参考にして描かれていると考えられている部分もあるということも付け加えておこう。
>>513 >したがって、チンギス-ハンことテムジンの周囲に「弁慶」と似た人物がいるということをチンギス->ハン=義経説の根拠とするのは可能でしょうか?
>「弁慶」の存在自体は、あくまで可能性、「仮説」で、霧の中です。
>その「弁慶」に似ているかもしれないというのも可能性、「仮説」です。
>「弁慶」はいたかもしれない、その「弁慶」に似ているかもしれない。
>かもしれない×かもしれないということで、不確かさは二乗になってしまいました。
>この可能性に賭けること、仮説を支持すること自体は否定しませんが、他者への論証となると、非常
>に弱い根拠といわざるを得ないでしょう。
おれは弁慶の実在を確かだと上に書いているのだから、根拠の一つとして採用してもいいと思うが、
それを疑う人が多いのなら、別にこの根拠は取り下げてもよいよ。
なぜなら、この根拠は、ジンギス義経説にとって、ごく些細なつけ足り程度のものだからだ。
実際の根拠は、他にもたくさん重要なものがあり、
例えばその一つとして、
>>503 に書いたような、ジンギスが「一の谷→壇ノ浦」に全く符合する戦歴を持っていることなどが挙げられるわけだ。
しかも、それは、ちょうどジンギス30歳前後で、年齢も時代も義経と一致する。
おまけに、ジンギスがタイチウドのほとんどの者を水死させて殲滅させる場面には、
タイチウド族の一人が、娘をジンギスに献上して命を救われる場面があるが、
それは、壇ノ浦のとき、平時忠が、やはり娘を義経に献上して命拾いしたのと全く一致する。
ほかにも、実に多くの符合点があるのだから、
弁慶=ボオルチュ説はいかように扱ってもいいよ。
頼むから、一つの些細な点を否定しただけで、全てを否定した気にだけはなってくれるなよ。
これはあんたに言うわけじゃなくて、よくそういうのがいるから、念のために言っとくんだがな。
>>503 逆にチンギス=ハンのほうが適当に前半生を異国の地の話に重ね合わせてちょっと危ない部分なんかを作り直してみたなんて可能性は考えないのか?
マイナーな伝承ほどそういうことするのに都合がいいだろう。
特に側近のものすごい情報量を持つ人物なんかが知ってたとしてもおかしくない
むしろこっちのほうが可能性高くないか?
偶然の可能性のほうがはるかに高いのは当然だが
>520
で、そのものすごい情報とやらはどこから仕入れるのかね。
それができるためには、日本とモンゴルの間に何らかの交流があることが前提ともなり、
日本語とモンゴル語の双方に通じた人物も不可欠になるだろう。
そんなことが可能であったならば、
義経がモンゴルに渡って活躍したなんて話もますます可能なことのように思えてくるがね。
中国人すらモンゴル語を理解していない時代の話しだぜ。
522 :
日本@名無史さん:02/09/11 18:52
>>517 弁慶という名は出てきますが、それが「平家物語」そのほかの弁慶と同一人物であるかは別問題です
>>518 ほかの従者、佐藤兄弟などは黄瀬川での頼朝、義経邂逅の条から記事があります。
一方、弁慶法師、武蔵房弁慶は都落ちの条にしか記事がありません。
何よりも、義経の都落ちに随行したのは義経の従者ばかりではありません。平氏の生き残り、反頼朝派と見なされた人びと。。。「弁慶法師」が、義経の従者だという根拠はなんでしょうか?
やはり、「義経の従者」としての弁慶は、確実な存在とは言い難いのではないでしょうか?
=====【訂正】=================================
503と519で書いたタイチウド族はメルキド族の間違い。
==============================================
だが、タイチウド族もジンギスの敵。
で、このタイチウドは、平清盛の弟の「平忠度」に音通というのがまた面白い。
524 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:00
>>518 >吾妻鏡の方が『平家物語』を参考にして描かれていると考えられている部分もあるということも
どの条でしょうか?
またどの「平家物語」が参考にされたのでしょうか?
「平家物語」には、語り本系と読み本系が大別されるだけでなく、それぞれの中にマイナーヴァージョンが多数ありますよね。
>>523 >タイチウドは、「平忠度」に音通
?? 音韻表記して示してください
526 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:15
>>519 >ジンギスが「一の谷→壇ノ浦」に全く符合する戦歴
もう少し詳しく(ジンギス側の戦記)
>522
あのさ、あんたまず『平家物語』読んだほうがいいよ。
そこには弁慶はちゃんと義経の従者として明記されているんだから。
そうであれば『吾妻鏡』で義経のそばにいるの弁慶も名前が一緒なんだから、
当然義経の従者と考えるべきだろうよ。
517へのレスにもついでにおれが答えておくけどね、
義経の付き従うものとして弁慶という同じ名の人物がいれば、
まず同一人と考えて間違いないだろう。
だが、あんたいまだに伝説上の弁慶と実在人物としての弁慶の区別がついていないみたいね。
何度も言うが、『平家物語』の弁慶はまだ伝説的形姿をまとわない存在で、
100%『吾妻鏡』の弁慶と同一人物なの。
それに、あんたが思い描いている超人的弁慶像は、『平家物語』には登場しないの、分かる?
『義経記』あたりから弁慶伝説なるものが登場し、
そこにおいて、そもそもの本体としての地味な弁慶(『平家物語』や『吾妻鏡』に出てくる弁慶)に対して、
超人的な性質や他のモデルから取られたかもしれない性質が、付け加えられて描かれるようになったというわけよ。
何度も何度も言わせてもらうが、
おれが実在だと言っているのは、本体としての弁慶であって、
伝説的な弁慶の性質ではない。
『義経記』などに描かれる弁慶の伝説的姿は、確かにそもそもの弁慶とは違う性質を持っているのだろう。
しかし、それは弁慶の性質が潤色されているに過ぎないもので、
弁慶そのものの実在という事実を否定するものではないのだよ。
>526
なんだ、てめえ、チョット前のレスさえ読まずにごちゃごちゃ書きこんでんのか?
>525
平=タイ
忠=チュウ
度=ド
平忠度という漢字を上のように読めば、
タイチウドとほぼ同音になるだろうがよ、
こんなことさえいちいち書いてやらにゃ分からんのか、このヴォケが。
529 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:31
>>528 面白いですね
なんで「平」だけ中途半端な訓読みにするのでしょうか?
530 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:33
>>528 くわしくというのは「上から」「水上」だけでは一致点が少ないように思えたからですが?
531 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:50
>>527 超人的「弁慶」→これは撤回します。ただの「弁慶」の話に徹しましょう
「平家物語」において弁慶=従者だから「吾妻鏡」の弁慶も従者であるとするためには、両者が同一人物であることを示さなければなりません
くどいようですが、都落ちで義経に随行するのは従者だけではありません
源行家 頼朝、義経のおじ、頼朝に先行する反平氏挙兵者のひとり、この時点で反頼朝派
平時実 時忠の男子 平氏の生き残り
侍従良成 公卿 一条長成の男子 義経の同母弟 など
一方、佐藤忠信、伊勢能盛などは都落ちの条以外にも繰り返し記事があり義経と行動をともにしていることが分かります
都落ちの条にしか記事のない弁慶は何者なのか?と疑問を抱いているのです
都落ちの際に、平氏一門であった、あるいは反頼朝派と目されていたために義経と行動をともにしただけなら「従者弁慶」は成立しません
そうでないならば、なぜほかの箇所に記事がないのか?記すに値しない程度の人物であったのか?
だとしたらチンギス=義経説の引き合いに出すほどの存在ではないでしょうね、ということだったのですが、この点は撤回されたのでこれ以上はやめにしましょう
532 :
日本@名無史さん:02/09/11 19:54
>>531つづき
それよりも、くどいですが、現伝するどの「平家物語」を基準とするのか
そしてどの部分が「吾妻鏡」に影響を与えたり、「吾妻鏡」が参考にしたと考えられるのか、お教えください
「平家物語」における「従者弁慶」の記事を優先すべきかどうかは、この点にかかっていると思います
かなり粘着ポですが、ご回答お待ちしております
電波にエサをやらないで下さい
>532
確かに粘着だね。
飯も食わずに書いてるだろ。
現伝するどの『平家物語』を基準とするのかという問いでございますがね、
発売されているまともな『平家物語』になら、
異本で異なる記述がある場合には、全て注釈が記されている。
それによれば弁慶に閑する部分は、なんの相違もない。
だから、おまえがごちゃごちゃ言う点は問題にはならない。
「吾妻鏡が平家物語を云々」は、福島千賀子がそう推測してるからこの人に聞けば?
>「平家物語」において弁慶=従者だから「吾妻鏡」の弁慶も従者であるとするためには、両者が同一人物であることを示さなければなりません
おまえね、『平家物語』の弁慶は、義経都落ちのところにもちゃんと出てくるわけ。
ま、正確には都落ちの直前(ほんの数行前)までその名前が従者として出てくるということだがな。
なにか? 都落ちの直前までいる弁慶は義経の従者なのに、
都落ちのところに出てくる弁慶は従者でない弁慶だってのか、
ばかか、おまえ?
はっきり言って、おまえはおれが相手をしたなかで、
最強のバカだよ。
前の書きこみを見ると、少々知識は詰め込んでいるのかもしれんが、
そもそものもって生まれた頭の悪さという点ではかなう者がいないな。
おまえのようなのがいくら勉強したってなんの意味もないからやめとけ。
そのほうがおまえのためだ。
535 :
( ´,_ゝ`)プ:02/09/12 08:23
http://www.ntv.co.jp/FERC/request/req0721.html 受付日時:02/01/02(Wed) 22:20:27 受付番号:74837
依頼主
タイトル 『チンギスハンは源義経か?』
依頼内容 源義経がもし生きていて大陸に渡っていたら?
チンギスハンの若いころは謎であり、義経と年齢が一致する。
元=源氏のゲン 清=清和源氏の清
チンギスハンが用いていた9本の白旗と笹竜胆の紋章、日本式の弓
チンギスハンの若いころの伝記は谷の奇襲戦など、義経の戦記におきかえられる。戦法が酷似している。
多くの共通点のあるこの2人の人物、同一人物なのか?
進行状況 未調査
特命リサーチは調べてくれなそうだから、自分で調べようねボクちゃん
536 :
日本@名無史さん:02/09/12 11:00
笹竜胆の家紋を使うのは、公家の源氏であって、「清和源氏」ではありません。
またモンゴル人は紋章のようなものはいっさい使いません。
>536
また高木彬光レベルで語ってくれてるよ。
それに、おまえの言ってることも全然正確じゃないけどな。
確かに、清和源氏が笹竜胆を使っていたという確証はない。
というより、使っていた可能性は低い。
しかし、絶対使っていなかったとも言いきれない。
だから、この点についてはうだうだ言っても始まらないのだよ。
>535
ほう、こんなのがあるんなら、
弁慶非実在説も調べてもらったらどうだい? なっ、
>>483よ。
あと、乱入粘着電波君(もしくは○○痔くん)による「『吾妻鏡』の弁慶と『平家物語』の弁慶は別人だった」説も頼むよ。
誰か依頼しといてくれ。
それと、突っ込み忘れていたが、
>>514 よ。おまえ
>>483 だろ。
おまえはいまだに弁慶非実在説に未練を持ってんのか。
真底どうしようもないやつだな。
おまえのその超電波説が実証されるときは永久にこないから、
いいかげんにその未練をたち切って改心しろよ。なっ。
荒れてるな。
しかし、吾妻鏡自体があまり信用できないからな。
まったり論議しようようや。
といっても、信用できない部分ってのは、
幕府の立場が関わる点においてだがな。
が、おれは疲れたからリタイア。
あんた代わりに頼むよ。
>>536 紋章を一切使わないっていうのはあり得ない話だよね。
紋章なんて至る所に使われてるよ。
家紋がないって言うのなら分かるけどさ。
または、パオ生活の様子のうちには見られないとか。
図書館で見てきたけど、蒙古人の兜についていた紋章は、
大まかな構図では笹竜胆に似てたかな。
でも、源氏の紋の笹竜胆とはちょっと違う。
葉っぱの数も多いし。
ただ、ナホトカ(シベリア?)にある建物の古い写真があって、
これには大きな笹竜胆の紋章がついている。
ナホトカってなにか関係あったっけ?
大正7年シベリアに出征した岩手県下閉伊郡苹原市村の藤田伝助氏は語る、
「私は分隊長としてウラジオストックに行きました。そして、ツルキンという地名のところにおりました。
ニコラエフスク市に行った時、商店で絵葉書を買いましたところ、
義経公園という公園の中に、"源義経墓"と書いてある亀形の台石が写真になっていたのです。」
さらに、藤田氏と同年兵の刈屋清右衛門氏は次のように語る。
「ニコラエフスクの山中の盆地に、十五メートルほどの小高い山があり、石垣が崩れたところがありました。
そこに墓石があり、竿石の長さはニ尺五寸ありましたが、三枚に割れていました。
その三枚を合わせてみましたら、字が竿石いっぱいに彫られてありました。
字は明らかに"大日本源義経墓"というふうにつながりました。」
これって、「成吉思汗の秘密」でロシア人に運び去られたって書いてある石だろ?
こりゃニコラエフスクの小高い山を掘り返すしかないな。
>537
「絶対に使っていないとは限らない」から「言っても始まらない」だ?
つまり、あの史料のない時代をテーマにしておいて、
100%の反証がなければ何でもありって事ね。
要するにおめえの言いたい放題じゃねえか。
実証史学をなめんな厨房
>543
逆だろ?
使っていたとも使っていなかったとも分からないから、
どっちの根拠にも使えない、つまり、この点で論争しても始まらないってことさ。
実証史学(笑)的に妥当な意見だと思うよ。
545 :
日本@名無史さん:02/09/13 04:01
>>543-544 源氏の笹竜胆は置いとくとして、
本当にチンギス家では、笹竜胆が使われていたのか?
ヨタ本と2ちゃん以外のまともなソース見たことないんだが、、、
これがチンギス家の家紋だ!っていう奴知ってる人いる?
『筆者(横田正二)は昭和十年から終戦の年まで、陸軍の特務機関員として満蒙の地にいた。
モンゴル人の宣撫工作と、ソ連関係の情報を収集していたため、常に満蒙の地を単独で渉猟していた。
昭和十四年頃、ダライ湖とボイル湖の中間の草原地帯に建つ古いラマ寺に入りこんだ。
このラマ寺では、毎年八月十五日にオボー祭りという催しがあり、それは成吉思汗の命日のお祭りとのことであった。
オボー祭りには、中国人やロシア人がいろんな物資を持って集まってくるので、
モンゴル人達はそれを買い求めるためにオボー祭りにやってきて、
パオと呼ばれる円形の幕舎を組み立てて、蒙古人集落を作る。
筆者はテムールというモンゴル人通訳をつれて、このパオの部落の間を歩いてみた。
その時、意外な光景を目にしたのだ。
柳の木を組んで柵をつくり、そこに垂れ幕を掛けているが、
その垂れ幕にはなんと笹竜胆の紋がついているではないか。
とっさに日本人がいると思い、近寄ってみた。床几の上に老人がでんと腰をおろしていた。
その老人はボロボロになった金襴緞子の陣羽織を着ている。
通訳のテムールを通して、老人に笹竜胆の由来を聞いてみた。
「この幕は祖先から伝わっているもので、どういう意味があるのかは存じません。オボー祭りの時だけ出して、あとは宝物として大事にしまっておくのです。」
老人はそう答えるのであった。
陣羽織を着た老人は彼だけではなかった。
五百人の長、千人の長など役付きの老人達はみな陣羽織を着ていたのである。』
『次に紹介するのは、戦前、満鉄から当時の満州国奉天鉄道局に出向していた石川豊水氏(現在前田建設株式会社調査役)の体験談である。
法庫という所から西に少し行った所に老爺廟という地点があった。
昭和十四年、石川氏はこの老爺廟の駐在所で、警尉補の肩書を持つ日本人の警官から、思いもかけぬ文書を見せられた。
日露戦争終結後、法庫の近くに、日本陸軍の第三軍師団が駐屯した。この時、日本の将校が、地元の人が持っていた古い書き物を見て、それを翻訳して記録した。
その記録を老爺廟駐在所の警官が保持していたのである。
石川氏はその文章を見て驚いた。そこにはこう記されてあったのだ。
「昔、ゲンギケイという人が、一党を連れてこの地にやってきて、ここで死んだ……」
警官の話では、老爺廟にはその名の通り廟があり、日露戦争以前には、そこに日本の兜が飾られていたということである。
石川氏は廟まで案内してもらった。
廟を出て北に歩くと、小高い丘があり、ここに儒教風の丸味を帯びた低い六つの墓があった。
中央の墓は左右の五基より大きく、それをよく見ると、墓石の台石部分の一番上に、
何やら絵柄が横に並んでいる。絵柄がはっきりしないので、石川氏はその部分に紙をあてがい鉛筆でさすってみた。
次第に絵柄が浮きあがってきた。びっくりした。笹竜胆の紋である。
笹竜胆が一列横隊に並んでいたのである。
(なお、この老爺廟の西南、熱河省には平泉という町がある)』
548 :
日本@名無史さん:02/09/13 05:02
549 :
日本@名無史さん:02/09/13 07:48
そいつらのヨタ話しの裏付けはあんのか?
550 :
日本@名無史さん:02/09/13 10:28
>545
モンゴル人は家紋のようなものは一切使わないと、
確かなモンゴル専門家の人なら言うよ。
551 :
日本@名無史さん:02/09/14 03:43
>>550 当時のチンギス・ハンが使っていたかが問題では?
552 :
日本@名無史さん:02/09/14 04:08
今日(14日)のTBS系「世界・ふしぎ発見!」(21:00〜)は
「チンギスハン秘められた遺言の謎」モンゴル大草原“蒼き狼”の墓遂に発見
553 :
日本@名無史さん:02/09/14 05:33
>>552 ありがd
チンギス家の笹竜胆が見られるかな?
554 :
日本@名無史さん:02/09/14 21:03
>>552 TBS系「世界・ふしぎ発見!」
「チンギスハン秘められた遺言の謎」モンゴル大草原“蒼き狼”の墓遂に発見
が始まったぞ。
555 :
日本@名無史さん:02/09/14 21:25
>>546 ボイル湖ってノモンハン事件で良く出る、ブイル湖のことだよね。
ダライ湖って特定できないんだけど?? フルンノール湖のことかな?
>555
さあ、わかんねっす。スマソ。
寺の名前は、ガンジュリミョオだって。
557 :
日本@名無史さん:02/09/15 04:09
>>542 の続き
『この公園と石碑のことは小谷部全一郎もその著書で触れている。
それによると、ニコラエフスクは以前は雙城子と呼ばれ、昔、渤海人が日本に渡るとき、
ここから日本に出て行った所で、日本道の別名があったという。
義経の碑と称するものがこの町の公園に建っていて、ここに居住する日本人達は義経公園と呼んでいた。
小谷部氏がこの公園を訪れた時、大亀の形をした台石しか残ってなくて、
その上に建てられていた石碑は、数年前、ロシア人がハバロフスクの博物館に運び去ったということだった。
台石は硬質で、、その磨減具合の古さから考えて六、七百年の星霜を経たものであろうと思われた。
小谷部氏は、当時ウラジオストック派遣軍司令部の中岡中佐に、ハバロフスク博物館に運ばれた竿石の調査を依頼した。
後日、中佐から次のような報告が届いた。
「ハバロフスク博物館にある、いわゆる義経の碑と称するものは、花崗岩の一種なり。
この石碑の表面には厚くセメントの漆喰を塗り、何物か彫刻しあるものを隠蔽せり。
土人の言によれば、大正十年日本軍がハバロフスク撤退後、過激派の為せることなりと。
しかし、博物館長はこの漆喰がいずれの時に塗られしや覚えなしと答えき」
ロシア人がことさらに漆喰を塗って碑文を隠したのは、自国に不利な記事があったからだろうと小谷部氏は推測している。
それはともかくとして、この地方に古くから在留する日本人の間で、義経がこの地に来ていたことが、疑いなく信じられていたところを見ると、
やはり義経ゆかりの地であったと思われる。
この義経公園は古城の跡の一部で、城址は日本の城址に非常に似ているということである。』
博物館に運んだということはやっぱり何か意味のある石碑だったということか。
560 :
日本@名無史さん:02/09/15 13:28
s
561 :
日本@名無史さん:02/09/16 04:21
562 :
日本@名無史さん:02/09/16 05:40
旧ソ連の博物館にあるシベリアの石碑は、
明代のヌルカンの石碑しかしらないぞ。
別に展示とかはしてないんじゃないの?
持っていっただけで。
都合が悪くて漆喰で塗り固めたというような石を展示する意味などないし。
展示してあったんなら写真だってとってきたろうし。
564 :
日本@名無史さん:02/09/17 04:56
↑んなもんねーよ
↑必死だな藁
酔っ払いみたいだな藁藁
トオリル・ハンに義経が近づき、その権力を横取りしたと言うわけですね。
モンゴルの王も馬鹿ですね。
>>558 に書かれた小谷部全一郎の話は多分ほんとだろう。
小谷部説は当時、歴史家がこぞって、否定しにかかったにも関わらず、
完全に否定することもできなければ、
そこに嘘があるというようなことも一切指摘できなかったわけだから。
中岡中佐という実名が出ている以上、
彼が存在し、小谷部との間にそういうやり取りがあったかということは、
ちょっと調べればすぐに分かったことだ。
そして、もしそれが嘘であるとわかれば、小谷部説は致命傷を負って、
大論争などにならずに、あっさりとけりはついたはずだが、決してそうはならなかった。
だから、
>>558の小谷部の話が嘘であったとは思えない。
ただ、その石が本当に、義経墓とかかれたものであったのか、
それは証明ができないということだ。
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< じんぎすじんぎす!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< じんぎすじんぎすじんぎす!
じんぎすか〜〜ん! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
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|Д`) ダレモイナイ・・ジンギスカンスルナラ イマノウチ
|⊂
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♪ Å
♪ / \ ジン
ヽ(´Д`;)ノ ジン
( へ) ジンギスカーン
く
♪ Å
♪ / \ ジン
ヽ(;´Д`)ノ ジン
(へ ) ジンギスカーン
>
571 :
日本@名無史さん:02/09/17 08:16
義経がモンゴルに行く→食べ慣れぬ乳製品や獣肉食って下痢。
もっとも、平安期までは肉食も認められていて、乳製品も一時期導入されていた、
ということか。
あるいは、源氏が支配した東国の文化そのものが元々、
遊牧民に近かったとは考えられないか?
572 :
日本@名無史さん:02/09/18 05:13
証明ができないなら妄想といっしょ
>572
おまえもなんか証明してみろや。
横やり入れるだけの能無し君。
>>572 歴史なんて証明されてないことだらけだろ。
日本の古代史だってほとんどそう。
証明できてないことが全て妄想なら、
これまでの全ての証明されてない学問的研究は、
全て妄想だってことだね。
みんな妄想なら、こんな妄想もあっていいじゃん。
それに、572(=564)の書いてることも、全然証明されてないからやっぱ妄想だね。
572は次にどんな妄想を聞かせてくれんのさ。
576 :
日本@名無史さん:02/09/18 06:04
561=564=572
こいつほんとに必死だな。
チンギス汗義経説が話されるとなんか都合悪いことあるんか? (w
>>572 ジンギスカンは義経ではない、
ていうことも証明されてないから妄想ってわけね。
578 :
日本@名無史さん:02/09/18 06:21
>>202 やはり韓国でもチンギス・ハンは韓国人だった説とかあるのかな?
↑572が必死に逆襲ネタを探してきました。
チョンについてなら、418とか496に書いてあるよ。
580 :
日本@名無史さん:02/09/18 06:58
弁慶も一緒に渡ったかのような説があるがそうすると
弁慶の立ち往生は嘘だったの?
あの感動エピソードが嘘だったなんて失礼しちゃうわ!
581 :
日本@名無史さん:02/09/18 07:51
あのね・・・・・
事実というのは証明する側の方のみに「証拠」を必要とされるんだよ。
「ある」という証拠は必要でも「ない」という証拠は必要でない、というか非常にそれはむずかしいんだよ。
例えば宇宙に地球以外に生物がいるかいないか?
という命題なら「ある」と主張する側は簡単なんだ。
宇宙生物をたった一匹捜し出してくれば証明できるんだから、
ところが「ない」という側は全宇宙を隅々まで探して宇宙生物がいないという事を実証しない限り
「ない」という事を証明できない。
また、刑事事件でも立証証明は検察側にのみ要求され、弁護側はには要求されない。
チンギス・ハンが義経だという確定的証拠もないがチンギス・ハンが義経ではないという絶対的証拠ないなんて理論は
良くいう「神がいるという絶対的証明はないが、いないという絶対宛期証明もない」といきがるのと同じ。
582 :
日本@名無史さん:02/09/18 07:59
>>567 小矢部の話しなんて全部、嘘だよ。
ちゃんと学者も否定しきってるよ。
石岡中佐?
軍が義経=チンギス話しを意図的に利用しようとした話しは有名だけど・・・
さしあたっては朝鮮・満州・モンゴル・中国ひいてはアジアを支配する口実としてね。
>567
学者も否定しきっているっているのは、反証もなくただ感情的に否定しきっているというだけ。
論理的には全然否定されていないよ。
>581
出も実際には、弁護側というか被告側も自らの無罪を立証しなければならない場合も多々あるよ。
アリバイの立証もそう。
こないだの痴漢よばわりされた男性が、
自分には痴漢することができないことを立証しなければならなかった場合もそう。
585 :
日本@名無史さん:02/09/18 18:45
>>581 なにか或るものが「ない」という証明ができないなら、可能性としてそれが「ある」ことを考えてみる、
ということは、大いに許されることだと思うが。
「ある」と断定してるわけでなく、推論を推し進めているだけなのだから。
>>581 >例えば宇宙に地球以外に生物がいるかいないか?
>という命題なら「ある」と主張する側は簡単なんだ。
>宇宙生物をたった一匹捜し出してくれば証明できるんだから、
をいをい、 それが簡単なことなのかよ。
どう考えても「ない」と言っとくほうが簡単だろ。
何もしなけりゃいいんだから。
587 :
日本@名無史さん:02/09/18 19:03
>>584 痴漢冤罪事件はやや特殊なケースだな。
特に相手の女性に確信犯的な場合すらあるしね。
普通は窃盗でも殺人でも原則的に立証責任は検察側。
冤罪事件でも、実際は検察側の証拠や論理を崩すのが基本なんだよな。
そうでないとアリバイがなくて動機のある人は皆、犯人にされちゃうよ。
勿論、被告側にアリバイなどがあればそれで終わりなんだけど。
588 :
日本@名無史さん:02/09/18 19:08
>>586 言うだけでは「ない」という絶対的証明ができませんね。
黒い白鳥という話しもある、黒い白鳥があるかないか論議になって、
実際に黒い白鳥が見つかって、議論が終わったという実話がある。
「黒い白鳥がない」という側はそれを絶対的に証明するのは不可能に近いですよ。
>>585 まあ、仮説遊びも良いですが、そんな事、言ってたら超能力も心霊も死後の世界も異世界も全てあるという前提で考えなくてはならないですね。
ある程度、常識とか可能性を考慮した方が良いです。
589 :
日本@名無史さん:02/09/18 19:25
なんだか、世にも奇妙な物語の
「ロンドンは実は無かった」とか「太平洋戦争は起こらなかった」「バーチャル・リアリティ」といった作品を思いだすな。
「ロンドンは実はなかった」はロンドンという町が実は存在せず、普段はテレビなどで偽映像が流され、主人公がロンドンへ行こうとするとロンドンが建設されるという話し。
「太平洋戦争は実は起きてなかった」は文字通り太平洋戦争が主人公の妄想だっという話し。
バーチャル・リアリティは病院にバーチャルリアリティの一週間の体験実験に立ち会った男が、実生活に戻っても
そこはバーチャルリアリティの世界で、実は始めから脳髄だけだったという話しだ。
「ない」ということが否定できないからといって何でも肯定してたら、
あなたという人間と周りの世界は実は存在せず、どこかの暗い地下室の培養液に脳髄がひたされて、偽の五感を与えられてるだけかもしれない。
あるいは何かのコンピューターのチップの一部かもしれない。
人間というのは意識のある脳に外部の情報を全て五感から得ることによって世界や自分を認識しているので、
理論的に五感の情報が全て偽物だった場合、そういう事もありえるわけだ。SFでは良くある話し。
あるいは、そこまで行かなくても世界が始まったのは実は150年前で、それ以前の記録とか歴史は全て何者かによってねつ造された架空のものかもしれない。
織田信長も武田信玄も源義経も実際は存在してなかったのかもしれないね。
>588
>言うだけでは「ない」という絶対的証明ができませんね。
581で言ってる「事実というのは証明する側の方のみに証拠を必要とされるんだよ」と言ってるんだから、
その前提の上でなら、「ない」と言うことのほうが断然簡単だろ。
なにかが「ある」ということの証拠をつかむことこそ難しいのであって、
その証拠がないうちは自動的に「ない」ということになるわけだから。
591 :
日本@名無史さん:02/09/18 19:32
>>589 実際、そうなんじゃねーの?
人間の本体たる脳は暗い頭蓋骨の中で血に浸かってるんだろ?
>>586 >実際に黒い白鳥が見つかって、議論が終わったという実話がある。
>「黒い白鳥がない」という側はそれを絶対的に証明するのは不可能に近いですよ。
不可能に近いんじゃなくて、その場合、実際に「黒い白鳥はいない」というのは間違いっていう結論がでてるんじゃん。
何いってんの?
593 :
日本@名無史さん:02/09/18 19:43
>>592 ああ、そうだね。
でも、黒い白鳥が見つからない段階では「無い」と断定する事は不可能ということだ。
「ある」と断定する事が無理な場合は「無い」と断定するのは極めて難しいの。
>593 って支離滅裂
595 :
日本@名無史さん:02/09/18 20:04
>>590 てっ事はチンギス=義経説も100%間違いない絶対的証拠がない限りは「無い」という事で良いんだね。
なら、このスレも「無い」という事で終了ね。
596 :
from d:02/09/18 20:21
>>588 オーストラリアにいる黒鳥っていうやつのこと?
597 :
from d:02/09/18 20:28
>>558 >それはともかくとして、この地方に古くから在留する日本人の間で、義経がこの地に来ていたことが、疑いなく信じられていたところを見ると、
>やはり義経ゆかりの地であったと思われる。
>この義経公園は古城の跡の一部で、城址は日本の城址に非常に似ているということである。
古くから在留する日本人って、いつから在留しているの?
早くとも、明治維新後だろう?
598 :
日本@名無史さん:02/09/18 20:33
安徳天皇のやまたのおろち説はどうですか?
599 :
日本@名無史さん:02/09/19 02:46
ロシア革命に対する、日本のシベリア出兵が失敗に終わり
追い出されるまで、シベリアの各都市には日本人が移住していたんだよ。
辺境にすむ人間が、故国をしのんで
異国で見るものに、日本に近いものをみつけがるというのは、ありうるはなしでしょう。
地元民から聞いた話といっても、果たしてどんなものか?日本の軍関係者にへつらう者
もでてきたわけだから、そうした人間が、こちらの期待に沿う情報を持ってきたということは
十分考えられる。
600 :
日本@名無史さん:02/09/20 04:09
信用できん
601 :
日本@名無史さん:02/09/20 08:34
東日流外三郡誌を読め
602 :
日本@名無史さん:02/09/21 23:28
603 :
日本@名無史さん:02/09/24 03:28
↑ブラクラ?
604 :
日本@名無史さん:02/09/24 10:53
605 :
日本@名無史さん:02/09/25 05:40
3%
606 :
日本@名無史さん:02/10/02 15:43
よくもまあこんな厨房向け陰謀論を真面目に論議できるよなあ・・・
607 :
【^▽^】合図中朝:02/10/02 15:46
ロマンだよ。大陸の覇者。奥州系でこんなに大活躍ってのは
珍しい。偽書と違って義経もハーンも実在の人物。
608 :
日本@名無史さん:02/10/02 16:12
義経生存伝説って、千島列島やカムチャッカにもあるんだよね・・・
人いたのか・・・?その時代
610 :
日本@名無史さん:02/10/03 12:25
移住した日本人が広めた話
611 :
日本@名無史さん:02/10/03 14:14
ロマンはロマンで良いとして、義経さんの後世に残した功罪を考えればなぁ
彼のおかげで判官贔屓という風潮も生まれたわけだし、西国に対する東国の
劣等感が根強くなったわけだし。史実とおり頼朝はとんでもない奴で義経さ
んは実力と人気が高いばかりに打たれちゃった杭ということでいいんじゃな
いのかい?
モンゴル人がトルコ人みたいに怒り出す前にもう止めときなさい。相撲でも
負けるんだから。
612 :
日本@名無史さん:02/10/03 14:45
>611
>西国に対する東国の
>劣等感が根強くなった
??????
613 :
日本@名無史さん:02/10/03 15:03
ナポレオンだってしがないコルシカ島のからフランスで皇帝にまでなったんだから。
日本から大陸に渡ってモンゴル帝国をつくっても可笑しくないんじゃない。
悲劇的な死だったから、のちの人が哀れんでそういう話を作ったのでは・・。
>>613 政治力の差、フランスの皇帝と権力闘争に負けただけの男の差
616 :
日本@名無史さん:02/10/13 05:50
ロマンage
617 :
日本@名無史さん:02/10/20 03:43
>>608 >義経生存伝説って、千島列島やカムチャッカにもあるんだよね・・・
本当ですか?
618 :
日本@名無史さん:02/10/23 15:37
奥州の人が移住したんだろうね。
619 :
日本@名無史さん:02/10/23 15:56
>>609 カムチャッカにも原住民は居ただろうし、
千島はアイヌの巣だよ。
620 :
日本@名無史さん:02/10/23 16:10
>>617 本当と言うか明治以降に義経=チンギス説を盲信的に唱える
怪しげな人たちがその土地の神話や伝承(それすら実在か怪しいが)を適当に義経や弁慶に当てはめただたけだよ。
ちなみに北海道のチンギス話しも似たようなもん。
平泉より北の東北に散らばってる逸話はまだマシだが、やはりやや怪しい。
誤→北海道のチンギス話し
正→北海道の義経話し
623 :
日本@名無史さん:02/10/23 16:16
千島はまだしもカムチャッカに関しては聞いた事ないな。
だいたい、モンゴルとカムチャッカじゃ方向、逆だぞ。
624 :
日本@名無史さん:02/10/23 16:20
義経は最後、死んだから後世に残る話になるんで、
大陸に渡ってチンギスハンになりましたで話が終わったら、
B級映画だよ。
625 :
日本@名無史さん:02/10/23 16:24
>>630 いくらなんでも、その意見は
いかがなものかと。
626 :
日本@名無史さん:02/10/25 04:13
627 :
日本@名無史さん:02/11/01 16:59
東国の捏造癖は、昔からなのだな。
628 :
日本@名無史さん:02/11/01 17:57
はあ、こんな情けない主張をしているようでは
韓国の日本のものは何でも韓国人が発明したものだ韓国に起源があるといったねつ造を笑えないな。
629 :
日本@名無史さん:02/11/02 03:21
蘇我=木
秦=新羅人
韓国電波と同じで笑える
630 :
日本@名無史さん :02/11/02 05:40
チンカス・アハーン
631 :
日本@名無史さん:02/11/03 16:33
北海道では一家にひとつジンギスカン鍋があるというのは捏造ですか?
632 :
日本@名無史さん:02/11/09 05:37
大阪では一家にひとつたこ焼き焼き機があるというのは捏造ですか?
たこ焼き機だゴルァ!!!!!
635 :
日本@名無史さん:02/11/11 14:55
たこ焼きってのがブームらしい。
たこやきを作るのも当然ブーム。
実際にあるのは、フライパン程度の値段だから。
東国にはそういう風習がないらしいな。
ちなみにチンギスカン時代には、タコヤキはなかったそうだ。
最近なのだな。
636 :
島津の退き口:02/11/11 15:29
新撰組の原田も大陸に渡って馬賊の頭領になったて話があったな。
たこ焼き焼き焼き器
638 :
日本@名無史さん:02/11/20 02:16
捏造です
639 :
日本@名無史さん:02/11/23 21:58
停滞気味なのでネタふり
1264年と1284年そして1286年の三回にわたり
北海道オホーツク沿岸と樺太に対し大規模侵攻を
してます(孫のフビライ)
もし、義経が北海道から命からがら逃げ延びたのなら
大恩あるアイヌ先住民に対してこんな事するのかな。
たこ焼きは朝鮮発祥です
義経=チンギスより、両雄が戦ってたとゆうほうがロマンがあるな。
一緒に戦ったでもいいけど。
642 :
島津の退き口:02/11/25 15:07
西郷のロシア生存説と言い、英雄は海を渡ると言うのは日本の地理的要因からかな?
643 :
日本@名無史さん:02/11/26 06:53
>>642 両者の前半生に偶然の一致があるからなか?
644 :
日本@名無史さん:02/12/06 03:50
保守
645 :
日本@名無史さん:02/12/14 07:07
646 :
日本@名無史さん:02/12/14 07:12
648 :
日本@名無史さん:02/12/22 06:03
チンギス・ハンの写真?????
649 :
日本@名無史さん:02/12/22 07:10
650 :
日本@名無史さん :02/12/26 16:56
俺としては、京都の鞍馬寺の独特の雰囲気が面白い。
あそこやっぱり大陸的なにおいがあるんだよね。
それが義経とどう関係しているかは全然わからんけど。
651 :
日本@名無史さん :02/12/26 18:00
チンギスハンの残忍な性格からすると、義経と同一人物とは無理がある
652 :
日本@名無史さん:02/12/26 18:51
653 :
日本@名無史さん:02/12/27 02:51
>>652 チンギスは捕らえた敵将の、妻・娘を手当たり次第に犯した。
義経オタはこれでも「チンギス=義経」と言うのだろうか?
654 :
日本@名無史さん:02/12/27 10:37
タイチウド=平の落人(たいらのおちうど)
655 :
日本@名無史さん:03/01/07 07:51
656 :
日本@名無史さん:03/01/07 10:08
義経は嫌がる?振りをする建礼門院徳子様を...
(義経下 司馬遼太郎)
(^^)
658 :
日本@名無史さん:03/01/16 03:48
659 :
日本@名無史さん:03/01/16 03:57
ない
(^^)
661 :
日本@名無史さん:03/01/16 14:30
662 :
日本@名無史さん:03/01/19 03:53
あるかも
663 :
日本@名無史さん:03/01/26 05:03
義経がチンギス・ハンになれる可能性はいかに?
>663
あるわけないだろう!!
665 :
日本@名無史さん:03/01/30 13:34
頼朝です
なんかここでいろいろ言われてるけど、頼朝は自分でも
義経のことを考えてあげる気持ちが足りなかったなって反省してる
頼朝が誤解されるような義経追討の宣旨を下したばっかりに、
頼朝を応援してくれている守護や地頭、その他たくさんの御家人達に
迷惑をかけてしまったこと、深くお詫びします。
あのときあの義経追討の宣旨には、クライマックスだから追っ手が一体となって
弁慶に矢を射ちこみたい、義経の一生ももうすぐ終わっちゃうんだよ?
壇ノ浦での活躍を認めていいの?これまでの活躍を認めてる暇なんてないよ、
頼朝が安定した政権を手に入れられるまであと少しなんだからがんばろうよ、
って思いがほんとうは込められてたの。自害に追い込まれた義経に
それが伝わるはずない、それがわかんなかった頼朝はホントばかだよね。
頼朝は義経を傷つける気は全然なかった。
しかも義経が大陸に渡ってチンギス・ハーンになるなんて頼朝自身もすごくショックで、
言葉が出ない。義経に本当に心からあやまりたいです、ごめんなさい。
そしてこんな征夷大将軍だけど、これからも呼んだらすぐ鎌倉に来てね。
みんなほんとにごめん。
アイヌを併合するための方便です。
例えばアイヌの人たちに火を教えたのは(大陸に渡る途中の)義経だとか。
義経神社を明治の世になってから建てたりしました。
義経がチンギスハンは絶対にないでしゅ
チンギス・ハンが義経だったという説は?
669 :
日本@名無史さん:03/01/30 14:24
義経の器ではチンギス・ハンには100%なりえない
彼が卓越していたのは軍事能力のみで政治家としては
無能だったのに、帝国なんて作れるわけが無い
はじめまして☆みんなあーだこーだいってるけど、全然わかってない!それより竜馬、坂本竜馬の話しようぜ!
>>666 アイヌだけではなく大陸支配の口実でもありますね。
673 :
日本@名無史さん:03/02/03 21:37
あげ
シーボルトは、誰から義経=チンギス・ハン説を聞いたの?
ハーン揚
676 :
日本@名無史さん:03/02/13 13:22
>>675 ちくしょう
あげたつもりがさがっていた
李舜臣は慶長の役で死なずに、その後イギリスに渡り
その子孫にネルソン提督が生まれたって捏造ないのかな
678 :
日本@名無史さん:03/02/13 17:21
アリクブカが日本に渡ってフビライに対抗したとか
679 :
日本@名無史さん:03/02/22 15:31
性格が違うのはバイク事故で脳に障害負った人と一緒だよ。
たぶん桶狭間で殴られて命からがら生き延びたんだね。
脳に障害が出ると性格が粗暴になり、人相にも変化が出る。
681 :
日本@名無史さん:03/02/24 00:57
風船おじさんも今頃どこかの国の偉いさんになってるかもねw
ブタキムの中の人が風船おじさんとは誰も知らんだろうな。
0・001%はあると思われ
684 :
日本@名無史さん:03/03/04 09:17
なんか
風船おじさんもカナダで生きてるらしいよ
685 :
日本@名無史さん:03/03/04 09:19
まあ、朝青龍が日本で横綱になったんだから
義経がチンギスハンになってもおかしくないよ!!!!
686 :
日本@名無史さん:03/03/04 10:47
>>677 そのあと当然ネルソンは東郷平八郎になるんだろうな
687 :
日本@名無史さん:03/03/08 16:14
チンギスハンの子孫、たとえば元のフビライとかでもいいんだけど、
子孫の墓は見つかってないの?
688 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:46
689 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:53
そもそも墓って概念がないからね
最近日本人が自然葬を好むのもモンゴロイドだからかな
∩
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( ´Д`)// < 先生!頼朝君と義経君が兄弟喧嘩してます!
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ふん!まだこのようなスレがあるとは・・・
義経がチンギス・ハンになれる可能性などないーーーーーーーーッ!!!
0.1%はある
1%以下は可能性とはいわない。
1%はある
チンギス・ハンの墓さえ発見されれば・・・
その中には、きっと大鎧が添えてあるニダァ!
696 :
日本@名無史さん:03/03/26 01:10
万が一、チンギスハンが義経だって証明されたとしたら(万が一だよ)、
半島からは「義経は在日」って声が聞こえてくるんだろうなぁ。
>>696 清和源氏の先祖は新羅の貴族って2chで書いてるやついたよ
こんなことを戦中に言ってるから、半島人が真似して
「何々は在日」と言い出すんだ。反省汁。
699 :
日本@名無史さん:03/04/08 16:31
まぁ、これは信仰になっちゃうよね。
俺は信じてるけど。
700 :
日本@名無史さん:03/04/08 16:53
夢があって良い事だ。
701 :
日本@名無史さん:03/04/10 17:28
墓が見つかったら、DNA鑑定させてくださいってお願いするんだろうか?
702 :
日本@名無史さん:03/04/11 17:41
ジンギスカン説は野球で言うと元木が2塁から3塁に盗塁して阿部が絶好球送っても盗塁成功する確率位低い。
だが北海道に逃げ切れたという事はありえたるかも知れないが。
703 :
日本@名無史さん:03/04/11 17:43
なに言ってるの?馬鹿じゃないの?
義経はアメリカに逃げてアメリカを作ったんだよ。
704 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:34
705 :
日本@名無史さん:03/04/15 00:50
80 名前:日本@名無史さん :03/03/22 03:51
いまの朝鮮半島に住んでいる民族と百済とかが在った頃、半島に住んでいた民族とはほとんど
違う民族だよ。
いまの半島民族は元の時代にモンゴル人の遺伝子が征服してしまっている。
本来住んでいた民族は、二重まぶたが多く目も大きい。(といっても王貞治さんやお笑いの板尾のような
ギョロッとした目)
だから仮に日本を支配したのが渡来人だとしても、いまの朝鮮人とは関係無い。
82 名前:日本@名無史さん :03/03/22 04:03
ついでに言うと、半島民族は過去に何度も入れ替わってるよ。
どんな時でもたえず他国に支配され、蹂躙され、何度も大虐殺され・・・・
元々いた民族は方々にちらばっている。
その中で日本に逃げてきて文化を気付いたとしてもなんの不思議も無いが、いまの朝鮮人が
「ウリの文化マンセー」というのはアフォかと馬鹿かと・・
>>
ようは義経=ジンギスカンにしたがって半島に流入したモンゴル人が後のハングル(現 朝鮮人)人ですね。
(^^)
707 :
日本@名無史さん:03/04/18 01:50
708 :
日本@名無史さん:03/04/18 18:20
やはり現実味は薄くても歴史のロマンという点では許容しようか。
漏れは『モンゴルの残光』という歴史SFもついでに読んで、もしモンゴルが
世界を支配し21世紀になった世界だったら、この説は違った意味で受け取られて
たんだろなーっと思った。
あぼーん
710 :
日本@名無史さん:03/04/19 12:09
ふん、脳内妄想するチョッパリどもめ^^
711 :
日本@名無史さん:03/04/19 14:31
そもそも義経は在日。
チンギス・ハン→ジュチ家→モスクワ公家→ロマノフ家→ドイツ諸侯→イギリス王家→ブッシュ家
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
714 :
日本@名無史さん:03/04/21 10:09
つまり、ブッシュも同胞?
715 :
日本@名無史さん:03/04/21 10:35
過去の出来事に「可能性」という言葉を使うのはいかがなものかと
716 :
日本@名無史さん:03/05/04 00:31
禿。
717 :
日本@名無史さん:03/05/05 16:07
>>712 ブッシュにチンギスハンの血が流れているというのは本当なのか?
うーん・・・・・
よく語られる話だけど、声を大にしていうことじゃないとおもうけど。
チンギスハーンはモンゴル史上最大の英雄じゃん?
日本人も、信長が実は中国人だとか
竜馬は在日3世(藁)とか言われたらいい気分はしないと思うがどうか
719 :
日本@名無史さん:03/05/12 00:41
いい気分とかそういうのはあんまり関係ないんじゃね?
面白いじゃん。信長が中国人だったら面白いじゃん。
神武天皇が徐福だったらオモロイなーっていうのと同じでさ。
明智光秀が天海だったらオモロイなってのと同じように楽しんどきゃいいんじゃないの。
720 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:10
>>チンギスハーンはモンゴル史上最大の英雄じゃん?
おまえはバカか
モンゴルの評価は低い
最近、少し良くなってきたが
721 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:14
モンゴルの評価は低いって・・・
あんな凄い帝国つくって低いって・・
どういうこと?
まさか韓国人だったって言うんじゃないだろうな(W
722 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:23
朝昇龍にキムチ野郎と罵られた―に500変造ウォン。
724 :
日本@名無史さん:03/05/16 23:39
>>721 かつて、モンゴルはソ連の支配下にあったから。
725 :
日本@名無史さん:03/05/22 20:51
ジンギスカンって、当時、比較的長身とされていたモンゴル人の
なかでも身長がかなり高かったらしい。2M近かったとかいうのを聞いた。
義経は残された鎧などから想像するに150センチほど。
同一人物ってのは、ちょっと無理だよね。
727 :
日本@名無史さん:03/05/22 23:23
まとめようとするわけじゃ無いけど。これは「未だ」歴史学の研究対象ではないと。
偶然かシュリーマン的オタの執念?で「史料」でも出ない限り。が、所謂オカルト話に入れておくにも惜しいほど良く出来てる「仮説」では。
「傍証」でっちあげ分、こじつけ分を除いても想像を膨らます価値は有りとおもうよ。
肉親相争う中世の武将が兄に追われて安易に自害、もないだろ、後方には当時(いや、縄文からか)の日本海貿易での交流を聞き及ぶ大陸か、と。
俺でさえ北海道にも留まらず渡るなコリャ。トンデモ話と捨て切れない可能性は十分過ぎるじゃないの、と思ってた。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
729 :
日本@名無史さん:03/05/30 08:16
あぼーん
>>726 成吉思汗はあの手この手つかって
実際よりも身体を大きく見せかけようとしていた
・・・という話はいちおう存在している。
あと、義経も文献によっては160cmぐらいになってるらしい。
鎧じゃなくて骨でも出てくれば確証になるんだけど。
(そんなものあったら生存説は出てこないか)
まあ蝦夷北行まで五分五分だと思うが
さすがに成吉思汗説はムリだろ。
>721
ソ連に睨まれていた時代は、残忍な征服者って事で評判悪かったとか。
>727
大陸行きはあると思う。
しかし、チンギスハンとは大きく出たものだな。
義経に限らず死亡の状況がうさん臭い英雄はたくさんいるし
前半生のはっきりしない人間なんていつの時代でもたくさんいる。
○○=××同一人物説は作ろうと思えばいくらでも作れるだろう。
それにしても
チンギスハンなどという大物をひっぱりだしてきて
それなりに辻褄あってしまうんだから
最初に思いついた人はスゲエ。
734 :
日本@名無史さん:03/06/02 22:04
絶対にありえない。
ありえると書いた人に聞く!
父親のエスゲイをどう説明する?
義経がまだ奥州にいたころのテムジンをどう説明する?
書いてみろ!
735 :
日本@名無史さん:03/06/02 22:47
チンギスハンは、韓国人です。
日本人は捏造を止めなさい
あぼーん
737 :
日本@名無史さん:03/06/02 22:54
テムジンから義経は弓を貰っている
大型の弓が主流の日本では珍しい小型の弓とのこと
【ますらお】より
738 :
日本@名無史さんよ:03/06/02 23:25
>737
「別人だった」ていうことだね
740 :
日本@名無史さん:03/06/03 17:44
神奈川の藤沢にある義経の首塚ってあれは本物?
すげーひっそりとしてるんだけど・・・。
741 :
日本@名無史さん:03/06/03 22:38
>739
はげしすぎるくらいに同意
742 :
日本@名無史さん:03/06/03 22:46
本気で信じてる人間なんかほとんどいないからな。
>>733 とりあえず10組作ってくれ
>>734 肯定できないが否定もできない問題だと思われ
チンギスカン=義経説って本当なの?!
http://mentai.2ch.net/whis/kako/984/984757880.html 51 名前: ぴーちゃん 投稿日: 2001/04/28(土) 05:58
チンギスの歴史を描いた『元朝秘史』の前半部は、
義経の日本での歴史を、舞台をモンゴルに移して描いたものだという説もあるね。
つまり、「元朝秘史」に描かれたチンギスハンの前半生は、実は義経の日本での歴史を描いたものだと。
それによると、チンギスの最大の敵はメルキド族というんだけど、チンギスはこのメルキドを、まず黒い谷において攻撃し、
その後さらに、エルディシ水というところで、このメルキドの大半のものを水死させて殲滅したのであり、
それはちょうど、義経が平氏を一の谷で破り、その後、壇ノ浦でほとんどの者を水死させて殲滅したのと全く一致するとか。
しかも、年代的にもほぼ一致するそうな。(ちなみに、五行思想では一は北の数で、その北の色は黒であるから、一の谷=黒い谷)、
おまけに、チンギスのもう一方の敵はタイチウドというのだけど、これは平清盛の弟の平忠度という名を基に作った名だって。
他にもいろいろチンギスの前半生と義経の生涯は一致する点が多いらしい。
そもそも、『元朝秘史』などに描かれたチンギスの生涯は、虚実入り混じっていて、今もって正確なところはわからず、
事実だといえるようなものはだいたい1203年あたりからだということだ(by杉山正明)。
だから、このスレの上の方でいわれている親の名前がわかっているとか、
義経とは年代が合わないというような否定根拠は、全然間違っているそうな。
ま、チンギスは義経だって断定的な調子で見るのはどうかと思うけれど、両者の一致を見比べてみるのはなかなかおもしろい。
敵を谷に追い詰め、その後、海で殲滅させるという全く同じ経過をたどった戦いが、
日本とモンゴルでほぼ時を同じくして起こっていたというのは、義経=チンギス説に結びつけなくても、オレ的にはすごく興味を惹かれる。
こういう偶然の一致を楽しむものらしい
>738
作り話に決まってんだろうが、ばか。ありえねえ。
何信じてんだ。
つか、この説に限っては、否定する奴の方に嘘やでたらめの根拠が多いからなぁ(>737のように)
だから否定し切れなくなる。
746 :
日本@名無史さん:03/06/11 19:03
否定する根拠がないこともまた事実であります
747 :
日本@名無史さん:03/06/11 19:04
仮にチンギスが義経あるいはその側近、つまり日本人だったとして
なにゆえ日本をめざさないでいられたのか
748 :
日本@名無史さん:03/06/20 17:16
再来年のNHK大河ドラマは「義経」だそうだが、
是非、チンギス・ハンになって大帝国を創りあげるところまで
やって頂きたいものである。
フランスのシラク大統領はEU委員会との会合で
義経がジンギスカンになったという伝説を紹介したらしいよ。
750 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:14
>>743 >>746 あのさ・・・・
「肯定もできないが否定もできない問題だと思われ」とか「否定する根拠もない」とか
相変わらず、勘違いした論理が展開されてるね。
宗教者の良くいう「神がいるという証拠はないが、神がいないという証拠もない」とか
オカルト信者のいう「宇宙人が地球に来ているという証拠はないが、来ていないという証拠もない」
とかいう勘違い論法になんだかそっくりだな。
「ある」という証拠と「ない」という証拠は全然、対等ではないの。
「ある」と主張する側はそれを確定する証拠を出さないとダメなの、全く認められないの。
あんたたちは学校や会社で何か発表する時でも「そうであるという証拠はないがそうでないという証拠もない」とか
寝ぼけた事言ってるのか?
例えば「織田信長の正体は実は宇宙人だった」という説を発表するとして、
「信長が宇宙人であるという証拠もないが、宇宙人ではなかったという証拠も無い」とか言えるか?
確かに歴史というのは科学と違って「上杉謙信が女だったとか」「明智光秀が天海僧正だったとか」いう奇説が存在する性質がある。
だからこそ、奇説を唱える側はかなり断定的な証拠を提出して欲しいんだな。
最後に物事は「ある」という証拠を出すのは簡単だが
「ない」という証拠を出すの極めて難しいといっておく。
例えば「この宇宙に地球以外に生息する生物はいるか?」という命題の場合、
「いる」というのを証明するには地球以外のどこかの天体から地球外生物を見つけて持ってくれば良いだけだが、
「いない」というのを証明するためには全宇宙をくまなく探し回って地球外生物がいないのを確認しなくてはならない。
ちなみに司法の世界では「疑わしきが罰せず」が格言であり、
とある事件の容疑者に有罪の判決を出すためには
その容疑者が100%犯人であるという証拠を提出しないと有罪にならない。
その容疑者が「犯人ではない」なんて証拠は必要ないのだ。
つまり100%=○ 0〜99.99%=×というくらい厳しいわけだ。
歴史学の世界は司法の世界程には幻覚でないにせよ。
「否定できる根拠もない」だのいう意見はあまりに甘すぎるな。
752 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:23
「幻覚でない」は「厳格でない」の間違い
>>750 そんなに気合いを入れんでもよいよ。
ようするに、どんなに難癖つけられても
「ところがどっこいまだ伝説は死んではいないんだぜ」
ってことを楽しむ程度のことなんだ。
みんな、それをわかってた楽しんでるのよ。
754 :
日本@名無史さん:03/06/20 22:49
>>753 そかあ、それがわかってるなら良いけどさ。
まあ、外国、例えばフランスでもジャンヌ・ダルクは生きていたとか奇説があるしね。
他に「ヒトラーは生きていて、潜水艦で南極に脱出しラストバタリアンを用意している」なんて説もある。
この説はどちらかというとオカルト系の怪しい方面で崇拝されてるけどね。
思えば義経=チンギス説も日本人が北方ひいてはアジアを支配する口実に利用され、
軍部に崇拝者が多かったとか。
>>754 733じゃないけど、
> チンギスハンなどという大物をひっぱりだしてきて
> それなりに辻褄あってしまうんだから
> 最初に思いついた人はスゲエ。
ってとこじゃないかなぁ。少なくとも俺はそう。
まぁ、アナスタシアとか義経の伝説には夢を感じるけどね。
それと749書いたの俺だけど、シラクは本気で信じてたりしてな(w
756 :
日本@名無史さん:03/06/20 23:15
>>755 欧米人はモンゴル人も中国人も日本人もほとんど区別ついてないからね。
20年程前にアメリカだったかで実地されたアンケートで
「あなたの尊敬する日本人は」という質問がされたんだが、結果は・・・
1位 毛択東
2位 ブルース・リー
3位 トウ小平
といったものだったんだな。
チンギスハンが日本人だったなんて程度の話しは欧米人には別にたいした事でもないんだろうね。
>>756 一般欧米人はともかく、シラクはすさまじいほどの日本通だよ。
日本の首相が圧倒されるほど、文化や歴史への造詣が深い。
758 :
日本@名無史さん:03/06/20 23:38
>>721 日本ではチンギス=義経説のせいか、
チンギスの悪い話しはあまり聞かれないけど彼は大虐殺者でもあったからね。
人を殺した数、千数百万人。滅ぼされた国々や部族も多数。
モンゴルに屈辱を与えた中東の大国ホラズムは、たちまち滅ぼされ、
彼に屈辱を与えたイナルジュークという男は耳の穴から融けた銀を流しこまれて殺された。
あちこちの文化や遺跡を破壊し従わない国は容赦なく滅ぼし、
征服した各地の美しい女性をオルドに入れるのが最大の喜びと公言し、数千の女性を集めたとか。
チンギスの殺戮は死後にもおよび、手紙で彼を罵倒した西夏という国は彼の遺命によって、
跡形も無いくらい破壊・虐殺され地図から消えたそうな。
この西夏という国はいまでも幻の国として研究者の格好の研究材料になってる。
759 :
日本@名無史さん:03/06/20 23:42
ロシアがチンギスハンを悪く言うのは
当時のキエフ公国とかロシア創世の頃の国々をチンギスの軍が滅ぼし支配したのが原因らしい。
それをロシア人は「タタルのくびき」と呼び忌み嫌ってる。
760 :
日本@名無史さん:03/06/21 00:20
だけどロシア人の血にはモンゴル人の血が混じっているんじゃないの?
多年に渡るキプチャクハーン国による支配で支配者のモンゴル人と現地の
ロシア人の混血が進んだから。
実際ロシア人の顔立ちは白人でも扁平でどこか東洋人を思わせるものがある。
762 :
日本@名無史さん:03/06/21 00:26
義経がたとえ衣川で死んでいたとしても、藤原の軍が大陸に渡った
可能性はあると思う。藤原は10万の軍を持ち優れた馬も多数保持
していたはずなのに、なんで頼朝にたいした抵抗もせずに屈服
したんだ。都でなよなよしていた平氏でさえ、義経相手にあれだけ
の抵抗ができたのに。だから、オレは義経死後の平泉の状況に絶望
した藤原軍の一部が、大陸に退却したんだと思う。
763 :
日本@名無史さん:03/06/21 04:50
誰かソース知らないか?
チンギス家の紋章が笹竜胆
これに引っかかるんだけど
肯定でも否定でも確実なソース教えてくれ
義経が笹竜胆を使わない。でもいいから頼む
764 :
日本@名無史さん:03/06/21 07:13
>>760 それはそうなんだけど、
ロシア人は非常にチンギス・ハンを恐怖し嫌います。
それは事実です。
ただ、ロシアとモンゴルの関係はその辺を考えると面白い。
ロシアのひたすらな拡張主義はモンゴルの影響もしくはモンゴルなどアジア系に対する恐怖とも考えられたりしますしね。
ちなみにキプチャクハーン国の始祖「ジュチ」はチンギスハーンの長男ですが、
チンギスの妻、ボルテが敵対部族に誘拐されている時に妊娠していて、チンギスの子供でない可能性が高く、
チンギスも熟慮の末、自分の子として育てる事とし名前を「客」とかいう意味のあるジュチにしたなんて話しも面白いです。
765 :
日本@名無史さん:03/06/21 07:17
>>760 >>実際、ロシア人の顔立ちは扁平でどこか東洋人を思わせるものがある。
私がテレビとかで見る限りではとてもそうは思えないんだけど・・・・
どっちかって言うと鼻が高くて彫りの深いイメージがむしろするがな。
エリツィンとかゴルビーもそうだし・・・
766 :
日本@名無史さん:03/06/21 07:20
>>762 それはいくらなんでもトンデモすぎる・・・
>>763 たぶん、怪しげな研究家のねつ造でしょ。
767 :
日本@名無史さん:03/06/21 11:19
>>762 つーか、藤原軍の一部が大陸に退却したの意味がわからん。
「大陸に逃亡した」ならまだしも「退却した」とは。
768 :
日本@名無史さん:03/06/21 13:07
>>767 どっちにしろ、藤原軍の一部が沿海州あたりに渡ることは、容易
ではないのか。
結局、なぜ頼朝に対してまともな抵抗をしなかったのだろう。
769 :
日本@名無史さん:03/06/21 15:44
まぁ、偶然だろうが、中国東北地方の熱河省には平泉という地名がある。
770 :
日本@名無史さん:03/06/21 17:40
あの時代、東北地方はモンゴルの支配下にありました。
頼朝は解放戦争をしたわけです。
771 :
日本@名無史さん:03/06/21 22:48
義経→ジンギスカンではなく、ジンギスカン→義経なのだ。
ジンギスカンは一時平泉に亡命し藤原氏の庇護を受けていた。
秀衛の頼みで、頼朝の手助けをしただけ。
だから、頼朝の弟ではない。
弟としたのは、頼朝の代理人としての地位をみせるため。
>763
笹リンドウは清和源氏の紋だと思い込んだ鎌倉市が市章に制定したが
後に村上源氏の紋であることを知って慌てた話は有名。
773 :
日本@名無史さん:03/07/10 00:22
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
775 :
日本@名無史さん:03/07/18 13:02
776 :
日本@名無史さん:03/07/18 16:25
100%ありえん。終了
777 :
日本@名無史さん:03/07/25 00:55
778 :
日本@名無史さん:03/07/25 01:07
777ゲットした奴、羨ましい。しかも無下記子
779 :
日本@名無史さん:03/07/25 01:12
1 衣川で死なかった可能性100%
↓
2 蝦夷まで行った可能性80%→80%
↓
3 大陸まで行った可能性50%→40%
↓
4 戦の才能を発揮できる可能性100%→40%
↓
5 モンゴル統一の可能性%→10%→4%
6 義経がチンギス・ハンになれる可能性は4%
>>776 6は0%ですか
1,2,3,4、5の可能性を教えてください
780 :
日本@名無史さん:03/07/25 07:12
>>779 1 衣川で死ななかった可能性 15%
2 蝦夷まで行った可能性 15%→5%
3 大陸まで行った可能性 5%→1%
4 戦の才能を発揮できる可能性 1%→0.5%
5 モンゴル統一の可能性 0.5%→0.1%
うーん? 0.1%とはあまりに寛大な数字のような気がする
781 :
日本@名無史さん:03/07/25 07:18
こういう場合、逆の立場で考えてみればわかる。
例えばモンゴル人の王子がやってきて日本で源頼朝や足利尊氏になって
日本を統一する可能性がどれくらいあるか想像すればわかる。
実際、源頼朝については行方不明になってた時期もあるしね。
あと、日本人の義経=チンギス説論者に共通する誤解は
当時のモンゴルをほとんど原始人に毛の生えた程度の連中だと思いこんでる事だ。
実際は当時のモンゴルの文化度は遊牧民族とはいえ非常に高かったのだが。
782 :
日本@名無史さん:03/07/25 09:56
>>781 源頼朝が日本語をほとんどしゃべれずに、なぜかモンゴル語の単語を知ってたとか
そういうことがあれば、妄想もできるけどな。
逆を想像するっていっても、そりゃあまりにも差があるぞ。
そもそもモンゴルの信頼できる記録がほとんどないから、いろいろ楽しめるわけで。
>>781 > 例えばモンゴル人の王子がやってきて日本で源頼朝や足利尊氏になって
> 日本を統一する可能性がどれくらいあるか想像すればわかる。
天皇は朝鮮人だと真顔で言う奴いっぱいいますね。
784 :
日本@名無史さん:03/07/25 10:19
>>782 同じだと思うぞ。
なんで、日本の人物がモンゴルの英雄になった話しはありえても、
モンゴルの人物が日本の統一者になったという話しは差がありすぎてありえないんだよ。
だいたい何で義経がモンゴル語を話せるんだよ。
モンゴルにだって、それなりの記録や歴史学者がいっぱい居るんだよ。
そういうの無視して義経=チンギス説なんていい加減な説を立てるのは向こうに失礼。
「神々の記憶」みたいにエジプトのピラミッドは欧米人が作ったとかいう話しに似ていると思う。
つまり自分の国ならありえなくても、外国ならありえるだろうというのは無理な話し。
その国の記録や研究、歴史、常識などを一切無視してしまうんだからね。
頼朝=モンゴルの王子説をデッチ上げるのは難しくない。
北条が打倒平家のためにカイライを必要とし、偶然、やってきたモンゴルの王子が頼朝にうり二つだったのデッチ上げた。
知多半島はバイカル湖にある「チタ」から取ったとか、義経=チンギス説の妄説を逆に応用していけば良い。
所謂、朝鮮のねつ増と同じ論理だな。
柔道は韓国発祥、剣道は韓国発祥、写楽は韓国から日本送りこんだスパイ。といった感じ
785 :
日本@名無史さん:03/07/25 10:35
ロシアは北方四島を発見のはロシア人とす主張してます、古くからの日本の記録に千島の事は出てくるし、
何せアイヌ人という原住民がいるのにね。
結局、他の国の歴史に首を突っ込もうとするとトントチンカンな結果になる事が多いです。
維新〜戦前の日本ではこの手のいい加減な史観が多量に発生しました。
キリストは弟のイスキリが身替わりになって処刑され、日本の戸来村に来て死んでいるとか、
モーセは石川県の柳田村で死んで墓まであるとか、シャカ、マホメットも日本に来て学んでいたとか、
陽貴妃は唐を混乱させるための日本のスパイで彼女は難を逃れて日本に帰還したとか、
九鬼文書では古代のユダヤと日本の関係が語られ、
竹内文書では日本の天皇家が三千億年も前からいて、世界に始祖となる皇子、皇女を派遣し、天皇家は空飛ぶ船アマノウキフネで行幸したとか、
そんな話しは腐るほどあります。
義経=チンギス説もどうせそんなとこでしょ。
あと、日本の義経=チンギス説信者の学者が大陸に渡っていろんな「証拠」を発見した話しも
ほとんどは思い込みからの妄想やねつ造の証拠だと思います。
786 :
日本@名無史さん:03/07/28 06:05
義経はジンギスカンにあらず。だが義経、弁慶、及び佐藤継信・忠信兄弟
は、平泉を落ち延び、大陸に逃走。そして大陸でジンギスカンに出会い、
彼ら4人はジンギスカンの重臣としてモンゴル軍を率いて活躍。元の発展
は、軍事的才能に恵まれなかったジンギスカンを、これら4人が全面的にサポート
した事によって可能になったのである。特に軍事行動においては、ジンギスカン
は作戦立案及び実行に殆ど関知せず、ほぼ全てを義経が計画を立て実行した
のである。また弁慶は、元の西方発展の責任者になり大活躍。この弁慶の
活躍により、元のヨーロッパにまで及ぶ拡大が可能となったのである。
ジンギスカンは大男であるが、義経は小男であったという。上記の事実は、この
矛盾を一気に解消し、なおかつ元の拡大を論理的に説明するものである。
(^^)
788 :
日本@名無史さん:03/08/03 20:18
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii|
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iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
790 :
日本@名無史さん:03/08/10 17:25
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
792 :
日本@名無史さん:03/08/16 00:50
793 :
日本@名無史さん:03/08/20 20:29
794 :
日本@名無史さん:03/08/29 20:07
795 :
日本@名無史さん:03/09/04 23:12
796 :
日本@名無史さん:03/09/12 23:00
797 :
日本@名無史さん:03/09/12 23:25
源氏だしもともと騎馬民族と関係あるんじゃない?
過去レス読んでひとつ感想。
俺たちが遊びでチンギスハンは源義経かも!っていったぐらいで、
モンゴルの人たちって怒るのかなぁ。
神武天皇は徐福かも!って言ってる中国人の学者がいたと思うけど、
日本人全然怒ってないよ。
>>798 そりゃあ当然人によるでしょうよ。
まあ、多くの人は鼻で笑うだけだと思うけどね、
モンゴル人の知り合いいないからなんともいえんけど。
あと、
>神武天皇は徐福かも!って言ってる中国人の学者がいたと思うけど、
>日本人全然怒ってないよ。
たぶん、一部に発狂したかのような勢いで怒り出す日本人もいると思うよ。
>>799 > たぶん、一部に発狂したかのような勢いで怒り出す日本人もいると思うよ。
そうですか。もうその怒りは沈静化したのかな。
見たかったなぁ。まぁでもそういう人はどの国にもいるんでしょうね。
801 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:55
802 :
日本@名無史さん:03/09/27 22:44
ジンギスカン ギンカスジン キンカスジン 金貨素人 錦華玄人
クロウト 黒田杜夫と錦華 豹の眼
804 :
日本@名無史さん:03/10/09 01:21
805 :
日本@名無史さん:03/10/09 01:26
源義経がチンギス・ハーンだとなると、
フビライ・ハーンが日本に攻め寄せるのは
年代的に大丈夫なのか?
806 :
日本@名無史さん:03/10/09 01:28
>>805 日本でいえば平安時代末と鎌倉中期だぞ。
807 :
日本@名無史さん:03/10/18 00:06
はっきり混じれ酢をします。
義経ははっきり言うと典型的武官タイプの武将であり
政治をできる器ではありませんでした。頼朝とのやり
取りなどをちょっと見てみればそのことは一目瞭然で
す。従って彼にユーラシアを圧巻するような帝国を建
設するほどの政治力があったとはまったく思えません
よって、むり
と今更書いてみる
809 :
日本@名無史さん:03/10/18 02:30
どうやら日本には昔UFOがよく飛来してたらしいね。
頼朝なんかの行方不明の時期についてはUFOによる
誘拐説がかなり有力で、誘拐された際に宇宙人から聞
いた日本の未来予測を事細かに聞いた事で頼朝が平家
に勝てたというのが最近の定説だよね。
810 :
日本@名無史さん:03/10/18 03:16
ほう、すごいね
竹取物語などをあわせて考えると
むしろ809はごく常識的な発言と
いえるでしょう
信貴山縁起にもUFOらしきものが登場しますな。
そうか、プラズマが関わっていたのか。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~ /| タカクカイマース
/ /組 .|
/ / り |
/ / ぎ | ∩
【◎ 】 【◎ 】/ に /■\// / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~| お ( ´∀`)< いらないクソスレはありませんか〜?
∩/| 廃品回収 | /■\∩ ) \
\( |_________| ( ´∀`)///| \__________
(/≡≡≡≡≡≡≡≡≡7/ )/ /
///■\廿/■\ //| U / /| クソスレ回収に参りました〜
//(´∀` )(´∀` ) // | / /||||
[]_// ((⌒) )( )//[]ノ/ /
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | /
| (O) | /
|品○_____○__品| /
(__________)
815 :
日本@名無史さん:03/11/07 00:20
816 :
日本@名無史さん:03/12/01 00:54
義経age
818 :
日本@名無史さん:04/01/12 06:17
819 :
日本@名無史さん:04/01/12 06:26
◆◆君も歴史の目撃者!愚か者が再生産される瞬間!◆◆
>436 :日本@名無史さん :04/01/12 05:06
>よくわかったよ。
>九州王朝説というのは任那日本府実在説と同レベルなんだ。
>この一語に尽きるよ。
>439 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:37
>漏れは九州王朝支持派でもないけど、任那日本府はあると思ってた。なかったの??
>
>
>440 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:52
>それが今は普通。
登場人物はすべて畿内派
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200231/2-
820 :
日本@名無史さん:04/01/13 23:08
バカウヨさらしage
821 :
日本@名無史さん:04/01/15 22:13
822 :
日本@名無史さん:04/02/01 16:56
823 :
日本@名無史さん:04/02/01 23:15
昔を今に成吉思汗(なすよしもがな)
824 :
日本@名無史さん:04/02/01 23:45
別人でしょ。
ただし、衣川で死んでいない可能性はあるだろう。
杉目太郎の逸話もあながちあなどれない。
十三湊を目指して落ち延びたのではないかな?
ただし、深い手負いであれば、途中で落命かも。
あるいは一行は安東氏に会えたものの、長い逃避行
により衰弱死したかも。いずれにしろ、こっそり墓が
作られていた可能性はある。
町もろとも沈んだので今となっては検証が難しいね。
竜飛岬の伝説はあまりにも神話描写されているので、
当方としては十三湊で埋葬された説を取りたいです。
825 :
日本@名無史さん:04/02/01 23:48
義経も郷御前も死んでないな
>825
郷御前って誰だよ。そんな名前の女はいねーぞ。
827 :
日本@名無史さん:04/02/02 00:07
828 :
日本@名無史さん:04/02/02 00:12
この年、郷御前もまた義経の娘を産んだと見られる。彼女は都にひそんだ義経と再会する。
義経は比叡山を頼り、叡山の悪僧たちに守られ、山伏姿に身をやつし、郷御前は稚児姿に化けて、北陸路を行く。
彼女がいつ身ふたつになったかは不明だが、『義経記』には、旅の途中、羽前国の亀割山で義経の女がお産をしたと出てくる。
829 :
日本@名無史さん:04/02/02 01:41
>>826 静御前の華やかさに負けて、あんまり一般には知られてないのかな
830 :
日本@名無史さん:04/02/02 01:43
取り敢えず例のオルドゲームでも楽しむか。
>829
河越重頼の娘なら知ってるが、郷御前なんて女は知らん。
源平盛衰記にそんな名前があった記憶はないぞ。
832 :
日本@名無史さん:04/02/03 02:07
歌舞伎では卿の君だっけ?
833 :
日本@名無史さん:04/02/03 03:07
というか泰衡が逃しをするか?親爺が死んでもう藤原氏は風前の灯
という状態で討伐仕掛けたんだから多分死んでるでしょう。忠衡も
序でに討伐してるし。
源義経はジンギスカンだ!
高木先生の説が正しい!
義経は小男。ジンギスカンは大男。
身長差はシークレットブーツでカバーしたのだ!
835 :
日本@名無史さん:04/02/03 17:17
ジンギスカンは弁慶かもよ
大人でもマシュマロ食べたら背が伸びるらしいよ。
837 :
日本@名無史さん:04/02/03 17:27
チンギスハンの遺体は背がちっちゃかったんだってね
839 :
日本@名無史さん:04/02/05 07:10
>>833 風前の灯火だからこそ、軍団内の者で義経に有利な働きをした者がいても
おかしくない。
840 :
日本@名無史さん:04/02/05 13:17
ロンドに出てくる義経は?
召喚士だし最強になれたっぽいんだが・・・
841 :
日本@名無史さん:04/02/06 09:41
小学校の頃、学校の先生が義経がチンギスハーンになったと言う説を
熱心に話してくれて、そのことがきっかけで歴史上の人物に凄く興味が沸くようになった。
チンギスハーン=義経は、まぁありえんとは思うが、そういう説は面白いと思う
842 :
日本@名無史さん:04/02/06 14:22
DNA鑑定は出来ないのか?
遺品でも捜して誰かやってくれたら、
スッキリするのに
843 :
孤高の24歳無職:04/02/08 21:47
義経がチンギスだったらモンゴル語をどうやって覚えたのでしょう?
844 :
日本@名無史さん:04/02/19 11:07
妄想してんじゃねえよ糞ジャップども。
モンゴル人の朝青龍に国技で勝てないからって
糞みたいな妄言垂れ流すなよな(w
プッ
汚れの歴史しかないキムチ野郎が
846 :
日本@名無史さん:04/03/19 00:47
847 :
日本@名無史さん:04/03/26 03:21
848 :
日本@名無史さん:04/04/15 23:22
849 :
日本@名無史さん:04/04/20 00:43
ジンギスカンの墓が発見されたらしいけど、何で発掘しないの?これじゃ天皇陵と同じじゃないか。
850 :
日本@名無史さん:04/05/04 21:59
年齢的にありえませんよ
852 :
日本@名無史さん:04/05/12 13:55
853 :
日本@名無史さん:04/06/17 21:30
義経=チンギスハン説って
有史以前から負けてばかりの東北人を中心に支持が多いよな。
負け犬が夢を見ているっていうか、負け犬同士相通ずるものがあるというか。
奥州に逃げただけで東北人に関連付けられる義経もいい迷惑。
age
>>853 その東北の方の名前を一部で良いから教えてください。
それとも根拠もなく書き逃げですか?
856 :
日本@名無史さん:04/07/03 22:37
と、事実を指摘された東北人が火病ってますw
857 :
日本@名無史さん:04/07/03 23:36
858 :
日本@名無史さん:04/07/04 07:51
佐々木勝三でぐぐって多いに恥じろ。
薄汚い捏造東北土民めw
859 :
日本@名無史さん:04/07/04 08:17
大正時代に初めて義経・ジンギスカン説を学説として唱えたのが秋田人の小谷部全一郎。
以後、東北人の歴史コンプレックスに基づく捏造説が諸所で量産される。
小谷部全一郎は日ユ同祖論や出雲蝦夷同祖説なんかも唱えているよね。
出口王任三郎などと親交があったりと、いわば"東北超古代史"の元祖的存在でもあるね。
861 :
日本@名無史さん:04/07/04 09:22
862 :
日本@名無史さん:04/07/04 10:29
現場の意見を軽んじる奴には、ろくなのがいない。
朝青龍関に聞いてくりゃいいじゃん。すぐわかる。
864 :
日本@名無史さん:04/07/04 17:28
自分の書いた物が受けなかったからって責任を東北に持ってくんじゃねーよ。
866 :
日本@名無史さん:04/07/04 17:50
↑意味不明。
キモすぎぞ、東北人w
>>860 日ユ同祖説とか義経=チンギス説っていうのはようするに日本の大陸進出を肯定する文脈で利用されるわけだけど、
ここに出雲蝦夷同祖説を持ってくるのが世界を制覇する日本を統治すべきは東北人である、という弱小民族出身の小矢部ならではの発想、というか妄想といえるな。
地域叩き工作員が湧いてくるとはな、IDの出ないスレは実に
素晴らしいと言う事かい。
ネタが尽きたとはいえ、キムチ臭い場所になってはここも、もう駄目
かも分からんね。このままでは北海道民も餌食になるであろう。
869 :
トロちゃん元帥:04/07/06 13:46
まぁ俺はシーボルトによる日中対立の為の欧米列強の陰謀説を
信じ続けている訳だが・・・・・・・。
870 :
日本@名無史さん:04/07/06 19:11
東北といえばゴッドハンド。
こういう安易な誇大妄想言説を許す土壌がゴッドハンドを生んだんだろう。
871 :
日本@名無史さん:04/07/06 19:14
かつて大日本帝国が誇大妄想が暴走して、大東亜共栄圏を唱え、戦争に突き進んだのも、
政権の中枢に東北人が入り込んでから。
東北人はやばい。
ところで義経って何人?
>>869 チミは是非ニュー速(+も)へ行って、反中華(半島)工作員と戦うべきだ。
日本を救うのはアメリカ追従ではなくアジアの連携だといってナ。
874 :
日本@名無史さん:04/07/07 19:58
古来、東北民族に関わると、ろくな目にあわない。名づけて「あの民族の法則」
○ 日本 VS アテルイ ×
○ 源頼朝 VS 源義経(奥州藤原氏が援助) ×
○ 徳川秀吉 VS 伊達政宗 ×
○ 徳川家康 VS 石田三成(会津上杉が連係) ×
○ 徳川秀忠 VS 松平忠信(政宗が後援) ×
○ 薩長 VS 幕府(会津藩が加担) ×
○ 新政府軍 VS 奥羽列藩同盟 ×
○ アメリカ VS 日本(東北閥が主導) ×
日本考古学界 → ゴッドハンドの悪行で信頼喪失
高校野球 → 東北代表の優勝実績無し
工作員の詭弁16の法則
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:知能障害を起こす
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
16:突如釣り師になる
東北人がチョンになれる可能性はいかに?
878 :
日本@名無史さん:04/07/08 01:27
歴史を捏造する東北民族
・東北には50万年前に世界最古の石器文明が栄えていた
・キリストが東北に来ていた。東北が世界を支配していた
・日本の中央は東北だった
・英雄アテルイが日本軍をさんざん打ち破った
・平泉に空前の黄金文明が栄えた
・源義経は大陸に渡ってチンギス・ハンになった
・家康が会津まで進軍してこれば死んでいた
・伊達政宗が20年はやく生まれれば天下を取っていた
・白虎隊は忠義に旬じた。奥羽越列藩同盟は賊軍ではなく忠義の東軍だった
・旧陸海軍を動かしていたのは東北出身者だ
・戦後の高度成長は東北人の血と汗によって実現した
879 :
日本@名無史さん:04/07/08 02:13
チンギス・ハンの歴史を少し調べれば明白
まぁ、義経=ハンだといいなぁという願望ですな
皆さん、義経がチンギス・ハンだと嬉しいですか?
チンギスが義経ほど魅力的な人物とは思えないんですが
881 :
日本@名無史さん:04/07/08 07:03
しょせんは劣等東北人の妄想だな。
半島情勢悪化に伴う、在日朝鮮韓国人の「特別永住資格」の廃止が間近い。
それが訪れるとき、在日はどうなるのだろうか?駅の一等地を不法占拠し
国内に特権階級者の如くのさばり、甘い汁を吸ってきた日々がもうすぐ
失われるのだ。そんな事態を彼等はただ黙って見ているだろうか?
そ ん な 筈 は な い 。
今まで得た利権を手放さずに国内にとどまる方法、それは売国勢力と連携し、
地域分断を謀り、日本の中に独立地域を作る事である。  ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄
という訳で、今日も在日は無駄だと思いながらも、必死に「日本人のフリ」をして
どこかの地方を叩くのであった。勿論、都合の悪いネタがある2chも叩きます。
`、` カタカタカタカタ...
∧_∧ ミ __ __
;< #`Д´>つ| |\\.| |
( つ ノ | |_|≡| |
彡
883 :
日本@名無史さん:04/07/08 11:09
`、` カタカタカタカタ...
∧_∧ ミ __ __
;< #`Д´>つ| |\\.| |
( つ ノ | |_|≡| |
彡
885 :
トロちゃん元帥:04/07/08 11:25
>>873 う〜ん・・・・・漏れは半島も中華も新大陸もユーロも嫌いなんだが?!
886 :
日本@名無史さん:04/07/08 11:51
奥州藤原氏には安東氏やアイヌを通して大陸の情報は豊富だったからな。
北海道にも伊達に義経北行伝説は残らないだろうし大陸に渡ったろう、というのが常識。
>>1 えーと、奥州には直接じゃないけど、大陸との交易があったのはホントみたい。
ただ江戸時代の鎖国のイメージが先に立って、否定されてしまってるらしいの
だけどね。
ソースと言われるとキツいのだけどもねぇ(誰もそこのソース求めてねぇ?)。
海上交易はお上を関わらせない、記録に残さないのがむしろ有利だしさ。
逃げた可能性は当時のことなんで知らない、100%ありえなくはないんでない?
なんで噂が広がったのかといえば、こういう、貴人が流れ流れて〜、という話を
日本人がものすごく好むからだって。
権力に屈するしかない時代に、楽しむ妄想の一種みたい。
ほとんどは現代に伝わってないけどね、古典とか読んでるとわりと似た話なんか
読めて面白いよ。
あとね。
チンギスさんの幼少の記録があやふやなのも本当だよ。
彼らの過去なんてほとんど神話だったりするしね。
ただ、彼と関わった人間の実在は別のところで確認できるし。
記録に残らない英雄なんてのは、歴史好きならものすごく大量にいることくらい
知っててもいいんじゃないかな?
ていうか、家臣になったとかの話なら、はっきり言って読みたいよ。
チンギスさん、無類の外人好きだったみたいだしさ(w
888 :
日本@名無史さん:04/07/08 19:17
↑キモイ
まぁ高木彬光だけじゃなく、星野之宣の漫画(クビライとか)でも読んだら
ちょっとばかり妄想したくなるかもな。
890 :
日本@名無史さん:04/07/09 08:36
チンギスハーンの奥さん?の名前をモンゴル語で直訳したら
「シズカを愛す」になるって本当なの?
891 :
日本@名無史さん:04/07/10 10:02
結局855は自分が書き逃げみたいだね。
東北人はよく考えずに発言して都合が悪くなるとすぐ逃げる。
さすが負け犬の末裔。現在進行形のチキン民族だけのことはある。
892 :
日本@名無史さん:04/07/10 10:20
日本に寄生するばかりか日本を中傷する捏造ばかりする東北は
いいかげん日本から切り離したほうがいいんじゃないか?
893 :
日本@名無史さん:04/07/10 10:40
確かにトーホクって日本には不要だよな。
894 :
日本@名無史さん:04/07/10 11:17
昔、某板でバカにされた東北在住者が
米を売ってやらないぞ
電気を分けてやらないぞ
ゴミを引き受けてやらないぞ
とぶち切れていた。
東北人を養う金でじゅうぶんすぎる食料供給もゴミ処理も可能だという現実や、原発立地に施した金額をつきつけられて精神崩壊していたが。
それにしてもそいつが「水を止めるぞ」とまで言い出したのには本当に笑った。
劣った民族には日本の金で教育を施してもムダだということがよくわかった。
895 :
帰ってきた24歳無職:04/07/10 11:40
藤原泰衡は、義経を殺そうが
殺すまいが、鎌倉幕府はどの道
奥州を滅ぼそうとすることくらい
わからなかったのかな?甘すぎるな
896 :
日本@名無史さん:04/07/10 11:46
そこまで考えが及ばなかっただけだろ。
日本人とでは頭の出来が違いすぎる。
`、` カタカタカタカタ...
∧_∧ ミ __ __
;< #`Д´>つ| |\\.| |
( つ ノ | |_|≡| |
彡
半島情勢悪化に伴う、在日朝鮮韓国人の「特別永住資格」の廃止が間近い。
それが訪れるとき、在日はどうなるのだろうか?駅の一等地を不法占拠し
国内に特権階級者の如くのさばり、甘い汁を吸ってきた日々がもうすぐ
失われるのだ。そんな事態を彼等はただ黙って見ているだろうか?
そ ん な 筈 は な い 。
今まで得た利権を手放さずに国内にとどまる方法、それは売国勢力と連携し、
地域分断を謀り、日本の中に独立地域を作る事である。  ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄
という訳で、今日も在日は無駄だと思いながらも、必死に「日本人のフリ」をして
どこかの地方を叩くのであった。勿論、都合の悪いネタがある2chも叩きます。
`、` カタカタカタカタ...
∧_∧ ミ __ __
;< #`Д´>つ| |\\.| |
( つ ノ | |_|≡| |
彡
899 :
トロちゃん元帥:04/07/15 13:42
東北を独立させてなんとする!!
いや、義経の話だよ。
なんかもう義経=チンギス・ハン説の話題が全く無くなったな。
まあ、もう900だしな。それに、義経=チンギス・ハン説なんて
今になったら信じる奴なんて誰もいないと思うけど。
なんかもう義経=チンギス・ハン説の話題が全く無くなったな。
まあ、もう900だしな。それに、義経=チンギス・ハン説なんて
今になったら信じる奴なんて誰もいないと思うけど。
O 。
, ─ヽ
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|__|__|__|_ __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \_________
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|_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/ = 完 =
906 :
日本@名無史さん:04/08/20 01:02
907 :
日本@名無史さん:04/08/22 18:39
チンギスハンが義経である可能性は、勿論ゼロ。
トンデモ本にご執心の同僚がいて、嫌々その本読んだけど、「テムジンの半生は
全て作ったものと言えないだろうか?」なんて書いてあったもんなあ。
そんなはずねえだろ、馬鹿。
題名なんて勿論覚えてないけどね。
信じやすい人って、こんな馬鹿な説も信じちゃうんだなあと感心したことがあった。
★チンギスハンは読み書きができたという新説
・新華社通信によると、モンゴル帝国の始祖とされるチンギスハンは
読み書きができたとの新説が発表された。
歴史家の間では、モンゴル文字は13世紀初めに発明されたため、
1167年頃に生まれ、当時40歳前後だったと思われるチンギスハンは
読み書きができないとの定説があった。
しかし、中国内モンゴル自治区の大学教授テングス・バヤリン氏によると、
1219年に道教の学者に宛てたチンギスハン自筆の勅令を発見したと
述べた。
教授は、モンゴル語で書かれた原文は文体と調子が独特で、筆者は
チンギスハン以外にあり得ないと指摘。
さらに、チンギスハンが同一人物に後で送った手紙には、「部下にあなたの
講義の内容を編集し、案内書を作成するよう命じた。私は個人的にそれを
読むつもりだ」と書かれており、教授はチンギスハンが読むこともできたと
している。
チンギスハンはモンゴルの部族を統一し、騎馬隊を結成。中国をはじめ
中央アジア、西はポーランド、ハンガリーを征服し、一時、巨大帝国を築いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040823-00000953-reu-int
>>907 と言いながらも、おまえはテムジンの半生について何も知らないんだろ?w
チン毛好かん!
_, ,_
ヽ( u )ノ
911 :
日本@名無史さん:04/09/16 20:37:34
霊廟が見つかったとのこと。
都合よく新発見となるか?
913 :
日本@名無史さん:04/10/05 00:20:42
続いて発見されるチンギスの陵墓の中から大鎧が見つかります。
あの霊廟は別人のもの。
チンギスは死後、その骨は密かに日本に運ばれて鞍馬山に葬られたんだもの。
などと言ってみるテスト。
915 :
日本@名無史さん:04/10/06 23:57:38
霊廟発掘記念age
義経がモンゴルにいってもテムジンにはなれないだろう。
せいぜいスブタイがいいところだ(スブタイファンの人、ゴメンね)。
917 :
日本@名無史さん:04/11/06 16:15:42
918 :
日本@名無史さん:04/11/20 21:48:06
100%
919 :
日本@名無史さん:04/11/20 22:02:32
奥州で100%死んでいます。
首実検もされました。
江戸時代にへんな妄想作家が
こんなアホなことを書いただけです。
920 :
日本@名無史さん:04/11/27 03:51:09
義経はジンギスカンになったよ だって昨日会ったもん
921 :
日本@名無史さん :04/11/27 04:06:48
>江戸時代にへんな妄想作家が
義経=チンギス説は、シーボルトが言い出したんじゃなかったけ?
さすがに姻戚繰り返してるヨーロッパ人の発想は違うな
島国の日本人には出ない発想だよ
シーボルトは言い出したというより
すでにある程度講談的に流通していた話を紹介しただけ。
近代に入りこれを本格的に調査して学説として展開したのが
妄想東北人の小谷部全一郎。
以後、東北人の歴史コンプレックスに基づく妄想超古代史が多数展開される。
>東北人の歴史コンプレックス基づく妄想
それはおかしいだろ。モンゴルや北海道にいっちゃったら東北はただの通り道やんけw
>>923 はぁ?
中学レベルの国語能力を身につけてから書き込めよ。低脳。
藻前もな。
928 :
日本@名無史さん:04/12/15 17:40:56
0パーセント。
チンギスハンは、義経が死ぬ前に生まれている。無理。
929 :
日本@名無史さん:04/12/15 18:04:43
誰だよ、そんなデマひろめた奴。
成吉思汗は多鞍馬汗砂漠を行き来していたのであろうか?
931 :
日本@名無史さん:04/12/19 06:56:41
☆奥州平泉で兄の源頼朝の策略により殺されたのは源義経ではない。
というと「またジンギスカン説?」と思いがちだが、平泉で義経が殺され
た時、頼朝により勝手に名前を「源義顕(よしあき)」とされていた。
※義経(よしつね)という名前は公家・九条兼実の子・良経(よしつね)と同
じなので、頼朝が朝廷にゴマする為に名前を勝手に変えた。
もちろん義経はそんなの知るはずもなかった。
932 :
日本@名無史さん:04/12/19 09:08:47
>>919 江戸時代の妄想作家は、源義経が金の将軍になったと書いています。
捏造、妄想であっても、何とか時系列を合わせようとしたのですな。
それが作家のプライド。
ところが、金の将軍なんてドマイナーなものではなくて、いつの間にか
メジャーなチンギス・ハンになった。
933 :
日本@名無史さん:04/12/19 21:21:11
源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起りし時、清盛が一類二十余人起請をかき連判をして願を立てて、平家の氏寺と叡山をたのむべし、三千人は父母のごとし、山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこび、
と申して、近江の国二十四郡を一向によ(寄)せて候しかば、大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、外には悪僧どもをもつて源氏をいさせしかども、
義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ(男)、義仲とただ五六人計り、叡山中堂にはせのぼり、調伏の壇の上にありしを引き出してなわ(縄)をつけ、西ざか(坂)を大石をまろばすやうに引き下して、頚をうち切りたりき。
源氏のウルフと平家のアケボノとの合戦の起りし時、
アケボノが一類二十余人起請をかき連判をして願を立てて、
平家の氏寺と叡山をたのむべし、三千人は父母のごとし、
山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこび、
と申して、近江の国二十四郡を一向によ(寄)せて候しかば、
大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、
外には悪僧どもをもつて源氏をいさせしかども、
朝賞龍が郎等白鳳と申せしをのこ(男)、横綱とただ五六人計り、
国技館にはせのぼり、調伏の壇の上にありしを引き出してなわ(縄)をつけ、
西ざか(坂)を大石をまろばすやうに引き下せしとぞ。
935 :
日本@名無史さん:04/12/20 14:52:11
1192年 源頼朝は六本木にキャバクラ幕府を作る
このスレまだあったんだ。
こんな話、資料云々するまでもないわな。
考えてもみよ。倭人との交易があった港町や、河川を遡った交易所近辺の
人間ならいざ知らず、沿海州からモンゴルまでの道のりにいる蛮族が、
見た事のない装束の徒党(従者含めて10人ぐらいか)を、黙って見過ごすものか。
しかも見た事のねえ刀・長い弓等で武装している奴等を。
仮に装備衣装を現地仕様にしてたって、言葉も通じない怪しいやつらが、
どうやって沿海州からモンゴル間1千数百から2千キロ前後もの距離を
移動できんだ?
シルクロードじゃねえんだぞ。
尤もシルクロードでさえ、城塞都市から離れたらやたら襲われるんだろうが。
937 :
日本@名無史さん:04/12/23 09:19:40
それより、来年正月放送の時空警察で、
秀吉が天草四郎になったっていうが、本当?
チンギスハーン→チンハギソース(ン→ン [例]スマン→スマソ 2チャン語)
[訳]朕は偽装す。→成吉思汗の俺は偽装する。
チンギスハーン→チンハソーギス(同 上)
[訳]俺は葬儀する。成吉思汗。
チンギスハーン→チンハスギソー(同 上)
[訳]成吉思汗の俺は、(葬儀は)『杉』装をしている。
スマン→スマソ はっきりと?
チンギスハーン→チンハギソース
[訳]朕は義装す。朕は義相す。
朕の相貌は『義』の装いである。
キチガイは史ね
スマン→スマソ (ソとンの置換)
テムヂンノソウ(鉄木真の相)→ヂンムテンノウ(神武天皇)
943 :
日本@名無史さん:04/12/24 14:28:44
プロレスラーのハルク・ホウガン(判官)は実は
欧州に逃げ延びた義経の子孫だという話しをジャイアント馬場が言ってました。
八艘飛びをイメージしたレッグドロップで彼もいまや大人気だそうです。
945 :
太国玉:04/12/25 10:10:40
スマン→スマソ 2チャン語 ン→ソの置換
チンギスハーン→チン ハソー スギ
朕 八艘 過ぎ
[訳]朕が八艘飛びをしたというのは言い過ぎ(オーバー)だ。
乱れ飛ぶデンパ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ̄ ( # ゚Д ゚)⌒\ < 氏ね!
__ / _| | | \____________
ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
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| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
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`ヽ、,,_ノ| | ガッ !!
゙゙!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!゙゙
゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ ←
>>941
949 :
日本@名無史さん:05/01/12 16:11:25
義経はチンギスハーンではないよ。
ムカリが義経である。
950 :
日本@名無史さん:05/01/29 16:27:10
950
951 :
日本@名無史さん:05/02/05 11:33:34
大河ドラマの最後にナレーションだけの1分くらいのコーナーがあるけど、
そこで義経はチンギスハンになったという伝説がありますってやるかな?
952 :
日本@名無史さん:05/02/05 13:55:47
やるだろ。
やらないと東北全域から苦情が来るからなw
まあ、大雑把に重要な局面を五分五分の可能性と思って計算してみると
・衣川を生き延びる 50%
・蝦夷地に渡る 25%
・大陸に渡る 12.5%
・ジンギスカンに会う 6.25%
・ジンギスカンの側近及び参謀になる 3.12%
・いや、ジンギスカン本人 1.56%
これくらいの可能性は考えてもいいんじゃない?
単なる数字遊びだけどね。
計算なんかしてねーだろ。
低脳。
956 :
日本@名無史さん:05/02/10 01:08:59
たしかにそれくらいの可能性があると思った方が面白いな。
957 :
日本@名無史さん:05/02/11 16:24:45
天狗外人説がある。幼少のころの天狗が漂流して日本に辿り着いた中央アジア人が鞍馬山に住み着いた。義経に日本がダメなら大陸に行けと教えた。蒙古は中国統一前に 中央アジア付近と交友があった
958 :
日本@名無史さん:05/02/11 16:29:58
平安時代は中国くらいしか外国と交流なかった。西洋人や中央アジア以西人の風貌は知らないから 天狗扱いした。そういう人が日本に来ない可能性は無いといってみるが 義経=ジンギスカン説は信じてない
959 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:57:05
ジンギスカンは判らないが、義経が平泉を脱出したのはほぼ間違いなし。
「正史」をバカ正直に信じてる人らは、割と東北側の詳細を知らない。
秀衡が死んでから高館襲撃まで、1年もの間隔があった事すら知らないで、
「父の死後、泰衡はたちまち遺言に背き」
などと書く書物が未だ存在するのだ。
一年で政策が変わったら「たちまち」だよ。
ノンキな人だね。
961 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:02:46
>960
おお〜〜
ご自分に都合のいい解釈の極致!発見
結論を最初に持ってきて以下の文がその論拠になってない。
典型的な言いたいことを並べただけのノータリン文ですね。
964 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:27:14
824です。
私の考えは
>>824 に書いたとおりです。
965 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:30:40
そうですか。
チンギスハン本人というのはさすがに苦しいだろうが
生き延びて大陸に渡ったところくらいまでは検証できないものか。
とにかく、まずは鎌倉に届いたのがホントに本人の首かどうかからだが。
↑キモイ
968 :
日本@名無史さん:05/03/05 20:30:39
age
969 :
日本@名無史さん:05/03/10 05:02:00
蝦夷地に渡ってたら、多分そこで一生を終えたと思う。
大陸に渡ったとすれば、十三湊から沿海州というルートだろうが、
藤原三代の頃の沿海州との交易って、
考古学的にはどうなんだろう?
バカでねーの。
971 :
日本@名無史さん:05/03/10 18:24:41
この説はすごい面白いですが、真相を明らかにする必要は全く無いとは思いませんか??
釣れません。
義経は朝鮮人だった。
これで終了でいいな?
あほか。スレの趣旨から言えば、よってジンギスカンは朝鮮人だった。
これで終了だろ。
975 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:23:40
そりゃスレの趣旨じゃないだろ
976 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:38:38
すれも終わりに近づいたし、そろそろ結論出そうや。
可能性は? ゼロ。
ジェロ。
978 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:45:02
北海道までは渡っているんじゃないかな。
明治8年(1975年)に発行された日ユ同祖論のネタ本になっている
N・マックレオド「日本古代史の縮図」に以下の記述がある。
・頭髪 男は髪を短く刈り、周囲から首にかけて剃る。
アイヌの間でホンカンカムイとして知られる源義経は、彼らの一部に、
服従のしるしとして頭を剃らせたという。女は(以下略)
アイヌの言い伝えによれば、アイヌはかつて義経に征服されたとき、
多くのものを奪われたという。その中には金・銀でできた道具類や
古い時代の記録がふくまれていたといわれる。
(以下は突っ込まれるから蛇足)
私には昔のアイヌが文字をもっていたとは信じられないが、
いずれにせよ現在のアイヌにその文字は伝わっていない。
彼は日本全国を旅して回り北海道のアイヌからも直接取材している。
ここで、義経は三人いた説。