アイヌ語地名の北限は?

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1RAZ
茨城県北の「瓜連」までと言うがどうだろう?

我孫子の老人の話ではアビコはアイヌ語起源だとか・・・
2名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 09:37 ID:x/hFVUDn
南限だろ?
3名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 09:56 ID:+TLlQeL3
北限はカムチャツカ半島南部
4瓜連町民:02/10/31 10:15 ID:KeMMUUMR
「水戸」もアイヌ語で解釈した説があったな。どういうのだったか覚えてないが。
5名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 11:40 ID:waas3FUX
江戸⇒みさき
四万十もそうだって聞いた。
6鯖チーニ:02/10/31 12:03 ID:mEvEp9ym
筑波山もツクバってのは、尖ったって意味になるらしい。
富士山のフジも絶えず火の出ている山みたいな意味があるという話を聞いたが・・・
もちろん仮説
7名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 12:40 ID:eEaZ1Mhc
その勢いで南アフリカの地名も説明できそうだ
8名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/31 15:39 ID:MeAqZHgV
>>1
樺太北端のガオト岬。
9名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 15:32 ID:cEdemGmk
阿蘇
10名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 19:06 ID:XTnQ4fYJ
北海道アイヌの古老と樺太アイヌの古老は言葉が通じる?
11名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 19:19 ID:ll9Ls14B
いくらアイヌの生活に川が重要だったとはいっても、
「ペッ」と「ナイ」で終わる地名が多すぎませんか。
というか、全体的にボキャブラリーが少ない。
12名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 20:40 ID:Oi5Bim0I
>10
通じないことは無いが難しいでしょう。かなり差があるし。
ていうか、今現在日常的な樺太アイヌ会話が出来る人間は居ないはずです。
>11
アイヌにとって川は重要な食料採集地であり、同時に交通路だったので
とにかく重要だったのです。
しかし地名のボキャブラリーが少ないという意見は禿胴。
よく、「北海道の地名を全てアイヌ語に戻してカタカナ表記すべき」などと
のたまう人間がいますが、それが実現されれば同名地名が頻出し、
郵政業務に多大な支障をきたすのは必至。
13名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 21:48 ID:LGRXUInm
>>6
富士の語源をアイヌ語の「フチ(火)」だとする説が、いまだにかなり広まって
いる。しかし、アイヌ語の「フチ」には、「おばあさん」という意味はあっても、
「火」などという意味はない。この説を唱えたのは、明治に北海道にいた宣教師
バチェラーであるが、このバチェラーこそ、知里真志保が真っ先に槍玉に挙げて
いる人物である。火を意味するアイヌ語は「アペ」であり、日高山脈南端の山ア
ポイ岳(←アペ・オイ 火のある所)などの地名がある。「エカシ(おじいさ
ん)」と並ぶ基本的なアイヌ語である「フチ」をなぜバチェラーは「火」の意味
にとったのか? 「アペフチカムイ(火のおばあさんの神)という神名の解釈を
誤ったのだろうとも言われている。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm
14名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/01 21:58 ID:Oi5Bim0I
富士は、マレー語の「プシ」美しい、が元だという説もある。

また「フジ」には坂道、急峻な斜面という意味があり、富士の山容を
しめした命名、という話もある。
15名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/02 00:14 ID:PWyjidaL
>>14
「急峻」のイメージが違うのかもしれないが、
富士山には、例えば近くの南アルプスの山並みと比べて見ると
さほど鋭角的な稜線ではないよ。
どちらかと言えば「なだらか」とも言えるが・・・
16名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/02 04:03 ID:S3BjhQgQ
んで、このスレタイトルは北限で合ってるのか?
南限じゃないのか?
17名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/06 18:05 ID:q9J5c0He
保全
18RAZ :02/11/06 19:25 ID:HBawor3c
ごめんなさい、南限というべきでした。

でも、北も南も、調べてみると面白そうですよね。
19名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/07 07:25 ID:2Uo39dY6
マガダンとかは?
20名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/09 23:45 ID:wb9MLwy8
カムチャツカ半島南部のウシキ(Usiki)湖もアイヌ語地名の北限かも。
アイヌのものとおぼしき遺跡も出土しているし。さらに北はどうだろうか?
21名無しさん@お腹いっぱい。:02/11/10 22:44 ID:SqIhsMUd
 浅間山、阿蘇山はどちらも語源がアイヌ語と聞いたことがあるが、本当だろうか。
アサマとアソはなんとなく似ているが。
 
 三重県にも朝熊と書いてアサマ山が存在する。
22名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 05:05 ID:3VAyxTpB
離れているところでバイカル湖なんてのがあったんば。
23名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 10:20 ID:xC1HIRy0
アイヌ語paikar=春
24名無し野電車区:02/12/02 19:46 ID:2g0epHKo
四万十川はシ=マントルからきているとかなんとか
25名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 20:18 ID:qjormtBt
シ=マムト(甚だ・美しい)由来説をよく聞くが。

それよりこのスレは北限を探るんではなかったの?
今分かる限りでは、
カムチャツカ半島南部のウシキ湖一帯〜
樺太北部〜
沿海州のアムール河口域、で合ってるかな?
26名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/02 22:45 ID:C/cD0ib7
ロシア
27名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:25 ID:7v6YET2v
>>1を見ると、南限と間違えたように思う。

茨城が怒るど。
28名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:35 ID:ne9NDRXR
25の人が真実に近いでしょう。
樺太アイヌと蝦夷(北海道アイヌ)はもともと同じなので、かなり違う単語
があっても意思疎通は可能であったでしょう。
そうでなければ北からの元の侵略を撃退できなかったはずです。
29名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:52 ID:kC9xOWHY
サハリン北端の都市オハも確かアイヌ語だった気が。
30名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 00:58 ID:ne9NDRXR
正解です。オハは廃村の意味です。
松浦武四郎の調査によると、樺太は全地名がアイヌ語由来なので
北蝦夷つまり樺太は日本領だとまっとうなことを述べています。
31名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/03 02:01 ID:lg+VAU8m
>25,27
>>18でスレ立て本人がスレタイについて言及してます。
32名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/04 03:10 ID:481yyG+9
武四郎樺太の北端まで行ってないでしょ。
33名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/04 11:30 ID:DcrU2qpi
武四郎は北緯50度付近しか行ってないけど、現地人から聞いた調査だろう。
彼はアイヌの住んでいるところは日本領土と明確に述べており、ロシアも
当時アイヌの居住区域を日本の領土としていた。
34名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/20 05:54 ID:Bynj2Frh
アイヌ語なのは千島からカムチャッカ方面で北端はカムチャッカの南部。
カラフトの北端はアイヌはあまり住んでなかったはず。

>>22>>23は語呂合わせとして
オハやガオト等アムール川方面それ以北はアイヌ語というよりもともとニブヒなど周辺民族が呼んでいた地名。
それだけ広い範囲の交易や土地に関する共通認識があったと言うべきでは?
35名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 17:21 ID:Eg4GSAIC
種子島に行った時、郷土資料館で、「アイヌ語の長いと言う言葉、タンネが
由来と言う説もある」と言っていました。
36名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 20:09 ID:ZEMCzpj2
>>34
樺太北端までアイヌが住んでいたかは定かではないが、間宮海峡の
一番狭くなっている北緯52度付近のラッカ、ノテトはアイヌの
集落があった。
1808年6月間宮林蔵は国禁の鎖国を破り大陸に渡るが、
黒竜江河口にシルン・アイノ(島のアイヌ)キムン・アイノ(山中の
アイヌ)が部落をなしていることを報告している。
オホーツク村のスタロドゥプスコエ遺跡では、南サハリン新石器時代早期
の住居とカマド付きのアイヌの住居が確認されている。
(A.Aヴァシリフスキー『サハリン島の新石器文化』
37名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/25 23:58 ID:2gxDHf3Z
アイヌ語が縄文語ならいいな〜
38名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 19:21 ID:eD9eKvaZ
国立民族博物館では「縄文語」を推定し公開してますが、アイヌ語を
基に作られています。
39まじ:02/12/26 20:15 ID:XdFDeFtJ
長嶋はアイヌ。
40名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/26 20:55 ID:3P55uFox
「ナンガツィマ・バ・アイヌ」てな感じだったっけか?
41名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:03 ID:mc/OrwS4
春日部ってアイヌ語で「歩いて渡れる川」っていう説を聞いたことがあるんだけど。
42名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:07 ID:9X6MKBFt
春日部は春日部氏っていう豪族が支配してた土地なんだけど
その春日部氏はアイヌ系だったてことかね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:26 ID:wzloMj7L
>>36
スタロドゥプスコエって栄浜のことだよ??
確かにあの辺にはアイヌの遺跡があるはず。
オホーツク村って何じゃ。
44名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:32 ID:wzloMj7L
>>36
基本的なことだけど、アイヌ語でアイヌは「人」という意味。
シルンアイノは島の人の意味でカラフトアイヌのこと、
キムンアイノは「山住人」の意味で対岸のウデヘのこと。
これはアムール流域のツングース系民族の語彙と矛盾しない。
間宮林蔵は同義の民族でキャッカラ、ピオーを報告している。
45名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 04:50 ID:UWVZRJsv
カラフトアイヌはサハリン北部にいた「山丹人」と敵対関係にあったから
普通に考えて北部にはアイヌ集落はなかったはず。

間宮林蔵の旅行記でもウショロあたりで
「是より北は悉く満洲付属の夷域」って書いてあるし
アイヌの案内役でさえ「これ以上北は危険だから同行出来ない」と引き返してる。

>>36
>北緯52度付近のラッカ、ノテトはアイヌの集落があった。

間宮の報告ではラッカとノテトにあったのはアイヌじゃなくてスメレンクルの集落じゃなかったっけ?
46名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 05:27 ID:UWVZRJsv
アイヌ語地名の北限と、アイヌの居住地の北限は違うという前提で、
アイヌ語地名の北限は「カムサスカ」では?

「イギリス」が日本語地名なのと同じ理屈だけど。
47名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 05:29 ID:UWVZRJsv
イギリスは単に日本なまりだから例が悪かったっす。
48名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 13:33 ID:4O6YoOcE
>>45
一般的に樺太北部がギリヤーク、中部がオロッコ、南部がアイヌとされるが、
時代により北樺太は異なる。
ギリヤークはもともとアムール下流にいた民族で樺太渡来は比較的新しい。
ノテト(アイヌ語で岬の意)にはアイヌ集落があった。
幕府が日露の国境線にしようとしたアイヌの北の主要集落ポロ・コタン(大きな
村)は北緯50度よりやや北であった。和名・幌渓、現在ロシア名・ピレオ。
あと、オトクツトウや北緯51度のドゥエもアイヌ語名。
ノテト、ラッカ、ナツコあたりにアイヌがいたはずだが、ギリヤークの進出で
南下したと思う。オハはあまりに自然状況が厳しかったのかまさに廃村という
意である。
49名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 17:52 ID:qZoHfWb5
>>48
確かにノテトはアイヌ語です。
常々疑問なのですがオハが廃村ていう説はどこから来たのでしょうか。
アイヌ語で他に全くオハという地名は見当たらないし、
ツングース系の「悪所」という説のほうがしっくりきますが。
50名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 17:57 ID:qZoHfWb5
>>44
シルンアイノはその通り「島の人」の意味でカラフトアイヌだけでなく
オロッコ、スメレンクルも指す言葉。

アイヌがカラフトアイヌを指す言葉は「エンチウ」。
間宮林蔵の旅行記ではノテトの集落の首長はニブヒ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/27 18:00 ID:qZoHfWb5
ちなみにスメレンクル=ギリヤーク=ニブヒ
オロッコ=ウイルタ=オルグジ
52名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 04:43 ID:xTgrutfS
>>48
>ギリヤークはもともとアムール下流にいた民族で樺太渡来は比較的新しい。

これは初耳です。比較的新しいとはいつごろですか?

一般的にはオロッコ(ウイルタ)ギリヤーク(ニクブン)は10世紀の民族移動で南下したと考えられてますよね。
ギリヤークはいわゆるオホーツク文化の後裔との説もありますが、
それだと石器文化時代ですでに北海道沿岸まで下りて来ていた可能性があります。
53名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 05:15 ID:r6rY/1SH
54名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 07:14 ID:vpKuCacf
樺太では大抵の集落に、アイヌ語とニヴフ語両方の呼称があったようです。
他民族の集落でもお互い自分の言語で勝手に呼んでたらしい(今はロシア
語使ってますが)。ユジノあたりもニヴフ語による呼称があります。
松浦や間宮はアイヌ人の案内に頼ったから、アイヌ語の呼称を多く採録
したんでしょう(間宮はニヴフ語呼称も少し記録してる)。
55名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/28 09:42 ID:FsJKdHiw
相手のいちばん僻地の集落を「廃村」とか呼んでたんならお国自慢板状態だな。
56山崎渉:03/01/08 17:27 ID:QPcYI0vM
(^^)
57:03/02/01 03:38 ID:fWvDJyzx
あきる野
58名無しさん@お腹いっぱい。:03/02/01 09:41 ID:IR80t53k
>>52
オホーツク文化は4世紀から13世紀です。たしかに北海道オホーツク
海沿岸にはアイヌではない人骨が出ています。数は少なくて一時的
滞在でしょうが。
樺太南端の新石器文化であるアニワ文化、およびBC6千年紀末から
5千年紀末の南サハリン文化の担い手は縄文人およびアイヌによる
ものとの指摘がロシア科学アカデミーにより発表されてます。
59名無しさん@お腹いっぱい。:03/02/02 16:38 ID:hlZbO0Kw
俺はパラオもそうだと思うんだけど。
太平洋の島々から縄文土器見つかってるし
60名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/24 11:55 ID:1rV7FrsL
樺太、北海道北部、千島で独立、アイヌ共和国の建国を!
61名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/24 12:42 ID:iPhL3/hC
国 号:アイヌモシリ共和国
公用語:アイヌ語道央方言
自治体:オタンネモシリ(樺太島とその属島)
    ルトムモシリ (千島列島)
    サマンペモシリ(北海道とその属島)
    ウシキモシリ (カムチャツカ半島南端部)
    ヤウンモシリ (本州北端・下北半島など)
首 都:ニプタニ(北海道二風谷村)
62名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/28 22:33 ID:zcuxGxV8
>61
何だ道央方言って?
しかも首都なのに
沙流方言が公用語に
ならないのはなぜ?
63名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 00:22 ID:+M0mTv2t
沙流流域がアイヌの都などと言って他の地域のアイヌが快く思うか。
64名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 07:13 ID:NaHigWbj
群馬県の伊香保ってアイヌ語だった気がする。
別のサイトには伊良湖、牟婁、比婆、那須もアイヌ語源
だとあったが・・・
65名無しさん@お腹いっぱい。:03/03/29 10:52 ID:f1RsfWN3
沙流川で思い出したが、アイヌの神話で
アイヌ民族発祥の地とされる場所というのは伝わっていますっけ?
たしか大雪山だったか・・・
北海道アイヌだから北海道発祥となるのかな。
千島アイヌには「出自は北海道、徐々に北上した」との伝承が残っていたというが。
6662:03/03/29 18:37 ID:dvCvRIPU
文化の源たるオイナカムイは天から下ったと伝えられる。
創世の際のコタンカラカムイの足取りは全道に散らばる。
後は各地の家系に源流に関する伝承が伝わる。
67名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 20:50 ID:2eND/MiJ
稚内とサハリンの距離ってどのくらいですか?
アイヌが頻繁に往来や交流できる距離ですか
68名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 22:50 ID:S5jJ3LJA
およそ40kmです。冬季はアイヌのカヌーでは厳しかったけど、
頻繁に往来してました。清朝の官服であった蝦夷錦は満州〜
山丹人〜樺太アイヌ〜北海道アイヌを経て遠く京都まで運ばれた。
69名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/05 23:26 ID:ZNmbqzo8
アイヌ民族の北限はカムチャツカ半島南部まででしたよね。
そこから北の先のイテリメン人や、あるいは東のアレウト人方面との交易は
あったとも聞きましたが、どんなだったのでしょうか?
70名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/06 02:34 ID:GLzSehvZ
五反田=コタンは強引だよね。
71あぼーん:03/04/06 02:42 ID:5t+QFUGy
   ______________
 /:\.____\
 |: ̄\(∩´∀`) \  <先生!こんなのがありました!
 |:在  |: ̄ ̄ U ̄:|
http://saitama.gasuki.com/aomori/
72 :03/04/06 12:27 ID:9XuakInb
カムチャッカ半島=クルムセ(アイヌ語)
アイヌ人の居住地域は、我が国の領土である。
したがって、樺太も千島列島もカムチャッカ半島も我が国の領土だ!
大日本帝国の領土である。
73山崎渉:03/04/17 09:43 ID:atdrDVrp
(^^)
74山崎渉:03/04/20 04:52 ID:wPXt++G4
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
75名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/09 23:00 ID:zLY4orGr
http://www.yoshikawa-k.co.jp/shinkan0109.htm

千島アイヌとアメリカ大陸との接点があった?
76名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/09 23:23 ID:iK4yNl8v
>>72
アイヌ民族をほぼ絶滅させておいて(同化とも言うけど)、それを堂々と
言うのはどうにも気がひける…。
(これを見ているアイヌの方いるのかな?)
77山崎渉:03/05/21 22:14 ID:6jdbwySb
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
78カラフト・ハーン国:03/05/21 22:20 ID:bFOcLVfT
モンゴルと戦ったみたいだけど
征服されて国作ってもらったほうがよかったんじゃないの?
スラブの国家体制整ってなかった部族も進入により国家を持てたみたいだし。
79山崎渉:03/05/28 15:35 ID:kHw7bMKi
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
80名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/10 23:27 ID:AwkRuZ28
今も昔も、一般に日本人は朝鮮・中国・モンゴルなどに関心はあっても、
北方の諸民族(アイヌなど)については関心はおろか存在さえ知らぬ。
81名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/11 00:08 ID:p1HaQh4c
>>78
ユーカリとかに、結構アイヌ人同士で遠征して殺し合っている記述がある
から、民族として団結するのはよっぽどのことがないと無理なんじゃない
のかなぁ。
82名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/11 02:15 ID:2R3DnwNA
>>75
北千島アイヌはカムチャツカ半島南部にも住んでおり、
半島中部のイテリメン人と経済交流や通婚関係も盛んだった。
さらにはアリューシャン列島のウナンガン(アレウト)人との
交易・文化交流もあったものと考えられているそうな。
(籠を編む「テンキ草のコイル編み」技法の共通、
 北海道アイヌと異なる海獣猟主体の生業+衣食住、
 夫婦両族同居の大家族制=アラスカに多く分布、などなど)

けど、千島アイヌの社会についてはほとんど調査されずに終わって
しまい、今となっては出土品に頼るしかないのよね・・・鬱
83無料動画直リン:03/06/11 02:20 ID:/IphUPvQ
84トルコ:03/06/11 22:23 ID:vWUvJ/Sa
78に同意
征服されて国持ったほうが良かったはず
戦えばいいというもんでもない
85_:03/06/11 22:37 ID:gymxfrkX
86名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 00:30 ID:MN71hNhs
>>84
樺太アイヌ(北海道アイヌの支援もあったはず)の果敢な戦いがなかった
ら元が北から日本制圧を行道に移ったたのは確実。
87トルコ:03/06/12 00:55 ID:vd+zXT5Q
日本にとってはでなく
アイヌにとってはという意味よ
最近になるまで国家も文字ももてなかったのは惨め過ぎるからさ
88トルコ:03/06/12 01:32 ID:vd+zXT5Q
万年属国の朝鮮人も惨めだが
それでも国を持ってるだけイイと思うよ
作封体制で属国といってもね
征服というのは悪いことばかりじゃないしな
フランスだってローマの侵攻によって文明化されたわけだし
89名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 05:17 ID:FeBXNRAe
>>87
アムールから北と東には「無文字文化圏」とでもいうようなものが
広がっていたんじゃないでしょうか。そしてそこには行政組織が
なかった。ある時期にはそのほうが有利だったんじゃないかな。
たまたま、ここ二、三百年は国家や文字があるほうが便利なだけで。
90名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 12:16 ID:vSriIoHR
>>82

アメリカ大陸って意外と近いじゃないか、と思えてきたよ。
91名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/09 05:48 ID:mTIajt+W
>>81
ユーカリじゃあないでしょ。コアラじゃあるまいし。
92名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:19 ID:+OP9ZrL+
次どうぞ
93ゴルビー皿うどん:03/08/30 04:00 ID:JzDfJFsE
兵庫県北部に蛍の名所で「米地」(めじ)という地名がありますが、これはアイヌ語のpetとは何か関連あったりしないでしょうか?
94名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/06 21:08 ID:RK0KaOTZ
日本語での由来はわからんのですか。
95名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/11 14:36 ID:twnTAkSP
あげ
96名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/02 13:01 ID:5BmYMHPc
アイヌ語併記の地名表示板が登場/旭川
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=5983

地名や川の名前などの語源になっているアイヌ語をもっと身近に感じてもらおうと、
旭川市内の2カ所にアイヌ語を併記した地名表示板が登場した
市のアイヌ文化振興基本計画の一環で、市教委は今後も10カ所ほどに設置を予定している。

同市緑町の近文(チカブミ)小学校の校門近くには
「チカプニ Cikap(鳥)−un(いる)−i(所) 近文」、

忠別川に近い神楽岡公園には
「チゥペッ Ciw(波)−pet(川) 忠別川」

と書かれた掲示板が立てられた。

それぞれ、「大きな鳥がいたという伝承があり、そこから石狩川右岸は広くチカプニと呼ばれるようになった」
「波立つ川、急流の意味」など、アイヌ語の意味や由来も書かれている。

市教委は「二つの公用語を持つ国の看板をイメージした。
特に子どもたちが、アイヌ語に関心を持つきっかけになれば」としている。

写真http://mytown.asahi.com/hokkaido/images/pic1_5983_247.jpg
97あぼーん:あぼーん
あぼーん
98あぼーん:あぼーん
あぼーん
99名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/30 00:34 ID:Fnn28qHW
大学の卒論で、「アイヌ語地名の南限」をテーマにしてみた。自分が日本全国の
地名を調べたところ、北海道のアイヌ語地名と類似した地名が、数は少ないが西
日本や沖縄にまで存在していることが分かった。
たとえば、「ピナイ」という地名です。北海道では、札比内(さっぴない)、ポ
ロピナイ、檜内沢(ひないさわ)など多数あります。これはアイヌ語で、pi.nay
(小石・川)あるいはpin.nay(えぐれた・川)の意味らしいです(山田秀三
氏の「アイヌ語地名の研究」より)。本州でも東北痴呆を中心に点在してます。
有名なのが秋田県の「比内」ですが、岩手にも点在してます。これより南では、
三重県藤原町の「日内」(ひない)があります。この近くに「石川」という地名
がありますし、地形がアイヌ語で解釈しうる形となっています。さらに沖縄県の
与那国島の「髭川」(ぴない)ですが、なんと「川」を「ナイ」と読んでいます。
「ナイ」はアイヌ語では「川」を意味しますが、単なる偶然でしょうか。こういう
例は他にもありますが、きりがないのでこのあたりでやめときます。
今後のアイヌ語地名研究で問題となるのは、今述べたことのように、東北以南での
アイヌ語地名存在の証明でしょう。早急に結論がでる問題ではないので、こつこつ
と研究を重ねていく必要があります。
100名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 19:11 ID:y/EWH3fD
>>11-12
アイヌ語地名は生活に密着した状況説明的地名なので仕方無いのだと思います。
早い話が「栗林」「蓬沢」「鱒の渕」なのです。
それと生活の中心からみた「手前の川」「奥の川」とか。

また>>12氏が曰う如く、郵政業務の根源となる様な統一権力なぞ無かったからそれで問題無かったのです。
101名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:34 ID:gB2dg8FI
age
102名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:38 ID:pAEtbkpN
別府や阿蘇はアイヌ語起源だと聞いたが
103名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 06:17 ID:gXCHBpB/
エドが「岬」と言う意味、
と読んだけど、そうなの?
104名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/12 15:34 ID:gkPHDwqM
エトゥなら岬の意もある
105名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/13 13:47 ID:EpjfSPF0
登呂遺跡のトロもアイヌ語源だと聞いた
106名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 07:53 ID:cL/IXPsV
谷を(ya)と読ます地名はアイヌ語からくるって
何かの本で読んだ事ある。西に行くにつれて(tani)
と発音する地名が増えてくるとか。
107名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:02 ID:nJMtfIHr
>>1我孫子は百済語起源です。
108名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:51 ID:13ydXfcj
四国の四万十川がシ・マルトというアイヌ語起源とか。
やはり北限は樺太のオハ(廃村)でしょう。
109名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 19:51 ID:Ng6VgJuA
>>108
オハがアイヌ語って右翼系の人達が良く引き合いに出すけど誰の説なんだ?

北海道にもオハって地名がありそうだけど無いのはなんで?
110ぴー:04/01/16 21:08 ID:VCihJ17X
島根に、十六島(うっぷるい)ってとこがある。
111名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:21 ID:IxR52auM
>>104
etuはもともと「鼻」の意味で、「岬」の意味にも使われるようになった
ようです。
三重県尾鷲市に「江戸鼻」という小さな岬がありますが、これと関係あるか?
112名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:31 ID:IxR52auM
>>108
アイヌ語で、「廃村」を意味する言葉に、「オハ」というのは存在しません。
tu.kotan(廃・村)と発音します。
>>109
少なくとも「北海道アイヌ語」ではないと思います。というか、そもそも
アイヌ語でないから、北海道に無かったと思われます。
113111=112:04/02/07 01:31 ID:IxR52auM
>>110
「打ち振るう」という意味らしいことを、どっかの本で読んだことがある。
「十六島」の東方に、恵曇(えども)という地名があるが、アイヌ語かも
知れないという説がある。この地名は、アイヌ語地名研究で名高い金田一
京助氏や山田秀三氏も注目している。北海道の室蘭にも、絵鞆(えども)
というよく似た地名がある。これはenrum(岬)の訛りから来たらしい。
地形も発音も良く似ているが、近くにアイヌ語風な地名がほとんどない
ことから、証明は困難のようです。
114名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 01:56 ID:bDYukiht
北樺太・北緯52度あたりのノテト(岬)が北限では・・・。
115名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 04:39 ID:moFbXxNJ
>>112
「おは」は「空になる」だな
116名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/20 04:54 ID:hexR7fpQ
スレがないので一言。
東北線では瓦屋根の北限は(民家の場合)一ノ関付近でした。
羽越線では、山形県まで瓦屋根の民家がありました。
そこを境に、がらっと屋根がカラフルになりました。

ちなみに、函館、大館、館山、下館、いわゆる館の地名は”館”あったところでしょうか?
館はアイヌ勢力に対する備えだと聞いた事がありますが、
だとすると関東までアイヌ勢力は来ていたのでしょうか・・・、まさか・・。
117名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/21 01:13 ID:k91N5X57
館はアイヌ勢力に対する備えだと!
118116:04/02/21 14:20 ID:1DA3mLml
>>117
タテは城のようなものだとも、聞いてはいますが。
志海苔館のような地名も函館近郊にはあるし、あのへんでは
アイヌ勢力に対するものだとも学生時代に習いましたが・・、違った?
119名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/27 18:49 ID:vzPONSHD
サハリンやベーリング海に思いを馳せれるこのスレサイコー
120名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:13 ID:kbUAma34
樺太ノテト岬対岸の沿海州キジ湖北方のカマオタ(kama ohta 海あるいは湖を渡る場所)
kama 〜を跨ぐ、越える  ohta(北海道アイヌ語方言では otta )〜で、〜する場所
121名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:56 ID:kbUAma34
カムチャッカ半島西岸ゴルギアナ川北方の北緯52度強のオパラ川(o-para河口の広がってる川)o 河口 para幅広い
あるいは、イチャ川(産卵穴のある川 場所はオパラ川より北、もしかしたらこれが最北カムチャッカ川付近らしいが
詳細不明)ican 鮭鱒の産卵穴
以上ロシア最初のカムチャッカ到達者アトラーソフの記録にあり。『北千島アイヌ語(吉川弘文館)』村山七郎
122名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 17:24 ID:kbUAma34
カマオタはあるいは単純に(kama ota 海を渡る海岸)
kama 〜を跨ぐ、越える  ota 砂、海岸の解釈もあるかも。
イチャ川は現在の地図ではカムチャッカ半島西岸で北緯55度強。
オパラ川、イチャ川間はほぼ平坦でオパラ川クリル湖近辺のアイヌが
鮭鱒の漁期に出向いた可能性はあると思います。但しイテリメンとの
闘争伝説もあるので内耳土器や先頭離脱銛(キテ)でも出土すれば、
定住の可能性も考えられます。
ロシア人到達まではアイヌの方が本土からいろんな物資を入手できた点で
優位に立っていたと思われますので。


123名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 21:38 ID:WH6fH+/K
アムール川河口付近のウリチ族にはアイヌを出自とするクイサリ氏族
(kui sari  kui アイヌ sari<san-i 〜の子孫)がいます。1930年代
までは蝦夷刀の鍔を帯飾りにした民族衣装が伝来してました。
千島アイヌに見られるような広範囲な交易活動を考えるとアムール川右岸
のみならず、かつてのアムールニブヒの居住地であったと考えられる現在の
シャンタル諸島沿岸にももしかしたらあるかも知れません。スタノボイ山脈を
越えて樺太にやって来たキーレン(北方ツングースのエベンキ族 ピウスツキ
採録の樺太アイヌのウチャシクマにキーレンに関する民話があり)の移動経路を
考えると、この辺りもアムール川と並んで主要な交通路になっていたのでは?
124名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 11:49 ID:MnCmKvid
ひと口にアイヌ語地名って言うけど、
東北からカムチャッカまでなんてすごい距離だよ。
カムチャッカ南端は千島アイヌの中でもほんとのほんとに北の端のグループ。

勿論それ以上に行き来はあったと思うけど、
徒歩民族の生活圏としては南は東北、
北はカラフトあたりまでが限界と考えるのが自然だろう。

123がほんとにアイヌだとしたら
ほんとの少数派のそのまた例外みたいな例だろうね。
舟で移動してたと思うからそういうグループがいても不思議ではないが。

125名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 14:33 ID:CNXVK/v/
千島アイヌはシュムシュ島パラムシル島オンネコタン島を本拠地とするアイヌで、
エトロフ島以南の南千島在住のアイヌは言語学的に北海道アイヌの亜種のよう
です。北方民族の活動領域は我々の考える以上に広域です。オンネコタン島から
直接厚岸までkaya(帆)を備えた準構造船で交易に来た例もありますからね。
マガダン近辺で宋銭が出土したり、知床、奥尻島(?)では大陸製の銀製品が
出土したりとか先入観による過少評価は禁物かも知れません。
126名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 17:55 ID:kxxngi2y
「亜種」って…言語学では使わない用語ですけどね。
確かに、いわゆる「ラソワ人」以北は「北千島方言」地域
で文化・政治的にも「南千島」とはだいぶ違っていたので
しょうね。因みに>>124の「徒歩民族」ってのも聞いた事
のない言い方ですね。アイヌ人の行動範囲は非常に広かった
と考えられています。東北のアイヌ人がカムチャツカまで
行っていたという意味ではありませんが。
127名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 21:14 ID:CNXVK/v/
南千島の言語資料は北海道開拓記念館民族調査報告書等にわずかにあるだけで
詳しいことはわかりません。ただ、浅井亨氏の方言分類やイナウシロシ、itokpa
などの民俗資料でそう考えられてるわけです。本当に斜里や根室(加賀屋文書)を
含む道東方言のバリアント(亜種)なのかあるいは宗谷方言やタライカ方言のように
独立の集団を構成するのか今となってはわかりません。
その点樺太に関しては墓標(kuwa)の類型や方言類型で亜庭湾周辺、西海岸、東海岸、
北部(樫保以北タライカ、散江半島を含む)のような地域集団があったようです。
ちなみに千島アイヌが文化的には別として政治的にエトロフ以南と異なるというのは
ロシア人到達以降の事と思われます。
128名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 21:31 ID:5aKnMpbv
オハがオハコタンに由来するとの説に関して、前の方でそういう地名は無く
付会に過ぎないとの見解がありますが、@オハコタン(oha kotan  oha空 
kotan村)は鈴木重尚『甲寅唐太日記』、松浦武四郎『北蝦夷余話』によれば
樺太栄浜郡内に箱田(オハコタン)、また名好郡名好村内にもあり。Aまた
ノテト以北の間宮海峡最狭部付近のワゲ(wa-ke wa渡渉 ke所)、ワカセイ
(wa-kasu-i wa渡渉 kasu過ぎる i場所 よく渡る場所) 『北蝦夷図説』が
アイヌ語の地名と考えられること。Bさらにアムールニブフ出身のタクサーミ
博士の著書КТО ВЫ айны?の中では北樺太のノグリキやアレクサンドロフ
サハリンスキー在住のニブフから聞いた話として昔はアイヌがこの付近にも
いたとの記述。C現在樺太アイヌとアムールニブフとの間に楔のように居住
しているウィルタの樺太到来はそれ程古くはないと考えられる点(ウィルタ語は
北のワール川方言と南のタラン川流域の方言との分化が近隣のニブフ語やアイヌ語
と比較して大きくはない)からすれば、もちろんアムールニブフとの混住でしょうが
アイヌ語地名の可能性はすて切れないと思われます。

129名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 01:15 ID:BsiZTokx
>>1の言おうとしているのは、アイヌ語地名の南限のことでは?
130126:04/03/17 05:01 ID:Qe9unjEj
>>128
(1)「オハコタン」ならアイヌ語地名だが、「オハ」だけの例は無いはず。
さらにワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はおかしい。百歩譲って当時の
アイヌ人がそう考えていたとしても整合性はない。
(2)タクサミ氏と同じくらい私も知っているが、彼の聞いた「東海岸北部
のアイヌ人」は20世紀の話だし、現地情報からだけなら、西海岸に間宮
林蔵の記述以上の居住可能性はない。
と、まあ批判は(2ちゃんだし)このへんにして。樺太北部の地名について、
言語学的に精緻な研究は全くない。そこの「アイヌ語地名」とくると
なおさらだ。北海道における「オホーツク文化圏の非アイヌ語地名研究」
なみの雲を掴むような話なんだな、これが。夢のない話でごめん。
「関東のアイヌ語地名」程度の可能性はあるだろうと思うけどね。
131名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 10:46 ID:/1zE1Ag5
>>130
ワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はどうおかしいの?
何とどう整合性がないの?
タクサミ氏と同じくらい私も知っているとは??
間宮林蔵による居住記述はアイヌが清朝支配下の
山丹人に交易上の負債を負ったり、オロッコが攻撃
した後の居住範囲が狭くなった後の記述じゃないの?



132126:04/03/17 13:42 ID:jyLPJE0U
>>131
wa-keと解釈するならwaは名詞「岸」で地形を表わす普通名詞。
「地名」ではなかろう。またwa-kasu-iは「ワカセイ」のkaseを
勝手にkasuと解釈しているが、その根拠がない。北海道ではアイヌ
語だという前提があるから多少の語形の違いは無視する慣例があるが、
他地域でそれはちょっとまずい。ちなみにその場合でも解は「岸」
とすべき。要するに「地名」の基準とアイヌ語解がどちらも不十分だ
といいたかったのです。
133126:04/03/17 14:10 ID:jyLPJE0U
>>131
「同じくらい」というのはまさにそのまま文字通りです。
同じソースにあたったというだけ。
つぎ、間宮以前については、確かにアイヌ人がより北方にも
居住していた可能性があります。例えば「シルンアイヌ」は
ニヴフ化したアイヌ人だった可能性がある。間宮が行った頃に
まだその記憶(婚姻関係)が残っていたのかもしれません。
間宮の記述からアイヌ人の居住域(混住域)がかつて広かった
ことを読み取るのは当然でしょう。
でも、それ以上の居住を伺わせる情報は現在では得られない。
以下は余談ですが、それ以前は二ヴフ人の居住域がもっと南下
していた可能性があります。「タラン」「−ポ」地名の分布は
サハリンに特徴的な地名ですが、それこそニヴフ語っぽい。
「−ポ」は北海道のオホーツク文化地域にも見られます。この
文化の担い手が二ヴフ人だという説がある。そう考えるとアイヌ人
のサハリン北部への進出が極めて限定的だった可能性が高いと思
います。
134名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 01:00 ID:V9/kUwAq
茨城県水戸市「木葉下」町なんか絶対そうでしょ?
「アボッケ」と読みます。
135ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:56 ID:yuPqk6yC
126こと中川先生
恐らく田村辞典知里辞典の「名詞」のみにとらわれてそのあとの
「名詞的語根」について深く考察されたことがないのでは?
waは本来wakka 水、wa渡渉、 wawa 渡渉、wor 水、watara海中の岩?など
名詞や動詞の語根としての機能を果たしている可能性があると思われる。
すなわち名詞、動詞の価値中立的語根として。アイヌ語においてwで始まる語が
少なくwenを除いて殆んどが水に関する語であることがこの考えを強くする。
たとえば田村論文でも語根?重複形は意味を強めるとしか解釈されて来なかったが、
むしろ(価値中立的)語根の重複は、より動詞的性質を取得させる性質を有すると
考えるべきなのでは?知里以後語根分析が等閑にされて来たきらいがある。
明確にアイヌ語地名圏の東海岸南部の輪荒や長浜郡の和愛湖(ワワイト)などのwaは
この種のwaではなかろうか?
また、傍証としてノテト近辺は樺太アイヌが大陸に赴く際のルート上であり、
自ら目印に名付ける可能性が高く、国会図書館蔵窮北日誌p103和牙ワゲは
岬頂(岬の先端?)の地名としており、渡海点と解するには地形的に問題ないと
思われる。
ワカセイに関してはkasuであるかは疑問なしとはしない。kasuの伝来の誤りか
あるいは積年の慣用と見たが他に成案はない。
ただ、上記地名に関してニブフ語アムール方言で解釈できるのなら、固執するつもりは
ない。waは指摘したようにアイヌ語においてwで始まる語が少なく解釈における恣意性が
比較的少ないと思われるので、例外的にそう解した。
136ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:58 ID:yuPqk6yC
敷香郡の多蘭タランはサハリン東南部方言の存在を考えると古くからポロナイ川流域に
ニブフが居住していた可能性が高くニブフ語の可能性は考えられる。ただ、北知床半島や
北緯50度線付近のウエンナイ(村松川遠内川、ウエンコタン)は純然たるアイヌ語地名
であり、西海岸と比較して自然的障害がないのに北知床半島や散江付近を迂回して
ポロナイ川下流域にニブフが存在するのは、すなわちタライカ付近で樺太アイヌを分断
する形なのはニブフの後世の拡大によるものでは?タライカ方言が他の樺太方言の改新
から取り残され独自性を有するのも、もしかしたらニブフによる分断が原因かも。
オホーツク文化人イコールニブフというのも可能性の一つに過ぎず、むしろ短頭型の
樺太アイヌの逆流の可能性もありえる。もしオホーツク文化人イコールニブフなら
オホーツク文化の遺跡が南樺太より本来の居住地である北樺太やアムール河口に
より多く分布していなくてはならないはず。オロチの基層にニブフがあるとするなら
ニブフ北上説は採りがたい。擦文文化人の動物崇拝の受容はオホーツク文化人イコール
ニブフと考えるより樺太アイヌと考える方が精神的葛藤がないのでは。今のところ北海道
オホーツク海沿岸にアイヌ語的解釈を困難にする地名が少ないのもこれを補強するのでは。
137ウエネウサラ会員TH:04/03/18 11:09 ID:yuPqk6yC
追加 鮭鱒海獣の猟に大きなウエイト持っていたニブフが北知床付近を避けて相対的に
不利な内陸に居住してるのがどうも解せない。
138ウエネウサラ会員TH:04/03/18 17:28 ID:yuPqk6yC
尊敬する山田先生が結論を保留されていた北海道の輪西もこの種のwaなのかもしれない。

北海道のオホーツク文化地域に見られる「−ポ」とは具体的に何処なのか教えて頂きたい。
家にあるニブフ語ロシア語辞典で調べてみたいと思います。
139名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 09:24 ID:GRrXVZ+l
蝦夷アイヌ説が氏郷記、津軽藩文書、南部藩雑書やアイヌ語地名の存在にもかかわらず慎重なのに
比較して、オホーツク文化人ニブフ説、果ては韓国語ニブフ基層説(金芳漢)まであったりするのは
何とも不可思議な現象です。
140名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 14:55 ID:rQ4I9F50
ウィルタ語では多蘭川はNaiputu n∂∂ni (Naiputu多蘭n∂∂ni川、河口) 
Naiputu<nay川―putu河口 アイヌ語
多来加川はkuuji n∂∂ni ( kuujiアイヌ)池上二良 ウィルタ語辞典 
またNaiputuは氏族名(Naiputun neeni)ともなってます。
Naiputun neeniは南樺太で一番古いショークト(Sθθktθ)氏族の一支流であり、
そのショークト氏族の一つがアイヌ語地名を自らの氏族名としているのは、
いかにアイヌが古くからタライカ付近に居住していたかを物語るものと言えます。
そうなると藤山ハルさんがucaskumaの中でRayciska kotanを禁忌のために
Tara-kotanと呼んでいたように、やはり多蘭はアイヌ語のtara -(an)-kotanに由来
する可能性の方が大きいのかも。
141名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:16 ID:rLK88UEE
>いくらアイヌの生活に川が重要だったとはいっても、
>「ペッ」と「ナイ」で終わる地名が多すぎませんか。
>というか、全体的にボキャブラリーが少ない。

文字もなかったしな。西洋の国だってボキャブラリー少ないよ。
日本が多すぎるだけ。
142名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:19 ID:rLK88UEE
関東の地名もボキャブラリー少ないよ。
狛江とか高麗とか駒沢とかさ。www

利根川はアイヌ語の長いという(タンネ)がなまったものらしいね。
確かに長いけど。
143名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:21 ID:rLK88UEE
たしかに四万十川って四国なのに
なんとなく北海道の地名みたいだよな。
144名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/26 20:44 ID:V1FM6OYC
松田傳十郎は西海岸のポロコタンでシルンウタレに出会い彼らの居住地は北方の
モシリヤ方面であるとの情報を得ているが、このシルンウタレ(シルンウタレまたは
シルングル松田傳十郎「北夷談」、シルンアイノ間宮林蔵「北蝦夷図説」)に関して
北大の池上二良教授は北方文化研究の中でrをtに発音するアイヌ語集団すなわち
北部のタライカ方言の話者ではとの見解を示しています。この見解に従えば、地名
のみならず実際のアイヌの居住範囲が樺太西海岸のかなり北まで伸びていた事に
なります。
オホーツク文化人樺太アイヌ説に関して、明初14C末の苦兀について開原新志に
ミイラ作成を思わせる『親死刳腸胃曝乾』との記述や遼東志にも同じ趣旨の記述が
あり、間宮も樺太アイヌのミイラ作成に関する記述を残しています。
仮にオホーツク文化の獣骨の屋内集積、動物彫像の作成、偶像化の延長上に、もし
ミイラ作成があるとするなら、時間的には多少の間隔はあるが、繋がる可能性がない
とは言い切れない事にもなります。
145名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/11 21:18 ID:Aj3Ebj4g
オホーツク文化の地名まだ?
146名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 18:59 ID:Uky4/b3d
>>116
遅レスですが、下館は平将門の乱の時藤原秀郷が上館中館下館の三館を築いたことに
由来しています
147名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 10:42 ID:x8uRfZ1b
あげ
148名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 13:44 ID:yXQRt25s
札幌  

アイヌ語で「サツポヌツベ〜曲がりくねった川のある草原〜」を意味する。
149名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 16:59 ID:2qXpK/iF

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/
150名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 22:53 ID:38mbDGja

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/
151名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/06 22:40 ID:TJWPUptb
とある書物で古代に北海道から朝鮮半島までの広範囲な地域の
言葉として話されていた古代語が現在のアイヌ語に近いらしいとのこと。
本州以南のアイヌ語地名としては>>103氏が言われているように、
江戸や伊豆もエトゥの解釈でアイヌ語地名と言える。
また斑鳩もイカルカ(見張る所)であろうという解釈も出来得る。
しかし、厳密に日本語とアイヌ語の地名を見分けるのは難しいため、
こういった検証は慎重に行う必要があると思う。
152名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 00:08 ID:9BNlmjGV
埼玉県の日高市に「越辺川」という川が流れていますが、
読みは「おっぺがわ」です。
調査したわけではないですけど、これなんかは
アイヌ語起源だと思うんですが。

秋田県に「生保内」という地名があります。
郷土史の本によると、これもアイヌ語起源だそうです。
ところでこの地名、公的には「おぼない」となっていますが、
私の祖母(大正10年生まれ)が言うには「本当は日本語の文字には当てはめられない発音」だそうです。
「おぼ」の部分は仮名通りの発音ですが、「ない」の部分は「ねぇ」と書くと近いかも
(「ねー」ではない、と強調していました)。

>>116
中学の頃(80年台前半)、岩手県北上市の借家に住んでいましたが、
その家は建物の半分がトタン屋根で、もう半分が瓦屋根でしたよ。
しかし、何の話題?
153名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 12:31 ID:Hzf5qel6

逆に、南限はどこなの?
154名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/13 20:11:10 ID:xUVvfThg
難しいね
縄文時代まで遡る話になるかもしれないし
155名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/29 19:38:51 ID:jSNUfK0v
名古屋に「えびふりゃあ」という食品があります。
郷土史の本によると、これも日本語起源だそうです。
ところでこの食品、公的には「エビフライ」となっていますが、
私の祖母(大正10年生まれ)が言うには「本当は日本語の文字には当てはめられない発音」だそうです。
「エビフ」の部分は仮名通りの発音ですが、「ライ」の部分は「りゃあ」と書くと近いかも
(「りゃー」ではない、と強調していました)。
156名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/29 22:31:34 ID:KL0qQChQ
æだろ
157名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 23:01:04 ID:D+Ntcg+N
【絶滅に瀕する人種】
  アンリ・V・ヴァロアの著述時点で、絶滅あるいは絶滅に瀕していた人種

   タスマニア人 ・・・・・ 絶滅した
   オーストラリア人 ・・・ 絶滅途上
   ネグリト ・・・・・・・ 絶滅途上
   ブッシュマン ・・・・・ 絶滅途上
   アイヌ ・・・・・・・・ 絶滅途上
   ヴェダ ・・・・・・・・ 数百人(純粋なもの)
   ニューギニア人 ・・・・ 減少中
   メラネシア人 ・・・・・ 減少中
   ポリネシア人 ・・・・・ 減少中
   アメリンディアン ・・・ 純粋なものは消えつつある

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-7.htm
158名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 23:28:21 ID:8QLbuLoT
またまた。アンリがアイヌ=白人って書いてるからそこが見せたいんだろ?w
あんな古い陳腐なもの誰も見向きもしないよ。アイヌは野蛮人。これがFAねw


159名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 00:06:10 ID:d1hiL9VT
アイヌ語地名いいだした、もとのアマチュアのなんだっけ?
佐藤さんだっけ?その人は、アイヌ語地名は、白川の関から北
に分布といっているが、これに感動した、あやしい文化人連中
(Uとか)が、四国にもあるとかいいだしたんだよな。
それで、この話もみょーにうさんくさくなった。
160名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 03:37:41 ID:LU92A6qO
佐藤秀三は徹底的に現地調査してるしアイヌ語の知識も正確だから信頼が置けるよ。

あやしい文化人とやらは、まあどこにでもいるし、気にすんな。
161名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/10 19:42:03 ID:/l6SGHD4
良スレ
162名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/10 23:11:17 ID:RyFBYzBo
カムチャッカか?
163名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 23:00:43 ID:0QVv25rK
>>110 出雲という地名もアイヌ語ではないかという説を聞いた事がある。
164名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 01:06:07 ID:XakHtW4G
>>163
つまり、その、>>159だが、>>160のいうように、佐藤さんの
いうことをちゃんとしっていれば、こういう出雲がアイヌ語だとか
そういうことにはならんのだ。uと書いたが、梅原猛のことだけどな。
165名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 02:22:51 ID:4OSjLXji
>>163
エトモ説ね。
166名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 10:39:35 ID:SBeOY6Xa

次スレ立てますた!!


アイヌ人は黒人、間違いなし!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1108142916/


167名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 02:43:32 ID:KIonmCQJ
>>163 石見の恐羅漢(山)や三瓶(山)もアイヌ語起源とする説も聞いたことがあります。
168名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 22:28:25 ID:IPpny6/2
>>152
亀レスだが、
越辺川の「オッペ」は「豊かな川」という意味だと聞いた事がある。未確認だけど。
日高の隣町の毛呂(モロ)ってのもそれっぽいね。
169名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 02:49:17 ID:m/oMEDBS
>>13
「富士」は歴史的仮名遣いで書いても「ふじ」だからね。もし歴史的仮名遣いが
「ふぢ」だったら多少は可能性があるかも知れないが。もっとも、「ぢ」の
発音は中世以前だと[di]だからこれでもまだ難しいけど。

>>48
ポロコタンの現在のロシア名は「ルイコフ」です。「ピレオ」は帝政ロシア
時代のロシア名。

>>106
「谷」を「や」あるいは「やつ」と読む地名の西限って東海地方くらい?
なんとなく近畿地方以西では「谷」はほぼ間違いなく「たに」と読む気がする。

>>113
「恵曇」と「絵鞆」なら、歴史的仮名遣いでもどちらも「ゑども」だから、
語源が同じ可能性はあるかもね。

>>116
函館の地名は、中世の頃に道南十二館の一つの志海苔館(しのりだて)があった
ことに由来する。

>>125-127
ゴロウニンの手記によると、千島アイヌは自らの版図の南限を新知島だと思って
いたらしい。得撫島以南は北海道アイヌとそれを支配する日本人の領域だと
答えたとか。

>>163-164
出雲(いづも)って、出羽(いでは)国とか伊達(いだて)郡とかに語頭が
似ているような気もするけど、これってアイヌ語で説明できますか?
170名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 06:52:36 ID:X1u6guW8
>>169
難しいですね・・・
それらの地名が日本語起源でないとも断言はできない。
アイヌ語起源だったとしても語形が大きく変わっている可能性がある。
アイヌ語にi-という接頭辞は確かにありますが。
171名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 17:39:00 ID:pj8qKycd
アイヌの知識は全然ないんですが質問です。
北方4島や千島列島の島々には、似たような語尾を持つ島名がありますが、これにはどんな意味があるんでしょうか?
私が見た限りだと、このあたりが関連性ありそうに思えるんです。
〜コタン:色丹、捨子古丹、知林古丹、春牟古丹、温禰古丹
〜シリ(シル):国後、新知、宇志知、幌筵
〜ロフ(ルフ):択捉、得撫
〜oイ:知理保以、計吐夷
〜uワ:羅処和、松輪

あと、元や明の時代の中国の文献では、樺太アイヌのことが「クイ」と記されているらしいですが、
これって北海道アイヌの自称である「カイ」と同語源ですか?
172名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:28:02 ID:XApWjziB
>>171
〜コタン =アイヌ語kotan(村、集落)
〜シリ =アイヌ語-sir(〜山、〜島)
〜イ =アイヌ語-i, -y(〜する所・〜する者)

〜ロフと〜ワは不明です
多分それぞれ別の語源があるのでしょう
173名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:47:48 ID:XApWjziB
元や明の文献に記されたのは「骨嵬」です。
樺太でアイヌと接していたニヴヒ人やツングース系民族から
「クギ」「クイ」と呼ばれたことに由来しています。

「カイ」が北海道アイヌの自称であると記したのは、北海道の名付け親松浦武四郎です。
彼は天塩でこの言葉を老人から聞いたらしいですが、
現代のアイヌ語研究者の間からは、「カイ」という自称はアイヌ語の日常会話にも、
古い神歌や叙事詩にも出てこないとして、疑問の声も出ています。
しかし、アイヌ語天塩方言の資料はあまり残っていないので、真相は闇の中です。
174名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:22:08 ID:kJIE2kbJ
>>172
千島の島名がローマ字で書かれている地図を見たところ、以下のような感じでした。
択捉=iturup
得撫=urup
羅処和=rashua
松輪=matua
これで考えると、択捉と得撫に共通する語尾は[-urup]、羅処和と松輪に共通する語尾は[-ua]なのかも知れませんね。
専門知識がないんでこれ以上は私にはどうにもなりませんが。
175名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:23:55 ID:kJIE2kbJ
そういえば千島の島名でも、武魯頓と阿頼土はアイヌ語じゃないんですよね?
176名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:35:03 ID:VQD8IBnn
ブロートンはイギリス人の探検家ですね
アライトも人名でしょうか?アイヌ語っぽくはないですね
177名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 01:29:58 ID:tNIpE+33
武魯頓島のアイヌ名は「マキントル」でよかった?
178名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 02:27:11 ID:VQD8IBnn
マキントルねえ
あんまりアイヌ語っぽくない名前だな
179名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 02:30:45 ID:VQD8IBnn
"マキントル"で合ってます?
GoogleでもYahooでもgooでも全く引っかからないんですけど
180名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 03:03:59 ID:7KJ+mqPW
ゴローウニンの「南千島探検始末記」って本にブロトンのアイヌ名はマキントルって書いてありました。
181名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 10:59:08 ID:VQD8IBnn
ロシア人が書いた本に乗ってるんですか
makun奥の to湖 or〜の所・・・? やっぱりわかりませんね
もしわかったらでいいですけどキリル文字の綴りも教えてもらえますか?
182名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 13:31:10 ID:A3K8O8c0
>>176
阿頼度(アライト)はアイヌ語由来。
松前島郷帳(元禄十三年)では「おやこば」
おやこばは、親子庭の文字を当てる。
オヤコパケスの訛で、「外側の西の方」の意。島列の西の方に離れているから。
アライトはアライツイの訛で、「側(かたわら)に切り離した」という意味。
183名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 15:18:59 ID:hcKMDQ8E
英語での綴りはAlaidとなっていたが
アライツイがどうやってAlaidになったんだ?
やはり英語かロシア語じゃないのか
184名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 15:19:44 ID:bHYy5i+g
>>181
日本語に訳されたものを読んだので、もとの綴りはわかりません。
http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=1&INDEX_POSITION=0&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=6742521243_8547644&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000002310158&SS=01&SSI=0&SHN=1&SIP=1&LS=6742521243

>>182
元禄13年段階で松前藩って北千島の地理まで把握していたのですか!?
185名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 18:01:29 ID:g6ookTkM
18世紀段階で日本人の地理知識に含まれていたのって、せいぜい
得撫(ウルップ)島あたりまででは?
186名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 21:17:49 ID:nwUVDVQc
>>184
松前島郷帳には、くなしり(国後)から、しいもし(占守)、くるみせ(カムチャツカ)
まで記されている。
>>177
1796年(寛政八)英国人ブロートンが探検した島は、松前島郷帳では、まかんるる。
マカン・ルルは北海の意。北海にある島の意味。
187名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 00:19:22 ID:MXPDQ4D4
>>186
それって、似たような名前の島が他にもなかったっけ?
188名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 02:31:03 ID:AsA5MkVL
そういえば、前述のゴロウニンの著書だと北海道のことは「マツマイ」って
書いてあったんですが、これは「松前」が訛ったものと考えていいんですよね?
それともアイヌ語でしょうか?
189名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 07:04:17 ID:gq5mEV8L
>>186
makan奥へ行く(或いはmakun奥の) rur潮、転じて海
マカンルルに北海という意味はないです。

>>187
北千島にある別の島は磨勘留(マカンル、マカンルシ)島です

>>188
松前はアイヌ語ではMatomayと言っています。

強いて解釈すればmat-oma-i「女が・そこに入っている・所」
あるいはmat-o-ma-i「女が・そこで・泳ぐ・所」となるでしょうか。
古くから日本人が入っているところなのでやはり日本語かもしれませんが。
190名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 09:51:22 ID:kIFAxNUg
>>187
磨勘留(まかんるる)、松前島郷帳では「こくめつら」
こくめつらは、コツ・メム・ト・ライの訛で「沼穴の彼方から降った」の意。
伝承によれば、温禰古丹のピイモイ(抜けた湾の意)に火山があったのを、
カツルオクルという神が抜き取って、海中に降らせたのが磨勘留島で、抜けた穴が
温禰古丹島のピイモイ沼だという。
>>189
樺太師範学校出身の西鶴定嘉氏の解釈によると、奥の海=北の海だそうです。
アイヌにとり、ウルップ島を玄関にたとえ、北上してカムチャツカ方面へ行く
ことを、奥に行くと考えるそうです。
191名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 10:38:41 ID:/HLdBMRl
くっちゃん湖
192名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 18:49:20 ID:xH283Uu6
辺要分界圖考の中で近藤重蔵がラショワ島出身イチャンゲムシ
から聞いたペトロパブロフスクのアイヌ語地名「パンルルカ 
pan-rur-ka(pan下方の rur海水 ka岸 《ota-moy-ka
砂浜でかこまれた、入江の、岸》」及び「レブンライシャシrep-
un-ray-sas-us-i (rep沖 unにある rayひどい《名詞に付く
接頭辞》sas昆布 us群在 i処)」について。
イチャンゲムシによればシュムシュ島からカムチャッツカの
レブンライシャシに上陸し徒歩4、5日でポンルルカに到ると
あるが、レブンライシャシが南端のロパトカ岬近辺だとすれば、
航空地図を見れば分かるようにペトロパブロフスクまでの東海
岸は海岸線が入り組み山が迫っており、舟行ならともかく、到
底4、5日では到達不能である。他方古くはイォヘルソンがナ
ラチェヴァで内耳土器を発掘したのを皮切りに、ポノマレーン
コがペトロパブロフスク北方のジュパノヴァで寛永通宝を十数
枚発見したのに続き、ボリシャヤ・メドヴェシュカ、ドジュデ
ヴォイでも内耳土器を発掘し、またヂコヴァもボリシャヤ・メ
ドヴェシュカ、西海岸南部のヤヴィノ(鳥居龍蔵「千島アイヌ」
のカムチャッツカアイヌ語地名ヤーウェン)で内耳土器を発掘
している。(ポノマレーンコやヂコヴァは千島アイヌの影響を受
けてイテリメンが作成したと考えているようだが、これは疑問。
総じてロシアの学者は領土問題を意識してか数々の地名や出土
遺物にも拘らずカムチャッツカに於けるアイヌの存在には消極
的)
193名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 18:50:38 ID:xH283Uu6
〜続き〜
以上の事実を整合的に解釈すれば、仮にレブンライシャシ
が南端のロパトカ岬近辺だとしても、ペトロパブロフスクへの
ルートは西海岸をヤヴィノ、オパラ川を経てボリシェレツク付
近まで北上し、川を遡航してカムチャッツカ川の分水嶺を越え
てカムチャッツカ川源流部に到り、ペトロパブロフスクのある
アヴァチャ湾に流入する河川を下ったのではあるまいか。宗谷
から樺太東海岸へのルートが海岸沿いに北上するルートのみな
らず、西海岸を北上しクシュンナイから東海岸のマアヌイまで
の山越えや、中知床半島を舟行せずチペサニ越えや、ススヤ越
えのルートがあったように。そしてこのルートはアトラーソフ
が出会った伝兵衛がオパラ川河口付近に漂着しカムチャッツカ
川流域のカムチャダールに連れて行かれたと言う証言とも一致
する。あるいは想像が許されるならレブンライシャシ自体がよ
り北方のボリシェレツク付近を指し、アヴァチャ湾に流入する
河川を下った際に見える光景こそ、まさしくアヴァチャ湾奥に
面したペトロパブロフスクことパンルルカ pan-rur-ka(pan
下方の rur海水 ka岸)なのかもしれない。
とすればイチャンゲムシによれば誤りとされるポンルルカ
pon-rur-ka(pon小さい rur海水 ka岸)というのはアヴァ
チャ湾の地形に基づく後世の付会か?
194名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/25 22:48:33 ID:xH283Uu6
イォヘルソン、ポノマレーンコ、ヂコヴァの各出典
Jochelson W 1928 Archaeological Investigations in Kamchatka
Дикова1983 Археология южной Камчатки в связис
проблемой расселения айнов
Пономаренко1985 Древняя Культура ИтельменовВосточной
Камчатки
195名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 09:38:29 ID:4hlTUWyl
>>171-172 >>174
北海道庁のHPには、択捉はアイヌ語で「岬のあるところ」だって書いてあるよ。
得撫とか他はわからぬが。
196名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 17:39:54 ID:BymLE07R
カムチャッツカのアイヌ
鳥居龍蔵『千島アイヌ』には、千島アイヌ副酋長アヱリキから得た情報とし
て南端のロパトカ岬からヤヴィノまでのオホーツク海沿いのアイヌ語地名が
載せられている。もちろん紙面の都合で西海岸だけを取り上げた可能性もな
いわけではが、アヱリキはそれらを極馴染みのある、係わり合いの深い地名
として名指ししたのではなかろうか?千島アイヌとボリシャヤ川流域との関
係の密接さの証拠として、オンネコタン島のアイヌがボリシャヤ川流域のカ
ムチャダールの言語を知っていたとのコズイレフスキーによる記述があるよ
うであり、また、クリル地方最初の探検者であるアトラーソフは「6つの柵
を攻め、1つを占領し50名程を皆殺しにした」と証言している。アトラー
ソフ自身は南端のロパトカ岬までは到らず、西海岸のみを探査したのである
が、ゴルギアナ川周辺の極狭い地域に、攻略しただけでも城砦が6つも存在
していたのは西海岸のこの地域が、いかに千島アイヌにとって重要な地域で
あったかを雄弁に物語るものと言えよう。
197名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 17:40:36 ID:BymLE07R
〜続き@〜
さらに、Долгихの『17世紀のシベリア民族の部族・種族構成』1960
(村山)によれば最初のカムチャッカ長官ティモフェイ・コベリョフはボリ
シェレツクとアワチャのカムチャダールや新しいオンパラ川の住民をもクリ
ルと考え、アワチャ及びボリシェレツクのカムチャダールを1702年に納税帳
にクリル人として記入したとされる。北カムチャダールが、南カムチャダー
ル少なくともボリシェレツクカムチャダールをクリル人と呼称した点、南カ
ムチャダール自身もクリル人と自称していたらしいことから、Долгих
は最終的にボリシェレツク、アワチャのカムチャダールはカムチャダール言
語と文化を受け入れたクリルに由来するためであろうと結論付けている。し
かしこの結論は疑問である。
198名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 17:41:20 ID:BymLE07R
〜続きA〜
なぜならアワチャ湾(ペトロパブロフスク)北方の東海岸のナラチェヴァ、
ボリシャヤ・メドヴェシュカ、ドジュデヴォイ、ジュパノヴァで千島アイヌ
の製作によるものと思われる内耳土器が発掘されている点、ペトロパブロフ
スクのアイヌ語地名「パンルルカ pan-rur-ka」の存在、カムチャッツカ半
島南部東海岸の地形上の制約(海岸線が入り組み山が迫っていること、西海
岸に較べて河川の流域面積が狭い点)を要因とする西海岸と東海岸アワチャ
湾以北との往来が、比較的高低差の少ないボリシャヤ川遡航とカムチャッツ
カ川源流部横断及びアワチャ川航行のルート(樺太のクシュンナイ、マアヌ
イ間がほぼ1日行程であり、上記ルートも最大5日あれば踏破可能であろう)
によりなされていた可能性が極めて高いこと(現在のカムチャッツカ半島南
部の東西海岸往来の主要道路はほぼ上記のルートに沿って開設されている)
等の事実から、ボリシェレツク、アワチャのカムチャダールとは千島アイヌ
に他ならず、カムチャッツカ川流域及び西海岸北部のイテリメンとの接触及
び交流の必要性からイテリメン語を理解並びにその一部が2言語併用の状態
にあったと理解する方がより自然ではなかろうか?とすれば、千島列島を北
行する場合千島海流に逆らう太平洋側の東航よりもオホーツク海側を西航す
る方が小型船舶にとっては有利であり、ラショワ島出身イチャンゲムシの云
うレブンライシャシ(rep-un-ray-sas-us-i沖合いに昆布が夥しくあるところ)
とは、まさしくボリシェレツク近辺にあるとの思いを強くする。カムチャッ
ツカ半島南部西海岸で昆布が夥しくある場所の情報、ボリシャヤ、アワチャ
両河川流域での内耳土器の発見の報が待たれる。
199名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/26 22:53:40 ID:BymLE07R
ペトロパブロフスク近辺の地図を改めて見てみたが、アワチャ川より、
むしろ少し南のアワチャ湾に注ぎこむ河川の方が急峻だが距離的には
近いのかもしれない。
200名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/27 02:04:48 ID:STuWdxGe
>>195
じゃあウルップも「〜のところ」って感じの名前みたいだね。
201名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/27 10:08:04 ID:5GlzKK06
>>200
得撫島は「松前島郷帳」うるふ。
ウルップとは紅鮭のこと。この魚が多いから付けられた。
202名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/27 12:52:10 ID:X0joQcOh
参考までに手元にあるペレストロイカの最中に刊行されたИстория и
 Культура Ительменов(1990наука)のp15の地図
には18世紀に於けるイテリメンの居住範囲が西海岸のボリシェレツクから東
海岸のアワチャ湾を結んだ約北緯53度以北となっています。大陸に於けるク
イサリ氏族の存在、「海民」の広範囲な活動(網野氏『日本の歴史00』)、考古
学の知見に基づく記紀の再評価など、先入観にとらわれて否定的消極的に解釈
するばかりでは、かえって本質を見誤ってしまうかもしれません。確かに北緯
54度強のジュパノヴァはどうかなぁ?とは思いますが、敢えて問題提起して
みました。
203名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/28 00:41:30 ID:atqhyV+J
>>195>>200>>201
ってことは Iturup と Urup って語尾が似てるけど、関連があるわけじゃないんだ。
204名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/01 20:37:58 ID:KLbwPSSm
「松前島郷帳」が続々群書類従に載っていたので見てみたのだが、どれがどの島なのか判らないものも結構あった。
205名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/02 15:43:40 ID:WC90nsoQ
>>182
「松前島郷帳」って、列挙されてる島の順番がかなり滅茶苦茶な気もするのですが、
阿頼度島が「おやこば」だというような比定はどうやって行うのですか?
「ゑとろほ」とか「うるふ」みたいに、語呂的に現在のどの島なのか一目瞭然のものなら分かるのですが。
206名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 00:04:01 ID:cf1Xq7Ko
>>169
西日本で谷を「や」と読ますところ
→徳島県祖谷(いや)

>>172
「フ」で終わるのは何かロシアっぽい感じがする。
207名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 00:51:46 ID:v/oFSXc1
>>206
それって古代からの地名?
それとも中世以降に東国から移住した勢力とかに関係がある?
208名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 02:46:54 ID:d5O3lx+W
>>206>>169
宮崎県西米良村 板谷
209名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/03 03:15:21 ID:xhYE380E
「谷」で「や」と読ませる地名、西日本でもそれなりに見つかる。
http://watchizu.gsi.go.jp/mapsearch.html#namekey
210名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 01:39:59 ID:cehrlgUr
なるほど。
211名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/05 13:18:24 ID:19Lo9sAi
>>206
日本語ではフで終わってても原語のアイヌ語(やそれを基にしたロシア語、英語)
ではpで終わってる。
つまりロシア語の語尾によくある-ovとかとは関係ない。
212名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/07 03:12:02 ID:1y8punC5
iturup
urup
213名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/08 12:39:11 ID:tr234CE8
アイヌ語でエトロフって正確には何ていうんだ?
Etorop説とEtorpo説があるんだが

田村辞典のEtoropoはEtorpoの聞き間違いかもしれん。
214名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/08 23:03:11 ID:WFDkjrAW
島のほぼ中央モシリノシケに、エトロ・プ・ワタラという岩がある。
「鼻汁を垂らす岩」の意で、まるで鼻汁を垂らしているように見えるから
この名があり、それが島名になった。
215名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/09 03:55:27 ID:ZBYWiUOW
北海道庁のページでは択捉の語源は「岬のある場所」と書いてある。
「松前島郷帳」では択捉は「ゑとろほ」。
216名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/09 22:16:23 ID:QP8EavrO
エトロフは松前島郷帳より前の正保元年(1644年)の正保国絵図(原本及
び控え図はなし、正保日本総図の『北方図(原本なし、皇圀道度図ほか、
民博等に数点の写しが存在)』)に ヱトホロ、ヱトロホと記載あり、元禄
10年(1697年)松前島郷帳では「ゑとろほ」となっている。 そこで、エ
トロフの地名解であるが、etu-or-o-p<{etu(鼻、先端、岬)、or(〜の所
位置名詞)、o(多く存在する)、p(〜であるもの 名詞化接辞)}と解釈す
れば、 〜が岬にたくさんいる処の義となり、主語はetuではなく、道庁
HPの「岬が多い処」という意味になるかは疑問である。同じ正保日本総
図「北方図」にあるイショコタン(海馬島 iso-kotan  iso(樺太では海
獣)、kotan(集落)海獣の多くいる集落、海獣を獲るための集落)の例か
らするとetu-or-o-pは海獣の多くいる岬の意味くらいしかならず、エトロ
フを、その一つの岬を取り上げて殊更にetu-or-o-pと名付ける意味合いは
少ない。
217名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/09 22:17:28 ID:QP8EavrO
〜〜続き〜〜
ただ北大の佐藤先生によれば、アイヌ語の他動詞抱合(incorporation)の
例として koy-yanke {koy(波)、yanke(〜を陸に上げる) 波が〜を陸
に上げる}を出され、これに人称接辞が付いた形として対格一人称接辞en
ではなく主格一人称接辞kuを採るku-koy-yanke(波が私を陸に上げる)
を挙げて、抱合(incorporation)により 対格から主格に変化する「昇格
(raising)」の可能性を指摘されたが、これからは勿論仮定の話だが、もし
これを位置名詞についてもパラレルに考えることが許されるなら、位置名
詞は周知のとおりen-corpokのように対格人称接辞をとる。とすればor(〜
の所 位置名詞)は対格をとり、or-o-pと合成あるいは抱合した場合、同じ
ように対格から主格に変化する「昇格(raising)」が行われると仮定すると、
合成語etu-or-o-p のetuは主格、主語となり、前述の矛盾は解消されるこ
とになる。
218名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/09 23:00:48 ID:35wKQ1tB
松前島郷帳の島名と現在の島名の対照表を誰かつくって!
219名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/09 23:06:51 ID:QP8EavrO
〜〜続き〜〜
また松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調圖』には紗那の南、有萌付近にエ
トロフシュマ(etu-or-o-p-suma  suma(石、岩)の意味か?)という地
名があり、これがエトロフという大地名のもとになった可能性も考えられ
なくもないが、紗那がエトロフ島の拠点になったのは少なくともエトロフ
場所開設以降のことであり、紗那近辺の地名がエトロフの元となったとす
るのはどうも付会のような気がしないでもない。さらにetu-not-o-p<
{etu-not(北千島では岬の意 地名アイヌ語小辞典)、o(多く存在する)、
p(〜であるもの 名詞化接辞)岬が多い処}とも解せなくもないが、ロシ
ア側の資料にあるИтурпуの存在を考えると、etor-o-p<{etor(鼻水) ,
o(多く存在する)、p(〜であるもの 名詞化接辞)鼻水の多くある処}の
方が音声的にはより近い。
では鼻水の多くある処とはどういう地形を言うのであろうか?岬をetu
(鼻)と地形を擬人化するアイヌ語地名の命名法からすれば、エトロフ島
北端の有名なラツキヘツrakki-petの滝<{rakki(ぶる下っている)、
pet(川)}は神威岳が海にせり出した急峻な岬の先端から流れ落ちており、
茂世路岳、阿登佐岳、散布山等の山塊が海に迫るエトロフ島特異の急峻な
岬を形成し、そこからいたるところで幾筋もの小河川が滝となって直接海
に流れ落ちる光景こそ、北海道では類例を見ないが、周囲の海から遠望し
上陸したアイヌ語話者の人々にとって、まさしくetor(鼻水 岬から川が流
れ落ちている処)なのではあるまいか?
220名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 10:52:57 ID:XGuPqGtb
etor, etori(hi) 鼻汁。
etor, etoro(ho)? 鈴、房。
 鈴の音のことを"etor rek haw"(エトンレクハウ=鈴のさえずる声)という。
etoro (自動詞)いびきをかく。

>>214
エトロ・プ・ワタラ=etor-o-p(鼻汁が・そこにある・もの)watara(岩)
アイヌ語の文法からいうとこの場所にプは無いほうが自然。
ふつうetoroといえば「鼻汁を垂らす」でなく「いびきをかく」という意味になるが・・・方言か。

或いはetor-po(小さい房)watara(岩)かもしれない。

>>215
岬のある場所=etor(岬?が)o(そこにたくさんある)p(もの(=島))
etorに「岬」という意味があるのか

「ゑとろほ」はEtoropではなくEtorpoの音写である可能性が高い。
-pで終わるアイヌ語地名は多いが、日本語に写されると決まって「プ」「フ」
となり、「ホ」にはまずならないから。


>>216-217
oは位置名詞を目的語に取る他動詞で「〜にたくさんある/いる」
etu-or-o-pなら「岬・の所・にたくさんある/いる・物」としかならない。
etu + or-o-pで"昇格"現象を起こすというのも考えにくい。
koyyankeなら"koyにyankeされる"だが
"etuにor-oされる"もの(-p)というのは意味をなさない。
221名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 11:04:44 ID:XGuPqGtb
「松前島郷帳」で「ゑとろほ」
ロシア語資料にИтурпу(Iturpu)

やはりEtoropではなく、Etorpoが正しいのではないだろうか。
今ロシア語や英語でIturupと言っているが、IturpuとUrup(得撫)を混同したものか。
初期の探検者が混同してそのまま定着した可能性も無きにしも非ず。


金成マツ『ユーカラ集』第一巻の目録に
"Etorpaunmat kacho kor mat yairap"「エトロパ女 太鼓を持つ女の曲」という曲が載っている。
このEtorpaは明らかに地名だが、エトロフと関係あるのか?
もしかしてEtorpaはEtorpoの誤字か?
本編を読んで確かめたいが第一巻しか持っていない。うう・・・
222名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 18:23:55 ID:ruxxtVeR
>>221前にニブフ語の地名がオホーツク文化の及んだ北海道にもあると言わ
れた方ですか?
etorが鼻水の意に用いられる例として、アイヌ語千歳方言辞典(中川)や、
深川出身の杉村キナラプク氏の「国造りの神にからかわれたシマフクロウ神の
娘の物語」(アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ7 オイナ3)p259
omke esna 〜〜esna etor(咳をしてくしゃみして、くしゃみの鼻汁を) 
p262 etor o sir an a (鼻を垂らしているのでしょうか?)
位置名詞の昇格の点は、もとより問題提起のつもりなので、反論があった方
が却って健全だと思います。 Etorpaunmat kacho kor mat yairapについて、
金成マツのユーカラシリーズは現在26号まで刊行されてますが、上記は未
だ刊行されておらず、まだマイクロフィルムを見たわけではないのですが、
エトロフとは関係が無いのでは?
というのはkaco太鼓は主に樺太アイヌが使用するものであり(村崎カラフト
アイヌ語kaco taa 太鼓を叩く)、南千島を含む北海道アイヌでは管見の限り
使用例がないこと。 久保寺先生の「アイヌの文学」p107には樺太アイ
ヌの使用例として、〜〜新問のシャマン春日コタルンケによれば呪術tusu(太
鼓を使う)にはオロッコ風とギリヤーク風があり〜〜との記述があり、実際
手元にある池上ウィルタ語辞典にはdaali 太鼓とあり、またニブフ語アムー
ル方言では?’а? (とりあえず?hazと転写)太鼓となっていて、kaco太鼓はニ
ブフ語からの借用の可能性が高く、上記yairapの舞台としては道東南千島よ
り樺太ないし天塩以北の北海道西海岸の方が可能性が高い点、
223名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 18:25:42 ID:ruxxtVeR
〜〜続き〜〜
さらに金成マツのユーカラシリーズ第21号には「トイクンラチチ 山丹
の美女と大まむし」の話があり、総じて北海道西海岸及び樺太方面を舞台し
ていることが多いことなど。
etu(鼻、岬)を地形を表す名詞、位置名詞とする例はあるのに対し、etor(鼻
水)が地形を表す名詞、位置名詞とする例は不明である点が前にも述べたように
最大の難点ではあるが、地形を擬人化するアイヌ語地名の命名法の類推が許さ
れるのなら、etor(鼻水 岬の上、中腹から水が流れ落ちる箇所)で、o(多く存
在する)、p(〜であるもの 名詞化接辞)etor(鼻水 岬の上、中腹から水が流
れ落ちる箇所) から前述のように幾筋もの小河川が滝となって直接海に流れ落
ちる光景あるいは群在の語感からゴチャゴチャと水量が多い状態を意味し、そ
れが随所に見られるエトロフ島特異の光景が語源では?単なるetu(鼻、岬)
では海獣、魚、鳥あるいは昆布が多い意味にしかならない。やはり岬から明確
に水量の多い滝、幾筋もの小河川が流れ落ちる状態を表現するには疑問は残る
が、etor(鼻水 岬の上、中腹から水が流れ落ちる箇所)でなくてはならないであ
ろう。
224名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 21:01:45 ID:UGZvDgJF
良スレ
225名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/10 22:10:10 ID:ruxxtVeR
>>220
ニブフ語アムール方言で太鼓はkhaz (特殊文字で認識できないので、とりあえず
こう転写) etu-not-o-p<{etu-not(北千島では岬の意 地名アイヌ語小辞典)、
o(多く存在する)、p(〜であるもの 名詞化接辞)岬が多い処}に関しては傍論
で述べたので、詳しい根拠は示さなかったが、知里辞典にはwakka-o-i(水が そ
こに湧いて溜まっている 所) i(名詞化接辞 〜時、〜所。 なお -p 、-pe
は-iと同じ名詞化接辞ではあるが後者より用法は少ない)の例が挙げられており、
さらに田村辞典にはないが、知里辞典p87には例外的ではあるが-p、 -peには
位置名詞のような「〜所」に似た用法として(実際は「〜の者」の意味)、厚真川
at-oma-p(楡の、 oの単数〜のある、所)のようなoに-p、 -peが接続する可能
性のある例が存在すること。またetu-not自体、知里が直接調査したのではなく
鳥居の「千島アイヌ」からの引用であり、etuと同じように扱ってよいか疑わし
いことから、敢えて田村辞典ではなく知里辞典に従った。沙流方言は人称接辞を
はじめ色々な点で特殊な方言であり、田村辞典オンリーではなく殊に地名の解釈
の際には知里辞典、田村辞典、山田先生の諸著書、方言辞典、中川辞典、アイヌ
語旭川方言辞書草案の順に参照しております。
226名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/11 02:23:07 ID:QuQRq2n8
東京都檜原村の「へんぼり」はアイヌ語?
227名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/11 18:33:09 ID:l0CHnROQ
擬人化された地形名の成熟化の度合
etu(鼻、岬)>etor(鼻水) >etu−not(北千島では岬の意)
あるいはetu(鼻、岬)>etu−not(北千島では岬の意)>etor(鼻水)の順か?

@wakka-o-i(水が そこに湧いて溜まっている 所)o(複数形、多く存在する)、
oma(oの単数形、〜のある) o、omaとも場所を表す語を必要とする動詞、そ
のためwakka-o-iでは i(場所を表す名詞化接辞)を必要とした。
Aat-oma-p厚真川(楡の、 oの単数〜のある、者《例外的には、〜の所》楡が
そこに生えている所 この場合あくまでも川の所に、厚司の材料である楡が生え
ているのであって、楡の所に川があるのではない、主眼は、楡がどこに生えてい
るかなのであるから)o、omaとも場所を表す語を要求する動詞のためat-oma-p
では例外的用法だが、場所を表す語として、-p、-pe(名詞化接辞、実際は「〜の
者」を意味するが、位置を表す名詞「〜所」のような用法あり)を必要とした。
Betu-or-o-pではetuが地形を表す名詞として成熟あるいは一般化が高く既にあ
る程度確立した地形名であるため、場所を表す語を要求する動詞、o、(omaも)
が接続した場合も、at-oma-pのように、-p、-peの例外的用法を行ってまで動詞
の項を埋める必要はない。従って、この-p、-peは通常の用例によるものだろう。
これに対しetu−not、etorはetuほど擬人化された地形名の成熟化の度合は高
くなく、場所を表す語を要求する動詞、oの機能による制約から、例外的用法を
使ってまで場所を表す語として、-p、-peが必要とされたのでは?
etorは類例が今のところ見あたらないため、山田先生も二通りに解釈している。
そもそも、河口を川尻(o、〜尻)と表現したりするアイヌ語に於ける地形の擬
人化が地名の解釈を困難にする一つの要因となっているともいえる。
あらためて、アイヌ語は文法関係を名詞ではなく、極端にまで様々な接辞を動
詞に付加して表現する動詞中心の主要部標示型言語であることが認識される。
228名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/11 22:59:29 ID:lNZW1fmb
アイヌ伝説スレよりコピペ

利別川を下って十勝川に出、さらに川を下れば太平洋。海岸線を南に向かいますと
広尾の町があります。
ここにかつて夫婦の神が住んでおりました。しかし何が原因かは不明ですが、
離婚してしまいました。女神は遠く択捉に引っ込んでしまってからも
十勝の国が忘れられず、毎日泣いているばかり。その涙が凍って夏でも融けない
氷柱になったということです。
択捉はアイヌ語で鼻水を意味するエトゥロップが由来で、女神が涙と共に流した
鼻水が元だと申します。十勝のアイヌが択捉島に行くと、女神の呪いで早死に
するということ。トカチと言う言葉も死と言う意味で、女神の呪いで死ぬことを
意味しております。

229名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/11 23:55:43 ID:DzUD/niI
>>222-223
>前にニブフ語の地名がオホーツク文化の及んだ北海道にもあると言わ
>れた方ですか?
上のほうでそんな話もしていたんですね。その頃は私はまだここに来ていません。
いろいろ妄想してみたら面白そうなテーマではありますね。

etor oで「鼻汁を垂らす」という言い方もあるんですね。
それは知りませんでした。(←etoroで一語の自動詞になるんでしょうか?)

kacoについてはスレ違いなのであまり深追いしませんが、
起源は仰るとおり樺太でニヴフから受け入れたものでしょう。
しかし北海道アイヌの楽器は時代を追うにつれて種類が減っていたようで、
昔は道東・千島にはなかったとも断言できません。

>総じて北海道西海岸及び樺太方面を舞台し
>ていることが多い
たしかに多いですが、それだけでもないと思います。
Omanpes(知床にあったとされる)、Menassam、Kuruyse(クルミセ=カムチャツカか)など
明らかに東方を指す地名も舞台として出てきます。
230名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 00:10:45 ID:U0DsRPTP
>>227
etunotという語は(本当に使われていたとしたら)
かなり熟した、というか原義が忘れられた単語だと思いますよ。
etu=鼻、not=顎ですから。

どこか他に、択捉島と似たような地形でetor(鼻汁/房)が付いた地名は無いでしょうかね。
あったら話が早いのですが。



北千島にはイテリメン語起源の地名がある可能性もありますね。
ただそうなってくると体系的な知識を持っている人がほとんどいないので
議論も困難でしょう。
231名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 14:08:56 ID:a3uk5x9a
>>228-230
ウチャシクマ(故事来歴譚)はすべてが事実ではないにしろ、何某かの真実はあ
るものですから、etorと関係があると認識はしていたのでしょうか。
確かにイォヘルソンかボゴラスの本にはコリャークのシャーマンが太鼓を打つ
写真がありましたので、カムチャッカ経由で北千島に及んだ可能性はあります。
ただ、tusuだけが残ってシャーマンがトランス状態に入るのに必要な太鼓だけ失
われたというのも、トンコリを作る程には困難ではないと考えられますので、ど
うでしょうか。因みに太鼓はコリャーク語ではjajajイテリメン西部語ではjajar。
金成マツさんのユーカラには東方を舞台としたものがあるようです。公刊されて
ないので、あらすじは分からないのですが、もしかしたら東方が舞台かもしれま
せんね。
鳥居龍蔵の『千島アイヌ』にはシュムシュ島のイテリメンに関係する地名とし
てIcho’ruri(i-or-ray-(i) ?これでいいのか分からないが)人を殺したる所(ここ
で上陸したカムチャダールを撃退したとの由)、Tun’ naish’ i (tunas-i?流れの
速い川?)弓にて人を射殺した所(血で海が染まるほどの激戦があったとの由)、
ロパトカ岬からクリル湖までの間にある地名としてRut’chi’ shinai
pet(rucis-ne-pet?この川の上流には温泉があるとのこと)カムチャダールの言葉
ではPereseika川、またカムチャダール語の地名で Eruchi kau(kauは河)が
載せてある。因みに川はコリャーク語ではwejemイテリメン西部語北方言では
kijイテリメン西部語南方言ではkiw。イテリメン語はクラシェンニンニコフによ
れば西部、南部、北部(東部)に分かれるが、アイヌ語と関係があった南部語は
既になく現存するのは、コリャーク語の影響を受けているとされる西部語のみ。
アイヌ語地名のカムチャッカに於ける北限は西海岸はボリシェレツク、ボリシェ
レツク、イチャ川間はグレーゾーン。東海岸はアワチャ湾、アワチャ湾、ジュパ
ノヴァ間グレーゾーンと考えています。
232名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/12 14:15:35 ID:a3uk5x9a
〜〜続き〜〜
北千島に於けるカムチャダールの抗争伝説はもしかしたら比較的最近のことなの
かもしれません?とういうのは樺太アイヌにはオロッコとの抗争伝説があるが、
戦闘が行われた場所がわりと明確に伝承されていること、オロッコは松前島郷帳
「おれかた(オロッコの別称)、ピウスツキーの採録文のオラカタは古語)」とあ
るのに対し、ニブフは正保地図に「ニクタン」松前島郷帳「にくぶん」とあるこ
と。Icho’ruriは上記の地名解が正しければ、そのものずばりの地名、Tun’ naish’
i (tunas-i?流れの速い川?)は渡河に手間取る間に弓で応戦するのは兵法の基
本中の基本であること、また有珠の亮昌寺資料にある遠藤タネ(タネランケ)の
伝承には文政5年(1822年)の有珠の噴火や、寛政5年の英国船プロデンス号来
航に関する物語がアイヌ語原文で残されている。とすれば個人的にはユーカラ自
体は13世紀のアイヌと元との抗争をモチーフにしていると思ってはいるが、こ
のように比較的古戦場なり場所がはっきりしている事件というのは文字記録の無
い社会では、おおよそ300年前が限度なのでは?
233名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 02:16:11 ID:yQqb+Cp2
つまりアイヌ語地名の北限はカムチャツカの
ボリシェレツク〜アワチャ湾ラインということでFA?
234名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 10:33:01 ID:JE1L2lx+
ギリヤークはあきらかにアイヌ語ではないのですか?
235名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 12:19:44 ID:bM+2DqfU
ギリヤークという呼び名が?
それともギリヤーク語が?


どっちにしても答えはNoです。明らかにアイヌ語ではない。
236名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 16:58:13 ID:laa7xNvO
敷香郊外のオタスで教師をしていた川村秀弥の記録によると、アイヌ語でギリヤークのこ
とは「ニグブン」「スメレングル」他の資料では「ニクプン」nikpun。ギリヤークは1644
年はじめてアムール川上流から下航したロシア人ポヤルコフの記録ではgilyaki(国立民族
学博物館研究報告14巻3号 p686〜)恐らくアムール川中流から下流のナナイやウリ
チ等のツングース系民族から得た語かも。因みにウリチ語ではgilemiだそうです。ツング
ース語の資料がないのでこれ以上は分かりません。
『キュウリ魚の謎』(特殊文字は認識できないので以下簡略表記)
@キュウリ魚 arkoy(樺太アイヌ語タライカ方言)arakoy(その他の樺太アイヌ語)
hura-ruy(臭いの強い魚)paykara-chex、paykax-chex(春になると獲れる魚)以上分類ア
イヌ語辞典動物篇(遺稿)。
Aアイヌ語地名「荒貝」(真岡町)、「荒鯉」(野田町)、「荒栗、宕越」(長浜郡)、「荒子井」
(松田伝十郎『北夷談』)
BАрково(アレクサンドロフサハリンスキー近くの地名、松田伝十郎『北夷談』で
は荒子井、シルンウタレ、スメレンクルが雑居)、arq-vo(タクサーミ辞書によればロシア
名Арковоのニヴフ語地名 voは集落 )arqe(キュウリ魚、タクサーミ辞書)
arqaj/arqa/ arqi(ニヴフ語アムール方言)、arqi-vo (Арковоのニヴフ語地名、チ
ュウルカからの聞き取り1926年クレイノビッチ)、arkai(ニヴフ語敷香方言、服部)arhkai
(ニヴフ語ノグリキ方言)ノグリキでは別名no?lat−t?o(臭いの強い魚)arhki(チルウ
ンヴド方言、山間部のトゥィミ川流域)
Carqu(ウィルタ語敷香方言 池上p11)
以上の事実から、どう歴史を推論するか?
237名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/13 16:59:37 ID:laa7xNvO
〜〜続き〜〜
仮説T @まず、タクサーミ辞書にあるニヴフ語アムール方言arqe、arq(-vo)が最初
にあって、Aそれが、ウィルタ語arquに借用され、Aまた樺太アイヌ語では音節末の子音
は一般に軟口蓋摩擦音化しやすく、また子音も母音を伴うことが多いことから、辞書には
ないが、アイヌ語に「arak」(キュウリ魚)という形で借用された。B次に南樺太全体でキ
ュウリ魚がいる場所を表す地名としてarak-o-i(y) 「荒貝」(真岡町)、「荒鯉」(野田町)、
「荒栗、宕越」(長浜郡)が成立した。Cその後「arak」の意味が忘れられ地名のarakoy
がキュウリ魚自体の名称となった。なぜなら、元々arakoyがキュウリ魚自体の名称なら、
上記の地名は単にキュウリ魚となってしまい、アイヌ語の地名の付け方、arqi-voとの対比
から、arakoy-o-i(y)と解釈しなくてはならないことになる。ざっと見ただけでも3つの地
名が挙がったが、その一つたりとも音声的にarakoy-o-i(y)よりarak-o-i(y)の方に近い。
D最北端のタライカ方言は、音節末の子音は軟口蓋摩擦音化しにくく、また他の樺太アイ
ヌ語と比べて母音を伴うことなく、はっきりと子音が発音されることが多いことからaが
脱落し、arkoyとなった。Eタライカ方言のarkoyが隣接するニヴフ語敷香方言にarkaiと
して逆借用され、Fさらにニヴフ語東部北部方言であるノグリキ方言ではarhkaiと借用さ
れた(タクサーミの本にはかつてノグリキにもアイヌがいたとされる)。チルウンヴド方言
は内陸部のため改新から取り残された。G最終的にはarqajという形でニヴフ語アムール
方言にまでその借用は拡大した。
仮説U @まずアイヌ語にarak(キュウリ魚)という言葉があり、Aaが脱落した形で
ニヴフ語(樺太東西海岸を含む)arqe、arq(-vo)という形で借用されたB同じくウィル
タ語にも借用、Cその後アイヌ語内で起こったarak-o-i(y)地名の発生、arakの廃用、arakoy、
arkoy化、Dさらにはニヴフ語に於ける二次借用Dチルウンヴド方言は内陸部のため改新か
ら取り残され一時借用形のみ存在し、E反対にアイヌ語と隣接するニヴフ語敷香方言、ニ
ヴフ語ノグリキ方言では一時借用形は廃れてしまった。分類アイヌ語辞典動物篇(遺稿)
には註がギリヤーク…とあり、知里先生が存命ならば、どう書くつもりだったのだろうか?
238名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/14 08:08:37 ID:qHPr5E85
なるほど、目からウロコ
239名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/14 19:52:57 ID:Tn9gL+DA
>>237
タライカ方言でarakoy>arkoyの変化が起きたとするより
ニヴフ語のarqajとかarhkaiとかがそのままアイヌ語に
借用されたと考えたほうがより自然ではないでしょうか。

魚の名前がそのまま地名になるというのは確かに珍しいかもしれませんが、
最初にArakoynay(キュウリウオ川)という川があったり、Arakoykotanという村があったりして、
それが略されてArakoyと呼ばれるようになったと考える事はできないでしょうか。

雨竜(urir「鵜」)とか新冠(nikap「木の皮」)とか、もっと変な地名もありますし。
240名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/14 20:22:03 ID:V+rTR1ov
arak-o-i(y) 「荒貝」(真岡町)、「荒鯉」(野田町)の論証。松浦武四郎の『竹四郎廻浦日
記』には「荒鯉」にあたるものとして伝説の島の名前として唯の「アラコヱ」、付近の川の
名として「アラコエウンナイ」がある。まず「アラコヱ」はキュウリ魚の名としてarakoy ま
たはarak-o-i(y)と解釈できます。この地名としての「アラコヱ」は見た限り、島なり場所
を示すアイヌ語の言葉を付けて呼ばれていないようです。では側の「アラコエウンナイ」
はどうか、松浦武四郎の『竹四郎廻浦日記』には伝説の島「アラコヱ」について詳しく由
来が書かれているのに対し、何の説明もなされていない。「アラコエウンナイ」は
arakoy-un-nayと解釈できるが、単数のunが使われているのはどうも不自然、arakoyが
普通名詞なら、キュウリ魚が一匹いる川の意味になってしまう。どうしてもarakoyを普通
名詞として使うなら複数形(キュウリ魚が沢山いる川)を採る方が自然。恐らく「アラコ
エ」を地名として認識して、伝説の島「アラコヱ」の側にある川の意味としたのだろう。
これなら単数形でも説明がつく。次に「荒貝」にあたるものとして「アラコフナイ」小川
とある。まず「フ」は誤記とも考えられるが、そのあとで「エンルンモコマフ」(真岡)が
出て来るので正しいと仮定して、「アラコフナイ」はarak-o-h<(p)-nayと解釈できそうで
ある。hはこの前説明した例外のp、それが樺太アイヌ語の特徴であるp>hに変化したも
の、それに川を明瞭に表すためにnayを接続したものではなかろうか?この「アラコフナ
イ」こそが、化石的に残存した「arak」=キュウリ魚説を仮定した契機です。他に北緯5
0度線に近い名好郡西柵丹村の沃内川〜西柵丹川の間(約北緯49度30分〜40分)、北か
ら北宗谷岬の南に西鶴『樺太の地名』等には「宇志内」「アラコイウシナイ?」
arakoy-us-nay?があるらしい、これについては本当にこう呼んだのか、この本自体?なの
で疑問がある。もう一つは近くの立岩の南に「アラコヱナイ」(カラフト西奥地里数表)と
いう地名がある。これはどう解釈すべきか?
241名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/14 20:23:13 ID:V+rTR1ov
〜〜続き〜〜
こちらは「アラコヱナイ」であり「ヱ」を用いてあり「アラコフナイ」の誤記ではなさそ
うである。arakoy-nay、arak-o-i(y)-nay二通りの解釈ができる。arak-o-i(y)-nayは例外の
p、(p>h)ではなく、場所を表す名詞化接辞i(y)が接続している。殊更にnayを接続して、
川を明瞭に表す必要はないとも言える。ただ北海道にもi(y)にさらに場所を表す名詞が接続
した例があり、これだけでi(y)-nayが成り立たないとは言えない。ではarakoy-nayと解釈
した場合はどうか?これについてはこう考えている、南部の「荒貝」(真岡町)、「荒鯉」(野
田町)、「荒栗、宕越」(長浜郡)は、その近くにいずれも集落があり、殊に「荒栗、宕越」
(長浜郡)は明治6年の人別帳が残っており3軒、30人前後の人がいた。亜庭湾沿岸に
は幾つもの集落があり、西海岸の真岡近辺も比較的人口の多い地域だったのに対し、恵須
取〜ポロコタン間は人口が希薄で殆ど集落がなく定住者が稀な地域であった(安政5年「ホ
ロコタン住居土人不漁にて難渋、ウショロ村へ移住に付手当給与の件」という北蝦夷白主
御用所の文書があるらしい)ことから、arakoy成立後、新しく付けられた地名なのであろ
うか?そうすればアイヌ語地名の北限の一つとして亜港近辺の「荒子井」(『北夷談』)を挙
げてもいいことになる。地名一つ解釈するのにもつくづく労力を必要とするものである。
追加 etor(鼻汁)らしき「水」に関係する地名の例
@『竹四郎廻浦日記』「エト子ナイ」小川有り、夷人の仮小屋有り。江戸内川(久春内郡久
春内村)、eto-ne-nay etoo-nay(藤山ハル説)  etor→etoh→etoo? etoo-ne-nay?
A藤山ハル 糸音川(恵須取町)etoo-naypo  etor→etoh→etoo? etoo(-ne)-naypo?
ちなみにライチシカ方言ではetu鼻 etooroいびきをかく(自動詞)etoh 〜のはずれ
( kotan etohta cise村はずれの家)esum鼻汁 esum<etu-sum?sum(油脂、老人が
使う言葉、日常語はkeeアイヌ語方言辞典p93)沙流方言ではetu-pe(鼻水)
皆様の考えを伺いたい。
242名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 08:21:59 ID:/gf8dLZ7
世界史板にここ貼られてる、統合しろと叫んでるヤツも、荒れそうな予感
243名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 09:52:10 ID:kA79myCW
大丈夫だろ
244名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 20:29:03 ID:irqcq590
大陸側の「アルコヱ」(キュウリ魚)
間宮林蔵の『東韃地方紀行』によれば、「ラッカ」から大陸の「カムガタ」崎「カムカタ」
「カモガタ」(「カマオタ」の誤記とする説もあり、エカテリヌイ岬付近?)そこから南に
10丁行ったところに「ロロカマチー」さらに1里31丁半のところに「アルコヱ」さらに1
里31丁半のところに「トウムシボー」(泊湾)さらに南に「トヱカタムラカロー」、「ムシ
ボー」(デカストリー湾の北)があり、そこから山越えしてキジ湖を通りアムール川に到る
とある。「カムガタ」崎から「ムシボー」までは6里あり、その間は人家はなく岩が多く、
潮流が速く砂浜は遠浅で、舟を繋留して魚等の食料が得られるのは「ロロカマチー」、「ア
ルコヱ」、「ムシボー」だけであると口述している。これらの地名はアイヌ語で解釈できる
のか?まず「カムガタ」崎だが、表記が分かれており一応「カマオタ」の誤記とする説を
採用して、とりあえず解釈してみるとkama-ota  kama〜を跨ぐ他動詞、ota砂浜、海岸
→(樺太に渡る海岸)。次に「ロロカマチー」rur-kama-(h)ci-i(y)  rur潮、海kama〜を
跨ぐ他動詞、-(h)ci三人称複数接尾辞、hは母音終わりの場合には、母音が長く発音される
際に挿入される(知里)、i(y)場所→(彼らが、山丹人らが)海を渡って来る所。「アルコ
ヱ」ar(a)k-o-i(y)  arakキュウリ魚、o〜が沢山いる、i(y)場所→キュウリ魚が沢山いる
場所。「トウムシボー」「ボー」-vo(集落)からニヴフ語とも考えられるが、無理にアイヌ
語で解釈すると、tom-us-i-po tom 〜(平面)の中ほど(位置名詞)、us多くある、i所、
者、物、事(名詞化接辞)po指小化接辞、名詞に接尾して小さい、若いなどを表す→(崖
の)中腹に沢山ある小さなもの。食用になる海鳥の巣でも指すのであろうか?参考「トモ
チクシ」(十勝広尾)tom-ci-kus-i(崖の中腹を私たちが通るところ)また知里辞典p138
にはusが位置名詞を補語にとった例としてcise-soy-us-kina(家の外に群生してる草)が
ある。「トヱカタムラカロー」、「ムシボー」については今のところ成案は無い。皆様のご意
見を伺いたい。
245名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 20:42:10 ID:irqcq590
〜〜続き〜〜
ナポレオンさんが荒しに来る前に補足しておきます。

追加、「ワゲー」に関して、東韃地方舟行里程記には「ワゲー」の別名かもしれない「ビロ
ワゲー」という北樺太の地名があり、もしこれが本来の呼称であれば、「ワゲー」の地名解
を、pir-o-wa-keと改める(勿論、wで始まる一連の語の問題は残るが)。pir渦流(知里辞
典p94 pir-o-p渦流のある所、灘)、o多くある、wa岸、ke〜の所、→幾筋もの流れの速
い潮流が渦巻いている海岸の所。
なお、シルンウタレに関して、『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』にはモシリヤの
トヨツトノ、弟マンヂカの供述として「〜私共儀はシロノウタレにてアイノのシンヂツに
て御座候段〜」との記載があり、その中の「シンヂツ」(sinrit-(i) 根、先祖。樺太ライチ
シカ方言sinris『アイヌ語方言辞典』p197)は音節末のtがsに変化していないこと、及び
t<r(実際はt<rではなく、rがtに近い音になっているに過ぎない、従ってアイヌ語で許さ
れていないtiが生じている訳ではない)を理由として、池上先生はシロノウタレとはタライカ
方言を話す樺太アイヌではないかと推定している(北方言語叢考)。
246名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/15 22:33:31 ID:qfrF4owZ
オホーツク文化人=ウイルタもしくはニブヒ?
両言語による地名は北海道に残る、という説はあるの?
247名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/16 23:24:48 ID:EIW+06N9
ウィルタ語に関してはエベンキ族が外興安嶺を越えてアムール流域に達し、ナナイ、ウ
リチ語を受容して成立したと思われる言語であり、樺太到来も比較的遅く北海道のオホ
ーツク文化とは関係が薄いと思われるので、以下ニヴフ語の影響を考えることにする。
まず、タクサーミのニヴフ語ロシア語辞典(特殊文字に付いては適宜改変)にはи川
p89、эри川p485と出ている。たとえば亜屯川は(atng-i? акhр(川下)−и(川)
と、気屯川は(ketngi-i ? к’екhр(川上)−и(川)と分析できそうである。北
知床半島にある北舟越ムシピは高橋盛考『樺太ギリヤーク語』によればmuspi(河端)と
されるが、それにあたるアイヌ語地名はcip-e-kari-us-i (舟を、そこで、回し、つけ
ている、所 知里辞典p19)であり、高橋盛考『樺太ギリヤーク語』の解釈は明らかに
誤りである。なぜならニヴフ語で舟はмуであり、舟を揚げるとはму хититと
いい、それにи(川)が接続した地名で「(陸行するために)そこで舟を揚げる川」の意
味となるからである。同様な地名はアイヌ語でもcip-e-yan-i(舟が、そこで、岸に上が
る、所 知里p20)、cip-e-san-i(舟を、そこで、おろす、所 中知床半島の有名なチ
ベサニ)などがある。му хититに集落を表すвоが接続したのが「ムシボ」で
ある。「大陸側の「アルコヱ」(キュウリ魚)で出て来た「ムシボー」はまさしく場所か
ら言ってもこの「ムシボ」である。「トウムシボー」に関してはニヴフ語の可能性もある
のだが、туとは湖であり、「カムガタ」崎から「ムシボー」までは6里あり、その間は
人家はなく岩が多く、潮流が速く砂浜は遠浅で、舟を繋留して魚等の食料が得られるの
は「ロロカマチー」、「アルコヱ」、「ムシボー」だけであることから場所がらту湖は考
えにくく、また陸行すべき集落воでもないので、多少こじつけの感もあるがアイヌ語
で解釈してみた。
248名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/16 23:28:27 ID:EIW+06N9
〜〜続き〜〜
参考のために地名の候補となり得るニヴフ語を挙げてみる。во集落му舟 хитит
揚げる путь昆布  ыйхчахh小川  тиф道  пал山  к‘нык岬
ту湖  тор砂洲  акhр川下 к’екhр川上 なおパンフィーロフの子音
交替法則によればローマ字表記で以下のように子音が変化するようである。p〜v〜b
t〜r〜d オホーツク文化=ニヴフ民族だとすると、少なくても700年前のニヴフ語
を対象とする訳だから、現代ニヴフ語に於けるパンフィーロフの子音交替法則に固執せず、
比較するニヴフ語は可能な限り条件設定を緩やかにして、北海道でオホーツク文化の及ん
だことが確実とされる天塩川河口から知床半島までの海岸からほぼ20キロまでの地名をと
りあえず山田先生の『北海道の地名』をもとにアイヌ語では比較的解釈が難しい地名で、
「ボ」、「ヲ」「ポ」「ロ」「エリ」「ゲ」「イ」但し「ナイ」は除く、「パル」で終わる地名あ
げると、テウリ島、パンケニウヴ、トイマキ、ケロチ、ニクラ、ムカ等が挙げられるが、
いづれもニヴフ語よりはアイヌ語の方が解釈しやすいものばかりであり、また典型的な
「ボ」、「ヲ」「ポ」「ロ」「ゲ」で終わる地名が見当たらないことからすれば、地名で見る限
り現時点ではオホーツク文化=ニヴフ民族は困難と言わざるを得ないと思います。時間が
ある方は山川取調図、丁巳、戊午日誌、野帳等を調べてみてはいかがでしょうか?
249名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/17 00:05:28 ID:4p8Gmvzn
アイヌのイヌと、イヌイットのイヌは、どちらも「人」を意味する言葉だそうだ。
(決して「犬」ではないことを強調しておく。)
つまりアイヌ語とイヌイット語は関連性があるということ。
従ってアイヌ語地名は限りなく北極近くにまで求め得る可能性があると思われる。
250名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/17 00:40:46 ID:C91Tz+e/
アイヌ語とイヌイット語は文法的にかなり違うが
251名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/17 03:16:54 ID:6HLlkF1t
>つまりアイヌ語とイヌイット語は
つまりの使い方間違ってるよ。
252名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/17 08:59:48 ID:J/8X0d+q
結局どこが北限?
253名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/17 18:50:45 ID:6qToNjpC
何か荒れてきたような、嵐の前触れか?

му хититの補足 動詞の終止形は語幹に-nt、-nd、-d、-tを接尾する。名詞に
先立ち修飾する連体形は動詞の語幹をそのまま用いる。従って地名に現れる場合はほと
んどが連体形。子音交替法則とは語結合の際に後続の頭子音が前の語の末音の影響を受
けて、規則的に他の子音と交替する現象。@名詞の修飾語と被修飾語が結合すると被修
飾語の頭子音が交替A目的語と他動詞が結合すると他動詞の頭子音が交替B接辞が添付
により子音交替C末尾音の子音が交替する場合もある。
アイヌ語とイヌイット語(アレウト語も含む)、チュクチ語コリャーク語イテリメン語と
の関係。アイヌ語は指相e、互相u、再帰相yay、si、名詞、副詞、目的語、自動詞主語、
例外的に他動詞主語を抱合する。また接辞が接頭及び接尾する(また接中辞を認める人
もいる)、接頭辞及び接尾辞で挟みこむe-kore-anのような周接構造を持つ。アイヌ語は
抱合及び接頭辞、接尾辞で挟みこむ周接構造を持つ点でチュクチ語コリャーク語と形態
上類似する。抱合は持つが、接尾辞中心のイヌイット語並びに周接構造を持つが抱合は
しないイテリメン語とは多少距離がある。音韻的にも多子音結合を許すイテリメン語、
ニヴフ語とは距離があり、それでも相当の違いがあるが、曖昧な母音を挿入し多子音結
合を避けるチュクチ語コリャーク語とはやや近いのではなかろうか?
アイヌ語の北限は今のところカムチャッカではアワチャ湾〜ボリシェレツク間、もしか
したら西海岸ではイチャ川あたりまで、東海岸はナラチェヴァ、ジュパノヴァ近辺。樺
太では間宮海峡〜樺太北端、大陸側ではアムール川南岸、もしかしたら、かつてのニヴ
フ語分布域であるシャンタル諸島沿岸、外興安嶺南麓あたりまであるのかもしれない。
254名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/18 06:17:48 ID:yFia+K+F
>247
現代ニヴフ語でmuspiは「岸」の意だが、
具体的には船をつける場所のことを指す。
語源的にはmu「船」と関係があるのだろう。
「ムシボ」はわからないけど、
「ムシピ」はやはりmuspiだと思う。


255名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/18 20:37:19 ID:9Y4wQHBv
ニヴフ語で岸は普通ч’ры p454、муспи p198 островок удобный для причала
 лодок、 причала、пристань。  Меновщиковやロシア語地理辞典を調べると
островокは単に陸地、木立、茂み、という以上に海岸に限らず小河川のある湿地帯や
沼地のような水気の多い地域の中で周囲とは状況が異なって乾燥した区画も意味するよ
うなので、ニヴフ語のмуспиにそこまでの意味が含まれているのなら、タライカ湾、
小河川、沼、小河川、オホーツク海という北知床半島の地形と矛盾はせず、敢えて動詞
「揚げる」の連体形にи(川)を接続させる必要はないと考えられるが、ч’рыроχ мырдь
 p454や、殊にчрырχ мхыл(да)岸へ舟を着ける(роχ、рχは方向格、〜へ)の例や、
北舟越をウィルタ語ではmusibi、対格はmusibbee(池上辞典p129)とpではなくb音で表
記している(アイヌ語と異なりpとbを区別する)ことからするとи(川)の接続はとも
かくмуспи自体がму、хититの合成語の可能性は捨てきれないと思われる。
256名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/18 20:39:54 ID:9Y4wQHBv
〜〜続き〜〜
大陸側の北限が、かつてのニヴフ語分布域であるシャンタル諸島沿岸、外興安嶺南麓で
ある根拠だが、史実のほどは分からないがタクサーミ博士のКТО ВЫ айны?には1645
年チモフェエフがヤクーツクで語った話として「〜〜海のそばには色の黒い人々(毛深い
意味か?)が住み、クイと呼ばれている。彼らは海岸の右手にいる、〜〜ウダ川河口でギ
リヤーク人が500人位殺されていたとのこと。髭の長いダウル人たちが平底舟でやって来
たのである。彼らの武器は斧で、体には鎧を着けていた。〜〜」という記述があり、タク
サーミ博士は「髭の長いダウル人」をアイヌと推定している。「鎧」hayok-pe(武装する、
もの)の実物が旧樺太庁博物館に存在する。日本側にも1810年にシャンタル諸島付近のセ
ニェカ半島に上陸した中川五郎治の供述した『御申上荒増扣』によれば「トゴロ(トゥグ
ル)」近辺の「メブ(メプ)」、「テリタ」に「ケレヤカ家一軒ツツアリ」ウルバン川付近に
「此辺ニモケリヤカアリ」、ヲサヲギンに「ゲレヤカ二軒アル由」とあり、「アル(アアリ)」
川からウダ川河口付近までニヴフがいたことが分かる。ニヴフ語で解釈するのが妥当だと
は思うが、「トゴロ(トゥグル)」(<常呂??)や、「アル(アアリ)」(<輪荒??)とい
った怪しい地名もある。南の琉球と並んでアイヌにとって「黄金の16世紀」だったのか
もしれない?
257名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/19 08:46:30 ID:m5OLB9G6
>>256
ダウル人ってのはアムール川のダグール(ダフール)とは違う?
258名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/19 09:37:49 ID:Fev3HVOj
>>257
タクサーミはこのダウル人はアムール川上流の典型的なモンゴロイドで髭が少ないいわゆ
る「ダウル人」とは異なるとしている。Dagur人はモンゴル語族の一つ(達幹尓語簡志 モ
ンゴル語の比較的古い特徴を有している 民族出版社)で主に大興安嶺付近に住み、遊牧
の生活をしている。内陸の遊牧民がアムール本流ならともかく、平底舟でシャンタル諸島
近辺にまで行くとは考えられない。Dagur人なら主要な武器は弓矢であり、斧で戦うとい
うのもどうか?現にピウスツキー採録のウィルタとアイヌの戦いの話ではウィルタはトナ
カイに乗り弓矢で戦っている。
259名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/19 19:52:55 ID:DcIuZWLJ
アイヌ語で斧って何ていうんでしたっけ
mukar?
260名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/19 20:35:50 ID:Fev3HVOj
>>259
北海道ではmukar、樺太(ライチシカ方言)ではmukara
261名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/23(水) 03:41:06 ID:UoLwEN5C
アイヌ語で「北海道」「樺太」という島自体、「大陸」を指して言う呼称は有ったのでしょうか?
262名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/24(木) 02:33:04 ID:l+/647Cd
モシリ使って
263名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/24(木) 09:29:23 ID:E9zTkCcc
北海道:Yaunmosir ヤウンモシリ
樺太:Karapto カラプト
大陸:? (Santamosir サンタモシリか?)
264名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/24(木) 23:58:06 ID:h6DwrwGl
karere onne wennay onne payehci. karere atuy orowa payehci.
タライカ方言には北知床半島の外洋側のオホーツク海を示す語として
「カレレ」という言葉がある。
『北海随筆』「〜カラフト島惣名タライカと云ふ。〜錦、青玉等も此両国より渡り
来るを、タライカの者共両国へあきなひに行きて交易するとなり」
『松前志』「此地近年衰微せし故にや〜〜北韃の従来絶たりと云ふ」
西海岸のナヨロが勃興する前はタライカが山丹交易の一大拠点であり、異文化接触の過程
で自らの本拠地である樺太の外洋(オホーツク海)の意として「カレレ」を使用していた。
とすれば、妄想だが樺太はもしかしたらkarere-mosirと呼んでいてもよさそうだ。
カレレ海にある海豹島は onne-mosir、atuy-ya-mosir、rep-un-mosirと呼ばれている。
これからは樺太は唐人ではなくkarere-mosirと呼ぼう!!
265名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/25(金) 13:12:49 ID:0l7+BBOM
それじゃ「カレレ海の向こうにある島」になっちゃわないか?
266名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/25(金) 18:29:50 ID:jyXxqARc
Okcis、tah nuca yee ike, Александровск-Сахалинский nah yee.
Okcis motoho、oya itakihi(sarunkur itah ani “iporse”)ani Okcis nah ay=yee ree motoho.
re tanku paa etokota an paa Okcis oro Poronay kitay uturukehe ruucis koro ruu an manu.
ucaskuma ohta Orohko utah tuhnakay kasketa okayahci.neeteh nea ruu kaari Tomo-nay
(tah nuca yee ike,Тымьnah yee)kitay pahno okayahcin(= oya itakihi ani Orohko utah)
sapahci manu. hemaka.
en=sirihine aynu itah ani neera’ampe nuye wa en=konte!
267名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/25(金) 21:01:37 ID:hxN+yRXj
樺太、北海道、大陸のニブヒ語、ウイルタ語は?
樺太には、他にエベンキ(キーレン)、ヤクートも居たはず。

サハリン、サガレンはもともと何語?
268名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/25(金) 21:02:37 ID:hxN+yRXj
カムチャッカは元々何語?
アイヌ語、イテリメン語ではなんと言う?
269名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/25(金) 22:01:29 ID:hxN+yRXj
樺太アイヌには満州語使える者居た?
270名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/27(日) 10:38:43 ID:TIkO1PLn
コロボックル、トンチトンチは、
本州から北海道・千島・樺太に北上してきたアイヌ人が、先住民族ニブヒ人を駆逐したことに基づく伝説?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/27(日) 16:21:25 ID:iQNNCbPr
ツングース語が語源かも、因みに満洲語文語sahaliyan ula黒い川。カムチャッカはアトラ
ーソフが1697年に60人のユカギルを連れて初めて探査したから、ユカギル語あるいはオ
ホーツク海沿岸のエヴェン語が由来かも。イテリメン語にはカムチャッカ半島自体表す語
はなし、因みに大地はs?mt
読めたかどうかは分からないが、ナヨロのヤエンコロアイノの家には乾隆40(1775年)3
月20日の満洲語の文書があり、その僅か十数年後の寛政4年(1792年)最上徳内が発見
報告した。「meiren i janggin yamun i bithe.too halai.halai da ok’obkio gashan i da
tusokurdenggi sede afabuha〜〜。副都統 衙門の文書。陶姓の 族長オコブキオ 村の
長 トゥソクロデンキらに 交付した。〜〜」
Toncitonciは鵜城の説話にあり、また藤山ハルには「toytum wa toy an=poye koh.orowa ene
an haciko pon itanki neon an toy suu naa asiniike〜土中から土をほじると、そこからこ
んな小さな土鍋などが出てきて〜。〜〜tan mosiri ceias ohta an henke utah an=yeehe
neampe Anunokaype nah〜 〜〜この世の始まりの頃にいた者達、私たちの呼び方ではア
ヌノカイペと〜」という話もある。澤井トメノ(本別)にはコロポックの話として「〜nea
korpok un kur utar kor sinuye ki kuni ari anpe ne tek〜 〜そのコロポックウンクルの
していた入墨をすべきということになって〜」という口述がある。ピウスツキによればギ
リヤークやオロッコの話によると自分たちが樺太に渡来する前にアイヌがいて、川岸や山
の手の人工的な穴(遺跡)をアイヌの仕業と考えて、「kughi rulkusアイヌの穴」と呼んで
いたそうだ。またtonciには入墨はなく、アイヌとの争いの結果大陸方面ではなく(ニブフ
なら大陸に向かうはず)何故か北知床半島から東方へ船出したとあり、樺太アイヌ自体も
コロポックは北海道で、樺太にはいないと証言している。情報が錯綜していて現段階では
真実とは考えにくい。遺跡や土器、内耳土鍋の発見を契機とする付会説話かも?
272名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/27(日) 17:57:59 ID:iQNNCbPr
松浦武四郎の『蝦夷闔境山川地理取調大概図』には北舟越の辺りに「ムシヒト」と
いう沼があるらしい。これもму хитит舟を揚げるにту湖が接尾したものか、
あるいはмуспиにту湖が接尾したものか、はたまたtoはアイヌ語で湖を指すから
ニブフ語+アイヌ語のいわゆる重箱読みなのか? いづれとも解釈し得る。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/27(日) 19:59:41 ID:TIkO1PLn
コロボックル・トンチという先住民族は実在したの?
274名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/27(日) 23:49:09 ID:9wQT0l8u
コロボックルは非常に背が低く、童顔だったというから、樺太中部にいた
アイヌの呼称のオロッコ(ウィルタ)ではないかと思う。
オロッコはとても小さく童顔で顔の彫りが極端に浅い。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/28(月) 00:22:03 ID:4f2uA2IG
もっとはるかに背の低い絶滅種だろ。実在したとしても。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/28(月) 09:38:24 ID:TI8EEiTe
北海道のラワンブキは、1m60cm以上もあり、フキの下の住人といっても、
背が低いとは限りません。

 コロポックルの住居跡と言われている場所が、チャシコツであることから、
背が低いとは考えづらいのですが。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/28(月) 20:13:08 ID:+wIcw0KY
補足
@池上によればサハリンとされるsaghalien anga hataのhataはhadaの誤りで岩のがけ、
山の峰の義(羽田満和辞典p188)で黒い河口の岩の崖、黒竜江沿岸の岩崖という意味。ま
た『北夷分界余話』の中でサンタン人が樺太を呼ぶ名称の「シルンモシリ」は水際の険し
い山、断崖(知里p122)のところにある島の意味で、どちらも同じような断崖を意味して
いるそうである。とすると「シルンアイノ」とは水際の険しい山の処にいる人の意味とな
り、恵須取から亜港までの崖の続く地形にぴったり合うことになる。
Aオホーツクに関して、ツィンツィウスによればオホーツク海西北部にрека(川)
охотаという地名があり、それはエウェン語の川を意味するok?tに由来するらしい。
Bキュウリ魚 arkoy(樺太アイヌ語タライカ方言)arakoy(その他の樺太アイヌ語)につ
いて、アウステルリッツ博士によれば「ジャコウジカ」を意味する樺太アイヌ語のopokay
はニヴフ語にも借用されているとのことであるが、なんとなくarakoyと音が似ている。
C中川五郎治の供述した『御申上荒増扣』にあるシャンタル諸島付近の「トゴロ(トゥグ
ル)」に比定される「督罕河」という名称が明太宗実録(巻74永楽9年)にある。
D鵜城のToncitonciの説話(知里著作集2p155、189沼畑ウメ口述)ではピウスツキと同
じくトンチは舟でやって来て、また舟で逃げて行ったとなっている。
大和朝廷の高官が、わずか数百年前に自らの先祖が作成した「銅鐸」を忘れてしまったよ
うに、樺太アイヌが鉄鍋の普及で「内耳土器(土鍋)」を全く忘れてしまっても不思議では
ない。ことさらこれらの説話だけを根拠として先住民の存在を考える必要はないのでは?
もちろん、元史、経世大典にある『亦里干』、『?因(登録されてないので?で代用)』はア
イヌ、ニヴフ、ウィルタ以外の第三の民族を指す可能性があり、先住民の存在自体は否定
しない。因みにウィルタはニヴフ語のмуспиを借用したと思われるmusibi(池上辞典
p129)という地名や、アイヌ語地名をそのまま氏族名(Naiputu neeni  Naiputu<nay
川―putu河口 アイヌ語)とした点などから樺太への渡来は到底13世紀までは遡り得な
いと思われる。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/28(月) 20:14:21 ID:+wIcw0KY
〜〜続き〜〜
Eチャシの話が出て来たので、ジコフのカムチャツカ、チュコトカ、上部コリマの考古学
遺跡(1977年249‐257)にはカムチャツカ川下流以外にもチャシ(ゴディシチェ、ユル
トビシチェ)がアヴァチャ湾近辺に集中し、アトラーソフのクリルの城砦と呼ばれている
もの以外に南部西海岸にはボリシェレツク付近にも存在する。やはり東海岸ではこのライ
ンがイテリメンとの最前線だったのだろう。阿部氏によれば幌筵島には「チルラトイ」と
いう地名があり、そこには平地型のチャシが存在するとされるが、「千島アイヌ」のChinu
ura運びし所、「考古学民族学研究・千島アイヌ」のTchirouraito地下の小堡が多分これだ
ろう。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 08:42:39 ID:PzeUERr9
>>277
>nay川―putu河口 アイヌ語

 北海道では、nay-putu(所属形)を見たことがありません。
通常はnay-put(概念形)です。

ただし、当然ながら、「河川名」+putu(所属形)は、よくある形式です。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 09:34:54 ID:7VB/dY9e
幌内川が敷香川と多蘭川と分流し、多蘭川の方をそう呼んでいるの
だから、nayは当然幌内川を指すからいいんじゃない?
281名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 10:27:52 ID:3qYc0W+l
北海道の例しか知りませんが。
〜nay-putuの形式の地名での省略形でnay-putuとなった例を知りません。

 また、pet-putは見たことがありますが、pet-putuは知りません。
〜pet-putuの形式の地名の省略形でpet-putuとなった例も知りません。

 地名において、例がないものを推定で形式を確定することには疑問があります。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 10:50:30 ID:7VB/dY9e
地図を見れば分かるが、幌内川が下流で本流と多蘭川に分流して、
多蘭川自体を川というよりむしろ河口と考えて(Poro)nay putuと
呼んでいたんじゃないの?多蘭川が幌内川の分流であることは、
そこに住む人にとっては当然過ぎる話で、河口と呼ぶこと自体
別に不思議でも何でもないが、地名の場合は当然だが、地図で
地形を確認してから議論した方がいいのでは?もしかしたら
多蘭川が分流と知らずに書き込みしたのでは?
283名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 11:37:38 ID:9MwDHCvw
河口かどうかが問題ではなく、所属形か概念形かが問題なのでは。
省略形でも、所属形となる根拠が不明です。
284名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 12:58:16 ID:UFiXJkh5
>>274

伝説上のコロボックル(樺太ではトンチ)は、アイヌに対してひ弱な存在だったとされる。
実在のオロッコは、樺太でアイヌと血なまぐさい戦争をした伝承がある。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 13:24:18 ID:7VB/dY9e
やはり、地図は見ていないようですね。問題の多い敷香川→本流と変更したのに気付いて
いないようですから。
まず所属形の地名としてナイフツ(竹四郎廻浦日記上p609)が挙げられる。同書p605の
ホロヌフは音節末のp,t,kがhに変化した樺太アイヌ語の特徴を示しており、とすれば、そ
の近くのナイフツはu乃至iを伴った所属形と考えるのが妥当であること。知里の『アイヌ
語研究』では「混乱」としているが(p532)、村崎p83では「所属接辞はあらゆる名詞につ
くことができる。〜固有名詞にもつくことができる。〜〜nの裸の形が概念を表すとは言い
難い〜〜例えば〜〜」とあり、実際に樺太アイヌ語のテキストを幾つか読んでみれば、当
たり前過ぎて納得するはずである。代表的な本に書いてあることで難癖を付けられてもね。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 14:18:35 ID:cU4rOIcN
「ホロヌフ」(竹四郎廻浦日記上p519)は、北海道ですが、樺太アイヌ語の影響を受けて
いるのでしょうか。
江戸期の文献はしばしば「゜」「゛」を記載しません。

ナイフツが所属形とのことですが、なぜなのでしょうか。
松浦武四郎はpetを「ベツ」や「ヘツ」と記載していますので、フツはputなのでは。

(竹四郎廻浦日記上p466)には「シベツブト」と記載されています。
この「ブト」が所属形「putu」と思うのですが。

287名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 15:34:49 ID:7VB/dY9e
音節末のp,t,kがhに変化した地域の地名だから、そう解したまでのこと。
表記の問題は一応正しいとの前提で解釈しなければ、恣意的な解釈が横行
することにもなりますし、h音に関して信頼が置けないとしたら、樺太に
於ける地名解釈は到底不可能です。江戸末期には既にp,t,kがhに変化して
いた可能性があるからです。
樺太では意味から言って概念形で足りるのに所属形を用いる例はかなりあ
ります。また子音の後に母音を付け足す例もあります。殊更訝しがる問題
でもないと思いますが?
288名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 16:07:29 ID:7VB/dY9e
樺太アイヌ語ではそういう文法現象が西海岸(ライチシカ)のみならず、
東海岸(亜庭湾沿岸『あいぬ物語』)でも見られるのだから表記を信用
する限り、妥当な解釈だと思うが?北海道の地名は山田先生が調査済み
なのだから、揚げ足を取るのではなく、自ら積極的に樺太や千島の地名解
をして頂きたい。たまにはこちらが批評する側にまわりたい。オホーツク
文化の地名があると言ってた人も結局証拠を出さずじまいで批判だけする
人でした。手元に竹四郎廻浦日記をお持ちのようですので、何か新しい樺
太や千島の地名解を提案して下さい。
花粉症で休んでいる中、こんなしょうもない問題ばかり議論しても無意味
なんで。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 16:28:46 ID:srAptOJP
>>288
トリップでも付けたら?

>たまにはこちらが批評する側にまわりたい

なんて言われても、誰が誰なんだか分からないんだから。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/29(火) 17:09:07 ID:7VB/dY9e
ゴメン
>>130

追加
薬飲んで寝てたが、気になってしょうがないので、間宮を見ていたら、
北夷分界余話巻2に東海岸で渡渉すべき地点として「ナイブツ」「ナイブツフ」
を見つけた。これらは所属形だろう。概念形putに子音連続の点で直接huは付か
ないから、putu―huと解するのが妥当だろう。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 03:09:58 ID:JcaeT7IG
ツングース系民族=「粛真」=「刀伊」=「唐子」=オロッコ=オホーツク文化人
292名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/30(水) 22:38:33 ID:rf1LOUIk
未確認だが、北知床半島には内太(ナイブト)という地名があるらしい。
内淵にある湖はオンネトーまたはナイプチトと呼ばれたらしい。

ツングース系民族=「粛真」=オホーツク文化人やニヴフ=オホーツク文化人は
可能性はあるが、証拠がなかなか見つからない。
うろ覚えだが、確か切替先生が「メナ??」はよく分からない地名だと言ってい
たような気がする。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 11:36:55 ID:OUqXOIuk
>288
批判ばかりするな、というのはそのとおりですね。
すみません。しばらく楽しく拝読させて頂いてました。
どなたかが身元同定し始めたので落ちた口です。
ここは匿名掲示板なんですから、それなりの内容で書き込みたい。
責任持って書けるほどサハリンの地名はよくわかってない。
それは誰も同じだと思うのです。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 11:40:27 ID:OUqXOIuk
というところで、ひとつ。
「ワゲー」という地名が取り上げられたことがありますが、
ロシア側のニヴフ語資料では「ワンギ」w-a-n-g-iだったと思います。
するとこれは「タンギ」とよく似た地名で、
そもそもアイヌ語の-keでは無いんじゃないか。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 13:21:41 ID:j2Qc2RCy
「ワゲー」って響きからしてアイヌ語らしくないしね
296名無しさん@お腹いっぱい。:2005/03/31(木) 19:57:32 ID:gKLccz0Y
>>294
>>295
響きが違うと言われれば、身も蓋もないが、「ワゲー」がロシア側のニヴフ語資料で「ワン
ギ」w-a-n-g-iと解釈できるのなら、ニヴフの居住範囲なので極めて蓋然性あるが、疑問点
としてw-a-n-g-i のiは恐らくи川p89、эри川p485ということになるが、それでは岡本
の窮北日誌の記載「和牙ワゲ岬頂(岬の先端?)」とは矛盾することになる。岡本の誤りか?
あるいはニヴフ語では地名に関してはиにアイヌ語のiあるいはhiと同じような漠然と「場
所」を表す用法が生じているのか?ここら辺は勉強不足なんで分からない。さらに「ワゲ
ー」がw-a-n-g-iとすると「ビロワゲー」も当然ニヴフ語ということになるが、「ビロ」は
どう解釈したらよいのだろうか?タクサミ辞典を見ても中々良い案が浮かばない。「ワゲ
ー」と「ビロワゲー」は別個の地名でこちらはアイヌ語(pir-o-wa-ke pir渦流(知里辞典
p94 pir-o-p渦流のある所、灘)、o多くある、wa岸、ke〜の所、→幾筋もの流れの速い
潮流が渦巻いている海岸の所)なのか?あるいは「ムシピ」と同じように同一場所にニヴ
フ語名とアイヌ語名が存在するのか?
松浦武四郎の『蝦夷闔境山川地理取調大概図』の「ムシヒト」という沼に関して。
タクサミ辞典のとおりニヴフ語資料でмуспи(岸)と解釈できるのなら、「ムシヒト」は
муспиにту湖が接尾したもの解するのが妥当ということになるが、ニヴフ語ではアイヌ語
以上に厳格に修飾語が被修飾語の前に立つという原則(アウステルリッツ先生が何処かに
書いていたような気が)からすれば、意味的にはту湖、муспи岸の方が自然なような気が
する。それともту=湖ではないのだろうか?
ニヴフ語と考えても中々一筋縄では行かない。
297名無しさん@お腹いっぱい。:皇紀2665/04/01(金) 08:43:51 ID:68wQIF5O
前の方でデタラメなアイヌ語の文章を書いてるヤツもいる
298名無しさん@お腹いっぱい。:皇紀2665/04/01(金) 18:45:30 ID:3o9EhvWC
>>294
ва?и(p48)Дружба(地名)の北側に大きな河川が南側には小さな川が流れてい
る。仮にпилвоp259(poro-kotan)や、『北夷分界余話』巻2東海岸の地名「ヒロヲー」、
「ビレントウ」の例からпил(大きくなるпил?ан)の接頭が一般的であるとするな
ら、ニヴフ語が有声、無声等厳格に子音を弁別する特徴を一まず無視して、解釈すればヒ
ロ、ビレ、ビロは同一の意味を有し(アイヌ語地名では類型や表記の厳密さ要求され到底
このような大雑把な解釈は許されないが)、「ビロワゲー」とは大ウアンギ(川)に該るこ
とになる。勿論ニヴフ語の余りに融通無碍な利用で、あらゆる地名が子音交換のあるニヴ
フ語で解釈できるという批判は甘んじて受けるが、表記のズレや位置のズレを捨象すると、
ва?иとは元来小ウアンギ(川)自体を意味し、いつの頃からか大、小ウアンギ(川)の
間の土地を指すようになった。終に江戸最末期にはその中間の土地から窮北日誌の記載の
ように(和牙ワゲ岬頂)岬の先端部を意味するようになった、というところであろうか?
299名無しさん@お腹いっぱい。:皇紀2665/04/01(金) 18:48:20 ID:3o9EhvWC
レス>>297が付いたんで、誰かアイヌ語が分かる方添削お願いします!

Okcis、tah nuca yee ike, Александровск-Сахалинский nah yee.
Okcis motoho、oya itakihi(sarunkur itah ani “iporse”)ani Okcis nah ay=yee ree motoho.
re tanku paa pahno etokota an paa Okcis oro Poronay kitay uturukehe ruucis koro ruu an manu.
ucaskuma ohta Orohko utah tunakay kasketa okayahci.neeteh nea ruu kaari Tomo-nay
(tah nuca yee ike,Тымьnah yee)kitay pahno okayahcin(= oya itakihi ani Orohko utah)
sapahci manu. neeteh rayohtepono Ноглики hankeno sapahci manu.  hemaka.
en=sirihine aynu itah ani neera’ampe nuye wa en=konte!
300名無しさん@お腹いっぱい。:皇紀2665/04/01(金) 21:37:19 ID:68wQIF5O
300ゲット
301名無しさん@お腹いっぱい。:皇紀2665/04/01(金) 21:48:59 ID:3o9EhvWC
ва?и(p48)Дружба=「ワゲー」とすれば、w-a-n-gとは何か?半母音wは「ワ
ゲー」が位置するニヴフ語アムール方言地域には存在しないとされるが、かつてはこの地
域までサハリン方言が及んでいたのだろうか?それともアムール方言では半母音wが失わ
れてしまったのだろうか?a-n-gはakr川下amd川下にあると関係があるのであろうか?
『東韃地方紀行』の「トウムシボー」もアイヌ語[tom-us-i-po  tom 〜(平面)の中ほど
(位置名詞)、us多くある、i所、 者、物、事(名詞化接辞)po指小化接辞、名詞に接尾
して小さい、若いなどを表す→(崖 の)中腹に沢山ある小さなもの。食用になる海鳥の巣
でも指すのであろうか?]ではなく、アイヌ語では要求される類型や表記の厳密さは、頻繁
な子音交換のあるニヴフ語にはそもそも当て嵌まらないとすれば、ту湖はму舟を修飾し、
湖の舟をхитит引き上げるво集落の意味なのであろうか?
また『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』にはアイヌ語?でウタニ川、ニヴフ語で
ウダゲーと呼ばれる河川名があるが、「КТО ВЫ айны?」に出て来る外興安嶺付近の
「〜〜ウダ川河口でギリヤーク人が500人位殺され〜〜」の「ウダ川」とはツィンツィウ
スによるエウェン語の川を意味するokatとも一応考えられるが、これも子音交換が頻繁に
行われるニヴフ語の「ウダゲー」と同じと見るべきなのであろうか?
302名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/02(土) 08:09:02 ID:yVUoAnUR
ニブフ語は甘いなあ?
303名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/02(土) 08:55:14 ID:sAKz94Zt
どこかのスレみたいに荒れずに、こちらは理性的に議論しましょう。

確かに、アイヌ語では概念形や所属形の区別、方言差(樺太方言の語末のh、tとrの近接
等)、「ツ」や「ト」、濁点と言った表記の問題はうるさく言われるのに対し、ニヴフ語アム
ール方言の半母音wの問題は殊更避けているとは言えるが、
一応муспи=cip-e-kari-us-i、poro-kotan=пилвоの例から仮説を提起してみました。
ニヴフ語に詳しい方応援お願いします。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/02(土) 18:20:24 ID:sAKz94Zt
『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』は『カラフト島見分仕候趣申上候書付』の誤り。
内陸のКировскоеの近くには東海岸の地名「ヒロヲー」とは別にпалевоという地名がある。
И(ニヴフ語サハリン方言)、эри(ニヴフ語アムール方言)ならw-a-n-g-eriなのであろうか?
これも半母音wと同じく、いろんな問題を提起することになる。
пилво=poro-kotan、муспи=cip-e-kari-us-iなら
arq-vo、arqi-vo=arakoy荒子井≒arak-o-i(y)?⇒⇒arq=arakか??
305名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/03(日) 22:17:22 ID:W/YNNG1f
Кировскоеの近くのпалевоは、トゥィミ川沿いの内陸Чир-унвд方言
でпалは山(間宮海峡沿いのアムール方言ではулв)であるから「山の村」の意味な
のであろうか?とするとアイヌ語のsak-kotan、mata-kotan<mak-ta-kotanの例からその
палевоと地形的に対となる地名が川沿い、海沿いにあるのであろうか?水はчах
で被修飾語は閉鎖音ではないから近くにчахвоなるものがあるのであろうか?
ムシピについてмуспи<му-хититとすると、他動詞目的語間では他動詞の頭子音
が無声摩擦音から有気閉鎖音に交替する規則に合わないような気がする。地名の場合は原
則どおりには子音は交替しないのであろうか?いろいろ見ても分からない。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/03(日) 22:43:04 ID:63HOUL1/
muspi<mu xicidと言う説は聞いたことが無い。
palと対になるのはtolだが、tolvoという言い方はない。
「海岸側の村」ならketvoというべきだろうが、実際には無い。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/03(日) 22:45:24 ID:63HOUL1/
(つづき)
wangiは現在キリル表記でuangi。
vijaxtu→ウエグットーという例からみると、
wangiはvangi→ウワンギではなく、
wake→wangiという借用のほうがありそうかもね。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/03(日) 23:07:38 ID:W/YNNG1f
ありがとうございます。対になるのは無いのですか。Кировскоеの近くの
内陸部だから、アイヌ語地名みたいに海岸とその山手みたいな訳にはいか
ないですよね。てっきりムシピは舟を揚げると考えてました。
樺太アイヌの起源や真の理解の為には、ニヴフの研究は絶対必要ですね。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/03(日) 23:59:03 ID:AAd594aw
このスレレベルたけー
ぴろしきに見せてやりたいぜ
310名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/04(月) 20:16:35 ID:1UlQ1AHU
@тор(рор、дор)砂洲で、地図では確認できなかったが樺太東海岸にはТорво
という場所(p359)があるみたいです。何れにしても対の地名ではないようです。
A『北夷分界余話』や『里程記』によるポロコタン以北の地名、括弧内はニヴフ語。
ホラクニ→キトウシ→モシリヤ→ナヨロ(アテゲー、アテキ)→ヲッチシ(イドヰ、イト
イ、イトイマテ)→アルコヱ→ウタニ(ウタゲー)→ホヱ→ウヱグツトー(ウヤクトウ)
ロ、→ノテト(テッカ)→ナッコ(ラッカ)→ワゲー→ボゴベー→ウヱシメラップ。
キトウシ以北イトイまでは雑居で、『高橋作左衛門あて書簡』ではラッカはアイヌ語の地名
があるが、「ボゴベー」には無いとなっていてその間の「ワゲー」については触れられてい
ない。また『渡海大概之様子』では「ワゲ岬」となっており1800年代の初頭には既にва?и
は岬の付近だった可能性があります。ただ、アイヌ語の無い地名「ボゴベー」以北にある
「ワカセイ」や「ビロワカセイ」の存在を考えると、ニヴフ語かなぁと言う気もします。
アイヌ語での解釈を維持するとしたら、より流れの速い場所を渡るアホはいないので、「ワ
ゲー」に合わせて「ビロワカセイ」の解釈をpir-o-wa-kasu-i<pir渦流(知里辞典p94pir-o-p
渦流のある所、灘)、o多くある、wa岸、kasu他動詞〜を凌ぐA kasu B Aを凌ぐB、i場所
→潮流の速い岸辺(ワゲー)以上に潮の流れが速く(危険な)所と変更します。妄想が許
されるのなら最重要地点に於ける「ビロワゲー」「ビロワカセイ」のような対になった地名
は赤信号、黄信号のような標識としての機能を果たしていたのでは?
B次にпилво=poro-kotaなのですが、пилвоはもしかしたらポロコタンの翻訳借
用なのでは?пилвоの初出ははっきりしないのですが、ポロコタンは古くから西海岸
に於ける樺太アイヌの拠点であり、ニヴフとの雑居はキトウシ以北で、年を追う毎に樺太
アイヌの居住範囲が南下している事実からするとニヴフがポロコタンに居住するようにな
ってから命名した可能性があります。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/04(月) 20:18:54 ID:1UlQ1AHU
〜〜続き〜〜
C正保図にはキドウシ→イトイマテ→チヤボコ→ニクタン(元禄図にくぶん)→キン子バ
(大陸の地名)の順に北上しているようなのですが、これは1600年代にはニヴフ語サハリ

方言が間宮海峡の最狭部付近まで拡大していた可能性を示すものでは?さらに大陸側の河
川名でиと考えた方が解釈し易い点から、古くはサハリン方言が大陸まで分布を伸ばして
いたのでは?とすると当然間宮海峡沿いの地名はэриではなくиとなると思われます。
D『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』には「ナッコより六日路も奥之方江罷越候
得ば東海岸ヌヱフトと申所江出候由」とあり「ヌヱフト(またはヌイフト)」はНыйво
あるいはНый湾を指すと思われますが、Ныйво+туより、この「ヌヱフト(または
ヌイフト)」の「ヌヱ」、「ヌイ」は今はどう解釈したらいいか分からないが、「フト」はア
イヌ語のputuなのでは?ピウスツキの採録した中に東海岸北緯50度付近のウェンナイの
アイヌとチャモキのニヴフ?との間の破談の話があるが、さらに北のНый湾付近まで交
流があったのであろうか?まさかとは思うが妄想としてヌイン川の河口または(Tomo-)nay-putu
なのであろうか?間宮がポロナイを遡航しトゥイミ川沿いを調査していたら、様々な問題
を解決する上でもっと興味深い事実が発見できたかもしれません。
E『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』には「ラッカと申所より山丹地大川落口相
見へ申候。右山々左右へ打開キ如何ニも大川と相見申候。右川之名を相尋候得ば、スメレ
ンクル伝言にシインナヰアトヰともオヤアトヰとも蝦夷言ニ而申候」とある。
このシインナヰアトヰはsiinnay-atuy siinnay?(『あいぬ物語樺太アイヌ語彙』
shiinai動詞チガフ、別だ)、オヤアトヰはoya-atuyでアムール川のアイヌ語名で
「外洋とは別の海のような(大きな川)」の意味なのであろうか?
312名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/05(火) 18:38:13 ID:td3Uuu0m
補足 「ビロワカセイ」「ワカセイ」の解釈に関して
@「ボゴベー」はПо?ви p264現在のПогибиと思われるが、その次の「ウヱシメ
ラップ」の次が「ワカセイ」で「ボゴベー」からは3里31丁であり、地図には極近い訳
ではないが、大小の河川が存在する。ニヴフ語だとすると大ワカセイ(川)、(小)ワカセ
イ(川)の意味か?ただ、「ムシピ」の例からして渡るべき海ではなく川に関して「ワゲー」
と「ワカセイ」のように何故大小を区別するのか分からない。ニヴフにとって間宮海峡は
自分の庭みたいなものなので殊更特別な名称を与える必要がなかったからなのか?
A次にアイヌ語で解釈すると、「ビロワカセイ」pir-o-wa-kasu-i<pir渦流(知里辞典p94
pir-o-p渦流のある所、灘)、o多くある、wa岸、kasu他動詞〜を凌ぐA kasu B Aを凌
ぐB、i場所→潮流の速い岸辺(ワゲー)以上に潮の流れが速く(危険な)所の意味か?
Bさらに、間宮海峡の最狭部の「ボゴベー」現在のПогибиを挟んで南北に南3里2
丁に「ワゲー」、北に3里31丁に「ワカセイ」が対となって存在する点を重視すると、
313名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/05(火) 18:39:31 ID:td3Uuu0m
〜〜続き〜〜
周知の通り樺太から大陸に行くにはアムール河口を目指すのではなく、大陸側のキジ湖近
くで舟を陸揚げしてアムール川に到るのであり、大陸から樺太に向かうのはアムール川を
河口まで下って間宮海峡の最狭部以北の樺太側に到るのが通常のルートであること。最狭
部の「ボゴベー」を中心として約10km程が海峡の幅が狭く最も潮流が速い地域である
こと。アイヌ語地名は土地の特徴を捉えて命名する例が多い(アイヌの人達は民話を見て
も分かることだが、絶えず動詞の性質を考慮に入れなくてはならない言語構造がそうさせ
るのか、そういうところがアイヌ語を学ぶ際の面白いところなのだが、物事を原因結果と
極めて合理的に、悪く言えば理屈っぽく考える傾向が強い)こと等から、「ビロワカセイ」
とはpir-o-wa-kasu-i<pir渦流(知里辞典p94pir-o-p渦流のある所、灘)、o多くある、wa
岸、kasu他動詞〜上を越す、〜を過ぎるA kasu B Aを過ぎるB、i場所→潮流の速い岸
辺(ワゲー)を過ぎた(通り越したその先の)所という意味なのであろうか?もしそうい
う解釈が許されるのなら、対の「ワゲー」「ワカセイ」とは、地元のニヴフにとっては自明
の事であっても、南方の樺太アイヌにとってはどうしても必要な知識であって、その間は
海峡の幅が狭く最も潮流が速いから、「渡海するならそれ以南、またはそれ以北にせよ」と
の横断禁止を示したあたかも標識のような機能を持った地名なのであろうか?
追加、「ヲッチシ」と「ノテト」の間に北海道の「輪西」、樺太東海岸南部の「輪荒」の
ようなwで始まる解釈の難しい「ワンライ(アイヌ語?)」「ワンリ、ワンレ、ワンリン
(ニヴフ語)」という地名がある。wで始まる地名はどうも解釈がしっくり行かない。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 20:08:48 ID:Lt95NA5k
誰も批判しないので、内心ではビクビクものなのだが、この説が一人歩きしてデンパにな
らないよう自分で反論。
「ワゲー」に関してはニヴフ語サハリン方言がこの地域まで拡大していた可能性があり、
また近くに大小二つの河川があるから、ニヴフ語説が有利。
「ワカセイ」に関しては『北蝦夷島西海岸里程記』に「ワカセイ」→3里19丁「ガオト」
→1里「ノッコセイ」→1里15丁「ユクタマー」とある。「ワカセイ」近辺には川はある
がどちらも同じような大きな川であり、大ウアンギ小ウアンギのように解説した本は見当
たらず、地形的にはニヴフ語説が不利。またアイヌ語説でもkasuをこういう形で使った地
名は見当たらないこと、「ガオト」というニヴフ語らしいту湖を接尾した地名があり、そ
の先の「ノッコセイ」付近にも川иが存在(ただ、この辺りは川や沼ばかりだが)し、「ユ
クタマー」も恐らくニヴフ語と思われることから、総じてニヴフ語地名地帯と言える。
尚「ノッコセイ」はもしかしたらアイヌ語の可能性がある。not-kose-i<not岬、kasu 他
動詞〜上を越す、〜を過ぎるA kasu B Aを過ぎるB i 場所→岬(ボゴベーか?)を通
り過ぎた場所の意味か?ただ、この付近にも川иが存在すること、oとa、eとuの違いが
あるから、それが許容されるかどうか。またこれは対地名の「ワゲー」「ワカセイ」間に
特別の意味を見出すアイヌ語B説にとっては多少不利になる。ここら辺の地名はニヴフ語と
もアイヌ語とも確信を持って言えない。ただ類例が無いというだけで先に進まないのでは、
学問の停滞に過ぎないので、多少条件を緩やかにして「対地名」というアプローチで敢え
て無理を承知でいろいろ書いてみました。
この前は花粉症でイライラしていて、つい批判するなと言ってしまいましたが、皆様の反
論お願いします。
315286:2005/04/06(水) 20:52:48 ID:0W+z+RuE
文献のデーターにおける扱いに難があります。
また、アイヌ語地名に関して、少々疑問があります。
理由を記載しようと思ったのですが、批判をするなとの事でしたので。

自己満足で安心していたいのなら、それで良いのでは。

もし、文献で発表するのでしたら、そのときは、指摘したいと思います。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 21:08:28 ID:Lt95NA5k
是非、理由をお願いします。「批判するな」は既に訂正したはずです。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 21:42:31 ID:4X+OnKxy
自己満足なら反論なんか求めやしないだろう?
318名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/06(水) 22:28:14 ID:Lt95NA5k
原本校訂までした訳ではなく公刊された書籍だけを基に、無理を承知で解釈しております
ので、専門の方々から見れば致命的な欠陥も多々あることとは思います。
もとより学者でも専門家でもありませんので、文献を発表など叶うべくもなく、またおこ
がましくてそうする気など毛頭ありません。ただ専門家の方からは樺太の地名に関する発
表が余りなされておりませんので、敢えて匿名掲示板だからこそ大胆なアプローチをして
みました。仮説の提起、理由付けは学問の要諦と考えましたので、ひとりだらだらと仮説
と可能な範囲でその理由を書いてみました。先般は学究者とは知らず失礼を致しました。
改めてお詫び致します。
ところで、浅学の故、一つ伺いたいのですが、何故、putの所属形はないのでしょうか?積
極的な理由がどうしても分かりませんので、宜しく御教授お願い致します。

319名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/07(木) 13:39:15 ID:tKQspaGZ
どうでもいいんだけど、問題があると言い
ながら理由を言うのは批判になるとは何か変。
320293-306:2005/04/07(木) 15:25:57 ID:rrxDwqZ2
ニヴフ語地名の表記の傾向。
カナ表記ではニヴフ語のr'が「ルシ」や「セ」になっているようである(ニヴフ語の方言によっても音が異なる)。ηはカ行やナ行で表記される。x、χはカ行が多い。シュワー∂はオとされることが多い。アイヌ語と異なり音韻表記でないため、復元は非常に困難。
321306:2005/04/07(木) 15:29:15 ID:rrxDwqZ2
キリル表記ではr'はrかsで表記される(上記参照)。ηはngとなることが多い。ニヴフ語のvはwに近いためか、uaとv両者がある。γは無視される(そもそもニヴフ語の方言によっては発音しない)か、gで表記。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/07(木) 19:59:17 ID:HVZwTn6y
参考になりました、実はカナ表記の問題は北海道教育委員会刊行の川村秀弥採録「カラフ
ト諸民族の言語と民俗」、「ぎりやーく・おろっこ器物解説書」、「カラフト原住民の旧調査
資料」の中の渡部先生作成のニクブン語索引を凡その基準にやっていました。ニヴフ語の
カナ表記はアイヌ語と比べてはるかに不完全でかつバラつきがあり、地図等でニヴフ語の
キリル文字表記が出てくると内心ほっとしていました。たとえば、「カラフト原住民の旧調
査資料」p39の例のキュウリ魚は「アシカエ」で、勿論敷香方言a?ky(arkai)を反映した
ものでしょうが、仰せのとおり確かにrを「シ」に近い音として表記してますね。
ニヴフ語サハリン方言の問題は既に遥か昔に書いていた人がいました恥ずかしい限りです。
『サハリンの少数民族』p210にはEremin i drの見解として「〜19世紀末には、「サハ
リン方言」は「西サハリン方言」を話すサハリン北西海岸のいくつかの村を除き、サハリ
ン全土で話されていた。「サハリン方言」はまた、ニージュニェエ、プロンゲ、アリェフカ、
ジャオレ、ムィ岬、ラザレフ岬等のアムール川河口の村々でも話されていた。〜」と記載。
この前うろ覚えだったので補足しておきます。 
切替先生が構造のわからない地名として挙げていたのは、Mena、 Petanu、 Ioroushi 、Iwanai 、
Masaramama、 Naitaipeです。
ここで調子に乗って妄想を一つ、アイヌ語の子音wは極端に語彙が少なく、自立語では殆
ど水に関係する語と悪い(wen)に関係する語だけあり、waの同音異義語として名詞の「岸」
と動詞の「渡る」が存在する事などから、機能分化はそれ程古くはなくて、かつてアイヌ
語には子音としてのwは無かったのではあるまいか?
323306:2005/04/07(木) 21:52:24 ID:rrxDwqZ2
サハリン方言が古形を保存しているというのは
大体の研究者の推測だと思います。
ただ、アムール方言地域でもかつて「サハリン方言」が話されていたとしても、
それが現在のサハリン方言と同じという保証は全くない。
そもそも両岸に跨る「アムール方言」がどの程度違うかも、
記述らしい記述がなされていません。
てなとこでいくつか書き散らしますね。

「ワゲー」について
間宮によれば「ピロワゲー」「マチワゲー」がある。
これはpil-vaηgi、mac-vaηiつまりニヴフ語の「大」「小」だろうからニヴフ語地名の可能性が高い。
語源は例えばva-η-i「争う・(語尾)・川」。つまり「荒川」か。
あるいはvaη「浮き」と関係があるのかもしれない。

「ワカセイ」について
ロシア地図のuaz, vagisが相当する。
これも間宮によれば大小(ピロ、マチ)がある。
ニヴフ語推定形はvaγr'。語源は例えばvaγ-r'「削る・(語尾)」か。

「ノッコセイ」について
ロシア語地図ではnoksi。ニヴフ語推定形はnokr'i。
noγr'-i「臭う・川」か。

324306:2005/04/07(木) 22:08:46 ID:rrxDwqZ2
子音qについて

arqiのようにqの前後に狭い母音が来た場合、広い母音が入っているように発音される。
keq狐→keaq、ar'qi
キュウリ魚→ar'qai〜ar'q∂i。
だからアイヌ語arakoiはニブフ語からの借用と考えている。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/07(木) 23:54:21 ID:HVZwTn6y
「ノッコセイ」はk音がありますので、恐らく「臭う川」だと思います。川の名前として
も妥当ではないでしょうか。
「ワゲー」も水に関係するва? p48「うき」「浮標」の意味かもしれません。
「ワカセイ」はどうなんでしょう?「水」に関連する語ではなさそうで、あの湿地の地形
では何を削っているのかは分からないです。
「ノッコセイ」はほぼニヴフ語、「ワゲー」も恐らくニヴフ語で間違いないでしょう。
「ワカセイ」に関しては現時点ではニヴフ語の蓋然性はあるが、今一歩というところでし
ょうか。
子音qの前後に狭い母音がある場合、広い母音が挟まったように発音される点は気が付き
ませんでした。ニヴフ語の子音はいろんな本で割りと詳しく記述されいるのに対し、母音
の方はあっさりと書かれていましたので勉強不足でした。それでしたら、arqe、arqaj/arqa/
arqi、arkai> arkoy(タライカ方言)arakoyの説明が付きます。そうなるとhura-ruy
(臭いの強い魚)paykara-chex、paykax-chex(春になると獲れる魚)等の二次的語彙しか
アイヌ語には無かったということになります。「アラコイ」は単に「キュウリ魚」という地
名で、その何も付かない形が、南部の真岡付近や亜庭湾内にあるということは、借用であ
ってもかなり古い時期のものかもしれません。
やはり、サハリン方言の方が古い形を残していたのですか。現在のサハリン方言と同じ保
証はないというのは確かにそうです。個人的な感想なのですが、音韻面ではサハリン方言
ですが、格標示などはむしろアムール方言の方が古い形なのではと思ってます。
ありがとうございました。
326306:2005/04/08(金) 03:48:06 ID:+zn+qD2C
(1)母音の音色が変わるのではなく、
いわば「挿入母音」があるのです。
(2)アイヌ語の動物名(魚介類含む)には-kai、-aiがつくものが多い。
語源分析が出来るものばかりではないので怪しい。
魚名にはhemoi、soi、rurokoi、uttoi(?)など-oiのつくものもある。
arakoiも語形だけならこれの一種とも。
だからニブフ→アイヌか逆かも確信はない。
語形比較からみた可能性にすぎません。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/08(金) 20:53:25 ID:ZNrG9xMW
@ニヴフ語の地名解が今のところ「川の名」で、大陸と向かい合う場所であるからと言っ
てとりたてて目印となるような命名をしていないのは、ニヴフこそが紛れも無く間宮海峡
沿いの元からの住民なのでしょう。やはり、大陸側のアイヌ語地名の北限は間宮が併記し
たТык岬(テッカ、ノテト)以北、北緯52度の「ナッコ(ラッカ)」岬というところで
しょうか。樺太アイヌは大陸に渡るのに、普通はナッコまでは北上せず、Тык岬付近か
ら渡海するとの間宮の記述から、たとえそれ以北の情報を有していたとしても、自らそれ
らの地名とは別に命名する必要を感じなかったのかもしれません。ここら辺が合理的なア
イヌの面目躍如なのかも。アムール川河口部またはその間宮海峡側の海を指すとされる「オ
ヤアトヰ」のように、もしかしたら必要性の点では、むしろアイヌ語地名の北限は大陸側
にあるのかもしれません。
Aアラコイに関して、本来の一時的語彙が禁忌のため廃用された可能性もあり、地名自体
も、その禁忌に関連して借用語に変更された可能性も捨て切れませんので、地名イコール
古いとは限らず、地名の点だけで借用が古いとは言い切れないと思います。この点は訂正
します。ニヴフ語からの借用の可能性のあるtunakay、その逆と言われるopokay「ジャコ
ウジカ」の例など借用の見極めは難しいです。
B最後に、また「ネタ」を! 遺漏を無視した資料校訂などお構い無しな「妄言」ですが、
正保図と松前島郷帳作成との間は約60年程ありますが、この間に樺太北部の地名として
「おつちし」「おれかた」「なふきん」「かれたん(東海岸)」が追加されてます。正保
頃の世界史的事件として清朝(北京入城)の成立、ロシアの第一次アムール進出があり、
樺太に関わる出来事としてフリース号の探検があります。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/08(金) 20:55:39 ID:ZNrG9xMW
〜〜続き〜〜
流石にウィルタ(「おれかた」)の樺太出現をロシアの第一次アムール進出に関連付けるの
は余りにも大胆過ぎて止めますが、タライカアイヌの大陸交易と松前島郷帳に於ける「お
つちし」地名の出現は蓋然性があると思われます。例の1643年のフリース号の探検ではタ
ライカアイヌが幾つかの大陸製の製品を所有し、また18世紀になってからではあります
が、日本側の『正徳五年松前志摩守差出候書付』や『北海随筆』「〜カラフト島惣名タライ
カと云ふ。〜錦、青玉等も此両国より渡り来るを、タライカの者共両国へあきなひに行き
て交易するとなり」『松前志』「此地近年衰微せし故にや〜〜北韃の従来絶たりと云ふ」と
の記述から、タライカが樺太北部の交易の拠点であったことが伺えます。タライカアイヌ
に近いとされるシロノウタレ(『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』)の存在やタラ
イカから樺太西海岸及び大陸へは、間宮が記すポロナイ川遡航、トゥイミ川(このような
過程でアイヌ名「トモ」川は大地の中程くらいの意味で命名されたのでしょうか?)分水
嶺付近から小河川沿いに山越えして亜港付近に到るルートが利用されていた可能性が高く、
1689年のネルチンスク条約によるロシアのアムール駆逐と相俟ってこのルートの重要性が
増大し、もともと山越え路と言う意味で「おつちし」という地名自体はあったのでしょう
が、有名化一般化し、松前藩ひいては幕府の知るところともなったのでしょうか。
C正保図や松前島郷帳を見て思うのですが、日本人の進出が比較的に早い樺太に比べて、
進出が遅かった千島の地名が割りと詳しく記載されているのは不思議な現象です。これも
一つの仮説なのですが、1600年〜正保頃に千島アイヌとイテリメンとの闘争が最終段階を
向かえ、それに関連して後方の道東アイヌと千島アイヌとの交流が活発になり、情報提供
者である道東アイヌの千島に対する知見がちょうど拡大した時期に、松前藩が地図作成の
調査をした故なのでしょうか?
329306:2005/04/08(金) 22:12:36 ID:+zn+qD2C
opokaiはポロナイスク以外ではmeq(ムェック)です。
(ポロナイスクでも普通はこっち)
だからA→Nでしょう。
もっともアウステルリツのいう通り-kaiは
そもそも古層のN→A借用語かも知れませんが。
地名から外れますが。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/08(金) 22:54:27 ID:ZNrG9xMW
いいえ、とんでもない、ありがとうございます。
大変勉強になります。辞書を見ても分からないのですが、-kaiに
「〜するもの」というような意味があったのでしょうか?

ところで、kaiを探していたら、кый、サハリン方言ではqaiで帆p125、
кый му帆船を偶然見付けたのですが、これはもしかしたら、kaya帆
と関係があるのでしょうか?これがニヴフ語からアイヌ語への借用だったら
千島に於けるオホーツク文化の問題を考える上で、重要なヒントになるかも
しれません。
331306:2005/04/08(金) 23:44:18 ID:+zn+qD2C
-kai辞書レベルではなくて、再構形*ηaiです。*がつく奴です。
qaiは帆のことです。AとNの共通語彙ですね。
因みに比較的最近までウイルタ人は魚皮で作っていたようです。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/09(土) 00:03:18 ID:2Lm9E1y9
いつもありがとうございます。
どうりで辞書には載ってないわけですね。
qaiはそうでしたか、アイヌを理解する為にはニヴフ研究は本当に
不可欠ですね。つくづくそう思いました。
また、他愛も無い「ネタ」が入りましたら、デンパにならない程度で
妄想を撒き散らしたいと思います。

333名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/09(土) 11:44:05 ID:2Lm9E1y9
トモ川で釣りを楽しんでいたのですが、デンパになると困るのでそうそうにタネ明かし、
Тыми川(ロシア語Тымь)は有声摩擦音と無気閉鎖音が交替(t〜r〜d、r〜t〜d)
するニヴフ語の特徴から、恐らく日本側の資料でいう「ルモウ川」、「ロモウ川」に該当し、
rをtに近い音に発音するタライカアイヌから間宮が聞き取った結果「トモー川」となった
のでしょう。「ルモウ川」、「ロモウ川」はニヴフから得た情報なのかもしれません。
そこで、今日の本題、ニヴフ語アイヌ語の共通語彙とされるものの中で、北海道でも一般
に使われるku弓というと言葉があります。ニヴフ語к’у(ху)矢、弾丸、к’у сидь
銃に装弾する к’уваq (qで代用)糸、紡績糸。因みに弓はпуньдь(p275)
で意味は多少ずれますが、同一と思われます。どちらが借用したものか分からないです。
トナカイtunakay サハリン方言ではp355тлаqиアムール方言ではp455 ч’олqи
因みにウィルタ語では飼育トナカイulaa 池上p218 野生トナカイsirθ池上p187。仮に
再構形がηaiとすると「ジャコウジカ」opokay <op-o-kay(知里辞典には-o-のところに
アクセント記号がある)と思われますが、これではop槍、oの付いたkay動物ということ
になり、小型で角の無いシカである「ジャコウジカ」の特徴に反することになります。そ
こで、「ジャコウジカ」=opokayを維持するとすれば、アクセント記号を重視し何らかの
縮約があったと考え、例えばタライカ方言のham否定辞『アイヌ語法概説』p153あるい
は美幌方言のomo(他の方言ではsomo)op- ham -kayあるいはop- omo ?kayなのでしょ
うか?
はたまたは-o-そのままoと考え、opには「サケの尾びれ」の意味がある(アイヌ民俗調
査T旭川p46)ことから、「ジャコウジカ」の上顎に短牙を持つ特徴を表したものなの
でしょうか?
334名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/10(日) 16:27:38 ID:PYVe0Okz
〜〜続き〜〜
前者は文法的に問題があり、やはり後者op-o-kay説なのでしょうか。まず、opは槍、銛、
柄の意味があり、細くて長いものを指すようですが、今のところ旭川の例しか分かりませ
んが、「サケの尾びれ」という意味もあるそうです。とすれば、opは必ずしも長くなくても
いいことになります。では、何故「ジャコウジカ」の角ではなく、上顎の短い牙をopと呼
んだのでしょうか。実は短いサーベルのような牙が生えているのはオスだけであり、「ジャ
コウジカ」のオスの下腹にあるメスを惹きつける匂いを出す「麝香嚢」と呼ばれる部分は、
古くから漢方薬や香料の原料としてとりわけ中国では高く取引されていました。「麝香嚢」
のとれるオスの「ジャコウジカ」の意味で、口から牙をつき出した姿をとらえてop-o-kay
と名付けたのでしょう。このop-o-kayという言葉は知里の『アイヌ語獣名集』によれば、
樺太のみにあるようです。また「ジャコウジカ」は東南アジアの北部からロシア東部にか
けて生息していますが、古来より雲南のものが最高級品とされていました。おそらく、中
国の資源が枯渇するにつれて周辺部での捕獲が盛んになったのではないでしょうか。とす
れば、kayがηaiだとすると、明確に樺太アイヌの存在が中国資料に記述された元の樺太遠
征以降、とりわけ『明実録』記載のように大陸との交易が盛んになったと考えられる明代
に、より大陸に近いニヴフから商品知識を得、恐らくそれ以前にニヴフ語から借用された
とされるkayと言う語彙を基にop-o-kayという言葉が樺太アイヌの間で生まれたのでしょ
うか。このような仮定が正しいとするとηaiの借用は元代以前のことと思われます。もしニ
ヴフ語話者イコールオホーツク文化人とするなら、オホーツク文化の動物崇拝がアイヌ文
化に受容される過程で、幾つかの物質名詞とともにηaiが借用されたのでは?
335名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/11(月) 20:02:03 ID:TJnF1DcA
トナカイtunakay サハリン方言ではp355тлаqиアムール方言ではp455 ч’олqи。
タクサミ辞典p97には引っ張るирлыдь、тлыдь、к’лыдьх лыдьとある。 
ирлыдьのиはi(j)で『世界言語概説下巻』p764服部ギリヤーク語「j−他動詞」(恐らく他動性を
表す三人称単数?)にあたり、дьはアムール方言の動詞の終止形接尾辞、тлыдьのдьも同じ。
トナカイtunakay=тлаqи<тлы(引っ張る)+?ηai(動物)
知里の『アイヌ語獣名集』のトナカイの項にはカムチャッカの例としてKlaprothの『アジ
ア・ポリグロッタ』のdonótáh(donotah)が引用されている。Klaprothの『アジア・ポリグ
ロッタ』は村山によれば1743年にドイツ人Stellerがロパトカ岬あるいは北千島で採集し
た語彙の引用と推定している。(『北千島アイヌ語』p50ではdonotah馴鹿)
もしこれらが事実ならкуγи(к’уги khugi p122)=kurilとなる可能性がある。
すなわち、ニヴフがオホーツク文化人で、千島アイヌの母体となった道東、南千島のアイ
ヌにтлаqиトナカイと言う言葉を伝えた可能性がある(ニヴフが古コリャーク文化の
領域まで及んだという説はここでは除外し、千島アイヌとニヴフはオホーツク文化期以降
は直接の接触は無かったと仮定して)。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/11(月) 20:04:12 ID:TJnF1DcA
〜〜続き〜〜
果たして、こう言い切れるのであろうか?тлаqиが<тлы(引っ張る)+?ηai(動物)
だとすると、二次的語彙であること。ニヴフ語の「ジャコウジカ」にはop-o-kayの借用語
のみならず、御指摘のあったmeq、その他にもvoniという言葉もあるようであり、二次的
語彙しかないトナカイтлаqиよりも古くから存在する語彙と言うことができ、裏を返
せば、?ηai(動物)が単独の語彙として使用されていた時期に成立したアイヌ語op-o-kay
と比べて、тлаqиはそれだけ新しいと考えざるをえないこと(〜〜?ηai(動物)が単独
の語彙として使用されていた時期に「トナカイを意味する言葉」の借用があったのなら、
アイヌ語+ηai(動物)の形で受容された可能性がある〜〜)。さらに『北千島アイヌ語』所
載の他のКрашенинниковやDybowski、鳥居龍蔵の語彙集にもトナカイ(馴鹿)
は見当たらない点、Klaprothの『アジア・ポリグロッタ』には他にも「タライカイ(樺太)」
の方言を収録していること等を総合して、本来樺太方言に含めるべきdonotahがカムチャ
ッカ方言の項目に紛れこんでしまったのではないだろうか?
勿論op-o-kay成立時を明代、室町期に限定する必然も無く、тлаqиのアイヌ語への借
用自体が遅かっただけであり、二次的語彙と言えどもニヴフ語内に於けるтлаqиの成
立が必ずしも新しいとは限らず、オホーツク文化期にまで遡る可能性は否定はできないが。
ところで、松前島郷帳の「かれたん」とはどこを指すのであろうか?カレレ海すなわち北
知床半島一帯を指すと考えるのが順当なところなのだが、池上辞典p105には幌内川中流の
萩矢のすぐ南にKorreegaという地名がある。「おれかた」の登場と無関係なのであろうか?
少し気になるところである。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/11(月) 22:28:00 ID:Cq09Lox9
すごい良スレ!306さんもナイス!
それに較べて206さんは何も根拠出して無いね。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/11(月) 22:33:38 ID:Cq09Lox9
間違えた、206じゃなく286
339名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/11(月) 23:49:55 ID:TJnF1DcA
資料が少なく、場所も特定出来ないが、今のところ、カレレは
ニヴフ語のkанадь(白くなる)、kана(白い)p140 лур(氷)
p166で、kана+лур白い氷、流氷のオホーツク海?を指すのではと
考えている。
あるいは北知床半島自体が海抜数メートルしかない低地であることから、
海と一体になった白い氷に覆われた大地という意味でタライカ湖から東の
北知床半島一帯を指すのであろうか?
ただ、松前島郷帳の「かれたん」を考えると自信が無い。
誰か助け舟お願いします!
340名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/12(火) 03:43:27 ID:GE7Ee6vo
>>338
そうか?一理あると思うが
341名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/12(火) 09:16:24 ID:dYYdTRKs
このスレに来る人間を何となく見下してるような感じがする
342名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/12(火) 21:48:32 ID:JR2Rxm20
専門の方々におかれましては戯言とお感じでしょうが、やはり、「カレレ」「かれたん」は
難しいですね。「ワゲー」「ワカセイ」「ノッコセイ」のように里数が分かって場所や地形が
ある程度特定できる地名は、それがニヴフ語かアイヌ語で解釈できるか、いわば「当て嵌
め」の問題が主なのに比べて、まず条件を設定して凡その場所を仮定して話を進めないと
いけないから、難しさというか仮定に仮定を重ねる点ではあの「レブンライシャシ」と同
じようなものです。
ニヴフが古コリャーク文化の領域まで及んだというのはどうなのであろうか?タクサミは
消極的だが、菊池先生は積極的なようだし、仮にマガダン付近までニヴフが及んだとして
もカムチャッカ半島は周知のとおり大陸との間にペンジン湾やギジガ湾が深く入り込んで
いて、陸路では以外に遠い。チュクチにあるような帆を持った大型の皮舟でもあったのだ
ろうか?
343名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/12(火) 21:49:54 ID:JR2Rxm20
〜〜続き〜〜
それに関連して、比較的最近までウィルタは魚皮で帆を作っていたという御指摘を頂いた
ので、いろいろ調べて見ました。ウィルタ語で帆はkutuli(池上p109)というようであり、
『ウィルタ民俗文化財緊急調査報告書』の中に佐藤チヨさんの話として、ウィルタは舟
(ugda)はすべて造らず、アイヌやギリヤークから買うとの話がある点。『北千島アイヌ語』
所載のDybowskiの語彙集p176にはkaya帆があり(他にSteller、鳥居龍蔵の語彙集にもあ
る)、さらに樺太アイヌ語には同音異義語のkaya(魚皮で作った衣服)があること等から、
ウィルタ語のkutuliはニヴフ語かまたはアイヌ語からの借用の可能性が考えられる。知里
の『ユーカラの人々とその生活』には近藤重蔵の「辺要分界圖考」を基にtonto-chip(毛皮
の舟)に関する記述があり、帆を持った割と大型の舟はオホーツク海沿岸には古くから存
在していたのでしょうか?とすれば、エウェンがツングースとコリャークとの接触との結
果成立したとの説を念頭に置いても、これからはあくまで妄想だが、オホーツク海の直接
横断ならいざ知らず、狭いペンジン湾やギジガ湾なら横断は可能なのかもしれません?マ
ガダン付近から海路カムチャッカ半島へのルートも荒唐無稽とは言い切れず、何らかの影
響を与えたというのも、強ち否定出来ないような気がします。ただ個人的には今のところ
タクサミ説に賛成です。
344306:2005/04/13(水) 17:08:33 ID:rHnb+bHw
まぜっかえすわけではありませんが…。SCさんの経験談は必ずしも北部のウイルタ人には当てはまらないかもしれません。
またその場合の「舟」は船体のことでしょう。
艤装は自分達でやったのではないでしょうか。
特に丸木舟の帆は後から臨時に組み立てるものです。
ニブフ人も海岸沿いの住人はトゥミ川上流から船体のみ買っていました。
また魚皮加工技術は一般にトゥングース諸文化の方が複雑で、良質の皮地を作れます。
広い視野で見れば船自体もトゥングースの方が、
発達していた(構造船があった)わけですし。
ですから「帆」はN→Uとも言い切れません。語形もちがいますしね。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/13(水) 21:15:22 ID:gLPHB5hK
北のВалの方言は詳しく見てませんでした。確かに当該箇所は「ウィルタは舟(ugda)
はすべて造らず、アイヌやギリヤークから買う」となっており、文意からは艤装までは含
まれないようです。ウィルタ=トナカイ飼育との先入観が働いてしまい、ツングースとり
わけ池上先生のいうところのV類ナナイ、ウリチに近いという事を失念してました。ナナ
イは魚皮文化の本場でした。漁労魚皮文化より後から野生トナカイの飼育、トナカイの家
畜化が発生したわけですし、舟もそうですね。早とちりでした。訂正します。誤りばかり
ですので、助かります。今後とも御批判、御反論宜しくお願い致します。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/13(水) 23:08:18 ID:4zOROQIO
せっかくいい議論してるんだからコテハン付けてくださいよ
347名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/14(木) 04:30:51 ID:ToAEldBk
今週の水戸黄門は松前だったけど、
アイヌのことが全く出てこなかった。
「オロシアの密輸」ネタで。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/14(木) 20:46:58 ID:GT4gMjN6
水戸黄門が石狩川流域を探検させた『快風丸記事』(1688年)とういう文献があります。ネルチン
スク条約以降もロシア人はこっそり樺太の沿岸に来ていたらしいですが、密貿易まではね。むしろ、
松前藩が清と密貿易で蝦夷錦を手に入れ大奥に献上していたなんて話の方が真実味があるかも。御
三家水戸藩が蝦夷地を拝領していたら、北方の歴史は少しは違ったものになっただろう。
ケシカケられたので、服部の『樺太ギリヤークの漁撈語彙』には11月を「舟を水から引きあげる月」
mu-hici-loη、グレーンの記述ではMugiti-longと書いてあります。これはму舟、хитидь、
к‘итидьp411(川)下から運び上げる(дьは動詞の終止形接尾辞)лоη p163月だと思
われます。岡本の『窮北日誌』上巻「蒸日(北知床半島)」、下巻シュミット半島の付け根近くの湖
の側に「結眉」、さらに西海岸北部イシラヲの北に「蒸備」すなわちムシビという地名がある。この
うち「結眉」はエリザヴェータ岬を迂回せずに陸路西海岸からオハに向かう場所にあり「蒸日」と
同じような地形、「蒸備」は陸上区間が長く疑問があるが、これも西海岸から東海岸へのルート上に
あると言える。やはりムシビはこういう型の地名なのであろうか?
『カラフト原住民の旧調査資料』(昭和6年尾澤氏の調査)によると南樺太のギリヤークは8つの氏
族に分かれていて、@ケヌブン―幕末にТымь川上流のルイコフから来た「同族中最初ノ入邦者」
である由。Aアムゴーウヌ―大正10年頃北樺太から移住。Bペリオヌ―沿海州から幕末に亜港付近
に到来その後、西柵古丹、敷香に移住。Cルイブン―大正初年ペリオヌと前後して西海岸より移住。
Dアシケベン―大正7、8年頃亜港付近のアラコイから移住。Eラブルフイン―幕末にТымь川上
流のルイコフから移住。Fアヌブン―大正末年北樺太から移住。Gガブレピン―昭和初年Тымь
川河口付近から移住。また服部の『ギリヤーク』(昭和19年)によると「邦領に居住するものゝ大
部分はツイミ河を溯り、ポロナイに沿つて南下遂に多來加湾にまで達したものであると言ふ」そう
であり、明治41年の邦領に於ける人口は134人となっている。
349名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/14(木) 20:48:47 ID:GT4gMjN6
『19世紀中頃のギリヤーク資料』(北方文化研究18)の中で渡部は松浦武四郎の「安政三年野帳」
のニクフン語彙はポロナイТымь川分水嶺付近出身の「ウノリリ」から1856年6月18日東海岸
のナヨロで採録したと推定している。さらに、寛永20年(1643年)にタライカ湾を探検したオラン
ダのフリース号の調査報告にはギリヤークと思われる民族の記述はなく、『唐太島漂流記』にもタラ
イカ湾付近にはギリヤークの姿は見受けられない。他方このような事実とは相反して、ニヴフの活
動が確認できるポロナイ流域は除外して、タライカ湾から北知床半島にかけて、カラカイ(殻貝 散
江郡)、モロコム(茂呂?)、サレンガイ(佐連)、クキヲー(間宮、これは場所的に50度以北の地
点の誤りか?)等のニヴフ語らしき地名が存在する。これはどう解釈したら良いのであろうか?ニ
ヴフの南下は数次にわたり、一番最後のニヴフの南下がウィルタと樺太アイヌの抗争の結果、人口
の空白地帯となったポロナイ流域を目指す、前述のケヌブン氏族のТымь川上流付近から移住な
のであろうか?先に触れたピウスツキの採録した中に東海岸北緯50度付近のウェンナイのアイヌ
とチャモキのニヴフ?との間の破談の話があるが、これなどは正保年代(寛永20年1643年)以降
のニヴフの南下活動をモチーフの一つとしたものなのであろうか?こういう解釈が許されるなら、
カラカイ(殻貝)、サレンガイ(佐連)といった地名はその時期のニヴフの南下活動に伴って付けら
れた地名であり、もしkана-лурと関係があるなら、遅くとも「かれたん」が現れる松前島郷
帳の調査準備制作期間を考慮に入れれば、1600年代後半の命名と考えるべきなのであろうか?明会
典(万暦)、明宣宗、英宗実録の「衛」がどの程度真実を反映したものかは分からないが、少なくと
も明代中後期以降はポロナイ下流域はタライカアイヌの居住範囲であり、ニヴフの南下は東海岸沿
いになされたと見るべきであろう。その頃はポロナイТымь川分水嶺付近の北緯50度30分の線
で凡そ南北に住み分けがなされていたのかもしれない
350名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/15(金) 11:09:26 ID:S19rMpSq
長過ぎて昨日載せられなかったので、出先でUP。
1600年代後半のニヴフの南下では触れなかった「ムシピ」なのであるが、現在の子音交替には合致
せず、му+хити⇒муспиとすると(1)х〜с後舌から中舌、(2)т〜п前舌から両唇、
特に(2)についてはどうしても説明がつかない。
そこで、これから先はいつもの妄想ではなく『デンパ』なので、話半分以下だと思って頂きたい。
ニヴフ語ではvospo見つける、bospo見つかるのように自動詞と他動詞の区別が語頭の子音の違いに
よってなされている例が少数あるが、もしかしたらニヴフ語の子音交替とは日本語に於いて後から
発生した「連濁」のように意味の変化を担っていなかったのではないか?すなわち、ニヴフ語で子
音交替が起こる子音同士は本来同一の子音が分化したものではないだろうか?上記の例の自動詞と
他動詞の弁別は子音の分化が生じる過程で発生したものか?勿論それでも子音交替の規則から外れ
るмуспиの(1)と(2)、とりわけ(2)については問題が残るが(今後の言語学者の研究に
期待しているところです)。もし、このような子音の分化が生じたと仮定すると、とうてい300年前
後では無理であろう。少なくとも1000年近くの歳月が必要となるであろう。とすると、「ムシピ」
=му+хитиを維持するなら、「ムシピ」型の地名は1600年代後半どころではなく1000年少な
くとも500年は優に遡る時期に命名されたと見るのが妥当であろう。先にニヴフ語の地名解で、と
りたてて目印となるような命名をしていないのは間接的に先住を示す証拠と述べたが、この「ムシ
ピ」に関しては、そうとも言い切れ無い。「ムシピ」は前述の「蒸日(北知床半島)」、シュミット半
島の付け根近くの「結眉」、さらに西海岸北部イシラヲの北の「蒸備」、間宮林蔵の『東韃地方紀行』
の「ムシボー」(デカストリー湾の北。そこから山越えしてキジ湖を通りアムール川に到る。мухити
に集落を表すвоが接続したものか?)などがある。いづれも、ニヴフがその地に居住し、かつ移動
する際には必要不可欠な場所的知見である。換言すれば、ニヴフがその地を占拠したら真っ先に命
名すべき場所なのではないだろうか?
351名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/15(金) 11:11:08 ID:S19rMpSq
〜〜続き〜〜
もしこのような仮定が許されるなら、ニヴフの南下は幕末期、1600年代後半の二回のみではなかろ
う。それらを遡る、明宣宗実録が仮に事実の反映だとしたら、恐らく明初、元末以前にニヴフの南
下(むしろ樺太アイヌの北上と言った方がいかもしれない)を想定する必要がある。「ムシピ」が
1600年代後半の命名では無い、地名の側の間接的な証拠として、以前触れたウィルタ語では「ムシ
ピ」に該当する北舟越をmusibi(池上辞典p129。対格はmusibbee)と呼ぶ例が挙げられる。遺漏
が無い事を前提とするが、松前島郷帳に「おれかた」が出現する点と相俟って、北舟越に初めてニ
ヴフが「ムシピ」と命名したすぐ後に、未だ周知性慣用性が無い段階で、すぐさまウィルタがmusibi
と借用したというのは、やはり不自然であろう。さらに、松浦武四郎の『蝦夷闔境山川地理取調大
概図』には北舟越の辺りに「ムシヒト」という沼があり、明代中後期以降はポロナイ下流域の主要
な居住者であるタライカアイヌが、北舟越に対応するアイヌ語地名cip-e-kari-us-i(舟を、そこで、
回し、つけ ている、所 知里辞典p19)を有しているにも拘らず、後続のニヴフが1600年代後半に命名した「ムシピ」を利用して、「ムシヒト」という地名を付けるだろうか?ポロナイ下流域に於
けるニヴフと樺太アイヌの居住の先後関係は別として、むしろタライカアイヌにとって「ムシピ」
が古く周知性慣用性があるため、言わば重箱読みとして採用したものかもしれない。
となると、ニヴフの南下は少なくとも、@最下限明初元末頃、A1600年代後半、B幕末期の都合三
回を想定する必要がある。そしてこれに、ニヴフ語らしき地名を当て嵌めると、「ムシピ」は第一期、
北知床半島のその他のカラカイ(殻貝 散江郡)、サレンガイ(佐連)は第二期、ポロナイの流域「亜
屯川」、「気屯川」は第三期と命名時期を分類出来るのではなかろうか?
むしろ、ケシカケられたと言うより煽てられたので以上長々と書いてみました。
352306:2005/04/15(金) 17:23:10 ID:+vmQB2iq
ご自分で「デンパ」と書いておられるので、
ひっかかる箇所をいちいち指摘はしません。
ただ、子音交代についてひとこと。
「日本語の連濁同様意味の変化はなかったのでは」
という疑問はその通り。普通は音声的な性質の強い現象だと考えられている。
歴史的に名詞、自動詞は閉鎖音、他動詞は摩擦音が語頭にくる。
そのため名詞+名詞と名詞+他動詞で異なる変化をする。
ただし子音交代の有無は結合の強度に左右されるので、
単なる音声的なものでもないが。それからpとtの交代なんて無いんだから
muspiの語源にxicidを想定するのは無理ですよ。
mu xicidは冬季に舟を陸揚げすることであって、
「舟をつける」意ではないし。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/15(金) 18:36:51 ID:WJ7h7HMB
デンパのたれ流しは絶対イカン!
専門家スジは徹底的に批判しなくては!
354名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/15(金) 18:54:31 ID:WJ7h7HMB
306さん
学問の為にはこの際遠慮無く反論した方がいいです。
さもないと、いい加減なアイヌ厨がはびこります。
355306:2005/04/15(金) 22:41:01 ID:+vmQB2iq
そんなこといわれても…。
私は歴史の専門家じゃないですし。
でも歴史のひとには専門家でも半分デンパっぽいのいますからね。
史料に出てこなければなかったことにすぐしちゃうし。
クマ送りの成立年代をシャクシャイン戦争まで下らせるとか。
論理的な問題は誰でもつっこめばいい。
資料引用にびびってないでさ。
あ、そういえばニブフ語地名の語尾によくある「to」ですが、
そもそも「岸」を示す語基だという指摘があります。
辞書にはtu「湖」しかないかもしれません。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/16(土) 11:17:54 ID:lx3zuYPQ
渡部先生が、どこかで自動詞と他動詞の区別が語頭の子音の違いによってなされている例が少数あ
ると書いておられたので、その反対解釈で「多くない」のなら、子音の交替は目的語の一部を格接
辞に代わって標示する程度しか意味がなく「連濁(因みに今上天皇のお言葉には連濁が目立ちます)」
と同じだと思い、いろいろ調べてみると、アウステルリッツ先生が摩擦音は破裂音から発生し、再
構形としてp、t、k、b、d、gを挙げておられました。そして、妄想ではなく『デンパ』の部分なの
ですが、前にму+хити説は無いと言われただけで、理由のご説明が無かったものですから、
自分なりに成立しない理由を考えてみました。やはり子音交替に合致しないこと、アウステルリッ
ツの再構形にも当て嵌まらないこと、mu xicidに「舟を付ける」意味が無いのは分かりませんでし
た。
ニヴフ語「to」が「岸」を表わす語基だとすると、「ムシヒト」が古くからある地名なら、муспи
(現在では岸の意)+「to」との可能性があるが、これでは「岸」+「岸」になってしまう。これを
回避する為には(му)спиの原義を探る必要があるが、これはどのような意味であったのであ
ろうか?この問題が解決できれば、「ムシヒト」はニヴフ先住説の証拠の一つになります。また子音
分化はいつ頃生じたのでしょうか?アウステルリッツは言語接触を考えているようですが、可能性
があるのは、ツングース諸語とコリャーク語あたりでしょうか?アイヌ語の場合はむしろニヴフ語
の影響で、タライカ方言及び他の樺太方言の一部でもr→tあるいはrがtに近い音色になったとい
うべきでしょうか?オホーツク文化を靺鞨と結びつける説があることから、前者の可能性があり、
その時期とは凡そ1000年程度前のオホーツク文化期と考えてよいのでしょうか?
次にこちらは、『デンパ』では無く妄想なのですが、ニヴフの南下が少なくとも@最下限明初元末頃、
A1600年代後半、B幕末期の都合三回想定したのは、Bに関しては『カラフト原住民の旧調査資料』、
そしてこれを絶対的な基準点において以下推論して行きました。

357名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/16(土) 11:21:00 ID:lx3zuYPQ
〜〜続き〜〜
従って、この『カラフト原住民の旧調査資料』が誤りであれば、ここでの論述は破綻することにな
ります。Aはピウスツキ採録の説話。及び松浦武四郎の『竹四郎廻浦日記』下巻p194〜「ハッテ岬
(バッテキシュマ岬?)とカレ岬(カレレと関係があるのか?)との間にムリリと申候処有」ムリ
リの元住人のシリクンナの話としてムリリには昔は人家が多くあったが、近年は1軒のみなり生活
が困難になった為、一昨年四月シリマオカ(タライカ地方)経て、タライカ、ヲロッコとは風俗が
違うので(?)ナヨロの近くのウツナイで、ニクブンに合流した。「ムリリよりヤレ(カレか?)の
岬を廻して東浦も土人家むかしより有しが、皆ニクフン様のもの多かりし也」。またナヨロのウノリ
リ(ニヴフ)からの情報としてルモウ川(Тымь川)より南、正確に北から南へと並んでいるか
は分からないが、ロモウ、タモウ、メンクワ、カラマイ、ムリー、トロシー、ヘンロ、シヤムツー、
ヘヱコタン(wen-nayか?)、サイ、バアヲ、タアケー、シツコタン、ラアガレという所がある。こ
の情報によると「カレ」はどうやらバッテキシュマ岬より北にあり、タライカとは風俗が違うとい
うのは難点だが、どうやら、その辺りにも「樺太アイヌ」が居住していたようで、年々ニヴフが南
下して来た様子が伺える。「タライカとは風俗が違う」点は、こう解釈している。ピウスツキ採録の
説話の中で、主人公の話として、aynu kotan kayki an kusu〜〜〜tanpe an (h)i aynu unike onne yan etunne.
アイヌの集落もあるから、(同族と共同して暮らせるが、結婚を断ったとういうちょっとした因縁が
あるので)そういうことがあってアイヌが住む所へ上陸するのを嫌がったという部分があることか
ら、狭義の「タライカアイヌ」と北知床半島付近に住む「樺太アイヌ」との間では何らかのトラブ
ル乃至習慣の違いがあったのでは?以上の事実から「かれたん」の登場、民話の伝承期間の限界な
どを総合して1600年代後半という時期を推定しました。@に関しては明宣宗実録の衛設置の記録で
す。地名分類に関して、ご指摘があったニヴフ語「to」を考えると「ムシヒト」自体も遡り、それ以
外のA期(1600年代後半)命名地名カラカイ、サレンガイについても@期に遡らせる必要があるか
もしれません。
358306:2005/04/16(土) 22:28:18 ID:r4G/Vu9r
ニブフ人の「南下」に関しては、
おおまかには「妄想」などではなく、妥当な推論であり、研究者の見解もだいたいそんなものだと思いますよ。
ただ基本的な問題として、それだと
史料の数だけの回次南下したことになってしまう。
ニブフ人の生活形態からみると幕末以降継続的にシスカ近辺に移住している。
ウイルタ人や「サンタン人」との婚姻関係を持つ氏族は、
ケヌブンより古くからシスカに来ていたでしょうし、
アイヌ人との婚姻伝承のある氏族はさらに古くから南部に来ていたかもしれない。
これらを裏付けるには史料が不十分で、何回とはいえないでしょう。
むしろ継続的にタライカあたりに婚姻関係があったとみるべきでしょう。
アイヌ=ウイルタ戦争による空白域にニブフ進出という解釈もあやうい。
歴史を語る方は、ニブフVSアイヌという伝承は無視している。
ニブフの一部がウイルタ化していたことも軽視し、
三者が全く別の集団であったかのように語る。
常に橋渡しをする小集団がいたのだし、
昔話はそういう部分は故意に省いて劇的に語ることもある。
歴史のひとは「戦い史観」が好きですよね。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/16(土) 22:29:54 ID:k0dzApP0
感想
前提条件を仮定し、一応の証拠に基づいて
推論しているので、論理的ではある。
360306:2005/04/16(土) 22:41:14 ID:r4G/Vu9r
さてmuspiは水から来て舟をつける岸。
toは抽出された語基なので原義ははっきりしませんが
地形的特徴(低地)を表すと考えるようです。
私説ではke「海」の対比概念だと思いますが。
いずれにしてもmuspi-toの構成から
「ニブフ語ではない」と推論する必要はないかと。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/16(土) 23:39:37 ID:lx3zuYPQ
「ムシヒト」=ニヴフ語のmuspi-toなら、恐らく古くからの地名なのでしょう。遡らせて正解でした。
仰せの通り、確かに限られた資料だけですし厳密には回数なんて分からないです。北樺太西海岸に
於ける混住や交易、広域移動など考えると「北方民族の中原への南下」みたいな話では決してあり
ません。今手元にある資料をざっと見ただけですが、たとえば山本の『北方自然民族民話集成』の
中の「27アイヌの祭文海馬に化ける(上村氏口述)」ようにアイヌやオロッコ、サンダー、そして
それら同士が姻戚関係を結んでいるなど、我々が定義しがちな「民族」とはちょっと違うのは確か
です。また『竹四郎廻浦日記』の中のムリリの元住人で樺太アイヌと思われるシリクンナの話もこ
のような文脈の中で理解すべきものなのかもしれません。ただ、それでは各個人の家族史は記述で
きても、「歴史」は描くことは出来ません。それで「妄想」と前置して、資料に現れることだけで判
断して大胆に記述してみました。アイヌとウィルタの戦いは原因、経過、結末と一応のストーリー
が出来ていてどうしても注目されがちですし、原文で読んでも臨場感のあるものです。アイヌとニ
ヴフとの争いも目立ちはしませんが、ありますね。上述書の「26アイヌの祭文」なども争いをモ
チーフとしたもののうちの一つかもしれません。また「空白域」に関連して、どうしてもよく分か
らないのが、ポロナイ中流域からТымь川源流部にかけての地域です。ここは余り資料が無い。
これは冗談なのですが、「歴史」を組み立てる上では、ウィルタがもたらした「空白域」というのは、
その場所の記述を省けるという点では好都合なのかもしれません。それが、いわゆるタライカ戦争
を採り上げる原因の一つなのかもしれません。
362名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/18(月) 20:03:09 ID:3dYHbv2G
306さんにはいつも本当に丁寧にお答え戴いて、感謝しております。それに引き換え、

>>315 :286:2005/04/06(水) 20:52:48
文献のデーターにおける扱いに難があります。
また、アイヌ語地名に関して、少々疑問があります。
理由を記載しようと思ったのですが、批判をするなとの事でしたので。

自己満足で安心していたいのなら、それで良いのでは。

もし、文献で発表するのでしたら、そのときは、指摘したいと思います。

未だに、何故、putの所属形が存在しない積極的な理由を書いておられません。
やはり、このスレに来て議論している人達をどことなく見下しているのでしょうか?
たとえば、文献で発表された『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要第10号』
p41には平賀ヤヤシkutune shirkaに関して、恐らく、『久保寺逸彦ノートU』(北海道教
育委員会刊行)p2の「このような言葉の使い方はヤヤシだけでなく、伝承者が女性の場合
にしばしば見られる」という記述を基に女性伝承説を採られているが、一方『アイヌ民族
誌』(1969年)p760久保寺「アイヌ文学」では、虎杖丸沙流ヤヤシ翁伝承のもの7,394句
となっています。また、『アイヌ文化誌ノート』(吉川弘文館2001年)には紙面の関係か?
余り考証がなされずに通り一遍の「ポンルルカ」での地名解がなされています。
たとえ2chのスレでも自信が無い点や不確かな箇所は素人の私でも「仮定」、「妄想」なり
「デンパ」と明記して誤解の無いよう注意を喚起しているつもりなのですが。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/18(月) 20:10:41 ID:wKKqNkOF
学術的根拠ある展開からならわかる。 適当に立ち上げたスレタイでも2ch以外のネットの情報や本の紹介が必要だね!
364名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/18(月) 21:47:56 ID:3dYHbv2G
追加
モトアンレク翁記述KUTUNE SIRKA(1965年門別町郷土史研究会)p4
ヤヤシノアシ=サンロカ♂ H2家系
KUTUNE SIRKAはワカルパ、イメカヌ、ヤヤシアシ、モトアンレク、エテノア五名の伝
承が残されているが、公刊されていない平賀エテノア媼以外は一応すべて原文で読みました。
新しいネタで、樺太ライチシカ方言とすぐ南の小田洲方言との主格対格抱合人称接辞の違
いなどを今調査中です。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/19(火) 15:07:30 ID:PjErxtHH
黒人スレみたいにここにもソースを示さない
書き逃げエセ専門家もいるんだね。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/21(木) 03:22:37 ID:PSs6D4xM
ニブヒ⇒ウイルタ⇒アイヌの順で樺太に住み着いたのですか?
367鬼怒川けんじ後援会事務所 ◆XLCu1iEakU :2005/04/21(木) 03:23:59 ID:IyHhfxc9
368名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/21(木) 03:34:08 ID:0GwsoYdU
妄想デムパ小僧粘着が立ち上げてるからです。

ソースは無いぞ
369名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/21(木) 14:12:30 ID:PSs6D4xM
アイヌ語・日本語で解釈しにくい地名(おそらくかつて存在した言語の地名)はどのくらいあるの?
石狩や十勝は怪しい。
(同じ地名が、少数である地名がそうか。)
370名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/21(木) 21:43:15 ID:iPICSZbY
よく書き込みしてる人達が来ないと、他の地理人類学スレと同じレベルになるね。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/22(金) 02:38:46 ID:FWvGHIHJ
Iskar 石狩
Tokapci 十勝
Apasir 網走
Akan 阿寒
Tesew 天塩
Sorapci 空知
372名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/22(金) 14:12:44 ID:TNi4IsSf
>>371

語源不明>コロボックル語?
373名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 02:05:19 ID:4/XdD+f8
日本語の地名だって全部語源がわかってるわけじゃない
374名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 09:23:15 ID:sSLvT9Z5
元も子もないこと言うと、「アイヌ語」の定義自体難しいだろ。
しかも、いつの時代に付けられた地名かもわからないんだし。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 17:31:03 ID:CJ0WoELT
アイヌ語の「地名」と言っても、コタンは農村=定住集落じゃないから、
そんなに古い地名は無いのでは?(松前藩によって強制移住もあったし)
376名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/24(日) 21:10:06 ID:dy/fFUKu
>>371
表記がトルコ語っぽいな
377名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/25(月) 13:24:25 ID:vi20ud1x
Tomariはアイヌ語?日本語?
378名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/26(火) 16:53:18 ID://ARm7yi
>>377
日本語からの借用語
379名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/29(金) 01:35:07 ID:mE5SxjWO
「コタン」のつく地名は本州には残っていないの?

マタギ言葉にアイヌ語があるというのは本当?
本当ならば、マタギは数世紀前まではアイヌ語話者だったってこと?
380名無しさん@お腹いっぱい。:2005/04/29(金) 09:56:06 ID:o3g4itAQ
信濃はアイヌ語
381名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/06(金) 20:18:46 ID:lqoDWPir
『信濃毎日新聞』2005年4月22日(金曜)


北朝鮮への経済制裁反対の声明

岡谷に事務局の組織

 北朝鮮の拉致事件について交渉による解決を求めて活動している「コリア
日本二億人国際共同署名行動」事務局(岡谷市の毛利正道弁護士)は二十一
日、「経済制裁ではなく対話による真相究明を求める声明」を、小泉純一郎
首相と町村信孝外相あてに送った。ホームページ上で募った全国の賛同者五
百四十一人の名簿やメッセージを添えた。
 声明では、制裁発動は交渉の窓口を絶つだけでなく、北朝鮮の一般民衆を
苦しめるなど解決には逆効果――と主張。毛利弁護士は「制裁反対の声があ
ることをきちんと示していきたい」と話している。
 「コリア日本」は二〇〇三年六月、拉致事件の交渉による解決を求める署
名を開始。昨年二月には全国三千二百二十六人分の署名を日本、米国、韓
国、北朝鮮の四政府に送った。

…………………………

http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/seisaino.html
経済制裁でなく、対話による真相究明を求める声明」賛同署名のお願い
転送・転載大歓迎
382名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/10(火) 01:04:45 ID:PS+FRE1K
古事記などに再録されたアイヌ語の語彙がありますか?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 00:15:00 ID:zfjZEk1I
アイヌ文化は12世紀以後。古事記が編纂された頃はまだアイヌ文化など存在しない。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 08:59:02 ID:YfVaOFYW
>>383
言語と民族を混同するなよ。
アイヌ語、もしくはその祖語は存在しただろう。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 10:10:34 ID:jGhe9ZPH
文化が存在しない時代の物は、アイヌ語とは呼べないでしょ。
祖語云々になると、全く別の話だと思うし。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 20:37:27 ID:pWTs9YEC
tani urura-kani( cf kampirurakani) keraykusu oya mosiri naa usa(=wooya’an) an pe
an=eyaycaakasno neekusu ene an caranke=an easkay. tutaano(=tutanuno) an re kampi
nukara wa en=konte!
中村小市郎『唐太雑記』には白主の村長リクカの口述として北知床半島以北の「ウイ(ウ
ノ)」に弁財船が漂着した話(宝暦12年の漂着事件か)がある。さらに松浦武四郎の『野
帳』には「ウ子と申処の者ニ而、死絶一人残り、三年ロモウ(Тымь川流域)へ行候由
 其ウ子はシレトコ(北知床半島)とシンノシレトコの間に有之候由」同じく野帳には「カ
レ シンノシレトコの山の由」という聞書きがあり、『竹四郎廻浦日記』にも「ハッテ岬(バ
ッテキシュマ岬?)とカレ岬との間にムリリと申候処有」ムリリの元住人のシリクンナか
らの聞書きもある。ここでいう「ウイ(ウノ)」や「シンノシレトコ」は何処を指すのであ
ろうか?「ウイ(ウノ)」は『唐太島漂流記』の行程日数や岡本の『窮北日誌』の行程日数、
現在の地名との対比を考えると、『窮北日誌』の五月二十三日の条 植子谷(北緯50度線
付近のウェンコタン)同五月二十八日の条 鵞柴(ガシバ岬、ルイムニク岬?)の間の約
北緯50度30分の現在のPogranichnoye付近の比較的平地の続く海岸線と思われる(ただ、
ピウスツキがТымь川河口のすぐ北に位置するToris’a(ウィルタの村)のアイヌ語名
をUneyとしており、『からふと嶋奥地見分仕候趣奉申上候書付』には「ナッコより六日路
も奥之方江罷越候得ば東海岸ヌヱフトと申所江出候由」とあり、НыйвоあるいはНый
湾を指すと思われる「ヌヱフト(またはヌイフト)「フト」はアイヌ語のputuか?」の存
在を考えると、他にも候補があるにはあるが)。そしてこのPogranichnoyeに注ぐ川は、幌
内川の一大支流である武意加川の源流部と分水嶺をなしている。野帳の「カレ シンノシ
レトコの山の由」「其ウ子はシレトコ(北知床半島)とシンノシレトコの間」という聞書き
が誤りではないと仮定するなら(勿論「カレ」の方向にある手前に見える山の可能性も大
いにあるが)、「シンノシレトコ」とは、やはり現在のPogranichnoyeの北のガシバ岬(北
緯50度30分のルイムニク岬?)の樺太アイヌ側の命名地名なのでは?
387名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 20:38:33 ID:pWTs9YEC
〜〜続き〜〜
そして野帳で言うところの「カレ」が山とするなら(恐らく、広義の「カレ」地方にある
高い山の意味か?「かれたん(カレの集落ニヴフ語χotoη アイヌ語kotan?)」、「カレレ」
海はどう分析していいか分からない。ニヴフ語のkанадь(白くなる)、kана(白い)p140
лур(氷) p166で、kана+лур白い氷、流氷のオホーツク海?を指すというのもあくま
で推論の一つだが)敷香岳とほぼ同じ位の標高の幌内川源流に位置するロシア名ネベルス
コイ山という事になろうか?「ウイ(ウノ)」や「シンノシレトコ」がこの付近なら山を越
えれば幌内川Тымь川分水嶺であり、「三年ロモウへ行候由」という記述も不思議ではな
い。ただ、「シンノシレトコ」という地名はムリリの元住人のシリクンナの話と関連して新
たな問題を提起する。正保図には松前藩の知見の及んだ樺太東海岸の最北端として「ウヱ
ンコタン(植子谷)」があり、「シンノシレトコ」はその「ウヱンコタン」より緯度にして
約30分程北に位置していること、また「シンノシレトコ」その名のとおり本当の大地の先
端という意味で、「シレトコ(北知床半島)」よりは後から命名された可能性があり(勿論
「シンノ」は元のという意味もあり、必ずしも後からの命名とは限らないが、ただ典型的
な「シレトコ」である北知床半島を差し置いて樺太アイヌの居住範囲の縮小に伴って「シ
レトコ」が北から南に移動したというのはやはり不自然な気がする)、正保図当時より樺太
アイヌの知見あるいは居住が拡大した可能性を示している。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 20:53:04 ID:QMNnS81G
充電完了復活ですか!
389名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 21:09:18 ID:pWTs9YEC
〜〜続き〜〜
ピウスツキの採録した中にウェンナイのアイヌとチャモキ(東海岸北緯50度50分付近)
のニヴフ?との間の破談の話などを総合すると、ムリリには昔は人家が多くあったが、近
年は1軒のみになり生活が困難になった為、一昨年四月シリマオカ(タライカ地方)経て、
タライカ、ヲロッコとは風俗が違うので(?)ナヨロの近くのウツナイで、ニクブンに合
流したというシリクンナの話は、樺太アイヌと思われるシリクンナの出自は元々ニヴフで、
樺太アイヌの「ウイ(ウノ)」や「シンノシレトコ」への拡大自体は何時の出来事かは分か
らないが(因みに、正保図の樺太東海岸の最北端は「ウヱンコタン」、松前島郷帳では「う
へこたん」と「せうや(北知床半島の付根のオホーツク海側の長磯付近か?)」「しろいと
ころ(北知床半島)」の間に「かれたん」が記載されてはいることから「佐連(サレンガイ?)」
との関係?も考えられるが、「カレ」自体はかなり広範囲を指す地名なのであろう。)、その
拡大につれてその近辺のニヴフが樺太アイヌに吸収されて合流し、今度は樺太アイヌの方
が減少した為、ニヴフに再合流した可能性(すなわち X民族?→ニヴフ→樺太アイヌ→
ニヴフ)を、もしかしたら物語っているのではないだろうか?「タライカ戦争」伝説には
登場しないが、ウィルタが焼き払う前には幌内川、武意加川流域にも幾つかの集落やその
集落を通って幌内川支流武意加川を遡り分水嶺を越えてPogranichnoyeに注ぐ幾つかの川
を下って「ウイ(ウノ)」、「シンノシレトコ」に行くルートがあったのであろうか?こう考
えれば「(タライカ湾岸の狭義の)タライカ、ヲロッコとは風俗が違う」というのも納得が
いく。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/11(水) 23:12:40 ID:AqgqXNa+
>>382
出典は忘れたけど「邑良志別(おらしべつ)」なんかは北海道の「ウラシベツ Uraspet」と同じだね
「姉刀(あねと)」はane(細長い)to(沼・湖)だし
他にも詳しく調べればたくさんあるよ
391名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/12(木) 23:05:48 ID:4KTTvd0p
>>390
>北海道の「ウラシベツ Uraspet」と同じだね

uraspetは、北海道ではあまり見ない地名ですが、どこの地名ですか
392名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 04:23:25 ID:7VeeWXm1
浦士別
393名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 07:03:12 ID:jsspVfvS
山田秀三「北海道の地名」では、浦志別はuraspetとは解釈していません。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 08:26:16 ID:kmiK5VB3
アイヌ語なら、ウラシベツは「笹の川」か、「梁のある川」になるな。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 11:51:59 ID:7VeeWXm1
>>393
おや、そうですか。
勘違いしたかな。
396391:2005/05/13(金) 21:52:02 ID:wp8HnrpD
uraspetなる地名の存在を、北海道においては、知りません。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 22:44:13 ID:hYWefUGj
北海道東部、斜里町と網走市の間にある潟湖、トウフツ湖に注ぐ川に、
「浦士別川」がある。

398名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 22:54:53 ID:uJe7Nf4M
ニヴフ語で泉はmeχ(敷香方言)アムール方言 мы(タクサミ辞典p200) исток реки
尚эри мыин  у исток реки
アイヌ語mem(-i) 泉池、古い小川(知里辞典p59)
mena上流の細い枝川、たまり水(知里辞典p59)
mena小川、泉池<mem-nay?湧泉池の川(山田『アイヌ語地名の研究T』p324 知里説)
アイヌ語memはニヴフ語meχの借用なのであろうか?menaは切替先生が構造のつかめない地名
として挙げておられたものでmem、menaの分布がオホーツク文化の及んだ地域に限られるのなら、
ニヴフオホーツク文化人説の証拠となるのだが、山田先生の『アイヌ語地名の研究T』p331による
と予想に反して、北東北から北海道南部に集中した地名で、オホーツク文化の領域では根室地方に
「トツカマコロ・メナ」「ルサ・メナ」「メナ」があるとのこと。
逆にアイヌ語からニヴフ語への借用語なのか?
北海道の中央部で空白域があり、他方исток рекиは極めて原義に近いと考えられ、また
アムール方言まで мыという形で入っている点を考えると中々一筋縄では行かない。
いろいろ探しても、たかだか千年足らず前の地名上のニヴフオホーツク文化人説の証拠が発見でき
ないことからすると、菊池先生のニヴフ=オホーツク文化人説というのはその前提が誤っているの
かも?第三の民族を候補に挙げるべきか?
399名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/13(金) 23:03:56 ID:7leqBCIE
>>397
知里真志保「斜里郡内アイヌ語地名解」では、これをuray-us-petと解釈しています。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/14(土) 00:46:07 ID:3r3/sOth
ウライ(梁)がある川、か。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/14(土) 18:26:50 ID:A4lNmaV6
追加
知里辞典p59にはmetot(i)山奥、深山幽谷metot-so山の猟場、山奥
metok、metot山奥『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集』
metotco山の端、深山幽谷 kimun metotco山々の尾根『アイヌ語旭川方言資料集成1』p370
etok位置名詞 〜の水源地(田村辞典p132)
とすると、metok(metot)<mem-etok? なのであろうか?
仮にmetok(metot)がmemと同源であるとするなら、mena小川、泉池<mem-nay?湧泉池の川
(山田『アイヌ語地名の研究T』p324 知里説)と考え合わせると、アイヌ語mem(-i)は、そこが
水源となっている川の一部分を指すことになる。
そして、これはニヴフ語アムール方言 мы(タクサミ辞典p200) исток реки 
cf эри мыин  у исток рекиに極めて近い意味となる。
mena<mem-nayやmetok<mem-etokといった合成語の方が通常古形を残す点からすると、memよ
りニヴフ語アムール方言мы(my)の方がもしかしたら本来の形に近いのかもしれない。
meχ(敷香方言)はmyにχが付加して、「そこが水源となっている川の一部分」の意味から、段々
と「泉」という意味に限定して使用されるようになったのであろうか?
勿論、ニヴフ語内での詳しい調査が必要であるが、仮にこれが事実とするなら、mem、menaが北東北
まで分布している点を考慮すると、極めて古い借用であり、ニヴフとアイヌとの接触の古さを浮か
び上がらせるばかりではなく、いろいろと新たな問題を提起することになる。
識者の御提言を期待したい。
402391:2005/05/15(日) 08:15:24 ID:am7B1nsR
>>390

邑良志別は、地名ではなく人名のようですね。

遠流志別(ヲルシベチ)石神社と関連して、
霊亀元年紀の「夷酋名(現在はこのような書き方はまずいのですが、当時のままの記載)」の
邑良志別君宇蘇弥奈が注目されているようですね。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/18(水) 14:43:49 ID:WLm2UBAH
>>390
>ane(細長い)to(沼・湖)だし

ane-toとtanne-toの違いを具体的に教えて下さい。
 大きさが異なるのでしょうか。幅のちがいですか。それとも、他になにか
基準があるのでしょうか。
北海道における、ane-toの例は、どこにあるのか教えて下さい。
 tanne-toは、数例を知っているのですが、ane-toは未知の地名です。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/23(月) 13:49:48 ID:TEkevWxK
>>390
 北海道におけるアイヌ語地名で、概念規定ができていないものを
古代に適応するのは、単なる語呂合わせになるおそれがあるので
はないでしょうか。

 現時点では、北海道におけるアイヌ語地名は、未解明なことが多く
このような状況で、未確定の地名を他の地域で推定する作業は危険
性が高いのではと恐れます。
405名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 04:36:35 ID:tz5eCW57
山田秀三の東北アイヌ語地名の研究ではどうなってたっけね
406名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 08:05:52 ID:pgTw+Q9k
>>405

 ご存じのように、まず北海道での調査の結果から、確定した地名について
東北においいて現地確認し、東北のアイヌ語地名を確定しています。

 このため、東北にだけあり、北海道にはないアイヌ語地名などのような
ものについての記載はありません。

 また、古代についての記載とアイヌ語地名との関係は、「ロマン」である
として、確定した物とは別なものとして注意深く記載しています。

 北海道以外のアイヌ語地名については、まず「北海道のアイヌ語地名」の確定が
必要です。
 S氏は「北海道のアイヌ語地名のデーターペース」を作成し、現在時点で4冊
発刊していますが、これは、全北海道のアイヌ語地名を調査しその結果を持って
北海道外のアイヌ語地名を調査する予定だからです。
 このような姿勢であれば、敬意をもって賛意を表するものです。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 11:09:53 ID:I+lLO/sZ
 山田秀三「東北・アイヌ語地名の研究」の前文p.8には「北海道や東北北部の
はっきりしたアイヌ語地名から、それをたどってだんだん南にさがってそこまで
行きつけないかと調べだした。」とあります。

 山田氏は「はっきりしたアイヌ語地名」で調査していて、uraypetやanetoの
ような、どこにあるのか不明な地名で調査しているわけではないようです。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/24(火) 13:46:27 ID:lzOLR23+
>407
訂正 uraypet→uraspet
409名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 05:10:26 ID:DIeTRVoX
410名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 11:15:23 ID:qHpK/vCs
o-sirar-(un)-pet
antar?
411名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 13:49:09 ID:m3zPJTf4
>410
「邑良志別(おらしべつ)」から、uraspetを推定するのは、あまり・・・・・。
 osirarを通常は推定するのが、アイヌ語地名に通暁していれば当然。
でも、このことをできるのは5人前後、で、インターネットを使用している
方は・・・・。
 とすると、410さんは、・・・・・・。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 21:06:32 ID:+qcTtIiv
>>411
>osirarを通常は推定するのが、アイヌ語地名に通暁していれば当然

これを、当然って言うのもどうかと思うけどね。
詳細な場所を特定できる地名でもないんだし。
それこそ「語呂合わせ」だと思うよ。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 22:28:25 ID:bcye/2hF
批判は誰でも、できるから、
何か試案を出したら?
414名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/25(水) 22:51:44 ID:D2m/qGug
>412

へー、びっくり。まともな人もいるんですね。
このようなことが理解できる人なら、相当な実力がありそうですね。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/26(木) 20:47:05 ID:VeSyVL3H
「まとも」じゃない見解を! S氏の『データベースアイヌ語地名』(北海道出版企画セン
ター)は、『「北方四島」のアイヌ語地名ノート』を同じ出版社から出されていることから、
第一巻の後志からはじめてアイヌの居住が確実な南千島、さらには南樺太まで刊行される
のであろうか?北海道方言に含まれるとされる南千島を扱った『「北方四島」のアイヌ語地
名ノート』の参考文献の中には平成4年3月刊行の『久保寺辞典稿』のみならず、10年以
上前に公刊市販されている『北千島アイヌ語』や、村崎先生の『カラフトアイヌ語』が挙
げられていないのは、北海道方言に属するとは言え北海道本島以外を対象にするにしては、
隣接方言への配慮が少し欠け残念なような気がします(たとえば、『アイヌ語入門』p153
によるとtanne <tar-neなのだそうだから、少なくとも語源に関して見解が出されている
語彙については、アイヌ語方言辞典はもとより、分布や原義を探る上でも、北千島や樺太
方言の言語資料は参照すべきなのでは?)。また羽田野氏の『アイヌ語地名の史料における
出現頻度』(北方文化研究20号1989年北大)のp21の「第2表アイヌ語地名頻度一覧」
順位1ポロナイ、2オンネナイ、3ルペシペ、4チャラセナイ……のように専ら地名の外
形的類似性を基に統計的に扱うのにくらべ、『データベースアイヌ語地名』は、確かに類例
を調べると言う点では極めて有効ですが、採集段階での解釈の揺れの問題は完全には排除
出来ません。さらに地名の特定の問題に関して、「十勝」のような北海道でも、大地名の場
合は複数の地名解が存在し、山田先生が提唱された北東北のアイヌ語地名圏内の例と比較
しても、それは「絞込みの程度の問題」に過ぎず、他方「天塩」のように複数の地名解が
存在する場合でも、先生御自身が一応の見解なり、提言をなされています。一般論ではあ
りますが、たとえ「ゼロ解」ではあっても、複数の成り立ちうる「別解」を挙げて検討を
加え、しかる後に「ゼロ解」を出すというのが、学問的に真摯な態度と言えましょう。南
限や北限を探求する際には、どうしても、条件設定なり仮定が介在せざるを得ません。そ
れを否定するのは学問の進歩、深化を放棄した安逸な姿勢にほかなりません。「学術は出版
(=見解の発表)によって広まり、かつ深まる」と考えるべきでしょう。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/26(木) 20:48:24 ID:VeSyVL3H
因みに話題の邑良志別ですが、個人的には『アイヌ語入門』p177の余市の例のように日本
語で表記する際に音位転倒が起こったものではと考えています。また類例が無いというだ
けで、理由を探求せず、そこから先の思考を止めてしまうのでは、何ら図書館司書と変わ
らないので、敢えて妄想すると。tanne <tar-neとaneの違いは、もしかしたら長い、細
長いと言ったレベルにとどまらず、後者がane-sar細長い葭(原)、ane-cikuni細い木の例
からすると直線的な細長さを表わすのに対し、前者はtannekamuy(蛇)やtarに由来する
語源説が仮に正しいとすると、あるいは後世tar語源説が発生したのに伴い意味分化が生じ
たというのが正しいのか定かではないが、tanneとは曲線を含む長さを表わすものなのかも
しれない。竹四郎廻浦日記にはtanneと思われる例、タン子ス(同上p601内淵付近)、タ
ン子ホマナイ(同上p638馬群潭付近)。aneと思われる例、アヌン子ナイボ(同下p252
真岡付近 姉苗)、ア子セトク(同下p283敷香付近)があり、一瞥しただけではあるが、
もしかしたら姉苗は孤例で、やや疑問があるものの(北海道の例としての姉別川ane-pet
(根室浜中町、十勝池田町)を援用することが許されるのなら)、少なくとも樺太に関して
はnayにはtanneとaneの両型が付くようだ。とすると川は直線的なものや、曲線的なものが
ありうるが、沼や湖となると形状的に直線的なものと言うのは稀なのではないだろうか?
最後に、タクサミ博士の『アイヌ民族の歴史と文化(翻訳書 改題)』の訳者あとがきの中
での「彼(タクサミ博士)は研究者には厳しい。特に〜〜採録資料が整理されずに死蔵さ
れているのを嫌う。〜〜」という言葉で締め括りたいと思います。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/26(木) 23:47:20 ID:doOh7G4F
>416

蛇のように、くねくねした曲線のtannetpを教えて下さい。

これは、批判ではなく、単純な知りたいだけの質問です。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/26(木) 23:51:24 ID:doOh7G4F
訂正
tannetop→tanneto

を教えて下さい→の例はどこにあるのか教えて下さい

申しわけありません。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/26(木) 23:53:02 ID:UVNncmoc
白河の関のある白河市って
東洋経済の都市データパックの市名の由来のところに

アイヌ語のシラガー(自分の陣地)の転訛説があるって書いてあるんだが、
どなたか解説してもらえないだろうか?
420名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 10:40:42 ID:nRKnLYre
多分幽霊アイヌ語でしょう。

接頭辞si-が名詞について「自分の〜」という用法で使われるケースは限られてるから
地名では「大きな、真の」という同音異義語(アクセントは違う)で解釈するのが普通でしょう

で、rakaが陣地???
こんな単語見たことありますかみなさん
421名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 14:35:08 ID:MRhk/W/1
tanne-toは、複数箇所知っていますが、直線的な沼です。
tanne-nutapを、複数箇所確認しましたが、通常のΩ形と異なり、U字形でした。

これは、批判ではなく、単純に事実を記載しただけのものです。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 17:23:45 ID:vBKoFKEs
>>415
>羽田野氏の『アイヌ語地名の史料における 出現頻度』(北方文化研究20号1989年北大)のp21の「第2表アイヌ語地名頻度一覧」

データーの元になった文献名を見落としていませんか。その文献で問題はないのでしょうか。

 これは批判ではありません。単なる老婆心からです。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 18:41:00 ID:+u7xbeWk
>>418.421
tanne-toは山田先生によれば、根室市東南のタンネ沼、北広島市隣の長沼町(埋立消滅)
があるそうです。tanneとは前述のように「曲線を含む長さ」を表わすのであって、クネク
ネだけでなく、直線的及び曲線的なものを含む長い形状です。例外となる「小腸」は内臓
を意味する一次的語彙kankanやtuyを専らruweとaneの対比を借用した関係で構成さ
れた二次的語彙に過ぎない(5m以上ある形状に着目するなら、むしろ長い腸とした方が
自然。萱野氏の地元のkankanはその曲がりくねった沢の状況から「大腸」ではなく「小
腸」と形容した方が妥当であるのに、ane-kankanとはならない点など)と考えて「敢えて
妄想」とした訳ですが、もしかしたらこの想定自体が誤っているかもしれません。
>>419
「白河」はちょっと分からないです。
>>422
「採集段階での解釈の揺れの問題」と言う表現は、主として意味内容を探索するのではな
く「外形的類似性を基に統計的に扱う」即ち純粋に数的に処理することと、対照的に主と
して数的に処理するのではなく解釈、意味探求が中心であり、『データベース』にその解釈
を示す点に於いて、如何してもそこに主観が介在せざるを得ないと言う意味です。

タン子ホマナイ(同上p638馬群潭付近、野帳も同一表記)の補足
tanne-h(<p)-oma- nayの可能性も考えられるが、-hに母音が後接すると-pと発音されるこ
と、仮に「ホ」の表記が「ポ」を含むものであるとしても、次の単数のomaが不自然であ
る。西海岸のライチシカ方言では地名に於ける単数複数の区別はないとされるが、ここは
東海岸でありライチシカ方言の規則は当て嵌まらない。icanの可能性を考慮に入れ、homa
(魚卵、北千島にも同語形あり)と解釈し、tanne-homa- nayと一応考えてみた。
                                     つづく
424名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 18:42:38 ID:+u7xbeWk
竹四郎廻浦日記にはルーチシ子ナイ(同上p643)、タン子ラチシ子(同上p643)、リクノラ
チシ子(同上p643)また野帳はルーチシ子ナイ、タンケヲチシ子、リクノヲチシ子となっ
ている。樺太の新道調査に行った武四郎は当然ru-cis≒ ok-cisであることを知りうる立場
にあったことから、恐らく無意識のうちに次のような誤りが生じたのではないだろうか?
「ラチシ子」は野帳の「ヲチシ子」の清書段階での誤記。野帳の「タンケ」はtan-keとは
解しにくく、清書段階で「タン子」としていることから、野帳の誤りを清書段階で校正し
たものと考える。とすると、ルーチシ子ナイru-cis-ne-nay、タン子ラチシ子tanne-ok-cis-ne
(あるいはtanne-ru-cis-ne)、リクノラチシ子rik-un-ok-cis-ne(あるいはrik-un-ru-cis-ne)
と解釈することが可能であり、タン子ラチシ子はルーチシ子ナイのすぐ近くに存在するこ
とやtanne-ok-cis-neと-ne終止している点、樺太に限らず古来沢筋が山越えのルートにな
っている例が多いことなどを総合して、nayの下略されたものと考える。とするとタン子ラ
チシ子はtanne-ok-cis-ne(-nay)と復元できそうである。そうすれば前述のタン子ホマナ
イも多少無理もあるがtanne-homa-nayと解釈することも許されるのではないだろうか?
アヌン子ナイボと違い「孤例」と呼ばなかったのはこういう理由からである。

参考 竹四郎廻浦日記、野帳ともに元泊付近に「クルムセナイエンルン」小岬という興味
深い地名がある。
425422:2005/05/27(金) 20:08:40 ID:ur66InmW
記載した意味が理解してもらえないようですね。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 20:21:57 ID:RP11Sc4E
>>425
相手がわかってないと感じたら、わかるように書けばいいじゃん。
ちゃんと自分の考えも書いてさ。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 21:56:27 ID:+u7xbeWk
雑感
いろいろ書いてはみたが、正直tanneとaneの違いがいまいち良く分からない。
tar語源説もどうもしっくりいかない。田村先生も断言はしていないが、懐疑的な
書き方をしている。
個人的な感想だが、ライチシカ方言はすぐ南の小田洲方言とどうも違うような感じ
がする。小田洲方言は前者よりは東海岸の方言に似ているような気がしてならない。
知里ノートの鵜城方言とくらべると、ライチシカ方言はF氏の個人語と言うべきな
のか?あるいはライチシカ方言は漁労のために各地の集落から、ライチシカ湖に人々
が集まった歴史から特殊なのか?よくわからないことばかりである。樺太方言に関し
てはあまり論文が出ないので、自分の頭で妄想するしかない。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 10:47:03 ID:Fr8tDttZ
 山田秀三「北海道の地名」に記載されている、tanne-toとtanne-nutapは、
典型的形態から少しずれています。特に、網走のtannne-nutapは、少し曲がってい
ますから典型例とは言えません。

 アイヌ語地名を趣味でやっている方なら、tanne地名について、他の複数例を知っていて、
地名におけるtanneの概念規定ができています。
これは、山田以来の帰納法的手法です。

 S氏のデーターベースの解釈は、複数例から導かれた結果で、やはり、帰納法的
手法によるものです。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 11:27:54 ID:2z6NkK0L
>>428
tanne「曲線を含む長さ」、ane「直線的な細長さ」で前者の方が後者より広い意義概念を
表すというのは、「地名におけるtanneの概念規定」と具体的にどのように相違するのでし
ょうか?

また、広い意義のtanneではなく、tanneに比べて限定された意義のaneで特別に形容す
るような「形状的に直線的な」「沼や湖」「と言うのは稀」であるとするのは事実に相違す
るのでしょうか?もし、そうであれば、「小腸」の例に照らし「想定自体が誤っているかも
しれません。」
430名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 12:21:04 ID:k2gDXahy
統計処理をするためには、データーをどのように設定するかが、第1の問題となります。
データーの信頼性。目的とデーターが一致するのか等々。
第2段階で、データーの処理をします。
 データーを、外形的に分類するのは、これにあたり、統計処理をする前段階にしか
すぎません。
第3段階で、データーの種類と、目的により統計処理の手法を決定します。
 例えば、帰無仮説を設定するとか。カイ2乗検定にするのか、t検定にするのか等々。

 以上が、統計的手法だと思うのですが。

これは、批判ではありません。
「統計」についての、単なる通常の意味を記しただけのものです。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 13:32:12 ID:2z6NkK0L
羽田野氏の『アイヌ語地名の史料における出現頻度』(北海道大学 北方文化研究20号
1989年)のp26の10行〜11行「延べ数による出現頻度がおよその出現傾向を表わして
いるとみてさしつかえないであろう。」という結論及び「出現頻度」という表題は内容に
偽りありということでしょうか。

その点は分かりましたが、帰納法的手法で得られた「地名におけるtanneの概念規定」
と「曲線を含む長さ」と仮に意義設定したtanneとは具体的にどのように相違するので
しょうか?

tanneに比べて限定された意義のaneで特別に形容するような「形状的に直線的な」「沼
や湖」「と言うのは稀」であるとするのは事実に相違するのでしょうか?
432名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 18:34:25 ID:1HRYwzEf
 S氏の「データーベース4」p.257に「ポロナイ」の帰納法的検討が記載されている。
また、同書p.211のサマリーには、衝撃的なことが記載されている。

 このようなS氏に比べ、我が能力の稚拙さには、歯がゆさを感じるぱかりです。
 このS氏の著作を「主観的」とする人は、さぞかしすごい方なのでしょう。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/28(土) 20:54:13 ID:2z6NkK0L
>>432
どんな権威の方の解釈でも、そこに価値判断が入るのは当然です。
全然「すご(い)」くもないですから、相違を教えて頂けませんでしょうか?
何か質問から、逃げているような気がしてなりません。

>>315
もしかしたら、286の方ですか?
>文献のデーターにおける扱いに難があります。
>また、アイヌ語地名に関して、少々疑問があります。
>理由を記載しようと思ったのですが、批判をするなとの事でしたので。

>自己満足で安心していたいのなら、それで良いのでは。

>もし、文献で発表するのでしたら、そのときは、指摘したいと思います。
434原 一平(寅さんタレント):2005/05/29(日) 00:36:10 ID:esP/UtXf
「葛飾」って????
葛が茂っていた地域だったという説、アイヌ語、南洋民族の漂着による
外来語説などがあり、はっきりとしない。万葉集では、「勝鹿・勝壮鹿・可豆思賀」
という形で登場しており、非常に古い地名である。
 古語を調べると、「かつ」には丘陵や崖、「しか」には砂州などの意味があると
されています。古代の葛飾郡の範囲は、東京都東部地域や千葉県西部から茨城県南
部までの地域とされています。つまり旧利根川(現在の江戸川)に治って、低地や
丘陵部を含んだ広大な地域だったのです。この地域を地形的に見ると、旧利根川を
海に向かって、右岸に低地、左岸に下総台地が広がっています。まさに「かつしか」
の語源は、その地形的な景観から名付けられたといえます。
 最近の研究では、「しか」には、(*)海民的世界や境界という意味も含んでいると
いう説もあり、このような意味合いも反映されているのかも知れません。

なんてことを聞いたけど、アイヌ語で誰か解釈して下さい。


435名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/29(日) 12:43:40 ID:pSri9iXC
>427
文意がよくわかりませんが、鵜城、小田洲、東海岸
に対して恵須取が孤立した方言をなす、というご趣旨でしょうか。
私はあまりそうも感じませんが。
真岡と比べると、やはり小田洲は来知志と似ているような。知里辞典とか。
それにしても鵜城だけでなく
東海岸の音声資料が少ないのが残念です。
スレ違い失礼
436名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/29(日) 18:18:46 ID:PwxZzd/x
スレ違いで、言語板で書くべきものなのですが。以下妄想ですが、お付き合い下さい。
小田洲方言四人称主格一人称対格抱合人称接辞unci-eere unci-ekuhkonte「川上男と川下
男」(草風館本p228)は村崎先生が設定した『カラフトアイヌ語』p50の抱合人称接辞分類
とは若干異なり、東海岸亜庭湾岸方言と想定される『あいぬ物語』p89(対雁での言語接触
はここでは一応除外する)に於ける四人称主格二人称対格抱合人称接辞の例と思われるnah
an-kii ani eci-rayke-an kusu iki。 同じく東海岸亜庭湾岸方言の四人称主格一人称対格抱
合人称接辞の例と思われるenci-tuy the(ピウスツキ採録ヌマル口述「魔よけの木幣の由来
話」)と親和的であること。鵜城方言に関してはライチシカ方言ほどには母音が長く発音さ
れないように感じられ、この点は東海岸のピウスツキ採録資料及び『あいぬ物語』に似て
いるのではないだろうか?さらに、ライチシカ方言で確認された老人語と日常語の区別に
ついても、『知里真志保フィールドノート1』p25ではoj-an(=wooya ‘an日常語)がan=、
=anと伴に使用されていて、ライチシカ方言ほどには明確な区別が無いのではないのであ
ろうか?勿論小田洲方言、鵜城方言は真岡、多蘭泊方言と比較すれば、ライチシカ方言に
近いことは確かと思われます。ただ、ライチシカ方言と比較すると東海岸の方言に近い印
象を受けたという意味です。
                              つづく
437名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/29(日) 18:19:48 ID:PwxZzd/x
参考までに抱合人称接辞を若干挙げてみると、釧路方言(八重)『アイヌのくらしと言葉1』
p48 四人称主格一人称対格抱合人称接辞e-enci-ye。白糠方言(四宅)『アイヌの神々の物
語5』p163 eci-en-esikarun二人称主格一人称対格抱合人称接辞。白糠方言 四人称主格
二人称対格抱合人称接辞e〜an、an-e。有珠方言『アイヌ民族博物館研究報告4号』p4四
人称主格二人称対格抱合人称接辞e〜an、p12四人称主格一人称対格抱合人称接辞a-en、
p4二人称主格四人称対格抱合人称接辞e-i。三石方言『アイヌのくらしと言葉8』p73四人
称主格二人称対格抱合人称接辞 an-e-ye cikanak p72四人称主格一人称対格抱合人称接
辞enci-yakcaki。さらに『言語学大辞典』アイヌ語(田村)p25「不規則な形が、北海道南
部の沙流方言の形と、カラフト・アイヌ語の形とに共通したところがあることは注目に値
する」という点を考慮に入れると(分布の滑らかさを考えると)、北千島は規則形、不規則
形どちらに属すべきか、今のところ相反すると思われる例があるので更なる資料の発掘を
待たないと分からないが、F氏の方言(個人語)は恵須取以北、F氏の母esohrannma氏
の生活体験地を凡その北限とする範囲の方言なのではと思った次第です。鵜城方言がF氏
によれば「力のはいったような、上品でないことばだ」というのはライチシカ方言ほどに
は母音が長く発音されない傾向のことを指さしているのかもしれません。Uwenewsar TH
438名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/30(月) 20:52:49 ID:oVSBKfTL
補足  誤enci-tuy the→正enci-tuy teh
「親和的」とわざと曖昧な表現で書きましたのは、今まで刊行されている資料を基に、抱
合人称接辞を@本別、白糠を含む十勝釧路方言A旭川方言B静内方言C沙流方言D千歳方
言E八雲有珠幌別を含む方言Fライチシカ方言と大まかに分類し、『あいぬ物語』や「アイ
ヌ語法研究」を下敷きに@十勝釧路方言A旭川方言を参考にして樺太東海岸方言を復元し
たからです。とはいえ資料が十分でなく、復元とは名ばかりで空欄が余りにも多いことか
らそう表現しました。但しB静内方言についてはDiagram6.Nominative-objective
combined forms in the Shizunai dialect(Kirsten Refsing The Ainu Language p223)の
O氏の方言と東別のK翁の方言(アイヌ無形民俗文化財記録第2輯英雄の物語p47など)
とではやや違いがあり、後者は前者に比べて@十勝釧路方言に近い感じがします。静内川
の左岸と右岸間あるいは上流と下流間に方言分岐線がある可能性があり別個に考えました。
>435
ところで、質問なのですが、十勝方言(釧路を含む北海道東部方言)の四人称主格二人称
単数対格抱合人称接辞は白糠の例から復元できるのですが、四人称主格二人称複数対格抱
合人称接辞はeci〜an(旭川方言、『あいぬ物語』と同形)となるのか、あるいはaneci-(前
述O氏静内方言)となるのかどうしても例が見つからず分かりません。また一人称単数主
格二人称単数対格抱合人称接辞は想定されるe〜anではなくeci〜an(アイヌ語北海道東部
方言教本p83他)となるようなのですが、e〜anの例は皆無なのでしょうか?もし、ご存
知でしたら教えて戴けないでしょうか?
439名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/30(月) 20:54:27 ID:oVSBKfTL
地名の補足
「小腸」に関して、『分類アイヌ語辞典 人間編』の「腸」の項目にmotuy シラウラ 魚
の臓器の一とあるが、その資料となったと思われるものが知里ノートにあり、そこには「白
川氏より(私註 シラハマ、大泊出身の白川ユキ氏か?)大腸tujhe 小motujhe」となっ
ている。全部の資料を見たわけではないので、あくまで妄想なのであるが、北海道とは異
なり樺太では、もしかしたら大腸、小腸をruwe とaneの対比ではあまり表現しないのか
もしれません。とするとruwe とaneの対比は比較的新しいのかもしれません。
ついでに静内の地名解について。榊原氏は独自の見解をなされているようですが、やはり、
戊午日誌にいう「シヒチヤリ(シヒイチャン)」、旧名「ホマリモイ」の記載から、「シヒチ
ヤリ(シヒイチャン)」はsipe-ican、 「ホマリモイ」はhoma-an-moy(homaは自然界で
は通常単数の状態ではなく複数、集合体であり、ことさらanの複数形で表現する必要はな
いと思われる)なのではないだろうか?というのはhomaは北千島の例などを考えると、
元来は魚卵一般を指し、後世、ニシンの卵(田村辞典)、すじこの干物(金田一博士米寿記
念論集タライカ民話p799)あるいは、ゆでた筋子(アイヌ語旭川方言資料集成1)という
ように意味の特化、縮小が生じたと考えられること。また静内川付近に言語分岐線がある
らしい点から、iwor争いを想定でき、地形の共通性や特殊性を考慮することは、勿論地名
解釈においては当然なのであるが、こと静内に関しては関心の主眼が地形の共通性、特殊
性以上にその産物にあったのではないであろうか?そこで、homaの意味の特化、縮小に伴
って、「ニシンの卵」や「ゆでた筋子」の意味ではその場所の地名認識としては不十分とな
り、改めてsipeを冠し「シヒチヤリ(シヒイチャン)」と命名し直したとするのはどうであ
ろうか?新名称と旧名「ホマリモイ」との関係も、そこに開拓期に於けるような民族交代
にも似た事例を想定出来ない以上、地名に於ける意味の連続性を維持する解釈の方が妥当
なのではないだろうか?この点で山田先生の『東北アイヌ語地名の研究』p81「サンナイ
地名の謎」は周辺研究の重要さを物語っているのではと考えられます。
440435:2005/05/31(火) 22:00:48 ID:auihUQPP
早速ありがとうございます。その通りです。
まず人称に関してはご指摘の通り、音声資料や本文を検討すればわかりますが
村崎「カラフトアイヌ語」のパラダイム記述は誤っています。
来知志でも他地域と同じ(例えばeci-〜-anなど)です。
他の研究者の刊行資料をご参照ください。
また母音の長短に関する記述は当然不十分です。
長母音の絶対的な長さについては何ともいえませんが。
特に鵜城の資料で長さを比較するのは困難だと思います。
いわゆる「老人語」に関しては、たったひとりからの聞取りであるため比較ができません。
F媼の規範意識である、という以上のことはいえないでしょう。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/31(火) 23:35:03 ID:auihUQPP
来知志ではan-/-anだけでci-/-asがない、とされます。
しかし大貫の資料中ではF媼の昔話中の台詞にci-cari waaという例があります。
小田洲のA媼は一部にci-を用いていますが、やはり昔話中の台詞です。
日常会話中で用いる真岡のO媼と単純に比較は困難ではないでしょうか。
人称は文体によって大きく異なりそうです。
なお道東の4人称主格+2人称複数については私も是非知りたいです。
どなたか教えてください。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/31(火) 23:36:26 ID:qiVYivAl
以前このスレで樺太に於けるトンチに関する原文資料を出す際に使用したELPR2003
A2-039のUcaskuma4のp56an=yee wa eci=nuure=an nanko(h)、 p62等にもeci〜an
があることは気が付いていましたが、その時は、このUcaskumaは東海岸由来のものでは
と考えており、例示するのには躊躇いがありました。とういうのは和田『樺太アイヌの民
話』(単行本サハリン・アイヌの熊祭)の中で和田氏が情報を得たのは白浜の前述の白川氏
及びライチシカのF氏であり、また実際、木偶の供犠の例は和田氏の父文治郎氏が新問の
廃屋で発見したものだけのようで、木偶それ自体がニヴフやウィルタの影響が大きくこの
Ucaskuma自体は東海岸北部で成立したものであると考えたからです。ただ、ここでも北
海道東部方言と同様に想定されるe〜anではなく、eci〜anとなるのは、もしかしたら以前
切替先生が第97回大会で発表されたCI系AN系の問題とも関連するかもしれません。切
替先生には是非とも早く北海道東部方言の文法書を出して戴きたいです。道東の方言は公
刊されたものが少なく幾つかのテキストをもとに自分なりに文法を構築しないと、どうに
もなりません。アイヌ語北海道東部方言教本のS氏の自伝の部分は和訳がなく、勉強には
なりますが、文法書が無い以上、果たしてこの解釈で正しいのか検証が出来ません。
鵜城方言のoj-an(=wooya ‘an日常語)の例はELPR2003 A2-039のp108の注に北原2003.
53とありますが、この資料についてはどうしても入手が出来なく未見です。an=と伴に使
用されている例はあるのでしょうか?母音の長短に関しては、ご指摘のとおり筆録の際の
省略もありえるので、音声資料がないと確実なことは分かりません。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/31(火) 23:58:04 ID:qiVYivAl
わざわざ、有難う御座います。
訂正 和田『樺太アイヌの民話』は『樺太アイヌの偶像』の誤りです。
大貫氏の資料の中にci-cari waaという例があるのは知りませんでした。
道東方言の一人称単数主格二人称単数対格抱合人称接辞の問題はやはりそうでしたか。
これはどうしても見つからなかったものですから。
北千島の例というのはご存知のように、村山氏のディボウスキーp158のeskoriと
p68のetchem ismoouwohです。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/06(月) 22:46:49 ID:mTe499U9
語呂合わせ
姉刀(あんねとう、おんねとう)オンネト=八郎潟??
小川原湖+姉沼(あんねと沼)オンネト=小川原湖??
445名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/11(土) 23:06:04 ID:uXtVovyy
>441
静内方言の主格対格抱合人称接辞について、お尋ねしたいのですが。
Diagram6.Nominative-objective combined forms in the Shizunai dialect(Kirsten Refsing
The Ainu Language p223)でKirsten Refsing氏が記述した以外に、二人称単数主格四人
称対格抱合人称接辞ei- (e=i=ruyke 静内地方の伝承Tp176、 e=i=kosunke記録刊行シリ
ーズトゥイタク5 p30)、二人称複数主格四人称対格抱合人称接辞ecii- (eci=i=kosunke静内
地方の伝承Tp99、eci=i=atusare記録刊行シリーズトゥイタク5 p34)、四人称主格四人称
対格抱合人称接辞ani- (an=i=ranke記録刊行シリーズトゥイタク5 p17)が手元の資料で
確認できますが、@一人称単数主格四人称対格抱合人称接辞(沙流方言ではkui-)及び
A一人称複数主格四人称対格抱合人称接辞(沙流方言ではai-)の例が見つかりません。
Aに関してcii-(ci=i=)となる方言はあるのでしょうか?胆振(幌別)では@、Aともi 〜as
となるようなのですが。kui-となるのは今のところ沙流方言及び沙流方言と関係の深い千歳
方言だけなのでしょうか?もしかしたら静内方言は『胆振型』なのでしょうか?Kirsten
Refsing氏が記述したO氏の方言は静内川上流の西岸の農屋、御園近辺を言語形成地とす
る方言なのですが、静内川下流や東岸の方言との境界は、静内西方言(便宜上こう呼称)
は静内川西岸、上流では両岸、静内東方言(東別のK翁の方言を含む)は静内川下流東岸
と考えてよいのでしょうか?因みに広義の沙流方言に含まれる新冠方言と静内西方言との
境界は暫定的に静内郡と新冠郡の郡境と考えていますが、これでよいのでしょうか?
446名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/11(土) 23:09:44 ID:uXtVovyy
地名スレなので、小川原湖、姉沼に関して。
こちらは妄想なので、話半分くらいで聞き流して下さい。
『近世日本と北方社会』(三省堂)p59には下北半島田名部の「夷」の「御目見」の記述が
あり、同p141にはシャクシャイン蜂起に際して、南部藩が寛文9年(1669年)7月13
日下北アイヌの監視のために藩士を「野辺地」「田名部」に派遣した記録があるとの事。
もし、小川原湖、姉沼の初出が寛文以前にまで遡るのであれば、小川原湖は入り江が砂丘
の発達により海と遮断された海跡湖であり、姉沼と小川原湖はわずか100メートル足らず
の姉沼川で繋がっており、土砂の堆積により小川原湖本体と分離したと思われる点から、
小川原湖自体をあるいは別名でアネトと呼んでいた可能性があるのではないだろうか?東
北弁で「姉」を「おね」「あんね」と呼ぶ例があるらしいことから、『アイヌ語地名の研究
3』p20の「佐比内」のような訛りの例に照らし、もしかしたらonne-toだったのではな
いだろうか?
「姉刀」についても『アイヌ語地名の研究3』p82「三代実録」及び元慶の乱の際の「藤
原保則伝」の「大河」(五城目町の八郎潟付近の低地帯に大川という地名がある)の位置か
ら考えて、「姉刀」は五城目町付近にあると想定されることから、同じ海跡湖である八郎潟
を指したものではないだろうか?海跡湖は汽水であることが多く、狩猟採集段階では極め
て生活に適した地域であり、元慶の乱の際に、反政府の蝦夷の集落が点在したというのも
頷けるような気がする。
邑良志別に関しては、石がつく地名が多い五戸川という説もあるが、特定が困難なので、
結論は控えるが、sirarに関係がある説話として、参考までに、様似のyayerap にsirar pon
caca ne kotom an pe(磯のじじいらしき奴)という磯の上のチャシに住んでいる化け物の
話がある。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/12(日) 22:29:10 ID:4BAWiNxh
補足
アイヌ語法概説(知里著作集4巻p77)には確かにchi-i-koreとありますが、田村先生は
明確には否定されてはいませんが、同じ沙流方言の一人称複数主格四人称対格抱合人称接
辞をai-としておられるので、沙流方言を含めてcii-(ci=i=)となる方言はあるのでしょうか?
448441:2005/06/15(水) 17:16:12 ID:SckJTxJ4
無理難題ですね〜私も知りたいです(笑)。
テキストからパラダイムを抽出しているのですね。労力に頭が下がります。
アイヌ語の人称接辞は方言ごとにバラバラですもんね。
で、1人称複数主格+4人称目的格は多くの研究者が未確認。
つまりci-i-の確認は文字テキストからでは無理です。あってもci-と表記されているでしょうから。
もとの音声資料にあたるしかないでしょうね…。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 21:09:43 ID:r716IEHq
>448 未確認という事が分かったのは大きな成果です。O氏の方言は向格助詞にunを使うな
ど比較的沙流方言に近くまた十分な調査がなされているので、他の静内方言とは違い、もしか
したらkui-があるのではと思っていました。ci=i=に関しては千歳方言辞典、沙流方言辞典な
どから難しいと考えていました。学者ではないので音声資料の入手は困難ですね。テキストの
収集だけで四苦八苦です。
邑良志別に関して、『北からの日本史』、『蝦夷』等から @霊亀元年(715年)陸奥蝦夷爵第
三等邑良志別君宇蘇弥奈建郡申請(「狄徒の抄略の故、香河村に郡家」)『続日本紀』。A霊亀元
年(715年)昆布貢献蝦夷須賀君古麻比留建郡申請(「国府から遠方の故、閇村に郡家」)『続
日本紀』。B神亀元年(724年)陸奥海道(牡鹿郡以北)の蝦夷が大掾佐伯児屋麻呂を殺害。
C神亀二年 前年の論功行賞丸子大国 勲六等田二町。D天平勝宝五年(753年)大初位下丸
子嶋足牡鹿連賜姓。E延暦十八年(799年)登米(トヨマ)『日本後記』。F延暦二十一年(802
年)阿弖流為降伏。G延暦二十二年(803年)志波城(盛岡市)造営。H弘仁元年(810年)
渡島の狄二百余人が陸奥国気仙郡に来着。I弘仁二年(811年)文室綿麻呂和賀(北上市付近)
稗貫(花巻市付近)斯波(盛岡市)建郡。J同年 幣伊村夷と連繋し都母村に結集した仇敵の
爾(弐)薩体夷伊加古らを邑良志閇村降俘吉弥侯部都留岐が襲撃。K弘仁三年 出羽守大伴今
人俘囚三百余人を発し爾薩体を攻撃。
@の資料から、まず「香河村」とは阿弖流為らの胆沢蝦夷と朝廷側との勢力境界線(低湿地帯)
の南側、朝廷側の前線の入植地と考えられる現在の登米市旧中田町加賀野がこれに該当するも
のと思われる。なお付近には古舘という地名がある。そこから夏川に沿って約7キロ程北に遠
流志別石神社(登米市北郷字中沢81番地)が存在する。「香河」の立郡は確認できないが、
加賀野と遠流志別石神社は同一郡内の範囲と考えてよいだろう。とすると『続日本紀』の記述
から狄徒の抄略(蝦夷の脅威)を受ける他の別の場所から、宇蘇弥奈は遠流志別石神社付近に
移住したことになるが、それはどこであろうか、即ち本来の邑良志別とはどこであろうか?ま
ず「狄徒」の点に関して、「夷と狄の書き分け」の問題はあるが、渡島の狄や陸奥に属する和
我君計安塁を帰服狄としているように厳密な区別と言い難いことから、短絡的に出羽国とする
のは無理がある。そこでA〜Dの資料から、建郡申請が霊亀元年という極めて早い時期であり、
また奇しくも同年に三陸海岸と思われる蝦夷須賀君古麻比留(高橋によれば岩手県北部岩泉町
に須賀という地名あり)の建郡申請がある点。700年代前半の律令国家の進出、武力衝突が牡
鹿半島方面の三陸沿岸であることなどから三陸沿岸が想定され得る。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/16(木) 21:11:50 ID:r716IEHq
そして、ほぼ百年後のJ弘仁二年(811年)の資料の「邑良志閇村降俘吉弥侯部都留岐」から、
岩手県北部と考えられる爾(弐)薩体夷の伊加古と仇敵関係にあったのが事実なら、邑良志閇
村は常識的にはその近辺と考えるのが妥当であり、岩手県北部から青森県南部の三陸沿岸の可
能性がある。しかしJの資料がほぼ百年後であり、邑良志別、邑良志閇と複数存在する可能性
は棄てきれないが、仮に同一であるとした場合、問題は「降俘吉弥侯部都留岐」としている点、
即ち「降俘」とは俘囚であり、「吉弥侯部」は天平宝字元年(757年)に君子部から改姓され
たもので、俘囚に多く、宮城県内の黒川以北十一郡居住者で比較的早くに編戸の民になった者
(高橋説)であると思われること。FGの胆沢平定、志波城(盛岡市)造営の90年以上も前
に、蝦夷と朝廷側との勢力境界線のはるか北方から編戸を求めるとは考えにくく、またHの資
料から弘仁元年(810年)渡島の狄二百余人が陸奥国気仙郡に来着(襲撃)している事実から、
両者の距離が比較的離れていても、仇敵関係は成立し得る点及び古くからの仇敵に限定する必
然性もないこと。爾(弐)薩体攻撃はKの資料から陸奥出羽両国の俘囚の軍での挟み撃ちであ
り、必ずしも邑良志閇村が北方の爾(弐)薩体の近くに存在しなければならない必然性はない。
そこで妄想なのだが、霊亀元年という極めて早い時期である点、700年代前半の律令国家と蝦
夷との武力衝突が主として牡鹿半島方面であること。阿弖流為らに結集した蝦夷の存在を考え
ると、霊亀元年の邑良志別とは、閇村(宮古市付近との説もあり)程は遠くない加賀野や遠流
志別石神社から極近い三陸沿岸を指すのではなかろうか?具体的には遠流志別石神社から最
も近い三陸沿岸で約30キロ東に位置する現在の本吉町の津谷川(邑良志別らしき地名は確認
できないが)が、もしかしたらそれなのではないだろうか?本吉町はHの資料の気仙沼のすぐ
南に位置し、津谷川の河口近くには登米(とよま)沢(toy-oma)、猿内といった地名があり、
加賀野や遠流志別石神社がある一帯を指す名称としての登米(トヨマ)はE『日本後記』延暦
十八年(799年)に現れる。蛇足だが宇蘇弥奈とは全くの語呂合わせだがus-o-nino、ninaか
も?参考、時代は戦国期に下がるが、南部叢書『祐清私記』には「釜石浦の夷」という記述が
あり、また南部叢書『遠野古事記』には寛文頃の事として「松前夷歟、田名部の夷歟〜〜度々
参候」という話がある。
「姉刀」の補足「大河」に関して、大川という地名のある馬場目川(五城目町)の北支流は富
津内川(ut-nay肋骨川、大きな川の横に流れ込む支流)であり、本流には保呂瀬沢(マタギ
辞典 ホロ たくさん、大きい、阿仁)、臼内沢という地名があり、大川は翻訳借用か?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/17(金) 21:26:23 ID:5/m+IwC+
邑良志別の補足
高橋崇『蝦夷』によれば、丹取郡は神亀五年(728年)以前に、牡鹿、小田、新田、長岡、
志太、玉造、富田、色麻、賀美、黒川の小郡に分割されたとする。その中の小田郡に799年
登米郡が併合され新小田郡が成立する。これとは別に神護景雲元年(767年)伊治城が造営
されるとともに栗原郡が設置された。また延暦二十三年(804年)には陸奥国小田郡中山柵
という記述が現れる。その後、弘仁三年(812年)には小田郡六十六人、遠田郡三百三十人
から田夷改姓願いが出され、賜姓がなされた。ここでいう小田郡六十六人の中には一部旧
登米郡の住民を含むと考えられるが、この弘仁三年の田夷改姓願いは前述の資料J弘仁二
年(811年)幣伊村夷と連繋し都母村に結集した仇敵の爾(弐)薩体夷伊加古らを邑良志閇
村降俘吉弥侯部都留岐が襲撃したとの記録と無関係なのであろうか?
朝廷側に協力した邑良志閇村降俘吉弥侯部都留岐と、資料@の香河村に郡家申請した邑良
志別君宇蘇弥奈の子孫(霊亀元年(715年)陸奥蝦夷爵第三等邑良志別君宇蘇弥奈建郡申請
(「狄徒の抄略の故、香河村に郡家」)『続日本紀』)と繋がりがあると思われる新小田郡の
住民の田夷改姓願いは、ともに律令国家への忠誠(宇蘇弥奈の編戸申請が極めて早期な点)、
帰属意識の高さなど、やはり時期的に無関係と考えられず、旧邑良志別出身者の一連の活
動とみるのが妥当ではないだろうか?とすると、ほぼ一世紀を経たにもかかわらず、母村
との地縁意識はあったことになり、裏を返せば母村との地理的近さの反映とも考えられる。
そこで、「香河」の立郡は確認できないが、資料Eの延暦十八年(799年)登米(トヨマ)
郡併合の事実から、登米郡の実在は確実であり、霊亀元年(715年)の香河村郡家申請は、
まさか邑良志別ゆかりの登米(沢)とは関係が無いとは思われるが、登米(トヨマ)郡の
設置として許可されたのではなかろうか?登米の初出を含めて郷土史の研究が必要である
と思われます。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/18(土) 22:11:48 ID:wDxQxkeC
もう一つの「姉取沼」
伊豆沼、長沼の近くの登米市旧迫町北方に伝わる、小川原湖の姉沼に似た話として「姉取
沼」、「妹沼」伝説がある。この伝説の初出は不明だが、もしかしたらこの「姉取沼」とは
長沼、伊豆沼を指すのではないだろうか?現在でこそ、長沼、伊豆沼は別々の沼となって
いるが、等高線を地形図で辿ると、長沼の北方は一面の低湿地帯で、かつては伊豆沼と繋
がった、ひらがなの「つ」の形をした一つの大きな湖だった可能性がある。伊豆沼、長沼
は山田先生の南限線の北に位置し、また延暦十八年(799年)には讃馬郡が新田郡に合併し
(新)新田郡が成立するが、伊豆沼、長沼のある同じ(新)新田郡の出来事として、同年
の延暦十八年(799年)陸奥国新田郡百姓弓削部虎麻呂、妻丈部小広刀自女は久しく賊地に
住み能く夷語を習い、虚言をもって夷俘の心をさわがしたかどで日向国へ流罪となった事
件があることなどから、「姉取沼」とはアイヌ語の可能性がある。「姉」とは「あんね」「お
ね」等の音訳ばかりではなく、佳字と考えられる「姉」を借用するとともに、原義が忘却
されるにつれ生じた伝説なのかもしれない。とすると、長沼、伊豆沼はもしかしたら、onne-to
と呼ばれていたのかもしれない。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/21(火) 22:27:06 ID:MpM8dY2v
かつての登米郡、気仙郡内に於けるアイヌ語らしき地名
山田先生が指摘された旧登米町の登米(toy-oma)、日根牛(pinni-us-i)、黄牛(ki-us-i)、
迫川沿いの旧記に言う軽辺川、三陸志津川町の水戸辺川、本吉町の赤牛。あとざっと見た
だけで旧登米町の黄牛川南支流の臼の沢、志津川町の水尻川沿いの上保呂毛、下保呂毛、
その上流の保呂羽山、保呂羽山は他に数ヶ所あり、八幡川、新井田川源流の惣内山、歌津
町の伊里前(イサトマエ)、本吉町の歌生(ウトウ)などがある。丹取郡が神亀五年(728
年)以前に、牡鹿、小田、新田、長岡、志太、玉造、富田、色麻、賀美、黒川の小郡に分
割されたのち、延暦十八年(799年)には讃馬郡が新田郡に合併し(新)新田郡、登米郡が
小田郡に合併し(新)小田郡、富田郡が色麻郡に合併し(新)色麻郡が成立するが、この
小郡分割は大崎平野の開拓、入植、屯田の効率化、延暦十八年の合併は『和名抄』による
一郡あたりの郷数の適正化、効率化の為なされたものと従来は考えられてはいるが、同じ
延暦十八年には陸奥国新田郡百姓弓削部虎麻呂、妻丈部小広刀自女の流罪があるなど、恐
らくこのような事件は度々あったはずだが、対蝦夷戦争が重大局面を向えた時期であり、
国家側のこのような過剰なまでの措置は、単なる郷数の適正化、効率化もさることながら、
それ以上に対蝦夷戦争に備えての予防措置であろうと考えられる。すなわち讃馬郡は新田
郡の北〜東側に位置し、登米郡も同様に小田郡の北〜東側に位置し、恐らく讃馬、登米郡
は郡のかなりの部分を「降俘」が占め、郡内の柵に備蓄されている食料や武器をもって敵
側に寝返るのを未然に防ぐ目的で、関東方面からの入植者が比較的多いと考えられる隣接
の郡との合併を図ったものではないだろうか?宮城県内では奥羽山脈方面と並んで、旧登
米、気仙郡内にアイヌ語らしき地名が散見されるのはこのような理由からであろうか。た
だ、南の現在の本吉郡にくらべて北の気仙沼市にアイヌ語らしき地名が少ないのは金氏や
気仙郡司金為時と何らかの関係があるのであろうか疑問とするところである。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/22(水) 01:09:20 ID:i8J+FFC4
オレは北海道は好きだけど地名はなんかダサく感じるクチだな。
地名で格好いいのはやっぱり近畿地方だと思う。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/22(水) 11:29:40 ID:MotLpnih
アイヌの物語によく出てくるウラシベツとは、
どんな意味なんでしょうか?
誰か詳しい方、教えて下さい。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/22(水) 17:03:15 ID:NbMFn0YN
uray-us-pet
「ヤナ・のある・川」
(ヤナ漁をする川)
だろう。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/25(土) 16:13:45 ID:EPJIrZ9S
>454
へぇーえ。つくづく人それぞれだね。
オレは近畿地方は好きじゃないし地名もやぼったく感じるクチだな。
地名で格好いいのはやっぱり東北・北海道だと思う。

って、先祖が、河内出身の東京人
458名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/26(日) 22:25:29 ID:+P80MT2Y
誰かが、アイヌの一覧スレを造ってコピペしまくっていたけど、
ここは言語板よりレベル高いね。考古学板や南限スレと大違い。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/01(金) 12:23:41 ID:CcYjNurG
明らかにそのスジの人がいるっぽいからレベル高いね
けど長文は読みづらいから改行して欲しい
460名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/01(金) 21:05:57 ID:p4jEgVEQ
東北のオシラ様信仰と邑良志別は関係があるの?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 19:46:09 ID:k/yOG35s
>460
多分関係ない。
ちなみに「オシラサマと北方の木偶」なら関係ないとは言い切れない。
でもただ「似てる」ってだけなら大学生の卒論レベル。
関連を論証出来たら画期的。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 23:46:13 ID:B3XBGScX
仙台もアイヌ語由来説があるね。
セプナイ(広い川)がセンダイと訛ったとか。
中世にこの辺りを治めた国分寺氏の居城周辺に千体仏があったことから、千代(せんだい)となった説もある。
仙台市内を流れる広瀬川の由来が、広い川=セプナイであるという話も。

仙台市西部にある温泉街、秋保(あきう)も、急流を意味する「アッポ」からとられたという説がある。
確かに断崖絶壁に急流が流れている。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 23:49:03 ID:B3XBGScX
×国分寺氏
○国分氏

だったw
464名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 23:50:33 ID:T2+g52ga
オシラサマは東北地方の民間信仰で、オヒラサマ、オクナイサマ(屋内様)、オコナイサマ
等と呼ばれていて、古いところでは戦国末期、16世紀後半あたりから見られる。
家の神。安産、農耕、養蚕、馬等の神、さらに厄除けの神として信仰の対象になっている。
他方、オシラサマやオクナイサマをアイヌ語で語呂合わせすれば、o-sirar-(un)-(pet)様、
o-ukot-nay様ということになろうか?
o-sirar-(un)-(pet)様は河口に岩場があり、沿岸航行の際に危険な場所で、以前触れた様似の
yayerap にsirar pon caca ne kotom an pe(磯のじじいらしき奴)という磯の上のチャシ
に住んでいる化け物の話があり、危険な魔物のイメージ。
o-ukot-nay様では河口付近で河川が合流している川で、ちょうど日本海沿岸の古代の潟湖
のように木造船の大敵の船喰虫の危険が少ない汽水域の舟の停泊に適した場所のイメージ。
以上からo-sirar-(un)-(pet)様もo-ukot-nay様も、オシラサマの家の神、安産、農耕、養蚕、
馬等の神、厄除けの神のイメージからは程遠い。
偶像繋がりの樺太のokenや北千島のフジルもオシラサマのイメージからはやはり程遠い。
現在のオシラサマ信仰の中心は主に青森、岩手両県ではあるが、海岸部に限らず山間部に
も見られることから、アイヌ語の語呂合わせから演繹される「海上交易」とも直接には結
び付かない。古い形のオシラサマ信仰が海岸部に限られるのであれば、話は別だが、やは
り、現時点では関係は薄いと言わざるをえないと思います。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 23:58:01 ID:T2+g52ga
>「オシラサマと北方の木偶」なら関係ないとは言い切れない。
もしかしたら、木偶の分布はもっと広い可能性があるので、否定
は出来ないと思います。


466462:2005/07/06(水) 00:37:44 ID:oQWT0jJW
アッポって言葉は変?
ポをpetにしても、アッは変だな。
仙台はsep-nayなんだろうけど。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/07(木) 19:43:50 ID:no7xQE6J
このスレタイトルは変だな。
南限だろ?
468名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/08(金) 00:02:49 ID:Va1ocx3c
ワシントン州ケネウィック
469名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/08(金) 16:39:44 ID:5H9OgX39
>>467
スレを読もうね
470名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/10(日) 13:47:21 ID:wFxtWfCk
1996年7月31日、ワシントン州ケネウィックのコロンビア川河畔で発見された2〜
300年前と思われていた白人の遺骨の臀部に、古い矢尻が突き刺さっていた為、
不審に思った地元の警察が年代測定を行ったところ、9300年前の物である事が判明
した。一見してコーカソイド系の特徴が認められるこの遺骨にはケネウィック人
Kennewick Manと言う名前がつけられジム・チャターズ博士の元、頭像の復元作業が
行われた結果、俳優のパトリック・スチュアートそっくりの均整の取れた白人系の顔
が浮かび上がって来た。
 しかし、詳細な分析により、縄文人またはアイヌ人と最も近い特徴を持っていること
分かった。
http://www.crystalinks.com/kennewick.html
471名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/10(日) 14:03:57 ID:tjEie6a4
まあ欧州白人とアイヌは同じような顔してるからな。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 08:09:42 ID:Haq1cBdx
>>470
NHKの番組でやってましたね。
ちなみに2万年前の中国の人骨(頭骨)は初期のコーカソイドの物と
よく似ているとも言ってました。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 15:32:57 ID:5VKRNkkp
>>457
日本で一番ダサい地域→東北・北海道

方言もダサい、ニュアンスがもろチョン言葉
474名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 16:09:43 ID:LpFii1KX
蝦夷に関しては、大和朝廷勢力に押され、北海道に渡り、
アイヌになったと主張する人も多いが、私は前にも述べたように
その説は採用しない。
なぜなら、もしも東北から北海道へ民族大移動があったとすれば、
もう文字による記録のできる時代になっていたのだから、
そのことが記録されていても良さそうなものだが、そんな記録はどこにもない。
さらに、蝦夷の中には、大和朝廷に服属した――俘囚と呼ばれた――者も多数いたという歴史的事実があるので、
もしも「蝦夷=アイヌ」なら、現在の東北人の顔にアイヌ人と似たような特徴がもっと見いだされなければならないはずだ。
しかし、どこから見てもアイヌ人と東北人の顔は似ていない。また、アイヌ語的地名も東北には少なすぎる。
以上のような理由から、もっとも早く日本列島にたどり着いた北方系民族は、ある時期は蝦夷と呼ばれ、現在の北東北人の祖先となったと見るのが
自然だと考える。

 

475名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 16:15:21 ID:LpFii1KX

つまり、東北顔は東北顔
476名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 18:53:41 ID:W7tjfm04
で、北限はどこまでなんだ?
常識的にはサハリン中部と北クリルだろうが。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 21:42:16 ID:n2AhOtAK
>474
六国史、日本紀略、類聚国史を見れば住民交換がなされたのは明らか。
続日本紀に至っては安価な講談社学術文庫まである。
現在の南樺太の地名はほとんどロシア語ばかり、先住民由来の地名など
ごく僅か、でもロシア人が太古から住んでいたなんてジリノフスキーで
さえ信じてはいない。

>476
北限はスレの最初から読めばわかる。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/11(月) 23:12:39 ID:5VKRNkkp
東北人にブサイクが多いのは揺るぎない事実。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/12(火) 01:00:53 ID:+yf4WtzX
>>478
挑戦系の人から見ると、そう見えるのかもしれませんね
480名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/12(火) 01:08:46 ID:KaZcytMI
>>479
東北なんかもろニダ語じゃないかw朝鮮語とよく似ているし、盛岡なんか平壤冷麺そのもの。

東北にいる縄文なんかほんの一握り。あとはノッペリ色白顔。
南と違って顔から色素から薄い。
これが南の顔だよくみとけhttp://l.pic.to/1aeo4
481名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/12(火) 01:35:09 ID:+yf4WtzX
>>480
盛岡冷麺はじめたのは在日韓国人なんだけど。。。

それに倭系の関西人こそ朝鮮系じゃないの?
東北は蝦夷=古モンゴロイド
482名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/13(水) 15:32:00 ID:+ZGxDCUZ
>476
カムチャッカ半島乃至は、アムール河口
>474
御辺は、将に、不勉強の極み


483名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/19(火) 07:54:21 ID:k7Xk9kEL
一部の縄文人の鼻の高さは白人並みだったという説もあるね
遺伝子的にはアイヌ、沖縄、東北の順に縄文人に近いそう
484名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/24(日) 00:55:52 ID:yfWXsVqS
http://www.pbs.org/wgbh/nova/first/kennewickvr.html

9300年前の、ケネウィック人の横顔見てみてよ。
アイヌ人とポリネシア人に近いといっても、この鼻の高さだよ。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/06(土) 12:16:30 ID:LMWWq7me
こういう白痴はネットアクセスを禁止にさせないとダメだな。


480 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 05/07/12 01:08:46 ID: KaZcytMI

>>479
東北なんかもろニダ語じゃないかw朝鮮語とよく似ているし、盛岡なんか平壤冷麺そのもの。

東北にいる縄文なんかほんの一握り。あとはノッペリ色白顔。
南と違って顔から色素から薄い。
これが南の顔だよくみとけhttp://l.pic.to/1aeo4
486名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/07(日) 06:28:59 ID:4WuMr4A8
>430

例の論文は、確かに最小2乗法で直線は引いてします。でも、それだけ。
相関係数については、何もかいていません。

 あれだけのデーターがありながら、海岸部と内陸部との比較とか、東部と西部についての比較の統計処理がありません。
層別化の概念もないようです。
 例の論文は、シェイクスピアの使用単語の頻度についての手法の影響を受けているのかもしれません。

 北大であれば、昔は、ヤマゲンさんが各学部に協力していたのですが、今はどうなっているのでしょうか。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/21(日) 22:32:14 ID:1GoYBtmO
あんまり、ローカルな話題に限定されると、二の句が継げないよ

もう少し、一般的な会話を心がけようよ。

488名無しさん@お腹いっぱい。:2005/08/23(火) 19:04:32 ID:pAWw760Z
おれはローカルなほうが読んでて楽しい。
いろいろ勉強になるもん。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/17(土) 01:37:56 ID:QI8AuW3M
宮城県から出土した数千年前の頭骨はアイヌ人と共通した特徴があるそうだ
490名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/27(火) 23:31:18 ID:wKAuqF2f
北大の教授がこんな事を書いています。
http://wwwgeo.ees.hokudai.ac.jp/~ono/IP/IParticle04.htm

あれま。困ったことです。
ローカルな話題でした。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/28(水) 16:06:15 ID:Dj3dKlFG
こういうのは、アイヌ語の一般的な話題であって、ヤマゲンさんより
ローカルではないよ。
492480:2005/09/29(木) 00:07:24 ID:DA2x4HpW
早稲田は、確かに中央ですが、千葉大はどうなるのでしょうか。
493492:2005/09/29(木) 00:45:16 ID:yhFTgwnS
490の誤りでした
494名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/29(木) 22:56:12 ID:GA5fksAm
邑良志別(o-sirar-(un)-pet)の続き
また例の如く、妄想なので話半分以下しばらく駄文も書き連ねると、以前、邑良志別ではと推
論した宮城県本吉町の津谷川の北支流の山中には「狼の巣(おいのす)」という地名がある。
もちろん、初出を探った訳でもなく、和語の可能性も大いにあるが、これはアイヌ語の
o-inaw-us-i(そこに・イナウが・群立している・所)なのではなかろうか?切替先生の『頻
出アイヌ語地名の形態論的構造』では、o-を充当相とする知里、山田説を否定され、o-は部分
接頭辞「〜の尻」(因みに、ho-は「自分の尻」で再帰接頭辞)で、o-inaw-us-iとは目的語相
当辞「所属物」(o-)+主語+他動詞+斜格語相当辞「所属先」で「川尻に・イナウが・群立
している・(そういう川尻を持った)ところ」が正しいとされる。しかし「狼の巣」がアイヌ
語地名であると仮定すると、確かに、ここは津谷川の北支流の山中にはあるが、川そのものを
指した地名ではないこと、津谷川の下流には「幣掛」という地名があるが、そこは津谷川の河
口からは多少内陸に位置した平たい台地上にあり、全体的に隆起よりは沈下傾向の強い三陸の
リアス式海岸の特色から考えても元来そこが河口に位置していたとは考えにくく、「狼の巣」
と「幣掛」というように複数存在することなどから、ことさら部分接頭辞「〜の尻」と意味的
機能的に限定して解する必要はなく、地名に関しては、「〜の尻」の意味も暗に含んだ知里・
山田説の充当相(o-)と解釈する方が良いのではなかろうか?
また津谷川中流の南支流には「尾持沢」という地名もある。これも初出を探った訳でもなく、
「尾持」という氏族名を含めて和語の可能性も大いにあるが、北海道の「大誉地」山田先生の
解釈ではo-i-ot-i「川尻に・それ(熊、蛇など恐ろしいあるいは貴重なもの)が・多くいる・
ところ(川)」だそうだが、もちろん山田説を100%肯定する訳ではないが(とりわけo-iすな
わち充当相あるいは目的語相当辞「所属物」+主語iの座りの悪さ)、一応山田説に従えば、「尾
持沢」とは登米沢の例からするとo-i-ot-i(o-は、ここでも「〜の尻」の意味も暗に含んだ知
里・山田説の充当相と解釈する)と考えてよさそうである。そこで、i-とは具体的には何を指
すのであろうか?海湾に面している点を考えると海産物あるいは海獣を指すのが妥当であろ
うが、勿論i-otの形式で明確に無生物sirarを指す例は管見の限り無いが、ここでは大胆にも
sirarを指すと考えてみたい。そして想像を逞しくすれば、千数百年も昔にo-sirar-(un)-pet
から「邑良志別」に音位転倒による乖離が生じた結果、新たにその原義に適合した地名として
成立し、この津谷川の山間の小支流に辛うじてその名を留めた「尾持沢」こそが「邑良志別」
なのではあるまいか?
静内方言の話者O媼の方言に関し、『北海道立アイヌ民族文化研究センター紀要1』p140で
奥田先生は「静内川上流の他の話者の方言に比べて、いくつかの点でより北海道東北部的な特
徴を持っている」とされている、恐らくO媼が元静内から15歳前後で静内川上流の農屋に移
住した点も考慮に入れての事と思われる。がしかし、Kirsten Refsing氏の
495名無しさん@お腹いっぱい。:2005/09/29(木) 22:57:22 ID:GA5fksAm
Diagram6.Nominative-objective combined forms in the Shizunai dialect(The Ainu
Language p223)のパラダイムは極めて不完全であるため公刊されているO媼のテキストか
ら自分なりに人称接辞を抽出してみた結果と奥田先生の『北海道立アイヌ民族文化研究センタ
ー紀要4』p113のO媼のikopeokaのunci=puni hine eson unci=sanke 「私たちを引き上
げて外に出した」。huci tura unci=tura hine「祖母と一緒に私たちは一緒に」の例。そして同
p102 で奥田先生は今のところ四人称主格一人称複数対格抱合接辞と思われるunci=は3例、
四人称主格一人称単数対格抱合接辞と思われるenci=は、「ハトの鳴き声の聞きなし」の中の
enci=yak-yaku 「ひどくぶったたかれた」の1例であるとされている。そこで、自分なりの
感想を述べてみると、たとえば同じ静内川上流の話者であるT媼はenci=pakkay
enci=yakyaku(『アイヌ民族博物館伝承記録5鳥』p15)を用いるなど静内東別のT翁や三
石方言(村辺媼『アイヌのくらしと言葉8』)、浦河方言のように比較的にenci=が見られる。
それに対しO媼の場合はKirsten Refsing氏記述のようにenci=、unci=より四人称主格一人称
単数対格抱合接辞としてaen=、四人称主格一人称複数対格抱合接辞としてaun=を通常使用
する。とりわけenci=yak-yaku(ひどくぶったたかれた「ハトの鳴き声の聞きなし」)は、恐
らく北海道東部方言一帯で一番enci=が出現する例かもしれない。裏を返せばO媼の場合
enci=は慣用的、あるいは化石的と言ってもいいくらいな表現にしか現れず、enci=はもはや文
法的機能を有してはいないのではなかろうか?とすると、いみじくも奥田先生御自身が記述さ
れているとおりunci=がわずか3例しかないのと合わせて、またさらにO媼が同じ静内川上流
の他の話者と異なり比較的、出現頻度の高い向格の助詞に、隣接の沙流方言と同じunを用い
る点を考えあわせると、O媼の方言分類、言語形成は親族ソレウテ媼(『アイヌのくらしと言
葉1』)の影響が大きいのではなかろうか?明治以降アイヌ共同帯の縮小に伴う言語活動領域
の縮小が「地域」という要素以上に「親族・血縁関係」という要素がより大きく作用した結果
なのではなかろうか?アイヌ語が親族間でしか使用され伝承されず、もはや外的世界との接点
とは成りえなかった故なのかもしれない。とすると、『北海道立アイヌ民族文化研究センター
紀要1』p140の「静内川上流の他の話者の方言に比べて、いくつかの点でより北海道東北部
的な特徴を持っている」というよりは、むしろ静内川上流の他の話者と比べて沙流、新冠と平
行する文法現象を有しているとは言えないだろうか?
496名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/02(日) 13:36:40 ID:/s05T4AL
>494-495
面白く読ませていただいてまス。
ニブフ関連でレスさせていただいた者です。
「邑良志別」を「<uray-us-pet」
と解釈しにくいのはなぜなのでしょうか?
497名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/02(日) 21:46:53 ID:k1PcA8DD
>496
アイヌ語のuは調音が奥で、「アイノ」のように日本語のoと混同され易いですが、『続日本紀』
の記事ですので、一先ず甲類か乙類かの区別は捨象でき、邑良志別の「邑」は、同じ記事中の人名
である宇蘇弥奈の「宇」(u)とは明確に書き分けられている点、また遠流志別石神社の「遠」の和
訓からも、恐らく「邑」は(o)で間違いはないと考えました。さらに蝦夷三等爵を与えられた事実
からも、一族率いての帰化であり、宇蘇弥奈はその族長と思われ、宇蘇弥奈自体もusに由来する
可能性があると考えたからです。
その他にもuray-us-pet説を採用しなかったのは、「ウラシベツ」という地名が本当にすべて
uray-us-petなのか?という点にもありました。
現在我々が見聞きしているのは北海道樺太を含めて、冷帯亜寒帯のアイヌの人達で、かつて温帯
に居住し、北西海岸インディアンに対比されるカリフォルニアインディアンのように食物に於ける
植物性蛋白の比重が高く、植物依存の大きかったと思われる「本州アイヌ」では、食料保存、生産
活動に於ける「笹」の重要性を考えれば、日本語でよくある地名として「笹川」という解釈も成り
立ち得るのでは考えており、uray-us-pet説それ自体に再考の余地があり、その点も理由の一つです。
それでも、もし宇蘇弥奈という人名が併記されていなかったら、uray-us-pet説を採っていました。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/03(月) 08:33:53 ID:Gkvw2CQX
「邑良志別」は、現在のどの地域で、何という川ですか。
現地調査の結果を、教えて下さい。
川の幅、水質、植生、近隣の川との比較などを教えて下さい。
499496:2005/10/03(月) 19:20:00 ID:Sz0MRgV/
>497
ありがとうございます。
o/uの書き分けからは最初の母音をoではなくuと
推測するのが合理的だというわけですね。
uray-us-petにしろ、uras-petにしろ、
母音が異なるということですか。
アクセントの可能性もあるでしょうが、
古代資料はややこしいな。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/03(月) 22:14:28 ID:NZRg6NHd
本吉町の津谷川で、河口はJR陸前小泉の付近、河口の南側には山塊が張り出し、岩場と
なっています。この付近の伊里前川、桜川、八幡川、水尻川の中では気仙沼の大川と並ぶ
大きな川です。源流部では分水嶺を越えると一関、平泉に行けるとのことですが、なにぶん
時間がなく、ほぼ国道沿いに通っただけで、その点は御容赦を。
川幅は中流から本吉駅南方のJRのトンネル付近までは約10〜20m、それより下流河口
までが約20〜30m位でしょうか。水質は町の市街地が川に沿ってあるため清流とは言い
難いです。
志津川町がタブノキの北限らしく樹相は緯度に比べて暖地系のものを比較的目にしました。
笹は伊里前川、桜川、八幡川、水尻川に比べてとりたてて多いとは思われませんでした。
津谷川が他の河川とは異なる点は、本吉駅から約1キロ程南方の幣掛付近で、対岸の登米沢の
ある、海岸にそって張り出した山塊と幣掛のある台地が接近して津谷川の両岸に迫り、この地域
では珍しく、町の市街地がちょうど東風のやませを遮る盆地状の場所にあり、メインストリート
から眺めると三陸海岸沿いにありながら、山に囲まれているという印象を受ける点です。幣掛の
付近に堤防を築けば、湖が出現するような場所です。大船渡から金華山にかけて、このような
印象を受けるのは多分ここだけかもしれません。あとは大概四方のうち一方は海に面しています。

つづき
津谷川(「尾持沢」)が「邑良志別」であるとの仮定がもし正しいとすると、sirarとは具体的に
どこを指すのであろうか?本来なら河口南側の岩場と考えるのが順当なのであるが、三陸海岸の
特徴を考えると、どの河川の河口も岩場や磯であり、とりたててo-sirar-(un)-petと命名した理由
が見つからない。そこで、ここでは大胆にも下流の左右両岸に迫る海岸に平行して連なる津谷川に
特徴的な複数の山塊をsirarと考えてみたい。sirarはsir(@大地、A山、B水際の険しい山 知里
地名アイヌ語小辞典p122)から派生したと思われ、北海道や近世までアイヌの足跡が辿れる津軽下北
地方とは異なり、今から少なくとも1300年以上も前に命名されたことが確実視される「邑良志別
o-sirar-(un)-pet」のsirar は、現代のsirar とは相違し、sirからsirarが岩礁、磯という意味に
限定ないし意味分化する過程の途上のBの「水際の険しい山」に近い意味を指す段階のsirarなの
ではなかろうか?
もしこのような推定が許されるなら、全くの蛇足ですが、sirarは、+kar( expletive知里アイヌ語法
概説 220接尾辞又は語尾)と平行するような、+ar型式のアイヌ語の古い造語方法で形成されたと考
え得る傍証とも言えるのではないでしょうか?
501名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/03(月) 22:50:14 ID:NZRg6NHd
>499
母音に関しては、東国方言は分かりませんが、中央語では服部先生の6母音説、
森博達先生の7母音説(エ列は二重母音)でも、uとo?、o?との音韻上の相違
を認めますので、アクセント及び円唇性の程度の問題はありますが、弁別可能で
あったと判断しました。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2005/10/25(火) 15:11:47 ID:VR30xLD4
sirarは本当にsirから出来たのですか?

奥田先生の見解には誤りがあるのですか?
503名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/01(火) 09:03:07 ID:KJqTK7h9
>497
>アイヌ語のuは調音が奥で、「アイノ」のように日本語のoと混同され易いですが

フォルマントの比較結果はどうなっているのですか。
504496:2005/11/01(火) 23:29:21 ID:g6X40fVn
ある二重言語話者の場合、
アイヌ語のuと日本語のoはフォルマント分布が重なります。
分かりやすく言えば、同じ音です。
一方アイヌ語のoは日本語では現れません。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/02(水) 12:27:07 ID:ys95l3zk
 とすると、アイヌ語のoは、日本語のoと比べ、極端にF1とF2の間隔が狭いこと
になるのですか。
 アイヌ語のaのはF1と、アイヌ語oのF2の関係はどうなっているのですか。
 使用したウインドゥは何ですか。ウインドウによって、分解能に差があるのですか。
アイヌ語の母音に関する論文などを、教えて下さい。
質問ばかりですいません。この分野に最近興味があるものですから。
506505:2005/11/06(日) 00:01:22 ID:RES+d0xl
>504
>アイヌ語のuと日本語のoはフォルマント分布が重なります。
>分かりやすく言えば、同じ音です。

日本語の「5母音」の構造から推定すると、これは、理解しづらいことです。
496さんのおっしゃっていることからは、アイヌ語の母音構造が、推定できません。
もしこれが事実であれば、アイヌ語の母音体系と、日本語の母音体系は全く異なり
日本人は、アイヌ語の母音を聞き取ることが不可能かと思います。

 私の、知識不足であるかと思いますので、私のどこに誤りがあるのか教えて下さい。
507504:2005/11/07(月) 12:21:13 ID:BKM46IsZ
505さんは研究者でしょうか?

(1)まず私の参照したのはバイリンガルのデータです。
モノリンガルのアイヌ語話者のデータではありません。
この話者がアイヌ語のウと日本語のオを同じ音で発音している。
(というかよく似たフォルマント分布を示す)、ということです。
(2)各言語はそれぞれ独自の母音体系を持っており、
そもそも各母音の分布は、異言語間で完全には重なりません。
日本語の方言間ですら異なります。

なお、アイヌ語の母音に関してはフランスですでに100年ほど前に
「アイヌ語のイとウが非常によく似ている」
などの指摘がなされています。つまり彼らの耳には
「日本語とは異なって聞こえた」
のでしょう。機械測定も行っています。
(確か機械では舌の位置を測定していたのだと思いますが)

私が間違っているのかもしれませんが、
普通は言語学者は以下のように考えていると思います。
すなわち、
日本語の話者もアイヌ語に慣れれば聞き取れます。
これはアイヌ語に限ったことではなく、
フランス語のような母音の多い言語でも聞き取れるようになります。
もちろん個人差があり、ダメな人はいくら練習してもダメです。

508505:2005/11/07(月) 13:15:43 ID:u5yii5XX
残念なことに、質問には、一つとして回答していただけませんでしたね。
 アイヌ語のuが日本語のoと同じフォルマントならば、アイヌ語oのF1とF2は、
どのようになっているのですか。

 訓練の話をしているわけではありません。音素に関して疑問があることから記載しました。
 (2)は当然の前提として記しました。だからこそ、アイヌ語の母音構造を質問しているのです。

100年前では、例のドラムがクルクル回る声紋測定器でさえあるはずがありません。
器具ではなく、機械ですか。

>505さんは研究者でしょうか?
504さんは、シロウトでしょうか?
この掲示板で、この質問に何の意味があるのですか。


509504:2005/11/08(火) 00:58:17 ID:f8/v1ry7
>>505
失礼いたしました。当方シロウトでございます。
実は今出先でしばらくデータが参照できません。
C大、W大の出版物をご参照ください。
研究者であればアイヌ語文献の探し方はご存知かと思います。
このような掲示板でアイヌ関連文献情報をピンポイントで示せといわれても困ります。
お急ぎでしたらご自分で測定してください、すぐに出来ると思います。
F1とF2の間隔は東日本の日本語より狭くでます。
ところで、なぜ
>>日本人はアイヌ語の母音を聞き取ることが不可能かと思います
と書かれたのでしょうか。私こそ教えを乞いたいところです。
実験音声学の専門家ではないのでよくわからないのです。
こちらから質問してしまい、すみませんが。
510505:2005/11/09(水) 23:22:26 ID:stbJ3uYT
504さんはすごいですね。

 アイヌ語のuが日本語のoと同じフォルマントならば、アイヌ語oのF1とF2の
間隔は東日本の日本語oのF1とF2の間隔より狭くなるしかないないですね。

 とすると、その間隔は100ヘルツ前後ですね。参りました。
あなたはすごい。

 この母音体系が、アイヌ語の母音体系なら、これを聞き分ける人類は、
どの程度いるのでしょうか。

いやあ、参りました。
とてもワタクシごとき人間の出る幕ではありません。
 今後も、アイヌ語の色々な言語体系のご活躍を期待しております。
本当に、負けました。いや、本当に。心から、実感として。
あなたはすごい。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 13:50:10 ID:A8qzMdRw
>>277

オホーツク海だけ和名がないのはなんで?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1132736143/l50
どちらが正しいの?
512名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 14:25:55 ID:LNxXR/UI
ツィンツィウスを直接見たわけではないが、池上先生がエウェン人から
聞いた言葉は閉音節終わりのようなので、HPより277の方が正しいのでは。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/24(土) 04:52:27 ID:JIiylccM
アイヌとかシベリア近辺の、地名ってカワイイのが多いな。

ポロコタンって・・・ww
514名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 14:23:31 ID:+z5Zpf8B
uray-us-pet(nay) neewa uras-pet(nay)(tura) nah aynu reko sinre.
(〜reko sinre sekor an iporse anakne sar-un-kur iporse ne yakka.)
nea sinre temana an=eywanke teh an he?
an=eywankehe neampe siisam itah ani ku=yee anah:
全くの思い付きですが、こう仕分けができるのでは?
和名の笹川の分布などを考えると、たとえば、東京近辺だと千葉県南部の
小櫃川上流の笹川などが分かり易い例だが(勿論笹の植生があるのが大前提)、
uras-pet(nay)は、大中河川の中、上流の一支流。
uray-us-pet(nay)は、上記以外の本流筋あるいは(中)下流域の支流。   
          独立河川とみなしてもよい海にすぐ注ぐ小河川。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 22:16:40 ID:E39gjhRP
そもそもurayってどんな地形のところに仕掛けたんですか
516名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 20:43:45 ID:nnAGUoSK
urayは主に夏溯上する鱒を獲るために、比較的川幅の狭い川の浅瀬に設置したようです。
アイヌ民俗調査U旭川地方p45以下には石山氏の口述としてrikincepkoykiuray(上りウ
ライ)、rancepkoykiuray(下りウライ)があり、また門野氏の「泥川」での話として、川
幅4〜5mの小さな川では小さなウライはraomapとは呼ぶがurayとは言わなかったよう
です。勿論明治以降の話ですが、以上の話を総合すると、原則として比較的川幅の狭い川
の浅瀬に設置したようですが、川幅の広い川や、下流部でも知里『地名アイヌ語小辞典』
の挿絵のように川が湾曲して浅瀬になっている所には設置したのかもしれません。溯上す
る鱒を獲るのであれば、下流に設置した方が有利であり、上流まで溯上させるために一網
打尽にしなかったアイヌの人達のことですから、溯上量さえ多ければ、urayに導くために
完全に川を封鎖する必要も無かった訳でしょう。それで、rikincepkoykiuray、
rancepkoykiurayと言う言葉があったのではないでしょうか?これ以上は分かりません。
ただ、ウラシベツをuray-us-petとのみ解釈する知里説は、山田先生が言及しておられるよ
うに、もしかしたら見直しの時期に来ているのかもしれません。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 03:05:22 ID:TAer9Xka
o-ra-us-pet、河口にraが生えている川とも解釈できますかな。
(だがraって何だ、という話に。)
518名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 21:47:03 ID:J2blB2bo
これから先の話しは、全くの蛇足で、語呂合わせだが、「邑良志別」が本吉町だとすると、
津谷川の下流の左右両岸に迫る海岸に平行して連なる山塊に「津谷舘岡」以前は「舘の内」
と言う地名がある。発掘記録を見た訳でもなく、せいぜい遡っても中世が限度であろうが、
仮に古代まで遡り得るならば、こう解釈するのはどうであろうか?中川先生が『ペテルブ
ルグMAEコレクションのアイヌ語資料』(ユーラシア言語文化論集1号p70)の中で、「資
料829‐509(1904年ピウスツキ サハリン東海岸採集)кiро цяci(炉の火から靴
を保護する板)」について考察され、「kiroは靴であり、casiは「砦」「館」などと訳され、
また本来の意味は柵だと言われる。〜〜これが実際に「炉の火から靴を保護する板」とい
う用途のものであるとすれば、casiという語の持つ意味を明確させる有力な資料になると
思われる。」と書かれている。とすれば、casiには「板」と言う意味があることになり、ras
「木片、割木」(知里アイヌ語地名小辞典p105)と同義となる。この見解を採れば、類例
は無いが「邑良志別」はo-ras-(un)-petとも解釈し得る。勿論、「邑良志別」が本吉町で、
且「〜の尻」の意味も暗に含んだ知里・ 山田説の充当相(o-)と解釈するのが前提ではあ
るが。では、casiとrasの違いはどう解釈すべきか?casiは casikot(砦の跡)のように使
われる事が多々ある。kotは地名としてはosor-kot(尻の形のような窪地、跡)等のよう使
われている。妄想であるが、casiとは跡や窪地が生じるような盛土整形、土塁周壕を伴う
板囲いの柵、rasは単なる柵と言うように築城方法の違いとするのも面白いかもしれません。
もう一つの解釈は、津谷川の下流の平たい台地上には「幣掛」という地名があり、その付
近に、川の両岸に山が迫り、そこに堰を設ければ、容易に川の流れを止められる場所があ
る。そこはtesを設置すれば、溯上する魚を一網打尽にでき、rasを並べて打てば容易に舟
の航行を停止させ外敵の侵入を防げる場所である。ここが「邑良志別」なら、o-ras-(us)-pet
とも解釈し得る。勿論ここでもrasをtesの意味として、あるいは単純にrasの意味として
も使った類例は無い。ただ、津谷川中流南支流の「尾持沢」をo-i-ot-iと解釈し得るなら、
rasをtesの義として解する事とは、i-を無生物ではなく、海産物あるいは海獣、魚類と想
定し得る点で若干の整合性がある。rasとtesの相違あるいは意味内容の分化であるが、「邑
良志別」が今から最低でも約1300年前の地名であり、仮に東北、北海道のアイヌ語地名が
九戸の乱を最後に幕藩体制に移行していく時点で固定されたと仮定しても、その間約900
年近い開きがあり、許容範囲とも言えようか?
519名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/01(水) 23:30:33 ID:YzJKgoXz
たまには、北方の地名を、ということで
鳥居龍蔵の『千島アイヌ』には千島アイヌの副酋長アウヱリキから聞いたカムチャツカの
オホーツク海側ロパトカ岬からクリル湖のまでの地名が記録されている。その中に
Kasamashike(千島語)河の左側に竪穴の跡あり。Osomashike(千島語)一流の河あり。
という記述がある。
まず、kasaやosoは、樺太アイヌ語のVr→VrVと平行するVs→VsVではなく、
iruskaをDybowskiはiruskaと表記しているのに対し、鳥居龍蔵はirushikaと記述してい
ることや、КрашенинниковやDybowskiがurと表記しているのに対し、鳥居
龍蔵はuruと表記している点などから、日本語話者の鳥居は閉音節を開音節と聞き誤ったも
のと思われ、kas、osであったと考える。
そうすると、kas mas ke <kas(仮小屋)、mas(名詞的語根)、?ke(名詞または名詞
的語根につく接辞。所、場所)
os mas ke < os(サケマス類の雌の稚魚、めすのサケ 知里動物辞典)?ke(所、場所)
と分析できるのではないだろうか?
そこで問題のmas(名詞的語根)であるが、
maskin副詞 思いがけないことを表す。まさか、そんなこと。余りにも、非常に。(沙流)
mastek自動詞 物がいっぱい詰まっている。(沙流)
maskin接続助詞 〜のゆえに一層。masikinka副詞 まして、それに加えて(静内 織田)
maskiruyno副詞 驚いたことに(静内 織田)
masasa他動詞 〜をいっぱいに開く(静内 織田)。maskin副詞 余り、並外れて(樺太)
maskino あまり(多)過ぎる 幌別(方言辞典)
mashki (adj) 余計ノ、過分ノ、過度ノ(久保寺辞典、バチェラー辞典?)
−tek軽微態、−ki動詞法接尾辞、−no形容詞法接尾辞、副詞法接尾辞(アイヌ語法概説)
520名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/01(水) 23:32:19 ID:YzJKgoXz
〜続き〜
以上からmasは程度のひどい、あるいは多い、たくさん等を表す名詞的語根なのでは?
因みにニヴフ語のmacとはちょうど反対の意味なのが興味深い。冗談ですが、「マチワゲー」
もmas-wa-keと語呂合わせもできるかもしれません??
この点に関し、masが地名に表れた例として増毛が考えられる。
増毛は浜増(毛)から運上屋が移転するに伴い変更された地名で、元来は「ほろとかり」(松
前島郷帳)あるいはポロトマリで、浜増(毛)の方が「マシケ」(正保日本総図)「ましけ」
(松前島郷帳)、別名ではヘロクカルシ(heroki-kar-us-i)と呼ばれていた。
浜増(毛)については諸説があるが、カムチャツカアイヌ語にOsomashikeという名前の付
いた川があり、クリル湖周辺の河川は南カムチャツカではサケマスの溯上が多い地域である
こと等から、os(サケマス類の雌)が省略された形のmas(程度のひどい、あるいは多い、
たくさん等を表す名詞的語根)、?ke(所、場所)だったのではないだろうか?
恐らく、osは音声的にus(湾)と紛れ、浜増には実際入り江があり、意味的に誤解を生じ易
いことから、省略がなされて定着したのではなかろうか?
蛇足ながら、このことは静内の地名解で、「シヒチヤリ(シヒイチャン)」、旧名「ホマリモイ」
を、sipe-ican、 homa-an-moyとする傍証ともなり得るかもしれません。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/02(木) 21:54:29 ID:f8nYj8TF
増毛に関して、松浦武四郎の『西蝦夷日誌』には「マシケイ」(「宜しきと云う儀」)という語
があり、また久保寺辞典にもmashkehi 〜arpa kor(増毛に...)という用例が出ている。
他方、石狩の厚田郡には安瀬(ヤソスケ『西蝦夷日誌』)という地名がある。
これはya sos-ke-(i)<ya(網)、sos(薄片)、−ke(ある種の語根について自動詞化を表す 知
里 sos-ke自動詞 剥げている、崖などが崩れて地肌が表れている)、−i(名詞化接辞)と
解釈が可能とされ、刺網場の意味とされる。
この例に従うと、mashkehiは<mas(語根)、−ke(ある種の語根について自動詞を表す接
尾辞)、 hi(名詞化接辞)となるが、一方masを語根とする語はmaskin、maskiruyno、
mastek等、−tekや、主として動詞化接辞−kiをとっている。
とすると、やはり、sos-keのように動詞化接辞−ke を付加するのとは異なり、masの場合
の動詞化接辞は−keではなく、−kiと考えるべきであり、この−keは、やはり−kiと意識
的に区別した、場所等を表す名詞、名詞的語根につく接尾辞と考えるべきなのでしょうか?
次に、この−keに関連して、千島列島の雷公計島は「らつこあき」(松前島郷帳)、「ラクア
キ」、あるいは鳥居龍蔵の『千島アイヌ』ではRaikoke(ラッコのいる所の義)と呼ばれてい
る。意味を重視して、Raikoke<rakko、or-ke(@崖が崩れて深く凹んでいる所、A内部、
B所 知里地名小辞典)とも考えられるが、どうもrakkoとor-keが直接結び付くのは不自
然に感じられ、またRaiと発音されているのも気に掛かる。そこで、ひとまず「ラッコ」か
ら離れて、地形から考えてみると、雷公計島は海から、すぐ富士山のような成層火山が聳え、
山頂には大きなカルデラがある。平地の皆無な小さなこの島の特徴といったら、ほぼこれだ
けである。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/02(木) 21:56:08 ID:f8nYj8TF
これから先は妄想なのだが、Raikokeとは、kotを用いた地名が千島の他の場所にも存在し、
またkot-ne(自動詞 へこむ、くぼんでいる)のように接尾辞が付加した例もあることから、
ray-kot-ke<ray(名詞に接頭して、ものすごい、ひどい)kot(跡、窪み)、−ke(所、場所
を表す名詞または名詞的語根につく接辞)で、「大きな窪地(カルデラ)の所」というのはど
うであろうか?
これが正しいとすると、雷公計島は松前島郷帳以来の「ラッコ」に関係すると思われる「ら
つこあき」「ラクアキ」系統の名称と、鳥居龍蔵が『千島アイヌ』の中で音声として耳にした
Raikokeの二つの系列(別称)が、もしかしたらあったのではないであろうか?
因みにラショワ島は、鳥居龍蔵の『千島アイヌ』ではRasawa、松前島郷帳では「らせうわ」、
であるが、土人の呼ぶ名称として「ラスコケ?」があるらしい(詳細は不明)。
これも、本来の、あるいは古くからあると思われる文字資料に記述のある名称と、比較的新
しいと思われる?音声資料としての別称とが存在したことを、もしかしたら暗示するのかも
しれません。
さらに、前述のOsomashike、Kasamashike及びRaikoke、ラスコケと−keが後接してい
る点を重視すれば、増毛という地名に代表されるように北海道アイヌ語では、自動詞化する
接尾辞−keに比較して、所、場所を表す名詞または名詞的語根につく接辞としての−keは、
衰微した一方、千島カムチャツカのアイヌ語では、未だ、所、場所を表す名詞または名詞的
語根につく接辞としての−keは十分に機能しており、いわば「生きていた」といえるのでは
ないでしょうか?
だとしたら、久保寺辞典のmashkehi(増毛)のkehiとは、衰微した、場所等を表す接尾辞
−keが既に忘却され、未だ十分に機能している自動詞化接尾辞の−keと誤解した結果、全
体を名詞化する必要性から、(h)iを付加したものか?、あるいは増毛から遠方の沙流方言形
(arpa)と考えられること等から、多少無理はあるが、場所の意味を強めるために、殊更、
−keの所属形をとったものなのか?
523名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 22:37:08 ID:IAmSVOV0
アライド島(2339m)は正保日本総図では「ヲヤコバ」、松前島郷帳「おやこば」、別資料で
は「オヤコバケス」、鳥居龍蔵の『千島アイヌ』ではOyakobakka 、別名Chacha kotanと
呼ばれている。
そこで、この 「おやこば」であるが、知里の『地名アイヌ語小辞典』から機械的に当て嵌め
るとo-ya-kot <o(尻が)、ya(陸岸に)、kot(くっついている)全体で「半島」という意
味に、pa(頭、崎、かみて)が付加されたものと一応考えられる。勿論o-ya-kotに直接pa
が付加するのは意味的に多少不自然ではあるが、ここでは目を瞑って、「半島の、頭、崎」の
意味だとすると、これは、ロシア人として初めて、ボリシャヤ川以南のクリルの地を探検し、
オパラ川河口付近から、アライド島(ロシア名アトラーソフ島)を遠望したアトラーソフの
見た情景とまさに同じ位置関係を表しているのではなかろうか?確かに、千島列島の第一島
はシュムシュ島で、その国端崎とカムチャツカ半島のロパトカ岬の間が最も距離が短いので
あるが、シュムシュ島は平坦な島であり、ボリシャヤ川以南のカムチャツカ半島西岸では、
アライド島がその標高ゆえに、カムチャツカ半島南方の正面にまさに「第一島」のごとく見
える。
この推理が正しいとすると、「おやこば」は千島アイヌがカムチャツカ半島に到達し、クリル
地方に定住した後に命名された名称の可能性がある。ここで気になるのは、鳥居龍蔵が『千
島アイヌ』で別名としてChacha kotan<caca(翁)、kotanを記録していること。前述のよ
うに雷公計島には「らつこあき」(松前島郷帳)、Raikoke(『千島アイヌ』、rakko+or-keの
or-keの例として、確かに『北蝦夷古謡遺篇』の中にはri-sir-oro-keという語が出てくるが、
hawkiの一行の拍数を整える為のいわばatomteitakであり、普遍化していたものではない
と考える)さらに、磨勘留島マカンルシ、「こくめつら」(松前島郷帳)という名称がある(ラ
ショワ島の「ラスコケ?」は雷公計島の誤りの可能性があるので一先ず除外する)。
この雷公計島、アライド島、磨勘留島はともに、海からすぐ成層火山が聳える平地の皆無な
島であり、余り利用価値が無く、離れていて普段は立ち寄らない島である。
そうであるなら、「利用価値の少なく、直線航路からズレていて余り立ち寄ることない島の名
称は一般的に慣用性が少なく、別名や二重地名が生じ易い」と考えるのはどうであろうか?
そこで妄想ではあるが、クルムセ島の近くに描かれている「アトヱソ」(正保日本総図)、「あ
とゑふ」(松前島郷帳)、別資料では「あとへふ」等とは、高倉先生は「あとき」=「クルム
セ」としておられるようですが、もしかしたら、アライド島を指すのではあるまいか?
524名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 23:18:21 ID:RCMtszO3
敷香岳について
『竹四郎廻浦日記 下』では、アンバマートイ(山)、東にキミタカノホリ両岳
それとは別に「アレハノホリ」なる記述があるが、編集者によれば、アレハノホリは
「レ」ではなく「ン」の誤記でアンハノホリか?とされている。
敷香川には「此川すじも魚類多き由にて、土人共皆張網を致したり」との記述がある。
『池上ウィルタ語辞典』では、Ambamaitu(敷香岳)、ambamaikku(凶事)、amba(魔物)
一方、松浦武四郎の『野帳』では
アンハマーイト  子(北)の方角に、キミタカ山
アンハマーイトから少し離れたところに、アハノホリの記述がある。
いったい、どちらが正しいのであろうか? 
野帳 タンケヲチシ子→→タン子ラチシ子 廻浦日記
野帳 リクノヲチシ子→→リクノラチシ子 廻浦日記    の誤記の例から
敷香岳のちょうど反対側の鵜城の用例として
『知里アイヌ語地名小辞典』aka鵜城では、魚体の背線、尾根、山稜、千島では崖、岬
aka-turu 尾根、山稜 とある。
とすると、アハノホリは、もしかしたら、aha(<aka)−nupuri 脊梁 山(山脈)で、
西樺太脊梁山脈の意味ではないだろうか?
次にAmbamaituの東?あるいは北?にあるとされる「キミタカノホリ」、「キミタカ山」は
具体的に何処を指すのか(保恵岳かあるいは敷香岳の別名か?)、いまいちよく分からないが、
キミタカノホリとは(e〜itok)<kim-etok(o)-(an)-nupuri 生活圏の山、の先(奥)、
(にある)山=人の立ち入る山の奥に聳える山の意味か?
Ambamaitu(敷香岳)も、ambamaikku(凶事)、amba(魔物)の例から、
人の立ち入る事の無い奥の「魔物」の棲む所の意味か?
もしそうであれば、奇しくも、アイヌ語、ウィルタ語とも同じ様な意味になる。
邦領樺太に於いて、敷香から西海岸に出るのには、恵須取岳の北の開北峠を通る
恵須取と内路を結ぶ内恵道路を使い、敷香岳付近から直接西海岸に出られなかった事実
からも、そこは人跡未踏の地だったのかもしれない。
因みに、廻浦日記、野帳とも、カンクシアイノからの話として、コタンケシ川(古丹岸川)
源流の恵須取岳と思われる名称として「ヘシュアンノホリ」が挙げられている。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 11:00:50 ID:wr96Qk9T
>519-523

増毛か浜益か分からんけど、榊原さんのデータベースや
増毛町のHP等ではカモメの多くいるところの意味だそうだ。
どれが正しいのだろうか。
526名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 15:08:11 ID:Vtp6rieS
データベースと銘打ってるだけに榊原氏の方が正しいんじゃないの。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/10(金) 16:42:01 ID:JSXSs1iG
榊原氏に一票
528名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/13(月) 15:20:59 ID:cu/vhjZr
道産子同士榊原さんに2票目
529名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/13(月) 16:52:11 ID:arbBplbx
発音から起源・語源を説明したり、推測したりは好きだったんだけど、
「万葉集は古代朝鮮語〜」あたりでどうもアレルギーになってしまった。
俺みたいな門外漢にはどこまでが根拠があって、どこからがトンデモなのか、判別も難しい。
530名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/13(月) 18:33:36 ID:UL6CByYD
やっぱカモメのジョナサンで、榊原先生 3票ゲット!
531名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/14(火) 15:02:33 ID:Rxdytkn1
上と同じく1票
532名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/18(土) 03:21:05 ID:y4Gqv0we
なにか知らないが、ジョナサンにもう1票w
533名無し:2006/03/26(日) 20:53:33 ID:PFcCCtTB
 八王子市にある高月整形外科(東京手の外科・スポーツ医学研究所)は付近
の病院にお金をばらまいて自分の病院に患者さんを紹介してもらっている。
なので高月整形外科に行くように病院でいわれたら少し考えてほしい。
同じ治療を受けるにしても大学病院やそれに匹敵する大きな病院が付近にはた
くさんあり、国家予算をたくさん投入して最新の設備をそろえているところもある。
個人病院よりも大学病院やそれに匹敵する大病院のほうが医療のレベルが高い
のはいうまでもない。紹介する病院はお金をもらっている関係で高月整形外科
をよく言うのは当然である。でも自分自身の体のことだから病院間の不正な金
銭のやり取りのために高月整形外科へ行くよりも、大学病院やそれに匹敵する
最新の設備を整えた病院できっちりした治療を受けたほうがいいだろう。
それゆえ高月整形外科にいくように言われたらもっと最新の医療設備の整った
病院を選んでみてはどうだろうか。
534名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 11:27:15 ID:XFFdA3zY
★★日本語[上段]と韓国語[下段]の単語発音の違い 基本語彙が違うから全然別系統の言語
朝鮮韓国出身の人間が言う同祖同根は話し言葉上は真っ赤なウソ外来語借用語の発音が似ているのは当たり前
 漢字は中国語(一(いー)[漢]・いち[日]・いる[韓])
 キリスト教用語も英語(クライスト[英]・キリスト[日]・キリスド[韓])などの外来語
★身体_かお___め__みみ__くち_はな_した_て__あし_あたま
____おるぐる_ぬん_くうぃ_いぷ_こっ_ひょ_そん_ぱる_もり
★親族_おとうさん_おかあさん(かーちゃん)_おじいさん_あにうえ(にーちゃん)_ねーちゃん
____あぼじ___おもに(おんま)_____はらぼぢ__ひょんにむ(おっぱ)__おんに
★動物_きつね_たぬき_きじ__にわとり_くま_いぬ_ねこ___かえる
____よう__のぐり_くぉん_たく___こむ_けー_こやんい_けぐり
★日の数え_ついたち_ふつか__みっか
______はる___いとぅる_さふる
★数かぞえ_ひとつ_ふたつ_みっつ_よっつ
______はな__とぅる_せー__ねー
★食べ物その1_くり_ねぎ_きゅうり_もも____みかん_ごぼう_たまねぎ_とうがらし_なす
________ぱむ_ぱ__おい___ぽくすんあ_きゅる_うぉん_やんぱ__こちゅ___かぢ
★食べ物その2_にら__そらまめ_しょうが_だいこん_いちご
________ぷちゅ_わんどぅ_せんがん_むー___たるぎ
★テニヲハの文法や変化形についても同様。〜の[日]〜ご[韓]は必ずといえない
 チマ・パラム(スカート・風)ではなく「スカート”の”風」で助詞「の」が無い
〜は[日]〜ぬん[韓]も使うニュアンスが違う
 トクトぬん・うりタン(独島は我が領土と訳しているが直訳は竹島ったら我らの物)
 ちょぬん(チョンは小さいヌンは強調や物の意味ミリミリとウニョウニョと小さい物)
 チョンかくトゥギ(小さい大根漬け)チョンは小さいというか細かいって言う意味だが
535名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/29(土) 14:34:46 ID:aXiyVILW
アイヌはシビリーデ。




a.シビリーデ(古アジア人種)

皮膚は黄色であるが、蒙古的特徴が弱く、白人に近い点もある。
古い混血集団か、あるいは人種分化以前の形といわれる。
ウラル地方と北東シベリアに分布。



536名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/06(土) 21:10:06 ID:kXr9SKUI
tanato kayano ekasi mosir(h)oppa yak a=ye
537名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 04:46:44 ID:38iy8SAB
アイヌ民族初の国会議員、萱野茂さんが死去
 アイヌ民俗学者でアイヌ民族初めての国会議員も務めた萱野茂さんが6日、亡くなった。79歳だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20060507/20060507-00000000-nnn-soci.html
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20060506/20060506-00000036-jnn-soci.html
538名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 05:00:26 ID:QvZoIoXT
ご冥福をお祈りします。

こんなときに、アイヌ語で追悼の祈りが口に出来たらな…。
539名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 20:24:52 ID:32qtZwa0
>>524の続き敷香川(シッカナイ)について
『竹四郎廻浦日記』、括弧書きは『野帳』。シッカナイの二俣以降、下流から上流の順に、
@右ヨルニナイ(ヨルマナイ)A左ホンナイ(ナイ)Bジャウシハー(シヤウシクー)
C少し右の方 (右)ナニワフイこの辺から急D(右)ママテー(ココチー)
EマカンチーF左ハメキダ(ハメキタ)G右サマルキH左ハチクマI並てフシコナイ
J右シュナイK(右)アマチュルマLトイマイMナヨ?(ブヨ?)?は繰返。
Nノホリソウ(ノホリ 滝あり) 四日行程
戦前の集落の位置関係下流から上流に 中敷香、駒問川分岐、上敷香(西川、要沢、吾藤沢)、
泉部落、代太郎峠付近、鱒止ノ滝、直栄橋などの地名がある。
これらを、『竹四郎廻浦日記』『野帳』の記載に当て嵌めると、
上敷香付近の右支流、西川、要沢、吾藤沢は流れが急になる地点のC(右)ナニワフイ
D(右)ママテー(ココチー)Eマカンチーに該当するのでは?
とすると、上敷香はEマカンチーか?鱒止ノ滝は、多分Nノホリソウだと思われる。
さらに、上記地名を機械的に当て嵌めていくと、H左ハチクマは敷香川第一支流分岐点から
アルカリ沢の間で、第一支流に流入する貂取沢か?次のI並てフシコナイは、husko nayで
古い(元の)川の意味で、敷香川第一支流に流入するさらに奥のアルカリ沢を指すのか?
しかしX?r?itu池上p237(小川氏)敷香川の奥、ウィルタがいた。川の湾曲部のような所。
あるいは、xaalap?i uni(以前の川)、舟が着岸するxaakki??ee-ni 、xaakp?iという記述を考
え合わせると、泉部落から敷香川第一支流分岐点付近で敷香川本流が南から東に大きく流れ
を変えていることから、敷香川第一支流分岐点付近をH左ハチクマと呼んだものなのか?
(もし、xaalap?i uni(以前の川)なら、次のフシコナイと同義になるが、ここはウィルタ語の
更なる研究を要するので、結論を保留する。もちろんluktama留久玉同様、ウィルタ語かニ
ヴフ語かも問題ではあるが)
以下は妄想なのだが、以前は鱒止ノ滝のためにそこから先はあまり魚が溯上せず、鱒止ノ滝
より上流には通常漁には行かない事から知見がなく、また、この敷香川第一支流沿いに泉部
落から樺太西海岸に続くいわゆる内恵道路に到る道が戦前に造られており、敷香岳付近を踏
破するより、もしかしたら、こちらの第一支流沿いの方が重要と考えられていたのでは、
とすればIフシコナイは、敷香川第一支流に流入する小支流のアルカリ沢や貂取沢ではなく、
敷香川第一支流自体がフシコナイ(husko nay)だったのかもしれない。古来川沿いに道が
通じていた敷香川第一支流の方が馴染み深かったのかもしれない。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 20:26:32 ID:32qtZwa0
そうすると、次のJ右シュナイとは、もしかしたら、sii-nay本当の(大きな)川で、第一支
流分岐点より上流の(敷香川)本流全体を指したものなのかもしれない。
鱒止ノ滝のせいで、それより上流の直栄橋付近で合流する敷香川第二支流などの知見が少な
かったわりに、敷香川本流をsii-nay本当の(大きな)川=本流と認識していたのはどう考
えるべきか?フシコナイ(husko nay)との対比から考えると、古来敷香川は西海岸に通じ
る敷香川第一支流の方がむしろ本流と考えられていて、鱒止ノ滝よりさらに上流の敷香川第
二支流等の確たる知見を得た後に、敷香川本流をsii-nay本当の(大きな)川=本流と新た
に命名したものかもしれない。
ここで不思議なのは、「此川すじも魚類多き由にて、土人共皆張網を致したり」という記述と
ともに、上流山間部はウィルタ語やニヴフ語ではなくアイヌ語と思われる地名が存在する事。
とすれば、キミタカノホリが、(e〜itok)<kim-etok(o)-(an)-nupuri 生活圏の山、の先(奥)、
(にある)山=人の立ち入る山の奥に聳える山の意味で、間違いないとすると、「土人共皆張
網を致し」また「ノホリソウ」の東に位置する敷香川東岸の山塊は、該当しないことになる。
そう考えると東の大木山、北の幌登山、保恵岳あたりがキミタカノホリに該当しそうである。
ここでは標高の点で幌登山。
あるいは幌登山主峰とする保恵岳を含む初問川上流の山塊と考えたい。

補足、アハノホリaha(<aka)−nupuri 脊梁 山(山脈)に関して
樺太の最狭部真縫久春内間の轟峠付近には『竹四郎廻浦日記』「アヽヌフイ、又是より山へ懸
り、峯つづき二ヶ所斗もこへて下る」また『野帳』では「アーヌフリ」という地名がある。
真縫久春内間は樺太の地峡であり、ここで言う「山」とは西樺太山脈以外考えられないこと
から、これは脊梁 山(山脈)を意味するah(a)(<aka)−nupuriなのでは?
「アレハノホリ」をウィルタ語アイヌ語の、いわば重箱読みのamba(魔物)−nupuriでは
なく、aha(<aka)−nupuriと考えた理由の一つはこれ。
因みに、幌登山は標高は高いが、敷香岳のように西樺太山脈の脊梁から少し離れた所にある。
もし幌登山がキミタカノホリなら、同様に、里山の奥にある敷香岳もキミタカノホリと呼ば
れて然るべきなのに、アレハノホリ、アハノホリ、アンハマーイト(Ambamaitu)であるの
は、やはり脊梁ah(a)(<aka)の意を含んでの事であろう。とすると、アイヌ語地名の分布状
況から、Ambamaituはアイヌ語ah(a)(<aka)から、ウィルタ語amba(魔物)が類推され、
生じた名称なのでは?それが、敷香岳には二系統と思われる名称がある所以なのではないだ
ろうか?
541名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 22:20:07 ID:IFWtGQen
アイヌの足跡はカムチャッカのどの辺まであるの?
542名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 07:06:21 ID:eeQbNRyo
南端のクリル湖までは確実だろうが・・・
543名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 09:47:44 ID:2XJ65yY+
秋田の西馬音内ってアイヌ語だろ?
544名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 21:10:37 ID:qdMt+K0c
西馬音内は多分アイヌ語だろう。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:16:01 ID:kmuNFGZ/
nisimonaiって読むのか?
monaiに馬音内と当てたのが不思議
546名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:42:50 ID:w2pkZ/OX
西馬音内は『続日本紀』の雄勝城が置かれた場所とされ、山田説では
nispa-un-nay 貴人のいる川とされる。
山田説同様地形的にnisey-oma-nay断崖のある川とするのは困難であり、
現在の西馬音内より上流の元西馬音内が本来の場所で、雄勝城を構成する
雄勝柵があったらしい点。
また、雄物川合流点からかなり遡った地点であり、川筋の源流部も急峻ではなく
防衛上の利点も考えにくく、多賀城からの補給も困難な事なども総合すると、
nisew-oma-nay(越冬食料の)どんぐりの多い沢というのはどうであろうか?
沢筋で縄文の遺跡として、ままあるトチノミやドングリの貯蔵穴が発見されれば、
この解も可能なのでは?
547名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:39:40 ID:1Lrdj2lF
栃木県某所「ワカタビ」(若度−かつては「ワカタベ」)
wakata(水汲む)-pet(川) …だそうな。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 22:53:15 ID:9L1Jl0OE
片山龍峯氏の研究ってどうなの?
549名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 20:36:05 ID:K743W1H/
茨城県高萩市大字横川 字ユナカウス
妙高山の惣(そう)滝
550りん:2007/05/19(土) 09:59:08 ID:h1d3DEnb
稚内じゃないの?オホーツクはラムート語だよね?
551名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 20:02:39 ID:2X9Yx+nB
>>546
埼玉県川口市の縄文中期の赤山陣屋遺跡

川を利用したトチの実のアク抜き場
552名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 07:35:21 ID:u58C04UF
>>550
ワッカは冷たい水。つまり冷水の湧く沢の意味。
アイヌ語地名は北樺太北端まであり、江戸時代の近藤重蔵が探査・証明している。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 14:23:04 ID:omZNnha4
>>552
稚内に冷たい水なんか湧いてるのか?
554名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 02:04:51 ID:Glrqp8JE
研究者が一般に通じない言葉で独り言を言い合っているのがよくわかるスレ。
アイヌ語研究が全国的に通用しないのがよくわかる。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 02:33:58 ID:HlW+ucjs
誰か、最近出た「アイヌ全史」読んでみた人いる?

書評教えて!!

556名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 17:34:20 ID:lCtI84uW
>>550
近藤重蔵は樺太北端へ行っていませんね(後の間宮林蔵も北端までは達していません)
樺太北端の地名の存在と、それがアイヌ語であることをどのようにして証明したのですか?
557名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 13:01:42 ID:Ipommfsx
ラペルーズらの採録した「チョカ」は
「我々」じゃなくてやっぱり地名だったんじゃないか。
最近そう思う。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 01:27:20 ID:5P2mEmK3
s
559名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 01:59:49 ID:wIFPF8Q0
話題がないみたいなのでふってみる。
「アイヌ語地名」というけれど、
samormosir「本州島」というのは
「アイヌ語地名」なのでしょうか。
だったら、arapescaa「対岸=沿海州」
も「アイヌ語地名」になりそうですが。
海峡を渡る地点だとすると
結構北ですよね。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 17:25:49 ID:hQteCd1W
ne’an arapescaa kotan orowa siisam neyke ENKAYSIW nah yee kotan
reekoh orohko okay manuyke(ライチシカの昔話)

樺太南部で一番大陸に近い鵜城やライチシカから沿海州が本当に見えるの
なら、arapescaaは普通名詞じゃなく地名でいいのではないでしょうか?
視力2.0位の人がライチシカと上恵須取の間の釜伏山あたりに登れば
見えそうな気もしますが、どうでしょう?

561名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 20:37:29 ID:9uYBAL3f
なるほど。「見える」と「見えない」で
どのような違いがあるとお考えでしょうか。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 21:03:43 ID:hQteCd1W
偶々ライチシカの話が残っていただけかもしれませんが
いかにも見えそうな場所での昔話なので

見えれば、他でもない「あそこ」と特定の具体的場所が
認識できるからではと…


563名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 08:25:37 ID:bRFiCHNl
十勝で雪崩がおきた場所・カメホロットクとはどういう意味だろう?
564名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 19:02:50 ID:bivxfSXZ
>563
そんな地名ねーよw
565名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:25:49 ID:rno6HawC
ホロカメットク山
566名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 00:47:18 ID:zmtbitN8
レス遅くなってすみません。
ありがとうございます。
アイヌ語地名研究は実はかなり本質的な転換期を
迎えているのだと思います。
1つにはPCの利用による統計的手法の見通し。
もう1つは「アイヌ語地名って
ほんとはただの普通名詞じゃねーの?」
という反省です。

私は地名に関しては素人ですが
新しい動きという意味で何かこう
ワクワクしたものを感じます。
うーむ
2chはイマイチ不自由だなあ。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 05:00:06 ID:8m0JDTCE
少しあげてみます。(^^)b
568名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 21:47:21 ID:h8dOBM14
樺太最高峰ロパチナ山ことchamoki nupuri
569名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 04:14:37 ID:bQ+GOL//
カムチャッカってロシア語由来?だとしたらアイヌ語の呼び方はないの?
570名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 16:29:32 ID:u1bKoQAt
>>552
ワッカって普通にvodkaだと思っていた
酒飲みだから
571名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 16:31:53 ID:u1bKoQAt
そういえばロシアの国民的動物は熊だ
アイヌも熊好きなんだろう
民芸品によく見られる
572名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 18:41:44 ID:JKKA9fek
>>569
北千島のアイヌ語は資料があまり残っていないんで、連中がカムチャッカをどう呼んでいたか不明。
北海道のアイヌ語は資料がたくさんあるが、昔はカムチャッカと千島を区別していたかどうか怪しい。
まあ、チュプカ「千島」といっしょくただったんじゃないかな。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 21:56:21 ID:Dv8B6gO/
アイヌ語云々言うのは意味無い
先住民族認定された時点で全て奪われた
国交あるのに文学あるのに文字さえ無いと言われた民俗
574名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 16:23:03 ID:EbDZa3Jy
江戸時代初頭あたりは、カムチャッカを「神威茶加」と書いてたらしい。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 20:20:08 ID:VN7QAZT2
時代が下るともう少し原音に近く勘察加と書くようになる。
別に漢字を当てる必要なんてないけどね。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 15:55:21 ID:rVj5YErI
ほう
577名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 18:28:51 ID:PXtTHqEE
つうか、統一国家な無かったから各部族間で呼称名はまちまちだったし
なによりもいい加減に言い放った言葉が訛ったのが現在の地名に過ぎない
どっかの国でいうところの蹴る鳥とか丘に立って拳を握る女みたいなもんだ
578名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 20:27:21 ID:YNcohlAG
>>569
カムチャツカはアイヌ語由来です。

アイヌ語カムサッケKam sake ke
カムは肉(鮭鱒の魚肉)、サックは乾かす、ケは所。
昔、北海道の蝦夷(アイヌ)がカムチャツカに行って、鮭や鱒を獲り、乾かして
持ち帰ったことから起こった地名。
ロシア語カムチャトカはアイヌ語カムサッケの訛である。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 13:39:33 ID:qPC6h3j4



ロシア語  カムチャツカ;Камчаткаカムチャートカ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ロシア人    ユカギール人  エヴェン人  テリメン人
 コリャーク人  アレウト人   チュクチ人
 
 
アイヌ人なんか居もしないところのロシア語地名をよくもまぁw
 
580名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 21:21:47 ID:EQhYzmz/
クリル湖はクリル(千島アイヌ)が住んでたからなんだけどねぇ
581名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 04:43:32 ID:cTXgdkhq
>>569
イワン・カムチャツキーという探検家由来ではないのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%84%E3%82%AB%E5%8D%8A%E5%B3%B6
582名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 10:44:00 ID:pvnDJqmH
前に住んでいた人を駆逐して後から住み着いた人が呼んでいた名が地域名になるのは今の北海道の地名をみれは自明。
寒冷地の地名の由来になった言葉が暖かい地域の人種によるなんて面白い噺だわ
583名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 15:15:21 ID:WSfkqsAW
>>580
千島アイヌと言ったってそれは千島に住んでいたアイヌに過ぎない。
バカにわかりやすくいうと千島に行ったアイヌであってただの移住者や侵略者の集団に過ぎない。
アイヌの言葉にしたって本州にいた時代と変わってるだろ変貌する流浪者の方言や訛りを語ったところでry
584名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 20:53:49 ID:ngS/k1ij
千島の向こうにあったと言われるKurumse(Kuruyseとも)っていうのは
カムチャツカのこと?それともアリューシャン列島のこと?
585名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 12:28:06 ID:AxR5STys
残念ながら、カムチャツカがアイヌ語由来という説はやはり無理だと思う。
586名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 12:38:22 ID:AxR5STys
ただ、カムチャツカ南端に古くからアイヌ人居住地域が存在した可能性はある。
上のレスでも興味深い指摘があったように、アイヌ語地名らしきものがちゃんとある。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 17:36:31 ID:q2anraZO
いつの時代もスラムが形成されているように現ロシア国内にて
その昔、移民が集落っぽいものをつくっていたとしても不思議ではない
地名由来なんてリトルトウキョウみたいなもんと考えればいしんでないの
588名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/14(金) 10:46:10 ID:eQeB5XOW
アイヌ語地名らしきもの・・・というものは同時に現ロシアや中国にいる非アイヌの民族たちの言葉由来というほうが適切な表現になる
なぜならばアイヌよりも遙かに古い歴史を有しているのと同時に日本でアイヌ文化と呼んでいるものを凌駕する雛形そのものだからだ
つまり、呼称名にしてもアイヌ語に似ているというのは不適切表現で正しくは、アイヌ語が似ているというに過ぎぬ
589名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 17:33:42 ID:o+jV+oxp
アイヌ語と系統関係を有すると考えられる言語は世界中のどこにも見つかっていません
590名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 12:50:26 ID:YH7e029o
あっても認めなければ何所にもないという都合良い言い方もあるが、じゃぁ板をイタといってるのもアイヌ語が最所か?
591名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 16:50:08 ID:ribKdknh
>>589
ヨーロッパの学者がバスク語との近似性を発表していた論文があったが・・・。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 17:36:00 ID:ho0kNBZe
コロポックル先住民に毒矢を放って北海道から追い出しのがアイヌ。
住処を失った先住民が残した呪いの言葉が地名になったのが今の十勝。
世界中の何所にもないといっても北海道の真ん中あたりにちゃんと残ってますよ。

それでもアイヌ語と系統関係を有すると考える言語は無いと言い切るなら、以下、略。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 22:16:46 ID:4a59kF8J
>591
バスク語とは系統的には無関係。
類型論的に似ている、という説もあったが最近ではそれも言われないね。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 17:10:49 ID:j/gHs5F0
焼尻みたいな奴が沸いてるな
595名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 00:17:28 ID:r7PhVuDy
>>592

>>535の言うのがアイヌなら、コルボックルとはどういう人達だったんだ??



あと、伊藤英明とか平井堅とか、ああいうひとってやっぱりアイヌ家系かなんかなのだろうか?
それとも純粋な本土人縄文系なのか??
596名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 13:22:53 ID:/DABz3W2
>>595
アイヌが言うには北海道にてアイヌにとっての先住民にあたる人々。
アイヌ口伝によるとアイヌに肉を差し入れてくれた先住民とか、
手に入れ墨をした美女伝説が残っていることから
アイヌ女性が綺麗になりたくて入れ墨を真似たという伝説が残っている。
十勝アイヌによるトリカブト毒矢で全滅した先住民などとも言われている。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 15:31:36 ID:FNAKNRrY
コロボックルは、ひょっとして、なんらかの理由で北上した短身の琉球人だったりして・・・。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 15:43:32 ID:aQENgPUh
そんな時代に流求人なんているかよw

「邪馬台国の時代から日本語喋ってた日本人です。」そんなオオボケは勘弁w
599名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 16:58:04 ID:smJ86V9C
>>597-598
結局そういう事になるのかな・・・・・
手に刺青って、どうみても倭人・・・・
600名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 19:56:45 ID:tC+Ym4TU
釧路アイヌの伝承ではコロボックルじゃなくてオロッコ人(ウイルタ)ってことになってる
まあ北海道にウイルタがすみついたのは20世紀になってからだが
釧路では純粋アイヌなのにギリヤーク出身だと主張する人が居たりするから
まったくあてにはならないな
601名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 20:11:30 ID:tC+Ym4TU
刺青は和人との接触が早かった地域程派手だな
噴火湾沿岸だと眉と眉の間にも彫る
口の周りの墨は十勝や石狩川流域までは巨大だが釧路や宗谷では口の周りを巡る程度
樺太では上下唇に点を彫るだけ

顔面の刺青は和人の性的対象にならないために彫ったのかもしれない

腕の刺青は沖縄のものに近いのでともに縄文時代からの伝統である可能性がある
602名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 13:51:20 ID:LSxwDa7I
オホーツク文化や擦文やトビニタイなどの人の中にウィルタが一人もいなかったかどうかもわからずに
20世以降に北海道に住み着いたというのは随分といい加減な主張に聞こえる
美幌のアイヌでコロポックル子孫を名乗っていた人も居たがこれも信憑性は高くはない
ただ事実としては道東のアイヌが葉っぱでつくった服を着ていたのは確かな話
603名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 19:04:42 ID:yQZmMWon
>>602
蕗の服とか馬鹿だろお前小学校からやりなおせ屑www
604名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 10:10:58 ID:GuiVd/Dj
目糞が鼻糞をチビがドチビを痴愚が白痴を侮慢したがる典型ですな。
先ず、葉っぱを蕗と誤謬するのは他と混同した甚だ狂気な誤爆だ。
小学から遣り直せと言う吐露は同時に自分が直ぐその上の中卒か、
偏差値の低い廃校寸前や既に廃校済みの高校に行ったと仮眠愚遭鵜塗したに等しい。

このような屈折した感情を恥じることなく野良犬のように表現するタイプには概ね文末に
屈服や服従をはじめとした過去の自分に浴びせられた罵声を真似て外に開放することで
不満等の憂さ晴らしをする傾向が強く、反転して紐解くとメンタル面にて脆弱性が窺える。
兄に叩かれて弟を殴ったり上司に虐められたから部下を虐めるといった醜い序列の使い捨て歯車魂。
更に反社会性までも露呈した知識と常識の低さからして標準的な習学が全く為されていない。
虚偽と出鱈目ばかりのバグったインプットからポジティブなフィードバックなど絶対にあり得ない。

せめて高校程度の物理と国語くらいを修業されていて一般教養の域に達した思考を有して、
ある程度の文献に目を通しているのならば無知で無能な興奮など覚えることもなかろうが、
真っ当に学ぶことも出来ずに泥臭い口授だけで脳内を染めきってしまった愚かな民は掬われない。
packetinternetgrouper<!-- mind だよ -->←爾への憐憫…これがわかれば醜態晒しも減ろう.<・)))彡{:-0》
605名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 08:58:01 ID:/YpkLoOQ
だいたい「オロンコ岩」の伝承は出典すら明確でない。

北海道の考古学的遺跡とウイルタを結びつけるには根拠が必要だろう。
ウイルタが樺太に来たのは数百年前だと考える研究者が多い。
またウイルタは樺太に来たときにはすでにトナカイ牧畜をしていただろう。
北海道の非アイヌ文化遺跡がツングースのものだとしても、
ウイルタではないだろうな。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 10:31:18 ID:X6d19bFL
オロンコ岩の昔話はアイヌの武勇伝のひとつに過ぎないので嘘だと吐けばそれまでの事。
同様に十勝コロポックル先住民駆逐伝にしてもアイヌ側による戦績話なのでこれもまた然り。

> ウイルタが樺太に来たのは数百年前だと考える研究者が多い。

勝手な見解で取捨すればどっちが多いからなどと放って示唆・流布する行為そのものが馬鹿げた物言い。

どうであれ、ツングース系諸族に近いウィルタがサハリンにてアイヌにとっての先住民であるのは自明。
そこいらへんについての詳細を日本では語りたくない群れが多いわけのひとつにはエンチューをアイヌに
アッシミレイションして虚構の文化、歴史、民族を成立せんとした目論見が暗躍にて策動しているからだ。

北海道にはアイヌよりも確実に古い非アイヌ人系の遺物が残っているという事実に光をあてさえすれば、
それがエンライテンメントされる引き金となり同時に虚偽の歴史を駆逐する撃鉄がおとされることとなる。
故に首根っこを引っ捕まえられて傀儡化された特殊民族標榜者を立看板にしながらその後ろで団子を頬張る識者もまた紐付きビハインドザネックの上位傀儡に過ぎず、そしてそれは影との転回後に棄損される。
つまりはボトムアップのない珠暖簾システムによって推し進められている衆愚芝居など孰れは幕を下ろすだろう。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 01:11:51 ID:4nu1sDTd
古老って言葉が笑えた(笑)

ごめんなさい。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 12:24:33 ID:XWYHYua4
古老?が面白くて御免なさい?誤爆???
609名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 14:31:09 ID:a6tEbWBG
>どうであれ、ツングース系諸族に近いウィルタがサハリンにてアイヌにとっての先住民であるのは自明。

どこが自明なんだよw
ツングースの本拠地はアムール川流域だろ。
そこから分裂と移住を繰り返してシベリア、樺太、シナにまで広がった。
普通に考えて、ツングースであるウイルタよりはニグヴン(ギリヤーク)のほうが
樺太の先住民である可能性のほうが高いだろ。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 17:39:40 ID:n9/p0F/y
トドのつまりサハリン先住民として認められる民族にアイヌは入らない事には変わりない。
ニヴヒの口伝書籍では嘗てのサハリンにはアイヌは居なかったとハッキリ記されているしな。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 19:42:39 ID:oHzv7YT8
真アイヌの口伝書籍にだって北海道にはアイヌ以前に別の先住民が居たと
ちゃんと書いてあるんだから出るところに出れば容易に決着するんだがな。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 00:57:21 ID:nrmAKoLr
>ニヴヒの口伝書籍
なんだそれ?「ニヴヒの口伝」なんてせいぜい幕末までしか遡れないのに?
しかもそんな内容はせいぜい数例しかない怪しいものなのに?
それどころか、西海岸ではアイヌのほうが先住していたという伝承すらある。そっちは無視かい?
まあもちろん考古学や元史からはアイヌの北上が推定されてるけどね。

>真アイヌの口伝書籍
アイヌの神話によれば、天から神が下ろされて国を作り、アイヌが住んだとある。
そっちは信用せずに、コロポックルのような日本語で採録された伝承は信用するのか。
613モヨロ遺物にてアイヌ後発移民は決定済み:2009/01/20(火) 06:55:50 ID:YO2SwSSb
ステロ思考の典型人が弄られて無差別噛付きしているスレはここでつね
614名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 21:51:28 ID:2/MXnvjL
焼尻歯ぎしり
615名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 08:38:52 ID:FYZ1G0p9
>>612
たとえば北海道の"十勝"のトカチという地名の由来はアイヌがそこへ侵入して
先住民族を殲滅したときに彼らが言い残した呪いの言葉がそれだったと言ってるのは他ならぬアイヌだよ。
もともと口伝しかというか文書がないんだから言い伝えを文書化したものを全て無視したり
取捨選択して摘示してたらアイヌ先住民決議は概ね受容可能でもアイヌ先住民説の正当性は認められなくなるよ。
押し通したいことだけ称えて気に入らないことは嘘だと言い放つから君自身が胡散臭く匂ってしまうことに気付かないとダメでしょ。
どんなに御化粧したところでトーラーのような普遍的な証しが無いというのが逆にアイヌには都合良いことでもあるという事実を受け止めなさい。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 00:57:24 ID:JcQTNVTR
オホーツク人が北海道・千島に移住して人口が減った樺太に
南からアイヌ、西からニヴヒとウイルタが入ってきた



かもしれない
617名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 17:11:15 ID:DsVWv/XK
>>609
>ツングースの本拠地はアムール川流域だろ。
>ツングースであるウイルタ

ツングースは狭義でいうとエヴェンキのことをいう。
ツングース系とは広義でその諸族をいうから御門違いな食い付きだ。
中学も満足に通っていないようだが規制中に読み直してから出直せ、カス。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:37:23 ID:x2HhILBX
瀬川の間違い本が出てからカスばかり涌いてくる
619名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 19:27:25 ID:YEMoDNcM
>>618
間違い本とは、この書籍?レビュー見たら気になったから読んでみるけど先に何所が嘘か教えてよ。

『アイヌの歴史 海と宝のノマド』著者:瀬川拓郎 ISBN-10: 4062584018
ttp://kuramae-japan.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-0fc1.html
620名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 00:36:47 ID:G5faZyjs
>>617
広義のほうで言ったつもりだったんだが?
今時狭義のほうで使う人もいないだろうと思ったんだが、あんたは随分古風な人みたいだな。
まあ狭義の用法のエヴェンキにしたってアムール川流域が本拠地で
(たしか今も少数が中国領内に残っていたと思うが)、
そこから出た集団がサモイェード、ユカギール等の先住諸民族を同化吸収しながら
シベリア一帯に広がったんだがね。
621名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 08:43:40 ID:AS3G1Qsu
本来は広義も狭義もないというか特定先住民の本拠地がどうだとか言い出すのはナンセンスだよ。
どっちにしたって北方諸民族らとそれに属さないアイヌ民族を同列に扱う物言いそのものが不適切だ。
つまるところ歴史に学ぶ賢者と経験に学ぶ愚者が同じ土俵でまともな論争なんて成立できるわけなどない。
とくに古風だとか後知恵でどうこういったつもりなどと素直でない人は今後は放置でOKじゃね。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 12:41:24 ID:XusRFS1R
>>620
嘘を指摘されると慌てて後出しジァンケンを返す君はもうここでは死んでるから今後はマイブログで好きにやりな。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 19:26:00 ID:8N/MWwCE
>ジァンケン
www
624名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 19:29:42 ID:8N/MWwCE
ジァンケン君はサモイェードには「狭義では…!広義では…!」って噛み付かないの?
wikipediaに書いてないから知らないのかな?w
625相川:2009/01/27(火) 20:15:29 ID:wU4K3ngf
アイヌ ニダニダ www (~O~)
626名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 09:56:23 ID:81af0Yk0
>>624
大馬鹿ケテーイだな;@^「¥_ウィキに書いてあるぞ
627名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 00:03:48 ID:WGX9tc5L
おや、確かに書いてあるね、これは失敬w
で、噛み付かないんだね?

では本題に戻って、
ウイルタはアムール川方面から樺太に移住してきたトナカイ牧畜民で、
オホーツク文化の担い手とはおそらく別の集団であり、
20世紀に移住するまで北海道にはいなかった、ってのは理解できたかな?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 00:18:26 ID:A8op8er0
>>615
まあ確かに、口碑伝説をもとに「どっちが正しいか」ってのは水掛け論になりそうだわな。
ただ、あえてしつこく言わせてもらえば、アイヌの基本的な神話(特に創世神話)には先住民の姿が無い。
これはどう説明する?この点で、ギリシアやアイルランドにおいて「神話に先住民が登場する」のと異なる。
で、十勝の語源説は、tokapciの語源がわからなくなったからこそ作られた新しいものだと思うんだがね。
コロポックルやトンチの話はむしろ北方に広がる「小人伝説」の地域的変種だろう、と。
これほど伝播っぽい話を歴史的事実の反映ととらえるのは短絡だと思うな。
まあその線でいろいろ調べるのは面白いかもしれないが「証拠」にはならんだろ。
それと幕末に初めて敷香に来たという伝承(こっちは歴史的事実の反映っぽいと思わない?)
を持つニブヒが、「アイヌは昔南樺太にいなかった」といったって怪しくないか。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 09:15:56 ID:0qtWDCV8
>>618
この本のスレないの??
630名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 09:18:47 ID:0qtWDCV8
>>612
>アイヌの神話によれば、天から神が下ろされて国を作

天孫降臨かよ

>>615
まあ部族紛争ってこともあるだろうし
631名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 09:20:54 ID:0qtWDCV8
>>616

南部から倭人系が入ってきて追い出されたオホーツク人が
千島に移住って事もあるだろうけど
632名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 15:46:59 ID:0ww2veVh
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1036024044/627-628
うちのブラウザではコレ全部"ケーン ケーン"としか読み出せないわ〜(:−P〉
633名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 18:27:04 ID:3d2IqivT
アイヌ語ってさあ、ちょっとおかしくないか?
アイヌ語はもともと蝦夷語なんでしょ?
だったら日本語ともある程度近いもんじゃないとダメなんじゃないの?
634名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 19:44:57 ID:6EUynVq1
それはつまり蝦夷語が日本語とかけ離れたものだったということでは
635新興宗教にだまされやすいバカですが ◆adhRKFl5jU :2009/02/09(月) 02:05:41 ID:l+Lgn+ak
トンでも論が通りますよ〜〜〜〜(^^
私は最初、天文考古学の手法で三千五百年周期の地軸大移動と民族移動を研究した。
その結果、世界の民族の神々が、月神、フクロウ神、牛神の破壊神である必然性を発見した!
右の三神は世界の各民族の各言語において否定詞となっているのだ。また、右の地軸大移動は
日本人のルーツがアイヌ人で七千年前、極東シベリアから無人の日本列島に移住して来たことを私に発見させたのだった!

 右が本当なら、日本語の起源はアイヌ語であらねばならない。
そこで私は万葉集の枕詞のほとんどをアイヌ語で解明した、万葉集もヤマト言葉もほとんどアイヌ語であった。
本書では、私は万葉集中の難訓歌をアイヌ語で解明した。
この難訓歌も、初期の万葉集も柿本人麻呂が編集、あるいは創作した暗号文で、日本書紀の偽の歴史を補正する
ための暗号文書でもあったのだ。
アイヌ語によって私は、聖徳太子が天皇で蘇我蝦夷であり、鞍作りであったこと、蘇我入鹿が山背大兄で
神護天皇であったこと、額田王が間人皇女で中宮天皇であった史実を解明した。
天智天皇は百済の王子余豊、舒明天皇は百済王武王、斉明天皇は聖徳太子の娘であった。
初期万葉集とは、日本書紀の偽りの歴史を告発する暗号化された歴史書であり、柿本人麻呂による執念のイロハ歌集であったのだ。


636名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 04:25:33 ID:l+Lgn+ak
>>634
俺の推測だと、現代日本語は古代九州の「倭国語」。

倭は、九州北部と朝鮮南部に展開された統一国家。
また、日本語は漢語や漢文構造以外に古高句麗語の単語や構造も
結構取り入れているという説も聞いた。
現代朝鮮語は、朝鮮南部の倭を滅ぼして成立した別系統語の連中。

現代日本人が蝦夷語を話してないのは、早い段階で倭や吉備が
関西のヤマトを支配し統合され、それが同時に関東まで支配が及んだため。
俺は関西は普通に蝦夷語圏=アイヌ語圏だったと考えてる。
さらに、平安時代まで日本人は普通に蝦夷語を併用していたとかんがえられる。
奈良〜飛鳥時代では、各地方でカナの使い方がバラバラだったりしてるが、
これはそれぞれ独立した部族、国が支配していたと言うことだろう。
(まあ結局日本は明治までそういう状態だが・・・)
637名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 03:08:05 ID:ahg1hOYA
アイヌ語と朝鮮語って似てないか?
発音とかも含めて。
アイヌ語はもともと朝鮮語のような言葉だったんじゃないかと。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 04:15:49 ID:h6aD4LRz
言語板へGO
639相川:2009/02/17(火) 09:47:57 ID:XZxotcB6
アイヌ語の北限わ (`O´)=HOKKYOKU=北極であるw。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 07:40:17 ID:mXqtIh1s
ホラク horak 崩れる



崩落じゃねえかwww
641太極拳:2009/05/02(土) 08:42:38 ID:VKAuUXY5
642名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 08:55:08 ID:83faJiSI
age
643名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/31(金) 21:46:39 ID:GshZaK8q
知里の『アイヌの鮭漁』にはicaniw marek(鱒を獲る小さなもの)
また樺太西海岸ライチシカではucaskumaにmaarehが出て来ます。
ウエネウサラ6号9号ではmarekの詳細な論考がありますが、
現時点ではアイヌ語本来の語と考えていいような気がします。
ただ樺太ではmaareh(音源確認済み)、北海道ではmarekと
長母音とアクセント核の位置にズレがあるのが気になります。
長母音の位置からは萱野説maa+re+p> h→maarehとなりますが
p→kは考えにくく、また『樺太アイヌ住居と民具』にmarehと
同様な形態の自動鈎としてcioreuehがあることから、語源意識が
働いて長母音の位置がズレたと考えるのはどうでしょう。
音節末のp t k →hになる樺太方言では、北海道方言よりも
そのような語源意識は起りやすいかもしれません。
ところで、ica(n)川ですが、
イテリメン語の専門家は西イテリメン語の南限をica川と
考えているようです。
アトラーソフも越冬地のica川からオパラ川河口付近までは特記せず、
カムチャツカ川流域がカムチャダールの主たる居住地としています。
『樺太ギリヤークの漁撈語彙』には魚銛として
cebulと matul が記述されていますが、marekと形態が
似ているのがcebulで、その鉤の部分がmalixと言うようです。
maarehからの借用の可能性がありますが、ただ接触のあった
タライカ方言では音節末はkのままですから、どうでしょう?
タライカ方言でも幾つかのテキストでは音節末がhに変化しており
借用の可能性は高いと考えています。
marekですが、西イテリメン語南方言、これはさらに
北のナパン方言と南のコヴラン方言に分かれるそうなのですが
南のコヴラン方言に見られるようです。
そしてさらに、このインフォーマントはコヴラン方言でも
南部のAnnawa(Moroshechnoe)出身だそうです。
ちなみにicaはコヴラン方言ではS?c(Сыч)と言い
かつてイテリメンの村があったそうです。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/31(金) 21:52:14 ID:GshZaK8q
西イテリメン語南部方言にはpet「底」という単語があり
舟底の意味もあるのに対し、北部方言での対応語は全く似ていないceskです。
西イテリメン語で「中」を表す語は
北部方言ではceskやtsk?η
南部方言では cesk'in kasoη
南部方言の 「中」cesk'in kasoηは
cesk'in kasoη<cesk(北方言「底」)+n(所有接辞?)+kasoη(北方言「傍ら、側」)
の可能性があります。
とすると、西イテリメン語南部方言でも「底」は
北部方言同様ceskだったのかもしれません。
もしそうなら、pet「(舟)底」は借用語の線もあるかと思います。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 01:02:17 ID:ue3RIsgM
『樺太ギリヤークの漁労語彙』によれば、cebul, matul両方の銛先ともmalixですよね。
malixはみるからに借用語っぽい語形です。
cebul, matulについてはクレイノヴィチらのcevl, matlという解釈が妥当のようで、
だとすれば固有語っぽい。

ここからは与太です。
cevl, matlは本来もっと長かった合成語が母音脱落で短くなったのではないか。
これはニヴフ固有語彙。malixは借用語彙。金属器は外来だったのでしょう。
そもそもcevlとmatlは向きが違うだけで銛先は同じではないのか。
樺太の長母音と北海道のアクセントが対応しないのは、以下のような仮説。
北海道marek→樺太アイヌ*mareh→ニヴフmalix(語頭アクセント)→樺太アイヌmaareh。
この仮説なら「樺太アイヌのmaarehが北海道をベースに北方的に改良されたもの」
だという構造上の特性とも一致します。
646名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 13:44:27 ID:jxiYNnV0
確かにライチシカはmaarehですが、東海岸は音声資料が少なく
断言はできませんが、
上記仮説をとると、現存南樺太ニヴフの19C渡来伝承(再南下)や
敷香川流域の地名分布(上流部アイヌ語、中下流ウィルタ語?)と
整合的なような気がします。

とすると -oy(A)から
(A)arakoy→(N)arqaj/arqa/ arqi / arqe /(arhki)→(A Tarayka)arkoy
647名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 07:49:27 ID:L4z6F7K0
言語学板よりこっちの方がよっぽどアイヌ語の話しててワロタ
>>637
数詞を並べてみるとなんか一部似てるんだよねえ。
知里真志保は全然似てないって書いてたけどそんなことはない。
同系ではないとしても通商関係はあったんじゃないだろうか。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 08:20:15 ID:yFLVolud
>>647
あと青森弁というのかな、あそこの言葉は言ってることは
日本語だけど、なんか朝鮮語鉛があるかのように聞こえるのは不思議。
話し言葉のふいんきやニュアンスが似ると言うのは、どういう要素が作用してるのだか。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 22:07:55 ID:oJPoUIrj

★敷香岳       ★幌登山(あるいは保恵岳)
アイヌ語  アハノホリ キミタカノホリ
aha(<aka)-nupuri脊梁山 kim-etok(o)-(an)-nupuri 里山の奥に聳える山
ウィルタ語 アンハマーイト         ※未見
      Ambamaitu
ニヴフ語  ※未見             ※未見

ちなみに樺太最高峰ロパチナ山
アイヌ語名  未見 
もしかしたらrumo(w) -nupuri? トゥィミ地方の山
あるいはcamoki-nupuri? チャモキ地方の山
650名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/08(土) 22:03:30 ID:zMCzHonm
>>648
津軽弁や南部弁が、朝鮮語に似ていると感じたことはない。
津軽弁はフランス語みたいな音だなと思ったことはあるけど。
「ま・か・け」=「ご飯を奥さん、食べませんか」とか。

南部弁はチベット語と音が似てると、四川省から来た
チベット族留学生と八戸の蕪島に行ったときに、
彼女が感想を口にしていました。鹿踊りなどの
風習はまんまチベット風だとも言ってました。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 07:11:54 ID:vdEnjfol
>>650
チ、チベットですか・・・・
唐の時代にでも入ってきたチベット文化でも残ったんでしょうかね・・・。


652名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 23:31:48 ID:MWEH5XO8
>>646
>(A)arakoy→(N)arqaj
には懐疑的です。
qajは音韻としては、全てのニ語方言でqiです。
強いて借用方向を考えるなら…。
ア語koyがニ語に借用されたならkojになるはず。
「ニ語qiのqとiの間に生じる渡り母音をア語話者がoと解釈した」
というのはどうでしょう。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 13:21:57 ID:1R2Rhlzm
> qajは音韻としては、全てのニ語方言でqiです。
そうなんですか? 初耳です。

とすると、服部(敷香方言arkai)及びarhkai(ノグリキ方言)は
誤って、渡り母音も『音韻』としてしまったという事なのでしょうか?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 13:44:36 ID:rj+vHfJ2
そう解釈すべきだと思います。
研究者が分析によって渡りと解釈しているだけでなく、
話者自身もqiと認識しているようです。
たとえば、qaj「帆」とarqiの「qi」は異なります。
服部健の初期の解釈ではシュテルンベルグ同様、
調音点が後ろよりのq,G,R,Xにiが後続しないことになっており、
母音+jとされていますが、すべて渡り母音とみるべきでしょう。
実際の音声としてはかなり強く発音されますが。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 14:24:29 ID:1R2Rhlzm
ありがとうございます。
ニヴフ語の全ての方言がqiでしたら

>「ニ語qiのqとiの間に生じる渡り母音をア語話者がoと解釈した」
同意です。

話は変わりますが、敷香岳のニヴフ語名は分かりますでしょうか?


656名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 14:35:45 ID:rj+vHfJ2
すみません。
敷香岳のニヴフ語名は分かりません。
樺太中部の地名、特に山について知っているひとはもうほとんどいないでしょう。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 15:23:10 ID:1R2Rhlzm
ありがとうございます。

そうですか。
敷香岳でしたらポロナイスク現住のニクブンの方なら、
何かしら伝承があると思って、期待を込めて『未見』ではなく
『※未見』としたのですが残念です。 
658名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 16:24:46 ID:rj+vHfJ2
敷香岳については、中村千代さんの話(既刊)で「アンバマイ」という名前で言及されていますよね。
ニヴフ名も知っていた可能性はあります。今後資料整理が進めばニヴフ名も判るかもしれません。
彼女はロパチナ山についても触れているので、こちらも敷香辺りでの呼び名が判明する可能性はあります。

かえすがえすも、1990年代初めに調査が行われなかったのが残念です。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 22:51:12 ID:1R2Rhlzm
以前から思っていたのですが
中村さんの話は、2つの伝承が合体したもので、
北樺太の話は恐らくニヴフ本来のものでしょうが、敷香岳の話の方は
もしかしたらアイヌからの伝承のような気がします。
もちろんトッカリが出て来るのもそうですが、突阻山(白浦白川氏)や
北海道のkamuy to伝説(山頂にある霊湖伝説)と類似していますし、
また「アンバマイ」も、本来のニヴフ語でないとしたら、
野帳p152幌内川本流筋の「アハマイ」同p180写真「アンハマーイー」から
ウィルタ語Ambamaituのアイヌ語借用下略形?「アハマイ?」かもしれません。
もちろん誤記の可能性も多分にありますが。

一方北樺太の有名な山に関連して
『窮北日誌』閏五月二十八日 丁母木(チャモキ)
「此処西方二三里有山横立如屏障東北岡陵高而中央平曠開豁土性極膏」
『岡本氏自伝』
「此処ハ東北ニ岡陵アリ、頗ル高クシテ中央ハ平曠開廓ナリ
土性モ膏ニシテ耕スニ堪ヘタリ」
チャモキが海岸沿いにあるのであれば、
「東北」というのはどちらも「西北」の誤りなのでは?
660名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 23:12:13 ID:QWTFQhRW
「山中の海」「波から島が出来た話」はおそらく別話ですね。
ばらばらに採録例があります。
ただ「山中の海」の伝承は分布が広く
簡単にアイヌ起源と断ずるのは躊躇われます。
特に海獣が主となる伝承はニブフ起源の可能性が高く
他の共通話型ともに「サハリン的」な話群と考えてるんですが。
まあ、すごく乱暴にいえば、
(1)和人との交易で「送り」観念が成立(2)サハリンの海獣を主とする観念と混合
という成立仮説はありでしょうね。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 23:28:44 ID:rj+vHfJ2
中村さんの「アンバマイ」については、自分で書いておいてなんですが、
音源を確認しないことには語形がはっきりしませんねえ。
そもそもウイルタ語において「アンバマイ」という語形があったのではないか、
と疑ってもいるのですが(中村さんはウイルタ語もできた)。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 17:21:32 ID:vpdVB+3j
確かに説話の起源は、ある意味決定的な証拠もなく最も困難ですから
即断はできません。

「アンバマイ」も
アイヌ語でamba山と解釈できる例があることから、アイヌ語話者内で
そう呼びならわしたとも思いましたが、
おっしゃるとおり
以前言及しましたようにambamaikku(凶事)やamba(魔物)から
もしかしたらウィルタ語自体にAmbamai?があるかもしれません。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 19:18:50 ID:DWk16ugt
「山中の海」のポイントは
(1)山中に海がある
(2)主として海獣がいる
(3)古道具が寄せられている
の3つです。
(1)は広く分布するモチーフ、(2)はサハリン的モチーフ、(3)は「送り」のモチーフです。
想像をたくましくするならば、これらの要素は別起源かもしれません。
つまりこの説話はハイブリッドだという可能性です。
まず「送り」はニブフよりアイヌに濃厚です。
オホーツク文化=ニブフ民族=「送り」の起源
という図式は誤りだと思いますね。むしろアイヌ起源でしょう。
海獣モチーフはニブフ起源。
山中の水界モチーフは普遍的ですが海山対比はニブフ起源。
この対比の本質は熊/トドというものです。
アイヌにおいてはむしろ熊/シャチ対立であり
「山中の海」は対称性が不完全です。
……などといろいろ夢想していますが、まだちょっと資料が足りません。
この先数年でドカッと資料が公開される見通しなので
期待しているのですがねえ。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 22:21:34 ID:vpdVB+3j
>「波から島が出来た話」あるいは山が出来た話
これはおっしゃるとおり恐らくニヴフ起源だろうと思います。

妄想ですが、波から(長い)山というのは西樺太山脈、東樺太山脈を
モチーフにしているのではないでしょうか?
もしそうだとすると、アムールニヴフとサハリンニヴフとでは
出現頻度に有意差があるかもしれません。


>海獣モチーフはニブフ起源。
確かにそうですが、道東を考えると生息域の問題もあるのでは?
もちろん突阻山の説話=アイヌ起源の説話と短絡的に結び付けるのも
問題があると思います。サハリン的モチーフは当然考えるべきかと。

>この先数年でドカッと資料が公開される見通しなので
愉しみです。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 20:49:27 ID:GRgcpw3/
>>661-662
松前の語源がマトウマイだそうですが、〜マイという点で
マトウ山ということになるのでしょうか?
666名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 12:55:24 ID:6qTmZ6Na
ならないでしょうね
667名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/18(火) 22:41:52 ID:0YFmlSxa
>>517
>o-ra-us-pet、河口にraが生えている川とも解釈できますかな。
>(だがraって何だ、という話に。)

私と似たような発想に至った人物が3年前すでにいたようです。
ただこの人物はra「食用の茎」という単語を知らなかったようです。
http://www.azaq-net.com/bbs/bbs.cgi?saijyo2
668名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/18(火) 23:33:24 ID:0YFmlSxa
ra(食用になる)茎
アイヌ民俗調査報告書T(旭川地方)p28

川の合流点ならいざしらず、海に接する汽水の河口だと食用になるのか
669名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 00:26:44 ID:Yeg9GVa6
田村先生の辞書にはraについて、「(草の)葉、(蔓草の場合は)出始めの短い蔓」とあります。中川先生の辞書にも「(地下部分を利用する)山菜類の葉、鱗茎」とある。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 22:59:15 ID:ZkSEgu1W
「食用になるのか」は、ちょっと表現がまずかったですね。
@まず、川の合流点ならともかく、海に接した汽水の河口周辺に、そもそも
「食用になる茎」や「(地下部分を利用する)山菜類の葉、鱗茎」が
生育するのであろうかという点。
仮にraの原義を「食用になる柔らかいもの」でsas(昆布)を含むとしても、
o-〜-us-pet型では不都合なような気がします。
というのは、海に面した河口の場合、上流から流れてきた土砂の堆積で
昆布の生育には不利だからです。

A次に、o-〜-us-pet型のような制約のない「羅臼」という地名の場合
raに「(地下部分を利用する)山菜類の葉、鱗茎」の意味があるというのが
一般に知られるようになったのは昭和28年刊行の知里分類辞典からだと
思いますが、刊行後でも山田先生はraを「低い」あるいは「魚の内臓」の意で
解釈しています。
恐らく分類辞典に従いraをrap(羽根)の下略形と考えたからだと思います。
アイヌ語話者の目には、「茎」も「葉」も地下部分を利用する植物の、
あたかも地下茎に生えた羽根と見えたのでしょう。

そこで、raを魚の肝臓、魚の腸の脂、白子の意で解釈したのではないでしょうか?
671名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/20(木) 00:06:20 ID:m2m00eBO
ra「葉」はバチェラー辞典にも掲載されている。
また解釈に困る語ならアイヌ語話者にraの同音異義語を確認したはず。
山田秀三はra「葉」を知っていたのではないかと思う。
「一般」の地名解釈家は知らなかったかもしれない。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/20(木) 19:53:40 ID:KgUb+83a
>>671知っていたと思います。

地理板なので地形的にアプローチしましたが
スレ違いかもしれませんが、まとめを兼ねて言語板的に

o-ra-us-i型地名の解釈変遷
「ただの葉」(バチェラー)←←←←←←←←←「ありふれて使えないよ」
  ↓
「ただの葉じゃないよ」(分類辞典)←←←←←「一般人、これは使える」
  ↓
ra(<rap)は地下茎や特定の具体的なものに←←←←『やっぱりダメか』
生えるものであって普通名詞には接続しても
o-のような接頭辞には接続しないのでは?
他方普通名詞の場合 方言辞典p203参照
 toponra<to-pon-ra水苔、藻、pettenra<pet-en(鋭い)-ra
(とするとto-ra?は可能?)
 ↓
そこでuray←←←←←←←←←←←←知里先生
 ↓
でもurasもあるよ←←←←←←←←←山田先生
 ↓
これだけか?←←←←←←←←←←←『今ここ』
673名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 01:48:58 ID:ipOFcGeC
>>672
すみません、重箱のすみをつつくようですが、

>o-のような接頭辞には接続しないのでは?

は、「raは左側(前)に必ず何らかの名詞を要求する。ハダカでは存在し得ない」
ということですよね。でも実際にそうでしょうか?
だとすればそもそも名詞ではなくそれ自体が接尾辞ということになりませんか。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 12:36:12 ID:BrjwSP7J
手短ですが、接尾辞ではないです。 単独の使用例があり、意味的にも〜の羽毛という接尾辞は考えにくい。 o- ra(概念形) 型の例を教えて下さい。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 18:49:51 ID:ipOFcGeC
>>674
接尾辞でないとしたら名詞ということでしょうか。であれば、
「o-ra型」なるものを特別視する言語学的な根拠がわかりません。
o-sar-usとo-ra-usの間に文法的差異が存在すると判断する理由はどこにあるのでしょうか。
それはたんに意味的な違いではないのですか。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 21:48:47 ID:6jQ779Mg
まず、o- ra(概念形) 型の例を御存知でしたら、教えて下さい。

sarなら概念形であっても、単独でそれが指し示す意味が特定できるでしょう。
一方ra(<rap)としたら、所属形ならともかく概念形だと意味の特定は困難なのでは?
とすれば、o-〜-us-iのような後項ではじめて場所を特定する名詞語根的接頭辞には
接続しにくいのでは?



677名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 21:59:14 ID:ipOFcGeC
>一方ra(<rap)としたら、所属形ならともかく概念形だと意味の特定は困難なのでは?

何故そう思うのですか?そうであれば通常の名詞ではないということになります。
意味が広くて特定できない、というのは文法的な問題ではなく、意味的な問題です。
意味的にo-ra-usは考えにくい、というなら「そうかもね」です。

>後項ではじめて場所を特定する名詞語根的接頭辞には
接続しにくいのでは?

これも意味的な問題であり、文法とは関係ありません。
678名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 22:22:20 ID:6jQ779Mg
最初から品詞分類はしていませんが
@o-sar-us-A型は○ですが
Ao-ra-us-B型は「考えにくい」ではなくナンセンスです。
@はsarがあるのがA
Aは言わば、Bのところにあるraは、Bのところにある
是非、o- ra(概念形) 型の例を御存知でしたら、教えて下さい。



679名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 23:29:30 ID:ipOFcGeC
>Aは言わば、Bのところにあるraは、Bのところにある

まったく理解できません。
o-sar-usとo-ra-usのどこが文法的に違うとおっしゃっているのか理解できません。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 23:33:36 ID:ipOFcGeC
ちょっと誤解があるといけませんので、追伸です。ちょっと確認させてください。

>是非、o- ra(概念形) 型の例を御存知でしたら、教えて下さい。

o-名詞概念形 のことでしたら、まさにo-sar がそうですよね?
それとも何か根本的な誤解があるのでしょうか。raは名詞概念形ですよね?
ra-pというのは語源解釈であって、前提とはなりえません。
なぜなら、その語源解釈ではra-は名詞概念形ではなく、むしろ動詞となるからです。
これは間違っていませんよね?
681名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 23:36:50 ID:ipOFcGeC
それとも、名詞に「概念形/所属形がある身体名称(部位名称)」とそれ以外の区別をもうけ、
前者は地名に現れない、ということをおっしゃりたいのでしょうか。
raがそのような名詞かどうか、はなはだ疑問だと思いますが。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 23:46:32 ID:6jQ779Mg
>その語源解釈ではra-は名詞概念形ではなく、むしろ動詞となるからです。
rap羽毛の下略?

>Aは言わば、Bのところにあるraは、Bのところにある
>まったく理解できません。
なぜ分からないのか理解できません。

>それとも、名詞に「概念形/所属形がある身体名称(部位名称)」とそれ以外の区別をもうけ
これもなぜそう考えるのか理解できかねます。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 23:58:25 ID:ipOFcGeC
>>681に対する自己レスです。いや、疑問じゃなくてまさに身体部位名称のようなものですね。
私の考えが誤っていたようです。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 00:07:47 ID:40Uj8xXL
田村先生のものを始め、各辞書では
ra「葉」は概念形ra、所属形ra/raha
ra「羽」はrap「羽」の語中に現れる語形となっており、別語となっています。
つまり、日常語においては、通常の名詞と同じように語構成が可能なはずです。
ですが、地名においてはどうやら身体名称語彙はo-A-usの位置に現れないようですね。
なぜかは分かりません。たんに意味的な制約のような気がしてなりませんが。

ところで地名解釈学では「品詞分類」はしないのが普通なのですか?
685名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 09:55:06 ID:JiBr06Vs
釣りですか?

御自身の数々の質問の中に答えが出てませんか?
これで最後です。

ご存知とは思いますが、「品詞分類」までするには
あらゆる用例を調べなくてはなりません。だから具体例をお聞きしました。
「不存在」の証明は「存在」の証明よりはるかに困難です。

>地名においてはどうやら身体名称語彙はo-A-usの位置に現れないようですね。
>なぜかは分かりません。たんに意味的な制約のような気がしてなりませんが。
また、自認しておられるとおり「品詞分類」では解釈も分かれます。

それがいかに難しいか、歴代各辞書文法書の「品詞分類」を比べてみて下さい。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 15:11:01 ID:40Uj8xXL
>>685
釣りというなら、

>Aは言わば、Bのところにあるraは、Bのところにある

なんてわけの分からない言い回しこそ釣りでしょうよ。
もうちょっとまともに一般的な文法用語を使って説明してくれれば分かりやすいのに。
「raは部分名称であり、位置名詞に近い性質をもっているから、先行する名詞なしには地名に現れない」
ですむのに。

「あらゆる用例を調べてからじゃないと品詞分類したくない」なんていってもさ、
それじゃいつまでたっても

>Aは言わば、Bのところにあるraは、Bのところにある

なんて言い続ける破目になるじゃん。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 16:11:41 ID:JiBr06Vs
ずるいな
捜査官向きですネ

以下田村先生の分類
あくまでra(<rap)で普通名詞と仮定して
接頭辞o-(名詞語根的)+ ra(<rap) ×
接頭辞o-(目的語指示)+ ra(<rap) -us-i ×?用例検討中

とすれば、あくまで妄想で、勝手な命名ですが
用例検討中ということで語源意識から規定された限定(普通)名詞

もしあの掲示板の住民でしたら、こちらに来られた方が…
688名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 16:22:31 ID:JiBr06Vs
追加

接頭辞o-(名詞語根的)+ ra(<rap) ×
これも用例検討中ということで「?」をつけて置きます。

689名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 16:39:16 ID:JiBr06Vs
参考までに
o-rapは ヤマシャクヤクの根(芽室、名寄)
語末子音の聞き取りの問題もありますから
690名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 23:34:54 ID:40Uj8xXL
>>688
すみません、私は地名は全くの素人ですので、某掲示板には出入りしておりません。
日常語と地名では語構成にかなりの差がありそうだとは思います。

地名データは電子化してそろえていないので、ボツボツ拾ってみております。
他の語の例からみると、日常語では ho-ra- も o-ra- もいけそうに思えてきました。
地名は難しいですね。確かになさそうです。でもやっぱり意味的制約ではないかと思えます。
今のところ、少なくとも日常語では文法的にそれを妨げる規則があるとは思えません。

ただ、お断りしておきますが、「実際に地名がその解釈(uray- ではなく o-ra- かどうか」には懐疑的です。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 10:40:19 ID:3ydgybsn
>>690
失礼しました。
まだ調査中ですが、もし一般化して文法規則とするなら

o-〜-us-iのような枠構造(周接構造とまで言い切っていいかは保留)では、
非枠構造より項数の規制が厳格なため、全体普通名詞(通常の普通名詞)は
その中に入れるが、語源意識から規定された部分普通名詞は入ることはできない。

692名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 11:01:29 ID:3ydgybsn
あるいは
部分普通名詞とは
単独では「枠構造」の構成要素となりえない普通名詞
693名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 12:57:32 ID:mgLMkvKs
昨日言いかけた周接構造(イテリメン語チュクチ語等)に関して
たとえばイテリメン語では(ВОЛОДИН p88とp89の間の折込の「表」)
最大、以下の接辞が付きます。
1(人称接辞)-2(態)-3-4(語根)-5-6-7-8-9-10-11(相)-12(時制)-13(人称接辞)

仮に、アイヌ語他動詞(U項動詞)の主格対格抱合接辞の
en-〜-an、 un-〜-an 、e-〜-anを周接構造と考えた場合
ここでも「枠構造」の規制がはたらいていると思われる例があります。
en-〜-an un-〜-an e-〜-anに対応してenci- unci- ane-が対応する方言があります。
後者は前者に比べて、より明瞭に「受身」の意味を表します。
これは周接構造では対象が特定されるために、受動態には不向きで、
そのような周接構造特有の規制を回避するために、前接辞enci-等を
使用したのではないでしょうか?
上記方言が静内、十勝、釧路、旭川、樺太、(千島?)なのは面白いです。
もちろん、普通名詞を抱合して、自動詞ではなく他動詞となった場合の検証が
必要なのは言うまでもありませんが。
もしかしたら、昇格の現象もこれと併行するのかも。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 14:19:31 ID:GaxsBW6k
おっしゃるとおり意味上の差かもしれませんが、石狩などにおいて
e-V-an だとどちらが主格か分からなくなるために、
新しく an-e-V 形式が生まれた、という可能性もあるのでは?
本来 -an は能格だったんじゃないか、と妄想しているのですが。

まあ、アイヌ語の人称形式の歴史的変化について考えるときのポイントは
ci- なんでしょうけど。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 20:26:43 ID:mgLMkvKs
>>694
確かに主要部標示型では不明確になりやすし、「対格型」と結びつく
必然性もない。
自動詞と他動詞で位置を変えるのは能格的と言えますね。
もしかしたらane-は新しいかもしれません。
ci-がポイントなのは同感です。

「普通名詞を抱合して、自動詞ではなく他動詞となった場合の検証」に関連して
中川辞典「連動詞」
「連動詞」の前部要素は位置名詞か身体名称など限られた意味の普通名詞が
きますが、知里は1、2人称の人称接辞が付いた場合は所属形の使用は随意的だが、
3人称で、有形の人称接辞が付かない場合は所属形の使用は義務的となる。
但しparは例外
この点で「身体名称など限られた意味の普通名詞」は位置名詞に近い性質を
持っていることになります。
ただ、難点は「抱合」の場合  
佐藤先生は固有名詞の抱合や他動詞が名詞の所属形を抱合する事は困難で
唯一の所属形目的語抱合の例として
eramuosma他動詞 〜を承知する 「ramu〜の心」を挙げています。

それ以外に、外形上所属形と思われる例として、次の例を見つけました。
@eramusinne他動詞 〜の事で安心する(織田) <sinire(他動詞)
Aesikiso他動詞 眠ることをできない(織田)  <se? (〜と鳴る他動詞)

佐藤先生が言うところの「抱合」形成における規制の中にあって、
逆に身体名称等の@Aのような例外があるのは、これらを下位分類する
必要性があるのではと考えています。
696アイスクリーム:2009/08/24(月) 20:33:04 ID:9EJFUWeZ
tuduben
697名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 20:41:28 ID:jzchRAOL
うるさいな
結局北限どこなんだよ
蘊蓄ばっか延々と…
698名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 22:06:25 ID:Zxkov6dB
前嫁
馬鹿はほっといて
レベル高過ぎ
山田先生を超えた

699名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 22:20:32 ID:mgLMkvKs
市販本を含めて、地名は語呂合わせが酷過ぎる

これは地名解釈やアイヌ語の根幹に関わる事なので

敢えて
逆説的には、このような名詞の存在こそが
「連動詞」「連他動詞」を発生させたのかもしれません。


700名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 22:48:46 ID:Zxkov6dB
>>667
この掲示板。またデンパ出してる。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 18:26:19 ID:HY/9C3LZ
>>697
樺太の北限はシインナヰアトヰsiinnay-atuy、オヤアトヰoya-atuyでアムール潟
一方、カムチャツカ半島は西海岸のica(n)川 

>>694
Betekecaste他動詞〜をかどわかす、さらう 八重九郎の伝承4p60,61,63
⇒ ⇒ ⇒⇒<e-teke-caste他動詞〜を走らせる
Cetekesitayki他動詞〜について手打ちをする、賛成する 八重九郎の伝承4p110
⇒ ⇒ ⇒⇒<e-teke-sitayki他動詞〜を叩く
?Deramukoesikari他動詞〜にびっくり仰天する 田村辞典<ko-e-sikari他動詞
※※cf@eramusitne他動詞〜が煩わしくする(<-sitne自動詞 苦しむ)から、@は
※※所属形目的語抱合と考えうるが、付会の可能性もあるので「?@」に改めます。
ユーカラを調べたら、もっとあるのでは?
そして、これらの他動詞は周接構造をとる可能性があります。

抱合………………構成要素は一般性を志向
「枠」構造………構成要素は特定性を志向
ベクトルは違いますが、例外事例は、ともに「部分」という点に収斂して
いるような気がします。どうでしょう?
702名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/26(水) 01:44:58 ID:gTK9907e
>>701
はやりこれまでの例だと、語彙的な問題のような気がしますけどね。
身体名称だから所有者を要求する、というような。
「周接構造」が対象を特定する、というのは地名だけの現象ではないでしょうか。
いっぽう、抱合に関して定ではなく不定である、という議論は昔からあります。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 22:12:23 ID:uKhptdEw
佐藤先生の「他動詞が特に位置名詞の所属形の抱合を拒否する」の例外に関して
tomotuye(他動詞〜を横切る)を<tomo(所属形)-tuye(他動詞〜を切る)ではなく
<tom(概念形) o-tuye(他動詞)と解釈して、先生は上記規則の例外を回避しています。

明らかに例外と思われる用例を見つけました。
北蝦夷古謡遺篇(金田一京助全集\p125)
「アネケシケカラ」残りなく殺せしと<an=e-keske-kara他動詞〜を皆殺しにする。
<e+keske(位置名詞所属形)+ kara(他動詞)。佐藤先生のようにe+(他動詞)とすると
項数が増えてekara(複他動詞)となってしまいますし、そもそもkeskという語形もありません。
とするとan=e-keske-karaも周接構造をとる可能性があります。

追加
所属形目的語抱合の例として
Eerekuci(y)un他動詞〜のどにつかえる 知里分類辞典(人間編)
<e-rekuci(所属形)+ un(〜がある)
704名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 23:50:42 ID:NIQLR/va
>>703
ekeskekara

keske「滅ぼす(?)」:cf. 北海道方言keske「滅ぼす」(他動詞)
と同じで、e〜karaを用いて音節数の水増しをしただけでしょう。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 10:46:39 ID:acLFn5aW
確かに北海道ならそうですが、
今のところ樺太では自動詞のkesはあっても他動詞のkeskeは未見のようです。
cf 他動詞kesiw(カラフトアイヌ語p67)
706名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 15:14:22 ID:qq8pzbOF
>>705
うーん、だからといって名詞語根と解釈する根拠は?
707名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 16:20:00 ID:acLFn5aW
kesiwは<kes (自動詞)+ -u (他動詞形成母音)の可能性があり
kes +-keより古形と思われる点。
「アネケシケカラ」の「北蝦夷古謡遺篇」は大正3年刊行で、その前年の
大正2年刊行の「あいぬ物語」附録樺太アイヌ語彙p43ではkese名詞 後、終末
kesh-ukuran副詞 毎夜としており、表記のブレないし、閉音節の聞き取りに
問題がある事。
そして、これら一連の語彙はkes(端、末、残部)からの派生の可能性がある点。
708S.C.為作 ◆S.C.T/lLWs :2009/08/29(土) 19:08:53 ID:opQdTAVN
8月に突入する辺りから一気にスレが良レスで伸びたな。良いことだ。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 22:36:06 ID:acLFn5aW
他動詞の位置名詞所属形抱合例

(u)-oro-roski他動詞 〜を立て並べる。「語りの中の生活誌」(四宅)p190
ay pirka ita kaparape ita kaparape itanki u-oro-roski
<(u)- oro(位置名詞所属形) -roski(他動詞〜を立てる)

追加
?Ftekehaytare他動詞 〜を捕り損なう。(金成マツ poro oyna)
<teke(所属形?)+hayta-re(他動詞)
710名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 00:22:13 ID:nGMsToan
tek-ehaytaでは?
711名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 00:23:36 ID:nGMsToan
keskeをkesikeと解釈するのはやはり無理があると思います。
まあ、北蝦夷古謡遺篇には変な部分がいろいろあるのは確かですが。
712名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 00:28:46 ID:nGMsToan
uororoskiについては、久保寺がuoreroskiという語を採録しており、
u-or-o-roskiの可能性あり。
713名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:41:30 ID:TCzmWrYG
>>711
さすがです。
確かに樺太にも-keの造語法はありますし、別スレで指摘しましたが
「あいぬ物語」にも?箇所がありますからね。

>>712
>久保寺がuoreroskiという語を採録しており、u-or-o-roskiの可能性あり。
とは、久保寺辞典p295のuoeroshki tu peker chupuki,re peker chupuki〜の事
でしょうか?
久保寺辞典は四宅さんはじめ道東の資料には、あまり準拠していないように
思われますが、確かにそう解釈できそうですね。

>>710 tekehaytareについて
この語彙はユーカラ集Up154でp153のtekeyashkaryashkarと対比して
使われています。参考p169のatekeyashkarとchioboshpare(<ci-o-pospa-re)
tek-e-yaskar及びci-o-pospa-reから、(所属形?)としました。
ただ、この語彙は臨時に造られたような気がします。
u-or-o-roskiに関連して、一つお聞きしたいのですが
この場合tek-e-hayta-re ではなくtek-o-hayta-reは不可能なのでしょうか?
714名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:15:26 ID:TCzmWrYG
>>712
久保寺辞典p73
kaparpe otchike,kaparpe itanki,uoeroshki  (平目カレピアからか?)

アイヌ叙事詩神謡聖伝の研究p483 聖伝1アイヌラックルの自叙 平賀エテノア S4年 
kaparpe itanki kaparpe otchike u(w)o-eroshki

ただ、3例ともu(w)o-eroshki
715名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:59:27 ID:TCzmWrYG
さらにu(w)o-に関して
奥田先生の語彙集(音源付)に次のような同義異形態があります。
uorounu他動詞 <u-or-o-unu(他動詞)
uorunu他動詞 <u-or-unu(他動詞)
とすると、このo-は目的語指示接頭辞ではなく、所属形形成語尾なのでは?
716名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 21:00:37 ID:nGMsToan
>>714-715
今手元で参照できないのですが、uwoeroski ではなく uworeroski がありませんか
orounu は大変興味深い例だと思いますが、unu もやはり eunu、ounu という語形が
あります。もう少し例が欲しいですよね。

これ、大変重要なテーマですからうまくいけば言語学の論文が一本できますね。

tekehaytare ができるなら tekohaytare もあるはずというのは、そりゃそうだと思います。
私は道東の方言はよく知りませんので、分かりません。すみません。
ただ、おそらくこれは地域差でしょうから、四宅さんのデータがもう少し出てくれば分かるかもしれませんよね。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 22:52:05 ID:TCzmWrYG
>>716
uworeroskiは久保寺辞典には無いようです。

718名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 23:31:21 ID:nGMsToan
おかしいな。どこかにあるはずなんですが……。
あとでチェックします。すみませんでした。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 23:33:11 ID:nGMsToan
>>718自己レス。修正です。
誤「どこか」→正「303ページのどこか」
720名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 23:40:39 ID:TCzmWrYG
「語りの中の生活誌」(四宅)p191
kaparpe ita kaparpe itanki an=oro-roski

八重九郎の伝承5 p73
kaparpe ita kaparpe itanki uororoski
721名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 23:44:56 ID:TCzmWrYG
>>719
すみません。
989にありました。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/30(日) 23:45:44 ID:nGMsToan
もうひとつ、雅語といわれる文体では、口語では考えにくい「抱合」があります。
それでいまひとつはっきりしない、っていう部分もありますよね。
四宅さんの伝承もどこまでが雅語でどこまでが口語なのかよくわからない。
八重九郎氏の資料についてはいわずもがな。

これはまあ、逆に「雅語の文法」をちゃんと考えないといけない、ってことでもありますが。
うーん、これはむしろチラ裏ですかね。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 19:27:18 ID:2ys2rtbK
「sanca or ta mina」のような慣用表現「kaparpe ita(otcike) kaparpe itanki」と非慣用表現の語法上の相違点
釧路(八重)   慣用表現 uororoski   『八重九郎の伝承5』p73
白糠(四宅)   慣用表現 u-oro-roski  『語りの中の生活誌』p190
白糠(四宅)   慣用表現 an=oro-roski 『語りの中の生活誌』p191
白糠(貫塩) ★非慣用表現 an=eroskire 白糠町『アイヌ叙事詩サコロペ』(S53年)
貫塩キシ口述貫塩喜蔵筆録 ipakarip cinonnop本文p46
〜cikosotessam kani sintoko aneroskire enoankikiwa〜
※cf白糠(四宅) 慣用表現か?uwor-roski 『人々の物語』p80
〜 kani-cise kani-casi uwor-roski〜

沙流方言     慣用表現 u(w)o-eroski  平賀エテノア他
沙流方言    ★非慣用表現 u(w)o-eroski 田村辞典
旭川(鹿田S15年) 慣用表現 an-u(w)o-eroshki 『アイヌ叙事詩神謡聖伝の研究』p407

以上から
@「sanca or ta mina」のような慣用表現の場合、道東では -o-を使用するのに対し、
沙流旭川では-e-を用いる点
Aまた、同じ道東の白糠方言で、且つ同じ韻文表現であっても、慣用表現と
非慣用表現では接頭辞の使われ方が異なる。 ※について要調査
非慣用表現は沙流方言と同じく-e-を使用するが、慣用表現では-o-を使用する。
「sanca or ta mina」のような慣用表現は非慣用表現より、一般により古い語法である
と考えられることから、-e-の使用よりも、-o-の使用の方が古いのでは?
さらに目的語指示接頭辞e-とo-に意味上の相違があまり無い事と考え合わせると、
この-o-は目的語指示接頭辞ではなく、所属形形成語尾と考えるべきなのでは?
724名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 22:15:21 ID:2ys2rtbK
白糠(四宅) u-oro-roski / uwor-roski<u-(w)-or-roski
725名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/31(月) 23:59:18 ID:7bRZtsOY
>>723
e/oについては諸研究者の了解とだいたい同じだと思います。
まあ、西方言のほうが基本的に新しい。東方言は基本的に古い、と。
ただ、細かく見ていくと「あれはどうだ、これはどうだ」となります。
それらがある程度うまく整理・説明ができれば、それこそ論文になりますね。
みんな面倒くさいのでほうってあるんですよね。
歴史的変化にあまり興味ない研究者も多いですし。

なお、最後の2行の仮説については、支持する現象が
ほかにあればとても面白いですね。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 20:35:46 ID:N6vvCoem
@orokus他動詞 〜を出たり入ったりする 『カラフトアイヌ語』p100
〜〜neya cise orokus wa episka’ene oha cise orokus〜〜
Aoro-kush 横切る バチェラー辞典p362 
Bkaa’orokus他動詞 罠にかかる 方言辞典p113

cf okus他動詞 (着物)を裏返す 田村辞典
cf okush 裏返す バチェラー辞典p353
cf o-kus 裏返し 萱野辞典
cf hokus/okus 倒れる 方言辞典p133

とすると
@ABのorokusは<or+o-kus(他動詞 〜を裏返す)ではなく
<oro(所属形)+ kus(他動詞 〜を通る) なのでは?
727名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 23:37:21 ID:N6vvCoem
e/oの接頭した自動詞は名詞の所属形(主語)+自動詞という
構造になっている自動詞と意味上からも平行的に考えられる(田村先生)
とすれば、e/o(所属形とパラレル)+他動詞はOKで、
なぜ、名詞(所属形) +他動詞は×なのか?
『アイヌ語文法の基礎』(2008年)で、抱合の条件として
「動作主性の低さと特定性の低さ」を上げるのであれば、
e/o(所属形とパラレル)は、どのように考えるべきか?
課題です。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 00:11:53 ID:hE6rsTbd
orokus樺太アイヌ語については、音節構造上orkusを立てられないので、難しいですね。
北海道方言のokusのo-は充当相ではなく、「尻」でしょうから、
or-o-kusという語形はなさそうです。あれば面白いですが。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 22:11:46 ID:3hCrPdaw
確かに、そうですね。
バチェラー辞典は4版しか持っていませんので
何版から載っているのか分かりません。
初版あるいは2版に載っていなければ、樺太からでしょうか?
北海道にはないのかもしれません。
ただ、バチェラーはoro-kusをどこから持って来たのでしょう?
ドブトボルスキーは持っていませんので分かりませんが。

uororoski あの山本氏の語彙集にあったのにはびっくりしました。
四宅さんの別資料も〜u-kani-cise u-kani-casi an=as-kar uwor-roski〜で
やはりu-(w)oro-roski / u-(w)or-roski 両形あります。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 01:37:13 ID:h8sFuJLL
>>729
残念ながらバチェラーの資料で樺太方言を区別する確実な方法はないと思いますね。
必ずしも文献から転載したわけではありませんから。
発話者記録つきの原稿でも出てこない限り難しいでしょう。

uwor-roskiという語形もよくわかりません。
まず-rr-という音連続は嫌われると思います。
次に意味が分かりません。roskiは名詞を2つまでしかとれず、
2つとる場合は、「〜が〜を立てる」の意になるはず。
であれば、roskiは場所をとれません。むしろ、
uwor-oroskiの聞き間違いなのではないでしょうか。

u kani cise 金の家
u kani casi 金のチャシ
an=asi-kar を私は立てて
uwororoski それらはそこに立ち並び

これらは雅語文体の常套句のはずですから、
uwororoskiは西方言のuworeroskiに対応する語形ではないでしょうか。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 20:12:10 ID:V7bVJo1Z
e/o+ roskiで、「場所」はe/oの目的語となり得る
@目的語、A名詞+or ta、an(主語)=roski(他動詞) ですよね?

もし無理な解釈をすれば、an(主語)=roski(他動詞)の目的語は、@であって、Aではない。
「抱合」に於ける(w)orは、roski(他動詞)が項数を要求する「文法上の目的語」ではなく、
「意味上の目的語」であり、単一語化した場合は、あくまで潜在的に目的語性を表示する
に過ぎず、位置名詞の抱合では項数自体は変わらない。とすべきか? よく分からない。

手持ちの資料(音源未確認)から、勿論最終的には音源を確認するしかありませんが、
A u-(w)or-roskiの例
@〜u-kani-cise u-kani-casi an=as-kar uwor-roski〜『北海学園大学学園論集』54号p58
1973年採録分テープ北海道教育庁蔵(実は翌1974年3月14日採録のもの)
A〜u-kani-cise u-kani-casi uwor-roski〜 『神々の物語』p71
@の別録音1971年藤村録音及び1972年札幌テレビ放送録音を基に補充
B〜 kani-cise kani-casi uwor-roski〜   『人々の物語』p80
C〜kani casi kani cise uwor roski〜 『創造の世界』103号p154
「人を堕落させる眠りの神の物語<別伝>12話」1971年8月25日録音
D〜u-kani-cine u-kani-cas u-(w)or-roski〜『北海学園大学学園論集』58号p49
E〜 kani-cise kani-casi u-(w)or-roski〜  同58号p51 Dの物語の別箇所
「ねむりの神の物語」1974年3月15日採録 釧路市立博物館蔵

B u-(w)oro-roskiの例
@〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜『語りの中の生活誌』p190
  「うら若いシヌタプカびとの話」
A〜kaparpe ita kaparpe itanki an=oro-roski〜『語りの中の生活誌』同話p191
B〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜 『語りの中の生活誌』同話p244
C〜kaparpe ita kaparpe itanki u-oro-roski〜 『語りの中の生活誌』同話p248
D〜kani cas kani cise uworo roski〜『創造の世界』第7話(1995年) 「大飢饉から
人々を救ったカケスの物語」1971年藤村録音
E〜u-kani cise u-kani casi uworo roski〜『創造の世界』102号p165
「人を堕落させる眠りの神の物語 11話」S49年3月14日 山本文男氏録音
結局Aは同格で目的語が1つ、BはD、Eを除いて目的語が2つ。DEは所属形?
732名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/03(木) 23:49:53 ID:h8sFuJLL
>>731
うーん……
or-roskiかor-oroskiか、という問題は文字資料だけでは決着がつきそうもないですね。
同じ人間が解釈している以上、同じ例が続くはずです。ほとんど同じ常套句ですし。

アイヌ語の動詞形成は、動詞語幹がとれる名詞の数と密接に結びついています。
位置名詞であろうが、普通名詞であろうが、動詞の項とならずに抱合される例が、
他に見つかれば、かなり面白いですね。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 22:55:36 ID:8vLJmNrY
命題 「名詞語幹が動詞に抱合されると、その動詞が取り得る項数が1つ減る」
仮説  名詞語幹の抱合は、以下の順で許容性が段々と低くなります。
@ 他動詞の目的語(名詞語幹)を抱合する場合
A 自動詞の主語(名詞語幹)を抱合する場合
B 他動詞の主語(名詞語幹)を抱合する場合
この抱合の許容性が一番高い@の場合に、上記命題の例外が生じます。
(アイヌ語は動詞語幹が他動詞をも抱合する例があるので、非常に奥が深く面白い)
他動詞が目的語を抱合する場合、その動詞語幹は2項動詞に限られず3項動詞
(複他動詞、目的語を2つ取る)も含まれます。しかし3項動詞の抱合であっても、
取り得る目的語(名詞語幹)は1つだけで(要調査)、通常他の目的語は「外」に置かれます。
主語は通常1つですが、目的語は常に1つとは限られませんので、
A @のケースでは「抱合」が必要充分な機能を果たしているとはいえません。←必要性
B 位置名詞や部分普通名詞(人体名称等)は通常の普通名詞より独立性が低い。←許容性
とすると、A必要性及びB許容性の点で例外が生じ得る契機があることになります。
「項数不変」の事例
★部分普通名詞(人体名称等)
T en=parosuke他動詞 〜の食事の世話をする<osuke他動詞 (中川1996)
cf 連他動詞 en=par e=osuke
U yayparoyki自動詞(動詞価+1)「自分で口を糊する」
⇒yay(−1)-par(−1)-oyki(+2)=(動詞価0)で、parは項数を減少させない可能性あり。
V ewparoyki他動詞(動詞価+2)「〜で互いに養いあう」
⇒e(+1)-u(−1) -par(−1)-oyki(+2) =(動詞価+1)で、parは項数を減少させない可能性あり。

★位置名詞
T 前述のu-(w)or-roski
U ikaopas自動詞(動詞価+1) 「人を助ける」
⇒i(−1)-ka(−1)-opas(+2)=(動詞価0)で、kaは項数を減少させない可能性あり。
V sikaopaste他動詞(動詞価+2)「〜に自分を助けてもらう」
⇒si(−1)-ka(−1)-opas(+2)-te(+1) =(動詞価+1)で、kaは項数を減少させない可能性あり。

ただ、アイヌ叙事詩ユーカラ集Xp101〜tan poro chise tan poro chashi uworeroshki〜
の例からchise、chashi同格で目的語が1つの場合もe-roskiとなっている点をどう説明
するかが問題となります。項数不変を破格と見るか否かですが、例外事例から推測すると
どのような環境で、そうなるかは不明ですが(要調査)、位置名詞等の名詞語幹の抱合の場合
「項数不変」「項数減少」の両方があり得ると思われます。今のところ、このような
「意味上の目的語」の場合、e/oの接頭は義務的ではないとしか言いようがありません。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 03:45:48 ID:nU/z5MUp
いずれの例も、連動詞ですね。所有者・身体名称・動詞語幹 かそれに準ずる構成です。
その場合、身体名称部分が所有者をとるために一般的には「-1+1」になります。もちろん結果的には「0」です。
同じように、「頭」「尻」のe/oも結果的に動詞価を変化させません。
tuye他動詞 otuye他動詞 であり、otuyeは自動詞でも複他動詞でもありませんよね。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 10:58:28 ID:MYZnTKdI
確かに連動詞ですが、
en=parosuke yayparoyki(=an) (a=)ewparoyki ikaopas(=an) (a=) sikaopasteで
人称接辞が前接後接して単一「抱合?」と思われる例です。

佐藤先生が指摘されているとおり「所有者・身体名称」であるなら、yayparが単独で、
用いられている必要があります。
「頭」「尻」のe/oも含めて、「所有者を項として取る形式」に上記parが該当すると
した場合、「所属形」と同様に特定性を高め、「抱合」に於いては非特定性を指向する
という仮説に反することになりはしないでしょうか?
he/hoも含めて充当相の起源に関する通説との整合性も問題となるような気がします。

さらにa=uskaepaye<uska(他動詞+2)-e(充当相+1)-paye(自動詞+1)のような他動詞
抱合あるいは自動詞抱合でも、「抱合」に於いては動詞価の規制が厳格ではありません。

結局この問題は「項数不変」か「全体に対する部分」か、同一の事象の「対偶」関係に
過ぎないと思います。

「抱合」に於いては動詞価の規制が厳格ではないのなら、「部分」とするより個人的には
@e/o、he/hoも含めて位置名詞、部分普通名詞(人体名称)には、「項数不変」「項数減少」の
両方がある
A「抱合」に於いては非特定性を指向する 但し若干例外あり。
と2つの規則にまとめた方が単純明快なような気がしますが。

チラ裏ですが
par-o-nukar-nukar他動詞〜の食べ物の世話をする <-nukar他動詞  萱野辞典
aw un unarpe(主語) ku=mitpo(目的語) par-o-nukar-nukar pe(名詞化辞) ne kusu ek kor〜
pe(名詞化辞)の存在からpar-o-nukar-nukar(他動詞)を「抱合」?と見なすことが可能なら
面白い例です。

アイヌ叙事詩ユーカラ集Xp187では多分書き間違いとは思いますが、こうなっています。
〜 kani chise kani chashi uweroroshki 〜
736名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 15:17:16 ID:nU/z5MUp
おっしゃるとおり、

>@e/o、he/hoも含めて位置名詞、部分普通名詞(人体名称)には、「項数不変」「項数減少」の 両方がある

としてもいいと思いますよ。実際に語学としてやるときは、みんなそんな風に覚えていると思います。
名詞がe/oの所有者になっている、云々は「なぜ項数が変わらないのか」の説明にすぎませんし。

>A「抱合」に於いては非特定性を指向する 但し若干例外あり。

については、ご指摘の連動詞の例外の可能性などは面白いと思います。
樺太方言ではyay-名詞という形はけっこうあるので、北海道方言でも同じ現象があるというのは興味深い。
ただ、yaypar-が特定性を高めている、という考え方には賛成できません。
yayのような再帰詞は定/不定と無関係だと考えていますので。
もちろん、関係あるかもしれません。調べてみることが無駄だとは思いません。
737名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 15:32:49 ID:MYZnTKdI
確かに「yaypar-が特定性を高めている」というのは、はっきり言って苦しいです。
ただ、他動詞抱合あるいは自動詞抱合も含めて
「抱合」でも動詞価の規制を認めるのであれば、「所有者を項として取る形式」だからとの
説明は無理です。
統一的に説明するには、ゼロ項(項数不変)を認めるしかないのではないでしょうか?
738名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 15:58:00 ID:nU/z5MUp
>>737
なぜですか?名詞が名詞をとっているだけです。「名詞+名詞=合成名詞」が1項減らしているだけですよ。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 16:02:00 ID:nU/z5MUp
途中でポストしてしまいました、すみません。
もちろん、先ほども述べたとおり、結果的に項数を変えていないのは確かです。
ですから、「動詞価計算上e/oは項数を変えない」というのは正しい。全くその通りでしょう。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 16:10:54 ID:MYZnTKdI
註 (±0)は動詞価不増減 
yay(−1)-par(−1)-oyki(+2)=(動詞価0) ⇒yay(−1)-par(±0)-oyki(+2)=(動詞価+1)
a=uska(+2)-e(+1)-paye(+1) ⇒a=uska(±0)-e(+1)-paye(自動詞+1) =(動詞価+2)

そして、ゼロ項(項数不変)を取る場合とは端的に「非具体性」です。
@位置名詞や部分普通名詞(人体名称)は「場所」と同じく「非具体的」であり、
A動詞語幹前項の他動詞や自動詞は「特定人」の動作ではなく、もはや普遍的な「人」の
「行態」(むしろ動名詞)に過ぎない点で、やはり「非具体的」です。
こうすれば、「抱合」に於いては非特定性を指向するとする仮説と整合すると考えます。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 16:25:53 ID:nU/z5MUp
>>740
異論は全くありません。その通りだと思います。
ただ、「非具体的だからゼロ項」というのは端折りすぎだと思いますが。

位置名詞も身体名詞(e/o)も先行詞を必要とします。そのことを
「e/oは先行詞を必要とする分、非具体的である」
「ho/heは先行詞を必要としない分、具体的である」
と表現するだけなら、単なる言い換えにすぎないような気がします。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 16:28:58 ID:MYZnTKdI
おっしゃるとおりそこが難しいのです。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 22:48:41 ID:ep/w0+PL
horopsekar他動詞(+2)
[(h)or-o-p](-1)-se(+2)-kar(自→他 +1)= 動詞価(+2)

h→φ ○
φ→h × で
h→φとならない方言を前提として
o(+1)/ho(±0)と併行的に考えると

語頭のh音付加は、
「抱合」に於いては、動詞語幹前項が (±0) ゼロ項を指向するものか?
cf or(o)-oytak連他動詞 or(o)-utaspa連他動詞 

とすると
連他動詞 φ→φ
抱合    φ→h か?
744名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 23:08:32 ID:ep/w0+PL
cf horopse/oropse(+2)
[(h)or-o-p] (±0?) -se(+2) = 動詞価(+2)
745名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 18:41:29 ID:VlSu0yIH
動詞価計算の機械的適用?
A horopsekar/oropsekar動詞価(+2)
@[(h)or-o-p](-1)-se(+2)-kar(自→他 +1)動詞価(+2)=(h)oropsekar動詞価(+2)   ○
A[(h)or-o-p (擬音) -se] (+1) -kar(自→他 +1) 動詞価(+2)=(h)oropsekar動詞価(+2) ○

B horopse/oropse動詞価(+2)
@[(h)or-o-p (擬音) -se] (+1) 動詞価(+1)≠(h)oropse動詞価(+2)    ×
A[(h)or-o-p](-1) -se(+2) 動詞価(+1) ≠(h)oropse動詞価(+2)    ×
B[(h)or-o-p] (±0) -se(+2) 動詞価(+2)=(h)oropse動詞価(+2)       ○
仮に
C(h)or(-1) -o(+3★) -p(-1?) -se(+2★) 動詞価(+3)≠(h)oropse動詞価(+2) ×
D(h)or(-1) -o(+2★) -p(-1) -se(+2★) 動詞価(+2)=(h)oropse動詞価(+2)   ○?
しかし
CDでは(動詞)語幹(★)が2つになってしまい
人称接辞が付加する語幹が2個の連他動詞と結果的に同じことになる?
この点
T (h)oropsekar/(h)oropseはアクセント核が1つであり
U sayo-oro(p)sekar=anも可能であることから「抱合」と見るべき。

以上から
BはB、すなわち[(h)or-o-p] は(±0) ゼロ項となるのでは?
[(h)or-o-p] (±0)⇔[(h)or-o-p](-1)が可能であるなら
A とB両者が背馳しないのは、BはBで、Aは@[(h)or-o-p](-1)の場合か?
とすると
o/hoで、o周接構造分析的、ho抱合的 よって抱合⇒語頭音φ→hか?
746名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 23:47:00 ID:1KoKwSXb
>>745
horopseは他動詞なのですか?
747名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/08(火) 07:17:37 ID:15/fV51n
+1なら問題なし
748名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/08(火) 22:53:19 ID:15/fV51n
matkosanu
749名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 21:30:53 ID:3/qIsRbH
樺太horohse’ekara(+2)<?horohse(+1→転成?→名詞-1)- ’ekara(+3)。また田村辞典には
horopsekar(+2) hopsekar(+2)しかなく、horopse(+1) hopse(+1)は今のところ存在しない? 
自動詞としては不安定なのでしょうか?hopsekarが<hopseなのに対し、horopsekarは未分析のままです。
とすると(h)oropsekar (h)oropse両形ある八雲旭川名寄帯広(本別にoropsekarがある)は、
(h)oropse(+1)の可能性があるが、horopseしかない方言はどうなのであろうか?

「アイヌ語地名研究と言語学」(佐藤先生『アイヌ地名研究8』2005年)から
iyono pukuru 「ものがたくさん入っている袋」千歳方言
i(「物を」対格)-(y)-o-no(接尾辞「非常に」)→(袋が) i-(物) を所有する
☆他動詞o(+2)は O(対象) L(場所) [A(動作主)…任意的] 通常2項必要とする
T o(+2)  O(主語)   L(目的語)→「存在」→OがLにある
U o(+2)  O(目的語)  L(主語) →「所有」→LがOを持つ
iyono pukuruはUの例
☆他動詞us(+2)も O(対象) L(場所)の 2項必要とする
T us(+2)  O(主語)   L(目的語)→「存在」〜が群生する→例 kina-us-i
U us (+2)  O(目的語)  L(主語) →「所有」→例 ker k-us私が靴を持つ(身につける)
「他動詞的存在動詞」ではT、Uの両構文あるとする。

o-so-us-i型地名に関して
o(目的語)-so(主語)-us-iは、語構成が一般的に主語-目的語の順に並んでいるのに反し、
なぜso(主語)-o(目的語)-us-iとはならないのか?
佐藤先生は@「抱合」の場合 名詞所属形+他動詞はアイヌ語にはなく
A所有者付加接頭辞e- 、o-はe-ca e-kay o-asin等の僅かな例外を除いて自動詞に接頭する。
従って、o-usでは他動詞の目的語になってしまい、アイヌ語文法上?忌避される。
そこで、so(−1)−us(+2)で自動詞化(+1)し、o-がそれに接頭したものとする。
しかし、これはBloomfieldのB「語は内部構成素と外部の語との照応を受けることができ
ない」をアイヌ語の「抱合」にまで一律に適用したものであり自動詞転成ならともかく、
他動詞抱合の例からも、必然的なものでもないような気がします。
そもそもアイヌ語自体が名詞にマーカーを付けない典型的な主要部標示型言語である以上
o(+2)やus (+2)は単に「2項を必要とし、そのうちの1つは場所である」事以上あるいは
その事未満の情報は本来表示しないはずです。また先生も暗に指摘されていますが、
iyoの如くTU両構文の存在が「有生物」や「他動詞的存在動詞」に限られないとするなら
T、Uの構文は「意味上」の相違にしか過ぎないのではないでしょうか?もしそうである
なら、アイヌ語文法上の忌避と考えなくとも、e-〜-anが周接構造とすると、o-=-iである
L(場所)が、O(目的語)であるsoを持つ(〜にある)でも構わないと思います。さらにAを回避する
佐藤説でも周接構造の動詞語幹前項に限って言えば、実質的にBに反するのではないでしょうか?
750名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 21:06:14 ID:5irSTAP6
o-〜-i型に於ける@o-=-iすなわち周接構造及びAo-がゼロ項(±0)である事の証明

oysiru他動詞(+2) 産卵後の尾がバサバサになった鮭 田村辞典
<o(〜の尾)-i(ものを)-siru(他動詞〜をこする)
⇒o-i[o-は「全体(-i)」の「部分」→o-(-1)⊂i-(-1)→項数は全体で] (−1)−siru(+2)=動詞価(+1)
⇒oysiru自動詞(+1)→転成→名詞(0) 

T疑問 o-so-us-iはなぜo-i- so-usとはならないのか?
o-i- so-usの場合 仮にo-(-1)⊂i-(-1) =(−1)としても
⇒ [o-i] (−1) so(−1)us(+2)= 動詞価(0)で自動詞の転成を介さなくても「名詞」となり得る。
従って、動詞価計算上は問題がない。
ただ、[o-i]= o-(-1)⊂i-(-1) =(−1)とすると「全体(-i)」に対する特定された「部分(o-)」に
なってしまう。
そこで、o-〜-iと「分離」
とするならo-と-iは「同格」と解釈すべき。(もちろんo-は意味的には「尻」であって
「同格」ではあるが、「同義」ではない。この点Aは「文法」上も「部分」を表示する。
模式化すればAは「文法」上「部分」、Bは「意味」上「部分」を表わすに過ぎない。)
よってo-=-i L(場所)…………@
→→→→→→→→→→→→→→ 「o-=-iであるL(場所)が、O(目的語)であるsoを持つ」

U次にo-=-iとして、o-so-us-iの動詞価を計算すると
@のo-=-i L(場所)から、[o-=-i](−1)so(−1) us(+2) = 動詞価(0)で計算上は問題がない。
ただ[o-=-i]をo-(-1)⊂i-(-1) →(−1)とするなら、Aの[o-i]→ o-(-1)⊂i-(-1) →(−1) すなわち
「全体(-i)」に対する「部分(o-)」と同じことになってしまう。
そこで、Aの[o-i] → o-(-1)⊂i-(-1) →(−1) とは異なり
[o-=-i] (−1)⇒o-(±0)〜-i (−1) と考えるべき。
よってo-はゼロ項(±0)…………A

ただoykus←相違→hokusから、Bと同様にo-と-y(i)「同格」でo-(±0)―-i (−1)と考える
なら、Aもまたo-と-i「同格」でゼロ項を認めてo-(±0)―-i (−1) −siru(+2)となるのか?

Vさらにo-をゼロ項(±0)とするとusの動詞価計算はusの後項に影響されることになる。
もしo-〜-iとe-〜-anを併行的に考えることが許されるのなら(アイヌ語は人称接辞の
屈折による周接構造により、その「対象」を「語」に明示できる)、動詞語幹前項に
所属形(人称形 屈折?)が現れてもおかしくはないのでは?
cf Bloomfield「語は内部構成素と外部の語との照応を受けることができない」
751名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 21:31:05 ID:5irSTAP6
>>750
一行抜けてました。
「もちろんoykusの場合は<o-(+1)− [i-(-1)−kus(+2)]と解釈可能ですが」
752名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/15(火) 23:01:50 ID:5irSTAP6
o-(+1)ではなくo-(±0)。 <o-(±0)−[i-(-1)−kus(+2)]
753名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/16(水) 02:57:56 ID:dCKaiqFA
>>749-752
○ o-so-us-i
× so-o-us-i
が「意味上の違い」という説には賛成したいですね。
eseturuhu hemanta us「お前の背中に 何が ある」(萱野辞書)
aynu ker us「人が 靴を はく」のように
us は 場所・物・usの順でつきます(あるいは主語・目的語・動詞といってもいい)。
o-so-usは「尻に・滝が・ある」の意味なのではないでしょうか。
so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらなだけでは?
ka(si) o-us「上に 尻が・ある」が可能である以上、
so o-us「滝に 尻が・ある」も文法的には可能なんじゃないかと思います。

oysiruは o-i-siru「尾が・それ(川底)を・こする」
→「-1-1+2=0」という文ですが、oが先行詞を要求するために
→「0-1+0=+1」になります。

もちろん、*oysirupという語形になってもよかったはずです。
同じような名詞はけっこうありますよね。
tukisar-us「2つの耳・がついている」→ウサギ
kamuyotop-us「美しい髪・がついている」(人名)
humi-ruy「その声・が大きい」→エゾライチョウ
これらは「+1は名詞に転用可」でも説明できそうです。
とくに、humi-ruyなんかはまさに「先行詞を要求するから全体で+1」の例じゃないでしょうか。
もちろん「humiは動詞価±0」でもいいですけど。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/16(水) 03:00:09 ID:dCKaiqFA
>>753自己レス

すみません、誤記がありました。9行目
誤 so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらなだけでは?
正 so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらが忌避されるだけでは?
755名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/16(水) 22:27:21 ID:HgWCZL+e
>so-o-usだと「滝に・尻が・ある」の意味になります。意味的にこちらが忌避されるだけでは?
>>753同意です。文法上の忌避ではなく意味上の忌避だと思います。

A………o-i-型 oysiru<o-i-siru
T o-(-1)⊂i-(-1)  ⇒Σ[o- -i] (−1)−siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
U PRE >>o-   ⇒Σ[o-i-siru] (+1) =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
V Σ[o-=-i] (−1) ⇒o-(±0) −-i (−1) −siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
W o- (±0) −[-i (−1) −siru(+2)] =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)

B………o-〜-i型 o-so-us-i
昨日言いかけたA型Wを含めてA型に於けるT〜Wのケースを考えてみました。
TUVは意味上の違い(先述しましたようにAとBには文法上の相違があるが、
A型内部では)に過ぎず、また自動詞にo-が付加したWも同様かもしれません。
このうちUとVは実質上同じで、動詞価計算上の解釈の相違に過ぎません。
Vは(±0)を導入した場合、Uは(±0)を導入せずに解釈した場合です。

それではAとBの違いは?
Bのo-〜-i型であるo-so-us-iは一見すると、-iを修飾する関係節的な構文です。
しかしアイヌ語における修飾語がたいてい名詞連体詞自動詞等である点を重視すると、
先行するo-so-usが単独で自動詞なり名詞として機能していなくてはなりません(句は別)。
もちろん表記上の問題もありますが、o-so-usが単独で出現する例はあまりありません。
とすると
確かに関係節的な構文ですが、動詞語幹後項に「後行詞」を要求する場合は
やはり「周接構造」とみるべきであり、A型内部が意味上の相違に過ぎないのに対し、
同じように「同格?」であるBとAVの間には、文法上の相違がある?と考えています。

以下余談……「擬音」とすれば簡単ですが
名詞化辞i〜 hi  接頭辞o / ho ⇒「φ→h」なら

位置名詞   oro-o-p  △
位置名詞?   hor-o-p  ?  cf名詞(場所)  (w)or-o-p トビゲラの一種の幼虫
756名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 03:12:18 ID:vRG/QZrl
>>755
Bというのはo-so-us-i
AIIIというのはo-i-siru
ですよね?

で、Bは「周接構造」つまり 「-i が義務的に要求される」 という主張ですよね。

それは結構むずかしくないですか。
*o-so-us「主語・目的語・他動詞」
o-makiri-us「主語・目的語・他動詞」=「ツユムシ」
o-i-siru「主語・目的語・他動詞」
は同じ構造をしており、
o-so-us-i に -i が要求されるのは「周接という統語論的に別の現象だから」ではなく、
たんに地名だから、という意味的なレベルだと思うのですが。

「o-makiri-us の o- と o-so-us-i の o- は別モノであり、後者は o-〜-i という接周辞の一部だ」
と主張するためには o-makiri-us と o-so-us の間に構造的な違いがあることを示さなくてはなりませんが、
違いなんてあるんでしょうか?
757名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 21:04:47 ID:VrwKO4uL
omakirus<o(主語S)- makiri(目的語O)- us(他動詞V(+2))の問題

以下自動詞転成名詞ではなく、「純粋」な名詞を検討対象にします。
A  oysiru<o-i-siruの分析から
V Σ[o-=-i] (−1) ⇒o-(±0) −-i (−1) −siru(+2)=動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)
W o- (±0) −[-i (−1) −siru(+2)] =動詞価(+1)→自動詞転成→名詞(0)

AVを前提に(o-=-i)∧o- (±0)
⇒φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+Nで
本来ならNが必要なはず。

☆可能性その1
主要部標示型言語であるアイヌ語では、us(+2)は「O(対象) L(場所)の2項必要とする」
以上の情報は有しない。従って主語−述語は「意味@」あるいは「語順A」で示すほかない。
menoko otcike kik……@ seta cikap koyki……A
他方、金子先生によればアイヌ語の「周接構造」はチュクチ語等と比較して強くはない。
また「周接構造」自体も語構成に於ける一般的「語順」にも反する。
そこで、e=〜 =an /ane=から
周接構造である人称接辞e=〜 =anにも「語順」の規制からか? ane=があるように
o-〜-i型でも「語順」の規制がはたらき、S+O+V(+2)+φ(N)の語形を許容した?
省略 ※1 名詞 oysiru(-cep) 「産卵後の尾がバサバサになった鮭」
省略 ※2 名詞 opankaus<o-pan-kuwa-us-(kamuy) 「後足の長いクマ」
例外 ※3 名詞 omakirus  「エゾツユムシ」

☆可能性その2
S+O+V(+2)は上記AV(o-と-iが同格で、自動詞化(AW)を認めない見解。先日AVと
AWをわざわざ分けたのはこの為)を前提とすると、
「抱合」に於ける例外事象である他動詞主語の抱合を認めることになる。
そこで
⇒φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+N 
佐藤先生によれば千歳方言辞典中O+V(+2)+N型で主語述語関係が認められるものは
amam-e-cikap等すべて神名、動植物名、役職名で合計10例のみ。
とすれば
S+O+V(+2)⇒φ(S)+O+V(+2)+(N)と解することが可能であれば
もしかしたら、同じような傾向になるのでは? たとえば※1〜※3は動物名、神名

とすると統語論的には※1〜※3から分裂能格型言語のように「無生物」の場合は、
動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になるのではないでしょうか?
758名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 21:55:52 ID:VrwKO4uL
補足1
可能性その2は、厳密には論理的に「対偶」関係とは言い切れませんが

O+V(+2)+N(S)型⇔S+O+V(+2)型
∵O、V、Sの位置および順が異なる。

∴「有生物」は例外を生じる⇔「無生物」は義務的

補足2
「先日AVとAWをわざわざ分けたのはこの為」とは簡単に模式化すると
A型T〜Wのうち
U≒VでTUVは計算上( )を使わないのに対し、Wは( )を使う。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 01:25:49 ID:vPUwtYdM
おお、ようやく話が面白くなってきた。

>「無生物」の場合は、 動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になる

これはありそうですね。アイヌ語は生物/無生物の区別があまりない、という点が特徴だと
思ってきましたが、案外こんなところにあったりして。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 22:22:01 ID:/i9b8gaj
自動詞の場合
はじめに、昨日書き忘れた「無生物」の例としてoyuspe<o-i-us-pe「酒杯」
A 事例
T kamuy(主語)-o-sinot(述語+1)-mintar(N)
U yuk(主語)-o-san(述語+1)-nay(N)
V tapkop(主語)-e-an(述語+1)-nay(N)
従来の通説では
o-, e-を付加し、動詞価(+1)⇒(+2)として初めて主語とN両方を取れるとしてきました。
しかしそれでは他動詞主語の抱合を認めることになり、また以下の自動詞(+1)「抱合」の例を
考慮に入れると、それでは不十分です。
B 事例
@尾白内川オシララナイ<o-sirar(主語)-an(述語+1)- nay (N)
Aオサルカンナイ<o-sarki(主語)-an(述語+1)-nay(N)
B尾猿内オサラナイ<o-sar(主語)-an(述語+1)-nay(N)
この場合o-,e-を付加していないにも係わらず主語とN両方を取っているように見えます。
ここで、ゼロ項(±0)を導入すると
@Aのo-は主格対格以外の「斜格(場所)」(以下この意味で使用)を表現することが可能です。
すなわち@〜Bではo-=-nay(N)を示します。
これをAの事例に適用すると以下のようになります。
TUのo-、Vのe-はいずれもゼロ項(±0)で動詞価(+1)を(+2)としません。
とすると、構文上A≒Bとなります。
もしこれが可能であれば、TUのo-、Vのe-は「斜格」を表現することが可能となり
ATの-o-=mintar(N) AUの-o-=-nay(N) AVの-e-=-nay(N)となります。
とすれば昨日証明した「周接構造」であり、且つ以上の事例はすべて「無生物」ですので、
C 結論
次のように集約できます。
『「無生物」の場合、「他」動詞語幹の後項には「本来的」主語要素の有標化が
「自」動詞語幹の後項には「斜格」的要素の有標化が義務的になる。』
そしてこれは千年以上前に遡り得ると考えます。以前邑良志別と比定した旧本吉町には
「狼の巣(おいのす)」o-inaw-us-iがあり、また「有生物」の例外が僅かなことから
もしかしたら「有生物」も同様で、元来アイヌ語は能格型だったのかもしれません。
最後に
(1)i-ru-o-nay ⇒佐藤先生はi-sapa-kik-ni同様i-ruを目的語的に解釈していますが、
これもCの原則を適用するとi-=-nayで「主語」になると考えます。
(2)i-sapa-kik-ni⇒切替先生はi-sapaは目的語で-niは道具であり、主語相当要素ではなく
「擬似修飾語構造(主語を欠く自動詞的形式と二次的構成的な名詞との結合)」としています。
しかし(2)も(1)と同様に語構成に於ける語順を重視するとi-=-niで、あくまでも主語であって、
道具というのは「意味」上の相違にすぎず、「擬似修飾語構造」なる概念は不要と考えています。
残された課題はi-を(±0)とする点ですが、周接構造の場合は[i-=N](±0)であり可能と考えます。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 23:20:52 ID:vPUwtYdM
>@尾白内川オシララナイ<o-sirar(主語)-an(述語+1)- nay (N)
>Aオサルカンナイ<o-sarki(主語)-an(述語+1)-nay(N)
>B尾猿内オサラナイ<o-sar(主語)-an(述語+1)-nay(N)

これらはむしろ復元が誤っている可能性が高いですね。
-anではなく-unでしょう。
762名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 23:42:46 ID:/i9b8gaj
イソサンヌプリ<e(±0)-so(主語)-san(述語+1)-nupuri(N)
ソウサンベツ<so(主語)-o(±0)-san(述語+1)-pet(N)
763名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 00:10:45 ID:LPLEfeUK
>>762
so-o-san のo-は充当相ではないですか?
e-so-san-nupuri の so-san は so-o-san かもしれまん。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 12:46:13 ID:wMvtl6Wq
>>761
@〜Bはやはり-anのようです。

>>763
>so-o-san のo-は充当相ではないですか?
>e-so-san-nupuri の so-san は so-o-san かもしれまん。

e-so-san-nupuriの場合so-o-sanとしたら、語頭のe-は必ずしも必要ではないですし
nupuriを後項に取るなら、むしろ-e-の方がふさわしいのでは?

もちろん、確かに充当相で、解釈の違いにすぎません。

しかし
そもそも充当相自体が印欧語のような名詞曲用動詞屈折をする典型的な二重標示型言語を
前提に、まず主語対格及び動詞の間の関係を決定し、それから、それ以外の要素を決定する
印欧語文法を念頭に置いたものではないでしょうか?
金田一京助『ユーカラの研究U』(昭和6年1月15日東洋文庫)
p134〜p139充当相の接辞-e-  p139〜-o-
金田一博士喜寿記念 『アイヌ語研究』(昭和35年5月25日三省堂)
p136充当相の接辞-e-  p142〜-o-

そこで
充当相は通常、先行詞を受けて使用するものであり、充当相が示す対象が
充当相接辞の後項に位置するケースを「他動詞」の場合と同様に「周接構造」とし、
ゼロ項(±0)導入を契機に、主要部標示型言語らしく、いわば「動詞」の方から
動詞自体の「情報」として
『「無生物」の場合、「他」動詞語幹の後項には「本来的」主語要素の有標化が
「自」動詞語幹の後項には「斜格」的要素の有標化が義務的になる。』
こう解釈しました。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 16:28:18 ID:LPLEfeUK
>>764
(1) @ABは今手元に一次資料に近いものがないので、確実なことはいえませんが、
山田秀三『北海道の地名』を見る限り、語形はあやしい。anとは言い切れないと思います。
(2)*e-so-o-san-nupuri ならば問題は全くありません。o-sanは充当相による他動詞です。
e-とは無関係です。
(3)充当相とe-/he-「頭」、o-/ho-「尻」を同一視するのはかなりラディカルだと思いますね。少なくとも共時的に分析して「解釈の違い」というのは難しいのでは?
766名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 17:26:07 ID:wMvtl6Wq
>>765
地名は表記の問題がありますから、
最終的にはネイティブに文法上可能か、確認するより方法がないですね。

結局ゼロ項(±0)を導入するということは、動詞価計算上同じ結果が得られれば
すべて「同一」と考えることであり、当然「ラディカル」になってしまいます。
換言すれば、「意味」上の違いの部分が多くなります。  例AのT〜W
たとえば他動詞us(+2)はO(対象) L(場所)の 2項を必要とし、「存在」と「所有」は
「意味」上の違いに過ぎないというのも、程度の差こそあれ「ラディカル」です。
「動詞価」概念の導入で主要部標示型言語にふさわしい文法記述に踏み出した訳ですから
それを突き詰めれば、早晩出て来るもの(ゼロ項 ±0)だと思います。
いったんゼロ項(±0)を認めれば、避けて通れない問題なのかもしれません。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 18:17:31 ID:wMvtl6Wq
簡単に模式化しますと

@充当相とは動詞価計算上( )を使用する演算方法
Aゼロ項{(±0)[e-,o-=N]}とは( )を使用しない演算方法
B他動詞語幹(+2)にAを適用して、得られた結果を
解釈の妥当性は一先ず置いて、(+1)の場合にも適用した

ということです。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 01:22:15 ID:BbKUAEQo
>>766

>結局ゼロ項(±0)を導入するということは、動詞価計算上同じ結果が得られれば
すべて「同一」と考えることであり、

動詞価計算はそんなに便利なものではないと思いますけどね。結局、
*e-so-o-san-nupuriにe-が不要かどうかで判断が分かれてしまうのは、
立場の違いにすぎませんね。長いレスを読むのに疲れたのでちょっと休みます。
すみません。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 11:19:13 ID:5b64mbyU
>>768
すみません。非常に重要な点ですので書かせてください。簡潔にします。

*e-so-o-san-nupuri
(o-san他動詞+2)で、SOVの語順なら
e(φ主語)-so(目的語)-(o-san他動詞+2 )-nupuri(N 本来的主語)となり
e-=-nupuri(山の頭) …@

田村辞典にはサタモさんからの聞き取りで、もちろんo「尻」としていますが
以下の用例があります。
petosanputu<pet(主語)-(o-san自動詞+1)-putu(N所属形、即ち⊂pet)  
pet≒putu(川の口)  …A

@とAを「違う」とみるか「同じ」とみるか? 難しい問題です。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 17:14:44 ID:5b64mbyU

{ pet(主語)-(o-san自動詞+1) →N} -put(N概念形)ではなく
-putu(N所属形、即ち⊂pet)であるのは
pet≒putu

petosanputu<pet(主語)-(o-san自動詞+1)-putu(N所属形、即ち⊂pet) …A

yuk(主語)-o-san(述語+1)-nay(N) ……B

もし( )を使ってAとBを整合的に解釈するなら

Aはpet≒putu
Bはyuk≠nay

∴Bのo-san(述語+1)は(o-san他動詞+2)と同音異義に考えます。

一方、「自」動詞語幹の後項には「斜格(場所)」的要素が有標化すると
考えれば
ABともに「斜格(場所)」であり、どちらのo-も同じものとなります。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 16:56:34 ID:x7VLvZvM
まとめ

動詞「語幹」の動詞価を基準(括弧を使わない)とし、主格目的格以外を「斜格」とすると

@  「抱合」 (e-,o-)−O−V(+2) −N(本来的主語) (e-,o-)=N 他動詞主語を忌避
⇒  o(φS)-so(O)-us(+2)-i(N本来的主語)

A  「非抱合」 S−O−N(斜格) −(e-,o-)−V(+2)  (e-,o-)は先行詞を受ける
⇒  menoko(S) ni(O) suma(斜格) e-kik(+2)

×A’ 「抱合」 S−O−(e-,o-)−V(+2) −N(斜格)  他動詞主語を忌避
⇒  他動詞主語を認めると、あたかも二重人格を肯定することになってしまうから。

B  「非抱合」 S−N(斜格) −(e-,o-)−V(+1)   (e-,o-)は先行詞を受ける
⇒  kamuy-kotan(S) to-teksam(斜格) e-an(+1)

C  「抱合」 S−(e-,o-)−V(+1) −N(斜格)
⇒  pet(S)-o-san(+1)-putu(斜格)

?D 「抱合」 (e-,o-)−S−V(+1) −N(斜格) 
⇒ ? e(φ斜格)-so(S)-san(+1)-nupuri(N斜格)
忌避される他動詞主語でもなく且つCの「抱合」が可能なら認める必要性は少ないのか?

とすると
@〜Cから、動詞「語幹」に接頭する場合は「斜格」、それ以外は「主語」を標示するのか?
772名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 21:52:54 ID:BYybBfZL
遠軽の丸瀬布(マウレセップ)の地名解

某掲示板の地名解 mar(現代朝鮮語の馬) se(男)p

山田先生も未解決ですが、あまりに酷いので、自分なりの試案を敢えて

アイヌ語は母音の前進的同化(『アイヌ語に於ける母音調和』)が多いことから
e-rimse⇒e-remseで

maw(-1)-e(+1)-remse(+1)-p(-1)<maw(-1)-e(+1)-rimse(+1)-p(-1)

地形
互いに20度以上の角度で河川が合流し、且つ角度の総和が120度以内で
前方に障害となる丘陵などがある多少開けた土地の場合
ちょうど桶に水を三方から注いだように、河川谷を下る風(気流)が渦を巻く可能性があります。

語分析
次に、このe-は(+1)に接頭しているので、e-は「斜格」を標示することになります。

この点ku(S)=turi(O-1)-e(+1)-cipo(+1) (もちろんcip(-1)-o(+2)と分析できますが
徹頭徹尾、括弧を使わないという訳にはいきませんので、cipo(+1)とします。)

この場合turiはe-cipo(+2 〜で漕ぐ)の目的語で、対格の抱合ですが、
先述の分析に従えば、e(+1)-cipo(+1)でe-は「斜格」を標示することになります。

そして「斜格」の場合、通常「意味」的には「場所」あるいは「道具」を示します。
とすると
この場合、「斜格」の示す対象が、-i(場所) ではなく、-pとなっている点を重視すれば
「風が舞う処」ではなく、意味的には「風が舞うようにしむける地形」と考えます。

「子の川が並んで、三つある広い処」というのは、ある具体的な特定の「地点」ではなく、
むしろ「地勢」を、そう表現しているのかもしれません。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/24(木) 20:54:07 ID:nnNEoAzo
>>772
もし括弧を使わないとしたら、すなわちcipo(+1)としないなら

>>771 の@〜C以外の第三類型として
e-cipo(+2 〜で漕ぐ)のような(e-,o-)−N −V(+2)型の中間形態があります。

たとえば、o-maw-suye(+2) o-nis-poso(+2) o-pe-kus(+2)等
cf o-so-us-iは動詞語幹後項にNを取るので別類型

この場合、ちょうど@〜Cが2類型(@本来的主語、A〜C斜格)に分かれるように
「意味」上、A及びBに分類できます。⇒文脈(動作主らしさ)によって決まります。

A (e-,o-)(非主格)−N(a) −V(+2)  Na…動作主、「主」、有意性のある場合
B (e-,o-)(主語)−N(b) −V(+2)   Nb…受動者、「従」、有意性のない場合
すなわち
⇒ Naの場合、前項の(e-,o-)の標示する対象は「非主格」
⇒ Nbの場合、前項の(e-,o-)の標示する対象は「主格」

turi(竿)-e-cip(舟)-o(+2)
turi(従)、cip(主)から、-e-は「非主格」⇒意味上は「道具」

とすると
>>771 のDはどうなのか? 「地名」からはありそうな気がしますが
ただ、表記の問題から地名は決め手にはなりません。正直分からないです。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/02(金) 22:57:50 ID:lB0gtMDp
地名の話題

カムチャツカ半島西岸のボリシャヤ川の北には、あまり知られていないがutkaという川がある。
もちろん南イテリメン語の川がkaw/kauなのでkaで終わる河川名はイテリメン語の可能性があるが

また、北千島、カムチャツカにある地名としてライシャシがある。

面白い事に、北海道のオホーツク海沿岸北部にはライシャシがあり、その近くには
エサヌカ川[<e(その頭が)-san(浜の方に出ている)-utka(浅瀬)]がある。

妄想だが
地名の癖から考えると、北千島、カムチャツカアイヌの故地は北海道の太平洋側ではなく、
(南千島アイヌは北海道の太平洋側が故地?)北海道のオホーツク海沿岸かも?

丸瀬布の別解   mo(小さい方の)-ure(脚が)-sep(広がっている)

難点
oとuの混同はあるが、oと aの混同は少ない。
比喩でureを使うのであれば、一つの川が途中で幾筋にも分かれるような地形の方がベター
ここは黒曜石を産出する白滝や大量の鮭が遡上する上川盆地へのルート上で深い谷が特徴
775名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 10:26:59 ID:XC6IGfn0
>771
「動詞語幹に前置されていれば斜格マーカー、それ以外は主語」
というのは文法現象としてはありそうにないですね。やはり
「動詞語幹に前置されていれば動詞接辞、それ以外は名詞接辞」
ということではないでしょうか。

>774
utkaはロシア語だと考えていました。
アイヌ語という可能性もありますかね。判別は難しそうですが。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 17:20:34 ID:qw8vRtIs
u-or-unuに関して
otcike(1) oske itanki(2) uorunu hine 静内地方の伝承Vp242
kaparpe otcike(1) kaparpe itanki(2) uorunu hine 静内地方の伝承Wp244
kaparpe-otcike(1) kaparpe-itank(2)i uor(u)nu-ine 人々の物語p15
以上目的語は2つ

一方u-oro-unuの例
kapar-pe itanki(1) kapar-pe otcike(2) su(3) sanke(2動) hine huraye(2動) hine u-oro-unu(3動) hine
目的語は2つ、あるいは3つ

>>731のu-(w)oro-roskiと同じような傾向がある
⇒⇒u-(w)or-roski同格で目的語1つ u-(w)oro-roski目的語2つの場合及び所属形

A…佐藤先生『他動詞が名詞の所属形を抱合している確実な例はないようである』
例外はtomouye、u-(w)oro-roski、u-oro-unu?等
ただし、例外はごく少ないので、Aはアイヌ語の語形成に於ける一般的傾向と考えられる。

B…e / oは名詞接辞で、名詞の所属形と意味的に同じ役割を果たしている

とすると
これはAのアイヌ語の語形成に於ける一般的傾向と抵触することになる。

そこで、これを回避すべく周接型(o-so-us-i)及び
>>773の(e-,o-)−N −V(+2)型の中間形態を含めて、無理は承知で整合的に解釈した次第です。
勿論「動詞語幹に前置されていれば動詞接辞、それ以外は名詞接辞」が誤りと言うつもりはありません。

utkaに関して
もちろん鴨川の可能性はありますが
道東に於けるutkaはエサヌカ川、別当賀(pet-utka)を含めて河川全長が短く
下流に潟湖や河跡湖を伴うものが多いようです。
カムチャツカ半島西岸のutkaも、これに似ています。

丸瀬布に関して
この地名解は非常に難しいですが、湧別川下流には婦美(humi)札富美(sat-humi)と、地名では
極めて異例なhum(音)を構成要素とする河川名があること、北見峠は石北峠より標高が低く
偏西風が分水嶺を越え易いことから、そう考えました。
777名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 22:34:55 ID:qw8vRtIs
訂正
×kaparpe-itank(2)i⇒○kaparpe-itanki(2)
×tomouye⇒○tomotuye

補足
utkaに関して、mukaは語源が不確かなため今のところ除外
778名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:22:36 ID:komTw+GE
補足
ku=turi-e-cip-o<ku=turi(-1竿)-e(+1)-cip(-1舟)-o(+2動詞語幹)に於ける
-e-の品詞分類
A…動詞語幹に接頭していないので名詞接辞
B…合成(複合)動詞cip-o(+1自動詞)の、取り得る動詞価を増やす目的語指示接辞
この場合-e-はAB両方の性質を有する。
>>776の抵触を回避する為に、AよりBに近いものと考えます。

mukaに関して
Omanpeshkaunmat anipuntari eshimukko-anihitara chikupso-utur erututke
オマンペシカ媛はもろくちの銚子を胸まで持ち上げていて、酒席の間を斡旋した(知里訳)
eshimukko-anihitara=e-si-muk-ko-ani-hitara(胸まで持ち上げていて)

mukas=anよばいする(樺太)<muk(胸)-e(で)-as(立つ)=an
cfよばいする i(それの)-o(陰部)-kuyra(に忍び寄る)
以上からmukは合成語の中で「胸」「乳房」を表す。

そこで各辞典をみると
mu(+1自動詞) 塞がる つまる 田村辞典
mu(+1)−ke  つまる 萱野辞典
mu(+1)−re  ふさぐ 萱野辞典

同音異義語
mu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る 
例kamuy nupuri an=mu turasi rikip ka a=koyaykus 静内地方の伝承X p25

一方久保寺辞典p161では
mu塞がる mu (v)木にのぼる 
mu=muk (完全動詞)塞がっている   
muk塞がる  muk-ka塞がらす
muka(vi)上る、登る =mure

ムカ(muka) 水が湧く にじみ出る 上原熊次郎(江戸期) 
以上かなり錯綜しています。

そこで私見ですが
アイヌ語の母音a, o,u,i,eのうち、o,u,i,eは自動詞語幹に接尾して他動詞化し得るのに対し
母音aは自動詞語幹に接尾して他動詞化する事はありません。『アイヌ語に於ける母音調和』
とすると
muk=mukaと考えることが可能です。
mukが化石化した用例で「乳房」を表すのであれば、自動詞は転成して名詞となり得
muk「乳房」は当然分泌物が出るので、ムカ(muka)「水が湧く、にじみ出る」と
同語の可能性があることになります。
以上から、もしかしたら次のように整理できるのかもしれません。
@mu(+1自動詞) 塞がる つまる 他動詞はmu-ke mu-re
久保寺辞典の muk-ka「塞がらす」 は誤り?
Amu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る  複他動詞形は無し?
久保寺辞典の mure(vi)「上る、登る」 は誤り?
Bmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」
Cmuk/ muka (名詞) 「胸、乳房、分泌物」

これを地名に当て嵌めると
鵡川    Cmuk/ muka (名詞) 「分泌物」⇒水の湧き出る所
占冠    si−Bmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」−p
無加   Cmuk/ muka (名詞) 「分泌物」⇒水(水銀)の湧き出る所
イトムカ  i(目的格接辞)-tom(位置名詞)-o(+2)-muka(C名詞「分泌物」)
⇒⇒⇒⇒⇒o(+2他動詞)は「場所」を取るので、(川)の中で水(水銀)の湧き出る所
779名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 02:54:50 ID:lMF0Z4mw
なるほど。
バチェラーがやはりmuka「to ooze outにじみ出る」の項でmu=muk=mukaという分析をしています。
知里も人間編でmukが合成語中で胸を指すと指摘しています。
「にじみ出る=乳房」というのは面白い可能性ですね。

それはそれとして、久保寺のmukka「塞がらす」はバチェラーにもありますし、
語構成としてあり得る形ではないでしょうか。
780名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 19:44:29 ID:FqvX9zIO
>>779
確かにそうですね 訂正します。

>>778
同音異義を極力回避し、かつmuk?(+1自動詞)「塞がる、つまる」の単独形を
要調査とした故の私見です。
muka (+1自動詞)と mu-kaではなく muk-ka(+2他動詞)「塞がらす」なら
動詞価も違いますし、語構成としては可能だと思います。
知里地名辞典でもmu=muk(+1自動詞) 塞がる、つまる としています。

まとめると、以下のとおり
@mu(+1自動詞) 塞がる つまる        他動詞はmu-ke mu-re
Amuk?(+1自動詞) 塞がる、つまる       他動詞はmuk-ka
cf mukemuke(+1自動詞) ぎっちりつまっている 中川千歳辞典
Bmu(+2他動詞) 〜をよじ登る、はい上る      複他動詞形は無し?
久保寺辞典の mure(vi)「上る、登る」 は誤り?
Cmuk/ muka (+1自動詞) 「水が湧く、にじみ出る」
Dmuk/ muka (名詞) 「胸、乳房、分泌物」

muxsireciwつまづく<muk-sir(地)-e(に)-ciw(突く)『北蝦夷古謡遺篇』 の例から
sir(地)をciw(突く)のは胸板ではなく凸の乳房しか考えられませんので
muk(名詞)=「乳房」で間違いないと思います。

とすると
沙流川の雅名si-sir-mukaは
(湧出づる)偉大なる大地の恵み(乳)(である沙流川)となります。
ちょうど聖書の中でカナンが「乳と蜜が流れる地」と呼ばれた事と似ています。
また
博学なNisurekkur氏の伝承では鵡川と沙流川アイヌのiwor争いの際の談判として
Shine metot e-we-turashp a-usamomare a-kor pet ne yakun 
shine hapo uren toto e-shukup utar korachi anpe a-ne wa shir-an.
同じき水源の山へ  川伝ひに遡り行き  相並び合ふ 我等が川なれば
同じ慈母の 両つの乳房 もて育ちたる さながらの 我等にあらずや。(久保寺訳)
と鵡川と沙流川が「両つの乳房」に喩えられています。

知里分類辞典の当該箇所も、主語のOmanpeshkaunmat (大正2年ワカルパより採録)を
省略していなければ、もっと早くに気づいていたのかもしれません。

バチェラーの分析(英文)は正鵠を得ています。採録時期が明治と昭和ではかなり語彙が
縮小しているような気がします。
バチェラー辞典は、他辞典での推論の後にいわば「答え合わせ」的に使っています。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 06:10:23 ID:/4VeCbmu
>>780
共時的分析においては、「同音異義語を極力回避する」理由がよく分かりませんけどね。
「語源」というのは基本的にファンタジーだと思っておりますので。

で、si-sir-mukaについて、mukaを名詞とするのにはためらいますね。
sirに後続するなら動詞という可能性のほうが高い。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 21:00:50 ID:cCO9pE1U
>>781
鵡川と平仄を合わせたまでで、おっしゃるとおりです。

「同音異義語を極力回避する」
端折り過ぎました(長くなってしまうので)。 以下、知里分類辞典、田村辞典から


@mux-cara(caru)食道 樺太鵜城  <muk(胸)-cara(口)
Amukcar(o)みぞおち 沙流    <muk(胸)-car(口)
Bmut-car-kam(熊の)喉肉 屈斜路  <muk(胸)-car(口)-kam(肉)
Cmukkamama(猫等が日向に)腹這いになっている美幌 <muk(胸)- kamama(かぶさっている)
Dmukkataoma自動詞 座って上体を前に倒す 沙流 <muk(胸)-ka(の上)-ta(に)-oma(位置する)
Emukramama 自動詞 中腰になっている 沙流 <muk(胸)-rama(を低くする)-ma(重複)


@mutcar(a) 喉(首) 美幌 屈斜路 <muk(塞がる)-car(口)
Amuxcara甲状骨上縁と舌骨間の窩  樺太白浦 <muk(塞がる)-cara(口)
Bpen-muxcara 甲状骨上縁と舌骨間の窩  樺太白浦 <pen(上方の)-muk(塞がる)-cara(口)
Cmukkot窒死する 金田一訳 金成マツーカラ集Tp126 〜anekonramu mukkot kane 〜
※mukkot 恐れる バチェラー辞典 〜kewtum oroke mukkot kane kotom an〜
Cmukkot(+1) <[muk(塞がる+1?)-kot(喉?)] →(動詞価?) 要検討
あるいはバチェラーの例から、Bのmuk(塞がる+1)ではなくAのmuk(胸)?
mukkot(+1)<muk(胸-1)-kot(+2)又は<muk(胸) -ot(名詞について自動詞化する他動詞語根)


mutcar-pone  鎖骨  美幌 <muk(?)-car(口)-pone(骨)

以上、Aはmuk(胸)、Bはmuk(塞がる)、Cはmuk(不明?)と分類できます。

このうちBBのpen-muxcaraはpen(上方の)となっているので
muk(胸)-cara(口)「食道、あるいはみぞおち」の可能性もあります。
Bの例よりAの例の方が多く、また同音異義で錯綜しています。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 22:27:41 ID:cCO9pE1U
訂正 eが脱落してました
<muk(胸-1)-ekot(+2)

補足
Bのmuk(塞がる+1)なら
<muk(塞がる+1⇒動名詞−1) -ekot(+2) 自動詞抱合も可能か?
784名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/30(金) 20:25:11 ID:EmYzKx6G
鵡川muka=muk「乳房、分泌物、にじみ出る」の証明の続き



muk(塞がる+1)の単独の使用例として

☆etu-muk旭川 「鼻がつまる」

etu-mu 千歳 

etu-esikari 屈斜路 <etu(鼻が)-esikari(つまる)

etu-isikari 樺太白浦<etu(鼻が)-isikari(つまる)

etu-esaxte 樺太鵜城<etu(鼻が)e(それに於いて)-saxte(乾かす)

enitatke  幌別<e(そこに、鼻に)-ni-tat-ke(棒がはさまったようになる)

enitaxke 樺太白浦鵜城真岡<e(鼻に)-ni-tax-ke(棒がはさまったようになる)

田村辞典 nupe kus puyehe mu wa ne nankor涙の穴がつまる



☆『蝦夷語』では「ムツ」「塞」の意味 嘉永3年 松浦武四郎 江戸期の文献に関しては調査中



mukの単独の用例がetuと伴に使用されているのは非常に興味深い 

鼻がつまるのも鼻水がにじむのも、風邪の一連の症状であり、伴に粘膜の異常が原因だから



以上 >>782 で検討してきたように合成語のmukは「胸、乳房、分泌物」の意味が多い。
785名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/30(金) 20:34:54 ID:EmYzKx6G
一応合成語のmukと思われるのは(但し、mu(+1)⇒mu-keで厳密にはmukではない。)

例 mukemuke(+1) 互いに押し合いへし合いする ぎっちりつまっている 中川千歳方言辞典



一方

ツルニンジンのmuk{和名 蔓人参 『本草和名(延喜18年頃918年)』では止止岐(トトキ)

古来より美味な代表的山菜 生薬名は「羊乳」}も知里分類辞典によれば、別名tope-muk/top-mukで

茎や根を切るとべとつく白い乳汁のような液が出るのでtope-muk呼ばれたとあり

美幌では母乳の出ない時、煎じて飲み同時にその煎汁で乳房を冷やしたとある。

また、mukは合成語の中で「根」「地下茎」の意味で使われ、丸い物のころがる様の形容と

しての例もある。 muk karkarse sikopayar (バアソブの)根がころがるのとそっくりだ 



とすると「ツルニンジン」や「地下茎」のmukは「胸、乳房、分泌物」のmukの転義と考えられる。

そこで

otは、魚や鳥等の動物すなわち「動くもの」や

「液状のもの」(kem-ot やye-ot)に使われること(例 辺乙部pe-ot-pe 瑠橡(るろち)rur-ot-i)から

向別川(モコベツ、モコチ、ムクチ)は動かない植物の「ツルニンジン」ではなく、

(muk-ot-i)<muk(分泌物)-ot(他動詞語根)-i(名詞化接辞)とした方が妥当と考える。

また逆に-otが後接していることから、muk⇒「液状のもの」との推定も働きます。 Q.E.D.
ホスト規制で携帯からです。長文の返事はできません。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 12:48:24 ID:aM5q8XKo
目名大橋付近で向別川に合流しているメナブト川の異名が<mena(湧水地)-kot(窪地)-ruy(が多い)であるのも、この証左です。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 20:48:41 ID:aM5q8XKo
Dybowskiの千島アイヌ語の資料では
eskariつまる etumu鼻風邪<etu(鼻)-mu(つまる?)
muk pe汚い水<muk(にじみ出る?)-pe(水)で
muk(+1にじみ出る)の単独形がある。
一雄武<o-muは『蝦夷語』のムツにもかかわらずヲム(松浦)
ヲウム(上原)である。 雄武と同じくオホーツク海側の網走方言(安政2年生工藤)でも
ム(mu) 塞がる、ムッカネ (mukkane) 円き<muk(乳房?)-kaneで
mukではない。とすると
mu(+1塞がる)の他動詞形がmukka、mu-re mu-keで
muk(+1塞がる)は存在が疑われます。
どう思われますか?
788名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 00:15:54 ID:TqK1Z3ND
muk「ふさがる」は久保寺とバチェラーにみえるだけですね。
そんな動詞は無いのかもしれませんね。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 12:24:16 ID:jAX8Muhk
阿蘇山、浅間山、那須岳、有珠山・・富士浅間神社
アソとは火山のことだから日本全国アイヌ人が住んでいたことが分かる。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 22:02:09 ID:TXUHJeft
鵡川(ムカハ)のアイヌ語地名の語源 muk/ muka 「水の湧き出る所」

占冠のアイヌ語地名の語源 si-muka-p 「真に水の湧き出る所」

無加川のアイヌ語地名の語源 muk/ muka 「水の湧き出る所」

イトムカ川のアイヌ語地名の語源 i-tom-o-muka 「その斜面の中程で水の湧き出る所」

向別川(ムコチ モコチ) のアイヌ語地名の語源 muk-ot-i 「湧水が多くある所」


まとめ
mu 塞がる 自動詞 他動詞形mukka muke mure
muk/ muka 水がしみ出る 自動詞
muk/ muka 胸、乳房、乳 名詞
mu 登る 他動詞
mukpa/mukke 隠れる 秘密である 自動詞 (ユーカラ集Vp231) 反意語sara
791名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:07:20 ID:K6d67M6j
沙流川 シシリムカsisirmuka<si(偉大な)-sir(大地から)-muka(水の湧き出る所)

mukの使用例
komukshirechiu<ko(+1)-muk(-1)-sir(-1)-e(+1)-ciw(+2) /aki korユーカラ集[p106
pirka menoko /mukereyeko<muk(-1)-e(+1)-reye(+1)-ko/yupnataraユーカラ集\p362
eshimukko/anihitara<e-si-muk-ko-ani-hitara金田一京助全集\p400 虎杖丸曲
以上ワカルパ

ムシレチウmu(x)-sir-e-ciw ムシレチウ/ランケmu(x)-sir-e-ciw ムッシレチウmux-sir-e-ciw
金田一京助全集\p78 p83 p89 北蝦夷古謡遺篇 ラマンテ
mukは表現が古雅なワカルパや樺太のハウキで多用される。

松浦武四郎の蝦夷語も前半の「支躰」の病名のところに「鼻塞」「イツムツ」とあり
後半の「態」の動詞の「塞」「ムツ」は「イツムツ」から解釈した可能性がある。
とするとDybowskiのmuk pe汚い水<muk(にじみ出る)-pe(水)から、muk/(+1)「にじみ出る」は
19世紀の前半には既にマイナスイメージとなり、廃れていたのではないだろうか?

ot「存在動詞」に関して
アイヌタイムズ編集責任者の浜田氏はotは単複関係なく「液体」をイメージしつつ使われるもの
とかなり語義を限定しています。しかし以下の例から問題があります。
shinutapkaunmat/Ponmoshir kotan/eot <e(±0)-ot(+2)赴くruweneユーカラ集[p111ワカルパ
Urarochi<urar-ot-i村名 霞村 ユーカラ集[p205 コタンピラ

1有生物+ ot
ciray-ot知来乙cikap-otチカプオツ cep-otチェポツ supun-ot-pe宿野辺 ceppo-ot-iチヱツポヲチ
cir-ot-(to)白人supun-ot-nayシブノツナイ

2有生物の一部(体液) + ot
kem-ot ye-ot pe-ot-pe辺乙部 muk-ot-iムコチ向別川muka-ot-i?俣落?

3無生物+ ot
rur-ot-i瑠橡(るろち) urar-ot-i霞村

以上から「存在動詞」otは知里説の「群在」、より正確に言えば動的複数を表すと思われます。
従って、浜田説は誤り、もちろん鵡川の地名解も誤りとなります。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:08:05 ID:K6d67M6j
「存在動詞」ot
A 有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
B 無生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
※C 場所(主語)−ot(+2) −有生物(目的語)
※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語)

otが「液体」をイメージしつつ使われるものではなく、動的複数を表すとしたら
o(+2)と比べて、※C※Dは出現頻度が劣るのではないでしょうか?

さらに
>>757>>758で検証したように
φ(S)+O+V(+2)+N≒O+V(+2)+Nで
X…佐藤先生によれば千歳方言辞典中O+V(+2)+N型で主語述語関係が認められるものは
amam-e-cikap等すべて神名、動植物名、役職名で合計10例のみ。

o-〜-i型では、本来ならNが必要。S+O+V(+2)+φ(N)の語形が許容されるのは
以下の例から「有生物」の場合で
省略 ※1 名詞 oysiru(-cep) 「産卵後の尾がバサバサになった鮭」
省略 ※2 名詞 opankaus<o-pan-kuwa-us-(kamuy) 「後足の長いクマ」
例外 ※3 名詞 omakirus  「エゾツユムシ」
※1〜※3は動物名、神名

Y…「無生物」の場合は、動詞語幹後項の「本来的」主語要素の有標化が義務的になる

とすると
この規則Yを「存在動詞」otに当て嵌めると
「無生物」が主語の場合は、目的語の「場所」の有標化が義務的になる。
Aの有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) の場合にのみ例外が生じる可能性があります。

これを「動詞」の側から規定すると
Aのケースでは自動詞他動詞両形の人称変化が可能と言うことになります。
従来知られている自他両形の人称変化をする動詞roski やmatkosanuは
このAのケースに該当します。

アムシヨカタ<amso(先行詞)-ka(位置名詞)-ta/アマツコシヤヌa=matkosanu 『彰考館旧蔵
蝦夷チャランケ並浄瑠璃言』 佐藤先生はSapirダコタ語の自動詞におけるactive、inactiveの
区別と関連を有する可能性がある。とするが
inkar(+1)とnukar(+2)の違いで inkar(+1)が「場所」であるcise okariを目的語とできる
ように、「場所」はあらかじめ具体的に目に見えては存在せず、相対的な位置関係が発生して
はじめて認識できるように、目的語としての「場所」は他の目的語よりも独立性、具体性に
乏しいのが原因なのではないでしょうか?
現にa=matkosanuも位置名詞-kaを、先行詞をともなって、目的語としています。

まとめると
有生物が主語で、目的語が場所の場合に例外が生じ、
自他両形の人称変化をする動詞は、このケースに限られる。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 20:02:47 ID:SpDBnJo9
「存在動詞」otの補足

apa-ot-ki出入口に付けてある簀   
puyar-or-ot-pe窓にに付けてある簀
簀はオニガヤkiをたくさん束ねてitesekaで編んだものであり
どちらも出入または採光のため自在に動かなければ用を成さないもの
従って、「液体」をイメージしつつ使われるものなんかではなく、原義は『動的複数』でしょう。

roskiは頻出語で日常様々な使われ方をしますので一概には言えませんが
自動詞のroskiは奥田先生によれば主語が複数または人称接辞=anを接尾した場合が多いようです。
roskiの用例分析は極めて厄介です。

そこで、参考までに
『彰考館旧蔵蝦夷チャランケ並浄瑠璃言』には、他に自他両形の人称変化をする動詞として
a=soyoterke<soy-o-terke 「家等の中から跳んで出る」がある 用例A用例B
田村辞典では rikunsuy kari(後置副詞) soyoterke=an
inkar(+1)が「場所」であるcise okari(後置副詞)を目的語とできると同じように
ここでも後置副詞が使われています。  cf sep pinay kari(後置副詞) kira(+1)

用例A
カ子ポンカシヤ/ アシヤハウヌ/ タプヲロワ 
kane pon kasa /a=sapaunu / tap or wa
金の 小 笠を /私はかぶった /それから
アシヨヨテレケ/ イクルカ子ケウゴシヤンバ
a=soyoterke /「イクルカ子」佐藤先生は不明の為未記載私訳i=kurka ne kewkosanpa
私は飛び出した/私の上の方へ(私訳) ドスンと鳴った

用例B
タフ子アンベ/ アエホマトウ /アシヨヨテレケ 
tap ne an pe /a=ehomatu /a=soyoterke
こんなこと /私は驚いた /私は飛び出した
ピシユンルルシヤマ/ リコテレケレ
pis un rur sam /rikoterkere
浜の海の側 /飛ばせた

用例ABとも、a=soyoterkeの目的語と思われるものが見当たらない。

またotに関する@有生物 A有生物の一部である体液 B無生物 という分類の内
Aは身体の一部である頭、尻等の前述した「部分普通名詞」(位置名詞と似た機能をする)と
もしかしたらパラレルの関係にあるのかもしれません。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 22:17:28 ID:SpDBnJo9
訂正

apa-ot-ki出入口に付けてある簀
誤puyar-or-ot-pe窓にに付けてある簀
正puyar-or-ot-pe窓に付けてある簀 
※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語) の例
795名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 23:06:41 ID:SpDBnJo9
俣落のアイヌ語地名 muka-ot-i<muka(湧水(<乳汁)が)-ot(複数ある)-i(所)

マタヲチ 
松浦武四郎『志辺都誌』1858年『東西蝦夷山川地理取調図』1859年『東蝦夷日誌』1878年

マタオチ川 大日本帝国陸地測量部『5万分の1』1897年

上記以外の表記があれば、muk→mukaと言えるのだが。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 22:19:43 ID:CdijKBsj
まとめ

「存在他動詞」ot(+2)  原義は『動的複数』

A 有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
⇒ciray-ot知来乙cikap-otチカプオツ cep-otチェポツceppo-ot-iチヱツポヲチsupun-ot-nayシブノツナイ
⇒有生物の一部である体液の例 kem-ot ye-ot  muk-ot-iムコチ向別川

B 無生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語)
⇒rur-ot-i瑠橡(るろち) urar-ot-i霞村

※C 場所(主語)−ot(+2) −有生物(目的語)
⇒kim-ot-pe山のケダモノ(狐) 知里分類辞典 北千島 rep-ot-pe海のケダモノ 
sakkimotpe shinnaishama<sak-kim-ot-pe sinnaysama夏狐の化け物 
金田一京助全集\p375虎杖丸曲 但しWakarpaは「熊」とする

※D 場所(主語)−ot(+2) −無生物(目的語)
⇒apa-(or)-ot-ki puyar-or-ot-pe

「静的」であるo(+2)と比べて、※C、※Dの出現頻度は低い。

A…有生物(主語)−ot(+2)−場所(目的語) の場合に例外が生じる
797名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 23:33:00 ID:9SDe/jlu
自他両形の人称変化をする動詞の例

自動詞のika(溢れる、越える+1)の他動詞としての使用例

a=yupihi i=tura wa ek orowa  i=kucikare ruwe ne 千歳方言(中川)
私の兄が 私を連れて来て   私を崖から突き落としたのです。

i=kucikare < i(対格人称接辞)=kut(ひどい岩崖−1)-ika(〜を越える+2)-re(使役+1)
主語a=yupihi「私の兄」 意味上の主語i=「私」
このケースでも主語が有生物で、kutが目的語として「場所的※」に使われています。

※ ちなみにciseは文法上「場所」ではありませんが、韻文中ではun ciseとなった場合
taが後続し、「場所」として扱われます。

これも、目的語としての「場所」は他の目的語よりも独立性、具体性に乏しい事の証左では
ないでしょうか?
798名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 23:36:35 ID:5urbBR7+
虻田 網走のアイヌ語地名解

Dybowski(北千島)にはapa「破る」apo「打つ」という語彙がある。
一方、田村辞典では sir(−1)-apa(+1)雨漏りする apa(屋根が)漏る
昔はtoy-cise(穴居)で、屋根はcise ne sirのように、「山」と表現されていた。
よってsir=大地→山→屋根となります。道東の本別(村崎)でも taan cise apa

とすると
sir-apa「雨漏りする」とはsir(大地が) -apa(破れる 裂ける)が原義と思われます。

一方aputki「魚や野菜を干すのに使う簀」で、田村辞典では<aput-ki(簀)
このaput-kiは更に< apa(裂けた)-at(オヒョウ楡の樹皮)-ki(簀)と分析できるのでは?
aputkiはオヒョウ楡の樹皮を剥いだものを、裂き、さらにそれをよってitesekaを作り、
ki(オニガヤ)を編んで完成します。

虻田付近の地名
「正保日本総図」(正保元年1644年) 「ウスシリ」有珠?
「津軽一統志」(寛文9年1669年) 「おこたらへ」
「元禄郷帳」(元禄10年1697年) 「べんべ」弁辺(豊浦)、「おこたらへ」、「うす」有珠
虻田の初出は「松前東西郷並に蝦夷地所付」(享保12年1722年)

この間、有珠山の噴火(寛文3年1663年 明和6年1769年 文政5年1822年)があり
集落はA〜Cと移動した
A「おこたらへ」(高砂貝塚、入江貝塚の間か?)
寛文3年1663年の有珠山の噴火が原因か? 虻田の初出
B「アブタ」(小有珠山から入江川を真っ直ぐ伸ばした辺り)
文政5年1822年の有珠山の噴火で移動し
C「フレナイ」(西側の現在の洞爺付近)

このうちAは常丹トコタンtu-kotanで「おこたらへ」<o-kotan-un-peと考えられる
Bの「アブタ」は<apa(裂けた)-ota(砂浜)ではないだろうか?
理由
@otaは各地で「宇田」とも表記されるようにoとuは混同され易い
A「裂けている」の意味のperkeを含む地名が存在する 知床のペレケperke-i エベレケe-perke等
Botaに自動詞が前接した例として 室蘭のporo-peker(明るい、清明な)-ota(砂浜)

もしかしたら、寛文3年(1663年)の有珠山の噴火により、砂浜が地割れして川の流れが変化し
新たに虻田の集落が元禄10年(1697年)以降に成立したのかもしれない。

網走の地名解
「津軽一統志」(1669年) 「はは志り」  「元禄郷帳」(1697年) 「はばしり」
Dybowski(北千島)にはxetu「吐く」<atu「吐く」がある。
Dybowskiは以下のようにhを表記しない例が多い点も考慮すると、これは極めて異例
apu(姉妹Dybowski) ⇔habo(姉 鳥居龍蔵)  
opuni(起きるDybowski) ⇔ hobuni(起る 鳥居龍蔵)
従って、xはhではなく、語頭aの声門破裂音「‘」を表記したものと考えられる
とすれば「津軽一統志」「元禄郷帳」の「はばしり」は語頭の声門破裂音「‘」を表記した
ものであり、hapa-sirではなく、やはり ‘apa-sirと思われる。
以上から
網走のアイヌ語地名解は<‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた大地」となる。

ここからは仮説ですが、apu海の氷、流氷(樺太 北海道) 八雲ではap 
apu parka 流氷が良い 流氷がくっついて板を敷いたようになる事 田村辞典
から、apu「流氷」とは海の氷が裂けて存在した状態であり、またaput-kiの例から
本来apa/apuで、原義が「裂ける 裂けたもの」である可能性も考えられる。
とすると
網走<‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた(流氷の浮かぶ?)大地」となります。
どうでしょう?
799名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 20:47:57 ID:RleTB+qI
虻田「アブタ」のアイヌ語地名解 <apa(裂けた)-ota(砂浜) 「裂けた砂浜」 
網走のアイヌ語地名解 <‘apa(裂けた) -sir(大地)「裂けた(流氷の浮かぶ)地」

虻田の補足
『津軽一統志』、『寛文拾年狄蜂起集書』(則田安右衛門)によれば
「うす」30戸「おこたらへ」14〜15戸で、「うす」は大集落であり、その首長の
「つやしやいん」が西隣の「おこたらへ」をも支配していた。
さらに、『蝦夷商賈聞書』元文4年(1739)頃の
「アブタ」の産物として、干鮭、昆布、鯡数子、干カスベト申魚、イタラ貝ノカラ沢山ニ参ル
「臼」では、鯡数子、昆布、干鱈、膃肭臍、煎海鼠、イタラ貝ノカラ北国辺用之、秋生鮭
というように、虻田の初出が享保12年(1722年)とすると、上記産品の製造工程を考慮すると
やはり、有珠山噴火による河川流路の変化があったものと考えざるを得ない。

前述の語頭の声門破裂音「‘」の補足
nonetu(唾を吐くDybowski) <non(唾−1)-eatu(吐く+2)
から
xetu(吐くDybowski)<atu(+1)あるいはeatu(+2)
「x」は、語頭の声門破裂音「‘」

Dybowskiがh音を表記しない例  語頭音a及び語頭音e
arkitek(左手Dybowski)⇔ harikiteki(左手鳥居)
arru(百合の一種Dybowski)⇔ haru(ウバ百合鳥居)
ekay(白髪のDybowski) ⇔ hekay(年とった幌別)
eciruruy<eciru-ruy(こっけいなDybowski) ⇔ hecire(遊ぶ樺太)

歯舞<ap(流氷)−oma−iを考えると、道東の語頭の声門破裂音「‘」は道西より明瞭
だったのかもしれません。
逆に明瞭であったが故に、道東ではh→「‘」→φ(脱落)が促進したのであろうか?

apa/apuの補足

Dybowskiの別の箇所にはanapap打たれる<an=apa-p  参考apo 「打つ」 があります。
やはり「打つ」はapoではなく、apaだった可能性があります。
おそらく、o とuは混同され易いことから、apoはapuの聞き間違いだったのでは?
とすると
仮説どおり本来apa/apuで、原義が「裂ける 裂けたもの」の可能性が大です。

これに関連してapte他動詞 危く思ふ、危惧される、自信なし 久保寺辞典
oar oar sem iki ambe chiante kotom e=apte=an ruwe a=eramanユーカラ集Up212
全く 全く とんだことに なるよう われ汝おぼつかないことを われはわかる
これは、霊力では適わないが、太刀捌きでは勝っている主人公(我)のセリフなのですが
金田一訳ではなく、Dybowskiに従ってap(打つ破る+1)-te(+1)「打ち破る」でも
意味上問題ありません。現にバチェラーはapte Weak、Powerlessとしています。
もしこれが可能なら
yay-apapu自動詞< yay(−1)-apapu(+2) あやまる わびを言う 田村辞典
eci=apapu私がお前達を、注意する 萱野辞典
inne kotan,kotan kurkash apatupatu 多くの村々の上(面)で大騒ぎになる 久保寺辞典

これらの動詞は、こう整理できるのではないでしょうか?

apa/apu自動詞 「裂ける 破れる 漏る」
apa/apu名詞 「裂けたもの 流氷 海の氷」
他動詞形はapte  派生他動詞形? apapu?
apatupatuは自動詞apa/apuの派生形?
800名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 22:27:48 ID:RleTB+qI
あるいは金田一訳自体がバチェラー辞典のapte adj Weak、Powerlessを
ただ他動詞化しただけで「直接」語彙を採集した訳ではないのかもしれません。
久保寺辞典の「危く思ふ」もe=apte=an ruwe a=eraman部分の翻訳かも?

どうでしょう?ご意見お願い致します。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 01:13:54 ID:yHLLkVj6
ap-の古い状態に関する推定は面白いですね。
今後はアイヌ語研究も内的再構に向かうかもしれません。
今はまだ共時的記述で手一杯ですが、そろそろ。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 13:38:48 ID:1+vWhSBh
ありがとうございます。

mukと比べて apa/apuは樺太での証拠に乏しいので、まだ断定はできません。

虻田、網走の地名解に関しては、多分これで良いのだと思います。

一点だけ補足しますと、『蝦夷商賈聞書』の「アブタ」と「臼」の産品の違いとして
「干鮭」と「秋生鮭」がありますが、前者は産卵場まで溯上した脂肪分の抜けた鮭を素材とし
内臓を取り去って乾燥したもので、脂肪分の多い回遊中の鮭は、塩引き以外の保存には不適で
「干鮭」にはなりません(『松前蝦夷記』)。河川流路の変化があってから、ある程度の年月が
経ないかぎり、溯上量は少ないと考えられますので、寛文3年の噴火に原因を求めるのが
妥当と思われます。また初出を調べた訳ではありませんが、入江川の名称も、もしかしたら
旧虻田会所の番人あたりの命名なのかもしれません。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 17:55:48 ID:/2pYuaQr
アイヌ語の文字(蝦夷字体)はルーン、オスロ大学がまた発表。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 19:46:31 ID:rC+TQaoP
apa/apu/apの証拠が見つかりました。
『千島アイヌ』(鳥居龍蔵全集7)p74千島アイヌ「ラウレンチ」からの採集の「裸なる」Rut apuchi
があります。これは(rutuh獣の皮(Steller))から<rus(皮、毛皮)-apu(+1破れる)-ci(複数接辞)と分析
でき、またDybowskiのrutapkur「裸の」も、<rus-ap-kurと分析が可能となります。
apu(流氷)は原義が「裂け目」で、サタモさんのapu pirka「流氷が良い(流氷がくっついて
板を敷いたようになる事)」は、従って「裂け目」が「治る」が本来の意味となります。
rup(溶ける→氷)とapu(裂けた→流氷)が似た原義になっているのには、「源郷」の点で困惑します。
これで「虻田」は、<apu(破れた、裂けた)-ota(砂浜)で確定です。

切替先生の『頻出アイヌ語地名の形態論的構造』p26(アイヌ語地名研究3に所載)の
主語(所属物)+自動詞+斜格語相当語(所属先)」例@putu-wen-nay Asuma-rupne-nayのうち、
Aを挙げるのは、「「頻出アイヌ語地名」には見当たらない「主語+自動詞」は」、有得ないとの先入観
で判断したものであり、p10のB「スマ・フレ・ナイ」suma-hure(+1)-nay(先生によると、
この形態に含まれるとする)と伴に、単なる「こじ付け」に過ぎないと考えます。
このうちABは、私見の主語+自動詞+斜格語相当語(場所)⇒名詞[N(−1)-V(+1)]+名詞(場所)
例pet-osan(+1)-putu(所属形)/petetok ta wakka oasin(+1) uske(形式名詞)  所属形≒形式名詞
の事例に過ぎず、また@は、その下位分類に過ぎないと考えます。詳しくは「言語板」参照
理由
p24の「主語+他動詞+目的語相当語」のうちの目的語相当語の位置を名詞的接尾辞が占めて
いるもの。例としてPeteukopi「川の合流点」
<pet(川)-e(の先端 部分接頭辞)-u-ko(そろって)-hopi(〜を捨て去る)-i(ところ)
切替先生は以上のような分析をしています。
ちなみに動詞価計算はpet(−1)-e(部分接頭辞±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)となります。
しかし
A…これは先生が参考として挙げられている十勝本別の
ni eukopi ka an pe「棒の先が分かれているもの(カワウソの首を抑えて捕らえる木の棒)」
「自動詞+助動詞句+主語相当辞」で、eukopi(+1)「先端が分かれる」となり、背馳する点
B…「別れる」方言辞典p71  ukohopi(自他不明?名寄) ukohopi(自他不明?宗谷)
ekohopi(自他不明?沙流)  eukoppa(自他不明?帯広) uhekopi(自他不明?八雲)
このうち八雲のuhekopiは<u(−1)-he(±0)-k/hopi(+2)で、自動詞と分析できます。
C…『千島アイヌ』(鳥居龍蔵全集7)p65には「岐路」Euko biruとあり
これは蝦夷語(神保、金澤)のRu uko hokiと同義であるとされていますので
Euko biru<eukopi(+1)−ru(−1)と分析できます。
以上、A十勝本別B八雲C北千島の例から、eukopiは(+1)自動詞と考えるべきです。
とすると
切替先生の分析は間違いであり、Peteukopiは私見の「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」の例
となります。
切替先生の「主語(所属物)+自動詞+斜格語相当語(所属先)」は、ni eukopi ka an peの例から
私見の「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」の云わば「下位分類」に過ぎないと考えます。
もしこれが可能なら、p10の「ピ・ラン・ペツ」<pi(−1小石の)-ran(流れ落ちる+1)- pet(川) は
あってもおかしくは無いという事になります。
地名に於ける「主語+自動詞+斜格語相当語(場所)」は、-putu(所属形)やuske(形式名詞)の後接の点
から、云わば名詞[N(−1)-V(+1)]+名詞(場所)であって、「自他両形の人称変化をする動詞」の例と
いうよりも、むしろ縮約された「地名」に於ける特殊事象と考えます。

どうでしょう?これは「アイヌ語地名解釈」に於ける最重要論点ですので、御意見お願いします。

最後に
しふちゃり(しひしゃり)⇔ホマリモイ→→sipe-ican(-i)? ⇔homa-an-moy? どちらも「卵」?
「しひしゃり」の織田さんの発音はsipicarで、n⇔rからhomar/ homa-an-moyとなるのか?
805名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 21:16:01 ID:ix5on0PN
アイヌ語=北欧語
806名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 11:27:44 ID:pbpDw9rf
>>805>>803
バカはくんなよ
807名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 20:05:53 ID:z5AQ9GbC
「存在他動詞」us(+2)  
A意味は「存在」
@有生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)
⇒kina-us-i
A無生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)
⇒kike-us-pasuy
B意味は「所有」
B場所(主語)−us(+2) −有生物(目的語)
⇒kim-us-kina
C場所(主語)−us(+2) −無生物(目的語)
⇒kim-or-us-i (猟場)
kema-us-pe(シントコ)はAの「存在」、wakka-us-kamuyはBの「所有」

次に
‘e‘uk(/h)opi(+1静内十勝方言)/uhekopi(+1八雲方言)<‘u(−1)- ‘e (±0)-k(/h)opi(+2)に関して
「‘」は声門破裂音


peteukopi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
peteukopiusi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2) 動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)
petukopi<pet(−1)-e(±0)-u(−1)-ko(+1)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
ru-ukopi<ru(−1)-uko(±0)-hopi(+2)-i(−1)動詞価合計ゼロ
ru-ukotpausi<ru(−1)-uko(±0)-hoppa(+2)動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)
知里地名辞典より適宜修正


tu-uwekopi-usi 「山の走り根がそこで左右に分かれている所」斜里郡内地名 著作集3p254
これを動詞価計算すると<tu(−1)-u(−1) -e(±0)-k/hopi(+2) 動詞価合計ゼロ−us(+2) -i(−1)
⇒AAの無生物(主語)−us(+2)−場所(目的語)

よって
Dの例から、動詞価合計(+1)−usi(動詞接尾辞)とする知里説よりも
‘e‘uk(/h)opi/‘u‘(h)ek(/h)opi(+1)と解釈するのが妥当なのでは?

最後に
@‘e‘uk(/h)opi(+1)と A‘u‘(h)ek(/h)opi(+1)の意味の違いに関して

@はCのようにpetやruを取るが、>>771>>778及び上記ABで検討したように、
接辞の順序からすると
(本来の主語)+形式的主語(部分接頭辞±0)+目的語+他動詞語幹となり
意味は「 (川や道の)  +〜の頭が+互いを+分かれさす」  となる可能性がある。

AはDの例からtuを取る?(要調査)
(本来の目的語)+主語+形式的目的(斜格)語(部分接頭辞±0)+他動詞語幹となり
意味は「 (山の走り根)  +互いが+〜の頭を+分かれさす」 となる可能性がある。

強いて、両者の違いを探し出すとすれば、
@の川や道の場合、ことさら擬人化と解する必要はなく、事物それ自体の性質として
可変的でいわば動作の主体になり得るのに対し、
Aの尾根は不可変的で、動作の主体ではなく、いわば自然現象の客体で
ここでは、風雨による侵食によって形成される得る対象としての地形に過ぎない。

もしこれが一般化できるのなら、イテリメン語等のように、アイヌ語に於いても
接辞の順序が、一定の意味分化を担っているのではないか。 どうでしょう?
808名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 04:18:19 ID:0H09bx34
♪ 相ぬ語「勝ち組方言」民族 東西サンプル
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/xoposhow/pu/yorozuHTML/muzika_swirinui_guruppa.html
  
 ※1: “青鬼アイヌ語(「勝ち組」方言[モスクワ方言=ソ連公用語])”

 アラビアンやジプシーのようなスラブ・タタール系の黒アイヌ顔。
 「勝ち組み」方言民族の顔。

● ロシアが北方領土を日本に返さない理由 Ver.2670-1114b
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/yah_kamui/Bonnta/kanewo_kaeseyo_101113a.html
  / アイヌが和人から先住民を理由に騙し取った総額「数百億」円 

●総合 アイヌ語辞典(トケビ語辞典 [倭人版] )
  http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu_rosuke/munohge_B_guruppa_beet/nazdoryha_na_neeva.html
    /「縄文遺跡の人骨人種のように、豚鼻の居ない鼻の高い軍鶏のように首の長い、ズングリムックリの少ない、顔の小さい、ロシアからのエラの遺伝のない、猿顔の赤鬼人種である和人(シャモ)」版
    
●シャモ アイヌ語/黄色い脂肪、首の長い和人種の意味
  http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-ainu/shyamo.html
    
 アイヌ民族の人種を、日本の本州や沖縄、北海道や千島の先住民族に捏造をしたのは、
現政権の日本民主党(旧日本社会党)です。
 民主党は、あらゆる嘘で票を獲得しました。
 アイヌ系の大学教授などにより、戦争・クーデター計画中。

● 【B型ゾーン】  からやってきた、ゴリラ顔の遺伝子
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/Bgata_zoon.htm
●更新♪ 相ぬ VS 相生
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika_01_surabahri/Ainu_Aioi/itumono-copipe_aioi_ainu_690630a.html
    大日本帝國時代の台湾人の優秀さ = 相生(あいおい)
809私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者:2010/02/10(水) 04:22:24 ID:0H09bx34
日本の伝統民芸品は人種を記憶している。
「こけし人形」や「ひな人形」は、朝鮮人やアイヌ人(ロシアの狩猟人種・ジプシー系人種)と違って、
ジャポニカらしい「小さな口」をしているんだぜw

アイヌ人の口(くち)は、朝鮮人と同じで、
「口裂け女」風の大きな口で、エラがあるロシア系の人種である。

●【ピリカ】 = 露女(ロスケ)= Предложение(男性からの)プロポーズの語彙
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/pirika_jc26681007d.html
810私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者:2010/02/10(水) 04:25:52 ID:0H09bx34
アイヌ人もロシア人も、
イ・ジア も チェ・ジウの冬ソナの初めの頃は豚鼻です
  ∩ ∩
 (`‥´)
野村幸代はアイヌの鼻。
 
研ナオコさんもアイヌ顔で豚鼻。
彼女の田舎は、江戸時代の鎖国状態でもロシアの船が座礁した伊豆の出身です。
 
 北海道ならロシアの船はアイヌを運び放題ですよ。 
 
江戸時代の鎖国の脆弱な地方に豚鼻とアイヌ顔がある。
  
アイヌ人は外来人種である(私、和人側のアイヌ民族に関する知識の有識者)。
  
 アイヌ民族を、アイヌ民族の主張どうりに先住民族として税金を使用したことは、
憲法違反である。
 
 人種的には先住民族の人種ではないアイヌ民族はロシア系のあたらいい渡来人であり、屯田兵がアイヌ人に北海道を占領されないように防衛に当たった歴史もある。
 自称先住民族の宗教団体「アイヌ民族」に、税金を使用したことは、憲法でそれを禁止している「政教分離」に違反した、和人を侮辱した「朝鮮人と寸分変わらぬ和人の税金からの搾取行為」である。
  
● ロシアが北方領土を日本に返さない理由 Ver.2670-1114b
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/yah_kamui/Bonnta/kanewo_kaeseyo_101113a.html
  / アイヌが和人から先住民を理由に騙し取った総額「数百億」円 
811名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 04:56:42 ID:DIgSICTr
先日NHK衛星で北欧トレッキング紀行「フィンランド」を見たのだが、
なんだかアイヌ語に似ていた。とくにフィンランドの民謡はアイヌの
おばさんが踊りながら歌う歌に似ていたなあ。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/30(水) 17:31:01 ID:JZc1nZhj
↓こんなん見つけました。

フィンランド語と日本語のナゾ
http://www.airline.gr.jp/blog/2008/02/post_75.html

日本語とフィンランド語の共通点
http://suomin.blog101.fc2.com/blog-entry-9.html

新田ユリ 『森と湖の詩』 変拍子その2
http://www.yuri-muusikko.com/2009/01/post-107.htm
813名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/30(水) 17:55:17 ID:JZc1nZhj
富良野は、アイヌ語のフラヌイの転化だそうですが、

カムチャッカ半島などに見られる、『ヌイ』の付く地名も

アイヌ語ですか?

また、『カムチャッカ(カムチトカ)』もアイヌ語ですか?
814名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/30(水) 20:46:46 ID:ytAPRztj
ロシア語カムチャトカは、アイヌ語カムサッケの訛り。

アイヌ語・カムサッケ Kam sake ke
カムは肉(ここでは鮭・鱒の魚肉)、サックは乾かす、ケは所。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/05(月) 22:17:14 ID:1cvTBJI7
↑は、アイヌ語研究者に聞いたら、何の根拠もない、
ただ読み方が似ているだけとの事です。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/07(水) 00:35:54 ID:2TvAi1gn
カムチャツカが鮭の乾かすところとか変だし、ウィキにも書いてあるけどカムチャツカは人名。
ぐうぜん紛らわしい名前の人が発見した。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 21:25:40 ID:kXUWg1SM
保守
818孫悟空と猪八戒のセックスで、アイヌ人誕生
 琉球人のアイヌ顔はB型でゴリラ顔が多いが、中世の鎖国時代に、ロシアでスラブ白人に追い出された。
 
 その後、北海道から昆布と一緒に南下をしたアイヌ先祖の系統と、朝鮮アイヌ人という朝鮮の野人の「トケビ先祖」の2系統がある。

 すべての特徴を西遊記は、後世に伝えている。
ボーボー体毛でゲバ棒を振り回す孫悟空と、
アイヌ人や朝鮮人の豚鼻の先祖の猪八戒がセックスをして、アイヌ人が誕生しました。

アイヌ人とロマの民は、
豚鼻の多さの違いです。
 
孫悟空と猪八戒のセックスで、アイヌ人誕生です。
 
◆ とりあえず 皇紀2670年 8月6日
http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/YAP/songokuh_26700806.html