泣くと眠くなりますよね。
目が冴えて眠れない人が読み、
悲しい話を聞いて欲しいひとが書き込む板です。
泣けなくても文句をつけないようにしましょう。
「ください………………ここに………ここに先生の……あなたのおチ○チン、あたしの……お、おま○こに、入れてください!
お願いっ! ずぶううって、つっこんで! あたしのおま○こ、あなたのそれで、ぐちょぐちょにかき回して! 奥まで入れて、気持ちよくしてぇ!」
叫びながら優良さんは指で秘裂を広げてみせました。よほど興奮していたのか、白濁した蜜がとろっとこぼれてきます。
男はこちらも興奮した目つきで優良さんにのしかかってゆきました。
先端が唾液と先走りに濡れたペニスに手を添え、しとどに濡れそぼった秘裂にあてがいます。
ちゅっと軽いキスをした様な音がしたかと思うと、男は一気に腰を突き出しました。
「あーーーーーーーーーーーっ!!」
貫かれた途端に、優良さんはものすごい悲鳴をあげて、男の体の下で汗まみれの体を激しくのたうたせていました。
「いいっ! いいっ、ああ、すごい、す、すごいいっ! 気持ちいいっ! ああっ!」
男が優良さんの右脚をかかえ、体を横向きにさせると、ピストン運動をはじめました。角度が変わってまったく別の快感が優良さんを襲います。
「ひっ! ああ、ふぅあ、ふ、ふかいっっ! ひあああ!」
優良さんが顔を覆いました。すすり泣いているているようです。
男はかまわず腰を振り続け、一度奥深く腰をたたきつけると、腰をくねらせながら、かかえ上げた右足を両腕で抱きかかえました。
すすり泣く優良さんへ、満足気な視線を送りながら、足に舌を這わしてゆきます。
男が突如くねらせていた腰を前へ前へと送り込み始めました。優良さんの最奥部をかさの増した肉棒がつつきます。
「あ、だ、だめ、これ、あ、ふ、ふかっ、ふかすぎ…………あんっ、あたし、だめ、
これ、す、すき、ああっ、あんっ、あっ、くああっ、お、おかしく、おかしくなっちゃ………!」
きつく目をつむる優良さんの目の前に、スパークが飛び交いました。
今日初めてのオーガズムを迎えた優良さんは、そのままあごをのけ反らせ、全身をぶるぶる震わせます。
優良さんの媚肉がすべての細襞をまとわりつかせてきました。男の精を搾り取ろうとするかのようです。
3取りー!!!
4 :
癒されたい名無しさん:2006/08/01(火) 00:26:55 ID:6BaytjfB
4シド ジョウ
5 :
癒されたい名無しさん:2006/08/01(火) 00:58:22 ID:JnsWnR+q
病気のドラマ
6 :
癒されたい名無しさん:2006/08/01(火) 05:09:46 ID:zKFd/7/Z
目が覚めても無職
7 :
癒されたい名無しさん:2006/08/01(火) 07:23:20 ID:ZjN/jLtH
初体験騎乗位でローション使って自分から…涙
8 :
癒されたい名無しさん:2006/08/01(火) 16:34:15 ID:WouB5T2v
ワッフル ワッフル
9 :
癒されたい名無しさん:2006/08/02(水) 02:25:31 ID:VIvsr6Ew
あげ
10 :
癒されたい名無しさん:2006/08/02(水) 02:39:36 ID:E3dp23ns
>1
11 :
癒されたい名無しさん:2006/08/02(水) 10:04:58 ID:IqZDHOZj
…メール相手好きになったら親だった…
親が構って欲しくて近付いてきた………
そんなに構って欲しかったのか…?
…もぉ、人好きになれない
orz
まんこ
13 :
癒されたい名無しさん:2006/08/11(金) 18:47:14 ID:jeqQ5mkn
誰か見てるひといる…?
いるなら書きたいんだけど…
14 :
癒されたい名無しさん:2006/08/11(金) 19:12:33 ID:SFg6UIpk
みてるよ!
|;;|
|;;|
|;;|
λ., ; . |;;|
、!::i;;ヽ |;;|
'|:::ゞ;`ヽ_|;;|
|〃:::::,,;; '';;;;#-,,vv.;、
'l#"~";;:;,, バ;;カ;;ヾ;`;;`;
/#"~ ;___, ○(;、;
l';;; ;;; l#‐) ;i⌒i υ !
! * `~ , !m! ( 、 /
\ ) ) 。゙∴;;' ノ
/`ニニー-、_=:,-ーニヽ
/:#)/;;;;#;'; ;';;';;ヾ、,,
l糞;;;;;┌┼┐イ ┬ ;;; ヾ、
l;:;;.i!!│人││.申ヾ;死;|
l#.i;;;│人││メ_;|l#.i;
ヽ、_ノ| ' ; ;;;|ヽ_ノ
l#; ", ' ;;/
|;;;";r臭y.;;;;/
. | ;,イ; ,;i
/l ;'∵/: |;`'.,;'l ∞〜
/l ;'雑| : |`巾;l
| ヽ ノ.:,ヽ__ノ
i;' ! ̄ ゜・
ヾヽ, 。 ∬
ヽ、l ' ∫
,
∬ . ∫
みてま〜す
17 :
癒されたい名無しさん:2006/11/18(土) 23:24:49 ID:611TRnC9
緊急報告
電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。
銚子電鉄商品購入と電車ご利用のお願い
拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素は、弊社鉄道事業並びにぬれ煎餅事業に対して、格別のご高配を賜り、
厚く御礼申し上げます。 さて、早速ではございますが、弊社は現在非常に
厳しい経営状態にあり、鉄道の安全確保対策に、日々困窮している状況です。
年末を迎え、毎年度下期に行う鉄道車両の検査(法定検査)が、資金の不足に
より発注できない状況に陥っております。このままでは、元旦の輸送に支障を
きたすばかりか、年明け早々に車両が不足し、現行ダイヤでの運行ができない
ことも予測されます。 社員一同、このような事態を避けるため、
安全運行確保に向けた取り組むことはもちろんですが、資金調達の為に
ぬれ煎餅の販売にも担当の領域を超えて、取り組む所存でおりますので、
ぬれ煎餅や銚子電鉄グッズの購入、日頃の当社電車の利用にご協力を賜りたく、
お願い申し上げる次第でございます。
敬具
平成18年11月 吉日
銚子電気鉄道株式会社 代表取締役社長 小川 文雄
銚子電気鉄道労働組合 執行委員長 常陸谷恭弘
従業員一同
18 :
癒されたい名無しさん:2006/11/18(土) 23:25:21 ID:611TRnC9
19 :
癒されたい名無しさん:2006/11/19(日) 04:52:28 ID:XeC6Pu6s
なんか今、すごく泣いてスッキリしたい気分です
映画でも音楽でも、小説でもブログでもサイトでも
主観的でもなんでもいいので、泣けるものを教えてくださいな?
ホラー映画
21 :
まめ:2006/11/19(日) 09:14:45 ID:mD4I8N0J
私の独り言…@
私と彼との付き合いは小学生からの幼なじみ。
普段はお調子者でチャラチャラしているような彼が、毎日日記を付けているんだっと、私に手帳をみせびらかしてきました。中を開いてぱらぱらとみてみると、以外にまめに書いてるなぁ…
と思った瞬間、はい終了っと手帳を没収されてしまいました。 日替わりに女の子の名前書いてあったね〜。そんな私の冗談にアホとつっこむ彼。
さらりとかわす彼の態度に少し安心する私でした。
その2ヵ月後、彼が死にました。
バイト帰りに居眠り運転をしてトラックに正面から突っ込み、完全にトラックの下敷きになったそうです。 (独り言なのに、文章が長くなってしまいそうなので、新しく書き込みさせてください↓スミマセン。)
22 :
まめ:2006/11/19(日) 10:37:19 ID:mD4I8N0J
私の独り言…A
私は周りに何を言われてもお葬式に行きませんでした。正確には行けませんでした。
彼が死ぬなんてありえなかったから。もし式にいけば彼の死を認めなければならないし、そんか勇気はありませんでした。
私は学校もバイトもいかなくなりました。ひたすらひきこもっていると、私に彼のママから手紙がきました。…いつも○○と仲良くしてくれてありがとう。○○ちゃんの元気な顔みせてね。
彼のママとは何度か会っているけれど、彼とはいつもいる地元仲間たちと一緒に遊んでいたし、仲良くしてくれてって…なんで私に?ママには失礼だけど、正直うざく思っていました。もうほっといてほしかった。
(今回も書ききれないみたいです。ごめんなさい。自己満足で長文スミマセン。)
23 :
まめ:2006/11/19(日) 11:03:51 ID:mD4I8N0J
私の独り言…B
親に言われて渋々彼の家にに顔をだしたのは手紙をもらってから2週間後。
笑顔で迎えてくれる彼のママ。彼の部屋へ通された私は無意識にソファーの左側にすわって、落書きされたボードの写真と、下に並ぶたくさんの就職本をながめていました
あいつちゃんと勉強してたんかな…ふっと笑って机に手をかけると見覚えのある手帳を発見。あいつに予定なんて立てる意味ないだろうと思いながら開いてみると
(次いきます。長文の連続すみません。)
24 :
まめ:2006/11/19(日) 12:04:02 ID:mD4I8N0J
私の独り言…C
文字がびっしり。ちゃんと日記書き続けてたんだ。プライバシーの侵害ごめん〜と思いつつ、私の名前をみつけると、次の日も、その次の日も私の名前は日記に登場するので夢中になって読んでしまいました。
平成×年8月9日
○○の誕生日だ。あいつに物はやらない。なぜならいつも愛情をあげているから。
平成×年12月24日
よっぱらった。○○酒つよすぎ。かわいらしくよっぱらったふりとかしろ。でも、みんなの介抱してくれてありがとう。
平成16年11月15日
○○とケンカした。昔のコトをひきずって泣く女は嫌いだ…やさしい言葉をかけられない自分も嫌いだ。明日電話で謝ろう。
平成16年11月16日
○○が電話にでない。やっぱり言いすぎたのかもしれない。反省。
明日バイトに行く前にプリン買って謝りに行こう。
これで日記は終わっていました。
(もう独り言どころじゃないですね。)
25 :
まめ:2006/11/19(日) 12:19:03 ID:mD4I8N0J
私の独り言…D
日記の後ろのポケットには中学生の頃に私があげた手紙が小さく折り畳んだ状態で入っていました。…内容は、秘密です!
この世にうまれてたくさんの人に出会って、たくさんの感情をいだきながら、時を経て人は成長していく。彼との時はとまってしまったけれど、
生きている限り私はまたいろんな出会いと感情をいだいて時を刻みながら成長していかなければならない。彼と出会えた事で私は大きく成長できたし、彼との楽しい思い出、悲しい思い出は、充実した時を過ごさせてくれたと思います。
だからあたしはまだ生くよ?いいよね?
私は今この場をかりて、彼と出会えたことに感謝したいです。
ほんとうに、ありがとう。 (もし読んでくれている方がいたら、長々と私の自己満足に付き合っていただいてありがとうございました。)以上で終わります。
ありがとうございました。
. §
,§、 プラーン
,ー./ハ,§
〈:://二§_
/ヽ ヽ ヽ
|:: |::.. | |
. |:: |:::. | |
〈:: 〉:: | / |
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(((〈::: _ / /)
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|__,||__|
/::__) /::__)
/ / /ノ,/ ))
~^~ ~^~
____
まめさん。
悲しいけど、素敵な話ですね。
28 :
癒されたい名無しさん:2006/11/27(月) 09:21:43 ID:vLhbCauA
その男キモイ(((゜д゜;)))
29 :
癒されたい名無しさん:2006/11/27(月) 13:59:21 ID:GNvNdtGE
彼に愛されてたお。まめさんに愛された彼も幸せだお。元気だすお(´・ω・`)
30 :
癒されたい名無しさん:2006/11/27(月) 13:59:52 ID:b7vS2tMs
まんこ
うちは爺さんの時代からずっと八百屋をやってたんだ。
爺さんが出兵しても婆ちゃんが女手ひとつで親父たち兄弟と
店を切り盛りしていた。
大きくないけど、そんな八百屋を来週で閉店することになった。
親父は八百屋に誇りを持っていた。
朝から晩まで、盆も正月もなく働いていた親父。
俺が小さい頃、小学校に父親参観ってのがあって
みんなの親父さんが学校へやってくる。
そん時友達の親父はみんなスーツにネクタイ。
でもうちの親父はジャンパーにチノパンにスニーカ、
市場の店番をつけた野球帽を被ってやってきた。
恐らく配達の途中でやってきたのだろう。
俺は嫌で嫌で仕方なかった。
その夜俺は夕飯の時に泣いて怒った。
「父ちゃんはなんでそんな汚い格好で学校に来るんだよ!
みんなの父ちゃんはちゃんとネクタイ付けて革靴履いて
仕事の格好で来てるんだ!恥ずかしいだろ?
そんな格好で来るなよな!!」
そんな俺を母ちゃんはひどく叱って、泣いていた。
「お前、どこにでも行っておしまいよ!そんなに
八百屋の息子が嫌なら、どこぞのお大臣に育ててもらえばいいだろう!!」ってね。
でも親父はいつも黙ってビールを飲んでいた。
実際仕事は忙しかったんだ。大きな旅館や料理屋が出来て、
お客になった。店で売る他に、そこに配達をしていたりしていたんだ。
旅館なんて、GWや夏休み、冬休みなんて書入れ時だろ。
だから夏休みに海にも連れてって貰った記憶もないよ。
ご飯だってみんなは「八百屋さんじゃいつも新鮮な野菜が食べられて
いいね」なんて言うけど、それは誤解だよ。
新鮮なものはすべてお客へ、そんで売れ残ったり、半分傷んでしまった
ものなんかを食べるんだぜ。
市場は朝が早いから、外食だってしたことない。
いつも母ちゃんの作った傷みかけの野菜を使った料理や
テストでいい点取ってきた日なんかは
近所の来来軒のタンメンと餃子とチャーハンを取ってくれるくらいだ。
そんな時、親父は決まって自慢気にこう言う。
「おい、ここのタンメンうまいだろう!父ちゃんが売った野菜を
使っているからな。餃子だってそうだ。残さず食うんだぞ!」って
上機嫌だった。
何年か経って、近所に大型スーパー建設の話が持ち上がったんだ。
うちの商店街はこぞって反対した。
でも街を活気付かせるため、役所も大賛成で、結局建つことになった。
親父たちはがんばった。スーパーに負けないくらいいい品物を仕入れて、
値段も安くして、配達だってちょっとくらい遠いところなら、
二つ返事で届けてたんだ。
商店街のみんなとどうしたら客の流れを戻せるか、毎晩遅くまで
話し合っていたこともあった。
でも、月日が経つに連れ、商店街は靴屋が減り、刃物屋が減り、
本屋が無くなりと、シャッターを締めっきりの店が増え始めた。
でも親父はがんばった。
俺が大学に合格して、遠くに引っ越すことになった。
親父は人一倍喜んで、「がんばって仕送りもするから、
悔いの無いように勉強して来い」と俺を送り出した。
妹には悪かったが、俺は家族と離れて暮らすことに希望を抱いた。
バイトもして、勉強もして、一生懸命学生生活を送ったんだ。
実家に帰ることも忘れるくらい。
夜遅く帰る俺は、いつも留守番電話で家族の元気を確認していた。
俺はすっかり忘れていた。商店街のこと、うちの八百屋のこと。
母ちゃんのこと、妹のこと、そして親父のこと。
ある日、母ちゃんから手紙が届いた。連絡もろくすっぽ寄こさないで
心配してるんだと。それと、親父のこと。
うちの商店街も店を開いている店のほうが少なくなってしまったよ。
お父ちゃんもすっかり元気がなくなって、お客も減ってしまったよ。
近いうちに一度帰っておいでと。
正月まであと2日の時、俺は3年ぶりに実家に戻った。
すると親父が居た。なんとなく小さくなった親父だった。
久しぶりの家族の食事は来来軒のタンメンだった。
親父が言う。「このタンメンは…」俺がその話を遮った。
「うちから野菜を買ってるから、うまいんだろ?」
すると親父は寂しそうに笑ってこう言ったんだ。
「いや、味が落ちたよ。うちの野菜じゃないからな…」
俺は愕然とした。そんなに深刻だったなんて知らなかった。
思い返すと店に入った時、商品が昔よりも並んでなかった。
なんだか悲しくなった。売り上げが上がらなくなっていたのに、
俺にずっと仕送りを続けてくれてたんだ。
このタンメンうまくないよ、親父。
妹がバイトから帰ってきて、家族全員が揃った。
すると親父はこう切り出した。
「この店はお前等の爺さんの時代から始めた店なんだが…
もう…やめようと思ってるよ…」
母ちゃんを見た。母ちゃんは下を向いたままずっと黙っていた。
「悪かったな、いつも傷んだ野菜ばっかり食べさせて。
もうだめだな。この店も商店街も。でも街は住む人のために
変わっていくんだな。悔しいなんて思ってない。わかるよ。
父ちゃんと母ちゃんも、ここの商店街のみんなだって、
この街の人のために生きてきたんだから。うまいものを
食べさせたいと思って今までやってきたんだからな。
英一(俺)、恵(妹)悪かったなぁ。どこにも連れてってやれなくて。」
俺達は黙って糞まずいタンメンを食べた。
36 :
癒されたい名無しさん:2006/12/06(水) 20:47:32 ID:qC1rN8YZ
あんなに嫌だった八百屋。父親参観。
夏休みの思い出を書く作文に嘘を書いたこと。
友達の母ちゃんがうちに買いに来て、ばつが悪かったこと。
冠婚葬祭のときしか、ネクタイをしなかった親父。
革靴をはいてすぐ靴擦れになってた親父。
黒くなりかけのバナナしか食ったことない俺。
半分傷んだメロンを、妹と分け合ったこと。
たぶん思い出すんだろうな。
俺が生まれて育ったこの店は終ってしまうけど、
俺は親父の背中を見て育ってきたよ。
朝から晩まで休みなしに働いてきた親父。
俺は、親父の息子でよかった。
八百屋の息子でよかった。
親父、これからゆっくりと家族の思い出つくろう。
∧_∧
( )
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38 :
癒されたい名無しさん:2006/12/07(木) 02:13:27 ID:tmLX4Qa0
>>36さん。
とても良い話をありがとう。
家族のためにいっぱいがんばったお父さんを、これからも大事にしてあげてね(´;ω;`)
氏ね
40 :
癒されたい名無しさん:2006/12/07(木) 05:07:15 ID:gfxozvih
41 :
みー:2006/12/10(日) 19:09:00 ID:rjN51GKV
私の家族は母と父と3つ年上の兄と2つ年上の姉です
両親は私が生まれる前から小さなお店を開いていて、長年続いたお店も不況の波で今年の春に店をたたみました。それからというもの定年間近の父はやっと
の事で給料は安いけど自分にあっている会社に再就職し、機械関係の専門学校に行くのが夢だった兄は『じゃあ俺は妹達の学費分くらいは払ってやるよ』と言
って専門学校の夢をあきらめ地元の工場に就職しました。
前よりは多少貧乏になってしまったけど、最近では人の温かさが身にしみるようにわかります。特に自分の夢をあきらめてまでも私達妹の事を考えてくれてい
る兄には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
おにぃちゃんありがとう。何回言っても言い足りないけど本当にありがとう。
3年も経ったらきっとおにぃちゃんのような立派な大人になってるから…その時は絶対に恩返しするから…だからその時まで待っていてね!!!。
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
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43 :
名無し:2006/12/10(日) 20:39:54 ID:qXw+xaRy
自分の家のことなので、泣けるかわかりませんが・・・
僕は、おばあちゃん子です。物心ついた頃からおじいちゃんとおばあちゃんと住んでいました。
そんな僕のお話です・・・・・
44 :
名無し:2006/12/10(日) 20:40:25 ID:qXw+xaRy
僕が物心ついた時、一緒に暮らしていたのは、優しくて厳しいおばあちゃん、頑固だけど何でも許してくれたおじいちゃん、そしてペットの犬。
このお話ではペットの犬が主役です。
45 :
名無し:2006/12/10(日) 20:43:36 ID:qXw+xaRy
幼稚園児の僕のペットはチワワでよく吠えて活発な犬だった。
ずっと一緒に暮らしていたのに僕だけには全然なつかなかった。
僕と目が会っただけですぐ威嚇(いかく)してくる。エサをあげたりしても
全くなつかなかった。
だけどおじいちゃんとおばあちゃんだけにはシッポを振ってよくなついている。
イイ気分ではなかったと同時に犬を嫌いになった。
それから何年もしないある日・・・
うちにいつものクスリ屋さんがいつものようにやってきた。
家のチャイムが鳴ると同時に犬は高い声を張(は)って走り出す。
おじいちゃんが「ほら、早くつかまえて」と言った直後。
犬は玄関でピタッと止まってその場に倒れた。石のようだった。
おばあちゃんが慌てて犬に近寄った・・・
46 :
名無し:2006/12/10(日) 20:47:20 ID:qXw+xaRy
すると犬は何事も無かったかのように起き上がり
高い声でクスリ屋さんを吠えはじめた。クスリ屋さんがいなくなったあと
さっきのは何だったのか僕は聞いてみた。おばあちゃんは
「もう歳(とし)なんだねぇ」とつぶやいた。
僕はそんなに気にしてなかった。まだ犬はなついていなかったから・・・
次の日
いつも通り幼稚園におじいちゃんが迎えにきた。
僕はおじいちゃんに色々話をした。
おじいちゃんはあまり言葉を返してくれなかった・・・
家にもどり、「ただいまぁー」と僕が叫ぶ。
返事がなかった。「おばあちゃんは?」とおじいちゃんに聞いてみたが
「いるよ」とだけ言った。
入ってみると確かにおばあちゃんがいた。
47 :
名無し:2006/12/10(日) 20:49:54 ID:qXw+xaRy
しかし泣いていた。
ストーブの前にいるおばあちゃんの膝(ひざ)の前には
ぬるま湯の入った風呂桶(ふろおけ)がある。
さらにその桶の中には、犬が寝ていた。
おばあちゃんに「どうしたの?」と聞いてみても
しゃっくりをしながら犬にぬるま湯をかけているだけ・・・
犬は死んでいた。
おじいちゃんは無言でテレビを見つめている・・・
はじめは信じられなかった。
またすぐに目を光らせて僕を追っかけてくると思っていた。
しかし目をつぶったままピクリとも動かない。
数分後
だいぶ今の状況を受け止められるようになってきた。
でも僕は涙が出なかった。
あの犬がなついていなかったからだと思っていた・・・
そう考えた瞬間、今までの犬との思い出がドンドンあふれ出してきた。
あの犬とは、たいした思い出なんて無い。
しかしドンドン小さな記憶がよみがえってくる・・・
ふと気づいたらもう泣いていた・・・
おばあちゃんより泣いた
あの犬の鳴き声に負けないくらい大声で泣いた
本当に思い出なんて無い。あえて言うなら一度もなつかなかったことくらい。
けど泣いた。ずっと泣いた。
一度くらいだっこしたかった・・・
二人で散歩に行きたかった・・・
寄りそって一緒に寝てみたかった・・・
けどもういない・・・
涙と声が枯れるまで泣いた
次の日からはペットの犬のチワワがいない、静かな生活が始まった・・・
48 :
名無し:2006/12/10(日) 20:50:35 ID:qXw+xaRy
連続で書き込んですみませんでした
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∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
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50 :
癒されたい名無しさん:2006/12/10(日) 22:15:45 ID:OLFPHGoD
ニューヨークの郊外にその喫茶店はあった。
店の名前と
“水曜 定休日”
とだけ書かれたぶっきらぼうな看板の奥にひっそりと佇む。
店のマスターは無口で頑固。
その店のジュークボックスには
マスターが好きな、イギリス出身で世界的に大ブレークした、
今はもう解散してしまったグループの曲しかない。
ある年のちょうど今くらいの季節。
その日は昼下がりに突然大雨が降り出した。
通りには濡れながら急ぎ足で行き交う人々。
その中の1人が店に入ってきた。
全身が濡れそぼり寒さでガタガタ震えるその男は、
マスターが好きなバンドのメンバーの1人だった。
おそらくその事に気付いたのであろう。
マスターは一瞬目を見張り動きを止める。
しかしすぐに手馴れた作業に戻り、
注文されたコーヒーと乾いたタオルを差し出す。
続く
51 :
癒されたい名無しさん:2006/12/10(日) 22:17:15 ID:OLFPHGoD
身体を拭き、眼鏡をふき、コーヒーを飲みながら店内を見回す男。
店の隅に佇むジュークボックスに目を留める。
自分がやっていたバンドの曲しか入ってない事に気付いた男は
照れくさそうにコインを取り出し、曲を演奏させる。
流れ出した曲を聴きながら男は
自分たちが走り抜けてきた青春時代を懐かしむように目を閉じ、
ゆっくりゆっくりとコーヒーを飲んだ。
何曲か聴き、コーヒーを飲み終えて店を出ようとする男に、
マスターは黙って傘を差し出した。
外はまだ雨が降り続いている。
男は受け取り、礼とともに笑いながら言った。
「今度雨が降ったら返しに来るよ。」
しかし、男が傘を返しに来ることはなかった。
それから数週間後、男は自宅前で凶弾に倒れたのだ。
それから20数年が経った今でも
その喫茶店は同じように看板の奥に佇んでいる。
年老いたが相変わらず無口なマスター。
ジュークボックスも同じバンドの曲ばかり。
店の中は何一つ変わっていないが、
看板に書かれてる文字はいつからか変えられていた。
“水曜 定休日
ただし、雨の日は営業いたします”
誰のことでしょう?
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
;
-━━-
私は、共働きの両親に代わって祖母に育てられた。
母は不幸にも三歳で母を亡くし、父親を五歳で亡くした。姉は叔父に引き取られたが、本人は母方の実家で引き取られたそうだ。
時代がそうさせたのか、祖母達は運命を分けられたらしい。祖母の姉の家は会社で三階建て。ウチは祖母が離婚した爺さんの後妻に嫁いでボロ屋。
私は家を建てたかったけど、夢も叶わないうちに祖母は逝ってしまった。
三月の寒い朝、眠るように。私はサヨナラも言えないまま。
両親に恩が無いわけではない。ただ只、無償の愛で育ててくれた祖母に「ありがとう」を言えなかった自分を悔やんでいる。
祖母のオムツを替えたり、両親を手伝い介護のまね事をしてもまだ満たされない。
小学校の時、いじめられた
消しゴムを勝手に使われて、怒ったら相手が学年のボス格の女子でそれ以来、クラスから無視された
それが中学に入っても変わらなくて、真剣に自殺まで考えてたけど、音楽とか聞いて救われた
中2の時に転校して、そこでは友達にも恵まれた
高校に入ってすぐバンドを始めた。多分、後にも先にも人生で1番私が輝いてた時期だと思う
地元の楽器屋に寄った帰り、私をいじめていたあの女子と再会した
親戚の法事で来たらしい
彼女は、あやまってくれた
私は、もうとっくの昔に大丈夫だと言った
それから、私の初恋の相手や向こうの近況なんかを聞いて別れた
>>55 彼女の乗ったバスを見送り、私も自転車に乗ろうと振り替えった時だった。後ろから、それまで聞いた事のなかった音がした
振り向くと、彼女が乗っているバスがひしゃげてひっくり返っていた。すぐ側には、大きなクレーン車が横転していた
すぐに私は走って近づいた
だけど怖くて近づく事しか出来なかった
彼女を助けようと思っても、野次馬と同じ位置から先に進めなかった
すぐにレスキュー隊が到着して、割れた窓から血まみれになった彼女が運び出された
それからの記憶はなぜか曖昧ではっきり覚えていない。半日かけてやって来た彼女の家族と一緒に病院のベンチに座っていたのは確か
記憶がはっきりしたのは、なぜか私の兄が病院に来たあたりだった
兄と一緒に病室に入ると、あちこちに包帯を巻かれた姉がベッドに寝ていた
姉もあのバスに乗っていたのだった
>>56 ぐっすり寝ている姉は、両足がそれぞれ膝の辺りで途切れていた
さらに医者の話しで、高い可能性で植物人間になってしまうとの事だった
そこから、とうとう何も考える事が出来なくなった
家に帰り、そのままベッドに入って寝た
起きても学校に行かず、丸一日食事も風呂に入る事もなくひたすら天井を見つめていた
私がひさしぶりの食事をとりにキッチンへ来た時、私をいじめていた彼女が死んだ事がわかった
そして、姉の容態は安定したが、目覚めない事も
一月ほど経って、私は電車に乗って彼女の家に行った
葬式にも通夜にも出席出来なかったので、せめて仏壇に手を合わせたいと思ったからだ
>>57 仏壇に手を合わせ、帰ろうとする私を彼女の両親が引き止めた
その内の彼女の母親が、小さなメモ帳のような物をいくつか出して来た
それは、死んだ彼女がつけていた日記だった
その中には、私をいじめて後悔していた事。始めたのが自分である以上、引っ込みがつかなくなってしまった事。私が転校し、とうとう謝る事が出来なくなった事などが綴られていた
そして、中学の時の先生に私の転校先を聞き、そして私に謝りに行くという決心が日記の最後だった
親戚の法事なんて嘘だった
読み終えた私に、彼女の母親が「あの子を許してくれましたか?」と聞いてきた
私は一言、「はい」とだけ、多分涙声で答えた
すると彼女の母親は私の手を両手で掴み、「ありがとう」と言って鳴咽を漏らし出した
彼女の父親も余っていた私の手を掴み、私の目をまっすぐ見ながら「ありがとう」と言った
二人とも何度もむせび泣きながら、何度も「ありがとう」と言った
それから半年後、姉が奇跡的に目覚めた
足が無くなったという事実に最初はショックを受けていたが、すぐにリハビリと義足の訓練を始めた。今では杖無しでも普通に買い物に出かけているぐらいだ
今でもふと、彼女の両親が「ありがとう」言った時の顔を思い出す。彼女の一周忌がもうすぐなので、それには出ようと思っている
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wwww ⌒ヽ )www∪wwwノwwww∪∪ww ジングルベール
..www.(www∪'wwwwww∪∪www●www◎w ジングルベール
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60 :
ややや:2006/12/27(水) 23:53:01 ID:Ns9CrZcJ
事故で松葉杖生活になって半年、電車に乗るのが嫌なっていた。
池袋に行くことが多い俺は山手線をよくつかうが一度も席を譲ってもらったことがなく、空いた席に座ろうとすると押し退けて座られる。
この国は終わってる。
だんだん心も荒んできて、もう池袋に来るのをやめようと思っていた夕暮れの中、お金を下ろしに銀行へ行くと16、7の少年達が車椅子用の入口を使ってスケボーを練習してた。
直感うぜー!!
本当にこの国は終わってるって思った。
お金を下ろして外に出ようとするとスケボーの少年が走ってドアを開けてくれた。
『ありがとう』心の底から言えた。その少年は『いいえ、自分にもこうゆうことがあるかもしれないから』と笑いかけてくれた。
嬉しかった。
スゴく嬉しかった。
帰りのタクシーの中で嬉しくて泣いた。
呆けてしまった祖母の話。
1〜2月に1回の頻度で、伯母2人が祖母の様子見に行っているそうだ。
4人兄弟で末っ子の母は遠距離のため伯母方から電話で様子を聞いている。
…が、その話が(不謹慎だが)面白い。
1番上の伯母が行った時は『○○(2番目の伯母)が死んじゃって……』
2番目の伯母が行った時は『△△(母、末っ子)が死んじゃって……』
次々と祖母の脳内で(祖母の)娘達が死んだり生き返ったりしているのだ。
>>61 続き
そんな中、お盆にようやく母と私が会いに行けた。
1年半ぶりに会った祖母は、とても小さかった。
「ばあちゃん、来たよ。私のこと、わかる?」
ベッドの横で母が祖母の手を握りながら聞くと、
「ん〜▲▲だっけ?」
「違うってば〜△△でしょ?貴方がお腹痛めて産んだ娘よ、忘れないでよ〜」
こうして目の前で言われると結構辛い。少しだけ母の顔が歪んだように見えた。
次は私の番。ちょっとだけ覚悟を決めた。
「ばあちゃん、今日は私も来たよ。分かる?」
「あらあら、■■じゃないの」
吃驚した。私の顔を見て間髪入れずに名前を言ってくれた。
1年に1度会うか会わないかの孫の顔を、名前を覚えていてくれた。
よく見ると、枕元に置いてある薬の隣に、私の成人式の時の写真。
泣きたいのをこらえ、両手で祖母の手を握った。
しわしわで細くなった手に、ありったけの温もりを注いだ。
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64 :
たーc:2006/12/31(日) 06:09:55 ID:kKvhKAKF
くるったくらい泣くことあんのよ…
別れるとき…あれはね
何回経験してもダメだな…ずっと前1月から付き合ってた彼女が居たんょ
初チューも初エッチもこいつやったのょ… 俺ら中学生なのに結婚の約束までして…
本当このまま結婚して良いと思ったくらぃ…
そんな経験なぃ??
まぁそれで11月のことですわ…
それまで束縛しあって ダチとの遊びも断ってた俺が ダチの彼女のとこ ついていったんょ…それが原因で別れたんょ…
まぁ泣いたな… 俺初めてふられた…
まだ続きがあるんょ それから次の日くらぃかな…彼女のホムペ見たんょ…彼女がみせなかった… 少しは凹んで別れたの後悔してるかな…なんて…
なんて書いてたと思う??
彼女夏休みくらぃから男泊めたりしてたんょ…見た瞬間涙がとまらなくなってね… 初めてやな…死…って考えたの… あのときダチからメール来てなかったら死んでたな…まぢで
向こうがやり直そうって言ったらやり直すつもりだった… けどもぅ無理だって分かった束縛なんか良いことないって…
今ゴロあいつ何してるんかなぁ…
仲直りのために買ったお前が大好きだったスティッチのキーホルダー…いまだに袋あけられねぇ
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66 :
癒されたい名無しさん:2006/12/31(日) 23:40:11 ID:K60gclVs
67 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 00:03:23 ID:DL95RUhK
今からもう12年前の話。
オヤジは中国が大好きだった。
だからという訳ではないが、中国人の人と再婚すると
言い出した。もちろんみんな大反対。でも結局一人で
中国に行き淑子さん(日本ではそう呼ばせた)を連れてきた。
始めは「まあ連れて来たならしょうがない」という感じで
仲良くしていた。俺と年齢が7歳しか変わらなかったから
もうお姉さん感覚だよ。だけどこの淑子さん、全然働かない。
料理はたまに作っていたけど、とにかく部屋にこもりっきり。
俺もだんだんと頭にきて冷たくあたるようになった。
今考えたらホントかわいそうな事してた。ひどいことしてた。
オヤジにもひどいことしてた。「早く返せ」ってばっかり云ってた。
あまりにも俺を含め家族が2人を追い詰めていたからとうとう
淑子さんは半年で帰っていっちゃった。
そのときの俺はせいせいした。とても嬉しかったと思う。
68 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 00:15:20 ID:DL95RUhK
そんなオヤジも死んでからもうすぐ4年経つ。
俺はオヤジの後継者でいわゆるボンボンだったから
甘えてばっかりいたんだ。『2代目は潰す』まさにその通り。
オヤジでもっていたの、会社は。死んでから半年で店じまい。
俺は居られなくなって東京に出た。そりゃ東京だもん。
甘ちゃんには厳しかった。地獄の苦しみだった。
でも人の痛みが判った。生きるという意味も何となくわかった。
そしたら・・・・・・バカでした。俺ホントバカだった。
69 :
友子:2007/01/07(日) 00:18:06 ID:ZVuRleTR
真夜中に
目が醒めたのは
不安だったから
君からの
連絡がなくて
夜中2時に
君の指定着信音
ごめんねって
同じメールの
スクロールした後
好きだよの4文字
それだけで
安心出来るなら
涙は零れない
どうしてなんて
追究しても
見えてこなくて
http://osaifu.com/yuuko0008/
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71 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 00:24:28 ID:DL95RUhK
何で淑子さんに優しく出来なかったんだろう。
なんでオヤジを憎んでたんだろう。
オヤジは死ぬ前に本を出版した。
もう長くはないと悟ったときに書き始めたみたい。
普通の小説だけど実は俺へのメッセージ。
俺はオヤジが再婚してからほとんど会話がなくなった。
ケンカしかしなかった。なんか知らないけど憎くてさ。
亡くなった直後も別に悲しくなかった。
小説は知っていた。けど全く読む気はなかった。
むしろとても嫌だった。
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73 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 00:43:08 ID:DL95RUhK
東京に出てしばらくして故郷が恋しくなって
なんとなく人恋しくて初めてオヤジの本を読んだ。
オヤジが高校時代の頃のエピソードなどが書かれている。
そのとき初めて知った。オヤジも人間だったんだなあと。
まっ、そりゃそうなんだけど。
つらかっただろうなあ。よく淑子さんと2人で近くの川で
釣りしてたなあ。
「いい年こいてガキみたいなことすんなよ」
「近所の笑いものになるからやめろよ」
俺、ボロクソ云ってた。
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75 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 00:56:14 ID:DL95RUhK
嬉しそうに俺にさ、
「ジュン、ウナギがつれたぞ」
「ハゼもこんなにいっぱいいるぞ」
「チヌもこんなでかいのが釣れたぞ」って云ったって
俺キライだったし、2人が嬉しそうなのも嫌いだったし。
不機嫌な顔してさ。いっつも「あっそう」だったよな。
唯一淑子さんが笑った、活き活きとした顔見たのもそのときだった。
なんで俺、不機嫌だったのだろう。
実はウナギ焼いてる時、声かけたかったんだ。
実は俺も一緒に釣りたかったんだ。
実は俺もとっても嬉しかったんだ。
76 :
癒されたい名無しさん:2007/01/07(日) 01:13:17 ID:DL95RUhK
おとうさん
俺結局、あなたの子供です。
今、東京で釣りの仕事をしています。
遠い昔あなたが教えてくれた釣りをあなたほどはうまくは
教えられないけど、自然と遊ぶことを忘れかけている
子供たちに教えていきます。そしていつの日か、
あなたと淑子さんが楽しんだ本当の釣りを俺もやりたいです。
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し'し'
78 :
癒されたい名無しさん:2007/01/10(水) 17:47:27 ID:g0+N+moH
79 :
癒されたい名無しさん:2007/01/10(水) 17:48:57 ID:g0+N+moH
81 :
癒されたい名無しさん:2007/01/12(金) 21:51:02 ID:Wj6ELl8E
昨日じいちゃんが死んだ
オレは親が離婚してから親権を持った親父と暮らしている
離婚の原因は母親のアルコール中毒とホスト遊びだった
親父はじいちゃんが死んだことを今日の朝にオレに伝えた、そしていつものように「早く学校行け」と軽い説教
親父は「めんどいなぁ」などと言いながら通夜へ行くため熊本へ行った、だがオレみたいなバカ息子にも分かっていた
その背中は明らかに震えていたし泣いていた
オレの前で男泣きしたくなかったんだろう、貧乏な家庭で生まれ、三兄弟の中で一番最初に上京しの次男の親父
なぜかオレ自身も泣いていた、色々なものが胸をうった
親父よゆっくりしておいでよ、いつも迷惑かけてごめん
オレは親父を尊敬してるよ
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
これはわたしが実際に体験したことです。
私に1歳年上の兄がいました。とても優しく、また賢い子でした。
だから私も兄に甘えっぱなしで、ほんとに我侭な子でした。
当然、親の期待も兄にいっているのも小さいながら感じていました。
ある日兄の体に異変が起きました。
手足に青あざがたくさんあるのです。それもみな、軽くぶつけただけなのに。
心配になった両親はおおきな病院につれていきました。
そこで1週間ほど検査入院すると、兄の病名が分かりました。
白血病でした。
それから兄は一人、入院生活を続けていましたが1年間ぐらいたつとやっと退院することができました。
幸運にも移植せずに直ったかとおもったのですが、幸せは長くと続きませんでした。
再発してしまいました。
それからの生活はまえの入院していた時とははるかにちがいました。
兄が臍帯血移植をしたのです。
移植をするため、兄は隣の県の病院に転院になりました。
となりの県まで母は毎日通っていました。私も週一回お見舞いに行っていました。
無事に移植が成功し兄は地元の病院に戻ってきました。
外泊もできるぐらいまでに回復したのですが、肺炎を起こしてしまいました。
それから1週間後兄は短い人生を閉じました。
私が小学校4年生のときでした。
お葬式のとき、母からきいたのですがいつも兄は私のことばっかり聞いていたそうで
見舞いにいっても顔をみせなかったので兄は
『また僕のところにきてくれない・・・』
とつぶやいていたそうです。
思えばあの時、ずっと兄のそばにいてあげなかったのだろうと今でも思います。
今、私は兄の分まで両親の期待をしょっています。その期待を裏切らないように頑張ってます。
そして兄のようなに病んでいる人を救ってあげたいと思い、看護師になるために勉強しています。
今では兄といた時間は人生の半分ぐらいですが、私の心のなかではずっと一緒です。
ありがとう、お兄ちゃん。
84 :
ポポ:2007/01/14(日) 04:46:43 ID:h2llDlS9
32のまめさん&八百屋の人
まめさん:読んで泣いてしまいました・・・。とてもステキな彼ですね!!
そんなマメな人なかなかいないですよね〜。私も目の前で彼がバイクの事故で
亡くなってしまい私も死のうと思っていましたが・・・。今の彼のおかげで
生きています!!今は毎日が楽しくて生きててよかったとおもってます。
彼(私の彼とまめさんの彼)はいつでも私たちの心の中にいますよね?
八百屋の人:家族みんなが元気なだけで幸せだなぁ〜って本当よくおもうけど
忘れちゃうとき多いよね?八百屋さん残念だったけど、みんなでいっぱい思い出つくってってね。
85 :
朝鮮バーガー′s:2007/01/14(日) 06:42:06 ID:50AY5XKf
糸冬
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し'し'
中学二年生になる数日前、私は告白された。 あまり話した事がない男の子からの告白だった。
私は少し気になっていたのでもちろんオッケーした。 春休みが終わる一日前に彼から電話があった。
「同じクラスになれるといいね」
期待に胸を膨らませて学校へ行った。 昇降口の前にみんなが集まっていた。
私の友達の一人が「彼氏と同じクラスだよ!」と叫んだ。 嬉しかった。
教室に行くと座席表が書いてあった。
私の席は廊下側の前から二番目。彼は窓側の一番後ろの席。離れてしまった。
でも同じクラスで本当によかった。
クラスになじんできた頃、私と彼は一緒に帰った。 一言も話した事がない。もちろん帰りも全然話さなかった。
その日メールで「話せなくてゴメン」ってきた。私は「ううん、私もだから」と返した。
私と彼は帰れる日は一緒に帰った。少し話せるようになった。 でも私と彼は学校では話さなかった。
それから彼が学校に来る日が少なくなっていった。 誰に聞いても理由はわからなかった。
でも毎日メールをした。理由を聞いても「風邪」しか言わなかった。
ある日、彼の友達が私に言った。
「あいつ、ガンで入院してるよ」
私は泣いた。声を上げて泣いた。
哀しかったからじゃない。私に本当の事を言ってくれなかったから。
お見舞いに行こうと思った。でも彼は私に会いたくないと言った。
ガンの抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け、私に見られたくないらしい。
それでも私は毎日メールをした。 時々返ってこなかった。
返ってきても「死にたい」「辛い」などしか言わなかった。 私はこのとき彼に何もしてあげられなかった。
ただ、学校で起きた一日を彼に送り続けた。 そして、よくなることを願った。
文化祭の日。 私は楽しめずに、ただボーっとしていた。 誰かが私を呼ぶ声がした。
後ろを振り返ると車椅子に乗った彼がいた。 私は彼のところへ走った。
泣きそうになったが、彼が「お前が泣くと俺も泣きそうになるから泣くな!」 と言ってくれた。
学校で話した事のない彼がみんなの前で私に話しかけてくれた。初めての事だった。
だけど、文化祭の日で、彼にあったのが最後になった。
私は文化祭の日から彼とメールができなくなっていた。 一週間たっても・・・二週間たっても・・・・
ある日先生が言った。
「文化祭が終わってから4日後に亡くなった」
初めて知った。 ちょっと具合が悪くなったと私達は聞いていた。
周りの友達はみんな泣いていた。 私は涙が出なかった。ワケがわからなかった。
家に帰ったら一通の手紙が来ていた。 消印は文化祭の次の日。
母に問い詰めた。 母は言った。「今日届いたのよ」
私は手紙を握りしめて自分の部屋へ走った。 ベットの上に座り、手紙を読んだ。
「マミへ
この手紙は文化祭が終わって3週間後に届けられるようにしてあるんだ。
これを読んでるときは俺はもうマミの側にはいないかな。 マミにはたくさん謝んなきゃいけないことがある。
学校でしゃべれなかったし帰ってるときも話せなかった。 恥ずかしかったんだ。言い訳だけど・・・・
文化祭の日、マミに会えて嬉しかった。かわいくなった?(笑)
マミは俺に会わなかったほうがよかっただろう。俺、変わってたべ?
今、俺はすごく怖い。いつ死ぬかわからない。 でもコレだけは言っておく。マミ、好きだよ
俺を忘れて、いい恋してください。」
涙が溢れてきた。そして止まらなくなった。
封筒にはもう一枚紙が入っていた。
そこには「泣くな」と書いてあった。
それから数日、私は泣いて過ごした。 彼のことが忘れられなかった。
中学三年生になった今、私は教室に入ると笑顔で「おはよう」って言う彼がいるのを
期待して学校へ通っている。 文化祭の日は絶対彼の姿を探す。
後ろを振り返ると彼がぎこちなく笑って顔を赤らめて「マミ」と呼んでくれている気がする。
今は彼が行きたがっていた高校を受験しようと思っています。
↑どっかにあったやつコピペしてみたw
以外に俺泣けた・・・・・・・・・
90 :
癒されたい名無しさん:2007/01/15(月) 03:39:34 ID:OYRNIuIF
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
91 :
癒されたい名無しさん:2007/01/15(月) 05:04:58 ID:OX/LJ6sO
>>90 > また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
>
>
>
> 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
> 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
> 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
>
> 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
> 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
> 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
>
> やがて戦況は日本に不利となり、
> いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
>
> 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
> 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
> それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
>
>
> 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
>
>
> 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
> 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
>
> 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
> 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
>
> しかし船が島を離れた瞬間、日本
92 :
癒されたい名無しさん:2007/01/15(月) 05:07:08 ID:OX/LJ6sO
↑めっちゃ泣けた(T_T)生きてることに感謝して受験がんばります!
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∧ |/| ∧
/!.ヽ |/| /:: ヽ
/ >|/|/;,; ヽ
/ ::/  ̄ ,;.;::. ヽ\
/..:::: ==-、 ' 、-== 丶
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\ #;;:.. .:: lニニヽ| ::::::/
ヽ.;;;//;;#:::`ー‐' # ノ
>;;;;::.. .....;,.;-
ここここここ)''
/ヽ \∧ノヽ
|:: |::.. Y 在 |
|:: |:::: .|.日 |
〈.:: 〉:: .| ./|
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.((〈::: _ ノ /リ
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.|:::: |:: | 三
.|= .|=. |
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(( し.ノ し.ノ ))≡
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94 :
癒されたい名無しさん:2007/01/24(水) 03:43:51 ID:9d7n15Ck
ある家庭に脳に障害のある男の子がうまれた。そして数年後さらに次男誕生。
小さい頃弟は喧嘩のたびに「兄ちゃんなんかバカじゃないか}
というのを聞いて母親は悲しんだ。
だが母はなにも言わずじっと待つことにした。
兄が小学1年生になった時、兄の同級生を招いて兄の誕生日の
祝いをしたが、兄は悲しいかな急に招待した同級生を殴りはじめた。
そのとき弟が飛び出してきて
「お兄ちゃん殴るんだったら僕を殴って、ぼくなら痛くないから!」
それをきいた母は心の中で「ぼうやありがとう」と言った。
その弟が小学一年生に入学した時、隣の席は手に障害のある子だった。
体育の授業のある日は体操服に着替えねばならないので当然その隣の子は
着替えに手間取って遅れてきた。
しかし二回目からは時間どうりに来たので先生は不思議に思い、体育の授業の
ある日そっと教室をのぞいてみた。
するとあの弟が一生懸命になってきがえをてつだっているのを見た。
先生はこのことをみんなに話そうかとも思ったがせっかく弟が自主的に
やっていることなので黙っていた。
さて、七夕の前日授業参観日があった。
先生が児童の書いた短冊の願い事を読んでいた。
子供らしいおもちゃがほしいとか、の中に
「神様、どうか隣の子の腕を早く直してください」
と書いてあるのを見つけた。そうあの弟の書いたもの。
先生はたまらなくなって皆の前でこの弟の着替えのことを話しだした。
自分の子が手に障害があるのでみんなに迷惑をかけているのでは
ないかと廊下の隅で小さくなって授業を見守っていたある母が
教室に飛び込んできて弟の足元で号泣した。
「坊やありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう
95 :
癒されたい名無しさん:2007/01/24(水) 10:40:28 ID:uDHGKhhZ
↑本当に良い話だな。何か泣きそうだ。
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( / ⌒ヽ
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97 :
泣ける話?:2007/01/24(水) 11:03:05 ID:EEKDBIqJ
あたしは今25歳。ごく普通の家に生まれて、中学まで友達もいたし、部活だってがんばっていた。体を動かす事が好きだったから。
そしてあたしは高校に入った。最初の頃は楽しかった。他の中学から来た子たちとお昼を食べたり、授業も新鮮で。
友達だってたくさんいたと思う。
そして、高校でも部活がやりたかった私はボート部に入った。
しかし、私が入った高校は工業高校で、女子がとにかく少なかった。その少ない女子の中、高校に入ってまで部活をやる女子なんて
あたしのほかにはいなかった。
ボート部は他のメジャーな部活に比べて遠征が多かった。そのため、学校にいる事もすくなくなり、気がついた頃にはあたしはクラスで浮いていた。
98 :
泣ける話?:2007/01/24(水) 11:32:58 ID:EEKDBIqJ
最初の頃は「どこまでいってきたの?」とか「男に混じって女一人ですごいね」なんて言われていた。
でもそのうち、あたしに話しかける子なんていなくなった。移動教室だって誰も誘ってくれず、
あたしから声をかけても何故か友達は逃げて行ってしまう、そんな日が毎日だった。
同じクラスに男のボート部のやつもいた。そいつが部活の先輩にあたしがクラスで虐められていることを
いってしまったのか、あたしは部活でも虐められた。だんだん毎日が嫌になった。
そこまでして、なんでボート部なんて入ったんだろう。でも辞めたいなんて考えた事はあんまりなかった。あたしはシングルスカルという競技で
一度川に出てしまえば、そこからは地上とは無縁の世界。そんなところに惹かれていたからかもしれない。
でもそんな思いも、それも長く続かなかった。ある試合の時、あたしは気付いた。他の学校は、自分の学校がレースをしているとき、大声で応援する。
しかし、あたしのレースの時、あたしを応援する人は顧問の先生だけ。他の部員はあたしの対戦相手の他校を応援しているのだ。
あたしにはとても耐えられなかった。目の前で言われた事だってある。「○○さんがんばってくださいね」(他校)、「でもDさんだってこの試合でるんだよ?」(あたしの事)
「あーいいのいいの」とか笑い混じりの顔で目の前でいわれた。
学校では相変わらず友達なんて一人もできなかったし、体育祭だって文化祭だっていつだってあたしは一人だった。
学校に行くのが嫌になった時だってある。親に隠れて早退したり、学校に行くフリしてサボった事だってある。
そんなある日、サボった事が親にばれた。親はあたしが学校で虐められていることを知らなかった。
そのときあたしは初めて親に虐められている事を話した。最初親はそれでも学校へ行け!と厳しい顔をした。
あたしは嫌々学校へ行く。そして部活へいくが、部活でも虐められる。
そんなある日の朝、あたしは倒れた。
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ノ⌒||^ヽ
彡/‖ ̄ ヽ
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凵 ##ヽ
∪###ゝ
^T TT´
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「 「 |
し'し'
100 :
泣ける話?:2007/01/24(水) 12:04:19 ID:EEKDBIqJ
突然のことだった。あたしは学校へ行く準備をしている途中目を真っ白にして倒れたらしい。
(記憶にない)救急車で病院に運ばれて。。。目が冷めたときは、手術室のようなところだったと思う。
「ここがどこだかわかりますか?」
あたしは「はい」とは答えているが、どこだかわからない。それからしばらくして、意識がはっきりしてくるようになって
いろんな検査をして、待合室で母と二人名前が呼ばれるのを待った。
そして名前がよばれた。先生ははっきり言った。「特に以上ありません、ストレスが急激にたまった結果でしょう。一応精神科に回しますので話を聞いて下さい」
そしてあたしは精神科で何かの薬をもらって母と家へ帰った。
家に着くと母は泣いていた。「そんな追い詰められるまで辛いのなら、学校やめてもいい。倒れるまで頑張らせてゴメン」て。
あたしは学校辞めようとも思った。だけど辞めてなにすればいいんだ?回りに迷惑かけてしまう。その日、雪の降る夜、あたしは死のうと思った。
本気で思って、二階の窓から体をのぞかせた。あたしが死んだらそれでみんな終わる。ほんきでそうおもっていた。
でも出来なかった。死ぬ勇樹が土壇場で出なかった。あたしは涙を流しながらその場に座り込んでしまった。
あたしは「学校やめたって、特にする事ないし、友達もいないけど、とりあえず学校に行こう」と決意した。
これ以上母を泣かせたくなかったから。
それから高校卒業するまで、あたしはクラスで3年間一人だった。そんなあたしも部活を3年間やった甲斐があったのか、
就職難と言われていたが何とか就職が決まった。
高校のとき出来なかった友達だって出来た。その友達とであって2年がたって、
あたしは一緒に飲みに行ったときだったかな?高校時代友達が居なかったことや、
イジメにあっていたことを始めて親以外の人に話した。内心ドキドキした。嫌われるんじゃないか、変な目で見られるかもしれない。などと。。
ところがその友達はそれを覆す言葉を言った。
「Dみたいにこんなにいい子を虐めるなんて許せない、もっと早くうちら2人が出会っていればDは
一人ぼっちじゃなかったかもしれないね。。。」
周りに人がたくさんいたが、あたしはそんな事関係ナシに、その場で大泣きしたのを今でも忘れない。
101 :
泣ける話?:2007/01/24(水) 12:16:39 ID:EEKDBIqJ
友達の大切さを教えてくれた、たった一人の親友と呼べる彼女にあたしは感謝している。
あたしは、その子に友達を教えてくれた。その子を連れて今度一緒に実家に帰りたいと思っている。
きっと母も喜んでくれる。
同時にあたしはあのとき高校を卒業してよかったと思う。それこそ友達もいなかったが、あのとき辞めていれば、
こんな出会いも無かったから。死ななくてよかったと思う。生きててよかった。
奇麗事かもしれないけど、生きていればきっといい事あると思う。あたしはそう信じたい。
泣ける話ではなかったのかもしれないですね…あたしが一方的に話してしまいました、すいません。。。
今まで付き合ってくれてありがとうございました。
102 :
癒されたい名無しさん:2007/01/24(水) 20:39:47 ID:n1Nngv3y
(うω;)
感動しますた。
104 :
泣ける話?:2007/01/25(木) 09:41:14 ID:wiFLtv8T
ありがとうございます。その事が本当でも嘘でもそう言ってくれて、嬉しいです。ありがとうございます。
105 :
泣ける話?:2007/01/25(木) 10:03:22 ID:wiFLtv8T
あたしはちなみに今でも高校時代そんな嫌がらせやイジメを受けた事は忘れる事ができません。
さっきの話には書き足りないです。同じ中学からきた子にも裏切られ。周りの人達は、あたしを
汚い物を見るかのような扱い。確かに高校生にしては筋肉だって男波にあったのか見知れないけど。今でも高校生時代の卒業アルバムは見たくありません。
でもあたしは変わった。今は友達だってたくさんいるし、一緒に住んでいる人だっている。
だっている。あたしの実家は田舎だけど、向こうに帰りたいとは思わない。こっちの友達と
別れたくないからだし、今まで虐められたやつらに会いたくないから。
106 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 17:09:10 ID:HBPSfOO3
本当でも嘘でもって、そんな卑屈にならんでも。
泣けるっつうかただの愚痴やん。気分悪い。
107 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:00:44 ID:BDC3v+mu
宋文洲:捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
→
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q1/523557/ 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。
赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。
最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。
「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。
独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。
病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。
女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。
洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。
ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。
108 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:01:23 ID:BDC3v+mu
●突然押し寄せた不幸
小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。
2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。
目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。
かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。
109 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:02:27 ID:BDC3v+mu
●自ら治療を放棄すると退院
お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。
長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。
「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。
6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。
彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。
そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。
娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。
8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。
それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。
退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。
お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。
そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。
新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。
「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。
110 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:08:22 ID:BDC3v+mu
●70万元の寄付が集まり、治療を再開
ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。
少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。
化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。
111 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:09:59 ID:BDC3v+mu
●訪れた運命の日
2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。
しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。
化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。
翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。
3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。
8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。
少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。
インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。
8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。
女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。
お父さんのいい子でした」とあります。
墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は
「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。
112 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:13:54 ID:0sduHl61
●殺人は微増にとどまるが…
紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。
詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ(
http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html)をご覧ください。
セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。
家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。
2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。
検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。
白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。
113 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:14:58 ID:0sduHl61
●カネや国に頼る前に、必要なこと
もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。
例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。
カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。
お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。
この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。
ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。
114 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:17:23 ID:kCwIxGmx
●70万元の寄付が集まり、治療を再開
ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。
少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。
化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。
115 :
癒されたい名無しさん:2007/01/25(木) 20:18:18 ID:kCwIxGmx
>>114間違えました。すみません。
●思いやる心がない社会の寒さ
少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。
少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。
お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。
教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。
しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。
学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。
もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。
暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。
※作者のブログ。
http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html
(;ω;)
つ旦と
( )( )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
117 :
こうき:2007/01/26(金) 11:39:27 ID:eoUol4V1
先生
僕の先生はとても泣けます。いつも僕たちを見守ってくれています。 新しい春が来ました。僕たちは初日登校日に1−9
の教室にいき。代理の先生がきて、{先生はお亡くなりになりました}僕はがっくりしました。終わり
118 :
癒されたい名無しさん:2007/01/26(金) 22:08:21 ID:C+twUR0q
私は去年の冬休みひいおばあちゃんがいる老人ホームへ行った。
もう96歳
昔は折り紙教えてくれたり、毎日のように遠くまで歩いて散歩に行った。
よく喋るひいばあちゃん。
口癖が「いつか動物園に行こうね^^」だった。
毎日その言葉聞いてたよwww
でも今年久しぶりにひいばあちゃんの顔見に行った。
髪は真っ白、まるで死んでいるように寝ていた。
もう1人で起き上がる事もできない。
たまに言葉を発するが何を言っているかわからない。
ボケが酷くてな。
ひ孫の私さえ分かっておらず「かわいいおじょうちゃんね」としか言わない。
あんなに「○○ちゃん」いってたじゃないか。
一緒に動物園に行くっていったじゃないか。
だからトイレの中で声を殺して泣いた。
119 :
癒されたい名無しさん:2007/01/27(土) 03:45:18 ID:CATd/TFD
昨日おまいの命日だったじゃん。
すっかり忘れてたよ。
たしか去年も忘れてたな、俺。
でも、必ず次の日に思い出してやんの。
でもコレって、おまいのこと忘れてないって事だよな 笑。
おまいの姉ちゃん、綺麗になったな。
120 :
癒されたい名無しさん:2007/01/27(土) 11:06:45 ID:YCRbtR/r
>>119 カレンダーとオマイの手の甲とチソポに書き込んで桶
このボケナス!
毎年忘れるだと?
とぼけるのもいい加減にしろ!
オマイが漏れの命日忘れる訳ねーだろ?
だって漏れを殺ったのはオマイじゃんか
姉ちゃんがキレイ?そんなん前からじゃん
ただオマイが漏れを刺した時、姉ちゃんにそれを見られたのがオマイの唯一の誤算だったな…
オマイには見えなかったんだろうな…卑怯者のオマイは漏れの真後ろから近づき刺したがら…
あの時漏れのチソポが姉ちゃんのオマンコを貫いていたからな…
もう姉ちゃんは永遠に漏れのものさ
そう、姉ちゃんの「時」はあれから止まったままさ
そしてオマイはもう二度と勃起できないんだ
ザマーミロ
121 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:00:04 ID:uZYWHCo3
今月でネットを解約するので記念に2ちゃんに書き込みさせていただきます。
私には6歳年下の妹がいました。
母は再婚で父が違う兄が2人います
小さい頃は両親が夜の仕事だったので私たち二人はほとんど祖父母と一緒に過ごして
いました。
祖父母が他界した後も両親の夜の仕事は変わらず私たち4人は子供だけで
夜を過ごしていました。
すごく仲が良かったわけでもなくうっとうしく思ったりする事もあったのですが
仕方なく面倒をみていました
妹が保育園の時は母が朝起きれないので送り迎えは私の役目でした
122 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:16:33 ID:uZYWHCo3
一緒に笑って喧嘩して
あっという間の16年
私は20歳を過ぎ、この先二人とも結婚して子供ができて
今まで喧嘩した分これからやっと大人の付き合いが出来る様になって
行くんだろうなと思っていました
一人暮らしをしていたあの日
どうしてもどうしてもどうしても家に帰らないといけない気がした
何故かわからなかったけどとにかく帰らないといけない
すぐに仕事を辞めて家に帰りました
そしてちょうど一ヶ月目のある日
123 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:18:30 ID:uZYWHCo3
「友達とカラオケに行くけどあんたも行く?」
「うん行く!」
「ごめーん友達が遅くなるからカラオケ明日にしよう」
「わかったー」
母・父・兄 帰宅
「ママ、お風呂入っていい?」
「うんいいよ」
1時間後・・・
124 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:22:35 ID:uZYWHCo3
「友達とカラオケに行くけどあんたも行く?」
「うん行く!」
「ごめーん友達が遅くなるからカラオケ明日にしよう」
「わかったー」
母・父・兄 帰宅
「ママ、お風呂入っていい?」
「うんいいよ」
1時間後・・・
ドンドンドン!!
「○○○!!!!○○○ーーー!!!」
!!!
救急車!!!
妹が持病の「てんかん」の発作で湯船に浮いてました
125 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:23:25 ID:uZYWHCo3
あれから8年私には3人の子供がいます
妹が生まれ変わってくれないかなと思っていましたが女の子
が出来ませんでした
こんな意地悪な姉の子
供には生まれたくないんでしょうね
126 :
解約する名無し:2007/01/28(日) 00:24:36 ID:uZYWHCo3
時々子供達を忘れてしまってもいいからあの日に帰りたいと思ってしまう
時もあります。家族の中で自分の呼び名が変わったのは私だけです
もう一度だけでいい
○○○に「ねえちゃん」と呼ばれたい
自分を「ねえちゃん」と呼びたい
いつも私の後をついてきた
いつも私の服を着たがった
いつも私の真似をした
○○○ こんなねえちゃんでもねえちゃんはあんたと姉妹でよかった
長文で本当にすいません
すいません
127 :
癒されたい名無しさん:2007/01/28(日) 19:08:21 ID:dhh+oNtO
先日の日記に自分はこう書いていた。
どうせ明日の朝にでもなれば元に戻ってはいるんでしょうけど、今は本当に何もかもがどうでもよくて、自分の生きている価値でさえ見えなくて
その日は色々とあってむしゃくしゃしてたから、そんな事を書いてたんだと思う。
でも、自分の生きている価値がないなんて事はないんだよね。
人は誰しもが誰かに期待を持たれながら生きているんだよね。
そんな事を書いてたら、今まで期待を持ってくれていた人たちみんなを裏切る事になるんだよね。
一番に期待をしてくれている人、それはこの世に俺を生み出してくれた両親だ。
今まで何回も何回も迷惑かけてきたよね。
小学校の時に窓ガラスを割った時も、近所のお店でお菓子を万引きした時も、間違って池に落ちた時も。
最初は怒って、終いには頭をなでてくれたよね。
小学4年生の時、夜になると居間でいっつも親父とお母さんが口論をしていた。
そんなある日、お母さんは一時実家に帰った時があった。
親父が朝の準備をしてくれてる最中に言った一言
『お母さんはこういうのを毎日してたんだな。』
高校3年生になった今でも、そう言った親父の顔は何処か寂しげだった事を覚えている。
今思えば、あれは俺に言ったわけじゃないんだよな。
それから2〜3日してお母さんが帰ってきた。
お母さんが帰って来て言った。
『今日は美味しいもの作るからね』って
その日の晩飯は、俺の大好きな鶏の唐揚げだった。
また別の話なんだけど、俺のいつかの誕生日の時だった。
その日は親父が残業で帰って来るのがかなり遅くなるらしい。
兄貴も友達の家に泊まりに行ったらしい。
それまで誕生日はいつも祝ってもらってた俺は凄く悲しくて親父に電話した。
「なんで帰ってきてくれないの!」って
凄い泣きながら電話で話してて、途中で親父が何を言ってのかわからなかった。
俺も自分が何を言ってたかはもう忘れた。
でも、それでも覚えてる事がある。
そんな時でも、お母さんはケーキと鶏の唐揚げを作って祝ってくれた。
翌朝、俺が寝てるのを親父が起こした。
これから会社に出かけるみたいで背広を着てこう言ってくれた。
『誕生日おめでとう、昨日は本当にごめんね』
128 :
癒されたい名無しさん:2007/01/28(日) 19:09:11 ID:dhh+oNtO
高校1年生の時に、ちょっとした事で俺は家出をした。
今からしたら本当にくだらない理由だった。
その日は友達の家に泊まって、翌日学校に行った。
学校に着く前に携帯の電源を入れてメールを確認したら数十件の着信と十数通のメールが来ていた。
それらはどれも親父とお母さんからだった。
家出してるのになんで「寒かったら家に帰ってきなさい」とか言うんだよ。
留守番メモも何件かあって聞いた。
どれもお母さんの泣きじゃくった声が入ってた。
バカじゃねーのとか思いつつ、俺は電車の中で涙を流してた。
学校に着いて、担任から呼び出された。
バカやろうって言った後にパチンってビンタをされた。
その後、うちの親が色々な所に連絡をしていた事を教えてくれた。
先生が連絡したのか、お母さんがわざわざかなり離れてる学校まで来てくれた。
対面した時、お母さんの顔は泣きつかれた様な感じだった。
家に帰って親父に会って、お母さんが風呂掃除をしてる間に
『お母さんが一番お前のことを心配して、昨日は寝てなかったんだぞ』って
そんな両親に支えられて俺も今では高校3年生になった。
去年の父の日に、柄にも無く親父にネクタイを送ってあげた。
駅の中で売ってた2〜3千円ぐらいの安物のネクタイ
それが多分、初めての親父へのプレゼントだったんじゃないかな?
最初は、どうせ洋服架けの所に吊るされて終わりかなって思ってたんだけど、一昨日の夜に俺が風呂に入ってる時に親父が風呂の扉を開けた。
『今日、大事な取引があってな。お前がくれたネクタイを付けて行ったんだ。』
そう言って、付けているネクタイを見せてきた。
正直、俺はネクタイの柄も覚えてなくて、ただそうなんだって頷くぐらいしか出来なかったのに、親父は凄い嬉しそうにネクタイを持っていた。
お母さん、お父さん。
まで散々迷惑かけてごめんね。
俺、頭悪いから結局良い大学に行って親父を見返す事が出来なかったよ、自分に価値がないなんて言ってごめんね。
それでも、お父さん、お母さん。
『ありがとう』
自分でも呆れるほどに馬鹿な事をしてきたのに、決して見放さないでくれて
『ありがとう』
俺がここまで成長出来たのもお父さんとお母さんのお陰です。
『ありがとう』
いっぱい我侭聞いてきてくれて
『ありがとう』
うん、ありがとうなんかじゃ本当に言い表せないぐらいにいっぱいいっぱいお世話になりました。
お父さんとお母さんからしたら、出来ないどうしようもない息子かも知れないけど
俺からしたら、俺なんかには勿体無い程の良い両親に出会えたなぁって思います。
心から『ありがとう』
129 :
癒されたい名無しさん:2007/01/28(日) 19:12:45 ID:S/yloYWF
泣ける2チョンねるってか?
バロスwwww w
130 :
癒されたい名無しさん:2007/01/28(日) 22:57:02 ID:frt+EcMx
131 :
癒されたい名無しさん:2007/01/31(水) 14:58:17 ID:W676R+ow
476 :ほんわか名無しさん :2006/03/29(水) 02:18:58 0
4月から大学生です。
でも、前期で第一志望を落ちてしまって、後期試験で第二志望の大学に行くことになりました。
今日は手続きがあって、電車で甲府まで行きました。
家を朝6時過ぎに出て、最寄りの駅に思ったより早く着いてしまって、ホームに行ったらもう電車がホームに止まって発車を待っていました。
電車に乗って待っていたら車掌さんがいたので、「この電車八王子行きますか?」と聞いたら親切に教えてくれた。
で、「朝早いねぇ。八王子に遊びにでも行くんかい?」と聞いてきたので「いえ、今年から大学に入るんで、甲府まで行って手続きしてくるんですよ」
と言ったら、「おぉ、それはそれはおめでとうございます!」と言ってくれた。
発車まで時間があったので話はすすんで、私は第一志望に落ちたことがひっかかっていて「でも行きたい大学があったんですよ。。。」と言ったら、その車掌さん。
「うーん。でもその大学に行くことになったのも運命だいねぇ♪
第一志望じゃなくても、あなたが選んで受けたんじゃないんかい?
あぁあの大学行きたかったなぁ。。。って大学生活を始めるよりも、これも運命だから4年間を楽しむぞ!って思って行った方が、卒業する時に「4年間本当によかったなぁ。」と思えるよ!
そんで4年たったら、ひとまわり成長してまたこっちに帰っておいで」と言ってくれた。
八高線の車掌さん。
あなたのおかげで、胸を張って入学式に行けそうです。
132 :
癒されたい名無しさん:2007/02/01(木) 23:43:16 ID:axGR5UKy
でも第1志望に受かった方がよかったね
たぶん、これからずっと第1志望だった大学の学生を見るたびに
クソーと思いながら生きていくんだよ
あのとき受かっていたら…って
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
| | |
∪ / ノ
| ||
∪∪
;
-━━-
134 :
癒されたい名無しさん:2007/02/05(月) 07:45:34 ID:0lecUq0j
11年前のはなしです。当時付き合っていた彼女が妊娠しました…僕は
周囲の反対を押し切り、結婚し出産させた…なぜ、反対されたかというと
、彼女には精神的に弱いところがあったからだ…僕は子供さえ生まれれば
強くなる と勝手におもいこんでいた。あまかった…若かった…
出産後、やはり、彼女はおかしくなり、とても子育てどこではなく、一緒に
いる僕までもが、おかしくなりそうだった…恥ずかしいことだが、僕には、
まだ、他人の責任を負う事はできなかった…離婚までの話は半年位、かかった。そして、互いの生活が続いていたある日、彼女から、連絡があった
135 :
癒されたい名無しさん:2007/02/05(月) 07:46:15 ID:0lecUq0j
「息子を保育園に迎えに行って欲しい」との事だった…僕は了解し、車で迎え
に行った。三ヶ月ぶりのわが子を膝に置き、車を走らせた、久しぶりの息子
はちょっと重くなっていて、以前よりもよくしゃべるようになっていた、そして
車内から目つくもの全てに「あれ何?これ何?」としゃべりかけてくる…
はじめのうちは「あれは信号だよ」とか「車だよ」とか応えていたけど、そのうちに僕は応えられなくなっていた…これから、こうして 息子に喋りたい時に喋って
やれないと思うと、僕は涙が止まらなくなっていたんだ…その涙で息子が何を
指差してるのかが わからなかったんだ…息子はまだ片言の言葉で笑いながらこう言った…「つめたいよー」…僕の涙が息子の頭にボタボタかかっていた…
僕は声はでなかったから、心の中で…『ゴメン…』
136 :
癒されたい名無しさん:2007/02/05(月) 07:47:13 ID:0lecUq0j
それから、数日たったある日また彼女から連絡があり、新しい彼氏ができ、息子を引き取って欲しい と言ってきた…僕は その時の仕事のことも考え 実家の母に相談し 引き取ることを決めた。
あれから8年が経ち、僕は再婚し 今では二歳になる娘と四人で裕福ではないが、なんとか、暮らしている。最近、娘がどこかに出かけるたびに「これは?これは?」と聞いてくる…そのたびに、あの日の車の中での気持ちが今でも、
鮮明に頭に蘇る…もう二度と自分の子供達にあんな 思いはせたくない…
子供達に教わり続けてる、駄目な僕だ…
137 :
癒されたい名無しさん:2007/02/05(月) 07:47:49 ID:0lecUq0j
(長文をよんでいただきありがとうございました。)
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139 :
癒されたい名無しさん:2007/02/08(木) 14:16:01 ID:eeUbRzKM
友人が以前に勤めていた会社での出来事。
20代前半でややぽっちゃり気味の後輩OLが、
昼食抜き&晩ご飯も満足に食べないという
過激なダイエットを始めた。
当然周囲は心配して、「ちゃんとご飯を食べなきゃだめだよ」「体に悪いよ」
と促しても、頑として聞き入れない。
努力の甲斐あって、彼女はスリムな体を手に入れた。
そして、ようやくダイエットの理由を話してくれた。
「物心つく前に亡くなった私のお母さんが着ていた洋服を、
どうしても着てみたかったの・・・。」
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141 :
癒されたい名無しさん:2007/02/09(金) 07:53:38 ID:Z2Oth7Ir
俺には息子がいる。
離婚して今は会えないが息子がいる。
離婚して名字も変わったが、俺の息子だ。
結婚生活は、嫁に男が出来て呆気なく終わった。
全て気付いていた。浮気も。
自分の不甲斐なさにも。
親権は獲られなかった。
面会もさせて貰えない。居場所もわからない。
自暴自棄だった。
仕事も頑張れなかった。
自殺しようと決意した。
でも、夢を見た。
息子の夢だった。
息子が話すだけの夢。
それが日常だった、
あの頃の様な。
その日の報告を、
笑顔でする息子。
笑って聞く俺。
とても幸せな時間。
二人で満面の笑顔。
必死に話す息子。
一言一句、聞き逃さないように聞く俺。
最後に息子が言った。
「父ちゃん、またね」
俺は息子を抱きしめた。
目が覚めた。
俺は号泣していた。
本当に目が覚めた。
同時に決心した。
「息子に恥じない男でいる」と。
まだ俺は生きている。
息子に恥じない男でいる為にと、生きている。
「ありがとう○○○。
父ちゃん、
頑張って生きてるよ。
お前の笑顔のお陰で。」本当にありがとう○○○
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143 :
癒されたい名無しさん:2007/02/09(金) 16:48:14 ID:phfquvY1
大学の友人たちと夏休みに山にキャンプに行ったときの話…
なるべく買える物に頼らないでキャンプをしようという約束だった
俺は薪を集めに山の奥に入っていった
そろそろ十分に集まったと思いながら最後の薪を拾おうとしたとき
マムシに噛まれた
ヤバイと思ってお決まりの応急処置をした後
なるべく血流を活発にさせないようゆっくりと山を下りて行っていた
マムシに噛まれながらも薪を片腕いっぱいに抱えていた俺は
毒が少し廻っていたせいか草むらの中にころんでしまった
そこでまた別のマムシに噛まれた
5分以内にマムシに2回噛まれる
これぞ泣けるはなし
この後は薪を投げ捨てて急いで山を駆け下り
近くにあった診療所で血清を打ってもらった
2日間高熱が出て目が見えなかった
仲間に迷惑をかけただけで感動は一切無し
144 :
癒されたい名無しさん:2007/02/10(土) 16:37:52 ID:upA4Dfav
どんまいです。
145 :
励ましたい名無しさん:2007/02/10(土) 17:05:50 ID:swcS6Fzn
五分以内に2回マムシにかまれても生きてる自分に感動
しろよ!
146 :
癒されたい名無しさん:2007/02/11(日) 00:51:41 ID:n8T6gXa3
手遅れの末期がんの母を看病するために、私は乳飲み子を抱えながら毎日病院に通い、家でも母の介護にせいを出した。
母は孫をお抱いているだけで楽になれると、いつもいつも、病床でも風呂でもどこでも孫と一緒だった。
ついに母が危篤状態になった。もう私の顔も、孫の顔もわからない。
だけど、父だけはわかる。
「お父さんはどこ?」
うわ言のように母が掠れた声で言う。
「出張でいないよ」
「お父さんはどこ?」
目線はいつも、父を探していた。
駆け戻ってきた父に、意識はもうないはずなのに、二人とも黙ったまま見詰めあっていた。
毎日、ただ見詰め合っていた。
言葉なんて要らない絆を感じた。
父が母の名前を呼ぶ時だけ、ぴくん、と指が動いた。
「お母さん」と呼ぶだけで、握り締めた指が反応した。
どこまでも「母親」で「お父さん大好き」な人だった。
指先からどんどん冷たくなったいく母の手を私は離せなかった。
だけど、母は最後まで、父のみを見詰めたまま、息を引き取った。
父の涙を見たのは、生まれて初めてだった。
どれだけお互い尊敬しあっていたんだろう。
父は今でも母のことを「あんなにすばらしい人はもういない」と言い続けている。
亡くなってもう10年が経つのに、父はまだ納骨をしていない。
骨を手放し、墓の下の冷たい土の中に埋めてしまうのが、かわいそうで、寂しいのだ。
こんな夫婦になりたい、と思った。
こんな夫婦の子に生まれた誇りが、今の私を支えている。
長文にお付き合い、ありがとうございました。
俺と妹にとって、ばあちゃんはばあちゃんであり母親だった。
俺の家は母子家庭で おまけに母親は心の病ってやつにかかっちまってて 実際に俺達を育ててくれたのは、ばあちゃんとじいちゃんだった。
あの日、俺は友達の家に泊まって帰る途中だった。
妹から電話があり、ばあちゃんが動かないと言われた。
なにを言っているのかわからなかった 妹に落ち着けと言いながら俺自身がパニックになっていた。
家の前で妹は泣いていた。 ソファーの上でばあちゃんが寝てた。
俺が触ったときは、まだ冷たくはなかった。けど心臓の音は聞こえなかった。
救急車で病院に運ばれたけど助からなかった。
ばあちゃんは あと2日で65歳になるはずだった。
体は強くないけど俺達のために働いてくれてた。俺が進学すると言ったときは、応援してくれた。俺が困ったとき、いつも助けてくれるのはばあちゃんだった。そして、いつも俺達にご飯を作ってくれた。
俺は、ばあちゃんみたいな人は、長生きするんだと思い込んでいた。
今思えば、後悔ばかりしてしまう。
まだ、思い出にはできないけど ばあちゃん
ありがとう。
オマエ等、家族を大切にしろよ
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150 :
背番号7 名無し:2007/02/11(日) 15:56:17 ID:e/jkv1Ss
~熊のぬいぐるみ~
「ママ〜、このぬいぐるみ、なんでいつもここに置いてるの?」
と娘の声がした。
私には、8歳になる娘が居る。
娘はぬいぐるみを抱えて持ってきた。
私は、そのぬいぐるみを受け取ると「懐かしいなぁ」とつぶやいた。
そして、ぬいぐるみと友達の思い出を語り始めた
――数年前
あれは、私が物心ついて間もなかった。
いきなり父親の転勤が決まって遠い県へと行く事になった――。
嘘だという事を信じるしかなかった。
その頃私には幼稚園から仲の良かった親友が居て
その子と別れるのが嫌だった。しかし日に日に転勤の話は嘘では
無くなって来た。
そして、後1-2ヶ月で引っ越す事になった。
まだ友達にも知らせていない、友達を傷つけるだろう…
しかし何時か言わなければいけない…
私は決心して友達に転勤の事を言った。
『父親がさ…転勤決まったんだ、それで遠くに引っ越すことになったんだ。』
と言うと友達は、俯いてしばらくするとどこかへ行ってしまった。
そして学校も終わり家路ほトボトボと歩いていると
玄関に友達が居た。
友達は可愛い便せんと熊のぬいぐるみを渡すと
涙ながらにこう言った
『引っ越しても忘れないでね。離れてても友達でいようね』と……
私は、「うん」と頷いて指切りをした。
そしてこの町で友達との最後の思い出を作り
その友達思い出と一緒にこの町を出た。
語り終えるといつの間にか泣いていた。
とてもいい友達だったから
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152 :
あの日の俺:2007/02/12(月) 00:50:34 ID:avWcmI0+
今どなたかいますか・・?
153 :
癒されたい名無しさん:2007/02/12(月) 01:12:09 ID:sltZ3OLX
154 :
臆病者:2007/02/12(月) 16:11:02 ID:74bMc09e
一昨日、父の様子がおかしかったので、病院に連れて行くと、脳梗塞との診断を受けそのまま入院する事になった。
昨日まで普通にしてた父が、今は上手く言葉が話せない。何が言いたいのか、ちゃんと解っているのかそれすら考えがたい。
その日、家族みんなで泣いた。ドラマみたいに、父の前で泣かない・・そんなの無理だった。
今日、また病院に行ったら、何か言いたそうな感じだったけど詰まるらしくて。。
少しして、ハッキリとした口調でもう帰っていいよ。だって。一番言いたかった言葉だったかもしれない。
明日も行くよ。あさっても。早く良くなってね
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156 :
励ましたい名無しさん:2007/02/12(月) 17:14:59 ID:t6LqAyl2
お父さんが、元気になることを信じて看病頑張れよ!
157 :
癒されたい名無しさん :2007/02/12(月) 23:33:03 ID:JRw3HMsZ
親父に伝えられなかったこと。
自分が子供のころ親父は厳しかった。自分に非はあるが、なんか悪いことをすると、
力いっぱい引っ叩かれた。冗談ではなく首の骨がおかしくなるんじゃないかと思ったほどだ。
そのくせ、普段仕事ばかりで自分が子供のころ、親父に遊んでもらった記憶はほとんどなく、
子供の目にうつる親父は自己中心的だった。
親父が優しかった思い出はあまりないけど、小学校低学年のころ道端で犬の糞をふんで
近所の子供に馬鹿にされて、悔しくて泣きながら家に帰ったことがあった。たまたま母親
がいなくて、たまたま家にいた親父は、自分の糞まみれの靴と足を何も言わずに洗ってくれた。
高校に入る頃には親父の押し付けがましい考え方が嫌で、なるべく顔を合わせるのを避けるようになった。
高校時代さして成績がよかった訳でもなかったが、卒業後は多浪して大学にすすみ、親父と同じ職業に就くことを選んだ。
今にして思うと、親父と対等になりたかったのかもしれない。
俺が親父と離れた土地で就職、結婚して家庭をもち何年かたった頃、親父は病気になった。何度か見舞いに行ったけど、
相変わらずの親父の身勝手な態度が許容できず、口喧嘩をして帰ることが多かった。「どうして親父は周りの人間の苦労や
、迷惑を省みないでわがままばっかり言うんだ。」病床の親父にそういって帰った数日後、親父は息をひきとった。
何年か経ったけど、時々親父の夢をみる。口論しているか、親父の具合が悪い時の夢がほとんどだ。たぶん親父が今、
生きていたとしても、やっぱり喧嘩するだろうと思う。ただ、親父の夢をみて朝起きたとき、いつも心に思うことがある。
生きているときに伝えたかったことだ。
今俺が生きているのは、親父のおかげだ。死に目に間に合わなくてすまなかった。
育ててくれてありがとう、心から感謝している。
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去年の話です
2ch歴ぜんぜんないけど書きます
私の母には姉がいて、東京に住んでいました。私は北海道に住んでいるんですが…。おばちゃんは毎年子供(私のイトコ)の夏休みに合わせ北海道にある私の祖母の家に1ヶ月くらい滞在していました。
数年前からおばちゃんは糖尿病と診断され、一時期70〜80はあったと思われる体重が去年の夏には60前後くらいになっていてかなりやせ細ってしまいました。(身長は165くらいはあったかと)
その痩せ方は見るとつらくなる程でした。
東京の病院には週1(もしかしたらそれ以上)でインスリンを打ちに通っていたそうです。
去年の夏、例年通りおばちゃんは来ました
実は私は16で子供を産み、高校も中退したのですが、おばちゃんはこっちにくる前に電話でいつも優しい言葉をかけてくれ、何度も娘におもちゃや布おむつ、育児の本などを送ってくれて、娘にあうのも凄く楽しみにしていました
私は、おばちゃんがきた頃は今の旦那と住み始めていて一度しか祖母の家に行けませんでした。
会いにいった時はさっき書いた体重くらいに痩せていてびっくりしたものの、優しく迎え入れてくれたおばちゃんに、さして疑問はいだきませんでした。
160 :
159:2007/02/13(火) 11:49:45 ID:NKXb5LTR
イトコとも結構遊んで…(イトコは小学生です)
おばちゃんともとりとめのない世間話をして…
夕方になるころに、私と母は帰ることにしました。
そして、帰るときに
「●●、また遊びにおいでね」と笑顔で見送ってくれました。それが最後に交わした言葉でした。
私は忙しかったこともあり、それ以降は祖母の家に行けず、そのままおばちゃん達も東京へと帰りました。
その時私は、また来年もある…そう思っていました。
おばちゃんが帰って1ヶ月くらいたち、9月下旬に入ったころでした。
今の旦那との結婚も決まり、23日に婚姻届の保証人の欄に母に名前を書いてもらう為に、家に母にきてもらいました
来て早々に母は
「時間がない!おばちゃんが倒れた!これからおばあちゃんと東京に行ってくる」と言い、婚姻届を書きながら状況を説明してくれました
頭が真っ白になりあまり覚えていないのですが…
おばちゃんが倒れて病院に搬送されたこと。意識がないこと。
大まかですがテンパってしまいこれだくしか頭に入りませんでした…
婚姻届を書いてくれた後、母は祖母を迎えに、そして飛行機に乗るために空港へ行きました
161 :
159:2007/02/13(火) 12:06:51 ID:NKXb5LTR
それから夜、9時はまわったころかな?母からメールが来ました
「間に合わなかった。○○おばちゃん死んじゃった。お母さんついた時、五時くらいだったんだけど、もう亡くなってた」
最初意味がわかりませんでした
何かの冗談だと思いました
目で何度も読み返して、五回くらい読み返した頃、やっと理解ができ、ボロボロと涙が出ました
丁度居間で笑いながら話してた時だったから、旦那も義母もさぞ、驚いたことでしょうね(^_^;)
泣きながら(泣かないように我慢してたのですが)父に連絡をいれたり、母とのメールでイトコの心配したり…
意外とやることはちゃんとやってたんですよね…でもちゃんとそういうことしてても頭の中はパニックでずっと泣いていました
私は行きたかったのですが葬式には参加できなくて…49日と納骨はこっちでやるとのことだったので行ってきました
行ってもまだ…否、今もまだおばちゃんが死んだことに納得できていません。
夏になれば「びっくりした?」と笑いながらおばちゃんが来てくれるんじゃないかと思ったり
コンビニで後ろ姿がそっくりな人を見つけると、
「いつこっちに来たの?」と話しかけそうになりました。正面から見ると別人で泣きそうにもなりました。
小さいころから私に優しくしてくれたおばちゃんはもう居ません
私をほんとの子供のように叱ってくれたおばちゃんはもう居ません
今でも納得できないけど…お盆には祖母の家に行ってこようと思います
おばちゃんを探しに、思い出を探しに…
長文駄文すいません
まだ納得できていないところがあるし、高校中退なんで文章もまとまらなくて…
書かせていただきありがとうございましたm(_ _)m
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163 :
癒されたい名無しさん:2007/02/14(水) 20:07:36 ID:Dvg9clB5
164 :
癒されたい名無しさん:2007/02/14(水) 22:18:10 ID:4YTSNirR
はじめまして。いつも読ませてもらってます。
突然ですが昨日、失恋をしました。
僕は19歳。去年、高校を卒業し中学時代の先輩が誘ってくれた社会人バスケをはじめました。
練習には女子の先輩も来ていて1人の先輩を好きになりました。
19年生きてきましたが、こんなに人を好きになったのは初めてで。
3歳年上の方でした。
少しでも話ができるようにと練習の時後ろに並んだりと、自分なりにアピールをしました。
少しは話すのですが、結局「彼氏いるんですか?」とか「良かったらメールアドレス教えてください!」なんて言葉は出ませんでした。
話は飛びますが、昨日友達が「Aさん婚約しかかってるらしいよ。」と教えてくれました。
ショックでしたよ。
テレビの音が聞えなくなり
空の色が分からない。全ての景色が真っ黒に見えました。
ダメでも構わないから伝えるだけの事は伝えようと決意を決めていたんです。
後悔は出来るだけ少なくしたかった。
ですが今は伝えたら伝えたでAさんもきっと迷惑だと思います。
好きな人には幸せになって欲しいと願います。
ですが他の人と幸せになるのは自分は悲しくて悔しいです。
何か言葉では言い表せない感情で。
昨日は荒れまくり、泣きまくり。
僕の中ではいつになっても苦い思い出になりそうです。
もう夢にも出てきて欲しくないと願います。
ですが出会わなければ良かった何て思いません。
僕にもこんな気持ちあったんだって分かったから。
どうしても誰かに聞いてもらいたくて投稿します。
板違いだと思いますが読んでくれた方感謝ですm(_ _)m
駄文、長文すみません。
ありがとうございました。
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166 :
名無しさん:2007/02/15(木) 21:29:01 ID:JowXdCeb
僕ともういない彼女のこと誰かに知ってほしいので書きます
2週間ほど前、16歳の恋人が亡くなった。生まれつき弱かった彼女の心臓が止まった。
僕と彼女が出会ったのは小3のとき、髄膜炎でとある県病院に入院したときだった。
病気のせいで一時的に足が不自由になった僕は松葉杖での移動を余儀なくされていた。
最初の出会いは最悪だった。病院内の曲がり角でぶつかった。彼女は大丈夫だったけど、僕は倒れて後頭部を強打した。
気がつけばベッドの上にいた。周りを見ると、看護婦さんと彼女がいた。彼女は僕に向かって何度も謝った。僕は状況が分からず、キョトンとしていた。
看護婦さんが何があったのか説明してくれた。僕は気絶したのだった。納得した僕は謝り続けている彼女に戸惑いながら、いいよいいよ、と許した。それが始まりだった。
お互いの病室を知った僕らは毎日会うようになった。同い年ということもあり、小3らしく無邪気に遊んだ。
僕が退院するとき、手紙のやり取りを約束した。理由は思い出せないけど1ヶ月に一通というやり取りだった。
書くことは毎回似たようなものだった。僕は学校での出来事を書いて送った。彼女は入院生活でのちょっとした出来事を書いて送ってきた。
そんなやり取りは中1の11月まで続いた。いや、11月で終わった。
彼女からの手紙が11月から止まった。12月の半ばまで待ったが彼女からの手紙が来なくなった。不安になった僕はもう一枚手紙を書いた。返事は3日後に返ってきた。
送り主は彼女が入院していた病院だった。内容を見て、呆然とした。
彼女は別の病院に移ったのだった。しかも彼女は自分のことは一切誰にも言わないように言っていたのであなたには何も教えられない。ということだった。
彼女は僕のことを捨てたんだ・・・そう思って僕は彼女のことを忘れようとした。
中2になってからはすっかり彼女のことは断ち切ったと思っていた。そう思っていた矢先、僕は学年1かわいいと噂されていた女の子に告白された。
放課後、学級委員長の仕事で一人で教室に残っていた僕にその子は告白してきた。多分誰もがOKするような感じだった。
でも、僕はためらいつつもこう言っていた。「ごめん、俺には大切な人がいるから。」
彼女がどう思っていても僕は彼女のことを忘れられなかった。告白されても断ってばかりいた僕はいつの間にか中3の冬、受験にむけて励んでいた。
彼女からの手紙は一度も来なかった。
2月の始め、塾の帰りに交通事故に遭った。頭から出血していて、僕は救急指定のある大学病院に搬送された。
怪我はたいしたことなく、2日で退院できると医師は告げた。
事故の翌日、ふと彼女のことをこの病院の人に尋ねてみた。もちろんダメもとだった。
尋ねた看護婦の返答は素っ気なかった。
「○○さんなら入院してますよ。△△△号室に。」
偶然なのか、必然なのか、彼女はこの病院にいた。
僕はすぐにその病室に向かった。その病室のドアの名札には確かに彼女の名前があった。
深呼吸をして、ノックした。中から女の人の声がした。どうなってもかまわない。そう思っておもいっきりドアを開けた。
167 :
名無しさん:2007/02/15(木) 21:56:15 ID:JowXdCeb
その時のことは、いまだにハッキリ覚えている。長い黒髪に白い肌、整った顔立ちに僕は見惚れてしまった。
「・・・・K君?どうして・・・。」
弱弱しい声で先に彼女が口をひらいた。小3の夏から一回も会ってないのに彼女は僕の名前を紡いだ。
僕はどうしても聞きたかったことを、なんで何も言わずに去ろうとしたのかを聞いた。
彼女は黙り込んだ。5分くらいの沈黙のあと
「いつか話すよ。今は、嬉しいから、素直に喜ばせてよ。」
そう言って、いきなり泣き出した。いきなりだったので僕は困った。ただ、彼女のそばに寄って頭を撫でるくらいしかできなかった。
泣き止んで落ち着いた彼女は手紙を送らなかった2年間のことをいろいろ教えてくれた。ただ、手紙のことには一切触れなかった。
退院してからも2,3週間ごとに彼女の病室を訪れるようになった。片道3時間の大学病院は毎日訪れることができないのでしかたなかった。
病院で彼女と過ごすのは、僕の楽しみとなった。病院内を散歩したり話したり、ごく普通のことがとても充実していた。
そうして高1の夏休み、彼女の病室に無理に泊まりこんだ。
夜中の1時、彼女はあることを教えてくれた。
夜というのは人が素直に、そして憂鬱になると友人が言っていた。そのとおりなのか、彼女は自分の病気を初めて教えてくれた。
168 :
名無しさん:2007/02/15(木) 22:24:41 ID:JowXdCeb
「私は、もうすぐ死ぬんだと思う。」
さりげなく言った彼女の言葉に僕は耳を疑った。
「医者は教えてくれないけど、なんとなく分かるの。もうだめなんだなって。」
彼女は生まれて一度も学校に行ったことも、どこかに遊びに行ったことも無かった。ずっと病院にいるのだった。
病名は分からないけど心臓が悪いようだった。彼女は病院を移ることになったとき、自分の死を悟ったらしく、彼女なりに迷惑だと思い、僕のことを断ち切ろうと思ったらしい。
定期的な手術をするようになり、事態は悪化しているということだった。
彼女はずっと独りだった。僕は自分の偽善者ぶりに殺意が沸いた。彼女のことを本当に忘れられないのならあらゆる手段で彼女を探すべきだった。そうすれば少しは彼女が楽になったかもしれない。
彼女は話し終えるとうつむいた。無言で聞いていた僕は彼女を抱きしめた。
「ごめん、本当にごめん」泣きながらそう言っていた。それは小3のときと逆のパターン。
彼女は 「いいよ、Kは悪くないよ」と震えた声で呟いた。
それから僕らはキスをした。お互いなりゆきのような感じだった。でも、僕は彼女が好きだった。
それからは恋人として彼女のそばにいた。それは病院の人も公認の付き合いだった。
彼女の担当の看護婦さんのアドレスを聞き、いつでも彼女と連絡できるようにした。
僕も彼女も幸せだった。
「このまま病気、治るかもしれない。」
彼女は口癖のように会うたびに言った。
僕もそんな気がしていた。それほどまでに順調だった。
でも、それは所詮夢幻の理想だった。
169 :
名無しさん:2007/02/15(木) 23:01:42 ID:JowXdCeb
それは2週間ほど前の水曜日、昼前のことだった。ポケットの携帯からバイブの振動が伝わってきた。
こっそり携帯を開き、メールの内容を確認した。それは看護婦さんからのメールだった。そこには1文だけ
彼女が倒れた。危ない状況
と書かれていた。僕は先生に体調不良と嘘をつき、授業をぬけだし、タクシーを拾った。
3時間後、病院についた僕は、タクシー代を看護婦さんに立て替えてもらい、彼女の病室に急いだ。
彼女は人工呼吸器をつけて、静かに眠っていた。手術でどうにかなるようなことではなく、ただ彼女の心臓が正常になることを待つしかなかった。
彼女は倒れたっきり意識が回復していなかった。
彼女の右手を握って彼女の名前を呼んだ。返事はなかった。
そのまま2時間ぐらい経過したとき彼女の意識が戻った。でも心電図は正常になってなかった。
呼吸器を外して、彼女と話した。消え入りそうな声で彼女は懸命に話した。
出会ってから今までのことを懐かしそうに話した。
「Kに会えて嬉しかった。素直に好きって思えてから過ごせた時間は短かったけど、私、幸せだった。ずっとずっとこのままKといたかったけど・・・・ごめんね。私、もうだめみたい。」
彼女は死ぬ。そう分かってこんなことを言っている。でも僕は受け入れられなかった。
「死ぬようなこと言うなよ、バカ。まだお前とたくさん話したり手を繋いだり、キスしたりしたいんだよ。お前が死ぬなんて不公平だよ。絶対治るって。だからがんばれよ。」
泣きながらそう言った。こんなにかわいくて健気で優しい子が死ぬなんてひどすぎる。そう思った。
彼女のことを泣きながら見ていると、彼女は握った右手を解いて、僕の涙をぬぐった。
「Kが泣かなくていいよ。私、死なないから。 だから、キスして。」
僕は、顔を近づけキスをした。唇を離すと、彼女は微笑んでいた。
「ありがとう、愛してるよ。K。」
そう言って彼女は目を閉じた。同時に心電図は波を映すのを止め、ピーっという音が病室に響いた。
医師と看護婦が心臓マッサージや電気ショックを試みた。
無駄だった。2月の始め、彼女は静かに死んでいった。
170 :
名無しさん:2007/02/15(木) 23:20:49 ID:JowXdCeb
後で知ったのだが、彼女の両親は彼女のことを半ば棄てていたらしかった。
治療費だけを払い、一度も彼女には会わなかったのだそうだ。
彼女は本当に独りだった。なにもしてあげられないまま彼女を死なせてしまった。
彼女が普通の女の子だったら、たぶん幸せになっていたんだと思う。世の中不公平だ。
生きたい人は生きられず、死にたい奴は自殺する・・・・。虫唾が走る世の中だ。
僕はいま医者を目指している、彼女のような子を救いたいからだ。
僕の部屋には一枚の写真がある。それは僕と彼女が写ったたった1枚の写真。
ベッドに座って仲良く笑っている写真。写真の中の彼女は色あせることなくずっとぼくのそばにいる。
写真の日付は2006年8月23日。僕と彼女が初めて出会った日と同じ日だ。
171 :
名無しさん:2007/02/15(木) 23:22:43 ID:JowXdCeb
長すぎて申し訳ありませんが、これでも縮小したつもりです・・・。
172 :
癒されたい名無しさん:2007/02/15(木) 23:42:33 ID:j4aRssLZ
彼女のぶんまで頑張って生きてくれ。
173 :
癒されたい名無しさん:2007/02/15(木) 23:46:26 ID:BA3bkXpn
まぁ いい感じじゃね
でも何かもうひとつ読者に伝わるものが足りないかな
彼女の事をもうちょいいれたほうがいいかも。
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し'し'
175 :
癒されたい名無しさん:2007/02/16(金) 09:11:08 ID:FdG2AgYh
感動しました。きっと良いお医者様になってくれるのでしょう。
世の中は不公平すぎます。
176 :
癒されたい名無しさん:2007/02/16(金) 11:47:50 ID:8Hsc2pv6
彼女のため精一杯生きて下さい。
(無関係だと言われればそれまでですが)私ももう簡単に死にたいとか、死ねとか思わないようにしよう!命は尊いものですもんね。今更ですが気が付かされました。
177 :
猫:2007/02/16(金) 20:25:34 ID:DvhUr2sG
伝えたい事は、伝えられなくなってから後悔となり心に残る。
きっと 伝えたい事は世の中に沢山ありすぎてきりがないんだ。
だから
できるだけ、
気持ちは伝えよう。
きりはないけどね!
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
179 :
癒されたい名無しさん:2007/02/16(金) 23:27:59 ID:Xqo3lBet
去年に体験した話です。駄文ですがカキコ。
俺は今、高校1年生なんだが、中学生の頃4人くらいのグループにいじめられ、毎日のように腹を殴られたりして、
凄く辛かった。
その時の自分は「こいつら全員死ねば良いのに・・・。」って思っていた。
だけどある日、そのグループの主犯格的な人が交通事故に会い、死んでしまった。
その瞬間、自分でも信じられないくらい涙が止まらなくなった。自分をあんなにいじめてきた奴が簡単に死ぬなんて信じられなかった。
その何日か後にクラスで告別式に出ることになり、会場に向うと、自分をいじめてたグループの残りの奴らが楽しそうに
「あいつ、マジ手に負えなかったよな〜。キモかったし。」とか「死んで当然じゃん。」みたいな会話が聞こえてきて、また涙が出た。
「人間ってそんなもんじゃないだろ。お前等が仲良くしてた奴が死んで、よく悪口を言えるな。」って思った。
人間は本当に醜いな・・・って感じたよ。
後日談だが、あいつのパソコンから日記らしい文が見つかった。そこには
「今日も○○(←僕の名前)のことを蹴ったり殴ったりしてしまった。本当の自分が出せないのがイヤになる。もし、今度殴ったりしてしまったら今までのことを直接謝りたい。 あいつと仲良くなって、付き合いたい。」(うろ覚え)
って書いてあった。
俺は絶対あいつのことを忘れないと思う。人に愛されたことが全然ない俺を、曲がりなりにも好きになってくれた人だったから。
あいつには感謝してます。
かなり省いたんで、ちょと分かりにくいと思います。すいません。
現代の若者は、私らには想像もできないしがらみが
いっぱいあるんだろうなぁ・・
人の優しさに気づけるあなたはやさしいね。
181 :
癒されたい名無しさん:2007/02/16(金) 23:49:03 ID:NqSgn+Qg
どうでもいいけどさ
今俺は死にたいよ
182 :
癒されたい名無しさん:2007/02/17(土) 00:30:26 ID:ZSdbq7UK
今日の出来事
春・暖冬・温暖化
杉が…
鼻にくる 目にくる
鼻水が止まらない
涙が止まらない
かゆい かゆい
この季節はよく泣ける
183 :
癒されたい名無しさん:2007/02/17(土) 00:52:44 ID:jwwAPtO+
死ぬってあっけないよね。その人に話したかった事とか一緒に行きたかった場所とか聞きたかった事とか…
どこに気持ちむければいいのかわからない
184 :
癒されたい名無しさん:2007/02/17(土) 12:54:47 ID:R2Oa/DnZ
185 :
俺 ◆85DXY2.GA6 :2007/02/18(日) 01:34:30 ID:hEv3rHmF
なんで優しくするんだ・・・
なんで優しくするんだよ・・・
俺は何一つ君にしていないのに、逆にひどいことばかりしてるのに
なんで優しくするんだよ
俺には家族と言う家族はいなかった。親は先に他界してその保険で俺は一人暮らしをしていた。
そんな俺でも好きな人がいた、おそらく相手も俺の事が好きでどちらが告白するのかを待つだけだ。周りから見ればもう付き合っているように見えたかもしれない。ありふれた恋だった。だけど大切な恋だった。
いつ告白しようか、明日は何を食べようとか考えていた時・・・
俺は倒れた・・・
気を失えば楽だっただろう。だけど、俺は身体に走る苦痛で気を失う事を許されなかった。
痛みが治まり、おかしいと思い病院にいけば『末期ガン』だった・・・
俺には親がいないし、保護者もいない。だから、告知された・・・
最初はわけが分からなかった。ガン?そんな事言われてもわけが分からない。だけど、現実だった・・・
もう俺の命は短いらしいし、薬を飲んでも死ぬことは変わりがないらしい・・・
俺は入院して短い命でも少しでも長く生きようと思った・・・
でも、君の顔が思い浮かんだ・・・
きっと君は俺が死ぬと知れば悲しむよな。辛いよな。
俺の馬鹿な一存だけど・・・
君を悲しませないために俺を嫌いになってもらうことしか考えれなかった・・・
俺は入院せずに最後の瞬間まで普通の生活で生ることにした。
学校にも連絡があって、必死に頼んで最後のときまで普通にみんなと一緒にいることができることになった。
でも、俺はもう死んだも同然だった・・・
あれ以来俺は君に対して冷たくあたった。胸が張り裂けそうになるくらい辛かった。でも、君のほうがもっと辛いんだろうな。
時々身体が重くて休む時もあった。その時は先生に頼んで不良とつるんで素行が悪いことにしてもらった。
全ては君に嫌われるために・・・ 君に嫌って欲しくて嫌いになってもらうためにしたことなんだ・・・
でも、君は辛いのを顔に出さずに時々俺が登校するといつも校門前で俺を待っててくれたんだよな・・・
休み時間には話しかけて(でも、俺は無視して)、教科書とか忘れると見せようとしてくれて(俺は他の人から教科書を見せてもらって)、俺のために弁当を作ってきてくれて(俺は購買のパンを食べて)・・・
冷たくあたる俺になんで君は優しくするんだ・・・
なんで優しくするんだよ・・・
俺は何一つ君にしていないのに、逆にひどいことばかりしてるのに
それでも、今まで耐えてきたんだ・・・君の横顔を見て泣きたくなっても、優しくされて泣きたくなっても耐えてきたんだ。
でもさ、流石にバレンタインにチョコと一緒に告白なんかする奴いねぇよ・・・
今まで耐えてきたのに無理だよ・・・
君の前で泣きそうになった俺はチョコを受け取らずに走って家に逃げたんだ。
泣きたくなって苦しくて。でも、誰にも言えなくて
少しでも気分が楽になったらいいと考えたけど特に良い案もなくて・・・
今週は君に会うのが怖くて一度も学校に行ってない・・・
不甲斐ない俺ですいません。一人じゃ耐えれそうに無いから書き込みました。
どうしようか悩んでるんです。彼女は俺の事を嫌いになってくれないし・・・
冷たくしても笑っている彼女を見るのも辛いし・・・
いつ最後がいつ来るか分からないけど、最後が来る前に彼女から嫌われるようにがんばらないといけないのに・・・
書き込む事がもう無いかもしれないけど、誰かに伝えたかったんです。
すいません。そして、ごめんなさい。
186 :
癒されたい名無しさん:2007/02/18(日) 01:59:47 ID:vscDF7fr
死にたいって言っている人は多分、今の自分とは違う何かになりたいんだと思う。死ぬ勇気があるなら、いっそ思い切って自分を変えてみるのもいいんじゃないか?
どうやって死のうかなんて考える暇があったら、どうやって自分を変えようか考えた方がいいよ。
時間は無限にはないんだから。
生意気な若僧だとおもうかもしれんが、たまには若僧の助言も聞いてやってくれ。駄文長文スマソ。
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188 :
癒されたい名無しさん:2007/02/23(金) 01:46:22 ID:X/LGySjy
>>166 若いのにいい体験(悪い意味でなく)できてよかったんじゃない?
とても想像できないけど本当に辛かったと思う。
人という樹にとってすごく重要な肥しになると思う。。
自分もこれから1,2ヶ月辛い思いしなければならない。
これを乗り越え人として大きくなりたい
189 :
癒されたい名無しさん:2007/02/23(金) 02:51:58 ID:SgLYYlwq
ねぇ・・・・?
助けて。
ゴメンナサイ。何でもない。
190 :
癒されたい名無しさん:2007/02/23(金) 10:19:02 ID:X/LGySjy
191 :
癒されたい名無しさん:2007/02/23(金) 11:10:02 ID:SgLYYlwq
ゴメンね…意味深な事書き込んじゃったね。
聞いてくれる人がいてくれるなら文章力ないけど書き込むね。
私ね、四日前からまた入院したんだ。初めての入院じゃなくて小さい頃から頻繁にしてたから学校もまともに行けてないんだ。
入院の理由は生まれつき心臓の調子が良くないんだって、心臓が人より小さくてねうまく動かない何か難しい名前の病気。
それで昨日先生と親が話してるの聞いたんだ。
私来年アメリカに行って手術する予定なんだけど、それまで生きてられるか分かんないだって。
もし生きられても手術に耐えられないかもしれないって…その話聞いたら眠るのももったいなくて・・・起きてたら涙がとまらなくって・・書き込んじゃったんだ。
無駄なスペース使ってゴメンナサイ。
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193 :
癒されたい名無しさん:2007/02/24(土) 21:20:55 ID:o5bva3xw
なおたんへ。
いつもありがとう。
一緒に居てくれてありがとう。
たくさんの元気をくれてありがとう。
たくさんの悲しみをわかち合ってくれてありがとう。
たくさんの喜びをくれてありがとう。
こんなこんな馬鹿でだめな人間を、人間として認めてくれて、愛してくれてありがとう。
守ってくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
きっと、あなたが居ることで、あなたが笑ってくれることで、わたしは幸せなのだと思います。
笑顔で居られることで、何かをしてあげたいと思うことで、幸せになれるのだと思います。そう信じています。
だからわたしはあなたの笑顔を見たくて、何かをしてあげたくて、生きていることを実感するのだと思います。
あなたに笑って欲しくて、幸せだと感じて欲しくて、わたしはあなたの為に生きています。
2人で、何年かかってでもいいから家族をつくろうね。
そしたらきっと、もっともっと幸せになれるんだと思います。
早く病気を治して、赤ちゃんを産みたいよ。
あなたとわたしの赤ちゃん。きっとかわいいよ。
早くそんな日がくるように、頑張っていこうね。
わたしも、早く健康になれるように頑張るね。
手紙って難しいね。
伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこないよ。
だけど、たまにはいいよね。
最後に、お願いがあります。
わたしが死ぬ迄、ずっとずっとあなたの事を愛しつづけさせて下さい。
そんな男で居て下さい。
そんな人間で居て下さい。
それだけでじゅうぶんだよ。
それだけでわたしは幸せだよ。
お願いです。
ずっとずっと愛しつづけさせて下さい。
ずっとずっと仲良しの夫婦でいようね。
いつもお仕事頑張ってくれてありがとう。
いつもわたしが過呼吸になった時助けてくれてありがとう。
わたしはあなたの為に生きるよ。
これからも、よろしくね。
愛しています。
りたたんより。
194 :
癒されたい名無しさん:2007/02/24(土) 21:33:03 ID:o5bva3xw
>>193です。
大切なスペ−スありがとうございました。いきなり書き込みして、文章力無くてすみません。ただとても伝えたかったので。お許し下さい。
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196 :
癒されたい名無しさん:2007/02/25(日) 00:47:02 ID:PmecLhrz
古くからの友人が亡くなり始めて知りました。
死ぬのは罪です。
きっと大丈夫、生きていけます。
思い込むって大事です、だから思い込んでください。
お願いだから生きてください
私はおじいちゃんが、昔から無口ですごく怖かった。
家にもあまり遊びに行かなかった。
体も大きくて、威圧感しかなかった。
私も21歳。
男の子を産んだ。
私は子どもを宝物のように育てた。
おじいちゃんはそのころちょうど癌だということが親族にはわかっていた。
日に日にやつれていくおじいちゃん。
でも毎日うちに来て、細い体でひ孫を抱いて散歩してくれてた。
それから聞いたには、私は親戚で初めて生まれた女の子だったので、
おじいちゃんは今私の子どもにしてくれているよう毎日顔を見に来てくれていたらしい。
そのころには私の中でおじいちゃん=怖いというのは完璧なくなっていた。
子どもが2歳になるころ・・・おじいちゃんが入院した。
私は子どもをつれて病院にいった。
うちの子供は話すのが遅かったので、まだ上手に話しできなかった。
そして数ヶ月が過ぎ、転院をせまられた。
うちからとても遠い病院だった。
でも子どもをあわしに病院にいった。
じゃぁ・・・親の私もびっくりしたのだけど、いきなり子どもが
「おじいちゃん!」とはっきりいった。
おじいちゃんは涙ぐみながら飛び切りの笑顔だった。
「おじいちゃん!」子どもがもう一回言ったとき、
おじいちゃんは天使のように笑った。
私はあの時始めておじいちゃんの笑い顔をみた。
つづく
続き
お昼寝してたら、夢におじいちゃんが出てきた。
白い着物を着て、
「これからも○○をだいじにな。」といった。
しばらくしてから電話が。
おじいちゃんの心臓が止まった。
泣きながら病院にいった。
じゃあ、心臓マッサージで息は吹き返していた。
私は泣きながら、
「おじいちゃんの好きな桜がもうすぐ咲くねんで!
また、○○(子ども)をお散歩に連れて行ってあげてな。」
といった。
じゃあ、おじいちゃんは骨と皮の、冷たい冷たい手で、
私の手を握ってきた。
そして、首を横に振った。
「おじいちゃん、あのコもおじいちゃんとお散歩行きたがってるねんで?」
といっても首を横に振る・・・。
「しんどいの・・・・・?」
というと、縦に首を振った。
そしてその夜亡くなった。
おじいちゃん、あれから10年。
今は元気でとってもやさしい子に育ってるよ。
天国で見守っていてください。
2年間だったけど、沢山可愛がってくれてありがとう。
199 :
癒されたい名無しさん:2007/02/27(火) 00:22:59 ID:XcLQ51PX
ねぇ あなたが天に帰って、4ヵ月が過ぎましたね この前、お母さんから電話もらって、あなたに会いにやっと行けたね
すまして笑っている大きな写真
真っ白な布に包まれた四角い箱
立ち上る線香の煙
あなたの家に行くのは辛い。遠く離れた自分の家にいれば、あなたはまだ、入院しているだけなんだと、自分を騙す事もできるけどあなたの家に行き、布団のなくなったベッド、片付けられている衣類、などをみてしまうと自分を騙しきれなくなる。
お母さんが、私に最初に渡したいと選んでくれていたものもあるけど、わたしは、あなたの眼鏡と時計を貰っちゃった
肌に付けていたものが欲しくてね
時計のガラスに傷がついてました
痛む体を無理して動かしてついた傷かと思うとたまらなかったよ
私はどうしょう
決して、別れるはずがないと思っていたあなたに先に逝かれるなんて
男とは別れても、あなたとはずっと、一緒にいられると思っていたのに
どうしょう
神様 この先、もう、誰も出会わなくていいですから、私の大事な親友を返してくれませんか?
神様 どうか、どうかお願いします 彼女を返して
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201 :
癒されたい名無しさん:2007/02/27(火) 01:04:20 ID:qExzBHo3
>>185 俺には両親がいる。
恋人もいる。
友人にも恵まれている。
身体も丈夫で健康だ。
そんな俺がお前に何を言っても説得力は無いな。
俺は興味本位でこのスレを開いて釣りかもしれないお前にマジレスだ。
まあでもこれでお前と俺は繋がった訳だ。
俺はいずれお前の事なんか忘れてしまうはずだ。
でも今確実にお前は俺に生きた証を刻んだ。
お前は俺より先に死ぬ予定だな。
俺はお前よりは長く生きる予定だ。
予定ではな。
残りの時間はお前の好きにしろ。
誰でも生きる時間は限られている。
それが運命だ。
明日俺は仕事に行く。
203 :
癒されたい名無しさん:2007/02/28(水) 23:29:38 ID:DdiMuzbj
私は父が嫌いだった。
ギャンブルでお金をすったり、酒飲んで酔っ払ったりしてよく母を困らせていた。
でも、優しい父だった。
優しいだけの父だった。
そんな父母の仲は悪く、喧嘩が絶えなかった。そんなある日、私が7歳の頃だ。父母はとうとう離婚をした。
私は四人兄弟だった。四人とも母が引き取ることになった。
母は一生懸命働いていた。
私たちを養う為だ。
そして数年が経ち、私が十五になった冬。
父が脳溢血で倒れた、という話を母から聞いた。
左脳がやられていて、いわゆる失語症、並びに右半身不随となった。
私はすぐに父に電話した。
父は記憶をも失ってしまったらしく、私が誰かもわからなかった。
「お前、誰や」
舌ったらずの口でそう言われたとき、あまりにもショックが大きすぎて、言葉も出ずに私は泣いて電話を切ってしまった。
続く
204 :
癒されたい名無しさん:2007/02/28(水) 23:41:57 ID:DdiMuzbj
上の続き
その後、私は姉に連れられて父が入院する病院へいった。
母には秘密だった。母は、私達が父と会うのをあまり快くは思っていなかった。
そして、ベッドの上に父は居た。頬は痩せこけ、昔の優しさに満ちた父の姿はどこにもなかった。
私は姉に縋って泣いた。
こんな父を見たことはなかった。
父は私たちに気が付いたようだったが、一瞬誰だかわからないのか、首を捻ってぽけっとしていた。
そんな父に姉は、「〇〇と、△△だよ」と自分と私の名前を告げた。
父は思い出したように、目を丸くさせ、涙を零した。
「ごめんな……ほんとうにごめんな……」
最初は何を言っているのか、よく聞こえなかった。だけど、父は何度も繰り返し、私たちに詫びていた。
「許してくれ……ごめんな……来てくれてありがとう………」
私は号泣で前も見えなかった。姉も泣いていたようで、鳴咽が聞こえた。
私は、父が嫌いだった。
優しいだけの父が嫌いだった。
だけど、今は心から大切にしたいと思う。
大切な父さんへ、不出来な娘より。
私はあなたが大好きです、父さん。何時だって会いに行くから、どうか悲しまないでください。
205 :
癒されたい名無しさん:2007/03/03(土) 13:55:44 ID:ou2jJd+A
みんな一回ばあちゃんのスゴロクという作品を読んで欲しい
206 :
癒されたい名無しさん:2007/03/03(土) 15:25:26 ID:rl5WS7B4
_人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)_
\∠二ニ=、ノ=ニ二ゝ\
ノ ̄ =o=、. ,=o=、:::)
( ,(_。_;。_)、 ;;;;;;人---,,,_
/ ̄――ノ __;__ ` ::::::::::\ , ゙',
( ー=ニ二ニ=-' ::::::::::::::)/ l
_,f'、\__:::::: ''''''' ;;;;;;;;;;;ノ'"゙i i
_,,r''エ ゙ "エ i l ,'
,,.‐'エ ゙'' ,、,,‐'iン' ..... ..:::.. ', r,‐‐' ノ
r、__,-'エ _,,-'エ_,,,.-ヽ, ,' '、 。 l i,) /-,,_
ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"エ l'、,. 。 ,...ノ ゙'、,,_ ノソ_,/ `゙'‐,
ゝミ_,,ノ" ,'エ iヽ,`゙゙゙エ ゙゙"./~i ....::',
ト;:::.. ', i'、 ,/ノ.,ノ ..:: ゙゙ ',
,' ゙'',ソ‐-、 '、i i'‐、,_ _,,..ノ、,ィヘ,,-‐‐'"エ゙i" ゙,
. ,' ,' `゙'', エヽ、'、 ヽ'マ'''"'‐、,,_ノ, ';:: ',
l ,.ノ ゙'、. l
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207 :
天使ちゃん:2007/03/05(月) 19:26:26 ID:gczgsPe7
私には6歳と2歳のかわいい息子がいる
でも本当は下の子の前に一人子供がいるはずだった・・・・
上の子が2歳6ヶ月の時妊娠し喜んだのもつかの間妊娠5ヶ月の時
お腹の赤ちゃんに心臓・肺・腎臓に疾患が見つかりおしっこがお腹の中で
たまりはじめているので生まれてもすぐ亡くなるか無事生まれても海外で
移植するしかないと思います・・・・残念ですけど今回はあきらめた方が
良いと思います・・・と言われ悲しさとどうしてこんな事にと毎日泣いて
ばかりいました。
どうしてもあきらめきれずいろんな病院にいって調べてもらってもみんな同じ
意見で・・・挙句の果てには医者から早くしないと6ヶ月過ぎてしまいますよ
そうしたら堕胎できなくなるので早く決断してくださいと言われ心も身体
も傷つきお腹の赤ちゃんは動きはじめて来てどうしていいか分からなくなり
泣いてばかりいたある日2歳6ヶ月過ぎた息子が[ママ〜ポンポンの中の
ちゃーちゃんがママ泣かないで笑って]って言ってるよと言うのです
私が息子に聞こえるの?それとも見えるの〜?と聞くと見えるよ〜とちんちん
付いてるから僕と同じ!ママに又会おうね〜!って笑ってるよとニコニコ
の息子を見ると信じるとか信じないとかじゃなくて本当に泣きたいのは
お腹の子なのに自分はなにやってるんだろうと上の子の為にも手術をしようと
手術は陣痛を起こして
自然分娩でその子の最後をちゃんと見取ってあげようとそれしか親として
してあげられないな〜とそのようにしてもらいまして。
このことで本当いろんな人生観や考え方や生きる事や命の大事さのこの子
に教わりました。今いじめや自殺で相次いで自分で死を選んでしまう子が
多いけどどうか考えて欲しいのです。
みんなはお母さんが大切に10ヶ月お腹の中で守りとてつもない痛みと
苦しみに耐えて生まれて来たと言う事を・・・・・
彡ミ. ゚ 〜 :: . : :. 。 ;
彡ミ彡ミ: . ::: 。花粉 〜 : : .. ゚
彡ミ彡ミミミ : 。 〜 : ゚ ::
彡彡ミ杉ミミミ゚ :: ゚〜 : 。 : : :
ヽ|i ゚∀゚i|ノ アヒャヒャヒャ. ゚ 〜 :: .
|i!iハlハl!|: ゚ :。 〜
209 :
癒されたい名無しさん:2007/03/05(月) 20:56:17 ID:4gw3WE2P
ビルの間に沈む夕陽……それを土手で見とれる俺。ふと思う「病んでんなぁ」と―――
210 :
癒されたい名無しさん:2007/03/05(月) 23:20:42 ID:EXftr2ZX
>>208 そこの杉に告ぐ 少しは遠慮というものを 知りなさい
211 :
某ダンサー:2007/03/06(火) 01:25:11 ID:AsY3jCR/
今から4年前僕の祖母が死んだ。高2の時だった。
祖母はパーキンソン病だった。リハビリも兼ねてデイケアセンターに通っていた。
死ぬ一週間前僕は祖母の家へ行った。デイケアセンターの話とか聞かせてくれて
必死にリハビリをして歩こうと頑張っていたみたいだった。
おやつにこんなちっちゃい鯛焼きしかでないとかこぼしてて、次遊びに行く時は
おいしい鯛焼き買ってって驚かせて喜ばせようと思ってたんだけど・・・
そう思ってた1週間後に祖母は死んだ。いつかダンスで頑張って大きい大会に出て婆ちゃんに
見せてやろうとも思ってた。それもできなかった。
婆ちゃんは楽に歩けるようになりたがっていた、爺ちゃんや俺とどっか行きたかったみたい。
それで必死にリハビリをしてて・・・逆にそれが裏目に出て・・・死んだ。
葬式の時、近所の人に俺が婆ちゃんに作ってあげた九九の表が自慢の宝物だったと聞かされた。
それは、俺が小学生の時婆ちゃんが爺ちゃんに九九もできないのかと罵られてた時
俺が婆ちゃんに作ったもの。ずっと大切に持ってたみたい。下手糞な字で書いてあるのに。
そんなのよりもっといい物買ってあげたかったな。
服とかアクセサリーとかさ。
今思い返しても悔やむことばっか。何もできなかったな。
最後に作ってくれた料理の味、すんげー美味しかった。
どんな高級なレストランより美味しいよ。
残り物で作ったのに。。。
この間、ダンスの大きい大会でベスト4になった。優勝すりゃ世界行けたけど・・・。
DVD発売されたけど、一番見せたかった婆ちゃんが居ない。
天国から見てくれてるのかな?
婆ちゃんが見やすい様に世界で一番高いとこ目指すから!
そしたら天国で自慢してよ、孫は世界一だって。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」 \ │ /
―――――――――――――‐┬┘ / ̄\
____.____ | ─( ゚ ∀ ゚ )─
| | | | \_/
| | ∧∧ | | ┏━━━━━┓ / │ \
| |( ゚∀゚) .| | ┃ ┃
| |/ ⊃━⊃━━━━┫ 青酸カリ ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | .∵ 。.∵
|. ・∵ ∵・ ・∵
| 。 .∵.∵ ・∵ 。 ・∵
213 :
癒されたい名無しさん:2007/03/06(火) 16:53:39 ID:1mSO7rCp
もう2年くらい前の話になるけれど、落ち着いてきたので話をしたいです。
冬がだんだんと近づいてきた秋の夜だったと思います。
晩御飯を食べている時、俺の母親の会社の上司さんの一人息子さんが亡くなったって母ちゃんの携帯に連絡が入った。
19歳っていう年齢だったし何度か、会社の日帰り旅行で上司さんと一緒に来てて、会社の人間の殆どが顔や存在を知ってたから、皆愕いてた。
俺もその旅行に行った事があってなんとなく覚えてる。よく笑ってたのが印象的だった。
上司さんのところは、離婚してて息子さんは別れた母親のところに行ってたらしい。離婚した後はまぁ、よくある不良になっちゃったらしくて結構母親を困らせてたそうだ。
でも、上司さんの事は凄く慕ってて、上司さんも別れた手前奥さんのところには、行きづらかったらしいけれど、息子さんには一ヶ月に何度か会ってご飯食べに行ってたらしい。
定時制を卒業した後は、足を洗って真面目に仕事をし母親にもお金を仕送りをしていたそうだ。
あまりの事に俺が『何で亡くなったの?病気?』と聞くと、母ちゃんは重い顔でこう言った。
『○○君、殺されたんだって・・飲めないお酒友達に無理矢理飲まされてそのまま公園に連れていかれて殴られたり、蹴られたり・・・酷いね。あんまりだね。何でそんな事出来るんだろうね。』
母ちゃんは、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。俺もあまりの事に何も言えなかった。
後になって聞かされた事だが、息子さんは仕事(土木作業員だったらしい)が終わった後先輩の飲み会に誘われたらしい。
酒を飲めない事は全員知っていた筈なのにわざと無理矢理お酒を飲ませたそうだ。フラフラになりながら、帰ろうとしたが酔っていた先輩にそのまま公園に連れて行かれ、『お前ボクシングの相手になれ』と殴る蹴るの暴行を加えた。
回りにも何人かいたらしいけれど、罵声を浴びせたり『もっとやれやれー!』と石を投げられたりしたらしい。中には女の子もいて罵声に加わったそうだ。そのまま暴行は続いて、息子さんは頭部に何度も強く殴られそのまま倒れた。クモ膜下出血で即死だったらしい。
その後、付近の住民に発見され警察も動き、グループのメンバーは逮捕された。
214 :
癒されたい名無しさん:2007/03/06(火) 16:54:56 ID:1mSO7rCp
今も、裁判は続いている。
葬式の日時を聞き、向かった
上司さんはあまりの事に信じられず、頬は痩せこけ俺の知っている明るい上司さんの顔は無かった。
母ちゃん達は、葬式の準備やらなんやらでバタバタとしていて、遺影のある部屋で俺と上司さん2人きりになった。
暫く、何も言えず黙っていたが上司さんが無理に笑って『元気だったかー?久しぶりだなー、今日はごめんな、○○も喜ぶよ。』
とやつれた表情で言った。
亡くなる前、上司さんは息子さんと電話で話をしていたらしい。
『俺、父さんとまた一緒に暮らしてーよ。家に帰ってこいよ、母さんには、俺がなんとか言うからさー!頼むよ。』
上司さんは、『そうなったらいいなー』と話、ご飯を食べに行く約束をして電話切った。それが最後の会話だった。
葬式までの間、何度も何度も、息子さんが住んでいた灯りのついていない家車で行き、ただただ泣いたそうだ。
別れた母親もショックと疲労で倒れてしまったそうで、上司さんが看病していた。
悲しむ暇もなく、バタバタと葬式の準備をしなくてはならず、涙も流す余裕もなかったそうだ。
遺影をどうするか、という話になった。
しかし、別れた時母親が家族の写真を燃やしていた為息子さんの写真は殆ど無かった。
仕方なく、原付免許証の写真を拡大して使う事になった。
『普通さ?免許証の写真で無表情だろう?でも、○○の写真さ?写真、笑ってるんだよ。すごく笑ってるんだよね。なんかさ、涙がさ、でてくるよな』
上司さんは、呟きながら言うとその場でうずくまって声を出して泣いていた。
突然の泣いた声と遺影を見て、俺も涙が止まらなかった。
葬式が終わった今でも、上司さんは今でもかなり痩せていて、裁判の件などで今でも忙しいらしい。
今、お子さんがいる人はお子さんを大切にしてあげてください。。
長文失礼しました。
215 :
癒されたい名無しさん:2007/03/06(火) 21:44:19 ID:gxNZkxVa
中傷等の影響でなんと殺人未遂にまで発展
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1173071175/l50 匿名は差別もイジメも犯罪もしておりません。ウソをついたりこちらの言った事をわざと誤解して中傷していた人たち反省して下さい 訴える気力は今のところありません
しかし裁かれなければ、少なくとも謝らなければ罪は消えないでしょう
法的には時効が来るまで…罪を背負っていて欲しいものです。こちらにとってなんの慰めにもなりませんが…
説明忘れてました。一部の方々の中傷等の影響でなんと殺人未遂にまで発展したんです!恐怖だったはずです。
それでも中傷等の方が傷つきました。今の状態も中傷等の方が原因です。
それでは失礼
216 :
癒されたい名無しさん:2007/03/09(金) 17:22:42 ID:5MOpLgXf
物心ついたころから、父と母は別居して
一緒に住んだ記憶もほとんど無い私の父は何年ぶりかに会ったって
優しい言葉なんて掛けてくれたこともないような人だった。
いつも厳格な父を装って
厳しい言葉に小さい時は心を痛めたことも多かった。
特に長女の私は母と父の間に挟まれて
子供には感じたくない感情を受けてきた。
私が結婚した時もお祝いの言葉も無かったよね。
遠い国に嫁いで、相談も何も無しで勝手に離婚して行くところなくなって戻った私。
父には何も言っていなかった。
『お前が悪い』って怒鳴られると思って、覚悟していた。
『大変だったな』なんて、
有り得ない言葉が返って来て、
私は涙を止めるのに必死だったよ。今でもあの時のことは忘れられないな。
妻が死んだ
娘がまだ9ヶ月のころだった
自力で立てるようになったがまだ2〜3歩進むのがやっと
それでも記念だから靴を買ってあげようと妻は笑顔で言ってた
まだ意味のある単語は発音できず「バァ」とか「ハッバァ」など意味不明な言葉しか言えなかった
妻や俺に対して「ハッバァ」と良く言ってたのを覚えてる
妻が寝てると決まって「ハッバァ」と言いながら顔をペタペチ叩いたりして起こしてた
病室で冷たくなった妻を何も分からない娘は「ハッバァ」「ハッバァ」と何度も何度も喋りかけペタペチと顔を叩いてた
何度も何度も「ハッバァ」と言ってもペタペチ叩いても起きない妻
それでも繰り返す娘
泣いた
ひたすら泣いた
俺も何度も何度も妻の名前を呼んだ
葬式などが済み一段落ついてから靴を買いに行った
続き
さっそく家ではかせて妻の写真の前で立たせた
その時、娘が突然笑いだし「ハッバァ」「ハッバァ」と言い出した
妻が来てくれたのかは分からないが
俺は「靴買ってきたよ、好みか分からないけどね」と笑うながら語り書けた
その時間だけは今までのように
当たり前のように妻が側に居た気がした
フッと我に帰りもう妻は居ない現実と二度と会えない寂しさに泣きそうになった
娘の笑顔を見て泣いてちゃ駄目だ、一人でこの子を育てないとって言い聞かせもう泣かないと決心した
今じゃ娘も結婚して孫が居る
孫が歩けるようになったので靴を買ってあげた
当時のことを思い出し少し寂しくなったが何か懐かしくて自然に微笑んでた
余談だが
まさか娘が19歳で子供産んで38歳で孫ができるとは思わなかった
そんな自分も19歳で子持ちだったので人のこと言えない立場なのだが
カエルの子はカエルだなと思った
まとまってもないし変な文で読みにくかったと思いますが
靴を買いに行った時に思い出したので書かせて頂きました
長文失礼します
219 :
癒されたい名無しさん:2007/03/11(日) 18:12:05 ID:NRP2BT6E
私は祖父達と別の家で暮らしている。といっても、歩いて30秒もかからないほど近い。
ある日、私は祖父の家へ行った。祖父の家へ行くのは、あまり好きではなく、その日も家へ早く帰ろうとしていた。
すると帰りがけに祖母が、「懐かしいね、あの写真・・・・・」 と急に話しかけてきた。
まだ話すのか・・・思いながらもその写真を見た。
そこには小さいときの自分達と祖父がいた。少し黄ばんだそれを見て、普段あまり笑わない祖父が笑顔になり、「おお。今まで撮ったなかで1番いい写真じゃ」とひとこと言った。
それからの帰り道、私はT人、泣きながら帰った。
じいちゃん、ばあちゃん、本当にごめんなさい。こんなにも想っててくれたんだね。俺、全然気付けなかったよ。
今までなにもしてあげられなかった分、これからいっぱい孝行するから。それまで元気でいてな。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。
こんなもの読んでくれた人もありがとう。
220 :
癒されたい名無しさん:2007/03/11(日) 22:33:15 ID:8ID8EA09
>>219 ほのぼのしてるねえ
こういうの好き。
俺これ読んで死んだじいちゃんとばあちゃんを思い出したよ
じいちゃん家近くだったのに遊びにいってやればよかったなっておもうよ
いいか、おまいらよーく聞け。
お年寄りは大事にな!
あと……
…ごめんいまいち泣けなかった。
221 :
癒されたい名無しさん:2007/03/12(月) 00:21:30 ID:z4N5T0aT
<<220
222 :
癒されたい名無しさん:2007/03/12(月) 00:40:36 ID:z4N5T0aT
220の人 これ書いた俺自身泣けねぇわww
だけどあの時は泣けたんだよなぁ・・・・(´ー`)シミジミ
ちなみにこれ、意外と前の話だから(最近っぽく書いたけど)・・・・今はじぃちゃん天国にいるよ。俺はちゃんと孝行できてたのかなぁ。
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224 :
癒されたい名無しさん:2007/03/15(木) 16:48:21 ID:giuAHFcn
俺は三人兄弟の真ん中で頭も良くないし、スポーツもろくにできない。
いわば味噌っかすだった。兄貴は国立大に現役で受かった。
妹は中学校の部活で部長をやっていてこの前大きな大会で三位になった。
俺はやる気をださない、だせない人間だった。
だから、親も兄妹も俺とはただの同居人としか思ってない、と俺は勝手に思い込んでた。
俺は今年受験で、馬鹿なりに生まれて初めて本気を出した、と思う……
でもセンター試験の結果は思わしくなく、第一志望の国立は無理だと悟った。
親は、大学のランクを下げろ、と言った。近所の公立に行けと。
もうどうでもよくなって、俺は近所の公立大に願書を出した。
でもそこで思わぬことが起きた。記念受験で受けた(俺から見て)レベルが高い私立大学に受かってしまった。
225 :
癒されたい名無しさん:2007/03/15(木) 17:06:28 ID:giuAHFcn
親は反対した。
私立は金がかかる、大体一人暮らしはできるのか、と。
でも俺は食い下がった、その大学だと俺のやりたいことができる。
運でつかんだ前髪を離すつもりは、なかった。
俺は泣きながら言った。
そこに行かせてくれ、バイトもする、一人暮らしもちゃんとできるから。
記憶にある限りおれは今まで泣いたこともなかったし、
親に本気で反抗したこともなかった。
そんな俺に気おされたように見えた親だが、それでも駄目だ、の一点張り。
俺は切れてそのまま部屋に引きこもった。
夜になってもう一度と話そう、と俺は親のいる居間に向かった。
居間に近づくとなにやら親が誰かと話してる。
それは兄貴と妹だった。
兄貴は、あいつを大学に行かせてやってくれ、俺もバイトでフォローするから
妹は、私からもお願い、兄さんに行かせてやって、と
俺はそのとき目が覚めたような気がした。
拒絶してたのは家族では無くて俺が家族を拒絶していたのだということを。
226 :
癒されたい名無しさん:2007/03/15(木) 17:19:45 ID:giuAHFcn
俺はなんとなく出づらくなって、そのまま自分の部屋に戻った。
ベッドに入ると自然と涙が出た。多分これが嬉し涙なのだろう。
朝になると親が急に、行ってもいい、と言った。
兄と妹が親を説き伏せたのだ。
俺は両親に、ありがとう、一生懸命がんばる、と言った。
でも兄貴と妹には言ってない。
両親も兄貴も妹も例の夜のことを内緒にしていたからだ。
多分俺に気を使わせない為だろう。
俺もなんて言ったらいいかわからない。
今日は妹の誕生日だ。
俺はそこで兄貴と妹に伝えるつもりだ。
ありがとう
なんかあまり泣けないかもしれませんが、
自分を追い込んでちゃんと兄妹に礼を言うために書き込みました。
>>225 良い兄妹だな
自分で思い込んでただけで、本当はお前は愛されるべき人間だったんだよ。
今日の妹さんの誕生日、心からお祝いしておいで。
また彼らが困ってたら力になっておいで。
学校いってる間、楽しい事だけじゃなくてキツイと思う事もあると思うけど
その話思い出したら何か頑張れそうだよな
これから色んな事があると思うけど、無理しすぎない程度にガンガレ
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229 :
224:2007/03/15(木) 22:14:44 ID:giuAHFcn
>>227ありがとうございます。
兄貴と妹に、親を説得してくれてありがとう、と言ったら、
二人ともびっくりしてたけど、その後に、
「兄妹なんだから当たり前。気にするな」
って言ってくれた。
もしかしたら大学の勉強についていけないかもしれない。
一人暮らしもちゃんとできるかわからない。
でも一生懸命がんばろうと思う。
俺には兄妹がいるんだから。
>>229 兄妹にちゃんと感謝出来たあなたならきっと大丈夫だと思います。頑張って下さい!応援してます☆
232 :
癒されたい名無しさん:2007/03/24(土) 17:11:22 ID:SaUKhBHu
首吊りの絵とかやめろ。
抜ける話
234 :
未来:2007/03/25(日) 00:34:10 ID:ZRzU0zJM
天使さんの話。変な言い方かもしれないけど、気持ち伝わりました。私は16歳で子供に恵まれました。だけど、血液とか、いろいろ問題があって、もう子供が産めない体になりました。
235 :
未来:2007/03/25(日) 00:57:34 ID:ZRzU0zJM
私の母が、妊娠6ヶ月でお腹の子、亡くしました。陣痛起こす点滴して、自然分娩で産みました。でももう、前から、お腹の中で死んでました。私も立ち会いました。出てきて泣いてくれ!それしかなかった。でも、泣き声も鼓動もなかった。
236 :
未来:2007/03/25(日) 01:04:51 ID:ZRzU0zJM
母の鳴き声だけが、まだ私の中にあります。翌日6ヶ月の弟へ。。。母の中へ。。。そして私のなかへ。。。生まれて来てありがとう
237 :
癒されたい名無しさん:2007/03/25(日) 02:31:57 ID:5uoAefge
あ
238 :
癒されたい名無しさん:2007/03/25(日) 02:33:58 ID:5uoAefge
239 :
癒されたい名無しさん:2007/03/25(日) 03:06:51 ID:YU9Moplf
>>224 北の国からでジュン君がキツネに石を投げつけるシーンを思い出した。
切なくもなった。
金をものさしに人を判断したり、友好関係を結んでいる連中がハバを効かせる世の中だから
大学生活で浮いた生活を期待するのは困難だろうけど
その綺麗な気持ちがあればきっともっと大きな充実感を得られるんじゃないの?
人生の岐路や節目で体感した大きな感動はデカイな。
全然泣けない・・・おめでとう。
拒絶心を生む心や性格に良い悪いは無いよ。個性だし・・・。
頑張って下さい。
とか言いながら・・・人の顔色ばかり気にする俺・・・_| ̄|○
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/○\
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( / ⌒ヽ( / ⌒ヽ トーナーリドウシ
| | | | | | アーナータートー
∪ | ∪ |
| | | | | | アータシ
∪∪ ∪∪ サクランボー
241 :
癒されたい名無しさん:2007/03/26(月) 16:52:05 ID:CzGQ0Dq8
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242 :
癒されたい名無しさん:2007/03/28(水) 02:21:33 ID:1FdyMLpz
泣けるか否か分らないけれど、先日担任が遠くの学校に転勤になりました。
私は不登校で、あまり学校へは行ってなかったけど、前日担任から電話がきて「明日だけは来なさい」と言った。
遅れてだけど行ってきた。本人から内容を聞いてきた。
なんか気持ちが悪い、真っ先に思った言は「もう二度と会えない。」
243 :
癒されたい名無しさん:2007/03/28(水) 02:32:55 ID:1FdyMLpz
私は塾の数学の先生が好きだった。中学2年から好きだった。でもこんな感情は初めてで戸惑った。
別れを告げられた時、担任を好きなんだって悟った。(認めた??)
何が「僕の事忘れて良い」だよバーカ!!
忘れられる訳ないだろ、メンヘラなアタシを温かく見守って、且つ調子悪そうだったら即呼び出し。「どうしたんですか」と何回も聞いてくれた、過去のディープな話もしてくれたアンタを。
何が「また何時か何処かで会いましょう」だよバーカ!!そんなアバウト嫌なんですけど。毎日でも会ってたいし。
好きなんだってば。
ようは行かないでって事だよ。それくらい分かれバーカ!!
4月にはもういないのか…。大切な人を亡くした気分だ。
駄文失礼。
見た目も中身も完璧な人が、完璧じゃなかったら、嫌われるでしょ。それが怖いって言ってた。
なんか悲しくなった。
245 :
癒されたい名無しさん:2007/04/03(火) 07:34:13 ID:l+lVdByl
私は三人兄弟の真ん中。姉と弟がいる。
私が小学2年生の終わりに、母親が男と駆け落ちをした。
父親は知り合いの人と必死で探していたようだが、
母親はいつまでたっても帰ってこなかった。
年の離れていた姉は高校1年生になったばかりで、私達の母親にならなければ
いけなくなった。
まだ保育園に通っていた弟を先生に事情を話し、始まるより前に預けて
高校に通っていた。お迎えは小学生の私が行っていた。近所のおばさん達の
冷たい視線、哀れな兄弟の噂話に、子供ながらに傷ついて弟の小さい手を
強くにぎって、いつも早足で泣きながら帰ってたな。
姉はすごく優しい人間で、泣き言一つ、文句一つ言わずに
私達の事を育ててくれた。貧乏だったから、自分はいつも学校のジャージを
着てバイト行っているのに、私達にはそのお金で洋服を買ってくれていた。
「○○達の、喜ぶ顔みると嬉しいくなるんだ。」なんて言ってさ。周りから
見たら、可愛そうな兄弟に見えてたかもしれないけどうちらは十分幸せだった。
246 :
癒されたい名無しさん:2007/04/03(火) 08:01:38 ID:l+lVdByl
そんな中、淋しいながらも頑張って働いてくれていた父親が
アル中になった・・・。
いつも酒を浴びるように飲み、暴れた。
夜中、アパート中に聞こえる声で叫び、窓を割りまくってた。
それでも、頑張ってた父親の事を見てきてたから
嫌いにはなれなかった。兄弟で必死に耐えていたな。
でもある夜、父親がまた暴れだし、ビール瓶を割りながら姉に言ったんだ。
「○○達、どん底をみせてやるからな!!もっともっと!!」
その時、それまで怒ったことも、泣いた事もなかった姉が、
初めて父親にに発狂した。
「いいかげんにしてよ!!お父さん!!私達がいるだけじゃダメなの?!
私達をどん底に落とせば、気が晴れるの??これ以上のどん底なんて
ないよ・・・。 嫌いになりたくないよ・・・。」
そんな姉の姿を見て、弟と私も側でわんわん泣いた。
父親は親戚に病院に入れられて2年くらいで、
元の優しい人間にもどってくれた。
また私達4人家族のささやかな幸せが、続いている。
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まだ俺が19歳で慣れない仕事を自分なりに一生懸命にこなしていた頃、俺は必死だった。
6歳で母親を亡くしてからは施設育ちだった俺は、父親の顔を知らない。
施設での生活はそこまで悪くはなかったが、出たからにはもう一生施設の世話になりたくなかったから、(俺のいた施設では退所後もしばらくは監視される)
早く一人前になって一人で生きて行こうという思いが強かった。
1番困ったのは自炊だったが、それも何とかこなしていた。
そんなある日仕事で重大なミスを侵してしまい、上司にきつく怒られてしまった。以前も同じミスで怒られたばかりだったので、上司は怒り狂い
『こんな事でヘマをやってどうすんだ!…だから親のいない奴は嫌だったんだよ。』
と吐き捨てるように言われた。
上司のその言葉につい腹を立ててしまい、俺はそのまま会社を飛び出して家に帰った。
家に帰って怒りを堪えていたら、テーブルに置いていたきんぴらごぼうが目に入った。
俺が昨晩作った物だ。いつも自分で作った物は味が薄くて不味かったなぁ。
そんな事を考えていたら、急に自分が情けなくなってきて、涙がポロポロと溢れてきた。
母親の事はあまり覚えていなかったが、料理が得意だったのを覚えていた。
特にきんぴらは絶品だった。自分は少なくとも幼少時までは母親にちゃんと育ててもらっていた。
そう思っていたから悔しくて腹が立っていたはずなのに、この不味いきんぴらは何だ?
母親の作った味も覚えてないなら、結局は上司の言う通りなんだなと思ったら涙が止まらなかった。
そのまま馬鹿みたいに泣いているといつの間にか寝ていたらしく、夢を見た。
それは小さい頃の自分と母親が一緒に台所に立っている夢だった。
包丁でせっせと野菜を切る母と皮を剥いている俺。
母親はやけに楽しそうだった。
『ゴボウはね、炒める時にこうやってね…』
と俺におはしを握らせて後ろから母親が手取り足取り教えている。
『それで隠し味に…』
俺はこの瞬間に目が覚めた。
びっくりしてしばらく放心状態だったが、時計を見て慌てて仕事へ向かった。
『どうか仕事を続けさせて下さい!』
と上司に必死で頭を下げてまた小言を言われた挙げ句、ようやく仕事を命じられた。
その仕事は今も続いている。
夢で見た内容は結局は自分で念じただけかも知れない。
でも確かに自分の中にも母親との記憶が残っていた事が嬉しかった。
ちなみにきんぴらは未だに美味く作れない。母親が隠し味を教えてくれなかったからw
それでも随分うまくなったと思う。隠し味は何だったのかは分からないままだけど
『負けるな。』
母親がそう言って背中を押してくれた気がしている。
自己満足でごめんね。
いい話だなぁ。こういうの好き。心に染みました。
ありがとう。
/ /. │ ヽ \
∧ ∧/ /. │ ヽ ∧\∧
( ⌒ ヽ / │ ヽ ( ⌒ ヽ
∪ ノ / │ ヽ ∪ ノ
ヽ_),) / │ ヽ し' l_ノ
ミ / │ ヽ
∧ /∧. │ ∧ヽ∧ 彡
( ⌒ ヽ │ ( ⌒ ヽ
∪ ノ ミ ∧│∧ 彡 ∪ ノ
ヽ_),) ( ⌒ ヽ し' l_ノ
∪ ノ
ヽ_),)
253 :
癒されたい名無しさん:2007/04/08(日) 23:23:18 ID:524C64Yt
254 :
癒されたい名無しさん:2007/04/09(月) 00:52:43 ID:hscKx620
貧乏ネタ
片親ネタ
死ぬネタ
病気ネタ
そういうのじゃないの希望
255 :
癒されたい名無しさん:2007/04/09(月) 07:08:02 ID:nvSAGPIA
家族いない身としては家族ネタ嫌だな。
256 :
癒されたい名無しさん:2007/04/09(月) 17:49:17 ID:hscKx620
>254
先日酔っ払って電柱に激突。
小指を突き指した。
朝起きたらあまりの激痛に泣けた。
職場に、すごいきつい性格の上司が居る。
いつも、嫌みや小言を言って来る。
私は、その人が嫌いだった。
ある時、仕事で重大なトラブルが起きた。
他の同僚は、全ての責任は、私にあると
全てを押し付け逃げた。
確かに、責任者というのもあったので、
この責任は私にあると、
どんな懲罰でも受ける姿勢で居た。
とりあえず、早急に書類を作り直すよう指示が出たので、
深夜に渡り一人で作業をしていると、
そこに嫌な上司が来て、
「お前やらかしたなぁ〜」
と言われた。
何でこんな時間に居るんだよ。
わざわざ嫌み言いに来たのか?
そもそも、今はちがう課に居るのに、何なんだ。
と思ってたら、
「半分貸してみろ。
だからお前は要領が悪いんだ」
と言いながら、手伝ってくれた。
書類も出来て、今回は事なきを得た。
翌日、私はその上司に御礼を言った。
そしたら、「何の事?
俺は知らんがな。一人で偉かったな」
と言われ、
初めて、人の優しさに触れたような気がしたのと同時に、
上辺だけの言葉や行動に躍らされていた自分が
すごく恥ずかしくなった。
と同時に、上司の優しさに泣けて来た。
これが、本物なんだと思った。
今は、一番信頼のおける人です。
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261 :
癒されたい名無しさん:2007/04/17(火) 01:08:50 ID:roECr14p
>>185 まだ見てるかな。
すげえ遅レスなんだけど、今見てどうしても思うところがあったんで書かせてもらいます。
自分にも病気の恋人がいてさ。
185よりはそりゃマシだけど、完治することはなくていつ再発するか分からん病気。
かかると見た目もあんまよろしくなくなるらしく、当然次再発したら命にも関わってくるからって、「もし再発したら」って話をする時、185と同じこと言ってたよ。
(奴は醜い姿を見られるのが嫌なのが主らしいけど、まあ贅沢な話だよな)
でもそりゃ、恋人からして見たらめちゃめちゃな理屈だよ。
だって冷たい態度とられた時点でもう気持ちズタズタさ。
その上そんな微妙な関係で死なれたとあっちゃあ、余計ダメージでかいわ。
それより最後まで愛させてくれ。
未練はぐだぐたに残るのはどっちにしてもそうなんだとしても、後悔しないよう精いっぱい愛したいよ。
何で優しくするのかなんて愚問だ。嫌いなんて言われたとしても、簡単に好きな気持ちは消えない。見えすいた演技なら尚更。
センチメンタルに浸りたい気持ちはよく分かる。けど愛し合う道をとった方がお互いに悲しくなくて済むよ。
それで仮に悲しくなったとしてもそれはものすごく満ちたりた悲しみだと思うね。
私からもお願いする。どうかそんな幕の引きかたは選ばないでください。
長文で失礼しました。
262 :
癒されたい名無しさん:2007/04/18(水) 07:53:24 ID:FikpcfCh
【ハニャーン心経】
とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO!
モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、
実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。
とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、
汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。
実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、
無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。
こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。
考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。
ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、
それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。
まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、
もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
じゃあ唱えるぞ。
「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」
ハニャーン心経
263 :
癒されたい名無しさん:2007/04/18(水) 22:38:12 ID:qV4wFjP9
馬鹿なりにやっと入れた大学。だけど3回生になっても友達はいないに等しい。
中学・高校時代の親友たちは、新しい環境や職場で
新しい友人や恋人が出来たらしい。以前のようにはしょっちゅう遊べなくなった。
ある日の朝、母が俺に千円を渡してきた。「大学の食堂はどう?美味しい?」
俺は「うん」とだけ答えて、その日は昼飯を食わなかった。食堂には一度も行ったことがない。
きっと今頃、俺が友達と仲良く昼飯を食ってるものだと思ってるんだろうな・・・
そう思うと、少しだけ、胸が痛くなった。
ある金曜日の夜。高校時代の親友に電話をかけて遊びに誘ったが、
土日は友達と約束があるから行けないという。俺は「いいよいいよ」と笑って答え、
いつものように週末はひとりで過ごした。
_____________
/|:: ┌──────┐ ::|
/. |:: | | ::| きっと今ごろ あいつらは
|.... |:: | | ::|
|.... |:: | | ::|
|.... |:: └──────┘ ::| 新しい友人や恋人と
\_| ┌────┐ .| ∧∧
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( _)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_, ) 楽しい休日を満喫してるんだろうな
/ \ `
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
 ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄
| .( ( | |\
| ) ) ) | | .|
|________(__| .\| でも、もう、俺はいい大人だから
/― ∧ ∧ ――-\≒
/ ( ) \
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
|______________| 泣かないで済む術を、
∧∧
( ・ω・)
_| ⊃/(___ いじけずに済む方法を、もう
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 身につけてしまったんだ。
||
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( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
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-━━-
265 :
癒されたい名無しさん:2007/04/20(金) 00:12:21 ID:143f30WK
つらくなったら、一緒に悩んであげる
泣きたくなったら、一緒に泣いてあげる
笑いたくなったら、もっと笑わせてあげる
怒りたくなったら、あたしに当たっていいよ
悲しいときは、いつまでも話聞いててあげる
嬉しいときは、一緒にたくさん喜んであげる
たった一人の親友だからこそ
あたしにわがまま言う特権あげる
だから約束。
大きくなって、別々の道を歩んでいくけれど、
あの日見たあの綺麗な夜空を忘れない。
その空を見たら、少しでもあたしを思い出してね?
そしてその時は、あたしもあんたを思い出してること
忘れないでね。
いつもはなかなか言えない言葉。
「だいすき」
こんな形で言うのは恥ずかしいけれど、不器用なあたしの今の
正直な気持ちだよ。
悲しいときも楽しいときも嬉しいときも
いつもそばに居てくれるあんたが大好き。
これからも、何があったってうちらは親友。
いつだってあんたの味方だよ。
こういうストーリー性の全くない、下手なポエムもどきは
どうか自身のブログに投下して満足していてほしい。
267 :
癒されたい名無しさん:2007/04/27(金) 00:02:29 ID:O8Q64B7o
たまに見かけるけど たしかにウザイ!!!
268 :
癒されたい名無しさん:2007/04/27(金) 23:41:36 ID:PQRq2no7
>>265 文才ゼロ。
ローギアな日常で感性が乏しいの?
269 :
癒されたい名無しさん:2007/05/05(土) 02:34:17 ID:AUvEdVKN
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270 :
ゴゴ:2007/05/05(土) 08:01:38 ID:MtnRrVWr
2年前、俺の友人が事故で死んだ。
夏休みの高速道路の渋滞の中で。
大きなトラックと衝突して友人と妹、母親までもが命を失った。
そいつと会ったのは、学校の廊下だった。
肩がぶつかってしまい、慌てて誤った。そいつは笑顔で「大丈夫」と言った。
それから、毎日廊下ですれ違い、ある日話しかけてみた。
そいつはすごく気のいい奴で、俺たちはすぐに仲良くなった。
そして、同じ趣味をもっていることを知った。
夏休みに入る前、一緒に出かける約束をした。
それから10日後、新聞にそいつの名前を見つけた。
テレビでもそいつの名前が流れた。
電話がかかってきて、俺は電話を握り締めて立ち尽くした。
「交通事故で・・・。ついさっき、息を引き取った・・・。」と。
今でも実感なんてない。
だから、またいつもの廊下で
そいつを待ってしまう。でも、誰も来ない。
一緒に出かける約束をしたまま、そいつは旅立った。
一人で行くなよ。約束忘れんなよ。
今でも俺は、約束が叶う日を待っている。
271 :
癒されたい名無しさん:2007/05/06(日) 01:10:46 ID:jHwD54IB
ヌケる話
274 :
癒されたい名無しさん:2007/05/06(日) 23:01:42 ID:DHPCeRHS
11年前の8月1日の俺へ
こんにちは。11年後の君です。
儲け話いっぱい知ってるし、彼女になる女の子も知ってます。
でも君には教えてあげません。その代わりもっと大事な事教えてあげます。
明日、君の弟死にます。高3なのにくも膜下出血なんてジジィみたいな死にかたで風呂の中に浮いてます。まあ今の時点で避けられないだろうから、せめて君が最初に見つけなさい。母さんを第一発見者にするな。
あとせめて弟に言ってあげなさい「俺もイケメソでモテモテのお前が自慢だ」って。
君の弟は「俺はバカだけど俺の兄貴は大学生でこの後大学院行くんだぜ!」って無邪気に自慢していたことを、葬式に来た弟の友だちに知らされます。
君は内心弟を恥じていますね?バカな弟と。でもバカは君の方です。避けられない別れなら、せめて弟に言ってあげなさい。
「お前は俺にとって自慢の弟だ」と。
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し'し'
276 :
癒されたい名無しさん:2007/05/07(月) 03:58:18 ID:vpeUcmS2
277 :
癒されたい名無しさん:2007/05/07(月) 04:30:48 ID:opxM2OFi
16の時270と同じ経験をした事がある。
親父が倒れて今ICUに入ってる
朝になったら始発で会いに行こうとおもってさっき親父の好きだったタバコを買ってみた
279 :
癒されたい名無しさん:2007/05/07(月) 15:15:28 ID:gNXGntG/
親のこと考えるとつらくなる
280 :
引用ですが:2007/05/10(木) 01:23:43 ID:IQ4m3ZJl
小学4年の娘が、図書館から本を借りてきました。
「白旗の少女」 比嘉登美子著 講談社 という本です。
時々、涙を流しながら読んでいたので、気になり日中読んでみました。
それは、沖縄戦での少女の物語でした。
沖縄戦では、18万人余の日本人と、1万2千人余の米兵が亡くなりました。
米軍は、昭和20年4月1日に、沖縄に上陸を開始した。
富子(6歳)の一家は、首里に住んでいたが、
もう、おとうさんの行方は、分からなくなっていました。
「南に逃げよう」と言う、
ヨシ子姉さん(17歳)、初子姉さん(13歳)、直裕兄さん(9歳)と一緒に逃げます。
持って出た食料も尽き、山や、「ガマ」とよばれるほら穴にかくれたり、寝たりします。
でも、海岸の砂浜に穴をほって寝ていた時、直裕兄さんの頭に、
機関銃の弾があたり、亡くなってしまいました。
三人は砂浜に穴をほって、埋めて上げます。
ヨシ子姉さんは、
「ここは米須というところよ。ちゃんと覚えておくのよ」
「いつかちゃんと、家のお墓に入れてあげるのだから」
と妹たちに言い聞かせます。
米須から逃げ出すと、すぐ富子ははぐれてしまい、一人ぼっちになってしまいます。
富子は2人のネエネエを探して、ガマからガマを渡り歩きます。
トボトボと歩きながら、小さいおいもや、ニンジンを見つけて食べました。
ガマの中で死んでしまった、兵隊さんのかばんから、金平糖や乾パンや缶詰を見つけて
食べたこともありました。
最初はアリがたくさんいたので分かったのですが、だんだん兵隊さんが死んでいるか
どうか、分かるようになっていったのです。
ガマからガマへと逃げる富子でしたが、5つ目のガマで日本の兵隊に
「おまえを生かしておくと、こっちが危ない。殺してやる」
と日本刀で追いかけられます。
富子は走って逃げますが、ついに崖から落ちてしまいます。
気絶した富子は、やがて崖の中腹の木に引っかかり、命を救われたことに気付きます。
でも、何もつかまるものはなくどうしたらいいのか、と考えているときに木が折れて、
今度は崖の下に落ちていきます。
また気絶していた富子は、水の音で目をさまします。
靴もボタンもなく、モンペもやぶれてボロきれのようになっていました。
川ではたくさんの人が水を飲んでいました。
富子は、順番を待つうちに、それは水を飲んでいるのではなく、川に顔をつけたまま
死んでいるのだと分かりました。
川の水のなかにはウジ虫がたくさんいましたが、どかして飲むしかありませんでした。
ひとりぼっちで、富子はさらに逃げます。
引用
http://ogob.net/full/full.php?aid=459&uid=&fav=&art=&page=14 より
281 :
癒されたい名無しさん:2007/05/14(月) 21:26:06 ID:YKFi0L7X
>280
サンキュ。見てみまス田。。
泣けた・・
282 :
癒されたい名無しさん:2007/05/14(月) 21:34:15 ID:r9LfJxsf
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283 :
癒されたい名無しさん:2007/05/14(月) 22:24:01 ID:6/lJ6wdY
284 :
癒されたい名無しさん:2007/05/15(火) 04:37:51 ID:rkJgYmmQ
学校帰りのセックスがたまらん
285 :
癒されたい名無しさん:2007/05/18(金) 01:14:52 ID:AQKNDmxN
今日、お爺ちゃんが死んだ。
最初知らされたときは何のことだか分からなかった。冗談だと思った。
私のことを6人の孫の仲で一番可愛がってくれた。
少し口煩かったけど大好きだった。
医者になりたくて、でもお金が無くて諦めたお爺ちゃんは、私が医者になりたいといったとき、凄く喜んだ。応援してくれた。
医は算術じゃない仁術だって、死ぬほど聞かせてくれた。
本好きな私に本代だと言って、親に内緒でお小遣いをくれた。
最近我が家飼いはじめた猫を、凄い可愛がっていた。
笑って
「なついて帰らなかったらどうする?」
って言ってたのに。今日行ったらもうお爺ちゃんは死んでいた。
「猫を飼いたい」
って言って、お母さんに
「どうせ世話できないでしょ」
って言われてた。
飼ってても一週間も世話できなかったじゃないか。
馬鹿野郎。お爺ちゃんの馬鹿。
私が高校受験するまで生きてるって言ったじゃないか。
大学の入学式も見に行きたいって行ったじゃないか。
高校受験まで、あと一年も無いのに。あと少しぐらい待ってくれたって良かったのに。馬鹿馬鹿馬鹿。
最後まで大好きなお酒を飲んでいて、眠るように死んだ。
脳がどうのとか、あたったとかお母さんは言っていた。
少しずつ血が出て、調子悪くて横になって、そのまま呼吸器が駄目になって眠るように死んだ。と言っていた。
お爺ちゃんは、幸せだったかな。
私は14年しか一緒に入れなかったけど、おじいちゃんの孫で幸せだった。
本当に大好きでした。ありがとう。
あの世では、健康もおばあちゃんも気にせず、大好きなウィスキーをたくさん飲んでください。
馬鹿みたいな文でごめんなさい。
今日○○が死にましたって系の話を読んで、たま〜に思うけど、
よく身内の誰かが死んだ数時間後にパソコンつけて2ちゃん開く精神状態になるよな。
いったいどんな気持ちでカタカタとキーボード叩いて長文書いてるんだろう。
こればかりは実際にそういう立場にならないとわからないことなのかもしれないな。
まぁ、実際その立場に立ってみないとわからないよな。
まともな精神状態じゃないから2ちゃんひらくのかもしんないし。
288 :
癒されたい名無しさん:2007/05/19(土) 03:03:49 ID:4JA7DdI7
北の国からで、ジュン君がキツネに雪団子を投げつけるシーンで泣いた。
男子の心理と言う意味で、決して動物虐待って意味合いでは無いです。
北の国からの最終話はクソつまんねーけど。。。。
289 :
癒されたい名無しさん:2007/05/19(土) 11:59:39 ID:sclbp3t1
母親ネタきぼんね
290 :
癒されたい名無しさん:2007/05/19(土) 12:04:20 ID:IrflhvjV
ま○こ
291 :
トモチャ:2007/05/19(土) 14:10:32 ID:LEGe24GK
私のとこにも遊びに来てください。返信必ずします。
292 :
癒されたい名無しさん:2007/05/24(木) 04:15:58 ID:tfcb211m
ニコニコ動画の
泣ける2ちゃんねる
にある話ってドコ発祥?それとあれはネタですか?
さだまさしの償いって曲は泣ける
294 :
癒されたい名無しさん:2007/05/24(木) 05:39:04 ID:MW3CLGh1
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295 :
癒されたい名無しさん:2007/05/24(木) 06:57:56 ID:R3G6sXYT
昨今のネットコミュニティの人々の中に、人を馬鹿にして悦に浸る人種がいる。
彼らは、なぜ、こんなくだらないことにご執心なのだろうか?
それは、真の馬鹿だからである。彼らは劣っている自分の正体から目をそらし、必死に、ハイエナのように、
些細なことでも、馬鹿にできるような事をさがし、レッテルを作り出し、人を見下し脆弱な自信を保つ。
しかし、この感覚はニセモノであり、ちょうど海水で、喉のかわきを癒そうとするのが無駄なのと同じく
何度行っても自信をつける役には立たない。自分は何も変わっていないのだから当たり前だ。
また、他人を自信の基準にしているため、ちょっと優れた人物を目の当たりにすると、すぐに
劣等感を感じてしまうようになる。
彼らは学校、職場など所属する団体で認められておらず、また、人生の中で
本当に誇れる、明確に自信につながる証拠がないため、他人を攻撃することでしか自信を保てないのだ。
だから、やっきになって、するほど人に嫌われると気づかずに、
または気づいていても、大丈夫と勝手に自分に言い聞かせて、人を馬鹿にする。
もちろん、馬鹿にされる側の人は全くの普通であったり、または、ぐうぜん弱っている時に標的になる。
こんな連中に付き合っていたら、人生が無駄になってしまう。しかし、
日本人は人がいいので、それらの言い分にも耳を貸してしまうのだ。
296 :
No名無し:2007/05/24(木) 11:22:15 ID:PuoXiGhP
十年前の私が11歳の時両親は離婚しました。
いつも通り学校から帰ったら、母は荷物と共に消えていました。
たった一つ、莫大な借金だけを残して。
父と二人暮し。父の帰りが遅いと、なんでも一人でこなしました。
家事にごはん。催促の電話、ガラの悪いおじさん達の相手。
地獄のようでした。
鳴り止まない電話が怖くて、電話線を切ったり。
居留守を使う為、テレビも見れなかった。
ほんとに、安っぽいドラマのような毎日でした。
だから大好きだった母を嫌いになるのは凄く簡単でした。
それでも私は母に会いたかった。
会いたくて仕方なかった。
十年間わからなかった母の居所をようやく父から聞かされた。
真っ直ぐ会いに行きました。仕事を休んで。
だけど母は・・・死んでました。
病院のベッドで。
最初、理解出来なかった。
母はまだ48のはずなのに、そこにいたのは70くらいのヨレヨレのおばあちゃんで。
私の記憶にある母の面影など何一つなかった。
もう何年も目も見えず、喋る事も出来ず、歩く事もままならず、寝たきりだったそう。
涙も出なかった。葬式でも。
母の少ない荷物を整理していると、一枚の写真を見つけました。
若い父と母、そして小さな赤ん坊。
中学の頃、母が写っている写真は全て燃やしちゃって。
だからそれは、唯一の家族写真でした。
写真には私の知ってる母がいました。
私とそっくりと言われていた、母がいました。
その写真を見て、ようやく私は母の死を理解出来たんです。
私は母に会いたかった。
会って、言ってやりたい事がいっぱいあった。
ふざけんな、バカ野郎、死んじまえ
いっぱい言葉を用意してたのに、何一つ言えなかった。
それが、悔しくて悔しくてたまらない。
聞きたいことだっていっぱいあったのに・・・
お母さん。私はお母さんのせいで、沢山辛い目に合ったよ。
ずっと怖くて、寂しかったよ。
勝手に消えて、勝手に借金作って、勝手に死んでった・・・
絶対に許さないから。
死んだって許さないからね。
でもね、ただ一つ、答えてほしかったよ。
ねぇお母さん。
私の事、愛してくれてた?
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298 :
癒されたい名無しさん:2007/05/24(木) 16:50:07 ID:Y33jvCcp
おじいちゃんが、けんだまを買ってきてくれた。普通の玉の2倍あるけん玉。
京都に旅行に行った時のおみやげらしい。おじいちゃんが一生懸命選んで買ってくれた、けん玉。
私はそんなけん玉に文句をつけた。「こんなんいらんわ、返してきて。」
おじいちゃんは悲しそうな顔をした。私はおばあちゃんに言った。「おじいちゃんがあんな
危ないもんおみやげに買ってきた。」って。おばあちゃんは私の話を聞いておじいちゃんに言った。
「こんな危ないの買ってきて怪我でもしたらそうするんや」と。
おじいちゃんは、その1言で買ってきたけん玉を、重い足取りでどこかへ持っていった。
悲しそうな背中だった。
おじいちゃんが倒れた。ある日おばあちゃんから電話があった。私はその時はどうせ何ともないやろって
そんな気持ちでたいして心配もしてなかった。週末お母さんとおばあちゃんと一緒におじいちゃんが
入院する病院へいった。おじいちゃんに喋りかけたけどおじいちゃんは何にも
言わなかった。眠ったまま。脳梗塞っていう病気らしい。おばあちゃんが言った
「おじいいちゃん、あんたらが来るんいつか!?って毎日おばあちゃんに聞いとったわ
まぁ酒ばっかり飲んどったしいつかこうなるんちゃうかって思っとたけど、、、まあ酒ばっかり飲むで
自業自得や」私はおばあちゃんが言ったこの言葉に何か深い意味があるような気がした。
それから毎週、お母さんと一緒におじいちゃんの入院する病院に言った。
その間おじいちゃんの病状はよくなる所か次第に悪くなった。
一度も目を覚まさなかったし。喋る事もなかった。
そして、おじいちゃんは死んだ。私は始めて今まで心配もしていなかった自分に
腹をたてた。思い返せば一番私を可愛がってくれたのはおじいちゃんだった。
わたしの書いた下手な絵をほめてくれたのも、お母さんに怒られた私をかばってくれたのも、
ままごとをして遊んでくれたのも、ちょっとしかないお金遣いでおやつを買ってくれたのも
全部おじいちゃんだった。私はそんなおじいちゃんに酷いことばかりしてきた。
おじいちゃんの葬式の時、もうおじいちゃんは帰ってこないし、会えないんだ。
と思うと涙がでそうになった。おばあちゃんと一緒におじいちゃんのタンスの整理を
していたら、見覚えのあるけん玉がでてきた。普通のけん玉の2倍ある大きさの玉のけん玉。
私がひどい事いったおじいちゃんが買ってくれたけん玉。
あの時おじいちゃんはどんな、気持ちでけん玉をこのタンスの中にしまったんだろうか。
あの時素直にありがとうって言っとけば、、、。
「ごめん」私はけん玉に向かって謝った。
おじいちゃんが買ってきてくれたけん玉に。
/ /. │ ヽ \
∧ ∧/ /. │ ヽ ∧\∧
( ⌒ ヽ / │ ヽ ( ⌒ ヽ
∪ ノ / │ ヽ ∪ ノ
ヽ_),) / │ ヽ し' l_ノ
ミ / │ ヽ
∧ /∧. │ ∧ヽ∧ 彡
( ⌒ ヽ │ ( ⌒ ヽ
∪ ノ ミ ∧│∧ 彡 ∪ ノ
ヽ_),) ( ⌒ ヽ し' l_ノ
∪ ノ
ヽ_),)
やけに胸糞が多いな
301 :
天理教信者:2007/05/28(月) 14:27:32 ID:csK1GPs6
地元鳥取市の大手企業リコーマイクロエレクトロニクスが関わる
人権侵害で、僕は悩んでいた。誰に相談しても、大手企業の問題に関わりたくないのか
問題解決に協力してもらえなかった。
天理教の熱心な信者が、僕を大変心配してくださった。
そこで僕は、天理市に行き、1ヶ月間、苦しい修行をした。
約1年後、天理教の信者の事実を歪曲した、僕に対する投稿を見つけた。
田舎で大手企業の人権侵害は、相談しても、以下のように被害者を悪者とし「放置」が通常のようだ。
↓
<天理教鳥取教区学生会掲示板>
http://8307.teacup.com/zak79699/bbs 投稿者:管理人@時々出没 投稿日:2007年 5月25日(金)07時01分51秒
>>匿名さん
削除いたしましたがあの書込み、有名な方でリコーマイクロエレクトロニクスに
クレームつけて早○年っていう方の書込っぽいですね
場の空気も読まずに自HPの宣伝を張り逃げするのが手みたいです
警察沙汰でISPから追い出され&HP削除されたはずなんですが
性懲りも無く海外サーバーかどこかで開設してるみたいなので
放置でお願いします
アドレス帳持つのが流行っていた中一のある日
机の上に出していた俺のアドレス帳をブス山さんが
取り上げ、「私にも書かせて」と言い出すではないか。
断る理由も無かったので書かせたのだが、なんと「アンタも書けば?」と
隣に居たクラス1の美人である野川さんに渡すではないか。
すると彼女はパステルカラーの各種色ペンを使い
クリクリしたかわいい丸文字で書き出した。俺は心の中で大歓喜
しかしある日、自宅でそのアドレス帳が見当たらず
まさかと思い、洗いあがったばかりの洗濯物を探した所
ズボンのポッケからずぶ濡れのアドレス帳を発見。
「クソババアが!確認しろや!」と絶叫しながら
あわてて'N'のページをめくった所で愕然、
水性ペンで書かれていた野川さんの文字は
全く読めない程、ページ全体ににじんでいた。
鉛筆書きされたマス山さんの文字は完璧に残ってました
高校入学してすぐ、一緒の中学から入学してきた友達が
高校で新しく友達を作るために、俺を利用した。
ジャンケンで負けた奴が俺と会話する。
友達は高校での同級生にまじってそんな遊びを始めた。
会話だけで罰ゲームが成立しちゃう俺。
共通の敵を作ることによって仲間意識を強めるみたいな。
304 :
癒されたい名無しさん:2007/06/12(火) 17:50:08 ID:eYnNjfsM
今年に入って義母から、1年前事故で亡くなった妻の遺品送るねって
小包が届いたんだけど、日記が入っててさ、
いかにも女らしいもう2ミリくらいの小さい文字でぎっしり
書いてあった。俺と喧嘩したこととか、冗談交じりの文句とか
幸せに思ったこととか、友達のこととか、いろいろ。
で、巻末のほうまでペラって捲ったら、
○○(自分の名前)がしなきゃいけないこと10か条!
って、いきなり文字がでかくなって書いてあってさ。
その一 ○○(俺の名前)の仕事をちゃんと理解して応援する!
その二 ○○が傷つく言葉は言わない!
その三 夜更かししないで○○の生活に合わせること!
その四 おいしいご飯を作る!
・・・・で、最後に
その十 何があっても○○と一緒に生きていく。負けないぞー
って書いてあったんだ。喧嘩して実家に帰ったとき書いたんだろうな。
ただでさえ、俺の方が反省すること多かったのに。
毎日後悔の念に押し潰されて、この一年過ごしてきたのにって。
あいつ、ちゃんと分かってたんだなって。
俺のこといっっぱい理解しようと頑張ってたんだなって。
そう思ったら、一年歯句縛って、悲しむことから逃げて
仕事に打ち込んできた自分が、なんてつまらない人間なんだろうって。
これ読んでたら、通夜のときの何百倍も心から哀しいって思った。
出棺のとき、もうこれ以上泣けないってくらい泣いたのに、
体が震えて、口が渇くまで涙が止まらなかった。
もうダンボールに入ってる写真とか、妻が大事にしてたものとか
他のなによりも、この紙きれ一枚が心の支えになってる。
こんな俺のことを支えようって思ってくれてありがとうな。
もっともっと自分を磨くから・・・見ててくれ。
こんなとこに書き殴ってスマソ
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306 :
癒されたい名無しさん:2007/06/13(水) 16:44:49 ID:3M9Y1l2f
私は泣いたことが無い
急にスピンかけられても
赤いスカーフがゆれて何か違うと感じてた
私は泣いたことが無い
じいちゃんが5月に死んだ………
俺が小学生の時、朝、じいちゃんにおはようと言うだけで100円玉をくれた。
100円玉で俺が喜んでいるのを見て満足そうに俺を見ていた。
中学になると今度は毎週、マンガの週刊誌を買ってきてくれた。
その時は気付けなかったけどじいちゃんの足がもう弱くなってたらしい。
足が悪くなったのにも関わらず、毎週俺のためにコンビニに足を運んでいた。
そして俺が中学2年に上がった時にはすでにだいぶ体が弱っていた。
点滴なんかもしてた。
死ぬ2日前、じいちゃんに会いにいったら俺を見たとたん
じいちゃんの目から涙が少しだけ流れた。
俺も泣き崩れてしまった。
死んだ知らせが入った時は予想はしてたから泣きはしなかったが
もう会えないと思ったら切なくなった。
308 :
癒されたい名無しさん:2007/06/15(金) 01:06:16 ID:8dcBAzqF
泣けるかどうかわからんが・・・
私の親父さんはいわゆる転勤族だった。兄弟全員が生まれた地方が違うぐらいだ。
幼稚園の時、親父さんは絶好調に忙しかった。企業戦士というやつだ。
だから、親父さんと会うのは週に1回会えればいいほうだった。大好きだった。
でも、幼稚園で親父の顔が描けない。親父さんは夜遅くに帰ってくるとなめるようにずっと俺たちを見つめているのに・・・。
牛を描いてしまった。親父さんが牛っぽかったからだ。
幼稚園から母ちゃんに電話が入った。『どうしたのでしょうか?』事情を説明した。
仕事が落ち着いてくると、門限に厳しい親父さんだった。部屋に『鉄砲玉王』と書かれた紙が張られてた。
大学の入学式に来た。子供の行事には全く参加しない親父さんが武道館に嬉しそうにいた。
結婚式ではベロベロ仁酔っ払って大変だった。旅館の露天風呂が最高だとご機嫌だった。
幸せだった。親孝行ができた瞬間だった。
半年後、スキルス性の胃がんになった。余命半年。手術にかけた。健康食品にかけた。
家族全員が、彼の命のともし火を絶やすまいと頑張った。発病から1年半たった。
手術後の抗がん剤治療は、プライドの高い親父さんには数多くの屈辱を与えた。
毛が抜ける・歩けない・食べられない。バナナと大根の煮付けしか食べられない。
健康のために、5年以上前から1日3箱吸っていたタバコをやめていたのに、色々な健康にいいことをやっていたのに・・・
やりきれなくなってきた。私は2人っきりのとき親父さんに言った。
『もうつらくてしょうがないのなら、自分の好きなことドンドンやればいいんだよ!タバコも吸っちゃえ!』
『やりたくても思いつかないんだよ。つらくって・・・』親父さんから聞いた初めての泣き言。
とうとうXデーが近づいてきた。
5/12朝。母親から電話:相当ヤバイ。今回が最後の入院かも。眼が見えない、物が飲み込めなくなっている。
5/12昼。病院で親父さんと会う:病院の入り口まで車椅子。しかし、病院に入ってからは自力で歩く。
5/12夕。医師から説明:脳に転移判明。放射線治療を始めるとの事。兄貴がここまで見つからなかったのはお前らのせいじゃねぇのか?と反論。主治医うつむいたまま。
5/13昼。放射線治療開始:卵焼きの匂いがすると親父さんが言う。
5/14昼。夫の両親がお見舞い:親父さん、『お宅の近くにはガンセンターはありますか?』と質問。おいおい私を気遣ってるのか?
5/14夕。平山郁夫の絵本を買ってくる。:らくだがピラミッドの前を歩くところで手を止めた。
5/14夕。みんなの制止を振り切って一人でトイレに行く。;しかし清拭はこのとき初めて兄貴が背中を拭いた。誰にも手伝わせなかったのに。親父の背中は大きかったそうだ。
5/15未明。母ちゃんに今何時と聞く。『もう朝かと思ったんだ。ご飯食べないとダメだよ。』といって、意識がなくなる。
5/15早朝。死去(65歳)
最後まで、誇りを失わなかった侍のような親父さん。大好きだよ。そして、最後の言葉は、大好きだった母ちゃんへの思いやりの言葉だった。
やさしいあなたが父親だったことを私は絶対に忘れない。
3年後私は、ある資格を取るためにスクールに通いだした。スクールは親父さんの母校の目の前にある。
4年後の5/15に夫は単身赴任の辞令がきた。中国。
親父さん、私に何が言いたいんだろう?運命のいたずらか?
6/10 墓前で『愛しているよ』『どうか夫が無事に中国で仕事ができるように』と祈った。
今思えば、最高の癒し系の人だったのかもしれない。
私の牛さんは、強くてやさしい牛さんだった。
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俺は高校時代に野球やってたんだが、監督から徹底的にゴミ扱いされてたんだよ。
練習開始した途端、お前は使えないから玉でも拾ってろ、と言われたりね。
相手が暴投したのに、俺が殴られ、歯を折った事もある。
何故か日頃の練習時から俺ばかりいびられてた。
高3でレギュラー入りし、真面目に野球に打ち込んでいたのにも関わらずそれは続いた。
入部から3年の間に、何度も部活を辞めようと思った。
でも、どうしても野球が好きで、辞められなくて、なんとか苦しみ抜いて続けて来た。
そして、遂に高校最後の大会の日がやって来た。終盤で俺の打順が回ってきた。
その際、監督が俺を手招いて、全員の目の前でこう言ったんだよ。
「どうせ当たらないんだからスクイズしろ」
表情には出さなかったけど、思いっきりキレた。
一打に賭けて、監督への俺から最後の回答を出す事にした。
俺を3年間虐げ続けたこの監督の言い成りになったままスクイズで終わるのか、
それとも、監督の指示を破ってヒットに賭けるのか。
これでゲームが終わったら皆には申し訳が立たないけど、
今しか無いと考えた。どうせ恥を掻くならヒットに賭けた方がいいと。
思い切ってボックスに立ち、ヒットだけを狙った。
貴様の指示したスクイズなんて俺の知った事か!
死ぬ気でバットを振り抜いた・・・・・結果はセンターフライ。アウトだった。
ゲームセット。涙が止まらなかった。
その後、皆の前で監督に謝られた。俺に厳しくしたのは
自分の亡くなった息子に似ていたからだと打ち明けられた。
全く許す気にはなれなかったが、初めてお互いを認めた気がした。
監督が俺の前から去った直後、試合に参加した皆で号泣した。俺も含めて。
そんな俺は現在32歳。サラリーマンとして第二の人生を歩んでいる。
小さなアパートで一人暮らし。両親も亡くなり、兄弟もいない。
妻も子供もいないが、男友達なら少しいる。
俺の人生はつまらなくなんかない。いつも影で支えてくれた。
あの時のナイン達を・・・俺は今でも忘れない。
311 :
癒されたい名無しさん:2007/06/22(金) 16:52:02 ID:oAYjRQOI
4年前に1年半ぐらい付き合ってた男K君からmixiでメールが来た、
「久しぶり〜元気そうだね☆良かったら友達としてマイミクならない?」って
「いいけど〜、彼氏いるからあんま探らないでね〜」って感じで軽く返事した
mixiって怖い。
彼氏にあることない事伝わりまくった
「なんでそんな事伝えるの?」って言ったら
「てか俺の気持ちもわかってよ。お前に振られてから俺、ずっと忘れらんない、
こいつに抱かれてるなんて考えたくないし、終わってほしい。
今までの4年間おまえの事探して生きてた」
どっからか携帯のメールにも入ってくる、着信も異常に多い、しまいには会社にまでかけてくる。
怒りより呆れて泣いた。
こんな男と付き合ってたんだと思うと情けなかった。
別れる時はあんなにすんなりだったのに。
綺麗な思い出だったのが後悔しか残らなくて情けなかった。
唯一、ちょっと前に引越しして住んでるとこバレてないのが救い。
でも一人の帰り道はかなり恐怖。
楽しい事いっぱいあったのに一気に気持ち悪い。
そんな事知りたくなかった。
スレ違いかも。ごめんなさい。
こいつ何言ってるの?
313 :
癒されたい名無しさん:2007/06/23(土) 14:52:20 ID:d2UzHGGX
>>94 > ある家庭に脳に障害のある男の子がうまれた。そして数年後さらに次男誕生。
> 小さい頃弟は喧嘩のたびに「兄ちゃんなんかバカじゃないか}
> というのを聞いて母親は悲しんだ。
> だが母はなにも言わずじっと待つことにした。
>
> 兄が小学1年生になった時、兄の同級生を招いて兄の誕生日の
> 祝いをしたが、兄は悲しいかな急に招待した同級生を殴りはじめた。
> そのとき弟が飛び出してきて
> 「お兄ちゃん殴るんだったら僕を殴って、ぼくなら痛くないから!」
> それをきいた母は心の中で「ぼうやありがとう」と言った。
>
> その弟が小学一年生に入学した時、隣の席は手に障害のある子だった。
> 体育の授業のある日は体操服に着替えねばならないので当然その隣の子は
> 着替えに手間取って遅れてきた。
> しかし二回目からは時間どうりに来たので先生は不思議に思い、体育の授業の
> ある日そっと教室をのぞいてみた。
> するとあの弟が一生懸命になってきがえをてつだっているのを見た。
> 先生はこのことをみんなに話そうかとも思ったがせっかく弟が自主的に
> やっていることなので黙っていた。
>
> さて、七夕の前日授業
315 :
癒されたい名無しさん:2007/06/24(日) 21:54:42 ID:77efQKr2
僕の兄は身障者です。
お話もできません。
自分で歩くこともできません。
時々「あー」って大きな声を出します。
僕が小学校のとき、兄ちゃんの事友達にも内緒にしていました。
ある日の朝、母が「養護学校のバス停から3時におにいちゃん迎えに行って。」
と頼まれました。
小学生のぼくでしたが、裕福な家庭でなく母も仕事をしていることは
解かりました。
だから、仕方なくですが、迎えに行くことにしました。
学校から帰り、兄ちゃんを迎えにいきました。
ちょうどその時間が下校時刻であり、みんなとあってしまいます。
車椅子を押しながら兄ちゃんを見られたくない(恥ずかしかった)
こともあり、普通に帰れば舗装されたきれいな道を通らずに
がたがたな砂利みたいな道を通って遠回りして帰りました。
遠回りをしてみんなのいる道を避けました。
家に帰ると母親は仕事から帰ってきていました。
汚れた埃まみれの車椅子をみて母はすべてを悟ったようです。
泣いてました・・・
そして「これからは母さんが迎えに行くからね。」
といいました。
僕はその母の涙を一生忘れられません。
僕は兄ちゃんになんて事をしたんだろうと後悔しました。
兄ちゃん。「ごめん」
兄ちゃんが悪いところ全部持って生まれてくれたから
おれなにも気にしないで生きていってるのに。
うちの兄ちゃんはしゃべれないしひとりでトイレも行けないけど
いつも僕が行くと笑ってくれます。
世界で1番自慢できる兄ちゃんです。
長くなってごめん・・・
悪いところを全部持って生まれてきたのはむしろお前だろ
そういう胸糞悪いこと言うなよ・・
318 :
癒されたい名無しさん:2007/06/27(水) 05:20:05 ID:SdrlA7l9
いよいよ俺の出番がきました。
こうご期待
319 :
癒されたい名無しさん:2007/06/28(木) 17:50:54 ID:MKys/hs6
私だけが泣ける話かもしれませんが。
3年前、旦那が交通事故でこの世を去りました。
当時、私は20歳、長女は1歳11か月、次女は8か月でした。
夫は生前、第1子ということもあり長女をとても可愛がっていました。
長女もパパっこで私の目から見ても嫉妬してしまうくらいでした。
そんな長女も夫が他界して、何年か経つとパパにはもう会えないということを
わかってきたみたいで、私が「パパ何処行ったん?」と聞くと
「パパはお空に行ったよ」などと答えていました。
内心とても寂しいだろうとおもいながらも死後1年くらいは寂しいという言葉を
避けてきました。
しかし、夫の死後2年も過ぎあまりにも寂しいと言わない長女が気になり、
「パパいなくて寂しくないの?」と聞くと、「ママも○○ちゃん(次女)もみんないるから
寂しくないよ。」と返ってきました。
その時、当時3歳のこんな小さな子供が、精一杯寂しさをこらえて私を励ましてくれているというその
笑顔に涙が止まりませんでした。
思えば、次女は極度のママっこで、長女を膝に乗せたりするだけでヒステリックになるので、
あまり長女にかまえてなかったように思います。
次女がすこしママっこがましになった時も、長女は甘え方がまだ少し分からないようで、
膝に座らせても照れくさいのかすぐにおりてしまいます。
ママに甘えたい盛りの子供に存分に甘えさせてあげれなかった自分に物凄くふがいなさを感じます。
今は、子供にイライラしたり、何か嫌なことがあるたびに長女の言葉を思い出し、
心を落ち着かせています。
長文、乱文の上泣ける話じゃなくてすみません。
320 :
erimes:2007/06/29(金) 01:22:48 ID:IypPK7z/
「ねぇねぇ、チーちゃん今日ボク達の飼い主が一週間ぶりに家に帰ってきたね。」
「でもね、ミーちゃん、オバァちゃん何か変だよ。
いつもみたいに良い子良い子っていいながらアタシ達の頭をなでてくれないよ、それにさっきから髪の茶色いオネェちゃんがアタシの事撫でながら泣いてるし、何か家の中が変だよ。」
「チーちゃんはまだ小さいから解らないと思うけど、オバァちゃんはナクナッタの、遠いところに行ってしまったの。
だからしばらくボクらは逢えないんだよ。」
「え?なんで?だってオバァちゃんは今そこで寝てるじゃん。」
「オバァちゃんはね、ミーちゃんとチーちゃんにこのお家を守って欲しいんだよ。それに僕らもきっともうすぐオバァちゃんのいる所に行けるんだよ。」
「なにそれ?ちっともわかんないよ・・・ナクナルって何?ちっともワカラナイ」
今日、私の知り合いのおばぁちゃんが亡くなりました。
癌と告知されてちょうど半年でした。
人が居なくなってしまう事は、まだまだ理解不能だし、慣れないし、辛いです。
いつか受け入れられるようになるのでしょうが悲しい事ですね。
亡くなったおばぁちゃんがとても可愛がっていた二匹の猫が、今日おばぁちゃんの遺体を見て悲しい顔をしていました。
二匹の背中が泣いていたので、きっとこんな会話をしていたのかなと勝手に想像して書き込みしたよ。
みーちゃん、ちーちゃんの辛さが少しでも和らぐといいんだけどね。
おばぁちゃん天国で二匹を見守っててね。
321 :
癒されたい名無しさん:2007/06/29(金) 10:02:20 ID:g2ebb8oc
ええ
322 :
癒されたい名無しさん:2007/06/29(金) 10:06:36 ID:m4Gzq3dh
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
| | |
∪ / ノ
| ||
∪∪
;
-━━-
323 :
癒されたい名無しさん:2007/07/01(日) 20:12:21 ID:YDl0AFk3 BE:1534982999-2BP(0)
今日、ずっと飼ってた犬がいなくなった。
不注意な事故だったんだけど、庭に放したまんま出掛けちゃって
家に帰ったらもうそこにモカの姿はなかった。
毎日毎日、俺の所に来て足の周りにまとわりついたり
舐められたりするの、いやがってたけど本当は嫌じゃなかったよ。
家に帰ったらいつも舌を出して笑って出迎えてくれるのが支えになって
どんな辛い事だって乗り越えられた。
今は、どこにいるんだろう。
きっと優しい人に拾われて幸せに暮らしているんだろう
もう一度モカに逢えるなら 伝えたい。
ごめんな
ありがとう
324 :
癒されたい名無しさん:2007/07/01(日) 20:48:34 ID:aQgKICQS
ないた
抜いた
拭いた
327 :
癒されたい名無しさん:2007/07/04(水) 23:18:05 ID:prwZmHLs
高2の夏、大好きだったじいちゃんが亡くなった。
高1の冬くらいから体が弱ってた、だけど、死ぬなんて思わなかった。
一緒に将棋とか花札とか、囲碁とかやった。小学校のときは自由研究手伝ってくれた。
そんなじいちゃんが一番好きだったのは麻雀だった。亡くなる1月くらい前までは家族で
麻雀した。
じいちゃんが病院に入院してから、お見舞いに行くたびに、「退院したら、麻雀しようね。」
ってじいちゃんを励ましてた。
亡くなる前夜、もう危ないとのことで夜遅くにじいちゃんの所に行った。
「早く退院して、一緒に麻雀しようね?」
オレがそう言うと、じいちゃんはきつそうだったけど、にっこり笑ってくれた。
亡くなった日、オレはじいちゃんの顔を見た。すぐに涙あふれてきた。
こんな年になって初めて声出して泣いた。親父も窓から景色眺めて泣いてた。
家帰って、部屋でずっと泣いてた。そして気がついたら寝てた。
その時夢見た。夢の中でオレは普通に階段を下りて、居間に行った。
そしたら普通にじいちゃんが居間でテレビ見てたんだ。でも夢だったからかわからないけど、
オレは普通に「おはよう」って言ってた。
目が覚めたら、その夢思い出してまた思いっきり泣いた。じいちゃん最後に会いに来てくれた。
あの時「ありがとう」って言いたかった。
328 :
癒されたい名無しさん:2007/07/04(水) 23:24:22 ID:ZwPldwdl
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
| | |
∪ / ノ
| ||
∪∪
;
-━━-
329 :
癒されたい名無しさん:2007/07/05(木) 18:50:14 ID:IbLavLrb
f
330 :
癒されたい名無しさん:2007/07/08(日) 21:02:38 ID:WB9t6A7w
6月27日 妻が他界
いつも隣に居て笑っていたあいつは、もう居ない
27日昼娘を連れて葬祭場へ向かった
なぜ隣にお前が居ないんだろう?何でお前がこんな目にあわなければ?
何で俺生きてるんだろう?お前が居ないのに、俺 生きてる意味ないじゃないか
「ぱぱ?」
・・・俺には4歳になったばかりの娘が居たんだな。
「ごめんなパパ嘘ついて。ママ治るって嘘ついてママ死んじゃった。ごめんな ごめんな ごめんな」
それ以上何も言えなかった。 すると娘が
「そっかぁ。じゃぁ私が大きくなったら、ぱぱの変わりに車運転するねママの変わりに、ぱぱのご飯作ってあげるね」
娘の前では、泣かないようにしていたが どうしても涙が止まらなかった嬉しいのか悲しいのか、もうわけが分からなかった
「ぱぱ泣き虫w」
娘は お前のおかげで、こんなにいい子に育ってるよ俺は、一生分の幸せをお前に貰った。お前に少しでも与えてやれたかな?
もう、お前には返せないけど その分娘に返すから許してくれよ。娘が育ったら、40年先か50年先か・・・もしかしたら十数年後かもしれないが
俺もそっち行くだろうからのんびり待っててくれ
今更だが 愛している またな
||
ノ⌒||^ヽ
彡/‖ ̄ ヽ
| |`====′
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凵 ##ヽ
∪###ゝ
^T TT´
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「 「 |
し'し'
332 :
癒されたい名無しさん:2007/07/10(火) 01:45:04 ID:s2OMoYEX
ちょいと泣けたw
334 :
癒されたい名無しさん:2007/07/13(金) 02:58:04 ID:QFDaR3LU
>>332 泣ける話なのに元気が出る。
だれかこの方のお話を出版社に頼んで出版させてください。
335 :
癒されたい名無しさん:2007/07/13(金) 03:02:10 ID:kFPp4h6N
336 :
癒されたい名無しさん:2007/07/13(金) 17:45:38 ID:/jJeSbMo
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∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
ごめん、流れ読まずに投下してもいいか?
拒否されても投下するが。
俺さ、以前病院勤務してたんだ。といっても看護婦や医者とか有資格者じゃないんだけどな。
でさ、掃除しようと思ってある病室に入ったんだよ。よく知らずに入ったらさ、どうやら患者さんもうそろそろ・・・って場面だったんだよ。
「まずい部屋に入っちゃったよな。」って思いながらも、仕事だから仕方なく掃除をしたんだ。
そしたらさ、旦那さん(40後半位か?)が寂しそうな笑顔でありがとうって言ってくれるんだよ。家族としての最後の場面を邪魔したような気がして、なんか居た堪れなくなって目に見えるところだけ掃除して出てしまったんだ、もう逃げるようにな。
で、部屋から出て廊下を掃除してたら中から声が聞こえてくるのよ。
掃除途中で出てきちゃったから「なんか文句言われて無いかな」って思ってたらさ旦那が子供(10歳前後)に
「ママにチューしてあげなよ。もう何年もしてないだろ?最後にもう一回な。
…ちゃんと、『ありがとう』『心配しないでね』『またどこかで会おうね』って声掛けろよ?泣いてばかりだとママも心配してしまうからな。」って言って出てきたんだよ。
でもさ、その旦那は部屋から出たとたんに、しゃがみ込んで泣き始めたんだよ。多分子供の前では、子供の気持ちを楽にさせようとして強がってたんだろうな。
子供に言わせた言葉は、自分が何度も心の中で呟いた言葉なんだろうな。俺も、最愛の人が亡くなる場面に立ち会うことがあったら『またどこか出会おうね』って言葉を言いたいよな。というか、言える位に好きな人に会いたいよ。
泣いた
こういう話をもっとお願いします
フンフンw
なんか俺も書きたくなった。
ちょっと長いけど最後まで聞いてくれたら嬉しい。
俺が小5の時、おじいちゃんが突然倒れた。温泉行って酒飲みながらゲートボールしてたことが原因らしいんだけど、
脳梗塞になったらしく、体の右半分が麻痺状態になってしまった。
それ以来、なぜだか分からないが、おじいちゃんは変わった。あんなに酒とたばこが大好きだったのにきっぱりと止め、
性格も寡黙だったのが、やくしゃべるようになった。(普通、逆だとは思うのだが、、、)
おじいちゃんは農業をやってたんだけど、もちろん農作業はできないから、退院してからはずっと家にいて主な仕事は
留守番。みんなを朝起こしたり、電話を取ったり、宅急便を受け取ったり、、、俺の母親は仕事に出ていたから家に帰り
「ただいま」って言うと「おかえりなさい」という祖父の声が真っ先に聞こえた。俺は内気な性格であまり友達がいなかった
から、遊び相手はいつもおじいちゃん。一緒にトランプしたり、テレビ見たり、カラーボールでキャッチボールしたり。。。
寂しがりやだった俺は、おじいちゃんのおかげでかなり救われたよ。
中学になっても関係は変わらず、英会話の勉強とかを一緒にした。高校になり友達もできたが仲良しのまま。高校生の
身分ではHビデオを買えないので、おじいちゃん名義で買ってもらったこともあった。郵送されて来る高校の通信簿を親に
見せたくないために隠してもらったこともあった。おじいちゃんはそんな俺の思春期の小さな悪行を何も言わず許してくれた。
大学入学が決まり、俺は上京したが、お盆と正月は必ず実家に帰った。久しぶりに俺の顔を見ると、おじいちゃんは決まって
体とお金の心配をしてきた。もちろん学生だからお金などあるはずはない。おじいちゃんは東京へ戻る俺に毎回、1万円をくれ
た。そのお金はすぐ飲み代に消えてしまったが。
いろいろあって俺は海外へ留学することになったんだ。期間は1年間。昔からの夢ではあったけど、ひとつだけ気がかりなこと
があったんだ。それはおじいちゃんが体調を崩して入院していること。
留学前に入院している祖父にお見舞いにいったんだけど、自分のことより俺の健康とお金を心配していた。必ず戻って
くるから元気でいてと、俺はおじいちゃんの細い手をぎゅっと握ったんだ。
留学して半年ほど経ったある日。母親から電話があった。おじいちゃんが危篤だと。俺は祈ったよ。無事でいてくれと。
キリスト教なんぞ信じてはいないが、生まれて初めて教会に行ってお祈りした。それが効いたのか分からない。次の
日、母親から意識を取り戻したって連絡が入った。嘘のように元気になったって。俺はその時、神様っているのかもしれない
と本気で思ったよ。
その1ヵ月後、また母親から連絡が入った。今度こそ危ないと。そしてその連絡の数時間後、おじいちゃんが死んだって
連絡が入った。
すぐにでも日本に飛んで帰りたかったよ。でも俺には帰れない理由があったんだ。それは彼女が日本から遊びに来ていて、
現地で病気にかかり入院してしまってたから。英語を全く話せない彼女を一人、入院させておくわけには行かなかった。
だから俺は葬儀には出ず、遠い異国の地から祖父のご冥福を祈るしかなかった。悔しいが仕方なかった。
数ヵ月後、俺は留学を終え、日本に帰った。実家の仏壇にはおじいちゃんの遺影があった。俺は信じられなかったよ。
実際に死体を見てないしさ、でも葬式の写真とかを見せられてやっぱり死んだんだってしみじみ思ったんだ。
母親がおじいちゃんからお前にって封筒を手渡された。封筒を開くと現金5万円と手紙が入っていた。手紙には汚くて震え
た文字で「体に気をつけて勉強頑張れ。」って書いてあった。おじいちゃんは右手が麻痺していて文字が書けないんだ。
でも俺のために一生懸命書いたんだ。それなのに俺は、、、そん時だけは涙を堪えきることができなくて、その場に
座り込んで大泣きしたんだ。
おじいちゃん、ごめん。葬式にも出なかった孫をどうか許して下さい。
人生、辛いことも多いけどなんとか頑張ってるよ。
駄文ですみません。
最後まで読んでくれてありがとう。
342 :
癒されたい名無しさん:2007/07/20(金) 22:05:21 ID:7gVGKg9M
ごめん、どうしてもいいたいので聞いてください。
高校の時の話です。
高校に上がって、好きな人ができた。
その人の事を一番の親友に相談しまくった。親友は、いつでも熱心に聞いてくれた。
ある日、好きな人が『お前の友達と○○とで遊びに行こう』と言うので親友を誘った。
遊びに行って一ヶ月も経たない内に、親友と好きな人は付き合い始めた。
二人が手を繋いで帰っている時、小さい話し声だったけど、聞いてしまった。
『○○(私の好きな人)と付き合えるなら、あの子はどうでもいい』
『俺も。ぶっちゃけ嫌いだったし』
親友と好きな人を一気に失った私は、完璧に人間不信になった。
高校には行っていたものの、トイレや移動教室以外は席に座りっぱなしで、
一言も喋らない生活を送った。
その間も親友と好きな人は平然といちゃいちゃしていたので、寝たふりをしていた。
クラスメートは私の方が悪いと親友に説き伏せられているらしく、誰一人話し掛けて来なかった。
学年一個上がって、クラス換えが行われた。
親友+好きな人と同じクラスなのにはげんなりしたが、更に嫌だったのは新しいクラスメートの一人だった。
ソイツは、何で一人なのか、皆アンタを避けてるけど何で?とかしつこく話しかけてきて、
本当にウザくてたまらなかった。だけど見た目不良っぽいから無下にも出来ず、
私はとうとう折れて事の成り行きを話した。
適当に話して終わろうとしたのに、ソイツはたくさん突っ込んで聞いてくるので、
私は休み時間十分をフルに使って喋ってしまった。
ソイツは話し終えた私を見て『ふーん』とだけ言うと、すたこらと自分の席に戻って行った。
私は話さなければよかったと後悔した。
クラスが変わって三ヶ月。選択授業の発表会があった。
私は書道の展示のみだったけど、音楽クラスは作曲の発表があった。
書道クラスは音楽クラスの発表会に行くように教師から指示されたので、
私は音楽室に行った。皆どこかで聞いたような歌をピアノで引いていて、発表会は退屈だった。
そんな中、不良のクラスメートの番がやってきた。
ソイツは深く一礼して、発表する曲の題名を言った。
それは私の名前だった。
私はすごくびっくりしたけど、ソイツは私の事何て完璧に無視して、曲を弾き始めた。
他の物と違う、どこでも聞いた事のないメロディー。そして、要求もされてないのに歌い出した。
お前を信じるから、元気出せよ。
そんなバカなヤツら忘れちゃえよ。笑ってみろよ。友達になってやるから。
ただ怒鳴っているような歌で、その場の全員が笑っていたけど、私は涙が止められなかった。
泣くのに夢中で歌詞を聞いていなかったけど、ここだけは覚えている。
私のために大声で歌ってくれる人がいるなんて、単純に嬉しかった。
この人は、大事な人なのだと、肌で感じた。
素人の耳で聞いてもすごいと分かるピアノの音が、そう思わせた。
以来その日から、私と不良のクラスメートは親友だ。
自衛隊の音楽隊でピアニストをしている彼とは卒業以来会っていないが、
あの日の曲が、未だ耳から離れない。
_
/○\
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( / ⌒ヽ( / ⌒ヽ トーナーリドウシ
| | | | | | アーナータートー
∪ | ∪ |
| | | | | | アータシ
∪∪ ∪∪ サクランボー
書きたくなりました。書きます。
「行ってきまーす!!!」
私と弟は毎年3回ぐらいある学校のスキー教室とやらに参加した。
「今年はゴンドラに乗って思いっきり滑るんだ!」
弟は前日そんなことを言っていた。
私も小学六年生で最後の参加だったので気合は入っていた。
スキー教室の時間も前半が終わった。
「楽しかったね〜。」
「うん!今年はゴンドラ2回乗れたね!」
私は友達とおしゃべりをしながらおいしいとは言えない
カレーを友達と食べていた。そんなとき…
「大変だ!はやくはやく!」
「あああああ、大丈夫かしら〜!」
「ぶつかったらしいぞ。」
いきなりの先生達のざわめきと生徒のざわめきとで耳が痛くなった。
「弟が怪我したらしいよ!!!」
友達との話が急に変わった。
へ???どういうことだろう。。。
このざわめきは弟が何かしたざわめきなのだろうか。
私は重く受け止めず、
「大丈夫、大丈夫。そんなたいしたことじゃないって〜。」
と笑いながら友達に言った。
「だよな〜お前の弟なら大丈夫かもな〜。」
友達も冗談交じりに言う。
しかし、この空気は何だ!ただ事じゃ無い気がしてきた。
「「なんなんだ、一体!!」」
悩んでいると先生が
「今すぐ病院に弟君を連れていきます。心配しないでね。」
と私に一言。
確かにただ事ではなかったようだ。救急車が出せず、先生の車で20キロ
ぐらい離れた病院に車は向かった。
その後私は気を付けて雪の斜面を滑っていた。
「「心配でしょうがない…。」」
数日後…。
「息子さん、今夜が山です。」
父が医者からそう宣告された。
聞いたとき、頭が真白になったそうだ。
母は膝を崩しその場で動けなくなったそうだ。
しかし、一命はとりとめた。
とにかく、数日間は保護者以外個室には入れなかった。
だから私は電話のみの近況報告。
父と母からの電話では「目がものすごく腫れてて、顔が…。」
と報告された。
それ程ひどい状態。
一週間後ようやく個室に出入りできるようになった。
弟はベットで寝ていた。顔を見ると…。
まぶたが縫われていた。
「ひどいね。」
それ以外言葉が出なかった。なぜ弟がこんな大怪我をしたのかと言うと、スキーをしていて、指導者が
「おい、好きに滑っていいぞ!」
と弟に告げ、弟はうれしくなりはしゃいで
スピードを出したそうだ。
「ドン!!!!!!!!!!!」
弟の体をスノーボードが飛ばした。
その後コースから体ごとふっ飛ばされ、
木にぶつかり、木の小枝はゴーグルを通り越し
目の上に突き刺さった。
これが大怪我の一部始終だ。
数日後…。
意識が戻った!目が開いた!
弟がやっと動くようになったのだ。
周りの人は涙を流しながら弟に
「どうだい?」
と話しかけた。
私はうれしくて頭をいっぱいなでてあげた。
弟の目は失明せずにすんだ。本当によかった。
「真っ暗で、その中でさまよっていた。」
弟は今でも目が見えない時のことを覚えている。
もしかしたらその事故で永久にさまようことになっていたかもしれない。
文章変ですいません。
文章確かに変なとこある。
それにしてもドラマみたいな事故だね。
けっこう最後ブラック。
347 :
リアル厨房:2007/07/21(土) 19:47:45 ID:7MwuhRj7
2月某日祖父が死んだ。
祖父はペット(犬)の散歩に行って帰ってきて軽トラのタイヤを交換しているときに倒れた。
倒れる前に俺に行った言葉は「○○(俺の名前)、今日夜間の部活あるのか?」だった。
その言葉を俺に言った45分後に祖父が倒れた。 俺はその頃部屋でテレビを見ていた。
倒れた数十分後に母が病院に通報した。
病名は癌だったがもう遅かったらしい。
次の日の夜、見舞いに行ったら昼寝をしているかと思うほど綺麗な顔で寝ていた。 呼吸の様子がおかしく、もう駄目らしいと俺でも感じられるほどだった。
その後兄と姉と俺で祖父に握手した後帰った。
そのときは不思議に悲しくなんか無かった。
次の日の朝にはもう既に葬式の容易をしていて俺は戸惑った。
何も分からぬまま母に「学校に行け」と言われたので学校に行った。
その日はテストの日だった。
テストが終わった後の些細な時間に俺は泣いた。
帰ったら親戚がもう既に家にいた。
その後一気に涙が溢れ出した。
俺は泣いて泣いて泣きまくった。
その後俺は祖父との思い出を脳裏に蘇らせた。
俺がうるさいと言いまくってたら悲しそうな顔をしていた祖父、
5歳のとき俺がカップ麺を作ろうとして火傷して俺の代わりに祖父が怒られたこと。
全てが祖父に対しては迷惑だったと思う。
だけどその全てが俺の祖父との思い出だ。そして俺は祖父からの人生最後の言葉を忘れることは無いだろう。
その言葉とは「○○今日部活はあるのか?」だ
488 :名無しの心子知らず:2007/07/23(月) 10:12:42 ID:NQjmzOB4
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
349 :
癒されたい名無しさん:2007/07/24(火) 19:15:18 ID:UuA1d8Zq
ど田舎に住む私。都会に憧れていた。
「寝ぼすけぇ〜。学校行ぐぞ。」
田舎だからいつも一緒に学校に行くのは幼馴染のM。一緒にいるのが普通だった。
でも・・・・突然だった。父と母が事故で死んだのは。
行き先がない私は都会の施設へ・・・。
「あと、この先、逢えねがなぁ・・・?」 私がそう言うと、
「逢えるがら。逢いさ行ぐ。お前の事好きだがら!!迎えに行ぐがら・・。」
初めて気づいた。彼がこんなにも愛しいと感じていることに。
それから月日がたち、私は大学生。
都会の怖さを知りました。
都会に住む人の、心の寂しさを知りました。
両親のいない悲しみを知りました。
・・・そしてMの死を、知りました。
「迎えに行ぐ」って言ってたじゃん。
嘘つき・・・。
350 :
癒されたい名無しさん:2007/07/31(火) 02:54:05 ID:tlVtAIOS
まだ?
早く〜
352 :
癒されたい名無しさん:2007/07/31(火) 16:58:07 ID:lL24SLlF
マ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━ダ????
353 :
WR..:2007/08/01(水) 09:48:43 ID:inR7JQnr
泣ける話でもなんでもないが・・・
きいてほしいことがある・・
今の俺は、親がいないと困る、15歳(つまり、中三のがきだ)
だが、これを見てる人は記憶の片隅に残しておいてほしいんだ・・
今は何もできない俺だが、
俺はいつか(10年後か20年後になるかもしれない・・・・・)
自分の夢をかなえたいんだ!!
それは、
世界の子供たちにはいろいろ夢があるんだ。
チョコレート工場をつくりたい。
腹いっぱいご飯を食べてみたい。
親に愛されてみたい。
人に人として人間と同じ扱いをしてほしい。
世界のみんなが仲良くすればいい。
など・・・・・いろいろあるんだ。
あるはずなんだ。でも、できないようなこともある・・・
でも信じたい!!
子供たちには、どんなに大きな夢でも、不可能な夢でも、願い続けることができる‘力’がある!!!
だから・・・だからこそ!!
おれはその力をもつ子達のために・・・
力を放棄してしまった子達のために…
愛すべき小さな芽たちのために!!!
夢をかなえてやりたい!!
自分たち自身でかなえる事ができる世界をつくってみたい!!
‘夢’なんだ!!!
みんなに笑われてもかまわない!俺は前に進むのをとめない。
彼らのことを思うととめられない。
こんな僕を笑ってくれ!そして思う存分悔しがってくれ!!
未来の俺をみて悔しがってくれ!!
しんじてよかったと泣いてくれ!!
かつてウォルト・ディズニーが可能にしたんだ。
僕にもできるはず。
どんな形になるかはわからない。
でも、かならずみんなに見せてあげる!!
素敵な夢を!!
こんなつまらない文章、明日には忘れるかもしれない。
でも、いつか目が覚めるよ。
あぁ、こいつか。こいつなのか。ってね?
んじゃ、また会おう。
10年後か20年後かに…
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
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-━━-
355 :
れいか@:2007/08/02(木) 11:17:05 ID:Z6hetUzr
今から話すのは私と元彼の話です!!
私たちの出会いはコンビニです(●ゝ艸・○)プッ
彼の仕事は工事関係のお仕事です!!わたしはコンビニでバイトしてます、
彼は私がバイトしてるコンビニの隣で一ヶ月ぐらい仕事をしていましたぁ。
私って人はコンビニでバイトしてるけど親しいお客にしか笑顔を見せない人で
だから彼が買い物にきたときは目も合わせないし笑いもしませんでした!
そんな感じの2人だったのに・・・・いつからか会うたびにちょっとだけど
話すようになっていました!!わたしは彼と話すのが大好きで待ち遠しくて★
話すって言ってもレジの前で2分ほどしか話せないんですけど・・・・・
でもその短い時間は私にとってバイト中で一番の楽しみでした。
彼が買ってくれたイチゴ・オレは私の大好きな飲み物になりました
バイト嫌いだった私だったのに・・・・バイトが待ち遠しいくらい大好きに
なっていて!!彼に会えるのが楽しみでたまらなかったです。
でも・・・・時間が過ぎるのは早くてもう工事が終わりそうです!!
でも私はもう自分の気持ちに気づいているから・・・そのまま
終わるのが嫌で、よく話す人のケー番を聞いてその人に全部話して
手伝ってもらおうとしました!!最後に彼のプレゼントを渡したくて★
その次の日は彼が現場に来る最後の日です!!だから物を買って渡して
もらう予定でした!!
わたしは学校が終わってすぐに戻ってきてピアスを買って、これから
どーしたらいいか考えてたときです・・・突然着信があって
見知らない番号が入っていて・・・・でももしかしてって
ちょっとドキドキしながら出たら・・・やっぱり彼でした
緊張してうまく話せなくなって!!
でも頑張ってピアス渡したいから会ってくださいって伝えました!!
彼を見てすっごいうれしくて笑いっぱなしでした《笑》
その日から彼とはよく連絡を取り合って
いろんな話をしました、私はどんどん好きになっていって・・・・・
2007年7月7日、自分の気持ちを伝えました。
彼はすごく動揺してて・・・一回電話を切って
そして『俺は仕事があるから寂しい思いさせるかもしれないけど
それが大丈夫なら俺も付き合いたい』っていってくれた★
356 :
れいかA:2007/08/02(木) 11:18:06 ID:Z6hetUzr
うれしくて・・・・うれしくて
言葉がでなくて 泣いてしまいました・・・・・・・・。
それから2日後にデートしました!彼にあったとき顔もみれなくて《笑》
お互いこんな感じで・・・・
でも何も話さなくても顔も見なくても何もしなくても
手つないで歩いているだけで楽しかった。
私たちは時間があればいつも会っていました、
会えばいつも夜遅くに帰っていました。
バイトのときは7時に来て10時まで待ってくれて
私は彼が大好きでした。。。。いや・・・今でも大好きです!!
こんな感じでもうすぐ一ヶ月がたとうとしていました・・・・
友達と遊んでいるときのことです。
お父さんとご飯を食べてるといってたのに彼から急に電話!!
変だなあーと思いながら電話に出てみると、彼は焦った感じで
『親父がよくわかんないけどキレてるんだよ・・・・たぶん
お前に電話するかもしれないから、知らない電話番号には出るな』
っといわれて・・・・その場では『うん』って言ったけど
そのあとで電話して喧嘩しました
私は逃げるつもりないから・・・お父さんになにを言われても大丈夫だよ。
って言ったら・・・!!『まだお前に言ってないことあって嫌な思い
させたくないから』といわれたけど・・・意味がわからなかった。
彼はお父さんのとこに戻ると言って私との電話きりました!!
私は家に帰りました。。。
357 :
れいかB:2007/08/02(木) 11:18:38 ID:Z6hetUzr
家に戻って1時間くらいかな・・・・知らない電話番号から電話・・・
これはもしかしてって思って電話に出てみると・・・女の人!!
お母さんかなぁーって思ってたら・・・・・・・・・・・・
その人は彼の奥さんでした・・・・・彼は子供1人の妻子もち!!
私は意味わからなくなって・・・・涙が止まりませんでした!!
彼の奥さんは『彼はあなたが思ってるようないい人じゃないよ、
まだ若いんだから・・・ちゃんとした相手とお付き合いしなさい』
といわれました・・・・・・・
バカだね・・・・・自分!!でもホントに好きでした
358 :
れいかC:2007/08/02(木) 11:19:24 ID:Z6hetUzr
ぇーれいか本当にゆきのぶのこと好きだったよ愛してたよ・・・・・・
ゆきのぶがそばにいてくれて優しくしてくれてうれしかったよ
れいかすごく幸せだったよ!!
でもね・・・・・・実はちょっと気づいてたのかもしれない!!
ゆきのぶバカだからちょっとおかしいとことかあったし《笑》
でも信じていたかったんだぁー
ゆきのぶが言ってくれた『愛してるよ』『好きだよ』『大好き』
『宇宙1好き』『れいかだけだよ』って言葉!!
『れいかーいいとこ一緒に住もうな』すっごいうれしかった。
れいかのために中国語勉強してくれてありがとうね。
君の一言ひとことがうれしくて忘れられなくて・・・・・・
バカみたいだけど・・・・・本当に運命だって思った《笑》
バカだね・・・・・・
ねぇー好きだよ、愛してるよ
2007年8月2日
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ノ⌒||^ヽ
彡/‖ ̄ ヽ
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凵 ##ヽ
∪###ゝ
^T TT´
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し'し'
360 :
癒されたい名無しさん:2007/08/02(木) 12:00:21 ID:YHON55Iz
361 :
癒されたい名無しさん:2007/08/02(木) 16:08:31 ID:jN6aYR6w
>>358 これほどのバカがまだ生きているのか・・・。
病気でも生きようと頑張る人もいれば 健康なバカもいるんだな。
つくづく不公平な世の中だ orz
362 :
癒されたい名無しさん:2007/08/02(木) 16:18:51 ID:kXWJGgAP
363 :
癒されたい名無しさん:2007/08/02(木) 16:20:30 ID:fKLEH2QX
364 :
癒されたい名無しさん:2007/08/02(木) 23:50:51 ID:1hTXdIF/
現在19歳の私の親戚の話です。
ちょうど3年前、事件は起こりました。
彼女がひどく汚れて、泣きながら帰宅してきたので、驚いた母親が理由を聞くと
「・・レ・・イプ・さ・れた。」
そう答えたそうです。
すぐに警察に通報したそうですが、結局犯人は見つからなかったのです。
何ヶ月か後に、彼女は急に吐き気と、だるさを感じ倒れました。
病院に駆けつけた私達が聞いた言葉は「妊娠」。
思い当たるのは、あの日のレイプ。
数日後、彼女の両親が中絶手術の手続きをしていると彼女が何日ぶりか口を開きました。
「・・・産むよ。・・あたし産む。」
2人ともとても驚いたそうです。そして反対したそうです。だけど彼女は
「あたしの子供を、あたしが殺すの?あたしの赤ちゃん。生きているから。」
精神が不安定になってしまったのに、一生懸命口を開く姿。
そんな姿を見て彼女の両親は涙を流しながら、彼女に協力しよう、と考えたそうです。
しかし産むのはとても難しかったみたいでした。
夜、声を押し殺して泣く彼女を見るのがつらかったです。
無事、赤ちゃんは産まれ、今、彼女はその子と暮らしています。
その子には、命を精一杯輝かせて欲しい。そんな願いを込めて名前をつけたそうです。
明輝
365 :
sod:2007/08/02(木) 23:55:24 ID:d7zugjIb
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
俺が馬鹿だった
中学の時にシンヤって言う本当に仲がいいヤツがいてさ。親友だと思ってた。家は近いけどお互い学が無かったから一緒に馬鹿学校入った。でもクラスが違ってさ、つるむ人間がかわってさ。
そんでさ、俺はシンヤが邪魔になってったのよ。「お前みたいなオタク、友達じゃない」って
それを俺は他のヤツに話た。それが理由でまわりのヤツがシンヤをイジメだした。
言葉と暴力でシンヤをイジメた。そのうち学校全体でシンヤをイジめるようになった。それを俺は見て見ぬふりをした。そしたら「イジメをするよう頼んだのはタク(俺)だ」ってシンヤに言いやがった。でも俺は関係無いって思った。
夏休みが終わった時にはシンヤはもう学校に来なくなった。
葬式でさ。シンヤの母ちゃんが日記くれてさ、日記にさ、「俺がイジメられたのはタクのせいなんかじゃない。タクは親友だから」って。俺さ、たくさん泣いてさ、謝りつづけた、「シンヤ、ゴメン」って。まわりが引くくらい泣いた、ね。
って夢を見た今日この頃。
シンヤ?何それ?食えるの?
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
オチひでえwwwwwwww
370 :
癒されたい名無しさん:2007/08/04(土) 19:20:50 ID:F3/v3708
うけますね(笑)
お母さんの頭がおかしくなった。
変なこと言うし、メールは送れるけど文章メチャクチャだし。
こんなことが起きるなんて全然思っていなかった。
家族に泣いてる所とか見られたくないし、周りの友達のお母さんは皆普通の人ばかりだから相談なんてできない。
お母さんがおかしくなってとても悲しい。
でももっと悲しいのはそんなお母さんを親とし愛せない自分。
こんなに自分が最低な人間だと思ってなかった。
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/ルゝ
373 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:39:42 ID:ljKJD+g9
なんか、うん、中一の人生まだ知らない女だけど、書くね
わたしは今、さっき書いたように中一です
三ヶ月前まで小学生でした
私が六年生だったころは
「1組エロで2組不良」(2組までしかクラス無い)
って言う位最強な学年でした
そして私は2組で、団結力がありえないほど凄かった。
・・・いろんな意味で
そのクラスが5年生の時に、女の子が転校してきた
離婚して、母子家庭の可愛い女の子でした
最初は皆、興味津々でいろんな質問をしてました。
でも、そのうち、嫌われるようになって、
いじめ
始まりました
些細な事でした
ある日、そのこが着ている服や、そのこの髪の毛を見て、
「えっっ!?昨日と同じ服ぅ?」「ふけついてない?」と。
まぁ、小学生なんで最初は、陰口とかぐらいだったんですけど、
だんだん、先生がいないところで、囲んでいじめたりとかしてました
私は、いじめてる男子や女子が怖くて、従っていました。
そのうち、いじめの役割みたいのが決まってきました。
「主として表でいじめる仔」と
「主として裏でいじめる仔」と
「仲良いフリをして、色々聞き出す仔」
でした。
私は、通学路が一緒なので
「仲良いフリをして、色々聞き出す仔」
をしていました。
続きます。
374 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:42:07 ID:ljKJD+g9
>>373 六年になっても、それは続きました。
相変わらず、色々聞き続けました。
そのうち、
お姉さんが2人いる事、
お母さんと上のお姉さんが必死でバイトしてる事、
家計が苦しい事、
実は好きな人がいる事。
など、知りました。
「別に嫌なやつじゃないかも。」
とおもっていた頃、
「あいつの家ちょっと行って来て偵察してきてくれない?」
と言われ、その仔の家へ行きました。
貸家で、築35年。
部屋は2つしかなく、窓が壊れている。
マジでびっくりしました。
アパートみたいなところだとばかり思っていました。
そのうち本気の友達になって、一緒に買い物に出かけたり、
プールに行ったりしました。
でも、そのことは絶対に言えませんでした。
つづく
375 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:44:16 ID:ljKJD+g9
>>374 だって、いじめられるから。
そういう関係が続きました。
秋になりました。
ある日学校へ行き、教室に入った瞬間、
睨まれました。そして
「信じられない。○○(いじめられてた仔の名前)と遊び行ったの!?」
と言われました。
真っ青になりました。
教室の中、皆が見ていました。
あの子も見ていました。
あの仔が見ている中で、私は言いました。
「な・・・に言ってるの!?あんなやつ表だけでしょ?
そんなのないって。絶対無いってぇ!!」
あの仔のほうを見れませんでした。
376 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:45:25 ID:ljKJD+g9
>>375 教室の緊張は解け、いつも通りの一日が始まりました。
放課後の帰り道、気まずくて、声をかけられませんでした。
そしたら、あの仔から声をかけてきました。
「帰ろ」
「うっ!?うん」
黙って帰りました。
そして冬になり、卒業アルバムを作る季節になりました。
私はアルバム委員だったので、記事を書く事になりました。
『皆の良い所』
クラス全員の良い所を書くコーナーでした。
あの仔の所、何書こうかなぁ。
「ねぇっ!!」
同じアルバム委員の仔が声をかけてきました。
「・・・ぁー○○の所かー(笑)汚いから良い所ないよねぇ(大笑)
『天パ』って書いとけばぁ???」
「・・・うんっ。そぅだねぇー」
○○さんの良い所・天パ
377 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:46:44 ID:ljKJD+g9
>>376 3月になり、卒業式の準備も進んで、中学校の制服が届いた頃
あの仔が、うちに来ました。
「どうしたの?いきなり。遊ぶんだったらお菓子買っといたのにー」
「ううん。違うの。・・・はいこれ。」
あの仔はハンカチをくれました。
何か、黒猫が描いてある、あの仔っぽいハンカチでした。
そして、卒業式。
あのハンカチを持っていきました。
式が始まる前、アルバムが渡されました。
そこにははっきりと、スポーツが上手いとか、優しいとか書いてある中に、
天パって書いてありました。
ちょっと後悔しました。
一生に残るのになぁって思いながら。
そして卒業式本番。
私だけが、泣けませんでした。
皆泣いてた。
なんで?
378 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:47:39 ID:ljKJD+g9
>>377 卒業式も終わり、春休み。
他校の仔もたくさん来るし、めっちゃ楽しみだった。
あの仔と一緒のクラスが良いなと思って、浮かれてました。
久しぶりにあの仔に会いたいなーと思って、電話しました。
あれ?つながらない。会いに行こうっと。
あの貸家があるところまで行きました。
「こんにちはー・・・こんにちはー・・・・・・?」
鍵もかかっているし、人の気配も無い。
「旅行かなっ」
「あらぁ○○さんちによく来てた子ね」
「こんにちは。あのぅ、○○さんは・・・?」
「えっ?先週引っ越したわよ。」
「は。」
379 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:48:39 ID:ljKJD+g9
>>378 びっくりしました。まぢで。
泣きました。なんでもう少し仲良く出来なかったのか。
後で聞いたのですが、お母さんの実家の九州へ行ったそうです。
今でもあの卒業アルバムを見ると後悔します。
なんで・・・もう・・・あぁ・・・
ねぇ、『天パ』なんて書いたけど、そんなことよりいいところたくさんあるよ?
プールで、おぼれそうになった時、監視員のお兄さんより早く助けてくれたよね?
私、買い物で小銭が20円足りないからって、おごってくれたよね?自分がお金ないのに・・・
「友情のしるし」ってくれたブレスレット、無くしちゃって、また新しいの買ってきて、私にバカって怒られたよね?・・・ごめんね
ここにこうして夜空を君が見てるって思ってるだけでも、強くなれる気がするよ?
君が貧乏でパソコン買えなくて、君のメルアドも知らないけど、
会いたいな。君に。
380 :
癒されたい名無しさん:2007/08/05(日) 13:51:18 ID:ljKJD+g9
終わり・・・です。
これかいたの夜だったんで、夜空です。
リアルにあったことです。
はい。
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( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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つい最近まで死ぬなんて考えた事も無かった母親が、今病室で生死の境をさまよっている
ベットの上で病気と戦っている母に『がんばれ!元気になって家に帰るんだろ!』と声をかけながら
入院中の母の姿や言葉が頭に浮かんできて思わず涙が止まらなくなってしまった
母は、今年の初めに肺炎にかかり救急車で病院に入院した
その時は、肺炎さえ治ればすぐに退院できると簡単に考えていた
しかし以前から患っていた肝硬変が悪化して退院するどころか徐々に病状が悪化していった
でも入院日数が長くなるにつれて、母は退院して家に帰りたい帰りたいと繰り返すようになった
父や私には、そんな母に『病気が良くなればすぐ退院できるから』と励ますしか出来なかった
そのうち母の口から『帰りたい』という言葉が聞かれなくなり
逆に、毎日見舞いに行く私たちに『疲れたでしょ?もういいから帰りなさい』
とこちらのことを気遣う言葉をかけてくれる様になった。
本当は寂しいのに、自分も一緒に家に帰りたいのに、そんな自分の気持ちを抑えて・・・
いま考えると、母はいつも自分の事より私たちの事を一番に考えてくれていたと思う
『ごめんね!お母さん家に帰して上げられなくて・・・』
『ごめんね!病気なのに気を使わせてしまって・・・』
『もう自分の気持ちを抑えなくてもいいよ』
『わがままいっぱい言っていいから・・・だから元気になって家に帰ろうね』
もっともっとしてあげたい事がいっぱいあったのに・・・
母のやさしさに今は声をかけてあげることでしか返せないくやしさで涙が止まらない
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彡/‖ ̄ ヽ
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384 :
癒されたい名無しさん:2007/08/06(月) 13:50:53 ID:UXlseBto
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とか
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とか投稿するやつ人の気持ち考えろやこのクソガキ
385 :
過去ログよりコピペ:2007/08/09(木) 23:27:39 ID:q2twaTRO
私が小学生の頃、初めて人を好きになりました。
上級生だったのですが、誰にでも分け隔てなく優しい人で、誰
もが彼を好いていました。
どういうわけか、そんな彼が地味な私を好きになってくれて、
子供ながらに本気で愛していました。
その彼とは途中日本とロスという遠距離恋愛もしながらも、お
互い気持ちは変わる事はなく、
自分は彼と結婚するのだと信じて疑わなかった。
しかしその彼が事故に遭い、一度は元気になったものの他界…
まるでドラマのような展開でその恋は終わりました。
正確に言えば、私の恋は終わってはいなかったのですが。
彼が私の世界であり、彼こそが私の全てだった。
亡くなってからもずっと彼が忘れられず、やっと好きになれた
と思った部活の先輩は
結局は彼の面影を重ねていただけだった事に気がつき、すぐに
別れました。
もう好きな人に置いていかれるのは嫌だった。
だから人を好きになって失うのが恐くて、新しい恋愛から自分
で自分を遠ざけていた部分もあったのかもしれない。
もうきっと誰も好きにならない…寧ろずっと彼だけを愛してる
。
そう思っていました。
彼が居ない世界で生きていく意味が見つからず、何度も自殺未
遂をしたけれど、
結局死ねずに、気がつけば彼を好きになてから10年が経って
いました。
386 :
過去ログよりコピペ:2007/08/09(木) 23:29:03 ID:q2twaTRO
大学生になってすぐのある日、高校生の男の子が電車で痴漢に
あった私を助けてくれました。
とても気さくで可愛いコで、その日から彼とよく会うようにな
りました。
不思議と彼と居る時は、心の底から笑う事が出来ました。
自然とお互い惹かれあっていくのが解りました。
でも私は昔の彼の事をどうしても完全に想い出には出来ません
でした。
それだけ彼は私の中で大きな存在でした。
だから目の前の彼に告白された時には、嬉しかったけれどとて
も困惑しました。
未来が消えてしまった昔の彼を置いて、私だけが幸せになろう
としてもいいのか、と。
私は彼に自分の過去を話しました。
重い女だと思われるかもしれないと覚悟していたのですが、
いつも可笑しな事ばかり言っているような彼が、私の為に泣い
てくれたのです。
「辛かったな」と。
「その人の事、忘れなくていい、ゆっくり想い出にしていった
らいい。
想い出に出来るまで、傍で待ってるから」と。
「俺は死なないから」と。
とても嬉しかった。
彼と接しているうちに、昔の彼の事を思い出す時、穏やかな気
持ちになれていた事に気付き始めていた頃の事でした。
彼が事故に遭い、病院に運ばれたと連絡が入ったのです。
急に昔の彼の事が頭を過ぎり、全身の血の気が退くのが解りま
した。
387 :
過去ログよりコピペ:2007/08/09(木) 23:29:39 ID:q2twaTRO
当初は、朦朧としてはいたものの意識もあったそうですが、病
院に運ばれてから急に悪化し、
私が駆けつけた時には既に息を引き取った後でした。
以前から何度かお会いしていた彼のお父さんに付き添われて、
彼に会いました。
彼の綺麗だった顔には大きな傷が残っていて、痛々しくて自分
の心も痛くて息が出来ませんでした。
そんな私を気遣いながら、彼のお父さんは私に彼の携帯を渡し
てくれました。
救急車の中でも携帯を離さなかったそうで、その携帯を開くと
私宛のメールが打ってありました。
『ずっと愛してる 約束やぶってごめん』
人前で泣くのが大嫌いな私が、堪えきれずにボロボロ泣いてい
ました。
こんな声が出るのかと思うくらい惨めな声で泣きじゃくりまし
た。
彼のお父さんは「きっと、どうしても最期に伝えたかったんだ
と思うよ」と言って、私の肩をポンと叩きました。
顔を上げると、お父さんも泣いていました。
「こいつは、ずっと君と結婚するんだと騒いでいたんだよ」と
言った擦れた声が、妙にハッキリと私の頭に響きました。
そして以前、ふざけながら話していた子供の名前の話や、マイ
ホームの話を、彼の明るい声と笑顔と共に思い出していました
。
臆病で照れ屋で…今まで一度も、以前好きだった彼にさえした
事はなかったけど、
傷付いた彼の唇に自分からキスをしました。
最初で最後の、彼へのキスでした。
今はとても後悔しています。
気付いていたのに、それでも素直に認める事が出来なかった。
もっと早く、自分の気持ちを伝えていればよかった…
「誰よりも、あなたのことが大好きです」と。
漫画の見過ぎ
┌──────────────────────┐
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│ Λ||Λ |
│ ( / ⌒ヽ |
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│ ∪ / ノ |
│ | || |
│ ∪∪ |
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│ Now Hanging ...... |
│ |
│ 人生を終了しています...... │
│ |
└─────────────────────―┘
390 :
癒されたい名無しさん:2007/08/09(木) 23:56:32 ID:KOVB1eI+
ヤベェよ俺
普通に泣いたよ…
俺の知り合いの奥さんとちょっと被るんだよな
とんだ死神女だな
そういう事言うのやめろよ。
どんな気持ちで好きな人の死に遭ってきたか考えてやれよ。
テメーらみてぇなアホは俺のフレアドライブで吹っ飛ばしてやんよ!
泣ける…
死デブ
398 :
癒されたい名無しさん:2007/08/11(土) 19:32:38 ID:mRJFrCWQ
空気読めなくて悪いが、書いてみる
399 :
癒されたい名無しさん:2007/08/11(土) 20:07:12 ID:mRJFrCWQ
俺の親父は今、1億うん千万の借金を抱えてる
おふくろは夜働いていて、朝方帰ってくる。
父親はタクシー運、まる1日働いて、次の日はほぼ一日寝てる。
俺は学生。妹が、小学2年生。
俺のうまれる前は二人とも父方の祖父の経営する居酒屋で働いていた。
親父とおふくろはそこで出会って俺を産んだ。
地元じゃそこそこ有名な居酒屋で、繁盛してた。
だけど、5,6年前かな、うちの居酒屋で扱ってるやつらに
ビザの不具合がみつかった(どういう意味なのかは察してくれ
営業停止 ほどなくして閉店
まあその頃の俺には全然意味わからなかった
んで、当然おふくろも親父も失業
そこで祖父の多額の借金が発覚
そんでその連帯保証人が俺の親父
つい昨年その祖父がなくなり、正式に俺の親父が借金を負った
祖父はさ、店が閉店してから親戚に盥回しで、
祖父、の最後は突然だった
本当、何の前触れも無かった
深夜に電話でさ『家族の方をよべ』みたいな
そのときのことよく覚えてるよ
ごめん長くなりそうだし分けるね
あと文ヘタですまそ
見てる人がいればいいんだけどwww
400 :
癒されたい名無しさん:2007/08/11(土) 20:40:31 ID:mRJFrCWQ
親父、最後まで祖父のこと何も言わなかった
集まったのは、兄弟妹の3人だけだったらしい
一度、容態が安定してさ、俺の親父だけ残してみんな帰ったんだと
そしたら急変 結局最後を看取ったのは親父ひとりだった
皮肉だよな
最後にふたりきりで何話したのかは、わからない
生前、大きな金庫もってた癖にさ、
祖父が残したのは、本当に小さな箱に収まる程度のものだとあとで聞いた
そんでさ葬儀の準備、叔母がね、言うのよ。
「あなたたちの家族は、お母さん(祖母)のこと、みていなかったじゃない」
「(連帯保証人だって)あなたたちが馬鹿だったからでしょ」
実際の祖母は車で3時間もかかる老人ホームにいる。
会いに行くと、祖母がさ、俺に話すんだ
「あの人ね、若い頃から争いごとが嫌いでね。」
なんでだよじいちゃん
「はじめて会ったときも、一緒になってからも、
私がいくらわがままを言っても、決して怒らない人で」
もう祖母は歩けない 糖尿病の合併症
一体 な に を み て い る ん だ 、と。
問い詰めたい 小一時間問い詰めたい
結局叔母は、葬儀に使う金を管理するといい、
金だけを全部持っていった
親父は今後、何か金の動くものをもつことができない
笑いながら
「死んだときに全部もっていかれちゃうからな」
っていう。
ごめんあともうちょっと
あんまり泣けない・・・・かも
401 :
癒されたい名無しさん:2007/08/11(土) 20:54:35 ID:mRJFrCWQ
今うち、家庭崩壊。
当然だよな。
家族全員が顔あわせるのが何日かに一度、何時間か。
笑顔?何に笑うんだよ
四角い食卓は壁際に寄せてあって4人用なのにふたりしか座れない
顔をあわせれば、いざこざが起きる
当然お金のこと
じいちゃん教えてくれよ
争いごと嫌いなんだろ
なんでこんなにしちゃったんだよ
親父もおふくろもずいぶん老けた
人生何が起こるかわからないし
生きてれば、これから良いことあるよな
言い放題、バラバラなこと言って、
会話ないし、笑わないし、一緒にご飯食べない
本当に血つながってんの?みたいな家族だけど
だいすきだ
そんな話。ごめん、みんなみたいに悲しさをうまく伝えられない
お金にがんじがらめにされてさ、仕方なくこうなったんだ
そういう家族がある
仕方なく生きてるけど 死ぬことまで考える余裕も無い
精一杯生きてる
ってこと、どっかで覚えててくれたら嬉しいよ
ひとり泣きながら書いた
すっきりした・・・・
1億なんてマジなら自己破産だろ。
403 :
癒されたい名無しさん:2007/08/11(土) 21:17:39 ID:mRJFrCWQ
>>402 そういう話も出てた
なんで消えたのかはわからん
>>398〜
>>401 しっかり読ませてもらった。確かに文はヘタだけど
オレよりはうまい。ありがとう。
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
今日、心臓病の人と会ったんだ
ネットの中で。嘘か本当かはわからないけど初めてネットで泣いた。
そこは不特定多数の人が来るチャット。
私は同じ場所にいつもいる。
そこに『名前をつけてください』
という人がきた。私ともう1人の人が
「じゃあ、がっつりナポリタンね(笑」
と、冗談で付けてあげた。彼はがっつりナポリタンで部屋にまた入ってきた。
そこから彼の話が始まった。
「あと3ヶ月しか生きれないんだ」
と。平気で言ってたから冗談だろうと思ってた。
嘘でしょ?と何度も聞いたけど彼はずっと「本当」って言ってた。
半信半疑で話を聞いていた。まさかそんな状況でチャットするか?と。
でも、私は信じた。もし、本当だったら?彼は凄く辛いんじゃないだろうか。
もし本当なら、今共有してる時間が凄く勿体ない、と。
もし本当なら、死に直面して生きる事を諦めそうな彼がいる。
もし本当なら、そこで信じてあげない自分がどれだけ馬鹿なんだ、と。
もし本当なら、たった一つの生きる道である心臓移植を諦めようとしてる。
本当なら、もう会えない。
ログの時間が長く空いてる。
今日しか来れないって言ってる彼に今自分がしてあげれることは
戻ってくる場所を作る事しかできなかった。
顔も何処に住んでるかも分からない。けど、生きる希望まで捨てたら私は嫌だ。
ただそう思ったから必死だった。
「移植はいやだ、自分のために誰かが死ぬから」
そんな事聞きたくない。まだ18なのに。まだ色々できるのに。
頼むから諦めないで 生きてまたここに来て
ナポリタンの為に死ぬわけじゃない。誰かに生きてほしいから
その人は移植するんじゃないのか。
泣きながらキーボード必死で打ってた。何に遠慮してんだ。
初めてこの人とチャットするのに。
何故かものすごく泣きながら諦めないでくれって思ってる自分がいた。
そしたら彼が一言言ってくれた
『生きたい』
って。
その言葉が出た時凄く嬉しくてまた泣いた。
「元気になってまた戻ってくる」
そう言ってくれた。
嬉しかった。本当に。
しばらくして彼は病院へ戻ると言って落ちた。
いつでもいるよ
だから、頑張れ。
407 :
癒されたい名無しさん:2007/08/12(日) 20:33:40 ID:Y9R3N63L
>>398〜
>>401 お前とお前の妹には絶対幸せになってほしい
妹とは喋ったりしてるの?
父さん、母さん、妹大切にしてさ、笑って生きろ。
泣いてたらそのうちなんも見えなくなるぞ
408 :
癒されたい名無しさん:2007/08/12(日) 20:36:22 ID:Y9R3N63L
>>406 俺も祈ってるぞー。そいつが生きて帰ってきたら報告しろな
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410 :
癒されたい名無しさん:2007/08/15(水) 22:24:06 ID:Qm98TwRi
これ釣りとかだろ思うだろうけどまじな話。
今ゆとりゆとりって言われてるよな、んなことで俺もそれに影響されて今の子供は腐ってんのが多いかなとか思ってた。
あれは2週間くらい前の話。
その日はたまたま昼出勤だったので昼から仕事に行くことになっていた。
そして昼になって飯食って駅に向かった、切符買おうとして財布取り出してたら。
「お願いします!この子のために募金してください!お願いします!」
って声が聞こえた。
若い夫婦らしき人が募金していた。自分で作ったのかボロい段ボールに子供の写真を貼っていた。
7,8歳くらいだろうか。
正直他人の子なんて気にもしない、俺には関係ないと思っていた。改札口を通ろうとしたら厨房?っぽいのが4人くらい横を通った。
割と体が大きかったから厨房だろう。その様子を見てたんだけどそこで俺のしたことがとても恥ずかしくなった。
その厨房たちが募金していたのだ、そして一番体のでかいやつが一言
「早く元気になるといいですね」
俺はそこでジーンと来たね、俺も戻ってすぐに募金したよ。
電車に乗ってるときその厨房に思ったよ。
「いい父親になれよ」
ってな。
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最初は冗談だと思ってた。
俺達は一心胴体でいつも一緒。そんな二人に別れがくる。少しずつ近付いてくる別れと言う現実が怖かった。冗談だと思いたかった。それも思えなくなる。
俺「明日でお別れだな」
ありきたりのセリフを吐く俺。
俺「お前と一緒にいれてホントによかった」
涙は流さない。覚悟は決めた。この別れは永遠だが俺達の気持ちはなくならない。
俺「最初に聞いた時は冗談だろ?って思って・・・な」
どうにもならない現実だ。言葉に詰まってきた。
俺「・・・寝よっか・・・」
最後の夜だ。好きにさせてくれ。俺達は快楽で溢れた・・・そして・・・。
セー○キが出た。
気持ちよかった。
別れの日
俺「・・・それじゃあ・・お別れだ」
俺は病院のベットの上、数時間後には手術だ。そこで最後の別れがくる。俺達は思い出に浸る。お互いの思いは一生お互いの中に残るから
俺「そろそろ時間だ・・・」
そして手術室にむかう。最後が来た。俺達の最後
俺「・・・じゃあな・・ありがとう・・」
最後までありきたりな事しか言えない俺は別れをつげた後、麻酔で眠った・・・。
数年後
俺は一人、都会で仕事をしていた。手術は成功し俺達は完全な別れをとげた。が・・・俺は孤独だった。
俺「・・・久々に実家に帰るか」
俺は孤独から逃れるために家族にあいにいった。懐かしい道、かわらない道だ、ふと気付く。俺は手術をした病院に来ていた。体は自然に病院の中に。まさか・・・。
俺は再会を果たす。涙ながらに俺は言った。ホルマリン漬けになった友に。病気が原因で俺と別れた友に
俺「・・久し振り・・・永遠の別れなんかじゃなかったな・・・(笑)」
友は
おチンチン「ああ、そうだな」
終
抜けない話w
昔別れた彼女。両思いで四年付き合ったけど
二人とも若くお互い自立しなければと考えて別れた。
その次の春、そのコから封書が届いた。
文面は何も無く中に桜の花びらが数枚入っている。
お花見行きたいねと言い合っていたが
行けずじまいだったのを思い出し涙が出た。
泣ける話とか何とかっていうか、自分の中でやっと一段落したので書かせて下さい。
中学生の頃から付き合っていたA君が、ある日突然脳梗塞で倒れました。
脳梗塞って、もっと年配になってから生活習慣病とかが原因でなるものだと思っていたのに、
まさか彼がそんな事になるとは思ってもみなかったんです。
だって、彼はスポーツマンだったし、甘いものも嫌いではなかったけど、そんなに食べる方ではなかったから。
何より彼は若かった。
サッカーも上手くて
「俺、スカウトされちゃったらどうしよー」
なんて冗談言いながら笑ってた毎日だったのに。
それが急に倒れて、ずっと病院のベッドで寝たきりなんて…信じられませんでした。
もちろん毎日のようにお見舞いに行って、いっぱい彼と話しました。
昔から冗談まじりで話していた結婚の話とか、赤ちゃんの名前の話とか、たくさんたくさん…。
でも、日が経つにつれて彼は徐々にやせ細っていき、話をするのも辛くなってきたようでした。
うまく言葉が発せなくなってきたのです。
そして時々私がお見舞いに来た事すら忘れてしまうようになりました。
そんな彼を見ているのが辛くて、見ていられなくて、時々過呼吸を起こしてしまう事もあり、
以前は時間があれば病院に通っていたのに、少し病院へ行く回数が減ってしまいました。
学校の教室では、彼なんて最初から居なかったかのように過ごすクラスメイトも居たし、
「お前まだAと付き合ってたんだ?」
なんて言われる事もあった。
まるで私を悲劇のヒロインみたいな目で哀れんでくる先生も居た。
それがとても息苦しくて、ストレスが嵩み、私は食欲がなくなっていきました。
病院へ向かう足はどんどんと重くなる一方でした。
胸にモヤモヤを抱えながら、私はA君に会いに行っていたのです。
A君はついに、ごく稀にですが私の存在すら忘れる事もあるようになって、その頃には人懐っこい笑顔は
全く無くなり、サッカーをしていたなんて思えない程体系が変わってしまっていました。
もうこのままきっと私は忘れられていくのだろうと思っていたある日の事です。
おそらく言語練習の言葉なのでしょう、“パンダの宝物”という言葉をしきりに呟いていました。
それが、私の顔を見て、力の入らなくなったやせ細った手でゆっくりと私の手を握り
「○○(私の名前)は宝物…○○は宝物…」と繰り返し言うのです。
看護婦さんは
「あらあら、○○(私の名前)じゃないでしょー?パンダの宝物でしょー?」
って、笑いながら通り過ぎて行ったけど、私は息が止まりそうでした。
溢れる涙を抑えることが出来ませんでした。
彼の手を両手で握りしめ、ごめんねと繰り返すしか出来ませんでした。
辛かったのはいつだって彼の方だったのに、私は自分の事でいっぱいいっぱいで、
そんな根本的な‥だけど一番大切な事を忘れていたんです。
私はただ、自分が辛くて一人で逃げようとしていたんです。
最低な自分に、怒りと憎しみと後悔が押し寄せ、同時にA君への愛しさが
体中に溢れていくようでした。
翌日、彼のお母さんから、多分これから先、良くなる事は無いだろうと…
寝たきりか、もしくはこのままだんだん弱っていって亡くなってしまうだろうと告げられました。
私は今度こそ逃げないと決めました。
彼には良くなって欲しい。生きて欲しい。
だけどもし、もしも寝たきりになったって私は傍に居たい。
もしもこのまま亡くなってしまうのだとしても、その時まで彼だけを思い続け、彼の傍に居たい。
そう思っていました。
A君の部活仲間のB君の気遣いもあり、もう普通に病院に行く事も出来るし、過呼吸も無くなり、
学校で何か言われても
「私はA君の彼女だから。A君が好きだから」
と、堂々と言い返す事が出来るようになっていました。
しかし、やっと成長出来た私の心とは裏腹に、彼の様態は日に日に悪化していきました。
もう回復が見込めないという事でしょうか、病院も移動になりました。
この頃には私が行っても何も反応してくれなくなっていました。
そんなある日、彼の唇が小さく動いているのに気付きました。
耳を近づけてみると
「俺の事忘れて…お前幸せになれ…」
ちょっとカタコトのような、ハッキリしない言葉で、声と言うにはあまりに小さな消え入りそうな声だったけど、
確かに彼はそう繰り返していました。
私は思わず
「何言ってんの!結婚するって言ったじゃん!私は本気だったよ。ずっと一緒だよ」
と、声を荒げていました。
自分は逃げようとしていた事もあったのに、勝手な私は、彼から「忘れて」と言われた事がとてもショックでした。
もう会えないみたいに言われた事が、とても辛かった。
彼の前では涙を我慢していましたが、病室を出た瞬間、声を殺して泣きました。
後から聞いた話ですが、もうこの時の彼の記憶は曖昧で、本当に言葉も発する事が出来るような
状態ではなかった筈だったそうなのです。
次の日から彼は本当に何にも全く反応してはくれなくなり、数日後、亡くなりました。
お葬式で彼のお母さんが
「きっとあの時のAの言葉は、頑張って頑張って搾り出した、最後の言葉だったんだね…どうしても伝えたかったんだね。
Aの事、忘れていいからね?幸せになってね」
と、優しく言ってくれました。
結局彼の事を忘れる事は出来ないけど、やっと、次の恋をする事が出来ました。
この秋、私は結婚します。
相手は、当時私を気遣っていてくれたり、A君の事をずっと心配してくれて何度も一人でお見舞いに来てくれていたB君です。
将来子供が出来たら、絶対にA君の名前を貰おうと、そして二人目が出来たら、
A君と考えた名前にしようと二人で話しています。
いろんな事を教えてくれた彼を胸に、私は幸せになります。
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>>418 逃げたくなる気持ち分かるよ。
俺もそうだった。
でも最後にはちゃんと向き合えた事は立派な事だと俺は思う。
結婚おめでとう。
幸せになってくれ。
422 :
癒されたい名無しさん:2007/08/23(木) 12:26:00 ID:PPjYpZtw
ついでにageていく
423 :
癒されたい名無しさん:2007/08/30(木) 19:46:21 ID:EqNFnYcc
地味に感動する話だな…
424 :
癒されたい名無しさん:2007/09/02(日) 20:49:59 ID:2VMJOFxg
425 :
癒されたい名無しさん:2007/09/02(日) 21:47:09 ID:TmdnA9B4
ばーちゃーん
ごめんなー何もしてやれんかった
しかもあっちに行ってもう二年経つってのになあ
俺未だにばーちゃん思い出して泣いてるよ
ごめんなぁ。これじゃばーちゃん成仏できねぇってなあ
馬鹿な孫でごめんな
寝る時背中さすってくれたよなぁ
あれ、結構効くんだ。快眠できんだよ。知らんかったろ?
俺らがばーちゃん家に遊びに行くとき、いっつもバス停で待っててくれたよなぁ
足腰弱ってんの知ってたよ
たまに顔歪めてんの知ってたよ
家で待ってていいよって言ってんのに聞かなくてさぁ
兄弟ゲンカもさ、止めてくれたよなぁ
んで、仲直りっつって作ってくれた団子汁、うまかったよ
ごめんな
ばーちゃん
俺まだ廚房だったから、金も無いしガキだし迷惑ばっかかけてたし
何も出来んくてごめんな
届いてるかなぁ
おーいばーちゃーん
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∪ ノ
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427 :
癒されたい名無しさん:2007/09/02(日) 22:59:45 ID:vQ6HdRbI
誰にもいえないことなので、ここに書かせてもらいます。文才がないため、読みにくいかもしれませんがご了承下さい。
俺は今20歳。地元から離れて下宿している大学生。87歳になる祖父がいます。
一昨年の四月、俺は初めて実家を離れました。大好きな祖父と別れて暮らすことになりました。
俺は自他ともに認めるおじいちゃんっ子で、実家にいたときはずっと祖父の部屋で一緒にいました。
祖父の好きな時代劇とか演歌を一緒に見たり、暇さえあれば祖父と話をしていました。
祖父は年齢を感じさせないほど元気で、食欲も旺盛でした。
別れるのはつらかったけど、祖父もあれだけ元気ならと、俺も安心して実家を離れました
でも、去年の夏に下宿先に家族が遊びに来たとき、祖父の体は腰が曲がり、まともに歩けないようでした。
去年の正月はなんともなかったのに・・・・。
母と二人になったとき、母から、祖父はガンにかかったと教えられた。
肝臓ガンらしいです。
それからは祖父は食欲もなくなり、体も細く小さくなっていったそうです。
あんなに元気だった祖父がここ1,2年で、あんなに変わってしまうなんて・・・。
体のあちこちに皮下出血が起きていた。
俺は医学のことはよくわからないけど、どうやら肝臓が機能していないせいらしい。
肝臓ガンが発覚してから、それが肺にも転移したと、今年の夏休みに帰ったときに聞かされた。
酒は断ったけど、大好きなタバコはさすがに母親も止めなかったらしい。
好きに残りを生きさせてあげたいと。
この夏休み、俺は祖父を病院に何度か連れて行った。祖父が2年前まで歩いて通っていた病院。
でももうその距離さえ歩くことも出来ずに車で送り迎えをやった。
先にも書いたけど、ここまで変わるのはとてもショックだった。
この夏休みは祖父とできる限り一緒にいって、同じように時代劇を見て、一緒にタバコをふかしてる。
次に逢えるのは正月かな。それまで元気にいてくれよ。
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直接言えないから、こんな所に書きにきたチキンの戯言です。
聞き流してくれていい。だけどどうしても残しておきたい。
ごめんね、こんな彼女でごめん。
初めて好きになった女だって、最後の彼女なんだって笑って言ってくれた年下の彼氏。
でもどうしても言えない事があるんだ。
隠し事はしないって約束してたのにごめん。
自分が死ぬって不思議な感覚なんだ。
カゼだと思って医者に行ったはずなのに、余命半年ってなんだよそれ。
自分の事なのになんか笑えてくる。何だこの韓流ドラマみたいな展開
でも現実だった。
半年で何ができるんだろって考えた。
私はあんたに何できるのかな。
あんたが学校卒業したら、迎えにきてくれるって言ってたけど、もう待てなくなっちゃったわ。
私には、せめてあんたが泣かないように傷付かないように
辛くあたって別れるぐらいしかできなかった。
ごめん、ごめんね。
こんな彼女が初恋の相手なんて、最低だよな。
最低の彼女でごめんなさい。
私みたいなヤツを好きになってくれてありがとう。
あんたは私の最低な人生の中で、一番いい男だった。
私を忘れて、どうか幸せになってください
短い間だったけど幸せでした。
こんなトコでしか言えなくてごめんね。
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なんだかなぁ。実に鬱陶しいですね。
432 :
癒されたい名無しさん:2007/09/10(月) 21:48:17 ID:3saU6BK5
433 :
癒されたい名無しさん:2007/09/11(火) 10:11:07 ID:3Babwd/i
434 :
癒されたい名無しさん:2007/09/18(火) 19:09:34 ID:rmUob0aL
定期アゲ
435 :
癒されたい名無しさん:2007/09/20(木) 05:13:08 ID:IyT/M8Yc
>>429 本当に彼を傷つけたくないなら、本当の事を言え!
絶対言え!今すぐ言え!
そのほうが100倍その男は幸せだ!!
その間一緒にいられるだけでいいはず
お前の最後見届けられる男だってお前が信じて
やれなくてどうすんだよ!!
お前はやってる事は愛じゃない、残酷なことだ
ウソの話なら熱くなってスマン・・・
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( ⌒ ヽ
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(・∀・| | ウヒョー
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⊂⊂____ノ
彡
437 :
癒されたい名無しさん:2007/09/23(日) 01:28:37 ID:b11OiiDW
高校時代に付き合って彼女が口癖だった言葉
「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいいんじゃない?」
別れた後も何故か手紙のやり取りはしていた
でも、ある時からぱったりと手紙は届かなくなった
忙しいのかなぁ?なんて勝手に思っていた
しかし、最近高校時代の同級生から聞いてしまった
元カノは2年前に白血病で亡くなったと……
享年20歳だったそうです。どうやら病室で病と戦いながら
手紙を書いてくれたそうだ
もっと早く知っていれば良かった
何で教えてくれなかったのか?そう考えるととても悔しいし悲しい
でもあいつが生きれなかった分オレが生きなきゃダメだ
この先真っ暗だけど進まなきゃ
挫折もあるだろうけど立ち止まったら彼女に言われてしまう
「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいいんじゃない?」って
彼女からの最後の手紙にこう書いていた
「たくさんの思い出をありがとう。高校3年間で見つけた宝物……それはあなたです
愛する事が上手な男性になってください。
いつまでもあなたらしく……笑うことを忘れないでね?
あなたの人生はこれからです!あなたなら出来るよ
自分の『生』を精一杯輝かせてください
あなたは私の理想のど真ん中だった。こんな出逢いはもうないでしょう」
あいつからの手紙を久々に読み返して号泣してしまった
そして決めた
もう後ろは振り向かない。オレは自分の信じた道を行く
オレの背中を押してくれてありがとうな。おまえの分まで生きて笑って幸せになります
皆さんも立ち止まっちゃダメだよ。恐れるものはなにもないんだから
時間と共に前に進めばいい
きっとこの先には自分の信じた未来が待っているから
Just be as you are
〜あなたらしく生きてください〜
438 :
癒されたい名無しさん:2007/09/23(日) 01:31:30 ID:0Eyko3DC
ハンナングループ浅田会長の逮捕に北朝鮮・旧朝銀信用組合と関係の深い杞●岳史!!
杞●岳史は家やマンションビルの中の様子を建物の外から盗撮しています!!
建物の中の様子を外から盗撮するプライバシー丸裸のとんでもない盗撮機械を自宅に所持!!
名前は杞● 岳史(キヤマ タケシ)ユ タケシ
経歴は北朝鮮とつながりの深い旧朝銀信用組合と関わりが深く旧朝銀信用組合の青年会に所属。
東大阪市柏●東10の9から転居後の自宅に所持!!
※杞●岳史の自宅からすごいものがでてきます!!
家やビル、建物の中の様子を外から盗撮するプライバシー丸裸の盗撮機械は杞●岳史の自宅にあります!!
あと一歩で杞●岳史逮捕なのでみんなで公安に連絡しましょう!!
公安の強制捜査で必ずマスコミ関係者様・関係者様・2ちゃんねら〜の皆様の御期待にそえます!
※法務省 公安調査庁 0335925711 東京都千代田区霞が関1丁目1の1
※近畿公安調査室局(代) 0669437771 大阪市中央区谷町2丁目1の17
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440 :
癒されたい名無しさん:2007/09/25(火) 04:29:56 ID:7VSTCELq
春季キャンプで多田野投手と同部屋となるサイズモア外野手は
「彼は(ビデオ出演を告白するときに)神経質になっていた。
でも、それが彼に対する見方を変えることはなかった。
彼は正直に告白したし、それは終わったことだ。
誰もそれ以上のことは言わない。
いい奴だし、素晴らしい投手だ」と述べている。
また、サバシア投手は
「このチームは彼にとって相応しいチームだし、
正しい組織だ。いい仲間がここにはいる。
誰だって人生の中で何か後悔することをしている。
彼もほかのみんなと同じ人間というだけだ」と話した。
441 :
癒されたい名無しさん:2007/09/25(火) 04:39:08 ID:+YCS6nCZ
442 :
癒されたい名無しさん:2007/09/25(火) 04:40:06 ID:c1ZNrNNQ
その子と出会ったのは趣味の音楽サークルだった。
メンバーと顔合わせの日、歓迎会の席で隣になったのが彼女だった。
一目ぼれとか信じてなかったけど、彼女に対してはきっとそんな感じだったと思う。
音楽も、それ以外も、お互い趣味が合って、すぐに仲良くなった。
マメじゃない俺が、メールも恥ずかしい事にかいがいしく送っていたし、出掛ける誘いも結構した。
彼女はバイトが忙しかったみたいだけど、それでも時間作って会ってくれた。
一緒に居る時間がすげー楽しくて、あっという間だった。
そんな風に感じられたのは久しぶりだったし、日に日に気持ちがでかくなって、ある日ついに告白してしまった。
彼女はとても驚いたような顔をしてたけど、照れながら「ありがとう」と言ってくれた。
でも彼女には辛い過去があって、それがトラウマでなかなか恋愛に踏み出せないんだと打ち明けられた。
それでも俺の事は気になってくれてるみたいで、だからゆっくり進んでいきたいと言った。
それでもいいか、って。
もちろん俺は待つと言った。
それからも変わらず彼女とはメールしたり電話したり会ったりしてた。
でもそのうちに彼女からのメールの返事が極端に遅くなった。
もしかして俺嫌われた?とか思って、そんな感じの事をやんわりとメールで送ってみた。
返事は一週間後だった。
嫌ってないけど、会うのとかメールとか少し控えよう、と。
どういう事かと聞き返せば、恋愛とか考えるの面倒になったから、と。
何だよソレ?
ショックだった。
それから彼女からのメールは途絶えた。
もちろんサークルにも出て来なかった。
そんな彼女からの連絡をひたすら待ちながら三ヵ月が経っていた。
443 :
癒されたい名無しさん:2007/09/25(火) 04:49:40 ID:c1ZNrNNQ
こんな終わり方すんのかって、流石にちょっとイラついてた頃だった。
俺と彼女が親しくしているのを知っていたサークルのリーダーから呼び出しをくらった。
話は彼女の事だった。
実は彼女はリーダーの親戚にあたるらしく、彼女の事もよく知っているようだった。
そして彼女は、四ヵ月くらい前から入院している事を聞かされた。
俺は馬鹿だし詳しい知識は無いからよく解らないけど、肺に腫瘍が出来ているらしい。
手術もしたけど術後の回復が芳しくないようで、最初は意識もしっかりしていたけど、今はもう集中治療室に移され、ハッキリ言っていつ亡くなってもおかしくないくらい危ない状態らしかった。
俺にあんなメールを送ったのは、多分自分はこの先長くない。
だから俺が彼女を嫌ってスッパリ忘れて早く次にいけるようにとの配慮だったそうだ。
メールの返事に時間がかかっていたのも、そんな事言いそうにない彼女が何故急にあんな事言い出したのかも、全部納得した。
暫く言葉が出てこなかった。
彼女の事、何も知らずに自分勝手だと呆れ、あんなにイラついてた日々は何だったんだ。
自分勝手なのは寧ろ俺じゃないか。
すぐに彼女の見舞いに行かせてほしいと頼んだけど、今は家族以外は面会出来ないと言われてしまった。
俺が彼女に出来る事は、もう既に残されていなかった。
444 :
癒されたい名無しさん:2007/09/25(火) 05:07:20 ID:c1ZNrNNQ
それでも、彼女の家族からの様子をリーダーから毎日のように聞いた。
神様なんて信じた事もなかったのに、良くなって欲しいと、毎日祈った。
それぐらいしか、本当に出来る事なんてなかった。
次の月、彼女は亡くなった。
葬式が終わってから彼女のご両親と話が出来た。
俺が名前を名乗ると、「娘からよく聞いてました」と言ってくれた。
そして生前、多分まだ俺のメールに返事を送れていた頃だろう。
彼女が言った一言を話してくれた。
「○○君(俺の名前)の事、好きって言いたかった」
俺の一方通行じゃなかった。
好きになってくれてたんだ。
その言葉は、嬉しかったけど、悲しかった。
もう会えない彼女を、俺はきっと忘れない。
愚かだった自分も、忘れない。
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「うるさい!あっち行ってろ!」
それが妹と話した最後の言葉になった。
俺の家は所謂母子家庭ってやつで、小さい頃から父親が居なかったから
5才離れた妹は、俺を慕っていつもくっついてきた。
母親は俺達を育てるために仕事で忙しくしていてあまり家に居なかったし、
俺も妹が居た事が救いだった。
妹が可愛くて仕方なかった。
俺が妹の父親代わりになろう、俺が妹をずっと守ってやる!
小さい頃からそんなふうに思っていた。
ある日、司法試験の近かった俺はいつもよりイラついていた事もあって、
つまらない事が原因で怒鳴ってしまった。
そんなふうに怒鳴った事など今まで一度もなかった。
相当ショックだったのだろう。
妹は泣きそうな顔をして、「邪魔してごめんね」と言って家を飛び出していった。
俺は追い掛けなかった。
どうせ飯の時間になれば帰ってくると思っていた。
でも夜になっても妹は帰って来なかった。
次に妹が帰って来た時には、冷たくなっていた。
事故に遭い、体中傷だらけだった。
傷付いた顔が見ていられなかったのか、母が妹に泣きながら化粧をしていた。
その様子を見ながら、この時初めて声を出して泣いた。
後日、母と二人で妹の部屋を片付けていたら、小さな箱が見付かった。
綺麗に包装されていて、その下には
「お兄ちゃんお誕生日おめでとう」
と書かれたメッセージカードがあった。
気が付けば俺の誕生日が数日後に迫っていた。
母に言われて箱を開けてみると、俺が前々から欲しがっていた
限定物のピックが入っていた。
メッセージカードを開くと
「いつもありがとう。頑張ってるお兄ちゃんが大好きです。
家族を大切にしてくれるお兄ちゃんが大好きです。」
と書かれていた。
自分でもこんなに涙腺が緩かったのかと思うが、堪えきれずに泣いてしまった。
お前への最後の言葉があんな言葉だなんて…
もっと優しくしてやればよかった。
兄ちゃん、兄も父親代理も失格だな。
やり直せるなら、あの日に戻ってやり直したい。
誰よりも幸せでいて欲しかった妹が…
居なくなった…
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し'し'
449 :
癒されたい名無しさん:2007/09/30(日) 13:12:51 ID:NewG9WeR
この間、検査で病院行ったんです。病院。
そしたらなんか先生がMRI撮った写真見て深刻な顔しやがるんです。
で、よく見るとなんか影が見えるとか言ってご家族の方にもお話をとか言い始めるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、たかだか影如きで普段来ない家族まで病院呼ぶんじゃねーよ、ボケが。
影だよ、影。
ただの現像ミスじゃないかっての。
なんか親まで呼ばれちゃって一家4人で病院か。おめでてーな。
よーし俺手術頼んじゃうぞー、とか明るく言ったら怒ってるの。もう見てらんない。
お前らな、10万円やるからさっさと入院させろと。
病院ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
治るか治らないか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
取り合えず病状が病状ですから一応身辺整理を、とか医者が言って笑えない。
帰宅して入院準備とかしてたら家族全員集まってきて大丈夫だからとか言ってるんです。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、嫁の奴が笑顔で、大丈夫心配ないよとか言ってそこでまたぶち切れですよ。
あのな、心配なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
不安げな笑顔して何が、大丈夫、だ。
お前は本当に心配してるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、大丈夫だよって言いたいだけちゃうんかと。
入院直前だってのに一緒に寝てお前が俺を腕枕して頭抱きかかえて、大丈夫だからねって何者ですか。
俺の頭が良くなりますようにって俺が眠るまで唱え続けるのは美容のためにも良くないから止めろっての。
死んだら許さないとか言って死んだ人間をどう許さないんだっての。
もし死んだらお前は若いんだからさっさと俺を忘れて他の男と幸せになれなんて、俺も言ったりして格好をつけてみたりしちゃうだろうが。
大丈夫大丈夫って何千回も言わずさっさと次のことを心配しろって。
心配性な俺から言わせてもらえば今、小心者での最新流行はやっぱり、不安を押し殺して問題ない、これだね。
碇ゲンドウ風に問題ない。これが通の頼み方。
頭をちょっと開いて中の影取り出す、だけ。問題ない。これ。
で、それにやってみたかったスキンヘッド。これ最強。
しかしスキンヘッドにすると俺の頭の形の悪さがバレるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前ら健康人は、健康診断の体脂肪率結果に慄いてビリーズブートキャンプでも入隊してなさいってこった。
450 :
癒されたい名無しさん:2007/09/30(日) 13:17:25 ID:NewG9WeR
↑を書いた人この後亡くなりました(´・ω・`)
451 :
癒されたい名無しさん:2007/10/14(日) 00:51:09 ID:36a6bBLz
452 :
金無し侍:2007/10/14(日) 21:53:36 ID:TlEoljW7
泣ける話かは分からないけど思い出の地、横須賀に来てるんで書き込みます。
俺が海自に入隊した年、母方の祖父が入院した。
正直母方の祖父とは仲の悪かった俺はそれまでたいした会話も無く気にもしていなかった。
入隊してすぐの休暇、ちょっとした気紛れで見舞いに行くと堅肥りで大男だった祖父は信じられないくらい痩せ、息をする度喉から厭な音をたてていた。
制服姿で病室に現われた俺に祖父は
「お前にもとうとう赤紙が来たかw」
と笑った。
俺が横須賀の教育隊にいることを聞いた祖父は
「横須賀の海は綺麗だぞ。曹(下士官)になるのは厳しいぞ。三十人に一人だ。三八騎銃(戦時中のライフル)は重いぞ」
とさらに時代錯誤なアドバイスをくれた。
453 :
金無し侍:2007/10/14(日) 22:08:08 ID:TlEoljW7
続き
結局この見舞いが最後、まともに話した記憶も最初で最後のものとなった。
時代錯誤な話の内容に母や祖母は
ボケていたんだ
と言うがそんなことは断じて無いと思う。
確かに横須賀の海は汚かったし言ってることは時代錯誤だったが祖父の言葉、話ぶりは俺の最も好む台詞まわし、冗談のセンス、
母や祖母には分からないけど俺のセンス、史実や事実と一致していた。
すいません今日はこのへんで
酒が廻ってヤバいんで・・
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そんな泣けるか分からんが。
消防低学歴受験生の俺が先週ぐらいに個別の塾で2科の模試受けたんだ。
で、今日結果が返ってきたわけだ。
算数のほう見て死んだと思った。100点満で16点ww明日算数の講師に殺されるなと。
でも合格圏に入ってたんだ。国語が良すぎた。俺は元からバカでその学校の必要な偏差値が45ぐらいなんだ。
算数のほうが38。入れないと思った。
でもな。ヲタ歴2年半の俺も流れには乗る人でエロゲにも手を出し始めてたんだ。でも買うのはできない。
だから俺はエロゲの小説を買ってみたんだ。でもバカの俺には読むのに2週間かかった。
姉はこれを2日で読んだ。そこで俺も2日で読んでみたいと思ってみてまずは色んな本に手を出してみることにした。
で、アニメのラノベとかがすごい読みやすくて(富士見ファンタジアとか)いつの間にかほとんど1日2日でよめるようになってて
それでこの間またエロゲのノベライズ買って読んでみたら昼ごろから読み始めたんだが、その日の12時前には読み終わってた。
そんな感じで本読みまくってたら読解力がいつの間にかついててな。
国語の点数が77。受けた人の平均が55点だ。
それで俺は合格圏にはいってた。
ありがとうな。俺を2年半前に取り込んだ萌え。
感動した!!
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458 :
癒されたい名無しさん:2007/10/18(木) 23:30:38 ID:ys0Enle/
首吊りのAA貼ってる奴って何なの?
面白いと思ってるの?馬鹿なの?
ねぇ馬鹿なの?
459 :
癒されたい名無しさん:2007/10/20(土) 02:36:49 ID:b2mrcykB
>>457 もっとマシな人生送れば?
いつもそんなんだろ?
もういい加減卒業しろよ
460 :
娘へ:2007/10/22(月) 10:58:11 ID:8lIKjzhH
旦那と離婚調停中
2才の娘に「もみちゃんの家族は誰がいるの?」と聞くと
「えーっとねぇー、ママとー、バーバとー、もみたん!」
私「他は?」
「おしまい♪」
あれだけ娘を可愛がっていたパパは出てこなかった。
この子の家族は私だけなんだ。
すぐに怒ってごめんね。
忙しいからってたくさん遊んであげなくてごめんね。
すぐにダメ!って言ってごめんね。
ごはん美味しくなくてごめんね。
お休みの日にはペンギンさん見に行こうね。
まんこ
462 :
癒されたい名無しさん:2007/10/23(火) 00:10:09 ID:oGMTdTh/
釣りだと思うならそれでもいい、ちょっと聞いてくれ、今日、彼女
と別れた、原因は彼女の病気、癌だった・・・
最初に聞いたとき、俺は、冗談だと思った。
つい昨日まで普通に遊んで、しゃべって、飯食って、笑ってたのに、
俺は「すぐ直るんだろ」って聞いた。そしたら彼女が黙って首をふった。
「あと半年だって」って言った。
そして俺の前で初めて泣いた。
付き合って2年俺より4つ年上の彼女は、俺には決っして涙を見せなかった。
俺は甘えるだけだった
もっと甘えてほしかった
もっと悩みを聞かせてほしかった・・・
「それなら半年間思い出沢山作ろう」そう言ったおれに、
「ううん、たっくんと過ごした2年間、は夢のようだったすごく楽しい
毎日だった、でもやっと諦めがついたもうどんなに頑張っても
半年の命なんだって今まで十分幸せだったって・・・
でもこれ以上、いっしょにいたらもっといっしょにいたいと思うように
なるそのまま死んだら悲しすぎるだから、たっくんの事はいい思い出
としてとっておきたい、だからもう会うのはこれっきりにしよう」。
結局、彼女は、最後まで俺に甘えてくれなかった。
俺は彼女の事を、一生忘れない。
下手な文ですいませんでした。
┐(´ー`)┌
>>460 子供にそんなこと聞くなよ。父親がいなくなるんだよ。一番辛いのは子供なのに。
しかも怒ってばかりって…
あなたみたいな母親に引き取られる娘さん可哀想。
父親に親権渡したら?
━━━┓
|| . ┃
●) ┃ ワーワー
/┃ ┃
ヽ_○ノ ヽ_○ノ ┃ ┃ ヽ_○ノ ヽ_○ノ
|| || . 人 ┃ || ||
|| || ┃ || ||
人 . 人 . . ━━━━┻━━ 人 . 人
466 :
癒されたい名無しさん:2007/11/01(木) 22:33:17 ID:1kv4s2vF
今でこそ丸くなったが、俺のオヤジは厳しい人だった。
自営業をしてたので一緒に遊びに行った記憶はあまりない。
家の前でキャッチボールしてもらったぐらいかな。
高校のとき、万引きしてつかまった。
オヤジが迎えにきて、家に連れてかれた。
母親は泣いてた。
オヤジにボコボコにされると思ったけど、
オヤジは俺に何も言わなかった。
正直、見捨てられたと思った。
それから何年かして、オヤジは手術を受けた。
手術後、母親、姉貴、兄貴、そして俺はCPU室に入った。
酸素マスクをしてベッドで苦しそうにしてるオヤジ。
なにも言わずに俺の手だけを握ってきた。
そこからこれまでの全てが伝わってきたよ。
俺は見捨てられてなかった。
逆にいちばん心配されてたんだな。
いま俺は日本を離れ遠くの国で働いてる。
たまにオヤジと笑って長電話したりすることもある。
俺をここまで育ててくれてありがとう。
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468 :
癒されたい名無しさん:2007/11/03(土) 15:44:59 ID:D+4fIxLW
469 :
どっかの名無ししゃん:2007/11/03(土) 17:34:02 ID:J2V4aXvI
私は親がいない。小さい頃祖母の全財産を奪いどっかいってしまった。
それで私は自傷行為をして髪の毛を抜いていた。
それでいじめをうけ、今半不登校中。
私はそれいらい、人間が怖い。信じられない
怖くていつも自分がイヤだった
ある時死にたくて薬をたくさん飲んだり
飛び降りした
でも死ねなかった
気がつけば
病院
看護婦さんが起きた!と私に言った。
私はもう一回寝る
なんであんなうれしそうな顔するの?
私は死ねっていろんな人にいわれてきた
親にも
近所の人にも
学校のみんなにも
なんで?
私は始めてのやさしさに泣いた
でも素直になれない
いわゆるツンデれ
よかった生きててくれて・・・
そう看護婦さんがいった
私はそれで漫画のように泣いた
凄く涙があふれた
今まで死ねしかいわれなかった私が
生きててよかったといわれる人に出会ったから
470 :
どっかの名無ししゃん:2007/11/03(土) 17:35:38 ID:J2V4aXvI
まあ・・泣けないか・・
これ話すと長くなるからな
471 :
癒されたい名無しさん:2007/11/05(月) 20:42:42 ID:32HXi3sv
472 :
癒されたい名無しさん:2007/11/07(水) 00:50:46 ID:Wy4ajIhT
太平洋戦争中に坂井三郎という名戦闘機乗りがいた。
坂井はジャワ島付近で発見した敵偵察機を攻撃するために味方編隊から離れた。
するとオランダ軍の大型輸送機に遭遇。
当該エリアで飛行する飛行機は軍民武装を問わずに撃墜命令が出ていた。容易く撃墜する事は可能だった。
坂井はこの機に敵の重要人物が乗っているのではないかと考え、生け捕りにしようと味方基地へ誘導するために輸送機の横に並んだ。
この時、坂井は輸送機の窓に震え慄く母娘と思われる乗客たちが見えることに気づいた。
これを見て「逃がそう」と思った坂井は手を振ってその場を離れ、帰投後上官には「雲中に見失う」と報告した。
終戦50年程経った頃当時機内から坂井機を見ていたオランダ人の元従軍看護婦が、「あのパイロットに会いたい」と赤十字等の団体を通じて照会したところ、
当該パイロットが有名な坂井三郎であることを知り、非常に驚いたようである。2人は再会し、互いの無事を喜び合った。
473 :
癒されたい名無しさん:2007/11/11(日) 05:08:44 ID:OuH7sD/1
体育祭の後カーチャンと焼肉食べに行ったら
クラスのやつらみんないた
474 :
癒されたい名無しさん:2007/11/18(日) 06:30:07 ID:V8ksmLbG
age
うちは昔凄い貧乏で6畳一間の裸電球の部屋でかあさんと二人で住んでた
化粧品も買うお金もないからマッチの燃えカスの灰で眉を書いてた
だから社会に出て最初に貰った給料で眉書き買ってあげたら声をあげて泣いてくれた
そんなかあさんも昨年癌で亡くなってしまった
近頃急に寒くなって何故かこんな思い出を思い出した
476 :
癒されたい名無しさん:2007/11/18(日) 14:36:51 ID:l58yiHQk
俺は小学校の時に母親を亡くして、父子家庭に育ったんだが
そのこともあって中学から
暴走族の真似事みたいなこともしたりグレていった。
高校は一応入学したがすぐに辞めて仲間たちと遊びまくってたある日。
エロ本目当てで親父の机あさってたら大事そうにしまってある1本のビデオテープ
を見つけた。きたーー(・∀・)−− と思いさっそくそれを拝借した。
ビデオには若い親父と母親、そしてその中央に
すやすやと眠ってる赤ん坊の俺が写っていた。
「○○くん(俺の名前)、二十歳の誕生日おめでとう!二十年前のあなたは
こんなに可愛いんだよ〜w生まれてきてくれてありがとう!^^」
懐かしい声で母親が言った。
人生でこれ以上泣くことはないというくらい泣いた。声に出して号泣した。
それから俺はすぐに髪を黒く戻し仲間との交流も避け、一生懸命勉強した。
大検をとって、同期より1年遅く早慶に受かった。
そのとき親父はまるで息子が東大にでも受かったように泣きながら
親戚知人に電話しまくってた。
そして二十歳の誕生日、親父は案の定あのビデオを俺に見せてきた。
また号泣した。親父も泣いていた。
それから8年、いっぱしに就職して結婚して子供ができた。
ビデオカメラの前で俺たちは言う。
「うまれてきてくれてありがとう!」
>>476 よく聞く話だけど、ホントいい話だよね。
478 :
癒されたい名無しさん:2007/11/19(月) 01:00:20 ID:2fc6y3bo
小学の卒業式に皆で、『成人式終わったら絶対同窓会やろうぜ!!』と約束してた俺等。
学年でも人気のある一人のやつが『おお!!皆で笑いながら、お酒でも飲もうな!』
と言った。
そいつは親の職業を継ぐため、私立の学校に行ってしまった。
そいつの事なんか忘れて皆、中学でやんちゃして、高校いったやつもいるし、いかないで働いた奴もいた。
そして、20歳の成人式。
小学校の時代がよみがえったかのように、同じ小学校だった奴が全員そろった。
私立に行ったそいつも当然来ていた。
そして、成人式が無事に終えて、皆で食事に行こうかとなった。
でも、そいつは『俺やる事が残っててさあ〜今日は行けそうにないわ、ごめん!!』と言った。
俺等は『ああ〜気にすんなよ〜またやればいいしな!』
と、またやるわけもない同窓会の約束をもう一回した。
そして、3週間が経っただろうか。
友人からある電話がきた。
『○○死んだって。』
一瞬、俺は止まった。
気付けば電話が落ちていた。何故か涙も。。。
なんで、あいつがなんで・・・。
あんなにお調子者で人気者で元気だったあいつが。。。
小学からずっと仲が良かったメンバーが最後に話していたんだって。
『俺の為にもう一回、同窓会やってくれよ!絶対、元気になるからよ!』
なんて話してたら病状が急変して、苦しみながら逝ったらしい。
なんでも、詳しく聞くと いっぱいくるとうるさいし、皆に心配かけたくないから入院してる事は言わないでくれ って言ってたんだって。
全員が号泣の状態の葬儀も終わり、なんだかんだで2ヶ月経って皆でそいつの同窓会を開いた。
同窓会なのに、嬉し涙ではなく、悲し涙が出ている同窓会はなんだか不思議だった。
最後にあいつの笑顔とお調子ぶりを見たかったな〜と言いながら、皆で泣きながら酒を飲んでいた。
あいつを思い出すかのように。
ひょこっと元気な姿で、戻ってくるかなあと思いながら。
だが何年、何十年経った今も彼は戻ってこない。
あたりまえだけどね。
その年から、彼の命日に同窓会を開いている。
今は皆笑いながらお酒をのんでるよ。
479 :
癒されたい名無しさん:2007/11/19(月) 04:07:44 ID:wd0tJGQ4
なるほど
480 :
癒されたい名無しさん:2007/11/19(月) 04:32:16 ID:00C9K9fh
>>478 どうでもいいんだけど
軽い語り口調な上文面がみづらい
481 :
癒されたい名無しさん:2007/11/19(月) 06:43:46 ID:k4Xlw+4D
なにをいまさら
483 :
癒されたい名無しさん:2007/11/21(水) 08:42:42 ID:buT+zxud
安 口が歪んでいて気持ち悪い
484 :
癒されたい名無しさん:2007/11/21(水) 10:40:52 ID:qSGm3l4x
@ある日俺の彼女が知らない男と吉野家入る所を目撃!
バレないよう外から観察。
あいつ俺の前ではいつも特盛り卵付きしか喰わないくせにカワイコぶって並をつまむように喰ってやがる。
485 :
癒されたい名無しさん:2007/11/21(水) 10:42:36 ID:qSGm3l4x
A出てくる時「吉野家って一度来てみたかったの。おいしいね」だと。ハァ?!牛丼食える時間狙って来てるのバレバレだコラ!
今からホテルへお持ち帰りされる気マンマンですか!?w w w下のマンマンはつゆだく特盛りですか!ホテル二名様入られまーす!お好きな部屋へどーぞ!ごゆっくりお召し上がり下さいwww
雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう
486 :
癒されたい名無しさん:2007/11/22(木) 21:46:23 ID:pY3MgEoc
ウサギが先日死にました。
まだ俺は大学生で当時の彼女と同棲を始めたばかりの頃・・・
折半で無理して借りた、広めのマンションに彼女のワガママに付き合う形で
やってきた小さな黒ウサギがやってきました。
名前はメカブでした。
彼女は当初の俺の想像以上にメカブを大事に可愛がり、
最初は反対してた俺もいつからか、自然にその生活に溶け込むようになっていました。
数年後、俺は大学を卒業し、社会に出て
お互いの距離や価値観はよくきく話のように、ズレはじめました。
昔のような楽しい時間ばかりじゃなくなっていたし、喧嘩も上手くできないような空気・・・。
そんな時でもいつも俺達の真ん中で、何も言わずに目を丸くしてたメカブを今でも覚えています。
彼女がマンションを出て行くことになり、メカブは俺が引き取りました。
メカブはあの時、自分が置いて行かれると知っていたのかなってたまに考えます。
本能的に、淋しい気持ちを感じていたんだろうか?とか・・・
俺はメカブの世話を不慣れだったけど、一生懸命やりました。
メカブが居てくれたから俺の恋の終わりのショックも少なかったと思っています。
メカブは今年、2007年秋中頃、風邪を引いてしまった。原因は低気圧による温度の変化。
俺はメカブの体調の悪さに少しだけ気がついていたのだが、大丈夫だろうと安易に考えて仕事を優先させてしまった。
出張先から、メカブの死を電話越しに友人から聞きました。
すぐには家に帰れない状況・・・。悔しかった。メカブの悪い噂を自分の目で確かめるまでに2日もかかってしまいました。
メカブの死を、元彼女に電話で伝えた。
元彼女は別れた後、別の恋人が出来ていたが、友人として顔をあわす事は何度かあって、
メカブに会いに、俺のマンションに来ることは特別な事じゃないはずだった。
メカブの姿を見て、元彼女はすごく泣いていた。
結局別れて、出て行った日からメカブと彼女は会うことは無く、辛い再会になってしまいました。
何度もメカブに『ごめんね、ごめんね』って泣いていました。
俺もそれを見て一緒になって何度も泣いていました。
一緒に住んでいた頃の思い出も次々によみがえって、
久しぶりに楽しかった頃の3人の空気が流れている気がした。
戻らないはずの時間が、メカブが死んでしまった事で少しだけ戻ってきた気がしました。
涙はずっと止まりませんでした。
メカブを死なせてしまったのは俺のせいだ。
なのにメカブは静かに黙って俺達を見てくれていました。
後悔はきっとずっと消えないし、俺達もまた忙しく、別々の生活に戻っていきました。
本当にごめんねメカブ
そして一緒に生活してくれてありがとう。
487 :
癒されたい名無しさん:2007/11/27(火) 22:41:29 ID:AEdLdMt4
タバコの煙がしみて泣けてきた
まんこ
489 :
癒されたい名無しさん:2007/11/29(木) 21:35:19 ID:lizh0/AZ
俺の飼っていた、犬のポチ
野良犬だったのを連れて帰って家族の仲間入り。
ぶっさいくでデブ犬だったが、良く自転車や車でドライブしたな
温和な犬だったので犬小屋に野良猫が入ってきて一緒に飯食ったり
寝てたなぁ〜
お前達の事は忘れないよ、お前達が天国に行ってから10年経つけど
お前達の仲良くしてる写真、今も部屋に飾ってるよ
高校に入って初めて出来た友達がNだった。
その後すぐKとも仲良くなり一年生の始めのころは3人でよく遊んでた。
3人はいつも一緒だった。
しかし月日が過ぎるとそれぞれ別の友達ができ、また俺はバイトを始めてて気付けば3人はバラバラになってた。
2年生になり奇跡的に3人は同じクラスになったのだが、KはともかくNとはまったく遊ばなくなっていた。
そんなある日、Kの提案で3人で修学旅行に必要な物を買いに行くことになった。
その時は思い出話に花が咲きとても楽しかった。
しかし修学旅行中、ひょんなことでNと口論になってしまいそれ以来、口も聞かなくなってしまった。
そして俺には彼女ができ、3人の距離はますます遠ざかってゆく。
今でもKはたまに3人で遊びたいと言ってくるが、もはやスケジュール的にも関係的にも無理だと思う。
N、あの時は言い過ぎた。スマン。
K、俺とNがこうなってしまったせいで3人で遊べなくなってしまってスマン。
今でも俺からしたら2人は特別なんだが2人はそうは思ってないのかな?
1人で部屋に居る時、昔の事を思い出すとつい涙が出てしまう。
長文でスマン。俺の気持ちを少しでもわかってくれ
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
492 :
癒されたい名無しさん:2007/11/30(金) 07:26:22 ID:8FZ2zMgC
>>489 気持ちいいほど山葵がしみて泣けました。
>>489 新しい犬飼ってもその気持ち忘れないでね
494 :
癒されたい名無しさん:2007/12/01(土) 10:42:53 ID:X/DnCcPY
みんなから見ればショボイけど見てくれ
マジの話で今日の朝、家の愛鳥が死んでいた。
家の愛鳥はセキセイインコの青い奴
7年前に買った。
最初はペットショップの都合か、一部羽が無く羽ばたくたいても飛べなかった。
うちの家族は羽が生えるまで待とうって言ってたけど、オレは鳥なのに飛べないのは何か不満だった。
少しでも高く落ちても安全な場所に立たせてやれば、高いところに行く習性があるインコは少し幸せに なると思った。
そして思いついたのが【肩】よくテレビでもよくあることだった
そして無理矢理自分の肩に乗せてやったらだんだん機嫌がよくなり以降オレの肩が気に入ったらしくカゴでるときは必ず肩
そして2年くらい経つと性格が分かってきた
とてもワガママで挑戦的である
それがなかなか憎めなくかわいい
そして5年ほど経つともうインコとはもう親友になっていて家族の中でも一番なついてくれた。
そして今年の春頃から様子がおかしい。
太股らへんにウズラの卵サイズの腫瘍ができている
生活には支障はまだでていないが、
昨日、
突然その腫瘍を噛み始めた
血がでた。
次に続く。
495 :
癒されたい名無しさん:2007/12/01(土) 11:08:04 ID:X/DnCcPY
>>494 医者に連れていくとどうも治療はできないらしい。
しかたなく医師に指示されたとうりに止まり木を下げ動物用のヒーターを買ってやった。
その夜、腫瘍をかじることはなくなり、小康状態を保っている。
ヒーターに寄ってとても幸せそうに寝ていた。
その日てかついさっき夢で俺の肩に乗っている夢をみた、幸せだった
朝、突然俺は母に起こされた、
死んでいたそうだ
とっさに布団をかぶり無音で泣いた。
涙が止まらない、思い出が一気に蘇る。
現実逃避して二度寝した
また夢を見た
生き返っていた
すぐ目を覚まし落ち込んだ。
起きて亡骸を見るとあのヒーターの時と同じ顔で死んでいた。
最近、調子が悪かった糞が、たぶん最後の糞と思われるものが正常だった。
腫瘍も昨日と同じでだった。
幸せそうな顔をしていた。
悲しい。
こいつは自分で死を選び、苦しまず、逝った。
最後までワガママな奴だ。
こいつは鑑賞用に改良された品種だ。
最後まで美しく逝ってくれた。
俺はこいつの幸せそうな顔を見てもう名残惜しくない。
天国に逝ったのであろう
こいつはただのインコだが、皆を幸せにしてくれた。
ありがとう。
俺は幸せ
あの世で頑張れよ。
続く
496 :
癒されたい名無しさん:2007/12/01(土) 11:15:23 ID:X/DnCcPY
>>495 まだあいつには感謝したい
決していい環境じゃ無かったけど、最後までありがとう
いい人生だったか?
最後に、
バーイ!!!
そしてまた会おう!!!!
このスレに書き込ませてくれてありがとう
文才ないからたまに支離滅裂になってるけど
ありがとう
おれはこれからもインコの分も幸せに生きるから。
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( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
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∪∪
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まともな文章書ける人に普通に書いてもらったら、きっと少しは泣けた
499 :
489:2007/12/01(土) 17:48:37 ID:nMPGNOu/
>>493 ありがとうございます。まだ職場と家とあわせて3匹飼ってます。
大事にして仲良くしていきたいです。
野良犬ちゃんは、病気になりやすくて病院とか大変だけど最後まで
責任持って仲良く顔を舐めあいますペロペロ♪
>>496 やさしいなぁ〜インコの分までがんばってね♪
500 :
癒されたい名無しさん:2007/12/13(木) 22:04:59 ID:L+CpGVL+
502 :
癒されたい名無しさん:2007/12/14(金) 14:12:35 ID:GbY2nQO7
泣けるかは分かりません、ただ私は泣きました、泣いてます。
私の両親は、いわば駆け落ち婚というものでした。
数年間の説得も上手くいかず、結果的に父は母を連れて飛び出していったのです。
しばらくの間は二人でお金を溜めて暮らそうと言ってる最中にできたのが私でした。
予定外の妊娠でも父と母は喜んで、第一子である私を育ててくれたのです。
私の誕生をきっかけにギクシャクしていた両家の祖父母とも仲直りをし、正月や
夏休みには顔を出すくらいにまで関係は回復していました。
そして次々と生まれる妹と弟、一人だけ流産してしまったものの、我が家は子供四人、
大人二人の六人家族として暮らしていました。
普通の家族です。喧嘩もすれば、一緒にはしゃいだりもする、極普通の家族です。
それが少し崩れてしまったのは、私が思春期に入り、そして同時反抗期やいじめなど
を経て、精神を病んでしまってからだと思います。
二度に渡る自殺未遂も、頻繁に起きるリストカットや突然の暴走を目の当たりにしても、
父も母も妹や弟たちも私を見捨てることはなく、毎日を過ごしていきました。
精神を病んでから八年、私は成人式を迎えました。
両家の祖父母も、父も母も、綺麗に育ってくれたと喜んでくれ、私自身も大喜びでした。
本当に幸せだったんです。
私が大学を中退しても、アルバイトで生計を立てていても、父も母も、家族全員で生きてきたんです。
今年は私の収入が思いのほか良いので、母の誕生日に何かを買おうと思っていたのに……
今日、母が亡くなりました。
甘えん坊な私になんだかんだ付き合ってくれた母は、もういません。
少し子供なところがある父を支えていたこの力強い母は、もういません。
専業主婦で、帰宅するといつでも「おかえり」と迎えてくれて、
出勤するときに「いってらっしゃい」と言ってくれる母は、もういません。
46歳の若さでこの世を去ってしまいました。
まだ、下の子たちの成人式だってあったのに。
結婚式だって、孫だって、まだまだ見せたいものはあったのに。
母は、もう、いません。
私は甘えん坊です。
泣きました、これからもきっと泣きます。
そして、この悲しみを文句として母に向けるのかもしれません。
毎日、毎日、仏壇に向かって文句を言います。
線香もって、母さんの好きな花を持って、毎日毎日、呆れるくらい文句を言います。
そして、ひとしきり文句を言ったら言ってやるんです。
「大好きだよ」って。
臭い話ですけれど、今さっき、そしてこれからの話です。
それでは、長文失礼しました。
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( / ⌒ヽ
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∪∪
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旦那が浮気してでていっちゃった…
7ヶ月の娘と二人きり…
チュプな私…
どうしたらいいんだろ
505 :
癒されたい名無しさん:2007/12/18(火) 23:29:15 ID:b+n5+C1j
首吊りの絵ってなんなの?
泣ける話として感動したという意味ですか?
>>504 まず警察に捜索願いをだしてみたら?
その旦那には養育費を払う義務がある。
一度無料の法律相談所に行ってみるのもいいかも。
相手を見つけ出したら内容証明送って離婚裁判すればと思いますが
507 :
癒されたい名無しさん:2007/12/20(木) 02:55:00 ID:pgH8hYjc
720 おさかなくわえた名無しさん sage 2007/12/20(木) 14:53:13 ID:PaMInY1r
片道9キロの通学路(山あり谷あり、途中3km程は獣道)を小中9年間往復してた私。
低学年の頃は学校に着くまで2時間以上掛かってたが、中学にあがる頃には片道1時間弱で行き帰り出来るようになった。
最後の2年間は一緒に通う上級生がいなくなってしまい、女子1人での通学は危険ということで、飼い犬の佐助(大型の雑種犬)と一緒の通学が認められた。
佐助は学校に着くと職員室の南側につながれて、授業が終わるの静かに待つ賢い犬だった。
雨の日や冬の寒い日には職員室に入れてもらい、ボロ毛布の上で丸まって寝ていた。
授業が終わって佐助のところに行くと千切れんばかりに尻尾を振って私にしな垂れ掛かり、嫌というほど顔を舐めてくる。
佐助は行きも帰りも道先案内人のように、私の5メートルほど先を着かず離れず歩いた。
時折振り返り「ちゃんと付いて来てるかい?」と言いたげな目で私を見て、また黙々と歩く。
私が小学4年のとき家に来た秋田犬とシェパードの雑種。
佐助は、中学生になっても小柄で泣き虫のひ弱な私を「俺が守ってやらなきゃあかんべな」と思っていたに違いない。
高校進学で山奥の実家を離れ、県庁所在地で下宿生活。夏休みと正月に帰ると大喜びで迎えてくれた。
休みを終え下宿へ戻ると、私を探してキュンキュン泣いて4,5日は餌を食べなかったらしい。
その後、大学へ進学し都会へ就職。実家へ帰るのは正月だけになってしまったが、1年逢わなくても私を忘れず熱烈に歓迎してくれた佐助。
職場で知り合った人を連れ実家に結婚の挨拶に行ったのが私26の5月。
日がな1日寝ていることの多くなった15歳の佐助は老いていたが、私を見つけると起き上がり甘えた声を出して体を預けてきた。
後に夫となる彼を「お姉ちゃんの旦那さんになる人だよ。よろしくね、佐助」と紹介すると彼の顔を見て一声「ワン」と吠えた。
それから3日後、佐助が死んだと電話があった。佐助は実家の柿の木の下に眠っている。
509 :
癒されたい名無しさん:2007/12/22(土) 14:06:38 ID:w4C/RNpj
510 :
河北新報読者:2007/12/30(日) 11:34:23 ID:mFhAftt5
12月30日 朝刊12面「ティータイム」より抜粋、「M−1グランプリ」
クリスマス前日、すごいプレゼントが来た。まさかと思ったが、甥(おい)が
若手漫才日本一を競う「M−1グランプリ」で優勝したのだ。
「また準決勝で駄目だった」と毎年、がっかりしていた。小さい事務所だから力がないのか。
でも、東京に出て9年目。そろそろ“芽”が出てもいいころだった。
仙台で漫才をするときは、友達や相方のお母さんなどオバサンたちで追っ掛けをやっていた。
こんなにおもしろいのに、何でお笑い界では認めてくれないのだろうか。この正月も、
仕事がないみたいだから帰ってくるのかな?来たらお墓参りして、定義さんで油揚げを
食べよう。そんなことを考えていた。夏に一緒に定義に行ったときは、若い人から
「写真撮らせてください」と言われ、わたしと彼の母である妹はうれしくて涙ぐんでしまった。
知っている人は知っているんだ、良かった、良かった、と。
優勝の翌日、スポーツ各紙に「敗者復活から優勝へ!」の文字が躍っていた。
芸能ニュースでは、早速、仕事が15本も入ったと言っていた。やっと芸能人だね。
バイクをやめてタクシー移動になるとか。
前進、前進、 頑張れ!わたしの甥はお笑いの「サンドウィッチマン」。
これからも声援お願いします。
(仙台市青葉区・主婦 ※本名と年齢は新聞には掲載してありましたが省きます)
511 :
癒されたい名無しさん:2008/01/02(水) 05:35:10 ID:QltF6OMK
久しぶりに実家に帰っておばあちゃんに会った。
電車で2時間くらいのところに実家はあるんだけど
いろいろと揉め事の多い家だったので、それが嫌で家を出たのが15年前。
片手で足りるくらいしか帰省せず、しかも泊まるなんて事もしなかった。
だけど。今回お正月はどうしても帰って来いとの父からの連絡。
いつもは「何にも予定がなければ帰ってくればいい」ぐらいの言い方なのに。
変だなぁとは思ったけど、渋々。しかも大晦日に行くと言っておきながら
面倒くさくなってしまって元旦の夕方に帰った。
おばあちゃんが痴呆症だって事は電話で前から聞いていた。
でも、聞いた後におばあちゃん本人から携帯に電話があって
その時にはちゃんと話もかみあったし、繰り返しで話すこともないし
素人考えでそこまで症状が進んでるとは思ってなかった。
昨日実家に帰ったら父が「○○ちゃんが来たよ」って言ったら
「久しぶりだねぇ」って言ってくれたから(なぁんだ。そんなに深刻じゃないよw)
なんて思ってた。お年玉をあげたら、「まぁ〜!!」なんて言ってて
子供の時にたくさん貰ったんだからいいんだよ、お礼だよなんて言ったり。
お正月だから、明日は早起きしなくていいんだよなんて
他愛もない話をしてその日寝た。でも眠れなかった。モヤモヤして。
本当に今まで父から聞いていたボケがその日はわからなかったから
早起きして確かめようと思った。
長いんで分割
512の続き
朝5時wにガタガタ物音がしだしたので、リビングに行ってみた。
おばあちゃんが起きてリビングの隣の部屋で布団をたたもうとしてるので
「おはよう」と声をかけた。「おはようございます」と深々とお辞儀をしたのを見て
ちょっと違和感があった。
二人でコーヒーを飲みながら話をしてみた。
おばあちゃんのこどもの頃の話。
東京大空襲の話。
おばあちゃんがおじいちゃんと結婚した頃の話。
おばあちゃんのお父さんの話。
最近の父を含め自分の息子や娘の話。
おばあちゃん、楽しそうに話をしてたけど言ったんだ。
「正直者は損をする」って。
思った事をズバズバと昔から言うおばあちゃんではあったけど
それは敵を多く作るもとだってこの歳になって知ったって。
実際にデイサービスでもいろいろとあったらしい事は父から聞いていた。
「だから、初めて会った人にこんな風に楽しく思ってることおしゃべりできて
今日はすごく楽しい」って。
おばあちゃん。私の事、覚えてなかった。
その時に父が言ってたボケは本当なんだななんて実感した。
帰り際「また来るね」って言ったら「今日は本当に楽しかった」って言ってくれた。
あげたお年玉はお仏壇にちゃんと置いてあった。
お金をいつもどこかにしまいこんで
わかんなくなっちゃって困るって父は言ってたのに。
でもきっと今日会った事はおばあちゃんの記憶の中では
明日にはなくなってるんだろうなと。
1泊2日だったけどその様子を思い返したら帰りの電車の中で涙が出た。
周りに見えないように被ってた帽子をグッと深くした。
忘れられないようにもっとたくさん帰らなきゃって思った。
長文しかも
チラシの裏スマソ
514 :
癒されたい名無しさん:2008/01/07(月) 01:24:50 ID:sR2sm/C8
拙者が吉原のソープランドで体験したこと。
入店して待合室に通されると、オバサンが数人の客と話をしていた。
拙者は東スポを読みつつ聞き耳をたてていると、
全盲の息子が筆下ろしをしたいというので付き添いで来たらしい。
オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、
話し相手の客数人は「大丈夫」「心配しなくていいよ」となだめていた。
しばらくたって奥から白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。
皮靴はピカピカで結構いい服を着ている。
この日のために揃えてあげたのだろう。
母はソファから飛び出して姫と軽く会釈をしたあと、
「どうだった?いいこと出来た?」
と訊ね、青年は
「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」
と姫を指差した。
……が、指が別の方向を向いていたので、姫が素早く指した方向に移動。
母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら
「あんたよかったね〜!!」
と背中を何度もさすっていた。
客も拍手したり「よかったなぁ」と激励していて、
今まで無口だった893風の客まで立ち上がって青年の肩をポンポン叩きながら
「あんたも一人前の男になったぞ」
と祝福していた。
姫も感動して泣いていた。
実に素晴らしい光景。
涙腺の弱い拙者は東スポで顔を隠しながら泣いた
515 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:48:39 ID:qTwoZygY
俺が消防の頃の話
同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。
クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。
クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。
クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、
女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。
制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、
体操着なんかも所々破れたりしてんだ。
しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、
万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。
いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。
そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。
そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。
クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、
よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。
目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。
すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。
虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、
クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで
俺もそこまでは気にはしていなかった。
516 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:49:05 ID:qTwoZygY
そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん
は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ
た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。
ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら
しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。
そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。
当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。
そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。
仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。
急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、
場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。
でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。
そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。
程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・
「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季
の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同
沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って
手を上げたわけ。
普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」
つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。
クロベーの回答は以下のようなものだった・・・
「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が
集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。
517 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:49:31 ID:qTwoZygY
当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った
「いいぞ平一!!」てな。
そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、
ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。
笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは
何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。
俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。
けど、周りのやつらの反応は違ったね。
この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。
「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い
言葉を浴びせ掛けられたんだ。
腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、
虐めている連中を一喝した。
しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、
筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。
しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。
518 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:49:53 ID:qTwoZygY
そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。
ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと
騒ぎ出したんだ。
すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」
と騒ぎ立てやがったわけ。
移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、
それが疑われる要因になったってこと。
俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」
と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて
クロベーを尋問しやがった。
身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、
状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ
「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。
そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。
ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの
母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、
急いで職員室に様子を見に行ったんだ。
そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、
泣きながら叫んでるんだ。
「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。
噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。
汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」
などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。
この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、
クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。
519 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:50:17 ID:qTwoZygY
しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、
担任の先生から思わぬ報告があったんだ。
紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・
なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。
でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、
その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。
「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、
Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に
疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。
続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。
まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。
続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。
すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、
俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。
そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。
当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。
そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、
親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。
行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。
正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに
一人悔し泣きしたんだ。
520 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:50:44 ID:qTwoZygY
ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。
「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。
別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。
そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、
家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。
俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。
いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。
「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと
エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。
暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。
「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。
程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。
それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。
俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら
精一杯のもてなしだったことだろう。
腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。
カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが
入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。
だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。
そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。
「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」
そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。
俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。
Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。
一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・
クロベーだけは笑ってたな。
521 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 21:51:42 ID:qTwoZygY
そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。
そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。
俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ
「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」
そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。
その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。
それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、
3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。
だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。
今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。
あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。
俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。
親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。
長文、駄文失礼しました。おわり・・・
522 :
癒されたい名無しさん:2008/01/11(金) 23:24:10 ID:gJw+Bg3E
いいやつだなぁ。
感動したよ…
523 :
癒されたい名無しさん:2008/01/13(日) 17:36:16 ID:7OtikvFQ
素直に感動した!貴方も幸せになる人だ
||
∧||∧
( / ⌒ヽ
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∪ / ノ
| ||
∪∪
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-━━-
>>494 遅レスだけど、泣いた
すごく感動した
うちも小動物いるから。
幸せになってあげてね
526 :
癒されたい名無しさん:2008/01/14(月) 10:28:50 ID:ARf4H1T4
あ
527 :
癒されたい名無しさん:2008/01/14(月) 11:11:58 ID:nO4mb9d9
首つりAA貼ってる方へ
一年以上にもわたって貼つづけるその粘着気質に感服致します…m(_ _)m
528 :
癒されたい名無しさん:2008/01/15(火) 23:35:19 ID:HkjT/fKx
誰か 知的障害のある子を先生が居残りさせたりして勉強させ、卒業式にその子が皆のまえで御礼の文を読む コピペ持ってないでしょうか?
あったら貼り付けお願いします
529 :
癒されたい名無しさん:2008/01/18(金) 05:11:26 ID:HUU/AZys
530 :
癒されたい名無しさん:2008/01/19(土) 18:00:56 ID:LdjzghRL
>>528 小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
531 :
癒されたい名無しさん:2008/01/20(日) 10:02:14 ID:/MS8ptGG
532 :
癒されたい名無しさん:2008/01/21(月) 14:25:23 ID:CWzAPXKV
225 :名無しさん@毎日が日曜日:2007/09/30(日) 18:58:26 ID:JJVlpPF4
ヌッ殺したい程大嫌いな社員から要らないから帰れといわれたから
調理長に「○○(嫌いな社員の名前)さんが帰れといったので帰りますと」言って
タイムカード押して急いで帰ろうとしたら調理長に捕まって更衣室に閉じ込められた。
もちろんものすごい剣幕でガミガミとぼろ糞に叱られた。
俺はもう今日限りで辞めますといったけど辞めさせてくれなかった。
何があったのか詳細を書けといわれて紙と筆記用具を渡されて調理長は更衣室を
離れた。
急いで制服から私服に着替えて更衣室を出るとき誰も見ていないのを確認して
バックレに成功した。
226 :名無しさん@毎日が日曜日:2007/09/30(日) 19:17:44 ID:YaF+5pNg
よくやったな。
お前は漢だ
227 :名無しさん@毎日が日曜日:2007/09/30(日) 19:37:31 ID:JJVlpPF4
>>226 ありがとう。
20日分の給料は手渡しのバイト先だったけど振込みにしてもらうように連絡済。
533 :
癒されたい名無しさん:2008/01/21(月) 18:33:03 ID:5WoWtr/B
私は、5才の頃から両親がいなく、身内と言えば2才下の弟だけでした
弟は、重度の脳性麻で歩けるのですが一切話しができませんでした
私が12才になるまで、弟と同じ施設で暮し私も弟の面倒を見ていました
施設や学校で弟の障害の事や親がいない事で、毎日虐めにあい
私は、心を閉ざし中学生になって不良グループに入り何時の間にかに
喧嘩や窃盗や強盗と悪事を働く事がヘにも思わなくなってました
中学2年で少年院に入り17才まで、少年院にいました。
少年院を出て、街であても無くチンピラ生活をしている時です
あるヤクザの親分と知り合いになりそれからは、親分の所に行くようになりました。
親分は、私を大切にしてくれたのです。
私のそでまでの人生にわありませんでした
私は、今思うとささいな事でも服を一緒に買いに行ったり食事をしたり
が、嬉しくて 嬉しくてしかたがありませんでした
兄貴」組員達も私を文句言いながら可愛がってくれました
私が22才の頃に 親分が酒の席で揉めて殺されたのです
私はね悲しくて悲しくて 親分の仇打ちに行き
懲役10年でした 懲役7年目の夏に
身内以外か特別いがいわできない初めての面会がありました
その面会は、弟の死報でした
弟が亡くなる数日前にお兄ちゃんと涙を流し
生まれて初めて話したそうです
今 私は、弟が最後まで暮していた施設の仕事をしています
534 :
癒されたい名無しさん:2008/01/22(火) 00:11:15 ID:Ml0hFanx
泣けた
抜けた
536 :
癒されたい名無しさん:2008/01/25(金) 00:14:12 ID:SUjgerBf
私の生涯忘れられない思い出話
私は、中学生の頃から、付合ってわ別れまた付き合うのくりかいしで
そのうち18才になり彼女と同棲するようになりました。
彼女の家は、父1人の家庭で私は、マスオさんです
親父さんは、酒飲みの良い親父で私は、血が繋がってないが
本当の親父見たいに文句を言ったり 好き放題にしていました。
そのうちに 彼女は、私の子供を授かり
親父さも出産予定日をカレンダーにつけて心待ちしてました。
それから数ケ月経ち赤ちゃんが生れ男の子です
名前は、雄太 私共は、雄太が可愛くて可愛くて
毎日 仕事から戻ると雄太の元へ飛んで行くのです
それから2年が過ぎ雄太は、ヨチヨチ歩きが出来るようになりました
女房は、何時ものように公園に雄太を遊びに連れていき
奥さん中間と話しь桙ノ起こりました 雄太が転んでジャングルジムの
基礎に頭をぶつけ 何日も意識が無いまま亡くなりました。
悲しくて 悲しくてただしたすら女房と泣く毎日でした
私も仕事に復帰し悲しいが、頑張る事にしました。
ある日10年前の今日です女房が死んだ
公園の横の歩道橋から身を投げました
親父さんまた自分を忘れる位に2人で酔いつぶれましょ・・・
日本語で構わない
>486
私も前にウサギを飼っていて思い出して泣きました。
小学生の頃、ボロくて狭いアパートに家族4人で住んでいたんだけど、両親の仲が悪くて毎日激しく喧嘩している状態でした。
でも、部屋が狭く2部屋しかないのでいつも目の前で親の喧嘩を見ているしかなく辛い毎日でした。
喧嘩が始まると、よくウサギをかかえて隣の部屋に避難していました。
あの頃は母親が私によくやつあたりもしてきたし、低学年だった私は本当に辛かった。
でもウサギのおかげで我慢できた。
本当にありがとう。
539 :
癒されたい名無しさん:2008/01/27(日) 01:30:31 ID:cZM/49DV
先日まで原因不明の精神病(?)にかかってしまったときの体験談です。長々しいですが、なんとか見てください。
その精神病の症状としては、何か大きな悩み事があるわけでもないのに、突然全ての物事に対するやる気、気力がなくなる、何もしたくない状態になるというものです。
この病気に襲われてからの2日間を綴ったものです。
とんでもなく長いので1日目、2日目に分けて書き込みます。
540 :
癒されたい名無しさん:2008/01/27(日) 01:31:54 ID:cZM/49DV
1日目。
学校にいる途中から急激に症状が出始め、先生にも「何もやる気が沸きません…」と言って放置してもらうことに。
みんな「大丈夫か?」って声をかけてくれるけど、全てのことがめんどうな自分だったから、それに返答するのも結構めんどくさかった。何より、周りに心配や迷惑をかけてしまうことが嫌だった。だけどどうしようもなかった。
まずそこで泣きそうになった。だけど人前だから泣けなかった。涙を拭くのも面倒だったから、ひたすら我慢した。
4時間目、出席番号順で並んでいたので、終了後に前の席の女子に「誰か給食当番代理頼んで」と依頼した。普段は自分が面倒くさいと感じたら何もやらない、我の道を行く人だったのに、快く承諾してくれた。
早速、いろんな人に頼みに行ってくれた。その女子も給食当番で、牛乳を運んで配るときに、「早く元気出せよ」って牛乳を頬にくっつけてきた。
そこでまた泣きそうになった。真の優しさを見た瞬間だった。感謝の気持ちでいっぱいだった。
給食は食べれなかった。食べる気が起こらなかった。その後先生から「今日はもう帰り」と言われた。
保健室が空いていなかったので、職員室で待機になった。先生の会話を聞くと、向こうは完全に風邪か病気だと思い込んでいた。
違う、そんなんじゃない。
だけど、事情を説明するのもできなかった。衰弱した声じゃ聞こえるわけないだろうし、聞き返されるだろうから会話が長引くだろうと思った。そう考えると余計に会話する気が失せた。
分かってもらえないのと、それを説明できない悔しさでまた泣きそうになった。
家に帰って号泣した。たまった分だけ泣いた。だけど涙もふけないままだった。これ以上動こうと思わなかった。
オカンに前回と同じ症状だということを告げた。「どんなちっちゃいことでもええ。なんか悩みあるとしたら言ってみ」と言われた。頑張って見つかった悩みを打ち明けた。自分でもどっちかと言えば自分が悪いことだと分かっていた。オカンは思ってたとおりの言葉をくれた。
そしたらまた泣きそうになった。少し心がスッキリした。自分に言い聞かせても効果はなかったのに、人から言われると「自分ってアカンかったんやな」って思った。
やっとの思いで2階の自室に行った。そのままベッドに倒れこんだ。そしたらその日のことが全部よみがえってきて、また号泣した。
そのまま寝ていた。電気がついていたのが原因だったのか、3時間ごとに起きた。夜中の3時、電気を消した。その後は朝までぐっすりだった。結局その日は元気だった頃朝食を食べた以来何も口にしていなかった。
541 :
癒されたい名無しさん:2008/01/27(日) 01:35:12 ID:cZM/49DV
2日目。
オカンに起された。今の時期休むのは痛手になるから学校には行けと言われた。脱水症状になるからって、強制的にお茶を飲まされた。
だけど正直学校に行きたくなかった。みんなには会いたいけど、行っても何もできないし、逆に周りに心配とか迷惑かけるから行く気がなかった。
でも、学校には相談室というのがあって、出席の扱いにはなるけど、教室に行かずに過ごせる場所があった。そこに行くことにした。
オカンに車で送ってもらった。朝の会が始まっている時間だったから職員室には担任がいなかった。だけど、近くに数学の先生がいたから、オカンが事情を説明して相談室に行くことになった。
先生が顔を見たとき、「どうしたんや、昨日より悪なっとるぞ」って言ってくれた。相談室に入ったとき、何も干渉しようとせず、「今日は寒いでな、ストーブに当たってここに座っとけよ」とだけ言ってストーブをつけて出ていった。
先生が気を遣ってくれたことに泣きそうになった。数学の先生があんなにかっこよく見えたのは初めてだった。
その後担任がきた。「もう今日はボーッとしとっていいよ」と言ってくれた。後ろにカウンセリングの先生もいて、「今日はこの先生(カウンセリングの先生)がずっと図書室におる(いる)で、回復したら図書室行って遊んでもらい」と言われた。とりあえず頷いた。
そのまま独りになった。しばらく椅子の上で何もしなかった。ただ、時間が過ぎるのを待った。
1時間ぐらいしてから、「自分ひとりのためにストーブをつけておくのはもったいない」と思ってストーブを消した。それからまたしばらく時間が経って、ずっと座っていたから腰が痛くなってきた。近くに椅子が3つ連なっていたところがあったからその上で寝転がった。
かといって寝ることができなかった。寒さと空腹に襲われた。だけど寒さは自分が選んだことだから耐えた。
しばらくしたら数学の先生が来てくれた。昨日提出したワークを持ってきて、「これでもやるかと思った」って言った。ストーブを切ったことを説明したら、そのまま立ち去った。
空腹と寒さが限界に達した。全身に震えが襲い、手と足の色が紫色に変色していた。これはさすがにヤバイ、と思ってストーブをつけてまた椅子に戻った。
ストーブの暖かさが全て幸せとなった。いつの間にか少しの間だけ寝ていた。
起きると、だいぶ気分がスッキリした。多少の回復はした。といっても、まだボーッとしているし、気力もそんなにわかない。ただ、歩くスピード、力が少し回復していた。鞄も一人で持てるようになった。
声にはならない、空気だけの独り言も呟けるようになった。気付けば、その回復をするまでに呟いた言葉は「寒い」と「四日市(のおばあちゃんの家)に行きたい」の二つだけだった。
図書室に行こうと思ったけど、人前には出れなかったので休み時間が終わるまで待とうと思った。そしたら担任が来た。
多少の回復はしたこと、今から図書室に行こうと思っていたことを話した。「どうしてこうなったの?」と言われたが返答できなかった。自分でも分からなかったから。その通りに言った。「まぁ、体は正直なんやわ」と言われた。
そして、ストーブの電源を消してから行ってね、とだけ言われてまた独りになった。
542 :
癒されたい名無しさん:2008/01/27(日) 01:37:40 ID:cZM/49DV
丁度休み時間が終わる時間になった。気持ちとしてはもうちょっと待って、完全に人目から離れれるようになってからがよかったけど、またこのまま動かないとそのままやる気がなくなるだろうから行くことにした。
行く途中の道に職員室を横切らければならなかった。社会の先生の後ろ姿があった。けど、そのまま気付かれなかった。でもよかった。授業こそは出られなかったものの、姿を見ることができた。
その後、丁度理科の先生が出てきたタイミングと重なった。
先生は顔を見るなり、「おはよう。大丈夫?元気出して!」と声をかけてくれた。
たったこれだけの言葉だったけど、すごい感動した。また泣きそうになった。
階段を上ると、遠くから移動教室に向かうクラスが見えた。急いで相談室に戻った。そこでまた号泣した。
落ち着いてから再び図書室に向かった。
図書室には、部活の後輩がいた。前日からスキー研修があったけど、その日に風邪で欠席してしまったため今日は図書室で自習らしかった。
「先輩、どうしたんですか?」って言われたから全部の事情を話した。親しい人に会ったときの心の安らぎがあった。「先輩がそんなに元気ないの初めて見ました」って言われた。やっぱり人からみても明らかにおかしかった。
その後は先生たちと会話した。12時になったから後輩が帰った。カウンセリングの先生も出張らしいので帰った。
それから、本を読んだり、図書の先生の話を聞いたりした。何気ない世間話のようなものだった。
給食の時間が来た。図書の先生と一緒に相談室で給食を食べることにした。クラスの学級委員の女子が届けてきてくれた。「大丈夫か?」とは言わず、元気付けようと「いっぱい食べてよ、私もたんまり食べるで」と言ってくれた。
また泣きそうになった。気を遣ってくれたことが嬉しかった。
そのまま給食を食べた。まだ動作は遅かったし、久々の食事であまり胃が受け付けなかったので結局残してしまった。片付けは先生がしてくれた。
その後もずっと図書室にいることになった。給食後、移動していたら同じ班の男子とストーブ係の男子を見た。相手は気付かなかったけど、こっちとしては姿を見れただけでもメチャクチャ嬉しかった。
図書室に入ると、今日は先生の教科研究会みたいなもので特別日課だったのに、昼休みがあると思い込んできていた生徒がいた。そこでまた友達二人に会えた。
一人はもともと無口な人だったから何も言わなかったし、もう一人は「どうしたの?」って声をかけてくれたものの、「ちょっといろいろ…」って言っただけでそれ以上何も言わなかった。
皆が気を察してそれ以上干渉しないようにしてくれたことが嬉しかった。
その後は給食前と同じことをしていた。そしたらみんなの帰宅時間が来た。
下校時刻が少し過ぎて、担任が来て、もうほとんど人がいないという情報をくれたので、教室に行って予定書いてプリント持って帰った。
給食当番のエプロンはなぜか昨日予定届けてくれた友達が持って帰ったらしかった。家までの道のりにその人の家があったけど、そこを通り過ぎるとき、丁度出てきた。この日はその人の誕生日だった。「お前どうしたんや、大丈夫か?」って言ってくれた。
「ありがとう、何とか大丈夫。誕生日おめでと」と返事をした。
最後に泣きそうになった。少しだけどもう回復しているから涙もろいのもないだろうと思っていた。でも違っていた。誕生日という記念すべき日に、あんな軽いお祝いしかしてあげられなかった。ゴメン、それしか頭の中に残らなかった。
帰ってオカンに今日のことを報告した。担任からも電話報告がきていたらしかった。「お腹空いたやろ。何食べたい?」と言ってくれた。
「炊きたてご飯で作った塩おにぎりが食べたい。でもそれより早くお風呂に入りたい」と言った。じゃぁおばあちゃんの家行って風呂入ってき、と言われた。
お風呂に入ってスッキリした。でも、完全回復はしていなかったから、いつもに増してのぼせやすかった。途中でのぼせて意識が朦朧とした。でもこらえた。
家に帰ったら、オカンが「これ食べ」と言ってくれた。
温かい、塩おにぎりだった。
543 :
539〜542:2008/01/27(日) 02:07:45 ID:cZM/49DV
<補足>
540
『オカンに〜』の文中の「前回」というのは、数年前にも一度同じ症状があったときのことです。
541
『しばらくしたら、数学の〜』の文中の「昨日提出したワーク」は、元気だったときに提出したものです。
541
「鞄も一人で持てるようになった」は、それまで自力で鞄が持てないほど力がなかったからです。
541
『気付けば〜』の文中の「四日市(のおばあちゃんの家)」というのは、母の実家のことです。
542
『じゃぁおばあちゃんの家行って風呂入ってき』は、父の実家が風呂屋を経営しているため言われた言葉です。
自分は厨房です。
厨房のくせにこんな長々長々とした文書いてスイマセンorz
544 :
癒されたい名無しさん:2008/02/07(木) 12:43:49 ID:ebnbFK4W
5歳の年だったでしょうか、ある日「お父さん」が出来ました。それまで知らない土地で母以外の大人を初めて見ました。
喜んで懐く弟達とは逆で私は「お父さん」を受け入れられずそんな気持ちのまま高校生になりました。
所が、あんなに「おとうさん!!」と懐いていた下の弟。年頃になって反抗ばかり。
何かにつけて「あいつは本当の父親じゃないくせに…」と言うようになっていました。
そしてあの日、弟は言ってしまいました。
夕飯の最中。大した事ではないけれど揉めた「お父さん」と弟。
「本当の親父でもないくせにうるせえんだよ!!」
…。その時父は静に「ご飯が冷めるから食べなさい」
とだけ言って黙々と食事をしていました。
その後夕飯の後片付けをしていた時に母が急に
「あんた覚えてる?魚の骨。」
「え…??」
「やっぱり(笑)あんたと○○(上記の弟)は小さい時魚食べられなかったのよ。「お魚は骨あって嫌だ!」って泣いてたの。」
母に聞いたところその時父がすぐに泣いてた私のところに来て
「お魚の骨取ってあげるからご飯食べようね」って
連れて行ってくれたそうです。
大きい骨、小さい骨はピンセットで。。。
お魚の出る日は仕事から帰ってきて必ずピンセットを持って台所に行っていた。
何してるんだろうとは思っていたけれど…
その時によく父はこう言ってたそうです。
「俺はあの子達の本当のお父さんではない。
だからこんな魚の骨を取ったりそんな事くらいしか 出来ない。でもこれはすごく幸せなんだ。
子供達がこの魚を食べる姿が見られるんだから。」
聞いた後涙が止まりませんでした。
そのすぐ後弟は少年院に入りました。
後輩をかばって罪を全部背負って…。
卒院が決まったその時も父は真っ先に
「迎えに行こう。」と言いました。
私と弟は今でもお魚が大好きです。
でもお父さんはもっと大好きです。
自分は以前の仕事で全国の学校関係を回っていた。
毎年行く学校はその年の2年生の放送部が企画進行、
校内放送向けのインタビューなどを行うのが恒例だった。
学生だからたどたどしい段取りではあったが、ともかく生徒の直向さが伝わりいつも気持ちが良かった。
その年もいつものように放送部の一人の女の子が一生懸命頑張っていた。
悩んだり、困ったり、半泣きになったり、テンパッタりしながら何とか終了。
同時に満面の笑顔を僕らに向けていた。
「お疲れさま」「ありがとうございました」
「来年はゆっくり楽しめるね」「今の一年生の頑張りを応援します」
涙目だけど笑顔で手を振ってくれる彼女が小さくなるまで車から見ていた。
一年後、学校に行き毎年の行事を眺めていた僕はふと去年いた女の子がその場にいないことに気づいた
担当の先生に「あの去年の○○さんは今日はお休み?」
「・・・・実はあれからすぐ○○病にかかって、半年後に・・・」
僕は愕然とした。決して彼女に特別な思いがあったわけではない。
その純粋そうな笑顔の子があれから大変な目にあっていたことが
ごく平凡な人生を相変わらず送っていた自分から見て信じられなかった。
彼女は父子家庭で、苦しんでる自分の病室にずっとついてくれてるお父さんに
「もういいよ、お父さん、つかれたでしょ・・・ 」それが彼女の最後の言葉だった。
誰が10代の時に自分の命がすぐ終わる事を考えるだろうか。
彼女は未来だけを夢見ていた筈なのに・・・
素敵な恋愛はできただろうか、楽しい思い出を作れただろうか
彼女が死ぬ間際に僕を思い出したことは絶対ないだろうけど
彼女の楽しい思い出の中に僕が作り出してきたあの日の事が少しでもあれば
僕も彼女の人生に役立ったと思いたい
毎年その日になると彼女の事を思い出す。
だらしない高校生を見かけると、彼女を思いせつなくなる。
乱文ですまん
547 :
おばあさんの願い:2008/02/13(水) 17:36:28 ID:NwwcEfFj
海沿いに住むおばあさんの家に突然、悪魔がやってきました。
「やい、ばあさん。俺様は悪魔だ。イジワルしに来たぞ。
ばあさんの願いごとは何だ。その反対の事をしてやる。」
「いえいえ、もう年寄りですからね。願いごとなんてないよ。
ただ、早く春が来て、暖かくなって欲しいねぇ。」
悪魔は、おばあさんの家に大雪を降らせました。
おばあさんの家に、また悪魔がやってきました。
「やい、ばあさん。ばあさんの願いごとは何だ。」
「もう年寄りですからね。願いごとなんてないよ。」
「何かないのか。お金が欲しいとか、大きな家に住みたいとか。」
「そんなものいりませんよ。あっても困るだけだよ。」
「そうか、ばあさんは普通の人間と違うな。」
悪魔は、おばあさんの家を大きくし、たくさんのお金を置いてイジワルをしました。
おばあさんの家に、また悪魔がやってきました。
「やい、ばあさん。ばあさんはなぜ一人で住んでるんだ?」
「一人息子は医者でね、戦争をしている海の向こうの国で、
たくさんの命を助けてるんだよ。
私は、ここで息子が帰ってくるのを待っているんだよ。」
「ばあさん、淋しくないのか。」
「あんたが、たまにこうやって来てくれるから、楽しいよ。」
悪魔は当分の間、ここに来ることが出来なくなりました。
おばあさんの家に、久しぶりに悪魔がやってきました。
おばあさんは、ベッドで安らかに眠っていました。
テーブルの上には、おばあさんの息子が戦争に巻き込まれ、
亡くなった事を知らせる手紙がありました。
悪魔は、海の向こうの国に飛んでいきました。
「この国には、戦争をやりたい人間がたくさんいるようだな!
俺様がイジワルして、戦争を止めさせてやる!!」
小学生の時いじめられてた。
両親が厳しい人だったので言えなかった。
いじめは暴力にエスカレートし顔に痣が出来た。
いよいよばれた。
母親に打たれ全部吐いた。
次の日母親と一緒に学校へ行った。
母親は泣きながら担任に話しをしてくれた。
厳しかった母親の涙を初めて見た。
愛情を感じた。
両親の子供で良かったと初めて思った。
当時は泣けなかったが今思い出すと泣けるな。
お母さんありがとう。
スレ違いですが友人の話を、
今から数年前の夏、家に電話がかかってきました。
母「○○・・・。××ちゃんのお母さん・・・亡くなったって・・・」
私「え・・・」
××は私の親友で、よく漫画やゲームの話をしていました。
家に遊びに行ったこともあります。
優しいお母さんでした。
お葬式の日、クラスメート達に混じってご焼香をしてきました。
親族席に座っていた××は涙をこらえ、弟さんの涙を拭いてあげていました。
私の家は結構大きいところで、よくお葬式に行っていました。
祖母のお葬式でも泣いた事の無い私が、初めて人のお葬式で泣きました。
××とは小学校で別れ、私は付属の私立に、
××は名門の私立に入りました。
そんな××は去年の暮れ、自殺しました。
今や中高生の自殺など珍しくも無く、
テレビや新聞では全く取り上げられませんでした。
11月にうちの学園祭があり、そこで会ったばかりだったのに
笑って見せていたのに、
彼女はあっさり逝きました。
××のお葬式では××の祖母と祖父お父さんと弟さんが泣いておりました。
××祖母「○○さんですか・・・?」
私「はい、お久しぶりです」
××祖母「わざわざ孫のために遠くまで有難うねぇ・・・」
私「いえ・・・友達ですし・・・」
祖母「ほんにもう・・・あの子は・・・こんないいお友達を
持っているのに・・・」
私は誇れたものではない。いい友達でもない
私は学園祭で聞いたのだ。「つらくない?何かあったら力になるよ」と
××は笑って「大丈夫だよ○○は心配性だなぁ」と言っていました。
あそこでなぜ異変に気が付かなかったのか。今でも後悔している
私「すみません・・・学園祭で会ったのに・・・何も・・
してあげられなくて・・・」
気が付いたら泣いていました。
××祖母「なんで○○さんが謝るのあなたは何も悪くないのに」
家に帰ってから写真を見ました。二人で撮った。笑った写真。
写真の裏にはこう書いてありました。
「□月□日○○と、△△で、二人は何時までも親友!」
読んだ瞬間に、涙がこぼれ、声を上げて泣きました。
返してくれ、私の親友を返してくれと
悪魔に魂を売ってもいいと言うくらいに、
それから落ち着いた今、
もうすぐ××のお母さんの墓参りに行こうと思っています。
××には死んだところに花を落としてやろうと考えています。
海の見える素敵なビルの屋上。
この景色を死んだ親友が教えてくれたことはだれもしりません。
私と××の、最後の秘密です。
待ってろよ××。まだまだ先だけど、そっちに行ったら
トムとジェリー並の追いかけっこをしてやるよ。
それからゆっくり、漫画とゲームの話をしよう
憎まれっ子世に憚るってね。お前の分まで生きてやるよ。
お目汚し失礼しました。
皆さんも頑張って生きてください。
551 :
癒されたい名無しさん:2008/03/02(日) 00:30:41 ID:ypru2ejC
涙
552 :
癒されたい名無しさん:2008/03/02(日) 02:37:51 ID:t3jGbFiF
大学生の息子の話です
息子は小学校から野球をしていました
まだ野球のおもしろさもわかる前に、私が半ば強制的にクラブにいれました
練習がイヤだ、遊びたいという年ごろですが、何とかやりきりました
中学にはいっても野球部へ
高校も野球部、さらに主将までやりました
試合などは私もよく見に行くのですが、息子はあまり野球の話をしません
練習のことを聞いても、話すのを面倒くさがる子でした
学校では活動的な子なんですが家では大人びている、言い方を変えれば冷めた子でした
そんな息子が大学進学をする時、
「我が家は私立はいかせてあげれないから」と小さい時から言っていたのもあり、
息子は国立を目指していました
無事国立は受かりましたが、息子は「やりたいことがある」と私立を志望しました。
学費は国立私立では4倍ほども違います。
しかし何とか工面すると了解し、息子は私立へいくことに。
一人暮らしの下宿先へ旅立つ日。
私が仕事から帰ると息子はもう家にいませんでした。
私は寝室に行くと、ベッドの上に一枚の紙が。
「おとんとおかんへ
今まで野球続けさせてくれてありがとう。
甲子園はいけんかったけど、これから親孝行するから。
あと私立行かせてくれてありがとう。
今まで育ててくれてありがとう。行ってきます」
一枚のレポート用紙にはこう書かれていました
日頃そんなそぶりを見せない息子がそんな気持ちをもってくれていたと思うと
私はその場で号泣しました。
成績が悪くてもいい
親にとって最高の親孝行は、お前が元気で暮らしていることだよ
長文失礼しました
私が小さい頃の話。
幼稚園に上がる前、私が外で遊ぶ時ジャンプしたり走ったり、
普通にみんなやることなのに何故かうちの親(特に母)は大喜びしていた。
幼稚園に上がって、ひらがな50音を習い自分で書けるようになると
うちの母は「○○が自分の名前を書いた!」と、またまた大げさに喜び
おばあちゃんや親戚の叔母、さらには近所のおばさんに涙しながらわざわざ報告していた。
幼稚園の鉄棒で前回りができた時は、他の子ももちろんできたのに
担任の先生までがお迎えの時に「○○ちゃんが前回りできるようになりました」
と泣きながら母に報告し、母も「ありがとうございます!」と泣いた。
小学校に入学した時は、おばあちゃん達まで集まって大号泣。
何故か「小学校に入れてよかった」と泣いていた。
子供心に「なんでいちいち言うの?なんで私が出来た時だけ泣くの?」と不思議だった。
それと同時に同級生の子からは「なんでお前の母ちゃん泣くの〜?」
「お前だけなんで誉められるんだよ!」と言われ、
「こんなに恥ずかしい思いをするのに、いちいち騒いでうちの親は・・・」と
一時期親がウザかったことがあり反抗していた。
大人になってからわかった。
私は覚えてないんだけど、私が1才半くらいの時に両親と3人で電車で出かけ、
夜、電車で帰る時に私を抱いた父がホームから降りたら
ホームが工事中で段差があり、人が多かったので気づかず私を抱いたまま転んだらしい。
私だけ投げ出され、急行も通過する駅なのに私は線路へ・・・
(乗ってた電車は行ってしまった後だった)
父は擦り傷で済んだが、頭を強打した私は駅員の誘導で救急病院へ搬送された。
精密検査の結果、脳に衝撃を受けたためこれから成長するにあたって
知能や運動能力が他の子より劣ったり、言葉の発達に問題があったりする可能性もあるので、
普通の子と同じに生活するのは無理かもしれないというとこを
告げられていたそうだ。
だから、何かできるたびに涙を流してまで喜んでいたのだ。
それを知って涙が止まらなかった。
私は頭は悪いけど普通に高校も卒業し、専門学校にまで行った。
今はストレス性の病気にかかって休職中だけど、
親に「生んでくれてありがとう」と心から言いたいです。
今日、じいちゃんと叔母(私はお姉ちゃんと呼んでいる)が
入所している施設に母親といってきた。
数年前までじいちゃんは、ばあちゃんとお姉ちゃんと、
3人で暮らしてた。
お姉ちゃんは生まれつき病気を持っていて体に障害がある。
数年前、具合が悪くなり入院した。(そういう事は今までも度々あった。)
でも、じいちゃんもばあちゃんもその時は元気で車も運転してた。
それから3ヶ月ぐらいして、
じいちゃんは急に具合が悪くなって病院に入院した。
それ以来じいちゃんは段々体が動かなくなって、痴呆も進んできた。
その後、病院からお姉ちゃんがいる施設に移った。
ばあちゃんはいきなり一人になり、寂しかったり、
色々不安もあったりして、痴呆の初期症状が出てきた。
ばあちゃんは今違う病院に入院してる。(同じ施設に入所待ち)
じいちゃんに会うのは、実は4,5年ぶり。
じいちゃんの姿を見たとき、自分の目を疑った。
自分の記憶にあるじいちゃんは、かっぷく(体格)が良くて、
大きな声で話をして、よく食べて、よく笑って、
休みの日には車で遠出して田舎の景色を見て回るのが好きで、
大分歳だったのにパンクしたタイヤの交換を一人で出来て・・・
今のじいちゃんは寝たきりで介護無しには生活できない。
すごく痩せて、とても体が小さく見えた。
腕も動かせなくて、手もずっと握っていて動かせない。
声が消え入りそうなぐらい小さくて耳を口元まで
近づけないと聞き取れない。
じいちゃんは私のことを覚えてなかった。
正直ここまで悪くなっていたとは思ってなかった。
>>554 の続き
4,5年も会いにいかなかったことを後悔した。
時間や施設の立地(バスも通ってない山奥)の問題があっても、
1日時間を作って、タクシーで行くことも出来た。
免許を取ってからは自分で行くことも出来た。
遠くて道も分からないから、といっていた自分が本当に情けないし、
申し訳なくてしょうがない。
入院したと聞いた時は驚いたけど、心のどこかで、
じいちゃんはいつまでも元気でいる、って思い込んでた。
今になっては申し訳ない気持ちでいっぱい。
ろくに会いにも行かなくてごめん。本当にごめん。
母親が私が就職して遠くに行くことをじいちゃんに言うと、
じいちゃんは
「がんばらんまんたい」(標準語で「頑張って来い」って意味)
って言ってから、泣いてた。
母親もお姉ちゃんも泣いてた。
私は、泣いたらはっきり言葉を言えなくて、
じいちゃんが聞き取れないと思って、泣くのをこらえて、
「がんばってくるけん」(「頑張ってくるね」)
と言った。それしか言えなかった。
今日じいちゃんとお姉ちゃんと写真を撮ってきた。
辛いことがあっても、その写真を見て
「がんばらんまんたい」って言葉を思い出して、
くじけずに頑張ろうと思う。
じいちゃんに「がんばってくるけん」って言うたもんね。
がんばってくるけん、じいちゃんも元気しとってね。
長文でへたくそな文章で申し訳ない。
556 :
癒されたい名無しさん:2008/03/14(金) 16:17:33 ID:bBzIZiiR
こんなに悲しくなるのは春だからですか?ちょっと父の思い出を。
うざいとは思いますが語らせてください。
うちのお父さんは旅行というより家族でお出かけ(弁当持って)みたいなのが好きだったから、春になると毎年花見に行ってた。
毎年場所を変えて2、3回は行ってて、またかよ!?って思ってたけど私も花見が大好きだった。
最後の花見は3年前。姉は大学生で泊まりが多くなって、花見とか家族で過ごす時間があまりなくなっていた。
そのときは新しく家族になった犬も連れていった。だから人数は4人。
食べ物お菓子飲み物青いシート持っていった。人間3人、犬1匹にそのシートはデカすぎだろーとか言いつつ、犬の話したり学校のこと、いろいろ話した。
帰りも寄り道しながら帰った。
家族で出かけるっていうのがすごく好きだった。
時間が経つにつれ仲良かったはずのうちの家庭は崩壊してた。
両親の確執、私と父の問題、そのほかにもいろいろ問題があって別居した時期もあった。
だけどこのままじゃいけないと思った母はやはり父のいる家に帰ることにした。
何の問題も解決してなかったけど、家族全員集まって時間をかけてこれからまた新しく始めよう、ということになった。
家に帰って2日目。
父が死んだ。心不全だった。
葬式とかで忙しくてまだ父が死んだていう実感がわかなかった。
だけど式が終わって、親戚も帰って、家に3人になったとき、
本当に父がいないんだなって思って泣いた。夜遅くまで3人で泣きながら話してた。
1人いなくなっただけでも暗くなったのに、ましてや母姉私犬家族みんながいなくなった家に父は仕事終えて帰ってきてどんなに淋しかったろうとか、
家に帰ってきた日、父がお母さんに「鍋は上手に作れるようになったんだんだぞ」って言ってたこと、ただいまってうれしそうに言いながら帰ってきたこと、
私たちが帰ってきたときのためにお父さんが部屋のベッドのシーツやらを洗ってキレイに準備してくれていたこと、冬なのに庭に花を植えていたこと、
結局父は私たち家族のことを一番に思ってくれてたんだって父がいなくなってやっと気づいた。
もう家族で食事も、花見も、全部できなくなったんだなーって思うと涙がでてくる。
私は花見が大好きだったから。そしてお父さんのこともどんなことがあっても大好きだったから。
お父さんがいなくなって初めての春が来ました。
お父さんに買ってもらって植えた庭の桜の木には蕾がいっぱいついてます。
もう一緒に花見に行けないけど、もしまだ私たちをどこからでもいいので見守ってくれてるなら父にありがとうと伝えたいです。
長文失礼しました。
557 :
癒されたい名無しさん:2008/03/17(月) 00:30:00 ID:CuP7YHE6
40台半ばの男です。
子供の頃とても貧しかった。
「肉を初めて食べた日を覚えている」と言えば、
貧乏の程度がわかってくれるでしょう。
小学校に上がる前から、親の給料日を知っていた。
何故なら、その2,3日前から母親がおかずを作らなくなるからだ。
父母と姉との4人暮らしだった。
我が家では夕飯時に、ご飯のお代わりを最初にする人(ほとんど私)が、
「お代わりする人、手をあげて」と言う決まりがあった。
手をあげるのは、いつも姉一人であった。
私は、お釜に残ったご飯を見つめながら、
「半分以上取ってはいけない、絶対にいけない。」
と、いつも注意していた。
ある日、珍しくおかずが一杯あった晩に事件が起きた。
私の次にお代わりした姉が、
「***がご飯を全部取っちゃって、わたしの分が無い。」
と、声を荒げた。
父は私に向って、
「バカ野郎」と言い、私を殴りつけた。
私は決して半分以上取ってはいなかった。十分気をつけていた。
それなのに・・・
すると母が、
「おかあさんはおなか一杯だから、おかあさんの分を二人で分けなさい。」
と、自分の茶碗のご飯を私と姉に分けてくれた。
食後30分程経った時、台所に行くと、母がお釜にこびり着いていたご飯を
そぎ落とし、塩をまぶして食べていた。
私は、
「お母さんはずるい、おなか一杯なんでしょ。」
と言い、その残りご飯をも横取りしてしまった。
貧乏の意味すら知らなかった頃の話です。
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
559 :
癒されたい名無しさん:2008/03/28(金) 14:26:37 ID:wZtXKkbN
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1206457848/946 946 :アイデアだけでゴメン四国在住:2008/03/26(水) 04:50:25 ID:MGD0Uw18O
チベットには個人的に借りがあるんだ。
てかチベットの坊さんなんだけど。
心身共にズタボロだった時、見兼ねた友人が新宿のダライ・ラマ日本代表事務所に連れてってくれてさ
。
二日後にダラムサラに行く予定で忙しいのに友人が英語と日本語を交えてアタシの状態を説明してくれてるのを静かに訊いてくれた。
二時間ほど話して、"お腹空きましたね"と笑いながらツァンパとバター茶を一緒に食べた。
別れ際握手の手もそのままに、彼はアタシに云ったんだ。
共に語らいました、食事もご一緒しました。
あなたは私の人生の一部になり、私もあなたの一部になりました。
何もして差し上げられませんでしたが私はあなたの一部と共に、ダラムサラに参ります。
あなたも私の一部とで宜しければ、もう一度生きてみて下さいませんか。
何も云えなくて涙を流しながら頷くしか出来なかったけど
この若く聖いお坊さんの一部と、生き直そうと思ったのよ。
あれから11年まだアタシは生きてる。
病気で出来る事は少なくなったけど、相棒の犬と数はこなせなくなったものの
元の好きな仕事にも戻れた。
今、生涯で一番幸せだって思う。
時々身体の痛みに悩まされても、犬が必死に寄り添ってくれてあのツァンパとバター茶の味を思い出すと、堪えられる。
だから、何かしたいんだよ。
ささやかじゃなくて、はっきりした行動を。
FREE TIBET!!
チベットに自由を!
560 :
陽茄:2008/03/31(月) 00:01:00 ID:o40p18RF
泣きたいときに泣けばいいさ・・・
好きなときに泣けばいいさ・・・
誰も文句を付けては、来ない
ただ、泣けばいい
自分の思い行くままに
泣けるかどうか分かんないけど、皆の読んでたら思い出したから少し吐き出させてくれ。
2歳か3歳の誕生日に、犬を買ってもらった。
名前は当時大好きだった「リカちゃん人形」から「リカ」に決定。
初めてのペットで、動物が大好きだった自分は至極嬉しかったのを覚えている。
だが、まだ小さかった自分は見事犬に舐められていた。
パンやお菓子を片手にテレビを見ていれば、横からスーっと来て奪われたし
食べていたコーンフレークをひっくり返されたこともある。(牛乳が飲みたかったらしい)
自分が手を噛ませて遊ばせていたのが悪いのに、少し強く噛まれただけで「嫌いだ!」と騒いだりもした。
実際嫌いなわけでもないのに、たかがそんなことで怒った自分を今では情けないと思う。
5歳くらいの時だろうか。暑い夏だった。
車がないと移動できないような田舎に住んでいたのだが、
買い物帰り、帰路の途中にある遊園地のようなものに寄った。
いつも寄らないのに、その時ばかり何故か両親も二つ返事で了承。
勿論、犬は入れないので車の中で留守番。
中に入ってどれくらい経っただろうか、一時間いたかいないか位だと思う。
車に戻ると、リカは死んでいた。
今思えば、死後硬直というやつだったのだろう。冷たく硬くなっていた。
まだ幼かった自分は、そんな事は知らずひたすら
「病院行こ!ね!まだ大丈夫だよ!病院行かなきゃ分かんないじゃん!」
と繰り返していた。
両親はもう無駄だというのを知っていて、車内にあったバスタオルでリカの体を包んでいた。
そこから家に帰るまでの間、リカは後ろの座席で一人寝ていた。
自分は、両親にどんなに言われようとも頑なにリカの隣にいることを拒み、助席の母の膝の上にずっといた。
なんであの時隣にいてやらなかったのだろう、抱いてやらなかったのだろう、と後悔でしかない。
その時初めて父の涙を見たと思う。
数日間、二代目がくるまで母は衰弱し、幼稚園の送り迎えは友達のお母さんがしてくれていた。
(続く)
(続き)
自分が寄りたいと言わなければ、リカはもう少し生きていたと思う。いや、まだ生きていたかもしれない。
自分が奪ってしまった命だと思うと、涙が止まらないし、
まだ家に着くまでに車内で流れていた音楽も覚えていて、未だに聞くことが出来ない。
その後、二代目「りか」が来て、離婚とか色々あって
今はもうリカの骨が埋めてある家には、違う人が住んでいる。
でも遺影と共についてきてくれていると信じている。
自分が初めて触れた大切なものの死。
一応、将来の夢はリカがいた頃から変わらず獣医。
最近勉強が出来なくて、悩んでいたけどリカのこと思い出して頑張ろうと思う。
今家には、犬が二匹いるよ。
一匹は君の名前を継いで平仮名でりか。
もう一匹は君に性格がソックリで、私に悪戯ばっかしてるんだ。
私より先にこの子達がリカの元へ行くと思う。その時は宜しく頼んだ。
私は立派に獣医になって、沢山動物を助けて、リカに自慢出来るように頑張るよ。
そしていつか、沢山のお土産話持ってくから聞いてね?
また家族皆で笑い合える日が来るのを楽しみに待ってます。
長くなってすまそ。
本当に勉強出来なくて、夢諦めようかと思ってた時にこのスレ見付けて、ならなきゃいけない意味を思い出せた。
ここまで読んでくれた貴方に感謝します、ありがとう。
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
564 :
BANGKOK1QQ ◆BANGKOK1QQ :2008/04/05(土) 12:30:14 ID:JEvOBIO7
ラーメン屋に行くといつも死んだ親父を思い出す。
親父が生まれたのは戦時中で日本の敗色が目に見えていた時だった。
親父4人兄弟の末っ子だ。
親父はは両親(つまり俺の爺さん婆さん)を早いうちに無くし、
15歳上の長男(つまり俺の叔父)が父親代わりで育てられた。
間に女の兄弟2人がいたが、順々に嫁に行った。
長男が結婚すると、親父はお嫁さんに余りよい顔をされなくなり、家に居づらくなった。
親父は中学を卒業すると、着の身着のまま東京行きの夜行に乗って上京した。
(つづく)
565 :
BANGKOK1QQ ◆BANGKOK1QQ :2008/04/05(土) 12:30:32 ID:JEvOBIO7
(つづき)
東京に着いた親父を待っていたのは、「金が無い」と言う現実だった。
上野の公園を何もすることが無くうろうろしていると、初老の男性が親父に声を掛けた。
「坊主、こんなところで何をしているんだ?」
親父はその初老の男性に東京に出てきた事情を話した。
「坊主、とりあえず兄さんが心配しているから連絡しなさい。腹が減っただろ、付いてきなさい。」
そういうとその男性は近くにあったラーメン屋に入り親父に言った。
「好きなものを頼みなさい。代金は心配しないで。」
親父はラーメンを頼んだ。するとその男性は
「おばさん、餃子もつけてあげてよ。若いんだからどんどん食べなさい。」
親父はだまってラーメンと餃子を食べた。空腹で食べ物に誘われて来たのだが、
腹が満たされてくると、だんだんとこの男性に対する不信感が芽生えてきた。
それを見越したかのように男性は言った。
「怪しまなくてもいいよ。俺はこの近くで建設業をしているんだよ。
今、人手不足でな。知っているだろ、今度、東京でオリンピックがあることを。
それでいま、東京の街中に自動車専用の道路を作っているんだ。凄い話だろ?
でもな、若い人は建設業を馬鹿にして人が集まらないんだよ。どうだ、坊主。
恩を売るわけじゃないけど、俺のところに住み込みで来ないか?兄さんには俺から電話してやるから。」
行く場所が無かった親父はその男性に付いて行った。
(つづく)
566 :
BANGKOK1QQ ◆BANGKOK1QQ :2008/04/05(土) 12:30:43 ID:JEvOBIO7
(つづき)
親父はその社長の下で、一生懸命働いた。年を重ねて親父が22歳になったとき、
社長の紹介で取引先の娘を嫁にもらった。つまり俺の母だ。
程なく俺が生まれ、妹が生まれた。
親父は、俺と妹をいつも近所のラーメン屋に連れて行ってくれた。
親父は俺と妹が美味しそうにラーメンを食べるのをいつも笑顔で見ていた。
親父はいつも餃子をつまみにビールを飲んでいた。
それが親父の楽しみだったのだろう。
ビールを飲みながら、父親が東京に出てきてからどんな暮らしをしていたかを、何度も何度も俺と妹に話した。
今の社長に拾われて生まれて初めて食べた餃子が、この世の物とは思えないほど美味しかった話や、
東京オリンピックに間に合わせて首都高速を作り、誰もまだ走っていない道路を一番で走った話など。
俺と妹は「お父ちゃん、また同じ話?もう何回も聞いたよ。」と言うが、父親は笑顔で
「そうだったかな。父ちゃん、頭悪いから忘れちゃうんだよ。」と毎回言う。
そんな幸せな時間が突然途切れると誰が予想しただろうか。
(つづく)
567 :
BANGKOK1QQ ◆BANGKOK1QQ :2008/04/05(土) 12:31:01 ID:JEvOBIO7
(つづき)
俺が小学5年の時、現場で親父が倒れたと母に電話があった。
俺と妹が学校の先生に連れ添われて病院に着いたときには、すでに親父の意識は無かった。
母は涙を流しながら落ち着い声で、「お父ちゃん、疲れて眠っているんだよ。
疲れすぎてもう起きないかもしれないって先生が言ってたよ。」と俺たちに言った。
人が死ぬという事は知っていても、目の前で父親が死ぬところを目の当たりにして混乱している俺は
こともあろうに、「もうラーメン食べられないのかな」思った。
その日の晩、親父は死んだ。
***********************************************************
あれから22年、今は俺が父親になっている。
長男は今度、小学2年になる。長女は年長組だ。
二人は俺と一緒に近所のラーメン屋に行くのが楽しみらしい。
俺は二人が美味しそうにラーメンを食べるのを見ながら餃子をつまみにビールを飲む。
飲みながらいつも俺の親父の、つまり彼らが会えなかった彼らのお爺ちゃんの話を聞かせている。
「おとうちゃん、また同じ話?」と息子は言う。「そうだったか?ま、いいじゃないか。」俺は答える。
****************************************************************
568 :
癒されたい名無しさん:2008/04/05(土) 12:44:41 ID:hjRBsDVd
569 :
癒されたい名無しさん:2008/04/05(土) 15:49:03 ID:hjRBsDVd
570 :
癒されたい名無しさん:2008/04/06(日) 22:56:56 ID:m3Dr6VBF
私の父は私が5歳のときに白血病で亡くなりました。
それからは母が働き、祖母が私と弟の面倒をみるようになりました。
母は、仕事を始めてからは料理はしないし、
洗濯もしないので、家事は全て祖母がやっていました。
だから私は母親の手料理の味を覚えていません。
母はそういう面では母親らしい人ではありませんでした。
でも私はそんな母が大好きでした。
身だしなみにすごく気を使っていたので友達のお母さんよりも綺麗でした。
音楽やファッションもわりと若々しく、友達のような感じでした。
そんな母が、乳癌だとわかったのは私が小学校6年生の時でした。
そのときは本当に驚いたのですが、手術をすれば大丈夫だと思っていたので
お母さんはすぐに元気になるんだ、と思っていました。
そのとおり、摘出手術をしてからは仕事にも無事復帰。
通院は続いていましたが、私は根拠のない大丈夫を信じていました。
私が中学1年生の夏ごろ、癌細胞が肝臓に転移しているのがわかりました。
私は癌に全然詳しくなかったので、また手術すればすぐに治る、と思っていました。
しかし、容態は良くなる気配を見せず、母は見る見るうちに衰えていきました。
仕事も辞め、家と病院を行き来する毎日が続きます。
抗がん剤の作用で髪が抜け落ちたり、吐き気がひどかったりすることもありました。
そして私が中学二年生の夏ごろから入院生活になりました。
それでも心のどこかでわたしのお母さんが死ぬわけない、と思っていました。
最初の頃はたくさんお見舞いも行きましたが、だんだんその回数も減っていきました。
冬のはじめのある日、母から電話がきました。
「ちゃんとおばあちゃんの言うこときいてね。お手伝いもちゃんとしなきゃだめだよ」
すごく疲れた声でした。
(つづく)
571 :
癒されたい名無しさん:2008/04/06(日) 22:57:38 ID:m3Dr6VBF
(つづき)
それから一週間後の早朝に、母は亡くなりました。
母が亡くなる前日の夜、なぜか私はすごく不安になり、しばらく眠れなかったのを
覚えています。
祖母から電話がきて、早く弟と一緒にタクシーで来てといわれ、弟とタクシーで病院へ
向かいました。
そのときは全く実感がわかなく、そして弟を不安にさせちゃいけないと思い、
すごく冷静だったと思います。
母の病室のある階につき、祖母の震えた声で私たちを呼ぶ声が聞こえた瞬間、
糸が切れたように涙がでてきました。
あぁ、本当にお母さんは死んでしまったんだ、と。
亡くなる直前の母は、モルヒネによる副作用で、幻覚がみえたりして
とてもやつれていたそうです。
だから本当はあまり私や弟にお見舞いにきてほしくなかったそうです。
髪の毛がないこともたぶんとても気にしていたと思います。
最期の最期まで、母は私の母らしい人でした。
祖母から聞いた話ですが、母は亡くなる前、
○○(弟の名前)が高校卒業するぐらいまでは生きたいな、と言っていたそうです。
その話を聞いて、また涙がでました。
お母さんに会いたいです。
会ってたくさん話したいです。
学校のこと、部活のこと、音楽のこと、たくさんたくさんきいて欲しいです。
以前より成長した今の私なら、お母さんとたくさん語れる気がするよ。
これからはおばあちゃんの手伝いをしたりして、お母さんに心配かけないようにするね。
今でもたまにお母さんの夢をみて泣いてしまうことはあるけど、私は大丈夫です。
次に会うときは、たくさんわたしの話聞いてね。
おもしろい話たくさん用意しておくね。
長文・乱文すみませんでした。
読んでいただきありがとうございました。
572 :
癒されたい名無しさん:2008/04/10(木) 18:02:47 ID:pxAqBHL1
スケート板より転載。プロポーズのシーンはニュースでも出てたよね。
>31 :氷上の名無しさん:2008/04/09(水) 20:30:38 ID:ZN3ctRpO0
>4月10日(木)
>19:30〜20:00 NHK総合・東京 クローズアップ現代 がんに負けない・あきらめない 井上怜奈
>
>おまいらこれでも見てみれ。。。
>
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2461545
泣ける話がどうかはわかりませんがと、私が21年の人生の中で一番泣いた話と二番目に泣いた話です。
文才がなく長文ですみません。
私の通っていた小学校は校区が広く、住んでいる地区によって中学校区が異なるところでした。
私と親友M子も小学校は同じところに通いましたが、卒業後は別々の中学に進学することになっていました。
私の進学する中学は卒業旅行先がTDLで、TDLに行ったことがなくミニーが大好きだったM子は当時からそれをとてもうらやましがっていました。
あまりM子がそれをうらやましがるので、じゃあ私が卒業旅行に行ったら大きなミニー買ってきてあげると約束しました。
中学に進学してからも私とM子の関係は続き、1、2ヵ月に一度は必ず会って遊んでいました。
けれど中2の冬に突然M子は帰らぬ人になりました。インフルエンザの菌?がまねく病気だったそうです。
お葬式では久しぶりに会う懐かしい顔がたくさんいました。
その中でM子にさよならを言いました。お葬式に出るのが初めてだった私はM子のお葬式だと言うのに死人の顔を見るのが怖くてたまらず、通夜も葬儀の時もM子の顔を直視できませんでした。
女友達5人でぎゅっと手をつないでやっと勇気を出して顔を見て、さよならを言いました。
泣きながら母に手を引かれて帰った帰り道、泣きじゃくる私をなだめるために母が買ってくれたポカリの味を今でも忘れません。これが人生で一番泣いた日です
>>573続き
中学3年生になり私は卒業旅行先であるTDLに行きました。
クラスメイトの女子は皆違う小学校の子で、私の出身した小学校の子は男子が3人、女子は私1人だけでした。
TDL自体はとても楽しいところで、すっかりはしゃいで楽しい時を過ごしました。
私はミニーのぬいぐるみを買うつもりでした。死んだM子との約束を果たさないとなんて使命感にとらわれていたわけではなく。
ただM子におみやげを買おうくらいの軽い気持ちでした。
お土産はかさばるので最後に買おうと女の子同士決めていました。
集合時間を決めて皆バラバラとおみやげを買いに行きました。
そして私もおみやげを買いに行きました。
でも夜のTDLはふしぎなところですね。暗闇の中を横切るパレードやシンデレラ城を見ながら、あんなに人がたくさんいるのにまるで自分が世界中に一人のような気持ちになりました。
そんな不思議な感覚にとらわれながら、友達数人とおみやげを選びました。
そしてぬいぐるみ売場でミニーを選びました。なぜかその時目の前が涙でいっぱいになりました。バババババっと約束した時の小学生だったM子の顔がよみがえりました。
事情を知らない友達が私を心配してオロオロし、店内の好奇の目から守るように私を慰めてくれました。けれどその友達の中にM子を知る人はいません。
M子が死んだことも知りません。私は色々なミニーがいる中選ぶ気力もなく一番スタンダードなミニーの赤い水玉のぬいぐるみを買いました。
泣いた理由を特に友達は深く聞きませんでした。何事もなかったかのように普通に接してくれました。人がいっぱいで疲れたんだよね、と特に仲良かったSちゃんとKちゃんが外のベンチに私を座らせて買ったばかりのおみやげのクッキーまで開けてくれました。
他の女子グループまで顔をのぞきこんで泣いた私の心配をして申し訳ないやら気恥ずかしいやらでも頭がぼーっとしてしばらく立てずにぐずぐずする鼻をすすりながらボーっとしていました。
>>574続き
そしてその後顔を真赤にした私はバスの中で担任に体の不調を気遣われ、夜は担任と養護学級の先生のところで寝ることになりました。
部屋で寝ようとしていた私に夜担任からディズニーの大きな袋を手渡されました。なんのこっちゃと思い中を見るとお菓子の缶やらシールやらぬいぐるみやらなんやら入っていました。
担任の話では様子のおかしい私(一番前の担任の横の座席で寝てた)はバスの中でクラスの噂になったらしく。
ミニーのぬいぐるみのくだりを誰かから聞いた同じ小学校だったSくんとNくんがミニー好きだったM子のことを思い出し、それで私が泣いたんだろうと察したんだそうです。
友達には仲の良い子へのプレゼントだと言ってあったので、その後ミニーとM子を結びつけたのかもしれません。彼らはお葬式には来ていなかったはずで、M子とも特別親しいわけじゃありませんでした。
でもちゃんと覚えていてくれたんですね。
それでM子を知っているSくんとNくんが自分のお土産の中からミニーの入っているものを探し、担任に私に渡しておいてほしいと頼んだのだそうです。
同じ小学校とはいえ普段交流のないSくんとNくんが私におみやげを渡すなんて変に思ったんでしょうかね、なんでと担任は二人に聞いたそうです。
そしてその後ホテルでSくんとNくんから事情を聞いたクラスの子達が協力しあい自分のお土産の中からミニーのグッズやミニーの入っているものを少しずつ出して集めてくれたんだそうです。
ありがたいやらなんやらで夜号泣しました。人生で二番目に泣いた時。
その後ミニーのシールやら個包装のクッキーやらやたらでっかいバルーンやら耳やら大きな袋に入れて別の小学校に進学した友達と3人でM子の家にお土産として持って行きました。
あまりに多いお土産に不審に思ったM子のお母さんにこの話をするとおばさんはぽろぽろ泣いて、後日うちのクラスに担任あてにジュースの差し入れをしてくれました。
あの日見ず知らずのM子のためにたくさんのミニーをくれた優しい中3NO
クラスメイト、ミニーが大好きだったM子。
今でもミニーを見ると思いだします。TDLの夜の光のパレードと一緒に。
長文ダラダラと失礼しました。
おい
仕事中なのに泣いてしまうがな
どうすんだよ俺(;_;)
577 :
お笑い芸人チキチキ☆バンバン:2008/04/24(木) 05:34:09 ID:lIkIRfuL
私は自分を偽りつづけてた!
カツラをかぶりカッコだけはつけていた!!!!
だが肝心な心が弱く引け目を感じる毎日…そんな私にも好きな人が居た。ある日
酔った勢いでディズニーシーに誘った。返事はすぐにOK。
いくら乗り物に乗るとはいえディズニーならカツラはズレないと甘い考えが間違
っていた。むしろシ〜は危険すぎる乗り物ばかりだった。インディージョーンズ
や垂直に堕ちるエレベーターは何とかズラを死守した。しかしジェットコースタ
ーだけは最強に誤算だった!まさかディズニーに回転何かありえないと思いこん
でいたんだ!!!
数分後におそろしい事件がおきるとも知らずに…
ジェットコースターは動きだした!
私の隣では彼女がキャ〜と叫んでいる!
私は必死で頭をおさえる!隣では彼女がキャ〜キャ〜。そしてまさかの回転!!
…
知らなかったんだ…私は知らなかった…思いもよらない回転で私は一瞬頭から手
が離れた…
ほんの一秒だったはず…
もう一度頭をおさえた時にはソコにズラは無かった…
キャ〜キャ〜叫んでる彼女の隣で私は走馬燈のように色んな事を思い出していた
…
そしてジェットコースターは止まった…彼女と目が合った瞬間ギャ〜〜〜
その日彼女の一番の絶叫だった…
http://h.pic.to/v903p 皮肉にも私の名字は桂だ…
578 :
癒されたい名無しさん:2008/04/25(金) 02:22:49 ID:ctuOsuhb
579 :
癒されたい名無しさん:2008/05/11(日) 12:38:07 ID:iz0p/FeI
580 :
癒されたい名無しさん:2008/05/11(日) 23:48:33 ID:fu2YRJ9g
俺が彼女と知り合ったのは秋田に旅行に行ったときだった。冬の荒波が見下ろせる岬の丘の上だった。
そこに女性が一人寂しそうに海を眺めていた。
気軽な気持ちで「こんにちは」と声をかけた。びっくりしたように俺を見ると逃げるようにそ
の場を後にした。しかし雪道に足を取られて彼女は転んでしまった。
あわてて駆け寄ると彼女は泣いていた。俺は転んで足が痛いから泣いているのだと思った。とにかく俺は自分自
身も泥だらけになりながら彼女を近くの民家に背負っていくことにした。
20分ぐらいして民家が見えたのでそこでお世話になることにした。親切なおばあさんだった。食事までご馳走し
てくれた。
親切なおばあさんの家を後にして俺は彼女を家まで送っていった。しかし彼女は一言も話しをしなかった。
彼女を家に送った後、もう彼女と会うことはないだろう、そう思っていた。
581 :
癒されたい名無しさん:2008/05/13(火) 21:32:10 ID:Cy6uHBoW
俺は、厨房のころ部活内で いじめられていた。
暴力ではないいじめだった。「言葉の暴力」だ。
いつも俺から離れた所で 俺の方を見ながらわざと聞こえるように
話していた。上級生は この事を知ってる者は誰もいない。
すべて同級生の立てた作戦だったのだから。
俺はその事をする奴を憎み、恨んだ。その中の1人に話を聞こうとするが
すぐに話をそらされてしまう。そんな日々を送っていた。
そんなある日、俺にも「友達」というものができた。
すごく優しかった。そいつに、辛かった毎日の事を話してみた。
この続きは明日書く
582 :
癒されたい名無しさん:2008/05/14(水) 19:41:26 ID:YapSHKwr
昨日の続き
そいつは「俺他の部だからあまりいいことは言えないが
コレだけは言える。お前には俺が付いている。離れていても
親友だ。辛い事があったらいつでも言ってくれよ」
俺はそいつに「お前、ベタだなww」なんて言った。
そいつは笑った。俺は泣いた。見られないように。
今もそいつと仲良くやってる。いつも一緒に行動している。
厨房のころと違い、今はとても幸福な日々を送っている。
583 :
癒されたい名無しさん:2008/05/17(土) 18:09:31 ID:+82XeZ/l
こんなの見つけてマジで泣いた
584 :
癒されたい名無しさん:2008/05/22(木) 14:51:56 ID:2UCZFaKI
なんかスィーツwノベルにありがちな事なんだが
小さい頃から夏休み冬休み春休みになると田舎の婆ちゃんちに預けられた俺
近所に体が弱い女の子がいてさ、その家と婆ちゃんは付き合いがあったから、その子ともよく遊んだ
中学生の頃からその子の事を意識しだして、告ろうと決意したんだ
で、ちょっとカッコつけて電話で
夏休みになってそっちいったら大事な話があるって言っておいたんだよ
告ったの彼女のお墓の前だけどな
なんであの時、その場で言わなかったんだ、
なんであの時寂しそうな返事に気づいてあげなかったんだって半泣き
トドメに彼女が残した俺宛ての手紙に
大好きと書いてあって俺号泣
今でもまだ独身です
586 :
泣き蟲:2008/05/27(火) 23:50:28 ID:6s76Rqu9
俺の体験談です。良かったら読んでみて下さい。
骨髄移植をして社会復帰された方々をお呼びしての講演会に出席した。
見た目は全然普通の人である。
しかし、いつ再発するかわからない、という爆弾を抱えているのだ。
それでも一般の参加者(私達)に比べとにかく元気で明るかった。
曰く、「一度死刑を宣告された身だから。」
だからこそ移植が成功して、新しい人生を得た喜びは筆舌に尽くしがたい
程の喜びなのであろう。
毎日を大切に生きているのだと感じた。
移植されて社会復帰し、なおかつ移植者同士が結婚したというお祝い
セレモニーが開催された。
2カップルの4名が移植から生還し結婚という新たな出発をしたのである。
その2カップルがステージ上でケーキ入刀のシーンがあった。
そこで何か歌を謡おうということになった。
そして何故か私にマイクが回ってきたのである。
(私が、バンドのボーカルであることを一部の人が知っていたので)
実はそのセレモニーでの話を聞いていて、もう何度もウルウルしてしまい
涙はそこまで来ていた。
しかしここは一発、みんなの期待に答えねば男がすたる。
でもいきなりでは歌詞も無いしオケも無いし、さてどうしようか?
やっと思いつき、オケ無しで私は歌いだした。
「絶え〜間無くそそぐ愛の名を〜永遠と呼ぶことが出来たなら〜
言葉では伝えることがどうしてもできなかった 愛しさの意味を知る〜
あなたを幸せにしたい〜胸に宿る未来図を〜悲しみの涙で濡らさぬように〜
紡ぎ合い生きてる〜〜〜」 HOWEVER By GLAY
みんな手拍子をしてステージを見つめる。
幸せそうな2カップルはお互いに見つめ合い、ケーキに愛の印を刻んだのだった。
後半は歌えなかった。もう涙でいっぱいいっぱいでした。。。
どうぞ末永く お幸せに・・・
|
|
{ ! _,, -ェェュ、 |
ィ彡三ミヽ `ヽ ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ `ー /ililハilミilミliliミliliミliliミ|
ヾ、 /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミ|
_ `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.| このスレは
彡三ミミヽ i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|
彡' ヾ、 _ノ i!::: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,| 鬼女に
`ー ' {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|
,ィ彡三ニミヽ __ノ ヽヘ`" 彡' 〈 | 監視されて
彡' ` ̄ `\ ー-=ェっ |
_ __ ノ {ミ;ヽ、 ⌒ | います
,ィ彡'  ̄ ヾミミミミト-- ' |
ミ三彡' /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|
ィニニ=- ' / i `ー-(二つ
,ィ彡' { ミi (二⊃
// / l ミii ト、二)
彡' __,ノ | ミソ :..`ト-'
/ | ミ{ :.:.:..:|
ノ / ヾ\i、 :.:.:.:.:|
ィニ=-- '" / ヾヾiiヽ、 :.:.:.:.::::|
/ / `/ ̄ ̄7ハヾヾ : .:.:.|
ノ _/ / / |:. :.:.:.:.:.:.:|
589 :
癒されたい名無しさん:2008/05/28(水) 23:51:51 ID:ft2W7+o+
子供達へ。
元気にな。
新しいお父さん、優しかったら良いね。
沢山、遊んでくれたら良いね。
一緒に、遊べなくてごめんね。
抱っこして上げられなくて、ごめんね。
もう、逢えないんだってさ。。。
あなた達のお母さんに言われました。。。
あなた達に二度と逢えなくなったと思った瞬間、死ぬほど泣きました。
声出して泣いてしまいました。
ほんとにごめんな。
何もして上げられなくて、ほんとにごめんな。
元気でな・・・。
590 :
癒されたい名無しさん:2008/05/28(水) 23:54:39 ID:ft2W7+o+
お前達の写真、今は伏せてるよ。
見ると、涙が出てくるから、伏せてる。
まともに、見れる日は来ないと思う。
ほんとにごめんな。
591 :
癒されたい名無しさん:2008/05/28(水) 23:57:06 ID:ft2W7+o+
この板立ててくれた方に感謝します。
人に言えないで、強がってた心が楽になりました。
独りよがりかもしれないけど、書かせて貰いました。
有難う御座いました。
594 :
癒されたい名無しさん:2008/05/29(木) 18:19:28 ID:1FnLJJ9p
∧_∧
( )
────-o────/ \────────
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\/ ) ∴)ヾ)
/ / ⌒ヽ
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>>1 / / .∪ / ノ
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( ´| ∪∪
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(´ ノ (´ ノ
某スレから
なんか切なくなった
214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 02:09:59
仕事でいつも一緒に市場調査に出かけるパートナーの女の子がいた。
カップルのように振る舞って、自然体で調査してまわるんだ。
ある時、夫婦役で潜り込まなければならない調査があった。
そこに行く前に指輪を買いに行ったんだよ。
夫婦を演じるための結婚指輪をね。
俺らは恋人ではなかったけど、アクセサリーを買ってもらえるのがうれしかったらしく、パートナーはすごく喜んでた。
調査のないときは、右手の薬指にはめて、大事にしてくれていたよ。
彼女は俺のことが好きだった。
後で知ったことだが、彼女はブログに俺への想いを書きつづっていた。
そのパートナーが事故で亡くなった。
霊安室で二人きりにさせてもらった。
彼女の右薬指には、俺がプレゼントした、「結婚指輪」。
俺はそれを外し、彼女の左薬指にはめてあげた。
そして今、俺の左薬指にも彼女のと同じデザインの指輪がある。
彼女はいつまでも、俺のパートナーなんだ。
>>595 背後霊ですね、わかります
除霊してください
>>596 こういう板でこんなこと言う奴の気がしれない
子供が二歳を過ぎて、片言ながらしゃべれるようになってきた。
俺は仕事もできない安月給な割には忙しく、息子はちょくちょく嫁の実家が預かってくれている。
嫁の姉や弟は、うちの子を可愛がってくれて、よく遊びに連れて行ってくれる。
俺が迎えに行くと、息子は「きょう、おじたんと海いった」とか「ねえたん(嫁の姉のこと)と、はんばーぐ食べた」とか、一生懸命報告してくれる。
俺が遊んでやれない代わりにいろいろ連れて行ってくれてありがたいと思う一方、我が子を遊びに連れて行ってやれなくて少し寂しくもあった。嫁も、「うちの実家とばかり遊びに行ってごめんね」と恐縮している。
まあしょうがない。向こうは甥っ子や孫が可愛くてしょうがないし、俺は仕事で忙しい。嫁も実家なら子供の世話の負担も減る。これがみんながベストな方法だ。
ある日、いつものように嫁の実家に預けに息子を車で送っていると、チャイルドシートの中の息子が「とったん(お父さん)の車、お出かけ、たのしいね」と言ってくれた。
たかだか片道15分の、ドライブとも言えない単なる移動。それを楽しいと言ってくれて、本当に嬉しかった。
仕事もろくにできなくて、周りに助けられてばかりの俺。父親の資格なんてあるのか疑問だったけど、この一言に救われた。
604 :
sage:2008/06/04(水) 01:13:21 ID:EnM4hmlC
長いですがいいですか?
独白です。
605 :
604:2008/06/04(水) 01:24:10 ID:EnM4hmlC
俺とじーちゃんは遠く離れた所に住んでいた。
じーちゃんが惚けた夏、俺はじーちゃんちに向かった。
身体と心の配線がショートしているのは目で見て分かった。
ただ悲しかった。
俺の知ってる物知りの、怒りんぼのじーちゃんじゃなかった。優しかった。
その進行は薬では治らず、ただ見守るしかないという拷問に等しいものだった。
俺はじーちゃんにとっては初孫で、可愛がってくれたかもしれない。でも記憶にはない。
俺の両親は真面目な枠にはめたがる善良な人だった。
その人達から聞かされる俺の素行は、祖父にとっては不安の種にしかならなかった。
しかし、世界一善良な祖父はそんな馬鹿な孫を見捨てずに声をかけ続けてくれた。
当時の俺は何も感じず、疎ましいだけだった。
ただ、祖父が善良な人だというのは心で感じていた。
606 :
604:2008/06/04(水) 01:24:57 ID:EnM4hmlC
そんな、冷戦状態が続いた俺とじーちゃん。
冷戦が終わるときが来た。
じーちゃんが違う世界にいってしまったのだ。
俺はじーちゃんがまだ自宅にいる時に見舞ったが、
あの素晴らしい威厳に満ちた人はいなかった。
俺の事も全く解ってもらえず、他人のように接せられた。
一番辛かったのは、ばーちゃんだ。
しかし、ばーちゃんは耐えた、あんな強い、情の深い人がいるだろうか。戦後の女性強い。
今思うのは、なぜあの時。。。なぜ。。。なぜ。。。
どうしてあの時、行動におこさなかったのか、という自分の不甲斐なさを後悔する言葉しか思い浮かばない。
なぜなんだ。
なぜ、どうして、という言葉は身内、友達に吐くことができない。
心を広げることが出来ない人達だからだ。(寂しい人だという意見は悲しいの置いておいて下さい。)
愛する身内を亡くした、匿名のあなたたちにしか言えない。
救われたいのだ。俺自身。
この哀しみの沼から。だれか教えて欲しい。
607 :
604:2008/06/04(水) 01:25:31 ID:EnM4hmlC
祖父を不幸にして死なせてしまった。
不安な心のままに。
私が知っている中で一番善良な人間だった祖父に何もできず、迷惑しかかけることができず、私欲に走ってしまった
当時の自分に吐き気がする。
どうすれば償えるのか、あんな善良な人の声を聞かずになぜ無視し続けることが出来たのか。
本当に醜い小さい汚い心を持った俺を、なぜじーちゃんはあんな善良な心で説得する根気強さを持つことが出来たか。
愛なのだろうか。
俺からしたら、自分の不始末を処理するための義務のように感じる。
わからない。。。
ただ、俺は自分の気持ちを、今はっきり言うことが出来る。
大好きでした。これからも。何者にも変えることはできない。
小さい時から、貴方の家から自宅に帰る時毎回泣いていました。
次に会うことはない。会えない。
という感情に包まれて。なぜなんでしょう。
なぜそんな気持ちで会っていたのか分かりません。
しかし新幹線のシートで静かに瞼を濡らしていました。
こんなに善良で、前向きに生きてきた人はいない。
私は祖父と話すことは避けていたくせに、生き方は憧れていました。
あなたが死ぬなら私の命を少しでも分けたかった。
でもなぜ一言も弁解の言葉を言わせてくれなかったのか。
これは俺に科せられた罰なのか。わからない。
ただ、いいたい。
ごめんね、ありがとう。
∩___∩ \_WW/
| ノ ヽ ≫ ポ ≪
/ ● ● | ≫ | ≪
| ///( _●_)//ミ ≫ ロ ≪
彡、 |∪| 、`\ ≫ リ ≪
/ \ ヽノ /_> / ≫ | ≪
\| ・ ・/ / ≫ ! ≪
| / ̄
| /\ \
| / ) )
∪-─●─●- パサッ
\_)
609 :
癒されたい名無しさん:2008/06/04(水) 15:50:57 ID:fStMpv9X
610 :
癒されたい名無しさん:2008/06/04(水) 21:40:33 ID:4j4/c83V
1年と少し前、母が亡くなりました。
あまり仲の良い親子じゃなかったと思います。いえ、私が一方的にひねくれて、死ねとか…なんで産んだんだとか、間違っても言ってはいけないような言葉を母に投げつけた事もありました。
その日も私の態度が原因で母と喧嘩をして私は自室にこもり、一緒に夕飯も食べないまま眠りにつきました。
深夜になって大きな物音で目を覚まし玄関に向かうと警察が来ていて
「この方をご存知ですか」
と差し出されたデジカメにはひしゃげた「母」がうつっていました。
母は4階から飛び降りたのでした。
1年以上たった今、仕事中でも恋人といる時でも思い出します。
どうして、なんであんな態度をとったんだろう
どうして、なんで死んでしまったの
本当は大好きだって、伝える事も、もうできない
どこを探してももう会えない
友人にも恋人にも、そんな気持ちを吐き出せる訳がありません。
自分が招いた結果だし、これは私が自分で乗り越えないといけない事だと思うから、です
そしていま、私の一番大切な、大好きな恋人のお母さんが病気で苦しんでいます
母親思いの彼が辛そうにしているのを見ていると、本当に勝手ですが自分の気持ちとかぶる部分もあって言葉が出なくなります
彼は親孝行だから、母に何かあった時の苦しみは私なんかとは比べ物にならないはずで
いま、私が抱えている気持ちを彼には味わってほしくなくて…だから私にできる事ぜんぶで、彼とお母さんを支えたい、のに。
自分と母親の影を重ねては苦しなって、涙がでてしまい…やりきれない気持ちを誰かに聞いてほしくなるんです
今一番辛いはずの彼にこんな自分を見せられない。彼を元気付けたいと思いながら実際は自分の心すら支えられない自分、なんて情けない…
私は自分勝手で嫌な人間です
お母さん、それでも…こんな私でも出来る何かが多分、あるはずなんです
もう二度とこんな後悔をしたくないから、本当に勝手だけどもう一度力を貸してください
いつか小さい頃、泣きながら帰ってきた私をお母さんは抱き締めながら、泣くんじゃない、強くありなさいと教えてくれたよね
泣かない勇気と立ち向かう強さと包み込む優しさを教えてくれたお母さんの事、本当は大好きだったよ
あなたのように、今度は私が彼を包んであげられたなら
あなたも少しは安心して天国で眠れるんでしょうか?
そう思ったら沈んでいた心が、少し前を向きました。
こんなぐだぐだな文章を書いてすみませんでした。
明日彼に会える時は、笑顔で会えそうです。
ありがとうございました。
∩___∩
/ ノ \ ヽ
| ● ● | なにマジになってんの?
彡 (_●_) ミ
/、 |∪| ,\ この鮭の切り身やるから帰れよ
/.| ヽノ | ヽ
,,/-―ー-、, --、 .|_,|
r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
|,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
.ヽ,′ ; `"";;;;;⌒゙')
´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛ `゙´
| .‖ /
("___|_`つ
泣けるな
歳だろうか
615 :
癒されたい名無しさん:2008/06/10(火) 12:56:54 ID:z7h8TiqD
教えてください。以前、このスレでみた下の話をさがしています。 一生懸命探したのですが、見つからないので ご存知の方 もう一度貼っていただけましたらありがたいです。 ある家庭に脳に障害のある男の子がうまれた。そして数年後さらに次男誕生。
小さい頃弟は喧嘩のたびに「兄ちゃんなんかバカじゃないか}
617 :
615:2008/06/12(木) 12:57:04 ID:iinUFx0n
>616 ありがとうございます。深く感謝いたします。
618 :
癒されたい名無しさん:2008/06/12(木) 14:13:21 ID:iinUFx0n
度々すいません。>94 を全部コピーしようと思い、「写」を押してコピーをすると、文章の途中で切れてしまいます。
どの様にしたら、全文をコピーできますか?
619 :
癒されたい名無しさん:2008/06/12(木) 15:56:44 ID:gq+Dal2K
「写」って何??
620 :
癒されたい名無しさん:2008/06/12(木) 17:16:47 ID:iinUFx0n
あまり2チャンネル詳しくなくて、すいません。
一番下段にある、上 次 新 … 「写」でコピーすると思ったのですが、違いますか?
⊂⊃ /~~\ ⊂⊃
...............,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘.............
∧_∧
(´・ω・) キキーッ!
O┬O )
◎┴し'-◎ ≡
_____
(\ ∞ ノ
ヽ、ヽ /
`ヽ)⌒ノ
生き霊よりパンティの魅力の方が怖いん☆
623 :
癒されたい名無しさん:2008/06/12(木) 20:07:47 ID:iinUFx0n
>621 ありがとうございます。残念ながら、コピーできませんでした。
ベスト版があるなんて、知りませんでした。
本当にありがとう。
625 :
癒されたい名無しさん:2008/06/13(金) 12:46:55 ID:wJIjajML
お願いします。 >94 を前半、後半に分けて貼っていただけませんか?m(_ _)m
94 :癒されたい名無しさん:2007/01/24(水) 03:43:51 ID:9d7n15Ck
前編
ある家庭に脳に障害のある男の子がうまれた。そして数年後さらに次男誕生。
小さい頃弟は喧嘩のたびに「兄ちゃんなんかバカじゃないか}
というのを聞いて母親は悲しんだ。
だが母はなにも言わずじっと待つことにした。
兄が小学1年生になった時、兄の同級生を招いて兄の誕生日の
祝いをしたが、兄は悲しいかな急に招待した同級生を殴りはじめた。
そのとき弟が飛び出してきて
「お兄ちゃん殴るんだったら僕を殴って、ぼくなら痛くないから!」
それをきいた母は心の中で「ぼうやありがとう」と言った。
その弟が小学一年生に入学した時、隣の席は手に障害のある子だった。
体育の授業のある日は体操服に着替えねばならないので当然その隣の子は
着替えに手間取って遅れてきた。
しかし二回目からは時間どうりに来たので先生は不思議に思い、体育の授業の
ある日そっと教室をのぞいてみた。
94 :癒されたい名無しさん:2007/01/24(水) 03:43:51 ID:9d7n15Ck
後編
するとあの弟が一生懸命になってきがえをてつだっているのを見た。
先生はこのことをみんなに話そうかとも思ったがせっかく弟が自主的に
やっていることなので黙っていた。
さて、七夕の前日授業参観日があった。
先生が児童の書いた短冊の願い事を読んでいた。
子供らしいおもちゃがほしいとか、の中に
「神様、どうか隣の子の腕を早く直してください」
と書いてあるのを見つけた。そうあの弟の書いたもの。
先生はたまらなくなって皆の前でこの弟の着替えのことを話しだした。
自分の子が手に障害があるのでみんなに迷惑をかけているのでは
ないかと廊下の隅で小さくなって授業を見守っていたある母が
教室に飛び込んできて弟の足元で号泣した。
「坊やありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう
628 :
癒されたい名無しさん:2008/06/13(金) 16:06:27 ID:wJIjajML
>626 ありがとうございます。感謝感激です。
629 :
癒されたい名無しさん:2008/06/14(土) 00:39:02 ID:MejEyEdq
幼くして両親と離別。
年子の弟と二人、親戚を転々とタライ回しされる日々。
やがて小学校に上がると、給食には一切手をつけずクラス中の残り物を持ち帰り、
弟と分け合って食べた。
それが、幼い兄弟二人の一日の食事全てであった。
やがて施設に預けられた少年は、そこでボクシングと出会う。
東洋太平洋ライト級チャンピオン
世界ライト級1位
坂本博之
タイトルマッチの直前に、深夜番組に出演し、
アイドルタレントといちゃいちゃしている様なチャンピオンには負けられない。
子供たちとの約束
「お兄ちゃんを見ろ、施設に預けられた子供でも、努力すれば世界チャンピオンになれるんだ。」
世界ライト級タイトルマッチ
10R、畑山のワンツーが坂本の顔面をとらえる。TKO負け。
4度目の世界挑戦失敗。
その後、持病や年齢とも闘いながら再帰を目指したが、2007年引退。
坂本のボクシングは、強く激しく、そして悲しかった。
坂本選手、長い間、お疲れ様でした。
>>629 悲しくはない
坂本の愚直なまでのボクシングは好きだった
ボクシング界のタイガーマスク
腰痛さえなければな…
631 :
癒されたい名無しさん:2008/06/14(土) 01:32:53 ID:MejEyEdq
>>630 早速のレスありがとうございます。
坂本ファンがここにもいてくれて、嬉しいです。
僕と友達とその彼女の話です。
当時ぼくらは高校生でした。ある日友達のNに彼女が出来たと聞きました。その後、紹介され当時のぼくの彼女と四人で遊ぶ事が多くなりました。
その後ぼくは彼女と別れてしまったんですが、その時も二人はぼくを励ましてくれました。
そんなある日、夕方遅くにぼくが学校から帰る途中、私服のNの彼女に会いました。
ぼくが、
「よっ!どこ行くの?」
と聞くと、
Nの彼女が
「これからNとデートw
二人で遊ぶの久しぶりなんだ!」
と嬉しそうに言いました。
ぼくはたしか「遅くなるなよ」とか「幸せもの〜」とかなんとか軽口を言い、彼女も「早く彼女つくれ」とかたわいもない会話をしてその日は別れました。
僕と友達と彼女の話2
ぼくが家に帰るとNから電話がきて、
「あれ?デート中じゃないの?」
と聞くと、Nは
「いやバイトが長引いて、遅刻中なんさ。」
「お前、ちゃんとしろよ!彼女かなり楽しみにしてたみたいだったぞ!?」
とぼくが言うと、
「分かってるよ。でさ、今お前の家の近くにいるんだけど、悪いけど単車貸してくれない?急いでいきたいんだ!」
と言われたので
「オッケ、急いで行けよ!」
となんのきなしにぼくはバイクを貸しました。
ぼくはその後、夕飯を食べ、風呂に入り、テレビを見ていると、家の電話がなりました。
僕と友達と彼女の話3
電話を切り、ぼくは部屋着のまま外に駆け出しました。
電話は警察からでした。
ぼくが病院に着いた時にはもうNは息をしていませんでした。
Nは彼女と待ち合わせに遅れ、焦っていて普段なら、ましてや人のバイクなので慎重な運転をしていた筈なのに、急いでいてかなりスピードを出していたそうです。
そこで前の車に無茶な追い越しをかけて反対斜線のトラックの中腹に接触、転倒した所に後続車に撥ねられ、辛うじて生きている状態で病院に搬送後、直ぐ息を引き取ったそうです。
しかし病院にNの彼女はいませんでした。
ぼくは直ぐにNの彼女に電話をしましたが、電源が入っていません。
家に電話しても、夕方出ていったきりでまだ帰って来ていないそうです。
彼女がどこにいるかも分からずぼくは病院でその夜を過ごしました。
うほッ
圏外なら間違いなく本命とHしてんだろ
Nはドタキャンされたこと&本命ではなかったことを知らずに芯で良かったね
下手すりゃ彼女と本命を頃してたかもしれねーからなwww
637 :
現役陸上部:2008/06/16(月) 21:57:17 ID:J7w9PaLB
この前、近くの陸上競技場で大会がありました。
僕は1年で入部してからまだ2ヶ月ほどでした。
なのでまだ3年生とは怖くてあまりしゃべることがありませんでした。
そして、大会の日、リレメンの2年生の先輩が足を痛めてしまって、
急遽僕がリレメンとして出ることになりました。
100m走などには出たことがあったんですが、リレーなんて初めてで、
とても緊張していました。そしてよくわからないままスタートの前で
番が来るのをガチガチでまっていました。その時、先にリレーに出終わった
3年生の先輩が近づいてきて、
「がんばれよ」
といってくれました。その時ふっと楽になりました。みんなが応援してくれているんだと思えました。
そして僕も
「はい!」
といいました。
そしてついに僕たちの番になりました。
抜けませんでした。でも抜かせませんでした。
その後、家に帰って布団に入りました。その時、急にあのときのことが思い出されました。
「がんばれよ」
「はい!」
・・・・・・
この一瞬の出来事が、何分の出来事のように感じました。そして、
あの、ほとんど話したことのない先輩が、こんな1年に
「がんばれよ」
といってくれたことにとても感動しました。
今までずーっと怖そうではやく引退してほしいと思っていましたが、
このときにやっと先輩たちの優しさがわかりました。
こんなに優しい先輩たちがもうすぐ引退してしまうと思うと、とても悲しくなり
、涙が出てきました。後数週間、先輩が引退するまでの数週間を大切にしようと思いました。
638 :
aria:2008/06/16(月) 22:29:28 ID:DK82pDLe
その子は、13年前の阪神淡路大震災で亡くなった
幼稚園で唯一亡くなった子で、地震後に幼稚園でお別れ会があった
鮮明に覚えている。花に囲まれた笑顔の写真。
まだ幼かった私はその子のことをよく覚えていなかった
「Kちゃんが死んだ」
死ぬ、という意味が分からなかった
人生で最初に体験した他人の死
私は今日だけ、会えないだけだと思っていた
違った
明日も、明後日も、その先も
その子が幼稚園に来ることは無かった
当然だ
死んだんだから
地震の後、私はよく母に言った
「Kちゃんは星になった」
「雨はKちゃんの涙なんだよ」と。
世界の全てにその子を重ねた。
地震後、私の落書き帳は死体で埋まった
震災後暗い絵を描く子供がよくいたそうだが、
私の場合黒い虹ではなく、首や腕がちぎれた
人間の死体の絵ばかりを描いた
親によく怒られた 死体を描くことを禁じられた
私はきっと、その日から狂っていった
639 :
aria:2008/06/16(月) 22:35:47 ID:DK82pDLe
いつしかその子のことを、忘れていった
命の大切さも、忘れていった
小学校ではよくいじめられて泣いていた
中学でもいじめられて、泣いていた
ある日、ついに私はおかしくなった
生きる為に、自分をカッターで傷つけた
いわゆる自傷行為。リストカット。アームカット。
毎日毎日生きるのがつらかった
でも生きて居たかった。でも生きて痛かった。
腕は傷だらけになって、親にばれて、怒られた。
いじめていた子は、ずたずたの腕を見て
「面倒なことしやがって」と言ってきた
もう自分が生きている理由さえわからなくなっていた
自分の存在が罪だと思った
私さえ居なければみんなは幸せになれたはず
そう思った
私が消えれば、私のために使われるお金が減って、
私のために使われる酸素が減って、
私が排出する二酸化炭素が減る
だから、実行した
私は、自殺未遂をした
けど死ねなかった
私は生にしがみついた弱虫だと再認識することしかできなかった
640 :
aria:2008/06/16(月) 22:48:13 ID:DK82pDLe
それは10月の中旬だった。
そして時間が過ぎて、何度目かの1月17日が来た。
話はその子のことになり、私は、
「ただのクラスメイトやったよね」
と言った
すると母は驚いた顔で、
「何言ってるの、あんた、友達やってんで」
と言った。
わけがわからなかった
記憶には、その子と関わった覚えがない。
違う。
覚えがないわけじゃない
違う。
違う。
違う。
思ったとき、その子との無かったはずの思い出が、記憶が、突然あふれ出してきた
震災の3日前、公園で遊んだとき、その子は言った
「君は泣き虫だから、僕が守ってあげるね」と。
声を上げて私は泣いた
私は自分がどんなに馬鹿だったかを痛感した
その子がどんなに優しかったか、その子のことさえ忘れて
その子のために生きることさえせず。
その子の分まで生きることさえせず。
どんなにおろかだったか、どんなに、ひどいことをしたのか。
ずっと、泣いた。
夜中になっても、ずっと、泣いた
そして今、私は生きている
私を守ると言ってくれた、小さなヒーローの分まで、
ずっと生きて、幸せになると決めた
やさしい君へ。
こんな私を守るって言ってくれてありがとう。
そして、安らかに眠って。
なんか鬱陶しい文章になってすみませんでした
このスレをたててくださった方に、感謝します
Sweet Dreams,
My Dear Hero.
>>640 お前みたいなもんが身代わりやったらよかってん
臓器提供カード持っとけやカス
642 :
aria:2008/06/17(火) 17:06:18 ID:UO4BICKb
どうも^^
本当に身代わりやったらよかったんですよね
臓器提供カードはちゃんともってますよ^^
|
| .::::::::::::::::::::.
| ...:..:.:::::::::::::::::::::::::::::::::::.:..:...
| 、-=・=-`:::::::::::::::::::::::::::::::::´-=・=-,.
| ⌒..:::::::::::.ヘ /.:::::::::::..⌒
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| ┌ ____ ┐
| ` ┬─────┬ ´
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| ,.二二二二、
| ( ゚) ─
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ ̄
644 :
癒されたい名無しさん:2008/06/18(水) 20:43:03 ID:egAGKShe
前地元の廃墟探索に行った時
突き当たりの壁に 右にきてね って書いてあったから右に行った
んで階段が有って この階段上にのぼってね 等の落書きも
そしてまた左に誘導されたので左へ そして
突き当たりに
わたしのからだはみぎのへやにあるよ
うしろから わたしのあたまが来てるよ
うしろ 見ないでね
って書いてあった
鳥肌立って左の部屋の窓から外に出た
645 :
癒されたい名無しさん:2008/06/18(水) 23:36:57 ID:3oED218i
母の兄の息子さん(T兄ちゃん)は30歳で癌で亡くなりました。もう5年前の話しです。
自分が小さい時に毎年母方の実家に遊びに行ったときにいつも自分のことを構って遊んでくれました。
そんなT兄ちゃんが末期の肺がんで余命一ヶ月と聞かされたときは正直信じられませんでした…
母親に「最後になるから会ってきなさい」と言われ、半ば信じられない気分で会いに行きました。
正直病室に入ったときは愕然としました…。癌が発覚する前に会ったときはガタイがよかったのに
病室で横たわってるT兄ちゃんはあり得ないくらい痩せていて言葉が出なかったんです。
癌はほぼ全身に転移していて脳にも影響があったのか、記憶も錯乱していたんです。数年前に会った自分に
「どちらさんかな?」と言われ、名前を出して説明しても「あれ?この前まで小学生やったよね?」なんて言われるものですから、
正直泣きたくなる気分を我慢して、一生懸命昔話をしました。少しずつ思い出してもらうために時間を掛けて
帰る時間ギリギリまで話しをしました。
でもそんなT兄ちゃんも自分が帰って一週間後に亡くなりました。
それから三年後の三回忌のときに実兄と一緒にT兄ちゃんの好きだった酒を持って
お墓参りに行きました。その日の夕方に実兄と一緒にT兄ちゃんの部屋の中をなんとなく
見てたんです、そしたらクローゼットの中に革ジャンが一着あったんです、自分はバイクに乗るのが趣味なので
形見分けとして譲ってもらうことにしました。正直な話しサイズが大きすぎて着れなかったんですけどね(笑)
その日の夜のことなんですけど、夢見枕っていうんですかね?夢の中にT兄ちゃんが出てきたんですよ、
それで「革ジャン大事にしてくれ」「ツーリングに行くときは必ず着てほしい」って言ってたんです。
他にも何か言ってたんですけどゴメンナサイ覚えてないです…。
T兄ちゃん、譲ってもらった革ジャンはサイズを直して大事に着ています、もちろんツーリングに行くときは必ず着ています。
この革ジャンを着て貴方が行けなかった分自分が色んなところに行こうと思います。だから自分が事故らないように見守ってくれると嬉しいです。
たくさん書きたい事があったけど文才がないのでここら辺で止めておきます…
長文、乱文で大変失礼しました。
お金で買えるものと買えないもの
お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。
お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。
お金で「ベッド」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。
お金で「本」は買えるけれど、「知識」は買えない。
お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。
お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。
お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。
お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。
>>646 >お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。
代理家族
>お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。
相手の時間は買える
>お金で「ベッド」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。
トリプトファン飲め
>お金で「本」は買えるけれど、「知識」は買えない。
知識は金出しててにいれるもの
>お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。
臓器移植
>お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。
地位があれば尊敬を得る
>お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。
相手の命は買える
>お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。
愛こそ金がからむもの
>>647 こういう揚げ足とりは何なの?
どっかいけよ
649 :
癒されたい名無しさん:2008/06/19(木) 22:00:23 ID:lg4xhVVj
651 :
癒されたい名無しさん:2008/06/19(木) 23:18:56 ID:XEcwzhHr
>>353熱いね
うらやましい限りです
熱さはなくなった
653 :
癒されたい名無しさん:2008/06/26(木) 00:18:55 ID:NlFCqcvB
>353
これはw
655 :
癒されたい名無しさん:2008/07/04(金) 10:49:08 ID:x6WRRsUu
妻:わたし、ティンコの即売会の夢をみたわ。
夫:ふーん。
妻:黒くて太いのとか、カリがすばらしく高いのとか・・・。
夫:俺のは売られてたかい?
妻:あなたのは景気付けに無料で配られてたわ。
会場の入り口のところで。
夫:・・・
ぎゃふん
659 :
癒されたい名無しさん:2008/07/09(水) 15:49:30 ID:r+2my0+Q
私が中3の頃の話
私は水疱瘡にかかった
かゆくてかゆくて、どうしようもなくてナーバスになっていた。
そしたらお母さんは私の体全体にできている水泡に一つ一つ薬を
塗ってくれた。
なかには、とてもブクブクで自分でも触りたくない奴も優しく塗ってくれた。
そして、「今日は12時まで付き合ってあげるね」
って言ってくれた。
母はいつも早く寝る。それは朝早く起き、早く家を出て行くからだ。
なのに、疲れていると思うのに、こう言ってくれた。
水疱瘡にかかる前に、有給の日数が今月は足りないな と母は困っていた。
なのに、無理して休ませてごめんね。
いつも、パート毎日毎日働きづめで、大変だよね、ごめんね、ありがとうね
私は、両親が老人になったとき、絶対介護なんてしてやらん 、と
決めていた。
それは、身内でも、汚いものなんて触りたくないからだった。
でも、今回の水疱瘡の件で私は絶対親孝行すると心にきめた。
お母さん、いつもありがとう
ゲイの出会い系で知り合った10歳以上年上のオジサンの家へ。
そしたら「これ着て責めて欲しい」と言われて、レンコン掘りというか、
魚河岸の人が着てるような胸まであるゴム長を着させられ、捻りハチマキをさせられた。向こうは全裸。
まあこんなのもたまにはいいか、と愛撫してたら、オジサンが喘ぎ声の中、喋りだした。
「お、おにいちゃん?お、おかえりなさい?た、大漁だった?ねえ大漁だった??」
?オレは突然の、しかも想定の範囲を超えたセリフにポカーンとしてしまった。
オジサンは素に戻って、「?返事して欲しい」と恥ずかしそうにオレに言った。
プレー再開。・・・耳とかをなめつつ体中をさわさわと触る
「お、おにいちゃん、大漁だった?」
「ああ、大漁だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!、、な、なにが、、ハァハァなにが捕れたの?」
乳首を舌でやさしく舐めながらオレは答えた
「?鯛とか、、、ヒラメがいっぱい捕れたよ」
セリフを聞き、オジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!イ、イサキは?イサキは、と、取れたの??」 チンコをしごく
「ああ。でかいイサキが取れたよ。今年一番の大漁だ。」
「大漁っ!!イサキぃぃ!!おにいちゃんかっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」
実話です。。きっと漁師の人との幼い頃の体験というか、淡い恋心とかが
あったんだろうなあ、といろんなことを考えさせられた一夜でした。
661 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 19:05:34 ID:fyoAK98D
どこに書いていいかわからなかったんで、せつこ板と迷ったんですが
こちらにしました。
あと1ヶ月で、初めての結婚記念日を迎える者です。
結婚記念日のちょっと後に、お兄ちゃんの誕生日があります。
もう年を重ねることはないお兄ちゃんの誕生日。
私は3人兄妹の一番下で長女です。実家は自営業で忙しく、両親は午前3時
から家をあけ、夜は22時すぎないと仕事からあがってこれないほど、いつも
忙しく、そして貧乏でした。兄妹3人とも
かなり寂しい思いをして幼少期をすごしました。
自営業の常で、学校行事には来れない家でした。私たちの学校行事があるということは
他のパートさんたちの子供も学校行事がある、ということで、両親はいつも
パートさんたちを優先させていました。
遊び相手の友達はみな習い事をしており、私たち兄妹の遊び相手はいつもおばあちゃんでした。
おばあちゃんのおやつはいつも蒸かしたおいもや、蒸しパンなど味気ないものでしたが
私たちは毎日、その蒸かしいもや蒸しパンを楽しみにしていました。
662 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 19:06:49 ID:fyoAK98D
ちなみに次男が当時出て行った理由は、長男が引きこもりになり、私がおかしくなったから
こんな家に(当時婚約していた今の義姉)彼女を呼べない、との理由でした。
その頃から長男と次男の間に修復しようのない亀裂が刻まれました。
しかし長男は知らなかったのです。結婚も、家業を継ぐことも、次男が長男に遠慮し、
周りからどれほど言われようともなかなか首を縦に振らなかったこと。
しかし、次男の彼女が「もう待てない」と言ったこと、周囲の説得もあり
次男は結婚することになりました。式に長男はきませんでした。
長男は本当に何も知らなかったのです。次男の部屋にうつ病と引きこもりに関する本がたくさん隠されていたこと。
そして次男もまた何も知らなかったのです。長男のメモ書きに
「自分は商才がないから、どうしたら次男に自分の財産を譲渡できるか」
「生まれてくる甥の名前候補」と、自分で考えた次男の子の名前の
一覧を作っているなど、夢にも思っていなかったのです。
長男が亡くなって、火葬場に向かう前に、兄のものを何か持っていこうと
部屋の机の引き出しをあけたとき、何回も書き直した
次男への祝辞が出てきました。小さい頃の思い出、次男はどれほど優秀か、
そんなことを延々綴っては書き直したもので、最後に大きく
「お前はいい父親になるから、なにも心配するな。幸せになれ」
と書いてあるのを見て、次男が泣き崩れ、火葬場までの短い距離をたどる間
「あんちゃん、あんちゃんごめんな」と何度も何度も幼い頃の呼び名で
長男の遺影に謝っていたのをよく覚えています。
663 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 19:17:59 ID:fyoAK98D
・・・もう6年も前になるのかと正直書き込みながら驚いていますが
(長くなって本当にすみません)
6年前の2月。夕方6時半。実家。あの時、私が右を向いていたら
長男は去年の式にいたのかな、とふと思います。
亡くなった場所は玄関から出てすぐ右手の木でした。
私は夕飯の支度が出来たから、離れに次男を呼びに行くところでした。
あの時、なぜ右をむかなかったのか・・・向いていたら未来は変わっていたかもしれないです。
兄の部屋を整理して出てきた、私宛の包みがありました。
中身は風鈴でした。3つ連なった珍しい形のもので、私の名前が
一番小さな風鈴にちょこんと書いてありました。
兄が修学旅行で買ったまま、私に渡せなかったお土産品でした。
兄の修学旅行があったとき、私は小学生です。なのに風鈴と一緒に出てきたのは
安産のお守りでした。
ずっと使うことなく大切にしてきたけど、来年、我が家に新しい家族が出来ます。
そのときに、この風鈴を飾ろうと思っています。
664 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 19:24:48 ID:fyoAK98D
追伸
ずっとあの時、右を向かなかったことを今でも後悔しています。
最近ずっと夢にみていたのに、夢の中で言葉を交わすことが出来ませんでした。
一度ちゃんとあの時のことを詫びたい。お礼も言いたい。叶わないことだけど、
いろんなことがあったけど、私はおにいちゃんの妹でよかった。
あの家族でよかったと思っているよ。
665 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 19:30:49 ID:fyoAK98D
・・・途中ごっそり抜けてる・・・
666 :
癒されたい名無しさん:2008/07/11(金) 19:34:27 ID:MM2H4LMJ
お兄ちゃんの死因は…?
667 :
詫びたい名無し:2008/07/11(金) 20:05:36 ID:fyoAK98D
>666さん
すみません、ごっそり抜けちゃいましたねTT
自殺です。
兄の死は結果として、当時野菜の高騰でにっちもさっちもいかなくなっていた
家業の経営を救いました。
兄の死があって、当然ながら両親は周囲の人間にことごとく責められました。
亡くなる直前に父と口論をしたこともあったからだと思います。
その後、ストレスと責任から、父は癌を患い、今も苦しんでいます。
兄が亡くなって、ほどなく、父は次男と私を呼びつけ、下手だったけど、どれほど
子供を愛しているか、今どれほど無念かを話してくれました。
長男を死なせてしまったのは自分だから、周りにそれと知れないように
自分を殺してほしい、といってききませんでした。私たちは必死で父をとめ、時に怒り、なだめました。
当時を思い出すと、今でも夕方、肌を切るような寒さの中、
庭に響いた母の悲鳴が思い出されます。
緊急処置室で兄の手を握る母に、兄の名前を叫ぶ父に
「なぜ生きているときに手を差し伸べなかった」
「なぜ今になって必死で呼ぶんだ」
とものすごい剣幕で非難しました。
それも後悔しています
____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●) \ 光の速さでうんこ出したらどうなるの?
/ ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
____
/::::::─三三─\ リアルな話するとお前の住んでる所が消し飛ぶ
/:::::::: ( ○)三(○)\ 光速でウンコほどの質量(約200〜300グラム)
|::::::::::::::::::::(__人__):::: | _____ の物体が動いたら壮絶な衝撃波が発生する
\:::::::: |r┬-| ::/ | | まして地表と激突したら地球はほぼ崩壊
ノ::::::: `ー'´ \ | | P C お前のウンコで地球がヤバイ
____ さらにリアルな話をすると
/:υ::─ニ三─ヾ 相対性理論では物体が光速に近づくにつれ質量は増加し
/:::::::: ( ○)三(○)\ ウンコが光速なった瞬間に質量=∞(無限大)となる為
(:::::υ:::::::::: (__人__)::::: i| ____ 重力崩壊を起こしブラックホールが発生、それが
\::::::::: |r┬-| ::::ノ | | 一瞬で太陽系を含む銀河系が5秒以内に飲み込み
リ:::::::: `ー'´ ::\ | | P C お前のウンコで宇宙がヤバイ
______ またウンコ側をリアルに説明すると
/:υ::─ニjjニ─ヾ 光の速さでウンコをすると、ウンコはスターボウを見る
/:::li|.:( ○)三 (○)\ ウンコの後方は漆黒の闇が、ウンコの進行方向には
(:::||!.:υ::::: (__人__))::: i|| ____ 全ての周囲の風景が一点にあつまって見える
):::::::::::: |r┬-| liυ/ | | そして、ドップラー効果で七色に輝いて見える
/:::::::::::::::υ `ー ' ::::::ヽ | | P C お前のウンコ素敵
669 :
癒されたい名無しさん:2008/07/12(土) 15:45:09 ID:b0KjytwH
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
スーパーマリオブラザーズは女性差別だしセクハラですよ。
なんで、あんな酷いセクハラ作品が子供たちに大っぴらに売られているのでしょう?
まず、男二人が主人公で、捕まるのは女性。これは明らかに女性差別です。
主人公が好色なイタリア人の男。これも子供の教育にはよくありません。
特に二人のあの鼻!!卑猥すぎます。
ブラザースが土管に出入りする、つまり穴兄弟です。
ピーチ姫って、ピーチですよ。オシリです。明らかに性の象徴じゃないですか!!
そして敵がクリボーにノコノコ。これらはキノコに亀です。
明らかに男性器を象徴しています。
ブラックパックンやパックンフラワーなんてもう・・・女性器そのままです。
ゲッソーも性器の形ですし、プクプクもまんま電動フグじゃありませんか!!
ハンマーブロスですって!!まぁ!!
パワーアップアイテムもそうです。キノコに花。これも男性器と女性器です。
しかも、大きくなるんですよ。勃起です勃起。子供には早すぎます。
あのスターってなんですか?よく男性の読むいかがわしい漫画で女性の乳首や性器を
隠すのに用いられるのが星マークですが、それが逃げる、マリオが追いかける、
こういった姿は見せたくないものを無理やり剥ぎ取ろうとするレイプを連想させます。
あぁ、もう言い尽くせません。
マントマリオは当然女性器の俗称をもじったものですし、
しっぽマリオなんてネーミングも外見も全てがセクシャルハラスメントです。
コインを集めると1UP、これはお金さえ出せばもう一回できるということです。
コインがたくさん出るブロックなどを叩く姿などは
ピストン運動そのものではありませんか。
無限増殖はクローンの大量生産。倫理上とてもよくないことです。
さらに、クリアー時のお城は子宮、花火は女性の絶頂とまたは妊娠を表しています。
ドクターマリオが出てから女性の飲み物に薬物を混入する事件が増えたと思いませんか?
マリオカートはレースゲームとしてイカサマ、妨害なんでもあり、どんな手を使ってでも
良いゲームです。つまり、これはレイプです。
マリオゴルフは穴に入れますし、マリオテニスは男性性器をもじっています。
まさにわいせつの宝庫ですね。
親父は俺が小さい頃、観光バスの運転士だった。
俺の自慢の父親だった。ピカピカに磨かれた観光バスを運転する父親が大好きだった。
聞かれてもないのに友達に、俺のトウチャンは観光バスに乗ってると自慢したもんだ。
ただ、朝は早く夜は遅く、泊まりの仕事が大半で、休みも平日しかなく、父親の顔を見るのは月に二回程度だった。
母親に、「トウチャンって凄いね」って聞くと、「お父さんはね、小さい頃から観光バスの運転士になりたくて頑張って頑張ってなったのよ」と聞かされた
小学二年になったある日、父親が「トウチャン観光バス辞めて路線バスに乗るから」って言われた
ショックだった。泣きながら観光バスが良いとダダをこねた
路線バスを運転してる父親を何度か見た
ピカピカの観光バスから、いっぱい広告を張り付けた路線バスだった
家で父親に「カッコ悪いバス」と、嫌味を言った
俺が大きくなった頃は、親父は女がらみ(バスガイド)で路線に下げられたと思っていた
そんな親父が、四月に脳梗塞で死んだ
母親から電話を貰い病院に着いた時はもう遅かった
葬儀の日、父親の会社の他県の本社から数名葬儀に来て頂いた
その中の一人が、私に封筒を渡してこう言った
「あなたが持っていて下さい」と
葬儀も終わり、自宅で封筒を開けてみた
見慣れた父親の字だった
「人事部長様
今回は私の個人的なワガママを聞いて頂きたくペンをとります
ご存知の通り私は現在、貸し切りバス(観光バス)の仕事をしております
仕事は好きですし、やりがいのある仕事だと思っております
ただ、私には小さな子供が二人おります
現状ですと、子供の寝顔しか見ることが出来ない毎日です
本来仕事とは家族を養う為にするものであり、仕事中心の生活で家族との時間が取れないようでは何の為の仕事かわかりません
大変ワガママだとは分かっておりますが、路線バスへの異動を希望します
もし、会社の意向が私の意思と合わないのであれば解雇もやむをえないと考えております
どうか一度検討して頂きたく思います」
こんな文章だった
ただひたすら泣いた…
確に路線バスになってからは日曜は月に三回は休みになり、その度にあちこちに連れて行って貰ってた
親父…ごめん
ちゃんとお礼言ってないや
長文乱筆スマソ
「金太、まぁどうしたの?」
「うん、血が出ちゃったの」
「それでどうしたの?」
「うん、国際病院に入院したの」
「おやつがあるわよ」
「おっ、パイだ」
「一郎、おまえは“天は人の上に人を乗せて人を作る”ってゆー福沢諭吉先生の有名な名言を知ってるかい? 一万円札にもなった福沢諭吉先生は故郷・大分県が排出した立派な教育者なんだよ」
──┐「僕も福沢諭吉先生みたいな立派な教育者になって、いっぱい給料と年金をもらって母ちゃんを楽にするよ」
軽 │
王 │ J( ;'A`)し
│ ( )\( 'A`)
│ || (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そして10年後、母子家庭の苦しい家計の中で俺を大学に行かせてくれた母は亡くなった。
しかし、俺は教師になれなかった。貧乏な俺の家では「就職浪人」も「ニート」も許されなかったからだ。
死の床で、母ちゃんは「貧乏でごめんね」と、繰り返し謝ってくれた。
('A` )
J('A`)し ( )
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ ||
// ̄ ̄ ̄フ /
/ (___/ /
(______ノ
__ 先日、派遣先の会社のテレビニュースで、偶然、大分県庁の偉い公務員が逮捕されたことを知った。
母 | 逮捕された人は、教員採用試験の時に俺と面接した知っている顔だった。
の | 容疑者の男は面接試験の時、不思議と俺に視線を合わそうとしない、おかしな奴だった。
墓 | ∴ ('A`)カーチャン..........
──┐ ∀ << )
大分県の教育 大切なことは福澤諭吉さんに教わった
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1215695386/
549です。
前回書き込んだ後××と、××のお母さんの墓参りに行ったときの話です。
書くか書かないか迷いましたが書くことにします。
三月始め、都内某所のお寺で私は××のお母さんの墓参りに行きました。
前に××の自殺は去年の暮れと書きましたが、
あれは嘘で、本当は三月です。
その日は、××の命日でした。
墓前で色々報告しました。今の心境、周りの人のこと、そして毎年の決定事項、これから××の自殺した場所に向かうこと。
そこまではかなり時間がかかるので、電車に揺られている最中、
いろいろなことを思い出しました。
××と初めて海に行った事、修学旅行での事、二人で馬鹿なことをした事、何故か不思議と、涙は出ませんでした。
そんな時、ふと携帯が鳴りました。
電車の中は私だけ、迷惑では無いだろうと思い、その電話に出ました。
「はい。○○です。」
「あ、もしもし○○ぅー?」
電話は、同窓会をやっている当時の友人からでした。
「なんでお前同窓会来ないのよー。来いよー。今どこー?」
「△△崎。」
「どこだよそこ!聞いた事ねーどマイナー田舎?」
友人は夕方から酒を飲んでいるようでした。
私は飲めない。
しかも、会話があちらの会場に聞えているらしく、
笑い声などが聞えていました。
「そっか、覚えてねぇんだ。××が自殺したとこだよ。ほら、今日命日だろ?墓参りに行くんだ、今その最中。」
あちらが、急に静かになる。
目的地の駅に着いた私は、携帯の電源を切らずにホームへ降り立った。
「もしもし?どしたの?」
返事は聞えなかった。
携帯の電源を切る。その時何か聞こえた気がしたけど、放っておいた。
ゆっくりと歩いて行き、ビルの中へ。
夕日で真っ赤に染まる海を私は眺めた。それはとてもきれいだった。
屋上には、××の祖母がいた。
「お久しぶり、デス。」私の声は途中から変になった。
「こんにちは。」と返される。
ちなみに私の服は真っ黒のスーツに黒のベストにこれまた黒いネクタイだ。白いのはワイシャツだけ。
私は周りの柵に近づいた。
人が一人死んだというのに、フェンスはおろか、何も無い。そのままだ。
私は××にやる花束と火のついた線香を下に放り投げた。
「××はこんないい景色を見ながら死んだんだよなぁ…。
羨ましいぞ、こんにゃろー。」
笑いながら、げしげしと柵を蹴る。
そして、××のお母さん墓前で話したこととほぼ同じ事を話す。
祖母は、何も言わなかった。
「それじゃ、またな。」
そう××に言ってから祖母に会釈をし、帰ろうとしたときだ。
「待ってください。」
祖母に声をかけられた。
祖母は、薄汚れた茶封筒を手渡してきた。
「これは・・・?」
「あの子の、あなた宛の遺書です。あなたがこの日に笑っていて、
私の死を乗り越えたとき渡して欲しいと私宛の遺書に書いてありました。」
そっか、そういう奴だよな。と、私は一人で納得した。
「開けても・・・いいんですか?」
「もちろんです。それはあなたのものです。」
私は丁寧に封筒を破った。
要約すると、内容はこうだ。
・私が死んでから何年月日が経ったか分らないがきっとそれは短いこと。
・○○は強いからすぐに立ち直れると思うということ。
・きっとそれはあたっているということ。
・死んだことによる謝罪のこと。
・でも○○は優しいから許してくれると思うこと。
・○○の夢は絶対叶うということ。
・最後に、私達は親友だということ。
読み終えた。
ぼろぼろぼろぼろ涙が止まらない。
祖母はいつの間にか消えていて、真っ暗な屋上には全身ほぼ真っ黒な私が
立ったまま手紙を抱きしめて大泣きしていた。
私は強くなんか無い。お前の死に立ち直れてない。お前が死んでから十年は軽く経ってる。
最初は布団から出れないくらい落ち込んで一日中泣いた。全然あたってねぇよばか。
私は優しくなんか無いしお前のこと全然許してねぇよばか。謝るくらいなら死ぬなばか。
私の夢の小説家になりたいってのは高校生のとき叶ってんだばか。
私の実力じゃなくお前の余計な暗示で叶ったんなら賞状ちか全部返還してやるぞばか。
有難う、大好きだぞばか。
そんなことを延々叫んでいた。
そのあとは夜行列車に乗って帰った。
夢で××と私が遊んでいた。
起きたら泣いた。畜生。
終わりです。お付き合い有難う御座いました。
` 、` 、` 、` 、` 、` .!::::::::/ `゛ ー- ::::::/ ど
.` 、/ ̄ ̄ ̄`ヽl::::/ ,,,,,.- - 、,,,,,,,,,,,,,,_| う
く う な. l::::| ''"二 _ , -――‐┤ で
るん ん |::::f'"´ `l=={ | す
. で ざ だ |::::l l ヽ | :
し り か |::::|ヽ____ノ ヽ、__,.ゝ ノ
ょ し |::::l//////人_、__,-_人//////`)ノ´|::
う て > ', ノ{|i!||l|li|l|}|l|iヾ、 ノ |::
!? /!:::lト, /ーt―――‐ァ{ / /|::
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, ", ", ", ", ", ", ",. "/:.:.:`ゝ、 _ノ - '´/ ,. -
680 :
癒されたい名無しさん:2008/07/28(月) 15:44:00 ID:IUcYZB+8
あ
682 :
癒されたい名無しさん:2008/07/29(火) 21:32:18 ID:tEoTau0H
僕が小学校4年生の時、10歳の誕生日会を開くことになった。
土曜日に仲の良い友達、みんなに声かけた。「明日来てくれる?」って。
みんな、「うん!絶対行くよ!」って言った。
俺は引っ込み思案で誕生日会なんて開くの初めてだったからドキドキしてた。
母さんは張り切ってケーキを買ってきた。
プリンアラモード?の小さいやつをみんなの分。人数分。
当日ドキドキしながら待ってたけど。。。。来ない、だれも。
10時、12時、ずーと待って3時近くなった。
「電話してみたら?」母さんは言った。
電話したけど誰も出ない。
いや、親とかは出るけど「出かけた」とか「用事がある」とか。。。
最後の一人。
「あの○○君いますか?」
「ちょっと待っててね」
いた。
「もしもし、今日来れる?」
「ごめん、用事が出来て。今日はいけない。ホントにごめんね」
「そうなんだ。わかった、じゃあね」
「うん、じゃあね」
僕は聞き逃さなかった。
電話の向こうに誕生日会に誘った、みんなの笑い声が聞こえた。
あー、こいつの家にみんないるのか。
そのうちに雨が降り始めた。
雨はどんどん強くなって、土砂降りになった
女性は働きたければ働いて、働きたくなきゃ働かない、辛くなったらやめていい。
そもそも女性に辛い仕事を押し付けないこと。かといって雑用やらせるのもダメ。
それで給与も昇進も平等にね。ただし残業、転勤、深夜当直させたら女性差別だよ。
間接差別禁止規定って知ってるでしょ。なんでも平等にね。髪形と服装は女性の自由だけど。
それからアファーマティブアクションと管理職30%目標もね。産休育休もね。当然給与40%保障で。
主婦と言っても、家事を強制される言われはないし、出産するかどうかは女が決めること。
でも産まれたら育児を女性に押し付けないでね。二人の子供なんだから当然でしょ。
ただし離婚したら親権は母親のものだよ。育児は女性のほうが向いてるんだし。
それから働く夫を妻が支えるなんて時代遅れの女性差別。
これからは働く妻を夫が支えなきゃ。
あ、もちろん収入は夫の方が多くて当然だけどね。妻には扶養請求権だってあるんだから。
それと夫は妻に優しくね。妻が望まないセックスは家庭内レイプだよ。
夫が妻のセックスの求めに応じないと離婚事由になるけどね。
離婚したら慰謝料とか財産分与とかまあ当然だけど。
女性はか弱いから母子手当ても生活保護も税金控除も当然だよね。足りないぐらい。
それと女性に女らしさを押し付けないでよ。
そんなの窮屈で面倒だし、いまさら男尊女卑ですかって感じ。
でも男はやっぱ男らしくないとね。
いつになったらレディーファースト覚えるの?ワリカンなんてありえないし。
少子化だって男のせいでしょ。男がだらしないから女性が結婚できないんだよ。
え?レディースデー?あれはいいの。
別に私たちが頼んだ訳じゃないし。店が勝手にやってるんでしょ。
684 :
682:2008/07/29(火) 22:04:07 ID:tEoTau0H
もの凄い寂しさに包まれて、一人で泣いてた。
「みんなの分食べちゃおうか?」
母さんは言った。
「・・・いい、いらない」
食べる気にはなれなかった。
腹がキューッと締め付けられて、無理だった。
雨が土砂降りで更に哀しさを煽った。
『ピンポーン』
5時くらいかな、家の呼び鈴が鳴った。
「はーい」
俺はグズッてたから母さんが出た。
「みー君来たよ」
俺は赤くなった眼をこすりながら玄関に行った。
そこにはずぶ濡れのみー君が立っていた。
「ごめんね。塾があって、こんな時間にきて」
俺はびっくりした。
みー君とは昔はよく一緒に遊んだけど、クラスが代わって
あんまり遊ばなくなった。
と言うか、呼んでなかった。誕生日会に。
彼は俺の誕生日を覚えていてくれた。
「はい」
みー君はビニール袋を差し出した。
中古のファミコンのソフト。
今でも覚えてる、『コナミ ワイワイワールド』が入ってた。
「じゃあね。」
みー君は帰ろうとした。
俺は「待って」と言った。
「ケーキ、食べない?」
母さんはみー君の家に電話をかけていた。
『遅くなってもいいですか?帰りは、お宅まで送りますので』
俺と、みー君はファミコンをして、母さんの料理を食べて
みんなの分のケーキを食べた。たくさん、たくさん
ほんの2時間ぐらいだったけど、最高に楽しかった。
みー君、あの時はホントにありがとう。
みー君、元気かな。今頃何してるだろう。
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. で ざ だ |::::l l ヽ | :
し り か |::::|ヽ____ノ ヽ、__,.ゝ ノ
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686 :
名無し:2008/07/30(水) 19:06:37 ID:y3LjX9ga
自分が小学6年のときに、じいちゃんが
亡くなりました。
その日おじいちゃんは、いつもどおり畑仕事をしていて、「おかえり」と、
言ってくれました。
自分の家族は、母、父、兄、自分、じいちゃん、ばあちゃんの、6人家族でした。
兄は高校生で、寮にいました。
2階にいた自分は、ジュースが飲みたくなって、1階におりました。
すると、おばあちゃんが騒いでいました。「瞳孔」や、「119」という言葉が、何度も聞こえてきました。
父も母も、仕事に行っていたので、すぐに電話しました。
病院にいたときのことは、ほとんどおぼえていません。
「残念ですが・・・」という知らない人の声が聞こえ、自分や、家族、親戚の人たちが、おじいちゃんの運ば
れていった部屋に入った。
寝ているおじいちゃんにふれたとたん、自分は思った。
「この冷たさは何?」「この人は、さっきまで笑っていたおじいちゃんか?」
「悲しい」
ただ、これだけは、おぼえてる。自分は、狂ったように怒鳴っていた。ただ泣きながら・・・
それから後は、おぼえてない。
その後、飲もうと思っていたジュースを飲んだ。2つ。
おじいちゃんといっしょに飲むはずだったジュース。
味は・・・りんごの味。ぼくの目からつたってきたものと混ざって少ししょっぱかった・・・
終わりです。ありがとうございました。
687 :
名無し:2008/07/30(水) 19:17:54 ID:y3LjX9ga
686に書きました。初めて書いたので、すっごい不安です。
つまらなかったとしたらすいません。
ちなみに自分の性格はスーパーネガティブです。
まだまだ悲しい話があります。また書こうと思ってます。
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689 :
ぼんべ:2008/07/31(木) 19:05:40 ID:o6CRzPoG
私は去年、左腕を骨折した。
体育大会の2日前に
30人31脚のような競技の練習の時に
うちらの近くの人達は止まっていた
が、遠くにおった奴らは走ってた
それでバランスを崩し、引きずられた
手で支えるのが何もなく、私は倒れた
すごい痛みが走った
「立てるか?」
担任がうちに言った
私が立とうと手を地面に置いて立とうとした
でも立てない
左腕が痛すぎて立てなかった
そしたらある子が
私を起こしてくれた
(友達いわく、友達とある女子で起こしてくれたらしい)
私は涙を流してたらしい
すごく腕が痛くて痛くて...
「保健室行ってこい!」
担任がそううちに言ったので
私は保健室へ行った
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く う な. l::::| ''"二 _ , -――‐┤ で
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>>687 つまらなくないし、大切な思い出。
吐き出していきな。
692 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 13:56:54 ID:0y6ZwKso
689の続きです
保健室の先生がうちに
「腕動かせる?」
って言った
「無理...」
先生わまさかと思ったらしい
でも時間帯的に病院がやっていないので
2時間ほど保健室で腕を冷やして
寝転がっていた
そして、うちの親に連絡して来てもらった
「病院に行って診てもらって下さい。
下手すると骨折している可能性があります」
私と親(母)はすぐ病院へ行って
レントゲンを撮ったりした
「骨折…してますね。3か所ほど。
あとひびも入ってますね」
私は呆然とした
こんな時に…
「じゃあ、体育大会は…」
「諦めてください」
「応援も…ですか?」
「腕はなるべく動かさないようにしてください」
「そうですか…」
私は悲しくなった
そして、悔しかった
中学最後の体育大会で
頑張ってここまでやってきたのに…
「明日も来て下さい。」
そう言われ、腕を固定された
その後に塾に行ったら
皆びっくりしていた
(うちの塾には同じ中学の人がいませんでした)
次の日、病院へ行って
それから学校へ行った
社会の授業中だった
後ろから右手でドアを引いて
教室へ入った
693 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 14:05:55 ID:0y6ZwKso
そしたらクラスの皆が
うちを見てきた
みんなびっくりしてた
社会の先生は「ノート書きにくいだろ。」と言い
簡単にプリントにしてくれた
隣の席の男子もうちのノートをとってくれたりした
これが体育大会前日
準備の時は保健室にいた
クラスが違う友達もいた
その子もうちと同じようなことになって
足を麻痺してしまい
車いすで足を動かさないようにしていた
うちは保健室の先生と喋っていた
「2日前になあ…辛いよね」
そう言い、保健室の先生は涙を流していた
「一生懸命練習してたのに」
当日、雨で中止になり
次の日に延期された
次の日、空は雲ひとつない青空だった
学校に行くと、応援団の子(友達)が
うちに手紙を渡してきた
私は手紙を読んだ
「今までの練習お疲れさま。
ぼんべ、腕大丈夫?この体育大会の出れんって
すごく嫌やと思うし、うちもぼんべとやれんで
すごく悲しいけど、今日はぼんべの分までまじ
頑張るからね!
横ムカデ、絶対完走するから!ぼんべも応援
して下さい!綱引き、1組倒すからぼんべかなり応援してな♪
応援も今まで頑張ってくれてありがとう!
優勝するから見とってね!
本当、今まで頑張ってくれてありがと!
今日は、ぼんべの分までがんばる。
絶対みんなで笑おーね!」
私は泣いた
「泣くの早いって!まだ始まってないのに!」
そうして体育大会が始まった
694 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 14:13:37 ID:0y6ZwKso
ついに横ムカデ、
33人+1人+私の戦いが始まった
私は出れないので本部席で見ていた
うちのクラスは一番最初だった
波を作っていかなきゃいけない
そして、うちのクラスの番
足首を手ぬぐいで縛り
準備が出来た
ピストルから音が鳴った
「せーのっ!」
笛の係の子が声をかけた
いちに、いちに、いちに、
「がんばれー!!!!!!」
私は本部席から応援した
完走した
練習では完走できなかった
はじめて完走できたんだ
私は嬉しくてたまらなく
泣きながら走り終わった後に皆の
所へ走っていった
皆で抱き合い、そして泣いた
今日1日でどんだけ泣くんやてうち…
他の4クラスも無事完走し
学年皆で喜び合った
そして、応援合戦も終わり
いよいよ結果発表…
応援も、総合も
何も取れなかった
悔しかったけど
そんなことどうでもよかった
何よりも皆で喜び合えたことが
一番よかった
そして、中学最後の
体育大会が終わった
695 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 14:35:11 ID:0y6ZwKso
それから1ヵ月
私は毎日病院へ行って
電磁波の治療をした
1ヵ月間は
仲間の大切さを実感した
給食当番ができないので
代わってやってもらったり
美術の時に絵の具やバケツなどを
用意したり片付けてくれたり
このクラスはいい奴ばっかだった
そして、受験が近付いてきた
その時には腕は治っていた
うちは商業高校の情報科に行きたいと
調査票に書いた
うちはバカで普通校行ってもついていけない
なら自分の得意なパソコンで
将来やっていこうと思っていた
情報科はITとかマルチメディアの勉強をする科だ
内申は足りているのだが
問題が学力
しかも今年が商業高校などの
専門高校が人気なため
毎年定員割れしていた情報科は
定員オーバーした
だから一生懸命勉強した
卒業式
皆で泣いた
でもこれが最後じゃない
最後は離任式
だけど、ある男子は
遠くの私立に行って
寮生活をすることになっていた
だからそいつとは最後だった
そして2日後には
入試が迫っていた
とりあえず私立は決まっているが
うちは公立に行きたい
そして入試の日になった
情報科を受けていたのは
うちの中学で2人だけ
そして合格した
696 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 14:47:22 ID:0y6ZwKso
そして離任式
これで私の中学生活が
本当に終わり
知り合いもほとんどいない高校で
過ごすことになる
学校に行ったら
皆が手紙を渡してくれた
後輩も休み時間で急いで
私の所に来て手紙や色紙を
渡しにきた
離任式も終わり担任とも話し
そろそろ中学ともお別れの時間となった
私は高校生になる
思い出をありがとう
3年4組
うちの母校
697 :
ぼんべ:2008/08/01(金) 14:52:56 ID:0y6ZwKso
この前、友達からメールがきた
「同窓会やります!」
みんなと半年ぶりに会える!
しかも今月に
楽しみで楽しみで仕方ない
あんないい奴等と出会えて
うちは幸せです
これで最後です
ありがとうございました
______
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||:::::::::::::::::::::; :;|| の
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||.-‐'''"^~ || レ
|| || は
|| || 岡
||. ,,,,, ,,,|| 田
||''"""'' ''"|| に
||=・=‐, =・|| 覗
||"''''" | "''|| か
|| ヽ || れ
||. ^-^ .|| て
|| ‐-===- || い
|| "'''''''" .|| ま
||,,,________,,|| す
私は父方の祖父が苦手でした。
温厚な父とはかけ離れた気性の荒い性格で,本当に親子なのだろうかと思うこともよくありました。
おまけに説教好きで,聞いていて耳が痛くなるようなこともずけずけという人でした。
戦前の世代の割りに大柄で,180cm近くあるその体格のせいもあり,子供の頃は「鬼」のような人だと思っていました。
家が近所なのでよく父は私と弟を休日の夕方になると遊び連れて行きましたが,祖父は私の母とは折り合いが良くなく,父に対してよく文句を言っていたもので,小学校高学年くらいになると子供なりに大体の事情もわかってきて,しだいに私は祖父を敬遠するようになりました。
中学,高校と年を重ねるごとにどんどん疎遠になり,大学に進学して実家を離れてからは年に数度会う程度になりました。
私に合格祝いにと,一本の樹を贈ってくれましたが,私は大したせわもせず,それを1年ほどで枯らしてしまいました。
しかし,今から思えば,大学に合格したとき,誰よりも喜んでいたのは祖父でした。
戦争で動員されて学問の道を断たれた祖父にとっては自分が果たすことが出来なかった夢を孫が果たしてくれたという思いもあったのでしょう。
そんな祖父の気持ちに気付かないまま,私が大学に入学してしばらくしてから,癌を患い,入院しましたが例によって気難しい性格で周りを困らせました。
そんなことは後から聞いた話で,私は学校が忙しいと言い訳をして見舞いには行きませんでした。
周りを困らせるぐらいだから手術を受けるとすぐに退院し,次の年の新年の挨拶のときも何事も無かったような以前の祖父の姿がありました。
その時は「やっぱり鬼みたく生命力の強い人だなぁ」と思っていたのですが,しかし,以前のままと言うことはなくて,実際は癌の再発を抑えるために抗癌剤を呑み続け,定期的に検査を受けていたのです。
年の割りに元気だったことも災いし,私が大学を卒業する頃にはまた癌が再発しました。
悪性リンパ腫をわずらったのです。
という話は祖父が亡くなる直前になって初めて弟から聞かされた話で,大学院を経て,とある役所に就職が決まった頃,挨拶に行った時に以前会った時よりも明らかに衰えた祖父の姿がそこにありました。
「まぁ,歳も歳だしこんなものかなぁ」と思いながら祖父に就職が決まったことを伝えました。
祖父はタバコを吸いながら,「そうか。よかったなぁ。人に気持ちがわかる役人になれよ」と,言いました。
タバコを吸う祖父の背中は以前のように厳格さを感じさせるものではありませんでした。
この時になって初めて「あれ??」と思ったのです。
(続く)
帰り際に,祖父は「全国勤務なら色んなところに行くんやろ。行く先々でお土産でも送ってくれや」と言いました。
私は「わかった」と返事をしました。
その頃にはマーカーの値がかなり上がっており,他の部位にも移転し始めていたのです。
弟は実家から通える大学に進学したこと,また,医学系の学生だったこともあり,祖父の容態について家族の誰よりも把握していました。
検査結果からわかったことを家族に伝え,祖父には濁すところを適当に濁して伝えていましたが,祖父は自分に死期近づいていることを悟っているようだったそうです。
就職が決まった次の年の新年の挨拶の帰り,祖父は自分が建てたマンションを描いた油絵を見ながら,(私の実家はそのマンションの一室にある)「これが建ったときは本当に嬉しかった」としみじみと語りました。
今までにそんなことは一度もなかったのでおかしいなぁと思いながら祖父と祖母を玄関で見送りました。
それが結局祖父が自分が建てたマンションを訪れた最後の日になりました。
翌月,通院していた病院から「今後は積極的な治療をせずにホスピスに転院して様子を診ましょう」と勧められました。
事実上,完治は無理だということです。
祖父は入院を拒み続けましたが,結局3月の中頃に倒れ,入院することになりました。
その頃,私も配属先が決まり,提出物を整理したり引越しの手配をしたりと忙しく,また,私を気遣った父からは「大したことない。元気やけど,病院やったら何かと便利やから入院してもらったんや」と言われ,結局見舞いには行けませんでした。
4月になり,私は上京しました。
上京してからは研修を受ける毎日で,たまに実家に電話をかけて祖父の容態を尋ねても「大丈夫」という返答が返ってくるので安心していました。
就職したばかりで自分のことで精一杯だろうと家族のみんなが気を遣ってくれいていたのでした。
ただ,一度弟から用事があって電話がかかってきたとき「...。それからな,おじいちゃんもう長くないかもしれんで」と聞かされました。
そんなこともあって,思い切って週末に新幹線に飛び乗り,実家に帰った時,母から「いい時に帰ってきたわ。お爺ちゃん,もう長くはないかもしれんわ。私も今から行くところやからあんたもおいで」と言われました。
父からは「びっくりするかもしれんけど,入院してから急に衰えてしもぅた。お前の元気な姿見せてやってくれ」と言われ,不安ばかりが募りました。
病院に着き,病室に入ると,聞かされていたような状態ではなく,割と元気そうな祖父の姿がそこにありました。
「仕事はどうや??」と聞かれ,「研修中やし正直なところ,あまりよくわからんわ」と応えると,「そうやなぁ」と祖父が言いました。
今から思えば,「バリバリがんばっとるよ」と言えばよかったなぁと後悔しています。
しばらく世間話をしてそろそろ帰ろうかなぁとした頃,「名刺,もう作ったか??」と聞かれました。
「うん。今持っとるよ。もらってくれる??」と祖父に渡しました。
祖父は「おおきに。立派になったもんや。仕事がんばりや。眠くなってきたから昼寝するわ」といい,目を閉じました。
後でわかったのですが,祖父が無理をして元気に振舞っていたのです。
そのことに気付かなかった私は大ばか者です。
そんなこともあり,急に逝くことはないだろうと安心して再び上京し,その後,配属先に着任し何事もなく数週間が過ぎました。
その間,家族からも特に連絡もなく,病状が悪化したという知らせもなかったので安心していたのですが...。
職場に慣れ始めた頃,GWになり,実家に戻りました。
その頃にはもう,祖父は無理をする元気もなく,寝たきりの状態になっていました。
食事もミキサー食になり,母が付き添いをしなければ食事をすることもできなくなっていました。
あれ程忌み嫌っていた母から介護を受ける祖父はどんな気持ちだろうかと思うと切なくなってきました。
それでも「すまんなぁ,ありがとう」と言う祖父を見ているとそれはもう私が知っている祖父ではなくて,まるで別人を見ているような気分になり,私は思わず「ちょっとお手洗いに...」といってトイレに入り,泣きました。
(続く)
帰りの車中で父が「喪服はこっちにおいとったな??」と聞きました。
私は「うん...。」と言うだけでした。
職場に戻ってから1週間後の朝,携帯を見ると留守電が入っていました。
弟からでした。
「おじいちゃんが今日亡くなりました。これ聞いたら連絡ください」
特別休暇をもらって実家に帰り,祖父の家に行くと,祖父が寝ていました。
少なくとも,そう感じさせるような穏やかな表情でした。
今にも起きて,「タバコとビール買うてきてくれるか」と言いそうな気がしました。
父に聞いたところ,「ここ数日は容態が安定していたからこんなに急に逝くとは思わんかったわ。まだ僕も信じられんのや」と語りました。
誰にも看取らせず,自分の好きなタイミングで逝ってしまったんだろうなぁと思うと,ちょっとだけ祖父のことが好きになれました。
生前はそういう祖父の身勝手なところが大嫌いだったのに。
最後の別れの時,私は祖父が好きだったタバコを忍ばせ,胸元には私の名刺を入れました。
「お土産送るな」という約束を守れなかったことだけが心残りです。
後悔先は立たないものだということをその時初めて実感しました。
お盆に実家に帰るときにはご仏前に供えるお土産を買って帰ろうと思います。
金曜の夜 土曜の朝 土曜の夜 日曜の朝 日曜の昼 日曜の夕 月曜の朝
∧∧ ∧∧ ∧∧ ┃:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ∧||∧
(・∀・) ∩・∀・) (・∀・)∩....┃::: ∧∧::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::( ⌒ヽ
/ ⊃⊃ ヽ ⊃ノ /⊃ / ... ┃:::('д` )::::::::::::∧ ∧::::::::::::::::::::::::::::::::::: ∪ ノ
( ( ヽ )つ〜( ヽノ .....┃:::と ヽ::::::::: ('д` )::::::( )⌒ヽ;:::::::::: ∪∪
(/(/' (/ し^ J ...┃:::⊂,,_UO〜:::(∩∩ ):::::|/.|/uと )〜:::::::::::::::
703 :
癒されたい名無しさん:2008/08/06(水) 21:28:58 ID:pZGXFCr/
私には祖母がいた。
やかましくて厳しい祖母が、我がままな小学生だった私は嫌いだった。
祖母に叱られると大声を出し暴れる私に困って両親が
「お母さん、○○がうるさいから放っておいてよ」と
逆に叱られる祖母にいい気味だと思っていた。
ある日、私は妹とお人形遊びをしていて、一つ足りないと
二階の部屋に上がっていった。
そこには、床にお人形を並べ、一人で遊ぶ祖母がいた。
「貸して!」と探していたお人形を取り上げると一瞬祖母が
手を伸ばした。
私は(取り上げる罪悪感に)ドキッとしたが、かまわず
階段を降りていってしまった。
その後、祖母は身体が弱り長期入院するようになった。
たまにお見舞いに行くと帽子を編んであげようねと作るのだが
どれも幼児サイズ。
祖母の眼に映っている私は、素直で可愛らしかった小学生前の私のようだった。
やがて祖母は亡くなりお葬式の時、あの時のお人形を取り上げたことが
思い出され私は始めて「後悔」ということを涙と共に知った。
どうして一緒に遊んであげなかったのかと。
その後悔は今でも続いている。
お婆ちゃん、ごめんね・・・。
∩___∩
(ヽ | ノ ヽ /)
(((i ) / (゜) (゜) | ( i))) <悔しいの〜 悔しいの〜www
/∠彡 ( _●_) |_ゝ \
( ___、 |∪| ,__ )
| ヽノ /´
| /
707 :
癒されたい名無しさん:2008/09/28(日) 02:14:34 ID:XHkuaRYp
たまにオヤジの事思うと色々複雑な感じになる。
オイラ今思えば虐待受けてたんよね。
4人兄弟の次男坊でよくある感じで兄貴はチヤホヤ、オイラ相手にされず的な、大っ嫌いな親父やった。アル中やしね
酔って金属バットでボコボコとか当たり前で普通に頭から血が流れてた、おかげで自分の血には慣れたけど。
でも唯一、おかんはそんなオイラを守ってた。あんたばっかりなんでやねんって
親父に面と向かって言う事は無かったけど、非力ながら親父の居ない所でオイラを慰めてた。
うわぁ長すぎるぅ、
ここで辞めとく、意外に小説みたいな感じになりそう。別で携帯小説として書いてみよ。
708 :
癒されたい名無しさん:2008/09/28(日) 07:15:04 ID:qxmc4//D
おじいちゃん・おばあちゃん話は
すごく泣けた
気づいた
本当にありがとう
絶対に自分たちより
先は長くないのに、わかってるのに
なんで話を聞いてあげる時間を作らないんだろう
なんで邪険にしちゃうんだろう
孫の私なのに
おじいちゃんいなくなっちゃって
ひとりで寂しい部屋なのわかってるのに
なんで遊びにいってあげないんだろう
明日はおばあちゃんとでかけてみよう
★抜ける話
710 :
癒されたい名無しさん:2008/09/28(日) 18:56:46 ID:Jdn/sMyA
彼はいつも眩しいスポットライトの下にいた。
とても人気があったし、実力だって十分にあった。
けれどその分、辛いこともあった。
厳しい世界だ。仲間だってライバルで、どんどん辞めてく。
そんな彼を支えたのは彼の彼女だった。
長年付き合ってるとかってわけではなかったが、すごく愛し合っていた。
彼は彼女の為に頑張ったようなもんだった。
でもある日、彼女は事故でなくなった。飲酒運転だった。
彼は今まで積み重ねてきた努力を捨てた。
その代わり、彼はすごく優しくなった。すごく強い人になった。
やっぱり、そんな彼を好きのなる人はたくさんいた。
でも彼は高校生になってもしばらく彼女を作らなかった。
聞いてみると、「あいつほど本気になれる女がいない」んだと。
そんな中で彼にすごく積極的な子がいた。
会話の中でも普通に好き、と言ってよく困らせていた。
告白したのは数知れない。でも彼はいつも俺じゃだめだよ、と言った。
彼女は心臓に病気をもっていた。そして彼は人が死んだりすることに敏感だった。
とうとう彼女は発作が起きたと嘘ついて構ってもらおうとした。
彼は何度嘘つかれても、たくさんの汗をかいて彼女のもとへ向かった。
とうとう彼女は「付き合ってくれないと自殺する」と言った。
さすがに彼は相手にしなかった。まさか、と思ったのだろう。
でも彼女は本当に自殺しようとした。彼の目の前で電車のホームで飛び込もうとした。
彼は彼女と付き合いだした。彼女の口癖は「私のことすき?」だった。
彼は優しいから、いつも少し悲しそうに「すきだよ」と言っていた。
そんなある日、彼のお父さんが亡くなった。
体育祭の練習をしているときだった。彼はクラスのみんなにこう言った。
「あの、なんか・・・」こっからは彼は泣いていた。
俺は生まれたときから彼と仲良くしていたが、泣いたのは初めてみた。
「今、俺の親父・・死んじゃったんで・・・」彼は泣いてることを隠そうとしていた。
「ごめんなさい・・練習抜けます・・」彼は走っていってしまった。
彼のお父さんが前から危なかったの知っていた。でも彼女は知らなかった。
その時彼女はすごく驚いた顔をしていた。意味が分からない、と。
きっと彼はもうあまり長くない彼女にはいえなかったのだと思う。
711 :
癒されたい名無しさん:2008/09/28(日) 19:01:54 ID:Jdn/sMyA
彼は誰に対しても優しかった。さりげなくやさしかった。
よく相談されたりしている所を見かけた。彼は慕われていた。
彼はお父さんが亡くなってから働くことになった。
彼には妹がいた。まだ中学生になったばかりだった。
迷わず高校を辞めて、彼は必死に働いた。
ときどき、夜中に仕事帰りだと思われる彼をみかける。
たまに電話しようかな、とか声をかけようかなと思うけど、
こんな風に何にも一生懸命じゃない俺は恥ずかしくてできない。
彼女とはどうなったかは知らないが、きっとまだ付き合っていると思う。
俺は彼を尊敬している。
,.';' ザッザッザ・・・
';';,.. ザッザッザ・・・
'';;';';;,.,
''';;';';;'';;;,.,
''';;';'';';''';;'';;;,., 半島からきますた
半島からきますた ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
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713 :
二十歳:2008/09/28(日) 23:31:51 ID:5FDeqlbs
携帯だけど書いてもいいかな?
714 :
二十歳:2008/09/28(日) 23:38:09 ID:5FDeqlbs
長くならないようにするけど多分長くなるwwww
お母さんへ。言えないからここで言わせてもらう。
お母さん、お母さんは母としては最低です。幼い頃の思い出は餓えと傷がついた体の痛み。
知り合いのおじさんに乱暴された時もお母さんは助けてくれなかった。
お腹が痛くて痛くて仕方なかった時も迎えには来てくれなかった。
約束は破られて当たり前だった。
殴られるのはいつも私だった。
お母さん。
ひどいよね?お母さんのしたこと。
715 :
二十歳:2008/09/28(日) 23:44:05 ID:5FDeqlbs
でも、うち、お母さんを嫌いになれないよ。
なんでうちの片耳が聞こえないってわかった時に謝ったの?
なんでうちが家燃やしたのに怒らなかったの?
なんで朝まで仕事してたのに学校行事には必ず来たの?
なんでいつも手を繋いで歩いてたの?
なんでいつも笑ってたの?
なんで今になってごめんって言うの?
なんで?
うちはもっともっともっとお母さんと一緒にいたいよ。
うちはお母さんが大好きだよ。
やのに、なんで?
お母さん、もっと一緒にいようよ。
もっともっともっと一緒にいようよ。
沖縄まだ行ってないよ。
うちまだ謝らなきゃいけないことたくさんあるんだよ。
まだありがとうって言わなきゃいけないことたくさんあるんだよ。
/ \l',)  ̄ヽ / ̄ | / | ( / ̄) ' ̄) 田 ↓ ┴┴  ̄ ̄)
b ‐┼‐ | | ┴|.ヽ|/.|  ̄| ̄ × 口 ∠ 白
‐┼‐ ‐┼‐ | | ] / フ|ヽ| ヽ‐┼‐ ‐┼‐ ─ l └─┘ll└─‐
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| ( ̄人 ̄) |
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
小学生の時の話。
下校途中の道に小学生の人だかりが見えた。
友達と一緒になんだろうと?覗くと、一匹の鳩でした。
鳩はお腹から赤い紐みたいなものをぶら下げて、苦しそうにくるくる回っていました。
私達小学生はどうすることもできず、ただ鳩を見守しかありません。
いよいよ、鳩は動くのを止め、座りこんでししまいました。
その時、〇〇弁当と書かれた一台のトラックが止まり、中から若い20代前半くらいの男の人でてきて、
『どうしたの?』
と近づいてきました。
私達は少し涙目になりながら、
『鳩さんが動かなくなっちゃった…』
と、事情を説明しました。
すると、お兄さんは暫く腕時計を気にしていましたが、
『大丈夫だよ。』
と、一言いってタオルに鳩をくるみ、鳩を連れてトラックで去っていきました。
次の日の帰り道。
昨日の鳩がいた場所に、風に飛ばないように石止めされた、一通の手紙が置いてありました。
私達はきっとあのお兄さんだ!と思い駆け寄りました。
手紙にこう書いてありました。
「〜ここで傷付いた鳩を見つけた〇〇小学校の子供たちへ〜
すぐに動物病院に連れて行きましたが、鳩は体力がもたず、あの後息をひきとりま
あの後息をひきとりました。
病院の先生は野犬か野良猫に襲われたんだろう、と言っていました。
鳩は仕事が終わったあとすぐに家の近くに埋めました。
助けてあげられなくてごめんなさい。
鳩は死んでしまったけど、僕は君たちの優しい心を決して忘れません。
天国の鳩もきっと喜んでいるよ」
弁当屋のお兄さん、私もあなたの優しい心を決して忘れません。
きっと仕事中だったでしょうに、鳩を病院まで連れていってくれたお兄さん。
お金もかかったでしょう。
お兄さん、私もあなたのような優しい大人になれたらいいな。
本当にありがとう!
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先日、実家から100mの近所にある伯父の家に娘連れで遊びに行きました。
2歳の娘は従弟のスラムダンク単行本に興味津々。
1ページ見ては横に積み、全巻積み直す勢いでした。
それをみた伯母が「ごめん、それお兄ちゃんの大事な本だから、触らないで」と娘に注意。
別に破ったりしてないのに、、、と一瞬思いましたが、
伯母はその理由をポツリポツリ語りだしました。
7年前に私の父が59歳で急死。
当時大学生だったその従弟は家から車で1時間程の場所に下宿してました。
伯母からの知らせで私の父の死を知り、帰ってくるように言われた従弟。
実は手元に200円しかありませんでした。
でも伯母の取り乱した様子に「お金がない」と言えず、それでも帰らねばと思った彼は
大事にしていたスラムダンク全巻をブックオフに売って
そのお金で帰ってきたそうです。
寡黙な従弟は何も言わないのでつい最近まで伯母も知らなかったそうですが、
今は社会人として伯父宅から通勤している従弟が
ある日給料日に全巻一気に買ってきたそうです。
「いい年をしてそんな漫画買って!」とブチブチ言っていたら、
私の父の葬儀の時に手放した話をしたそうです。
すごく大切に扱われていて、ページの折れも表紙の汚れもなくて
本当に綺麗な全巻が揃ってました。
721 :
か:2008/10/11(土) 21:40:24 ID:z7j0LrZO
ん
722 :
癒されたい名無しさん:2008/10/12(日) 02:09:35 ID:0d89gym9
携帯からですが全部読んで書かせて下さい。
私は中学の時、ワルい人間がするという事は、人殺し以外するというぐらい荒れた学生でした。
そんな中、誰もが来る受験に私にも来たのですが、そんな中また警察のお世話様になり、学校に親が呼び出されすぎて会社がクビになり、両親2人には迷惑かけっぱなしでした。
警察は少年事件がある度、家にきたり保護観察状態でした。
そんなある日ツレの一人がどうせ高校行くなら良い所行こうぜと言われて、軽いノリで落ちたら就職!と思い、私立は受けませんでした。
やるからには後悔はしたくない性格だったので試験まで一ヶ月やろうと思い、先生も親も諦めて受けさせてくれました。
723 :
癒されたい名無しさん:2008/10/12(日) 02:23:06 ID:0d89gym9
続き
合格発表の朝、母親に制服代と教科書代いくらと聞かれ、『どうせ落ちてるからいらねぇから』と言いましたがいつもはうん、とか愛想ない親が『いいから教えて』と感情むき出しで聞いてきてビックリして『10万ぐらいじゃねぇ』と言いました。
学校へ行くと番号がありビックリと喜んでいたら母親が泣きながら『ねっ』って言われた時なんか泣けてきてしまい、トイレまで走って初めて後悔した時でした。
こんな乱文読んで下さりありがとうございました。
724 :
癒されたい名無しさん:2008/10/24(金) 16:22:34 ID:0HCvwLEU
【感動】喪女のちょっと良い話2【喪話】
112:09/14(日) 09:44 4Hyaq1iO
おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
その日からは介護の人を頼んだり、家族にも頼ってくれたりでおばあちゃんの負担も減った。
725 :
癒されたい名無しさん:2008/10/24(金) 21:58:11 ID:+iboIUHV
僕が中3だった去年、大好きなじいちゃんが亡くなりました。
深夜12時ぐらいに病院から電話があって、
「病状が変わったのですぐに来て欲しい」とのことでした。
病院に行くと医者が出てきて、心臓マッサージをしながら、
「マッサージをすると心臓が動き始めるんです。しかし、やめてしまうと止まるんです。延命しますか?」と言いました。
ばあちゃんは「いいです。」と答えました。
亡くなった理由は分からないのですが、本当に急でした。
葬儀場から出棺されるとき、僕は堪えられなくなり1人で号泣してしまいました。
どうしようもないぐらい涙が溢れ出てきてしまいました。
じいちゃん、
もっと囲碁と将棋したかったよ。
もっと話したかったよ。
もっと笑顔見たかったよ。
俺、じいちゃんの声と笑顔忘れちゃうの嫌だよ。
フフフ
ふふふ
727 :
癒されたい名無しさん:2008/10/24(金) 23:45:53 ID:3UQqqYW7
皆さん
泣ける話をありがとう。
今夜は熟睡できそうです(?ω。)
はきそうです
729 :
癒されたい名無しさん:2008/10/27(月) 00:59:02 ID:c4qzVePq
妹を産んで死んだ母親の話貼ってくれ
泣けるかどうかは分からないけども。
小学校低学年の頃、じいちゃんにおつかい頼まれたことがあった。
千円を渡されポケットに入れ、10分ほど歩いたところにあるスーパーに行った。
スーパーに着き、目当ての商品を購入しようとした。
がしかし、ポケットに入れてた千円がなくなっていた。
スーパーの中、歩いてきた道を隈なく探したのだが、見つからない。
千円もの大金を無くして泣きそうになり、家に帰った。
母がいて、おじいちゃんから預かった千円を無くしてしまったと話すと、
今まで我慢してた涙が止まらなくなった。よほど悔しかったのかな。
すると母は、「分かった、探してきてあげる」と言って外へ出て行った。
5分くらいして帰ってくると、
「○○さんちの前に千円落ちてたよ、はい」
と渡してくれた。
良かったと安心し、安堵からかまた泣けてきた。
オレも大きくなり、姉にそのことを話すと
「あーそれ知ってるよ。お母さん探してきたんじゃなくて、自分の財布から千円出してたよ。」
母はオレの心が傷つかないように気を使ってくれたんだなと思うとまた泣けた。
泣ける話ではないかもしれませんが…
誰かに聞いて欲しいので書かせて下さい。
大好きなあなたが突然私の前からいなくなったのは今から半年前のことでしたね。
出会って3年、結婚式まであと約1ヶ月のあの日、何時間経ってもあなたが待ち合わせ場所に現れることはありませんでした。
あの日私はあなたに大切な報告があったのに…
その夜私が会ったのはあなたではなくあなたの抜け殻でした。
何を喋りかけてもあなたは冷たく微笑んでいるだけ…
私の大切な報告はあなたに伝わることはなかったのかな…
あれから半年が経ちました。
今度こそ天国のあなたにこの報告が届くといいな。
10月26日、午後8時31分、あなたにそっくりな男の子が産まれました。
予定日より早くに産まれてしまったけど、私とあなたの赤ちゃんは元気だよ。
これからずっと天国からこの子の成長を見守っていて下さい。
732 :
癒されたい名無しさん:2008/10/28(火) 00:56:03 ID:S9HlMldH
(ノД`)
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681 :1/2 :04/11/30 13:54:55 ID:V/rgnY4Q
二度の脳梗塞で重度の障害が残った夫は、狭心症発作を繰り返しながら
自宅療養を続けている。人との接触を求めて、時々外出する。
冬の一日、急に思い立って遊園地へ行った。
広場の隅に車椅子を止め、私は傍らに立って元気に走り回る
子供達を見ていた。思ったより寒く、早く帰らねばと思った。
その時広場に歓声があがった。ドナルドダックの着ぐるみを着た人が
現れ、子供達がどっと駆け寄ったのだ。
ところがそのあひるさんは、子供達をかき分けてどんどん駆けて、
こちらへ近付いてくる。広場の隅にいる私たちの方へ……。
車椅子に乗った夫の前へ来ると、大きく一礼して大きな手で
夫の背中を撫でてくれる。
二度、三度、突然の出来事に私達も周りの人も驚いた。
夫の背中を大きく撫でて、今度は私の腕をさすり、両手で包み込んでくれる。
682 :2/2 :04/11/30 13:56:10 ID:V/rgnY4Q
大きな白い温かい手で……。優しさが老二人を包み、その温かさが
周りに広がり、見ていた人達の間から拍手が起こった。
夫の顔を見ると、涙がほろほろ頬を伝っている。風の冷たさを忘れた。
「優しさをありがとう」と言うのが精一杯の感謝の言葉。
あひるさんはウンウンと頷いてもう一度夫の背中を撫でて、
子供達の方へ駆けていった。
思いがけない出来事だった。着ぐるみだからお顔は見えない、
お声も聞けなかった。けれど、優しさと励ましのお心はしっかりと
いただいた。病む夫にも、介護の私にも元気をくださったあひるさん、
ありがとう。
24日の新聞に載っていたものです。・゚・(ノД`)・゚・。
735 :
バー:2008/11/04(火) 05:03:18 ID:omH/mNhR
携帯から長文失礼します
自分は性同一障害で、戸籍の性は女ですが、男になろうとしています。
そんな自分でも、理解してくれて、ずっと一緒に居ようと言ってくれた彼女がいました。
気持ち悪いかもしれないですが、心から愛していました。。
彼女と手を繋いで歩いていると、「あれオナベじゃない?気持ち悪い」と言われた事があり、繋いでいた手を振りほどいた事もありました。
しかし、彼女は「○○は○○。気にしないの」と、彼女の方から手を繋いでくれました。
彼女も僕の事を愛してくれていたと思っています。
彼女との別れは突然でした。
前の日にケンカをしてしまい、朝仕事に行く前に仲直りのメールを送っておきました。
駅へ向かう途中で、彼女の携帯から着信があり、メールの返事かな?なんてウキウキしながら通話ボタンを押しました。
向こうから聞こえる彼女に似た声…彼女のお母さんでした。
「カエは昨日の深夜亡くなりました」
え?亡くなった…?
ちょっと待って下さい!
昨日ケンカですが電話しましたよ!
「…本当なんです。信じられないかもしれないけど…。○○さんには本当にお世話になって…」
手が震えた。立っていられなくてその場に座りこんだ。
「これから仕事なのにごめんなさいね。一言御礼が言いたくて」
あとは何を話したか覚えていない。
とりあえず、彼女に会いたかった。
続き
だが、仕事は休めない。
電車を待つ間、共通の友人に連絡を取る。
友人達も、仕事が終わったら急いで向かうと言ってくれた。
仕事が始まる。涙が止まらず仕事にならない…。
見兼ねた上司が早退させてくれたので、電車で一時間ほどかけて彼女の自宅へ向かう。
彼女の自宅に着く、ご両親・お姉さんに挨拶するも、言葉が出て来ない…。
「声かけてあげて下さい」とお母さん。
横たわる彼女の元へ。
そっと手に触れてみる。
驚くほど冷たい。頬に触れる…冷たい。
何で冷たいん?ねえ!起きてよ!置いていくなよ!
心の中で叫ぶ。
本当は抱きしめたかった。でも、僕は女で、彼女が僕の事を両親にどこまで話しているかわからない。
今までで1番、女で生まれた事を悔やんだ。
彼女の死因は、寝る前に飲んだ眠剤を吐いてしまい、吐いた物が気管に詰まった窒息死だった。
仕事が忙しく、心臓も弱っていたらしい。
普通、窒息死だと喉を掻きむしる程苦しいらしいのだが、彼女には苦しんだ様子がなかった。
眠剤が原因でありながら、眠剤のおかげで苦しまずに、眠りながら逝った。
お通夜もお葬式もあまり覚えていない。
ただ、出棺の時にこれ以上ない程、涙が涸れる程泣いた。
彼女の死から3年以上経つが、まだ立ち直れていない。
最後がケンカなんて悲し過ぎるよ…。
乱文失礼しました。
私が高校受験を控えて勉強していたとき、
病気になったんだ。
しかもすごくみっともない病気、おならがでる病気。
めちゃめちゃ恥ずかしいでしょ?
女の子なのに、もうすぐで花の高校生なのに、
中学の頃みたいに好きな人作って、告白して彼氏作って、
友達もいっぱい作ろうって思ってたのに、
「自分、病気なんだ!」って気付いたのが11月、
受験真っ只中だよ、
塾なんか行くと、もう噂なんてのはクラス中に広まって
DQNのテラキチガイ野郎は大声で「くせえ!」といわれたよ
それでも行き続けたよ、塾、
だって、おかあさん期待してるみたいだし、
関西でも屈指の進学校に行った、おねえちゃんに追いつくために、
で、2ヵ月後には私立の試験があったよ、
たぶん友達はおならに気づいてたんだろうね、
若干ハミられたよ、でも一緒に試験場行ってくれただけでうれしかった、
まだ症状も軽かったから、なんとか集中して合格したよ、
おかあさんが、すごくよろこんでくれて、頑張ろうとおもった、
で、塾頑張って行ってた、
けど、私が塾の教室入ると、周りの生徒が一瞬、シン…となるの、
それで、めちゃめちゃ目線を感じるの、
んで、遠慮なしに大きな声で、
くさいやつがきた、ってみんな言うの、
で、結局その日から塾サボるようになった、おかあさんに隠れて、
塾には風邪ですっていって、おかあさんには行ってきますって、
そのあいだ、マンションの屋上でひたすら漫画読んで時間つぶしてたの、
で、2ヵ月後には、
一番行きたかった公立高校の試験があったよ、
おならで、まわりに迷惑かけてしまったし、
自分もおならのせいで、集中できなかった、
しかも、勉強してないんだから、当然落ちたよ、
お母さんに報告したら、お母さん泣いちゃって、
自分も泣いちゃった、
努力しなかったんだし、当たり前だよね、
泣きながら帰り道爆走して、家の前で涙拭いて
ドア開けたら、おかあさんが優しく「マクドいっしょに食べよう」って、
せっかく拭いたのに、泣いちゃったよね、
でも、まだおかあさんには言えなかったんだ、
「うち、おならが出る病気やねん」
言えたのは、私立の高校入って2ヶ月だから、
病気がわかった半年後、
高校でも、おならが出るんだよね、
授業なんか、ろくに出来ない、
友達も少なくて、でもいることだけで幸せだった、
でも、高校行き続けてたら、
だんだんだんだんおなら頻度が高くなって、
耐え切れなくなって、泣きながら保健の先生に相談したんだ、
そしたら「まずは、おかあさんにいいなさい」っていわれて、
最初、「そんなの無理!」「迷惑かけたくない!」
「恥ずかしい!」「おねえちゃんと比べられる!」って
号泣しながら、嫌がったんだ、
けど…「子供の相談事を迷惑だなんていう親はいない」って言われて、
その日家帰って、小さい声で言ったんだ、
「おならが出ちゃって、学校行きたくない」って、
そしたら、お母さんが、
「いままで、気付いてあげられなくて、ごめんね」って
泣きながら、抱きしめてくれたんだ、
何度も何度も、ごめんねごめんねって、
もういいよって言っても、ずっと謝ってるんだよ、
私が悪いだけなのに、ごめんねって言われて、
私ももっと泣いた、
今、一生懸命病気を治してます。
ちんこ
まんこ
うんこ
741 :
癒されたい名無しさん:2008/11/07(金) 16:26:46 ID:4mYsKTAU
俺幼いとき両親亡くして、おばあちゃんから育てられたのね。
じいちゃんも俺が生まれる前死んじゃったから、とても貧しかった。
それでもばあちゃんパート掛け持ちしてさ、朝晩働きどうしで俺を育ててくれた。
ばあちゃんは何があっても俺の事悪く言わなかった。途中グレても一生懸命話しかけてくれた。無反応な俺に。
それから数年俺は結婚し、ようやくばあちゃん孝行できると思ってた矢先、ばあちゃん倒れた。脳卒中だった。
医者は言った。「お婆さんの助かる確率は、ぬるぽと書きこんでガッされない位しかない。」
俺きめた。ガッされない。ばあちゃんを助ける為言うよ。
ぬるぽ
ゲッ
743 :
癒されたい名無しさん:2008/11/08(土) 01:35:30 ID:gEEuNPzM
PCから失礼します
朝起きたらおにぎりしか無かったです。泣けるでしょう
744 :
癒されたい名無しさん:2008/11/09(日) 20:23:47 ID:0not0BNS
泣けはしないけど、こんな話をしてみる。さっきの話なんだけど。
最近、母が編み物をし始めた。
私が何を作ってるのかと聞くと、「マフラー」と答えた。
母はオレンジ色の毛糸で編んでいたので、「流石にオレンジは派手すぎるだろ;」と思い
「この色は変だよ!しかもこの毛糸編むと固いじゃん、痛いって」と言うと
「うるさいわねぇ。私が家で使うからいいの!!」とキレられた。
それから私は、母がそのマフラーを編んでるのを見るたびに
「やっぱ変だって」なんていうのを言ってた。
でさっきリビングに降りてみると、母の机の上には、
また違う編みかけのマフラーが置いてあった。今度は銀色に近いグレーの毛糸だった。
私は「なんでまた同じのつくってんの?」と思い、丁度リビングで仕事をしていた父に、
「お母さんまた同じの作ってんの?もういいじゃん」と言うと、
「お前が前に酷いこと言ったからだろ」と言われた。
話が全然つかめなくて父に聞き直すと
実はあのオレンジのマフラーは私のために作ってくれていたらしい。
そう言えば私は最近母に「喉が痛い」と言っていた。
私が「変だ」と言ったから、わざわざまた新しい毛糸を買いに行って作り直して………
私はこの時初めて母にとても酷いことをしていたんだと知った。
母を傷つけたんだと。
私は少し泣いた。
明日の朝になったら、母に謝ろうと思う。
746 :
癒されたい名無しさん:2008/11/10(月) 03:21:14 ID:xoz2g75Y
自分が中学2年のころ。
ひいおばあちゃんが脳溢血で倒れた。
入院で考えることができない、見たいな事を親から説明された。
おばあちゃんちにいくといつもコタツにはいってみかんを食べながら相撲を見ていた。
部屋に行くたびに引き出しから出してくれるおかしが楽しみだった。
病院にお見舞いにいくと話すことも理解することもできなくなっていたひいおばあちゃんがベッドに座っていた。
もう何も分からないはずなのに近寄ると俺の顔をみて俺の胸ポケットに手を入れてなにかを探っているようなしぐさをしていた。
おじいちゃんがひいおばあちゃんは俺にくれるお菓子を探してるんだよ。。といった。
俺はお菓子は大丈夫だよと何べんも伝えようとしたけど涙がでるばっかりで何もいえなかった。
そんな俺をみて頭をなでてくれたひいおばあちゃんはその2ヵ月後ぐらいになくなりました。
今でもおばあちゃんちにいくとひいおばあちゃんの部屋にはテレビとお菓子を出してくれたたんすが置いてあります。
二十歳になった今でも遊びに行くたびに一人その部屋でないてる自分がいます。
` 、` 、` 、` 、` 、` .!::::::::/ `゛ ー- ::::::/ ど
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く う な. l::::| ''"二 _ , -――‐┤ で
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し り か |::::|ヽ____ノ ヽ、__,.ゝ ノ
ょ し |::::l//////人_、__,-_人//////`)ノ´|::
う て > ', ノ{|i!||l|li|l|}|l|iヾ、 ノ |::
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748 :
癒されたい名無しさん:2008/11/10(月) 05:11:32 ID:u/V+8U1Y
ちょい長いかも
すんません
俺の友達の話
俺がそいつに出会ったのは高校生の頃で
そいつはいわゆるDQNだった。
中学校のときは月収10万稼いでたってのが学校で有名だった。
カツアゲでw
オレ、高校の頃Tシャツのデザインをするのにはまって、ちょこちょこ作ってたら
「オレの分も作れよ(無料で)」
って言うからしぶしぶ作ってやった。
俺はちびで貧弱な子分体質な見た目だったからそいつのかっこうのおもちゃになった。
でも俺そういうのなれてたし、軽く小突かれても口で言い返せるし
なんかいつの間にか仲良くなってた。
馬鹿でガサツだけどいやつだった。
馬鹿な話しかしなかったし馬鹿なことしかしなかった。
その頃を思い出そうとしても
学校の近くの公園でタバコ吸うのに付き合ってた光景ばっかり出てくる。
その後オレは趣味が転じてデザインの大学に入った
田舎から出てきて東京の雰囲気になかなかなじめなかった。
大学の入って2ヶ月ぐらいして飲み会があった。
何人かの仲良くなったグループの親睦会みたいなやつ。
イッキとかガンガンやってリタイア続出して、
俺は適当な時間に途中で家に帰った。
749 :
癒されたい名無しさん:2008/11/10(月) 05:42:39 ID:u/V+8U1Y
次の日学校行ったら一人のやつがみんなにはぶられてた。
完全に無視。
他の奴に話聞いてみたら
「トイレにゲロまき散らしまくったあげく、ウンコ床でぶちまけたから」
だってさ。小学生かよw
笑えるじゃん。おもしろエピソードなのに。むしろおいしいだろ?w
でもみんなはぶることにしたらしい。マジかよ都会?マジかよ東京?
俺の地元ならエースになれるよ?
友達ってそんなんなの?
なんかそいつらと付き合いたくなくて、学校で誰かと話すの嫌になった。
そんな時高校の時のDQNの友達に呼ばれた。
お互い東京だったから飲もうってことになって。
朝方まで飲んだ最後に、笑い話でその話をした。
そしたらそいつ俺の顔見てなんかいろいろ考えてもごもご話始めた。
話すの下手すぎ。全然要領がつかめない話でよくわからんかったけど、
最後にこう言った。
「まあ、あれだ。そんな奴らどーだっていーよ。
今お前がめちゃめちゃゲロ吐こうがウンコ漏らそうが、俺は思い切り笑ってやるよ。
うん。大丈夫だ。またいつでもこうやって飲むべ」
それから俺は元気に学校通うようになった。
半年してそいつ死んだ。
心筋梗塞だった。
通夜の夜、坂の上のそいつの家から坂の真ん中まで高校のやつで行列ができた。
みんな泣いてた。ヒーローみたいじゃん。とか思った。
でも俺うまく泣けなくて。俺冷たい奴なのかなとか思った。
帰りにそいつと同棲してた彼女さんが俺にTシャツ見せてくれた。
首のとことかべろべろになった俺の作ったTシャツ。
「お気に入りだったんだよ」だって。
家に帰って台所の換気扇の下でタバコ吸った。
なんか高校の時の公園思い出した。
もう話せない事に初めて気づいて、やっと泣けた。
あれからもう4年経つ。
今でもお前を思い出すけど
ヒーローみたいにみんなが泣いてくれるお前を、俺は今も友達だって思ってる。
へこんだり、悩んだりすると一緒に飲んだ夜の話を思い出す。
ヒーローみたいなお前にとって俺は友人Aぐらいなのかもしれない。
それでも、友達だって言ってもいいかな?
ウンコ漏らしても笑って馬鹿話にしてくれるか?
今でも話がしたくて仕方ないよ。
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癒されたい名無しさん: