564さんへ
そんなオカルトじみたことではありませんよ。
形態素「ル(-u)/タ(ダ)」の現れ方を自己観察して割り出したというだけのことです。
「ル(-u)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タ(ダ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的
甲=非事象(認知主体)
乙=事象(認知対象)
ここを見つけて私も勉強させていただいております。
真摯な反論をお願いできたら幸いです。
「ヨウ(-oウ)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タロウ(ダロウ、タダロウ、ダダロウ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的
「レバ(-eバ)」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「タラ(ダラ)」=甲対乙の関係で、乙が主導的
▼形容詞
「イ」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「カッタ」=甲対乙の関係で、乙が主導的
▼形容動詞・名詞
「ダ」=甲対乙の関係で、甲が主導的
「ダッタ」=甲対乙の関係で、乙が主導的
甲=非事象(認知主体)
乙=事象(認知対象)
・・・・品詞を問わず同義の形態素がペアになっていて例外も一切ないと見ます。
こういうのを“原理”というのではないでしょうか?
忌憚なきご意見、ご教授を賜れば幸甚です。
ご質問ありがとうございます。
話者自身の思考や記憶は、話者の認知対象(話者自身に認知される話者内部の事象)となります。
しかし、「ル/タ」の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われています。
(原理の特定がこれだけ難しいことからも明かでしょう。)
「主導的」というのも、意識の表層に上ってこないレベルでそう認知されているということです。
>>573 「主導的」の説明には全然なってない。
> 話者自身の思考や記憶は、話者の認知対象(話者自身に認知される話者内部の事象)となります。
> しかし、「ル/タ」の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われています。
ネイティヴ・スピーカにとっては、あらゆる文法規則が、普通そのようなレベルではたらいている。
> (原理の特定がこれだけ難しいことからも明かでしょう。)
説明のための言葉を、われわれがまだ見つけていないだけだろう。
「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」とか「過去」の助動詞を使わなくても
言えると思うんですが,なぜですか?
「主導的」の説明 (遅くなってしまい、すみませんでした)
発話=事象の提示
・・・ですから、その事象提示の衝動が、
相対する「認知主体」と「認知対象」のいずれが主導的で生起するか
ということです。
このような説明でわかっていただけるでしょうか。
> 「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」
事象の認知が話者内で十分こなれるなどして、
「認知対象」よりも、比較的「認知主体」が主導的(事象提示の衝動に関して)になることがあります。
過去の事象でも「ル」が選ばれるのはそのような時です。
これに関しては、英語ネイティブ(イギリス)でも過去の事象を現在形で言うことがあり、
日本語と同じ原理が働いているのではないかと考えられます。
http://www.jomon.net/nihongo/nihongo.html
もともと時制のない名詞文だからだろ
>>575 > 「昨日は雨だ」とか「昨日も雨だ」とか「過去」の助動詞を使わなくても
> 言えると思うんですが,なぜですか?
そのときの「昨日」が、「昨日は (も) 雨だった」と言うときの「昨日」と、同じじゃないからだよ。
どんな場合に言えるのか、よく考えてごらん。
>>576 > 発話=事象の提示
> ・・・ですから、その事象提示の衝動が、
> 相対する「認知主体」と「認知対象」のいずれが主導的で生起するか
> ということです。
> このような説明でわかっていただけるでしょうか。
わからない。形態を選択する客観的原理になっていない。
> 事象の認知が話者内で十分こなれるなどして、
> 「認知対象」よりも、比較的「認知主体」が主導的(事象提示の衝動に関して)になることがあります。
> 過去の事象でも「ル」が選ばれるのはそのような時です。
どのような条件が整ったとき、「事象の認知が話者内で十分こなれ」たといえるのかが不明。
「ル」が選ばれているのを見て、十分こなれているのだと説明するのは後知恵にすぎない。
> これに関しては、英語ネイティブ(イギリス)でも過去の事象を現在形で言うことがあり、
> 日本語と同じ原理が働いているのではないかと考えられます。
>
http://www.jomon.net/nihongo/nihongo.html いわゆる「小説の現在形」のはたらきは英語と日本語とでかなり違うが、それはともかく、
> チャップリンはその後アメリカに渡ります
の「渡ります」が、発話時以前の事態を表しているのと同様に、
> ゆうべ部長と飲みに行ったんだけどさ、すごい飲むね、部長は。そんで顔色一つ
> 変えないで君は根性が足りないなんて言うんだよ。酔っぱらって言われるならま
> だしもほとんどしらふの顔で言われるとやだよね
の「飲む」 「言う」 「やだ」が、発話時以前の事態を表しているという保証はない。
また、二つの「言われる」は従節にあるから、主節にあるときと同じ原理に支配されているという保証もない。
>>577 > もともと時制のない名詞文だからだろ
そんな乱暴な。中級までは一応「*昨日は雨だ」は間違いと教えておくべきだ。ものには順序がある。
「時制」にせよ、「アスペクト」にせよ、決して「原理」ではありません。
「原理」は、別のところにある、それが事実です。
その原理が行われることによって、「時制」を表現したり、
「アスペクト」を表現したりすることは可能なのですが、
同時に、「時制」に適わない発話や「アスペクト」に適わない発話が生じるわけです。
>> 我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引いているはずで
>> ある。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に引いているのでもなく、単
>> にスルとシタの境界線を引いているのである。
--- 興津 1994年(
http://www.jomon.net/nihongo/chap0.html )---
この「境界線」が、「認知主体」と「認知対象」という相対する領域の境界線であると見れば、
他のいかなる仮説(テンス・アスペクトなど)よりもすっきりするのではないでしょうか。
なにしろそこには例外もなければ併存する別の「原理」もないのです。
「ル/タ」が、子供にも正しく使い分けられているのは、
「原理」がこのように極めつき単純なものであるからだとは言えないでしょうか。
* * *
真の原理を習得するということは、すなわち、
「ル/タ」(及び「イ/カッタ」など)の習得に関してネイティブになるということです。
ただし、「原理」が特定されたからといって、
それを「客観的」説明によって正しく教授する方法が果たしてあるのかどうか、
そこにはまだ課題が残されたままですから、
579さんが「わからない。形態を選択する客観的原理になっていない。」
と仰るのも無理のないところなのでしょう。
しかし、
> どのような条件が整ったとき、「事象の認知が話者内で十分こなれ」たといえるのかが不明。
> 「ル」が選ばれているのを見て、十分こなれているのだと説明するのは後知恵にすぎない。
とのことですが、
形態素の発話とは、他者にも決定しうる「客観的条件」云々ではなく、
あくまでも話者にしか決定できないことです。
原理とは、発話された形態素から話者の心理を推定する上では有効になるはずのものですが、
他主観からの客観的観察によって、話者による形態素の選択を決定するものではないのです。
これもまた厳然たる事実ですから、579さんのご指摘には無理があります。
直感をそのまま述べるだけで検証可能な分析を伴わない
認知主義の典型的な悪い例ですね。
本人か他人か知らんが
本人だったら、こんなおそまつな論考をネット上で喧伝するというのは
実にイタイ
人畜無益な国語学、日本語学、逝って良し。
584 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/06 21:48
>582
>検証可能な分析を伴わない
脳波でもとくと見れば案外可能な気もするが、
それでもオマエのようにわからん振りするのも可能かもな。
>>580 > 我々日本語を母語とする者は、スルとシタの間にまっすぐな境界線を引いているはずで
> ある。それはテンスの境界線とアスペクトの境界線とを別々に引いているのでもなく、単
> にスルとシタの境界線を引いているのである。
これは怪しい。一つの語にも異なる用法があるし、同音異義語ということもあるし、同一語の異なる用法と見るべきか、別語と見るべきかも、容易には決められないことが多い。
例えば、「水は 0°C 以下で氷になる」と「私はあしたで30歳になる」の「なる」は、同じ意味と解釈しなければならないのか。
また、「強風で曲がった鉄塔」と「くねくね曲がった道」の「−た」は、同じ語といえるのか。
> なにしろそこには例外もなければ併存する別の「原理」もないのです。
> 「ル/タ」が、子供にも正しく使い分けられているのは、
> 「原理」がこのように極めつき単純なものであるからだとは言えないでしょうか。
現象を説明する「原理」は、単純かつ、客観的でなければならない。
また、「原理」がそのままの姿で具現していることはまずない。「例外」が全くないというのはかえっておかしい。
「原理」は、現実の様々な条件に干渉されて、現象の中に埋没しているのが普通だ。大人を基準として言語形成期の子供のことを考えても無意味。
>>581 > 形態素の発話とは、他者にも決定しうる「客観的条件」云々ではなく、
> あくまでも話者にしか決定できないことです。
> 原理とは、発話された形態素から話者の心理を推定する上では有効になるはずのものですが、
> 他主観からの客観的観察によって、話者による形態素の選択を決定するものではないのです。
それだと、「誤用」というものはなくなってしまうね。
>>582 > 本人だったら、こんなおそまつな論考をネット上で喧伝するというのは
> 実にイタイ
「本人」の言ってることも大差なし。「検証可能な分析」なんぞ鼻で嗤っている。
てす
> これは怪しい。一つの語にも異なる用法があるし、同音異義語ということもあるし、同
> 一語の異なる用法と見るべきか、別語と見るべきかも、容易には決められないことが多
> い。
問題は、「文法」研究者であろうと思われる586さんが、素直に事実を認識しているかどうかです。
ここで指摘しなければならない事実とは、
日本語ネイティブであり、なおかつ
「文法」などというものを気にしていない人々(以下「一般人」)が、
何が同音異義で何が同義と思っているかを、正しく認識するべきだということです。
586さんのような研究者に決定的に不足しているのは、
そのような事実認識への素直な姿勢ではないかと思われてなりません。
> 例えば、「水は 0°C 以下で氷になる」と「私はあしたで30歳になる」の「なる」は、同じ意
> 味と解釈しなければならないのか。
> また、「強風で曲がった鉄塔」と「くねくね曲がった道」の「−た」は、同じ語といえるのか。
一般人には、いずれも同じ意味です。
どこが違うのかと、586さんのような人に指摘されてはじめて、
「ふーん、なるほどねー、複雑なもんだねー」となるだけのことです。
そんな知識がなければ、「なる」は「なる」、「タ」は「タ」でしかありません。
一般人の日本語運用において、そんな複雑な知識は一切無用である、
これが事実です。
(もちろん、本当の同音異義語というのは別に存在しますが、
現在述べているのは、形態素の問題です。)
> それだと、「誤用」というものはなくなってしまうね。
なくなりようがありません。
一定のルール(原理)に従って発話できるようになること、
つまり原理の習得ができてはじめて、日本語が話せるようになるのです。
その原理に則っていない発話は、日本語として正しくないのです。
むしろ、正しくもない「文法」とやらによって、
正しい日本語がゆがめられる危険性の方を危惧しなければなりません。
つまり外国語用の文法用語で日本語を語るのに無理があるってこと?
名付けて、認知原理主義(w
しかし案外最強の文法かも
591 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! [sage] 投稿日: 04/03/07 15:42
名付けて、認知原理主義(w
しかし案外最強の文法かも
>>588 > 一般人には、いずれも同じ意味です。
それは君の思い込みだよ。
「私は30歳になる」は、或る年月日を境に不適格となり、「なった」と言わなければならなくなる。
他方、「水は (一般に) 0°C 以下で氷になる」は、いつまで経っても「なった」と言えるようにはならない。
また、「40m/s の強風で曲がる鉄塔 (はどれですか)」とは言えるが、「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。
「曲がった道」の「−た」が、「-(r) u」と対立するものかどうかは疑問だ。
> どこが違うのかと、586さんのような人に指摘されてはじめて、
> 「ふーん、なるほどねー、複雑なもんだねー」となるだけのことです。
それがすなわち、「『ル/タ』の選択は通常、認知対象とはならないレベルで行われてい」るということだ。
>>589 > その原理に則っていない発話は、日本語として正しくないのです。
でも、その原理は客観的には知り得ないんだよね?
それで、或る発話が「日本語として正しくない」と、どうやって客観的に判断できるの?
アホは黙っとけ
>>593 オマエ日本語、わかる?「言える」とかどうとか、
所詮オマエの主観なんダヨ、ヴォケ!
>>595 だから、誤用というものはなくなってしまうと言っただろ?
>>593 > > 一般人には、いずれも同じ意味です。
> それは君の思い込みだよ。
思い込みかどうか、研究費のあるところでアンケートでもとってみたら
いかがでしょうか?
もっとも、特定の回答を誘導するような設問はだめですよ。(笑
> 「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。
言えるかどうかではなく、そのような発話がネイティブから出るかどうかです。
もちろん、そのような発話も日常の中から出てきます。
それを「文法」的に間違いと断ずるような暴挙に対し、
「『文法』はどうか知らぬが、自分が間違った日本語を使っているとは思わぬ」
という主張が当然出てくるわけですね。
日本語教室をご覧になったことありますか?
あるいは、以前NHK教育で始まったころの日本語教育番組。
あれを見て一般の日本人の多くは、奇妙な日本語をやっていると笑った、
それが厳然たる事実なんです。
どうしてそうなるかと言えば、「文法」を教育項目に採用しているからなんですね。
あなたのやりたいことは、そういうこと、つまり日本語の破壊でしかありません。
>>590 時制などはその代表。
日本語でも“文法”をやろうと思い立ったヤシらが
「やった!日本語にも時制があるゾ!」と小躍りしてコンニチに至る。
百年進歩ゼロの珍しい「学問」をやってるヤシら、ここにもいるようだな。(藁
>>597 > 思い込みかどうか、研究費のあるところでアンケートでもとってみたら
> いかがでしょうか?
「通常、認知対象とはならないレベルで行われてい」る事柄についてアンケートをとって、何の意味があるの?
> 言えるかどうかではなく、そのような発話がネイティブから出るかどうかです。
> もちろん、そのような発話も日常の中から出てきます。
だれか一人でも、それを言うネイティヴがいれば、「誤用」ではないということなのか?
Google 検索結果 (日本語ページのみ):
「くねくね曲がる道」約40件。
「くねくね曲がった道」約127件。
「くねくね曲がる道」はけっこう出て来るよ。話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話することがあるからね。
だけど、「強風で鉄塔が曲がった (のだ)」が言えるのに、「*地図を見ると、その道はくねくね曲がった」がおかしいのはなぜ?
「おかしい」と判断するのが「暴挙」かな w
> 「『文法』はどうか知らぬが、自分が間違った日本語を使っているとは思わぬ」
> という主張が当然出てくるわけですね。
つまり、ネイティヴ全員に確かめたうえでないと、「誤用」とすることはできない、
結局、「誤用」というものは事実上ないということになるね。
> あれを見て一般の日本人の多くは、奇妙な日本語をやっていると笑った
それも主観にすぎないといわれたらお終いだよ。
あるいは、番組制作者は日本語ネイティヴではないとでも?
> あなたのやりたいことは、そういうこと、つまり日本語の破壊でしかありません。
そういう意味での「破壊」が嫌だったら、言語形成期を過ぎたか、過ぎつつある外国人に日本語を教えるのは、一切諦めることだね。
> 593 :名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/07 22:29
> また、「40m/s の強風で曲がる鉄塔 (はどれですか)」とは言えるが、「??くねくね曲がる道」とはほぼ言えない。
> Google 検索結果 (日本語ページのみ):
> 「くねくね曲がる道」約40件。
> 「くねくね曲がった道」約127件。
> 「くねくね曲がる道」はけっこう出て来るよ。話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話することがあるからね。
> だけど、(以下略)
↑
でっかい致命的な墓穴掘ってる。
>>600 「話者自身がその道を実際に進みながら、あるいはそれを想定しながら発話する」場合だけ、「くねくね曲がる道」が言えるんじゃないの?
「くねくね曲がった道」にはそんな条件が付かないから、両者が「−ル/−タ」の対立だとはやはりいえない。
>>ほぼ言えない。
ワラタ。
>>601 やはりいえない。
ツマーリ、「いえない」は意味なしつーことでヨロシ烏賊?
言える言えないのどこが客観的なのか小一時間(以下ry
言語学板てのはアフォばっかやな
言語学→珍語学
日本語学→「「「「「日本語」」」」」学
国語学→どこく語学
上記のように名称は変更されました。
オマエ客観的に考えてみろやヴォケ、そこで「間違いない」とは言えな(ry
>>608 客観的に考えて、そこまで粘着するのは、何かトラウマを持っている蓋然性がきわめて大きい。
まずは共通語からだね www
>>598 >時制などはその代表。
>日本語でも“文法”をやろうと思い立ったヤシらが
>「やった!日本語にも時制があるゾ!」と小躍りしてコンニチに至る。
>百年進歩ゼロの珍しい「学問」をやってるヤシら、ここにもいるようだな。(藁)
全くないということはないでしょう。現代語はスルとシタの対立しか(テイルも含めるか)
ないから曖昧なだけで。古くは、いわゆる時制統一がはたらいていたのですからね。
あくまで文献上に現れた範囲でですが。
※続
アスペクトだってありますよ。コト(=Event)を、ウゴキ(=動作)として表すか、
アリサマ(=状態)として表すかの差が。まぁ、これをアスペクトと呼ぶのか微妙ですけど。
613 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/22 00:51
語学板?
>外板仏独スレの410
私が「入門スラヴィスト」ヽ(´〜`0)ヽ です。。。
>>615 あらら、そうでしたか。
この話題に、よすぃー氏が現れないなあ、と思っていたので
本コテ召喚してしまって、申し訳なかったです・・・
多分、きちんとやるのであれば、アオリストなどが残っている
ブルガリア語をやった方がいいんでしょうけどねえ・・・
そこまで今は手がまわらないや。
原氏の文章は、どうも通して見ると、割と普通の見解と変わらないのに
彼風にまとめたときに独特な色付けがされた感じがしました。
617 :
言語学の未熟な志望者:04/06/22 11:28
>>615-616 仏独スレの334です。いろいろご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
原氏の「独特な色付け」につられてしまいました。
どうして、そういう色付けをしたのか、動機、典拠を知りたいところです。
ブルガリア語はバルカン言語連合の影響を受けているので、どの程度参考に
なるのでしょうか?
この板が肌に合いません。ヒロシです