日本最大の学者一族・箕作家について語るスレ

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1如月那津美
毎度〜如月で〜す。今「岩崎家」のスレを立ち上げてきました。早速。
日本最大の学者一族と言えば箕作阮甫から始まる箕作家ですね。
箕作秋坪・麟祥・佳吉・元八ら日本史上に名を残す学者を生み出している一族です。
このスレでは箕作家の人々について語りたいと思います。
なお箕作家と繋がる学者一族(菊池家・呉家・坪井家etc.)について語ってもいいですよ。
それでは!!。
2名無しさん:01/10/30 21:12
箕作家は菊池家を通じて美濃部達吉(公法学者・東大教授・枢密顧問官)・亮吉(元東京都知事)親子や鳩山家とも親戚同士なんだよね。鳩山家を通じてブリヂストンの石橋家とも親戚同士。

箕作家だけでも東大総長・京大総長・東京師範学校摂理・法政大学学長・東京理科大学長を輩出しているのが凄い。
3日本@名無史さん:01/11/02 18:49
妖怪学で有名な井上円了と帝大で同級生だった元八
怪異現象の研究が必要なことを説き、後に円了が作った
不思議研究会のメンバーになっている
4日本@名無史さん:01/11/04 23:30
勝海舟の入門を「江戸っ子だから」という理由だけで断った阮甫。
作曲家になったのは箕作家の誰だっけ?

親戚筋の呉秀三は「シーボルト先生伝」を書いた人だよね。
夢野久作「ドグラマグラ」に出てくる「開放療法」の精神医学者のモデルも確か彼だったと思うが。
5日本@名無史さん:01/11/07 16:06

 明治三(一八七〇)年、太政官制度局の中弁、江藤新平は、わが国に民法を制定し
ようとした。当時、最もすぐれたものとされていたフランス民法を直訳して、そのま
まわが国にも施行しようと考えた彼は、大学中博士(制度御用掛兼勤)の箕作貞一郎
(麟祥)に対し、その翻訳を命じた。民法編纂会会長の江藤は、箕作に対し「誤訳も
妨げず唯速訳せよ」との矢の催促をし、二、三枚を訳すと直ちに会議にかけるという
ありさまであったが、彼はよくその任に耐えた。
 箕作が、droit civilを「民権」と訳して、会議に提出したところ、たちまちごう
ごうたる議論がまきおこった。「士民」といわれ、民が士と差別されていた当時、
「民に権ありとは如何なる義ぞ」というのである。この疑問に対して箕作は口をきわ
めて弁明につとめたが、会員はどうしても納得しない。ついに江藤が、「活かさず殺
さず暫く之を措け、他日必ず之を活用するの時あらん」といって何とかその場をおさ
めた。
 これまで、被支配階級である民に対しては義務ばかりを強制し、権利を否定してき
た士族などの身分の者によって構成されている民法編纂会員の明治政府官僚たちにと
って、おそらく民に権利があるとは思いもつかなかったことであったにちがいない。
「活かさず殺さず暫く之を措け」といった江藤自身も、民権に対して、どれほどの理
解があったかあやしいものであった。(山中永之佑「箕作麟祥」潮見俊隆=利谷信義
編・日本の法学者所収)
6日本@名無史さん:01/11/07 16:14

 箕作は、弘化三(一八四六)年七月二九日、江戸鍛冶橋内にあった津山藩の上屋
敷に生まれた。幼名を貞太郎といい、後に貞一郎、明治四(一八七一)年に麟祥と
名を改めた。祖父は津山藩侍医箕作阮甫、父は阮甫の弟子で、その養子となり、三
女の婿(夫)となった地理学者箕作省吾であった。父省吾は麟祥の生まれた年の一
二月に病没したため、教育は主に祖父の手で行われた。四・五歳の頃にはすでに三
体詩を読み、一〇歳の頃には、金沢藩主の前で陳竜川文集の無点本を読んで、神童
といわれた。(同上)
7日本@名無史さん:01/11/07 16:26
面倒になってきた・・・ので抜粋

 「翻訳に際して箕作は訳語にたいへん困り、中国語訳の『万国公法』に用いられ
ている権利義務という言葉を採用したりしたほか、動産・不動産・義務相殺・未必
条件・治罪法・憲法等も、彼が苦心して考案した訳語であった。」(同上)
 「また明治二〇(一八八七)年には、明治法律学校(明治大学の前身)の名誉校
員、同二三(一八九〇)年から死去するまで和仏法律学校(法政大学の前身)の校
長をつとめるなどして、私学の教育、なかでも私学の法学教育に力を入れたこと、
彼の門弟たちのなかから大井憲太郎、中江兆民などの自由民権家、思想家が生まれ
育っていったこと・・・」(同上)
8日本@名無史さん:01/11/07 16:38
抜粋

「明治になってからの箕作の生涯は、ナポレオン法典=フランス法の翻
訳にはじまり、法典編纂事業を通じての、フランス法とその精神の日本
への継受、定着化に努力することに終始したといっても過言ではない。
箕作が果たしたこのような役割を、上述した当時の日本の歴史的条件の
なかで考えるならば、箕作には、日本資本主義の発達を上から促進し、
明治政府=国家の自立に協力した法学官僚・官僚法学者という評価が与
えられなければならないであろう。と同時に彼は、当時にあって、フラ
ンス法理論の支柱をなす自由、人権思想を最も良く理解し、それに共感
した日本人の一人であったといえるのではなかろうか。」(同上)

「箕作が自由・人権思想に対して示したと考えられる理解と共感は、彼
自身の思想の具体的表明と行動の現実においては、結局、官僚的リベラ
リズムの域を出るものではなかったが、彼が翻訳書や私学教育を通じて
蒔いた種は、野で自由民権の法学や思想また運動として開花していった
のである。まことに箕作こそ、あらゆる意味で日本近代法学のパイオニ
アであったといわなければならない。」(同上)
95=6=7=8:01/11/07 16:58

 なお、この潮見俊隆=利谷信義編「日本の法学者」(日本評論社、一九七五年)
は、美濃部達吉(公法学者)と鳩山秀夫(民法学者)についても独立の論文を掲載
しています。美濃部達吉は言うまでもなく「天皇機関説」で有名ですが、鳩山秀夫
も「鳩山のあとに鳩山無し」と言われたぐらい有名な民法学者で、鳩山一郎の弟で
す。

「秀夫の妻千代子は、東大数学科の教授から東大、京大の両総長・文部大臣を歴任
した菊池大麓の娘で、彼女の長姉は鈴木喜三郎(検事総長・内務および司法大臣・
政友会総裁)と、次姉は美濃部達吉(東大教授、憲法・行政法)と、妹は末弘嚴太
郎(東大教授、民法・労働法)とそれぞれ結婚し、また弟の菊池正士は、東大教授
から原子力研究所理事長になっている。秀夫の結婚は、母堂春子が千代子に白羽の
矢を立て、義兄美濃部があっせんして、恋愛的色彩をもたせて成立させたものらし
い。」(鈴木禄彌「鳩山秀夫」日本の法学者所収)

もうこれでやめます(苦笑
10 d:01/11/07 17:27
11木村 尊久:01/11/11 20:48
>>4
作曲家になったのは箕作秋吉(阮甫の曾孫、秋坪の孫、元八の長男)です。
>>9
鈴木喜三郎の妻は鳩山一郎・秀夫兄弟の異母姉です。
鳩山兄弟の父・鳩山和夫が他家(三浦家?)に婿養子に行っていたときに生まれた娘です。
和夫はその後鳩山家に戻りました。
菊池大麓の長女多美子が美濃部達吉(>>9参照)に嫁ぎ、
次女千代子が鳩山秀夫(同上)に嫁ぎ、
三女冬子が末広厳太郎(同上)に嫁ぎ、
四女英子が平山復二郎(建築家)に嫁ぎ、
五女百合子が川村秀文(官僚)に嫁いでおります。
なお大麓は箕作秋坪の次男で、父の実家・菊池家の養嗣子となり、菊池姓となりました。
菊池正士(大麓の四男)は戦後日本を代表する物理学者ですが、
戦前日本を代表する物理学者・長岡半太郎が箕作麟祥の次女・操子と結婚しているので
戦前・戦後の日本を代表する物理学者がともに箕作一族なのです。
12日本@名無史さん:01/11/11 21:08
>11 ×末広厳太郎→○末弘厳太郎。よく間違われるので。

何かこういう家系って見れば見るほどドキュソって感じがするんですけど…。
や、別に厨房発言じゃなくて単純に「エリートの閨閥ってヤーね」って事です。
13木村 尊久:01/11/14 18:45
>>12
間違いのご指摘ありがとうございます。
閨閥って、学界・政界・財界等にはよくありますからねぇ。
ないのは芸能界くらいでしょうか。
「芸能界のドン」といわれる周防郁雄氏(バーニングプロダクション社長)には
閨閥があってもよさそうなのに全くないからね(勿論箕作家とも無関係)。
14:01/11/22 03:28
呉家についてあまり触れられていないようなので補足。
箕作阮甫の長女せきが呉黄石(浅野藩医)と結婚。
呉黄石の息子が呉文聡(日本における統計学の祖で「国勢調査の父」といわれた)と呉秀三(精神病学者、巣鴨病院院長、東大教授)。
呉文聡の息子の呉建は内科医学者で神経生理学の先駆者、東大教授。
同じく呉文聡の息子の呉文炳(ふみあき)は経済学者で日大総長、私学団体総連合会会長。
呉秀三の息子の呉茂一は東大と名古屋大の教授。ギリシア文学者ながら、理系一族の出身らしく初めは東大医学部に在籍していたという経歴の持ち主である。

http://www.hiroshima-cdas.or.jp/kure/mitekure/choujin_05.html
http://www.med.keio.ac.jp/~kokikawa/seisin/seisin38.html
http://www.city.mizusawa.iwate.jp/htm/roman/mr05501.html
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kure_o.html
http://www.m.chiba-u.ac.jp/med-jounal/75/75-6/miura19.html
http://www1.harenet.ne.jp/~gs-msmz/genpo.htm(呉家・箕作家の詳しい家系図はここ)
http://www1.harenet.ne.jp/~gs-msmz/kikud.htm(菊池家の家系図はここ)
15あのう:01/11/22 09:24
前から気になってたんすげ、
「箕作」って姓、珍しいっすよね。
やっぱ代々箕を作ってらしたのかしら。
16日本@名無史さん:01/11/24 03:59
>14 サンクス!サイクロトロンの菊池正士(軍の原爆開発にも参与した核物理学者)って大麓の息子だったんだ。

呉秀三も面白そう。
映画「ドグラマグラ」では、彼がモデルとなっている精神科医を桂枝雀が演じていたが、誰か伝記書いてくれないかな?
17日本@名無史さん:01/11/29 21:26
如月さんって、あの如月さんですか?
18如月那津美:01/12/01 18:57
毎度〜如月で〜す。今「朝鮮人」のスレに書いてきました。状態はよっぱらいアイコンです。
>>17
お答えします。
そうです。
私はあの如月那津美です。
「CAR AND DRIVER」誌「ズバリひと言」の文章系投稿人であり、
P12プリメーラワゴン(ボディカラーはミスティグリーン)のオーナーでもあり、
人気アイドル・眞鍋かをりちゃんの彼氏でもあり、
なおかつ日産自動車と「西部警察」の大ファンでもあります。
最も私は茨城県北部在住であり、かをりちゃんとは遠距離恋愛なのですが…。
生年月日は1974(昭和49)年4月11日です。
箕作家とは無関係なので自己紹介はこのくらいにします。
それでは!!。
19日本@名無史さん:01/12/02 05:19
>>18
>最も私は茨城県北部在住であり、かをりちゃんとは遠距離恋愛なのですが

そんなアナタを人は電波・既知外・アヴナイ奴と呼ぶ。
20日本@名無史さん:01/12/02 07:11
>>18
>最も私は茨城県北部在住であり、かをりちゃんとは遠距離恋愛なのですが

お前ら常陸人って皇国史観好きが多いんだろう?
その総本山の水戸藩だからな。
21日本@名無史さん:01/12/08 19:16
如月那津美君へ。
せっかく良スレ立てたのに>>18のような気狂いなことを言うなんて…。
おとなしく箕作家について語ってればいいものを…。
22大山昇ッ太:01/12/08 19:24
箕作家の(学者としての)系譜はまだ続いているのかな〜?
坪井家や医史研究者としての呉秀三には興味あるな〜
23日本@名無史さん:01/12/12 18:52
>>22
箕作家本家の現在の当主は箕作有俊氏ですが、
彼は学者ではなく有限会社映像企画イデアに勤めるサラリーマンです。
箕作家はどうも女系が学者を生み出しているようです。
ちなみに箕作家の本家当主は箕作阮甫の死後、
阮甫の嫡孫・麟祥(法学者、>>5-8参照)が継承しました。
箕作麟祥は亡くなる直前に男爵を授けられました。
爵位は麟祥の死後祥三(麟祥の長男)→俊夫(麟祥の四男、祥三の異母弟)を経て
祥一(俊夫の長男)が継承し、祥一の代で華族制度が廃止されました。
箕作祥一は日本大学農獣医学部教授を務めた学者でしたが、
子供が1人娘しかいなかったので、
祥一の死後弟の俊次(俊夫の次男)が箕作家当主となりました。
箕作俊次は大日企業の社長で学者ではありませんでした。
俊次の長男が最初に述べた箕作有俊です。
ただ箕作家の末裔にあたる学者は他家にはいるようです。
たとえば菊池士郎氏(正士の長男)がそうです。
彼も物理学者です。
24日本@名無史さん:01/12/12 19:30
>>14
西洋古典学を専攻しているので
呉茂一という学者の存在は大きいです。
とくに岩波文庫などに翻訳されている作品への評価は高く、
また日本での西洋古典学の発展・研究に果たした役割は偉大なものです。
以前渡辺利夫の「神経症の時代―わが内なる森田正馬」を読んだ時、
呉秀三という医学部の先生が出てきたので気になっていましたが、
この人たちが偉大な学者の一族であることをここで初めて知りました。

同じく西洋古典学者で、
京都大学名誉教授の松平千秋という方がいるのですが
聞いた話では先祖は北陸の大名家の家老だったらしいのですが、
何か御存じでしょうか。
全く関係ないことをすみません。
2523:01/12/16 19:45
>>22
坪井家は蘭学者・坪井信道の一族として知られています。
信道の孫で人類学者の坪井正五郎が箕作秋坪の娘・直と結婚したことにより
坪井家は箕作家と結びつきました。
正五郎・直夫妻の長男・誠太郎は地質学者として、
次男・忠二は地球物理学者として有名です。
坪井誠太郎は天文学者・平山信の長女と結婚しています。
平山の次女は正田建次郎(皇后陛下の伯父、数学者)に、
三女は佐竹義利(旧秋田藩主佐竹一族の分家・佐竹義準男爵の長男)に、
四女は川上氏(名前は「冽」か「寿一」のどちらか)に嫁いでいます。
佐竹義利の妹・操子が三菱本社の副社長を務めた岩崎彦弥太(弥太郎の嫡孫、久弥の長男)に嫁ぎ、
川上家は中曾根家(バーコードの一族)とつながっているので、
箕作家は坪井家・平山家を通じて
正田家・佐竹家・岩崎家・川上家・中曾根家ともつながります。
また、坪井忠二は学者一族で有名な島薗家の娘と結婚しており、
ここで箕作家は坪井家・島薗家を通じて
武田薬品のオーナー一族・武田家や安川財閥の安川家とつながりました。
26あげ:01/12/23 17:17
優良スレなのでage
27日本@名無史さん:02/01/06 18:22
箕作阮甫の婿養子・秋坪の実家で秋坪の次男・大麓が養子に行った菊池家の話題が下のスレでも登場しています。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1001421940/
よかったら読んでみて下さい。
28日本@名無史さん:02/01/06 21:31
3
29日本@名無史さん:02/01/13 18:27
良スレなのでage
30日本@名無史さん:02/01/27 17:25
箕作本家の現当主・箕作有俊氏はラリーストらしい。
参考サイト
http://yokohama.cool.ne.jp/yagishita/syumi.shtml
31日本@名無史さん:02/01/29 20:47
良スレの予感…。
32日本@名無史さん:02/02/02 18:35
箕作家は坪井家・平山家を通じて佐竹家とつながっているので
佐竹家のスレにリンクを貼っておきます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1011233720/
33日本@名無史さん:02/02/03 18:11
箕作家の個々の人の伝記は出版されているのですが、
箕作家全体を扱った著作はないようですね。
芸能界におけるバーニングプロダクションのように何かタブーがあるのでしょうか?
他の名門家系なら、
例えば旧米沢藩主の上杉家や三菱財閥の岩崎家は一族全体を扱った著作もあるというのに…。
34日本@名無史さん:02/02/10 20:35
名スレなのでage
35日本@名無史さん:02/02/13 18:49
保全age
36日本@名無史さん:02/02/28 10:14
保全age
37日本@名無史さん:02/03/02 18:32
しかし箕作家の話題ってあまりないね〜。
この板の住人は旧大名家や公家、
財閥家には関心はあっても学者一族には関心がないのかな?
38日本@名無史さん:02/04/13 19:58
保全age
39日本@名無史さん
あげておこう