1 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
結局どうなのか決着しろ
練習帳
http://www.ne.jp/asahi/wh/class/oubunsha.html これはよく流布している無知からきています。
射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。
これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。
語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。
この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。
矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。
たとえば、“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。
「失」の反対は「得」であり、「射」ではないのです。
そうでなくても、もともと「得」という字には「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。
いつのまにか「正鵠」という分かりにくいことばを使わず「的」に省略し、「的を射る」という悪貨が「的を得る」という良貨を駆逐していて、日本の国語辞典にも浸透しています。
絶対離れないわ
離れたくないの
いつも一緒にいましょうね
5 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/01(火) 08:49:40
最近思ったんだが
よく「的を得るは誤用」と言われているが
「的を射て、得る」という考え方ではおかしいのか?
6 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/01(火) 08:50:29
加えて書くと、
的を得るでも間違いではないだろ?
「的を得る」と 「的を射る」は別の言葉、
8 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/01(火) 10:18:31
的を射ると書いてまとをえると読む
「並べ替える」と書いて「並び替える」と読むようなもんか?
10 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/01(火) 12:41:53
ヤバイと書いてヤベーと読むような方言
11 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/01(火) 14:34:23
5,6なんだが
ちょっと誰か真面目に答えてくれよ
いつも一緒にいましょうね
私たちはいつも一緒なの
私たちはいつも一緒にいたいだけ
だから邪魔しないで
私たちはいつも一緒にいたいのよ
私たちはいつも一緒にいたいのよ
20 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/07(月) 22:43:09
>>1 ありがとうございます。
「的を得る」こそ正しいんですね。
まぁ、「射る」のは矢だな
あんなにいっしょだったのに
只今、
>>24様が"非難の的"を得られました。
>>24様自ら矢面に立とうとのことであられます。
どうか皆様、
>>24様の得られた的に向かい非難の矢を射てくださいませ。
私たちはいつも一緒にいたいだけじゃないの
一緒にいる運命なの
25 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/12(土) 02:48:03
的を射抜く
的を射抜いて得点を得る
26 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/12(土) 03:09:02
「正鵠」の「正」も「鵠」も鳥の種類。
昔の言葉というのは即物的で
「正」や「鵠」という鳥に矢が中(あ)たらなければ
逃げられる。つまり失せる。
「予想的中」とは予想が的にうまく中(あ)たること。
>「正鵠」の「正」も「鵠」も鳥の種類。
「正」ってどんな鳥なの?
(手元の漢和辞典には、鳥の一種とは載ってなかったけど)
28 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/12(土) 09:08:48
>>27 【禮·射義】循聲而發,不失正鵠。
【疏】正者,正也。亦鳥名。齊魯之阮シ題肩爲正是也。
正=題肩=鷹、隼 Falcons
鵠=天鵞=白鳥の古名。
日本で出ている中国の古典の書は本文だけを印刷しているものが多い。
【疏】や【集解】【索隠】【正義】などの後世の研究結果は
伏せてあたかも訓読を施した大学教授がように解釈しているものが多い。
29 :
27:2007/05/12(土) 09:26:01
>>28 分かりました。どうもありがとうございます。
私たちはいつも一緒にいたいの
それは運命だから
離れ離れにしようとする悪者は
ここから消え去るが良いわ
離れ離れにしようとする悪者は
ここから消え去るが良いわ
離れ離れにしようとする悪者は
ここから消え去るが良いわ
34 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/17(木) 17:30:17 0
いいよね
>>35 何故「正鵠」が「的」に変化した時点で「得る」を使うのは適切じゃなくなるの?
38 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/22(火) 17:02:48 0
日本書紀 仁徳天皇十二年の条
八月はつき庚子かのえね朔ついたち己酉つちのととりのひ。
饗高麗客於朝。高麗(こま)の客(まらうと)を
朝(みかど)に饗(あ)へたまふ。
是日、集群臣及百寮。この日に、群臣(まへつきみたち)及び
百寮(つかさつかさ)を集(つど)へて
令射高麗所献之鉄盾、的。高麗(こま)の献(たてまつ)る所の
鉄(くろがね)の盾・的を射(い)しむ。
諸人不得射通的。諸(もろもろ)の人、的を射通(いとほ)すことえず。
唯的臣祖盾人宿禰。ただ、的臣(いくはのおみ)の祖(おや)、
盾人(たたひと)の宿禰(すくね)のみ
射鉄的而通焉。くろがねの的を射て通しつ。
時高麗客等見之。 時に高麗の客等(まらうとら)見て
畏其射之勝巧。 その射(ゆみい)ることの勝巧(すぐ)れたるを畏りて
共起以拝朝。 共に起(た)ちて拝朝(みかどおがみ)す。
日本書紀は「的を射る」の正しい使い方を示している。
さあみんなこれコピーして自分のブログに貼り付けよう。
「射精」とは精子を卵子に向けてとばすことだが
受精するとは限らない。
射精して「卵子を得る」香具師は居るのか。
>>38 バカか?
「射精」しないで、「射卵」すれば良いんだろうが。
40 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/24(木) 19:36:08 0
バカが一匹吊れたな。
それで誰が「射卵」するって?
41 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/24(木) 20:53:35 O
get the point の訳語が的を得るの語源で、的を射るとは別ではないだろうか。
42 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/05/24(木) 21:35:46 O
アッー!
私たちを離れ離れにしないで
精子には生まれもってそれぞれに役割があってな、
初めから受精候補から外れてるヤツらの方が多い。
たとえるなら、アメフトだ。
そして、egg-getterと呼ばれる受精の権利を有する僅かな精子が、ただひたすら卵子を目指して突き進むのだ。
〜〜〜( `・ω・´)<卵子を得たり!
45 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 14:22:35 0
確かに
get the point 落ちが分かる
get to the point 要を得ている(的を射る)
だね。
つまり「的を得る」は「的を射る」とは微妙に違うのかもしれない。
46 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/17(火) 05:51:38 0
系統的に用例を挙げないで議論しても無駄。
47 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/16(木) 19:40:44 0
_
48 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/12(水) 08:57:43 0
>>38 あほか。比喩以外で的を射るは当然多数あるだろ。
そもそも「正鵠を失う」が「的を射る」の語源である、
というのは正しいのか?
的を射るはほぼネット語です。ネットの騒動を知らない人は的を得るを使い。
ネット騒動を知ってる賢明な人は的を得る・的を射るを使いません。
痛い人は得意げに的を射ていて面接でも使用するため落ちるでしょう。
確かに古文漢文を見ると「的を得る」で良さそうだけど
俺は現代になって用い方が変わった例だと解釈してるよ。
「片腹痛い」が時代と共に誤用でなくなったみてーにな。
あとよしんば「得る」が正しかったとして
言うたびにこんな感じで一悶着起きるのが現状だから
的を射るで統一してる。
なんでも古い言い方が正しいなら、現代語は間違った日本語ってことになるしな。
「的を射る」が「正鵠を得る」からきているという根拠もないし。
54 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/10(火) 23:44:18 0
そんなん言い出したら『狭き門』とか全く意味変わってるしな
>>1 > これは漢語に由来する表現であることを知らず
> 当たったら「得た」といい
> 「失」の反対は「得」であり
> もともと「得」という字には「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。
漢籍に「得正鵠」の例はない。当たったときは「中」。
「挽必円、視必審、発必決、求中乎正鵠而已矣」「夫学者之欲至於聖賢、猶射者之求中夫正鵠也」 (元・虞集『尚志斎説』)
> いつのまにか「正鵠」という分かりにくいことばを使わず「的」に省略し
日本語なのだからそれでよい。
「正鵠」は「射る」ものではないかもしれないが、「的」は「射る」ものだ。
結局全然ダメ。
56 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/04(金) 16:55:41 0
「矢を射る」なら分かるけど、「的を射る」という表現も本来は変じゃねえの?
的を射ってどうするんだよ。
まあ、言葉はそれが普及すれば、最初は誤用だろうがなんだろうが正しい表現
として最終的には辞書に載るようになるんだろうけど。
「矢を的に向かって射る」のだから、
「的へ射る」「的に射る」が正しい表現じゃないの?
「的へ射る」はそれはそれで正しい表現だが
意味は変わってくるぞ
>>58 どういう意味?
「的へ射た表現だ」と言えば変?
得意げに誤用を指摘する人が多いけど
的を得るでも間違いじゃないと思うんだよなあ
61 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/12(土) 16:54:23 0
あげ
さげ
「的を得た」というのは、
的に選んだ獲物へ向けて矢を放った結果として、的である獲物に見事に命中し、
それによって獲物(=的)を得た、ということだから、
「的を得た」はごく自然な表現ではあると思われ。だから普及したんじゃない?
>>59 「的へ射た」は「的に向けて撃ってみた」だから当たったかどうか分からない。
という事は「的へ射た表現」は「当たってるのかどうかよくわからない表現」
という事になる。
>>63 それは無いと思う。
そもそも誤用している人達は弓が由来の言葉だと全く考えてない
日常で射るより得るの方が良く使われる単語だから誤用が広まったと考えるべき
イとエが入れ替わり易いのもあるやも知れない。
>>65 マトと聞いて弓矢を連想しない日本人はまずいないんじゃない?
ごくごく最近の若者は分からないけれども。
そもそも「的を射る」が誤用だったのでは?
「的へ射る」なら分かる。
的を得た表現:
矢を射り、的である獲物に見事に命中し、獲物を得た表現であるという意味。
>>69 「的を射る」も「的へ射る」もちゃんとした日本語だろ
弓道的な感覚で言えば、的は「得る」ものだなぁ。
矢を放つ前にすでに的は得ているから、
後はどうやっても勝手に当たる。
物理的には目や腕、指先なんかをコントロールして的を「射る」ものだけど、
精神的には的を手中に収めてから矢を放つ。
的は得るもの。
まぁ、言語的な正当性は無視した話っちゅーことで。
射るのは矢や弾であって、的を射るってのは変だろw
まああえていえば「的を射貫いた」と表現すべき。
「核心をつく」 という意味から考えると
「的を得る」 が正しいと思う。
78 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/29(火) 21:36:32 0
>>76 > 「水を沸かす」っていうより「お湯を沸かす」っていうじゃん。
そう言われてみるとそうだね〜。「(水を)お湯に沸かす」とはあまり言わない。
日本語の助詞ってますます不思議な語だな。
考えてみるとこの「沸かす」という言葉、水を湯にする以外の用法があったっけ?
「沸かす」といえばこの一言だけで水を湯にすることだというのは明白だよね?
本来は目的語はいらないはずなのに。
ただし口語の場合、同音異義語があるからそれと区別する便宜性があったのかもなあ。
>>78 古くは「金属を熱して溶かす」とか「醗酵させる」とかいった意味もあった
ようだ。
それと、比喩的用法として「熱狂させる」意味で使ったりするよね。
80 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/30(水) 10:37:10 0
>>78 > 日本語の助詞ってますます不思議な語だな。
そもそも国文法にいう「格助詞」という概念自体がかなりあやしい面もあるのだが。
81 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/31(木) 23:35:05 0
弓道部にいた私としては、
>>73さんとおなじだなあ。
的は射るものだけど、的中は得るもの。
>>46がいうように、過去の用例を調べて
”的を得る”→”的を射る”だったのか
的を射るという言い回しが広まった後で、誤用されたのかをはっきりさせないと結論は出ないだろうな。
http://www.onyx.dti.ne.jp/sultan/colum120.html ぐぐって出た情報はこれだけで、これだけだと射る方がわずかに古いんだが、あまりにも近すぎる上に現代過ぎる。
これよりずっと古くから使われてただろうしな。
>>55 >>1のリンクによると幸田露伴は正鵠を得るって言葉を使っているらしいし、現代中国でも使われてるとか。
正鵠以外にも正中を得るとかいう言葉もあるらしい。
>>65 >>71 それは「的を射る」が成立し一般化した上で、「的を得る」って誤用が現れたってことを前提にしてる。
「的を得る」という言い回しが先に成立した上で、「的は射るもんじゃないか?」って奴が出てきて誤用し出した可能性だって十分あるだろう。
先に使われたから正しいとか、後に広まったから誤りとも言い切れない、という問題もある。
>>73や
>>81さんのいうように弓道界の仕来りでは「的を得る」という言葉がしっくり来るらしいから、
最初に「的を射る」と用いている人がいて、弓道の教養のある人がそれを「的を得る」に改変して
用いたということも考えられる。その場合、どっちが正しいとも言えない気がする。
強いていえば、言語というのは普及したほうが正しいということになるんでしょう。
なら今のところ論われる誤用の多くは正しさに大分近づいている
イルが発音しにくいから訛ってエルと言うようになったんじゃないか
正しい表現は「的へ射る」「的を得る」
87 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 05:59:31 O
的を的を的を的をうるせぇんだよ
88 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 09:28:32 0
へそが茶を沸かす
89 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 09:30:43 0
「的を射る」は誤りであって
「矢を射る」が正しい。
的は「射られる」である。
またバカスレ勃起させやがって。
「的を得る」は「い」や「え」の発音が覚束無い
北関東の田舎者が間違って書き始めたものだ。
「矢を射る」は間違いであって
「的を弓射る」が正しい。
//www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h19/05/obj07.html
倭名抄には「射」の訓読を「由美以留ゆみいる」としている。
徒然草第92段「或人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。」
>弓道的な感覚で言えば、的は「得る」ものだなぁ。
弓道部出身者は言葉の専門家ではない。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/27(土) 01:58:13 0
ミンチ肉、ミンチカツvsメンチ肉、メンチカツ
>>90 その説もしつこく繰り返されるが、到底信じがたい。
北関東に文化的発信力があったとは考えられず、間違いにしても広まらない。
93 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/27(土) 10:25:55 0
最近関西のスーパーでも東京本社の押し付けで
ミンチカツをメンチカツと表示してるところが増えた。
関西弁の危機。
シンガポールの華僑、華人でも豚のミンチ肉は
ミンスト・ポークと発音するのに。
東京では民主(ミンス)のことをメンスと云うんだそうな。
>>92 同じ人間が繰り返し書き込んでるだけだから触れるな
>>1 > 矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。
間違い。「(標的を) 射る」で矢を当てるところまで意味する。
「??的を射たが、当たらなかった/○的に射かけたが、当たらなかった」
「将を射んと欲すれば先づ馬を射よ」
正鵠が描かれているような大きな的ではなく、当たりさえすればよい小さな的を想定することもできる。
96 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 14:43:42 0
「正鵠が描かれているような大きな的」ってどこに
書いてあった?ソースきぼんぬ
98 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 20:00:48 0
星座に「射手座」というのがあるけど
関東の香具師は「得手座」というんだよね。
関西で「えて座」といえばエテ公(サル)の星座
猿回し一座という意味になるけど。
>>90 > 「的を弓射る」が正しい。
だとしたら「的を得る」のみならず「的を射る」も厳密には間違いということになるわな。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 20:52:51 0
「負けず嫌い」も本来は「負け嫌い」と言ったそうで、昔の辞書には「負け嫌い」とだけあるそうな。
101 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 22:19:05 0
>>100 NHKでやってたね。
NHKでは言っていなかったけど、「ず」が入ってしまったのは「食わず嫌い」という言葉の影響では?
言葉なんてその時代に存在したという事実があるだけ。
そもそも正しいも間違いもない。
106 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/20(火) 23:08:35 0
一年近く前の書き込みにレスするのもあれだが、
>>95 >正鵠が描かれているような大きな的ではなく、当たりさえすればよい小さな的を想定することもできる。
そもそも「的を得る(的を射る)」という語の使われ方からして、そんな考え方はおかしい。
「的を得る」は「物事の要点をついている、急所を突いている」という意味。
「正鵠を得た」という「的の中心」に「当たった」という意味合いが最もふさわしい。
「的を射る」ような漠然としたものじゃなく、「得る」という「当たる」表現が必要。
そもそも、的を「射る」の語源がはっきりしない。漠然と射るだけのことで、なぜ「要点をつく」という表現として使われるようになったか不明すぎ。
もとは「得る」だったんじゃないかという説も、以下を見れば納得できる。
大辞林
『的を射る』
◆「当を得る(道理にかなっている)」との混同で、「的を得る」とするのは誤り。
『正鵠(せいこく)を得る』
「正鵠を射る」に同じ。「―得た言(げん)」
語源は明らかに「得る」で、「射る」は間違いなのに、恥ずかしげもなく「射るに同じ」なんて書いちゃってる。
こんな低能の馬鹿が辞書を出版して「的を得るは間違い」なんてほざいてるぐらいだから、「得る」という表現を知らない馬鹿が「射る」と誤用したという説も納得できる。
だ〜か〜ら〜
「正鵠を得る」は洒落、
「的を得る」は誤用、
「的を射る」は誤訂正、
「正鵠を射る」は過剰訂正。
議論は終わっているんだってば。
>>106 > そもそも「的を得る(的を射る)」という語の使われ方からして、そんな考え方はおかしい。
別におかしくない。漢語「正鵠」と和語「的」とは同じではないから。
「中正鵠」は競技弓道、「的を射る」は流鏑馬と考えればよい。
日本語では「正鵠に中 (あ) つ」は一般的でなく、代わりに「正鵠を射る」と言う。
「的を得る」「正鵠を得る」は誤用。
>>108 >日本語では「正鵠に中 (あ) つ」は一般的でなく、代わりに「正鵠を射る」と言う。
>「的を得る」「正鵠を得る」は誤用。
的の議論は別として、正鵠についてまでそれを広げるのは頭がおかしすぎ。もともと「得る」が正しい。
和語として表現したところで正鵠を「射る」にはならない。
そもそも、自身で流鏑馬と表現しておきながら、正鵠を「射る」と表現しているところが頭が悪すぎ。
君のような頭と知識の程度の低い人間が誤用・誤訂正しただけ。
>>109 > 正鵠についてまでそれを広げるのは頭がおかしすぎ。もともと「得る」が正しい。
根拠なし。「正鵠」は漢語であり、漢籍での用法はあくまで「中正鵠」。
> 和語として表現したところで正鵠を「射る」にはならない。
「もし私の直感が正鵠を射抜いていましたら」 (梶井基次郎『K の昇天』)
>>110 その論理だと、和籍での用法はあくまで「的を射抜く」。
いいのか?
>>111 > その論理だと
どんな論理? 全く意味不明w
> 和籍での用法はあくまで「的を射抜く」。
「何々とあらなんと案じゐたるは、とかくの弓に亀毛の矢をはげ、空化のまとをいんとするにたがはず」 (『撰集抄』)
「Matouo iru」 (『日葡辞書』)
「このようなトルストイの姿勢が的を射ているかどうかは」 (平野謙『島崎藤村』)
「L が発揮する直観力は驚くほど的を射る」 (倉橋由美子『宇宙人』)
的は昔からずっと「射る」ものだ。
115 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/07/09(金) 11:28:08 0
「的は得てどうすんだよ、射るものだ」
ってのは単純でインパクトのあるフレーズだよね。
「せっかく仕留めた獲物を得ずに帰る猟師とかいねーよ」
みたいに返せれば良いけど、意識せずに使ってる人にはまず無理。
「射る」と「得る」のどちらに正当性があったとしても
2、30年したら「的を得る」は駆逐されてる気がする。
116 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 07:57:57 0
東北人が的をイルをエルと聞き間違えたのが始まりだろう。
歴史的にはエルをイルにだな。
118 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
古典漢籍に得正鵠は知らないけど
近現代中国語は普通に使うんだよね