141 :
コピペ:
ひとつ忠告しておくと、先に民間人に手を出したのはフィリピン人の方だよ。
戦前、ダバオは日本の財閥や中小企業が進出してて、日本人が何万人も
すんでいた。太平洋戦争が始まって日本がクラーク基地を攻撃すると、
フィリピン人は、ダバオの日本人にレイプや強制労働など虐待をやったんだ。
これに日本軍人が激怒したのは言うまでもない。
驚くべきことだが、当時のフィリピン人は自分のことを西欧人の仲間だと
信じて、アジアを軽蔑していたんだ。これはフィリピン人の歴史家自身が言ってることだ。
142 :
コピペ:02/12/20 22:28 ID:jYa30VED
95 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/03/15 11:17
フィリピンが独立を約束されていたといっても相変わらず巨大なクラーク
基地は日本のシーレーンの障壁となる。
満州国の独立は非難しても米国のゆりかごの中にあるフィリピンの「独立」
には難の疑問も呈しない歪んだ日本人。
フィリピンゲリラは自分たちで「5000人の日本人を殺した」
と誇っている。
これにたいして、日本軍が報復攻撃をしたら非難する。
そういうことを「フィリピン愛好家」諸氏はしているのだろうか。
原爆が天罰だというならそれを公言しなさい。
日本人は奥ゆかしいから大きく反論はしないだろうが、
馬鹿かアホかと歴史は正しくじっと見つめるよ。
米国でさえそのことはよく分かっているはずだ。
143 :
コピペ:02/12/20 22:35 ID:jYa30VED
157 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/03/16 01:28
軍板からきましたけどね、フィリピンなんざ心の底から大嫌いDAYO!!!
スリガオ海峡夜戦(フィリピンヲタなら知ってるよな、知らなきゃ調べな)が
終わった後、海に投げ出され、岸に泳ぎ着いた将兵をほとんど「殴り殺して」
くれたからな。息も絶え絶えで岸に上がった人間にそういう真似するか?
それに類する話はレイテキャンペーンを通じていくらも聞く。
日本軍憎しで徹底して、それで押し通したんならそれもよかろう。だが「捕虜
として米軍に売り飛ばした方がいい」として米軍に引き渡されたケースもある。
なんという醜怪さか!!!
行動に美のない人間に好意を抱けない。そんな人間もいるのだ紋切り型に自分
の考えをおしつけないでくれ1よ。
180 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/03/16 13:14
>>157 そうだな。オレはNHKの番組で住民が古いナタを持ち出し、
「これで流れ着いた日本人を殺した」
と誇らかに話しているのを聞いて、こういうやつらなら日本軍に
手荒な報復をされても仕方ないと思った。いや、過酷にやってしかるべきだった
と思った。
NHKの制作者の意図は「日本の犯罪」を強調したかったようだけど、
オレには逆効果だったな。彼らへの憎しみがふつふつと湧き出でた。
それは今も消えない。(NHKは愚かだよ)
だから、フィリピン愛好家などクソクラエだ。
144 :
コピペ:02/12/20 22:43 ID:jYa30VED
298 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/03/29 23:10
三年間に及んだフィリピン制圧で米軍はためらいなく村や畑を焼き払い、十歳以下の
こどもを除いて村民すぺてを殺したサマール島事件を含め二十万人が死んでいる。
インディアン殺戮部隊が送り込まれたんだけど、この作戦を指揮したのが後の大統領と、
ダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサーだったんだよな。
<宣戦布告「NO」と言える日本経済>石原慎太郎 一橋総合研究所/著(光文社)でも
米国批判の一環として告発されていた。
ああいう国が日本の侵略と戦ってフィリピンを守ったんだってさ(笑
145 :
コピペ:02/12/20 22:48 ID:jYa30VED
35 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/09/14 16:25 ID:aPwwSKNo
>>34 本当の意味でのフィリピン人はフィリピン社会や政治とは
無関係なところにいる。
本当の意味でのフィリピン人とは何か?
実はフィリピーナ、フィリピーノと言うフィリピン人はフィリピン生れの
スペイン人のことだけを言い原住民はモロと呼ばれ本来フィリピン人ではない。
彼等が自分の事をフィリピン人というのはスペインへの羨望からであり、
その証拠に彼等は必ず自分のお爺さんはスペイン人だったと言い張る。
実際は純粋な原住民なのにである。
しかもスペイン統治は百年も前に終わっているのだからお爺さんが
スペイン人だったはずはないのだが教育を受けず無知な彼等は
平気でこういう嘘をつく。
さて本当のフィリピン人はどこにいるのか?
実は現在でも多くはないが”白い”本当のフィリピン人はフィリピンに居る。
その多くはマニラ効外の高級住宅地に住んでいる。
彼等はスペイン本国と結びつきを持ち現在のフィリピンには無関心である。
また現フィリピン政府も彼等には事実上の治外法権扱いである。
146 :
コピペ:02/12/20 22:54 ID:jYa30VED
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1010/10109/1010932961.html フィリピンは16世紀末からスペインの植民地となった。1898年12月のパリ講和会議でフィリピ
ンはスペインから米国に2千万ドルで売却された。正式にアメリカの統治が始まったのは1899年
4月である。
1912年アメリカでは民族自決で有名なウィルソンが大統領に当選し、ハリマンが総督に任命さ
れるに及び、急速に政治のフィリピン化が進んだ。フィリピン委員会は9人の内5人がフィリピ
ン人となり、それまでアメリカ人が占めていた高級官僚のポストを大幅に現地人に与えた。こ
れと共に現地人の下で働くことを嫌ったアメリカ人官僚は600人以上もフィリピンを去った。
1916年ジョーンズ法が制定され、将来の独立が約束された。この時フィリピン議会は2院制とな
り、21歳以上の男子すべてに選挙権が与えられた。フィリピン政府の現地化が急速に進んだの
である。その後共和党政権下に多少の揺り戻しはあったが、大きな流れは変わらなかった。
1913年以降の政治のフィリピン化と、将来の独立を決めた1916年のジョーンズ法の制定により、
将来他国になると決まった所に、投資する事に不安を感じたアメリカの投資家の多くは、1920年
代後半までに撤退したのである。
フィリピンでは1934年タイディング・マクダフィー法により、1946年の独立を認められる。アメ
リカの代表は総督から、拒否権を有する高等弁務官となり、全面的にフィリピン政府の自治に委
ねられることになった。大統領選挙によりケソンが当選、初代の大統領になった。
この独立は勿論フィリピン人の独立要求に応えたものであるが、アメリカ側からの要求も強かっ
たのである。当時は世界的な大不況の時期である。フィリピンからの無関税、無制限な砂糖、椰
子油の輸入はアメリカ農民やキューバへの投資家に大きな打撃を与えていた。又フィリピンから
の移民に職を奪われた労働者から強力なフィリピン切り捨て要求が出たのである。