http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%99%B6%E9%AB%91%E9%AB%8F 水晶髑髏
この「水晶髑髏」は西暦700年ごろのもので、1927年、マヤの神殿から発見された
といわれていた。発見者は探検家F・A・ミッチェル=ヘッジスの養女、アンナ・ミッチェル=ヘッジスである。
マヤ人の子孫である地元民に寄れば、この髑髏は病気治療や呪殺目的で用いられていたと
いう。だが、どういうわけか、ミッチェル・ヘッジスはこの髑髏については自伝の中でも口をつぐ
んでいた。
悲しむべきことに、実はこの髑髏はマヤの遺跡ではなく、ルバントゥムで発見されたものであっ
たことが後に判明した。しかも、これを発見したといわれていたミッチェル・ヘッジスは、実は1
944年に400ポンドでこれを買っていたことが、大英博物館の記録から明らかとなっ
たのである。
だが、これが世に出た経緯はどうあれ、この水晶髑髏が正真正銘の本物であることは間違
えない。その原料である水晶はカリフォルニアのカラベラス郡のもので、ヒューレット・バッカード社研究所の
レーザービームによる調査の結果、これは300年以上の年月をかけて一つの巨大な水晶から磨
きだされたものであることが判明している。
また、この髑髏は内部にレンズを挿入されたかのような、奇妙な科学的効果を示すことが
知られているが、もしもそれが意図的なものなら、その製造にはきわめて高度な技術が用
いられていたことがわかる。6年にわたってこの水晶髑髏を研究したカルフォルニアの美術管理用
員ランク・ドーランドによれば、それは1万2000年以上も前に作られたものである可能性が
あるという。さらに、ドーランドがこれを一晩自宅においておいたところ、ポルターガイスト現象が
発生したという話まである。
いずれにせよ、これがルバントゥムに由来するものであるということで、その意味はさらに重要
なものとなったことはいうまでも無い。