( ´д`)つ <23> 23話ドゾー ( ´д`)つ ω キンタマモドゾー ω⊂ (`д´ ) イリマセンッ まあそう言わずにドゾー( ´д`)つω)´д` ;)グイッ
ハヤクヤレ !
,,,,,,,--'''´`''ー- ri~ `_/~ヽ、 / / ̄ ̄ ̄ ヽ、ヽ / / ヽ、ヽ l / ミ i lミ┏.━.┓┏━┓ヽ、i / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ lシ┃-- ┣| -- ┃レ^i < 呪いをかけました レ ┗━┛┗━┛ / \_______ ヽ ヽ /、 ,ヽ イ i'――ー-- ...、 ゙; `''====ノ ||:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: ヽ. 、l,ヽ //.:.:.::.:.:.:::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:l \_/.:.:.:.:..:.:;.:.:.:.:.,:.:.:.:.::.:.:..:.:.:.:.l, `ヽ.i::::/_ i.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:/二二二ニニニ==━ ,r-'.:/ジ  ゙̄ヽ、;,:.:.:.:.:/ ´ ̄ ,ィー-''寸"
オイオイ・・・
キモイ エ ガ キニイラナイ カラ チョム ニ デモ カエテ スレ タテナオセ ヤ ヴォケ!
マァマァ イイ ジャナイ デスカ セッカク タッタ コト ダシ キムタマ モ アルシ。 ノロイ コワイ カラ ニゲダス カラ。
ちゅーか、若ぇ香具師のカキコミとかねぇんかいな?なんか年齢層が高 くてどっかの飲み屋でダベってるみてぇだな。ま、オトナの雰囲気 があってええといえばええけどな。 テカ、 イイワケ ナイワ。 スコシ ハ セイセイ スルヨーニ。 ワカッタカ、 ヴォケ! オトナ ハ マタ ベツ ノ ノミヤ デ イッパイ ヤッカラナ。 ジャ~ナ。 ハハハハハ。
>>6 スキナーよ、さらば
ところで、チョムスキーってロシア人?
>>6 はむしろチョムスキーのほうに似ているから、いいんじゃないかな。
この顔のオリジナルはチョムだったんだよな。 「世界は生成によって生成する」っていう旧約聖書手にした人物で、MITのロゴ付けてた。
ホレミロ ヨクモ シラベナイデ ツカウカラ ハジ カクンダヨ
>>11 チョムスキーがロシア人だったら、生成ももう少し違ってたかも。
うーん、やはり目がすきなーだよな。 チョムのようなつぶらな瞳とは明らかに違う。
ぱぴぽ
,,,,,,,--'''´`''ー- ri~ `_/~ヽ、 / / ̄ ̄ ̄ ヽ、ヽ / / ヽ、ヽ l / ミ i lミ┏.━.┓┏━┓ヽ、i lシ┃-- ┣| -- ┃レ^i レ ┗━┛┗━┛ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ヽ /、 ,ヽ イ i' < ワシはチョムスキナーである! ゙; `''====ノ | \_____________ ヽ __ / / ,,...---`ニニニ==、,,__ l / ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ l三三三> | iヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ/三三/''ー- 、 ヽ. ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ.∠三=‐''´>‐--‐' ヽ、`'''ー‐---‐'''´_,,...--‐'''´ `''ーッ--t_,r'''´ _/._/ .フ^ー フ^ generative behavior
>>16 お蔵入りしたみたい。探したが見つからなかった。すまん。
なんだか、<23>は初っ端から脱力ムードだな、をい!
>>19 やはりあんたの仕業か
すきなりあんが荒しにくるから辞めなさい
382 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2006/06/04(日) 23:47:03
>>379 たしか、言語学者になったのは、言語学者の父親がそうさせたから。
チョムはもともと過激な性格で、父親は、言語学みたいなジミな仕事に就かせればいいや、と考えたらしい。
最初から政治学者にしてたらどうなってただろう。
少なくとも生成文法がなかったのは確かだが。
荒らしに来るスキナリアンなんか2ちゃんねるにはもう残っちゃいないよ。
Is an old man young? Is the old man young? Is that old man young? 非文はどれ?
28 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/05(月) 03:22:21
苫米地はシャンクの弟子であり、 チョムスキー直系のクラークの弟子でもあり ポラードに弟子入りしhpgs理論を生み出したすごい人
苫米地は頭よすぎたから生成や認知言語をやめたらしい 時間の無駄だと
頭酔い過ぎた?
どーでもいいが、なんで苫米地みたいなアホの話が?
臨界期を過ぎた大人でも言語獲得ができる苫米地メソッドを開発したらしい。 これはすごい。
大学生が第2外国語獲得するのがすごいのか?
よせ、馬鹿にかまうな。本人だぞ、きっと。
普通は第二言語は母語に拘束されるんだが、母語から開放されて身に着くというわけか?
>>37 母語を司る脳の領域をピンポイントで破壊することができれば
可能じゃないかな?w
交通事故に遭い頭を打ったら、第二言語が以前より
ペラペラしゃべれるようになった人の話を聞いたことがあるよ。
39 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 06:21:22
おはよ。スレ<23>を祝してちょいとだけ書くな。 >交通事故に遭い頭を打ったら、第二言語が以前より >ペラペラしゃべれるようになった人の話を聞いたことがあるよ。 えっと、別に拙著の宣伝じゃないので誤解しないほしいが、それ↑と逆の パターンが仇本@茶色表紙の「第5章 言ゴ獲得と言ゴ障害:脳から見 ることばの仕組み」にちょいと書いてあるわ。在日韓国人のおばあちゃんの ハナシだ。かいつまんで話すと、そのおばあちゃんがボケてきたわけだ。 そしたら、ビクーリすることに、常日頃使っている日本語が壊れてきたかと思 うと、これまで使っていなかった(というか幼少の頃使っていた母語の)韓国語 が顔を出してきたとゆうケースだ。ま、ようするに、痴呆という脳内事故 によって、外国語である日本語が壊れ、その代わりに母語である韓国語が顔を出 してきたというわけだ。まあわしはその本の中で、この現象をマクリーンの 三位一体説とパラレルに論じているわけだが、実際脳の中では何が起 きているのだろうな。ま、ボケは赤ちゃん返りとは言うものの、それが言語の コアなところに出てきた顕著でかつ特異な例だと思うけどな。てか、わしはその 在日韓国人のおばあちゃんをテレビで知ったのだが、ケアしている人の 「おばあちゃん、最近韓国語ばっかしゃべるから何ゆってるか分 からないんですよね〜」という無邪気なことばを今でも覚えとるわ。あと、 あれだ、頭をぶつけてから特異な能力を発揮するとかいうのはよく聞くハナシ でもある罠。わしの周りにも実は一人そういう香具師がいる。まあ本人の 自己申告だからどのくらい信用していいか分からないけどな。てなところだ。 ちゅーか、サルの頭に小さな隕石があたってそれでサルからヒトに進化 したんじゃねぇのか?ははははは。これを「言語進化の隕石衝突説」と呼ぶ。 ははははは。じゃ〜な。 ところでこれ↓なんて読むんだ?あん? >苫米地 英検5級のわしにはワカラン♪わ。
老年性痴呆では短期記憶から障害され、また、新しい記憶から失われる。 記憶は一般に古いものの再生を上に乗っかった新しい記憶が妨げる。従って、 ボケたとき、古いことばかり思い出すのはごく一般的な現象。例えば、或る おばあちゃんはボケて自分の息子を忘れてしまったが、幼馴染の自分の亭主を 思い出し、息子に「なあんだ、次郎ちゃん、何でこんなところに居るんだいな」
つまり、母国語(第一言語)と第二言語は奇妙な関係にあるのだな?! 母国語の使用が第二言語獲得にプラスに働いている部分とマイナスに 働いている部分がある。他方、第二言語の使用が母国語の使用にマイナスに 働いている。 現在の生活で第二言語を使用しているのに、母国語を忘れないのは、第二言語 の使用によって、母国語の一部(言語基本)が常に活性化されているからだろう。 しかし、語彙や表面的文法などでは競合が生じやすいので、第二言語使用中は 母国語語彙や表面的文法が抑制されてしまう。 こういう古い「記憶」と新しい「記憶」のビミョーな関係は、言語だけに 留まらず、現時点での生活に適応している行動体系が現時点で何らかの障害に ぶち当たることにより過去の(それでも、恐らくは現在を支えている) 行動体系に戻るといった行動関係でも、また、様々な認識に関わる認知関係でも 広く一般的に知られている。 言語学的に(?)問題にすべきは、おそらく、第一言語と第二言語の何が 協力的・相互促進的であり、何が競合的・相互抑制的であるのかを検討する ことなのかもしれない。知らんけどな。
そういう先祖がえりを神経科学などではdegenerativeと呼ぶことがある。
仇が餌撒くから自自慰が食いつくじゃないか。ガ近著にも餌撒いて栗。
>>38 > 母語を司る脳の領域をピンポイントで破壊することができれば
例えば、あるニューロンX1がニューロンY1にシナプスx1y1を作っていたとしよう。
また、X1はニューロンY2にもシナプスx1y2を作っている。さらにX1はY3にも・・・
(ここで、x1y1−>x1y2−>x1y3の順で形成されたものとして、それが細胞体
から順次遠いほうに(つまり末端に行くように)出来上がったとしよう。
アルツハイマーなどでは、神経細胞内の物質移動が細胞内にたまったゴミで邪魔
されて、ニューロンが端のほうからdegenerateしていく。つまり、上の例なら、x1y3
辺りが萎縮しシナプスも消え、次にx1y2、x1y1へと細胞体のほうに向かって変性
が進む。これはあくまでも一つのモデルだが、そう現実からはずれていないだろう。
脳血管障害性(脳梗塞とか血栓とか)でない、アルツハイマー型痴呆で、上のような
第二言語の消退が起きたとするときのモデルとしては考えやすい。というのは、脳
血管障害性のものでは、それこそ<野>や<核>レベルで(複数のニューロン群で)
故障するのだが、アルツハイマーなどでは、かなり瀰漫性(つまりそこら中で)故障が
生じるらしいからだ。で、例えば、x1y1は母語シナプス、x1y3は第二言語シナプス。
このとき、ピンポイントで破壊すると言っても1ニューロンの中で、或る部分は残し、
或る部分は破壊することになるので、おそらくミクロンどころかオングストローム
単位での作業になるだろう。そんな技術はなかなか可能にはならないだろう。まぁ、
思考実験的に言っているのだとは思うが。実際の言語使用と生化学的な道具を使えば
あるいは可能になるかもしれないが。いずれにせよ人道的にNoとされる以前に、
技術的にかなり難しいだろう。
ところで、むろん、ニューロン一個で何かできるわけではないので、上のような例が
数多くの<領域>で進むのが痴呆なのだろう。部分的変性がグループ全体へ、だな。
ニューロンX1....のグループが文法ニューロン群で、Y1...。のグループが素材
ニューロン群だったりしたら面白いのだろうが、こういう超グロスな発想は現実的でない
だろうな、残念ながら。
作動記憶が機能しなくなるだけニダ
作動?作業記憶なら短期記憶グループだが。
また、言うまでもないが、多くの短期記憶・作業記憶は非常に節約性の高い記憶なのだが、 それは、これらの記憶が長期的記憶の枠組みにreferしながら成立しているからだと普通は 考えると思うな。まるで、第二言語が母語にreferしながら成立するように。
身近な記憶にアクセスできなくなるニダ
そういうことだ。
実は、それは、前スレでドタバタしたtypeとtokenの関係でもあるのかもしれないな。
そのとおりだ。
そうかな?
さあな、勝手な妄想だよ。
つまり、どういうこと? トークン(知覚=クオリア)とタイプ(認知)がどう関係するの?
言語野の活動が低い、つまりタイプがない視覚サバンはトークンからの生々しい視覚情報に直接アクセスできる
>>55 それって視覚と言語は脳内のリソースっていうか容量で競合するってことか?
言語というエロ眼鏡のフィルターを獲得したらもう世界に直接触れ合うことは困難だということだろ。 唯一可能にするのが瞑想やドラッグ。
そ、そういうことじゃないかな。よくわからんが。ボケ脳の話だと思ったが
もう忘れてしまった。時間が過ぎるのが早くてコワイよ、ははははふぅ。
まぁ、どんどん胃ってクレ。知覚と認知をそういうふうに分けるのはなんか
違うようだが合ってるかもしれないし、
>>55 は仇鱒調だし、■と言語が
競合する場合もあるかもしれないし、瞑想やドラッグなくたって、「人は粘膜で
ピタピタ、ヌメヌメ触れ合えるものデス」と昔々の脳研の時実先生がマジな顔で
指でOの字作って白いチョークを入れたり出したりして講義したとか、それ見て
聞いたとき教室で一人ノケゾッテ頭ぶっつけ仲間から白い目された学生は私だ
ったとか、ま、あれこれだ。それこれかも。みんな違ってみんないいわいな。
ピタピタ、ヌメヌメしてくれい。クレイがスーパーコンだった時代が夏歌詞。
というような話を昔誰かから聞いたような気がする私です。何言ってるんだか
尻滅裂ですた。ははは。
仇鱒の講師もエロだったんだな。血はよう争わんな。
マッタクダナ。 トコロデ、 トウダイノウケン ノ トキザネ ト イエバ ニホン ノ ノウシンケイカガク ノ クサワケ ノ ヒトリ ダガ、 アダ ハ ドコデ ナラッタリシタンダ?
あたり前田のクラッカー
さあな、串国の中学校だった鴨しれん罠。ははははは。
痔自慰やめれ!
痔宴もまたよし
ま、そー言うこと。
66 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 18:08:22
こんばんわ。ちょいとだけ書いてやるわ。
>>57 >唯一可能にするのが瞑想やドラッグ。
もしかしたら前に書いたかもしれねぇが、わしはその辺りのことも
シナシージア絡みで自学自習したことがある。シナシージアは
ラマチャンドランの弟子がそれなりにいろいろ研究しているが、脳レベルでは、
結局、隣接する知覚領域のものがシナシージアで立ち上がるようだよな。
もしかしたら最先端のケンキュウでも違うかもしれないが、、、。ま、わしの知
る限りだと、なんで音を聞くと色が見えるかとゆーと聴覚野と視覚野は隣接
しているからだと。で、片一方が刺激されると隣接したもう片一方も同時に刺激
されてしまうと。そんでシナシージアが生じると。それでだ、わしら健常者
というか普通の人間も実は潜在的にシナシージアであるわけだ。で、
ラマチャンドランなんかは、その証拠として言語表現
なんかをあげているわけだ。まさに認知ぶんぽーが喜びそうな「黄色い声」
とか「刺すような味」とかゆったやつだな。で、上で書いたように、わしらは
潜在的にシナシージアの能力をもっていて、その潜在的な能力も<ある力>を借
りると顕在化させることができるわけだ。で、その「ある力」とゆーのがヤク
つまりドラッグになるわけだ。だから、わしらがヤクをやったりすると、まさに
一時的に共感覚者になれるわけだ。というのも、ヤクの力によりある知覚領域と
別の知覚領域のインタフェイスが強くならからな。
67 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 18:09:01
でだ、わしの知る限り、言語を刺激されると別の感覚も呼び起 こされるというのはないのだな。もし仮に、風説というか定説にあるように 言語野なるものがあるのなら、文字を聞くなり見たりしたら、それと隣接する 運動野なんかも同時に立ち上がっていきなり指がピクッ♪と動 いたりしたってええわけだ。でもないわけだ。そういう風なことを考えると 言語野つーのもある意味では文法遺伝子なんかといっしょでかなり イリュージョナルなものかもしれないと思いつつある。とはいうものの、 ペンフィールドの実験なんかからもいわゆる「言語野」(ブローカ野と ウエルニッケ野)はあるはずで、100%言語野が幻想だとは言わない。ただ、 言語というのは非常に広範囲に渡って処理されているのは確かだし、言語知識 もかなり広範囲にわたって脳内にプールされているのは確かだ。 ちゅーか、あれだな、タバコも値上がりして合法ドラグも違法 になったりしてつまらんところで我が国ニッポンは「大きな政府」してるんだよ な。ったく、都合のいいときだけ「小さな政府」してんじゃねぇよ。ちゅーか、 いつかわし草履大臣になってやろうかと思ってるぐらいだ。ははははは。
68 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 18:09:38
てか、わし前にもゆったけど、わけあって今空手やってるんだが、空手ええな。 ちょいとはまりつつありまつよ。あと、これまたわけあってまた数学の ベンキョーをはじめたのだが、この年になって数学やるとまたいろんなものが見 えてくる罠。まあ、わしは工房の頃はバリバリの数学少年だったが、数学は 人文系の学問といっしょで30代後半からやるべき学問だな。数学一筋 でやってきた香具師は実は数学の美しさを本当は分かってねぇんじゃないかと思 う時がある。ま、どーでもええハナシだけどな。てか、藻前ら知ってるかどー か分からないが、昔なべつぐの「あすなろ数学」というのがあったのだよ。 わしは工房の頃、マジでこの「あすなろ数学」に完璧にはまっていた。 ほんといい本だった。わしの思考法とかはすべて「あすなろ数学」で培 われたかもしれない。そのぐらいいい本だった。ま、どーでもええハナシ だけどな。 >仇鱒の講師もエロだったんだな。血はよう争わんな。 なんのこっちゃ?あん? >アダ ハ ドコデ ナラッタリシタンダ? 大日本帝国中道右派大学 極東分校でつ! さて、一杯やりながらギターでも弾くかな。 か〜のじょが・か〜みを〜ゆび〜で〜♪(by 栞のテーマ)
>>66 別の知覚領域のインタフェイスが強くならからな。
奈良からどうした?
共感覚ちゅーのは基本形なのだよ。それを聴覚だ視覚だと分けて見せるのは
生理学的幻想なわけだ。ま、そーいうことだ。脳幹から視床にかけての賦活系
はもとから選択性がそんなにシッカリしてねーわけだ。そこのところを勘違い
すると、それぞれの感覚が独立して感じられるみたいな幻想が生まれる罠。
もう誰が誰だか・・・
耳元でささやく甘〜い声には手が生えててモミモミしてくるというのも 共感覚なのか?あん?
視覚の動き、想起、言語化のされ方は同じ原理に基づくんだろ?
10へー。
チェイフという人が言ってたわ。視線の動きから構文が生まれるわけだな。
ToMも関係ありそうだな。
視線の動きは想いの動き
勿忘草をあなーたに♪
やっぱ、仇鱒が出てくると早い時間帯から盛り上がるじゃないか、えー、をい?!
VTR式のアイカメラ持ってるわ。それで言語学の研究できるのか?
80 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 18:40:15
>共感覚ちゅーのは基本形なのだよ。 そこまでゆーか、、、。まあ、わしも前に書いたが、イヌなんかを見てると生き 物はデフォで共感覚鴨とは思う罠。つーのも、イヌは視覚を嗅覚でカバー していて、ある意味、視覚と嗅覚がセットになっている共感覚とも言 えるからな。でも、共感覚がふつーで別個の感覚が幻想 というのはいくらなんでもいいすぎだと思うぞ。てか、共感覚つーたって、 わしの知る限りでは大体2つの組み合わせがフツーだ罠。3つ以 上ってあんまり聞かないよな。で、もし共感覚がふつーなら共起する感覚が2 つに制限されるつーのもよくワカランわ。てか、赤ちゃんとかって共感覚者って 可能性ねぇかな?ようするに、なんつーか、歩けないという行動規制 がかけられている分、感覚がある意味発達していてシナシージアってるような気 がするんだがな、、、。そんなこたぁねぇかな、、、。 >もう誰が誰だか・・・ わしはわしだが、何か? >視線の動きから構文が生まれるわけだな。 認知ぶんぽーのビリヤードモデルみてぇなもんで大したことねぇわ。 さて、マンマくってるくるわ。
>>80 > >共感覚ちゅーのは基本形なのだよ。
> そこまでゆーか、、、。
Gibsonもそう言ったろう?
> 3つ以上ってあんまり聞かないよな。
言語はどーじゃ?文字アリ、音韻アリ、その意味する対象の感覚アリ。物を振り回すとき
音もすりゃ、重心移動も感じられるし、見えもする。知ってると思うが、hand regardとかなんかは
触覚、運動感覚、視覚、体性感覚、触覚が重なってるわな。ということは、そういうのが
一遍に感じられてもいいはずなのだが、大人になるとだんだんそれが難しくなる。
> つに制限されるつーのもよくワカランわ。てか、赤ちゃんとかって共感覚者って
> 可能性ねぇかな?
あるだろうなー。つーかだな、ドコモだな。いや、赤ん坊の場合は少なくとも意識体験としては
みんなごちゃ混ぜで独立していないというのが本当のところかもな。赤ん坊じゃないので
憶測だが。歩けないせいで起きるとは思えないけどな。
> >もう誰が誰だか・・・
> わしはわしだが、何か?
いいや、気が付いていないだけで、もう、ワシはワシじゃないのかもしれないぞ!!!
ほーら、仇鱒はだんだん彦頁になる、ほーら、だんだん・・・
オイオイ、 ドーセナラ ベツノ ヤツ ニ シテクレロ
トランス状態を利用した実験研究はあまりないわな。 暗示により言葉が話せなくなってしまったり、 突然宇宙語を喋り理解できるようになってしまったり、 研究としてはおもろいわ。
前者ならフロイトがやってることがまさにソレだろうな。後者は、おそらく、アンドロメダの香具師に 頼んでスピルバーグして、ぴーぽーぴぴっぷーとかやらないと駄目かもな。
はたして、トランス状態でのデタラメ宇宙語には構文がみられるのだろうか?
言語ならば
88 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 19:46:54
>トランス状態を利用した実験研究はあまりないわな。 まあ、病気や怪我の人がいるから体の仕組みが分かり、障害者の方の協力 があっていろいろ脳の内部が分かったりするわけだ。で、わしは思うのだが、 マジで、健常者をトランス状態にさせていろいろ実験したらもっと面白い実験 ができると思うのだよ。まさに生体実験になってしまって倫理的な問題が生 じるであろうが、トランス状態の実験はある意味ひじょーに魅力的だ罠。まず、 コントロール実験をしなくても、被験者の通常の状態があるいみコントロール 状態であり、喩えがいいかどうか分からないが、まさにクローンをつかった実験 に近いものがあるからな。 >暗示により言葉が話せなくなってしまったり、 ま、そーゆーのはわしも何かの本で読んだことがあるが、暗示で言葉が話 せなくなったとゆっても、それは言語運用が一時停止されただけあり言語知識が 一時停止状態されたわけじゃない罠。ようするに、暗示でコントロール できるのは運用のレベルだけだ罠。てか、知識を一時停止できるような暗 示ってあるのだろうか?もしあれば、それを使って言語能力のいろんな実験 ができる罠。つまり、言語知識を一時的にノックアウトさせて、その状態で人 はどのように世界を見ているかとかな。 ま、そんなところだ。
じゃ、こういうのはどーじゃ?仮に構文がないとしよう。で、語はある。 20個ぐらいの語が並列でいっぺんに放出される。しかも、その語は 聴覚、視覚、触覚、温覚、味覚その他にいっぺんに知覚される。語と語が どういう関係にあるかは、語自体の形や意味によって決まる。あくまでも いちどきに20〜30語、ときには100語。 視覚だけの文字、聴覚だけの音声、そういう狭いチャンネルだとシリアルに なりがちだが、いちどきに20〜100語知覚できるマルチチャンネラーなら シリアルである必要がない。構文はないと言えるのか?
ところで、トランス状態という言葉の意味が少しズレテいるようだ・・
>>89 さらに続けると、そういうアット・ワン・タイムで100語が可能だとして、事象というものは
時間を含むことが必須なら、そういう事象をアット・ワン・タイムで表わすことは都合が
いいだろうかな?
>>91 ついでにもう一つだけ思考実験すると、そういう100語アット・ワン・タイムが知覚可能な
世界では、事象というもの自体が時間を含むものとして知覚されるのだろうかな?
さ、酒でも呑んでくッ哉。
93 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 19:58:54
>構文はないと言えるのか? 構文は一種のタイプだから、ようは一連の刺激の中にタイプを見いだせれば 構文があると言えると思うわ。 >ところで、トランス状態という言葉の意味が少しズレテいるようだ・・ そうか、、、。ちょいとわしズレてるか、、、。わりぃ。ヅラ安物だからw てか、てっきりヤクというかドラッグのハナシが出てきたからアッチ系列の ハナシかと思ったが、そうじゃなかったのか。てか、あれか、大脳生理学レベル でゆうようなドーパミン放出状態とか、心理学レベルでゆーリビドーモロ出し 状態のことをゆっていたのか?あん?
いや、どーでもいいことだった。催眠のトランス状態のことかと思ってた。はは。
>>93 > >構文はないと言えるのか?
> 構文は一種のタイプだから、ようは一連の刺激の中にタイプを見いだせれば
「一連の」というのなんだけどさ、 a series of? それって、時間含んでないのね?
>>93 > 構文は一種のタイプだから
すまないですが、ソレ、少し素人にも分かるように噛み砕いて説明してくだちゃい。
唐手をやればわかるが身体運動にも構文があるのよ。 どうしたものか、それが突然見えて来るのだよ。 相手の運動構文を読み切れば、どこの部分で制すればよいか自由自在なり。
ハクチョン・グラマーだね!
>>96 > 唐手をやればわかるが身体運動にも構文があるのよ。
仇先生、それは時系列現象なので、答えになっていないと思うな。
99 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 20:11:40
>「一連の」というのなんだけどさ、 a series of? それって、時間含んでないのね?
ま、時間を含んでてもいなくてもどっちでもいいわい。ま、
>>91 のゆーよーに
同時多発的に刺激が呈示されることを念頭においてもいいし、一ヶずつ順に呈示
されるのを念頭においてもいい。どっちだって構わない。で、ポイントは、
かりに20ヶのパーツから文ができるとしたら、組み合わせは、
20x19x18x17x16x ... x2x1ヶあるわけだ。で、そのすんげー数の組み合わせの
中に同じプロパティのあるもの(つまりタイプ)を見つけられれば、それで
構文の存在は保証されるということだ。そーゆーことだ。
>唐手をやればわかるが身体運動にも構文があるのよ。
あ、それはまだわし空手やりはじめて間もないけどそれは分かる。
運動構文→認知構文→言語構文?
↑ 100だったよ
>>99 > ま、時間を含んでてもいなくてもどっちでもいいわい。ま、
>>91 のゆーよーに
Wh移動とかないけど、いいの?
103 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 20:16:18
>仇先生、それは時系列現象なので、答えになっていないと思うな。
ん?
>>96 はわしが書いたんじゃないけど。
>運動構文→認知構文→言語構文?
アクション・グラマー支持者はそうゆった思考法鴨しれねぇな。
言語学は月本の身体運動意味論は無視か?
>>103 > >仇先生、それは時系列現象なので、答えになっていないと思うな。
> ん?
>>96 はわしが書いたんじゃないけど。
嘘だー。もし本当なら、実にああ騙すだったな。GOODにゃ。
いまだに、デカルト二元論言語学派は体と認知機能は独立国家なのか?
よー、仇鱒、元気かー?
108 :
仇鱒 :2006/06/05(月) 20:26:49
>Wh移動とかないけど、いいの? ん?wh移動つーたって、そもそもwh句がオンラインでえっちらおっちら文頭@ cpスペックに移動しているわけじゃねぇぞ。つまり、次の文において、 what did 仇ちゃん buy △ at that guitar shop last Sunday? whatが△からえっちらおっちらリアルに文頭に移動しているわけじゃねぇぞ。 ま、何度もゆーよーに、生成はオンラインの文法モデルじゃなくてオフラインの 文法モデルだ。つまり、言語処理のモデルじゃなくてスタティックな言語知識の モデルだ。 >月本 誰じゃい、それ? >いまだに、デカルト二元論言語学派は体と認知機能は独立国家なのか? だーからー、生成つーかチョムは一元論だっちゅーに。今度出る 『言語科学の百科痔典』の顔餅のカキコを嫁っちゅーに。 >よー、仇鱒、元気かー? あい、元気でつ。でもなかったりして、、、。どてっ orz... てなことだが、またな。じゃ〜な。
ん、rodか? 下宿先で毎日やりまくりか?
>>66 >わしらがヤクをやったりすると
やっぱりそーなのか、納得
通報シマスタ
ま、仇の駒の振り方は面白い罠。
つーか、あれこれコマ振りに忙しくて、その分ドコモだけどな。で、 ドコモの分だけまた新しくコマ振るわけで大変だろうと思う罠。ま、 趣味だから文句はないけどな。
いいじゃねーか。あーやって出てきておもろい話してくれるんだから。仇先生さまさまさ。
オモロイ ト イエバ オモロイ ガ、 ソノブン エイリ デナクナル ノデ タイクツ ト イエバ タイクツ カモ。
事典モードから2ちゃんモードに切り替わっていないだけ。ま、このまま 事典モード優先で行っちゃうか、2ちゃんモード復帰か。そのへんがポイント。
事典なのか、辞典なのか。。。
呟娯痔填
118 :
仇鱒 :2006/06/06(火) 18:33:57
こんばんわ。ちょいとだけど書くな。 ま、気が向いたら書くという案配だ。ははははは。えっと、今日は英語の ジュギョーで天安門事件絡みの記事を扱った。で、その中に次のような文 があった。 Chinese police were poised in Tiananmen Square on Sunday to respond to any incidents marking the 17th anniversary of the military suppression of pro-democracy demonstrations. で、見てすぐ分かると思うが、Chinese policeは派生の途中でto respondの 直前の位置をエスケイプ・ハッチとして利用しているわけだ。ま、こんな↓感 じでな。 △ were poised (in Tiananmen Square on Sunday) Chinese police to respond to ... そんで、派生のある段階で、埋め込み節の主語位置にあるChinese policeが 主節の主語位置である△に移動するわけだ。で、それはええとして、問題は カッコの中にある要素だ。まあ、藻前らはもう分かってると思う が、このin Tiananmen Squareという場所副詞とon Sundayという時間副詞はともに アジャンクトだ。だから、おそらく派生の途中の段階でgtでもって統語構造に 入ってきているはずだ。つまり、次の (1)に(2)と(3)が派生の途中の 段階でもぐりこんでくるわけだ。 (1)Chinese police were poised to respond to ... (2)in Tiananmen Square (3)on Sunday さて、その時、はたして、(2)と(3)が(1)に潜り込む際にオーダリング とかあるのかな?まあ、in Tiananmen Squareが先に(1)に導入されよう がon Sundayが先に(1)に導入されようが、どっちにせよ イクステンション・コンデションは破るわけで同じであるわけだ。で、実際順番 はあるのだろう か?順不同でじゃんじゃん(1)に入り込んでいいのかな?ま、 そんなことを考えしまった英検5級の仇ちゃんが教えるエーゴのジュギョー だったりする。ははははは。
119 :
仇鱒 :2006/06/06(火) 18:34:41
>事典なのか、辞典なのか。。。 痔典でつが、何か? てか、昨晩ちょいと前に録画した性器末(←期間限定の復活祭のヤツ)のビデオ を見たのだが、やぱ、デーモソ閣下は歌がうまい。そして、演奏もピカイチ だ。 日本のヘビメタバンドではマジで1、2位争うな。ほんと、「蝋人形の館」は 最高だ。「蝋人形の館」つーてもジャケンドフのマダムタソーのことじゃ ねぇから。ははははは。ちゅーか、言っちゃあなんだが、B'ズ がおこちゃまに見 えるな。 あと、あれだ、案の定、今週末(金曜・土曜)○善で缶詰になることになった。 しんどいわ。そんで日曜日はガキの運動会だ。てか、なんで最近はこんな時期 に 運動会を開くのだろう。ワケわかんねーよな。そんでもって、おまけに 今度某市の市民相手に理論言語学のレクチャーをやることになってしまいそのための 準備もしなきゃいかんよ。やれやれだ。ま、仕事だ、しゃーない罠。ふ〜っ。
>順不同でじゃんじゃん(1)に入り込んでいいのかな そりゃーやっぱり文全体を把握してから発話するわけじゃないから語順の順に組み込まれるんじゃないっすか?
121 :
仇鱒 :2006/06/06(火) 18:53:11
>語順の順に組み込まれるんじゃないっすか? ん?語順?てか、統語操作に語順は関係ねぇぞ。ちゅーか、いちおー生成では ボトム・アップに統語構造が構築されると考えられているから、語順でゆったら 文末から構築されることになるわ。ま、それはともかく、言語処理と言語知識 は分けて考えんといかんぞ。 てなことだが、マンマ食ってくるわ。
>Chinese policeは派生の途中でto respondの 直前の位置をエスケイプ・ハッチとして利用している そうなん?元位置はどこ? Chinese police were poised t in Tiananmen Square on Sunday PRO to respond to ではないの?
またやっちゃったか 「いや、そんなことは分かっとるわ」
なんとなく仇の信頼性というか「大丈夫だ感」が薄れていく希ガス。なんとなくだが。
起死回生の反則技w つ Hornstein, movement and control
126 :
仇鱒 :2006/06/07(水) 06:16:58
おはよ。しゃーねーなー、釣られてやっか。
>Chinese police were poised t in Tiananmen Square on Sunday PRO to respond to
そもそもpoiseは「be poised to do」の形でよく使われる単語だ。で、「〜する
覚悟ができている」とか「〜する用意ができている」とか「〜する準備
ができている」とかそういった意味をもっているわ。で、わしは「be poised to do」
の主節と埋め込み節には何らかの結びつきがあると考えたわけだ。で、
その結びつきは主語の上昇によって捉えられると思ったのだよ。もちろんその
主語の上昇というのは、次↓のような感じな。
α be poised t/α to do
で、ここで出てくるのがt/αをどう考えるかだ。そこで出てくるのが
>>125 の
顔餅のカキコだ。ホーンスタインは、ま、知ってる香具師は知ってると思うが、
いわゆるコントロール構文をecm構文とパラレルに扱っているわけだ。つまり、
次の(1)と(2)を同じように扱ってるわけだ。
(1)We suspect 仇ちゃん strongly to be a liar.
(2)They persuaded 仇ちゃん eventually to take チョム's アホ講義.
そんで、いわゆるコントローラーはa移動した移動要素で、いわゆるPROはその
コントローラー@移動要素の痕跡だと考えたわけだ。厳密にゆーと、
ホーンスタインは、義務的コントロールの場合は、移動によって残された痕跡
がPROとしてカウントされ、随意的コントロールの場合は、移動によって残された
痕跡がproとしてカウントされると考えたわけだ。ま、考えるのは自由だ、
ホーンスタインの好きなようにやらせておけばええわ。で、この
ホーンスタインのアプローチをそのまま使えば、まさに
>>122 のような構造
になるわけだ。そういった意味では、誰の枠組みをとるかにより文の表面上の
構造が七変化したりするわけだ。ま、よーするに、考え方次第でどうとでも文は
料理できるとゆーことだ。
ま、そんなところだが、ほれ、エラソーにホザいてる
>>124 や、わしに絡
んでこんかい。あん?
いや、そんなことは分かっとるわ
>>126 > になるわけだ。そういった意味では、誰の枠組みをとるかにより文の表面上の
> 構造が七変化したりするわけだ。ま、よーするに、考え方次第でどうとでも文は
なんだか長屋の熊さん八さんか床屋の親父の政治談議みたいなんだな。
ソレ、科学?
あくまで仮説の一つってことだにゃ そのうちのどれが正しいorよりまともかは、その後のハナシにゃろ
百家争鳴ww そうなると、決着は誰・何が付けるんだい。 過去の例で論争がなにかの証拠で決着した例おせーれ。
>いわゆるコントロール構文をecm構文とパラレルに扱っているわけだ >(1)We suspect 仇ちゃん strongly to be a liar. >(2)They persuaded 仇ちゃん eventually to take チョム's アホ講義. ホルシュタイン説以外では コントロール構文とECM構文はどう違うことになっとんの?
132 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/07(水) 15:00:18
まだ
>>122 と自分の言ってることの違いがわかってないよね、仇。
>決着は誰・何が付けるんだい そりゃ俺に決まっとるがにゃ、にゃはははは ま、経験的に説明できることが等しいのであれば、より簡潔で一般性の 高い分析をよしとするのが世の常だにゃ たとえば下接条件のほうが個々の島の条件より正しく、指定主語条件や 主格島条件より束縛理論のほうが正しかろう、といった「塩梅」にゃ むろんそれらも絶対的に正しいわけもなく、さらに優れた分析を常に 求め続けるから生産性が保たれるわけにゃ 主語コントロールの場合でいうと Subj T [ tSubj V ... [ PRO T [ tPRO V ... が Subj T [ tSubj V ... [ tSubj T [ tSubj V ... と同じ扱いになるにゃ 上の例では目的語コントロールにゃから Subj T [ tSubj V Obj [ tObj T [ tObj V ... それが受動化して Obj T [ (Subj) V tObj [ tObj T [ tObj V ... だにゃ
>>130 生成意味論・解釈意味論とか
もっとも、理論というのは仮説の集合だから、
今うまくいってる仮説が別のものに置き換わる可能性は
いつもあるのだよ
実験科学的な証拠のことを言っているのなら無理。 論じて論が通って、論じきったほうが勝ち。 よーするに説明可能性を究めるというか。
>実験科学的な証拠のことを言っているのなら無理 仮説⇔統語の構造⇔文法性の判断 の図式になっていて中の「統語の構造」部分がブラックボックスなんだな。 仮説と文法性の判断とが合致するかどうかでブラックボックスを推測するのが理論の研究なんだな。 ?⇔ブラックボックス⇔丸い という関係でブラックボックスに何が入っているかを考える場合 ?=ボールとか?=りんごとかいろいろ考えられるんだな。 これと同じで言語の研究でも?(仮説)の部分が恣意的になる余地があるんだな。 「丸い」の部分のほかに「硬い」が加われば?=ゴムボールとか?=肉まんといった可能性は除かれるんだな。 でもブラックボックスに手を入れて触っているだけだと白いボールなのかドラゴンボールなのかは不明のままなんだな。言語の研究でもこれと同じで仮説にはネイティブの容認性の判定だけではなんともいえない性質があるんだな。 オッカムの法則とかそうなんだな。
>>133 > そりゃ俺に決まっとるがにゃ、にゃはははは
と笑ってみせながら、主観性の限界を感じている人はダンディだね。
> ま、経験的に説明できることが等しいのであれば、より簡潔で一般性の
> 高い分析をよしとするのが世の常だにゃ
>>136 > オッカムの法則とかそうなんだな。
剃刀男のぶっきら棒帳第2巻好評発売中?
なんか同じこと言ってる。いや、違うな。結果論か態度か。
Pluralitas non est ponenda sine neccesitate. OR Entia non sunt multiplicanda paraeter necessitatem. ?
僕の好きなのは"K.I.S.S." (Keep it simple, stupid !),
> 「丸い」の部分のほかに「硬い」が加われば?=ゴムボールとか?=肉まんといった可能性は除かれるんだな。
可能性を究めるってことね?地道に堀を埋めていく。そうすれば、曖昧さ・不確定さは減らせる。
> 言語の研究でもこれと同じで仮説にはネイティブの容認性の判定だけではなんともいえない性質があるんだな。
意味不確定だよ。ネイティブの判断だけでは確定しきれない仮説もあるって言ってるん?
ところで、上のブラックボックス的パラダイムだけど、仮説を立証する・否定するという
形式だけじゃないと思うよね、未知の変数を確定する方法は。実験科学の場合はそこに
制御の問題が来る。しかし、言語研究ではそうではないと思うんだ。
実験科学にしたって、予測・不測の事象が発生して論理的整合性が確定できるとか
言って誇っているけど、その制御されて生じた事象の解釈には結局また
> そりゃ俺に決まっとるがにゃ、にゃはははは
だと思うわけ。物だったら確かだなんて口が避けても言えないし。
ま、こういう話は胡椒みたいなものかも。「アフリカ象の耳はなぜ大きいんだろう」くらい。
>>136 > 仮説⇔統語の構造⇔文法性の判断
> ?⇔ブラックボックス⇔丸い
> という関係でブラックボックスに何が入っているかを考える場合
> ?=ボールとか?=りんごとかいろいろ考えられるんだな。
ここで話が少しずれとりゃせんか?
ちゅーか、仮説はブラックボックスの中身の推定に関わるものであって、
統語の構造に関する仮説は文法性の判断によるというのなら、違う書き方が。。
> 仮説⇔統語の構造⇔文法性の判断
というふうに3つの間に関係があるみたいな書き方は正しいか?それとも
それが、かの科学のパラダイムなのかいな。仮説もまた別の構造とか何とか?
> でもブラックボックスに手を入れて触っているだけだと白いボールなのかドラゴンボールなのかは不明のままなんだな。
手突っ込んどっても分からないこともあるという方が言いたいことだろう?
パンツの中?
ははははは。「僕」ちゃんじゃあるまいし。わしのパンツの中は確定しとるわ。
どーでもいいことだわさ。
ま、そー言うこと。
>>137 > なんか同じこと言ってる。いや、違うな。結果論か態度か。
結果論が今までふうの生成で、作業を進める上での基本的態度にしたのがミニマリスト。
いや、そんなことは分かっとるわ!!!!!
いや、まだまだ結果論型のベッカムだろ。
146 :
仇鱒 :2006/06/07(水) 20:18:52
こんばんわ。ちょいとだけカキコするかな。
>まだ
>>122 と自分の言ってることの違いがわかってないよね、仇。
そりゃ、わしは主節と埋め込み節をいっしょにして考えているのに対し
て、
>>122 は主節と埋め込み節を完全に切り離して考
えているからじぇんじぇん違 う罠。で、
>>122 のように主節と埋め込み節を
完全に独立して考える証拠とかなんかあんの?もちろん、主節と埋め込み節
をいっしょに考えた方がいいと いう積極的な証拠はわしも持っていない
が、
>>122 のように考えた方がいいという証拠があれば逆にわしは教
えてもらいたいわ。それはそれで興味深いか らな。
147 :
仇鱒 :2006/06/07(水) 20:19:40
まあ、あと、あれだ、理論というか仮説の優劣だが、正直データじゃ勝負 がつかないわ。じゃ、何が仮説の妥当性を決めるかとゆーと理論だ。つまり、 枠組み だ。この枠組みの中にはパラダイムのような社会の見えない大きな動 きみたいなものも入る罠。ま、そんなこんなで枠組みが変われば仮説の妥当性 も変わり、 パラダイムというある意味 時代が変われば理論の妥当性も変 わるというのがある。だからこそ、仮説を生み出す学問である科学は永久に不滅 なのだよ。終わりがないのだよ。人がこの世 からいなくなるまで仮説の妥当性の 検証は行われるのだよ。ま、そんなもんだ。 あと、あれだ、顔餅が解説してくれているから簡単に済ますが、なんで ホースティンの分析がそれなりに評価できるかとゆーと、PROなん つーワケワカンネ ーもんこの世から消すことができるからだ。ガラクタの整理 ができている分だけ分析そのものがスマートになっていると言えるわ。PRO なんつーのがあるか らワケワカンネー ナル・ケース(←究極のアホ仮説) なんかが出てきたりしてな。このナル・ケースを持ち上げたラズニクもアホ。 ま、gbの枠組みで則してゆーと、PROセ オレムなんつーアクロバティック なものが出てきたしな。まあ、PROセオレムは理論構築におけるアウフヘーベンの 一例として、わし的には面白いと思う。 ま、そんなこんなで、ホースティンの 分析をとればPROが絡むモロモロの問題が一気に消滅できその意味ではイケ てるのだよ。ま、そんなところだ。
148 :
仇鱒 :2006/06/07(水) 20:20:25
>>136 ちょいと喩えがイクない。その気になったらわしがもうちょい分かりやすく解説
してやる。てか、
>>136 は山下清ぽいんだな。うん、そうなんだな。ちな みに
山下清は貼り絵サヴァンなんだな。
>いや、そんなことは分かっとるわ!!!!!
わしの断りなしに「いや、そんなことは分かっとるわ」は使わんヨーニ。w
さて、マンマくってくるわ。
そんなことより、生成系が提示する文の適格性が異常過ぎるのだが。 適格とされてる文をインフォーマントチェックしてもらったら、全員、 「そんな言い方しない」「文法的におかしい」。 こういう場合、どっちに基づいて分析すればいいんだ?
どっちも当てにならないと結論せざるを得ないだろう。 検証能力の有無を理論・非理論問題に摩り替えているのは誰だ?
ぼ、僕は何にも悪いこと、し、していないと思うんだな、で、でもみんなが、 ば、馬鹿だとか言うので、み、み、みんなは僕みたいじゃないので、ぼ、 僕はや、やっぱり馬鹿なんだな、き、きっと。 と、ところで、完全にど、どうしようももなく不適格な文の適格度をゼ、ゼロ としたいんだな。で、そ、それでもってだな、完全適格な文の適格度を1 と、す、するとして、ん、するんだな、仏さんもそうい、言っていたんだな。 で、い、今、ここに5本の文があって、そ、それを適格度で表わすとす、する。 0文A 0.2文B 0.5文C 0.8文D 1文E で、で、そ、それでも、もってだな、そ、それを並べて順に適格かどうか聞くとき に、に、ABCDEと並べて聞いたのと、た、例えばEBDCAと、き、聞いたのでは、 そ、それぞれの適格度の評価は、か、かなりズレルんだな。そ、そういうこと、 え、えらい学者の先生たちは、わ、わかってるにき、決まってると、お、思うんだな。 ぼ、僕はあ、あんまり頭よくないから、そ、そんなこと当たり前だ、とお、思うんだな。
152 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 06:08:38
おはよ。なんかシロートがふきだまってるよーだがちょいと相手
になってやるわ。
>>149 >そんなことより、生成系が提示する文の適格性が異常過ぎるのだが。
そんなこたぁ分かってるわ。ちゅーか、わしは昔からそれについては嫌とゆー
ほど論じてきたわ。ぶっちゃけ、生成で言われているよーなジャッジは生成
やってる香具師しか出なかったりするわ。もっとゆーと、mitとかユーコン界隈
でしか出ないようなジャッジがあるわ。まさに、ローカル・スペシフィック
であったり、もっとひどいとインディビジュアル・スペシフィック
であることがあるわ。ようするに、ペーパーを書いた香具師しかokと判断
しないようなジャッジはうじゃうじゃあるわ。でも、それで通用してしまう世界
なのだよ。生成が科学ぽいと言われるが、やはり根底のところはブンケイのお
花畑ガクモンで文学作品の解釈にちかいものがあるのだよ。まあ、それだけ
ジャッジメントつーのはあてにならないしかなり恣意的ものであるのだよ。
まさに、ジャッジしたもん勝ちというところがあるのだ。わしはそれじゃダメ
だとゆっているのだよ。そんで、いい文だけで理論を構築
すべきだとゆっているのだよ。まあ言いたいことはもっとあるが、実
はちょいと今ガッコウのお仕事絡みで錯視についてちょいとベンキョー
ぽいものしているのだが、それと絡めて文法性について今度語ってみたい。前
スレでも錯視についてちょいとハナシが上がっていたが、いやはや、錯視の深
さと面白さに開眼しはじめている仇ちゃんでつよ。ま、そんなこたぁどー
でもええが、生成のジャッジに関してゆーと、科学に必要に「再現性」を甚
だしく逸脱していると言えよう。もうちょっとだけゆーと、とくに解釈の
ジャッジについてはかなり怪しい。つまり、スコープ絡みのジャッジだ。正直、
わしはスコープ絡みのペーパーはまったく信用していない。ま、
とりあえずそんなところだ。
153 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 06:09:16
>>150 >検証能力の有無を理論・非理論問題に摩り替えているのは誰だ?
ピエ〜ル・デュエムでつが、何か?
>>151 キター!!!!!!!!!山下清降臨!!!!!!!www
>そ、それぞれの適格度の評価は、か、かなりズレルんだな。
山下清のゆーとーり。ジャッジしてもらいたい文を最後にもってきて、
メチャクチャな文から順次しめしていけばそのジャッジしてもらいたい文も<
相対的>によくなってしまう。<絶対的>にはダメだけど<相対的>
にはよくなってしまうのだ。でも、それはある意味いいことなのだよ。なぜかと
ゆーと、文法性というのはある意味相対的なものだから。でも、
そうはゆっても、絶対的な悪さと相対的な悪さの違いについては、
これはこれでしっかり考えないといけない。で、この手のハナシは確か赤い
表紙のイクスメンタルなんたらこんたらとゆー本にいろいろ書いてあるわ。
もう10年ぐらい前の本だ。
えっと、今日は夕方空手教室あるから夜は出ない鴨しれないし、出る鴨
しれない。気分しだいだ。
154 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 07:41:57
失禁前に一言書いてやるわ。 えっと、マ〜フィ〜の法則に次のようなものがあるわ。 Assumption is the mother of all screw-ups. ま、必ずしも科学にはあてはまらないが、理論@科学は仮説の集合体であり、 科学つーか理論は常に未完成でありかつ発展途上であり、そして常に失敗の繰 り返しであることを示唆しているとも言えような。ははははは。 ちゅーか、あれだな、m哀tやらどこやらのアホロンブン読んでる暇あったらマ〜 フィ〜の本読んでる方がずっと人生の糧になるわ。いや、マジでアホチョム のくだらん文章舐めるように読んでる暇あったらマ〜フィ〜本舐めるように読 んでる方がええわ。ま、人生とはそーゆーもんだ。ははははは。 さて、今日も一日がんがっておちごとしてくっかな。ははははは。
だが、理論だけでバタバタやってるわけではないのがフツーの科学。 理論しかないのは科学と言うのか。。 しかも、理論内部ではっ倒しあってるようなのを?
事象だ、事象!!肝心なのは事象だ!わはははは。
>錯視と絡めて文法性について今度語ってみたい。 もしかすると、これは非常に重要なことかもしれないぞ。 何が重要なのか知らんけどな。
ジャッジメントや検証の信頼性の問題は深追いしてもしょうがないような気もする。 ネイティブの判断でマズイ点は多々あるが、結構、これは一筋縄ではいかない話 だと思う。 言語は、実際の使用においてはある種主観的な体験なのだと思う。それぞれの人 の意味において話し、それぞれの人の意味において聴く。だから、その文の適否は 基本的に個人的・主観的でいいんじゃないのかな。 ただし、こういう主観性は、話者=主観的評定者、聴者=主観的評定者のときは それが自然なので当然肯定されるべきなのだが、言語研究者=主観的評定者で あるのは、やはり科学として問題だと思う。だから、研究者はなんらかの形で話者 や聴者の主観を客観的に拾い出す方法を確立しなければならないのだと思う。 山下清の例で言えば、適格度の値が実は0.4なのに系列位置によって0.9とか 場合によっては1.0に評価される場合が問題なんだよね。0.4が0.5になるくらい なら問題は小さいけれども。 もっとも、話者=主観的評定者、聴者=主観的評定者という考え方は語用レベルの 問題であって、言語の基本的構造推移のレベルの問題ではない!という意見もある だろうね。おそらく、言語が普遍的に存在するシステム(脳の中?)だと考えれば、 話者=主観的評定者、聴者=主観的評定者は語用レベルなのかもしれない。 だとすると、ちょっと困る気がするんだけど違うかな?語用レベルの主観的評定者は 自然の姿であるが、言語の基本的仕組みについての判断を、そういうレベルの評定者 が判断することはどこかで筋がずれている。蓼食う虫も好き好きで、恋の主観性を どうこう言っても無粋なだけだが、同じ主観性で国家レベルの政治や、科学の対象を 論じるのは、ちょっとマズイよね。その辺りにチョムスキーのレトリックがあるのかも。 つまり、ネイティブの判断は一種の主観で、主観を科学的に把握する方法を通じて 学問レベルの判断につなげられるが、ソノママではあくまでも個人の主観。 評定者主観をいかに客観的価値たらしめるかが、精神物理学測定法の主目的だった から、刺激の提示順序などについては当然いろいろな方法論がある。それを使おうと 使うまいと、とにかく「一ネイティブの判断は一主観」からスタートすべきかも。
>その辺りにチョムスキーのレトリックがあるのかも。 つまり、本来、個人的体験の強い言語についての判断を個人的判断に頼る 理由付けとして普遍文法があると言わざるを得ないという批判かな?
いいえ、そこまで幻想だというつもりはないのです。ただ、主観なら主観でいいのだけど、 それを客観化することをもう少しマジに考えると、いろいろ豊富なデータが得られるかもね、 ってだけ。
>>159 どうしてそうなるのだ?文法が普遍的であるなら、ネイティブの主観が
実は普遍の反映だと見なせるという論法があると?
それはチョムスキー先生にでも聞いてくださいな。きゃはは。
ボ、僕にはよ、よくわからないけれど、言葉はか、神様がくれたものだと ぼ、僕のおふくろさんが、し、死ぬ前に言い残してい、いったから、ぼ、 僕はそれを、し、信じるな。うん、言葉も絵もこ、こんなにシッカリ 見えてるので、そ、それを疑うな、なんて、で、できないな。ば、バカ だな、僕は。き、きっとそうなんだな・・・
きよし、ウザイ!
質問 1、なぜネイティブの判断は主観的なものだといえるのか? 2、判断が主観的個別的ならば文法理論は誰の文法性の判断をもとに記述するべきなのか? 3、(前略)主観的ならば「この文は文法的だ」という文は何を表しているのだろうか? 「俺の中ではこの文は正しいと思う」という意見の表明でしかないのか?
で、でも、ぼ、僕はお寺のお、和尚さんに共同主観性っていうものがあ、 あって、それを認め合うのがた、大切だと教わった。木も虫も花火も花も み、みんな気持ちがあって、み、みんな生きているんだな、そ、そうなんだな。
>>165 一次回答
> 1、なぜネイティブの判断は主観的なものだといえるのか?
個人のものだから。個人で食い違うから。言葉が普遍でも使用は個人だから。
ただし、表現している内容、対象にも多少影響されるかも。
> 2、判断が主観的個別的ならば文法理論は誰の文法性の判断をもとに記述するべきなのか?
主観でいい。ただし客観化された主観。これは語義矛盾かもしれないが、当面の有効な妥協策。
主観や主感を言語的には客観化できないと考えてしまうとクォリア困ったことになりそうだ。
> 3、(前略)主観的ならば「この文は文法的だ」という文は何を表しているのだろうか?
さぁ、それは個人の中に普遍があるという思想を持つ人にきくべきかも。
> 「俺の中ではこの文は正しいと思う」という意見の表明でしかないのか?
そうだけど、それを軽視すべきではない。どうやって、それを普遍に近づけるかだと思うけど、
まあ、一次回答は一時回答だから、よく考えずに言ってみるテスト。
主観を最初ッから普遍の代表者だと思うのは、ドグマティーク。
もう、飽きてきたけど、例えば、 評定が評定者によってバラツクのはどういう構文のときか? というデータだって面白いでしょ?そういうの、あるよね、きっと。
このスレのやりとりが後に言語学の有力な部門となる「文法性判断統計論」のきっけけになるとは誰も知らなかったのであった。
ぎゃはははは。いや、統計生成言語学かもww
きっけけ け?
(前略)というところが何とも言えない奥ゆかしさだが、 > 主観的ならば「この文は文法的だ」という文は何を表しているのだろう こいつはなかなか良いサイケ的問題設定というか、アレだな、ほれ、 ここ掘れ、わんわん、かもしれないな。
>153 出る鴨 しれない。 出る鴨は撃たれるww
キムチでも喰ってろ、ヴォケ
チラシの裏の謬想。 文法的か(あるいはさらに広げて何が正しいかという規範)どうかは「ネイティブの判断の多数決」であるとする。 この定義だとら抜きは若い世代では文法的であり、 と抜けは関西弁では文法的であることになる。 ここで問題になるのは「多数決の参加者の変動」である。 大災害で日本の人口が数百万になりその生き残った人が大部分北海道の人であったら 北海道の方言が文法的となり他地方の言い方は誤用(あるいはそれに近いレベル)になるのか? 定義上そうするしかあるまい。これは極端に言えば「人が死ぬ=文法が変わる」ことを意味する。 さらに言えばネイティブが絶滅した言語(例えば古語)では多数決の参加者が存在しないので 文法的かどうかという概念は意味を持たない。 「古語に正しいもクソもない」ことになる。 その言語をおぼえた言語学者が判断をすること、当時はどのような多数決が行われたかを再現はできるが 日本人がヒンディー語の判定をするのと同じ「仮ネイティブ」の判断、あくまで推測でしかないので 信用できないといえばそれまでである。 ネイティブの判断との照合の繰り返しで仮説を磨いていくのが生成文法の研究法であるが古語ではそれができず、 「古語は生成文法の研究の対象にならない」(あるいは二級の扱い)ことになるだろう。 とすれば古語の体系を演繹する理論もなく、 「普遍文法から多数の自然言語が派生するがその理論は一部の言語にしか存在しえない」 といういかがなものか的な状況に陥る。
で、チラシの表には何て書いてあるんだ?
>>178 文句はないんだけど、けちな茶々だけ入れさせて栗〜
昔、TVで織田信長と明智光秀の性格検査結果っていうのやってた。
最初、信長と光秀は全く違う性格で比較的うまく行っていたが、そのうち
光秀が信長に影響されたのか信長型になったから争うようになって本能寺。
今の日本疱瘡協会の怠惰ドラマでは最初のままでうまくいかなくなった筋。
ところで、どうやって灯台の心療内科は信長と光秀の性格検査やったか?
傍証があったから。たいして信憑性はないが、戦の仕方や種々の発現から
そのように、「信長や光秀になったつもり」で性格検査をやってみたそうな。
疑似ネイティブの話よりまるっきり低次元だが、どこか似ているかもな。
死語だと、もう新しい文例は生じないという前提だろうね。だとすると、 寧呈部は居なくなって、文例は文献の中にしかいない。だから、そういう 古文書のなかに文例があるかどうかしか検討できない。それは何も生成的 方法論に限った問題でもないのじゃないかと、ま、岡目八目。
巨大な文例データベースがあればネイティブは要らないのか?それでも、 過去の文例だけでなく新しい文が可能かどうかは問われるのではないのか? 知りたいのは既存文例の有無だけでなく、仮説に基づく新しい文の判定では?
>>177 仇鴨入りのキムチww なんかしらんが美味そう。
まとめろ
的mellow〜 てか、まとめは合鴨が今頃よーく準備していると思う人、手をあげて! はい! 関係ないけど、合鴨農法って知ってる?合鴨は稲を食べず雑草や害虫を 好んで食べる。その糞は肥料になるし、合鴨はあとでキムチに漬け合せて 食っちゃう。その上、水田で飼うと水掻きで水をかき回し水の酸素濃度 をあげるので稲の生育を二重に三重に助ける。なかなかいい鴨〜
いや、もしかするとお前は俺かもしれないぞ。 主観なんてだいたいそんなレベルのことだよ、きっとな。
出る鴨は食われるww
文法性判断タスクとかになると、いよいよ心理テスト構成理論みたいになるね。
それは会話レベルのお話しだろ? アーキタイプとしての深層言語学とはまた別のお話し。
そうかな?
192 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 21:32:53
こんばんわ。なんかわしがおらん間に勝手にキムチ鍋の具 にさせられちまったが、ま、ちょいとだけ書くな。 えっと、前にもちょいと触れたが、結局は言語直観の被験者にあたるネイティブ とは誰のことを指すのか、という問いに尽きるのだよ。で、ぶっちゃけ、生成 では、そのネイティブというのは生成をやっているケンキュウシャ になるわけだ。そんで、哀しいことに、この生成をやっているケンキュウシャと 一般ピーポ ーではジャッジがかなり違ったりするわけだ。ぶっちゃけ、gbの 頃のデータならまだ一般ピーポーとジャッジがそこそこ合っていたが、正直、 ミニマリチュ ムになってきてからはほとんど一般ピーポーとジャッジは合 わないと言っていいと思う。それは、おそらくだが、gbで生成はコアな仕事 は全てやり終え、今 はよくわからんデータを相手にしているとゆーのが多分 としてあると思う。そんで、もしネイティブというのを生成のケンキュウシャ でなく一般ピーポーに限 定すると、100%生成はもうあぼん♪だと思う。逆に ゆーと、ジャッジをケンキュウシャだけに任せている限りにおいてはいくらでも 生成は延命できロンブ ンも量産できる。ま、そーゆーものなのだ。
193 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 21:33:35
そういう意味でも、生成をゾンビにさせるためにはジャッジはケンキュウシャの 専売特許にする必要がある。そして、ケンキュウシャのジャッジは正直かなり 怪 しい。で、この怪しさをデュエムの観察の理論依存性でもって正当化 しようとしている。てか、わしがそのような正当性を仇本でしているのだが (ワラ)。 ただ、デュエムのいうようなことは実はハードサイエンス のようなものには言えるのであり、生成のようなソフトサイエンスには適用 できないというのがわし 的にはある。まあ、この辺りのことは語ろうと思えば スレ一つ分語り倒すことができるが、つーかこれまでしてきたが、結局は 方法論の問題にいきつくのだ よ。で、これまた前にもゆったように、内省に ハード・ディペンドする、このような時代錯誤的な方法論をとっている生成的 アプローチがそもそも科学的に許 されるのか、とゆーのがあるのだよ。ま、 わしに言わせると、前にもゆったように、内省は結局は単なる自己申告であり、 行動主義を一人称化しただけのもの に過ぎず、チョムが倒したつもになっている 行動主義のまねごとを結局繰り返しているのだよ。ま、生成意味論を倒して、 結局は今頃になって生成意味論のま ねごとをやっているのと根は同じだ。と、 こーゆったことを書くとたぶん顔餅が何かカキコミすると思ふ。ははははは。
194 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 21:34:17
ま、ちょいと空手教室でガキといっしょになってハリキリ すぎたのでこれにておちまいだ。ちょいとお風呂入ってくるわ。ふ〜っ。 あ、そーだ、凍結されていた串國への円借款がまたはじまるようだな。ったく、 何考えているんだか、、、。今度は740億円だぞ。ナナ・ヒャク・ヨンジュ ー・オク円だぞ、、、。ったく、言いたかないが、串國に740億円もカンパ するんならドブに捨てろや。その方がまだいいわ。ったく、、、。今度何 かの本 書くことあったら「あとがき」で円借款についてボロクソ書いてやるか な。ったく、、、。
196 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 21:41:19
は、はや、、。もうレスついたのか、、、。 >つ 事典 痔典に「あとがき」はないっちゅーの! てなことで、マジで風呂入ってくるわ。
右翼雑誌に投稿しれ。
>>193 > 行動主義を一人称化しただけのもの に過ぎず、チョムが倒したつもになっている
> 行動主義のまねごとを結局繰り返しているのだよ。
ぷっ(~*~)
どこか公式の場所(論文・評論・事典)で使ってたらゲンバクパトリオット打ち込むww
原爆投下は痛ましいことだったが、人類の暴走を食い止める砦として 必要なことなのだったと思う。事実、その後は一度たりとも原爆は落ちていない。
厳罰だったww
201 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 22:02:09
さて、お風呂から上がってきますたよ。ちょいとだけ釣られてやっかな。 >右翼雑誌に投稿しれ。 ま、投稿するならサヨク雑誌に投稿してやるわ。ははははは。 >ゲンバクパトリオット打ち込むww 残念♪2ちゃん用のネタだからゲンバクパトリオットの餌食にはならん。 ははははは。 まあ、でもなんだな、チョムは構造主義つーか行動主義に「こころ」を復活 させたというか「こころ」を呼び戻したわけだが、「こころ」を内省ならびに 心的器官というレトリックで導入したのが果たして正しかったのかどうか未 だにわしには疑問だ。 >人類の暴走を食い止める砦として必要なことなのだったと思う。 ヴァカなことホザいてんじゃねぇーよ、ヴォケが。いい気になってサ ヨってんじゃねぇーよ、このヴォケが。
気のせいか挑発されとるような・・・
>>201 > まあ、でもなんだな、チョムは構造主義つーか行動主義に「こころ」を復活
> させたというか「こころ」を呼び戻したわけだが、
ぷっ(~*~) 復活じゃなくて、行動主義がわかっていなかっただけだよ。
チョムをソレで批判しているらしい誰かさんと同じ。
> 「こころ」を内省ならびに心的器官というレトリックで導入したのが果たして
正しいわけないよ。エホバ戻したみたいなものさ。もちっと、洗練された形で
戻してほしかったな。やるならやるで。ま、今やどーでもいいけど。
203 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 22:15:21
>気のせいか挑発されとるような・・・ 気にせんでくれ。いつもの仇ちゃんだ。 >チョムをソレで批判しているらしい誰かさんと同じ。 ん?誰だそれは? >ま、今やどーでもいいけど。 いや、どーでもよくねぇぞ。ちょいとハナシずれるかもしれねぇが、 そもそもこころの存在を今まで誰も証明できてねぇんだからな。 そのあるだかないだかワカランものをベースにしてこれまで生成ならびに 心理学は発展してきたわけだ。自滅に向かってな(ワラ)。てか、心的器官 である普遍文法にせよこころにせよ、どうやったらその存在を証明できるや? あん?正直わしにはその証明方法が思い付かないのだよ。誰でもええから、 こころが実在することを示す方法を教えてくれや。
また挑発されとるらしいな、どうも。(いや、気にしとらんわww <- variationつけてみた) 心が実体だと証明した者なんていないし、これからもいないね。歴史的にも 新書でもいいから心理学入門読んでみれば、心理学は「心・魂なき心理学」 として出発したんだってワカルと思うんだけどなあ。習ったんじゃないの、 大学で心理学の教授一杯いてさ? 実体としての心の否定から心理学は始まったし、今もそうなんだがな・・・ フロイトやらユングやら今の日本にはびこって心を売り物・食い物にしている 連中が誰かさんにとっては心理学だというわけでもあるまいに。 (~*~)ぷっ
わしが言っているのは、そーいう意味じゃないんだよ?
206 :
仇鱒 :2006/06/08(木) 22:36:52
>いや、気にしとらんわww 先にいわれてしもーた。 >心が実体だと証明した者なんていないし、これからもいないね。 だよな。だから、あくまでもこころは希望的観測対象であり、 「こころがあるとしたら何が言えるか」というテーゼの中ではじめてこころは 「実在」しうる代物だ罠。生成も同じことなのだよ。「普遍文法 があるとしたら何が言えるか」というテーゼの中でのみ普遍文法は「実在」 しうるのだよ。 >心理学は「心・魂なき心理学」として出発したんだってワカルと思 うんだけどなあ。 わりぃ、それ知らんかったわ。てか、もう20年も前のことだから記憶完全 にふっとんでるが、「物理学」が「物の理(ことわり)を扱う学問」 であるのと同じく「心理学」も「こころの理(ことわり)を扱う学問」だと考 えていたわ。だから、心理学は「こころ」はあるという前提で学問が構築 されていると思っていたわ。 ま、そんなところだが、そろそろ酒飲んで寝るからよ。明日も朝早いしよ。 じゃ〜な。おやつみ〜♪
心理学は一人称の内観からその歴史をスタートした。 それを批判したのが三人称の行動主義。
208 :
/ :2006/06/08(木) 23:18:08
仇鱒さん、 言語学が記述しようとしているのは、言語学者の頭の中にある言語知識では なく、言語学とは無関係の一般の人たちの頭の中にある言語知識ですから、 言語学の理論構築は、後者に関するデータに基づいて行なわれる必要が あります。極めて単純な理屈です。この理屈を否定できるというなら、 日本語でこそこそ(?)書いていないで、英語で書いてください。
物理学と対比したところはおおいによろしい。「こころの理」もまぁまぁよろしい。 だが、その「こころ」は実体として扱われてきたわけではないようだよ、残念ながら。 今や古き懐かしきヴントですら、意識体験とか言っていたが、それは実体としての心 ではなくて、物と接する生き物の物への対応ちゅーか関わりちゅーか志向的何か でしかなかった。心が実体であるかのように考えたのはフロイトとその亜流くらいで、 後は純朴なアメリカンの本能論くらいだろう。W・ジェームズだって意識だったのさ。 心的器官というのが何を意味してるかよくわからないけど、最初に聞いたときには、 どういうこっちゃ?と思ったな。おそらくは、脳という「器官」が心であるという不鮮明 な混同だったろうと思う。しかし、その辺りから認知心理学にも変質が生じて、意識 のより機械的な仕組みの解明であったものが、いつの間にか心実体論化してきた。 今や、その勢いはかっての認知心理学をはるかに超えた大運動になっている感すら ある。まぁ、世界中が心実体論になっても、こちとら節は曲げないな。 よーわからんが、生成の方法論と「心的器官」論とは既に乖離し始めている気配が あるよ。「心的器官」という言葉の代わりに「脳」になった。それはそれでまぁまぁいい ようなものだが、根っこにユダヤ主義的「心実体論」があるのはどーしようもないのだ ろう。。進化論ももともと「心」を実体として捉えたりはしていなかったはずなのだが、 最近の雰囲気の中には、心実体のすり替え代用品として脳進化を考える向きもある ようだ・・・ニヒリスティックでヒステリックに笑いたくなるよ、全く。ははははは、だな。 ヴント、ミショット、ギブソンも志向的意識内容をどう「心実体論」から切り離しながら 行動主義一本槍では片付かない意識内容の科学を立てられるかという挑戦だったが、 いつの間にか(特に日本ではそうだが)、心実体論的方向に歪められてきている。 いつになっても終わりの無い水掛け論なのかもしれないね。ただ、心実体論からは、 心がらみの現象を確率的に扱うことの正当性は出ないと思う。古典力学の世界に 確率が本質的な意味では要らなかったように。 だが、はっきりしているのは、実体として心は実証されないという点だ。物でないからな。
>>208 > 仇鱒さん、
> 言語学が記述しようとしているのは、言語学者の頭の中にある言語知識では
> なく、言語学とは無関係の一般の人たちの頭の中にある言語知識ですから、
と仇も思ってるのじゃないかな?
> 言語学の理論構築は、後者に関するデータに基づいて行なわれる必要が
> あります。極めて単純な理屈です。
そのとおり。単純なりくつでつ。だが、そのデータの信頼性を問題にするという
ような話だったような気がするが。。誤解かな?
> この理屈を否定できるというなら、
> 日本語でこそこそ(?)書いていないで、英語で書いてください。
英検5級ですからwww
211 :
/ :2006/06/08(木) 23:28:33
お、そうだったな。レトリックに責任取るのは仇の仕事だな。ははははは。
心神耗弱か脳分裂病で責任能力あるかどうかが争われそうな悪寒ww
>心が実体であるかのように考えたのはフロイトとその亜流 おまえみたいなチンカス蛆虫が、なに調子こいたヴォケかましてんだ。 フロイトは心を実体として扱ってないわ、学部一年新書小僧が。 フロイトの提唱した構成概念をあたかも実体であるかのように読み取ってしまう アホヴォケ蛆虫が未だにうじゃうじゃしているわい。
なんや、相手のレベルに合わせて分かりやすく言ってやったのにな。 ま、それなら話が早い。心実体論はチョムだけになったわけだな。OK〜 で、どうするね?
まだ寝てないのなら、ついでに聞くと、フロイトの構成概念て何やな?
217 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/09(金) 00:49:56
なんかすごい深い話になってるけど、もっと単純に書かせてね。 適格文とされている文がある→どー見てもおかしい→ネイティブ数人にチェック! →みんな「ソレ、おかしいネ」 だったら、やっぱその文は不適格文でいいんだよね。
仇はチンの蛆虫飼ってるのかww?
>>217 > 適格文とされている文がある→どー見てもおかしい→ネイティブ数人にチェック!
> →みんな「ソレ、おかしいネ」
さぁ、数人でいいかどうかは文次第だな。対象の質を考慮せずに、何人いればいいのか?
って質問するのは統計学の入門者に多い傾向だね。まさか、そうではないでしょ?
フロイトの提唱したことは、人の行動痕跡を構造論的手法によってモデル化するということ。 簡単に言うと、行動の背後に潜在する構造を炙り出すことだ。 問題は、彼が少数のバリアントからのモデル構築であったことで、彼の手法自体は妥当なものであった。 たとえば、フロイトがお手本にしたニュートン力学での重力という構成概念に対応する概念として、 リビドーというものがあったし、作用反作用という力の概念は、エロスとタナトス、衝動と防衛などでモデル化されている。
>>220 > フロイトの提唱したことは、人の行動痕跡を構造論的手法によってモデル化するということ。
> 簡単に言うと、行動の背後に潜在する構造を炙り出すことだ。
なるほど、これはよさそうだね。種々の問題になるような行動の原因を求めた。
だが、その構造が何だったか、どこに想定されたかだね、問題は。フロイト自身も
初期と晩年では大きく変わっているようだし、まして、晩年の思想の取りまとめに
功のあったアンナとも異なっていた。フロイト自身は考え方が誰かさんみたいに
変遷しているので、批判も賞賛もされにくくなっているのは、その辺があるからかも。
> 問題は、彼が少数のバリアントからのモデル構築であったことで、彼の手法自体は妥当なものであった。
理論立てはよくて、手法がまずかったのとちゃうんかいな?ま、言葉尻だけど。
> たとえば、フロイトがお手本にしたニュートン力学での重力という構成概念に対応する概念として、
> リビドーというものがあったし、作用反作用という力の概念は、エロスとタナトス、衝動と防衛などでモデル化されている。
余りに単純化されている対応付けだと思うけど。また、フロイト自身がそう企図した
とおりに、彼の思想が成立したか、というとまた別問題だね。
ま、どーでもいいけど。私は
> 簡単に言うと、行動の背後に潜在する構造を炙り出すことだ。
というフロイトの信者でね。だが、多くのフロイトの弟子や共同研究者同様
(それほどエラカナイが)それから先についてはいろいろ疑問があるわけ。
君もフロイト・ファンなら仲良くする? (~*~) ぷはっ。
字自慰いいかげんにしろ
爺が出てきてこんばんわ。坊ちゃん一緒に遊びまひょ〜 てか、言語学にあまり関係ない話になってきたのは認めます。はい。
行動主義はブラックボックスを無視する戦略をとったが、 フロイトはブラックボックスをモデル化しようとした。 構造主義の文脈にフロイトが位置付けられるのをみればおわかりだろう。 精神(言葉)を生じさせ、それが自在に動き出す味の素を探ろうということだ。
>>224 おいおい、いつまで遊ばすんじゃい?
> 行動主義はブラックボックスを無視する戦略をとったが、
そりゃ初耳だ。精神たらは最初は無視しようとはしたが、ブラックボックスはどーこー
してないよ。こーどーはしたけど。
> フロイトはブラックボックスをモデル化しようとした。
結構だね。というか、モデル化ってのがブラックボックスを要求する傾向にある。
> 構造主義の文脈にフロイトが位置付けられるのをみればおわかりだろう。
それはちょいと奇論かも。構造主義の方でフロイトを欲しがったのかもよ。
> 精神(言葉)を生じさせ、それが自在に動き出す味の素を探ろうということだ。
さて、これには反応しにくいな。
精神(言葉)
こういう大胆ダイナミック大冗談に構えた語に対しては反論も賛成もできないよ。
しかも、その何だかを<生じさせ>るものって何だろな?
爺ぃいい加減にしろ!? 若いんだけどな・・・
黙れ、厨房!
おっかないなー。でも厨房じゃないよ。キッチンとしてるよーちえん1ねんせい。 今日はいろいろ忙しい日だったが、その割りにいろいろ教えてもらって嬉しいわ。 なかなかいい一日だったよ。「文法性判断統計論」は特に笑った。是非、検討されたし。
なんだ馬鹿か
ややや、今日一日ここで学んだ内容が<馬鹿>だとどうしてわかった? うううむ、侮れんww
また馬鹿発見
監視されとるにゃ。
監視しとるにゃ。
endless...
じじいって誰のこと?
シャチ猫と一人称の行動主義者を操る潜在因子
ああ、中のヒトか。
じいさんなんだ?
よーわからん。
こら
コラって面白いよね。
241 :
仇鱒 :2006/06/09(金) 07:26:23
おはよ。
まーた、すんげースレがのび太くんだな。ちゅーか、スラッシュ氏にどうも誤解
されてしまったようだ。いや、マジなハナシ、わしの真意は
>>210 にある通
りなのだよ。で、実際、わしは
>>193 で書いているように、そもそもデュエムの
観察の理論依存性なんかはハードサイエンスには適用可能だが生成のような
ソフトサイエンスには適用できないとゆっているのだよ。だからこそ、データの
ジャッジはケンキュウシャの専売特許にすべきではないとゆっているのだよ。
ようするに、理論を知らない一般ピーポーのジャッジでもってちゃんと仮説
をつくりその仮説をもとに文法モデルをつくるべきだとゆっているのだよ。
ただ、それをすると生成は完全にあぼん♪でロンブン書けなくなるぞと現状
をゆっているのだよ。ま、よーするに、わしは中道右派だけあり、かなり
保守的な人間である。だからこそ、スラッシュ氏と考えが同じで、データつーか
ジャッジは一般ピーポーから採取すべきだとゆっているのだ。つーか、もっと
ゆーと、ケンキュウシャだけはジャッジしてはいけないともわしは思っている。
というのも、ケンキュウシャがジャッジしてしまうと絶対にロンブンに都合
のいいジャッジをするからな。ま、それを表す良い例はもうそこら辺に
ウジャウジャあるわ。もっとゆーと、ケンキュウシャ(兼ロンブン執筆者)が
ジャッジをするというのは、被告と弁護人が同一人物みたいなもんでまともな
ジャッジができるわけないのだよ。だから、上で書いたように、ケンキュウシャ
つーかロンブン執筆者だけはインフォーマントとゆーかジャッジ
をしてはいけないのだよ。で、生成はこれまでこの本当はしてはいけないことを
生成という特殊な学問とその文化により容認されてきたわけだ。そんで、
わしは、それはマズイから即刻止めるべきだとゆっているのだ。
242 :
仇鱒 :2006/06/09(金) 07:27:39
あと、あれだ、実は上でというか、これまでわしがココで書 いてきたようなことを、7−8年ほど前かな某ジャーナルに出したことがある。 そしたら、「それはちょっとうちと毛色が違うから」というのでたらい回 しにされ、結局ボツになったのがある。そしてもう諦めているときに、nllt から例のラピンらのロンブンが出たわけだ。マジでその時わしは 「やられた!」と思ったわ。しょうじき、nlltにロンブンをサブミット すればいいなんてこれっぽっちも考えていなかったからな。(ココだけの ハナシ、ラソゲージ&フィロンフィーにサブミット していてかなりいいところまで逝ったのだが結局ダメだったというのがある。 一人のレフリーがokでもう一人がダメで、それで結局ダメ だったというのがある。)で、しょうがないから、その時たらい回 しにされていたロンブンを素人向けに分かりやすく日本語に書き直したのが、毒 チョコ本の第III部「自然幻語の科学鉄学と科学的文責:生成王里論とその 加虐性」なのだよ。まあ、実はあの本の第III部はそうやって生 まれたいきさつがあるのだよ。
243 :
仇鱒 :2006/06/09(金) 07:28:27
あと、あれだ、ジャッジする人の人数の問題であるが、上で誰 かがゆっているように、統計の基礎でもあるな。ま、鍋一杯のみそ汁を味見 するのにコップ一杯分も味見する必要はないわけだ。スプーン一杯程度の味見 でいいわけだ。ただ、上でわしがゆっているように、その味見は生成の ケンキュウシャがやるべきでないとゆーことだ。 ちゅーか、いろいろ誤解される書き方してしまったかな、わし、、、。ちょいと レトリックつーか皮肉が懲りすぎていたかな、、、。うん、た、た、 たぶんそうだな、、、。こ、こんどから、も、も、もうちょっと、き、き、 きをつけないとな、う、うん。(←山下清風←キヨシまた顔出せよ! キヨシキャラしゅきでつ。はい。) >てか、言語学にあまり関係ない話になってきたのは認めます。はい。 あんま気にせんでええと思うわ。かくゆーわしは言語学はあくまでおまけで ケンキュウしているのにすぎんからな。ははははは。 てなことだが、これから痔典のおしごとのために缶詰にされにいきまつよ。鱒の 缶詰でつ。ははははは。んじゃ!
お待ちしております。
245 :
/ :2006/06/09(金) 07:41:10
そうだったんですか。 ほっとしました。
246 :
とんがり帽子の男 ◆1VIyQ/Ujq2 :2006/06/09(金) 08:00:38
何がほっとしましただ。 結局生成なんざ逃避だってことだろうが。 仮に生成が真実だとしてだから何なんだ? まずはそこの見通しをはっきりしてくれよ。
おまえこそなんだよ? いちいち絡むわけを言え
>>246 ま、いろいろあって、ブレッドがこんがり焼けているでつ。
>>245 だ、だから、い、言ったんだな。あ、仇鱒のお、おじさんは、と、時々口はすべるが、い、いい
人なんだな。だ、だから、みんなが、か、絡むんだな、か、絡んでしまうので、ひ、ひっつれて
い、痛かったりす、するんだな。そ、そう言えば、ぼ、僕もしゅ、シュミで、げ、げんごろ、か
飼っているんだな。ん、で、でも、は、貼り絵するのは、しゅ、シュミじゃないんだな。
と、というか、け、今朝はど、どもりがひ、ひ、ひどいんだな。き、きっと、妙に仇鱒お、おじんが
ぼ、僕のか、書き込みにみ、みょうに好意的で、で、お、驚いているんだな。ウ、ウ嬉しいのだけど
こ、怖くもあ、あるんだな。に、人間ってみ、みんなむ、難しくて、こ、怖いんだな。ぼ、僕が
な、なついて、て、て、手を出すと、か、かぷりっと、く、食われたりしないだろうな。ふ、不安だな。
で、でも、に、人間はみ、みんな、ほ、本当はいい、いい、、そ存在だと思うんだな。う、うん。
そうだとぼ、僕はつよくお、思うんだな。え、英検なんてふ、ふあっきゅうで、でもいいんだな。
ははは、は、っはっくしょーん。
>>243 > あと、あれだ、ジャッジする人の人数の問題であるが、上で誰
> かがゆっているように、統計の基礎でもあるな。ま、鍋一杯のみそ汁を味見
> するのにコップ一杯分も味見する必要はないわけだ。スプーン一杯程度の味見
> でいいわけだ。
こ、コップでの、呑むのはお、お酒がい、いいな。う、嬉しいな、き、キムチもす、すきだ。
お、おごってくれるのかな、な。なんってい、いい人たちな、なんだろうかな。
と、と言うかだな、ん、言うとだな、ん、違うかな、な、鍋のみ、みそ汁、う、うまいな、な、
なんちゃって、て。ち、違うんだな、そうじゃなくてい、言いたかったのは、ミ、味噌汁の
量じゃな、なくって、て、中身な、なんだな、こ、小松菜がは、入っているか、あ、味が
微妙な、なのかど、どうかと、とかで、あ、味見のし、仕方もか、変わるんだな。か、
変わるのは、か、かめれおん。か、かめれおんてお、おもしろいな。め、めだま大きくて
ぺろーんって舌だ、だして、あ、味見するか、からな。う、うん、か、かわいいな。
ま、まるで仇鱒おじさんみ、みたいだな。な、中身の質をわ、わざとな、鍋一杯に、に、
してくれて、お、おごってく、くれるんだな。か、鴨もう、うまいいかも、も。はは。
き、きよし、うう、ウザイ、い!
にゃんか急に、列車に揺られながら鱒寿司食いたくなったな。 丸善にでも遊びに行ってくるか。
流れに逆らうようで悪いにゃがw > 言語学が記述しようとしているのは、言語学者の頭の中にある言語知識では > なく、言語学とは無関係の一般の人たちの頭の中にある言語知識ですから ↑まったく事実無根だにゃ 生成の内在主義は、言語知識は各個人の脳内にしか存在しないとするにゃ だから理論が記述・説明しようとするのは、たとえば太郎の文法、花子の文法 なのであって、日本語母語話者一般の母語知識などというものはそれら各個人の 文法が実質上、均質であるという想定の元に成り立つ虚構でしかないにゃ で、この段階で、言語学者と非言語学者を原理的に区別し、後者を優先させる 理由はなにもないのにゃ 言語学者であろうがなかろうが、太郎が文AをOKと判断し、花子は*と判定 する場合、原則的には太郎の理論、花子の理論の両方が構築可能でなければいけない にゃ 失文法症患者の文法も「間違っている」からといって記述・説明の対象に ならないなんてことはないわけにゃ
この点、以前にも言ったにゃが、判断の揺れるデータを説明したい人は、それを OKとする理論、*とする理論の両方を持っていることが理想的にゃ で、そのいずれがより妥当であるかを考える段階になって、初めて理論の一般性や 簡潔性とかいった考察が重要となってくるにゃ その時、そもそも文法的とはなにか、とか、今検討している文法知識とそれ以外の 要因をどうやって分けるのか、といった言語学者にしかできない知識が要求される ので、結局は言語学者の判断が重要になってくるわけにゃ 時には素人1万人の判断より専門家1人の判断のほうが核心をついとることも あるのにゃ たとえば The rat the cat the dog the boy owned loved chased ran ↑これを見せて文法的だと判断できる素人がいるかにゃ(「文法的」の意味も知らずに、にゃ) しかしこれを文法的だとしない文法は、通常の関係節も生成できなくなって しまうので、これは文法的だが別の理由(プロセシング)で理解が困難、と いうことになっとるわけにゃ ま、そういうこともあって、言語学者どうしで判断が割れた場合が野次馬的には 一番おもしろいにゃw
言いたい趣旨はわかります。小さな部分への茶々ですが: 「文法的ですか?」と聞くのではなくて、むしろ、 この文の印象はどうですか?ただし・・・ @普通の文だと思う A少し奇妙な感じがする B誤った文であると思う C誤った内容の文である とか聞くんじゃないの?で、ただし・・・のところが言語学的な注意書きで、 文で何が問題なのかを方向付けし、かつ、予見を与えないものにして 一般人にわかるようにする、言語学者の腕の見せ所ではないのかな?
>>254 でその文はどういう構造なんですか?関係代名詞が何重にも入っているってことですか?
>>253 > 流れに逆らうようで悪いにゃがw
にゃは、そうじゃなくっちゃ。
> 生成の内在主義は、言語知識は各個人の脳内にしか存在しないとするにゃ
> だから理論が記述・説明しようとするのは、たとえば太郎の文法、花子の文法
すると、UGとかの普遍というのは何が普遍なのでしょうか?
> なのであって、日本語母語話者一般の母語知識などというものはそれら各個人の
> 文法が実質上、均質であるという想定の元に成り立つ虚構でしかないにゃ
興味を惹かれますね。個人主義というか、個体主義というか、個の重視ですね?
となれば、
> で、この段階で、言語学者と非言語学者を原理的に区別し、後者を優先させる
> 理由はなにもないのにゃ
というのは当然の帰結に聞こえるのですが、では、最初の質問に戻るみたいですが、
そういう個人の文法だとすると、どこで、個人の語用レベルと区別するのでしょうか?
> にゃ 失文法症患者の文法も「間違っている」からといって記述・説明の対象に
> ならないなんてことはないわけにゃ
対象にはなるはずですが、「間違っている」という判断をするのであれば、その判断は
どこから導かれるのでしょうか?
???????
>>256 まぁ、一見そう見えるよね。主語4つ動詞4つ。ネスティング4−1の文。
The boy owned the dog loved the cat chased the rat ran.
のほうが分かりやすかったりする私です・・・
>>258 > ???????
え、トンデモ質問でしたか?素人なので、何かピンと来ないもので。すみません。
あ、lovedが何か変・・・
少年が犬を飼っていて、その犬が好きな猫がネズミを追っかけて、ネズミが逃げた。 少年が飼っている犬は、猫がネズミを追っかけてネズミが逃げるのが好きだ。 とか?
言語は物語
なんでスラッシュ氏が仇氏の書き込みを誤解したのか全くわからない。のは俺だけ?
265 :
\ :2006/06/09(金) 14:02:09
悟解
スラッシュ氏が仇氏だったりすると?
仮に
>>254 > The rat the cat the dog the boy owned loved chased ran
の意味が
>>262 > 少年が犬を飼っていて、その犬が好きな猫がネズミを追っかけて、ネズミが逃げた。
ということだとして、
>>259 > The boy owned the dog loved the cat chased the rat ran.
> のほうが分かりやすかったりする私です・・・
の理解の仕方は
The boy owned a dog. 事象A
The dog loved a(that) cat. 事象B
The cat chased a(that) rat. 事象C
The rat ran. 事象D
というふうに左から右へと、見えないピリオドを打ちながら、目的語と主語を交代させながら読んだ。OK?
で、259の文は文法的? 259より
Run the rat chased by the cat loved by the dog owned by the boy. あるいは
The rat chased by the cat loved by the dog owned by the boy run.
のほうが文法的な<感じ>がするけど、それはthe ratが頭になっているから。。上の2文は受動態を
多く使っているが、ソノ点では254に近いが、259とかかなり違う。だが、動詞の順序では259のほうが
254に近い。
ネズミが逃げるようにネズミを追いかける猫が好きな犬を少年は飼った。という意味合いでない以上、
>>259 のほうが事象生起の順序に沿っていることになる。
>>254 の動詞の出現順序はそうではない。
事象が起きた様子を追うには
>>259 のほうが分かりやすい気がするのに、おそらく文法的でない。
なーーーーんか、この順序が妙に気になってしまった。。。
ソノ点では=the ratが頭になっている点では ま、誰も真面目に読んでないと思うけど。
>>258 ああ、やっとわかった。?ばかり使うなってことですね。
たしかにね。でも聞きたかったことは
>>253 の話だと、一体どこに
普遍文法があるのだろう?という実質一つだけの?なのです。おわかりかも
しれませんが、私の思考形式なんです、これ。自問自答しながら進んでいく
ので、いっぱい?を撒き散らしてしまうし、
>>259 のような読み方までする。
270 :
/ :2006/06/09(金) 16:21:06
顔文字さん、 一言で言うならば、言語学者の言語知識は、言語理論に関する知識に よってゆがめられている可能性があるから研究の対象にしてもしょうがない、 ということなんですが、Wayne CowartがExperimental Syntax (SAGE publications, 1997)の59〜60ページで詳しく論じているので、 それを、以下、引用します。
271 :
/ :2006/06/09(金) 16:21:39
In this context, it is perhaps appropriate to consider the com- monplace suggestion that syntacticians in the course of their training gain insights into natural grammar that aid them in giving judgments uncontaminated by "extragrammatical" influences. This too is an empirical claim, but not one that has, so far as I am aware, been subjected to appropriate tests. There is nothing inherently wrong with the suggestion. There are many areas within medicine, the natural sciences, technology, and the arts where practitioners, after appropriate formal or informal training, become able to make sophisti- cated judgments about natural phenomena that cannot be replicated by untrained observers. Within linguistics, acquiring specialized skills of this sort is a standard part of training in some subdisciplines, such as phonetics. Nevertheless, in all the cases relevant to science, sophis- ticated observations can be checked against objective procedures. There are means by which the skills of individual investigators can be assessed by comparison to some observer-independent standard.
272 :
/ :2006/06/09(金) 16:23:23
The same standards that apply to the assessment of procedures used with naive informants could apply to the training procedures to which linguists are subjected. If it is possible, for example, to train novice investigators to apply clear alternative criteria to judgments, it ought to be possible to demonstrate the effectiveness of these procedures. For example, a relevant experiment would subject a reasonably homogeneous group of graduate students to a single clearly specified course of study and training. At the end of this training, it ought to be possible to demonstrate that members of this cohort consistently differ from the general population in the pattern of response they produce with respect to numbers of syntactically relevant patterns. Furthermore, there ought to be at least as much consistency across individuals within this cohort as there is in the general population, and it should also be possible to demonstrate what specific factors the trained observers are more and less sensitive to relative to naive informants. There are a variety of obvious prac- tical reasons why it would be difficult to organize and evaluate a training program along these lines.
273 :
/ :2006/06/09(金) 16:24:25
The fact that no appropriately validated training program for syntactic informants is available makes data obtained from expert informants particularly difficult to interpret. Although there is little doubt that advanced training can lead to useful sophistication in the rendering of sentence judgments,. there is no way to know how reliable current training regimens are nor any formal way to assess the skills of individual sophisticated informants. There is also good reason to believe that advanced training is at best a mixed benefit. Although it might be that sustained practice can sharpen an individ- ual's ability to give reliable judgments, there are also reasons to suspect (as has often been suggested) that training can produce some theory-motivated bias. It is also worth considering that syntactic training leads to some amount of judgment learning; to read a syntax article intelligently usually requires that the reader hold in mind a particular pattern of judgments, whether or not those are the ones the reader finds most natural. Enough practice in this exercise could seriously distort an individual's ability to render the judgments that are most natural to his or her own grammar.
274 :
/ :2006/06/09(金) 16:25:01
These considerations suggest that the relatively objective pro- cedures described in this book (or other objective procedures) can play a useful role in providing relevant lines of evidence that do not rely on expert skills of unknown reliability. (終わりです。)
275 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/09(金) 17:06:16
きちんと考えないから ?ばかりになるんだ まとめろ 自自慰
>>270 http://homepages.inf.ed.ac.uk/keller/papers/cowart.pdf を斜めに読んだだけなのだけど、実験心理学や心理テストなどの質問紙構成法
を援用している部分が結構あるようだね。それだけなら心理学だけど、言語学
なりの問題にそういう心理学的手法がどこまで適用できるかは言語学の人の
判断でしょう。ちょっと面白そうだから購入して読んでみます。
統計的な問題に関してだけど、顔文字先生ふうのアプローチでも統計的な
視点でデータを扱える場合もあると思う。それはいわゆる普通の群構成や
統計検定・推定方法とは少し違っているが、それなりに統計学的基準を満たす
ものを考えられると思う。上の本がそういう点にまでふれているかどうか
わからない。
スラッシュさん、シングルケース・デザインやノンパラメトリックな統計
とか研究デザインとかいう話は、その本にページ数割いて出てきてますか?
>>270 > 表紙のイクスメンタルなんたらこんたらとゆー本にいろいろ書いてあるわ。
> もう10年ぐらい前の本だ。
この本すか?
279 :
/ :2006/06/09(金) 19:20:25
研究デザインの話にかなりのページを割いているんですが、シングルケース デザインという話は出てきませんでした。 ノンパラメトリックな統計のことにも、残念ながら全く触れていなかった ように思います。
>>279 ありがとう。顔文字先生ふうの考え方に適用可能な、と勝手なこと書いちゃったけど、
それは先生が決めることで、私が差し出たこと言うことでもありませんでした。しかし、
あの、個々の人の文法という視点はちょっと関心を持たざるを得ません。
先ほど、ソノ本注文しました。情報ありがとさんです。
281 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/09(金) 19:33:36
痔自慰がそんな本読んでどーする?
282 :
仇鱒 :2006/06/09(金) 20:05:58
こんばんわ。仇ちゃんへとへと。ひとことだけ。
>>278 >> 表紙のイクスメンタルなんたらこんたらとゆー本にいろいろ書いてあるわ。
>> もう10年ぐらい前の本だ。
>この本すか?
そ、その本。ちゅーか、nlltのラピンのアーチクルといい、ウェインの本といい
スラッシュ氏とはどーも読んでいるもんがダブるのだな、、、。ま、たまたまかな。
ははははは。
さて、マンマくってくるわ。はー、明日も缶詰だ。ふ〜っ。
今日は何も書く気がしない。ごめそ。
よー、仇、元気か。明日は出版事業部のどこにいるんだ?
皆さん、テキトーに疲れられるようになるとモノホンでつよ。
285 :
仇鱒 :2006/06/09(金) 21:00:27
再度お出ましの仇ちゃんでつ。ども(ぺこりん♪ えっと、やぱ何か書かないとスッキリしないとゆーか何か落ち着かないので適当 に書いてから電源ぷっちゅん♪するわ。 えっと、ぶっちゃけ、わしらケンキュウシュの「言語直観」と一般ぴーぽーの リアルな言語直観は違うわ。まあ、理論によって毒されているとゆーか、 バイアスがかかっているとゆーか、いろいろ言い方はあるが、ようするに、 ユーセッジ・ベースドによって出来上がっている文法のフォーマット がそもそも違うのだよ。つまりだ、わしら生成のケンキュウシャなら、何度も レイジングした例を見てもすぐにその文の意味が分かるわけだ。同じように、 長距離にジャンジャンwh移動している文を見ても一発でその意味を読 みとることができるわけだ。で、何でわしらはそんな芸当ができるかと ゆーと、年がら年中レイジングの文やら長距離移動しているwh疑問文を見 ているからだ。つまり、ユーセッジ・ベースドによりわしらケンキュウシャの頭 にはすでにレイジングやら長距離wh移動のフォーマット ができあがっているからなのだ。一方、一般ぴーぽーにはそのような フォーマットがまだ出来上がってないから、それで直ぐにレイジングの文や 長距離wh疑問文が理解できないのだよ。実はこれと同じことが英語の学習 なんかにも言えるわけだ。なんで厨房やデキの悪い工房は英語が読めないかと ゆーと、そういったガキの頭にはまだフォーマットができあがってないからだ。 ま、ようするに、まだ十分ユーセッジが与えられていないから、それで脳内に 構築されていないからだ。ま、そんなもんだ。 >よー、仇、元気か。明日は出版事業部のどこにいるんだ? をい、藻前、あまりリアルな質問すんなよ。びく〜りするじゃないか(← ちょいと心臓ドキドキ てなことで電源切るから。じゃ〜な、ぷっちゅ〜ん♪
>>282 > >この本すか?
> そ、その本。
なにゆえに仇が答えるんだ?スラッシュに聞いたんだがな。ま、どーでもいいけど。
いや、明日辺り、●善にでも行ってこようかなと思ったもんでさ。
俺もこの週末はお出かけで忙しいわけにゃが
>>257 UGは、そういった各個人の脳内文法(I-言語)の初期状態として人類が
普遍的に共有する言語能力の基盤を指すにゃ
喩えるならばUG=genotype、各I-言語=phenotype、にゃ
さらに言えば例文判定という作業はこのphenotypeが、他のいろんな要因と
絡まりあって行われる言語運用であり、そこからI-言語にrelevantなふるまい
を抽出することは言語学者にしかできんにゃろ、とゆーわけにゃ
で、日本語の母語話者であればI-言語は実質的に均質であると仮定されるから、
日本語の文法はこうだ、と言うときに国勢調査みたいなことをせんでも
いいわけだにゃ
素人の判断に揺れが生じやすいのは、そのいろんな要因の影響がモロに出るから
であって、たとえば
>メロンパンが花子を誘拐した
という文を見せられて
>>255 >@普通の文だと思う A少し奇妙な感じがする B誤った文であると思う C誤った内容の文である
と尋ねられたら、誰だって「普通の文」とは答えんにゃろ
ところが専門家なら、100%文法的だが、通常、意味的におかしい(しかしこれこれの
文脈ならOK)といった的を射た答えが返ってくるにゃ
>ただし・・・のところが言語学的な注意書き
というのは、実質上、調査者側の意図を被験者にあらかじめ伝え、時には言語学の
教育を施すことになるから、疑似専門家にきいているようなもんにゃろ
>>270 ま、その引用にあるようなゴタクは十分承知なわけで、じゃあ、メロンパンの
例文を普通だと答える素人がいないからこの文は非文法的だなどとしてしまって
いいのか、というハナシだにゃ
それに
>can play a useful role in providing relevant lines of evidence that do not
>rely on expert skills of unknown reliability
という言いようは、専門家の判断を補助するんであって、不要にするという
意味ではないようにゃが
専門家による判断が問題視されるのは、そこで言ってるようなことよりも、
もっと直接的に、自分の仮説に都合のいいような判断を勝手にしかねない、と
いう理由にゃろ
しかし、反例は反証に非ず、相手の判断が違うといくら言ったところでそれだけ
では何の意味もないのにゃ
専門家どうしなら、判断自体を含め、対案の提出という形で反論をすることが
できるわけで、相手の判断が間違っているというのは、あくまでその反論の
結果として言えることにゃ、理想論としてはにゃ
289 :
/ :2006/06/09(金) 23:33:03
> ま、その引用にあるようなゴタクは十分承知なわけで、じゃあ、メロンパンの
> 例文を普通だと答える素人がいないからこの文は非文法的だなどとしてしまって
> いいのか、というハナシだにゃ
もちろん「容認性」と「文法性」を区別する必要はあると思います。Cowart
が言っているのは、「言語学の訓練を受けた人なら(容認性だけでなく)
文法性を正しく直観的に把握できる」というあなたの希望的観測には根拠が
ない、ということです。
> >can play a useful role in providing relevant lines of evidence that do not
> >rely on expert skills of unknown reliability
> という言いようは、専門家の判断を補助するんであって、不要にするという
> 意味ではないようにゃが
不要にするとは言っていないと思いますが、専門家による文法性・容認性の
判断は科学的な証拠とは見なしえない、ということです。
> 専門家による判断が問題視されるのは、そこで言ってるようなことよりも、
> もっと直接的に、自分の仮説に都合のいいような判断を勝手にしかねない、と
> いう理由にゃろ
Cowartもそのことを
>>273 で、theory-motivated biasという言い回しで
指摘しています。
290 :
/ :2006/06/09(金) 23:42:06
> しかし、反例は反証に非ず、相手の判断が違うといくら言ったところでそれだけ > では何の意味もないのにゃ > 専門家どうしなら、判断自体を含め、対案の提出という形で反論をすることが > できるわけで、相手の判断が間違っているというのは、あくまでその反論の > 結果として言えることにゃ、理想論としてはにゃ 理論家自身が行なった容認性の判断だけがデータとなっているような 論文の場合、当該言語のネイティブスピーカーでない人間にとっては、 (身近にその言語のネイティブスピーカーがいなければ、)データの 妥当性を判断することができないわけですが、その場合はどうすれば いいんでしょう。鵜呑みにするか、無意味な論文として無視するかの 二者択一になってしまうのではありませんか。
>>289 言語学の訓練を受けていない人の判断を統計的に処理すれば科学的な証拠と
なるというほうがもっと根拠がないにゃ
たとえば1万人中9999人が「おかしい」と判断したとして、あと1人が
「おかしくない」といったら、直ちに後者を切り捨てられるんかにゃ?
>>290 外国語の勉強するために論文読むわけではないにゃろw
どういう現象に対してどういう分析がなされているのかを理解し、それが
たとえば自分の知っている現象の分析にどう当てはまるのかを考えるため
なんでないかにゃ
データそのものは鵜呑みにしても何ら問題ないにゃ
もし事実がそうであるなら、どういう説明が可能か、というハナシなので
あって、その説明方法を巡って反論することができるからにゃ
ま、理屈はともかくにゃ、ではそのCowartが実験心理学的手法でどんな
素晴らしい新理論を出したのか、かいつまんで頼むにゃ
俺も今晩は忙しいんで、レスは明後日ぐらいでえーからにゃ
293 :
/ :2006/06/10(土) 01:02:41
>データそのものは鵜呑みにしても何ら問題ないにゃ >もし事実がそうであるなら、どういう説明が可能か、というハナシなので >あって、その説明方法を巡って反論することができるからにゃ 仮想現実で戯れる、ということでしょうか。 Cowartの本は、研究手法に関する本であって、新理論を提案しているわけ ではありません。
科学なんてみんな仮想現実だろうがッ!
なんだか、明日は独善事業部が見たかに越してきているような気がするのでありました。
あるいは、引っ越して来られない理由があるのかもしれなかったのでした。
>>287 > 俺もこの週末はお出かけで忙しいわけにゃが
いいお話になるようお祈り申し上げておりますです、はい。どっちにせよ、東京は遠し、じっと手を見る。
>
>>257 > UGは、そういった各個人の脳内文法(I-言語)の初期状態として人類が
> 普遍的に共有する言語能力の基盤を指すにゃ
具体的にUGとは何かを考えると、mergeのような機能とか、ある種の再帰性のようなものだと
考えていいのですか? ← ?は1個だよん。 でないと具体像が浮かびません。
> というのは、実質上、調査者側の意図を被験者にあらかじめ伝え、時には言語学の
> 教育を施すことになるから、疑似専門家にきいているようなもんにゃろ
そこまで長い但し書きはしないでしょう・・・ 1,2年ここに通ってもこのザマの私がイイ例で、擬似にもなってない。
>>291 >
>>289 > 言語学の訓練を受けていない人の判断を統計的に処理すれば科学的な証拠と
> なるというほうがもっと根拠がないにゃ
意見保留。
> ま、理屈はともかくにゃ、ではそのCowartが実験心理学的手法でどんな
> 素晴らしい新理論を出したのか、かいつまんで頼むにゃ
実験心理学的手法とか書いてあるようですが、実際はテスト理論だけなのかもと前掲pdfからは
憶測したりしていますが、タイトルがイカニモなので内容を確認したいと思っています。
おそらく判断主観性の問題だけなのかな?理論導出だけが言語学の目的ではないとは思いますが。
顔の実体がハクション・グラマーの話をされる様子が拝見できないのは実に残念! VTR公開でもしてほしいにゃん。
> 仮想現実で戯れる、ということでしょうか。 > 科学なんてみんな仮想現実だろうがッ! どっちも何とも変です (へんへ;
以上で、パリィ・ソルボンヌ放送局からの本日のご報告を終了致します。 → ら・まるせいえーず de Unite d'Habitation
皆様活発でおじゃりますな。わしもモナー先生のチンポ痔膿むに飛び入り痛そうかな? そうしたいところじゃが、せっかくのワールドカップじゃて。 年甲斐もなくベルリンの片隅でビール片手にウインナー頬張りながら 若いもんに混じって応援しとりますじゃ。
300 :
仇鱒 :2006/06/10(土) 07:29:03
おはよ。 さて、缶詰にされに逝く前にちょいとだけ書くかな。てか、顔餅は今日から コッチにくるんだよな。ま、がんがってくれ。わしは今日は一日缶の中だし、 明日はガキの運動会だ。まあ、見に行けれないがひとつ強烈なデムパを発信 して栗。20km離れたわしのところに届くぐらい強烈なやつをな。 ははははは。あ、長S川嫁に「痔典の幹事やっている仇ちゃんが執筆ではお世話 になりましたといってました」と言ってましたと言ってくれ(←すんげー埋め込 み文
301 :
仇鱒 :2006/06/10(土) 07:30:15
あと、あれだ、ぶっちゃけ、生成のペーパーなんかはある意味データはどー でもええのだよ。ハナシの辻褄が合えばそれでええのだよ。そして、最後 にそれらしい理論的なコンシクエンスが得られればそれでええのだよ。まあ、 ロンブンつーのは、新しいデータのハケーンと何かしらの理論的な貢献が必要 だが、まず、新しいデータのハケーンというものがかなり怪しいのだよ。動物 なんかといっしょで、新種のデータなんかそんなみつかりっこねぇんだよ。 だから、新しいデータを提示するとなると、それこそフジムラじゃないが ゴッド・ハンドが必要になってくるのだよ。あと、理論の貢献だが、 こんなもんはいくらでもでっちあげることができる。ようするに、ちょっとでも 理論の先を予測し、それに近いものをコンシクエンスとして出せばいいだけの ハナシだ。まあ、言っちゃなんだが、こんな論法が通じるのは科学 もいろいろあるが生成ぐらいだ。生成に比較的近い数学にしても、数学ではある 意味データゼロで、公理とロジックのみで定理なりを導き出していく。そして、 直接立証できない概念なんか(たとえば∞)はロジックのみで間接的だが 決定的な証拠を突きつけることができる。一方生成はこうはいかないのだよ。 ぶっちゃけ、決定的な証拠というのはナッシング、ゼロだ。しかも、100% 説得力のある議論というのもナッシング、ゼロだ。というのも、どれも怪しい 仮説に基づいて議論が行われているからな。ま、詳しいハナシはまた今度するが、 生成は数ある学問の中でも非常に特殊であるのだよ。これを分かってない香具師 があまりにもたくさんいすぎる。それだけ、生成やって香具師は学問の基礎 ができてないとゆーことだ。というか、いろんなものに洗脳されしきっていて 思考停止状態であるのだよ。
302 :
仇鱒 :2006/06/10(土) 07:30:58
まあ、あれだな、前にも書いたと思うが、日本語が生成に「貢献」した有名 なものだと、いわゆるマルティプル・スペックを支持する多重主語構文 なんかがあるわけだが、次のような文はダメだわ。 (1)発展途上国が、アフリカが、男性が、寿命が短い 生成ヲタにはパーフェクトでも一般ピーポーには100%アウトだ。ま、こー ゆった例が基礎になって今日のチョム系の生成はつくられてきたわけだ。ま、 そんなもんだ。ははははは。 さて、缶詰になりに逝ってくっかな。あ、そうだ、上で○善に遊びに逝 くとかゆってる香具師がいるが、本店はまだ建設中だぞ。いまでっかいビル をつくってる最中だ。てか、ハナシによると来年の春にできあがるようだが。 個人的にはもう取り壊してない、あの昭和を彷彿させる建物 がしゅきだったが、、、。今度はかなりモダンな建物になるんだろうな。 ちゅーか、あの辺りは高島屋とかいろんな高級デパートがあり、あの近くを歩 いているだけでもハイソな気分になれるな。ま、わしは着ているものはじぇんぶ ユニクロで靴はドンキホーテで買った安物だがな。ははははは。ちなみにどこに 逝ってもメシは松屋か吉野屋だ。ははははは。
>ロンブンつーのは、新しいデータのハケーンと何かしらの理論的な貢献が必要だが、 貢献したかどうかは誰が判定するのですか?学者の多数決ですか? とするなら生成文法の牙城のアメリカの学者の論文のほうが貢献したとみなされやすいんですか?
いや、牛丼の美味さだろう。
発展途上国はアフリカが、男性が寿命が短い
発展途上国(で)はアフリカが、男性が寿命が短い
307 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/10(土) 15:07:20
はあ?
308 :
(´∀`) :2006/06/11(日) 04:29:26
都内某所から、「こら」 日本が農村地域が男性が寿命が短いこと←パーフェクトにゃろ 明日つーか今日は、関西言語学会@甲南大で霊長研の松沢センセの講演が あるので、関西方面の連中はそっちに全員集合! まったく、こっちと二元中継でつないでもらいたいくらいにゃ 俺のほうは昨日からどうも体調悪いのにゃが、ともかく I see you @ICU(座布団10枚!)
体調崩してICU(International・・・・)からICU(intensive care unit)に直行しないでくださいね。 しかし、どこに居ても、こういう時間帯で活動しておられるのは一種驚きにゃん。
日本(で)は農村地域が男性が寿命が短い
311 :
仇鱒 :2006/06/11(日) 09:47:45
おはよ。昨晩は帰り遅かったよ。まじで100%缶詰状態だった。解放
させてもらえなかった。orz... で、今日は雨で運動会中止。でも午後からガキ
の習い事でちょいとお出かけ。てなことで、集中治療室で顔餅
がもがいてるのを見られないが、ま、だいたいハナシの内容は推測
できるからええかな。ははははは。さて、ちょいとだけ書くな。
>日本が農村地域が男性が寿命が短いこと←パーフェクトにゃろ
いや、正直一般ぴーぽーにはきついわ。これがパーフェクトとゆーのはやはり
生成系の言語理論に精通している香具師だけだ。で、
>>305 や
>>306 、そして
>>310 のひと言カキコにもあるように、やはり頭の中で解釈しようとすると、最初の
主語というか主題を「は」でマークしたくなるのだよ。これで直ぐに思い付
くと思うが、ようするに、潜在的なところで「象は鼻が長い」と関係
しているのだよ。ま、いちいち解説はしないが、ようするに、「象は鼻が長い」
はもともと「象の鼻は長い」だったわけだ、そして、「象」が主題化され「の」
から「は」へのシフトが起きたと言えよう。そしてさらに、主題化された要素に
総記的な意味が加味されて、それで「は」から「が」のシフトが時と場合
により起きうるのだろう。その一連のプロセスを整理すると次のようになる。
(1)象の鼻が長い:所有(部分全体)関係
(2)象は鼻が長い:主題化
(3)象が鼻が長い:総記化
で、わしが思うに、この一連のプロセスには中央埋め込みのように制限があり、
せいぜいよくても2回までだろう。そういった意味でも、次の文の座り心地の悪さは、
>(1)発展途上国が、アフリカが、男性が、寿命が短い (cf.
>>302 )
次の文の座り心地の悪さと根本的なところでは同じだと思う。
>The rat the cat the dog the boy owned loved chased ran (cf.
>>254 )
ま、とりあえずそんなところだ。
じゃ〜な。
あの世界は仇鱒はときどきは頭は酔い この世界は仇鱒はときどきは頭が良い
koto節内では「は」がなくても安定するkoto
誰の鼻が長いって? (1)象の鼻が長い:所有(部分全体)関係 鼻の長い動物なんていないよ! (2)象は鼻が長い:主題化 鼻が長い動物って何? (3)象が鼻が長い:総記化
koto節では、より客観的(?)態度で事象を分析しようとするので安定するようになるのかもにゃん。
パソコンの画面に英単語2つ trout -> salmon lamb -> chicken などを連続して見せて、「関連性の有無」を回答させるという課題だったとあるけど、 これを「即」答えるときは母国語に翻訳していないってことに基づいた実験らしい。 これだけで母国語に切り替えない(翻訳しない)で英語脳だけが働いているのだ という証拠は何? もっと分からなかったのは、切り替えないはずの課題をやっているときに活性化した 尾状核が、「言語切り替え」の役割を持っているという考察。回答が「即」じゃないとき を「切り替え」が起きた場合と考えたのだろうか。しかし、回答がのろくなるのは、 母国語だけで考えているときだって問題が難しければ起きるはず。 詳しいこと知っている人、教えてください。
私なんかは 鱒 → 鮭 子羊 → 鶏 という日本語新聞の翻訳記事のほうが関連性把握に時間がかかった。倍以上・・ こんな問題ではどうだったろう。 pork → beef pig → cattle pig → pork cattle → beef ox cow では性別だけかと思ったら他にも使用上の違いがあったりして。 ox 動物学的な牛の総称 cow 食肉・ミルクなどに結びつく生活関係上の牛 上の問題ではcattleではなく、oxとcowを使い分けないといけないのかも。
ああ、そうか、「違う言語」「違う意味」「似たような意味」でやったんだね。 salmon → 寿司 trout → キムチ煮
ということらしいが、ポークとかビーフとかだと英語なのか、日本語なのか・・
pork → beefで日本語に翻訳して考えていないという証拠は「即」だけでしょうかね?
そこまで考えても、こういうfMRI研究では余り意味がないかも。まあ、 大雑把に考えると面白い話ではあると思う。
熟達したバイリンギャルとそうでない人では beef bowl と 牛丼 では脳への収納され方が違うのでしょうか。 どちらが母国語で、どちらが第二言語かでも違いそうですが。
その例なら仇鴨ちゃんに聞くべきか
鴨 → 撃たれるww
327 :
仇鱒 :2006/06/11(日) 18:09:53
こんばんわ。 ちょいとだけ書くかな。えっと、そのバイリンガルのハナシだが、実は、 そこに出ている国立米青神・ネ申経センター というのはわしのおうちからすぐのところにあるのだよ。実は自転車で15分 くらいのところにあるのだよ。そんで、実は、そことわしはちょいと共同研究 モドキぽいことをやっているのだよ。誤解のないようにゆっておくと、その記事 に出ているケンキュウシャとは別の人とだけどな。で、もうちょいサービツで ゆーと、そのセンターの人にも今度の事典でいろいろ執筆 してもらったりしている。てか、そのセンターにかつていた人も今度の事典で書 いてもらっている。名前はあげないが藻前らの知っている人だ。ちなみに 「医学編」と「生物学編」で執筆してもらっている。まあ、それはともかく、 正直、単語うんぬんのレベルでスイッチがなんたらこんたらとゆーのは 正直大風呂敷を広げたカンジのする内容だな。まあ、スイッチとゆーと普通 パラメータのようなものを考えるが、語形成にはパラメータないしな。つまり、 普遍的に語の内部構造はヘッド・ファイナルだからな。ま、いわずと知れた ライトハンド・ヘッド・ルールだ罠。ま、そんなこんなでちょいとチューイ してみないといけないロンブンだとは思うわ。そんなところで、ちょいと上で上 げられている記事はパスな。わりぃな。てか、数日前に既にその記事はネット でも紹介されていたけどな。 ま、そんなところだが、まる子ちゃんはじまっちゃったからまたな。 >鴨 → 撃たれるww あっ、撃たれた。どてっ♪w
にゃは。ここでは、「違う意味」「似たような意味」でもモメテルわけだが・・・
まぁ、のどかな雨の午後といった話題転展開ではある。
>>327 > あっ、撃たれた。どてっ♪w
いただきま〜うす♪
お前ら、あまーいレスビアンみたいなレスしあってるんじゃねぇよ!
尾状核は性行動にも関係あるらしいな。
334 :
仇鱒 :2006/06/11(日) 19:04:31
サザエさん終わったからちょいと書くわ。 >尾状核は性行動にも関係あるらしいな。 ふ〜ん、そうなのか。尾状核なんてわしはじめて聞いたが、ま、言語の 系統発生の背後には性淘汰が絡んでいるという意見もかなりあるんだから、 もしかしたら言語と性は脳レベルでもどっかでリンクしている鴨しれねぇ罠。 ま、でも尾状核が言語機能と性行動の両方に絡んでいるとしたら、その尾状核 を壊したら言語と性行動の両方に何か異常が見られるハズだ罠。具体的には、 その尾状核とやらをノックアウトしたらバイリンガルからモノリンガル になりおまけに性の嗜好性も変わるとかな。ははははは。もしそうなったら、 マジでわしは言語進化と性淘汰の間に強い結びつきを認めちゃうけどな。 ははははは。
疑問といえば仇鱒のような高名な言語学者でもサザエさんを見るのかが疑問なのだ。 無理やり言語に絡めるとなぜイクラちゃんは「バーブー」というのかが疑問だ。 嬰児の喃語で「アッアッ」とか「マー」とかは聞いたことはあるが破裂音の 「バーブー」はあるのか?実在しないとするとどこから広まったのだろうか?
336 :
仇鱒 :2006/06/11(日) 19:25:40
ま、今ちょいと一杯やって気分いいからちょいと釣られてやるかな。 >サザエさんを見るのかが疑問なのだ。 ちゅーか、やぱサザエさんとまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんは必見の番組 だろ?あん? >なぜイクラちゃんは「バーブー」というのかが疑問だ。 ま、いわゆるオノマトペとして番組で分かりやすいように 使ってるだけじゃねぇか。ようするに、イヌは「ワンワン」と吠えないが 「ワンワン」とアニメのイヌに吠えさすのといっしょで、アニメの赤ちゃんも 「バーブー」と言わせているだけじゃねぇのかな?よーわからんが。 それよりわしとしては、未だになんでピカチューの「ピィ〜カ〜♪」とか 「ピカッ!」とか「ピッカー」だけで全ていいたいことが分かるのかそっちの 方が「高名な言語学者(w)」のわしは気になるわ。まじでピカチュー見てると 言語は文脈依存のコミュニケーションツールだと思うわ。
337 :
仇鱒 :2006/06/11(日) 19:57:38
さて、今日はそろそろ電源きるわ。 えっと、上でわしはピカチューの言語について書いたわけだが、ところで ピカチューの言語は自然言語に近いものと考えていいのだろうか。それとも 動物のゲンゴに近いものと考えて方がいいのだろうか。自然言語と考 えるのはあまりにも語の数が少なすぎる。しかも、シンタクスは原則ない。 おまけにリカージョンも見られない。ただ、例外として「ピカ、ピカ〜♪」 があるが。ま、いろいろ考えるとピカチュー語は自然言語ではないと言えよう。 それじゃ、動物のゲンゴかとゆーと、そうでもないように思う。というのも、 ピカチュー語でかなり深遠なことも語れるし、おまけにかなりロジカル なことも語れるから。てか、ほとんど自然言語と遜色はなく情報伝達という点 では自然言語と同格と言えよう。と考えると、ピカチュー語は動物のゲンゴ というよりはむしろ自然言語に近い。が、上で見たようにピカチュー語は 自然言語の特性を備えていない。そこで、藻前らに宿題だ。「ピカチュー語 とは何か?」この問いに答えてみ。ちゅーか、言いたかないが、最近の大学院 の問題ってほんとくだらねぇーのが多いな。わし見ててヴァカじゃねぇかと思 うのがあるわ。どこの大学の問題とは言わねぇがな。どーせならこの 「ピカチュー語とは何か?」みてぇなナイスでしかも言語の本質に迫れるような 問題出せっちゅーに。ま、どーでもええハナシだがな。ははははは。 じゃ〜な、今日はこれにて電源ぷっちゅ〜ん♪だ。ははははは。
>>337 「ピカチュー語とは何か?」が、げ、言語学のも、問題にな、なるのかな。そ、それはす、凄いな。
ご、語彙が、す、す、少ないのにつ、通じるのか、ぼ、僕みたいだな。な、仲良くし、しようかな。TV
ないから、ど、どうしようかな・・・
ぴ、ぴかがつ、通じるのはき、きっと、そ、その時、そ、その場の様子が、が、だ、誰にも、ぼ、僕にも
わかるようにな、なっているので、な、何を言ってもわかって、し、しまうのだろうな。べ、便利だな。
ぼ、僕も、こ、これからは、ぼ、ぼ、ぼ、僕もだなっってだけ、い、言おうかな。き、きっとつ、通じるな。
う、嬉しいな。ポカチューっててな、名乗ろうかな。うん。で、でもじ、字を書くのはつ、辛いかもしれない
な、な。
(1)ピカチュウ語の単語は何種類あるか? ・ピ、カ、チュウ♪(うん、そうだよ♪のような意味) ・チャー!(イクラちゃんと同じで「ワーイ」とか「キャー」のような意味」) ・ピカ゜、ピカ゜(ねえ、ねえ?と呼びかけるとき) ・ピカー!(放電するとき、不満なとき) ・ピカ、ピカピ、ピカピカピ、(ポケモン相手にしゃべっているとき、「あのね、それでね、これがね」) ・ピカ!(サトシにうなづくとき) (2)ピカチュウに知能はどの程度あるか? ニャースが人間と同等に話しているのでピカチュウも人間と同等の知能があると思われる。 ピカチュウ語は (1)にあるように少数の感嘆詞、間投詞と呼ばれる類の単語からなる言語である。 (2)にあるように人間と大体同じ内容を述べていると考えられる。 結論:ピカチュウ語とは喃語と同類である。 喃語の特徴 ・指示が不分明:喃語は特定のものを表さない。 「アンマンマン!」と叫ぶときは「アンパンマンを見るよ!」とか「あ、アンパンマンだ!」といった文を意図しているが アンマンマンという言葉がアンパンマンという概念を表しているわけではない。 これは「いっせーのせ!」とか「よっこいしょ」という言葉が「物を持ち上げる」という概念を表しているのではないのと同じである。 ・生理的なものでない:雀の群れは大きな揺れを感じるとピピピピと鳴きながら飛んで逃げるがこれは怖がっているからそう鳴くというよりは半ば自動的なもの、生理的なものである。 熱いものに手を触れて「ワッ」と声を出すのと同じようなものである。 喃語はこれとは異なり眠いと「う゛ー」という。用をたすと「はぇー」という。明らかに気分が関わっている。 ピカチュウ語は両者を満たす。
要するに、動作に伴なっているから意味が分かってる、意味があるみたいに 見えるだけじゃん。気分とかって、子どもの動作ややったことから大人が推定してる ようなのを指すのか。ま、どーでもいいや。ぴ渦中ッ痛ww
co-action languageだね。
co-action grammarとかあるんかな?
>>334 > その尾状核とやらをノックアウトしたらバイリンガルからモノリンガル
> になりおまけに性の嗜好性も変わるとか
というか、尾状核は非常に多機能なので、それをブロックしたり、脳発生時に
遺伝子ノックアウトなんかしたら、言語どころじゃないだろう。
はーい、あたちゃん、これはなあに? ブーブーだねぇ。ブーブーはこうやって(押すと)走るんだよ、ブーブー。 まあるいのは何だろう?そ、タイヤだよ、タイヤ。 ブーブーはね、タイヤがあるんだねぇ、タイヤがくるくる回って走るんだよ。 ブーブー、ブーブー。 あれぇ、走らなくなっちゃったね。ブーブーも疲れたのかな。 きっと疲れてお休みしているんだよ。 ブーブーもグーグー眠るんだねぇ。
ぶーぶーも、ねゆの?
ん、そうねぇ。ブーブーさんも眠(り)たいのかも〜。 あたちゃんも眠りたいでちゅか〜?さぁ、お寝んねしましょうね♪
レタスいい加減にして寝れ
348 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 07:49:32
おはよ。 きよしキター!!てか、ピカチュー語ネタあんまりおいしくなかったようだな。 もうちょい盛り上がると思っていたが、、、。ま、ええが、あれだなー、よく言 われるように、わしらのコミュニケーションにおいて、実は言語ってほんと数 パーセントしか役立ってないのだよな。身振りや手振り、それに顔の表情が コミュニケーションのメインだったりする罠。そう考えると、たった数 パーセントの効能というか役割しかない言語にこれだけ精力を費 やすわしらって何なんだろと思うことが時々あるわ。ま、それもええとして、 非常にレベルの低いハナシになるが、やぱ自然言語か否かの試金石としては、 文学作品を生み出せるかどうか、というのがあると思うわ。おそらく ピカチュー語だけじゃ文学作品は生み出せないだろうしな。逆に、どんな言語 でもその言語の文化には文学作品が何らかの形であると思う。一方、 どうだろう、動物には文学ってあるのだろうか?たぶんないよな。いや、 ないことは証明も立証もできないが、動物の世界に文学はないと思う。てか、 文学にうつつぬかしているほど動物たちは暇じゃねぇし、、、。同じように、 喃語だけで文学作品をつくるのもかなりきついというか無理だと思う罠。文法も 貧弱だし語彙も少ないし。ま、そう考えると、上で誰かがゆっているように、 ピカチュー語は動物のゲンゴ以上、人の言語未満、つまり喃語相当のものと言 えるかもしれないな。
349 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 07:50:17
あと、あれだ、ふと思ったのだが、反語彙主義だとヘッドパラメータの問題 とかどうなるんだろうか。どういうことかとゆーと、上でちょいと書 いたように、語の内部構造に関しては、ヘッドは普遍的に皆ファイナルだ。 一方、句というか節の内部構造はヘッドはパラメータ化されていて、言語 によってヘッド・イニシャルであったりヘッド・ファイナル であったりするわけだ。で、反語彙主義はある意味シンタクスで語も生成 しちゃうわけで、いわゆるシンタクスはモーフォロジーを兼 ねているところがあるのだが、そうなると、ヘッド・パラメータの セッティングで問題が生じないだろうかと思うのだよ。具体的には、英語は句 というか節レベルではヘッド・イニシャルであるが、語のレベルでは ヘッド・ファイナルであるわけだ。そうなると、語をつくりながら節というか句 をつくる反語彙主義だといろいろ面倒なことが起こるような飢餓 するんだけどな。 >ブーブーもグーグー眠るんだねぇ。 あー、でもあれだぜ、2歳ぐらいのガキだと自動車も自転車も動物として カウントしているみたいだぜ。わしんとこのガキがまだ小さい頃、自動車は生 き物かどうかマジでわしに質問してきたことあるからな。あと、あれだ、椅子 とかテーブルが生きている植物と同じかどうか質問しにきたことがあるわ。 ようするに、2歳ぐらいのガキだと、まだ象とトラックの区別とか、椅子 とそこら辺に生えている木の区別がついていないのかもしれねぇな。いや、分 からんが。とにかく、ガキって、「をい、こんなことも分からんのか? わしをおちょくってるのか?あん?見りゃ、分かるだろーが、このガキが。」 と思うような質問マジでしてくるからな。
350 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 07:50:50
てか、きよしの中の人が誰だか知らないが、なかなかいい嗤いのセンス してるわ。ときどきわしの嗤いのツボに入りディスプレイの前で爆笑 しているわ。ははははは。ちゅーか、最近顔を見せないfrエロd師匠は元気 なのだろうか、、、。ふとfrエロd師匠のことを思い出した失禁直前の仇 ちゃんだったりする。てか、またインドあたりで修行してんのかな、、、。 ま、そんなところだが、失禁してくるわ。あー、コッチも梅雨入り〜。 ウトゥ〜。
思うに、FRED氏はやむにやまれぬ想いにかられて、焦げパンとなり、イガイガ・とんがり になって、あったりまえになりそうな話には棘つきたてて今も活躍しとると思うのはわしだけか。
ピカッピカッ、ピカ、ピカプイカピカピカ。ピカ?ピカッチュウ。ピカッチュウ。ピイ、ピ、ピピピ、 ピカ、ピカッチュウ、ピカチュ、ピピピカ、チュー、ピピピカチュ、チュ、チュ。ピカ!ピカチ、ピカチ、 ピカアチュ、ピカチュウ、ピカ!ピカ?
>>349 > あー、でもあれだぜ、2歳ぐらいのガキだと自動車も自転車も動物として
> カウントしているみたいだぜ。わしんとこのガキがまだ小さい頃、自動車は生
> き物かどうかマジでわしに質問してきたことあるからな。
にゃんか以前にも出た話のような気がするけど、こんなのもある:
いつも立っているコップがたまたま倒れていたら「コップさん疲れていゆ〜」。
自動車のオモチャが部屋の隅で動かなくなっているのをみて「ブーブーは
何か考えていまちゅね」
疲れたり、考えたりするというのがデフォルトなのだろうか。そんな高度な(?)ことは
大人が言葉で言って、口写しになっているだけという気もするのだにゃん。
動物と生物の区別があって、「自転車も動物とみなした」のかどうかが問題ではある。
自動物・静物(他動物)の違いに気づき始めて、さて、それをどう区別して
考えるべきか悩んで、質問してきたのかもしれない。どっちがデフォルトなのかは
おくとしても、そういう<区別>と<まぜこぜ>の時期が行ったり来たりしている
みたいだね。
> あと、あれだ、椅子
> とかテーブルが生きている植物と同じかどうか質問しにきたことがあるわ。
こっちは何だかクサイ話だな。椅子やテーブルが木で出来ているってどうして
知っていたのかな。あるいは、木で出来ていると分かっていたのじゃなくて、
その辺に「突っ立っているけどジブンからは動かない」から植物だと思ったのなら、
わかる気もするんだけど。
何が問題なのかよーわからん。
> 疲れたり、考えたりするというのがデフォルトなのだろうか。そんな高度な(?)ことは > 大人が言葉で言って、口写しになっているだけという気もするのだにゃん。 精神内在論的には、「考える」がデフォやろ。
もっと、よーわからん。
ぼ、僕の知ってるミ、ミミズはじ、字をじ、地面に書いているな、うん、か、書くんだな。 ええ、え、絵も描くときもあ、あるんだな。み、ミミズはて、天才なんだな。す、凄いんだな。 で、でも、ま、まだミ、ミミズは、お、お話してく、くれない、いな、ぼ、僕をな、仲間だとま、まだ認め てく、くれないのかな。さ、寂しいな。ど、努力がた、足りないんだな、きっと。が、頑張れば そ、そのうちあ、芥川り、龍之介く、くらいか書いてくれるかな。ぼ、僕は貧乏なので、み、 ミミズがあ、芥川作家にな、なってくれればタ、ただでよ、読めるからいいな。そ、それまでに か、漢字のべ、勉強う、うんとしないとだ、だめだな。う、こ困ったな、こ、これは。 と、ところで、コ、コップは、ぼ僕のコップもときどきつ、疲れて寝ているので、ミ、水を 入れるためにだ、抱き起こして、し、しっかりしなければいけないぞ、と、と、み、水飲ませると し、しゃっきり立ってミ、水をしっかりた保ってくれるので、ぼ、僕も喉がか、乾いたときには す、少しコップさんからわ、分けてもらっての、飲むんだな。す、涼しくてい、いいんだな。 こ、コップは涼しくて、や、優しいんだ。そ、そうなんだな。で、で、そういうのは、そ僧坊近く ってい言うんだな。ぼ、坊さんの住んでるところにい、いくと禿げがう、うつるかな、い、いや だな。ち、ち、違うんだな相貌知覚だった、た。
も、もし、こ、子どもが、ブーブーも、ぞ、象さんだ、だと思わないで、ぞ、象さんもク、車だ とお、思っていたら、ど、どうだろうな。ク、車はつ、疲れたりしないから、ぞ、象さんも疲れなく なって、コップもね、寝なくなって、て、み、みんな、ぶ物理的なモノに、な、なってしまうだろ。 そ、そんなだ、だったら、ぼ、僕はい、いやだな。つ、つまらないし、さ、寂しい気がす、するな。 み、みんな、い、生きているんだ、し、幸せなんだ、だな、う、うん。で、でも、だ、だれが、ぼ、 僕に最初に、コップがつ、疲れていると、とかを、お、教えてく、くれたんだろな。た、たぶん、 し、死んだオ、オ、オ、お袋さんだとお、思うんだな。お、お袋さ、お袋さんよ、も、森し、信一 だ、だったけな、な、涙がで、でてくるな、ぼ、僕はナ、涙、も、もろいか、からな。 ぼ、僕のお袋さんや、お、お寺の和尚さんがも、もし、ぼ、木石の、ご、ごとくだ、だったら、 ぼ、僕のコップもし、しゃきんとし、しないし、そ、それにぞ、象もか、考えたりしないし、い、いや だな、つ、つまらないな。ミ、ミミズのエ、絵がみ、見られないのはか、哀しいな。か、哀しい! あ、ありがたいな、おお袋さん。で、も、もしぼ、木石で、あ、あったならげ、言語も、き、 きっとな、なかったんじ、じゃな、ないんだろうかな。ゲ、ゲンゴロウかかわいいよ。 お、泳ぐと、へ、へがデ、出たりす、するんだな。な、なんでだ、だろう、う。
働け
何か知らんが、 きよしん坊のカキコのとこだけ異界っていう感じがするのはひらがなが多いからかな。
>>359 「働け」書き重労働乙〜
>>360 と、読点のせいだろ。こ、こっちまでどもりそうだ。
自分の声を0.5秒程度遅らせてヘッドフォンで聞かせると
吃音が生じるというのは本当なのか?
昔、衛生中継の出来ない頃、海外の特派員と局の人間が海底ケーブル経由で 話していると、自分の声が遅れて戻るので、どもっていた。実験吃音というのも あると思ったけど。
363 :
関係者 :2006/06/12(月) 17:07:05
障害をネタにして遊ばないでください
では、山下清の映画は障害をネタにして笑っているのでしょうか? 超えるだけの笑いを大切にしたいです。強さと明るさを称えられる 人でありたいです。ショーガイという言葉を振りかざして批判すれば 私たちが助かるわけではありません。
365 :
関係者 :2006/06/12(月) 17:25:19
清画伯のドマラとあなたの口まねを同列にして論じるのはどうかと思います あなたはただの口まねですから
では、自粛しましょう。ところで、あなたの目的は正当なものだと 胸張って言えるのでしょうね?あなたが本当の関係者であることを 信じたいと思います。
自己満足乙。
やはりね。
ドマラ… きよしったら
わはははは。
怒 魔羅 坊主の隠語でナニのことっ
そ、そんなモノと同列にされてたのかww 参った。
口まねじゃなくて口ぱく
374 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 20:31:02
こんばんわ。仇ちゃんでつ。おちかれでなんもするきない。てか、なんだ、 もうきよしキャラ終わりか、、、。わし大シュキだったんだけどな、きよし キャラ、、、。ちゅーか、人権屋さんがチャチャ入れてくれたが、今頃リアル きよしも草葉の陰で喜んでるんじゃねぇのか。「ぼ、ぼ、ぼくを思い出 してくれて、う、う、うれしぃんだな。そ、そ、そうなんだな。ま、ま、また、 み、み、みんなと出会えて、ぼ、ぼくはうれしぃんだな。げ、げ、げ、 げんごろうにも、あ、あ、あいたいんだな。」とかゆってるわ。ま、死人に口 なしでリアルきよしがどう思ってるかはしらないが、みなリアルきよしの才能に 敬意を払い、きよしの純朴さに人間の美しさを感じるからこそ、きよしのマネ をするというのがあると思うわ。ドモリだけをとりあげてああだこうだゆー のはそれこそリアルきよしに失礼だと思うわ。ちゅーか、わしはきよしすん げーシュキだし、実際、リアルきよしの展覧会には何度も足は込 んだことあるけどな(←少なくも消防の頃は2回は逝った)。未だに芦屋雁之助 のやった「裸の大将放浪記」を思い出すぐらいだしな。ま、わしの中ではリアル きよしはいろんな意味で神だ。ちゅーか、わしをサヴァンならびに自閉症の勉強 に向かわせてくれたのはまさに山下清であり、わしの知的好奇心のコア なところに山下清は鎮座しているわ。ま、そんなところだ。ははははは(← どもってない(ワラ)
ヒトはウソをつく
376 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 20:38:36
>ヒトはウソをつく ん?藻前がヒトなら藻前のゆっていることはトゥルースかフォールスか? さて、どっちだ?あん?
378 :
仇鱒 :2006/06/12(月) 20:45:35
>(ことがある) ま、よーするに、「ウソをつく」というのを一種の ステージ・レベル・プレディケットのようにとるとゆーことか。ははははは。 ま、インディビジュアル・レベル・プレディケットのようにとると完全に 自己矛盾だ罠。ははははは。
仇、ありがとう。私も好きなのだ、山下清。貼り絵も好きだし、生き方も。 雁之助も良かったが、その前にちょっと真面目な小林桂樹のも良かった。 ちょっと古かったかな。でも、いい映画で映画専用TVでも時々再放映している。 ただ、そういう敬愛から、ついついいつものクセでここでもやってしまったが、 こういう場所では与える印象も違うだろう。吃音の人たちに清の真似してみせると 大笑いして、後から、あそこではどもらない、どもるのはこういう単語とか勢い、 気持ちのところだとか教えてくれる。みんなで、それを少しずつだが共有できる 気がしてな。どもりが障害だとは思っていなかったのだ、みんなを見てたりするとな。 それより、小声でしか物の言えない連中の方がよほど障害を持っていると思う。 この私もだ。皆、少しずつ障害がある。それがどうにもならぬのなら、笑いあってでも 楽しく時を過ごしたいと思うのだ。ま、それにも異論はあるだろう。 ここはここ、真意はどうあれ、批判は批判、心して受け取っておく。冗談でも つい本気になった私が馬鹿だったかもしれないが、こういうことには余裕が持てない。 世の中、見せ掛けの善意やこれ見よがしの同情ほど嫌なものはない。そういう 奇麗事は大嫌いで、嘘があるといつもマジで喧嘩してきたものでな。これからも そうだろう。一言、礼を言っておく。
ところで、相貌知覚だが、なぜ物の挙動を人扱いした表現になるのだろうか。 これは、大人が使うような擬人化とも違う。物と人の区別がついてからなら擬人化 だが、子どものときのはそうではない。では、そのような捉え方、言い方のオリジンは どこなのだろう?いろいろ考えるところはあるのだが、言語学の専門家たちの意見も 聞いてみたいと思っている。
そりゃー「空気が読めないから」じゃないっすか? 何を言っているか意味を汲み取れないと意思があるかどうかは分からない。 そういう人は物も人も得体の知れない動くものという同じ分節で扱うと。 子供は意思という概念を知らないから コップが倒れていると疲れてごろ寝している親父と同じようにとらえてもおかしくないと。
「ブーブーはあっちへ行きたがってる」のタガッテイルは意思だとはとらないのだな?
訂正。「意思のあるもの」と「意思のないもの」の区別がなく混同して扱われるということにしよう。
だが、そういう「意思」が何であるかをそういう年齢の子供がわかっているのだろうか?否。 混同というのと「区別がなく」というのは両立するのだろうか? 区別があるのに、区別して いないように振舞うのを混同というのだとすると、そういう年齢の子どもたちは「混同」以前 であるとしか思えない。いずれにせよ、何かに「意思」を見出したり「たがっている」「たい」 と表現するのは、子どもの生得的な能力だろうか?いや、おそらく後天的でなければなら ないと私は思う。しかし、他人や他物の意思を確認できるのがヒトという種族の特質なのだと 主張する人もいるだろう。精神や心が生得的であるとするなら、そう考えることは必然だと 思うのだが。
幼児は「自分と同じように動くから自分と同じように意思があるだろう」と考える、といってみる。 ここでいう混同とは「自分と同じように意思があるものかそうでないものかを見分けられない」ことをいう。
ピカチュー語が喃語だと書いていた人がいたが、おおよそ賛成だ。で、その例にもあったのだが、 よっこいしょみたいなものでも、ぴっかちゅー!でもある動作に伴なわせて発話しているという点が 興味があるのだ。action grammarなるものを考える人があるようなのだが、運動や動作・行動に 伴なった説明的な語「さぁ、歩きましょ♪」は、co-action wordsだと思うのだ。それがいつかちゃんと した語になる。似たようなことだが、心理的な動詞というか、「〜したい」とか「悲しい」とか、そういう 語は、<何>と対応する語なのだろうな。意思とか感情とか想いとかに、なぜそのような語を対応 付けられたのだろう、子どもたちは。そして、対応づいたとしたら、そういう語と主語や目的語の連結 も、実際の動作や行動に沿う形で形成されていくのではないのか、と思ったりする。 「〜したい」だけでなく「〜させる」という使役にも無関係ではないと思う。相手に意思がないから 「させる」のであって、意思があるなら「させる」ことはできないし、そもそも意思のなさそうな物に 意思的になるよう迫ることも奇妙だろう。だが、それこそ意思という「概念」を持たない子ども時代には ぶーぶーに行かせるのではなく、やはり、ブーブーは行く〜!(強意)程度にしか普通はならない はずだし、そういう時期もある。なのに、いつの間にか、まだ他者の意思などというものがはっきり 把握できないうちに子どもたちは「意思表現」を使い始める。 心的器官が生得的にあるのであれば、当然、そこから自分の意思は意図的感情が生じ、それを 実感できるかもしれない。そういうふうに考えていいのだろうかと自問するのだ。 まぁ、言語学的話題ではないかもしれないので、これ以上は深追いしないが、何か思いつくことが あったら是非教えてもらいたい。宜しく。今日は少し疲れた。
>>385 > 幼児は「自分と同じように動くから自分と同じように意思があるだろう」と考える、といってみる。
自分に意思があるというような自己についての表現と、ブーブー眠いやブーブー行きたいみたい
の発生順序はどうか。むしろ、自分についての表現はより後になって始まるはずだと思ったが。
>>387 ころころ言うことを変えてすまないのだが、
うまく言えないが「自分の意思による動作とただの動作を峻別できない」といえばいいだろうか。
大人なら「車が動こうとしている」というところを「ブーブーがいきたい」と言う。
「〜たい」は普通一人称のときにしか使わないが
三人称でも言うのは「〜たい」と感じる主体が誰かを意識していないと。
>自分と同じように意思があるものかそうでないものかを見分けられない
とは
車のおもちゃは「〜たい」と感じるものではないと意識していないことである。
>自分と同じように動くから自分と同じように意思があるだろう これは撤回する。
あげあし: 「動こうとしている」も意思表現くさい。「動き始めている」ならまだ適格かも。
>>390 同意。
>>388 >
>>387 > ころころ言うことを変えてすまないのだが、
いや、別に。意見は変わるものだ。
> うまく言えないが「自分の意思による動作とただの動作を峻別できない」といえばいいだろうか。
峻別できないとして、それなのに「意思による動作」表現を使用するのは何故なのだろう?
そう言えば、子どもに歩き方を教えながら、昔は「あんよ、あんよ」などと言ったりした。 「あんよ」は足なのだが、「歩くこと」や「歩きましょ」の意味もある。犬に「お手」というのも どこか似ている。こういう物に対応する名詞が動作や動作や動作を促す語(文?)として 使われるのは、他に何か例があるのだろうか。直接、上の話とは関係ないかもしれないが。
以前NHKで放映されっとた The Human Languageという言語学入門 ドキュメンタリー番組の中で、is a car alive?ときかれた一人の子どもが yes, because it moves と答えとったにゃ 上で「混同」といっとるのは、言語学的にはovergeneralizationと言える ものかも知れんにゃ あるいはunderspecificationでもいいにゃが、 自分が覚えたことをあれにもこれにも当てはめてみたい、といった欲求が あるのかもにゃ >「動こうとしている」も意思表現くさい。「動き始めている」ならまだ適格かも。 これは非常に生成ネタ的であるにゃ いわゆるraisingとcontrolの差異だにゃ そこできくにゃが 太郎が花子を殴り始めた の受身は 花子が殴り始められた or 花子が殴られ始めた どっちかにゃ? 比べて イヌが餌を食べ始めた の受身は 餌が食べられ始めた or 餌が食べ始められた どっちかにゃ? 二つのケースでなにか差があるかにゃ?
>>386 >相手に意思がないから 「させる」のであって、意思があるなら「させる」ことは
>できないし
これもちょっとovergeneralizationであろうにゃ
言語学的にはものすごく基本的なことなので書くのもためらわれるにゃが、
太郎を歩かせる・太郎に歩かせる
のニュアンスの違いが分かるかにゃ
ヲ格使役が強制読み(無理やり歩かせた)を持ちやすいのに対し、ニ格使役は
許可読み(歩きたいというので歩かせた)を持ちやすいにゃ
後者では明らかに太郎の意志が介在しており、従って原則、二格使役は意志の
ないものには使えないにゃ
395 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/13(火) 03:57:35
>>393 >花子が殴り始められた or 花子が殴られ始めた
私のジャッジでは前者は*、後者は正文です。
>餌が食べられ始めた or 餌が食べ始められた
後者は正文、前者は?です
396 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/13(火) 05:42:56
>「〜たい」は普通一人称のときにしか使わないが そうだよね。でも外国人剥け日本語教科書には 「佐藤さんは日本語が習いたいです」のような例文が出てくる。 正常な日本語文では 「・・・習いたいんですって」 「・・・習いたいそうです」 「・・・習いたいといってました」 という伝聞を表す表現を使ったり 「・・・習いたがっています」 と表現する。
397 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/13(火) 05:43:17
398 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/13(火) 06:00:14
>餌が食べられ始めた or 餌が食べ始められた これってどっちもどっちで奇妙な感じ。 草原に墜落した遭難者が肉食獣に┌食べられ始めた └食べ始められた この場合「食べられ始めた」のほうがマシかなあという感じ。
>>393 > 太郎が花子を殴り始めた
> の受身は
*花子が殴り始められた or ?花子が殴られ始めた
左は「殴り始める」で一動詞ではないからなぁ。でも、右も「殴られる」ことを「始め」たりはしないからなぁ。
> イヌが餌を食べ始めた
> の受身は
?餌が食べられ始めた or ?餌が食べ始められた
実はこっちはよくわからない。左は基本的に「餌が食べられる」は日本語では可能だが英語的には
可能なような気がしてくる。右は「食べ」は明らかにイヌが主語で、「食べ始める」を一動詞とすればわかるが
主語と動詞の関係が入り乱れている。
> どっちかにゃ?
> 二つのケースでなにか差があるかにゃ?
花子はいろいろな動詞の主語になりえるがと餌はbe動詞でもない限り普通は主語にはならない(能動形)。
だが、殴るということに関しては花子も物扱いということもあるのかもしれない。
>>399 > 実はこっちはよくわからない。左は基本的に「餌が食べられる」は日本語では「可能」を意味しそうだが
英語的には「受身の意味で」可能なような気がしてくる。
舌足らずだった。。。
その会議は彼に行かせます これは強制ではないの? その会議(に)は彼を行かせます と、あまり違わないような感じがする。%で評価したらどうだろ?
>>393 > ドキュメンタリー番組の中で、is a car alive?ときかれた一人の子どもが
> yes, because it moves と答えとったにゃ
これはPremack絡みかね?彼の近年の研究そのものみたいだが。
ところで、能動文を受動文にすると意味が割れてくるのと、 上の意思表現のovergeneralizationとは、どこかで関係あるのですか? 相貌知覚的な表現は、受身ではほとんど起きない?
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
>>393 > 上で「混同」といっとるのは、言語学的にはovergeneralizationと言える
> ものかも知れんにゃ あるいはunderspecificationでもいいにゃが、
> 自分が覚えたことをあれにもこれにも当てはめてみたい、といった欲求が
メタファじゃないですよね。
>>395 を、かなりクッキリスッキリハッキリと差が出とるにゃー
順番を入れ替えたのがむしろよかったのかにゃ
*花子が殴り始められた ok花子が殴られ始めた
ok餌が食べ始められた ?餌が食べられ始めた
「始める」は意志を持ってし始めるというcontrol型と、
事態がそうなるというraising型の両方があるだろにゃ
「空が曇り始める」「雪が溶け始める」などは後者にゃろ
んで主語が花子の場合、
>>399 の指摘に反して花子自身の
意志で殴られることを始める場合もあり得(後で裁判を
起こしてやろうと思ってetc.)、それが「花子が殴られ
始めた」を「餌が食べられ始めた」より自然にしているのかもにゃ
ま、「られ」自体にも意図的解釈があるから、事情は複雑では
あるにゃ
最近は海外でもクジラが食べられ始めた
最近は海外でもクジラが食べ始められた
↑どっちでもいーにゃ
>>401 「に」でも強制読みも可能にゃが、「を」と違って許可読みが
自然ということにゃ その例でも
(彼が志願しているから)彼に行かせます とかにゃ
あと、
太郎に料理をさせる
とかは
*太郎を料理をさせる
のように二重ヲ格が不可能なのでニで代用している場合もあり、
強制読みの出やすさが高くなるにゃ
>>402 もう10年ぐらい前の番組だけどにゃ
近年というのはいつにゃろ
砒素砒素 overgeneralizationはメタファというより穴路地だろにゃ 不規則動詞まで規則変化をさせて goed, writed とかいう 段階が獲得期にあるのと似ている感じにゃ
>>396 > そうだよね。でも外国人剥け日本語教科書には
> 「佐藤さんは日本語が習いたいです」のような例文が出てくる。
ふうむ、日本人向け英語教育の和訳の中には上のような例があるかもねぇ。
ただ、「日本語を」の場合はまた少し違いそうな・・
> 「・・・習いたがっています」
「習いたい」より具体化しているが、でも、まだ実現していないという感じを
「たがる」から受ける。
一番興味深かったのはこれだ↓
> 正常な日本語文では
> 「・・・習いたいんですって」
> 「・・・習いたいそうです」
> 「・・・習いたいといってました」
> という伝聞を表す表現を使ったり
これは、日本人が他者の意思みたいな内面的なものを
直接その他者を主語にして表現しにくいのに対し、英語では
He wants to do something. みたいに平気で表現してしまう、というような?
英語と日本語で違うような問題なのかな・・・
本来、伝聞表現していたものが直接的な意思表現に変わったということなら
非常に面白い。また、逆の推移もあり、それも違った意味で面白そうだ。
受動形と能動形の間の変換関係ってなかなか一筋縄ではいかないねぇ。
> もう10年ぐらい前の番組だけどにゃ > 近年というのはいつにゃろ PremackのIntention研究は近年と言っても彼の仕事しては近年という意味だった。 1990年代だから、そういう番組と関係あってもおかしくはないかも。まぁ、 Premackが関係なくても、そういうアイデアは誰にでもあるだろうし。 Premackはボールみたいな物の動きにIntentionを見るかどうかをToMの基本と みていたのだろう。 ところで、シンポジウムはいかがでしたかな?
>>409 > > 「・・・習いたがっています」
> 「習いたい」より具体化しているが、でも、まだ実現していないという感じを
> 「たがる」から受ける。
スリーピー・ホローじゃないセルフ・フォローだが、
「たがる」「たがっている」は、「その子はリンゴを欲しがっている」のように、おそらく
co-action expressionで、子どものreachingみたいなものを観察して言っている表現
ではないだろうか。その場合は、直接的な他者意思表現になっていないが、もしかすると
直接的な他者意思表現の素なのかもしれない。どうだろう?
PREMACK,D. 1991 The infant's theory of self-propelled objects. In Frye, D. & Moore, C. eds Children's theory of mind: mental states and social understanding. Hillsdale, Lawrence Erlbaum. とか。
413 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/13(火) 16:37:34
サピア・ウォーフの仮説を知ってるか?
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
たがる 接尾 希望の助動詞タシの語幹タに接尾語ガルが結合したもので 動詞などの連用形に接続して五段活用の動詞を作る 自分以外の者が、ある事柄を望んでいる意を表わす また、そうしたい気持ちが言動に表われている意を表わす 「たがる」で言い切る場合は、話し手以外の状態をさすが、 「私が行きたがれば、子どもも行きたがるでしょう」など、文中(?)では 話し手の状態も表わせる 英語では、want long anxious ちなみに「がる」だけでも以下のような意味がある: がる 形容煮の語幹・名詞などについて五段活用の動詞を作る 嫌がる 欲しがる ・・・の振りをする。ぶる。 強がる 通人がる ・・・という気持ちや様子を外に見せる意を表わす ・・・の様子をする 感情や感覚が外部に現れた様子をいう ・・・らしく振舞う ・・・らしく振舞う 欲しがる 恥ずかしがる 寒がる 痛がる 怖がる 新しがる 珍しがる 不思議がる 眠たがる 会いたがる 知りたがる 話したがる 粋がる 通がる 強がる 得意がる 悲しがる ------------------------- と辞典にはあったが、この「文中」という意味がはっきりしない。むしろ、 「私が行きたがれば」は私の気持ちが言動に表われ、この場合は、「子ども」 に観察できるようになり、それを受けて、子どもも行きたいと思い、それを 言動に表わす、ということだと思うのに、辞書では、それを「文中」という言葉で 説明しているのが、どうもよく分からない。『文』という語に何か特別な意味合いが?
留学生の中には機械的に *太郎は〜したい 太郎は〜したがっている と覚えているのもいるにゃが、実際は*つーより不自然という程度の ことにゃろ これもジャジメントのハナシに戻るにゃが、この不自然さを短絡的に 非文法的としがちなシロートと、そうでないプロフェッショナルとで どっちが信頼できるか、っつーこったにゃ 昔、「太郎には妻子がある」と言ったら、それはおかしい、生き物は 「ある」ではなく「いる」だ、と食ってかかってきた留学生もいたにゃw ま、外国語の知識なんぞ、所詮その程度のもんにゃ、お互い様だけどにゃ
>シンポジウム 体調不良でいまいち集中できかったのにゃが、ま、某センセも直接話して みると戦前の印象よりはハナシの分かる人ぽい感じであったにゃ シンポは最初に俺が30分、次に某センセが30分、のこりの30分を二人の 公開討論のような形でやったのにゃが、特に俺のは分からない人には30分 ぐらいのプレゼン聞いてもさっぱり分からないというようなハナシなので、 最初から公開討論に突入してもよかったと思うにゃ こっちも討論形式のほうがやってても楽しいしにゃ 議論は相変わらずの平行線ではあったにゃが、多少なりとも接点が見えた ようにも思うにゃ 一つ収穫は、○×が言語の前駆体だと言っていても、実際は○×のほうが 言語より時間軸的に先にあったということまでは分からず、ただ相関がある という意味である、ということを認めさせたぐらいかにゃ どっちが先かはゲノムを調べて10年後には分かるはずなので待つよーに、 ということにゃったw ま、この続きは8月の進化学会でということになりそうだにゃ、やでやで
それはそれは、お疲れ様でした。
>文中 たんに文末ではなくて文の途中なら、というだけのことにゃが、埋め込み になっていればいいんだろにゃ 「〜したい」の命令形はないが、「〜したがれ」はOKにゃろ 「したがる」のほうが一時性が高いのか、意図性が生じるのか、そんあたりかにゃ
行動だから命令形があるが、意図に対しては命令形が考えにくいとか?
勉強したくなれ
> 埋め込み 私ー子どもの、上の例は「埋め込み」なんですか?言語学で言うところの「埋め込み」の 最低必須条件というか、何があれば「埋め込み」があると言えるのか、今ひとつわかりません。
上にあるように状態というより「ふりをする」という意図的行為だからだろうにゃ >意図に対しては命令形が考えにくい 言葉遣いが違うのにゃろが、「したい」は意図というより状態だにゃ
たがる − 振りをする という意味が主であると? 「したい」は意図というより状態というのは、頭が180度回ってシマフクロウですが、 なんとか感じは分かります。しかし、では、一体全体、<何の><どういう>状態なのでしょうかね・・
>>422 難しく考え杉にゃ
上で言えば主節か従属節か、の違いにゃ
John came -- この文はこれだけで独立しており、埋め込み文ではない
これが他の文に埋め込まれると
Mary said John came -- みたいに従属節になる
一人称の「たがる」は
「二人でTDLに行ってきたわ。私が行きたがったの。」
みたいなのでもいいにゃろ
>>424 願望や欲求を抱いている、という状態
一過性の行為と対照的であるにゃ
日本語では、状態述語であれば、目的語をガ格で標示できるにゃ
僕はビールをのんだ・*ビールがのんだ
僕はビールをのみたい・ビールがのみたい
比べて「太郎はビールがのみたがっている」はちょっとひっかかる
ように思うにゃが、どーにゃろ
なるほど。しかし、この「私が行きたがったの」がbecauseで前の文。につながっていると とらえるのが素人には難しいですね。言われれば納得できるのですが。 「〜したい」に命令形がないということは、それ自体興味深いです。 Want to be a man ! とは言わずに Be a man ! 助動詞 WILL にも命令形がない・・・
>素人には難しいですね 「私が行きたがったの。」が自然に発せられるような会話例をすぐに 思いつくかどうか、ということで、そーいうふうに協力的なインフォーマント とそうでないインフォーマントで、どっちが好ましいか、というのも問題だにゃ
>>426 >
>>424 > 願望や欲求を抱いている、という状態
そうかなとはウスウス思っていましたが、「言葉遣いが違う」以上の話になりそうですねぇ。
しかし、そういう願望や欲求は「状態」として捉えるというのは、したの例をみると、どうも
非常に基本的姿勢のようですね。これは生成だけでなく、ほとんどの言語学的考え方に
共通でしょうか?
> 日本語では、状態述語であれば、目的語をガ格で標示できるにゃ
> 僕はビールをのんだ・*ビールがのんだ
> 僕はビールをのみたい・ビールがのみたい
> 比べて「太郎はビールがのみたがっている」はちょっとひっかかる
> ように思うにゃが、どーにゃろ
うーむ、言わないでしょうね、そういうふうには。なんででしょう?それが、たがる≠状態という
ことなのですね。
>>428 > >素人には難しいですね
いや、ジャッジ麺と的な話はそれほど気にならないのですが、思いつけない!という
気持ちは強いですね・・・
というか「。」で文が切れるという思い込み(生半可教育・学習)が強すぎて、そう感じるのでしょう。
Hope to be a man ! は言いますね。話は違いますが。
> 太郎はビールがのみたがっている これは、むしろ、 次郎は、日本酒が飲みたがっているが、 太郎は、ビールが飲みたがっている。 というふうになって、太郎や次郎が、酒やビールに飲まれてしまうみたいですね。
Be a man! とも言うにゃ この場合、単に性別を指すんでなく、男らしくふるまえ、という 意図的行為を指すからだろにゃ Donユt be a hero カッコつけて無茶なことをするんじゃないぞ、とか
私一人でTDLに行ってきたわ。私が(/は)行きたがったの。 は何だか変ですね。2人出ないで、1人での埋め込み文が出てこない! 私一人でTDLに行ってきたわ。私が(/は)行きたカったの。 なら、わかるのに。
>>433 そーいう解釈ができてしまうことも、重要な観察であるにゃ
「太郎はメロンパンが好きだ」-- これも実は曖昧であるにゃ
「太郎は花子が好きだ」とおなじようににゃ
世間の常識みたいなものが干渉して、前者の自然な解釈が制限されて
しまうのにゃが、原則、ある文がどういう解釈を持ち得るかは、
そーいう常識に縛られていては気付かないことが多々あるにゃ
プロのほうが常識から開放されて客観的判断ができるということも
あるにゃろ
>>434 > Be a man! −→
>>427 > この場合、単に性別を指すんでなく、男らしくふるまえ、という
> 意図的行為を指すからだろにゃ
これも「意図的行為」か・・・ BEは本来状態や性質を表わすはずなのに、生成をも表わす・・
> Donユt be a hero
> カッコつけて無茶なことをするんじゃないぞ、とか
うふぇぃ。
>>435 それは上にあるように「たがる」が願望を他者から見えるように
振る舞う行為をさすからにゃろ
>>436 > そーいう常識に縛られていては気付かないことが多々あるにゃ
> プロのほうが常識から開放されて客観的判断ができるということも
> あるにゃろ
まったく、それはそのとおり。メロンパンが怖くなった・・・
科学性が統計性である部分もあるとは思っていますが、一方で、ヘリクツこそ
科学だという想いも捨てがたい。まぁ、心理学なんてのも、常識的言語使用への批判
みたいな面があるわけで。ある種のメロンパンばかり考えているのかもしれない。
>>438 >
>>435 > それは上にあるように「たがる」が願望を他者から見えるように
> 振る舞う行為をさすからにゃろ
埋め込みと他者と、2つの説明があるのだと?
あ”、それが同じことだと??
>>437 見落としにゃ、にゃはは
むしろa man自体に、性別についての恒常的属性を表す以外に、一次的性質を
表す意味もあるからだろにゃ
上でも出てきているにゃが、この対比を individual-level / stage-level と呼んだり
するにゃ 一般にindividual-levelは命令文にはならないのにゃ
Know Mr. Yamada
なんて命令文はないにゃ
ところが、マトリックスという映画の中で
Don't think that you can 〜. Know that you can 〜.
みたいな言い方があって、面白いと思ったにゃ
日本語でも「〜だと知れ」みたいに言うにゃが、これともちょっと
違うように思うにゃ
いやいや、有名なのがありそうです: 汝自身を知れ デルフォイの碑銘
見落としも、得るところが増えるので歓迎ではあります (^^)
もっとも、アンケート調査でもやって、 メロンパンに食われる みたいなイメージがどの程度の確率で一般人に生じ得るのか調べてみたい 気もしますが(単なる好奇心としてですが
そりゃ、selfだからにゃww って言われそう。
>>442 いやいや、いいご指摘であるにゃ
Know that the earth is flat.
みたいな命令文はない、というべきであったにゃ
Manユs got to know his limitations. 俺の心の師匠のハリー・キャラハン刑事のセリフであるにゃ (from ダーティ・ハリー2)
>>438 >
>>435 > それは上にあるように「たがる」が願望を他者から見えるように
> 振る舞う行為をさすからにゃろ
おわかりでしょうが、こういう場合も私はついつい常識の逆をとって、
他者から見えるように願望があると思い込むのではないかと考えてしまうわけで。
まぁ、それを今ここでウンウンするつもりもありませんが、ToM絡みの相貌的知覚
も同様に考えてしまうわけで、そういう線で考えて行かざるを得ないのですが。。
>>446 >
>>442 > いやいや、いいご指摘であるにゃ
や、どーも。ただの思いつきですが。
また、もわーんと甘い会話と言われるといけないのですが。それで言うのではないけれど、
> Know that the earth is flat.
> みたいな命令文はない、というべきであったにゃ
ガリレオの身になったら、こう言いたかったかも。
>>447 > Manユs got to know his limitations.
> 俺の心の師匠のハリー・キャラハン刑事のセリフであるにゃ
> (from ダーティ・ハリー2)
へー、そんな台詞が。彼は実にいい俳優で、いい監督でもありますね。
市長なんかになったりするのはよくわからないけれど、傍目には面白い。
夕日のガンマンあたりは大好きだった−伊太利亜っぽいテーマ・ソングも好きでした。
今日は朝から10個くらいの別事象が降ってわく多忙な一日でド忘れしてしまったのですが、
ホモ痴情のもつれからアメリカ南部の富豪で政治家が殺人を犯し、その富豪の人生を取材
にきた新聞記者が結局、意に反してその殺人をあばいてしまう、という映画があって、
イーストウッド監督作品なのですが、これがなかなか会話や表情の微妙さがよかった。
あれ、見たとき、こりゃタダモノじゃないな、と。地名がタイトルだったのだが、それが出てこない。
>ToM絡みの相貌的知覚 お説拝聴 ワッフルワッフルw >ガリレオの身になったら いやいや、またしてもいいご指摘であるにゃ ちょっとハナシがずれるにゃが、knowなどは factive verbといって know that 〜 では that以下が真実であることが前提になるにゃ John knows / doesnユt know that Mary is married. いずれもその後に but in fact Mary is not married を続けると矛盾が 生じるにゃ cf. ok John thinks that Mary is married. But in fact Mary is not married. Know that the earth is flat. と言えそうな状況といえば、話者が地球が 平面であることの真実性を信じて疑わず、同じ信念を相手にも持つよう 求めているような場合だろにゃ 上のマトリックスの場合は、頭で考えるのではなくカラダで実感しろ、 みたいな感じだったかも知れないにゃ ところでガリレオが地球は平たいと言ったのにゃ??
>>449 true crime? たぶん違うにゃ
実は今カキコをしている俺の部屋の壁には、夕陽のガンマンと
続・夕陽のガンマンの劇場公開時のポスターが貼ってあるにゃ
中学生の時に入手したもので、すでにボロボロにゃが、状態がよければ
今なら一枚10万円は下らないであろうにゃ
マカロニの話題をふると、逃走派しゃんが「エンリオ」・モリコーネとか
言って出てきそうにゃw
あ、思い出して候 邦題『真夜中のサバナ』 原題サバナ 首輪だけでイヌのいないのを散歩させている人物がひょこっと筋とは関係なくでてきたり ブードゥーの占い師である黒人のおばちゃんがなかなか実は深かったり、ま、とにかく、 甘いマスクの男同士で優しい感情があるのに、政治的な陰謀やら、静かな戦いやらあって、 なかなか凄かったです。
>真夜中のサバナ 知らんかったにゃー 雑談モードに突入すると、モリコーネだと同じマカロニウェスタンで 「殺しが静かにやってくる」という作品のテーマ音楽が非常に美しい 旋律で絶品の出来であるにゃ 口のきけない賞金稼ぎの主人公が、最後は悪党に惨殺されて終わる 掟破りのストーリーで、なんとももの悲しい映画であったにゃ 主演は「男と女」のジャン・ルイ・トランテニアン、全編が雪景色の中 ということもあって異色のマカロニにゃ 主人公は西部劇には珍しいモーゼル拳銃M712を使っておって、 イーストウッドもこの映画がお気に入りであったらしく、後に自作品 「シノーラ」でモーゼルを使い、また「ペイル・ライダー」で主人公が 馬にのって雪山から現れるのは、この作品へのオマージュであると 言われておるにゃ 解説おわり
>>450 > ところでガリレオが地球は平たいと言ったのにゃ??
ぎゃははは。私の平行世界での出来事でした。ボケとるなww ま、マカロニ世界の
イオ、ニオ、キオ、チオは分かりにくいですね。ラテン語の発音なんかもそれこそ
イタリア語に至るまでに変遷し続けてきたみたいですね。そういうことを知っている人に
起こりそうな言い誤り・聞き誤りかも。
> ちょっとハナシがずれるにゃが、knowなどは factive verbといって
いえ、ずれていないかも。そういう動詞、先のタガルがつく動詞の大半が、事実の表現で
あるというよりは、感情や思考・志向などのように「内心」を表わすものですよね。
> >ToM絡みの相貌的知覚
> お説拝聴 ワッフルワッフルw
と言ってもらうと逆に話がうまくできない自分に気づいてしまうのですが・・
「内心」を、特に他者の「内心」を表現するということ自体たいへん難しいことであるはずなのに、
子どもたちの相貌的知覚(厳密にはそう知覚しているのか、ただそう表現しているのか不明)は
実に簡単に「内心」的表現をしてしまう。それが表現だけなのか、それともそういうふうに実際に
感じ取って知覚しているのかはなかなか確定するのが難しいのですが、重要な点ではある。
この表現や”知覚”も、「他者が私において知覚している」の例ではないかと思えるわけです。
ToMも、事象の系列から他者の意図といったものの存在や内容を推定することなのですが、
それは少なくとも、他者に意図なるもの、あるいはもっとグロスに言えば「心」なるものがある
というふうに考える(感じる・・・)のでなければ、生じないはずですから、両者には、他者に意図
があるという共通項がある。
ToMは他者の意図と事象の系列との関係、他者問題、進化的戦略などへとつながるのでしょうが、 ToMという語を作ってしまったPremackは、跳ねるボールに意図を感じるかというような実験を 子どもの発達を追って調べようと考えた。彼もまた認知というか他者内心を信じる方向になった のかもしれません。 私は、むしろ「他者が私において知覚している」論者でいけるかどうか知りたいので、その線で 行ってみようとする。で、とっかかりが、相貌的知覚みたいなもので、そこに他者からの「口移し」が 入り込んでいるのではないかと考えてみる。 つまり、上のタガルは辞書を改めて引いてみて、そうか!と思うことがあったわけです。タガルは 単純に意図する状態ではなく、意図する行為として捉えている。ならば、そのタガルの生成こそ 興味深いのかもしれない。などと妄想する夜なのであります。 タガルのレベルで話が通じるようになると、その先はタガルの<内言化>( ピアジェではなくむしろ ヴィゴツキとかルリアの内言化ですーーまぁ、いずれも古い)が起きて、それが今度は他者ではなく 自分の「内心」になっていく。子どもの自己認識や自己知覚の発達経緯からも、そんなことが起きそ うかなと。 > know that 〜 では that以下が真実であることが前提になるにゃ ところが、knowという自体はそういう意味の<真実>であるかどうか判定することが難しいので、 反例や事実関係の明示と矛盾するのかどうか、すぐには分からない。とか考えるわけです。 あわてて書いたから分かりにくくなってしまいました(誤りがあったら訂正します←まとめろw(^^)
>>453 > >真夜中のサバナ
> 知らんかったにゃー
これも一度お試しください。ハードな世界ではなく、けだるい南国の町という背景の中で
生き死にが起きるのを淡々と眺めているような展開がまた、けだるさとマッチしています。
て、映画評論家か私?!
> 雑談モードに突入すると、モリコーネだと同じマカロニウェスタンで
> 「殺しが静かにやってくる」という作品のテーマ音楽が非常に美しい
> 旋律で絶品の出来であるにゃ
さがしてみます。
> 口のきけない賞金稼ぎの主人公が、最後は悪党に惨殺されて終わる
> 掟破りのストーリーで、なんとももの悲しい映画であったにゃ
伊太利亜映画は『道』なんかも好きですね、泣かされる点ではピカ一。
> 主演は「男と女」のジャン・ルイ・トランテニアン、全編が雪景色の中
> ということもあって異色のマカロニにゃ
へー。モーゼルか、重いですよね。ルガーとかワルサーP38みたいなのも好きですが、
モーゼルや日本のなんと言ったか良く似たのも凄いとは思います。
イーストウッドだったかどうかはっきりしないけど、ジャンゴっていう棺桶引いてやってくる
賞金稼ぎの話も印象的でした。イタリア語の主題歌だったと思ったが・・・
>>454 ToMの場合は、他者にも自分と同様、心があると気付く意味で分化後の統合
のレベルにゃが、相貌的知覚は心のないものにまで心があると過剰一般化して
しまう未分化の段階、というふうに区別したら間違いにゃろか
件の長谷川M子氏は、ToMは他者の心を理解し操作するコントロール型思考
と結びつけ、それに加えて他者の感情との共感を基盤とするネットワーク型
思考がある、と言ってるにゃ
この二つは別物であり、進化の過程も異なる、ということらしいのにゃが
違いがよく分からんとゆーか、基本は同じのようにも思うにゃ
両者が乖離してるような場合があれば分かりやすいにゃが、たとえば
自閉症の場合、どっちも苦手なんでないかにゃ
>>455 >ヴィゴツキとかルリアの内言化ですーーまぁ、いずれも古い
いやいや、それで言うと俺の立場は基本的に(チョム+)J.ブロノフスキー
であるから、こっちも負けずに古いにゃw
>ジャンゴっていう棺桶引いてやってくる 賞金稼ぎの話
フランコ・ネロ主演「続・荒野の用心棒」であるにゃ
当然、イーストウッドの「荒野の用心棒」とは何の関係もにゃいw
主題歌には英語版もあって、TV放映の時にはこっちが使用されたにゃ
「続〜」の最後、両手の指を潰された主人公が、拳銃ピースメーカーの
トリガーガードをはずして、指を使わずに引き金を引けるようにする
場面があるのにゃが、ピースメーカーはそもそもトリガーガードだけを
はずせるような構造になっていない、というツッコミがあったにゃ
ま、そういった考証的な部分ではいい加減なのもマカロニの味ではあるにゃ
ペイルライダーについて書いていてフト気が付いてしまったにゃ 最後の対決シーンで、悪者が主人公イーストウッドの顔を見て「お、お前は!」 と絶句するのにゃが、昔殺したはずのあの男だと分かったんだろにゃ つまり「殺しが静かに〜」の後日談というわけにゃ ペイルライダーの主人公=牧師の姿をしたガンマンは実は神か亡霊では ないかとは言われておるにゃが、そーいうことだったんだにゃー にゃんか急にペイルライダーを見たくなったので、今夜はこれで 失礼するにゃw
いい鑑賞時間を!(^^)大変有益でした。
>>457 >
>>454 > ToMの場合は、他者にも自分と同様、心があると気付く意味で分化後の統合
> のレベルにゃが、相貌的知覚は心のないものにまで心があると過剰一般化して
> しまう未分化の段階、というふうに区別したら間違いにゃろか
いや、そう区別できると思います。Premackは相貌的知覚を云々しているわけではなく、
それを何となく関連付けているのは私なのですが、Premackは昔から論議と実験内容とが
ズレているのが取り得というか魅力な人なのでして(^^)、で、相貌的知覚は特に強く云々して
いないが、実験自体はまさにそういう「物の心」を検討しようということになっているので、
そこら辺がねらいなのかな?と思っている私です。ま、まだ思い込みですが。
区別して、ToMは大人への通過点だが、相貌的知覚(physiognomic perception;PP)は
自他の区別も無いときのこと。違うレベルですが、そこに共通性を見るのがPremackが
心理学者らしいところだろうと思うのです。共通するのは、意図を仮託するというか、あるかどうか
確認できないものなのに在ると知覚する、というか。それがどのようにして起きるのかに関心が
ありますね。PPからToMに至る経路が面白いのかと。
> 件の長谷川M子氏は、ToMは他者の心を理解し操作するコントロール型思考
> と結びつけ、それに加えて他者の感情との共感を基盤とするネットワーク型
> 思考がある、と言ってるにゃ
なるほど、戦略と共感。うまいペアではありますね。それは、おそらく生態学的な個体間関係
に主な関心を置くと、そういう競合・共感の組というのは色々と面白いのでしょう。犬山人も
関心があるでしょうね、同姓のカズちゃんなんかはどうですか。。
> この二つは別物であり、進化の過程も異なる、ということらしいのにゃが
> 違いがよく分からんとゆーか、基本は同じのようにも思うにゃ
生理学的に関与するプロセスは異なっているかもしれませんが、ちょっとソフトウェア的に
見ると、私なんかも同根のものに見えます。見るレベルの相違かもしれませんが。
今夜というか、朝では?はは、いや、座標軸が相対的でしたね。 せっかくだからお返事は結構ですが、書き書けだけは書いておきますか。 > 両者が乖離してるような場合があれば分かりやすいにゃが、たとえば > 自閉症の場合、どっちも苦手なんでないかにゃ うーむ、これは難しい問題ですね。仇鱒さいころジストも一家言あるでしょうか? → そんなことどーでもええわ? よく考えてみないとわからない所のようですが、印象だけ言いますと、 自閉症児の情緒障害性はいろいろ言われてきたのですが、実際の自閉症の人と居ると あんまり」共感性に問題があるような印象を持ちません(私だけかもしれないけれど)。 真性でない仮性自閉症で、母子関係などに問題があって症状が似ている例では、共感性 に問題がありそうな例は多いような気がします。 一方、真性と思える自閉症(これは自閉症の定義にもよるはずですが)では、ToM障害的な 面が前面にでてくる気がします。実際、自閉症のToM障害的な様相は、ToMや他者との間の 競合・コントロール関係ではなく(競合やコントロールというと、やはりそこに裏返しの共感がある)、 もっと基本的なところの障害だと思っています。他者を認識するというのは色々なレベルが あるわけで、向かい合っている場合、私の右は私にとって右ですが、相手にとっては左で、 この「誰にとって」かという認識がそもそも自閉症では問題があるのではないかと思いますね。 だから、ToMも難しくなるのであって、ToMだけがコックアウトされているわけではない、と。 自閉症児の「物そのもの知覚」みたいな話は仇鱒サヴァンにお任せしたほうが面白そうですが、 最後に書くと、上の右左ですが、自閉症の場合は相手が人間でなくて建物とかでも左右反転 して絵に描いたりするという特徴があります。また、動きを絵にした例が少ない。山下清の絵は 花火とかも綺麗ですが、花火の或る一瞬が見事に捉えられていると思うことが多いのですが、 彼の絵が左右逆転していたかどうかは今となってはわかりませんね。では、また。
>>459 サバナですが、拳銃で頭をぶち抜くような激しい殺しなのに、みょうに静かです。
> つまり「殺しが静かに〜」の後日談というわけにゃ
映画って、そういう細工がなかなか生きていて面白いと思いますね。全体としては
現実的なことしか起きていないのに、犬なし首輪の散歩シーンが数秒出てくるだけで
なんだか世界が反転してしまう。日常と非日常の静かなズレ。イーストウッドの隠れた
関心事なのかな・・・ では、本当に、OFF.
読み直していたら、見落としていました。
>>458 >
>>455 > >ヴィゴツキとかルリアの内言化ですーーまぁ、いずれも古い
> いやいや、それで言うと俺の立場は基本的に(チョム+)J.ブロノフスキー
> であるから、こっちも負けずに古いにゃw
温故知新ですかね。灯台構内にこの碑銘があったかと。
> >ジャンゴっていう棺桶引いてやってくる 賞金稼ぎの話
> フランコ・ネロ主演「続・荒野の用心棒」であるにゃ
あ、そうでした。顔をまざまざと思い出してしまった。
> 当然、イーストウッドの「荒野の用心棒」とは何の関係もにゃいw
> 主題歌には英語版もあって、TV放映の時にはこっちが使用されたにゃ
しかし、詳しい!伊太利亜語主題歌はなんとなくカンツォーネみたいな部分があったっけ。
> 「続〜」の最後、両手の指を潰された主人公が、拳銃ピースメーカーの
> トリガーガードをはずして、指を使わずに引き金を引けるようにする
> 場面があるのにゃが、
そうそう、あれが復讐心というか、あの映画の物凄いところでした。指が不自由なのに
銃を撃つ。
> ピースメーカーはそもそもトリガーガードだけを
> はずせるような構造になっていない、というツッコミがあったにゃ
> ま、そういった考証的な部分ではいい加減なのもマカロニの味ではあるにゃ
10へー。
テキトーに早送りして見終わったにゃ
イーストウッドが裸になると、背中に何発も銃弾の後が残っていると
いうシーンがあって、やはり! と確信したにゃ
このレビューが秀逸
http://micchii.blog4.fc2.com/blog-entry-112.html >散々に村を荒らされ、打ちひしがれる人々。
>愛犬を殺された少女が神に祈ります、「主のご加護のあることを信じてはいますが、
>奇跡をお示しください」「一度だけ奇跡を」と。
>そこに、雷鳴轟く白銀の荒野に馬にまたがり“牧師”イーストウッド登場。
>その姿を捉えたロングショット、あまりのかっこよさに、あまりの美しさに、
>あまりの神々しさに、訳もなく涙がこぼれました。
そうそう、俺もこの場面で泣いたw
465 :
閑古鳥 :2006/06/14(水) 20:56:19
ホゲ ?
466 :
逃走派 :2006/06/14(水) 22:14:12
467 :
逃走派 :2006/06/14(水) 22:21:50
468 :
仇鱒 :2006/06/14(水) 22:23:25
>> さらに、モリコーネの音楽には、同じ音型を執拗に繰り返すという特徴があります。 >まさにミニマリストのエンリオ・モリコーネ! ブラボー! ちゅーか、どもりのモッコリーネじゃねぇの?(ワラ) てなことで、猛烈にいそがしくてなんもする飢餓しない仇ちゃんだったりする。 で、逃走派しゃん、今日お隣さんにあるブツを送ったのね。そんで、おそらく1 部お裾分けされると思うけど暇なときにでもペラペラめくってちょ。
>ブラボー! 「夕陽のガンマン」でイーストウッドがリー・ヴァン・クリーフに言うセリフだにゃw >また、モリコーネ・ミュージックのもう一つの特徴である >「同一音型の意味ありげな繰り返し」も、現代音楽では常套手段です。 >音型に表象 (シンボル) としての意味を持たせたり、あるいは、 >繰り返しだけで音楽を構成してしまうこともあります。 >「ミニマル・ミュージック」もこの流れから登場したのでした。 unbounded Mergeか。。。おそるべしモッコリネ しかしそれでいうと ZepのWhole Lotta Loveも、単純なリフの recursionだけからいかに凄まじいパワーが生まれるかという 実験音楽的な面があったにゃ
ヘー、オモシロソウダネ、アカチャンガッカイ シカシ、 フィー ガ ヒー ダナア・・・
いつ頃ここでAlison Gopnikが出たんだっけ?
相貌知覚は実は因果知覚の文脈線上にも乗っているんだな。
因果確率なら米図かな・・・
そうそう、
>>462 は
犬なし首輪の散歩シーン
と書いているが、WEBの映画評などでは
見えない犬を散歩させている
となっているのが多く、「見えない犬」の方が「犬なしの首輪」より分かりやすい。
なぜ、犬なし首輪という言い方にこだわったのだろう?
この違いは、「〜したい」と「〜したがる」に関わる違いなのではないかな。
>>顔文字先生
私も以前から気になっていたことなので
>>349 の
仇さんの疑問(ヘッドパラメターの問題)に答えてはくれませぬか。
へ? mirror principleでなにか問題あるかにゃ? [ n [ root → [ root-n [ ... で、head-initial言語でも移動が起これば名詞化接辞のほうが 後ろに来るにゃ >犬なし首輪 アリス出版のa grin without a cat を思い出すにゃ〜 (チシャ猫はどこいった? gopnikは鉄が悔いたからの来客があった時にtheory theoryを 引用したにゃ(すでに遠い目
474 :
471 :2006/06/15(木) 01:40:43
今夜はThe Jesus Dynastyを読みかけなので、私は、また、明日。ほにゃ。 しかし、こんなところでBayes netとは思いもよらなかったな。驚き。
475 :
471 :2006/06/15(木) 01:42:22
>>473 > >犬なし首輪
> アリス出版のa grin without a cat を思い出すにゃ〜
> (チシャ猫はどこいった?
> gopnikは鉄が悔いたからの来客があった時にtheory theoryを
> 引用したにゃ(すでに遠い目
うふぇい。そうだったですか。読み直してみましょう・・・
476 :
471 :2006/06/15(木) 01:46:01
Where have all the flowers gone? Long time passing −−words and music by Pete Seeger
477 :
471 :2006/06/15(木) 01:54:06
そうか、これは顔文字先生だったのだ。 548 名前:名無し象は鼻がウナギだ![sage] 投稿日:2006/05/28(日) 03:35:20 それこそtheory theoryだなww
ちがうっちゅーにゃ
479 :
471 :2006/06/15(木) 02:02:19
もしかしたら私だったのか・・・ 多重人格の恐怖ww
な、古きをたずねて新しきを知るだ、こりゃ。音楽スレでもまた・・・ なんとスレ<13>で虚無好き師が 471 名前:虚無好き ◆DQNDQN20hs [sage] 投稿日:04/11/27(土) 21:31:23 「顔の認知が成立していないとき」というのは、じつは乳児期のことではなくて、 ある図形の集合が顔に見えないとき(顔文法で非文となるとき)、という意味なのだが… まあいいにゃ。顔で思い出したけど、 顔の図形をずっと見続けてると、顔のパーツがあるまとまりで消失するという現象があって、 (目と耳がまとめて消失するとか) これがCheshire catとの絡みで紹介されてあったにゃ。 つまり、a grin without a catが、視覚認知上はかならずしも不可能ではないと。 関係ないけど、レタス猫の先生は、レタスの和名を知らないみたいだにゃ。 っつーか、わたしもランボーの詩の和訳かなにかで知ったんだけど。
めぐる めぐるよ 時代はめぐる 中島みゆき
Nino Rotaも好きなんだけど
>>469 > unbounded Mergeか。。。おそるべしモッコリネ
> しかしそれでいうと ZepのWhole Lotta Loveも、単純なリフの
> recursionだけからいかに凄まじいパワーが生まれるかという
ラベルのボレロ たーたらららたったららー しかない・・・
Gopnikのその論文はなんとなく曖昧な印象だ。behaviorismとかに言及しているが あまりソレらしく見えない、とか。認知的学習理論の流れなのだろうか。 The learning mechanisms we know about are too weak to derive the kind of knowledge we have from the kinds of information we get from the outside world. ということは、おそらく経験主義にとってはいつも越えがたい壁になっていると見える。 それを超えるために遥か昔に案出されたものの一つがlearning set学習の構えという ものだったらしい。これは、。学ぶための構えであって、なおかつそれ自体も学ぶことで 形成される。Theory theoryはそういうアイデアを焼き直しているところがあるように見える。 learning processと複雑な知識構造をつなぐための一つの妥協策がconnectionismなの だろうか。どうも、connectionismは古きよき時代のperceptronを思い出させてイマイチだ。 今回の発表は、その論文でも書いているtheory thoeryの形成を特に因果知覚周辺に 狭めて、それをconnectionist的なネットワーク・モデル(主観的確率であるBayes確率を ネットワークの状態遷移に使ったBayes net)で何とかモデル化して説明しようということ なのか。どうも、まだ、根本的な点が解決されていないような気がする・・・ Bartsch and Wellman(1995) have shown that children:s acquisition and use of mental state verbs tracks their development of successive theories of mind. という辺りから すると、その狙い目には関心があるのだが。因果知覚に話が狭められているのは、 やはりPremack他の影響もありそうだ。Causality CAUSE なかなか食えない問題かな。 mental state verbs・・・・ 関係ないが、unboundはそれ自体過去分詞じゃなかったっけ?それなのにunbounded みたいになるのは、おみおつけの類かねぇ。軽薄印象記スマソ。
Carnapなんかに言及しとるなww
>>484 いいレスであるにゃ
theory theoryがチョムスキーのUGの焼き直しにすぎないことは、
以前にも述べた、にゃ
bound-bounded はbind-bound とは別の動詞なのでチューイ
well-foundedを「よく見つかる」と訳す学生もいるけどにゃw
分裂文 cleft sentence のcleftはcleaveの過去分詞にゃが、分裂文形成を
cleftingなどと称することがあって、こっちは確信犯ぽいにゃ
或る値を或る変数にbindする じゃなくて 制限する なのですか?? 誤解していた学生ですたww (^^; > theory theoryがチョムスキーのUGの焼き直しにすぎないことは、 ビミョーな接点でありまするな。
弾む だろ (~*=) 弾むボールの何とか知覚
つまりMergeの適用回数が制限されず、無限に繰り返し可能であるという ことであるにゃ ちなみに以前の生成(GB理論)では文法モジュールとして Binding Theory 束縛理論と、Bounding Theory 境界理論 というのが あって、bindとboundの違いはそこでまずしっかり覚えたもんにゃ(遠い目
安倍晋三は統一教会とお友達ですね。
(・∀・)ニヤニヤ 月干リ言言吾チラッと立ち読みしたけどにゃ、仇組がなにやら久野・高見を ボロクソにけなしとるにゃ おもしろいからもっとやって栗〜w
>>471 > となっているのが多く、「見えない犬」の方が「犬なしの首輪」より分かりやすい。
> なぜ、犬なし首輪という言い方にこだわったのだろう?
> この違いは、「〜したい」と「〜したがる」に関わる違いなのではないかな。
そりゃ、見えない犬のほうが分かりやすいのはいいのだが、それでも、首輪だけ
宙に浮いて、それに付いた皮ひもを飼い主(?)が引っ張っているとしても、やはり
そこに犬はいないのであって、ただ見えないのではないのだと強調したいわけだ。
もちろん説明の便宜上、見えない犬を散歩させている<ように見えた>というのは
一向に構わないのだが、見えない犬が居たので、もしかするとどこかに見えない猫も
いるだろう・・・と奇妙な方向に「見えない実体論」が展開するのは止めたいと思うわけだ。
「〜したい」と言うのも実はそれに似ていて、説明便宜上いいというのなら許容範囲だが、
それでも実際に観察・実証可能なのは「〜したがる」でしかないという事実に変わりはない。
とか思うのだが、間違っているかな?
直接関係ないが、Bayes確率というのは、何かが実現していない状態、実現する契機・
理論立て・状況に関する確率表現があって、そこから、確定した事象の確率が計算できる
という話(チョー雑把)。実現していない時制、実現した時制みたいな話の真偽はわからないが、
シンボリックには面白いとは思う。ま、これまた、生成的でなかったな、ガチョーン。
たまたま仇氏の近影拝見。 写真だけはサワヤカ系だったのがチョイワル系に乗り換えましたか?
その散歩シーンを見ていないのでにゃんとも言えんにゃが、 「犬なし首輪」だと首輪だけズルズル引きずってても構わないが 「見えない犬」だといかにも首輪の挙動がイヌのクビに装着されて いるようになってないとおかしいんでないかにゃ 生成文法でいう空範疇の扱いにちょっと似ていて興味深いにゃ 古典的な例でいうと John is easy to please では、pleaseの主語・目的語はいずれも聞こえない(見えない)わけにゃが まったくなんもないのではなく、聞こえない要素が存在する John is easy [ X to please Y ] と考えるわけにゃ んで、この場合必ず John = Y であって、Xではないことが母語話者には 分かるが、聞こえもしない要素の解釈方法をどうやって経験だけから 学ぶことができるのか、なにがしかの生得的知識の関与がありそうだ、 というわけだにゃ
>>494 この推移で空範疇の話が出て生得的知識云々となると、非常に難しい問題を急に
突きつけられたような気もしないではないですね。ま、それはともかく、空範疇のような、
いわば「語もどき」の局所的存在(非存在?)から、生得性問題がすぐ顔を出せる
ところがなかなか興味深い。なんだか言語が金太郎飴に見えてくる。
> John is easy to please
実はこの文は私にはかなり難解。Who(m) do you like?と似た印象がある。特に
John is easy to be pleased.
という文との間で混乱してしまう。flatterという動詞がありますが、お世辞を言う、
得意がらせる、光栄に思う(be flattereed)と一連の意味があり、
She flatters herself that she could have been a model.
というような言い方もあるだろうと思う。何でかそういうことが思い浮かぶわけなのだが、
それは、犬・首輪・散歩問題ともつながっている気がする。
散歩シーンは、首輪・紐をズルズル引きずっているのではなくて、首輪がちゃんと輪に
なって宙に浮き、しかも、その首輪が作る円は水平ではなく垂直に立ち、それが飼い主(?)の
少し前を進んでいくのをジョン・キューザックが目撃するわけなんですね。少しだけ驚いた
ようなでも、しょうがないか、ここじゃあ、みたいな表情がなかなか笑わせる。
で、これは、見えない犬が飼い主を引っ張っていくようにすら見えるので異様に見える。
しかし、何度かリプレイして見てみると、首輪と紐の位置関係がかなり固定的で、おそらく
特撮やCGではなく、紐の中に針金などの硬いものが入っていて、それを飼い主が杖の
ように(杖だと地に着くはずなのだが、着けずに宙に浮かせて)持っているらしいことが
わかる。もし、そこに見えない犬が居るのなら、首輪と紐の位置関係はやはり変動しないと
可笑しい。見えないイヌの主体的な動作なのか、それとも首輪の(飼い主による)受動的な
操作なのか、というところに私はすぐ目が行ってしまうわけです。
空範疇という考え方そのものは色々と論理操作上では興味深いと思うし、それを軸にして
理解が構成可能だというのはとても重要だとは思うので、今直接云々はしないけれど、上に
書いたような能動−受動の関係の中にトリックがあるような気がしているのです。 Pleased?
>いわば「語もどき」の局所的存在(非存在?)から、生得性問題がすぐ顔を出せる >ところがなかなか興味深い。なんだか言語が金太郎飴に見えてくる。 あまり良いたとえではないな。 雪見だいふく、ならどうか
>>497 > 雪見だいふく、ならどうか
ほー美味そうだね。ワッフルでは?ところで、何を象徴するか、メタファルかだが、
金太郎飴と書いたのは、飴全体の由来を論議もできるだろうが、一本の飴を薄く
切って、その一枚ごとになお、由来が検討できるとするなら、これは凄いなという
思いを込めてみたのだ。雪見だいふくの場合は何が出てくるのだろう??ま、
いずれにしても冷たいものが美味い季節になりましたですな。生ビール♪♪
ところで、動詞が名詞化して扱われる場合、色々あるのあろうが、
1a) I saw him walking around the pond.
1b) I saw his walking around the pond.
1c) I saw his walk around the pond.
2a) He was seen to be walking around the pond (by me).
2b) His walking around the pond was seen (by me).
2c) His walk around the pond was seen (by me).
のような場合、皆同じ内容なのだろうか。特に1aと2aで違いはほとんどないのか。
ないとしたら、おおざっぱに上のようなステップで変化して、名詞化して意味内容が
大きく変わるような例は何だろうか?
余り的を射ていないかもしれないのだが、どうも、生得的論議になると、その生得的な
何かを名詞的に捉えるのか、動詞的に捉えるのかということがいつも問題になる
と思う。そこから、こういう動詞、あるいは動作・状況の名詞化にも関心をもつわけだ。
それは遠くは、「〜したい」と「〜したがる」や、一般にUGとかが受け止められる仕方
にも関係があるのではないかと思うのだが。心もまた同様かもしれない。
そもそも犬とは何じゃろな。走る、引っ張る、吼える、噛み付く・・・形態的には見えない
とき、犬である、犬がいる証になるものは結局、見られている行動ないしその結果
なのだろう。その意味では、ファッション・ショーとは縁も深い鴨、葱も欲しいな。で、一杯。
>>498 > そもそも犬とは何じゃろな。走る、引っ張る、吼える、噛み付く・・・形態的には見えない
> とき、犬である、犬がいる証になるものは結局、見られている行動ないしその結果
いや、不十分な言い方だった。そういうことより、
犬とは身体の形態なのか、それとも、走る、引っ張る、吼える、噛み付くが犬なのか?
と問うてみたかったのだった。
500 :
´∀` :2006/06/16(金) 13:02:23
500
↑ a smile without 彦頁? いや、a smile without a face? 目鼻口は顔の構成要素だが、笑いは顔の構成要素ではない。 犬の首輪は犬の構成要素だろうか。それとも、犬の付属品だろうか。とか、 考えると、いよいよアフォくさいほどワケがわからなくなる・・・ そんなこと、どーでもええわww
顔とシャチのチャットか……
言うまでもないことながら、どなたでも自由にご参加になれます。
ワッフル、ワッフルww
505 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/16(金) 13:56:23
自自慰いい加減働け
あげるなっちゅーに。
いい加減 胃に働いとりますが、何か?
( ´д`)つ ω キンタマモドゾー
うむ、キンタマの揚げ物も乙かもしれん。
揚げるなっちゅーに。
>John is easy [ X to please Y ] なぜXの位置に主語があるといえるのですか? >John is easy [ to X please Y ] とXが他の位置にないといえるのはなぜですか?
政府が邪魔しとるんやろ
名詞には動作名詞action nounというのがある。これは、動作主体、動作の主題、 動作の作用点・着点という3つのθ役割で構成される項構造を持っているが、この 名詞に「する」みたいなlight verbがくっつくと、その項が動詞に転送される。 歩行する・散歩するはいいとして、犬する はおかしいだろう?
歩行する・散歩するも可笑しい。雪見だいふくするも可笑しい。 志向するはどうか?
犬の項構造は何ですか?
飼い主・紐・首輪
それは散歩のほうだろ?
散歩と見えない犬は同じだろうがww
散歩させるならそうかも・・
をいをい。。
>>471 >「見えない犬」の方が「犬なしの首輪」より分かりやすい。 なぜ、犬なし首輪という言い方にこだわったのだろう?
認知言語学でいう<トラジェクター>と<ランドマーク>ですな。
首輪より犬のほうが大きいから犬をトラジェクターにするんでしょうな。
A:首輪しかない犬⇔B:犬がいない首輪
A:トラジェクター=犬、ランドマーク:首輪
B:トラジェクター=首輪、ランドマーク:犬
鳥のいない鳥籠だったら?
>>495 ま、あんま大したレスはできんにゃが、同じ事象でもイヌ主体で述べるか
飼い主主体で述べるかの選択の幅があり、それぞれに適した表現形式が
ある、ということだにゃ
主語に何を持ってくるかが、話者の焦点の所在とか、前景化とかに該当
するわけにゃが、これも一種の協同注視 joint attention に当たるのかも
知れんにゃ
つまり
John kissed Mary は
話者はJohnを指さし、また注目しており、話し手にも同じものに注目する
することを強いる言語形式であり、
Mary was kissed by John
では逆にMaryに、という意味でにゃ
それがどーしたってかにゃ? 知らんがにゃー
ま、そんなもんですかね。どうも。 joint attentionは運用上のことではないのだろうか、とは思いましたが。
>>524 (訂正)話し手→聞き手
みたいなことを言っとるのであるから運用であることは自明であるにゃ
つまりjoint attentionは機能であり、主語位置への移動はそのメカニズムであるにゃ
>>511 と
>>513 は言語学のシトだと思うにゃが
>>511 にゃ
>John is easy [ to X please Y ]
でも
>John is easy [[ to please Y ] X ]
でも原則可能にゃろ
上は不定詞主語位置を分かりやすいように示したまでにゃ
>>513 しかし英語では動詞のdogもあるし、一般に普通名詞や固有名詞由来の
動詞形成がproductiveであるにゃ
たとえばfedexとか、argument transferでどうやって分析するにゃ?
528 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 07:11:05
おはよ。てか、おひさ。仇ちゃんでつ。なんかすんげースレが伸びてて話 をちゃんとフォローしてねぇがちょいとだけ釣られるな。てか、あれだなー、 ヴァカはほんと氏ななきゃなおらんのかもな。今リアルライフであっちこっちで ヴァカ退治しているが、ほんと、ヴァカはタチが悪い。ま、それはエエとして、 お陰さまで昨日ようやく『言語加虐の百科痔典』が校了ならびに責了しますた。 やれやれ、実は最後の最後にちょいとスッタもんだあって一時はどー なることかと思ったがようやく校了できますたよ。ま、1ヶ月後には刊行 されると思うが、マジで藻前ら、買ってやって栗。ほんと、古今東西 わしらのつくったこの痔典を凌駕するものは出ていないし今後も出ないとわしが 自身をもってゆう。ま、何はともあれ現物を見たら一度手にとって栗。たぶん 内容の濃さとそのクオリティの高さ、そしてカバレッジの広さに度肝を抜くと思 うわ。あと、あれだ、上で顔餅が仇組の記事についてちょいと紹介 してくれているが、ま、あの記事を見た香具師は分かると思うが、話のツカミ として顔&マ本を使わせてもらっているわ。で、マジで、あの手のハナシ ならいくらでもネタはある。いくらでも久&高をヴォコヴォコにできるネタ をもっている。ほんと、マジで藻前らにゆーが、仇組の底力を見たいのなら是非 「月干リ言言吾」なり「英言吾青年」なりに「仇組の記事きぼん」とメールなり 手紙なり出してやって栗。
529 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 07:11:45
え〜っと、そんでもって、dogが動詞にもなれる ウンヌンのハナシだが、ま、わしに言わせたら、その辺りのハナシはじぇんぶ 一種のメタファーであり、またメトニミーである。そんで、そうゆった メタフォリカルな現象は、ぶっちゃけ、認知ヴォケぶんぽーのようなアプローチ じゃだみだこりゃ♪だ。だんごに串刺して感覚でああだこうだゆっててもしゃー ない。やはり科学的に分析しよーと思ったらある程度フォーマル にやらなきゃだみだ。そこで出てくるのが、ま、ジェネラチブ・レキシコンだ。 もうちょいゆーと、コンセプチュアル・トランスファーだ。まあ、ようするに、 結局、クオリア・ストラクチャにあるファーマル・クオリアのプロパティをどう 他のクオリアにトランスファするかのハナシだ。ま、そうゆった意味では、生成 でこれまでやってきたアーギュメント・トランスファなんかもいずれ コンセプチュアル・トランスファに九州される鴨しれねぇ罠。ま、あくまでも 希望的観測だけどなー。ま、そんなところだが、またその気になったら彦頁出 すわ。ははははは。ちゅーか、ほんと、ヴァカ退治はちかれるわ。マジでわしが ブチ切れたらどーなるか見せてやるかな。ったく、、、。
ネ兄 可逆地天感性!! > ヴァカはほんと氏ななきゃなおらんのかもな。 この種の自己言及事例も豊富に載ってると期待して購入しちゃるZO! conceptual transferってナニだ?
531 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 08:02:43
さーびつカキコ。 >ネ兄 可逆地天感性!! てか、まだ完全に歓声じゃねぇーYO! >> ヴァカはほんと氏ななきゃなおらんのかもな。 >この種の自己言及事例も豊富に載ってると期待して購入しちゃるZO! あんがとさんYO! てか、わしは一度氏んだらヴァカ直ったZO! >conceptual transferってナニだ? 言吾の多義性をはじめとした、いわゆる意味の拡張をあつかったメカだYO! さて、痔典の仕事が終わったところで今度は番羽言尺のお仕事だ。 がんがるぞっと♪ じゃ〜な♪
>>531 > てか、わしは一度氏んだらヴァカ直ったZO!
意味的には仮定法未来完了だな。−−→ kitaro-じゃないが、
げっげっげっげっのげ〜お馬鹿は死なーない♪からな。
> >conceptual transferってナニだ?
> 言吾の多義性をはじめとした、いわゆる意味の拡張をあつかったメカだYO!
またmergeみたいに行動主義者を喜ばすようなもんじゃねぇだろうな?!
汎化とか転移とか・・・
ま、ばんばげんしゃく頑張ってくれい。仇に幸運が訪れますように。−謹呈誤訳聖書より
533 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 12:55:18
あ、ありゃ、わしスレストップさせちゃった、、、。何か悪いこと書 いちゃった、わし?よく分かんねぇーが、しゃーないからちょいとだけ無駄 バナシするな。 >汎化とか転移とか・・・ ま、それに近いものをレキシコン内部に想定していると考えてくれてええ鴨な。 簡単に、ひじょーに分かりやすく書くな。えっと、たとえば、「テレビを消す」 という表現があるが、これはフツーは「テレビの電源をぷっちゅん♪する」 ということだ(どーでもええけど、「テレビを消す」とはゆーものの「pcを 消す」とはゆわないんだな。不思議なんだな)。で、これをどう「説明」 するかとゆーと、次のようになるわけだ。えっと、まず「テレビ」には クオリア・ストラクチャがあり、その中に上でわしが書いているように、 フォーマル・クオリアとかコンスティチュイチブ・クオリアとかあるわけだ。 そんで、「テレビ」のフォーマル・クオリアは次のようになっているわけだ。 (1)クオリア:フォーマル:電化製品(x) そんで、コンスティチュイチブ・クオリアの方は次のようになっているわけだ。 (2)クオリア:コンシスト:consist_of(x, y:電源) ま、そんで、「テレビを消す」とゆった場合、「テレビ」が(1)の フォーマル・クオリアをリファーせずに(2)の コンスティチュイチブ・クオリアをリファーすると。そんで、いわゆる メトニミーみたいな効果が出てくると。ま、説明にも何にもなってないが、 そんなところだ。 >ばんばげんしゃく てか、たしかに「番羽言尺」は「ばんばんしゃく」と読めるが、言語障害の タイプによっては「翻訳」という文字をみても「ほんやく」と読まず 「ばんばんしゃく」とか読んだりするのかな?つまり、部首を独立して読 んじゃったりすることってあんのかな?ま、あったらおもろいな程度のハナシ だけどなー。 てなことで、どーぞ、また森上がって栗。じゃ〜な。 ばんばんしゃくがんがってくるからよ。んじゃ!
534 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 12:59:17
あー、「ばんばんしゃく」じゃなくて「ばんばげんしゃく」だ。 訂正するのはわしのシュミじゃねぇが何か気になったので訂正しちゃったよ。 ったく、、、。だみだな、わし。ヴォケつつあるは、、、。
俺個人は、テレビを/pcを消す はokであり、自分で言うこともある。 他に ラジオを/扇風機を/エアコンを/電気(証明)/コンロを消す なんかokかな。 共通しているのは家にあるような身近な電化製品で 電源ボタン・スイッチがあるものというところか。(冷蔵庫を消す は電源を落とす意味でもダメ)
536 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 14:30:14
ちょいと気分転換、てか現実逃避(ワラ)
>俺個人は、テレビを/pcを消す はokであり、自分で言うこともある。
う〜む。でも、「テレビを消す」と「pcを消す」では有意義な差があるような
飢餓わしにはするのだが、、、。「pcを消す」だとどーも座り心地が悪く「p
cの電源を消す」としないとしっくりいかない。逆に「テレビを消す」の方は
「テレビの電源を消す」だと冗長的に聞こえる。ま、仮にわしの直観が一般的
なものであるとしたら、「テレビ」と「pc」では
コンスティチュイチブ・クオリアの関数 'consist_of (x,y)' の変数yの強さに差
があるの鴨しれないな。あと、ついでだからもうちょい書いちゃうが、「pcの
電源を落とす」はいいけど「テレビの電源を落とす」ってイクないよな?
そんなことね?なんか認知ぶんぽーぽいネタになってきたがわしゃしらん。
ははははは。
さて、またひと翻訳するわ。
てか、ドラえもんの「ほんやくコンニャク」みてぇなのねぇかな。ははははは。
そしたら一発で番羽言尺できるんだけどな。ちゅーか、翻訳コンニャクは究極の
普遍文法だな。ははははは。「ほんやくコンニャク」についてはこちら↓にどー
じょ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%82%84%E3%81%8F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%A3%E3%82%AF
948 名前:名無し象は鼻がウナギだ![] 投稿日:2006/05/14(日) 18:48:29
「このテープの内容」の意味で「このテープ」と言う。別に異様とも言えないのだが、
950 名前:名無し象は鼻がウナギだ![sage] 投稿日:2006/05/14(日) 18:55:37
「じゃぁ、デジカメ何枚撮った〜?」とか言われると、なんでカメラが枚なんだよ!
953 名前:(´∀`)[sage] 投稿日:2006/05/14(日) 19:26:44
>>948 むしろ当然のようにも思うにゃが
「このテープを複製しなさい」
「テープの複製はできませんが、録音内容なら別のテープに複製できます」
とかいちいち言っとったら喧嘩になるからにゃ
「先生、黒板消しときました」
「手品師かよ、お前は」
tokenつーよりtypeの同一性と言えばいいのかにゃ
---------------------------------------------------- とか有ったわけだが、
個人的には、TVを消す コンピュータを消す は言う、PCを消す は言わない。
PCとそもそも言わないからだが。冷蔵庫を消す は言わないな、やはり。
どうやって消していいかワカランから。スイッチがあるなしもそうだが、消したり点けたり
した経験や生活内での頻度に影響されている気がするな。<−経験論車ぶーぶー?
黒板にはスイッチは無いし、そもそも黒板をマジシャンのように消し得たことが一度もないし。
ま、ハードウェアとして、電源の場合はTVの一部であることは否定できないが、必ずしも
<包含関係>でなくても意味拡張は当然起きるだろう。
ただ、これは動詞「消す」の意味の拡張であって、テープや黒板、TV、コンピュータなどの
名詞の意味拡張ではないようだが。それとも、言語学ではごく普通に動詞の意味拡張と
名詞の意味拡張と絡むと考えるのか。
確かに TVを消す が TVの電源を消す になったとき、消すのtargetが意味拡張したと
捉えれば、TVの意味が電源にまで拡張されたように見えるが、また、一方で消すという動作
の意味が拡張したようにも見えなくもない。消す本人は拡張していないのだろうな・・・
刺激汎化・反応汎化(これは歴史的には正確な用語ではないかも)の区別みたいなものなのかな。
仮説1 テレビは「画面の映像が消える」ことが比喩の元になっており 映像を伴わないものは不適切になる。 ・?携帯電話を消す ・○プロジェクターを消す ・?エンジンを消す ・○ブラウザーを消す 仮説2 「落とす」は「エネルギーを弱める」ことが比喩の元になっており、 オンとオフが一瞬で切り替わるものは「弱まる」ニュアンスがでないので不適切になる。 ・?懐中電灯が落ちる ・○発電所の電気が落ちる
まあ、 TVの電源 を消す TVの 電源を消す の違いもあるんだろう。ついでに、 TVの電源を消す という表現で消す対象が、電源部パーツを盗むか隠してしまう という意味になる場合もあるだろう。これは、TVというものをHARDWARE的に部分に 分割できるかどうか(認痴的かな?)、あるいは、TVをばらしたり組み立てたりした経験 とかの有無にもよるような気がする。「TVの電源」という語句の構造次第なのかもね。 拡張があるなら当然、意味縮小もあるのだろうね?
>>538 消す 自体が、なんらかの視覚的な像を奪うわけで、奴を消せ!みたいなのもその範囲。
記憶を消せ なんかも視覚なのかな。でも、ラジオを消せ は聴覚だな。てことは 消せ
は視覚の限定されないな。日本語と英語では違うかもしれないし。無くす、亡くす、失くす
とかも皆、消す、消えるに置き換わる・・・
turn off なんかは、いかにもスイッチっぽく、また、turn off the power of that computer と言わないまでもturn off that computerで通じるが、vanish that computerとかだと、 ハードディスクが突然壊れたときの仇シャンの感情みたいだし。
自自慰荷物まとめろ
そういれば、まとめる も 要約する だったり バンドルする だったりするか・・・ さて、気づくかな?
544 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 15:30:01
ちょいとまた現実逃避(ワラ)
>>538 その仮説1と仮説2、なかなかええんじゃないか。藻前、なかなかええ筋
してる罠。
>>539 >[TVの電源を]消す ー(ア)
>TVの [電源を]消す ー(イ)
これ↑は次↓のものとパラレルに論じることができる鴨しれねぇな。
(1)[太郎の腕を]持つ。
(2)太郎の [腕を]持つ。
ちなみに(ア)ー(イ)と(1)ー(2)は譲渡不可能ということで同じ
クラスに入る。一方、次の(3)ー(4)は(ア)ー(イ)と(1)ー(2)
とはタイプが違う。(3)ー(4)は譲渡可能なケースだから。
(3)[太郎の服を]持つ。
(4)太郎の [服を]持つ。
で、こっから何か面白いこと言えねぇか?あん?
てか、やぱあれだなー、メトニミーとかは経験主義的なファクターがモロに絡
んでるのかな。ちゅーか、上の一連のカキコは認知ぶんぽー的にはかなり
ウマーな話題だ罠。ははははは。
>自自慰荷物まとめろ
↑なんか笑えた。
さて、ちょいと気分転換にドンキホーテーにでも遊びに逝ってくるわ。じゃ〜
な。
命を落とす ってのは事故とかで死ぬことだが、動物が増えすぎて困ったような 場合に、殺す の意味で 落とす という業界用語もある。 あの、歳とって役に立たないの、かわいそうだが、落としといてくれ この場合なんかは、単純に動詞の意味が多義的なのだろう。 さあて、今日はこれで落ちる。
>>544 よく分からんが
そのままの意味というか物質的な読み方が解釈の候補から除外されて比喩に受け取りやすいということだろうか?
それとも
・太郎に華をもたせる
・太郎にアフリカの華をもたせる
のように比喩で使われている名詞は修飾語をとらないという意味だろうか?
腕の話が出たので落ちる前に Mary kissed John. これは メアリはジョンにキスした なのだが、 John kissed the sweet lips of Mary. は通じるよね。で、これはクドイだろうか? だいたい、人は相手の唇にキスするなんてワザワザ言うのは他意ある場合 なのだろうが、相手が居なくて唇だけ宙に浮いてたらどーすりゃいいんだ?
ねぇ、キスして! え、どこに? いやあーね。 みたいなあww?
Queenの歌に ♪I touch your lips with mine 〜 てのがあったにゃ(遠い目 ところで仇の >「p cの電源を消す」 は俺は絶対使わんだろにゃ 電源なら「切る」にゃ
ついでに上で「黒板を消す」とは言わないと言ってるシト、 「黒板消し」はなんと呼んでるにゃ eraseを辞書でひくと「黒板ふき」とあったにゃが、違和感あるにゃ〜
eraser
>>546 太郎に今大会の花を持たせる
とかならOK?
553 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 16:40:12
仇ちゃんドソキホーテーからお帰り。シュガーレスのココア買ってきますたー
(←ほんとは欲しくなかったけど
>>546 >よく分からんが
ん?わからんのか、、、。そうか。えっとだ、じぇんじぇん難しいハナシ
はしてなくて、「tv」と「電源」は切り離し不可能の関係にある罠。同じく、
「太郎」と「腕」も切り離し不可能の関係にある罠(←スプラッター的な特殊な
状況はココでは考えない)。一方、「太郎」と「服」は切り離し可能な関係
にある罠。つーのも、服を脱げばそれで完全に切り離し状態になれるからな。
ま、そーゆーのをよく言語学では「譲渡可能」とか「譲渡不可能」とかゆー
のだよ。
で、せっかくだからもうちょい書いてやると、この譲渡可能性とちょいと関係
してくるヤツで次のようなペアがある罠。
(1)仇ちゃん touched me on the lips
(2)仇ちゃん touched my lips.
なんかコレ↑と上で出てきた「tvの電源を消す」の構造とどっかでリンク
してくるような飢餓するんだけどな、わし的には。そんなことねぇかな、、、。
554 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 16:40:47
>電源なら「切る」にゃ ん?そういわれればそー鴨。でも「消す」も仇家ではフツーに使うぞ。「ねぇ、 おとーさん、もうpcの電源消しちゃったぁ?」「はい、消しちゃいますた。 ごめんなちゃい。」てな具合でな。ま、でも、いちおう次のような グラデーチョンはある鴨しれねぇな。 (1)pcの電源を落とす←すんごくフツー (2)pcの電源を切る←文句なし (3)pcの電源を消す←仇家ではフツー。他のうちではしらねぇが。 >「黒板消し」はなんと呼んでるにゃ >eraseを辞書でひくと「黒板ふき」とあったにゃが、違和感あるにゃ〜 「黒板消し」も「黒板ふき」もわしはフツーに使うけどなー。 さて、またちょいとpcの前から離れるわ。じゃ〜な。 てか、わし今日ろくに仕事してねぇーよ、やべぇーわ。orz...
555 :
業者 :2006/06/17(土) 18:43:06
こら
556 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 19:26:42
>こら あっ、、、。監視されてる、、、。w ちゅーか、あんな難解なもんもってくるなっチューノ!!わしは英検5級 しかもってないチューノ!!www ま、それはよしとして、えっと、せっかく業者の人が降臨 してくれたからまたちょいとメトニミーぽいヤツでちょいと書いてやるわ。 えっと、次↓の文を見て栗。 (1)can you see me? (2)can you hear me? ま、両方ともフツーに見かける文だ罠(とくに(2)は電話の会話で)。 でも、明らかにメトニミーの観点からすると、(1)と(2)はレベル的に格段 の差がある罠。(1)はミトニミー度数ゼロだけど、(2)はミトニミー度数1 00だ罠。だって、hearできる対象は音であるけど、(2)ではhearの目的語 が音を発する人だからな。ま、そんなところだ。 さて、今日は「ぐびなま」で一杯やっぞ。ははははは。てなことで、今から マンマ逝ってきまつ。何喰わされるのやら、、、。
>>539 の
TVの電源 を消す
TVの 電源を消す
の違いが分からないのは漏れだけでつか?
558 :
仇鱒 :2006/06/17(土) 20:10:00
やいやい、今日はそうめんだった。おかずはそうめんの中にある薬味だ。最近 ずっとこの手の健康食品だ。ははははは。精力つくなー。orz... >の違いが分からないのは漏れだけでつか? 安心しれ。わしも分かっとらん。ははははは。で、せっかくだから釣 られてやるが、てか、何にでも釣られる仇ちゃんだが、え〜っと、再度例の文を 下に繰り返す。 (1)TVの電源 を消す (2)TVの 電源を消す これはだな、おそらくな、「象は鼻が長い」と同じような問題を根本的 なところでもっているのだよ。つまり、上でわしがちょいと書いているが、 「象は鼻が長い」は元々「象の鼻が長い」だったのだよ。だとすると、(2)の ケースは、まさに「tvの」の部分が主題化される直前にあるのかもしれない。 そんで、(2)の「tvの」が完全に主題化されると次のようになると。 (3)tvは電源を消す ま、ようするに、「tvは電源を消す(が、pcは電源を消さない)」みたいな 文が生成されるまさにその直前のよーな文鴨しれねぇな。ははははは。いい 加減な分析だ。ははははは。ヨッパらってるからこの程度の分析しかできんわ。 許せ。ははははは。 じゃ〜な。藻前らしっかりベンキョーせーYO!わしもベンキョーするZO! ははははは。てなことで電源ぷっちゅ〜ん♪
あー、夜であるな。しこたま酒造の酒によったぞ。どーもならんわ。 若い子に誘われてに呑みにいったわいいが、ぶっ倒れられてあぱるとまんまで 送っていったわな。はははは。それで、まぁ人生これからだ、がんばれと言って タクシーで2時間も走ってしまったわ。男としては最低かもしれんが、そーいうのがワシ。 ははははは。 TVの電源 を消す TVの 電源を消す で、ほんとに悩んでいるのかいな?お前ら、ブ赤か?ははははは。くそ、エッフェルで 酒なんか呑んでもいいことないわな。くそー!
自自慰いいかげんにしろ
ジャジメントとしては 1) 太郎はTVを電源を消した のほうが興味深いにゃ 2) 太郎は花子を本を読ませた に比べて多少マシのように思うにゃ
ったく出てくるとコレだからな、酒癖なんとかしてください、一っつあん。
563 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 07:57:10
おはよ。なんかだるー。てか、いつものことだがまた風邪だ。orz... >1) 太郎はTVを電源を消した ま、ダブル「を」なのにそこそこええ罠。で、上でわしがちょいと書いたことと リンクさせてハナシをするが、実は、生成では多重主語をシステム上許容 するのだが、実際は次のような文は見かけないわけだ。 (1)発展途上国が、アフリカが、男性が、寿命が短い。 仮に次のような文があったとしても、 (2)男性が、寿命が短い。 「男性が」のところを主語というよりもアバウトネスの効果を持たせたトピック の働きをしている。で、ようするに、ピュアな多重主語なんつーのはフツー見 かけないのだよ。ちなみに、一見すると多重主語のように見える次のような文 もあるが、 (3)太郎が 花子が次郎をシュキだと ゆった これは明らかに違う。中央埋め込みの結果主語が連続しているだけのものだ。
564 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 07:57:46
で、まあ、そんなこんなで、システム上多重主語を許すのだが実際は主語の スタッキングというのはまず見かけないのだ。が、その一方、ダブル「を」は ダメだと一般的に言われているが、実は時たま見かけるのだよ。藻前 らもちょいと注意して新聞とか雑誌を見ていると分かると思うが、 ほんとちょこちょこ見かける。ま、そんなこんなで次のようなパラダイムが見 られるのだが、わしはこっちの方が興味深いわ。 (4)多重主語:許される→けど、ほとんど見かけたことない。 (5)多重目的語:許されない→けど、時たま見かける。 ま、あれだ、多重目的語というかダブル「を」がいいのは典型的に「全体・ 部分」の関係がある時だ罠。たとえば、次のようにな。 (6)太郎が、兄弟を、医学部を受けた。 てなことだが、おちごとすっぺ。業者の人に叱られるからなー。ははははは。 >お前ら、ブ赤か?ははははは。 わしはヴォ桶でつが、何か?
>(6)太郎が、兄弟を、医学部を受けた。 意味フメーw
566 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 11:51:15
仇ちゃん@監視中 >意味フメーw (6)太郎が、顔の勤務先を、医学部を受けた。 どーじゃい、これで意味アリーだろwwww∞
>1) 太郎はTVを電源を消した に比べるとだいぶ落ちるけどにゃー 「勤務先を受けた」自体がヘンということがあるにゃ ○×大学を医学部を卒業した のほうがマシ?
568 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 12:10:17
さて、ストレスたまりまくりで昼マンマ前ということでちょいとだけさー びつで書いてやるかな。えっと、次↓の文は確かにちょいと座りが悪い鴨 しれない。 (1)太郎が、燈台を、医学部を受けた。 でも、「燈台を」と「医学部を」の間に「2度」みたいにqを入れると一気 によくなるよな。次↓の文を上の(1)と見比べて栗。 (2)太郎が、燈台を、2度、医学部を受けた。 これと同じことがcomp-t効果の消失にも見られるわけだ。次↓の文はダメ だけど、 (3)*which pc did you tell me that t had frozen up? 次↓の文はかなーりいいわけだ。 (4)which pc did you tell me that, during programming, t had frozen up? ま、こんなところにダブル「を」とcomp-t効果の相関性がある鴨しれねぇな。 ははははは。んなわけねぇーかな。ははははは。 >○×大学を医学部を卒業した >のほうがマシ? マシ鴨なー。 あ”−−−−−−−−、ストレス溜まりマクリっ!!!!!!
(4)はCP-recursionによる説明があったにゃが、 二重ヲ格の場合、最初のヲはmajor objectであってvP-recursionだと いうことも考えられなくもないない
>>549 > Queenの歌に
> ♪I touch your lips with mine 〜
前後の菓子きぼんぬ
>>550 黒板を消す 黒板消し に erase を使うのは米語
>>554 > グラデーチョンはある鴨しれねぇな。
> (1)pcの電源を落とす←すんごくフツー
> (2)pcの電源を切る←文句なし
> (3)pcの電源を消す←仇家ではフツー。他のうちではしらねぇが。
つまり、ここでは、動詞間の階層関係などの関係を考えている。
>>556 > (1)can you see me?
> (2)can you hear me?
> 00だ罠。だって、hearできる対象は音であるけど、(2)ではhearの目的語
> が音を発する人だからな。ま、そんなところだ。
しかし、Let me see it. なんかは、検証する、わかるみたいな意味もあるだろ?視覚に限らない。
>>564 > (4)多重主語:許される→けど、ほとんど見かけたことない。
> (5)多重目的語:許されない→けど、時たま見かける。
というふうに、なぜか話がSないしOの名詞に行ってしまうのだが・・・ それではTVの電源を消す
の区別がつかないのではないだろうか。
> >お前ら、ブ赤か?ははははは。
> わしはヴォ桶でつが、何か?
わははは、笑った、なぜか桶というのが可笑しくて大笑い。桶は底が抜けたり箍が緩んだりする
から、そのイメージで可笑しかったのだろうか。しかし、
ヴォ桶
ォはOKEのOにつながるのでォなのだろうが、とするとoの音が冗長であり、ヴ桶
にはならんのかな?顔師のにゃもナの代わりだったりダの代わりだったりするのだが。
>>553 > 仇ちゃんドソキホーテーからお帰り。
誰がソコから帰ってきたのだ?というか人[仇ちゃんドソキホーテー]から中野人が
還ってきたのだろうか?「、」の有無で随分意味が変わるな。
>
>>546 > (1)仇ちゃん touched me on the lips
> (2)仇ちゃん touched my lips.
> (1)[太郎の腕を]持つ。
> (2)太郎の [腕を]持つ。
> (3)[太郎の服を]持つ。
> (4)太郎の [服を]持つ。
こんなのもある: 仇と握手する 仇の手と握手する アダムス・ファミリーのHANDみたいなww
現象学的文脈でよく登場する話かもしれないが、分離可能・所属とか、一般化すれば
仇シャンが書いてたみたいな部分と全体。それにどのようにアクセスするかは非常に
認識論的問題のように一見思えるのだが、果たして本当にそうなのだろうか。
> てか、やぱあれだなー、メトニミーとかは経験主義的なファクターがモロに絡
ということと
> んでるのかな。ちゅーか、上の一連のカキコは認知ぶんぽー的にはかなり
> ウマーな話題だ罠。ははははは。
というのは自動的に相互翻訳されちまうのだろうか?生成から見ると似たようなものなのか・・・
>>544 > >[TVの電源を]消す ー(ア)
> >TVの [電源を]消す ー(イ)
ち、ちっと耳ミスクなこと言ってしまうのだが、上の「を」を[ ]の中に入れているのが
違和感があるんだな、なんか。つまり、
[TVの電源]を消す
TVの[電源を消す]
と書きたいんだな、うん。そうなんだ。で、TVの[電源を消す]はちょいtypoすると
TVwお[電源を消す]
になるんだな。
というわけで、
>>557 のお人
>
>>539 の
> TVの電源 を消す
> TVの 電源を消す
> の違いが分からないのは漏れだけでつか?
について、
>>572-573 などを事路事路ながめて、もう一、二度考えてみてくれないかな。
関数プロぐらっミングでは、総称関数というのがあるのだが、これは、objectの穴路地
だけでなく操作・動詞の穴路地をも与える。
(1)来年に9月に来る (2)来年にまた9月に来る (3)学校で図書室で暮らす (4)学校で3年間図書室で暮らす (5)東京へ本社へ向かう (6)東京へ急いで本社へ向かう (7)畑から地面から金が出る (8)畑からなぜか地面から金が出る 「を」に限らず「の」と「が」以外の格助詞は語句を間に入れると容認度が上がるようだ。
それによって、包含関係が具象化するというか、ま、ときには、2文合体感を与えたりするにゃ?
577 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 14:51:34
仇ちゃん@ちょっとココア・ブレーク(^ ^)
>>572 >Let me see it.
ま、「百聞は一見にしかず」つーのはよーするに「一回見たら一発で分かる」
とゆーことで、そっからsee=understandというよーに意味の拡張が生
じているんじゃねぇのかな。
>なぜか話がSないしOの名詞に行ってしまうのだが・・・
>それではTVの電源を消すの区別がつかないのではないだろうか。
えーじゃねぇーかよー。わしはtvよりSとかMとかOの方がシュキなん
ダッチューノ!
>>573 >仇の手と握手する
なーんか「馬から落馬」したのと同じじゃねぇーか。どーせらな、「仇の足と
握手する」ぐらいシュールなもん考えんかい。ごんるぅ〜あ♪
>自動的に相互翻訳されちまうのだろうか?
ああそうだ。原則認知ぶんぽーはエンピリシズムまんせーだからな。
ははははは。
578 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 14:52:16
>>574 >[TVの電源]を消す
こ、こ、これ↑だと、な、な、なんか「を」が動詞にくっつ、つ、
ついているみたいで、へ、へ、へんなんだな。う、う、うん、そうなんだな、
う、う、うンこ出したくなっちゃった、、、。
>>575 >「を」に限らず「の」と「が」以外の格助詞は語句を間に入れると容認度が上
がるようだ。
しょのとーり。わしも分かってたけど書くのまんどくさかったから書
かなかった。
>>576 あん?何のこっちゃ?もうちと分かりやすくヴォ桶たわしでも分かるよーに書
いて栗んか。
で、えっと、ちょいと今からまた自分の世界に没頭するわ。で、顔餅の
>>569 の
カキコミにはまた後ほどレスするな。
ちゅーか、将軍様のお国、テポドソ打ち上げるようなだ。プログラムバグって
ピョソヤソに落ちてくれねぇかな。ははははは。
579 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 15:01:13
仇ちゃん@おまけ やいやい、今シュウキョウの勧誘に来て、なかなか帰らないからわし「うちは アレフに入ってますから」とゆったらだま〜って帰って逝ったわ。ははははは。 てか、ええのかな、こんな断り方して、わし? てなことで、また夕方な〜。
(衣服の洗濯の)機械 衣服の(洗濯の機械) は前者(上者?)が衣服の洗濯の「道具」を連想しやすく 後者(下者?)が「帽子」の洗濯の機械を連想しやすいが、焦点が衣服にあるか機械にあるかの違いと思われる。 [TVの電源を]消す ー(ア) TVの [電源を]消す ー(イ) の違いは (ア)は「消す」に、(イ)は「電源」に焦点があるということか。 >ヴ桶にはならんのかな? 「ヴォ」で一音とみなすからじゃないか? ・シュ売るな発言 ・?シ弛な発言 ・チェ戸スロバキア ・?チecoスロバキア
>>577 > 仇ちゃん@ちょっとココア・ブレーク(^ ^)
この場合は@は=じゃないな・・・いつもの仇用法ではないみたいだ。
> えーじゃねぇーかよー。わしはtvよりSとかMとかOの方がシュキなん
> ダッチューノ!
なんだか昼真赤らする話ではないような。。tvはtotal verbの略か?サドとマゾは
学長室でお願いします。Oはなんだ?
>
>>573 > >仇の手と握手する
> なーんか「馬から落馬」したのと同じじゃねぇーか。どーせらな、「仇の足と
> 握手する」ぐらいシュールなもん考えんかい。ごんるぅ〜あ♪
いや、そりゃ子○。
I shake Ada's hands.
I shake hands with Ada.
はほぼ同じ意味だが、今、問題にしていることとの関係で言えば大きな問題かも。なんで
of Adaでないのかに関心があるな、戸とっても。
アダムスファミリーのHANDは手だけの存在で手だけで握手するのは当然だが、
ハンドル握って運転までする・・・どこで手を支えているのやら。
>>578 >
>>574 > >[TVの電源]を消す
> こ、こ、これ↑だと、な、な、なんか「を」が動詞にくっつ、つ、
> ついているみたいで、へ、へ、へんなんだな。う、う、うん、そうなんだな、
いや、動詞に靴つけたいのだ。まぁ、ブンポー常識的には「を」は目的格・対格語尾
みたいな扱いであるから、名詞に付くのだろうが、それを合えて今動詞に靴つけてみた。
>>580 > >ヴ桶にはならんのかな?
> 「ヴォ」で一音とみなすからじゃないか?
一文字は一音とは必ず塩、同じでは名井。VOQUET
>>579 さああ知らないぞ。今度は仇が
言語省あたりから不可逆性アセチルコリン・あんた語にスト撒かれるかも〜
電源じゃないなTVだ。 >将軍様のお国、テポドソ打ち上げるようなだ 外圧/内圧=一定 これ政治の(エセ)法則。国内で人民の不満が高まれば(=内圧)政権が倒れる可能性が出てくる。 逆に外圧(他国の侵攻、経済制裁など)が高まれば(イラクのように)つぶされる可能性が出てくる。 内圧には外圧を作りだすこと(たとえば愛国、反中)、外圧には内圧を作り出すこと(たとえば言論の弾圧、大規模な公共事業による国家の統制)でバランスをとっているのだ。 日本が強硬な立場を取ればそれにともなって北朝鮮も硬化(軍備増強)するだろう。これは予想通りの図式だ。
>>577 > >自動的に相互翻訳されちまうのだろうか?
> ああそうだ。原則認知ぶんぽーはエンピリシズムまんせーだからな。
魔、胴でも井伊が、
認知主義は不完全燃焼のエンピリだったり不完全年少のゴリ主義だったり忙しいことだ。
>>584 > 電源じゃないTVだ。
これがtvのことだったらワラ。
自自慰、仇文字るな
や、FEPに最近「2ちゃんねる優先変カん?」というオプションができたので、それを洗濯したら矢鱈副うなルノだ。
>>581 > なんだか昼真赤らする話ではないような。。tvはtotal verbの略か?サドとマゾは
> 学長室でお願いします。Oはなんだ?
なぜかわからないけど、仇の中野人をイメージしながら読んだら
サドとマジ
に読めてしまった・・・
>>578 > う、う、うンこ出したくなっちゃった、、、。
今夜の夕食にかww
591 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 15:50:33
しゃーねぇーなー、藻前ら、、、。ちょいとだけレスしちゃーる。
>>581 >Oはなんだ?
OはオブジェクトでMはモディファイアーでつが、何か?
>I shake hands with Ada.
>なんでof Adaでないのかに関心があるな、戸とっても。
ん?そんなもんわしに聞かれてもしらんわ。てか、次の2つを比
べてもらいたいが、
(1)仇ちゃん is afraid of キタの核開発.
(2)仇ちゃん is interested in キタの核開発.
なんで(1)ではofが使われて(2)ではinが使われているかは誰も
ワカランわ。同じことだ。たぶんなー。
>いや、動詞に靴つけたいのだ。
つけたきゃ勝手につければええが、つけたところで「を」が困るだろーよ。
>>583 >あんた語にスト
仇討ちされる?w
592 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 15:51:48
>>584 >日本が強硬な立場を取ればそれにともなって北朝鮮も硬化(軍備増強)
>するだろう。これは予想通りの図式だ。
さ、どーかなー。あそこはわしらの理屈では動かんところだ。予測不可能の
カオスそのものだ。ははははは。日本で風ふきゃキタでテポドン発射
されるてか?ははははは。
>自自慰、仇文字るな
自自慰叱られてう゛ぁっかだな。ははははは。まる子
ちゃんのおじいちゃんみてぇだな。
>>589 >仇の中野人をイメージしながら
わしの中の人は極力イメージしないよーに。わしはわし。中野人は中野人。
そこんとこ気を付けるよーに。
>今夜の夕食にかww
自給自足でつが、何か?
さて、マジで夕方まで仕事すっぞ。てか、じぇんじぇん仕事進んでねぇ〜よ。
マジで業者のシトにシバかれるわ、、、。orz...
593 :
業者 :2006/06/18(日) 15:54:51
たまには遊ばれるのも宜しい
>>591 > >いや、動詞に靴つけたいのだ。
> つけたきゃ勝手につければええが、つけたところで「を」が困るだろーよ。
困ったと「を」に言われたことはないのですが、何か?「をけす」ってなかなか良い響きではないかな?
>
>>583 > >あんた語にスト
> 仇討ちされる?w
鴨撃ちにされるのかも。agonistは顎にストライクで、antagonistはあんたの言葉にはついていけない。
>>592 > カオスそのものだ。ははははは。日本で風ふきゃキタでテポドン発射
> されるてか?ははははは。
いや、今回こそは東京、あるいはちょっと引いて東京湾あたりにボチャンかも。
それと聞くところでは、プログラムは使っておらず、中に人が入っているそうな。
>
>>589 > >仇の中野人をイメージしながら
> わしの中の人は極力イメージしないよーに。わしはわし。中野人は中野人。
しかし、中の人をアレコレするのはここの趣味だろうがと思わないでもないのだが。
自自慰働く
596 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 16:15:38
ああ、ダメだ、、、。とりあえず電源ぷっちゅん♪しなきゃ、、、。
>>594 >困ったと「を」に言われたことはないのですが、何か?
先程「を」から苦情のメールがきましたが、何か?
>「をけす」ってなかなか良い響きではないかな?
「おけつ」ならなかなか良い響きだと思いますが、何か?
>いや、今回こそは東京、あるいはちょっと引いて東京湾あたりにボチャンかも。
それなら是非都庁に落ちてほしいわ。そして石原の逆鱗に触れてもらいたいわ。
ははははは。ちなみにわし@鱒の鱗もさかなですることになるがなー。
>中に人が入っているそうな。
ありえそーで怖い。てか、なんかみょーにリアル。てか、
>>594 はキタの人?w
てなことで、マジで働くぞ!ゴルァ!!!!
>>596 > ああ、ダメだ、、、。とりあえず電源ぷっちゅん♪しなきゃ、、、。
ダメだからイイということもあるのが世の中ですが、ナニか?
> 先程「を」から苦情のメールがきましたが、何か?
を、そうですか。では、をに宜しくを伝えください。名詞の属国圧下位からを救い出して
をあげるので、を待つようにと。をお願いします。
> >「をけす」ってなかなか良い響きではないかな?
> 「おけつ」ならなかなか良い響きだと思いますが、何か?
を、ヴ桶つ?それはを掘らないほうがを宜しいのでは?
> てか、
>>594 はキタの人?w
いえ、南十字星の住人、美波みなみ です。を宜しく。をははははは。
マゾで聞いてみたいのだが、仇シャンはレスで実に不思議な改行方式を使っているが、 こりゃ、何か奥深いを考えであるのかな。を教え願いたい。を頼む申すます。
↑ こーゆーヴァ鹿を を語使用者 と命名すべし
を、を語?? いや、を語主義 くらいにをしてを願いをします。 -- sincerely from your wogonist
>>591 > しゃーねぇーなー、藻前ら、、、。ちょいとだけレスしちゃーる。
今度は、ミラノ・コレクションA.T.とやるのか・・・幅広い芸風だにゃww
>>578 > う、う、うンこ出したくなっちゃった、、、。
あまりを好きな話題ではないのだが、これもマゾでを聞くと、
こういうとき子どもは 出たく とかを言わないかな?
出る の主語は 右近 なのだが、それに 〜たい がをっ付くのは何かを臭くないか?
603 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 17:55:45
こんばんわ。さて、まる子ちゃんまで少し時間あるわ。ちょいと書くかな。
>>598 >マゾで聞いてみたいのだが、
ほなサドに答えちゃるが、えっと、わしはいつもメールソフトを使って書
いているのだよ。その際、じぇんじぇん改行なんかしない。ベタで打ちまくる。
そして、そのメールを保存する(けど、本当にメーラーには保存していない。書
いたら片っ端から消していく)。そうすると藻前らがブラウザで見るような改行
になっているのだよ。なんでこんな書き方をしているかとゆーと、この改行が
一番どのブラウザからも見やすいからなのだよ。ま、わしもそれなりにロムの
連中のことを考えて日夜2ちゃんのケンキュウに禿んでいると、ま、そーゆー
ことだ。ははははは。
604 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 17:56:53
>>569 comp-t効果消失をcpリカージョンで説明もどきをしたのはカリカバーだ罠。
ま、分かる香具師は分かると思うが、わしはあるジャーナルで、その
カリカバーの分析を叩いている。もうちょいゆーと、cpリカージョンなんて
どー考えてもアドホックの何ものでもない罠。理論的な必然性はゼロ。ただ目の
前のデータを処理するためにとってつけたようなメカだ。ま、その意味では
アドホックとゆーよりもポストホックである罠。ま、もうちょい語ると、
コネズミがphdで確か、cのヘッドにいくつも素性を設定して、それでcpを
リカーズさせてレフト・ペリフェラルな現象をかなりメカニカル(ちゅーか
テクニカル)に説明していたと思う。まあ、ゆっちゃあ何だが、ヘッド
にあれもこれも詰め込むぐらいならまだcpをスプリットさせた方がええわ。
別に我田引水じゃねぇが、リカーズさせるんだったらスプリットさえた方
がええとわしは思ってる。まあ、その意味では顔&マ本のvpスプリットも
スピリットはそんな悪くない。が、数がイクない。やぱ大杉!受動文やら
与格構文を説明するのにvpを4つだか5つにスプリットするのはやぱやり杉。
ま。それはええとして、ダブル「を」をvpをリカーズさせて分析するという
顔餅のアプローチ@
>>569 はどうかと思う。それをやり出すと潜在的にagentが
一文に2ヶ現れてもええことになってしまう。が、それはない罠。で、やぱ、
顔餅なら自分の枠組み(←顔&マ本)でダブル「を」を捉えるべきだと思うわ。
てか、あのvp4分割だか5分割でそれなりにダブル「を」捉
えることできるんじゃねぇのか?ちゅーか、潜在的にはトリプル「を」ぐらい
過剰生成しそうな飢餓するが、もしそうならその過剰生成をどう抑えるかが
ポイントになる罠。ま、人の枠組みのことだから実際のところどーなるか
ワカランが、ま、仇的考えとしてはリカージョンはイクない。そして、同じく、
マルチプル・スペックなんつーのもイクないし、そんなもんあるわけがない。
よって、多重主語なんつーのもあるわけがない。多重主語つーのは生成ヲタの
幻想にすぎん。ま、そんなところ。ををををを(←下アゴが5回元気よく動く
さて、根性入れてまる子ちゃん見るぞぉ!をぉ!!!!
>>603 つまらんことで粘着して悪いのだが、まだよくわからない。
メールソフトで書くとき、その「メールソフト」は自動改行しているわけだね?
仇シャンは改行コードを入力していないが、とにかく2、3,4,5行目が出来ていく。
で、その自動改行の桁数は80字くらいになっている? ←(1)
そして、おそらくそれをWWWブラウザにコピペしている。 ←(2)
最終的なものになるのは、(1)(2)どちらでなのだろう?
ついでに、その「メールソフト」のフォントを教えてもらえるだろうか?
607 :
仇鱒 :2006/06/18(日) 19:16:29
ありゃ、よくワカランがジジイにわし絡まれてるのか?w えっと、別に特殊なことしてねぇけどな。普通にメールの「新規メッセージ」に ベタ打ちして、それを保存する。そうして保存されたものを見ると、まさに藻前 らがブラウザで見ているような改行になっているのだよ。そんで、その保存 された書類というかわしのカキコをそのまま「カキコミ」フォームにコピペ するだけ。ただそれだけ。で、フォントはとくに何もない。たぶん「osaka」 とかじゃないかな。よくワカランけど。ま、そんなところ。
いや、どうも。翻訳で忙しいのに、余計なことで返事させてしまい申し訳ない。 保存したものを見るのは、その同じメールソフトで見ているわけだね。 ところでマックで2ちゃんねるしている人で普通のWWWブラウザ使っている人は 仇シャンのレスの行末はほとんど綺麗にそろっているように見えるのだろうか? ま、該当する人で暇があったら教えてくださいな。いや、個人的な関心で、大した 意味があるわけじゃないのだが。をはははは。
>>577 > 仇の足と握手する
sanbon目の足だとあまりシュールではないなww
何を気にしとるのか知らんにゃが、MACでもWINでもIEだと同じように 大雑把には揃って見えとるにゃ >リカーズさせる back formationっつーやつだにゃw
いや、どーでもいいのだが、例えば、以下で
>>604 > 顔餅なら自分の枠組み(←顔&マ本)でダブル「を」を捉えるべきだと思うわ。
> てか、あのvp4分割だか5分割でそれなりにダブル「を」捉
> えることできるんじゃねぇのか?ちゅーか、潜在的にはトリプル「を」ぐらい
「を」捉
の行はその上下の行より数文字分短くなっていないだろうか?どうして、「捉」で
ぷつんと切れているのかが気になっていた。今までも、ふーむ・・と思うところで、
改行されているのだが、何か意味ありげ、というか、音のリズムやその他の意味
情報とは異なるような基準でプツンと改行しているように見えたので、実はずーっと
気になっていた。ま、何でもないのなら全くの趣味的こだわりに過ぎないので無視されたし。
と言っても何かを気にしているようでキモイと思われると申し訳ないのだが、 仇シャンのレスではときど きみたいな形で「ときど」と「き」の間にスペースか あるいはLFコードの痕跡みたいなものがあって、おそらく一旦書いてセーブし たものを更に編集しなおした場合にそうなるのかな、とか色々興味深い箇所が あった。これは私の一種のクセみたいなもので、そういう<途切れ>をいつも 気にしながら物を読むものだから、余計なことまで考えるだけのことですた。
自自慰、ほんとに余計だ 三流はすぐ脱線をして結果を残せない 日本代表と同じだ
幽霊 の 正体 見たり 枯れ 尾花
にゃはは。私のような三流・五流・七流れには切れ切れの線路をつなぐ道が ふと見えることもあるわけだが。ま、赦されよ、悪意はない。仇鱒という希代の クヮキコ者の息遣いに興味があったのだ。まぁ、その意味での敬愛であるな。 上の「くぎり」もそうだが、以前、連続する世界から語あるいは事象を切り取る という話があった。おそらく「を」語もそういう文脈にある。 格語尾というのはS、Oなどの名詞・Vにもあり、また変化する。しかし、それは 格などの一致<のための>現象だろうか。一致させることによって何かを期待 したのだろうか?それとも、それは単に何かのプロセスの結果の一つに過ぎないのか? 魔、話が抽象的になってもしょうがないのだが、こういう「格」を明示するための 部品はそもそも何処にあるのがいいのだろう・・「を消す」というのを挙げたが、 「に行く」とかイロイロ考えることが出来ることは、言うまでもない(特に、 ここでは)。それは本来、名詞・オブジェクトの性質なのだろうか。上のような 場合には、むしろ動詞の性質に含まれるのではないかと思うのだ(但し、一語に 多義ある場合は今はおくとして)。いや、というか、そういうふうに考えることが 私には面白い。無論、名詞←→動詞とか転移するものはアレコレあるのだろうから 単純にこうだと割り切れる話ではないとは思ってはいるのだが。 言語学者殿たちが「を消す」は馬鹿げていると思えば思うほど、私にはいよいよ 面白い。それは決して対抗意識なんぞではない。むしろ、それが言語なのだろうと 痛感する。むしろ、そこから咲きなのだ、私の鼻が空気を吸い込むのは。 兎絵のどこかでθ役割がどーのとか素人カキコしたのも私だが、以前もだが最近特に 動詞・名詞二つのアナロジーのすれ違いに私にとってのヒントがあると思っていてな。 しかし、どうも好まれる話題というわけでもなさそうだし、いささか長居しすぎた かもしれない。 ま、三流の胡蝶の夢だ。ご放念あれ。Warp 5. Engage!
しばらく繋がらんかったにゃ >「を消す」 統語構造上の構成要素と、音調上の構成要素でミスマッチが生じることは 珍しくないにゃ I think [ that John is guilty ] [ I think that ] ... um ... [ John is guilty ] 「を消す」の場合、「を」という格助詞は前の名詞にくっついている、あるいは 分析によってはむしろ「を」が主要部であって名詞が「を」にくっついている、と 考えられるにゃが、どうして「を」であって「が」や「に」ではないかはやはり 「消す」によって決定されているのであり、そのことが「を消す」がまとまりに になっているような印象を与えるのであろうにゃ しかし 太郎が黒板を消した→ 黒板を太郎が t 消した *黒板太郎が t を消した など、「黒板を」でまとまりができていることを示すのは容易であるにゃむ
太郎は黒板を消したい 太郎は黒板を消す 太郎は黒板が消したい 太郎は黒板が消す ←?
繋がったり、繋がらんかったりだにゃ 消したい、消せない、などの状態述語ではガ格目的語が可能になるにゃ たとえばV+taiの形式でVがもともと持っているヲ格付与能力がtaiによって 抑制されると考えることができるにゃ ちょうど受動形態素 V+rare によって目的語への格付与が抑制されるのと 似とるにゃ 「分かる」などではむしろガ格が自然にゃが、シトによって判断に差が生じるにゃ 太郎は英語が分かる・*?英語を分かる どーにゃろ ところで「太郎は黒板が消したい」だと、黒板そのものを消す手品読みが 強く出る肝擦るにゃ ひょっとしてメトニミー?を許す構造的条件などが あるの鴨にゃ
太郎は花子を恋してる 太郎は花子を恋いしたい 太郎は花子に恋してる 太郎は花子に恋いしたい 太郎は花子が恋してる 太郎は花子が恋いしたい ↑ ? ところで、こういう違いは花子の側に帰属する違いではないと思えるのだが。 年寄は「したい」で容認されるわけが知りたいのかもしれない。
>>615 >こういう「格」を明示するための部品はそもそも何処にあるのがいいのだろう
>それは本来、名詞・オブジェクトの性質なのだろうか。上のような
場合には、むしろ動詞の性質に含まれるのではないかと思うのだ
「格を明示するための部品が動詞の性質に含まれる」とは何を意味するか?
「動詞が共起する名詞の格を指定する」ことである。
「取る」という動詞が「を」のつく名詞を要求するということである。
「名詞の格を指定する」とは何を意味するか?
「動詞が決まった格の名詞を伴う」ことである。
なぜ決まった格を伴うのか?
「名詞の格の意味と動詞の意味が一致するから」である。
「犬へ悲しむ」という文がおかしいのは
方向を表す「へ」と心情を表す「悲しむ」が合わないからである。
「合致する」というのは双方向のものである。AがBに合う⇔BがAに合う が成り立つ。
服が体に合う⇔体が服(のサイズ)に合う である。
形容詞が名詞に合う⇔名詞が形容詞に合う である。
同じく動詞が名詞の格を決める⇔名詞の格に合うように動詞が選ばれる が成り立つ。
「本を○○する」という文では○○の部分に「読む」「探す」「食べる」「呼ぶ」などの他動詞が入り
「寝る」「来る」「鳴く」などの自動詞はこない。
これは「を」を持つ名詞が「を」の目的語を取らない自動詞と合わないためである。
「動詞の自他を明示するための部品が名詞のヲ格に含まれる」ともいえる。
他動詞がヲ格の名詞を要求する⇔ヲ格の名詞が他動詞を要求する が成り立つ。
>ところで「太郎は黒板が消したい」だと、黒板そのものを消す手品読みが >強く出る肝擦るにゃ 暗黙裡にメトニミーが適用されない名詞が対比されているからだと思われる。 ・太郎は黒板が消したい(雑巾がけは嫌だ) ・太郎は黒板Aが消したい(黒板Bは消さない) 下の文だと板自体を消し去る意味にはとらない。
まとまったご意見感謝。
>>620 > なぜ決まった格を伴うのか?
> 「名詞の格の意味と動詞の意味が一致するから」である。
なぜ一致するのか?
共起の訳が知りたい人?
>>620 で述べられたような意味で「したい」の特性が知りたい人?
なのか。
おそらくそうだと思う。
reference pointみたいなものを考えたとき、それが対象の側にあるということと referする側にあることの関係は予想以上に密接か、と?
そう言うほうが分かりやすいかもしれないが。
やや変わった関心ではある。
>「分かる」などではむしろガ格が自然にゃが、シトによって判断に差が生じるにゃ >太郎は英語が分かる・*?英語を分かる 「分かる」はもともと(頭の中で白黒が)「分かれる」の意味の自動詞だから「を」は取らない。 形式的には「英語が分かる」の「英語が」の部分は主語である。 「ここは道が分かれる」の「道が」が目的語ではないのと同じ。 >たとえばV+taiの形式でVがもともと持っているヲ格付与能力がtaiによって >抑制されると考えることができるにゃ 「〜たい」がつくと形式的に形容詞の扱いになる。形容詞は「を」を取らない。「*花を白い」「*息を苦しい」 よって「〜たい」のついた動詞も「を」を取らない。 ではなぜ形容詞は「を」をとらないか? 抽象的に自動詞のbe動詞を含むからである。 英語ではbe +形容詞(日本語の形容詞は同名なだけで異なるが)になる。 形容詞と同じく「を」をとらない形容動詞は「〜なり」という語尾であるがこれは 「〜にあり」から来たもので自動詞である「あり」を含む。 問題は「自動詞はなぜ「を」を取らないか?」に集約される。 「を」を取らない動詞を自動詞と命名したから と答えるならば 言語学で自動詞と呼ばれる類の動詞が「を」を取らないという性質があるのはなぜか? と言い換えればよい。
>>629 昔の森高の歌に
♪女の気持ちを分からない
ってのがあったにゃが、なにかw
非対格の再対格化とゆーか、他動詞としての再分析が起きとるんだろにゃ
>「〜たい」がつくと形式的に形容詞の扱いになる。形容詞は「を」を取らない
「〜たい」でもヲ格をとるっちゅーにw
大雑把に言えば、V+tai 全体がVに支配されているのか、taiに支配されているのか、
の違いであるにゃ
すまそ。taiをtailとうっかり読んで通り過ぎていた。 抑制ということが出てきたのだが、 > V+tai 全体がVに支配されているのか、taiに支配されているのか、 とか > たとえばV+taiの形式でVがもともと持っているヲ格付与能力がtaiによって > 抑制されると考えることができるにゃ とか言う場合に、それは1−0でどちらかに転ぶのではなく、おそらくどっちか寄り となるのではないだろうか?その場合、動詞自体や対象の性質によって微妙に 力関係が変わったりしないのだろうか?
走る は 自動詞? 道を走る マラソンを走る 人生を走る
人の気持ちを分かりたい 人の気持ちが分かりたい なーんか科学するみたいに、を分かる は外来語的に生じたってことはないの?
>4 足が洗われた 足を洗うとは「悪の世界から退く」ことである。「洗われた」は「られる」の意味のうち「自発」に当たる。 悪の世界から退くことは自然に起こるものではない。よって慣用句の読み方が除外される。 >黒板が消したい ・黒板が消えた(手品読み) ・黒板が消された(換喩読み) ・黒板が消えない(手品読み) ・黒板を消そうとする(換喩読み) ・黒板を消えさせた(手品読みのみ) ・黒板を消したい(換喩読み) ・黒板に消えてほしい(手品読みのみ) 自動詞をとる場合は手品読みをする。これは黒板の字は自発的には消えないからである。 「黒板が消えない」が換喩読みも取るのは 「消そうとしてもなかなか消えない」の意味で字が自発的に消える意味でないと受け取れるからである。 同じく「黒板が消えた」が換喩読みも取るのは 「まだ写していないのに時間がたつと消される」という被害の意味を持つからである。
635 :
粘着病 :2006/06/19(月) 17:04:07
黒板を「モニター」に置き換えれば「消える」でも手品読みは生じない。
>>633 >なーんか科学するみたいに、を分かる は外来語的に生じたってことはないの?
語形の埋め合わせと言ってみる。「分かる」と同じ意味に「知る」があるが、
「英語を知る」というと「英語の知識を得る」という意味と「英語を理解する」の意味の二つに取れる。
これを避けて口語では理解のほうに「分かる」を用いる傾向がある。
しかし「理解する」では「理解しろ」とか「理解しよう」とかあるが「分かる」のほうは自動詞なので無い。
そこで「分かる」を他動詞で用いるようになったと。
「○○学する」という動詞には
文学する、科学する、哲学する、数学する、美学する
があるが特徴が見られる。
1「二字+学」のものは用いられない。
*政治学する、*経済学する、*物理学する、*倫理学する、*天文学する
2具体的な動作が不定なものは用いられない
*理学する、*薬学する、*法学する、*光学する
といいつつ言語学しとるわけにゃがw
>>635 そんあたりは動詞そのものの成り立ちをどう考えるかという問題と繋がって
反語彙主義的にも重要であるにゃ
つまり、すべての動詞は抽象的には ○○+スルであって、スルがついて初めて
動詞になり、○○の部分は範疇未指定のルートである、というわけにゃ
スルと平行して非対格自動詞用にナルを立ててもいいけどにゃ
「見る」も「見」スル、「食べる」も「食」スル、わけで、実際に「食する」
は言うが「見する」は言わない、なんてことはvocabularyの問題に過ぎんにゃ
同様に、「政治学する」も構造としてはOKのはずで、実際に使われるかどうか
はハナシが別にゃ
俺の幼少の頃にはまだ「科学する」なんてものもなかった希ガス
>>634 >「洗われた」は「られる」の意味のうち「自発」に当たる
とは限らんにゃ
だいたい上では受動文として示したつもりにゃが、同じ身体イディオムでも
ok (重い)腰が上げられた
ok 手が下された
* 足が洗われた
と差があるのはなんでか、ってこったにゃ
>>631 「ガ」か「ヲ」かは二者択一であるから、どっちか寄りのgradabilityが
あるにしても、ある閾値を超えたらtaiの支配下といったことになるんで
ないかにゃ
あと、ガでもヲでもない、格助詞脱落という場合もあるにゃが
本が読みたい
本を読みたい
本読みたい
これはヲが省略されとるのか、ガが省略されとるのか、どちらでも省略が
あり得るのか、そもそも省略ではなく別個のゼロ格なのか、あたりも理論的
には面白いにゃ
みんな最近容認可能になっているようで、使用例もかなりありますよ。 *政治学する、*経済学する、*物理学する、*倫理学する、*天文学する *理学する、*薬学する、*法学する、*光学する
>>637 > 俺の幼少の頃にはまだ「科学する」なんてものもなかった希ガス
同意。それから「煙草する」ってのもTVあたりからではないだろうか?
その頃から、日本語の語形成が少し変質してきた気がするです。
> 「ガ」か「ヲ」かは二者択一であるから、どっちか寄りのgradabilityが
> あるにしても、ある閾値を超えたらtaiの支配下といったことになるんで
そうです。ただ、そうやって、語によって容認度が数量的に予測できたら
面白かろうかなというだけで。
キリストが弟子たちの足を洗われた (敬語) 次々に弟子たちの足がキリストによって洗われた (受動) 足を心に蛙と 心が洗われた だけしか(私は)OKにできませぬ。ゲコ。
同意って、なんで俺の幼少期を知ってるにゃw あと、俺の子供んころは「しゃべる」の命令形は「しゃべろ」だったにゃが 今は「しゃべれ」だにゃ 見ろ→見れ もそのうち定着するかもにゃw んでさっそくググってみると 政治学する の検索結果 約 39 件 経済学する の検索結果 約 13,500 件 物理学する の検索結果 約 18 件 倫理学する の検索結果 約 10 件 天文学するに該当するページが見つかりませんでした 理学する の検索結果 約 71 件 薬学する の検索結果 約 8 件 法学する の検索結果 約 13 件 光学する の検索結果 2 件 言語学する の検索結果 約 88 件
♪女の気持ちを分からない あの人は女の気持ちガ分からない 女の気持ちを分からないヒト ・・・みんなそーみたい
>>642 いやいや
> 俺の幼少の頃にはまだ「科学する」なんてものもなかった
は、大先生の年齢はわかり、科学するがいつ頃から言われたか考えての同意で
> 希ガス
への同意ではありませーぬ。
>>643 の件数はどうも、実学か否かという要因にコントロールされているね♪
はんぶん祭りみたいでワーワーと面白いから、もっと逝ってくれ!!
>>642 顔文字先生が、容認度数量化路線に着手w
>はんぶん祭りみたいでワーワーと面白いから、もっと逝ってくれ!! 2人だけでもりあがってるんじゃね?
> しゃべろ そうかもなー。食べろ も 最近は 食べれ で通じるし、2チャン寝る辺りでは 教えれ とか やめれ とか 流通しとりまっせ。 覚えれ!
>>647 よーシランが、顔師と列挙大王との二人ならそーかも。私もいるし、先の
2人(?)以外にも。。。
・・・そして突然襲ってくる様子見の沈黙・・・
で、結局、私には > たとえばV+taiの形式でVがもともと持っているヲ格付与能力がtaiによって > 抑制されると考えることができるにゃ なぜ、「(し)たい」が、Vがもともと持っているヲ格付与能力ヲ抑制するのかが わからないのだが・・・「抑制されると考えることができる」はそうか!なのだが その理由は?他の例としては受身が出たが、それ以外にはないのだろうかと考えて 形容詞的という意見も出ていたわけだが、「みたい」みたいなのの場合はだめか。 一応 Taro cleans the blackboard.に限って、 太郎は黒板を消したい 太郎は黒板を消す 太郎は黒板が消したい 太郎は黒板が消す 太郎は黒板を消すみたい 太郎は黒板を消す 太郎は黒板が消すみたい 太郎は黒板が消す 「消したい」では良かったが「消すみたい」では駄目みたい。 Taro seems と Taro wants では違うのは明らかで・・ 消す でなく 嫌い ではどうなるかというと 太郎は黒板を嫌い(である) 太郎は黒板が嫌い(である) ・・・・・・
・・・そして突然襲ってくる白け鳥の沈黙・・・
653 :
白け鳥 :2006/06/19(月) 19:29:17
ホゲ
花子が嫌いである・花子を嫌っている の差異もあるにゃ >なぜ、「(し)たい」が、Vがもともと持っているヲ格付与能力ヲ抑制するのか ま、大雑把に言って格を与える側(この場合動詞)と与えられる側(目的語)の 間にはある種の局所的な関係が要請されるにゃ 格に限らず、構造内の2要素間に依存や一致の関係が成立する場合、たいてい似た ような「近さ」が求められるわけにゃが んで、黒板-消す であればそのような局所的関係が成立するのに対して、 黒板-[[消し]たい] となると、「消し」自体が「たい」の中に埋め込まれている ため、その局所的関係が壊されてしまう、といったことだにゃ 対して「黒板を消したい」であれば、[[黒板-消す] たい]のように「消す」が「たい」 に取り込まれる前に黒板との関係を成立させてしまっているんでヲでOKという ことにゃろ
ということは、 TVの電源 を消す TVの 電源を消す の違いは、 「埋め込み」、ないしは、(「消す」が「たい」に取り込まれる前に成立する黒板との)「関係」 の強度差であるということになるんですか?いずれにせよ 「消し」自体が「たい」の中に埋め込まれている というところは感覚的にはナットクする。
>>648 >そうかもなー。食べろ も 最近は 食べれ で通じるし
九州人と2ちゃんねらーの陰謀か?
>>655 TVの電源 を消すは
[[TVの電源]を]消すで
TVの 電源を消すは
[TVの[[電源を]消す]]]だろ。
電源を消す では少し話が違うだろうけど、 「(し)たい」 と 「嫌い」 みたいな主観的語で共通性があるのが面白くはある。
ところで 自自慰は 学生なのか 学者なのか それとも ニートなのか
自自慰って誰どす? 私は、言語学飛び入り学生で、日頃は勤め先でもneatにしていますが、何か?
ちなみに「たい」だと「が」をとっても問題ないが 「べし」だと非文になる。 太郎は黒板を消すべし *太郎は黒板が消すべし。 だから 「黒板-消す」が黒板-[消し-たい]になること自体が ヲ格を取る理由ではないと思われ。
>>660 その「べし」は義務などのベシですか?
希望の「べし」ならば、昔の人に聞いてみないと・・・
吾、黒板が消すべしと思へども、紙にてあれば致し方なく。。とか?
というか、「べし」で置き換えて非文になるから、
> 「黒板-消す」が黒板-[消し-たい]になること自体が
> ヲ格を取る理由ではない
という論理展開が今ひとつわかりません・・・
自自慰が学者だったら死んでもええわww 川原乞食の仲間やろう。
済みませんが、自自慰って誰です?
>>654 では
「黒板-消す」が黒板-[[消し]たい]になることでガ格も取るようになると述べている。
しかし「べし」は黒板-[[消す]べし]となってもガ格は取らない。
だからガ格をとるのは局所的な関係が崩れるのとは別の理由ではないかと言いたいわけですよ。
>昔の人に聞いてみないと
昔といっても古文では「が」は所有格で主格じゃないしな。
現代のガ格は「所有格+連体節」から出来たしな。
>>664 つまり「べし」の場合は [[黒板を消す]べし ] という構造関係しか許されない、と
いうことを示すのかも知れんにゃ
ここんとこのハナシは生成スレでやるほどのこともない初歩的なことが
多いのにゃが、ま、言語板以外のシトもいるのにゃろからヨシとするにゃ
んで、ガ格目的語とヲ格目的語の間にはよく知られた意味上の差があってにゃ
たとえば
1. 焼き鳥だけが食えない
2. 焼き鳥だけを食えない
の違いが分かるかにゃ
以前、授業で言語学が専門でもない学生にきいたら一発で分かったのがいて
感心したけどにゃ
1)は食えないのは焼き鳥だけで、他は何でも食える
2)は焼き鳥だけを食うということはできず、ごはんといっしょなら食える
という感じだにゃ
上のストーリーでいけば構造的には
1) 焼き鳥だけが [食えない]
2) [焼き鳥だけを食え]ない
という違いがあるはずにゃが、これがまさに意味の違いに反映されとるというわけだにゃ
>>664 > だからガ格をとるのは局所的な関係が崩れるのとは別の理由ではないかと言いたいわけですよ。
顔文字先生と意見が不一致なのですか?
> >昔の人に聞いてみないと
> 昔といっても古文では「が」は所有格で主格じゃないしな。 ←1
> 現代のガ格は「所有格+連体節」から出来たしな。 ←2
例えば、万葉集に
母を離れて行くが悲しき
天草本平家物語に
平家の由来が聞きたいほどに
とかあるのは2の例でしょうか?
また、古事記にも
青山に日が隠らば
万葉集で
吾妹子が植ゑし梅の樹見るごとに心むせつつ涙し流る
徒然草
この文、清行が書けり
は1への反例では?
後の情意を表わす形容詞・可能の表現などに続けその原因・条件になった事象を示す。
述語の対象を示すという考え方もある。現代語では「が」の代わりに「を」を使うこともある。
ま、「が」じゃなくて「を」なんですけどね、問題は・・・
>>666 オーメンだww
> 述語の対象を示すという考え方もある。現代語では「が」の代わりに「を」を使うこともある。
は
> 平家の由来が聞きたいほどに
に該当・・
>>665 > 上のストーリーでいけば構造的には
> 1) 焼き鳥だけが [食えない]
> 2) [焼き鳥だけを食え]ない
> という違いがあるはずにゃが、これがまさに意味の違いに反映されとるというわけだにゃ
ここ以前のところは日本人なら一般ピーポーでも、シュッポシュッポ分かります。[ ]で表記する
と確かに分かりやすそうですが、 [焼き鳥だけを食え]は一語ではなく構造的まとまりなので、
少し思考を要します・・・バカなので。
藻前ら、バタバタしてないでびしーっと決めたらんかい、ビシーッと。あん?!
ちゃうねんて!
ふー。なんだか今日は朝から暑いなー。フラッペでも作ってこよ〜♪
>ここ以前のところは日本人なら一般ピーポーでも、シュッポシュッポ分かります ほー 生成で使うデータはどーせ一般ピーポーには分からんにゃろという猜疑心が身について しまってにゃ トホホ
確かに高い専門性を持った領域だと思います。でもUGはみんなのもの。でしょ?
自自慰=シャチ=名無しシャチは鼻が自自慰だ!
=を「は」にした方がここしばらくのコンテキストに合っていると思うけど?
>>675 まぁ、それはハンドルがmetonymyなのかsynechdocheなのかってこともい関係あるだろうねー。
自自慰は鼻が自自慰だ、じゃなんか可笑しいし。それとも、自自慰は鼻再帰型存在かな。
いや、frameかもしれないし、family resemblanceかもしれない。もしかするとsynesthesiaかもね。
なんだかな・・だが、古文もそうしょっちゅうあるわけじゃないので
>>666 の文例を生成っぽく構造分析してみてくれないか。少しは
おもしろい素材になりはしないか。「が」が原因・条件になった事象を示す
とかのあたりはエロエロあるんじゃね?
焼き鳥の問題だがトーシロー質問させてもらうと 3)焼き鳥だけが食いたい 4)焼き鳥だけを食いたい を構造解析すると、やはり > 1) 焼き鳥だけが [食えない] > 2) [焼き鳥だけを食え]ない みたいに > 5) 焼き鳥だけが [食いたい] > 6) [焼き鳥だけを食い]たい となって、「意味の違いに反映され」ないのだろうか? すると例1−2)はnotを含み、食物の集合を考えるときに生じることと考えられるのだが。
ん?
>>654 > んで、黒板-消す であればそのような局所的関係が成立するのに対して、
> 黒板-[[消し]たい] となると、「消し」自体が「たい」の中に埋め込まれている
> ため、その局所的関係が壊されてしまう、といったことだにゃ
> 対して「黒板を消したい」であれば、[[黒板-消す] たい]のように「消す」が「たい」
> に取り込まれる前に黒板との関係を成立させてしまっているんでヲでOKという
> ことにゃろ
黒板-[[消し]たい] の方は、「消し」のcompに何かあるんじゃないの>顔も自薦制?
つまり、黒板_i-[[φ_i 消し]たい] ではないんですかい?
そうじゃないんならこの点ではHPSGとほぼ同じ分析になりそう
多分、スルーされそうだが、 ガ格・ヲ格の問題の解釈や容認感覚には、サピア・ウォーフではないが、 日本語独特の感覚が入り込んでいるのではないだろうか?
683 :
仇鱒 :2006/06/20(火) 20:31:04
こんばんわ。おひさ。でもねぇーか。ははははは。
えっと、顔餅、今日そっちに○善からメール逝ったと思うが、何はともあれ
項目名あのまんまで逝くということで何より何より。な〜んか、まだまだ
コッチもバタバタしていてまだ枕高くして眠れない状態だ。で、どー
でもええことだが、次↓を見て分かるように、どーもココDDoS攻撃
されていたようだな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060620-00000053-zdn_n-sci てか、1秒に5億回のアクセスだぜ。ハンパじゃないぜ、マジで。いっしゅん
身寸 米青のハナシかとわしは思ったわ。ははははは。これからDDoS攻撃を
身寸 米青攻撃と呼ぶかな。ははははは。てか、1秒に5億回つーことは、
1分に300億回だぜ。1時間では、、、誰か代わりに計算して栗(ワラ)。
てなことで、ま、藻前ら今宵もツーちゃんで楽しめYO!ははははは。
へー、スパコンでも乗っ取られたか、それとも分散処理するネットが利用されたか・・・ そことここだけじゃないのかも。桑原桑原。
桑原和夫がどーしたにゃw
火曜は授業イパーイで多忙な日であるにゃ
つーか、仇よ、「言語の期限と進化」って、ほんとに大丈夫なんだろにゃ
みっともない誤植は勘弁しち栗w
>>680 > 5) 焼き鳥だけが [食いたい]
> 6) [焼き鳥だけを食い]たい
やはり厳密には意味は違うのだろにゃ
1) It is only yakitori that I want to eat.
2) It is eating only yakitori that I want to do.
焼き鳥以外にも食いたいものはあるが、焼き鳥は焼き鳥だけで食いたい、
という場合、(5)は偽で(6)は真にゃろ
ま、実際にはあまり違いが意識されないことも事実にゃ
それから「が」は元々「を」でもあり得たものの交替にゃから、「が」には
「を」の解釈も実は可能であるにゃ
>>681 >「消し」のcompに何かある
その何かってのはtraceかproかにゃ?
その辺は複合動詞とかserial verbの分析についてむしろ考えるべきことで、
[[ X V1 ] V2 ] → [ X [V1-V2]] のrestructuring verbとはハナシが別にゃろ
V2=taiは単独でX を目的語に取るわけではないからにゃ
>>682 ご希望どおりスルーw
二重ヲ格に関して、major objectとしてのヲという発想は、英語の
I believe of John that he is guilty
などの of John に相当しとるのではないかと思うけどにゃ
ECMについては前からかかりしゃんとは意見が違うにゃ
>>686 > ご希望どおりスルーw
Thanks!
なんのなんの南野陽子w
689 :
仇鱒 :2006/06/21(水) 07:36:41
おはよ。ウィーク・ディはやぱいそがちい、、、。
>>685 >つーか、仇よ、「言語の期限と進化」って、ほんとに大丈夫なんだろにゃ
わしもメールを読んでてビクーリした。w
あと、あれだ、「焼き鳥だけ<が>食いたい」と「焼き鳥だけ<を>食いたい」
だが、正直わしには差がハキーリでないというのがある。タダの「右目だけ<
が>つむれる」と「右目だけ<を>つむれる」が生成的には有名であるが、
正直、わしには差が出ない。だからその例に基づいて目的語がレイズ
しているのなんたらこんたらとゆー議論もほとんど信用していない。で、なか
ば
>>682 に釣られる形になるのだが、「日本語独特の感覚が入り込んでいる」
可能性もなきにしもあらずだと思う。つまりどーゆーことかとゆーと、やはり
「が」は「を」と比べて独特だというのがある。というのも、「が」は「は」
との対比で使われることから日本語特有なものがあるからな。また、機能的
にも「が」は「を」と違い「総記」の意味を持つからな。で、この「総記」の
意味が「only X」の意味を出していると思う。そーゆーこともあり、実際、次
の2つのパラダイムにそもそも差があるのかもわしには不明。
> 5) 焼き鳥だけが [食いたい]
> 6) [焼き鳥だけを食い]たい
> 五) 焼き鳥が [食いたい] (←「が」にちょっとアクセントを置く)
> 六) [焼き鳥を食い]たい (←「を」にちょっとアクセントを置く)
ま、そんなところだが、その辺りのデータは正直、上でも書いたがかなり
微妙だ。てか、よくワカラン。で、もし分析するのなら、今わしが上で書
いたように、名詞のレイジングがナンタラこんたらとかじゃなく「が」の機能
がかなり深く絡んでいるとわしは思っている。てか、ココだけのハナシ、elが届
いてちょいとパラパラめくってみたが、正直萎えたわ。何を読んで萎えたかは
イワンが。だめだな、こりゃ。
じゃ〜な。おちごと逝ってくるぜよぉ〜♪
elってなんだ?
>「が」は「を」と違い「総記」の意味を持つ それがどっから由来するのかと言えば、「が」格はInfl/Tnsとの関係で 認可されるものであるから、構造的にも「を」より上位にあり、ある種 焦点化を受けやすいということであると思うにゃ つまり >名詞のレイジングがナンタラこんたらとかじゃなく「が」の機能 >がかなり深く絡んでいる 二者択一ではなく、両者は同じことなんでないか、ということにゃ 実際に名詞が移動するかどうかは別にして、Infl/Tnsとagreeしている ということが重要であるにゃ この辺りはbindingをprobe-goalでやろうとすることにも繋がるにゃ ところで本日発送完了しますた(by 業者の人)
日本語解析において何故に格文法が根強く生きているのか? Mary loves John. 誰が誰に何をした?
693 :
仇鱒 :2006/06/22(木) 07:38:14
おはよ。 >二者択一ではなく、両者は同じことなんでないか、ということにゃ ま、ようするに、わし的にゆーと、ニワトリが先か卵が先かとゆー問題と同 じだ罠。てか、いわゆる合目的的な問題が背後にある罠。つまり、機能が形式を 決定するのか、形式が機能を決定するのかとゆー問題だ罠。ま、生成的には 形式が機能をケテーイするのであって、機能が形式をケテーイ するのではないと。生成的つーか、もうちょいグローバルにゆーと、 構造生物学的にはそうならざるをえない罠。わしの記憶が正しければ、 構造生物学者の急先鋒であるイケダもそんなこと「ユリイカ」だったかでまた 最近かなり書いていた罠。あ、「ユリイカ」じゃなくて「情況」 だったっけ、、、。忘れちゃったよ(ワラ)。まあ、でもあれだ、仮にある 機能をゲットする<ために>ある構造構築が行われるわけではないとして、 では、その構造は<何のために>できるかとゆーと正直答えが見つからない罠。 ま、逃げの工作として自己組織化とかゆっても、それは答えにならんしな。 言語の起源を問題にするにあたりスパンドレルつーか創発を出したところで 科学的な答えになってないのと同じだからな。ま、結局<何のために>言語に 構造なんかあるかはネ申のみぞ知るといったところだろうな。てか、この地球上 (ちゅーかこの宇宙)にはありとあらゆる所にあまりにも美しい構造 があるわけだが、誰が<何のために>こんな構造をつくったのだろうな。ま、 人間原理的なハナシをすれば、そのような構造を見いだすのもわしら人間の 「色眼鏡」(w)のためとなるのだが、そうなるとぶっちゃけ、ネ申を人間に インコーポレートすることになり、わしらがそういった森羅万象にある構造 という美を作り出していることになる(たぶんわしはカーター流のストロングな 人間原理の立場)。ま、ようするに、わしら自身が他ならぬ創造主 ということになる罠。ま、そんなことを某仇本で書いたら自称宗教団体のシト からキモーなメールをもらったものよ。ははははは。今となっては遠い目の 出来事よ。ははははは。
694 :
仇鱒 :2006/06/22(木) 07:39:05
>ところで本日発送完了しますた(by 業者の人) 待って鱒たっ!!!!!!!!!(by 仇ちゃんの外の人) >日本語解析において何故に格文法が根強く生きているのか? なんのこっちゃ?日本語解析に限らず、θロール的なものは言語分析には 必要不可欠だ罠。ちゅーか、ああだこうだゆっても項構造的なものは何らかの形 でぜったい必要だ。てか、あれだ、格文法つーたって、結局は動詞をベース にした文法であり、動詞をベースに考えたらどうしてもその項を考 えざるをえなくなるわけだ。そんで項を考えるとθクライテリオン みてぇなもんで、必ず項のθロールを考えざるをえなくなるわけだ。ま、 そんなこんなで、日本語解析に限らず動詞をベースにした文法理論はどれも 格文法的にならざるを得ないとゆーのがあるわ。ま、それでゆーと、上で 「を」がnpにつくか動詞につくかとゆーアホらしい議論があったが、言語処理 つーか格文法的に考えると実は「を」や「が」は動詞につくのだよ。昔ココ でも書いたが、翻訳ソフトなんかをつくろうと思ったら、「を」とか「が」は 動詞にスペシファイさせないといけないのだよ。だから、(1)の文は(2) のように解析させないといけないのだよ。 (1)仇がたくあんを囓った (2)「仇」「たくあん」「が・をー囓る」「た」 ま、そんなところだ。てか、最近うまいたくあんってねぇな。わしが消防の頃 はほんとうまいたくあんがあったんだけどなー。トマトとといいリンゴ といいたくあんといい、ほんと最近は「うまい!」というものがなくなったな。 どれもインスタントのような味がするわ。ったく、、、あん。 さて、明日はブラ汁" との試合だな。日本がんがってもらわんとな。 しゃ〜てと、寝不足で頭朦朧としていまつが失禁してきまつよ。ふら・ふら〜♪
そんな一般論なら、わかとったわw 例文の格をおせーれろ
何のために構造ができるのかなんて、 神のような創造主を仮定しなければ 生まれ得ない疑問なのだよ。 まさに仇が >ネ申のみぞ知るといったところだろうな と言っているように。
別胴体乙 しかし神とか持ち出すのはこめ国のintelligent designと似た発想やな そんなツマラナイことばかり書いているから 他板から蛮族が来る来る来る来るww
>>602 >言語処理つーか格文法的に考えると実は「を」や「が」は動詞につくのだよ
1なぜ動詞につくのでしょうか?(便宜的な理由かそれとも事実でしょうか?)
2(個人的あるいは素人的には)直感的に名詞につくほうが正しいように思いますがなぜそう誤解してしまうのでしょうか?
3>動詞をベース という動詞をベースにするとは何か定義を教えてください。動詞をベースにする≡格語尾は動詞が取るという意味でしょうか?
699 :
sage :2006/06/22(木) 11:31:08
そうだよ、そうだよ。 日本人だからだよ、きつと。
698は602に聞いてるのけ?
>>694 > 動詞にスペシファイさせないといけないのだよ。だから、(1)の文は(2)
> のように解析させないといけないのだよ。
> (1)仇がたくあんを囓った (2)「仇」「たくあん」「が・をー囓る」「た」
これは自自慰の書いてた「を消す」を認めるという意味かww?
>>591 > >いや、動詞に靴つけたいのだ。
> つけたきゃ勝手につければええが、つけたところで「を」が困るだろーよ。
>>698 3は自動解析上の取っ掛かりを動詞にするという意味やろ
>>694 > ったく、、、あん。
一応、わろといちゃるww
ふらりと来た者ですが、生成で、焼き鳥が問題になっているとは知りませんでした。 で、素人目なので外しているかもしれませんが、この「だけを」「だけが」の比較は 「でだけ」と「だけで」の差と平行していませんかしら? 焼き鳥だけが食えない(他は食える) 焼き鳥だけを食えない(他と一緒なら食える) タミフルでだけ治らない(他の薬なら治る) タミフルだけで治らない(他の薬と一緒なら治る) 「でだけ」と「だけで」についてはご存じのように久野以来いろいろな説が あるんですが、どんなもんでしょう? よかったらどなたかコメント下さい。御願いいたします。
「動詞につく」「名詞につく」という言い方自体に不透明な部分があるので 混乱が生じるにゃ 格助詞が構造的には名詞側に所属していることは、既出のかきまぜの例 ok 本を 太郎が t 読んだ * 本 太郎が t を読んだ からも明かであるにゃ 分析によっては、むしろ格助詞に名詞がついている、 つまり格助詞が主要部である [[ 本 ] を ] と見る立場もあるにゃ これはちょうど英語で名詞が冠詞についているので あって、逆ではないというDP分析に平行的であるにゃ [ the [ book ]] そうであっても、なぜ個々の構造内で「を」であって「に」でないのか等、 は明らかに動詞側の事情によるにゃ 太郎を見た/*に見た 太郎に会った/*を会った つまり、形態的にどこに表出するのかの問題と、何によってそれが決定されて いるのかの問題は別個であるということにゃ 同じことが主語- 動詞の一致についても言え、動詞の三単現などと言っておる にゃが、三人称・単数という情報は主語側に内在的なものであって、動詞が 決定するわけではないにゃ にも関わらず活用語尾は動詞側に実現されて おるわけで、これを区別せずに「どちらにつくか」と議論しても意味ないにゃ
構造が先か機能が先かは、進化の問題でもあるにゃ 進化は先読みすることはなく、何の目的もなく偶然出来上がった構造が ある機能を果たすのに都合がよかったので、徐々にその機能に特化した ものとして改良されていくわけにゃ この改良のプロセスだけを見るなら 自然選択も重要なファクターであるにゃが、最初にその構造がどうやって できあがったのか、に適応論を持ち込むことは誤りであるにゃ 同じことが言語表現の構造と機能についても言え、たとえば受動文が どういう機能を果たすかに関係なく、受動文の構造やその生成メカニズムは 先になければならんにゃ これは生成でいえば能力competenceの問題にゃ その次に運用performanceの問題があり、そこでようやく言語使用者は 自分の意図・目的にあった構造を選択することができるのにゃ つまり、以前にも言ったように、まず構造が機能を決定し、その次に機能が 構造を選ぶのであるにゃ ID自体はナンセンスであるにゃが、自然選択だけで生物進化が説明できるのか、 という根本的問題提起は正しいにゃ この点ではチョムの立場も同じであり、たまにチョムが創造論者であるかの ような誤解を受ける理由でもあるにゃ
>>704 スコープの違いという点では同種であろうにゃ
[[ タミフルで ] だけ ] [ only [ with タミフル ]]
[[ たみふるだけ ] で ] [ with [ only タミフル ]]
上では only > not curable、下では only < not curable であるにゃ
709 :
704 :2006/06/22(木) 13:52:00
>>707 さっそくのお返事ありがとうございます。
スコープのあり方についてはとても似ているということでOKとのこと
ありがたいです。で、この格助詞ととりたての前後の分析で、久野が
面白いことをしています。
??のんびりとバリ島でぐらい2,3日過ごしたい。
のんびりとバリ島ぐらいで2,3日過ごしたい。
久野の分析では「でぐらい」は文修飾副詞なので、左方に「のんびりと」を
許さない。が、「ぐらいで」は節内修飾なので「のんびりと」と共存可能と
なるそうです。(新日本文法研究p171)
で、面白いことに、焼き鳥でもこれに平行した現象が見られます。
??のんびりと焼き鳥だけが食えない。
のんびりと焼き鳥だけを食えない。
ということは、ただスコープとして似ているだけではなく、統語構造にも
なにかの類似があるということではないでしょうか?最初のとっかかりの
部分と何か関係がありそうなので、更に追加いたします。
素人考えで恐縮ですが、もしコメントありましたら。
仮に文修飾αをIP-adjunct、節内修飾βをVP-adjunctとしておくと [IP α [IP NP-ga [VP β [VP NP-o V ]] I ]] のんびりと=βが、ガ格名詞句より前に出ることはないので辻褄はあうにゃ しかし、ガ格目的語がIによって認可されているというのと、IP-Specまで 顕在的に移動しているというのは別個のハナシなので、この分析が正しいと すると顕在的移動を新たに支持することになるだろにゃ
711 :
704 :2006/06/22(木) 14:16:29
>>710 コメントどうもありがとうございます。
一応私も日本語文法[だけで]メシを食べている者ですので、あまり教えて
いただいて[ばかりで]は恐縮なので、これ[ぐらいに]しておきます。:-)
コメントしていただいたことは勉強しておきます。
通り係の704さんがまだおられたら、ちょっと教えてください。 時枝文法の詞と辞などは現在はどのように評価されているのでしょうか。 特に上のガヲと関係づけなくても構いません。
713 :
704 :2006/06/22(木) 15:11:55
>>712 いくつかの側面があるでしょう。
1 モダリティ論の基礎となった
「辞」というものがあるというのが、綿々と続いて、現在の日本語学の
文法のモダリティ論が成立したというのは間違いないです。
それは功罪あい半ばするもので、モダリティ=主観性といった切り方で
すべてあいまいに済ませてしまったということについては、ハイコナロク
氏などの認知系の方、また、伝統系の尾上圭介氏などいろいろな批判もあ
ります。
このあたりのまとめ本としては、岩波講座言語の科学5文法の、金水敏
「国文法」がわかりやすいでしょう。
(つづく)
714 :
704 :2006/06/22(木) 15:17:57
>>712 2 現代敬語論の基礎となった
詞の敬語(尊敬謙譲)と辞の敬語(丁寧)とが根本的に違うという
理論を形成したことはその後受け継がれていると思います。
生成でも、主語尊敬・目的語尊敬といいますが、これは詞の敬語
だけの理論であり、研究史上はやはり時枝理論のフレームの中で
産まれたものと思います。
以上です。
ありがとうございます!
716 :
704 :2006/06/22(木) 15:25:54
>>712 それと補足(蛇足?)ですが、詞辞論の根底にある「言語過程説」に
ついても再評価の動きがあります。分節ミスマッチという現象等から、
言語=行動論を主張されている定延利之氏なども時枝を高く
評価しています(定延「言語認知論」大修館)
そういう側面もあろうかと思います。
文節ミスマッチの例文をいただけますか?
>>706 > 構造が先か機能が先かは、進化の問題でもあるにゃ
行動の問題でもあるかもにゃww
言語学らしくなってきたのを邪魔したくないので、また、
すっきりしたいいレスであるので、つい書くが、基本的にただの感想にゃ(微笑
719 :
704 :2006/06/22(木) 15:35:53
>>712 念のため、生成の敬語論の元祖の原田信一氏の著作集をあたって
みました。
詞の敬語、辞の敬語に相当するものとして、原田氏は
Propositional honorifics
Performative honorifics
の2分類をしていますね。これは1970の原田の修論が元です。
残念ながら時枝の直接引用はないですが、大枠として時枝敬語論
の枠組みであることは動きません。
あ、分節ー
言語過程節説全体についてはいかがですか?
722 :
704 :2006/06/22(木) 15:44:35
>>720 定延氏の最初にあげている例は
日本ルーマニア関係
で、意味からは、[[日本ルーマニア] 関係] と分離されるのに、
アクセントの山からは
にほんるーまにあかんけい
L H L L H H H H H L L L
のように、「日本」と「ルーマニア関係」とに2分されるという現象です。
正常なものは「関西国際空港」のように、意味とアクセントが一致しています。
この原因をさぐるという話となります。かなりややこしい論議なので
詳しくは当該本をご覧下さい。
聞いてばかりですみません。 定延本などを勉強させていただきますね。 感謝です。
横レスすまないですけど、言語過程説論者(?)にとっては生成的アプローチで面白いと感じられそうな点はどういうところでしょうかね?
725 :
704 :2006/06/22(木) 15:57:14
>>724 私は言語過程論者じゃあないのであまりわかりませんが:-)
マージという考え方は、静的な句構造論に比べて、はるかに言語過程的かな?
と思います。
マージと時間と制約の問題など逆に伺いたいところもおおいのですが、これ以上
ここで現実逃避していますと、また原稿取り立てのメールが来ますので、
今日はこのあたりで失礼いたします。また後日に。ども。
>>725 > マージという考え方は、静的な句構造論に比べて、はるかに言語過程的かな?
お忙しいところ恐縮です。上は私も大変関心がありますので、また宜しくお願いいたしまうす。
616 :(´∀`):2006/06/19(月) 12:56:27 統語構造上の構成要素と、音調上の構成要素でミスマッチが生じることは 珍しくないにゃ I think [ that John is guilty ] [ I think that ] ... um ... [ John is guilty ]
つーのも同質であろうにゃw
ミスマッチが起きるのはなぜなの?
なぜと言われても困るにゃが、統語構造を組み立てるプロセスと、それを 音形化するプロセスはまったく別物、ということだにゃ 言い間違い、特に spoonerism(アダがオダブツ→オダがアダブツ)のような例は、 実際に音声が発せられる以前に頭ン中ではある程度のまとまりが先読みして 音声処理されていることを示すと思うにゃ そのまとまりが統語的構成素とは違い、より音形化に適したように処理されとる ことがミスマッチをもたらすんでないかにゃ で、このことは生成的には次のことを示唆しておるにゃ つまりシンタクスは言語の外在化(他者に向けての発話・コミュニケーション) ではなく、内在化(個人の脳内での思考や概念化)にとって適したものである、にゃ
731 :
698 :2006/06/22(木) 16:45:40
形態と意味を混同していたわけですか。解答ありがとうございます。
吃音の問題と絡むとか聞いたことありますね。 成程内在化まで来ますか。
生成的な意味と形態はいつも混乱しますーバカなので。
言い間違いと言えばフロイトなんてものを思い出す・・
日英語認知モダリティ論 連続性の視座 とかいう本もありましたっけ
736 :
仇鱒 :2006/06/22(木) 19:58:21
こんばんわ。仇ちゃん@お陀仏モード orz... なんかちかれて何もする気ねぇからちょいとだけ書くかな。えっと、ま、 あれだ、ミスマッチうんぬんだが、チョムもよくゆってるよーに、pfだけは 派生の中でもイクストレイニアスだ罠。ナローシンタクスからlfまでは派生は ホモジーニアス。そんでもってpfだけは異質で別扱い。だから、なんつーか pfちゅーかスペル・アウトしてからはそもそも文法の管轄じゃねぇーのよ。 ある意味、モノホンの物理の法則なり声帯力学やら生体力学やらそんなもんが 関与する非文法的なもんが関与する世界だ。ま、そんなこんなでシンタクスと 音声化ではミスマッチが生じてしまうワケだ。てか、生じて当たり前だ。 まあ、前にもわしがゆったように、そもそも'John kissed Mary'みてぇな簡単な 文でも、John kissedで軽くポーズ入れてからMaryを発音する罠。もうこの時点で シンタクスの構成素を破ってる罠。だって、シンタクスではkissed Maryが構成素 をなしているからな。ま、そう書くとシンタクスと音声化は完全に別問題と思 われるかもしれないが、いわゆるワナ・コントラクションなんかのようにモロに シンタクスと音声化が絡む問題もあるからいろいろワケワカラン♪ことが未だ 目白押しだ罠。 ちゅーか、藻前ら、明日のブラ汁"戦どうするや?あん?徹夜してそのまま見 るか?わしは仮眠してから見るか今からもう寝て早起きして見るかこのまま徹夜 して見るか悩んじゃってるわ。
見ない。サッカーはするもの、見るべからず
738 :
仇鱒 :2006/06/22(木) 20:20:16
>見ない。サッカーはするもの、見るべからず なーんだ、藻前見ねぇのか、、、。わしは今がんがってビール2缶目を開 けているところだ。たぶんこれで9時前には酩酊状態だ。ははははは。 てなことでわしはお先にねんねで明け方起きるわ。ま、そんなところだが、 にっぽんサッカーがんがれー!!ははははは。じゃ〜な。 にっぽん・ちゃ・ちゃ・ちゃ!!! てか、わし起きれられるかな、、、。 ちゅーか、今タイプしてて思ったが、「起きられる」が正しくて「起きれる」 がら抜きで「正しくない」のだが、わし的にはもう完全に「起きれる」がフツー だ罠。「起きれる」で入力するとエイトックにチューイされるが「余計なお世話 じゃい、ゴルァ!」とツッコミ入れたくなるわ。てか、日本語学の専門家 がいるよーだが、ら抜きどーよ?あん? てなことで、もう眠くなってきたわ。ふぁ〜、じゃ〜な。おやつみ〜。
心配するな、奇跡の3対1で日本の勝ちだよ。
サムライ・ブルー!!
やはり、形態、音韻、意味、別々に考えるのはスッキリしているが、別々に 考えられるかどうかは・・・ θはFillmoreから取り込み、やはり不自由で最終的には捨てたくなる・・・
それも奇跡の3対1かもね
743 :
704 :2006/06/22(木) 21:09:05
「ら抜き」ですが、よく言われるように、一段動詞が五段動詞にならって 「可能形」を発生させたでFAだと思います。これには、説明が必要ですが、 次の表を見ると一目瞭然です。 切る 着る (A) kiru kiru 基本形 kirutoki kirutoki 連体形 kireba kireba 条件形 kirareru kirareru 受身形「れる・られる」は忘れていい。:-) kireru kireru 可能形(「着れる」=ら抜き) (B) kiranai ki**nai 否定形 kirimasu ki**masu 丁寧形 kiraseru kisaseru 使役形 kire kiro 命令形 上でAグループは左右にまったく差がありません。かつこれが 主要なよく使う部分です。ですから、このようなAのように 左右を整える圧力がたえず一段動詞にはかかってきます。 ですので穴があった「着れる」が発生したというわけです。 一番下の命令形でもその圧力によって「着れ」(命令)が発生します。 2ちゃん語(や各地方言)の命令形にこの現象がありますね。
「ar」抜き説はどーすか?
知る 知られる 知れる 知れ 知ろ?
しかし、言語というものが、かくも変化し続けるものであるのなら、 学もまた変化し続けねばならなくなり、非常に大変だが、また、変化に 立ち会うという意味ではゾクゾクすることも多いのだろうなぁ。
ら抜きの容認度というのは実際のところどんなもんなんじゃろ?ら抜きはコーパス?
ラ抜きに限らんにゃが、機能主義的にはいわゆるNeo-Gricean principleと ゆーのがあって、 形式X:意味A,B 形式Y:意味A という関係がある時、形式Xは次第に意味Bしか表さなくなる、つまり 形式と意味が一対一対応になるように簡素化されるというものだにゃ 「着られ」が多様な意味を表し、「着れ」が可能のみを表す状況では、 「着られ」は次第に可能を表さなくなり、「着れ」が可能専用の表現として 定着するであろうにゃ あと20〜30年後には誰も「着られ」を可能の 意味では理解しなくなっとると大胆予想 binding についても同じ説明が成立して John loves him では、もともとhimはJohnでもJohn以外の人間でも指し得たわけにゃ しかし再帰代名詞の発達により John loves himself Johnを指すにはhimselfを使え、ということの裏返しとして、himを 使った場合はJohnは指せない、ということになったのであるにゃむ
>形式と意味が一対一対応になるように簡素化 しかし逆のことも起こっていると思うんだけどな。 でないと、「られ」が受身・可能・自発・尊敬という 4種もの意味を持つようになったことの説明がつかん。 機能主義は、一つの形態素が2つ以上の意味を持つように なったらこれも「合理化」だと言うんじゃないのかw
750 :
仇鱒 :2006/06/23(金) 06:01:09
おはよ。 あーあ、にほん負けちゃったな。やぱわしが見てたのがマズかったか な、、、。って、たぶん全国のテレビ見ていた香具師がゆってるだろーな。 ははははは。ま、でも、世界最強のブラジルと戦わせてもらったのだから日本 もいい勉強になったと思う。 で、ちょいとだけ勉強ネタで書くが、あれだ、藻前らが上でら抜きについて書 いているようなことはまあどーでもええのだよ。上で言語進化やら人間原理、 そして言語のシステムのハナシが上がっているように、その辺りのハナシに絡 めながら実は何か語ってもらいたかったのだよ。そんで、まあ、わしの中の人 が誰だか分かっている香具師はもうお分かりかと思うが、わしは日本語の 活用変化にとても興味をもっている。そーゆーこともあり、仇本の1章 のかなりなペースを活用変化にあてているぐらいだ。てか、ぶっちゃけ、 自然言語の科学的分析をシロートに紹介するには活用変化は最高の材料 だとわしは思っている。それでだ、まあ詳しいことはマジで仇本を読 んでもらいたいが、わし流の言い方をすると、数の論理でゆーと圧倒的に 五段活用が与党だが、言語システムの論理でゆーと完全に五段活用が野党 であるのだよ。つまり、活用のシステムという観点からすると、上一段・ 下一段活用、それにカ変・サ変変格活用が与党であり五段活用が野党 であるわけだ。そんで、上一段と下一段にら抜きが見られるなら、予想としてカ 変とサ変にもら抜きが見られるハズで、実際そのとーり、「来れる」(cf. 「来 られる」)というら抜きがあるわけだ(「する」のら抜きは語形成上存在 しえない)。
751 :
仇鱒 :2006/06/23(金) 06:01:45
それでだ、わし的には、ら抜きつーのも結局形式上の問題として処理しようと思 えば処理できるわけだ。そう考えると、形式が機能に影響を及 ぼしていることになるわけだ。つまり、どーゆーことかとゆーと、一般的には、 可能と受け身のフォームを違うようにさせるためにら抜きが発達 したとかゆわれるが、そーゆー機能的な合目的的性はなく、もしかしたら形式の 変化の必然性としてら抜きが発達してきたかもしれないのだよ。つまりだ、 形式の変化が機能の変化を引き起こし、まさに上でゆーよーな構造生物学的な考 えがら抜きに適用可能である鴨しれないのだよ。そしてそーゆー風に考 えることができるのも、言語に形式を見いだす人間原理的なものも絡 んでいるのだよ。ちゅーか、もうちょいゆーと、森羅万象に形式を見 いださざる得ない形式原理ともいうべき人間の性の帰結とも言えるのだよ。 ま、そんなところだ。 ちゅーか、今日学生ちゃんと起きてジュギョー聞くのだろうか、、、。 ほとんどの学生が徹夜明けで頭朦朧としてるんじゃねぇか?てか、センセイも 寝不足で頭朦朧としているがなー。ははははは。
朝一の講義がある日の前夜は早く寝る。 講義を退屈なノルマにしないために私はそうしています。
形容詞の連用形は理由の意味を持つ場合がある。 ・当日は忙しく出席できません また様子も表す。 ・忙しく歩く 同じく理由の意味を持つ言い方に「〜ので」がある。 ・当日は忙しいので出席できません 連用形:理由、様子 ので:理由 となるが、連用形は理由を表さなくなろうか? 「の」句は名詞を修飾する。 ・サッカーのドイツの試合 また格語尾「で、と、へ、から」のつく名詞にさらに「の」を伴ったものが存在する。 ・サッカーのドイツでの試合 ・サッカーのドイツとの試合 ・サッカーのドイツへの試合 ・サッカーのドイツからの試合 ・サッカーのドイツの試合 の:場所、相手、目的、参加者・・ での:場所、との:相手、への:目的、からの:起点 単独の「の」は上の意味を除いたものになろうか? 端的にいえば「東の道」という語は「東に通じる道」や「東から伸びる道」や「東の方面を通る道」や意味が薄れ 「東さんの道」の意味が優勢になろうか?
Neo-Gricean principleとかいうものについての論評は差し控えるが、2,3点伺ってよろしいか?
>>753 > 形容詞の連用形は理由の意味を持つ場合がある。
> ・当日は忙しく出席できません
確かに理由として日本社会的には受け入れられているようだが、これを理由とする理由に関心がある。
I will be busy and unable to attend it.
と書いた場合、busyとunableは並列の表現であるわけだが、事象関係としてみると、
busyとable to attendが両立し得ない印象を与え、ゆえに<理由>となっているように思える。
基本的に、そこには直接的な理由提示をする「ので」はない。 こういう表現を理由として捉える
ことが正当であるためには、表現の背景にある事象を考慮に入れねばならないと思うのだが、
それはそれで宜しいか?この点について生成学派諸賢はいかがだろうか?
> ・サッカーのドイツの試合
> また格語尾「で、と、へ、から」のつく名詞にさらに「の」を伴ったものが存在する。
> ・サッカーのドイツでの試合
> ・サッカーのドイツとの試合
> ・サッカーのドイツへの試合
> ・サッカーのドイツからの試合
> ・サッカーのドイツの試合
> の:場所、相手、目的、参加者・・
> での:場所、との:相手、への:目的、からの:起点
どなたでも結構だが、上のサッカー日本語例文に対応する英語表現を教えていただきたい。
>>753 > 端的にいえば「東の道」という語は「東に通じる道」や「東から伸びる道」や「東の方面を通る道」や意味が薄れ
> 「東さんの道」の意味が優勢になろうか?
アバウトな考え方だが、東さんではなく「東にある道」という意味合いもありそうだが。
>>754 同様、非言語学者の妄言なるが。
>>754 > busyとable to attendが両立し得ない印象
もう少し英語で解釈すると、
I will be busy with the other events and unbale to attend that meeting.
であって、そのeventsにthat meetingが含まれないということが暗黙の前提になっている。
しかし、えてして、欧米人と話すとき、
I wii be busy and able to attend it. や I will be busy with attending it.
みたいな場合も有り得ると覚悟して話さないと、
Oh, you will be busy in that meeting. Thanks!
とか言われそうな気もする。いずれにせよ、文の外にある言語生活内の事象の
論理的関係が参照されているということが否定できないように思うのだが、どうだろう?
> 忙しく出席できない しいて英語に訳せば、I will be busily unable to attend it. なのかもw ちょっと違うか・・・
日本語習いたての欧米人なら > 忙しく出席できない を I will be unble to attend it busily (intensively). とか訳しそうだな。。 Off contextだけど。
759 :
仇鱒 :2006/06/23(金) 19:01:04
こんばんわ。 ありゃ?また話題変わっちゃったの?ま、ええけど、粘着質のわしとしては(w) もうちょい活用にこだわってみたい。で、あれだ、上でら抜きは日本語の 文法形式が変わりその結果可能と受け身の機能が棲み分けられたというハナシ をしたわけだ。そんで、可能性としてはその逆もあるハズだ。で、実際 あるのだよ。次の例を見て栗。 (1)お金が足らない (2)お金が足りない 「足らない」も「足りない」も同じ意味というか同じ機能をもっている罠。 ともに未然形で「ある規準に満たない」という意味をもっているからな。で、何 が違うかとゆーと、まさに形式が違うのだよ。「足らない」は五段活用の未然形 であるのに対して「足りない」は上一段活用の未然形だからな。ま、ら抜きも 自然言語の形式と機能を考える上で非常におもしろいが、今上で見た「足 りない」と「足らない」のペアリングも非常に面白い。てか、こーゆー面白く ナイスな言語現象に目を向けないといけない。ま、生成ヲタと認知ヴォケ連中 にはなかなかこーゆーデータには気づけないだろうな。ははははは。頭ん中に タンポポ満開だからな。ははははは。
760 :
仇鱒 :2006/06/23(金) 19:01:59
で、そんなことはええとして、さっきヴァヴァが「おとーさん、また蛆田子虫且 さんから何か届いたよー」とゆってきたわ。そんで中をみたら次のものが 入ってますたーーっ! ・でぃお(2005) ・ほわいとすねーく(2004) ・でぃーぷ・ぱーぷる(1993) で、さっそく今でぃおを見ているのだが、いやー、完璧な演奏だな。すごい、 すごい。ギターもパーフェクト、ドラムソロもイイ!(←ちょいと太鼓の数が多 すぎてちょっと見フュージョンバンドのドラムぽい)てか、ロニー年 とったな、、、。頭禿上がってるじゃねぇか。リッチーさまみてぇに植毛 すればええのにな。ははははは。ちゅーか、ブレア首相にヅラかぶせたら ロニーに早変わりだ。ははははは。あと、あれだ、ギターリストの名前、わし実 は知らないのだが、マジすげーな。エディとテク良い勝負してるな。いやー、 後半のギターソロにはタマゲタわ。いや、マジで。ゴールド・レスポールに萌 えちゃったよ、わし、、、。 てなことで、蛆田子虫且の外のシトども〜♪ てなことで、顔餅、業者の人@ 蛆田子虫且によろひく伝えて栗〜。シェ・シェM(_ _)M(←ひれ伏しポーズ さて、あともうちょいとしたら空手教室に逝ってきまつよ。うぉっす!
ポチタマで猫声で鳴く犬やってますたww
>(1)お金が足らない >(2)お金が足りない これは方言の差だ罠。 ・本を借った(五段) ・本を借りた(上一段) ・服に醤油が染んだ(五段) ・服に醤油が染みた(上一段) ・人生に飽いた(五段) ・人生に飽きた(上一段) 五段が古語、西型で上一段が東型と。
763 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/23(金) 20:27:13
宇治蛸氏、いかがかな?
ゴルアァァァ! >蛆田子虫且 もうちっと綺麗な当て字にせんか、ヴォケェェ!! >ギターリストの名前 ダグ・アルドリッジであるにゃ 見れば分かるとおり、Whitesnakeのギターもコイツw ま、便利に使い回されとるわけにゃが、パープルファミリー ではメンバーの貸し借りが禿しいにゃ
ニョロはどうした?
766 :
仇鱒 :2006/06/23(金) 21:47:36
仇ちゃん、空手教室からお帰り〜♪ てか、ちょいとパンチマジで打ちすぎて手首いてぇわ、、、。ちょいとマズ いわ、、、。キーボード打てなくなったらシャレにならんわ、、、。 >これは方言の差だ罠。 ふむふむ、たしかにその可能性はある罠。で、仮に方言差だとして、問題は何で 関東では上一段活用がチョイスされ関西では五段活用がチョイス されるようになったかだ。もうちょいシステムの観点からゆーと、なんで関東 では語幹を母音(とくにイ)で終わるのを好み、関西では語幹を子音で終 わるのを好むかだ。で、もうちょいゆーと、と@コンプのディリージョンでも 関西と関東では差があるわけだが、これと活用変化の差がどっかでリンク するとめちゃくちゃ面白い罠。ちょいと今のところわしには妙案はねぇがなー。 >もうちっと綺麗な当て字にせんか、ヴォケェェ!! ごみぃんまちごーた。正しくはコッチ↓だ。www 腐虫且汰子虫且 >パープルファミリーではメンバーの貸し借りが禿しいにゃ スワッピソグ?www
なんだ?英語解らん訳じゃあるまいな? ニョロがどーしたってww
> 蛆田子蛆 前スレの終わり頃にも使っていたぞー
富士鷹氏
譜字多高次
772 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 08:12:08
おはよ。 さて、お口直しにまた何か書くかなー。えっと、上でわしは マルチプル・スペックは幻想であり、その帰結として多重主語はないとゆった。 で、次の文を再度見てもらいたいのだが、 (1)発展途上国が、アフリカが、男性が、寿命が短い やぱ上の文は容認困難だ。一般ピーポーはほとんど容認しない。で、上の 典型的な多重主語を見て分かるように、主語は主語でもエイジェント であることはまずないわけだ。典型的にシームであるわけだ。てか、シーム でさえ多重主語はマズーだからいわんやエイジェントの多重主語は言 わずもがなだ。でだ、わし的には次の問題が浮上するわけだ。 (2)二重目的語はあるのになんで二重主語構文はないのか? もうちょいゆーと、もう詳しいことは忘れてしまったが、顔&マ本のシステム だと、エイジェントとコーザーは違う統語環境で与えられる罠。そうなると、 論理的可能性としてはエイジェントとコーザーの2つが1文に生起 することもありうる罠。でも、そのようなケースはない罠。 マルチプル・スペックが可能で多重主語が可能なら、1文にエイジェントと コーザーの2つの主語が生起してもいいわけだ。また、エイジェントが2つ (以上)ある文があってもいいわけだ。さらにゆーと、コーザーが2つ(以上) ある文があってもいいわけだ。でもそんな文はたぶんないわけだ。こういった 文は機能的にあってもいいのだよ。また、構造上というか形式上も、 マルチプル・スペックを許容する限りあってもいいのだよ。機能的にも形式的 にも許されるはずなのになぜ許されないのか。これはリアルな問題だとわしは 思っている。ま、こーゆったことも考えるべきだと風邪気味で頭の痛い仇 ちゃんは思ったりするのだよ。 てなことで、今からおちごとしながら白蛇のdvd見るかな〜。やぱ、音楽は ロックとブルースだなー。ははははは。
ま、昨晩からDVD鑑賞にいそしんどるわけにゃが、話題の「あらしのよるに」も さっき早速借りてきたんで今から観るかにゃw >発展途上国が、アフリカが 前にも指摘したにゃが、この並びがオカシイだけにゃ(国と大陸では大陸のほうが大きい) アフリカが砂漠地帯が男性が平均寿命が短いこと ↑パーフェクト >主語は主語でもエイジェント であることはまずない major subjectとcanonical subjectは別もんだから当然だにゃ 太郎が妹が次郎と喧嘩したこと 太郎=MS 妹=Agent >(2)二重目的語はあるのになんで二重主語構文はないのか? 多重主語構文はあるので、問題設定が誤りにゃ ま、主語だの目的語だのは生成では派生的概念であって、それが何を 指すかをはっきりさせないで二重目的語もクソもないにゃ >論理的可能性としてはエイジェントとコーザーの2つが1文に生起 AgentはCauserが意図性を持つ場合であるから、両者が別物という ことはないわけにゃ 一般にαの痕跡がα以外のコピーではあり得ない のと同じだにゃ >コーザーが2つ(以上) ある文があってもいいわけだ 多重Specを認可するのはheadの形式素性の特性である一方、θ-assignment は特定の統語位置の解釈の問題であるから、混同してはならんにゃ 以上、一般読者の素朴な質問に答えるコーナーおしまいw
不死蛇隊長、乙であります
>派生的概念 とは?何から派生するんですか?
776 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/24(土) 12:28:37
おまえら、まだ枯れ尾花について話あってるのけ? 哲板を見習え
777 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 12:59:33
>以上、一般読者の素朴な質問に答えるコーナーおしまいw あっ、、、切り捨てられた、、、。てか、わしは一般読者じゃなくプロ読者 でつが、何か?てか、昔顔餅から「愛読者」とまでゆわれてしまったがなー。 ま、でも、もうやめとくかなー(ワラ)。 >とは?何から派生するんですか? てか、ただ単にリアルな概念じゃなくあくまでも関係概念 だということをゆってると思われ。ま、よーするに、「主語」だの「目的語」は 構造上定義される位置の名称に杉ないとゆーことだ罠。 >枯れ尾花 ん? てなことで、ちょいと真剣におちごと&dvd鑑賞すっかなー。ははははは。
778 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 18:29:25
こんばんわ。 仇ちゃんでつ。ウゼーかな。ははははは。えっと、今日はいろいろあって空き 時間を使ってホワイトスネークを見たのだが、いやー、すんげーわ。てか、 最近のdvdってメチャクチャ完成度高いな。てか、ディオの最後でレインボー やられて、おまけにホワイトスネークの最初にバーンをやられてわしマジで失禁 しちまったわ。てか、あのバーンはすげぇわ。ちゅーか、レスポールで演奏する バーンもなかなかええな。ギターヲタのわしにはマジで最初に演奏されたバーン で思わずビビッ♪っと来たわ。 ま、それはええとして、あれだ、ホワイトスネークのバラードとゆーと is this loveだが、ライブ版のis this loveは最高だなー。いやー、マジでしびれたわ。 そんで、こっからちょいとベンキョーネタに無理矢理結びつけるが、 is this loveのthisはあくまでトークンだ罠。そしてもちろんloveはタイプ。 だから、is this loveをしいて訳すと「これがラブかよ?」ってなカンジ。ようするに、 自分が個別に経験した体験、それをラブの範疇に属させることができるか、と問 うてるわけだ。で、あれだ、thisは代名詞で、その代名詞がトークンをうけ、 その代名詞thisが今度はloveの範疇に入るのかを問題にしているわけだ。で、 わし的には、この代名詞を一回挟むというのがなかなか面白いと思う。
779 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 18:29:57
まあ、わし流の言い方をすると、自分がリアルに経験した生の体験を一度言語 というアンチ・リアルな世界に落とし、そしてその言語化されたthisをlove という言語の範疇に属させるか問うているわけだ。で、ここが面白いのだが、 is this loveのloveは果たして言語学的な定義でのloveを指しているのか、loveの 現実的な意味を指しているのか、そこが問題なんだな。まあ、ようするに、次 のようなフローがあるわけだ。 具体的な体験(トークン)→thisで受ける(言語化)→loveの範疇に属するか (タイプ)→loveの定義を問題にしているのか、それとも辞書的な意味ではなく 一般人みんなが共通してもっている生々しいloveをリファーしているのか と、まあくだらんことを考えてしまった土曜の夕方である。ちゅーか、 ホワイトスネークつーと、クレヨンしんちゃんにもホワイトスネーク軍団つー のが出てくるんだな、これが。ははははは。 てか、thisとかの代名詞ってタイプなのか?なんかタイプの中のタイプで めちゃくちゃメタ・タイプのよーな気がするんだけどなー。そんで、なんとなく 上のis this loveのloveのところにひっかかってしまったりしている。 てなことだけど、夜マンマくってくるわ。じゃ〜な。
>is this loveをしいて訳すと「これがラブかよ?」ってなカンジ 設問:どうして「これが〜」であって「これは〜」ではないのか、 その理由を200字程度で述べなさい、にゃ
781 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 20:06:13
やれやれ、実は今日はガキ@♀の誕生日でちょいと長めの夜マンマですたよ。 >設問:どうして「これが〜」であって「これは〜」ではないのか、 >その理由を200字程度で述べなさい、にゃ う〜ん、難問だ、、、。ま、thisが旧情報を担っているから情報構造つーか 文脈を考慮すると「これは〜」とすべきだ罠。ちょうどis this a pen?の訳が 「これはペンですか?」になるのと同じように。ただ、わしの感覚では、 「これがラブか?んなわけねぇよな?な、藻前ら」てなカンジで反語的な意味が 入ってると思うのだな。ま、それで「は」じゃなくて「が」かな、と。 てな具合で余裕で200時越えちまったか。ははははは。仇ちゃん落第〜♪ てか、ちょいと上で書いたが、代名詞っていったい何だろな。トークン じゃない罠。かとゆってタイプでもない罠。具体的な意味 があるわけでもねぇし。てか、プロトタイプとなるものもねぇし。thisの中 のthisなんかねぇし(←なんかi-within-i cond.みてぇだな。ははははは)。 で、わしは思うのだが、代名詞ってもしかしたらトークンをタイプ化する際に 必要な言語学的なツールかもな。てなことで、なんつーか、代名詞って 現実世界と言語の世界を橋渡しするツールだとちょい思ったりするホロ酔い気分 の仇ちゃんだったりする。はい。
ま、歌詞を見てみると反語的ではないんだにゃ、これがw Is this love that I'm feeling Is this the love that I've been searching for Is this love or am I dreaming This must be love Cos it's really got a hold on me 「これが俺の探していた愛なのか、きっとそうだ」 てな感じで、「が」で正解ではあるにゃむ
>言語学的な定義でのloveを指しているのか、loveの
>現実的な意味を指しているのか、そこが問題なんだな。
この二つって別物なんですか?
法律でいう成文法と慣習法の違いみたいなもので実質的に違いはないんじゃないですか?
>>780 is this loveを「これはラブか?」「これがラブか?」のどちらに訳すかという問題は
「これは○○か?」と「これが○○か?」の意味の違いに還元される。
両者の違いは焦点が主部と述部のどちらにあるかである。「は」述部、「が」は主部に焦点がある。
例として「疑問語は「が」をとる」が挙げられる。
*誰は高橋さんですか?
誰が高橋さんですか?
短すぎて落第orz
784 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 20:35:49
>ま、歌詞を見てみると反語的ではないんだにゃ、これがw あっ、、、。ちゅーか、英検5級のわしにはis this loveのところしか聞き取 れなかった、、、orz&(ワラ←自虐笑) てか、あれだなー、テポドン発射どうなるかワカランが、なんか日本着弾の 最悪の事態を政府は考えているとか先日のニュースとかに書いてあったな。 まあ、着弾まではいかなくても弾頭やら破片が落ちてくる危険性 があるとかなんとかゆっていた罠。おまけにアメリカはテポドン発射したら打 ち落とそうと思えばできるとかちょいと怖いことゆってるみたいだし。まじで テポドンの飛距離が伸びず日本に着弾しておまけにアメリカのミサイルも テポドンに当たらずに日本に着弾とかなったらシャレにならんな。マジで日本 は祭りちゅーか祀りになるぜ。ちゅーか、マジで今晩あたりから防空壕掘 るかな。 てなことで、これから防空壕掘るから今日はこれにておちまいな。 やれやれ、一日でどれだけ掘れるかな、、、。w
疑問詞は新情報であるから(contrastiveを除き)「は」はつきようがない、 とも言えるにゃ
代名詞と普通の名詞の違いは何か?それは「形容詞の修飾を受けない」ことである。
普通の名詞は白い+紙、とか長い+時とか形容詞が名詞と合わさって意味を加える。
しかし代名詞は*完全なこれ とか *中間の何 とか *広いここ
といった形を持たない。
>>784 ミサイルは破壊でなく恐喝が目的だに。
マスコミが煽って「テポドン怖ーい」という人が出てくること自体が北朝鮮に乗せられているに。
また政府がこれを機に軍拡してくるに。日本対北朝鮮だけでなく政府対国民の駆け引きでもあるに。
敵は内にあるに。
>「形容詞の修飾を受けない」 むしろ英語の代名詞について言えることだにゃ 日本語に英語と対応する代名詞があるのかどうか、そもそも疑問であるにゃ それでいうと固有名詞に形容詞や関係節がつくかどうかも、日英で差が あるにゃが、関係するかにゃ 名詞句の内部構造の問題か、それとも代名詞=Dとして、日本語にDはあるのか、 といったあたりかにゃ
788 :
仇鱒 :2006/06/24(土) 20:54:55
仇ちゃん@ちょっとだけ監視モードw
>代名詞と普通の名詞の違いは何か?
>それは「形容詞の修飾を受けない」ことである。
あー、そう鴨しれねぇな。なかなかええところに目をつけたな。で、あれだ、
ポスタルだか誰かが昔、代名詞はD@冠詞だとゆっていた罠。そー考えると、
代名詞はDだけでNがなく、それで形容詞による修飾を許さないの鴨なー。
>ミサイルは破壊でなく恐喝が目的だに。 (途中省略)敵は内にあるに。
「だに」の語尾と「に」の語尾、、、。もしかしてわしと同じ故郷の人かな?実
はわしの故郷では「そうだに〜」とか「そこにギターがあるら〜」とか「ギター
があるに〜」とかゆうのだな。ま、いわゆる遠州弁とゆーヤツだ。ちょいと
ノスタルジーをカンジてしまった
>>786 のカキコだった。
てなことで、マジで電源ぷっちゅん♪な。じゃ〜な。
自演乙かれたびー 同一人物にきまってら。 じゃなければ、やらせ。
*背の高い太郎 *黒い東京タワー これは狭義の修飾ではない。 「背の高い」は記述しているだけで元々太郎に含まれる性質を表している。 一方「高い山」は山だけでは高いという意味を持たない。 形容詞A+固有名詞Bの語句は「BはAである」の形の文に書き換えたときに真偽が文脈によらず決まる。 「東京タワーは黒い」は偽である(実際は赤)が、「服は黒い」は服によって変わる。 固有名詞を修飾する形容詞は分析的判断であり、普通名詞を修飾する形容詞は総合的判断である。 (分析的、総合的は上記のことをいう哲学での名称)
791 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/24(土) 21:37:09
遂に発射wwww 上空を飛んで銚子沖に落下を確認 今夜、緊急閣議召集へ
米軍ョコスカ基地臨戦体勢って、どういうこと?
>>790 それは固有名詞というより、確定記述一般の性質であろうにゃ
(cf. あの高い山、昨日見た高い山、etc.)
それから
>*背の高い太郎
>*黒い東京タワー
これらにアスタリスクを付けてる意図がサパーリ ┐(´ー`)┌
泥沼化する悪寒
夕日に照らされる東京タワーを逆光で見ると黒い。
ふーむ、やはり言語表現はある種の主観を含むのだな。 客観化されたものも主観の中に位置付けられ直す。
797 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/25(日) 10:34:17
おマンコぺろぺろされてるときに「イヤン」て言ったらそれは 「あたしイヤン」なの。 それとも「ぺろぺろイヤン」なの それとも「いいえ」なの。 脳では潜在的に確定されているはず。でも本人に聞いたら 「そんなことワカンナーイ。イヤン」ていわれたけど。
何を妄想しとるのか知らんが、それは声なので、意味以前の。
ついでに ぎゃおーてのは言葉ないし言語に含まれるのか?
嘘八百
>766 パンチで手首が痛いときはテーピングして撃つといいそうです。 テーピングで固めてサンドバッグがしがし撃つと手首が太くなるそうです。 >790 >793 固有名詞を隠された確定記述句とすると分析判断になって良さそうな気がするのですが、 だめなのは面白そうですにゃ。 もっとも、クンニ、もとい、カントの分析判断をそのまま適用するのは現在としては 問題があるかもしれませんにゃ。
790からレスがないのでしゃーにゃいが、793をフォローすると 赤い一角獣 3本角の一角獣 無色の緑の思考 これらはいずれも完璧に文法的な表現であることにチューイ
を、こさかなしゃんではにゃいか 太郎が複数いれば「背の高いほうの太郎」となるにゃ
かおもじせんせい、こんばんにゃ! かつ、おやすみなさい・・・
名詞は結局のところ一般形でしかない。 だから更なる就職を必要とする。しかし、 代名詞は名詞の代わりと書きはするが、 名詞どころではなく、具体的な個物を指示 するので、機能的にアナロジカルに見る べきではないかもしれない。
あは、就職→修飾
フレーゲに言わせれば、数学に満ち満ちていて世界に関する理解を広げるというカントの総合判断は 論理学の未成熟によるもので、練られた論理学では分析判断になる。 顔文字せんせいがだしてくれた例を敷衍すると、本当の固有名はラッセルにいわせれば独り言のときの 指示詞になる。だからどうなんだ?といわれてもよくわからないままに書いている一工員でつ。
今、すぐ上の807を書いたこさかなは、 海にきらめいて群なすこさかなではない。 固有名詞と言えども名詞の限界を超える ことはない。
ま、原則805のとおりであって、代名詞は指示を持つにゃが、名詞は属性を表す、 あるいは変数の変域を指定するrestrictionの機能しか持たないにゃ だからこそ代名詞の範疇はN(P)ではなくてD(P)である、と考えられるわけにゃ 指示機能がD素性に由来するとして、にゃが ではこのDP分析において、他の素性はどこに存在するのか、を改めて問題にしても いい鴨にゃ たとえば格素性やφ素性はDが持つのか、Nが持つのか、にゃが
「あるいは」は止めて、変域指定のみに したほうが、形容詞などとの混濁が避け られようか。
ある素性は一範疇に所属すると考えるべきか?
812 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 07:38:22
おはよ。 昨日は一日アレやコレやでシャバでバタバタしていますた。ま、 それはともかく、こさかなのをとうとぶん、おひさでつ。でもないかな。 ははははは。何はともあれ、工作員がんがって下さい! そしておもいっきりいい情報ながしてくださいでつっ!またよかったら近況お知 らせ下さいでつ。 で、えっと、プロノミナルについてだが、あれだなー、わし的には名詞的な プロノミナルは当たり前だとして問題は動詞的なプロノミナルかなと 思っている。とはゆっても代動詞のdoとかdo soのハナシじゃない。今はな きagrのハナシである。まあ、ポロックがipをtpとagrにスプリットして、 それからあれこれや生成はガキのおもちゃと化したわけであるが、そのとき チョムのある一言にちょいとひっかかったことがある。それは、agrは プロノミナルだ、とゆーことだ。つまり、agrにはφ素性やら格素性 やらがありほとんど機能的にはプロナウンといっしょだとゆったことだ。 そんで、これを受けるかたちで、アナフォーの先行詞を求めるさいに アナフォーがガンガン上昇していくわけだが、どこまでレイズするかとゆーとagr までだ。で、なんでagrまでレイズするかとゆーと、agrはプロノミナルで、 まさにそのプロノミナルな場所でアノフォーの素性が確定されるとかいろいろ ワケワカンネーことがゆわれていたりしたわけだ(←もちろん主語とiとの間に生 じるスペ・ヘ・アグリを前提)。で、わし的には、このagrがプロノミナルつー のが未だになんかこうスッキリしない気がするのだよ。まあ、agrがプロノミナル でvが属性@プロパティを担うものだと考えれば、まさにdpーnpの関係がagr pーvpにも見られ面白いとは思う。ようするに、それなりにアブニーの インチュイションもそこそこ的を射ているとは思う。てか、やぱ今考えても生成 のおもちゃは80年代と90年代にほとんど出尽くしたな。まあ、わし流 のいいかたをしたら今はフリマをやってるようなもんだ。ミニマリチュムは フリマなのだよ。ははははは。
813 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 07:39:39
ちゅーか、さっきほわいとすねーく見終わったが、でぃおに賢とも劣らずコッチ もすげーわ。いやー、デビカヴァ相変わらず健在だな。ときどき ロバート・プラントとダブってしまったのはわしだけだろうか、、、。 本家のぱーぷるのより分家の方に萌えつつあるわしがいる、、、。orz.. てなことだが失禁してくるわ。じゃ〜な。
不即不離ならぬ不足不利な解説、乙。
ロックはださい
一、二世代前の流行は常にダサイと見えるもの ロック肌犀
代名詞の仲間のように実際の個物・状態・変化を 直接に指示するものは他にあるのだろうか?
ほれ! こりゃ! あれ〜 とかと代名詞はどちらが起源かを考えよ。
819 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 18:58:10
こんばんわ。 てか、しゃーねぇーなー、ロックのよさを知らないガキしかおらんのか、ココ は、、、。ったく。しゃーねぇーからちょいと音楽ネタで語らせてもらうが、 わしはかなりいろいろ聞いてる方だ。前にもココで書いたと思うが、わしは実は 隠れオフコース(というか小田和正ファン)というのもある(ワラ←厨房の頃 オフコースのコピーバンドぽいものをやっていた←隠しておきたいわしの 過去)。小田の歌詞の空虚さはともかくあのメロディーラインは正直わしの ツボに嵌ってる。あと、日本のアーチストだとわしは桑田佳祐 のおっかけもながいことやっている。ター坊がサザンやめるまでサザンの ファンクラブ入っていたしな。ま、わしに言わせたら桑田の歌詞のセンスといい 音楽のセンスはネ申の域だ。あと、インストメンタルもひととおり聞いている。 クラッシックも聞くしフィージョン系のものも聞く(←工房の後期はカシオペア とか高中正義のコピーバンドを組んでいた。工房前期はもちろん ディープ・パープル&レインボーのコピーバンド)。あと、ブラック系 のものもよく聞く方だと思う。ま、わしのお気に入りはジェームス・ブラウン だがな。それと藻前らヒクかもしれねぇがわしはパンクも聞く。ただし最近の メロディアック・パンクに限るがな。で、それなりにいろいろ聞 いてきてやはり落ち着くところはロックなのだよ。それもハード・ロックだ。 ぶっちゃけ、死ぬ直前に聞く音楽を1曲選べと言われたらわしは迷うことなく DPを選ぶと思う。
820 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 18:58:41
でだ、なんで結局ハード・ロックに今もって萌えているかとゆーと、ロック がいちばん熱いのだよ。音楽でヌルイのだけは勘弁してほしいのだよ。で、 もうちょいゆーと、わしは音楽にトリップを求めている。トリップ できないものはわしの中では音楽のクオリティは低いのだよ。で、まあ、 そんなこんなで結局ロックが残ったと。あと、あれだ、結局わしが未だに生成 やっているのも理由は同じなのだよ。生成はやはりわしをトリップ させてくれるのだよ。ま、そんなところだ。で、もうちょいゆーと、わしは ヘビメタはダメなのだよ。で、わしに言わせると、gbはハード・ロックだが ミニマリチュムはヘビメタなのだよ。てか、ミニマリチュムはむしろ セックス・ピストルズあたりのパンクに相通じるものがある鴨しれねぇ。ま、 そんなこんなの仇ちゃんだ。ちゅーか、マジでDP知らずに棺桶はいるのは マジでコーラの味を知らずに氏ぬようなもんだとわしは思うわ。ま、 そんなところだ。ははははは。てなことで、今も顔餅に送ってもらったDPの dvd見ながらおちごとしている仇ちゃんでつが、何か? さて、一仕事したところでマンマくってくるかなー。
そうか、葬式で流してもらいたいほどかー。 私も決めた曲があるが、ビアノかセロかフルート で演奏してもらいたいな、まあ、葬式など してくれるなと言ってはあるが。ギターは 荘村で曲は武光なら、代わりにしてもいい。 懐かしきかな、武光徹。
ありそうなセリフ 「○○の気迫のある演奏テクニックは当代一」 「○○社のギターは繊細な演奏が出来るが〜〜社は値段が安い分作りが甘い」 「1980年代の流行は○○スタイルでそれが〜〜の傾向になってきたがあれは外道だね。 俺なら××を??して云々感を出すね」 なさそうなセリフ 「よい曲とは何か?」 「ハードロックとヘビメタの違いは何か?」 「陶酔を求める目的は何か?」 音楽を語るときに「〜とは何か?」は顔を出さない。音楽は疑問や思索とは無縁である。 「うまく弾けるようになるにはどうすればいいか?」といったことはあるがこれは 「上達する方法を教えてください」(大抵は「練習」という答えが返ってくる) というのと同じようなものであって 擬似的な疑問である。
823 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 19:54:38
を、武満徹か、、、。なかなか通だな。 まあ、でもなんだなー、いきなりハナシは飛ぶが、 わしらがあぼんするとわしらの記憶とかはどこに逝くのだろうな。pcが クラッシュするのと同じで一瞬のうちにどっかに消え去るのかな。たとえばp cがクラッシュするとhdそのものは残っているけど、その中のどこを見ても データは残ってないわけだ。まさに死んだあとの脳ってそんなカンジなのかな。 よくワカランが、死ぬとほんと人はどうなるんだろうな。デカルトじゃないが、 肉体は焼かれてなくなっても魂はどこかに浮遊しているのかな。まあ肉体と 精神が独立して存在しているのなら、肉体の死と精神の死は独立 していてもいい罠。ま、ワケワカランこと書いてすまそ。もうわし、脳が アルコールで半分死にかけてるわ。ははははは。 >音楽を語るときに「〜とは何か?」は顔を出さない。 まあ、音楽はwhatで問うても一般ピーポーのレベルでは議論にならないとゆー のがある罠。マジでwhatに対して答えようとしたら物理学や哲学のハナシ になっちまう罠。 あとマジレスすると、わしが厨房や工房の頃は、フェンダーのコピーを買うなら フェルナンデスやグレコのちょいといいものを買った方がいいとよく言われた。 で、今マジでそう思う。てか、フェンダーのギターはやはりアメリカ人向 きなのだな。ネックがアメリカ人向きでちょいと太い。一方、国産のヤツは 細い。ま、そんなこんなでギターも国産がよかったりする。ぶっちゃけ、 アコースティックも日本独特の四季や湿度の高さなどを考えると国産がいい。 てか、国産の方が高かったりするから国産のいいやつはマジで手が出せない。 ま、そんなところだ。
言葉で残すことだね、それ以外は消えやすい記憶しかない。
825 :
仇鱒 :2006/06/26(月) 20:37:39
>言葉で残すことだね、それ以外は消えやすい記憶しかない。 ことばか、、、。ちゅーことは、わしの記憶はこの2ちゃんに残るとゆー ことだな。ははははは。てか、マジなハナシ、わしこのスレをhd代わりに 使ってるところあるわ。ははははは。とりあえず思い付いたことココにカキコ しとけばイザとなったときに読み返せばええからな(その前に●購入 せんといかんけどなー。でもたぶん購入しない)。ま、そんなこんなで、実 はこのスレはわしのメモ帳だったりするのだ。ははははは。 じゃ〜な、電源ぷっちゅ〜ん♪
>わしらがあぼんするとわしらの記憶とかはどこに逝くのだろうな 身体と精神の関係は楽器と演奏の関係に等しい。 弦が切れれば曲は止まる。同じようにこと切れれば意識は消える。 精神が肉体の中に納まっているという考えは ギターやオルゴールや楽器の中に曲が入っているというのと同じである。 ギターを分解しても弦を撮影しても曲が聞こえるわけではないように 体を解剖しても脳をスキャンしても精神が見えるわけではない。 音楽の要素には楽器と演奏(曲)ともう一つ「楽譜」がある。 楽譜とは文字(記号)によって曲を記録したものである。 なぜ記録するのか?曲を保存するためである。 作曲家の頭の中にある曲はその作曲家があぼーんすれば消えてしまう。 しかし楽譜という形で記録しておけば作曲家が死んでもその楽譜によって演奏することが出来る。 なぜ保存しようとするのか? 曲は無数にある、無くなってもまた作ればよい、いちいち記録しなくとも何ら問題ないではないか? しかしこういう態度は見られない(←偏見)。なぜか? それは曲が精神(命)の投影だからである。 命は無数にある(=人はたくさんいる)無くなってもまた作ればよい(=人が死んでもまた産めばよい)、 いちいち記録しなくとも(=死んだ後に忘れられても)何ら問題はないではないか?というのは 死の肯定であり人の最も恐れるところである。
逆説的に聞こえるかもしれないが、電子メディアは 短命だ。再生するハードやソフトがなくなれば、二度と 再生できなくなる。紙に残すなら2000年は持つ。まー 貴方の言葉を書いている人を知る人たちには十分な 時間だろう。
あんどれ・じいど は晩年来世を信じないと言っていた、 肉体を離れて魂があるなどというのは気休めだと。 親友のカトリック作家は魂を信じるべきだと言っていた。 じいど が死んだ翌日この作家のもとに電報が届いた。 その文面: 安心しろ、あの世はなかった。あんどれ・じいど
自自慰いいかげんにしろ ジャズ・ソウルを聞け ロックなど中学生の文化祭演奏にすぎん 勢いだけだ
人は死を恐れる。なぜか?肉体なり精神なりを消失するからである。 では消失しないとしたら?存在を保存できるとすれば死を恐れる理由はない。 それを「命の記録」と呼ぶ。 楽器=肉体、演奏=精神(命)、楽譜=命の記録、である。 命の記録は写真のアルバム、墓、戸籍、財産、名誉、家族、記憶(追悼)などいったものである。 死んだあと遺された人がその人を忘れない限りで記憶上擬似的に生きているとみなすことで 消失の恐怖を緩和することが出来る。あの世、天国といったものも 魂はそこにいく=この世で死んでもあの世では生きている=失わない、と考えられることで恐怖を緩和する効果がある。 ハルマゲドンの後永遠の魂が復活するという思想も一時的には命を消失するが結局は保たれることを意味するので恐怖の緩和になる。さらにはそもそも「死というものは存在しないのだ」と唯物的に考えることで恐怖を緩和することもできる。 宗教の役目の一端は死の恐怖の緩和にある。 命の記録も記録の一種であるから本という記録に紙があるように命の記録にも何らかの媒体がある。 墓であれば場所とか墓石とかそこに墓があるという公的な保障などが媒体であり 映像ならばディスク、財産は文字通り金銭(の相続)が媒体である。 名誉とか追悼は遺族、国王とか有名人ならば国民の記憶が媒体である。 媒体には寿命がある。戸籍に出生届がないと社会的に産まれたことにならないように ある人Aの名前を記憶している人がいなければ(死滅すれば)その人の命の記録は消滅する。 財産は次の代では自分の子が「これは父さんが遺してくれた大事な土地なんだ」と思うので記録されるが、 後代に子孫が土地を売ってしまえばそれも消滅する。 同じ記録ならば寿命が出来るだけ長い媒体が望ましい。
マイルス・デービスとかチック・コリアなんかは好きだ。 ロックは余り聞かないが、心に響くものもある。私なら 中学生を馬鹿にしない。時の中に生きてこそ音があり美しい。 いつの時も美しい。それが貴方の言う想いではなかったか。 諸賢をジジイよばわりするのは誉められないが、勢いは買う。 中学生の若さは素晴らしきかな。
寿命の長い媒体は何か?
100億円を投資するときに1社に100億円でなく10社に10億円づつのほうが
倒産による損失が少ないと考えられる。
・媒体が一箇所にある場合は消滅しやすい。
紙に記録したものは腐ったり燃えたり虫に食われたりする。
人の頭の中に記録したものは忘れたり死んだりする。
・物質である媒体は消滅しやすい。
この二つから分散的で抽象的なものがよいと思われる。それは何か?
電脳世界である。無数のコンピューターでつながったデータの流通上に自分をコピーしておけば
ネットワーク全体が消滅しない限り存在できる。ネットと自己の同化である。
>>831 >マイルス・デービスとかチック・コリアなんかは好きだ。
音楽は個人主義である。
アーニーヤー・スミス(の春巻)が好きだ、とか
楊・ピピン(のパン)が好きだ、のように言う。
好きかどうかは元は曲や演奏の技法であって演奏者ではないが音楽では演奏者自体がブランドになり価値を持つ。
スポーツも同じでワールドカップで負けたからといって柳沢という選手自体が叩かれる。
作った曲について作曲者が好きだというのと、その曲やアレンジが 好きだというのもある。コリアだとreturn to foreverとか。 しかしNY辺りで陽気なジャズを酒飲みながら聴くときには 名もない歌手が一番好きになる。 ビビンは詳しくないがビビンパは好きである。
>諸賢をジジイよばわりするのは誉められないが、勢いは買う。 >中学生の若さは素晴らしきかな。 子供は大人が糞だと思っている。そして大人になると子供に糞だと思われる。 「世代循環」である。実際は世代間で質はあまり変わらない。 正しい教育のモットーは「大人を尊敬しなさい」ではなく「今の大人のようにならないように正しい道を進みなさい」である。
自分の趣味を正当化するために、それ以外のものを叩く必要を感じるのは それだけ自分の趣味に自信がないからであるにゃ ちょうど認知ブンポの連中が生成を叩くことにしかアイデンティティを 見つけられないよーににゃw 俺も焼酎学生の頃はそーいう青臭いことを言っておったもんにゃが、大人に なれば他人の目にどう映ろうが、自分にとっていいもんはいい、それで万事OK ってことに気付くようになったにゃ てなわけで、ヘヴィ・メタル最高、にゃw ま、たぶん「ヘビメタ」と多少侮蔑を込めて呼ばれる類のものと、ファンが敬意を 持って「ヘヴィ・メタル」と呼ぶものは、内包的に別物であろうにゃ 去年のJudas Priest武道館ライブのDVD観てると、客席で顔面くしゃくしゃにして 泣いとるオッサンが映っとるにゃが、ま、気持ちはよく分かるにゃー 俺も大阪城ホールでは似たようなもんにゃったw んなことはともかく、上の「命の記録」云々にゃが、一人の人間がこの世に生きていた 証として残せるものは、geneとmemeであるにゃ いわゆるゲージツカには同性愛者、つまりgeneを残す可能性の低いシトが多いにゃが、 その代わりに彼らは作品というmemeを残すのであろうにゃ ま、俺にゃんかはどっちも残さず綺麗さっぱり消滅することを望むのであるにゃが、 (なんだかんだ言っても人類もいつかは絶滅するわけで、そうなればいかに偉大な ゲージツ作品も血統も雲散霧消して意味ナシ、結局、自分が生きている間が本人に とってすべてであるからにゃ) memeの典型が、まさに言語であるにゃ 遺伝子=生命の言語、言語=文化の遺伝子、というわけにゃむ
>>817 >代名詞の仲間のように実際の個物・状態・変化を
>直接に指示するものは他にあるのだろうか?
いわゆるpronominal epithet 「あのヴァカ」とか「the bitch」とかの
ふるまいが代名詞的であるというのは、生成では昔から議論されて
きとるわけにゃが、しかしepithetに限らず、およそ指示機能を持つ表現は
すべて代名詞的に使えるのではないかにゃ
よーするにそれが象徴的記号作用であり、ある記号でもって別のものを
指し示すという合意さえ出来上がれば、どんなものでも代名詞となり得る、
と言ったら言い杉かにゃ?
文化は誰にあるのだろうか。社会にあるなら、社会の遺伝子が 言語であり、個々人科はそれをサンプルし、切り繋いでは、 個の言葉をつむぐ。個は社会のリソースたる言語に合致するように 個人の言葉を個々の生活のなかでつくりだす。 名詞は言語に属し、代名詞も言語に属すが、その働きは、 同様に客観的でありながら、物とそれを掴む手ほどに 違うのかもしれない。定冠詞も確に個を指示する。 指示とは何か?今更ながらに興味深いが、ただの指示では なく個への指示は言語の中でも何か特別に思える。
はは、個々人科→個々人
指示も一層とは言えないようだ。指示と指示される物事に ついて、合意のあり方が異なるものがある。 例えば一般的名詞は指示だけでなく物事についても あらかじめ合意があるが、代名詞では指示しかたのみ合意 されていて、指示される物事についての合意は、発語時点で は、まだない、とも考えられる。鴨がグワと鳴く。
にゃ、遺伝子が個体内にしか存在しないのと同じように、言語も 個体内(脳内)にしか存在しない、というのが生成の内在主義であるにゃ 共通の遺伝子を持つものが集まって種や集団や社会を形成しとるからといって、 遺伝子自体が種に帰属しとるのではないのと同様、言語も個人にしか帰属しない のであるにゃ しゃて、指示機能が機能範疇Dにあるということを述べたにゃが、特定の個物 への指示は、言語的であるか否かは別にして、他の動物にも広く見られるもの であるにゃ ライオンが獲物のシマウマを「指す」時、それはシマウマ一般の 概念を指しているんではなく、目の前にいる一匹のシマウマを指すにゃ 一般化された概念は名詞の機能であり、それを個物に限定するのがDである、 とすると、むしろ機能範疇のほうが、より原始的だと言えるのかもにゃ これは、おそらく他の動物言語や概念構造にも名詞や動詞の萌芽的なものは あるかも知れないが、機能範疇に相当するものはないのではないか、という 想定とむしろ逆行するようで面白いにゃ 可能性としては、D-Nが渾然一体となった状態から、分化が起こり、Dの機能、 Nの機能が独立することで人間言語が形成されていった、ということも考え られようにゃ
だが、合意は脳内にあるのだろうか。 ライオンの指示?噛みつく以外に指示するすべがある のだろうか。それにも合意があると考えることはできるかも しれないが。 どちらが原始的なのかはよくわからないが、元々かなり異質 であるという方に五円。
なんだか、あっしには難しいニョロ。
あにゃ、かかりしゃんかにゃ? さっきメール返信しますたw
だが仮に分化したのだとすると、石を指してイシーと言ったのが 石になったが、実はこれ〜と指しただけだった。花を指してイシーと 言ったら変な顔をされたので、ハナーと言い直した。 というのを繰り返して名詞があれこれできたが、さて、それでは どこからコレとかソレは分化したのだろうか。
845 :
かかりちゃん :2006/06/27(火) 00:41:42
842は偽者にょろけど、カオモチ氏へのメールが文字化けしちゃってすいませんでしたニョロ。 このごろとある現象に興味があって、論文書きたいという情熱が珍しくわいているので 論文書いてますにょろ。次期に復活するからアダモちゃんは首を洗って待っていてくださいニョロ。
特定の個物への指示が言語的でないとしたら、その指示は 何、あるいは何的であるのだろうか。 さて、業務連絡に譲ることにして、今日は個々までにするかな。
偽物にしてはタイミング良すぎw こないだ観た「あらしのよるに」のオオカミの狩りで想像しただけにゃがw 集団が協力して一匹の獲物を倒すには、たとえば群れのリーダーがどの獲物を 狙っているのかを、集団内に周知する必要があるにゃ リーダーとしては意図的にそれをやっとるのではないにしろ、リーダーの 行動から、他の連中はその狙いを察知できんといかんわけにゃ これも一種の協同注視かも知れんにゃが、指示の端緒的形態は、ある個体が注意を 払っている対象に、他の物も注意を払えることにあるのでなかろうかにゃ この際、その指示装置が、視線であろうが、体の方向であろうが、指さしであ あろうが、音声信号であろうが、本質は同じだろうにゃ
亜騙すピンチ
イルカの「僕だYO!」みたいな話もあったなww
ねえよ、タコ
それは確かにJAに似ているようだ。指示についての合意。 ならば、指示だけでなく、指示されるものと指示の関係に ついての合意はなぜ起きたのかが気になる。
勝手に気にしてろ
いずれにせよ、代名詞について、指示しかたについては 合意があらかじめ法としてあるが、指示されるものに ついての合意は発語後に、相手で決まる可能性が高いので、 法というより、運用問題なのかもしれない。知らないが。
では、今後は代名詞を言語から追放するよーにww
つでに定冠詞の一部の使用方法も言語からはずすかww
これから言葉用いなくても コミュニケーションができるようになる 電気信号をつないで直接脳内伝達できるからだ
そうして、コレはソレになり、ソレはアレになり、わけわからんくなるww
整理までにゃが、代名詞の用法としては anaphoric 照応的と deictic 直示的を 区別するのが簡便であるにゃ その場にいるものを直接指すのが直示的であるにゃが、言語学的にはむしろ 照応的用法、つまり文中の他の表現=先行詞に依存する解釈が議論の的になるにゃ 上で取りあげたのは直示的なものにゃが、照応がどっから生じたか、あるいは 照応は人間言語特有のものであるのか、それともその前駆的なものが、他の 動物にも見られるのか、あたりが興味深いにゃ 近年の見方としては、照応も probe-goalの問題であるということが言われて おるにゃが、ではこのprobe-goalはどっから生じたか、ということになるにゃ ま、いずれにしてもにゃ、今の生成は進化の問題を抜きにして論じることはもはや ナンセンスであるにゃむ(というのが俺の痔論w
さっきのかかりしゃんのメール、WINで受信したらちゃんと読めたにゃ お気遣い感謝!
860 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/27(火) 04:56:47
>>840 >可能性としては、D-Nが渾然一体となった状態から、分化が起こり、Dの機能、
>Nの機能が独立することで人間言語が形成されていった、ということも考え
>られようにゃ
日本語にDっていう範疇あるんでつか?冠詞は、欧米語くらいにしか
ないんじゃ?
ソノ男、キョゥボウにつき
863 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 07:36:29
おはよ。 さて、手首も足首も乳首も毎日きれぇ〜に洗ってる仇ちゃんでつが、ま、 あれだな、上でわしがちょろっと書いているよーに、dとnはやはりトークンと タイプの問題とどっかでリンクしているのだよ。わしの考えもおおむね顔餅が書 いていることといっしょで、nはタイプ的な機能を担っている。で、問題はd だが、しょーじきこれがよく分からない。やはり、上でわしが書いている よーに、リアルな現象やモノであるトークンとクラス分け(というか グルーピング)されたタイプを橋渡す何かだと思う。だから、なんつーか具象 から抽象に思考や観察そして情報処理の形態を変えるある種のメカ、それがd だと思う。そーゆー意味では、まさにリアルワールドを言語ワールドに橋渡 しするインタフェイスとして機能していると思う。で、こっからまたロックネタ でちょいと書いてみたいが、たとえばボーカルがオーディエンスに向かってよく 「You!, You!, You! 」と指さしながらゆうわけだ。そん時、気持ちとしては、 ボーカルはオーディエンス一人一人にたいして代名詞you使ってるわけだ。で、 いろんな人に「You!」を使うことによって、youという代名詞は「藻前(ら)」 という意味を持つように聞き手にも了解されるようになるわけだ。プロナウン というのはまさにこのロックに見られる「You!, You!, You! 」だと思うのだよ。 ようするに、上でも書いたが、トークン(←個別のyouが指す人)をタイプ (←youの意味・機能)にシフトさせるそのメカがプロナウンであるのだよ。で、 上のロックの「You!, You!, You! 」の例から分かるように、代名詞は原則指 さしが必要なのだよ。だから、なんつーか、次のような図式 がわしにはあるように思える。 (1)現実世界ー代名詞ー言語世界 (2)具象ー代名詞ー抽象 (3)トークンー代名詞ータイプ (4)カオス(生データ)ー指さしーコスモス(処理済みデータ)
864 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 07:37:06
あと、アナフォーが動物にもあるかとか進化的になんたらこんたらとあるが、
まあ、一般的にアナフォーはプロナウンに比べると形態的に複雑であるわけ
だ。-selfや-自身や-zijiがついたりするからな。そう考えると、アナフォー
をつくるには原則モーフォロジカルなマージがまず必要になる罠。そうなると
動物にもアナフォーがあるかどうかは微妙だ罠。まあ、もちろん動物には
ピカチュー語のように単純な形態のアナフォーがある鴨しれねぇけどな。あと、
進化が単純から複雑へと進むのであれば、アナフォーはプロナウンよりも後に生
じたと言えるわな。アナフォーの方が形態的に複雑だからな。それと、動物の
ミラーテストを見ても分かるように、他者認識より自己認識の方が難
しそうなので、やはりプロナウン@他者認識よりアナフォー@自己認識の方が
進化的には後から発生したと思われ。
まあ、あと、あれだ
>>830 (=チムポな米青子論者)がそこそこいいこと書
いているが、わしがなぜデカルトを引き合いに出してまで肉体の死と精神の死の
問題に触れたかとゆーと、靖国「問題」がわしにはあるからなのだよ。まあ、
この手のハナシは何度もココで書いているからもう詳しいことは書かないが、
てか、「仇、やめれ!またこのスレ荒れるじゃねぇーか」
とゆわれるからあんまり書かないが、英霊たちの肉体は玉砕されたが精神は今も
尚生きてわしらを靖国から見守ってくれているのだよ。どんなまなざしで見
守っているかは知らぬが、精神は死んでいない。まあここでゆう精神と上で問題
になっている記憶はべつものだが、わしは心身二元論とかゆーといつも靖国
「問題」やら国立戦没者追悼施設問題について考えてしまうのだよ。ま、
わしとしてはこっちの「問題」ないし問題の方がデカルト流の問題よりより
リアルでよく分かりやすいのだよ。ま、これ以上書くとスレ荒
れるからやめるかな。ははははは。
865 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 07:38:10
>ソノ男、キョゥボウにつき ↑いい映画だ。わしのテーマ映画でもある。テンション下がって時にはよく 見る。あと、ソナチネもいい。ちなみに、日本人でモノホンの天才は桑田@ サザンとタケシ@北野ぐらいだな。あとはニセモノだ。ま、そんなもんだ。 あと、あれだ、ちょいと誤解のある書き方しちゃったが、わしもヘビ・メタは好 きだ。だが、昨今の定義によるいわゆるデス・メタはダメだ。まあ、わしはココ でも何度か書いていると思うが、わしはいわゆるヘビ・メタの雄である アイアン・メイデンやオジーなんかもすげぇ好きだ。てか、 アイアン・メイデンは昨今のメロディック・パンクのはしりでもあるが、 アイアン・メイデンはジャケットの怖さとは裏腹にその音楽性の高さは ピカイチだ。あと、外見で判断しちゃいけないものとゆーとzzトップがある。 あのヒゲ面のおやじからは想像できないような音楽を醸し出す。で、ロックを聴 いたことない香具師に一つおすすめなのが実はzzトップの映像だったりする。 まず、はじめて見た香具師は、あの分厚いサウンドと多彩な音がたった3人で 演奏されているのに度肝を抜くと思う。ちなみにヴォーカルはギターとベースの ヒゲオヤジがやっている。ま、ようするに楽器はギターとベースとドラム のたった3つだ。しかもボーカルは独立して存在しないのだよ。まあ、 ヴァン・ヘイレンも音の厚さではピカイチだがzzトップもスゲー。ま、 よかったら一度聞いてみそ。 てなところだがスペース・トラッキング@dpでも聞いてから失禁すっかな〜。 ははははは。じゃ〜な。
>>863 > なんつーか、次のような図式がわしにはあるように思える。
> (1)現実世界ー代名詞ー言語世界
> (2)具象ー代名詞ー抽象
> (3)トークンー代名詞ータイプ
> (4)カオス(生データ)ー指さしーコスモス(処理済みデータ)
このすべてが同型かどうかはわからないが、そういうことに近いのだろう。それはまた
代名詞だけではなく、以下のような場合においても、、現実世界・言語世界間に奇妙な
ワームホールを開いていると思う。
>>754 >
>>753 > > 形容詞の連用形は理由の意味を持つ場合がある。
> > ・当日は忙しく出席できません
> I will be busy and unable to attend it.
> と書いた場合、busyとunableは並列の表現であるわけだが、事象関係としてみると、
> busyとable to attendが両立し得ない印象を与え、ゆえに<理由>となっているように思える。
> 基本的に、そこには直接的な理由提示をする「ので」はない。
>>756 > I will be busy with the other events and unbale to attend that meeting.
> であって、そのeventsにthat meetingが含まれないということが暗黙の前提になっている。
> 文の外にある言語生活内の事象の
> 論理的関係が参照されているということが否定できないように思うのだが、どうだろう?
>>865 > てなところだがスペース・トラッキング@dpでも聞いてから失禁すっかな〜。
この場合は本当に失禁しそうだな(稿
>>864 > ミラーテストを見ても分かるように、他者認識より自己認識の方が難
> しそうなので、やはりプロナウン@他者認識よりアナフォー@自己認識の方が
> 進化的には後から発生したと思われ。
それは一つの卓見であるかもしれないな。ただし、アナフォー⊂自己認識ということが
明示されねばならなさそうだが。如何に?
それには、おそらく、
>>858 > 整理までにゃが、代名詞の用法としては anaphoric 照応的と deictic 直示的を
> 区別するのが簡便であるにゃ
という辺り、つまりはまず、deictic 直示的から始めるべきなのかと思っているが、、、
probe-goalの例きぼんぬ
失禁前なので手短に
>>860 冠詞はDの具現化の一つなんであって、冠詞がなければDはない、なんてことは
ないにゃ
分析にもよるにゃが、「ノ」格付与をDで行うというのはよくあるハナシにゃ
それに指示性がDに由来するのであれば、どの言語にもDがないとおかしいにゃ
>>864 上ではanaphoric pronounのことを言ったんであって、reflexiveなどのanaphorとは
別にゃ
しかし形態的にsimpleなanaphorもあるから、一般論としてどちらがsimpleかとは
言えないにゃ
つーか、himとselfがくっついてhimselfなんつーのは単なる歴史言語学のレベルで
あって、進化とは関係ないにゃ
>>867 John killed himself
みたいに三人称を考えれば分かるとーり、自己認識以前に、同一性の認識があるにゃ
つまり X killed Y で X=Yであることを認識し、それをなんらかの方法で明示する
ことにゃが、これに相当するものが動物の認知や言語にどの程度あるのか、って
ハナシになるにゃ
>>869 [ ... Infl [ ... DP ... ][ ... anaphor ... ]]
みたいなconfigurationで、DPはanaphorをc-commandしていないが、anaphorの
先行詞になっている場合、まずInfl-DP間にprobe-goal関係が成立、DPのφ素性値が
Inflに指定され、その次にInfl-anaphor間にprobe-goal関係が成立、同じφ素性値が
anaphorに指定される、っつー筋書きであるにゃ
これでいけば
John Infl killed himself
も、Johnが直接himselfを束縛しているのではなく、Inflがhimselfの「先行詞」
ということになるにゃ
これはむしろ主語指向性を扱うには便利にゃが、では
John talked to Mary about herself
みたいのはどーすんのか、Maryをgoalとするvなりpなりを立てるのか、てな問題も
あるにゃ
ま、probe-goalで扱うとなると、ますますbinding theoryの守備範囲は絞られてくる
であろうにゃ
手短ではないにゃww
>>837 >指示とは何か?今更ながらに興味深いが
指示とは「外延に入っていること」である。
名詞AでものBを指示するというのはBをAの範疇に属せしめるのと同じである。
雨を見て「水、水」というときには「水」という言葉で雨を指示しているが、
このとき雨を水の一種とみなしているといえる。
犬を見て「水、水」ということはない。犬は水の一種ではないからである。
あるものを指示するのに使える名詞は指示するものを包括するものでなければならない。
包括する名詞とはより外延が広く内包が少ない名詞=代名詞である。
代名詞は外延が無限大、内包が0の名詞である。どんなものも「これ」と指示することができる。
指示に水という名詞を使う場合は指しているものが必ず水の一種であるが
「これ」を使う場合は指すものが無数にありうるので指しているものが何かを知ろうと思うと文脈の助けが必要になる。
名詞について「○○とは何ですか?」と尋ねる。
「〜とは何ですか?」という問いには外延で答える場合と
(Q県とは何ですか? A秋田県、青森県、佐賀県、愛知県、群馬県・・・)と
内包で答える場合(Q県とは何ですか? 政治上の組織を地方で区画したもの云々)があるが
「これとは何ですか?」という問いでは「これ」が内包を持たないので外延でしか答えようがない。
(Qこれとは何ですか?Aこれはこれだよ、これ。)
形容詞は名詞を修飾するが、そのとき意味が通る条件、意味的に正しい条件は
「修飾する形容詞の属する性質が名詞の内包にある」ことである。
*白い番号、*円い電気、*速い本
番号は「色」、電気は「形」、本は「運動」を内包に持たないので変に聞こえる。
代名詞は内包を持たないためどんな形容詞で修飾しても意味が通じない=代名詞は形容詞の修飾を受けない。
*長い誰、*熱いこちら、*賢いかなた
>>870 > 失禁前なので手短に ← ご丁寧にどうも。m(。。)m
> John killed himself
> みたいに三人称を考えれば分かるとーり、自己認識以前に、同一性の認識があるにゃ
> つまり X killed Y で X=Yであることを認識し、それをなんらかの方法で明示する
同一性を認識することと、それを明示(表現以前という意味も含めて?)することは
一応別というか次々に起きるプロセスだろうと考えておくかな。もしかして一遍にってのも
あるかもしれないが。
自分や相手でなく、第三者が第四者に対して行為する場合で、その第四者が第三者に
等しいことが分かるか。こりゃ簡単には分かりそうもない気がするが・・・というか、揚げ足を
とるわけではないのだが、同一性認識以前に自己認識モドキの問題が有り得るかもしれん。
つまり、そもそも、自分に対して行為するという場合、例えば、顔を掻くとか毛づくろいする
とかが好例だろう。その場合は人間的な文で言えば、私は顔に触った になって
私は私に触った ではない。後者になるためには人間でもある程度の発達が必要だと思う。
つまり、自分自身の部分を自分として扱えるかどうかということだ。
その問題の典型は John killed himself かもしれない。殺すというと生命現象では究極の
行為だが、自分が死ねば殺す行為を知覚しきれないし、そもそも自分が死ぬことさえピンと
こないのに殺すことがピンとくるだろうか。むろん、元に戻って第三者・第四者間ならもっと
楽だと言えるなら問題はない。そういう例があるような気もする。しかし、そこにも
全体としての誰それ が知覚・認識されるのかという問題が出てくるような気がする。
逆に、自分が誰かに対して行為する場合、その誰かが自分であるかどうかなら、あるいは
実験的にも作り出せるかもしれない。もっと翻って、自分の行為が自分のしたことであると
わかっているか、という原点的問題もあるわけだが、これには実験的な研究がある。
こういうことが判別できるならば、おそらくそれを表現する方法は存在するだろう。
実は、この第三者・第四者(実は第三者)間で起きることと、自分ー誰か(実は自分)は
相互に無関係ではないのかもしれない。いや、関係あると思う。相互に利する関係として。
>>871 文が入れ子になっていき、その都度、より小さな文の値が外に移る、あるいは、その逆
というような話ではない?
いずれにせよ、ここにも、この第三者・第四者(実は第三者)間で起きることと、
自分・誰か(実は自分)は 相互に無関係ではないのかもしれないということが
絡んでくる気がする。
>>872 > 代名詞は内包を持たないためどんな形容詞で修飾しても意味が通じない=代名詞は形容詞の修飾を受けない。
> *長い誰、*熱いこちら、*賢いかなた
強いこちらの勝ちだ とか 遥かなかなたに想いをはせる とかはどうなのだろう?
単純化された同一性認識の問題は、トンネルをくぐった汽車ぽっぽが、 くぐる前の物と同一か?というのがある。この種の動物実験例も余りないかも?
>>875 「歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化」 ¥2200
>>875-875 誰かが何か言ってくれたら書くかと思っていたのだが、
>>875 のような同一性
なら、草原のブッシュを抜けて右から左へ走るシカの仲間をライオンが追う
場面を考えれば、そういう同一性認識があれこれ考えられることは明瞭。
>>876 の本では、
>>875 について何が紹介してあるのかな?
ところで、やはり、John killed himself.の例では、上の意味の同一性
というよりは、むしろ、自己同一性(自我同一性ではない)に近いかも。
自己同一性と自我同一性はどう違う?
いや、厳密な相違をここで云々カンカン娘してもしょうがないので、大雑把 に言えば、自我同一性という語ego identityはフロイトやエリクソンのような 精神分析的文脈でよく使われ、臨床的な意味合いがあれこれ付着しているが、 自己同一性というのは、そういうアレコレを好まない人たちが、むしろ物理的 に、というか、自分の身体と他者の関係とか環境との関係とか、ま、要するに 位置関係的な問題を扱うときによく使っている。細かく論じる人もいるが、 上で自我同一性ではないと書いたのはその程度の意味。 おそらくギブソン関係者などは自我同一性は使わないが、自己同一性なら 使うかもしれない。というところで。
あ、蛇足: self identityという語を使う人もいる。
881 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 19:22:35
こんばんわ。ちょいとだけ書くかなー。おちかれモードだけど。orz... =3
>>871 >John Infl killed himself
>も、Johnが直接himselfを束縛しているのではなく、Inflがhimselfの「先行詞」
ま、gbのSUBJECTの先祖返りだな。ははははは。
>John talked to Mary about herself
>みたいのはどーすんのか、Maryをgoalとするvなりpなりを立てるのか、
>てな問題もあるにゃ
ま、これまでpはchlには見えないとゆわれてきた現象をどう今風にアレンジ
するかとゆー問題だ罠。ははははは。
で、イソターネッツで『言語加虐の百科痔典』の予約がはじまったようだな。
ま、よかったらみんな買ってやってくれ。マジですんげー内容だ。まさに
垂涎前寺清子状態だ。ははははは。
しやわせわぁ〜あるいてこなうぃ〜だぁ〜からあるいてゆくんだよぉ〜ん♪だ。
ははははは。
さて、マンマくってくるかな〜。あー、そうだ、ジジイだか誰
だかしらねぇが、スレが900近くまで逝くといきなり埋めようとする香具師
がい るがそーゆーのやめれな。みっともねぇからよ。ま、いちおー
ひとことゆっとくわ。
ほーしがらみなのね。
つまり、膿めろという前フリか
自分がやりたいから邪魔するなと言いたいのさ。 顔に1000取られるし。
885 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 19:56:59
>つまり、膿めろという前フリか どこをどー読んだらそー読めかっチューノ!
886 :
仇鱒 :2006/06/27(火) 20:00:14
>自分がやりたいから邪魔するなと言いたいのさ。 だーからわしは埋め立て子蛆はしたことねぇっチューノ!
文面ではなく言及したことがそうだと言うんだ、ブヲケ
888 :
ぴよぴよ :2006/06/27(火) 23:19:45
授業が忙しかったので、久々にお邪魔いたします。 割り入って申し訳ありません。 Chomsky(2004)や、"On Phases"のにある "three factros"の3つ目 "principles of structural architecture and developmental constraint,,," というのは、どのレベルの話なのでしょうか? つまり、UGのゼロ状態から、attainted stateになるまでの 1個人的な言語獲得の意味での"developmental constraints"でしょうか? もしくは、人間という系統にUGが備わった時のレベル(人間進化論)の話でしょうか? この「発達」が何に関連しているのかはっきりしないんです。 ぜひともご教示ください。
こないだの俺の講演と完全にかぶる質問であるからして、敢えて完全回答は 避けるにゃが。。。 まずdevelopment発達とは、第一義的にはevolution進化と対をなす概念で、 個体発生、つまり「1個人的な言語獲得」を指すにゃ しかし第三要因に焦点をあてることで、発達に加えて進化の問題をも 統一して論じることができるようになるにゃ 進化においては第一・二要因の関与はあり得ないからにゃ 進化と発達は同じではないけれども、生物学ではすでに両者の概念的統合が 行われており、これがEvo-Devo進化発生生物学という分野であるにゃ ミニマリストは言語学におけるEvo-Devoを目指すものであるにゃ
チョムも最近のペーパーでEvo-Devoに言及し始めとるにゃ(俺のパクリとしか思えにゃいw) ネットで探せば拾えるにゃ
そんな有名なの? 海外および日本でアンケートとった 日本の生成研究者ベスト20にすら名前入ってないけど。
>>873 そんあたりは、ずーっと以前に話題にした、内包的同一性と外延的同一性の
違いにも絡むにゃ
フツーは John respects himself と言うにゃが、たとえばJohnが記憶喪失で
尊敬している相手が自分自身であることに気付いていないような場合、
John respects him. になったりするにゃ
外延的同一性は動物でも認識するのにゃろが、内包的同一性はそれこそToM
とかも絡んでくるのかもにゃー
>>863 >「You!, You!, You! 」
DIOだにゃw
にゃんか、最盛期に比べるとDIOの凋落ぶりはイタイタしいにゃ
確かにあの様式美音楽は現在では「ダサイ」と言われても仕方のない部分もあるにゃ
対してWhitesnakeはいまだに輝きを失っとらんのは大したもんにゃ
デビカバはアンチ・エイジングにいそしんでおるんかにゃw
>>865 >zzトップ
実力あるのに日本では人気ないバンドの代表であるにゃ
AC/DC、ゲイリー・ムーアなんかもそうにゃが、共通点は、
ルックスが悪いことだにゃw
プロである以上、見た目の良さも重要であることは否定しがたいにゃが
最近はクラシックの世界も同様の傾向にあるみたいだにゃ
ドーキンズとグールドのルックスが逆だったらどうなっていたか、
なんてにゃ、にゃははは
>楽器はギターとベースとドラム のたった3つ
それで言えばクリーム、初期GFR、BBA、あたりにゃろ
>>891 にゃ? 俺のことかにゃ?
俺はまったく無名であるにゃが、なにか?
で、上に書いたようなことで俺と対等に議論できる香具師は、そのベスト20と
やらにも一人もおらんと思うにゃが、なにか?ww
ま、この際言っておくにゃが、俺はある種気楽な立場なのでw、進化がどーたら
生物言語学がこーたらといったことを気ままに論じられるわけにゃが、これから
生成をやろうという若い連中は、そーいうことはワキへ置いといて、まずは記述的な
仕事がきっちりできるようにならんといかんにゃ
それこそベスト20入りを目指して頑張るのにゃ〜
どーもここをROMってる学生の中に、俺の上っ面とゆーか、悪いとこばかり
真似ようとする香具師がいる気がするので、厳重チューイ、にゃw
895 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 07:33:20
おはよ。 >ミニマリストは言語学におけるEvo-Devoを目指すものであるにゃ ま、たしかにそうだが、ポイントは派生という特殊な概念をどこまで普遍的 なものに落とせるかだな。つまり、かりに派生がオフラインの概念だとして、 進化というオンラインの概念にどこまで整合ないし統合 させることができるかだ。あるいは正攻法でもって派生をオンライン化 させるとなると、ぶっちゃけchlのcの部分をもっとシリアスに考える必要 が出てくるであろう。で、ぶっちゃけ、計算科学的な発想がもっと出てくるし 必要となってくるであろう。そんでそうなると、並列処理的な考えも必要 になってきて完全に生成は路線変更ということになる罠。ま、この辺りのことは 以前もココでかなり議論したからまた蒸し返しになるがいろいろ地雷が転 がってると思うわ。あと、あれだ、チョムのアホペーパーだが、あのペーパーの ポイントはグレート・リープ・フォワードを引き起こしたトリガーの措定 にあるのだが、わしに言わせるとマージの有無うんぬんより、やはり集団生活の 有無が「サル」からヒトへのグレート・リープ・フォワードの主要因だと 思っている。ま、ようするに第4要因だ。つまり、発生とゆーと個体発生やら 系統発生がすぐあげられるのだが、その中間ともいえるグループ単位における 発生をもっと考えた方がいい。つまり、ピジンが発生するぐらいのグループだ。 もっとゆーと、結局言語は獲得ないし習得しなければいけなく、その獲得ないし 習得の現場は家族といった小さな集団@グループであるわけだ。そういった意味 では、種という大きな単位でもなく、個という小さい単位でもなく、その中間 である家族とか仲間という中間の単位でどう言語が発達というか進化 していくのかそれをもっとよく考えるべきだと思う。ま、そうなるとまさに エソロジカルな観点が不可欠となってくるけどなー。
896 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 07:34:02
あとあれだ、わしらがある実験ないし調査をするにあたり、実際問題進化を リアルに目にすることはできないわけだ(←人工生命とか大腸菌の特殊なケース は除く)。そうなると実際に目にすることができるのは発達だけなのだよ。 だから、うまく発達を使ったらいいと思う。もうちょい分かりやすくゆーと、 ヘッケルの反復説は完全にあぼんされたようだが(←でもわしは大枠はまだ正 しいと思っている。ま、生成といっしょだ。各論ダメ、総論ヨシだ。 ははははは)、でも、わしらは個体の発生というか自我の形成の過程で何かを 反復していると思うのだよ。その反復を可能にしているのがもしかしたら非常に プリミティブなマージ的なメカかもしれない。とにかく何かが個体の中で反復 しているのは確かだと思う。たとえば、ストレートな言い方をすると、自我の 形成のプロセスにおいては、自分の遺伝子のベースになった父親や母親 そしておじいちゃんやおばあちゃんを反復している可能性が大いにある。まさに 遺伝子を自分に与えてくれた親やご先祖様のミームの受け継ぎが何らかの 反復操作で行われている可能性があるのだ。だから、こういった視点 からいろいろ発達というのを探っていくとそこから進化のある側面が見 えてくるような木がする。それともうちょいゆーと、ふつー進化論とゆーと器官 というフィジカルなモノの変化を対象にするわけだ。一方発達とゆーと、 どちらかとゆーと心の成長を対象にするわけだ。で、言語つーのはチョムの レトリックである「心的器官」からも分かるよーに、まさに進化的要因と 発達的要因の両方を兼ね備えているのだよ。だからこそ、言語は発達のみならず 進化の対象になるし、またならざるをえないわけだ。
897 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 07:34:37
それとあれだ、上で顔餅 がちらっと進化発生生物学とゆっているが、マジでそのような路線で逝くのなら 生成はもっと言語の老化と再生の問題に取り組むべきだと思うわ。というのも、 発生生物学のテーマがまさに老化と再生だからな。で、ちょいと宣伝になるが、 こういった観点からも今度出る痔典ではかなりつっこんでいろいろ解説 されている。ま、よかったら手にとって栗。あと、あれだ、発生生物学とゆーと 今日ではその成果が発生工学として実を結んでいるわけだ。ま、その最先端 がわしがよくココでとりあげているサイボーグ研究なんかだ。言語学もそろそろ サイボーグ研究にタッチしないといけないとわしは思ってる。てか、わしの キョードーケンキュウもどきではそんなことを画策しているんだけどなー。 ははははは。
898 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 07:35:23
>授業が忙しかったので、久々にお邪魔いたします。 いっしゅんセンセイかと思ったわw てか、ぴよぴよがどっかのセンセイで ココに質問しにきているのならシャレにならんけどなー。ははははは。 >DIOだにゃw よく桑田@サザンもやるけどなー。 >AC/DC、ゲイリー・ムーアなんかもそうにゃが、共通点は、 >ルックスが悪いことだにゃw gムーアのあのイ本型と彦頁、、、。マジでgムーアがピチピチのズボンに革 ジャン着たの見たときには何かのシャレじゃないかと思ったわ(ワラ)。 それにしてもgムーアのギターはうまい。前にビデオでgムーアがジミヘンの コピーをやってるのを見たがジミヘンが降臨してきたかと思ったぐらいだ。 ストラトを知り尽くした男とも言えような。いや、マジなハナシ。 >最近はクラシックの世界も同様の傾向にあるみたいだにゃ てか、今の若い香具師は容姿端麗なのが絶対的に多いわ。マジでわしらの世代 に比べると体型が明らかに進化してるわ。食い物によってここ20年で一気に 進化が加速した木がするわ。てか、これって進化なん?退化なん?たんなる変化 なん?適応変化なん?何なん?(ワラ)
899 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 07:35:57
>それで言えばクリーム、初期GFR、BBA、あたりにゃろ ま、トリオの雄といったらクリームだな。てか、クラプトンは別格だ。ちゅーか クリームの映像どっかに転がってないかな〜と業者の人に聞こえるように 言ってみるテスト(w)ま、60年代の映像なんてそう簡単に転 がってねぇか、、、。 てか、ベスト20とかそんなアンケート調査結果とかあんの?そんなアホ なことやってるのはクゥン國ぐらいじぇねぇの?ま、世界の知性のトップが チョムだとゆーアンケート調査があるぐらいだ。いかにアンケート調査がアテ にならないか分かるんじゃねぇか。ははははは。 さて、失禁してくるわ。じゃ〜な。
具体性のない予言や評論ばかりしてないで、自分の仕事つくれ
授業に出るのが忙しい 授業に忙しい 授業をするのが忙しい 授業が忙しい
902 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/28(水) 13:13:56
同一性について内包的・外延的が考えられるのならば、内包的自己とか外延的自己とか も考えられるわけで、さらには内包的生と外延的生みたいなものも有り得るわけだ。 そういうものにToMが絡むということは或る意味当然なのだが、さらに進めて考えると、 そのToMについても、実際には、ToMの内包的理解と外延的理解というのがあるようだ。 ToMを生物学的にとらえる場合ですら、この両者が渾然となっている場合もある。 ならば、言語についても同様で、言語というものを内包的にとらえるか外延的にとらえるか という論議があるだろう。話を狭めて、mergeと条件づけがどう違うのか、などと問うときも 内包的・外延的がモロに表われるのではないかと思う。 では、一気に抽象的(?)になるが、そもそも、論理学などにおいて内包・外延というものが あたかも2つで1セットのように扱われてきたりしたのはなぜなのか。もともと両者はコインの 裏表のようにセットでなければならなかったのか。いや、もっと言えば、そもそも、内包と 外延という二つのアプローチの起源は何なのだろうか?誰かご存知なら御教授あれかし。-> こさかな 虚無好き 両師あたり? それと、ToMというのはアレコレ発展形が可能なはずで、ToMモドキ1,2,3とあるだろう。 それぞれに言語について考える上で面白いに違いないが、的を絞らないと何が何だか 分からなくなりそうだな。。 顔師の居場所はそんなに「ある種気楽な立場」でいられるのか、うらやましい限りではある。
>>892 > フツーは John respects himself と言うにゃが、たとえばJohnが記憶喪失で
> 尊敬している相手が自分自身であることに気付いていないような場合、
> John respects him. になったりするにゃ
これだが、John respects him. と書いている(言っている)のは誰なのか?
また、以下のどちらの状況なのか?
1)Johnは自分がJohnだとは覚えているが、尊敬している相手が誰か(どのJohnか)
忘れている
2)Johnは自分がJohnだということを忘れてしまい、それゆえ、尊敬しているJohnが
自分だとわからない
3)その他
>>903 そのJohnの状況を別の人=話者が述べとるにゃ
その状況にゃが、たとえば仇が記憶喪失になって自分が誰だか思い出せないとするにゃ
それである日、歯竹屋眉蛆著の本を読んで感銘を受け、「どこのどいつか知らない
が、こいつは大した香具師だ」と思ったとするにゃ
ま、そんな状況にゃww
既出にゃが、似たような例が、夢の中でB.B.(←フランスの有名女優にゃが誰だか
分かるかにゃ、というクイズをそんときやった)になった自分が元の自分にキスした
場合、I kissed me になるというやつだにゃ
内包・外延ということで言えば、チョムの I-language, E-languageの別もそれに
当たるにゃが、ま、これは1セットというより、I-languageのみが実体を持ち、
それ以外の言語の概念を全部ひっくるめてE-languageとして棄却した、ということだにゃ
チョムの新しいペーパーで、Conceptual-Intentional systemをConceptual-Intensional
と書いている部分があるにゃが、単なるタイポか、それとも意図的なものか、アヤシイw
904の後半は
>>902 にゃ
んで、ゴカイのないように言っとくにゃが、仕事が気楽だと言っとんではないにゃ(むしろ超激務)
ま、これから論文たくさん書いて就職口探さんといかん学生諸君は、審査する側が
読んで分かるような研究内容に拘束されるにゃが、いったん就職してある程度年数も
たってしまえば、そんなことを気にせず好きなことがやれるということにゃ
これが必ず一年に一本、LIやELに論文を載せないとクビ、なんてことになったら
俺も進化云々などとはやっとられんにゃが、ハッキリ言ってその手の論文ならその気に
なればナンボでも書ける罠ゃ、たぶんにゃw
>>895 >集団生活の有無が「サル」からヒトへのグレート・リープ・フォワードの主要因
遠因としては何でも言えるし、また正確には原因なのか結果なのかは分からず、ただ
関連性があるとしか言えない、とは、先日の長谷川M子氏も認めるところであったにゃ
んで、集団サイズの大型化と言語進化を結びつけたのはダンバーにゃが、大型化
したので言語が必要になった、というのは不正確で目的論的な言い方であり、
すでに言語があったので、集団の大型化が許されたということではないかにゃ
あと、長谷川氏の痔論としては、脳の大型化を可能にした要因として、ヒトの場合、
咬筋・側頭筋の退縮があり、これ自体はたとえば火を使って肉を焼いて食うように
なったので許されたことである、ということにゃが、もちろん脳の大型化自体が
咬筋・側頭筋の退縮によってもたらされたということではないにゃ
俺としてはむしろ草食から肉食つーか雑食への食性の変化が、より根本的で重要で
あると思うにゃ つまり狩りを集団で行うようになること、また獲物を集団内で
分配することと、ToMや言語との関連であるにゃ これもあくまで関連であって
因果関係まで辿ることは難しいけどにゃ
>ふつー進化論とゆーと器官というフィジカルなモノの変化を対象にする
心的機能も同様である、というのが進化心理学なり生成(つか俺w)の主張であり、
もともとダーウィンもそういう立場であったわけにゃ
>言語の老化と再生
なんじゃら補遺
>クリームの映像どっかに転がってないかな〜
押入で埃かぶってまつが、なーにかw
子蛆&遊蛆
>>904 ご多忙なのは分かっていたつもりで、気ままというユトリというかが何処からくるのかなと。
>
>>903 > それである日、歯竹屋眉蛆著の本を読んで感銘を受け、「どこのどいつか知らない
> が、こいつは大した香具師だ」と思ったとするにゃ
そうであることを祈る。私なら自分の本をポイ捨てしそうだ。ところで、蛆を読み込む歌が流行しそう。
> そのJohnの状況を別の人=話者が述べとるにゃ
そうなのだと思っていたのだが、敢えて伺ったのは、第三者がそういうふうに表現したことが
奇妙に感じたからであった。第三者はJohn1がJohn2であることを知っており、また、
John1がJohn2を尊敬していることを知っているなら、どうしてJohn respects himSELF と
言わなかったのかがわからない。John respects him.はあたかも第三者が記憶を失った
Johnの立場に立って(ただし部分的に)言っているように聞こえるのだが。
その意味では、B.B.になったつもりの人が自分にキスしたなら、I kissed me である、という
のと、少し違うのではないか、と思ったのだが。何かを理解し損ねているかもしれない。。
> チョムの新しいペーパーで、Conceptual-Intentional systemをConceptual-Intensional
intentional 意図的 Intentional 志向的、志向性の と区別したりする習慣の元はドイツ語の
志向性という言葉が流布したのを英語でも受けて、そう表記する習慣になったというのがあるが、
intensionalとなると、表面的には意味が随分異なる。(意図的と志向的も異なるが・・)
しかし、Intentional と intensional が無関係だとは私には思えないわけで、その関係や
その論文の概要が確かに気になるところではある。ref宜しければお願いします。
>>906 >
>>895 > 心的機能も同様である、というのが進化心理学なり生成(つか俺w)の主張であり、
> もともとダーウィンもそういう立場であったわけにゃ
それは心的機能が身体依存だからであるのか、それとも平行的に進化したのか、それとも
並行ではなく、別々に進化したのであるか、興味が尽きないことだ。
909 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 19:24:03
こんばんわ。これから空手教室だからちょいとだけな。 >その状況にゃが、たとえば仇が記憶喪失になって自分が誰だか思い出 >せないとするにゃそれである日、歯竹屋眉蛆著の本を読んで感銘を受け、 >「どこのどいつか知らないが、こいつは大した香具師だ」と思ったとするにゃ あっ、、、o==rz... うっ、、、oRz~~ てか、この場合↑は自/i画自/j賛だ罠。 ようするに、「自」のインデクスが異なるケースだ罠。ははははは(← 笑ってられん orz=33 >>言語の老化と再生 >なんじゃら補遺 ナ・イ・ショ♪ >>クリームの映像どっかに転がってないかな〜 >押入で埃かぶってまつが、なーにかw ま、ま、マジか、、、。業者の人に、今度何かの機会でええから、その蔵に 入ってるお宝もひとつみつくろってくれるよーに伝えて栗。 このとーりだ→ M(_ _)M(←マジでひれ伏してる てか、マジでスゲーのもってんなー。マジで業者だよ、をい、、、。 >子蛆&遊蛆 きたねぇ漫才師みてぇだな。ははははは。 さて、これから子蛆&痔自慰の漫才がはじまるてか。ははははは。パチパチパチ〜♪だ。 てなことで、今から空手教室に逝ってきまつ。おりゃっ!!
子蛆&愉蛆 & 蛆自慰
911 :
ぴよぴよ :2006/06/28(水) 19:54:57
>>授業が忙しかったので、久々にお邪魔いたします。 >>いっしゅんセンセイかと思ったわw てか、ぴよぴよがどっかのセンセイで >>ココに質問しにきているのならシャレにならんけどなー。ははははは そういう意味ではなく、毎日の授業の予習です。毎日、誰かの論文ばかり 日本語訳させられていますが、その授業準備で、時間を取られています。 訳し方で議論がありますが、意味あるのかな、、と思ったりもしますが、、。 とにかく、"developmental constraints"は、種の言語機能の備わり方ではなく、 一個人の言語獲得ですか、、。 一次言語資料に関して、「発達上の条件」が絡むという事でしょうか? 私の大学内にもっとしっかりした人がいれば、その人に聞けるのですが、、。
、の後に。を打つの習慣でつかな?
皮余×2
しーらん・ぺったん・ごーりら♪ ま、適当に藻前らで妄想しとけ。けけけけけ。
915 :
仇鱒 :2006/06/28(水) 22:19:55
>しーらん・ぺったん・ごーりら♪ 藻前なつかしの覚えてるなー。 >訳し方で議論がありますが、意味あるのかな、、と思ったりもしますが、、。 訳し方で議論か、、、。まあ、論文講読のジュギョーは英語の読解力要請も兼 ねてるからな、しゃーねぇ罠。意味あるのかないのかは、ま、議論の内容 だ罠。前にもわしがちょろっと書いたが、languageに冠詞 があるのないのでわしも学生の頃いろいろ議論したことがあったわ。そーい や、lexiconだけどーゆーわけか冠詞のtheがつくんだよな。これも「なんでかな 〜」ってボンズの頃は思ったりしたもんよ。まあ、でもあれだ、学生の頃は論文 をなめるように読む訓練は積んどいた方がええ罠。オトナ になってからもたま〜に(でもねぇが(ワラ))まだチョム論文をなめるよー に読んでる体臭くさいオヤジがいるが、ま、正直関心するわ。ぶっちゃけ、 わしらに時間は限られている。その限られた時間の中である程度結果を出 さなきゃいかん。そのように考えるとぶっちゃけ読むものも決まってくるし、 また読み方も決まってくる。で、学生のうちは何を読むべきでどう読 んだらいいのかその訓練だけ積めばええと思うわ。正直、センスは先天的 なもんだ。センスだけは教えることはできないし教えてもらうこともできない。 てか、センスを磨くんなら生成以外のものをやっていろいろゲイの肥やしを増 やしておくことだな。ま、そんなところだが若いのはアレやコレや文句垂れ流 しながらがんがれや。 てなことで、さっき空手教室から帰ってきた仇ちゃんでつよ。ははははは。
あやすい・・言語板には稀な、、。だからなー 仇とlandmarkと仇のぶっちゅーんした後の アドホックくらいしかいない。
ま、それ知ってて真似してる香具師がいる鴨しれないしな。どーでもいい罠
>>911 (縁起がいいにゃw)
>一次言語資料に関して、「発達上の条件」が絡む
これもミョーな言い方だにゃ
PLDは環境であって、第2要因であるにゃ
で、その同じconstraintsは進化にも作用していると考えられるというわけにゃ
>>908 再帰代名詞の使用には外延的同一性のみならず内包的同一性が求められるという
ことにゃろが、一種のreferential opacityが形成されるのかも知れんにゃ
opacityとは、たとえば Mary = John's mother という事実を話者は知っているが
Johnは知らないとする、その場合、
Mary killed Bill. → John's mother killed Bill.
という置き換えはできても
John believes that Mary killed Bill. −/→ John believes that his mother killed Bill.
という置き換えはできない、といったケースにゃが、
John 自身が John1 =John2 であることを知っている場合のみ
John1 admires John2 → John admires himself
と言えるのも本質は同じでないかと思うにゃ
つまり、John自身がその同一性を認識しているかどうか、話者はJohnの目線から
判断して再帰代名詞が使えるかどうかを決めるんでないかにゃ
>ref
チョムの新しいペーパーというとそれこそ蛆が群がるんで、リンクはやめとくにゃが
Chomsky evo-devo
でググるとすぐ見つかるにゃ
ま、言語学用語を使うと、再帰代名詞は de se 解釈と結びつくんではないか、 ということにゃが、日本語で 太郎は [ 自分が天才であると ] 信じている 太郎が記憶喪失にかかっていて、自分のことだと分からないままテレビで見た エロい人=太郎を天才だと信じている場合、この文はアウトにゃろ 同様に 太郎は自分を尊敬している でも太郎が記憶喪失の場合はマズーなんでないかと思うにゃが、どーにゃろ 比べて 太郎は自分が昔書いた論文を(そうとは知らずに)攻撃している ではだいぶましかにゃ?
921 :
仇鱒 :2006/06/29(木) 07:46:50
おはよ。 ちょいと時間がねぇから一言だけな。えっと、同一性の問題だが正直よく ワカランところがある罠。マジで実際何をもって同一と見なすかという問題 にぶちあたるとワケワカンネーつーのがある罠。名詞の内包なり外延の問題 となると、それこそ明けの明星や宵の明星じゃないがもう言語学の問題 じゃないしな。で、たとえば、ジキルとハイド なんかではどうなるんだろうかとか思っちゃう罠。'ジキル respects ハイド' とゆった場合、ハイドはアナフォーとして扱われるのが、 あるいは'john respects mary' と同じに扱っていいのかよくワカランところがあるわ。 ジキルとハイドは名前こそ違うが「同一人物」だからな。あと、同じようなケース だと、’仇 respects 仇の中の人’なんかも、緊縛理論的ならびに意味論的 にどう扱っていいのかよくワカランところがある罠。まあ、まさに、'明けの 明星 is 宵の明星' がどう分析されるかとゆー問題と同じとも言える罠。ただ、 この↑場合、「宵の明星」が目的語じゃなく述語として機能しているからちょいと 例がイクないが、、、。 てなことだが失禁してきまつよ。あー、今日はしんどい一日になりそう だ、、、。orz~~~~3
>>919 >
>>908 > 再帰代名詞の使用には外延的同一性のみならず内包的同一性が求められるという
これはこれでスッキリした気がする・・する・・
> opacityとは、たとえば Mary = John's mother という事実を話者は知っているが
> John1 admires John2 → John admires himself
> と言えるのも本質は同じでないかと思うにゃ
なるほど、そういうのをreferential opacityと言うのですか。なかなか興味深い言葉なり。
どうも、ここらで三河万歳くらいやらんといけないみたいなのだが、、、。
さて、ソノreferential opacityですが、
> つまり、John自身がその同一性を認識しているかどうか、話者はJohnの目線から
> 判断して再帰代名詞が使えるかどうかを決めるんでないかにゃ
この「目線から判断して」というところがモノスゴク気にかかるポイントであり。と言って
またToM boyにお出まし願うのも飽きたので、インテンショナリティの線で無理やりつなげると、
>>921 > 名詞の内包なり外延の問題となると、それこそ明けの明星や宵の明星じゃないが
> もう言語学の問題 じゃないしな。
というところにヒッツイテみる: 果たして内包・外延の問題は集合論(論理学)の問題だろうか
というのがあるわけですね。tokenやtypeのこともあるのだが、そもそも、内包・外延という
整理の仕方自体が言語によって明確化されているという面も無視できない。集合というものを
理解する仕方というのはやはり指示や概念化と切り離せないわけで、もしかするとソコ、
内包・外延と言って当然ナリと思っている常識に何かまだ遺漏があるのではなかろうか、と。
> だと、’仇 respects 仇の中の人’なんかも、緊縛理論的ならびに意味論的
> にどう扱っていいのかよくワカランところがある罠。
どう縛られるかによってクワイカンも違うのだろうってので、どうか?
>>920 > 太郎は自分を尊敬している
> でも太郎が記憶喪失の場合はマズーなんでないかと思うにゃが、どーにゃろ
> 比べて
> 太郎は自分が昔書いた論文を(そうとは知らずに)攻撃している
後者はソノ人ソノモノではなく、その人の所属物か生産物であって、ソノモノではないから
十分フツーに聞こえますな。で、なぜそうなるとフツーに<聞こえ>るのか、その印象が
やはりreferential opacityと言っていいかわからぬが、referされるものが既に外化されている
外延化されているということと無関係ではない、とか思ったりするわけでありまする、する、する。
なーんか、今日は多忙のせいか我ながら突込みが足りない間があるのだが、内包・外延と
いうことは、指示あるいは、発話者が対象物を捉える捉え方そのものの問題ではないか、
という強迫観念がソコラじゅうでピーヨピーヨ飛び回って目が回る。さあて、どーするかな・・
言語化(名詞化)される対象に対して個別対峙と全対峙という違いなのであるなら、 単にサンプリングされる数の違いみたいに思いなすこともメチャクチャ無理でもないが、 果たして、そういう数の違いだろうか。皆様方は違うと思うのではないだろうか。 内包と外延では、対象との関わり方が、次元数もマッピング方式も違うので・・・ 集合論以前の言語化プロセス問題を明らかに含んでいると感じるのでありまするな。
何が言いたい?
さぁーっっつ、愛ちゃん一ッぱあーつ!卓球の球と台の関係や、これ如何に。
>>921 > まあ、まさに、'明けの
> 明星 is 宵の明星' がどう分析されるかとゆー問題と同じとも言える罠。ただ、
> この↑場合、「宵の明星」が目的語じゃなく述語として機能しているからちょいと
> 例がイクないが、、、。
イクなくなくてイケルの鴨。ぐゎ。referential opacityとも一緒に縛れるの鴨。ぐゎ。
問題は、誰が、明けの明星 = 宵の明星 と認識しているのか、だと思うな♪
金星には意識がないでしょうから、この同一性の認識者はヒト。発話者もヒト。
言ってみれば、 I say that 明けの明星 = 宵の明星.
一方で、金星に意識みたいなものがあって、
昔々、明けの明星は、宵の明星がとても綺麗だという噂を天の川の水から聞いて、
宵の明星に会ってみたくなり、速い速度で動き始めた。走れども走れども、宵の
明星には会うことが出来ず、想いは募るばかり。そのとき、地上の人間の声を
耳にした: 「いやあ、今夜の宵の明星は実に綺麗ですにゃあ」
?と明けの明星は思った:「どこ、どこに宵の明星さまがいらっしゃるの?」
こうして何千年が過ぎてから、明けの明星はまたヒトの声を聞いた:
「今朝の明けの明星は実に綺麗ですニョロ」
そこで、明けの明星はAHA ! 自分が宵の明星だと言われて失恋したが、これ
以降、明けの明星は自分を恋するようになり、ナルシスの仲間になった。
なぜなら、明けの明星は、地上の星ならぬヒトの言葉を聞いて、鵜呑みにし、
自分が宵の明星と同一であると思いこんでしまったからである。
ここにも、ヒトがいて、明星を認識しているのでありました。金星の意識はどーこから
きーたのかーなー。
みなさん、世界は長いのレス。 あははは。
Ego is not self. Aha !
ナニをいまさら
すべては幻想です。
いや、927はなんかツジツマがづれてないか
>金星に意識みたいなものがあって ありません
なんだよ、かなり脱力してるな、お前ら。 しょーもないww
>>908 > 奇妙に感じたからであった。第三者はJohn1がJohn2であることを知っており、また、
> John1がJohn2を尊敬していることを知っているなら、どうしてJohn respects himSELF と
> 言わなかったのかがわからない。John respects him.はあたかも第三者が記憶を失った
> Johnの立場に立って(ただし部分的に)言っているように聞こえるのだが。
>>919 >
>>908 > つまり、John自身がその同一性を認識しているかどうか、話者はJohnの目線から
> 判断して再帰代名詞が使えるかどうかを決めるんでないかにゃ
古典的なエレクトラ・コンプレックスじゃなかったパラドックス:
1) エレクトラはソノ(目前の)男が彼女の弟であることを知らない
2) エレクトラはオレステスが彼女の弟であることを知っている
3) ソノ(目前の)男はオレステスである
ゆえに
エレクトラはソノ(目前の)男が彼女の弟であることを知っており、かつ知っていない
3)が事実であるとしても、3)はエレクトラの知識、エレクトラにとっての事実ではない。
John respects him.と言った話者は、このパラドックスの結論みたいなことを言っているのではないか?
だいたい、どこのどいつがJohn respects him.と言ったのだろう。その言い方は容認度100%なのだろうか?
えへへへ
やで、ちょいと忙しかったにゃ >エレクトラはソノ(目前の)男が彼女の弟であることを知っており 話者の信念世界に置き換えてtransparentにしてしまえば、そうも言えるけどにゃ ま、雑に言えばopaque domainは直接話法、transparencyは間接話法だにゃ >容認度100% なにをもって100%とゆーのか、100人中100人がOKと言わないといけないとか、 そーいうハナシではそもそもないのにゃ John respects him (him=John) が自然に聞こえるような文脈がどの程度想像しやすいか、ということだにゃ 想像できん香具師がたくさんいても、できる香具師もいれば問題なしにゃ 類例としては、 John is a great man. Everyone respects him. Even John respects him. みたいのもいけるんでないかにゃ 容認度で思い出したにゃが、最近コントロールの文献を整理していたら、 Boeckx & Hornstein 2003 でsubject control 自体がかなり有標な現象であることが 述べられてあったにゃ 脚注にゃが、ある調査では I promised Kris [ PRO to buy the cat food ]. に対して、母語話者84人中、52人はsubject control (PRO=I)を容認せず、 object control (PRO=Kris) でしか解釈しなかった、とあるにゃ かなりビツクリな結果にゃが、だからといって、専門家による判断は信用できない、 なんつーことはないわけにゃw
何だなんだ、皆忙しい季節かww
>>936 > やで、ちょいと忙しかったにゃ ← お疲れでごんす。実は私もだったりする。
> >エレクトラはソノ(目前の)男が彼女の弟であることを知っており
> 話者の信念世界に置き換えてtransparentにしてしまえば、そうも言えるけどにゃ
ま、そういうことですね。しかし、そこにそれこそ何やら不透明なものを感じてしまう。
> ま、雑に言えばopaque domainは直接話法、transparencyは間接話法だにゃ
それ、それ。間接話法でも、Johnを外側から描くか、内側推測して描くか2種類ありそうだし、
直接話法で I が主語でも、2種類ありそうです。
→を「指示する」と読むとして、Opacityというのが、
A → objectX かつ B → objectX であるときに A = B にできない文脈
なのであれば、結局、そこにはToMや自他の問題が出てきてしまうのかもしれない。逆に、
C → objectX かつ C → objectY であるときに X = Y にできない文脈
というのもあるのだろうか。
> なにをもって100%とゆーのか、100人中100人がOKと言わないといけないとか、
というふうにも思っていない(主観性を単純に統計的に記述できるとは言えない)のだが、
> John respects him (him=John)
の場合には、ついつい100%かと聞きたくなるほど不自然に聞こえてしまうのは私だけなのか・・
> John is a great man. Everyone respects him. Even John respects him.
やれやれ・・これは全然問題なく聞こえる。おそらくはhimがeveryoneと同一でないということ
を経由してしまい、いわば、himがロンダリングされてしまうのかもしれない。もともと文脈の問題
だったことだから、文脈で印象がどんどん変質していくのは当然で、いや、それこそが
言語の融通無碍さというか本質的なことであるのかもしれない。あ、そういう文脈って何?
> I promised Kris [ PRO to buy the cat food ].
> に対して、母語話者84人中、52人はsubject control (PRO=I)を容認せず、
うげげ・・ 専門家の判断を信じないのではなく、逆に何故こういう結果が出るかが知りたい。米国データ?
例えば、I が猫であるような文脈がついつい思い浮かんでしまうとか・・約束は要求であることが多いとか・・
939 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 07:11:24
おはよ。
だみだ、、、猛烈にいそがちぃ、、、。てか、業者の人に「はよ、仕事
せんかい!ゴルァ!」と怒られてしもーた。orz... てなところだが、
ちょいとだけソフトカキコミ。
>I promised Kris [ PRO to buy the cat food ].
ま、そのハナシならかなり前に(←90年代の終わり頃)タカミが
「英語熟年」で報告していた罠。てなことで、第一ハケーン者はタカミだと思
われ。ま、わしも当時かなりビクーリした覚えがあるわ。ま、よーするに、次
のようなコントロールが実は一般ピーポーのジャッジだと。
(1)仇ちゃん persuaded キムジョソル/i [PRO/i to release めぐみさん].
(2)仇ちゃん promised キムジョソナム/i [PRO/i to visit ねずみーらんど].
つまり、実は目的語コントロールがコントロール文のデフォであると。よーする
に、promiseタイプは実はpersuadeタイプの亜種にすぎないと。ま、
そんなところだな。
で、実は今、例の「言語加虐の百科痔典」のパンフの送り先
をちょいといろいろ考えている。ま、100人ぐらいの人に○善経由でわしから
DM(←ディストリビュート・モーフォロジーではない)が届くと思う。ま、
わしからDM届いた人は「を、仇ちゃんのベスト・セレクション100に選
ばれたぞ。うほ〜♪」と思って栗。ははははは。
あ、てか、こーゆー記事↓が最近あったな。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060630-00000501-yom-soci アリにもマージ@自然数出力装置があるてか?ははははは。
じゃ〜な。
バンフではなくソノモノ送れ シニフィアンよりシニフィエ〜♪
afterthought: ま、これはpromiseという動詞がもともと動作の方向が曖昧だからということも あるのでしょうね。約束は相互的なものであって、要求のような一方向のものではない。 それにしても、こんな一語の動詞にも主客の多義性が含まれることを改めて知る。 しかし、どうも、これに限って言えば、「約束」の文化的背景があるので、国によっては率が 異なるのでありませう。
>第一ハケーン者は
つーか発端はこれであり
http://linguistlist.org/issues/9/9-651.html 高見の熟年記事もこれに基づいとるはずにゃ(下を参照)
>The numbers probably have little meaning; I imagine those who found the
>structure unacceptable would be more likely to reply.
容認しない香具師だけが声高に反応し、それより多くの容認可能なsilent majorityが
いるのだろう、というわけにゃ
これはジャジメント一般についても言えることで、あの論文の判断はオカシイと騒いでる
より遥かに多くのシトは、その判断が正しいと納得して黙っているもんにゃ
>>941 >It does not appear that the
>acceptability of PROMISE as a subject-control verb is related to
>British vs. American English, or to dialect at all
>Ken Takami of Tokyo Metropolitan University >(xxx.metro-u.ac.jp) mentioned Rosenbaum's (1967) Minimal >Distance Principle (MDP), "which states that the subject of the >infinitive clause is the nearest NP to its left. This principle >correctly accounts for sentences like "I persuaded Kris to buy the cat >food", but "I promised Kris to buy the cat food" is a problem for >it. However, there are many object-control verbs besides "persuade", >such as "order, tell, permit, force, allow, forbid, require", while >subject-control verbs seem to be restricted only to "promise." Coupled >with this, the fact that many people reject the sentence pattern (a) >would suggest that Rosenbaum's MDP is working for those people." >Polly Jacobson also mentioned this. subject controlの有標性がMDPなり(Hornsteinにとっては)MLCなりのせいだろうというのが 高見の示唆であるにゃが、MLCは派生の強い制約であるから、object controlは一切不可能に ならんとおかしいにゃ Larsonにゃったか、 promise Mary a book / promise a book to Mary みたいな交替を扱って たと思うにゃが、 X promise [ PRO to 〜 ] to Y → X promise Y [ PRO to 〜 ] という派生をたどるのであれば、交替が起きる前にXはPROにとって最寄りのコントローラーに なっとるにゃ あるいは逆に X promise Y [ PRO to 〜 ] → X promise [ PRO to 〜 ] to Y という交替がLFであり、そこでMDPが適用する、とかにゃ ま、John showed each otherユs friends to Bill and Mary の逆行束縛の分析とも絡んでくるにゃ
944 :
941 :2006/07/01(土) 11:50:25
>>942 >
>>941 > >It does not appear that the
does not appearで余り強い否定でもなさそうだが、それはどーでもよいです。
そもそも英語圏は、「約束」の在り方については大差ないでしょう。いや欧米はほぼ
同じような対人ポリシーの文化だと思いますからね。ま、これもまぁどーでもいいです。
persuade あるいは force でもいいが、そういう動詞と、 promise では動詞の質(何を
要求するかなど)が異なるというのは、生成的には常識なのでしょう?これは、しかし、
意味からの統語コントロールの例じゃないのでしょうか?
これは、以下のこととも関係する
>>938 >
>>936 > > 1)John is a great man. 2)Everyone respects him. 3)Even John respects him.
> やれやれ・・これは全然問題なく聞こえる。おそらくはhimがeveryoneと同一でないということ
> を経由してしまい、いわば、himがロンダリングされてしまうのかもしれない。もともと文脈の問題
> だったことだから、文脈で印象がどんどん変質していくのは当然で、いや、それこそが
> 言語の融通無碍さというか本質的なことであるのかもしれない。あ、そういう文脈って何?
3)の文のacceptabiliteが、1−2)という文脈で変わるというのは問題なしですか?himの
<意味>が3文の間で変遷していきますよね。
とだけ言っておこう!どうせ、繰り返しだから言うだけかも。後は、さて、ベンキョーでもしてこよ。
945 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 12:18:05
こんにちわ。だみだな、やぱ釣られちゃう、、。で、ちょいとだけレスな。 >高見の熟年記事もこれに基づいとるはずにゃ(下を参照) なるー。元ネタをそんなところにあったのか、、、。それは知らんかった。 まあ、あとあれだ、ラーソンのpromise絡みの分析だが、ラーソンの分析も 一長一短あるからな。ま、それの対抗馬としてアウン&リーもあるわけだし、 ラーソン流のアプローチがいいかアウン・リー流のアプローチがいいか正直よく ワカランとこあるしな。てか、今の枠組みじゃ、そもそも二重目的語構文が 与格構文から派生される(←ラーソン)とかその逆(←アウン&リー) であるとかそもそもナンセンスだ罠。ま、その辺りはどーでもええが、そもそ もpromise Mary a bookとpromise a book to Maryの間には本当に意味の違 いがあるんかいな?つまり、前者にはmary HAVE a bookのインプリケーション があって、後者にはそのようなインプリケーションがないのかな?よく ワカランが、もしそーゆーインプリケーションがないのであればそもそも ラーソン流のパッシブ分析は適用不可だ罠。(promiseはちょいと水光動詞 ぽいので意味の差はあんまり出ないよーな希ガス。ま、英検5級のわしがゆー のじゃ説得力ゼロ、ナッシングだけどなー。ははははは。) ま、そんなところだが、なんかバタバタしてまつよ。 あ、そーだ、仕事の合間にでーぷ・ぱーぷる見てるが、例のarrivement のところ見たわ。イアン・ギランの首をかしげるのがなかなかええ罠。「あれ、 おれ何かヘンなことゆったっけ?」てなカンジでなんかええ罠。あと、あれだ、 チャイルド・イン・タイム、なかなかええわ。あのアレンジはなかなかええ。 てなところで、またな〜♪ あとは顔餅とジジイのチャットでもニヤニヤ しながら見てるかな。ははははは。
次スレキボンヌ。
>>943 ×object controlは一切不可能に → ○subject controlは一切不可能に
948 :
941 :2006/07/01(土) 12:36:19
>>945 > なるー。元ネタをそんなところにあったのか、、、。
これは、何の「を」かな?
こら、仇鱒先生の仕事の邪魔をするでない!
950 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/01(土) 12:53:12
うめ
スレッド数がいっぱいで新しいスレがたてられないかもしれません。残された空間を大切に使いましょう。
んなことない。
そうなの?
こら
脳内文法などない
当たり前田、、、。
1)John knows that John is John. 2)John knows that John is himself. この2文はacceptableか? そうである場合、1)と2)は全く同じことを言ってはいない。 2)において1)に付け加わったものがあるとすれば、それは何か?
958 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 14:56:13
仇ちゃん@現実逃避 おちごとちゅらい orz... ちゅーか、しゃーないなー、
もうちょい書いてやるわ。ったく、、、。
で、あれだ、脳内文法などないとゆー発言があるわけだが(cf.
>>955 )、
レトリックでない形而下的なブツとしての心的器官はない。でも、文法は脳内
に何らかの形では存在している。まあ、こんなことゆわんでも分かると思うが、
これまで胃を切除してそれからことばを失ったとか、肺を半分切除
したらことばを失ったとか、事故で足を失ってからことばを失ったとか、心臓を
人工的なものにしてからことばを失ったとか、そーゆーのはないわけだ。その
一方、ストロークでもなんでもええが、脳絡みの病気てか、脳内事故
によってことばを失う事例は腐るほどあるわけだ。そういったことからも、
文法は脳内に何らかの形である。絶対ある。100%ある。だから、その脳内
にある文法を脳内文法と呼ぶのなら脳内文法は100%ある。ただ、心的器官
というものはない。あくまでも心的器官とゆーのはレトリックであり、
そんなものは存在しない。てか、そもそも心的器官というのは自己撞着型の表現
であるのだ。心的つーのはメタフィジカルな「モノ」であり器官つーのは
フィジカルなモノである。この2つをドッキングしたのが心的器官とゆー表現
であるのだが、ま、わしに言わせたら心的器官つーのは人民民主主義人民共和國
と同じくらいシニフェとシニファンの乖離した表現だ。
959 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 14:56:52
ま、だからとゆってわしが認知ヴォケぶんぽーのように普遍文法そのものも 完全否定しているわけではない。上でゆったように脳内文法は100%ある。 で、普遍文法も100%あるかとゆーと、正直わしにはワカラン。普遍文法 をUniversal Grammarと解釈すればその存在はかなり怪しいと思う(←ぶっちゃけ 言語の普遍性とゆった場合、グリーンバーグの言語の普遍性が妥当な線だと 思っている)。その一方、普遍文法をUnderlying Grammarと考え、個別言語を 可能にする自然言語の基盤のようなものと考えるなら確実にある。というか、 ないと答える方が難しい。ま、そういう意味では、わし的には、脳内文法は10 0%あるし、基盤文法(=Underlying Grammar)も100%ある。ただ、 普遍文法(=Universal Grammar)があるかとゆーと正直ワカラン。ま、 わしはそこら辺にいる頭のゆるい自称生成ケンキュウシャとはちゃうからこの辺 りは非常に慎重だったりする。ははははは。
960 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 14:57:27
>>957 >1)John knows that John is John.
>2)John knows that John is himself.
(1)はJohnが全部別人だったらok。同じく(2)も2つのJohnが別人だった
らok。とにかくr表現はa束縛はダメ。で、(1)に相当する次の日本語はok。
(3)ジョン/i はジョン/i がジョン/i だとゆーのを知っている。
>2)において1)に付け加わったものがあるとすれば、それは何か?
アナフォリカルな形式素性だ。それだけだ。
てなことで、藻前ら、意味のない埋め立てはせんよーに。
ちょっと間違った伝え方をしたみたいなので謹んで訂正するにゃが、
>I promised Kris to buy the cat food
object controlで解釈するんではなく、そもそも文自体が容認不可能と判断するシトが
多かった、ということだにゃ
正直、すまんかった、にゃ
で、同記事によると
I promised him never to do it again.
みたいに補文を否定にするとOKになる、という判断もあるにゃ
昔、チョムがLGBで出していた例にゃが
1) John asked the teacher to leave early.
はsubj/objどっちでも可、
2) John asked the teacher to be allowed to leave early.
はむしろsubject解釈、ってのがあるにゃ
ま、
>>944 の
>意味からの統語コントロール
ってのも当然といえば当然にゃが、統語的にあり得る範囲の中で、
どの解釈がより出やすいかがmain Vや補文の内容によって左右されるのだろにゃ
名詞内コントロールみたいのも考えられるにゃが、日本語で
3) 先生が生徒に大学合格を約束した
常識的には合格するのは生徒にゃが、実は先生自身が大学再受験を目指している
のだと言われれば、subject controlも問題なしであることが分かるにゃ
ま、そんなもんにゃ、なんにゃもんにゃ
>>945 child in time よりむしろその次の曲、Anya はリッチー・パープル最後の名曲で
あるから、心して聴くよーに(つっても、実質、Rainbowの焼き直しw)
>1)John knows that John is John.
>2)John knows that John is himself.
>>960 の仇説と別の可能性も考えられるだろにゃ
(1)はトートロジー John=John が真であることを知っている、という意味だとOK
だと思うにゃ
(2) は、たとえば I am not myself が、今の俺は普段の俺ではない、なんかヘンだ、
みたいな使い方がされるから、その逆で普段通りの自分であることを自覚している
というような意味だと通じるんでないかにゃ
知らんけどにゃw
いずれにしても、通常の束縛理論の適用対象ではないだろにゃ
一つは動詞がcopulaであり、同一性自体が主張の対象になっている点で、
*John respect John
とはハナシが別にゃろ さもないと
John/i is my father/i
もCondition C違反になっちゃうからにゃー
964 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 16:51:17
仇ちゃん@やっぱりだみだこりゃ。番羽言尺暗礁に乗り上げてま つ、、、orz... 引き受けるんじゃなかった。マジでしんど、、、。 で、気分転換にちょいとだけ書く。 >一つは動詞がcopulaであり、同一性自体が主張の対象になっている点で、 ま、それはある罠。以前議論した「が」と「は」のハナシに戻っちゃうが、次 のようなコントラストもあるからな。 (1)ジョンはジョンだ。 (2)*ジョンがジョンだ。 ま、ある特殊な文脈を設定すれば(2)もよくなる鴨しれねぇが、(2)は 原則容認不可能な文ではなくあくまで非文法的な文だと思うわ。たぶんこの辺 りは日本語文法プロパーのシトが解説してくれると思ふ。 >心して聴くよーに(つっても、実質、Rainbowの焼き直しw) 心して聴きますたー。ちゅーか「心する」って何だろな?よく考えると ワケワカラン罠。ははははは。で、たしかにアンヤええ罠。つーか、わし的には スペース・トラッキンからウーマン・フロム・トキョーあたりもえかった。 てか、あれだな、顔餅の送ってもらったパープルのdvd、ある意味すんげー 貴重だ罠。つーのも、このdvdはいつもの曲がいつもと違うやり方で演奏 されているからな。かなり凝ったつくりをしていると思う。ちなみに全ての曲 に言えることだが、リッチーはこのステージではかなり実験的 なことをやってるわ。それは、いかにサイドギターぽくリードを弾くかと ゆーか、リードギターぽく聞こえるけどサイドギターぽく聴かせるにはどー したらええかとゆったかなり実験的なことをやっている。いや、マジでこのd vdはいろいろベンキョーになるわ。カッティングのしかたとかミュートの仕方 なんかのええ勉強になるわ。 橋本氏に合掌。
965 :
仇鱒 :2006/07/01(土) 20:23:18
こんばんわ。 やいやい、わりぃな。もしかしてわしスレストッパーしちまった?もしそー ならごめそ。木にせんでじゃんじゃんやって栗。で、ちょいとだけ書 いちゃるが、えっと、上にもあるように、一見するとトートロジカルな命題 のときはどうも「は」が使えそうだ罠。つーのも、「ジョンはジョンだ」は トートロジカルでokだからな。で、ここで木になるのがメタファーだ。前にも書 いたかもしれないが、「時は金なり」とはゆーが「時が金なり」とは言 えないわけだ。同じく、「人生は旅だ」とは言えるが「人生が旅だ」とは言 えないわけだ。でも、メタファーはトートロジーではない罠。 セット・セオレティカルにゆーと、メタファーは2つのセットが同 じじゃない罠。一方、トートロジーの方はセットの大きさは同じだ罠。で、 わしは思うのだが、どーも「は」はセットの大きさやなんやかんやと関係 しているのではないかと。つまりだ、これまたまた仇流だが、「は」の使用は 機能的なアプローチだけじゃなく数学的というか集合論的なアプローチでも 十分逝けるのではないかと。 てか、今日、ガキにねだられておもちゃ屋に逝ってクワガタ@外国産を 買ってきますたよ。ま、きょうび、クワガタやカブトムシがおもちゃ屋に 売っているというのも何だが、おがくずやら木くずやらも金出して買うつー のも何だかなーと思う次第だよ。で、♂と♀を買ったのだよ。そんで、やぱ男と 女は同じ屋根の下がええとおもっていっしょにしたのだよ。そーしたら、 いきなり♂が♀をはがいじめ状態にしちゃって、マジで♀が♂ にくいちぎられそうになったのだよ。で、コリャマズイ、ということで♀ をなんとか♂から放そうと思ったら、♀が♂の足を噛みついてて放 さないのだよ。で、結局、♂の足食いちぎっちゃったのだよ。そんでもってガキ には「仇のヴァカ野郎!」と言われちゃうし、、、。ま、そんなこんなの土曜日 ですたよ。 てなことで、またな〜♪ 電源ぷっちゅ〜ん♪
966 :
陳腐な弔辞 :2006/07/01(土) 21:13:24
金の入っている金庫があって、毎日それを見て喜ぶ人がいた。金庫にたくさん金がある、と。 あるとき中身に触りたくなって金庫を開けると何も入っていなかった。 その人は驚き戸を閉めて、また毎日眺めた。 金が入っていないのに金庫を見て喜ぶ、これは愚かなことだろうか? 人は己という金庫の中に命という金が無いこと、死を知っている。 しかし人は権力、名声を求め栄えて生きていることを喜ぶ。これは金庫を眺めるのと同じことではないか? 世の人は死とは無に帰すこと、虚しくなることだと思っている。 しかし本当の無は己を欺き死を忘れようとすること、生きている今に埋もれてしまうことだ。
陳腐なカブトムシ批判 カブトムシがあまり商店で売られていなかった頃とカブトムシが買えるようになった今、 カブトムシを飼うことは同じである。しかし何かが違う。それは山の体験である。 林で日差しと風を浴びて蚊にさされてカブトムシを捕まえた体験がない。 カブトムシは夏の象徴でありカブトムシを捕まえるのは夏の経験の象徴であるが、 おもちゃ屋でカブトムシを売っている現実はその象徴とは相異なる。 店でヒトデが売られている。父親が子供と手をつなぎ行列を作って買いに来ている。 どうしてヒトデを買うんですかと聞けば 「そりゃーやっぱり夏ですからヒトデぐらい、ねー。うちの子も見たいと言っていますし。」 と答える。さてどう思うか?ヒトデは山にいるカブトムシと同じく浜にいる生物であるが何が違うのか? それはイメージとしてそうすることが当然のものと思われているか否かである。 カブトムシを飼う=夏 という象徴を 夏=カブトムシを買いましょう とすりかえられ金をつかわされている。 体験を伴った象徴から消費を伴う意図的に作り出された象徴へ。今の社会は心が操作される。
>>958 脳内事故?それって脳座礁みたいなもんか?
言葉を失ったということと文法を支える構造が壊れたということは同じなのかな?
言葉を失うにも色々あるしなー。
言語分析の細かさの割には鷹揚な考えであらせられる。ま、ただのチャチャだけど。
>>961 それこそ、なんや〜・・・でおますがな。
> > 1)John is a great man. 2)Everyone respects him. 3)Even John respects him. に関して
It is necessary that I am here now. はacceptableか?
>>963 > >1)John knows that John is John.
> >2)John knows that John is himself.
トートロジーと普段通りの自分でokだとしたら、
1)と2)は同じJohnがJohnであることをJohnが知っているということだが、そのとき、
6つのJohnの内包/外延は異なるか?
>>964 > (2)*ジョンがジョンだ。
他の誰あろうジョンがジョンだ。 は okじゃないかな?
> 心して聴きますたー。ちゅーか「心する」って何だろな?
do the mind だろう。つまり、mind (vt)。
>>965 動物学の勉強したことないな?つがう というのは性別だけじゃ決まらん。
>>966 せめて、みじめな晩年をおくらないように自戒しようではないか。
昔は自分で狩りに出かけて獲物をしとめ、皮をはぎ、血を抜き、肉を食らったもんにゃが 今は手っ取り早く肉屋で買えるようになって便利だにゃ、てのとどー違うにゃw
え、顔文字先生って、そんなことして暮らしてたんですか??
るせー
「ゆ」が抜けてますよ
ま、D.モリスの言っとることにゃが、そーいう狩りの衝動が抑圧されて いることが、現代人をしてさまざまな暴力行為や戦争の代用としてのスポーツ などに走らせるのであろーにゃ 例の東大阪大(東大・阪大ではないw)の事件なんかもいい例にゃが(黒幕は 大阪府立大生とあったにゃ、昔勤務しておったのでガクブル)、先日のW杯なんかも、 どーみてもナショナリズム剥き出しの疑似戦争にゃろ いつもは日の丸なんかに見向きもせん連中が、日の丸振ってニッポン、ニッポン と連呼しとるのを見るにつけ、おまいら、ふだんからその調子でいけ、と言いたく なるにゃ わざわざ愛国心教育なんぞ謳わんでも、そーいうものは日本人全員、つーかすべての 国のシトがしっかり持っているのだにゃ
歯高の猿ってのも怖い気がする
国家の名を借りて私利私欲をむさぼっている輩に限って、愛国心を謳いたがるのは おそらくは、後ろめたさからであろう。昨今は愛国心もいい商売になるようだから。
>昨今は愛国心もいい商売になるようだから 発想の転換で金儲け、という点では、カブトムシ屋とも同じアナの狢であるにゃw
>歯高の猿 15秒考えたにゃw 正高の猿はケータイもっとるにゃが
>>974 > いることが、現代人をしてさまざまな暴力行為や戦争の代用としてのスポーツ
> などに走らせるのであろーにゃ
ローマ帝国時代のコロッセウムにおいてもそーであったから、時代によらず、人は
> 昔は自分で狩りに出かけて獲物をしとめ、皮をはぎ、血を抜き、肉を食らったもん
なのと、ちゃいまっか?
正高氏も歯高氏に改名して、しかる後に、猿であることを自覚すべきかもしれない。 形態を持った猿を書いた猿。
昔とゆーのは、ヒトが草食から肉食に変化した頃、おそらく言語進化とも 無関係でなかった頃のことであるにゃ(遠い目 ま、そーいう頃の遺産を俺等はひきずっているのだとモリスは言うわけにゃ
遠い目って・・・顔文字先生は一体全体何歳でつか?
デーモン小暮と同い年w ま、俺はサッカーなんぞには興味ないのにゃが、それでいうと日本代表と いっておきながら監督がジーコだかピーコだか、そんな外人のチームをよく 応援する気になるにゃ、と感心した次第にゃ どーせなら純血チームで玉砕したほうが、ナンボかましにゃ 格闘技つながりでいうと、人気プロレスラーの小橋健太が腎臓癌だそうだにゃ 若いから進行も早くてたいへんにゃろが、全快祈願!
え、デーモンもそんなに昔からずっと生存しているんですか??そりゃ凄い。 ピーコといえば、愛国心たる言葉も結局は中国の言葉ではないかと。少なくとも部分的には。
Wikipediaで調べたらデーモンは紀元前98038年生まれだそーにゃから、俺のほうが年長さんw とま、この調子で1000狙いも見えすいているので、今夜はこれまで、次スレ立てヨロ
では、最後にデーモンより長生きの先生を寿ぎ: 神さびにける年月の労 −−源氏物語
大切な話があるので、今夜はスレをこのままにしておくように。
そうはいかんざき
全国的に朝である
990 :
仇鱒 :2006/07/02(日) 07:52:52
>全国的に朝である おはよ(ワラ) 日曜だな。なんか1週間すぎるのメチャクチャ早いわ。てか、速いわ。マジで 最近つとに時間という概念というか感覚は相対的であると思うものよ。 >体験を伴った象徴から消費を伴う意図的に作り出された象徴へ。 ま、そんなもんだ。キャバクラもそうだ罠。ま、なんつーか、プロセスよりも 結果だけを金で買う社会だとも言えような。 >脳内事故?それって脳座礁みたいなもんか? てか、上で書いているように、脳梗塞やら脳卒中やらのことだ。ま、外から見 たら(=他人が見たら)脳の中で事故があったとしか思えないからな。ま、 そんなもんだ。深く考えるな。あと、言語を失うウンヌンだが、言語知識が壊 れることと言語処理がうまくいかないことは別個に考えないといかん。猿 ぐつわくわえさせられていたらしゃべれん罠。でも、その猿 ぐつわくわえさせられている人もちゃんとしゃべる能力はあるわけだ。逆に サルに「人ぐつわ」くわえさせてもサルはしゃべれるようにはならんわ。ま、 そんなもんだ。 >do the mind だろう。つまり、mind (vt)。 ん?てか、そもそも「心する」は言えても「心をする」とは言えない罠。 だから、いわゆるフツーの他動詞ー目的語の関係ではなかろうな。
991 :
仇鱒 :2006/07/02(日) 07:53:33
>動物学の勉強したことないな?つがう というのは性別だけじゃ決まらん。 てか、あれだ、昨日のわしの失態から、♀と♂はそもそも違う生き物 であるというのを確認した次第だ。マジで、♂のクワガタと♀のクワガタは 相手を仲間とは認識していないかのごとく戦いはじめたからな。てか、わしに言 わせたらxyとxxの違いはヒジョーに大きく、人間の♂と♀は別の生き物だ。 ネコとイヌぐらい違う生き物だ。ちゅーか、わし流の言い方をすると、xyと xxの違いってチンプとヒトの染色体が2%弱ちがっているのと同 じくらいすごい違いだと思っているわ。 >昔は自分で狩りに出かけて獲物をしとめ、・・・ ま、共産主義体制から資本主義体制に移行した必然だとも言えような。仕事が 分業ならびに分化され、流通という概念が生まれたらそこに人の介在が必然的 に生まれる。そうすると、人を操作する組織が生まれ身分の違いが生まれる。 そーして全てが効率と利潤の<ために>に動き出し社会は資本(=ゼニ)という 幻想を単位にして動き出す。そーやってできたのが資本主義で、この資本主義が 肉屋を存在せしめ、そして肉屋で買い物する客をつくっていると言えような。 ま、そんなこんなで、キャバクラもクワガタ売ってるおもちゃ屋も肉屋もみんな 資本という幻想のたまものだ。ははははは。資本マンセッ!だ。ははははは。 とはゆーものの、わしはアンチ小さな政府論者である。はい。つまり、政府 はある程度大きくあるべきだと思っている。はい。
992 :
仇鱒 :2006/07/02(日) 07:54:12
>昨今は愛国心もいい商売になるようだから。 ま、昔からラブ&ピースは金のなる木なのだよ。だから愛国心なんつーのは長 い目でみたらすんげー金のなる木なのだよ。ま、極東3ヴァカ国家をみりゃ分 かるってもんよ。ちゅーか、近隣3ヴァカ国家には愛国心はなく反日心つーか 嫌日心で日本から金ふんだくってるけどなー。ははははは(←自虐的嗤い)。 つーか、昨日の新聞だったけな、台湾が何から何まで親日でほんと日本に好感 もってくれているのだが、それなのに日本は独自の路線でその愛を受け止 めようとしないしそれができない状況にある。しょーじき情けない。そうかと思 えば、それとは裏腹に、クゥン國は明日から竹島周辺で調査するんだってよ。 日本には事前に連絡なしでよ。ったく、何考えてるんだか、、、。そして、こー ゆー国のくだらん番組を垂れ流すnhサヨkもしょーもないわ。ったく、、、。 ま、このスレもあともうちょっとで終わりだ。たまにはこーゆーことも書 かせろや。ははははは。 >昔とゆーのは、ヒトが草食から肉食に変化した頃、おそらく言語進化とも ・・・ 肉とゆー高タンパク質を大量に摂取したから脳が肥大化し、それゆえ言語が 脳内で発生したのか、あるいは、脳内に言語が突然変異したから脳 がそれにともない巨大化し、それで高タンパクの肉を狩猟でもってゲット できるようになれたのか、、、。ま、結果と原因がごちゃ混ぜ状態だと思うが、 このあたりは頭蓋骨の化石をどんなに見ても決着つかないだろうなー。 てなことだが、そろそろ誰か器用な香具師、次スレ立てとけYO! そんで立 てたらアドレスココに貼り付けろYO!総合掲示板でいちいち探 すのまんどくせぇからYO!頼むぜ、ゴルァ〜♪
さーて、今回は、孤蛆氏か愉蛆氏か、どっちかが立てそうだが・・・
お、乙〜
Hi, folks, are you ready for 1000?
No one knows who we are, but we are one !
地球は一つ、かけがえのない私たちの舟。
そして、誰もいなくなった。
1001 :
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