臨場感を凌駕(ryのガイドライン 子育て2人目

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117水先案名無い人
>>1に対する各界の反応
親たちは、子どもに対して「教育」をします。これは、かならず「親から子ども」という構図になります。
「年上と年下」という関係性は、交替することのない安定した地盤だという話は、素手に述べましたね。
(中略)結局、たいして頭のよくないおとなが、安定的な地盤を利用して、子どもに教育を押しつけています。
おとなが絶対に「教育を受ける子ども」に戻ることがないことを利用して、一方的になにかを押しつけること。
私は先にこうした構図をなんと呼びましたっけ?そうです、「差別」と述べました。
昨今の「教育」にかかわる議論の大半が、差別的な要素を内包していると考えています。

ここ10年くらいは、平気で100人程度の子どもが毎年殺されているのですが、
認知件数のうち、平均で六割から七割くらいが、「とある立場」の人による犯行によって占められています。
それだけの割合を占めるならば、それが子どもにとっての最大の危険要因であり、絶対的に排除しなければ
いけない対象です。では、それを排除しましょう。
すると、この「平和を望む家族」は、家族で一緒に生活することができなくなったのでした…。
そう、13歳未満に対する殺人認知件数の六割から七割を占める犯罪者の立場とは、「家族」なのです。
しかし、よく考えれば、子どもに対する殺人のうち、家族による犯行がもっとも多いのは、当たり前のことではないでしょうか?
子どもともっとも多くの時間を共有するのは家族であり、子どもに手間をかけることが多いのも家族。
そして、なによりも子どもと真っ正面から向かい合わなければいけないのは家族なのですから。
(赤木智弘『若者を見殺しにする国−私を戦争に向かわせるものは何か−』)