史上最強の剣客は??

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1日本@名無史
千葉周作,武蔵,塚原卜伝,柳生,吉岡,沖田総司

日本史上の最強は誰だと思う??
(真剣と木刀では結果が違ってくるけど・・)
2日本@名無史さん:01/11/01 18:24
伊庭八郎

男谷精一郎

とかは?どう?
3DRX:01/11/01 18:31
太陽系の長い歴史を通じて最強の剣士は、示現流兵法の祖、東郷重位です。
おぼえませう
4日本@名無史さん:01/11/01 20:31
壬生狂死郎
5日本@名無史さん:01/11/01 20:48
堀部安平衛だろう槍の名手!
6名無しさん脚:01/11/01 20:53
足利義輝。
剣術だけでなく鉄砲術にも秀でていた。
足利将軍家などに生まれていなければ、一流の武将として評価されていたろう。
7日本@名無史さん:01/11/02 02:52
神道無念流の2とう流で有名な奴ってだれだっけ?
8日本@名無史さん:01/11/02 06:19
武蔵しかいねーべ。
9日本@名無史さん:01/11/02 06:28
林崎勘助
10日本@名無史さん:01/11/02 06:29
車寅次郎
11日本@名無史さん:01/11/02 10:03
佐々木只三郎

坂本龍馬を斬った男
「小太刀をとりては日本一」(刀じゃないじゃん)
12日本@名無史さん:01/11/02 10:56
>>5
槍といえば高田郡兵衛でしょうが。

ニゲタケドネ
13ののちゃん:01/11/02 23:43
>>槍といったら、高田又兵衛でしょうか。
こちらは、正々堂々とした人でした。
参考)
それからの武蔵(TV東京)武蔵:北大路欣也 又兵衛:渡辺裕之
14日本@名無史さん:01/11/03 00:47
日本武尊
15日本@名無史さん:01/11/03 01:25
槍は剣客に含めていいの?
じゃあ弓は?
砲術家は?
16日本@名無史さん:01/11/03 02:38
緋村剣心。
これしかない。
17名無しさん:01/11/03 02:40
>>16

 その師匠のが、出鱈目な強さだった気がするよ。
18日本@名無史さん :01/11/03 02:58
宮元
19 :01/11/03 08:36
椿三十郎
20日本@名無しさん:01/11/03 14:14
江戸時代の講談物の感覚で言っても良いのかな?
剣術しか知らない朱子学的色彩の強い剣客でも?
武道百般に長けた上で戦場を全体的な視野で観る「軍略論者」だった人物も剣客扱いされているような・・・。
21日本@名無史さん:01/11/03 14:17
>16,17
架空人物は止めて頂けませんか
22日本@名無史さん:01/11/03 14:38
上泉信綱、生誕地に家が近いが伝説があるよ
23名無し:01/11/03 17:07
宮本武蔵だろう。
数十回、決闘して皆勝ったんだから。
24日本@名無史さん:01/11/03 17:39
武蔵オタはそればっかりなんだよな。
25日本@名無史さん:01/11/03 17:47
>22
前橋の人?
26日本@名無史さん:01/11/03 17:57
伊達政宗こと梵天丸
27日本@名無史さん:01/11/03 18:04
東郷重位も59戦無敗とかじゃなかったっけ?
武蔵と同時代なのに、対戦してないのかな?
28日本@名無史さん:01/11/04 00:29
比古清十郎

>>21
やだ
29日本@名無史さん:01/11/06 21:02
>>3
どんなにすごいんだ?荒らしじゃなくて、実際にどんな理由ですごいんだ?
59戦無敗とかじゃなくて、どんなワザがあってその人が強かったんだ?
たとえば、訓練がどうたら、試合はこびがどうたら、とかをおしえたくれ!
30  :01/11/06 21:15
高町恭也
31日本@名無史さん:01/11/06 21:38
維新後、存命だった剣豪と呼ばれる人たちが新聞社の招きで座談した時に、
幕末維新で最強だったのは誰?という話題になり、意外なことにほとんどの
出席者が福沢諭吉を推したという話をどこかで読んだ記憶がある。
だれか詳しい情報知らない?
32日本@名無史さん:01/11/06 22:36
示現流に技など必要無し。(ちょっといいすぎか)
一の太刀にすべてを込めて、たたきつけることこそ示現流。
その一の太刀の破壊力の凄まじさが、強さ。

訓練は、ひたすらに木を打ち込み続けることが、主体。
33日本@名無史:01/11/11 11:32
巌流島の決闘ってなんであんなに有名なの??
本当に天下一を決める闘いだったのかな?

佐々木小次郎と武蔵が当時のNo1だったの??

柳生とかがいない状態で天下一決めれるのかな。
34日本@名無史さん:01/11/11 13:21
決闘といえば「鍵屋の辻」だと思うが。
槍の名人や多くの警護に立ち向かい、見事に仇を討つ。
荒木又衛門の戦略とか、剣技は、素晴らしいし、かなりスリルのある史実だと思う。
35日本@名無史さん:01/11/14 17:49
>31
それ本当かい?福沢諭吉って剣術使いだったん?
36日本@名無史さん :01/11/14 17:54
前田慶次郎利太
37日本@名無史さん:01/11/14 17:58
植芝の前に植芝なし。植芝の後に植芝なし。
38日本@名無史さん:01/11/14 19:11
葛西忠左衛門
井伊直弼の脇侍で彦根藩の二刀流の使い手。桜田門外の変の折、複数
の侍と渡りあい一人を切り伏せている。確かな実戦記録が目撃されて
いるという意味では史上最強。

後の剣客は、道場剣法、伝説、ホラ、・・ばかりで確証がない。
だいたい、赤穂浪士とか荒木又衛門なんかは鎖帷子を着ていて
アンフェア。

あーた、真剣を持って素肌のまま、雪の降る中、複数の敵に立
ち向かった記録を持っている侍なんて他にいます?
39日本@名無史さん:01/11/14 19:17
じゃあまだ出てない上泉伊勢守
40日本@名無史さん:01/11/14 19:29
オヤッ、前田先生。
41日本@名無史さん:01/11/14 19:37
坂本竜馬。
剣の達人でありながらあっさり剣を捨てた。
これは剣術を極めた者にしかできない。
42日本@名無史さん:01/11/14 20:12
すけさん。
43日本@名無史さん:01/11/14 20:50
>>32
薩摩武士は半分農民だったため、技の無い邪道流派がはびこったんだろうね。
たしかに示現流は破壊力はあるが、初太刀をかわされたらボロ負けだった。
そして一対一の勝負では、そこそこの腕があれば力まかせの示現流は難なくかわせた。
自然、正攻法で勝てない流派は正攻法を避けるようになる。
幕末に示現流が恐れられたのは、
突然背後から闇討ちするという武士道に反する攻撃ばかりしていたため。
44日本@名無史さん:01/11/14 21:02
柳生究極奥義?、無刀取りVS示源流だったらどうなんだ、一度見てみたい。
45日本@名無し:01/11/14 21:14
 >>43  「初太刀をかわせばボロ負け」「そこそこの腕があれば力まかせの示現流は難なくかわせた」のソースを教えれ。
 「突然背後から闇討ち?」なんで当時の薩摩藩士が暗殺なんかするわけ?日本史知ってるの?(藁
 「チェーイ」なんて派手な叫び声あげてたら暗殺なんてできん。あと、西南戦争で鉄砲と渡り合ったのは(まあ、限界はあったけど)何流か知ってる?
46日本@名無史さん:01/11/14 21:18
示現流が最強だよ。
47日本@名無史さん:01/11/14 21:26
>>41
龍馬はたしかに地元じゃ強かったかもしれんけど
北辰免許皆伝は創作じゃなかったか?
48日本@名無史さん:01/11/14 21:27
坂本龍馬が極めたのは目録だし薙刀だよ

お金がなくて免許とれなかったって話もアリ(アンチとかじゃなくて本当に)
49日本@名無史さん:01/11/14 21:33
>>45
初太刀をかわせばいい、ってのは本当らしい
新選組の近藤勇も「とにかく初太刀をかわせ」と新選組隊士に言ってたっていう
ただ隙があく、ってだけでボロ負けかまでは知らない・・・

ただ、「突然〜」からのは同感。
50日本@名無史さん:01/11/14 22:31
>>48
金がなくて、はないだろ。龍馬の実家は高知城下でも一二を争う金持ちだったんだから。
51西原理恵子:01/11/14 22:36
>>50
武市偏平足の実家も、郷士だけど金持ちだったと聞いたことがある。
それよりも上?
52日本@名無史さん:01/11/14 23:11
あのう〜〜、む、無刀取りは?・・・・・・やっぱダメか(藁
53日本@名無史さん:01/11/15 01:13
蒔絵姐さん。

史実なら、義輝様。
54日本@名無史さん:01/11/15 01:40
近藤勇でしょ」
55日本@名無史さん:01/11/15 01:43
源頼光
56日本@名無史さん:01/11/15 01:55
>>50

龍馬ってすごい他人にお金使わせてない?
志士活動のほとんどを他人に出させて自分ではお金出してないみたいだよ
57日本@名無史さん:01/11/15 01:58
児玉源太郎まんせー
58日本@名無史さん:01/11/15 02:11
>>49
とにかく初太刀をかわせっていう近藤の話は、かわしたら楽勝という意味ではなく
それだけ示現流を恐れていたと解釈するべきだと思いますが。

>>32
なんなくかわせた、というソースをだしてください。はっきり言い切るんなら
資料ぐらいあるんでしょうから。
鍛えることによって、踏み込みと刀をふりおろすスピードをあげれば、なんなく
かわせる、などということはありえないとおもいますが。
たとえば、あなたは真正面から素人が棒のようなものをふりおろした時なんなく
かわせるんでしょうかね。
59日本@名無史さん:01/11/15 02:20
なぜか出てない伊藤一刀斎。
60日本@名無史さん:01/11/15 10:04
桜田門外の変の記録によると、実戦ではただただ刀を振り回すのが精一杯で、とても
「小手すりあげ面」、「小手抜き面」てな精妙な技は出来なかったとある。だから、
実戦では示現流のような単純な剣法で十分で、実際、実用的で強かったと思う。西南
戦争でも抜刀隊は強かった。

剣道やってて、「メンすりあげドウ」なんて本当に使えるのかいな、と思ったことあ
る。
61日本@名無史さん:01/11/15 10:32
純粋な意味での剣士じゃないけど武田惣角。
津本陽の「鬼の冠」を読むと誰でもそう思わざるを得なくなるよ。
ほとんど超能力者に近い。
62こじろ:01/11/15 11:13
>>61
いくらなんでも
壁抜け
の術はまずいだろ。
63日本@名無史さん:01/11/15 11:28
東郷重位は江戸の柳生一門と仕合って殺しているからなあ
宮本武蔵と対戦となれば強い相手とは戦わない武蔵は逃げるでしょうし
上泉信綱が最高でしょう
64日本@名無史さん:01/11/15 11:44
立花竜鬼斎 最強
65日本@名無史さん:01/11/15 11:50
>>7
島田駒之助では?
66日本@名無史さん:01/11/15 12:45
>>52
正直、剣客としての撤収は真か贋かどっちだ?
67日本@名無史さん:01/11/15 14:23
>>41
坂本竜馬は剣は強くなかったと記録に残っている。捕り手2名を拳銃で射殺
しているし、刺客に簡単に仕留められた最後を考えるととても剣客とは呼べ
ない。

本当の剣客なら、捕り手2名をみね打ちで気絶させ、刺客は一刀のもとに
切っている。剣客が簡単に切られちゃったら剣客時代劇にもならない。

坂本竜馬は剣客失格。
68  :01/11/15 14:56
>なぜか出てない伊藤一刀斎。
ほんとにつよけりゃそれなりに事跡も残っているのでは?
69日本@名無史さん:01/11/15 15:40
↑の方々、武道板に来られたし。
リアルな話しが聞けるよ。
70日本@名無史さん:01/11/15 16:04
>>69
う〜ん。止めた方がいいと思われ・・・
あそこも電波飛び交ってるし
71世良田二郎三郎:01/11/15 16:32
上泉は別格。
72日本@名無史さん:01/11/15 18:00
>>38
それをいうなら、北辰一刀流の有村次左衛門を斬った目付助役の小河原秀之丞だろ。
手傷を負っても、主君の首を取り戻そうとしたのは、立派。
とは言っても、主君の首を取られた侍が最強ですか?

>アンフェア
鎖帷子は心がけの問題だと思うが。重くて、動きづらくなるし。

確かな実戦記録が目撃されているとは言っても、僅かな目撃者も混乱していて、
その後の検証もすべてを明らかにした訳じゃない。
てゆーか、葛西某は、誰を斬ったんだ?

もしかして、38って、ネタですか?
マジレスしちゃった?オレ。

二刀を使って一人しか倒せないのも合理的ではないな。
もっとも、井伊の籠脇で二刀を振り回しつつも、斬り死にした家来もいたようだが。

>あーた、真剣を持って素肌のまま、雪の降る中、複数の敵に立
ち向かった記録を持っている侍なんて他にいます?
やはり、デムパでしょうか?
マジレス、ハズカシイ
73日本@名無史さん:01/11/15 21:02
>>56
貴殿は他人にお金を出させるほどの魅力を持った人間でしょうか
7456:01/11/15 21:06
>>73

は?他人に金を出させる云々を言ってるんじゃないだろう?
それが悪いとも言ってないだろう?事実を述べたまでだ。
75  :01/11/15 23:16
>>35
確か諭吉は「中津立身流」だったと思う。腕前のほうは知らないけど。
76日本@名無史さん :01/11/16 00:35
奥山神影流免許皆伝の中村主水が最強。

テンテンテン テンテンテンテンテンテンテンテレレ
テレレレンレンレンレンレンレンレンレンレレレー テレレンレンレー♪
77そりゃ:01/11/16 00:42
土方歳三でしょ。
いくらワザがあっても実践とはちがう。
日本史上最も多く人を切った彼が最強
78日本@名無史さん:01/11/16 00:43
やっぱり百人斬りのガッツ隊長でしょう。
79そりゃ:01/11/16 00:46
ベルセルク・・・
80日本@名無史さん:01/11/16 01:23
>>77

本当に多く斬った?多く斬れば方法によらず本当に強い?
京都時代彼自身が手を下した殺害は少なく
それ以降は専ら指揮官とあってはそんなに殺したようにも思えない

・・・殺した数を競ってるんじゃないんだしさ
81日本@名無史さん:01/11/16 02:02
南京で百人切り・殺人レースを競い合った日本軍人
82日本@名無史さん:01/11/16 02:22
>>76
ですね。他にも、御嶽新陰流、一刀無心流、心形刀流、小野派一刀流などにも精通してます。
殺した数では日本一。
83日本@名無史さん:01/11/16 03:20
岡田イゾウは?
84日本@名無史さん:01/11/16 09:49
天真正伝香取神道流・・・
85日本@名無史さん:01/11/17 13:28
>>82
殺した数では、首斬り浅右衛門こと、山田浅右衛門吉利だろ。
ほぼ毎日斬っていたって話だし、
20年以上だから、単純計算、
6000人ぐらいは斬ったのか。
南無〜。
86日本@名無史さん:01/11/17 14:30
>>もっとも、井伊の籠脇で二刀を振り回しつつも、斬り死にした家来もいたよう
>>だが。
この斬り死にしたのが葛西忠左衛門。当時、二刀流の使い手で有名だった。彦根
に行ってら聞いてごらん。忠左衛門が切り伏せた一人は島田ナントカという侍。

有村次左衛門を斬った小河原秀之丞は、後ろから斬りつけて返り打ちにあい死んだ。
ガッツは認めるが後ろから斬っちゃだめ。

鎖帷子と素肌との勝負はとてもフェアとは言えない。剣道の防具をつけて素肌の相手
と竹刀で打ち合ったら確実に勝てる。2,3発は打たれるかも知れないが、相手に瀕
死の重症を負わせることができる。ウソだと思ったらやってみたらすぐ分かる。もち
ろん相手が逃げたらダメ。追いつきません。

一人対複数、素肌の真剣勝負で一人斬り伏せたと、第三者の目撃証言が残っている
侍は葛西しか知らない。有名な剣客はみんな講談の話。実戦での実力は不明。しか
も、籠から離れられないという不利な立場で、相手は有村次左衛門を含む腕に覚え
のある侍ばかり。

雪の降る中
「太平の世に生まれて三十余年。まさかこのような白刃の下をくぐることに
なろうとは。籠の中には負傷した主君が。何が何でも持ち場を離れることは
できぬ。主君のために死ぬるは武士の誉れ。狼藉者ども掛かってこい!」

と、まあ、最後は斬られてしまったのですが。

でも、葛西忠左衛門こそ実力No1の剣客にふさわしい。
87日本@名無史さん:01/11/17 20:01
素肌へのこだわりがスゴイっすね。
でも、籠を囲ってチンタラ歩いてるだけで、刀を抜くことすら、考えていなかっただけでしょ?
きょうの晩飯は何かなーとかボーっとしてる人と、仇討ちを予期して武装した警護団の中に
斬りこんでいく人とでは心理的な状況が違うよ。仇討ちや合戦、暗殺をスポーツと一緒に
してもらっては困る。
目撃証言はあてにならないよ。大勢が入り乱れてるのに、遠くから眺めてたんだから。
目撃者の目前で斬り死にすることが、最強の条件ですか?
88日本@名無史さん:01/11/17 20:32
柴田錬三郎が書いた刃士「丹後」は実在の人物なの?
89日本@名無史さん:01/11/17 20:42
>>77は「修羅の刻」しか知らない厨房だろ。
内容全く一緒(藁
90日本@名無史さん:01/11/17 21:53
江連力一郎に人間一刀両断唐竹割の秘訣を教えた肥田春充。
彼は相当の傑物だったらしいが、とりあえず一押し。
あとは鹿島神流だったけ?国井善弥かな。
どちらも明治〜昭和の人。
91日本@名無史さん:01/11/17 22:14
「示現流は初太刀をかわせ」という訓令は、
自分の剣で受け止めようと試みてはいけない、という意味でもあるのです。
あまりにも強力な打ち込みを支えきれず、
自分の刀の鍔を額にめり込ませて絶命した剣客がいたそうです。
つまり、かわすしか方法がないから、かわせと教えているのであって、
攻略法の説明ではありません。
92日本@名無史さん:01/11/17 23:28
示現流はあまり洗練されていない居合いみたいなもの。
大げさな猿叫は威嚇のためなんだろうけどちょっと余計だね。
居合いの使い手といえば、龍馬と中岡を瞬時にかたづけた見廻組の今井信郎。
西南戦争に抜刀隊として参戦してるから、示現流との斬り合いもあったはず。
今井が無事で帰ってきてるんだから勝負の結果は明らかだけど。
93日本@名無史さん:01/11/17 23:36
>>92
白兵戦の局面が実在した上で、生き延びていた事を証明しないと、只の憶測でしかない。
西南戦争では火力に差があったんだから。
94日本@名無史さん:01/11/18 01:26
>>92
あほくさい論理だな。
今井と同じ戦場で戦って、生きて帰ってきた薩軍の抜刀隊がいたら、
今井より示現流のほうが、上だなんてことが言えると思ってるのか?

居合いをしていたわけではないので、イメージでしかないが居合いは待ちの
剣という感じがするんだけどな。自分から間合いをつめることをあまりしないっていうか。
無理矢理、間合いをつめる示現流とは違うと思うが?
95日本@名無史さん:01/11/18 01:36
>>92は素人
徹底的に先制攻撃を極める示現流を居合い扱いは暴論。
示現流では、鞘から抜きざまに斬りつける「抜き」と言う技法はあるが、
あくまで「抜き、即、斬」を期してのもの。
「抜き」で抜刀したらしたで、「トンボ」の構えから振り下ろすアクションに移行する。
生麦事件で、リチャードソンの遺体には、
下方から斬り上げた傷と上から斬り下げた傷の、
二つの痕跡が有った事が記録にある。
つまり、一瞬にして二度斬られて絶命した訳。
初太刀を外せば安心というのは、俗説。
96日本@名無史さん:01/11/18 02:33
>>94
ハァ?
97居合い有段者:01/11/18 10:45
>>94
流派によって違いがあるだろうけど、
俺がやってたとこは、抜いてうけるのと抜きざまに斬り付けるのがあったぞ。
結構攻撃的な型もあった。
98日本@名無史さん:01/11/18 11:09
上泉信綱の甥の疋田景兼は?
神道夢想流の夢想勝吉とか。この人は武蔵にも勝ってるから彼よりは上でしょ。
あと杖術つながりで霞流の真壁氏幹とか。
殺した相手の数では1番の多そうな気がする。鬼氏幹だし。
あとは松本尚勝かな。
9994:01/11/18 13:30
>>96
what?

>>97
そうなんですか。自分の印象だけでいってしまいました。
こう、一歩ぐらいしか踏み込んでいかないような印象でしたので。
100日本@名無史さん:01/11/18 14:45
野暮な事だが、剣術家にとって最高の名誉と思われる、将軍家指南役
に登りつめた柳生宗矩が事実上、最強なのでは?
故に、人一倍、当時の剣客にこき下ろされてしまったが・・・
101日本@名無史さん:01/11/18 14:49
頑丈さを追求して普通よりも分厚い刀身をしている薩摩刀を、
あたかも物差しでも持ってるかの様にビュンビュン振り回すのが示現流なんでしょ?
そんなパワフルな攻撃を、竹刀で稽古してるような流派が太刀打ち出来るのかなあ?
示現流では人間同士の稽古は無理って聞いたけど?
日頃練習で相手に対する打ち込みを手加減してたら、示現流の基本的なコンセプトに反するだろうし。
102日本@名無史さん:01/11/18 15:01
東郷重位が柳生の高弟二名との他流試合で返り討ちにした後、
徳川家光は島津家久に対し、「東郷を自分の家臣にしたい」と要求。
とっさに家久は、「実は先日急に病死したので」と嘘をついたそうだ。
それで幕府を欺く為に、薩摩での隠居生活を強いられたとか。
東郷>柳生の可能性は大
103日本@名無史さん:01/11/18 15:11
東郷に対して他流試合を申し込んでいながら、
木刀での一撃だけで死亡してしまった柳生の剣士達は、
息を引き取る前に示現流への入門を希望した誓紙を書き残している。
彼等にとっては
東郷>柳生だったのかもね。
104日本@名無史さん:01/11/18 15:17
そういう場面をなかなか想像できないものだが・・・
105日本@名無史さん:01/11/18 15:20
>>101
青龍刀か肉切り包丁みたいなもん?>薩摩刀
示現流の免許皆伝の唯一の要件は、
吊した死体を肩口からお腹あたりまで斬ることだったそうだから、
肉の塊を切断することのみに熱中してたことがうかがえる。
重い刀を力まかせに振り回すのはいいんだけど、動きが鈍重になるのは必至。
だいたい、実際の戦闘では、致命傷を与えなくとも、腕や指を斬り落とせば勝負は決まる。
柔よく剛を制すの精神でいけば、技を磨いた他流派に分があるような気がするけど。
106日本@名無史さん:01/11/18 16:01
示現流が最も重視するのはスピードだけどね。
敵の打ち込みが自分を傷つける以前に一撃で相手を両断するから、
「肉を切らせて骨を断つ」といったコンセプトを追求する流派よりは、素早い動作にうるさい。
質量が大きな薩摩刀に大きな運動エネルギーを乗せるから、骨盤まで切り裂く斬撃が可能となる訳。
遅い振りでは意味がないし、刺突を重視する天然理心流の近藤勇が、初太刀をそれ程警戒する理由がない。
107日本@名無史さん:01/11/18 16:38
東郷重位は、八寸の厚みを持つカヤの碁盤を切った事がある。
天元(碁盤の中心)あたりから手前半分を一撃で切り分け、(従って割れた訳ではない)勢い余った切先が畳に突き立ったという。

居合の心得が有る方には、これが意味する凄さがお分かりの事でしょう。
10845:01/11/18 16:39
>105 「技」といってるけれども、その技を必殺のレベルにまで仕上げたのが示現流だと思うけど?
 刀が多少重いからといって、動きが鈍重だなんて、いくらなんでもそんなお粗末な流派はないと思う(藁
 あと、「柔よく剛を制すの精神でいけば」の意味が全く不明。
 
109日本@名無史さん:01/11/18 16:40
ここではよく示現流が出てくるが
薩摩藩の上士が習得した示現流のことをいっているのか
下士が習得した薬丸流、別名野太刀自顕流のどちらのことをいっているんだ?
110日本@名無史さん:01/11/18 16:44
斎藤一
111日本@名無史さん:01/11/18 16:46
勝新太郎
112日本@名無史さん:01/11/18 17:06
沖田総氏(字忘れた・・・
は?司馬漁の小説では、近藤、土方より強いと本人達が認めていた
とか書いてあるし、3段突き、って必殺技としてカッコE−!
と思うんだけど、
技でいえば、ツバメ返しも捨てがたいけどね・・・
イヤ、なんとなく格ゲーのノリでスマン
113日本@名無史さん:01/11/18 17:09
幕末と戦国の剣術家なんて比べようない
114日本@名無史さん:01/11/18 21:39
>>107
大した事ないね。
東郷重位なんて二流以下。
115日本@名無史さん:01/11/18 23:56
と言いながら、一流の剣客を一人も挙げられない>>114萌え
116日本@名無史さん:01/11/19 00:59
>>115
はは、語ろうか?
なぜ東郷重位が二流かってのを説明してあげてもいいよ。
僕自身は、東郷重位は好きな剣客なんだよね。
当時の剣客の中にあって一際ずれている所が大好きだった。
変に大器晩成な所とか、おおって思う逸話と、
へなってなる逸話とが混在してて、色々面白い人物ではある。
ご希望なら、色々説明してあげるけど(藁
幕末の示現流がタコって言っている訳ではないので、
勘違いしないでね。あくまで開祖の話。
117日本@名無史さん:01/11/19 01:06
>>100
じゃ、柳生宗矩のほどの政治的能力に乏しく、世渡りが下手で、
偏狭で狂った性格であったにも関わらず、
将軍家指南役になった小野次郎衛門は、真の最強だな。
118日本@名無史さん:01/11/19 01:55
>>116
東郷重位はわかったから、それより強い一流の剣客とその理由も教えてくだされ。
119日本@名無史さん:01/11/19 02:44
>>100
宗矩は剣客というよりは兵法家、軍師、謀士の類でしょう。
指南役である上に初代大目付でもあるんだから。
もちろん石舟斎の子供だからそれなりの腕はあるだろうけど。
柳生で言えば尾張の方が上では?
120日本@名無史さん:01/11/19 02:51
ウダウダ言いながら、結局一流の剣客を一人も挙げられない>>116萌え
121DRX:01/11/19 03:08
野太刀自顕流の方が正式名称。
薬丸流は俗称。
開祖の薬丸は東郷の弟子。
122日本@名無史さん:01/11/19 03:32
注意オタの厨房は無視してっと(藁
注意自身の厨房ぶりも、ここで説明するまでもないかな。

>>119
確かに。尾張の連也もこのスレの趣旨から言うと上げないと駄目だろ。
123日本@名無史さん:01/11/19 03:38
だから神道夢想流の夢想勝吉はどうなのさ?
124日本@名無史さん:01/11/19 03:45
>>122
いや、君の方が厨房。
ソースも理由も言わずにケチをつけてる。
だから説得力が皆無だし。
125日本@名無史さん:01/11/19 04:03
>>122
先ほどから、いつ説明して頂けるのかと思って、
ずっと待ってるんですがね。
もしかして貴方は、現存する示現流兵法の関係者に対して、
単に怨みやなんかが有るってだけの人なのでしょうか?
そうでなければ、厨房認定されてしまうのは、貴方の方なのですが?
126日本@名無史さん:01/11/19 14:47
素人の俺が説得力を感じる所で言えば、柳生の高弟が死ぬ前に書き残した入門申込書が証拠の東郷重位と、武蔵に勝った夢想勝吉は最強候補かな。
127日本@名無史さん:01/11/19 15:05
天堂一角じゃないかな。
128日本@名無史さん:01/11/19 15:06
岡田以蔵
129日本@名無史さん:01/11/19 15:10
大和龍門
130日本@名無史さん:01/11/19 16:17
名前を挙げるのは自由だが、素人にも分かる様に根拠を説明してね。
今の所論破されてないで条件を満たしているのは東郷と夢想だけじゃん?
小野一刀斉は武蔵に負けたし。
131日本@名無史さん:01/11/20 01:25
>>130
電波イタ。小野一刀斎、そんな奴いね〜よ。
夢想はほとんど史実に名前が残っていない。
流派が後世に残ったので、馬鹿な末裔が、吹聴した嘘を
広めまくっているだけ。
東郷も似たもんだが、まだ多少語るところがある。
132日本@名無史さん:01/11/20 02:53
東郷重位より6歳年下で天才肌の善吉和尚のほうが強そうじゃない?
133へー:01/11/20 12:41
>>75

中津立身流←これってあまり有名じゃないよね。この流派から誰か有名な人でてる?諭吉以外で。
134日本@名無史さん:01/11/20 12:49
真言立川流最強!
135日本@名無史さん:01/11/20 12:52
>130
武蔵とか小次郎とか、全部架空の人物なんだよ!
観光客誘致のためのな。
136日本@名無史さん:01/11/20 12:55
>135
禿げ銅
五輪の書は私が書きました(藁
137日本@名無史さん:01/11/20 14:45
この「最強」ってのは技術が優れているとかではなく、実際に殺しあって
勝つという意味での「最強」だよね?
138日本@名無史さん:01/11/20 14:49
戦場での活躍から言えば霞流の真壁氏幹でしょ。
139日本@名無史さん:01/11/20 16:13
某生物系板の「史上最強の動物は?」と同じですな 結局
140日本@名無史さん:01/11/20 16:24
ケチをつける時にも、根拠はちゃんと説明してね。
個人的な世界観を開陳されているだけじゃ、聞かされる方は退屈なだけ。
しつこく東郷にケチをつけてる人、別に貶めるのは構わないが、
とにかく何でもいいから根拠を語ってくれ。
納得しようがない。
現時点では、夢想については反論できてるが、
東郷に対しては、証拠の入門希望文書がある事を、覆す事は出来てないよ。
141DRX:01/11/20 16:35
東郷重位に自顕流を伝えた善吉和尚も強そうではあるが、
あんまり戦ってないからねえ。
142日本@名無史さん:01/11/22 02:32
東郷重位が勝ったのは柳生の弟子でしょ?
宗厳や兵庫ノ介とやったらどっちが強かったの?
143日本@名無史さん:01/11/22 02:39
天堂一角が最強だよ。
144日本@名無史さん:01/11/22 02:43
>>143
だれそれ?
145日本@名無史さん:01/11/22 02:50
>>144
四国の阿波国の浪人じゃなかったかな。
正しくは、天堂太郎藤原朝臣一角、というらしい。
146日本@名無史さん:01/11/22 02:51
天堂藤太郎一角だよ。
147日本@名無史さん:01/11/22 03:13
>>146
だから、誰なの?
148日本@名無史さん:01/11/23 01:27
最強は、坂田金時だろ。日本人なら常識問題じゃん。
149日本@名無史さん:01/11/23 03:07
だから、根拠を説明してくれよ。
どんな事でも良いんだからさあ。
例えば、既に何度か取り沙汰されている、柳生の弟子が示現流に入門した証拠の文書なんてのは、
それが本物だとすれば十分な証拠になりうる。
示現流との他流試合をしに来て、東郷の強さを認める事態を経てないと、
そんな物を書く筈がないからだ。
柳生の方が強いと確信してるなら、そんな事はしない。
従って、東郷>柳生なのは、確実。
結局その日のうちに絶命してしまった二人が、そこ迄心酔したと言う事を軽視すべきではない。
150日本@名無史さん:01/11/23 03:12
柳生の弟子って当時、1万人は下らないって言われているし、
中には弱い奴もいるわな。それをもって、東郷>柳生なんて
書くから厨房扱いされるんだよ。
151日本@名無史さん:01/11/23 04:54
>>150
柳生の二人>福町七郎左衛門、寺田藤助
柳生一門でも、一二を争う高弟。
厨房=150
152日本@名無史さん:01/11/23 04:58
>>150=柳生の門下生w
153日本@名無史さん:01/11/23 05:03
だから宗厳や兵庫之助と比べたらどうなのさ?
連也や烈堂とは?
まあ個人的にはアズミが1番だと思うけどね(w
154    :01/11/23 05:52
尾張柳生と試合してこそ、示現流と柳生流の比較がしやすく
なると思う。
>柳生の二人>福町七郎左衛門、寺田藤助
>柳生一門でも、一二を争う高弟。
その根拠は?
155    :01/11/23 08:22
示現流の現宗家って、税金関係で道場を国に分捕られたんじゃなかった?
156タイ捨:01/11/23 08:30
丸目蔵人が最強。

戦国島津は隣国の相良氏に数度敗れている。(菱刈、堂崎、それらの前哨戦等)唯一大勝(というか降伏開城)したのが三州統一して北伐を開始した時点での水俣の戦いのみ。丸目蔵人自身も薩摩兵に大して切り込みを何度もかけている。

東郷の活躍は戦国島津期ではなくその後の徳川安定期でのはなし。

つまり戦国薩摩と肥後相良氏の関係は徳川家康と武田信玄のようなものだったろう。肥薩の国境でうまれた海音寺潮五郎氏も兵法に関しては新納忠元の着任以前の
相良氏の圧倒的優勢、戦国期における兵法での丸目の断突ぶりには一目置いている。海音寺潮五郎に文壇入りをメンターされた司馬遼太郎もなにかと肥薩においては
肥優勢の論調をとっている。両氏も指摘しているように薩摩の強さは燎原の火の如く大挙猛進するときの破壊力、機動力だ。一対一での薩兵に優勢については両氏とも
保障はしていない。(ただ甲斐・相模同盟や甲斐・駿河同盟のように相良伊東の連携が多かったので勢力均衡策のテキストでも話し合われるべきだが)
それにしても私の知る限りでは肥後の強兵にまともに立ちあって薩摩側が勝ったという記録はない。勝ったのは全て釣りのぶせ(丸目蔵人自身それにひっかかっているのもご愛敬)もしくは圧倒的兵力差。

丸目のタイ捨流はその後の西南各藩で取り入れられ研究されて江戸柳生から警戒されていた。最低線でもその後の九州大藩での武芸熱(熊本藩、久留米藩、佐賀藩、松浦藩、福岡藩、柳川藩)の
ベースになったのが丸目のおこしたタイ捨流であったことにかわりはない。東の柳生、西のタイ捨の盛名をほしいままにした蔵人のキャリアの凄まじさを見ればわかる。

若くして体の変調をきたして世を去った剣士や激戦のはてに精神的肉体的廃人になってしまった人切りとちがい80代の高齢になっても荒野を開墾する精神力と肉体力が人一倍優れていたことを示している。

もっともその師である上泉信綱のほうがうえだが。(金刺氏という武神の家に生まれた神秘性からしても)
157日本@名無史さん:01/11/23 10:29
>>153
宗矩なら、木村助九朗、村田与三、出淵平兵衛、
兵庫なら、高田三之丞、佐野九朗兵衛、長野五郎右衛門
あたりを出さないと駄目だろう。
木村や高田なら正直、東郷ごときは子供扱いだね。格が違いすぎる。
ちなみ、柳生には、この下に、庄田、小栗、福野、石川、壱岐、伊藤、
狭川、竹光、時沢、久米など、高弟や一派を立てた者が無数にいる。
さらに、その下に、笠間、戸塚、松下などなど各藩に内情を探るために
入れた高弟達がいる。
福町や寺田など取るに足らない存在。

>>156
俺も丸目は強いと思う。
でも、晩年、強さの伝播に興味がなくなったのが残念かな。
あと、良い息子に恵まれなかったのが、柳生ともっとも違うところ。
東郷も丸目門下の三下に勝って喜ばず、丸目に直接対峙すればよかったのに。
丸目門下の三下や柳生門下の三下など、弱い奴に勝って喜んでもねぇ。
158日本@名無史さん:01/11/23 11:14
京都や西南戦争において、
新撰組VS示現流の斬り合いってあったの?
159会津中将:01/11/23 11:33
幕末なら芹沢鴨だろう。
薩摩が逃げ惑っていたそうじゃ。
戦国末〜江戸初期なら小野善鬼。
160日本@名無史さん:01/11/23 11:40
意外なところで山岡鉄舟、ところで剣聖って誰だっけ?
161日本@名無史さん:01/11/23 11:51
>>154
家光の側近、日尼(日偏に尼)近(ジッコン)衆で、柳生剣法指南役。
将軍に剣を教える仕事なんだから、下っ端ではない。
ちなみに、東郷に試合を申し込んだ時には、三十代。
東郷はこの時62歳。
あと、試合で死亡したのは、福町の方だけ。
162日本@名無史さん:01/11/23 12:07
タイ捨流が大勢だった当時の薩摩で、
散々嫌がらせや挑戦を受けながら、
結局は薩摩に示現流を根づかせた重位が弱かった筈はない。
主筋の家久からにして、タイ捨流贔屓で重位に敵対していたんだから。
そんな土地で流派を開き、示現流つぶしの為の色々な挑発を跳ね返して、
結局家久に心服させ、入門させた。
現代で言えば、大阪で巨人ファンを最大派閥にする位の奇跡。
163会津中将:01/11/23 12:26
勝小吉は江戸一番の使い手だった。
164    :01/11/23 12:34
>将軍に剣を教える仕事なんだから、下っ端ではない。
身分的にはね。実力に関しては157氏に賛同。
165日本@名無史さん:01/11/23 12:43
>>164
をいをい、将軍の剣法指南役が三下?
無茶言うな。強い奴が選出されてるに決まってるじゃん。
例の試合後、家光は家久に重位を譲るように要求したんだから、
弱い奴がそんな役に居た訳がない。
166日本@名無史さん:01/11/23 13:02
香取晴正じゃないのか。
167日本@名無史さん:01/11/23 13:05
>>157

>丸目門下の三下

おいおい、東郷が勝ったのは、当時の島津家剣指南役だぞ。
ちなみに東郷は、若い頃は、タイ捨流を学んでいるがそれより自顕流の方が優れていると感じ
タイ捨流を捨てた。
168日本@名無史さん:01/11/23 13:30
東新之丞なんて三下以外の何者でもないだろ。
家光は、むしろ手加減してくれる相手を望んで、
容赦のない小野などは遠ざけてたんだよ。
押して知るべし。
相手に負けたぐらいで、今までの師の顔に
泥を塗るような奴は、人物的には下の下、
技量的にも大した事ないだろ。
それに、高弟が自分から勝負を挑むわけない。
自分から勝負を挑んだことからも、
高弟でないことの証だろ。
ちとは自分の頭で考えろ。
169日本@名無史さん:01/11/23 14:00
>>160
山岡鉄舟はつらいんじゃないですか?
実戦を経験したわけじゃないし。
東郷>柳生を言ってる人がいるけどさ、
それを言うなら柳生宗厳でさえ疋田文五郎に負けてるんだから
疋田の方が東郷よりずっと上と言う事にはならんの?

それと鹿島神宮近辺から出てる流派の基礎を作り上げた松本尚勝はどうですか?

あとは槙絵とアズミのどっちが強いかってことだな。
170日本@名無史さん:01/11/23 14:14
>>168

本当に東新之丞が三下以下でも丸目蔵人の弟子である事は、事実であり、東郷重位に敗れたことも
事実であり、それが原因で薩摩藩という隣の大藩からタイ捨流の勢力が駆逐されたのにそれ以降
タイ捨流一門は、誰一人、東郷に対して挑む事が出来なった、あるいは挑んだとしても勝てなかった。
結論として、タイ捨流は、へたれという事だな。
ところで、あるサイトに

>丸目蔵人は 60歳を越えていて示現流とどう勝負したらいいかを考えます。
>そして考えた挙げ句に二刀流を編み出します。
>新陰流は一刀です。
>だけれども二刀を思いついた。
>丸目蔵人は左利きであったらしいです。
>だから左に大刀を持って右に小刀をとってそして構えるわけです。
>示現流はチェストーと一気に来るでしょ。
>そのときに、タイ捨流二刀の口伝。これあんまり言っちゃならんのですけど、「投げ剣」というのであります。
>頃合いをみて小刀を投げ付けるんだそうです。
>そうすると向こうは一刀流。
>ヤーッとそれを払った時にこちらの大刀でエイッ。
>こうしてタイ捨流の中に二刀の刀法が生まれたわけです。

こういう話が載ってたけどどう思う?
これが事実なら丸目蔵人にとって東新之丞が東郷重位に敗れた事は、一刀であった自分の流派を
大きく変えなければならないほど衝撃的な出来事だったみたいだけど。
三下以下のやつが敗れたにしては、反応が大きすぎないかい?
171日本@名無史さん:01/11/23 14:15
>>169
疋田は強いけど、世をすねた所があるからね。
あと、長谷川宗善との頂上対決を、自ら辞退したのがちょっと。
もし、長谷川宗善に完勝してたら、多分、上泉の名声を凌駕して、
真の最強剣豪って言われてただろうね。
172日本@名無史さん:01/11/23 14:28
如何にも後世の人が考えたような話だな。
東郷が示現流を開いたのって、丸目65歳の時だぞ。
むしろ70近くでまだ試行錯誤している事の方がすごい。
173日本@名無史さん:01/11/23 14:44
>>172

>むしろ70近くでまだ試行錯誤している事の方がすごい。

この辺りは、物は言いようだな。
逆に考えれば、タイ捨流は、示現流に劣っていたため対抗策を考えざるを得なかったとも言えるぞ。
174名無し@人斬り厨房:01/11/23 15:57
示現流って豪快でいいな。
中村半次郎(桐野利秋)カコイイ!

↑この人強いのは小説の中だけ?個人的に一押しです。

軍刀を振りかざして敵陣に突撃する日本軍のイメージは
薩軍とダブるね。(やっぱ関係あるの?)

後ろから複数で斬りつけるのって、新選組のような気が・・。
いや、アンチじゃないですよ。
1対1でも沖田や土方は強いんでしょうが
少数に大勢で斬りかかる「負けない剣」というイメージ。
ランチェスター理論を用いた実戦的・新選組イイ!

日本史板厨房なので指導碁的マターリ・レスお願い。
175日本@名無史さん:01/11/23 16:21
>東郷重位が柳生の高弟二名との他流試合で返り討ちにした後

以前見た本に「その2人は実在してない」とかいうのがあった。
うろ覚えだけど、どうなんだろう。
176175:01/11/23 16:31
ついでに「その試合そのものが無かった」というのも見たような・・・
島津の記録にあっても、幕府側だとその日試合など無かった・・だって。
177日本@名無史さん:01/11/23 16:40
>示現流、薬丸自顕流
このスレの多くの人、示現流とその分派の薬丸自顕流の違い知らない
みたいだね。東郷重位の示現流は防ぐ技は無くて、攻撃の技のみだが、
技の種類は100を超えていた。身につけるまで長い稽古が必要
だったわけだ。薬丸自顕流は、示現流を学んだ薬丸という人が、
示現流と家伝の野太刀術を組み合わせて編み出したもので、
技の種類を非常に少なくい。習得するのにそれほど示現流ほど稽古量
を必要とせず、自習できるような剣術で、こちらの方は稽古に時間が
さけない下級武士に広まった。だから、技が5種類しかない云々とか
いうのは、薬丸自顕流で示現流ではないんだ。
178石井良助:01/11/23 16:43
松尾芭蕉(飛猿)!
179日本@名無史さん:01/11/23 17:07
>>176
幕府主催の試合じゃないなら、幕府の記録に無い事自体は、不思議はない。
二人は旗本なんだから、この場合島津家と対応するのは、福町家と寺田家。
両家が実在しなかったり、実在した当人たちに関する事実が信頼に足る史料と矛盾してるなら、
例の試合はフィクションの疑いが出てくる。
ただ、気軽に将軍の剣法指南役の名を捏造する事が出来るものなのか?
それに、柳生の側としては、あんまり好ましい話じゃないから、
記録を抹消した可能性も考えないとね。
あと、将軍に手加減するから弱いみたいな意見があったが、断定は疑問。
将軍は単なる剣客ではない存在なんだから、手加減はある意味当然。
指南役の弱さの証拠とはならない。
柳生一門としても、将軍の指南役に三下を推挙するのはおかしい。
普通に考えれば、相当な使い手を指南役にする筈。
180日本@名無史さん:01/11/23 18:08
>>179
実在したという史料がないって事では。
例えば、宮本武蔵と戦った吉岡や小次郎は、一応、
宮本側の史料以外でも名が出てくるけど、
それがまったくないってことだと思う。
将軍家指南は、実力より格を重んじていたって事。
例えば、柳生宗冬は、実力的にかなり落ちるけど、
ずっと指南役だったし。強さの証拠にはならない。
宗矩、宗冬ら指南役は話し相手という側面も無視できないし、
普通に考えて、相当な使い手とは断定できない。
そもそも将軍に指南してたってのも捏造の可能性高いけど。
181日本@名無史さん:01/11/23 18:36
>>180
それじゃ、後は将軍家指南の名前をダシにしての捏造が可能なのか否かが問題なのか。
現時点では、本当に島津側史料以外が「まったくない」のかどうかは保留だけど。
旗本家の存在まで捏造するのは、随分大掛かりな嘘の筈だからね。
話相手だから柳生が弱かったとも、まだ断言は出来ないし。
182日本@名無史さん:01/11/23 18:51
柳生宗冬が弱いのは、宗冬自身が認めてるけどね。
183日本@名無史さん:01/11/23 18:52
北畠具教
184日本@名無史さん:01/11/23 19:10
佐々木只三郎(京都見廻組)
185175:01/11/23 19:53
この件は津本陽が重位の一生を書いた作品で取り上げられている。
で、自分が数年前に見たのは、たしか峰隆一郎氏の日本の全時代での
人斬りを解説した本だったと覚えている。(試合の事実も2人も無かったと)

もう一つ、津本は幕末の短編のある作品で、薩摩の使い手が一人で
見廻組の9人と戦って、たまたま下駄の鼻緒が切れて5人目あたりに斬られた。
・・・という話を書いた。
(新撰組に入ったスパイで、土方や沖田を練習試合で圧倒)
この話に関しても、峰氏の「京都見廻組」では
「実は少数の使い手以外の見廻組隊士はただの数合わせ。素人同然。」
とあり、「それなら多数を相手の善戦も納得できる。」と思った。

まあ数年前の記憶なんで、作者が峰氏だったかや本の名はうろ覚えなんだが
エピソードと反証のエピソードだけはきっちり覚えてる。
186175:01/11/23 19:56
作者は隆慶一郎氏(花の慶二)だったかもしれない。
187日本@名無史さん:01/11/23 20:05
それなら、峰(あるいは隆)氏が、何を根拠にそう言ってるのかがポイントになるね。
試合に関する一方の史料が見つからないだけで、もう一方の証拠物件を一切認めないってのは、ちょっと強引な主張の気もするが。
例の申し込み書類も捏造と断言する訳だからね。
信長に関して、信長公記にしかない記述は無視する、と言ってるようなものジャン?
188日本@名無史さん:01/11/23 20:47
系譜で考えると、陰流、一刀流、神道流、その他って事になるんだろうけど、
これらの派閥の中では何処が一番名剣士を輩出してるんだろ?
189日本@名無史さん:01/11/23 22:09
>>188
で、名剣士ってことになると、無難な所で、一刀流系じゃないかな。
陰流なら、奥山休賀斎、小笠原玄信斎系が名剣士を輩出してると思う。
神道流は、ちっと少ないね。
190日本@名無史さん:01/11/23 22:44
じゃ、ちょっと書いちゃおう。
まづ、愛洲威光斎=愛洲陰流
        ↓弟子
   上泉信綱(伊勢上)
        ↓弟子
   柳生石舟斎・丸目蔵人・疋田豊後・田宮平兵衛(居合)
-----------------------------------------
富田勢玄(中条流「富田流小太刀」)
        ↓弟子
佐々木小次郎(巌流「反発して長い剣」)・鐘蒔自斎(鐘蒔流小太刀)
-----------------------------------------
松山主水(一心流)
-----------------------------------------
辻月丹(月丹流)
-----------------------------------------
武蔵の一子・宮本幹之介「23歳で切腹・追い腹(殉死)」
武蔵の二子・宮本伊織「荒木叉衛門と引き分け」
191日本@名無史さん:01/11/23 23:41
幕末の剣聖、男谷精一郎も陰流系に属する、という事は島田や榊原もそうだよね。
一刀流だと、やはり千葉一門あたりが幕末の代表各か・・・
192日本@名無史さん:01/11/24 04:03
とりあえず名のある剣客の名前をだーと列挙してみてはどうでしょう?
そこから系譜作ってったほうが良さ毛。
193タイ捨:01/11/24 14:53
汎用性という点でタイ捨が柳生より数段まさっているとわたしは見ます。戦国を生き抜いた剣技だからこそ
後人がこれほど夢中になり論じるのではないでしょうか。戦国を語るときにつねに東西横綱として
武名を挙げられる武田信玄と立花道雪。この両名に関する語り伝えをきいても当時の武田家と大友家の
武名が遠国まで響き渡っていたことがわかる。豊後、肥後、肥前、豊前、筑前、筑後じつに九州六カ国の
守護職を兼ねて幕府から九州探題を拝命した大友宗麟。宗麟のもとで最強軍団を指図した豊州三老=
立花道雪、臼杵鑑速、吉弘鑑理。同盟者をみると実弟重治の養子先である菊池氏、おなじく短期間ながら
防長の主になったこれまた実弟大内義長、肥後最大の同盟者阿蘇大宮司家、球磨を治める相良氏、
北九州の筑紫惟門、秋月種実、宗像大宮司家。豊州三老につぐ家中の重臣で日南方面をみる田北鎮周、
佐伯惟教、そのほかに若い高橋紹運、志賀能次。武名のためにのちに大友宗麟から秀吉のもとに差しだされた
立花宗茂、大谷刑部らの青年武将たち。大友家にはまさに戦国を代表する勇将、猛将のリストが連なります。
豊後府中へ京都から招かれた文人、歌人らとともに武芸として正式に採用されたのがタイ捨流です。
つまりタイ捨流の位置づけは戦国の実戦と理論づけからなる武術であり、そのパトロンが大友宗麟で
あったという極めて高いレベルのものでした。当時、一武芸家として、政治、経済、文化面でそのレベル
まで達していたのは、丸目の師であった当の上泉信綱くらいのものでしょう。上泉信綱も丸目と同じく
武田上杉北条の激戦のなかで実戦の立ち回りを経験し武田信玄から仕官を懇願された経歴の持ち主です。
それにくらべて柳生の実戦経験はかなり見劣りします。奈良という興福寺らの寺院勢力がつよいなかで
筒井氏や三好勢らの小競り合いに参加したに過ぎなかったような気がします。要は陰流の奥義を極めても
スケール、実戦感覚において師の上泉からみたら丸目に過ぎる逸材はなかったようにおもえます。
194日本@名無史さん:01/11/24 17:30
東郷の弱みは戦場でのやり取りの少なさだねぇ。
195日本@名無史さん :01/11/24 18:19
やっぱ武蔵なんじゃねーの?
わかんねーけど(w
196日本@名無史さん:01/11/24 18:36
わかんねーなら口だすな、下郎。

ところで、>193の字面を見つめていると
なにやら見えてくる気がする。
いやもちろん内容もだが……
その、見た目が……
197日本@名無史さん:01/11/24 20:08
>>196
で、結局何が言いたいのかね、この下郎は。
198197:01/11/24 20:09
下郎というのは君のことだよ、>>196
199日本@名無史さん:01/11/24 20:45
タイ捨流は、凄い、それに比べれば柳生は、政治力ばかりって事?
じゃあ、タイ捨流を薩摩藩から叩き出し幕末まで250年間、最流入を許さなかった示現流は、
もっと上って事だな。
200日本@名無史さん:01/11/24 21:19
>>196
剣術はそんなに大名にとって魅力あるものなのでしょうか?
なら戦国時代は上から下まで剣術の修練にすべてを捧げ、
戦場での勝敗も剣術家の数と質で決まったんでしょうか?
201200:01/11/24 21:20
間違えたよ。203のほうだ。
202日本@名無史さん:01/11/24 22:07
居合やった事のある人に質問。

・東郷重位・・・碁盤を両断、さらに畳を切って、刃が床下に届いた
・吉田一無・・・相撲取りを横なぎに一刀両断、相撲取り微動だにせず、
柄で相撲取りの体を押すと、真っ二つに割れて崩れ落ちた

どっちも実話だけど、これって、単純にどっちがすごいの?
人間の体より碁盤の方が硬そうだけど、人間を一刀両断ってのもすごい。
203日本@名無史さん:01/11/25 10:22
>軍刀を振りかざして敵陣に突撃する日本軍のイメージは
>薩軍とダブるね。(やっぱ関係あるの?)
大日本帝国陸軍では、示現流の稽古は一切やってないようです。
当時の学校教育の場では、剣道は必修科目でしたが、示現流とは無縁の現代剣道でした。
ただ、鹿児島県に限っては、誰もが示現流の立て木打ちを日課にしていたそうです。
軍刀に関しては、薩摩刀は重量が妨げとなり、軍刀にされる事はなかったそうです。
204日本@名無史さん:01/11/25 17:59
うーん、どうも提示されてきた、示現流が弱いと主張する意見には恣意的な評価を感じるね。
戦国真っ只中の島津家指南役を三下呼ばわりとか、将軍家指南役が捏造だとか。
東郷が勝ってきた相手を強引に小物扱いしたがってならないみたい。
事実として、薩摩に根づいていたタイ捨流が駆逐された事や、
試合後の入門申込書が残っているという材料を無視するには充分でない様な気がする。
205日本@名無史さん:01/11/25 18:16
>>202
似たような伝説が多くの剣客に伝わってるが、実話とは思われない。
例えば碁盤を一刀両断なんて到底不可能。現在でも出来る人がいれば
新聞記事モノ。もちろん薄い板でできた碁盤なら可能だが。日本刀と
いっても鉄でできた刃物で文化包丁と変わらない。こうした逸話の殆
どは伝説。
206日本@名無史さん:01/11/25 18:29
>>205
そういう決め付けは無意味だよ。
碁盤は八寸の厚みだったそうだ。
タイ捨流贔屓だった当時の家久が、ケチをつける為にさせた事だと伝えられている。
それを見事に切ってみせて、後日家久が入門する事になる。
この一連の流れが全く創作とすれば、家久が示現流に帰依するキッカケが消失する。
207    :01/11/25 19:11
だーかーらー、柳生流より示現流が上だと言うのなら柳生兵庫介より
東郷重位の剣技が優れていたと実証してくれ。
208日本@名無史さん:01/11/25 19:22
まずは、兵庫介の強さの論拠は?
重位のエピソードは結構出されてるみたいだが。
209日本@名無史さん:01/11/25 19:27
みんな歴史学の前提を見失っちゃ駄目だぞ
210日本@名無史さん:01/11/25 21:35
あんたの東郷示現流への愛は感じるけど、あんたの方が恣意的だよ。
優れた剣客がたくさんいる中で、東郷もその一人に過ぎない。
しかも東郷の場合、当時の世間の評価は皆無で、後世に子孫が、
こんな逸話がありましたと古文書を見せているだけ。
この手の書が、先祖崇拝や、自己の正当性を高めるため、
恣意にとまで言わなくても、誇張して書かれてある例は、枚挙に暇がない。
簡単に将軍や天皇もだしにされてきた。
本当に優れているなら、昔咄や葉隠れなどのような著名な人が書いた書に、
ちらとでもその名が出ていれば、少しは評価もされよう。
また、本朝武芸小伝という、江戸中期に、天流の達人が、地道に地方を
渡り歩いて、武芸についてまとめた、類の少ない好資料とされる書に、
自源流の名しかなく、示現流も東郷も一切触れていないのは、
よくよく考えないといけないだろう。
弱いとは言わない。ただ、その客観性の少なさは、宮本武蔵の弟子が書いた、
二天記レベルだろう。
少なくとも武蔵には、渡辺幸庵対話や春山和尚墓碑銘など、他に色々あるのだが。
211日本@名無史さん:01/11/25 21:55
>しかも東郷の場合、当時の世間の評価は皆無で、後世に子孫が、
>こんな逸話がありましたと古文書を見せているだけ。

それって戦国の島津家の逸話にも共通してますな。
この種の逸話を全て事実だと強要してくるから、島津信者はイヤなんだな。
212日本@名無史さん:01/11/25 22:06
昔は、流派の名前すら命懸けで秘密にしておかねばならなかったような時代だったんだから、
とりわけ示現流ばかりが材料に乏しいという訳ではない。
島津信者でなくとも、例えば薩摩の地からタイ捨流が追われたといったような事実なんかは知れる訳だから、
示現流>タイ捨流と考える事は出来ると言っているんだよ。
一方、このスレで東郷がたいしたこと無いと繰り返してる人は、今まで一度も根拠を説明せず、
東郷の対戦相手を不自然な程に小物扱いする事ばかりしている。
そんな主張を真に受けられないというだけの話に過ぎない。
碁盤が実話でないとかいう意見も、自分には無理だから、東郷にも無理だった筈と決め付けてるだけじゃん。
213日本@名無史さん:01/11/25 22:20
命がけで秘密って、あんた変な小説見すぎてない?
それに、示現流>タイ捨流にならないって。
薩摩だけで示現流が取り入れられたってだけでしょう。
九州じゃ、圧倒的に、タイ捨流>示現流だっつの。
本当に示現流が優れているなら、他にも広まっただろ。
薩摩は、自分のところは、自分だけの流派にしたいから、
タイ捨流を捨てただけとも取れる。
電波に何言っても無駄だと思うけど、
ちとは自分の頭で考えましょうよ。
214日本@名無史さん:01/11/25 22:21
最強の剣士は
機動戦士ガンダムです。
215日本@名無史さん:01/11/25 22:39
ギャンの方が剣士っぽい。
216日本@名無史さん:01/11/25 22:40
いや、ダンバインの方が・・・・
217日本@名無史さん:01/11/25 22:44
中村半次郎
218日本@名無史さん:01/11/25 22:45
■変な小説■
津本陽
司馬遼太郎(まあ作品は大昔だから)
池宮なんとか
森村誠一
219タイ捨:01/11/25 23:12
>>199タイ捨流は、凄い、それに比べれば柳生は、政治力ばかりって事?
じゃあ、タイ捨流を薩摩藩から叩き出し幕末まで250年間、最流入を許さなかった示現流は、
もっと上って事だな。

>>200剣術はそんなに大名にとって魅力あるものなのでしょうか?
なら戦国時代は上から下まで剣術の修練にすべてを捧げ、
戦場での勝敗も剣術家の数と質で決まったんでしょうか?

199

江戸期の薩摩藩が正式に採用していた軍学が甲州流軍学であったことはご存知でしょうか?
家久公のいわれた「真田日本一の兵 古よりこれに並ぶものなし」真田幸村の大御所家康の馬印を
倒した猛突撃はまさに信玄得意の車がかりの法であったといわれています。
一応このころ通説として信玄は神格化されその言動、戦法、陣立は神がかり的なものがあったと
されていました。特に徳川将軍家が甲斐など武田遺臣を多く召し抱えたことからくる引き継がれた
神話のようなものがあったのです。兵法においても武田勢の重圧を斬りぬけて落ちていったという
逸話ののこる上泉伊勢守は論議の余地なく剣術史上至高の存在とされています。

これにはわたしもあえて反論しません。上泉伊勢守のエピソードは黒澤映画でも使われていて
いわば固有名詞を越えた武芸家の究極の像というレベルにまで止揚されたんだと受け止めています。

その上泉が実は弟子というより自分にはある意味で持っていないものを備えた人物
実は同等にとらえていたのではないか、と思われるのが丸目蔵人の存在です。
これはわたし個人の推定にすぎませんが。で、薩摩の兵法についてはとやかくいえませんが、
すくなくとも実戦の経験と試合経験ですね。丸目と上泉には義輝将軍の前での御前試合、
正町天皇の前での天覧試合という史実があります。

》 200

剣豪将軍義輝にはじまり、武芸という一種の格闘技に興味をしめした大名もいるようです。
その一人が大友宗麟だったということです。汎用性という点でわたしが示現流に疑問符を
つけざるえないのは、薩摩という南九州のシラス台地における戦闘はおそらう徒士立ちで
中九州、北部九州のような騎馬戦はみられなかった形跡があるのです。武田軍団にしろ
大友軍団にしろ共通点は佐久駒ヶ岳近辺や阿蘇九重の良駒の産地を領下にもっている
ということです。弓や火器でまず敵陣に先制攻撃をくわえ、つぎに騎馬隊の破壊力で敵陣を
壊滅させ、白兵戦はおそらく残勢を掃討にかかるときにつかわれたのが武田大友の陣立て
とおもわれます。

たしかに城の攻守では最初から白兵戦が予想されます。薩摩の場合はいわゆる
われわれ現代人のいう「城」という概念の要塞があまり見受けられず、古代から近世に
一気にとんだような感さえあります。とにかく薩摩の勝利はほとんどが野戦での釣りのぶせです。
これは伏兵の設置にしても土地勘のあるところでしかつかえません。一気に勝負をつけるために
一撃必殺という思想が薩摩にあったのは認めます。でもそれも状況によりけりです。

タイ捨には南洋のムエタイを思わせる躍動感があります。つねに足を動かす
アウトボクサーのように敵の射程距離から外れるという努力も必要です。
居合い的な動きは畳の上とか狭い庭では有効かもしれませんが、
戦場でとなると。相手がアウトボクサーならファイター型でもまずは
相手の懐に飛び込む必要がありますね。それを外される。また追いかける。
外される。そんな動きこそタイ捨流です。タイ捨は体斜ともいわれ体を異様に
傾けるというくらい居合系の動きとかけ離れています。
220日本@名無史さん:01/11/25 23:13
純粋な剣腕よりも
宮本武蔵のような駆け引きのほうが大事なのではないだろうか。
正面から向き合って一対一で斬り合い始めるような状況はあり得ないから。
そういう事を考えると、戦国期の名のある剣豪は皆同じくらいの
強さなんじゃないだろうか。
あとは、自分にとってどれだけ有利な状況を作り出すかということくらいでしょう。
221日本@名無史さん:01/11/25 23:44
多分、その時の殿様の好きずきだったんじゃないのかな?
柳生の場合は、柳生&伊賀っていう諜報組織として重用されたってのもありそう
だし、示現流の場合にしても、なんか殿様に気に入られる要素があったんじゃない
の?
222日本@名無史さん:01/11/26 00:19
示現流は、当初からお留め流儀として、
薩摩国内の平民にすら練習光景を見せないはどの秘密保持が図られていた。
広まらなかったのは当然。
広めようとしてないんだから。
従って、それをもってしてタイ捨>示現の根拠にはならない。
223はいはい:01/11/26 00:26
はいはい。幕末、薩摩が強かったのは、
経済に裏打ちされた新しき兵器。
示現流は、歴史に意味を留めていない。
無意味じゃ。
チェストーってバカじゃん。
さすが、藩主をないがしろにする薩摩だね。
224日本@名無史さん:01/11/26 00:32
というか、戦国でも野太刀は主力兵器だったが「剣術」なんて大して重視されてない。

>222
薬丸流だと庭で立ち木を何千と打つから、秘密保持もへったくれもない。
225日本@名無史さん:01/11/26 00:44
>>224
222が無知だというのがよく分かりました。
示現流って幕末でも名剣士ってほとんど輩出してないんですよね。
暗殺剣ふるった奴が何人かいるだけ。
平均レベルは高かったと思うけど。
226日本@名無史さん:01/11/26 10:18
さいこうのけんかく それはわからないということです
END
227日本@名無史さん:01/11/26 10:33
>>206
まあ、厚み八寸の碁盤というものがどんなものか見てちょうだい。八寸なんて
とてつもないのは売ってないようだが。
http://ww1.tiki.ne.jp/~igoshogi/bargain/bargain2.htm
これを日本刀で二つに切るのは99.9999...%不可能でしょう。この世からノコギリ
が不要。だから、伝説としては面白いのですが。剣豪伝説に伝わる話の多くは誇張、
虚偽、....に過ぎない。
家久の話も全部作り話かも。出典は何処でしょう?

誰か碁盤を日本刀で切った経験者、目撃者のコメント希望。
228日本@名無史さん:01/11/26 11:04
227さん
こちょう きょぎである しょうこ こんきょをしめしなさいな
229日本@名無史さん:01/11/26 11:21
>227
どうせ さつなんじげんりゅうがでどころって
しってるんだろう?
つもとようにきいてみろや
230日本@名無史さん:01/11/26 11:38
とりあえず>>218あたりの小説がソースな妄想はやめてくれ。
231日本@名無史さん:01/11/26 12:01
227=230
まずおまえのもうそうかきこをやめろ
こちょう きょぎのしょうこだしてからな
232日本@名無史さん:01/11/26 12:10
とりあえず>>230あたりの「変な小説」を「ソース」に読み替える妄想はやめてくれ。
233日本@名無史さん:01/11/26 12:22
どう見ても出所は つもとよう にしか思えないんだけど。
234日本@名無史さん:01/11/26 13:26
>>228,229
227は230とチャウで!
厚さ8寸(約26cm!)の"つげ""かや"のような硬い木で作られた碁盤を、鉄の
刃物でどうやって一刀両断できるの。マキ割りしたことない?斧でも切るという
より、衝撃で割るって感じだ。日本刀にそんな威力があれば産業応用が可能で、
ノコギリ、斧、は要らないでしょ。だからデンセツなの。日本刀で体を切る話も
デンセツ。

どう考えても立証責任は、「日本刀で厚さ8寸の碁盤を一刀両断にできる」と主張
する側にある。
235日本@名無史さん:01/11/26 13:46
電波ツモトの小説だと、碁盤斬ったのは日本刀?野太刀?
236日本@名無史さん:01/11/26 14:44
火村剣心に決まってるだろうが・・
237日本@名無史さん:01/11/26 14:55
>>236
字を間違えてるよ…(´Д`;)
238日本@名無史さん:01/11/26 15:44
剣客なんて人間のクズ
あほか
239日本@名無史さん:01/11/26 16:15
234
でんぱちゃん きちがいなんだね はいはいでんせつね
235
なみのひらのうちがたなだったとおもう
240日本@名無史さん:01/11/26 18:03
>>相撲取りを横なぎに一刀両断、相撲取り微動だにせず、
>>柄で相撲取りの体を押すと、真っ二つに割れて崩れ落ちた

これも電波ツモトが出典?
どう考えても漫画か映画でしか有りえない。ためしに刃物で肉切ってみな。
昔、日本刀でマキ割りしたことがあるので。日本刀も普通の刃物の一つ。
241島津月下斎:01/11/26 18:12
足利義輝
242日本@名無史さん:01/11/26 20:59
大正時代に江連力一郎がロシア人の船員を日本刀で頭から一刀両断したのも『伝説』なんですか??
243132:01/11/26 21:04
>>236>>237
・・・てか実在してないじゃない
244日本@名無史さん:01/11/27 00:40
>>240
まあ、あれだね。大山ますたつが、素手で電信柱だっけ、倒したとか、
そういう伝説と同レベルだね。
ただ、真剣で、首は落とせると思う。胴もうまくはいれば逝けるかもって気も・・・。
でも、やっぱ碁盤は無理。
245名無し@人斬り厨房:01/11/27 08:29
>203
解説ありがとうございます。
日本軍の剣術指導に薩摩・示現流は関係ないんですね。
やはり映画とかは見栄えを良くする為に平気でウソをつきますからね。
示現流的なトンボの構えによる突撃は迫力がある。

そういえば、15年くらい前に年末にやってた
二夜連続ドラマ「白虎隊」でも、なぜか白虎隊の少年達が
トンボの構えで敵陣に突っ込むシーンを見た覚えがある・・・う〜む。
246:01/11/27 08:39

ヤフーオークションで、凄い人気商品、発見!!!

コピーガードキャンセラー↓
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b18032656

注目のオークションに適用される事、
間違いないですね。

私も買いました。

皆も買いましょう。
247日本@名無史さん:01/11/27 09:36
胴が日本刀で一刀両断できることは、首斬り浅右衛門の試し切りで証明
されている。ただ、

>>相撲取りを横なぎに一刀両断、相撲取り微動だにせず、
>>柄で相撲取りの体を押すと、真っ二つに割れて崩れ落ちた

のような、切っても立ちっぱなしの人間ダルマ落としのような技は不可能だろう。
トンでもなく太い大根なら可能かも。
248日本@名無史さん:01/11/27 16:23
>>86
当方彦根出身だが、もしよければソース教えて。
249  :01/11/27 16:28
そんなん、抜刀斎に決まってる、山県有朋が、最強と認めたんだか。

ごめん。。。
250日本@名無史さん:01/11/27 16:29
日村剣心でしょ、その次が斎藤一
251 :01/11/27 16:30
>>249
しかし、抜刀斎って異名、ダサイよね・・
252日本@名無史さん:01/11/27 16:35
>>250
緋村だって・・・
253日本@名無史さん:01/11/27 16:46
>>249
山ちゃんって強いの?
まあその山ちゃんが認めたぐらいだから
火村は最強と言っていいですね。
254日本@名無史さん:01/11/27 17:42
橋本龍太郎
255日本@名無史さん:01/11/27 19:04
「電波ツモト」
関が原の数日前の前哨戦で、島津の鉄砲隊が家康を切腹寸前にまで追い詰めた
という小説を書いた勇者。
256日本@名無史さん:01/11/28 14:36
>>当方彦根出身だが、もしよければソース教えて。

彦根城は何度か行きましたよ。素晴らしい城ですね。ソースは

吉村昭著「桜田門外ノ変〈新潮社〉
歴史読本1993年5月号「特集大老暗殺桜田門外の変」(図書館にあるでしょう)

です。吉村氏の本では名前は出てませんが、歴史読本には名前も載ってます。
籠の脇で一人の侍が二刀流で立ち向かっていたのは複数の目撃証言が残ってい
ます。まず葛西忠左衛門(名前はうろ覚えなので間違っていたらゴメン)に間
違いないでしょう。私も一度、この侍の生い立ち、流派、家族のその後に調べ
てみようと思っていました。

逃げ去ったり、刀から皮袋がとれす苦戦した侍もいた混乱した中で、きちんと剣
の構えをして立ち向かったと記録にあります。素肌で真剣をもって複数の敵と渡
りあった侍なんてなかなかいませんよ。
257日本@名無史さん:01/11/28 15:55
薩摩剣士がよくいう「チェストォ!」って、どういう意味?
腰を使え!って意味?
258日本@名無史さん:01/11/29 10:56
agetemiru
259日本@名無史さん:01/11/29 11:37
剣豪談義は面白いね。

「拙者、神道無念流を少々、貴殿の流儀は?」と言いながら日本刀をサラリと
抜いて青眼に構える、なんて映画の画面を思いだします。で、殺陣が始まると
神道無念流も示現流もあまり変わらないんですよね。コレガ

で、実際の正々堂々の切りあいはどんなもんだったのでしょう。福沢諭吉
の本に目撃談が載っていたというのを聞いたことがありますが。テレビ
の時代劇みたいな侍いたのでしょうか?例えば男谷精一郎なんかは、実戦
でもテレビの殺陣のような技が出せたと考えていいのでしょうか?
260日本@名無史さん:01/11/29 14:48
>>254
激ワラ
261日本@名無史さん:01/11/30 01:08
そういやちょっと上にもあったけど福沢諭吉って剣豪だったんだね
262日本@名無史さん:01/11/30 01:28
勝海舟もな。
263 :01/11/30 01:41
前田慶次に勝てるわけねーだろ(w
264名無し:01/11/30 01:55
岩佐英範(第49回全日本剣道選手権大会優勝)
265日本@名無史さん:01/11/30 15:18
>>264

どう考えても現代剣道の選手は、除外だろ。
剣道の試合を見ていれば分かるが、強い選手ほど最小の動きで攻撃を外す(例えば面を首を捻って
かわし肩で受け止めるなど)があれは、剣道という競技なら有効な技術だが実戦での真剣相手だと
全く意味の無い技術である。
真剣が肉体に当たれば容易に戦闘力を喪失する事が想像できるのに、競技における有効部位以外の
体で受け止める事を中心に練習しているようだと実際の戦闘でも無意識にそういう事をしてしまい
そのまま切られて終わりだろう。
現代剣道(及びその原型となった北辰一刀流)は、竹刀を使う事で練習での怪我の可能性を極力低く
抑える事が出来るようになったが競技としての(真剣を使う実戦において、役に立たない)技術が
中心になってしまい実戦での有効性は、甚だ疑問であると言わざるを得ない。
266日本@名無史さん:01/12/01 10:58
>>265
激しく同感。例えばコテ、メンと打つと両手を一杯のばして相手にぶつかるように
攻めるが、人間の急所である腹を無防備のまま前面に出してしまう。防具なしの
実戦では、とても不可能な技だと思う。

実戦ではどのような防具を付けているかは、勝敗を分ける決定的な要素に違いない。
264で言われているようなことも、鎖帷子、鎖頭巾を付けていれば可能。忠臣蔵で
もそのような証言があった。荒木又衛門も鎖帷子を着ていた筈。

例えば、腕に防具を付けていれば、左手で相手刀を受け止め右手の刀で相手を切る、
という技も可能。実際の試合でこのような技を出した侍を「反則」だと責めたところ、
「自分は戦場ではいつもこうやって戦っていた」と答えた、と本で読んだことがあ
る。
267日本@名無史さん:01/12/02 09:22
碁盤を一刀両断の話があったが木目にそって切れば可能。
上のほうのスレで薪割りしたひとが無理といっているがその人は雑木しか
割ったことがないのでは?
当時中学生の俺でさえ直径20センチ長さ30センチの杉の木を難なく割ることが出来た
それを半分にするなら片手持ちのナタでさえ軽く割れる。
節のない木で木目の通ったまっすぐな杉、ヒノキ系なら刃物で切ったように
きれいにパッと割れる。
しかし雑木のたぐいはまったく上手く切れなかった。刃が食い込んでだめ。
木目が縦にきれいに通っていればカヤあたりの堅い木でも
碁盤を垂直に立てて上段からまっすぐ木目に沿って刀身を振り下ろせば
木目に沿ってスパッと切れる(割れる)はず。
もちろんかなりの技術を要するのはゆうまでもない。
木によって堅いとかもろいとか特徴があるので「碁盤を切ってみよ」と
いわれたときその碁盤が割りやすい木質だと見抜いたと思われる。
268267:01/12/02 09:41
刀で人を切るのはすえもの切りなら
五つ胴を首切り浅右衛門こと公儀介錯人山田浅右衛門がやってます。
5人一度に重ねて一刀両断。あー恐ろし
動いてる人を両断したって人の話はさすがに知りませんね・・・

兜割りなら明治に榊原健吉が胴田貫で明兜に切り込みいれてます。

というわけで日本刀は使える奴が使うと恐ろしく切れる
ということでよろしく
269日本@名無史さん:01/12/02 11:43
>>268
灯篭が斬れるってのも本当なの?
270日本@名無史さん:01/12/02 11:59
>>268
吉田一無は斬ってるね。
上杉鷹山の警護役で与太飛ばす奴じゃない。
そもそも抜刀術極めて、何人も斬ってきた奴なら、
人間ぐらい簡単に両断できるだろ。
でも、山田の胴は、屍だろ、大した事ない。
それと、兜割りは、榊原以外の有名剣客がことごとく
へたれだったことを証明しただけだな。
271日本@名無史さん:01/12/02 12:26
江戸の三大道場とか、勤皇とか、尊王のヘタレ剣士は口先ばかりだったって訳よ。
晩年の榊原の足元にも及ばん。
ブタの試し切りで名刀をひん曲げて、鞘にも納められず持って帰った情けない奴
とかね。
272日本@名無史さん:01/12/02 13:22
>>271
誰?>情けない奴
273日本@名無史さん:01/12/02 14:08
柳生石舟斎 vs 北畠具教
北畠具教の1勝1引き分け
274267:01/12/02 16:59
>>269
灯篭を右袈裟にスパッと切るなんてのは無理でしょう。
ただ灯篭などに使われる花崗岩てのは比較的加工しやすい石なので
どこをどうたたけば簡単に割れるって石工ならたいていわかるそうです。
そこにクサビを打ちこめば大岩もパカッと割れます。
ということで剣に精通したものならば灯篭の一番もろい部分に
打撃を与え割る(壊す)は可能と思います。
割る=切るという表現でよければ可能ということになるのかな
刀は痛むと思いますが。
275日本@名無史さん:01/12/02 17:08
碁盤をスパっと斬れる、灯篭も斬れる、人だって一刀両断、
てのは凄いけど、それが1番上手く出来る奴が
1番強いってわけじゃないんだから、
あまり意味のない議論ではないかい?
276267:01/12/02 17:32
>>275
それはそうですね。
ためし割りのうまい奴が実戦で強いかというと
必ずしも一致しないでしょうから。
ただ上のほうで99.9999%できっこないとか言っていた方が
いたのでちょっと書きました。わき道にそれすぎたかも知れません。
それじゃさいなら   ・・・木の葉隠れの術 ヒュゥゥゥぅーーーー
277 :01/12/02 22:26
伊藤一刀斎とか塚原ト伝の書き込みが少ないけど文献が少ない所為かな。
男谷精一郎、島田虎之助、榊原健吉は幕末の剣豪として突出しているらしいね。
田原坂での元会津藩士の戦い振りは凄かったらしいね。
278日本@名無史さん:01/12/02 22:44
榊原は撃剣興行が著しく評価を下げる原因になってるね。
当時の武道家の多くが「武道を見世物にするとは何事か」
と言って怒ったから。しかし、このおかげで命脈を保った
流派も多くその功績は大きいと思う。
279日本@名無史さん:01/12/03 00:08
当時の風当たりはきつかったでしょうね。
280彦根者:01/12/03 03:42
>256
ありがとうございます。郷土のことながら初めて知りました。
これからマニアックに調べてみますね。
281ハヤ:01/12/03 04:10
テリー伊藤vs和田勉で決定って言うのはどう?
282267:01/12/03 10:25
上泉伊勢守信綱、塚原ト伝、伊藤一刀斎あたりは強かったと思いますよ。
資料が少ないのでどうしても脚色されてる部分が多くなってますけど。
彼らは介者剣法から素肌剣法へと時代が変化するなかで
槍や長刀などの異種格闘技戦も極めていたということは実戦において
きわめて強いことを現しています。
幕末の頃やたら長いインチキ竹刀を持った大石進とかいうやつに
有名道場の名のある剣士はほとんど勝てなかったあたりに道場剣法と
実際の切りあいの差を感じますね。

戦国から江戸初期の頃の剣豪なら相手の得物に対してこちらも策を練るし
心理作戦や地の利を活かして確実な勝利を得たことでしょう。
塚原ト伝や上泉伊勢守信綱あたりならはなっから相手にしないでしょうね。
若き日の武蔵ならそんなやつあっという間に切りすてたでしょう。
283267さんへ:01/12/03 10:37
むさしなら
きっとにげまわったことでしょう
284267:01/12/03 10:50
いや相手を上回る長い木刀を・・・・(以下省略
285日本@名無史さん:01/12/03 10:51
クソ力で丸太でも振り回すんでない?
286267さんへ:01/12/03 11:21
たけだしんげんのところににげこむ
ひれつだね
287日本@名無史さん:01/12/04 02:24
上泉、ト伝いいとして、一刀斎は疑問だな。
あと、その論理で良くと、山中鹿之助とか
その辺の方がさらに強いってことになりそう。
288 :01/12/04 19:03
カムイが一番。忍者技が使える。
289日本@名無史さん:01/12/04 19:13
大河ドラマで安達泰盛がメチャメチャ強かったよ
290納得:01/12/04 19:50
や、や、泰盛、、、オマエはつよすぎる、、、、、、、
291なんか:01/12/05 00:38
5人や6人じゃなくて20人くらい斬り捨てたような気がする。
ハチのまわりに家来がもう誰もいなかった。なぜ動揺しないのハチ?
292日本@名無史さん:01/12/05 01:42
武蔵坊弁慶
293日本@名無史さん:01/12/05 11:39



剣客の技量と、佩刀の優劣との相関関係を述べよ。
294日本@名無史さん:01/12/05 13:07
示現流の話はどこいったんだ?
295史上最強の剣客:01/12/06 03:27
それはもちろん安達泰盛
296日本@名無史さん:01/12/07 01:36
日本史上最強の剣客→根岸兎角
297日本@名無史さん:01/12/07 02:28
あんがい河上彦斎かも・・・
298日本@名無史さん:01/12/07 04:48
てんどうしんすけ
299日本@名無史さん:01/12/07 05:26
加賀野井重望
300日本@名無史さん:01/12/07 08:16
>>294
示現流の話はもう止めときましょうや。あれるから。
かなり強いってあたりでなっとくしといて下さいよ。
301:01/12/07 13:16
ともかくわれわれはかんぜんなるけんかくのデ−タをもっていないのだから
わからんのです けつろんとしてふめいでおわります
302日本@名無史さん:01/12/07 17:15
薙刀の女性と剣道の男性のイクジビジョンマッチて時々ありますよね。だいたい、
互角の試合になるんですが、これって、もし、薙刀が男性だと圧倒的に薙刀が強い
ということになりますよね。昔、本で読んだんですけど、槍と刀の試合をすると
もう、圧倒的に槍が勝ってしまうそうです。小さい頃のチャンバラ遊びでも、長い
竹を持って「オレ、槍」というやつがきたら「おまえ反則」としました。だって、
チャンバラにならないから。

実戦での刀の威力ってこの程度のものっだったのではないでしょうか?平和な江
戸時代になって一種のスポーツとして剣が隆盛になった、ということではないで
しょうか。
303日本@名無史さん:01/12/07 17:23
坂東妻三郎
304日本@名無史さん:01/12/07 18:12
302が言いたい事はわかるけどここ剣客スレッドだし。
それ言ったら剣より槍、槍より鉄砲、てことになっちまうべや。
305日本@名無史さん:01/12/07 20:00
>302
時と場合によるだろ。
池田や事件のとき新撰組は槍で突入したか?


実戦にもいろんな形態がある。
306日本@名無史さん:01/12/07 20:37
一人で複数の敵と戦う時、槍は不利
刺して抜けなくなったらもうだめなのでは?
307日本@名無史さん:01/12/07 23:33
足利義輝
308日本@名無史さん:01/12/08 00:19
森要蔵親子。
309日本@名無史さん:01/12/08 01:21
>>300
たいして強くないが正解
310日本@名無史さん:01/12/08 01:23
>>309
だから、そういうことを書くとあれるから、ってんだろうがよ。
311 :01/12/08 01:25
馬上戦だと片手で扱える刀が有利かと。
312日本@名無史さん:01/12/08 01:38
>>310
あれるもなにも事実だからしょうがないだろ。
313日本@名無史さん:01/12/08 02:40
>>302
昔の剣客は、槍・薙刀・柔術など色々できて普通だったのに、
今のもんはって、明治の有名な剣客が、嘆いていたね。
実際、薙刀を大成したのは、柳生や宝蔵院とも親交の深かった、
穴沢某だしね。槍・薙刀・剣全て出来て一人前。
どっちが強いかってのは、五輪の書でも読んで、
自分で解答見つけてね。書いてあるから。
314日本@名無史さん:01/12/08 07:22
刀は不利。
賎ヶ岳の七本槍はその後生きて誉れをうけたが、三本刀は全員死んでいる。
馬上は短槍。
315日本@名無史さん:01/12/08 10:45
日本で「刀」以外の「剣」が普及しなかったのはどうして?
剣客ではなく刀客じゃん。
刀道といわず剣道と呼ぶのも分からん。
刀は剣類に含まれているのかな。
316古武道経験者:01/12/08 12:47
>>314
不安定な馬上で片手だと「突く」より「斬る」ほうが良さげだけど。
徒歩戦だと刀は不利だろうけど。
317日本@名無史さん:01/12/08 19:23
>>316
馬に乗ってるのに止まって斬り合う方が意味ないような気がする
318316:01/12/08 20:08
>>317
不安定な馬上で、動きながら片手で槍をくり出しても
うまく相手の喉や脇腹に刺さらない様な気がします。
319日本@名無史さん:01/12/08 20:43
馬上戦は無いって。みんな降りて戦うの。
320日本@名無史さん:01/12/08 22:42
>刀は剣類に含まれているのかな。
含まれます。
321日本@名無史さん:01/12/10 11:20
とりあえず、ageときます。
剣客伝説と実際の剣との違いに興味があります。剣道やってて思ったのは、
偶然の要素が大きい競技ということです。柔道では9連覇の記録がありま
すが、剣道では連覇すらないのでは。ある程度練達すると勝負は時の運で
決まると思います。最強の剣客は最高運の剣客でしょう。あるいは、剣以
外の要素で決まると思います。例えば、情報、作戦、お金、女・・・。
322日本@名無史さん:01/12/10 12:16
>321
竹刀で面や小手など決まった場所以外の所たたいても
一本にはならないし大してダメージもないけど、
ホンモノの刀でだったら何処斬られても大怪我だし大変。
「スポーツ」である剣道とほんとの斬り合いは一緒くたに
はできないんでないか?
323日本@名無史さん:01/12/10 14:03
>322
ええ、剣道は実戦より実力が出易いように運で決まる要素を少なくして
あると思います。ですので、実戦ではもっと運が大きな要素になると思う
のです。例えば、石に躓くとか、前の晩に食べたうどんが良くなかった
とか、逃げた女のことが気になって気が散ったとか・・・。
324日本@名無史さん:01/12/10 14:22
↑…それって「剣道」が実際の斬り合いよりも高尚だって事?

女とか旗具合とか、命懸かってる斬り合いの最中そう気をちらしてもいられないと
思うけどな〜。剣道の試合だって、普通女の事や雑念は払ってないと勝てないだろ?
325天朝万歳!:01/12/10 15:06
>>319
おそらく戦国時代のことを言っているのでしょうが、
古き良き頃の日本の合戦では騎乗したままの一騎討ち
が行われていましたよ。
326天朝万歳!:01/12/10 15:18
>>302
戦前の
薙刀と剣道の他流試合では剣道は薙刀の足払いに
苦しめられていたそうですよ。
327kab:01/12/10 15:22
日本のことなんだろうね?
漫画で 坂本竜馬がムーチョ強かったと なってたな・・・
328天朝万歳!:01/12/10 15:26
>>313
剣道の話しとも関係ありますが、盾を持たない日本の
合戦では組み討ちに至るケースがよくありました。
そのため平安末から戦国に至るまでものもふは
相撲で組み討ちの鍛錬をしていたものです。
また、江戸時代になると柔術や鎧組などで組討ちの
稽古を行っていました。
戦前までの剣道はこの伝統を踏まえて組討ちのような
ことも行っていたようです。
また、韓国の剣道はこの戦前からの流れをくむ荒荒しい
もののようです。
329ムー帝国:01/12/10 17:40
>>324
いえいえ、そういう意味ではありません。剣道は普通3本勝負です。これでも
実力差が小さいと、実力通りの結果にはいきません。フェンシングはもっと多
かったですよね。しかし、剣の真剣勝負は一本勝負のデスマッチ。ほんのちょ
っとしたことが、勝負を分けるという意味です。例えば、蚊が目に入ったとか、
「よう日本一!」とかの応援が気になったとか・・・。フェンシングのように
本数が多ければ挽回できます。
330日本@名無史さん:01/12/10 19:27
ちなみに竹刀剣道でいくら強くなっても人は斬れない。
むしろ、竹刀剣道の人間には警棒かなんか持たせたほうが効果的だろう。
331日本@名無史さん:01/12/11 02:29
>>327
坂本は伝わる話を総合するとあまり強くないね。
332日本@名無史さん:01/12/11 05:16
大和龍門
あのマイクタイソンすら戦うのを避けたぐらいの実力者!
素手でもかなりのものらしい。
333日本@名無史さん:01/12/11 09:24
剣道は斬らずに叩くからね。
真剣ではあのやり方では斬れなさそうですね。
逆に木刀とか持たせておいた方が強そうだね。
334天朝万歳:01/12/11 21:46
┌───────────────
│相撲こそ日本武道の原点じゃ!

└──v────────────

幡   ∧ ∧
大   (#゚Д゚)  ξ
菩   <武y 7っ-
薩   ( /つ)[o]
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
335ムー帝国:01/12/14 18:09
どんどん下がるのでアゲときます。
前に書いた井伊大老の脇侍

”葛西忠左衛門”は
”河西忠左衛門”

の誤りでした。ゴメンナサイ
336天朝万歳!:01/12/14 18:55
┌───────────────
│参州吉良公と播州赤穂義士の
│ご冥福をお祈り致します 合掌!
└──v────────────

幡   ∧ ∧
大   (#゚Д゚)  ξ
菩   <武y 7っ-
薩   ( /つ)[o]
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
337日本@名無史さん:01/12/14 19:01
伊藤一刀斎は扇子一本で中国(支那)武術を
使う中国人(支那人)を倒したそうです。
ちなみに支那人は長刀を振り回していたようです。
現在の武術界でも中国武術ははったりだけで
実戦派の日本武道にはかなわないのは定説ですが、
既にこの頃からコテンパンにのしていたんですね(w
338日本@名無史さん:01/12/14 19:14
>>337
「扇子一本」は鉄扇だったんじゃないの?
339日本@名無史さん:01/12/14 20:26
遮那王様が一番強い。
340日本@名無史さん:01/12/14 21:27
まあ、本当に強いやつは暗殺稼業とやってそうだから
歴史の表舞台にはいなさそうだ
341日本@名無史さん:01/12/16 02:48
伊藤一刀斎なんて嘘八百のいんちき流祖は出さないように。
中国武術出すなら、明人、陳元贇でしょ。
1587年生まれ。少林寺で一年修行し、日本に渡来、
将軍家光に謁し、尾張藩に仕えた。多芸多才にして博覧強記。
良移新当流や後の直信流柔道に多大な影響を与えた、天才拳闘家。
少林寺では並程度の人物が、日本では圧倒的な強さを示したが、
当時の日本の現実。
342日本@名無史さん:01/12/16 03:26
>335
散々調べたのに〜。泣。
343日本@名無史さん:01/12/16 03:28
暗殺剣使いは剣客って言うか?
>340
344日本@名無史さん:01/12/16 03:32
現代の剣道チャンピオンが強いんじゃないか。
陸上競技見ればよく分かるけど年々記録が伸びてる。
練習法とかも科学的に進化してるだろうし。
345日本@名無史さん:01/12/16 12:16
伊藤一刀斎を否定したら現代の剣道は成り立たないね。
一刀流を知らず、講談の読みすぎだよ、キミ。
>天才拳闘家が少林寺では並程度
どういう意味だよ?
346日本@名無史さん:01/12/16 12:34
>>345
講談の読みすぎの馬鹿には説明しない
347日本@名無史さん:01/12/16 13:13
>>341
陳元贇については既に多くの人が研究していますが、
彼が武術を習った形跡はどこにもないというのが定説です。
その少林寺を習ったというのはどこから出てきた話しでしょうか?
是非、出典を教えてください。

彼は文化人であって武術家ではありません。

それから「拳闘」っていうのは一般的にボクシングのことですよ。

あまり、適当な書きこみをするのはやめてください。

一刀斎対唐人十官の対決は一刀斎の戦いの中でももっとも
信憑性のあるもののひとつです。
348日本@名無史さん:01/12/16 13:16
>>344
竹刀剣道で人は斬れません。これは武道界の常識です。

こちらを参照してください。

竹刀剣道で人は斬れぬ!
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1008033049/l50
349日本@名無史さん:01/12/16 13:53
戦国時代から江戸初期にかけて
日本の侍達が明の沿海部で暴れまわっていましたが、
明人は日本剣術にまったく歯がたちませんでした。
そこで、日本人の日本刀を輸入し、研究してできたのが
現在、中国武術で使われている苗刀なのです。

この時に日本刀とともに日本の剣術や柔術が大陸にもたらされた
とも言われています。
350日本@名無史さん:01/12/16 13:56
張飛と宮本武蔵ってどっちが強いと思う?
351日本@名無史さん:01/12/16 18:14
武将と武芸者をくらべるのは難しいよ。
剣だけの勝負なら武蔵だろね。
352日本@名無史さん:01/12/16 21:41
>>347
あまりにいい加減な話書くのは止めましょう。
拳闘は該当する言葉がなかったので、適当に付けただけです。
一刀斎対十官は何を根拠に信憑性があると言っているのですか?
そちらこそ、是非、信憑性のある出典を教えてください。
353日本@名無史さん:01/12/16 21:45
それと、あなたは、福野や三浦が与太を飛ばしていると
お考えですか?
354日本@名無史さん:01/12/16 21:50
それから一刀斎で信憑性のある仕合もあわせてお願いね。
あればね(藁
一刀斎に比べれば東郷の方がまだ信憑性がある。
355日本@名無史さん:01/12/16 21:58
>>347
定説とか言っている奴馬鹿ばっか。
それで何が証明されると思っているんだろう(藁
自分の頭で考えることができないんだな。
356日本@名無史さん:01/12/16 22:11
りょふ>>>かんう>ちょうひ=ちょううん>>>>>>武蔵
357日本@名無史さん:01/12/17 14:00
>>341
陳元贇が少林寺拳法の使い手だったなんて初耳だね。

支那人はすぐにウソをつくし、最近では連中による強盗事件
も頻発してるし、本当にタチ悪いね。
358東国のアズマ:01/12/17 14:03
>>352
ようはあんたがバカだったってことの告白だろ。
バカならバカなりに黙ってろよ。
「拳法」という言葉が思いつかずに「拳闘」
って書くなんてアルツハイマーにでもかかってるんじゃないの?(w
359日本@名無史さん:01/12/17 21:34
>>352
一刀斎をけなして通ぶってるバカ。
信憑性とか言い出して、まるで自分が仕合を見てきたかのような言い草。
360日本@名無史さん:01/12/17 22:13
>>359
同感。

ボクシングの話しはよその板でやって欲しい。
ここは剣豪について語るスレ。
361日本@名無史さん:01/12/17 22:15
>>352
はやく陳元ピンが少林寺拳法(拳闘?)の使い手
だったという話しの続きを教えてください。
362日本@名無史さん:01/12/18 01:30
>>357-361
はあ、お前ら大丈夫か?馬鹿ばっかだな。
一刀斎の信憑性も出典も論じられずに馬鹿な事いってんな。
一刀斎信じている時点でどうしようもない馬鹿。
363日本@名無史さん:01/12/18 01:31
>>361
もう出しているだろう。お前はどうしようもない馬鹿だな。
364日本@名無史さん:01/12/18 01:35
まあ、馬鹿に何言ってもしょうがいないが、
もうちょい調べてから書け、ボケ。
一刀斎がどれだけ嘘だらけかなんて、
調べればすぐわかるだろ、ゴルァ
365日本@名無史さん:01/12/18 01:36
>>362
お前らって書いたけど、お前一人だったな(藁
366日本@名無史さん:01/12/18 03:12
伊東一刀斎って言えば、信憑性は置いといて、一刀流の
基礎を作ったって意味では、このスレの史上最強の剣客に
上げてもいいと思う。小野次郎衛門の功績も大きいと思うけど。
あと、陳と言えば、柳生石舟斎の門下の福野七郎衛門が、
虎林山国寺で陳から中国拳法を学んで、自流の相当の手直しをして、
技を取り入れたって話だね。この辺も信憑性とか言い出すと、
何を信じていいか分からないけどね。
この頃の組討系の流派って、色々な流派取り入れる事が多かった
みたいなので、多分、そのひとつとして、
中国拳法も取り入れたんだと思う。
陳から教わった三浦流には、唐伝八十一手なる秘技がある。
81もあって、何が秘技か分からないけど。
まあ、少なくとも当時の組討系の流派が陳の名声を利用したって
ことは言えるんじゃないかな。
あとは、もっと詳しい人にまかせた。
367オレは359だが:01/12/18 11:51
>>365
孤軍奮闘はキミのことね。

>一刀斎がどれだけ嘘だらけかなんて、
調べればすぐわかるだろ、ゴルァ

一刀斎に限ったこっちゃねーだろ、バカ。おまえ一刀斎しか知らねーの?
逸話の胡散臭い剣客なんて、数限りねぇつってんだよ。二刀斎とか、八宝斎とかな。
このスレで一刀斎コケにしたって、誰も何とも思わねーよ、バカ。
つーか、オマエみたいに薄っぺらな知識でなんでそんなに態度デカいんだよ?
オレが驚いてるのは、そこね。
368日本@名無史さん:01/12/18 14:16
ていうかなんでそんなに叩くの伊東を?
369日本@名無史さん:01/12/19 00:55
八宝斎プププ。
370日本@名無史さん:01/12/19 19:43
>>366
あなたのネタ元は歴史読本の小説のようですが、
あれはあくまで小説ですからね。
中国拳法がなんらかの影響を与えたということは
可能性は否定できませんが、中国拳法と日本の柔術は
技法上もまったく違うものだし、陳元贇も文化人で武芸者
ではありませんよ。

小説の話しを鵜呑みにするのはやめましょう。
371日本@名無史さん:01/12/19 19:49
じつは中国拳法も日本の武術の影響を
受けている可能性があるのです。
時期は日本の戦国末と近代と二度あるのですが、
実際に日本刀が変化した苗刀という武器や辛亥革命に
協力した日本の元士族が武術を教えていたという話しもあります。

詳しくはこちらをご覧ください。
武道板でのスレですが、歴史に興味のある方には
おもしろい話しが満載だと思います。

中国拳法は近代の創作である!
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1006791271/l50
372日本@名無史さん:01/12/20 01:18
>>370
あらら、私のネタ元は、綿谷雪っていう武芸評論家の書いた
剣豪についての辞典みたいな本ですが。
一応、綿谷って人は、日本古武道研究の最高の権威って
書いてあるんですが、ちょっと胡散臭いかな。
恥ずかしながら、小説はほとんど読まないので、
小説についてはよく分かりません。
ただ、評論の書いた事でも鵜呑みはよくないですね。
それと決め付けはよくないで、やめましょう。
373日本@名無史さん:01/12/20 02:41
>371
中国拳法貶めたい馬鹿。氏ね。
374日本@名無史さん:01/12/20 02:54
実際に殺し合いになったときは相手が何流かわかんないんだから抜いた
瞬間にきっちまう示現流が最強じゃないの?
375日本@名無史さん:01/12/20 03:15
示現流は抜いた瞬間にきるんか?嘘つけ。
376日本@名無史さん:01/12/20 03:30
>>375
あそ。じゃあ抜き打ちがめちゃくちゃ早いやつが最強。
377憂国:01/12/20 07:28
だから薩摩が実戦で強かったか、記録がないんだよ。戦国でも西南戦争でも薩兵は
文字どおり隼人の名前どおり駆け入り、駆け去った。踏みとどまったのは肥後兵。
実際人を斬るっていったって、みんな言っているように目釘と刃の問題があるし、恐怖心もあるし、
向かい合うだけで大変だったんじゃないかな?

昨日新選組を見たけど甲冑着けた新選組は有利だったろうね。
378日本@名無史さん:01/12/20 13:47
幕末の京都では示現流は相当恐れられたし、
西南の役では政府軍は示現流のあのかけ声を聞いただけで
震えあがったらしい。
379日本@名無史さん:01/12/20 13:52
>>372
これはまた失礼。
しかし、陳元贇については、その生涯に渡って
武術を学んだ形跡すらないことはすでに研究に
よってあきらかにされています。

陳元贇のもたらした大陸の知識が柔術になんらかの
影響を与えたということはあるかもしれませんが、
陳が武術そのものを伝えたということはありません。
380日本@名無史さん:01/12/20 13:55
>幕末の京都では示現流は相当恐れられたし、
示現流をかじった尊攘派の闇討ちが多かったからね。
連中は背後から、あるいはすれ違いざまに斬りつけることが多かった。
示現流の使い手はその卑怯さにおいて警戒されてたんだよ。
>西南の役では政府軍は示現流のあのかけ声を聞いただけで
>震えあがったらしい。
戦の初期に、農民兵がね。
旧幕臣からなる抜刀隊投入によって戦局は逆転してる。
381日本@名無史さん:01/12/20 14:13
>>377
京を見回りしてたときも甲冑着てたんですか?
382日本@名無史さん:01/12/20 14:15
>>380
闇討ちや不意打ちが得意だったのは新選組も一緒だろ。
383日本@名無史さん:01/12/20 14:24
武士ならば不意打ちを食らうほうがわるい。これ常識。不覚をとられたり
寝首を刈られることを武士はもっとも恥とした。
384日本@名無史さん:01/12/20 14:31
スポーツやってんじゃねーんだよ。不意打ちや闇討ちは立派な策。
385日本@名無史さん:01/12/20 14:32
>377
池田や事件はまず数が違うだろ。
386日本@名無史さん:01/12/20 17:03
>380
抜刀隊はさして活躍してないよ。
薩摩の斬り込みも同じ。

斬り込みも慣れると百姓兵の銃剣で撃退できたってよ。
387日本@名無史さん:01/12/20 22:53
  ∧_∧     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ミ,,`Д´,ミ  < いざ組まん!
G[  У 武]つ   \________________
 /~ノ∞\~ゝ
 |_|__\
388日本@名無史さん:01/12/20 22:55
>387
おまえ軍事板にコピペしたろ。
389日本@名無史さん:01/12/21 00:28
二階堂流の松山主水とか無住心流の針ケ谷夕雲とか
電波系の名前がチットモ出てこないので一寸寂しかった
しょうがないから薩摩や関東に負けず地元思考で行こう
山形の人林崎甚助でがんばるのだ群馬の人何故馬庭念流を出さん
石川は富田流を上げろ!わたしゃ尾張だから機流の管槍で勝利に向かおう
って道具で勝負してどうする…
390日本@名無史さん:01/12/21 03:29
松山主水とか針ケ谷夕雲て、電波系なんでしょうか?
具体的な実力を探るには、たしかに手がかりは少ないと思いますが。
391日本@名無史さん:01/12/21 05:25
数が違うといったって尊攘派は脇差しだろう。それに甲冑つけててから天堂は助かったんじゃん。
やはり斬り込みは実戦だね。旅館とかじゃ参考にならないよ。

脇差しまで手が届くってことは動揺していなかった、そして、中庭に次々に飛び降りたのは
捕縛されたら釈放への政治費用だけで藩がつぶれてしまうとかんがえたからでしょう。
392日本@名無史さん:01/12/21 10:01
天堂って誰?
393日本@名無史さん:01/12/21 12:06
>392
藤堂のことでしょ?
もっとも池田屋なら池田屋って書いてくれんと…
旅館ってだけじゃ寺田屋かも?とおもうし
394日本@名無史さん:01/12/21 12:50
>390
スキルやテクニックじゃなくて手品や哲学に走るような剣術では
デムパ系で充分かと
あぁこれだと江戸柳生もそうなるか?
政治力は広義の兵法に入るから別にいいのかな?
395日本@名無史さん:01/12/21 18:03
東京12チャンでガッツ石松と彼の娘がどこか旅したとき(会津? 忘れた)、
江戸期の宿の廊下はすべて天井が低かった、と。
刀をふりまわせないように宿の自衛の策だということだ。
侍同士の騒擾はもちろん宿に迷惑だし、まして侍が宿泊人や宿で働くひとに向かって暴力を振るったら
大変な損害費用だろうね。
396日本@名無史さん:01/12/21 18:05
須賀原武090−2318−8096
須賀原博子090−4362−1630

http://www.elneos.co.jp/10sf2.html
397日本@名無史さん:01/12/25 17:12
地方の小領主に剣術の祖になった人がけっこう多いですね。
やはり、戦国の動乱期には領主といえども自ら剣をとって
白兵戦を戦わねばならなかったのでしょう。

中条兵庫頭長秀(中条流)
松本備前政信(鹿島神陰流)
愛洲移香斎久忠(愛洲陰流)
上泉伊勢守信綱(新陰流)
富田九郎左衛門長家(富田流)
柳生石舟斎宗厳(柳生新陰流)
398日本@名無史さん:01/12/27 22:57
>動乱期には領主といえども自ら剣をとって
白兵戦を戦わねばならなかったのでしょう

それって武士の発生そのものみたいですねぇ
一所懸命って
399結論:01/12/28 00:27
ルーク・スカイウォーカー
400結論の結論:01/12/29 01:00
帯は黒帯
401日本@名無史さん:02/01/02 22:59
赤胴鈴之介
402如月太郎丸秀孝:02/01/11 17:12
斎藤弥九郎が最強
403日本@名無史さん:02/01/16 04:36
ていうかーク・スカイウォーカーモダークべーダーもつまりスカイウォーズ自体が
黒沢映画のパクリだからやはり黒沢映画の中で使われている
上泉伊勢守のエピソードで黒沢テーマを代表させて上泉一番?
404日本@名無史さん:02/01/16 04:46
>403
したら三船敏郎か?
みんな間違い。
正解は国宝埴輪くん。
405日本@名無史さん:02/01/16 04:52
やっぱ河上彦斎かな
406日本@名無史さん:02/01/16 05:00
東京三菱銀行を狙うサマーズ元財務長官
407マサカズ:02/01/16 05:25
>>406
俺かYO!
408日本@名無史さん:02/01/17 19:08
>>376
>じゃあ抜き打ちがめちゃくちゃ早いやつが最強。

じゃ、肥後の河上彦斎に一票。
マンガの人斬り某のモデルなんだって?
409日本@名無史さん:02/01/22 20:14
鐘捲自斎って人が気になるんだけど、あまり詳しく判明していないようだね。
佐々木小次郎の師匠かもしれないそうだが……
410日本@名無史さん:02/01/23 03:17
佐々木小次郎は岸流
411日本@名無史さん:02/01/23 20:52
>>409
名前だけは聞くな・・・どんな人かは知らんが
412  :02/01/23 21:12
天堂一角
413日本@名無史さん:02/01/25 02:25
んー会津藩家老、佐川官兵衛は?鬼の官兵衛幕末最強でしょーどう思います
414日本@名無しさん:02/01/27 13:11
>>409
鐘捲自斎かぁ、中条流だよね。
なんか小次郎は自斎とケンカして雁流を開いたっていうけど実話っぽくない・・・。
415日本@名無史さん:02/01/27 15:51
河上彦斎は人を斬る仕組み・解説までやってたそうだから理論派なんだろうね。

ただし剣術の達人とは到底言えず、人殺しに過ぎない。剣道の試合などしたら
江戸の3道場で百戦百敗しそう。田中新兵衛、岡田以蔵も道場では無茶苦茶弱
かったそうだから、剣道と人斬りは全く別物と考えた方がよい。
416日本@名無しさん:02/01/27 20:42
>>415
禿しく同意
417日本@名無史さん:02/01/27 21:20
緋村剣心に1票。
418日本@名無しさん:02/01/28 11:03
緋村抜刀斎って誰かモデルいるのかな??
419日本@名無史さん:02/01/28 11:29
沖田はキャプテン翼で言うところの三杉淳だから、沖田に決定
420日本@名無史さん:02/01/28 23:44
>>415
>岡田以蔵も道場では無茶苦茶弱かったそうだから

河上・田中のことは詳しく知らないけど、岡田が道場で弱かったというのは聞いたこと無いけど・・・
岡田の剣術は自己流ではなく、たしか鏡心明智流の目録以上の腕前ではなかったっけ?
421現厨:02/01/28 23:46
>>418
河上彦斉
422日本@名無史さん:02/02/04 05:06
>>421
河上彦斎
423日本@名無史さん:02/02/04 05:08
>>409
今週のバカボンドに出てきたよ。あまり強くなさそう。
424日本@名無史さん:02/02/04 05:20
マンガの話はよそでやれ。
425日本@名無史さん:02/02/04 10:14
>>1
自身が書いてるけど、状況によって最強なんて全然違うだろ。
1対1・防具なし・真剣の試合形式でなら誰が強いか?とかならまだ妄想しがいもあるが
426日本@名無史さん:02/02/04 14:52
伊東一刀斎は?
427日本@名無史さん:02/02/05 00:23
河上彦斎って、何流なの?
本当に抜刀術をつかったの?
428日本@名無史さん:02/02/05 00:42
ガンダム
429日本@名無史さん:02/02/05 00:43
ごめ、カキコするスレ間違った。さげ
430日本@名無史さん:02/02/05 01:31
大和龍門やて!
431日本@名無史さん:02/02/06 00:13
>>427
そう聞いています。神速(?)の抜刀術だったとか・・・
432D・S:02/02/06 02:10
沖田総司の三段突きや斎藤一の左片手平突きにかなう剣客はいまい。
せいぜい関羽くらい。
433日本@名無史さん:02/02/08 01:04
>432
ワラタ!
何で関羽(w

実戦経験の豊富さでは、その二人は確かに強いだろうね。
434日本@名無史さん:02/02/08 02:15
>>432
>斎藤一の左片手平突きにかなう剣客はいまい。

そら、マンガの話だがな・・・左片手なんて
435424:02/02/08 16:23
マンガの話はよそでやれっちゅーに。
436日本@名無史さん:02/02/09 11:33
呂奉先
437日本@名無史さん:02/02/11 01:37
幕末なら東の山岡鉄舟か西の桐野利秋
のいずれか・・・。
438日本@名無史さん:02/02/15 03:49
やっぱ河上彦斎じゃない?
「斬る」と言ったら必ず斬ったらしい。
439日本@名無史さん:02/02/15 04:42
ガイシュツかもしれんが、神代直人。
あの暴れん坊の高杉が逃げ出したくらいだから。
440日本@名無史さん:02/02/15 06:52
半次郎君はしゃれにならんくらい強かったらしい。
軒先から落ちた水滴が地上に落ちるまでに3回切ったという
逸話が残されている・・・。
をい、次元流には2の太刀はなかったんじゃないのか(藁
441日本@名無史さん:02/03/02 23:52
>440
それ不思議だよね。
あとその話は大山だという話もある。
(半次郎が仰天したらしい)
442日本@名無史さん:02/03/03 00:11
>>437
山岡ときたら伊庭八郎と返そう。概出スマソ
道場で撃ち合ったとき、山岡の突きを幾度かかわし、さらにかわした山岡の木刀が
道場の壁を突き破ったのを見て(もし自分に当たってたら死んでいると分かっていながら)
微笑したという、伊庭の小天狗。隻腕の剣聖
443日本@名無史さん:02/03/03 00:17
漏れは蓬莱寺京悟が最強だと思います(w
なにせあの宮本武蔵や柳生何とかに認められつつ余裕で勝っちゃうんですからね!
緋村抜刀斎VS蓬莱寺京悟なんて最高に楽しそうな感じしません?(ワラ
444日本@名無史さん:02/03/03 02:43
>443
ネタでも寒すぎるよ、君
445日本@名無史さん:02/03/03 02:46
林邦史郎
446日本@名無史さん:02/03/03 03:31
眠 狂四郎
447日本@名無史さん:02/03/09 17:43
すまん、ネタに聞くのもあれなんだが…
緋村は分かる、でも蓬莱寺京悟ってなんだ?教えてくれ。
448日本@名無史さん:02/03/09 20:42
>>447
教えてもらったらもらったで後悔するかもしれません。
いや私も知らんのですけど。
449日本@名無史さん:02/03/09 22:37
このスレで三国志に話反らしてるやつに藁たかなり

でも、剣客というだけじゃなくてもう少し範囲を狭めないと
論議は繰り返されるような気がするな。
戦国時代の剣の強さは、技術うんぬんよりも
より早くより強くだったみたいだし。

技術的には幕末に括ったほうが強そう

でも、漏れが考える最強の剣客ってのは
己一人で戦って、相手を殺傷する技術・実績だと思う

だから、岡田以歳 字が違うかな とかが惹かれるなぁ
450日本@名無史さん:02/03/09 23:10
>>447
ゲームか漫画かなんかのキャラでしょ。知らんけど。
そういうフィクション物で、武蔵より強いとかやられると殺意がわく。
451日本@名無史さん:02/03/09 23:13
>>449
土佐の岡田以蔵のこと?
もちろん字も違うが、ちなみに読みは何と読んでいたの?
452日本@名無史さん:02/03/09 23:14
>451
さんくす

オカダイゾウ
453日本@名無史さん:02/03/09 23:32
>450
それまた、クソの臭いがプンプンしてきそうな感じだねぇ・・・
そういうののファンが、また日本史好きのレベルを落とすんだよな・・・鬱な事よ
454日本@名無史さん:02/03/09 23:35
足利義輝、剣豪将軍。
剣豪として一番身分が高かったのは、実はこの人では?
455日本@名無史さん:02/03/09 23:37
>>449
岡田以蔵が一人で相手を殺害したことって何かあったっけ?
具体的にはどの事件を指しているの?
456日本@名無史さん:02/03/09 23:44
>454
禿同!
まず一の太刀と新陰流正統継承者だし、
さらに口だけじゃなくて何十人も、それも戦場装備の
鎧武者を一人で斬ってる。
記録上確認できる最多記録じゃない?まちがいなく最強。
457日本@名無史さん:02/03/09 23:55
>>455
土佐勤王党のテロ活動は基本的に集団行動だよな。
458日本@名無史さん:02/03/10 09:32
将軍故に記録が残ってるっていう良さがあるからなぁ
俺は好きだな、義昭は最低だけどな
459日本@名無史さん:02/03/22 20:02
a
460日本@名無史さん:02/03/22 20:06
まだこのスレあったのか。
でも今は幕末剣客スレの方が面白いんで、ここにはもう書かない。
461日本@名無史さん:02/03/22 20:07
つーか、上げたやつが「a」しか書けないようじゃ、このスレも終わりっしょ(藁>>459
462【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:02/03/22 20:09
土佐勤皇党の暗殺は用意周到であり集団戦法。
岩崎弥太郎も殺されかかった。
463日本@名無史さん:02/03/23 21:36
剣客というには語弊が有るかもしれんが
鎮西八郎為朝はどうだ
源為義の次男
身長実に213センチ。なんと八人張りの弓を使ったという
保元の乱の時の逸話を聞くと
日本史上最強の男は弁慶でも宮本武蔵でも無く
この男だと思うのだが


464日本@名無史さん:02/03/23 21:38
>>463
笑われるよ、君
465日本@名無史さん:02/03/23 22:20
なんか何でもアリみたいだねえ。
じゃあ、秋山小兵衛。
466463:02/03/23 22:37
>>何で? おせーて?
467日本@名無史さん:02/03/26 23:54
age
468日本@名無史さん:02/03/27 00:14
というか、もう誰もこのスレ見てないよ
469日本@名無史さん:02/04/27 17:23
そんなことはねえ
470名無しさん:02/04/27 17:29
緋村剣心・・・というのはおいといて。
やはり土方あたりで。
471島左近:02/05/06 18:03
流派が不明だが河上彦斎だろう
472日本@名無史さん:02/05/06 18:35
>>454
徳川家康も剣豪で将軍ですが?
しかもヤツは神だぞ
473日本@名無史さん:02/05/18 11:12
どこに剣豪だったなんて根拠があんの?
474日本@名無史さん:02/05/21 15:27
>473
免許皆伝されている
475日本@名無史さん:02/06/01 11:03
476日本@名無史さん:02/06/04 10:44
>474 それなら家光、吉宗も良く剣を使ったと伝えられてるよ
477日本@名無史さん:02/06/07 10:17
最強は上泉伊勢守! 最凶は岡田以蔵!
478日本@名無史さん:02/06/07 10:18
自作自演ばっかだね。(内輪の)
479日本@名無史さん:02/06/07 11:05
スレの腰を折るような話で申し訳ないが仮に実戦最強の剣客がいたとしても
結局はスポーツ選手と同じく自分の土俵の上での最強にしかならん気がする。
俺だって拳銃もってりゃそんな剣客相手でも勝てる気がするし。
実戦じゃ剣より槍のほうが強いってのはよく聞くし
剣がメジャーになったのってそもそも家康が剣術贔屓だったせいだし。
最強剣客の存在が許されるためには殺人ありの真剣勝負大会が必要に思われる。
480日本@名無史さん:02/06/07 11:17
竹刀剣術で人は殺せぬというのは同意だが、それならば現代の軍、警察の特殊部隊員はどうだろうか?
例え銃火器を持ってなくとも昔の剣豪なんぞたやすく殺せると思うのだが。
481日本@名無史さん:02/06/07 17:03
戦国時代は力士に鉄棒持たせたのが一番強かったとか。
実際、大将の回りは武装した力士上がりの兵がガードしてた。
刃筋を合わせないと切れない刀よりも、鉄製の棍棒のほうがよほど破壊力あるわな。
それで兜ごとアタマを叩き割ってたらしい。技もへったくれもない。
482日本@名無史さん:02/06/07 17:25
このスレは詳しくないやつの自演レスが多くてだめだ。
各流派ごとに剣客を語るスレの方がまだまともだね。
483ジゲン:02/06/07 17:39
東郷重位。とりあえず最強。
棒振りも繰り返したり早く振れば誰でも
達人って剣法を!!!
484sage:02/06/08 00:21
ちゃんと根拠や典拠資料を示せないやつばかりでだめだな・・・
485日本@名無史さん:02/06/08 00:27
>>484
人のダメだしばっかしてるやつもな
486日本@名無史さん:02/06/08 02:49
そもそも戦国時代とかの戦では鎧着てるからね。
鎧着てる相手に刀は有効とは言えないし。
487日本@名無史さん:02/06/08 06:50
史上最強の槍使いは?のほうがわかりやすいかも
488遅っ!:02/06/14 00:47
在日シナ人が自爆してた(藁)スレはここですか?
489日本@名無史さん:02/06/14 00:59
このスレはさげてください。古武道や剣豪史に詳しい人たちは
各流派別に剣客を語るスレに移動しています。
490プラト-ン
沖田は新撰組一の使い手らしい