科学関係ぶっちゃけスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
239,めいちゃん

ニネヴェ定数

1852年
こうして大英博物館に持ち込まれた粘土板の中に、途方もなく巨大ないくつかの数字の記
されたものがあった――あるものは、何と桁数にして15桁、195兆9552億という数字だ
った。この数字はそれ以来、「ニネヴェ定数」と名づけられて久しく謎とされてきたが、これ
に興味を抱いたのが、アポロ計画にも参加した航空エンジニアのモーリス・シャトランだった。
 1963年、シャトランはマヤの暦がヨーロッパのそれを凌ぐほど精密であったことを知り、マヤの高度な
数字とニネヴェの巨大数には何か関係があるのではないかと考えた。すぐに彼は、ニネヴェ定数
は見かけほど面妖でない事に気がついた。60の7乗×70という簡単な数で表すことが
できるのだ。
このような巨大な数と高度な数字を用いて、古代人は何をしていたのだろうか?アッシリアの文
明は、バビロニアを経由してシュメールまで遡るものだ。シュメールは極めて高度な天文学を有していた。
彼らは、金星や火星、木星と言った近い惑星のみならず、天王星や冥王星の公転周期まで
知っていたのだ。また、1日を24時間に分け、さらに分や秒と言う単位を作り出したの
も彼らである。
 試みに、シャトランはニネヴェ定数を秒に置き換えてみた。するとこれは22億6800万日、
すなわち600万年以上に当たる。そしてこの数値は、春分点歳差に基づく「大年」とい
う単位に直すと、240大年にピタリと一致していたのである。
 次にシャトランは、ニネヴェ定数とは占星学者やオカルティストの言う「太陽系の大定数」なのではない
かと考えた。「太陽系の大定数」というのは、太陽系のすべての天体(月を含む)の公転周
期の公倍数である。
 NASAのコンピューターを用いて各惑星の周期を秒単位で計算してみると果たせるかな、そ
のすべてがニネヴェ定数の約数であることが判明した。すなわち、古代シュメール人は太陽系に関
して、少なくともアイザックニュートンに匹敵する知識を持っていた、ということになるのだ。
240,めいちゃん:2008/05/21(水) 08:59:07

もしもシャトランが正しいなら、これはわれわれの仮説にとって、このうえなく強力な証拠と
なる。シュメール人が5000年以上も前にニネヴェ定数を知っていたのなら、科学の起源は現在
の常識よりも遥かに古いということになるのだ。
シャトランはさらに、ニネヴェ定数と、現代のセシウム時計が示す太陽年の数値のズレに気づいた-―そ
れは小数点以下第6位、1年当たり2000万分の1日という、わずかなものに過ぎなか
ったが-―ズレはズレだ。だが、すの謎はすぐに解決した。地球の好転速度が年々落ちている
ために、公転周期は毎年1600万分の一秒ずつ短くなっているのである。つまり、ニネヴェ
定数は、6万4800年前の精密な公転周期を示していたのだ――6万4800年前とい
えば、ちょうどクロマニオン人がヨーロッパに出現し始めたとされているころである。
シャトラン自身は古代宇宙人説を唱えており、この点に関してはなんともいえないのだが、こ
とニネヴェ定数に関する限り、彼の推論に穴を見出すことは困難である。そしてシャトランが正し
いなら、われわれの遠い祖先は、我々が想像するよりも遥かに洗練されていた知識を持っ
ていたということになるのだ。シャトランがはじめてマヤの巨大数のことを聞いたとき、彼はその
意味を正しく理解することができなかった。だが数年後、彼は、かつてマヤ文化の中心であ
ったグアテマラのクィリガの石碑に書かれた2つの巨大数に、重大な意味を見出した。そのひとつ
は9300万年、もうひとつは4億300万年を意味する数字だった。
彼はこれらの数値をニネヴァ定数で割ってみた――驚くべきことに、9300万年とはニネヴ
ェ定数のちょうど15倍、4億300万年とは65倍に当たっていた。