WiiFitがフィットネスかゲームかハッキリさせる 6
このスレはWiiFitが"フィットネス機器"なのか"コンピュータゲーム"なのかをハッキリさせるための話し合いをする場です。
"フィットネス"とは運動を通じて心身を健康に導く行為の事です。
"コンピューターゲーム"については意見調整中ですが、とりあえず「競技性のあるもの」という見解は一致してます。
WiiFitには多くわけて5つの機能があります。
1.身体計測
2.バランスゲーム
3.有酸素運動
4.筋トレ
5.ヨガ
このうち2〜3の機能に関しては競技性が見られます。
4に関してもチャレンジ系は競技性があります。
競技性のないのは1と5のみです。
そもそも自ら課題を掲げて(痩せたい、鍛えたい等)それに向かって努力し成果を判断するのは本質的な意味でもゲームと呼べるのではないでしょうか。
フィットネスそのものがゲームではないかと。
G様 ◆1nTw0S75ugは"ゲーム"とは「本質的に競技ではあるが、遊びの要素を含むコンピューターソフトウェアの事も指す」と定義を主張しています。
元230は"ゲーム"とは「競技の事である」と主張しています。
◆7ZAJm/y1bQは"ゲーム"とは「遊びの事である」と主張していましたが、最近は姿を見せません(参加放棄?)
なお"遊び"についてはカイヨワの遊び論をここでは使う事にしました。『遊びと人間』より
・競争:アゴン:スポーツ、チェス
・偶然:アレア:じゃんけん、くじ、サイコロ
・模擬:ミミクリ:人形遊び、演劇、ごっこ遊び
・眩暈:イリンクス:ジェットコースター、滑り台、スキー
これら遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアはゲームである(可能性が高い)というのがG様 ◆1nTw0S75ugの意見です。
5 :
名無しさん必死だな:2008/01/14(月) 23:55:09 ID:QABH5KEhO
6 :
C様:2008/01/14(月) 23:55:43 ID:QABH5KEhO
7 :
名無しさん必死だな:2008/01/14(月) 23:56:27 ID:QABH5KEhO
G様
糞して寝ろ
μηκο..._φ(゚∀゚ )アヒャ
908 名無しさん必死だな sage 2008/01/14(月) 21:41:03 ID:wfl9+vUW0
なんだかんだ言って、Gもこのスレでの勝敗とか気にしてたんだね〜w
今の心境は、「引くに引けない」って感じかな?w
やっぱ俺コテハンつけない方が良いよね。
このままじゃ、Gが俺の名前見たらビビって逃げ出す様になっちゃうからさw
それじゃね〜www
909 名無しさん必死だな sage 2008/01/14(月) 22:18:47 ID:+1Q1pj7v0
なんだかんだ言って、Gもこのスレでの勝敗とか気にしてたんだね〜w
今の心境は、「引くに引けない」って感じかな?w
やっぱ俺コテハンつけない方が良いよね。
このままじゃ、Gが俺の名前見たらビビって逃げ出す様になっちゃうからさw
それじゃね〜www
毎回毎回よく考えるよな
なんつーか、ワンツーパスというか、ブロックサインというか、凄いな。
今日はどんな猿芝居が見れるのだろう。
Gはアホだから
フィットネスorゲームであって
ゲームの入ったフィットネスとか
フィットネスをするゲームだったら、
WiiFitはガラクタだと、根拠もないのに
400レスも1スレに連投してたんだよw
あとは飽きる飽きる連呼。WiiFitは飽きるからダメとか言いだして、
名無しを呆れかえらせてた。Gは2回しかプレイしてなかったのにねw
だから今からかわれてるw
わかりやすいスレの流れ
Gが他人のレス内容をパクる
↓
名無し「ちょ!何パk・・・」
G「!!おいお前、何Gのレスパクってんだ!」
名無し「え!?何言ってるんだパクったのはそっちじゃないか!」
G「醜い言い訳すんな。恥を知れ。」
名無し「ええ!?」
第三者(うわー、何あの醜い争い・・・どっちも惨めだな)
うまいやり方だよ
竹馬の例を出したのは誰だとおもってんだかw
確認してるだけでも2000レス以上は2人だけの話し合い
そろそろメルアド交換して、別の場所でやればいいんじゃない?
ゲーム系雑談スレ
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1199617493/ 2000レス以上もアホ2人でスレタイ無視して雑談するなら、ここに移行したらいいのに。
ここはWiiFitがフィットネスかゲームかハッキリさせることが、
無理、スレタイと立てたGがアホ、とハッキリわかるためのスレだよw
偏執的で変質的な名無しにとりつかれて気の毒だな。
ただ、あんたが相手してくれてるおかげで助かってるコテもいるから、気力の続くかぎり頼む。
コピペ荒らしは相手にしないので問題無し。
というか、俺は元230と話合うためにここに残ってるが、それが終わったらサヨウナラだな。コピペ荒らし偽者敗走負け犬ニート君とは。
◆7ZAJm/y1bQが自滅したのは明かだし。
前スレで自演疑惑突きつけたら俺の予想した通り、次スレに爆撃開始w
ダメだよ、ちゃんと先の事まで考えて手を打たないとw
じゃんけんの前にチョキ出すよと言ったらチョキだしちゃったって感じ。
素直にグー出せばいいのにw
ここまでで俺が見つけた法則性。
◆7ZAJm/y1bQが俺を攻撃するためには成りすましが必要という事。
成りすましが出てくるまでは、レスが飛んでると言って煽るか、コピペ荒らしをする。
成りすましが出ない限り◆7ZAJm/y1bQは俺を直接攻撃できない。
前スレで成りすましが自演だとバレてしまったので、次の手を使わないと益々ここに現れる事ができなくなる。
とにかく今はログを飛ばして証拠を消そうと必死。
(´・ω・)カワイソス
今後のベタな展開
とりあえずコピペ荒らし継続→元230登場→俺がレス→レス飛んでると煽りコピペ攻撃
そこに不意に俺に対立する意見を持つ名無しが登場→俺がレス→名無しがレス返し
◆7ZAJm/y1bQが待ってましたと登場→名無しにレス(俺に対する間接攻撃開始)→名無しが協調レス(不思議と息が合う)
そして俺がパワフルレスを開始するとレスに対する処理能力が許容限界を超えるのでコピペ連投中断→全力でレス返ししつつ間ができたらコピペ
(そうしないと●持ちでもバーボンに送られる)
全てシナリオ通りに進むだろう。
こんなにフィットネスやゲームに否定的なヤツが代わる代わる来るのはどう考えても異常。
◆7ZAJm/y1bQに秘密のネットワークがあって毎日日替わりで人を呼んでいるのか、毎日頑張って別人格を作って参加してるのか。
自演と自己満足 乙
ゲームかどうかは微妙だがノリで買った
パーティゲーム 軽い筋トレ用に遊んでる
流行物だろこんなもん 2ヶ月もしたら売るか
ダチに貸してると思う
元230さんへ
今日は午前中仕事なので、レスは午後、または夕方になると思います。
取り急ぎこれだけ見てもらいたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E7%BE%A9 あなたの大好きなWikiからです。
定義(ていぎ)とは、ある言葉の正確な意味や、集団において構成員が共通認識を抱くために定める概念のことである。
一般的には、世間に広く定着することにより効力を発揮することができるとされる。
社会科学における定義は、最近類と種差の総体という形式をとることが多い。
【類と種】
いくつかの事物を、ある視点でひとくくりにしたとき、それら事物は階層化 (Hierarchy) されたことになる。
【最近類と種差による定義】
もっとも厳密な定義のためには、「対象を種として含む類」および「対象を他の種から区別する特徴」を述べればよい。 前者を最近類、後者を種差という。
【外延と内包】
ある概念を類と見たとき、その類に含まれる種のすべてを外延(Extension)、その種に共通な性質を内包(Intension)という。
種をすべて示すことを外延的説明、共通な性質を示すことを内包的説明という。
勘弁してくれ
【確証性の原理】
帰納とは、個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確からしいものかを導くための推理といえる。
これは確証性の原理とも呼ばれ、次のように定式化されている。
「法則に関連する観察が増えれば増えるほど、その法則の確からしさは増大する」。
体系的な学問を学んでこなかった人間が
段階を踏んだ論理的な追い込みによって
エセ宗教家になろうとする様子がうかがえておもしろいです><;
ネット社会の弊害って感じがしますねw
27 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 08:39:14 ID:3qXo/1iPO
今日はNGにしてないんだね
今夜食べる塩ラーメンがラーメンなのか晩飯なのかハッキリさせる
このスレは今夜食べる塩ラーメンが"ラーメン"なのか"晩飯"なのかをハッキリさせるための話し合いをする場です。
"ラーメン"とは汁に漬けた麺をすする料理の事です。
"晩飯"については意見調整中ですが、とりあえず「夜食べるもの」という見解は一致してます。
>>26 「体系的」(笑)
名無しになって逃げて、都合の悪いレスは「NGだから見えない」はずの偽物くんじゃないですか。
お前はまず、近所の子供のことを「うちの子」などと書いた理由をきっちり説明しろよ。
あと医大を出てもないし、医療系の職でもないのに、「医学を系統的に学んだ」ってなに?
三日三晩ぶっ通しでゲハに連レスしまくりながらできる「PCの前でする仕事」ってなに?
それについて質問すると「何年も引きこもってるくらい収入がある」www
ただの誇大妄想の虚言症。
実際はロリコン引きこもり。きめぇ。
>>27 >>29 「都合の悪いレスはNGにする」とGがいってたので、
気持ちの悪いレスは見た後すぐにNGにいれてますよん。
論破は2つも続いたスレ4で終了してるし、あとはスレまとめしてるだけだよw
31 :
元230:2008/01/15(火) 15:28:51 ID:eF6tQGbA0
別に私はwikiが大好きというわけではありません(笑)。間違いも多いそうです
から、と一言書いておいて。
>>21 >>定義(ていぎ)とは、ある言葉の正確な意味や、集団において構成員が共
通認識を抱くために定める概念のことである。
異論なし。共通認識を『『抱くために』』定める概念ですね。
共通認識から導き出される概念である、とは書いてませんねここには。
>>一般的には、世間に広く定着することにより効力を発揮することができるとされる。
異論なし。一般的には「ゲーム=遊び(の一種)」というのがゲームの定義であり
ゲームが何かという共通認識でもあるでしょう。もちろんちょっと突っ込んで質問
すれば、すぐ返答に困るでしょうが、そこまで深く考えていないのもまた事実です。
私のいう「ゲーム=競技」は、全然世間に定着していないので、全く効力を発揮して
いません(どうぶつをゲームと思ってしまう、など)。
32 :
元230:2008/01/15(火) 15:37:21 ID:eF6tQGbA0
>>26 >>ネット社会の弊害って感じがしますねw
反論するでもなく無意味なコピペ・同じ文章の繰り返しばかり。だから相手に
されなくなってるのに、全く自分が見えてない(笑)。
なおG様はID:wfl9+vUW0=この人と思ってるみたいだけど、私は違うと思うよ。
G様批判をしていたからコピペ君は喜んで賛同していたけど、完全無視だったし。
前スレで元230から「常識的って何?」という指摘を受けましたのでこれについても考察が必要のようです。
その前に、共通認識=常識という前提に関して説明の無いまま話を進めてしまった事については謝罪します。
申し訳ありませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%AD%98 常識は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。
ある社会の常識が必ずしも普遍的な真理とは限らないことが多い。
自然科学の知見や、その他の学問的な知見はしばしば普遍的な真理と同一視されるが、常識がこのような知見と必ずしも一致しないことも広く知られている。
ただし、ある学問的知見が普遍的真理であるとも限らない。過去に学問的知見の一部として提唱された価値判断の中には、今日の常識や学識によって否定されているものもままある。
一部の常識は、メディアを通じた大衆操作などによって大きく変動することが多い。
とりあえず、真理→宗教と短絡的に発言してるお馬鹿さんは放っておいて先に進めます。
元230は常識に懐疑的です。それは普遍的真理に従うというポリシーを持ってるからでしょう。
常識というのは共通認識とほぼ同義です。
そしてそれは普遍的真理と同一とは限らない。だから元230が常識を疑うわけです。
常識(共通認識)に対する元230の考え方は間違ってません。
で、定義の話に戻ります。
常識とは何かについては理解して頂けたと思います。
個別のレスはのちほど致します。
・定義とは、ある言葉の正確な意味や、集団において構成員が共通認識を抱くために定める概念のことである。
共通認識=常識で問題ないでしょう。これは真理ではありません。真理というのは本質的なもの。
定義とは本質だけでなく、その共通認識を抱くために定める概念も含む。
大衆はある法則のようなものに従って事物に対して識別をします。それが定義。
それは必ずしも真理である必要はないという事。
大衆が「どうぶつの森」をゲームとして識別しているなら、それには必ず何らかの法則があると考えるわけです。
元230は誤解だと言いましたが、誤解というのは真理と違うという事であって、大衆が法則に従ってどうぶつの森をゲームとして識別しているという事実は変わりません。
その識別の法則性を明確に定めるのが定義です。
先に概念ありきでそこから何がゲームかを大衆は判別するわけです。
それが何なのかを探らなければ定義は作れません。
以下、その方法について説明していきます。
かなり長いです。
この定義に対するアプローチ(概念の抽出)の前に上で一部引用しましたが、
・いくつかの事物を、ある視点でひとくくりにしたとき、それら事物は階層化されたことになる。
(ひとくくりというのは共通性、法則性が存在する、またはそれらを見つけなければできません)
・このとき上位の階層を類、下位の階層を種という。類は種の集まりであり、種は類の構成要素である。
これを踏まえて、
・もっとも厳密な定義のためには、「対象を種として含む類」および「対象を他の種から区別する特徴」を述べればよい。 前者を最近類、後者を種差という。
という事ですから、ゲームを定義するには、ゲームを種として含む類、つまり様々なゲームについて述べるか、ゲームではないものと区別する特徴を述べれば良いという事です。
ここで重要なのは先に列挙したゲーム群についてこれはゲームであるという前提が必要という事です。
その前提というのは共通認識によりゲームと認められているという事です。
そもそも共通認識を抱くために定める概念、その法則性、共通性を見いだす事で定義が定まるのですから共通認識ありき、先にゲームありきなのです。
ちょうど230が来てるようなので、ここで読む時間を作ります。
続きは16時ごろ。
元230のスタイルはこうです。
中身が見えない封筒が目の前に沢山あって、封筒を逐次開けて中から出てきた紙を白のフォルダと黒のフォルダに振り分けます。
用いる条件は「白かったら白のフォルダに入れ、それ以外は黒のフォルダに入れる」です。
白と黒しかなければ綺麗にわけられますが、灰色が出ても白ではないので黒のフォルダに入れます。
もちろん白のフォルダには白しか集まりません。
しかし黒の方は色々な色が混ざってますし、白に近い灰色も当然混ざります。
この白に限りなく近い灰色も白と呼ばれているなら白に入れなければおかしいのですが白は白のフォルダという条件がある以上薄い灰色は白にはなりません。
それに対して元230の言い分は「灰色が混ざってるのが悪い」または「白に近い灰色を皆が白だと勘違いしてるのがおかしい」という事です。
どんな紙が出てくるかはわからないのですから、何色が出たとか文句を言うのは筋違いです。
紙の例では、黒側に黒だけ入れなさいという指示はありません。ゲームも同様です。
皆が勘違いしてるのがおかしいというのも筋違いです。
勘違いしている人ばかりなら勘違いであろうがそのフォルダ分けをする条件を再設定しなければ、皆にとってはきちんと分類はできません。
元230のための分類ならそれでも構いませんが、定義というのは皆のための分類です。
最近類と種差によるアプローチでは、紙の中身は最初から全部見えてます。
そして、その紙には白かろうが白に近い灰色だろうがそれぞれに色とは別に印がついてます。
印はよく見ないとわからないものかもしれませんが、白に近い色も白だという共通認識に沿っている印です。
つまり、印に合わせて分類すれば、皆が白だと考えてるものが全部白のフォルダに入るわけです。
その印を見つけるために帰納法を使います。
「色」というのは元230の言う所の「競技」です。
「印」というのは俺の言う所の「遊びの要素のあるソフト」です。
そしてその共通性、法則性というのは、全ての紙が見えてる状態だからこそ導き出されるものです。
分類の条件はそれぞれ違いますが、多くの人に認識されている分類ができる方が正しいわけです。
なぜ、どうぶつの森がゲームと呼ばれてるかというのを考えるのは真理の探求であり哲学です。
定義というのは、ゲームと呼ばれているものそれぞれに当てはまらなければ意味を成しません。
ゲームか否かをハッキリさせるためには定義が必要です。
その定義に共通認識を用いるのは全然おかしな事ではないと思います。
皆がその定義で事物を階層化し、分類してるわけですから。
44 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:10:23 ID:eIKKAYV5O
うんこムリムリィッ!
45 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:12:04 ID:eIKKAYV5O
ブーッ!ブリッブッ!スーパーブババァー!ブリブリブババァー!ブリブリブリッ!ブリッ!ブチュブチュッ!ブーッ!ブチュブチュッ!ビュッ!ビュッ!ブリッ!ブチュブチュッ
ある概念を類と見たとき、その類に含まれる種のすべてを外延、その種に共通な性質を内包という。
種をすべて示すことを外延的説明、共通な性質を示すことを内包的説明という。
例) 集合 A は {1, 3, 5, 7, 9} からなる。(外延的説明)
例) 集合 A は 10 以下の奇数である。(内包的説明)
これらを定義にも使える。
例) A とは、{1, 3, 5, 7, 9} を要素とする集合である。(外延的定義)
例) A は、10 以下の奇数からなる集合である。(内包的定義)
ゲームについて共通な性質は「遊びの要素」でしょう。
競技では振り分けられないゲームが存在してるのですから。
では、どのようにして共通な性質を見つけるのでしょう。
そこで帰納法です。
帰納とは、個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確からしいものかを導くための推理といえる。
これは確証性の原理とも呼ばれ、次のように定式化されている。
「法則に関連する観察が増えれば増えるほど、その法則の確からしさは増大する」。
ゲームに関して「競技性または遊びの要素」という共通性を仮定した時、それぞれのゲームに対してそれが満たされてるかどうかを考えるのです。
そうやって、ゲームAは競技性または遊びの要素がある、ゲームBにも競技性または遊びの要素がある、今まで出てきたゲームにはみんな競技性または遊びの要素があるのだから今後のゲームにも競技性または遊びの要素があるだろう。
よって競技性または遊びの要素をゲームの条件として構わない。
※ここで言うゲームとはコンピューターゲームの事
48 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:12:57 ID:eIKKAYV5O
ちんこまんこちんこまんこ
49 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:14:19 ID:eIKKAYV5O
>>47 いままわりに人がいるんだけど、ケツアナが痒いんだ
掻いてもいいかや
ここからは前スレに関しての個別のレスです。
>>980 >なんですか「常識的に考えて」って?
どうぶつの森をゲームと呼ぶ事が常識的な考えです。
>>980 >230がいくらゲームではないと言っても無駄
無駄かどうかではなく、ゲームであるという前提からそのような分類に至る法則性・共通性を考察するという事です。
皆がゲームと考えてるものを定義するには、そうするでしょう。
あなた個人のために定義は存在してるわけじゃない。
みんなのための定義です。みんなが理解してる必要がありますね。
ここでは真理の探求してるわけじゃない。
ゲームを分類するための定義を考察しているだけです。
52 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:15:42 ID:eIKKAYV5O
フンババ!
フンババ!
53 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:16:07 ID:eIKKAYV5O
ファイヤー
>>980 >
>>905の「結局お前の言っている「共通認識」って、「皆がゲームって言ってるからゲームなの!」って事なんだよ」って指摘があたってるように思えるんですが。
どうして俺の投稿文に関するコメントを全部スッ飛ばして
>>905は引用してるのかわかりませんが、それだけ重要なポイントという事でしょう。
皆がゲームと言ってるものは皆にとってはゲームです。
そして皆がゲームとして分類するために必要な概念として定義を用います。
もちろんそれが本質的なゲームではない場合もあります。
本質的なゲームとは競技の事です。
本質と共通認識にズレがある事は常識の所で説明した通りです。
>>980 ちなみに、考察方法については上で述べた通りです。
俺のやり方では全部見えた状態から法則性を考察してます。
定義とは分類のためのものです。
真理とは事物の本質を探る事です。
どうぶつの森はゲームとして分類されてるので法則性はどうぶつの森からも探る必要があります。
どうぶつの森がゲームか否かを考えるのは真理の探求です。
すでにどうぶつの森はゲームとして認知されてるのですからゲームなのです。
しかしWiiFitはゲームとして認知されてるかどうかわかりません。
だから演繹的に今までゲームと呼ばれてきたものと照らし合わせていく必要があります。
56 :
元230:2008/01/15(火) 16:20:28 ID:eF6tQGbA0
丁寧に解説ありがとうございます。
これから仕事、帰宅は11時過ぎ、レスは……深夜つけられたらつけます。
ただ11時に帰宅したときに、また200ぐらいにトンでそうで怖い……。
57 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:20:42 ID:eIKKAYV5O
うんこぷりぺり
58 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:21:12 ID:eIKKAYV5O
ぷりぺりぷりぺり
>>980 今更どうぶつの森をゲームじゃないというのは無理があります。
素直にゲームとして受け入れるべきでしょう。
そして、どうぶつの森をゲームとして認識した上でゲームとは何かを類推するべきです。
大衆が分類のために用いるのが定義ですから当然です。
主体は元230にあるのではなく大衆であり共通認識です。
これを否定していたら何も先には進みません。
ずっと時代遅れの考えに支配されて進歩がありませんよ。
>>981 ウォーシミュレーションゲームについては俺も調べましたが、「勝敗がどうでもいい」というわけではありませんね。
勝利条件が無くても勝利ポイントのようなもので勝敗を決めたり、史実に対する再現性を評価して競うわけですからゲームです。
敵を全滅したり、首都制圧しなくても、逃走に成功すればポイントを得られるとか、つまりプレイヤーにとっては競技性があるわけです。
確かにイデオンの最終シナリオはゲームとは呼べませんが、でも他のシナリオがゲームとして成立している以上、イデオンはパッケージとしてはゲームです。
グランツーリスモに映像鑑賞目的のテレビモードがあっても、グランツーリスモというゲームはゲームです。
テレビモードを見る事ができるからと言って、グランツーリスモがゲームではないという証明にはなりません。
それと同じ事です。
>>981 イデオンの例では、全てのシナリオまたはほとんどのシナリオがゲームとして破綻しているならそれはゲームとは呼べません。
仮に一部しかゲーム的な部分がなくても多くのプレイヤーがそのゲーム部分を楽しんでるならそれはゲームでしょう。
大数の論理というか、メインがどこにあるかで判断するわけです。
63 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:30:05 ID:eIKKAYV5O
ブチュブチュッ
>>981 もちろん名前に「ゲーム」とついているからゲームであるという単純な理由ではありませんよね?
たとえば「ゲーム」という名前の映画があったとします。というかありましたw
でもこれはゲームじゃなくて映画です。
だから名前にゲームと付いているからゲームであるとは定義できません。
同様の論理で「ゲーム」と言う名の清涼飲料水が出てくる事もありえるでしょう。
>>981 あなたがゲームについて考えるようになったキッカケがボードゲームというのはわかりました。
では、『疑似競技性』はどこから出てきたのでしょうか?
これに関する回答を俺は見てないか見逃してるようです。
少なくともイデオンの最終シナリオには疑似競技性はありませんし、そもそもあなたの戦史シミュレーションゲームに対する考えは
「ゲームと名前がついてるのにどう見てもゲームじゃない」ではありませんか?
ゲームでないものと仮定するならば疑似競技性を見いだす必要はありませんよね?
それを適用させる必要があるとするならば、ゲームと呼ぶべきものがゲームじゃないかもしれないという時です。
違いますか?
>>981 あなたは、どうぶつの森に関して「ゲームと呼ばれてるがゲームではない」と判断しています。
戦史シミュレーションの時とスタンスは同じです。
ですから、戦史シミュレーションがきっかけで疑似競技性を考えたなら、どうぶつの森でも同様に何らかの類推が必要になりますね。
俺はそうは思わない。
だから、別の動機があるはずです。
それを教えて下さい。
>>982 どう解釈するかというのはつまり真理がどこにあるか?という哲学論的な解釈の要求ですか?
つまり、どうして人はゲームでないものまでゲームと呼ぶのか?と。
一応確認したいので返答願います。
>>983 >「ゲーム中に実際にもしかするとひょっとすると万が一には起こり得るかもしれない稀なこと」に過ぎず、ゲームシステム自体とは全く関係ない話ですよね。
そうシステムとは関係ありませんね。
システムに影響を与えるならフェアじゃないと思います。
「どこでもドア」のような便利装置使ってワープしたとか、もう屁理屈なんでもありになりますよw
69 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:40:00 ID:eIKKAYV5O
70 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:40:44 ID:eIKKAYV5O
フィットはテレビゲームです
>>983 競技に関しては確かに公平な条件の方が望ましい。
で、俺が言いたかったのは「絶対に勝てない」とは言い切れないという事です。
希な例だろうが、嘘みたいな本当の話だろうが、とにかく「絶対」を成立させるにはインチキするしかありません。
インチキはシステムに関与するものなので公平性は維持できませんね。
そういう事です。
>>983 >ゲームバランスやゲームシステム自体の勝敗を云々するときには、当然「同じぐらいの力量の人間が対戦したとき」を想定して製作するのです。
ゲームバランスに関してはその通りだと思います。
でも、プレイヤーの力量のみで競技をしたら、つまり練習や個人スキルだけで勝負する前から結果が決まってしまいますよね?
それなら試合する必要なんて無いんですよね。
どうして試合するかって言うと、能力に関係なく、互いがその勝負でどのように振る舞い結果を出すかわからないからでしょう。
もちろん、システムを公平に保つためのルールは必要です。
10mと42.195kmの勝負は極端に公平性に欠けてます。でもプレイヤーは勝利を信じて走る必要がありますからその課程は競技です。
>>983 シナリオRPGによくあるパターンでスタート直後にヨワヨワな主人公が到底勝てそうもないラスボスと勝負したりする事があります。
それでもプレイヤーは相手を倒さないと先に進まないから戦うわけです。
そうやって勝ち目の無い戦いをするのもゲームだと思います。
どうせ負けるからとプレイを放棄したらゲームはそこで終了です。
>>983 >一人はやる気がなくて走らなかったからもう一人が勝った、とかいうのは、想定外なんですよ。
想定というのはつまり予測、推測、予定であって決定、結果とは違います。
結果がわかってたら試合には意味がありません。
絶望的な勝負であっても、試合をする以上を勝つ気で望まなければなりません。
違いますか?
75 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 16:46:19 ID:eIKKAYV5O
ぷりぺりスマブラ
>>983 もう一度言いますが、システムが公平であるべきという意見には賛同します。
俺が言いたいのは、どんなに不利な状況であっても「絶対に勝てない」とは言い切れないという事です。
システムが勝利を拒むような、つまりインチキ、八百長でもない限り、絶対はありえません。
で、この件に関してはウォーシミュレーションについてある程度理解したので話を続けても続けなくても構いません。
要するにあなたが言ってた事は間違いで、ちゃんとほとんどのウォーシミュレーションもゲームとして成立してます。
>>983 ボードゲームでは普通、規定のターン数プレイしたら、そこでプレイは終了となり、定められた勝利条件に従って勝敗を判定する。
ある条件を満たしてしまったら規定のターン数に達していなくても終了となる(サドンデス方式)場合もあるし、コンピューターゲームのように勝利するまで続ける場合もある。
勝利条件はさまざまであり、かつ(特に歴史上の戦いを扱ったボードゲームの場合は)それぞれの陣営について別の条件が定められているのが普通である。
これは、歴史上の戦いでは双方が互角の兵力を有することはほとんどなく、大抵は、防御している陣営に対し別の陣営が大軍で攻撃をかけるというシチュエーションになっているからである。
そのため、守勢側の陣営はある拠点を守りきれば勝利、攻勢側の陣営はある拠点を占領すれば勝利、などとなっているものが多い
>>983 つまり勝利条件は「存在する」わけです。
イデオンの最終シナリオに限定すれば破綻してますが、それ以外のほとんどが勝利条件を満たせるかどうか競うのですからゲームです。
非常に限定的な例外が存在したからと言ってウォーシミュレーションゲーム全体を否定するのはおかしいでしょう。
そういうケースがある、というのが例外です。
それが定着したら例外ではなくなりますが、その場合は定義の再構築が必要になるという事です。
もちろんその場合でも本質は変わる事はまずありません。
だから本質的にはゲームではないが、と注釈が必要になるでしょう。
>>983 では、あなたはウォーシミュレーションゲームに関して、どうして疑問を感じたのでしょうか。
競技性があるのですから本質的なゲームです。
疑問を感じるケースがあるのはイデオンの最終シナリオくらいです。
破綻しているシナリオが含まれていようが全体的にゲームならゲームでしょう。
その局面ではゲームをプレイしている事にはなりませんが、それはグランツーリスモでリプレイを見てるのと同じようなものです。
再現性を確かめてるわけですから。
リプレイがあるからグランツーリスモがゲームじゃないなんて言えるわけがありません。というかあなたはそういう事を言ってるのと同じ事になります。
これは常識的に考えて変です。
>>984 >だからマラソン対10メートル走も、当然「同じぐらいの力量の人が、トラブルなく」競争するという設定でないと「ゲームシステム自体」の話にはなりません。
>となると、 当然、10メートルの方が「絶対勝つ」と言えるのです。
ちょっと待ってください。
システムが公平性に関与してはいけないというルールを自分で持ち出して俺に解釈を求めたのに、「トラブルなく競争するという設定」って神のような事言ってるのですか?
トラブルが起こるか否かはわかりません。不確定なものではありませんか?
不確定なものを排除するのは現実的にどこまで可能なのか知りませんが、俺にはほとんど無理だと思います。
たしかにコンピューターゲームではそういう設定は可能です。
仮想世界を構築してるのはプログラムでありロジックです。
だから「トラブルは起こらない」と取り決めは可能です。
でも、現実の勝負には不可抗力が存在します。トラブルは排除しきれません。
>>984 ルール設定、バランス設定に公平性が必要なのはわかります。
でも現実問題、トラブルがあり得る以上勝敗の結果は「かなり高い確率で勝てるだろう」というような推測をするのが正解です。
絶対に勝つと言えるのは、あなたが上で示したように「トラブルが無いように設定」つまりインチキした時です。
6以外が出ないように細工したダイスでは『絶対に6が出る』となります。それと同じ事です。不確定性の排除というのは。
>>984 >バランス無視のウォーゲームは「システム的に」一方的なんです。
システム的には一方的ではないでしょう。
ゲームのルールが破綻してるなら一方的ですが。
ルールには公平性はあるはずです。
絶対に勝つというのは勝ちそうになるとクラッシュするようなシステムです。
それは一方的かつ破綻してます。
>>984 あなたが言ってるのはパラメーターやユニットの数の違い。ちまりバランスが壊れてるという事ではありませんか?
それでもウォーシミュレーションでは「必ず勝たなければならない」ではなく「勝利条件を満たせば良い」なので、勝利条件を満たすために努力し競うわけです。
じゃあゲームですよ。
むしろあなたが提示した例の方がシステム的にはムチャクチャです。絶対に勝てるようにするとかそんなのゲームじゃないですよ。
>>984 >共通認識は大切です。でも共通認識がゲームだからそれはゲームなんだ、と絶対視することは、この例から言って明らかにおかしいんです。
共通認識に関する見解以前に、「この例から言って」という部分そのものが間違ってますよ。
ウォーシミュレーションゲームはゲームです。
ゲームとついてるからゲームなのではなく、ちゃんと競技性があるからゲームです。
ゲームとついていてもゲームじゃないものは存在します。
ゲームという名前はゲームには必須とは限りませんし、ゲームが付かなくてもゲームはゲームです。
>>984 また、システムが一方的といいつつ、システムは全然一方的ではなく、単にパラメーター等バランスが一方的なのです。
バランスというのはつまり、プロ選手と小学生との勝負のようなものです。
システムが変というのは10mと42.195の勝負の事です。
仮に後者だとしても、勝利条件が別にあるなら構いません。
10m側には3秒以内で走れという条件があり、42.195側には2時間以内に走れという条件が設定されてるなら公平でしょう。(この例で用いてる時間設定はテキトーです)
そしてウォーシミュレーションのシステムはこんな感じなので問題ありません。
>>985 >じゃまた新しい項目を追加して「AかBかC(これが新しい項目だとします)、 どれかを満たせばゲームだ」とやるつもりですか?
法則性が単一条件で導き出せないなら複合条件も使うでしょうね。
猿とは動物の事である。みたいな単一な条件では何かおかしいでしょ?
その論理だと、狐も動物であるならば狐は猿であるという事になってしまいます。
あなたがゲーム=競技だけで全て説明しようとしても無理が生じてますが、それは定義のどこかに間違いがあるか足りないからだと思います。
>>985 ゲームを満たす条件は色々あると思うので増えたり減ったりするかもしれませんね。
そして、今後一切ゲームが増えないという前提(時間軸の撤廃)をするならば、今存在するゲームだけで全て分類できるはずです。
でも実際には日々新しいゲームが創造されてくるので、適宜解釈を変化させていく必要があると思います。
昨日東から太陽が昇ったからと言って明日も東から昇るとは限らないのです。
でも、「多分今後もその定義で問題ないだろう」と推測する事はできます。
絶対じゃないけど高い可能性を持ってるので定義として適用できると考えるわけです。
>>985 何度も言いますが本質はそうそう変化しませんよ。
ただ、常識ってのは本質と同一とは限りませんし、変化するものです。
そして、その常識、共通認識によって分類される事物に関して法則性を導き出したものが定義です。
俺達は俺達が認識できるもので事物を認識するしかありません。
見えないものを元にはできません。(量子論はまた別だけど)
で、その認識というのは常識、共通認識や真理から導き出されるものではないでしょうか?
ここでそんなに文章書くのもったいないぞ
ゲーム理論のサイトでも公開しろよw
>>985 >こんなふうに例外を増やしていったところで、そんなものはゲームの定義にも何にもなってません。
ええ、限定された状況で発生する例外ならばその通りです。(イデオンの最終シナリオのように)
でも、どうぶつの森はゲームとして大ヒットしてます。GTAシリーズだって世界中で何千万本も売れてます。
ウルティマオンラインやFF11のようなMMORPGも人気のジャンルですしもはやゲームとして定着してます。
ここまで来ると例外とは言えませんよ?
例外ではなく共通認識なのですから定義できますね。
あなたには例外でも大衆にとっては常識なんです。
>>986 >つまりG様の論理では、共通認識を否定することができない。「いやそれは共通認識が間違っているんだ」という考えが出る余地がない。
余地が無いのではなく、共通認識から定義を作っていくというのが正しいやり方だからです。
共通認識が真理と食い違っている→定義にはならない、じゃないですよ。
真理でも分類できますが、共通認識でも分類できます。
共通認識が真理と食い違っているから間違いなんだという意見、考え方は哲学的なものでいわゆる真理の探求です。
俺はゲームを定義したいだけであって、ゲームの本質について230と語り明かしたいわけではありません。
というか本質については共通見解のはず。
>>986 つまりこう言えば納得してくれますかね。
「どうぶつの森は本質的なゲームではないが、一般的にゲームと呼ばれている」
本質と共通認識はイコールとは限らないというのは上で述べたはずです。
ズレがあっても構わないんです。
で、本質と食い違っているからそれは間違いという事もないのです。
ゲームとして一般に定着したものはもうゲームと呼ぶしかないでしょう?
違うと言ってる側が異端になります。別にそれは構いませんが、定義をしていく上ではそのような主観は排除しないといけませんよね?
一般的な認識に関わる定義をしていくわけですから。
>>986 >説明しにくい矛盾が生じません。
ゲームとして存在してるどうぶつの森について説明ができないのでダメですね。
やり直しです。
>>987 >ゲームとは何かをわかっていないからです。
半分そうでしょうね。
というかそれは真理の探求をしてるあなたの意見。
一般的な考えで言うなら、ゲームとは何かという考えそのものが変化してるという事です。
だから定義を修正していく必要があるんですよ。
半分正しいというのは、本質的にゲームではないという否定が入るからです。
でも一般的にはゲームという事で、本質を否定しても認識は肯定しなければ定義として成り立たない。
それならば、どちらも取り入れるのが良いでしょう。
本質も含み、共通認識も含む。
これなら万事解決です。
>>987 ただ、どうしてコンピューターが関与すると遊びがゲームになるのかという部分は論じ合う必要はあります。
俺は現実と隔離された世界、現実にフィードバックしてこない「あっがわの世界」だけで完結する遊びだからじゃないかと思います。
というか、コンピューターゲームそのものが遊びと考えられるようになってきたからでしょうね。
あなたも前スレで「テレビゲームは暇つぶし」と言いましたし。
>>987 >要するにその見かけが同じなので、同じように「ウォーゲーム」と呼んでいるのです。
いえ、ウォーゲームはバランス関係なくウォーゲームでしょう。
システムが破綻してるなら別ですが。
バランスがおかしいというのは、超絶難解な弾よけが熱い縦シューのようなものです。
廃人シューター専用のようになってしまってますからね。
でもそれでも難しいというだけでゲームには違いありません。
「こんなのクリアできるかよ!」というような難易度の高いクソゲーがあったとしてもそれはゲームです。
ゲームの難易度でゲームがゲームにならないという論理はおかしい。
97 :
名無しさん必死だな:2008/01/15(火) 17:20:22 ID:Yk4GvAN8O
コレのCM見る度思う。
あー、ゲーム業界に未来は無いなと。
>>988 そんなマイルール、ローカルルール出してくるヤツは今も昔も変わりませんよ。
格ゲーで「○○キャラ禁止」とか「投げ禁止とかw」「ダウン攻撃禁止とか」
そういうプレイスタイルを批判する人なんて今でもいます。
だからと言ってゲームの本質が変わるわけじゃないですね。
「遊ぶな」と言ってるわけじゃなくて、システムに自ら制約を作ってるだけです。
そしてゲームをどのように楽しもうがプレイヤーの自由です。
MMOなんてまさにその典型です。
>>989 >疑似競技性すら存在しないんです。つまりそれは「遊び」でしかないわけなんです。
そうです。
本質的にはゲームとは言えません。でもゲームです。
それに対して「大衆が誤解してるからだ」で思考停止してるのがあなたです。
俺はどうぶつの森もゲームとして定義してます。
というかその法則性について考えました。今も考えてます。
すると、どうぶつの森だけでなく、GTAやMMORPGも説明ができるようになりました。
どれもあなたはゲームじゃないと言ってるがゲームとして定着してるものです。
俺はそれらについてもゲームと定義してます。というかゲームとして定着したものなのだから定義しなければおかしいですよ。
もしくは何らかの理由付けが必要です。「誤解してる」は理由じゃないですね。
本質と違ってる事はあり得るのでそれを批判してたらダメです。
>>990 >結局「ゲームとは何か」がわかっていないということに起因します。
あなたもわかってないですよ。
というか、あなたが理解してるのはゲームの本質だけです。
どうぶつの森がゲームとして定着した理由を考えようとせず「誤解だ」を連呼してるだけです。
もう定着してしまったものなのだから、素直にゲームとして受け入れ、考えていくべきでしょう。
それも真理の探求の一つです。
101 :
G様◇1nTw0S75ug:2008/01/15(火) 17:25:41 ID:eIKKAYV5O
うんこぷりぺり
>>30 勝手に脳内変換しないようにw
>「都合の悪いレスはNGにする」とGがいってたので
違います。
コピペ荒らしがウザいからNGにすると言ったのです。
コピペ荒らしをNGにするのは当然の措置でしょう。
ID:FLy4Sfkp0は◆7ZAJm/y1bQです。
またしても自分で正体明かしてる間抜けさん。
◆7ZAJm/y1bQよ、ねえ、どうして名無しになったの?
恥ずかしくてもうトリップ付けられないんだよな?
あー、惨めやのう。
ごめん、あまりに名無し過ぎで笑っちゃったクスクス
つーか、早く論文と証拠写真と客観的なデータ出せよ。
こんな所で毎日コピペ荒らししてる暇あったらできるだろ。
早くやれ、今やれ、すぐやれ。
あと1分な!
>>31 >共通認識から導き出される概念である、とは書いてませんねここには。
ええ。大衆がどうぶつの森をゲームとして認識するために定める概念が「遊びの要素のあるソフト」ですね。
大衆はすでにどうぶつの森をゲームとして認識してますからね。
ゲームとは競技という概念ではこの共通認識を定める事はできません。
そうでしょ?
>>31 >私のいう「ゲーム=競技」は、全然世間に定着していないので
いえ、ゲームの本質は競技です。
普遍的な真理としてそれは世間でも通用します。
というか、通用するゲームもあるという事です。
これについては理解していただけるのでしょうか?
元230さんへ
俺は今夜遅くに出かけて明日夕方戻ってくる予定なのでレスはのんびりで構いません。
先にこう書いておかないと「逃げた」とか「論破されて敗走m9(^Д^)プギャー」とか言いたい放題言われるので。
レス来る前に言っておきます。
それでは。
108 :
元230:2008/01/16(水) 03:21:29 ID:rudz05zQ0
全部は返答しきれません。とりあえず。
>>33 >>前スレで元230から「常識的って何?」という指摘を受けましたのでこれについても考察が必要のようです。
これはG様が「どうぶつは『常識的に考えて』ゲーム」と書いておられたので、私が真意を質問したものです。
そしてその答えが
>>35 >>共通認識=常識で問題ないでしょう。
とある……。
はて、ということは、結局
「どうぶつは常識的に考えてゲームである」というG様の文章は「どうぶつは共通認識的に考えてゲームである」ということになってしまうのではないでしょうか……?
109 :
元230:2008/01/16(水) 03:21:55 ID:rudz05zQ0
そしてG様曰く、それが「考察のスタート地点」(前912)ということは、結局、G様は、
「一般の共通認識は『どうぶつの森はゲーム』である。したがってどうぶつの森はゲームである」
というふうに、共通認識を無批判に受け入れ、そこから論理を構築しているとしか思えないのですが?
となると、前905発言の
「結局G様の言っている「共通認識」って、「皆がゲームって言ってるからゲームなの!」って事なんだ」(趣意)
という指摘が、正しいことになるのではないですか?
112 :
元230:2008/01/16(水) 05:23:29 ID:rudz05zQ0
>>36 >>大衆が「どうぶつの森」をゲームとして識別しているなら、それには必ず何らかの法則があると考えるわけです。
元230は誤解だと言いましたが、誤解というのは真理と違うという事であって、大衆が法則に従ってどうぶつの森を
ゲームとして識別しているという事実は変わりません。
誤解というのは真理と違うということ、についてはその通りだと思いますが、その後がどうも変なのです。
まずそれは「法則」なんでしょうか? 単に「DSででているから」とか「普通のソフトと区別つかないから」という
ような、本当に単なる誤解なんじゃないでしょうか?
113 :
元230:2008/01/16(水) 05:26:37 ID:rudz05zQ0
さらに、その「理由」がわかったとして、なぜよりによってそれを「定義」の中に盛り込むのでしょうか? 誤解
している理由がわかったら、それを明らかにして「それは誤解なんだ」と指摘することが本当の「論理」であり、
本当の「定義付け」なんじゃないでしょうか?
そもそも誤解に基づくものでしかないものに無理矢理法則を見つけ出そうとするから「コンピューターソフトのうち……」
というふうに、変な「法則」がでてきてしまうのです。
114 :
元230:2008/01/16(水) 05:28:03 ID:rudz05zQ0
↑
× さらに、その「理由」がわかったとして……
○ さらに、誤解している理由がわかったとして……
115 :
元230:2008/01/16(水) 05:33:39 ID:rudz05zQ0
例えば、こんな「法則」を私は今思いつきました。
・市販のゲームとよく見かけが似ている遊びは、ゲームと見なす
この追加定義どうですか? G様の追加定義はあくまで「コンピューター関与」が前提なので、勝敗度外視のウォーゲーム
をゲームと呼んでいる現実が説明不可能になってしまいます。でも私の示した「一般のゲームとよく見かけが似ている遊び
は、ゲームと見なす」なら、どうぶつも当然「一般のゲームソフトと見かけがそっくり」だし、勝敗度外視のウォーゲーム
もボードゲームそのものですから、当然よく似てる。したがって「矛盾なく説明できる」ことになります。
でも、こんなん定義じゃないでしょ(笑)。
116 :
元230:2008/01/16(水) 05:34:55 ID:rudz05zQ0
「うまく説明できるから定義として考えていい」とか考えてません? まさにジェスパー定義がそうなんですが(だから私
はあの定義を評価しないんです)よく考えると矛盾だらけですよそれは。
G様の追加定義の矛盾は、やはり「なぜコンピューターが関与すると」の部分が説明できないことです。これが説明できない
以上、単にそれは思いつきであって、それが正しい定義であるという証明は全くできないはずなんですがね。
117 :
元230:2008/01/16(水) 05:40:24 ID:rudz05zQ0
>>38 >>ここで重要なのは先に列挙したゲーム群についてこれはゲームであるという前提が必要という事です。
その前提というのは共通認識によりゲームと認められているという事です。
これまた同じ指摘をしたい。結局こう考えているということは、G様は
「一般の共通認識は『どうぶつの森はゲーム』である。したがってどうぶつの森はゲームである」
というふうに、共通認識を無批判に受け入れ、そこから論理を構築しているとしか思えないのですが?
となると、またしても前905発言の
「結局G様の言っている「共通認識」って、「皆がゲームって言ってるからゲームなの!」って事なんだ」(趣意)
という指摘が、正しいことになると思います。
118 :
元230:2008/01/16(水) 05:44:33 ID:rudz05zQ0
>>41 >>皆が勘違いしてるのがおかしいというのも筋違いです。
これまた同じ指摘です。つまり「皆が勘違いしているのがおかしい」ということ
は、皆が「Aはゲームである」という認識を持っていれば、それは絶対にゲーム
なんだ、ということにしかなりません。
つまり、前905の……(以下同文)。
119 :
元230:2008/01/16(水) 05:53:38 ID:rudz05zQ0
>>43 >>定義というのは、ゲームと呼ばれているものそれぞれに当てはまらなければ意味を成しません。
定義というのは、「ゲームであるもの」に当てはまることなのであって、ゲームと『『呼ばれてい
るもの』』に当てはまるものではありません。
なぜなら繰り返すように、その論理は共通認識を絶対視するにすぎず、ゲームではないものが
間違ってゲームと呼ばれている状況に対処できないからです。
例えば、1から100までの「ゲーム」があったとして、実はそのうち「10」だけは本当は
ゲームではないものが間違って「ゲーム」だと呼ばれているだけだとします。
120 :
元230:2008/01/16(水) 05:54:03 ID:rudz05zQ0
もちろん、10を除く他の99個のものには、共通の性質(ゲーム性)が存在します。だけれ
ども、10にはそのゲーム性が見当たりません。ゲームではないのだから、当然です。
そういうとき「ありゃ、これはどうも、10はゲームじゃなかったね」と言えばそれで済むのです。
それがG様にはできない。だから無理矢理10もゲームの仲間に入れるための追加定義をつくらざるを
得ない。その根拠(なぜコンピューターが関与すると……)も説明できないのに、です。
122 :
元230:2008/01/16(水) 06:10:26 ID:rudz05zQ0
>>40 >>中身が見えない封筒が目の前に沢山あって、封筒を逐次開けて中から出てきた紙を白のフォルダと黒のフォルダに振り分けます。
用いる条件は「白かったら白のフォルダに入れ、それ以外は黒のフォルダに入れる」です。
白と黒しかなければ綺麗にわけられますが、灰色が出ても白ではないので黒のフォルダに入れます。
もちろん白のフォルダには白しか集まりません。
しかし黒の方は色々な色が混ざってますし、白に近い灰色も当然混ざります。
この白に限りなく近い灰色も白と呼ばれているなら白に入れなければおかしいのですが白は白のフォルダという条件がある以上薄い灰色は白にはなりません。
それに対して元230の言い分は「灰色が混ざってるのが悪い」または「白に近い灰色を皆が白だと勘違いしてるのがおかしい」という事です。
よくわからないたとえです(笑)。なぜ「白ではない」ものが「黒」なんでしょうか? 白と「白以外」ならわかりますが……。
それになるべく近いたとえを考えたいのですが、ちょっと考えて無理そうだと気がつきました。
123 :
元230:2008/01/16(水) 06:12:03 ID:rudz05zQ0
なぜなら、ゲームにはいろんな性質が含まれています。ゲーム性・アクション性・シミュレーション性……。
そしてそれらの要素はそれぞれ独立して表現されます。アクションパズルとか謎解きアドベンチャーみたいな感じです。
でも「色」はどうでしょうか? 「限りなく白に近い灰色」って書いてますが、そもそも色の境界なんてはっきりしないものを
持ち出すのがまるで見当ちがいです。もっと具体的に区別できるものでないと。
例えばラーメンの具とかですね。肉やシナチクや卵やスープや麺や……そういうものならいくらたくさんあっても混ざらず識別でき
ます。そういうものじゃないと私の理論をたとえたことになりませんよ。ゲーム性というのは、他の要素(シミュレーション性とか)
にまざっても識別できます。例えばラーメンの中に肉が入っていたときに、他に卵が入っていても肉があることが識別できるのと同
じです。さらに肉と卵とははっきり違います。白と灰色のように境界線があいまいになってはいません。
私がたとえてみます。
124 :
元230:2008/01/16(水) 06:18:31 ID:rudz05zQ0
いろいろなラーメンを入っている「具」で識別することにします。
コーンラーメンとか、肉ラーメンとか、ネギラーメンみたいに、です。二つ以上あれば「肉コーンラーメン」とか呼ぶことにします。
何のことかわかりますね? ちょうどこれは「シミュレーション性」とか「アクション性」をラーメンの具にしているのです。肉と
卵があれば「肉卵ラーメン」と言えるように、アクション性とパズル性があれば、アクションパズルゲームと呼ぶのと同じです。
さて、肉ラーメンだろうがコーンラーメンだろうが肉コーンラーメンだろうが、とにかくみんな「ラーメン」の仲間です。なぜなら
みんな「麺」が入っているからです。
125 :
元230:2008/01/16(水) 06:18:49 ID:rudz05zQ0
そう、すなわち「麺」こそ、ゲーム性です。麺が入っていれば、具はなくても「ラーメン」です(スープについて考慮するとやや
こしくなるので、省きます)。だから肉がなくても野菜がなくてもラーメンなのですが、麺が入っていないものをラーメンと呼ぶ
わけにはいきません。
その「麺」、すなわち「ゲーム性」こそが「競技性(疑似も含める)」だと言っているのです。
どうぶつの森というラーメンには、肉や卵や……そういうものは入っていますが、肝心の麺がありません。だから「ラーメンとは
呼べない」と私は言っているんです。
126 :
元230:2008/01/16(水) 06:23:50 ID:rudz05zQ0
>>46 >>ゲームについて共通な性質は「遊びの要素」でしょう。
競技では振り分けられないゲームが存在してるのですから。
だからこの「ゲームが存在している」という根拠も、共通認識でゲームだと
呼ばれているということでしかないわけです。
私と前スレの名無しさんは、そこをまさに批判しているんですけどねぇ……。
なぜ「間違って呼ばれている」という考えがでてこないのか。なぜ共通認識を
絶対視するのか。もちろん「全く無視せよ」とは言いませんが、絶対視するのも
またおかしな話ですよ。
127 :
元230:2008/01/16(水) 06:31:21 ID:rudz05zQ0
>>47 >>※ここで言うゲームとはコンピューターゲームの事
いや、だから「なぜコンピューターがかかわると」という理由がはっきりしない
のに、そんな推論をしても意味がないでしょうに……。
128 :
元230:2008/01/16(水) 06:38:59 ID:rudz05zQ0
>>50 >>どうぶつの森をゲームと呼ぶ事が常識的な考えです。
でその常識って、結局「みんなが呼んでいるから」っていう共通認識にすぎないわけですよね。
>>無駄かどうかではなく、ゲームであるという前提からそのような分類に至る法則性・共通性を考察するという事です。
つまりは、その前提自体に対して「本当に正しいのか?」という考察がすっぽり抜けてしまっているんです。
>>皆がゲームと考えてるものを定義するには、そうするでしょう。
ということは、皆がゲームを誤解していたら、誤解に基づく定義して出てこないことになります。
129 :
元230:2008/01/16(水) 06:40:13 ID:rudz05zQ0
>>あなた個人のために定義は存在してるわけじゃない。
当然です!!!!! 思わず笑ってしまいました(すいません)。
>>みんなのための定義です。みんなが理解してる必要がありますね。
もちろん定義は「みんなのための」ものです。みんなが理解できるかどうか、定かではありませんが。
>>ここでは真理の探求してるわけじゃない。
ゲームを分類するための定義を考察しているだけです。
真理の探求というのがどういう意味なのかはっきりしませんが、もちろん私も
ゲームを分類するための定義を考察しています。
130 :
元230:2008/01/16(水) 06:44:35 ID:rudz05zQ0
なんかおかしく感じるんですが、もしかして「みんなのための定義だから、みんなが
ゲームだと感じることが絶対なんだ」とか考えているんですか?
ゲーム性とは何かを明らかにし、きちんと論理立てて「これはゲーム、これは違う……」
というふうに分類することが「みんなのための定義」なんですよ。
そのためには、みんなの意見が筋の通らない間違ったものであるならば、当然批判・論破
しなければならないのは、当たり前のことです。ゲームとは何かについて、現代ははっきり
いって混乱しています。シミュレーション性がないものは絶対にシミュレーションゲーム
とは言わないくせに、ゲーム性がないものは平気で「ゲーム」と呼ぶこと一つ考えて、です。
だからゲームを定義し分類しようとするものが、その混乱に合わせるような愚をしてはなり
ません。その混乱を見定め、きちんと整理し、筋道たてて間違いを指摘するのが本筋なのです。
131 :
元230:2008/01/16(水) 06:46:22 ID:rudz05zQ0
×シミュレーション性がないものは絶対にシミュレーションゲーム
とは言わないくせに、ゲーム性がないものは平気で「ゲーム」と呼ぶこと一つ考えて、です。
○シミュレーション性がないものは絶対にシミュレーションゲーム
とは言わないくせに、ゲーム性がないものは平気で「ゲーム」と呼ぶこと一つ考えて『『も』』、です。
×だからゲームを定義し分類しようとするものが、
○だからゲームを定義し分類しようとする『者』が、
こんなところで今日はおしまい。
132 :
元230:2008/01/16(水) 06:53:47 ID:rudz05zQ0
訂正
>>125 >>どうぶつの森というラーメンには
「ラーメン」ではないって結論なのにラーメンって書いているのは矛盾しているので、
ラーメンを削除。
133 :
元230:2008/01/16(水) 07:12:30 ID:rudz05zQ0
ついでに一つ二つ。これレス不要です。
ラーメンの例ですが、要するに、どうぶつの森は、ラーメンどんぶりに入って、中華スープが
なみなみつがれていて、具も盛りだくさんで、ラーメン屋で売られていて、「新発売:どうぶつの
森ラーメン」と宣伝され、メニューにもそう書かれている。
でも、食べてみると麺がない。
もちろん「変じゃん」と思う人はいて、mkとかで「ちょっと変わっていて、麺のないラーメンです」
とかクチコミを書く(クリア概念のないゲームですと書いてる人がいるんです。その矛盾
にも気がつかずに)。
で、私は「麺がないならラーメンじゃないじゃん」って言ってるわけです。
G様は「いや、みんながラーメンって呼ぶんだから、それもラーメンだ」と言ってるわけ。
134 :
元230:2008/01/16(水) 07:13:15 ID:rudz05zQ0
そして、麺がなくてもラーメンの仲間になるような理由を考えるわけ。器にコンピューター
チップがついていれば、麺がなくてもラーメンだ、みたいな……。
でも依然として、なぜ麺がなくてもラーメンなのかっていう理由は、不明なわけですね。
だから私は「おかしい」というんだが、G様は「あなたのために定義があるわけじゃないん
だから。みんなのためなんだから。みんなが『これはラーメン』と思っているんだから、
これはラーメンなんです」と返事するわけです。で、私は、非常に困るわけ(笑)。でも
麺がないのにラーメンってのは絶対変だから、やはり変なものは変だ、と返答するしかない。
ギョーザがないのにスープギョーザとか、ジャムついてないのにジャムパンとか、そういうのは
おかしいとしか思えないんだな私には……。
135 :
元230:2008/01/16(水) 07:26:36 ID:rudz05zQ0
>>133に注釈。
ふと思ったが、無限に同じようなステージが続くだけのシューティングゲー
ムとかいうクリア概念がないゲームもつくれそうなので、やはり「ゲーム性
(疑似も含めた競技性)」がない、ということをもってしか「ゲームではな
い」と言えないことに気がついた。
やぁ!皆様はじめまして!僕はただの名無しだよ!w
元230とGの会話がここまで噛み合わない件について、ある仮説を立ててみました。
「Gの言っているゲームって競技の事を指すのでは無く、実は固有名詞なのではないか?」という説。
どうぶつの森を例に出すと、
『どうぶつの森』というゲーム (『』内が固有名詞)
↑これが、普通の人の認識だと思います。対して、
『どうぶつの森というゲーム』 (『』内が固有名詞)
↑これがGの認識だとしたらどうでしょうか?
上記にあてはめると、Gの一見「はぁ?」という様な言動も理解出来る部分もあります。
また例を出しますが、とりあえず人名に例えます。
経緯は謎ですが、「和男(かずお)」と名づけられた女の子がいたとします。
周りの人は不思議に思います。明らかに女の子の名前では無いからです。
女の子に「何で男の子の名前なの?」と聞いても、不憫に思った人が親に抗議しても、
その女の子の名前が「和男(かずお)」である事実は、何も変わらないのです。
(実際にはこの様なケースは役所で受理されない可能性がありますし、手続きを取れば
名前を変える事も可能でしょうが、それはまた別の話なので除外します)
で、話をどうぶつの森に戻しますと、Gは『どうぶつの森というゲーム』という認識なので、
「『どうぶつの森』がゲームでは無い可能性」を受け入れる事が出来ません。
何故なら、(Gにとって)そういう名前だからです。
『どうぶつの森というゲーム』が事実であり、それ以外は在り得ないのです。
これを踏まえて今までのGの発言にある「共通認識」という単語を「Gが勝手にそう思っている」と
置き換えると、非常にスッキリしました。
Gが馬鹿すぎる、ってのは変わらないけどねwww
>125
>そう、すなわち「麺」こそ、ゲーム性です。麺が入っていれば、具はなくても「ラーメン」です(スープについて考慮するとやや
>こしくなるので、省きます)。だから肉がなくても野菜がなくてもラーメンなのですが、麺が入っていないものをラーメンと呼ぶ
>わけにはいきません。
きっと、Gの事だから「その麺は蕎麦である可能性はゼロとは言えない。うどんである可能性だって(ry」
とか言い出すぜw
141 :
元230:2008/01/16(水) 15:45:01 ID:rudz05zQ0
>>140 前スレ905さん(勝手に名付けました)ですね。正直、G様の「共通認識」については
私は全くあなたと同じように思います。
>>きっと、Gの事だから「その麺は蕎麦である可能性はゼロとは言えない。うどんである可能性だって(ry」
とか言い出すぜw
じゃ「麺がなければ『麺類』とは言えない」ってことにしておきましょう……。
142 :
元230:2008/01/16(水) 15:56:14 ID:rudz05zQ0
>>139 >>『どうぶつの森というゲーム』が事実であり、それ以外は在り得ないのです。
そうとしか思えませんねぇ。だから私は「共通認識絶対主義」と言っているんだが、
困るのはG様が「そうではない」とそれを否定すること。
「みんながゲームだと思えばゲーム」
「共通認識がゲームならゲーム」
「常識的に考えてゲーム
だと主張するのなら、自分(=G様)は「共通認識絶対主義です」と宣言してもらいたい
ものです。そうじゃないとG様は、自分の立場すらわかっていないということになりかねない。
143 :
元230:2008/01/16(水) 15:56:53 ID:rudz05zQ0
私は「何がゲームなのか」を考察している。もちろん「世間一般でゲームと呼ばれているもの」
について、当然考察します。その中から共通項目(=ゲーム性)を見つけようとするわけですから
当然です。
でもその共通認識を「絶対化」はしません。つまり、そういう作業を通じてみつかった「例外」は
「これはゲームと呼ばれていても本当は違うんだ」という認識をする。
ところがG様にはそういう発想がなく、共通認識絶対化をするので、例外的なものも何とかおさめ
ようとしてよく根拠がわからない追加定義をつくり出して「これで全部説明できる」としてしまう。
おかしい。
144 :
前スレ905:2008/01/16(水) 16:32:02 ID:7JAIzfy10
>141
あなたに言われるなら、とりあえずその名前で固定しましょうw
Gの不思議な点は、「ゲーム」という単語に異常なまでに固執しているところだね。
例えばどうぶつの森を「箱庭ライフシミュレーション」、GTAを「世紀末的バイオレンスシミュレーション」
と言い換えても、俺的には違和感感じないけどねw
今更ながら確認だが、元230氏のスタンスとしては、
「ゲーム」という定義が時代の変化につれて書き換えられる事自体は否定しない、ただ、
Gの言う「遊びの要素のあるコンピューターソフトウェア」なんて漠然、曖昧な定義を加える事は認められない、
って感じで良い?
>G
お前どうする?俺はお前の言った「俺に意見したければコテハンで」ってルールに従ったぞ?
コテハン二人の間に、早くも「Gは共通認識絶対主義者」という『共通認識』が出来た訳だw
さぁ、この『共通認識』に従うの?それとも、「二人では足りない!」って逃げるかな?www
まずは元230氏に謝罪します。
どうやら俺が悪かった。
誠 に 申 し 訳 な い
昨夜、どうにも腑に落ちない点というか、どこかひっかかる感じがして再考してたら案の定今日の書き込み。
そう、俺の説明が悪かった。説明力がないというか馬鹿だから仕方ないんだけど、大変迷惑をおかけしました。
元230は俺のロジックをこう推測してると思う。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
違いますか?
多分一昨日の名無しも同様に考えてるのではないかと思います。
以下が俺の主張。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアだからだ」
そう伝わってますよね?
伝わってなかったとしたら説明不足です。すみません。
その定義に至るアプローチ方法についても段階的に説明しましたが、説明がわかりにくかったのでしょう。
ほとんど、それには触れてないようなのでw
というか伝わってないからループに入ってるんでしょうね。
だから少し説明の仕方を変えてみます。
『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』←これは対象の観察というヤツです。
帰納法の例で何度も出してますが太陽の振る舞いを観察したり、ダイスの目を観察したりしてそこから原因や法則性を推測するわけです。
ここまではOKでしょうか?
わからない部分があれば指摘して下さい。間違ってる部分もよろしくお願いします。
元230も同様に対象を観察してます。
ここで俺と元230が見ているモノが違っていたならば、視点がズレてるか、観測状況が違うかという事ですがそれについては間違いはないようです。
元230も『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』という事を観測してるという前提で次に進みます。
元230のロジックを俺は以下のように推測します。
「どうぶつの森はゲームとは呼べない、なぜならば競技ではないからだ」
これで合ってますよね?違うなら違うと言ってください。
またまたこの前提で話を進めます。
元230は『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』という観測をしているが
「ゲームの定義」と照らし合わせると、どうぶつの森は競技ではないからゲームではないと結論付けているのでしょう。
ここで問題が生じます。
観測している事実と、定義から導き出された推測とが食い違ってる場合、人はそのモノをどう判断するか。
それを考える前に定義に関する考察を再び。
定義とは人間が作り出したものです。
そして、定義は人間が事物を都合良く分類、階層化するためにあります。
限定された定義は限定された集合のために存在します←これはローカルルールw(元230のウォーシミュの例参照)
定義は事物の観測から導き出されるわけです。
方法は色々ありますが、厳密に定義するには「最近類」と「種差」を用いるのが良いとされています。
俺が再三、元230に疑似競技性を考えるキッカケを尋ねてるのは、事物の観測をしてからそれを導き出したはずだと考えてるからです。
元230は観測した状況からゲームとは何かを考えたはずですから。
ゲームを知らない人がゲームを定義するのはほぼ不可能でしょう。
違いますか?例外があるかもしれませんのであれば提示願います。
さて、話を戻します。
"人が事物を定義するには事物の観測が必須である"という事はご理解頂けたでしょうか?
例外もあるかもしれませんが、"見えないもの"、"知らないもの"は定義できないと俺は考えてる、でも良いでしょう。
これについて元230が共通見解を持っているかも確認したいのでよろしくお願いします。
「自分が知らない事は自分では定義できない」、これに異論ありますか?
異論がないのであれば上で俺が言ってる「定義は事物の観測から導き出される」にも理解が得られると思います。
元230はゲームを認識してからゲームについて考察しているはずなのですが、その考察の途中でゲームの真理を見つけたと思います。
真理というか語源ですね。
それは見つけたのかもしれないし、ひらめいたのかもしれないし、脳内の記憶の片隅にあったものが引き出されたのかもしれませんが。
「ゲームとは競技・試合の事である」
ここで言うゲームとはコンピューターゲームに限定されてるわけではなく、カードゲームやボードゲームや広くスポーツの試合等をも指します。
元230はこれを定義として適用してよいか、何らかの方法で考察をしたはずです。
そこで思考停止して「そうだな、ゲームとは競技の事だよな」で主張を持ったとするならば安直すぎますしね。
元230の振る舞い考えたらそこで止まったとは思えません。
今も考察は続いてるはずです。
元230はゲームを認識してからゲームについて考察しているはずというのは、元230がゲームに触れた時にはもうゲームというものが存在していたという前提を推測しての事です。
つまり元230はゲームをゲームとして認識してからゲームについて考えゲームとは何かを導き出したという事になります。
この言い方はややこしいですねw
でも上の俺の発言見てください。
「定義は事物の観測から導き出される」
知らんものは定義できないはずなんですよ。
それが何なのかわからないなら説明のしようがないはずです。
だから見えない封筒入りの紙の喩えを出しました。
元230は俺のその喩えの真意を理解してくれせんでしたが。
(この喩えには一部修正が必要なので後にそれは説明します)
『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』というのは"本当はゲームなのか何なのかわからないけど、皆はゲームだと認識している"と説明できますよね?
元230はそれを「誤解である」と言ってます。
誤解というのは正解ではないという事ですよね?
では正解とは何でしょう?
「ゲームとは競技の事である」
ではその定義とは誰が決めた事なのでしょう?
元230ですよね?じゃあ元230側から見て大衆が間違ってるという事です。
逆に大衆は、どうぶつの森をゲームと考えてるのですから、それをゲームで無いという元230を間違ってると指摘してもおかしくない。
屁理屈のようですがそういう事になります
これは何が言いたいかというと、「本質」や「真理」というのは"どの立場にとっても正しくあるべき"、という事です。
もし元230が「俺は神であり絶対だから、俺の定義に従わないのは全て間違いだ」と主張するならば、ここまでの会話はThe Endです。
この場合、
「大衆はどうぶつの森をゲームと認識しているが、『ゲーム=競技』として考えたら辻褄が合わない、なぜだろう?」
と考察を開始すべきでしょう。
それに対して、元230は「ゲームは競技の事なのだから大衆が誤解してるのだ」または「ゲーム機で動くからゲームだと安直に考えてるからだ」で考察終了してますよね?
前者は絶対神でもなければ言い切る事はできないはずなので、後者として考えると、つまりそれが"根拠"になるわけです。
それが根拠という事は元230のどうぶつの森に関するロジックはこうならなければなりません。
「皆にとってどうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
まあ、これを書くと元230は
「私はそんな事言ってません!!」
と猛反発するかもしれません。
ではどうしてそういうロジックになるかを以下の通り説明します。
パチンコは娯楽なのか仕事なのか
まず、元230が『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』という事象を観察しているとします。
つまり、皆がどうぶつの森をゲームだと言ってるという事は理解してるでしょう。
それならば、「皆にとってどうぶつの森はゲームなのだ」と言い換える事は十分に可能だと思います。
この場合、普遍的な真理とか真実とかは神でもなければわからないので、評価基準はあくまでも人間です。
(人間も真理には近づく事できますが)
そして「皆にとってどうぶつの森はゲームなのだ」に対する考察結果が「ゲーム機で動くからゲームだと安直に考えてるからだろう」ならばそれは
「皆がゲームだと考えてるから」という根拠として言い換える事が可能なはずです。
「皆が誤解しているからだ」は普遍の真理、真実に対しての「誤解」なので大衆側からは誤解ではありませんからね。
相手が神なら「誤解」でも良いですが、この場合定義を作ったのは人間ですから。(語源の事)
というかゲームを作ってるのも人間。
すると、元230のどうぶつの森に対する主張は、
「皆にとってどうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
となってしまいます。
これ、どこかで見たのとよく似てます。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
これですね。
違いは「皆にとって」の一句が入ってるか否かのみ。
これについて「当然でしょう、皆がそう言ってるのだから」と言い返してくるかもしれませんが、よく考えてください。
定義とは人のためにあるものです。
つまり「皆にとって」の一句は事物を示す時にはいちいち書く必要はないという事です。
>>159の
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
は、
>>146の事です
元230が俺の主張を取り違えてると指摘している部分。
つまり、元230が俺の主張と思ってる事を実は自分が考えてるという。
それならば、元230の主張は
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
しかし「私にとってどうぶつの森はゲームとは呼べない、なぜならば競技ではないからだ」
となります。
違いますか?
162 :
名無しさん必死だな:2008/01/16(水) 20:35:39 ID:ZXYwHuGH0
人生はゲーム
なんでもかんでもゲームなんだよ
俺は少なくとも前者の部分、つまり認識→考察に不備があると思うわけです。
「皆がそう考えてるからだろう」なんて安直すぎるじゃないですか。
で、俺の主張は、
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアだからだ」
こちらの方が説明がつきます。
もちろん穴があるかもしれませんが、コンピューターゲームについては「競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェア」という定義の方が良いと考えたわけです。
ここまではご理解頂けたでしょうか?
これでも真意が伝わらないようならもう少しかみ砕いて説明する必要があるかもしれませんね。
俺の説明能力が足りないからですが、申し訳ありません。
という事で、ここからは個別のレスです。
>>108 >全部は返答しきれません。とりあえず。
全部に返答する必要はありませんが、質問には答えて頂きたいのと、俺からあなたへのレスは全部読んで下さい。
>>108 >「どうぶつは常識的に考えてゲームである」というG様の文章は「どうぶつは共通認識的に考えてゲームである」ということになってしまうのではないでしょうか……?
そういう事を言いたかったんじゃないんですけどね。
常識と共通認識をイコールで繋いだのは、どちらの意味も大差ないんじゃないかって事です。
それは「常識」はその意味をいくらでも探せますが「共通認識」って何よ?と言われてもちょっと説明が見つからないからです。
というかどこから「共通認識」という言葉が出てきたのかもあやふやですけどね。
定義の定義みたらそこでも「共通認識」って出てきたので、じゃあ「共通認識」について考えないといけないのかなと思って、似たような言葉として「常識」を持ち出して説明した次第です。
ご理解頂けるでしょうか?
>>109 >「一般の共通認識は『どうぶつの森はゲーム』である。したがってどうぶつの森はゲームである」
上で段階的に説明してますが、それは論理的におかしい文章ですよね?
「一般の共通認識は」→「皆にとって」(一般的にとか常識的にと書くよりわかりやすいかと)
そこで、こう書き換えてみます。
「皆にとってどうぶつの森はゲームである。したがって皆にとってどうぶつの森はゲームである」
後半に「皆にとって」と付け加えないと正しくありませんね。
どうぶつの森がゲームかどうかという真理は皆が判定する事ではありませんから。
仮に人間全員がそう考えたとしても宇宙の絶対神からすれば「違う」かもしれませんしね。
だから「皆にとって」という言葉はすなわち人間にとってでも良いですが、普遍的な真理としてとはイコールとは限らないという事です。
>>109 >「結局G様の言っている「共通認識」って、「皆がゲームって言ってるからゲームなの!」って事なんだ」
これについても俺の主張は違うと言ってます。
俺の主張は、
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアだからだ」
です。
それは「ゲームとは競技、または遊びの要素を含むコンピューターソフトウェアである」という定義に沿っての主張です。
定義が正しいかどうかは現在意見調整中ですけどね。
この主張の前に「皆にとって」とつけてもつけなくても構わないだろうという意見も出してます。
それは、普遍的な真理と皆が認識している事がイコールとは限らないという事を踏まえた上での事です。
>>109 >という指摘が、正しいことになるのではないですか?
という事で、これは「違います」となるわけですよ。
論理的におかしいですし、俺の主張とも違いますし。
共通認識=常識という説明は、共通認識って何だろうねって事に対するフォロー説明ですし。
常識は良識とは限りませんし。
>>112 >まずそれは「法則」なんでしょうか?
>単に「DSででているから」とか「普通のソフトと区別つかないから」というような、本当に単なる誤解なんじゃないでしょうか?
何を基準に「誤解」と判断するのでしょうか?
正しいものがあるなら誤解はわかります。
でも何が正しいかなんて人間が勝手に決めた事ですからわかりませんよ。
ただ一つわかるのは、大衆がどうぶつの森をゲームだと認識してる事です。
wikiにも堂々とコンピューターゲームと書かれてるくらいですし、ゲームランキングにも出てますし、常識がメディアに影響されるという事も常識の説明で述べた通りです。
それが正しいかどうかを元230が独自の定義で判断して「誤解」と言ってるだけでしょう?
その他大勢がそれを正しいと思ってるなら元230が誤解してると言われるかもしれません。
で、観測された事象からその法則性を探っていく事で定義を構築する方法についても説明しましたよね?
それをあなたは大衆の「共通認識」に根拠を求めてるわけです。
あなたは、どうぶつの森について、どういう考察をしましたか?
>>113 >なぜよりによってそれを「定義」の中に盛り込むのでしょうか?
もし、その定義が「どうぶつの森」にしか適用できないなら定義としては不十分というか使い物になりませんよね?
他のゲームについても説明ができるなら使える(かもしれない)
少なくとも「ゲーム=競技」よりは使えます。
で、これまた昨日述べたのですが(お願いだから読んでください)
・帰納とは、個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確からしいものかを導くための推理といえる。これは確証性の原理とも呼ばれ、次のように定式化されている。
「法則に関連する観察が増えれば増えるほど、その法則の確からしさは増大する」
どうぶつの森であれGTAであれMMORPGであれ、何をキッカケに考察をスタートしようが自由ですが、見つけた法則がその場しか使えないなら意味がありません。
一部、通用しないものが出てくるかもしれませんが、多くのケースで適用可能ならそれは定義として使えます。
>>113 >そもそも誤解に基づくものでしかないものに無理矢理法則を見つけ出そうとするから
誤解かどうかは真理に基づくものであなたが決める事ではありません。
あなたが神なら構いませんし、あなたの定義では誤解という限定条件でも構いませんが、大衆にとって使い物にならない定義は定義とは呼べません。
誤解であるかどうかなんてわからないのに、あなたは最初から「誤解」と決めつけてますよね?
違いますか?
あなたはゲームの法則を支配する神ではありませんよね?
では、どうして「誤解」と決めつけるのですか?
誤解かどうかは不明でも、その法則性や共通性は見つけようとする事はできます。
そうやって色々試行錯誤していくうちに真理に近づく事もあります。
とにかく、自分が見たもの、知ってるもの以外から定義を考察するのは無理だと思いますよ。
>>115 >この追加定義どうですか?
それは定義ではありませんね。
定義を導き出すための「最近類」による考察、つまり定義を完成させるための材料に過ぎません。
ダメです。やり直しです。
最近類というのは、集合の中で似ているモノを探していくという作業です。
お願いですから、昨日の文章をしっかり読んで下さい。
>>116 >「うまく説明できるから定義として考えていい」とか考えてません?
そこまで安直ではありませんが、論理的に整合性が保てるなら、偶然見つけた法則だろうが定義として通用すると思いますよ。
何年もかけて考察して導き出せるものもあれば、数分でひらめくものがあってもおかしくはありません。
少なくとも「これでは説明がつかない」というものが多い定義よりはマシでしょう。
>>116 >G様の追加定義の矛盾は、やはり「なぜコンピューターが関与すると」の部分が説明できないことです。
うーん。難しいんですよね。それが。
だってコンピューターゲームを定義するのにコンピューターの無いものを組み込むのは無理があるとしか言えませんから。
で、そういう個人的な思想とは別に、既存のコンピューターゲームを見てみるとほとんどコンピューターが関わってるという法則性、共通性は見つかるわけですよ。
まぁ全部見たわけじゃないですけどねw
俺はゲーマーなので遊んだゲームの数は人並み以上だと思いますし。ゲームを知らん人はゲームを定義できませんし。
だから半分は経験論、残りは推測、まあ帰納から導き出した法則のようなものです。
>>116 >それが正しい定義であるという証明は全くできないはずなんですがね。
いえ、定義が真理として正しいかどうかなんて、ほとんどの場合は神しか知らないのですから論外ですよ。
使えるかどうか、で正しさを判断するしかないと思いますよ。
少なくとも、使い物にならない定義は正しいとは言い難いですけど。
>>116 >それが正しい定義であるという証明は全くできないはずなんですがね。
いえ、定義が真理として正しいかどうかなんて、ほとんどの場合は神しか知らないのですから論外ですよ。
使えるかどうか、で正しさを判断するしかないと思いますよ。
少なくとも、使い物にならない定義は正しいとは言い難いですけど。
>>117-118については上で何度もしつこく説明してるので今更書く必要もないでしょう。
何度も同じような部分にレスを入れるくらいなら重要と思われる主張部分、説明部分はきちんと読んで頂きたいです。
>>119-120 >例えば、1から100までの「ゲーム」があったとして、実はそのうち「10」だけは本当はゲームではないものが間違って「ゲーム」だと呼ばれているだけだとします。
ですから、何を基準に間違いとか正解とか言ってるのでしょうか?
あなたにとって間違いならわかります。
全員にとって間違いというのは全員が納得できる定義を突きつけないと無理です。
>>122 ようやく封筒と紙の例に関する部分です。
>なぜ「白ではない」ものが「黒」なんでしょうか? 白と「白以外」ならわかりますが……。
これは俺の説明が悪かった。
白を白と判別する基準となる白のカラーシートと照らし合わせて白を分別とした方が良かったですね。
識別に主観が入るとわからなくなるので。
もう一つ、白と黒というのも、あなたの指摘する通り、白と「白以外」の方が良いですね。
申し訳ありません。
>>122 どうして色が喩えなのかというと、ゲーム同様に混ざりやすいという点でしょうか。
そして、この喩えを用いた真意は色がどうとかよりも、「見えないものを分ける」というのと「見えるものを分ける」の違いです。
全部見えてるからこそ印の法則性にも気付くわけです。
開けなければ見えないなら印にも気付けませんね。
何度か振り分けていくうちに印に気付いたとしても、ルールを変えない限りやり直しはできません。
最初から白を白として分けてますし。
見えないモノを分けるには法則性が真理である必要があります。
見えてるモノを分けるには、見えてるモノの法則性を見つける必要があります。
見えないモノとは「わからないモノ」です。
つまりそれがゲームなのか何なのか不明なブラックボックスという事です。
ゲームと見なしているという観測ができたなら、その法則性を探るべきでしょう。
あなたは法則を「共通認識」に転嫁して終了してると思います。
>>123 >そしてそれらの要素はそれぞれ独立して表現されます
類と差について補足してませんでしたかね。
・複数の類を構成要素とする上位の類を考えることもできる。このとき下位の類は、上位の類にとっての種である。
ゲームも色と同様に様々なジャンルが複合したり、非ゲームを取りこんでゲーム化したりして進化、成長してきています。
これはつまり、昔は8色しか無かった色がどんどん混ざり合って様々な色を作っていくのと同じだと思います。
だから色を喩えに選びました。
>>123 ラーメンの具や麺があるか無いかというのは、0か1かの世界ですよね。
「なんとなくあるかも」とか「ないけど見える」とかいうのはおかしいですよね。
で、ゲームってのはそんな簡単に割り切れません。
アクションアドベンチャーにパズルの要素があったり(ゼルダとかバイオとか)
でもそこまで厳密にはわけません。何となくパズルの要素もあるかなとか、成長要素あるしRPG的だなとか。
でもそれはアクションアドベンチャーだと分類されますよ?
だからラーメンの喩えはゲームの喩えとしては変なのですよ。
元230氏はあまりコンピューターゲームをしない方なのかな?
>>125 まあ、上でラーメンの例は喩えとしてゲームには近くないと説明しましたが、
>すなわち「麺」こそ、ゲーム性です
そうなんですか?
それならそれでも構いませんが、それなら「ラーメンとは麺のある食べ物である」と定義するわけですよね?その場合は。
>>125 で、後から麺の無い具だけのラーメンが出てきたとしても普通は「こんなのラーメンじゃないやん」と言って否定するわけですよ。
それまでの共通認識として「ラーメンには麺があるべき」というのがあるから。
で、もし仮に全員がそれもラーメンだと言うならば、先にあった定義「ラーメンとは麺のある食べ物である」というのがあやしくなるわけです。
つまり麺が必要だったかさえも定かではない。
そして、麺の無いのもあるのもラーメンならば、ラーメンの定義に「麺」の有無は関係なくなるだけです。
そこから考察のスタートです。
「じゃあラーメンとは何なの?」と。
違いますか?
>>125 ラーメンを知ってるからこそそれがラーメンであるか否かを判別するわけです。
その認識の源は常識であり共通認識ですよね?
それを定める概念が「定義」ですよね?
麺の無いラーメンはおかしいというのは、麺があるものという共通認識があるからおかしいと言うわけです。
ラーメンを食べた事があるから「これはラーメンでは無い」と言うならば、今まで食べてたラーメンをどんな部分で認識してきたかです。
そう、共通認識が関わるのはこの部分ですね。
ラーメンを知らなければラーメンについては語れないし分類もできないという事です。
つまりラーメンについては、ラーメンについて知っている人達の共通認識が定義の源になり、そこから本質は探られていくのだと思います。
>>126 >なぜ「間違って呼ばれている」という考えがでてこないのか。
答えは簡単です。
考察をスタートする時点ではそれが間違いなのか正しいのかなんてわからないし、主観で考えてはいけないからです。
最初から正しいとか間違ってるとわかってるなら考察の必要はありませんからね。
「それは違う」これて終了です。
でも判断基準が何であれ、それと食い違ってるなら考えなければなりません。
それを人のせいにするのは良くないですよ。
>>127 >「なぜコンピューターがかかわると」という理由がはっきりしないのに、そんな推論をしても意味がないでしょうに……。
コンピューターゲームについての考察してるのですからコンピューターの関わりは重要だと俺は考えてますよ。
一般的にゲームというのはコンピューターゲームの事も指しますからね。
コンピューターゲームはゲームなのかという、もっと根源的な話をしたいのでしょうか?
俺はWiiFitについてはコンピューターゲームとしての説明だけでも良いかなと思ってますが。
一応、このスレになってから、元230の言い分である本質的なゲームとしての考察も取り入れてますけどね。
とりあえず今はコンピューターゲームの話をしましょう。
そこから、本質的なゲームと何がどう違うか考えれば良いのではないかと思います。
>>128 >でその常識って、結局「みんなが呼んでいるから」っていう共通認識にすぎないわけですよね。
「すぎない」は余計な一句だと思いますよ。
共通認識そのものでしょう。常識とは。
>>128 >その前提自体に対して「本当に正しいのか?」という考察がすっぽり抜けてしまっているんです。
正しいかどうかを考察してるのではないですよね?
それは定義に沿ってるか否かを判断する部分です。
そうではなく、定義を考察してるわけじゃないですか。
『人はなぜ生きているのか?』
これについて科学的に「肺から取りこんだ酸素を血液を通じて栄養とともに心臓から送り・・・・」と説明するか、
哲学的に「人とは生きた証を刻むために生きているのである」と説明するか、色々ありますが、
単純に「死んでないから生きてるんだろ」でも構わないわけですよ。
そしてそれぞれの説明が正しいか否かというかは定義で判別しますが、説明に整合性があるかどうかは定義を考える段階のプロセスです。
>>128 >皆がゲームを誤解していたら、誤解に基づく定義して出てこないことになります。
それはあなたが「真理を支配する者」ならね。
でも現実問題、あなたがゲームについて誤解してないなんて保証はどこにもありません。
あなたはゲームについて語る時、自分の定義に沿って合ってるか合ってないかで「正しい」「間違ってる」と判別してます。
あなたの定義が正しいのかどうかはあなた自身が決めてしまってるわけじゃないですか。
あなたの定義が正しいと神からお告げを頂いたのですか?
じゃなければ、まずあなたはあなたの定義を疑い続ける必要があります。
俺に対して「なぜ正しいのか考えないのか?」と問うあなたこそ、自分が正しいかどうかを考えてないのではありませんか?
俺は正しいかどうかわからないけど法則性として定義を示してます。
>>129 >もちろん定義は「みんなのための」ものです。みんなが理解できるかどうか、定かではありませんが。
理解というのは「真理を理解」という事ですよね?ゲームの本質の理解と置き換えても構いません。
ではあなたは真理にどれだけ近づいてると思いますか?
あなた自身が「私の定義は絶対に正しい」と言い切れるなら真理そのものでしょう。
俺は自分の定義が真理かどうかはわかってません。
ただ、皆がそう認識しているのはナゼだろうと考えつつ、適用可能な法則性を考えて提示しただけです。
よくわからん。誰かここまでを一行でまとめて
>>130 >ゲーム性とは何かを明らかにし、
違いますね。
というか、ゲームにゲーム性が必要であるという定義があるならその通り。
でもわかりませんよ。そんなの。
あなただって自分が正しいかわかってないと思いますよ。
正しいと信じ切ってるのかもしれませんが。
○○があればゲーム、無ければゲームではないというように、クッキリ分けられるとは限らないと思いますよ、ゲームは。
とても曖昧で、技術や芸術としての側面も併せ持っている不思議なものですし。
>>193 WiiFitはフィットネスを楽しむゲーム
>>130 >きちんと論理立てて「これはゲーム、これは違う……」 というふうに分類することが「みんなのための定義」なんですよ。
ええ、ですから皆のための定義なのですから、皆が分類してるものを見ながら法則を考えていくべきでしょう。
>>133 レス不要と言われましたが、大事な部分なので
>G様は「いや、みんながラーメンって呼ぶんだから、それもラーメンだ」と言ってるわけ。
皆がラーメンと言うものを皆がラーメンとして分類するのは別におかしくないでしょ?
違いますか?
では誰がラーメンについて決めるのでしょう?
というか基準は皆で作ってるのだから皆に合わせないと変だと思いますよ。
この場合「麺のないのはラーメンではない」という固定観念がある人にとってはラーメンではありませんが、皆がそれをラーメンだと言うならラーメンなんですよ。
だって、ラーメンと呼ぶ人達のためにラーメンの定義は存在してるはずですからね。
ラーメンを知らない人達に説明するのにも使えますが、ラーメンを知らない人達はラーメンを定義する事はできないでしょう。
>>197 ところがそれに否定的なヤツが頻繁に現れては荒らしてるんだな。
論では勝てないから、個人攻撃や荒らしでしか自己主張できないんだな。
(´・ω・)カワイソス
>>133 たとえば、ゲームの定義はゲームを知らない人でもゲームについて説明ができるというものです。
ゲームやった事がない人が「ゲームってのはな、競技の事なんだよ!」と偉そうに言う事もできるわけです。
でもそれに対してゲーマーの1人が「いや、どうぶつの森は競技じゃないけどゲームだよ」と言ったら、ゲーム非経験者はそれ以上何も言えなくなるんですよ。
だって経験者がゲームだと言ってるのだから。
でも経験者って言っても1人じゃん!とツッコミも入れられますよね。
それに対して「いや、みんなゲームだって言ってるよ」と返されると「誰だよ、ゲームは競技とか言ってるヤツは!」になるわけです。
>>133 常識主義者というのはつまり、常識に従った行動を取ろうとする人の事でしょう。
共通認識主義者という造語でも良いですけどね。
「電車で体の不自由な人に席を譲るのは常識だ」というような、自分のポリシーに常識を組み込んでる人もいますが、それが良い判断なら良識となるわけです。
常識とは必ずしも正しいとは限りませんが、一定のルール、法則性があるわけです。
それは人間がいままで培ってきた経験とかそういうのから導き出されてると俺は考えてますけど。
>>134 ジャムパンにはジャム入ってますが、フランスパンにはフランスなんて入ってませんよ。
で、定義に対する考察はそこからスタートするんですよ。
フランスパンにはフランス入ってないからパンじゃないなとか、言われてもフランスパンと呼ばれてるのだからなぜだろうと考えるでしょ。
じゃあ、パンって何?と。
違いますか?
まずフランスパンがパンと呼ばれているという認識がなければパンに対する考察はできないと思います。
これが俺の「共通認識」に関する言い分です。
>>135 >無限に同じようなステージが続くだけのシューティングゲームとかいうクリア概念がないゲームもつくれそうなので
そのようなゲームはありますよ。
有名な所では「ゼビウス」です。
ゼビウスは7面以降は無限にループです。
ゲーセンが開いてから閉店するまでずっとやってた強者もいるくらいですからね。
ゼビウスはゲームですよ。
違うと言われても今更ゲームじゃないと言うのも無理があるかと。
あとテトリスや、ぷよぷよのとことんモードも無限でしょうね。
というかMMO自体もほぼ無限です。
いつまでモンスター狩りを続けてアイテムを集めたり合成するのかプレイヤーも開発者もよくわかってないようなものでしょう。
全部ゲームです。
ゲームじゃないと声高に叫んでるのは元230含めて固定観念持ってる人達だけだと思います。
>>137 おまえは誰?
>これがGの認識だとしたらどうでしょうか?
残念ながら違います。
というか、やりなおし。
ご苦労様。
>>138 で?
喩えの使い方もおかしい。
大丈夫なの?
その喩えだと「和男(という人物)は女である」であって「和男とは男の名前である」ではないわけだよ。
何が言いたい?
つーかおまえ誰?
>>139 >「『どうぶつの森』がゲームでは無い可能性」を受け入れる事が出来ません。
「ゲームでは無い可能性」を考えるのではなく「どうしてゲームなのか」を考えないと定義はできんよ。
まあ前者でもできなくはないけど、後者の方が合理的。
というか定義とはそういうものだろうに。
>>140 >とか言い出すぜw
言ってませんけど。
>>141 >じゃ「麺がなければ『麺類』とは言えない」ってことにしておきましょう……。
それって「マイルール」ですよね?
普遍の真理なのか、共通認識を抱くための概念なのか不明です。
なぜ不明なのかというと、事象の観測がされてないからです。
誰がどう見なしているかという前提条件がすっぽり抜けてるので、正しいかどうかは喩えを作った元230のみぞするという、もの凄く閉鎖的なワールドの定義としては成立しますけど。
俺の色紙の場合は一種の思考実験ですから、定義云々というより、アプローチの手法について語ってるわけで、喩えの使い方が根本的に違ってますけどね。
>>142 >自分(=G様)は「共通認識絶対主義です」と宣言してもらいたい
そう言ったら他の文章をきちんと読んでもらえるというならそういう前提でも構いません。
あなたの思考はそこで止まってるようなので。
ちなみに、俺が共通認識に従ってるというよりも、共通認識に従ってる人が事物を分類するのだと思います。
(常識的に考えてAはBだ)
何も考えてない人は事物を分類しようとしないと思いますよ。
(AがBだろうと関係ない)
そして真理を知っている人は、人間の抱く共通認識に無関係に、間違いなく分類できます。
(絶対にAとはBの事である)
>>142 元230が真理に従って事物の正否を判別するタイプというのは今までの話し合いの中でわかってきた気がします。
それは悪い事じゃないです。自分の中に一定の価値基準を持っているという事で、それが常識的に悪い基準なら悪いですが、あなたは良識を持ってると思います。
ただ、ゲームを定義するにはゲームについて見つめる必要があると思います。
自分の中で構築した「ゲーム」という枠でしかゲームを判断できなくなるのは良くないと思いますよ。
だって、それが正しいかどうかなんてわからないじゃないですか。
>>143 >でもその共通認識を「絶対化」はしません。
俺も絶対化はしません。
というか、絶対とか普遍のものってのは万人が納得しうるものでなければ意味が無いでしょう。
>>143 >例外的なものも何とかおさめようとしてよく根拠がわからない追加定義をつくり出して
そもそも何を基準に例外とするか、ですよ。
絶対的な普遍の定義が不明なら基準もよくわかりませんから正しいかどうかはふるいにかけられません。
ただ、皆がそう認識しているものの共通性は見つける事はできるでしょう。
で、根拠はあるわけです。
というか類推の方策について何度も説明したのに読んでもらえてなくて残念ですよ。
説明ができるからそれで良いんだ、ではなく、ゲームと呼ばれているものに当てはまるか否かであって、
それがゲームであるか否かというのはその作業の先で分類されるべき事でしょう。
あなたの場合、先に作業が終了してしまってるので「○○はゲーム」と分けてますが、ゲームまでゲームじゃないものに分けてる可能性だってあるんですよ。
基準が「ゲーム性」とか「競技性」と言いますがそれはマイルールであって絶対普遍の法則であるとは言い切れませんからね。
214 :
名無しさん必死だな:2008/01/16(水) 21:59:17 ID:kQ8SWR2I0
G様がレースゲー以外で見たの初めてだw
しかも自分でスレたててるしw
>>144 >Gの不思議な点は、「ゲーム」という単語に異常なまでに固執しているところだね。
君の不思議な点は、「ゲーム」を定義する話し合いをしてるのにゲームを軽視してる所だね。
>お前どうする?俺はお前の言った「俺に意見したければコテハンで」ってルールに従ったぞ?
ありがとう。
じゃあ今後は「前スレ905」と呼ぶよ。
だからきちんと相手をする。
>>144 >さぁ、この『共通認識』に従うの?それとも、「二人では足りない!」って逃げるかな?www
面白い駆け引きを要求してるなぁ。
とりあえず俺加えて三人で今話し合ってるから、1vs2だな。
足りないというより、3人中2人がそう言ってるというだけの「超限定」された空間では俺不利って事だ。
逃げるというより「ああ、そうなの」という程度。
というか俺が「共通認識絶対主義者」とか言うのは違うと俺自身が否定するよ。
それは俺自身がそのルールを支配出来る存在だからなぁ。
だって俺の事だし。
まあ、名付けるのは自由だけどな。元230も君もそう呼べば他の話に進んでくれるならそれでもいいや。
ループし続けるよりはマシ。
また戻るかもしれないが。
217 :
前スレ905:2008/01/16(水) 23:07:50 ID:7JAIzfy10
>154
あいかわらず長々とご苦労!でも、この時点で大幅にずれてますからw
>ではその定義とは誰が決めた事なのでしょう?
>元230ですよね?じゃあ元230側から見て大衆が間違ってるという事です。
>逆に大衆は、どうぶつの森をゲームと考えてるのですから、それをゲームで無いという元230を間違ってると指摘してもおかしくない。
>屁理屈のようですがそういう事になります
屁理屈のようですが、じゃなくて完全に間違えていますw
はい、やりなおしwww
>>217 お前がいじめるからまたGが敗走したじゃないかw
ここはGをからかうスレであって、敗走させちゃだめだよw
222 :
名無しさん必死だな:2008/01/16(水) 23:25:34 ID:kQ8SWR2I0
まだやってるのかw
でもさすがにスピード落ちたなw
正直どっちでもいいじゃんっておもうんだが
>>219 そーなのかw
よほど暇なんだろうな・・・
本質というのは、どの立場の人も納得しうるものであるべき。
なぜならば本質とは絶対的、普遍的でなければならないから。
元230の言う「ゲーム」とは根源的なゲームに近いものを定義としている。
だから、適用範囲は根源的なゲーム、つまGameの語源である「競技・試合」そのものやそれに類するものである。
我々が使う事物を示す言葉は我々が使う事に関して最適化されているべき。
なぜならば、我々が記憶、記録として整理するのに整合性が保たれていなければ雑然としてしまうから。
雑然ととしている状態とは整理された状態ではなく、むしろ反する状態。
つまり、我々が認識し得るものを我々が便宜上分類するために用いるのが定義というもの。
普遍的絶対的な存在が取り決めたものだけでなく、人が作り上げた事物を人が人のために共通認識を抱くための概念も定義。
人がそれを認識できないのであれば定義としての整合性、論理性を疑わなければならない。
言葉の意味は時代とともに変化する。
それは進化だけでなく風化もする。
元からある意味に何かが加わる事もあれば、失う事もある。
ゲームに関して言えば、古くからのGameだけでなく、今やコンピューターゲームの事も示すし、コンピューターゲームが本質としての競技だけでなく遊びを取り入れ、遊びの要素が拡大しているのも観測に基づく事実。
これを否定していてはゲームに関する考察は難しいであろう。
225 :
前スレ905:2008/01/16(水) 23:34:54 ID:7JAIzfy10
>221
非常に簡単。
「ゲームの本質は競技」この定義は元230が勝手に作ったものでは無いから。
では逆に質問。
>154を含めてGが言う「大衆」の中で、「ゲームの本質は競技」という事を理解した上で
どうぶつの森とかGTAとかを「ゲーム」と呼んでいる層って、どのくらいいると思う?
あくまで主観で構わん。ソース出せとかも言わんよ。
前スレ905が
>>154を否定する根拠を述べるまでとりあえず待つとするか。
ルールのない遊びであるままごととかは厳密な定義でのゲームではないが
コンピューターゲームとしてはアリだろ。
SIMSやぶつ森、シムシティーあたりはコンピュータゲームじゃないのか?
そんなわけがない。
>>225 ここで言う大衆というのは、ゲームについて理解している事を示すというのは上の方でも述べているはず。
ゲームに触れた事がない人はゲームを定義する事も認知する事もできない。
(定義を用いれば可能だが、その効果範囲は限定される事も上で示してる)
つまり、どうぶつの森やGTAをゲームとしてプレイした人はゲームとして認識している(これはほぼ100%)
この理由として常識がメディアに支配されやすいという事も常識の項目で説明済み。
これらを否定するのであれば該当部分で否定して欲しかったがスルーしてるので共通見解であると判断した。
全体の中でどれだけ、というカウント方法ではゲームに関する知識、常識が足りなかったり説明ができなかったりするから当然除外すべきだろう。
そして、なぜ、どうぶつの森やGTA、FF11やウルティマオンライン、ゼビウスやテトリスなど、元230がゲームと呼べないと示すものたちがゲームと呼ばれているかについて、俺は以下のような定義を掲げて説明してる。
「(コンピューター)ゲームとは競技性や遊びの要素を含むコンピューターソフトウェアの事である」、と。
元230が用いてる「ゲームとは競技の事である」では説明しきれないのは明白。
それに対して元230は「上手く説明できたとしてもそれが間違ってるかもしれない」と指摘したが、
何を基準に正しい、間違ってるかを判断するかという条件を取り決めする事について(定義に関する考察)
どうやって、正しいのか間違ってるのかを決めるのか俺にはわからない。
基準を作る作業の妥当性は、観測されたデータから分析するしかないだろうに。
そしてそれが真理に沿ってるかどうかは神のみぞ知る。
俺が共通認識主義者というよりは、大衆が共通認識主義者、(常識人という言い方が一般的かな?)だと俺は思う。
大衆は常識に沿って行動し判断するから。
そしてその常識は必ずしも絶対的、普遍的な真理と同じとは限らない。
しかし、その大衆のための言葉を大衆が分類していく時に必要な概念、つまり定義とは大衆が理解できるものでなければ使い物にはならないという事。
真理提唱者がひたすら「それは間違ってる」と言おうが、大衆は常識に沿って考え行動し事物を分類するのだから、間違ってると言っている人の考え方、つまり常識を疑うのである。
それが正しいかどうかは神のみぞ知る。
ただ、人は考察を繰り返し、経験を積み重ね、科学的に分析し、真理を探求していく生き物なので、いずれは全ての事物の真理に到達するであろう(推測)
前スレ905が沈黙したな。
風呂入るか。
ちなみに真理論は以下のように構成されるもの
1. 真理の対応説:実在と対応していることが真理であるとする。
2. 真理の整合説:他の認識や真理と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。
3. 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。
4. 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。
5. 真理の剰余説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同義であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。
元230が「ゲーム=競技」を真理または真理に近いものと考えるならこの全てを証明すべきだと思う。
そして、本質とは「その事物をその事物として同定するにあたって最低限必要な要素だけからなる概念的な存在」の事であり
これについては俺も元230も「ゲームとは競技の事である」として認めている。前スレ905は不明。
というかスタンスが全く不明。
また、俺を潰したいからやってるとかいう相手かもしれないので要注意。
ここでポイントとなるのは、元230にとって本質→真理への近道と考えてる所。
本当にそうなのかもしれないし違うかもしれない。
ただ、その考察段階にある状態なのにそれを真理として正否判断しているから現実に沿わない論理になる。
真理はまだ見つかってないはず。
見つかったら正しいとか間違ってると言えるし、その時は、元230に限らず誰もが正しいとか間違ってると認識するはずである。
というか、それが真理。
236 :
前スレ905:2008/01/17(木) 00:09:13 ID:T7NU4hSH0
>228-229
ふ〜ん、ここ、非常に重要だと思うんだけど、意図的か分からんが言葉を濁してるよねぇw
ちなみに俺は、
>>154を含めてGが言う「大衆」の中で、「ゲームの本質は競技」という事を理解した上で
>どうぶつの森とかGTAとかを「ゲーム」と呼んでいる層って、どのくらいいると思う?
↑これは、ほぼゼロだと思う。
ゲーム売り場に行って何かソフト買う時、「これは本質的にゲームと呼んでいいものなのか?」なんて
考えるヤツはまずいない。
つまり、自分で「ゲームであるか否か」を「判断していない」という事。
あくまで俺の主観だけどね。だた、ユーザが自分自身で判断していないとしたならば、それはただの「ゲーム」という呼称に過ぎない。
なら、ゲームという「本質」を見直す必要ある?
必要無いんじゃない?「判断していない」んだからw
>234
とりあえず、「真理」がどうこう言ってるのはお前だけじゃね?w
だるいんで寝る。続きは明日以降。
>>236 本質は見直す必要あるかな。
まだそこまでゲームは変わってないというのが俺の考えだけど。
本質としては競技性のあるもので良いと思う。
ただ、今のゲームには競技性が軽視されてるものや、別の何かが組み込まれたもの、「体験」を重視してるものなどつまり遊びの要素が拡大してるというのが俺の推測。
というか「遊びの要素のある」という推測の根拠がズバリこのあたり。
この原因としてコンピューターやネットワークの性能が上がってるからだと思ったわけだ。
で「呼称」という表現は巧いな。
でもゲームって漠然とした抽象的なイメージしかないものなんじゃないかと思うし、なぜかというとゲームについてあまり人々は教育されてないし、学ぶ機会も少ないし、つまりはメディアにとても影響されやすい事物だと思う。
>>236 ゲームに関する大衆の考えはこうじゃないかな?
「ゲームとは娯楽」
「ゲームとは暇つぶし」
「ゲームとは人生にとって重要なものではない」
「ゲームとは勝負」
一番最後のは本質だな。
上の三つはほぼ同義かもしれないが考察の余地あり。
つまり、ゲームというのは勝負、試合などという本質的な意味を「漠然と」理解してるが、本当の所何なのか大衆もよくわかってない。
それに加え、コンピューターやネットワークの急速な発展に伴い、様々な遊びの要素のあるソフトがゲームとして作られてきた。
大衆はそれが何なのかを考えるのではなく、ゲームとして作られたものとして遊び楽しみ、それがゲームだという認識に変化していった。
認識の変化というよりも、「ゲームとは遊びの事なんだな」と漠然と考えるようになった、というのが正しいかな。
もちろんこれ全部俺の推測だから。
つまりゲームというのは抽象的な概念としてしか大衆に認知されてない。
いや、本質的な意味もやはり抽象的にしか理解されてないわけで、つまり何だかよくわからないものである。
しかし、テトリスもゲーム、ゼビウスもゲーム、ウルティマもドラクエもゲームとして遊んできたわけで、その経験の積み重ねから、遊びの類をゲームと考えるようになった(イメージの定着)と思う。
そういう一連の流れ、かなり高速な流れに大衆の認識は飛びついて振り落とされないようにしてきたが、どうぶつの森、GTA、MMORPGが続々とゲームとして登場しヒットしていったので「これもゲームなんだ」と漠然と考えるようになった。
でもなぜ疑わなかったのだろう?
というか、突然、アクアリウムみたいな鑑賞ソフトが出てきても「これはゲームじゃないだろ」と一笑するものだ。
じゃあ、鑑賞ソフトや、映画、ビデオとゲームの違いってのは一応大衆も理解してる。
種差は認知した上でゲームについて抽象的な概念を持ってると考えるのが妥当だろう。
ならば、どうぶつの森が出てくるまでの間に大衆の共通認識が変化していったと考えるべきだろう。
いきなり熱い湯に入ったら「熱い!」と思うが、徐々に温度を上げていくと意外と慣れるものだ。
もちろんそれでも限界を超えれば「熱い!」となる。
つまり人々の認識はゲームの進化に追従して変化していってると考えられる。
その変化の中で競技性が軽んじられていき、遊びが重視されてきたのではないだろうか?
だとするならば、今のゲームには遊びの要素は不可欠ではないかとも思える。
>>236 >>とりあえず、「真理」がどうこう言ってるのはお前だけじゃね?w
その通りw 整然とした論理に何度も論破されて、
逃げに逃げて宗教じみたことを言いだしたGですからw
まさに
>>26だねw あとは
>>11-12 スレまとめ終了w
元230がどうぶつの森に懐疑的なのは、それまでの経験の蓄積から「これはゲームとは呼べない」と判断しているに過ぎず、大衆はほとんど何も考えずにゲームとして遊んでる。
そして、その大衆も時間が過ぎていくと当然のように「どうぶつの森はゲーム」と言うようになる。
言っちゃ悪いが、元230はゲームの進化に取り残された古い人なのかもしれない。
あと◆7ZAJm/y1bQが寂しそうに1人荒らしをやってるが、コテ名乗ってコピペ荒らしやめればいつでも相手してやる。
頭は悪くないのだから、真剣に語り合えば良いのではないだろうか。
勝ち負けに拘らず、自分の考えを述べて、意見ぶつけあって見えない何かを見ようとうするのは良い事だと思うぞ。
Gはまだやってたのかよ…。
粘着オナニーってレベルジャネーゾ。
247 :
元230:2008/01/17(木) 06:53:28 ID:nR60VOQX0
なんと、メインマシントラブル。
困ったな〜。
今日は復旧作業で手一杯な感じ。ちょっと返答遅れますわ。
前905さんにも返答しないといけないけどちと待って。この文章書くのすらつらい状況。
248 :
元230:2008/01/17(木) 07:41:31 ID:nR60VOQX0
よっしゃ復旧〜〜〜(笑)!!!!
原因は、増設したメモリでした。外したら何事もなく復旧した。
全くも〜〜〜〜〜。
249 :
元230:2008/01/17(木) 07:53:08 ID:nR60VOQX0
905殿。
>>144 >>Gの不思議な点は、「ゲーム」という単語に異常なまでに固執しているところだね。
この心理、私は非常によくわかるつもりです。変な例えだけど、新傾向俳句(自由律俳句)と似てる。
俳句はもともと季語と575のリズムからなる短い詩。余談ながらその575の本質が四拍子である
ことも、ある人が指摘済み。
ところが「革新的な」俳句作家たちはこう考える。「なぜ575にしばられなきゃいけないんだ?」。
かくして新傾向俳句なるものができる。自由律ともいう。
250 :
元230:2008/01/17(木) 07:53:33 ID:nR60VOQX0
そして極端になると「咳をしても一人」みたいな、文章の切れ端とどう違うんだ? みたいなものまで
出てくる。
私は別に自由律をけなしたいわけじゃない。575にしばられたくないのなら、それもいい。
俳句の決まりを取っ払って、自由にやればいい。
でも、面白いのは、絶対に彼らは自分たちの句(詩)を、「俳句ではない」とは言わないこと(笑)。
新傾向「俳句」とか、自由律「俳句」とか、絶対に「俳句」という名前はつけたいわけだ。
そこまで俳句の形式を破壊するのが好きなら、俳句という名前もとってしまって、単に
「自由律詩」とか「短詩」とか言えばいいのに、俳句という名前だけは絶対に捨てない。
あくまで固執する……。
G様は、大衆がゲームと呼ぶものにどんな要素があるか、そこからゲームとは何かを考察してるんだよね?
元230は、大衆がゲームと呼んでいても競技性がないとゲームじゃないという。
別にG様を擁護するわけじゃないが、大衆の認識が正しいとか間違ってるなんて誰にも言えないと思う。
元230は大衆がゲームと思っていて製作者がこれはゲームだといってるものに競技性がない場合は、
大衆も製作者もゲームの認識が間違ってるというの?
G様の様に時代とともに考えるほうが真実は解からなくても、事実は解かると思う。
252 :
元230:2008/01/17(木) 08:20:40 ID:nR60VOQX0
かつてのウォーゲームでも、そういう人たちがいた。
「勝敗なんか気にするのは邪道。『シミュレーション』ウォーゲームだから戦史と違った
結果が出てどうする。勝敗重視型ゲームは単にボードゲームであって、シミュレーション
ゲームではない」
もちろんそういう遊びがあってもいい。だがそこまでゲーム性を切り捨てるのに、なぜ
「ゲーム」という名前には固執するのだろうか……。
シミュレーション性がないものが「単にボードゲーム」なら、ゲーム性がないものは
「単にボードシミュレーション」じゃないか。私はそう思っていた。
ま〜長くなるから余談終わり(笑)。
253 :
元230:2008/01/17(木) 08:24:18 ID:nR60VOQX0
>>251 >>別にG様を擁護するわけじゃないが、大衆の認識が正しいとか間違ってるなんて誰にも言えないと思う。
いや擁護してもいいと思いますよん(笑)。私とG様以外変なコピペ君しかいなかったけど、905さんや
あなたのようにきちんと議論に参加できる人なら歓迎。
>>251 その件に関して元230が抱いてる疑念をこう説明してみる。
「赤信号とは止まれという意味である」
交通社会の「常識」だがこの定義を知らない人は赤信号を横断してしまうだろう。(交通教育を受けてない子供や未開の地の人等)
定義には人に伝達する事で効力を発揮するものと、モノゴトの本質を意味するものと二種類あるというのが俺の考え。
信号の例だと、この定義が違ってると交通は成り立たない。
だから交通教育を幼い頃からするし、運転免許を取得する時には試験を受ける。
これは「規則」として概念(広義の定義)を定型化している一例。
元230が信じる定義とはこれに準じてると俺は考えてる。
規則外の事はつまり正しくないという教育が前提という事を彼は忘れているのか知らないのか。
で、その事象からどうして赤信号が止まれなのかを考え、定義化していく作業を俺は手順を踏んで説明してる。
元230はなぜかそれを読まない。読んで欲しいのに。
信号は誰のためにあるのだろう。
交通のためであり、人間のためである。
誰が信号の規則を定めたかというと人間であり、それは人間の都合のためである。
つまり、赤信号は止まれという定義は人間のためにある以上、人間がそれに準じた行動を取るのは自然な事である。
そしてこの信号の例なら元230は定義が人のためにあるという事を理解できると俺は思ってる。
できませんかね?
256 :
元230:2008/01/17(木) 08:30:18 ID:nR60VOQX0
お、G様だ。
でも先に251さんへ返答。
>>G様は、大衆がゲームと呼ぶものにどんな要素があるか、そこからゲームとは何かを考察してるんだよね?
元230は、大衆がゲームと呼んでいても競技性がないとゲームじゃないという。
非常に微妙なことを言いますがね、もちろん私もG様も「どういうものがゲームと認識されているのか」
ということは考慮しているんです。
例えば竹馬に乗るだけじゃゲームにならん。それに競技性を加えるとゲームになる、というふうな考察は
まさにそこから出ているわけです。
だがそのアプローチというか、考え方が少し違うんですね。
で、この信号が正しいか否かは、多くの人が「赤信号は止まれ」と教育され、それを認知している事が前提である。
つまり、大勢がそれを理解しているからこそ、交通システムが成り立つという事であり、定義と人の間でスムーズに循環が成立するわけ。
元230はこの状況しか想定してない。
仮に別のシステムが交通制御が可能になったとする。
車にはネットワークからの指示で自動停止する装置が作られ、歩道と車道は完全に隔離され、横断する時のみゲートが開くなど
(現実的に可能かどうかではなくこれは喩え)
こうなると赤は止まれという常識も定義も不要になるのではないだろうか?
そして、そのシステムが広く認知されるように政府や公安や教育機関が活動を行い普及が進む事で「赤はとまれ」という概念や定義が意味を成さなくなる。
元230の考え方では新しいシステムには対応できない。
対応する意志があれば考えを構築すると言ってるが現に新しいシステムが入り込んできてるのにそれを既存のシステムでのみ説明しようとするから無理があるだけ。
古い人間にとって駅の改札では切符にパンチ穴を開けてもらうというのが常識だ。
しかし今のシステムは自動改札だ。
それを知らなければ当然「これは改札ではない」と言い出す。
多くの人は自動改札を何らかの方法で知り、共通認識として理解してる。
定義が伝搬しそれを正当化してるわけ。
伝搬に関わるのはメディア。
常識がメディアに流されやすいというのも説明済み。
元230の論理は「昔はこうだったから○○なのだ」という感じ。
今のシステムを理解してるのにそれを否定してる。
でも改札の例も信号の例も否定はできないはず。
その違いは何かというと、「ゲームは競技であるという事が大衆が認知している」という前提で語っているから。
正否を判断するのは大衆であり常識なのに、常識や大衆の外側の昔のロジックで今のシステムを説明しようとしてるから無理がある。
俺はそう思う。
元230や前スレ905が、大衆の正当性を何故疑わないのかという疑問を俺にぶつけてるが、
俺は疑問を抱く以前に、基準が曖昧だから正当性は判断できないと言い続けてるはず。
正しいかどうかはわからないと。
もし、それを正しいと厳格に分ける事ができるとするならば、それが「真理」である時。
つまり何事にも左右されない絶対的な定義が必要。
成りすまし君が「真理」と言ってるのは俺だけとからかってるがこれはとても重要な事。
なぜならば、どうぶつの森に関して大衆が間違ってると言うためには真理に対しての正否判断が不可欠だから。
元230の「ゲームとは競技である」というのは本質ではあるが真理かどうかは定かではない。
もちろん真理を探求するのが人間だからいつかはわかるかもしれないが、今はわからない。
その場合、事物を判断している人間の考え方から法則性を見つけ出し定義すべきと俺は言ってる。
でね、伝達する事で効力を発揮するものというか、一種の「閉ざされた定義」というのはあると思う。
真理に限りなく近づいた定義というか、もう変わる事のないものの場合。
しかし、他にも「開かれた定義」というのがあるはず。
ゲームについてもそうだし、基本的に芸術や音楽や料理や文学など創作の類はみんなそうだ。(俳句の例もそんな感じかな)
日々どんどん新しいものが作り出されてくる。
この二種類の定義について元230の見解を伺いたいと思う。
前スレ905の見解でもいいけどw
例えば、閉ざされた定義とは「水とは何か」とか今後変わる事が無いという前提のモノゴトを説明するためのもの。
「酸素と水素が電気的に結合したもの」「人間が生きていく上で不可欠な存在」など様々な説明ができる。
定義が一つじゃないってのも「水」一つとっても元230だって理解できるはず。
(ちなみに水の例の後者は人間の存在が前提なので定義としては不適切かもしれない)
一方の開かれた定義というのがまさにゲーム。
ゲーム以外だと音楽や美術、料理の類。
だから俺の出した色の例はこれに近いと思う。
まあ色にも数の限界はあるかもしれないから、何とも言えないけどここでは色に無限性があると仮定してもらっても構わない。
元230の出したラーメンも近いって言えば近いけど、麺のある無しという点で二者択一を強要してる時点でよろしくないと思う。
つまり開かれた定義というのは、変化の途中にあるものを暫定的に観測した事物から推測し概念として定型化したものであると。
閉ざされた定義とは絶対普遍の定理のようなものに基づききちんと正否判断ができるもの。
元230は閉ざされた定義(ゲームとは競技である)をゲームという変化する事物に対して強引に適用させようとしている。
それは無理があるだろう。
「ゲーム=競技」が正しいのか何なのかはわからないのだから、それは頭の片隅にでも置いておいて、それよりも
「皆がどうぶつの森をゲームだと考えてる」という現象を分析する方がゲームについてマトモに考える事ができると思う。
そして「どうして大衆がどうぶつの森をゲームだと言うのだろう」に対して俺のアプローチとしては「ゲームとは競技性や遊びの要素のあるソフトだから」
元230の見解は「それは大衆が間違った認識をしているからだ」ともはやトンチ問答のロジックで語ってる。
だって大衆が間違ってるかどうかを誰がどう判断するのか明記してないのだから。
それ書かなきゃダメでしょう。
だから、元230の定義に対しては大衆の認識は食い違ってるけどそれが正しいのか間違いなのかはわからない、と補足しなければならない。
でも不思議と元230も前スレ905も、元230の定義が正しいという前提で大衆が間違ってると言ってる。
二人して勘違いしてるなんておかしい。
俺の推測では、前スレ905は単に俺に敵意があるというだけで、とりあえず対立する立場の元230に歩調を合わせてるんじゃないだろうかと。
だから自分の立場も明記しないし説明しようとしない。
やってる事はハッキリ言って◆7ZAJm/y1bQと変わらない。
まあ世の中には似たような人が沢山いるとは思うが、こんなゲハの過疎スレに定期的に来るというのは何とも異常だと思うよ。俺は。
え、偽物って消えたの?
論文書いて証拠を見せると言ってたよな。
あのまま結局書けずに逃亡か?w
論文も無し、証拠写真も無し、客観的データの提出も無し。
無し無し尽くし。
俺が「コピペ酷いからNGにする」と言ったら、俺の事をNGにすると言って名無しになった。
俺の立てた、主に俺が活動してるスレに来て俺の発言を読まないなら最初から来なければいいのにw
でも毎日、変わらずコピペの作業に精を出してるよ。
逃亡というか、コソコソと隠れては小石を窓にぶつける小さいヤツに成り果てた。
268 :
元230:2008/01/17(木) 09:54:28 ID:nR60VOQX0
905殿。
>>144 >>今更ながら確認だが、元230氏のスタンスとしては、
「ゲーム」という定義が時代の変化につれて書き換えられる事自体は否定しない、ただ、
Gの言う「遊びの要素のあるコンピューターソフトウェア」なんて漠然、曖昧な定義を加える事は認められない、
って感じで良い?
もし「竹馬」や「砂遊び」までもが「ゲーム」と呼ばれる時代が来るのなら、
私はもはや「ゲーム=競技」とは主張しません。それはゲームの意味が変化
したんでしょう。しかし竹馬や砂遊びは単に遊びだけど、そこに競技性が加わると
「竹馬競争」みたいなゲームになる、という認識が可能なら、私は「ゲームは競技
である」と主張します。したがって競技性のない遊びを「ゲーム」と考えるのは、
間違いであると主張します。
「遊びのあるソフト……」というのは、なぜコンピューターがかかわると遊びが
ゲームになるかの説明が論理的にできないので不可です。
269 :
元230:2008/01/17(木) 09:56:23 ID:nR60VOQX0
>>251さんに返答を書いていたら、とても長くなった。分割して載せる。
ご本人は否定されるが、G様は「共通認識絶対」的に考えてます。共通認識が「Aはゲームだ」だからAは
ゲームなんだ、それに異論をはさむ方がおかしい、みたいにね。
例えば「どういうものが若者の間で流行しているか」なんてことを調べるのは、そのやり方でいいんです。何をも
って「流行している」と言うか、についてきちんとした定義が必要かもしれないが、とにかく若者の間で「どうぶつ
の森」が流行しているのなら、その事実に従うしかない。「いや、実は流行していないんです」なんて嘘は主張
できないんです。これは事実調査なんですから。
だけれども、ゲームとは何かということを、そういう事実調査と同じように考えるのはおかしいと私は思うのです。
何が流行しているかとか、どんなものが読まれているのかなんてことには厳密な理論など建てられません。大体
の傾向ぐらいは出るだろうけど。
270 :
元230:2008/01/17(木) 09:57:13 ID:nR60VOQX0
でも、ゲームとは何かというのは、定義であり、論理なんです。よって破綻した定義・論理的におかしな定義が
大衆の認識として存在するのなら、それを論破し否定する必要があるんです。それが定義の役目なんじゃない
んですか? 大衆の認識が誤認を含むことだってあるんです。それをも含めて定義化するのは混乱するだけです。
G様の追加定義の「遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアはゲームである」というのは、はっきりいって
「コンピューターソフトなら『遊び=ゲーム』である」と言ってるのと同じです。すると当然、なぜコンピューター以外
では「遊び=ゲーム」は言えないのに、コンピューターが関係すると「遊び=ゲーム」が言えるのかという疑問が出
てきます。この説明にG様も苦しんでます。当然です。そんな説明などできないからです。そんな論理的理由
など、あろうはずがないからです。
271 :
元230:2008/01/17(木) 09:57:46 ID:nR60VOQX0
コンピューターというのは、ゲームにとって単に表現媒体に過ぎません。カードでゲームするならカードゲームだし、
ボードでするならボードゲーム。テーブルゲームという言い方もあります。コンピューターゲームとは「コンピューターを
使ってゲームする」という意味以外のことを意味しません。
だから媒体によって「遊び」がゲームになったりならなかったりすることなどあろうはずがないのです。にもかかわらず
大衆がそう見なすのであれば、それは大衆が「誤認している」というしかない。それが唯一の論理的な説明になり
ます(905さんは「判断していない」と言ってますが、同じことです)。
じゃなぜ、コンピューターが関係すると、そういう誤認が起きやすくなるのか」という疑問には簡単に答えられます。
まず第一に「ゲーム=競技」という本質でゲームを考えている人がほとんと存在しないから(これは905さんも指摘
されています)。次に大半の人は「ゲーム=遊び」だと考えているから。さらにホンモノのゲームソフトと見かけが
そっくりだから、DSで出ているから……ということも答えになるかもしれません。
272 :
元230:2008/01/17(木) 09:58:10 ID:nR60VOQX0
まぁぶっちゃけウォーゲームの例からして、コンピューター関与だけでなく、ボード上でも「遊び=ゲーム」じゃないか
と思います。古くからある竹馬とか砂遊びみたいなものは、ゲームとして発売されているわけじゃないから「遊び
だけどゲームじゃない」となるわけです。
でも缶蹴りは「ゲームだ」と言っても納得する人が出てくると思う。つまり、大衆も全くわかっていないわけじゃない。
漠然と「ゲームは競技なんだ」みたいなことはわかっているんです。だから松田道弘さんの本にも「決まりを守って
勝敗を争うのがゲームだ」みたいなことが書かれている。ただそれが、大衆のレベルでは無意識的な漠然とした
理解であって、意識的には「ゲーム=遊び」の方がよほど認識として強いんですね。そもそも松田さんですら
私の知る限りでは「ボードゲームは盤上遊戯ではなく盤上競技だ」とは主張していません。そう主張しているのは、
私の知る限りでは私だけです。それほどまでに「ゲーム=遊び」という概念は強固です。
273 :
元230:2008/01/17(木) 09:58:58 ID:nR60VOQX0
だから「ジャンケンもゲームだ」というと、納得してもらえない。ジャンケンもきちんとした「競技」なのですが、遊びの
要素があんまりないから違和感が出てくるわけです。ジャンケンは完璧なゲーム(競技)なので、疑似競技性しか
もたないドラクエ・ゼルダ……等と比べると「ゲーム性はずっと上」ということが言えるのですが、こんなことを言おうもの
なら何か価値まで否定された気がして「そんなのありえない」という反応になるわけです。「ゲームであること」に
価値など本来ないはずなのに(このことに気がつかない人が非常に多い。むしろ905さんがこのことに気がついてい
ることに私は驚くぐらいです)。
例えば「マリオはドラクエよりアクション性はずっと上」というのは、別にドラクエをけなしていませんよね?? アクシ
ョン性そのものに価値などないのですから。「ジャンケンはドラクエよりゲーム性が上」というのも、それと同じことなのです。
274 :
元230:2008/01/17(木) 09:59:24 ID:nR60VOQX0
ちょっと話がそれましたが、私の分析を言えば、「ゲーム=競技」であり、大衆もなんとなくそれがわかっているん
だけど(無意識的な理解はしている)、意識的にちゃんとわかっているわけではない、むしろ意識的には「ゲーム
=遊び」という感覚の方が圧倒しているので、ボードやコンピューター上で競技性のないものまで「ゲーム」と呼ぶ
ような混乱が現実に起きている、というところでしょうか。
昔の野安さんのブログで「投票してゲームかどうか決めよう」みたいなあんまり笑えない話まであったのも、混乱が存在
するからですね(「おじんゲーマー」という名前で少し私も意見しました。なおmkの「どうぶつの森」にも「おじんゲーマー」
で投稿していますが、当時とは少し考え方が変わっています。訂正したい部分がかなりあるが、どうぶつの森はゲーム
ではないというのは当時も今も変わらない考えです)。
275 :
元230:2008/01/17(木) 09:59:44 ID:nR60VOQX0
結論として「ゲームとは競技なんだ」とはっきりさせて、どうぶつの森や戦史再現型ゲームなどは「遊びだがゲームではない」
という認識をもっと「共通認識」として定着させるべきだと思います。その方がずっと筋が通るからです。
つまり私が言いたいのは「共通認識の改革」です。ゲーム=遊びという誤解のために混乱が起きている。だからそれを
直そう、というのが私の主張です。
もし私の説に反対なら、「なぜコンピューターが関わると遊びがゲームになるのか」(そう「見なされるか」ではないことに特に
ご注意ください)に論理的な説明をお願いします。もし私と同じように「媒体によって遊びがゲームになったりならなかった
りすることなど、論理的にありえるはずがない」と考えるのなら、結論としては、私と同じように「大衆はゲームを誤認している」
ということしか出てこないと思います。
276 :
元230:2008/01/17(木) 10:00:21 ID:nR60VOQX0
G樣への返答は、昨日の続きからにします。後ほど。
じゃんけんは競技じゃねえべ。
>>269 どうして
>>144から一足飛びに
>>251へのレスになるのか理解に苦しみます。
>>251にレスをする前に
>>145からの俺の投稿文を読めば
>>251へのレスに疑問符がつくはずなのですよ。
というかあなたが俺に抱いていた疑問、疑念、理解できなかった事など時間かけてゆっくり説明してます。
駆け足で読んだらいけません。
読むというのは「見る」というのと違います。
文章を頭の中で理解していかなければ「読んだ」とは言えません。
理解できないならその都度質問して下さい。
俺はあなたにその都度質問し理解を求めてます。
とりあえず「共通認識でゲームだからゲーム」と考えてるという主張が違うという事を理解して欲しい。
理解できないのであれば別の説明方法を用います。
互いの意志が伝わってない状態では意見交換は無限ループのままです。
279 :
元230:2008/01/17(木) 10:17:53 ID:nR60VOQX0
>>どうして
>>144から一足飛びに
>>251へのレスになるのか理解に苦しみます。
251はG樣ではないんでしょ???
G樣へのレスは順番にやっています。その後でその人に返答すると、遅すぎるので
251殿と905殿には先に返答したまでですよ。
「共通認識でゲーム」という部分は前スレ905が指摘するようにセットです。
そのように観測された事象という事ですね。
共通認識だからゲームなのではなく、共通認識としてゲームと呼ばれているという部分を認識してるという事です。
これは元230も同じはず。
ですよね?
もう一度整理の意味で確認します。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば共通認識でゲームと呼ばれているからだ」→×
これは違います。
「大衆はどうぶつの森をゲームと呼んでいる」・・・事象の観測(考察のスタート)
「なぜならばゲームとはコンピューターゲームを指す事が多く、コンピューターゲームとは競技性や遊びの要素のあるソフトの事だから」(考察結果と事象の間に論理性がある)
これが俺の主張。
元230の主張
「大衆はどうぶつの森をゲームと呼んでいるが、それは間違いである。なぜならばゲームとは競技の事だから」
→それが間違いであるとは言い切れないので不適切
281 :
元230:2008/01/17(木) 10:22:14 ID:nR60VOQX0
確認したら、G樣へのレスは54からになるんですが、それでいいんですか?
産業
283 :
元230:2008/01/17(木) 10:24:09 ID:nR60VOQX0
>>280 こっち先にしますか。
>>もう一度整理の意味で確認します。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば共通認識でゲームと呼ばれているからだ」→×
これは違います。
ふむ。
で、俺の主張が真理と同じという保証はどこにもなく、そもそも正しいかどうかを判断するのは観測者と被験者なのだから、その双方に論理性が保てれば概念として定義する事は可能というのが俺の見解。
>>281 俺は個別のレスを要求してるのではなく、俺の意見をよく読んで欲しいと言ってるのですよ。
前スレで何度か出した意見を綺麗さっぱり忘れられては困るわけです。
いや物忘れが激しいから許してくれと言われたらそれまでですが、とにかく何度も同じ説明を繰り返してる気がしたので。
じゃあ、説明の仕方が悪いのかなと思って色々と方法を変えてるだけで真意は変化してません。
今の所。
285 :
元230:2008/01/17(木) 10:27:30 ID:nR60VOQX0
>>「大衆はどうぶつの森をゲームと呼んでいる」・・・事象の観測(考察のスタート)
かまいませんね。
>>「なぜならばゲームとはコンピューターゲームを指す事が多く、コンピュータ
ーゲームとは競技性や遊びの要素のあるソフトの事だから」(考察結果と事象の
間に論理性がある)
これが俺の主張。
いや、これはまるで飲めません……。相変わらず「なぜコンピューターが関与
すると、ただの遊びがゲームになるのか」という論理的な説明が、全くない。
というか、これまでのG樣の説明と違ってません????
なので、確認のための質問に関しては極力答えて頂きたいですが、全部にレスをしてくれという事ではありません。
真意を理解して欲しいだけです。
287 :
元230:2008/01/17(木) 10:30:52 ID:nR60VOQX0
私が知っている限り、G樣の論理はこんな順序でした。
1「ゲームの本質は競技。これは230と一致」。
2「でも実際には、どうぶつの森など、競技性のないものもゲームと呼ばれている」。
3「そ こ で『コンピューターゲームとは競技性や遊びの要素のあるソフト」と追加
して考えれば、大衆の共通認識が説明できる。
こんな感じじゃなかったでしたか?
>>285 ですから、上で何度も説明してますし、その文章の中でも説明してますよね?
ハッキリ言ってあなたは俺の意見を全然読んでない。見ただけじゃないですか。
ゲームとはにコンピューターゲームの事をも指すと、その文章内にも書き込まれてます。
それとも、ゲームという概念にはコンピューターゲームは含まれないと言うのですか?
これは重要な事なので是非回答いただきたい。
289 :
元230:2008/01/17(木) 10:34:32 ID:nR60VOQX0
>>ハッキリ言ってあなたは俺の意見を全然読んでない。見ただけじゃないですか。
いや読んでますけど、あちこちに矛盾というか考え方のズレを感じます。
>>ゲームとはにコンピューターゲームの事をも指すと、その文章内にも書き込まれてます。
それとも、ゲームという概念にはコンピューターゲームは含まれないと言うのですか?
これは重要な事なので是非回答いただきたい。
もちろんゲームには「コンピューターゲーム」も含まれますよ。当然。
でも私が言ってるのは「なぜコンピューターゲームに限って」遊びがゲームに
なっちゃうの? ってことなんですけど。
ゲームと言えば普通はコンピューターゲームを指す、なんていう説明は、
少なくともファミコン以降のことでしかないし、コンピューターを特別扱い
していい理由になんて、全くならないんですよ。
>>287 3の部分が若干違います。
そのロジックだと、「どうぶつの森」限定ですよね?
それでは、どうぶつの森に関してはという記述が必要になります。
実際にはそこからまた逆戻りして各ゲームについてその定義が正しいか検証を試みてるわけですよ。
ゼビウスもゲーム、テトリスもゲーム、ウルティマもゲーム、ドラクエもゲーム、FF11もゲーム、GTAもゲーム。
全部に競技性または遊びの要素があるので。
もし、競技性も遊びの要素もないものが「ゲーム」と呼ばれているならこの定義も怪しくなります。
そういう事です。
>>289 >でも私が言ってるのは「なぜコンピューターゲームに限って」遊びがゲームになっちゃうの? ってことなんですけど。
それについても上で何度も説明してます。
とにかく読んでないという事はわかりました。
もう一度説明しましょう。
292 :
元230:2008/01/17(木) 10:38:16 ID:nR60VOQX0
つまり、G樣が「理由を書いてる、読んでくれ」と主張されても、私(や905さん)
には、それが正当な理由にはまるで見えないのです。
私が主張しているように「媒体によって遊びが一方的にゲームになったりならなかったりなんて、
ありえない。したがって、もし大衆がことコンピューター関連の遊びをゲームと呼ぶのならば、
それは誤認でしかない」という方が、ずっと納得できませんか??
一般的に集合が多くなるほど、その性質は狭いものに限定されていく事は前に述べた通り。
逆に多くの性質を持てばもつほど、それは普遍的な真理ではなくなるとも言える。
つまり、定義というのはそれ自体がピラミッドのような階層構造を持っている。
底辺に近い部分の定義というのは、様々な性質を含んでいるが、頂点に位置する「普遍の真理」は絶対的な一つを有してるという事になる。
でも実際には概念の本質というのはこのような階層構造によってのみ定義されるのだろうか?
いや違うと思う。
AはBであるがCではない、しかしCはBを含むという事はありえる。
これは異なるピラミッドの間にネットワークが存在してる事を意味する。
例えば、マリオはアクションゲームではあるがRPGではない、しかしRPGはアクションゲームをも含む。
ゲームに関して言うと異なる階層はハイパーリンク形式で繋がりを持ってる。縦だけでなく横とも繋がって定義されていくもの。
しかも横も縦もどんどん拡大してる。
このように密接に絡み合いながら拡大してる事物から真理を導き出すのは困難だ。
どうしてコンピューターが関わると変わるのかというのはつまり、既存のゲームから大きく変化をもたらす存在だからだろう。
今まではゲームの進化拡大のペースは比較的ゆっくりだった。
人間の認識が追いつくのに十分な時間があったはずだ。
しかし、コンピューターゲームが登場してから非常に短い時間でめまぐるしく変化していった。
それはつまり人間がコンピューター上で動くゲームをゲームとして認識し定着させるに十分な時間が無かったとも言える。
どうぶつの森がゲームなのかを考え認識し、定着させるまでの時間が異様に短く、気が付いたら定着していた、という感じ。
こうなると、それをゲームとして受け入れないと次のゲームをゲームとして認識できなくなる。
というかついていけなくなる。
もう一つの方法として「こんなに変化が速いんだし、ゲームって言うならゲームでいいじゃん」という投げやりなスタンス。
思考停止というより思考放棄。変化が速すぎて処理が追いつかなくなった状態。
295 :
元230:2008/01/17(木) 10:41:40 ID:nR60VOQX0
>>それでは、どうぶつの森に関してはという記述が必要になります。
いやG樣は別にどうぶつの森に限定していなかったのでは???
箱庭型はみんなそんなもんだ、みたいな話をしていたような……。
ここでこうやって展開してる言葉遊びもゲームの一種なんだろうな
論破合戦とでも言うんだろうか
なるほどゲームは間口が広くて奥が深い
つまり、コンピューターがゲームに関わってきた事で、コンピューターの進化と人間の認識までにかかる時間にズレが生じてしまった。
それゆえに、作る側も受ける側も売る側も、それをゲームとして「正しく認識していない」というか「よくわからないけど多分ゲーム」としているであろうと。
これがコンピューターが関わる事で変化するという意見の根拠の部分です。
だから俺が再三「遊びの要素etc」がゲームの定義として正しいとは限らないと述べているわけです。
元230は読んだと言ってますが認識のズレではなく理解してないだけです。
何度言ってもわからないなら他の言い方をしますが、認識のズレで一蹴されては先に進むわけがありません。
理解を求めるしかないわけですよ。
>>295 そうやって言葉端だけかいつまんでレスをするから全体の文章の真意が伝わってないのでしょうね。
すぐ後にきちんとその説明もしてるでしょうに。
とにかくあなたにはログを整理して再読してもらって、じっくり考えた末、質問部分に対する回答と疑問点の提出をしてもらいたい。
今ここで話会いを始めたら二度手間です。
よろしくお願いします。
というか元230は何度も「正当」とか「間違ってる」と言いますが、上の方でやまほどその見解に関する説明を求めてるのですよ。
その回答がすっぽり抜けたままで、途中参加してきた新参者のように振る舞われては困ります。
300 :
元230:2008/01/17(木) 10:45:31 ID:nR60VOQX0
>>実際にはそこからまた逆戻りして各ゲームについてその定義が正しいか検証を試みてるわけですよ。
ゼビウスもゲーム、テトリスもゲーム、ウルティマもゲーム、ドラクエもゲーム、FF11もゲーム、GTAもゲーム。
全部に競技性または遊びの要素があるので。
もし、競技性も遊びの要素もないものが「ゲーム」と呼ばれているならこの定義も怪しくなります。
まずその「〜はゲーム」と判断を下すのは誰? そして何によって?
しかもそれらはぜ〜んぶコンピューターのゲームです。
コンピューターが関連しないと、ただの遊びはゲームではない。
でもコンピューターが関連すると、ただの遊びがゲームになるのはなぜか?
という質問の答えにはなりません。
単なる荒らしや、俺を潰したいだけの人ならば無視しようがスルーしようが勝手ですがこの意見交換に参加する意志があるなら、俺の意見をきちんと読んで欲しいのです。
それを踏まえた上で話し合いをしなければ先には進みません。
俺も元230や前スレ905に対しては逐次レスを入れてます。
違ってるなら違ってると指摘していただいてもいいし、それがわからないから細かく確認の意味での質問をしてるわけですよ。
>>300 ストップ!
とりあえず今は
>>301以下のレスはしないで下さい。
上で確認の意味で質問してる事に逐次答えてもらってからじゃないと意志確認ができません。
とにかく、言う事を聞いてください。
できないなら荒らしと変わりません。
303 :
元230:2008/01/17(木) 10:49:19 ID:nR60VOQX0
>>294 >>どうしてコンピューターが関わると変わるのかというのはつまり、既存のゲームから大きく変化をもたらす存在だからだろう。
今まではゲームの進化拡大のペースは比較的ゆっくりだった。
人間の認識が追いつくのに十分な時間があったはずだ。
しかし、コンピューターゲームが登場してから非常に短い時間でめまぐるしく変化していった。
それはつまり人間がコンピューター上で動くゲームをゲームとして認識し定着させるに十分な時間が無かったとも言える。
ものすごく情緒的かつ非論理的な説明でしかありません。こういうわけのわからない
ことを論理として認めろということ自体、無理がありすぎます。せいぜい「仮説」程度
でしかないのでは???
質問事項は
>>145以降のだけでも良いです。
とにかく、先に進める前に意思確認をしたい。
305 :
元230:2008/01/17(木) 10:50:51 ID:nR60VOQX0
>>ストップ!
笑。だから54から続けましょうか、と書いたのに……。
それとG樣、バランスをとりたいのなら、もっとレス少なくしてくれないと(泣)。
私も多いけど、あなたの投稿は多すぎますよ。
とにかく、ひとまず引き下がります。
306 :
元230:2008/01/17(木) 11:22:40 ID:nR60VOQX0
145以降に答えていいのかな……??
>>146 元230は俺のロジックをこう推測してると思う。
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
違いますか?
多分一昨日の名無しも同様に考えてるのではないかと思います。
その通り。そうとしか思えませんね。
307 :
元230:2008/01/17(木) 11:24:54 ID:nR60VOQX0
>>147 >>「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアだからだ」
これ順番逆だったと思うけどなぁ???
どうぶつはゲームと認識されている。「だから」競技性または遊びの要素のあるコンピューター
ソフトウェアを「ゲーム」と認識すれば、万事解決。
そういう順番だったはずだがなぁ??
308 :
元230:2008/01/17(木) 11:25:47 ID:nR60VOQX0
>>148 >>『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』←これは対象の観察というヤツです。
帰納法の例で何度も出してますが太陽の振る舞いを観察したり、ダイスの目を観察したりしてそこから原因や法則性を推測するわけです。
ここまではOKでしょうか?
もちろんOKですよ。
309 :
元230:2008/01/17(木) 11:27:11 ID:nR60VOQX0
>>149 元230のロジックを俺は以下のように推測します。
「どうぶつの森はゲームとは呼べない、なぜならば競技ではないからだ」
これで合ってますよね?違うなら違うと言ってください。
「(疑似)競技性が欠かせない要素になっていないからだ」がより正確ですが、
別にその表現でもいいでしょう。
310 :
元230:2008/01/17(木) 11:28:14 ID:nR60VOQX0
>>元230は『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』という観測をしているが
「ゲームの定義」と照らし合わせると、どうぶつの森は競技ではないからゲームではないと結論付けているのでしょう。
まあそういうことです。「「(疑似)競技性が欠かせない要素になっていないからだ」がより正確ですが。
311 :
元230:2008/01/17(木) 11:35:16 ID:nR60VOQX0
>>150 >>俺が再三、元230に疑似競技性を考えるキッカケを尋ねてるのは、
ゲームとは何かを考えるきっかけはウォーゲーム。疑似競技性を思いついた
のは(恐らく)ゲームブックですね。一度前に書きました。
312 :
元230:2008/01/17(木) 11:35:58 ID:nR60VOQX0
>>"人が事物を定義するには事物の観測が必須である"という事はご理解頂けたでしょうか?
例外もあるかもしれませんが、"見えないもの"、"知らないもの"は定義できないと俺は考えてる、でも良いでしょう。
これについて元230が共通見解を持っているかも確認したいのでよろしくお願いします。
「自分が知らない事は自分では定義できない」、これに異論ありますか?
当然すぎて、異論はありません。
313 :
元230:2008/01/17(木) 11:38:32 ID:nR60VOQX0
>>「ゲームとは競技・試合の事である」
ここで言うゲームとはコンピューターゲームに限定されてるわけではなく、カードゲームやボードゲームや広くスポーツの試合等をも指します。
その通り。
>>元230はこれを定義として適用してよいか、何らかの方法で考察をしたはずです。
はい。
314 :
元230:2008/01/17(木) 11:38:48 ID:nR60VOQX0
>>そこで思考停止して「そうだな、ゲームとは競技の事だよな」で主張を持ったとするならば安直すぎますしね。
元230の振る舞い考えたらそこで止まったとは思えません。
今も考察は続いてるはずです。
いや、もう「今」は考察など続いていませんよ。結論は出ましたから。
天動説でできないことがある。他に説明はないか……。で、地動説を思いつく。
それで全部説明できれば、それが正しいことになるので、それで考察は終わりです。
315 :
元230:2008/01/17(木) 11:41:08 ID:nR60VOQX0
>>154 この辺からG樣論理がおかしくなってます。
>>『どうぶつの森の事を皆がゲームとして認識している』というのは"本当はゲームなのか何なのかわからないけど、皆はゲームだと認識している"と説明できますよね?
私はそんな確信のないことを言っているつもりはありませんよ。ゲームとは何かについて、わかっているつもりです。
316 :
元230:2008/01/17(木) 11:45:32 ID:nR60VOQX0
>>ではその定義とは誰が決めた事なのでしょう?
元230ですよね?じゃあ元230側から見て大衆が間違ってるという事です。
905さんが解説しているように、「ゲーム=競技」は、私が決めたものでは全く
ありません。
私が法律を出して「ゲーム=競技のことである」などと決めたものではないのです。
G樣も指摘しておられたように、竹馬は遊びでしかないが競技性が加わるとゲームになる、
というところから「推論」したものであり、論理的帰結なのです。私は誰であれ、
論理的思考がちゃんとできれば、ゲームは競技であるという結論に達すると思っています。
ただ「ゲーム=遊び」という厄介な常識が、それを邪魔するのです。
例えば地動説はコペルニクスが決めたわけではありません。法則を発見しただけに
すぎません。「ゲーム=競技」についても同じです。
317 :
元230:2008/01/17(木) 11:52:25 ID:nR60VOQX0
>>元230ですよね?じゃあ元230側から見て大衆が間違ってるという事です。
逆に大衆は、どうぶつの森をゲームと考えてるのですから、それをゲームで
無いという元230を間違ってると指摘してもおかしくない。
論理がきちんとしているかいないかで判定できるでしょそれは。
天動説と地動説もお互いに反論しあっただろうけど、きちんと天体の動きを
説明できるのは、地動説の方だった。天動説だとそれこそ「追加条項」みたい
なものをいくつもつくって無理矢理説明していたわけです。
私は「競技性」とそれに類似する疑似競技性だけでゲームをすんなりと説明しています。
コンピューターソフトに限って遊びがゲームになるという理由のない説明をしなければ
ならないの、非常に苦しいです。
318 :
元230:2008/01/17(木) 11:53:30 ID:nR60VOQX0
×私は「競技性」とそれに類似する疑似競技性だけでゲームをすんなりと説明しています。
コンピューターソフトに限って遊びがゲームになるという理由のない説明をしなければ
ならないの、非常に苦しいです。
○私は「競技性」とそれに類似する疑似競技性だけでゲームをすんなりと説明しています。
コンピューターソフトに限って遊びがゲームになるという理由のない説明をしなければ
ならないのは、それに比べて非常に苦しいです。
319 :
元230:2008/01/17(木) 11:57:37 ID:nR60VOQX0
>>これは何が言いたいかというと、「本質」や「真理」というのは"どの立場
にとっても正しくあるべき"、という事です。
解釈が難しい。もちろん本質や真理はどんな人にとっても当てはまるものです。
一人だけ物理法則を無視して生活しているとか、重力の影響をこの人だけは受けな
いとかそんなことはない。
でもそれはその人がその法則を理解しているかどうかには、全く関係ないことだと
思いますが。
320 :
元230:2008/01/17(木) 11:59:08 ID:nR60VOQX0
>>155 >>この場合、
「大衆はどうぶつの森をゲームと認識しているが、『ゲーム=競技』として考えたら辻褄が合わない、なぜだろう?」
と考察を開始すべきでしょう。
それはとっくに答えが出ていて「ゲーム=遊び」という常識がそう考えさせるのです。
322 :
元230:2008/01/17(木) 12:03:18 ID:nR60VOQX0
>>156 >>それに対して、元230は「ゲームは競技の事なのだから大衆が誤解してるのだ」
または「ゲーム機で動くからゲームだと安直に考えてるからだ」で考察終了してますよね?
ゲーム=遊び、の影響が一番強いですけどね。
>>前者は絶対神でもなければ言い切る事はできないはずなので、
これがまた意味不明。なぜ「ゲーム=競技」と論理的帰結を得ることが「神」
なのか? 私は考察をしただけです。そして「ゲーム=競技」という結論を
得た。それの何が「神」なのですか?
G樣は、コペルニクスが「神」だと言いたいのですか?
あることに対して、常識と違う結論を得て「大衆は間違っている」と思うと、
その人は「神」なのですか?
323 :
元230:2008/01/17(木) 12:04:57 ID:nR60VOQX0
>>「皆にとってどうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
ゲームでないものをゲームだと勘違いしているだけなんですけど……。
324 :
元230:2008/01/17(木) 12:08:43 ID:nR60VOQX0
>>158 >>それならば、「皆にとってどうぶつの森はゲームなのだ」と言い換える事は十分に可能だと思います。
何かおかしい。例えば「コーヒーはブラジル人にとって、祖国そのものであり、郷愁なのだ」とか
そういうことは言えるのかもしれませんが(未確認だけど:笑)「ゲームであるかないか」は
そのような情緒的かつ主観的な解釈を認めていいものじゃありませんよ??
あくまで私が言ってるのは「大衆はどうぶつの森をゲームと誤解している」であり、
「大衆にとってどうぶつの森はゲームなのだ」ではありません。
ゲームとは誰にとってもゲームなのであり、ある人にとってはゲームだが別の人に
とってはゲームではないとか、そんなことになるものではありません。もちろん
無理矢理ゲームでないものをゲームとして使うとか、使い方を変えれば別です。
325 :
元230:2008/01/17(木) 12:10:25 ID:nR60VOQX0
つまり、どうぶつの森は、私にとってもゲームではないし、G樣にとっても
ゲームではないし、日本中あるいは世界の誰にとっても「ゲームではない」
としか言いようがないのです。
ただ現実は、私以外のほとんどの人はどうぶつの森を「ゲームである」と誤解
している。その事実が残るだけです。
繰り返します。「ゲームである・ない」は、人によって変わるわけではありま
せん。
326 :
元230:2008/01/17(木) 12:15:02 ID:nR60VOQX0
>>161 >>それならば、元230の主張は
「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、皆がそう考えているからだ」
しかし「私にとってどうぶつの森はゲームとは呼べない、なぜならば競技ではないからだ」
となります。
違いますか?
だから、こういうことが言えるのは、「普通は目玉焼きに味噌汁は朝食だが、我が家では
メインディッシュだ」(泣)とか、そういう状況であって、「ゲームであるかないか」は
全くそれとは異質なものです。
どうぶつの森がゲームであるかないかは「人によって」変わるわけではありま
せん。人によって変わるのであれば、何がゲームかなんて追究するのは全く意味の
ないことになってしまいます。
そうでしょ? wiifitだって、コピペ君には「なんとかはフィットネス。何とかはゲーム」
かもしれない。G樣には「フィットネスゲーム」であるわけです。人によって違っていいの
なら、なぜ討論なんかできるんでしょうか????
327 :
元230:2008/01/17(木) 12:23:13 ID:nR60VOQX0
>>163 >>俺は少なくとも前者の部分、つまり認識→考察に不備があると思うわけです。
「皆がそう考えてるからだろう」なんて安直すぎるじゃないですか。
それはG樣に申し上げたいことなのですが……。
というか、「神」ぐらいのところからもう論理がおかしくなっています。
その上にいくら積み上げても、おかしい文章にしかなりませんね。
328 :
元230:2008/01/17(木) 12:32:31 ID:nR60VOQX0
>>167 >>「皆にとってどうぶつの森はゲームである。したがって皆にとってどうぶつの森はゲームである」
まず「ある人にとってはゲーム。でも別の人にとってはゲームではない」という状態がそもそも基本的
にありませんよ。
将棋はゲームです。将棋の名人だけでなく、将棋の駒の動きしか知らない私にとってもゲーム
です。日本人だけでなくプレイしない外国人にとってもゲームです。もちろん「美術品」になること
もありますが、ゲームでなくなったわけではありません。もし将来地球が滅亡して宇宙人が地球にや
ってきたとする。そして将棋盤と駒を発見したとする。もちろんなんだかわからないでしょうが、
それでも将棋はゲームなのです。もちろん宇宙人が将棋がゲームであることに気がつくかどうかは定
かではありませんが。
329 :
元230:2008/01/17(木) 12:36:27 ID:nR60VOQX0
>>「どうぶつの森はゲームである、なぜならば、競技性または遊びの要素のあるコンピューターソフトウェアだからだ」
それは、みんなが「どうぶつの森はゲームだ」と認識しているからそれを説明するために付け加えた
条項だったのではありませんか?????
330 :
元230:2008/01/17(木) 12:41:09 ID:nR60VOQX0
>>170 >>何を基準に「誤解」と判断するのでしょうか?
905さんが書いておられるように、「ゲーム=競技」という本質からゲーム
を眺めている人がほとんど存在しないことが予想されるからです。
ゲームの本質を知らずに「ゲーム=遊び」程度にしか思っていない人が下す
判断は誤解の可能性が高いことぐらい、当然だと思います。905さんは
「そもそも判断していない」と言ってますが、同じことです。
>>でも何が正しいかなんて人間が勝手に決めた事ですからわかりませんよ。
ゲームについては、論理的に考察すればわかることです。なぜ「わからない」
って考えるのですか?? そもそも何が正しいのかわからないのなら、どうし
てwiifitはゲームかどうかハッキリさせるなんてスレが成立するのですか?
元230が俺の主張に対して抱いている疑問は何となくわかります。
まあ完全じゃないですけどね、本人しか知り得ない事はあるでしょうし、そういった穴を意見交換を通じて埋めていくわけです。
「常に他のようにも定義可能だ」とするならば、定義は普遍ではなく、定義する個人によって違っていてもよい、ということになってしまう。
そうしたら、同じ事柄を論じるに当たって、不便は生じないだろうか。
まさにそういう事ではないでしょうか。
でも辞書でさえも書く人によって定義はまちまちだったりします。
つまり定義ってのは普遍であるとは限らないという事だと俺は考えます。
観測から分析可能であるはずなのに、常に他のようにも定義可能だとするなら物理の世界では困る事もあると思います。
だから定義ついては物理のように閉じたものと、ゲームのように開いたものとて考え方を変えないといけないのではないかと思うわけです。
で、またしても繰り返しになりますが、定義というのは定義を知っている人によってのみ知ることができるもので、
定義を知らない人にとっては、定義は永遠に理解不能ですが、「説明」という方法を取れば定義が定義を理解している人達の外側に飛び出すわけです。
システム的な定義というのは、この「説明」を駆使して広く認知させる事で正当性を維持するわけです。
物理も数学も交通もみんな。
だから、「赤信号は止まれ」を守るわけで守らない人を「間違ってる」と言えるのです。
これはつまり言葉をどう定義するかは、その人次第だとしても、その定義を主張したならば、
法則の整合性を維持するためにその定義の観測結果を保持し続けなければならないという事でもあります。
信号を守る事が前提のシステムでは信号を守らないというイレギュラーが蔓延したら破綻するからですね。
俺の定義が普遍の定義かどうかはその結果を今後永久に維持するかどうかでしか判別できません。
イレギュラーが蔓延したらその定義は使い物にならなくなるわけですから。
333 :
元230:2008/01/17(木) 12:44:10 ID:nR60VOQX0
>>ただ一つわかるのは、大衆がどうぶつの森をゲームだと認識してる事です。
大衆がどうぶつの森をゲームだと認識しているのは事実です。
>>wikiにも堂々とコンピューターゲームと書かれてるくらいですし、ゲームランキングにも出てますし
大衆が「ゲーム」だと思っている事実があれば、当然そうなるでしょう。
>>それが正しいかどうかを元230が独自の定義で判断して「誤解」と言ってるだけでしょう?
繰り返しですが私は考察した結果論理的な帰結を得たわけです。勝手に独自の定義をあてはめた
わけではありません。
>>300 もちろんコンピューターゲームの事ですよ。
そしてあなたがゲームでは無いと言ってるものたちです。
ゲームを大雑把に二つに分けてます。
本質的な競技、これもゲーム。
テニスの試合もゲームと呼ばれますしね。
共通認識にも違いはありません。
コンピューターゲーム、これもゲーム。
これは本質というより言葉の変化でしょうね。
コンピューターゲーム、テレビゲーム、ビデオゲームなどを単に「ゲーム」と呼んでる。
で、ゲームの意味として「コンピューターゲーム」が含まれる事は元230も認識してる。
もし元230がコンピューターゲームはゲームに含めないと言うならその根拠が必要ですが、そうは言ってませんし。
ならば、ゲームとはコンピューターゲームの事をも示す、という部分については異論はないはずです。
では、なぜコンピューターが関わるのか?という質問がいかに頓珍漢かご理解いただけるでしょう。
>>300 もう一つ、元230のこの質問の真意を俺はこう考えてます。
上の事象は認識してる前提です。
「コンピューターゲームに遊びの要素が含まれているという前提では確かにどうぶつの森などのゲームについては説明がつく
しかし、どうしてコンピューターが無ければただの遊びなのにコンピューターが入るとゲームになるのだ?」
こういう事ですよね?違いますかね?
つまり「遊びの要素」を含めた理由を知りたいと。
でもこれも何度も説明してるんですよ。
観測された事象から共通性を見いだしていきそれを定義として使えるか再検証してみたって。
336 :
名無しさん必死だな:2008/01/17(木) 12:46:22 ID:hxto+4TH0
ま だ や っ て た の か wwwww
>>300 俺はゲームの真理もその定義の正当性もわかりません。
科学的なアプローチをして法則は導き出しましたがどうして遊びがゲームに関わってきたのかは、推測するしかできませんからね。
だからあなたが主観的な意見で論理性に欠くと指摘されるのも無理はないわけです。
そりゃそうです「AはBである、なぜならはBはCかもしれないから」なんて論理的におかしいです。
根拠というのはもっと明瞭でなければならないのです。
例えば、「山田さんは結婚したら田中さんに変わりました、なぜならば結婚したら配偶者の姓を名乗る事ができるからです」
これには論理性はあると思います。
根拠が明瞭だからですね。これは婚姻がシステムとして広く認知されてるからです。
でも、婚姻にこのシステムが無い国の人にとっては理解不能なんですよね。
つまり「なぜ結婚したら配偶者の姓を名乗れるの?」と。
元230が俺に突きつけてる疑問はまさにこれだと思います。
338 :
元230:2008/01/17(木) 12:47:27 ID:nR60VOQX0
>>その他大勢がそれを正しいと思ってるなら元230が誤解してると言われるかもしれません。
もちろんそうでしょう(笑)。だから、論理で決着をつけるしかないのです。
私の「ゲーム=競技」は、疑似競技性も含めればきちんとゲームを説明できます。
ゲームブックがなぜ「ゲーム」ブックなのかも説明できるし、なぜ無敵技がゲーム
をぶち壊すのかも説明できます。
一方G樣の「コンピューターソフト……」は、根拠が全然はっきりしません。
コンピューターが急激にゲームを進化させたからなんてのは、論理的な理由には
全くなっていませんので。
>>300 俺はコンピューターゲームにどうして遊びの要素が含まれるようになったのかは明瞭に説明できてません。
というか、どうして競技の事をゲームと呼ぶのか、という事もうまく説明できません。
その根源部分というのは真理であり絶対なものなので、なかなか探るのは難しそうです。
推測は可能ですがそれが正しいという保証はどこにもありません。
でもコンピューターゲームというのがどういうものなのかは説明ができます。
そしてそれがコンピューターゲームの定義だと俺は思います。
>>300 また、その定義が正しいかどうかというのはその定義、つまり概念をどれだけの人が認知してるかで決まると思います。
信号の例で示しましたが、ルールを守る前提で成り立ってるシステムもありますし、それには認知は不可欠です。
でもゲームのような開かれたモノは、その概念が曖昧だったりします。
つまり「それが何なのか実はよくわかってない」と。
さらに信号の例ではシステムが変化したら認知も変化しなければならないという一つの法則も挙げています。
自動改札の例も同様です。
システムが変化したらシステムに関する概念を切り替えなければ新しいシステムには対応できませんからね。
でもゲームっていうのは社会のシステムとは違います。結構いい加減なものだと思います。
「じゃあハッキリなんてできないじゃん!」と成りすましがツッコミ入れそうですが、だからこそハッキリさせようという事でスレがあるわけですね。
競技とゲームが違うと言うのなら、
賞金かかったFPSなんてゲームと呼べなくね。
>>307 その下の文章で「その定義に至るアプローチ方法について〜」と補足してます。
何度も出してますが太陽の例やダイスの例がありますね。
これについては次のレスで納得してるようなのでもう解決済みという事にします。
343 :
元230:2008/01/17(木) 12:51:52 ID:nR60VOQX0
あれ、答えちゃいけなかったのかな。
>>実際にはそこからまた逆戻りして各ゲームについてその定義が正しいか検証を試みてるわけですよ。
ゼビウスもゲーム、テトリスもゲーム、ウルティマもゲーム、ドラクエもゲーム、FF11もゲーム、GTAもゲーム。
全部に競技性または遊びの要素があるので。
もし、競技性も遊びの要素もないものが「ゲーム」と呼ばれているならこの定義も怪しくなります。
>>もちろんコンピューターゲームの事ですよ。
そしてあなたがゲームでは無いと言ってるものたちです。
あなたこそ、私の主張をわかってない。ゼビウスやテトリスやドラクエをいつ
私が「ゲームではない」といいましたか?
私がはっきり「大衆がゲームとみなしているが本当はゲームではない」と言っているのは、
どうぶつの森と戦史再現型ウォーゲームだけです。ウルティマ以下については
未経験なので判定できませんが、まずゲームだろうと思っています。
>>341 競技とゲームが違うという意見は今の所誰も言ってないのではないかな。
皆がゲームと呼んでいる、ゼビウスやテトリスやドラクエやどうぶつの森、GTAをゲームではないと言ってる人ならいるけど。
>>309 では、以後そのように修正します。
あなたの主張を尊重すべきでしょうから。
あとで「やっぱり違った」とか訂正するより良いでしょう。
「どうぶつの森はゲームとは呼べない、なぜならば(疑似を含む)競技性が欠かせない要素になっていないからだ」
これでOKですね。
>>310 それはつまり、ゲームの本質と違うという事ですよね?
正しいか間違ってるかではなく、本質ではない、と言い換えるべきだと思います。
>>314 考察をやめた理由はつまり、それが「真理」だと考えたからですか?
天動説の時代にとって確かに地動説は異端でしたし、しばらくは地動説は浸透しませんでした。
科学の世界では実験や観測データの積み重ねから論理を構築していきますが、それは既存の概念に支配された上(下かな?)での事です。
つまり地動説が正しいかどうかは真理のみぞ知るという事です。
「何を馬鹿な、G様狂ったか?」と思うかもしれませんが、俺達が「常識」として考えてる事は経験や知識に基づくものです。
これも異論ないはずです。常識の説明の時にも書きましたし。
つまり俺達は常識でしかモノゴトを正確に判別できないという事です。
万有引力の法則だって相対性理論だって、後から出てきたものじゃないですか。
それによってそれまでの常識が覆ったわけですよ。
今後も覆らないという保証はどこにもありません。
だから科学者は真理の探求を続けるのです。
348 :
元230:2008/01/17(木) 12:55:17 ID:nR60VOQX0
あれ、答えちゃいけなかったのかな。
>>実際にはそこからまた逆戻りして各ゲームについてその定義が正しいか検証を試みてるわけですよ。
ゼビウスもゲーム、テトリスもゲーム、ウルティマもゲーム、ドラクエもゲーム、FF11もゲーム、GTAもゲーム。
全部に競技性または遊びの要素があるので。
もし、競技性も遊びの要素もないものが「ゲーム」と呼ばれているならこの定義も怪しくなります。
>>もちろんコンピューターゲームの事ですよ。
そしてあなたがゲームでは無いと言ってるものたちです。
あなたこそ、私の主張をわかってない。ゼビウスやテトリスやドラクエをいつ
私が「ゲームではない」といいましたか?
私がはっきり「大衆がゲームとみなしているが本当はゲームではない」と言っているのは、
どうぶつの森と戦史再現型ウォーゲームだけです。ウルティマ以下については
未経験なので判定できませんが、まずゲームだろうと思っています。
>>315 あなたがわかってる=世界の真実とは限りませんよ。
あなたの考えではゲームでないとしても、観測として「皆がどうぶつの森をゲームと呼んでいる」という事象は認識できてるはずです。
というかそう答えてますね、あなたは。
正しいかどうかの判別基準があなたに依存してるならばそれは「元230にとって正しくない」でしかなく、普遍の真理と同一とは限らないわけです。
ただ科学、とくに物理学や数学の世界というのはいわゆる閉じた定義が使える世界です。
というか使わないと様々な証明ができなくなるし。
どうして閉じてるのかというと、そのものが変化しないという前提があるからですね。
水は今後永久に水であり続けるであろという前提。
でもゲームは変化の可能性を含む創作的なものなのでこの前提ではダメな場合もおる。
>>348 いけませんね。
まだ上の方の質問全部には答えてませんから。
というか俺は個別のレスを要求したのではなく(しかもかいつまみとは効率の悪い・・・)
疑問点を明かにしていく作業を求めたのですから途中放棄して、その先に来るのはルール違反です。
だから混乱するんですよ。
ショートカットは禁止ですw
351 :
名無しさん必死だな:2008/01/17(木) 12:59:33 ID:hT7OLYLK0
G様って仕事何してんの?
元230は200近くある俺のレスに対してまだ10くらいしか読んでなくて、意思確認ができてるのはそのうちの数項目しかありません。
とりあえず先のレスは後回しで良いので質問に答える作業に戻ってください。
よろしくお願いします。
353 :
元230:2008/01/17(木) 13:01:14 ID:nR60VOQX0
>>334 >>本質的な競技、これもゲーム。
テニスの試合もゲームと呼ばれますしね。
共通認識にも違いはありません。
はい。
>>コンピューターゲーム、これもゲーム。
これは本質というより言葉の変化でしょうね。
??? コンピューターゲームっていうのは、単に「コンピューターを使った
ゲーム」ってことだけで、別に言葉が変化したわけじゃありませんが……。
>>で、ゲームの意味として「コンピューターゲーム」が含まれる事は元230も認識してる。
当然です。
俺はその先のレスを続けます。
まだ書きためた文章もあるので、それらは昨日までの話し合いの確認済んでからですね。
定義をどのように定めていくかというプロセスについて元230と意見の食い違いが見られますので段階的に説明していく事にしましょう。
とにかくショートカットせず、上の方に戻ってください。
せっかち過ぎですw
355 :
元230:2008/01/17(木) 13:03:11 ID:nR60VOQX0
>>もし元230がコンピューターゲームはゲームに含めないと言うならその根拠が必要ですが、そうは言
ってませんし。ならば、ゲームとはコンピューターゲームの事をも示す、という部分については異論は
ないはずです。
当然です。
>>では、なぜコンピューターが関わるのか?という質問がいかに頓珍漢か
ご理解いただけるでしょう。
いや、あの、誰も「なぜコンピューターがゲームに関わるのか」なんて質問
していないと思うんですけど……(汗)。
質問しているのは、なぜ「コンピューターが関わると、ただの遊びがゲーム
と見なされてよいのか」ということなんですが。
つまり、普通の遊びにはゲームではないものがあるのに、なぜコンピューター
が関わるとそれが例外なく「ゲーム」になるのか、その理由は? と質問している
んですけど……。
>>315 あなたがわかってる=世界の真実とは限りませんよ。
あなたの考えではゲームでないとしても、観測として「皆がどうぶつの森をゲームと呼んでいる」という事象は認識できてるはずです。
というかそう答えてますね、あなたは。
正しいかどうかの判別基準があなたに依存してるならばそれは「元230にとって正しくない」でしかなく、普遍の真理と同一とは限らないわけです。
>>316 そこんとこ曖昧すぎるコメントですね。
あなたが主張してるのは「ゲーム=競技」これは間違いないはずです。
それを皆も認識してるかどうかはわからない、これもあなたは認めてます。
認識してるはずだ、とか、常識的に考えてとか言いつつその後に「でも常識としてゲームは遊びと認識されてる場合が多い」と矛盾する意見を出してます。
では、誰が「ゲーム=競技」を正解だと言ってるのかって事ですよ。
多分、それはゲームの本質が競技であるからという理由ではないでしょうか。
もちろんそれで説明のつくゲームは多い。
でも説明のできないゲームも多くなってきたから(そう呼ばれるゲームが増えたという事)じゃあゲームって何なのだろうという考察を始めなければ思考停止と同じです。
358 :
名無しさん必死だな:2008/01/17(木) 13:03:37 ID:hT7OLYLK0
だからG様って職業なに?
>>316 あなたは誤解だ、間違ってると言いつつ、その基準となる定義の正当性は一切疑おうとしない。
開かれたモノを定義するのにその手法ではいけないと俺は述べてます。
ゲームってのは創作物なので今後も変化しないものではありません。
水の例のようにもう変わる事はないだろうと思えるものはその方法で間違ってませんが、ゲームは変わっていくものですから。
人間の想像力の具現化というのには制約、制限が無いと思います。
ある程度までいけば行き詰まるのかもしれませんが、その時に閉じたものとして定義可能でしょう。
だから俺は、あなたの思考が何十年か前で止まってませんか?と確認の意味で質問したのです。
やっぱり止まっていたようですけど。
変化してるものを捉えるのに、思考が止まっていたら上手に捉えられませんよ。
正しいかどうかは後の人が判断すれば良いのです。
今、俺達が俺達のためにゲームを分類するために必要な定義を考えてるのですから、今の事を考えるべきでしょう。
「昔は○○だったのに」って懐古主義ですか?
>>317 どうやら意見の食い違いの原因が一つわかりました。
まず本質的なゲームについては意見同じなのでもう考えなくて良いです(乱暴な言い方ですが)
今後はコンピューターゲームについて考えましょう。
というかここはゲームハード板なのでその方が自然です。
コンピューターゲームの事を語るのにコンピューターを除外しようというあなたのスタンスはおかしいです。
>>319 >でもそれはその人がその法則を理解しているかどうかには、全く関係ないことだと思いますが。
全く関係のないというのはつまりその人が生きていく上で関係ないという事でしょうか、それとも事物を認識するのに関係ないという事でしょうか。
まず、自然現象の理屈がわかっていようがいまいが生活にはさほど影響はありません。
「高校の勉強って日常じゃほとんど意味ないよね」みたいな感じ。
でもモノゴトを判別するには、何らかの基準が必要です。
「これは時計、これは椅子、これは渦巻き」など。
で、それらは教育を受ける事、つまり常識や定義の説明を受ける事で広く浸透していくわけですよ。
人はその経験や知識から「それが正しいか否か」を判断する。
事物の判断も常識が源ですし、とにかく常識は伝搬する事で定義した人達の外側に飛び出すという事です。
>>319 ところがゲームについて人はしっかりと体系的に学んでない。
だからいい加減なんです。
いい加減なのに不思議とゲームは分類してる。それが正しいかどうかはわからないというのは、判断基準が曖昧だからです。
そうなると人は常識とか大勢に依存しがちになりますよね?
だから、常識的に考えてゲームは遊びの事だろうと考える。
で、ゲームを定義するって事はつまりそういう概念を構成する要素を導き出すって事ですから、どうして大衆がそう呼んでるのかという事、
ここで言うところの「ゲームは遊び」に繋がっていくわけですよ。
>>319 面白い事に元230氏も
>>320で「大衆は常識で判断してゲームは遊びと思ってる」と述べてます。
そう、これが定義ですよね?
でも竹馬は遊びなのにゲームとは呼ばれない。ここ疑問点になりますよね?
じゃあ、遊びである竹馬はどうしてゲームと呼ばれないかというと、コンピューター無関係であるというのが第一。
そしてコンピューター無関係の場合は本質的な競技が優先されるのではないかという推測が可能です。
つまり、竹馬に関していえば、コンピューターゲームではないし、競技でもないから遊びなのだろうという概念に従って非ゲームと判断するわけですよ。
こうやってコンピューターに限らず何らかの法則性を見いだしていって定義を作っていくわけですよ。
それに対して「どうしてコンピューターなのだろう」という疑問を抱くのは当然かもしれません。
もちろんそれも考えないとこの定義は完成しません。
じゃあ一緒に考えましょうよ。
大衆が勘違いしてるからだ、よりもっと建設的に意見交換ができると思いますよ。
>>322 いえ、絶対的なものを正否判断できるのは神もしくは真理でしょう。
もし「ゲーム=競技」がゲームに関する真理ならあなたの言い分で間違ってないと思います。
それならばそれを真理であると証明しなければならないが、ゲームは開かれたものなので今後も変化していくわけです。
地動説だっていつまでもその説が永久に続くとは限りません。
今は使えるというだけの事です。(まあ、変わらないものと考えるのが常識ってもんですが)
そして「ゲーム=競技」は今使えない領域が出てきてます。
じゃあ考察しなければダメでしょう。
それが正しいかどうかわかりませんよ。
論理的に合ってるから正しいという事なら俺の定義だって正しい→真理になる。
そんなに真理はいっぱいありません。
というか俺の定義にも「ゲーム=競技」は含むので妥当性でいえば俺の方が高い。
>>322 それがゲームか何かわからないもの。
つまり封筒と色紙の例で言うところの「最初から見えないもの」ならば、定義を用いて分類できるわけです。
でも先に定義ありきだからそれは可能であって、定義が不明ならそれが正しいかどうかは認識できません。
というか定義と現象に食い違いが生じたら何らかの考察をしなければいけませんが、それは先にモノが見えてる状態、
つまり俺の言う所の紙が最初から全部見えていて、それから法則性を見つけるという作業に他ならないわけです。
元230は定義が完成されたものとして論じてますが、俺はわからないから定義について考察してるわけです。
スタンスがまず違うという事を封筒と色紙の例で示したのですが、どうも伝わらない。
366 :
元230:2008/01/17(木) 13:13:43 ID:nR60VOQX0
いや私に「ストップ」「ちゃんと答えろ」と命令するのなら、追いつくまで
G樣もとめてくれませんか? G樣のペースにはついていけないので、どん
どん差が広がるだけです。
>>322 それはつまり「太陽は東から昇るもの」という定義や「6面ダイスで6の目の出る確率は1/6である」のような定義があったのに観測された事象が
「今日は太陽が北から昇ってるよ、ぉぃ」とか「なんで10万回振ってるのに6しか出ないんだ」という不可思議な状態の時定義として疑わしくなるという事なのですよ。
368 :
元230:2008/01/17(木) 13:15:06 ID:nR60VOQX0
せいぜい一日10発言にするとか、そうでもないと、私の方は
どんどん省略して答えざるを得なくなります。
369 :
元230:2008/01/17(木) 13:16:10 ID:nR60VOQX0
もちろん、私以外の方(905さんとか)への返答は別にして、ですけど。
>>366 いえ、結局はレスを書きためていく事になるので結果は同じです。
もっと大変な事になるかもしれません。
投稿規制というものがあるので一時間に投稿できる数、文章の量は限られてますし。
投稿できる時に俺は投稿するので、元230は自分のペースのままで構いません。
というか文章量が膨大なので小出しにしてますが、本稿はもっと多いです。
>>324 その「誤解」かどうかの判断基準はつまり「ゲームは競技である」という一つの論理ですよね?
でも俺の論理「本質的な競技+競技性や遊びの要素を含むソフト」でも論理的に間違ってはいませんよね?
定義の正当性を判断するのは定義を個別に当てはめてそれが成立すれば良いわけですよ。
あなたの場合当てはまらないものもあるのですから正しくないとも言えます。
で、どちらが正しいかはわからなくても、ゲームとしての説明がきちんとできてるのは俺の方です。
加えて後半部分は何度も出てきている「個人の考え方でゲームになったりならなくなったりするもの」なのでレスしません。
これをゲームの定義に含めたら収拾がつかなくなりますから。
WiiFitがどっちでも別にいいじゃん。言葉遊びでしょうよそれは。
こういったゲームが大量に出て一ジャンルを築けばフィットネスゲームってジャンルが
できるだけっすよ。大量に出て市民権を得た知育ゲームみたいにさ。
>>325 人によって変わるというのを入れてはならないというのが原則ですね、ここでは。
でも大勢がゲームだと言ってるものが本当のゲームかどうかは俺にはわからんのですよ。
本質的なゲームとは違うと言えますが、でもゲームと呼ばれているという事実は認識してるわけです。
そう呼んでいるのが限定されてるならともかく、広く認知されてるものは常識であり共通認識ですよ。
で、定義というのはそういう認識を抱くための概念ですから、根源を探っていかないとゲームについて説明はできません。
これはつまり「どうぶつの森」というモノをそれが何なのか知らない人に「これは○○だよ」と説明できるものでなければならないという事です。
たとえばあなたが「どうぶつの森はゲームじゃないよ、これは遊びの一種」と伝えたとします。
その伝えられた人は遊びの一種と考えますがまわりの人はみんなゲームだと言います。
極端な話「おまえ何言ってるの?」と馬鹿にされるわけですよ。
これって共通認識を抱くための概念としては不適切ですよね?
違いますか?
>>368 とりあえず今までの分は出しておきます。
もうすぐ抜けますからご安心を。
>>326 人によって異なる?
皆がゲームだと言ってるのだから異なってはいないでしょう。
まあ皆というのが100%かどうか、つまり濃いか薄いかの論をするとキリがないので、とりあえず常識的に考えてゲームだろうという事で構いません。
これはつまりゲームとして認識が定着したという事です。
なんだかわからないものについてはWiiFitのようにゲームだとかフィットネス機器だという混乱が生じます。
それをハッキリさせていくのがこのスレですよ。
>>328 ですから、その文章では論理的におかしいですよね?
あなたもおかしいと指摘してるのだからおかしいという事で共通の見解を得られたようです。
つまり、あなたの意見そのものが論理的におかしいという事をあなた自身が認めたという事なんですよ、それは。
まあ、かいつまみレスの典型的な誤りですけどね、それは。
全体を読み切った上でレスをしないとそうなってしまいますよ。
とりあえずアンカーが同じのは全部そのレスに対する意見です。
全体で読んでから、そのアンカーレスに対して意見を述べないと混乱すると思います。
というか変に誘導されて「あれ?」になりますよ。
377 :
元230:2008/01/17(木) 13:21:28 ID:nR60VOQX0
>>367 >>それはつまり「太陽は東から昇るもの」という定義や「6面ダイスで
6の目の出る確率は1/6である」のような定義があったのに観測された
事象が「今日は太陽が北から昇ってるよ、ぉぃ」とか「なんで10万回
振ってるのに6しか出ないんだ」という不可思議な状態の時定義とし
て疑わしくなるという事なのですよ。
あの〜この想像を絶する文章は、一体なんなんでしょうか……。
はい、私は前のレスから返答しなきゃいけないらしいので、あえて何も
言いません。905さんこれについてお願いします。
ああ、もうコメントされてましたっけ。イカサマの話してるんじゃない
んだとか。でも、ご本人全然わかっていないみたいなんで、もう一度……。
>>328 将棋というのはもう今後ほとんど変化のない定型化された競技、ゲームですね。
今俺達が話をしているのは日々進化発展しているコンピューターゲームの事です。
だから喩えとしては不適切なんですよ。
おい、G!見事に俺のレスだけはスルーか?
>>329 >みんなが「どうぶつの森はゲームだ」と認識しているからそれを説明するために付け加えた
付け加えたというか、まあ現時点では足されてますが、競技が消えるかもしれないし何とも。
ちなみにこれは条項が多いので真理からは遠ざかったものですね。多分。
定義にはヒエラルキー的な構造及び横方向のネットワーク(リンク?)もあると考えてるので、俺は。
なんで貴重な時間、文字制約の限られてる中で過去に発言した、スレに無関係な内容を発言しなければならないのだろう
>>379 会話に参加したいならコテ、トリを付けて自分の立ち位置を明かにしなさい。
それができない単発名無しのスレと関係の薄い発言はほとんどスルーだ。
>>330 わからないからハッキリさせようとするわけじゃないですかw
最初から皆がわかってたらスレ不要ですよ。
何を馬鹿な事を・・・
そもそも元230の発言が止まってる間は元230に対するレスは止まってるはず。
だから元230のペースに合わせてこれだけの量のレスになってるという事だから気にせず対応してくれれば良いです。
ただし、ザッと流し読んだだけでは困るので必要に応じて質問、確認入れてるのでそれには答えて下さいと言ってるだけ。
個別レスを求めてるのではありません。
というかこれ何回書いただろう。
こういう基本的な部分でも理解が得られないのにどうやって説明を続けてよいか悩みます。
>>333 論理的に帰結してないじゃないですか。
どうぶつの森など当てはまらないゲームが多かったら論理的整合性は保たれてないという事になります。
385 :
G答えろ!:2008/01/17(木) 13:30:00 ID:hT7OLYLK0
解答しろ!
>>338 ゲームブックに関して質問があります。
これADVの原型だと思いますが(というかADVって基本的にこうやって作るものだし)
これのどこが「競技」なのでしょうか?
プレイヤーは任意に設定された選択肢をある意味ランダムで選んでいくわけですよね?
これって、「あみだくじ」と何が違うのでしょうか?
>>358 >>385 電気工事関係らしいよ。本人が言ってた。
でも、去年は12月以外は24時間2chに張り付いてて
12月は「年末だからとても忙しい」とか言いながら
朝9時から夕方4時まで、だけ働いてたみたい。不思議な仕事だね。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーをソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>343 >私が「ゲームではない」といいましたか?
あなたの判断基準は本質ですよね?
本質的な意味の競技として適しているならゲーム、適してないならゲームではないという振り分けのはず。
疑似競技性はあなたオリジナルの解釈なので、本質に沿ってるという前提なら除外すべきでしょう。
いや、俺も後付の解釈してるから対等なんですけどね。
ただ俺は本質が全てとは言ってないので。
で、本質で振り分けたら、あなたが言うように無限に続くシューティングゲームや、エンドレスに続く落ちモノパズルは競技ではありませんからね。
ゲームでない方に分類されなければならないわけですよ。
それを無理矢理ゲームに入れようとしてるなら、それはそれらがゲームと呼ばれてるからなんじゃないのかなと思いましてね。
>>348 俺はあなたの判断基準に沿ってゲームを分類しただけですよ。
定義ってのは、そのゲームについて知らない人でもそれをゲームとして分類できるものじゃないと意味がありませんからね。
あなたは本質に従って正否判定してます。そういう論理を正しいと言ってますし。
ならば本質である競技として認められないものは全部ゲームではありませんよ。
どうしてドラクエやゼビウスを後からゲームだとか擦り寄らせる必要があるのでしょうか?
それはあなたがそれらをゲームとして認識してるからではありませんか?
先に認識あったらこの振り分けNGですよね?
>>348 つまり、あなたの言うところの「本質に沿って考えるが正しい」ではドラクエやゼビウスは競技じゃないからゲームでないって事になるわけです。
いや、それを否定してはいけないでしょう。
それが定義というものだから。
ゲームを知らない人に「ゼビウスはゲームじゃないよ」とか「どうぶつの森はゲームじゃないよ」と言ってるのと変わりません。
それを説明された人が正しいなら他の大勢から「何を言ってるんだ?」とは言われないはずであり、そうでなければそれは定義として不適切という事になります。
先にゼビウスはゲームという認識があるから、エンドレスで競技性ないけどゲームとして説明しないとなぁとか無理な事やるから疑似競技性とか出てくるのでしょうに。
疑似競技性を持ちだそうが構いませんが既存のゲームについてうまく説明できない定義では使い物にならないと俺は思います。
>>355 コンピューターが関わると例外なく遊びがゲームになるという事の前に、
コンピューターゲームが一般的にはゲームと呼ばれているという事が前提なわけです。
だからゲームとは何かという事について
1.競技・試合の事
2.広くコンピューターゲームの呼称として使われるもの
3.etc
と項目挙げて説明した中で2について、ここで説明を試みてるわけです。
なぜなら1については共通見解ですし3以降は俺も知りませんから。
>>355 コンピューターが本質的な意味での競技・試合に必須なものではありません。
もちろん競技を題材にしたコンピューターソフトもゲームと呼ばれます。
ただ、コンピューターゲームについては元230も「暇つぶし」とこぼしたじゃないですか。
まあ、娯楽なんて基本的にそうでしょう。というか遊びも同様。
でも競技とか試合って真剣なものですよね?
これはあなたもそう言ってたと思う。
遊びと競技が違うのは真剣か否かみたいな感じで。
じゃあコンピューターゲームってあまり真剣なものじゃないのだから、遊びの一種とも言えるわけですよ。
でもそれって本質としてのゲームとは違う事になる。
一つの言葉が異なる意味を持つのだからおかしいと考えるわけです。
ならば、先にいたゲームを優先して、後から入り込んできた遊びは異端にしようというのが元230のロジックだと思います。
>>355 遊びの中にも「競争」っていうのがあるんですよね。
でもこれは競技じゃない。
競技ってのは勝敗を競うものだから、広場のかけっこや鬼ごっこは競技じゃない、ただの遊びなんですよ。
でも本人達は競技性を感じながら遊んでるのですから競技ではないけど競技に近い遊び。
まあ、鬼ごっこにせよ、隠れんぼにせよ、ヒーローごっこにせよ、ままごとにせよ、チャンバラ遊びにせよ、銀玉鉄砲遊びにせよみんな遊びですよ。
一般的にそういうのはゲームって言わないんです。
ですよね?元230さん。
じゃあ疑似競技性あるけどこれらはゲームじゃないって事になります。
だから疑似競技性では遊びとゲームの境界がイマイチ上手に説明ができないと思うのです。
いや俺の認識不足でそれらもきちんと遊びとして説明できるならお願いします。
>>395 しかしそれらの遊び、つまり鬼ごっこや隠れんぼや、ヒーローごっこやチャンバラとかはコンピューターのソフトとして作られるとコンピューターゲームと呼ばれるようになるわけです。
ゲーム機で動くからという指摘に対してはPCだって携帯電話だってあるじゃんという反論も添えてます。
そこに競技性を持たせてるからだという意見でも、ある程度までのゲームは説明できますが、競技性が不明なものや薄いものなどもゲームとして認識されてしまってるわけです。
そして、そう認識するには理由があるはずです。
その理由が何なのかをお互いに考えるのは良い事だと思います。
>>377 これはつまり法則性を無心で信じていても、その法則が崩れたらそれまでの定義を疑う必要が出てくるという事です。
それが見えないものならばともかく見えてしまったなら当然でしょ?
太陽は東から昇るものという定義があっても、なぜか北から昇ったなら、その理由考えるでしょ?
違いますか?
ダイスの目もずっと6しか出ないなら「このダイス変なんじゃないの?」とか「このダイスは6しか出ないだろう」と推測するわけです。
法則性の発見とはそういう事ですよね?
普遍の定義、定理とか法則として6面ダイスでは6の目が出る確率は1/6です。
だから無心な人をそれを信じてずっと振り続けますが6しか出ないなら「おい!」と思うはずなんですよ。
もちろんそれはイカサマなダイスですよ。でもそのダイスは6しか出ないかもしれないという法則は見つかるんです。
その法則を巻き戻して全てのダイスに適用できるなら法則は変わりますが現実はそんな事ないのでそのダイスが例外になります。
>>390 24時間連続で1スレッドに500レスも連投して、何故そんなに連投できるのか?って尋ねられたら、
聞かれもしないのに職業のことを自分から言い出したりしてたからね。
匿名掲示板なんだから、気にせず書き込めばいいだけなのに。不思議。
どこまでも不思議なおじちゃんだネー (・ω・ )
>>377 俺のゲームに関する考察ではゲームと認識されてるものについて法則性を導きだし、その法則が実際にゲームとして適切なのかを判断し分類する事で定義を確定に近づけてるわけです。
もちろんそれが本質とは異なるものとも認識してますが、本質と異なる=ゲームではないとは言えないですからね。
本質とは異なるが、○○の場合はゲームというような暫定的な説明になります。
で、このように説明が複数ある場合、その定義は真理からは遠ざかったものになります。
定義とはいわばピラミッドのような階層構造なので。
例えば、「山田さんは株式会社Aの社員であり、木村さんの隣に住んでいて高校の時の出席番号は38で、愛車はカローラで毎朝散歩をする人間」というように
説明が抽象的かつ多ければ多いほどそれは真理から遠ざかる定義なわけです。
で「山田さんは人間である」こういう具合に完結にまとまってるのが真理に近いものですが、山田という名前のロボットがいたらその定義は覆ります。
覆るというか、ロボットとは人間と同義であるというような補足があればその定義は保証され続けるという感じですかね。
で下層に位置する定義はそれぞれリンクしてるわけです。
株式会社Aの社員は他にもいるし、木村さんの隣って言っても右隣だけでなく左隣もあります、高校の時の出席番号が38の人は他にもいます、カローラオーナーも同様。
そんな感じでそれぞれの定義から他にリンクしていくという事ですね。
でもそれを絶対的に確定するものが真理です。
そんなのなかなか説明ができるもんじゃないです。
という事であとはレス待ち。
前スレ905来たら相手する。
名無しの荒らしはもちろんスルー。
俺をNGにするくらいなら来なければいいのになんか楽しみがあるらしい。
俺より多分暇人w
404 :
元230:2008/01/17(木) 15:12:00 ID:4KNRxOCJ0
>>171 >>・帰納とは、個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確からしいものかを導
くための推理といえる。これは確証性の原理とも呼ばれ、次のように定式化されている。
「法則に関連する観察が増えれば増えるほど、その法則の確からしさは増大する」
あの〜G樣は「戦史再現型ウォーゲーム」って、知らなかったんじゃないですか?
「イデオン」みたいなものが「ゲーム」と呼ばれている現実も知らなかったんですよね?
インベーダーより10年も前に人生ゲームが売られたいたことも知らなかった。
ゲームについてより多くの観察をしているのは、私の方だと思うんですが……。
405 :
元230:2008/01/17(木) 15:12:15 ID:4KNRxOCJ0
>>どうぶつの森であれGTAであれMMORPGであれ、何をキッカケに考察をスタートしようが自由ですが、見つけた法則が
その場しか使えないなら意味がありません。一部、通用しないものが出てくるかもしれませんが、多くのケースで適用
可能ならそれは定義として使えます。
適用できる・できないだけじゃだめですよ。ちゃんと筋道が通っていないと。
「コンピューターソフトのうち……」は、いくら適用できても、理由が全く不明なので
不可なのです。理由がしっかりしていないけど、あてはまるから定義に盛り込んでいい
なんてのは、どんな屁理屈でもオッケーってことになりかねません。
406 :
元230:2008/01/17(木) 15:13:31 ID:4KNRxOCJ0
まさかとは思うけど、「法則に関連する観察が増えれば増えるほど」っていうことを
「どうぶつもゲームの仲間に入れた方が観察する数が増える」とか考えてない……でしょうね。
407 :
元230:2008/01/17(木) 15:21:07 ID:4KNRxOCJ0
>>172 >>大衆にとって使い物にならない定義は定義とは呼べません。
逆じゃないですか全く……。きちんと論理が通った定義が発表されその正当性
が確かめられれば、それを「大衆の側がつかいこなす努力をする」んですよ。
もちろん大衆にそんな義務はありませんから、つかいこなせないこともいくら
でもありますけど。
酸とアルカリの定義っていうのは三種類ぐらいあるそうですが、それを大衆が
どれだけ使いこなしているかは全く不明です。
408 :
元230:2008/01/17(木) 15:21:24 ID:4KNRxOCJ0
そもそも定義を「大衆が使いこなせないといけない」とかいうわけのわからない
発想が出てくる時点で失格です。
結局G樣の書く「大衆にとって使い物になる」というのは、大衆の支持がない
とだめだみたいな意味でしかないですねぇ? 結局共通認識絶対化しているだ
けなのです。
409 :
元230:2008/01/17(木) 15:23:42 ID:4KNRxOCJ0
>>誤解であるかどうかなんてわからないのに、あなたは最初から「誤解」と決めつけてますよね?
あの〜、わかるんですけど……。別にそれは私が神だからじゃなくて、論理的に
考えればわかることなんですが……。
そしてそれにすこ〜し気がついている人がいるから「クリア概念のない変わった
ゲーム」という評もあるわけで。
むしろG樣こそ最初から「誤解ではない」と決めつけちゃってますよ。
410 :
元230:2008/01/17(木) 15:25:11 ID:4KNRxOCJ0
>>173 >>それは定義ではありませんね。
定義を導き出すための「最近類」による考察、つまり定義を完成させるための材料に過ぎません。
ダメです。やり直しです。
もちろんこれは冗談で出した定義ですよ。これがG樣の追加定義同様にダメな
定義だとわかっていただくために、です。
411 :
元230:2008/01/17(木) 15:26:08 ID:4KNRxOCJ0
>>174 >>そこまで安直ではありませんが、論理的に整合性が保てるなら、偶然見つけた法則だろうが定義として通用すると思いますよ。
コンピューターが関与すると、途端に「遊びがゲームになる」ことに、論理的な整合性など全く認められません。
412 :
元230:2008/01/17(木) 15:28:42 ID:4KNRxOCJ0
>>うーん。難しいんですよね。それが。
結局これですよこれ。
なぜ「コンピューターが絡んでくると遊びだけでゲームになるのか」の説明
ができないのなら、なぜ私が誤解しているとか言えるんですか?
>>だってコンピューターゲームを定義するのにコンピューターの無いものを組み込むのは無理があるとしか言えませんから。
?? コンピューターゲームとは「コンピューターを使ったゲーム」のことですよ??
413 :
元230:2008/01/17(木) 15:31:54 ID:4KNRxOCJ0
同様にボードゲームは「ボード上で行うゲーム」のこと。
カードゲームは「カードを使ったゲーム」のこと。
単に媒体というか、手段ににすぎないわけです。
今は「ゲーム」の定義をしているのであって、「コンピューターゲーム」の
定義をしているのではありませんよ??
ゲームの定義があって、それをコンピューターで行えば「コンピューターゲーム」
なんです。
414 :
元230:2008/01/17(木) 15:33:56 ID:4KNRxOCJ0
なぜコンピューターゲームに他のゲームとは異なる特別な定義を与えようとするのか。
それがまずG雑の矛盾じゃないですか。
私の定義だと、そんな矛盾はないんです。
だったらどちらの説が「論理的」か、神じゃなくてもはっきりわかるじゃないですか(笑)。
415 :
元230:2008/01/17(木) 15:35:08 ID:4KNRxOCJ0
>>で、そういう個人的な思想とは別に、既存のコンピューターゲームを見てみるとほとんどコンピューターが関わってるという法則性、共通性は見つかるわけですよ。
あの〜、コンピューターゲームに「コンピューターがかかわっていない」ということが、ありえるのでしょうかそもそも……。
416 :
元230:2008/01/17(木) 15:37:32 ID:4KNRxOCJ0
>>176 >>いえ、定義が真理として正しいかどうかなんて、ほとんどの場合は神しか知らないのですから論外ですよ。
いや真理としてどうかというんじゃなくて「論理が通っているか」どうか、なんですけど。
矛盾なく説明できればいいんです。そしてそれは人間の頭でできることです。
G樣の追加定義は、コンピューターゲームを他のボードゲームやカードゲームと比べて特別扱いする
理由がないのに特別扱いしている点で、不可なのです。
417 :
元230:2008/01/17(木) 15:40:01 ID:4KNRxOCJ0
>>179 >>ですから、何を基準に間違いとか正解とか言ってるのでしょうか?
あなたにとって間違いならわかります。
全員にとって間違いというのは全員が納得できる定義を突きつけないと無理
です。
全員が納得できる定義じゃないとだめだなんて、そんな無理なことを(笑)。
その発想が「共通認識絶対化」なんだけどなぁ。わからないのかなぁ。
クリスチャンサイエンスの人たちにとって進化論がどういうものなのかを
お考えください。
418 :
元230:2008/01/17(木) 15:48:41 ID:4KNRxOCJ0
>>ですから、何を基準に間違いとか正解とか言ってるのでしょうか?
これ、別の答え方をしてみましょう。
1から100のうち、99には共通する要素があったとします。
ところが、10にはそれがない。
そうしたら「これだけ実は仲間じゃないんじゃないの?」と思うことは可能な
はずです。
つまり、その「10」だけに、他の99にはみんな存在する要素がない、と
いうことによって、それは仲間外れだということが言えるわけですね。
419 :
元230:2008/01/17(木) 15:49:15 ID:4KNRxOCJ0
だから問題は、その「99に共通する要素」なんです。それを私はゲーム性
であり、競技性(疑似も含める)と言っているわけです。
ところがG樣は、99ではなくて、それを「コンピューターソフト」と「別の
もの」にわけて説明しようとする。それではゲームを統一的に説明することには
なりません。だからG樣定義はダメなのです。
同じく追加定義でも、私の「疑似競技性」は競技性に通じる性質をもっています。
しかもそれが「コンピューターに限り」などという限定などしていません。疑似競技性
があれば、コンピューター関係なくゲームです。
420 :
元230:2008/01/17(木) 15:51:24 ID:4KNRxOCJ0
例えば、冥王星はかつて「惑星」でした。
でも他の惑星と比べると、まず軌道面(公転面というのかな)が全然違う。
他の惑星はみな一つの平面上に見えるのに、冥王星だけずれている。
つまり、そういう「これだけ違う」ということがあれば、定義をみなおす
などして筋を遠そうとするのです。
決して「みんなが冥王星は惑星と思っているからそれでいいや」なんてことは
ないわけです。
421 :
元230:2008/01/17(木) 15:52:45 ID:4KNRxOCJ0
さ〜〜、寝るぞ……。
422 :
元230:2008/01/17(木) 16:03:36 ID:4KNRxOCJ0
あ,念のために。冥王星は公転面だけで惑星じゃないなんてことになったわけ
ではないですから……。
>>404 あのですね、本質的なゲームについてはもう話しなくて良いとは思うんですよ。
混乱するから。
そもそもお互いにそれは認め合ってるのですし。
で、今ここで話し合うべきなのはコンピューターゲームについてですよね?
だって俺達の間で見解が違ってる部分はここだけですから。
それなのに、
>ゲームについてより多くの観察をしているのは、私の方だと思うんですが……。
と言いつつ、ゼビウスの無限性について知らなかったりとコンピューターゲームについてどれだけ観察、体験してるのかと。
>>404 本質的なゲームについては、競技という定義で大体説明はつきますからそれで良いですよ。
今更「イデオンの最終シナリオのようにゲームと呼べない例外もあった」と指摘されても、じゃあ本質的なゲームについても話し合いますか?となるじゃないですか。
俺はとりあえずそれは望んでません。
本質的なゲームについての話は一旦終了。
つまりあなたの知識、経験は以後、コンピューターゲームにシフトして下さい。
じゃないと話が進みません。
>>405 >適用できる・できないだけじゃだめですよ。ちゃんと筋道が通っていないと。
いえ、論理的に矛盾が無いという事ですよ。
その観測した事象から定義求めて、その定義を今度はどれだけ広く適用できるか検証するという部分で論理性が保たれてるわけですよね?
「コンピューターゲームとは競技の事である」という説明よりも「コンピューターゲームとは競技性、または遊びの要素のあるソフトの事である」の方が
より多くの「ゲームとして観測される事象」に適用できるわけです。
ならば後者を使った方が、コンピューターゲームについて知らない人には適してるというのが俺の判断です。
>>405 「どうぶつの森」から「遊びの要素」を抽出しただけで、他のゲームにそれが適用できないならあなたの言う通り。
でも「競技性や遊びの要素」つまり「本質的な競技性を持つもの」や「競争・偶然・模倣・眩暈」などの遊びの要素のあるコンピューターソフトも
他のコンピューターゲーム群についてはきちんと当てはまるじゃないですか。
>>405 それがゲームの定義として正しいか否かを判断するにはゲームという事物が「もはやこれ以後永久に進化も変化も発展もないであろう」という前提が可能な場合だと思います。
将棋はシステムとして完成されてます、でもコンピューターゲームはまだ発展途上、変化の最中です。
まだわかりませんか?
人間も成長しますが、赤ん坊ももちろん人間です。これが本質的な部分。
でも赤ん坊という時点で観測終了して、赤ん坊の状態を人間の定義にしてしまったらおかしくないですか?
芋虫は芋虫である状態では蝶々の幼体であるとは証明できませんよね?そういう事ですよ。開かれた事物の定義というのは。
その場合は芋虫の特徴を述べそれを定義としていく事なら可能です。
変化の最中であるならばそこまでの観測からその事物を捉え、定義にしていくしか方法がなく、その真理は探れない(恐らく)と考えるわけです。
もちろんどの時点で変化が終了したのかは変化の最中では判別が難しいです。
>>405 元230の考察方法としては蝶々に関して芋虫の状態を観測して得られた定義を使ってサナギを見つめ「これは蝶々ではない」としてるわけです。
でも芋虫からサナギへの変化なんて芋虫しか知らなければ予測はできませんよね?
予定外の出来事と言えます。太陽が北から昇ったりするのも同様。
ならばその変化について考察すべきでしょう。
それを「芋虫がサナギになったというのは、その芋虫が特殊だからだ」と言ってるのが元230です。
では特殊とか例外と言うなら他の事象でも観察すれば良いわけです。
で、他に多くサナギが見つかるならサナギも蝶々の成長過程の一つであると言えるわけです。
>>405 芋虫しか知らないならサナギや成虫としての蝶々をも定義として説明する事はできません。
これは「アゲハ蝶の幼虫です、こちらはそのサナギです」と説明するにはそれらを観測し、アゲハの成長過程だと定義する必要がありますよね?
そうやって定義するから、アゲハについて知らない人も「ああこれがアゲハの幼虫か」と認識できるわけです。
もちろん皆アゲハについては知ってますから「芋虫しか知らない」という前提が変だという疑問はあるかもしれませんが、
ゲームが変化の途中であるという事を説明するための喩えなのでご了承下さい。
>>405 >「どうぶつもゲームの仲間に入れた方が観察する数が増える」とか考えてない……でしょうね。
当たり前じゃないですか。
明日発売のソフトならわかりませんが7年も前の今でも大人気のゲームですよ?
どうしてそれを入れないのですか?
それがゲームなのか否かというのは後の人が判断すれば良いのであって、今俺達がゲームとして分類してるものなのだから組み込む必要は十分にあります。
>>407 何が逆なのですか?
大衆にとって使い物にならない定義というのは「水とは植物の事である」のような代物ですよ?
もちろん水という名前の植物があるのかもしれません(他の言語では)
だからその場合は定義として使えますが限定されますよね?
そしてそれは真理とも違う。
水については科学的な考察により、一応閉じた定義として認知されてるわけですし。
>>407 それと、ここであなたはまた勘違いをしてます。
すり替えかもしれません。
俺は「使い物になるかならないか」つまり、定義として説明可能なものかどうかと言ってるのにあなたは
「使いこなせる必要があるか」に変換してます。
俺は使いこなせなければ定義じゃないなんて言ってない。
定義というのは、人間のためにあるもので、それを知らない人にもきちんと間違いなく説明できるものであるべきという事です。
ご理解いただけますか?
>>408 使いこなさなければならないなんて言ってるのはあなただけです。
カンベンして下さいよ。
>結局共通認識絶対化しているだけなのです。
絶対化はしてませんね。
ゲームは変化の途中ですから絶対視はできないと思います。
共通認識というのは常識の事ですから俺も当然常識には従います。
元230は常識に従わないのですか?
自分が考えた正義とか信念のみを信じるタイプ?
>>409 >むしろG樣こそ最初から「誤解ではない」と決めつけちゃってますよ。
いえ「わからない」と言ってるつもりです。
誤解かどうかは、後の人が決めてくれるでしょう。
今はまだわかりません。
ただ、ハッキリしてるのは「皆はどうぶつの森をゲームと呼ぶ」という事実の部分です。
何度も言うように見えないものや知らない事、未来の出来事は定義不能でしょう。
WIIフィットは疲れないだろうな。
スキー 腰曲げてもどすだけ
WIIフィットはダメだな。WIIスポーツの方がいいんじゃないか。(ゲームと言う事ですね)
これはダチに意見です。俺的にこれはフィットネスだと思う。
>>411 どうしてコンピューターが関わるとコンピューターゲームになるのかっていう質問を何度も見ますが、
コンピューターが関わらないコンピューターゲームを俺は知らない。
ただそれだけですよ。
>>411 あなたは都合に応じてコンピューターゲームと本質的ゲームの世界を行ったり来たりしてますが、
俺は本質的なゲームについてはもうあなたと話し合う必要はないと思ってます。
だから、ここんとこずっとコンピューターゲームについての定義論を展開してます。
なぜコンピューターゲームがゲームなのかって事も元230には理解求めて得られてますし、俺のやってる事は理に適った行動だと思うんですけど。
つまり、論理的に言って、「コンピューターゲームとはコンピューターを用いたソフトウェアの一種である」という説明だけでは、
エクセルとかワードもコンピューターゲームになっていまうので「コンピューターゲームとは、コンピューターを用いた競技性のあるソフトウェア」などと言わなければなりませんよね?
でも実際には競技性の無い遊びの要素のあるソフトウェアもゲームとして認められてるのでそれだけでは説明が不十分だと思うのですよ。
>>412 >コンピューターゲームとは「コンピューターを使ったゲーム」のことですよ??
俺もその説明の方がわかりやすいとは思うんですよ。
ただ、そうなると、どうぶつの森もコンピューターを使ったゲームとして認められてるものなので、「じゃあゲームって競技だけじゃないよね?」となってしまうんですよ。
ところがそれだと、本質的な競技としてのゲームとして辻褄が合わなくなる。
つまり、ゲームとはコンピューターゲームの意味で使われるが、コンピューターゲームとはゲームであるとは限らない、
なぜならばゲームではないコンピューターゲームが存在するからだ、という論理的な推察ができるんですよ。
それならば、本質的なゲームは競技で良いのでそのまま、でもコンピューターゲームに関しては別に定義を作ってあげた方が良いなと思うんですよ。
もし本質的なゲームにまで巻き戻ってゲームの再定義をしたいなら、「コンピューターを使ったゲームである」で良いかもしれません。
>>413 >ゲームの定義があって、それをコンピューターで行えば「コンピューターゲーム」 なんです。
ゲームの定義はともかく、ゲームの本質は競技だという事はOKです。
でもコンピューターゲームの定義としてそれが妥当かどうかはまた別だと思います。
なぜならば、コンピューターゲームに関して大衆がどれほど認知してるのかわかりませんし、
どうぶつの森のような競技性の無いものもゲームと言ってるくらいですから、本質と食い違ってるものもゲームとして認識されているとは言えるでしょう。
>>413 で、俺が言いたいのは大衆がどういう概念をベースにコンピューターゲームを認識してるかって事なんですよ。
ゲーム機で動けばゲームって言うならPCや携帯電話で動くのはゲームじゃないのかって事になります。
そう考えていくと漠然とした「遊びのようなもの」をゲームとして捉えてるのではないかと思うのですよ。
競技性のないものを大衆がゲームではないと認識していると仮定するならば、どうぶつの森をゲームと言ったりはしないはずなんですよ。
違いますか??
ならば、コンピューターゲームについて知らない人にコンピューターゲームを説明するのに「競技性のあるもの」だけではダメでしょう。
だって大衆の概念と若干食い違いがあるのですから。足りないんですよ。
>>414 矛盾が無いですか?
コンピューターゲームの事を知らない人に「ゲームとは競技の事」って説明しても「どうぶつの森もゲームだってみんな言っとるで?」と怒られますよ?
嘘を教えるのは良くないでしょう。
まあ嘘か誠かは真理が見つかった後にわかる事ですけどね。
とにかく現時点では嘘になると思います。
>>416 >コンピューターゲームを他のボードゲームやカードゲームと比べて特別扱いする理由がないのに特別扱いしている点で、不可なのです。
理由というか根拠はあります。
ゲームとは違うものがコンピューターゲームとして一般に認識されているという事です。
それも一つや二つじゃない。
しかも大人気タイトル、大ヒットタイトルです。
あなたはそれでもそれを定義として考えようとしないじゃないですか。
どうして定義と食い違ってるとしか言わず、「ゲームというモノが変化している」と捉えないのでしょう。
>>417 >全員が納得できる定義じゃないとだめだなんて、そんな無理なことを(笑)。
全員というのは100%というよりも、認識可能な人達と言った方が良いですね。
赤ん坊や白雉は無理ですから。
G様さんに同感同意!
>>417 真の意味での定義とはそういう認識可能な人が漏れなく全て「これは○○である」と認識できるためのものでなければならないでしょう。
それは無理ではないですよ。
1+1=2のような数学的な定義や物理の法則など、その時点では既に閉じられた定義であれば多くの人にきちんと論理的に説明可能です。
というか可能でなければ科学の世界は成り立ちませんねw
でもコンピューターゲームを含め創作的要素を含む事物は変化し続けるのでどの時点でそれを定義化してよいのかよくわかりません。
ただ、その時点での観測から事物を定義する事は可能なので、暫定的であれそれを定義として使うわけです。
元230は未来に行って真理を知った人なのか神なのか知りませんが、「コンピューターゲームとは競技性のあるコンピューターソフト」を絶対的なものとして定義してるようです。
>>417 ちなみに進化論についても、現時点ではそうであるだろうという事象の観測から得られた推測に基づくものですから、将来的には変わるかもしれません。
とにかく、あなたは定義を盲信しすぎです。
クリスチャンの事言えませんよ。
>>418 >そうしたら「これだけ実は仲間じゃないんじゃないの?」と思うことは可能なはずです。
そうですね。
観測したものの数が増えれば増えるほどその法則性は真に近づくというのは俺も説明してますし。
で、競技性の無いゲームは1つや2つじゃないんですよ。
しかもマイナーなタイトルではなく比較的メジャーなタイトルも多い。
少数派ならあなたの言うとおり。
でも多数派に切り替わりつつある現状はそうとも言えない。
>>419 >だから問題は、その「99に共通する要素」なんです。
質問です!
その1〜100までって最初から見えてます?
また封筒に入った状態から一枚一枚開いて「1には○○がある」「2にも○○がある」と○○を基準に振り分けてますか?
どっちでしょうか?
>競技性があれば、コンピューター関係なくゲームです。
俺もこれには同意し続けてます。
もう今更書くまでもないでしょう。
多分ね、本質的なゲームはもう閉じつつあるんですよ。
まだ編み出されかねないけど、ほとんど集束に近づいてる感じ。
でもコンピューターゲームはコンピューターが進化途上なのでまだ先が見えないんですね。
何が出てくるかわからない。
>>420 冥王星の例で言うならば、それは事象の観測からそういう定義が作られたわけですよね?
最初から冥王星は惑星ではないという定義があったわけじゃなくて。
何度も言いますが「みんなが思ってるからだ」は根拠ではありません。
そういう観測の積み重ねから推測してるわけです。
まだあなたは勘違いをしてるようです。
ここまでの整理
・俺は「どうして大衆がゲームでないものをゲームと呼ぶのか」について考察して定義を構築した(アレンジ?)
・元230は定義の正当性については疑う事なく、それを根拠に論理的に解釈してこれが正しいと主張してるが、どうぶつの森やGTAやMMOなどについて論理的にはゲームとしては説明できてない。
・元230が俺の主張に関して疑問を抱いてる部分は「どうしてコンピューターが関わるとゲームでないものがゲームになるのか」というその根拠の部分
・コンピューター関与の根拠について俺は「遊びとして考えられ定着してきたからだろう」と推測、それに対して230は論理的ではないと批判
・コンピューターゲームについて元230は「暇つぶし」と認めてる、つまり真剣なものではないと認知?
・ゲームは真剣なものであり、コンピューターゲームは真剣なものではないとするならば、この二つには何らかの違いがあるはず、よってコンピューターを使ったゲームという説明では辻褄が合わない可能性がある
452 :
251:2008/01/17(木) 23:30:52 ID:5yCk3Cnu0
朝、書きこみした251です。全部をちゃんと読んだわけじゃないけど、
>>438のそれならば、本質的なゲームは競技で良いのでそのまま、でもコンピューターゲームに関しては別に定義を作ってあげた方が良いなと思うんですよ。
ここに同意。
あとG様と元230に質問なんだけど、昔ゲームと認識されていて、今の認識ではゲームと認識されてないものってある?
あるなら、そこからも何かが見える気がするんだけどね。
たまに参加したいんで次からは251じゃなくて山田ってコテで参加しますね。
よろしく。
453 :
元230:2008/01/17(木) 23:38:54 ID:4KNRxOCJ0
山田殿。
>>452 >>438のそれならば、本質的なゲームは競技で良いのでそのまま、でもコンピューターゲームに関しては別に定義を作ってあげた方が良いなと思うんですよ。
ここに同意。
あなたもコンピューターゲームを特別扱いする。その根拠はなんですか? 根拠もなしに特別扱いするのは
変です。
>>あとG様と元230に質問なんだけど、昔ゲームと認識されていて、今の認識ではゲームと認識されてないものってある?
思いつきませんねぇ……。
454 :
元230:2008/01/17(木) 23:46:07 ID:4KNRxOCJ0
1日10発言程度にします。(2)
>>181 >>どうして色が喩えなのかというと、ゲーム同様に混ざりやすいという点でしょうか。
ゲームと何がどう混ざりやすいのでしょうか。
>>182 >>ゲームも色と同様に様々なジャンルが複合したり、非ゲームを取りこんでゲーム化したりして進化、成長してきています。
これはつまり、昔は8色しか無かった色がどんどん混ざり合って様々な色を作っていくのと同じだと思います。
ゲームのジャンルがどんどん増えてるという意味なら同意ですが、ゲームが非ゲームを取り込むって
何のことやら……。こういうところの論理が非常に変です。
455 :
元230:2008/01/17(木) 23:48:58 ID:4KNRxOCJ0
(3)
ゲームはさまざまなものを取り込みます。電車の運転がゲームになったり、
太鼓を叩くのがゲームになったり……。もちろん「電車の運転」も「太鼓
を叩く」ことも、ゲームではありません。
こういうことを称して「ゲームが非ゲームを取り込んできた」ということで
あるならば、一応は理解できます。
が、しかし、ゲームが「非ゲーム」を取り込んだ時点でそれはゲームになる
のであって、つまりはゲーム性が追加されてるはずなのです。
ゲーム性のないゲームなんてありませんので。パスタを使わないパスタ料理
が存在しえないのと同じ理屈です。
456 :
元230:2008/01/17(木) 23:54:11 ID:4KNRxOCJ0
(4)
>>アクションアドベンチャーにパズルの要素があったり(ゼルダとかバイオとか)
いや、別にそれはそれでいいんじゃないんですか? 肉コーンラーメンにネギが少々入って
いたっていいんですから。
>>でもそこまで厳密にはわけません。何となくパズルの要素もあるかなとか、成長要素あるしRPG的だなとか。
ラーメンもそうですねぇ。いちいちちょっとネギが入っているぐらいで「ネギラーメン」とか言いませんね。
いうのなら、山盛りネギが入っているぐらいじゃないと。
457 :
元230:2008/01/17(木) 23:54:49 ID:4KNRxOCJ0
(5)
>>でもそれはアクションアドベンチャーだと分類されますよ?
だからラーメンの喩えはゲームの喩えとしては変なのですよ。
現実のラーメンも大雑把に分類しているじゃないですか? チャーシューミソラーメンを
注文したら、その中にネギやシナチクが入っていることもあります。いちいちきち
んと「チャーシューネギミソシナチクラーメン」とは言いません。
いろんな要素が入っていても「アクションアドベンチャー」で済ませてしまうのと
似てますね。別に変じゃありませんね(笑)。
458 :
元230:2008/01/17(木) 23:59:49 ID:4KNRxOCJ0
(6)
でも「色」はどうでしょうか? いろんな色をまぜていくとそのうち真っ黒に
なってしまって、何の色をどれだけ混ぜたのかわからなくなってしまう。
バズルの要素とアクションとアドベンチャーを混ぜたら、真っ黒になって何の
要素があったのか忘れるとか、そんなことはないはずですから、色のたとえの方が
よほど変でしょう。
それに色には「白」のようにすぐ汚されてしまう色や「黒」のように他の色と混ざ
ってもそのままでいられるような色があったり、要するに力関係みたいものが対等
ではありません。これもゲームの性質として考えると変です。アクションは他の
要素がちょっとでも混じってしまうとアクションじゃなくなる(白は他の要素がちょ
っと入ると白じゃなくなる)が、パズルは他の要素がたくさん入ってもパズルとか
(黒は……)そういうことはないわけですからね。
まぁ、色はやめましょう。ゲームはもっとわかりやすいものなのに、わざわざ
わけのわからないものにたとえる必要はありません。
459 :
元230:2008/01/18(金) 00:00:48 ID:4KNRxOCJ0
(7)
× わけのわからないもの
○ わかりにくいもの
460 :
元230:2008/01/18(金) 00:01:57 ID:4KNRxOCJ0
(8)
>>それならそれでも構いませんが、それなら「ラーメンとは麺のある食べ物である」と定義するわけですよね?その場合は。
うどんとか焼きそばとかは麺でも不可ですので……。いわゆる「中華麺」です。
461 :
元230:2008/01/18(金) 00:06:15 ID:gUoaKCR+0
(9)
>>185 >>で、後から麺の無い具だけのラーメンが出てきたとしても普通は「こんなのラーメンじゃないやん」と言って否定するわけですよ。
いやそれは全然意味が違う……。
その「ラーメンじゃない」は、ラーメンであることを否定しているんじゃなくて「食べるに値しないラーメンである」
とかそういう意味でしかないわけでしょう……。
つまりは「こんな麺だけの愚がないラーメン、食べられるかいな」という意味ね。
逆に麺がなければ、どんなにおいしくても「ラーメン」ではありません。麺がないのに
「このラーメンうまい!」という人間を、少なくとも私は知りませんので。
というか、G樣の発想がわかんない。
(中華)麺がなければラーメンとは呼べないということすら同意できないとは……。
462 :
元230:2008/01/18(金) 00:14:03 ID:gUoaKCR+0
>>で、もし仮に全員がそれもラーメンだと言うならば、先にあった定義「ラーメンとは麺のある食べ物である」
というのがあやしくなるわけです。つまり麺が必要だったかさえも定かではない。
なんかほんと、強引すぎてついていけない(笑)。
どこぞの店で「麺が最初から一切入っていないラーメン」というものがあったら
教えてくださいな。
>>そして、麺の無いのもあるのもラーメンならば、ラーメンの定義に「麺」の有無は関係なくなるだけです。
いや、そんなものはないでしょう……。
牛肉が入っていない「牛丼」とか、パスタを使わないパスタ料理とか、卵を使って
いない「卵入りケーキ」とか、そんなものは形容矛盾でしかないわけです。
当然「ゲーム性のないゲーム」も、存在しないのです。
今日はここまで。後は明日の深夜。
463 :
元230:2008/01/18(金) 00:16:01 ID:gUoaKCR+0
>>461 × 愚がないラーメン
○ 具がないラーメン
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーをソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>251 じゃあとりあえず、山田君よろしく。
>昔ゲームと認識されていて、今の認識ではゲームと認識されてないものってある?
なかなか面白い質問するね。
この真意ってつまり、ゲーム→非ゲームというパターンがあるかって事でしょ?
非ゲームがゲームの中に溶け込んで来るという事が見えても、その逆が見えるかどうか。
これはつまり俺の主張「ゲームとは変化するもの」が双方向性のものか単一方向のものかって事を確認したいのだと俺は思った。
俺は無いと思う。
いや実際によく探してないから今日一日かけて考えてみるけど、あるとするならば、このスレを通じてゲームについて考察するようになったので
子供のころゲームだと思っていた「しりとりゲーム」が知的パズルなのか知的な「遊び」なのかって疑問は感じるようになってきた。
山手線ゲームでも良いけどね。
ちなみにここで言う「ゲーム」はコンピューターゲームに非ず。
山手線ゲームなら「オペレーターズサイド」っていうコンピューターゲームではミニゲームとしてあったけどね。
アンカー違ってた(まあ違ってはいないか)
>>452 どうして、しりとりがゲームというより遊びなのか、うまく説明できない。
というか多分競技性もあるしゲームなのだろうけど明確な目標が無いから非ゲームなんだな。
(終了条件はあるけど)
しりとりも山手線も語彙や記憶に依存するのでスキルは必要。
というかそのスキルに全依存してるので能力値が高い側が有利。
だから元230が言うところの「バランスの壊れた遊び」になるんじゃないかな。
でも俺はゲームと呼んでいたし、今でもゲームと呼んでる人はいる。
元230はこの二種類のゲーム?をゲームと考えるか否か。
しりとりは遊びだけど山手線ゲームはゲームという都合良い解釈はできないと思う。
だってどちらもシステムはほとんど同じようなもので、ルールが違うだけ。
しりとりは言葉の最後と最初をつなげるものを次々と抽出するもの、山手線は与えられた課題を満たすものを次々と抽出するもの。
言葉遊びの類だけど、山手線ゲームはゲームと呼ばれてる。
たとえば子供と大人でしりとりしたら語彙力のある大人が有利。
負けた子供は大抵「もう一回やろう」とリベンジを要求したり、苦し紛れにウギャーと騒ぐ。
ウォーゲームでパラメーターに優れていたりユニット数が多いっていうのと、言葉遊びで語彙力があるっていうのは似たようなものだと思う。
でもね、ウォーゲームは230が言うような再現性を楽しむ遊びは別として、ユニットをどう動かすかという「戦略性」があるんだけど、
しりとりや山手線にはそれが無いんだ。
プレイヤーの能力に全依存してるけど、つまり能力が無い側が逆転していける「ラッキー姓」というか不可抗力が介入しにくい。
もちろんこれまた俺の屁理屈使って、語彙力のある側が突然喉を詰まらせて死んだとか、そういう事もあるから絶対はありえない。
でも、230が言うようなバランスが悪い遊び。
これを踏まえると「運に期待しないと勝てない遊び」はゲームなのか?になるわけ。
じゃあ山手線ゲームはゲームとついてるけどゲームじゃないんじゃないの?と。
まあ、またこの話題再燃するとエンドレスバトルになるからここまで。
というか、元230が「ゲームとは変化のないもの」と捉えてるのか「変化はあるが法則性は普遍である」と考えてるのか知らんけど、
「競技」という基準で考えると広く認知されてるゲームさえもゲームでなくなったりするとするならば、
それが本質的なゲームしての定義として有効かさえ疑わしいんじゃないかなって。
これについて元230は断固否定すると思うけど。
いや、ゲームに対する考え方は変わらんと思うから、認知側に責任転嫁して終了なのかも。
いずれにせよ、そこで思考停止してる感は否めない。
>>454 もう以後、注釈無いゲームはコンピューターゲームの事として話ますね。
>ゲームと何がどう混ざりやすいのでしょうか。
たとえば「音楽ゲーム」というジャンルがあります。
音楽はゲームではありません。
一見ゲーム性のないものです。
まあ演奏を評価するコンクールなどはありますから、元からゲームに組み込みやすい非ゲームだと思います。
これに対して「レースゲーム」というのはレースも競技、ゲームも競技なのでとくに違和感はありません。
ゲームの本質に沿ってます。
「パズルゲーム」はどうでしょう。
パズルがゲームなのかどうか疑わしいというのは、あなたと「知恵の輪」の時に論じ合ったと思います。
「体感ゲーム」
いまこのスレのターゲットになってるゲームがまさにこれです。
体感ってゲームじゃないですw
言い換えると「運動」とか「バーチャル」とか色々。
おまえら、まだやってたのか!?
>>454 軽く流しちゃいかんですね。
「運動」も競技種目として多いので競技、つまりゲームに組み込みやすいとは思います。
では後者の「バーチャル」って何でしょう?
「虚構の中に作られた現実」という感じでしょうか。
とにかく、ゲームは非ゲームを取りこんで変化していくものでしょう。
この変化について山田君は双方向的なものなのか単一方向のものなのか疑問を感じてます。
それについて俺は認識レベルでの変化はあるとしても、それは限定されたものだと思う。
つまり「ほぼ単一方向に拡張されるもの」と。
>>454 >こういうところの論理が非常に変です。
という事でこれを「変」と感じるあなたがゲームを知らなすぎるんだと思います。
ロールプレイングゲームだって、ロールプレイつまり役を演じる、演劇のようなものをゲーム化してるわけじゃないですか。
つまり、ゲームは競技の模倣だけでなく、競技でないものに競技性を付加する事で拡張可能なメディアの一種だと俺は思うんですよ。
本質的なゲームでさえも、今は定型化してますが、遊びに競技性を付加していってカタチ作られたものって多いんじゃないですかね?
サッカーなんて最初はただの「けまり」だったと思いますよ。
それに後からルール付けていって競技化して、今はそのルールが広く一般に定着して「サッカー」になりましたけど。
サッカーを知らない未開の地の人にボール渡してもルールや遊び方を伝えなければサッカーをプレイできません。
でも試行錯誤してボールを蹴ろうとするかもしれませんね。
そういう事です。
>>455 ええその通り。
非ゲームがゲームになるにはゲーム性、つまり競技性が付加されるという前提があります。
一応、非ゲームがゲームになってるケースでは、どうぶつの森のような曖昧なものと違って明確にゲーム性があります。
WiiFitも同様。
いずれにせよ、ゲームが非ゲームを取りこみ拡大してる事は認知してるわけですよ。
ADVなんて紙芝居やコミックのゲーム化みたいなものですし。
と、流してしまいそうなところをぐっと食い止めて、
でもADVには競技性ってありますかね?
だってADVでは任意の選択肢を選ぶだけですよね?
その後の展開を考えながら選ぶって事はパズルの一種ですが、パズルは「解けるか解けないか」に対してADVは結末の変化があるわけです。
選択肢を選ぶというだけの行為をあなたはどうやって「疑似競技性」で説明するのですか?
知力も戦略もないあみだくじのような遊びを、紙芝居やコミックに組み込んだだけでも「ゲーム」と呼ばれてしまってませんか?
ゲーム性って競技性の事ですよね?
>>455 またこの話に戻りますが、上の方でゲームブックはゲームである(この場合のゲームはコンピューターゲームに非ず)とあなたは主張してます。
しかし、俺には競技性が見つからない。
というか、普通に見ただけじゃ「競技」じゃないです。
1人遊びの一種ですよ。
じゃあ「ゲーム性」って本当に「競技性」でいいの?
とあなたに問いたいわけです。
まあ、あなたはきちんとゲームブックがどうしてゲームなのか説明してくれると思うので待ちますけどね。
とにかくこれは今疑問に感じてる事の一つです。
love is such an easy game to play
>>455 >パスタを使わないパスタ料理が存在しえないのと同じ理屈です。
この喩えに疑問があります。
パスタ料理って料理でありパスタであるという事ですね。
音楽ゲームでいう所の音楽が料理であり、ゲームがパスタだとするならば、
パスタという存在がそれまで「料理には非ず」という前提が必要だと思います。
なぜかというと、上で音楽ゲームを喩えた時、音楽はゲームに非ずですからね。
ゲームでないものをゲームが取りこむ事でゲームにするという事を説明してるわけです。
でもパスタ料理の喩えでは、パスタは音楽に喩えるのではなく「ゲーム性」にすり替えられてます。
これを言い換えるならパスタは食べ物なので「食べ物料理」という当たり前のような言葉になります。
論理的に考えると、です。
じゃあこの場合の喩えとしては不適切ではないでしょうか。
おいおい、こんな夜中まで頑張って
仕事大丈夫か?
>>455 ではパスタ料理で言う所の「ゲーム性」とは何かというのは例えば、
食べ物ではないものに何かをしたら食べ物になった。
例えば化学調味料。
これって原料は食えないものだったと思います。
そんな感じで他にたとえてくれないと、あなたの説明では誤解を招くと思います。
パスタ料理っていうのは食べ物を調理加工してるだけなので、何かが加わったというものではありませんよ。
単にパスタ料理という呼称があるだけで。
これを音楽ゲームやロールプレイングゲームの方法論として述べるのはおかしいです。
ゲームの拡張性の部分に関しての話ですけど。
>>455 なんかうまく説明できてないようなのでもう一度。
音楽ゲームには、ゲーム性が必要です。(ゲーム性が何かはともかく)
「パスタ料理にはパスタが必要です」の例を音楽ゲームに置き換えると
「音楽ゲームにはゲームが必要です」というちょっと変なニュアンスになるという事です。
では音楽ゲーム側の言い方をパスタ料理に当てはめると、
「パスタ料理にはパスタ性が必要です」といこれも変なニュアンスになります。
というかパスタ性ってなんですかね?
パスタとして認められるもの、概念だと思うんですよね。
つまりパスタという食べ物が必要であるか否かはこの概念が決定すると。
違いますか?
>>455 あなたは概念に変化が無いという前提でモノゴトを常に語るようですが、概念は変化するものです。
メディアに流されやすく不安定なものでしょう。
つまり、パスタのないパスタ料理が出てきてもおかしくはないんですよ。
あなたはおかしいと言うでしょうが、それは先入観がそうさせてるだけで、可能性はあるんです。
>>456 パスタの次はラーメンですか。
お腹すいてるんですかね。
それはさておき、ラーメンの例ではゲームの拡張性について触れてます。
ゲームに何かが加わろうがゲームである。
ラーメンに何かが加わろうがラーメンである。
これは論理的に正しいと思う。
でもこの喩えは引用もとの主旨が違う。
定義には横方向にリンクが存在するという事。
山田さんの例で言うなら「株式会社Aの社員である」とか「木村さんの隣人である」とか「カローラのオーナーである」などリンクはあるけど、
そのリンクだけでは山田さんを定義つけられない。
なぜならそのリンクを含むものは他にも存在するから。
そういう喩えなんですよ。
それをあなたはゲームの拡張性の話にすり替えてる。
言っちゃ悪いがあなたは自分の都合で人の話の主旨を無視して勝手に話を進める傾向があります。
前後の文脈を理解してからレスをして頂きたいと再三注意してるはずです。
>>456 で、ラーメンの話は拡張性の話ではなく何をもって事物を定義化していくかという方法論についてのはずです。
俺が色紙の例で言いたかったのは「見えないものは定義できない」という事。
それについてあなたは理解を示してるはず。
ではなぜまたラーメンの話を出すのでしょう?
真意について理解は得られてるのだから再び勘違いしてる喩えを出すのはおかしいですよ。
>>456 ではラーメンを拡張性の話として考えますか?
その前後がだんだん曖昧になってきますが。
つまり、ゲームは非ゲームを取り込み拡張し続けてる。
これをパスタで説明しようとすると「パスタ性」の有無が条件になるという事であってパスタの有無というわけじゃない。
パスタの有無ってつまり名前にパスタが付けばパスタ料理?みたいになりますから、それはあなたの真意じゃないはず。
パスタ性ってのはゲーム性のような概念であり定義のはずです。
つまり「パスタ料理とは○○である」という概念をもってしてパスタ料理が区別されるわけです。
そうやってパスタ料理は料理の類に含まれる。
もちろんそれにはパスタ料理が料理であるという大前提が必要です(最近類)
>>456 パスタは食べ物なので料理に組み込みやすい。
これはゲームで言うところのスポーツゲームやレースゲームに相当します。
音楽ゲームは非ゲームなので、料理に喩えるとするならば食べられないものを料理に組み込んで料理にするという事になります。
料理にはこういう方向性があるのか俺には不明です。
たとえばこれは「段ボール肉まん」のようなものじゃないですか。
こんなの嫌ですよw
という事で喩えがおかしいんですよ、あなたのラーメンもパスタも。
>>456 で「段ボール肉まん」は料理ではあるが、食べ物なのか?という疑問にいたるわけです。
音楽ゲームの場合はちゃんとゲームとして認識されてるのですから、問題はありませんが、
「段ボール肉まん」は「んなもん食わせんな!アホ」になるわけです。
つまり、料理の場合、食材ではないものを組み込んだら料理として成り立たない場合が多いと。
ラーメンの具に鉛が入っていたり、髪の毛が入っていたら嫌じゃないですか?
「いや鉛は人間に必要なものだ」とか「髪の毛も食えるよ」とかは屁理屈なのでやめてくださいねw
つまり、これらがラーメンの中に入っていたら常識的に考えて「異物混入」なんですよ。
ところがゲームってのはそういう異物を受け入れる代物だと思います。
違いますか?
>>457には上でレスしてるので不要と判断
>>458 ええ、おっしゃる通り。
それが色の喩えの限界です。
ゲームの拡張性は色ではうまく表現できません。もっと複雑です。
ただ、単純に理解してもらうには色が一番だと思いました。
厳密に言うと、白くおおきな画用紙に様々な色を濃淡をつけて描いていく、つまり絵画のようなものです。
まあ、ゲームはメディアとよく言われますが、絵があり音があり、今は触感などもありますから、絵画やコミックや映画や音楽よりもっと高次なメディアとも言えます。
だから「色」みたいに単純には語れませんよ。
その絵画をどう分類するかという所が定義なわけですよね?
「これは抽象画だとか」「これはゴッホの絵だ」とか「これは水墨画だ」とか。
>>458 で、再確認ですが、この色の喩えと封筒の喩えには俺の三つの真意が含まれてます
1.見えないもの、知らないもの、体験した事のないものは定義できない
2.下層の定義には横方向にリンクが存在する(定義の横方向性)
3.ゲームには拡張性がある→ゲームは変化し続けている
この三つをごちゃごちゃにしてるのが、あなたです。
しかも、都合に応じて自分勝手に組み替えて使ってます。
だから、この3項目について順次確認していきたい。
1はOKですよね?
2と3は未確認なのでよろしくお願いします。
>ゲームはもっとわかりやすいものなのに
ゲームの方が複雑です。絵だけでなく音やストーリーやフィードバックまであるのですから。
バランスと有酸素は面白いな!
筋トレは部屋が狭いせいもあって無駄に疲れるぜ…
そしてヨガは興味なし
>>461 >麺がないのに「このラーメンうまい!」という人間を、少なくとも私は知りませんので。
それはラーメンに関する概念が構築されてるからだと思います。
まあわかりやすくいうと「ラーメンとはこういうものなのだ!」と皆が認識してるって事ですね。
ラーメンを知らん未開の地の住人に、汁だけの麺のないラーメンを「ラーメンだよ」と言って食わせてもそれは疑わないわけですからね。
ですよね?
だから、ラーメンについて知ってる俺達は知らんヤツにラーメンを見せず、食わさずにラーメンを説明しようとする場合、ラーメンの定義が必要になるわけです。
>>462 >どこぞの店で「麺が最初から一切入っていないラーメン」というものがあったら教えてくださいな。
これは仮定です。
しかも「ラーメンは変化するもの」という前提の上での仮定。
ぶっちゃけ「創作料理は変化の集大成」だと思います。
つまり、ラーメンが今後どう変化するか不定な事を前提にすれば、麺無しラーメンがラーメンになる事も可能性としてあり得るわけです。
しかし、ラーメンの概念、定義は存在し広く認知されてるので多くの人はそれでラーメンか否は判断するわけですよ。
だからラーメンはゲームに置き換えるのが微妙なんです。
もし、ラーメンの定義が認知されていなくて「なんとなくこういうのがラーメンかも」という程度なら麺無しラーメンもラーメンとして許容してしまうのではありませんか?
で、「なんとなく」ってのは抽象的すぎるので定義していくと下層の定義になるわけです。
山田さんの例でいう所の株式会社Aの社員くらい。
>>462 ですから、あなたの喩えでは、ラーメンに食えるものが混ざってきたというだけで、食えないものをも取り込めるゲームとしての喩えとして不適切だと思うし、
概念がきちんと構築されているであろうという点に於いてもやはりゲームの喩えしては不適切だと思うわけです。
いや、あなた個人の中にはゲーム観、ゲーム論のようなカタチで明確に定義は存在しますが、共通認識としてのゲームは曖昧なんじゃないですかね?って事。
だから俺は「わからない」と何度も言ってるはずです。
間違いってのは間違いだと認識できてはじめて間違いなんです。
赤信号の例も出しましたよね?
「みんなで渡れば怖くない」という例ではありませんよ?
皆が信号を守る事で交通システムは正常に機能するという前提に基づいた規則の話です。
赤は止まれなのだから赤で止まらないのは「間違いだ」と指摘できるんですけど、そういうのって共通認識として存在してるからですよね?
それが曖昧なものって「でもこれならいいんじゃないの?」みたいな法律の抜け穴的なものです。
ゲームと信号の例は対極だと思います。
>>462 >当然「ゲーム性のないゲーム」も、存在しないのです。
これはもう上で再三指摘してるのですが、あなたは何度指摘しても理解してくれないからもう一度指摘します。
パスタの無いパスタ料理、牛肉の入ってない牛丼(牛肉料理)、卵を使ってない卵ケーキ(卵料理)
これらをゲームに置き換えると「ゲームのない音楽ゲーム」とか「ゲームのないアドベンチャーゲーム」とか言葉として変ですよ、と。
変だからと言って「ゲーム性のないゲーム」と置き換えるなら料理も同様に
パスタ性のないパスタ料理、牛肉性が含まれてない牛丼、卵性が使われてない卵ケーキというなんか変な言葉になります。
つまり、あなたの喩え→ゲームの間に論理性が欠如してるという指摘です。
喩えとして不適切なのでやり直してください。
>>462 この「○○性」ってのはつまり概念ですよね?
その個体を示してるわけじゃない。
で、概念っていうのは任意に変化するもの。
でも、それを「規則」とか「ルール」として強引に固定させる事は可能です。
それが交通の例でいう所の信号です。
芸術や創作物の類にはこれがほとんどありません。
もちろん表現規制のようなものは存在しますが、その範囲内ではなんでもアリでしょう。
だからゲームの中では人を殺したりできますし、あり得ない速度で運転する事もできるわけです。
だから、簡単ではありませんよと。
むしろ、ゲームの方が複雑に絡み合ってますよと。
選択可能な要素があり、さらにそれに対して自分の予期しない結果が発生する可能性が存在し、
かつそれに対して遊び心を発揮(ドーパミンが発生)しうる対象はなんでもゲームといえると思うが。
>>494 それってつまり
1.決定されたルール
2.可変かつ数値化可能な結果
3.結果に対する価値の付与
4.プレイヤーの努力
5.プレイヤーと結果とのつながり
6.対価交渉の可能な結末
って事じゃないの?
ジェスパーの定義そのものじゃん。
それを否定してるのが元230。
スタンス不明なのが前スレ905
単に荒らしてるのが◆7ZAJm/y1bQ
遊びもゲームなのかもと疑い感じてるのが山田君
俺はその定義に「遊びの要素」もプラスしてる所
元230の場合、否定というより「そんな面倒な定義じゃなくて『競技性のあるもの』でいいじゃん」というスタンスかな。
基本的に230は真理に近づける手法で正当性を維持しようというスタンス。
真理に近いものってのは定義が「○○は□□である」と明確に言えるものなのです。
曖昧なものを定義しようとすると、どうしても条件が多くなるんだけどね。
元230にとってゲームは曖昧なものではなく、明確なものなので仕方ないんだけど、それを一般の人に説明しようとするとどうにも説明ができないのが出てきてる。
それを230は誤解だと言ってるけど、全員が誤解なら誤解なのかどうかわからんよというのが俺の主張。
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>497 ◆7ZAJm/y1bQよ、
おまえはどうして名無しなの。
カラスが鳴いたから?
みんなコテ付け始めてるのにw
そろそろ戻っておいで。
土産は忘れずにな「論文」「写真」「データ」
スレの飛び方がすごいな。60とかレス飛んでるの初めて見た。
>>470-494の間でも5〜10くらいレス飛んでるし。すげーな。これはw
◆7ZAJm/y1bQ はな、
俺が主催する講演会に呼んでもいないのに勝手に来て「うるさい」と言って目と耳を塞いでは、席の両隣の人達に「こいつ馬鹿じゃね?」と言ってるのと同じ。
俺の立てたスレで俺の発言を読まず、更には対立する意見を出してる元230の発言も読まず、目と耳を塞ぎながら、来場してくる人に対して「この人変ですよ」と言ってる変な人になってる事に自分で気付いてない。
まあキチガイってのは得てしてこういうモノなのだろう。
キチガイが自分の事をキチガイだと認識したら発狂するからな。
これがキチガイのパラドックスだ。
頭狂ってるヤツに対して「おまえは狂ってる」と言っても狂ってるのだから理解できるわけがない。
意識不明の人に「あなたは熟睡して意識不明になるのと、脳障害で意識不明になるのどっちが良いですか?」と質問してるようなもの。
既に意識不明なのだから答えようもない。
502 :
名無しさん必死だな:2008/01/18(金) 08:45:02 ID:k0QME6n7O
ゲームは遊びだよ。遊びじゃないゲームなんてあるの?
503 :
山田:2008/01/18(金) 09:12:03 ID:vEPwhBH40
>>453 正直にいうと根拠ないです。G様と元230みたいにちゃんと考察してなくて、
2人の会話を聞いて同意したり疑問に思ったら質問したりする大衆の1人だとおもってください。
じゃあ会話に入るなと言うなら入らないんで邪魔と感じたら言ってください。
それで今ゲームとR&Rって似てるなと感じていて、俺バンドやってるんですけど、打ち上げの時に
よくR&Rとは何?みたいな話になるんですよ。初期衝動という奴や誰にでもできるのがR&Rだとか生き様が大事で音楽
なんて関係ないという奴がいて、なんかこういう話が俺は好きみたいです。
それで俺はR&Rはそういう物を喰らい続けて生きてる物なんだと思うようになりました。
だからG様に共感するのかもしれません。
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
505 :
名無しさん必死だな:2008/01/18(金) 13:03:49 ID:k0QME6n7O
↑
Gが仕事してるかは知らないけど、こいつが仕事してないのはわかる
>>502 そういう質問すると230が非コンピューターなゲームをバシバシと出してくると思うよ。
多分、君はコンピューターゲームの事をゲームと呼んでるのだろうと俺が勝手に推測、と。
で、その質問見てふと、元230がいつも言う
「ゲームが遊びだとしたら、竹馬も遊びなのだから、竹馬もゲームと呼ばなければならなくなってそれはおかしい」
に疑問を感じてきた。
何がって、そりゃよく考えたら元230のロジックって
A=Bであり、B=Cならば、C=Aであるという感じで、つまり論理というより単に等号で繋いでるだけ。
集合Aの性質がBであり、集合CにもBという性質があっても、必ず集合Aと集合Cが同一になるとは限らないのではないだろうか。
>>502 またしても山田さんの例になるけど
「山田さんはソニーの社員である」というのと「田中さんはソニーの社員である」というのは双方に共通する要素があったとしても
ゆえに「山田さんは田中さんである」にはならないだろうって事。
「ゲームとは遊びである」と「竹馬は遊びである」という二つの定義から
ゆえに「竹馬はゲームである」にはならない。
この場合、共通する要素をもつ二つのモノゴトとして説明はできても二つが同一という説明は完全にはできないから。
ゆえに「ゲームも竹馬も遊びである」という説明が正しいし論理的だろう。
つまり、この場合の「遊び」というのはゲームや竹馬に共通する「性質」であるという事。
遊び=竹馬ではなく、竹馬には遊びの「要素」「性質」があるという事。
ラーメンやパスタの例で何か変だぞと思ってたけどこれが原因かも。
だって、パスタ料理にはパスタがなければおかしいと言いつつ、ゲームにはゲーム性がなければおかしいと言って、それを喩えに使ってる。
パスタ料理にせよラーメンにせよ、それを定義として使うなら、それら集合をまとめる性質が必要なのであって、食材Aが必要というのはその性質、概念に含まれるという事だろう。
だから偽者にソフトがどうとかハードがどうとか突っ込み入れられるんだと思う。
ラ━━━━━━ヽ(´∀`ヽ)━━━━━━ン !!!!!
もう一つ「どうしてコンピューターが関わると競技が遊びになるのか?」の問いに対するもこのロジックによって説明ができると思う。
元230は競技というのを概念としての「競技性」として捉えず、遊びについてもやはり「遊びの要素、性質」として捉えてなくて、
「ゲーム=競技」「遊び=竹馬」、もし「ゲーム=遊び」ならば「竹馬=ゲーム」になるからおかしいと。
なるほどね。確かにおかしい。元230の考え方が。
ゲームというのは競技というよりも競技性のある物事のコトであって、ゲームとは競技であるというのは真理表現なんだな。
絶対表現というか、ゲームはすなわち全て競技であり、競技は全てゲームであるという説明はそれが「絶対」とか「普遍」というコトを示すわけ。
全く他のものを受け入れない状態、つまり真理なんだ。
定義の階層ピラミッドの頂点にそれがあると信じてる。疑ってない。
で、ゲームには競技性が必要だが、競技性っていうのは抽象的概念であり、ラーメンで言う所の麺ではない。
ラーメンとは何かを説明しうるラーメンの概念が無ければラーメンではないというのが正しい説明のはず。
俺の定義に関する考察では、定義というのはその事物を示す様々な要素がピラミッドのような階層構造になっていて、
なおかつ、それぞれ他の定義の要素と、wikiみたいにリンクで繋がってるものだと言ってる。
だから、「山田さんはソニーの社員である」と「田中さんはソニーの社員である」に関して、山田さんと田中さんとそれぞれ違う定義を構成する要素の一つがリンクで繋がったりする。
いや、実際そうだろう。
真理というのは誰に対しても正しくあるべきものなので、山田さんを確実に説明できるものでなければならない。
「ソニーの社員である」は間違った説明ではないので定義にする事はできるが山田さんに関する真理ではない。
>>503 音楽もゲームどうように変化するものだとは思う。
というかロックってそれまでの音楽の常識を覆した新しい音楽だし。
で元230的に言うと「音楽には音がなければならないのだから、演奏方法や楽器が変わろうがそれは音楽であって変化はしてない」になると思う。
その説明はおかしいんだけど。
実際に音楽に必要なのは、もちろん音だけど、それは音楽性を構成する要素の一つに過ぎず、つまり音楽に必要なのは音楽性であると。
その音楽性とは何かというのが、音であり、音階であり、リズムだったりするわけ。
だって「音」があれば音楽とか言うなら人々の会話も音楽になる(まあラップは似たようなものかw)、あとはノイズも音楽って事になる。
だから音楽にとって「音」というのは必要な要素ではあるがイコール音楽性ではない。
ラーメンには麺が必要だが、ラーメンの定義については、なぜ麺が必要かという概念が必要なのであって、麺はその概念に含まれる要素の一つに過ぎないという事。
>>512 あと音楽は今まで楽器として使われなかったものも楽器に取りこんだりするし、ラップのようなリズム主体の音楽っていうのもある。
途中でリズムのテンポを変えようが自由だし、間に無音を数秒入れたりという事も自由。
でもゲームはもっと変化の度合いが凄い。
映画であり音楽でありコミックでありネットワークもあるし思考もする。
もの凄いメディアなのだから、10年前の法則が今も使えるとは思えない。
ロックのように今ゲームに革命が起きてるのかも。
(´ー`)どのくらい連投してるかな
上のアンカー間違ってるけどまあいいや。
で、ずいぶん遠回りしてしまったけど、
>>502の質問の真意を考えるとこんな感じ
「コンピューターゲームがコンピューターを使ってやるゲーム」だというのはわかるけど「コンピューターを使ってるやる遊びは何て言うの?」
ズバリこれなんじゃないかな?
コンピューターゲームっていう言葉はあるけど、コンピューター遊びっていう言葉が無い気がする。というか定着してない。
そういう言葉が無いのだから、とりあえず近い言葉である「コンピューターゲーム」を拝借してしまってるのかもしれない。
なぜ近いかというと、実は本質的なゲームとしての競技と、遊びにはどこかに接点があるから。
この疑問は上の、しりとり遊び、山手線ゲームにも含まれてるし、競技があるのに鬼ごっこや隠れんぼが「遊び」として考えられてるという点からも導き出されてる。
つまり、ゲームと遊びには共通する要素がある(可能性がある)
という事なので明日以降はこれを考えてみる。
競技があるから、じゃなくて競技性があるからだね。
結局答えでてるじゃん。
「WiiFitを使ってゲームをする事は出来る。」
「WiiFitを使って競技性のない遊びも出来る。」
あとは、イデアの問題。
もう少し考察書いておくかな。
「音楽性」というものが「音」を「音楽」に変える。
だから「音楽とは音楽性のあるものである」と定義するのは妥当だろう。
ではゲームはどうだろう。
「ゲーム性」というものが「○○」を「ゲーム
に変える。
>>517 また出てきた。
だからね、ゲームはまだ本質とか真理とか定められない変化の段階だっての。
だから観測結果からしか法則性は見いだせない。
それが真理、つまり君の言う所のイデアであるかどうかもわからない状態なの。
>>517 なぜそういう状態なのかって言うと、ゲームというのは他の一般的な事物と異なり(他にもそのようなものが存在するとは思うが特殊性という事で)
ゲームでないものを取り込みゲームに変えていく事ができる。というかやってる。
ゲームでないものとはゲーム性のないもの(ゲーム性についてはとりあえず真理に近い概念で)
料理は食べられるものに食べられるものを組み合わせて変化する事はあっても、食えないものを取り入れて料理にする事はまずあり得ないし受け入れられないのに、
ゲームはゲームでないものまで取りこんで新しい類として構築していってしまう事物。
料理の場合は「段ボール肉まん」
ゲームの場合は「音楽ゲーム」
つまり、ゲームの発展性は他よりも大きいと考えられる。
発展性や変化の大きな事物をどの時点で定義するかっていうと、その変化が緩やかになった時や止まった時だろう。
でも今は動いてるのだから確定できない、つまり真理を定められない。
蝶の幼虫の段階を観測してそこまでで導き出された定義は蝶の真理ではない。
成虫になり死んで動かなくなるまで観測してはじめて真理に近づける。
俺はそう思う。
でも、蝶が成虫になるかどうかもわからないのだから定義しようがない。
結局は現在まで観測された事象から定義を導き出して、暫定的に蝶の定義として使うしかない。
それが正しいかどうかは後の人が決める事で、今、皆がつまり幼虫の段階しか観測できないなら、蝶を説明するにはその幼虫の段階の事象として説明するしかないって事。
整理すると
・ゲームは非ゲームを取りこんで変化し続ける
・ゲームは今変化の最中にある(終息の観測がされていないから)
・競技には遊びとの接点がある?(逆も然り)
・コンピューターゲームはあるがコンピューター遊びというのは無い?
まだ考察途中だけど、
どうぶつの森には遊びの要素があるが競技性が無い。もしくはその濃度が低い。
しかし、それをなぜ皆がゲームとして認識するかといういと、コンピューターを使ったゲームはコンピューターゲームとして呼べるが、
コンピューターを使った遊びについては、明確な呼称が無い、または広く認知されてないからではないだろうか。
その場合、人はそれに類するもの、近いものをそれに置き換えてしまうケースがあるのではないだろうか?(例はこれから探す予定)
だから、どうぶつの森はコンピューターを使ったゲームではないが、他に呼び名が無いからとりあえずゲームと呼ばれ続け、それが定着してしまったとも言える。
そしてその例外のようなものが広く受け入れられた事で、遊びもゲームを構成する要素に大きく関わってきたのではないだろうか。
(これらは全部推測)
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
Wifitはハードウェアでいいんじゃない?買ってきたら電池いれるんだし。
あとうちのPCのDVDプレイヤーはソフト。なんかインスコした。
529 :
元230:2008/01/19(土) 01:20:55 ID:cXaLhTxx0
今日も10発言ほど掲示板汚し。
(1)
山田さん。
>>501 >>それで今ゲームとR&Rって似てるなと感じていて、俺バンドやってるんですけど、打ち上げの時に
よくR&Rとは何?みたいな話になるんですよ。初期衝動という奴や誰にでもできるのがR&Rだとか生き
様が大事で音楽なんて関係ないという奴がいて、なんかこういう話が俺は好きみたいです。
「音楽は人生だ」とか「コーヒーは生きがいだ」とか、そういうのはもちろん論理ではありませんよね。
多分に情緒的な主観たっぷりの思い入れです。
別に思い入れが悪いというわけではないが「ゲームとは何か」というのは論理ですから、その姿勢で考
えるべきことではないと思います。
530 :
元230:2008/01/19(土) 01:37:35 ID:cXaLhTxx0
「共通認識が間違っている」という答えがなぜ出てこないのか、という答えに
対するG樣の返答。
>>187 >>答えは簡単です。
考察をスタートする時点ではそれが間違いなのか正しいのかなんてわからないし、主観で考えてはいけないからです。
じゃ「十分考察した後」は、どうなんですか?
この返答だと「十分考察した後では、否定してもよい」ということになります。
531 :
元230:2008/01/19(土) 01:55:56 ID:cXaLhTxx0
(3)
>>188 >>コンピューターゲームについての考察してるのですからコンピューターの関わりは重要だと俺は考えてますよ。
ピントが完全にずれています。
「カードを使った遊び」や「テーブルの上で遊び」は、必ずしも「カードゲーム・ケーブルゲーム」
にならないのに、なぜコンピューターだけは、「コンピューターソフトウェアが遊びの要素を持つと」
それだけで「コンピューターゲーム」になるのか、と質問しているんです。
その答えが「コンピューターゲームについての考察してるのですからコンピューターの関わりは重要だ
と俺は考えてますよ」って、それは全然答えになってません。
532 :
元230:2008/01/19(土) 02:06:26 ID:cXaLhTxx0
(4)
>>188 >>一般的にゲームというのはコンピューターゲームの事も指しますからね。
いや、別にボードゲームでもカードゲームでもいいと思いますが……。
私には、G樣はコンピューターゲームを特別扱いしたいように思えてならない。
そういう「主観的・情緒的な思い入れ」で「ゲームとは何か」を語るのは、間違いのもとです。
元230さんさぁ。
個別レスは要らんのですよ。
(膨大な量を迅速にこなせるならやってもらっても構いませんが)
全部読んで理解してから、質問部分に回答し、話を進めた方がいい。
その遅延行為、わざとやってるとしか思えない。
534 :
名無しさん必死だな:2008/01/19(土) 02:15:24 ID:AZ6EAWSY0
おまえら、まだやってるのか!?
たとえば
>>188では質問部分は
>コンピューターゲームはゲームなのかという、もっと根源的な話をしたいのでしょうか?
これだけです。
それに「はい」「いいえ」またはそれに対する指摘、考察があれば十分です。
それに対して「一日10レス」のうち3つも使ってどうするんですかw
しかも10レスのうち、いくつかは他の人へのレスにも使ってる。
手空きの時にログをじっくり読んで俺の主張、各部の意見を自分なりに理解してから、各所の質問に答えてくれれば良いです。
という事を述べたはずなのですが。
536 :
元230:2008/01/19(土) 02:35:40 ID:cXaLhTxx0
(5)
>>188 >>コンピューターゲームはゲームなのかという、もっと根源的な話をしたいのでしょうか?
いや、コンピューター「ゲーム」なんですから、当然ゲームでしょう。なぜそれが「根源的な」
話なのか、またしてもわかりません。
どうしてもっと単純に考えられないのですか?
>>俺はWiiFitについてはコンピューターゲームとしての説明だけでも良いかなと思ってますが。
これなどは、「なぜコンピューターが関与する遊びだけ即『ゲーム』扱いするのか」というこっちの
質問にG樣が論理的な返事ができないために、「コンピューターゲームに限って考えてるだけ」と
いって逃げようとしているように聞こえます。
537 :
元230:2008/01/19(土) 02:44:24 ID:cXaLhTxx0
(6)
>>533 >>その遅延行為、わざとやってるとしか思えない。
遅延行為?? わざとやってる?? 何のことですか??
悪いけどG樣のペースについていくことなんてできませんので(笑)。
それに掲示板に使う時間も限られるし、ゆっくりやらせてもらわないと無理
です。何か困ることでもあるんですか?
というか、ペースが速すぎるから飛ばして「特に大事な」ことだけ返事をして
いたのに、「どうして飛ばすんだ」と言ってストップかけたのはそっちで
しょうに。
一週間ぐらい発言休んだらどうですか? そうすれば追いつくだろうし、その
後はG樣も発言数を区切ってやればいい。
どのみち俺は明日夕方から旅行だから安心して下さい。
>>537 いや、全部飛ばして要所だけ答えろって意味じゃなくて、全部を読んでから適宜質問してる箇所への返答を優先して下さいという事です。
個別レスは後でも良いです。
それと、重要な区切りの所では一応俺は意見を「整理」してます。
そこ読むだけでも概要はつかめます。
そこから巻き戻って個別レスなりなんなりやれば良いと思いますよ。
なぜこういう事を言うかというと、そのレスでは不明な点はその後に書かれてたりするからです。
本当に全部読んで真意くみ取ってから返答してるのか疑問なんですね。
それだけでも確認したいです。
このレスの手前までの俺の意見全部読んで頂けました?
読んでるなら先に感想だけ言って貰えると助かります。
おまえら、仲いいの?
とにかく俺が元230に求めてるのは、俺からの質問に対する返答。
なぜそれが必要なのかというと、元230と俺との間の意見のギャップがどこにあるのか要所要所で確認したいからです。
それぞれについて、まずyesかnoで返答して欲しい。
いちいちレス引用しなくても良いのでアンカーだけ打って、返答でも良いです。
その方が時間の節約になります。
で、俺が適宜整理してる部分でアウトライン掴んでもらってから、元230から質問なり確認をいただければペース的にも合うと思います。
もう一度言います。俺は全レスを要求してません。質問箇所に答えてからあなたの意見を述べてください。
質問箇所ならそんな多くありませんから。
541 :
元230:2008/01/19(土) 03:22:27 ID:cXaLhTxx0
(7)
>>540 >>なぜそれが必要なのかというと、元230と俺との間の意見のギャップがどこにあるのか要所要所で確認したいからです。
どこにあるかって、そりゃ「なぜコンピューターゲームのときだけ、遊びがゲームになるのか」について
さんざん質問しているじゃないですか。
「わからない」「まだ考慮中」なら、G樣の追加定義は取り下げてください。
905さんが言っていたように、自分でも説明できないものを「追加定義」として用いるなんて、
そんなの全く説得力がないじゃないですか。
私からの「質問」は、今のところこれだけです。
542 :
元230:2008/01/19(土) 03:24:33 ID:cXaLhTxx0
(8)
>>539 笑わせてもらいました(笑)。
まぁ私は少なくとも議論しているだけのつもりです。
取り下げるというか、とりあえず以下の方向で考えておいて下さい。
G様流ゲームの定義
ゲームとは
1.競技・試合の事である
2.コンピューターゲームの呼称として広く用いられている
2の根拠は
>>525かな?
コンピューターを使った「遊び」について明確な呼称が無い、または広く認識されてないから。
元230さんは、どうぶつの森を「遊び」と呼びましたが、コンピューターゲームはコンピューターを使ったゲームで説明したのに、
コンピューターが関わってるどうぶつの森からコンピューターを外してるのはどうしてでしょう。
だから俺が補完します
「どうぶつの森はコンピューターを使った遊びである」と。
544 :
元230:2008/01/19(土) 03:54:48 ID:cXaLhTxx0
(9)
G樣ご本人は一方的に膨大なレスを投稿しているのに、私には「ストップ」「質問にだけ返事しろ」
などと指図するなど、かなりわがままな人のように思われますが(失礼)、ゲームについて語るのは
私の望むところでもあるので、以降はG樣の要求通り「質問」だけに返事をしましょう。なお「質問」
とは「?」がついた文章であると解釈します。
>>191 >>あなたの定義が正しいと神からお告げを頂いたのですか?
こういう質問など、馬鹿らしいだけですね(笑)。私は「論理的に」正しい結論を得たと思っています。神からの御告げではありません。
>>俺に対して「なぜ正しいのか考えないのか?」と問うあなたこそ、自分が正しいかどうかを考えてないのではありませんか?
いや考えてますよ(笑)。
545 :
元230:2008/01/19(土) 03:55:51 ID:cXaLhTxx0
(10)
>>ではあなたは真理にどれだけ近づいてると思いますか?
「真理」なんていう言葉を抜きに語れないんですか?? 何度も書きましたが、私は論理的に考えて、
「ゲーム=競技」という本質から「疑似競技の性質」に考えが至り「ゲーム=競技」でゲームを説明
できる理論をつくりました。
G樣にはG樣の理論があるわけですよね。ただG樣理論には穴があって、それがつまり「コンピュー
ターソフト」だけ例外扱いすることです。そしてさらにおかしいことに、それについての説明がない。
コンピューターソフトを例外扱いしてよい理由が先にあって例外するのならともかく、その理由が
ないのに例外扱いするのはおかしいです。もしその理由が見つからないのなら当然「大衆が誤解している」
と考えるしかなくなるからです。
546 :
元230:2008/01/19(土) 04:01:11 ID:cXaLhTxx0
ちょっと目についたので違反を承知でこれだけ。
>>543 >>元230さんは、どうぶつの森を「遊び」と呼びましたが、コンピューターゲームはコンピューターを使ったゲームで説明したのに、
コンピューターが関わってるどうぶつの森からコンピューターを外してるのはどうしてでしょう。
だから俺が補完します
「どうぶつの森はコンピューターを使った遊びである」と。
かまいません。「どうぶつの森はコンピューターを使った遊びである」。全く異議ありません。
「どうぶつの森はコンピューターを使った『遊び』だが『ゲーム』ではない」が私の主張ですから。
今日はこれにて。
547 :
元230:2008/01/19(土) 04:02:14 ID:cXaLhTxx0
>>544 >>なお「質問」とは「?」がついた文章であると解釈します。
?抜きでも文意で質問だとこちらが判断すれば、返答します。
フィットネスゲームでよくね?
うーん
どの方向から考えるかの違いではないでしょうか?
1・G様は、競技だけでは説明がつかないコンピューターゲームがあり、それを大衆がゲームと認識してる。定義とは大衆が識別するものだし、という所からのスタート
2・元230さんは、辞書をひいても「ゲーム=競技」で「ゲーム=遊び」とは記されていない、今後「ゲーム=ひまつぶし」となる可能性だってある。
だったら言葉の意味を考えた場合、今はまだゲームとは競技の意である。
言葉の意味を勝手に造るのはおかしいから「ゲーム=競技」の方向から考えるのが妥当。(俺の推測です。違ってたらすみません。)
1も2もアプローチの仕方はおかしくないですね
?
はじめの方からよく読んでみたら、ちょっと違ってたかも(;^_^A
あと、G様の「コンピューターゲームとは競技性、または遊びの要素のあるソフトの事である」の「遊び」はカイヨワの遊び論のことなんですか?先に競技性がでてるから、たぶっちゃうから違うのか。
前に出た質問だったら、すみません
>>520-521 多分、前提とする君の視点の置きどころが答えの出ようとしないところにあるんでしょう。
答えが分からないならばまず、分からない原因を語るよりまず立脚点が間違っている事を
疑うものだ。
イデアというものは見出す見出せないという問題ではない。
ゲームという言葉に、事象の本質を表す何かは必ず含まれている。
例えば包括的にいえば(それはイデアではないが)、
「ゲームというものはその結果に対して何らかの(特定の)神経的な反応が起こるもの。」
とまあこういう感じだ。これは他の事象に対しても言えるからイデアではないが
この「何らかの」というのは人が出会った事象のインプットに対してかかる係数だね。
それに対する行動や反応がアウトプットなわけだが、
イデアというものはその係数の最大公約数だ。
552 :
元230:2008/01/19(土) 07:08:20 ID:cXaLhTxx0
ふわ……トイレに起きたところで、一言。
>>551 あなた、905さんじゃないのかな……。
>>521 >>なぜそういう状態なのかって言うと、ゲームというのは他の一般的な事物と異なり(他にもそのようなものが存在するとは思うが特殊性という事で)
ゲームでないものを取り込みゲームに変えていく事ができる。というかやってる。
ゲームでないものとはゲーム性のないもの(ゲーム性についてはとりあえず真理に近い概念で)
料理は食べられるものに食べられるものを組み合わせて変化する事はあっても、食えないものを取り入れて料理にする事はまずあり得ないし受け入れられないのに、
ゲームはゲームでないものまで取りこんで新しい類として構築していってしまう事物。
料理の場合は「段ボール肉まん」
ゲームの場合は「音楽ゲーム」
つまり、ゲームの発展性は他よりも大きいと考えられる。
発展性や変化の大きな事物をどの時点で定義するかっていうと、その変化が緩やかになった時や止まった時だろう。
でも今は動いてるのだから確定できない、つまり真理を定められない。
553 :
元230:2008/01/19(土) 07:11:37 ID:cXaLhTxx0
この521のG樣発言を見ても、G樣の「ゲーム」に対する勘定は多分に主観的・情緒的
で、ゲームを過大評価したいような気がしてならない。
「ゲーム=競技」という理論からすれば、ゲームがいろんなものを取り込めるのは、
大抵のものは「競争」にできるからである。例えば料理はゲームではないが、料理人が
同じ食材で同じ時間でどちらがおいしい料理をつくるかを第三者に判定してもらえば、
料理に競技性が追加されてゲームとなる(料理の鉄人)。料理に限らず、大抵のことは
複数の人数で争うことができるのでゲームとすることができる。ただそれだけのことである。
554 :
元230:2008/01/19(土) 07:15:03 ID:cXaLhTxx0
一人のときはどうするか。それはコンピューターに採点してもらってある基準
を越えれば「クリア」にすればいい(電車でgo)。これはもちろん「疑似」競技性
である。
このように「競技性」はいろんなものに追加することができる。むしろできないもの
を探す方が難しい。座禅だって、どちらがしびれずに長くいられるか、という競技性
を加えることができるし、医者だってどちらが患者を(自主規制)……。
要するに擬似競技性も含めた競技性というものは大抵のものに追加できるのでゲーム
がいろんなものを取り込んでいるだけなのだ。
555 :
元230:2008/01/19(土) 07:17:13 ID:cXaLhTxx0
つまり「ゲーム=競技」という本質から見れば、ゲームがいろんなものを取り込むのは
競技性をいろんなものに付加しているだけなのであって、別に「発展」というようなこと
ではないのだが、G樣はゲームの本質を「競技」と一応は認めていてもそれに徹底して
考えることができないために、このゲームの拡張をこんなふうに見る。
>>発展性や変化の大きな事物をどの時点で定義するかっていうと、その変化が緩やかになった時や止まった時だろう。
でも今は動いてるのだから確定できない、つまり真理を定められない。
これが間違いであることは、いうまでもない。
556 :
元230:2008/01/19(土) 07:18:18 ID:cXaLhTxx0
質問への返答は、また深夜にでも。今のは番外。では寝ます。
557 :
元230:2008/01/19(土) 07:19:32 ID:cXaLhTxx0
>>553 >>この521のG樣発言を見ても、G樣の「ゲーム」に対する勘定は多分に主観的・情緒的
「勘定」じゃない。感情。または認識。
元230さん
疑似競技性と各個人の主観違いはなんですか?同じではないのですか?
箱庭系のゲームソフトを例に出して教えて下さい。
なんとなくわかるような気もしますが…。
これだけアプローチの仕方が違ったら、議論は難しくないですか?
それぞれで答えをだすか、互いに相手の立場にたってあげて、意見を昇華していくしかなくないですか? 俺が浅はかなだけかもしれないけど…。
多分ですね、俺は馬鹿だからうまく説明できてないだけで、きちんと説明できる人なら「何を言ってんだおまえら、○○って事なんだよ」と俺にも元230にも納得できる事を言ってくれるのかもしれません。
だから◆7ZAJm/y1bQの論文や、それを裏付けるための証拠やデータが待ち遠しいわけです。
彼もこの話し合いに参加してましたからね。
>>544 またしてもあなたは勘違いというか取り違えしてますよ。
俺があなたに言ったのは、「先ず全部読んで下さい、次に質問事項に答えて下さい、その後はどういう方法でレスを返しても構いません」という事です。
順序立てすると
1.ここまでのこのスレの文章を全部読む
2.読んだなのらどこに質問箇所があるのかわかるはずなので、それについて答える
3.1と2が完了したならば全レスしようが、それを飛ばして参加しようが元230次第
という事です。
元230にストップをかけたのは、1をやったのか?という事を2で確認したいからなのです。
あなたはそれに対して「つまり今後はG様からの質問に答えるだけにしろという事ですね?」と解釈してますね?
違 い ま す !
要求の本意は
「全部読んで理解してください」
です。
>>544 だから、全部読んで質問箇所(あなたの言うように?が付いてる所を質問箇所、確認箇所と考えてもらって結構)に答えたら、
俺の意見を全部読んでくれたと俺は考えるので、以後、認識に相違点があればまた質問や確認をするだけなのです。
それならば、間のレスが抜けてようが構いません。
中には独り言のような文章もあるので全部に答えろとは言いませんし、そう忠告しないとあなたがついてこれないと考えたからです。
俺の言いたい事わかりますか?
それでも全レス返したいなら止めません。
ただ、あなたの進行速度は俺の1/10くらいなのでそれだと、自分でも認識してるようにどんどん離れていきます。
フェアじゃないので俺が「こういう方法で進めた方が良いのでは」とあなたに打診してるわけですよ。
俺は基本的に全レス返しますし、返せますので(荒らしに関しては例外)それと同じ事をあなたができるならそれでも構いません。
見た感じできそうもないので、やりやすい方法を提示してるのです。
ご理解いただけますか?
元230さん
俺なりに考えたのですが、元230さんの疑似競技性は個人それぞれで、同じゲームをしていても競技性があったり、なかったりする、あやふやなものじゃないんですか?
G様
いやいや、G様は柔軟な発想が出来る人だなぁと思います。
>>545 何度もそこに引っかかりますね。
「どうしてコンピューターソフトだけゲームの時には例外になるのか」
あなたは私に論理性を欠いてると言いますが、それは根拠がよくわからないからですよね?
例えば「音楽は音の集合体である」という音楽に関する定義を主張したとします。
それはつまり、多くの音楽を調べたら全てに「音」が存在した。だからその定義が可能だと判断した。
定義を導き出す方法として「最近類」による検証するという事です。
この場合、様々な音楽に共通する要素、似通ってる部分を集めていったら「音」があるのに気が付いた。
今度は音の無い音楽について検証してみたらみつからなかった。
これは「種差」で検証。
実は他にも何か必要なのですが、この定義でも音楽を説明する事はできるので定義として使えます。
その定義の正当性や適用範囲などには疑問が残りますが論理性は保たれてます。
音楽とは何か
→音楽について調べたら「音」という共通因子があった
→音の無い音楽を探したが見つからなかった
→ゆえに音楽とは音の集合体である
「AにはBという共通性がある、Bの存在しないAは無い、ゆえにAはBを含むものである(と推測可能)」
この一連の流れにどうして「論理性が無い」というのか俺には今のところよくわかりません。
俺が頭悪いからかもしれません。
それぞれを、ここでの主張に置き換えます。
「ゲームには競技性や遊びの要素という共通性がある。競技性や遊びの要素のないゲームは存在しない。ゆえにゲームは競技性や遊びの要素を含むモノである(と推測可能)」
これ間違ってますかね?元230さん。
これを元230さんの主張に合わせると
「ゲームには競技性という共通性がある。競技性のないゲームは存在しない。ゆえにゲームは競技性を含むモノである」
でもね、競技性のないゲームが存在してるのでこれはすぐに否定されてしまうんですよ。
元230もどうぶつの森がゲームという事で皆が認識してるとわかってるのですから。
それを違うと言うのは観測結果と推測に整合性が取れてないからでしょ?
でもそれって定義が間違ってるかもしれないじゃないですか。
元230はどうぶつの森をゲームではないと言ってます。
それは「ゲーム=競技」が絶対普遍のモノであるという仮定、前提がなければ言い切る事はできません。
数学や物理学の世界では、多くの場合それらが導き出されてます。
y=axという式が正しいという前提で様々な方程式が用いられたり、法則性や定理が考えられたりするわけです。
でもゲームはまだ変化段階なので本当にそうなのかわからない。
元230の考えとしては「もうゲームはゲームなんだから変わるわけがない」
これを一般的に「先入観」と呼ぶと思います。
物事の正確さを判断する場合、いや考察する場合、先入観は捨てなければなりません。
だって最初から「それが正しいんだ!」と考えてるならその物事の正確さなんて考えるまでもなく「正しい」で良いわけですよ。
疑わしいなら「太陽は明日も東から昇るかどうかわからない」になりますが、先入観が働いてる人は「太陽は絶対に東から昇るもんなんだよ。当たり前じゃないか」と言います。
もちろん太陽に関しては惑星の運動に関して明確な定義や法則があるので、そう言い切れますが、その定義や法則が覆される何かが見つかったらそれも言い切れなくなります。
(ほとんどありませんが、天動説→地動説のような概念の変化はあるので絶対ではないと思います)
何が言いたいかというと、元230には「ゲームとは競技である」という先入観があるために、どうぶつの森をゲームではないと区別しているという事です。
同様に一般の人達も「ゲームとは遊びの事だろう」という先入観でどうぶつの森を遊びとしてるのではないでしょうか?
そして後者を正しいと判断する人が多いからどうぶつの森はゲームとして定着してしまったのだと思います。
「定着してしまった」というのは元230からすれば「それはつまり本当は競技性がなければならないものをそう考えなかったからだ」と原因を推測すると思います。
でもこれも先入観から導き出される意見でしょう。
大勢側も先入観で物事を振り分け、230も先入観で振り分け。
まあ、先入観の事を「常識」と言い換えても良いですが、とにかく「そういうものなのだ」という概念の存在が物事を振り分けてるという事です。
じゃあ一般の人達はどういう概念でどうぶつの森を振り分けたのかというと「ゲームとは遊び」という概念でわけた事になります。
この概念が広く浸透しているから、競技性のないものもゲームと呼ばれるのでしょう。
ここで定義についての定義に戻りますと、
「集団において構成員が共通認識を抱くために定める概念のことである」
ではこの概念はどこから伝達されたのでしょう?
そもそもゲームとは競技のはずです。でも遊びと考えられてます。
ならばそれを何かがそう伝達したのだろうと推測できるわけです。
その原因を俺は「メディア」だと推測します。
メディアは大衆の考えを操作しやすく、大衆はメディアの影響を受けやすいからです。
元230はこの変化に気付いてないのか、変化を受け入れられないだけだと思います。
「変わるわけがない」という先入観がそうさせてるのでしょう。
でもゲームに関する概念は変化してると考えるのが妥当ではないでしょうか?
もちろん元230のゲームに関する概念は変化してません。
変化してるのはゲームという言葉を使う多くの人々の概念です。
何この一見さんお断りの雰囲気全開のスレ
俺はフィットネス体感ゲームだと思う
ゲームというものも変化してますが、そのゲームを捉える概念も変化しているのではないか、という主張ですね。これは。
>>549 いや、元230が競技性を考えるまでには何らかのアプローチはありましたが、元230はそれをすでに普遍の法則として決め込んでると思います。
普遍の法則ってのは絶対の法則で、つまり物事を説明するときに「Aというのは絶対にBなのだ」と言えるものです。
元230の意見にこれを当てはめると「ゲームとは絶対に競技の事なのだ」なのです。
「絶対に」が付いてるから、つまり競技じゃないゲームは存在しないという事でしょう。
「絶対」とはそういう事です。気分で変わるもんじゃないです。変わったら絶対じゃないでしょうし。
少なくともフィットネスではない
>>550 「遊び」については元230は多くを語りませんが、前にいた猫舌氏や◆7ZAJm/y1bQもカイヨワの論を遊びの定義として使ってますし、俺も異論はないので。
・競争:アゴン:スポーツ、チェス
・偶然:アレア:じゃんけん、くじ、サイコロ
・模擬:ミミクリ:人形遊び、演劇、ごっこ遊び
・眩暈:イリンクス:ジェットコースター、滑り台、スキー
多くのゲームにはこれらが含まれてると考えてます。俺は。
もちろん競技性しかないものもあるので、二つにわけて「競技性や遊びの要素があるもの」をゲームとして俺は定義しました。
競技性のみでも良いし、遊びのみでも良いし、両方含んでいても良いと。
このカイヨワの言う所の遊びは様々なコンピューターゲームに含まれてると思います。
競争はレースゲームがまさにそうですし、スポーツゲームの多くがそうでしょう。
対戦型のゲームは大半がこれです。
相手と競うのですから。
偶然はゲームのシステムに関わる部分です。
乱数発生させて変化を与えてます。
毎回同じ結果しか出ないなら飽きてしまいますし、学習してクリアが簡単になってしまいます。
ADVにはこの偶然の要素がほとんどないでしょう。
模擬はRPGやどうぶつの森やGTAがそのものですね。
リアルな格闘ゲームやリアル性の高いゲームはみんなこの類だと思います。
そして眩暈、これは例えばマリオがスターを取った時みたいな感じでしょうか。
ソニックが加速パネル踏んでグングンスピードを上げたり、車のゲームでニトロを噴射したり。
なんかそういう時って「気持ちいい」ですよね。
眩暈に関してはゲームクリエイターの水口氏が重視してるように「高揚感」とか「トランス性」のようなものでしょう。
爽快感というのが一般的かも。
スカッとできる要素があるゲームという事なので他にも色々あるかもしれませんね。
前の前スレあたりで俺はこれをうまくゲームに当てはめる事できずに元230の半ばいいなりのように「違うかも」と考えましたが今は違います。
ゲームにも「眩暈」の要素はあるでしょう。
つまり、ゲームには遊びの要素も多く含まれると考えたわけです。俺は。
様々なゲームがこういう「遊び」を含んでるので。
しかもそれコンピューターゲームに限定された事なのかな?という疑問まで感じてきてます。
しりとり遊びや、山手線ゲーム(これはどう見ても遊び)、鬼ごっこやかくれんぼには競技性があるのに「遊び」と呼ばれてます。
子供達は「遊ぼうよ」と言ってこれらの遊びをしますしね。
そこでふと思ったのですが「ゲームで遊ぼうよ」とも言いますよね?
もちろんコンピューターゲームの事ですが。
じゃあ、コンピューターゲームって遊びとして強く認識されてるんじゃないの?って思うわけです。
じゃあ本質的な意味での競技って何なの?ってね。
競技にも遊びが含まれたりするし、遊びにも競技が含まれたりするなら、
これらをどこで明確にわけてるのか(一般の人の事です)よくわかりません。
というか、皆よくわからないまま漠然と「競技」「遊び」と呼んでるのではないかと。
それならば「ゲームとは競技の事である」、も、「ゲームとは遊びの事である」も両立するんじゃないでしょうか?
というか明確な区別ができてないから、遊びの領域にゲームが浸食したりその逆があったりするんじゃないかと思うわけです。
これらの考察については俺の推測ですが、でも論理的整合性はあると思います。
>>551 そう。それを俺は物事を構成する様々なピラミッド構造の頂点をイデア、つまり本質、真理と呼んだ方がわかりやすいと思って説明してる。
他の事象に対しても言えたりするのは、そのピラミッド群がwikiのようなリンク形式で繋がってると仮定する事でうまく説明もできる。
まあwebって基本的にハイパーリンク構造だし、そんな感じ。
それと、もう一つ。
多くの種を含む類、はそれらをふるいにかけていくと、最大公約数的なものが必ず導き出されてくる。それが定義を求める方法の一つである「最近類」だと。
それが真理であるかどうかはともかく、その共通部分や法則性は真理にも必ず含まれていなければならないのではないだろうか。
でもゲームに関しては「競技」がその共通項の頂点かどうかはわからない。
他に存在するさまざまな因子の一つに過ぎないかもれしないからだ。
もし「競技」が真理に含まれるモノならば元230の意見は絶対的に正しいものになるはず。
>>553 その説明はわかりやすいですね。
非ゲームにゲーム性を与える事でゲームにする事ができる。
料理の場合は、食えないものに料理性を与えても料理にはならないです。
段ボール肉まんは料理ではなくゲテモノでしょう。
つまりこのゲーム性というのはゲームにとって必要な因子だと。
音楽ゲームと料理ゲームはゲーム性という共通性を持つが音楽と料理には共通性はあまり見あたらない(創造性というのはあるでしょうけど)
>>553 だからこの元230さんの意見にはきちんとした論理性があると思います。
ここでふと思いました。
対決は「バトル」ですよね。決闘もそう。
つまり「バトル」は「ゲーム」
基本的に1vs1はゲームというよりバトル、対決と呼ばれる気がします。
いかがでしょう?
もちろんゲームにはバトルも含まれるという解釈でも良いです。
>>553 やや脱線しましたが、
>>554を踏まえての確認事項です。
で、ゲームが料理や音楽と違って何かを融合させやすい類のものであるという点では、元230も認識してるわけです。
じゃあラーメンやパスタ料理の喩えはおかいしですよね?
だって料理はゲームのように何か加えたら食えないものを食えるようにするわけじゃないですから。
違いますか?
俺のこの発言の真意はそこにあります。
つまりあなたのラーメンの喩えは変じゃないの?と。
ゲームというのは云々って話はいつも出るけど
自分を縛ってる感じだねぇ。 もったいない。
貪欲に楽しまなきゃね。
>>554 「疑似競技性」の説明がきましたね。
コンピューターゲームにはプレイヤーという部分で大きくわけて二種類の形態がありますよね。
1人で遊ぶもの、と2人以上で遊ぶもの。
「遊びと言うな」と指摘されても困ります。「遊び=Play」なのでプレイすると言っても良いですが「競技する」、は2人以上でしか一般的に使えませんから。
「1人で競技する」って日本語はあまり普通は使わない。
1人でするのは「遊び」でしょう。
だからコンピューターゲームに1人で取り組んでいる様は「競技」と言うより「遊び」と説明した方がしっくりくるわけです。
人間の脳はそうやって振り分けを勝手にすしていくんだと思います。
>>554 じゃあ「疑似競技性」ってどこからきたの?となるわけです。
それに対してあなたは「ゲームブック」からインスパイアされたと言ってますが、
ゲームブックって与えられた選択肢を選んでいく、いわば「あみだくじ」のような「遊び」じゃないですか。
「あみだくじ」は大勢でやるのが一般的なのでそれを1人でする事を可能にしてるから「競技」と錯覚してませんか?
でも、あみだくじの展開は一方通行でプレイヤーのスキルも無関係です。
ギャンブルに近い遊び。カイヨワのいう所の「偶然」に相当する「遊び」ですよ。
しかもこれパターンが決まってるので、反復して遊ぼうとするとどんどん難易度が下がります。
まあ記憶力に依存する部分が大きいですが、紙に攻略チャート書いたりすれば間違いなく望んだ結末にたどり着くわけです。
>>554 これがマリオやゼビウスなら攻略チャートがあったからと言って誰もが望んだ結末にたどり着けるとは限りません。
サッカーや野球も同様。
つまり、ゲームブックは競技性も遊びの要素も乏しい「何だかよくわからないもの」なんです。本当は。
でもそんなものをあなたは「ゲーム」として認め受け入れて、それをゲームとして説明するために「疑似競技性」を思いついたと言ってる。
俺にはどうにもこれが理解できません。
2人以上で可能な遊びを1人で可能にしたからですか?
ゲームブックの結末はその手順さえわかれば誰がやっても同じではありませんか?
>>575 あっ、なるほどそういう意味でしたか。納得しました。
G様の意見で
本質的に競技ではあるが、遊びの要素を含むコンピューターソフトウェアの事も指す
の「遊び」の部分が辞書に記されている遊びと、カイヨワの遊び論の遊びと一見さんは誤解しやすいかもしれないですが、その辺をわかりやすくしたり、付け足したりすると尚、良くなると思いました。簡潔でそのままの方が誤解がなくいいと思うならそれでもいいですが。
カイヨワの遊び論から筋道立てて構成されているのですね。俺は理路整然と説明してると思いました。
コンピューターゲームに限定された事なのか?は付け焼き刃がばれるから、深く追及できません(;^_^A
あとは元230さんに質問したことを回収して終わります。
m(__)m
>>555 はい。
それはゲーム性=競技性(イコールは絶対である)という前提ですよね?
競技ってのはつまり誰かと競うわけですから対象が必要です。
マリオには競争相手がいませんから競技ではありません。
もしゲーム性が競技性と同一であれば、もうこの時点でマリオはドロップアウトです。
ゼビウスも同様です。
スコアを誰かと競うというならまあ競ってますが、プレイヤーが得られるスコアは自分の達成度のためにあるようなものであって基本的に競ってはいません。
(競う事が可能なシステムの一つと考えるべき)
ドラクエもそうです。
オフラインRPGなんてほとんど誰とも競ってません。
だから競技ではありません。
>>555 俺があなたの意見に共感できるのは
「ゲームでないものにもゲーム性を与えるとゲームになる」
この部分であって、ゲーム性=競技性とは限らないという主張は何も変わっていません。
そしてゲーム性に関する概念は今後も変化しうるものだと考えてます。
だって本当は競技だったものがもう競技でないものもゲーム性として取り入れてる可能性があるのですから。
競技って誰かと技を競うって事ですよね?
ゲームブックに技は必要ですか?
マリオには技必要ですが誰と競ってるんですか?1人で遊んでるんじゃないですか?
どちらにも「疑似競技性」に関する共通項が見つけられないので、もうちょっと詳しく説明していただけませんか?
>>555 >これが間違いであることは、いうまでもない。
それはあなたが「ゲームは絶対に競技である」という信念に基づいて判断してるだけでしょう。
「ゲームにはゲーム性がある」という部分のゲーム性とはつまりゲームの概念、共通認識ですからね。
絶対と言い切れないものは絶対にと言ってはいけないと思うので、ゲームとは天変地異が起ころうが何があろうが宇宙が消滅しようが絶対に競技だって事です。
ええとですね、あなたはゲームの変化を「競技性」という枠の中でのみの変化と言ってます。
でもゲーム性とはイコール競技性なのか俺はわからない。
あなたはそれを絶対視してるって事はそれが真理だと信じ切ってるわけです。もう宗教の世界です。
だから、ゲーム性の枠が変化してるなら変化だと思うのですよ、俺は。
あなたはゲーム性とは競技性の事であり、競技とは絶対普遍なものだからその範囲内での変化は競技として説明がつくと言いたいわけでしょ?
前提の是非を全く考慮してないからそういう変な論理になるんだと思います。
ここで整理します
・ゲームにはゲーム性が必要である(共通見解)
・ゲーム性について俺は「皆がそれをゲームとして認識する、させるための概念ではないか」と主張
・ゲーム性について元230は「ゲーム性とは絶対に競技性の事である」と主張
つまり、双方の意見の相違点はここですね。
元230→ゲームとは絶対に競技性のあるもの。
俺→ゲームとはゲーム性のあるもの。
ゲーム性とは、皆がそれをゲームだと認識する、させるための概念の事だという点について元230は、先入観や固定観念駆使して否定してるわけです。
でも、ゲームの定義ってのは、ゲームを知らない人にもゲームの事をきちんと説明し、一般社会で通用する言葉として使えなければ意味がないはずです。
これがつまり「認識させる"概念"」でしょう。
だとするならば、競技ではないのにゲームと呼ばれてる、ゼビウスやマリオやドラクエやどうぶつの森について、元230の定義ではゲームじゃないものとして説明する事になり、とても変なのですよ。
そこで「疑似競技性」とか出してきてますが、その考えの元になったゲームブックはゲームどころか「遊び」なのかさえも疑問な不思議な代物です。
まだ「マリオを見て思いついた」とか「ゼビウスにスコアがある事を見てそうじゃないかと考えた」の方がしっくりくる。
だからここでも確認したい。
どうしてゲームブックを通じて「疑似競技性」を思いついたのですか?
>>557 あのー、「感情」とか「認識」って基本的に主観的なものじゃないのですか?
「美希ちゃんの事好きだなぁ」と抱く感情は主観に依存しますよね?
「空は青く見える」という認識も主観依存ですよね?
だとするとおかしくないと思いますよ。
>>588 まあ、カイヨワの遊び論が正しいのかどうかまで考えていく必要もあるんですけどね。本当は。
だから、今後はそこに元230は突っ込んでくると思います。
元230が「遊び」についてどう定義してくるか、それが今後の注目事項です。
>>588 元230のロジックはこうです。
競技とは誰かと技を競い合う事
→1人では競技が成立しない
→ゲームブックは1人でやるものだから競技とは呼べない
→しかし目標を達成する事で1人でも競技になる(だろう、かもしれない)
→よってゲームブックは競技である
この「目標を達成する」って自分に課題を課すという事ですが、競技として成立させるためにはそれが何らかの方法で「強制」されなければならないはずです。
たとえばゲーム側から「○○しなさい、しなければゲームオーバー」のように。
ゲームブックは選択していかないと先に進まないのですからある意味強制されてます。
でも技は競い合ってない。スキル不要です。
だから課題は与えられてるけど、それでも競技にはならない。
俺はそう思います。
Fit買ったよ
フィットネス用として
>>588 さらに上の元230のロジックには穴があります。
目標を達成する事で1人でも競技になる←これは元230の推測であり絶対普遍のものであるとは限りません。
いわば俺の「ゲームには遊びの要素も含まれる」と大差ないでしょう。
その言葉、解釈を付け加える事で「競技」では説明できない既知のゲームに対応させようとしてるだけです。
そもそもその推測の源が既知のゲームである事を元230が認めてるのに、現時点で既知の「どうぶつの森」にそれが適用できてない事は認めてません。
つまり、「疑似競技性」という思いつきさえも絶対視してるのです。
自分でも既知の事実から導き出したのに、俺が同じように既知の事実から導き出した、より適用範囲の広い法則性は否定するなんて、わがまますぎでしょう。
アプローチ同じで結果が違うとしても、それが観測された事象にきちんとフィードバックできるなら、その方が有用性は高いはずです。
なのになぜそれを否定するかというと「根拠が不明瞭」と。
水は酸素と水素が電気的に結合したものである
という水に関する定義では、実際にそのように観測された事象から推測し定義づけしてるわけですよ。
例えば、実際に酸素と水素が入った容器で火を燃やせば水が出てきます。
それまで水が無だった所に突然出現するのですから因果関係があるはずだと推測できますしね。
更に酸素しか入ってなかったら燃やしても水ができませんし、ゆえにその定義がより確かなものになるわけです。
それに対して元230のスタンスは「どうして酸素と水素の容器に火をつけたりしたんだ?」なわけです。
どうしてって言われても、ニュートンはリンゴが落ちるの見てひらめいたとか逸話ありますし、
アルキメデスも風呂に入って思いついたとか、そんなの人それぞれですし、それは主観依存じゃないですか。
法則の発見なんてみんなそうでしょう。
99%の努力と1%のひらめきってエジソンも言ってますし。
どうしてひらめいたんだ、その根拠を述べよと言われても困りますよ。普通。
ここでまた元230に質問
ゲームにはゲーム性が必要、これには同意。
では、どうしてゲーム性が絶対的に競技性なのですか?
実際には競技ではないものもゲームと呼ばれてるのですから、競技性はゲームを構成する要素の一つに過ぎないと思うのですが?
ラーメンの例で言うと、ゲーム性とは「ラーメン丼に入ってるもの」みたいな状態としてしか競技では説明できないんじゃないですか?
麺が必要と言うが、競技性が麺に相当するのでしょうか?というのが俺の質問の真意ですね、ここでは。
その根拠を知りたい。
今度は私からあなたに同様の質問をぶつけてます。
まあ問題があるとしたらGがWiiFitをプレイしてないってことくらいだね☆
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>602 いい加減にして欲しいんだけど、12月以外も仕事してますから。
おまえだろ、毎日2ちゃんべったりでコピペ荒らしに精出してるのは。
ニートはいいな。暇で。
早く論文と証拠写真と客観的なデータ出しなさいよ。
論破されたまま敗走してんじゃねーよw
できないならもう来るなよ。
俺のスレだから、ここは。
よく考えたら俺はNGにされてるんだから問いかけても無駄なんだな。
まあ、全部見えてる人に言っておくが、ID:eqdJ3znC0は連日同じ文章をコピペしてこのスレを荒らしてるヤツだ。
昔は◆7ZAJm/y1bQを名乗ってたが俺が論破したらウギャー!と騒いで逃げ出して名無しになった。
で、あまりにもコピペ荒らしがウザいからNGにするぞと言ったら、逆に◆7ZAJm/y1bQが俺をNGにすると言ってきた。
俺の立てたスレにきて、俺をNGにするっていう異常さ見ればわかるが、ようするにこいつはキチガイだ。
しかも粘着質。
最近はコピペのペースが落ちてきたが、基本的にやってる事は同じ。
成長しない永遠のニートだな。
深夜、早朝、昼間、夜と平日休日問わず同じIDで全時間帯に出現してるし自分でもニートだと言ってる。
もうそろそろ出かけるんだけどとりあえず、
元230に「ゲームはなぜ競技なの?」という問いをした後少し考えてみた。
競技って、「誰かと競い合って勝敗をつける事」らしいので一般的に「試合をする」とか「勝負をする」とか「対決する」とか言われるものが競技なのかなと。
そう考えると、
マリオの試合をするとか、マリオの勝負をするとか明かに変。
ドラクエの試合をするとか、ドラクエの勝負をするも変。
それって、マリオやドラクエに競技性を付加して「対戦」や「スコアを競う」という事でマリオやドラクエに競技性があるとは言えないんじゃないかな。
「疑似競技性」っていう元230の受け取り方もやっぱり変。
課題を与えてもそれで何かと競い合わないと競技にならない気がする。
マリオではゲームシステムの何と競い合ってるのだろう。
ひたすらマップを進んでるのはマリオだけだし。
それならAIと競争するレースの方が競っているという感じはする。
つまりコンピューターゲームに関して「競技」と呼べるのは、AIまたは人と対戦するゲームに限定されるんじゃないかというのが俺の推測。
人と対戦しないアドベンチャーゲームに一体どんな競技性があるのだろう・・・・
というか、誰と競ってるという言い訳をすべきなのだろう・・・・
それならまだ「遊び」と呼ばれてる、鬼ごっこ、かくれんぼ、しりとり遊びの方が競技性あると思う。
じゃあ、「競技性」って一体どんな概念?
と疑問をいっぱい出した所でこれにてサラバ。
続きは月曜の夜かな。
元230さん
>>558と
>>562は
スルーでお願いします。俺の読解力不足でした
元230さんは
基本的には箱庭系はゲームじゃなく、あえて考察し可能性があるとすれば、というと考えから疑似競技性がでてきた、ということですよね?
何であえて矛盾させることするんだろと思ったら、そういうことのような気がしてきました?すみません。
いろいろな可能性を模索してる途中で、一見さんが茶化すのは良くなかったです。
少ししか理解いてない俺は
もし「ゲーム=競技」と仮定するなら、箱庭系は前スレ905さんの「箱庭シミュレーション」がしっくりくるなと思いました。
スレ汚しすみませんでした。
608 :
前スレ905:2008/01/19(土) 21:30:06 ID:eYUs6Yeb0
2日ほど新年会でこなかったら、レス数こんなに進んでるw
しかも、内容は全然進んでないwww
>G
お前、意見を簡潔に纏めろ。
字数は多いが、言っている事は「皆がゲームって言ってるから、ゲームなの!」という所から全く進歩していない。
良くいるよね。自分の意見に自分で酔っちゃって、脳内のまま書きなぐるヤツw
元230には「全部読め」と押し付けているが、少しは「読んでもらう」為の努力をしろ。
609 :
前スレ905:2008/01/19(土) 21:33:59 ID:eYUs6Yeb0
しかも笑えるのが、
>437 では
>あなたは都合に応じてコンピューターゲームと本質的ゲームの世界を行ったり来たりしてますが、
>俺は本質的なゲームについてはもうあなたと話し合う必要はないと思ってます。
と言っておきながら
>606 では
>じゃあ、「競技性」って一体どんな概念?
と、訳の分からない事を言い出す始末w
人の言った事を理解していないだけじゃなく、自分の発言さえも理解出来ていないんじゃないの?www
あぁ、必死なんだなぁ、と失笑してしまいますがwww
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>608-609 それが彼の精一杯なんだよw 責めてやるなよw
また来なくなるかもしれないだろ。生暖かく見守っていこうぜ。
>>609 問題はさ。元230とGが同一人物の自演っていう可能性が高かったことなんだよ。
2回線でアクセスしてるって話だからね。
613 :
元230:2008/01/20(日) 03:11:54 ID:+sRmY0q10
(1)
順番という約束をしたんだけれども、とても面白い文章があったので特別に取り上げる。
>>563 >>例えば「音楽は音の集合体である」という音楽に関する定義を主張したとします。
それはつまり、多くの音楽を調べたら全てに「音」が存在した。だからその定義が可能だと判断した。
定義を導き出す方法として「最近類」による検証するという事です。
この場合、様々な音楽に共通する要素、似通ってる部分を集めていったら「音」があるのに気が付いた。
>>今度は音の無い音楽について検証してみたらみつからなかった。
これは「種差」で検証。
G樣はジョン=ケージの「4分33秒」を知らないらしいね。これは何かというと、全く音がない音楽作品なのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%88%8633%E7%A7%92 さてこのように全く音がないものが堂々と「音楽」としてwikiに紹介されている。驚いたことにこの曲のCD(笑)も存在する
そうなのだ。これどうします?(笑)
614 :
元230:2008/01/20(日) 03:12:58 ID:+sRmY0q10
(2)
音楽の定義は「音の集合体」でいいと思う。もっとも「楽器もしくは楽器に準ずるものによって出される音」みたいな注釈が
いると思うけど(じゃないと工事現場の騒音も「音楽」になるので)。
参考までに「大辞林」では
・音による芸術。時間の進行の中で、一定の法則に基づいた音を組み合わせて、人の聴覚に訴える美を表現する。
とある(「芸術」と書いて「騒音」を避けている)。とにもかくにも、「音」がないと困るわけだ。
だがその例外が「4分33秒」なのである。私なら「こんなものは音楽ではない。音楽だと思われていようが、音楽ではない」
と切り捨てて終わりなのだが、G樣理論だとこういうものにも「追加項目」が必要なはずだ。想像するに、こんな追加項目
かな?
・ジョン=ケージのような専門の作曲家が「音楽作品だ」と明言すれば、音のないものも「音楽」とみなす。
まぁ、どう考えてもおかしい(笑)。やっぱり「例外」になってしまう。ちょうど「コンピューターソフト」だけ例外扱いするのと同じ
矛盾が起きる。
615 :
元230:2008/01/20(日) 03:14:05 ID:+sRmY0q10
(3)
繰り返すと私個人はこれは「作品」(というか「思いつき」)ではあっても「音楽作品」とは呼べないものだと思っている。だが
そんなことをここで述べたいわけじゃない。ここで言いたいのはこのような「音がない」という明らかに音楽の定義に反するよう
なものですら、「音楽作品」という「共通認識」をもたれてしまうってことね。
なぜか? そりゃケージがれっきとした作曲家だから。よ〜するに音楽について権威があるから、その作曲家が「音のない
音楽作品をつくった」って言えば、「音楽」ってことになっちゃう。これが「そんなもの音楽じゃねーよ、タコ」と言われまくって
作者も訂正せざるを得なかったとか言うのならともかく、結局今日まで「音楽作品」ってことで認識されちゃってるわけ。
「音のない音楽」という、「麺のない麺類」に匹敵するほどの矛盾したものが、堂々と認識されている。これはかなりおかしな
ことだ。だが「実際にそう認識されている」。
616 :
元230:2008/01/20(日) 03:14:56 ID:+sRmY0q10
(4)
G樣がものすごくありがたがる「共通認識」なんて、実はこんなものでしかないという一面もある。だから「共通認識」は参考
になるけど、絶対化はいけない」とさんざん言っているわけ。それなのに「共通認識がそうである以上、何かがある」とG樣流
に考えて、それを無理矢理「音楽の定義」に盛り込もうとすると、意味がない矛盾したものになってしまう。
音楽とは音の集合体であるなんてことは、「ゲームの本質は競技」なんて比べ物にならないぐらい「自明」のことだと思う。
その音楽ですら「作曲者が『音楽作品』と言えば音がなくても音楽と認識されてしまう」のだから、天下の任天堂が「ゲーム」
として売り出せば、ゲーム性なんてなくったってゲームと思われてしまうのも、無理ないことだと思う。ましてや、大衆はそれ
がゲームかどうかなんて「判断していない」(905氏)わけだから。
617 :
元230:2008/01/20(日) 03:15:32 ID:+sRmY0q10
(5)
つまり
・共通認識がそうだから
・世間では「ゲーム」と思われているから
・wikiにそう書いてあるから
だからそれも「ゲームとは何か」の定義に押し込めなければならないのかと言えば、そんなことはないってこと。もちろん無理
なく押し込められる理論ができるのなら別だけど。
「コンピューターソフト」だけは遊びでもゲームだみたいな追加定義は「作曲家がそういえば、音がなくても音楽」と言ってる
のと同じぐらい意味がない定義であると思う。
「4分33秒」が「音楽」と認識されている事実があるにもかかわらず、大辞林はじめいろんな辞書には「音楽とは音による
芸術」とあるのが普通で、変な例外的「追加定義」など存在しない。なぜか? そんなものは無視してよいからである。
618 :
元230:2008/01/20(日) 03:16:41 ID:+sRmY0q10
(6)
ゲームの場合でも、戦史再現型ウォーゲームやどうぶつの森みたいに、明らかにゲームではないものが現在「ゲーム」として
認識されている。だから無理矢理それらを含めた「ゲームとは何か」という定義をつくらなければならないということ自体、
この例でみるように見当違いである。当然それらを除外した「定義」をつくらなければならない。なぜかってそれは、本当は
それらはゲームではないからである。どんなにそう認識されていようと。
いつかは認識が定義によって改められ、戦史再現型ウォーゲームは「戦史再現キット」(仮称)に、どうぶつの森は「架空の
森のほのぼの生活シミュレーション」だと認識されるようになれば、それこそ「定義がみんなの役にたった」ことになるのである。
よくG樣は種差がどうのこうの、定義というものはどうのこうの……と講釈されるのだが、「共通認識」にこのような矛盾があるわ
けだし、一部の共通認識なんか平然と切り捨てている定義が存在することをどう説明するのだろうか?
619 :
元230:2008/01/20(日) 03:17:16 ID:+sRmY0q10
(7)
定義を決めるにあたっては、とりあげるべき共通認識と切り捨てる共通認識とがあることを知らなければならない。その判断
は当然「人間」(定義を考える人)が下すのだが、G樣はそういう判断は「神ではない限りできない」と考えてしまうので、結局
大衆の誤解(または作曲家の屁理屈)に引きずられた矛盾した「追加定義」を考えて「これでうまく説明できる」と満足して
しまっているのである。
620 :
元230:2008/01/20(日) 03:18:38 ID:+sRmY0q10
(8)
>>元230さん
>>558と
>>562は
スルーでお願いします。俺の読解力不足でした
よくわからないけど(笑)、とにかくそういうことなら返答はやめておきます。
621 :
元230:2008/01/20(日) 03:26:49 ID:+sRmY0q10
>>192 >>理解というのは「真理を理解」という事ですよね?ゲームの本質の理解と置き換えても構いません。
ではあなたは真理にどれだけ近づいてると思いますか?
ゲーム=競技という本質と疑似競技性で世の中のゲームは無理なく説明できるので、ゲームとは何かの
本質からゲーム全体を包括的に説明できる理論ができた(そんなに大したもんじゃないけど)と思って
います。
622 :
元230:2008/01/20(日) 03:30:47 ID:+sRmY0q10
>>198 >>皆がラーメンと言うものを皆がラーメンとして分類するのは別におかしくないでしょ?
違いますか?
>>では誰がラーメンについて決めるのでしょう?
というか基準は皆で作ってるのだから皆に合わせないと変だと思いますよ。
やはり共通認識絶対主義。
「4分33秒」で述べたように、必要な(考慮すべき)共通認識もあれば、切り捨てていい
ものもある。例えば「4分33秒」がなぜ音楽なのか、と聞かれてケージが返事をしたこと
など、ほとんど屁理屈としか思えない(そんなことで「音楽」なら、我々の日常はほとん
どすべて音楽である)。そういうものは、たとえ世間が「音楽」と認めていても、切り捨てて
よろしい。じゃないと包括的な矛盾ない定義など、できない。
音楽なんて心に響くかどうかが全て、ゲームなんて楽しいかどうかが全てで
認識とか定義なんてど〜でもいい。
またスレ番がすっ飛んでるw どうしていつも20以上すっ飛ぶんだw
元230さんは「ゲーム=競技」を本質とし定義して
「音の無い音楽」を例にだしてます。
元230さんの理論だとこれは音楽じゃないと言っておいて
疑似競技性という追加項目をだして、「音の無い音楽」(競技性のないゲーム)を音楽(ゲーム)にしようとしてる、矛盾してるし、定義されてないですよね?
疑似競技性は切り捨ててシミュレーションなりにし、徹底して競技性のないものは、前スレ905さんみたいにゲームじゃないと言わなければ筋が通らないと思う
ゲームソフトと呼ばれているものは面白いかが重要です
ゲームソフトの将棋、チェスだって偶然で様々な手を打ってくる
偶然がないなら、パターンにはまれば終わり、面白くないですよね。
つまり基本的に売りたいから面白く作るですよね?
まとめると、ゲームソフトは競技だけでなく、偶然、眩暈、模倣も重要てことです。
レアアイテムを手にいれる偶然を本質として作ったソフト(むしろ本編がおまけみたいな)、模倣を本質として作ったソフト(どうぶつの森)
つまり、「大衆がゲームソフトと呼ぶ物」を定義する時は本質的属性を明らかにしなくちゃいけないから、競技だけピックアップするのはどう考えてもおかしいんです。
ゲームソフトの場合、遊び(競技、偶然、眩暈、模倣)が本質ですから。
627 :
元230:2008/01/20(日) 15:51:05 ID:+sRmY0q10
>>625 >>疑似競技性という追加項目をだして、「音の無い音楽」(競技性のないゲーム)を音楽(ゲーム)にしようとしてる、矛盾してるし、定義されてないですよね?
疑似競技性というのは何とか一人で競技的なことをしようという要素なんです。だから切り捨てる必要は
ないと思います。ただ、疑似的競技性すらないものは、ゲームとして認めるわけには行きません。
でも区別はあってもいいと思いますよ。というか競技性と「疑似」競技性の区別がつかないから、
ゲームとは何かという理論ができなかったわけです。つまり我々が「ゲーム」と言っているものは、
二種類に大別できるということですね。
628 :
元230:2008/01/20(日) 15:51:41 ID:+sRmY0q10
で、「疑似」の方は、「ゲームではない」とまで言わなくていいが、「準ゲーム」みたいな言い方を
してもいいでしょう。「ジャンケンはドラクエより『ゲーム性が上』」というふうにも書きました。
マリオ・ゼルダ・ドラクエなどのテレビゲームの大半は「疑似的競技性」しかもたない「準ゲーム」です。
対戦すれば完全な競技性を持ちますから「ゲーム」です。将棋とかですね。
一人モードだと「準ゲーム」、対等な立場で対戦すれば「ゲーム」であるものはいくらでもあります。
629 :
元230:2008/01/20(日) 16:01:42 ID:+sRmY0q10
というか、「ゲーム=競技」である以上、「疑似競技性」を切り捨てては逆に困るんです。
つまり疑似競技性があるということを「ゲーム」という言葉で表現できるわけですから、
それをしなくなってしまうと疑似競技性がないものと区別ができなくなります。
競技性があるかないかの区別はすべきだと思います。よくこういう人がいませんか?
「ゲーマーからみたら失望する」みたいなことを言う人。どうぶつの森でも、そういう観点から
文句を言っている批評がmkにありました。
私はこれはもっともな文句だと思うんです。ゲームと言われたらゲーム性があるものだと
思ってしまう。が、どうぶつにはクリア概念がないんだから、「なんだこれ?」ってことに
なる人もいる。
だから疑似であっても競技性を認めて競技性のあるなしで「ゲーム」「非ゲーム」と分ける
ことは必要です。「ゲームじゃない」となれば、ゲーマーから見れば失望という人がそもそも
おかしいんだということになるわけですから。
630 :
元230:2008/01/20(日) 16:13:46 ID:+sRmY0q10
今さっとmkから拾ったんですが、ある人のどうぶつ評で「短所」のところに
・ゲームはクリアしてナンボ、の人は、ただマッタリするだけなので張り合いが無い。
とあり、
・色んなレビューや、知人が褒めるので買ってみたが、いざやってみると満足感無し。
マッタリ暮らせる人には向くが、クリアに向かってガンガンやり込む人には向かないと感じました。
とあります。この人の感想を「ゲーム=競技」の観点から説明すると、要するにこの人はどうぶつに
「ゲーム性(競技性)」を期待して見事に裏切られたと解釈できるわけです。
これはこの人のせいではありません。この人は悪くない。どうぶつを区別なしに「ゲーム」と呼んで
いる現状がおかしいんです。どうぶつの森を『ゲームじゃない』と言っておけば、こういう期待も
必要ないわけで、自分は「ゲーム」が好きだから(疑似競技性がある)ゲームをやろう、ということ
になるでしょう。
元230さん
「どうぶつの森」は確かにゲームっぽくないですよね。やはり競技性がないからですかね。
例えば、アフリカを舞台にし、リアルなライオンを主人公にして、草原を走り回り、腹が減れば猟をしたり、ハンターの攻撃をかわし倒す(眩暈の要素を強くして面白くする)、てのはユーザーもゲームとしてみるんじゃないんですか?
??
猟をし腹を満たさないといけないところは「疑似競技性」が当てはまりますか?
マリオ、ドラクエなどのクリアの概念あるソフトはわかるのですが。
俺の想像したソフトで分かりづらいかもしれないけど、元230さんの考えに興味があります。
G様のレスで大変そうですが、返事ください。俺も必ず返します。
人並み以下の頭脳しかない男性ほど、自分は知能が高いと信じる傾向にある
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51116103.html 122 :小学生(樺太):2008/01/18(金) 10:28:56.30 ID:H1KBEjuEO
批判されて過剰な反応するのは明らかに知能が低い。
88 :図書係り(アラバマ州):2008/01/18(金) 10:13:06.62 ID:auiz1J/Y0
他人こき下ろして自信満々のレスしておきながら
論破されるような奴が後を絶たないのはこれと関係があるのか
124 :党首(埼玉県):2008/01/18(金) 10:30:14.76 ID:NlDa8P9U0
頭の良い人のその多くは、やはり同じように頭の良い人たちが集まる学校へ行き
頭の良い人たちが多数存在する会社に勤める可能性が高く
頭の良い人は頭の良い人たちと関わる機会を頻繁に持つため
自分の知的レベルを高く見積もり過ぎることが少ないのだろうと考える
なぜなら頭の良い人のそのほとんどは、経験において否応にも上には上がいることを思い知るだろうから
逆に、頭の悪い人のその多くは、やはり同じように頭の悪い人たちが集まる学校へ行き
頭の悪い人たちが多数存在する会社に勤める可能性が高く
頭の悪い人は頭の悪い人たちと関わる機会を頻繁に持つため
自分の知的レベルを高く見積もり過ぎてしまう傾向にあるのだろうと考える
なぜなら頭の悪い人の多くは、自分よりも頭の良い人がこの世に存在することを知る機会にあまり恵まれていないだろうから
122 :小学生(樺太):2008/01/18(金) 10:28:56.30 ID:H1KBEjuEO
批判されて過剰な反応するのは明らかに知能が低い。
批判されたとたんに、1スレで400レスも連投した人がいましたねw
なるほど、◆7ZAJm/y1bQは自分の事を知能が高いとか学問をしっかり学んだとか言ってたが、それは自分の知能が低かったという事か。
しかも批判された凄まじい勢いでコピペ連投。
まぁ俺は馬鹿だからどうでもいい話だが、と、旅行から帰ってきて疲れてるんで今日はサクサクと。
今日は楽しいレスしちゃうよ♪
>>608 適宜「まとめ」とか「整理」してるんだけどな。
全然読んでないのか、読む能力が無いのかよく知らんけど、読んでないなら俺のレスにケチつけんなよなw
あとwが多すぎ。
wの多いヤツほど必死と言われてるのに何やってんだか。
譲歩したりすればすぐに終わるような話題だろ。このスレ。
>>609 まあ、俺は議論してるつもりもディベートしてるつもりもないからな。
要するにWiiFitがフィットネス機器なのかゲームソフトなのかハッキリすればよいだけ。
このスレの大半が納得できる結末に向かって現在進行中。
ま、流れ読めてないくらいだから君はハッキリ言ってどうでもいい存在。
多分この中では◆7ZAJm/y1bQに次いで存在理由不明。
Gは別に自分が頭いいとは主張してないんじゃないか?
もちろんだからって400レス連投はどうかと思うがね
「マトモに相手しても無駄だと思え」と主張したいならそう書けばいいのにな
まあ自演も含めて本人楽しいのだろうから、勝手に隔離スレ化してくれてりゃいいんだが
仮定ですが
ゲームとは、本質は競技(じゃんけんなど)ですが、コンピューターソフトに遊びが加わった場合、ゲーム(ゲームソフト)になる
理由
ゲームソフトメーカーはコンピューターソフト(商品なので)を面白く作り、利益を上げようと努力する。面白さに重点をおいて分析し概念を遊び(競技、偶然、模倣、眩暈)としました。
デメリット
概念を遊びにしたので、範囲が広い?
遊び(競技、偶然、模倣、眩暈)のあるコンピューターソフトは全部ゲームソフトなのか、少し範囲を限定させる必要があるのか?
元230さんは競技を概念にしてるので、すっきりしてる。(疑似)競技性で、ほとんど説明出来る。
>>613 今日はちと疲れてるんで全レスするつもりないのでご了承を。
つまり、あなたの意見を要約するとこんな感じですね?
音の無い音楽があるのだから、麺の無いラーメンがあるかもしれない、同様に競技性の無いゲームもあるだろうが、
それらはあくまでも例外であり、音楽には音があり、ラーメンには麺があり、ゲームには競技性がある。
俺が音楽について「音の集合体」と仮に定義したのはつまり「音がある」というだけでは音楽の定義として不十分ではないか?
という例を示すためだったので、あなたからも同様の見解がいただけて助かります。
ノイズだって音の集合体だし、無音の音楽もあると俺は述べましたしね。
要するに重要なのは「音楽に必要なのは音というよりも『音楽性』」という事。
本質的なゲームには「競技性」が必要というのと同じで、たとえば「スコアが必要」とか「勝敗が必要」とか個別の要素というよりも全体としての概念、つまり「競技性」がゲームの必須事項でありすなわち定義であると。
もう一つ、元230のスタンスがほぼハッキリしました。
・ゲームというのは誰が何を言おうが競技の事である
もうこれは譲れないらしい。
というかこういう発言はもはや宗教の世界です。
誰が何を言おうがゲームは競技なんだ、それ以外はあり得ない!ですからね。
ここまで頭が固いとは思わなかった。
でもおかげで俺は変化できた。
なんかね、旅行でリフレッシュしたせいか今日はちと違う。
数百レスの中にまとめが少々混じってたって目に入るかい
そういうのはまずまとまってから書き込むもんだろ
呼んでもらうための努力ってのはそういうもんだ。それが欠けてると批判されてんだよ
Gがやってるのは、あらゆる手を使ってでも読んでもらわないための努力だよ
>>641 競技性という言葉をもうちょっと突き詰めて考えた方がよいな。
要は多人数で競うタイプではないものは全てゲームじゃないと言ってるのならば
全ての一人用ゲームはゲームではないとなってしまう。
ええとですね、爆弾発言しちゃいます!
ここまでWiiFitはフィットネスをするゲームと主張してきましたが、それをご破算にします。
今は「わからない」です。
なぜか、それをちょちょいのちょいと説明します。
長くなるかもしれんけど、面倒なら明日書くかな。
ゲームに必要なのは競技性というのは、いわゆる本質的なゲーム。
たとえば野球とかサッカーとか将棋とか。
そのほとんど全て?は誰かと競うものです。
だから競技なんですね。
ただ、その競うのに運だけじゃダメなんですね。
運だけで競うのは遊びやギャンブルになる(これ地味に意味深です)
よって元230の言う、ゲームとは競技というのは本質的なゲームにはビンゴで当てはまります。
だから俺はずっと否定してませんし、ちょっと疑問に感じてますがまあいいです。とりあえず。
自己解決したのでw
さて、問題なのはここ
「コンピューターゲームとはコンピューターでやるゲーム、つまり競技の事ですよ」という元230の意見です。
俺がずっと気になってた部分。
いや、そうなんだろうな、と漠然に考えてましたが原因はここです。発見しちゃいました。
「コンピューターゲーム」にはゲームという名称ついてるけど本当に競技なの?と
上で述べてますが代替する言葉がなくてとりあえず、その当時近い要素のものをくっつけた「造語」なんじゃないかなって。
その根拠として、現実問題、広く浸透してるコンピューターゲームは厳密に言うと競技じゃない。
これは元230も認めてる。
そしてゲームに必要なのが競技性だとして、コンピューターゲームがコンピューターでやるゲームなら同様に『競技性」が必要なはず。
ところがマリオにもドラクエにもゼビウスにも、何というかかなりの数のゲームが競技と呼べないんですよ。
もうここまで来ると競技と呼ぶのには無理がある。
じゃあコンピューターゲームがコンピューターでやるゲームじゃないなら何なの?と思うわけですが、
俺は上で「コンピューターでやる遊び」としました。
でもこれもなんか変だ。
だってゲームには競技性が必要なのに、コンピューターゲームが遊びなら「遊び性」っていう聞き慣れない概念が必要になってくる。
なんか変。
そこでこう置き換えてみる
あのな、G、おまえ自分が並べ立ててる言葉の羅列に
ちょっとでも自分なりの主張を込めて他者に訴えかけてるつもりがあるなら
数百レスの御託はいいから、「つまりはこういうことなんだよ!」ってのを
ビシッとこの新参の俺にもわかり易いように1レスで提示してみろ
明日また覗きに来るからその時に安価つけて俺をその1レスに誘導してみろ
それができたらその内容に関して俺は真面目にレス返してやる
できないorやる気も無いなら、いったいおまえは今まで6000レスも使って
何をほざき続けてきてそしてこれからもほざき続けるつもりだよアホか、って事になんだろ
いいか、1レスだ。おまえの御旗を掲げてみせろ
できなきゃおまえは問題外だ。少なくとも俺にとってな
コンピューターゲームとはコンピューターでやる「娯楽」である
コンピューターゲームは本来人間がプレーヤーであるところを
CPUに擬似的に人間らしい挙動をさせる事が出きるので、
一人用であっても「ゲーム」と呼ばれてきた。
一人遊びでもゲームはゲームであって、
「ゲームは多人数でプレイするべき」という前提は崩れる。
では、何がゲームをゲームたらしめる最低条件なのか・・・というと、
・ルールがあると
・目標があること
・インタラクティブ性があること
これくらいだと思う。
ぶつ森がゲームっぽくないというのは、この中で「ルール」「目標」が
当初明確にされていないという点かと。
では、WiiFitはどうかというと、ルールも目標もインタラクティブ性も全て備えていますよね。
よってWiiFitはゲームと呼ぶことができる。
「娯楽」って何でしょう?
辞書調べても詳しくでてませんが語源であるエンターテインメントとは
映画 音楽 演劇 サーカス 落語・漫才 スポーツ 読書 ゲーム 舞踏 手品 テレビ 遊園地
ね?凄いでしょ?
何がって、全部コンピューターゲームで出てるゲームに当てはまるじゃないですかw
エンターテインメントの項目にある「ゲーム」とはいわゆる本質的なゲームの事だと思うんですよ。
カードゲームやボードゲーム、チェスなど。
映画はアドベンチャーゲームですね。
音楽は音ゲー、リズムアクションゲーム。
演劇はロールプレイングゲーム。
サーカスはソニックがまさにそんな感じ。
落語・漫才はバカゲーの類です。
読書はテキストアドベンチャー、弟切草とか。
スポーツはパワプロとかウイイレ。
ゲームは将棋ゲーム。
こんな感じで様々な「娯楽」がコンピューターでやると「コンピューターゲーム」と呼ばれてるわけです。
モータースポーツだって娯楽ですし、パチンコのようなギャンブルも娯楽。
ミュージカルだって娯楽「スペースチャンネル5」なんてミュージカルのゲームですし。
そうやって様々な娯楽がコンピューターゲーム化されてる事考えると競技というよりも遊びというよりもしっくりくる。
そして、それらコンピューターゲームに必要なのは「競技性」ではなく「娯楽性」なのではないか?と
で、コンピューターゲームが娯楽の事であるとすると、元230のいう「暇つぶし」にも共感が持てる。
あまり重要ではないとか、息抜きとかまさにコンピューターゲームに対する考え方と一致するわけです。
しかし、それだとこのスレ的に、いや、今までの俺の発言にある問題が生じます。
仮にコンピューターゲームを「娯楽」とした場合ねWiiFitは果たして「娯楽」なのだろうか?と。
いや、元230が言うように「ゲームとは競技」で良ければWiiFitはゲームなんですよ。
バランスゲームにも有酸素にも筋トレにも競技性があるのですから。
しかし「娯楽性」があるかというとよくわからない。
あるかもしれないので今夜じっくり考えてみます。
とにかく、コンピューターゲームはコンピューターでやる競技というよりも「コンピューターでやる娯楽」というのが今の俺の主張です。
勝手に変更。
上で単発名無しが色々ごちゃごちゃ言ってるけど名無しはどうでもいい。
すぐ消えるし。
相手して欲しいならコテ必須なのでね。
あとで暇があったらレス入れるけど今日はもう寝る。疲れた。
>>相手して欲しいならコテ必須なのでね。
バカ自白wwwwwwwwwww
追記
元230は遊びと競技は違うみたいな事言ってたけど、「娯楽」では括れます。
マリオにもドラクエにもどうぶつの森にも適用できるし、「競技または遊びの要素」と長くするより単に「娯楽性のある」とした方が簡潔です。
まあ、そんな感じなので元230の意見待ってますわ。
もうちょっと書くかもしれないけど多分今度こそ寝る。
つまり、元230の意見を支持すると「WiiFitはゲームである」になる。
「コンピューターゲームとは娯楽」を支持すると「WiiFitはフィットネス機器?」という感じ。
俺が今までの主張を維持するためにはWiiFitに娯楽性があるのか検証しないといけない。
あと元230が娯楽について突っ込んできたらまた返さないと。
という事であたらしい局面に入りましたよ、と。
宿題できたし(つ∀-)オヤスミー
あ、そうそう「娯楽」とは「多くの人々を楽しませることをその主題とする、文化的な物、活動」の事。
恒例のおやすみ詐欺失礼w
ゲームかどうかなんて人それぞれだろ。
娯楽に一貫性の定義なんてあって無いようなもんだしさ。
ゲームと思えばゲームだし、修業だと思えばフィットネスだよ。
WiiFitは「フィットネスをゲーム化しようとするもの」じゃないのか
「ゲーム化」が成功するかしないかは受け手、プレイヤー次第だろうけどね
(;´ρ`)イマオキタヨ。
元230は多分「どうしてコンピューターが関わると競技→娯楽になるのだ?」と聞いてくると思うのでそれに対する考察。
コンピューターゲームの第一号と思われるのは1946年のコンピューターと対戦するピンポンゲームらしい。
1950年代になると、コンピューターと対戦する三目並べ、テニスゲームが作られた。
その後70年代に元祖ゲーム機オデッセイが登場。これまたテニスゲーム。
アタリのポンもピンポンゲームでこれが大ヒット。
と、コンピューターゲームが広く伝わる間に作られたものはどれも本質的な競技性を持つゲームだった。
しかし、コンピューターの表現力が拡大したのと、乱数を積極的に取り入れるようになった事、更に高度なプログラムを組み込めるようになったために、
「ブロック崩し」→「インベーダー」→「パックマン」と急速に進化していった。
本来ならもうブロック崩し(ブレイクアウト)が出た時点でゲームについて考察すべきだったのだろうが、なにしろ進化が速い。
一般の認知としてはピンポンゲームがコンピューターでできるからコンピューターゲームであったはずが、いつの間にか、コンピューターでやる「遊び」に変わってきた。
更に表現力が向上し、処理能力が上がった事でついにはコンピューター上に仮想空間を作れるようになった。つまりコンピューターの進化に人間の認知が追従してこなかったのではないかという推測。
今日の考察はここまで。
仮想現実の考察もしてあるのでまた今度。
ヒントは「お化け屋敷」
ちなみに「スポーツ」は「娯楽性」と「競技性」の二つの面を持つものだと思う。
あと、シミュレーションは「ごっこ遊び」の類。
カイヨワの言う所の模倣、模擬だろう。
だから、電車ごっこ→電車でGO、戦争ごっこ→FPSやウォーシミュレーション
こんな感じで。
これも仮想現実が絡んでくるのでまた今度。
カイヨワの理論は古臭い。もう古典に入れてもいいゲーム論。
あまり参項にするべきものではないな。
娯楽性だの競技性だの、定義があやふやな言葉を使ってカテゴライズしようとしても
また定義の迷宮に入り込む可能性が高い。もう少し定義を具体的にした方がいいね。
これはカイヨワの理論にも言える事で、「遊び」を帰納的に考察して真理が見えてくるかと
言われると極め疑問のあるところ。
色んな「遊び」が持つ要素を列挙してたらきりがない。
670 :
流し読み:2008/01/21(月) 02:46:58 ID:xHIBfBb60
ゲーム=競技は乱暴すぎるんじゃないかな
それならゲームという言葉を競技でおきかえてもいいってことになるけど
すさまじい違和感を感じない?
あと
>>630の「どうぶつの森がゲームじゃない」って話も
どうぶつの森をゲームと呼ばないことで得られるメリットが
社会的にはたいしたことがないからそうよばれてるだけの話じゃないかな。
果物でも甘いものからすっぱいだけのものもあるわけで
それを知識をもって選択するのは消費者の責任でしょ?
671 :
名無しさん必死だな:2008/01/21(月) 03:29:12 ID:Sy3t0TVVO
エロゲはゲームに入るの?ただ文章を読むだけのもゲームって呼ばれてるんだけど。
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>608-609 それが彼の精一杯なんだよw 責めてやるなよw
また来なくなるかもしれないだろ。生暖かく見守っていこうぜ。
>>609 問題はさ。元230とGが同一人物の自演っていう可能性が高いことなんだよ。
2回線でアクセスしてるって話だからね。
もし、この2匹が別個体なら
確認してるだけでも2000レス以上は2人だけの話し合い
そろそろメルアド交換して、別の場所でやればいいんじゃない?
ゲーム系雑談スレ
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1199617493/ 2000レス以上もアホ2人でスレタイ無視して雑談するなら、ここに移行したらいいのに。
ここはWiiFitがフィットネスかゲームかハッキリさせることが、
無理、スレタイと立てたGがアホ、とハッキリわかるためのスレだよw
>>668 >>669 >>640を書いた者です。
参考になりました。
カイヨワは遊びを定義する時、例外があり、6つの条件をクリアした時に4分類が使えるように制約をつけてます。たぶん、制限したりすることは必要なんだなと思います。
その考えから、元230さんの疑似競技性が出たのは理解できました。
G様、元230さん、住人さん貴重な場をありがとうございました。
>>669 あやふやだと感じるのはそれがまだ普遍の真理として確立され、広く一般に認識されるように規則や法則として教育、伝達されてないからだろう。
もう、全部それについては上で述べてる。
で、競技というのは大雑把に言えば「個々人の技によって勝敗を競うもの」
つまり、1人で競技は成立しないのでは、というのが俺の考え。
コンピューターゲームの初期はこの対戦相手をコンピューターが代理してた。
だからコンピューターゲームという名前になったのではないかという推測。
で、娯楽というのは「楽しいもの、楽しくさせるもの」など。
どうしてコンピューターが娯楽性を身につけたのかというと、表現力や演算能力の向上などによると推測。
では
679 :
名無しさん必死だな:2008/01/21(月) 11:56:54 ID:A7S4mkPAO
こいつは何が言いたいんだ?誰かわかりやすく説明してくれ
>>29を読め。
名無しで粘着してコピペしまくってる虚言症の負け犬君が残してきた
数々の矛盾のまとめ。
681 :
名無しさん必死だな:2008/01/21(月) 12:38:30 ID:A7S4mkPAO
完全に病気だなw
ねつ造合戦だなw
さあて、個別レスを開始するぞ。
元230が遅刻気味だがとりあえず俺の論を進める。
>>608 >言っている事は「皆がゲームって言ってるから、ゲームなの!」という所から全く進歩していない。
違うね。
どうして皆がそう言ってるのか考えていくべきだろうって事。
定義ってそういうものだし。
使い物にならない定義は意味が無い。
規則や普遍の法則、定理とは違うんだよ。
勘違い君w
>>608 >脳内のまま書きなぐるヤツw
文章構成力に乏しいという指摘は素直に受け入れよう。
で、君のスタンスは何なの?
WiiFitはゲームだと思ってる人?思ってない人?
コンピューターゲームってズバリどういう物だと考えてる人?
ただの「煽り屋」さんですか?
もう一度確認しておくわ。
答えないなら荒らしと見なす。
>>608 >元230には「全部読め」と押し付けているが
当たり前だろ。
本人は俺と議論してるんだぜ?
議論相手の主張を全部わからずにどうやって議論ができるんだ?アホかw
俺の意見について細かい指摘するなら全部読む必要はないさ。
ただ、元230は俺の論に懐疑的かつ否定的な立場を持っている以上、全てを読んで理解してから意見を出すべき。
というか、それが常識。
君みたいに、ちょろちょろ出てきてはスタンス明かにせず、批判文適当に書いて語尾に草生やしてすぐ消えるヤツとは違うのさ。
>>609 >と、訳の分からない事を言い出す始末w
単に俺の主張が変わってきてるだけだろ。
別にそれは悪いことじゃないな。
俺を論で打ち負かしたいとか考えてるヤツにとっては都合悪いかもしれないがなw
>>613 まず、そんなに文章に時間かけられるなら(というかその時間があるならば)
>>202以降の各種質問事項にてきぱき答えて先に進めば良いじゃないですか。
全レスしたいならその後時間がある時にすれば良いのです。
俺は全レス要求してません。
先の文章読んでるのに、こういう俺の意見読んでくれないのはどうしてですか?
>>613 >全く音がない音楽作品なのです。
ええ、そうですね。それが何か?
俺が「音楽は音の集合体である」という主張を出したとは勘違いしてませんよね?
仮に「音の集合体」という仮説を立てても、それではノイズも音楽になってしまうし、実際の音楽には無音もあるのだから、それは違うのではないか?と。
何が違うって「真理ではない」という事ですよ。
音楽に必要なのは音というよりも「音楽性」でしょう。
ゲームに競技性が必要だというのと同様に。
つまり、ラーメンの例はおかしいですよという指摘ですよ、これは。
ラーメンには麺が必要というより、ラーメンの概念を構築する何かが必要という事でしょう。
違いますか?
>>613 というか、あなたは自分へのレスしか見てないからかもしれませんが、これは
>>512-513で山田さんに返したレスからの派生です。
何度も言うようですが、言葉端を取り出してレスを返すスタイルをしているとこういう勘違いや落とし穴に落ちますよ。
そうならないためにも、まず全部読んで理解してからレスを返した方が良いと思います。
リアルタイムで進行してる意見交換では互いに前後状況理解してるからそこまでする必要ないかもしれませんが、
明かに1人後ろの方走ってるのですから、多少努力して前に来ましょう。
>>614 >音楽の定義は「音の集合体」でいいと思う。
正しくは「音の集合体」というのは音楽の定義の下層部分。
真理からは遠いかな。
まあ、これについては言及しませんが、俺の意見としては「音楽に必要なのは音楽性」という事です。
異論ありますか?
>>614 >音による芸術
まあ、そんな感じでしょうね。
で、芸術に必要なのはやはり「芸術性」だと思います。
この○○性っていうのが、その事物を人々が認識するための「概念」のようなものでしょう。
つまり人は「○○性」の有無でその事物を振り分けるのではないかという事です。
>>614 >「芸術」と書いて「騒音」を避けている
とは言いますがヘビメタやパンク、まあロック全般に言えますが、騒音みたいなものかもしれません。
何をもって「芸術」なのかもよくわかりませんしね。
一つ言えるのは芸術とは人間が何かを表現する行為の一つであり、表現を受ける側が大きく感銘を受けるものほど、受ける人が多いほど、芸術性が高いと評価されるのだろうと思います。
>>614 >G樣理論だとこういうものにも「追加項目」が必要なはずだ
いえ、違いますね。
そのレスのはるか上で否定してますし。
あなたがどこを読んでたのか知りませんが。
そもそも、俺が問いかけてるのは「概念の有無」についてです。
ゲームがゲームとして大衆は何を基準に認知してるのかって事ですし。
>>614 >やっぱり「例外」になってしまう
ええ、例外でしょうね。
イデオンの最終シナリオのようなものです。
ならば、麺の無いラーメンも店主が「これはラーメンだ」と主張して、メディアも「革新的なラーメン登場」のように煽り広く認知されれば、成り立つわけです。
もちろん「例外」として。
マリオもドラクエもゼビウスもどうぶつの森もGTAもみんな多く売れてるゲームですし人気もありますから「例外」ではないでしょう。
もしこれらが例外ならば「例」の方が間違ってると言わざるを得ませんね。
>>614 >「コンピューターソフト」だけ例外扱いするのと同じ
コンピューターゲームが、本質的な競技としてのゲームとは違うのではないか?という疑問を抱いてるのは事実です。
あなたはコンピューターゲームも、ゲームの一種として考えてるようですが、それでは辻褄が合わないものが、あまりにも多すぎます。
本当に、コンピューターゲームとはコンピューターでするゲームなのでしょうか?
そこまで俺は巻き戻して考えてます。
あなたは、名前に「ゲーム」ってついてるのだからゲームなんだろう、と深く考えてないようですがね。
でも不思議ですね。
戦史シミュレーションゲームの時はゲームってついてるのに疑問抱いたのにコンピューターゲームは素直に「ゲーム」ってついてるからゲームと考えてます。
なぜでしょう?
>>615 >「音楽作品」という「共通認識」をもたれてしまうってことね。
思うにそれは「共通認識」ではないでしょう。
制作者が「音楽だ」と言ってるだけに過ぎません。
多くの人は無音を40分以上聞いて「良い音楽だ」とか「悪い音楽だ」なんて言わないと思います。
普通に「音出てないじゃん!」です。
音楽以前です。無音とはそういうものでしょう。
違いますか?
これは制作者が「音楽だ」と言ってる事をメディアがそのまま伝えてるだけです。
メディアの伝え方が不十分なら知らん人は「音楽」以前に「音が出てませんが」になるでしょう。
でもこれは「音のない音楽」として表現されてます。
音楽性が芸術性に共通する何かならおかしな事ではないでしょう。
>>615 何も描かれてないキャンバスだけの絵画
何も書かれてない白紙の小説
何も載せられてない皿だけの料理
これらはハッキリ言って「おふざけ」の領域です。
で、それらを提供する側が相手の反応を見て楽しんだり、または自己満足に浸るのみ。
でもこれらに共通して言えるのは「表現の一つである」という事でしょう。
つまり「芸術性」として「何かを表現」してるというのはわかるんですよ。
だから芸術として見なせると俺は思う。
>>615 >「麺のない麺類」に匹敵するほどの矛盾したものが、堂々と認識されている。
つまり、「麺のない麺類」も存在し得るという事ですね?
制作者が権威ある人でそれをメディアが伝えさえすれば、良いという事になります。
違いますか?
俺は音の無い音楽は共通認識されてないと思いますよ。
知る人ぞ知る、トリビアの世界でしょう。実際に85へぇを獲得しましたね、これ。
共通認識ってのは「みんながそう認識する」って事なので、無音は音楽以前に「聞こえません」になりますね。
>>616 >G樣がものすごくありがたがる「共通認識」なんて
別にありがたがってるわけじゃないですよ。
定義ってのは、みんながそう認識するための概念ですからね。
人ありきであって、先に事物ありきとは限りません。
普遍の定義はそうじゃない。
人がどう振る舞おうが考えようが変わらない絶対のものです。
でも、ゲームって人が作ったものじゃないですか。
それならば人を中心に考えないとおかしいと思いますよ。
違いますか?
>>616 俺が「共通認識」と何度も言ってるのは、物事を定義するっていう事はつまり人のためにある事であり、その人っていうのは「みんな」の事だからです。
みんなのための定義が、みんなにとって使えないものなら意味がありません。
だって定義って外部に伝達する際、その組織でみなが理解してるものと違っていたらコミュニケーションが成り立ちませんからね。
1人だけ「鉄って食い物だよね」とか言ってたら変でしょ?
>>616 >「共通認識」は参考になるけど、絶対化はいけない」とさんざん言っているわけ
ええ、そうですね。
というか、あなたに言われるまでもなく絶対化なんてしてませんから。
共通認識を抱くための概念=絶対普遍の真理とは言ってません。
可能性はありますが違うかもしれない。
でも、定義として使えるなら問題ありません。
要するに定義って分類のためにあるものですからね。
そして、所属する組織内で共通の見解が抱けないものは使い物になりません。
1人だけ違う事言ってたら話が合いませんから。
変人と思われるのがオチです。
>>616 >大衆はそれがゲームかどうかなんて「判断していない」
これには否定します。
判断してないって頭がパーって事ですか?
大衆はそれがゲームかどうかは判断してるはずです。
というよりも、ゲームに関する概念を個々人が持っていなければ、ゲームを食べ物かと思って食べてしまうかもしれませんよ?
意味わかります?
一応、何らかのイメージ、概念を以てゲームを他のモノと区別してるはずです。
そしてそのゲームの概念っていうのはゲームに触れていれば触れているほど定まり、あまり触れてない人は曖昧ではないかと。
これは「情報の伝達」が影響してると思います。
>>617 >共通認識がそうだから
まだこれが俺の根拠だと思ってるようですね。
(´Д`)ハァ…
何度も説明してるのですが、定義というのは共通認識を抱くための概念じゃないですか。
だから、知らん人は定義できないんですよ。
代わりに定義というカタチで説明して、所属してる組織の人達と共通の認識ができるようにするためのものでもあります。
人々がきちんとその事物を他の人達と同じように認識しているなら定義なんて知らなくても良いのではありませんか?
バナナの定義なんて知らなくても「バナナ食ったら美味しかった」、それでいいんですよ。
でもバナナの事知らん人に「これは食べ物だよ」と教えてあければ食べられるという認識はできるんです。
そして、定義っていいうのはそういうものなんですよ。違いますか?
>>617 上で述べてるように、俺は共通認識でそうだからゲームが娯楽なんだと言ってるわけじゃありません。
娯楽というのは、ゲームを構成する概念の共通要素に過ぎません。
もっと真理に近いものがあるかもしれないが、とりあえず知らん人には説明ができます、それで。
説明ができないなら定義としては使い物にならないので要りません。
使われない定義はゴミです。でもそこにも真理が潜んでる可能性はあります。
最終的に何が真理かわかりませんが、とりあえず定義としては皆にとって認識できるものであるべきだというのが俺の考えですし、
これを否定するならば、例外をガンガン出していくしかないでしょう。
>>617 >そんなものは無視してよいからである。
昨日も簡単にまとめましたが、つまりそういう事なんですね、あなたの主張は。
音の無い音楽があるのだから、麺の無いラーメンもあるだろう。
だから競技じゃないゲームがあったとしてもそんなのは「例外」として処理すれば良いだけだ、と。
でもね、マリオもドラクエもゼビウスも競技じゃないでしょう。
ゲーム内で誰と競技してるんですか?
>>617 コンピューターゲームの元祖PONGは対戦型のテニスゲーム(もどき)ですよね?
だから「ゲーム」と付くのは理解できます。
でもそこから派生したブロック崩は誰とも対戦してませんがゲームと呼ばれてしまいました。
人々は多分ここで錯覚したんじゃないかと思うんですよ。
つまり、PONGは本質的なゲームだった。
似たようなブロック崩しもやはりゲームなんじゃないかって。
ただ似てるっていうだけですが、誰とも競争してません。ハッキリ言ってブロック崩しは本質的なゲームではなく「遊び」の類です。
>>617 しかしコンピューターゲームの進化はそんな人々の認識がついてくるのなんて待ってませんでした。
70年代後半には次から次へとコンピューターゲームが出てきました。
基本的には「誰かと対戦する」または「コンピューターと対戦する」というのがコンピューターゲームの本来の姿でしょう。
というかゲームという言葉がそういう意味を持っていますからね。
あなたは「疑似競技性」という言葉を使ってますが、その言葉の本当の意味は「コンピューターと擬似的に競技をする」という事だと俺は考えてます。
コンピューターの擬人化というか、一定のアルゴリズムに従って行動するコンピューターを人間が読み取って、それに打ち勝とうとする。
そこにゲームの本質的な面白さがあるのでしょう。
コンピューターが強すぎたら面白くありませんし、弱すぎてもいけない。だからバランスが重要。
次第にコンピューターは学習するようになり、益々人間的になってきましたが、でもやっぱり人と対戦するのが一番楽しいようです。
>>618 >だから無理矢理それらを含めた「ゲームとは何か」という定義をつくらなければならない
人々が無意識的に分類してる「概念」を明かにするのも「定義」を定める目的の一つでしょう。
無理矢理というのは、人々が認識してる事と違う事を「誰が何を言おうが絶対にゲームというのは競技なんだ。そう考えないヤツは間違ってる」のように強要する事だと思いますよ。
嘘を伝達するのは詐欺師や悪い宗教の人達のやる事です。
きちんと皆の認識に沿った定義を伝達しなければ良くないと思います。
違いますか?
>>619 >とりあげるべき共通認識と切り捨てる共通認識とがあることを知らなければならない
これはつまり
「とりあげるべき」→真理に近いもの
「切り捨てるべき」→例外
という事でしょうか?
例外ってまあ、多少は何事にもある気がしますが、もう競技ではないコンピューターゲームばかりの世の中では、競技に固執する方がどうかしてると思いますよ。
パワプロはゲームだが、マリオはゲームじゃないとか、変でしょう。常識的に考えて。
強制的に与えられた課題を達成する事が競技性だというなら、「宿題」だってゲームになりますよ。
>>621 >ゲーム=競技という本質と疑似競技性で世の中のゲームは無理なく説明できるので
ええ、本質的なゲームは競技という説明でOKでしょう。
しかし、コンピューターゲームはどうなのかというと疑問です。
マリオもドラクエもゼビウスもみんな「競技」じゃないでしょう。
誰と競ってるんですか?
マリオと同じマップを並走してる誰かいますか?
ドラクエも主人公のパーティ以外が竜王とか倒しに行ってます?
ゼビウスではソルバルウ以外の機体がガンプ倒そうとしてますか?
これらには「疑似」を含めようが、競技している相手がいません。
システムの外側では競技できるかもしれませんが(スコアアタック等)、無限に続くゼビウスでは永久にゼビウス軍の壊滅は不能です。
あるのはソルバルウの全滅によるゲームオーバーという「失敗」のみ。
>>621 このように、既存のコンピューターゲームの多くをあなたの「競技」では説明ができません。
何が「無理なく説明できる」ですか。
無理をして「疑似競技性」とか言っても、ゼビウスさえ説明できてないじゃないですか。
このような事からも、本質的なゲームとコンピューターゲームには相違点があるはずです。
であれば、「コンピューターゲームとはコンピューターでやるゲーム(競技)」とは言い切れません。
もちろん、競技をする事ができるものもありますが、それはつまり「対戦型」に限定されます。
膨大に膨らんだ数々のコンピューターゲームを今きちんと説明できるのは「競技」よりも「娯楽」でしょう。
>>622 これに関しては上で説明してるのでレス割愛。
>>623 まさにその通りで、定義っていうのは、その物事を知らない人にもきちんと説明できるためのものであって、
その物事を所属する組織内で皆の認識と変わらずに判別できているなら定義を知る必要はないと思う。
そして、俺の主張「コンピューターゲームとは娯楽」に関して言えば、「楽しさ」が最重視されるもの。
だから「ゲームなんて楽しければそれでいいじゃん」という意見はそれを裏付ける事ができると思う。
715 :
名無しさん必死だな:2008/01/21(月) 18:58:05 ID:yCXJajpp0
いっつも一人で話てるよね 君って
>>625 俺もそう思う。
「疑似」ってのは大辞林によれば「区別がつきにくいほど似ている事」
で、疑似競技って何かって言うと、俺の考えでは、人の代わりにコンピューターが対戦相手を努めてくれるという事になると思う。
今までは人間しか対戦相手が存在しなかったものが(まあ動物とも対戦できたけど「闘牛」とか)コンピューターの登場によって代理可能になった。
だからそれを使った競技が「疑似競技」なんだろうなと。
競技には対戦相手が必要なので、競技つまりゲームとして成立させるためにコンピューターがそれを行うと。
これなら「コンピューターゲーム」と呼べる、正真正銘の「コンピューターでやるゲーム」だろう。
「困難な課題を強制的に与えてそれを達成させる」のは競技というよりルールやシステム。
それを使って誰かと対戦しなければ「競技」とは呼べないだろう。
その対戦相手不在のマリオやドラクエやゼビウスは競技じゃない、つまり本質的なゲームではない。
でも実際にはコンピューターゲームと呼ばれてる。
>>626 その意見から思い出したのが「竹馬」の話。
竹馬って操作にコツがいるので競技にしやすい。
その竹馬をバランスボードに置き換えて、バーチャルな世界で乗り回すというだけでは「娯楽性」が乏しい気がする。
そこで、世界各地の景色が見れるようにしたり、穴が開いている所ではジャンプしたり、コースをどれだけの速さで走りきれるかタイムを計ったりできるようにしてみたとする。
それならばプレイヤーは楽しめるだろう。
少なくとも竹馬に乗ってるだけよりも、娯楽性は上がる。
そして、このようなモノ、つまり竹馬をモチーフにして、上手にコースを攻略できるようにアレンジすればそれはもう「竹馬ゲーム」なんじゃないかと。
誰かと対戦する事もできるだろうし、とにかく、コンピューターゲームっていうのは様々なモノに娯楽性を付加したり、または娯楽そのものをコンピューター上で行うものだと思う。
>>715 いや、レスをしてるだけだが?
まあ、意見を淡々と述べる時もあるけど。
それが何か?
>>626 で、コンピューターゲームを娯楽として面白くするために「競技性」を取り入れたり「遊びの要素」を取り入れたりしているんだと思う。
つまり、競技性はコンピューターゲームに於いて、楽しさを演出するための「方法」の一つに過ぎず、他にも様々な楽しませる要素があるならそれもコンピューターゲームになるのではないだろうか。
>>626 ダブルキャストのような"やるドラ"は、ドラマにインタラクティブ性を付加したものだ。
コンピューターが関わる事で、プレイヤーの選択に応じて展開を自動的に変化させてくれるようになる。
もちろんこれは人間が代理する事も可能だが、人間がやるよりも正確だし、手軽に実現できる。
人間がやる場合は、膨大なチャプターにそれぞれ番号振って、プレイヤーがどの選択をしたかによって、瞬時に適応するチャプターを表示させなければならない。
とにかく大変。
PCのアダルトゲームも多くはこの形式でプレイヤーを楽しませてる。
「次に何が出てくるかわからない」というのは映画やドラマと同じだが、プレイヤーの選択で展開を変化させられるというのが最大の違い。
これによってプレイヤーはドラマの世界の一員になれる。そんな疑似体験が可能。
>>626 他にも「サーカス」って普通の人は真似できない「見る娯楽」しかし、コンピューターの力を使うと自分がサーカス団員になったかのような振る舞いができるようになる。
また、音楽ゲームの"ギターフリークス"はコンピューターを使う事で高度な奏法使わないとできないような事を簡単な操作でできるようにしてる。
パワフルプロ野球はどうだろう。これは野球ゲームだが、プロ野球なんて普通の人はプレイできない。
スター選手と対戦したりなんて夢の世界だが、コンピューターの力を借りるとこれも実現できる。自分がスタープレイヤーになる事も可能。
コンピューターが「見る娯楽」を「やる娯楽」に変えてる典型的な例。
>>627 >疑似競技性というのは何とか一人で競技的なことをしようという要素なんです
1人では競技はできません。
無理矢理競技をしようとするならば、人間に置き換わる何かを使うべきでしょう。
それはコンピューターだと思います。
だから、コンピューター対戦こそが疑似競技でしょう。
「競技」というのは「相手と技や力の優劣を競うもの」の事です。
だから対戦相手がいなければ競技は成立しません。
競ってもいないのに「競技」というのはおかしいんですよ。
フィットネスゲームで
>>628 >ジャンケンはドラクエより『ゲーム性が上』
これは言い換えると「ジャンケンはドラクエより『競技性が上』」が正しいでしょう。
というか、ドラクエは誰とも競ってません。
他に竜王倒そうというNPCがいて、プレイヤーを妨害したりしてるなら「競技性」あるでしょうけどね。
基本的にプレイヤーに襲いかかってくるのはプレイヤーに対して敵意のあるモンスターです。
戦意のないモンスターに至っては逃げてしまいますし。
で、確かに競技性はほとんどありませんが、娯楽性はあります。
プレイヤーを楽しませる要素てんこ盛りです、ドラクエは。
だから人気があるし売れてます。楽しいからですね。
そしてその楽しさこそ娯楽の原点でしょう。
何度もID変えて自演するほどアホじゃないからなあ。
Gが追いつめられてるときって単発IDがやたらと増えるんだよね。。。
>>629 >ゲーマーからみたら失望する
別にゲーマーに限らず娯楽性が乏しいゲームに出会ったら失望すると思いますよ。
つまり「楽しくないゲーム」の事です。
極端にバランスが崩れていて「楽々クリアできて1プレイ目1分でエンディング」とか、難易度高すぎというか理不尽に死にすぎとか、
つまりプレイヤーを楽しませてくれないゲームは、失望しますね。
様々な楽しいゲームに触れてきたゲーマーはとくにそう感じるでしょう。
競技性ってつまり対戦の事ですから、確かにコンピューター戦よりもネット使ったりして遊ぶ対戦の方が楽しいでしょう。
よって競技性も娯楽の演出の一部という事ですね。
>>629 >ゲーマーから見れば失望という人がそもそもおかしいんだということになるわけですから
いや、「楽しくない」から失望なのであって「競技じゃない」から失望ではありませんよ。
競技だろうがバランス狂ってれば失望しますし。
>>725 追いつめられてるのかどうか知らんが、最近◆7ZAJm/y1bQのコピペ荒らしが復活してるな。
このスレでもはや崖っぷちなのは◆7ZAJm/y1bQだしw
見るのが嫌ならもう来なくていいのに。
>>630 >ただマッタリするだけなので張り合いが無い
プレイヤーが目的を見つける事ができなければ当然張り合いなんてありませんね。
でもそれを見つけたプレイヤーはとても楽しめます。
与えられた課題しかこなせない柔軟性のないプレイヤーがこのような考えをするのは当然かもしれません。
そしてこれが箱庭型ゲームの醍醐味でしょう。
遊園地でどの乗り物に乗ろうが自由です。
しかし、乗り物が見つからない状態では楽しくありませんよ。
そういう事です。
>>630 >クリアに向かってガンガンやり込む人には向かないと感じました
これも同様。
競技とか関係ありません。
単に目標設定の問題です。
箱庭型ゲームは、プレイヤーに遊び方が委ねられているんです。
遊びを見つける楽しみもありますし、無目的に突き進んで結果を見て楽しむというのもあります。
とにかく自由というのが「楽しさ」の源でしょうね。
逆に自由すぎて何やって良いかわからんという人には、上で言うように乗り物が見つからない子供のようにつまらないわけです。
>>640 俺の意見は昨日再構築された。
「コンピューターゲームとは娯楽」と
ゲームとは競技の事であり、コンピューターゲームとは娯楽っていう事で、区別してる。
野球やサッカーや将棋は対戦相手がいるので本質的な競技として「ゲーム」と呼べる。
マリオやドラクエやゼビウスはゲーム内の世界では誰とも競ってないから「ゲーム」とは呼べないが、娯楽の疑似体験という事で考えると説明が付く。
そしてこれらは「コンピューターゲーム」。
娯楽にとって重要なのは「楽しさ」。
その「楽しさ」を引き出すために「競技」を用いたり「遊び」を用いたりするのだろう。
ただ「楽しい」というだけでは「娯楽」にならないと思う。
「娯楽」というのは生きていく上でそれほど重要なものではないから、それが条件になるはず。
>>643 まとめの所は他と違う書式で書かれてるので目立つと思う。
で、ある程度まとまったらテンプレに入れてる。
それで問題ないと思う。
スレ進むごとにテンプレが変化してるの気付かないの?
>>644 そこで「擬人化」。
コンピューターにはアルゴリズムやAIがあるから。
人の代役に使える。
そして、そうやって人ではないが人に似た存在と競技するのも本質的なゲームと呼べるだろう。
それは紛れもなくコンピューターを使ったゲームだと思う。
でも今のコンピューターゲームにはそれ以外のモノも多い。
>>651 うむ。俺の意見にかなり近いかな。
ただ、今の俺の意見、つまり「コンピューターゲームは娯楽」で考えた場合、WiiFitに関する解釈が変わってくる。
でも一日寝たらスッキリした。
WiiFitもやはりコンピューターゲームでいいやって。
>>651 フィットネスってのは娯楽ではないだろう。
行う人にとっては真剣なものだ。
でも、ダイエットや筋トレって楽じゃない。
何時間も走ったり、重いダンベルを死にそうな思いで持ち上げたり、とにかく楽じゃない。
更に言うと誰と競ってるわけでもない。あえて言うなら「己の精神力」と競ってる感じ。
>>651 で、フィットネスが結構大変だったり手間かかったりするって事考えると娯楽とは呼び難い。
だから途中で挫折する人が絶えないわけ。
しかし、コンピューターを使う事で、その大変そうなフィットネスを楽しいものに変える事もできるはず。
それがWiiFitなんじゃないかな。
>>651 WiiFitプレイしてる人の大半は「楽しみながらフィットネスができる」とか「目標を立ててできるからいい」のような意見のはず。
つまり、フィットネスといういわば精神修行のような事柄を任天堂はエンターテインメント、つまり娯楽性を付加する事で楽しいモノに変えた。
これなら長続きする。そもそも健康を楽しむって良い事だろう。
そして、コンピューターゲームがコンピューターでやる娯楽だとすれば、WiiFitもコンピューターゲームだ。
これならヨガにも説明がつく。インターフェイスの有無さえ関係ない。
とにかく楽しめるならコンピューターゲームという事ならば。
>>662 このスレでは「人それぞれ」の論はNGなので。
そりゃー人が「ゲーム」だと思えば何でもゲームになるし非ゲームにもなるからな。
そんなの論じてもナンセンス。
>>663 いや、フィットネスを楽しむものとしてデザインされてる。
つまりフィットネスに娯楽性を付加したのがWiiFit。
コンピューターゲームとは娯楽の事だとするならば、WiiFitはゲームだろう。
>>668 カイヨワの論はゲーム論というより遊び論だろ。
何を今更・・・
というか、ここに来てカイヨワに否定的なヤツが登場。
なんだこの流れw
>>669 別に真理探究が目的じゃないしw
コンピューターゲームを定義できればそれでええやん。
真理探究したい人は元230とゲームの真理について語り合ってくれ。
俺は実用可能な定義について語り合ってるつもり。
>>670 今度は「本質的な競技」にさえも否定的な意見登場。
元230は何とコメントするのだろう。
一応、ゲームの語源は競技・試合なのだから、それで間違ってないと思うぞ、俺は。
実際に野球の試合を「ゲーム」と呼ぶし。
ただコンピューターゲームは名前に「ゲーム」とついてるが、それはコンピューターゲーム誕生初期の名残で、
今のコンピューターゲームは必ずしも競技とは限らない。
色々なものがあるよ。
でも共通して言えるのは「娯楽である」という事だな。
>>671 プレイヤーを楽しませる工夫がされてるからコンピューターゲームだろう。
うわ。今度は20レスくらいdだ。すげーな。
746 :
640:2008/01/21(月) 20:42:09 ID:DnWLwMJ8O
>>721 大変わかりやすかったです。娯楽性だとゲームしてる時に暇を潰してるってのもあてはまりますものね。
俺はカイヨワの論から考察してみました。
カイヨワの遊び論から、帰納方でゲームソフトとただのコンピューターソフトを俺の都合のいいように分類しようとした時、
眩暈と偶然ではゲームソフトとコンピューターソフトを分類出来ませんでした。このことから、
競技と模倣はゲームの要素
眩暈と偶然は面白くする要素、だと推測しました。
つまり、ゲームソフトは競技と模倣で成り立ってる、眩暈と偶然はゲームを面白くする要素でしかない、です。
わかりやすく言うと
コンピューターソフトで対戦や競争、プレイヤーが画面内で擬似体験することで、ゲームソフトになると俺は推測しました。
人の意見と対比させると自分の意見も整理しやすいですよね。
たくさんの人が楽しく話す場になればいいな、とおもいました。
頑張ってください!
>>746 実は俺も一旦その段階まで考察してみた。
カイヨワの遊び論では競技ではなく「競争」なんだけどな。
競争と競技では、何て言うかルールの有無が差異点かと思う。
競争にはあまり明確なルールはほとんどなく、子供同士のかけっこ遊びとかそんな感じ。競技の方は今更言うまでもなく。
>>746 で、ゲームの本質は競技で良いと思う。
というかそれ以外とくに思いつかないし。
ただ、この「競技」っていうのは文字通り技を競うわけで、自分の能力を試すというか、チャレンジというか、元230の言うように明確な目標が存在するものだと思う。
だから、エンドレスなシューティングゲームや、スコアが計算されないピンポンゲーム(オデッセイ?)はゲームじゃなくて遊びの類のはず。
競ってるわけでもなく、目標が存在するわけでもなく。
一つ言えるのはそのどちらにも「ゲームオーバー」が存在するという点。
Gの字、ここはてめえの日記帳じゃねぇんだ( ゜Д ゜)、ペッ
>>746 多くの娯楽にも終了は存在するので、ゲームを娯楽として考えるとこれまた辻褄が合う。
そして、競技性や眩暈、偶然はコンピューターゲームにとってはやはり「楽しさ」を引き出す調味料のような要素かと思う。
ただ映画を見るだけでも楽しいが、そこに双方向性が絡むともっと楽しい。
あこがれのスター選手と対戦してみたり、大好きな音楽をギター弾けないのに弾いた気持ちになれたり、ファンタジーの世界に没入したり、
とにかくコンピューターが俺達に見せてくれる事、体験させてくれる事は「夢の具現化」でもあるわけ。
考えてみたら、TDLのコンセプトだってディズニー作品というファンタジーを疑似体験する事なんだし、
そういう楽しい事全般は「娯楽」なんだろうなと。
>>747 たしかにその通りでした(;^_^A
即席なのでボロが…。
この辺が遊びとゲームの違いですものね。
752 :
山田:2008/01/21(月) 21:17:44 ID:icUGTmrZ0
G様、
>>623は余りにも頑固な元230に対してでた俺の本音でした。
名無しで書き込んですいません。
>>751 まあ誤解しやすい部分ではある。
"かけっこ遊び"と"徒競走"の何が違うってシステムやルールで勝敗が明確に区別されるって点かな。
かけっこにも一応順位付けはあるが、スタートも曖昧だしゴールも曖昧。結果は申告制だったりといい加減。
>>752 いや、定義に関して考察していく上で重要な部分だと思う。それは。
ハッキリ言って日常生活に物事の定義はあまり関係ない。
教育やメディアを通じて人間は定義を伝達され、それを元にほぼ無意識的に物事を区別してるし。
バナナはパッと見ただけで、食べ物だとわかるし、食べた事があるなら食感や味、応用した料理な思い浮かべる。
この場合、バナナの定義はどうでもいい。
バナナの定義が必要なのは、バナナについて詳しく知らない人だろう。
音楽も同様。
そして、ゲームにとって重要なのは「楽しさ」というのも貴重な意見だと思う。
そう、つまらんゲームは娯楽性に乏しいからつまらんわけで。
755 :
前スレ905:2008/01/21(月) 22:36:39 ID:j2R235e40
>684-687 に答える前に、一つ確認。
>650 の
>コンピューターゲームとはコンピューターでやる「娯楽」である
ってのは、今までGが言っていた
「遊びの要素のあるコンピューターソフトウェア」
を置き換えたもの?
それとも、「ゲーム」という既存の定義とは別に、「コンピュータゲーム」という
定義を新たに作ろう、って事?
返答の内容が大きく変わりますんで、よろしく♪
756 :
640:2008/01/21(月) 23:26:34 ID:DnWLwMJ8O
俺の意見の最終的なまとめはこうでした。
"ゲーム"とは「本質的に競技ではあるが、競技、模倣の要素を含むコンピューターソフトウェアの事も指す」
G様の主張を絞った感じです。
757 :
前スレ905:2008/01/21(月) 23:53:33 ID:j2R235e40
う〜ん、>755に返事無いんで寝る。
続きは明日以降。
1日経って、予告通り来てやったぜ
で、結局Gはたった1レスを何も提示できず終いか
テンプレ見ろだ?アホか。テンプレが結論ならこの数千レスの馬鹿騒ぎはいったい何だ
コテ付けないと相手にしないだ?アホか。不特定の他者に訴えかけられるものが何も無いのか
結局Gは論外だ。何も語れない。何も持ってない
ただgdgdと意味の無い御託を並べ立てるためだけにスレを消費しているだけで
そこに他者に訴える内容は何も無い
レスしてるだけだと?アホか。内容の無いおまえの書き込みを全て把握して
延々会話し続けられるのはこの世でおまえ一人だけだ。つまり自演だ
自演でなくたって構わんよ。無意味な議論を無意味なまま延々回してる馬鹿が居る。それだけだ
ある結論を固めるために自演誘導を使う奴は確かに居る。だが、
Gがやってるのは目的が無い。ただ続けること、それだけが目的だ
そんな馬鹿に付き合う奴自演以外に居るかよ
おまえ、論外だな。勝手にチラ裏を書き連ねて一人で悦に入ってろ。俺は知らん
759 :
元230:2008/01/22(火) 03:38:31 ID:jXEv1E2w0
メインマシンまたしてもアク禁。やれやれ……。
これはピッチ経由ノートからですが、これで投稿するのもちょいあれなので、ちょっと様子見。
にしても、G様はペース落ちないねぇ。落とさないと収拾つかないと思うけど。
>>755 後者だね。
ゲームの定義は「競技・試合」で構わないと思う。
でも、コンピューターゲームを「コンピューターを用いたゲーム」として考えると、既存のコンピューターゲーム群についてうまく説明ができない。
ま、君の事だから「みんながそう言ってるからって無理に説明をつけてるだけだろ」と突っ込みが入りそうだが、
定義というのは、「ある概念内容・語義や処理手続をはっきりと定めること。それを述べたもの。」〜岩波国語辞典
「集団において構成員が共通認識を抱くために定める概念」〜wiki
「ある語の使用可能な範囲をより正確に限定するいかなる手続きをも指す」
そもそも「概念」とは「 事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象またその言語表現(名辞)の意味内容」〜大辞林
だから、俺達がコンピューターゲームだと考えて接し扱ってるものについて定義として説明する事で、
コンピューターゲームを知らない人が俺達の中に入ってきた時にそれをきちんと伝達し、
俺達が考えてるのと同じように接して扱えるようにできなければならない。
>>755 どうぶつの森はともかく、マリオやゼビウスは広く認知されてるコンピューターゲームなのだから、
これを「コンピューターを用いた競技」として説明するのには無理があるだろう。
「コンピューターを用いた娯楽」の方が効果範囲としては既存のゲームにかなり当てはまり「競技」という説明よりも適切だ。
そして、娯楽に必要な要素「楽しさ」を引き出すために、競技性が取り入れられたり、遊びの要素を取り入れたりしてるのだろう。
ちなみに「娯楽」とは「多くの人々を楽しませることをその主題とする、文化的な活動」であり
コンピューターゲームは登場当初はコンピューターを用いた競技として娯楽の一部だったが、
コンピューターの進化に伴い競技の枠を飛び出して他の娯楽を包括していったのではないかと俺は考えた。
その飛び出したポイントは正確ではないが「ブロック崩し」が「コンピューターゲーム」に競技でないものを組み込んだ元祖だと思う。
厳密に言えばブロック崩しは競技ではない。
本当ならこの時点でコンピューターゲームについて人々は真剣に考えなければならなかったのかもしれない。
まだあったのかこのスレ
そしてG様駐在ww
>>755 コンピューターゲームの進化過程でクリエイターでありプログラマーは、「コンピューターゲームとは何か」についてほとんど考えなかったと思う。
まず、コンピューターゲーム登場初期の多くのテニスゲームもどきには競技性があった。
擬人化する事で1人でも楽しめるようにしたが、この「擬人化」で用いられた「アルゴリズム」、パターンを「遊び」にも適用したのがブロック崩しだろう。
>>755 そして、コンピューターゲームが娯楽として拡大しやすい理由の一つとして「現実との隔離性」があると思う。
娯楽というのは上でも述べてるが「生きていく上でさほど重要でないもの」だ。
もちろん、人生のガス抜き的な意味合いでは重要かもしれないが、仕事や子育て、教育と比べるとポジションは下だろう。
(娯楽を仕事としている人にとっては重要ではある)
コンピューターが構築する仮想世界は現実ではない。
仮想世界内で引き起こされる生産活動は現実へフィードバックしてこないし、戦争や紛争も現実とは関係がない出来事だ。
仮想世界に登場するファンタジーの住人が現実世界に浸食してくる事はまずない。
だから人々は気楽にコンピューター上で楽しむ事ができる。
>>755 以上が「コンピューターゲームが娯楽である」と考える動機、経緯、理由に相当する。
つまり、コンピューターゲームとは
・登場初期は競技性があるもののみだった
・発展期に競技性のないものが作られたが定義考察されなかった
・現在はその名残として名前に「ゲーム」とついているが、実際に使われてる言葉としては娯楽性の方が強い
よって、本質的な競技としてのゲームとはわけて定義する方が良いだろう。
>>758 君は誰?
昨日、その要求の直下に「コンピューターゲームとは娯楽である」と書いただろうに。
このスレ的には「WiiFitはフィットネスを楽しむ事ができるもの」という事でゲームとしてカテゴライズできると思う。
まあ「フィットネスの娯楽化」に成功したコンピューターソフトウェアと考えるのが妥当だろうな。
多くのプレイヤーが「楽しくフィットネスができる」と考えて取り組んでいるようだし。
通常のフィットネス機器よりも進化した部分があり、同時に「楽しさ」優先して切り捨てた部分もある。
要するに、健康に対する取り組みを複雑・面倒ではなく簡単・便利なものとして娯楽性を取り入れたのがWiiFitだろう。
これでOK??
>>759 これはあなた次第ですが、●を買えば規制は回避できますよ。
とりあえず今の俺の主張をまとめると
・定義というのは俺達がその物事に対して抱いてる概念を外部にきちんと伝達できるものでなければ意味がない
・定義というのは教育やメディア等を通じて広く認知される事で効果を発揮する
・本質的な競技である「ゲーム」と、一般的に用いられてる「コンピューターゲーム」という言葉は分けて定義した方が良いのではないか?
・「ゲーム」とは「競技・試合」の事である←この定義で限定した方が良い
・「コンピューターゲーム」とは「コンピューターを用いた娯楽」←考察途中
・どうしてコンピューターゲームが競技で限定できなくなったかというと、コンピューターの汎用性の高さが原因
・コンピューターゲーム登場当初には競技性のあるものしかなかった
・コンピューターゲームには「ゲーム」と付いてるがそれはもはや「名残り」でしかないのではないか
・コンピューターは娯楽でないものを娯楽に変える事ができる
テンプレは1-4
まあ、次スレではまた変わるだろうが。
テンプレは
>>1-4 まあ、次スレではまた変わるだろうが。
772 :
前スレ905:2008/01/22(火) 06:52:01 ID:mkj6Mq8H0
>760
なるほどね。
俺は過去ログ追えないから、元230氏がどのくらいから居るのか知らないけど、
元230氏と話し合っていた事をバッサリ切り捨てて新しい定義を作る訳だ。
↑これ、あまりに酷くない?
主張を変えるにしても、最低限元230氏の同意を得てから進めるのが筋、ってもんだろう。
Gは「俺は議論しているつもりは無い」って言っていたけど、あぁその通りだね。
お前には、「議論」に必要な「相手を尊重する気持ち」が全く無い事が良く分かった。
これが議論であるならば、とっくにコップの水を掛けられて退席されているし、
これがディベートであるならば、とっくにGの負けで終了している。
773 :
前スレ905:2008/01/22(火) 06:53:07 ID:mkj6Mq8H0
少なくとも俺にとっては、一秒の時間を使う事さえもったいないヤツだという事だね。
定義作るなら、勝手にしな。
どうせ、現実では何も行動しない、2chでのオナニーショウだからなw
>元230氏
という訳で、短い間でしたが俺はここから消えます。
おそらくはこのまま続けても、自己満足さえ得られないと思いますので
元230氏にも撤退をお勧めします。
(ここからGが「今までの内容を切り捨てた訳じゃない」って言い訳レスを連投するんだろうけどねw)
>>772 まあ、もう読んでないだろうが、面白いヤツ。
まずここはどこでしょう?
ズバリ、ゲームカテゴリーの「ハード・業界板」。
ゲームハードというのは、コンピューターゲームのハードという事。
知らんかったの?
そしてWiiFitはコンピューターゲーム機で動くソフトウェア。
ただ、それがコンピューターゲームなのか、フィットネスなのかというのを今までずっと論じ合ってきたわけ。
過去ログ読めないなら尋ねろよw
そして俺は、「ゲーム」の定義について元230と話し合ってる。
元230はコンピューターゲームも本質的なゲームも同様に「競技性」という枠に縛り付けて定義してる。
俺も当初は「コンピューターゲームはコンピューターでやるゲーム」として考えてきたので、
「ゲーム」の定義内で考えてたが、どうも現実のコンピューターゲームと違う。
そこで定義解釈を変えてみた。
それに対して元230のスタンスは「人が何を言おうが絶対にゲームとは競技の事なのだ」
でもやっぱりそれだと変だ。
ここで俺が考えたのは、
ゲームの本質は変わらないと仮定するならば、共通認識としてのゲームの概念が変わったか、
それともコンピューターゲームというのはゲームと切り離して考えた方が良いか。
前スレ905が流れぶった切って勝手に参加してきて、言いたいことだけ言って去ってるが、
俺はここで意見交換を通じて「ハッキリさせる」というスレ主旨を目指してる。
おわかりかな?
それには「ゲーム」の定義をスレ内だけでも暫定的だろうが一応決めておかないと良くないだろ。
実際にそういう指摘もあったし。
で、コンピューターゲーム登場から今に至るまでのコンピューターゲームの歴史を振り返ったところ、
確かに当初のコンピューターゲームは現実の競技の模倣から始まってた。
だから、コンピューターゲームという名前が付いたのだろう。
しかし、コンピューターが様々な表現力を身につけ、進化し、汎用性を高めた事で、
そのコンピューターを用いた当初のコンピューターゲームは後に競技の枠にとらわれずに
人間の夢を手軽に実現できる娯楽として普及発展してきたのではないかと俺は思った。
つまり、ゲームは「競技・試合」というカテゴリーでほぼ完結してるが、
コンピューターゲームはゲームというカテゴリーから離れ、分離して独自の概念として人々の認識の中に入り込んでるという事。
>>772 >最低限元230氏の同意を得てから進めるのが筋、ってもんだろう。
確かに。
しかし、元230氏はコンピューターゲームも「ゲーム」の定義で説明可能と主張している。
ゲームからコンピューターゲームを俺が分離して定義した方が良いと主張しても、恐らく変わらずに競技の枠内で意見を述べてくるだろう。
それならばとくに問題はないはず。
俺の目的はコンピューターゲームの定義付け。
最初からコンピューターゲームの話をしてるのに何を言ってるんだ?君はw
そもそも前スレ905は何しに来たんだろう・・・
スタンスも明かにせず、個人攻撃に終始して、やたらw多くて。
元230と協調する立場を演じて場を攪乱しただけにしか見えない。
というか、何者だったのかも不明なまま消えた。
まあ、こういうヤツが現れるのは初めてじゃないからな。
◆7ZAJm/y1bQが論破してくれたと言ってた、ID:nG+/CANr0も一夜限りで消えたし。
定期的に単発名無しで現れてはすぐ消える。
よく来るルーキーの1人だったわけだ。
というか、ID:nG+/CANr0はフィットネスだと主張し、俺もそうだと共感したら消えた。
◆7ZAJm/y1bQはスレ主旨どうでもよくて俺を潰すのが目的だったが俺は潰れずこうして居残ってる。
そうしたら名無しになってコピペ荒らしをするようになった。
俺はこのスレでWiiFit批判してるつもりないので、あまり過敏反応しないで欲しいな。
ゲーム好きがゲームについて考えてるスレなので馴れ合いスレに近い。
なんだ今日は躁鬱の、躁の日なのか?
元230 ゲームとは競技
俺 ゲームとは競技、でもコンピューターゲームは別かも
↓
元230 コンピューターゲームはコンピューターでやるゲーム、だから競技の枠内で定義可能
俺 コンピューターゲームは競技で考えると納得できないものが多い
↓
元230 納得できなかろうが、人が何を言おうがゲームは絶対に競技、それを知らない大衆が悪い
俺 ゲームは競技だが、コンピューターゲームは競技以外もあるだろう、大衆にとって使えない定義は意味がない
↓
元230 規制でレス中断
俺 コンピューターゲームを「競技性または遊びの要素のある」と言ったが「娯楽」の方がしっくり来る。これに変更
頭が弱い専門学校生っぽいな。
前スレ905 大衆がゲームと呼んでるからゲームだと思ってる?
俺 いや、競技性や遊びの要素があるからゲームだと考えてる
↓
前スレ905 だから、そのゲームってのは大衆が呼んでるゲームの事だろ?
俺 その通り、ゲームと呼ばれてるものを定義するのだから当然
↓
前スレ905 ・・・・・
俺 よく考えたら「競技性や遊びの要素のある」というのは「娯楽」として考えた方がしっくりくる
↓
前スレ905 勝手に定義変えるの?
俺 そう。今はこのスレでWiiFitの話し合いするために定義を決めてる所だし。
↓
前スレ905 さようなら←????
俺 なんだこいつw
>>772 Gとまともに話すっていう不可能なことに挑戦して乙
>>773 元230とGは自演の可能性がすごく高いからねえ。
最初は元230の主張とGの主張は全く同じ、かつ、
元230が出てるときはGが直前で消えるってパターン。
またさらに、それを指摘した瞬間から交互に出現。
>>477 >>387 12月以外は仕事ないらしいよ。
>>251 既にアホ助は自滅してスレチしか出来なくなってるんだなw
>>214 Gは名無しでアンチスレ乱立しまくってるぞ。
しかもそれを指摘したら逆切れの有様だw
>>193 スレテンプレは
>>11-12 ちなみに、Gのお茶のみ友達「元230」は
WiiFitをハードウェア、WiiFitのプレイヤーを
ソフトウェアだって思ってるみたいだよ。不思議だね。
>>608-609 それが彼の精一杯なんだよw 責めてやるなよw
また来なくなるかもしれないだろ。生暖かく見守っていこうぜ。
WiiFitとは何なのか?
俺は「フィットネスに娯楽性を付加する事で楽しみながらエクササイズができるソフト」だと思う。
これは既存のフィットネス機器を超える存在にも見えるが、既存のフィットネス機器から「楽しさ追求」のために切り落とした部分もある。
消費カロリーの計算や厳密な行動判定など。
これらは手軽さの犠牲になったんだと思う。
代わりに競技性や遊びの要素、全体的に娯楽性を高める要素が多い。
そして、ゲームとは娯楽の事であり、WiiFitは楽しくフィットネスをできるように娯楽性を高めてるので、ゲームではないかと考えられる。
だいぶスッキリしてきたな。
競技性だけで考えるよりもスッキリしてる。
あとは元230が「定義とは何か」「定義というのは何のためにあるのか」を考えてくれればいい。
俺の認識にも間違いあるかもしれないし、話し合う必要は十分にある。
とりあえず、週末経過して意見が大きく変わったが、修正という表現が正しいかな。
まあ何にせよ、WiiFitはゲームって事で良いだろう。
もう誰も否定する人いないしw
という事で元230との話し合いが終わったらこのスレはオシマイ。
俺は俺なりに納得できるものを得られた。
あと、世の中には本当に狂ってるニートがいるという事を知る事ができた。
◆7ZAJm/y1bQよ、おまえの事だよ。結局俺を潰せなかったなw
またどこかで会う時があるかもしれないが、とりあえず真面目に仕事しろ。
WiiFitはフィットネスをするゲーム
結局この主張を誰1人覆す事はできませんでした。(-∧-)
ふと気付いたがこのスレ、「WiiFit フィットネス」でググるとトップページに表示されるんだな。
誰かのマイナーブログに書くより効果的に主張を伝える事に成功してるかもな。
◆7ZAJm/y1bQは過疎スレだと言って俺をNGにしてほくそ笑んでるようだが、
情報の伝搬性考えたらNGにしてコソコソと隠れて荒らしに終始してる◆7ZAJm/y1bQはネット上で恥を晒してるようなもんだろw
(´・ω・)カワイソス
>>766 見放されてからやっとレス返しかよ。しかも全然答えになってねえ
だが曲りなりにも答えようと努力したようだから、1レスに限り真面目にレスしてやる
見捨てたどうしようもないおまえに残してやるせめてもの置き土産だ。覚悟して受け取れ
いいか、おまえはゲームは娯楽であるという当たり前の事に何故かやっと気付いた
だが勘違いするな。ゲーム=娯楽じゃない。数ある娯楽の内のたった1カテゴリがゲームだ
同じく、wiiFitでできるフィットネスはフィットネスの全てではない。これは大前提だ
そしておまえが知らない振りか気付いてないのか知らんが事実を一つ突きつけてやろう
フィットネスは、とっくの昔に、娯楽として利用されてるんだよ
フィットネスは娯楽に使える。ゲームも娯楽に使える。おまえが定義するずっと前からそうだ
そしてwiiFitが出る前から、フィットネスをゲームに使う事も、とっくに為されてるんだよ
フィットネスは健康維持にも使えるし、ゲームにも使えるし、娯楽として楽しむこともできる
ゲームは娯楽の一種として使えるし、フィットネスでゲームすることもできる
娯楽には様々なカテゴリがあり、ゲームカテゴリもフィットネスカテゴリも既にある
以上の事を把握していると、Gの数千のレスも、テンプレも、スレタイですらも
既存の事実を無視して話し込んでるにすぎない何の意味も内容も無い戯言と化す
それがおまえのやってる事だ。何が定義だ馬鹿。無知がおこがましいマネして恥晒しやがって
最後に俺の解釈を述べておく。言葉はおまえと同じものを使って述べてやる
wiiFitはフィットネスを使ってゲームや健康維持を行うための娯楽装置だ
どう使うかは本人次第。だからゲームかフィットネスかをハッキリさせるなど全くの妄言
目的意識の違いでゲームにも使えるし健康維持的フィットネスに徹することもできる
なぜなら大前提としてフィットネス自体が既にそういうものであるからだ
そしてwiiFitはフィットネスのそういう用途を狭めるどころかハッキリ示して
プレイヤーが娯楽としてスムーズに楽しめるよう作られている。これが俺の解釈だ
字数制限ウゼー
Gが糞連投する理由の一端が垣間見えた気がした。まあそれだけが収穫だな
↑
これから、出かけるんで一言。
ゲームは娯楽の一部であり、他の娯楽をコンピューター上で実行できるもの。
更に非娯楽もコンピューター上の仮想世界では娯楽に変化可能。
戦争だろうが交通だろうが娯楽性付ければゲームだろ。
だからフィットネスに娯楽性があろうが無かろうが、コンピューターによって娯楽性を付加された事により、
コンピューターゲームに変化する。
例外があるなら提示しなさいな。
あと字数制限ウザには同意。
これ何とかしてくれればレス数大幅に減らせるのに。
>>792-795 何という正論。
でもGにとっては豚に真珠、馬の耳に念仏。
Gに正論、Gの耳に正論ってところだよw
798 :
名無しさん必死だな:2008/01/22(火) 11:48:27 ID:s4eN8v+c0
まだやってんの?
>>792 偽者と前スレ905が敗走宣言したと思ったらまた誰かさんが来て敗走宣言。
何なんだ、この流れ。
>覚悟して受け取れ
はい。ありがたく受け取らせてもらいます(・_・)
というか突然現れて、自演だ自演だ騒いでサヨナラ。
君は結局何がしたかったんだ?
しかも、結論は俺と同じだしw
WiiFitはフィットネスをするゲームだって自分で言ってるし。
なんだかな(´・ω・)
>>792 このスレはググるとトップに表示される人気のコーナーのようなので、おまえみたいなヤツが次から次へと現れて楽しませてくれるよ、ホント。
誰かさんは過疎スレと言ってたがなw
>>792 >おまえはゲームは娯楽であるという当たり前の事に何故かやっと気付いた
それは勘違いだな。
俺はコンピューターゲームがコンピューターでやる娯楽って事に気付いたんだ。
そりゃゲームは娯楽の一つだろ。
やっぱり全然流れ読んでないわな。仕方ないけど。
で、意見交換する前に一方的に騒いでサヨナラしてるようなので話にもならない。
しかし不思議だよな。
俺の意見はこんなに多く書き込まれてるのに、突っ込みたい所だけ見つけて噛みついてるようにしか思えない。
どうしてそんな事が可能なのだろう・・・
>>792 >ゲーム=娯楽じゃない
そりゃそうだ。俺の意見はこっち
コンピューターゲーム=コンピューターで行う娯楽
娯楽ソフトという置き換えでも良いかなと思ったがとりあえずそのあたりはまだ考察の余地がある。
コンピューターゲームには「ゲーム」と名前がついてるが、実際には競技ではないものも多い。
正確に言うと、昔は競技だったが今は競技以外のものもコンピューターゲームとなってしまってる。
>>792 >フィットネスは、とっくの昔に、娯楽として利用されてるんだよ
ああ、娯楽として利用されてるというより、娯楽である音楽などを取りこんで楽しめるように工夫されてたりするよな。
エアロビクスダンスやボクササイズなど、娯楽性を取り入れてるものは確かにある。
また高齢者向けのリハビリ機器にゲームが用いられたりと、様々なアプローチもされてる。
>>792 だが、WiiFitのようなバーチャルなフィットネスは俺が知る限り、マーシャルビーツくらいしかわからん。
他にもあっただろうが、「成功」したのはWiiFitのみだろう。
もちろんDDRのようなフィットネスに有効に活用できるゲームソフトもある。
だがDDRのコンセプトはリズムアクションなのでフィットネス効果は二次的なもの。ゲームの主目的とやや異なる。
>>793 まあ今更確認のしようがないが
>フィットネスでゲームすることもできる
ここで言う「ゲーム」とは本質的な意味での「競技」の事なのだろうな。
確かに、ボディビルのコンテストとかあるし、ダイエットを競ったりする事はあるさ。
だから何だという話ではある。
>>793 >娯楽には様々なカテゴリがあり
そんな事は上で既に述べてる。
俺が考えていたのは、ゲーム=競技なのにどうして競技じゃないゲームがコンピューターゲームとして存在してるのかって事だ。
で「競技性や遊びの要素のある」と定義してきたが、ふと、それは「娯楽」でいいじゃんと思った。
ゲームが娯楽なのはわかってる。
そうじゃなくて、様々な娯楽のカテゴリーのモノは、コンピューター上で行うとコンピューターゲームになるんだな。
更に、娯楽じゃないものにコンピューターによって娯楽性を付加したのもコンピューターゲームになる。
コンピューターゲームとは、コンピューターでやる競技という枠から既に飛び出してるって事が言いたいんだ。
>>793 それを大衆は「競技」とか「遊び」とか漠然とコンピューターゲームを捉えてきたが、コンピューターの汎用性や表現力によって、
今や、ほとんどの娯楽がコンピューターゲーム化されてる。
で、元230はゲームに必要なのは「ゲーム性」と述べてるが、そのゲーム性というのはすなわち「競技性」の事。
しかし、コンピューターゲームにとってのゲーム性ってのは競技性だけじゃない。
楽しくなければゲームじゃないという意見も見られるように、つまり「楽しさ」こそがコンピューターゲームの必須条件なんだろうなと考えたわけだ。
誰かと競うのも、勝敗を決めるのも競技でいいが、偶然性や疑似体験、眩暈的要素も楽しさを作り出すものだと思う。
だから、競技とか遊びとか狭い枠ではなく「楽しいモノ」と広げてみた。
>>793 >何の意味も内容も無い戯言と化す
じゃあ、おまえのこのレスには何か意味や内容があるのかい?
まあ、俺的には自分の言いたい事書いて、それが他者に伝わるならそれで十分さ。
ググればトップページに来るくらいだから、それなりに見てる人はいるだろ。
ハッキリ言って、おまえみたいな名無しの単発は続々と来てる。
そして言いたい事言って去っていく。
だからおまえ1人が何か騒いでも俺の発言にかき消されてwebの藻くずとなっていくのさ。
なんたって「名無し」の無責任発言だからなw
>>793 真面目に話し合いしたいならコテ、トリ付けてきちんとやればいい。
それが出来ないヤツの意見は参考程度にするが、だからなんなんの?という事に尽きる。
スレ主は俺だ。このスレは俺が適宜まとめてやる。
参考になる意見はその時にきちんとログとして使ったりもしてる。
ただ、おまえみたいに「今更何を言ってるんだ、こいつは。つーか何をしたいんだ?」というヤツの戯言はある意味どうでもいい。
どうでもいいというか、ウザいな。いい加減。
人気あるコーナーだから仕方ないけど。
>>794 >wiiFitはフィットネスを使ってゲームや健康維持を行うための娯楽装置だ
WiiFitはハード+ソフトで成り立ってるが、ソフトがメインだと思うぞ。
バランスボードはセンサーに過ぎない。
そのセンサーからの計測データをリアルタイムに解析してゲームのインターフェイスとして利用してる。
これ単体では「娯楽」にならない。
WiiFitに於ける娯楽性は入力→出力の間にある「→」の部分だろう。
俺は今まで出力に意味があると考えてたが、娯楽は娯楽性が命だ。
出力結果は娯楽性を高める因子の一つに過ぎないだろう。
>>794 それと「フィットネスを使ってゲーム」というが、そんなのはコンピューター使わずともできる。
ボディビルコンテストとか、ダイエットバトルとか何でも可能だろう。
WiiFitの最大のウリは、コンピューターが介在する事で、バーチャルなフィットネスができる点だ。
そして、そのフィットネスを作業的なものではなく、楽しいモノに置き換える工夫も成されてる。
だから、娯楽性の高いフィットネスソフトと言える。
>>794 >どう使うかは本人次第
結局はこれがおまえの言いたい事なんだな。
こういう発言は山ほど見てるんだ。
その都度、そういうのはここではNGと指摘してる。
なぜかって、そりゃ、鼻毛抜きだろうが、歯磨きだろうが、本人が「ゲーム」だと考えて取り組んでりゃゲームになるし、
歴史ゲームを「これは勉強だ」と考えて取り組めば勉強になる。
ここでの言う所のゲームとは、本人の取り組みで何とでも変化するゲーム、ゲーム性の事ではない。
カテゴリーとしてのゲームだ。
>>794 例えば、ナイフは色々な事に使える。
料理にも使えるし、木を削ったりもできる。そしてその鋭利さゆえに殺傷道具としても使える。
ナイフを的にめがけて投げてスコアを競うゲームにもなり得る。
しかし、一般的にナイフは「刃物」というカテゴリーに入る。
コンバットナイフのような殺傷が目的なナイフは別だろうが。
>>794 >フィットネス自体が既にそういうものであるからだ
取り組み方でフィットネスというなら、ぞうきん掛けや窓磨きもフィットネスだな。
健康を目的として体を動かしたり学んだりする事は全部フィットネスだ。
だが、そういうのは別にカテゴリーがあるわけで、フィットネス全般を示す「概念」というのがあるはずだ。
それが定義。ゲームに関しても同様。
鼻毛むしりもゲームにできるかもしれないが、基本的にゲームというのは「競技」の事だ。
>>794 >プレイヤーが娯楽としてスムーズに楽しめるよう作られている。これが俺の解釈だ
つまり、プレイヤー次第でどのようにも使えるが、主な目的はフィットネスを娯楽として楽しむって事を言いたいわけだな。
じゃあ、俺と共通見解だな。
また、同じ意見かよ。
まあ、もう来る事はないだろうから反論も来ないだろ。
こうして「WiiFitはフィットネスを楽しむゲームソフト」という事を次々と主張してくるんだな。
じゃあ最初から敵意みたいなのむき出しにして噛みついてくんなよ。同じ意見なのだから。
えwゲーム機で出てるんだからゲームじゃんw
簡単に考えようぜw
ゲーム性の低さ
テキストアドベンチャー>>>>ムービーRPG>>>WiiFit 脳トレ
ゲーム機でスコアが出てランキングも出てさらに
それが保存されてるんだから立派なゲームじゃないのか?
Gは山登りを馬鹿にしてました「わざわざ汗かいて坂道登って何が楽しい」
だから登山家やピクニックに行く家族連れを平気で馬鹿にしました
でもある日、あまりに暇だったので、山に登ってみることにしました「暇潰しだ」
登ってみてGは驚きました。見慣れた町並みを見下ろすと、とても遠くまで見えるのです
空気もいいし水も美味しい。すれ違う人達が挨拶していきます。Gは楽しくなってきました
「山登りはこんなに楽しいぞ!」Gはすれ違う人達に喚き散らしました「俺が発見した!」
人々は当惑しました。そんなの当たり前の事だったからです
自分の「発見」を事細かに喚き散らすG。喚かれる方はいい迷惑です
G「空気がいい!」人「ええ、高所では」G「うるさい!俺はこう考える。それは・・・」
G「花が咲いてる!俺が発見した!」人「ああこれは」G「俺が名前を決める!俺のだ!」
G「遠くまで見える!」人「ええ、ここからだと」G「うるさい!これは不思議だ。考える!」
G「ひょっとすると、もっと高く上ればもっと遠くまで」人「ええ」G「うるさい!考え中だ!」
人「この山は景色がいいので有名な」G「そんなことは俺が見るまでわからない!!」
人々は付き合ってられずに去っていきました
G「敗走だ!俺は正しい!」人「帰るんだよ。アホか」人「追い越すから、どいてよ」
一人になってもGはテンションの高まりにまかせて喋り続けました
Gは一人二役で話すと会話が弾んで楽しい事に気付きました。喋り倒します
その声はこだまとなって響きます。人「うるさいなあ」「誰か何とかしろよ」
もうGに挨拶しようとする人は稀になりました。かわりに、
人「塵を捨てるな!」人「道端で用を足すな!」人「うるさい!そんな事は当たり前だ!」
注意されたGは喜び勇んで反論します。10倍返しです
G「俺が登ってる道だから俺のものだ!俺が勝手にする!」人々は呆れます
ごく稀に、親切な人が教えてくれました「頂上はこっちですよ」
G「うるさい!俺は歩きたいように歩く!きっとこっちだ!俺が決めた!」
Gは山の中腹を上り下りしつつぐるぐると回り続けることになりました
G「いろんなものが見える!俺は正しかった!」人「うわ!横からいきなりなんですかあんた」
人「道順は守らないと危ないですよ」G「うるさい邪魔だ!俺が横切るんだ道を空けろ!」
もう誰もまともに相手しません。かわりに、
「あの山登ろうぜ」「景色がいいのか?」「いや、Gってのがいんだよ。からかいに行こうぜ」
山は今日も1ヵ所だけ荒れ模様です。移動するので登山を楽しむ際は注意しましょう
おまけ
おいG、おまえ山登り馬鹿にしてたよな。G「俺は今はこう考える!」
無知で馬鹿にしてたの謝罪しろよ屑。G「俺は正しい!」
おまえ最低だな。G「俺は一番高い所まで登る!」
そっちじゃないぞ池沼。G「考えの邪魔するな!」
勝手にしろ基地外。G「敗走だ!」
こいつおもしれーw G「俺はこう考える!」
1日40レスを2ヶ月続けて4000レスほど書き込んだ、
そんなGのしたことを山登りに例える→
>>819-823 なんと4レスでまとまってしまいました。
あぁ5レスか。Gの4000レスを5レスでまとめたID:2O5l1mJA0は素晴らしいな。
再読したけど笑いがこみ上げたw 全くもってその通り。Gのしてることはそんな感じだw
ただし、
>>819に訂正を加えるとしたら、
Gは当初2回しかプレイせず批判を始めて、
さらにWiiFitは飽きやすいからダメだとか言ってた。
今だにWiiFitが飽きやすいっていう意見は変えていないはず。
だから、山登りに例えるなら、2回ほど麓で山を見上げて、
こんな山は登りにくい、飽きる、とか言ってたようなもんです。
なんだ、論で太刀打ちできないから個人攻撃にシフトしたのか。
いつもいつもこのパターンだなぁ。
ID:2O5l1mJA0が何をしに来たのかよく解ったw
WiiFitがフィットネスかどうか、コンピューターゲームが何かという事は実はどうでもよく、
単に俺をからかう事が目的だったようだ。
まあ、ここはゲハだから、そういうのは茶飯事なので、実際のところ、どうでもいい数多くのゴミ発言の一つとして適正に処理するよ。
レスが来ないものと思ったら、いつも通り個人攻撃文章で終了。
いつもとおんなじね。
しかも、ずっとID:2O5l1mJA0に協調して調子コミ入ってるID:2aGbyX4t0=ID:WbY1GttF0=◆7ZAJm/y1bQ
こうやってIDとトリップ繋ぎ続けてあげるから安心しなさい。
世界中にwebを通じて恥をまき散らすがいい。
ID:2O5l1mJA0は文体、論調、登場時間、などパターン見れば、前スレ905と同一という事くらい俺でもわかるw
元230は否定してたが、俺の予想通りID見ればID:2O5l1mJA0が=◆7ZAJm/y1bQの成りすましというのもほぼ間違いない。
2人に共通するのは「自演に対するこだわり」「俺に対する敵意」「スレ主旨はある意味どうでもいいというスタンス」(そもそもスタンス不明)「論で追いつめられると名無しになる」
文体、論調は変えてるが構成文章全体の流れはほぼ同一だ。
多分、この手の解析できる人なら特定できるんじゃないだろうか。
俺はどうやって自作自演をするのか知らんし、異なるIDでツーマンセルするのか知らんが、それをきちんと実現してる◆7ZAJm/y1bQは、技術的に凄いとは思うが人間的にはカスだな。
正攻法で話し合いする事ができず、草葉の陰から小石を投げてはほくそ笑む、典型的なネクラだろう。
ID:2O5l1mJA0はWiiFitを山登りにたとえているけどそれは違うんじゃないか?
WiiFitはあるある大辞典とかあのあたりだろ
○○ダイエットたのしー、とか言ってるようなレベルだと思うんだが
とまぁ◆7ZAJm/y1bQの愚行に関して意見を述べてみたが、こいつ多分頭は良い。でも精神的に幼稚。
どうしても俺をこのスレから追い出したい(潰したい)と思うなら、自分が来なければ良いだけだ。
どのみち俺の主張は変わらず「WiiFitはフィットネスを楽しむ事ができるゲーム」のままだし、
あとは元230とコンピューターゲームについて話し合うだけで、それが集束に向かうか、飽きるかすれば2人とも消える。
でも◆7ZAJm/y1bQが来る限り、IDとリンクし続ける作業をしなければならない。
つまり俺は消える事ができない。
そうやってスレが存続し、googleサーチでトップページに表示され続ける事で来訪者は来続けるかもしれない。
このスレにはWiiFit本スレ以上に「WiiFit」「フィットネス」という言葉が頻繁に出てくるからな。
◆7ZAJm/y1bQ的には荒らし続ける事で俺に対するネガティブイメージの擦り込みをしようと考えてるのかもしれないが、
結局の所、俺が適宜◆7ZAJm/y1bQの行為を指摘する事で恥を晒されてる事に少しは気付いた方がいい。
このままでは恥の上塗りなので、もう来ない方が良いと思うのだが。
>>830 いやもう、
>>819の冒頭の
>Gは山登りを馬鹿にしてました
からして違うから。
俺はWiiFitは馬鹿にしてないし。
もし馬鹿にするような内容の書き込みがあったとするなら前スレ905=ID:2O5l1mJA0が知らないはずの1スレ目初頭の
「ゲームでもフィットネスでもないならガラクタか?」という俺の指摘部分だろう。
そしてこの発言に敏感に反応したのは◆7ZAJm/y1bQ。
以後ずっと粘着してるのも◆7ZAJm/y1bQ。
定期的に俺がWiiFitを貶してると勘違いして登場する名無し一行様も多分◆7ZAJm/y1bQ。
俺は最初から貶してないし、高く評価してる。
ずっと勘違いしてるのが◆7ZAJm/y1bQ。
この事から◆7ZAJm/y1bQ=前スレ905=ID:2O5l1mJA0は容易に推測できる。
本当にバレバレの自演ってこの事なんだろうな。
とりあえず、自称敗走してる医学を学んだ音大出の名無し潜伏粘着ニート嘘吐き◆7ZAJm/y1bQの成りすましショーはもう飽きた。
こいつ、何か発言すればするほどボロが出て恥をかいてるだけ。
あまりに酷いからトリップ外して消えたつもりでも、頭隠して尻隠さず状態だからバレバレ。
◆7ZAJm/y1bQは俺に対する何らかの敵意を持ってるが、きちんと俺に意見をぶつけるのではなく姑息な方法しか使わず、そもそも名無しになってコソコソと隠れ続けてるチキン野郎。
今後も◆7ZAJm/y1bQが来る限り俺はこのスレから消える事はないかもな。
さっさと消えるか論で潰してください。
という事で「WiiFitはフィットネスを楽しむゲーム」という事でこのスレの結論を出したい。
今更異論は無いよな?
あと元230は規制食らうくらいなら●買いなさい。
きちんとした自己主張できるのだから他のスレを立てたりするのにも使えるし、時間を有効に使えるぞ。
ここでもう一度、元230に対する意見をまとめる
・「皆がゲームだというからゲームなの?」→皆が同じように認識するもの、させるものが「定義」であり、根拠は別にある。※定義とは、に関する事
・コンピューターゲームとは名前に「ゲーム」と付いてるが、今のコンピューターゲームはゲーム、つまり競技と呼べるのもばかりではなく競技以外のものも多い
・どうして、ゲームは競技なのにコンピューターがつくと競技じゃないものも含まれるのかというと、コンピューターの汎用性、表現力が原因と推測
・コンピューターは擬人化が可能、よってコンピューターゲーム登場当初は擬似的に競技が可能な娯楽だった
・以上の事から、ゲームとコンピューターゲームは分けて考えた方が良い
それと、元230は音楽の例の時もウォーシミュレーションゲームの例でも「例外」の存在を主張してるが、
例外というのは大多数の中に希に入り込んでくる異物のようなもので、それが入り込んだからと言って大多数が覆るとは言い難い。
(数学や物理の世界では覆ったりするが、一般認識に関わる抽象的な定義ではほとんど無いと思う)
そもそも、コンピューターゲームの中では競技ではない、つまり「例外」として扱わなければならないものがあまりにも多すぎる。
「例外」が多すぎる法則、規則はその法則、規則の妥当性を疑うべきだと思う。
しかし「ゲーム」という本質的なもの、コンピューターゲーム登場以前のゲームにはほとんど競技性があるのでこれはゲームの定義で間違ってない。
問題なのは競技として考えると例外だらけのコンピューターゲームだろう。
ここって独り言スレ?
837 :
山田:2008/01/23(水) 09:10:11 ID:V9T2GRdm0
元230は多分、定義とは皆が同じように認識しているものじゃないと主張して
また話がループしそうな気がする。
俺はG様の主張が正しいか解からないが納得することはできる。
皆が納得できるものじゃないと定義なんていえないんじゃないかなと思う。
>>837 元230にはゲームが何か、以前に、定義とは何か、について考えてもらいたいんだけどなぁ。
天動説の例を頻繁に出してくるけど、確かに天動説は間違ってた。そしてそれを信じてた大衆は間違った認識をしてた。
でも、それまでは地動説についての理論が存在しなかったのだから、それを信じるしかなかったわけ。
だから地動説が普及するまでは天動説が天体の運動に関する定義として通用したんだ。
観測と結果が一致するし、定義にきちんと論理性があった。
俺が定義について最も重要だと思うのは、その物事を知らない人に定義として伝えた後、伝えられた人が大衆の中に溶け込んでも、その言葉を間違いなく使えるという事。
つまり、大衆と同じ認識を抱くように説明できるものが定義だろうと。
>>837 もう一つ定義には「真理」つまり物事の本当の有様を説明するという役割もある。
ただ、それはその物事が絶対普遍のものであるという原則が必要。1+1=2みたいに。
そしてゲーム=競技はほぼ確立された定義なので今更覆す意見を述べるなんて絶対普遍の真理に反する行為なわけ。
だから元230は「間違ってる」と言い続けてる。
しかし、ここで俺はパラダイムシフトしてみた。
コンピューターゲームはゲームと同一なのか?と。
確かに本質的なゲームとして考えるとコンピューターゲームの多くは競技と呼べないのでおかしい。変だ。
元230はそれを疑似競技性で説明を試みてるが、それもある意味悪くはない。
というのも、競技性というものがコンピューターゲームにおいては「楽しさ」を引き出すための要素として十分に効果が見込めるから。
でも、もっと考えてみると、コンピューターゲームの本質は競技というよりも楽しさじゃないかと。
競技も楽しさを形作れるが遊びの要素もそれが可能。
だから「競技性または遊びの要素」と言ってみたが、それはつまり「娯楽」の事だったんだな。
>>837 これに対して◆7ZAJm/y1bQの成りすまし一族は「ゲームが娯楽なんて当たり前の事言うなよw」と言ってる。
そりゃそうだ、ゲームは娯楽の一種だから。
でも俺が言ってるのはそういう事じゃない。
ゲームというのは競技の事であり、競技は娯楽の一種だが、コンピューターゲームは競技に限定されず娯楽全般を包括してる存在。
コンピューターを用いる事で、受ける事しかできなかった娯楽に能動的な参加を可能にしてる。
だから競技という狭い枠ではなく娯楽という更に広い枠で考えた方がいい。
それが今の俺の主張。
でもそれってゲームの本質の定義から離れていくので元230がどう返答するかは気になる所。
コンピューターゲームが「コンピューターでやる競技」なのか「コンピューターでやる娯楽」なのかというのを比較した場合、後者の方が適用するゲームが多い。
というか、コンピューターゲーム=コンピューターでやる娯楽と等号で結びつけてもいいんじゃないかと思う。
元230の考え方だと、ゲーム=遊びだとおかしいとか、ゲーム=娯楽もおかしいと言ってくるはず。
でも、コンピューターゲーム=コンピューターでやる娯楽ならどうだろう。
演劇を題材にしたRPGや映画を題材にしたアドベンチャーゲーム、音楽を題材にしたリズムアクションゲーム、スポーツを題材にしたもの等々、
娯楽はコンピューター上ではコンピューターゲームになるんじゃないかという考え。
では、どうしてコンピューターを使うと競技の枠を飛び出すのかというと、コンピューターの擬人化が要因の一つ。
これは元230が主張する疑似競技性の源だと思う。
コンピューターが人間の代わりにプレイしたり採点したりしてくれる。
だから1人でも競技ができる。
もう一つ、コンピューターは世界を構築できる。
たとえば、初期のコンピューターゲームであるピンポンゲームもどきでは、ラケットやボール、コートはコンピューターが作ってる。
実在のラケット、ボール、コートではないし、コンピューターによってその大きさ、性質、色など自在にカスタマイズができる。
さらには物理法則を変化される事もできるので、ピンポンゲーム→ブロック崩し(衝突したブロックが反射と同時に破壊される)のようなものを作り出す事ができた。
しかし、人間の認識がこの変化についていく事ができず、ブロック崩しもコンピューターゲームとして錯覚してしまった。
本来のゲームとしての競技ではなくなってるのに気付かなかったというのが正しいかな。
誰も疑問に感じなかったのだろう。
そのうち、競技性の有無はコンピューターゲームにあまり関係ないものになったが、娯楽性を高めるためには競技性を取り入れるのが一番効果的だ。
だから今でも対戦型ゲームは人気があるのだろう。
まとめると
・コンピューターゲーム初期は競技だった
・途中から競技でないものが混ざってきたが大衆は誤認した
・誤認が続くうちにコンピューターゲームの概念が構築されてきた
コンピューターゲームとはそれまで存在していたゲームから派生して誕生したものだが、大衆の概念が構築される頃には競技性は決して必要なものではなくなったのではないだろうか?
つまり、元230が言う「大衆は間違ってる」というのは半分は正しいと思う。
ゲームとは本来は競技の事なのだから、競技性のないゲームはゲームじゃない。
どうぶつの森は、本質的なゲーム、つまり競技としてみればゲームじゃない。
しかし、コンピューターゲームとして広く認識されてる。
では、コンピューターゲームは本当にゲームなのだろうか?コンピューターでやる競技なのだろうか?
そう考えていくと、どこかでゲーム→コンピューターゲームの「→」部分の変化があったはずだ。
それはブロック崩しであり、インベーダーゲームだと思う。
これらは厳密に言えば競技じゃない。
スコアはあるが、ゲームの中では誰とも競ってない。
コンピューターが作り出した世界の中で「娯楽」を楽しんでるだけの代物だ。
>>836 20レス連投で合計4000レスくらいしてるアホがいるスレであることは間違いない。
>>836 毎日のように、ひたすらコピペ連投と個人攻撃に終始して、意見を持たないニートがいるスレである事は間違いない。
◆7ZAJm/y1bQは「コピペ連投をする自分」と「個人攻撃専門の自分」と「対立する意見を持つ自分」と使い分けてる。
これは解離性同一性障害の症状そのものだろう。
本人には全く自覚が無いから「何言ってんだボケ」とか言い出す「個人攻撃専門の自分」が出てくる。
そして「対立する意見を持つ自分」が論で破れると「個人攻撃専門の自分」にバトンタッチする。
こうやってガス抜きをしつつ、日課である「コピペ連投をする自分」が活動を維持するという構造になってるようだ。
とにかく◆7ZAJm/y1bQが精神を病んでるのは間違いないな。
そういえば精神病患者が「自分は医者だ」と思いこんで他の患者を診察するまねごとをする事もあるらしい。
◆7ZAJm/y1bQにはこの傾向も見られる。
自分を特殊な存在に置き換える事で現実から乖離しようと無意識的に行動するのだろう。
ふと思ったが、あまりこうやって◆7ZAJm/y1bQを追いつめない方が良いかもしれない。
こういう精神的に病んでる人が追いつめられると犯罪に走ったりするから。
幼児性愛の傾向もあるとの事なので非常に危険だ。
>>845 いい加減、諦めなさい。
君の不快感は解消されないよ、絶対。
>>839 「真理」から考えた場合、G様の「楽しさ」とほぼ同じですが、コンピューターゲーム=模倣(プレイヤーがキャラになりきるごっこ遊び)が本質な気がします。
例えば
レースゲーム、車を操作して体が動く
ガンシュウ、ガンナーになりきる
エロゲー、主人公になりきり、エロいことをする
RPG、主人公になりきり、世界を救う
ホラー、世界観に入り、びっくりする
クイズ、答える場合を用意してもらい、解答する
など
コンピューターゲーム=模倣(ごっこ遊び)で競争(競技)、眩暈、偶然は演出(面白さの)。
ゲームソフトは模倣(ごっこ遊び)のツールじゃないかと思う。
じゃあ何故、ゲームソフトてゲームてついてるのかは、たぶん、ごっこ遊びにルールをつけたからじゃないかと思いました。このルールは本質ではなく、模倣の演出だと思う。
やっと消えたかw
853 :
元230:2008/01/24(木) 04:30:40 ID:EDzLUJdW0
>>631 >>例えば、アフリカを舞台にし、リアルなライオンを主人公にして、草原を走り回り、腹が減れば猟をしたり、ハンターの攻撃をかわし倒す(眩暈の要素を強くして面白くする)、てのはユーザーもゲームとしてみるんじゃないんですか?
もし規制がなくなっていたら、これをとりあげましょう。
854 :
元230:2008/01/24(木) 04:31:47 ID:EDzLUJdW0
お、書き込める。ただ改行を忘れてしまったのでもう一度。
>>631 >>例えば、アフリカを舞台にし、リアルなライオンを主人公にして、草原を
走り回り、腹が減れば猟をしたり、ハンターの攻撃をかわし倒す(眩暈の要素
を強くして面白くする)、てのはユーザーもゲームとしてみるんじゃないん
ですか?
これです。
855 :
元230:2008/01/24(木) 04:39:38 ID:EDzLUJdW0
これをもし「アクションソフト(わざと「ゲーム」という言葉を避けています)」として売り出したいのなら、狩りの部分その他に
アクション要素を盛り込めばいいことになります。逆に、何をするのも全部コマンド選択で解決できるのならば、それは「ア
クションソフト」とは呼べません。なぜなら、コマンドを選ぶだけではアクション性があることにはならないからです。
またところどころに頭の体操(レイトン)もどきのパズルを盛り込めば「バズル(謎解き)ソフト」にもなるし、狩りをするのに
中学生の方程式を解かなければならないのなら「知育ソフト」になります。
何を当たり前のことを言っているのだと思われますか? ここからが本題です。
以上のことが理解でき、また同意できるのであれば、これが『ゲ ー ム』と呼ばれるためには「ゲーム性」がなければなら
ないじゃないか、と私は言いたいのです。ゲーム性があるソフトこそ「ゲームソフト」であるべきだからです。もし「ゲーム性」
がないのにゲームソフトと呼ばれるのなら、それはアクション性がないのに「アクションソフト」と呼ばれるのと同じく不合理です。
856 :
元230:2008/01/24(木) 04:53:23 ID:EDzLUJdW0
さてG様理論では「コンピューターソフトのうち遊びの要素があるもの」もゲームだそうです(もっとも最近G様は自分の意見を
変更しているらしいので、今はどうだがわかりませんが)。
アクション性がソフトに加わればアクションソフトであるわけですから、コンピューターソフトに遊び要素があるのが「コンピューター
ゲーム」であるのなら、当然「遊び=ゲーム性」ということになってしまいます。
しかし遊びがゲームではないことは、すべての遊びが「ゲーム」として認識されないことからも明らかです。つまりこの理論は
破綻しているのです。遊び要素がそのまま「ゲーム性」ではない以上、遊び要素を加えても「遊びの要素を持ったソフト」
(娯楽ソフト)でしかないのであり、それを「ゲームソフト」と呼ぶのは間違っています。
ではなぜこういう間違いが起きるのかと言えば、それは「ゲーム=遊び」という間違った固定観念があるからです。ボード
ゲームが「盤上遊戯」と訳されるのもそのためです。
857 :
元230:2008/01/24(木) 04:54:59 ID:EDzLUJdW0
ゲームとは何かを考えるときに、頭の中から「遊び」という概念を追放することを私は提案します。ただ「競技」だと思えばいい。
「競うこと」でもいいです。一人のときは厳密には競技ではありませんが、いろんな要素を加味することによって「競っている」
状態になっているのです。そう考えるとゲームについて簡単に説明できるし、破綻がないのです。ゲームとは何かが「定義でき
ない」などとwikiにまで書いてあるのは、みんな「ゲーム=遊び」という呪縛から逃れられないからです。それをさっさと捨てると、
ゲームとは何かがはっきり見えてきます。
858 :
元230:2008/01/24(木) 05:04:01 ID:EDzLUJdW0
相手がいれば相手と競えばそれでいいのですが、一人の時に「競う」雰囲気を出すためには、当然何か困難な課題・敵・
乗り越えるべき障害物などが必要です。そういうものがないと「競っている」感じが出ません。
マリオをはじめると、すぐにいろんな敵がワラワラやってくる。そのまま放置しておくとすぐやられてしまうので、飛び越えるとか
踏みつけるとかしないといけない。この場合は敵やトラップ・迷路・謎をクリアすることが「競う」要素になっているのです。
テトリスでも同じで、ブロックをうまく消せるように組まないといけない。何も考えずにブロックを積んだらたあっと言う間に終わ
ってしまう。どうやってうまく消すかを考えるところが競う要素につながります。
例を出すとキリがないので、ここら辺で
>>631の「例えば、アフリカを舞台にし、リアルなライオンを主人公にして、草原を
走り回り、腹が減れば猟をしたり、ハンターの攻撃をかわし倒す(眩暈の要素を強くして面白くする)」ソフトを例に考えてみます。
859 :
元230:2008/01/24(木) 05:16:35 ID:EDzLUJdW0
例えば「腹が減れば猟をする」ということも、それが「コントローラー操作による狩り」なのか「コマンド選択式による狩り」なの
かで違ってきます。前者は「アクションゲーム」ですが、後者はそうではありません。
同様に「腹が減った状態で放置するとライオンは死んで強制終了」というような設定がある場合と、「腹が減っても実質的な
ペナルティーが全くない(ただ「グ〜」とか音がするだけ)」場合とでは、全く本質が違ってきます。
私は前者には「競う」性質(ゲーム性)を認めるべきだと思います。狩りをするためには獲物と戦う必要があり、もしかすると
それを横取りしようとするハイエナとも一戦交えないといけないかもしれない。その時にかなりのコントローラー操作が要求
されるのなら、ミスをして獲物が逃げてしまうかもしれないし、ミスが続けばライオンは死んでしまう。まさに「サパイバル」。そこ
に「競う」要素を認めることは、そんなに難しくありません。つまり、それがこのゲームの本質的な要素になっているのなら、
これは立派な「ゲームソフト」だと思います。
860 :
元230:2008/01/24(木) 05:21:49 ID:EDzLUJdW0
だが後者はどうでしょうか。腹が減ってもただ「グ〜」とか音がするだけで、ペナルティーは全くない。もちろん強制終了もない。
いちいち狩りをしなくてもいいわけです。いくら狩りに上で書いたような「競う」性質があっても、それを「パス」できるのなら、
それはこのソフトの本質であるとは言えません。単にオマケです。ということはこれは「ゲームソフト」とは呼ぶべきものでは
ないことになります。
だから一応前者の設定(狩りをしないとライオン死亡)はゲームであり、後者(実質的なペナルティーなし)はゲームではない
と言えますが、しかし前者にしても、狩りが余りにも簡単すぎると「競っている」要素が激減するため、ゲームとは呼びにくくな
ってしまいます。
狩りをするために「狩りをする」というコマンドを選ぶだけでよく、しかも95%の確率で狩りは成功するなどいう設定になって
いたら、ほとんど苦労は必要ありません。余りにも簡単すぎる。これでは競う要素としては失格です。
861 :
元230:2008/01/24(木) 05:29:58 ID:EDzLUJdW0
何も私は難しいことを言ってるわけではありません。あるソフトが「アクションソフト」と呼ばれるためには当然アクション性
がなければならない。しかしアクション性があったとしても、それがあまりにも簡単すぎたりパスできたりしたら、アクション性
があるにしても随分「薄い」アクション性になってしまうので、「アクションソフト」としては失格だ……ということの『アクション』を
『ゲーム』に置き換えて話をしているだけです。こんなことは別に「神」でなくてもわかることだと思います。単純な論理ですから。
あるソフトが「『ゲーム』ソフト」と呼ばれるためには当然『ゲーム』性がなければならない。しかし『ゲーム』性があったとしても、
それがあまりにも簡単すぎたりパスできたりしたら、『ゲーム』性があるにしても随分「薄い」『ゲーム』性になってしまうので、
「『ゲーム』ソフト」としては失格だということを、私は「ライオンソフト」を例に説明したのです。
862 :
元230:2008/01/24(木) 05:33:53 ID:EDzLUJdW0
例えばマリオでも、敵とぶつかっても「イテテ」とか言うだけでミスにも何にもならない。穴に落ちても普通に復活できる。
ボスもAボタンを一回押すと勝手に死んでくれるなんていうことになると、ほぼ「競う要素」はゼロにまで激減します。
こんなものが実際あったら、大抵の人はこういう感想を持つんじゃないですか?
「何これ、ゲームになってないじゃん」
そう、競う要素(ゲーム性)がゼロですから、ゲームではないことになります。
863 :
元230:2008/01/24(木) 05:44:55 ID:EDzLUJdW0
どうぶつの森がゲームじゃないと私は主張するのは、どうぶつの森に「ゲーム性」(競う要素)がほとんどないに等しいからです。
このソフトの場合、家賃にしても「返しても返さなくてもいい」わけですし、返すにしても期限がないし文句も言われない。
コンプ要素も釣りも別にやらなくてもいい。最初におつかい等を強制されますが、これは遊び方を教えてくれるチュートリアル
みたいなもので、本編とは関係ありません。雑草抜きにしても引っ越し阻止にしても全然「競う」レベルのものじゃありません。
逆に考えてみましょう。どうぶつを「ゲーム」らしくするにはどうしたらいいか? ちょっと設定を変えて例えば「一週間以内に××万
ベル返済しないとゲームオーバーになって森から追放される」とか、そういう要素があれば何とかベルを集めないとならないという
「競う」要素が出てくるので、ずっとゲーム的になります(もちろんベルがあまりにも簡単に集まるようではダメです)。でもそんな
設定はもちろん存在しません。
864 :
元230:2008/01/24(木) 05:45:51 ID:EDzLUJdW0
つまり「どうぶつの森」は、「ゲーム性」をなるだけ排除してゲームの制約にしばられずにプレイすることを念頭においているのだと
解釈できるわけです。どうしてそういうものを「ゲーム」と呼ぶことができるのでしょうか? アクション性がないものをアクション
ソフトと呼べないのなら、ゲーム性がないものをゲームソフトと呼ぶのは不合理です。
865 :
元230:2008/01/24(木) 05:53:11 ID:EDzLUJdW0
今日はこんなところで。明日はG様への返答の続きかな。
905さん、おつかれさまでした(笑)。私はもう少し好きにやらせてもらいます。
866 :
元230:2008/01/24(木) 05:57:31 ID:EDzLUJdW0
>>863 ×家賃 ○ローン
>>862 ×穴に落ちても普通に復活できる。 ○穴に落ちても「残り数が減らずに」普通に復活できる。
元230氏が規制にひっかかってたおかげで昨日は安眠できましたよ。
だいたい俺の主張も固まってきてたし。
>>855 ええ、ゲームは競技というゲームの原点に沿って考えればまさにその通り。
本質的なゲームにとって必要なゲーム性とはつまり競技性の事でしょう。
そしてコンピューターゲームにも登場当初は明確に競技性がありました。
途中から競技性が曖昧になり、すでに競技性が消失してるコンピューターゲームさえ存在してます。
ゲームの定義解釈を変えずにコンピューターゲームで起こってる現象を説明しようとすると、
ゲームとコンピューターゲームについては分けて考えた方が良いのではないかと思います。
俺は「ゲーム=競技」は否定しません。
本質的なゲームは遊びではないでしょう。
>>856 今の意見は
1.ゲームとは競技の事である
2.コンピューターゲームとはコンピューターで行う娯楽の事である
あなたは勘違いしすぎなのでフォローレスいれますが
コンピューターゲームがコンピューター上で行う娯楽だから
「ゲーム=娯楽」と結びつけないように。
コンピューターゲームには「ゲーム」と付いてますが、これはもはや登場当初の名残のような文字で、今は意味を成してないという事です。
意味を成してないと言いましたが、もちろん今も競技性のあるゲームは存在しますし、ゲームの中で最も楽しいのは対戦型のゲームでしょう。
>>851 元230氏へのレスを優先したのは、先に上のまとめを見て貰いたかったからなのでご了承を。
>コンピューターゲーム=模倣
そのような安直な繋げ方をすると元230氏がすっとんできますよ。
その等号の繋げ方をすると、「モノマネもコンピューターゲームなのか?」と。
俺は「コンピューター上の娯楽」として定義してるけど、ごっこ遊びも娯楽の一部なので君の主張も当然含みます。
で、本質として「楽しさ」を挙げてますがこれには同意。
本質的なゲームとしての競技も、対決してる双方の個人、チームは楽しんでるのかもしれませんし、そう考えるとゲーム全ての本質が「楽しさ」なのかもしれません。
これは真理にかなり近いと思います。
>>851 コンピューターゲームではコンピューターが仮想世界を構築してくれます。
時には物理法則をねじ曲げたりもします。
その仮想空間内で「楽しいこと」をするのがコンピューターゲームなのでしょう。
競争も楽しいし、模倣も楽しいし、眩暈も楽しいし、偶然も楽しい。
他にも色々楽しいことがあるかもしれないが、コンピューターが世界を構築可能であるならば、
人間が現実世界で得られる楽しさと同等のものを手軽に得られるのではないかと思います。
つまり仮想現実という現実と隔離されたもう一つの世界で生死や仕事や勉強や現実社会の人間関係を気にせず気楽に楽しめるもの。
ルールを付けた、という言葉の意味は「世界をコンピューターが支配するルールに基づいて構築してる」と俺は受け取りました。
それは競争のためのルールではなく、その世界における絶対的なルールと。
マリオならボタンを押すとジャンプする、のようなルールはマリオの世界にしか通用しないルールですから。
>>856 まあ、あなたが数日いなかったのともかく、閲覧もできなかったのか疑問はあります。
コンピューターゲームと昔からあるゲームには確かに「ゲーム」という共通の名前がついてますが、
今のコンピューターゲームは昔のゲームと違うのではないかというのが今の俺の主張。
だから、コンピューターゲームはコンピューターゲームとして定義すべきでしょう。
だら、仮にコンピューターゲームにとって娯楽の要素が重要だとするならば、コンピューターゲームに於けるゲーム性とは娯楽性の事です。
あなたはすぐ等号でゲーム=娯楽と繋げたがりますが、ゲーム=本質、コンピューターゲーム=コンピューターでやる娯楽、
こう繋いでください。
ゲームの本質は競技です。これには同意してます。
でもコンピューターゲームにはゲームと名前がついてるが、すでにそれは名残にすぎず、
今はコンピューターで行う娯楽ソフトの事をコンピューターゲームと人々は呼んでます。
>>856 更に、どうしてコンピューターで行うとゲームが娯楽になるのか?という質問についても、
コンピューターゲームの歴史を振り返る事で説明してます。
元祖コンピューターゲームは競技そのものだったが、途中から大衆や開発者達はコンピューターゲームが競技であるという事を忘れて(考えず)
次々と作りだし、プレイしてるうちにそれらもコンピューターゲームと認識するようになったのではないかという事でする
つまり、あなたの言うように人々は間違った認識を繰り返すうちにそれを常識に塗り替えたという事です。
>>858 出ましたね「疑似競技性」
その前に「競技」とは何でしょう?
調べてみると「技を競い合う事」です。
競うという言葉にも「互いに負けまい、勝とうとして張り合う事」
競争も「同じ目的に向かって互いに競い合う事」とあります。
さらに「競」という文字を見てみましょう。
右と左でそれぞれ同じ部首ですね。
つまり2人が張り合う様子を形容して作られた文字である事も容易に想像できます。
この事から「競技」というのは自分以外にもう1人存在しなければ成立しないんです。
どう解釈しようが競技は2人以上でするものです。
あなたの「疑似競技性」というのは競技という言葉の基本を無視してるんですよ。
>>858 課題を設定してやる、障害を乗り越えるというのは、競技ではありません。
それらを誰か他の人と競えば競技になりますが、マリオには同時に進行しているライバルはいません。
だから競技ではありません。
あなたは競技の「ルール部分」だけ取り出して、それを1人でもできるようにしてるのだから「擬似的な競技」だと言ってますが、
本当の意味での擬似的な競技というのは、コンピューターが人間の代わりになって擬人化され、
その擬人と競技する事を示すというのが俺の意見です。
>>874 競技の本質である「競い合う」つまり競う対象が存在しないのですから、「疑似競技性」という解釈は間違っています。
1人でセックスはできません。オナニーはセックスではありません。
ダッチワイフとするセックスは「疑似セックス」ですが、1人でセックスをした振りをするのはセックスではないのです。オナニーです。
あなたの意見は、オナニーにセックスのルールを用いればセックスになると言ってるのと変わらないのです。
対象相手が存在しなければ競技にはなりません。
このように、元230の主張する「疑似競技性」の嘘に騙されてはいけません。
競い合う相手がいなければ、競技は成立しません。
100m走をオリンピック同様のスタイルでタイムを計測したとしても、そのタイムを誰かと競わないかぎりそれは競技にはなりません。
ただ走っておわり、タイムを見て自己満足するのみ。
さらにこのタイムも他の誰かと比較すれば競争になりますが(オリンピック選手や友達など)誰とも比較せず漠然と数字としてしか残らないなら競技ではありません。
前回走ったタイムと次に走ったタイムを比較するという目的なら、自分というゴーストと競争していると言えます。
この場合もコンピューターによる擬人化同様に、自分と競争しているという表現は可能でしょう。
そのため、スコアが存在は自分との競争のために必要なシステムの一つだと思いますが、誰もがそのシステムに沿って競争してるとは限らないので、
やはりスコアシステムは「娯楽性」の一部として考えるべきでしょう。本質は「楽しさ」だと思います。
もう一度整理します。
・競技とは技を競い合う事である
・競技は2人以上で行うものである※必須条件
・競技からルール部分だけ取り出して1人で行っても競技にはならない
・コンピューターという擬人と競い合うのは競技である(疑似競技)
・過去の自分のゴーストと競い合うのも競技である(疑似競技)
以上の事から元230の主張する「疑似競技性」が「競技のルールを適用すれば1人でも競技が成り立つ」を否定します。
そろそろ出かけるので残りは夜です。
とにかく、元230は昔のゲーム、つまり本質的なゲームと、
コンピューターゲームで分けて考えた方がいい。
もし、昔のスタイルのゲームに限定するならば、
コンピューターゲームの多くを「ゲームではない」と否定し続ければいい。
本質的なゲームとして考えたら今の多くのコンピューターゲームは実際に競技ではないのだから。
競技でないものを競技だというのはおかしい。
更に、既に存在するマリオのために「疑似競技性」といういい加減な解釈もやめてほしい。
マリオも競技じゃない。ゲーム内では誰とも競ってない。
競ってないのに「競技」と呼ぶのは間違ってる。
だからマリオもゲームではない。
コンピューターゲームと呼ばれてるが。
>>852を書いたとたんに元230とGが文通を始める。
これで何がどうなってるか、わかりますよねw
880 :
元230:2008/01/24(木) 08:04:21 ID:EDzLUJdW0
目がさめて見てみると、やっぱ反応早いな〜G様(笑)。
>>873 >>この事から「競技」というのは自分以外にもう1人存在しなければ成立しないんです。
どう解釈しようが競技は2人以上でするものです。
そうですよ。だから私は「一人用ゲームは厳密には競技ではない」「対戦用ゲームが本物の
ゲームなら、一人用ゲームは『準ゲーム』」とでも言うべきもの」というふうに区別してます。
純粋競技と「疑似」競技性を持つものとを区別せよというのが私の主張ですから。
>>あなたの「疑似競技性」というのは競技という言葉の基本を無視してるんですよ。
本当にそれをやっているわけではないから「疑似」と書いているです。理解できませんか?
853から878まで、「もうおわりかな?」と言ったら急に来るわけです。
釣りに弱い人が2人いるのか。それとも同一人物の自演なのか。
>>821を証明してしまいそうな勢いです。
→
>>819-823 現在のスレテンプレは
>>11-12
882 :
元230:2008/01/24(木) 08:06:34 ID:EDzLUJdW0
>>874 >>課題を設定してやる、障害を乗り越えるというのは、競技ではありません。
それらを誰か他の人と競えば競技になりますが、マリオには同時に進行しているライバルはいません。
だから競技ではありません。
はい正しくは競技ではありません。だから「疑似」競技なのです。理解できませんか?
>>852を書いたとたんに元230とGが文通を始める。
これで何がどうなってるか、わかりますよねw
853から878まで、何と25連投も
「もうおわりかな?」と言っただけで、急に来るわけです。
釣りに弱い人が2人いるのか。
それとも同一人物の自演なのか。
>>821を証明してしまいそうな勢いです。
→
>>819-823 現在のスレテンプレは
>>11-12
884 :
元230:2008/01/24(木) 08:12:46 ID:EDzLUJdW0
>>876 >>100m走をオリンピック同様のスタイルでタイムを計測したとしても、そのタイムを誰かと競わないかぎりそれは競技にはなりません。
ただ走っておわり、タイムを見て自己満足するのみ。
だから「比較」するんですよ誰かのタイムと。あるいは自分で目標を決めるんです。
そしてその目標または誰かのタイムより良ければ「勝ち」、悪ければ「負け」というふうにするわけです。
885 :
スレまとめ1:2008/01/24(木) 08:13:03 ID:2F3xdiih0
WiiFitはフィットネスorゲームであって
ゲームの入ったフィットネスとかフィットネスをするゲームだったら、WiiFitはガラクタだと、
根拠もないのに主張して、400レスも1スレに連投してたんだよねw
その次は飽きる飽きる連呼。WiiFitは飽きるからダメとか言いだして、
名無しを呆れかえらせてた。Gはこの発言をしてるころは2回しかプレイしてなかったのにねw
わかりやすいスレの流れ
Gが他人のレス内容をパクる
↓
名無し「ちょ!何パk・・・」
G「!!おいお前、何Gのレスパクってんだ!」
名無し「え!?何言ってるんだパクったのはそっちじゃないか!」
G「醜い言い訳すんな。恥を知れ。」
名無し「ええ!?」
第三者(うわー、何あの醜い争い・・・どっちも惨めだな)
確認してるだけでも2000レス以上は2人だけの話し合い
そろそろメルアド交換して、別の場所でやればいいんじゃない?
誘導 ゲーム系雑談スレ
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1199617493/
886 :
元230:2008/01/24(木) 08:13:12 ID:EDzLUJdW0
G様の主張のように、これは「本当の競技」ではない。対戦相手がいないわけですから本当の競技は無理です。
だがそういう目標を決めてそれを達成すれば勝ち、しなければ負けというふうにすれば、擬似的な競技性が
生まれると言っているんです。つまり「競技をしている気分」になるわけです。
そしてこれが本当の競技ではないからこそ、私は本当の競技と一人用の疑似競技とは区別した方がいい、
つまり「ゲーム」には二種類あるんだぞ、と言っているんです。
ゲーム=競技、とは、「ゲームはすべて本物の競技である」と言っているのではありません。
こういう擬似的な競技性を持つものもそこに加えているのです。
887 :
スレまとめ2:2008/01/24(木) 08:13:29 ID:2F3xdiih0
888 :
スレまとめ:2008/01/24(木) 08:16:39 ID:2F3xdiih0
【スレの発端】
WiiFitは、フィットネスorゲームであって
ゲームの入ったフィットネスとかフィットネスをするゲームだったら、WiiFitはガラクタだと、
根拠もないのに主張して、400レスも1スレに連投してたんだよねw
その次は、WiiFitは飽きる仕組みだからからダメとか言いだして、名無しを呆れかえらせてた。
Gはこの発言をしてるころは2回しかプレイしてなかったのにねw
【わかりやすいスレの流れ】
>>819-823 【このスレで、よくあること】
Gが他人のレス内容をパクる
名無し「ちょ!何パk・・・」
G「!!おいお前、何Gのレスパクってんだ!」
名無し「え!?何言ってるんだパクったのはそっちじゃないか!」
G「醜い言い訳すんな。恥を知れ。」
名無し「ええ!?」
第三者(うわー、何あの醜い争い・・・どっちも惨めだな)
【元230とG】
確認してるだけでも2000レス以上は2人だけの話し合い
そろそろメルアド交換して、別の場所でやればいいんじゃない?
誘導 ゲーム系雑談スレ
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1199617493/
889 :
元230:2008/01/24(木) 08:26:33 ID:EDzLUJdW0
>>868 >>今の意見は
1.ゲームとは競技の事である
2.コンピューターゲームとはコンピューターで行う娯楽の事である
「遊び」ではなく娯楽になってるのね(笑)。にしてもやっぱりコンピューターだけは
別扱いするんですねぇ。テーブル上で娯楽を行ったりカードを使って娯楽を行っても
ても「テーブルゲーム」「カードゲーム」に必ずなるわけじゃないのに、なぜかコンピ
ューターだとそうなる……。
いや、これはやっぱり「コンピューターゲーム」に対する特別な思い入れで語ってる
だけです。論理じゃないですよ。
890 :
元230:2008/01/24(木) 08:27:44 ID:EDzLUJdW0
>>872 >>更に、どうしてコンピューターで行うとゲームが娯楽になるのか?という質問についても、
コンピューターゲームの歴史を振り返る事で説明してます。
元祖コンピューターゲームは競技そのものだったが、途中から大衆や開発者達はコンピューターゲームが競技であるという事を忘れて(考えず)
次々と作りだし、プレイしてるうちにそれらもコンピューターゲームと認識するようになったのではないかという事でする
それは一体何年ぐらいからそうなったと考えてるんですか?
891 :
元230:2008/01/24(木) 08:42:21 ID:EDzLUJdW0
>>665 >>と、コンピューターゲームが広く伝わる間に作られたものはどれも本質的な競技性を持つゲームだった。
しかし、コンピューターの表現力が拡大したのと、乱数を積極的に取り入れるようになった事、更に高度な
プログラムを組み込めるようになったために、「ブロック崩し」→「インベーダー」→「パックマン」と急速に進化
していった。 本来ならもうブロック崩し(ブレイクアウト)が出た時点でゲームについて考察すべきだったのだろうが、
なにしろ進化が速い。一般の認知としてはピンポンゲームがコンピューターでできるからコンピューターゲームで
あったはずが、いつの間にか、コンピューターでやる「遊び」に変わってきた。
更に表現力が向上し、処理能力が上がった事でついにはコンピューター上に仮想空間を作れるようになった。
つまりコンピューターの進化に人間の認知が追従してこなかったのではないかという推測。
はあ。それでこの推測が正しいっていう証明は、どこにあるんですか?
892 :
元230:2008/01/24(木) 08:47:52 ID:EDzLUJdW0
>>890の私の質問だが、どうもG様の文章だとブロック崩しぐらいかららしい
ので(要するに一人でするものだからだろう)1970代後半ということになる
のだろうが、それはファミコン登場よりもずっと前のこと。ファミコン黎明
期なんて、今から考えると恐ろしく単純なゲームしかなかったことを考える
と
「つまりコンピューターの進化に人間の認知が追従してこなかったのではないかという推測」
これがもう1970年代後半に起きていたなんて、ちょっと無理があると思う。
推測で語っていったら、またしても「爆弾発言します。主張が変わりました」ってことになる
んじゃないだろうか。
893 :
元230:2008/01/24(木) 08:53:10 ID:EDzLUJdW0
というかそもそも「ゲーム=競技」なんて認識がちゃんとあったのかどうかが疑問。
コンピューターゲーム以前に「一人用のゲーム」があったとしたら、G様の「推測」
はすべて水泡に帰する。例えばトランプの一人遊びが「一人用カードゲーム」だと
思われていたのなら、何もコンピューターとは全然関係なく「純粋競技=ゲーム」
からの逸脱は起こっていたことになる。
894 :
元230:2008/01/24(木) 09:00:38 ID:EDzLUJdW0
さて二度寝するけど、G様の「爆弾発言」をどうすればよいのかという疑問が残る。
考え方が変わったわけだから、それ以前の文章は全部無視してもいいわけですか?
895 :
元230:2008/01/24(木) 09:02:56 ID:EDzLUJdW0
これですね。
>>645 ええとですね、爆弾発言しちゃいます!
ここまでWiiFitはフィットネスをするゲームと主張してきましたが、それをご破算にします。
今は「わからない」です。
Product outline
発売日:2007年12月1日 希望小売価格:8,800円(税込)
ジャンル:フィットネス プレイ人数:1人(バランスWiiボード2台同時接続不可)
対象:体重136kg以下 Mii対応
[セット内容] Wii用ソフト「Wii Fit」 1本
バランスWiiボード 1台
単3アルカリ乾電池 4本
※「Wii Fit」をプレイするには、このセット以外にWii本体(別売)が必要です。
公式
http://www.nintendo.co.jp/wii/rfnj/index.html