★ ★ ★ 山 岡 鉄 舟 ★ ★ ★

このエントリーをはてなブックマークに追加
8日本@名無史さん:01/10/18 05:48
この人凄い人だったってよく聞くんですけどどういうところが凄かったんでしょうか?
9日本@名無史さん:01/10/18 05:56
山岡鉄舟の書なら京都博物館に展示されています。
竜馬の血が飛び散ったふすまは倉庫にあるそうで
見ることが出来ませんでした。
10日本@名無史さん:01/10/18 08:04
有名なのは駿府で西郷と談判したことだな。
11日本@名無史さん:01/10/18 08:17
富岡鉄斎と同じ年
12名無しさん:01/10/18 11:44
鉄舟と出会わなかったら、清水の次郎長はただのやくざとして野垂れ死にしていたかも。
人との出逢いとはかくも奇な物よ。
13日本@名無史さん:01/10/18 13:09
益満は上野戦争の時、破傷風にかかって死にました
14日本@名無史さん:01/10/19 10:56
海舟と鉄舟の偉さは、質がちがうもの。両人とも、幕末では、なかなか偉い。
鉄舟の逸話で好きなのは、明治帝侍従のとき、帝が夜中に女官の部屋へ忍んでいく途中、
鉄舟が、待ち構えていて、暗闇のなか投げたおして、‘無礼者、山岡、わしだ’
‘お上が、このような所におわす分ございません。’
伝説かもしらんが、おもしろい。
15日本@名無史さん:01/10/19 15:08
明治帝とその侍従たち、って鉄舟先生に限らず、ユーモレスクな逸話が多いね。
16日本@名無史さん:01/10/19 17:11
流星剣が見てみたい。実物はどこにあるんだろう?
17日本@名無史さん:01/10/20 17:01
(1836-88)幕末の剣豪、幕末の三舟の一人。 剣、禅、書を極める。
官軍による江戸攻撃を中止させるきっかけとなった西郷隆盛との会見が有名。
維新後は茨城県参事などを経て明治帝侍従となり、
青年期の明治帝の人格形成に多大な影響を及ぼしたといわれる。
浪士隊(後の新撰組の母体)にも取締役として参加。
興味深い逸話が多いが、弟子が多く、慕われていたため
後の創作、または誇大に風潮されたと思われるも逸話も
当然ながら多いようである。
母方は鹿島神宮の塚原家(塚原朴伝の家系)出身である。
幕末の世相にも関わらず生涯、人を切ったことがないといわれる。
個人的には明治帝に禁酒をさせてしまった話が好きです。
18日本@名無史さん:01/10/20 17:05
17さん、書いてよ。
19日本@名無史さん:01/10/20 22:08
竹橋騒動のときはまっさきに宮中にかけつけたといわれる
20法師:01/10/20 22:35
>>11
>富岡鉄斎と同じ年

 そ そうだったんですか。あ そうか、鉄斎先生はえ
 らい長寿を保たれたんですね。
21日本@名無史さん:01/10/20 23:07
死に方がカコイイ・・かったよね? 
22日本@名無史さん:01/10/21 03:23
死期を悟って座禅のまま死んだって話?
23日本@名無史さん:01/10/21 13:27
西郷隆盛の言った言葉「命もいらぬ、金もいらぬ、名もいらぬと言う人は始末に負えぬ。
しかし、この始末に負えぬ人でなければ、ともに天下の大事を図ることはできぬ」
は山岡鉄太郎を評したって説がありますね、
「金もいらねえ、女もいらねい、あたしゃも少し背が欲しい」と謡ったのは
藤山寛美でしたっけ?
24日本@名無史さん:01/10/21 13:36
三遊亭円朝に桃太郎の話をさせた一件は?
25日本@名無史さん:01/10/21 19:22
ああ 有名だね
26日本@名無史さん:01/10/22 07:23
いや、結局してないだろ
27まひまひ@名無史さん:01/10/22 11:17
σ(^-^)も鉄舟好きっす
若い時、ボロ鉄とか言われてたのも愛敬っすね
あと
 死んだとて 損得も無し 馬鹿野郎
ってのもいいっすね!!
やっぱりこの人のハイライト場面は西郷との会見でしょうねぇ(笑)

ところで、高橋泥舟って地味っスねぇ(笑)
まあ、海舟とか鉄舟に比べられたら仕方ないのかも知れませんがねぇ

でも、個人的には鉄斎が一番好きっす<って関係無いだろ(笑)
28日本@名無史さん:01/10/22 11:54
立ち斬り、請願、五点

俺には無理
29日本@名無史さん:01/10/22 19:07
腹いたや苦しき中に明けがらす
30名無しさん:01/10/22 19:17
禅や書道のことはよくわからんが
そんなに剣は強そうに思えない。
若い頃に浅利道場の2代目当主に負けて以来
その当主に勝とうとして中年になってやっと同等の境地に到達
したわけでしょ。
榊原鍵吉や近藤勇のほうが強そう。
それに剣聖なら男谷下総守や白井亨のほうがふさわしい。
31日本@名無史さん:01/10/22 23:49
鉄舟先生は「修行」と称して、女郎買いをしまくったらしい。
しかし夫人も物分りが良くてそれを泣く泣く許していたそうだ。
昔の偉い人は男も女も違ったものだ。
32日本@名無史さん:01/10/23 15:21
>>22
本当
33日本@名無史さん:01/10/23 19:40
山岡って北辰一刀流だっけ?
34日本@名無史さん:01/10/23 22:02
1>>
スレッド名にスペースを入れるな!
検索できないじゃないか。
35日本@名無史さん:01/10/23 23:39
山岡無刀流開祖。
36日本@名無史さん:01/10/24 11:00
>>34
すまん
37日本@名無史さん:01/10/24 11:06
彰義隊に殴り込みをかけた時
貧乏で名刀を持てず
友人から業物を借りて行った鉄舟

この人、若年と老成期でイメージがまったく違うね。
38日本@名無史さん:01/10/24 22:24
殴り込みじゃなくて、解散の交渉にいったんだろ。
そのとき鉄舟は「薩長の走狗!」「裏切り者!」などの罵声の的だったとか。
39日本@名無史さん:01/10/25 00:16
山岡家はたしか二人ぶちだったね。
鉄舟の実家、小野家は600石ドリなのにね
40日本@名無史さん:01/10/25 02:00
この人の書って価値あるの!?
名人らしいけど沢山書いてたら価値ないよね?
41日本@名無史さん:01/10/25 11:49
>>40
たしかにたくさん書いてるね。
でも価値ないわけないでしょう。
私ももらえるなら欲しい。
4240:01/10/26 00:30
いや別に全然知らなくて書いたんですがなんか批判してみたいになっちゃったね。
やっぱ沢山書いてるんですか?
親戚が持ってるて聞いたもんで。
43江川スレの存続をそれとなく願う会:01/10/26 02:14
44河井スレ:01/10/27 01:19
45日本@名無史さん:01/10/30 23:00
>>40
たくさん書いてるよ。
でも何十万枚とか何百万枚とかそういうレベルじゃない?
超人のような人だったらしいからね。
46日本@名無史さん:01/10/31 02:29
山岡てっしゅうは神!!!!!!!!!
47日本@名無史さん:01/11/04 02:16
勝野洋が演ったのって何だっけ?
48日本@名無史さん:01/11/20 05:42
やっぱ撤収はだめだね
49日本@名無史さん:01/11/20 18:52
この人の言葉で、なかなか良いのがあったよね?

「・・・・・・・・・は、無念無想の底よりきたる」とかいうもので、高校のとき良く心の中で呟いていた。
肝心な・・・・・・・の部分を忘れてしまったのですが、誰か知りませんかね?
50日本@名無史さん:01/11/28 08:55
あげ
51日本@名無史さん:01/11/28 10:01
>>47
日本テレビ年末時代劇シリーズ「勝海舟」。
放映は確か…91年頃かな
52日本@名無史さん:01/11/28 10:08
一番の山場は、なんと言っても勝の依頼で、東征軍層参謀西郷に会いに行った
時の逸話。
「朝敵・徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と大音声で叫びつつ護衛網
を突破し、西郷と交渉。「一、徳川慶喜儀、備前藩に預らるべき事」を撤回さ
せた。

あと、ゆで卵100個食べた話も有名。
53日本@名無史さん:01/12/02 17:06
山岡なくして日本なし!
54日本@名無史さん:01/12/02 21:08
うちにある撤収の掛け軸はだれもよめなくて大学の先生に5万円払って
よんでもらいました。
岩渓国タルヤ暁乃風カンバシ・・・・
意味もわからず掛けといた爺ちゃんが一番えらいと思います。
55日本@名無史さん:01/12/11 00:14
このひとが彰義隊に本当に襲われたら見物だったろうになあ
56日本@名無史さん:01/12/26 21:42
彰義隊と斬り合ってほしかった
57次郎長乾分桶屋鬼吉
>54
いや、その爺さま。この日本史版で読んでもらっていれば、
もっと偉かったかも。
大学キョウジュに5万円も上前はねられずに済んだかも・・・