http://society6.2ch.net/test/read.cgi/ruins/1139061564/60-64 ティアワナコ遺跡の建造年代
何がおきたかは明白だ。遠い昔、ティティカカ湖に臨む巨大な港が築かれた。この湖は世界でも
最も高いところにあり、海抜1万2500フィート(約3800メートル)、面積は3000平方マイ
ル(約4800平方キロ)以上だ。
さて、注意深い読者はこうおっしゃるだろう。「ちょっとまてよ、何だって彼らは、空の上
の2・4マイル(約3800メートル)のところなんかに港を作ったりしたんだ?気は確かか?」
よくある説明――これは海港ではなく、湖港だから――では答にならない。
確かに、港というのは海を渡ってきた船が、積荷で商売したり交易したりするところじゃ
ないのか?ティティカカ湖には他にもいくつの港があったのか?
そこで答が出る――「ひとつも」。それを聞くと、何もかもが馬鹿げて居るように思えてく
る。しかも、ティティカカ湖を航行していたのは葦舟に乗ったインディオだけだという。この巨大な
港は明らかに造る場所を間違えている。
だが、ティティカカ湖には真水に適応した海棲生物が沢山居るとしたら同だろう。明白な説明が
生まれてくる。つまり、それは最初は海面と同じ高さにあったのだが、何らかの大変動が
アンデスを空中1万2500フィートまで待ち上げてしまったのだ。
ではそれはいつか?どうみてもそれは歴史時代のことであって、100万年前とかそんな昔で
はない。なぜなら人間が港を築いていたからだ。
実際、ボナンスキーはその破局が起こった時期を示唆している。紀元前11千年期。つまり、紀
元前1万1000ごろだ。
この年代は何かピンとくるものがある。少し前、私はロサンゼルスのジョージ・C・ペイジ博物館に
行って、死んだ恐竜の骨でいっぱいのホールを撮影した。その博物館の地下では、「ラ・ブレアの
タール・ピット」が今も不吉に沸き立っている。何百万年にもわたって、何千もの生物がこの油
性の水を飲もうとして死んだ。そして、ゆっくりと泥に飲まれた状態で発見された。