昔の地図は古い

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132,

、、、  大海を自由に往来した古代の海洋文明   、、、




この石球がいつごろ作られたのかという問題は、いまだ議論の対象となっている。ディキ・
デルタから発見される古代の遺物は、紀元前1万2000年ごろから紀元後500年にまで
及んで居るのだ。(コスタリカに関するインターネットのサイトによると)学者たちはこの石球を非常に新
しいもの、すなわち紀元前数世紀から紀元後500年の間のものと考えて居るという。

だが考古学者というものは、極度の保守的になりがちだ。というのも、それが仲間の考古
学者をあきれさせない一番の方法だからだ。新しく発見されたものの年代考察に極端に慎
重になることは、自分が学会で真面目で立派な一員であり、いきなりトンデモな結論に飛びつ
いたりする軽薄な人間ではないということを示す方法なのだ。

しかし、こんな態度が間違いの元になることもある。1920年代、中米の考古学者マシュー・
W・スターリングは、メキシコのトレス・サポテスで巨大な黒人の頭像を発見した。彼はこの像を彫ったオルメカ文化は
紀元前600年という古い時代のものと唱えたが、学会からは嘲弄を持って迎え
られた。だが実際にはむしろスターリングは保守的過ぎたのであって、現在ではサポテカ文化は紀
元前1200以後のものとされている。

ザップはハプグッドの著作も知っていたので、石球を作った船乗りたちがハプグッドの言う「古
代の海王たち」である可能性も認識していた。そしてすぐに、その仮説をうらづける証拠
も見つかったのだ。フンベルト・カロと言う学生が発見したのだが、「千夜一夜物語」の船乗りシン
ドバッドの物語の中に「カマル」と言う舵取りの道具が登場する。これは結び目のある長い紐
で、両端に木の四角形がついている。結び目はさまざまな緯度を表している。アラブの航海
士は特定の結び目を口にくわえ、紐を北極星に向けることで船の位置を知ったのである。
133,:2008/10/20(月) 10:06:24 ID:R1Vq4a3l
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%9F%B3%E7%90%83 コスタリカの石球群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%B9トレス=サポーテス マシュー・W・スターリング
やはり、プロフィールわからんね、、。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E7%9F%B3%E4%BA%BA%E9%A0%AD%E5%83%8F巨石人頭像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88_%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BAシンドバッド
だがザップは、この結び目のある紐をかつて見たことがあった。ロスロップが石球の近くで発見
した小さな像がそれを持っていたのだ。像は両手に紐の両端を持ち、真ん中を口にくわえ
てV字型を作っている。ザップはこれと似たものが世界中にあることを知っていた。ペルーは
プレ・インカの墓所の壺絵から、インドはインダス渓谷の壁画まで。

コスタリカもまた、いうまでもなく海洋文化の土地だ。それは中央アメリカで最も狭い部分の一
つであり、両側に広大な二つの海が広がっている。フンベルト・カロは、もうひとつの興味深い
証拠を発見した。トール・ヘイエルダールの論文に、風や海流に逆らってバルサ材の筏を進める技術が
紹介されていたのだ。竜骨が発明されるよりも何千年も前に、ペルー人は筏に可動式の中心
板を取り付けていた。これが竜骨の働きをし、船の上手回しを可能にしたのである。ピサロ
はペルー沖で、このような筏の大艦隊と遭遇した。それは風と海流に逆らって、彼等のほう
に進んできたのである。

彼らはこのような筏を使って、南アメリカ中の海岸を制覇していたと言うことをピサロは知る。
ヘイエルダールもまた、コン・ティキ(ケツァルコアトル神の名前の一つ)号という同様の筏を使って、古代の
船乗りたちが太平洋を横断していたことを示した。後にはエジプトからアメリカまで太平洋を渡
り、その主張を補強した。

1502年、クリストファー・コロンブスが太平洋を越える4度目の紅海でコスタリカに上陸したとき、
彼らは原住民から大いに尊敬を受け、二時間ほど歩いたところにある名士の墓に連れて行
かれた。そこには船の選手の装飾があった。
134,:2008/10/20(月) 10:21:06 ID:R1Vq4a3l
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E9%AA%A8_(%E8%88%B9) 竜骨
明らかにコスタリカ人は、スペインから来た偉大な船乗りたちを、彼等自身の著名な船乗りに引き合
わせたのだ。死者を横たえる石の死体置き台はペルーのバルサ材の筏の中心板のようで、他の
人物――明らかに神官や王たち――もまた同じ様な中心板に乗せられていた。王たちが、
その人生に重要な役割を果たした板の石のレプリカの上に乗せられている理由は明らかだ。

だが、原書の船乗りたちは、この膨大な距離を本当に渡ったのだろうか?確かにヘイエルダール
はそれが不可能ではないということを身をもって証明した。だが――たとえば――紀元前
5000年のコスタリカの船乗りたちは、そもそもイースター島の存在自体を知っていたのだろう
か?よしんば知っていたにせよ、あえて広大な太平洋の何も無い海原にバルサ材の筏を浮か
べ、この島を目指す必要があったのだろうか?

ザップはこの疑問に対する答を偶然見つけた。1972年に出版されたテイヴィッド・ルイスの「わ
れ等航海者」と言う本だ。著者ルイスは、島の原住民と共に彼等の手作りの船に乗り、太平洋
を1万3000海里(約2万4000キロ)以上も航海した。原住民は先祖伝承の知識だ
けに基づいて、近代的な器具は何一つ用いていなかったが、必ず目的地に到達したと言う。

ザップやその仲間である著述家のジョージ・エリクソンは、ハプグッドが提供できなかった詳細な話
を多く書き記し、古代の船乗りたちが中国から北アメリカに至る7つの海を自在に航海していたことを示した。
135,ミジンコ:2008/10/20(月) 10:29:17 ID:R1Vq4a3l
136,ミジンコ:2008/10/20(月) 10:40:10 ID:R1Vq4a3l



、、、、最近は、DSM法から出発して、DSMに基づいた意図を含めた、

極度の懐疑主義的考古学のでっち上げの活動を進める奴が、多いようだ、、、。

ニッテレの特命リサーチなんかも途中からそうなっちゃったんですよね、、、。
137,:2008/10/31(金) 07:38:01 ID:jlDj2b6Y
>>134
ザップによれば、そのすべてはハプグッドの言う世界規模の海洋文明の可能性を支持する確か
な証拠なのである。