1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:01/10/03 02:02
age
3 :
日本@名無しさん:01/10/03 04:28
武田研究家さんへ
私は「降伏したものを虐殺する」ことが普通だなんて
一言も言っておりません。
それは曲解もしくは誤解です。
私が言いたいのは狂信者に対しては虐殺より他に勝つ方法は
ないということです。
信長は天下布武という大目標のため、政治権力を自分のもとに
一元化することを推進しました。
そして当然他の大名と同様に、政治権力をもつ比叡山や本願寺と
ぶつからざるを得なかったのです。
これは祭政一致による宗教王国を作っていた勢力と
政教分離を掲げた信長の決定的な対立であり、
本願寺や叡山が政治権力の放棄を打ち出さない限り、とことん
戦わざるを得ないものです。
言っておきますが、信長は政教分離を打ち出したのであって、
当初から本願寺や叡山を敵視していたのではありません。
彼らが自らが持っている権力を放棄しなかったのが原因であり、
宗教弾圧の類ではないのです。
その証拠に、信長はあれほど一向一揆に苦戦しながら、
ただの一度たりとも一向宗(または浄土真宗)や天台宗を
信仰してはならないという禁令を出したことはありません。
宗教自体を禁止するのではなく、宗教が政治に干渉することを
禁じようとしたのです。
それでも一向宗徒とその指導者(願証寺など)はその本質を
理解できなかったのか、あるいはしようとしなかったのか、
最後まで信長の支配(宗教の持つ精神的な支配でなく政治的支配)
を最後まで拒みました。
我々は信長がここで妥協しなかったことに感謝すべきなのです。
日本が何故アジア最大の近代国家になれたか、
現在もアジア最大の先進国になれたかを考える時、
信長の政教分離が正しかったことを思わざるを得ません。
ナショナリズムと宗教が結びついた時、それは恐るべき
排他主義となって爆発します。
日本が尊皇攘夷運動など、ごくわずかな例外を除き、
極めて柔軟に欧米をはじめとする外国の優れた文明や文化を
受け入れるのは、日本における既存の宗教勢力が弱いことが
(信仰心の少ない日本人が多いことが)最大の原因なのです。
あなたが信長が行ったことを批判するなら、彼の立場に立って
果たして妥協するべきだったかを考えて欲しいのです。
4 :
前スレ965です:01/10/03 13:52
腐儒さんらしき
>>4さんへ
話がずれているので困りました。
>私は「降伏したものを虐殺する」ことが普通だなんて
>一言も言っておりません。
あなたではなく、井沢せんせが発言しているのでしょ。
武田研究家さんは信長の行為ではなく井沢せんせの電波を批判しているのであって、
まずはあなたさまから議論の根本を考え直す必要があります。
>信長が残虐だと言うなら信玄も残虐です。
武田信玄、上杉謙信、そのた大勢の戦国大名が残酷だとしても、
それは信長が残酷ではないという弁護になっていません。
>4さんへ
それは分かるのですが武田研究家さんも別系統の電波のように感じてしまうのですよ、藁
残酷ではない有名な戦国大名がいるはずがないのは誰でも知っている事だからです。
日本が何故アジア最大の近代国家となったか。
それは政教分離を止め、天皇制としてナショナリズムと宗教を結びつけるのに
成功したからというのは定説なんじゃないのか。
>>3は廃仏毀釈とか知らないのかね。
おまけに一向宗が必ずしも狂信者の集まりではなくて
郷士地侍たちを主とした自治衆的な結束で、その結束のシンボルとして一向宗
がのっかかったというほうがただしいんじゃないか。
信長は伊賀攻めでも残酷なことやってたみたいだし、雑賀衆も負ければ
同じような目にあったんだろうな。
結局信長は自分に服属する可能性がないものや、見せしめとして
きついことをしたのであって、宗教がどうたらとか関係ないんじゃ。
まあ普通の戦国大名としてあたりまえ。
しかし既存の宗教勢力が弱い、信仰心の少ない人が多いことと
信長を結びつけるとこなんかは珍説爆発だね。
7 :
日本@名無しさん:01/10/03 17:33
>>6 仏敵信長と戦って死ねば極楽浄土間違いなし、なんて
邪教の発想以外の何者でもないでしょう。
伊賀や雑賀衆のように徹底的に抵抗した人や裏切り者なら、
信長もその他の大名も残酷なやり方で対したでしょう。
宗教勢力はその徹底的な抵抗が信仰という精神的支柱に
よって支えられていたことは間違いないのでは。
もし信長がいなければ、日本は間違いなくずっと
宗教の力が強かったはず。
仏教が単なる葬儀屋プラス墓守りになっているのは
信長から秀吉、家康と徳川幕府とつながる政策のおかげ。
そりゃ廃仏毀釈ぐらい知ってるよ。
だけど、そのときの仏教勢力の抵抗が非常に小さかったのは
それまでの歴史があったからでしょうが。
そうでなかったら神道と仏教の大戦争になってる。
>>4 自爆してますよ。
それはさておき、井沢氏の発言が奇抜であり、
一部に行き過ぎた電波発言があることには同意ですが、
本筋の、信長が天下統一に向けた具体的な政策を行って
いたこと、狂信者の降伏を信用せずに虐殺するのは当然
というのは全く同意見です。
現代なら精神医療が発達していますからオウム真理教や
イスラム原理主義の信者に対してそのマインドコントロール
を解くことも可能かもしれませんが、戦国時代なら殺す以外に
ないと思います。
前にも書いている通り、信長は信仰自体を禁じたわけではない
のですから、世俗を離れたものとしてなら一向宗が敵視される
ことはなかったのです。
権力を手放そうとしなかったから攻められたのであって、
信者の信仰心を利用して抵抗させたのですからこれは明らかな
狂信者集団です。
8 :
日本@名無しさん:01/10/03 17:37
もうひとつ、武田研究家氏の一連の発言には
信長を残酷だとしながら、信玄を残酷と認める発言が一つも
ありません。
単なる信玄びいきにしか見えないのです。
両者とも残酷だ、あるいは私のように両者とも残酷ではない
(当時としてはやむを得ない)と言うならわかるのですが。
>>5氏は私ではありませんので念のため。
すみません、
>>3でした。
残酷云々の話ではなくて、井沢せんせの逆説が正論かどうか、でしょう。
一向宗は兎も角、前スレのここはどうですか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
926 :武田研究家 :01/09/24 01:24
実はこの時、信長は「城兵を城に押し込めて火を放つ」こともやっているので
す。なるほど秋山信友は岩村城を攻略した際に、その時の岩村城の女城主であ
った信長の叔母を妻にしてしまった人物ですから、信長の個人的な恨みもあっ
たでしょうし、恨みがなくても降伏の条件に城主の命を要求した例ならいくら
でも挙げられます。ですがいくら恨みがあったとしてもそれに従った、という
よりむしろ従う他なかった兵たちまで焼き殺すというのは、当時としても例を
見ないでしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
上のような行為が「残酷か、当然のことか」ではなくて、
「普通の行為か、普通を超えた行為か」についてご説明お願いします。
戦争だから残酷だという発想はありません。
10 :
日本@名無しさん:01/10/03 18:11
別に城兵全員を殺したと言うなら
信玄だってやっていたと思います。
他の大名にしても北条早雲の深根城、伊達政宗の小手盛城、
秀吉の上月城、家康も大坂城では皆殺しをやっていますし。
主君を裏切らせておいて兵を殺すというのは確かに狡猾ですが、
これも秀吉が上月城で、光秀が八上城で、謙信が七尾城で
やっています。信玄については調べてみますが、ことさら
信長だけが特別残酷とするには当たりません。
もう一度言いますが、信長も他の大名も皆残酷だ、
あるいは皆残酷でないというならわかります。
信長だけを異常というのは疑問だ、と言っているのです。
11 :
日本@名無しさん:01/10/03 18:18
もちろん、信長が浅井父子と朝倉義景の首を加工したこと
など、彼がより残酷な部分があったという指摘もあるでしょう。
信長が抵抗した人間に残酷な見せしめを多用したという点も
否定はしません。杉谷善住坊の処刑のようにね。
しかし、武力で征服する時にはそういうことは不可欠なのです。
信玄がそういう政策を一度も採らなかったということはありません。
信長は信玄よりはるかに多くの味方と多くの敵がいましたから、
それだけ殺した人間の数も多いという面は否めません。
12 :
和碩貝勒:愛新覚羅溥濡:01/10/03 18:58
>現代なら精神医療が発達していますからオウム真理教やイスラム原理主義の信者に対して
>そのマインドコントロールを解くことも可能かもしれませんが、戦国時代なら殺す以外に
>ないと思います。
ほお、では清の雍正帝(1722-35)の時代に、
曽静が記述した「大義覚迷録」はどうだね?
偏狭な中華思想から脱却してゆく過程を著者自ら記述した本だが、
単に中華思想の矛盾点の露呈だけでなく、筆者自身がマインドコントロールから
開放されてゆく過程が書かれている名著だ。
まあ、読めとは言わないが、どうせ読まないだろ。
>>我が家では一向宗ですが内情を書かれて文句を言う方が堕落していると思います、藁
こういうのがアレフ(旧オウム真理教)なんぞに入るんだろうね。
そういえば「一向宗」なんて自称しているのは「親鸞会」しかないもんな。
14 :
一向宗ちゃんへ:01/10/03 19:24
武田研究家さんは信玄と勝頼、どちらを評価しておられたかな?
それから「一向宗」の語源は「浄土宗」では内容不足だよ。
15 :
日本@名無しさん :01/10/03 19:30
>>13 おや大木さん、お久しぶりです。
「親鸞会」ですか・・・困りましたねえ・・・
16 :
日本@名無しさん:01/10/03 19:36
>もちろん、信長が浅井父子と朝倉義景の首を加工したことなど、
>彼がより残酷な部分があったという指摘もあるでしょう。
立川真言流の髑髏本尊の事、知らないようだね(ぷぷっ)
17 :
日本@名無しさん :01/10/03 19:39
↑馬鹿発見
18 :
日本@名無しさん:01/10/03 19:40
↓馬鹿(一向宗ちゃん)発見
19 :
こらこら人違いだ:01/10/03 21:08
>>18 信長マンセーを批判するのは良いが、左様な書き込みはフェアではないですぞ。
武田研究家どのの書き込みを待とうではないか。
>>7 おいおい順番間違っているぞ。
権力を手放そうとしないで権力のもとに組み入れようとしたのは
信長や戦国大名の方なんだぞ。
執拗に自分の支配体制に組み込もうとしたので、抵抗する郷士地侍たちが
抵抗する文句として仏敵信長くらい使っても不思議はないだろう。
残酷さでいえば、首切り腹きり、落城後の人身売買をするモノノフも
大して違わないじゃない。狂信的とどっこいだよ。
町衆や郷士や地侍達にとって大名なんかただの寄生者以外何ものでもなかった
のは室町時代から末期戦国に至る社会史にはしつこく書いてあると思うが。
(もちろん全てではないが)
あと仏教が信長以降の政治のおかげで、葬式墓守レベルのものにとどまっていると
いうのはいくらなんでも電波すぎるよ。
大乗仏教圏の国々において仏教の教義が生活の隅々まで支配する事はないというのは
共通の現象だろ。何も信長秀吉家康のおかげじゃないぞ。
22 :
浄土真宗本願寺派:01/10/03 21:45
阿弥陀寺は「浄土宗」の何派なの?一向宗ちゃん。
うるせえ。浄土真宗本願寺派>
24 :
日本@名無しさん :01/10/03 21:54
とうとう正体あらわしたわね( ̄ー ̄)
今週の逆説の分を書きたいけど、まずは色々答えないといけませんな。
>>3 >私が言いたいのは狂信者に対しては虐殺より他に勝つ方法は
>ないということです。
>信長は天下布武という大目標のため、政治権力を自分のもとに
>一元化することを推進しました。
>そして当然他の大名と同様に、政治権力をもつ比叡山や本願寺と
>ぶつからざるを得なかったのです。
>これは祭政一致による宗教王国を作っていた勢力と
>政教分離を掲げた信長の決定的な対立であり、
>本願寺や叡山が政治権力の放棄を打ち出さない限り、とことん
>戦わざるを得ないものです。
「一向一揆が狂信者の集団」だと思っているなら、まずその認識を
改めるべきですね。それこそ井沢元彦に踊らされているに過ぎません。
そりゃもちろん一揆の指導者クラスは信長を「仏敵」と呼んでいますが、
これは宗教勢力の常套句みたいなものであって、必ずしも信念故ではありません。
たぶん今週の『逆説の日本史』を読んで書いているんでしょうけど、
井沢氏は先々週には宗教勢力の争いを「勢力争い・利権争い」だと
解説していますから、たった二週でテロ事件にかこつけて自説を曲げて
知らん振りというのはいかがなものでしょうね(笑)
数ある宗教勢力の中で一向一揆だけがなぜかくも勢力を持ち得たのかを
知らずして、彼らを「狂信者」などと呼んでいるのは時代遅れというものです。
一向宗の特徴はその布教の独特な形態にあり、その方法は惣村を丸ごと
取り込んで組織化し、運営していくというものでした。
この方法は言うなれば戦国大名が自分の領国を把握・経営するのと良く似た
ものであり、一向宗の動員力とその組織だった軍事行動は普段から村単位で
組織化されたその宗教勢力らしからぬ運営体制にあったのです。
しかしそれ故にその勢力は武士たちの支配と衝突が必至のものであり、
一向一揆が盛んに起きた理由はここにあります。
決して信者が狂信者ばかりだったからではありません。
そしてそのような運営を行なっていてさえ、信長と戦った時には参戦を拒否した
惣村がいくつとなくありました。
それが「狂信者の集団」で「だから殺す以外に止められない」などというのは、
残念ながら研究不足・認識不足というものです。
また伊勢長島一向一揆には現地の国人衆や北畠氏の残党など、信長に自治を
奪われた者たちが参戦していましたし、石山本願寺の籠城を支えた主力である
雑賀衆は後に本願寺が秀吉に服従してからも抵抗を続けたことなどからして、
一向宗を信じるからではなく、自分達の自治を守らんとした紀伊惣国一揆の
一員として信長と戦ったのだと言えます。
このような流れを「信長には天下布武の大義があった」というだけで
正当化するのは簡単ですが、信長の大義とは反対の「自治を守る」という大義も
存在したのであり、それを後世の我々の視点から結果論だけで「信長が正しい」
などと言う事自体が、歴史を研究する上では、重大な誤りであると言えるでしょう。
>彼らが自らが持っている権力を放棄しなかったのが原因であり、
具体的にどのような「権力」を持っていたのですか?
>>5 >それは分かるのですが武田研究家さんも別系統の電波のように感じてしまうのですよ、藁
>残酷ではない有名な戦国大名がいるはずがないのは誰でも知っている事だからです。
それを知らない人がいます。井沢元彦氏です(笑)
『逆説の日本史』を語るスレである以上、井沢氏が
「信長は残酷でない」と書けばその点を攻めるのは至極当然。
別に他の大名が残酷な行為をしたことがないなどとは言っていません。
>>10 >もう一度言いますが、信長も他の大名も皆残酷だ、
>あるいは皆残酷でないというならわかります。
>信長だけを異常というのは疑問だ、と言っているのです。
井沢さんが信長ネタをやっていたから他の大名には触れませんでしたけど、
ま、すぐ上を読んでおいてください。
ここは井沢スレであって、戦国全般を扱うスレではないと考えて
書いていますから。
>>7 >仏敵信長と戦って死ねば極楽浄土間違いなし、なんて
>邪教の発想以外の何者でもないでしょう。
心からそう思っていたならば、長島の願証寺は降伏せずに
戦い続けて全滅して果てたでしょうね。
(降伏しても結局皆殺しになったんですけどね)
また石山本願寺だって最後まで抵抗したでしょう。
法主・顕如自ら仏敵と和議を結んだ時点で「方便」だったことぐらい
わかるでしょう。
僧侶は何と言っても口が立つのですよ。
>もし信長がいなければ、日本は間違いなくずっと
>宗教の力が強かったはず。
>仏教が単なる葬儀屋プラス墓守りになっているのは
>信長から秀吉、家康と徳川幕府とつながる政策のおかげ。
寺院の権力を押さえ込もうとした大名は信長・秀吉・家康
ばかりではありませんよ。
誰にせよ日本を統一する大名が現れたなら、宗教勢力は
押さえ込まれたことでしょう。
それは前のレスで説明した通り、宗教勢力と統一志向との衝突は
避けられないものだったからです。
ただ、やり方が信長ほど性急ではなかっただろう、とは言えますが。
「もし」の話を始めたらきりがありませんよ。
武田研究家さん
一向一揆の詳しい説明スゴイですね。
素人に対するわかり易い説明も見事だと思います。
もしかして武田研究家さんは
日本史中世近世を研究してらっしゃる専門家の方か
院の博士課程の方ですか?
28 :
救世観音と・・・:01/10/04 01:19
わたしは只の仏像オタクですが、何か?
29 :
日本@名無史さん:01/10/04 03:02
>誰にせよ日本を統一する大名が現れたなら、宗教勢力は
>押さえ込まれたことでしょう。
素人考えで恐縮ですが、当時の状況からすると、
日本を統一する前提として何らかの手段で
(信長の手法の是非は別としても)
宗教勢力を押さえなければ天下統一は難しいのでは?
30 :
日本@名無史さん:01/10/04 08:47
>仏敵信長と戦って死ねば極楽浄土間違いなし、なんて
>邪教の発想以外の何者でもないでしょう。
当時の人達の感覚としてこれは邪教と言えるのでしょうか?
皆さんは如何思われますか?
31 :
日本@名無しさん:01/10/04 08:56
少なくとも仏教ではないわな。
やっぱ邪教じゃないの。
だいたい蓮如が歎異抄を封印した時点で
教義の変更がなされ、親鸞の考えとはちがうものになった。
その行き着く先が仏敵云々というものになったんだろ。
俺は政治に干渉したり武装したり必要以上にお金を集める宗教は
それだけで充分邪教だと思う。
そういう意味で今の創価学会も完全に邪教。
32 :
日本@名無史さん:01/10/04 10:16
>>31 親鸞だって従来の仏教とは異なったものだったんだから、
どこから「仏教でない」のかは難しいと思いますよ。
それに当時の宗教勢力は「政治に干渉」なんてほとんどしてませんよ。
自治権を持って、その範囲内での経営のみを考えていた寺院がほとんどです。
だからこそ寺院勢力は繁栄し、中世の「都市」を形成するに至ったのです。
また寺院は金を持っていたけど当時は寺院だけが唯一の弱者救済を
してくれるところだったから、一概に否定してしまうのはどうかと。
先立つ物が無ければ現在のNPOだって活動できないのと同じで。
多宗派のものだから、民衆にも選択の権利があるわけで、
西洋の教会ほどは悪どくないと思いますよ。
武田研究家さん
>「信長は残酷でない」と書けばその点を攻めるのは至極当然。
>別に他の大名が残酷な行為をしたことがないなどとは言っていません。
了解しました、笑
この話題を誤解無く相手に理解してもらえるように表現するのは難しいですね。
大木さん
自分の知っている範囲が全て正しいと思っているような書き方は傲慢だと受け取られてしまいますよ、藁
まあ西洋の教会ほど悪どくない、という比較をするのもどうかと思うけど
政治に関わればみんな邪教、というのはどうかと思いますね。
35 :
日本@名無史さん:01/10/04 13:32
話がそれてきたようだ本題にリターンage
36 :
日本@名無史さん:01/10/04 15:30
>このような流れを「信長には天下布武の大義があった」というだけで
>正当化するのは簡単ですが、信長の大義とは反対の「自治を守る」という大義も
>存在したのであり、それを後世の我々の視点から結果論だけで「信長が正しい」
>などと言う事自体が、歴史を研究する上では、重大な誤りであると言えるでしょう。
武田研究家さんに賛成です。
信長にのみ大義を認めるのは勝てば官軍式の論法です。
37 :
日本@名無しさん:01/10/04 17:07
俺は7氏に賛成だな。
信長が正しいなんて言ってないと思うよ。
天下統一を推し進めようとすれば早晩一向宗ら宗教勢力と
激突せざるを得なかっただろうし、強力な統一政権を作ろうとすれば
苛烈な攻撃もやむを得なかっただろうということでしょ。
その通りだと思うけど。
>大木さん
>自分の知っている範囲が全て正しいと思っているような書き方は傲慢だと受け取られてしまいますよ、藁
誉めてくれてありがと。俺はあんたと同じく世間知らずなんでね。これからも傲慢な発言させてもらうよ。
じゃ、傲慢かましてよかですか?
「一向一心為本宗」
ほれ、はやく、イチャモンつけてくれ。
39 :
浄土真宗本願寺派:01/10/04 18:39
一向宗(元彦)ちゃん。それは現在の阿弥陀寺の宗派だろう。
織田信長の時代の阿弥陀寺は何宗の何派だったか、正式名称で書いてくれ。
>うるせえ
なんて通じないよ。それとも質問に答えられないのかな?
40 :
日本@名無史さん:01/10/04 18:40
>>浄土真宗本願寺派
馬鹿の相手はしたくないから、藁
知ったかぶりが逃げ出した(苦笑)
42 :
浄土真宗本願寺派 :01/10/04 18:48
はははははははははははははははははははは・・・・・・
43 :
救世観音と・・・:01/10/04 18:57
九儒十丐?
あほくさ
だから前にも言ったろ。
信長様はぱくりの大天才だってさ(笑)。
46 :
日本@名無史さん:01/10/04 20:04
>>37 そうかな。3なんて信長が正しいという前提の下にかかれた文章だと思うよ。
47 :
日本@名無史さん:01/10/04 20:09
>>31(31でなくても誰か詳しい方に)
自分はド素人なのでちょっと確認させてください。
(間違った理解をしているかも知れないので)
★親鸞と蓮如の相違(大雑把に)
親鸞の思想は
一個の人間の実存的苦悩、つまり煩悩の自覚を基幹とする。
それぞれの人々が罪を自覚し絶対他力の念仏に接する。
罪深き一人の人間として仏の絶対の救済を信ずること。
親鸞自身は漂泊の聖、つまり信仰に徹した自由人で、
あくまで超俗の人であり、
近代的な個の信仰の確立を成し遂げた人。
蓮如の思想は
現世の人々の「悲哀」とか「苦しみ」といった情念の世界
に立脚し、苦しむ人々を励まし救済するというもの。
言い換えると「苦悩」を救済するのではなく、
人々の「苦しみ」や「悲しみ」といった
情念を救済しようというもの。(少し、誉めすぎですかね?)
これは「悲壮非俗」とは言い難いですね。
ただし、俗だからこそ人々との関係が生まれ、
惣から講、講の集合体としての
一向宗に発展していく。
ド素人の自分にはこの程度の理解力しかありませんが
あっていますかね?
ついでに、
自分の場合は全くの俗物で、低レベルですから、
「蓮如さん」の方が近づきやすいような気がします。
>>27 >日本史中世近世を研究してらっしゃる専門家の方か
>院の博士課程の方ですか?
どちらでもありません。
>>29 >日本を統一する前提として何らかの手段で
>(信長の手法の是非は別としても)
>宗教勢力を押さえなければ天下統一は難しいのでは?
宗教勢力の力を弱めるには様々な手段があります。
私の得意は武田家ですから武田家の例でいいますと、
例えば諏訪大社に対しては諏訪大社が財政難で伝統ある祭祀の
継続も難しかった当時、武田家が援助し、武田家が古来の祭祀を
調査し、そして武田家がその実行の音頭を取ることで、
諏訪社を伝統ある権威から武田家に組み込まれた一組織へと
変えていきました。
また甲府に移された善光寺に対しては勝頼の代に寺院としての
特権を制限する書状が出されており、武田家の宗教対策は
「宗教勢力中における武田家の影響力を高め、その上で管理を
強化していく」方針であったことが分かります。そしてまた
信玄による比叡山の甲斐国内における再建案や、天台宗大僧正への
就任などもこの政策の一環であったと見る説もあります。
>>48 どうも、ありがとうございます。
余談ですが、
随分と昔、4、5年前(小5くらいの時かな)
井沢氏の「覇者」という作品を読んだのですが、
諏訪氏の怨念を引きずった主人公の望月某の弟は確か、
善光寺大勧進に属する僧でした。
それから、この「覇者」という作品の中の信長は
十分嗜虐的でした。
(作品の中で信長が扱き下ろされているという意味ではないですが)
×悲壮非俗 ○非僧非俗
鬱・・・・・・
>>46 信長が正しいなんて思ってませんよ。
歴史に正しいとか正しくないとか、善とか悪という概念は禁物でしょう。
それに近いとすれば当時や後世の人々にプラスの影響やマイナスのそれを
与えたか、時代を進歩させたか後退させたかという見方はあるでしょうが、
それは正しいとか正しくないというのとは違います。
私が言いたいのは、信玄が諏訪頼重を騙し討ちに近いやり方で切腹させた
のがやむを得なかったというのと同じ意味で、信長が一向一揆に対して
虐殺と言うやり方で臨んだのはやむを得なかったということです。
>じゃ、傲慢かましてよかですか?
はははははは
あんたにはかなわんな(爆笑)
まあせいぜい頑張ってや。
>>51 >歴史に正しいとか正しくないとか、善とか悪という概念は禁物でしょう。
信長をいつも善としてその筆を進めているのは井沢せんせです。
だから反井沢の人たちはそこを指摘しているのでしょう。
井沢せんせ、「信長が正しい」と主張
反井沢、信長の諸悪を指摘
井沢弁護派、「いや信長以外だって信長と変わらない」
これじゃあ信長が正しいという井沢説を支持しているのと同じですよ。
あとイスラム原理主義と一向一揆とを同レベルに扱う
>>6の書き込みは。
>>25武田さんに対しての反論をぜひお聞きしたいと思っています。
54 :
これでも井沢ファン:01/10/05 15:42
武田研究家さんが述べているところの
『方便』によって信者を何万人も殺してしまったトップを持つ宗教は逝ってよし!!
と云う事なのでしょうか。
でもこれって現代人の発想だし、仮に信長がこのような発想を持っていたとしても
イコール開明的な天才大名とはならないですよね。戦国時代には戦国時代の発想があるわけで。
井沢先生が常日頃「逆説」の中で書かれている
『現代人の目で過去の物事を判断してはいけない』
を一番守ってないのがご自身であられるわけです。(信長に関しては特に)
55 :
日本@名無史さん:01/10/05 17:01
>>54 井沢ファンでも井沢のいただけないところは批判する。
それが本物のファンというものじゃ。天晴れ天晴れ。
56 :
浄土真宗本願寺派:01/10/05 17:29
>>じゃ、傲慢かましてよかですか?
>>「一向一心為本宗」
>はははははは、あんたにはかなわんな(爆笑)
勝負あったね。腐儒さん。
大木さんの勝ちだよ。
では、大木さんに質問します(一向宗ちゃんが馬鹿で答えられないので)
織田信長の時代の阿弥陀寺は何宗の何派ですか?
57 :
日本@名無史さん :01/10/05 17:38
信長は本能寺の変で明智光秀に討たれました。
なぜか?その答えは
「マヌケだったから」。
58 :
日本@名無史さん:01/10/05 17:39
59 :
日本@名無史さん:01/10/05 18:10
>>55 サイン本もらって、早速ブックオフに売りつけた漏れは一体
おい元彦!!足利義満の死から戦国時代が始まったって、誰が言ってるんだよ?
>>12 マインドコントロールから解放された曹静さんは
乾隆期に殺されたんじゃ・・・
スローなレスで恐縮ですが、
改めて見渡してみてちょっと気になったものですから。
62 :
やい井沢!!!:01/10/05 19:31
このあいだの歴毒で
邪馬台国=西都の可能性を示唆していたが鹿島さんの手柄横取りするなよ
63 :
日本@名無史さん:01/10/05 20:00
「織田信長が本能寺で殺されなければ天下を統一し、……ルソンまで日本領に」
天下を統一する前に殺されるほどの人だから、そんなマンセー論外(w
64 :
日本@名無史さん :01/10/05 20:28
>>62 早稲田の社学中退が、なめた口をきいてはいけませんよ、藁
65 :
日本@名無史さん:01/10/05 20:48
>>61さん
偉い!よく知ってますね。
乾隆帝は、表向き「先帝を侮辱した」という理由で処刑しましたが、
実際は曽静が「先帝陛下に殉じたい」というのを乾隆帝が認め、
「絹を賜った(つまり自殺ですな)」だという説があるのです。
(石橋崇雄「乾隆帝期の禁書―大義覚羅録の禁書化の背景」より)
66 :
日本@名無史さん:01/10/05 20:53
>>63 むしろ、1582年6月2日まで織田政権が崩壊しなかった方がはるかに奇跡的だと思われ
67 :
日本@名無史さん:01/10/05 20:59
>>62さま
大室寅之スレ様。ようこそいらっしゃいました。
どうぞごゆっくりしていって下さいませ。
68 :
大室寅之スレさんへ:01/10/05 21:03
ささ、いつものやつを。。。(コピペ大歓迎)
浄土宗西山禅林寺派でしたな、元亀〜天正年間ごろは。
でも清玉上人が、実は本願寺派の関係者だったなんてね・・・・
相変わらずのようですね。
少しは進歩してると思ったのですが。。。
訂正:大義覚羅録→大義覚迷録
72 :
日本@名無史さん:01/10/06 01:21
>信長は本能寺の変で明智光秀に討たれました。
>なぜか?その答えは
>「マヌケだったから」。
井沢氏は別な著作で「関所を撤廃したから信長は殺された」って言ってたね。
何の本だっけ?
覚えてる人、います?
「関所を撤廃したため光秀の動きに気が付かなかった云々」とか何とか。
73 :
日本@名無史さん:01/10/06 01:37
>72
京都七口の関所が撤廃されたのは
信長死後のことなのだが・・・。
74 :
日本@名無史さん:01/10/06 02:02
ま、井沢だし。
75 :
日本@名無史さん:01/10/06 02:15
最近の連載はちっとも逆説じゃない。
全然このスレとは関係のない話ですいません。
>>65さん
どうもありがとうございます。
ところでお詳しそうなので少し聞きたいことがあります。
雍正帝即位は康熙帝の遺詔によるというのが
通説ですが(実際は隆科多と年羹堯の擁立によると
の説が常識的なようですが)、
即位の経緯を巡って黒い噂がありますよね。
遺詔には「伝位十四太子」
とあったのを「伝位于四太子」書き換えたとか、
その際に呂(和尚)と称する人物の下で剣術を極め、
忍術の名人ら13人と結託して、遺詔を盗みだした
とか、即位の後に、疑心暗鬼になって呂を殺害して
その1ヵ月後に寝首をかかれたとか(過労死が一般的な見方
だと思うのですが)・・・・
こういう説ってどこまで本当なんですか?
自分は思考力が無いので電波でも、コロっと
騙されてしまうんですよ。
中国の話になってしまったので中国史上の人物で
信長の類型(立場的に)を敢えて求めるてみると
(素人感覚で申し訳ないですが)
後周の世宗柴栄ってところでしょうか?
(秀吉=宋の太祖、家康=宋の太宗)
ただ、宗教対策に関しては世宗の方に分があるかも知れません。
「歴史にIFはない」というが、それは時によりけり。
将棋の感想戦に当たる「ここでどうすべきだったか」は学問の発展になるが、
「もし〜だったら(ではなかったら)」というのは勝手なことを言えるだけ。
学問とはいえない。
「もし石川五右衛門が天下人だったら」
「もし秀吉が女だったら」
という具合の、愚にもつかない話まで出てくるのである。
「もし信長が本能寺で倒れなかったら」も同様に愚かな会話だ。
「本能寺で死ななかったら」を論じても、それは巷の「IF小説」でしかない。
それよりは「もし〜なら本能寺の変はなかった」を論じるべきである。
なお、信長の限界はせいぜい本能寺であって、
天下統一を果たすほどの逸材ではなかったことは歴史が証明した。
ましてルソンなんて論外であろう。
武田信玄や上杉謙信よりは信長のほうが勝っているにしても。
78 :
日本@名無史さん :01/10/06 12:34
歴史は偶然の積み重ねで作られてきたわけであって、
信長に限らず、条件さえ整っていいれば、戦国時代の有力大名全員が
天下統一を果たす可能性はあり得たと思われる。
有力候補者を挙げるのならば
上位には上杉謙信、武田氏(信玄・勝頼)毛利、長宗我部あたりだろうか。
79 :
日本@名無史さん:01/10/06 12:45
80 :
日本@名無史さん:01/10/06 13:44
あえて
>>77の言う「愚」を述べる。
信長がいなかったら戦国時代を統一するものがなかったようなことを井沢氏は言うけど、
俺はそうだと思っていない。仮に当時の最強今川義元が京都に上洛すれば、
彼の兵力を頼むことによって足利将軍家の力は回復する。
京都を荒らしている三好松永は簡単につぶされるか今川の手先になってしまう。
今川は北条、武田と連携しているから東国の戦乱は治まった格好だ。
浅井・朝倉・上杉(長尾)だって将軍家の命令が下れば余計な戦争はしない。
信長包囲網が将軍義昭の命令だったことを思えば、彼らが将軍家の権威を重んじることは明らかだ。
つまり関東から京都までの戦国時代は、今川義元の上洛によって簡単に解決したのだ。
西日本も島津、毛利ら有力大名と手を組んで他を倒せばそれで終わり。
天下統一とはいえないような地方政権の連合体になるが、
足利義満の行った如く不穏な大名をじっくりつぶす方法で中央の政権は固まる。
織田信長の登場は、戦国時代の終焉を遠回りさせたのではないだろうか。
81 :
日本@名無史さん:01/10/06 14:10
今川義元の上洛で一時的な安定は保たれるかもしれないが、
>>80のいうとおり地方政権の連合体であれば足利幕府の延命
にしかならないと思う。足利将軍の影響力が、それほどのも
のなのかは疑問なところ。
今川家の衰えとともに、再び戦乱の世になってしまうかもし
れない。徳川300年的泰平の世にはならないのではなかろ
うか?
しかし、むしろその方が日本の国際化には有益だったかもし
れないが。
>>81 だからさ、お互いIFだから勝手なことを言えるわけ。
「もし今川が上洛したら天下を統一した」なんていっても、
「いや戦乱の時代に戻った」といっても、どっちもどっちだよ。話が平行線なの。
83 :
日本@名無史さん:01/10/07 13:36
>>81 戦乱の時代が続いたら、国際化どころか逆にスペイン・ポルトガル・オランダ・イギリス、果ては
中国(明と清)らの支配下に入っていた可能性は高いと思うぞ。
>>82 いや漏れは平行線だと思えないな。
天下統一を果たした(?)信長、秀吉、家康らの死後(いや生存中でも)、
いつ戦乱の時代に戻りうる要因はいくらでもあったし。
武力で天下統一を果たしたのは、豊臣秀吉と徳川家康だけれど、日本全国を
政治的に天下統一を果たしたのは徳川秀忠と徳川家光ではないかいな?
84 :
日本@名無史さん:01/10/08 12:57
話がそれてきた、井沢の話題にBACKあげ
>>3 >信長の支配(宗教の持つ精神的な支配でなく政治的支配)を最後まで拒みました。
>>7 >狂信者の降伏を信用せずに虐殺するのは当然
これは信長の支配が「大義」という前提の下に書かれた文章ですね。
一向一揆を今回のテロと関連させ、「だから殺すのは当然」という言い方は、
つまり信長の支配が正しい、それに歯向かうものは皆悪ととれますよ。
85 :
日本@名無史さん:01/10/08 13:43
毎週、図書館で逆説を読んでいるのだが・・・。
最近は、浅井長政に裏切られて信長は変わった、
城下の放火のような強硬手段に訴えるようになったが、
これは天下布武という大義のために眼前の小さな損害
は止むを得ないと信長は判断したからだ、といった論理
展開が見られるけど、どうなのかなあ。
今週号では『信長公記』の一節がわざわざ引用されている
くらいだから、井沢さんは『信長公記』を読んでいる筈。
だとしたら、初陣以来、信長が敵方の城下に度々放火して
きたことも知っている筈なのだけど、どうして見当違いな
ことを述べているのだか、よく分からない。そもそも、敵領
への放火なんて戦国時代にはありふれた行為なんだけど。
このことに限らないけど、何だか、信長のやったことは
全て天下布武という大義名分の下に行なわれてきたこと
だから、肯定されるべきだ、といった論理が窺えて、信長
評価が見当違いなものになっているように思う。
86 :
日本@名無史さん:01/10/08 14:32
腐儒さんへ
私が言いたいのは狂信者に対しては抹殺より他に勝つ方法は
ないということです。
武田研究家さんは「逆説の誤りを正す」という大目標のため、
様々な文献から井沢の矛盾を指摘しました。
そして当然他の日本@名無史さんと同様に、
信長マンセーの井沢や腐儒とぶつからざるを得なかったのです。
これは史実に基づく解釈から研究する人たちと
信長が絶対に正しいと主張する井沢の決定的な対立であり、
あなたや井沢が信長マンセーの放棄を打ち出さない限り、
とことん戦わざるを得ないものです。
言っておきますが、武田研究家さんは正しい歴史を語ったのであって、
当初から井沢やその支持者を敵視していたのではありません。
彼らが自らが持っている妄想を放棄しなかったのが原因であり、
言論弾圧の類ではないのです。
その証拠に、武田研究家さんはあれほど井沢の信長マンセーに苦戦しながら、
ただの一度たりとも井沢の著書を読んではならないという発言をしたことはありません。
言論自体を批判するのではなく、井沢が歴史を捏造することを
批判しようとしたのです。
それでも井沢とその支持者(腐儒など)はその本質を
理解できないのか、あるいはしようとしないのか、
今でも史実に基づく歴史解釈を拒んでいます。
あなたが武田研究家さんが言ったことを批判するなら、彼の立場に立って
果たして妥協するべきだったかを考えて欲しいのです。
87 :
日本@名無史さん:01/10/08 14:44
物事を多面的に捉えるということができないタイプの人って存在しますよね。
必ず善玉悪玉に分けるというか・・・
現代的といえばそうなのでしょうが、思考方法がデジタルなのです。
一見、この手法は理論に筋が通ってて解り易いように見えますが
歴史を科学的に論証するには向かないでしょうね。
小説とか講談話なら良いのですが。。。
88 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:02
>>87 >必ず善玉悪玉に分けるというか
その代表は、過去に司馬遼太郎・現在は井沢元彦ってところかな
今川さんには碌な後継ぎがいなかった気がするが。
90 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:11
91 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:13
>>86 腐儒(阿部奈亮)氏は、今までの投稿内容から見ても、
他人の立場にたって物事を考える、という事自体、出来ないと推測できます。
>>87 井沢氏は「小説」の方が、はるかに多面的に書くことができたのに・・・
92 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:22
>>91 いや、小説さえも近年は同じパターンになってきている。
それでも面白い内容ならばまだ許せるけれど、最新作なんかは
目も当てられない作品だった。小説家「井沢元彦」は、もう終わっていると
思うよ。むしろコメンテイターとして転身しつつあるからね。井沢氏は。
93 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:24
>>91 86は安部さんの書き込み
>>3を茶化しているだけだと思いますよ。
94 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:24
95 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:27
96 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:38
腐儒こと安部奈亮さんの文章への批判が多いのは独特の断定口調が原因だと思われます。
自分の言いたいことだけならまだしも、
著者の意図や議論をしてる相手の考えまでを「○○です」と言い切ってしまう。
これは和を尊ぶ我々大和民族の伝統からして受入難いのです(w
97 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:39
98 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:44
>>96 2mやPAKU氏亡き今は格好の餌食になっちゃってるわけですなww
そういえば、2mのところに井沢のサイン本は届いたんだろうか?
99 :
日本@名無史さん:01/10/08 15:44
>>96 >これは和を尊ぶ我々大和民族の伝統からして受入難いのです(w
ワラッタ
あれ100か?まあいいや。
101 :
日本@名無史さん:01/10/08 16:51
彼は自分達の仲良し掲示板でちやほやされているからねえ・・・
102 :
日本@名無しさん:01/10/08 17:59
あのー、
>>3 は私ですが、その腐儒とやらいう人ではありません。
もちろん井沢氏でもありません。
私は信長マンセーではありませんが、信長を不当に悪く言うことが
許せないのです。
信長自身が意図したかどうかはわかりませんが、
彼がやったことは後世にとっては感謝するべきことが多いと思うのです。
それに人物として、私は信長の方が信玄や謙信より上だと思いますね。
信玄や謙信ははるかに保守的で、とても天下を取って混乱を収めるだけの
やり方を持っていなかったと思います。
別にこれは公平な評価だと思うんですけどね。
>>102さんへ
>信長を不当に悪く言うことが許せないのです。
では、比叡山を焼き討ちした時、武田信玄は織田信長のことをなんと言いましたかしら?
「天魔」と呼びましたよねえ。
そうしたら、織田信長は何と返答しましたかしら?
「第六天魔王」と返答しましたよねえ。これは一体どういうことでしょうかしら。
さ、ちゃんと説明をしてください。
104 :
日本@名無史さん:01/10/08 19:19
>103
何をいいたいのかわからん。
105 :
日本@名無しさん :01/10/08 19:25
>>101 その分、批判的な投稿者に対してはサイン本をよこさなかったりと、明らかに不公平。
そのくせまだ登録者を募ってるんだからねえ、呆れるよ( ̄△ ̄)
訂正:>102
107 :
日本@名無史さん:01/10/08 19:32
108 :
日本@名無しさん :01/10/08 19:40
のぶながワッショイ!!
\\ しんげんワッショイ!! //
+ + \\ けんしんワッショイ!!/+
+
. + /■\ /■\ /■\ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
109 :
日本@名無しさん:01/10/08 20:39
そういえば、「第六天魔王」って何だろ?情報きぼんぬ。
110 :
日本@名無しさん:01/10/08 22:29
>>104 何で私にそんなこと言うんですかね。
言いたい事が分からない?
あなた日本語分かります?今までの私のレスを全部読めば分からないはずはない
ないんですが。
111 :
日本@名無史さん:01/10/08 22:51
>>102 信長を「不当に悪く言っている」人なんていないでしょ。
信長を「過剰評価」してる人はたくさんいるけどね。
>それに人物として、私は信長の方が信玄や謙信より上だと思いますね。
>信玄や謙信ははるかに保守的で、とても天下を取って混乱を収めるだけの
>やり方を持っていなかったと思います。
>別にこれは公平な評価だと思うんですけどね。
思いっきり「主観的」な評価じゃん。全然公平じゃないよ。
公平だと思うなら、具体的に書かないと。
112 :
日本@名無史さん:01/10/08 23:01
>110
あなたこそ日本語分かります?
ほんと何をいいたいのかわからん。
113 :
日本@名無史さん:01/10/08 23:04
天下人の器じゃないから本能寺で討たれたのでは?
114 :
日本@名無史さん:01/10/08 23:11
とは書いたけど、
器じゃなくても何の問題もないね>信長
113でした。
115 :
浄土真宗本願寺派:01/10/08 23:47
>>69大木さん、もう少しで完璧です。続きをどうぞ。
>>102さんは、総見公のご子孫ですか?
116 :
日本@名無史さん :01/10/09 00:06
>>102 徳川家康はどうなるの?
言いがかりとしか言えない信長の命令で信康と築山殿を
泣く泣く殺しているじゃないか。
117 :
日本@名無史さん:01/10/09 00:10
>>116 それは違う。
信康もしくはその周辺が謀反を起こそうとしたため、
家康は信康を殺した。
信長には娘婿である信康を殺すことの了解を取っただけ。
〜『当代記』『安土日記』などより〜
118 :
日本@名無しさん:01/10/09 04:42
>>112 じゃあ、あなたでも分かるように箇条書きにします。
これで賛成か反対かはともかく、私の言いたい事がわからないようなら
本当にどうかしてますよ。
1、信長の残虐行為ばかり指摘して信長は悪人だと主張する武田研究家氏
らは私から言わせれば単なるアンチ信長である。
2、なぜなら大量殺人なら信玄も謙信も秀吉も家康も、ほとんどの戦国武将
ならしていること。たまたま敵や味方の数が多いから殺した数が多いだけ。
3、それをもって信長を悪人というなら名のある戦国武将はみんな悪人であること
をまず認めるべき。井沢スレだからというのは逃げ口上。
公平にやってるつもりならまずそこを認めてほしい。
4、さらに信長の大量殺人はほとんどが対宗教戦争であり、これには政教分離を
主張する信長と既得権益や自治権を手放そうとしない比叡山や本願寺が妥協
しない限り徹底的な殺し合いにならざるを得ないもの。
単なる戦国大名同士の戦いとは全く違う。
島原の乱など、宗教がらみの戦いはそうなるもの。
信長が特別に残虐というのはあたらない。
5、信長を悪人として叩くのは信長を善人と言うのと変わらない。
私はどっちでもないと主張している。
私から見ると井沢氏を叩いている人は信長を悪人呼ばわりしているようにしか
見えない。
余談ですが総見院の子孫じゃありません。
もう少し信長に対し正当な評価をして欲しいですね。
信長には確かに短所がありますが、長所も見て欲しいです。
信長嫌いの方からすれば私がマンセーにしか見えないんでしょうが。
とても公平な態度じゃないのは叩いているほうでしょう。
エセヒューマニズムより、信長がやったことの後世への貢献を
よく考えてください。
119 :
日本@名無史さん:01/10/09 07:36
>>118 んで、見て欲しい信長の長所って何よ?
「井沢スレだから」は別に逃げ口上でもなんでもないじゃん。
その他の大名が話題に上らなかったのは井沢が扱わなかったから
ってのは普通だろ。井沢スレなんだからさ。
120 :
日本@名無史さん:01/10/09 13:16
>>118 あなたでも分かるように箇条書きにします。
これで賛成か反対かはともかく、私の言いたい事がわからないようなら
本当にどうかしてますよ。
1、信長の大義名分ばかり指摘して信長は正当だと主張する井沢元彦氏
らは私から言わせれば単なる信長マンセーである。
2、なぜなら「大義」なら信玄も謙信も秀吉も家康も、ほとんどの戦国武将
ならもっていること。たまたま天下人にならなかったから「官軍」にならなかっただけ。
3、それをもって信長の殺戮を正当というなら名のある戦国武将はみんな正当であること
をまず認めるべき。信長が叩かれているからというのは逃げ口上。
公平にやってるつもりならまずそこを認めてほしい。
4、さらに信長の大量殺人はほとんどが私利私欲の侵略行為であり、これには天下人を
主張する信長と既得権益や自治権を主張しようという比叡山や本願寺が妥協
しない限り徹底的な殺し合いにならざるを得ないもの。
単なる宗教戦争とは全く違う。
信長が政治的に正しいというのはあたらない。
5、信長を天才として持ち上げるのは信長を馬鹿者と言うのと変わらない。
私はどっちでもないと主張している。
私から見ると信長を持ち上げている人は信長を善人呼ばわりしているようにしか
見えない。
121 :
日本@名無史さん:01/10/09 13:28
>>118 あなたの書き込みを見ていると、やっぱりまともに歴史を知っている人とは思えない。
まず、宗教戦争というけど、それは武田研究家さんが指摘のとおり違うでしょう。
それに対する反論がなければ118の書き込みは全くの空論。
信長の大義しか認めていないから
また「既得権益や自治権を手放そうとしない比叡山や本願寺」というのでしょうが、
延暦寺や比叡山から見れば、信長が彼らの権利を奪い取ろうとしているに過ぎない。
信長のしたことが正しいという根拠をご提示してほしいね。
大体、島原の乱は宗教戦争じゃないよ。
島原の領主が、実質的な石高は三万石ほどであったにもかかわらず「9万4千」と申告、
つまり農民にしてみれば自分の食べる分を支払っても藩の収入にならなくて、
それじゃあ生活できないからって、やむを得ず反乱をおこしたの。
ただの宗教弾圧だと思っているお前さんは小学生並みの知能の持ち主だね。
ま、善と悪とか宗教の対立とか、単純化した歴史観がお前さんにはお似合い。
ウザイからどっか逝け
122 :
日本@名無史さん:01/10/09 14:41
118はかなり筋金入りの井沢マンセーくんだね。
宗教戦争?ウププププ
なんせ逆説のポイントは宗教的、呪術的要素だからね。ハッハッハッハ
123 :
日本@名無史さん:01/10/09 15:27
>>118 俺は信長嫌いじゃないけど、お前がただのマンセーにしか見えない。
いっとくけど俺らは信長を叩いているんじゃなくて井沢を叩いているの。
そんな簡単な事もわからんのかヴォゲ
124 :
日本@名無しさん:01/10/09 17:16
ハァ?
全然俺が言わんとしてる所が分かってないね。
信長が正しいとも悪いとも思ってはいないよ、俺は。
何で正しいという根拠を示せなんて言ってるの?理解不能だね。
井沢がマンセーとも思ってない。
よく読んでくれよ。全然訳がわかんないこと言わないでさ。
信長がやったことは宗教弾圧じゃない。
なぜなら信仰自体は禁じていないんだから。
むしろ違うって言ってるのに何を考えているのかね、121は。
宗教戦争というのは、一方が宗教を抵抗の精神的な柱にした段階でそうなんだよ。
今のタリバンがイスラム教徒を味方につけようとしているのと同じ。
イスラム自体は別に邪教じゃないが、乗せられて反米デモをやってる
イスラム教徒は原理主義者と同じに思われる。
このままじゃイスラム教徒が乗せられてアメリカ対イスラムという図式に
されてしまう。そうならないためにはイスラム教徒が原理主義とは別だと
いうことに気づかなければいけない。
同じように一向宗徒は全部が狂信者なわけじゃないが、
本願寺や願証寺に乗せられて信長と戦った宗徒は狂信者同然。
彼らが信長の支配を認めるただの宗徒であれば殺されることはなかった。
島原の乱の講釈など言われなくても知ってるよ。
それでもキリスト教の信仰が反乱軍の精神的な柱だったことは
間違いないだろ。その時点で十分宗教戦争。
これに対しては皆殺し以外にないんだよ。
そうでなければ抵抗は続く。マインドコントロールを解かない限りね。
キリスト教がマインドコントロールしたって事じゃないよ。
天草四郎とそのブレーンがやったこと。
119は俺の言わんとしてるところを勘違いしてるから
全くの的外れな反論になってるね。
1、そりゃその通りだね。俺から言わせれば君達は叩き過ぎ、
井沢氏は悪いところを見ないのが行き過ぎ。
ずっとそう言ってるのに何で井沢マンセーになるんだい?
2、だから全部悪人じゃない、又は全部悪人てことになるだろって言ってんの。
善悪で言ってるんじゃないよ。論理の話。
俺は善人も悪人も歴史上の人物にはないと思ってる。
なんでそれが善悪とか単純化しているととるのかね、121は。
誤解するほうがウザイ。
3、全くその通り。俺は全然それに反対なんてしてないよ。
そうじゃないと思っていたならこれも誤解だね。
4、その通り。だが侵略が悪という考えがない時代に侵略した人間を
責める事は出来ない。その意味で信長も信玄も皆責めるべきではない。
5、信長を天才とは思わないが、優れた政治家であり、軍人でしょう。
125 :
日本@名無史さん:01/10/09 17:41
レス番ずれとりゃせんか?
126 :
日本@名無史さん:01/10/09 18:11
一体何を言っているんですか。
織田信長は「第六天魔王」でしょうが。
そして、
井沢元彦は「セクハラ大魔王」ですよ。
これは定説ですよ。定説。
128 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:07
↑ ヴァカ降臨。
井沢のセクハラ大魔王疑惑か。
銀座に行って、50万円で俺の愛人になれよ
と言ったことでしょ。
いくらバブルがはじけたからといって
銀座のねーちゃんを50万円で愛人にしようとする
なんてせこすぎる。
130 :
春曲げ丼 :01/10/09 19:29
ダンケシェーン
131 :
>>129:01/10/09 19:36
週刊ポストで1997年に連載していた有名人女装グラビア「たまゆら」で
井沢のネグリジェ姿とお姫様に比べたらw
132 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:36
ド素人丸出しで恐縮ですが
(しかも、スレ違いかも知れませんが)
このスレに書き込む皆様ならご存じかと思いますが
(以前NHKでも放送されていましたが)
最近の安土城研究から、従来とは違った信長像が
浮かび上がっていますよね。
井沢氏はこの辺の事情についてこれから
触れていくのでしょうか?
それから、自分はこのことについて通り一辺の事しか
知りませんので
どなたか詳しく知っておられる方がいらっしゃいましたら
意見をお聞かせ下さい。
133 :
日本@名無史さん :01/10/09 19:38
げええええええええええええええええええええええええええええええ>131
134 :
日本@名無史さん:01/10/09 20:52
織田信長とは、一体どんな人物だったのか。
結論:織田信長とは織田信長である。
それ以外の何者でもない。
事実は事実として受けとめる事。
135 :
日本@名無史さん:01/10/09 22:15
さて、事実と何でしょうか?
136 :
武田研究家:01/10/10 00:54
とりあえず今週の分を。
(引用は今週の週間ポスト『逆説の日本史』より)
> そこで、今までの比較的おだやかな戦法を捨てて浅井領の村々を焼き払っ
>て、浅井長政を姉川に引きずり出すのには成功し……
時系列を無視した素晴らしい文章です。
この話は以前の「逆説」でも出ていましたがその時は解説をしなかった
ので、ここで解説しておきたいと思います。
『信長公記』からこの時の流れを拾ってみますと、
元亀元年
六月二十一日 信長、小谷城に迫り、城下及び周辺の村々に放火。
六月二十二日 信長、小谷城攻めをあきらめ、田川を越えて南に退却。
(この時に浅井軍の追撃を受けるが撃退している)
六月二十四日 信長、横山城攻めを開始。徳川家康が合流。
(横山城は小谷城からみて姉川を挟んで反対側にある)
六月二十六日 朝倉軍が小谷城に到着。浅井軍と合流、大依山に布陣。
六月二十七日 浅井・朝倉軍は早朝に陣払いを始める(ように見えた)。
六月二十八日 浅井・朝倉軍、姉川の対岸に現れる。姉川の合戦へ。
さて、城攻めに当たって城下に放火するのは実は誰もが行なう常套手段で
あり、信長自身、これ以前から何度となくやっていることです。
もちろんこういった行為には挑発の意味もあるでしょうが、井沢氏が言うほど
特別なことではありませんし、実際この時は浅井長政はじっと城で
耐えています。
井沢氏は放火と姉川の合戦を結び付けていますが、それはかなり無理があり、
浅井長政は「放火に対して城から出て来た」のではなく、「横山城救援の
ために城から出て来た」と見る方が上で書いた流れとも符合すると
いうものです。
137 :
武田研究家:01/10/10 00:55
> 善住坊も、六角承禎にえらばれるぐだいだから、名人だったろう。
>「二つ玉(弾丸が二発)」というところに御注目願いたい。
>この時代の火縄銃はすべて先込めの単発銃であり、二発続けて撃
>つことは不可能だ。それでも二発撃ったということは、あらかじめ火縄を点
>火した銃を二挺用意しておいた、ということだ。
> そんな「名人」が十二間つまり約二十二メートルの至近距離から狙撃し
>たのに、かすり傷で済んだというのだ。
井沢氏はもう少し砲術の勉強をするべきですね。
『信長公記』に「二ツ玉にて打ち申候」とあり、「にて」という表現は
「二つ玉」という方法で射撃したことを示しています。
でこれはどんな射撃法かといいますと、銃身に小さ目の玉を二発、紙で
包んで装填する方法です。言うなれば「散弾」の発想でしょうか。
当時の火縄銃というのは破壊力はあっても命中精度が低く、
雑賀衆の一人で佐武伊賀守というものが敵を10間まで引きつけてから
狙撃した話を書き残していたり、あるいは西洋の火縄銃が60フィートで
かなり大きな目標に当てることが出来たという記録があることなどから、
狙撃が可能な距離は18メートル程度であったと考えられます。
となるとこれを越える距離で確実な命中を狙うのは難しく、善住坊も
それを知っていたからこそ「散弾」で狙ったのだと言うことになります。
「日本初のスナイパー」というネタは井沢氏にしては面白いですが、
細かい知識の誤り、古文献史料すら訳せない実力の露呈など、ネタを振った
ばかりに墓穴を掘っているようにも思えてなりません。
138 :
武田研究家:01/10/10 00:56
> …ちなみに領国を離れ遠征してきている朝倉軍にとっては、
>この決定は渡りに船だった。というのは、朝倉兵というのは兵農分離してい
>ない軍隊だから、農業労働力として必ず国へ戻さねばならないが、早くしな
>いと本国の越前(福井県)は雪に閉ざされてしまうからだ。ここでも信長軍
>との差が出た。
さてこの文章とこれより前に書かれている講和の話、実は論理的に破綻
しています。
ヒントは「雪」です。
つまり、雪が積もっている間は農業なんて出来やしないのです。
農業するために撤退するのであれば、雪が融けてから国に帰ればいいのです。
百歩譲って朝倉軍は後進的な農兵軍団で、織田軍だけが先進的専業兵士軍団で、
しかも朝倉軍の兵士たちは雪が積もっている中で何か農業するのだと仮定
しましょう。
それならば、信長に急いで講和する必要はありません。
朝倉軍はそのうち撤退するでしょう。二万とも言われる朝倉軍が抜ければ、
北方は万全です。
それから取って返して三好軍を撃破すれば、信長の一人勝ちです。
あるいは三好軍も農業するために本国の阿波に帰るかもしれません。
そうなると信長は何もしないで勝てることになります。
兵農分離が真実本当ならば、このような結論になります。
井沢氏は、どう考えたのでしょうか。
139 :
日本@名無史さん:01/10/10 08:52
age
140 :
日本@名無史さん:01/10/10 09:25
これはもう勝負あったな。
所詮は3流週刊誌の連載。
主な購買層である、歴史好きなサラリーマンオヤジが
ヘアヌードやリストラ記事に飽きた時の箸休めみたいなもんだよ。
141 :
日本@名無史さん:01/10/10 11:52
>140
そういうこと。
その程度のものにいちいち目くじら立てるなんて
ヴァッカみたい。
自分より格下だと思う相手の間違いを指摘して楽しむのは
余程の悪趣味か僻みか実は妬みか。
142 :
日本@名無史さん:01/10/10 13:22
>141
それを言ってはオシマイのような・・・。
いやまあ確かにそうなんだけど。
ただ、武田研究家さんの書き込みは色々と参考になるから、
できたら今後も読みたいなあ。
143 :
日本@名無史さん:01/10/10 14:04
>>118=124は、腐儒さんじゃないとしたらPAKUか2mだな。
>141
どうしても自分の方を振り向かせたい女(男)の嫉妬のようなものかな。
118も武田研究家に対して嫉妬しているとしか思えない
知識ある人はつらいですね、研究家どの(w
146 :
日本@名無史さん:01/10/10 14:51
でもさー、「二つ玉」に関する記述とかは明らかに間違いなんだから
連載の中で訂正すべきじゃないの?
少なくとも本で出す時には訂正すべきでしょう。
司馬遼太郎さんも間違いは適時ちゃんと訂正しているよ。
147 :
日本@名無史さん:01/10/10 15:13
>>146に賛成。井沢は間違いを認めようとしないから、たちが悪い
148 :
日本@名無史さん:01/10/10 15:23
>147
具体的にはいつ誰にどのような間違いを指摘されて
それを認めなかったのですか?
149 :
日本@名無史さん:01/10/10 15:44
>>148 アホか。昔掲示板で武田研究家・パンダ・雪狼が暴れていたの見てない?
具体的に示せないほど回数が多いんだよ。
お前さんみたいに何も知らない井沢マンセーは、
井沢の間違いに気づかないで上記3人が間違っていると思い込んでいるだけ。
とにかく馬鹿を相手にしても仕方ないから失せなよ、PAKUさん。
150 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:08
>149
アホではありません。
見てません。
具体的にとは言いましたがすべてとは言っていません。
井沢マンセーではありませんし、
あなたほど思い込みも激しくありません。
ところで、PAKUさんって誰ですか?
あまり恥ずかしい書き込みはされないほうがよろしいかと。
>150
148は恥ずかしい書き込みではありません。
思い込みも激しくありません。
あなたは過去に私に返答していません。
あなたは井沢マンセーに見えますし、
武田研究家ほど知識ある人ではありません。
ところで、あなたは何様ですか?
井沢板過去ログも見ないで勝手な書き込みをしないほうがよろしいかと。
149だった、スマソ
153 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:29
>>148 掲示板で指摘されても井沢は見てないだろ
つーかお前変な人だね
154 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:32
パンダ(?)がどこかで直接指摘したけど、無視されたとか・・・?
155 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:33
武田研究家さん、面白かったよ!また来てね
156 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:35
>153
掲示板で指摘されても見てないと思うのなら
間違いを認めないことにはならないでしょう。
事実を知りたいと思うとなぜ変な人になるのでしょうか。
あなたにお前呼ばわりされる覚えはありません。
157 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:37
昔ながらの正式な手続きを踏んでの意見は、なされていないかもしれんが
今のこの時代、本人の公式HP上での議論は十分に考慮すべきじゃないのか?
一般読者の意見を広く聞きたいからHPを開設したんだろ?
井沢さん、最初の頃は「逆説」のあとがきで、そういう意味のことを書いてたぞ。
ところがだ、意見を聞くどころか逆切れして、いつのだったか、あとがきで
自分が展開している「逆説」の意図や趣旨を理解もせずに
細かい点を挙げてグダグダ言うのはやめてもらいたい
と書き放ってたもんな。これは明らかにKANAKさんやAwajiさんのことでしょ。
まさか井沢さんも2chを見るほどヒマじゃないだろうけど
もしどこかで小耳にでもはさんだら、
少しは自分の姿勢を考えてもいいんじゃないのか?
158 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:41
>>151 は、わざと誰かさんの文体に似せて書いてないか?(ワラ〜
159 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:44
>>157 で、意見の相違ではなく具体的に明らかな間違いって何?
160 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:48
>156
文章が変
161 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:49
>160
読解力が変
162 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:52
「逆説の日本史」著者井沢元彦氏の不幸な点
援護射撃をする人が基礎ができていない電波しかいなかったこと。
>158
直近の二つ玉の例で十分じゃない?
過去にも明らかな史料の誤読を指摘されてたやん。
すまん・・158ではなく159じゃ。
164 :
日本@名無しさん:01/10/10 16:57
>>143 そのどれでもありません。
と言うより今までネットに書き込みしたことはありません。
165 :
日本@名無史さん:01/10/10 16:59
>>162 本人に対して
明らかな間違いを
はっきりと指摘したにもかかわらず
それを訂正しないのは
問題です。
166 :
日本@名無史さん:01/10/10 17:02
>165
具体的にはいつ誰にどのような間違いを指摘されて
それを認めなかったのですか?
167 :
日本@名無史さん:01/10/10 17:04
>>162 やはり井沢にとって安住の地はKOEIしかないという事か
168 :
日本@名無史さん:01/10/10 17:09
定説・通説マンセーおたく VS 異説・珍説マンセーおたくの戦いってことね。
>166
ちみ、昔の井沢掲示板を知らないの?
そりゃー歴史のことだから100%間違いですよ!っちゅうわけにはいかんけどさー
史料の読みかたとか、その解釈については色々あったぞな。
>具体的にはいつ誰にどのような
あ、井沢さんにも、そういう執拗で緻密な探究心があればのぅ・・・
>167
俺は、一般向けのセミナーとか講演会向きだと思うよ。
170 :
日本@名無史さん:01/10/10 17:17
とんでもないのがいるね。(♥
>>164 初めてのネットでの書き込みが2ちゃんだなんて!
素晴らしい!!
しかも引用符「>>」も正確に使いこなせている!!!
あなたは天才だー!!!!
172 :
日本@名無しさん:01/10/10 18:00
>>171 メールはやってるし、それぐらいは
パソコンに強い友人から教えてもらいますよ。
173 :
日本@名無史さん:01/10/10 18:17
>>172 「初カキコが2ちゃんねる」というのがすごいってことでしょう。
それより、まともな話し合いをしたいなら井沢板に行ったほうがいいと思うよ。
ここは井沢叩きの場、信長について普通に論じてもしかたない。
それを理解しないと生きていけないんだな〜。
もちろん井沢を擁護しうる材料があれば、話は別よね。
174 :
日本@名無史さん:01/10/10 23:48
>>138に関して井沢に不利な証拠。
上杉謙信は秋に関東に出陣して関東で冬を過ごし、春に越後に帰っていた。
同じ雪国の朝倉家ならば同じ事が出来たはず。
井沢危うし!
175 :
日本@名無史さん:01/10/10 23:52
関東で冬を過ごしたねぇ。。。
176 :
日本@名無史さん:01/10/10 23:55
177 :
日本@名無史さん:01/10/11 01:05
>>174 >>138氏が取り上げた井沢さんの文章をものすごく好意的に受け取れば、
「雪に閉ざされる前」つまり秋=刈り取りの時期までに帰って、
急いで稲刈りをやってしまおうという意味ではなかろうか?
>174
上杉軍は関東で略奪と奴隷狩りに励んでいたそうで。
端境期に食(職)をもたらしてくれる謙信は、越後人に
とって英雄だったらしい。関東の人間にとっては大迷惑
だけど。
>177
んなこたぁーない。元亀元年の場合、和議が成立したのは
12月になってから。当時は旧暦だから、真冬もいいところ。
>これは明らかにKANAKさんやAwajiさんのことでしょ。
同一人物じゃん、藁
180 :
日本@名無史さん:01/10/11 09:55
>>177 戦を始めたのが旧暦で9月。和議が12月。
刈り入れが終わってから出陣してきて、雪を掻き分け掻き分けしながら
帰ったことになる。
181 :
日本@名無史さん:01/10/11 10:19
昔の農業は今のように機械化されていないから
むしろ女手の人海戦術でも出来たって話もあるよね。
182 :
日本@名無史さん :01/10/11 10:23
最近の逆説は支離滅裂で研究家さんらの解説が無いと読むに耐えない。
183 :
日本@名無史さん:01/10/11 11:52
>むしろ女手の人海戦術でも出来たって話もあるよね。
そんな話は聞いたことがない。。。
184 :
日本@名無史さん:01/10/11 12:19
としさん、荒らしたらダメですよ〜
185 :
日本@名無史さん:01/10/11 12:47
いや、狼さんにも参戦して欲しいものだが。
186 :
日本@名無史さん:01/10/11 14:30
話が関ヶ原に移ったら、また雪狼さんと輔住さんが活躍すると思ふ。
しかしそれまで長い年月がかかりそうだ(W
多分信長だけであと1年は続く。
ところでパンダさんはどうしたんでしょうね。
187 :
日本@名無史さん:01/10/11 16:25
井沢の信長電波はいつになっても終わんないだろうね(藁
188 :
日本@名無史さん:01/10/11 22:54
従五位甲斐守一条六郎 武田信長
189 :
日本@名無史さん:01/10/11 23:04
伊予守南部又次郎 南部(武田)信長
190 :
日本@名無史さん:01/10/11 23:05
今日はずいぶんマターリしてるね
192 :
日本@名無史さん:01/10/15 10:30
月曜age
193 :
日本@名無史さん:01/10/15 21:37
週間ポストで連載中の、山科けいすけの「お仕事しなさい!」に出てくる「西郷課長」
あれ井沢氏がモデルだって知ってた?
194 :
日本@名無史さん:01/10/16 00:12
195 :
PAKU(本物):01/10/16 00:15
大木=Aikoh
いいかげんにしろよ!ねてろ、あほ
196 :
酔っぱらい:01/10/16 00:37
いや〜、荒らし規制のおかげで、過去スレとがいしゅつネタスレばっかになっちゃったね。
それでも「日本史板御三家」の「井沢元彦スレ」は井沢氏(と井沢マンセー)が電波を出し続ける
おかげでちっとも終わる気配はなし。研究家さんの井沢氏の間違い探しはめちゃくちゃ面白いし、
研究家さんに質問する人たちもそれなりに礼節わきまえていて面白い。
それに研究家さんにケンカ吹っかけるたのも電波だしまくりで大笑いさせてもらったしね。
秀吉や関ヶ原以降は雪狼さんや大熊猫さんも参加しそうだし、いやはや楽しみ(うふ)
197 :
日本@名無史さん :01/10/16 01:19
おお、PAKUさんご本人も復活!!めでたいめだたい。
しかし・・・AIkou氏が一向宗ちゃんをやりこめたとは思えませんが。
まあ、あまり喧嘩腰にならない方がいいですよ。
また揚げ足取りばかりする連中もいますからね。ご用心下さい。
198 :
日本@名無史さん:01/10/16 01:49
どうせ偽物だ。放置。
199 :
日本@名無しさん:01/10/16 07:19
>>176 ホントなんですけどねえ。
2チャンがカキコデビューですよ。他の板ですが。
井沢氏のHPには書き込んだことがありません。
電波じゃないと思うんですが。
全然真正面からの反論が未だにないですね。
私が何か事実に反することを言いましたか?
それと訳のわからない人の名前出して一緒にしないで欲しいです。
AIKOUというのは誰ですか?
200ゲットォォォォ!!ッッ痛?!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
∧∧
(ДT ;) ちんちん擦っちゃった
U ヽ
. 〉 ノノ~
∪∪
201 :
通りすがり:01/10/16 15:40
>>199 いや、じゅうぶん事実に反しておる
武田研究家さんの指摘にまともに答えないのは貴君じゃろ
202 :
日本@名無史さん:01/10/16 17:18
武田研究家さんには、投稿を続けてほしいけどなあ。
普通、あまりにも馬鹿らしいし時間の無駄ということで、
学者はあまり相手にしないし、相手にする学者は、同
業者から格下云々・・・・・なんて冷ややかな目で見ら
れているのかもしれないけど、一般人にも分かりやすく
批判することは必要だと思う。
203 :
日本@名無史さん:01/10/16 21:26
昨日発売された 別冊歴史読本「危ない古史古典」で、
われらがセクハラ大魔王様のおバカ発言に大笑い〜(*^O^*)
「秀真伝」や「東日流外三郡誌」を評価していやんの(大藁×n
204 :
日本@名無史さん:01/10/16 21:40
196 名前:りえぞお :01/07/11 20:31
いざわの「い」の字は「いぼぢ」の「い」〜 ウエヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ
205 :
日本@名無史さん:01/10/17 00:03
| 忍者参上!
レ-----------
∧ ∧
(@゚Д゚)
と/ ∀ (つ ―――――((卍))
(-∞_ブ
(,/ シュッ シュッ
206 :
武田研究家(脱力):01/10/17 02:39
今週の『逆説の日本史』……何だかな……
まずは先週の追加。
井沢氏は信長を狙撃した「杉谷善住坊」を根来衆だと書いていましたが、大き
な誤り。先週の内に指摘しておくのを忘れてました。「二つ玉」の方を優先して
しまったので。
で、杉谷善住坊ですが、これはそのまま甲賀五十三家の一つ、杉谷氏の人間で
すね。
杉谷与藤次の息子だと伝えられていますが、井沢氏は恐らく根来寺の子院の一
つ、「杉ノ坊」と間違えているのだと思われます。
で、今週の分。
今回は前半は歴史ifネタなので突っ込むも突っ込まないも無し。
勝手に妄想しててください。
後半も踏み込んだ内容は特に無し。
> 信長は正月早々、近江姉川を封鎖し、越前の朝倉氏および一向一揆と、本
>願寺・浅井氏などとの連絡ルートを断った。個別撃破には、まず相互の連絡
>を断ち、それぞれの勢力を孤立化させることが重要だ。
この文章、何だか意味不明ですね。姉川を封鎖したという話自体も初めて聞き
ますが、それが私の勉強不足だとしても、姉川を封鎖して朝倉氏と浅井氏の連
絡が断てるなんて有り得ませんからね。
浅井氏の本拠地である小谷城は姉川より北。越前はさらに北。姉川を封鎖して
両者の連絡が断てるかどうか、井沢氏はとりあえず地図を見てみるべきでしょ
う。
> しかもこれは、長島一向一揆が、先に信長の城(尾張小木江城)を攻め、
>信長の実弟信興ほか多くの家臣を殺したことに対する報復であることは、前
>に述べた通りだ。
以前は信長の理想のためだとか狂信者は殺す以外にないとか書いていたのに、
結局は報復ということで落ち着いたと(笑)
207 :
武田研究家(脱力):01/10/17 02:40
最後に一つ、事実云々ではないけれど、どうしても言っておきたい部分が。
> ここにいたって、石山本願寺の宗主顕如は、反信長の態度をあきらかに
>(中略)
>(『日本の歴史11 天下一統』熱田公著 集英社刊 傍点引用者)
>
> この日夜半、雨のふりしきるなか、本願寺の宗主顕如は
>(中略)
>(『大系日本の歴史8 天下一統』 朝尾直弘 小学館刊 傍点引用者)
> 以上のように、信長と本願寺の大血戦「石山合戦」は本願寺側から仕掛け
>たものであることは、歴史上の確たる事実なのである。
他人の書いた歴史書を引用して「確たる事実なのである」と言えるんだったら、
『逆説の日本史』なんて意味ないじゃん(笑)
ま、細かい部分は次週以降にやるだろうから、その時にでも。
208 :
日本@名無史さん:01/10/17 08:57
ここでいっちょ、井沢擁護をしてみるか。
>>206 姉川封鎖の件でございますが、これは・・・(苦笑)
週間連載なんだから、ネタに困ることもあるんですよ。
気は乗らないけど書かなくてはいけない・・・作家は苦しいのです(苦笑)
報復の件は、今最も熱い時事ネタですから・・・(笑)
どなたかもおっしゃっていましたが、週刊誌の主な読者層にアピールするためにも
この語句を使いたいのですよ・・・ご勘弁を(笑)
根来衆の件も合わせまして(ここがポイント!)
氏の「逆説」の主旨に大きく影響する部分ではないので、ご勘弁を・・・(苦笑)
209 :
日本@名無史さん:01/10/17 15:46
w
210 :
日本@名無史さん:01/10/17 16:03
秀真はともかく、東日流は馬鹿にできないぞ。
あれと前後して華々しく世に出た藤村新一発見の
前期旧石器のことが全く書かれてないからな。
出雲の銅鐸や銅剣は実物が出てくる前に
東日流に書いてあったんだし。
211 :
日本@名無史さん:01/10/17 16:05
>>199 だれもAikouとあなたを一緒にしていないよ(ワラ
212 :
日本@名無史さん:01/10/17 16:53
>211
199はAikouなる人物が誰の事か分からんというレスを返すと思うよ。
>208
小さな事実誤認を繰り返していると(訂正しないでいると)
本物の狼が出た時に誰も相手をしてくれない。
井沢先生が一番良くご存知のはず。
213 :
日本@名無史さん:01/10/17 20:07
>>199 あいこうのことを知りたいなら井沢板の過去ログを見なさい
214 :
日本@名無史さん:01/10/17 20:58
おっ、武田研究家さんの書き込みだ。
メジャー週刊誌での連載、単行本も結構売れているみたいだから、
格下だろうがなんだろうが、やはり批判は必要だと思うなあ。
研究者の中でも、逆説の古代史編の怨霊説などの主張は取り上げ
ていた人が少なからずいたのに、戦国時代編の主張を取り上げた
人は見かけないなあ。取り上げるに値しないということかな。
215 :
日本@名無史さん:01/10/18 00:17
>>215 いやいや、故・足利健亮教授がいましたぞ。
岐阜や安土の地名の語源など、結構井沢氏を意識して書いてましたからな〜
216 :
日本@名無史さん:01/10/18 00:37
>>210 平成になってから発見された分には書かれてる・・・
217 :
PAKU(本物):01/10/18 01:18
大木さんよ
お前2mちゃんと遊んでたAIKOUと一緒って
自分でカミングアウトしてたじゃん。
しかも不倫どうのこうのでよ、、、、
訳解らん書き込みしてさ、最近も武田さんに「ひんしゅく」
かってるようだけど変わってないねー
アホはアホだわ。
218 :
日本@名無しさん:01/10/18 05:36
>>217 AIKOUも大木も違うんですけど。
どちらも井沢板の人なんでしょうが、見たこともないんで。
>>214 特に新説は言ってませんからね。
確かに「逆説」にはなっていませんな。
通説に異議がないならどんどん飛ばせばいいと思うんですが。
219 :
日本@名無史さん:01/10/18 14:27
>>218 だからだれも、あんたが大木あるいはAikouだなんていってねえだろ。
書き込みをよくみろ。まともな会話の出来ない奴だな。
あと、PAKUなんか放置しとけ。
220 :
219だが:01/10/18 15:25
>>通説に異議がないならどんどん飛ばせばいいと思うんですが。
同感。でも井沢は信長のことを書きたくてたまらないようだね。
221 :
日本@名無史さん:01/10/18 15:29
まったくだ・・・
何が何でも逆説で日本史全部を語らないと気が済まないのだろう。
言いがかりつけるなら一向宗ちゃんを見習っとくれ。じゃなければお相手しません。
え〜と、元末期の「一向宗」、紅巾賊(白蓮教徒)の異名、でよろしいかな?
223 :
日本@名無史さん :01/10/18 20:01
>>218 なんでもいいから、個人のHNつければ間違われまい
224 :
PAKU(本物) :01/10/18 20:04
どこまでいってもアホだなー
武田さんの邪魔だから早く消えてくれ。
225 :
日本@名無史さん:01/10/18 20:10
226 :
日本@名無史さん:01/10/18 21:56
>215
ふむふむ、そうでしたか。
足利さんの著書は図書館でざっと読んだことはあったのですが、
一度精読してみる必要がありそう。
>214
通説とはいっても、やたら古臭いもののように思えますので、
研究者の皆さんも突っ込みがいがありそうですけどねえ。
227 :
日本@名無史さん:01/10/18 21:57
上の投稿、>214 宛てではなく、>218 宛てだす。
>>132 134
真相は・・・・・・・・・信長=粂
229 :
日本@名無史さん:01/10/19 14:44
100人に聞きました。
「PAKUと大木さんと、どっちがアホだと思いますか?」
大木さんに投票、1%(PAKU)
PAKUに投票、0%
無回答、99%
無回答の理由
「PAKUはアホではなく馬鹿」99%
230 :
PAKU(本物):01/10/19 23:05
俺は馬鹿だけどよ、
何食わぬ顔をして投稿してる大木が許せねーんだよ。
お前、2mと意気投合してたAIKOUだろ?解ってんだよ。
管理人に聞いたからよ、ネタはあがってんだよ!
>>230 >管理人に聞いたからよ、ネタはあがってんだよ!
ほお。管理人てだあれ?どこでネタがあがってるのかしら?うふ♪
232 :
日本@名無史さん :01/10/19 23:36
馬鹿からかうのはよしなよ、大木さん(笑)
それより、織田家は何宗だっけ?
>>232 禅宗。といっても曹洞宗と臨済宗に分かれてる。
234 :
日本@名無史さん :01/10/19 23:50
あ、だから織田無道が臨済宗の寺の住職なわけなんスね。納得。
>織田無道
あぁ、「私は霊力を持ってない」と公言しながら霊能力者としてTVに出演するあの人ね(藁
スレと関係ないんでsage。
「霊力」は「霊感」の間違い。
237 :
日本@名無史さん:01/10/20 10:17
>>PAKU
あなたのほうが邪魔です。スレを荒らさないでください。心よりお願いします。
238 :
日本@名無史さん:01/10/20 11:40
話を元に戻そう。
石山本願寺の開城後、信長対本願寺派の対立はとりあえず解消されたわけだけれど、
それに対して信長は秀吉みたいに本願寺の「大檀越」になったのかな?
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、籠城したんです。備中高松城。
そしたらなんか羽柴筑前守の軍勢が遠巻きに堰堤を築いてるんです。
で、よく見たらなんか立札が立ってて、軍資金で土俵を買い上げる、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、中国攻め如きで普段してない水攻めしてんじゃねーよ、ボケが。
水攻めだよ、水攻め。
なんか黒田官兵衛とかもいるし。一族郎党率いて土木工事の護衛か。おめでてーな。
よーし船沈めて足守川の流れ変えちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、オレが切腹するから城内の人間の命は助けろと。
攻城戦ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
攻撃側がいつ嵩にかかって力攻めをしかけてきてもおかしくない、
攻め潰すか、大量の死者を出すか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。宇喜多勢はすっこんでろ。
で、やっと講和の条件がまとまったと思ったら、安国寺恵瓊が、輝元様、吉川殿、小早川殿のお三方は切腹を許しておらぬ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、きょうび政治的配慮なんて流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、輝元様、だ。
お前は本当に毛利家の外交官なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、筑州に鞍替えしたいだけちゃうんかと。
中国の律儀者の俺から言わせてもらえば今、もののふの間での最新流行はやっぱり、
小舟の上で自刃、これだね。
敵、味方両軍固唾を飲んで見守る中、舞を披露。然る後、殉死をかって出た実兄月清、毛利方の軍監、末近殿と最後の盃を酌み交わす。
これが通の今生の別れ。
小舟の上で自刃ってのは悲壮感が多めに入ってる。そん代わり忠臣として後世に名を残す。これ。
で、二人の最後を見届けてから一息に腹掻っさばく。これ最強。
しかしこれを行うと毛利方の所領十ヶ国のうち半分の五ヶ国を織田方に割譲せざるをえないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、蜂須賀小六にでも調略されてなさいってこった。
240 :
日本@名無史さん:01/10/20 15:08
井沢氏は信長の「高野山焼き討ち計画」について言及するかな?
242 :
日本@名無史さん:01/10/23 00:26
月曜あげ
243 :
日本@名無史さん:01/10/23 18:49
今週の逆説、神田千里氏の論文の丸写し・・・
鈴木眞哉氏のときと同様(呆れまくり)
244 :
日本@名無史さん:01/10/23 20:28
>243
今週の逆説はまだよんでいないのですが・・・・
鈴木眞哉氏の著作を丸写ししたことってありましたっけ?
245 :
日本@名無史さん:01/10/23 20:31
井沢氏が神田千里氏の論文を読んでいるとは、意外でしたねえ。
信長については、大昔の著作以外はほとんど読んでいないのかと
思っていました。
246 :
日本@名無史さん:01/10/23 21:46
>>244 いや、鈴木眞哉氏の「天下人の条件」の題名を剽窃している。
しかも「天下人の条件」が絶版になってるのをいいことに
「逆説の日本史 天下人の条件編」と・・・
内容は、鈴木氏の内容を丸写しどころか(それならまだ井沢氏を評価できたが)、
信玄が天下人になれなかった理由が「旧体制に取り込まれた」だと(絶句)
>>245 井沢氏が引用した「一向一揆と真宗信仰」は、まだ昭和の頃に出版された本だから・・・
その頃は井沢氏も他人の意見に耳を傾ける謙虚さがあったんだが・・・
それで小林惠子なんぞに引っかかったりしたしねえ・・・懐かし
247 :
244=245:01/10/23 22:31
「天下人の条件」というのは、割と思いつきやすい語句のようにも思います。
ただ、本当に剽窃したのなら、大問題ですねえ。
信玄が旧体制に・・・・というのも、どうなんでしょうね。信玄の種々の政策を
もって「旧体制に取り込まれた」というのなら、信長だってよほど「旧体制に
取り込まれた」と思うのですけどねえ。結果的に、信長が義昭を追放して幕府
体制を否定したことから、予定調和論的に「最初から信長は幕府と将軍の権威を
利用するだけのつもりだった」とするのは、どうかと・・・・。
井沢氏は、神田氏の著作では、『信長と石山合戦』なんて読んでいないのです
かねえ。まあ読んでいたら、刀狩で民衆の非武装化が達成されたなんてことは
書かないのでしょうけど。
248 :
武田研究家:01/10/24 00:12
>>247 鈴木眞哉氏は私が影響を受けている歴史家の一人ですから、
強い憤りを感じます。(以前にも書きましたが)
氏の著作は内容は良いもののあまり売れないようなので
是非、新刊の『謎解き・日本合戦譚』(講談社)を
買ってあげてください(笑)
しかし同じタイトルでも内容は全く逆。
見事なものです…
>予定調和論的
ある意味、唯物史観ですね。
今週の『逆説の日本史』…解説する必要あるかな?
249 :
244=245=247:01/10/24 00:29
>武田研究家さん
鈴木氏の著作は、最新の『謎とき日本合戦史』の他に何冊か持っています。
『天下人の条件』は、図書館で読みました。私も、結構強い影響を受けて
います。
ひょっとしたら、「天下人の条件」というタイトルが単なる偶然かなあと
思ったのは、逆説を読むと、井沢氏が鈴木氏の著作を読んでいるとは思え
なかったからなんですよね。まあ、タイトルだけ知っていたという可能性も
ありますが。
質問のレス違いなんですがどうしても長年の疑問があるのです。信長は、足利義昭
を追放しましたが、どうして監禁しなかったのでしょうか?結局、義昭は毛利にいきに、
毛利に大義名分のようなものができてしまったし、第2次のぶなが包囲網ができてしまった。
大学の教授に聞いたらわからないといわれてしまいました。ここにくる人は、レベルが
高いと思うので、詳しく説明してくださいおねがいします。
251 :
日本@名無史さん:01/10/24 14:06
もし「最初から信長は幕府と将軍の権威を利用するだけのつもりだった」なら、
逆説5巻の平将門と源頼朝を論じているところの言葉を借りると、
信長は「潔くない」ということになるね。
252 :
日本@名無史さん:01/10/24 14:54
>251
でも多分、理想社会を作るという大義名分があった、なんて
言って、「潔くない」とは決して言わないんだろうね。
253 :
日本@名無史さん:01/10/24 15:22
>>252 それならそれで、最初から将軍を潔く否定すればいいものを……
>>250 1.理由はどうであれ、信長はあとのことを考えていなかった
2.監禁されたが、義昭は信長の警備をかいくぐって逃げた
3.明智光秀あたりが義昭を逃がした。つまり信長は部下に裏切られていた
好きな説を選んでください。
いずれにしても、信長の落ち度の一つと見て間違いないですね。
ところで日本史板の司馬遼太郎スレッドに、
>小説家の評価は、小説の売れ行きに≒。
と書いてあるぞ。歴史評論も同様の理論が言えるはずで、
つまり井沢は鈴木氏よりも優れているということに?
254 :
日本@名無史さん:01/10/24 15:32
>253
感想と評論はそもそも違うと思われ。
255 :
日本@名無史さん:01/10/24 15:43
>250
信長は、義昭の子息(後の義尋)を人質として押さえていて、
天正三年頃までは、「大樹(将軍)若君」として庇護・推戴し、
ことあるごとに同道している。(藤田達生『本能寺の変の群像』)
信長は、義尋という切り札を持っているから、あえて義昭を殺害
したり追放したりする必要はないと判断したのではないかと思う。
またこのことから、天正三年頃までは、信長が室町幕府体制を必ず
しも否定していなかったことが分かる。
おっと失礼。
>255の「追放したり」は「監禁したり」の間違い。
257 :
協力しよう!:01/10/24 16:26
258 :
日本@名無史さん:01/10/24 16:27
井沢元彦ってダメな人だったんですな、ここ読んでショック受けました。
まあ、武田研究家さんも「逆説」の批判本やパロディ本出せばいいんじゃ
ないですか?きっと、井沢も初心に帰ると思いますよ。
資料云々は大目に見てあげたらいいじゃないですか、オリジナルなんて
何千年も前に出尽くしているんだし。その後は先人の研究を剽窃するこ
との繰り返しを学問と呼び習わすようになったんですから。
最後に、信長を貶めたり、過大評価したりでここの方々は議論なさってお
られるようですが、破格の人ってことではだめなんですか?
誰だって地元の偉人はマンセーしたいもんだと思うのですが……。
260 :
日本@名無史さん:01/10/24 19:02
だいたい、作家によって独自の信長像ができるんだけれど、
井沢氏の場合、信長を過剰に評価するあまり、井沢版「信長像」がよく分からない。
@天才(紙一重で狂人):上杉謙信タイプ
Aおまぬけさんでお人好し:足利尊氏タイプ
B努力型の秀才:武田信玄タイプ
C単なるバカ:織田信雄タイプ
D慎重で小心:徳川家康タイプ
Eイケイケで破滅:豊臣秀吉タイプ
最近の逆説では「信長はいい人」なんて言ってるし。
作家というより信長様教の広報部長。もう矛盾しまくり。
261 :
日本@名無史さん:01/10/24 19:11
信長は多面的な人だった、てことで……。
信玄だって多面的な人、謙信も多面的な人……。
乱世の魔王と罵られる人物が茶道や幸若舞の愛好者。やっぱり破格の
人だったんだ!
263 :
日本@名無史さん:01/10/24 19:57
世界史板のモンゴルスレよりマジレスコピペ。
598:世界@名無史さん :01/06/02 00:05
「織田信長も豊臣秀吉も大元ウルス再現の夢を見たのか?」
599:世界@名無史さん :01/06/02 00:11
非漢民族王朝による「中華秩序」の再構成か。宮上さんが書いてたね。
信長や秀吉なら、五山僧らが吹き込んでいても決して不思議じゃない。
立川真言流や「ダイミン=カアン」の例もあるし。
264 :
武田研究家:01/10/25 00:34
>>249 鈴木氏の著作ではまだ下戸関連のやつを読んでないなぁ…
他は一通り買うか借りるかしたけど、できれば全て買い揃えたい。
いざという時に手元にあると便利ですからね。
とりあえず『紀州雑賀衆鈴木一族』を書店で探さないと…
井沢氏がもし『天下人の条件』を読んでいたとしても、
信長信者の氏にはとても容認できる内容ではないはず。
対抗意識を燃やして「天下人の条件」を使ったのかも(笑)
ま、もし読んでいたらあんな駄文は恥ずかしくて書けないでしょうけど。
>>250 『信長公記』などを読むとあくまでも信長が義昭を「逃がしてやった」、
つまり、信長が義昭を追放したという形になっています。
が、実際には毛利氏のもとに身を寄せた義昭に対し、信長は秀吉を
通して京への帰還を促しています。
(義昭が色々と条件を付けたので実現はしなかったが)
そこで考えられる可能性は
1.義昭を「逃がしてやった」というのは建前で、実は「逃げられた」
2.義昭を「逃がしてやった」ものの、まさか毛利氏に身を寄せて
御内書を発して反信長勢力を煽るとは考えもしなかった。
のどちらかでしょう。
1の場合、これはかなり納得。
2の場合、信長は馬鹿ですな。
265 :
日本@名無史さん:01/10/25 01:42
>>研究家さん
私はAを取ります。それでこそ信長様(笑)
266 :
日本@名無しさん:01/10/25 10:12
>>265 そういう信長への悪意に満ちた言い方こそ
私がずっと批判してきたものです。
もう少し公平に見てやったらどうでしょう。
信長は政治家として、戦略家として当時ずば抜けていたと思いますが、
この人の最大の弱点は人間の持つ感情というものを軽視していたことでしょう。
勝ち目がないから歯向かうはずがない、
恩をかけてやったし自分についてくれば勝者になれるのだから
裏切るはずがない、という合理的な思考で
保守層や宗教への帰依が深い人の感情的な反発を
軽視しすぎた感があります。
荒木村重や松永久秀、そして明智光秀に裏切られるという失敗は
それが原因でしょう。
>>250 義昭の旗印としての価値を軽視していたんでしょう。
とりあえず息子を傀儡にしておけばいいぐらいにしか思わずに。
彼自身が足利将軍の権威を全く信じていなかったから
他人への影響力があるとは思っていなかったんでしょうね。
そういう人間の感情への洞察力の欠如が
信長の最大の弱点でしょう。
他の武将にそういうところがなかったとは思いませんけどね。
信玄が義信と対立しあれほどの大粛清事件になったのも、義信の
妻とその実家である今川への親愛の情を軽視しすぎて
今川を攻め取ることは他と戦うよりはるかに容易であるという
合理的な戦略思考を推し進めたからだと言えますし。
明敏な人ほど陥りやすいとも言えるでしょう。
にもかかわらず、信長が天下布武を推し進めてあれだけの成功を収めたのは
彼の政戦の才能がずば抜けていたんだと思います。
267 :
日本@名無史さん:01/10/25 10:40
>266
こういう場で馬鹿という言葉を平気で使う・使える輩に
ろくな奴はいないということで。
268 :
日本@名無史さん:01/10/25 15:07
>>266 >彼自身が足利将軍の権威を全く信じていなかった
ほぉ〜それでは義昭を利用して京都に上洛した理由は?
信じていないのなら擁立する意味もないと思うはずだがね。
あと「将軍の権威」によって信長包囲網が出来たのに、
影響力がないと思っていたとはどういうこと?
>荒木村重や松永久秀、そして明智光秀に裏切られるという失敗は
>それが原因でしょう。
何度も裏切られているのに気づかないとは、進歩のないお方ですね(w
これは貴君の説が穴だらけだからツッコミまくりということであって、
信長が実際に馬鹿だということではない。
俺は信長マンセーでもないが、信長の実力は相当に評価するほう。
269 :
日本@名無史さん:01/10/25 15:15
270 :
日本@名無史さん:01/10/25 16:15
271 :
井沢狂信者:01/10/25 16:16
>>267 歴史に名前を残すようなひとは、大抵ネジがはずれているようなタイプの
ひとが多い気がします。
馬鹿もひとつの誉め言葉だと思いますが。
井沢氏の粗探しや、資料の誤使用の指摘、あからさまな勘違いへの反
論は決して間違った行為ではありませんが、セクハラ大魔王などと彼の
プライベートな面への攻撃や人格の非難はやめてほしいです。
彼の行っている仕事は日本史の通史を作るということなので、その中で
も戦国の世を終結に向かわせ、世界との交易を夢見たという信長の存在
は他の国の歴史で言えば、トルコならケマル=パシャ、ドイツならフリー
ドリヒ大王といった大物と同列の扱いで当然だと思います。
だから信長編が長いだの、逆説じゃないだのと文句をいうような人たち
は、もう一度自分の歴史観を見直したほうがいいと思います。
井沢氏は決して逆説だけで歴史を語る、とは言っていないでしょう?
>271
信長編こそ、「逆説的」な論旨を展開するに相応しかったと思うのですが。
それが、現在では概ね否定されていたり疑問が提示されている陳腐な見解に
基本的に依拠しているから、批判されるのは仕方がないかと・・・・。
兵農分離・楽市楽座・鉄砲の運用など、信長の事績とされていることに
ついて、学界の最近の研究動向はさておき、一般に浸透している見解に
対しては、十分「逆説的」な見解を披露できた筈だと思うのですが。
273 :
井沢狂信者:01/10/25 18:39
>>272 当時の新しいアイデァを節操無く、なんでもかんでも採用するというのは
かなりの先見性があると思います。
信長オリジナルとは井沢氏も言ってなかった気がします。運用の仕方と
適地適作の精神が評価されていると私は思っています。
岩手や愛媛の山奥で楽市・楽座を実行しても効果は上がりませんよ?
三段撃ちの胡散臭さとか言われていますが、結局川中島の戦いとかと
一緒で誰も本当のことは判っていないと言うのが辛い所です。
きっとアレクサンドロス大王がペルシアを破ったのと同じような感覚で後
世に語り継がれていきます、三段撃ちが。鬱ですね。
274 :
日本@名無史さん:01/10/25 19:04
いやね、私が言いたかったのは、信長オリジナルかどうかと
いった問題ではないんですけどね。
楽市楽座や兵農分離についての意義を、問い直してみては
どうかというわけでして。後者について言うと、織田政権下
での兵農分離の進展を否定する見解も提示されています。
275 :
日本@名無史さん:01/10/25 19:17
それから、織田領の拡大について、鉄砲の役割を強調する
のはどうでしょうか?
そもそも、織田氏の鉄砲装備と運用が他大名に秀でていた
という証拠なんてあるのかなあ、と思うのですが。大友氏なんて、
国力と時期を考慮すると、織田氏以上に鉄砲導入に熱心だった
なんて評価もできるかもしれません。まあ、史料に記載されて
いる数字を鵜呑みにはできませんけどね。
何と言うか、あまり鉄砲の役割を強調すると、かえって信長を
貶めてしまうのではないかと。
こうしたことは、鈴木眞哉氏の『鉄砲と日本人』を読むと、色々と
参考になると思います。
276 :
井沢狂信者:01/10/25 19:28
>>274 はあ、そういうことでしたか。兵農分離はどうやっても完璧に実行するの
は無理でしょ、どんな王朝も最初は郡国制になるわけですし。信長の下
に大名(諸侯)と直参(母衣衆みたいなもんか?)がいるってことですから
ねぇ。大名にそんな金求めるわけにはいきませんね。
そういえば、井沢氏がいつも言ってましたね。自分の見解では農繁期に
無職の人雇って仕事与えて、農閑期に農民使うという併用策だったから
信長はいつも戦っていられたと思っているんですけど。無理ありますね。
楽市楽座は六角辺りがオリジナルでしたよね。ああ、俺も光栄ヲタだ…
277 :
井沢狂信者:01/10/25 19:35
鉄砲については餓鬼のころ、横光の武田信玄読んで大名みんな新兵器
の開拓に熱心だったんだなぁ、と思っていたので信長の専売特許とは思
いませんでしたよ。
地元は岩手の花巻ってとこなんですが、関が原の折伊達の扇動した国
人一揆を花巻城主が鉄砲の空砲で撃退したという話が残っています。
鉄砲の使い方も、人それぞれってことで……。
278 :
日本@名無史さん :01/10/25 19:46
井沢狂信者さんへ
「セクハラ大魔王」とは、「朝日新聞の正義」で、
井沢先生ご自身が「結構気に入ってるんですよ」とおっしゃられてませんでしたかな?
279 :
日本@名無史さん:01/10/25 19:55
>274
兵農分離や傭兵の問題については、藤木久志さんの『雑兵
たちの戦場』が示唆に富んでいると思います。
そもそも、兵農分離とは何か?ということを問い直してみたら、
色々と面白いことが見えてくるのではないかと・・・。まあ、大変な
難問なので、私もよくは理解できていないのですけどね。
>279の書き込みは>275宛ての間違いです。
うげっ、また間違った。
>279の書き込みは>276宛ての間違いです。
282 :
日本@名無史さん:01/10/25 19:56
井沢狂信者氏は伊達政宗ゆかりの花巻出身ですか。
そういえば井沢氏も仙台ゆかりの方でしたね。
井沢氏は伊達政宗をどう書くのでしょうかね。
「東奥老士夜話」とか・・・
283 :
武田研究家:01/10/25 20:30
だいたいにして兵農分離ってのが誤解され過ぎですな。
武士を農業から引き離して専業兵士にしたとしても、それだけじゃ
兵力がまったく足りない。中間・小者・足軽などの従者クラスまで武士階級に
含めた江戸時代ですら武士人口は全体の7%しかいない。
(平和で生産力の高まった江戸時代ですらこれだけしか養えないのだから、
仮に信長が戦国時代に同じことをやればもっと数字は減るだろう)
このうち老人と女子供を除けば戦闘に参加できる人間は
人口に対して1.5%以下であったと言える。
戦国時代の兵力は1万石あたり250人が通説だが、実際の軍役では
300人の例が多い。この場合、軍役で動員する兵力は人口の約3%。
この差である1.5%以上は農民などに一時手当て(一日あたり五合)を
払ってあてていた。これが秀吉の時代。
一日五合、つまり一年で一石八斗を以って「傭兵制」だとのたまった人物も
いるが、江戸時代の御庭番衆が年三石の扶持(給料)で生活が苦しかったという
ことを考えればあまりにも少ない。つまり、職業兵士などではありえない。
よって、秀吉の時代ですら全軍を「専業兵士」になぞ出来たわけではなく、
まして足軽・雑兵クラスに給料を払った記録すらない織田信長がそのような
ことをやっていたと考えるのはあまりにも無理がある。
>>276 楽市は真宗系寺院の寺内町がオリジナル。楽座は楽市の中では外の世界の
座の特権が適用されないというもので、座の廃止などではない。
六角氏や今川氏、あるいは織田氏の安土を除く楽市令は、
既にそこにあった楽市の特権を認めるというだけのものである。
また逆に特権を認められなかった元・楽市なども存在する。
寺社の勢力が武士と対等レベルから武士の支配下の存在へと変化していった
流れを示しているといえるであろう。
284 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:02
>武田研究家さん
楽市楽座についても、そういう視点で述べていけば、一般での理解に対して
十分「逆説的」になったと思うのですけど。勝俣鎮夫さんの「楽市場と楽市令」
なんて、格好の元ネタになりそうなんですけどねえ。
兵農分離について書こうとしたけど、うまくまとまらなかった・・・・
285 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:13
>>25 広沢真臣が江戸城放棄論と会津藩寛典処分論を主張したのは何故なのですか?
286 :
日本@名無史さん:01/10/25 21:14
↑すれ違いスマソ
287 :
井沢狂信者:01/10/25 21:26
>>282 花巻は南部の最南端です。それと伊達は大河ドラマ効果が大きすぎま
す。事跡を辿ると結構お茶目な失敗が多くて笑えますよ。花巻に手ぇ出
して、関が原後にちょっと領地減らされたはずです。
>>283 日本は傭兵が馴染まなかったんですね。中国もヨーロッパも兵士は給
金貰った食い詰め物ばっかりというイメージしかなくて、日本でも土地失
なった人がいて、それら流民を兵士にして半兵農分離ぐらいにしか考え
ていませんでした。上杉謙信は関東や信濃に奴隷狩に行っていたぐらい
だから、そういう土地から切り離された人間が生まれていてもおかしくな
いと思ってました、猛省します。
288 :
日本@名無史さん:01/10/25 22:07
>287
臨時雇いの流動的な「傭兵」はいたようですよ。詳しくは、
『雑兵たちの戦場』を読んでいただくとよくお分かりになるかと。
それでまあ、戦国時代には軍役を満たすために臨時雇いで
凌ぐというのはよく行なわれていたようですね。そうした方が
安上がりですから。
ただ、これが行き過ぎると、大名の側からすると困るわけで、
やはり知行高に応じて常日頃から配下の充実に努めていて
ほしいわけでして。
佐久間信盛が追放された時、「よき人をも拘へず」云々なんて
言われていますが、当時の事情を考えると、その意味がよく
分かるのではないか、と思います。
確か前田利家も、常日頃よりよき人を召抱えていろ、と家臣を
叱責しています。
289 :
武田研究家:01/10/25 23:02
>>288 佐久間や前田の例はちと違うのでは?
あれは直轄地ばかり増やしてないで有能な配下を登用して知行を
与えろということで、足軽・雑兵まで含めた「専業兵士軍団」とは
また違うでしょう。
「傭兵」の話ですが、何も全否定はしませんよ。
武田家にも「牢人衆」がいましたからね。でも数は数百程度。
主力主流たり得る数ではありませんから。
また武田家の例だと商人だの禰宜だの足弱だのよくわからん奴だのを
雇って軍役の数を合わせることを戒める命令が出ていますね。
まあ地方の領主にすれば普通に農民を動員すると武具を貸し与えて
食糧は自分持ちでその上戦死されると自分の収入が減るわけですから、
どうでもいいやつにメシだけ食わせて数合わせしたい気持ちも分かりますし、
実際にそれをやる領主が多かったから禁止してるんでしょうけど。
それが軍の中核を成す事はありえないわけですから、「専業兵士軍団」だの
何だのまでつなげるのはちと無理があるというわけですな。
290 :
無名武将@甲陽鎮撫隊:01/10/25 23:20
>>288さん、「よき人をも拘へず」
これは信長に対する不平分子(たとえば信長などに弾圧された真宗門徒とか)
が少なからず含まれていたという可能性はありえますでしょうか。
義昭を逃がした説明レスありがとうございます。
やはり信長はバカと結論したほうがいいようですね。
考えてみれば名前を忘れたけれど、斎藤義竜の子供も逃がしてましたね。
明石散人の信長評をどう思われますか?足利義教はすごい人なんですか?
武田研究家さんおねがいします。
292 :
日本@名無史さん268:01/10/26 14:21
>>291 斎藤竜興のことですか。
あれは一応自分から見ると義理の甥に当たるわけだから、
そのへんは信長の人間くささが見えてバカとは言いがたいと思いますけど、
将軍の時とは話が違うような気がするな。
少なくとも義昭を逃したことは信長にとって失策ですね。
>>266 自分の至らなさを棚に上げて、「あげあしとり」とかほざくんじゃない。
義昭を奉じたのは将軍の権威というものを信じていたからでしょう。
それなら「なぜ将軍義昭を擁立したか」説明してください。
293 :
井沢狂信者:01/10/26 16:18
将軍の権威に代わる天皇の権威を、信長が確立できたのはいつのこと
なのでしょうか?
こうしてここのスレッドで信長編の逆説をやってもらっていると、どうも信
長が天下人の寸前まで逝けたのかよくわからないなあ。
信長は実はいい人だったというのは頷けるかも……、上杉謙信はどうも
義の人には、最近思えなくなってきましたしね。
294 :
日本@名無史さん:01/10/26 16:55
>>292 266がほざいたのではないのだけれど。
思い込みの激しい人ってこわい。
295 :
日本@名無史さん:01/10/26 18:04
>武田研究家さん
うーん、傭兵に、必ずしも専業兵士といった意味合いを持たせたつもりは
なかったんですけどねえ。辞書では「給料を与えて兵を雇うこと、また
その兵」とあって、何らかの見返りで臨時に雇われた兵という意味で用いた
のですが。
そういう傭兵には、武芸に熟達して「専業兵」的性格の強い者もいたで
しょうが、単に端境期や飢饉などで飢えてしまい、食を求めて一時的に軍に
加わった者も多数いたのではないかと。ともかく、「専業兵士軍団」に直結
することではないと思います。
>290
そういうことではないと思います。社会的地位の高い有能な者を正規に雇って
知行を分け与えるということをせず、蓄財を専らとしていることを叱責したの
ではないかと。
>292
うーん、信長は天皇と将軍双方の権威を当初は利用していましたから、そう
した問題設定にはあまり意味はないのではないかと。それで、将軍と対立した
ので、天皇(朝廷)の権威に比重を置いていったのではないかと。
まあ恐らく、信長は公武一統の政権樹立を目指していたのではないでしょうか。
それが、義昭との対立が激化したので、足利将軍の権威に拠らない天下布武の
論理を構築しなければならなかったのではないかと。
予定調和論的な見解では、信長は当初から足利将軍を否定するつもりだった、と
いうことになるのでしょうが、本当にそうだったのか、よく分からないところです。
上の書き込み、>292宛てではなく、>293宛てです。
297 :
日本@名無史さん :01/10/26 22:28
織田信長と足利尊氏がだぶってみえます。
298 :
武田研究家:01/10/27 01:35
>>291 斎藤龍興はもともと岐阜城攻略が当時の第一目標だったと考えれば
逃げられても良し、だと思います。
その後至る所で反信長の軍勢に加わっていますが結局大したことは
できなかったわけですし、信長もこれはどうでもよかったのでは
ないかと思われます。
足利義昭は将軍の地位に就いたまま逃げたから色々できましたけど。
明石散人氏の信長評は「通説」ベースだし何とも言えません。
でも義教はなかなかスゴイと思ってます。
尊氏・義満と並べて教科書に載せてあげるべきですね。
>>293 信長は天皇の権威も早くから利用しているよ。
義昭を追放するよりもずっと前からね。
なぜ信長がかくも勢力を広げ得たのかと言えば、もちろん
信長が明晰な頭脳と決断力と実行力を持っていたからでしょう。
ただ、後世の信長評が「それは違うんじゃないのか?」
ってだけでね。
>>295 そうですね。少々飛ばし過ぎました。
299 :
日本@名無史さん:01/10/27 20:57
別冊歴史読本「織田一族のすべて」
信長の弟、信包の子孫の手記から。
伊勢長島での一向門徒の大虐殺は信長の評判を極めて悪くしているが、
しかし一向一揆は降伏や和睦を装ってはたびたび信長側を攻撃したのである。
事実、長島では叔父1人、兄弟4人、妹婿3人と多数の兵士を失っている。
断じて一方的な殺戮ではない。
・・・一向門徒に妨害され、親族を失った信長こそ、最大の被害者なのではないだろうか。
300 :
歴史の勉強:01/10/27 21:08
300ゲット!
301 :
日本@名無史さん:01/10/27 21:34
信長が足利義昭を捕らえて殺さずに追放したのは、
すでに将軍の権威が意味をなさないということを示したかったんじゃないのかなぁ。
ここで殺してもそれはかなり反発を招くであろうし(織田家内部も他大名も)、
日本の慣習からして得策でないのは明白。
すでに古い権威しか持たない義昭は、追放した時点で信長にとってどうでもいい存在であったはず。
義昭が将軍であることを利用することを信長が恐れたとしたら、
朝廷に圧力をかけて将軍位を剥奪することもできたはず(よくわからないが)。
馬鹿呼ばわりするのはどうかなぁ・・・。
302 :
武田研究家:01/10/28 00:42
>>299 >しかし一向一揆は降伏や和睦を装ってはたびたび信長側を攻撃したのである。
>事実、長島では叔父1人、兄弟4人、妹婿3人と多数の兵士を失っている。
>断じて一方的な殺戮ではない。
天正二年(1574)九月二十九日。長期に渡る籠城の末兵糧の
尽き果てた長島城は降伏を申し入れ、信長はそれを受け入れた。
しかし城門を開いて出てきた一揆勢に対し、織田軍は
鉄砲を撃ち掛けて徹底的な殺戮を行なったのである。
だが一揆勢も黙ってやられていたわけではなく、七、八百人が
刀を手に織田家の本陣に決死の突入。この時に
織田信次・信広・秀成・信成などの一族が戦死した。
これに怒り狂った信長は最後まで抵抗を続けていた中江・屋長島の
両砦に対し、今度は周囲を柵で囲んで逃げられないようにして
火を放った。その結果、二万とも言われる人間が殺されたのである。
…一族が殺されたのはどうみても信長のせいでしょ。
>>301 殺すわけにはいかなくても例えば捕えておいて
朝廷に掛け合って征夷大将軍の位を剥奪してから
追放すれば義昭は何もできなかったわけで。
303 :
日本@名無史さん :01/10/28 01:06
あれ?織田本陣に突入した一揆勢はその後どうなりましたっけ?
304 :
浄土真宗本願寺派:01/10/28 01:13
>>303 確かほとんど無傷で石山に帰還したと聞いたことが…
ソース検索中…スマソ
305 :
揚げ足取るわけじゃないが:01/10/28 01:22
もし最初から殲滅目的で発砲していたら、織田家はそんなに大打撃を
受けなかったはずでは?もしかしたら先に発砲したのは一揆側だったりして…
「二人の天魔王」では、「信長は邪魔な親族を前線に送り出して始末した」と書いていたし。
306 :
日本@名無史さん :01/10/28 01:28
>>305盧溝橋事件じゃあるまいし、マンセーうざい!
307 :
武田研究家:01/10/28 01:39
>>304 『信長公記』では包囲の手薄な所を破って逃げたらしいけど……
ほとんどは殺されたと思う。万単位の織田軍に対してメシもろくに
食ってない連中だし。
>>305 同じく『信長公記』に「余多の船に取乗り候を、鉄砲を揃へうたせられ、
際限なく川へ切りすてられ候」とある。信長側の史料でさえ自分から
手を出したと言っているんだから、一揆勢が先に手をだしたとはとても
考えられない。
研究家さん、失礼しました。納得のいく回答、ありがとうございます。
309 :
日本@名無史さん:01/10/28 16:27
age
>>302 ちょっと誤解されています。
僕が言いたかったのは、信長は「もう義昭の将軍位など何の意味も持たないのだぞ」
と言いたかったのであろう、ということです。
だからわさわわざ将軍位を剥奪する必要もなかったのでしょう。
武田研究家さん、信長側から見た見解を紹介したまでですので・・・ご了承ください。
312 :
日本@名無史さん:01/10/28 16:38
信長ってどれくらい凄いの?
どちらかというと、天才、独創性よりも
セオリーを死守する秀才タイプに見える。
気は短かったらしいけど。
313 :
日本@名無史さん :01/10/28 16:40
>>305 確かに降伏して逃げる相手に発砲したら、むざむざ殺されるぐらいなら逆襲に出るのは
当然ですから・・・。しかし、それにしても、なぜ信長側は発砲したんでしょうか?
そんなことすればどんなことになるか、信長でなくても分かると思うんですが・・・
314 :
日本@名無史さん:01/10/28 16:44
315 :
日本@名無史さん:01/10/28 17:08
>>312 今谷明氏は「慎重で小心」、鈴木眞也氏は「信玄と同質の性格」
と信長を評している。やはり、努力型の秀才だったのかな?
ちなみに明石散人氏の信長評は
「都会の詐欺師(足利義昭)にだまされた田舎の同族会社のまぬけな若社長」
「桶狭間の合戦は今川義元に降伏すると見せかけただまし討ち」
「近親相姦の変態」「親族を平気で殺す冷血魔」「信長より光秀の方がはるかに大物」
織田信長はビリー・ミリガンかや?(失笑
316 :
日本@名無史さん:01/10/28 17:23
>>310 信長の元には義昭の息子の義尋らがいたし、それ以外にも、
三好衆が擁立した足利義栄の弟、義助もいる。
さらに朝倉氏の元にいた鞍谷義直(足利義満の子、義嗣の子孫)も・・・
いざとなったら朝廷に義昭の将軍職を廃して、彼らの誰かを将軍に
据えるつもりだったんじゃないかな?
317 :
日本@名無史さん:01/10/28 17:28
>>315 美濃攻略の途中から、「寡兵を持って大軍に当る」ということを
絶対にしなくなった。必ず、敵勢力を経済、外交、戦略を駆使して
分断してから、粉砕している。これなら、連戦連勝なのは当たり前。
戦術レベルで策を弄する必要が無い。
後、当時の人から見ても、残酷だったんだろうね。
318 :
日本@名無史さん:01/10/28 17:41
>317
連戦連勝ではないのでは?
319 :
日本@名無史さん:01/10/29 09:58
月曜あげ
武田研究家さんへ
義教は、やはりすごい人なんですね。 小学生のときはバカ将軍だと思ってたのに
これほど評価が変わった人は初めてです。武田研究家さんが参考にしている本を教えてほしいですね
>>316
義昭は、権威があるから監禁しなかった時点で信長のミスでしょう。
レス続けますが、斉藤義興は、岐阜城攻略の時、逃げたのか、逃がされたのか、わからないです。
信長公記には、なぜか詳しく書かれていない。
322 :
日本@名無史さん:01/10/29 15:44
>321
逆説の日本史をよく読もう。
「当時の人にとって”アタリマエ”のことは史料として記録に残さないのである」
「こういうことが分かっていないから、歴史学者はダメなのである」
323 :
日本@名無史さん:01/10/29 19:52
信長の話題で盛り上がっているところ恐縮だけど。
昨年、旧石器時代の柱穴と石器が発見された時(確か小鹿坂遺跡)、井沢氏は
ポストの逆説の特別版?で、60万年前の最古の文明・当時から日本人は器用
だったなんてことを書いて、随分とはしゃいでいた。人類のアフリカ単一起源
説を念頭に置いていたら、もう少し落ち着いた論調になっていたかもしれない
のだけど。多分、単行本には収録されないんだろうなあ。
その小鹿坂遺跡、まだこんなページも残っている(泣)
http://www.kumagaya.or.jp/~ctk/topi/iseki/
324 :
日本@名無史さん :01/10/29 20:44
>>321 追放された、というのが真相らしいですな。
斉藤龍興追放には西美濃三人衆が朝倉氏の干渉を嫌い、実行された可能性が
考えられます。(「竹中半兵衛のすべて」より)
325 :
武田研究家:01/10/29 23:48
>>310 本能寺の変後に光秀が担いだのも、柴田勝家が担いだのも、足利義昭。
将軍の権威恐るべし。
そもそも始めに何の力も無かった義昭を担いで上洛の大義名分にしたのは
他ならぬ信長なんだけどね。
>>320 義教は歴史に残る人物ではあると思いますが、「スゴイ」かどうかは
各自の主観ですからね。
義教に関しては、参考にした本はとくにないですね。
「通説」レベルで知っている程度です。
まあそれでも足利幕府の権威を最高に高めた実績は確かだと思うので。
>>321 『信長公記』首巻だと…降伏したように読めますね。
降伏したのであれば助命・立ち退きが条件だったんでしょう。
まあ親の代で成り上がった家で領地も家臣も失った奴なんて
怖くないんで、追放にしたんでしょうかね。
326 :
日本@名無しさん:01/10/30 02:03
>>317 その大軍を組織し、維持することが難しいのでは?
それをやった信長はやはり同時代の中では抜きん出ていると思う。
327 :
日本@名無史さん:01/10/30 12:41
>>326 巨大な組織を運用するには、官僚の存在が欠かせないが、
信長政権の官僚はいったい誰がやってたのだろう。村井貞勝?
328 :
日本@名無史さん:01/10/30 13:08
村井貞勝は京都所司代。堺の代官は松井友閑。
その他今井宗久などの商人も直轄領の代官を任されている。
信長政権の中枢には、信長の馬廻りたちがいた。
信忠に家督相続した後、信長が出陣する機会は少なくなるので、
彼らは官僚化していく。その中でもトップに近い菅屋長頼などは、
北陸方面の柴田勝家や配下の部将たちに、まるで自分が上にいるかのような言動もしている。
その中でも五人(菅屋、堀秀政、長谷川秀一、矢部家定、福富秀勝)が上位であったらしい。
でもそのうち二人は本能寺の変で死んでしまい、
結局秀吉時代も重用されたのは堀と長谷川だけ。
で、名前が残ったのは堀秀政だけ。
でも、信長時代にははっきりとした官僚という区分はなかったのではないか、
もしくはかなり未熟だったのだろう、と推測される。
329 :
日本@名無史さん:01/10/30 17:25
>>301 >日本の慣習からして得策でないのは明白。
どうかな。将軍でも過去に暗殺されたものが複数いて、
そんなに「得策でない」と言い切ることは出来ないと思われ。
>義昭は、追放した時点で信長にとってどうでもいい存在であったはず。
しかしその他の大名にとってどうでもいい存在ではないことに気づかないのでは、
批判を受けるのは当然だと思います。
むしろ古い権威を否定しようとすること自体が得策ではないのでは。
信長が意思表示しても、敵対勢力に大義名分を与えてしまったことは、
失策といわれてもしかたないでしょう。馬鹿とまでは言いませんが。
330 :
教えて厨房:01/10/30 22:31
>>328 その五人は、さしずめ信長政権の五奉行ということになるのかな。
秀吉は秀吉で、浅野長政を筆頭に官僚チームを作ってますね。
前田玄以は秀吉の五奉行に入っているけど、信長時代は
重用されなかったのかな。
>>330 前田玄以は、天正三年に信忠が家督をついでからは信忠の家臣。
七千石を知行していたとも言われるが良くわからない。
本能寺の変以前の事績はあまり残っていないと思う。
332 :
日本@名無史さん:01/11/01 20:11
『逆説の日本史』9巻がついに発売ですあげ!
信長成金 言霊長者
334 :
日本@名無史さん:01/11/01 20:51
戦争論2に便乗か・・・やだやだ
335 :
武田研究家:01/11/01 23:22
さて、発売されましたね。早速買って来ましたよ、『逆説の日本史9』(笑)
で、感想…
1章 琉球の話:琉球には詳しくないので何とも言えない…
2章 倭寇の話:倭寇=日本人だと思ってる奴はまだ多いようなので、
とりあえず「逆説」はしてるかな。
3章〜5章 戦国時代:ここは専門だからね〜文句はたくさんある。
まあそれは他の本に対してもそうなんだけど、
全然「逆説」になってないってばよ…
なんだか3〜5章の批判だけで本が一冊書けそうですが…
金にならんのにそこまで労力使うのもな…てな感じですね。
336 :
日本@名無史さん:01/11/01 23:31
>武田研究家さん
楽しみにしていますよ。まあ、気の向いた時にでも・・・・・
337 :
日本@名無史さん:01/11/02 22:43
334=馬鹿
明石散人はほとんど妄想ばかりとはいえ、「桶狭間は信長のだまし討ち説」だけは納得。
それでも「通説ばかり」だと言えるんですか?研究家さん。
339 :
日本@名無史さん :01/11/03 10:43
>>338さん
まぁまぁ、武田研究家さんは戦国史専門だそうですので、
電波本なんか読んでいる暇ないでしょ。
宇月原清明の「信長−あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」なんか
あの井沢氏さえもあきれた信長論ですからね。
しかし参考文献欄に
明石散人「二人の天魔王」とあったのには大笑いしましたが(あはは)
340 :
電波@名無史さん:01/11/03 10:59
ガセネタ。
井沢元彦、高橋克彦、明石散人によるトンデモな日本史本、
明石散人が企画中。
特に、信長マンセーの井沢氏と、秀吉マンセーの明石氏
東北オカルトマンセーの高橋氏の妄想幻魔大戦はトンデモ本としても
一見の価値あり!版権は徳間書店。ソースはと学会会長の山本弘氏より
以上、ガセネタ。
さて、讖緯説では1蔀=21元=1260年または22元=1320年大革命説が取られている。
ところが、600年において建国1260年が経過しているとすれば、建国(始祖)王からほぼ
42世代を経ているとしなければ辻褄が合わなくなる。(一代30年弱として。。。)
しかし、記紀では33代推古が神武から23世代(聖徳太子が24世代)でしかない。
つまり約20世代・600年について辻褄を合わせる必要があったと思われる。
そこで辻褄を合わせる方法は、過去の系譜を20世代分創作するか、あるいは在位
(没年齢)を大幅に引き伸ばすしかない。そこで、もともと年代・年齢に関する明確な
伝承が無かったことと、既に系譜伝承が神聖かつ周知のものであり、
大豪族の出自にも直結する捏造など不可能なものであったため、当然のこととして
年代・年齢を大胆に捏造したのではないか。
ところがこれによって…こういった年代・年齢の大幅引き上げによって、極めて不都合な事態が生じた。
それはチャイナ・コリア系史書(伝承)との整合性がまったく取れなくなったことです。
もともと聖徳太子(としておきます)の史書編纂思想は、チャイナの天命正統論(革命論)
に対して天孫正統論(天壌無窮論=革命否定論)であり、政治理念を異にする華・倭の
天子(皇)並立(対等)思想です。(南北朝時代に成立?)
ですから魏志・後漢書・宋書に示されているチャイナ従属外交(册封・叙爵)という過去
の屈辱的な歴史は抹殺さるべきものでした。しかし倭国内には外国史書と対応する伝承も
あり、大王の年代・年齢を引き上げたことによる矛盾が至るところで生じたのです。
そこで、様々な年代・年齢捏造試案が検討されたのですが、結局未完成のままで太子は没
し、この作業は後世に引き継がれることになったと思われます。
で、この試案の一つが古事記の大王宝算(没年齢)の元になったのではないかと想像し
ます。(古事記に外交記事が極めて少ないのもこのせいか?)
しかし後世の日本書紀編纂に当っては、一種の自己矛盾といえますね。
ただ、この自己矛盾を逆手にとって、極めて巧みにこれを利用したと思われます。
つまり、倭国建国を直近の辛酉(推古9年=601年)から1蔀(21元=1260年)前
の西暦紀元前660年に設定したのです。これによって倭国建国から1蔀を経過した
大革命年に当る601年を、特段何事もなく通過させてしまったのですね。
「讖緯説」は、何と言っても先進文明国からもたらされた最新法則でから、ただ単
にこれを否定しても、倭国の豪族達がこれを大王政権転覆の根拠とする危険性があ
るでしょう。
従ってむしろこれを積極的に取り入れて建国時期を確定し、史実として宣言してし
まう。そしてそこを起点として1蔀の大革命年を推古9年の辛酉としてしまう。。。
次の1蔀辛酉は1260年後になるわけですし、現実に1蔀辛酉に大革命は起こらなか
ったのだから「讖緯説」による革命は倭国では起こり得ないことを実証(?)した
とも言えるわけです。
革命預言法則を取り入れることによって、逆に倭国における革命論を事実として否
定する(天壌無窮万世一系を立証する)という高度な判断がなされたのではないで
しょうか?
342 :
武田研究家:01/11/03 15:59
>>336 とりあえず細かい所は今夜あたりからここで書きますか。
>>338 >>339 いや、一応『二人の天魔王』は読みましたよ(笑)
明石氏は史実部分が通説ベースで解釈が妄想ベースなので何とも。
『信長公記』はダメで『徳川実記』は信頼できると思うのが痛いですね。
桶狭間もそもそも義元が酒盛りをしていたなんて説の方がアヤシイもので、
それがおかしいから「じゃあ騙し討ちだ」と飛ぶのは中々見事。
史料の扱いが杜撰で信頼性に欠けますね。
『信長−あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』ですか。
こっちは読んでませんが、タイトルからしてすごそうですね(笑)
秋山駿氏の『信長』も中々の電波でした。
>>39「塩尻」だと浅井重政の息子が木下家に婿入りした事になってる。
浅井重政----木下国吉----木下吉高----木下昌吉----木下秀吉
(木下越中守高泰女婿) (弥右衛門)
とりあえず、参考にしとくれ。
スレ違いスマソ・・・・
346 :
日本@名無史さん:01/11/03 19:45
>>335 逆説になってるとかってそんなに重要かなあ?
347 :
日本@名無史さん :01/11/03 21:27
>>346 「逆説の日本史」という題名に沿ってない内容(とくに信玄編と信長編!)だから。
ここで話題になっている鈴木眞哉氏や笹本正治氏の他、今谷明氏、山本博文氏、
足利健亮氏、神田千里氏らのほうが「逆説」的な内容なのに。
348 :
日本@名無史さん:01/11/03 21:34
>>346 「中日ドラゴンズの論理」に外れてるから(藁
349 :
日本@名無史さん:01/11/03 22:54
井沢氏が引用している「倭寇」の著者の石原道博氏も、最近(1998年)は
「前期倭寇は反モンゴル勢力と親モンゴル勢力の海上戦争であり、
後期倭寇は琉球も倭寇の勢力の一部であったといえる。
事実、1567年の海禁令の停止により、倭寇と琉球は衰退していった」
と意見を変更している。
350 :
日本@名無史さん:01/11/03 23:47
倭寇の一部は密貿易の取り締まりをそう称しただけだから、
貿易が解禁になればやる必要は無いからね。
351 :
名無しさん:01/11/05 01:32
とりあえず、満洲(州ではない)族は
遊牧騎馬民族ではない。定住して農耕・狩猟で
生計を立ててた。姓もちゃんとある。
こんなことは世界史の教科書にも書いてあるぞ。
352 :
名無しさん:01/11/05 01:36
あと、明朝の海禁の理由を
「中国は商業を蔑視していたから」
ってアンタ。
353 :
日本@名無史さん :01/11/05 20:59
硝石の輸入ルートについては、逆に雑賀衆が信長に抵抗できたか納得。
そうなると、鈴木真哉氏の説の方を実証する事になるが・・・
354 :
紀伊国屋書店店員:01/11/05 21:23
「逆説の日本史 第九巻」、立ち読みする人ばかりで売れてないんですが
355 :
日本@名無史さん:01/11/05 21:23
なんだかんだ言って熱心な読者が多いな。(w
356 :
日本@名無史さん :01/11/05 23:40
比叡山権大僧正が寺社勢力を保護するのは当然。
自ら「旧勢力に取り込まれた」のは上杉謙信で、
「旧勢力を取り込んで」中央政界デビュー果たしたのが信玄公。
あと十年生きていたら瀬田大橋に「風林火山」の旗はとっくに立っていたはず。
(ただ、北条の動きが気にかかる・・・)
357 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:05
>>356 謙信の養子でしかも信玄の三男の名跡を継いだ北条氏秀のことか?
358 :
武田研究家:01/11/06 00:17
今週の『逆説の日本史』……史料の丸写しで終わり。ナメてますね。
>>353 もう少し詳しく頼みます。それだけではコメントのしようがありませぬ故。
>>354 私は買ってしまいました(笑)
>>355 ちょっとした笑いが欲しい時に最適ですからね。
>>356 同意。
>>357 それはどうやら別人という説が有力になってますね。
359 :
日本@名無史さん:01/11/06 08:54
>あと十年生きていたら瀬田大橋に「風林火山」の旗はとっくに立っていたはず。
妄想、藁
360 :
日本@名無史さん:01/11/06 13:51
それがしも、武田信玄がそこまでやれたとは思いません。
361 :
日本@名無史さん:01/11/06 14:42
信長が本能寺で倒れたのと同様
信玄が病に倒れたのは
その程度の人物だったということ。
362 :
日本@名無史さん:01/11/06 15:42
武田信玄がそこまでの大人物だったら、もっと早くからやっていたはずでは。
363 :
日本@名無史さん :01/11/07 00:03
上杉謙信と軍事同盟結ぶことが出来ていれば、存命中に実現していたのでは?
364 :
日本@名無史さん:01/11/07 00:11
365 :
日本@名無史さん :01/11/07 00:28
あと十年生きていれば、上洛出来た可能性は考えられるが、問題は上洛後・・・
京都に六波羅探題みたいな武田家の出先機関みたいのを置いて、結局は
甲斐に帰国せざるを得なかったんじゃないかな。
366 :
日本@名無史さん:01/11/07 09:03
>365
あと十年生きられなかったのも、武将の甲斐性の問題だと思われ。
367 :
日本@名無史さん:01/11/07 17:43
こればっかりは、武田研究家さんに賛成しかねる。
368 :
教えて厨房:01/11/07 17:49
織田信長と信忠が1570年くらいに死んで、
武田信玄が1580年くらいまで長生きしたら。
もしかしたら。。。まあ考えるだけばかばかしい仮定。
369 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:21
秀吉が天下を取っているだろう。
武田氏はのちの大老職に入るものと思われる。
370 :
教えて厨房:01/11/07 18:23
>>369 そうか?1570年といったら、城持ち武将ですらなかったぞ。
371 :
日本@名無史さん:01/11/07 20:45
>>368 それでもやはり信玄には天下とれんよ。
歴史的にも1573年になるまで甲斐でグズグズしていたんだから、
信長がいなくても、信玄は京に上らず一生を終えると思われ。
それよりは秀吉のほうが、何かやってくれそうではある。
372 :
日本@名無史さん:01/11/07 22:01
ならば、武田信玄があと20年生きていたらどうなるの、藁
信玄さんに
「天下取ったらその後どーすんの?」
って聞いてみたいデス
374 :
日本@名無史さん:01/11/07 22:43
375 :
日本@名無史さん :01/11/07 22:53
甲斐では国人衆の勢力が強いから、逆に畿内で「権大僧正」の地位を最大限に利用して
勢力基盤を強化するんじゃないかな?
376 :
武田研究家:01/11/08 00:10
>>359-375 まあこの辺は武田ファンの「夢」ですからご勘弁を。
>>353 反応が無いんで一応…
鈴木眞哉氏は『紀州雑賀衆鈴木一族』の中で
『昔阿波物語』に「紀州の者は、土佐前を船に乗り、さつまあきない計仕る」
とある事から雑賀衆が船を用いて貿易を行なっていた事は疑いがないとし、また
「明の胡宗憲の『籌海図篇』には 紀伊の人々もしばしば入寇する、とある」
ことから雑賀衆は明にまで足を伸ばして貿易を行なっていたとしています。
堺ルートしか煙硝ルートは存在しないんだと思うのは早計というもので、
雑賀衆は独自の入手ルートを持っていたと見て問題ないでしょう。
377 :
日本@名無史さん367:01/11/08 15:16
しかし信玄が1573年の時点で病死しないという前提であれば、
天下とは言わなくても信長が苦戦したことは想像できますね。
長島一向宗と連携して濃尾平野を西進。
不破の関で待ち構える信長と「関ヶ原の戦い」があったかもしれない。
武田研究家さん、これからもがんばってください。
378 :
日本@名無しさん:01/11/08 15:46
>>376 それを武田ファンの夢というなら
信長ファンの井沢の夢を批判するのは笑止。
同レベルだろ。
要は信長に対してマンセーでもアンチでもない、
公平な見方をしてもらいたい。
井沢氏に対しても武田研究家氏に対してもそれを望む。
どうもこのスレは井沢批判の勢いが余って
アンチになってるような気がするんだがね。
379 :
日本@名無史さん:01/11/08 16:17
>378
それはそうなんだけどね。
一応ここは井沢批評スレだから・・・。
380 :
これでも井沢ファン:01/11/08 19:41
>>378 素人目から見ても、井沢氏が明らかに間違っているんで、本家BBSで大騒ぎになったんじゃ
なかったっけ?再開しても早速ケチ付けられているし、ヤフー掲示板でも「トンデモヤロウ」
と叩かれているしねえ。
折れ個人としては武田信玄が上洛できた可能性はあると思うけれど、
信長の事だから、朝廷から停戦の勅命を出して阻止するか、
あるいはわざと尾張を通過させて、背後から攻撃するんじゃないかと思うが・・・
381 :
日本@名無史さん:01/11/08 19:51
>>378 井沢氏が「もし信長が死ななかったら」とか夢を見る分には
誰もそれを邪魔する事はできません。
シミュレーションである分には前提が誤っていない限りは、自由でしょう。
が、「歴史の真実を語る」と称して『逆説の日本史』を執筆するからには
ミスを指摘されるのは当然至極だと思いますよ。
382 :
日本@名無史さん367:01/11/08 21:32
>>378 スレをよく見てもらうとわかるはずだが。…
ここの住人、武田研究家さんの言葉に対して反論しているように、
公平な立場をとっているよ。
訳のわからないことを言わないで欲しいね。
383 :
日本@名無史さん:01/11/08 21:57
>>382 よく見ないとわからない程度の反論ってことね。
384 :
井沢慶一Jr:01/11/08 22:19
批判の許されない世界であってはいけません。
385 :
日本@名無しさん:01/11/08 22:39
>>382 そうかい?
批判した人をよってたかって叩いていただろ。
386 :
日本@名無史さん:01/11/08 23:10
387 :
日本@名無史さん:01/11/09 00:45
388 :
日本@名無史さん:01/11/09 09:44
井沢そのものが電波発信人だから、批判の大部分は電波じゃあなかったよ!
もっともBBSでは、批判した人を井沢信者がよってたかって叩こうとしたが
逆にコテパンに叩き返されていた(藁
389 :
日本@名無史さん:01/11/09 18:16
>388
普通の神経の持ち主なら相手の家に行けば気を使うよはず
それが道理、藁
390 :
日本@名無史さん:01/11/09 18:48
>>389 その相手(井沢)が錯乱しているから大騒ぎになったんじゃないか(藁
>>武田研究家さん
ソースが網野善彦氏だったので、資料探していたら、先を越されました(汗)
さすが研究家さん。失礼しました。
392 :
日本@名無史さん:01/11/09 20:07
>>389 井沢の著書に間違いがあればそれを指摘するのは当然でしょ。
393 :
日本@名無史さん:01/11/09 21:20
394 :
これでも井沢ファン:01/11/10 00:03
>>393 井沢氏にこれ以上恥をかかせまいと、読者が必死になったんじゃないか。
それを無視した結果が「逆説の日本史 第九巻」(はぁと)
おまけに最近の「逆説の日本史」は他人様の本を丸写しばかり・・・
395 :
日本@名無史さん :01/11/10 00:08
>394
そういうのを「余計なお世話」というのです、藁
396 :
日本@名無史さん:01/11/10 00:12
やっぱり近世以降は資料がありすぎるし、
ひとりでカバーするのは無理なんじゃないかな。
他説の丸写しもしょうがないと思うよ。
397 :
日本@名無史さん:01/11/10 00:21
古代史は資料が限られているのに、ほとんど梅原説や大和説を丸写し。
それ以外の部分はまるっきり読解力がないもんだから電波の出し放題!
398 :
日本@名無史さん :01/11/10 00:21
ならば、なぜ武田信玄編で笹本正治氏の本を引用しなかったんだろう?
「覇者」「信濃風雲録」では笹本正治氏の本を引用していたのに。
399 :
日本@名無史さん :01/11/10 00:28
>>398 「信玄殺人事件」にも参考資料の中に笹本氏の本が・・・
400 :
日本@名無史さん:01/11/10 01:34
井沢ってどこに魅力があるの?
例えば、司馬は嘘も多いし、文学的価値はないけど、面白いよね。
井沢ってつまんないし、嘘ばっかじゃん。
401 :
日本@名無史さん:01/11/10 11:49
しかし歴史の知識がない輩には井沢の本がいいらしい。
まあ司馬と同様に入門編だと思えばいいでしょうな。
問題は、知識がない輩は井沢の説を鵜呑みにしてしまうことである。
402 :
電波@名無史さん:01/11/10 12:53
ガセネタ。
井沢元彦氏の「逆説の日本史」、草稿はすでに戦後編まで完成。
週刊ポスト編集部には「帝都物語」という呼び名で知られている(笑)
参考までに今後の題材は、
@信長神格化構想 A豊臣秀吉の国内統一と朝鮮出兵 B徳川幕府成立と東照大権現
C伊達政宗 D徳川家光と鎖国令 E水戸光圀と「大日本史」
F徳川綱吉と生類憐れみの令 G忠臣蔵事件 H徳川吉宗 I田沼意次と松平定信
J徳川家斉と日蓮宗 K黒船来航 L水戸黄門と尊皇攘夷運動
M徳川慶喜 N明治新政府と崇徳天皇 O明治政府の外交問題(征韓論〜日露戦争まで)
P第一次世界大戦と大正デモクラシー Q昭和軍部の暴走と法華経
R第二次世界大戦 S自由主義と社会主義の実験場(戦後日本)
ソースは井沢氏ご本人の講演から。
以上、ガセネタ。
403 :
日本@名無史さん:01/11/10 14:10
司馬さんは自分はこう思うって言ってるだけで、井沢のように学者を
ぼろくそには言っていないぜ。
それに基本的には「司馬小説」なんだから初心者にも特に害はない。
しかし井沢は自分の説(と言ってもパクリだらけだが)を歴史の真実
であるかのようにほざいてるから、初心者は信者になっちまう。
安部某とかJFなんてのは、かわいそうに完全にポア状態だった。
404 :
井沢狂信者:01/11/10 17:34
ただ単に、逆説の日本史連載しているうちに厨房の右傾化ブームが来ち
ゃっただけで、別に井沢の一人の責任でもないだろ。
一応ミステリー小説家なんだから、どれだけ奇抜(いい意味、悪い意味で)
な読み物書けるかどうかが彼の生命線なわけ、専門家に一笑に付される
ような内容であっても、あの人は気にしないんじゃない?
一応歴史の知識はあるけど、中学や高校でやる日本史よりは面白いし、
やっぱりそれだけ史学の学界が保守的だってことでしょ。
まだ邪馬台国論争に学閥の影が見えるような学界なんだよ。
結論、これは資治通鑑的な読み物だと割り切りましょう、あくまでガキの
歴史入門、しかも偏り気味の。
それは違うね。
「卑弥呼は殺された」
「神宮皇后は架空である」
などという単なる思いこみを垂れ流すとこは騎馬民族説
やら3王朝交代説などが検証なしに流れる古代史関係の
アカデミズムの欠陥をそのまま受け継いでいるにすぎない。
406 :
日本@名無史さん:01/11/10 23:29
「ギャグ説の日本史」って事で・・・
407 :
井沢狂信者:01/11/11 00:42
>>405 古代史って言っても、検証のしようのないことばかりじゃないですか?
多かれ少なかれ、古代史は書き手の推論によって成り立っている部
分が存在するのです。
通史の編者に必要なのは、歴史的事実の取捨選択、仮説や考察ので
きうる限りの歴史的検証、最後に物語を描く文章能力だと思います。
井沢氏は史家ではないので、検証にそこまで力をいれる必然性はあり
ません、五島勉に反省しろってあなたは文句言いますか?
本当に非難されるべきは、史家としてのバランスに欠け、批判を受けつ
けない歴史学界にあるのではないのでしょうか。
ただ、井沢氏の物書きとしての才能が最近著しく枯渇している気も。
>>407 歴史について語る際、検証に力を入れるのは当たり前。
「史家でないから検証には力を入れなくていい」なんて、お話にならない。
409 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:00
井沢の逆説もいいところあると思うよ。
おれは森鴎外の帝し考の存在を井沢で始めて知ったし。
もっとも鴎外の仕事が学界でどれだけ評価されて
いるかしらないけど。
ところで「おくりな」ってどうやって漢字変換すればいいの?
410 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:13
「諡号・謚号」コピーすればよい。
411 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:17
しかし流石の皮肉屋の鴎外も、あの馬鹿げた解説にはビックラコイタ
ことだろな(藁
ってゆーより井沢は鴎外の文章が理解できなかったんじゃないのか?
かなり漢文混じりの名文で、多少でも漢文の素養がないと読みこなせ
ない。
ばかげたことばかり書いてある本が入門書に
なるのか?たとえば、岡村道雄の『縄文の
生活誌』は縄文の入門書なのか?ろくな文献批
判も加えんと、パクリばかりしている阿呆の
駄文を持ち上げるな。
413 :
井沢狂信者:01/11/11 01:20
>>408 だって週刊連載の時間を考えると、検証だけにイチイチ時間割いてられ
ないでしょ。
ここでの一番の問題になっているのが井沢氏に「嘘をつくな」っていうこと
なんだけど、きっと暇がないから直せないんだよ。
それと誤った文章や内容って、時々訂正されないことがあります。
特に歴史関係は、急に訂正したりすると一貫性のない本になっちゃいま
すから。
だから、きっと全巻刊行した数年後ぐらいに補注とか改訂版を出すので
はないのでしょうか、……あくまで妄想ですが。
そういや、小学館漫画日本の歴史も何時の間にか内容が変わっていて、
かなりショック受けたなあ。
414 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:27
歴史入門書というよりエッセイとして
読めばいいんじゃないのかな。
実際出版業界ではそういう扱いになってるんじゃないの。
415 :
日本@名無史さん:01/11/11 01:35
>>414 井沢の珍説を信じるやつがいるから問題なんだよ。
継体天皇の諡号のときには「帝謚考」持ち出したのに、
「徳という諡号を持つ天皇は怨霊」説のときには持ち出さなかったのは何故?
417 :
日本@名無しさん:01/11/11 03:32
個人的には井沢はミステリー作家としては二流だと思うが、
「言霊」なんかは面白かったし、ためになったと感じてるんだけどな。
井沢にしろ誰にしろ、いいところもあるし悪いところもあるんだから、
目くじら立てずに頷ける所だけ自分の知識に加えればいい。
頭から珍説呼ばわりする奴はもう一度通説を疑って固定観念をなくせば、
いい部分がわかってくると思うよ。
天智天皇編なんかは俺は賛成できる部分が多かったけど。
418 :
日本@名無史さん:01/11/11 05:52
>417
天智天皇編ということは、暗殺された可能性がある云々
のところのことかな。
419 :
日本@名無しさん:01/11/11 17:40
>>418 そう。
古今集で言霊に触れたところとか。
他人の受け売りでも、柿本人麻呂の刑死に触れたところとかは面白かった。
梅原の水底の歌は読んだけど、あれ悪文で難解だったもんで。
420 :
日本@名無史さん:01/11/11 17:55
>古代史って言っても、検証のしようのないことばかりじゃないですか?
>多かれ少なかれ、古代史は書き手の推論によって成り立っている部
>分が存在するのです。
これは、間違いでね。日本の古代史は、例えば、朝鮮半島などに比べればはるかに
文献資料にしろ、金石文にしろ、残っている。
問題は、考古学者等がそうした資料をかってに都合よいとこを持ってきて、妄想を組み立てるところだ。
つまり、井沢は、江上や水野と同じことをしているだけだ。
専門家批判とは笑わせてくれるね。
421 :
日本@名無史さん:01/11/11 18:16
>419
『扶桑略記』の「山階(山科)に出かけたが帰ってこず、どこで亡くなったか
分からなかったので、靴の落ちていた場所を山稜とした」との記事を根拠に、
天智天皇暗殺の可能性を指摘していましたな。
ただ、これは道教で仙人が行う尸解仙のこととする指摘の方が説得力があり
ますな。仙人は、自分の肉体を消し去って昇天できる(尸解仙)と考えられ
ていて、天智天皇は仙人とみなされていたのでしょう。
422 :
日本@名無しさん:01/11/11 18:46
>>421 初耳なんで賛成も反対もしないけど、
なんでその解釈に突然道教が出てくるかが
疑問だね。
そこが納得できれば説得力が出てくると思う。
>>420 日本書紀がデタラメが多いというのは確かだね。
書紀を振り回して異論を認めない古代史学者を批判するのは
大賛成だけどな。
423 :
井沢狂信者:01/11/11 19:10
>>420 専門家にしろ、小説家にしろ、実在した歴代天皇が誰からかだなんて
判ってないじゃないか。
武烈天皇や、神功皇后、倭健命が実在の人物である可能性は低いん
でしょ?
文献資料だけに拘ってちゃ、中国史なんかは東周からしか、日本史な
んて天武天皇(これも怪しいけど)ぐらいからしか判らないと思います。
異端視されるくらい壊れた新説じゃなきゃ、みんな歴史家のプロパガン
ダに騙されたままですよ。
とは言え、プロパガンダ無しの史書なんて存在しないんだよねえ。
史記でさえ所どころに儒教の匂いがしますし、あなた殷周革命信じるわ
けありませんよね?
井沢氏のプロパガンダが気持ち良い人だけ、彼の本読みなさいってこと
です、結論は。
そして、俺は読み続けます。
424 :
日本@名無史さん:01/11/11 19:28
>422
「書紀を振り回して異論を認めない古代史学者」って誰のこと?
キミの認識は、古いね。稲荷山鉄剣でそういう考え方は終わったんだよ。
どっからあんなもんが出てくるか分からないから、うかつなことが言えないわけでね。
井沢は、3流作家だから、自説が間違っていても誤魔化してりゃいいのだろうがね。
426 :
日本@名無史さん:01/11/11 22:10
>>425 藤村の石器捏造事件はどうなる?
それでなくても青森なんか自治体ぐるみで遺跡の捏造やらかしてるじゃないか(藁
427 :
日本@名無しさん:01/11/11 23:11
>>424 坂本太郎とか直木幸次郎(字が間違ってるかな?)とか。
428 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:12
稲荷山鉄剣をねつ造とは、井沢信者も大きく出たな。
井沢説の方がよっぽどねつ造だろ
429 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:12
430 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:24
神功皇后=卑弥呼=オオヒルメムチ
だろ?
431 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:42
十月 天皇臥病。召於東宮大海人皇子(天武)引入大殿。詔曰。朕病弥甚。
後事付汝。宜嗣帝位。皇太子大海人皇子固辞。奏曰。・・・・
十二月三日 天皇崩。同月五日大友皇太子即為帝位(生年二十五)
一云、天皇駕馬。幸山階郷。更無還御。永交山林。不知崩所。
(只以履沓落処、為其山稜。以往諸皇不知因果、恒事殺害。)
「尸解仙」のこととする。。。これは聖徳太子伝説にも出てくる思想で、
「永交山林」と言う言葉からも、天智を神格化したものと解するのが多数
説です。(平安期の聖人伝説には道教的色彩が色濃く表れます)
また「履沓落処、為其山稜」については、天智陵は上円(八角?)下方墳
ですが、方墳の一部に突き出しがあり、平安期には「履置」と俗称された
ところから生まれた説話とする考えがあります。
また「以往諸皇不知因果、恒事殺害。」は、天智以降皇族間の殺戮が続い
たことを仏教者として批判したものと考えられています。
432 :
井沢狂信者:01/11/12 00:24
>>425 井沢氏は誤魔化していません、記憶の片隅に封印なされていて何時か
きっと、訂正されるはずです。
第一巻のあとがきにも書いていたしね。
稲荷山鉄剣ってワカタケル大王のことでしたっけ?(雄略はオオハツセワカタケル)
私はどうも一元的な歴史の見方が苦手だから、古代文明西アジア発祥
説とか、万世一系とかっていう説なんかはトンでも学説だと思っています。
大体425さんは、5世紀には既に大和朝廷の権威が関東にまでおよんで
いたと思っているのですか?
古代の皇尊が、忌み名を己の家臣の事跡に記録されて不愉快じゃない
と、あなたが考えているなら反論はしませんが。
鉄剣の主が大和朝廷の家臣であるという認識の方が、うかつなことなの
ではないのでしょうか?
ただ井沢氏は、このことには触れていない気がしましたが……。
433 :
日本@名無しさん:01/11/12 00:28
>>431 思想や天皇陵の事は自分でもっと調べてみるよ。ありがとう。
たださ、「以往諸皇不知因果、恒事殺害」の因果を知らずというのは
天智の死が殺害ということを示してるんじゃないかな。
天智が殺され、首謀者の天武が皇位に就いた、といういきさつが「因果」であって、
それを知らない後の天皇や皇族たちが皇位をめぐって殺し合いを続けた、
という風に俺には読めるんだけどね。
434 :
日本@名無しさん :01/11/12 00:35
明日発売のポストの連載で、例の偽遺跡を真にうけて自説を展開したことを謝罪しています。
436 :
井沢狂信者:01/11/12 23:31
>>358 亀レスすいません。
資料丸写しの時があっても良いと思いますよ、全部独自の文献と解釈
だけで書かれた本とかって、電波以外の何物でもないのですから。
揚げ足取りすいません。
今週の逆説はノブナガが熱した鉄の斧?だっけかを握ったとか、どーし
たとかって話しでした。
ノブナガって本当に信仰心が篤かったのか?脳梅毒だったのかなあ?
437 :
日本@名無史さん:01/11/12 23:50
>>436 信長公記に記述がある火起請の一件ですか。
小説なんかではこの一件は完全に無視されていますよね。
どうも作家は信長のことを完全な唯物主義者とみなしたいみたいで。
信長であっても当時の風習からは逃れられないよい例証だと
思うのですが。結構戦国マニアでもこの件は知らない人が
いるのでは?
438 :
武田研究家:01/11/13 00:00
>>436 史料をそのまま引用するのも単行本で出す時にはいいと思うけど、
連載で読んでると結構ガックリ来るもので……
今週の井沢氏は随分偉そうに『信長公記』をひけらかしてたが……
本当に『信長公記』を読んでいるとはとても思えない記述がタップリ
なのも井沢氏の特徴なんだよね……
439 :
日本@名無史さん:01/11/13 00:21
脳梅毒ならば、脳より先に、まず鼻がなくなってるぞ(w
織田家はもともと北陸の斯波氏の守護代の時代から曹洞宗だし、
尾張に移ってからも曹洞宗の万松寺を菩提寺にしている。
もっとも信長の宗教的顧問には、臨済宗の沢彦、策彦、南下玄興、
浄土宗の清玉、日蓮宗の日乗、真言宗の暁照、吉田神道の吉田兼見
などがいる。(天台宗は西教寺の住職。名前忘れたスマソ)
とくに「比叡山焼き討ち」のあと、吉田兼見に「神仏の罰は下らないか?」
と尋ねているのは結構知られてるしね。
それなりに信仰心もってたんでないかな?信長様は。
440 :
井沢信者の大電波:01/11/13 00:21
>稲荷山鉄剣ってワカタケル大王のことでしたっけ?(雄略はオオハツセワカタケル)
>私はどうも一元的な歴史の見方が苦手だから、古代文明西アジア発祥
>説とか、万世一系とかっていう説なんかはトンでも学説だと思っています。
>大体425さんは、5世紀には既に大和朝廷の権威が関東にまでおよんで
>いたと思っているのですか?
隊長、古田信者+井沢信者のアホを発見しました(藁)。
皆の衆、虐めてやってくれや
441 :
日本@名無史さん:01/11/13 00:41
亀レスでスマソ。
第六天魔王=他化自在天こと摩醯首羅(ヒンドゥー教のシヴァ神)。
しかし、江戸時代には第六天信仰というのが残ってるし、
「法華経」だと他化自在天もまた観音菩薩の化身・・・・・・なわけないか
442 :
日本@名無史さん :01/11/13 00:50
>>441 つまり信長(第六天魔王)は観音菩薩の化身とでも?
それ、がいしゅつだよ(藁)
443 :
日本@名無史さん:01/11/13 00:57
>>440 ここにも乱入してきた自称「皇族」の鹿島信者の真性電波に比べたら、
電波でも何でもないじゃん(大藁)
444 :
井沢狂信者:01/11/13 17:53
>>440 うるせー、馬鹿。
俺は井沢氏も尊敬しているが、高橋克彦大先生のファンなんだよ。
「天を衝く」早く発売しないかな。
445 :
日本@名無史さん:01/11/13 18:15
おいおい。井沢を尊敬してる狂信者に、ちょっかいかけるんじゃねえよ!
446 :
日本@名無史さん:01/11/15 01:46
井沢信者は、世界文明がウリナラ壇君文明から発祥したと思っているのだろうか?
447 :
日本@名無史さん :01/11/15 14:36
おらん。
ウソつけぇ〜
449 :
日本@名無史さん:01/11/15 16:35
油の乗りきった井沢元彦=冷静な史学家>アンチ井沢>井沢信者
間違えとるか?
間違い
冷静な史学家≒アンチ井沢>>>>>>>>>>>>>>>井沢元彦>井沢信者
が正解。
452 :
日本@名無史さん:01/11/15 21:08
正直、織田信長の信仰心についての記事には失望した。
こんな程度かい?って。それでこの結論かい?!
もう少しマシだとおもっていたが・・・。甘い取材だな〜。
何時の間にか厨房増えたなー。
井沢氏の著書と出会って右派に旋回した俺は、中国史に出会い左に
急旋回中。
井沢氏の漢文や中国思想は中途半端な処がありますが、日本史の領分
だから仕方ないね。
みんな、自分のそれまでの思考回路に疑問をもって初めてスタートライ
ンだってことを忘れるな.
自分の研究や思索を深めていって、その成果が世に認められたとき、遂
に井沢氏を追い越したと言えるのだ。
rr二二二二二ニニニ--__、
r/r/l l r二二二二二二二二ニニ--_、
,'ニ三| | l 川川r二三三三三二=====ヽ、
,'二三三二川川川川川三三二二二=====ヽ
',二三;r'::::::::: ` ̄::::::ヽ二三三二=ヽ,
,'三=;/:::::::::: ::::::::`、二三三=ヽ,
;三=;;l:::::::::: :::::l三三三三ニ=ヽ
;二三:|:::::::,,,,,, ...,,,,,,,,,,, ::::l三三三三ニ=;
;三=;|::..kkkkkiiiiiis::.. ..::wlllffffffffffffffs ::::|三三三二二;;
;//;l:::: il' ` '' `ヾ、 :::ヾ三三三二ニ;;
l l l|:: _, -r。- 、 ::: ::: ,- r。-- 、_ ::::l三三三二;
l:l: l:  ̄ー  ̄ ̄_'.:r ヽ `  ̄ ̄ ー ̄ ::::|ヾヾヾ=r ̄ヽ
l l|::  ̄:/ ヽ ` ̄ ::::::|j'j'j'ヾ=f `l |
`ll: :| ヽ ::::|jjj:::`=f rノ
.| ,r---( _)ー 、 :::::::::::::::::〉ゝ r'
| |::::.:::::::::`⌒:ー:⌒' :::::::::::::.ヽ :::::::::::::l、_,|
.| |:::::::::::::- ― --―― 、..::::::::l :;:::::::::::::::|
ヽ ヽ ::::::く rtT_T T TコTt、ヽ::::::::| .:::::::::::::::|
ヽ ヽ::::::`、_`´ `´__/::::::ノ :::::::::::ノ
ヽ、 :::::::::::_::::::: ̄ ̄:::::::::::::;_:::::: ,:::::::::|
ヽ、::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::, ノ ..::::::;;;;:|
ヽ 、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ................ :::;;;;;;;;;;::|
l ー――――-- ' ;;;;;;;::::::::::::|
455 :
日本@名無史さん:01/11/15 23:52
確かに素人出身の考古学者などは存在するが、井沢は、単なる電波。
全然だめ
456 :
日本@名無史さん:01/11/16 00:10
小林惠子さんもいずれこんなふうに論じられるぐらいになるのかしら
458 :
日本@名無史さん:01/11/16 01:09
井沢は、信者の痛さでは、古田に匹敵するな。
>>453 俺はアンチだけど、「金色堂」はなるほどと思ったよ。
それに難しい言葉を使って偉いふりをしないから立派だと認めています。
でも史実誤認が多いのは否定できないでしょ?
そこをみなさん言っているんだと思うよ。
>>459 アンチと信者、井沢氏の間に優劣は無いでしょ。
まあ、ミスはありますが、これもやはり週刊連載だから。
古田信者云々はわからないけど、古代の天皇たちは忌み名に対して寛
容だったかどうか、が私の意見の根拠です。
このことはやっぱり言霊が関係する気が……、忌み名の信仰はいつ頃
始まったのでしょうか?
関係ない話ですいません。
>>自称「狂信者」さん
>まあ、ミスはありますが、これもやはり週刊連載だから。
でも、単行本化するときに直す事は可能だと思うがねえ・・・
その点については井沢氏だけでなく、担当編集者にも問題はあると思う。
>古代の天皇たちは忌み名に対して寛容だったかどうか、
嵯峨天皇の本名「大伴」にちなんで大伴氏が伴氏と改姓したように、
寛容じゃないと思うけれど。やはり言霊の影響だろうね。
井沢ファン(井沢の間違いに気づいていない)<井沢(とにかく間違いが多い)
<井沢アンチ(井沢の間違いを指摘できる)<冷静な史学家
これが451式の理由だと見た。
463 :
井沢狂信者:01/11/19 19:51
まだポスト読んでないけどアゲときます。
464 :
日本@名無史さん:01/11/19 19:53
>>463 今週も毎度おなじみの丸写しでございます。
465 :
武田研究家:01/11/19 23:34
あ〜今週もつまらないね〜
とゆーわけで、暇潰しでもやってみますか。
先週の「逆説」では火起請の話だったけれども、結局結論を先送りにした
「信長は無神論者か否か?」という問題よりも、読者の興味はある一点に
あったのではないだろうか。
それはつまり、「なぜ信長は焼けた鉄を持てたのか?」という問題である。
「信長は正しいから大丈夫だったのだ」なんて言ったら信長信者の方々は
喜ぶかもしれないが、古の説話集ならともかく、現代に通用する理屈ではない。
ここを考察しなければ問題の本質は見えてこないであろう。
井沢氏はそれを避けた(気付きもしなかった?)がゆえに、当時の
人々と宗教と言うものを見誤ってしまうのである。(続く)
……で、皆さんはどう考えますか? この問題。
それでは。
466 :
アズマ鍛冶:01/11/19 23:57
>「なぜ信長は焼けた鉄を持てたのか?」
1.鉄が真っ赤に焼けていた。
2.信長が手に汗をかいていた。
以上。
>>459 「金色堂」の何になるほどと思ったの? まさか頼朝が天台宗奥州総院の寺を焼き払
うほど政治感覚に欠けた馬鹿だと思ってるんじゃないだろ?
平家が大仏殿を焼き払ったことで仏敵とされ、どれほど政治的立場が悪くなったか
。。。頼朝は自分自身がそれを焚き付けただけに、知り尽くしてたんだよね。
中国でも仇敵の建立した仏教寺院や、道教観や陵墓を保護するのは、名君の仁徳を
示す最低条件とされてるからね。
468 :
日本@名無史さん:01/11/20 00:15
藤原氏の鎮魂のための金色堂よりも、
鎌倉幕府は源頼家の怨霊のほうを
恐れなければいけないようなきがするけど。
469 :
日本@名無史さん:01/11/20 00:21
470 :
日本@名無史さん:01/11/20 00:51
>469
あのね火起請では我慢できずに取り落としたらもちろん駄目だが、
我慢して持ってても火傷の跡を比べて火傷のひどい方が裁判に負けるわけよ。
471 :
日本@名無史さん:01/11/20 05:07
この場合は相手が持てなかった→持てたかどうかが問題
>>467 こうでも書いておかないと、井沢狂信者みたいなアホが話を聞いてくれないと思ったので。
474 :
井沢狂信者:01/11/20 20:44
>>467 じゃあ、今どのくらいの歴代皇帝の陵墓がまともな状態で残っているか教えて頂戴。
名君なんてそもそも存在しないよ、いるのは英主や覇王といった類でしょ?
「名君」の人徳を示すなんて、税金軽くして、戦争しないのが一番だよ。
まあ、寺院に金かけると聞くと、武則天が思い出されますな。
この人は墓残ってたね。
漢の文帝や武帝(名君に一番近いかな?)のお墓がどうなったか知ってますよね?
井沢氏はきっと、今週号で昭和初期のファシズムへの伏線を張ったのでしょう。
日本史を現代の教訓として生かすのが「逆説」の主旨ですし。
475 :
日本@名無史さん:01/11/20 21:49
あんた何を言ってるの? 中国には数え切れない戦乱があり、暴虐の輩
がいて寺院や観を掠奪破壊している。しかしそう言った輩は決して政権
を保てなかったんだよ。
政権を確立し永続させたような英邁な創業者は、人心収攬を意識するか
ら、そんな馬鹿なことはしなかったと言ってんだ。頼朝だって其の程度
のことは先刻承知しているから、奥州の名刹を破壊するわけがない事く
らい分からないの?(井沢には分からないようだけどWWW)
しかもなお現在中国にどれくらいの寺院や尖塔が残ってるか知ってる?
簡単なところでは「中国の歴史散歩」を見てご覧。。。全く嫌になるく
らい多くの寺院が歴史の風説を耐え抜いて今なお健在なんだ。。。
476 :
井沢狂儲 :01/11/20 22:44
477 :
日本@名無史さん:01/11/20 23:05
三周一武? なんじゃそりゃ? 「三武一宗」の法難をいってるのかな。
スマソ間違えた。
もういいよ、アフガンやインドに寺院跡が残っているのも人々の信仰心の
表れってことになり、それを残した権力者たちは、それを残すことで人心
収攬をはかったってわけね。
中共が政権を保つことができている理由を説明して欲しいもんだ。
そもそも、僧兵が敵対する寺院を平気で叩き壊しているのに、武士たち
が寺を焼き討ちにするはずがないという根拠がどこにあるのかな?
格式高い所ほど、抗争に必死なんだよ。
奥州の棟梁を滅ぼしておいて、人心をなだめるも何もあったもんじゃない
かと思うんですけど。
その後は葛西や安藤などの御家人を奥州に送り込んでるんだよ。
恨まれまくりの鎌倉殿が、たかだか寺ひとつ残すことで人心収攬できる
と思ったんでしょうか?
そこに納められていた藤原氏の怨霊の方が、人心なんかよりも、ずっと
恐ろしいと思ったから残したんでしょ?
人心をなだめるのは楽な仕事ではないだろうけど、怨霊の方は下手うつ
と一族滅亡させるんだよ(平氏や藤原四兄弟)。
ちなみに俺の論点は陵墓です。
仏教寺院なんて中国じゃ今も昔もテーマパーク同然だろ?
昔の中国人が信じていたのは現世利益を成就してくれる鬼神(道教神)
様だよ。
480 :
日本@名無史さん:01/11/21 00:46
なんで頼家や実朝の怨霊の鎮魂はしないのか?
481 :
日本@名無史さん:01/11/21 00:51
頼朝は怨霊を恐れたけど、北条はそれほど気にしなかったんじゃない?
京都育ちの頼朝は怨霊についての恐怖感を幼児期から植え付けられてたとか。
482 :
日本@名無史さん:01/11/21 00:57
文化大革命。。。彼等のどこが人心を収攬したの? 単なる暴虐の嵐で人心を荒廃さ
せ、国土を荒廃させた。。。マオツァオトンの耄碌がもたらした最低の政治じゃないか。
「三武一宗の弾圧」だって単なる宗教的失政だろう?
漏れが言ってるのは、多くの王朝創業者や頼朝はも少しマトモナ政治家だから、ワザ
ワザ「金色堂」のような宗教施設を破壊して、比叡山や貴族や現地民衆と摩擦を起こ
すような馬鹿なことをするでしょうか。。。ってこと!
一方で、許しを請う奥州藤原氏を難癖をつけて根絶やしにしたり、義経・範頼を殺戮
するような冷酷嗜虐的な政治家の一面もある。。。何が怨霊畏怖じゃってことだね!
>482
眠かったから変なこと言っちゃいましたが、たかだか奥州の一寺院を破
壊したところで、都の貴族にとっちゃ異世界の出来事なんじゃないかと。
現地民衆にも仏教が普及していたかどうか……。
優秀な政治家なら、もっと硬軟両面の政策で統治すると思いますよ。
鎌倉殿はごり押し一辺倒じゃないですか。
奥州藤原氏のように血縁関係で安倍、清原の領土を引き継いだのを応
用して、藤原氏の一族と自分の縁者を婚姻させて奥州統治を正当化す
るとかね(まあ、しばらくしてから取り潰されるだろうけど)。
中国の各王朝と共産党政権との間にどれほどの違いがあるのでしょう。
明王朝がラマ教寺院保護したなんて聞いたことないよ。
そもそもあの国で近代化が成功しないのは、清朝の「名君」たちが善政
を敷いたために人口が増えすぎたってのが遠因でしょ。
大規模な人口衰退がおこるのは時間の問題だったんだよ。
今閃いたんだけど、もしかして井沢氏、ノブナガが「八紘一宇」の走りだと
か言い出すんじゃ……、法華経つながりで。
曹操や曹ひは歴代皇帝の陵を荒らして軍資金を稼いでたので、
墓を華美にすると絶対に荒らされると思って、瓦だけでつくらせた
485 :
井沢狂信者:01/11/21 10:49
漢の歴代の皇帝の墓を修復した孫堅の最期は無念ですな。
井沢信者が少ないなあ。
子嬰「朕の味方はおらぬのか!」
趙高の部下「この大陸に一人もおりませぬ。」
横山光輝で思い出しましたが、あの人の「武田信玄」で晴信が捕虜の首
三千を晒すっていう描写がありましたが武田研究家さん、あれって史実
なんですか?
486 :
通りすがりの奥州人:01/11/21 14:29
>>479 >奥州の棟梁を滅ぼしておいて、人心をなだめるも何もあったもんじゃない
>かと思うんですけど。
それまで天下の主だった平氏を滅ぼしているじゃないですか。
でも全国の民衆が蜂起して打倒鎌倉をたくらんだなんて聞かないですね。
民衆にとっては旧主なんてどうでもいいのです。
いまの県知事や選挙区選出の議員=領主だということ。
よりともは北関東の大豪族平広常を殺しています。
そして木曾義仲、甲斐に強力な勢力を作っていた武田党(武田・一條・安田)、
平氏一門を滅ぼしました。藤原氏を滅ぼすのも同じことでしょう。
ところで、平広常、木曾義仲、平氏一門、武田党を殺しているのに
怨霊封じなんかやってるかな? やっていませんね。
では、なんで藤原氏に限って金色堂を残したんでしょう?
無実を理由にするなら広常や武田党も同じだと思うんですが。
>>486 確か怨霊になる条件で、子孫に祭祀されなくなることが含まれていた気
がします。
武田はその後も子孫が残りましたよね、俺の地元岩手では武田の子孫
の南部氏が戦国大名として生き残ってます。
平広常のことは詳しくはわかりません、すいません。
可能性として、藤原氏が鎌倉殿にとって平氏や一門なんかよりも格上と
して認識されていたのではないか、と俺は考えています。
格と言っても、家柄とかじゃなくて怨霊としての格です。
この場合藤原、いや安倍の血は、源氏にとって相当の疫病神だったと考
えられないでしょうか?
前九年や後三年の役で、源氏はかなり強引に虜囚たちのことを攻撃しま
した。
安倍貞任なんかは惨たらしく殺害されています。
その結果、源氏が得たのは何だったでしょうか?
義家の子の代に、名門源氏の家格を失墜させ領地を大きくけずられると
いう不幸に見舞われます。
この時源氏は、安倍氏や清原氏も大和人と一緒で怨霊になるのではな
いのかと考えたのかもしれません。
ちなみに岩手県北から見ると、どうも県南にある平泉などは身近に感じ
られないんですよ。
昔、伊達の領地だったからかなあ?
>>狂信者さん
>明王朝がラマ教寺院保護したなんて聞いたことないよ。
してますよ。永楽帝はカルマ派の教祖に「法王」の地位を与えています。
永楽帝以外にも、景泰帝、正徳帝はよく知られていますし、形式的には
南明(永暦帝政権)が滅亡するまで続いてます。
もっともこの事が、ゲルグ派とカルマ派の対立を招くんですがね。
489 :
井沢狂信者:01/11/21 16:26
>>488 ぐえっ、初耳だ。
生意気言ってすいませんでした。
華南の宗教勢力からのし上がってきた明が、ラマ教保護するとは思って
ませんでした。
中国人はやっぱり、宗教に淡白なのかなあ?
でも、悪人や無頼の徒とかほど信心深い印象もあるし……。
490 :
武田研究家:01/11/21 16:38
暇潰しネタが途中だが質問には答えねばね。
>>485 >横山光輝で思い出しましたが、あの人の「武田信玄」で晴信が捕虜の首
>三千を晒すっていう描写がありましたが武田研究家さん、あれって史実
>なんですか?
史実ではありません。
が、元ネタはあります。
武田信玄が志賀城を攻めた時、援軍として上杉氏(憲政)が
七千ほどの軍勢を送り込んできた。
それを飯富虎昌などが七百ほどの兵で奇襲・撃破し、数百の首を挙げた。
信玄はその首を志賀城の周囲に懸け並べ、それを見た志賀城の兵達は
もはや援軍の来ない事を知り、戦意を失って降伏した。(玉砕したとも言われる)
491 :
井沢狂信者:01/11/21 16:46
>>490 まだ五、六歳の頃読んだ漫画だったから、かなりびびりました。
それ以来、武田信玄は酷い人間だ、という固定観念が未だに頭にこびり
ついています。
伊達政宗の漫画は蒲生氏郷と一緒に風呂に入ったシーンが印象的でし
た。
関係ない話、すいません。
井沢の言霊と怨霊の解釈ってどうなの?
これが駄目だとこのシリーズは根本をやられるような。
493 :
名もなき奥州人:01/11/21 20:03
狂信者さん。
同じ岩手系人ですか、仲良くしましょう。でも議論は議論として(藁)
>確か怨霊になる条件で、子孫に祭祀されなくなることが含まれていた気
>がします。
>武田はその後も子孫が残りましたよね、俺の地元岩手では武田の子孫
>の南部氏が戦国大名として生き残ってます。
や、南部はちょっと事情が違うと思います。
南部の属する加賀美系の武田党はよりともの寵愛を得て信濃武士になっています。
しかし武田嫡流は5男(名前失念)を除いてすべて殺されています。
それ以外の子孫は残っていないけど5男がいるからというのであれば別ですが、
別の武田党安田氏は子孫を残しませんでしたよ。
もし先祖が安部の怨霊のために、というのであったら藤原を祀るのは納得。
ただしその場合、自分が滅ぼした木曾などの怨霊もあることを考えるはずで、
怨霊信仰ばかりとはいいがたいと思います。
494 :
武田研究家:01/11/22 00:38
……で、何故信長は平気だったのか?という問題なんだけど、
>>466氏の
言う通り「火渡り」の原理ならば平気な可能性はある。
だけど、左介は取り落としたわけだし、当時は「火渡り」の科学的考察も
なされていないから、信長が本当に左介を処罰するつもりがあるのなら、
これは一種の「賭け」なわけで、あまりオススメできない。
そこで私は「仕込み」ではないかと考えている。
強盗に入られた甚兵衛の主人は織田信房、そして左介の主人は池田勝三郎だから、
二人とも信長の又被官に相当する。二人が強盗に入った入っていないで
争っていることは、当然信長の耳にも入っていたはずである。
そしてまた信長に擁立されて裁判などを担当していた守護の斯波義銀も、信長の
又被官が相手では安易に処罰もできず、これまた信長に相談したと
考えられるのである。(太田牛一によれば左介は池田家臣だったから処分
できずに火起請になったのだとある。信長に相談の無い方が不自然だろう)
とすれば、後は件の通り、偶然を装って現れた信長が、仕込みの手斧を
受け取ってみせ、「合法的に」不埒者を処分したということになるのである。
……どうせ暇潰しだと思ってかなり「妄想」ですから、つっこまないでください(笑)
だが、話はこれで終わりではない。
井沢氏が「怨霊の日本史」たる『逆説の日本史』を書くならば、
文中で取り上げた「クガダチ」について「怨霊」の観点から
書かねばならなかったのである。(まだ続く)
なんでも怨霊に結びつける発想が無理なのですよ。例えばよしつねの北行伝説を、
よしつねが死ななければ怨霊にならんからという理論で井沢氏書いているが、
実際によしつねは鎌倉の政権を揺るがす罪人でしょ。なんで怨霊を気にする?
そもそも北行伝説は鎌倉によって作られた話なんですか?
それならよりともに従順だったのりよりの怨霊はどぉよ。
(まあ、のりよりにも脱出したという説は無きにしも非ずだが)
だいたい、判官びいきは日本だけじゃない。
中国にも諸葛孔明を持ち上げる「三国志演義」があるじゃないか。
「こんな国は日本だけだ」という井沢氏は、根本から間違っている。
THANX
>>495 孔明が持ち上げられてるのは忠臣だから。
あと、蜀の正式名称は漢であることをお忘れなく。
あれはどちらかと言うと儒教の正統史観(?)の影響が強いと思う。
儒教の考え方によれはあくまで正統なのは劉備の蜀(漢)になるよ。
関係ないのでsage
>>498 儒教の正当史観(?)に則って言えば、正当なのは魏ですが何か?
500 :
武田研究家:01/11/25 23:09
いかん、明日発売日だ(汗)ネタを完結させないと。
…井沢氏は「怨霊史観」を前面に打ち出している。そして日本史に対しても
世界史に対しても考察の不足せし事、知識の足りない事は論拠に暇が無い。
そこで井沢氏流に「クガダチ」を書けば、こうなるだろう。
「クガダチ」というのは争う二人の両方が熱湯に手を突っ込むわけだから、
これは両者とも大火傷は免れない。
神話・逸話の中ならばともかく、実際にやってみて何事も起こらないわけがない。
そんな裁判方法が何故、形を変えて戦国時代にまで行われていたのであろうか。
実はこれにも「怨霊」が関係しているのである。
例えば争う二人がいたとして、領主なり何なりがその調停を買って出たとする。
もし片方に明らかに理があり、もう片方に明らかに非があるならば、判決を
出すのは用意である。だが人間社会ではそう簡単に割り切れない問題というのは、
多々存在するのである。
双方に理があり、そしてどちらも正当なように思われる時、調停役(裁判官)は
どうすればいいか?
どちらかを勝たせればそこに敗者も生まれる。敗者が生まれればそこに「怨霊」が
生まれるのである。そしてそれを避けようとするのが、日本人というもの
なのである。ではそのためにはどうすれば良いか。
代表的な例が「喧嘩両成敗」である。喧嘩をした者は両方罰せられるというものだ。
そこには勝者も敗者もいない。なぜなら、勝敗をハッキリさせるとそこに怨霊が
生まれるからだ。
クガダチも同じである。両者が熱湯に手を突っ込む。両方とも火傷する。
そこで「どっちもどっち」ということで折り合いを付けるのである。
そこには勝者も敗者も生まれない。従って、怨霊も生まれない。
これが日本の文化であり、歴史の知恵なのである。狭い日本に多くの人間が
暮らすからこその工夫である。お互いにそれなりの所で折り合いを付け、
勝敗をハッキリさせないようにする。日本の「怨霊思考」は本来公正にして
物事の道理をはっきりとさせるべき裁判にまで及んでいるのである。……
……あくまでネタですので、ツッコミは勘弁してください(汗)
それでは。
501 :
日本@名無史さん:01/11/26 01:14
井沢元彦って、日本史板で評判悪いけど、ナニがそんなに悪いんですか?
「逆説の日本史」だって、ミステリとして読めばそれなりに面白いよ!
>>498 儒教的にみたら、禅譲を受けた魏が正当なことは明らかです。
儒教は血筋的な継承にそれほどこだわりません。(特に孟子)
>>501 書いてる本人が、ミステリとは思ってないんだからどうしようもない。
>>501 間違いだらけじゃん。
それに本人が「(私の説が)将来の定説になる」なんて馬鹿な事言ってるし
(「逆説の日本史 第九巻」)
五島勉みたいにはじめから「ミステリー」として意識していたら、
絶対そんな事言わないと思うが。
505 :
日本@名無史さん:01/11/26 10:48
井沢氏より武田研究家さんの方が「怨霊信仰」の本質を理解しているんでないか?
506 :
井沢狂信者:01/11/26 13:55
ここにいる人たちは、アンチの方が多いからアンチって人もいると思います。
五島某先生のアレがミステリーだったというのは初耳です。
ミステリーの本書いて、普通「間違ってました」なんて謝罪しませんよ。
孔明云々は、南宋のナショナリズムの高揚が原因かと……。
>>498 だから、忠臣だと持ち上げているのは「三国志演義」じゃないですか。
関係ないからsage
508 :
日本@名無史さん:01/11/26 15:11
「ミステリー」じゃなく、「エンターテインメント」と言うべきだろ!
これはかって井沢BBSでも議論になったことで、井沢批判者達は井沢が
「エンターテインメント」であることを自認するなら、何も批判の必要は
ないが、あたかも「学問」であるかのごとく発言し、それを信じる厨房が
いるから厳しく誤りを指摘するんだと言ってたよ!
今週の逆説読んでみました。
宗論うんぬんで今週も終わり。
結局ノブナガの信仰心はどうなったんですか、井沢先生……
法華宗との関係が気になるんですけど、誰か詳しい人いません?
高橋克彦「天を衝く」は、とても読み応えがありました。
九戸政実が主人公という異色の戦記もの。
電波度は五島先生を超えたと言っても過言ではないでしょう。
510 :
日本@名無史さん:01/11/26 17:23
渡部昇一とどっちがまともですか?
511 :
日本@名無史さん:01/11/26 18:03
>>510 高橋克彦に比べたら井沢元彦も渡部昇一もまともに見えてくる。
しかし、一見まともにみえてもやっぱり電波。
512 :
井沢狂信者:01/11/26 18:06
渡部さんのほうが実績あります。
あの人も偏りがありますが、研究論文はかなり切れ味が鋭い気が……
詳しいことは知りませんが、劣性遺伝子だか何かで物議醸してたなあ。
513 :
武田研究家:01/11/28 01:09
今週の井沢氏……イタタタタタ……何も結論出てないし……痛いねぇ……
久々にツッコミますか?
> 農漁民(農漁村)の一向宗に対して、
>商工民(都市)の法華宗という色分け
>があった。
もう見てらんない。
フロイスが「大坂の市」と表現したように、石山本願寺は広大な寺内町を
抱える「都市」であった。
じゃあ本願寺の寺内町に住んでいるのは法華経の信者かと。
全国各地にちらばる「楽市」は真宗系の寺院の寺内町だぞと。
そこに住んでるのも法華経の信者かと。
あまりの痛さに口調がおかしいまま、今日はもう寝る……
514 :
井沢狂信者:01/11/28 08:28
>>513 研究家さん、それは極論ですよ。
堺や京都のような従来型の都市に法華宗徒が多かったってことだと思い
ますよ。
坂本なども叡山のお膝元だから、それにはあてはまりませんが。
515 :
井沢狂信者:01/11/28 12:03
武田研究家さん、火縄銃スレにいらっしゃったようですが、長篠の合戦
とは結局どういうものだったかはまだ判っていないんですよね?
井沢氏の銃声で馬を驚かせたという考えは従来の説に論拠したものだ
と思いますが、長篠が馬防柵どころか砦に近いくらい防衛していたとい
う説はどう思われますか。
どうも日本史では火縄銃が革命的な兵器として特筆大書されますが、
だれもその実態を知らないというのは不思議です。
大規模な鉄砲戦ってお金がかかるから、どこの大名もしたがらなかった
のでしょうか。
516 :
日本@名無史さん :01/11/28 15:12
井沢狂信者サン
>井沢氏の銃声で馬を驚かせたという考えは従来の説に論拠したものだ
>と思いますが、
井沢せんせはその従来の説を、自分が最初に考えたみたいに言うからイタイんですよ。
それにもし馬を驚かせる効果があったとしたら、第一陣は兎も角、
第二陣以降武田側も対策を練るはずではないでしょうか?
馬については、井沢せんせが源平編で「武田騎馬軍という言葉は正しくない」といいつつ、
この長篠について騎馬軍の存在を認めているみたいな書き方。矛盾しています。
517 :
教えて厨房:01/11/28 16:01
法華宗と日蓮宗の区別がつきません。
どなたか教えて下さい。
518 :
日本@名無史さん:01/11/28 19:48
あげ
519 :
日本@名無史さん:01/11/28 21:05
Yahoo掲示板に、あの2mサンがいます。
520 :
nanasi:01/11/28 22:45
早速電波を出し始めていますな>2m(藁
521 :
武田研究家:01/11/28 23:17
まさかあんなところで200cm氏に反論されるとはね(笑)
522 :
武田研究家:01/11/28 23:51
>武田研究家さん、火縄銃スレにいらっしゃったようですが、長篠の合戦
>とは結局どういうものだったかはまだ判っていないんですよね?
そうですね。まだ不明な点は多いですね。
私も当日の合戦そのものの推移に関しては火縄銃スレで書きましたが、
まだまだ研究が必要だと思います。
>井沢氏の銃声で馬を驚かせたという考えは従来の説に論拠したものだ
>と思いますが、
井沢氏は「新説」だと信じているようですが(笑)
その説自体は10年以上も前からありますね。
ただし、「武田軍は鉄砲に疎い」という大きな誤りから
出発したダメ論理ですけど(笑)
>長篠が馬防柵どころか砦に近いくらい防衛していたとい
>う説はどう思われますか。
これは発掘の結果が裏付けしているので、まず間違いないでしょう。
同様に勝頼の陣地なども要塞化されていた事が確認されています。
>大規模な鉄砲戦ってお金がかかるから、どこの大名もしたがらなかった
>のでしょうか。
それは日露戦争以降の日本軍ですね(笑)
例え金がかかっても、普段は自分の領地を耕している農民でもある兵士たちに
軽々しく白兵戦などさせなかったでしょう。
523 :
井沢狂信者:01/11/29 00:58
研究家さん、レスありがとうございます。
井沢氏はいったい何処で、武田騎馬軍団を再結成したのでしょう……。
鉄砲玉や弓矢が飛んでくるところに兵士を配置したくはありませんが、大
規模な野戦って無いもんですね。
524 :
日本@名無史さん:01/11/29 01:04
そりゃそうだろ〜
石高で大体の動員数が決まるってんだから
そうそう人を失うわけにはいかんよ。
生産高も落ちるし、人の補充も大変だ。
目一杯動員したいくさで何千人とか失うと、おおごとだべ。
525 :
言霊の名無史さん :01/11/29 19:49
2mと研究家さんの対決実現するとなると仮定しても、
2mが研究家さんに論破されたあげく、また偽者がぞろぞろ出現・・・・・
悲鳴を上げた2m本人は削除以来出して正体発覚・・・・・(藁)
526 :
日本@名無史さん:01/11/29 20:04
井沢氏の小説「信濃戦雲録シリーズ」の「野望」1〜4、「覇者」上中下を読むと
井沢氏はよほど信玄が嫌いなようだ。なんでそんなに嫌うんだろ?
謙信にはやたら肩入れしているくせに。
527 :
浄土真宗本願寺派:01/11/29 20:35
>>517 法華経を教義とした宗派を指します。
広義では天台宗(天台法華宗)と日蓮宗(日蓮法華宗)ですが、
一般的には日蓮宗諸派を総称して呼びます。
ヤフーの掲示板、オモシロイね〜
なんだか2000mmの偽名かと思うような人が混ざってるけど。
530 :
日本@名無史さん:01/12/01 09:47
>>529 200cmに信長の知識なんかないでしょう。あれは腐儒さん。
>>529 もしかしてni_meterのことを言ってたんですか?
すみません。のーとるだむのことかと思いました。
あれは本物の2mかと。「傲慢」は常套手段です。
532 :
日本@名無史さん:01/12/01 13:34
のーとるだむは腐儒さんですか
つーか電波だらけだね(ワラ
533 :
言霊の名無史さん :01/12/01 14:37
井沢氏の「人“徳”」を反映してますな(笑)
534 :
井沢狂信者:01/12/01 16:46
学者でも史家でも、作家でも何かしらの学説を唱えるときはオリジナリティ
がどこかに含まれるものです(含まれなきゃ盗作です……)。
それを電波と捉えるか、新説あるいは革命的な学説と捉えるかは、読者
の史観あるいは見識に大きく依存します。
井沢氏を笑ってばかりいないで、何かここにいる人たちを唸らせる考察
(電波でも可)を話してくれませんか?>532、>533さん。
535 :
日本@名無史さん:01/12/01 17:07
>>534 単純に史実と相違しているかで判断しているだけです。
536 :
井沢狂信者:01/12/01 17:34
>>535 煽りとかじゃないんですか?
まあ、今となればかつての「西アジアからすべての文明が発祥した」説も
電波なので、井沢氏の「電波」がどれだけ定説となるか今から楽しみです。
源氏物語ぐらいかな?(それとも、これも誰かからインスパイアされたも
のでしたっけ?そしたらゼロか……)
537 :
言霊の名無史さん:01/12/01 18:56
>>狂信者さん
んじゃ電波(といってもがいしゅつですが)
井沢氏は「足利義満が天皇になろうとした」という説を発表しておられましたが、
私個人としては、足利義満は天皇になろうとしたとは思えません。
むしろ、天皇になろうとしたのではなく、「治天の君(≒上皇)」になろうと
していたのではないかと思います。
なぜなら非皇族でも「治天の君」になった前例が祖父尊氏の時にありますし、
義嗣の元服式が「親王と同等」だったのは「立太子の儀」だったのではなく、
足利家と天皇家は同格という事を示すためだったのではないでしょうか。
第一、もし足利義満(または足利義嗣)が天皇の地位についていたら、
正統を自認する南朝に格好の「大義名分」を与えることになります。
足利義満の死後、朝廷が贈った「鹿苑院」とは、
足利義満が「天皇」の地位を望んだからではなく、
「治天の君」の地位を望んだから、という意味だったと思います。
以上、電波でした。
539 :
日本@名無史さん:01/12/01 19:35
540 :
日本@名無史さん:01/12/01 19:58
>>537 読んでいて思い出したんだけれど、義満と義持、義嗣の親子関係って
徳川秀忠と家光、忠長の親子関係と似てるなあ・・・
孔明がたたえられるのは朱子学の影響。
朱子学における正当王朝は蜀漢。
判官贔屓は日本独自の文化です。
542 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:31
s
「オリジナリティ」のある「学説」を唱えるってのが、どんなにすごくて
大変な知識(経験)と労力が必要なのかをわかってないと、井沢元彦が
「オリジナリティ」のある「学説」を披露してると勘違いしてしまうのかも・・・
544 :
井沢狂信者:01/12/02 09:05
>>543 ゼロから始めればね。
今じゃどんな人も先人の学説を受け継いで自説を展開していく世の中な
んです。
それに興味のある分野を研究するんだから、犬馬の労も厭わない人ば
かりでしょう。
資料と格闘するもよし、師の使いっ走りもよし。
フロンティアが残っているとすれば、中央アジアの古代文明や長江文明
とかだよなあ。
先人はつくずく偉大だなあ。
545 :
日本@名無史さん:01/12/02 15:52
狂信者サン
>学者でも史家でも、作家でも何かしらの学説を唱えるときはオリジナリティ
>がどこかに含まれるものです
そのオリジナリティがもし出鱈目の知識に基づくものだったらどうでしょうか?
ここでもYahooでも話題になっている長篠の戦い「鉄砲の轟音で馬が驚いた」説なんかいい例。
100歩も1000歩も譲って井沢の新説だとして、
・武田軍は鉄砲に疎い(武田軍が鉄砲を昔からそろえていたからありえず)
・武田軍は騎馬隊(自分で否定しているのに、ここで出している)
・その騎馬隊が猛突進した(雨上がりでぬかるんでいたからできるとは思えないが)
・信長は3000の鉄砲を用意していた(後からの誇張で、実際は1000くらいだろうと)
そして
・音で武田は驚いたが、それでも繰り返し突入した。(これでは武田、間抜けである)
などなど、おかしな前提がなければ成立しない。
井沢は土台のないところにオリジナリティを展開しているんじゃないですか?
「義経記」を史実と考えて「弁慶=義経の参謀」説を唱えるのと同レベルだ。
>長篠が馬防柵どころか砦に近いくらい防衛していたとい
>う説はどう思われますか。
野戦陣を、柵をめぐらし堀をうがって防塞のようにするのは、長篠に始まったことではない。
井沢氏がどうしても信長のオリジナルだと言い張るなら、
その戦い以前にそのような野戦防塞の存在がなかったことを証明してからでしょう。
546 :
日本@名無史さん:01/12/02 16:00
>>537 「電波」とはいえ感心した。もう少し詳細に書いてくれ。
>>狂信者さん
あなたのコメントは?
547 :
日本@名無史さん:01/12/02 16:27
>>545 以前、武田研究家氏が書いてたね。あげ。
ちっオリジナルで書いたつもりが先を越されていましたか。
武田研究家さんに連敗してしまったぜ。
545=548
550 :
井沢狂信者:01/12/02 19:51
法体だから間違っても天皇ということはありませんね…
まあ、ニアミスって程度で。
でも、その説だと同等の権威が並存する(しかも同じ洛中に)、という据わ
りの悪い状態が発生する気がします。
徳川家康が東照大権現を称することができたのは関東に地盤を置いた
おかげなんでしょうけど、京都でやったらどうなったことやら。
やっぱり天皇家を超える気概が無ければ、立太子の儀とかさせないと思
います、中途半端だと後々尾をひくでしょ。
南朝については成る程と思わされました。
あらかた大物守護大名を粛清した後だったから、気にもとめなかったん
でしょうか?逆英布状態ですな。
>545さん、井沢氏は馬防柵についてはサラっと流しただけです。
スレの前のほうに書いてあったから研究家さんに聞いてみただけです。
何故か信玄絡みになったら、逆説っぽいとこが減ったなあ。
目に鱗が張り付きそうです、来週に期待age!
>544
わかってるじゃん。じゃあ他人が唱えたオリジナリティはきちんと尊重して、
それを自分の説のように語っちゃダメだよね。
これは誰が語ったことだが、と明記しなくちゃ〜
「学説」を唱えるんならね。
小説とかミステリーならいいんだけどね〜
552 :
日本@名無史さん:01/12/03 04:36
月曜日あげ
553 :
日本@名無史さん:01/12/03 15:25
「逆説の日本史」今週も毎度おなじみの丸写しと弄言でございます。
しかし、法華宗をいびった信長が本能寺(法華宗)を宿所にして、
明智光秀に討たれたのは因果な話だね(藁
554 :
日本@名無史さん :01/12/03 15:56
井沢氏が学会を嫌うそもそものきっかけは、週間ポストで不定期連載されていた
「それからの太平記(「天皇になろうとした将軍」と改題)」が
学会から叩かれたのが発端(網野善彦氏と今谷明氏は評価していた)。
そういえば「逆説の日本史」の連載のきっかけもこの連載が発端だし。
>>553 日付を1年間違えるのはそんなに重大な間違いのかな、という気はしたな。
履歴書書くときとか、何年卒だったかいつも忘れてて、思い出すのにひと苦労。
これが夏の対決のはずが冬になってた、とかなら大きな間違いだとは思うけど。
すくなくとも後になってから書かれたものであるのは間違いない。。。
557 :
日本@名無史さん:01/12/04 12:13
「逆説の日本史」の連載当初のキャッチフレーズ。
「気鋭の作家、井沢元彦の歴史の真実に迫る推理!」
・・・てことは推理小説だったのか?
558 :
蝦夷の末裔:01/12/04 14:22
井沢狂信者さん、答えになってないですよ。
柵についてではなく「鉄砲の音が馬の脅威」説に答えてもらえませんかね。
あのような史実に反する学説を広めることについてあなたはどう思いますか?
オリジナリティといえば金色堂と怨霊の関連、井沢氏は自分の説のように言うが、実は昔からあった。
全部朴李(パクリ)なんですよ。だから前のほうで誰かが「なるほどと思った」のは、
井沢説ではなくて旧説に対し感心しただけということだね。
まあ井沢氏のオリジナリティは、義経北行伝説までも怨霊信仰にしていることかな。
559 :
日本@名無史さん:01/12/04 17:01
超信長マンセーに言葉も出ません。
560 :
日本@名無史さん:01/12/04 18:37
井沢氏の暴走を止められる編集者はおらんのか?
561 :
日本@名無史さん:01/12/04 18:48
>>560 小学館では西原理恵子「人生一年生」を刊行させた水野隆氏ぐらいしか
思い浮かばん・・・
>>558 朴李なんて使わないで下さい、エロいです。
ここからは妄想です、井沢氏の弁護ではありません。
信長は武田に流れる硝石・火薬ルートを数年がかりで封鎖、鉄砲の使用
を封じて馬が爆発音に馴れるのも妨げた。
というわけで後世、織田方だけ鉄砲を使用し武田方は大規模に使用でき
なかったという伝説が生まれた……
こんな妄説、資料調べれば一発で嘘だと分るのでしょうが我が家にそん
な便利なものはございません。
だれか長篠時の武田方の軍の編成を教えてください。
まあ、井沢氏オリジナルって自分で言ってるのはそんなに多くない気が
するんですけどどうでしょう。
怨霊はそこらへんから引っ張ってきたものってイメージありますよ、梅原
氏とか高橋克彦大先生とか。
梅原対談で源氏物語に自信があるって言ってたから、それに一縷の望
みを託したいです、粗探しおねがいしますよ末裔さん。
563 :
日本@名無史さん:01/12/05 00:06
源氏物語解釈こそは彼の歴史オンチのみならず、文学センスのなさをも
如実に示すものではあったね。
かって井沢BBSでは、流石の井沢信者達も「顕幽分離」には閉口して、
弁護に窮していたものだよ(藁
だって「言霊信仰」ってのは、言うならば「顕幽一如信仰」なんだぜ!
この辺を彼は全然理解していないんだもの支離滅裂も無理ないが。。。
564 :
武田研究家:01/12/05 00:34
いや何と言うべきか。
井沢氏は「史料批判」の意味を知らないようで。
「どの史料が信頼できるか」だけでは足りなくて、
「この史料はどのくらい信頼できるのか?」を検証しなくてはいけない。
>>555 かの『信長公記』も桶狭間合戦の年号を間違えているし、
年号を間違える事は後年に書いた史料ならよくある事だとは言えるね。
565 :
井沢狂信者:01/12/05 08:36
>>563 言霊信仰と怨霊信仰って同じもんなんですか?
俺は結構あの説に納得したものなんですけど、言霊は顕に等しく、奉書
など文筆ものは幽界のものなのでは?
一味心酔などで、連番状燃やして神さまに奉げますし。
源氏物語内の歌はあっても源氏物語を詠んだ歌は聞いたことがないで
す……と言ったりすると出てくるんだよな(苦笑
>559
信長マンせーは悪いことじゃない、寧ろ良いことなんだ。
地方の被官階級出身で半国の領土からあんなに領土広げた人、日本史
上何人いますか?
その革命的な行動理念(きっと井沢氏はここをプッシュしたいんだと思い
ます)は世界史上からみても評価できると思います。
ただ、その行動理念がどんなものなのかよく分らないのが難点ですが。
あー。
守護代を被官階級つーのもねー
567 :
チュウボウT:01/12/05 15:23
言霊信仰と怨霊信仰とは同じものとは言えないね。しかし「霊魂」と言う本来は幽界
の存在が、顕界に実影響を及ぼす(もたらす)という点では、類似した心象性がある
だろう。
つまり言霊信仰とは「言葉」という顕界の行為が、「言葉」の持つ「霊魂」という幽
界に存在する力によって、顕界の「現象」となって「実現」するという信仰なのね。
だから「言葉」は「言霊」によって顕界と幽界を結びつける霊的存在であり、その意
味で「顕幽一如」と言う原始思想から発生しているのです。この思想は当然ながら「言
葉」と同様に「文筆」にも認められるわけで、文筆による「物語(そもそもモノをカ
タルなんだけど。。。)」自体も当然に霊的存在になりうるわけです。
従って仮に「源氏物語」が賜姓源氏一族の栄華を「カタル」ものであれば、言霊信仰
的にはそれによる賜姓源氏一族の栄華の「実現」を信じる(願う)ことになる。
それでは紫式部(あるいは道長)は、その様な賜姓源氏一族の栄華の「実現」を信じ
(願う)たかと言うと、そんな事は絶対にあり得ませんよ。
つまり「源氏物語」は、その様な言霊信仰とは次元が異なる「作品」なのです。
568 :
蝦夷の末裔:01/12/05 15:27
パクリ(盗作)は言い過ぎ。申し訳なかった井沢さん。
だれだって過去の研究の積み重ねの上にいるもんな。
狂信者さん、聞きたいんは史実に反する説を唱えることに対するあなた様の考えだよ。
もしかすると井沢の唱える説を全て信じるのではないかと疑問を持っているんで。
まあくだらない興味だから答えてもらわなくてもいいんですが。
あと武田研究家さんの前で発言するのもはばかられるが、
たしか武田勝頼は長篠城攻略のために1500の鉄砲を持っていたのでは。
Yahooの井沢のところで経済を語る方は撤退したようだ。
農産物生産量と流通量を楽市楽座以前と以後で比較し、
信長の政策によって商品作物に農民が転換したことを信頼できる史料より指摘し、
さらに世界的に信長のようにやった人がいなかったことを書いていれば、
あの人の説は完璧なものになったのに。
569 :
チュウボウU:01/12/05 15:55
それでは、これとは別に「源氏物語」は、賜姓源氏一族の栄華をカタルことによって
、道真の神格化や追贈号・贈位と同様の怨霊鎮魂たりうるものだろうか?
これは全く無理と言うしかありません。なぜならば道真に対する神格化や追贈号・贈
位は顕界における具体(実体)的行為だけれど、物語には具体的対象も無ければ、具
体(実体)的行為でもありません。それ自体が顕界では起こらない絵空事として描か
れてるんだからね。(言霊信仰による実現祈願なら別問題だけれど、これは無いよね)
怨霊に対して絵空事の栄華を与えて鎮魂する等というような巫山戯た(まさに怨霊を
【虚仮】にする)行為は、怨霊信仰からまず絶対に有り得ないことなんだ。
そもそも賜姓源氏は特定の一族ですらなく、以後も天皇家から続々と生まれてくるわ
けだから、鎮魂対象などにはなり得ない。(源XXと言うような特定の具体的対象に、
具体的行為でもって怨念を鎮めるのとは根本的に異なるんだね)
この点でも「源氏物語」をもって「怨霊鎮魂行為」とするなんて出来っこないやね。
こういった一連の誤解は、彼が言霊信仰や怨霊信仰を充分理解せず、さらに「源氏物
語」を光源氏の栄華を描いたものとしてしか理解しなかったことから生じたもので、
この物語の持つ人間の光と陰(栄華と凄惨)を読みとれば、この様な浅薄な解釈には
いたらなかったと思うよ。
あなたも一度「源氏物語」をじっくり読んだ方が良いだろう。そのうえでこれが光源
氏の栄華物語であり、言霊信仰によって実現を祈願したものとか、賜姓源氏一族に絵
空事の栄華を描き出すことで、その怨霊鎮魂を図ったものだとか解釈するなら、それ
も良かろうがね!
570 :
井沢狂信者:01/12/05 18:54
チュウボウさん、説明ありがとうございます。
じゃあ、源氏は結局「最古の同人小説」って位置付けのままなんですね。
蝦夷の末裔さん、鉄砲数の詳細、教えてもらってすいません。
俺は井沢氏の説は小〜高校のころずーっと読んでて教科書と違うなあ、
と思ってました。
ここに来てみたらアンチが多くて、どこが悪いのか知りたくて色々質問し
たりしてたんです。
アンチにも色々な人たちがいて面白いし、為になります。
信長の経済政策って色々あると思いますが、農業政策の方はいかがな
ものなんでしょう。
武田の農業政策で農民を土地に縛り付けるような感じの家法があった気
がしますが、実は日本も農民の人口移動が想像以上に活発だったよう
な感じがします。
同時代のイギリスでも封建とは名ばかりで、かなりの農民の移動があり
ました。
日本でも農民が土地に必ずしも縛り付けられていたとは考えられず、だ
から富国策のひとつに農民を土地に縛り付けるというのがあったのでは
ないのでしょうか?
信長はあえてそういう移動人口を傭兵にしたっていう考え方は妄想でしょ
うか?今度資料調べてきます。
149 名前:日本@名無史さん :01/12/04 21:07
794年にアッラシード王によってイスラム帝国アッバース朝の
帝都バクダットが建設されているが、因みにその都の名は
「ダール=アッサラーム(マディーナ=アッサラーム)」(=平安の都)とよばれる。
ちなみに平安京は最初は「宇多京」と呼ばれたが、雅号の「平安楽土」の方が定着したのが真相。
572 :
日本@名無史さん:01/12/10 11:09
今週も適当にお茶を濁しておしまい。
なんなんだ、信長編ってのは・・・
武田研究家さんが、また「痛い!」と言い出しそう…
573 :
武田研究家:01/12/10 23:42
いや〜結局オチはあれだけ? 完? なんだかね〜痛いね〜
信長は本願寺や延暦寺を含む寺社勢力が武力を持つことも経済力を持つことも
嫌がった、そーゆー事を主張したいらしいね、井沢氏は。
もし律令制が崩壊してなかったら寺社ってのは国から金が出て思う存分布教や
研究ができただろうね。まあそれだと信長の出番ないけど(笑)
律令制が崩壊して寺社に対する国の保護が無くなった。
寺社は自分達で食っていかなきゃならなくなった。
そのために荘園を持ち、境内には町を発展させた。
その結果できたのが「座」であり「楽市」である。
延暦寺などの旧仏教が「座」を中心に据えて経済支配を固めて行く。
そうすると新仏教である浄土真宗あたりが「楽市」という独自の経済圏を
作って対抗する。
また荘園を持てば境目争いも起こるし、経済力を持てば権益争いも起こる。
だから武力を持つ。寺社が軍事力や経済力を蓄えるってのは世俗の世界に
一勢力として生き残ろうとするなら当然必要な事だった。
寺なんだからお経だけ唱えてろってのはあの時代には無理な話で、
そんなことをしていたら三日と生きて行けない。
何しろ朝廷は全体社会における調停役としての能力を失っていたし、
戦国時代以前の武士は武士同士の争いでなければ関わろうとしなかった。
朝廷すら貧乏なのに寺社が金持ちってのは寺社が日本の誰よりも早く
「商業」から上がる利益に目を付けたからに他ならない。
「座」や「楽市」はその現れ。信長のはコピーに過ぎない。
信長も含めて武士である大名が商業に目を付けたのは戦国時代から。
寺社は平安・鎌倉の頃にはもうやっていた。
信長は座の特権を保証したわけだけれども、比叡山を焼いて座は保証するって
ことはあの辺りの座の握っていた比叡山延暦寺の経済的特権を信長が
全て「いただいた」って事になる。
本願寺は大坂周辺に推定五万石ほどの寺領と本願寺寺内町の楽市を含め
かなりの経済力を持っていた。
十一年の戦いの末に本願寺が追い出されたってことはこれも全て信長の
ものになったことになる。
信長は他の大名と戦うのと同じように寺社とも戦ってその全てを頂戴したとは
言えるだろう。武士は武士と戦うものだという固定観念を破壊したのだとは
言える。だがこれも信長オリジナルというより戦国時代の風潮である。
例えば天文法華の乱だが、井沢氏に言わせれば延暦寺の僧兵が京の法華宗を
追い出した戦いってことになるが、実は違う。
山科本願寺を追い出して京の町衆の実権は法華宗の手に渡った。
すると法華宗は町衆を煽動して地子銭の不払い運動などを始めた。
これで困るのは幕府であり実験を握る細川氏であった。
だが単独では兵力が足りなかったので六角氏に応援を頼み、また法華宗と
対立していた延暦寺にも誘いをかけた。つまりは武士主導であり、
武士対法華宗なのである。
私は戦国時代とは武士も寺社も含めたあらゆる勢力が争い、結果、
全ての実権が武士に帰着した時代だと考えている。
信長は公明正大だから寺社の横暴に我慢ならなかったなどという綺麗事は
ウンザリである。それならば信長も横暴そのものということになる。
「武士は大人しく農地にしがみついていろ。経済は我々に任せておけ」
寺社はこう思ったのではなかろうか。
結局の所、安土宗論が真実でも八百長でも結論が「アレ」では
私は納得のしようがないのである。
(完)
574 :
日本@名無史さん:01/12/11 00:34
えーと、とにかく井沢には、「朝日新聞」を批判する前に、かつて自分が
五島勉の予言書に推薦文を書いた過去を、反省してもらいたいですな。
575 :
井沢大先生ファン:01/12/11 10:47
井沢大先生が五島デムパの推薦文を書いて金を稼いで何処が悪いのですか?
そんなことでイチイチ反省するようならデムパ稼業はやってられません。
「人の振りみて、我が振り直さず」「我が辞書に反省の二文字はない」
「デムパは出し得、信じる奴が馬鹿」
みんなで偉大なるデムパ発信者、井沢大先生を応援しょう!
576 :
蝦夷の末裔:01/12/11 14:34
寺社勢力と対立したことが、
信長最大の戦略ミスということを井沢さん語ってくれるといいけど。
本願寺は自前の勢力こそ少ないため戦術的には苦戦したが、
各地の門徒を扇動して戦略的には「信長包囲網」で外部から締め上げる形になっていた。
武田信玄とは違った形で、信長の最大の敵であったといえる。
対立することで信長は好んで敵を増やしたことになったのだから誉められたことではない。
勅命の講和で「勝った」ものの、世間の信長評価は決してよくなかったとか。
(対立の理由は座の権益にあったのか。武田研究家さんありがとうございました)
俺は石山本願寺10年戦争の後半、鉄甲船による海上封鎖を強調するのではと恐れる。
話の種にはちょうどいい材料だからね。
鉄船の海軍掛け声はよかったけど、実質的な働きってどんなものだったんでしょう。
俺はあんまり高く評価しませんが。
577 :
日本@名無史さん:01/12/11 17:42
遅レス
>>別工房さま
>「気鋭の作家、井沢元彦の歴史の真実に迫る推理!」
>・・・てことは推理小説だったのか?
そういうことです。でもそれでいい。
歴史とエンターテイメントを融合することに成功したのです。
それだけでも井沢の存在価値はでかい。
だってあれだけ論文売ってる学者なんていないよ。
578 :
日本@名無史さん:01/12/11 18:38
歴史とエンターテイメントを融合することに成功したのは、山岡・海音寺
・司馬さん達でしょう。彼等は「小説」として歴史を描いているから正に
二つを融合し、エンターテイメントとして成功している。
井沢は歴史とエンターテイメントを混同させ、そのどちらにも成功してい
ないばかりか歴史に関する素人を狂信者に仕立て上げているんだ。
この罪はでかいんじゃないのかい?
579 :
日本@名無史さん:01/12/11 20:06
そうだね。井沢がまるで学説かのように発表していて、
しかも一般向けだから、かなり社会に浸透しているよね。
「史料にないことを断定できない」と歴史学者を
否定しているのはあきれる以上に怒りがこみあげる。
580 :
日本@名無史さん:01/12/11 20:10
>>578 狂信者といえば、2mやYahooののーとるだむは末期ガン状態。
ここの狂信者殿はいいとしても
まあ、エンターテイメントってのは漠然としてたかな。
だったらミステリーと歴史を融合させたていうことで。
でも、「どちらでも成功していない」とは言えないでしょう?
だって売れてるんだから。
>しかも一般向けだから、かなり社会に浸透しているよね。
歴史という一般の嗜好からいえばローカルな分野で、
これだけ世間、素人を巻き込めてしまうってこと自体凄い。
やっぱりねえ、なんだかんだいってこれは重要なことですよ。
一般書籍として発売している以上、人を説得したいわけだから。
小林よしのりと同じですよ。
582 :
日本@名無史さん:01/12/12 00:35
>>581 悪貨は良貨を駆逐する
だな
ゴミばかりが溢れかえる
583 :
武田研究家:01/12/12 00:57
>蝦夷の末裔さん
>(対立の理由は座の権益にあったのか。武田研究家さんありがとうございました)
延暦寺は座を持ってますが、本願寺は座ではなくて楽市経済圏とも呼ぶべき
独自の経済力を築いていまして、信長は結果としてそれをいただいたわけですね。
ただ対立の「理由」となると難しいですね。
信長は寺社に対して「屈服するか戦うか」という選択肢を突きつけるわけですが
本願寺に対しては元亀元年に戦い始めた当初は、まだそれをやっていなかったと
思われるんですね。むしろ矢銭の徴収に本願寺が応じたので屈服したものだと
考えていたんじゃないかと思うんです。
元亀元年の野田・福島への包囲は本願寺の周辺に何箇所も布陣する形と
なっていましたから、それが本願寺を包囲しているように顕如には
感じられたのかもしれません。
あるいは布陣した場所の中に本願寺の寺領が含まれていたという可能性も
あり、それが本願寺への敵対行為とみなされた可能性もあります。
他にも関係の深かった三好氏への同盟にも近い関係を重視してとか
本当に信長が本願寺の破却を申しつけたんじゃないかとか
色々可能性はありますが、信長の思惑は「寺社からの経済力の奪取」に
あったにせよ、「対立の原因」はまだよく分かっていないってのが
現在の状況ですね。
(おまけ)
司馬氏がイカンのは、「小説家としての自分」と「歴史を語る自分」とを
分けなかったことでしょうね。
あと「原体験」と称していた「戦車にヤスリを当てたら削れた。こりゃ勝てないと
思った」てのがなかなか痛いですかね。
いつも短命スレに終わってた井沢スレがこうも長続きするとは・・・
往時の寂しさを思うと感無量であります。
斯く申す私は、part1の初期に懸命に自作自演で頑張りました。
そして、公式HPにコピペして旋風を巻き起こしたのです。
その結果、公式HPはヘンな方向に逝っちゃいましたが
私は別に怨霊の祟りを受けることもなく、平穏な日々をおくっております。
585 :
名無しさん2001 ◆RJTXcpFI :01/12/12 01:57
面白いので読んでる
586 :
日本@名無史さん:01/12/12 01:57
日本史板ローカルルールを制定します。
意見のある人はスレに書き込んで下さい。
意見を言わない場合、ローカルルール申請後に
「勝手に決めるな」と異を唱えるのはご容赦下さい。
一応各スレを回ってローカルルール導入への同意を
求めています。
現在、書き込み人数が少なくて決め手に欠ける状態です。
今回こそはきっちりしたルールを明文化して、無軌道な
書き込みを規制しましょう。
587 :
日本@名無史さん:01/12/12 11:50
588 :
井沢狂信者:01/12/12 14:39
>>587 どんな戦車でも表面ぐらいは削れるでしょ?
まあ、日本軍は戦車ショボかったって言うけど……
>>582 良貨な人ってどんな人がいますか?
中国史の学者みたいに有名な人がパッと出てこないんで。
589 :
日本@名無史さん:01/12/12 14:53
>>588 削れるでしょ?ってきかれてもねぇ。
削ったことないしぃ。
痛いと評した武田研究家さんはきっと削ったことあるんでしょうねぇ。
すっご〜いぃ。
590 :
井沢狂信者:01/12/12 15:54
>>589 戦時中の日本軍の戦車は軟らかかったと聞いたことがあります。
銃弾が簡単に貫通したとか。
表面ぐらいならヤスリで削れるでしょ、鋼鉄も。
包丁が砥げなくなっちゃいますよ。
591 :
日本@名無史さん:01/12/12 16:20
592 :
日本@名無史さん:01/12/12 17:22
>>590 大戦末期に製造された戦車は鋼板の質が悪くなり、本来はヤスリ程度で
は削れないはずが簡単に削れたので、司馬氏はショックを受けたって話
でしょう?(つまり初期の戦車ならば削れない堅さを持ってたんです)
こういった話は祖父からも聞いたけど、実際に恰好ばかりで実戦に使え
ない兵器を支給されて、敗戦必至と感じたと言う話でしたよ。
漏れもこの話の何処が痛いのか良く分からないけど。。。?
593 :
蝦夷の末裔:01/12/12 17:55
武田研究家さん、失礼しました。早とちりしてしまったようです。
でもさらにまた詳細の解説ありがとうございました。
m.a.gさん、ここを見ていると思われるからレス。
源平編における金色堂と敵対勢力の怨霊封じの話だけど、
「義経記」に佐藤忠信の首や義経と静の子を義朝の菩提寺に葬ったという話がある。
平氏や木曾義仲のことはしらんが、すくなくとも墓を暴いた話も聞かないからいいとしようや。
俺が不満なのは、頼朝の行動を将門と較べて「堂々としていない」と表現することね。
頼朝と将門では、挙兵し関東の独立性を訴えたという共通点は置いても、
根本的な問題が二人の間で相違しているから頼朝には「堂々と」出来ないのさ。
井沢さんはそこを考察してから源平編を書いて欲しかったな。
源平編の藤原氏の章で、「実は」と次に来る文章をやたら強調しているが、
別に「実は」ともったいつけるようなことじゃない。
594 :
井沢狂信者:01/12/12 19:04
>>592 日本陸軍は戦車はおざなりなイメージがあるけど、初期の戦車そんなに
金かけていたんですか。
ただ、日本軍の戦車の中に鉛で出来てたのもあったって聞いたことがあ
るけどデマかな?
軍事板行ってこよ。
595 :
日本@名無史さん:01/12/12 21:20
鉛で出来た戦車。。。バッカじゃないの? 確かに日本陸軍は戦車を重視して
いなかったけど、初期の戦車は西欧の軽戦車に比べても然程遜色がないレベル
だったよ。銃弾が貫通するなんて一体どこで聞いてきたの?
596 :
武田研究家:01/12/12 23:27
>>587 そもそも戦車はヤスリで削れるんですよ。
これは日本の戦車もアメリカの戦車も同じ。
ヤスリで削れないような鉄板、例えば南部鉄器みたいなもので
戦車を作ったら砲弾が当たった衝撃で「割れて」しまいます。
「硬いが脆い」のパターンですね。
旧日本軍の戦車が脆弱なのは単純に装甲が薄いからです。
ヤスリで削れるかどうかは基準としては不適当。
こういう本質から一歩半ぐらいずれた所に結論を求めてしまうあたりが
歴史家としての司馬氏の痛さかもしれません。
597 :
日本@名無史さん:01/12/12 23:31
>596
装甲についてだけど・・・それマジで言ってんの?
598 :
日本@名無史さん :01/12/12 23:38
>>596 本当に武田研究家さん?また腐儒のなりすましかな〜?(w
>>596 軍事板にコピペしてきたからな。
まあ、楽しみに待て。
600 :
日本@名無史さん:01/12/13 00:23
一般論としては正しいんじゃないか?
※ 55がこのスレの596です。
56 名前:>55 :01/12/12 23:44
そうっすよ。
司馬遼太郎が正しいとも思っているの?
58 名前:巨大ネコ :01/12/12 23:51
>>55 学研の歴史群像シリーズに書いてあったです↓。。。。。
九七式の装甲は硬度を高めた表面浸炭鋼で、三式の装甲は粘りのある均質
圧延鋼。性質が違い、一様に比較はできない。ドイツのパンテルも表面浸
炭鋼だが、命中の衝撃で装甲が割れるケースが時折あった。やすりで削れ
ても、装甲が厚くなければ徹甲弾への抗堪性は均質圧延鋼のほうが高いのだ。
59 名前:名無し三等兵 :01/12/12 23:52
>>55 弾丸の形と装甲版の質の変遷、といったこともあるんだけどね。
60 名前:ごっぐ ◆Cs6PCFec :01/12/13 00:07
>>55 司馬氏の記述はイタタかもしれんが、戦車はみんなヤスリで削れるというのも同レベルの
嘘だといっていい。『硬いものは脆いから装甲に不適』と単純に言い切るのも良くない。
ドイツの戦車には装甲表面を熱処理で硬化した物も多かった。パンサーなんかはそうだ。
この辺の装甲を『衝撃で割る』のはかなり大変。
写真で見た感じだと、割れてるのは元々余り厚くない砲塔側面/車体側面とかが多いな。
しかも複数命中弾がある場合。
とか長々書いてたら出遅れてるな俺。リロードしたがこのまま行っちゃえ。
ちなみに軍艦の装甲も物によってはそうだよ。タガネをも跳ね返す戦艦「金剛」の鋼鈑
(英国製)とか。
602 :
日本@名無史さん:01/12/13 14:00
のーとるだむ=腐儒ってなりすましするんですか?
>>593 わかりました。でも義経の北行伝説もほんとに怨霊信仰?
603 :
名無しさん脚:01/12/13 15:55
>鉄船の海軍掛け声はよかったけど、実質的な働きってどんなものだったんでしょう。
局地戦兵器としては非常に有効であったと思われ。
基本的に海戦では性能差が非常に大きいよ。
後に亀甲船に日本軍が大敗したのも同じこと。
604 :
蝦夷の末裔:01/12/13 16:10
>>603 なるほど。局地戦では強いでしょうね。
海上封鎖まではさすがにどうかとも思いますが。
レスありがとうございます。
605 :
井沢狂信者:01/12/13 16:45
>>595 ウロ覚えですいません、聞き間違いだったかもしれませんが軍事好きな
中学時代の友人から。
腐儒ってどんなひとなんですか?
なりすましって一体……?
>>602 義経の北行伝説は、単なる庶民の悲劇的英雄に対する同情からでたもの
で、絶対に怨霊信仰ではありませんYO。
だって、怨霊信仰ならば先ず怨霊を畏怖する当事者の鎌倉幕府(この場
合は頼朝)が行うべきものですが、北行伝説に幕府が絡んだ形跡は一切
認められませんYONE。
一方この伝説を生み出した庶民が義経の怨霊を畏怖したり、怨霊鎮魂を
する理由も全くありません。(義経が一般庶民に祟りますか?)
道真の怨霊鎮魂(天神信仰)が庶民の間に広まったのも、本来の怨霊鎮
魂であることを脱して、学問成就に変容してからのことYO。。
仮に井沢が義経伝説を怨霊信仰と考えているのならば、彼は怨霊信仰と
いうものを全く理解してないと言うしかないNE。
607 :
蝦夷の末裔:01/12/13 17:55
>>606 Yahooでも602さんが書いていますが、どう考えても怨霊じゃないでしょう。
井沢さんは引き分けのことまで怨霊と関連させているのも痛いね。
ドローは日本だけに限ったことでもあるまい。まあこれは井沢さんの筆が滑ったんだろうが。
しかし義経の伝説を怨霊信仰にしてしまったのはいただけない。
608 :
名無しさん脚:01/12/13 20:12
『逆説の日本史』の新刊を読んだよ。
既出だけど、軍馬が鉄砲で驚くなんて....
疑問に思ったのは、編集者のチェックが入んないのか?という点。
609 :
井沢狂信者:01/12/13 20:45
5巻で騎馬軍団は存在しなかったみたいに言ってたのに……。
なぜか9巻で再結成、「逆説」最大のミステリー。
でも我が南部家には結構大規模な騎兵部隊があった気がする、三千騎
だったかな?
だから騎馬軍団が必ずしも虚構とは限らないが……これはキツイです。
あれ。。。ドローは怨霊と関係するの?
確か井沢はドローが生じることの少ない「将棋」を「チェス」より日本的で
優れているって言ってたような(ww
611 :
日本@名無史さん:01/12/13 21:16
>>606 いや、井沢はあなたが言っている内容を「怨霊信仰が変質した」
として、主張しているのです。
だから、井沢説に反対するのであれば、
「義経伝説は、決して怨霊信仰が変質したのではなくて、元々怨霊
信仰ですら無かったのである」
という事を、論理立てて主張すべきでしょう。
例えば・・
>道真の怨霊鎮魂(天神信仰)が庶民の間に広まったのも、本来の怨霊鎮
魂であることを脱して、学問成就に変容してからのことYO。。
これは「怨霊鎮魂から脱して」と言わず、「怨霊信仰が変質した」と
表現しても、あながち間違いでは無いと思うがどうでしょうか?
>義経が一般庶民に祟りますか?
菅原道真は、雷神となって「祟って」います(と考えられています)
怨霊が、疫病、天変地異の形で祟るのは、十分庶民の迷惑です。怨霊が庶民
に関係無いというのは誤りです。
612 :
井沢狂信者:01/12/13 21:18
怨霊ていうか生霊のことかな、源氏物語の六条さんみたいな感じ。
613 :
日本@名無史さん:01/12/13 21:30
>>608 >既出だけど、軍馬が鉄砲で驚くなんて....
それ自体は、決して誤りでは無いでしょう。問題は、そんな
程度の事が、長篠の合戦の勝敗を分けた決定的原因になったか
どうかでしょう。
「信長の3段鉄砲戦術が、武田騎馬軍団を破ったという従来の説」
に対する反論は、他の学者、歴史小説家からも、飽きるくらいに
なされています。そんな中で、「馬が鉄砲の音に驚いたから」と
いう井沢説は、一番しょーもないものと、言わざるを得ないでしょう。
馬が驚いたくらいで、武田の壊滅的敗北の理由になるのか?
せいぜい、武田軍の中の、騎馬部隊の突撃が、阻害されたという程度
の事です。武田騎馬軍団といっても、せいぜい騎馬の比率が他家より
少々高い程度・・というのは、井沢自身も述べている事。足軽は
構わず突撃可能でしょうし、織田軍が勝利するには、突撃を阻止
するだけでなく、逆に突撃して、武田軍を追撃しないといけない。
つまり、井沢の「馬が鉄砲で驚いた」というのは、事実としても
長篠の合戦の勝敗を分けた理由にはなり得ないし、わざわざ否定
する事すら無いという事でしょうね。
614 :
日本@名無史さん:01/12/13 21:37
今週のポストで井沢は、
「信長は、寺社勢力が武力を持つ事を否定しているだけで、
信仰までは否定していない。顕如はもっと早く信長に降伏すべき
であった。」
と主張している。それはあながち間違いではないと、私も思う。
しかし、「間違いではない」から「正しい」とは言えない。
言ってみればそれは、
「武田家は、さっさと信長に降伏すべきであった。であれば、
江戸時代も大名として生き残れたであろう」
という主張が、「間違いではない」のと、同じ事。
寺も神社も、他の戦国大名も、みんなさっさと信長に降伏
すれば、日本は安泰だったに決まっている。しかしそんな事を
真面目に主張する歴史家は、相手にされる事は無いだろう。
615 :
日本@名無史さん:01/12/13 23:55
>>614 なんか左翼学者が「日本は早くアメリカに降伏したら良かった」と言ってるのと同じですね。
確か井沢さんはその事を批判してたはずなんですが?
・・・やっぱり井沢さんは信長のことになるとダメダメですね。
痘痕もえくぼに見えるということかな。
616 :
名無しさん脚:01/12/14 00:07
>それ自体は、決して誤りでは無いでしょう。
訓練された軍馬は鉄砲の音くらいでは驚かないっす。
驚いていたら馬上筒なんて撃てないでしょう。
第二次世界大戦でも騎兵は実戦に投入されていたのに....
武田騎馬隊がその程度の訓練ができなかったという推論に驚いたのです。
元寇の頃だとわかるんですがね.....
>>611 義経北行伝説がもともと怨霊信仰でないことは、義経の怨霊を最も畏怖すべき
鎌倉幕府(頼朝)が、この伝説発祥に関係していないことで充分理解できるん
じゃないのかな?
そもそも怨霊信仰というのは、怨霊の祟りを避けるために怨霊を鎮魂するとこ
ろにあるんだろ? その場合に祟りの対象は加害者なんだから加害者が最も切
実に鎮魂を行わねばならない(分かるでしょう)。またその鎮魂行為は怨霊の
怒りをしずめるものでなければならない(当然だね)。
それでは、仮に鎌倉幕府が「義経が衣川で非業の最期を遂げずに北行して生き
延びた」と言う伝説を流布したとして、義経の怨念は鎮まるだろうか?
実際に義経が衣川で怨念を残して死亡したのに、その事実を誤魔化して北行生
存したという伝説を流布したとしたら、これほど怨霊を虚仮にする行為はない
と言えるだろう。義経の怨念を鎮めるどころか、ワザワザ火をつけるようなも
のじゃないか?(あんたならそれに納得して怒りを鎮めるかい?)
一方、実際に義経が衣川を脱出し北行生存したとして、何処か辺境で朽ち果て
たとした場合、その事実を流布してもらった義経は怨念を鎮めるのかい?
いずれにしても、鎌倉幕府にとって義経が怨霊になることを畏怖し、その祟り
を回避するための鎮魂行為として、北行伝説に一体何の効果があると言うんだ
ろうか? あんた理論的に説明できるかい?
618 :
武田研究家:01/12/14 02:28
いやこの前は表現が極端に過ぎましたな。
「ヤスリで削れたからといってその戦車が弱い証拠にはならない」
ぐらいにしておきますか。
つーかヤフー掲示板で苦戦中です(笑)
>>617 今回もあなたが言った事も、井沢はちゃんと承知している事。
その上で、井沢は義経伝説は、怨霊信仰だと言っている。
別に私は、井沢に肩入れしている訳ではない。井沢の言っている
事をしっかり把握して、適切な反論を述べろと言っているんだ。
>>619 ふ〜ん。じゃああんた自身が義経の立場に立って考えて見てよ、
その上で「事実と相違して(或いは事実としてでも良いけど)衣川から
脱出して生き延びた」と言いふらされることで、鎌倉(頼朝)に対する
怨念が鎮まるかどうか考えて見てよ!どうだい少しは怨念が鎮まったかい?
どう考えても怨念が(あったとしたらだよ)鎮まるわきゃあないだろが?
怨霊信仰ってのは、
@怨念を残して非業の最期を遂げた者は怨霊になりうると信じること。
A怨霊となった者は現世(特に加害者に)に祟りをなすと信じること。
Bその祟りは効果的な鎮魂行為(神霊化・名誉授与・子孫祭祀等)を行
うことで回避出来ると信じること。
にあるんだぜ(違うかい?)!
井沢が義経生存伝説と義経怨霊【鎮魂効果】をどう結びつけてるのか、
あんた自身が理解する範囲で理論づけて見なよ。とても出来るたあ思え
んがね。
念のためにもう一度言っとくけど、怨霊が祟り(復讐)の矛先を向ける
のは、あくまで怨念を生ぜしめた人間(一族)に対してだ。だから祟り
を恐れて鎮魂行為を行うのも先ず加害者でなけりゃあならない。
ただそれが道真のように火雷(天神)となって天変地異を巻き起こす事
になれば、庶民もトバッチリを受けることになるので、庶民も加害者が
行う鎮魂行為に同調するということだよ。
だから、肝心要の加害者が鎮魂行為を行わなければ怨霊の祟りは防げな
い。庶民が義経への同情心から
非業の最期を遂げさせたくない。。。
遂げずに逃避したと信じたい。。。
伝説を作り上げて逃避したこととする。。。
ってのは怨霊信仰とは言えないんだ。井沢はこれも怨霊信仰の変形だと
言いたいんだろうけど、これは秀頼の南行伝説と同様に祟りを避ける為
の鎮魂行為じゃあない。
ただ井沢が怨霊信仰の定義を変えて、死者を悼みその平安を願う全ての
行為を怨霊信仰だと言うなら話は別だ。。。我々は先祖の墓や慰霊碑に
向かって合掌する。そういった死者の霊安を願う行為と怨霊鎮魂行為を
混同したんでは支離滅裂になっちまうんだよね。
622 :
蝦夷の末裔:01/12/14 14:43
井沢さんは「死ななきゃ怨霊にはならん」と書いている。
だから義経は死んでいないことにする、これが義経伝説の始まりだそうだ。
611さん、俺はこのように受け止めたんですが、良いですか?
でも本当に義経の怨霊を、鎌倉は恐れていたんですか?
質問ですが、平泉から届けられた首の行方を、語ってもらえますでしょうか。
後三年の役のあと、義家は清原一族の首をサッカーボールのように蹴って棄てた。
清原の怨霊で義家が狂死したという噂があるくらいだから、
その子孫であり怨霊を恐れる頼朝が、義経の首を手厚く葬るはず…?
中坊さん、怨霊信仰やその元となった悪神崇拝は現世全般に祟りをな
すものです。
彼らは鎮魂しないと、気持ちよくなってもらわないとこの世に天変地異を
おこしちゃいますが鎮魂さえすれば大人しくなると考えられていました。
これは殷王朝の主流民族、沿海族がアジア各国に広めたらしい(電波)
と推測されてます、彼らも姓のない民族だったそうです。
で義経ですが、鎌倉殿には祟らなかった……けれども庶民にとっては
据わりが悪かった、不自然だったから、義経は行方不明ってことにして
庶民たちが自己完結したってことでしょうが、そこら辺は解釈次第ですね。
早い話が、怨霊鎮魂とも言えるし同情心とも言えるってことです。
なんかずーっと平行線辿りそうな議論だなあ。
怨霊信仰って百人いたら百とおりの信仰の仕方がある気がします。
624 :
日本@名無史さん:01/12/14 17:47
ところで鎌倉時代の庶民はチンギス・ハーンなんて知らないでしょ。
625 :
日本@名無史さん:01/12/14 17:52
横レス。
北条政子の夢枕に立ったのは、果たして藤原泰衡だったのか、義経だったのか・・・?
>>622 >「死ななきゃ怨霊にはならん」。。。だから義経は死んでいないことにする、これ
>が義経伝説の始まりだそうだ。
井沢がこういう説明をしてるとしたら、もう何をかいわんやですな(WWW
死んだか死んでないか(殺されたか活き延びたか)を一番良く知ってるのは、世間じ
ゃなく他ならぬ義経自身ですよ。まさか井沢は、
義経は実際は死んだ(殺された)のに世間が死んでないと言ってるから、俺は死んで
ないのかも知れない。。。だから怨念を持っていても【怨霊】になっちゃいけないと
思うだろう。。。それが怨霊防止策だなんて思っちゃあいないでしょうね?
もしそうなら、こりゃお笑いぐさにもなりゃあしない(けど笑っちゃうWWW
>>623 悪いけど「怨霊信仰=通常は【御霊信仰】と呼ぶ」には、社会学的用語
として特定の概念があるんだよ。これを各人各様に定義したのでは学問
的議論なんて成立しっこないじゃん。
死者を悼みその霊安を願う心理は、ネアンデルタール人も既に持ってい
たと言う説があるくらいで、人類共通の(宗教的)心理なんだよね。
井沢は、その慰霊鎮魂(信仰)と怨霊鎮魂(信仰)をゴッチャにしてる
んじゃないの?
少なくとも怨霊信仰と言う限り、死者の復讐(祟り)を畏怖し、それを
防ぐ(回避)するための行為と定義しなければ、その本質は見えてこな
いし、社会学的議論にゃならないよ!
628 :
井沢狂信者:01/12/14 18:48
>>626 これは庶民の信仰の問題でしょ?
アステカの太陽神が「生贄の心臓無いと、僕死んじゃう」と言ったわけじゃ
なくて、アステカの人々が自分たちの信仰心から自発的に生贄を捧げた
んだからさ。
井沢氏が怨霊信仰を知らないんじゃなくて、怨霊信仰を知っている奴が
ほとんどいないから、ここでこんな議論がおきてるんだろうが。
……ってすいません、俺も知らないです。
今日、金枝篇を買おうと思ったら4600円!
誰か読んだ人います?
>>622 私に振られても困るが・・
>でも本当に義経の怨霊を、鎌倉は恐れていたんですか?
鎌倉は全く恐れていない。「怨霊」というのは無実の罪で死んだ者
がなるものだから、立派に叛逆した者を征伐しても、怨霊にはならない。
なおかつ、武士は公家と違い、人殺しは日常茶飯事だから、それほど
怨霊を恐れていない。
でも、義経が罪無くして殺されたと誤解(判官ひいき)している民衆
は、そうではない。怨霊も武士とは違って、かなり恐れている。そこで
新しい形の怨霊信仰が生まれた・・・と、井沢は言っている。
(私の考えでもないし、賛成している訳でもない。念のため)
>>627 >悪いけど「怨霊信仰=通常は【御霊信仰】と呼ぶ」には、社会学的用語
として特定の概念があるんだよ。これを各人各様に定義したのでは学問
的議論なんて成立しっこないじゃん。
逃げるなよ(藁
どうして井沢は、従来の社会学用語とは異なるものを「怨霊信仰」と
定義しているのか? その定義する過程に、何か問題は無いのか?
それを論じれば、立派な「議論」になるだろうに。
それをあんたのほうから、「議論にならない」と言ってどうするの?
議論する必要が無いじゃない。
「井沢の言う『怨霊信仰』は、従来の社会学的用語の怨霊信仰とは
異なるのだ」
この一言で済む話。
そしてその事を井沢が聞いたら、
「そうだよ。私はあえてそうしているのだ」
と返答するだろうね。
つまるところ「中坊」は、井沢とは全く違う事を話しているので
あって、そもそも井沢説の批判をしていないという事だね。
・・やれやれ。井沢説への反論として、面白い話が聞けると思ったが、
これでは期待外れだ。
>>623 >怨霊信仰って百人いたら百とおりの信仰の仕方がある気がします。
その通り。だからどの怨霊信仰が正しいかなどと言ったら、議論には
ならない。(それに気付いた中坊は、逃げだした訳だよ。)
議論すべきは、義経北行伝説は、本当に「従来の怨霊信仰の変質」に
よるものか? それとも違うものなのか?
(怨霊信仰とは違うものであっても)、庶民が義経の怨霊を恐れたから
なのか、それとも全く違う面で伝説が生じたのか? それだろう。
「まぎれもなく怨霊信仰が変質したものだ」
「いや、ここまで変質したら、怨霊信仰とは呼べない」
などというのは、議論する意味が無い。単に言葉の定義の問題なんだ
から。
>>623 例えば、井沢が怨霊信仰を「死者を畏怖し、慰霊し、同情して行う全て
の鎮魂行為」と定義したなら、とうぜん義経北行伝説は怨霊信仰になる
だろうね。
それと同時に先祖の墓参りや、神戸地震災害の慰霊や、あるいはニュー
ヨーク・テロ犠牲者の慰霊すらも怨霊信仰になる(www
これは仮に井沢が動物の定義として「生命活動を行う全ての有機体」と
した場合、草木も動物であると言うようなもので、生物学の議論になら
ないようなもんじゃないかな?
>>629 じゃあアンタにお尋ねするけど、アンタの理解する井沢の「怨霊信仰」
の定義って何なの?
中坊の理解する限りじゃあ、人類共通の慰霊鎮魂(信仰)のような気が
するんだけどね。
>>631 死んだ霊が祟りをなす恐れがあるので、鎮魂する。これをみんな、
「怨霊信仰」と呼んでいるんだろうね。井沢は。
ただし井沢は、怨霊となるのは、「恨みを飲んで死んだ者の霊」
であって、「高貴な者の霊」であるのが、条件であるという説を
述べている。
つまり、一般庶民とか、誰かに恨みを抱かずに死んだ者は、井沢
説では、怨霊にはならないという事だ。
義経については、この井沢の怨霊の定義に、何ら反していない。
>中坊の理解する限りじゃあ、人類共通の慰霊鎮魂(信仰)のような気が
するんだけどね。
つまりこれは、あんたの理解不足。もっと井沢説を研究して、反論しな。
ちなみに「人類共通の慰霊鎮魂」なんて、存在しないだろうが。
仏教においては、「霊」などという概念は本来存在しない。
でも、中国においては、かつては「怨霊信仰」が存在し、それが
日本の怨霊信仰の元になった「プレ怨霊信仰」であると、井沢は
言っている。
633 :
井沢狂信者:01/12/14 21:14
>>630 久しぶりに強い電波出しますよ。
俺は岩手県民ですけど、義経北行伝説って皆さん思われるほどメジャー
じゃないです。
点々と足跡(と言われるもの)が残っていて北海道までそれが続いている
という感じです。
どちらかというと「安倍の御曹司、沿海州まで行く」(題は適当、今昔物語
集より)の派生型説話の一種だと思っています。
貞任が家族を安全な場所に置くために北へ北へと航海していくと海のよ
うに広い河に辿り着き、その河は何処まで行っても続いていたから仕方
なく平泉に帰ったというもの。
ここで重要なのが安倍貞任が帰ってきてることと、今昔物語集に載って
いることです。
これは実話じゃないと思いますが(実際は北海道の石狩川を遡っただけ
らしい)、当時の(鎌倉〜室町)上方では奥州の王の勢力がこれくらいだ
と考えられていたいい資料だと思います。
源平合戦時に京で熱烈な歓迎を受けた義経、その非業の死。
奥州の人間は決して義経を怨霊にしたくないと思ったわけではありません。
義経を怨霊にしたくないと思ったのは上方の人間たちです。
つまり怨霊信仰の信者がもっとも多かった地域なのです。
「頼朝の野郎、祟られたらどうするんだ!この野郎!藤原氏を鎮魂する
なら判官さまのことも鎮魂してくれよ。」
鎌倉殿と庶民意識の温度差がここで発生。
しかし庶民にできる怨霊鎮魂方法ってなにかあるだろうか?
ここで彼らの自己防衛機能がはたらいて、貞任説話を換骨奪胎して義
経不死説話が生まれたわけです。
すなわち、東北に残る義経の足跡の多くは義経には関係ないわけです。
義経の身分の中途半端さが生んだロマンチックな逃避行ですな。
634 :
日本@名無史さん:01/12/14 21:24
>>629 井沢せんせと違って優れた説明ですね。でも、
>叛逆した者を征伐しても、怨霊にはならない。
反逆というのは、鎌倉に対するものでしょう。民衆に対するものではないでしょう。
あなたの書き方では、義経の無実はいいとしても、征伐したのが民衆であったようになっています。
井沢せんせは、泰衡のところで、怨霊が止まるとか止まらないとか書いています。
頼朝…泰衡でもいいですが…が殺したのだから、怨霊はそこで止まるのではないでしょうか。
民衆が殺したのじゃないから、民衆が恐れる理由にはなりませんが。
>>634 道真も民衆が殺したんじゃないじゃん.
でもその煽りを受けるのは民衆も.
ようは民衆が,義経が反逆して死んだと思ったか
無実の罪で死んだと思ったか.
>>634 ・・私は中坊の井沢に対する反論が問題であると思っている訳で、
決して井沢説を信じている訳ではない。むしろ、井沢説に対する
的確な反論が聞ければ面白いと思っている立場なんんだが。
書き方が悪かったのはすまないが、これについては633、635の言う
通り(正しいという事でなくて、井沢がこう言っているという事)
泰衡と義経の違いについてだが、ふたりとも怨霊として頼朝に祟る
訳はない、というのは、頼朝自身の考えとしては共通している。どちら
とも反逆者であり、実行犯を殺しているのだから。
でも、民衆はそうは思わない。泰衡が死んだのは自業自得だが、
義経は無実の罪で死んだと思っているから、後者は怨霊になる恐れが
ある。現に泰衡は義経の祟りで死んでいる。と、いう事であろう。
ま、これも井沢説が正しいと解釈しての判断。誰か、中坊と違って、
的確な反論のできる奴はいないか?
637 :
日本@名無史さん:01/12/15 00:22
頼家や実朝はほとんど無実の罪だろ。
北条氏が田舎侍で怨霊思想に染まってないにしろ
大江広元あたりがなんか言いそうな気がするがな。
しかも泰衡や義経は鎌倉殿にくらべて格下もしくは
同格だけど、頼家や実朝は御家人よりあきらかに
格が上だけど。
このへん井沢説では説明がつかないのでは。
639 :
日本@名無史さん:01/12/15 00:40
頼朝討たせろと後白河に迫った義経が無実の罪?笑わせる
北条氏に対する怨霊のたたりだけれど
泰時の子なんか早死にしてるし、その後の
時頼や時宗も同じく早くに死んでる。
鎌倉幕府には京都出身の下級貴族がいっぱい
実務官僚として登用されていたのだし、
京都との交流もかなりあったのだから、
頼家や実朝の御霊の鎮魂は井沢説に従えば
絶対に必要なように思うがね。
641 :
日本@名無史さん:01/12/15 00:50
>>639 だから、そういう「誤解」を民衆がしている、という話だろうが。
話の流れが読めない奴が、口を出すな!
>>637 実朝の名が歌の世界でかなり残ってるのとか関係あるのかな
643 :
日本@名無史さん:01/12/15 01:03
>>640 そういう「怨霊鎮魂」は、公家が行うものであり、武士にとって
怨霊は恐れるものでなく克服する対象であった。と、いうのは、
井沢が述べている事であって、この点は矛盾は無い。
しかし同時に井沢は、鎌倉幕府が泰衡の祟りを恐れ、中尊寺の
修復を命令した例を挙げている。この辺はたしかに矛盾がある。
644 :
日本@名無史さん:01/12/15 01:05
>>640 井沢氏の説については詳しくないので、それについてはコメントできませんが。
北条氏が頼家や実朝の御霊の鎮魂に熱心でなさそうなのは、彼らの死によって
特に崇りらしいことがおきてないからではないでしょうか。
京都出身者が崇りを恐れて北条氏に忠告したことは充分考えられるとは思うが、
政子も義時も健在であり、たたられてる実感を持たなかったのではないでしょうか。
後鳥羽院の死後、北条時房・三浦義村が連続して死んだときは、
崇りの噂がたったようですが、このような災難が実際に起こらない限り、
それまで怨霊信仰をもたずに成長した人間が急に怨霊を信じるようにはならないと思う。
>>644 とくに義時や政子にたたりがなかったから
御家人たちは頼家や実朝の御霊の鎮魂に
熱心でなかったというのは納得なのですが。
井沢は鎌倉が泰衡の怨霊は恐れたと述べているのですよ。
このへんが論理矛盾してるのではないかと。
頼家や実朝こそ大怨霊になる資格があると思うのですが。
子孫は断絶してるし御家人に比べれば位が高いしね。
>>644 ところがです。政子も義時も泰衡の祟りを恐れていた、と井沢は
述べている訳です。繰り返しますが、これは矛盾でしょう?
647 :
日本@名無史さん:01/12/15 01:57
たしか頼家や実朝の怨霊軽視は腑に落ちないな。
2人ともかなりむごい殺され方したみたいだし。
>>645、646
頼朝ならともかく政子や義時が泰衡の祟りを恐れていたというふうに
井沢氏が述べているなら、頼家・実朝の死の時までに北条氏が怨霊信仰に
染まっていたことになり、頼家・実朝を鎮魂してないのは矛盾になりますね。
あえていうなら、頼朝および娘二人の早死にを泰衡の崇りと結びつけた場合でしょうか。
そうすると北条氏は実害があった場合だけ、最も近い過去にあった思い当たることの
崇りだけは信じる人々になりますね。我ながら苦しい論理だ。
別に私は井沢氏の熱心な読者でもないのでフォローする気もないですけどね。
649 :
蝦夷の末裔:01/12/15 10:31
>>641 まあまあ(藁
しかし当時の人々だってそんなに馬鹿じゃない。
「玉葉」なんかみると義経が謀反人だと立派に書いてある。
庶民がどう思ったかは知らんが。
中坊さんと611さんの言葉を見ていて、俺はどっちにも納得するところがあったね。
ただ「怨霊信仰が変質した」で片付けるとちょっと勿体無さすぎ。
この論だと、なんでもかんでも怨霊の別バージョンといってもよくなってしまうわけ。
井沢さんにしてみれば「そう、それも怨霊信仰の変形だ」のひとことだが、
なんかそれってだまされているような気になるんだよね。
義経生存が怨霊信仰だけで片付けるものではない、という意味で、
反井沢説の人は書いているんでしょ。俺も怨霊だけでは納得しないもん。
狂信者さんが633で書いているのは、電波じゃないよ。
文学を絡めた考察は充分に従来の説と比肩する。感心した。
650 :
井沢狂信者:01/12/15 12:29
>>649 すいません、これって東北アジア研究関係の大学の講義の受け売りな
んです、入間田教授すいません。
ただ岩手では本当に兵どもが夢の跡ってな感じで、義経生存説と平泉の
滅亡との間に断絶があるようなスタンスの人が殆どだと思います。
明らかに、義経がういているんですよ。
となると、やはり貞任説話がバックボーンにあるのは間違いないです。
うちの実家の近くには安倍氏や藤原氏の金山があったかも…みたいな話
が残っているのに、義経に対する思いが希薄すぎるんです。
だから義経の逃避行がイマイチ理解しにくい。
関東出身の御家人とかが勝手に恐れてただけかも。
平家も藤原氏も海上交易を重視していた点から考えると、武士が商業に
疎いなんてのは間違いですな。
鎌倉以前から武士も商業を重視していたのは確実でしょう。
ただ最終的な勝者は重農政策主義者たちだった……わけです。
けれども、農業経済=中世で商業経済=近世とは誤解以外の何者でも
ありません。
農業生産が発展して万民が飢饉から解放されてはじめて近世、近代
が始まるのであって、商業経済の拡大が近世化につながるわけではな
いというのが最近の近世観です。
これも講義の受け売りですが。
>>649 >この論だと、なんでもかんでも怨霊の別バージョンといってもよくなってしまうわけ。
井沢さんにしてみれば「そう、それも怨霊信仰の変形だ」のひとことだが、
なんかそれってだまされているような気になるんだよね。
だまされた気分になるのは、別に構わない。問題なのは、気分になるだけ
では、議論にも批判にもならないという事。その変形のどこそこに問題が
あるのか、それを述べて、はじめて井沢の説は間違っているという事が言える。
中坊に問題があるのは、それについて全く発言できていない事。
ちなみに、
>>643 >>646も自分の発言。この部分に関しては、明らかに井沢
説は問題がある。
>>636での自分の書き込みは、明らかに事実誤認があったの
で訂正したい。
652 :
蝦夷の末裔:01/12/15 13:03
>その変形のどこそこに問題があるのか
義経が「無実で」非業の死を遂げたとすれば、民衆はその祟りを恐れる。
これはいいとしますか。しかしその民衆が、
「義経は死んじゃぁいない」と思うことで祟りを逃れるか、ですね。
恨みを持った人間は、必ずたたりますわ。俺は幽霊を信じる人だ。
「あの人は死んでいない」と信じたところで、その幽霊は必ずたたるわけです。
「義経は死んでいない」と思うことが本当に鎮魂になるのか納得いかないのです。
(中坊さんと書いていることは同じだね。)
本当に怨霊を恐れるなら、死ななかったことにするよりも神として祀るほうが早い。
それに義経伝説っていつから出来たのか、井沢さんなんの説明もない。
実は義経の生存は、
泰衡の旧臣が「わしは義経だ」と挙兵し鎌倉に反抗したところにある。
平泉征伐が簡単に終わったのにこの反乱の時は半年以上もてこずった。
義経という人物がいれば鎌倉の政権は危うくなるかもしれない…
つまり義経に対する同情ばかりではなく、
頼朝政権に対する反発がこの説を作っていったのではないかと俺は思います。
653 :
日本@名無史さん :01/12/15 14:01
>>647>>648さん
井沢氏はNHKの「歴史誕生」で北条氏が頼家・実朝を、義経と同じく
密教の一字金剛法で鎮魂していると説明してますよ。
さらに正応元年(1288)十月に、鎌倉幕府は中尊寺金色堂の覆いを完成させています。
これも藤原泰衡の命日(九月三日)と関係あるんでしょうかね?
654 :
井沢狂信者:01/12/15 14:31
yahoo!の騎馬トピック面白いですね。
ただ、甲斐や信濃よりも坂東さらに奥州の方が馬産地だってのは浸透し
てないなあ。
騎馬についての伝説ひとつ、明治天皇の愛馬は岩手産だったらしいが、
岩手の馬が他の産地と違って屈強だった理由は藤原氏がアラブ馬を日
本海貿易で満州(アルタイ−燕京ルートか?)から、あるいは直接アラブ
から輸入していたので強かったという伝説があります。
これはあくまで伝説ですが、奥州藤原氏−女真VS平氏−宋という対立
図式が浮かび上がってきます。
義経の話は怨霊信仰かどうかとなっていますが、下敷きにあるのは明ら
かに怨霊信仰だと思います。
仏教とも神道とも違うとなると消去法で怨霊信仰になるからです。
ある思想が突然発生することは結構珍しいことじゃないでしょうか。
共産主義のベースにユダヤ教の救世主、終末思想、千年王国などの要
素が受け継がれていること、ユダヤ教がゾロアスターの善悪の対立、最
終決戦、またエジプトのアナケトン王のアトン信仰の強い影響下にある
ことからもわかります。
結局、義経以前にアンチヒーロー信仰があったか、否かがこの議論の分
水嶺になるかと思われます。
655 :
日本@名無史さん:01/12/15 14:46
南部武田氏と甲斐武田氏と交流があって、南部から持ち込まれた馬が武田信玄のときに
品種改良されて武田騎馬軍団の元になった・・・な訳ないか(自嘲
>>652 >あの人は死んでいない」と信じたところで、その幽霊は必ずたたるわけです。
「義経は死んでいない」と思うことが本当に鎮魂になるのか納得いかないのです。
中坊が既に言って、しかも反論をくらっている事ですよ。
怨霊なんて本当は存在しない迷信なのであって、その迷信に論理を求め
てもおかしい。「本当に鎮魂になるか納得いかない」などと言ったら、
「だったらあなたは怨霊を本当に信じているのか? そして、鎮魂に
ならなかったという実例はあるのか?」という話になる。
問題なのは、当時の民衆の間に、「怨霊鎮魂のために、死んだ人間を
死んでいない事にする」という「迷信」が、本当に存在したのかどうか
ではないのですか?
いや、実はいままで言わなかったけど、この件に関しては、こう反論
すればいいんだ。
「義経不死伝説が、怨霊鎮魂であるというのは、井沢の勝手な推測に
過ぎない。その人が死んでいない事が怨霊鎮魂になるというのであれば、
そういう信仰が存在したという確実な証拠を示すべきだ。」
>>653 >井沢氏はNHKの「歴史誕生」で北条氏が頼家・実朝を、義経と同じく
密教の一字金剛法で鎮魂していると説明してますよ。
なるほど、それは知らなかった。有難うございます。
しかしそうなると、今度は
「義経の怨霊鎮魂はちゃんとやっているじゃないか! 幕府が怨霊鎮魂
をやっていないからとして、民衆が不安になる事は無い」
という話になりますね。
>>657=611
>「義経の怨霊鎮魂はちゃんとやっているじゃないか! 幕府が怨霊鎮魂
>をやっていないからとして、民衆が不安になる事は無い」
幕府はそれを隠してやってたってことかな
中尊寺の一字金剛法もそうだしね
>>658 ただ、そこまで他人のいろいろなフォローが必要という事は、元の説が
間違っているから、となってしまう。
井沢自身が、自説にフォローを入れないとね。
660 :
中坊>611:01/12/15 23:17
しばらくご無沙汰しててごめん。ちょっと時間ができたので、久々にのぞいて
みて驚いた!
あんたが
>>656でいってることは、中坊が
>>620であげて、アンタが答えなかっ
た疑問点じゃないのかい?
>Bその祟りは効果的な鎮魂行為(神霊化・名誉授与・子孫祭祀等)を行うこ
とで回避出来ると信じること。
>にあるんだぜ(違うかい?)!井沢が義経生存伝説と義経怨霊【鎮魂効果】
>をどう結びつけてるのか、あんた自身が理解する範囲で理論づけて見なよ。
>とても出来るたあ思えんがね。
ここでアンタに言っとくが、「怨霊信仰」の三要素。。。すなわち「怨霊の
存在」「祟りの実行」「鎮魂効果」は我々からみれば確かに迷信だ。
しかし「怨霊信仰」を信じるものにとっては、迷信どころか「宇宙の真理」
なんだよ!
だから「義経伝説」が井沢の言うように庶民の「怨霊信仰=鎮魂行為」による
ものだとしたら、その伝説は論理的に「怨霊鎮魂効果」があるものでなければ
ならない。逆に言えばその伝説と義経怨霊「鎮魂効果」が理論的に結び付けら
れないならば、それは怨霊信仰によるものとは言いがたいってことなんだよ!
言い換えれば、
>アステカの太陽神が「生贄の心臓無いと、僕死んじゃう」と言ったわけじゃな
>くて、アステカの人々が自分たちの信仰心から自発的に生贄を捧げたんだからさ。
と言う意見があったように、アステか人は「太陽神の活性化と生贄の効果」を
「宇宙の真理」と考えていた。これは我々にとっては迷信であっても彼らの信
仰心としては合目的であり、論理的一貫性を保っていたんだ。
同様に怨霊信仰を信じる人は「祟り防止と鎮魂行為の効果」を「宇宙の真理」
と考えていた。これ我々にとっては迷信であってもかれらの信仰心としては合
目的的であり、論理性がなければならなかったんだよ。そして有効な「鎮魂行
為」とは「怨霊の神格化(崇拝)・顕彰(名誉授与)・子孫祭祀」などの怨霊
の心を和ませるものに求めていたんだ。
その観点から見て、義経自身が最も切実に知っている「彼自身の非業の死」を
「逃避北行生存」に置き換えることで、どうして彼の心を和ませることが出来
ると期待できるのか、まったく論理性がないってことなんだ。
(あるのなら言ってくれよ!)
661 :
中坊>611:01/12/15 23:20
ああ。。。それから本題とは離れるけど、
>仏教においては、「霊」などという概念は本来存在しない。
ってのは無茶苦茶だ。仏教の底流にはサンサーラ思想があり、霊の
輪廻転生があるんだよ。さらに「回向思想」だって存在する。
この部分は「仏教においては、【怨霊】などという概念は本来存在
しない。」と言い直したほうが良くないかい?
662 :
日本@名無史さん :01/12/15 23:26
>>655 いや、信玄は北条氏包囲網の一環として、1554〜1558年にかけて
芦名、伊達、大崎などの東北の有力大名と提携しているので
可能性はなきにしもあらず。
>>660 だから、そんな論理性を求めて、何の意味がある?
キリスト教の3位1体説だって、イエスという人間と、その父である
神が一緒のものなんて、全く論理的ではない。でも、
「神様は人間の常識を越えた存在なのだ」
とすれば、そんな論理なんぞ簡単に消し飛んでしまう。だから多くの
人を納得させたんだ。
義経の怨霊鎮魂にしても、論理性の矛盾を言っても意味がない。
この世に恨みを持って死んだから怨霊になったのであって、その怨霊に
対して、「実はあなたは死んではいない」と騙してやれば、怨霊が祟る
事はない。としても、論理として間違ってはいまい。
問題は、当時の人が、その事に納得したかどうかだろう。納得していた
のであれば井沢が正しいし、そういう証拠が無かったら、それは井沢
の妄想だという事だ。それを論じろというんだ。
>>661 輪廻転生の考えがあるから、「霊」なんて存在しないんだ。
死んだ者は生まれ変わって、既に別の存在になっているから、
霊などという肉体は死んで魂が生きているなんて状態は、仏教
ではあり得ないのだよ。
664 :
井沢狂信者:01/12/16 01:06
>>660 民俗・神話学板の方がいい気がしてきた。
ただ、怨霊の神格化が怨霊の鎮魂になるなら不死説話も一種の神格化
じゃないのか?
不死=人間にあらず
神様に限りなく近づく、神仙思想に通じていると言えなくもない。
道教はプレ怨霊思想の要素を含んでいると俺は考えていますが、これ
以上は電波なのでここら辺で切り上げます。
665 :
日本@名無史さん:01/12/16 01:34
2chも言霊の一例?
666 :
勇気を持って!:01/12/16 08:01
3
667 :
中坊>井沢信者:01/12/16 08:43
チョット基本的なことなんだけど、「北行伝説」は義経が衣川では
死なずに逃避したという「伝説」で、「不死説話」じゃあないです
よ!
668 :
中坊>611:01/12/16 09:04
>>663 本題外だからこれまでにしておくけど、仏教思想のかなり早い段階で一定期間の
「浮遊霊」の存在が確認されているよ。
(後世ではこれが7×7の49日間となるが、最悪の場合は「悪霊」に転生する
と言う考えもないわけじゃあないんだ)
>だから、そんな論理性を求めて、何の意味がある?
目的(祟りの防止)と手段(鎮魂方法)の間に論理性がなければ、手段としての
意味がないだろうが? だから、アンタも、
>「実はあなたは死んではいない」と騙してやれば、怨霊が祟る事はない。として
も、論理として間違ってはいまい。
という手段の論理性を持ち込んでるんじゃないか?
当時の人間だって馬鹿じゃないんだから、間違った手段で逆に怨霊を怒らせること
のないよう、出来る限り効果的な手段を考えるはずだろ?
その結果、怨霊を騙す(そもそも当人に「あなたは死んでない」と騙せると思うか
い?)という手段で怨霊の心を和らげ、祟りの防止が可能になると思うだろうかっ
てことだ。つまりアンタ流に言うならば、論理性がない手段が民衆の間で納得性を
持ちうるかどうかってことなんだよ!
井沢やアンタは、それが手段として有効(つまりは目的と手段に論理性があると言
うこと)だと思うならそれもいいだろう。俺は論理性はないと思う。従って「義経
伝説」が「怨霊鎮魂」から発生したとは考えられない。よって井沢の怨霊的解釈は
誤りであると判断する。
もちろん傍証としては、以下の諸点も考慮すべきだろうがね、、、
当時義経の祟りによるとされる異変が記録にないこと。
当時民衆の間で義経の怨霊が畏怖された形跡がないこと。
「義経伝説」の発生がかなり後世のもので、祟りの恐怖にさらされ
た民衆とは時代的に合わない(と思われる)こと。
669 :
井沢狂信者:01/12/16 12:28
>>667 義経の首実検はされているし、西郷隆盛も体は発見されている(金玉が
病気でふくれてたらしい)けど、それでも民衆は彼らが生きていると考え
ようとした。
殺しても殺しても死なない(影武者含む)人物って後世人気ありますよね。
楠正成、真田幸村など智謀神の如しと形容されました(小説の中でね)。
義経の場合も不死って言ってあげてるのと同じだと思いますよ。
すなわち、「あの状況でよくぞ生き延びた、さすが名将」って誉めてるよう
なものだと言えなくもない。
同情とはちがい畏怖って言ったほうがいいかな?
秀頼の場合は明らかに同情、反徳川の意識が強いですが。
>>668 >井沢やアンタは、それが手段として有効(つまりは目的と手段に論理性があると言
うこと)だと思うならそれもいいだろう。俺は論理性はないと思う。
だから、そんな「思う」とか「思わない」とかいう話をしてどうするんだ?
あんたが「義経はジンギスカンになった」と真剣に思ったら、それが歴史的
事実になるのか?
>もちろん傍証としては、以下の諸点も考慮すべきだろうがね、、、
当時義経の祟りによるとされる異変が記録にないこと。
当時民衆の間で義経の怨霊が畏怖された形跡がないこと。
傍証でなくて、それを本題として検証しないといけないんだろうが。
そういう証拠が乏しいから、私は井沢の説に疑問を投げかけているん
だが。
671 :
中坊>611:01/12/16 15:30
アンタ本当にわからん人だね。。。「思う」理由はキッチリと説明してるだろう
が!
分からんならもう一度だけ言っておく。井沢やアンタは「義経伝説」が「義経鎮
魂=祟りの防止」と論理的に結びつくと判断しているが、俺は論理的に結びつか
ないと判断している。。。これが理由だよ。
何故論理的に結びつかないと判断したか。。。非業の死を遂げた人物の霊魂に、
「あなたは実際にはそこでは死んでいない」と嘘をつき騙すことで、その心を和
らげ得るとは考えられないからだ。(つまり目的と手段の非論理性だ)
ついでに井沢批判に当たって、何故に事実検証よりも、こういった論理性を重視
するかも言っておくが、アンタの知ってるとおり井沢の歴史解釈の大きな柱が、
@史料(記録)は政治的勝者(権力者)による記録だから、全般的にそれに頼る
べきでない。
Aまた当時の人間にとって余りにも当然と考えられたことは、史料(記録)には
残らないことが多い。
こういった理由(史料至上主義批判)によって、史料検証に対抗するからだ。
そして彼は人間の常識(?)によってこそ、史実を解明すべきだと主張している。
だから、俺は彼の主張である「人間の常識=この場合は怨霊鎮魂手段の論理性」
という彼の土俵に立って、かれの解釈を批判したってわけだよ。
確かにアンタの言うとおり、井沢の解釈を裏付ける史料的証拠は乏しい。しかし
そんなことは彼は百も承知だぜ。
彼に言わせれば、当時の人間にとっては「常識」だったから、史料には残らない
とか、民衆の思想的行為は権力者(あるいは知識階級)の記録には残りにくいと
かで、史料欠如批判に対抗するわけだ。
こういう相手には、相手の土俵で相手の理論に沿って批判するしかないんだよ!
672 :
中坊>井沢信者:01/12/16 15:56
西郷や秀頼の例がでたので言っておきますが、これらの逃避生存伝説
が民衆の間で広まり易いのは事実です。最近ではヒトラー逃避生存説
すらあるよね。俺は多分「オサマ・ビン・ラディン」の生存伝説が
アルカイダ派の一部で生まれると思ってるけどね(www
しかし、これら「英雄(?)生存伝説」と「怨霊信仰」が結びつくか
しら?
義経と比較的類似してるのは、西郷だと思うけれど、明治の民衆は西
郷の祟りを怖れ、それを防止するために生存伝説を発生させたのだろ
うか?
アナタがそう「思う」のならそれでも結構だけれど、俺にはとてもそ
うは「思えない」と言っとくよ!
673 :
日本@名無史さん:01/12/16 18:43
>>653 >井沢氏はNHKの「歴史誕生」で北条氏が頼家・実朝を、義経と同じく密教の一字金剛法で鎮魂していると説明してますよ。
遅レスで申し訳ないけど、井沢氏の説明は何に基づいているのでしょうか? ご存知だったら教えてください。
ここからは漏れの勝手な考えですが、鎌倉幕府が本当に密教で義経・頼家・実朝を怨霊として同様に鎮魂してるなら、実朝も
鎌倉幕府(北条氏)によって殺害されたってことになりかねませんね?
これらが、中坊さんの言うような一般的な慰霊鎮魂なら、そうはならないから大きな違いがあると思うんですけど。
>分からんならもう一度だけ言っておく。井沢やアンタは「義経伝説」が「義経鎮
魂=祟りの防止」と論理的に結びつくと判断しているが、俺は論理的に結びつか
ないと判断している。。。これが理由だよ。
はいはい。理由にない理由を、延々挙げて、撤回する意志はない訳ね。
議論にも何にもなりゃしない。
675 :
井沢狂信者:01/12/16 21:11
>>672 じゃあ、怨霊に人々の心の中で暴れるだけ暴れてもらえば少しは鎮魂に
なるのかな?
太平記の後半といっしょ。
喧嘩腰はやめてけで。
なんか、頑固だよ中坊さん。
今週から何編なんだろ?
676 :
日本@名無史さん:01/12/16 21:31
>>674 611さん
正直言って、もう議論は終わってるのではないですか?
漏れも怨霊に「あなたは死んでいない」と騙して鎮魂するというのは納得できません
ね。あなたは本当に鎌倉時代の民衆がそう考えて義経伝説を作り出したと考えてるの
ですか?
>>中坊さん
もしも鎌倉武士たちが密教の怨霊調伏(法力)を手段として義経達の祟りを防いだ
としたら、これは怨霊信仰だと思いますか?
漏れは公家の怨霊信仰は神格化したり怨霊をおだて上げることで祟りを防ぐ方式で、
武家の怨霊信仰は怨霊を法力で押さえつけて祟りを防ぐ方式のような気がするので
す。だから公家の方式は公開型で武家の方式は秘密型だったような。
677 :
日本@名無史さん:01/12/16 21:49
>>675 井沢狂言者さん
漏れも疑問に思ってるのですが、あなたは西郷伝説も祟りを防ぐための怨霊信仰
だと解釈されているのですか? まずこの質問にお答えになっては如何でしょう
か?
もう一つの疑問ですが「怨霊に人々の心の中で暴れるだけ暴れてもらえば」とい
うのは具体的にはどういう意味なのでしょうか?
井沢氏は太平記の後半において怨霊を暴れさせているのは、怨霊鎮魂を意図した
ものだと主張しているようですが、そのことを言っておられるのでしょうか?
678 :
中坊>676:01/12/16 23:34
難しい質問だけど、確かに祟り防止の手段としての論理性は、否定できない。
あるいは、怨霊信仰の範疇(変形)に含めても良いかも知れないと思います。
公家的発想は怨霊を顕彰しての融和共存、武家的発想は怨霊を調伏しての対決
克服。。。ってことになるんですかね?
ただし、鎌倉幕府がそう言った調伏を行ったかどうかを確認する必要があるで
しょうね。
679 :
井沢狂信者:01/12/16 23:35
>>677 明治の時点ではもう、怨霊信仰から独立したひとつの英雄不死信仰が
完成していたと俺は考えています。
義経以前にはこういう形式の信仰は皆無だったのではないのでしょうか?
だからこそ井沢氏は怨霊信仰の変容のパターンのひとつとしてとりあげ
たんだと思います。
二つ目の質問はその通りの解釈でよろしいです。
ただなんだかんだ言って、幽界の理論を決めるのは顕界なんですよ。
顕界が納得していても幽界が祟ることはあるけど、どんなに納得のいか
ない場合でも幽界が何かしらのアクションを起こさなかったら、顕界は自
分たちのルールで幽界を祀ってしまう。
死後に位を追贈されても俺は嬉しくないけど、それが怨霊を鎮魂すること
になっているから公家たちはするんですよ。
顕界での最終的な納得が幽界のものごとを決めるってのは乱暴ですか
ね?
>>676 >漏れも怨霊に「あなたは死んでいない」と騙して鎮魂するというのは納得できません
わからん奴だな。あんた個人が納得できるかどうかでなくて、鎌倉時代の
民衆の大勢が、納得できるかどうか。それが問題なんだろうが。
このスレでも、納得いかないのは、あなたと中坊だけ。いや、たとえ現代人
のほとんどが納得できなくても、当時の人が納得できるかどうかという事
には、全く関係なかろう。
>あなたは本当に鎌倉時代の民衆がそう考えて義経伝説を作り出したと考えてるの
ですか?
他の発言を見ろよ。そういう証拠が乏しいから、井沢説には疑問があると
書いているだろうが。
ひとつ書き忘れていた
>>671 >こういう相手には、相手の土俵で相手の理論に沿って批判するしかないんだよ!
それでも、あんたひとりが論理的に納得いかないといっても、反論にも
何にもならん。史料には直接の証拠は無いかもしれないが、間接的証明
というのはできる。
例えば、井沢はこんな事を言っている。
「天照大神は、アマノウズメの裸踊りを見たくなって、岩戸を開けた
とされる。女性の裸を見たがったという事は、実は天照大神は、
男性である可能性が高い」
だが、私はこの説には反対である。古事記に見えるアマノウズメの裸踊り
というのは、乳房を丸出しにして踊っているのである。
明治以前の日本人は、女性の乳房には欲情しなかった。巫女による祈祷は
上半身裸でやるのが普通だが、それに欲情した男性の話は聞かない。
久米の仙人のエピソードからもわかる通り、明治以前の男性を欲情させる
には、太股でなくてはならない。だから、アマノウズメの裸踊りをもって、
天照大神が男性であるという論証にはならないのである。
これが、当時の人の立場に立った、考察というものである。
義経不死伝説が怨霊鎮魂になるかどうか。それは当時の人が納得できたか
どうかである。だから、あなたが納得できるかではなく、当時の人が納得
できたかどうか、その証拠を集める事が重要なのではないかね?
682 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:19
>「天照大神は、アマノウズメの裸踊りを見たくなって、岩戸を開けた
>とされる。女性の裸を見たがったという事は、実は天照大神は、
>男性である可能性が高い」
井沢ってマジでこんなこと書いてんの。
井沢個人がどんな馬鹿げた考えや意見を持とうがそれは
自由だから仕方ないが、問題はこういう本を企画・出版する
編集者だな。小学館て昔はもう少しまともな出版社だったような気がするが。
683 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:24
天照大神の正体は天照国照彦。
だから男でいいんだよ。
684 :
日本@名無史さん:01/12/17 00:27
正式には天照国照彦天彦火明櫛甕玉饒速日命なんだけどね。
685 :
中坊>611:01/12/17 00:33
>>681 井沢の解釈もアンタの論証とやらも、記紀を知らないことから来る誤解だよ。
「胸乳をかき出で裳緒を陰(ホト)に押し垂れき」なんだぜ!意味が分かるか?
それに、アマテラスは裸を見たくって出てきたわけではない。裸を見て神々が
楽しそうに笑い転げていたから、不審に思って岩戸を開けたって書いてあるん
だよ。
原典も充分知らずに「当時の人の立場に立った、考察というものである。」だ
って(www
>>683 いや、だから天の岩戸のエピソードを元に、天照大神が男である証拠
とする訳にはいかないという話だよ。
>「義経不死伝説が、怨霊鎮魂であるというのは、井沢の勝手な推測に
>過ぎない。その人が死んでいない事が怨霊鎮魂になるというのであれば、
>そういう信仰が存在したという確実な証拠を示すべきだ。」
たぶん井沢さんは、「だから義経の時に変わったんだ」という理論を出すと思う。
議論は平行線になっていくだろうね。
お互いに「こう思う」を根拠にしたんではほんとに議論にもならんわ。
ただし井沢さん、「こう思う」を根拠(?)に学説を出したんでは、
そら誰にも相手にされやしないわな。叩かれるわけだよ。
>>685 だからね、陰が出てきても太股が出ず、乳が出てくる事が、おかしい
という話だよ。
(確かに話がややこしくなるんで、はしょったがね)
>>687 >たぶん井沢さんは、「だから義経の時に変わったんだ」という理論を出すと思う。
そういう反論を封じるような証拠が見つかれば、文句は無いんだけどね。
逆に、井沢説の明白な証拠が見つかるような事があったら、そっちを
信じるしか無いんだけどね。
でも、中坊の「私は思う」では、「水掛け論」だよ。
井沢だって、「君はそう思うかもしれんが、私はそう思う」って言う
だろうから。
689 :
中坊>611:01/12/17 22:43
結論はそのとおり。。。アンタに言われるまでもないことだ。
しかし、それはアンタの乳房論証とやらによるものではないのだよ!
いいか、、、
井沢が「天照大神はアメノウズメの裸踊りを見たくて、岩戸を開けたとされる」
としている時点で、既に彼が記紀の記述について救いがたい誤認をしてることは
明らかなんだ。
従って、井沢に対する批判は「記紀の何処にそんな記述があるのか?記紀記述の
誤認に基づいて、天照大神の性別に関する推理を展開するが如きは、電波以外の
何者でもない」で必要かつ充分なのだ。
アンタが乳房論証を持ち出すことは、アンタ自身も記紀を曲解していることを示
してるに過ぎんのだ! こんな簡単な論点の相違が本当に分からんのか?
690 :
中坊>611:01/12/17 22:54
さらに言えばだ。。。井沢は「乳だし」ではなく「裸踊り」と言っている
だろが! アンタはこれを「乳房」としているが、井沢は「乳房とは言っ
ていない」「全裸に近い踊りだ」と反論するだろうぜ!
さあアンタの「乳房論証」はどうなるのかね? 太古の男性は乳房に性的
関心が薄かったと論証したところで、井沢が「全裸」を持ち出した段階で
あっけなく敗退することになる。
だから史料解釈に当たっては原典をしっかり理解し、論点を明確に定める
ことが重要なんですよ。
691 :
中坊>611:01/12/17 23:11
「推理」って言葉を知ってるかい? 明らかではないことを推し量って
考察することだ。
確かに直接証拠があれば当否は明確になる。しかし、多くの歴史事象
(特に宗教的心理)については、直接証拠を求めることは極めて難しい。
その場合には一定の根拠に基づく「推理」によるしかないんだよ!
そしてその「推理」の当否はある程度「水掛け論」になるのもやむを得
ない。そしてより多数の専門的知識を持った人間に説得力を感じさせる
意見が「当」と見なされる。。。これが人文科学のあり方なんだよ。
692 :
日本@名無史さん:01/12/17 23:13
今週はポストがお休み。
週刊朝日に面白いネタあり。
693 :
中坊>611:01/12/17 23:30
つまり井沢が「怨霊にあなたは死んでいないといって騙すことで、鎮魂を
図るという方式もありうるのではないか」と推理し、提唱すること自体は
かまわない。
しかし問題はこれに説得力を感じる人間が、いかほど存在するかと言うこ
となんだよ!おそらくアンタだって正直なところをいえば無理を感じてる
はずだよな(?)
にもかかわらず、井沢はそれを単なる「提唱」ではなく「事実」だと強弁
している。しかもそれを信じようとしている人間すら存在する。だから俺
も強硬に主張した。
しかしここまでくれば、この問題は多くの人間がどちらに説得力を感じる
かに任せざるを得ないんだよ。。。それが「思うか?」ってことだ!
694 :
日本@名無史さん:01/12/18 00:38
>>679 井沢狂信者さん
お答えありがとう。よく分からないのですが、「西郷伝説」が「英雄不死信仰」と言うことは、祟りの防止とは無関係だと言うこ
とでしょうか? そうだとすれば本質的に「怨霊信仰」とは無関係なものではないのでしょうか?
「義経」の時点では「英雄不死信仰」は皆無で、「西郷」の時点では完成した。。。だから「義経」は「怨霊信仰」の変容だ。。。
残念ながら漏れの能力では全く理解できません。
後段については、おっしゃるとおりだと思います。「顕界」と言うのは中坊さんの言葉で言い換えれば「当時の人間の論理」
ですね。当時の人間にとって「昇位」は名誉・権力・財力を伴うものであり、求めて止まなかったものですから当然嬉しかった。
(現在の人間でも「昇格:昇給=収入増加」を求めるのは、基本的には同じですよね) 従って「怨霊」も当然喜ぶだろうから怒
りを鎮める効果が期待できるという「論理」ですね。この「論理」は現在のわれわれから見ても極めて納得性がある論理です。
そこで中坊さんが言ってるのは、「死者に対して死んでないと騙す」ということが、どうして喜びになりうるのかってことなんで
しょうね。当時の人々(?)にしても誰も喜ばないだろう。。。従って「怨霊」を喜ばすことにはならないだろうから、怒りを鎮
める効果が期待できる「論理」ではないってことだと思いますよ。
>>681 >巫女による祈祷は上半身裸でやるのが普通だが、それに欲情した男性の話は聞かな
>い。。。。明治以前の男性を欲情させるには、太股でなくてはならない。
この論証はまるっきり駄目だね。
祈祷中(トランス状態)の巫女は、太股を露わにすることもあるけど、明治以前であ
ろうと以降であろうと、やはり男性は欲情しない。
明治以降でも、ごく最近(昭和30年代頃かな)までの母親は、公衆の面前でも平気
で乳房を露出して授乳していたけれど、これに欲情するのは変質者だけで多くの男性
は単に微笑ましい風景と見ていた。
久米の仙人が欲情したのは、洗濯中する若い女性の「フクラハギ」であって「太股」
ではない。
696 :
日本@名無史さん:01/12/18 14:16
>611さん、中坊さん、蝦夷の末裔さん、狂信者さん、漏れ(?)さん
義経の怨霊話にお付き合いいただきありがとうございました。
大変勉強になりました。
私の結論。やっぱり井沢せんせの説は信用できないということで。
697 :
日本@名無史さん :01/12/18 14:24
>>692 信長の事となると、朝日嫌いの井沢せんせも飛びつくのね。マジで大笑い。
698 :
日本@名無史さん :01/12/18 14:46
∧_∧
( ´∀`)<みんな、おちけつー
/, つ
(_(_, )
しし'
699 :
蝦夷の末裔:01/12/18 16:30
>>679 >明治の時点ではもう、怨霊信仰から独立したひとつの英雄不死信仰が
>完成していたと俺は考えています。
>義経以前にはこういう形式の信仰は皆無だったのではないのでしょうか?
それに類するものは、ある。源義親。義経とタイプが同じ部類の暴れん坊だね。
平氏によって討ち取られたという話だが、実は偽首で本物は生きているといわれた。
実際、後年義親の名を語る海賊が暴れて摂津源氏が討伐に行っているのよ。
井沢さん義経のことを語る前に、ここを論じておくべきであった。
ついでに、弁慶という伝説的な人物が実在したことは認めるが、
井沢さんは「なぜ弁慶伝説が出来たか」も書かないといかんかったと思うね。
▼\ /▼
\ \ / /
\ ~⌒~⌒⌒ \/
( /~⌒⌒⌒ヽ)
( /γノノノノ @ヽ
|\ | |( | ∩ ∩|)| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ \ |从ゝ_▽_从 < 700ばんゲットだぜ♪
/ / ヽ/ Y \ \_____
\ \ //| |\.\
\ ⊂c___.|___| c⊃
●● |_|_|_|_|_|
●______.| | |
|_ _ |__|
| |_ |__
|ー' ) )
 ̄ ̄ ̄
701 :
日本@名無史さん:01/12/18 18:17
「久米仙人伝説」は「女をもてあそんだ奴は女の怨霊の祟りで失脚する」という
当時の民衆の「怨霊信仰」によるものであることは言うまでもない。
私は未だかって誰も気付かなかったこの明白な事実に、あらためて日本の怨霊信
仰の根深を思い知らされたのであった。(By Izawa)
702 :
井沢慶一Jr:01/12/18 22:38
業務連絡:
本日24時15分より、↓がNHKスペシャル「伝統のイタリア・食の大図鑑」に出演します(笑)
rr二二二二二ニニニ--__、
r/r/l l r二二二二二二二二ニニ--_、
,'ニ三| | l 川川r二三三三三二=====ヽ、
,'二三三二川川川川川三三二二二=====ヽ
',二三;r'::::::::: ` ̄::::::ヽ二三三二=ヽ,
,'三=;/:::::::::: ::::::::`、二三三=ヽ,
;三=;;l:::::::::: :::::l三三三三ニ=ヽ
;二三:|:::::::,,,,,, ...,,,,,,,,,,, ::::l三三三三ニ=;
;三=;|::..kkkkkiiiiiis::.. ..::wlllffffffffffffffs ::::|三三三二二;;
;//;l:::: il' ` '' `ヾ、 :::ヾ三三三二ニ;;
l l l|:: _, -r。- 、 ::: ::: ,- r。-- 、_ ::::l三三三二;
l:l: l:  ̄ー  ̄ ̄_'.:r ヽ `  ̄ ̄ ー ̄ ::::|ヾヾヾ=r ̄ヽ
l l|::  ̄:/ ヽ ` ̄ ::::::|j'j'j'ヾ=f `l |
`ll: :| ヽ ::::|jjj:::`=f rノ
.| ,r---( _)ー 、 :::::::::::::::::〉ゝ r'
| |::::.:::::::::`⌒:ー:⌒' :::::::::::::.ヽ :::::::::::::l、_,|
.| |:::::::::::::- ― --―― 、..::::::::l :;:::::::::::::::|
ヽ ヽ ::::::く rtT_T T TコTt、ヽ::::::::| .:::::::::::::::|
ヽ ヽ::::::`、_`´ `´__/::::::ノ :::::::::::ノ
ヽ、 :::::::::::_::::::: ̄ ̄:::::::::::::;_:::::: ,:::::::::|
ヽ、::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::, ノ ..::::::;;;;:|
ヽ 、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ................ :::;;;;;;;;;;::|
l ー――――-- ' ;;;;;;;::::::::::::|
703 :
日本@名無史さん :01/12/18 22:57
704 :
日本@名無史さん :01/12/18 23:55
げ!ナビゲーターが井沢元彦・・・正気かNHK?
>>694 俺は井沢氏の説よく覚えていませんが、「死者に対して死んでないと騙
す」ってのとは少々考えが違います。
民衆「あの人はどこかで生きてるんじゃないのだろうか?あの人ほどの
が簡単に死ぬはずがない。」
どこかにいるその行方不明者(生存率薄)に呼びかけるのです。
民衆「聞いていますか、○○さん?あなたに酷いことをした奴らは、あな
たがいないのをいいことに好き勝手やってます。今こそ現れて、
(私たちではなく)加害者たちに、思いっきり祟ってやってください。
私たちはあなたが帰ってくるのを待っている者達です(だから、もし
死んでたら祟らないでね)。」
長くなってすいません。
霊に対して、我々はあなたの生存を願うものだから祟らないでね、悪い
奴らをあなたは知っているのだから、ちゃんとそっちに祟ってね、と思っ
ていることの表れだと俺は考えています。
あるいは、ですがこういうのもありでしょうか?
彼らは祟られたくないゆえに、その殺された人物の死体さえも疑います。
「真田信繁の首は影武者のものだ!」
つまり、殺された人物を顕界にとどめることによって祟り神になることを
防ごうとしているのです。
死んだ人に「あなたは死んだんですよ。」と言って幽界に封印する(井沢
氏の大国主命に対する鎮魂法)のがありなら、この方法もありになります。
死者に対して、人々がその死を認めない……幽界に送らせない祈り。
乱暴な考えですね、すいません。
706 :
日本@名無史さん:01/12/19 00:18
豚料理は神様からの贈り物なら
井沢は信長様からのいやげもの?
707 :
日本@名無史さん:01/12/19 00:25
NHKを見ろ!!
708 :
日本@名無史さん:01/12/19 00:32
山村貞子か井沢は(w
709 :
日本@名無史さん:01/12/19 00:37
なんで地震が起きたか分かった。怨霊のしわざだね(藁
710 :
日本@名無史さん:01/12/19 01:01
週刊朝日の記事を読んできたんだけど、井沢氏は引用されただけで
本人が出て行ったわけじゃないようだ。
だがそれにしても痛いね。
だから私なりに戦国の人物に今の政治家を当てはめてみると……
小泉純一郎=足利義輝
小泉氏は内閣総理大臣で、義輝は征夷大将軍。いずれも天皇によって任命される
政治における最高責任者という点でまず同じ地位にあたる。
そしてまた小泉氏は国民世論のみが味方であり、義輝は三好長慶だけが味方で
あった。世論の支持を失えば小泉氏は失脚するであろうし、義輝は三好長慶が
死んですぐ、三好三人衆と松永久秀によって殺された。
小泉氏は構造改革によって内閣主導の政治を推し進めようとし、義輝は
将軍主導の政治を復活させようとした。
織田信長に相当する政治家はいるのか?
答えは「いない」である。
信長は顕職に就こうとする意志がほとんどなかった。
副将軍を蹴ったのも然り、右大臣に就いたもののすぐやめたのも然り。
それでいて日本最高の実力者に登り詰めた。
役職も持たぬ彼が、日本の中枢を支配した時期が、確かにあったのである。
だが法治国家である現在の日本では、肩書きの無い人間が表舞台に立って
国政を動かすということは有り得ない。「影の実力者」では信長とは呼べぬ。
とすれば現在の日本に信長は存在し得ない。
幕府に組み込まれない事を与党に組み込まれない、あくまでも野党であるという
事に読み替えれば野党の政治家であれば信長と呼び得る人間が現れる可能性はある。
だが、野党でありながら第一党もしくは国政を左右するだけの影響力を持つ
政治家など、ありえるのだろうか。ありえないだろう。
だから現在の日本に信長は存在し得ないのである。
井沢TV出演中・・・
信長のうつけと小泉の変人。
>>でも両者ともごかいされてるだけで人より10年考え方が進んでいただけの話でしょ
>>710 もう少し歴史を学ぶということを勉強したほうがいいと思われ
714 :
井沢狂信者:01/12/19 10:54
昨日のNHK、農家の次女の娘さん目の離れ具合と、眉毛の太さが井沢
氏に似ていた気がします。
敬語使われると何か歯切れが悪い。
逆説とかウェイクアップとイメージがちがうなあ。
715 :
日本@名無史さん:01/12/19 11:05
>>713 学ぶということを勉強??
もう少し日本語をお勉強されたほうがよろしいかと思われ
>>710 世論と三好長慶が同じ? 聞いたこともない。
717 :
日本@名無史さん:01/12/19 14:59
718 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:26
>>710,717
国民世論と三好長慶がどのように同じであるか説明きぼん。
719 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:42
>>718 ていうか、同じだなんていってないじゃん。
味方が国民世論しかない、三好長慶しかいない
っていってるだけじゃん。
それなら国民世論しか味方がない小泉と、
弁慶しか味方がいない義経が同じでもいいね。
721 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:10
>>720 そもそも現代と戦国時代を対応させようとする行為自体がこじつけに
過ぎないんだから文句言ってモナー
722 :
日本@名無史さん :01/12/19 23:39
小泉は橋本龍太郎の二番煎じじゃん。
小泉が織田信長だなんて、自称第六天魔王様に失礼だよ(w
723 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:43
いやいや。明石説によれば信長は足利義教の二番煎じだから
橋本=義教
小泉=信長
もありだろう。
724 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:45
小泉はむしろ顕如のような……
725 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:59
ハッタリ屋ということなら小泉は徳川慶喜。
石原は松平容保(会津兵は石原軍団)。
んで、井沢のポジションはホラ吹きの勝海舟?
726 :
日本@名無史さん:01/12/20 00:02
>>705 井沢狂信者さん
なるほど、あなたは「怨霊信仰と義経伝説」について、井沢氏とまったく違った観点で理解されているようです。
もともとの井沢説は蝦夷の末裔さんや611さんが述べておられるように「死ななければ怨霊になれない、だから
義経は死んでないことにする。これが義経伝説のはじまりである」と言う「怨霊騙し論」の筈ですね。
だから中坊さんが「こんなことで怨霊を騙せると期待したり、怨霊を騙して鎮魂出来ると期待するのは怨霊鎮魂論
理に合わない」と噛みつかれたのですね。
でも、「あなたのような英雄が簡単に死ぬ筈がないと信じてます。これほどあなたを尊敬してるんですから(仮に
死んでいたとしても)我々には祟らないで下さいね」という意味で「義経伝説」を解釈するなら、怨霊の心を和や
かにすることで、祟りを防止するという民衆の期待「理論」になりうるかも知れません。その意味では井沢氏より
は遙かに怨霊信仰としての筋がとおっていると思います(中坊さんがどういうかは知りませんが)
ただそうなると、ここで本格的に611さんのおっしゃる「状況証拠」の検証が必要になると思いますね。つまり
「理論」としてあり得ても、実際に「鎮魂行為」として存在したのかどうかと言う検証です。(これは611さん
が指摘されているように難しい!)
前半の「信じています。。。尊敬してます」までは「西郷伝説」と同質の「英雄崇拝思想」で解釈できますから、
「義経伝説」について後半の「祟り防止」という「怨霊信仰」が見られるのかどうかの資料的判断根拠は、ちょ
っと見つけにくいでしょう。。。
なお紹介されている、井沢氏の「死んだ者に、死んだといって幽界に封印する」というオオクニヌシ怨霊鎮魂理論は、「怨霊騙し理論」に輪
をかけた奇妙な理論ですね。仮にオオクニヌシが怨霊として意識されたとしたら、それは彼が恨みをもって死んだ事が原因(と考えられる)
筈ですね。
死んだ者は当然「幽界」に逝きますし、だからこそ「顕界」に祟るという超能力を持つ筈です。怨霊になるべき人物が「自ら死んでないと錯
覚する」ならば、怨霊になりようがないのだから当然に祟ることもない。加害者にとってはこんなに有り難い話は無いわけで、なにもワザワ
ザ「死んだ」と言い聞かせることはないでしょう。
怨霊信仰の本質は「貴方は恨みを持って死んだでしょうが、我々は貴方が生前希望していた名誉や地位を追贈します。また神として幽界でご
自由にお過ごし下さい我々は立派な御殿を建てて末永く崇拝します。お望みならば貴方の子孫をに貴方を祀らせます。だから我々に祟ること
はご勘弁下さい」という「怨霊との融和」だと思いますよ。
「神」として祀り上げた怨霊を「封印」するなんて、「神を神とも思わない」不遜な対決思想で祟りの防止を期待したとは思えませんけどね。
こういう対決・封じ込め思想は、密教のような霊や神の力をも凌駕する宇宙の真理を操作する「法力」が信じられて初めて生じたものではな
いでしょうか?
729 :
蝦夷の末裔:01/12/20 14:01
小泉は松平定信といってもいい。
定信は世直し大明神と世間様から持てはやされたが、ぱっとしないで消えた。
森善朗は評判の悪かった田沼になるのか。すると。
井沢はそういえば、田沼意次を相当評価していた。
730 :
日本@名無史さん:01/12/20 15:14
田沼の評価は賛否両論あるけれど
森も後世、良い評価が与えられるのか?
731 :
日本史好き受験生さん:01/12/20 15:34
>>729 ただ、定信は田沼を相当嫌っていたのだけど
森と小泉は仲良しってところがちょと違うね。
個人的に小泉はもっと狡猾であった歴史人物に
例えて欲しいな。
732 :
日本@名無史さん:01/12/20 15:36
徳川吉宗はどうよ。
なんで政治家スレになってんだ(藁
今週ポストなかったからしょうがないんだが
734 :
日本@名無史さん :01/12/20 20:01
>>732 井沢せんせは、徳川吉宗を批判する先生との対談では同調しているのに、
別の本の対談では徳川吉宗を理想的な政治家だと言っています。
自分の意見をもっているのは信長様だけみたい。
735 :
朝日新聞社社員:01/12/20 20:05
♪井沢を転がすにゃ金も女も酒も要らぬ♪信長ネタでたやすく転ぶ♪
736 :
井沢狂信者:01/12/20 22:24
>>734 だが、それがいい。
694さん、レスありがとうございます。
大国主命の封印は決め手に欠けすぎる上に、電波が深く絡んでくる危険な
領域なのでこれ以上の言及は避けたいと思います。
まあ、大国主命を滅ぼした皇尊たちにも意地はあったのではないのでしょうか?
朝廷が形振り構わなくなるのは平安に入ってからですし。
「てめえはあの世から出てくるな!」
怨霊鎮魂なんて人を小馬鹿にしたやりかたが多いから、これくらいはっきり
意思表示された方が気持ちがいいです、俺は。
737 :
蝦夷の末裔:01/12/21 14:56
>>731 やっぱり完全に何から何まで同じってわけにはいかんわな(藁
井沢が田沼意次為政期を「開国傾向の時代」と高く評価するのは別にいいんだが、
でも田沼の時代に開国とか鎖国とかで対立したことがあるかな。
1835年のモリソン号事件以来、開国論と攘夷論が火花を散らすようになったけど、
少なくもと田沼のあとの松平定信はロシア来航の時通航許可書を渡している。
厳密な意味での鎖国が完成するのは定信失脚の後だったはずだ。
田沼は当時嫌われ者だったんだから、
(「もとの濁りの田沼恋しき」は「田沼のほうがまし」程度で好評だったということではない)
井沢には当時の人の立場でものを考えて本を書いて欲しいね。
かりに田沼が現代的な志向の持ち主だったとしても、
それは当時の政治家として良い評価を与えるべき判断基準にはならない。
738 :
日本@名無史さん:01/12/21 15:01
嫌われ者だったことが当事の政治家として悪い評価を与えるべき
判断基準にはならない。
それはそうだ
あげ
741 :
武田研究家:01/12/22 16:40
最近ヒマですねぇ
742 :
井沢狂信者:01/12/22 18:59
今週は紀行物かあ。
なぜか盛岡駅出発……盛岡新喜劇に今年も出たのかな?
今年はさいとう・たかをが特別出演(奥さんが岩手出身)
例によって高橋克彦も出演
743 :
日本@名無史さん:01/12/22 23:26
つーか普通は本編書く前に取材旅行しとけよ(w
744 :
日本@名無史さん:01/12/23 01:37
SAPIOの記事は使い回しばっか
745 :
日本@名無史さん :01/12/23 20:51
妙に気に入ったんでコピペ。
143 :愛の戦士@村崎百郎 :01/12/02 20:26
よく三文作家ふぜいが「才能が枯渇した」とか言いたれてるけれど、
じゃあ、アンタのいう「才能」って何だよ?
俺にいわせりゃ「才能」という名前の「“電波”」じゃねえか。
電波に年柄年中苦しめられてる俺から言わせりゃ、電波に苦しめられなくなって
万々歳じゃねえかよ。赤飯炊いて喜ぶべきなのに、「才能が枯渇した」なんて
よくもまあご立派な事をほざけるもんだと感心するね。
そんなにまた電波を受信したけりゃ、クスリでもやってもう一度脳味噌を壊してみろよ。
だからといってまた電波が聞こえるという保証はないけれどな。
746 :
日本@名無史さん :01/12/28 23:22
福岡の若松市は大正3年に市制施行、
昭和38年の合併で北九州市となり若松の名は消えている。
一方、福島の若松市は明治32年に市制施行、
昭和30年に周辺町村を吸収合併した際、頭に会津をつけたとか。
したがって大正3年から昭和30年までは若松市が二つあったことになる。
age
748 :
日本@名無史さん:02/01/01 15:45
そういえば井沢は、信長の楽市楽座、関所の撤廃などの制度を、
「商業に対して全く課税しない制度」と絶賛していたが、これは
ひどい見当はずれというものだ。
信長が副将軍の地位を蹴って代わりに要求した「大津・草津での
代官の設置」と、「堺への矢銭の要求」は、井沢の頭の中に入って
いないのか?
要は信長は、商業については、間接税を撤廃し直接税を徴収した
だけ。「楽市楽座」についても、商業誘致のための時限立法である。
もちろん、それでも信長の商業政策が優れていたという事には
間違いは無いが、勘違いで賞賛するのはまずいだろう。
749 :
U-名無しさん:02/01/01 22:48
武田研究家さん、愚問で失礼。
「堂々日本史」で、長篠の合戦も川中島の合戦同様、偶発的なものだった、と
説明してますけれど、実際はどうなんでしょう?
織田と武田の衝突は必然だったのでしょうか?
信長自身が極力武田との衝突を避けている様にも見えますし、
秀吉も「武田家を存続させておくべき」と進言したり、
武田家滅亡後、徳川家康が穴山氏に武田家の名跡を嗣がせてますけれど・・・
いつでも結構ですので、武田研究家さんのご意見お聞かせ下さい。m(_ _)m
750 :
日本@名無しさん:02/01/04 10:34
武田研究家なんて単なる武田びいきじゃないか。
みんなもう少しよく読んでみろ。
奴は信長をけなすことで井沢を批判しているだけ。
要するに「信玄の方が偉い」と言いたいんだよ。
「体重のある方が絶対に強い」とことあるごとに言って
「俺の方が猪木より強い」と思わせようとしていた馬場と変わらん
せこい論法だ。
751 :
日本@名無史さん:02/01/04 10:54
>>750 こころざし半ばで倒れた者同士とはいえ
残した業績、知名度ともに比較にならない。
判官びいき、大いに結構じゃないですか。
弱者はどうあがこうと弱者なのだから
ここは大きな心で聞き流してあげましょうよ。
752 :
日本@名無史さん:02/01/04 15:06
>>750 たまに暴走するとはいえ、耳を傾けるに足りる意見は多し。
鈴木眞哉氏や笹本正治氏を取り上げた功績は大きい。
753 :
日本@名無史さん:02/01/04 15:40
>750
そうか?イタイ信長礼賛論への批判が多いと思うが。
754 :
日本@名無史さん:02/01/04 15:45
>753
それもイタイ武田礼賛論者ゆえのなせるわざだと思うが。
755 :
日本@名無史さん:02/01/04 15:51
>754
具体的にどのあたりがイタイ武田礼賛論?
756 :
日本@名無史さん:02/01/04 15:58
>755
さぁ?どのあたりでしょうねぇ?
757 :
日本@名無史さん :02/01/04 16:05
研究家氏にいちゃもんつけるのは腐儒ぐらいなもんだろ。
758 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:06
>756
その気になったら、もう一度このスレを読み返してみるよ。
759 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:08
>757
腐儒って誰のこと?
>>757 いちゃもんつける奴が一人しかいないとしたら
それはそれで不気味。
761 :
日本@名無史さん :02/01/04 16:23
>>760 漏れは「研究家さんの意見には同意しかねます」と言った事はあるが・・・
762 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:28
「しかねる」などと婉曲な表現ではなく
「できない」とはっきりきっぱり言いましょう。
763 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:38
>>762 その言葉を思いっきり無視して「逆説の日本史 第九巻」を単行本化した
週刊ポスト編集部、副編集長「雨男」N澤(大藁)
764 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:42
765 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:51
>>750 井沢元彦なんて単なる織田信長びいきじゃないか。
お前もう少しよく読んでみろ。
奴は信長をほめることで日本史の偉人を捏造しているだけ。
要するに「信長が世界で一番偉い」と言いたいんだよ。
「将棋はチェスより奥が深い」とことあるごとに言って
「だから日本人は世界一頭がいい」と思わせようとしていた馬鹿と変わらん
せこい論法だ。
767 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:01
>>765 将棋はチェスより奥が深いから日本人は世界一頭がいい
ってそのとおりだと思うのだが、それが何か?
腐儒なんて重度の井沢元彦マンセーじゃないか。
腐儒の投稿を少しよく読んでみな。
「他人の意見を批判する人は堕落していると我が家では見ますよ」
奴は武田研究家さんをけなす事で自分を偉く見せようとしているだけ。
2ちゃんでは「元彦」、ヤフー掲示板では「2m」なんてふざけたHN使ってさ。
要するに「俺が世界で一番の井沢先生の理解者」と言いたいんだよ。
(藁)
「将棋はチェスより奥が深い」とことあるごとに言って
「だから日本人は世界一頭がいい」と思わせようとしていた馬鹿と変わらん
せこい論法だ。
769 :
日本@名無史さん :02/01/04 17:11
770 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:12
771 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:21
>768
コンピュータはチェスの世界一の名人に勝ったが、
将棋はまだ人間がつえーんだよ!
772 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:24
何か急に盛り上がったな。
今年最初のポストっていつ発売だろう。
逆説はまだ信長編を続けるのかな。
773 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:26
774 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:29
775 :
日本@名無史さん:02/01/04 17:30
>773
なんだその中将棋、大将棋ってのは?
わしは知らんが、とにかく日本の将棋の素晴らしさは
どの駒も死ぬことはない。
これは日本人の戦争観を表現していると思う。
776 :
日本@名無史さん:02/01/04 20:03
>>775 このスレは井沢元彦の「逆説の日本史」を論じるスレだろ?
井沢は「将棋は戦争ゲームではない」と言っているんだが。
・・いや、その説に賛成か反対は別として、井沢が何を言って
いるのか、知らないで書き込むなという事だ。
777 :
日本@名無史さん:02/01/04 21:12
778 :
武田研究家:02/01/04 23:42
なんか盛り上がってますねぇ(笑)
>>749さん
>「堂々日本史」で、長篠の合戦も川中島の合戦同様、偶発的なものだった、と
>説明してますけれど、実際はどうなんでしょう?
まず『堂々日本史』を読まねば何とも言えませんねぇ。
ちょっと読んで来るまで待っていただいても宜しいですかな?
>織田と武田の衝突は必然だったのでしょうか?
>信長自身が極力武田との衝突を避けている様にも見えますし、
そうですね。『信長公記』では「味方に損害を一人も出さないために」
酒井・金森の別働隊を組織したとありますから、信長の本当の目的は
武田勢の殲滅よりも長篠城の救援であり、無理な対決は望んでは
いなかったという見方もできますね。まあ長篠城を奪還された時点で
武田軍が兵を退いたら無理な追撃をしたかどうか? といった所ですね。
>秀吉も「武田家を存続させておくべき」と進言したり、
確か『名将言行録』でそんな事を言っていましたね。
信頼性は怪しいですが、信長と秀吉のやり方の差を明確に表していますね。
でも秀吉は信長に直に言ったのではなく、後年に回想という形を取っています。
まあ信長に直に進言できる人はそういませんからね(笑)
秀吉の論旨としては「滅ぼすよりも甲斐・信濃を与えて関東攻略の
尖兵にそればよかったのに」ということでした。
多くの帰参武将を使いこなした秀吉ならではの意見ですね。
また甲斐・信濃では攻略後もうまく統治できないまま本能寺の変に乗じた
一揆で河尻秀隆が殺されていますから、その辺も考えていたのかも
しれません。
>武田家滅亡後、徳川家康が穴山氏に武田家の名跡を嗣がせてますけれど・・・
これは穴山信君が徳川家康に降った時の条件に「武田家の存続」というのが
ありまして、本当は勝頼・信勝の助命を嘆願するということなんでしょうが、
それができなかったので(できるはずもないのだが)、武田姓を名乗ることを
許されていた穴山氏に武田家を継がせようとしたということなんですね。
また穴山信君が降伏時に徳川家康に黄金二千枚(二万両)を支払ったと
言われていまして、金だけ受けとって約束を果たさないのは如何なものか、
そのような不義理は名声に関わる、そんな考えもあったのかも知れません。
とまあそれぞれの部分に関しては答えて見ましたが、長篠の合戦が
「川中島合戦と同様、偶発的」と言えるかどうか、という問題に関しては
「そうとは言えない」と思いますね。まあ本を読んでからまた書きますんで。
779 :
日本@名無史さん:02/01/05 00:49
>>778 少なくとも、武田の立場としては「偶発的」では無かったと思う。
当時の(信長登場以前の)戦は、城の奪い合いがほとんどであった。
(例外もあるが)
ただし、攻めるほうは、「城を奪ったほうが勝ち」という訳には
いかない。攻めるほうは守るほうより何倍もの兵を動員しなくては
いけない。だから攻めるほうは、その城を奪うだけでなく、救援に
きた敵兵を殲滅して、さらにできればその余勢を駆って他の城まで
陥とすくらいでないと、採算は取れないのである。
勝頼が「信玄すら陥とせなかった高天神城」を陥とした時、家臣が
「これで武田も終わりだ」と嘆いたというのは、そういう事なのだ。
高天神城は、徳川・織田の救援が間に合わずに陥落した。味方の救援
の無い城が陥ちるのは当然なのである。だから武田としては、城を
陥としただけで喜ぶ訳にはいかないのが、当然なのである。
長篠の合戦というのは、元来は武田による長篠城攻略戦である。
高天神城攻略において、徳川・織田の救援軍を撃破する事ができ
なかった武田としては、今度こそ徳川・織田軍を釣り出して殲滅
する事を目指したのは、当然の帰結であろう。
780 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:44
>>779さん
>勝頼が「信玄すら陥とせなかった高天神城」を陥とした時、
>家臣が「これで武田も終わりだ」と嘆いた
これ、著者自身が「内容に書き間違いがある」と述べている
「甲陽軍鑑」が出典ではありませんか?
781 :
日本@名無史さん:02/01/05 01:51
>>780 いくら「甲陽軍鑑」でも、「当然の事」が書いてあったら、それは
真相に近いのではないかな?
(「武田は終わり」とまでは言わなくても、「やれやれ、困った事だ」
くらいは言ったんじゃないの?)
783 :
日本@名無史さん:02/01/05 08:21
平安時代の将棋って,中将棋や大将棋でしょ.
現在の形の将棋は,室町ぐらいからかな?
過渡的な形態としては
越前の「朝倉将棋」とか
785 :
日本@名無史さん:02/01/05 13:08
>>783 井沢の本にちゃんと書いてあるよ。
(何で井沢の本を見てもいない奴が、このスレに書き込むんだ?)
786 :
日本@名無史さん:02/01/05 14:16
>>785 おまえはもれなくすべて読んでいるのか(W
787 :
日本@名無史さん:02/01/05 14:36
井沢と落合信彦って違うんですか?
788 :
日本@名無史さん:02/01/05 15:25
>>771 将棋も最近のは相当の実力がある。ハブだってコンピューターで研究してるんだよ。
人間がコンピューターよりもはるかに強いのは囲碁だ。
だがあれには「コウ」というルールがあり、指し手の可能性は無限大にある。
意味のない手まで読まないと気がすまないコンピューターは弱くて当然。
それにチェスのチャンピオンにすら勝てるコンピューターを作り出したのはアメリカ人。
将棋といえばハブもチェスを最近やっているらしいが世界では全然通用しないとな。
>>767 そんなに日本人が頭が良いなら、井沢の電波を信じる奴がいるのは何故?(藁)
789 :
日本@名無史さん:02/01/05 15:57
日本の将棋の多様性を書くならば、井沢氏は
大々将棋、摩訶大将棋、太極将棋についても取り上げるべきだったね。
790 :
日本@名無史さん:02/01/05 16:05
791 :
日本@名無史さん:02/01/05 18:17
今週の逆説の日本史
「信長様は詐術を使わずに宗教対立を平和裏に終結させました♪」
792 :
井沢狂信者:02/01/05 20:22
>>788 囲碁も日本人が世界最強の時代があった気がする……。
今は知らないけど、室町頃〜江戸前期ぐらいかな?
井沢氏の功績:多くの一般人に日本史教育への関心を持たせた。
学校教育とは違った観点での歴史の見方を教えてくれた。
うちの学校の日本史教師が井沢氏の著書を資料として使っていて、ビックリ。
時代も変わったなあ。
今日のウェイクアップに久々の出演age
793 :
武田研究家:02/01/06 01:25
>>781 個々の勝利を祝い、軍団の士気を高め、維持する。
これも当然のことであって、その場で一々嘆いてみせるなんて
ことは普通はしないだろう。
支城を片端から落とすというのは手強い敵を確実に仕留めるための
常套手段で、信玄なら小笠原長時・村上義清・長野盛政などを
相手にやっているし、信長も浅井長政相手に同じ事をやっている。
高天神城の攻略によって東遠江の支配が確実となったことを
考えれば、意味の無い勝利でも無い。
794 :
蝦夷の末裔:02/01/06 08:25
あけましておめでとう
>>767 将棋とチェスを比較して、どっちが複雑だからといって奥が深いとは思わんが。
それに、仮に将棋のほうが奥が深いとしても、
それはゲームの問題であって日本人の優良を証明するものじゃない。
世界的に行われているチェスでは、日本のレベルは低い。
日本伝統の囲碁でも世界チャンピオンは確か韓国人だ。
795 :
日本@名無史さん:02/01/06 15:29
>>794 奥が深いかどうかはともかく、将棋のほうがチェスよりも完成度
が高い(引き分けが少ない)優れたゲームだとは言える。
これは井沢が言っている事でもあるが、井沢以外の者も言っている。
欧米のチェスプレイヤーが、将棋の優れた点を認め、棋士に転じた例
は多い。また、チェスに将棋のルールを取り入れた「チェスギ」という、
チェスのフェアリールールも存在する。
もちろん、だから日本人が優れているという訳では無いのは勿論。
ちなみに囲碁は「日本伝統」ではなくて、中国→朝鮮半島→日本
と伝わってきて、ほとんどルールに変化は無かった。
日本人がいじくる所がほとんど無いほど、完成度が高かったのだ。
796 :
日本@名無しさん:02/01/07 13:16
>>750が図星だったから武田研究家逃げてるな。(w
797 :
日本@名無史さん:02/01/07 13:26
>>796 あんまりしつこいと賛同者からも嫌われるよ。
798 :
武田研究家:02/01/07 23:17
>>796 まあ別に逃げているというわけでもないんだが……
だが反論する(できる)ものでもないしな……
私が自分で「私は武田オタなんかじゃありません!」などと
言うわけにはいくまいて(苦笑)
今週の『逆説の日本史』
ここの所続いている安土宗論ネタだが、久々に「逆説」ではあるな。
まあ信長マンセーであることに変わりはないのだが(笑)
だが読者として一つ、疑問に思わずにはいられない事がある。
それは「もし安土宗論が公正なものであったのであれば、日蓮宗が勝った時は
どうするのか?」ということだ。
この点が明かされなければ、井沢氏の信長礼賛記事などに意味はないのだ。
信長の理想がいかに壮大でも、日蓮宗が勝ってしまってはその理想は
達成されないではないか。
別に安土宗論で日蓮宗が無理矢理負けにされたと言いたいのではない。
普通に負けてくれればそれに越したことは無いのだ。
だがもし日蓮宗が勝ちを収めそうになったなら、信長は何をしようとしたか。
そういった舞台裏の考察が次週以降に行われることを、望まずにはいられない。
799 :
日本@名無史さん:02/01/08 10:42
武田研究家さんが武田オタなのは知ってますよ(藁)
でもそれなりに面白い
武田研究家さんは(建前としては)井沢を論破しようとしてのであって信長を否定している訳ではない。。。
800 :
日本@名無史さん:02/01/08 12:24
>>799 武田オタが信長を肯定している訳ね。。。
801 :
日本@名無史さん:02/01/08 18:50
単に信長を否定しても何も始まらないからね。
802 :
武田研究家:02/01/09 17:12
>>749さん
『堂々日本史』から鉄砲伝来の回と武田勝頼の回をざっと見てきたんですが、
該当する部分が見つかりませんでしたんで、もし宜しければ何回目の放送分で
何のテーマに関する回だったかを教えていただけないでしょうか。
803 :
日本@名無史さん:02/01/12 20:47
今回の「逆説の日本史」の、井沢の信長マンセーは、いつもに輪を
かけてひどい。
井沢先生は神になられましたな・・・・ウソです。
まあ、信長があれだけ旧時代の権力者たちを徹底的にシメていったら行き着くところは天皇制の否定ですよね。
則天武后だって政敵倒していくうちに、退くに退けなくなって皇帝になったらしいから。
そうすると明征服もあながち秀吉の妄想ではなくて、信長がプランを練ってたのかも、と。
神を目指すとしたら中華皇帝は避けて通れない存在ですから。
本能寺はソドムのように「神の火」に焼かれました。
明智光秀は神の使者です。
806 :
日本@名無史さん:02/01/13 20:56
>>804 こんな感じですかね?
総見宗井沢派・・・
祭神:第六天魔王(織田信長)
本山:アクエリアス
教祖:井沢元彦(藁)
807 :
言霊について(マジレス):02/01/14 18:23
井沢氏は言霊について
「不吉を避けるため不吉なこと(戦争に負ける等)を言わない」
としている。しかし、
本当に日本人が本気になると
「前もって不吉なことだけ言っといて不吉を避ける」のだ
現に今年に入ってからマスコミは一斉に
「サッカー日本代表は2002年W杯で間違い無く一次リーグで敗退する」
と言いはじめている。大会が近づくにつれ
「日本は必ず負ける」と激しくなるだろう。
しかし、これは井沢氏の啓蒙が実ったからではなく、
これこそが言霊の表れなのだ。
だから日本民族が本気でアメリカと戦争を始めたのは
マッカーサーが土足で日本を踏み荒らしてきてからだ。
本気でアメリカに復讐して殲滅しようとするからこそ
「日本は何やっても必ずアメリカに負ける」と喚くのだ。
808 :
日本@名無史さん:02/01/14 19:14
>>807 なるほど。「言霊の力」を逆手に取るわけですな。
809 :
武田研究家:02/01/17 19:44
安土宗論のネタは終わりですか……ハァ……ダメじゃん(笑)
さてもう今週の「逆説」は見るに耐えないので何か別のネタやりますか。
810 :
日本@名無史さん:02/01/18 22:28
恐れ多くも武田研究家さんに突っ込み
>普通に負けてくれればそれに越したことは無いのだ。
他宗を折伏させて改宗させるこそ「正統派日蓮宗門徒」ですからね・・・・・。
>だがもし日蓮宗が勝ちを収めそうになったなら、信長は何をしようとしたか。
日蓮宗が勝利していたら「信長様からのお墨付き」をもらった事をいいことに、
逆に余計他宗への攻撃が激しくなったんじゃないでしょうか。
811 :
>>810:02/01/18 23:25
日蓮宗そのものが、教義を巡って対立と分派を繰り返しているし、
日蓮宗を保護したら、下手したらまた「法華の乱」を起こしかねない。
812 :
武田研究家:02/01/19 07:21
>>810>日蓮宗が勝利していたら「信長様からのお墨付き」をもらった事をいいことに、
>逆に余計他宗への攻撃が激しくなったんじゃないでしょうか。
そうですね。ですから
>だがもし日蓮宗が勝ちを収めそうになったなら、信長は何をしようとしたか。
ということなんです。井沢氏の力説する信長の「理想」が真実本当ならば、
結局の所、日蓮宗には負けてもらわなければいけなかったはずなんですね。
ところが井沢氏はそれを見落としている(あるいは無視している)な、と。
813 :
名無しさん脚:02/01/19 09:29
古本屋に井沢先生のファンタジー小説があったよ。
おもしろい?
武田研究家さん
ものすごい遅レスになってしまって申し訳ありません。
『徳川家康、大ピンチの処世術−検証・三方が原の大敗北』
が元ネタです。お騒がせしてすみませんでしたm(_ _)m
815 :
教えて厨房:02/01/19 11:33
816 :
名無しさん脚@813の謎:02/01/19 14:20
「ドラゴンバスター」角川文庫からでているらしい。
ネットで検索するかぎり、結構、評判よいみたいなので読んでみようかな。
817 :
日本@名無史さん:02/01/19 16:00
>>816それが信者の書いた書評でないことをお祈りします(笑)
818 :
日本@名無史さん:02/01/20 00:49
おいらも突っ込み(武田研究家さん、失礼!)
>日蓮宗が勝ちを収めそうになったなら、信長は何をしようとしたか。
信長による『王仏冥合』とか(笑)
819 :
日本@名無史さん:02/01/20 01:02
820 :
日本@名無史さん:02/01/20 04:46
>>816ブックオフ100円で買った。
糞つまらん!金返せ!
821 :
日本@名無史さん:02/01/20 05:08
直木賞作家井沢氏は、小説が書けなくなって歴史家モドキになったとさ。
822 :
日本@名無史さん:02/01/20 10:12
823 :
日本@名無史さん:02/01/20 13:54
>>821「直木賞」じゃなくて、「江戸川乱歩賞」と「なごやか賞」ね(薬)
824 :
日本@名無史さん:02/01/20 14:08
>>821やっぱり井沢は司馬遼太郎路線をねらってると思われ
無理
826 :
日本@名無史さん :02/01/20 15:45
もっと無理
828 :
日本@名無史さん:02/01/21 05:15
数ヶ月前、現代のオピニオンリーダーは?
といった感じのアンケートでベスト50〜30に入っていたので出馬すれば当選はしそう。
829 :
日本@名無史さん:02/01/21 20:48
鈴木眞哉氏の「天下人の条件」、改題して再版されましたね〜。
でも実は井沢氏の方が「月刊プレジデント」90年7月号で「天下人の条件」として
寄稿してたんですね。でもこの時は「後北条氏も天下人となり得るの条件を十分持っていた」
と書いていたのに・・・
830 :
日本@名無史さん:02/01/21 21:21
今週の逆説、また話が飛んでる。
「信玄の呪縛」にとり付かれてるのは、一体誰であろうか(藁)
831 :
日本@名無史さん:02/01/21 21:24
832 :
日本@名無史さん:02/01/22 01:17
>829
井沢は、伊達政宗が天下を取る可能性も、真剣に考えていた。
果たして、今後の「逆接の日本史」において、政宗はどう論じられる
のか?
833 :
武田研究家:02/01/24 19:56
>749さん
単行本の方で探したんですが「遭遇戦」の話は見つからなかったんで、
川中島や長篠に関しては、私なりの考えをいずれ書かせていただきますね。
今週の『逆説の日本史』
>信玄はあくまで旧世代の、古い利権構造に乗っかった「抵抗勢力」に
>過ぎないので(詳しくは第9巻『戦国野望編』参照)、天下は
>取れないし、万一「取った」としてもその政権はちょうど平家の政権の
>ように長続きはしないだろう。
もうツッコム気も起きませんね。
> しかし、歴史というものは、大局的に見ると進むべき方向に必ず
>進むものだ。
そんなこと言うなら未来がどうなるのか予言してみろゴルァ
……と思ったら、ありました。『井沢元彦の未来講座』。
さすがは井沢氏ですね(笑)
信玄は上洛しようとしていたのか? について井沢氏は「上洛説」を
唱えていますね。まあどちらとも言えないのですが、井沢氏が揚げている
根拠はいずれも反論可能であり不完全な論理でしかないですね。
個人的には信玄上洛説が好きなんですが(笑)
> 歴史の先行きを見通す目ということでいえば、久秀より藤孝の方が
>一枚も二枚も上手であった。
……そんな後世から見た結果論で断じられてもねぇ……そのような行為こそ
井沢氏が忌み嫌うものであったはずなんですが……信長礼賛のために
そこまでやるか、って感じですかね。
まだまだ突っ込み所が多いんですが、疲れるんでこのぐらいで……
834 :
日本@名無史さん:02/01/25 01:00
> しかし、歴史というものは、大局的に見ると進むべき方向に必ず
>進むものだ。
結果論の最たるもの
835 :
日本@名無しさん:02/01/25 08:01
>>833 信玄が天下を取っても長続きしなかったというのは
妥当だろ。
せいぜい足利義昭を立てて副将軍か管領として実権を握るか、
自ら将軍に立つか、要するに室町幕府の焼き直ししかできない
古い人間だよ。
毛利元就あたりの方がよっぽど新時代に即した政治が出来る。
信長が天下を取ったのは必然だろ。
彼以外に天下統一を強力に進めることが出来た人物はいない。
836 :
日本@名無史さん:02/01/25 08:31
>835
実は、軍制の点では武田の方が織田よりも進んでいたんだけどね。
837 :
日本@名無史さん:02/01/25 08:33
「進んでいた」というのは語弊があるかな。
豊臣・徳川政権のありようを歴史の「必然」なり「進歩」なりとした場合、
武田の方が織田よりも軍制の点では進んでいた、ということ。
838 :
日本@名無史さん:02/01/25 08:35
>834
散々批判している「左翼」と同じ視点なのに気付かないのかな、井沢氏は。
839 :
井沢狂信者:02/01/25 13:26
>>834 大局的に見れば、進むとこには進みますよ。
結果論云々はあんまり関係ないと思います。
進むべき方向を「階級闘争」とされると、げんなりしちゃいますが、井沢氏
は別に特定していません。
例えば構造改革に関して、歴史の実例を。
東晋末期、北方からの亡命貴族たちは江南の戸籍に入らず、事実上の
免税階級でした。
それに対して桓温、桓玄の父子が土断政策というものを推進します。
彼らはやがて帝位簒奪を目論見、実行しました。
土断というのは、亡命貴族を戸籍に入れて税金を払ってもらおうというも
のですが、桓玄は強行します。
桓玄の天下は長続きしませんでしたが、なんと彼を討伐した劉裕(荊州
軍閥の桓玄とは敵対する京口軍閥の領袖)は後に同様に帝位を簒奪し
て土断政策を実現させます。
すなわち、世の中の流れが決まっている状態では、何者であってもそれ
を止めることができないことがあるわけなのです。
歴史を記す作業には既存の法則が通用しないことがあります。
時には前言撤回する勇気が必要な分野だと思います。
今週は何気に信玄を誉めていたような気がするんですけどね。
>>武田研究家さん
テレビ放映時の内容と、単行本化した時では内容や発言が若干違ってまして(汗
「長篠合戦も川中島の戦いのように偶発的うんぬん」は童門冬二氏の発言でした。
皆さん、失礼しましたm(_ _)m
841 :
日本@名無史さん :02/01/25 19:11
842 :
日本@名無史さん:02/01/25 19:32
>>832 軍事的には宇和島と仙台、越後(松平忠輝)との挟撃。
さらに京都は後水尾上皇をそそのかし、後西天皇(伊達綱宗とは母親が姉妹)を擁立
して倒幕の勅命を出させて、大義名分を獲得すると思われ
>歴史の先行きを見通す目ということでいえば、久秀より藤孝の方が
>一枚も二枚も上手であった。
立花京子さんは細川藤孝が“明智方”として息子の細川忠興を派遣した
可能性が高い、と指摘しています。
844 :
日本@名無史さん:02/01/25 20:14
水戸光圀の実像について、大石慎三郎が面白いことを書いていた。
でかい船をつくって蝦夷の探検をさせたらしいが、
これは義経が逃げた経路を調べるためではないかとか(藁
ロシアや清の侵出に備えるためではないかとか。
水戸藩は光圀の時代、年貢はこの時期が最高率だったとか
そのせいで農民が逃亡し、23パーセントの田が荒地になったとか
1690年の隠居は、実はDQNな光圀を押し込めた結果だとか。
845 :
日本@名無史さん:02/01/25 21:12
>841
そうそう。あっ、こんなことを言ったら、東国大名中心史観
なんて言われるかな?
846 :
日本@名無史さん:02/01/26 02:12
>>835 >信玄が天下を取っても長続きしなかったというのは
>妥当だろ。
信長=統一すら果たせず
秀吉=一代限り
信玄が天下を取ったとして長続きする保証はないが、
すくなくともこいつらより短いということは有り得ない。
だって一代限りでも同列だから(笑)
>せいぜい足利義昭を立てて副将軍か管領として実権を握るか、
>自ら将軍に立つか、要するに室町幕府の焼き直ししかできない
>古い人間だよ。
「自ら将軍に立つ」ことが「古い人間」なのであれば家康などは
「古い人間」の最たるものになるだろうが、実際に長続きさせたのは
家康である。信玄の政策を検討することも無しにそのように断じるのは
如何なものか。
>毛利元就あたりの方がよっぽど新時代に即した政治が出来る。
毛利家などの方がむしろ豪族連合の域を脱してはいない。
>信長が天下を取ったのは必然だろ。
なるほど「京周辺」のみを以って「天下」と呼ぶ風潮はあった。
その意味で信長は天下人である。が、それだけでは三好長慶と
同じである。当時の記録では三好長慶も天下人と呼ばれている。
>彼以外に天下統一を強力に進めることが出来た人物はいない。
秀吉。
847 :
井沢狂信者:02/01/26 02:26
久しぶりに盛り上がりそうな予感
>>846さん、
>>835さんが言っているのは「室町幕府の焼き直し」の幕府
政治なんじゃないかと。
やっぱりこの時期は人間が入れ替わる時期だったんでしょうね。
信玄だって決して旧いタイプの人間ではないのでしょうけど、家康に影響
与えるくらいなんですし。
家康は世の中の流れを見極められたというのが成功の秘訣かと。
長生きって大事ですね。
848 :
日本@名無史さん:02/01/26 02:30
>846
秀吉は信長の遺産を受け継いだだけでしょう。
革命を起こすのと、その後を統治するのは
違う才能なのです。
信長は自分の天命を全うした後に、
あたかも天の意思によって去っていったとでも
言うべきだと思います。
>信長=統一すら果たせず
なんて言うなら、
坂本竜馬だってそうなんだから。
竜馬=維新すら果たせず その前に暗殺さる。
竜馬は歴史的役割をしっかりと果たしたでしょうが。
849 :
武田研究家:02/01/26 02:41
名前入れ忘れてたよ(笑)私が846です。
>井沢狂信者さん
>
>>846さん、
>>835さんが言っているのは「室町幕府の焼き直し」の幕府
>政治なんじゃないかと。
「室町幕府の焼き直し」程度の政策では戦国大名としての大成なんて
ありえないのが戦国時代。信長が将軍を擁立していながら室町幕府の
政策を否定したのはむしろ当然であるし、信玄の政策とて「室町幕府」の
範疇に収まるものではない。835氏のような発言は「信玄=古い人間」
という認識から出発している、まさに井沢氏レベル。
もう一度書きます。信玄の政策を検討することも無しにそのように断じるのは
如何なものか。
>やっぱりこの時期は人間が入れ替わる時期だったんでしょうね。
まあ私は「時期」とか進歩史観とか大局的に見れば云々とかは
信じていませんが。
>家康は世の中の流れを見極められたというのが成功の秘訣かと。
>長生きって大事ですね。
まあ「結果」はそうですがね。
政宗ほど遅く生まれてはダメ、信玄ほど早く生まれてもダメ。
それを「運命」と呼ぶかどうかは意見が分かれるでしょうがね。
「結果論」で言えば信長なんて「つなぎ」に過ぎないわけですからね。
850 :
武田研究家:02/01/26 02:48
>>848 >秀吉は信長の遺産を受け継いだだけでしょう。
>革命を起こすのと、その後を統治するのは
>違う才能なのです。
もう何度も書いているが、信長の政策に「革命性」を見出すのは容易ではない。
信長の政策も他者の「いいとこ取り+発展」なのである。
秀吉の政策が信長の「いいとこ取り+発展」だからといって
信長>秀吉を証明できるものだろうか。
>信長は自分の天命を全うした後に、
>あたかも天の意思によって去っていったとでも
>言うべきだと思います。
この辺は学術的な議論が不可能なんでコメントは控えさせていただきます(笑)
>なんて言うなら、
>坂本竜馬だってそうなんだから。
>
>竜馬=維新すら果たせず その前に暗殺さる。
>
>竜馬は歴史的役割をしっかりと果たしたでしょうが。
まあ竜馬をどう評価するか自体も難しいことだと思いますが、
少なくとも「竜馬が維新を達成した」と論ぜられることはありません。
そのために多少の働きがあったとは言えるかもしれませんが。
なぜ世間では「信長は天下を取った」として論ぜられるのでしょうか?
851 :
日本@名無史さん:02/01/26 03:04
信長とか竜馬って偉くないのか。知らんかった。
852 :
日本@名無史さん:02/01/26 07:46
ところでさあ、信長は新しくて信玄は古いという人は、
具体的にどういう政策が新しい又は古いといっているの?
853 :
蝦夷の末裔:02/01/26 10:36
>>844 >ロシアや清の侵出に備えるためではないかとか。
水戸光圀がこの政策を出したのは、文面からすると1690年より前ですね?
だとすればロシアの侵攻に備えるはずがない。
日本がはじめてロシアを意識するようになるのは1725年頃です。
またロシアが日本に目をつけるようになるのも1700年あたり。
854 :
井沢狂信者:02/01/26 12:43
>>849 信玄って信長包囲網に参加してますよね。
イニシアチブを取れる立場にいるのは義昭か信玄かちょっと遠くて毛利
とかって感じだとは思うんです。
何が言いたいかというと、あの時点(1573年)で信長を破って、連合の盟
主になれたとしても、そこから更に毛利や義昭を倒せたかということです。
歴史上、小が大を食うというパターンは数多くあります。
その結果立場が逆転するということも(官塗の戦いなど)。
信玄が最大勢力になったとき周囲はどうなるのでしょうか?
信長に限らず、義昭なども遠交近攻の策戦で信玄を苦しめるようになる
のは間違いありません、上杉、北条を使ってです。
信玄が上洛したとしても大名連合の政治になる可能性が余りにも高すぎ
るのです。
信玄が古い人間というわけではなく、後方に上杉、北条という大大名がい
るゆえにそうせざるを得ないのです。
普通の時代なら日和見主義者たちが「甲斐源氏」の名門で甲、信、上州
駿の支配者の信玄に靡かないはずがないのですが、戦国時代の悲劇
というか、周りが強すぎました。
信長が天下に最接近できた原因が斎藤義龍の夭逝だと言われるぐらい
ですから。
855 :
日本@名無史さん:02/01/26 13:21
>854
1689年に清がロシアとネルチンスク条約結ぶまでロシアは沿海州に何度も
侵略してますからね・・・。1651年の清のロシア軍討伐に、朝鮮が日本に援軍を
ひそかに依頼した文書が日光東照宮に残ってますし・・・
(吉田金一「ネルチンスク条約と東アジア諸国」など)
856 :
日本@名無史さん:02/01/26 13:28
信長は信玄に京都を制圧されても三好氏、長宗我部氏を頼って四国に逃亡するも、
14代将軍、足利義栄の弟、足利義助を擁して復活。。。なわけないか(自嘲)
857 :
蝦夷の末裔:02/01/26 13:40
>>狂信者さん
>信玄が最大勢力になったとき周囲はどうなるのでしょうか?
>信長に限らず、義昭なども遠交近攻の策戦で信玄を苦しめるようになる
>のは間違いありません、上杉、北条を使ってです。
秀吉と徳川・北条・伊達連合は確かに対立しました。
けど彼らが西の毛利一族と連携して豊臣にあたるとか、
上杉・佐竹も味方に抱き込むようなことをしたでしょうか?
この二氏は秀吉陣営ですね。間違いありませというのは過言でしょう。
秀吉が景勝を味方にして家康と当たったように、
もし武田包囲網が出来ても反対に武田につくものも当然いるはず。
>そこから更に毛利や義昭を倒せたかということです。
倒せないと思いますが、それと天下統一の話は別問題。
豊臣秀吉だって徳川・上杉・毛利という強大な敵を倒すことが出来ず、
いい条件で味方にすることによって天下統一を果たしました。
豊臣政権晩年の五大老の制度はまさに大名連合の政治です。
宇喜田秀家は別として、4人の強豪とくに徳川と前田が互いに牽制する形で、
「大名連合の政治」になっていたのですな。
豊臣は二代目の時に滅亡したが、信玄には勝頼という強力な後継者がいるから、
代を重ねることで武田による天下が固まっていくということが考えられる。
俺は信玄が信長を倒すことができたかには疑問を持っているが、
(この意味で、武田研究家さんとは一線を画す者です)
かりに何かの拍子で武田が織田を倒していれば、武田の天下はありうると思う。
858 :
蝦夷の末裔:02/01/26 13:52
>>855 番号を間違えていますよ。それはさておき、勉強になりました。
ありがとうございます。
ともあれ17世紀までのロシアでは日本とインドの区別が出来ていないんですね。
1600年ごろに日本人修道士がモスクワに行ったらしいけど、
日本はインドのそばにあるとかトナカイに乗っているとか、
「魏志倭人伝」か「東方見聞録」みたいな文書が残っているとな。
859 :
【^▽^】ジョーカー武蔵太郎@横濱:02/01/27 00:05
>>856 1573年当時の織田家と長宗我部氏の関係は良好でしたので、信長は三好氏を通じて
四国に逃れて再起を画策していたという記述のある文書があります。
「(信長は)尊氏公の例に倣いて(平島)公方様を上洛せんとの名目にて本州に移らんと欲す」
(ソースは「土佐一条氏の研究」著者は飲酒中につき失念。)
本能寺の変の時も長宗我部氏は平島公方、足利義助を一旦は擁してますし、
長宗我部氏は山崎の合戦で敗走した明智勢の残党を多数匿ってます。
秀吉の四国征伐に際して旧明智勢が参戦してますが、秀吉は明智勢の残党をあらかじめ
秀吉側に寝返らせ、石田三成の配下に組み込んで、長宗我部軍を破ってます。
「鳥なき島の蝙蝠」もなかなか。
860 :
日本@名無史さん:02/01/27 00:09
んっー!
このスレ井沢さんチェックしてるでしょ。
861 :
日本@名無史さん :02/01/27 14:51
>>890 なんで懐良親王に、九州自立の発想が表れてくるのか、
大内や安芸武田が、独自に朝鮮に慶賀使を送り続けたのか?
「続善隣国宝記」には朝鮮が将軍職就任前の足利義秋をすでに「日本国王」と呼んで
明宗の死去と宣祖の即位、さらに明が海禁政策を解除したことまで知らせてるし。
862 :
日本@名無史さん:02/01/27 14:59
>>158つまり、摂関政治から院政に移った経緯となりますと、
よく言われるのは、後三条天皇の即位が院政の契機ということですが、
これは、頼通、教通の兄弟が何人もの娘を入内させたんですが、結局、皇子は産
まれず。三条天皇の皇女禎子内親王を母とする尊仁親王が即位して後三条天皇
となった。ここで、ついに摂関家が外戚の地位を失い、しかも天皇の母后が摂
関家の娘でなくなった。(と、ここまでは井沢氏も書かれていますが。)
こうなると当時の政治体制では権力の裏付けがなくなるわけですし(特別な臣
下からただの臣下になる)、皇位継承や摂関継承にも影響力を持つ母后も他人
になってしまうわけですね。こういう条件が成立したわけですから、後三条天
皇は親政がしやすくなった環境を手に入れたわけです。そして、実際に延久の
荘園整理令では摂関家領にも手を入れたわけですし、また、頼通と教通の関白
継承争いでは天皇の裁定を仰いだなんてこともあるわけです(摂関継承権を天
皇・院が手に入れたということ)。そして、このような実績の累積を通して、
次第に天皇そして、その父系である院の権威が増してくるというわけです。
一方、院が権威を増す過程で、その側近も台頭していくわけですが、彼らは、
例えば、大江匡房のような学者官僚や実務官僚、あるいは受領など、天皇や摂
関家との血縁で出世した訳でなく、実務能力や財力で登用された人および院の
庇護で成長した人たちであり、天皇の身内であることが権力の源泉であった時
代とは、時代が変わってしまったんですね。もちろん、政治体制も、それまで
の内裏・太政官の一体型から、院が最終的決定権を有した形で天皇・摂関と三
者の間で連携する体制に変わっていってます。
実は、院政期になっても摂関家の息女が入内することはあったんですが、つい
に昔日の栄光を取り戻せなかったのは、この辺りの事情が関係しているのでは?
あと、宇多帝時代の菅原道真と院の近臣や側近との違いは、彼らは、摂関家と
は、深刻な対立関係になかったこと、藤原一族vs宇多・道真というような対立
図式が存在しなかったこと。で、藤原一族が結束して院政に対抗するというこ
とはなかった、と推定する事も出来ます。
スレ違いスマソ
865 :
日本@名無史さん:02/01/27 15:37
>>50 小栗がいなきゃ日本の金は騙されたまま海外に流出してたんだぞ。
アメリカの金貨の銀混合比と日本の小判の金銀混合比は違っていて、
それを小栗が指摘して、是正しようとしていたわけ。
井沢元彦の「銀魔伝 竜馬暗殺編」の予告編では、
竜馬と小栗が殺された真相はここにあった、と電波ゆんゆん(藁
866 :
日本@名無史さん:02/01/27 16:33
わはははははははははははははははははははははははははははははははははは
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
rr二二二二二ニニニ--__、
r/r/l l r二二二二二二二二ニニ--_、
,'ニ三| | l 川川r二三三三三二=====ヽ、
,'二三三二川川川川川三三二二二=====ヽ
',二三;r'::::::::: ` ̄::::::ヽ二三三二=ヽ,
,'三=;/:::::::::: ::::::::`、二三三=ヽ,
;三=;;l:::::::::: :::::l三三三三ニ=ヽ
;二三:|:::::::,,,,,, ...,,,,,,,,,,, ::::l三三三三ニ=;
;三=;|::..kkkkkiiiiiis::.. ..::wlllffffffffffffffs ::::|三三三二二;;
;//;l:::: il' ` '' `ヾ、 :::ヾ三三三二ニ;;
l l l|:: _, -r。- 、 ::: ::: ,- r。-- 、_ ::::l三三三二;
l:l: l:  ̄ー  ̄ ̄_'.:r ヽ `  ̄ ̄ ー ̄ ::::|ヾヾヾ=r ̄ヽ
l l|::  ̄:/ ヽ ` ̄ ::::::|j'j'j'ヾ=f `l |
`ll: :| ヽ ::::|jjj:::`=f rノ
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ヽ 、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ................ :::;;;;;;;;;;::|
l ー――――-- ' ;;;;;;;::::::::::::|
867 :
日本@名無史さん:02/01/27 18:28
>>859 1573年当時は信長と三好氏の仲が悪かったから三好氏を通じることが
できないんじゃないか?
長宗我部氏と仲が良かったのは「四国切り取り次第」を許していた時期だからで
あって、それは長宗我部氏と三好氏の対立も表している。
868 :
【^▽^】ジョーカー武蔵太郎@横濱:02/01/27 23:02
>>867 「三好氏」だけ余計でしたな。失敬失敬。
869 :
日本@名無史さん:02/01/28 09:25
>信長の政策も他者の「いいとこ取り+発展」
>秀吉の政策が信長の「いいとこ取り+発展」
信長が大成功を収めたからこそ他者の「いいとこ取り+発展」を他の人も気が付いたのである。
秀吉はM&Aに優れていたと言うべきかな。
870 :
日本@名無史さん:02/01/28 12:28
いいとこみるってのは、人生において大事ですな。
まあ、悪い部分や、陰の部分は抹殺するか、宗教にしましょう。
by ノブ
871 :
日本@名無史さん:02/01/28 22:30
>>869 オタここに極まれりだね。「いいとこ取り+発展」が信長以前に
一つも例が無いとでもいいたいのか。
872 :
日本@名無史さん:02/01/28 22:39
873 :
日本@名無史さん:02/01/29 02:02
>>854 >信長が天下に最接近できた原因が斎藤義龍の夭逝だと言われるぐらい
ですから。
そうそう。その通り。
しかし、その意見は、思いっきり井沢説に反しているんじゃ?
井沢説では、桶狭間以降、信長は家康に東方を任せ、ひたすら京都
へ、天下への道を目指したとしているぞ。
事実としては、織田信秀が、今川、斉藤の両者を敵にして、2正面
作戦を強いられて挫折した失敗を、息子の信長は繰り返さないように
努力しただけの事。
仮に、適切な同盟者が、東ではなくて西にいたら、信長はそいつと
同盟して斉藤に当たらせ、自分はひたすら今川領に侵攻したであろう
事は、想像に難くない。
874 :
日本@名無史さん:02/01/29 12:23
>871
そう読めるのかな、藁
875 :
日本@名無史さん:02/01/29 12:50
876 :
蝦夷の末裔:02/01/29 14:20
武田研究家さん
>なるほど「京周辺」のみを以って「天下」と呼ぶ風潮はあった。
>その意味で信長は天下人である。が、それだけでは三好長慶と
>同じである。当時の記録では三好長慶も天下人と呼ばれている。
この文章を読んで、ふと思いついたことです。
三好はあくまでも足利将軍の下で「天下人」でしたね。
信長はというと、義昭を追い払っているという違いがあります。その意味で、
・「信長の足利を擁しない構想」=新
であるとしてみましょう。
井沢氏はおそらく、「信玄は足利将軍を支えるだろう」と考え、その意味で、
・「信玄は足利政権に組するしか考えない」=旧
といいたいのではないかと。(ガラにもなく井沢の弁護をしてみました、藁)
俺は武田信玄の構想については何も知らないためうかつな事言えませんが、
これについてはどんなものでしょうか。ご意見ください。
どうでもいいけど、「将軍=旧」だとすれば、
信長の路線を継いだことにされている秀吉はどうするんでしょう。
確か義明の養子になって将軍職を継ごうとしていなかったか?
だとすれば秀吉は「旧式」。信長の後を継いだことにはならない。
877 :
日本@名無史さん:02/01/29 14:27
秀吉が義昭の養子になって将軍職を継ごうとしていた事実はありません。
878 :
日本@名無史さん:02/01/29 14:36
あったかもしれない
879 :
日本@名無史さん:02/01/29 21:26
>あったかもしれない
源氏でないと征夷大将軍になれない(という慣例だった)ので、
足利(源氏)義昭の養子になろうとしたんじゃなかったかな(が、
結局は養子にはしてもらえなかった)。
その後、近衛(藤原姓)前久の猶子になって、関白になった。
880 :
日本@名無史さん:02/01/30 01:28
881 :
蝦夷の末裔:02/01/30 15:43
>>880 よかった、ガセネタかと心配して探していて、見つからず焦ってたんよ(藁
フォローTHANX
変換ミスしてたね、義昭<義明と書いてる(汗
882 :
日本@名無史さん:02/01/30 15:56
源氏でないと将軍になれないというのも
変な話じゃないか。
坂上田村麻呂をもちだせば前例重視の朝廷としては
認めるしかないんじゃないの。
秀吉の取り巻きにはこの程度の策もだせなかったのか?
883 :
日本@名無史さん:02/01/30 16:08
>>879 源氏でないと征夷大将軍になれないという慣例など存在しません。
仮に源氏でなければなれないとしても
秀吉が本気で征夷大将軍になることを望むのなら
義昭の養子になることにこだわる必要は全くありません。
884 :
日本@名無史さん:02/01/30 16:15
>>883 こだわったかこだわらないかじゃなく事実があったかないかだろヴォゲ
885 :
日本@名無史さん:02/01/30 16:20
>>884 日本語が不自由な方のようですね。
大前提は源氏である必要がないということです。
886 :
蝦夷の末裔 :02/01/30 16:36
俺としては史実と思って書いたことが877氏にいきなり否定されて困ったんですけど。
880さんはそういう話をしているんでしょ?
でももういいよ、俺は武田研究家さんのご意見待ち。
887 :
日本@名無史さん:02/01/30 16:43
>886
義昭に断られたという話は聞いたことがありますが
出典はご存知ですか?
888 :
武田研究家:02/01/30 17:24
秀吉が義昭の養子になろうとしたって話は『改正三河後風土記』にあったはず。
徳川家ベッタリな本だから家康の美談はアテになりませんが秀吉に関しては
その限りではないので、信用しても問題ないのではないかな。
今週の『逆説の日本史』……
プラスイメージになることは「偉大だ、革命的だ!」と褒め称え。
マイナスイメージになることは「それしか方法はなかった。苦渋の決断だ」
と弁護する。なんだかなぁ……
「京都焼討ちの深謀」と題しておいて「それしか方法はなかった」って
だったら深謀遠慮でもなんでもないでしょってね(苦笑)
なんだか週を追うごとに内容がひどくなっていくんだけど……
889 :
日本@名無史さん:02/01/30 17:28
>888
義昭の養子になったらどんな特典が?
890 :
日本@名無史さん:02/01/30 17:33
>>889 征夷大将軍になれる。
信長は若い頃「藤原信長」と名乗ったり歳とってからは「平信長」と
名乗ったりしたけど、秀吉は出自を誤魔化す暇がなかったから。
だから誰かの養子にならないと朝廷の要職にはつけない。
>>886 これ言うの恥ずかしいけど、光栄の信長の野望武将ファイルに載っていました。
厨房丸出しですいません。
ところで実際のところ、織田家の姓は平なのでしょうか?
結構気になるのですが。
姓が平なら官位もらうときの書状には平信長ってなりますよね。
右大臣もらったときの書状知っている人いますか?
892 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:19
>>狂信者さん
信長が平氏を名乗ったのは
@武家として太政大臣にまでなった平清盛
A執権として鎌倉幕府政権を掌握し、事実上「日本国王」だった北条氏(北条平氏)
のどちらかにあやかろうとした、というのが最近の通説(今谷明氏、宮上隆茂氏など)
です。
ちなみに征夷大将軍=源氏限定説は「平家物語」「太平記」が元ネタのようです。
893 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:41
関白就任時の秀吉は「藤原」姓だったんだよね・・・
894 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:52
>>877,883
>秀吉が義昭の養子になって将軍職を継ごうとしていた事実はありません。
何も知らないで無知を暴露したこと言ってて、偉そうに。馬鹿みたい。
>源氏でないと征夷大将軍になれないという慣例など存在しません。
だからこれも怪しいものです。
>仮に源氏でなければなれないとしても
>秀吉が本気で征夷大将軍になることを望むのなら
>義昭の養子になることにこだわる必要は全くありません。
こだわったのは事実じゃないですか。
この知識の半端さと傲慢な文章。
もしかして井沢せんせの大ファンだった○○サンですか?
895 :
武田研究家:02/01/30 23:12
>>891 信長の織田家について、以前は平清盛の孫・資盛の子・親真が
越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の嗣子となり織田姓を称した事に始まるという
のが通説でしたが、信長が初期に発給した書状では「藤原信長」などと
署名しており、本当に平氏なのであれば誤魔化す必要も無いわけですから、
平氏説は後付けだろうと考えられます。
では本当に藤原氏なのかと言えば、藤原氏から織田氏へのつながりが
見えてこない。
そこで最近では織田剣神社の神官をやっていた忌部氏ではないかと
言われています。
>>876 蝦夷の末裔さん
>三好はあくまでも足利将軍の下で「天下人」でしたね。
そうですね。『信長公記』において「天下の執権」と表現されています。
形ばかりの将軍を要していた鎌倉幕府の執権・北条氏と同じパターンです。
>信長はというと、義昭を追い払っているという違いがあります。その意味で、
>・「信長の足利を擁しない構想」=新
>であるとしてみましょう。
自分で天下を取れば「新」というのも平清盛・源頼朝・足利尊氏・足利義満
などを馬鹿にした話ではありますが。
>井沢氏はおそらく、「信玄は足利将軍を支えるだろう」と考え、その意味で、
>・「信玄は足利政権に組するしか考えない」=旧
>といいたいのではないかと。(ガラにもなく井沢の弁護をしてみました、藁)
『甲陽軍鑑末書』では信玄自身は相模に「新鎌倉」を築いて政庁とし、
義昭は大阪・石山本願寺に預けておくという構想だったようです。
そういう意味では井沢氏は正解です。
>どうでもいいけど、「将軍=旧」だとすれば、
>信長の路線を継いだことにされている秀吉はどうするんでしょう。
>確か義明の養子になって将軍職を継ごうとしていなかったか?
>だとすれば秀吉は「旧式」。信長の後を継いだことにはならない。
信長は義昭を「追放した」と言われますが、実際には「逃げられた」だけです。
室町幕府では九代将軍以降は常に京にいられたわけではありません。
流浪の連続です。が、京にいなくとも、征夷大将軍がいる場所が幕府です。
足利義昭は1588年に出家するまで征夷大将軍の地位を保持していますから、
幕府は中国地方に移っただけで1573年以降も存続していたことになります。
信長は秀吉を通じて義昭が京に帰るように工作していました。
実力では日本一となった秀吉は、将軍になりたければ義昭の養子になるしか
なかった。だが断られた。そこで関白の道を選んだ。
信長は右大臣までは進んでいますが、天皇を担いだままで日本を統治するので
あれば、名目上官位を得る必要があります。義昭が信長を養子にするわけが
ありませんから、結局は秀吉と同じ事をする、つまり関白か太政大臣かに
就任することになったでしょう。
もし信長の構想が「革新的」なものである場合があるとすれば、
それは信長が天皇以上の存在を目指す時だけでしょう。
896 :
日本@名無史さん:02/01/30 23:23
秀吉が義昭の養子にこだわったのは、征夷大将軍になりたいからではなく、
ただ単に天下取ったも同然だから、当時生き残ってた武家の中で一番名門の家名を
名乗りたいと思っただけなのではないか。どうせ詐称バレバレなら最も高いのを狙ったとか。
897 :
日本@名無史さん:02/01/31 09:12
>>894 >何も知らないで無知を暴露したこと言ってて、偉そうに。馬鹿みたい。
あなたは何をご存知なのですか、偉そうに。馬鹿みたい。
>だからこれも怪しいものです。
何も知らないで無知を暴露したこと言ってて、偉そうに。馬鹿みたい。
古代まで遡らなくても鎌倉将軍を見ればすぐわかること。
>こだわったのは事実じゃないですか。
相当オツムが悪いみたい。
源氏しか将軍になれなかったとしても
そんなに将軍になりたいのなら義昭に断られても
他の源氏の養子になればすむこと。
>この知識の半端さと傲慢な文章。
>もしかして井沢せんせの大ファンだった○○サンですか?
この無知無能ぶり、知性のかけらも感じさせない文章。
しかも妄想で他人と同一視するあたり、本物のオバカサンですか?
898 :
日本@名無史さん:02/01/31 09:39
>>890 平秀吉として朝廷の要職についてますよ。
899 :
けだものwithoutお面:02/01/31 10:46
>>897 >源氏しか将軍になれなかったとしても
>そんなに将軍になりたいのなら義昭に断られても
>他の源氏の養子になればすむこと。
横から失礼いたします。
室町期において、公方(足利)倒れば今川継ぐ。今川倒れば
吉良が継ぐ。と言われていたと思います。(江戸期吉良家が高家筆頭
で有ったのはこの為では)
ゆえに、足利氏以外の源氏では正当性に疑問符が付いたのでは
ないでしょうか?
900 :
日本@名無史さん:02/01/31 10:50
900!
901 :
日本@名無史さん:02/01/31 11:00
ところで足利義昭の系統はどうなったの?
義昭の京都追放のときに信長に人質として差し出した
息子とか。秀吉は義昭をある程度優遇したと聞くけど。
902 :
日本@名無史さん:02/01/31 11:04
>>889 それって単なる足利将軍家の継承順位ではないですか?
それに家康は自称(?)新田氏で足利氏ではないと思いますが。
903 :
日本@名無史さん:02/01/31 12:41
>901
義昭の子孫は、信長に人質に出されていた嫡子の義尋と、
庶子で一色氏に養子に出されていた義喬と、
庶子で鹿児島に移り、島津家の臣永山氏の名跡を継いだ義在の、三子がいたようです。
足利氏嫡流は義尋の子義尊が、僧籍にあったため子がなく断絶し、
一色義喬の子孫は坂本氏を名乗り、会津藩の保科家の客臣となったようです。
904 :
蝦夷の末裔:02/01/31 14:07
>>狂信者さん
いや全然厨房じゃないですよ。
なにが元でも、正確な知識を身につけることがとても大事だと思います。
光栄の本だって、専門の本から抜粋してきてるわけじゃないですか。
>>887さん
すみません、武田研究家さんが答えてくれているんですね。
でも俺は狂信者さん同様何かの本に書いてあることの受け売り。
それが見つからなくてうろうろしているところなんですけど(藁)
で、もう一度。
>なるほど「京周辺」のみを以って「天下」と呼ぶ風潮はあった。
>その意味で信長は天下人である。が、それだけでは三好長慶と
>同じである。当時の記録では三好長慶も天下人と呼ばれている。
この文章を読んで、ふと思いついたことです。
三好はあくまでも足利将軍の下で「天下人」でしたね。
信長はというと、義昭を追い払っているという違いがあります。その意味で、
・「信長の足利を擁しない構想」=新
であるとしてみましょう。
井沢氏はおそらく、「信玄は足利将軍を支えるだろう」と考え、その意味で、
・「信玄は足利政権に組するしか考えない」=旧
といいたいのではないかと。(ガラにもなく井沢の弁護をしてみました、藁)
俺は武田信玄の構想については何も知らないためうかつな事言えませんが、
これについてはどんなものでしょうか。研究家さん皆さん、ご意見をお待ちしています。
905 :
日本@名無史さん:02/01/31 14:21
武田が幕府を作るとしたら徳川幕府と同じことをすると思う
906 :
蝦夷の末裔:02/01/31 14:25
投稿する前に確認するんだったなぁ。
>>895を見ていない俺、馬鹿(藁)
>自分で天下を取れば「新」というのも平清盛・源頼朝・足利尊氏・足利義満
>などを馬鹿にした話ではありますが。
全くそのとおりだと思います。確かに頼朝の構想は「新」といっても良いけど、
信長が、具体的にどのように新しい構想を練ったのかを書かなければなりませんね。
>もし信長の構想が「革新的」なものである場合があるとすれば、
>それは信長が天皇以上の存在を目指す時だけでしょう。
本能寺で死ななければ…と、いつものIFで話を展開させそうですねぇ
>『甲陽軍鑑末書』では信玄自身は相模に「新鎌倉」を築いて政庁とし、
>義昭は大阪・石山本願寺に預けておくという構想だったようです。
>そういう意味では井沢氏は正解です。
なるほど、足利を擁立するという点では、「旧」といえるかもしれない。
でも信玄が考えてたことは過去の執権や管領と違います。
その意味で新しい構想だという主張も成り立つわけです。
もちろん「旧」が悪く「新」が善い、という理論もないけど。
>室町幕府では九代将軍以降は常に京にいられたわけではありません。
実はこの辺については、足利将軍の一覧に僅かに書いているのを消防の時に読んだだけで、
詳しいことを何も知りません。いろいろ教えてください。
>信長は義昭を「追放した」と言われますが、実際には「逃げられた」だけです。
>足利義昭は1588年に出家するまで征夷大将軍の地位を保持していますから、
>幕府は中国地方に移っただけで1573年以降も存続していたことになります。
たしかに京都から追放=幕府滅亡というのが定説っぽいけど、(教科書にも書いている)
中国地方にいて信長包囲網をしいていたんだから、幕府の力は生きていたことになります。
逃がしてしまったのは、信長が「やさしかった」のか、
それとも後々のことを考えなかったのか…
どうもありがとうございました。
>>892さん、
>>895武田研究家さんレスありがとうございます。
>>906 義昭を保護していた毛利家は相当困っていたという話を聞いたことがあります。
やっぱり天下を競う気概を持たず、天下を想像するだけで終わってしまう大名が数多くいたのだと思います。
足利義稙の遍歴については逆説八巻に詳しく書いてありましたよ。
細川政元や大内義興との絡みで。
足利義輝なんかは将軍位に就任するや否や朽木谷に落ち延びています。
それ以後は三好との和合集散の繰り返しで、京と朽木谷の往復生活。
他の当主も似たり寄ったりだったはずです。
気骨があったのは義輝、義秋の兄弟ぐらいだと思うんですが。
908 :
日本@名無史さん:02/01/31 17:02
>>895 >信長は義昭を「追放した」と言われますが、実際には「逃げられた」だけです。
これどういうこと?逃したんじゃないの?
逃げられたとしたら信長は相当馬鹿だろ。
そのあとの三好義継攻めは義昭が若江から逃れたのを確認したうえでの行動かと思ったが。
909 :
日本@名無史さん:02/01/31 21:48
879です。
不十分な表現で混乱させてしまって申し訳ないです。
「源氏でないと征夷大将軍になれない」という話が載っている本
がどこかにいってしまって見つからないので、ネットで調べて
みたところ、上記のことを言っているサイトは多く、ある程度
広まっている説であることは確かなようです。
ですが、882さんがおっしゃっているように、史実として、すべて
の征夷大将軍が源氏というわけではないので、もう少しいろいろ
なサイトを見てみたところ、室町時代までの間に、しだいに「征夷
大将軍は源氏」という認識が広まったようです。
上記のことも含めて、征夷大将軍に関して詳しいサイトがありま
した(↓)。
http://www.din.or.jp/~wildrice/jake/ROD/Topic01_1.html
910 :
日本@名無史さん:02/01/31 22:42
>>908さん
「逃がした」でも同レベルだと思います。だって後で仇になるのですから。
平清盛が頼朝を殺さなかったのと同じです。
あと
>>883「こだわる必要は全くありません」ですが、こだわったのは秀吉です。
「必要ない」なんて言葉は、私じゃなくて秀吉にいえばいいと思います。
だれかさんは「そんな事実はない」なんていってるけど、
秀吉がこだわっていたのは事実ですよね〜
そのだれかさんとの会話はおしまいにします。
みなさん、馬鹿同士の会話で荒らして、すみませんでした。
911 :
日本@名無史さん:02/01/31 23:26
全国統一を果たした秀吉としては、源氏になるにしても、
「そのへんの源氏じゃだめ!やっぱり足利氏の養子じゃないと!」
とか思ったとか?
912 :
日本@名無史さん:02/02/01 00:45
>>908 武田研究家氏によれば
>信長は秀吉を通じて義昭が京に帰るように工作していました。
らしいから、「逃がした」わけではないでしょ。
逃がしておいて「やっぱり帰ってきてください」じゃ信長が
あまりにもアホ過ぎる(泣)
913 :
日本@名無史さん:02/02/01 09:01
>>910 馬鹿はおまえだけなんだよ、このヴォケ!!
914 :
日本@名無史さん:02/02/01 09:23
>>913 喧嘩両成敗ということで、両者とも更迭。
他のスレで朝廷が平氏である信長に征夷大将軍就任を
要請してたって話題になってたけど
これは暗に義昭の養子になれってこと?
それともそんな要請はなかった?
915 :
日本@名無史さん :02/02/01 15:52
今週の逆説読んでいて大疑問。
信長の下京焼き討ちは「武田信玄が迫ってきてるから」と井沢氏は説明しているけれど、
別な本(歴史IF物語など)では、
「信玄が上洛を果たすまでには、占領地域での支配の確立などで、どんなに早く上洛出来たとしても
三年以上はかかってしまう。」と言ってる。
>>915 井沢が本によって違うことを書くのは今に始まったことじゃないでしょ(ワラ
>>913 冷静になれない奴だなーほんとにウザイ
>>76さん
本当に遅くなってしまってすみません。元ネタが判明したのでご報告。
>即位の経緯を巡って黒い噂がありますよね。遺詔には「伝位十四太子」
>とあったのを「伝位于四太子」書き換えたとか、
元ネタは「清朝野史大観」なんですが、どうもまるっきりウソでは無いようです。
溥儀の自伝「我が半生」にも乾隆帝が叔父たちの怨霊を静めるために作らせた
秘密の仏閣が紫禁城内にあった、と書かれてますし。。。
ちなみに排除された第十四皇子允題は、乾隆帝の即位後、恂親王の位に戻り、
八極拳を広めた方として知られてます。
呂和尚のモデルは、どうも雍正7(1729)年の文字の獄で断罪された呂留良とその一族
だと言われています(陳舜臣「景徳鎮の贈り物」より。
918 :
日本@名無史さん:02/02/01 17:13
(続き)
>中国史上の人物で信長の類型(立場的に)を敢えて求めるてみると
>後周の世宗柴栄ってところでしょうか?(秀吉=宋の太祖、家康=宋の太宗)
>ただ、宗教対策に関しては世宗の方に分があるかも知れません。
たしかに当てはまりますね。。。(私個人としては信長=曹操が最も近いかと。)
えっと、失礼しました。
俺は信長は何気に朱全忠タイプなのでは?と勘繰ってみたりして。
経済政策は人並み以上(開封に遷都)、戦争には勝ったり負けたり(李克用などと)。
最期は寝首掻かれてるし。
信長を梟雄と評している人がいない気がするのだが、十分梟雄だろ。
関係ないからsage
>>912 確かに当時の記録を読めば信長が悔しがっている。
このあたりは「信長公記」もやっぱり信長よりなんだなあってわかるね。
922 :
井沢狂信者:02/02/01 18:55
今週の逆説では荒木村重の図が載ってましたが、今まで村重について
触れられてましたっけ?
来週、何か動きがあるのでは、と期待しているんですけど。
>>910,913,916,918,922
みんなまとめて更迭。
>>910,913,916,918,923
の間違い。狂信者さんゴメソ
925 :
日本@名無史さん:02/02/01 19:03
>>921 ということは信長は義昭が落ち武者狩りにでもあって
死んでくれるものと思っていたのかな。
926 :
日本@名無史さん:02/02/01 21:10
>>922さん
狂信者さん、なぜ荒木村重の図が描かれていたかというと、
足利義昭は荒木村重と同じように、「領民を守れずに逃げ出した領主様」
という意味が込められてるんですよ。実は。
927 :
日本@名無しさん:02/02/01 21:29
武田研究家さん、蝦夷の末裔さん、その他の方々、さまざまなご意見
いつも拝見しております。本当は本を差し上げたい所なんですが(笑)
929 :
日本@名無史さん:02/02/01 22:03
>928
井沢先生?
930 :
日本@名無史さん:02/02/01 22:04
キャップつけてコテハンでレスしてほしいなあ、井沢先生だとしたら。
武田研究家さん
『井沢元彦の未来講座』には仏教の話は載せてますが、信長や信玄の話は掲載されておりません。
読んで頂いて本当はうれしいんですが(笑)
932 :
日本@名無史さん:02/02/02 00:10
933 :
蝦夷の末裔:02/02/02 10:18
本物の井沢氏ですか?
>いつも拝見しております。本当は本を差し上げたい所なんですが(笑)
「…私の意見に反する方には…」と続くなんていわないでください(藁
蝦夷の末裔さん
「私の意見に反する方」でも、建設的な意見や批判をされる方でしたら歓迎いたします。
いくら垣根を高くしても、それでも非建設的・非論理的な発言をする方もおりますので(苦笑)
935 :
井沢狂信者:02/02/02 14:08
>>934 本人……ですか?
860さんとかじゃないですよね?
個人的な質問としては、歴史ミステリ推理小説はもうお書きにならないのですか?
あと高橋克彦大先生と話してて疲れませんか?
936 :
蝦夷の末裔:02/02/02 14:34
井沢さん>
>>876のとおりです。
信長の路線を秀吉…と書きですが、
幕府と対立した信長と、将軍になろうとした秀吉は根本的に違いますね。
路線を継いだ…というのは、具体的にどのようなことでしょうか。
937 :
日本@名無史さん:02/02/02 21:27
>934
本当に井沢先生だったら、私からも質問があるのですが・・。
銀魔伝の続編はもう出ないのでしょうか?楽しみにしているのですけど。
>>狂信者さん
実は幕末と信長を主題にした構想はいくつかあるのですが、なかなか実現できません。
むしろ疲れさせているのは私の方ですね。特に麻雀で(苦笑)
>>蝦夷の末裔さん
信長による「足利将軍の権威の剥奪」を秀吉が継承した、という意味です。
>>937さん
どうしても佐藤雅美さんの「大君の通貨」と重なってしまいますので、
徳川埋蔵金の方向で話を進めようと構想中です。
>>926 本人だったら、近いうちに2chに触れてくれ
井沢が来るわきゃないと思うが
>>939さん
以前、週刊ポストで「2ちゃんねる」について取り上げるよう
西沢副編集長にお願いしました(笑)
941 :
日本@名無史さん:02/02/03 01:05
>>940 去年の六月ごろ週刊ポストが2chを取り上げた記事のことかいな?
942 :
日本@名無史さん:02/02/03 01:36
>>926氏へ
コテハンで「セクハラ大魔王」にしてくれ(藁)
943 :
日本@名無史さん:02/02/03 03:11
>>926 あなたが本物の井沢元彦先生なら、かつて五島勉のノストラダムス
の本に推薦文を書いた事について、何かコメントして下さい。
かつて五島説を支持しておきながら、既に予言が外れた事が決定した
今になってもその反省が無いなら、あなたには朝日新聞を批判する
資格は無いと思います。
それともやはり、お友達の高橋先生への遠慮があるんですか?
944 :
Cipher:02/02/03 11:41
足利義昭が無事、逃げれた裏には明智光秀が関わっていたかも??
と妄想をいれてみる。
945 :
日本@名無史さん:02/02/03 11:55
>938
そうですか。続きが凄く気になるんですよね。
「三と三ではない、一と一なのだ」という小西行長の言葉の意味が、
一時は気になって仕方ありませんでした(笑)
結局今でもさっぱり分からないのですが(笑)、続きを楽しみにしています。
946 :
日本@名無史さん:02/02/03 12:27
つくる会の歴史教科書には、鎌倉幕府滅亡の項に「幕府の軍と戦う楠木正成」という絵が掲載されている。
千早・赤坂城で鎌倉幕府の派遣した関東武士を相手に楠木正成軍が大活躍している様子を描いたものだが、
これに描かれた関東武士は楠木正成軍と比較してあまりにも滑稽過ぎる。
それにこれは後世の江戸期に描かれた想像図に過ぎず、史料的な価値は全くない。
にもかかわらずこんな図をわざわざ教科書に載せているのは、
これを見た子供達に、鎌倉幕府の関東武士=脆弱、無能、楠木正成など関西武士=勇猛果敢
という図式を刷り込んで、関東の子供達を自虐的にしようという悪意があるからだろう。
こんな教科書を有り難がる関東人はまさかいないと思うが、
もしいるのならそんな自虐野郎はさっさと関東から出て行ってもらいたいものだね。
>>946 おおっ!ここのスレにもアズマ上陸!
まあ、あと少しでこのスレも使いきりそうですから荒らされても実害はな
いのでしょうが。
俺も歴史教科書作ってみたいものです。
別に重黎の末裔なわけではありませんが。
948 :
セクハラ大魔王:02/02/03 13:03
>>943さん
>五島勉のノストラダムスの本に推薦文を書いた事について、
はい。五島勉氏の「ノストラダムスの大予言・中東編」ですね。
もう一度「推薦文」をよくお読み下さい。
>>Cipherさん
すでに使ってしまいました(苦笑)
>>945さん
金貨1枚の価値が銀貨1枚と同価値、などと言うのは(笑)
949 :
西原理恵子:02/02/03 13:07
>>948 「逆説の鳥頭対談」はいつ出すのよ?群さん怒ってるよ。
950 :
セクハラ大魔王:02/02/03 13:11
>>949さん
朝日新聞社が版権持ってます(苦笑)
951 :
蝦夷の末裔:02/02/03 13:31
>>本物と思われる井沢様
レスありがとうございます。足利将軍の権威剥奪についてですけど、
・信長は将軍の権威を否定した
・秀吉は将軍職を目指した(権威を肯定している)
という根本的な違いもあるので、そのあたり詳しゅう書いて欲しいっす。
5巻について。
私の先祖である(大げさな表現である)蝦夷の安倍氏は、
「前九年の役」の発端となった鬼切部はともかく、
その後の戦いは源氏の度重なる挑発行為に対し堪忍袋の緒が切れたもので、
奥州の独立運動などではございません。直してくれませんかのぉ。
いや俺はかまわないのですが、井沢さんの史家としての名誉のためでござる。
952 :
井沢狂信者:02/02/03 14:06
いち信者としては本物だったら嬉しいです。
ただ逆説の日本史の巻末に参考文献の一覧を掲載してもらえないでしょうか。
それと韓国ネタは変な人が増えるのでちょっと控え目にお願いします。
あとできれば信長編の後に九州編と東北編を書いてほしいのですが。
独立しては無理ですかね?
953 :
セクハラ大魔王:02/02/03 16:06
蝦夷の末裔さん
>足利将軍の権威剥奪について
>信長は将軍の権威を否定したのに対し、秀吉は将軍職を目指した(権威を肯定している)
>という根本的な違いもあるので、
信長による「足利将軍の権威の剥奪」は、おそらく信長が朝廷からの「将軍職任官」
という形を取ったと思いますが、
秀吉は足利将軍の権威を認めつつ、将軍職よりも上位の官職(関白→太政大臣)に
就任することにより、相対的に足利将軍の権威を低下させたと考えられます。
>奥州の独立運動などではございません。直してくれませんかのぉ。
「奥州の独立運動的な要素もあり得る」という意味です。ご了解下さい。
954 :
セクハラ大魔王:02/02/03 16:18
狂信者さん
>韓国ネタは変な人が増えるのでちょっと控え目にお願いします。
倭寇編(特に前期倭寇)では複雑すぎるので平易にしたのですが、
秀吉の朝鮮出兵を巡る問題は別なところでも取り上げてしまったので
>>九州編と東北編を書いてほしいのですが。
最終的には編集部の判断如何ですね(苦笑)
井沢元彦ってこんなに閑なものなのか?
もっと他にやることあるだろ。
956 :
蝦夷の末裔:02/02/04 13:47
>>井沢さん
>「奥州の独立運動的な要素もあり得る」という意味です。ご了解下さい。
いや・・・その鬼切部の戦いの時、謀反とされたけど、
「大赦令」が出ているわけで、これは少なくとも独立性のない証拠では。
あと「役」の名前がついているのは対外戦争の時ですが、
前九年は明治期にそのように命名されたのであり、
もともと「奥州12年合戦」という名前でした。
(なんで「9年」になったのか、それは本題からそれる)
「役」という名前から対外戦争と決めたようにしか読めませんですぞ。
どうしてもというなら仕方ないですが、
それならどこが奥州独立の要素なのか具体的に書いて下されるとうれしい。
井沢殿がBBSでレスをつけていたら、あそこまで荒れることもなかったのでは。
958 :
日本@名無史さん:02/02/04 19:02
井沢史観を根絶せよ。
>>958 あれだけ慢性的に荒れると、いくら井沢氏がレスしても、
逆に「井沢の偽者かよ」と疑われるだけだったと思われ
×958
○957
961 :
井沢氏じゃないが:02/02/04 19:18
蝦夷の末裔さん
将門の子孫をコソーリ擁していた、とか(藁
井沢史観のどこに問題があるのか……?
史観=著者、編者の主観、信念に基づいた歴史著述
すなわち、史観てのはツールのひとつで個人個人で違うもんだし、使い
方も異なるはずだよ。
時には異なる手法を用いてもいいんだし、世界中の歴史家の著作の粗
探しすれば絶対矛盾点は見つかるはずだよ。
虚を衝いて確信犯的に異なる史観を用いてもいいと思いますよ、井沢先生。
963 :
日本@名無史さん:02/02/04 19:32
洋泉社がやたら井沢氏を挑発するのはなぜなのか知りたい。
964 :
日本@名無史さん:02/02/04 20:06
>>959 ○△=井沢説が2ちゃんで話題になったこともありましたな(w
965 :
日本@名無史さん:02/02/04 20:45
>963
何かあったかな・・・と思って調べたら、『鉄砲と日本人』『天下人の条件』
『信長の戦国軍事学』を出しているのか。井沢氏はこれらを読んだことが
あるのかな?
966 :
日本@名無史さん:02/02/04 21:11
967 :
武田研究家:02/02/04 23:47
968 :
蝦夷の末裔:02/02/05 14:17
>>961さん
レスに困るお言葉をくれましたなー(藁
でも面白いその説。
南部氏スレと津軽氏スレがきっちり並んでるのがうける。
秋田氏や佐竹氏もあるが、大崎氏は……無いですね。
井沢先生、おいら大崎神社の近くに住んでるけど、一回も行ったことなくてすいません。
しかし乱立する大名スレって、ふつうは三戦板で議論するもんじゃないのかなあ?
970 :
蝦夷の末裔:02/02/05 21:37
971 :
日本@名無史さん:02/02/05 22:26
>966
違うよ。
973 :
井沢狂信者:02/02/06 16:17
新スレをそろそろ作る時期じゃないかと……。
建て方分からないけど。
今週は朝倉と浅井の総括でしたね。
ところで義昭が追放?以後も関わってくるってどういう説が展開されるの
でしょうか?
このスレでも結構議論されてたと思いますが。
974 :
日本@名無史さん:02/02/06 16:26
すれたては掲示板のところまで行かないと。
975 :
日本@名無史さん:02/02/07 01:34
中日ドラゴンズの「ドラゴン」とは?
なんとなく、名古屋城の金のシャチホコを連想させるニックネームですが、その由来は意外なところにあります。
昭和二十一年から二十四年にかけて、中日ドラゴンズのオーナーを務めたのが、中日新聞社長の杉山虎之助という人です。
この人の干支(えと)が辰(たつ)年だったのです。
球団のニックネームをつける際、このオーナーの干支にちなんで、ドラゴンズとなりました。
『雑学おもしろ読本』日本社より
『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」とは。
〜省略〜
さて、「仮名手本」の意味ですが、この仮名手本とは”いろはにほへと”のことで、実はこの”いろは”に隠し文字があるというのが、この狂言の趣向になっています。
隠し文字とは、”いろは”を七文字に切ると表れます。
いろはにほへ と
ちりぬるをわ か
よたれそつね な
らむうゐのお く
やまけふこえ て
あさきゆめみ し
ゑひもせ す
「とかなくてしす」つまり「咎(とが)無くて死す」赤穂浪士の切腹は、無実の罪である、という主張がここに隠されているわけです。
これは幕府批判ですので、「仮名手本」とだけ題につけ、しらばっくれていたわけです。
『雑学おもしろ読本』日本社より
978 :
日本@名無史さん:02/02/09 15:08
979 :
未来の歴史書:02/02/09 23:51
>>976 現在に残る史料によると、「中日ドラゴンズ」は、オーナーの干支に
ちなんで命名されたという。そして、もうひとつ大阪には「阪神タイガーズ」
という球団が存在した。この球団のオーナーが寅年生まれである事は、
間違い無いと思われる。
他の10球団の名前は不明だが、おそらく12球団には、干支の動物名
がそれぞれ球団名になっているであろう事は、容易に推測される。
980 :
日本@名無史さん:02/02/09 23:58
今週(?)の逆説はひさびさに「家元制度」について言及。
井沢氏が急に理論的になってきたのは(言霊現象起こすので、以下略)
狂信者さんの
>ただ逆説の日本史の巻末に参考文献の一覧を掲載してもらえないでしょうか。
には、井沢氏どっかで答えてます?一番興味あるんですけど。
982 :
日本@名無史さん:02/02/10 00:21
いろは歌は江戸川乱歩賞を受賞した「猿丸幻視考」で使われている。
983 :
日本@名無史さん:02/02/10 12:59
>>981さん
文中で引用する際に著者名と著作名を掲載しているから、
編集者サイドが重複(混乱?)するのを避けるためではないかと思われ
最近来ませんね。
狐につままれたのかな?
985 :
日本@名無史さん:02/02/10 19:58
>>狂信者さん
ネタ探しで2ちゃんを見ていたついでにカキコした、とか(^^;)
986 :
日本@名無史さん:02/02/10 22:24
987 :
日本@名無史さん:02/02/10 22:31
988 :
日本@名無史さん:02/02/10 22:40
↑なんじゃい「武田騎馬軍団VS井沢元彦」って???
「武田研究家(さん)VS井沢元彦」って言うならまだ話は分かるが(藁)
989 :
日本@名無史さん:02/02/10 23:13
>>983 そうなの?うーん、明らかにそれだけでは足りない気も・・・
まあ娯楽もんだろうからいいんだけどさ。