67のレスはマズッタかも、、、。レンヌ=ル=シャトーの場所ってWIKIで検索できないでしょ、、。
ネンヌ=ル=シャトーは、自然の5角形を中心としている点で、他のすべての聖地とは異なっている。
それだけでここを聖地と見なすには十分だったのだろう。では、ここはいつから聖地とさ
れていたのだろうか?リンカーンによれば、少なくとも1000年間はそうだと考えている。「神
殿」―-教会、城、村から成っている――は少なくとも1000年以上前にデザインされたに
違いないのだから。
そこで、秋から名疑問が浮かぶ。この地方の山々の5角形の配置は、空中から見るか、も
しくは精密な地図上でしか確認できない。だが、1000年前にそのような地図は存在し
なかった。確かにポルトラーノというものはあったが、あれはあくまでも海図であって、
陸図はお粗末極まりないものでしかなかったのだ。
だが、ハプグッドの提示した証拠の中には、キリスト教よりも何千年も前の地図が――それも、
氷結前の南極大陸の地図までもが――存在しているのだ。
さて、ベルリンの示した証拠によれば、古代ギリシアのスタディオンは地球の正確な大きさを知っ
ていた文明の存在を示しており、どうもそれはシュメール人らしい。彼らは60分で1時間、6
0秒で1分という体系を作り出した。だが、そうだとすると、また別の問題が持ち上がる。
シュタイナーはいったいどうやって地球の大きさを知ったのか?
その答は――紀元前250年にエラトステネスがアレクサンドリアの塔の影を使って計測したのと同じ方
法だ。だが、そのためには必ずしも5000スタディオンも離れた場所が必要なわけではない。
日本の垂直柱を、数マイル話して地面に建てればよいのだ。古代エジプト人が同様の方法を知
っていたのは明らかだ。彼らは、大ピラミッドの単位の中に、地球の大きさを組み込んでいる。
シュメール人が60進数を使っていたと言う事実は、彼らもまたそれを知っていたことを示して
いる。
とはいうものの、もしも地球の正確な大きさに関する知識は何処からもたらされたのか、
とプラトンにたずねることができたなら、彼は答えただろう――アトランティスだ、と。かつてのハプ
グッドも9部9里同じことを答えていたに違いない。だが晩年の彼は、アトランティスよりも遥か
に古い、10万年前に遡る「高度に発達した科学」の存在を確信するに至った。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1160177875/239-240 ニネヴェ定数
それは実にばかげた考えに見える。だがモーリス・シャトランによれば、ニネヴェ定数はさらに巨大な
キグリア定数の約数の一つであり、「マヤ人とシュメール人はお互いに直接のつながりを持っていたか、
あるいは共通の祖先を持っていたに違いない」。そしてシャトランによれば、その共通の祖先と
は、6万年以上前に遡ると言うのだ、、、。
レンヌ=ル=シャトー地域の配置に関するリンカーンの研究をさらに拡大したのが、美術史家のピーター・ブレ
イクだ。彼がこの主題に関する興味をかきたてられたのは、ルイージ・シニョレッリの「パンの教育」
という絵を見たときだ。これはロレンツォ・メディチの依頼によって描かれた。ブレイクは、1492
年に依頼されたこの絵の中に5角星形を見出した。リンカーンによる「アルカディアの牧童」の分析
に親しんでいた彼には、その構造はひと目で明らかとなったのだ。
このことは当然ながら、ロレンツォ・メディチもまたテンプル騎士団と(シオンの僧院)の秘密に関与し
ているのか、と言う疑問を引き起こした。彼は偉大な人文主義の伝統に属する人物なので、
その可能性は極めて高い。さらに彼はダ・ヴィンチのパトロンでもあり、そのダヴィンチが1510
年から1519年まで(シオンの僧院)の総長を務めていたことを思い出せば、それはほぼ確
実となる。
ブレイクはまた、「パンの教育」の5角星形が、ヘンリー・リンカーンがソニエールの暗号文書の中に発見した
もの同じであることに気づいた。
ブッサンの「アルカディアの牧童」の依頼人は、後に教皇クレメンス9世となる枢機卿ジュリオ・ロスピリオージ
だった。だからこのロスピリオージもまた(シオンの僧院)の一員らしい。教皇にもなろうという
男がそんなはずはない、と思われるかもしれないが、「このキリストの神話はわれらに役立って
くれた」と言う名言を残した教皇レオ10世が、ロレンツォの息子であるジョヴァンニ・デ・メディチで
あることを思い起こせば、ありえない話ではない。
ロスピリオージ枢機卿はまた、1638年に描かれたプッサンの「時の音楽の舞台」の依頼人でも
ある。これは彼がブッサンに依頼した最後の作品であり、ゆえに多くの点で最も重要なものだ
とブレイクは睨んでいる。
絵の中では、ヘルメスが竪琴をかなで、4人の女性が手に手を取り、互いに背中を向け合いな
がら輪になって踊っている。2つの顔の彫刻、恐らくイエスと洗礼者ヨハネが、大理石の柱の上
に背中合わせになっている。画面の反対側の同じ高さのところに台座があり、それらを繋
ぐ線は明らかに5角星形の上の線だ。
彼らの上にはオリオンが戦車で空をかけている。「アルカディアの牧童」とは違って、こちらの5角
星形はきれいに画面内に収まっている。ブレイクは、「アルカディアの牧童」の中にイエスを赤で表す
色の暗号を見出した。同じことは「時の音楽の舞踊」にも当てはまる。
中央の人物の画面左にいる女性は赤と青の衣装を着ているが、これはイエスと聖母マリアの両方
を表す。中央の人物、すなわち金のスカートの女性は収穫の象徴だという。ブレイクによれば、女
性の収穫とは子供である――この解釈は右隅と左隅の子供によって裏づけられている――
そしてこの絵は、イエスと母性の両方を表す女性が、イエスとの間に子をもうけることを示して
いるという。
イエスが子をもうけたことを示す絵がもう一つある。「大洪水」だ。これは四季を描いた4枚
の絵の最終作で、冬を表している。極めて奇妙な絵で、隠された意味があると公言してい
るようなものだ。
この絵は、荒れ狂う海から岸に逃れようとする家族を描いている。赤い服を着た人物がロ
バに引っ張ってもらって騎士に近づいている。これがイエスであるのは明らかだ。「時の音楽
の舞踊」と同様に金色を身につけていた女性が居て、赤ん坊を抱いている。その赤ん坊は
やはり赤い服を着ていて、イエスが父であることをはっきり示している。
岩に居る蛇はブレイクによれば叡智の象徴で、背景のピラミッドも同様だ。イエスとその家族が上陸
する見知らぬ岸辺は、フランスを表しているのか?そのように解釈しない限り、この絵を意味
するところはまったく不明だ。
この絵を依頼したのはド・リシュリュー公爵で、彼は、ルイ13世の延臣にして黒幕であった枢機
卿リシュリーの甥だ。リシュリューは1624年に王の宰相となるが、その17年前にローマで司教の叙
階を受けていた。スペイン・ハプスブルク家とスイスのプロテスタントの論争の際にはプロテスタント側に立ち、
フランスから教皇軍を放逐した。王母マリ・ド・メディシスは震え上がり、息子を説き伏せてリシュリュー
を追放しようとした。だがルイは母親の干渉に嫌気がさしており、リシュリューこそが力になって
くれると判断した。彼がリシュリューを選ぶと、母と兄弟は当時スペインに占領されていたネーデルランド
に逃れた。
71 :
,:2008/06/21(土) 20:24:36 ID:d5Y34M5X
リシュリューはブッサンを高く評価していた。それゆえに彼はブッサンの愛するイタリアからフランスに戻るよ
うに圧力をかけ、王立美術院の一員とした。1640年、ブッサンはいやいやながら渡仏し、
2年後にようやくイタリアに戻ることを許された。恐らく彼はパリ滞在中に(シオンの僧院)の1
員となり、イタリアに戻ると、ロスピリオージ枢機卿の注文に取り掛かった。リシュリューはイタリアのブッサン
をしばしば訪問した。
このことから見て、リシュリュー自身もまた(シオンの僧院)の一員であるようだ。となれば、彼が
カトリック教会よりもプロテスタントの側に立った理由もわかる。いずれにせよ、ブッサンを(僧院)に
導いたのは」リシュリューだったのだろうか?もしもリシュリューが実際に(僧院)の一員であるとして
も、彼は明らかにメロヴィング家の末裔を王位に就け様という意図はなかったようだ。という
のも、彼は、アンヌ・ドートリッシュが妊娠するよう取り計らい、それによってピピン短躯王の子孫
が王位を継ぐように画作した、とされているからだ。
何故そんなことをしたのか?たぶん、王位に就くのがメロヴィング家であろうとカロリング家であ
ろうと、リシュリューにはどちらでもよかったからだろう。ロレーヌ家のほうがブルボン家(ルイの家
だ)よりもキリスト教の真実を世に公言する見通しが強いわけではない。それにロレーヌ家が王位
に就けば、リシュリューは権力を失うだろう。ゆえに彼は、世継ぎを用意することで、ブルボン家
を守ったのだ。
72 :
,:2008/06/21(土) 20:43:56 ID:d5Y34M5X
だが、もしもリシュリューが字際に(僧院)の一員であるのなら、当時の傑出した人々の多くが、
教皇や枢機卿をペテン師の王朝とみなし、ローマ・カトリックの終焉を喜んでいた、と言う驚くべき
事実が強調される。
ブッサンの「アルカディアの牧童」と「時の音楽の舞踊」、それにシニョレッリの「パンの教育」の中に5
角星形を見出したピーター・ブレイクは、それをレンヌ=ル=シャトー周辺の地形に当てはめようと考えた。
するとうれしいことに、ピタリと当てはまったのだ。
シニョレッリの5角星形も、「アルカディアの牧童」のそれも、多くの頂上に当てはまった。「時の音楽
の舞踊」は女性主体の絵だったので、ブレイクはその5角星形を他の二つに対して90度傾け
た。するとやはりその頂点は山の頂上と一致したのだった。それらの5角星形の交点は、
渓谷の終端の山頂に当たっていた。その側には山頂から突出している部分があり、エスタニョル
と呼ばれていたが、それは古フランス語で「東の子羊」と言う意味だ。
ブレイクは車でその場所に行ってみた。それは断崖の頂上にある長い石で、その反対側には1
0メートルの落差があった。その基部には巨大な石板があって、崖にもたれかかっていた。
その石板の片側に苔で覆われた穴があった。ブレイクがそれをはぎとると1メートル4方位の隙間
があった。その中には空洞があり、そこは平坦な地面になっていた。3角形の洞窟を這い
進むと、その底の土の下に平らな石の床のようなものがあった。その一つを引っ張り出し
てみたところ、その下面はざらざらで不規則になっていた。この床は明らかに注意深く設
置されたものだ。
洞窟の反対側には出口があり、外に通じていた。さらに数ヤードいくともう一つの石板が
あり、3角形の穴に立てかけられていた。その中にはやはり洞窟画あった。ブレイクはこの二
つの洞窟はイエスとマグダラのマリアの墓に違いないと考えた。