ローマ文化王国 新羅を語ろう

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1新羅王
古代新羅王国は、中国との交渉がなく、初期には、中国文化の影響はなかった。
その文化にもっとも影響を与えたのは、なんと古代ローマ帝国なのである。
ローマ帝国と新羅の関係を語ろう

ローマ文化王国―新羅 由水常雄
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/200107.html
2氏羅王 :01/11/04 01:09
日本にも5弦の琵琶とかあるじゃん。
あんなのと同じように、ただ流れてきただけじゃないの。
3日本@名無史さん:01/11/04 01:11
いや新羅独自に海洋貿易をしていたのだ。
4日本@名無史さん:01/11/04 01:26
まあ、キリスト日本渡来説や、日ユ同祖論があるくらいだから、
新羅がローマと交渉しようが、百済が東ローマ帝国であろうが、
別に驚くようなことではないよ!

誰か新羅ムー大陸生き残り説か、百済インダス文明後裔説にでも
チャレンジしちゃどうだ? 早い者勝ち、言い出し得だぜ(藁
5氏羅王:01/11/04 01:55
日本だって十和田湖周辺とか
から中東のものとか出てるんだから
中東辺りの人たちが運んできたんじゃないの。
最も影響を受けたってのはちょっとね・・・。
6日本@名無史さん:01/11/04 03:57
つーか史ね
7>6:01/11/04 12:48
でもこういう本出す奴がいるんだぜ
8日本@名無史さん:01/11/04 22:56
siragi
9日本@名無史さん:01/11/05 04:50

紀元前100年前
漢後期
(約2000年前)   河童のふるさとはシルクロード地区の、パミール山地にある渓水の一つであった。この洪水は新彊省タクラマカソ砂漠を流れるヤルカンド河の源流にあたっている。
 しかし、そのころ、この地方は猛烈な寒気に襲われ、酷寒と食糧不足に耐えかねた一族は、移動することを決意し、直ちに行動を開始した。
 頭目、漠斉坊が率いる西隊はパミール高原を越えて、ペルシャ(イラン)に出てトルコを通過、地中海を渡ってハンガリーに到着、ダニューブ川を住み家とした。
 また頭目、九千坊に引率された東隊は、中国の東部をめざして出発、まずヤルカンド川を下り楼蘭(ろうらん)を通過、敦煌(とんこう)、王門関(ぎょくもんかん)等を経て、一応青海に落着いたのである。
10日本@名無史さん:01/11/05 04:55
西暦100年
さらに一行は、黄河を下って西安の東、龍関(りゆうかん)の測に到達し、ここを住まいとしたが、ここも依然として食糧不足に見舞われた。
★この頃、田平里の一帯は、弥生文化の最盛期に当り、住民はその繁栄した暮しを楽しんでいた時代であった。

376年応神天皇
そこで九千坊は東にある蓮来島(ほうらいじま・瑞穂の国・日本)に渡ることを決意し、部下の全部を引連れて黄河を下り、黄海に出て、直ちに東に向って出発した。
ところが、出発後間もなく大怪物・梅若の襲撃にあい一族はばらばらになって、やっと難を逃れた。

388年仁徳天皇(約1600年前)
頭目、九千坊の本隊は、熊本県八代に泳ぎ着き、徳渕「徳の津の渕」に上陸して球磨川を安住の地と定めた。
ここは魚類野菜、共に豊富で千余年を平穏におくった。
◎徳渕には河童渡来の記念碑があり、碑文にはオレオレデーライタ「呉人呉人的来多」と刻んであり、ここでは毎年六月二十四日に河童祭りを行っている。
また、組頭八天坊の一族は、長崎に到着、中島川を住み家とし幸せに暮らしたという。
◎長崎市炉粕町に祭られていた水神社の神主は、伊予水軍の祖に繋がる渋江氏であるが、その家来は、八天坊が率いる八匹の河童であったと伝えられている。
★さらに、組頭浄海坊一族の別動隊も殆んど同じ頃、田平町野田免にある、つぐめの鼻海岸に到着、一匹は是心寺下の沼(今は道路工事で埋立てられた) に住みついたが、
残りは城山、轟を通って里池に落着き、下亀のがわっぱ池から荻田方面や浦谷川あたりまで駆け回り、これまた幸せな毎日を送っていた。
11日本@名無史さん:01/11/05 04:57
552年欽明天皇(皇紀1212年)
このころ、百済(くだら)から金銅製の仏像が初めて渡来、いよいよ我が国に仏教が広まっていくようになるのである。

625年大唐時代(高祖李淵)
★田平で楽しく過ごしていた浄海坊は、高祖李淵の治世中、菩薩によって召喚され、使いに来た孫悟空の欽斗雲に乗って故郷に帰ったが、
ここで流砂河の主として永年地域のために働いた功績を賞され、菩薩より「砂悟浄」の法名を授けられた。
★組頭、浄海坊が帰った事が平川の封石騒動の遠因となったのは、まことに皮肉なことであった
12日本@名無史さん:01/11/05 04:58
誤爆スマソ
13日本@名無史さん:01/11/05 05:29
沙悟浄は天宝元帥
14日本@名無史さん:01/11/06 05:27
新羅王の墓から出土するカットグラスは、ローマ製だそうな
15日本@名無史さん:01/11/06 11:45
>>14
朝鮮人は、日本に朝鮮半島経由のアイテムが存在すると
「だから日本文化は韓国起源なのだ」と言い始めるらしいので、
この場合、新羅文化はローマ起源と言う論理となる筈だよな。
従って、正倉院からローマのアイテムが出て来る日本も、
ローマ起源のローマ文化王国であったと判断せざるを得ない訳だ。
話は変わるが、高句麗時代からは高床式倉庫などの遺蹟が存在するが、
これは南方海洋民族や、東南アジア全域で見受けられる様式である。
更に、高句麗の言語は周辺の新羅語やモンゴル語との相違が大きく、
逆に日本語との共通点があるというのが最近の定説となっている。
新羅がローマ文化王国なら、高句麗はポリネシア文化王国と言う話になるね。
16日本@名無史さん:01/11/11 09:47
聖徳太子が親新羅だったのが日本の敗因だな
17>316 :01/11/15 01:49
これまで“北方系の異色の文化”としか解されなかった四〜六世紀の新羅とは如何なる国か? 天馬塚、味鄒王陵、皇南洞98号など韓国考古学の発掘成果である出土品の数々を提示、自ら巡覧した世界の博物館の品々とを対比させ、
正にローマ文化と直結した新羅王国の文化の粋を一大展観として、実証的に書中に試みた画期的著作!
A5判/ハードカバー
18>15:01/11/15 02:07
日本人らしい妄想。
新羅がローマ先進国であることを認めたくないのだね?
19日本@名無史さん :01/11/15 02:24
なんだっていいよ
20日本@名無史さん:01/11/15 03:01
>新羅がローマ先進国である

ローマ? 何だそりゃ? あの奴隷狩りと侵略・略奪で有名なローマか?
21日本@名無史さん:01/11/15 23:46
無視せんとカキコしろ
22日本@名無史さん:01/11/16 01:02
知らなかった。
東洋にもローマ帝国があったとは。驚きです
23こうしよう:01/11/16 01:06
新羅=ローマのパクリ
24オーバーヒート:01/11/16 01:15
韓国の思考にあわせて考えると強い電波で脳が熱を持ちますな(藁
25日本@名無史さん:01/11/16 01:44
西方の品がシルクロード通って極東にもきてたってだけじゃん。
中国にも日本にも吐蕃にも南詔にも百済にも高句麗にも突厥にもインドにもあったろ。

中間地帯を飛び越してなんでローマと新羅がいきなり交易できるんだい?

つーか「ローマ先進国」って意味不明
26日本@名無史さん:01/11/16 01:47
>>15
あともうひとつ、高句麗の神話が南方系のだってのも忘れてるぞ

ポリネシア文化国ってのはいいne
27日本@名無史さん:01/11/16 11:02
世界史板へ逝きナ
28転載:01/11/20 22:06
514 :日本@名無史さん :01/11/17 22:53
「ローマ文化王国 新羅」って・・・・

絶句・・・しかないですね。

ウリナラ野郎ってこんなものをマジで信じているんですか?


515 :日本@名無史さん :01/11/17 23:10
新羅ネタの発信元は日本の美術史家だったと思う
29日本@名無史さん:01/11/20 22:07
百済スレばかり贔屓しないで、こっち(新羅スレ)も応援してくれ
30日本@名無史さん:01/11/20 22:58
新羅の二重王制(寝錦王と葛文王)について誰か教えて。

寝錦王と葛文王ってどうちがう? なんで王が2人いるの?
31日本@名無史さん:01/11/22 02:57
>>1
その本、とんでもダヨ
32日本@名無史さん:01/11/25 23:35
百済のことを朝鮮の古い国だと嘘をつく朝鮮人がいるが、
百済の後継国はまぎれもない我が日本である。

百済の人々は日本へ逃げるとともに一緒に日本国形成を担った。
実際のところ我々ほとんどの日本人には百済の血も流れている。

百済を滅ぼした新羅とその後継国である北朝鮮と韓国が憎い。
33日本@名無史さん:01/11/26 00:25
この本マジですごいぞ

ネタになるからみんな読め
34藤原仲麻呂:01/11/29 02:52
なに!新羅だと!麿が征伐してくれるでおじゃる!
35日本@名無史さん:01/11/30 09:05
ああ,この本は,良書だと思う.
偏見なしによんだほうがいいね.

シルクロード経由で,ローマの文物が新羅にたどりついたというだけの話ではあるが.
36日本@名無史さん:01/12/02 02:12
「ローマ文化王国 新羅」なるトンデモチックな煽り文は
半島向けのテキヤの売り口上ってことでよろしいか。
37日本@名無史さん:01/12/07 03:02
日本の常識は世界の非常識を象徴する掲示板ですね。
まったく逆なので新羅こそローマ帝国の起源なのです。
38日本@名無史さん :01/12/07 03:10
デムパ受信中
39日本@名無史さん:01/12/09 15:11
新羅って百済を滅ぼした上に唐をだまして倭が敗戦してしまったじゃないか。

百済の知識人のほとんどは倭へ亡命したからよかったものの、
半島に残った農民などは新羅に吸収されても差別扱い。
いまだに半島では差別があるらしいしひどいね。

一方、倭へやってきた百済の知識人たちは一緒に新たな日本国を建設。
すっかり一緒に日本人として溶け込んでもちろん差別もなし。

この違いはなんだろうね。
40日本@名無史さん:01/12/11 06:47
新羅の話題なら二重王制とか骨品制とか
いくらでも歴史板らしいテーマありそうなのに
くだらない馬鹿話ばかりだね。2ちゃねらーの知能程度が知れる。
41日本@名無史さん:01/12/15 05:22
>>40
新羅の女王の各いきさつとかそのあたりの話題はどう?
42解決黒頭巾:01/12/15 14:28
新羅に「大和」という年号があった。
日本の「大和」は、それを採用している。
つまり、白村江の戦い後、日本が新羅の支配下に置かれたことを暗示している。
皇極天皇は新羅の善徳女王のこと。
斉明天皇は新羅の真徳女王のこと。
43日本@名無史さん:01/12/15 14:51
>>42
それじゃあ、紫禁城の大和殿も、新羅の年号を採用したんだね。
則天武后も新羅の女王なんだね。
44>43:01/12/18 00:23
則天武后が新羅人というのは定説だが、君は、しらなかったのかな
45>40:01/12/18 00:39
しかし、この本実際に本屋でまじめに売られているんだぜ。
46日本@名無史さん:01/12/18 13:07
何言ってるだろう。日本どころか、隋や唐が新羅の支配下にあったってことは世界
中の歴史学者が認めてる【定説】じゃないか(W
47日本@名無史さん:01/12/20 05:51
>>45
貸し間デムパ本だって飛鳥昭雄だって実際に本屋で売られていますが、何か?
48>47:01/12/22 22:14
でもこの本すげえ豪華本。
韓国政府が後援してんのかと思った。
49日本@名無史さん:01/12/26 04:24
韓国政府としては百済を滅ぼしたことをどう思っているんだろう。
百済の歴史と文化は日本が受け継いだことをどう見ているのだろう。
50日本@名無史さん:01/12/26 10:45
日本が受け継いだ百済の歴史と文化って例えばどういうの?
いや煽りでなしにマジレスを希望
51日本@名無史さん:01/12/26 14:32
だから、いわゆる日本文化といわれてるものはぜんぶ百済文化なんだよ
52  :01/12/26 16:00
>>42
それを言うなら、「新羅」じゃなくて「唐」じゃないの?
その頃(天智6年/667年)、九州の「大宰府」が「都督府」という名称に変わっている。
唐に服従している事を示す為、天智天皇が唐風に名称を変えさせたって事になっているけれど、
それはおかしいと思う。

日本書紀による、唐の使節団の人数に触れておくと、
天智4年(665年) 254人
天智8年(669年)/天智9年(670年) 2000人
53日本@名無史さん:01/12/26 16:43
>>52
まじめなはなし、敗戦で唐に一時占領されたという説、
あまり信じたくないんだが、そういう証拠もあるとは驚き‥
54日本@名無史さん:01/12/27 11:38
>>53
電波にごまかされるなよ!
そんな事実があれば中国史料に残らないわけがないだろが。。。当時の唐は高句麗・
百済を直轄領にしょうとして、新羅の激しい抵抗にあっているんだぜ!
とても倭国に手を出すような状況じゃあない。むしろ倭国を自陣に引き込んで新羅を
挟撃しようと画策していた「証拠」だろう。もちろん新羅は唐・倭国に挟撃されては
ひとたまりもないから、倭国に媚びを売っていたわけで、その「証拠」はイロイロあ
るがね。

だから唐も新羅も、倭国を自陣に引き込もうとしてその手だてを模索してたんだよ。
55日本@名無史さん:01/12/31 22:31
そうすると、白村江で敗戦したのが九州政権か大和政権かはなぞだが、
日本列島(の一部)が支配されたということはないと思ってよい?
56日本@名無史さん:02/01/04 21:05
九州政権なんて無いんだっつの。
57日本@名無史さん:02/01/10 20:21
九州政権という表現が誤解を招いているな。

ようするに倭国政権のことだ。
58日本@名無史さん:02/01/21 10:23
あれ? 落ちてないのか?
59日本@名無史さん:02/01/27 03:51
筑紫君はけっこうあやしいと言われてるね
60日本@名無史さん:02/02/06 05:04
あやしくないよ。なんで九州政権の話になるんだ? 新羅を語れ、新羅を。
61日本@名無史さん:02/02/13 03:18
新羅は最近の韓国ではShillaとなり『しるら』

ところがハングル表記では『しんら』

我々日本百済連合としては『しらぎ』
62   :02/02/13 03:27
61は在日
63日本@名無史さん:02/02/15 19:46
韓国の現代語では『しら』または『しっら』だよ。
『しるら』なんて発音は昔から日本人が勝手に誤解してるだけで、そんな発音してる韓国人はいない。
詳しいことはハン板か言語学板にでも逝ってよし
64日本@名無史さん:02/02/23 20:10
ハングルで表記すると表記はパッチムで「ン」がはいって「シンラ」じゃねえの?
65日本@名無史さん:02/02/28 14:11
Shilla は、日本語みたいに「っ」でええのかね?
66日本@名無史さん:02/02/28 18:22
由水氏のガラス研究はだれかが検証しないといけないでしょうね。
それ以外の部分は、、、どうってことない。面白く読みました。
67日本@名無史さん:02/03/05 08:28
>>65
さあ。
日本人の耳にはそうきこえる、シッラってのは方言かも知れないがな。
少なくとも標準語ではシルラなんて発音はしてないってだけ。これ以上のことは死蘭。
あとはハン板か言語学板できけっつの。
68日本@名無史さん:02/03/17 17:35
しっらほてるに電話して聞いてみるニダ
69日本@名無史さん:02/03/17 23:34
70日本@名無史さん:02/03/23 17:41
パッチム的発音って、日本にはなぜかないよね。
やっぱり、新羅とは太古から別言語別民族だったのでは?
71日本@名無史さん:02/04/07 22:02
子音+母音+子音というのは縄文時代からずっと存在しなかったのでしょうか?
72日本@名無史さん:02/04/08 07:47
>>71
たぶんそう思う。でも縄文時代の言語については、他のスレで聞いた方がいいよ
73日本@名無史さん:02/04/20 01:04
わたしも縄文時代の半島〜日本の言語に興味あります。
どなたか詳しいかたおられませんか?
74日本@名無史さん:02/04/21 21:34
縄文時代の言語は、なかなか確定的なことはいえないよ。
75ハン板より:02/04/21 22:01
1はスレの立て逃げ? 最低の釣り師だなぁ・・・
日本史板の皆様、僭越ですが私の意見を言わせて頂きます。
板違いのスレなんで、sage進行したほうが宜しいかと思います。
76日本@名無史さん:02/04/21 22:15
このトンデモ本をこれまたトンデモおやじの立花隆が週刊文春で絶賛してやがった。w
77日本@名無史さん:02/04/24 02:36
ローマ文化と新羅の関係のスレだよね?
先週(4/15月〜4/19金のどこか、ひにち忘れた)
フジテレビ(ひょっとすると関西だけかも)の深夜番組で「京都テレビ」って番組
やってて、その中でこのスレの内容みたいな事やってたよ。
誰か見た人いない〜?途中から見たんだけど、めっちゃ面白かったよ。はじめから
の内容が知りたいんだけどなあ。
かなり信憑性のある展開に見てとれたんだけど。素人目には。
俺が見たのは、秦氏のルーツについてと弥勒信仰についてのあたりから。こーふく
寺だっけ?あそこの国宝の弥勒菩薩像って新羅から持ちこまれたものなんだって?
全く同じ型の仏像が韓国でも国宝に指定されているらしい。弥勒信仰ってのは、何
でも唐に景教として入ってきたキリスト教が仏教と融合した形なのらしい。で、秦
さんはその時の唐でのローマ帝国の呼称「太秦王国」の一字をもらって、新羅に、
次いで日本にやって来たんだと。いわゆる京都の「太秦の荘」(映画村のある「う
ずまさ」ね)は秦さんが聖徳太子からこの地をもらった時につけたんだと。
これ最初から見テ〜!誰か情報知らんか〜!
78日本@名無史さん:02/04/30 23:39
「オシラ様」とか白山信仰なんてのもやはり関連しそうだね。
79日本@名無史さん:02/04/30 23:47
>>78は電波。
「オシラ様とか白山信仰」はローマ文化とも新羅とも関係ないだろ。
それよりまず「オシラ様」と「白山信仰」ならべてる段階で
すでに悪い本(ありふれたトンデモ説)の影響が濃厚。
80日本@名無史さん:02/05/06 22:53
そうすると、子音+母音+子音は新羅だけなんスかね?
81日本@名無史さん:02/05/06 23:25
「下らない」は、「百済でない」=「優秀な百済製品でない」という語源だからね
それに「奈良」という地名も「ウリナラ」から来ているそうだ
82日本@名無史さん:02/05/07 00:04
>>81
煽り、ごくろう。
最近はチョンスレも盛り上がらず、我々電波バスターズも寂しいかぎり。
83日本@名無史さん:02/05/14 02:40
http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=cul&cont=cul0&aid=20020503221955700

『おもしろい日本語のルーツ』李南教(イ・ナムギョ) 怨恨を意味する日本語「恨み」は
韓国語のウルム(泣くことの意)が変形したもので、夫人という意味の
日本語の「女房」は韓国のヨボ(夫婦間で相手を呼ぶ際につかう言葉)と発音が似ている。

福岡韓国総領事であり比較教育学を研究した著者は、日本の文化と日本語を韓国の
古代文化に代入させた上で両国を比較している。
「韓国に渡っていった日本語、日本文化の物語」という副題が付けられている。 著者は、日本の五十音も
伽耶(カヤ、4〜6世紀、韓半島南部)の子守歌から由来したという見方を示している。
著者は価値観の異なる現在の両国の姿を比較しながら、調和の取れた韓日関係も模索している。
84日本@名無史さん:02/05/21 05:42
1で紹介してる本みつけた。立ち読みしたけど、アホすぎる・・・・・
85日本@名無史さん:02/06/06 01:11
86日本@名無史さん:02/06/06 07:53
本屋で見つけてビクーリした。
87日本@名無史さん:02/06/23 15:37
禿 
88日本@名無史さん :02/07/04 18:55
77を書いたもんですが。
ほんと誰か知らない?別筋で京都チャンネルってスカパーだって聞いたん
だけど。だったら諦めるけどさ。
89日本@名無史さん:02/07/17 03:56
番組自体は知らないが内容はありふれてるネ
90日本@名無史さん:02/07/22 00:14
え、見たの?見た人?
9189:02/07/28 01:17
いや、見てないけど、77のカキコから推定してのこと。
92日本@名無史さん:02/08/11 03:59
半島では、新羅だけ、なぜ、言語が異なっていたのか?
93日本@名無史さん:02/08/11 05:45
>>88
前半は日ユ同祖論者が木嶋坐天照御魂神社、三柱鳥居、いさら井などをめくる。
後半は日ユ同祖論電波と在日の花郎電波の対談で、
弥勒菩薩像は、新羅から持ちこまれた、武士道は、花郎(ファラン)が日本に伝えた、
と在日の漫画家が電波を披露。
日ユ同祖論電波は、弥勒信仰は景教でユダヤ教、大闢寺はデウス寺、
三柱鳥居はキリスト教三位一体を表わしている、万葉集にもでてくる『いさら井』 はイスラエル井戸
太秦はウズマサ=イシュマサ=イエスだ、秦氏はユダヤ人だと電波ゆんゆん。
てな番組だだーよ。
94日本@名無史さん:02/08/16 03:06
>>92
>半島では、新羅だけ、なぜ、言語が異なっていたのか?

魏誌読めYO

95あすかあきお:02/08/16 03:12
私よりも電波だね(w
96日本@名無史さん:02/08/18 06:53
>>94
魏誌って?
97日本@名無史さん:02/08/23 03:04
倭奴に花郎精神がわかるかね(ww

倭奴に花郎精神がわかるかね(ww

倭奴に花郎精神がわかるかね(ww

倭奴に花郎精神がわかるかね(ww

倭奴に花郎精神がわかるかね(ww
98日本@名無史さん:02/08/23 03:26
なんで日本史板にこんなのが?

由水常雄は本でも書いているが、1のまとめ方は極端だな。三国のうち、中国文化の
影響がもっとも少ないのが新羅ってことで、ローマ王国なんて言ってないと思う。
古墳からローマングラスが出るとかそういうこと。
99日本@名無史さん:02/08/23 05:43
>>97
花郎精神ってなんなんだ?
100日本@名無史さん:02/08/25 03:44
ローマングラスとか仁徳陵からもでてなかったか?
101日本@名無史さん:02/08/26 19:18
>>99
お稚児さん趣味。衆道。男色。ショタコン。
102日本@名無史さん:02/08/28 03:38
>>99

>新羅が三国を統一し領土を広げた時には、花郎の役割が大きかった。
>花郎道は青少年が修養を積む集まりであった。
>彼らは、平時には山や河に通い体と心をひきしめ、学問と武術を磨きながら国を愛する心を養った。
>そして戦争が起これば、戦場に向い勇敢に戦った。
>花郎出身の金庚信は、武烈王を助け三国統一の要所を締めながら国のために忠誠をつくした。
>新羅によって三国は一つの国として統一され、我が国は単一民族国家として、伸長の足がかりをつかむようになった。

>研究 花郎精神を理解し、見習うべき点を考えてみよう。

http://village.infoweb.ne.jp/~jl6ehr/minzoku1.htm

>>101
ウヨ氏ね
103102:02/08/28 03:43
>102は、韓国の小学生用の歴史教科書です。

>このページでは、私が韓国のソウル日本人学校に勤務していたころ、
>翻訳した韓国の歴史教科書(小学校)の内容を紹介します。
>176ページにおよぶこの翻訳本の中には、挿し絵や図、写真などが数多く含まれていますが、
>情報量を極力少なくするため、写真などは、ごく1部しか紹介できないことをご了承ください。
>目次部分をクリックすると、その内容を閲覧することができます。

http://village.infoweb.ne.jp/~jl6ehr/history.html
104日本@名無史さん:02/08/29 05:26
花郎精神とは、武士道の源流です。
105日本@名無史さん:02/08/30 04:07
韓国史の目次

1、民族国家への発展

(1)立派な指導者たち

(2)国土を守ってきた民族

(3)わが民族の海外活動

2、近代化への努力

(1)実学運動

(2)変わってきた国の姿

(3)国権の守護

3、国民生活と政治

(1)わが国民主主義の発展

(2)民主国家の政治生活

(3)現在の民主政治制度
106日本@名無史さん:02/08/30 05:44
1. 民族国家への発展

 我々の祖先は、長い歳月の間、満州と韓半島でさまざまな部族国家を築き、散らばって住んでいた。
そして、高句麗、百済、新羅などの新しい国を形成し、統一新羅の時代にひとつの民族国家の形成を成し遂げた。
その後、我が民族は、統一された単一民族国家を築き、文化を発達させてきた。また、祖先は、他の国の侵略を退け、何者にも屈しない国を保ってきた。
我々は、このような祖先の意志を尊び、国をすこやかに保ちながら、我が民族の力をひとつに凝縮させ、
世界に光輝く歴史を創造していけるように、たゆまない努力を重ねなければならない。
 
 (1) 立派な指導者たち

 (2) 国土を守ってきた民族

 (3) 我が民族の海外活動

  (1) 立派な指導者たち

 我が民族は、果てしなく遠い昔から、この土地に生の基盤を置き、国を発展させてきた。
この間、外国からの侵略で困難を経験したが、我が民族は、
その時々、知恵を働かせながらそれらを勝ちぬき、独特な文化を創造し、発展させてきた。
今日、我が国が世界の中の韓国として発展してきたのは、歴史の中の立派な指導者たちが国民と共に国の要所をおさえてきたためである。
このような指導者たちについて理解しよう。
107日本@名無史さん:02/08/30 07:17
>>102
新羅の眞興王の時代に王が二人の美女に遊び人の男
を集めさせた。しかし、片方の女がもう片方に嫉妬して殺す。
その女も殺害がばれて処刑。
王は懲りずにその二人の美女より美形の男で遊び人を
集めた。
王が男を花郎と呼ばせ女装させたのが花朗のはじまり。

で、その中から度を越したことをしなかったものを、風流(男色)と
常識をわきまえた者だとして臣下にしたわけ。

三国史記も読まないで、日本史板に出没する鮮人ってど
うにかならないかな。君みたいに盲目な在日右翼、いいかげん
多すぎ。
108日本@名無史さん:02/08/30 07:48
韓国の小学生用の歴史教科書と名無しの>107さんのどちらが正しいのかな?
109日本@名無しさん:02/08/30 07:56
半島は文の国で武には冷たい。
李舜臣もあれだけ武勲を立てながら国王宣祖に
死刑にされるところを鄭琢の諌めで命びろい。一兵卒に格下げ。
元均が死ぬと再度、水軍統制使となり戦死。
死ぬと忠武公、徳豊君、一等功臣。
生きてるうちに大事にしろ、日本なら大名になれる。
110日本@名無史さん:02/08/30 14:10
77と88かいたもんです。
手掛かりなしか〜、と諦めてたんだけど、やっぱ聞いてみるもんだね。
あの番組あれ以降放送あった?
あのあとどういう展開になるのかすげー興味あるんだけどな。
>>93の言うようなデムパ一色って感じでもなかったぞ。
秦氏がユダヤとか言ってたか?俺の記憶じゃ聖徳との関わりを説いていたような気が
したが。花郎のマンガも欲しいんだが、作者が思いだせないんだよ。誰か覚えてない?

あの後どうなるのかすげー気になる。スカパー持ってねえからなー。
関テレで放送してくれ〜。
111日本@名無史さん:02/08/31 06:04
>>110
>秦氏がユダヤとか言ってたか?
番組前半で
>俺の記憶じゃ聖徳との関わりを説いていたような気がしたが。
秦氏=ユダヤと関係深い聖徳太子が信仰していた弥勒信仰とは、
景教=ユダヤじゃないかとほざいていましたよ。
>あの後どうなるのかすげー気になる。
単発番じゃないのかな?
>花郎のマンガも欲しいんだが、作者が思いだせないんだよ。誰か覚えてない?
花郎とは、お稚児さん趣味。衆道。男色。ショタコンです。
その漫画に書かれているであろう、武士道やさむらいとは何の関係もありません。
関西在住(たぶん)の在日の漫画家です。漫画板で聞いみては?
>別筋で京都チャンネルってスカパーだって聞いたんだけど。だったら諦めるけどさ。
ときどき関テレの深夜に京都チャンネルやってます。
京都チャンネルは、京都の歴史に関することを紹介する番組です。

【ロマン】日ユ同祖論が真実ならばPart2【妄想】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1018626657/l50

韓ユ同祖説について
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1029602192/l50
112日本@名無史さん:02/09/04 04:08
花郎道は捏造

http://news.naver.com/news_read.php?oldid=2002061300000042086
韓国の記事なので自動翻訳でお読み下さい。

殉国無事火とは国家権力と歴史学界の捏造品
[速報, 芸能娯楽] 2002年 06月 13日 (木) 03:57

新羅花郎道は殉国武士道を表象する. 新羅王室と新羅 '国民'のためにたまらないことを辞さない滅私奉公集団が花郎道だと言う.
このような画廊上はどこでよっていくら妥当だか.

殉国無事火とは大韓民国という近代国民国家形成過程の副産物でこれからは廃棄物だ. 近代国民国家はその構成員である
'国民'に身分解放と信仰の自由, 機会均等の名前で各種自由と権利を保障する代わりに納税.軍役.教育なんかの義務を付与する.

また近代国民国家はともすれば砂と同じくなりやすい国民を一つで統合するために長ザックルソーが <社会契約では>から表明した
'市民宗教'(civil religion)のような社会統合イデオロギーを新たにつくるようになる.
社会統合イデオロギーはどんな集団のアイデンティティ(identity)を確認する装置と同時に窓口になる.
国家はこのような '市民宗教'という信仰を媒介で国家に対する国民の自発的で盲目的な忠誠を誘発するようになる.
いわゆる愛国心(patriotism)がそれだ

殉国無事画廊という市民宗教もこんな目的によって '創始'になった.
これを代表する人物が日帝殖民強点期短才シン・チェホと解放以後李善根だった.
これらはそれぞれその時代状況にふさわしい国民の理想型,
言い換えれば国家と民族のために "が一身喜んで捧げる" 国民の典型的な姿を花郎道で捜した.

短才は独立争取のための進取的な気象を韓国古代史で見つけようとした.
新羅のすべてのものを憎悪した短才だが彼が愛した唯一の新羅は花郎道だった.
そういうわけは短才の見た新羅は中国に屈従だけ事とする事大主義国家だったがただ花郎道だけは殉国無事,
猛烈進取的気象を取り揃えた 20世紀韓民族 '国民'の表象になるのにうてっつけだったからだった
113日本@名無史さん:02/09/04 04:11
短才が構築したこんな花郎道は解放直後近代国民国家構築段階に入りながらまた再発見される.
このような作業を先に立って主唱した人が李善根だった.
李善根は国のためで共産主義撲滅のために喜んで銃刀を持って戦場で突進する
'国民'の理想型をやっぱり新羅画廊とその精神で捜したのだ.

これらが画廊を殉国無事だと見た根拠は高麗中期金腐食が編纂した <三国史記>だった.
<三国史記>は新羅である金大門の <花郎世紀>に出る句節だと言いながら
"賢明な宰相と忠誠な臣下(賢佐忠臣.ヒョンズァツングシン)が
ここ(花郎道)でにょっきと湧いたし良い長寿と勇ましい兵士(良将勇卒.洋装庸拙)が
ここ(花郎道)でよってできた"はまったく同じな言葉を2ケ所で繰返し引用している.

しかしこの言葉は決してすべての花郎道がヒョンズァツングシンで洋装庸拙という意味ではない.
花郎道出身の中にそういう人物が多かったという意味であるだけだ.
それでもこの句節を根拠で学界は殉国無事画廊上を新たにつくり出した.

それは第一, <三国史記>と <三国有史>が高麗時代の '記念碑'(monument)であることを分からなかったし,
第二, そうだから <三国史記>が引用した <花郎世紀> 句節を金大門の言葉で誤解したことから始まった.
'ヒョンズァツングシン洋装庸拙' 云云はソルホックその根が金大門の <花郎世紀>にあると言っても
<三国史記>に引用される瞬間金腐食の言葉と論理で化けるだけで決して金大門のテキストではない.

金腐食が <花郎世紀>から有毒 'ヒョンズァツングシン, 洋装庸拙'という句節を引用したわけはこれが彼が思う人間の理想型だったからだ.
そうだったから 'ヒョンズァツングシン…'は金腐食が <三国史記> 熱戦にあげる人物を判別する定規になった.
言い換えれば, ヒョンズァツングシン洋装庸拙にあたる人物を選んで熱戦という所に電気物を作ったのだ.
したがってこの言葉を決して金大門のテキストで理解してはいけない.
114日本@名無史さん:02/09/04 04:16
このように <三国史記>は三国時代のテキストではなく金腐食及び高麗時代の '記念碑'(monument)であるだけだ.
記念碑はイデオロギー性が濃いからそれを取り囲んだ神話性と宣伝性, 説話性を抉らない限り '記録物'(document)でそのまま利用することはできない.
そういう宣伝性, 神話性を叩いて壊し出した後肉を殻を取り去った後骨組みを選らなければならない.
これが記念碑のタルグツック(deconstruction) 過程だ.

しかしこのような記念鼻声の正体を気付くことができなかった 20世紀韓国史学界は
"ヒョンズァツングシン…"が金腐食の言葉にもそれが新羅である金大門のテキストだと解釈することで
花郎道が殉国武士道という結論を導出した.

ところでこのような花郎道は国家権力とここにひそかに通じた歴史学界の合作によって
殉国無事集団に設定されることで国家のために忠誠をつくす近代国民国家の '国民表象'になることができる道が開かれたし
実際歴代政権で花郎道はそのように活用された. 特に李承晩政権と朴正煕政権治下で画廊精神はすなわち国民精神と同義語だった.

画廊精神を叫んで慶州に画廊教育院を作ってボーイスカウトを結合させて
国民精神と国家のための忠誠イデオロギーを新たにつくった人物が前述した李善根だった.

李善根は 1949年 <新羅花郎道の伸延区>を出刊したから
その序文を見れば画廊復活を李承晩大統領のための青年団綱領で作った.
この単行本がもっと注目されるわけは李善根が殉国無事画廊上を
設定しながらあちこちに短才シン・チェホを引用しているという事実だ.

シン・チェホと李善根, 表では水と油のような独立闘士といわゆる
親日賦役盃は画廊を通じて劇的な '化学結合'を成している.
115日本@名無史さん:02/09/04 04:19
李善根は朴正煕維新政権に入っては世宗大王記念事業会で出刊された <新羅花郎道>をまた発刊するが,
ここでは新羅花郎道を維新政権のための国民綱領でまた採択するのに至る.
李善根は一歩進んで 1971年には慶州南山岸に画廊教育院と '統一の家'を作って
その中にはキム・チュンチュキム・ユシン, 文武王の統一 3台聖雄を新たにつくったし
その以前には朴鍾鴻と一緒に国民教育憲章を基礎, 完成した.

李善根自らが残した文を見れば "私たちは民族中興の歴史的使命を帯びて
この地に生まれた"と言う国民教育憲章初句節で
"この地"を入れた人物が自分だと誇らしく明らかにしていることを見る.


このような画廊精神は今も軍隊(はい. 花郎台), 国家勲章(はい. 画廊勲章)
などの形態で絶えず国家権力によって '国家に忠誠する国民の表象'に再生産されている.

このように '殉国無事画廊'と言う(のは)巨大な絵は国民統合を成そうとする国家権力と
ここに史学がひそかに通じて描き出した捏造品(invention)だった.

もう疑うところなしに殉国無事団で '規定'になった花郎道は
1989年と 1995年二つの種類がそれぞれ公開された <花郎世紀> 筆写本が金大門の作品を引き写した珍本なのか,
それとも 20世紀小説的創作品なのかを判断する一番有力な根拠にまで活用され始めた
116日本@名無史さん:02/09/04 04:22
しかし韓国古代史学界が構築した画廊上は高麗時代テキストである <三国史記>を土台で構築した画廊の姿だ.
しかしこれはとても違った言葉であり, 正確には彼らが属した近現代史学が作り出した画廊上であるだけだ.

いっしょにこんな画廊上はもっと拡がって金大門の <花郎世紀>に対しても
近現代史学が構築したことと同じ画廊上を '要求'するのに至る.
そんな要求が筆写本 <花郎世紀>の画廊と衝突する地点で
筆写本はにせ物という結論が導出される.

要するに今まで学界が構築した画廊図上と筆写本 <花郎世紀>に描写された花郎道の姿が
あまりにも大いに異なるから筆写本はにせ物というのだ.
国民国家創出という同じ旗の下国家権力と史学がひそかに通じて
捏造し出した画廊図上を紡ぐよして筆写本の真偽可否を判別しようとするハプニングが起っているのだ.

金胎息 記者
117日本@名無史さん:02/09/06 00:22
>>112-116 字が誤変換されてる・・・?これ自体が自動翻訳だからか?
ちょっと読みにくいな、要約で書けばイイんでないの。
118日本@名無史さん:02/09/06 16:57
よーするに三国史記は、新羅よりずーっと後世の作だから花郎の件もあてにならん
という事っすか?ま、それはそれで置いといて・・・・

ところで新羅の事をよく書き表した文献って、どんなのがあるの?あんま聞かないよね。
三国史記は↑のように否定されてますんで、その他にあるならば。
119日本@名無史さん:02/09/15 04:47
もとの新羅ではSVOだったのだが、
日本語と同じ夫余系言語をも地底他百済や高句麗の影響で、
新羅の言語でもSOVへと変化したことが有名。
120日本@名無史さん:02/09/23 05:41
>>119
有名なの?
ソース教えれ
121日本@名無史さん:02/09/23 13:54
電波注意報がでております
122日本@名無史さん:02/09/23 14:06
『民団新聞』に『花郎伝』という漫画が連載されていた。
と言っても知っている人は少ないか?
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ