共通語で「バスが来ている」は@今,バスが向かっている(継続) Aもう既にバスが到着している(完了) と2種類の用法を 表すが博多弁では@の用法は「バスが来よう」Aの用法は「バス が来とう」と2種類別の表現で表せる!スゴイ!
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/07 20:22
333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333
せいぜい50レス
日本語アスペクトスレはここですか
進行形の「〜よる」、完了形の「〜とる」 の区別は、関西を除く西日本一帯にあります。 −−−−−−−おわり−−−−−−−
6 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/09 16:55
紀州弁では、「バスが来やる」(継続)「バスが来たある」(完了)
7 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/09 17:12
>>1 ワシの実家あたりでは
@の用法なら「バスが来よる」
Aの用法なら「バスが来ちょる」と言う。
・・・スゴイか? ・・・いや、別に。
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/09 17:17
@バスが向かっている。 Aバスが停まっている。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/09 21:43
ま た 博 多 弁 ス レ か ど う せ こ こ も 3 日 で 終 わ り だ
>>9 もう終わってんだからいちいちageんなタコ
>>10 おめーーー
暇なやつやのう。ゲラゲラ
( ´,_ゝ`) プッ
博多ラーメンって何で紅しょうが入ってるん?
イヤ素晴らしい! 目から鱗です >1
>>5 京都人だが、「〜しよる」「〜しとる」
どちらも使いますよ?
16 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/10 00:38
バスが亀頭
バスの来んしゃー
>>13 一○亭の博多豚骨ラーメンには紅しょうがは入っておりまっせん。よかですか北九の方。
>>15 京都市内の方ですか?
「〜しよる」はニュートラルな進行形ではなく
「〜してやがるよ」みたいに見下げたニュアンスがありませんか?
大阪ではこういうニュアンスが伴う、と聞いたことがありますが。
(他地域の「〜よる」は、「ニュートラル&見下げたニュアンスはない」ので、
一緒にはまとめませんでした)
20 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/10 20:17
>>19 市内ではないですが、、、
見下げ感は少し含まれますかね。親しい仲という意味でも使用しますが。
それ以外の人間に対しては「〜しはる」「〜してはる」になるかな。
21 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 22:26
age
>21 くそすれあげるなバカ
23 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/12 00:42
24 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/15 19:17
25 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/15 19:19
標準語に「現在完了」用法が無い事が問題だ
あげ
問題なのは進行計がないこと。 「さっき注文したチャーハンは?」 「いま、作ってるよ!」 てるが進行形をあらわすなら 「今死んでる」はまさに死のうとしてるときを表さなくてはいけない。 英語でもDying hourはいまわの時をさすし
>>15 関西は使うのが当然。古語にだってある。
竹取物語
「えとどむまじければ、たださしあおぎて泣きをり」
正しくは「居る(をる)」だが
29 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/04/26 09:40
もしかしてこれは 「いる」と「おる」の使い分けではないのか?
↑理解できてない関東人発見
↑それはまた違う
壊れてる=壊れて、在る、壊れたままのこっている 壊れをる=今まさにプレス機などでこわされてる 壊れつつある=壊れる過程の段階でそれを形容してる、もしくは壊れる予定を言っている
まあ結局古語の時制にはほどとおい。 古語の時制の復活をねがう
37 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/22 10:17
関西はてる系の「とる」に全部とってかわろうとしてるけど、 九州はそうでもないのか?
38 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/22 11:11
>5 「関西」の範囲が問題。いわゆる「関西弁」とは異なる北近畿でもこの表現は 使われる。あと、関西なまりが強いが、山陽と連なる播州、南丹あたりでも使われるらしい。
39 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/22 11:16
>>37 九州では
>>1 も書いているように、両者は全く意味が違います。
場合によっては正反対の意味に使われることもあるくらいなので、どちらかに取って代わることはありえません。
■例
昼に会う約束をした友人が、わけあって大幅に遅れて来ることになった、と携帯で連絡してきた。
その友人に、もう昼飯を済ませたのか、と尋ねた場合、
「昼飯?もう食いよーよ」と返事が返れば、いま食べている最中であり、
この場合なら、いったん中断してもらって、会ってから続きを一緒に食べることも可能だが、
「昼飯?もう食っとーよ」だと、既に食べ終わっていることになり、もう手遅れ。
時計が「回りよう」とかつかう? 「寝よう」「寝とう」の区別とかつけてる?
>>43 もちろんですとも!
なんだか分かってくれる人がいるのってほっとするw
こういう区別するのは西日本人だけだってこと、博多を出て初めて知ったから。
東日本の人間にはなかなか理解してもらえないんですよね。
「時計がぐるぐる回っとう」や「もう3時を回りよう」が不自然な言い方だってことが。
「寝よう」「寝とう」の区別の例 友人とふたりで映画を見に行ったとき ■気がつくと友人がうつらうつらとしていたので、脇腹を小突くなどして、ねむらせないようにしていた →映画が終わり、館内が明るくなってから一言「寝よったろう?」 ■気がつくと友人が熟睡していて、脇腹を小突いても起きず、放置していたらやがて自分で起きていた →映画が終わり、館内が明るくなってから一言「寝とったろう?」
46 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/23 21:06
>42と>45の違いだが、>42の前段が現在進行形で後段が現在完了形、>45の前段が 過去未来形で後段が過去進行形だが、実は日本語には本来、印欧語のようにはっきりとした 時制はない。というか学校教育では教えない。だから、「ありがとうございました」 と「ありがとうございます」のようなもので、大差はない。
>>46 過去未来形ってなんですか?
英語にもCan-Couldなどでありがとうございます-ありがとうございました。
のような現象があるわけで、どっちもどっち。
日本語にだってはっきりした時制はあるでしょ。
私はあしたご飯を食べました。とか、昨日ご飯を食べます。って言えない。
テンス以外にも、西日本語と東日本語での際立った違いはあるの?
49 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/23 23:30
だからこれは時制(テンス)じゃなくて相(アスペクト)だって。 播磨以西の西日本の方言では当たり前だし、 朝鮮語にも全く同じアスペクト区別があるが、 ラテン語や英語や仏語などにはこれに対応するものはない。 従ってスレタイは間違いw
>>49 言ってることがよくわからんのだが、
現在完了って言うのは現在時制完了相なんだから、
英語仏語ラテン語にも播磨以西の日本語にも時制、相ともに有るんじゃないの?
播磨以西の日本語では
とる系列(ちょる、とー、ちょーを含む)は完了相を表す。
よる系列(よーを含む)は進行相を表す。
「た」は過去時制を表す。
大阪以東の日本語では完了と進行相はの区別は中和して、てる系列で表す。
Be-過去分詞は完了相を表す。
Be-現在分詞は進行相を表す。
過去時制変化(-ed等)は過去時制を表す。
どうちがうんだ?
51 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 00:32
「た」は過去時制を表すって簡単におっしゃいますけど、 日本語に印欧語のようなテンスはないと思いますよ。 「めしを食った」。これは過去時制ですか? だったら、「めしが冷めるぞ、さぁ、食った、食った、」 これも過去時制ですか? そもそも、日本語にテンスがあるとは思えませんが。
「た」には過去時制としての用法とそれ以外の用法がある。ってことでいいんじゃない? Could you call me tomorrow? という用法が有るからといって、 英語にテンスがあるとは思えませんがっていうことにはならないでしょ
53 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 00:52
Can you call me tomorrow? 現在時制 Could you call me tomorrow? 接続法過去形(現在時制)
54 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 00:58
>>50 日本語西国方言も英語もそんなにくっきり分かれられないよ。
両者それぞれの語法の守備範囲が全然違うよ?
英語の現在完了はアスペクトと言い切れないし、
(過去時制のテンスと密接な関係がある)
日本語の「た」はテンスと言い切れない。
(もともと完了アスペクトをあらわす「たり」の子孫)
>>52 のような接続法(仮定法)の特殊な例とは全然違う一般的レベルで相違する。
しかもラテン語やフランス語などでは、
完了の対は未完了で継続ではない。
しかも両者やはり過去テンスと密接な関係がある。
ドイツ語では英語と同源の「現在完了」が「過去」を乗っ取ってしまった。
明らかにスレタイはおかしいだろ?
「現在完了」という言い方は普通は英文法のものだから。
55 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 01:16
>>51 結局日本語にテンスはないんだよね。
「た」が過去を表すのは完了を表現しているだけなんだよね。
だから、「食った、食った」というのは、
食い終われということなんだよね。
「食え」だと食い始めろって感じだけど、
「食った、食った」だと食い終われって感じで完了のニュアンスがあるね。
56 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 06:42
>>1 関東語(以下標準語)の日常会話では、バスがこっちに向かってくる
ことを言うときに、「来ている」は滅多に使わないよ。
「あ、バス来るよ」か、
「あ、バス来たよ」のどっちかだ。
それに、そもそも現在完了は標準語でも立派にありますよ。
「バスが来てる」(バスが着いていて、発車を待ってる状態)
「テレビ、終わってる」(テレビの放送時間が終了)
「彼には一度会っている」(一度会ったことがある)
とか。
「彼には一度会っている 「食った、食った」 こういうのを例にだすから時制がないってこと? こういう言葉あるの東京言葉を基礎にした標準語だろ。 「日本語」には時制はある
58 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 12:37
テンスとアスペクトの違いを理解しとらん人がいるなぁ
60 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 14:54
テンスとは、出来事の外的時間の文法的分類のこと。 出来事が発話者からみて過去か現在か未来か。 アスペクトとは、出来事の内的時間の文法的分類のこと。 出来事が発話者からみて開始とか継続中とか完了とか結果とか。
61 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 16:06
昨日の昼までに、 @「彼はやり終えているだろう。」過去? 今頃、 A「彼はやり終えているだろう。」現在? 明日の昼には、 B「彼はやり終えているだろう。」未来? 英語だと、 @He 「might」 have done it 過去です AHe 「may」 have done it 現在です BHe 「will」 have done it 未来です 結論:日本語にはテンスがない。
テンスって未来時制のこと? 英語には未来時制がないってよくきくけど、どういう意味?
やり終えよろう だと 現在でもないな。ごく近い未来か
64 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 16:38
>>62 テンスというのは時制のこと。通常は過去時制・現在時制・未来時制の三つと考える。
未来時制がない。それをいう英語の先生は多いね。その理解が僕も正しいと思う。
willは現在形で日本語の古語の「む」のようなものと理解する感じかな。
テンスというのはその出来事が過去か現在か未来かを文法的に決めることと考えて下さいな。
そして、英語なんかでは文章を書くと必ず時制を決定しなきゃいけない。
というか、文法的に時制のない文章を書けない。(命令形の原形を時制が決定されてないと考える人もいるけどね。)
簡単に言うと、主節の動詞か助動詞が過去形なら過去時制、
現在形なら現在時制、will shall なら未来時制というのが一般的だけど、
will shall は現在形だよね?
そしてwill shall は発話者が現在思っている推測なんかを述べているだけだから、
これを現在時制と考えることもできるし、そう考えれば、
助動詞がある文章なら助動詞が過去形なら過去時制、
現在形なら現在時制で助動詞がなければ動詞が過去形なら過去時制、現在形なら現在時制と判断すればいい。
彼はやり終えただろう 彼はやり終えてるだろう 彼はやり終えるだろう だろうは時制じゃなくて推量で。英語も同じ でいい?
66 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 16:55
テンスというのは、
それが過去に起こったのか、現在に起こったのか、未来に起こったのか。
対象がいつ起こったんだ?という問題。
アスペクトというのは、
それがはじまるとこなのか、はじまっているとこなのか、続いているのか、終わったとこなのか、
といった対象がどの時点なんだ?という問題。
日本語ではこのアスペクトの完了したことが過去をしばしば意味するけど、
それは完了したから過去を意味するだけで過去という時制を決定する力はない。
英語で主節に過去形を使えば過去時制と決定されるけど、
日本語にはそのような決定力のある文法はない。
彼はやり終えた→完了であって過去を決定しない
彼はやり終えてる→終えるの継続であって現在を決定しない
彼はやり終える→単なる終始形で未来を決定しない
>>65 だろうは推量です。
推量の「む」→音便で「う」に。
ある+う=あらう→あろう
で+あろう=だろう
テンスとかアスペクトとか、 英語の文法用語で日本語の説明するからわからん。 未然、連用、終始、連体、仮定、命令とか、 日本語に文法用語を使って説明してくれ。
うtまり古語の「ぬ」と方言の「よう」をいれればかんぺきなんじゃないの? 今しがたの完了には「ぬ」をつかって、 進行形には「よう」をつかえば。 >彼はやり終えてる→終えるの継続であって現在を決定しない これがこのスレでいわれてることだとおもう。つまりこれらを分ければ完璧?
I could be〜が未来的推量になるのはおかしいの?
>>66 >それが過去に起こったのか、現在に起こったのか、未来に起こったのか
定義次第ではあるけど、なんかtenseとtimeを混同してる悪寒。
時制は現在でも表す時間は未来や過去であり得るし。
I am going to see you tomorrow. = present tense, future time
みたいに。
日本語の場合、過去時制・未来時間ってのがよくあるでつ。
「そーいや、明日は休日だった。」「来年は平成25年だったか?」
>>1 「バスが来よう is coming」、「バスが来とう has come」は現在時制だけど、
過去にするとどーなりまつか?
「来よった was coming」、「来とった had come」でいい?
>>72 >>66 はわかりやすく説明しようとしただけで、何時起こったのかというのは関係ないよ。
歴史的現在なんて用法もある。
Now Napoleon leads his army across the Alps
これは過去に起こったことだけど現在時制。
時制は日本語にはない。
完了のアスペクトが過去を往々にして表すけど、
それは過去時制じゃない
今、ナポレオンはオルプスにおいて、軍をすすめる。 とか、これは現在時制じゃないの?時制がないってことは現在もないってことだよね
>>74 まず訳し直すとacross the alps アルプスを越えてだね。
時制がないってことは現在がないってことの文章の意味は日本語についてだろうけど、
意味がよくわからん。
時制がないってのは現在や過去を表せないってことじゃない。
逆に、現在や過去を表現できるから時制があると考えるのも間違い。
Did you ever seen a gikoneko ?
Have you ever seen a gikoneko ?
上記二つの英文を日本語に訳すと両方とも、
貴方はいままでにギコ猫をみたことがありますか?になる。
これがテンスもアスペクトもある言語とアスペクトだけの言語の違い。
Did you Everってどういう意味?
77 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 17:54
>>72 きとうは has beenだとおもうぞ
英語では説明できんけど、来よったは、過去に来ようとする状態があった、もしくは来る習慣があったとか。
転びよったとかは、転びそうになって、実際は転んでないとか、じゃないかな?
>Did you ever seen a gikoneko ? >Have you ever seen a gikoneko ? >上記二つの英文を日本語に訳すと両方とも、 >貴方はいままでにギコ猫をみたことがありますか?になる。 >これがテンスもアスペクトもある言語とアスペクトだけの言語の違い。 > これをもっとせつめいしてくれ
仮定にはそもそも時制はいらないらしいから、 「もし、明日彼が来たら」とかを例にだすのはおかしいんでは?
>「食った食った」 >「そーいや、明日は休日だった。」「来年は平成25年だったか?」 食った食ったは過去系とは別用法で、「早く食い終われ」って捕らえるのも間違いだろう。 明日は休日だった、などは、明日のことは明日だが、休日である」という予定は過去のものだからでは? たとえば連体形にしてみたとして、「咲いた花」という言葉の「咲いた」は過去以外に意味がとおる? これが「咲く花」みたいに時制的誤用があったとしても過去としてはとおらないとは居えないとおもう
82 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 18:40
>>79 @Did you ever seen a gikoneko ?
AHave you ever seen a gikoneko ?
@過去時制で過去にあなたは見たか?
A現在時制で現在のあなたは見ることを完了なり経験しているか?
時系列の線で感覚的に
@ーーーーーー見た(過去)−−−−−−ーーーーー(現在)?
Aーーーーーーーーーーーーーーーーー見ること完了(現在)?
日本語では時制がないからこの感覚はわからん。
ネィティブ並みになるしかないな。
83 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 18:47
>>80 時制というのは、主節の助動詞・動詞で決まる。
仮定の文章に時制がいらないのは(仮定の文章の動詞が現在形であるか過去形であるかによって時制が決定しない)、
それが副詞節の従節だからである。
見たか(見てるか)と 見たことあるか の違いでは?
日本語には時制がない、と主張している人の考え方がイマイチ飲み込めないでつなー。
>>61 などは、時制の区別を形態論的に顕在化していない、というだけであって
時制自体がない、ということの議論にはならないと思いまつが?
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 18:58
>>84 そういう感じだな。
@今日動物園に行ったとする。発話者の感覚で今日は現在だとする。こんな質問がされる。
Do you see a gikoneko ?
Aギコ猫の話題をしてるそこでギコ猫みたことあるかとなる。
Did you see a gikoneko ?
Bアメリカ人はギコ猫に見る機会なんかないだろうなと思いつつ質問すると。
Have you ever seen a gikoneko ?
87 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 19:02
>>85 機能論的に時制を日本語で区別することは可能でも、
それが日本語に時制があるとは言えない。
機能論的に言葉を尽くして日本語を組み立てたら、
定冠詞と不定冠詞の違いにニュアンスを日本語で表現できても、
それは日本語に定冠詞・不定冠詞の区別があるとは言えないでしょ?
日本語に時制はないのかとかんがえていると、 「彼はいたか?」→「いない」みたいに過去形に現在をあわすのとかそういうのかなと思った。 そういうのなら納得できる。印欧語にはそれに対応があるとかなら。 でも、「こういう例があるから日本語には時制がない」とか言うのは あたかもそれを全部クリアしたら時制ができるみたいに聞こえて、 それならそもそもアスペクトでもないじゃんって かんじになる
Didは疑問用法のみだよね。通常文にしたらどうなるの?
90 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 19:06
>>88 いい指摘。
例を出してるとそれが時制の有無の条件のようにとらえられても仕方ないな。
例示は説明しようとしてるだけですから。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 19:09
>>89 I saw a gikoneko
助動詞がない時制は動詞が担当します。
I did see a gikoneko
でもいい。別に疑問文じゃなくても使う。
意味は
俺はギコ猫を見たんだ(信じてくれ、うそじゃない!)って感じかな。
強調する意味になる
>>87 むしろそのとおりで、概念としての定・不定の区別の有無とそれを担う文法範疇としての冠詞の有無は
別問題でつね。だからこそ、時制の概念があるかどうかも、それを担う文法範疇の有無とは区別しないと
いけないわけでつよ。で、時制の概念自体はあるけども、文法範疇としてはない、という立場ってことで
でいいのかな?
また
>>88 にもあるように、日本語では時制の一致・呼応が見られないでつが、それも時制自体がないと
いうことを意味してはおらず、むしろあるからこそ、それが一致する・しないと言えるのでつ。
まあ上でも言ったようにこれは定義の問題でもあるから、違う定義を衝突させていても生産的ではないでつな。
94 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 20:21
>>93 意見は一致ですね。
>>時制の概念自体はあるけども、文法範疇としてはない、という立場ってことで でいいのかな?
いいです。ただ、文法的に時制がない日本語で、
特に完了のアスペクトが過去の概念を担ってるのを受けてこれを過去形みたいに捉えてはいけないし、
形態から時制を論じるのは日本語のいじり方からしておかしいと思うんです。
結局、アスペクトかなんかしらんが 墓多弁には進行形と、継続の意味にわけられていて便利ってことでいいのかい!?(なかやまきんにくん風に)
96 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 20:37
博多弁のニュアンスがわからんのでなんともいえん。 町BBSで博多弁がわかるもん同士で議論して。
アスペクトって、「ぞ」とか「やで」「だよ」みたいなのじゃないの?
99 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 22:16
福岡出身の彼氏が「〜しよる」と「〜しとる」は一緒だと ぬかしやがったんですが、福岡県民失格ってことでいいですか? 私は日本語学をやってる手前、このことを分かってて聞いてみたんですが。。。 一緒だって言われた_| ̄|○
はえる」みたいな動詞は言葉の性質上、 「はえよう」は「はえつつある」みたいなニュアンスでいいんですよね? 生える動作の進行だから。それがどんどん意味が変化していって 「ねよう」が「ねつつある」みたいにならんか心配だ
もう具体例が散々ガイシュツだが 「墓多弁には」というスレタイが不適切だな。 神戸より西の西日本の方言では当たり前だ。 しかも訛りの酷い墓多弁で典型例を挙げるのもイクナイ。 より共通語に近い中国地方の方言から考えれば 「連用形+よる(継続アスペクト)」「連用形+て おる(完了アスペクト)」 各種方言形はこの基本形の訛った形だ。 このように書くだけで随分分かりやすくなる。
いや、連用形+をる(進行アスペクト でいいや。古語にしたがうべし
連用形+たる(継続アスペクト
「よる」って継続か? アフォが無茶しよる。 全然継続じゃないぞ。 アフォが無茶しとる。 こっちは継続してる感じで全然完了してないぞ。
105 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 23:00
うんそうだね。 「〜た」も、「〜つ」にしてしまえ。すれば古語に近づく 「〜してしまった」も「〜ぬ」にかえてしまえ
108 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 23:05
ちがう
おそらく104は大阪人。 よるは侮蔑的というかあきれて突き放すような意味で大阪では使う。 「あいつ時速180キロで3時間東京まで車走らしたそうやで」 「無茶しよるなぁ〜」
大阪は「しよん」です
>>110 だろーねぇ
大阪でそう言う意味ってのは分かってるんだが(うちの方言でもそうだし)
このスレタイ読めるんならこんなこと書き込まないだろう、と思って。
んじゃ釣り?とか思ってさ。
あ、飛行機が飛びよる。 今日はよう小便が出よる。 ばだ飯ば食いよる。 全部継続だよなあ。
大阪人だけど、確かに大阪じゃ「よる」に継続のニュアンスは皆無だからな。 博多とかじゃ「よる」で継続を感じるんだろうけど、 「よる」で継続、継続ってカキコされてると不思議な感覚になるな。
115 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/26 00:19
「よる」は、少なくとも姫路では継続。 神戸でも継続やとおもう。阪神地区は微妙やけど 大阪人が使う「よる」の意味は、狭い範囲でしか使われていない。 神戸以西の西日本では継続かもな。神戸付近が境界線。
摂津と播磨かな、旧国名でいうと。 明石と須磨が境界線かも。
「とる」は結果の継続であって完了ではないでしょ。 来とる=来た、そして(その状態のまま)在る(をる) 「よる」は継続ではなく、いまその状態を進行している だと思う
脱いどる→脱いだ状態でいる 死んどる→死んだ上体でいる=死んでる つくっとる→作った状態(作ったものが出来たまま)ある=作ってる 脱ぎよる→今脱いでる 死による→しのうとしてる つくりよる→いま作ってる最中 この違いがなく、今、作っている(本来結果をあらわす) みたいなのを例に出して、時制がないっていってるページがあったから それはちがうんじゃないかと
作ってあるみたいなものが、作ってるの進行形に対する、結果継続のアスペクトなら 死んである。縫いであるみたいに言い換える必要があるとおもう
>>93 > 概念としての定・不定の区別の有無とそれを担う文法範疇としての冠詞の有無は
> 別問題でつね。
冠詞でなくてもいいが、定・不定の区別が形でわかるような現象が見られないなら、その言語には定・不定の概念はない。
> 時制の概念自体はあるけども、文法範疇としてはない
時制とは文法範疇の一つだから、文法範疇としてなければ、当然時制の概念はない。
>>94 > 形態から時制を論じるのは日本語のいじり方からしておかしいと思うんです。
形態から論じないからこそ、おかしなことになるのだ。
「*あしたはもうアメリカに着いただろう」
「*きのうの朝の時点では、午後に客が来る」
日本語がテンスのない言語なら、上のような言い方ができるはずだが、実際にはできない。
したがって、日本語はテンスを持つ言語であり、テンスを持たない中国語、タイ語、マレー語などとは異なる。
121 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/26 02:01
>>120 日本語のテンスは過去と非過去の2つでしたっけ?
123 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/26 02:09
>>118 岡山の場合進行形は
脱ぎよる→脱ぎょうる
死による→死にょうる
つくりよる→つくりょうる
って言う人がおいーです。
>>120 で、あなたの見解としては日本語に定・不定の概念はあるでつか、ないでつか。
>時制とは文法範疇の一つだから
という定義自体が共有されてなかったので、双方の議論が噛み合わなかったといったまででつよ。
>>124 > あなたの見解としては日本語に定・不定の概念はあるでつか、ないでつか。
ないと思う。
昔、ある村(a village)に、おじいさんが(an old man)いました。 おじいさんは(the old man)、その村(the village)ではみんなの嫌われものでした。 「山田太郎という香具師」(a Yamada Taro / a guy called Yamada Taro) >冠詞でなくてもいいが、定・不定の区別が形でわかるような現象 ならあるのではないでつか?
けり、けるをつかって主観的過去「た」と分けての「客観的過去」があればもっと便利
>>126 > 昔、ある村(a village)に、おじいさんが(an old man)いました。
> おじいさんは(the old man)、その村(the village)ではみんなの嫌われものでした。
おじいさんが (the old man) 道を歩いていると、村 (the village) のみんなは目をそらしました。
おじいさんは、よそにも村 (a village) はある、ここを出よう、と思い立ちました。
> 「山田太郎という香具師」(a Yamada Taro / a guy called Yamada Taro)
山田太郎は (YAMADA Taro) 私の知人だ。
この学校の生徒に、山田太郎は (<only> one YAMADA Taro) 一人しかいない。
> >冠詞でなくてもいいが、定・不定の区別が形でわかるような現象
> ならあるのではないでつか?
定・不定と無関係ではないが、定・不定の区別とはいえない。
親切な人じゃなくて、形態から論じるなと言われた奴ですが、レスさせてもらいますが、
>>128 >定・不定の区別とはいえない。
定・不定の区別とはいえないのなら、なぜ
>よそにも村 (a village) はある、
で、よその村を(a village)と不定にされたのですか?
形態からですか?
よそにも村はあるというところからここは不定だなと判断できるはけですよね?
これが川の向こうにも村はあるだとどうなりますか?
おじいさんの頭のなかでは特定の村を想像しているような感じもしますが、
川の向こうにも複数の村があるのかも知れない。
こういう言い回しができると言うことは定・不定を決定していなくても文章を作れるということですよね?
だから私は日本語には定・不定がないと言えると思います。
しかし、おじいさんが特定の村を想像してしゃべっていることをいいたければ、
あの村があると言えばいいので、定・不定は区別できますよね?
それを以て日本語に定・不定があるというのはおかしいですよね?
これと同じロジックで、日本語に時制はないと私は言っているのです。
>>128 >定・不定と無関係ではないが、定・不定の区別とはいえない
どういう違いなのかよく分からんかったでつが、この表現が使われれば必ず定だ、不定だ、と言えるような
形式と意味の一対一対応がないと、「定・不定の区別」とは言えない、という立場なんでつか?
それならいちおう了解でつ(胴衣はしませんでつが)
>>129 そんなわけで「親切な人」としては、日本語でも定・不定の別に応じて表現が使い分けられる「場合がある」、
したがって日本語にも定・不定の区別はある、という見方をしているのでつ(胴衣はしてもらわなくていいでつが)
>>129 > 形態から論じるなと言われた奴ですが
少なくとも
>>120 はそんなこと言ってない。全く逆だ。よく読めよ。
> 定・不定の区別とはいえないのなら、なぜ
> >よそにも村 (a village) はある、
> で、よその村を(a village)と不定にされたのですか?
英語に訳したとき不定になるだろうと思ったから。おれの英語はあやしいから間違ってるかもしれん。
"There must be another village where I should live." ぐらいかな。いずれにしても不定相当だろう。
> それを以て日本語に定・不定があるというのはおかしいですよね?
> これと同じロジックで、日本語に時制はないと私は言っているのです。
「おじいさんが」 「村」 「山田太郎は」という一つの形が、英語の定と不定のどちらにも相当することがある。排他性がない。
「*きのう来る」 「*あした来た」はおかしく、「きのう来た」 「あした来る」と言わなければならない。タの付く形と付かない形には排他性がある。英語とは関係ない。
全く違うロジックで、日本語には時制がある。
>>130 > この表現が使われれば必ず定だ、不定だ、と言えるような
> 形式と意味の一対一対応がないと、「定・不定の区別」とは言えない、という立場なんでつか?
> それならいちおう了解でつ(胴衣はしませんでつが)
何事にも例外は付きものだが、原則は一対一対応でないと、形態的対立があるとはいえない。
それが言語学の立場だ。
> そんなわけで「親切な人」としては、日本語でも定・不定の別に応じて表現が使い分けられる「場合がある」、
> したがって日本語にも定・不定の区別はある、という見方をしているのでつ(胴衣はしてもらわなくていいでつが)
「彼女」と言うから性 (gender) の区別もある、「おれたち」と言うから数 (number) の区別もあるのか。キリがないね w
ここで「区別」とは形態的区別のことだ、と定義するのであればそのとおりなんでつが、他方で、形態論分析に 限ってもゼロ形態素を認める立場もあるでしょう。 表に現れることだけ見ていたのでは捉えられない一般性・法則性を見つけるために、あえて「見えない」要素の 存在をたてることも時には必要なわけでつ。 たとえば自動詞・他動詞が同じ形態だからといって、英語に自他交替がない、とは言えないように、 日本語の名詞が単・復同形だからといって、数の区別がない、とも言えないわけでつ。 まず「区別」があるかどうか、それから、区別があったとしてそれが形態的にどう反映されるのか、と問題を 分けて見たいところでつ。 ちなみに「俺たち」は「俺+その他」ということで、「俺」の複数形ではないでつね。
復→複
>>132 > 形態論分析に限ってもゼロ形態素を認める立場もあるでしょう。
ゼロ形態素は、「何もない」ことによって自己主張している。すなわち、ゼロか、それとも何かがあるかで形態的に対立している。
> 自動詞・他動詞が同じ形態だからといって、英語に自他交替がない、とは言えないように
句の中に置いてみれば、目的語をとるかとらないかという形態的対立がすぐにわかる。
> 日本語の名詞が単・複同形だからといって、数の区別がない、とも言えないわけでつ。
ない。たとえば、名詞の数に応じて修飾する形容詞が変化したりはしない。
> まず「区別」があるかどうか
形態に拠らない「区別」は、他言語に訳すなどしなければ問題にならない。つまり、当該言語自体には存在しない。
> ちなみに「俺たち」は「俺+その他」ということで、「俺」の複数形ではないでつね。
なるほど。では「諸事情」なんてのはどうだ。
>>131 >全く違うロジックで、日本語には時制がある
ここですね。
アスペクトがテンスの働きをしているのをテンスがあるとおしゃるのであれば、
それは納得できますが、
それを以てしてテンスがあるとは言えないと思います。
テンスを決定されていない文章が日本語にはありますよね。
「中学の時に勉強していてよかった。」
この文章からすれば、勉強しておいていまが良い状態にあるのか、
中学の時が良い状態にあったのか判断できませんよね?
だから日本語にはテンスがないというのが僕のロジックです。
>「*きのう来る」 「*あした来た」はおかしく、「きのう来た」 「あした来る」と言わなければならない。タの付く形と付かない形には排他性がある。 これらは、アスペクトによるものじゃないですか?
>ゼロか、それとも何かがあるかで形態的に対立 いや、「何かがある」というオプションがその言語にはないわけでつが? >目的語をとるかとらないかという形態的対立 それは動詞の選択なり下位範疇化の違いであって、動詞自体の形態的対立とは言わないでしょう。 ま、むしろ形態的対立がなくても区別はある、というのが当方の見方でつから、別に構わないのでつが、 たとえば「皆殺し」と結びつく目的語は複数名詞でなくてはならないから (*一人の敵兵を皆殺しにする vs 十人の〜)、 「敵兵を皆殺しにする」という時の「敵兵」も複数名詞である、ということも言えると思いまつよ。 同様に「集合する」の主語は複数限定でつ。「学生が集合した」の「学生」は複数でつね。 単複同形、つまり形態的区別がないだけなのであって、単複の区別自体がないということではない、 ということでつが。 いちおー、134さんの立場も理解した上で当方はそれとは違う見方をしているということなので、 水掛け論を避ける意味でも、この先、発言を控えまつでつ。135さんにバトンタッチw
> 形態から論じるなと言われた奴ですが
少なくとも
>>120 はそんなこと言ってない。
はい、ボケてました。
訂正 形態から論じるなと言っていた奴ですが。
なにをバトンタッチされたのかわからんがw それから、みなさんロムってる人のなかには言語学興味持ち始めの方もいると思いますので、 できるだけ例文とか誰にでもはわかる言葉でやりましょうよ。
140 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/27 10:32
>>135 > アスペクトがテンスの働きをしているのをテンスがあるとおしゃるのであれば、
> それは納得できますが、
> それを以てしてテンスがあるとは言えないと思います。
タと非タの対立はアスペクトではない。
>>120 既出。
> 「中学の時に勉強していてよかった。」
> この文章からすれば、勉強しておいていまが良い状態にあるのか、
> 中学の時が良い状態にあったのか判断できませんよね?
> だから日本語にはテンスがないというのが僕のロジックです。
「良い」という評価を行うのが現在であっても、評価の対象となる事柄が過去のことであれば、タをとるのが日本語の規則。一貫している。
>>136 > >「*きのう来る」 「*あした来た」はおかしく、「きのう来た」 「あした来る」と言わなければならない。タの付く形と付かない形には排他性がある。
> これらは、アスペクトによるものじゃないですか?
それなら、
>>120 「*あしたはもうアメリカに着いただろう」 「*きのうの朝の時点では、午後に客が来る」が言えるはずだ。
>>137 > いや、「何かがある」というオプションがその言語にはないわけでつが?
それなら、形態論的にゼロ形態素は認められない。
> >目的語をとるかとらないかという形態的対立
> それは動詞の選択なり下位範疇化の違いであって、動詞自体の形態的対立とは言わないでしょう。
確かに、そういう意味での形態的対立、「自他交替」は英語にはない。動詞だけ眺めていても何もわからない。
> 単複同形、つまり形態的区別がないだけなのであって、単複の区別自体がないということではない
形態的区別がないなら、その「区別」は言語学では扱いようがない。
> 水掛け論を避ける意味でも
「水掛け論」ではなくて、言語学の立場か、それとは違う立場かの問題だ。
I use my car quite often とかは現在になってたらおかしいのか? 現在つかうわけではない。
「中学の時に勉強していてよかった。」 この文章からすれば、勉強しておいていまが良い状態にあるのか、 中学の時が良い状態にあったのか 中学の時に勉強してたのが「よかった(たすかった)」 です
博多弁と関係のない議論は別スレ立ててそこでやってくれんか?
140はリアル厨か。相当歪んだ言語学を習ってるようだね。 >形態的区別がないなら、その「区別」は言語学では扱いようがない 同音異義語も扱えないような言語学ごっこははやめたほうがよろしい。
149 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/27 23:17
移動しろと、うざがられてたんだ。 _| ̄|○
>>144 > 同音異義語も扱えないような言語学ごっこははやめたほうがよろしい。
完全に同音で、歴史上もずっと同音だったと考えられる、意味の違う二つの名詞が、別の語なのか、同じ語の異なる用法なのかは、だれにもわからない。常識で適当に決めているだけ。
君の辞書には、
・敵兵@: 一人の敵の兵士。 敵兵A: 二人以上の敵の兵士。
・学生@: 一人の、学校で勉強する人。 学生A: 二人以上の、学校で勉強する人。
と書くわけだな w
152 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/28 20:19
なんかスレ違いってことで議論が強制終了させられたみたいだけど、 関連のある話題にいろいろ飛び火していくのも学術板のおもしろいとこじゃないかな。
>>152 火が飛べば火事になる。
ルールあっての2ちゃんねる。
>>141 > I use my car quite often とかは現在になってたらおかしいのか?
> 現在つかうわけではない。
発話時現在ではないが、発話時を含む「最近」 「このごろ」といった、広げられた現在。
"I used my car quite often." (「以前はよく使った」) と対立している。
ヨルとトルの区別がある方言では、継続相の中に、事態の終結前 (ヨル) と終結後 (トル) の対立がある。
共通語では、継続相はすべてテイルで表し、それは事態の開始後を意味するのみ。
スレ違いじゃねーじゃんーの?
「よった」「とった」の違いはどんなかんじ?
>>155 旗色の悪くなった奴が逃げ出しただけ。
>>156 「勉強しよった」: "He was studying."
「勉強しとった」: "He had already studied it (and knew it)."
「着物を着よった」: "She was putting on Japanese dress."
「着物を着とった」: "She was in Japanese dress."
米語では、現在完了と過去の区別は曖昧になりつつある。詳しくはマーク・ピーターセン『日本人の英語』(岩波新書) 参照。
ジョージ・ハリスンが "I've got my mind set on you." (君から目が離せない) と歌っているところを、アメリカ人はよく "I got my mind..." と歌う。
面倒なので、曲のタイトルは GOT MY MIND SET ON YOU となっている。
こけよった とかつかいません?
あぶな。まちがえよった とか
>>158-159 使う。変化動詞の -ヨッタは、英語の "He was dying." などと同じで、-シカケタの意味になる。
これらは誤用だとおもうんだよね。 まちがえる、こける などの瞬時の動作にいたっては進行は本来必要ないと思う。 大阪の軽蔑的「よる」に近い。 「ひっかかりおったぞ!」とかもその流れだとおもう
>>161 誤用じゃないよ。こういう方言では、ヨルは事態の終結前を表す。
「瞬時の動作」の終結前ということは、結局、開始前 (実現前) になってしまう。英語もたぶん同様。
>>157 の「君から目が離せない」はちょっと勘違いしてた。正しくは「もう君のことしか考えられない」。
163 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/31 17:29
164 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/31 21:10
>>157 157もそうだし、他にもこのスレに
英語と西日本方言を対照して説明している例がいくつかあるんだが、
漏れにはどうもしっくり来ないんだよな。
英語の(直説法)過去完了は、
過去テンスにより指定される過去の一点が無ければ使えないはず。
"He had already studied it before his teather began to teach it."
のように(この例文は例文でわざとらしいがなw)。
ここが英語のテンスとアスペクトを明快に分ける分水嶺になるわけだが。
西日本方言の「勉強しとる」と「勉強しとった」の間に
同じものがあるんだろうか?
もし無いなら、英語との単純比較はイクナイだろう。誤解を招く。
>>164 > 西日本方言の「勉強しとる」と「勉強しとった」の間に
> 同じものがあるんだろうか?
もちろんあるとも。「勉強しとる」の基準点は発話時、「勉強しとった」の基準点は文脈から明らかな過去のある時。
>>165 に補足。「勉強しとった」の用例としてすぐ浮かんだのはこういう例。
試験の成績が悪かったという友人に対して「勉強しとったっちゃろう?」と聞く場合。
この場合、文脈から試験の受験時が基準時となる。
で、こういう場面で代わりに「勉強しとっちゃろう?」と聞いたら、明らかにニュアンスが変化する。
「勉強しとったっちゃろう?」 =試験までにあれだけ勉強していたのに苦労が報われず残念だね。
「勉強しとっちゃろう?」 =試験結果が悪くても勉強の分だけちゃんと身についてるから大丈夫だよ。
ということは、どうも、現実に客観的に勉強していた期間が問題になるわけではなく、
勉強していたことが意味を持つためにその勉強という行為があるべき期間が問題になっているような気がする。
むこうのスレで論議を展開しないのですか?
>>167 博多弁の話なんだからこちらが適切だろうが。
そうじゃなくて、時制の話のつづきを時制の隔離スレでする予定だったのでは?
170 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/04 02:35
私は西日本出身で、「しとく」と「しよく」を使い分けてるんですけど みなさんは「しよく」って使いますか? 例1「料理作っとくよ」 例2「料理作りよくよ」
しよく はないなあ
>>170 どっちもある。
例1のほうは、あらかじめ料理を作っておいて、集まったみんなで食べるのが目的の場合。
例2のほうは、みんなで集まって料理を作る場合で、集まってくるメンバーよりも少し早めに作り始める場合。
>>66 >英語で主節に過去形を使えば過去時制と決定されるけど、
>日本語にはそのような決定力のある文法はない。
「昨日・先週・去年などの過去の時を表す語+(動詞+〜た)」という定義では、
ダメですか? (例:俺は昨日の夜、ラーメンを食べた。)
それとも、時制の決定の話に、「昨日」とか「明日」とか、
「yesterday」とか「tomorrow」なんかを持ち出してくるのは
反則なんでしょうか?
>>99 福岡でも、区別をしない人が若い人の間で増えているらしいです。<「よる」と「とる」
(タイトル忘れたけど、九州の方言関係の本に載ってた)
ちなみに、「○○することができる」という意味の、
「〜きる」・「〜れる(るる)」の使い分けをする人も減っているらしいです。
例:「泳ぎきる」−泳ぐ能力・技術を身につけている
俺、クロールで100m泳ぎきるよ。(俺、クロールで100m泳ぐことができるよ。)
「泳がれる(泳がるる)」−状況・環境的に泳ぐことを許されている
C川は汚かけん、泳がれんよ。(C川は汚いから、泳ぐことができないよ。)
The place was now〜 とかで過去時制をあらわさないと時制がないって判断なのか?
>>173 >
>>66 > >英語で主節に過去形を使えば過去時制と決定されるけど、
> >日本語にはそのような決定力のある文法はない。
英語で "I would rather be a sparrow than a snail." と言うとき、「過去形」を使っており、「過去時制」と決定されるが、過去の事態を表してはいない。
日本語でも、叙述の文の主節では、述語はタの付く形と付かない形のどちらかを選ばなければならないから、時制はある。
>>173 物理とか化学でいう時間と時間表現と時制は別物だから
時間表現(きのう・このあと・さっき等)と時制は別で考えないといけない。
物理的な時間と時制が一致するとは限らないのも
時制が文法上のものにすぎない訳だから当然のこと
>>175 タの付く形と付かない形のどちらかを選ばなければならないから時制があるっていうのは
ちょっと違うんじゃない?
アラビア語とか古典ヘブライ語みたいに
未完了相と完了相のどちらかを選ばなければならないものもあるから。
それで、もしも日本語がこういう言語なら、食べた(完了相)食べる(未完了相)だとして、
昨日の12時にご飯をたべる(昨日12時の時点でまだ食べ終えてない)
明日の12時にご飯を食べた(明日12時の時点で食べ終えている)
こういう言い方ができなければならない。
実際のところ、「タ」の用法は時制と相の両方にまたがって存在するから混乱してるんじゃない?
古典ではもっと安定してた
>>176 > もしも日本語がこういう言語なら、食べた(完了相)食べる(未完了相)だとして、
> 昨日の12時にご飯をたべる(昨日12時の時点でまだ食べ終えてない)
> 明日の12時にご飯を食べた(明日12時の時点で食べ終えている)
> こういう言い方ができなければならない。
全くそのとおり。しかし実際にはできない。
したがって、「食べた」と「食べる」の対立は、「完了相」と「未完了相」の対立ではなく、以前と非以前の対立である。
> 「タ」の用法は時制と相の両方にまたがって存在するから混乱してるんじゃない?
「相」の用法は存在しない。タが「完了」を表すというのは、タの前身が古典語のタリであり、タリが「完了」を表すとされていることから来る、共時論と通時論とを混同した根深い誤解である。
たりは本来完了の継続で「とる」とおなじだった
わかる その時 みたいな文法で「わかった」を意味した場合にそれが時制でなくアスペクトになるのか? わかる その時 すでに で「すでにわかっていた」みたいな意味をあらわす言語があったとして 「その時」「すでに」みたいな単語が短縮されて、しかもそのままの意味をもったとしても それはアスペクトかなんかで時制ではないのか? つまり わかる 「その」 「す」 みたいに短縮されて、 「わかっそのす」と発音されたとしよう それで「すでにわかっていた」の意味をとらえても 時制ではない?印欧時制よりはるかに複雑で明瞭な時制になるだろうけど
182 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/06 13:29
たりの完了とするのは誤用 しかも古語と現在では意味合いもちがう
184 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/06 18:16
スレ移動したいけど、 英語板なんだよな、そこ。 博多弁という方言比較と、 日本語の時制・相がごっちゃくちゃだ。 誰かスレ立てできる人は綺麗に分類・整理して誘導してくれ。
>>183 「誤用」なのかどうかは知らんが、現代語と古典語とを切り離して考えるべきであることは確か。
186 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/06 18:43
>>184 「墓多弁に限る」とはスレ住人はもはや認識していないだろう。
「よる」と「とる(ておる)」の差は
神戸以西の西日本に共通する方言用法だからね。
過去レスを読む限りこの西日本全域でほとんど用法に差はないようだ。
そして「広域の西日本方言」でのアスペクトやテンスと、
東京方言ベースの共通語のそれらが比較されている。
比較対照として英語やら他の言語やらのそれらも出てくる。
議論の方向性はこのままでも悪くないと思うよ。
187 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/06 20:37
中丹地方では「よる」は「しそうになる」の意味で使われる。 例:「雨が降りよる」=「雨が降りそうだ」 九州ではこの使い方はしないのでは?
そういうのがあるから、御用として捕らえたほうがいいとおもうんだよね。 こけよった(こけそうになった) みたいなかんじで ねよった(ねそうになった) ねよう(ねそう) になるのは避けたい。
189 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/11 14:55
薩摩アゲ
190 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/11 16:52
直説法現在:住む 直説法近過去:住んどる 直接法半過去:住んどった 直説法遠過去:住んどったこつある 直説法大過去:住んだこつあった 直説法先立過去:住んどったこつあった
やたらと迂言法が多いですね。
というより essere+過去分詞ということでおながいします
193 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/12 02:21
北九州人だが、墓多弁は耳にするだけで愉快だな。漫才みたいで。 こんな滑稽な方言を生んだ博多人はある意味尊敬に値する。
194 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/12 20:36
イタリア語がでてるが、 「行く・来る」という両方の意味がある、venireは博多弁話者には理解しやすいかもしれない。 「明日遊びに来るけん。」とか言うし。 うん?ちょっと違うか??…
イタリア語は知らんけど、 相手の方に向かって行くのを「行く」ではなく「来る」というのは、 英語(「go」ではなく「come」)や中国語(「去」ではなく「来」) などにもあるよ。
196 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/15 02:14
>>7 は大分弁か山口弁だな。
(もしくは京築・北九州のほう)
>>1 天気予報で、
「明日は、午前中からは晴れましょう」
みたに言うよ。
バスがこよう=バスが向かっている と、
晴れましょう=晴れに向かっている と、
同じではないの?
全く理解できてない、意味もつかめてない人がこわい
ます+う→ましょう。 と、 「よる」のなまった形の「よう」は、 天と地ほどの差があると思うけど・・・ そういえば・・・ 九州の「ばい」と関東東北の「べー」が同じだって言い張ってたやつがいたなぁ・・・
已然と未然
九州には百済語 新羅語 高句麗語などの影響が残っていると想像するんだが、 これらの言葉の時制ってどんなもんだったんだろうか?
202 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/16 09:20
>>201 のこってるわけねーだろ。関西のほうが在日朝鮮人支配が徹底してる分、
影響が濃いんじゃないのか。
在日朝鮮人の問題と古代百済語とはなんの関係もないだろうに
204 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/16 23:06
>>197 のような誤解をする香具師が出てくるから
このスレタイは本当はイクナイ。
墓多弁は訛り大杉である上に全国的に知られておらず、
墓多以外の香具師も論ずるための例として全くの不適切ということだ。
既にガイシュツだが、姫路以西の方言を広く見渡すと
「連用形+よる」と「連用形+とる=連用形+ておる」の対立として
論ずるのが適切だ。
>>201 少なくとも現代朝鮮語の半島南部の方言と、
日本語の九州などの方言とは言語学的にまったく完全な非連続なんだな。
対馬島の方言でも、ごく僅かの借用語がある程度だ。
ここに多少なりとも連続性があるなら
日本語の系統論は今とはまったく違う様相となっていたよ。
>>197 >バスがこよう=バスが向かっている と
「来よう」は、「こよう」じゃなくて「きよう」だよ。
あはは。 そうだね。 東京の言葉にも、よる―とる・ちょるに相当する言葉がほしいなぁ。 行き+いる→行きいる 行き+ている→行ってる で区別してるところが長野のどっかにあったなぁ。 もう絶滅してそうだけど。
きよう は佐賀あたりまで下ると きよる になるね、博多独自語かな
208 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/17 11:47
>>205 訛化というかウムラウトというか、後続の「よ」にひきずられて、
未然形の「こ」が「き」に発音されるだけではないの?
>>209 「よる」は連用形接続だよ。
こよるなんて言い方する地域は多分ない。
大体、博多弁自体が連用形だの未然形だの正則の文法の適用外の俚語なんだから、 他の地域の言い方を云々じてきないだろ? 「来るはずがない」みたいな否定推量のときは「来らんまい」と二重否定に したりとか、「行くことができる」のような可能は「行ききる」とパっと見 連用形接続っぽい助動詞がついたりするじゃんよ?
>>211 適用できないわけがない。
日本語なんだから。
博多弁は使ったことがないから分からないけど、
「こらんまい」は多分「来る」の可能の「来られる」の未然形+「まい」で
「来られまい」で、「れ」が撥音便して「こらんまい」
二重否定でもなんでもない。
「行ききる」に関しては、似たような用法を四国とか大分のほうでもで聞いたこともあるけど、
たとえば、「泳ぎ切った」っていうような用法の「きる」が意味拡大して能力可能として使われてるだけ。
まぁ・・・
私釣られたね。
じゃあ、正則の日本語の文法では「現在完了形」なんて無いんだから、 スレタイからして大矛盾じゃん。 博多弁は正則の日本語文法の範囲から外れるところを持った俚語だから こういうスレが成り立つんだろ・
それはスレタイつけたやつに配慮が足りなかっただけでしょう。 まるで博多弁がどっかから降って湧いた別の言語みたいな言い方だけど、 歴史的・地理的にも他の地方の言葉と連続した言葉だよ。 個人的な経験で言えば、共通語話者も脳内では「とう(とる)」「よう(よる)」と 同様の区別はつけていると思われる。いったん理屈が分かれば、ネイティブ 同様に巧みに操るし、こっちの言うことも理解してくれるから。 「今うどんを食べている」・・・「食べよう」 「すでにうどんを食べているのでラーメンは要らない」・・・「食べとう」 「戦場では毎日たくさんの人が死んでいる」・・・「死によう」 「おまえはもう死んでいる」・・・「死んどう」 「なあ、人の話聞いてる?」・・・「聞きよう」 「例の話はもう聞いてますか」・・・「聞いとう」
>>213 いやぁ、博多弁の文法って言ったって、そこまで大きくはずれたものじゃないよ。
現在完了用法っていうタイトルはちょっと良くないかもしれないけど、
>>214 さんが言ってるように
「よる」と「とる」の区別が標準語では中和してるだけで、区別が無いわけじゃない。
標準語でも、「とる」よりはかなり用法の狭くて使える文脈の違う「てある」だけど、
「よる」の意味で使うことが決して無いのも博多弁と同じことだし。
連続していたって、the end of JAPAN の方言ではないか。 その西は、黄海を渡って支那や朝鮮だ。
217 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/29 12:50
あげ
218 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/04 08:35
博多弁博多弁って…
>>1 の言う「現在完了」用法は九州の他の地域にもあるじゃないか。井の中の蛙。
>218 同意。九州各地で「〜〜しよる」という現在完了形が存在する。
「雪が積もりよる」=今雪が降っていて、積もっている途中である。 「雪が積もっとる」=今降っている降っていないに関わらず、既に積もってしまった状態である。
>>218-219 すでに過去スレで、神戸以西の西日本各地に存在する
ってことが判明してますけど。
221の訂正 過去スレ→過去レス
223 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/04 18:23
近畿全域にないのが不思議
>>224 むしろ西日本全体で存在→近畿で消滅
じゃないのか?
あと雲伯方言にはないと聞いたけど。
北陸にもないみたいだけど、岐阜〜愛知方面はどうなんだろう
瀬戸内海方面の言葉を九州が真似した。 文化は高い方から低い方に流れるので、近畿には入ってこなかった。
>>226 そんなバカな。
ある時瀬戸内一帯でよる〜とる・ちょるの区別が誕生
↓
九州人が真似
↓
この区別が九州全域を鎮圧
無理があるね。
紀伊半島方面にやる〜ちゃるで同様の違いを表す地域があるし、
奈良県南部にもある。
中部方面にも過去には存在したことが分かっている。
もう絶滅しただろうが、いる〜てるで同様の区別をした地域もあった。
さらに古語でも同様の区別が存在した。
ということは、
過去のある時点では日本全体でこの区別があった。(証明不能)
↓
東日本で消滅(証明不能)・近畿中心部で消滅(上の事から明らか)
↓
中部から北陸にかけて消滅(北陸に関しては証明不能)
↓
近畿周縁部と中四国以西に残る(現在)
恐らくこういう風な変化があったはず。(仮説も含み、順序も一部入れ替わるかもしれないが
あと、この区別が消滅した地域において、
〜て+存在動詞が完了のみならず存続の用法があるということは、
連用形+存在動詞の形が過去に存在し、ある時期に消滅・合流したと仮定する方が、
「て」の用法の事を考えると合理的。
現在完了?そぎゃんもんなかよ?
229 :
岐阜県東部ですが :04/07/31 02:12
>>225 >>220 のように
「雪が積もりょうる」=今雪が降っていて、積もっている途中
「雪が積もっとる」=今降っている降っていないに関わらず、既に積もってしまった状態である。
と言い分けるよ。さらに、
「雪が積もりよる」=降らなくて良い雪が降って積もりやがる、こんちくしょう。
「雪が積もっている」=「雪が積もっとる」を標準語に直した形と解釈する場合が多い。
>>227 紀伊半島の和歌山県に相当する紀伊国には、五畿七道の区分で、四国や淡路島と同じ南海道で、
畿内(今流に言えば首都圏)とは別の行政区分。
嘗ての畿内に相当する区域の大阪の人は今も「高野山の向こうは地続の四国」という具合に、
遠くに感じている。
ちなみに律令時代の畿内の区分ては、奈良盆地は畿内だが、南の吉野は厳密に言えば畿内では
なく、紀伊国でも紀ノ川の北岸まで畿内。吉野も大和国だから行政区分的に畿内として扱われ、
紀伊国の国府が紀ノ川の南にあったため、便宜的に紀伊国全体は畿内として扱われなかった。
231 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/08/01 00:45
九州に行った時、「とっとっと?」と言われて意味がわからなかった。。。
日本国中どこでも、鶏を追うときの掛け声は「とっとっと」だが。
取っとると? のことじゃないの?
よる は をる にしませんか? 発音も同じようになるとおもうし
235 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/10/03 00:08:44
236 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
04/11/23 04:39:42 あげ