★的を「得る」とか「役不足」を誤用する馬鹿 19★
732 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2015/01/29(木) 06:31:50.25 0
国語辞典スレから誘導されてきました。
三国のテロの所為で日本語が崩壊してるそうですね。
「テロ」かどうかは分からないけれど、三国7版が「正誤の判断が分かれる言葉」について、大きな改訂をしたのは確か。
同辞典と「的を得る」の件は、すでにこのスレッドでもかなり話題になった。
同業者はこの件をどう思っているのだろうか。反応があまり聞こえてこない。
的を得るを載せていない広辞苑の岩波書店に「記述主義の三国の影響を受けるのか。不失を失わずとするのは誤訳。語源を間違えた正鵠を得るは正しいのか。」
と問い合わせてみた。回答は↓
そもそも辞典というものは規範主義と記述主義のバランスをとりつつ、世間の言葉の変化を後追いしていくもので、『広辞苑』が特に規範主義を前面に出す方針をとってはいません。
また、『広辞苑』で『礼記』を出典として掲げている項目は「正鵠」であり、「正鵠を得る」についてではありません。
そのため、中国語での用法・原典ではなく、日本語での用法・慣用についての論となります。
さて、他社の辞典を調べましたが、「正鵠」の慣用句について、「射る」と「得る」とどちらを正項目とするかは違えど、ほぼどれも両様を認めています。
『岩波国語辞典』は用例に「射る」「得る」を併記し、『大辞林』『大辞泉』『集英社国語辞典』『明鏡国語辞典』は「射る」を見出しとして「得る」を同義で置き、
『三省堂国語辞典』は「射る/得る」と併記した見出し、『日本国語大辞典』は「射る」が参照見出し、「得る」が本項目です。
『広辞苑』では、「正鵠を得る」の項目は第三版で立項し、書き方は変わっておりません。
第三版でなぜ「射る」でなく「得る」を見出しとしたのかは定かでありませんが、広く使われている語法を採用したのではないかと推測されます。
青空文庫で「正鵠を得る」は多数現れますが、「正鵠を射る」はほとんど現れません。
あるいは、「正鵠を失する」の対として「得る」を採用したとも考えられます。
一方、「的を得る」についてのご質問ですが、「見解を変える予定があるか」という問いにはお答えのしようがありません。
『広辞苑』でも『岩波国語辞典』でも「的を得る」に関しては何も言及していませんので、そこには語源的に見た用法の是非論の入り込む余地はございません。
先に申し上げたとおり、日本語の辞書である以上、現に通用している言葉の意味や用法を記述するのみです。
ただ、仰せのことは今後の改訂の際に勘案し、「的を得る」を見出しとして採用する可能性はあるというお返事にとどめます。
語源を無視した正鵠を得るのゴリ押しには剛力彩芽もビックリ仰天だよ!
>>735 >>722を読んでね
あと、どうせ聞くなら「的を得るは誤用」と書いている辞書の出版社に問い合わせすればいいのに
もう一点
出版社からメールで回答をもらい、それを掲示板にコピペしているんだろうけれど、
「いただいたご回答はネットで公開してもよろしいでしょうか?」って、きちんと承諾とっているの?
誤用と書いていないから認めていると決めつける人がいるから。強引に取った
ちゃんと返事くれるんだな
見直したわ
>>735 >『広辞苑』でも『岩波国語辞典』でも「的を得る」に関しては何も
>言及していませんので、そこには語源的に見た用法の是非論の入り込む
>余地はございません。
>先に申し上げたとおり、日本語の辞書である以上、現に通用している
>言葉の意味や用法を記述するのみです。
>ただ、仰せのことは今後の改訂の際に勘案し、「的を得る」を見出しとして
>採用する可能性はあるというお返事にとどめます。
この回答がもし本当なら、岩波書店は「的を得る」に関しては今のところ正誤の
判断はつけていない(ニュートラルな立場)、ということ。
少なくとも「間違った言葉だから採録しない」ということではないらしい。
しかも、将来「的を得る」を採録する可能性まで述べている(誤用と注記するかは不明だが)。
すべての答えは、『広辞苑』『岩波国語辞典』の最新版が出るまで待つしかない。
日本語の崩壊はこうやって進んで行くんだな
今日の売国新聞週 青い方の週末別冊版
サザエさんの文献学のコーナーに、
「敷居が高くなってしまう」
ハードルが高い の間違いがあった
マジで三国はテロじゃねーかよ
三国は今度は、スパゲッティをスカベティに変えようとしてるらしい。
子音の入れ替えなら「新し」(あらたし・あたらし)などあるけれど、
素性(そせい)単位での音の交換が一般化した日本語の例などあるのだろうか
そもそも飯間先生の「スカベッティ」の例が、先生個人の言い間違いに
過ぎないものだし
「拍子抜け」
間違ってるやつ大杉。
そのせいで俺も間違えてた。
正しくはがっかり失望した時に使うのに、 よい結果に使ってるのがいる。
「拍子抜け」は、「敷居が高い」とか「鴨居が低い」とかと同様に、状況とは無関係に使える。
それも三国が誤用を拡散してんの?
三国(7版)の「拍子抜け」の語釈は
>はりあいが ぬけること。
とだけ書いてある(例文無し)
753 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2015/02/19(木) 03:47:13.01 0
「おまえには拍子抜けしたよ」なんていう使い方以外の使い方が最近はあるのか
日本語も知らない世代が増えてきた証拠だ
233 : ななしのよっしん :2015/02/23(月) 09:22:02 ID: V45AkMVCHm
日本で最初に「的を得る」を誤用と記述したのは三省堂国語辞典で、
2000年ごろを境にテレビなどで取り上げられて誤用説が広まったそうだ
しかし実際は「的を得る」を誤用としたのは三省堂国語辞典だけであり、
2013年の第7版では誤用説を撤回している(ツイッターで編集者が明言している)
つまり「的を得る」は実は誤用ではなかったというのが真相のようだ
正直意外だったが
http://biff1902.way-nifty.com/biff/2014/05/post-8ee7.html
金津園ワールド 女の子の取り分について
ttp://kanazuen.com/qdb/q22/22345.html 的を得るは、長年誤用だと主張していた三省堂国語辞典がその主張を謝罪撤回した。
そして、辞書で最初に誤用だと言ったのも三省堂であり、その後その主張に数社の辞書が追随した。
出版社が一度出した誤用説を撤回するからには相当の検討がなされたはずだ。
12月26日に掲載されたテンプレは、三省堂国語辞典が訂正発表した後にいろいろなサイトに貼り付けられているが現状を認識できない人物のあがきにしか見えない。
中庸・礼記の掲載はもはや無関係である。
「正鵠を得る」はすべての辞書において正しい慣用句として認められている。そして使用された順番も「正鵠を得る」のあと「正鵠を射る」が使われている。
失うの対義語は得るというのは常識だ。失点⇔得点 これなんかが一番分かりやすだろうね。
単なる想像で裏付けは全くない。中国が得正鵠を逆輸入したのならそうとうふさわしいということだと推測できる。
それならば「正鵠を射る」も間違った慣用句だということになる。可能性はあると言うだけなら誰でもできる。慣用句化下という根拠はどこにもない。
散々三省堂国語辞典も誤用だと言って来たくせに今更何をいってるのやら。ここも単なる想像ですね。
示す必要はない、正鵠を得るが間違っているとする辞書もなければ、学者もいない。言っているのはごくわずかの人物だけだ。
以下全てたんなるいちゃもん、読む意味もない。言語が生き物であり変化するのは常識中の常識、そんなきれいごとを言うならば、「的を射る」という慣用句もいつの間にか誰かが勝手に意味付けしただけで間違っていることになる。
ある程度の言葉の変化が理解できないほど日本人は愚かではない。的を得るという言葉が理解できない日本人は極小数だ、「人を食った」という慣用句の意味の発生と比べると「的を得る」など非常に簡単に理解できるだろう。
鮪っていう漢字がある。中国語の鮪という漢字は「チョウザメ」を意味する。相手の文化・時代・国を無視した大誤訳と言えるがワガママなのかね?そんな変化の歴史を認められないというのは心が狭いだけじゃないの?
射る派が「的を射る」と「正鵠を得る」の関係を知らず
「的を射る」はゼロから生まれた慣用句で「的を得る」は「当を得る」の誤用だという前提で得る派を叩いては次々と論破され
どんどん形勢が得る派に傾いていったという戦略ミスがなぁ…
的を得る 的を射る
今はどっちを使っても恥ずかしい感じ
>>758 そうか?
どこもブログのコピペばかりで、正鵠を得るが正しい理論の組み立てがめちゃくちゃになってるようにしか見えない。
>>757の人も結局三省堂のとんでもない理論に賛同しちゃってるし。
>>758 >「的を射る」はゼロから生まれた慣用句(という「射る派」の前提)
↑ゼロから生まれるとは、どういう意味?
単に「的に当てる」→「要点をとらえる」と意味が変化したということでは?
>(「射る派」は)得る派を叩いては次々と論破されどんどん形勢が得る派に傾いていった
↑「三省堂国語辞典に載ったから「的を得る」の問題は解決!」という人がネット上で増えたのは事実だけど、
ただそれだけ、という感じ。
アカデミーの世界で、形勢が「得る派」に傾いていった兆しは感じられない。
762 :
758:2015/02/24(火) 23:35:51.42 0
>>761 「的を射る」が「正鵠を得る」の影響抜きで発生したという主張を
「ゼロから生まれた」と言っている
「正鵠を得る」は明治にはすでに一般的な言い方だったが
「的を射る」は遅れて大正ごろからじわじわ広まった言い方で
「正鵠を得る」の影響を無視するのはかなりの暴論だとは思う
これらに比べて「的を得る」の歴史の浅さは明白で
この歴史の浅さこそが「的を得る」が正しいとされない強力な証拠
ここを徹底的に突っ込むべきだったのに…
学会で表立って形勢が変わっていないにしても
現に三省堂は「的を得る」が正しいと態度を翻し
他の辞書も「的を得る」が誤用だという態度を緩め始めている
これを形勢が傾いていると言わずにどう言うのだろう?
763 :
761:2015/02/25(水) 02:37:04.95 0
>>762 レスポンスありがとう。
仮に、大正期に「的を射る」が「正鵠を得る」の影響を受けて「要点をとらえる」の意味に転化したのが事実として、
それが「的を得る」の件とどう関わるのか、ちょっと分からない。
>他の辞書も「的を得る」が誤用だという態度を緩め始めている
↑三国以外で「的を得る」を誤用扱いしていないのは日国ぐらいだと思うけれど(しかも採録したのは三国より10年以上前)、
三国の改訂以後で、他の辞書の記述や研究者の意見で、三国に同調するものは出てきたかな?
今のところないように思うけれど。
■正しい日本語を使おう
・「須く」 当然 須く〜べし
・「さわり」 最も印象的な部分 歌でいうサビ
・「世界観」 世界についての見方
・「姑息」 その場しのぎ
・「檄を飛ばす」 自分の考えを広く伝える
・「知恵熱」 乳児期に発症する原因不明の熱
・「募金する」 寄付金を集めること
・「憮然」 失望したり驚いたりする様
・「恣意的」 その場の思いつきによる物事の判断
・「にやける」 色っぽい様子を見せること
・「敷居が高い」 不面目なことがあってその人の家に行きづらいこと
・「爆笑」 大勢の人が笑うこと
・「乱入」 大勢の人がなだれこむこと
・「たそがれる」 日が暮れる 盛りを過ぎて衰えること
・「一姫二太郎」 最初の一人は女の子、次に男の子が生まれるのが理想であること
・「性癖」 性質の偏り
・「煮詰まる」 全ての要素が出し尽くされて、結論を出す段階に入ったこと
・「潮時」 好機
・「なし崩し」 徐々に片付けていく
・「うがつ」 掘り下げる
・「割愛」 惜しいものを捨てる
よく見るゆとり語
ちな
とりま
永遠と (「延々と」の間違い、高出現度)
いちよう (「一応」の間違い)
取る (ネットからダウンロードすること)
来る (資格や単位などを取得すること)
恣意的 (作為的、意図的の意味で濫用、まとめサイト批判レスで高出現率)
>>765 「爆笑」は、一人で笑う場面で使っても差し支えない。
日国によれば、「爆笑」の初出は「一人で笑う」場面。
http://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=122 また、かつて国語辞典には「大勢で」という注釈はなかった。(以下、『三省堂国語辞典のひみつ』からの孫引き)
・ばくしょお0[爆笑] -ショウ(名・自サ)高い声で笑うこと。(明解国語辞典1952年)
・bakusho爆笑(名)高い声で笑うこと.(ローマ字で引く国語辞典1952年)
・ばく-しょう …せう[爆笑](名)高く、朗らかに笑ふこと。(言苑1954年)
・ばくしょお -しょう・…せう 【爆笑】(体)大きい声でほがらかに笑うこと。(例解国語辞典1956年)
・ばくしょう[爆笑](名・自サ)ふきだすように大きくわらうこと。(三省堂国語辞典1960年)
■正しい日本語を使おう
・「さわり」 さわること、さわった感触
・「敷居が高い」 戸口下部が上にあること
・「煮詰まる」 煮えて水分がなくなること
772 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2015/03/02(月) 22:47:46.07 0
やっぱな
的を射る、なんて当たり前のことすぎて成語じゃねーだろと思っていた
的を得るで初めて成語たり得る
的を射る、なんて、飯を食べる、と同じレベルじゃねーか
775 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2015/03/03(火) 07:47:06.02 0
776 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2015/03/05(木) 17:23:53.46 0
なんかしつこい奴がいるな。
誤用かそうでないかを辞書の記述に求めてるのが異常すぎる
正誤を論じるのは国語の範疇であって、言語学者の仕事じゃないだろ
言語学者はあくまで言語実体のみを研究すべし。