昔の地図は古い

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81,

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1206868737/68-88

だが、驚くべき事はそれだけではなかった。なんとフレマスは、8つ以上の聖地が、ハドソン湾の

旧北極時代の北緯10φの位置にあったことを発見したのである。(10φは北極から4429・2海里にあたり、

北緯16・11度である)。

聖地         座標            旧北極への距離(海里)かつての緯度

バールベック       北緯34・00/東経36・12    4431      北緯16・09

パラカス        南緯13・50/西経76・11    4431      北緯16・09


クスコ         南緯13・32/西経71・57    4433      北緯16・09

シドン         北緯33・32/東経35・22    4437      北緯16・03
 
マチュピチュ       南緯13・08/西経72・30    4407      北緯16・37

エーディン       北緯34・19/東経35・57    4406      北緯16・32

オヤンタイタンボ     南緯13・14/西経72・17    4414      北緯16・26

ニネヴェ      北緯36・24/東経43・08    4451      北緯15・49
 
82,:2008/07/16(水) 21:36:53 ID:RQSrKfjh

はたしてこれは偶然なのだろうか。もしも偶然で無いなら、南緯10φのテイアワナコに対応す
る、北緯10φ聖地があるはずだ、とフレマスは考えた。しかもそれは、やはりギザの大ピラミッ
ドと関係のある位置でなければならない。それにもっともふさわしいのは、北緯10φ、
ギザ西経120度の位置である。

だが、そこは、一見、何もなさそうな場所だったー−中央アメリカのベリーズという国にある、
ルバントゥムという、聞いたことも無い町だったのである。だが、インターネットで調べてみると、こ
こはかつてマヤの祭祀センターであり、3つのピラミッドがあったことが判明したのである。

実は私は、以前からこの町を知っており、かつて「過去と現在の解き明かされぬ謎」(邦訳
「世界不思議百科・総集編」)という書物の中で、この町のことを書いたことまであった。
というのも、ここは有名な「水晶髑髏」と関係のある町だったのた。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/ruins/1139061564/74  水晶髑髏
83,:2008/07/19(土) 10:37:13 ID:q3+oeicx

数度にわたる南アメリカの探検で知られるパーシー・ハリソンン・フォーセット中佐は、1020年代に謎の
失墜を遂げた。このとき彼は、ブラジルのジャングルにあるという、失われた失われた都市を探
検していたのである。この都市については、リオ・デ・・ジャネイロの国立図書館の古文書にも
その存在が記されておりかつてそれが存在したことはほぼ確実と見られる。

この古文書の全訳は、ハロルド・ウィルキンズの「古代南米の謎」(1956)に収録されているが、
それによると、1753年にこのジャングルに迷い込んだポルトガル人の一団が、かつての壮麗
な大都市の遺跡を目撃したと言う。ウィルキンズがこの古文書の写しを手に入れたもは1939
年のことだが、フォーセット中佐は少なくともその20年以上前にこの古文書を見て、その内容
を正しいものと信じた。そこで彼は、何度も死線をさまよいながらも生涯この地の探検を
続けたのである。ちなみに、かのアーサー・コナン・ドイルの名作「ロスト・ワールド」は、このフォーセット中
佐の探検にヒントを得たものだ。

フォーセット中佐はアトランティスの存在を固く信じていた。かつて南米を大規模な洪水が襲ったが、そ
の原因こそ、アトランティス大陸を海中に沈めた災厄であった、と考えていたらしい(当時として
は非常に斬新な考えである)。そしてアトランティスの生き残りの一部が南米にやってきて、件の
謎の都市を残したのだと言う。彼の結論は、本書の結論と奇妙なほどに通っている。
中佐は言う。

「私は古代都市の存在をひとときたりとも疑ったことはない。なぜかというと、私自身が
かつてその一つを目撃したことがあるからだ。それはかつて存在した巨大都市のほんの一
部だった。私はもう一度かの地へ渡り、この目で見ないわけには行かない」

彼の言う「古代都市のひとつ」とは、彼が1906年の探検の際に発見したものらしい。
彼によればこの都市は、1753年の記録にある都市と「同じ人々が築いたもの」である、
という。

だが、彼の最後の旅の目的地は、どうもそれとは異なっていたらしいのだ。というのも彼
は、ブラジルに今もなお、外界との接触を一切断絶した原住民の住む都市がある、という噂
を聞きつけていた節があるからである。しかもそれは、ヨーロッパ人に似た外見の、衣服を着
た民族であると言う。彼はこう記している。
84,:2008/07/19(土) 10:39:37 ID:q3+oeicx
「私の次の探検の目的地は――これを、言いやすいようにZと呼んでおくが――非常に内
気な民族が住んでいると言われる都市である」

これを率直に解釈すれば、古代の都市と思われるものが少なくとも3つあったことになる。
「1753年の都市」、「かつて彼が目撃した都市」、そして「Z」の3つだ。

いずれにせよ彼は、再びジャングルへと向かった。彼と彼の息子ジャック、そしてその友人と言
う、たった3人のパーティだった。彼はボートでマットグロッソ州の州都クーヤバに辿り着き、それから
北の、未知の領域へと向かった。彼の考えでは、Zはこの領域のさらに東にあった。彼は
次のように手記に記している。

「もしもそのとき、状況が許せば、1753年の記録にある古の都市を訪ねるだろう。そ
れはおよそ南緯11度30分、西経42度30分のところにある。このようにして旅を終
え、鉄道に乗れるところまで辿り着いたら、そこからバイア市まで帰る予定である」

このように、フォーセットは「1753年の都市」の正確な緯度と経度を書き記しているのだが、
なぜか彼の息子のブライアンはこの部分に次のような脚注を入れている。

「私は個人的に父が1753年の都市であるときしている場所を要求したが、それは間違
いなくここではなかった」

何らかの理由で、彼はその座標を間違えていたらしい。フォーセットほど慎重な人間にしては、
いかにも奇妙なことではある。

1925年5月20日までに、彼はクーヤバの来たにあるバカイリと言う村に辿り着き、それか
らナフカという村に滞在した後、クルエネ川沿いのカラパロという村に向かった。5月29日、彼等
のたびはこの村で唐突に終わる。

後にカラパロ村長イザラリは、自分がフォーセットを殺したことを死の床で告白した。どうやらフォーセット
は土地のタブーを犯したために、死をもって償わされたらしい。だがいずれにせよ、フォーセッ
トがZに辿り着けなかったのは明らかだ。

私はこの話について、フレマスに意見を聞いてみた。案の定、フレマスはすでにフォーセットの目指した
都市Zの位置を推定していた。すなわち、もしもギザがアトランティス以後の本初子午線として用
聖地はギザから見て10の倍数の緯度の位置にあるはずである。すなわちティアワナコギザ西経
100度、キトは西経110度などだ。そしてフレマスに言わせれば、ギザから90度の位置に
は、当然重要な聖地がなければならないという。90度は地球の円周の4分の1に当たる
重要な位置だからだ。
85,:2008/07/19(土) 10:41:02 ID:q3+oeicx

また、前述のように、ティアワナコの緯度(16度38分)は、一見、なんでもない数字のよう
だが、実は10φの位置に当たっている。そこで、ブラジルのジャングルで聖地にふさわしい場
所は、ギザから西に90度、そして南に10φの地点と言うことになる。

私はこの位置こそがフォーセットの最後のたびの目的地であるに違いないと思って地図帳を調べ
てみたが、どう見ても無関係な地点だった。

ここはフォーセットが停滞したクーヤバの南50マイルほどのところで、ちょうどボリビアとブラジルの
国境に当たっているからである。だが、よく考えてみると、ここはフォーセットが、最後のたび
の前に探検した地帯に当たっている。もしかしたら、フォーセットがかつて目撃した「ジャングルに
埋もれた都市」は、このあたりにあったのかもしれない。

フォーセットが記録している1753年の都市の座標は、南緯11度30分、西経42度30分
だった。ギサを起点とすれば西に73度38部であり、「ブループリント理論」に照らしてみても、
特に意味のある場所とは思えない。

だがフレマスは、この数字に重大な手がかりを見出した。彼は、この地点から100マイル以内の
ところに、ギザ西経72度(地球の円周の5分の一)、南緯10度という聖地を見つけ出し
たのだ。彼は次のような手紙を書いてよこした。

フォーセットの言う「1753年の都市」の座標は南緯11度30分、西経42度30分。一方
「ブループリント理論」から導き出される位置は南緯10度、西経40度52分だ。さて、ブルー
プリント理論の経度を四捨五入すると(フォーセットもやっただろうが)、西経41度となる。いい
かい――フォセットの座標、南緯11度30分・西経・42度30分から、南緯10度・西経4
1度をマイナスすると、どちらも1度30分ずつとなるよね。
つまり、南にも東にも、1・5度ずつ離れて居るということさ。

フレマスは、フォーセットが座標を偽装して、東と南に1・5度ずつズラした、といっているのだ。そ
してもしそうなら、フォーセットはギザの本初子午線のことを知っていたことになる。だが、そ
んなことがありうるのだろうか?

(ギザ本初子午線は、イースター島(ギザ西経140度)からティアワナコ(ギザ西経100度)まで
を結びつける。このパターンを、さらにアマゾン流域にまで適用すると、未発見の聖地の位置が
分かる。上図の四角形は聖地、もしくはせいちの候補を示す。右からキト(赤道上、ギザ
西経110度)、ティアワナコ(南緯10φ、ギザ西経100度)、うしなわれたアトランティス都市(南
緯10φ、ギザ西経90度)、、フォーセットが消息をたった地点、聖地の候補地(南緯10度・
ギザ西経80度、南緯15度・ギザ西経80度)、フォーセットによるZ地点、聖地の候補地(南
緯10度、ギザ西経72度)。)
86,:2008/07/19(土) 10:42:35 ID:q3+oeicx
スマイスがギザに本初子午線を定めようとして、古代人もそうしていたのだという主張をぶっ
ていたとき、フォーセットは知識旺盛な17歳の若者だった。また、フォーセットは対戦中はカイロの英国
情報部に勤務していて、エジプトのことはよく知っていたし、さらに自ら測量も行っていた。
彼もまた南米の古代都市の位置を特定するためにギザの本初子午線を用いていたのだろう
か。

そんなことを考えながらブラジルの地図を眺めていて、私は奇妙な事実に気がついた。フォーセッ
トの辿ったルートは、実に異常なものだった。というのも、そもそもクーヤバは彼が目指していた
座標から西に1000マイル(約1600キロ)、南に700マイル(約1130キロ)も
離れているのである。彼の最終予定地であるバイアは、「1753年の都市」の東わずか25
0マイル(約400キロ)である。なぜわざわざこんな遠回りをしたのだろう。初めから
バイアを拠点にして、直接西に向かったほうが、遥かに効率的であったと思えるのに。

その理由は、こうではなかろうか――もしも聖なる緯度が10度ごとに存在しているなら、
実はフォーセットは、もうひとつの聖なる緯度も計算に入れていた可能性があるのだ。それはつ
まり、ギザ西経80度(グリニッジ西経49度である。そして彼は南緯10度線(これもまた
聖なる緯度)に沿って移動していたので、彼の最終目的地である都市Zは西経80度、南
緯10度の交点なのではないかと考えられるのである。

この地点は、まさにフォーセットが消息立った地点からたった200マイル(約320キロ)北西に行っ
たところに当たっている。もしもZが聖地の一つであったのなら、ブルールリント理論から見て、
その位置の第一候補はこの地点である。そしてこのZから東へ500マイル(約800キロ)
行くと、「1753年の都市」に到達できるのだ。

それでは、なぜフォーゼットは、その座標を偽ったりしたのだろうか。

恐らく彼は、イングランドに帰還した後に、3つの「失われた都」を発表しようとしていたの
だ。ひとつはすでに行った事のある、ジャングルに覆われた都市。さらにZと1753年の都市
を発表できれば、完璧である。だが、もしも発見できずに帰還を余儀なくされた場合、そ
の手記が入手に渡ってしまうと、非常に困った事態を招くことになる。そのため、仮にそ
れが入手に渡っても言いように、あえてその場所をごまかして書いたのではなかろうか。

現在では、ジャングルの下に埋もれた都市を発見するのに、わざわざその奥地まで踏み込む必
要は無い。金星の厚い雲をも透視する人工衛星を用いれば、ただ遺跡の上空を通過するだ
けで、それは容易に発見できるのだ。問題は、その高性能探査機を用いて、地球上のどの
地点を調べればいいか、ということである。フレマスの提唱するブループリント理論は、まさにその
答を提供するのである。
87,:2008/07/19(土) 10:44:36 ID:q3+oeicx
先にも述べたように、フレマスによれば、大ピラミッドから現在の北極と、ハドソン湾の旧北極に
向けて直線を引くと、その2本の直線の角度は28度となる。そして28という数字は、ギ
ザの遺跡において重要な役割を果たしている。

これと同様の調査を、フレマスは他の聖地についても行ってみた。スコットランドにあるテンプル騎士団
の境界ロスロリンの場合、2極の間の角度は50度だが、この場所はまた北緯50度でもある。
フレマスはこれを「50/50聖地」と呼ぶことにした。ストーンヘンジの場合は北緯46度で、2
極の角度もやはり46度。ゆえにここは、「46/46聖地」である。

このような「ゾロ目」の遺跡が頻出に及んで、フレマスはこのことが古代人にとって極めて重
要な要素であったことを確信するにいたった。そしてフォーセットの失われた都市の場所もまた
「12/12」聖地だったのだ。

(フォーセットが関心を抱いていた遺跡のうちのふたつは、ハドソン湾曲時代には北緯12度にあっ
た。失われたアトランティス都市から見ると、ハドソン湾曲は真北から12度に死の方向にある。ゆ
えにここは「12/12聖地」である。つまりハドソン湾曲時代の北緯12度と方向の12度
が重なるからだ(上図の90℃の位置の左側を通過している直線))

そこでフレマスは、さらに冒険をしてみた。ギザで言えば、意味のある緯度でイングランドを通過
しているものはただ一本しかない――ギザ西経30度ラインだ。もしもブループリント理論が正し
いなら、このラインの上に何か重要な遺跡がなくてはならない。フレマスは地図を出して調べてみ
た。するとはたせるかな――このライン上には、イングランドで最も神聖な場所、カンタベリーがあっ
たのだ。

さらに調べてみると、カンタベリーの2極の角度は45度であり、旧北極時代の緯度は45度。
つまりカンタベリーは「45/45聖地」に当たっている。しかもその上、ギザ北緯30度、か
つギザ西経30度でもある。つまり、この地点はギザから見れば「30/30聖地」でも
あるのだ。

カンタベリーは比較的新しい聖地のようだが、実際には太古の異教時代から聖地とされていた。
そしてそれが「45/45聖地」であるということは、この聖地はハドソン湾の旧北極を知る
ものによって造られたとしか考えられない。すなわち、イングランドで最も重要な宗教遺跡で
あるカンタベリーもまた、フレマスのブループリント理論に当てはまっていたのである。

(カンタベリー大聖堂はギザ本初子午線の30度西にあり、かつて北極と赤道の中間、すなわち
北緯45度に位置していた。)

フレマスの発見したブループリント理論の最も重要な点は、この理論によって、聖地のあるべき場所
を見出す事だ出来る、という点だ。もしもこの理論がまったくデタラメなら、その指し示す場
所に何かが存在する確率など、100万に一つも無いだろう。まったく何も無いと思われ
た場所にルバントゥムを発見したことで、フレマスはギザこそが本初子午線にふさわしいというスマイス
の主張の正しさを、改めて実感したのである。