意味論デス。特に形式意味論の、というわけでは
ありまセン。
関連スレについて書きたいのですが、書き方がわからず、
かたじけナイ。スレの名前だけでお許しクダサイ。
関連スレ;
生成文法総合スレ<n>0>
Jackendoffを語る
認知言語
数学板、哲学板の論理学初心者スレ
及び、そこで言及されているスレ
こさかなしゃん、PART 1完結おめでとにゃん!
PART 2もガンガン飛ばして名スレにしとくれにゃ〜
2get
カオモジせんせ、ありがとございマス!うれしい・・・
5 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 21:41
6 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 21:41
7 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 21:42
8 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/02 21:56
乙〜
>>5-7しゃん、ありがとございマス!
Oats-Curry-Summar-Dish-Tar, デス。
ところで、前スレからの続きなのですが、二題。
1 723さんの「無意味」というのは「前提」とかと
関係あるのかな、と思っていたんですけど、
スルーして、とのことでちょっと残念だったのです。
もし何か前提とのこととかかんがえてらしたら
うかがってみたいなー Wittgensteinのことや
ストローソンのことの詳しかったらもっといいのですけど。
2 真理関数=属性関数とするのは、ちょっとびみょー
そもそも真理関数とは要素命題の真理値をとって
全体の真理値を出すもので、例えば&とかVとかだと
おもうんですけど、真理関数=属性関数と思った
のって、なにゆえぞ?まあ、上に挙げたものは
真理関数は二項関数ですが、否定は一項関数だし。
この板も「生成」、「質問」以外のスレが育つようになったんだねぇ(シミジミ
フランス王は禿、という話か?
誰が禿じゃゴルァ
Russell、Strawson、それからもう一人(sellsとかそんな名前だった)の
存在前提の扱いをまとめた論文をどっかで見たけど忘れた
確かStrawsonは前期と後期で分けられていて
前期:対象が存在しないと、その文の主張は無意味
後期:そもそも主張が為されなかった
みたいなことが書かれてた気がする
あ、それです(誰が禿、、のところじゃないです。もちろん)
meaninng postulateを説明する時に書き損じた式は矛盾式に
なる(証明式のスキームは「&(A1,A2,...) |- V(B1,B2,...)」で、今回
関係があった性質は、左辺に偽の命題があれば左辺全体は偽、
右辺の命題は否定命題にして左辺へ移動できる、右辺に何もない
式は矛盾式)のですが、そこで「四角型が存在しない世界」が
とりあげられ、ストローソンのことを思い出したわけです。
前スレ772さんはこのあたりのことを考えていたのではないだろうか。
13=bald
バルドサーティーン
つーか、まさにそれを考えてたわけなんだが
あそこではあんまり関係なかったかも
17 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 07:50
共和制でも王は常に存在しますが、なにか?
↓以下、貞治ネタ禁止
(・∀・) < こさかなすべった〜
糞スレになってまいりましたw
>21
時節柄、そうゆうことのないように自粛しマス。
(語尾の方の香具師は、大いに励んでくだサイ>男子受験生諸君。って、見てないカ)
で、結局
フランス国王はツルツルだ、は
偽なの?無意味なの?
>24
「現在の」を入れないと、
Ax(King_of_France(x)->Bald_as_Billiard_Ball(x))
という論理形式を与え得るので、この場合、歴代フランス王にフサがいれば、
その個体の存在が反証例になる。
存在前提についてはちょっと詳しくないもんで、もしよろしければ13さん、
よろしくおながいします(ぺこり
26 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 16:06
前スレ774です。新スレおめでとうございます。
>>10 >そもそも真理関数とは要素命題の真理値をとって
>全体の真理値を出すもので、例えば&とかVとかだと
>おもうんですけど、
私は、先に「真理関数」を、単に値域が真理値の関数という意味で
使っていたんですけど、そう言われれば確かに、値域だけではなく
定義域も真理値の関数のことを「真理関数」と呼ぶのが正しいよう
ですね。失礼しました。
「命題pの真理函数とは、pを含み、そのpの真偽がpの真・偽のみに
依存する命題のことであり、同様に、数個の命題p, q, r, ... の真理函数
とは、p, q, r, ... を含み、その真・偽がp, q, r, ... の真・偽にのみ依存する
命題のことである。(ラッセル:『論理哲学論考』解題より)
一方、属性関数の方ですが、私は、次のcharacteristic functionの
ことだと思っていましたので、「属性関数=一項述語」だと思っていました。
Any set can be associated with a particular distinguished function
called its characteristic function or its membership function relative
to a given universe or domain D. The characteristic function of A
relative to D is the function μA with domain D such that
μA(x)=1 iff A includes x
and μA(x)=0 iff A doesn't include x.
(Chierchia & McConnell Ginet: Meaning and Grammar P.439)
けれども、一項述語の項の中に、順序対が入るものと考えたら、確かに
一項述語によって二項述語も表現することができますから、別に
一項述語にこだわる必要はないのですね。どうも失礼しました。
前スレ774さん
レス、ありがとうございました。
それからChierchia & McConnell Ginetの引用も感謝デス。
集合と属性関数(もしかして「特性関数」の方が一般的かしら)の関係がわかりやすい
なあー、と思いました。
今後ともよろしくお願いいたしマス。
ところで、前スレ774さんのレスを読みながらふと思ったんですけど、
ここで使いそうな論理学の基本的概念の定義を確認して、それと同時に表記をどうするか
約束しておく、というのはいかがでしょうか? 特に寝たふり、というのでもないですが、
ある程度のご教示をいただいたら私がまとめてって、批判をあおぎ確定、という風にしようと
思うのですが、どうでしょう? Comments Appreciatedデス。
29 :
前スレ774:04/02/03 17:29
>>28 そうですね。まあ、必要に応じて、というのでいいのではないでしょうか。
30 :
前スレ774:04/02/03 17:38
ところで、生成スレで話題になって、認知スレでも引用された次の
文ですが、
a. [ which stories about Diana ] did she most object to t?
b. *[ how many stories about Diana ] is she likely to invent t?
bが駄目なのは、 how many stories about Diana と尋ねると、
ダイアナについて既に書かれたstoriesの中で、そのうちの幾つが
という質問になるのに、storiesを目的語とする動詞inventは、
storiesがまだ書かれていないことを前提するという矛盾がある
からということで宜しいのですか?
前スレ774しゃん
>29
では、流れのままにまたーりと、ということで。スレ内辞書が
できたらいいな、と思ったもんで。
>30
設問は矛盾ではなく、照応関係で、前者は元位置に再構築されて
代名詞を構成素統御しないのに対して、後者はする、ということ
でないデショウカ?
>>31 ああ、なるほど。そもそも、she=Dianaなのですね。
でも、まだよくわかりません。
aの方は「元位置に再構築されて」というのは、この文がLFで
次のようになるということですか?
did she most object to [ which stories about Diana ]?
で、Dianaがsheをc-commandしないということですか?
意味論に関係ない話だったらすみません。でも、生成スレでは、
こういうことを質問できる雰囲気じゃあないんで。。。
カオモジせんせ
>>32 ありがとございマシタ。ワタクシ、かなり変なこと言ってマシタ。
ということで、前スレ774しゃん、GGGスレの方をご参照マセ。
時間があったら、前スレの関連部分も見てクダサイ。
(関係ないですが、あのときのlanugage consultantは胸の大きな
美女デシタ)
関連部分(restricted vs. non-restricted quantification)
前スレ116からデス。
>>33 >aの方は「元位置に再構築されて」というのは
(a)は再構築されず LFでも
[ which stories about Diana [ she ... t ]]
のままにゃからCondition C違反が起きない、そしてこのLFは前提読みにあたるにゃが、
object to という述語とも矛盾しない、のでOKにゃ。
再構築(reconstruction)というのは、移動した要素が移動前の元位置に戻るということにゃが、
実際に元位置への再移動があるとゆーより、解釈を移動後ではなく移動前の位置で受けるという
だけのことにゃん。
ついでにいうと、Chomsky 1993は 「制限を最小にせよ」 Minimize restrictionという
LF派生上の preference principle を提案したのにゃが、これによると
Whch book did you read?
は、LFでは必ず
[ which [ you read [ t book ]]]
になるわけにゃ。しかしこれでは上のシナリオだと非前提読みしか表さず、前提読み(which one of these books)は
出てこないことになってしまうにゃ。
つまり restricted quantificationを用いなければ表せない読み(前提読み)があれば、それがpreferenceを破る十分な
理由になる、と考える必要が出てくるわけにゃ。
referentialityという概念が生成スレでも出てきたんですが、これと
extensional(ity?)というのは同じコトでしょうか?
>>37 reference: 指示
extension: 外延
言語表現とそれが指示する対象、もしくは、その指示的関係ということで、
どちらも同じような意味といえば同じであるが、違うといえば違う。
なるほど。この辺が前から曖昧だったのでありがとうございます。
referenceというのはあるextensionの存在を前提としてそれを
指示するという行為、関係?のことでextentionはその指示行為の前提
とされているブツという認識でいいんでしょうか。
その人がassumeするontologyによるのかもしれませんが、
intensionをrefer(erence指示)するということは可能なんでしょうか?
(reference without extension?)
あと生成スレで出てきた√で示される状態のレキシコンはこの辺りの
観念で整理するとどういう状態と考えるのがいいんでしょう。。。
> その人がassumeするontologyによるのかもしれませんが、
> intensionをrefer(erence指示)するということは可能なんでしょうか?
少なくとも漏れのontologyでは可能
あまり一般的な考え方では無いかも知れないが
>>39 extensionもreferenceも、結構広い意味で使われているので、
両者の関係を明確に定義することは難しい。ただ、元来、referenceは、
referという動詞に由来する概念で、典型的には、
ある固有名がある対象を指示(refer)するという関係に基づくもの。
(固有名「太郎」と太郎という人物の関係)
一方、extensionという概念は、intensionという概念と対立的に
設定される概念であって、典型的には、一般名が適用される
ところの対象の集合を表す。
(一般名「りんご」とりんごの集合の関係)
だが、その後、referenceという概念は、一般名の
extensionも表す概念に拡張され、逆に、extensionは、
固有名のreferenceも表す概念に拡張され、結果的に、両者は、
ほぼ同じような概念として用いられるようになった。
とはいえ、referenceは、固有名の意味対象を表し、extensionは、
一般名の意味対象を表すという、そもそもの出発点の違いは、
現在のこれらの用語の使用法にも残っていると思う。例えば、
>>39で書かれた、referenceが「指示するという行為」であり、
extensionが「その指示行為の前提」であるとする使い分けにしても、
上記の概念的由来を考慮すれば理解できるのではないかと思う。
>>39 >その人がassumeするontologyによるのかもしれませんが、
>intensionをrefer(erence指示)するということは可能なんでしょうか?
これは、intensionおよびreference/referという概念の定義に依存する
トリヴィアルな問題だと思う。要するに、言語表現とそのintensionの
関係をrefer(ence)と呼ぶかどうかの問題。
>あと生成スレで出てきた√で示される状態のレキシコンはこの辺りの
>観念で整理するとどういう状態と考えるのがいいんでしょう。。。
これは、こちらの方が知りたい問題。例えば、√appleというもの
があったとして(あるかどうか知らないのだけど)、それは、語彙理論の
中でどのような位置を占めるのか、教えて欲しい。
比較のために、Bloomfield"Language"を見てみた。
16章に次のような概念がでている。
GLOSSEME(smallest unit of linguistic signsling):NOEMEME(its meaning)
lexical: MORPHEME, SEMEME(its m.)
grammatical: TAGMEME, EPISEMEME(its m.)
LINGUISTIC FORM(smallest or complex):LINGUISTIC MEANING(its m.)
lexical: LEXICAL FORM, LEXICAL MEANING
grammatical: GRAMMATICAL FORM, GRAMMATICAL MEANING
でもよくわかんなかった
>>34-36 せんせいがた、どうも有難うございます。
丁寧な説明のおかげで一応理解できたように思います。
また、前スレの関係箇所でも読んでみるつもりです。
あと、GGGスレって何ですか?
もしかして、Grand Generative Grammar thead?
マエスレナナシさん、私のほうはちょっと役に立たなくてすいませんでした。
(実は飲み屋で一杯やりながらPDAから書き込んでた)
それから、「せんせい」って呼ばれるとちょっと・・・
(実はわたしが「せんせ」をつけているカオモジせんせ、逃走派せんせには
実際に学恩を受けたことがある・・・って多分せんせ方はしらない罠ゃ)
>あと、GGGスレって何ですか?
あ、すいません。私が勝手に生成スレのことをこう呼んでただけです。ごめん。
Generative Grammar in Generalをsuggestしているつもりで・・・
>もしかして、Grand Generative Grammar thead?
でもそうかもしんない。とか書くと叩かれそう・・・ あ、雪が
>>41, 42
ありがとうございます。本を読んでも、その著者なりの説明しかない
ので、色んな方からお話が聞けるのは本当にありがたいです。
model-theoretic approachのモデルにあたる部分がどうしても理解
しずらいんですが、モデルってなんなんでしょうか?モデルという
のはそれ自体は(経験的に)検証されるべき対象ではないんでしょうか?
後者のような疑問を持つのはそもそもモデルというものがなんなのか
分かってないからではないかと思うのですが。。。
横レスすんまそにゃが、referenceとextensionについては生成的には統語範疇の違いに結びつけると思うんだけどにゃ。
まずreferenceはある種の定性を要求することからも分かるように、機能範疇Dの機能、extensionは名辞一般の機能であり
語彙範疇Nに属する、またこれら共通の概念基盤に対応するのが√、という感じかにゃ。
もっとも生成スレでも言ったように、√APPLEみたいに全ての名詞ごとに別個の√がある、とは俺は思ってないけどにゃ。
>>45のこさかなしゃん、そりゃ全然知らんかったにゃが「学恩」は大げさ杉w
一度俺にもメールおながいしまそ。アドレス分からんかったらAdamas(と、陰で呼び捨てw)が知ってるから香具師に
訊いてみてにゃ。
48 :
Adamas:04/02/04 16:50
をい、(´∀`)!
>アドレス分からんかったらAdamas(と、陰で呼び捨てw)が知ってるから香具師に
>訊いてみてにゃ。
ちゃんと見てるゾ!ゴルァ!Adamasさまと呼べ!Adamasさまと!そして、わしの足を舐めんかい!!
こさかなしゃん、よ〜く考えてメールした方がエエよ。
顔文字、(´∀`)←こんな顔して裏じゃ悪いことしてるからさ。
ケンカしてシャバに戻ってもココに強制連行されちゃうぞw
カオモジせんせ>47
うーん、いいのかナー・・・えーい、ままヨ!お言葉に甘えて、直メールしてみマス。
Adamasしゃん、3秒ほどよく考えマスタ。
ちっ、チェックされてたにゃw
こさかなしゃん、メール届きますたー!
カオモジせんせ〜、私も直メールいただきマシター(きゃー
53 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/04 20:12
結局言葉遊びだよな!
本質的なところはなにもとらえられないな、
そんなものではさー
>>46さん
ちょっと"model"についてのレスがつきませんが、ちょっと
まってみてください。他の方からレスがつくかもしれませんし、
私もこれから自宅に戻って頭を整理してみます。この概念は
"model"という言葉から想像されるものとはかなり異なる、
よく定義されたものです。
55 :
くコ:彡 ◆ua9OSQUIDY :04/02/04 21:30
>>55さん(いかさん?するめさん?)、情報ありがとうございました。
なんか私、タルスキとデイビッドソンの真理理論でスタックしてるんですよねー
もしかすると理解が深まるかもしれませんので、見てみようと思います。
で、「モデル」についてですが、おおざっぱにいって、ある特定の
公理主義的形式体系に解釈を与えるもの、です。例えば、ユークリッド
幾何学という形式体系にとっての平面幾何学なんかがそうらしいのですが、
私なんかはこんな話きくと混乱する、、、ま、数学だったら、公理
体系を追求していくことと、それに解釈を与えるモデルの研究は
一つのものを二つの縁から攻めているという通常行われている
営為の、解釈側の縁がモデル、ということです。
では、Partee et al. MMLにたよって述語論理の場合を考えると、
モデルMは次の順序対です:<D,F>. ここでDは「対象とする個体の
集合」、Fは述語論理の原子的要素をDの中にある個体、あるいは
その集合に対応させる関数です。principle of compositionalityにより、
原子的要素にあるMによって解釈が与えられれば、じゅんぐりに
おおきな式にも解釈が与えられます。部分式が変更を含む場合でも
アサイメント関数gによって解釈が与えられます(これについては
ここでは詳しくふれません)。具体的な例を考えると、
D={j,m,p}
が与えられているとします。そして述語P、定項maryがあるとすると。
F(P)={j,m}, F(mary)=m
さらに
||Pm||^M=1
となるわけです。もし与式に変項が含まれていればアサイメントg
のもとで
||Px||^M,g=1or 0
となって解釈が決定されるわけです。
(゚Д゚)ノ < 先生、わかりません
ショボーン・・・
>57の記法について補足でつ。
^x: 上付きのx
||x||: xのdenotation
>>37-
そういえばdenotationってのもありまつね。
くコ:彡さん>55
おしえてくださったところ、見てみました。面白そうでつね・・・
えーと、前スレで投げてしまっていた"de se interpretation"についてですが、
たしかPerry氏が関係するペーパーを書いていたという記憶をたよりにさっき久しぶりに
検索してみました(前は見つからなかったような気がする、単に調べてなかっただけか?)
三本ほど、関係がありそうな論文を見つけました。でも最近のもので、de seに関係するものは
たしか90年代のはじめのころのものだったような気がします。
ところで、"de se"で検索しても"de"は無視されるんですね。前はそんなことなかった気がしますが・・・
なにかわかったらお知らせします。何かご存知の方もおしえてくださいネ。
googleにゃら「"de se"」と引用符で囲めばいいにゃん
(=検索オプションからフレーズ検索)
>62
にゃるほど・・・
Jackendoffは本(1984?)の中で、形式意味論ではわしがやりたいことは
やれん、ということで独自の意味論大系を立てたというようなことを
チラッと書いていたと思うんですが、形式意味論とJの体系では「表現力」
(抽象的な表現ですが)は同じなんでしょうか?
他には、B.Levinのrepresentationなど様々なdecompostionがありますが、
形式意味論の体系はどういう関係にあるんでしょうか?Jのinsightを
形式意味論に取り込もうと試みた論文などもありますが、Jの意図と
逆行するようにも映ります。。。
どのシステムを採用するかというのは研究者の好み(含ある種の
イデオロギー)の問題でしょうか?
>64さん、こんにちは。
投げかけた問いは、いくつかの問題を一度に訊いているように思われますので、
レスがつきにくくなるかもしれないので、いくつかに分けてみます。
1.「表現力」、あるいは「記述力」の問題
形式意味論の装置で記述できる経験的範囲と、概念意味論の装置で記述できる経験的範囲は
異なるか。異なる場合、どちらが広いか。
2.研究目標と記述装置の適合性
Jackendoffが研究目標として掲げているものに形式意味論は適していないのか。本当に
適していないのだとすると、翻って、概念意味論は適しているのか。
3.語彙分解と形式意味論、概念意味論の関係
略
4.特定の体系を離れて考えた場合、Jackendoffの洞察というものはどのような特色を
持ち、関連領域にどのような波及効果をもたらすものなのか。また、それは本当に
Jackendoffに帰すべきものなのか。
66 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/08 00:11
(゚Д゚)ノ < 先生、質問があります
真偽true/falseは普通、文レベルに与えられると思うんですが(The enemy
destory the cityとか)、対応する文の名詞形(the enemy's destruction
of the city)にも真偽値は存在するんでしょうか?統語カテゴリーこそ
違いますが、表している命題(的なもの)は同じだと思うんです。
あと、真偽値というのが文(的なもの)に固有だとすると、Rossの
squishなどではどの段階までt/fが与えれる単位なのかなぁ、と思って
しまって。生成スレで一時期話題になった例のpolysynthesisの
話とも無縁ではないと思うんですが。名詞的なものでも、話を分けないと
いけないのは明白だと思うんですが、
>>47の顔文字せんせの√APPLE
に対するのと同じように(√)APPLEに真偽値があるとは思えません。
>>66 少なくとも、the enemy's destruction of the city という名詞句表現の
外延(当然、内包も)は、真偽値ではなかろう。
>>67 ちょっと対比させる対象がちぐはぐな気がします。
NP: the enemy's destruction of the city
は
VP: the enemy destruct- the city(屈折等なし)
と対比させたほうがsquishのことを考える上でも適当じゃない
でしょうか。
上の二つでは、どちらも外延は真偽値ではないともいえるし、
あるいは部分的に決定されているということもあるそうです。
ところで生成意味論では基底での統語範疇はNとVだけで、他の範疇は
統語的変換で導出されるそうですが、NとVはどう関係づけられて
いたんだろう?
追伸:前スレ774さん、おげんきですか?
We saw the enemy's destruction of the city. -That's a lie. The enemy didn't destroy the city.
みたいなやりとりだと、the enemy's destruction of the city に the enemy destroyed the cityと同じ
命題が含まれていることにならんのかにゃー?
それとも we saw がつくことでnominalの部分が命題化(?)するってことにゃ?
We regret the enemy's destruction of the city. みたいなfactiveだと、やっぱりnominalの部分が
真であることが前提である感じにゃし、derived nominalは対応する文と同じく命題で真理値を持つ、
ってことにはならんにゃ?>こさかなしゃん
カオモジせんせ>69
むむっ!ちょっと考えさせてください・・・名詞の「命題化」と
関係があるかわかりませんが、日本語でも知覚動詞のノ補文は
もしかするとinternally-headed relativeの可能性もある、というか
「ある先生が授業中に知覚動詞の「ノ補文」がIHRであるのに
気づいたのを見た」
というまさに関連データのような経験をしたことがあります。
regretのような動詞の他に、askのような動詞の補部の
concealed interrogativeであるnominalも考える必要がありマスネ。
>>69 We saw the enemy's destruction of the city. のように
知覚動詞の対象として、文的な要素が現れる場合、その論理形式は、
event argumentのようなものを導入して表すのが普通だと思います。
つまり、時制その他もろもろを無視して、ごく大雑把に書くと、
destroy(the-enemy, the-city: e1) & see(speakers, e1: e2)
のような感じです。
ですから、「the enemy's destruction of the city」と「the enemy destroyed
the city」が「同じ命題を表す文」であるにしても、その意味論的値は、
それが現れる環境によって異なるわけですね。
71しゃん
にゃるほど・・・「それが現れる環境で異なる」というのは
たとえばevent argumentで考えれば、その指標は主節の知覚動詞
のものと同じになって、それ自体はunderspecifyされている、
と言ってもいいのかな?
しかしperceptual reportの時はそれでいいとしても、factive predicateの
場合はどうなるでしょうか?(カオモジせんせのregretの例を
参照)一つ考えられる代案は、Grimshaw1990の
complex eventvs. simple event/result nominalの区別に基づいて、
factive predicateの補部に現れる名詞はsimple event nominalだ、
とするものです。このような名詞はevent arg.を持ちませんので、
そもそもここでの問題には入ってこない。例えば他のfactive p.として
knowを考えると、
He knows the fact.
と言えるわけですが、Grimshawによるとfactはcomplex event nominalでは
なく、event argumentを持ちません。この場合、the factを
「命題」として真偽値を持つかどうかという問自体が消えてしまう
でしょう。しかし問題はやはりthe enemy's destruction of the cityの
ような例についてです。おそらくWe regret/He knows ___の環境でも
外項が存在するとき内項も存在していなければならず、このことは
当該の名詞が項構造を持つことを意味するでしょう(でも事実関係は
よくしらにゃい)。もしそうであるばらば、the enemy's destruction
of the cityはそれ自体で「真偽値を持っている」と言わざるを
得ない、ということになるかもしれません。むう、ムズイ。
不注意にも書いてしまったconcealed questionの場合については、complex event nominalはありえず、
真偽値は問題にし得ない、ということになりそうです。
I asked the time to him.
は言えても
I asked him whose destruction of the city.
はSluicingが適用された場合としてしか考えられないのではないでしょうか。
(I asked him [whose destruction of the city (the president of France accused of)])
Karttunen等の考えを採用して疑問文のdenotationは可能な答の集合として、
可能な答えを連言で結んだものの真偽値が疑問文の真偽値だとしても、これはderived nominalには
関係なさそうです。これ自体「何故?」という感じで興味を覚えるところですが、
脇においときます。
関連事項の確認から。フレーゲに従えば、真偽値は命題の意味で、命題の構成要素の
意味は命題の真偽値の決定に寄与するものです。
では論理形式の命題に対応する言語表現とは何か。単純に考えると、それは一つの文全体です。
しかし、このように考えると、等位構造の等位項である節はどうなるのでしょうか。
真理関数の項として真偽値を入力するわけですから、真偽値は必要です。同じことが否定、
含意関係にも成り立ちます。つまり、このような場合は文の構成要素も真偽値を持っている
というふうにしなければならず、受け入れられている考え方ではそうなっています。
では高階の表現についてはどうでしょうか。ここでまた確認ですが、全称子、存在子を
含む一階の述語論理表現では、量化子の作用域は一階ですが、量化子は一階表現についての
述語なので、量化述語表現はそれ自体は二階です。では、量化述語表現の作用域内の
整式は真偽値を持っているのでしょうか。変項を持たない場合は自明。変項を持つ場合には
一応真偽値が決まっていない、あるいは部分的に決まっている、としましょう。
では変項をとらない(ように見える)量化子の場合はどうでしょうか。例えば
□P
とかでは、やはりP自体が真偽値を持つように考えられることもあるかもしれませんが、
可能世界に関する変項wを整式Pが持っていて、必然性の量化子は全称子のようなものだ、
という時には、全称量化述語表現と同じことになるでしょう。
では問題となる二階表現についてです。"see," "know,"そして"believe"をそれぞれ量化子と
Se, Kn, Belと考え、量化一階述語表現とすることにします。
Perceputual Reportについては前に71さんが言っていた通りでしょう。
SeP
では、全体の真偽値がPの真偽値を決める、と考えてよさそうです。この場合、Pは何らかの
適切な意味で束縛変項を含んでいる場合と見なすことができるかもしれません。
問題のfactiveについては
KnP, ¬KnP
のいずれでもPは真であることが前提となります。
次によく知られたBelief-Contextに関係することですが、
BelP
が真であっても、Pは真か偽かはわかりません。このことは後で使いたいと思います。
ここまでの話は、ある命題の部分命題が真偽値を持つかどうか、ということに関してでしたが、
このことは主に命題を表現するCPについてで、CPもどのような部分命題であるか、具体的に
いうと、変項を含むか、どのような量化子をとるか、ということで真偽値が決定されるかどうかが
決まる、ということです。
ここで注意が必要なのは(>こさかなに、ネ)、「環境によって真偽値が決定可能であること」
と、そもそも「真偽値を持ち得るか」ということです。では、derived nominalの場合に戻りましょう。
・・・でも、いつ戻るかわかりまセン。
いろいろ考えましたが、わかりませんデシタw
ある環境(ここでは叙実の環境)で節が真偽値を持つのと同じように
その環境で名詞句が真偽値を持つ、というのは、Davidsonが
ある環境(There is_____.)に個体が現れるが、そこに事態も
現れるから事態を個体と考えるべき、としたのの逆をやっている
ようで、一見循環のような気がしてどうもしっくりこないのですが、
一方は真偽値について、一方は事態の個体としての性質なので
循環はない。しばらく派生名詞が節としての機能をどの程度
果たせるのか、ということを考えていたのですが、ここでは
真偽値だけを考えればいいわけで、節としての使い回しの良さを
考える必要はない。Chomskyがよく言うようにフレーゲの「力」の
在処はCだと考えると、命題はいったん「力」のことはおいといて
むしろ事態がどういう条件下で真偽値を持ちうるか、と視点を
転換すると、事態を表す名詞句がある条件下で真偽値を持つと
考えて全く問題はない。むしろ「節じゃないから真偽値の定義から
外れる」というのは一番面白くない行き方で、派生名詞が
真偽値を持つ場合がある、という観察を素直に受け入れた方が
面白いのかもしれない。(完)
・・・って勝手に終わらせるナー!
自己完結されてモナーw
では強制連行ってことで、nominalの例はどこか確定記述の問題(唯一的存在の前提or主張)と
似てるような気もするのにゃが。。。
例えば
We hate the enemy's destruction of the city.
が真理値を持つためには、nominalの部分が指すものが確定される必要があり、そのためには
the enemy / the city のreferentも確定しなければならんにゃ。そうやって意味を詰めていくと
nominal全体が指す一つの事態が明らかになり、それは文形式の命題と同じになったりせんにゃろか?
逆に the present king of Franceという確定記述は真理値を持つのか、と尋ねれば、唯一的存在が
主張の一部であると考えると、持つことになるのではないのかにゃ? このへんはサパーリなので
こさかなしゃんにおまかせにゃん(はうーん♪
>>(完)
warata
>>77 きゃー、強制連行されますたーw
実際今回考えながら(再)確認したことは、文と名詞句の
ほとんど唯一の違いは「力」の有無です。それに加え、「力」の一つである
断定が文末に注目すると無標であること、またその形で命令となる
ことがあるがこれは名詞句でもそうだということなどもあります。
また、Parteeが時制と名詞句の定・不定を平行的に扱っている
ことなども踏まえると、真偽値が確定されるための必要・十分条件
を絞り込み、それによって名詞句が真偽値をもつ必要・十分条件も
はっきりするかモナー(モナーの不適切な使用)
基本的に、that節であれ、derived nominalであれ、文中における命題的
な表現については、次の二つのことを区別があると思います。
a) その表現が真偽値を持つかという問題。
b)その表現がその文脈においてどのような意味論的値を持つかという問題。
ここで、(表現の)意味論的値というのは、その表現を含むより大きな表現の
意味論的値を決定する意味内容のことです。
1)に関して言えば、「あらゆる命題的表現は真偽値を持つ」というのは、
トートロジカルに真であると思われます。というのは、命題という概念は、
意味論的には、普通、真偽値を持つ表現/意味論的対象として定義される
からです。
例えば、
(1) John believes that Mary loves him.
という文において、"Mary loves him"という命題的表現は、メアリーが
ジョンを愛していたら真であり、愛していなかったら偽であるという
意味において、当然、真偽値を持っています。
ところが、この真偽値は、この命題的表現を含む文の意味論的値には、
直接的には何の貢献もしていません。すなわち、文(1)の意味論的値を
この文の真偽値とみなしても、この文の真理条件とみなしても、「メアリー
がジョンを愛している」という命題の真偽は、文(1)の真偽値および真理条件
には何の影響を与えません。
(つづく?)
80さん、ここに少なくとも一人、続きを楽しみにしてる者がいマスー
俺もにゃんw
それはbelief contextにゃから言えることであって、繰り返しにゃがたとえば
John regrets that Mary loves him.
だとそんなことも言ってられにゃい。。。
83 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/10 12:21
>82
ある表現について前提で真偽が問題になっていることと、
その表現が実際に意味値として真理値を持っているかどうかは別問題。
>80のコメントはフレーゲ以来の意味論/言語哲学をやる人間にとって
常識といってもいい見解。>66の答えとしては>67で十分だと思うが、
以下でその理由を説明する。
the enemy's destruction of the cityは名詞句で、文の中では項となる。
もしこの名詞句の意味値(semantic value, Bedeutung, 外延)として
真理値を想定すると、この名詞句を項としてとる述語は「真理値から
ある別のモデル論的対象への関数」であると考えるのが妥当である。
しかしそんな関数とはどういった関数だろうか?常識的に真理値として
2値、つまり{0, 1}を想定すると、ここで問題としている関数は次のように
図式的に表現される。
[0→a, 1→b]、ただしaとbは関数の値域の要素とする。
たったこれだけである。値域としてどんなに複雑なモノが来ようと、
定義域に二つしか要素がない真理値がくると、その関数は二つの
順序対しか持たないことが原理的に導き出されてしまう。
84 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/10 12:41
>83をもっと具体的な例におとして、問題の名詞句が意味値として
真理値をもつと考えることがいかに元の名詞句の意味を貧困なものに
するかを示そう。
いま一項述語を考えてみる。その述語の意味が関数として表現される
とすると、その値域は真理値となる(このスレの特性関数の解説参照)。
もし定義域が上の想定と同じく真理値であったら、この一項述語は
意味値として次の四つの可能性しか持たないことが帰結する。
[0→0, 1→0]、[0→0, 1→1]、[0→1, 1→0]、[0→1, 1→1]
言い換えると、もし派生名詞句の意味値が真理値だとすると、それを
項としてとる一項述語の意味値は、関数としては、この四つしか
考えられないわけである。しかし当然、そのような一項述語は四つといわず
多数あり、少なくともここで示される四つの意味に還元できるほど単純な
ものではない。
以上のことから考えて派生名詞句の意味値として真理値を想定するのは
あまり得策ではないと結論できる。
85 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/10 12:58
>83-84の補足
>83-84で展開した議論は、真理値を項としてとるどんな関数も
意味論的に貧弱であることを含意しない。実際、形式的な意味論は
通常真理値を項としてとる関数を核として組み立てられることが
多い。すなわち真理関数的結合子(truth-functional connectives)
のことである。
>84で示した、定義域・値域とも真理値である一項関数は、一項
真理関数の可能性を全て網羅している。左から3番目の関数を
よくみると、それが命題論理の否定に対応していることが分かる。
逆にこの考察から>83-84を考え直すと、次のことがいえる。つまり
派生名詞句をとる述語は、それが論理演算子でなければ、真理関数
と考えるのはいい想定とはいえない。
>83-84さん、カキコありがとうございます。
発言の骨子は「名詞の外延を真理値にすると、それを項にする関数の値が極限され、意味論を
貧弱にする」、したがって「名詞句の外延を真理値とすべきではない」ということになるでしょうか。
80さんのコメントが現在の言語哲学では常識的(もし「常識的だから情報量がほとんどない、トリビヤル」
というのではなく、「定石を外してない、好ましい」というのであれば私も禿同です)、
そして議論はだいたい納得したのですが、評価の部分に同意できません。集合論的対応物への
写像ということで考えれば、一定の手続きで確実に真理値にたどり着く、ということは私には
好ましいことであるように思えてなりません。また、このことが名詞の意味論を貧弱にする、
というのであれば、命題の外延は1か0か、という意味論もまた貧弱極まりないものになる
はずです。
おそらく最後の一文については「誤解に基づくものだ」とおっしゃるかもしれません。
そしてその誤解とは、「豊かさ、を言うならば、それはむしろ真理条件のほうを問題に
すべきだ」と。そして私はこう答えることになると思います:「なら名詞句の意味の
豊かさも真理条件のほうへ移してもよいのでは?」
文脈原理にも留意し、さらに「そもそも真理値とは定義上、命題の外延である」という
ことにも留意したいと思います。さらに
>>68では、名詞句は、命題に対応する文の部分構造である
動詞句とまず対比すべきでは?と発言したこともご考慮いただければ、と思います。しかし
それでもなお、「定義上そうすべきではない」という概念的基盤からの方向性に対し、
経験の側から異議申し立てがあった、と私は認識しています。もちろん、やはり「前提」と
いうことへの十分な配慮が必要だ、ということも忘れないようにしたいと私は思っています。
それから今気づいたのですが, >68の引用番号は'67'ではなくて'66'デシタ。
67さん、66さん、ゴメンナサイッ!
しまったー!
>>85を読む前に投稿してしまいマスタ。陳謝。この点を加味して
お読みくだサイ(って怠慢?)
88 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/10 13:30
>83-84の補足II
顔文字先生が懸念している叙実動詞の場合について一言。
>83の冒頭で触れた通り、前提として真偽が問題になることと
意味値として真理値をとることは独立した問題であると考える
のが伝統的に支持されている。フレーゲは明示的にではないが
この考えに与していると思われる。ラッセルは前提という考え
自体を嫌ったためこの考えをとらないが、ストローソンとの
論争を考えると、意味論をやる人間としてはこの考えを採用
した方が無難であるとする人が多いように思える。
実際Karttunen&Petersが前提の理論を形式的に展開して以降は
この考えにもとづいた前提の理論が圧倒的である。例として
Stalnaker-Heimラインの前提の理論をあげてみる。この流派では
発話の前提を、発話の文脈における誠実性条件(faithfulness
conditions)とみなす。>83-84に即した例を考えると、
発話「α regrets [derived NP]」が文脈cに対して誠実である
必要十分条件は[derived NP]に対応する命題が文脈cにおいて
真であることである。
という誠実性条件が与えられる。この誠実性条件とは関係しては
いるが区別して文の意味値である真理条件を与える。すなわち
もし発話「α regrets [derived NP]」が文脈cに対して誠実である
ならば、その発話が文脈cで真であることの必要十分条件は
文脈cにおいてαが[derived NP]のさす事態について遺憾に思って
いることである。
89 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/10 13:32
>86 こさかな先生、的確な指摘ありがとうございます。
全くその通りだと僕も思っております。
>88さん
前提に関する議論で気をつけないといけない、と考えられることは
その議論が事態名詞でない名詞を含む名詞一般に簡単にあてはまって
しまうことだと思います。
The present king of France is the beggets a○s that I've ever met.
といっても
The enemy's destruction of the city is the beggest a○s...
といっても、どちらにも上で挙げてくださった誠実性条件が適用される
ことで全体が真であると見なされる。確かにDavidsonの議論から
事態を個体と見なし得ると考えていいわけですが、これを踏まえて
上の議論は、誠実性条件でも事態を個体として扱って良い、と
言っているにすぎない、ということになりはしないでしょうか。
もちろんこの議論は即座に、だから個体も常に事態と同じように
扱っていいのだ、ということにはならないでしょうが、間を
埋める議論があればそういえないとも限りません。
仮にそうだとしてすると、「個体は一般に、その外延を真偽値と
する」ということも分析的に出てくることになりそうです。
しかしこれは明らかに変な命題です。
そうすると、88さんの議論を踏まえて先へ進もうとする時に
必要なのは、事態にはこういうことが成り立つが個体には成り立たない、
そして事態名詞にはそれは成り立たない、というようなことかなー、
と思います。
うーん、アポリアだ。
>the beggets a○s
これどういう意味?
訂正しマス。
the beggest a○s > the biggest as○
深謝。
こさかなしゃん、おちけつw
こさかなしゃん、もちつけw
>「個体は一般に、その外延を真偽値とする」ということも分析的に
出てくることになりそうです。
個体という観念自体が√みたいな抽象的なものでなければ、原理的に
いかなるモノもそれ自体でpredicationの役割を果たしうるreflexiveな
ありようとかそういう方向での考え方はどうなんでせう?
exitential closureとかtype shiftingとか、最近だとcoercionとか、
なんかうまくいかんもんでしょうかね?
96 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 12:04
>90 こさかな先生への返信
> 前提に関する議論で気をつけないといけない、と考えられることは
> その議論が事態名詞でない名詞を含む名詞一般に簡単にあてはまって
> しまうことだと思います。
> The present king of France is the beggets a○s that I've ever met.
> といっても
> The enemy's destruction of the city is the beggest a○s...
> といっても、どちらにも上で挙げてくださった誠実性条件が適用される
> ことで全体が真であると見なされる。
ここで指摘されている事実は、正しいのですが、単に派生名詞句が確定
記述であるからに過ぎません。あまりいい例が思い付かないのですが、
John witnessed a murder of a cock robin.
この場合、誰かが駒鳥を殺したことは前提されているというより主張の
一部であると思われます。この文を否定でテストしてみると
John didn't witness a murder of a cock robin.
この文では、否定が広いスコープをとる読みでは、誰かが駒鳥を殺した
ことは主張も前提もされていません。ところが次の文では誰かが駒鳥を
殺したことは前提されています。
John knows a murder of a cock robin.
前提なので否定のテストにかけてもその前提が残ります。
John doesn't know a murder of a cock robin.
97 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 12:22
>90 こさかな先生への返信II
> 確かにDavidsonの議論から
> 事態を個体と見なし得ると考えていいわけですが、これを踏まえて
> 上の議論は、誠実性条件でも事態を個体として扱って良い、と
> 言っているにすぎない、ということになりはしないでしょうか。
> もちろんこの議論は即座に、だから個体も常に事態と同じように
> 扱っていいのだ、ということにはならないでしょうが、間を
> 埋める議論があればそういえないとも限りません。
まず、僕がthe enemy's destruction of the cityの意味値について
論文を書けといわれれば、それは事態であるという論文になると
思います。Event Semanticsに精通しているわけではないので、
今具体的にそれを擁護するような議論はできません。あしからず。
次に、事態を個体として扱っていいかという問題に関しては、
技術的には全く問題ありません。またその設定の仕方によって
哲学的な帰結が変わってくると思います。
事態と通常の意味での個体を区別しない存在論は、Kratzerが
彼女流の状況意味論の中でとった存在論とおなじと看做していい
でしょう。
しかしやはり事態と通常の意味での個体を区別する存在論を
仮定する方が意味論を作る上で、よりわかりやすいもので方途で
あると思います。
98 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 12:48
>90 こさかな先生への返信III
> 仮にそうだとしてすると、「個体は一般に、その外延を真偽値と
> する」ということも分析的に出てくることになりそうです。
> しかしこれは明らかに変な命題です。
> そうすると、88さんの議論を踏まえて先へ進もうとする時に
> 必要なのは、事態にはこういうことが成り立つが個体には成り立たない、
> そして事態名詞にはそれは成り立たない、というようなことかなー、
> と思います。
いくつかの前提に誤解があるようなので、ここで確認しておきたいと
思います。
まず僕にとって、個体、事態、命題、真理値、等々はモデル理論的
対象であり、その外延は何かという疑問は無意味です。つまり個体
自体が何らかの表現の外延であり、さらにそれが何かを意味(指示)
しているということはありえないのです。
つづく
99 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 12:49
>90 こさかな先生への返信IV
つぎに、事態、命題、真理値は、関連があるにしても、それぞれ独立
した対象であるので、同一視してはいけない、ということです。特に
事態は成り立つか成り立たないかだから、真理値に相当する、と考える
のは論点先取になります。僕個人の考えでは、(1)事態と命題との
間に(1対1とは限らないが)対応があり、(2)命題は文脈あるいは
可能世界を与えると真理値を返す関数とみなせます。
しかし事態と真理値には間接的にしか関係しません。事態を>97で
述べた通り個体と看做せば、真理値との関係はモデルによるのだと
僕は考えるわけです。
最後に事態と事態をさす名詞について、意味論的には事態がどういう
種類の個体かという哲学的な議論をした上で、事態をさすと思われる
名詞がその議論にもとづいて実際に事態をさしていると看做していい、
という具合に意味論を作ることが大切であることに異論ありません。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 12:52
>97 訂正
> しかしやはり事態と通常の意味での個体を区別する存在論を
> 仮定する方が意味論を作る上で、よりわかりやすいもので方途で
> あると思います。
より分かりやすい方途であると思います。
>>96 aをanyに変えても、存在前提は残りますか?
John doesn't know any murder of a cock robin.
>John doesn't know any murder of a cock robin.
ambiguousな気がするが。。。
横レス失礼します。素人質問で申し訳ないのですが、一連の議論で言われている「事態」という
用語の原語は何ですか?
少なくとも、主語が一人称だったら、存在は前提されないだろう。
I don't know a murder of a cock robin.
>「事態」という用語の原語
eventだと思って読んでますが、違うのかな?situation?
106 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 13:47
>101さん、
>102さんがいうように、確かに微妙ですね。
前提のテストは完全に信頼できるものではないということは
いろいろ議論されています。特に否定はラッセルの確定記述に
関する議論からも分かる通りいろいろと怪しいところもあります。
すなわち、
The present king of France is not bald.
は現在のフランス国王の存在を前提する読みとしない読みがある
のが知られています。
その点でテストとして否定を持ってきたのは失敗でした。しかし
以下の様相可能の文脈に埋め込むテストはどうでしょう?
Maybe John witnessed a murder of a cock robin.
もちろん様相可能のスコープが広い読みで、この文全体では誰かが
駒鳥を殺したことは前提も主張もされていません。しかし、
Maybe John knows a murder of a cock robin.
この文は、英語のネイティブではないですが、僕の判断では前提が
あると思います。
>>98さん
わー、混乱してました。個体はそれ自体がなにかの外延ですね。
すみませんでした。おつちきマス。
しかしそれはそうと、命題自体がモデル理論的対応物、というのは
いいんですか?
取り急ぎ。部分的ですまそです。
108 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 13:49
>103さん、 >105さん、
事態はeventのつもりで使っています。紛らわしくてすいません。
109 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 13:54
>104さん、
主語に一人称、二人称がきた場合の叙実動詞の前提の扱いは
さらに複雑になります。前提があるかないかの問題のときは
一人称、二人称を避け、一人称、二人称がきた場合の叙実
動詞の前提は別問題とするのが一般的だと思います。
110 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 14:01
>107 こさかな先生、
命題をモデル理論的対象としていいかどうかは、確かに
議論すべき点でした。軽卒ですいません。
>99で述べたように、僕は命題を「文脈または可能世界を
与えると真理値を返す関数」とする仮定をとります。>98-
99の書き方では、この仮定が論理的な帰結であるかのように
誤解させてしまいますね。訂正してお詫びいたします。
eventって日本語訳いろいろありますね。
事象、事態、出来事
いろいろと言ってもこの3つくらいか。
因みに、上の3つはinterchangeableに使われ(て)ますよね?
>>106 問題の文は、次のような文脈において現れることができるのでは
ないでしょうか?(私もネイティブではないので、断言はできない
のですが)
I don't know if they murder any cock robin, but maybe John knows
a murder of a cock robin.
>>109 もし、前提ということで、もっぱら、動詞が(語彙的意味の一部として)
要請する意味論的な前提というものを考えておられるのなら、
主語の人称の違いで、前提が生じたり生じなかったりすることは、
基本的にありえないのではないでしょうか。逆にいえば、もし、動詞know
が語彙的な意味の一部として、目的語の事態が存在すること
を前提するのであれば、
I don't know a murder of a cock robin.
は、意味的な矛盾を生じさせて、非文になることが予測されるのでは
ないでしょうか。
すなわち、主語の人称の違いで、存在前提が生じたり生じなかったり
するということは、その前提が、単に語用論的な要因によって生じる
前提にすぎないということを意味しているのではないでしょうか。
113 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 14:13
>111さん、
そうですね。僕が見た限りでは、eventの訳として
事象を好むのはlexical semantics、事態を採用するのは
Event Semantics、出来事を使うのはSituation Semantics、
という印象を受けます。
さらに混乱を招くのは、Situation Semanticsでは事態を
state of affairsの訳語として使っているようです。
自分で使う際にきちんと定義し直す必要がありますね
(interchangeableに使うにしても)。
>>111 漏れは、次のように訳語を使い分けています。
event: 出来事 (生起的な事象)
state of affairs: 事態 (原子的事象)
eventuality: 事象 (最も包括的な概念)
115 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 14:29
>112さんへの返信
>
>>106 > 問題の文は、次のような文脈において現れることができるのでは
> ないでしょうか?(私もネイティブではないので、断言はできない
> のですが)
>
> I don't know if they murder any cock robin, but maybe John knows
> a murder of a cock robin.
>112さんも危惧されている通り、まずこれはネイティブにチェックして
もらった方がよさそうです。僕の判断ではこれは容認可能ではありません。
(I don't know if anyone kills any cock robin, 〜の方が、より>112さんが
示したいことを意図していると思います。)
もし容認可能だとすると、>112さんが考える通り文全体としては
誰かが駒鳥を殺したことを前提していないことになるでしょう。
しかしこの場合前提が適切な意味でキャンセルされている可能性も
あります。つまり、広域的な文脈と前提とが併存可能でないために、
文全体としては問題の前提を持たないのだ、と考えることができます。
>>115 ということは、すなわち、
>>115さんは、動詞の語彙的意味の一部として
存在する意味論的な前提もキャンセルされうるとお考えなのでしょうか?
>>104氏の言う人称の問題ですが、
(a) I don't know a murder of a cock robin.
(b) She doesn't know a murder of a cock robin.
この二つの場合、aは話者が同時にある種の主語経験者?として命題に
commitしているのに対して(場合によっては
>>112氏の予測する意味的な
クラッシュが生じる?)、bでは、話者だけが命題にcommitし、主語経験者は
commitしない、ということですよね、大まかには。
語用論と言えば語用論かもしれません。
>>117 >(a) I don't know a murder of a cock robin.
>(b) She doesn't know a murder of a cock robin.
はい。私がアポリアだと考えているものは、bでは主語(she)は
「駒鳥が殺された」という命題をcommitしていなくても、話者はknow
の目的語として現れているこの命題にcommitしなければならない
というのなら、aのように話者=主語(I)の場合は、文全体が表す意味と
knowが要求する前提の間に、「意味的なクラッシュ」が生じるのでは
ないかということです。
119 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 15:00
>112さんへの返信II(>116への回答も含む)
>
>>109 > もし、前提ということで、もっぱら、動詞が(語彙的意味の一部として)
> 要請する意味論的な前提というものを考えておられるのなら、
> 主語の人称の違いで、前提が生じたり生じなかったりすることは、
> 基本的にありえないのではないでしょうか。逆にいえば、もし、動詞know
> が語彙的な意味の一部として、目的語の事態が存在すること
> を前提するのであれば、
> I don't know a murder of a cock robin.
> は、意味的な矛盾を生じさせて、非文になることが予測されるのでは
> ないでしょうか。
>
> すなわち、主語の人称の違いで、存在前提が生じたり生じなかったり
> するということは、その前提が、単に語用論的な要因によって生じる
> 前提にすぎないということを意味しているのではないでしょうか。
整理させて下さい。僕が前提というときは上に示したようにStalnaker-Heim
流の誠実性条件をもとにして考えます。僕はこの誠実性条件は意味論と
語用論の橋渡し(接点、interface)の一つであると考えております。
つまり誠実性条件を定義する時、一方で「文脈」や「誠実である」といった
語用論的概念を使い、また一方で「真である」といった意味論的概念を
使っているわけです。
このように捉えた前提を、例えば叙実動詞の語彙的意味にひとつひとつ
明記するかしないかは、理論の立て方によると思います。僕個人の考え
では、叙実動詞の意味的なクラスが適切に定義できるという仮定の元に、
人称に関する語用論的な現象を、文脈と言語使用者の基本的な関係からの
帰結と考え、語用論の範囲で叙実動詞と人称の(体系的な)関係を明らかに
すれば、人称に関する前提の問題も解けると思います。
>>105 >>108 レスありがとうございます。なるほど、event ですか。それでやっとすっきりしました。
私、哲学系の人間なのですが、「事態」というと Sachverhalt / state of affairs のことを
思い浮かべてしまいました。ちなみに哲学だと通常、
event → 「出来事」
state of affairs → 「事態」
と訳されています。
Sachverhalt という語を哲学用語として導入したのは、おそらく19世紀末ドイツの Lotze や
Stumpf が最初だと思われますが、Wittgenstein が _Tractatus_ でこの用語を採用し、それ
を Anscombe が英訳したさいに state of affairs となりました。ただ state of affairs という
存在者は存在論的身分がはっきりしないためか、その後の英米圏の哲学においてはあまり
浸透しませんでした。
一方 event は、時空位置を特定することによって identify することができると考えられる
ため、物理的対象とみなすことができ、それゆえ Quine や Davidson といった物理主義的
傾向を持った哲学者にも採用されました。つまり event のほうが存在論的に「健全」だとい
うわけです。
このあたりの用語法は言語学と哲学とで微妙に違うようですね。気をつけねば…。
>>103 くコ:彡さん
'event'を「事態」と書いて混乱させてしまったのは、私のせいデス。
すまそデス。
ところで、番号でもいいですから発言者がidentifyできるように
する、というのはいかがでしょうか?ちょっと珍しく意味論スレが
ドトーのようにすすんでるもんすから・・・
>121への自己レスですが
わー、112さんがすでにそうされてるるるる
後手後手ですがお許しを。
123 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 15:37
>112さんへの返信III(>118への回答)
>112さんの基本的な疑問は、もし意味論で叙実動詞が
その補部の真理性を前提するならば、I don't know 〜という
文は、一方で意味論が補部は真だといい、他方で一人称と
否定の組み合わせから語用論が補部は偽だというから、
自己撞着が起こり非文になることが間違って予測されるのでは
ないかということだと思います。
ここで否定の前提に関する振る舞いについて考えたいと思います。
僕は否定を前提があるかないかのテストとして使ったのですが、
否定が時に前提を投射しないことがあるという点から考えて、
テストとして用いるのは失敗だったと述べました。
つまり、
The present king of France is not bald.
が現在のフランス国王の存在を前提しないときは、否定によって
その前提がブロックされていると考えるのが妥当だと思われます。
つづく
124 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 15:43
>112さんへの返信IV(>118への回答)
同じく、
I don't know a murder of a cock robin.
も叙実動詞の前提が否定によってブロックされている、という
具合に考えるわけです。
そこで次のように定式化してみようと思います。
もし発話「S」が文脈cに対して誠実であれば、
発話「not [S]」が 文脈cにたいして誠実である
このように定式化すると、発話「S」が文脈に対して誠実でなくても、
発話「not [S]」が文脈cに対して誠実であることもあり得ることに
なります。したがってこの定式化にもとづくと、I don't know 〜は、
補部を真であるとするknowの前提は文脈に対して誠実でないのですが、
文全体としては誠実であっても良いこととなります。
125 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 15:45
>>124訂正
> もし発話「S」が文脈cに対して誠実であれば、
> 発話「not [S]」が 文脈cにたいして誠実である
もし発話「S」が文脈cに対して誠実であれば、
発話「not [S]」も 文脈cにたいして誠実である
丁寧なレスを有難うございます。
ちょっと、私自身に、前提という概念というちょっと興味を惹かれている
ところがあったので、やや細かな突っ込みをいれてしまいました。
とはいえ、冷静に考えれば、believe that ... と know that ... の意味の
違いを説明するには、多かれ少なかれ、動詞knowはそれに続く
that節の内容が真であることが前提しているが、動詞believeはその
ような前提を持たないと説明する以外にはなさそうですから、
動詞knowについて、「語彙的意味の一部としての意味論的前提」
という考えを否定するのは難しそうです。
その一方で、やはり、knowが目的語としてeventを表す名詞句を取る
場合と、目的語としてthat節をとる場合は、やや違うような気がするの
です。
a. Maybe John knows that a cock robin is murdered.
b. Maybe John knows a murder of a cock robin.
すなわち、aとbを比べると、私は、aに関しては、次のcの解釈は難しい
が、bについては、この解釈ができそうに思うのです。
c. Maybe (some cock robin is murdered and John knows about this).
まあ、aとbの間に、eventの前提に関するこのような差があるかどうかは、
ネイティブに確認しなければわからないのですが。
このような問題は、派生名詞の意味論というテーマについて、
重要なポイントになるのではないかと考えています。
>>123-124 また、細かなツッコミで済みませんが、
>I don't know a murder of a cock robin.
>も叙実動詞の前提が否定によってブロックされている、という
>具合に考えるわけです。
ということなら、三人称が主語の
She doesn't know a murder of a cock robin.
では、否定が前提をブロックしない(ようにみえる)のは何故なんでしょうか。
この場合は、notという否定オペレータが前提の投射をブロックする
というよりも、I don't knowという全体が一種のオペレータとして働いて
ブロックするということになるんでしょうか。
129 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 16:30
>112さんへの返信V(>128への回答)
>
>>123-124 > また、細かなツッコミで済みませんが、
> >I don't know a murder of a cock robin.
> >も叙実動詞の前提が否定によってブロックされている、という
> >具合に考えるわけです。
> ということなら、三人称が主語の
> She doesn't know a murder of a cock robin.
> では、否定が前提をブロックしない(ようにみえる)のは何故なんでしょうか。
>
> この場合は、notという否定オペレータが前提の投射をブロックする
> というよりも、I don't knowという全体が一種のオペレータとして働いて
> ブロックするということになるんでしょうか。
もっともな疑問です。ただし僕が>123-124でしめしたのは、
ブロックできる、ということであって、いつもブロックする、
ということではない、ということに注意して下さい。
> She doesn't know a murder of a cock robin.
この場合ブロックしていないのは、大局的な文脈と前提が
矛盾しないからです。
I don't know 〜を使うときは、大局的な文脈が話者の知識と
一致するために、前提と話者の知識が矛盾する。ところで、
否定には前提をブロックできるオプションがある。したがって
I don't know 〜を使うときはそれを利用しよう、ということに
なるのです。
つづく
130 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 16:43
>112さんへの返信V(>128への回答)
さて三人称の話に戻ると、前提をブロックするオプションが、
オプションであるのだから、使えてもいいはずです。
僕個人の直観から考えると、実際使っているような気がします。
ちょっとずるいですけど、次の文はレトリックとしてそんなはずない
ということを意図して使うはずです。
No one knows a murder of a cock robin.
あるいはevenをつかって、
Even the most quick-eared student does not know a murder of a cock robin.
自然な例は思い付かないですが。
131 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/11 16:47
>>129訂正
> I don't know 〜を使うときは、大局的な文脈が話者の知識と
> 一致するために、前提と話者の知識が矛盾する。
I don't know 〜を使うときは、大局的な文脈が話者の知識と
一致し、かつ前提と話者の知識が矛盾するために、前提と
大局的な文脈が矛盾する。
すみません、遅レスになってしまいましたが、まだ部分レスで
もうしわけないです。
>>98,
>>99 ありがとうございました。納得しました。
eventとindividualの存在論上の地位を明確に分けられる理論が
あったら一挙に解決しそうですね。でも今存在するのでしょうか。
まだ少し、eventが成立する、というと、individualが存在する、というのとの違いはことばの違いだけのような(これはこれでいいのかな?)この件に
関しては、JackendoffのようにENTITYをelaborateして、
THINGあるいはEVENTにしていくという認知的装置はあるがままを
理論にしただけで解決を先送りにしているような気もします。
精神の構造がそうだから、では、今度はじゃあderived nominalを
文として使えないにはなぜ?と思ってしまいます。Jackendoffの
理論では意味がそもそも対応するconceptual primitiveで真とか
偽とか言わないわけですけど、時制を扱えない、という批判は
あって本人も自覚しているというようなことを読んだ気がしますが
それより99さんたちがいうように時を含む、世界の指標を
真理値に写像するという考えに前提の適切な理論を加えた方が
より分節化された理論になりそうですね。
そもそもgerundiveだけじゃなくて、derived niminalなんかがあるから
悪いんだ、という気分になってます。とほほ
くコ:彡さん、哲学の専門家からのコメント、勉強になりました。
どうもです。
前提の話が結構すすんでますね。私はまだちょっとフォロー
しきれてないですが・・・
すみません、では続きをドーゾ、です。
>>129-130 レスどうも。
自分なりに理解してみたんですが、こういう感じでしょうか。
否定とか様相文脈は、前提をブロックする力があるが、この力は常に
発動されるわけではなく、その力がないと、文の自然な解釈ができない
ような場合にしか発動されない。例えば、
>I don't know a murder of a cock robin.
において、knowの目的語の前提がブロックされるのは、
この前提がブロックされない限りは、この文に
自然な解釈ができないからである。
とはいえ、
>She doesn't know a murder of a cock robin.
においても、そのようなブロックされた解釈は、原理的に可能であるが
この文は、そのようなブロックがなくても自然な解釈が可能であるため、
ブロックされた解釈の方は感じにくい。
つまり、前提がブロックされることは、文が自然な解釈を持つため
の「最後の手段(last resort)」的なものであるということ?(すなわち、
ブロックされなくても自然な解釈が可能であれば、ブロックがもたらす
解釈は生じにくい。)
112さん
>>126 節補文と名詞句補文の解釈がどう違うか、というのは私も
関心があります。believeの例を考えると
a. A cock-robin was murdered, but I can't believe it.
b. A cock-robin was murdered, but I can't believe in it.
前者は節補部が要求されるのに対し、後者は名詞句補部が
要求される。辞書的に考えると、前者はイベントの生起の事実を
受け入れることができない、という解釈、後者は単に
容認できない談話になるのではないかと予想します。
後者はそれにもかかわらず
c. I can't believe in a murder of cock-robin.
は言えそうな気がします。事実はどうなんでしょう・・・
>>134 レスありがとうございます。
>a. A cock-robin was murdered, but I can't believe it.
>b. A cock-robin was murdered, but I can't believe in it.
>前者は節補部が要求されるのに対し、後者は名詞句補部が
>要求される。
とりあえず、こういう感じでしょうか。
Mary couldn't believe that his husband was murdered.
Mary couldn't believe in the murder of his husband.
*Mary couldn't believe the murder of his husband.
*Mary couldn't believe in that his husband was murdered.
>辞書的に考えると、前者はイベントの生起の事実を
>受け入れることができない、という解釈、後者は単に
>容認できない談話になるのではないかと予想します。
このような意味的な対立は、日本語だったら、可能形(受動形?)と
能動形との対立で表せそうですね。
○コックロビンが殺されたが、私にはそれが信じられない。
×コックロビンが殺されたが、私はそれを信じない。
>後者はそれにもかかわらず
>c. I can't believe in a murder of cock-robin.
>は言えそうな気がします。事実はどうなんでしょう・・・
I can't believe in a murder of cock-robin, but in fact, it happened.
と続いたらどうなりますでしょうか?
英語だと直観がないので、ちょっと日本語で考えてみました。
日本語では、「知る」と「信じる」で、前者は「〜ことを」などの名詞的な
節を補部としてとる傾向があるのに対して、後者は「〜と」という非名詞
的な節を補部としてとる傾向があるようです。
太郎は妻が浮気していることを知っている。
?太郎は妻が浮気していると知っている。
?太郎は妻が浮気していることを信じている。
太郎は妻が浮気していると信じている。
もちろん、これは絶対的な使い分けではないと思いますが、それでも、
この使い分けの傾向は、名詞的な節は、その節が表す命題の真を前提
するが、「と」で引用された節は、その節が表す命題の真を前提しない
からということで説明できそうです。
>>136 その話、むかし飯田隆先生が論じておられましたね。
飯田隆、「知識論のためのノート (I)」、熊本大学文学部編、『文学部論叢』、第14号、1985年。
II は結局書かれませんでした。・゚・(つД`)・゚・
内容もほとんど忘れてしまいました。・゚・(つД`)・゚・
>>137 85年といえば、「大全」のTが出る少し前くらいでしょうか。
でも、最近の飯田先生の研究の方向性を考えると、また、日本語の
信念文に関する意味論について何か書かれるかもしれませんね。
112さん>136
私も直観がある日本語でちょっと考えたらいいかな、と思っていたところでした。
参楠デス。
>太郎は妻が浮気していることを知っている。
>?太郎は妻が浮気していると知っている。
>?太郎は妻が浮気していることを信じている。
>太郎は妻が浮気していると信じている
これはやはりコト補文とfactivityの関係なんでしょうね。
で関係があるかわかりませんが、complex event nominal(CEN)についても考えてみたいと
思います。「浮気する」は自動詞でもあるので、他動詞と関係があるCENで
考えたいと思います。例えば「輸送する」など。このような動詞に関係する名詞では、
外項があったら必ず内項もなければなりません。
フランスの核燃料の輸送(は日本の世論を刺激した)
*フランスの輸送(は日本の世論を刺激した)
このことから、「フランスの核燃料の輸送」の「輸送」はCEN、つまりここで問題となっている
derived nominalと同じ性質の名詞であることになります。「フランス」をAgentとして、
これを「知っている」「信じている」の補部におくと
a. 日本国民はフランスの核燃料の輸送*(のこと)を知っている
b. 日本国民はフランスの核燃料の輸送(*〜?のこと)を信じている
と、私の判断ですが、a.では「のこと」が必要、b.では「のこと」があると逸脱性を
感じるか、よくて不自然です。もしかすると
c. 日本国民は首相(のこと)を信じている
とかと関係あるのかなー どの程度今の議論と関係あるかわかりませんが、思いつきスマソです。
くコ:彡さん>137
図書室でさがしてみまつ。情報ありがとデス。
それから、くコ:彡さんの影響で昔の名前で出てみました。
>>139 質問なんですが、「complex event nominal」ってどういうものでしょうか?
他動的な動詞(unergative?)のnominalということ?
それはderived nominalとは違うものなのですか?
あと、「浮気」と「輸送」では、「信じる」の目的語になると容認性に
違いが出るということでしょうか。
太郎は妻の浮気を信じている。
日本国民はフランスの核燃料の輸送を信じている。
確かに、後者の方が容認性が低いようにも感じられるのですが。
前にも少しふれましたが、complex event nominalというのは
Jane Grimshaw(1990)_Argument Structure_の用語で、eventが
時間局面的内部構造を持つもので、普通のnominal(本、など)、simple event
nominal(出来事、など)と区別されます。前者の後者との違いは
動詞と同じように項構造をもつという点です。「出来事」という
名詞は確かにeventを指示しますが、時間局面的内部構造を
持たず、項構造を持ちません。「出来事」はある過程の結果と
して生起するもので、「本」が書くという過程の結果として
現れるのに似ています。「出来事」は「きょうの出来事」のように
属格要素を伴いますが修飾要素しか許さず、項は現れません。
「ハマコーの本」の「ハマコー」に並び比せられます。
(しかし普通の名詞にもある要素が飽和状態のために必要な
ものがありますが、ここでの「項」とは区別します)
多義的なものと一義的なものがあり、Grimshawはexaminationを挙げていますが、
その単なる短縮形にみえるexamは一義的にsimple event nomonal
です。
ではここでの問題との関連ですが、扱うべき名詞はcomplex event
nominalでなければなりません。「浮気する」は「xがyと」という
二項動詞と「xが」という一項動詞のどちらでもありえ、さらにその
関係する名詞「浮気」はsimple event nominalでもありうるのでは
ないか、と考えました。それが「輸送」を使った理由です。
さらにもんだいなのは、「信じる」がものを補部にとって
「あるものの存在を信じる」という意味や、「あるものやひとの
性質、発言などを信用する」という意味があります。たとえば
「UFOを信じる」が前者、「首相を信じる」は後者です。
このようなものを避ける必要があります。
それから英語ではderived niminalですが、日本語のverbal nounは
形態論的に動詞から派生されたものとはいえず、むしろそれから
動詞を派生します。ここであつかうべきderived nominalに限れば、
complex event nominalの下位類になります。
141は私でした。って、文章がめちゃめちゃなのでわかりますよね。
そういえば、112さんの例
太郎は[妻の浮気]を信じている
は
太郎は[妻が浮気している]と信じている
に比べると意味的にすっきりしない気がしますが、私だけでしょうか?次と比較:
太郎は[妻が浮気しているのではないか]と疑っている
太郎は[妻の浮気]を疑っている
英語では'suspect'は'believe'と違って'in'はいらないから、別扱いかナー
もちろん「疑う」は
太郎は[妻の話]を疑っている
のような'doubt'の意味もあるわけですけど、なんかこことの話となんか関係あるかな?
112さん
>>118 の、factive verbの主語が一人称の時、話者(一人称)がコミットしている補文命題が
真であることと、主節が主張することとの間にクラッシュが生じるのではないか、
ということについて。実は、前提のこと、あまり詳しくなくてその後の議論に
ついていけてないのですが・・・一段落したらご教示ください。
ところで、関連するかわかりませんが、
I don't know that she visited my room.
あるいは
私は、彼女が私の部屋にきたことを知らない。
という文が使えるのはどんな時にか、という疑問が生じました。
>>131さんが
おっしゃるように、
>I don't know 〜を使うときは、大局的な文脈が話者の知識と
>一致し、かつ前提と話者の知識が矛盾するために、前提と
>大局的な文脈が矛盾する
ということが通常の談話では生ずるのでしょうけれど、
小説とかでは使えそうな気がするのですが、
うーん、どっかで読んだ気がしますが、説明はどうなるかなー
omniscientな作者が補文命題が真であることにコミットし、
主節主語は「三人称化(?)」される、というのでいいのかなあ
同様に
私は、彼女が部屋に来たことを知らなかった
は確かに話者=「私」ですが、過去時制によって小説とかと
同じような説明になるのかなー。表示するとすれば
私(PAST)は、彼女が部屋に来たことを知らなかった
みたいな。
そういえば、上の問題ってde seとも関係あるのかなー
John Perry 1997. Indexicals and Demonstratives. in _Companion to the Philosophy
of Language_ Blackwells Publishers.
というのを見つけたのですが、なんか関係あること書いてないかなー(まだ読んでない)
このところ「かなー」ばかりで申し訳ないです。
もういっちょ。
>>139で
日本国民はフランスの核燃料の輸送*(のこと)を知っている
という例を挙げましたが、容認できない場合、すなわち、
*日本国民はフランスの核燃料の輸送を知っている
について、判断が正しいとすると、complex event nominalは日本語のfactive verbの
補部には生じない、つまり(性急に結論を出すと)complex event nominalは
真であることが前提となる環境には生じない、と言えるかもしれない。そしてこのことは
少なくとも日本語に関しては、complex event nominal、すなわち問題としていた
derived nominalに対応するような名詞句が真理値を持ち得るか、という問題は
その設定自体ができなくなるかもしれない。
しかし'regret'に対応する「遺憾だ」
日本国民にとって、フランスの核燃料の輸送は大変遺憾である
はよさそうなんですよねー 否定にして
日本国民にとって、フランスの核燃料の輸送は特に遺憾ではない
も良さそうで、「フランスの核燃料の輸送」があったことが前提と
されているような気がする。
ここで『新英語学辞典』でカンニングしたら、'know'はassertive factive、
'regret'はnon-assertive factiveに分類されてますた。このことが関係するのかなー
さらにもういっちょ。関係がある現象かわからないけど
McCawley1988._Syntactic Phonomena of English Vol.1_p.95より。
John's resignation from from his job came as a surprise.
*It came as a surprise John's resignation from his job.
gerungiveもダメだそーです。もっとも、これはsyntacticな説明が与えられそうですけど。
(itが必要な照合関係を全部して、後ろのderived nominalの素性が残ってしまう、等)
147 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/13 16:15
Adamasもビクーリのドトーの書き込み。
折角なのでageちゃおう。
訂正・・・
>146
John's resignation from from his job came as a surprise.
→John's resignation from his job came as a surprise.
gerungive
→gerundive
すみません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
前スレで速読話題になってましたけど、フォトリーディングの本持ってない人は
買ってから速読について考えてみてください。
今のところフォトリーディングを超える速読法って無いと思います。
フォトリーディングはいわゆる、文字を画像といて右脳に送り込む方法で・・・
難しい話は自分で本を読んでみて欲しいんですが、
速読さえ身につければ、英語だろう数学だろうがプログラムだろうが司法試験だろうが・・・
どんな学問だろうが、研究者並に習得できると神田さんが言っています。
少なくとも一日一冊の本を読むことが可能だそうです。
どんな種類の本にも対応しています。
もしかしたら、年間1000冊も夢ではないかもしれません。
現に、セキュリティサイトのアカデメイアの管理人イプシロンさんなんかは
年間1000冊以上読んでいます。
あの人にはマジビビリました
ちなみに、別にフォトリー関係のものじゃありませんよヾ(´▽`;)ゝ
私はこの本で一日3冊ほどの読書が可能になりました。
あまりにも凄い本だったからお勧めしてるだけです。
ソース:
http://atkinson-web.hp.infoseek.co.jp/atkinson/news_book.htm ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
150 :
(´∀`):04/02/14 06:55
シモネタだらけの生成スレから緊急避難してきますた〜w
「キミが好きだ〜」ってのと「キミのことが好きだ〜」ってのは、なんか違いあるにゃ?
あるいは「キミを信じてる」と「キミのことを信じてる」とかにゃ。
関係なさそですまそ。
きゃー!カオモジせんせ〜、こんにちはー!
Adama-chewしゃん、ひどいですネー
かかりしゃんとわたしのことも「むっつりシケベ」とかいって、
わたしは実は「みるからにシケベ」だということを目にもの
いわしてやるデスー あーカオモジせんせ、帰らないデー
(いや、多分今は寝てる時間カナ?)
ところでカオモジせんせの例は、実は心の中では今議論されている問題に関係している、と密かにふんでるデス。
「キミのことを信じてる」のほうは「話」とか「性格」とか、またはそういうふうに具体的な名詞でパラフレーズできなくとも、なんらかの実質的な意味を持つ
名詞で、「キミ」はその付加部、これに対し「キミのこと好きにゃ〜」
のほうはもしかして「リンゴの青いの」のような主要部先行型の関係節で、
この場合の「こと」は一種のDeterminerで、「キミ」は
「Detなし」、「キミのこと」は「Detあり」とか・・・
だからどーなる、とか先のことは考えてないのデスケド。
関係ないデスケド、さっき本屋で『のだめ〜』の作者、
二之宮せんせの指紋ミター!(しかしなぜ指紋を置くのだ、○善よ!)
152 :
(´∀`):04/02/15 02:58
ずーっと以前、心理動詞のことをやってた時に「ノコトのこと」にゃんてゆーworking titleでペーパー書きかけて
やめたことがあったにゃが(ドテ)、最初「のこと」が気になり出したのは心理動詞がらみで、
a) 自分の噂が太郎を苦しめている
b) (*)自分の母親が太郎を苦しめている
(b)のbackward bindingが成り立つとすれば「自分の母親」がagentではにゃく、単なるcauseの場合に限るとゆーのが、
より自然な表現としては「自分の母親のことが ... 」となるにゃろ、と思って、「のこと」がつくことで脱人格化すると
ゆーか、人物そのものではにゃくその人の属性が浮き上がる点に注目していたのにゃ。もちろん構造的には「のこと」が
つくことで「母親」がより大きなNPの中に埋め込まれ、c-command関係が変わるというのもあるのにゃが。
これがはっきりするのが
c) *自分が太郎を苦しめている
d) 自分のことが太郎を苦しめている
みたいな対比かにゃ。
153 :
(´∀`):04/02/15 02:58
で、上の believe vs. believe in と「キミを信じる」「キミのことを信じる」それぞれの間の意味的な違いもこんな感じ
で言えるかとも思ったのにゃが。
ついでに know vs. know of とか hear vs. hear of とかも関係するかにゃ。
Do you know Noam Chomsky? - No, I don't know him personally. But I know of him, of course.
なんてにゃ。
factivityとの関連にゃが、英語でも昔、factive verbの補文は実は
I regret (the fact) that John married Mary.
みたいに隠れたcomplex NPになってて、だから取り出しができないなんて分析があったにゃが、この(the fact)の
部分が日本語では「のこと」として顕在化することがあるのかもにゃ。
またまた関係稀薄でスマソ。
Adama-chewしゃんも見てるから、言葉遣いに気をつけないと、デスw
(昨晩は真ん中の足が擦り切れて、オロナインを塗ってマス)
カオモジせんせ、ありがとデス。>152
先日、ちょっとある流れで心理動詞のことを考えていて、
a. 自分の母親が華田を悩ませている
b. 自分の母親が華田の悩みだ(a la meawけしゃん)
はいいが、
c. 自分の息子が三田を怖がらせた
は「*」で、一方
d. 自分の息子が三田の恐怖だ
は完璧に大丈夫、と思いましたが、a,b,dについては「のこと」を
入れた方がいいデスネ。私は判断ゆるかったかも・・・
cは「のこと」をいれてもダメだと感じますが、これは
「怖がらせる」が'frighten'に対応せず、「笑わせる」とかに
近い様態動詞なのカナーfrighten classに入りそうな「恐怖を
引き起こす」と「笑わせる」で。
e. 自分の息子/のことが三田に恐怖をひきおこした
f.*自分の息子/のことが田中を笑わせた
>153
関係希薄じゃないとおもいますよー 少なくとも人に関しては
「のこと」をつけて「脱人格化」すると、「AがBであること」という
命題に近づいてるとおもうっす。
前掲の自分の例ですが
g. 日本国民はフランスの核燃料の輸送を信じている
h.?日本国民はフランスの核燃料の輸送のことを信じている
ここでも「脱人格化」のようなことが起こっていると思うの
ですよー でこの場合はそれは要らんことで、ちょっとおかしく
なる。もちろん私の判断が正しいということが前提ですけど、
判断がただしくないかモナー
(実は書いている途中で?を反対につけていた・・・)
156 :
(´∀`):04/02/16 10:50
>(昨晩は真ん中の足が擦り切れて、オロナインを塗ってマス)
_ト ̄|○
……いかん、こさかなしゃんのせいで俺まで下品になってしまうにゃん!
> c. 自分の息子が三田を怖がらせた
>は「*」で、
俺にはあんましピンとこにゃい(そんなに悪くにゃい)のにゃが、experiencer object型の心理動詞には
3種類あって、という分析を Maya Arad がしてるにゃ。
a. Agentive eventive(意図的に怖がらせる)
b. Non-agentive stative(恐怖の状態の原因になっている)
c. Non-agentive eventive(恐怖への状態変化を引き起こす原因となる)
従来の心理動詞の分析は(b)と(c)を区別してこなかった点が不備だというわけで、たとえば言語によっては
(c)の目的語は対格でありその中からの取り出しが可能、(b)は部分格で取り出し不可能、つまり(c)の目的語が
canonical objectである、ってなことを観察してるにゃ。
カオモジせんせ
> _ト ̄|○
くずおれて、なお戦闘態勢に入っている。人間、かくあるべし、デス・・・
ところで
>> c. 自分の息子が三田を怖がらせた
>>は「*」で、
>俺にはあんましピンとこにゃい(そんなに悪くにゃい)
うー、私も自分の判断に自信ナイですが・・・
教えていただいたMaya Arad(ちょと面白そうデス)の
>a. Agentive eventive(意図的に怖がらせる)
>b. Non-agentive stative(恐怖の状態の原因になっている)
>c. Non-agentive eventive(恐怖への状態変化を引き起こす原因となる)
のうち、「怖がらせる」は対格でcのはず、で、Belletti and Rizziはたしか経験者目的語は
部分格っていってましたよネ?Belletti and Rizziが扱ったのはbになるんでしょうカ?
でもって、canonical objectをもつpsyche verbでもback-ward bindingが見られる、
ということでショウ。
ところで、「悩ませる」「苦しませる」から使役接辞を取り去った「悩む」「苦しむ」の
目的語は与格を取る一方、「怖がる」は対格で、さらに主語の人称による、おそらく意味論的な
制限で選ばれる、「怖がる」と形態論的派生関係にある「怖い」は主格、っていうのが
なんか影響があるんだろうか、と考えていマシタ。例えば
a. 太郎(に)は自分の無意識のふるまいが怖い
a'. 太郎は自分の無意識のふるまいを怖がっている
a". 自分の無意識の振る舞いが太郎を怖がらせている
b. 花子(に)は自分の他人への強がりが悲しい
b'. 花子は自分の他人への強がりを悲しがっている
b". 自分の他人への強がりが花子を悲しがらせている
みたいに考えると、派生関係にある述語に形容詞があって、極めてcっぽいなー、
とか思ったりしてみたんですが、なんか判断に自信はないのがタマに傷。
158 :
Adamas:04/02/16 19:20
>>131しゃん
今日はちょいと時間がないので、
明日たっぷりレスさせていただきま〜っちゅ。
>>132 >Aさんって、やっぱCCCにはシンパシー感じてるの?
CCG(CC. ガールズ)にはシンパシー感じるけど、ところでCCCとは何ぞや?
ごみぃん、勉強不足でCCCって分かりまちぇ〜ん。
>>133 >チョコを齧りながら毒チョコ読み終わりますたにゃ(・∀・)!!
はやっ!
>毒チョコ購入を考えてらっしゃる皆しゃんへニャ。
>前半部分は専門知識ないと辛いかもにゃが、
>後半部分は大丈夫にゃし、刺激ににゃると思うニャ。
>ま、あとは判断におまかせーニャ。
好意的な感想をどうもでちゅm(_ _)m Adamasうれぴーでちゅ。
ちゅーか、その旨本人に伝えときまちゅ。ちゅーか、今更こんな茶番アホらし。
わしも改名して本名で出ちゃおうかな。はははは。ウソウソ。
これ→ _ト ̄|○ もHNにいいよな。お洒落でキュートで渋谷系だし。
Fredしゃんにとられる前にわしが使っちゃおうかな。はははははは。
PS. 逃走派しゃん、昼間にヘンなメール送ってごみんなちゃい。まだ見てないかな?
メールでも出さないとココで爆発しそうで怖かったのでちゅ。
わしキレるとマジで何すっか分からないから。ここでテロ起こしかねないしw
ほいじゃ、みゃた。
159 :
Adamas:04/02/16 19:23
こさかなしゃん、ごみぃ〜ん。投稿するとこ間違えちゃった。
こいつ→ _ト ̄|○ をカット&ペーストしてそのままココに投稿しちゃった。
ごみんなしゃ〜っいm(_ _)m
みなさん、ごみんなさぁ〜っい。過失です。過失です。
Adamasしゃん、おつかれデス。何か大変そうですけど、
タフマン飲んで、がんばってくだサイ。
しかしあのAA、すげー・・・
どこにアンカーを打ったらいいのかわからないんですけど。
(1) 奴が僕を殴った
(2) 奴が僕のことを殴った
みたいな例もありますけど、これってどーなんですかねとポツリといってみる。
まーコテハンを入れ忘れたけど、議論に加わるほどの自身がないのでいいか…
163 :
(´∀`):04/02/17 06:29
慌てもんが、またヘマしとるにゃ。
をい、アダマチュ、俺のオリジナルキャラ使うにゃらちゃんと使用料払うのにゃw
>>157 しょのとーりで、B&Rのはstative psych verb限定のハナシらしいにゃ。
取り出しに関して違いがある一方で、backward bindingについては同じふるまいをするってのが奇妙と
いえば奇妙にゃが、そのあたりはAradは こういうbinding自体をpragmaticなものとして片づけている
みたいなのにゃ。
「悩む」は対格でもいいけどにゃ、俺の場合。「学業不振を悩んでいる学生」、だめにゃ?
Pesetskyがいうところの target of emotion解釈に関係するのかもにゃ。
ちょっとムリして理屈つけてみると、「太郎は学業不振で将来を悩んでいる」に近いのは「学業不振に悩む」
であって「学業不振を悩む」ではにゃい、つまり悩みの直接の対象は学業不振ではないとゆー場合にニ格に
なるとゆー気もするにゃ。
これをテストするには、それ自体は悩みの対象になりにくいものをもってきて差があるか調べることにゃが、
太郎は父親から受け継いだ莫大な財産{に/??を}悩んでいる。
とか、どーにゃろ。財産自体は悩みの原因であって直接の対象ではにゃい、悩みの対象は財産の管理方法とか、
財産目当てに接近してくる他人たちとかである、という解釈だけどにゃ。
「何をそんなに悩んでいるの?」←これはちょっとインチキだけどにゃw
>>161しゃん
いや、どこにアンカーをおろしてもいいとおもいマスヨ。ひとまず、補部節の
真偽は、多分、前提との関係で扱われると思うのですが、今度は
・目的語補部節に限らず、埋め込み節には何にでも前提という扱いでいいか、
・factivityと「のこと」の関係、
・上を考えるための「のこと」一般のはなし
という感じになるかなー、と思いますケド。かってに整理しちゃいマシタ。
>>163 Arad(1998) Psych-notesというのを手にいれますたー
(便利な世の中になったものよのー)
165しゃん、ごっつぁん("心")デス。認知科学会デスネ。
記号論のケース・スタディ(1)
○
/?
_"〓〓?○_
なかなかあの域には達しないものデス・・・
168 :
(´∀`):04/02/17 15:17
>>164 Arad、DLしますた〜。
>>165 そーいえばT窪氏がやってたにゃ、「のこと」。
しかし
>>165読んでも、どうして随意的「のこと」が目的語の位置にしか現れず受動文や名詞化では
でてこれないのか、はよく分からんにゃ。
属性を表すんであれば、その属性が受動文の主語になったり名詞化の中にでてきたりしてもいーんでは
ないか、と思うけどにゃ。現に
1) 花子が/花子のことが 注目されている。
とか、いーにゃん? それでいうと、モダリティ云々で説明しようとしている
>a.*花子のことを殴った
>b. 花子のことを殴ってやりたい!
の差はそんなにハッキリしてるのか(cf.
>>161)、ってのもあるけどにゃ。
誰か解説してくれんにゃ?
>>161 > (2) 奴が僕のことを殴った
>>168 > >a.*花子のことを殴った
比べてみると確かに差あるにゃ。(2)は一人称ってのがミソにゃ?
「ぶったね、ボクのことをぶったね、父さんにもぶたれたことないのに〜」とかいうのは
何のセリフだっけかにゃw
>>163 >「悩む」は対格でもいいけどにゃ、俺の場合。「学業不振を悩んでいる学生」、だめにゃ?
あ、いいデス・・・
>ちょっとムリして理屈つけてみると、「太郎は学業不振で将来を悩んでいる」に近いのは
>「学業不振に悩む」であって「学業不振を悩む」ではにゃい、つまり悩みの直接の対象は
>学業不振ではないとゆー場合にニ格になるとゆー気もするにゃ。
でも、「怒っている」はどうでショ?どなりつける、しかる、のような時にゃら対格で
いいと思いマスけど、怒り、という心理状態の原因の場合、与格はよくて、対格は
ダメな気がしマス。でもこれってpsych verbなのかナー?
a. 社長は自分の不手際に怒っている
b. 自分の不手際が社長を怒らせている
なんかa.ではやっぱり対格要素が必要な気もしマスが、それが何なのかわからにゃいデス・・・
>169
ふと、「___ものだな、若さ故の過ちというものは」の「___」の部分が気になって
夜も眠れそうにありまセン・・・
「認めたくないものだな」とかナントカw
坊やしゃんが出てきそうな予感……
おもいだしますた!
「みとめたくないものだな、わかさゆえのあやまちというものは」
ほっ・・・
173 :
Adamas:04/02/17 18:08
をい、顔餅、
こんなところで油売ってんなっつーの。
早く家へ帰れっつーの。
お客が来てるぞっつーの。
わしにはホストつとまらんっつーの。
はっ!カオモジせんせが教えてくださってた・・・感謝デス。
坊やしゃん……
お久しぶりです。
今年に入ってからアクセス規制くらって書き込めない状態が続いてます。
今のところ、私自身Aradが踏襲したReinhart&Reulandのラインに賛成なんですが、
「自分の不手際が社長を怒らせている 」の「自分」が先行詞によってc-commandされ
ていると仮定するのなら、まず「自分」がlogophorである可能性を排除しないといけな
いんじゃないですか?これってものすごく厄介、というか無理だと思うんですけど。
ということで、以下の例で変項束縛の解釈は可能ですかね?
(1) a. 自分の欠点が誰もを悩ませている。
b. 自分の不手際が誰もを怒らせた。
あと、McGinnisの論文(UPennWPL)で日本語の心理動詞を扱ってますよ。ご参考ま
でに。彼女の分析だと「恐がる kowa-gar(-u)」-「恐がらせる kowa-gar-ase(-ru)」が
反例になると思いますが。
お久しぶりです。
今年に入ってからアクセス規制くらって書き込めない状態が続いてます。
今のところ、私自身Aradが踏襲したReinhart&Reulandのラインに賛成なんですが、
「自分の不手際が社長を怒らせている 」の「自分」が先行詞によってc-commandされ
ていると仮定するのなら、まず「自分」がlogophorである可能性を排除しないといけな
いんじゃないですか?これってものすごく厄介、というか無理だと思うんですけど。
ということで、以下の例で変項束縛の解釈は可能ですかね?
(1) a. 自分の欠点が誰もを悩ませている。
b. 自分の不手際が誰もを怒らせた。
あと、McGinnisの論文(UPennWPL)で日本語の心理動詞を扱ってますよ。ご参考ま
でに。彼女の分析だと「恐がる kowa-gar(-u)」-「恐がらせる kowa-gar-ase(-ru)」が
反例になると思いますが。
:坊や :04/02/17 22:05 ID:/EGE85//
よろしくお願いします。
【板名*】 言語学板
【スレ名*】 意味論II
【スレのURL*】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1075723621/l 【名前欄】 坊や@代理の方による投稿
【メール欄】 sage
【本文*】 ↓
お久しぶりです。
今年に入ってからアクセス規制くらって書き込めない状態が続いてます。
今のところ、私自身Aradが踏襲したReinhart&Reulandのラインに賛成なんですが、
「自分の不手際が社長を怒らせている 」の「自分」が先行詞によってc-commandされ
ていると仮定するのなら、まず「自分」がlogophorである可能性を排除しないといけな
いんじゃないですか?これってものすごく厄介、というか無理だと思うんですけど。
ということで、以下の例で変項束縛の解釈は可能ですかね?
(1) a. 自分の欠点が誰もを悩ませている。
b. 自分の不手際が誰もを怒らせた。
あと、McGinnisの論文(UPennWPL)で日本語の心理動詞を扱ってますよ。ご参考ま
でに。彼女の分析だと「恐がる kowa-gar(-u)」-「恐がらせる kowa-gar-ase(-ru)」が
反例になると思いますが。
坊やさん、代理の親切なかた沢山いるにょろね。
「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」
うーん、このセリフしびれますたにゃ。次のHNは「シャア」を漢字にして、
「あ」のとこに「アフォ」の「あ」を使うことにしようかにゃ。
それとルパン3世の次元がデザートイーグルを前にして「品のない銃は嫌いでねえ」
とレボルバー付きの銃に拘る職人振りも気に入りますた。これは(´∀`)先生も
次元と同意見なんでしょうかにゃ?それとも?
雑談、おじゃまいたしますた。
180 :
(´∀`):04/02/18 01:26
おっと予感的中、てか坊やしゃん3連発はキツ杉w
そういえば黒い三連星ってのもあったにゃ(遠い目
> (1) a. 自分の欠点が誰もを悩ませている。
> b. 自分の不手際が誰もを怒らせた。
bound readingで問題なしだけどにゃ、俺の場合。
> あと、McGinnisの論文(UPennWPL)
UPWPLはstanding orderのつもりが、最近全然送ってこんにゃ。
DMの連中は日本語の心理動詞よくやるにゃ。
俺もAradが気に入ってんだけど、よーするに
「心理動詞なんて特別なものはない」
「動詞の意味は語彙的ではなく統語的にしか決まらない」
ってあたりが俺的にもドンピシャにゃん。
181 :
(´∀`):04/02/18 01:27
>>170 「怒る」でペテちゃんが出してたのを日本語にアレンジしてみると、
a. 太郎は新聞記事に怒っている
b. 太郎は新聞記事を怒っている
(a)は記事が伝えている内容(官僚の不正とか)に対して怒り、(b)は記事自体(内容がデタラメとか)に
対して怒っている、とか違いがあるかも、ないかも、にゃ。
>>179 > それとルパン3世の次元がデザートイーグルを前にして「品のない銃は嫌いでねえ」
> とレボルバー付きの銃に拘る職人振りも気に入りますた。
ふにゃふにゃ、俺にこーゆーネタをふるのは考えもんにゃ。
なんせ俺は知る人ぞ知る○×△だからにゃ (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
しかし「レボルバー付きの銃」ってのは意味不明にゃ。
回転式弾倉=シリンダー付きの銃をリボルバー=回転式拳銃というのにゃんw
ちなみに次元のは S&W M19 Combat Magnum (口径.357 Magnum)、
マグナム弾を撃つにはM19のKフレームでは不安、ってので一回り大きくしたのが
Lフレームの M586/686 Distinguished Combat Magnum、でさらにその上が
Nフレームの M29/629、 あの有名な.44 Magnumにゃ。
坊やしゃんの来訪、感激デス……
MvGinnisが「怖がらせる」が反例というとき、形態論的に
よい、あるいはわるい振る舞いをするはずなにその反対、
ということですよネ。ちょとさがしてミマス。
>>169 人称制約があるとなると、T窪先生がたが言っているように
「心的行為」とか言うのは関わってくるかもしれないですね。
割り込んですいません。
うにゃ、俺がちょっと雑談すぎますた、本論の続きどぞ。
161しゃん>184
人称制限もそうかもしれませんけど、そもそもmodalityなしの節というのは
ないと思うので、どういったmodalityなのか、ということが大事かな、とか思います。
cited in
>>169 「ボクのことをぶったね」
ではネの存在が気になるし、ネをつけて
花子のことをぶったね
なら三人称でもよさそう。無標形
私のこと、ぶった?
花子のこと、ぶった?
も、「せんせ〜、よしおくんがわたしのこと、ぶった〜(涙」とか
「せんせ〜、よしおくんが友達の花子ちゃんのこと、ぶった〜(涙」とか
どちらも言えそうで、無標形であっても「伝達」とかのmodalityがありそう。
するとまずどんな環境でoptionalな「のこと」が許されるのか、という
こと自体を確定することも大事だと思います。そして、心的行為を表す述語やmodalityと、
その項の位置にある要素の指示に関する心の操作の痕跡として「のこと」がでてくる、
というようなのがそこでのストーリーだと思うのですが、上のようなことをふまえた上で、
そのストーリーでのポイントになる諸条件をどうやって囲い込むか、デスネ。
訂正
186の「?」は「φ」で置き換えてください。陳謝。
再度訂正デス。陳謝。
cited > quoted
おれ、英語マジやべー
へたれな私のカキコはスルーしてくだサイ(流れをとめちゃった…
すまそデス)
追伸:
なんかむしゃくしゃしながら歩いてたらモデルガンショップ前を
とおりがかって、つい今朝のカオモジせんせの話が浮かんで
中にはいっちゃいましたー でる時には子供の時からの
あこがれのベレッティ、もといベレッタを小脇にかかえてました。
銃に詳しいわけではありませんが、ウージとベレッタには
なぜかあこがれてました。ウージもありましたが欠陥あり、
とのことでベレッタにシマシタ。ブロウバックがきもちいー
おおっと、こさかなしゃん、「男の世界」にようこそなのにゃ。
自慢ではないにゃが、俺はそっちに関しては生成の10倍はうるさいから、なんでも装弾、じゃなくて相談してほしいにゃん。
しかしこの趣味はハマるとめちゃくちゃ金かかるから、その一挺だけにしとくことをオススメするにゃ、いやマジで。
Beretta (アメリカ読みでは「ブレラ」)はいろんなモデルがトイガン化されてるけど、何を買ったんにゃ?
俺が一番好きなのは、当然にゃがら M92Fシリーズにゃ。口径9mm、装弾数15+1、U.S. M9として米軍でも制式採用
されとるにゃが、湾岸戦争戦勝記念モデル「デザート・ストーム」はよかったにゃー。
モチロン実銃も撃ったことあるけどにゃ、.45ACPのガバにゃんか銃が手からスッポ抜けてどこかへ飛んでいきそうになる
ほどキックが強いのに比べ、9mmは扱いやすいにゃ。
完全スレ違いなので、この話題はここで強制撃ち止め〜w
factivityの続き、おながいしまそ。
カオモジせんせ
>おおっと、こさかなしゃん、「男の世界」にようこそなのにゃ。
押忍!ご指導、お願いしまっス!私が買ったのはM92G eliteというのデス。○イですた。
でもカタログみたらM92Fのグリップの方が好みデスタ。
>しかしこの趣味はハマるとめちゃくちゃ金かかるから、
>その一挺だけにしとくことをオススメするにゃ
押忍!Uziとgun-holderを買ったらやめにするッス(やばい)
段ボール箱に穴をあけて、紙をはって撃ってみましたが、撃たなくても、
あの機能美と重量感に「ほ」の字デス。
K-Rodしゃんも詳しいのにゃー 私も中学の時、コルト・パイソンを持ってマスタ。
ライスセンター(わ、田舎!)で撃ち合いをしマスタ、弾はでなかったけど・・・
撃ち方やめーい、とのことなので、ここまでにシマス。
だれだよ、モデルガンの話を始めたのはw!!
興味のない人間にはさっぱりわからんし、なんもおもしろくないんだよw
ごめんごめん、じゃあ、factivity&psych verb&「のこと」の話に戻ロウ。
ワタクシはこれから半日仕事なので、193さん、あとよろしくデス。
じゃ、そゆことデ!
強引に軌道修正するとw
> factivity&psych verb
この二つはにゃんか繋がりあるにゃ?
まず、factive verbって regretとかknowとか、experiencer roleの関わるstativeな述語が多い
ように思うにゃが、この点はpsychと同じかにゃ?それとObjからの取り出しが難しい点も似てるにゃ。
もちろん Exp のSubj/Objの違いはあるのにゃが……。
カオモジせんせ
すると、
「Objからの抜き出しが難しい場合は、実はfactive island(and vice versa)」
という可能性はにゃいか、ということデスネ?
もしそうだとすると、factive verbというのは
>>156 >b. Non-agentive stative(恐怖の状態の原因になっている)
ダッ!ということもあり得ると。すると
It has been known to DP-i [that[...ana-i...]]
のthat節を主語に持ってきて(こういう言い方って本末転倒なのかもしれませんけど)、
[that[...ana-i...]] has been known to DP-i
のような逆行束縛が成立する、ということになれば、いいのカナー
日本語で。
a. A国iは[そこiの内部資料が出回っていること]をもう知っている
a'. [そこiの内部資料が出回っていること]はA国i{に/*によって}もう知られている
関連(?): [そこiの内部資料が出回っていること]はA国iにもうばれている
b. A出版iは[そこiの本が有力政治家の悪事を暴いたこと]をくやんでいる
b'. [そこiの本が有力政治家の悪事を暴いたこと]がA出版i{に/*によって}くやまれている
関連しそうな例はもはやpsych predicate
「[我が社の内部資料が出回っていること]はライバル会社{に/*によって}知られている」の
ようにニヨッテ受動は変(理由はちょっとわかりません)ですのでそれを除けて考えたとして、
受動文a'とb'ではbackward bindingが成立しているような、していないような。
さらに、受動文a'と似たような状況をさし、若干のニュアンスを加えて語彙化しているような
例でもいいような、わかんないような。
198 :
(´∀`):04/02/19 15:03
ふにゃふにゃ。いくつかの要因が絡んでるのでムズカスイにゃ。
まず「ニ」受け身と「ニヨッテ」受け身の違いにゃが、
1) [自分の論文が] 太郎 {*に/によって} 紹介された。
みたいに 「によって」のほうだけbackward bindingが可能のような気がするにゃ。
この判断が合ってれば、これはよく言われるように「によって」受け身が本来の受け身、
つまりObjが表層でSubjに移動しているケースと考えればいちおー説明がつくにゃ。
すると、
>a'. [そこiの内部資料が出回っていること]はA国i{に/*によって}もう知られている
ここで「によって」がおかしいのは、bindingとゆーより、状態述語との共起制限か
何かのせいかも知れんにゃ。
2) このタイプの音楽は若い人に(*よって)好まれている。
とかにゃ。にゃから、
3) [そこiの内部資料が出回っていること]はA国iによって 否定された。
とかだとimproveせんにゃ?
一方、先行詞が純然たるexperiencerの場合、backward bindingはかなり自由に許される
と思うにゃ。
4) [そこiの内部資料が出回っていること]はA国iにとって{衝撃の/明白な}事実であった。
とか、心理述語なのかなんなのか分かんにゃいようなのでもOKにゃん。これは言い換えれば
experiencer roleが重要なのであって、(多くの場合はそれは同時に心理述語が関与すると
いうことであるけども)心理述語云々は二の次ということだと思うにゃ。
そこでたとえば心理述語でない使役文でも
5) [ 自分の失敗が ]太郎を猛勉強させた。
「太郎」はcauseeであると同時に、「自分の失敗」を認識している主体としての
experiencerかにゃ、と。
おっと会議に遅刻にゃーんw
>198
確かにいろんな要因がからみそうデスネー
ニヨッテ受け身が移動を含む構造、ニ受け身がコントロール構造
という他にニヨッテの生起に共起制限がかかるのは、翻訳に必要に
なって採用された、とかなんとか、っていう事情があるからなの
かもデスネ。
「にとって」もちょっと複雑な事情をかかえてそうデスネ。
そこの内部資料が出回っていることがA国にとって衝撃の事実
だった(とは!)
が基本語順/基本階層構造なのか、
A国にとってそこの内部資料が出回っていることが衝撃の事実
だった(とは!)
が基本なのか、それに「にとって」はadjunctぽいのに、しかも
「〜にとって衝撃/明白」って関係のはずなのに離れて、「事実」に
かかっているような感じですし。まるで「事実」を介し、さらに
「だった」を経由してΘ役割を「DPにとって」に与えているよう
でもあるし。しきり直しなのかナー
それはそうと、心理述語でないにしても、experiencerという
Θ役割が束縛関係で決定的になるのって、カオモジせんせにとって
はいやなストーリーじゃないデスカ?いや、それが階層構造で
決まっているもので、"experiencer"というのが単なるmnemonicな
ラベル、とすれば問題ナイカ・・・
ただ、「psych v.というものはなく、factive v.のひとつにすぎない」
というのは楽な道ではなく、逆に「factive v.にはpsych v.ぽいのは
いっぱいある」っていうのは示しやすそうデスネ。ちょと面白く
なさそうですケド・・・
それはそうと、ブレラたん、がばい"〜ん"!すみません、ひとりごとですう
200 :
(´∀`):04/02/20 02:00
上で俺が想定していたのは
[ A国iにとって ] [ 衝撃の/明白な事実 ] であった。
で、
[ A国iにとって 衝撃の/明白な ][事実 ]であった。
は念頭になかったにゃん。後者だと心理述語っぽいにゃー。
>experiencerというΘ役割が束縛関係で決定的になるのって、カオモジせんせにとって
>はいやなストーリーじゃないデスカ?
(´・ω・‘)ショボーン
ま、一つはexperiencer解釈は必要条件の一つであって、c-com等の構造条件を無用にするもんではないにゃろ、
ってのと、あとはbackward bindingをはじめcoargumentの関係にないような先行詞・照応語関係については
どのみちいろいろ言わなければならないのでexperiencerもその一つかというのもあるにゃ。
あと、Aradも言ってるようにexperiencerってのはあらかじめ指定されているθ-roleではなく、VP全体の構造
にゃり統語環境から決定される項解釈にゃから、少なくとも語彙的アプローチを支持することにはならないにゃ。
>「psych v.というものはなく、factive v.のひとつにすぎない」
これはちょっと違うかもにゃ。前半は、psych Vの特性と思われていたものが、それ以外の
動詞にも見られるのでpsych Vが特別なクラスをなすと考えるべきではない、ちょうど構文一般が
が生成的には存在しないのと同じ意味で、心理動詞構文なるものを認める必要もない、といった
あたりにゃし、後半については、類似点があるとゆー程度で、どっちかが他方のサブセットに
なってると言いたかったわけではないのにゃん。
こさかなしゃんのベレ太はブリガーディア型の強化スライドを載っけたタイプのはずにゃけど、
俺はオリジナルのスタイリッシュなヤツのほうがえーかにゃ、やっぱり。
同じ○イで、「バイオハザード」のサムライエッジってのも出ていて、こいつはグリップを延長して
そのままマガジンウェルとしての機能を持たせているにゃ。ちょっとexaptationぽいにゃ、にゃはは。
BB弾なくなったらマルムシ丸めて、これがホントの生物兵器w
>BB弾なくなったらマルムシ丸めて、これがホントの生物兵器w
ひでー話だ。。。
カオモジせんせ、キリ番げと、おめでとござマス!
>BBなくなったら
ええ話や。。。
>>「psych v.というものはなく、factive v.のひとつにすぎない」
>これはちょっと違うかもにゃ。(中略)後半については、類似点があるとゆー程度で、
>どっちかが他方のサブセットになってると言いたかったわけではないのにゃん。
にゃるほどー、デス。というか私も、戦略的にp.v.とf.v.のクラス間の包含関係を調べることで、
そこに共通する何らかの特性(例えば[+factive]とか[+mental state]とか)が取り出されれば
いいのかな、と思ってマシタが、ちょっと戦略ミスかも、デス。
>Aradも言ってるようにexperiencerってのはあらかじめ指定されているθ-roleではなく、
>VP全体の構造にゃり統語環境から決定される項解釈
上であげてらした、causativeのschemeで、causeeがexpになる(p.v.でない場合で)という
のの重要性が増して来そうデスネ。一番やりたくないのは、JackendoffのAction Tierで
[REACT(,[X])]の位置にある要素がThematic Tierの項をargument bindしていて、Xの位置が
統語構造の項にlinkされる、とかなんとかするような方向デスネ(Conceptual Semanticsやってる
方、ゴメンナサイ)
「のこと」についてもちょっと書きたいデスガ、のちほど。
nameのdenotationを、nameを含む集合のintersectionとし、それがsingletonである場合と
することができるわけですが、これと、nameを含む集合の集合族とは同じdenotationと
見なせる、というような部分がTK&Sにあったような気がしますが、ちょと気になりマス。
はっ!意味論スレで、束縛を意味論で扱うのなんてイヤ!って
いってたカモ・・・
いや、束縛はΘ階層で決まるのデス!本心じゃないけど・・・
205 :
(´∀`):04/02/21 02:15
をっとっと、生物兵器でキリ番げとしてますたw
「Θ階層」ってのは意味的なものではなくてあくまで統語的なもの
と撃ってみるけどにゃ
206 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/21 05:09
>>205のような立場だと、
DowtyのProtoAとProtoPも統語的なものと見ることになりますか?
それ(ProtoAとProtoP)よりもfine-grainedなtheta roleが統語的と
言うことはProtoAとProtoPも統語的なものと言うことになりそうですが。
Dowtyの構想ではentailment-basedということでかなり意味論的な側面が
強いような印象を持ちますけど。まだ議論が多いんでしょうが、最近だと、
theta roleの付与はどういう基準でされるという考え方が主流なんでしょう?
>205
をっとっと、そうですたw
このあたり、意味論スレROMってる方にも時間が
あったら意見をうかがってみたいデスネ。
ところでやっと時間ができて取説をよんでいるのデスが、
「ブリガーディア・スライド」というのをようやくみつけますた。
まだ意味がわからないですが・・・撃鉄もずっと起こしたまんま
だったんですが、ようやく昨日戻すことができマシタ。
ブレラたん・・・
208 :
(´∀`):04/02/21 06:24
>>206 主流かどーか分かんないけどもにゃ、Hale & Keyser 方式のconfigurationalなθ-markingのことを念頭においてるにゃ。
もちろんanti-lexicalismも連動するのにゃが。例えば
John kissed Mary.
のvP構造が
[vP John v [ V Mary ]]
とするにゃん。John = A, Mary = Pってのは、これらがこの構造、この階層関係にあることから得られる解釈なのであって、
あらかじめJohn = Aと決まっているからJohnがSpec,vPにmergeされているわけではにゃい、てな感じにゃ。
つまり、動詞kissの項構造として(A,P)があり、Aが外項であり、linkingによってAはSpec,vPに生成される、ってなあたりを
全部破棄、もしくは結果論的に導出することになるにゃ。
thematic hierarchyとかUTAHとかも、こーいった統語構造に対する解釈原理として見直すわけにゃ。
もっと一般的には、生成でいうLFはあくまで統語構造にゃからLFでrelevantになってくるような意味解釈の問題(θ-roleに
言及するBinding conditionがLFで働くとして)は広義の意味論ではなくてやはりsyntaxの領分、ということも言いたかった
わけにゃ、
>>205はにゃ。
>entailment-basedということでかなり意味論的な側面が強い
このあたりのネタフリおながいしまそ。
209 :
(´∀`):04/02/21 06:25
>>207 解説しようw
ベレッタ92SB/92Fシリーズのスライドは、よく知られているように上部をザックリ抉り取り、
チャンバー〜バレルを剥き出しにした洗練されたデザインをしており、それがこのモデルの
最大の魅力でもあるわけにゃが、そのため特にスライド中央部の厚みが不足し、破損事故が起きやすい
ことも有名にゃ。ちなみに破損したスライドが飛散するのを防止するため92Fのハンマーピンを大型化
したのが92FSだにゃ。
ブリガーディア(ブリガデールとも)は、この弱点を克服するためスライド中央部に厚みを持たせ、
さらに後方に加えて前方にもセレーションを設けた新型スライドであり、92Gエリートシリーズに
登載されているのにゃー。
>撃鉄もずっと起こしたまんまだったんですが、ようやく昨日戻すことができマシタ
をいをい(^^;
>>206さん
しらずに207を書いてしまって、大変すまそデス。
ところで、言及してらしたDowtyの論文は、読まなきゃ、読まなきゃ、
と思いつつ、読まずじまいでいままできています。で、知らずに
おっしゃってたentailmentの話をすると、Davidsonがeを導入するとき、
そこにどんないいことがあるか、という話で、副詞類を自由にとりさっても
いい、というのを妥当な推論になぞらえたのではなかったでしょうか。
例えば
∃x(P(x)∧Q(x)) |- ∃x(P(x))
というconjunctive syllogismと同じものとして
∃e(john_ate_a banana(e)∧in_the_zoo(e))
|- ∃e(john_ate_a banana(e))
を考えていたかと思いますが、Dowtyの議論はこれと関係が
ありますか?
以前
∃e(Ag(john,e)∧Th(banana,e)∧EAT(e))
みたいな表示を「すかーん!」といったことがあるのですが
(K-Rodしゃんが同意してくれたの、うれしかったッスよー)
その理由が、上で述べたことと関係があったのです。
(思いこみなのですが)
もし説明していただけるとありがたいのですが・・・
>209
押忍!カオモジせんせ、ご指導ありがとうございマス!
ブリガーディアの有無、写真で確認したあと、店にもいって
確認しますた!
ところで、BerettaM1934って、シンプルで究極の美、って感じ
デスネ(ふう もちろん、うちのブレラたんも美しいデスケド。
それと今日、New Ingram M11を見にいったのデスが、
店員のあんちゃんに、「なにかお探しれすか?」といわれたので
「イングラム、ってありマス?」っていったら、「イングラムにも
色々あるから、それだけ言われてもねえ」とイヤな顔をされ、
さらに、「時々、ベレッタくれ、とかって客くるけど、こまん
だおね」といわれ、「それって、俺のことじゃん」と心の中で
泣いていたのでありマシタ。ウワーン、もう来ねーヨ!
または、もっと勉強してから来るよ!
すれ違い、すまそデス。
そのDowtyのペーパーってのはどのことにゃん?
entailmentってことでいうと、downward/upwardの区別も必要かもにゃ?
Nobody ate a banana in the zoo. ー/→ Nobody ate a banana.
もはや確信犯的にスレ違いカキコを続けるわけにゃがw
1934はWA(ウェスタン・アームズ)がモデルうpしてるにゃ。俺のイメージだと
1934とかWalther PPK/Sとかの小型銃はキレーなおねーちゃんに持たせたいにゃw
イングラムはマルゼンとKSCがうpしてるはずにゃ。
ところでモデルガンやガスガンはショップによって割引率がいろいろなんで、よく選んだ
ほうがいいにゃ。定価売りとか1割引とかのふざけた店は絶対スルーにゃ。
>「時々、ベレッタくれ、とかって客くるけど、こまんだおね」
「コマンダーじゃなくてベレッタだ、ゴルア」と言い返さないとダメにゃんw
私も随分前の記憶なので、詳しいことは覚えてないんですが、
Dowty (1990, 1991?)は(顔文字せんせの嫌いな)リンキングをどうするか
という話ですよね。semantic entailmentに関してはこさかなせんせの
>>210の発想と同じでlogical consequenceに基づくオーソドックスな
ものだと思います。ProtoPやProtoAと似たようなbinary な
coarse rolesを立てている人たちと言えば、Foley and Van Valin (1984)の
RRGがありますが、確か、Dowtyのとは違って、それほど意味論的に
厳密な立場ではなかったと思います(=必ずしも厳密なsemantic
entailmentに基づいての割り当てではない)。もう一つの違いは、
Dowtyのは名前(Proto)が示す通り、nondiscreteなカテゴリーという
ことになるんじゃないでしょうか。
フォローお願いします、エロくなくていいので、詳しい方。
>206さん
ありがとうございました。では、私の方ではreferenceをあげときますね:
David Dowty 1991 Thematic proto-roles and argument selection,
Lg67, 547-619.
しかし、おっしゃる通りのentailmentがDowtyの中で重要な役割を果たしているとなると、カオモジせんせおっしゃってたupwardかdownardも大事になり、また、意地悪く考えれば、述語を無くしてもいいわけです。
こいうことを考えると、ホントにだいじょぶ?って思います。項と述語にもe項をもたせたconjunctionにする、というのはDavidsonではなくCastaneda1967に帰せられるようで、Davidsonとしては必ずしも「よく発展させてくれた」みたいなものではない、ようです。
しかし副詞類を減らすことについてはDavidsonがもとなわけで、議論がそれを本質的にひきついでいるとすると、それは付加詞の任意性とは関係ないことのような気がしますし、項ならなおさらなんですが。
もし可能なら、哲学者のこの議論に関する評価を聞いてみたいところです。
>212
店員のあんちゃんの話では、その二社は互いに生産時期が重ならない
ようにしてる、って話でしたけど、ほんとデスカ?
「1934はきれいなおねーちゃんに」ははげどーデス!ってゆうか、
やはりイタリア、デザインがいい。プラダのよこにベレッタが店を
出しててもいいくらいデスネw
前スレで議論されたことがあるDavidson'On Saying That'を読んで
見ようと思いマス。補文の真理値のことについて何か書いてあるかなー
前の議論の印象だと、自然言語の埋め込みを含む表現をFOLで扱う、
というのかなー、と思いましたが、前提との関係はどうなんだろう?
私がDavidson'On Saying That'を知ったのはPartee (1973;
'The syntax and sematnics of quotation')なんですが、
quotationではde dicto、indirect speechではde re/de dictoがambiguous
という指摘だったと思います。こさかなせんせも前提とde dictoとの関連に
興味を持たれていたと思いますが、このあたりをうまく説明してある
本というのはあるんでしょうか?
Davidson読まれた感想よかったら教えてください。
>>215 FOLはなんの略でしたでしょうか?
216さん、レスありがとうございます。通勤の電車の中で'On Saying Taht'を少し
読んでみましたが、でごわそうです。なにより、やはり私が苦手な真理理論のところで
つまづいてます。なんとかがんばって読んでみますが・・・
その論文が収められている論集はちょっと便利で、Tarskiの真理理論の有名な論文も
収められているので、一緒に読んでみようと思います。
(Quineの'Two dogmas of empiricism'も収められているという、哲学畑でない人間には
とても助かる本です:Martinich(ed.) The Philosophy of Language, 4th edition, Oxford.)
それから、'FOL'は'First-Order Language'の略ですたー
下がり過ぎなので唐揚げさせていただきます。
デイヴィッドソン、読みましたが、よくわかりませんデスタ…というか、デイヴィッドソンの論文は見た目の読み易さとうらはらに、なんか難しい。とはいうものの、すごく刺激的でした。
前スレでの議論を読んで変な思いこみしてたかもしれない。すまそですた。単にFOLで扱おうとしている試みだけではなく、「ラジカル・インタープリテーション」と深く結びついてるようですね。
理解を深めるためにはもう何度か読まなきゃいけないと思うのですが、頭に残っていることを。
・'that'を指示子として扱う
これがポイントの一つだと思いますが、なら「と言うこと」について、という和訳は誤訳ではなかろうか(この論文では、同一言語内での場合を含む「翻訳」についてもふれられている。クワインのホーリズムと近い考え方?)
訳をあえてするなら、「そういうことを言うこと」について、とかのほうが良さそうな気がしますた。
・indirect discourseのcontent sentenceの扱い
指示子として扱うということで、これまで'say that'を発言者と発言内容の関係とする、とする説があったのに対して、個体と個体の関係とする点が大きく違っているよう。これによって一つはcontent sentenceも個体として扱う、ちうことで「おっさん、
こういうのすきなのね」って感じ。
しかしこれは命題態度につきまとう問題を解決するように見えて、実はトリビヤライズしてしまっているだけではないか、という風にも思えました。
問題が起きているように見えたのは文が埋め込まれた位置にあるからではなく、thatと照応関係にある文の特殊性によるのだと。
このへんは次とあわせて、ここでの議論とも関係しそうです。
・'same-sayer'
ちょっと、びびっ、ときました。'Galireo said that the earth moves'.
という文が酷使されるのですが、'the earth moves'がガリレオと話者を'same-sayer'にするというのです。まだよくわかりませんがおもしろい。このあたり、叙実動詞の補文と前提の問題にも当然からみそう。
くわしい方がいらしたら修正きぼんデス。
カオモジせんせ
ご推察のとおりイングラムですた。師匠のせいで悪いあそびを知ってしまったノデス…w(BGM「禁止された遊び」by渡辺香津美)
しばらくはブレラたんとM11を手に馴染むまでめでたいとおもいます。
そんなに打ちまくるわけではないので、弾装を時々手で暖めたらもんだいないようッス。べれ太にもオートがあるんですネ…メモメモ。
そういえば雑誌Gunで、師匠がねーちゃんに持たしたらよかるめり、としたPPKに関連して、それを継承したというチェコの拳銃のことが書いてありましたよね。
ワタクチは小さい頃から左目がほとんど見えなくて、空手をしてた頃
突きが左に流れ気味で、鏡を見て補正値を体に叩き込む必要があったのですが、今回も同じことがあったので、「とびどぐは延長された手だのー」と武術家甲野先生のことばを思い出したノデス。
>弾装を時々手で暖めたらもんだいないようッス。
俺は危険と知りつつヒーターで暖めてるけどにゃ、時々パワー出過ぎて怖いにゃんw
>べれ太にもオートがあるんですネ…メモメモ。
ホンモノの93Rはセミオートと3点バースト(引き金一回ひく度に3発ずつ発射)だけど、KSCが
ガスガン化した93Rはフルオート機能もついているのにゃ。ちなみに映画「ロボコップ」でロボが
使ってたのは93Rをベースにした「オート9」にゃ。
>ワタクチは小さい頃から左目がほとんど見えなくて、
それはいろいろ苦労されたことにゃろ。こさかなしゃん、偉いにゃ(尊敬の眼差し……
>「とびどぐは延長された手だのー」
思わずドーキンズの「延長された表現型」思い出したにゃが、映画「リベリオン」では「ガンカタ」なる
拳銃と空手を組み合わせた格闘術が出てくるにゃ。両手に銃持ったまま組み手とかやるのにゃが、これが
めちゃくちゃカッコいいDEATH(w
駄レスのみにてsage
職場から書き込めなくなてしまいマシタ…
それと昨日は接待で夜中までアルコール付けで、意味論的なはってん何もなし。もっと悲しいのはブレラたんとイングラたんに触れなかったこと…
(かわりに女性の手を握ってた)
情報量なしですまそDEATH
追伸:「ガンカタ」、みたいー
追追伸:ちょっと自分の左目のことを書きましたが、ものごころついた頃からずっとそうなので、両目が見えるということがどういうことなのか、免許更新のたびに視野検査させられるうざさと立体的に見えるという映画とか何とかグラムとかがわからなかったこち
こと(金水先生が照応に関する安定した容認性判断ができるように
なったことをそれになぞらえてましたが、ありゃーわかりませんでした)ぐらいで、あとはわかりません。
知らないということは不便も感じない訳で、空手の試合でも距離観はちゃんととれてマシタ。
生き物ってありもので何とかやりくりするもんデスネ。ま、もともと身体というものはusableではないんだろー、と。
ワタクシはELPとの出逢いで音楽の「意味論」をいろいろ考えが広がったし、銃との出逢いは身体論を考える幅がでそうですし、カオモジせんせ、尊敬!デス。今はなきガチンコクラブ会則その3(?)に違反かもデスガw
>(かわりに女性の手を握ってた)
にゃんだか楽しそうな職場ですにゃ〜w
>照応に関する安定した容認性判断ができるようになったことをそれになぞらえてました
じーっと見つめていると突然、全然違う絵が見えるようになり、またいったんそれが見えると簡単には
消えない、という感じを言おうとしたんかにゃ。しかしあれも初心者向けの手引きとゆーか、こーゆー
風に見るようにすれば見えやすいというコツがあるから、ま、例文判断をnegativeに皮肉ったのかも
知れにゃい。。。
>銃との出逢いは身体論を考える幅
手と銃を一体にし、ちょうどターゲットを指さすような感覚で銃の狙いをつけるようにするとよい、
なんてことも言うけどにゃ。
こさかな、セクハラ疑惑!
訂正
「手を握って」>「手を握られて」
私がセクハラされてマシタw
握られてたのは真ん中の足、に9mmルガー弾1コw
(動揺)
228 :
(´∀`):04/02/27 04:06
「のこと」について、ちょっと付け足し。
1) 俺はジミー・ペイジが好きだ。
2) 俺はジミー・ペイジのことが好きだ。
俺の感覚だと(2)はJPと個人的に知り合いであるような状況が自然なんにゃけど、一方、
3) 俺はジミー・ペイジを知っている。
4) 俺はジミー・ペイジのことを知っている。
では、個人的に知り合いなのは(3)のほうにゃ。「のこと」の属性読みについて、こういった
逆転(?)が起きるのは、なんでかにゃ? てか、この判断あってるにゃ?
>228
私も似たような判断です。
で、本題ですが、論文送ったのは私ではないですよ。
失礼しますた〜 >坊やしゃんと送ってくれた人
カオモジせんせ>228,坊やしゃん >229
ワタクシも同じ判断デス。なんでデショ?談話管理理論が扱う現象には他に「って(というのは)」がありマスガ、これでも対応する違いはでるデショウカ?
1) 俺はジミー・ペイジが好きだ(再掲)
5) 俺、ジミー・ペイジって、好きだ
この場合、5も個人的には知らない、って感じデス。でも、
6) ジミー・ペイジはどこにいるの?
7) ジミー・ペイジって、どこにるの?
では、6より7の方がジミー・ペイジのことをよく知らない感じがしますが、この判断、あってますか?
「関係の近さ」とでもいったらいいか、そんなスケールがあるとしたら
Xのこと>X(bare form)>Xって
って一応序列がつけられそうですが、しかし逆転(?)現象が起こるのはなんでかわかりませんケド、面白いデスネ。
研究室から書き込み。今朝は異常な早朝出勤、てかこれからしばらく一年で一番くだらない
雑用に拘束される罠ゃ。
「って(というのは)」、よく似たのに「という人(もの)」もあるけど、これは話し手にとって
同定可能性がないことの(広い意味での不定)マーカーだろうにゃ。だから
>6より7の方がジミー・ペイジのことをよく知らない感じがします
そうだと思うにゃ。その一方で「お前っていい奴だな」ってのもあるしにゃ。
にゃんか、花子 vs JPみたいな、一般の身近の人か著名人かでふるまいに差がでるのかも
知れんけどにゃ。
をっと、集合時間にゃ。
乙デス。
ジミー・ペイジ文の判断同じでつ。
やぱ、iconicityって関係ないやろーって感じがしますニャ。
さっそく第5志望くらいの大学院から撃沈お知らせの手紙がきますた・・(´・ω・`)
このまま全滅するのかにゃ?正直、最近、言語学手につかんにゃ。
_, ._
( ゚ Д゚) イッテキマツ
( つ旦O
と_)_)
_, ._
( ゚ ◎゚) ズズ…
( ゙ノ ヾ
と_)_)
_, ._
( ゚ Д゚) …………
( つ旦O
と_)_)
_, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
゚*・:.。
_ _ ξ
(´ `ヽ、 __
⊂,_と( )⊃ (__()、;.o:。
゚*・:.。
>やぱ、iconicityって関係ないやろーって感じがしますニャ。
もちっと解説してもらえます?
iconicityから何が予測されてそれにどういうふうに反するデータだと
判断されたんですか?
iconicityが絶対的な原理でないのは分かっていて、複数というのは
単数より概念的に増えるわけで、言語の方も複数形は単数形より要素が
「多くなる」ことで表されるパターンが多いわけですが(dog>dogs,
先生>先生方)、datum > dataのような例もあります。最後の例は
考え方次第でしょうが。
>>236 iconicityの定義次第かと思われますにゃが、使われる単語の多さ=単語数の物理的距離と
精神的距離なるもののよく言われるやつを念頭においてますたにゃが。例えば、
I found that Tom kind.
I found Tom kind.
で上が間接的な経験からTomが親切だと分かったケース、下が直接的な経験からTomが親切だと
思ったというケースってやつにゃ。
「こと」の日本語の場合にゃと、3)4)がこの予測に合うケース、1),2)が予測に反するケースっていう
単純な観察にゃん。
すぐに認知での概念が頭をよぎる辺り、A-ROd氏は認知をかなり読んでますな。
日本のNewmeyerみたい。(w
おっしゃる通りiconicityという概念の定義次第というか、考えようにも
よると思います。しかし大きく言語構造を考えるとiconicityというのは
なるほどある程度あたっているような気がしますが、
認知スレ向きなので。さげ
A-Rodしゃん、元気出すのにゃ・・・
今日は敬愛する言語学者にお酒のお供をさせていただいてたら、おふたかたの哲学者にお会いして、「質問してもいいですか?」とおたずねしたところ、「どうぞ」と快くお答いただいたので、Davidsonのことを尋ねますた。丁寧にお答いただいたのですが、酔っぱらってて
おぼえてない・・・
>>236-238 最近はHaspelmathなんかが、iconicityの見直しをしてます。
彼によると今まで提案されていたiconicityのなかで、
正しいのはtemporal iconicityだけだそうです。
生成の人間ばかりでなくともiconicityに
ちょっと胡散臭さを感じている人はいるみたいです。
認知スレの方にp-strandingの話を名無しで書き込んだんですが、
(顔文字先生と議論するだけの知識を持ち合わせていないので
名無しで書き込んでしまいました。ゴメンナサイ。)
まったく話が違うほうにいってしまいちょっと書き込みにくい雰囲気です。
>>236 単複の話はiconicityじゃなくてmarkednessで説明されることが普通じゃないかなと思います。
>>240 >最近はHaspelmathなんかが、iconicityの見直しをしてます。
reference教えてもらえますか?
>単複の話はiconicityじゃなくてmarkednessで説明されることが普通じゃないかなと思います。
markednessで「説明」される、とは?よかったらもうちょっと
教えてもらえます?認知の人たちの言う、いわゆる「動機付け」
としては、iconicityが原理として背後にあるということになるのでは?
スレ違いの気がするが・・・
くずおれしゃん、こんにちはデス。
読んだことはないのですが、Haspelmathはindefiniteについてのタイポロジーの本を書いてる、と聞いたことがありますけど、その本もiconicityを分析装置として採用しているのでしょうか。よかったらご教示ください。
冠詞をもつ言語でも、indefinitenessは無標形で表現される場合(例えばdanish,islandicとかがあるようですが。ここで議論されている「のこと」の場合には、ある場合、indefiniteness
を担っているようでもありますが、A-Rodしゃんが指摘しているようにそれでは尽くされない場合もあるわけで。類型論とiconicityということを絡めるとどうなるのかな、と思って。よろしくデス。
>>242, _| ̄|○しゃん、スレ違いとおっしゃらず、こっちでやりませう。
認知スレを今、覗いてみたけど、あっこは少なくとも今の所は真性バァカ
しかいないようですしニャ。
このスレってromの中にも優秀な人たちがけっこういるので、生産的な議論になる
可能性も高いしにゃ。
とりあえず、今日はこれにて!
をっと、くずおれしゃん、こんなとこにいたんかにゃ。
俺も認知スレちょこちょこ顔出してるにゃが、さすがの俺もあそこのアフォさ加減にはつきあいきれんにゃ。
別に意味論スレで認知のハナシを聞かせてもらっても差し障りないと思うので、こっちで中身のある
議論をお願いしたいもんにゃ。
>>244 indefinite pronoun の本のことでしょうか?↓
Haspelmath, Martin (1997)
Indefinite pronouns.
Oxford: Oxford University Press
多分きちんと最後までは読んでいないと思うのですが、
記憶では、40-50ぐらいの言語を調べて、
indefinite pronounが持つ機能を10ぐらい指摘して、
それをsemantic mapの形にしていたと思います。
(semantic mapってのは流行かもしれませんね)
〉冠詞をもつ言語でも、indefinitenessは無標形で表現される場合
〉(例えばdanish,islandicとかがあるようですが
icelandicは確か定冠詞(というか名詞の定形)はあるけど、
不定冠詞がないんですよね。
danishは不定冠詞があったと思うんですが、違いますかね。
不確かな知識なのでスイマセン。
>>246 向こうのスレで「認知的制約が…」とぬるい書き込みを
名無しでしたのは_| ̄|○ です。スイマセン。
(顔文字先生がおっしゃったように、OTを意識して書き込みました、
昨年の秋にOT-syntaxの授業を受けたので…)
僕はλが出てくるたびに、漢字の「入」を思い出してしまうような、
formal semanticsダメダメ人間なので、
このスレでの書き込みはちょっと厳しいかなと
くずおれしゃん
>>247 レスありがとデス。Indefinite Pronounでしたか。ちょっと
勘違いしてマシタ・・・
意味論スレは決して形式意味論に限った話でなくともいいと
おもいますヨ。気が向いたらカキコをおながいします。
外堀埋め議論その一。
I.「知っている」は項として「人」(a)と「命題」(b)をとる
a-1. 太郎はジミー・ペイジを知っている
a-2. 太郎はジミー・ペイジのことを知っている
b. 太郎は、ジミー・ペイジがやたらとストラップを長くしていることを知っている
(個人的知り合いなのはa-1のほう
>>228)
II. 日本語では、コピュラが関係節で「の」になることがある
こさかなが今日の宴会の幹事だ → 今日の宴会の幹事のこさかなデス
IとIIから出てくる可能性:a-2は述部がコピュラの関係節
a-2'. 太郎は[[e] ジミー・ペイジの]ことを知っている([e]=ジミー・ペイジ)
ここでstipulation(すごく変な)
[e]=「こういう人」の意味のempty category、つまりa-2は
a-2". 太郎は[こういう人がジミー・ペイジである]ことを知っている
しかし、日本語で「[e]=「こういう人」」とすべき他の場合がない。
かなりad hocで、かつ立証責任はこのような仮説をたてる側にあるが、
立証する証拠は解釈のみ。
外堀埋め議論その二。
「こと」は何をさすかはっきりしないが、実質名詞である場合がある;
c-1. 私たちの{こと/関係/失敗etc.}、まだ誰にもばれてないよね?
それでもなお、省略できる場合がある;
c-2.?私たち、まだ誰にもばれてないよね?(c-1と同じ解釈で)
また、人名で関連事項(著作、など)を指示する場合がある
d-1. ペイジ&プラントの曲を久しぶりに聴いた
d-2. ペイジ&プラントを久しぶりに聴いた
なんだかわからないが、ある一定の意味で、「こと」「曲」などをとったほうが「近い」
感じがある。
しかし、a-1の場合には、「曲」などを意味しているわけではない。よって、ここでの
話とは関係なし。
またツマラヌものをかいてシマッタ・・・ちょっとお休みしマス。
>250 (なんてお呼びすればいいんでしょうか?)
>I.「知っている」は項として「人」(a)と「命題」(b)をとる
上の例に限っては命題ではなくて主題(Theme)と考えた方が適切ではない
ですかね?命題でも名詞句として具現されると考える可能性もあるかもし
れないですけど。(cf. Grimshaw's (1979?) concealed question;
e.g. Do you know the time? / Do you know what time it is?)
坊やしゃん>251
「こさかな」デス。昔、カオモジせんせに「どうもキャラがかぶるのにゃ」と言われるという
光栄に浴した(?)ことがありマス。
>上の例に限っては命題ではなくて主題(Theme)と考えた方が適切ではないですかね?
これは「こと」を「事実」に置き換えられる、ということを念頭において、ということでしょうか。
だとしたら、そうかもしれないっすね。
>命題でも名詞句として具現されると考える可能性もあるかもし
>れないですけど。(cf. Grimshaw's (1979?) concealed question
にゃるほどー いうなれば'concealed assertive'でしょうか?
考えがまとまっていないのですが、そのまま書きます。
1) 俺はジミー・ペイジが好きだ。
2) 俺はジミー・ペイジのことが好きだ。
3) 俺はジミー・ペイジを知っている。
4) 俺はジミー・ペイジのことを知っている。
上の文に関して
>>228の判断に同意したわけですが、「ジミー・ペイジ」
だとジミー・ペイジ本人もしくは彼の作品を指すことができることが判断
に影響していませんかね?「ジミー・ペイジのこと」で彼の作品を指すの
は私の判断では駄目なのですが、(2)で個人的に知り合いである状況が自
然に感じられるのは「作品読み」ができないことと関係しているように思
います。
あと、コンテクスト次第で(3)、(4)どちらも「知り合い」の読みができる
のでは?たとえば、「誰がどの人と知り合いか」について語っている場合
(そのままですが・・・)、(3)でも(4)でも自然に響きませんか?この点
で語用論的な側面も考える必要があるのではないでしょうか?「のこと」
の分布自体、意味的にかなり制限されているとは思いますが。
坊やしゃん
>(2)で個人的に知り合いである状況が自然に感じられるのは「作品読み」ができないことと
>関係しているように思います。
これは興味深い指摘だと思いまふ。「作品読み」がblockされる場合に許される唯一の読みが、
「作品読み」も許すような多義的な関連構造に比較した場合、その唯一の読みというのが
際立つ、ということですね。
>「のこと」の分布自体、意味的にかなり制限されているとは思いますが。
前に出て来たintentional context以外にも考えてみる必要がありそうでふね。
まず、真っ先に考えつく(で一番つまんない)記述は、「こと」に同音の二つの異語が
ある、とするもの。factiveの補部にくるものは「事実」と置き換え可能な、「こと1」、
内包文脈にあらわれるのが「こと2」とか。一応、最初の作戦としてはこう攻めて行くと、
以外に「こと1」(factive)の方の分布、というのを考えていなかったことに気がつきまひた。
ただ、果たして何かわかるでひょうか・・・
休みまふ、と言って、結構書いてひまいまひた。
>252
>「こさかな」デス。
こさかなさんでしたか。最近あまり流れをフォローしてないのでわかりません
でした。失礼しました。
> これは「こと」を「事実」に置き換えられる、ということを念頭において、
> ということでしょうか。だとしたら、そうかもしれないっすね。
命題をとるものは主題もとれると思うのですが、こさかなさんが上に挙げられ
た「ジミー・ペイジ」は主題とした方が適切かなと思ったもので。
> にゃるほどー いうなれば'concealed assertive'でしょうか?
「ジミー・ペイジ」には当てはまらないと思いますが、命題が名詞句として
具現される可能性に言えば、少し話しがずれるかもしれませんが、Davidson
がevent argumentを提案した根拠としてeventが項として働く(項である'it'
でeventを指すことができる)ということを挙げていたと思います。
>254
> 前に出て来たintentional context以外にも考えてみる必要がありそうでふね。
> まず、真っ先に考えつく(で一番つまんない)記述は、「こと」に同音の二つの異語が
> ある、とするもの。factiveの補部にくるものは「事実」と置き換え可能な、「こと1」、
> 内包文脈にあらわれるのが「こと2」とか。一応、最初の作戦としてはこう攻めて行くと、
> 以外に「こと1」(factive)の方の分布、というのを考えていなかったことに気がつきまひた。
> ただ、果たして何かわかるでひょうか・・・
確かに「こと」にもいくつか種類がある可能性があるかもしれません(Homophony
は望ましくないのですが)。が、もし「こと1」、「こと2」のように記述上分類
できる場合はその違いを「こと」以外の要因(現れる環境等)に還元したくなりま
せんか?
「意味的にかなり制限されている」ということですが、私が念頭においていたのは
「(人名)のこと」というのは[+animate](DowtyのProto-agent propertyの一つで
あるsentient being)でなくてもよいCauseとかThemeの位置にしか出てこれないと
いう何でもないことです。
坊やしゃん、レスありがとうございます。
お答えしたいのですが、ちょっとバタついているもので、少々遅れます。
すみません。
他の方に議論をすすめていただいていても勿論構いませんので、よろしくデス。
坊やしゃん
レスがおそくなってすみません(まだみてらっしゃいますかー)
>255
>「命題」がとれるものは「主題」もとれる
と坊やしゃんがおっしゃるときの「主題」(theme)は、もちろんtheme-rhemeというときのthemeぢゃないですよね。
また、Gruber流のthemeでも、Jackendoffの概念意味論でいうところの、CSでのconfigurationで定義される"thematic role"でもないですよね。
坊やしゃんの意図するところは、「CPが取れるときは常にDPもとれる」ということでしょうか?ちょっと確認です。
坊やしゃん>256
「こと」に記述上、分類学的に二種が認められるとき、その違いを環境に帰す、に激しく同意です。
ただし、環境を「叙実述語の補部のときはこれこれ」「内包文脈のときはこれこれ」では、ほとんど進展なしですよね。
what we are longing for is a insightful genralizationだー、デスネ。しかし、これがなかなか難しそうデス。ワタクシはもう少し外堀埋め議論をするしかないかなー(洞察貧弱人間なもんで)
坊やしゃん、どうでしょう?
かおもじ師匠へ近況報告。
ワのべれ太を知ってしまうと、○イのタクティカル・マスターはよくいえば迫力がある、悪く言えば大味で、わびさびに欠けマスネ。
それから、師匠の値段に関するアドバイス、その通りですた!ちゃんと一定額ひいてくれるいい店みつけマスタ。ありがとうございました。
今は、前になんとも感じなかったColt Governmentに魅力を感じつつあり、お店の人にうっかり行ったら、一時間ほど講義をうけるチャンスに恵まれました。
でもいろいろみたいなので、勉強が深まるまで手をだすまい。
それより、最新号の「郡」で知った南部14式に萌えなんですけど、もう足を洗えないところまできているのでしょうか?
もう意味論スレの一部になってますが(勝手にすなー)
すれ違いスマソです。
> こさかなさん
> theme
確かにtheme-rhemeのthemeでもありませんし、"Things in motion"等も
考えていません。direct internal argumentが持つtheta-roleに対する
カバータームです。上で述べたことを言い換えると、direct internal
argumentととして現れるものはanimateでなくてもよいので、「○○のこ
と」というのが現れられる、ということです。さらには命題でなくても
よい。
> 「こと」に記述上、分類学的に二種が認められるとき、その違いを環
> 境に帰す、に激しく同意です。ただし、環境を「叙実述語の補部のと
> きはこれこれ」「内包文脈のときはこれこれ」では、ほとんど進展な
> しですよね。
叙実述語の補部であることや内包文脈であることからはフォローしない
違いが「こと」に見られるのなら進展なしだと思いますが、そもそもそ
んな違いが存在しないのなら特別に何か付け加える必要はないと思いま
す。で、そのような違いはあるのでしょうか?
自己レス
> direct internal argumentととして現れるものはanimateでなくてもよい
当然、述語にもよります。
> 258
> 「CPが取れるときは常にDPもとれる」
少し話しがそれますが、これは動詞の格付与能力も関係してきますよね。
I asked/*wondered the time.
I asked/wondered what time it is.
最初ペイジ文考えた時に、有名人と一般人で違いがあることにひっかかってたのにゃが、坊やしゃん指摘
のとおり、作品読みみたいなものに引っぱられているんだろうにゃ。
で、ちょっとハナシずれるにゃが、以前「のこと」と不定性のハナシが出てたと思うにゃ。
先日ペーパー送ってくれた人がその中で指摘していることの一つは、「のこと」は普通名詞につくと
定性の標識化(定冠詞化?)するということでにゃ(勝手に引用スンマソ)、たとえば
a. 太郎は社長が好きだ
b. 太郎は社長のことが好きだ
(a)は一般に社長なら誰でも好きなのに対し、(b)は特定個人の社長が好きだという意味になる、という
観察なのにゃが、そん時の俺のレスとして、先行する名詞のタイプ(?)によってやはり違いがあるんでは
にゃいか、とゆーこと。たとえば
c. 太郎はアメリカ人が好きだ
d. 太郎はアメリカ人のことが好きだ
(d)でもアメリカ人一般が好きという解釈あると思うにゃ。この辺りもご一考願いたいにゃん(ぺこり
>>260 だんだん分かってきますたにゃ〜、こさかなしゃん!
こさかなしゃんのせっかくの記念すべき1挺目ということで悪口は言いたくなかったのにゃが、○イ製品は「プラモ」と
割り切って遊び倒すためのもので、「所有する満足感」「握った時の緊張感」みたいなもんとは縁遠いにゃ。
俺はサムライエッジのバレルのパーティングラインに幻滅し、社外品の金属製アウターバレルに換装したけどにゃ、
ま、いきつく先はフルメタル化という罠ゃ (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
ガバは間違いにゃくすべてのハンドガンの原点にして頂点にゃ。群最新号でいうと、KimberのSWATカスタムの製品化の
広告が出てるにゃが、俺はあーゆーのにも目がないのにゃ(^ω^)
ガスガン派のこさかなしゃんにはやはり和のガバ完全版かすでに品薄にゃがWilson Combatをお薦めしたいにゃ。
>a. 太郎は社長が好きだ
>b. 太郎は社長のことが好きだ
>(a)は一般に社長なら誰でも好きなのに対し、(b)は特定個人の社長が好きだという意味
これってde re/de dictoの区別とかとはまた違うんすかね?
坊やしゃん
>261-262(ちょっと関連するとおもうので)
「内包文脈と叙実補部に還元されない違い」は、「こと」が表面上任意に選択されているのは内包文脈に(一応今までの観察からでは)限られる。
256しゃんが言った(さらっとレスですんまそ)de re/de dictoの区別とこの(表面的)任意選択の間にcorrelationが確立されない限り、「還元できる」とは言えないはずです。しかしそれらのcorelationはobviousからはほど遠いのではないでしょうか。
というのは、de re/de dictoの区別は言うまでもなくanimacyとは無関係だからです。
ところで、上でanimacyにふれ、それに先だって坊やしゃんはanimacyに言及され、さらに「述語によってはanimateでなくてもよい」とおっしゃってますね。考えてみると、
・有生性
・名前と普通名詞
に関して、これまで考えてきたのは有生の名前が圧倒的でした。かおもじセンセ>264で普通名詞のデータが出てきましたし、このあたりで、無生物のものについてもちょっと考えてみようかな、と思います。
とりあえず歌「サチコ」より(なぜに?)。
a.おまえの黒髪が好きだぜ
b.おまえの黒髪のことが好きだぜ
こさかな判断ではbも問題ない気がします。これはinalienable possessionとも関係あるのかなー 例えば
c. レスポールのヴィンテージを探している
d.*レスポールのヴィンテージのことを探している
とか。(関係ないと思いますけど、普通のアクセントでも、専門家アクセントでもダメ)坊やしゃんはどんなデータを念頭におかれてました?
師匠>264
おっしゃるとおり○イは「プラモ」でつね。でも、なんか初恋の人のことを悪く言っているような後ろめたさが・・・えーい、新しい恋に射切るのさあ!
ガバは深そうですね・・・実は、昨日言った店というのは、あの
広告主で、Wilson Combatを握らせていただきました・・・
あの感触・・・びっくりしたのは、ガバの歴史が100年以上、ということ(お店でレクチャーしてもらいました)。
しかも、しばらくアメリカ警察で使われていなかったものの、相手の戦闘能力を完全に奪う力が買われ、最近再び使われている、と聞いてびくーりでした。
深い・・・多分師匠のいう百分の一もまだ理解してないと思う。
265しゃん
de re/de dictoとの絡みでもう一声いかがっすか?
最近廉価版が出た花輪和一の『刑務所の中』面白いね。
銃刀法・火薬取締法違反で3年だったらしいが。
ま、人ごとではないにゃ、俺の場合w
前に書いたかもしれんにゃが、ウチに空き巣が入った時、やってきたケーサツがモデルガンの山に目を白黒させて、
あれこれ質問していったにゃ。
警官相手にこれはどこ製の何というGUNで口径は何かなどとレクチャした民間人は俺くらいももんかにゃ、にゃははは。
今日の実例にゃが「長嶋知ってる?」ってのは「長嶋の病気のことを知ってるか?」の意味でちゃんと通じてるにゃ。
>269
映画になるんでしたっけ?(もうなった?)通勤電車で読む雑誌に連載されてるんで時々眺めてましたが、土に埋まってたガバメントの改造で捕まったんでしたっけ?
刑務所の生活とかの描写は覚えているんですけど、ガバのことは何一つ覚えていない
(それと、なんか気味の悪い同時平行の物語も)。関心なしに読んでも頭に入らなかったことの一例ですが、これからはヤバいかも。
>270
その後の警察の装備に影響与えたかもデスw
カオモジせんせ>270
長嶋、知らなかったデス・・・ 早くよくなるといいですね
(というか、かずしげのパニック障害も心配)
ところで、「長嶋知ってる?」の時の「長嶋」は伝統文法で「徒(ただ)」と呼ばれる、無助詞のトピックですね。対格にして「長嶋を」ではその読みが絶対でないと思いますが、どうでしょ?
>「徒(ただ)」
( ´・∀・`)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
あえて省略されてるのを補うと「長嶋について、とある大事なことがあるのだがそれを知ってるか」
てな感じかにゃ。非常に特殊な感じがするにゃが、フォーマルに扱った分析とかあるにゃ?
de re/de dicto、referential/attributive、specific/nonspecific、wide scope/narrrow scope、etc.
どっか似てるようで厳密には違うかも知れん区別の仕方がいろいろあってややこしいにゃ。
それぞれきれいに定義できる人いるにゃ?
ところで
>あの広告主
ってのはnew M○Cかにゃ? メーカー直営にゃからパーツ類揃えるには便利で、俺も東京出張の時は
上野店に寄ってパーツ買いだめするけどにゃ。
ガバの楽しさの一つはパーツ寄せ集めて調整し、自分だけのオリジナルカスタムを作れることだにゃ。
自分でコンパネや機能拡張いじりまわせるMAC OSにちょっと似てるにゃ、やりすぎると作動不良になるとこもにゃw
「徒」について考え、名前をつけたのは確か本居宣長だったと思いマス。係り結びとの絡みでデス。国語学では特に古典語に関して研究はあるようデスガ、フォーマルな扱いは私の少ない知識では特にないと思いマス。
三原先生が、「日本語の統語構造」の中で主格の脱落について触れているところがあり、そこでは確か、「総記解釈では脱落不可能」という他に、「徒」とは言わないものの、
主題解釈について触れていたのが若干関係があるところかなー、と思いマス。
一見、単なる主格の脱落、もしくはトピックマーカーの脱落にしか見えないものですけど、カオモジせんせの「長嶋文」はハではダメポなので、ちょっとおもしろいす。
a. 長嶋、知ってる?(長嶋の病気のこと、の解釈で)
b.*長嶋は知ってる?(同上)
c.*長嶋が知ってる?(同上)
>本居宣長
( ´・∀・`)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー
>それぞれきれいに定義できる人いるにゃ?
少なくとも私にはできまセンw
これにstrong/weak, categorical/theticも加わるとにゃにがにゃんだか・・・
で、ちょっと「徒」との関係で思い出したのですが、スペイン語のあるタイプの使役文のあるポジションがcategorical judgmentになる、という記述があるそうですネ。
>ガバの楽しさのひとつ
うーん、だんだん欲しくなってきますが、このままでは本当に「金がいくらあっても足りない」状態になりそうデス・・・どこかにガバを掘りにいくか・・・
サンケイ新聞がプリティ長嶋にまでコメントを求めてたのは笑いますた。
プリティにとっては死活問題だからな
ここ最近いっぱいいっぱいの状態でレスが遅くなりました。
>266
>内包文脈と叙実補部に還元されない違い
こさかなさんのおっしゃることを消化しきれていないのでもう少しお時間ください。
>animacy
心理動詞との絡みでいうと、ObjExpの主語はAgentもしくはCauserとして解釈
されますが、「(名前)のこと」なんていうのはCauserにしかなりえないという
ことです。
>「サチコ」
誰の歌ですか?「SACHIKO」なら誰の歌か知ってるんですが(w
> a.おまえの黒髪が好きだぜ
> b.おまえの黒髪のことが好きだぜ
>こさかな判断ではbも問題ない気がします。
私も問題ないです。
> c. レスポールのヴィンテージを探している
> d.*レスポールのヴィンテージのことを探している
この判断も同意です。ところでこれは内包文脈ということですか?
念頭においていたこととしては「(有生の名詞)」と「(有生の名詞)のこと」の
対比のみで(「作品読み」を除けば)無生の名詞に関しては特に何も考えていま
せんでした。
坊やしゃん、レスありがとうございました。
>ここ最近いっぱいいっぱいの状態でレスが遅くなりました。
わたしもかなりいっぱいいっぱいです。素でしか書けないくらい・・・
わたしのほうも返事が遅れますがお許しください。
>>「サチコ」
>誰の歌ですか?「SACHIKO」なら誰の歌か知ってるんですが(w
え?最近の曲でもそういう名前のがあるんですか?
♪さっちゃんはね、さちことゆーんだホントはね〜 なら知ってるにゃ(ちょっとだけ)
帰りのバスの中でずっと考えてますたが、先に言われま す た(がくっ
283 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/11 02:55
>de re/de dicto、referential/attributive、specific/nonspecific、wide scope/narrrow scope、etc.
>どっか似てるようで厳密には違うかも知れん区別の仕方がいろいろあってややこしいにゃ。
>それぞれきれいに定義できる人いるにゃ?
で、この辺、どうよ?
284 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/11 05:25
>de re/de dicto
様相文脈における意味論的値の違い
>referential/attributive
定記述句の読みの違い
>specific/nonspecific
不定名詞句の読みの違い
>wide scope/narrrow scope
論理構造において演算子が現れる位置の違い
285 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/11 06:47
>strong/weak
crossoverしか知らん
>categorical/thetic
判断が主述的であるかどうかの違い
>284しゃんの定義に基づいて考えをすすめマショー
de re, de dictoについて、クワインは確か、様相文脈に限られるものではない、と言ってたような。そもそもそれらの前にはmodalityがついて、m. de re, m. de dictoとなるからヤヤコシイ。
wide scopeとnarrow scopeは、ある演算子との相対性、ということも忘れてはならないと思うデス。また、論理構造というものが作用域の広狭をうまく表示するように設計されたもの
なので、「じゃあ何をスペルアウトしようとして、論理構造を設計したのか」という問いに答えようとしたときにどういう定義で答えるかを考えなければいけないと思うデス。
むにゃ、
>>284のような模範解答に対してただちに出てくる疑問として、重複する部分がかなりあるんではにゃいか
ということがあるにゃ。たとえば
John thinks Mary hates the man who killed her dog.
で the man who killed her dog が持つ曖昧性は単に referentialかattributiveかという二つに一つではにゃく、
the man who killed her dog のidentityをspeaker/John/Maryの誰は知っており誰は知らにゃいのか、誰にとっては
指示的であるが誰にとってはそうではにゃいのか、といったscopeの違いらしきものに近い形で考えることが
できると思うにゃ。同様に、誰にとってはspecificであるのか、ということも起こり得るわけで、全部「相対性」
を持つものであることになったりしないかにゃ?
明日は日曜なのにまた早朝出勤、ちょっと留守するにゃん。
言うまでもなく、確定記述だけでなく、不定名詞句にも同様の重複、というか余剰性がありマスネ。
mapping hypothesisを採れば不定名詞句の解釈の違いはrestrictive clauseに行くか、neuclear scopeに行くか、ということになるでしょうけど、ここに一つの余剰性が見られる。
特にwild wide scopeを許す不定名詞句を考えると、談話での情報の導入という話者の知識状態に着目したHeimやKampのアプローチになる。
誰が知っているか、ということを考えると、前述のアプローチの前に論理を豊かにして記述を十全に行えるようにしよう、というKurodaのindexed predicate logicになり、それを心理的実在性の主張こみこみで説明理論にしようとすればmentalspace理論になる、デス。
「模範解答」はひとまず標準として、その背後にある洞察と、重複を元にempirical claimを行っている理論での観点での定義を截然と分けることは難しい仕事かもしれないデスネ。そこに注意しつつ余剰性を析出することはとーっても重要デスネ。
重要ですが、ムズカスイ・・・
様々な概念間の重複を考えるとき、カオモジせんせが言ったように「誰が知っているか」ということが重要だと思いますので、少しこの路線を進めてみたいと思います。
というかこの話は前スレで一昨年の夏に少し出た話とも関係するかもしれませんが、あの時はもっぱら「名前」の使われ方に関するものだったので、一応独立していると考えていいかもしれません。
「誰が知っているか」ということを考えるとき、ある言語表現の使用の適切さということで考えると、まず話者の信念に関するものでなければならない。
では話者の信念に限定したとして、それ以外の人の信念への言及はどのように行われるか。
他者の信念へのアクセスは原理的に不可能なので、他者の信念は、あくまで話者の信念内に形作られているものに限られる。
では他者の信念、に関する話者の信念が正しいことはどのように保証されるのか。mutual knowledgeに関する問題ですが、不用意に踏み込むとすぐに無限遡及に落ち込む。
これを解消しようとして開発されたのが「談話管理理論」である。ここで「のこと」ともつながっていきそうである。では「談話管理理論」とはいかなるものか…忘れてしまいマスタ(ドテッ
突然すみません、別のスレがよかったら誘導お願いします。
以下の小話、自分で作ったんですが後々考えると混乱してしまって
わかんなくなってきました。どうなんでしょう?できれば判定お願いします。
***************************************
(噂(噂))
A「そうそう、あの噂知ってる?」
B「何の噂?」
A「あれだよあれ、知らないの?おまえ。」
B「見当も付かないよ。」
A「マジかよ、遅れてんなーお前。」
B「噂とか別にどうでもいいし。」
A「まあたしかにお前らしいな。」
B「で、何の噂?」
A「どうでもいいんだろ?」
B「そんなこといったって、一応気になるだろ。」
A「まあそれもそうね。」
B「で、どういう噂?」
A「ああ、あのな・・。ただの噂だったはずの話が、」
A「現実に起こっちゃうって話なんだよ。怖い噂だろ。」
B「へえ〜。なんかどっかの小説かゲームにありがちな話だな。」
B「あ、ていうか噂が現実になるっていうかそれ」
A「ん?」
B「今おまえがしてる噂が、ちょうど今現実に起こったところ?」
A「あ・・。」
B「なんだよそれがオチかよ。」
A「ほんとつまんねえヤツだなーなおまえ。」
B「そんな噂する方がつまんねえよ。」
***************************************
無駄に長いので要約すると、
「ただの(事実とは全く無関係の)噂が現実の出来事になる」
という噂をAがしたところです。
>>291 なんか、スレストっぽいんですが、いったい何を「判定」すればよいのでつか?
293 :
ゝ^ )つ〜〜く :04/03/23 09:50
とりあえずあげ朱鷺鱒
思い切りスレストさせちゃってました。すみません。
このまま流してもらっても構いませんが一応・・・
「噂が現実の出来事になる」という内容そのものは、もともと
ウソ(非現実)ですが、「「噂が現実の出来事になる」という噂」を
Aが噂した事実は現実だってことです。
ここでは、噂の内容が特定のものを指していない上に
「((噂)を噂)した」と2重になるので意味がこんがらがって
しまっていたのですが。
・・と自分でもうまく説明できません。
あ、言ってること訳分からないようでしたら
構わず先進んでください。お騒がせしました。
どっちかつーとパラドクススレ向きの話だね
なるほど、やはりパラドクスススレで聞いてみた方が
いいですね。ありがとうございます。
297 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/23 10:23
とりあえず、「「噂が現実の出来事になる」という噂が現実の出来事
になる」ことは、「「噂が現実の出来事になる」という噂を流す」ことは
別のことだと思う。
>>294 > 「噂が現実の出来事になる」という内容そのものは、もともと
> ウソ(非現実)ですが、「「噂が現実の出来事になる」という噂」を
> Aが噂した事実は現実だってことです。
「噂が現実の出来事になる」というのは、噂であるようなものを全称量化してるの
なら偽だろうけど、普通そうは解釈しないんじゃないの? なので、真になる可能性
も十分あると思うが。
ただ、いずれにしろこの例がパラドキシカルとは思えない。う〜ん。特にわからない
のが、この部分(
>>290):
> B「あ、ていうか噂が現実になるっていうかそれ」
> A「ん?」
> B「今おまえがしてる噂が、ちょうど今現実に起こったところ?」
> A「あ・・。」
Aが噂した内容は、「噂が現実の出来事になる」ことであって、これが現実の出来事
になるためには、「噂が現実の出来事になる」ことが現実の出来事にならなければ
ならない。これはつまり、噂が現実の出来事になることと同じだろう。
しかし、この例では、なんら噂も現実の出来事とはなっていない。ここで起こっている
のは、ただAが「「噂が現実の出来事になる」という噂を流した」ことだけだ。
よって何もパラドキシカルなことも自己言及的なことも起こっていないと思うわけ
ですが。
ただ、「噂が現実の出来事になる」という文の意味を明確にしておく
必要がある。「噂」を普遍量化、特定指示、存在量化の三つの解釈が
あるから、それに応じて文の意味も次の三つの解釈が考えられる。
イ. あらゆる噂が現実の出来事になる。
ロ. ある特定の噂が現実の出来事になる。
ハ. ある噂が現実の出来事になる(=現実の出来事になる噂が存在する)
一応、ハの解釈を考えてみると、ハという噂が自己実現的であるかという
ことが問題になる。すなわち、「ある噂が現実の出来事になる」という
噂が、それ噂自身を真にするかということが問題になる。
だが、「ある噂が現実の出来事になる」と噂するという事実は、何らかの
内容が噂されるという命題を真にするものの、何らかの噂の内容が
真になるという命題を真にするものではない。だから、
>>298さんも
書いているように、「ある噂が現実の出来事になる」と噂することは、
パラドクスの源になりそうな自己実現(あるいは自己否定)を
含んでないように思う。
おそらく、
>>290さんは、「Aという噂が現実の出来事になる」といった
場合の、「現実の出来事になる」の意味に、「Aの内容が真になる」と
いう意味のほかに、「Aという内容が実際に噂される」という解釈を
考えているので、自己実現的な発話だと考えたのではないか。
(だが、それは単なる言葉の曖昧さの問題で、いわゆる論理的
パラドクスを生じさせるものではない。。。ように思う。)
なるほど・・。詳しく読み解といていただいてもらって感謝です。
「噂が現実になる」というのは「噂以前は現実でない」ことと同意ですよね。
そこで、「Aの言った内容が噂されている」は、Aが言う以前が偽であったなら
つまり、Aが思いつきで初めて口にした人物であったならどうでしょう?
それと、噂の内容が特定されていないので「(〜が噂されている)という噂」
だったとしたら、Aが噂話をした時点で「噂されている」は真になりません・・か?
たしかに、話が抽象的すぎて解釈が曖昧なだけかもしれませんね・・。
この場合、「噂が現実になる」という核心部分には全く触れないわけですが・・。
>>301 >そこで、「Aの言った内容が噂されている」は、Aが言う以前が偽であったなら
>つまり、Aが思いつきで初めて口にした人物であったならどうでしょう?
この場合、「Aの言った内容」は何になるのですか?
>それと、噂の内容が特定されていないので「(〜が噂されている)という噂」
>だったとしたら、Aが噂話をした時点で「噂されている」は真になりません・・か?
確かに、「誰かが噂話をするという噂が現実的になる。」
と噂話するのは、自己実現的であるだろうが、そうなるのは、この噂話が、
“誰かが噂話をするという噂”の存在を前提しているから。
一方、単に「噂が現実的になる。」という噂話は、“誰かが噂話をすると
いう噂”の存在を前提していないから、やはり、こちらは自己実現的で
あるとは言い難いように思う。
>この場合、「Aの言った内容」は何になるのですか?
『「噂が現実の出来事になる」と巷で噂になっている』という”すべて虚偽”の内容です。
Aがこの噂を思いつく以前には、そんな噂は全くされていなかったが
AがここでBに伝えたことで、また他の人に伝えることで、この噂が広まったら
後に真になる、後にAの噂話が現実の出来事にならないでしょうか?
・・・ということです。
Aが、はじめから虚偽のつもりで言ったのなら、
すでに噂話がされている前提は必要ないんじゃないでしょうか?
何故なら、ここでAが「この話が噂されている」という噂自体を
実現させようとしているから。
もちろん「噂が現実になる」そのものは真にはなりませんけども。
あー、何にも頭に浮かびませんが、とりあえず何かかいとこ。
まずindefinite specificとindefinite non-specificの違いを日本語で
考えたいと思います。オフィスのドアの向こうに人の気配を感じたとしましょう。
普通の人は、その時点でそこにいるのが誰かということを知ることはできません。
ですからこの場合indefiniteになるわけですが、誰かがいるということは
特定できるわけですから、この場合indefinite specificになります。
この状況を日本語で言い表そうとすると
(1)a.ドアの向こうに人がいる
あるいは
(1)b.ドアの向こうに誰か人がいる
になるでしょう。
次にindefinite non-specificを考えたいと思います。状況の前に
表現から行くと
(2)a.その猫、目立つところに座らせとけば、誰か拾うでしょ
で、「猫を拾う」という出来事は未来に起こるであろうできごとで、
話者は猫を拾う人を特定することはできない。この時、(1a)でやったように
「人」も同時に生起させられるかというと
(2)b.?*その猫、目立つところに座らせとけば、誰か人が拾うでしょ
完全にだめとは言えないかもしれませんが、かなり不自然な気がします。
遊離数量子的な「誰か」と主要部「人」の語順やらなにやら気になりますし
すでに研究があるわけですが、とりあえず日本語でspecificityに関する
表しわけがある、ということだけ確認したいと思います。
Parteeだったと思いますが、SにおけるtenseをNPにおけるdefinitenessと
平行に捉えようとする試みがあったと思います。きっと今もそういう取り組みは
あると思います。またComrieはtenseをdeictic categoryと呼んでいます。
では、tenseに関してspecificityというものを考えたらどうなるか。
ここで「こと」を呼び戻したいと思います。tenseに関わるような表現で
「こと」を使う迂言表現は色々あります。たとえば
(3)実弾を撃ったことがある
というような経験をあらわすものや
(4)明日でかけることにする
のような意志決定を表すものなどがあります。
前に出た「Nのこと」は法要素の作用域の内部に生起してたりしたわけですが、
ここでは「こと」は様相オペレータの内部に現れるとかということではなしに、
話者(か誰か)の信念の直接の反映であるように見えます。ではこのような
切り口で「こと」と誰かの知識状態との相関関係というものを考え、それに
よって「こと」の生起を律する条件や、知識状態とspecificityなどが
考えられるでしょうか(つづくかもしれない)
えー、上と全然つながらないのですが、カオモジせんせの
>287
>John thinks Mary hates the man who killed her dog.
を、「誰が知っているか」という観点で少し考え直してみたいと思います。
Kurodaのindexed predicate calculusはちょっと忘れてしまったので、ちょっと我流で
行きます。話者のindexと聴者のindexは特別にもうけてそれぞれs, hとします。その他は
普通のindicesと同じように使うものとします。さらに、この述語算の特徴として、ある述語が
誰の信念に属しているかをindexによって表すものとします。
第一のステップとして、上の文をまづ述語論理の表現に書き換えます。
(1) think(j, hate(m, her_dog_killer))
次に、ここに現れる述語論理の原始表現はher_dog_killerを除きすべて話者の信念体系に属していることは
明らかと考えられるため、hをふります。
(2) think^h(j^h, hate^h(m^h, her_dog_killer))
・・・とここまで書いたところでおなかがすきまちた。えー、やりたいことは、豊かな記述力を
もつ論理体系で組み合わせの可能な様々な指標の振り方をして、自然言語の中でそのうちの
どれが可能か、そしてそれとspecificityなどとの関係を考えたいということでつ
(元気があればつづく)
>>306-
とりあえず軌道修正乙〜 (上の「噂」の件も継続してちょ)
つまり「人が」ってのが、specificityの標識ってことにゃ?
すると
誰も人がいない、誰も人がこなかった
ってのはどーなるのにゃん? specificity込みで否定してるわけかにゃ?
誰もいない vs 誰も人がいない
の違いも気になるにゃー
かおもじせんせ、どもです〜
「噂」の話は読んでておもしろですー 自分に語れることはなさそうですが
続いてほすいっすー。290さんがときどき「嘘」に置き換えてはなしてますが、
内部構造が複雑そうな「噂」よりも「嘘」(こちらももちろんwhite liesなどは除く)で
考えた方がいいような気がするっすよー そういえば昔、月刊言語に「嘘」の研究を
続けていたら「真実」と区別できなくなった、っていう寓話があったと思うっす。
>つまり「人が」ってのが、specificityの標識ってことにゃ?
あまり深く考えてたわけではないですが、そうかなーと思います。
「人」の場合、「誰か」が持っているはずの[+human]というような素性のsegmentalizationに
すぎない感じもあり、その場合意味的にはredundantなわけですが、単にそういうのではなく、
[+human, +specific]か何かではないかと漠然とおもってますた。
この場合、
誰か学生が立っている
のような、「人」の下位類でより多くの意味素性が指定されている場合と異なり、
「学生」のような場合には存在子の母集合をあらわし、単に「人」の場合と異なってくると
おもいます。この項、適当でしゅ。
しかし、かおもじせんせの
>誰もいない vs 誰も人がいない
の例を見ると、問題はそう単純ではないような気もしてきましゅ。全否定においてspecificityという
ことが意味のある形で関与するか、ということもあると思いますが、ここで現れる「人」は
indefinite specificではなく、definite、つまり話者はある一定の集団の存在を知っており、その
部分集合、つまり定性名詞句が指示するような集合の部分集合を想定しているのではないかと
おもうのでつ。このあたりは全称量化及びその否定の性質とも関係すると思うのですが、
ちょっと面白いでしゅ。
あと、
誰か、人がいる vs. 人が誰かいる
誰も人がいない vs. 人が誰もいない
の違いも気になりましゅ。
>ここで現れる「人」は
>indefinite specificではなく、definite、つまり話者はある一定の集団の存在を知っており、その
>部分集合、つまり定性名詞句が指示するような集合の部分集合を想定しているのではないか
概ね胴衣にゃ。ある一定の集団が実際に存在している、とゆーよりはそのような集団の存在が
想定され得る、って感じかもにゃ。たとえば
a) なんとしてもバンダレイ・シウバ(総合格闘技の選手)を倒さねばならんが、人がいない。
だと、「シウバに勝てるような選手の集合」が空ってことかにゃー。
生成スレで同一性解釈のハナシが出てきたので、こさかなしゃんも一言どぞw
生成スレの
>(手品かにゃ?)
がツボにはまってしまい、もう何も考えられまセン
308の続きでしゅ。(2) think^h(j^h, hate^h(m^h, her_dog_killer))から
ひとまず思考や感情の述語の項(述語を含む)は、思考・感情の主体の信念に存すると考え、
(3) think^h(j/i^h, hate/i^h(m/i^h, her_dog_killer))
とふりましゅ。とりあえず'her_dog_killer'はここでも保留にしときましゅ。
ちょっと先走るかもしれませんが、思考・発話・感情など、主語の頭の中のことを表す述語では、
項は主語の人物の信念体系に属している、ということができるとすれば、指標付与にはこの点に
関して規約を設けることができましゅ。さらにRossのperformative analysisをあっさり
採用すれば、指標hの付与も規約によって自動的に行われましゅ。しかしいずれの場合にも
固有名と、ある人が直接知覚した個体や事象の名前(普通名詞、動詞)については問題ないと
思われましゅが、確定記述句についてはどうなるのかは明らかでありましぇん。また固有名を
「隠れた確定記述句」とすると固有名にも同じ問題が出て来ましゅ。この辺は後回しにして、
確定記述句にも一応指標を振って行くと
(4) think^h(j/i^h, hate/i^h(m/i^h, her_dog_killer/i^h))
また、Maryの憎しみの対象はMの信念体系にあるものとして
(5) think^h(j/i^h, hate^h,i(m/k^h,i, her_dog_killer^h,i,k))
>a) なんとしてもバンダレイ・シウバ(総合格闘技の選手)を倒さねばならんが、人がいない
は、言うまでもなく
バンダレイ・シウバを倒せる人はいない
とパラフレーズできる部分も含んでいて、この文でも、a)についてカオモジせんせがいった
>「シウバに勝てるような選手の集合」が空
が当てはまりますね。a)のままでもいいのですが、パラフレーズしたほうで考えるとハの前まで、
つまり
バンダレイ・シウバを倒せる人は...A
の部分で集合を内包的に定義しており、そして
いない...B
の部分では、その集合が空集合であることを述べている。一遍集合論的記法にして、対応部分を
A、Bと振ると
[S]^A [=φ]^B または [S=]^A [φ]^B
よく「ハはgiven information」と言われることがあります。ではg.i.=definiteなのでしょうか。
また、new i.でハが使われる場合はないのか、indefinite specificでハが使われる場合はないのか、
ということも考える必要がありそうです。と、ちょっと話がぼやけていると思いますが、
definiteness, specificity, categorical-thetic dichotomyの間にある重複について考えています。
categorical(syncategorimatische)では、definiteな名詞句がpremise partを形成することが
ありますが、例えば英語のdefinite NPが常に日本語のハ句(non-contrastive)に対応する訳では
ありません。しかし、正確に言えばそうではないかもしれませんが、大雑把に言えばcategoricalの
定義にはdefinitenessが組み込まれている。では上であげた文のAの部分(ハ句)は集合の内包的定義を
表していると言えますが、集合の内包的定義をすればdefiniteとなるのでしょうか。
(気力があれば続く)
追伸:
師匠へ。金歯を見に行ったのですが、和のM1911を買ってしまいますた。だって呼んでたんですもの・・・
追追伸:
最新号の「群」に海雲?のことがのってまつよね。あそこは庭みたいなつもりでいますたが、
しりませんですた・・・明日から撃ちにいってこよかなー
にゃんか生成スレとあわせてこさかなしゃんがドトーなのでレスが追いつかないのにゃがw
>とりあえず'her_dog_killer'はここでも保留にしときましゅ
この the man who killed her dog という確定記述にしてからが、考え出すと何通りにも曖昧に思われるにゃ
例えば、これがある特定個人を指示するreferentialな用法であると限定しても、この表現はspeaker/John/Maryの
誰に帰属するのか(誰の判断ないし責任(?)の元でこういう表現が使われているのか)がまず判然としないにゃ。
問題の人物がBillだとして、Bill killed her dog. だと思っているのは誰か、ってことにゃが、もし話者自身はBillが
犬殺しの犯人ではないと思っていても、JohnないしMaryはそう信じているような場合に、
John thinks Mary hates the man who killed her dog.
と
John thinks Mary hates Bill.
は等価なんかにゃ? もしそうにゃら、referentialっても誰にとってreferentialなのかが異なり得る点で
scopal ambiguityを持ち得ることになるにゃ。specificityが常にwidest scopeとは限らないのと
同じかもにゃ。
さらに屁理屈こねると、referentialの場合は、その確定記述が述べている内容の真偽は問われない
わけにゃから、Billがホントに殺したのはdogではなくcatであった場合、またはBillは殺したのではなく
麻酔銃で眠らせただけであった場合にも、相変わらず指示機能は維持されてるわけにゃん。すると
The man who killed your dog { is not the man who killed your dog / did not kill your dog }.
にゃんてナゾナゾみたいなこともmake senseしてるわけかにゃ。
ここんとこ脱線続きですまんにゃ〜。
ところで1911は4/15発売予定にゃん。買ったのは1911A1のほうかにゃ。
俺もseries 70よりミリタリーガバのほうが好きだけどにゃ。
ヘウンデ(?)のレポ読んだにゃが、ammo代高いにゃ。
機会があればグアムあたりに行ってみたいもんにゃ。
>誰に帰属するのか(誰の判断ないし責任(?)の元でこういう表現が使われているのか)が
>まず判然としないにゃ。
私もまったくそう思いまつ。で思い出すのが(詳しく知らないのですが)KripkeやEvansが主張
したという、「名前は誰かが言い出したのを使ってるだけ」という理論です。これについては
いつだったか、誰かがここでも言及していたと思います。この理論は多分確定記述句にも適用され
ますので、そうすると話者ですらその確定記述句の使用に責任がないことになります。
そして確定記述句もこう考えられるとすると、そのときには殺されたのが実はcatでなくdogでも
あり得、そのときちょうど名前'c^a^t'というアルファベットのならびにおける'a'と同じような
ものとして'cat'が振る舞っている、と言えるかもしれません。指標付き述語算を下手にまねて
いろいろやってみましたが、上のような理論のもとでは単に「無意味」となるに違いありません。
しかしDavidsonならきっと異を唱えそうですし、考えてみるときっと面白いと思います。
>にゃんか生成スレとあわせてこさかなしゃんがドトーなので
でもショボくてスマソなのでつ。
買ったのはおっしゃるように1911A1の方でつ。しばらく手で転がして遊んでみようと思いまつ。
毎日表情が変わるので面白い・・・ってか、写真で見ていいと思うのと、所有してみていいのと
違うし、好みも変わってくるし。つきあってみないとわかんないものでつね。前はガバには興味は
全然なかったのでつが、今はガバ命でつ!といっても未だ無知でゝ^ )つ〜|(半匹前)でつ。
確かにヘウンデは高い、って書いてありましたね。でもglockとppkが撃てる、ってあったんで、
なんかのついでに行ってみたいス。ヨンドのほうは隣に軍用地がある、という話を聴いたことが
ある気がしまつが、「俺があそこの土地の所有者だ」って行ってる人に聴いたので眉につばでつ。
えー、誰も興味ないと思いますが、私の本棚の哲学関係のところに『バカ姉弟』をおいてます。
(けして著者の「哲」で分類してるわけではないですが)
あの作品のことばづかいは奇跡だと思います(絵もそうです)。
飽きないですね。特におねいのことばづかい。描線から言っても、安達哲さんはコクトーみたい、
と分類しそうになるなんて俺のばかばかばか。しかし、日本にJean-Claude Milnerみたいな
人がいたら、一方でDe la syntaxe a l'Interpretationのような統語論の研究もやりながら、
『バカ姉弟』の世界に遊ぶ、幸せな関係を自分の中にとりこめるんだろーなー
「ニューロマンティック」の世界がさらに深まることを期待しつつ。
一応意味論ネタのつもりですた。(語用論的ネタでもある)
を、安達哲といえばお天気おねーさんにゃんw
むかーし、コミック好きの学生(女子)に推薦してやってヒンシュクかったけどにゃー
最近のコミック事情はさっぱりワカランのにゃが(川原泉あたりでとまってる)
一度読んでみるかにゃ
他にお薦めあったら教えてちょ
>>319 (確か第三巻だけが成人指定になっている)『さくらの唄』ならある
意味許されるけど、『お天気お姉さん』を女子学生に勧めたらセクハラ
だよな。。。
こーゆーのにだけはすぐにレスつくからにゃーw
まあ、これだけ下がってても常時ROMってる奴がいるってこった。
レスの間隔、みじかっ!
お天気お姉さん、の最後期はニューロマンチックの萌芽がみられ、ちょうど最後期ヤードバーズにツェッペリンの萌芽が見られるのに似てる、っていったらカオモジせんせからチェック入るかなー
さくらの唄、すごいっすよね。安達哲さんの作品群を読むと一定のモチーフが繰り返し形を変えて表れてる、って感じる、なーんて気取っちゃいますた。
コミック、偶然出会ったものしか読まないんで、おすすめ、は自信ないすけど、勇午、おすすめでつ。同じ作家(作画担当ですが)の武闘王ボンノもおすすめでつ。
ネタふり?(ハングル板、あるいは語用論の方の話かな?)
日本語では
A: ねえねえ B: ん、なに?
のような感じで、呼びかけへの応答に「何」を使いますが、韓国語(朝鮮語)では
A: yaa, yencwuna B: oy?
(なあ、ヨンジュン 何故?)
というふうに「何故」をつかいまつ。これは「何故呼ぶ(oy bulle)」の「呼ぶ」をとったもの
なのですが、これって日本語の「何」と韓国語の「何故」の守備範囲が違うから、という問題なのか、
それとも言語によってゆるされる談話のパタンが違うから、という問題だからなのか、またはまったく
こういうこととは別のことなのか。英語も'what?'だと思うのですが、考えてみると、
問いかけられたら、その問いかけという行為自体の動機を尋ねるのが直接的で、すると「何故」の
ほうがその目的に適っている気がするのですが、一方で、問いかけた相手に、問いかけるという
行為自体の動機を尋ねるのはGriceのmaximを無視している気もします。
日本語母語話者の目から見ると他にも?なのがあって
A: ettekkey oasse?(どうやってきたの?)
というのに「タクシーで」とか言うとポカーンとされます。(このときは「おばに会いに」とか)
とりあえず、syntaxでwh adjunctとしてよくとりあげられるwhyとhowに関するものの、
意味領域の問題か語用論的問題ですが、どうでしょう?
やっとかめw (やっとかめ(八十日目)−名古屋弁で「お久しぶり」)
英語のジョークで
医者)how did you come?
患者)flew
ってのがあって、flewはfluをかけている、つまり「飛行機で来ました」ってのと
「インフルエンザで来ました」ってのとを曖昧にしてるのにゃが、「インフルエンザで」
とも答えられるってのをフシギに思ったもんにゃ。
そーいえば以前、日本語の「何を」の
藻前ら、何を騒いでいるモナ?
みたいなadjunct用法についてペーパー書いた人知ってるけどにゃ。
そんだけ(ドテ
>やっとかめ(八十日目)−名古屋弁で「お久しぶり」
( ´・∀・`)つ〃∩ ヘェーヘェー
2ちゃんでは有名なのかな?
>flewはfluをかけている
( ´・∀・`)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェー
私が知ってるジョークといえば、なんかの申請書のsexの欄に'twice a week'と書いた話ぐらいです。
ちなみに私は某国でre-entry permitをもらうとき、申請書にsingle, multipleとあったのを、
担当の人に「結婚?」と訊いてしまいますた
この手の話というのはかつては言語の多様性の強調だとか、文化による思考方法の違いだとか
(今なら外界認知の言語への反映、と喉まででかかってますがやめときます)
もしかするとそういうことではないのではないか、って気もします。
例えばフランス語で
Depuis quand est-ce que tu est venu ici?(いつからここにいるの)
ときかれて
-Depuis hier.(昨日から)
とも言えるし
-Depuis deux jours.(二日前から)
けど、これって
Il a joue au tennis en cet endroit.(位置)
Il est alle en France.(着点)
のように地点を表す句だけで、その内部で運動が行われる場所も、移動の着点も表せるということと
連動しており、これはMary danced into the room.でCSでの関数GOの補充が行われる、あるいは
言語間で変異があることなので意味論に送る前にしっかり統語論で構造をつくっておく、というような
話になるものではないか、と思ったのです。もしかすると、他に目的語をaccusativeの他にdativeでも
表示するか否か、というところの話の延長で行けるものなのかもしれません。
Adamasの兄ぃ、レスありあとあんした。こちらでレスさしてもらいます。
GGGスレからのカット・あーんど・ペースト
>adjunct用法つーなら、
>(2)藻前ら、何を<そんなに>騒いでいるモナ?
>の<そんなに>がドロップしたケースかな。
そういえば
(2') 藻前ら、何も<そんなに>騒ぐなモナ!
とNPI「何も」を使っても言えますね。ただこの場合は話がやや微妙で
(2") 藻前ら、何も騒ぐこたあないモナ!
のほうが私にはさらに自然に響き、そうすると
(2"') 藻前ら、騒ぐこたあ何もないモナ!
という擬似分裂文っぽいものから来てる、という気もしないでもない。ただこの場合は
<そんなに>ってのは入りそうにないっすね。
>あと、(1)は次の(3)の意味で使ってる可能性ないかな。
>(3)藻前ら、何に騒いでいるモナ?
この可能性が排除されるには項をとらない述語で考えればよいわけですが、たとえば0項述語/擬似項
をとる述語で
(4) 何もそんなに振らなくてもいいのに・・・
(状況例:雨が降らなくて米が不作になりそうで、雨を願っていたら洪水になるぐらい降った)
のようなのを考えることができればいいわけなんすが、「何を」ではちょっと考えにくいですね。
やっぱニ/ヲ交替みたいなものがあるんでしょうかねー
ところで
(5) 声も高らかに年金一元化を主張した
のようなのの「声も」の格は何か、という問題がありますが、これを対格とすると
ちょうとAdamasの兄ぃの「何をそんなに」と似たようなものになり、すると
「そんなに」が脱落する前の構造はある種の二次述語と言えるのかもしれませんね。
ただそうすると、項をとる述語でないと「何も」は生起できない、というのではまずー
><そんなに>がドロップしたケース
元の論文でも動詞によっては「そんなに」等が義務的な場合もあるという観察がなされてるにゃ。
4) 太郎は何を*(そんなに早く)歩いているの?
で、「道を歩く」とかの経路以外で「歩く」がヲ格項をとることはないから、(4)の「何を」を
項と見るのは無理あるにゃ。((4)の答えとして「この道」とゆーのは、明らかに別の解釈)
あとCNPCにゃんかに関して、項と差があるんではないかにゃ。
5) きみは [彼らが { *何をそんなに / 何に } 騒いでいるという噂]を聞いたの
>ニ/ヲ交替みたいなもの
元論文の重要な洞察を引用すると、adjunct「何を」は動詞が他動詞、非能格動詞の場合に限定され、
非対格や受動の場合は不可、ってのがあるにゃ。
5) { なぜ/ *何をそんなに } 桜の花が散ってるの?
6) { なぜ/ *何をそんなに } この本がよく読まれてるの?
つまり「何を」の対格は動詞からくる構造格ってことだにゃ。ただ、俺の判断では
7) 何をそんなに太郎は {ヘンな噂ばかりを流されている / 書いた論文をけなされている } の?
みたいに、被害受け身・間接受け身だとよくなるかにゃ。またこの場合、ヲ格目的語が別にあるので
やはり「何を」自体を目的語扱いするわけにはいかんにゃ。
>これに相当するようなconflationはフランス語ではできない
そうだったと思います。enやaでTO functionが導入できるので、相補分布みたいになってんでしょうかねー
(でも英語でもthereなどのbare NP adv.ではいいわけですよね)
「何を」は目的語ではないけど、対格が付与される環境でないと
だめ、っていうのは興味ぶかいっす。副詞のトコロ節への格付与
と平行した現象のような気が。すると付加詞で主格が付与されている「何が(そんなに)」というのがあってもよさそうですが、例が浮かびません
(間投詞「けっ、なーにが」みたいなのはこの例?)
>あとCNPCにゃんかに関して、項と差があるんではないかにゃ。
>5) きみは [彼らが { *何をそんなに / 何に } 騒いでいるという噂]を聞いたの
CNPCだけでなく、間接疑問文内で束縛されている「何をそんなに」でもかなり不自然
じゃないでしょうか。
6) ??きみは[彼らが何をそんなに騒いでいるか]たずねたの?
総合スレで指摘された、原因などとして答えを供給できる、というのには賛成なんで
すが、
主節だけで可能なような気がしますがどうでしょう。
一方で、「何をそんなに」の所属が埋込節だということは明らかな点で次のよう
なparentheticalな「何か」とははっきり違う。
7) (何か)公安は[彼らが(何か)そんなに騒いでいるか](何か)たずねていた
「何を(そんなに)」というのはなんか、「何か」のようなparentheticalなものと、
真性のwhの中間的存在のような気がします。
総合スレででた話ですが、「非wh」はない、ということに関して、
こんなのどうでしょう。
落ち着いてやればいいものを、そんなにあわてて!
ちょっと
>>324のあたりにもどりますが、ちょっと「どうやって」
の類についてはぼかしてたことがあります(単に忘れてただけですがw)
日本語では「どうやって」が手段、「どうして」が理由、「どう」だけ
だと様態という形態論的構成となっています。ここでは、ある意味、
「駅へ走った」の換わりに「駅へ走っていった」のように「いった」を
補っているのと同じようなことが起こってます。なぜ「して」と
「やって」というスタイルの違いでしかないようなものでこのような
解釈のしわけをもたらすのかはわかりませんが、他の言語で
概念関数の強制を行うような箇所で日本語の場合にはovertな形態素
として具現化されています。(つづく?)
ビミョ-なとこにゃが、あくまでwhy解釈の「何を」を考えているので、理由を表す非whヲ格名詞句はない、
ということなのにゃん。
>落ち着いてやればいいものを、そんなにあわてて!
ここの「落ち着いてやればいいもの」は理由ではなくて、「あわてる/あわててやる」あたりの
目的語ではないかにゃ。にゃから、理由の「何を」と共起してもオッケーにゃん。
1) 落ち着いてやればいいものを、何をそんなにあわてているのだ?
>6) ??きみは[彼らが何をそんなに騒いでいるか]たずねたの?
>主節だけで可能なような気が
「何を」は主節スコープしかとれない、ということにゃ?
2) 僕は [ 彼らが何を騒いでいるのか ] 分からない (embedded scope)
いけると思うけどにゃ?
元論文を紹介したいとこにゃが、知ってる人にゃの躊躇するにゃ〜
ちなみに MITWPL 31 に載ってるにゃん
>「何を」は主節スコープしかとれない、ということにゃ?
いえ、根文現象としてのみ、というつもりですた。でも間接疑問文内で可能だ、とす
るとこの話はなしになりますが・・・「わからない」では確かに私もよさそうです。で?
述語の選び方でかわりそうな気も。
>目的語ではないかにゃ。にゃから、理由の「何を」と共起してもオッケーにゃん。
>1) 落ち着いてやればいいものを、何をそんなにあわてているのだ?
ぼくもそうかなー、とおもいましたが、やぱし
元論文…ふむふむ
アク禁くらって、PDAにメールで送ってそこから投稿、ってやってたら、変なところが化けてました
で? -> でも
すみません。あれじゃあ訳わからんつっかかり方してますね。
所用で釜山へ行ってきます。時間があれば海雲台射撃場も見てくるかも
知れません。その時はレポートしますね。
帰国しました。韓国人とはなしていたらmwues(何)が文中にやたら表れるのが気になり、前出の「何を」と関係ないかなー、とか思いました。
それとは別に、"why解釈"の「何を」の生起に課せられる他動性制約は、義務的コントロールと関係あるのでは、とも考えました(前に二次述語と言いましたが、その変種かも)
ちょっとトリビヤライズする議論ですが。続きは元気があったらまた。
追伸:
Beretta20発撃ちますた(七万ウォン:一万割引)。おなかイパーイでつ。『群』に載ったけど客は別にふえてございません、と言ってますた。
俺も会話では「なんか」「なんか」と繰り返すけど、それとも違うかにゃ。
しかし9mmパラ1発あたり300円以上!?
空薬莢は全部お土産にもらってきたにゃん?
あ、やっきょう忘れた…
韓国語の話はおっしゃる通りでしゅ…
342 :
ゝ^ )つ〜〜く :04/04/23 18:42
特にねたはないんですけど、あげときます
そういえばさっきニュースで北朝鮮の女子サッカー選手が明日の日本戦に向けてのコメントを
求められて
cal hayyaakeysscyo, mwue.
(がんばらなければならないでしょ、なに)
と言ってますた。よく韓国語でお礼を言ったりした時に
tangyenhaciyo, mwue.
(当然でしょ、なに)
って言いますが、この'mwue(s)'は何?あ、そういえば
なーに、当然のことですよ
とかっていいますね。前にでてきた「何を」とかと関係あるんでしょうかネ・・・
その例だけ見ると相手の同意を求めたり異論を遮ったりしてるような感じかにゃ
そーいえば2ch用語の「〜ですが、何か?」ってのにも似てるみたいにゃが、何か?
そうかも、ですね。ところで、北の選手が
将軍様のために頑張りますが、何か?
って言ってると想像すると、ちょっとシュールですねw
(むしろ、正しい訳?)
345 :
Adamas:04/04/24 06:33
飛び入りです。
>>344 まじ笑いますた。
久しぶりに笑いのツボに入りますた。
ひとことカキコせずにはいられませんですた。はい。
こーゆーの好きでつ。はい。
ほいじゃ、今から生成スレに逝ってきまつ。はい。
adamasしゃん、カキコありがとうございますた。
なぜか、素敵なおじさまモードでつね。
347 :
Adamas:04/04/24 07:50
はい、こちらはよそ様のおたくですから。ホホホホホ。
もう出てきません。はい。
348 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/04/24 18:47
私も「将軍様〜」は笑いましたよ。
あと、前にあった、sexの欄に[ twice a week ]もツボってました。
ROMってばっかりで申し訳ないです。
348しゃん、どうもでつ〜 気が向いたらカキコおながいしまつ〜
すれ違いネタですが、女子日本、アジア最強といわれていた北に勝ちましたね。
ちっちゃくバンザーイ。
♪でももお〜っと、大事な瞬間に涙はとっておきたい〜の
今日病院へ行ってGOT,GPT,γ-GTPの値をしらべるために血液検査をしたら、医者に「糖尿病の心配はありません」と
言われた。なんか変。私が変なのか、医者が変なのか・・・
352 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/04 19:13
★☆★無知無学な文系糞虫祭り★☆★ 絶賛開催中!!!
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/tech/1083624060/ /| | |_____ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ||ΦΦΦ
| | | ̄ ̄ ̄ /| ||
| | | / /|TTTTTT TTTTTTTTTT||TTTTT
| /\ | /|/|/|^^^^^^ |三三| ^^^^^^^^^^^||^^^^^^^
| / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/|
| / / |文|/ // /
|/ /. _.| ̄|/|/|/ Λ_Λ
/|\/ / / |/ / (___) 表示的意味論わからずに
/| / / /ヽ /〔 祭 〕〕つ 意味論騙ろうとはふてぇ奴だ
| | ̄| | |ヽ/l `/二二ヽ みんなでまつっちまえ
| | |/| |__|/ Λ_Λ / /(_)
| |/| |/ ( ´∀`) (_) Λ_Λ
| | |/ // / ^ ̄]゚ (` ) 「構文が表示的意味論」(プッ
| |/ ゚/ ̄ ̄_ヽ ⊂〔〔 祭 〕
| / /_ノ(_) ┌|___|
|/ (__) (_ノ ヽ ヽ
/ (_)
>>352 아이구... 공과계사람들도 필사적이군...
何してるん?
このまま「はにゃーん」で1000突入!
hanya-n
阪南
ハンナン
なんか本ほじってたら、のえせんせが「培養漕の中の脳」について書いたのがでてきた。
(つづく)
そしたら今度はPatnumの_Reason, Truth and History_がどっかいっちゃったー
ふえーん(完)
Putnamな
>365 きゃー、はずかしい!でもありがと(^・^)チュッ
きゃー、日本刀がガバに勝った!
何〜?
何と、刃こぼれなしで弾丸がまっぷたつに…
銃刀法違反で逮捕しまつ
何の映画?
こさかなのひとりトリビア実況
でつ
WittgensteinのTractatusの訳(のやせんせ)が岩波文庫ででてたんでつね。しらなかた。
でも、やたらと翻訳がありまつね。岩波と、のえせんせが解説してるのと、大修館のと、白いやつ(もっとあるのかな)。
お奨めはどれでせう?次は是非logical structure of linguistic theoryを
岩波文庫で!安藤先生と田中先生以外の訳で!
かぜひいたみたいっす。けほ
平成17年度○○大学大学院入試問題予想
次の朝鮮語を日本語に翻訳汁
うりまるはなどもるぬんちょあがしどぅる。ちょしめがったわ。
ぬにまーにさいごいって。あいご、ちょんまるちょしめがったわ。
おんにぬんちょっくむまんこっちょんでにか。
(出典:『ウチにいないぞ、俺!』)
けしてエロいことは書いてありません。
はにゃん
はにゃーん
hanya-n
>>374 大修館から出てる奥先生の訳がいいと思いまつ。Notebooks 1914-16 の訳がつ
いてるところも good でつ。Tractatus はあれを一緒に読まないとわからないことが
多いでつ。
野矢訳は、、、買ったけどまだ検討してません。_| ̄|○ 野矢先生だから少な
くとも悪いということは無いとは思いますが。
はにゃーん
379さん、レスありがとうございます。
邦訳が上に挙げたもので尽くされるとしたら、奥せんせ訳は唯一持ってないです。でも、学部生のときに図書館で借りて読んだ気がしますが、用語に戸惑いましたが(白い本の用語に
慣れてたもので)、読みやすかったような気が。
野矢せんせ訳は今日買ったばかりですが、おっしゃる通りだろうと期待してます。
読んでみます。
ぎこはにゃーん
白い本、とかいうのはウィトゲンシュタイン関係ではちょっとアレですね。
どうせなので奥せんせ訳以外(もってないので)の訳書を
あげときます。
坂井秀寿訳、法政大学出版局、1968
山元一郎訳、中央公論新社、2001
野矢茂樹訳、岩波書店、2003
『言語』に土屋せんせが書いてたと思いますが、ウィトゲンシュタインを一人で読むと誤解してしまうので、邦訳と『ウィトゲンシュタイン小辞典』などを手がかりに読むとよい、とか。
邦訳がこれだけ充実している現在というのはいい環境なのかもしれませんね。
はにゃ〜ん
平成17年度○○大学大学院入試問題予想
次の朝鮮語を日本語に翻訳汁
永遠はん再帰ぬんあじゅ神秘すろうん事象いだ。にーちぇぬんい事象ぐろまぬん哲学者どぅるる
おりどぅんじょるはげまんどぅろった。もどぅんごしくおんじぇんがぬんいみあぷそ体験へっとん
くでろ反復でんだぬんごしだ。い反復とはん無限ひ反復でんだぬんごっ!いおちょぐにおんぬん
神話がまるへちゅぬんごすんむおしんが?
(出典:みるらん・くんでら著そん・どんじゅん訳『ちゃむるすおんぬん存在えかびょうむ』)
どなたかMillerの_Strong Generative Capacity_(CSLI)を読まれた方はいらっしゃいますか?
私はぱらぱらとしか読んでないのですが、ちらりと次のようなのが見えました:
「文脈自由文法では、弱生成力に関して等価であるならば、強生成力に関しても等価である
ということがトリビヤルに成立する」
よく知られているように、chomsky1965などで、弱生成力はある文法がいかにだめか、という
ことを示すために用いられ、言語理論が目指すのは強生成力である、とされています。というのは
強生成力とは、文法がある言語の構造記述を与える力であるのに対し、弱生成力は文法がある言語の
形式素の並びを生成する力であるからで、文法が形式素の並びすら定義できないへたれである、
ということを示す以外に弱生成力の出番はない、とされています。
しかし、弱生成力に関して等価である文法の一定の下位領域に制限したり、その他の条件を
加えたりすることで強生成力に関しても等価であると言える、という話は弱生成力に言語理論上の
一定の地位を与えるものと言えます。この話、ちょっと面白そうだと思いません?
futuka mae ni 2dome no jitudan syageki challenge(at Haewoondae).
SIG to GLOCK(45).SIG wa cotto seibifuryoo gimi. GLOCK wa omosirokatta
desu.demo yakkyo wa kuremasendesita...moo konee yoo! uaaaan!
ではいつかこさかなしゃんに会うことあったら
( ´・ω・`)つロ オレノヤッキョードゾー
カオモジせんせ、ありがとうございまつ。楽しみにしてまつ。
Glockは撃ってみたら面白くない銃ですた・・・やっぱガバを撃ってみたい
そのうち言語学を教えている大学の教官が銃刀法違反でタイホされたら、それがこさかな。
とりあえず刀は土に埋めますた
えーと、全部読んでないですが、野矢せんせ訳、なんか読みやすいけど頭にすらすら入ってこない気が。
山元せんせ訳(初出はいつだろう)と例えば3・333のラッセルのパラドクスのところを比べると、「入力項」より山元せんせ訳の「独立変数」のほうが集合論イメージが得やすい気が。
あ、でもそれはだめなのか?あと、個人的に「像」より「絵」のほうが、「絵」自体が事実であることをつかみやすいように思うし。
数学的には野矢せんせのほうが定訳に従ってるんでしょうけど、まとまるとわかりにくい。俺が頭悪いだけか?
虚無せんせの「どマイナーサザエさん」について
「どマイナー」は「どマイナー」でもエオリアじゃなくロクリア、そしてずっと七度が外されてて、最後の「今日もいい天気♪」では「どメイジャー」イオニア(フリギア?)になっている。(あってるか心配・・・)
で、主要三和音の機能が保存されているのみならず、「今日も〜」が
メジャースケールなのに「もっとマイナー」に聞こえたんですけど、
私だけでしょうか?
そこではロクリアでの七度外しが効いているのかなー、とシロートがない頭ひねってみたのですが、これって「だまし絵?」
虚無しゃんここ見てるかどーか分からないから生成スレにハリコしますた
>391
ありがとうございますた、親切な(ンガンッw
前言389を撤回します。今日、野矢せんせ訳を読み終えましたが、ひっじょーに読み易かったです。というか、読み易かった理由は前言で書いたことと同じなのですが、「論考」とはどのような書なのか、ということが改めてよくわかった気がします。
(「気がするだけだろ」という声が聞こえますが)
394 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/26 19:00
6月3日の上智でやる西口さんって人のトーク行く人いますか?
つーか、この人どんな経歴の人?先生?聞いたことないんだけど。
飯大の院生でUCLA留学中と思われ、でつ
396 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/01 21:39
上智の、行きます。
>>394さんは行くんですか?聞いてみただけ?
397 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/01 21:52
「英数字」って、「英語の数字」っていう意味でも通じますか?
399 :
こさかな@ラリ:04/06/02 14:39
>397
「英単語」「英作文」などがあるので、「英語の数字」というのがわけわかんない、というのでは
ない限り通じるんではないでしょうか(「アラビア数字」は「アラビア語の〜」ではなく「アラブの〜」、
「ローマ数字」は「ローマの〜」なので私にはわけわかんなく感じますが)
誤爆ちゃん?にマジレス
400 :
(´∀`):04/06/02 14:58
400キター
>>396 用事ができて行けなくなってしまいました。
できたら、詳細報告キボンヌです!
ところで、この人HP持ってるみたいですね。
飯大の文学部の研究室を辿っていくと見つかりました。
>>394, 396
なんか、トンデモじゃないの、っていう噂があるみたい
なんですけど・・・
(アメリカに留学中の友だちからの情報)
どういう経緯であの会で「講演」することになったのか、
謎すぎです。
396 さん、できればぜひ詳細報告お願いです。
>>402-403 嘘つきました。
直前に体調が悪くなって行くのやめてしまったのです。
ご期待に沿えずすみません。
405 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/10 19:42
質問なんですが、形式意味論では能動文と受動文の分析というのはどのようになるんでしょうか?真理値だけを考えると同じはずですので、それだけ考えると形式意味論的分析では、意味的には同じ、と言うことで分析がストップしてしまいそうですが。。。
関係する過去スレなどあれば誘導していただけるとありがたいです。
406 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/10 20:45
>>405 意味のどの側面に注目するかで分析は違うだろうけど、
形式意味論からすれば真理条件が同じ、というだけで意味が同じとまではいわない。
もちろん真理条件が同じ、という以上の差を見いだそうとはしないとは思うけど。
そもそも能動文と受動文のどういう意味の違いについて考えたいの?
もし形式意味論の側からアプローチが可能であるならば、「これこれこういう場合は、
能動文を使うのは間違っているが、受動文を使うのは適切である」、あるいはその逆、
のようなデータがあれば、まだ何か言い様があるけど。
407 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/10 20:56
>>406=407
リンク、ありがとう。Kratzerのはずいぶん前に出版されると聞いて待っていたんだけどなかなか出なくて、
ネットでも見つけられなくて困っていたんですよ(困るってほどじゃないか)。SemArchiveも何度か
チェックしたんだけど。アップされたのって比較的最近では?
アップされたの1年前だね。最後に見たの、そんな前じゃないと思うのだが。。。
いづれにせよ、ありがとう!
voiceの話題がでてたので私も。passiveの解釈、あるいは関連構文の解釈にadversativeがあり、こういったものの形式化は
被害の移動を認めればでき、実際Verkuylがやってますよね。
それ以外に関して、たとえばpassiveが帯びる非対格性とaspectの関係を形式意味論の装置で導けるといいですね。
他にこれまで言われてきたeveryone loves someone.の多義性が受動では消える、などと合わせると豊かな記述ができ、
相違形式化されたものに基づくと、意外な一般性がとらえられる、ということもあるかもしれませんね。
こさかなセンセ
>関連構文の解釈にadversativeがあり、こういったものの形式化は
>被害の移動を認めればでき、実際Verkuylがやってますよね。
Verkuylの文献教えてもらえませんか?発表年だけでも結構なのでお願いします。
こちらには初カキコになります。
Kratzer の Voice と Argument Structure の研究が話題に
なっているので、いちお関連ということでここでお尋ね
させて頂きたくて、カキコに来ました。
今週の前半(火曜日)に、神戸の樟蔭女子大で、Delaware
の S. Tomioka 先生が、まさにこの Kratzer の研究に
基づいた韓国語の Double Accusative 構文の分析について
トークされたようなんですけど、どなたか関西の方で、
行かれた方ありましたら、もちろん大筋だけで結構ですので、
教えて頂ければ大変ありがたいです。
分離不可能所有とかカテゴリーの包含関係(いわゆる
Zooming-In 関係)とか(韓国語で二重対格が生じるのは、
基本的に、この2つのうちのどちらかの関係にあるNP
(DP)が出てくる場合だと思いますので)が、どのような
筋から Voice Phrase と関係してくるのか、今いち推測すら
できないのですが、大変興味がありますので、どうか
よろしくお願いします。
また、Tomioka先生が同じ内容を関東でトークされる予定は
ないのでしょうか?
ご存知の方がありましたら、ぜひぜひご教授頂ければ大変
ありがたいです。
こういうケース良くあると思うんだけど、本人に直接連絡を取るのってどうなんだろうね?無視される場合も多いみたいだけど。
414 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/06/12 14:42
ってゆうか,なんでわざわざ関西でやるのかと小一時間(w
首都圏でやった方が,オーディエンスの規模もレベルも
段違いだろうに.
ってゆうか,よく知らないけど,首都圏でもやるんじゃない.
>>412 >>分離不可能所有とかカテゴリーの包含関係(いわゆる
>>Zooming-In 関係)とか(韓国語で二重対格が生じるのは、
>>基本的に、この2つのうちのどちらかの関係にあるNP
>>(DP)が出てくる場合だと思いますので)が、どのような
>>筋から Voice Phrase と関係してくるのか、今いち推測すら
>>できないのです
そうでしょうかね?
漏れはそのトークのことは全然知りませんし、Korean も全く
できませんが、「カテゴリーの包含関係」の方はともかく(現象
自体よく知らないもので)、分離不可能所有とVoiceとが密接に
関係してるのは、フランス語やスペイン語を初めとするロマンスの
よく知られている(と思うが)現象から見ても、明らかなんじゃ
ないですか?
a1. Cette robe se lave facilement. (Middle Voice)
a2. this dress itself washes easily
b1. Marie se lave. (Reflexive)
b2. Marie herself washes
c1. Marie se lave les mains. (Inalienable Possession)
c2. Marie herself washes the hands
d1. *Marie se lave ses mains.
d2. Marie herself washes her hands
もちろん、ロマンスでは分離不可能所有の場合の se は dative なので、
Korean では Accusative だとのことですのでそこは違ってきますが、
とにかく、分離不可能所有とVoiceとの関連は、こうした現象からも、
「今いち推測すれできない」どころか逆に、かなり容易に推測されるかと。
↑
× 「今いち推測すれできない」どころか逆に、
○ 「今いち推測すらできない」どころか逆に、
スマソ!
405しゃん
概念関数を集合論的に定義された演算子に書き換えるもので、もとはZwartとの共著でLinguisticsに掲載されたもので、A Theory of Aspectualityの一つの章になってます。
>415
Koreanで二重対格が許されるのは単純に分離不可能所有だけではなく、ttayli-ta'なぐる'のような影響動詞だけで、「洗う」のようなものはできない、と記憶しています。
さらにこのようなものは
NP-NOM NP-ACC V(PASS)
のように受動化できるのではなかったかと思います。
大きな括りではフランス語などと同じようなもの、と言えるかもしれませんが、影響性というものが関わる点でフランス語等より狭い範囲のボイスが関与しているようです。
譲渡不可能所有にしても日本語と違い親子関係ではだめで、細かい点をみるといろいろあって面白そうです。
>>410, 412, 415, 418 et al.
漏れも関東で、T先生のトークのことは412見て今さっき初めて知りました。
Korean の二重対格って、確か(1b)みたいなケースでしたよね。
それに、こさかな先生ご指摘の通り、(2b) が不可なのは、Possessor に対する
影響性がない(極めて低い)からですよね。(例文は韓国語として見て下さい)
1a. 「望みどおりになったでしょ。」と侮辱され、ユジンはミニョンの頬を叩いた。
1b. 「望みどおりになったでしょ。」と侮辱され、ユジンはミニョンを頬を叩いた。
2a. ユジンを奪われた嫉妬に駆られて、サンヒョクはミニョンの車を力まかせに蹴った。
2b.*ユジンを奪われた嫉妬に駆られて、サンヒョクはミニョンを車を力まかせに蹴った。
これって、Kratzerのアイデアを使うということは、まさにこさかな先生ご指摘の
adversative や「影響性」を表す、例えば仮に Affect のような音形のない
light verb が「叩く」や「蹴る」の上にある Layered VP Structure を立てて、
affecing event と hitting(kicking) event を一旦分離しておいた上で、
Kratzer の Event Identification でいわば単一化する、というアイデアでは?
(2b) がアウトなのは、Affecting(e) がイベントとして成立していないから、
と説明できそうな気がしますが。
あと、(1b)で、「ユジンはミニョンの頬をサンヒョクに叩かせた。」という
解釈は当たり前ながら当然できないわけで、つまり、
Agent of Affecting event = Agent of Hitting event
を保証しておく必要があるわけですが、これは Event Identification だけ
では出てこないかも知れません(テクニカルな詳細、今すぐにはちょっと不明)
が、もしも出てこなくても Event Identification の付随制約として外項の
一致を要請することは自然と言えると思うので、この線で行けそうですね。
って、聞いてもいないトークの人のストーリーを勝手に推測しても仕方ないか。(爆)
>419 ふ、ふゆのソナタでつか?
>>419 >>adversative や「影響性」を表す、例えば仮に Affect のような音形のない
>>light verb が「叩く」や「蹴る」の上にある Layered VP Structure を立てて、
>>affecing event と hitting(kicking) event を一旦分離しておいた上で、
>>Kratzer の Event Identification でいわば単一化する、というアイデアでは?
確かに大変興味深いアイデアなり。
上位の方のlight verbのargumentがPossessorの方で、hitなりkickなりの
argumentがBody Partだというわけなりね。
なるほろなるほろ。
しっかし、外項の同一性の心配をする以前に、その構造でどうやって
「頬」がPossessor(上の例では「ミニョン」)の頬だということを
出すなりか?
うろ覚えなりが、確かSyntaxでの分析では、Double Accusativeは
419の(1a)からPossessorのRaisingで出してきたはずなりね。
まだECPがあった頃の昔の枠組みだったなりが、419の(1b)がOKで
(2b)がアウトなのを、theta-governmentの成立/不成立によるECP
で説明していたと思うなり。
419が言ってる意味論だとPossessorとBody Partは全く別のイベントに
分離されてる(分離不可能所有なのに!)ように思われなりが・・・
422 :
(´∀`):04/06/13 06:47
大いに関係ありそうな表現として
John gave Mary a kick. (cf. *John gave a kick to Mary.)
みたいなのがあるにゃ。
double object verbは昔からlayered VPの代表みたいなもんにゃが、upper vは一般に
causativeであり、affecting verbというのとはちと違うにゃ。
affectednessを統語的にどう表示するかについては、だいたいある機能範疇のSpecに
affected argumentが移動することでそのような解釈が生まれる、という線で、その
際、その移動に連動して対格照合も起きる、しかし必ずしもその機能範疇(たとえばAsp)
のSpecが対格照合位置なのではない、といったあたりがありがちな見方にゃ。で
>John gave Mary a kick.
でkicker=Johnに決まっておる、というのと
>Agent of Affecting event = Agent of Hitting event
は同質の問題だにゃ。
いろいろな推測が出されていて、それ自体も大変面白い
ことは決して否定はしませんが、すでにトークされた
内容なら、やはりそのトークそのものを尊重するべき
なのではないかと思います。
批判するにしても、多分こういう構造を立てているん
じゃないかという推測だけでは、やはり建設的な議論は
できないのではないでしょうか?
そのためにも、ここ見てる人で当日富岡先生のトーク
聞いた方一人くらいはおられるのではないですか、
そういう方に簡単でいいからレポしてほしいです。
>423
特にTせんせに対する批判はでていないので、トークがあったということを契機に議論が進んでる感じで、これはこれでいいんではないかな?と思います。
でもTせんせのトークの内容はしりたいっすね。
425さん、情報ありがとうございますm(_ _)m
いってみますです。
分析哲学総合スレ、おもしろいっす…
ところでふと気になったのですが、英語のbeforeはany,韓国語のcen-eyはamwu-to「誰も」というnegative polarity itemを認可するのですが、
似たような意味の日本語の「前に」は「誰も」を認可しません。
この違いって何だろう…
つづけますが、他言語では分析されているものが韓国語では否定を含む表現で一語になっているものがあります。
hal-kka mal-kka 「するかしないか」
cenをこれと同列に考えると、否定の意味を含んだ、日本語で言えば
「ないうちに」のようなものと言えることになります。
こう考えると、cen-eyがNPIを認可することは当然だということに
なります。しかしここで気になるのが前接要素の形態です。
韓国語では否定辞へ連なる要素の形態は
ha-ci anh-ta しない
のようにV-ciとなります。(このciは一応受動形態素とは別物だと
おもふ)一方、cen-eyのほうは
ha-ki cen-ey
と、V-kiになる。このセツビ辞は
haki silh-ta したくない
のような複合動詞に現れるものです。形態から見ると、cenは
否定をふくんでいるのだろうか、と思います。
429 :
(´∀`):04/06/25 00:10
少し以前の日本語(昭和30年代頃)では、「〜しないうちに」の意味で「〜しない前に」と
言うこともあったけどにゃ。
「太郎が来ない前に」とか、意味的にはredundantにゃが、虚辞的に「ない」が「前に」とセットで
出てくるにゃ。最近の若い人もたまにこんな言い方するみたいにゃが。
>>427 というか、「誰も」は条件節でも認可されないですし。
anyのようなNPIではないと考えるのが正しいような。
>429
あ、私も時々その表現ききます。私はぜんぜん直観がはたらかないでつか…
「うちに」と「まえに」では「に」の出没に関して違いがあると
思います。「まえに」はある事象の生起する時点を指示するのに対し、
「まえ」は後続談話の状況設定、というふうに解釈が異なるのに
対し、「うちに」「うち」はともに時点指示で、「に」は任意だと
思います。「しない前に」を言う人はどちらの文法を使うのでしょうね…
>430
お説ごもっともでつ。anyより「強い」NPIと考えるべきで、
一緒に出すべきではありませんでした。ところで韓国語の
amwu-toは日本語の「誰も」より「弱い」と言われています。
その根拠はcen-ey節への生起です。
>>431 太郎が来るまえに、・・・
太郎が来るまえ、・・・
どこが違うの?
>432
反語?(どこが違うの?どこも違わないじゃないか!という)
文を続けないと違いはでないと思います。たとえば
太郎が来る前に高い肉をくっちまおう
は言えても
太郎が来る前、高い肉をくっちまおう
はだめだと思います。これに対し
太郎が来る前、テーブルには高い肉がたくさん並んでいた
はいいと思います。違いは上で述べたようなことです。
>>433 ああ、なるほど。「「まえ」は後続談話の状況設定」というのがよくわかりませんでした。
「「まえ」はある状態の持続する範囲を示す」ということですね。
>434
わるくはないです。でも「まえ」をつかった表現を真にする状況を
考えたとき、「範囲」ということばが適切か、やや不安です。
>436
与格の有無で「あいだに」と対立する「あいだ」では持続する過程の範囲を指定していると一般に言われていると思いますが
(1) 妻が海外出張にでかけている間、太郎は愛人と暮らしていた
「まえ」は単純な範囲限定の機能とはいえないと思います。たとえば
(2) 妻が帰国する前、太郎は愛人と暮らしていた
を次と比較:
(3) 妻が帰国するまで、太郎は愛人と暮らしていた
過程を時点と(かりに)subeventの順序対<t,se>=pの順序集合Pとします。「あいだ」の場合、主節過程をP^m、従属節過程をP^sとすると、「あいだ」が生起する文については、P^sは閉区間で、
P^m - P^s ≧ |1|
で偽となります。「まで」についても同様に考えますが、P^m, P^sともに時間の早いほうが開いた区間と特に規定します。
しかし真偽を問う場合、問題とされるのは閉じている部分に関してで、開いている方については語用論的に処理されるものとします。
「まで」の生起する文は、閉じている方に関して
P^m] - P^s] ≧ |1|
で偽になります。
「まえ」については、すぐ上の状況でも偽にならないと思います(妻が帰国する一ヶ月前に、浮気の痕跡を消すために愛人との同居をやめた、という状況でも偽にならない)。
>>437 丁寧な解説を有難うございます。要するに、(1)=(3)であるのに対して、(2)≠(3)で、(2)には(4)の
ような解釈もあるということで宜しいですか?
> (1) 妻が海外出張にでかけている間、太郎は愛人と暮らしていた
> (2) 妻が帰国する前、太郎は愛人と暮らしていた
> (3) 妻が帰国するまで、太郎は愛人と暮らしていた
(4) 妻が海外出張にでかけている間の一時期、太郎は愛人と暮らしていた
でも、そうすると、「太郎が来るまえに、・・・」も「太郎が来るまえ、・・・」の違いは、結局、
主節「・・・」の事象アスペクトの違いという感じになると思うんですが、如何でしょうか?
太郎が来るまえに、高い肉を食っちまおう
?太郎が来るまえ、高い肉を食っちまおう
太郎が来るまえ(は)、高い肉があった
>438
レスどもでつ。
後半がちょっとよくわかりませんでした。主節の事象アスぺクトの違いとは、すなわち、その可能な幅を規定する副詞類の違い、とはいえないでしょうか。
ある副詞類の意味、というか機能がこれこれなので、アスペクトはこれしか使えない、といった感じ。たとえば「ある」は状態性述語ですが、動詞ということもあってか一時的なものでいいので、項の選び方によっては
太郎が来る前に焼肉屋の前で事故があった
というふうに「まえに」でもいいわけですが、形容詞では
花子は結婚する前、とても美しかった
*花子は結婚する前にとても美しかった
のように、(判断が正しければ)「まえに」とは共起しません。
また、共起可能な例は想像できないと思います。これは従属節のアスペクトへの制限によるものだと思います。主節のアスペクトの違いは、間接的に、従属節の性質を反映している、つまり従属節の違いだと考えます。もしかすると同じことを言っているのかもしれませんが…
>>439 なんか混乱させてしまったらすみません。要するに、私が言いたかったのは(確認したかったのは)
次のようなことです。
「・・・前に」の後には、出来事的アスペクトの主文現れる。
「・・・前(は)」の後には、状態的アスペクトの主文が現れる。
動詞「ある」は、「モノがある」とか「・・・である」とかいう場合は状態的アスペクトですが、「出来事が
ある」という場合は出来事的アスペクトということでいいですよね。
>440
「まえ」は状態的アスペクトに制限されるでしょうか?主節は出来事でもいいような気がします。まえに「状況設定」と言ったのはこのようなこともふまえてなのですが、寺村氏、益岡氏がこのような立場をとっています。
ところで「まえ」と「まえは」は完全に置換可能でしょうか?
>>441 なるほど。確かにaだけではなく、bもまあ言えそうですね。
a. 太郎が来るまえに、部屋を掃除した。
b. 太郎が来るまえ、部屋を掃除した。
すると、「・・・まえ」の後は出来事的アスペクトの主文も現れるとして、aとbの違いは、
「時点指示」と「状況設定」の違いということになるのでしょうか?
>>441 「まえ」と「まえは」が置換可能かというのは判断が難しそうですね。ただ、一般に、主文が状態的
アスペクトの場合は、「まえは」と言う方が自然な感じが多いように思います。
a. 太郎が来るまえは、高い肉があった。
b. (?)太郎が来るまえ、高い肉があった。
一方、主文が出来事的アスペクトの場合は、「は」を入れない方が自然であるようにも感じます。
c. (?)太郎が来るまえは、掃除を少し片付けた。
d. 太郎が来るまえ、掃除を少し片付けた。
いかがでしょうか?
>443
なんかそんな気がしまつね。
さらに私の耳には、aの「は」は「対比」の読みが強制され、それと関連してか「高い肉があった「のに」」という逆接の気分が生まれるような気がします。
dの方はけしてそんなことはないと思うのですが。
これに関して思い出すのは、「ながら」「つつ」は状態性述語に
続くと必ず逆接解釈になるということ、あるいは「ては」の逆接解釈に関する有田理論です。
こさかな、元気?
元気だよ
_....._{{ 〃
, - ' ,..、、.ヾ{{フ'⌒`ヽ、
/ ,:', -‐‐` ´ '´⌒ヽ ヾ:、
. ,' ,'´ ,ィ ,ィ ,' , `ヽ', ',-<
,' .i /|. /.| { i, i, }. }_,,))
! | ! .,'-.{ ! !|; |`、.}゙!.! |. ! ヽ.
', ', |Vァ=、゙、 `゙、!-_:ト,リ', l ! | ゙',
ヽ、', l:!Kノ}. f:_.)i゙i: リ ! l ル
| l!iヾ- ' , .!__:ノ ゙ ,リ l リ'´
. ',|!!、 r‐┐ ` ノ'. /,イ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'i!゙、ヽ、 ゙ー' _, ィ,:',:''´ < こさかなさん、こんにちは。
゙:、ィ、jヾー::: 'iヘ .ノ',リ. | dat落ちした前スレをhtml化してもらったよ!
,、- '´ ヽ、゙、 { `>"、 \__________
/\\ ', } //`ヽ
意味論
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0407/12/995816650.html
>448さん
乙ですー トシちゃんかんげき!(^◇^)
450 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/07/24 22:37
ピチカートファイブの「君みたいにきれいな女の子」、
という歌を聴いてて思ったんですが、
A夫がB子に向かって「君みたいにきれいな女の子」と言うと、
B子では無い、B子のようにきれいな女の子=C子を指しています。
が、曲の歌詞、
「君みたいにきれいな女の子がどうして泣いているの」
と言う場合では、
B子のことを指していますよね。
「君みたいにきれいな女の子が泣いている」だとC子を、
「君みたいにきれいな女の子がどうして泣いているの」だとB子を
指している様に感じられる。
これってどういうことなんでしょうか。
「みたいに」の用法の違いとかですかね。
本人に向かって「泣いている」は言われなくても分かってるし、
他人について文脈なしに「どうして」と言われてもシラネーヨだからじゃないの?
ちょっとみにまる・ぺあーになってないので「どうして」に
関して(つまりyes-no vs. wh疑問文)作ってみます:
a. 君みたいにきれいな娘がないているの?
b. 君みたいにきれいな娘がどうしてないているの?
私の語感では、aは本当にC子なり他の人の記述の真偽を
問うものなのか、bは反語のようになってないか、と感じます。
ともかく、「XみたいなY」はあるスケール上に位置づけられる
個体から一定の集合を選びとる表現ですね。それがなぜ
「どうして」のあるなしで違いがでるのか、面白いですね。
451さんのいうようなことなのかも知りませんけど。
私事ですが、処女論文はピチカートとCharを大音量で聞きながら
かきますた…
失礼しますた。最近、連用修飾と連体修飾の区別もできないくらい
耄碌してます…
ついでに類例:
a. あなたほどの人がおびえているの?
b. あなたほどの人が何をおびえているの?
ここでも何らかの尺度で並べられた個体群を、「あなた」という
一定の極を設定して集合を選びとっています。その集合は
もちろん「あなた」だけから構成されるシングルトンセットで
ある必要はないのでC子さんでもいいはずですので、
同じ問題を再生産していると思います。なんとなくNPIの話を
思い出させますが、中でもフォコニエ〜ルのanyの話を
思い出させる気がします。それから、NPI=定性+尺度という
考えとの関係で、「君」を別の人称に置き換えてみるのも
たのしそうでつ。
みにまる・ぺあーから離れて、本来の論点にもどりませう。
上で言った、ある尺度で並べられた個体群からとった集合をS、
その集合のとりかたを決めるような個体をgとします。
[君みたいに綺麗な女の娘]
のデノーテーションがS、「君」がgです。
[君みたいに綺麗な女の娘]にはあったことがない
では、C子にはあったことがなく、gには会っている。で
g、C子はSの元ですが、C子はgではありません。
これは否定文でしたが、次は肯定文です。個人的にはだめだと
思うんですけど…
[君みたいに綺麗な女の娘]にあった
仮にいいとすると、これがC子にあった例になりますね。
ここでは、「君」にも今あっているわけですけど、それは
どうでもよいわけですよね。で、
[君みたいに綺麗な女の娘]が泣いていた
で、「誰が泣いていたか」ではgの「君」は泣いていない
(可能な文ならば)
ここでもう一個対比のためにスカラーな表現を含まないものも
あげときますね。
[君みたいな女の娘]が泣いていた
では、私は問題ない文だと思いますが、意味は「君に似た娘」
だと思います。いっぽう、
[君みたいな女の娘]がどうして泣いていたの?
ではどうしてもスカラーの解釈が入り込んでくると思います。
次も参考:
[君に似た女の娘]がどうして泣いていたの?
ここではC子なりの解釈しかありません。
では、おやすみなさい…
こさかなしゃん、こにゃにゃちわですのにゃ。
生成スレで聞いてもいいのですにゃが、基本的に意味の話なのでここで。
ネタはindefiniteのscopeなんですけどにゃ。とりあえずたたき台にBoeckx 2001 NLLTをば。
Boeckxは名詞句解釈がcaseがcheckされた位置で行われ、indefiniteの場合、A-movementの
traceであってもreconstructionを行うという主張をしているのですにゃ。
まず、以下に示すようにsomeはlikelyより広いscopeも狭いscopeもokと。
(1) Some politician is likely to address John's constituency.
(some > likely/ likely > some)
some politicianはT-specでnominativeをcheckされるわけにゃから、likelyより高いscopeはそこで
出る、と。でもlikelyより低いscopeは文字通りloweringによってreconstructすることによって
base positionで解釈されるのでlikelyより狭いscopeも可能、と。
これを保証するメカとして、LFでのthere(syntaxには見えない)insertionというのを仮定するのですにゃ。
根拠としては、reconstructできるquantifierはsomeやnoなどthere構文に出現可能なquantifierに限られ、
everyは不可能なこと。それに次に示すようなscope interactionがRelativised Minimalityに従うというのを
根拠にしとるわけですにゃ。
(2) a. A red car seems to me to be parked at the corner.
(=it seems to me that there is a red car...)
b. A red car seems to every driver to be parked at the corner.
(*it seems to every driver that there is a red car ...)
例文はp. 531より抜粋
Loweringしてreconstructしようとすれば、(2b)がrelativised minimalityに
ひっかかるわけですにゃ。
個人的にはindefiniteはchoice functionを用いた分析(Reinhartやvon Heusingerなど)に
一票なのですにゃが、indefiniteをchoice functionで表すとして、functionが取る変項を
指定できるのかどうかというのが問題点の1つ。それとsyntaxにchoice functionがあるとして
やぱ、epsilon operatorみたいなものを埋め込む(例えばDのfunctional headにゃんかに)なり
するのが必要なんでしょうかにゃ?
それとchoice functionはけっこう万能なので、何を値としてとるのかというのももっと議論されても
いいような気がしまつですのにゃ。
ご意見よろしくおながいしますにゃ。
生成の先生方の目に触れるよーにあっちにもカキコしたほーがいいのにゃろか、、、
A-Rodしゃん、こにゃにゃちは。
あちらにもカキコしたほうがいいかもでつ。
私が言えることは少ないと思いまつが、がんがってみまつ。
まず、choice f.はそんなに万能じゃないと思いまつ。もし
万能に見えるとしたら、言語学者が濫用している可能性が
あるかもでつ。そもそもなぜchoice fを使わないといけないのか、
というか、使う効用は何なのかを明確にすれば問題のいちぶは
存在すらしない、などということもあるかもでつ。
choice fを使う効用としてはuniversal q.の作用域内にある
exixtential q.を消去できることでつが、もしかすると、
統語論と意味論の問題としては、exixtential q.なしでも
ある集合から個体をいっこ選び出しているようなことが
なければchoice fを使ってはいけないのではないか、という
気がしまつ。
それから、choice fの変項の位置にDがあっても、外にあっても、
どちらでもいいのではないかと思いまつ。ただ最終的には
Dは消してしまわないといけないと思いまつ。
こういったことを統語論でどう保証するかについては
頭がまわんないでつ。ヘタレレスすまそです。
こさかなしゃん、さっそくのレスありがとございますたのにゃ。
正直言われると、おいらもchoice f濫用気味になる可能性おおありのアフォ研究
しかねん立場にあるので、どっかでおさえんと、と自嘲しとるわけですにゃが。
Klaus von Heusinger(彼のサイトでpaperがDLできまつ)らがやってるSalience Change Semantics
ってやつですにゃが、salientなNPをchoiceできるってのは記述としては綺麗なのですにゃが、
salienceをどうやって保証するかが問題になると思いますとですにゃ。
それとchoice fをDがfunctionalだからという理由で埋め込んで、LFで値を出させるのはsemanticsの
都合に合わせた形でsyntax内に記述はできるのですにゃが、それがsyntacticにどういった意義があるのかと
問われると「??」ですにゃ。だいたいsyntacticにそれを書き込む理由もなさそうですしにゃ。
同じ意見は、話変わりますにゃが、Paul ElbourneしゃんのE-typeをNP-deletionで扱おうという話にも
言えるような気がしますのにゃ。semanticsで綺麗にいけてもsyntacticにNP-deletionする理由がにゃかったりする。
下手するとconstituentでない所を消すようなこともしかねんわけですしにゃ。
しっかし、暑いとしんどいですにゃり。
459 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/07/29 11:09
/⌒ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
| / / ''''''ヽ ..::::'''''' ::::ヽ ageで書けば角が立つ
|д゚) | (●), :::、(●) ..::::;;|
| | | 、.. ..,,ノ(、_,:)ヽ、,,,;;;;r'':::::;;| sageでレスれば深みに堕ちる
| | | `-=ニ=- ' .::: :::::::;;|
| | l `ニニ´ ..::'' ...:::::::;;l 良スレ善スレは闇に消え 残るは厨の糞スレのみ
| / \ _::、__,;;',,;;;;;;;;;;;;;;;/
| | ////W\ヽヽヽヽ\ 保守仕奉る
| | ////WWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | ////WWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E////WWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
A-Rodしゃん、先日スポーツ新聞でお名前を見た気がするんにゃけど…
ところで、ROMってるせんせがたに直していただけるかもしれ
ないので、あふぉなことかきましゅ。
choice f.の項として何がとれるか、ということとたぶん関係しますが。
前にも書きましたが、スコーレム化はこんにゃの:
AxEyP(x,y) => AxP(x,fx)
これは選択公理を使ったもので、導入された函数がchoice f.ですにゃ。
スコーレム化する前の式については、全称量化された変項の動きに
応じて存在量化された変項のことを考えなければならないのに対して
スコーレム化された式では全称量化された変項からの写像が
きまってますにゃ。choice f.を使わない式の真偽はchoice f.を
使って簡単にできるわけですにゃが、ペアリスト解釈でも
必ずchoice f.で済んでしまうようになってしまってるんにゃろか?
ごめん、教えて君モードにゃ。
で、choice f.の項に何をいれるか、は、演算子を何に写像したいかに
よるかもですにゃ。
関係ないですにゃが、美しくないんでしょうけどLF there 構文は
変換文法ぽくて、昔がたりでいい…
>>460 2回ビーンボールが続いたので、文句言ったらバリテックとかいう髭生やした
ヤクザみたいなおっさんに殴られ、そのうえ4日間の出場停止くらっちゃったのですにゃ・・(´・ω・`)
つーか、このHNボストンの人におもっきしブーイングされかねんHNなのにゃ。ボストン在住の人、許してほすぃにゃ。
function関係の話はめちゃおもしろそうなんにゃけどにゃ、数学と言語の意味記述のインターフェイスというのも
折り合いの難しい(けどおもしろい)問題ですにゃ。数学ではありうる表示が言語の意味表示でないということがあると
すれば、それは人間の概念としてないということなのか、それとも言語の性質のせいでないということなのか、、、
そーいや形式意味畑の人って数学的概念に重点を置く人と、言語の意味記述に重点を置く人とで好みの差がありますにゃが、
それを傍から眺めるのはなかなかにおもしろい。
Boeckxsって泥臭いんだけれど、読み応えのある論文を書く人ですにゃ。
秀才タイプなのかな?とにかく、優秀な人なのではないかと。
数学の形式と言語の形式の問題は論理学者にとって大事な問題だと
思いますし、論理学者でない私にとっても個人的に興味があります
にゃ。カントが数学を総合判断に満ちているとしたのにたいして、
フレーゲは「その時は論理学が粗かったんじゃ。ほんとはやぱ、
分析的判断に満ちとるのじゃ」といったことを私は深刻に
とらへたひ。にゃー マイスリーでらりってるので乱筆しつれー
流れと関係ない書き込み失礼します。
形式意味論の演算記号のフォントはどこで入手可能でしょうか?
国内で形式意味論を勉強したければどこの院がいいでしょうか?
海外ならどうでしょう?どうせならやはりオランダでしょうか?
オランダはやはり授業はオランダ語なんでしょうか?たぶんそう
でしょうけど、そうだと厳しいなぁ。
466 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/10 08:38
スレの上の方で、activeとpassiveの真理値は同じという
話がありましたけど、これは下のペアのようないわゆる
commercial frameなどでの話でも同じでしょうか?
太郎が花子から車を買った。
花子が太郎に車を売った。
467 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/10 10:57
468 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/11 01:35
どこのスレ、板で聞いたらよいものか分からないので、取りあえず
言語学板で関係しそうなここに書かせてもらうんですが、下のようなequivalenceとmaterial implicationとして2つ別個に表すことは本質的に同じことでしょうか?
それとも本質的には違う意味(?)を表している(表しうる)ん
でしょうか?仮に表しうるとして、下のmaterial implicationで
二つを併記するとどのような事態を示しているんでしょうか?
(愚問なのか意味のある疑問なのか自分でもよく分からないのですが。
適当なスレがあれば誘導お願いします。)
equivalence: P <--> Q
material implication: P --> Q, P <-- Q
469 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/11 08:20
>>468 Equivalenceはたいていどのlogicでも双方向のmaterial implicationとして定義される。
すなわち、
P <ー> Q iff P ー> Q & Q ー> P
2つ別個に表すという意味がよく分からんが、たとえばP <ー> Qを証明したい時に
P ー> QとQ ー> Pの両方を別々に証明するというのはよくあるパターン。
>>469 レスありがとうございます。だいぶすっきりしました。
恐らく、頭が混乱していたのは(「2つ別個に表す」の件も含めて)、
下のBのような関係が成り立つかということだったんだろうと思いま
す。どのような解釈の元でもBは無理ですよね?
A: P <ー> Q iff P ー> Q & Q ー> P
B: P <-> Q iff P -> Q 'OR' Q -> P
471 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/11 11:32
>>470 Bという解釈はとらない。試しに「P -> Q 'OR' Q -> P」の真理値表を書いてみれば
どうしてBをとらないかが理解できると思う。
P→Q OR Q→P
111 1 1
100 1 1
011 1 0
010 1 1
このようにP -> Q 'OR' Q -> Pはトートロジー(恒真)であり、Equivalenceで意味
しようとしていることとは違う。
>>471 なるほど。
すっきりしました。
丁寧に教えていただいて、ありがとうございました。
473 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/22 00:36
ねぇねぇ、みんなこのスレのこと忘れてない?
474 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/08/22 08:09
Semantics(関連)の国際雑誌を教えてもらいたいんですが、
Natural Language Semantics, Semantics, Language and Philosophy
この3つ以外にどんなのがありましたっけ?
>474
みっつめはLinguistics and Philosophyかな?
ほかには昔の雑誌でFoundations of Languageとか、Hintikkaが
editorのSyntheseとか、mathematical logicに関してはもうたくさん
あるかと。Computational Linguisticsもあげるべきでしょうか。
Journal of Semanticsってなかった?Semanticsってあったっけ?
there is noBODY here?
Yea, only feet here!
today is good day in Hong Kong, yea. do you enjoy studying semantics? what do you study now?
480 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/10/05 02:30:45
いいから氏ねよ( ´_ゝ`)
481 :
干魚:04/10/14 20:23:03
こんにちは。どなたかSyntax Vol.7 No.2のLambekの論文を
読んだ方はいませんか?Lambekって、Lambek calculusの
Lambekでつよね?
>>481 A Computational Algebraic Approach to English Grammar
J. Lambek
Syntax, August 2004, vol. 7, no. 2, pp. 128-147(20)
∧_∧
( ・(ェ)・) ↑これのことですかぽ? J. Lambek とあるから、あの Lambek で
/J ▽J 間違いないですぽ。クマーポも読んでみたいですぽ。
し―-J
483 :
干魚:04/10/14 21:42:54
>482
そうですぽ。
pregroupという概念を用いたtype-logical grammarでいくつかの
ことをやろうとしているようですぽ。ななめ読みですけどぽ。
pregroupは、ブール代数が命題論理との関係に立つのと同様の
関係がcompact bilinear logicとの間にあるそうですぽですが、
古典論理しかしらない私にはさぱーりですぽ。ですが、
数学恐怖症の人は二節をとばしてね、とあるので、さぱーりでも
いいみたいですぽ。non-pregroupのcategorial grammarと
どう違うかよく検討してないぽですが、とりあえずどうでもいいみたいですぽ。
この文法でon-line processingに関わるいくつかの問題をあつかうぽ
ですが、短期記憶には7プラマイ2のchunkしか入らないという
Millerの観察との関係を考えたり、島の制約をこれとの関係で
performanceに関するもの、と予想してるぽ。Szabolchの形式意味論での
島の制約の扱いとかとも全然ちがうぽです。
ヒロシです…(突然いいたくなった
生成文法系の意味論の手軽な日本語入門書おせーて
こ、こさかなしゃん、干されたらあきませんのにゃ。
水に戻るのにゃん♪
>>483 Island Conditionがtype-logical grammarで扱えるんですかにゃ?
ちょっと詳細知りたいですのにゃ。時間あったら読んでみようかにゃ。
>>484 生成系の意味論ちゅうのがよーワカランですにゃが(インターフェイスを
扱っているやつかな、、、)岩波の「意味と文脈」なんか素人でも読める
んちゃうかにゃん。
ヒロシです・・・
彼女の携帯をこっそり見てみたら、僕の名前が取引先に登録してあったとです・・(´・ω・`)
487 :
干魚:04/10/18 17:42:28
>485 A-Rodしゃん
レス、さんくすにゃ。水にはしばらくもどれないのにゃ…
Lambek論文、痕跡にもタイプを与えてるにゃ。前にだれだったか
忘れたにゃが、様相論理を使ってGB syntaxを形式化して、そこで痕跡の
形式的扱いをしていたにゃ。そのときはあくまで計算機に乗せる
ため、という感じだったと思うにゃが、Lambekの場合はちょっと
ちがうようにゃ。それと、Lambek論文は意味論ではなく、統語論だ
というのもちょっと気をひかれるにゃ。もちろん、このことは
syntaxは従来通り、意味論はtype logicalに、というやり方を
否定するものではないわけにゃが、干魚としてはちょっと混乱
してるにゃ…
ヒロシです…
つきあっていたと思ってた女が、こないだ寿退社したとです…
488 :
干魚:04/10/18 21:42:49
暇なので、Lambek2004を参考書をひきひき読もうかにゃ
とはいえ気まぐれなので、全部行くかわからないけど…
一応の目標は、文がどう形式化され、そしてisland conditionがどう説明されるか、というとこにゃ。
数学者の方、間違ってたらつっこんでにゃ。
・pregroup、あるいはpartially ordered group
「群(group)」は次のような特徴をそなえた代数系
結合則に従う演算、
単位元(1)の存在、
逆元の存在
'pregroup'は逆元を含まず、再帰的・推移的・反対称的(反順序集合)
ChomskyはLSLTで自然言語をブール代数と言ってた、と
思う(あ、うそうそ、よく知らない)ブール代数は単位元、逆元、&、V、-を含み、結合則、置換則、分配則が成り立つ束。
489 :
干魚:04/10/18 22:01:17
(続き)
・adjoint
a^l:left adjoint of a
a^r:right adjoint of a
categorial grammarの斜線
aa^l -> 1、 a^ra -> 1
・単位元の分解
1 -> a^la、1 -> aa^r
・「指数法則」
1^l = 1 = 1^r、a^rl = a = a^lr
(ab)^r = b^x a^r、lについても同様
490 :
干魚:04/10/18 22:48:27
・半順序から
α->βならば
β^l ->α^l、あるいはβ^r ->α^r
・基本タイプ
p/k:k-th person
o:object
s:declarative
q:interrogative
i:infinitive
タイプは基本タイプの並置からなる
491 :
干魚:04/10/18 22:49:37
・例(numberingは論文と同じ)
(1) He likes her.
タイプ
likes: p^r/3 s o^l
he: p/3
her: o
統語構造
p/3 (p^r/3 s o^l) o
assc.-> (p/3 p^r/3) s (o^l o)
->1s1
idem.->s
492 :
干魚:04/10/18 22:50:03
3) Whom does he like [t].
タイプ
whom: q o^ll q^l
does:q i p^r/3
he: p/3
like: i o^l
統語構造
(q o^ll q^l)(q i p^r/3) p/3(i o^l)
->q o^ll (q^l q) i (p^r/3 p/3)i o^l
->q o^ll 1 i 1 i o^l
->q o^ll (i i) o^l
->q o^ll 1 o^l
->q (o^ll o^l)
->q1
->q
ただし、ここでは基本タイプは関連するものに限られており、完全な基本タイプは数、時勢なども含む。
こういっていいのかわからないにゃが、痕跡のタイプが
wh句のタイプの中に含まれており、かつ適正な順におかれる
ことで、計算して必要なところで必要なものと出会う、と
いう感じにゃ。
むにゃ、はにゃ、ふにゃ。
式がにゃかにゃかに難しい、、、
ヒロシです・・・
「あ、水でいいです」
最近、僕が一番使っている言葉とです・・・・(´・ω・`)
494 :
仇鱒:04/10/19 06:09:15
をーーーっと!干魚@こさかなの弟分、復活してるじゃん♪
ま、お互いにまた〜りやっていこう茄、また〜りと。
また今度「意味なし」するヨ。(コッチのハナシ♪
495 :
干魚:04/10/19 13:53:51
>494
仇鱒のあにぃ、どもです。またーりいきます。
私もまた「意味なし」します。
>493
ヒロシです…
英語学出身の女性と待ち合わせしたとき、
「デフォールトで駐車場ね」
といったら
「デフォールトって、どこのレストラン?」
っていわれたとです…
496 :
干魚:04/10/19 14:11:21
(続き)
・補文をもつ文
σ:補文
公準
s -> σ、q -> σ
(5) He says he saw her.
p/3 (p/3^r s/1 σ^l) p/3 (p/3^r s/2 o^l) o
-> p/3 (p/3^r s/1 σ^l) p/3 (p/3^r σ o^l) o 公準より
-> (p/3 p/3^r) s/1 σ^l (p/3 p/3^r) σ (o^l o)
-> s/1 (σ^l σ)
-> s/1
497 :
干魚:04/10/19 14:33:50
ちょっと疲れたので休みますにゃ…
休みすぎ
499 :
干魚:04/10/29 21:37:06
ごめそ…「電車男」読んでた…
事情により、しばらく(というか数カ月から数年)かきこめません。
みなさん、らびゅ。といいつつ500げと
.∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(三 ,,) < こさかなサン・・・ イカナイデ・・・
/三 | \_____________
〜(三 ./
三三
猫にそういわれてもなあ
あら、猫だって・・・
>501しゃん…(涙
早いお帰りで
>505
ただいま!
なんかずっと「referer情報が変です!」とかいうのが出て書き込めませんでした。
今一時的に大丈夫なのかな・・・
∩∩
=(・-・)= こさかなさん、おかえりなさいなの
c( uu)
>507カワイイねこタン、サンクスです(涙
ゴメン、うさぎタン!
それからTarskiの伝記のこと、ドモデス!
タルスキせんせはワルシャワ出身なんですね。
もしかして時々論理学の本にポーランド式の記法のことが触れられてたり
するのってそのせい?←ドキューン!バキューン!
ウカシェビツのほうですね・・・逝ってきます
ところでうさタンの紹介してくださったところにデヴィドソソの名前は
でてきませんでしたが、バークリ時代のTarskiせんせがデヴィせんせの
真理論のトークを聞いて「これ嫁」とかいって論文を渡したのが
TarskiからDavidsonへの真理論の流れじゃなかったでしたっけ?
デヴィすれで小一時間ほど扱ってほしい気もしますが、意外と
数理論理の人からはデヴィなんかスルーなのかしら・・・
∩∩ Feferman夫妻の本では、残念ながらDavidsonとTarskiとの
=(・-・)= 関係についてはほとんど触れられてないの。こさかなさんの
c( uu) 言うとおり、DavidsonはTarski本人から論文をもらったみたい
なの。たしかZeglen編の献呈論文集のなかでDavidsonが
当時を回想したくだりがあって、そう書いてあったと思うの。
513 :
仇鱒:04/12/16 06:33:20
を、こさかなの弟分、復帰をめ!
今度アレ送るよ、アレ。ははははは。
あ、兄貴!どもでつ。
アレ、というとアレでつか?かたじけない、頂戴つかまつりまつ。
美しい兄弟愛だなあ。切って送っちゃうの?
516 :
仇鱒:04/12/16 18:20:54
ははははは。美しいよ、わしら。『薔薇族』とか『さぶ』の世界みてぇニナ。ははははは。
ちなみに近いうちに送るノハわしのヌード写真だ。ははははは。
スレ汚しすまそー。ははははは。ほんと、ごみぃんm(_ _)m もう出ねぇ殻。許してチョ。
>515
たぶん@←こんな断面の・・・ナワケネーダロ!
>516
そういえば『さぶ』って廃刊になったんですよね・・・(遠い目←うそですよ!
518 :
仇鱒:04/12/16 19:32:00
>たぶん@←こんな断面の・・・ナワケネーダロ!
こんな→◎かな。ははははは。
>そういえば『さぶ』って廃刊になったんですよね・・・(遠い目←うそですよ!
いや、この前廃刊になったのは『薔薇族』だワナ。
ごみぃん、みゃたよごしチャッタ。わりぃ、わりぃ。
Logic and Life、注文しますた。あさってあたりに届く予定ですが、届くのが楽しみ。
なんか哲学者and/or数学者の伝記って好き。
届くまでになんか読むものを、と思ってE田せんせの『クリプキ』を図書館で
借りてきました←買えよ!
浅学で知らなかったのですが、Nelson Goodmanの、経験論に関するgrueの話、
面白いですね。(incomplete) reductionに関する話で、なんかmeaning postulateとも
きっと関係しそうで、そっからたぶん指示の話にむかっていくのかなーと思いながら
まだはじめの方しか読んでませんが。
>こんな→◎かな。ははははは。
なんかjackendoffのsp-bindingを思い出してしまいました、
ってそのうち「あぼーん」とかになりそうっす
>いや、この前廃刊になったのは『薔薇族』だワナ。
兄貴!修行不足ですた!出直してきまっす!
自己レス>519
がーん!そんな単純なものではなかった・・・考えが甘かった・・・
「規則に私的に従うことはできない」ということをもっとよく知りたいので
wittgenstein on private language and following rulesを読んでみようと
思います。出直してきます
Alfred Tarski: Life and Logicが早くも届きますた さすが亜麻存!
ハードカバーであの値段は安い!と思うのは言語学とか論理学とかの
本(とくに廓ー)が高すぎるからでしょーか 教えてくださってありがとう、うさタン・・・
ところで今日の夕方、中国の延辺朝鮮自治区出身の人と会う約束があるのでつが、
その人は先週まで数年間、ひらがなのunmarkedなやつ(いわゆる清濁の清)と
markedなやつ(清濁の濁)の発音を逆にとっていたのだそうでつ。クリプキの
ウィトゲンシュタインの「規則に従うこと」と関係ありそうなことかなー、と
思いますた またその人は中国語、朝鮮語、日本語のtrilingualなのですが、
その人の母とその人が話すときはいわゆる「チャンポンマル」というのに
なるそうでつ 残念ながら私は中国語が出来ないので中国語交じりがどんな
ふうなのかわかりませんが、日本語と朝鮮語のチャンポンマルは面白いでつ
「規則に従う」という観点ではこういうのはどうなるのかな Davidsonなら
その都度必要な解釈規則を適宜構成する、とかになるのかなと思うけど
もっとも、タモリの多国語麻雀の迫力にかなうものはありませんね
523 :
仇鱒:04/12/17 18:02:49
>>522 をう、こさかなの弟分、さっき古本屋で『さぶ』のレアものゲットしてきたワ。
読み終わったらソッチまわすカラ楽しみにして栗。コレまじナ。ははははは。
えっと、チャンポンマルだけど、
ホンマかな〜とちょいと思うノヨ。いや、ホンマだろーケド。
ニッポン語とクゥン國語のチャンポンはすぐにイメージできるノヨ。
つーのも、ニッポン語もクゥン國語も両方ともhead-finalだからナ。
でも、そこにチャウ國語が入ってクルとワケワカラン♪のよ。
つーのも、チャウ國語は、[-N](ちゅまりVとP)はhead-initialだケド、
[+N](ちゅまりNとA)はhead-finalのハイブリッド形だからサ。
こーゆー両刀使い(チャウ國語)とストレート(ニッポン語もクゥン國語)が
チャンポンになるつーのはちょいと想像できないんダヨね。
ちょーどノンケとゲイのカップルみてぇでなんか想像できねぇンだよね。
ごみぃん、みゃたスレ汚しちゃった。ごみぃん、ごみぃ〜ん。
蝉みたいだよ。
>523
わお、兄貴!
たぶん、統語的には全然面白くないものだと思いますよ、ちゃんぽんまるって。
単にいづれかの言語の構造に単語が乗っかるだけで。ちゃうコクゴのことは
わかりませんけど、きっとhead parameterの選択に関して信じられないような
ことは起こってなくて、単に日本語か朝鮮語の文法に中国語の単語が入るか、
というようなことだとおもうです。
せいぜい面白いので
するかmalkka
式でつ。(mal-はport-manteaxでNEG+doでつ)
526 :
仇鱒:04/12/18 06:30:37
弟分、レスさんくす。
あと、せっかくだから、今度は意味論絡みでもうちと教えてもらおーカナ。
いわゆる嘘つきのパラドックスってあるジャン。
ま、よーするに、自己言及のナンセンス文ね。
ちゅまり、文そのものはマトモだけど真偽が決められないつーヤツ。
たとえばわしが次のよーに言ったとするト、
(1)わしのゆーコトはじぇ〜んぶデムパだぴょ〜ん♪
上の(1)がtrueだとすると、(1)はfalseになっちゃうワナ。で、矛盾が生じてシマウと。
同じよーに、(1)がfalseだとすると、(1)はtrueになっちゃうワナ。
で、みゃた矛盾が生じてシマウと。ま、よーするに、
(1)がtrueと仮定しよーがfalseと仮定しよーが、矛盾した結果が出ちゃうト。
で、これはエエとして、で、わしがこさかなの弟分に聞きたいのは、
このような嘘つきのパラドックスは形式意味論でちゃんとうまく処理できるの?とゆー琴。
つーか、論理計算のクラッシュのような形で矛盾の生成を説明できるの?
ちょいと気になったので質問させていただきますた。
おしえておじさんになっちゃってすみませぬ。
兄貴、おはようさんどす!
ちゃんぽんまるの話は統語的には見るべきものがあんましなくて申し訳ないす。
自己言及のパラドクスについては、前スレのはじめのほうで■の老師という
方がPerryの_Lier_に触れながら説明してくださってまつ。というか、
意味論スレがここまで伸びたのは、実は影の大黒柱の■老師と、
影の支配者(とかいうと怒られそう)顔文字せんせ、そしてイカ、クマーポ、うさタン諸氏、
そのほかロムってる論理学者あってのことで、
私がデムパを発している間に老師は忙しくなってだんだん顔を出さなくなって
その間に私がなんとなくデムパを発し続けている、という経緯がありますた。
私自身の自己言及にかんする理解はすごく適当で、(1)はうそつきクレタ人と
同じで、「わしのゆーコト」の集合のうち、何割かはデムパで、残りは
真、そして(1)自体はそのうちのデムパなら矛盾は生じない。しかし
(2)「この括弧内の言明は偽である」
のようなのは本当に自己言及のパラドクスになるやつで、たしかperryさんは
形式化してると思うんですけど、詳しく知らないっす。タイプ理論を
使って、同一のタイプに属する言明が真、かつ偽になってくらっしゅ!みたい
のかな、とは思いまつけど・・・
関連するゲーデル数の存在言明も直観的には真偽判断可能で、形式的に表現
可能(しかしプリンキピアマテマチカの公理系内で決定不可能)なので、これもできると思いまつ。
っていうか、私はゲーデル数の理解ですでにスタックしてるdqnなんすけど・・・
兄貴は今頃虚無長官とあんなことやこんなことしてるんだろーなー
いーなー
私はせいぜい若い女の子とお茶でも飲んでますよ!
すんごいスレ違いな話題でスマソ・・・
どっかにPerryさんの論文あったなー、と思っていたら
The Problem of the Essential Indexical(Nous 13(1979))
を見つけました(The Philosophy of Languageという論文を集めた本の中
ですけどね)
これって以前放棄してしまったde se interpretationに関するものでは
ないでしょうか?
530 :
仇鱒:04/12/18 14:36:51
こさかなの弟分、レスさんくす!
今、小守りから帰ってキタところ。外はめっちゃ寒かったー。ぶるぶる。
てか、また風邪ひいたかも。
>>527 わしの(1)の文↓は、
>(1)わしのゆーコトはじぇ〜んぶデムパだぴょ〜ん♪
「クレタ人」の文よりも、むしろ(2)の文↓と同じタイプじゃないのかな。
>(2)「この括弧内の言明は偽である」
つーのは、(1)の話者はわし@仇鱒に限定されていて、
しかも(1)の言明には「じぇ〜んぶ」つーのが入っているカラ。
よーするに、(1)のケースは、
その話者@仇鱒と(1)の中にある「わし」が同一人物で、
しかも「じぇ〜んぶ」によって「わし」の言明全てがカバーされてイテ、
話者も言明も完全に限定されているカタチになっているカラ。
ま、それはよしとして、
>>528は誤解だよん。
てか、わしの生成スレのクゥキ方がミスリードだったな。ははははは。
ちょーかんは土日しか現れないから、それでアーユー風にクゥいたノヨ。ま、そーゆーコト。
てか、わしもできれば土日はギャルとお茶飲んでいてぇな。ははははは。いや、マジで。
ふんじゃ、みゃったねぇ〜ん♪ てか、そっちもかなり寒いんだろーな(コッチのハナシ
兄貴、おはようさんでござんす!
>(2)「この括弧内の言明は偽である」
これも
(3)「この括弧内の言明は偽である。
さぶは最近廃刊になった。」
にするとうそつきクレタ人(擬似)パラドクスになると思っす。
前者が偽、後者が真の場合にっす。全称量化は必ずしも自己言及を
作らないと思っす。
>てか、そっちもかなり寒いんだろーな(コッチのハナシ
いやー、中朝国境地帯はまじ寒いっす
いやそもそも私は自己言及文とラッセルの逆理が厳密にはどのような
関係に立っているのかもよく理解していないdqnなのでつが、ラッセルの逆理が
x ∈ S ⇔ x not∈ x
と表現されて、自己言及の逆理とラッセルの逆理が本質的に同じものならば、
自己言及の逆理も同様に形式化されるはずでつ。で、
>(1)わしのゆーコトはじぇ〜んぶデムパだぴょ〜ん♪
の「わしのゆーコト」は(1)と同じものでなければならないのではないかと
思いまつ。または
(1')今まさにわしのゆってるコトはデムパだぴょ〜ん♪
ならば自己言及の逆理を引き起こすと重い松が
あってんのかな・・・
533 :
仇鱒:04/12/19 19:29:03
こさかなの弟分、あらためてレスさんくす!
今日は国立科学博物館@上野に逝ってきますた。
そして、アンモナイトの化石買っちゃいますた。
1億8000万年前のモノでつ。もちろんモノホンでつ。
なんつーか、アンモナイトのイシコロを見てると、
なんか時の流れとゆーカ、「悠久」つーのを感じてしまいまつ。
アンモくんを見てるとエロエロ考えちゃうでつ。はい。
えっと、
>全称量化は必ずしも自己言及を作らないと思っす。
つーのと
>(1')今まさにわしのゆってるコトはデムパだぴょ〜ん♪
つーのを考えあわせると、自己言及の逆理を引き起こすニハ、
全称量子は必要条件じゃなくて、むしろ発話の一回性つーのがくるーしゃるに鳴門。
ナンかよく分カンないケド、もうチトちゃんとベンキョーしまふ。
てなコトで、みゃた出直してきまっす!
>いやー、中朝国境地帯はまじ寒いっす
だよなー。ははははは。
>むしろ発話の一回性つーのがくるーしゃるに鳴門。
それより、常に同じ形式というのがくるーしゃるになると思われ、でつ。
ひさしぶりにこのスレみたらこさかなが復帰していた
おかえり
>535
ありがと!ただいま!
メリクリ!
よいおとしを・・・
別スレへの遅レススマソ
鱒兄者
こちらこそどもでつ。「◎」、胆嚢いたしますた・・・(はーと
でもそろそろ私がをんなだということに気が付いてほしいものですわんxxx
540 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/03 16:48:03
fosyu
このスレ久しぶりにゃん。
こさかなしゃん、あけおめ!ことよろ〜♪ですにゃ。
ところで、こさかなしゃんはmerchantとかkennedyあたりは
フォローされてますかにゃ?
あ、A-Rodしゃん、あけおめこ!とよろ!(切り方まちがえちゃった、テヘ)
>merchantとかkennedyあたりはフォローされてますかにゃ?
お恥ずかしながら、全然フォローしてないでつ・・・
というか、私のもってる本でA-Rodしゃんが欲しそうなのがあったら
あげようかにゃー、とか昨年末あたり考えてますた・・・
あら、おはやい返事ありがとごじゃますたのにゃ。
merchantはdiss.は読んだのですにゃが、この2人の共著論文をまだ見てなかったものですからにゃ、
意味論畑の人からどのように映っているのかちょっと聞いてみたかったんですのにゃ。
本いただけるんですかにゃー。(*^ー゚)b
ちょこーっと期待してお待ちしてますにゃ。
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~
お礼に大阪のたこ焼きでもごちそうさせていただきましょうかにゃ。
それとNGKとか行くのにゃったら、顔文字せんせが同行してくださるかもしれにゃい。
>A-Rodしゃん
あんまり期待しないでまっててねー(というか、ものぐさでいつ整理するかわからないもので・・・)
ヒロシです・・・
本名は健一だとです・・・
>>546 名字は斉藤なんですよねー。
ヒロシです・・・
キャバ嬢に礼儀について説教されたことがあるとです
>546
斉藤健一・・・そうなんだ・・・
ヒロシです・・・
道を歩いている女性の七割弱に恋してしまうとです・・・
「猫」の苦娑弥先生と同じとです・・・
/^l
,―-y'"'~"゙´ | それ もさもさ
ヽ ´ ∀ ` ゙': こさかなシャンバ♪
ミ .,/) 、/)
゙, "' ´''ミ
(( ミ ;:'
'; 彡
(/~"゙''´~"U
549 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/19 23:06:03
/⌒ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
| / / ''''''ヽ ..::::'''''' ::::ヽ ageで書けば角が立つ
|д゚) | (●), :::、(●) ..::::;;|
| | | 、.. ..,,ノ(、_,:)ヽ、,,,;;;;r'':::::;;| sageでレスれば深みに堕ちる
| | | `-=ニ=- ' .::: :::::::;;|
| | l `ニニ´ ..::'' ...:::::::;;l 良スレ善スレは闇に消え 残るは厨の糞スレのみ
| / \ _::、__,;;',,;;;;;;;;;;;;;;;/
| | ////W\ヽヽヽヽ\ 保守仕奉る
| | ////WWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | ////WWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E////WWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
>548
なんだかわかんないけど、カワイイ!
>549
毎度乍奉感謝候
ネタふりにもならないのですが・・・
Don't EBI-JONGIL me!
とか
Don't "who" me!
みたいなのを聞いたのですが、これは
I put butter on the bread. <-> I buttered the bread.
のようなのの派生関係と同じと考えていいのでしょうか?同じだとしたら
意味論におけるものとすべきでしょうか、それとも統語論におけるものと
すべきでしょうか?
550に自己レスでつ。適当でつが・・・
>Don't EBI-JONGIL me!
は
Don't call me EBI-JONGIL!
とパラフレーズの関係にあると考えられるっしょ(突然北海道弁)
これに関しては
>I put butter on the bread. <-> I buttered the bread.
の交替が語彙概念構造のものなら語彙概念構造、統語構造のものなら統語構造、と
言えるかもしれません。
しかし
>Don't "who" me! ...1
については事情が違うかもしれません。ここで"who"は"Who are you?"と
1の'me'の指示する人に向けられたものなら
Don't call me "who"!
と(ちょっと無理矢理)パラフレーズの関係として同様に扱えるかもしれませんが、
私が聞いたのは、ドラマの中ででしたが、"Who is he?"としつこく尋ねられた後のものですた。
するとパラフレーズ関係にあるのは
Don't ask me who he is! ...2
になりそうでつ。すると、1は2を基底構造とし、それにsluicingが適用されて
Don't ask me who (he is)! ...3
の括弧でくくられた部分が削除され、それから派生された、と考えられるかもしれません。
そしてそのあとに'who'が'ask'に編入され、それによって形成された'who-ask'というような
複合動詞が'who'として発音される。こう考えると、1の派生はsluicingが適用された後、
ということでなければならず、少なくとも統語部門を経由して派生される、と
しなければならないかもしれません。
つづきでつ。
ここで編入が統語的なものと考えると、ちょっと問題ありそうでつ。というのは、'who'は
do not ask me [Spec [C [he is who]]]
から
do not ask me [who [C [he is <who>]]]
とCPの指定部に移動し、そこから動詞に主要部移動によって編入が行われるとすると、
whoは動詞の補部であるCPの主要部ではないので、head movement constraintに
違反することになりまつ。
しかしGB理論の統率に基づいて考えて、動詞に統率される位置からの移動ならば
主要部移動が可能だとして、さらにCPの指定部は動詞に統率されるとすると、
問題ないかもしれません。
554 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/26 22:22:29
意味論関連の論文を読むに当たって、慣れてはきましたが、記号の意味がいつも困ります。
Uを横に倒して下線引いたやつと違って、Uが角張った奴はどういう意味なのでしょうか?
unificationはUではなくて角張ったsquareだったと思いますが、これが倒れて下線が引かれている
やつです。何かいい参考書や記号辞典などがあれば教えてください。
講談社の「なっとくする」シリーズなどは買ったんですが、もう一つ分かりません。
スレの流れとずれるけど、入門書とか、概論書をまとめてテンプレにするのは意味論普及を考えると
ありかもしんないな。個人的には言語学から意味論に入るならHeim&Krazterあたりがよかと思われなんですが
諸先生方はどのへんをお奨めでしょうか?
>554しゃん、こんにちは。
'U'というか、カタカナの「コ」の開いた方を上にして倒したような奴ですか?
x |_| y
みたいな。(隙間を脳内でつなげてくだたい) pluralityとか扱った論文に出てませんでした?
>556しゃん、こんにちは。ご提案どうもでつ。テンプレ、って例えば
(手元にないので適当でつ)
書名:Semantics in Generative Grammar
著者・出版社・発行年:Heim, Irene and Angelica Krazter・Blackwell・199x
トピック:関数適用、シェーンフィンケル化、E型代名詞 etc.
お薦めポイント:とりあえず嫁!
みたいな感じでしょうか?イメージしてること、どんな感じかおながいします。
558 :
554:05/01/27 00:43:54
こさかなさん、どうも。
>カタカナの「コ」
の下に下線が引いた記号(下線がないものもあるんでしょうが)がわかりません。
>pluralityとか扱った論文
そうなんです。今読みたいのはLandmanのGroupsなんですが。この記号良く出てくるんですが、
いつも分からず参ってます。
x |_| y < これはunificationの記号でしたか?
554しゃん
今手元に論文とか何にもないので、詳しい定義とかお答えできないっす。
他の方におまかせしたいのでつが、前スレで自分でこんなこと書いてますた。
−−−
543 名前:こさかな@蒙昧 :03/07/21 10:25
ついでに。
最近、LinkのPlural vs. Massの扱いを応用した論文を読む機会が多くて、
Linkよまなきゃー、と思いつつ読んでないんすけど、応用論文の方を読んだ
ところでは、Linkのアプローチではpluralをまず演算によってindividual扱いに
し(i-sum)、mass termをindividual扱いできるようにします。predicateに
distributiveなものとそうでないものがあり、distributiveなものの場合には
i-sumからi-partを取り出す関数が適用され、plural individuals扱いになる。i-partを取り出すときにはi-sumから取り出される他のi-partとの組み合
わせに様々なものがあるので、i-part相互と関数適用のパタンを整理すると
upper semi-latticeになる(孫引きなので間違いいぱーいかもしれませんが、そのときはご指摘よろしく)。
−−−
ここの「pluralをまず演算によってindividual扱いに」の演算子が
x |_| y
でした。これをunion Uをひねったものと考えると、こっからは
完全に適当なのですが、「コ」も部分集合の⊃をもじって
individual扱いにしたものの一部分とでもいうようなものじゃないか
と思います。いや、これは完全に適当なので信じないで下さい。
560 :
554:05/01/27 13:09:22
こさかなさん、前スレから引用ありがとうございます。
「コ」の記号(及び逆「コ」)はPustejovskyとか読んでても出てくるんですが、どの論文もこの記号が
何を表すかは前提知識となっているようで、困ってしまいます。
どなたか救いの手をおながいします。
∩∩ 意味論知らずのうさぎが横レスしてみるの。
=(・-・)=
>>554さん、「コ」の下に「−」がついた記号は、計算機科学の
c( uu) 文献とかだと、半順序関係をあらわす記号としてよく用いられるの。
「−」がついてないやつは、さらに「=」の関係が成り立ってないとき
につかわれるの。
また、半順序集合Dの部分集合Xについて、Xの上限(supremum)が
存在するとき、それを「|_|X」と書くことがあるの。集合{a, b}の上限
だったら、「|_|{a, b}」とか、「a |_| b」などと表記する場合もあるの。
同様に、「|_|」がひっくり返った記号は下限(lower bound)をあらわすの。
>>554さんの参照してる文献がぜんぜん違う意味でこれらの記号を
使ってたらごめんなさないなの。
うさぎさん、どうも。
そうですか。計算機科学CSの文献を当たってみるとは思いつきませんでした。数学や論理学はちらちら
みてみたんですが。
うさぎさん、私も勉強になりますた。いつもありがとうございます(ぺこり
|_|とV、そしてこれらがひっくり返ったのはnotational variationの関係にある、ということでつね。
前にlatticeとか書いてたのにこっぱずかでつ・・・
555しゃん(上で556と書いてしまってました。失礼しますた)のコメントを待ちながら
とりあえずなんか書いてみます。論理学や意味論の概説、入門ではないのですが、文系出身の
私としてはこういう本で数学を勉強しなきゃいけないな、と思って買った本です。
以前理系のせんせ方と話をしていたとき、大学生は数学の基本的な用語も英語で言えないが、
ゼミで添削とかしているうちにわかるようになってくる、という話をしていました。
では文系の人間はどうしたらよいか?と考えるとやぱーり独学しかないですね。
特に欧米の研究者とならぼうという意志があって、でも留学をしてない人間はこういうので
補わないといけないのかな、と思ったりもしますた。あと、向こうの理工系の大学生って
こういうの勉強しなきゃいけないんだ、ってちょっとほっとしたりもします。
書名:Maths: A Students Survival Guide(A Self-Help Workbook for Science and Engineering Students)
著者・出版社・発行年:Jenny Olive・Cambridge・2003(2nd edition)
トピック:高校の数学の範囲です。
お薦めポイント:巻頭の"For and because of the people I have taught"ということばが
気に入ってます。いつか本を書いたらこれをぱくってやろう、と
思っていました。書くことはきっとないだろうけど。
出典は忘れましたが、わたくちがかねてからパクろうと思っているのは、acknowledgementなんですが、
To pasta
■お薦め文献■
書名:Maths: A Students Survival Guide(A Self-Help Workbook for Science and Engineering Students)
著者・出版社・発行年:Jenny Olive・Cambridge・2003(2nd edition)
トピック:高校の数学の範囲です。
お薦めポイント:巻頭の"For and because of the people I have taught"ということばが
気に入ってます。いつか本を書いたらこれをぱくってやろう、と
思っていました。書くことはきっとないだろうけど。
書名:Semantics in Generative Grammar
著者・出版社・発行年:Heim, Irene and Angelica Krazter・Blackwell・199x
トピック:関数適用、シェーンフィンケル化、E型代名詞 etc.
お薦めポイント:とりあえず嫁!
という具合にスレッドの冒頭にこうしたものが並ぶってのを想定してますた。
568 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/29 03:24:48
オマイら、本は若いとき書くものだよ。
年取ってから書いてもだめ。
わかったら、書き始めろ。
書いたって, 自費出版 あるいは放置
出版業界の現状を知っているのか
555しゃん、どうもでつ!
他の板やスレにこのようなテンプレがあるのか寡聞にして知らないので、その効用が
どんなものなのかも未知数でつ。でも個人的に面白そうだとおもいますし、やってみなきゃ
わかんないと思いますので、やってみましょう!
上で出したテンプレの「お薦めポイント」を「コメント」とし、署名をつけて(つけなくてもいい)
練り上げていける可能性を開いておきたいと思いまつ。
■お薦め文献■
書名: Mathematical Methods in Linguistics
著者・出版社・発行年: Partee, Barbara H., Alice ter Meulen and Robert E. Wall
Kluwer Academic Publishers・1993(Corrected First Edition)
トピック: 数学:集合、代数 論理学:述語論理、形式体系・公理化・モデル理論
言語学:一般化量化子、内包論理、オートマトン、チョムスキー階層
コメント: 論理学に関してはきっともっといい本があると思いまつが、関係する数学や、
形式文法理論の入門、参考書としては便利だと思いまつ(こさかな)
書名: The Philosophy of Language
著者・出版社・発行年: Martinich, Aloysius P.(ed.)・Oxford・2001(4th Edition)
トピック: Two Dogmas of Empiricism(Quine), The Semantic Conception of Truth
and the Foundations of Semantics(Tarski), etc.
コメント: 同名の本は数あれど、これが一番便利(でスポイルされちゃう私)。
言語哲学の論文で、言語学をやってて「読まなきゃ」と思ったのは大抵
そろっていると思いまつ(こさかな)
だれか、Gamut、たのむ
572 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/29 11:57:43
認知スレでもモデルとは何かみたいな話になってるんですが、モデルってなんなんでしょうか?
特にモデル理論的意味論という言葉の中に使われているモデルというのは特殊な意味で使われている
んでしょうか?理論とはモデルの構築という前提に立つとあえてモデル理論的と言われると
何か特別な意味を持たせているのかと思ってしまうんですが。。。思いっきり初心者です。
書名:An Introduction to Non-Classical Logic
著者・出版社・発行年: Priest, Graham・Cambridge・2001
トピック: basic modal logic, normal m. l., non-nomal m.l., intuitionist l., many-valued l.,
first degree entailment, basic relevant l., mainstream r.l., fuzzy l.
コメント: 古典論理を学び終えたら何を読んだらいいのだろう、と思った時に便利だと
思いますた。はじめの方にある帰納法による証明の例として挙げてある、
括弧の数に関する証明は基礎中の基礎らしいのですが、ちゃんと論理学の
教育を受けた訳ではない私には重要ですた(こさかな)
意味論における最近の流行って何ですか?
576 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/02/15 13:54:42
こさかなでつ。また自宅から書き込めなくなってしまいますた。
>575 なんでしょうね。でも主だった雑誌の最近の論文のタイトルを
みるだけでも何かわかるかもしれませんね。
577 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/02/20 23:24:29
これは?
「アフォーダンスの認知意味論 − 生態心理学から見た文法現象」
>>577 それは認知スレの方がもりあがるでしょ
べつに意味論スレから排除することでもないが、
流れ的にこのスレは「形式」意味論スレなんだから
>577
おもしろそうでつね。それはどんなのでつか?良かったらせつまいを
おながいしまつ!認知スレにあるのかな?
>578
数理的なことでは言語学者からの書き込みがとまり、数学者やコンピュータ
科学者から書き込まれる、というスレが果たして「形式」意味論スレと
いえるのかにゃw
やっとかきこめたばう
S&Wうちてー 関係ないけど、拳銃うったモデルガン業者が摘発されたとか。
かおもじせんせ、だいじょうぶかにゃー
577しゃん 認知スレにもないでつね・・・
関係ないけど、ティッシュー2354枚貫通ならず、と言っても、内部への衝撃はすごいんでしょうねー
中学生のころ、「群」で水の入ったペットボトルとか、スイカとかめがけて撃ったら爆発してる、
って写真みたころあるし・・・
あー、銃の撃てる国で仕事しようかにゃー
582 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/03/12 14:39:25
生成文法スレ好きではないので、こちらで。
楽器・作曲スレの
◆◆◆GIBSON ギブソン SG Part7◆◆◆より
566
>カッティングはストラトかテレしかやったら駄目だと思う。
「しか〜駄目」構文。作例ではわかっていても、実際出会うとうれ
しくなっちゃう。しかも、「しか」が条件文の前件で、licenserが
後件にある。人によってはダメだと思うが。
>582
きぁー!こういうのってホントうれしくなっちゃうよね!
ところで、
>しかも、「しか」が条件文の前件で
というのは、「しか」の認可に移動が関わるか、という話との関連からでしょうか?もしそうだとしたら、adjunct islandからの
抜き出しになってしまうのに、ってことで。
でも、これに関して二つのことを考えなきゃいけないと思う。
一つは、「したら駄目だ」の条件節「したら」が本当にadjunctか、という問題。以前、生成文法スレ(582さん、嫌いなのにゴメン)で
闘争派せんせがbecause節がcomplementと考えられる場合の話をしてたと思うのですが、日本語の条件節も、「したら駄目だ」
「しては/しちゃ駄目だ」みたいなのは、条件節なしでは用法が変わってしまうような、complementのようなものではないか、
という疑いがあると思うのです。
もう一つは、「しか」が本当に条件節内にあるのか、ということ。
もしそうなら、topicの「カッティングは」も条件節内にある可能性もでてくると思うのです。しかし(contrastiveでなく)topicは
条件節内には出ないはず。この問題を考えるために次のような日本語の
tough構文みたいのを考えたいと思います(一応instrumentalの助詞も
出しときます)。
1 カッティングはテレでがするのを許される
(たぶん駄目っていう人の方が多い気がするけど・・・)この場合、「テレで」は主格を伴って、「許される」のclause mateになっているはず。次を参照:
2 *テレでがカッティングをする
3 テレでが許される
cleftingを経由する(カッティングをするのはテレでだ)かどうかはともかく、1では「テレで」はcomplementである「の」節にあるのでは
なく、主節にあると考えていい理由があると思います。
1の「テレで」に「しか」をつけ、主節述語を否定にすると
4 カッティングはテレでしかするのを許されない
が得られ、問題の文に類似したものになります。
どうでもいいですが、個人的には
カッティングはリッケンでフランジャーをかけてしかやったら駄目だと思う
のです。
自己レスです。
>583
はなんか、後で読んでみたら、統語論、というか昔っぽい変換生成文法、
という感じになりましたが、もし「しか」の認可が意味的なものか、と
いう文脈で読むと、「移動はない、だから意味的認可」という変な
話な感じですね。失礼しますた。
弱いNPIは条件節内でも認可されますが、「しか」は否定辞、あるいは
それに類する述語にしか認可されない、極めて強いNPIと考えられて
いたはずです。もし、一定の条件下で条件節内にも現れるのだと
すると面白い鴨でつね。
585 :
582:05/03/14 15:39:55
こさかな先生、レスありがとうございます。
>「しか」の認可に移動が関わるか、という話との関連
>からでしょうか?
とりあえず、具体的な分析はおいといて、記述レベルで書きました。「しか」
ってbridge verbs以外では基本的にlicenserとclause-mateかと。例えば、
*ジョンしかいれば、成立しない/認められない/ダメだ。
> 一つは、「したら駄目だ」の条件節「したら」が本当に
>adjunctか、という問題。
通常はそうでしょうね。でも、話としては、もうひとつの「「〜しか」は
「やったら」の中にあるとは限らない」という分析のほうが納得できました。
>>583 >カッティングはリッケンでフランジャーをかけてしかやったら駄目だと思う
ギター、シールド、アンプでしかやったら駄目だと思う。(チョッケル)
>ギター、シールド、アンプでしかやったら駄目だと思う。(チョッケル)
素材の味そのままにいただく、というわけですな。うーん、これまた通。
意味とは何か
>587しゃん
「意味」とは、記号操作の向こうにあると信じられている幻想かも...
さすると、我々は言葉を使うと称して、無意味な記号操作をしているだけなのか
>589
素晴らしい表現ですにあ!
「ことばは通じるときもあれば通じないときもある」by時枝誠記
「無意味な記号操作」を繰り返している二つ以上の個体間で、いわゆる「コミュニケーション」が
成立つための条件ってなんでしょうにあ?
構成性の原理ってどういうことなんですか?
ゼミは英語なので理解できません(>_<)
記号操作によって図らずもコミュケーションが成り立つのなら、その記号操作は無意味
なものと言えなくなるのでないだろうか。
こちらから問うてみる。意味が「幻想」であるとするならば、如何にしてその「幻想」はコミュ
ニケーションを可能にするのであろうか。
>>592 >>594が引用している部分は間違いを含んでいる。
リンクを辿った方がまともなことが書いてあるから、そちらを読んだ方がいい。
具体的には
> >これは部分の意味の総和が
まともな形式意味論では「総和」とはいわない。
> 個々の単語の意味を足しあわせて
「足しあわせる」のではなく、個々の単語の意味とそれに応じた
(限られた数の)意味規則に基づき計算される。
> ボトムアップ式,いわば「積み木式」に,
ボトムアップかトップダウンかはimplementationによる。
イメージとして積み木を考えるのは偏見・先入観が入るのでやめた方がいい。
構成性原理を正しく短くいうと
全体の意味は部分の意味の関数である
>>595 >>構成性原理を正しく短くいうと
>>全体の意味は部分の意味の関数である
去年の夏に京都であった言語学会の夏期講習で形式意味論の
授業に出ましたが、その授業では、構成性原理は
意味論と統語論とが準同型(Homomorphism)である。
ということだ、と解説していました。確か、
[[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]])
だったかと。
今手元にその時のハンドアウトとかノートとかないので、
記憶で書いてるので間違っているかもw
プロブラミングとかもやってる漏れからすると、その時は
「なるほど」と納得した覚えがあるのですが。
>>596 > 意味論と統語論とが準同型(Homomorphism)である。
正確にいうと「統語論から意味論への準同型写像がある」になる。
但しFregeの頃はまともな意味論とモデル理論がなかったので、
>>595が一番primitiveな形。
それをTarski以降の発展をふまえて考えると上のような定式化になる。
> [[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]])
これはMergeだけが統語操作であればそうだろう。しかしもっと一般に、
いまSYN = (PS, SO_1, SO_2, ..., SO_n)を統語部門の代数構造とする。
ここでPSは語彙項目の集合LIを部分集合として含む句構造の集合であり、
SO_1, SO_2, ..., SO_nはPS上の統語操作とする。
またSEM = (M|, SC_1, SC_2, ..., SC_n)を意味部門の代数構造とする。
ここでM|はモデル理論的対象の集合であり、SC_1, SC_2, ..., SC_nは
M|上での意味合成操作とする。
写像f:SYN→SEMが構成性原理に従った意味解釈であるとは、
fが準同型写像であることと等価である。
以下を書いて完成。
ここでfが準同型写像であるとは、
全てのi(但し1≦i≦n)について、
f(SO_i(ps1, ps2, ..., psm)) = SC_i(f(ps1), f(ps2), ..., f(psm))
が成り立つことである。
前の方にレスで、すまそです。
>593 記号操作によって図らずもコミュケーションが成り立つのなら、その記号操作は
>無意味なものと言えなくなるのでないだろうか。
その「無意味」の「意味」と、意味論の対象とみなされている「意味」を
混同してはなりませんにあ。エアコンはセンサーによる温度を入力として
一定の演算の後に停止しますにあが、このときエアコンはわれわれにとって
「意味のある」働きをしていますにあが、これは温度とエアコンが会話して
いることにはないませんにあ。卑近な例ですまんのー、ですにあ。
構成原理、準同型写像のはなし、興味ぶかいですにあ。さえぎって申し訳
ないですにあ。続きをドーゾ、にあ。そういえばJ氏は準同型写像を前提とする
理論は妥当でない、って批判してましたにあ。って、いつかきたみちー、なので
無視してください。
ついでに600きっときますにあ。
597氏>語彙項目の集合LIを部分集合として含む句構造の集合
ここが少しつまづきましたにあ。LSLTのpm、またはLasnik and Kupinのrpmの
集合と考えていいのですかにあ?それとも句構造の集合論的表現の集合?
おしえてくんです。すまそですにあ・・・
>>596-602 私も、大学の授業では構成性原理について、
>>全体の意味は部分の意味の関数である
のように習っていて、担当の先生ご自身(形式意味論の専門家
ではいらっしゃらない先生)が、「まあごく当たり前のことを
指針として一応改めてstateしておいた、という趣旨のものです。」
のような感じのことをおっしゃっていたので、
>意味論と統語論とが準同型(Homomorphism)である。
>[[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]])
という解説を聞いて、実際には、「ごく当たり前の内容」どころか、
統語論と意味論の双方に対して強い制限(制約)を課す原理なんだ
ということがよく分かって、とても興味深かったです。
また、MontagueのFunctional Applicationの洞察は今から振り返って
見れば、現在のMinimalismにおける、統語操作としてはMergeだけに収斂
されたRecursion-Onlyの言語理論をはるか先取りしたような内容だとも
解釈できる、という話も非常に面白かったです。
>>599 >その「無意味」の「意味」と、意味論の対象とみなされている「意味」を
>混同してはなりませんにあ。
ならば、
>>591の「無意味な記号操作」の「意味」はどちらの「意味」であるのか。我々の記号操作は、
エアコン内の演算的操作に比べてもなお「無意味」であるのか。
605 :
魚系:2005/06/06(月) 12:34:21
>602氏デーレーサンクス!
>603氏
>統語論と意味論の双方に対して強い制限(制約)を課す原理
このことを考えると、統語論の操作と意味論の操作は一対一の関係に
ないといけないことになり、すると統語論にMergeしか認めないならば、
意味論にもそれに写像されるSemanticMergeのようなものしか認められ
ないことになるような気がしますにあ。拙者、なんか誤解してる気も
しないでもないですが、そうならばやっぱり
>598氏の一般的なもののほうが無難な気がしますにあ。
統語論のMergeが担うものの真部分集合を意味論ではλ-absorptionでやってて、
それ以外を論理接続詞がやってたりするような気がするしにあ。
606 :
魚系:2005/06/06(月) 12:41:38
>604氏
まず「無意味な」がde dictoであることを忘れないで欲しいですにあ。
その上で、新たに再解釈してお答えすると、やはり意味論の対象である
「意味」ですにあ。このように峻別した上で
>我々の記号操作は、エアコン内の演算的操作に比べてもなお「無意味」であるのか。
にお答えすると、'at least'エアコン内の演算操作並みには「有意義」でしょうにあ。
それを越えた先の話となると、
>587しあんの問いかけに戻って、堂々巡りになりそうな股間。
>>605魚系氏
>>このことを考えると、統語論の操作と意味論の操作は一対一の関係に
>>ないといけないことになり、すると統語論にMergeしか認めないならば、
>>意味論にもそれに写像されるSemanticMergeのようなものしか認められ
>>ないことになるような気がしますにあ。拙者、なんか誤解してる気も
>>しないでもないですが、
甚だ失礼ですが、↑はやはり Homomorphism を Isomorphism と「誤解」
されているのではないでしょうか???
Isomorphism(同型)ではなく、あくまでも Homomorphism(準同型)という
定式化ですので、
>[[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]])
では、統語論的上対応する操作を持たないような意味論的操作の存在を
なんら排除していないですよね(「一対一の関係」ではない)。
具体的には、Type-Shifting とか Existential Closure とかがあっても
全然↑には違反していないわけです。
実際、Chierchia の NLS の有名な論文 "Reference to Kinds across
Languages" では、意味論的操作 Type-Shifting が起こり得るのは、同じ
効果を統語論的操作(たとえば、冠詞との Merge)によっては得られない
ような場合に限る、という仮説(Type-Shifting as (Semantic) Last
Resort)を出していますよね。
608 :
魚系:2005/06/07(火) 05:54:12
>607氏
おっしゃることは一応ごもっともなのですが、ここで
>[[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]])
で準同型写像であるのは、denotationを与える関数[[x]]であって、操作についてでないことを
確認しておきますにあ。ブラケットと紛らわしいので||x||を[[x]]と同じものと
約束することにしてこちらを使わせていただくと、上がいわんとしているのは
Merge(α,β)のdenotationは、||α||と||β||にMergeに対応するSemantic Operation
を適用して得られる、ということなので、操作に関してはbiuniqueな写像関係で
なければなりませんにあ。
それと、Existential Closureは操作というよりも、統語論に存在しない
要素を意味論で導入するということだし、Type-Shiftingは統語論で言えば
品詞を換えるようなもので昔の変換でいえばS刈り込みのようなものだし、
ともに現在の統語論では許されないような操作が意味論では起こっている
わけですにあ。おそらくこのようなことには上で述べられた統語論と意味論の
関係への制限は役にたっていないわけで、挙げてくださった論文は読んでないですにあが、
だからこそChierchiaはいつでもつごうよくType-Shiftingをつかう、ということがないように、
restrictivenessをlast resortという形で設けたのだと思いますにあ。
609 :
魚系:2005/06/07(火) 06:38:50
ここでisomorphismとhomomorphismの違いを手元の本に基づいて述べると、
二つの代数系AとBがisomorphicである必要十分条件は、Aの元であるすべてのx, y, z, ...、及びすべてのi(≦n)について
F_i(h(x), h(y), h(z), ...)=h(G_i(x, y, z, ...)),
でF_iとG_iは一対一対応で、一対一または上への関数hがAをBの上へ(もれなく)写像すること。
homomophismは、AからBへの写像が「多対一」であることを除き、isomorphimicな関係を
すべて備えている対応関係。BはAより小さい集合であり得る。
ここで、>597-598しあんの
>全てのi(但し1≦i≦n)について、
>f(SO_i(ps1, ps2, ..., psm)) = SC_i(f(ps1), f(ps2), ..., f(psm))
>が成り立つことである
で考えると、SO_iとSC_iは一対一対応、そして
f=denotation function ||x||はone-to-oneかonto functionで「一対多」の関係であってもいい、
つまり統語範疇のdenotationの集合より意味範疇のdenotationの集合のほうが大きくてよく、
ある一つの統語範疇のdenotationに対応する意味範疇のdenotationが複数であることが許される、
ということですにあ。
610 :
魚系:2005/06/07(火) 06:43:16
訂正:
isomorphimic -> isomorphic
スマソ
611 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/07(火) 10:17:27
>>597-598だが、
>>609が正しい方向性。
ただし、PTQとかみてると、functional applicationに対応している統語規則は複数ある。
実質、
>>598の
> ここでfが準同型写像であるとは、
> 全てのi(但し1≦i≦n)について、
> f(SO_i(ps1, ps2, ..., psm)) = SC_i(f(ps1), f(ps2), ..., f(psm))
> が成り立つことである。
において、i≠jの時SC_i = SC_jなるようなこともあるかもしれない。
しかし次のことは注意したい。
一つには、i≠jの時SO_i = SO_jとは絶対にならない。
つまり対応させられる統語規則に重複はあり得ない。
もう一つは規則の対応が「上への写像」ではなく「中への写像」として定義してはいけない。
つまり統語規則が対応していないような意味合成規則はあってはならない。
この2番目の意味では構成性の原理は厳しい制約といえるだろう。
>>608-610魚系氏
>>611氏
レスどうもありがとうございます。
おそらく、構成性原理に関する言わば「強い」解釈と「弱い」解釈のような
ものが初めからお互いの念頭にあって、定式化もそれに基づいて行なっている
ため、議論がやや噛み合っていないような印象を残すのかも知れませんですね。
>それと、Existential Closureは操作というよりも、統語論に存在しない
>要素を意味論で導入するということだし、Type-Shiftingは統語論で言えば
>品詞を換えるようなもので昔の変換でいえばS刈り込みのようなものだし、
>ともに現在の統語論では許されないような操作が意味論では起こっている
>わけですにあ。おそらくこのようなことには上で述べられた統語論と意味論の
>関係への制限は役にたっていないわけで
これは、全くもっておっしゃるとおりです。
と言いますか、まさにそのことこそが
>>607 で言いたかった点でありました。
つまり、
>[[(Merge(α,β))]]=SemanticOperation([[α]], [[β]]) (これを (1) とします)
と定式化した限りにおける「構成性の原理」は、「上で述べられた統語論と
意味論の関係への制限」は行なっていない、ということを言いたかったわけ
なのです。
すなわち、(繰り返しで恐縮ですが、)
>統語論にMergeしか認めないならば、
>意味論にもそれに写像されるSemanticMergeのようなものしか認められ
>ない
ということにはならない、ということを主張したかったわけです。
(↓に続く)
(↑からの続き)
また、
>>609 で「BはAより小さい集合であり得る。」と書いておられますとおり、
単に homomorphism とした場合には、全射性(onto-mapping)までは要請され
ないのではないでしょうか?
この点、
>>610 氏が
>>もう一つは規則の対応が「上への写像」ではなく「中への写像」として定義してはいけない。
とされていますのは、単なる準同型写像ではなく、より強めた全射準同型写像
(surjective homomorphism)を要請されているわけであり、その分、「構成性の
原理は厳しい制約といえるだろう。」とおっしゃっているのだと思います。
繰り返しになってしまってまことに恐縮ですが、(1) ではそのような全射性
(surjection, onto-mapping) までは要請されていないものと解釈しており
ました。
その意味では、
>>607 において、いわば「いきなり」 isomorphism に強めた
ものを持ち出したのは議論を混乱させる間違いでした。お詫びいたします。
(単なる)準同型写像 − 全射準同型写像 − 全単射準同型写像=同型写像
という順にいわば「強く」なっていくわけで、今問題としている論点には単射性は
関係ありません(>>ただし、PTQとかみてると、functional applicationに対応して
いる統語規則は複数ある。 ←これを許すかどうかの問題で、今の論点とはまた別。)
ので、要するに、全射性まで要求されているのかどうか、という問題ですね。
↑で、
この点、
>>610 氏が
>>もう一つは規則の対応が「上への写像」ではなく「中への写像」として定義してはいけない。
とされていますのは、
と書きましたのは、「この点、
>>611 氏が」の誤りでした。
お詫びして訂正いたします。
おっ、構成性原理(Fregeの原理)とhomomorphismの話でひさぶりに
このスレが盛り上がってまつね!
ひさぶりにageられてるしw
このスレではよくあることでつが、ヤパーリ情報系・computational系と
linguistics系との間でビミョーに理解に違いがあって、その違いが表面化
してるような感じがしまつね。
情報系・computational系では、2つの代数系AとBとの間にhomomorphism
があると言われたらもう自動的にAからBへのonto mappingと考えまつよね。
特段ontoじゃなくintoのmappingなんか考えてもその意味がないわけで...
それに対して、linguistics系の人は、type-shiftとかexistential closure
とかが意味論にあるのは当然という所から先に発想してるので、ontoじゃなく
intoのhomomorphismというのを強調したいんだろうと思われ。
616 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/07(火) 23:45:14
>>611だが、
準同型写像において操作の対応が最悪でもontoでなくてはいけないという点は、
数学の標準的な定義なので、そこは曲げないで考えたい。
問題は統語操作に対応していないtype shiftやexistential closureをどうするかということ。
これについては二つの答えがある。
ひとつは、type shiftやexistential closureに対応する統語的なoperatorがあるとする答え。
これを1とする。
もうひとつは、type shiftやexistential closureは意味「合成」操作ではないので
準同型写像における対応させる操作と考えないとするという答え。これを2としよう。
実はこの二つの答えはtype shiftやexistential closureが考案された時点で既に考察されている。
type shiftについては、Partee&RoothやParteeをfoundingと考えると、
前者では関連するtype間に自然な対応があり、適切なtypeで解釈されるとし(2の答え)、
後者ではtype-shifting functorを定義している(1の答え)。
existential closureについては、Heimのdissertationのなかで、
実際に統語的なoperatorとしてのexistential closureを考えている章と(1の答え)、
LFを最終的にモデル理論的対象に対応させる規則として考える章(2の答え)がある。
Heimは1の答えの方をexistential closureと呼んだ。
2の答えの方はDRT内ではDRS embeddingと呼ばれるものに相当する。
>>616氏
>>準同型写像において操作の対応が最悪でもontoでなくてはいけないという点は、
>>数学の標準的な定義なので、そこは曲げないで考えたい。
お言葉を返すようでまことに恐縮ですが、「最悪でもontoでなくてはいけない」
というのが「数学の標準的な定義」であるとまでは言えないのではないでしょうか?
今手元には、彌永昌吉・彌永健一『代数学』(何ぶんにもこの分野を真剣に
勉強していたのは学生時代なので、こんな古い本しか手元にないのです(苦笑))
しかすぐには出てこないのですが、同書の p.87 には、
U=(S,O) から U'=(S',O') への準同形(同書はこのように漢字表記:引用者注)
を与える写像 f:S→S' が単射であるとき f は U から U' への同形
(isomorphism)と呼ばれ、さらにこの f が全単射であれば U と U' は
f によって同形になるといい、U~=U'(~ と = とは上下に並べる:引用者注)
と書かれる。
とか、
f が代数系 U から U' への準同形であれば像 f(U) は U' の部分代数系である。
などの説明があり、準同型写像だからと言って直ちに onto mapping とは
考えられていないことが分かるかと思います。
>>問題は統語操作に対応していないtype shiftやexistential closureをどうするかということ。
>>これについては二つの答えがある。
こちらは、以下、全くもってご指摘のとおりですね。
まさにおっしゃるとおりで、Heim の dissertation の中では、tree に
実際に∃をそのまま Merge(今風に言えば)させている章がありましたよね。
読書会で初めてそこを読んだ時、「この操作は果たして本当に legitimate
な統語論的操作と言えるのか? VP → ∃ VP などという句構造規則がある
わけもなかろうし、後から挿入するというなら構造保持の原則の違反になる
のではないか。」とかいうような議論をしていたことが、とても懐かしく
想い出されます...
618 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/08(水) 01:24:13
>>617 おなじ作者の弥永・弥永の「集合と位相」には次のように書いてある。
代数系_A_=(A,O), _A_'=(A,O)は、O〜〜O'のとき同類であるという。N^+と
N^×は同類だが、N^+と(N,{+,×})は同類ではない。_A_=(A,O), _A_'=(A,O)
を同類な代数系、φ:O→O'を全単射とし、α∈Oに対してφ(α)をα'と書こう。
(普通、このような場合全単射φとしては_A_, _A_'の性質から自明な仕方で選ばれ
るものがとられ、φを特記せずにαとα'を同一視することが多い。)このとき、
写像f:A→A'は、
f(xαy) = f(x)α'f(y)
がAの任意の元x,yおよびOの任意の元αについて成り立つとき、_A_から_A_'
(またはAからA')への(φに関する)準同型写像(homomorphism)と呼ばれ、
特にfが単射ならば、_A_から_A_'(またはAからA')への(φに関する)同型写像
(isomorphism)と呼ばれる。さらに、fが全単射ならば、_A_と_A_'(またはAと
A')は(φに関して)fを通して同型(isomorphic)であるといわれ、_A_〜=_A_'(または
A〜=A')と書かれる。(p.50、ただし〜〜は等価であることをあらわし、印刷上は
縦に二重に重ねられた記号であり、〜=も印刷上は縦に二重に重ねられた記号である。)
長々と引用したが私がこだわる根拠はこれ。
>>618氏
レスどうもありがとうございます。
決して「意地になっている」わけではありません(^^;;; が、うず高く積み
上げてある本の山を崩したら、完全に隠れていた奥の山から代数学の教科書
が2冊でてきました(いかに最近は見ていないかが分かりますが(苦笑))。
まず1冊目は、東郷重明(1977)『代数入門(現代数学への入門 19)』サイ
エンス社、です。同書 p. 14 には次のように書かれています。
写像 f: G → G' が次の条件を満たすとき f を G から G' (の中)への
<b>準同型写像</b>という:
f(xy) = f(x)f(y) (∀x,y∈G).
f がさらに全射のとき G から G' の<b>上への準同型写像</b>という.
次に2冊目は、細井勉(1982)『情報科学のための代数系入門』産業図書、です。
同書 p.10 には次のように書かれています。
(A,f) と (B,g) は代数系であって、A から B への写像 φ が存在するとする.
φ が条件 φ(f(a,b)) = g(φ(a),φ(b)) a,b∈A を満足するとき,φ は<b>
準同型写像</b>(homomorphism) であるという.とくに,φ が全射であるとき,
φ は上への準同型写像であるという.
(↑で、タグは原文で太字になっていることを示すためだけの便宜的なものです)
代数学の教科書が3冊あってその3冊ともが単に準同型として定義する場合には
onto まで要請していない(言うまでもありませんが,これら3冊はたまたま私が
はるか昔に買って持っていたもので、そのような定義をしている本ばかりを選んで
出してきたわけではありません)以上、「準同型写像において操作の対応が最悪
でもontoでなくてはいけないという点は、数学の標準的な定義」であるとは言え
ないのではないでしょうか?
>>619 確かに、準同型写像において操作の対応をontoにするという要請が
標準的とするのは言い過ぎたかもしれない。
しかし代数で準同型写像が大事な概念なのは準同型定理が便利なためであり、
準同型定理がどんな内容かというと、ある集合とその集合の商集合との間に
自然な対応を想定すると、その対応は準同型写像になるというもの。
このとき、自然な対応で結び付けられる操作が同一視されるというのが
標準的というべきだった。
数学のスレでないのでこの話はここまでにしたい。
>>620氏
レスどうもありがとうございます。
>>619 は他のスレッドにちょっと書き込みした直後に書きましたらHNを
以前のものに合わせ直すのを忘れてしまっておりました。
おっしゃっていることよく分かります。
このあたり、↑で
>>615氏がまとめて下さっているとおりで、定義だけ
あってもしかたないわけで、準同型定理が大事なわけですものね。
奥の山からは、代数学以外にも学生時代に読んでいた解析や線形代数の
教科書がまとまって出てきて、懐かしい感慨にふけっておりましたw
時間があったら入門から先の数学の勉強をぜひまたやりたいですが、
とてもじゃありませんがそんな時間はありません......
ここまでおつき合い下さいまして、どうもありがとうございました。
622 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/14(火) 07:10:39
意味(論)に生得的な部分はありますか?
ない方がおかしい
そもそも、意味論的な知識抜きで我々は何かを学習することができるのだろうか?
625 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/15(水) 08:09:16
おっぱいもめる
>>622 >>623 問題は、どうやって証明するかということかな。
統語論だと、これこれの現象は意味や語用論からせつめいできないから・・・、という論法が使える訳だがなぁ。
627 :
魚系:2005/06/22(水) 06:20:06
>626氏
たぶん同じ論法が意味論にも使えるんじゃないですか?
しばらくご無沙汰してました・・・
>616の話が他のことにも敷衍できたらよかったですね・・・
形式論をやっている人たちって認知意味論に大してはどんな印象を
お持ちなんでしょう?読むことはあるの?多分、認知の人間で
形式論を読んでいる人はほとんどいないんじゃないかと思うけど。orz
お絵描き遊び
630 :
魚系:2005/06/23(木) 21:30:28
>628氏
いやー、そんなことないでしょ?アメリカの大学で認知言語学つよいとこで
Tarski's World使ってFOLの勉強してるって話、聞いたことあるよ。
だいぶ昔だけど。
私はそんなに形式的なほう強くないけど、認知意味論(といってもLakoffしか
しらないけど)好きだよ。佐藤信夫とか読んだことある人なら、親しみ感じると
思う。それを形式的に、とは思わないけど。LakoffのObjectivist Paradigmって
くくりにすごいスローガン的というか、変な偏りを感じるけど、方法論的には
抵抗感じない。私だけ?
それはよくある印象だろうけど、観察している言語現象やその分析それ
自体の価値とはあまり関係ないと思うんだよね。
>>630 >LakoffのObjectivist Paradigm
なんであんなキャンペーン?をはったんでせうかね?
チョムに対する恨みからか?
別にあれによってパラダイムシフトなんかしてないわけで、
いまだにLakoffのいう "Objectivist Paradigm" のもとで
延々と(重要な)研究は続いている訳で。。。
634 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/24(金) 01:13:10
>>628 形式論っていっているのは悪意があるのか天然なのか
BeaverがPresuppositionのsurvey paperで書いている通り、
前提(と照応)に関して、Fauconnierのmental spacesの有効性は
形式意味論の有力な理論の一つである動的意味論とほぼ同じであると
目されている。
それ以外は興味関心がずれるからそもそも読んでいないと思う。
逆に認知の人でもLakoffやFauconnierはロジックやっていたし、
坂原茂先生の筋の人wにはちゃんと形式意味論理解している人が
決して少なくはないと思う。
とはいいつつ、
>>594で引かれている部分のようなのを見ると、
噛み付いてくるならしっかりリサーチしてからにしろよと思うことの方が多いけど。
> >従来,意味論の世界には,構成性の原理(Principle of Compositionality)と呼ばれる考え方がある.
> >これは部分の意味の総和が全体の意味であるという考え方で,個々の単語の意味を足しあわせて
> >いくことで,ボトムアップ式,いわば「積み木式」に,全体の句や文の意味が得られるとするものである.
>>634 構成性の原理ひとつ取ってもそうだが、形式意味論の内容を正確に理解する
ためには、数学、論理学、言語哲学、コンピュータサイエンスをいずれも
相当の程度まで深く(各分野の専門家クラスと同程度まで)理解することが
必要不可欠。実際問題、北米の大学院で形式意味論をきちんとやってるような
連中はみんな学部時代にそうした分野をそれも複数double majorで取ってた
ような連中ばっかりだ。日本みたく文学部で好きでいろんな言葉を勉強
してましたなんていうのほほんとした人たちとは基礎が全然違うってこと。
たとえばの話このスレッドを読んでても、形式意味論を教えたりしてる
(んだろう多分w)ような人たちですら構成性の原理ひとつ正確に
理解できていないことがもろ暴露されてて笑える。
代数学の入門書なんかをちょこっと読んだ程度で形式意味論の体系が
理解できたら誰も苦労はしないw
私見だが、日本で「ちゃんと形式意味論理解している人」は、
いずれも駒場がらみのK氏、T氏と神戸○○のG氏の三人だけだろう。
あとは、(日本語で)本を出してるような人たちも含めて、みんなただ
表面をなぞってるだけ。
それほどまでに形式意味論は難しいってことw
と、北米からここには初カキコしてみる
>635
w
>>635 あはは、我々の仲間、いちょびったあげくに書き逃げ君がまた一人でびゅーしますたな。w
638 :
名指し象は鼻が必然的にウナギだ!:2005/06/24(金) 22:54:52
>坂原茂先生の筋の人wにはちゃんと形式意味論理解している人が
>決して少なくはないと思う。
>私見だが、日本で「ちゃんと形式意味論理解している人」は、
>いずれも駒場がらみのK氏、T氏
駒場言情宣伝工作員、乙!!w
COEカンファレンスの前景気煽りでつか(激w
>>635 > と、北米からここには初カキコしてみる
折角北米にいるんだから、2ちゃんなんか覗いてないでしっかり勉強しなさい。
じゃないと(ry
今見に来てみて大変驚きましたが、
>>638 は私ではありません。
私は、これまでの書き込みで(こちらに限らず)"age" たことは
一度もありません。
>>638 で引用されているお名前には私も大変お世話になっています
先生(と言いますか、私もその「筋の人」ということになります(笑))
が含まれており、非常に困惑しております。
>>638氏
そのHNは、↑の構成性原理と homomorphism をめぐるやりとりの
中で私が使っていたもので、誤解を招き困りますので、今後はご使用を
お控え下さいますようお願い申し上げます。
連続書き込み失礼致します。
>>635氏
>>たとえばの話このスレッドを読んでても、形式意味論を教えたりしてる
>>(んだろう多分w)ような人たちですら構成性の原理ひとつ正確に
>>理解できていないことがもろ暴露されてて笑える。
>>代数学の入門書なんかをちょこっと読んだ程度で形式意味論の体系が
>>理解できたら誰も苦労はしないw
これは私の↑の書き込みに関しておっしゃっているのだと思いますが、
↑の書き込みに示されております私の構成性原理の理解において正確さを
欠く点にお気づきでしたら、ぜひともご教授頂ければ幸いです。
642 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/25(土) 01:21:25
>>635 >私見だが、日本で「ちゃんと形式意味論理解している人」は、
>いずれも駒場がらみのK氏、T氏と神戸○○のG氏の三人だけだろう。
スタンフォード、MIT、オハイオ州立のPh. D.か。
やっぱりアメリカの大学院で勉強しないと「ちゃんと形式意味論理解」
することはできないんだろうか。
>>642 その3人のいずれかについてしっかり勉強するってのは?
644 :
636:2005/06/26(日) 03:26:22
635が笑えるのは、形式意味論にコンプレックス丸出しなところ。
>数学、論理学、言語哲学、コンピュータサイエンスをいずれも
>相当の程度まで深く(各分野の専門家クラスと同程度まで)理解することが
>必要不可欠。
って、まともな神経の形式意味論の専門家なら「おいおい阿呆なこと
言うなYO!」って思うよな。
たぶん635は必修の意味論の授業で苦労しているSyntaxの学生かなんかだろ?
あと、635が「構成性の原理」の定義の不正確さを鬼の首をとったように掲げて
いるのも馬鹿げているね。そりゃ上の方の引用は「結合法」をすっとばして「総和」
と書いている点で不正確だが、しかし「結合法」はあくまでシンプルで、且つある
程度の普遍性と一貫性があるというのが前提だろ? 「結合法」で何やっても
いいなら「構成性の原理」なんて提唱する意味ないからな。だから、イディオム
をもちだして、「構成性の原理」が万能でないとするロジックも、正確ではない
けど、決して的はずれなものとはいえないよ。イディオムごとに超法規的結合
規則を適用するなら、そこに構成性がないと言っていることに限りなく近いわけ
だからね。
ホントに書き逃げ君だったのが残念。今は夏休みで留学生は思いっきり暇な(時間がある)はずだし。
646 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/26(日) 22:22:39
>>644 「必修の意味論の授業で苦労している」ような「Syntaxの学生」なら,
G氏はまあともかくとして,K氏やT氏のことなんか知らんだろ.
なので,
>>635はヤパーリ上でも言われてる(
>>637,
>>638)そのとおり,巧妙に
(それほど巧妙じゃないかも知れんがw)偽装した,研究会周辺
による駒場マンセー工作と思われ.
647 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/06/27(月) 17:43:07
>>644 >イディオムごとに超法規的結合
>規則を適用するなら、そこに構成性がないと言っていることに限りなく近いわけ
>だからね。
「超法規的」という表現が変(「超法規的措置」等は法律や政治の世界の用語)
な点はともかく置くとしても、「まともな神経の形式意味論の専門家なら」
「イディオムごとに超法規的結合規則を適用する」なんて初めから念頭に浮かぶ
ことすらないだろう。
イディオムは単一のatomicな語彙として扱う、というのが常識、っていうか常識以前。
このスレで形式意味論のことほんとに分かってカキコしてるのは、大体3名
ぐらいしかいないと思われ。
あっ、漏れ自身は別カウントでねw
>>647 >イディオムは単一のatomicな語彙として扱う、というのが常識、っていうか常識以前。
ほー。
>イディオムは単一のatomicな語彙として扱う、というのが常識、っていうか常識以前
反論のレベル低っ
>イディオムは単一のatomicな語彙として扱う、というのが常識、っていうか常識以前
もしそうなら、イディオムとしてのたとえば kick the bucket の過去形は
kick the bucketed となるはずだがw
話が前の方にもどって恐縮でつが
>634
>BeaverがPresuppositionのsurvey paperで書いている通り、
>前提(と照応)に関して、Fauconnierのmental spacesの有効性は
>形式意味論の有力な理論の一つである動的意味論とほぼ同じであると
>目されている。
これって、メンタルスペース理論と動的意味論は記述力が同等な体系だとか
ってことなのでしようか。ってゆーか、メンタルスペース理論って、敢えて形式化してない
って感じないすか?それとメンタルスペース理論の元になったindexed predicate calculusと
動的意味論を比べるとすごく違う感じがしますけど、あー自分でかいてて何いってんだか
わかんねーや
652 :
634だが:2005/06/30(木) 14:20:58
>>651 「前提(と照応)に関して」と書いてある通り、
前提や照応についての予測がほぼ同じだということ。
くわしくはBeaverをみたらいい
indexed predicate calculusってKurodaが作ったやつ?
よく知らないから教えてくれるとうれしいかも
>652氏
くわしくはKurodaをみたらいい
なーんてね。意味論スレのどっかに少し書いた気もするけど、
sag-あったら書きます。
>635氏のいうことも一部もっともなわけで、
北米の某大学では論理学とか数学とかが全然できない日本からの留学生の
ためにわざわざ数理言語学の講義を出してくれてるんだそうですね。
まあこれは日本の教育のシステムの偏りに問題なしとせず、なんでしょうけど・・・
635氏は636氏がいうような、そんな講義に苦しんでいる学生の一人なんでしょうね。
>それほどまでに形式意味論は難しいってことw
んー、そんなことないから、数学と論理学ちゃんとやれば、そんなことないから・・・
いたずらに恐怖心煽るようなことはやめてほしい。
と、ネタにマジレスつけてみるw
というか、形式意味論だけのスレではないと思うのですが・・・
こんど新しいスレに移行するときは「意味論総合スレ」とかの名前が
いいのかも・・・
それから、数学にちゃんとしたコメントがつくのはROMってる論理学者や数学者や
computer scientistの方たちからですから・・・
635氏へ、できればそうゆう人たちにちゃんと敬意を払ってくださいますよーに
このスレはいろんな方の力で成立ってます。感謝。
わずか3歳にして、サッカー選手の素早い動きを正確に捉え、遠近法を駆使して
高度な線画で絵を描くことができたナディア。
一瞬にして通りすぎる貨物列車を線路脇に立って眺めるだけで、
有蓋貨車が何台あったかを即座に言い当てられたジェレミー。
一度聞いただけで、どんな難しい曲でも、どんな長い曲でも演奏できたレスリー。
サヴァン症候群の人たちは、概念でものを見ていないという。概念でものを見るということは、
言語能力を獲得するということである。
そしてこの特殊な能力は、言語能力が獲得されるとと失われてしまうのだ
656 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/07/06(水) 01:35:23
スレタイ見て面白そうとか感じた工房ですが
俺の来るところじゃないようですね
>656氏
んー、そんなことないですよ。ときどきのぞいてみれば。
でもスレタイのどこを面白そうと感じたのか、興味がありますね・・・
658 :
さかなけい:2005/07/08(金) 12:24:23
時間稼ぎage
ごめん。論文がどこいったかわかんなくなっちゃった・・・
一応references。
'Indexed Predicate Logic,' The 17th Chicago Linguistics Society Meeting, pp. 156-163. 1981.
'Indexed predicate calculus,' Journal of semantics 1:43-59. 1982.
あと、うそっこのやつは本スレ308あたりにあります。
hosyu
hosyu thanx
暑さのせいでしょうか、
「中への写像」「上への写像」がやけにエロく感じます・・・
寝たふりのつもり。
a.同族目的語を取る動詞のタイプ
b.目的語削除をうける動詞のタイプ
言語間の差異に関して、これらはなんか相関関係があるんだろうか。
日本語では
a.踊りを踊る、歌を歌う、等。別に目的語は意味が特定されていなくてもいい
上代には「寝を寝る」もあった模様。
b.「食事にでかける」の意味で「食べにいく」とは言わない
「あなたに手紙を書きます」の意味で「あなたに書きます」とは言わない
664 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/10(月) 02:08:13
Description Logic。ESSLLIでもここ何年か入門コースを持ってる。
OWLで採用されているけど,意味論にはそれほど採用されていない?
665 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/10(月) 12:34:11
猛暑が暑い
登山を登る
集合に集まる
671氏、さんくす。いやほんと、マジレスするとそゆことじゃないす。
で、関係あることかわかんないすけど、ちょっと日本語の語彙を扱って
『朝倉日本語講座1』を参照したら
「星の王子様」の訳が何ヶ国語かで載ってて、そのうち私がわかることばで
見ると、日本語は「絵」と「かく」に派生関係がなくて、英語、フランス語、
ドイツ語、韓国語は派生関係がある。派生関係がある言語では目的語
なしで「絵をかく」というのをあらわせるけど、ない日本語では
上の例のように目的語を必要とする。「目的語削除」の一部はこのような
事情が関わるのかなー、とか思いますた。
673 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/14(金) 04:26:32
>>664 すこし考えてみましたが,DLは概念記述やオントロジ向きで,
どうも命題を記述するのにむいていないような感触です。
述語論理の制約をきつくしてあってFOLほどの記述力が無い
印象をうけます。使いようによっては談話理論にうまく取り込めるのか
もしれないといったところですね。
FOLLIとかはOWLのからみで紹介しているのかな。
プログラミングのセマンティックウェブについて語るスレ を参照してみなされ。
仲間がみつかるかも。
675 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/16(日) 12:37:08
678 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/22(土) 13:14:22
こさかなしゃん、kennedyとか詳しいでつか?
by 某コテハン@最近、ごぶさた
あ、ごぶさたでつ。って誰ですかいの?
なんか最近1年半ほど新しい理論の動向がわからないのでkennedyは
全然でつ。K-Rodしゃんが詳しいと思う。って、も、もしかしてK-Rodしゃん?
そういえばkennedyは言語学会の海外の委員してますね。
最近はcomponential analysisとかcognitive semanticsとか、そんなどうでも
いいことやってますにゃ。どうでもいいこと繋がりで、Morning E.さんが
NHKでLakoffのWFDで青木晴夫せんせがやったようなことを拡張したような
話をするみたいですにゃ。さらにどうでもいいことにゃが、Morning E.さんが
描くクマの絵、かわいいのにゃ・・・
も、もしかして某コテハンって、あ(バキューン:刺客に打たれた
もしそうだったら、元職場関係で繋がりありそうでした。
あのλをやたら使う椰子でつか?統語論でΘ駆動的にいっぺんくっつけたものを
もう一回論理構造でλ使って述語とくっつけるなんてredundantだし、
λの本来の使い方を離れてkennedyがやろうとしてたことはexistential q.が
関わる推論でやれば問題ない、しかもそっちがnull hypothesis、って
喚いて、ある先生にやんわりとたしなめられたことがありまつ。
681 :
Rod:2005/10/24(月) 15:10:23
いや、ちょっとごぶさたでしたのでご機嫌伺いに来たのですにゃ
>こさかなしゃん
ところで、来月の学会には行かれますか?
もし、チャンスがあれば顔文字先生経由で紹介してもらおうかと。
その時には、紹介お願いしてもよろしいですか?
>顔文字先生
|\___/|
| .|
| Θ Θ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| .| < パペットマペット
∈AA∋ ∧∧ \_______
(゚‥゚ ) ( ゚Д゚)
∪∪|___⊃ ⊃
/|__.| |__|\
| | | | \_|
| ノ ノ \_|
\_ノ| |
| |
やっぱRodしゃんですたか・・・おひさ!
Je vien d'ecouter votre nouvelles.
Felicitacions, et j'espere bien votre prosperite!
>>680 > バキューン:刺客に打たれた
こんな絵を想像した
 ̄ ̄ ̄ ̄-----________ \ | / -- ̄
--------------------------------- 。
_______----------- ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ / / | \ .
( ) / ./ | \ .
_ / )/ / | ゥ
ぅ/ / // / | ウ
ノ ,/ /' / | │ .-┐
_____ ,./ // | / ─┼─ ―┴
(_____二二二二) ノ ( (. | / ||〃─┼─
^^^' ヽ, | | /. ││ │
|\___/|
| .|
| Θ Θ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| .| < パペットマペット
∈AA# ∧∧.∩ \_______
(゚‥#) ( ゚Д゚)||
∪∪|___⊃ ⊃
/|__.| |__| u
| | | | \_|
| ノ ノ \_|
\_ノ| |
| |
687 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/10/29(土) 21:57:14
お嬢て何ですかね?普通にどんな意味かわがない。ごくせんのイメージの仲間ゆきえの役とかしかわかないけど
「お嬢」ったら美空ひばりにきまってるにゃ
関係ないけど687しゃんは東北の方にゃ?
ところで意味論とはまったく関係のない話の可能性が高いにゃが、
形態論のright-hand headの原則は完全に意味とは関係ないのかにゃ?
例えば、フランス語だと体系的に原則に従わない
un portefeille(さいふ)=porte(はこぶもの)+feuille(おさつ)とか。
日本語では、和語(Yamato)には違反する接辞、自立形態素はないにゃ。
にゃが、漢語(sino-japanese)には違反するものがいくつかあるにゃ。
意味(*な) → 無・意味な 「無」:形容詞性接頭辞
特に、私見では否定をあらわす接頭辞に偏っているように見受けられるにゃ。
和語では否定は屈折形態論に入り、それ以外では否定の接辞がなさそうにゃ。
これはもともと和語の意味体系に不均衡があり、漢語はちょうどそれを
補うように入り込んだ。すると屈折形態論と区別するためにあえてright-hand headの
原則を犯す、というような「余剰特性」が備わった。
たぶんたわごとにゃ。
品詞が変る接辞の位置は文法的な意味を担う部分(日本語なら語尾)の位置と一致する、
と原則を立てるだけで十分では?
規模(*な)→大・小規模(な)
694 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/11/10(木) 15:40:02
age
>693氏 にゃるほどー 否定には限りませんにゃー
類例:いわゆる形容詞じゃないけど
限度(*の)→最大・最小限度(の)
「限度」はtough述語のように使えば大丈夫そうなんですにゃが・・・
私にはこれが限度だ
否定・範囲・必然性という、何らかの意味(どういうのかわかんないにゃが)で
様相性に関係あるものはいいのかもにゃ
検討(*な・の)→要検討(な・の)
すると>691で言ったような、構造主義的な考え方ではなく、
意味・論理に関わるようなことなのかもにゃ、と書いたところで
「小腰をかがめる」の「こ」のような接頭辞や、「え耐えず」の「え」
(関西のほうの「よう」)のことも頭に浮かんだにゃ。
>>695 > 「小腰をかがめる」の「こ」のような接頭辞や、
接頭辞なんだけど、意味的には「ちょっと腰をかがめる」ということで、
動詞にかかっているのが不思議だ。
>696氏
レスどうもです。確かに不思議ですが、これと右主要部の原則に反する例を
関連付けて考えることはできないでしょうかねー
日本語では、このような副詞が接頭辞として述語の項につくようなものが
奈良時代には他にもあったようですが、その後なくなったそうです。
「な鳴きそ」の「な」もそういうのかな?英語のI saw nodody.みたいのも
にているのかなー
>>697 辞書を見てみると、単なる否定ではなく、禁止の用法みたいですね。
あと基本的には「な〜そ」という形だったけど、後に「そ」をつけない
用法とか、「そ」だけで禁止を表したりとか。
「え」もNPI何ですね。
>698さん
レス遅れてすみません。
「な〜そ」は、おっしゃるような点でフランス語のne...pas, ne...jamais,
ne...personneなどに似ている感じですね。ただしフランス語ではneの方は
省略される(というか口語ではそちらが普通?前にフランス語の先生に
データチェックをお願いしたとき、「ダメ」Ca marche pas.って言ってた)。
のにたいし、pas, jamaisなどは省略できないですね。
neの振る舞いについて、Kayneだったか、作用域を示す、っていう研究が
あったと思います。で、誰しも考えることなのかもしれないですが、
西日本方言の「よう〜否定」についても同じような現象が見られるか、
language consultantにちぇっくしてもらいました。が、フランス語の
ような現象は見られなかったです。
だから、その祖先「え」もきっと少なくとも作用域のマーカーでは
ない。その理由を接辞「こ」と同じように、内項にしかつかないからかなー
と思ってました。
で、「え」がNPIかどうか。これは条件節の「もし」が条件偏向表現と
いえるか、ということと同質の問題だと思います。伝統的な文法では
「前触れの副詞」とか言われていて、特に実質的な意味をになわず、
予告するだけの表現と見られています。NPIの場合、実質的な意味を担うものが
否定要素(あるいはmonotone decreasingな環境)で認可される、というもの
だと思うので、同じようなものと見なせるかどうか。negative concordとしても
同様の問題設定ができると思います。
定義にしばられれば、私個人としてはNPIでもNCでもないかなーと思いました。
自己レスですが
>英語のI saw nodody.みたいのも
は的を射ていなかったかもしれません。どうでしょうね?
700 get in vain
>701 ありがd(TT)
>>699 > だから、その祖先「え」もきっと少なくとも作用域のマーカーでは
> ない。その理由を接辞「こ」と同じように、内項にしかつかないからかなー
「こ」が内項にしかつかないというのはわかるのですが、
「え」も内項に付いてるんでしょうか?そこらへんがよくわかりません。
>英語のI saw nodody.みたいのも
>は的を射ていなかったかもしれません。どうでしょうね?
no[b]odyほかno-は内項にだけ現れるわけではないですよね?
そういうことではない??
>「え」も内項に付いてるんでしょうか?そこらへんがよくわかりません。
古典語のほうは詳しくあたってないのですが、西日本方言で
そうないなこと、よう言わん
ようそないなこと言わん
とか、動詞に直接付く以外に目的語の前に来ることもありませんか?
古典語だと
言はまほしきこともえ言わず
みたいに、だんぜん動詞に前接する場合が多いと思われるのですけど
ちゃんと確認はしてません。
>>704 > 古典語のほうは詳しくあたってないのですが、西日本方言で
> そうないなこと、よう言わん
> ようそないなこと言わん
> とか、動詞に直接付く以外に目的語の前に来ることもありませんか?
僕も関西方言のネイティブではないので、わからないのですが、
確かにそういえそうですね。主語の前に出てくると変ですかね?
そうすると内項についてるんですかねぇ。へぇー
流れに関係ないですが・・・
三浦俊彦『ラッセルのパラドクス-世界を読み換える哲学-』(岩波新書)
という本が出ていました。ラッセルの逆理の話だけではないようで、
面白そうです。さすがに息子の嫁とやっちゃった話は書いてないだろうけど。
こさかな先生、認知スレで書き込まれているMcCawleyが言っていたという
言葉はどういうあたりを指しているんでしょうか?
Lexicon解体派と推進派の違い(生成スレでも見られますが)といったものは
あくまで(言語)哲学の領域の問題であるようにも思うのですが、
実質的な問題なのか疑問です。
前に顔門司さんが、単語は統語派生の残りかすみたいなもの、というような
発言をしたときに、さすがに「りんご」という名詞などを統語から導きだす
のは無理だろ、という反論が出ました。「りんご」が持っている「意味」
とquantificationやtelicityと言った統語により直接関係する「意味」
というのが一方であると思うのですが、こういった「意味」の分類というのは
議論があるんでしょうか?
>707さん
レス、どうもです。
>どういうあたりを指しているんでしょうか?
実は何かに書いてある、っていうのではなくて、ある人が
「McCawley先生、先生はlexicalistですか?」と尋ねたのに
(その時はなんかあほなことを訊くなーっ!と0.5秒くらい思ったのですが)
読んでいた『美味しんぼ』をいったんわきにおいて答えてくれた、
その話の中にあったものです。
その応えは「lexicalistにも色々ある。radical lexicalistもいるし、中庸な
lexicalistもいる。ちょうどベジタリアンに色々あるのと同じようにね」と
いうものでした。そして、「そもそも、今の統語論研究者は、対象にする
意味解釈の領域が偏りすぎている。意味にはまだまだ未開拓の領域がたくさん
ある。」と言ってました。
これはminimalist programがはじまって五年目ぐらいの話だったかと思います。
minimalismにおける反語彙主義を批判しているようにも、また、より反語彙主義を
すすめるべきだ、ともとれる話かなー、と思います。真意は未だに完全に
理解していないので、文献に残されたM先生の考えを掘り起こしていかないと
いけないです。
>「りんご」が持っている「意味」とquantificationやtelicityと言った
統語により直接関係する「意味」
生成意味論関連の歴史を紐解くと、このような違いは、量化や限界性(あるいは広く語彙分解)を統語論で扱うべき、とした
生成意味論(これは標準理論に真っ正直に従った議論)に対して、
解釈意味論では別のアプローチがなされた、という、誤解を恐れずにいえば「歴史的な偶然」で、もしかしたら「りんご」が持っている
意味、というものも同様に扱われたかもしれない(いや、これはちょっと
不正確で、実際、統語範疇という意味に関わるとされるものも、より原始的なNとVから導かれる、ということはやっていた。後の統語範疇の
十字分類とはちょっと違い、どちらかというと形而上学的な話、「個体」と
「述語」)。
GGGスレで仇鱒師がゆってましたが、歴史一般の話と同じように統語論の歴史でも
あとの見方で過去を裁く、ということはやっていけないことだと思います。
しかし敢えてその禁を犯すなら、「意味」のどれを統語論的に扱うべきか、という
ことについて、生成意味論は日常言語学派、分析哲学などの言語学外の方法に依拠しすぎ、
言語学的な妥当性は欠いていると思います。
しかし思い切ったそのような試みが研究領域を広げたことは間違いありません。
現在、そのような領域に関して、経験的基盤によってあるものは取り上げられ、
あるものは捨てられている(performative analysisとか。名詞についてもまったく異なるDM的な扱いなので、生成意味論での扱いは棄却されている、
あるいは凍結されている状態でしょう)。
というわけで、
>こういった「意味」の分類というのは議論があるんでしょうか?
ある、とは言えますが、まだ充分ではないのでしょう。
しかし、今の研究の先に何があるかはわからない、だから今の研究は充分ではない、というのは変ですし、その一方で、やっぱり何があるか
わからないのだから、ポイントがずれている可能性があっても、新しい領域を開拓する必要はあるのではないでしょうか。
>前に顔門司さんが、単語は統語派生の残りかすみたいなもの、というような
発言をしたときに、さすがに「りんご」という名詞などを統語から導きだす
のは無理だろ、という反論が出ました。
勉強不足でDMって全然わからないのですが、「こんな話?」ということで
私もアイスランド語の名詞曲用の話を書かせていただきました。そしたら
顔文字せんせが「そんな話」っておっしゃってたと思います。
実際、屈折の激しい言語で、「どれが名詞、ってか、語基?」って、
伝統的な形態論の手続きで形態素を特定できないことが多いと思います。
ロシア語のように割と形態素がはっきりしていそうな言語でもこういうことが
ありますし、「膠着語」って言われる韓国語でもあります。そう言う言語に
ついて、統語的派生を終えた後で語形を与える、っていうDMの発想は
ぜんぜんわかりやすいと思います。ただ、Chomskyは「例外から考えるでない」って
いっていたかと思うのですが、今はどうなってるんでしょう?
>Chomskyは「例外から考えるでない」って いっていた
65 :仇鱒 :2005/11/26(土) 10:07:05
………あまりそういう特殊なケースをマジに考えてシステム全体を
構造改革するのもちょっとな、、、というのが正直ある。つーか、やはり特殊
なものは特殊なものであり特別に扱うべきであり、それを中心にシステム全体を
構築すべきではないとわしは思っている。どうでもいいハナシだな。スマソ。
707さんではないのですが…
例えば √りんご というのがあったとして、まぁこれにnominalizerがくっ付いて
「りんご」と言う名詞になるというようなことを、生成スレにはかいてあるけど、
√りんご にはverbalizerやadjectivizerやprepositionalizerのようなものは
付かないわけで、そうすると、そういうことを √りんご に書き込まなくては
ならないのかなぁと。それって簡潔なのかなぁと。
いやあちらに書き込んだ方がいいのかもしれないけど、DMしらないし、
ちょっと怖いし。すいません。
>712さん
自身ないけど頑張ってレスしますよー
まず、ちょっと前までの一般的な考え方としては、必要がなければ、何も手を加えることなく
辞書から取り出されている、というものだったと思います。と同時に、ブルームフィールドが
辞書を文法書の例外集、としたのも受入れられている考え方だったと思います。
語というものはすべて予測不可能(ソシューリアン・サイン)、そして派生の端緒として
D構造があったころ、辞書から取り出したものは手を加えられずに、PF部門への出力となる
S構造に送られる、と考えられていました(と思います)
しかし上で述べたGBスタイルでも、Caseについては、"N"という範疇素性から予測可能であるため、
辞書で指定する必要がない、よってしてはならない、ということで、辞書からD構造にならべられる際に
余剰規則によって導入される、という形になっていました。現在でいえばnumerationのときに
導入される、ということですね(と思う)。
ところで、英語のようにCaseによって語形が変わらない言語なら、やはり依然として、
辞書の語形と音声出力(というか音韻派生への入力)が変わらないことが、必要のない手を
加えていない、ということになるわけですが、ここでCaseについて言えることが、実は
範疇素性についても言える、ということは注目に値すると思います。
発想としては「√りんごにnominalizerをつける」というのは逆っぽいと思うのですが、
√X→N(誤解を恐れずにいうと、「林檎」だったら「名詞」なのは当たり前)
という余剰性があります。ならば、√XをD構造にならべたあと、これもCaseと同様に
余剰規則で範疇素性を導入する、というのでも悪くはなかった。しかし、「必要なければ
手を加えない」という原則があったし、英語では「him」などの代名詞が格によって
不規則な語形をとるものとはいえ少数派で、「例外から理論を組み立ててはいけない」という
ことになっていた(のでしょう)。
GBスタイルでも
√X→N
N→Case{nom,acc,...}
という余剰性は自覚されていた(あるいは潜在的な選択肢としてはあった)が、
辞書から取り出した語形(以下省略)、ということで、敢えてこれ以外のところへ進む必要は
認識されていなかった。
ところが。
アイスランド語名詞曲用一般、あるいははげしく屈折する言語で、形態素が特定できないような
ものは多い。ならば、上で挙げた潜在的な選択肢を採用する必要がある。
ここで注意。屈折言語においては、屈折語形全体が「名詞」であること。そうすると、
√X→N
N→Case{nom,acc,...}
という、辞書の外(ここではsinifie´と √Xが結びついている。語形とは結びついていない)、
すなわちnumerationで余剰規則によって導入された素性複合に「後で」語形を与えなければ
ならない。
さらに、ロシア語の属格のあるもののように、ちょうど英語の「's」の前に名詞が移動したような、
統語的派生を経たあとでなければ語形が与えられないようなものも存在する。
これによって、「辞書」機能の分散、あるいは音韻論におけるunderlying formを与える場所として
統語的派生を経た後でも必要な場合が出てくる。これがdistributed morphologyの存在意義だ
(と思います)。
というわけで、
>√りんご にはverbalizerやadjectivizerやprepositionalizerのようなものは
>付かないわけで、そうすると、そういうことを √りんご に書き込まなくては
>ならないのかなぁと。それって簡潔なのかなぁと。
むしろ、「つかないからこそ」余剰規則として立てなければならないわけで、
さらに、くりかえしになりますが、余剰規則によって指定された範疇素性、格、そして派生の
あとではじめて素性複合体となるようなものに音韻論のunderlying representationを
与えなければならないものについては、DM以外の選択肢がないと言えます。
すると、むしろ、屈折言語においては英語のように語形交替がない言語が例外的かもしれず、
そして屈折言語において形態素への分割を施しても必ずそういう風にはできないporte-manteauxが
あったり、suppletiveがあったりするので、「例外はどちらか」ということになります。
√mopに範疇素性Nを指定することと、zero-derivationでverbalizerを添加する場合は区別しなければ
ならないでしょう。形態論的に区別する根拠があるわけですし。このことから、
√mopに(余剰規則では指定されない)動詞性接辞を直接つける、ということはないと考えられます。
ここで、「林檎」という意味は統語計算に関係しないではないか、あるいは「林檎」は論理述語と
考えられるので固有名JohnとかNaomiとかにしましょう。統語計算でJohnとかNaomiとかの
区別はない。
では、「John」だったら「名詞」なのは当然、というのはよりつっこんで考えるとどういうことに
なるか。ここから先はDMと関係あるのか、ないのかわかんない話になります。意味論スレ的な話では
ありますが。
単純に、固有名はラッセルのいうtype-0(しかし『ラッセルのパラドクス』という本を読んだら
後期ラッセルの思想ではそうではないらしい)のentityとします。type differenceは論理計算で
必要になりますが、統語計算ではどうかわかりません。しかし統語範疇は統語計算にもちろん
関係する。「統語範疇は意味に関与する」と言われますが、実際にはどうなのでしょう。
もしかすると、「統語範疇は余剰規則により、タイプに従って決定される」ということだとすると、
統語範疇は実際には統語計算にのみ必要で、その条件となるタイプが意味に関与するということに
より、間接的に意味に関与する、という風に言えるかもしれません。すると
√John → N(あるいはより細かく[+N,-V])
ではなく、
√type-0 → [+N,-V]
となり、こうなるともう「√」というのの意味はなくなりますが、ある語彙のDM上の語根を
示すmnemonicなもの、と考えればいいでしょう。
すると「林檎」のようなものは
type-1 → [+N,-V]
となり、おなじtype-1に属する述語である動詞、形容詞とはどう区別するんだ、ということに
なりますが、これについては現在のタイプ理論は洗練されていますので、ちゃんと区別できます。
ということで、大雑把に
√N
で名詞のタイプを表わすことにすると、
√N → [+N,-V]
になるわけですが、ちょっと前に書いた生成意味論の話につなげると、論理計算に
必要なタイプのみがformer-half of lexicon(FHL)とでもいうところにあり、numerationあるいは
Lexical Arrayへの導入過程で順次、[+N,-V]、[NOM](例えば)という風に素性が指定される。
あるいはCaseは指定されず、displacementの結果、「偶然」[GEN]という素性を得る。
そのようなものに対して、latter-half of lexicon(LHL)とでもいうべきところ、主にDMで話題に
なるところでJohnという名前、林檎という属性が、それと合致する素性マトリックスと出会い、
phonologyへの入力となる/[0syl,0cons,0son,0voice,+cont,cor,...], .../というようなunderlying representationを
得る。LHLはそうすると「かれこれこういうひとがJohnと呼ばれる人/犬etc.」とか、「日をおくと
ぼける果物」とかいう、一般に「意味の記述」と言われる項目とつながっている、と言えるかもしれません。
Generative Semantics meets Distributer Morphology、ただし引田マジックのように
胴体切断された生成意味論かも(そうすると生成意味論の精神から外れますが)
こさかな先生
丁寧な説明ありがとうございます。誤解?していた部分などよくわかりました…
と言いたいところなのですが、不勉強なのでよくわからないところもあります。
ちょっと勉強しなおしてまた質問します。
今の時点でわからないのは …
屈折の激しい言語では確かに形態素が特定できないというのはよくわかりました。
ただ、こさかな先生が挙げた例は屈折の例だと思いますが、アイスランド語のような
激しく苦節じゃない屈折する言語では、派生でも同様に、形態素の特定が困難なのでしょうか?
顔文字先生の議論などでは派生(と一般に呼ばれているようなもの)を
取り上げて議論しているので … もちろん、屈折の例だけでも形態素の特定が
困難だと言うのは充分わかるのですが…
あと、
>むしろ、「つかないからこそ」余剰規則として立てなければならないわけで、
という部分はよくわかったのですが、例えば√MADというようなのがあったとして、
mad/madness というような無標vs有標というような関係はどのような捉えれるのか…
√のようなものを立てない場合には、単純な派生関係として、派生後のほうが、
有標であるといことがいえそうな気がするのですが、DMではこれらの間に
派生の関係を認めないでしょうし…このような問題も「洗練され」た「タイプ理論」で
カタが付くのでしょうか?
レスどうもです。
顔文字せんせの話は理解してないのですが、
>mad/madness
のようなものをMarantzは√MADにnominalizer、adjectivizerのようなものを
設定して導くんですか?上では一応、そういう考えを否定しながら書いたつもりです。
上のマキコでゼロ派生に言及したように、derivational morphologyについては
H&Mは伝統的な、というかlexical phonologyのような感じでやるんだろうなーと
思ってましたけど。もしderivational morphologyがdestributed m.の主な対象なのだとしたら、
私は全く勘違いしていたことになります。
ちょっと勉強してきますね。
すいません。全くの僕の理解不足かもしれません。
>719氏
>顔文字先生の議論などでは派生(と一般に呼ばれているようなもの)を
>取り上げて議論しているので …
うーん、ちょっと考えてみたんですが、派生、と捉えるとしてもゼロ派生ですが、
アクセントの移動もないし、形態論が取り上げるべき、目に見える違いはないので、
伝統的に派生形態論では扱わないのでは?辞書に別個に記載する、あるいはLCSで計算される、
というのに対して、顔文字せんせがいうのは、統語計算を見て、その後でmorphological structureで
語形が与えられる、そしてそれが他動詞、中間態が同形だけれど、辞書の中に列挙しておくとか、
辞書内で操作が行なわれる必要がない、ってことだと思います。
その他のゼロ派生に関しては、N→Vという転換についてHale & Keyserが
統語的に扱える、と言っているけれども、例えばshelfという語を一旦導入して
編入しているし、そこで動詞性接辞とくっつくことでアクセントの移動とか説明できるんだろうし。
過激なのでいくとLieberのDeconstructing Morphologyだと思いますが、
なんとなく批判的な意見しか聞かない気がします。個人的には、combinatric componentとして
統語論と形態論をわけない立場にシンパシーは感じます。DMとうまく組み合わせれば
派生形態論もなくしていくことができるのかなー、とか漠然とは思いますが、
こういうのは現象をいじっていかないとなんとも言えません。
というわけで(?)
>DMではこれらの間に派生の関係を認めないでしょうし…
そんなことはないでしょう。ですから
>このような問題も「洗練され」た「タイプ理論」でカタが付くのでしょうか?
ちょっとここ意味不明でした。努力したけど、ごめん。
あとはGGGスレで聞いてみてください。
こさかな先生
ありがとうございます。顔文字先生がいつも勧めるサイトを見たのですが、
下のように書いてありました。いかんせん、まだ全体像がわからないので
勉強してみます。
http://www.ling.upenn.edu/~rnoyer/dm/ Is there any difference between inflectional and derivational morphology in DM?
This controversial distinction has no explicit status in DM.
However, DM does distinguish between f-morphemes and
l-morphemes (not all f-morphemes would normally be considered
'inflectional' however) as well as between syntactic and
non-syntactic (dissociated) morphemes.
>723さん
レスどうもです。実は私もそこ読み直しはじめました。それとMarantz1997の論文もちょっと読んでます。
View from Building 20はどこに行ったか捜しているところ。Marantzが見直しを呼びかけた
(と顔文字せんせがいってた)Chomsky1970'Remarks on Nominalization'も読もうと思います。
さて、どこまで実現できるやら・・・
勉強が進んだらここで語り合いましょう。意味論スレだけど。
ところで引用してくださったFAQの
>Is there any difference between inflectional and derivational morphology in DM?
に関連して、次の区別は注意しておくべきだと思います。
i) 「屈折」と「派生」に実質的な違いはない
ii) 同一語根を持つ複数の語が、すべて語根を語基として一過程で得られる
i)はもちろんii)を含意しませんし、逆の含意関係もありません。DMになった、ということは
monostratalな音韻論になった、ということでは全くありませんから。
また、語彙音韻論ですでに派生に用いられる形態素と、屈折に用いられる形態素の間に、それ自体としては区別が
なくなりました。そこにFAQで言われるようなことの萌芽が生成音韻論としてはあったのだと
思います。DMではlexiconというレベルがなくなるわけですので、それに従って
lexical ruleとpost-lexical ruleという区別もなくなります(なんかさっき適当に「語彙音韻論」
みたいに、って言ってしまいましたけど・・・)。かつてそのように捉えられていた
現象の区別がなくなるわけではなく、新たに捉え直されるということでしょう。
こっからさきはこれから勉強です。
というわけで今後ともよろしく。
こちらこそお願いします。いい機会なので勉強します。
726 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/19(月) 22:13:32
私は、言語論のことを全く知らないのですがラッセルの哲学に興味あってしょぼしょぼ勉強してる素人です。
最近このスレを見つけて、言語論の方面ではラッセルが真剣に読まれてると知って嬉しくなりました。
いま日本の哲学畑ではあんまりラッセルの人気がなくて勉強しづらいくて困っていたところです(私が知ってる範囲では、直接取り上げてくれるのは三浦、戸田山、岡本の3氏ぐらいでしょうか)。
私は今まで "On Denoting" は全く、存在論からしか見てませんでした。
つまり、量化理論や記述理論というのは、「nobody」や「the present king of France」のような、存在するのかしないのか判断しづらい胡散臭い存在者を追放するために作られた便利な道具、という単純な理解です。
(「哲学版ε-δ論法」と個人的には名づけてます。)
ラッセル本人も、『数学の原理』で浮上した「表示の問題」を解決するために書いたのだから、そういう意図だったと思います。その観点から、ストローソンの批判もあまり本質的なものとは感じませんでした。
でもこのスレと前スレ読んで、言語表現のレベルから検討する場合、記述理論は語用論の視点から見られることが多いのか、と思いました。ずっと存在論の哲学者だったラッセルにとっては意外な発展の仕方かもしれないと、興味深く読ませていただきました。
ところで、一般的に言語論の分野で「固有名」と認められる範囲は、どの程度なのでしょう?
ラッセルの最終的に認める固有名って、感覚与件への指示語だけに絞られますよね。
「シャーロック・ホームズ」とか「2」とか、固有名に見えたのは実は全て記述だ、と。この路線を継ぐクワインはさらに「固有名は全部記述で置き換えられる」と徹底します。
ここまで固有名を制限した(あるいは完全に排除した)「ラッセル的」な形式的意味論というのは、可能なものでしょうか。
727 :
726:2005/12/19(月) 22:15:04
>>726 いろいろ書いてあって、どこからはじめようか迷うけど、
> ところで、一般的に言語論の分野で「固有名」と認められる範囲は、どの程度なのでしょう?
> ラッセルの最終的に認める固有名って、感覚与件への指示語だけに絞られますよね。
> 「シャーロック・ホームズ」とか「2」とか、固有名に見えたのは実は全て記述だ、と。この路線を継ぐクワインはさらに「固有名は全部記述で置き換えられる」と徹底します。
> ここまで固有名を制限した(あるいは完全に排除した)「ラッセル的」な形式的意味論というのは、可能なものでしょうか。
まず用語の整理。「固有名」はあくまで表現/記号列であり、ラッセルにとっても、
例えば「太郎」や「東京」や「通天閣」は「固有名」であるというだろう。
ラッセルの独自性は「固有名」は「偽装された記述」であるとみなした点。
その意味で「固有名」は、ミルが考えたような「直接指示」するものではないと考え、
「直接指示」するものは「this」や「that」のような「直示語」に限られるとした。
このように用語を整理した上で上の質問に答えていこうと思うが、ご存じの通り、
Kripkeの議論以降、「固有名」を「記述」と捉える立場はあまり賛同を得られていない。
それでは「固有名」はどのような意味を持つかに関しては、現在の言語哲学ではKripkeとEvansの
影響の下、因果説をとる人が多いかもしれないが、言語学の中で意味論をやっている人のほとんどは、
特に「固有名」が問題にならない場合は、Kaplanの立場を取って、「固有名」は「直接指示」すると考えるだろう。
あるいはKripkeの言葉を使って「固有名」は「厳密指示子」というかもしれない。
> ここまで固有名を制限した(あるいは完全に排除した)「ラッセル的」な形式的意味論というのは、可能なものでしょうか。
言語学の方では、推論がちゃんとできるかとかいうような問題よりも、語と語を組み合わせて文全体の意味を
ちゃんと導くことができるかというような、統語論的な問題の方が重要だったりします。
そういう観点から見た場合、例えばモンタギュー意味論なんかには、ラムダ演算子というありがたい装置があるので
名詞句を個体指示と考えようが、記述と考えようが、意味演算上は特に問題ない気がします。
例えば「ペガサス」という固有名は、個体pを指示するものと見立てて”λPP(p)”と定義することもできるし
記述と見立てて”λP∃!x[ pegasus'(x) ∧ P(x) ]”と定義することもできます。
どちらで定義しても、述語horse'とくっつけて文”horse'(p)”とか文”∃!x[ pegasus'(x) ∧ horse'(x)]”とか導くことができる
ので、意味演算のシステム上は、特に問題ないはずです。
なお、意味論的には、むしろ固有名以外の一般名なんかについても、述語ではなく項のように扱おうという考え方も
あります。例えばCarlsonなんかが、dogsみたいなbare pluralを種(kind)という抽象的個体として
[ Dogs are intelligent ] = intelligent'(d) なんてことをします。(勿論、ちゃんと理由があってのことです。)
でもそれを∃!x[ dogs'(x) ∧ intelligent'(x) ] (ただしxは種レベルの存在物)と書き換えたとしても、
言ってることは同じだし、システム的には問題ないでしょう。
なんで、固有名について哲学者がどういう結論を出そうが、言語学者的にはあんまり困らない気がします。
横レス失礼します!
>726氏 こんにちは。
三浦せんせの『ラッセルのパラドクス』を読んで目から鱗が落ちた者です。
詳しい議論は
>>728氏におまかせすることにして・・・
私は逆に、ラッセルを存在論の研究者として見たことがなかったんですよ。で、三浦せんせの本を読んで
そうじゃなかったんだ、って気付きました。
以前、野家せんせの本を読んだ時に、たしか前書きだったと思うのですが、「分析哲学者のようにパズルに
興じるような気にもなれず」みたいなことが書いてあって、昔の私の論理学のイメージというのは割とそんな
感じだったんですよ。ある意味、論理学をちゃんと存在論の道具として見ている訳なんですけど。
ある程度のところまでは論理学が自動的に片付けてくれる、あとはその後の問題に私たちは取り組めば
いいんだ、と。ちょっと数学を馬鹿にしてますよね(反省
しかしラッセルの理論は、言語の装いをとりさり、言語の複雑さに気付かせた。私としてはそんな感じに
見てしまって、ずっと来てました。で、そのような装いをとりさって
>ラッセルの最終的に認める固有名って、感覚与件への指示語だけ
というのは何か、というと「独り言での直示」というくらいの認識しかありませんでした。
しかしオントロジストとしてラッセルを見た場合、センスデータの存在論的な地位が問題に
なるわけですし、そんな単純な問題じゃないですよね。「xが存在する」という述語についても
あくまで存在論の文脈で考えないといけないんですよね。
Tractatusの序も、三浦せんせが書いてた一般的解釈っていうかなんていうかWの議論の誤解、って読んでて、
本文を無視したラッセルの論、と読んだことはなかったので、もう一度読み直そう、と思ってます
まだ実行してないけど。
映画『ウィトゲンシュタイン』の中でラッセルがWに対して叫んだ
'You are trivializing the philosophy!'ということばも、ラッセル寄りに聴くと違うですね。
というわけでおみやげだけいただいていきます。続きをドーゾ。
∩∩
=(;・-・)= 久々に長いレスがついてどきどきなの。
c( uu)
うさたん・・・
>>729 >どちらで定義しても、述語horse'とくっつけて文”horse'(p)”とか文”∃!x[ pegasus'(x) ∧ horse'(x)]”とか導くことができる
ので、意味演算のシステム上は、特に問題ないはずです。
うーん、そうかな・・・これってつまり、あるnameのタイプはなんでもいい。
タイプ理論は意味論における「統語論」で使われる、有限回で構成手続きが終了することを
保証する道具としてのみ使う、ってことでしょ?
それはけして、言語学者で意味論をやる者に広く受入れられているものではないと思う。
>例えばCarlsonなんかが
ちょっと適当に書きます・・・
これってstage levelとindividual levelの区別との関係かもしれないけど、
これも元を辿ると、クワインが批判した「アリストテレス的本性主義」っていうのに
関係があるんでないでしょうか、存在論的には。
もちろん、それに関係する言語現象があるから有効な概念として生き続けているわけだけど、
その際にopaque contextとかの話につながっていくと
>>726さんの話と繋がる股間
まず断っておかなくてはならないのは、
>>726さんが言語論は素人というように
私も言語哲学は、On Denotingは読んだけどQuineとかKripkeとかよくわかんね、ってレベルの素人だということ
だから、
>>729で書いたことは、決して言語学者が一般に考えていることとは言えないし、
また、一般には、言語学者の間でも(哲学とかの素養がない人も含めて)、名詞句には指示的なものと
非指示的(叙述的)なものとがある、というのは広く知られた考え方だと思います。
そういうことなので、以下の話は無知な素人の私見ということを了解しておいてほしいのですが
「ペガサスは馬だ」っていう文を
horse'(p) って書くのも
∃!x[ x=p ∧ horse'(x) ] って書くのも
あるいはpegasus'(x) := x=pみたいな述語を想定して ∃!x[ pegasus'(x) ∧ horse'(x) ]って書くのも
書き方が違うだけで、言ってることほとんどおんなじな気がしません? 任意に置換可能というか。
だから、多くの言語学者が一般にやってるように、固有名と確定記述とかの意味の違いを
項か述語かの違いで区別するのって、何か違う気がするんですよ。
そういう意味で、Quineみたいにみんな記述にしちゃうとか、Carlsonみたいにみんな項にしちゃうとか
いうのは、個人的には賛成です。「ペガサス」をpとするかpegasus'とするかの間には、
哲学的にはムズカシイ違いがあるのかも知れないけど、それって文法学者が立ち入らなくちゃ
いけない問題なのかな、って思うわけです。文の意味を組み立てる上では、どっちでも困らないし
文法学者的には、その辺の難しい問題は分離して、どっちでもコンパチブルに対応できるような
仕組みを用意しておけば十分なんじゃないかと。
意味論的には、面白くもなんとも無い見解かも知れませんけど。
>>735氏
>私も言語哲学は、On Denotingは読んだけどQuineとかKripkeとかよくわかんね、
>ってレベルの素人だということ
っておっしゃいますけど、だいぶお詳しいような・・・
>>726氏の質問に対する私なりの考えを述べさせていただくと
>ところで、一般的に言語論の分野で「固有名」と認められる範囲は、どの程度なのでしょう?
まず、「言語学」の分野は少しわかりますが、「言語論」はわかりません。あしからず。
すべてを個体にする、という立場をとる言語学者は現在はいないと思います。
極端に言うと、論理接続子にあたる「そして」とか「なら」などは個体である、
とまじめにいう言語学者はいないと思います。ここまでだったかはわかりませんが、
かつてラッセルがとっていた立場、マイノングのような立場をとる言語学者もいないと
思います。「白い」は個体である、というような。ですから、「個体でも述語でもどちらでも
いい」という言語学者は735氏以外にはいないんじゃないかと思います。
言語学者の興味はあくまで「言語」にあるので、「言語は偽装にまみれていて、本当の言語は
そうではないはずだ」という言語学者はいないと思います。むしろ、「観察される「言語」の姿は
どのようなものか」というもので、経験的基盤が不在である限り、余計な仮説をもぐりこませない
ようにしていると思います。
「固有名」については、ラッセルみたいにしてしまうとそもそも言語学なんてやってもしょうがないので
普通に考えられているように、「固有名は個体に対応する」という素朴な考え方に立っていると
思います。
ここで、意味をdenotationとする場合には、ラムダ演算子をつかって上で挙げたすべての表現に
denotationが与えられます。このことと区別するためにちゃんとしてるかわかりませんが、
「個体」と言っときます。
その一方で、言語学者の中には論理学からの接近法をとり、 Russellの固有名の立場はとらない、
と積極的に述べる人達もいます。Larson and Seagal1995がそうらしいのですが(もってません)、
基本的にKripkeのRussell批判に依拠していると思います。
結果として、726氏へのお答えは
>>728氏とだいたい同じ感じですが、
>>735氏のようには
考えていないと思います。
引き続き
>>726氏へ
>>735氏
>文の意味を組み立てる上では、どっちでも困らないし 文法学者的には、その辺の難しい問題は
>分離して、どっちでもコンパチブルに対応できるような 仕組みを用意しておけば
>十分なんじゃないかと。
に絡めて、若干蛇足をつけます。
ある意味の現象をとらえるためには、それを完全に記述し、実際必要な記述力よりも強い装置を
必要とします。そこで言語学者は論理学者がこしらえた装置を採用する場合が多いですが、
そこで単に採用するだけではなく、「言語に必要な意味を考える上で、装置が必要以上に
豊かであってはならない」と考えます。
しかしそれだけではなく、言語の記述に既存の論理学の装置が必要なだけ豊かではない、という
場合、あらたに論理学を作り出す場合もあります(McCawley, Kurodaその他)。
特に形式意味論では、「言語学者」と「論理学者/数学者」の区別がそれほど重要ではないと
思いますので、このようなことがどんどん行なわれていると思います。
この流れの中で、一般化量化子理論ではモンタギューの「暇つぶし」に端をはっし、
ラッセルとは逆に、名詞句一般に対応する構造がある、と考えると思います。
二つの考え方に対応し、二つの実現方法があると思います。一つは無限の集合族のintersectionと
して単一の成員になる、というもの。これは固有名にあらゆる属性を原則として付与できる、
という考え方に対応します。もう一つはその逆で、固有名にはいかなる属性も付与しない、という
もので、この考えではsingleton setとされます。
>>726氏
>でもこのスレと前スレ読んで、言語表現のレベルから検討する場合、記述理論は語用論の視点から見られることが多いのか、と思いました
これはむしろ、ラッセルと日常言語学派の関係によるもので、言語学ではじめてそうなった、
というものではないと思いますので、ご存知のところがあればよろしくお願いします。
Strawsonの議論を本質的でない、と感じられたあたりなど・・・
関係ないですが、戸田山さんってすごい方ですね。『論理学をつくる』って入門書から
コネクショニズムに関する研究、『チップス先生のなんたらかんたら』という大学教員用の
よい講義の仕方の本、そして存在論・・・
ある特定の問題について、現在何を常識とすればいいか、というのを知るのに、
割と新しい概説書を見る、という手もあるかと思います。
(院生が何を知っていれば一応議論についていけるか、という観点)
当たり外れが多い方法ですが、
Jaszezolt, K.M.(2002) Longman
_Semantics and Pragmatics: Meaning in Language and Discourse_
は割といいかにゃー、って思いました。目下関連する箇所は第7章です。
いいかにゃー、って思ったけど、これに基づいて意味論・語用論・認知意味論の
授業やって、生徒さんからの評価最悪でした・・・あ、でもでも、この本が
悪いわけじゃないですから。
741 :
726:2005/12/20(火) 20:53:59
沢山のレスありがとうございます。パンクしそうです。
皆さんとの差を埋めるには、まず私が言語学の教科書を読む必要があるようです。
どうか、少しづつお付き合いください。
742 :
726:2005/12/20(火) 20:56:01
>>730 (こさかなさん)
>オントロジストとしてラッセルを見た場合、センスデータの存在論的な地位が問題に
なる
そうですね。行動面から見たら「独り言の直示」に違いないんですけど、その裏側には、おっしゃるように、直示される側の領域に対するラッセルの執着があります。
彼の哲学の階層を分類すると
1.存在論
2.認識論
3.意味論
という枠組です。だから意味論について考えてるときも、言語表現のレベルだけを考えるという態度はなくて、「認識論経由で最終的に存在論へどう帰着させようか」と思案します。
そういう存在論と認識論への(古めかしい?)執着が、野矢氏に言わせると「ラッセルは言語論的転回をよく把握していなかった」(「『論考』を読む」p.66)という評価を受ける所以でしょう。
743 :
726:2005/12/20(火) 20:57:59
>>737 (こさかなさん)
>かつてラッセルがとっていたマイノングのような立場をとる言語学者もいないと
>思います。「白い」は個体である、というような。
こさかなさんが「個体」ということでどういう対象を考えているかちょっと分からなかったのですが、マイノング主義の頃のラッセルも「白い」は「述語(概念)」だと考えてましたよ。
固有名が指すのが「物」(多分こさかなさんの言う「個体」はこれでは?)、全部ひっくるめて「項」または「存在者」という使い方です。
744 :
726:2005/12/20(火) 20:59:34
>>739(こさかなさん)
>記述理論は語用論の視点から見るのは、ラッセルと日常言語学派の関係によるもので、
>言語学ではじめてそうなったものではない
確かにそうですし、日常言語学派が語用論の視点を持ち込むことで、虚構的対象への指示を回避し、旧来の「主語-述語」構造を復活させようとした、ということはその通りだと思います。
でも、ライルやサールの理論を見たとき、結局それで事足れりとはならず、ラッセル同様彼らも存在論へ足突っ込まざるをえなくなっているな、と思ったのです。
>Strawsonの議論を本質的でない、と感じられたあたり
ラッセルは、記述理論が自然言語全般に適用可能な道具とは考えていなかったから、というのがその理由です。あくまで論理主義の実行に役立てばいい.
つまり、数学命題に出てくる存在者をなるべく少数の安全な存在者へ還元できれば目的は達せられる、というのが彼のスタンスだったと思うのです。
ストローソンの批判を聞いたラッセルは、語用論とか文脈とかの視点で批判されるのは曲解だと怒り心頭だったそうですが、上のように考えるとその怒りも納得できるものではないでしょうか。
745 :
726:2005/12/20(火) 21:00:49
>>728 >>729 さん
論点整理せずに書き散らしてすいません。慌ててしまって。
>「直接指示」するものは「this」や「that」のような「直示語」に限られるとした。
細かい話ですけど、論理的固有名はラッセル独自色が強いので、完全にこれを直示語と同じと見なすのは、私には抵抗があります。
例えば、直示語は必ずしも感覚与件を指すとは限らないですが、論理的固有名は感覚与件しか指しません。
論理的固有名からラッセル特有のイデオロギーを抜いてやると、一般的に使いやすい「直示語」の概念になるのではないでしょうか。
>意味論的には、むしろ固有名以外の一般名なんかについても、述語ではなく項のように扱おうと
ちょっと基本的なことからお聞きしていいですか。「項」「存在物」という表現が出てきますが、両者は言語学では同義なのでしょうか? あるいは「項」というのは「関数の入力項」の略なだけで、存在物という用語とは違う使われ方をしているのでしょうか。
私は、「存在物」と聞くと、ラッセルの「個体」のような印象を受けます。つまり、タイプ0に属する一番基本的な存在者、という存在論的な含意があるような。
ふー、連投すいませんでした。私からはとりあえずこんなところで。
746 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/12/20(火) 21:08:29
シニアってどうゆう意味ですか?
747 :
735:2005/12/20(火) 22:58:08
こさかなさんのお話は、私にはレベルが高すぎるので、このまま黙ってROMって勉強させて
もらおうと思っていたのですが、ちょっとだけ
>>737 私が個体でも述語でもどっちでもいいといったのは、名詞句の話だけです。
私も、「そして」とか「白い」とかまで個体と考えてはいません。
>>738 > 二つの考え方に対応し、二つの実現方法があると思います。一つは無限の集合族のintersectionと
> して単一の成員になる、というもの。これは固有名にあらゆる属性を原則として付与できる、
> という考え方に対応します。もう一つはその逆で、固有名にはいかなる属性も付与しない、という
> もので、この考えではsingleton setとされます。
二つの考え方、というのは、ここではモンタギューの考え方とラッセルの考え方、ということですよね。
クワインの考え方はまた違う、ということになるんでしょうか。
いや、ラッセルの固有名はタイプ0の存在物で、クワインがsingleton setってことになるのかな。
748 :
735:2005/12/20(火) 23:00:08
>>745 まず、ひょっとして誤解があるといけないので念のため書きますが、
>>728≠
>>729=
>>735です。
で、「項」という語についてですが、直接的には、単に「関数の入力項」の意味で使ったものと考えてください。
言語学で、「項」と「存在物」が同じかどうかについては、また「そう考えているのは
>>735さんだけ」と言われて
しまいそうですが、そんなにちゃんと区別しないで使っている人も多いのではないでしょうか。
私も、あんまりちゃんと区別していません(というか、区別について真剣に考えたことがありません)。
そもそも、存在論とかに興味のある人でなければ、「存在物」という語はあんまり使わないような気がします。
さっきの、Carlsonなんかはどうなるんでしょうか。種(kind)を「抽象的個体」とか言ってた気がしますから
これは「存在物」と考えている、ということでいいのかな?
735さんへ
>まず、ひょっとして誤解があるといけないので念のため書きますが、
>>728≠
>>729=
>>735です。
私は勘違いしてました。すみませんm(_ _)m
>>747 >私が個体でも述語でもどっちでもいいといったのは、名詞句の話だけです。
>私も、「そして」とか「白い」とかまで個体と考えてはいません。
実は,
>>729が若干煽りが入っているものと勘違いして、少し煽りを入れました。
再度すみませんm(_ _)m
ただし、実はJohn Stuart Millはそのように考え、RussellもOn Denotingの前までは
その立場をとっていたようですね。これについてはまた後で触れます。
>こさかなさんのお話は、私にはレベルが高すぎるので、このまま黙ってROMって勉強させて
>もらおうと思っていたのですが、
そんなことおっしゃらずに、議論しましょー(^-^)
726さんへ
いろいろ私の用語法とか変なところがあると思います。哲学者の立場からご教示いただけると助かりますm(_ _)m
>>かつてラッセルがとっていたマイノングのような立場をとる言語学者もいないと
>>思います。「白い」は個体である、というような。
> こさかなさんが「個体」ということでどういう対象を考えているか
>ちょっと分からなかったのですが、マイノング主義の頃のラッセルも
>「白い」は「述語(概念)」だと考えてましたよ。
「個体individual」は誤った用語だったようですね。以後、「物thing」で行きます。
ちょっと予備的な話。ラテン語文典では現在nounと言っているものをnomenと言っていますね。
ここにnameとnounの語源論的つながりがあるわけですが、さらにラテン語文典では現在のadjectiveも
nomen adiectivusとしてnomenの下位分類にしているわけです。John Stuart Millがnameと
言った場合、このラテン文典式で行ってるんですよね。
RussellがMeinong主義をとっているとき、同時にMillのnameの考え方もとっているんですよね
(三浦せんせの本で、MillがRussellのGodfatherだと知りました。へー)
ヘーゲルの一元論を捨て、多元論として様々な存在者を立てた時、MillのOf Namesで述べられている
ようなnameの捉え方をしていた。
Millのnameにはconnotarive name(CN)とnon-connotative n,(NCN)があり、
CNには'dog'のような名詞だけでなく、'white'のような形容詞も含んでいた。一方、NCNは
さらにabstract name(AN)とconcrete nameに下位分類され、後者がいわゆるproper name。
ANとして、'whiteness'のようなものを挙げ、connotationを持たないが、'whiteness'という物を
指示する、としていたわけです。このような過剰な存在物を立てるわけですが、On Denotingまでの
Russellはこのような多元論に立っていた
・・・と、Martini, A.P. _The Philosophy of Language_にありました。もしかしてこれは誤りなのでしょうか?
または、MeinongとMillの存在論に違いがあって、ということなのか、もしよろしかったら
ご教示おねがいしますm(_ _)m
751 :
横槍:2005/12/21(水) 12:03:47
>ちょっと予備的な話。ラテン語文典では現在nounと言っているものをnomenと言っていますね。
ここにnameとnounの語源論的つながりがあるわけですが、さらにラテン語文典では現在のadjectiveも
nomen adiectivusとしてnomenの下位分類にしているわけです。
これは形容詞の示す性質が名詞と同じ実体の一種だと考えるという意味じゃなくて
語形の変化が同じだからだと思うが。
>>726さんの
>「哲学版ε-δ論法」と個人的には名づけてます
ちょっとシュキ。でも「極小」という直観的概念に証明を与えたε-δ論法に
批判的、ってわけではないですよね。同等の役割であり、それ以下でもないが、それ以上でもない、
という含みでしょうか。
>つまり、数学命題に出てくる存在者をなるべく少数の安全な存在者へ還元できれば目的は達せられる、というのが彼のスタンスだったと思うのです。
ありがとうございました!なるほど・・・
>ストローソンの批判を聞いたラッセルは、語用論とか文脈とかの視点で批判されるのは曲解だと怒り心頭だったそうですが、上のように考えるとその怒りも納得できるものではないでしょうか
というわけで、言語学の文脈で、nameが語用論的に論じられる場合が多いのはなぜか?
と来る訳ですね、726さんとしては。
753 :
726:2005/12/21(水) 20:44:35
>> 748 (735さん)
>言語学で、「項」と「存在物」が同じかどうかについては、そんなにちゃんと区別しないで使っている人も多いのではないでしょうか。
なるほど。では私としてはとりあえず、カールソンは犬を存在者と捉えている、と理解しておきます。
すると一つ疑問が生じます。
1.intelligent'(犬)
2.intelligent'(ポチ)
この二つを、カールソンは正当な命題と認めるでしょうか?
こんなことを聞くのは、素朴に考えれば、「犬」という普通名詞の表す概念は、1階の述語とか集合として捉えられるものだからです。
ラッセルなら「0階に属するポチと1階に属する犬を一緒くたに入力できる関数などあるか」と言うんじゃないでしょうか。
私が推測するに、カールソンとしては、
・2.番を命題とは認めない
・どちらも命題と認めるが、ポチと犬の間にオーダーの区別を認めない
のどちらかを選択せねばならないのではないでしょうか。
754 :
726:2005/12/21(水) 20:58:17
>>752 (こさかなさん)
>でも「極小」という直観的概念に証明を与えたε-δ論法
証明、じゃないと思うんですよね。ただの「式変形」であって。
それは記述理論も同じです。うまく書き換えられたからといって、そのこと自体は「その式変形が正しい」ことまでは含意しないと思います。
それがどれだけ便利な道具であっても。
仮にその式変形が「正しい変形」だったとしたら、今頃になってマイノング主義が復活したり、無限小の概念を復活させた超準解析が現れたりはしないと思いません?
少なくとも記述理論を「反証」する必要がありますよね。
>批判的、ってわけではないですよね。同等の役割であり、それ以下でもないが、それ以上でもない
はい。これは全くそうです。方法がよく似てるなーという感想なだけです。
ラッセルも初め数学から始まった人ですし、ワイエルシュトラスを高く評価してましたから、
もしかしたら結構ε-δ論法を意識していたのではないか、と夢想してます。
>というわけで、言語学の文脈で、nameが語用論的に論じられる場合が多いのはなぜか?
そんなわけですよ。哲学者が記述とか固有名を論じると、程度に差はあれ存在論へのコミットを余儀なくされると思っていたので、意外に映ったのです。
(論理実証主義は存在論を軽視したそうですけど、私は直接知らない時代の話ですし)
でも今までのお話聞いて、けっこう「利用できるものは何でも使っちゃえ」みたいなプラグマティックな態度があるのかな、と思いました。
726さん
>>744に関連して
Russellの'Mr Strawson On Refering'を読んでみました。「怒り心頭」って
おっしゃってたのが感じられました(^-^)
というか、そのreplyを読むと、Strawsonは滅茶苦茶な論文を書いてんだな、って
印象を受けました。まず論点の「捏造」。descriptionとegocentricityを
混同させて、後者に焦点をあてて仮想ラッセルとしている。そしてこの後者に関して
あたかもStrawsonが新しい主張を行っているかのように言っている。この二つについて
後者はdescriptionを扱っているときにはまぜこぜにしていない、しかも
Strawsonが新しく述べたようなことを言っているegocentricityに関することは
自分がStrawsonに先行してやっている、と一網打尽。
金玉ちぢみあがりそうですね(726さんが女性だったら適宜必要な変更を加えてください)
>>754 >証明、じゃないと思うんですよね。ただの「式変形」であって。
そうなんですか・・・すると「系」という地位が与えられる、ということですね。
でも、洞察に富んだ変形ですね。
735さん
>>747 >二つの考え方、というのは、ここではモンタギューの考え方とラッセルの考え方、ということですよね。
いえ、特に限定してはいなくて、固有名詞にいかなる属性も帰属させない、というのは
割と一般的だと思います。Jespersenとか。今日Millの論理学の本の一節
'Of Names'を読んで、Millもそういう考えだということを知りました。
ただ、NPはすべて集合に対応する、とすると、固有名詞を元とすることはできないので
singleton setとしました。そう考えるとモンタギュー的とも言えるかもしれません。
入門書とかではそのまま元として_love_<j,m>とかしていますが、こうしてしまうと
タイプの問題、そして統語論と意味論の準同型写像の関係が保てないという問題が
起こる。単純な解決策として、他の名詞句が集合の集合の・・・とかになったら
それにあわせて固有名詞も集合の集合の・・・とすると思います。
でも選択公理とラッセルのパラドクスとがすぐに関わってくると思うのでどうなんでしょう?
756は753と関係する話ですね
758 :
726:2005/12/21(水) 23:15:13
>>750 (こさかなさん)
私はミルの意味論を知らないので自信ないのですが、その本の説明はラッセルに関してはちょいと違うと思います。
'white'がCN
'whiteness'がNCN
という分類をしているようですが、ラッセルの場合どっちも意味論の単位としては同じです。
要はどっちも同じ概念を指示するのです。ラッセルの挙げる例は、白さじゃなくて人間性という概念ですが、
≪私は human を述語と呼び、man を暮らす概念と呼ぶ。だがこの違いはきっと言葉上だけのものである≫(『数学の原理』58節)
また飯田さんも
≪『数学の原理』の意味論の基本的な枠組みは、固有名が物を指示し、それ以外の表現が概念を指示するという極めて単純なものだった≫(『大全I巻』p.161)
と言ってますし。
759 :
726:2005/12/21(水) 23:15:48
>>755 (こさかなさん)
>Russellの'Mr Strawson On Refering'
そうそうそれです。下ネタが3度の飯より好きな男ですからご心配なく。ふぉー。
>すると「系」という地位が与えられる、ということですね。
そう思います。ひとつの説明体系、理論、そういうものが出来た、ということだと思います。
その理論へ乗り換えるべきか、乗り換えるならどういう基準でそうするのか、というのは、その理論の外側の問題になります。
生産性がありそうだからか
シンプルで美しいからか
ラッセルが偉い人だからか
教授が記述理論は正しいと言ってたからか
同じ説明力のある理論が複数あった場合、多分いろんな要因でそのうちの一つが選択されるのでしょう。
こういう問題は、科学哲学の関心のようです。こさかなさんも好きな戸田山さんの『科学哲学の冒険』には、色々事例が載ってますね。
726さん
>>758 >'white'がCN
>'whiteness'がNCN
>という分類をしているようですが、ラッセルの場合どっちも意味論の単位としては同じです。
>要はどっちも同じ概念を指示するのです。
なるほど。ありがとうございました。
Millの意味論は、用語としてはnameに対応するthingを過剰にする、という感じですが、
これは'name'という用語の問題にすこし絡む、というところをお話しました。
それに注意して読み替えると、現在の形式意味論の簡単なものと同じものになるように思いました。
一方、Russellの意味論に忠実にしたがった形式意味論を考える、というのは、固有名の問題に
限らなくとも、面白いかもしれません。むずかしい場合を除くとtypeがe(ntity)の構成素がまずなくなってしまうと
思うのですが、このような考えを採用して、かつ命題のtypeをt(ruth)にする範疇文法的な
タイプ理論が作れるか。ちょっと面白いのではないかと思います。
>>759 >下ネタが3度の飯より好きな男ですからご心配なく。ふぉー。
なんか親近感感じちゃいます。セイセイセイ!
「系」についは'corollary'の方を意図してました。すみません。でも、どの理論をとるか、
という問題は興味深いですね。と同時に、自分が進めている研究に懐疑的になっちゃって
消耗しちゃうこともあるので、諸刃の剣とも言えるかもしれません・・・
ちょっと思いつきですが、proper nameを「偽装された確定記述」と考え、
確定記述についてのgeneralized quantifierとしての妥当な扱いから、
proper nameを「偽装された確定記述」と考えていいか、ということを
考えてみたいと思います。
generalized quantifierでdefinite descriptionを考えると、
'[the x: Fx](Gx)' is true iff |F-G|=0 and |F|=1
となる(Keenan1996)そうなので、proper nameについても「偽装された確定記述」と
考えられる場合には、同じように考えることができるはずですが、
これって本当にいいのでしょうか?
735さんのレスをお待ちしながら・・・
>>753 > 1.intelligent'(犬)
> 2.intelligent'(ポチ)
横レスですが、
> 私が推測するに、カールソンとしては、
> ・2.番を命題とは認めない
> ・どちらも命題と認めるが、ポチと犬の間にオーダーの区別を認めない
> のどちらかを選択せねばならないのではないでしょうか。
もう一つ可能性があると思います。単純に述語論理でもう少し詳しく書き直すと
1'.Ex;intelligent'(dog'(x))
2'.intelligent'(p)
となり、1.はpropositional attitudeを表す述語intelligent'として、
区別して
1'.Ex;INT(dog'(x))
2'.intelligent'(p)
とします。英語の'intelligent'は同音異議とすることになりますが、
'intelligently'に話者の事態に対する評価(賢明なことに)があるので、
1'はこれにあたる解釈、とすればいい、というものです。問題は、
A dog is intelligent.
にそのような解釈があるか、ということですが、日本語でひらたくいうと
「あるxについて、賢明なことにxは犬である」という解釈が成立つか。
そして、2'.のような時の解釈と自動的に分けられる。
これはややdeductio ad absurdum的ですが、命題態度的解釈は
無理をすればあるかもしれませんが、普通の解釈ではないでしょう。
では普通の解釈のときはどうするか、ですね。
ただし、「ポチ」という名詞は「偽装された確定記述」と考えると
2'のようなものは正しくは「日本で犬の名前として一般的と信じられている」の
ような述語かもしれません。
> ・2.番を命題とは認めない
はありそうにないし、もしこの場合には2番に相当する論理表現をどう与えるか
という問題が残ります。
> ・どちらも命題と認めるが、ポチと犬の間にオーダーの区別を認めない
これは「ポチ」を「偽装された確定記述」とする場合、オーダーの区別を
立てる必要はないですね。カールソンの意図とは違うだろうと思いますけど。
すると、intelligent'のような述語はオーダーを違える必要がなくなるでしょう。
通常の一階述語論理で
1".Ex;dog'(x) & intelligent'(x)
2".EfAx;f(x) → intelligent'(x)
のように。
764 :
735:2005/12/26(月) 01:20:23
いろいろ、とんでもない間違いをしでかすかも知れんですが、ご容赦ください。
そもそもCarlsonが'dogs'をdog'ではなくdとしたのは、'dogs'を単なる個体の集合と考えたく
なかったからだと思います。彼の例文(Carlson 1977)をひきますと
Horses are mammals. とか
Doctors tried to save the dying boy. とかは
「全ての馬は〜」とか「ある何人かの医者が〜」とか、限量詞によって扱うことができるけど、
Horses are widespread. とか - extinct. とかいう文は、
「全ての馬が(それぞれ)世界中にいる」とか「ある何匹かの馬が世界中にいる」とかできないけど
どうやって論理記述を与えようか、というわけです。
他にもCarlsonはOpacityがどうとかScopeがどうとか、いろんな話をしてるようですが
はしょって結論だけ言うと、次のような仕組みを考えています。
765 :
735:2005/12/26(月) 01:20:54
[John] := λPP{j}
[dogs] := λPP{d}
[be intelligent] := I
[be sick] := λx∃y[ R(y, x) & sick'(y) ]
[John is intelligent] = I(j)
[John is sick] = ∃y[ R(y, j) & sick'(y) ]
[Dogs are intelligent] = I(d)
[Dogs are sick] = ∃y[ R(y, d) & sick'(y) ]
ここで、R(y, x)というのは、yがxの時間断片(stage)であるということを意味します。
John is intelligent. とは、個体Johnが「賢い」ということを述べており、
John is sick. とは、個体Johnのある時点における断片が「病気だ」ということを述べているわけです。
このとき、be intelligentは、個体そのものの属性を表わすindividual level predicateであり、
be sickは、ある個体の時間断片の属性を表わすstage level predicateである、と言います。
individualとstageというのは、野矢さんの説明がわかりやすいように思います。(『同一性・変化・時間』p.25)
「Nは三年前大学に入学し、いま哲学科にいる」という文で、「N」は三年前のNを表しているわけでも、
現在のNを表しているわけでもなくて、ある四次元連続体を表している、という説明です。
その時間断片(time slice, time stage)が、大学に入学したり、哲学科にいたりするわけです。
Carlsonの種(kind)っていうのは、この個体概念をもっと拡張したようなものかと思います。
'dogs'という種は「(複数の)犬」という抽象的な対象(イデアみたいなもの?)を表していて、
Dogs are intelligent. というのは、そのような対象そのものが「賢い」ということを言っており
Dogs are sick. というのは、そのような対象のある場面における現れが「病気だ」と言っている、というわけです。
この種という概念をどう捉えるべきか、実は私もよくわかっていないのですが、
例えば目の前の車を指して「この車は世界中で売れている」というとき、実際には目の前の車が
世界中で売れているわけではないけど、我々はあたかも目の前の「この車」が世界中で売れているように
物事を抽象化して認識することができる。世界中の車を目の前の車と同一視するのは、
三年前のNと現在のNを同一のNと認識するのと同じようなものだ。ということなのかな〜と考えています。
さて、オーダーの違いの話なのですが、私の理解する限り、Carlsonは
> ・どちらも命題と認めるが、ポチと犬の間にオーダーの区別を認めない
と考えているのではないかと思います。ただ、こさかなさんが
>>763でおっしゃっているような
固有名を「偽装された確定記述」とする考え方ではなくて、'dogs'の方を「抽象的な個体」とする考え方です。
つまり、'John'はj、'dogs'はdという、タイプeの存在物を表しているということです。
実際には、モンタギュー意味論式にラムダを使うので、λPP{j}、すなわち属性の集合<<e,t>,t>ということに
なるかと思います。
なんにせよ、'John'と'dogs'の間に階の違いは認めていないんじゃないかなと思います。
彼は、'John'が個体eであるのに対して、'dogs'は個体の集合<e,t>である、とは考えたくないんだろうから
多分、そういうことになるんじゃないかな、と思います。
735さん、ありがとうございます!
どうも、論理って時間と空間が絡むととたんにわけわかんなくなっちゃいますね・・・
でも時間と空間をそれぞれ可能世界として扱うと、名前を固定指示子と扱うやり方が
やっぱりいい感じですねー
Carlsonのkindという考え方は、「移動」および抽象的移動としての「消費」を考えると
この限りでは理解しやすいな、と私は思いました。例えば、
John walked to the station.
という出来事は、時間tと空間lの集合T, Lにそれぞれ正の整数Nの元を指標としてふった順序対
<t/i, l/j>
の集合
{<t/1, l/4>, <t/2, l/2>, ..., <t/m, l/n>}, ここで徘徊解釈ありなので、指標は同一でなくてもいい
とすると、経路はLとなります。これを「消費」という出来事にも当てはめると
John ate sandwitches.
の'sandwitches'を経路と考えることができ、なんとなくカールソンの種概念との
共通の取り扱いが示唆されると思います。但し出来事の場合、有界か非有界かということが
問題になるわけですが・・・一般に、複数性を扱う論理では、カールソンの種概念にあたるものから
ちょうど
>R(y, x)
にあたるような、個体から一部を取り出すような関数を考え(但しカールソンは関係ですね)、
取り出された出力の集合にsemi-latticeをなさしめるので、形式的にはわかりやすいです。
存在論的には・・・どうなんでしょうね。
いままで考えたことがないのですが、デヴィッドソン式に消費を扱う場合、
Cul(e)
という蓄積関数を考える(Parsons1990)のですが、もしかすると物の扱いを
安全にする方法かもしれないですね。
ところで、Diesingのstage vs. individualの扱いは、CarlsonからRussellに戻る流れと
考えることができるのかな?
二つの解釈が可能な
Firemen are altruistic.
は二つの統語構造
1. [ip[vp Firemen are altruistic]]
2. [ip Firemen [vp t are altruistic]]
となり、mapping hypothesisにより2の'firemen'がrestrictive clauseに行き、
2". [GENx:fireman(x)]altruistic(x) -> individual level
となり、1はnuclear scopeにとどまり
1". [fireman(x)&altruistic(x)]
となって、さらにfree variableをなくすためにexistential closureが行なわれて
1"'. ∃x[fireman(x)&altruistic(x)] ->stage level
として解釈の区別が行なわれる。あ、でも時間という観点では、これはいいのかな・・・
あ、ちょっとまって。
R(x, c)
は
λxR(x, c)
という特性関数に簡単に直せるから、これで考えると、
cの時間断片であるという個体xを入力として、真を出力とする
ということになるので、単純にcの時間断片を取り出す操作と考えることはできない。
むしろ、時間断片が個体と同等のdenotationとなる、ということですよね。
これはJohnとpeopleを同等と扱うのと同じ、すなわちJohnとJohnの時間断片を同等に
扱うということだけど、Carlsonはそこまではっきり言っているのでしょうか?
すみません、教えて君です。おながいしますm(_ _)m
訂正
>とすると、経路はLとなります
「経路はLの部分集合L'」
771 :
726:2005/12/26(月) 22:12:21
>>767 (735さん)
>'John'はj、'dogs'はdという、タイプeの存在物を表しているということです。
>なんにせよ、Carlsonは'John'と'dogs'の間に階の違いは認めていないんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。私も、恐らくそうだろうと予想してました。
こさかなさんの
>>763 でおっしゃっている第三の路線は、ラッセル的な還元主義の方向ですから、
それではカールソンの視点に目新しいところはなくなってしまうだろうな、と思いました。
私の理解では、カールソンの存在論(意識してればですけど)は、具体的なのも抽象的なのも含めて、
全ての存在者が同じタイプ上に並ぶようなフラットなものになります。
もしそうだとすれば、ラッセルが聞いたら共感を示す理論かもしれません。彼も本当は全ての存在者が同じタイプ上に並ぶタイプフリーな存在論を
ずっと(タイプ理論の構想以後も)求めていた人ですから。この原則は、哲学では「存在の一義性(univocality of being)」と呼ばれます。
しかしタイプフリーな理論というのは、魅力的ですけど、技術的には結構むずかしいような予感もするんですよね。(ラッセルも色々試したけど結局果たせなかった)
ちょうど年末・年始の休みですし、私もカールソンやらモンタギューやら勉強してみまっす。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
生成文法総合スレでde se interpretationの話が出たのですが、
Perry
The Problem of the Essential Indexical(Nous 13(1979))
The Philosophy of Language所収
を早く読まなければ、って、どれだけ時間が経っているんだろう・・・
あけおめことよろ
保守
775 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/02/03(金) 20:46:06
スレ運急上昇祈願age
777 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/02/16(木) 12:49:01
>777
えっ!?そうなんだ・・・
Carlson1977に関する質問をさせて下さい。
「individualに関する数量詞はstagesの特性に直接結びつけられないから、stage-levelの
述語はSLPをILPに変形するテンプレートによって考えられなければならない」っていうのは、
具体的にはどういうことなんでしょうか?
あと、
a. Firemen are available.
b. ∃x(R(x, FIREMEN)∧AVAILABLE(x))
の読み方ですが、Rはa stage ofを意味するそうですが、
これは「あるxがいて、そのxはFIREMENのある段階で、利用できる」で良いのでしょうか?
すごく低レベルな質問ですが、よろしければ教えて下さい。
あるいは、何か日本語で読める参考図書などを教えてもらえないでしょうか?
> 「individualに関する数量詞はstagesの特性に直接結びつけられないから、stage-levelの
> 述語はSLPをILPに変形するテンプレートによって考えられなければならない」
ページ番号かいてくれ
さがすのめんどい
> b. ∃x(R(x, FIREMEN)∧AVAILABLE(x))
「FIREMENのstageである(=R(x, F))ようなxが存在(=∃x)し,
そのxは手が空いている(available)」
じゃないか
> 日本語で読める参考図書
白井賢一郎の『形式意味論入門』あたりがいいと思う
図書館にはあると思うが,書店ではもう売ってなかったかも知れん
> 「individualに関する数量詞はstagesの特性に直接結びつけられないから、stage-levelの
> 述語はSLPをILPに変形するテンプレートによって考えられなければならない」
Carlsonの存在論ではdogなどを個体とする、って話が上であったので、それと
関係する話じゃにゃいかにゃ?dogを項にとる述語はそのままではdogの時間断面の
述語とはにゃれにゃいから、SLP(R(x, DOG))というように、dogを、dogの時間断片に
写像する関数Rをデフォールトで嵌めこむ、ってことじゃにゃいかにゃ。そうしない場合の
ことを考えると、type-mismatchがおこるにゃ
白井せんせの紋太牛文法の入門は「捨てる本整理箱」(単にゃるダンボール
にゃけど・・・)にいれてあるけど、いい本にゃ
述語論理における数量詞は一階のものを取る述語にゃから二階にゃけど
stage-level predicateの項について言うときはどうなるんにゃろ、って
話だと思いますにゃ。
>>780さん
ありがとうございます。すみません、Carlsonの引用ではないんです。孫引きです。
すみません。「FIREMENのstageである」の時点で意味不明です。今日、紹介して
頂いた本と、状況意味論の本を借りてきました。難しそう…
>>こさかなさん
ありがとうございます。ますますわかりません。前途多難…
すみません、形式意味論に興味があるんですが、一階、二階、高階とかの
階(order?)の意味がどうしても分かりません。
どなたか教えてもらえないでしょうか?
軽く教えると、
一階の述語論理では、述語や関数の項は必ずモデルの領域の成員でなくてはいけない。
その意味でそういった述語や関数は、一階の述語、一階の関数とそれぞれ呼ばれる。
また一階の述語論理では変数は必ずモデルの領域の成員でなくてはいけない。
さらに(というより、したがって)量化子∀と∃は量化の領域がモデルの領域でなくてはいけない。
その意味で一階の述語論理での量化子∀と∃は一階の量化子と呼ばれる。
ところで一階の述語論理では変数はモデルの領域の成員として解釈されるが、
一階の述語や関数の変数を考えたい場合が(数学的にも意味論的にも)非常に多い。
一階の述語や関数の変数を考えた場合、その変数を領域とする量化子を二階の量化子と呼ぶ。
また同様に、一階の述語や関数を項としてとる述語や関数を二階の述語や関数と呼ぶ。
以下同じようにいくらでも繰り返すことができ、三階の量化子、述語や関数、
四階の量化子、述語や関数、などなど。二階以上をまとめて高階と呼ぶ。
詳しく説明して欲しければ、ワッフルワッフルって本文に書き込みなさい。
ワッフルワッフル
要するにメタってことっすか?ワッフルワッフル
>785氏 公約違反にゃん。
タイプtypeと階orderの区別をとりあえずしておくにゃん。一応、ちょっと前に
存在論の哲学者も書き込みしているのでみてにゃん。ラッセルの存在論について
にゃん。
タイプはある要素が属するものにゃん。適当になんか選んで「a」ってことにすると、
「a」はあるタイプtに属するにゃん。そしてその「a」は「犬」だとすると(aは犬のうちの一匹とすると)
「aε犬」と表せるにゃん。このとき「犬」と「a」を同じタイプとすることは
できないにゃん(ラッセルの逆理との関係)。「a」のタイプをtとしたので、
「犬」のタイプはt+1という一つ上のタイプになるにゃん。このタイプというもの、
集合とその元を厳密に区別するためのもの、と考えてにゃん。
これに対し、階、というのは、785氏がすでにおっしゃってるように、「モデル」という
表現に意味を与える、一種の小宇宙の中にあるものについての関係が「一階」、
一階の関係についての関係が「二階」、...、n-1階の関係についての関係が「n階」と
なるにゃん。
ここで念のため「述語」というタームについてもいっとくにゃん。
モデル理論的意味論では、「食べる」とか「愛する」とかの意味の中から
「関係」だけを取り出して、モデルと照らし合わせて真偽を確定するにゃん。
例えば「aがbを愛している」には非推移的intransitive、非再帰的irreflexiveという
関係があるにゃん。たとえば必ずしも「bがaを愛している」こともないし、「bがcを
愛している」時に必ず「aがcを愛している」こともないにゃん。(セックル、の解釈では
別にゃん。再帰的になるにゃん)モデルを見て、aRbの関係が成立っていれば、
「aがbを愛している」は真にゃん。このとき、一階の述語はaとかbとかという
モデルの元の関係にゃん。(aが犬を愛している、とかでもそうにゃん。「犬」も
述語なんにゃけど、そうにゃん)
「ある〜」とか「どの〜も」とかの量化子は、一階の述語の関係にゃん。
この点で階が上がるのにゃん。たとえば∃(犬)は、「犬」という関係が
空集合でなければ真にゃん。この意味で、一階の関係の関係になるにゃん。
「ある講師は女子高生偏愛である」∃(講師,女子高生偏愛)では、「講師」と
「女子高生偏愛」の共通部分が空集合でなければ真にゃん。このとき、
あるモデルにおいて、一階である二つの関係について、どんな関係か、という
ものが二階の関係にゃん。
ただし、GQの理論では階の関係がもっと複雑になっていて、「ある〜」は
高階になってたりするにゃん。でも理屈はこんなとこにゃん。
ワッフルワッフル
791 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/14(火) 13:32:54
ワッフル----------------------
∧_∧
(・∀・` ) ワッフルワッフル
_| ̄ ̄||_)_
/旦|――||// /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
|_____|三|/
∧_∧
(´・∀・`)
_| ̄ ̄||_)_
/旦|――||// /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
|_____|三|/
∧_∧
(・∀・` ) ワッフルワッフル
_| ̄ ̄||_)_
/旦|――||// /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
|_____|三|/
SALT、どうやった?
|ハ,_,ハ
|´∀`';/^l
|u'''^u;' |
|∀ ` ミ ダレモイナイ・・・
| ⊂ :, モサモサ スルナラ イマノウチ
| ミ
| 彡
| ,:'
|''~''''∪
l^丶
もさもさ | '゙''"'''゙ y-―,
ミ ´ ∀ ` ,:'
(丶 (丶 ミ
(( ミ ;': ハ,_,ハ
;: ミ ';´∀`';,
`:; ,:' c c.ミ
U"゙'''~"^'丶) u''゙"J
/^l
,―-y'"'~"゙´ | もさもさ
ヽ ´ ∀ ` ゙':
ミ .,/) 、/)
゙, "' ´''ミ ハ,_,ハ
(( ミ ;:' ,:' ´∀`';
'; 彡 :: っ ,っ
(/~"゙''´~"U ι''"゙''u
/^l
,―-y'"'~"゙´ |
ヽ ゜ д ゜ ゙':
ミ ., 、 ミ
゙, ∪"' ゛∪ ミ ハ,_,ハ
ミ ;:' ,:' ゜д゜';
'; 彡 :: ι u::
(/~"゙''´~"U "u''"゙''u
記念カキコ
おれ、量化子って集合を入力項にとる二階の述語だと思ってたんだけど、この「二階の述語」ってのは、こさかなさんの言う
>一階の述語の関係
と同じ、ということでOK? (関係って述語の言い換えみたいなもんだよね?)
OK。一階述語論理の量化子はそれ自体二階ってことで。関係、は入力に対して
真か偽かをかえす関数ってことで、述語から集合や関数に必要な部分だけとりだした
言い換え、っつっていいすね。
800だ・・・
801 :
798:2006/04/10(月) 22:23:29
サンクスです。こさかなさん。
むかしフレーゲの「『存在する』は二階の述語だ」という言葉を読んだときは
「なに言ってんだ? おれは存在する、というときの『存在する』は、一階に決まってるんじゃないの」と違和感バリバリだったけど、
論理式で書くと、なんか量化子が命題の集合を入力とるように見えてきて、段々違和感がうすれてくんだよね。
うーん、量化子マジック。
フレーゲテラエラスwwww
>801さん
上でオントロジストとしてのラッセルに詳しい方がいたんですけど、量化の理論でみると
「存在」というのが様々な個体と同じ地位でないことがわかりやすいような気が
しますね。でもその方の話だと、ラッセルはタイプフリーな理論を目指していたとも
いうし・・・
違和感が薄れていって、その後もういっかい「あの違和感はなんだったんだ」って
考えるのって大事なのかも、ですね。
ところで「違和感」と「義和団」って、なんか似てますね。
804 :
798:2006/04/18(火) 01:04:19
>違和感が薄れていって、その後もういっかい「あの違和感はなんだったんだ」って
>考えるのって大事なのかも、
そうっすね。初期のラッセルって、述語に対応する怪しげな存在者も想定しいたわけですよね。
そうすると、当然「存在する」という述語の存在者もあって、しかもそれが他の存在者と同じレベルに
フラットに並ぶ、て感じの世界を考えてたわけですねよ。これをタイプフリーって言うのかな。便利な言葉だ。
まあ色々と問題は噴出する世界観だけど、(発想のスケールがでかいのに驚かなければ)直観的にはごく理解しやすいと思うんです。
でも、数ある述語の中で何で「存在する」だけが特別な、オーダーが上の述語になっちまうんだろう?
というのが、若き俺が感じた違和感だったわけです。
この疑問に対して「そう考えた方がうまくいくからだ」という天下り式以外の根拠を、俺は聞いたことないんです。
フレーゲの証明がまさにそんなのでした。それはそれで見事なんですけどね。
不勉強なだけという可能性も高いんですけど、なんか意味論の側から上手い説明を与える根拠ってあります?
>なんか意味論の側から上手い説明を与える根拠ってあります?
うーん、いつもながら弁明からはじめちゃうんですけど、私も不勉強で。
以下は話半分ということで。
「存在しない」だとフレーゲの話ってすんなり理解できるんじゃないかと思うんですが、
どうでしょう。「存在する」はあくまで「存在しない」に対応するものとして理解すると
これもフレーゲの話は理解しやすいと思います。これはフレーゲが数学を
進めるための明確な言語を切り出そうとした、というところに着目していると
言っていいのではないかと思います。
しかしこの場合の「存在する」とは関係ない「存在」という語があって、
哲学ではこちらの方が伝統的に関心のあることだったのではないかと思います。
モノやコトの本質、みたいな話で。ただし、論証の中で二つの「存在する」が
ごっちゃにされることがあったのではないでしょうか。論理学の進展は
哲学的にはこの混乱を快刀乱麻したという功績もあると思います。
そしてラッセルが本業(?)として存在論をやるとき、その「存在」というのは
哲学の伝統ではむしろよく論じられていたほうの「存在」ではないかと思います。
そして後期ラッセルはこちらについて「中性一元論」を提示したのではないでしょうか。
ところで798さんはDavidsonは興味がありますか?私はよく理解していないんですけど、
今問題にしているような存在論、そしてことばの問題についていろんな問いを投げかけた
哲学者みたいなんですけど(腑に落ちるような解決というのは与えてないと
思うんですけど。Russellとの違いと言えるのかも、ですね)。
806 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/05/11(木) 22:56:24
individual-levelの話で疑問があるんですが、NPは絶対individual-levelなんすか?
*There is a girl an advocate of Arb Unity.
がダメなのは、an advocate of Arb Unityがindividual-levelだかららしいんすが、
best-sellerって別に、内的・永続的性質じゃないと思うんすけど。
明日になったらadvocate辞めてるかもしれんじゃないすか。
808 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/05/12(金) 09:30:14
>>807さん
すいません。
individual-levelの話で疑問があるんですが、NPは絶対individual-levelなんすか?
*There is a girl an advocate of Arab Unity.
がダメなのは、an advocate of Arab Unityがindividual-levelだかららしいんすが、
an advocate of Arab Unityって別に、内的・永続的性質じゃないと思うんすけど。
明日になったらadvocate辞めてるかもしれんじゃないすか。
んー多分、individual levelって厳密に普遍的ってことではないんじゃないかな
例えば
(1) 恐竜はケルプを食べる。
(2) 恐竜がケルプを食べている。
だと、前者がindividual level predicateで後者がstage level predicateなんだろうけど
(3) 恐竜はケルプを食べた。
がどっちかというと、やっぱり(2)よりは(1)に近いと思うんだよね。時制ついてるけど。
individual levelってのは非個別場面的というか、ある種の普遍化、抽象化がはいってるとは思うけど
どの程度のレベルで普遍化されるかというか、そういうのは割と認知的で相対的な問題なんじゃないかな
で、NPが一般にindividualかどうかって点については知らね
810 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/05/12(金) 23:37:33
>>809さん
レスありがとうです。
おっしゃることわかります。(3)は文脈で変りそうすね。
NPの場合のことを誰か教えてチョ。
NPにもstage/individualの区別がある、って話なかったっけ?
詳しくは知りませんけど。
でも述語にindividual level predicateとstage level predicateがあって
名詞にもindividualとstageがあるってのは
なんかあんまり美しくなさそうじゃない?
なんで?
NPは述部を構成できるし、 NPの内部にも述部的な要素がそもそもあるのでは?
だってNPも述語もindividualとstageがあるんじゃ
「SはP」っていう文は、Sが二通り、Pが二通りの解釈ができるんだから
都合4通りの解釈ができるはずってことになるんだろ
そんなに解釈のバリエーションのある文ってあるか?
ちょっと思いつかないけど
>>814 >そんなに解釈のバリエーションのある文ってあるか?
統語的には生成されるが人間には感じることが出来ない・意味をなさない意味の差があるんだよ。語用論的に排除されているだけで。嘘w
816 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/06/20(火) 18:23:17
言語哲学における意味論と言語学の意味論の違いが
わからん。だれか教えろください
>816
たぶん、言語学の意味論ではそんなことないけど、言語哲学の意味論では、その結果が
存在論や認識論に影響を与える、っていうところではないでしょうか。言語学の意味論も
影響を与える(たとえばソシュールとか)けど、もともとそれを目指してはいない、という
ところが違いといえばいえると思います。
論理学畑から来た人と話をすると
なんか意味をただしく記述できて、推論とかがちゃんとできるのが重要であって
とにかく意味が通りさえすれば、式が複雑になることには無頓着だったり
もとの自然言語の文との関係がどうなってるかとかはあんまり気にしなかったり
という雰囲気を感じることがある
世界との関係を重視するのが哲学者や論理学者で
言語や認知との関係を重視するのが言語学者なんじゃないかな
俺の誤解かも知れんけど
あ〜、答えてくれてども。
上の方でデヴィッドソンとかラッセルとか出てきてるのが、
不思議だったんだよね。普通言語学者(とか言語学の講義)
ってこの手の人たちの名前出さない傾向があると思うんで。
なことはない
ほんと、んなことはない。
ラッセルぐらいは普通にでてきますよ。
「言語学ではラッセルなんて関係ないですね」なんて言語学概論をやっているような人がいたら
もぐりたたきをしてください。
ほんとですか?私が取ったことのある(だいぶ昔の話になりますが)
言語学という講義ではソシュールからそのままチョムスキーの話で
終わってました。あと、ヤコブソンとか出てきてたような?
その講義では哲学者の名前はまったく出ませんでした。
>>822 言語学の入門では出てこない
統語論でも音韻論でも形態論でも出てこない
意味論の場合でも、アプローチの仕方によってはまったく出てこない
語用論の場合は、逆にグライスとかオースティンとか出てくる
確かに学部の入門講座なら
ソシュール→マルティネ(二重文節)→ヤコブソン(構造主義)→チョム
とかありそうなパターン
言語学でラッセルとかでてくる分野はやはり限られる
意味論でも、形式意味論とかちゃんとやらないで
記述とか認知とかだけやる講座だとでてこないかも知れない
論理学の基礎からちゃんと教えてくれる講座なら
フレーゲ、ラッセル、モンタギューぐらいは出てくるだろう。
デヴィッドソンは入門ではでてこないかも知れないが
イベント論理とかは言語学の方でもよく使われる。
イベント使えば皆、デヴィッドソニアンって言われるからなw
イベント、というか、event argumentっしょ?
みんなOn Semanticsがわるいのさ。
827 :
ぴよぴよ:2006/07/19(水) 18:15:32
いきなり、お邪魔いたします。
Choice functionについてですが、Reinhartの言っている
Choice Functionって、何のためにあるの???
それに、"Some NP"だけでなく、"a NP"にも適用されるのかな?
生成文法スレから来ました。
>>827 詳細は覚えてないけど
Reinhartがchoice functionを導入した理由は
indefiniteのspecificな読みと
multiple wh-questionのある特定の読み(よく覚えてない)を
説明するためだったと思う。
だから、some Nだけじゃなくて、a Nもtwo Nsもthree Nsも・・・
indefiniteといわれるNPにはspecificの読みを説明するために全部適用されるはず。
829 :
ぴよぴよ:2006/07/19(水) 23:33:08
>>828 レス、ありがとうございます。助かりました。
つまり、a Nでも、[Every N .... a N]などのときに、
a Nが広いスコープを取るようなときに、
使える関数だと言うことかな?
>>829 単に広いスコープをとるならQRやらタイプシフトやらいろいろ方法があるわけで
choice functionを使うのはいろいろな条件のもとQRやらタイプシフトを使っているとは思えない場所で
indefiniteやwh-in situの広いスコープのような読みが出る時に使われる。
どのような条件かは論文に書いてあると思うけど。
>830
論文、ってL&PのLabor Divisionですか?ひっぱりだしてもいっかいよんでみよ。
面白そうですね。indefiniteのwild-wide scopeについてですよね。
私は頭が単純なので「指示的だから」と思っちゃう傾向があるのですが、
Reinhartはたしかそれじゃあだめだ、ってデータも出してたんですよね。
よくfunctionalと言われる解釈は、relationalでいいんじゃないか、と思ってて、
もともとそれを言い出したなんとかって人はrelationalって言ってたと思う。
でもChierciaがfunctionalっていってからみんなfunctionalって言ってたと思うんですけど、
Reinhartはまさにaxiom of choiceに関わるようなことを言ってるんですね。
大昔にここでなんか書いたことがある気がする・・・
関係ありそうなこととして、論理学で、全称量化子が存在量化子より広い作用域の時に存在量化子を消去するSkolem化という
のがあるんでずが、興味があったら自分で勉強してみてください。
choice functionについては、もし条件が定められるとしたらすごい。数学者はaxiom of choiceを
便利だから使っているけど、現在否定も肯定もされていない公理。言語に制限してなんらかの
条件が定められるとしたら、人間の頭の仕組みになんかすごいことを言っているのかもしれない。
>こさかなさん
ぶしつけに素朴な疑問すいません。素人です。
言語学に選択公理(axiom of choice)って関係するんですか?
ということは、何かしら集合論的なアプローチをしてるんでしょうか。
833さん
お返事おくれて、ごめんなさい、です。
まず、Bourbakiによる数学の公理主義的アプローチをご存知かとおもいます。
言語学で、Montagueという論理学者が数学的構造をいじっていくと自然言語の構造にちかずけるよーん、
ということをやり、そこから形式意味論が生まれました。形式意味論では、基本の「ことば」は
集合論です。集合論を知らざるもの、この門を通るべからず、です。
数学が集合論で書かれるように、言語学が集合論で書かれる、という、そんな分野があるのです。
おもしろかろ?
テスト
836 :
833:2006/09/02(土) 23:42:16
ありがとうございます。>こさかなさん
おもしろいです。
言語(その一部?)を集合として記述する、ということですか。
うーん、そういう分野があるとは知りませんでした。
言語学にそれほど詳しくない人も含めてお聞きしたいのですが。
1. Three students found a book.
という文には、
(i) 3人の学生が別々に、つまり合計で3冊の本を見つけた。
という意味と
(ii) 3人の学生が同時に、1冊、つまり合計でも1冊の本を見つけた。
という意味の2つがあると言われていますが。
2. 学生が3人道で本を見つけた
3. 学生が道で3人本を見つけた
の2つの日本語だと、解釈どうですか?2つとも出るか、もしくはどっちかしか出ないか分かりますかね?
あえて、文献ではどの解釈をすることになっているか(?)は書かないでおきます。生の情報おながい!
2の文だと、3人>本。3の文だと、本>3人、といった感じでしょうか。
839 :
837:2006/10/10(火) 17:38:55
>>838さん
ありがとうございました。(他のレス待ってたんですが)
某文献だと(2)にはi, iiの両方、(3)はiiだって判断で議論が進んでいる
んですが、私も(3)はiがdominantなんですよねー。
その著者と年齢は10歳も違わないですし、地方も同じなので方言差だとか
世代差は関係ないと思うのですが。
ジャッジの問題ってややこしいですね。
単純な例なんかだといいのですが、複雑になるともはや処理しきれなくなるので、
有名人のジャッジに合わせて議論を組み立てているのが実情ですね。
しかも、ある程度実績残している人たちになると自分のジャッジに自信を持っている
ので、違う判断で議論を進めると際物扱いされちゃいますしね。
理論がしっかりしていれば、ある程度ジャッジはどうでもいいやと思いつつ、経験科学
なんだから、せめて自分の直感だけには沿うようにしたいというジレンマ。
うーん、私は
>某文献だと(2)にはi, iiの両方、(3)はiiだって判断で議論が進んでいる
という、そのジャッジに同意しますねー
>私も(3)はiがdominantなんですよねー。
私はこれはないです。なんでだろ。
私は量化子が浮遊してもi,iiの両方があるもんだとてっきり思い込んでいたので、
837さんのような判断になってもいいかな、と思ったのですが、ちょっと意外です、自分で。
多分、Iさんとかの定性効果とかの話?有名人のジャッジに合わせる、っていうことは厳にいましめないと
いけないことだと思うんですけど、でも著者本人の判断だけ、ってことはないと思いますよ。
有名人の中には、自分の判断を使われる、というか、ある議論の根拠を自分の判断に帰せられる
(論文ちゃんと読まないで例文だけみたりとか)のをいやがって、容認性判断をつけない人も
いますね。
majorityと違う判断だったら確かに際もの扱い、というよりも信用されない可能性は高いですけど、
「この条件下でははっきりこの判断がでるし、再実験でもおなじ判断がでる」と言えれば、
それは新たな切り口になるはずですよ。
「自分の直観だけには沿いたい」って気持ちもわからなくはないですけど、ドグマティカーへの
危険もひそんでいると思いますよー研究者じゃないけど偉そうなこと言っちゃってごめんなさい。
majorityと違う判断だったら確かに際もの扱い、というよりも信用されない可能性は高いですけど、
「この条件下でははっきりこの判断がでるし、再実験でもおなじ判断がでる」と言えれば、
それは新たな切り口になるはずですよ。
「自分の直観だけには沿いたい」って気持ちもわからなくはないですけど、ドグマティカーへの
危険もひそんでいると思いますよー研究者じゃないけど偉そうなこと言っちゃってごめんなさい
この二つって微妙に矛盾しているよな。上は創見を重んじ下は踏襲を重んずると。
ほれ。もう一声。
煽ってくだされ。
一声はなかったか。ではお返事。
踏襲なくして創見なし。
以上。
>>843 後出しジャンケンですまんが、
>踏襲なくして創見なし って微妙に成り立つかどうかあやしいよな。
あとだしにあとだしですまんが
>844
「踏襲なくして創見なし って成り立つかどうか微妙にあやしいよな」って意味をなす命題か
微妙にあやしいよな
踏襲とは、旧説を正しいと認めること。創見とは、新説を立てること。
旧説を正しいとしているのならば新説を立てる必要はなく、新説を立てるのは旧説に何らかの問題が残っているから。やはり対立しているな。
故きを温めて新しきを知るという意味で言っているともいえるが、
それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒を和らげただけだしな。
>やはり対立しているな。
ならばなぜに「微妙に」なの?「するどく対立する」とか「矛盾する」と言うべきではないかな?
いや、先に私の言葉遣いが変だったことをお詫びすべきかもしれない。その上で話を進めよう。
「踏襲」は、『広辞苑』によると「前人のあとをそのまま受けつぐこと」、『新版国語辞典』(講談社学術文庫)によると
「前の人の方法・説などを受けついで、そのとおりにすること」とある。ここに「仮令誤っていても」という意味も
あるとするならば>846氏の言う通りだ。私の語感はこの意味を持っていなかった。そしてそれが
一般的なのか、今もわからない。もし一般的なら私の言葉遣いの不備だ。すまぬ。
>故きを温めて新しきを知るという意味で言っているともいえるが
あなたの言う、これが私の意図だ。
>それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒
これは全く念頭になかった。「なぜその判断が一般的で、私の判断とは違うのか」というのは
重要な設問だし、それは最近の、疑問文の解釈に関する音調の関与の研究はもしかしてこのような
ところから出てきたのではないだろうか。
しかしそこでは、従来の説を全く無意味、と却下するのではなく、その説を指示する判断が
出た源泉をしめし、周りを説得せしめたうえで新たな説を展開した。
それが、「私の直観にあわない、どうするか、私の直観に合った形で研究を進めたい」という
だけでは前進はない。そこから先に進むため、dogmaticになる危険性(多分、おおくの人にとって
誘惑だと思う)だけを指摘した。
>それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒を和らげただけだしな。
と受けとられたなら悲しい。
841氏が単に揚げ足取りを楽しんでいるとしたらもっと悲しい。それは
>それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒
よりも、「若けーもん」をencourageしようとする人を凹ませると思う。
まあ、世の中なんてそんなもんだろうしな。「なんか言えば、揚げ足とられるから、やめとけ」
みたいな。
くやしいから最後に揚げ足取りをして終わる。
>3650日速えーんだよ
「早えーんだよ」が正しかろう
849 :
846:2006/10/18(水) 22:34:51
いやいや全く言葉を悪いニュアンスで悪い癖だな。申し訳ない。
従来の研究の成果を受け入れてその上に新しいものを積み重ねるべきというのが学風の正道だが
実際にはそれで芽がつまれることもあるだろうとつまらぬ慢言を吐いたのだ。申し訳ない。
いやいや、こちらこそ、いい大人がすねた文言を連ね、つまらぬことをさらしてしまった。
こちらこそ申し訳ない。
学風の王道を踏まえ、その上で創造的な知見をもたらす可能性を多いに鼓舞しようではないですか。
せっかくなので、少し量化に関わる要素と地域方言との関わりの可能性について私の経験をお話し、
少し敷衍しようと思います。
ある量化子の作用域に関して、ある地域の出身者には明確な判断があり、別の地域の出身者には
よく判断できない、という結果を得たことがありました。統計的なことはやってないですが、
もしやれば有意な差が得られたのではないかと思います。
これに関わる話をある方にお話したところ、そのような深いレベルの判断に関して方言差のような
ものがあるとは考えにくい、という意見をうかがいました。
その方のお話は納得できるものです。しかしそれでは実際に見られた判断の偏りはどのような質のものなのか
不明なままです。そして判断の偏りが方言差に還元できるものかすら、明確ではありませんから、
null hypothesisとしては「偏りは見かけ上のものにすぎない」とするのが定石でしょう。
しかし言語間で量化の表し分けが異なる、ということもよく知られていることです。同一言語の
方言でも、最近知ったことですが、標準語化の影響をあまり受けていないと考えられる生え抜きの
話者に、wh要素がそれを認可する要素なしに存在表現のように使われる独話資料に触れました。
韓国語ではこのような統語構造を持つことがよく知られていますが、方言間でもmainstream japaneseと
あるdialectの間にそのようなことが本当にあるのでしょうか。
ちょっとまとまりのない話ですが、他に出身地域の別で量化解釈の違いに触れたことのあるかたは
いらっしゃるでしょうか。そしてもしそのようなことがあるとしたら、それは統語的な問題なのか、
それとも、ちょっと考えにくいのですが、論理構造あるいは意味構造での問題なのか、詳しい方が
いたらうかがってみたいです。
たわごとなので読み流してくだサイ(はーと
『のだめカンタービレ』の第16巻はもう買われましたよね?(なわけねーか)
そこに、音楽とはかつてなんであったか、という話が書いてあります。
かつて、神の作りたもうた世界を理解するための四つの学問(クアドラなんとか)があり、幾何学、数論、天文学、
そして音楽。もちろん、これに修辞学としての論理学も加わりますが・・・
言語学の一分野としての意味論を考えると、言語への従属から離れることはできない、って
窮屈さを感じますが、形式意味論というのは実はまったくそんなことはなくて、それを記述する言葉が
数学なので、すぐに広い世界と結びつくような気がします。音楽にも・・・
音楽すれに書くような話題かもしれませんが、こちらに書きマシタ(むきゃ
追伸:『のだめ〜』ドラマ化、むかつく
ぎゃぼー。
854 :
仇鱒:2006/10/23(月) 18:21:14
念のためこっちにもコピペ(スレ<11>に書いたわしのカキコ):
98 :仇鱒 :2006/10/23(月) 18:18:13
をい、生成スレ<25>が容量いっぱいで書き込めないわ。
誰か新スレ立てて栗。
855 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/10/28(土) 04:03:28
モンタギュ意味論やりたいんですえけど、どこの大学行けばいいのか
わかりません。誰か教えてください。
>855
数学を専門にしなされ
860 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/10/29(日) 01:21:50
>>858 >>859 東大にいっても 上野 善道 / 熊本 裕 / 林 徹 / 西村 義樹
これらの先生がモンタギュやってるようには思えないんですが。
???
864 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/02(木) 05:06:35
865 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/07(火) 06:07:47
ぷ
何度やっても意味論と語用論の違いがしっくりこない
授業では(ブーイングの嵐だった)、「文以下の意味を扱うのが意味論、文より大きい単位の意味を扱うのが
語用論」と言っといた。
例えば、疑問文をとりあげると、Emmon Bachの説では、疑問文の意味は
「可能な答えの集合」。しかしご存知のように日常言語学派では疑問文を
真か偽か問えない文として、それが及ぼす影響について考えてperlocutionary actとか
考えた訳です。「あなた、誰?」といえば、{(私は)こさかなです, さかなくんです,
にざかなです, ...}という命題の集合になるわけですが、愛人の部屋で配偶者からの電話に
こう応答した場合には命題の集合という以上の意味があるわけです。一方、
「あなた、誰?」と訊かれて「風邪です」と答えるのは変、というのは選択制限の
問題もありますが、文脈で制限されていると考えると語用論と切り離しては考えられなく
なりますし、「パパ、いる?」という電話に「いらない」とこたえる子供の将来が心配に
なるのも語用論的関心といえるかもしれません。
漠然と意味論は文の文字通りの意味の分析、語用論は文脈や暗黙の了解の分析で文中⇔文外の対比だと考えていたが
語用論と意味論は形態論が単語以下、統語論が単語以上を扱うのと同等な関係なのか。
つーか、ある語がどんな意味で用いられているのか、とか
ある指示詞や代名詞が何をさししめしているのか、とかだって
語用論的に処理しなくちゃいけない問題なんじゃないの?
意味論は、ある語がどんな意味で用いられているのかとか、
何を指しているのかとかは前提になってて、そこには踏み込まないでしょう。
文以下が意味論ってのは、ぜんぜん違うような気がするが
871 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/10(金) 08:37:13
>869
うん、反語的なご指摘なんでしょうけど、いいえて妙、な表現でした。
そんな感じです。もちろん、反論はたくさんあるでしょうけど・・・
>870さん
うーん、それだと今度は「意味論とはなにか」というのが分からなくなりますね。
ぜんぶ語用論、みたいな。
870さんのご指摘が、逆に(なんの逆?)私が上で言ったことを強めている気がします。
> ぜんぶ語用論、みたいな。
その辺が、認知の人が意味論と語用論の区別を嫌う理由でしょうか?
>874さん
そうでしょうね。一方、認知言語学との立場の共通点と相違点がよく取りあげられるRay Jackendoffの
概念意味論だと、「ぜんぶ意味論」です。というのは、概念意味論では意味構造=概念構造なので、
意味に関わるものはすべて概念構造の問題になります。このあたり、概念の獲得に関してLakoffの立場と
Jackendoffの立場を比べると、ちょうど逆のような立場に見えることが納得できるのではないでしょうか。
意味論と語用論の違いなんて、意味がない!というのも一理ありですが、
単に分類上のものとはいえ、一応の基準みたいなものを明確にしておくのは面白いかも
しれませんね。
すみません。初学者でちょっとタイプ理論を調べているのですが。
<e>, <t>, <e, t>, <<e,t>, t>関連は分かるのですが、ちょっと
<et>だとか<tt>だとかコンマがないタイプが何のことかちょっと分からない
のです。
めぼしい教科書は調べたのですが、すみません、ちょっと教えていただけないでしょうか?
もちろん、「これ見れば分かる」という資料の情報でもかまいませんので。
<et> = <e,t>でよいと思います。紙幅を節約するための省略が慣例化してるのだと思います。
878 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/14(火) 13:01:11
てstあげ
879 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/14(火) 13:21:24
<e>と<t>はモンタギュー文法の正式な表記ではないよ。
e, tとするのが標準。< >を使うのは<a, b>となるときだけ。
僕の知る限り、MITの院生が<e>や<t>を(誤って)使い始めた
ような気がする。間違ってたらごめん。
880 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/11/14(火) 19:56:52
なんかものすごい高度なスレだな
>880
この板の本来の用途(実質的には建前状態)だと、こういうスレばかりになるはずなんだよな
>879さん
の説明の補足資料
The set of types is defined recursively as follows:
(1) e is a type.
(2) t is a type.
(3) if a and b are types, then <a, b> is a type.
(_Mathematical Methods in Linguistics_, p.337)
<tt>も>877さんのいうとおりの省略だと思いますが、<t,t>と同じなら文副詞相当のものか
ANDのtypeだと思いますので確認してみてください。
さっき酔っぱらった女の子のパンティを見ました。どうすればいいですか?
a.おなぬーして寝る。
b.ただ寝る。
ちなみに、その女の子はすごくかわいかったです。なぜ私を悩ませる!
a
あぁ!!
こさかなさん、なぜにナンパしない!!!!!!!!!!
とりあえず声をかけてみればいいじゃないですか!
結果はあなたが決めるのではなくて、女性が決めるのです!
言っとくが
>>880は皮肉だよ
まさか真に受けるとは
こさかなは相変わらず変態だな
>886さん
ううっ・・・大人のふりをしたい私は、ぱっ!と目をそむけて、ダーツバーのマスターと
熱く語ってしまってますた。ちなみに、マスターも、ぱっ!と目をそむけていたので
私と同じことを考えていたにちがいありません。そのときの会話は、熱い割にかみ合ってませんでした
・・・
>885さん
では今晩・・・
前に、「〜しない前に」は変だ、と書いたところ、大丈夫だというコメントをいただき、
そのあと気にしていると、夏目漱石の書いたものには「前に」の前には否定形がでてくることが
圧倒的だ、という印象があるし、昭和三十年代くらいにかかれたものにもよく出てくる。
そのような問題は興味深いがそれはそれとして、英語ではbeforeが、韓国語ではhaki cen-eyが
NPIを認可するが、日本語では「する前に」は認可しない。これをずっと、before, haki cen-eyが
否定の意味を含む(〜しないうちに、というような)からではないかと思っていたのですが、
「しない前に」という形があることから、このあてこみはどうも違うかな、と思っています。
NPIに詳しい方、どう思いますか?
なぜこんなことをいうかと言うと、別のスレで序数と含意関係についてふれた書き込みがあって、
時直線もこれに似た性格を持つからです。
単調性の議論は簡単に序数や時に応用できないとは思うのですが、NPI認可子として時の助辞も
含められていて、実際に認可できるという事実がある。いっぽう、日本語のように認可しない言語も
ある。はてさて、まずは問題設定から因子分解していかなければならないのですが・・・
892 :
ぴっぽ:2006/11/28(火) 08:23:58
NPIの種類についてはZwartsの`Three Types of Polarity'というのがいいまとめかもしれないですね。
Kluwerから出ているPlurality and Quantificationという本の中に収められています。
日本語の「前に」がNPIを認可しないというのは、通言語的にはけっこう?な現象にも思えます。
negative concordと呼ばれるロマンス語系の言語でも、Giannakidouによれば、日本語のnpiと
同じ振る舞いをするとされるギリシア語のfocused n-wordsもbefore節には認可されますし。
npiの認可についてですが、negative concordと呼ばれる言語は基本、clause boundで、licensorが
clauseの外にある場合にはnpi(というかnegative concord item)は認可されません。
一方で、英語なんかのnpi言語では、licensorがnpiをc-commandしている限りにおいてはclauseを飛び越えても
平気ですし、complex NPやwh-islandなんかが介在してもnpiは全然ok(この「全然」に違和感を感じなく
なりましたが、明治・大正期にもnpiではない「全然」が存在していたようですね)。
そもそもwatanabeさんがおっしゃられるように、日本語がnpi言語なのかどうかから疑う必要はあるのではないかと
思われます。
ぴっぽさん
詳細なコメント、ありがとうございます。
私が読んだ韓国語のNPIに関する論文も、挙げていただいたZwartの論文に依拠していたように
思います。
日本語がNPI言語なのか、という問いは興味深いですね。でも一方で、普遍的に見られることが
日本語に見られない場合、もしかして着眼点がまちがっているのか、という疑念もぬぐい去れない
わけで・・・
日本語の場合、取りあげられる要素が確かにclause mateを否定要素とするときに判断が安定していたり、
neg raisingの動詞だったり、ということがありますね。
ともあれ、有益なコメント、ありがとうございます!ふむふむ、before節のところが俄然気になってきました。
894 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/18(月) 15:28:28
before節とは関係ないのですが、NPIがらみでひとつ。
本日まわってきたアドレス変更のお知らせ(言語系メー
リングリストなんで、ここ見てる人はほとんど受け取っ
ていると思います):
> xxx@yyy に変更になります。
>2007年3月末までは両方のアドレスが使えますが、
>4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。
「だけしか〜ない」の実例ですが、みなさんの容認度はどうでしょうか。
895 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/19(火) 23:50:15
よく考えてみるとおかしいような気もするがまあ普通にOKとするだろうな。
896 :
仇鱒:2006/12/22(金) 19:21:53
仇ちゃんでつ。ちょっとだけ出張(^ ^)
>「だけしか〜ない」の実例ですが、みなさんの容認度はどうでしょうか。
わし的には正直あんまりイクない。てか、かなり落ち着きが悪
いしわしはそんな言い方はしない。「だけにしか〜ない」にするとそこそこ
(てかずっと)よくなる(希ガス)。
てか、これ↓だが、
>言語系メーリングリストなんで、ここ見てる人はほとんど受け取っ
>ていると思います
わしそんなメールもらってねぇし。てか、わしが入ってるメーリングリストっ
て、taclと燈台のオオホリが中心なってる認知ぶんぽーのメーリングリスト
だけ。で、スレ違いなのは重々承知しているが、これはぜひ入っておいた方
がええとゆうメーリングリストがあったら教えて栗。わしも入会したいから。
てか、入会断られたりして、わし(ワラ)。
てなことだが、スレ汚しすまそん♪
「だけしか〜ない」の、
太郎だけしか来なかった。
なんてのはそこら中にあるし、普通にokにょろ。けど反対にすると悪いニョロ。
*太郎しかだけ来なかった。
898 :
仇鱒:2006/12/24(日) 17:45:29
を、かかりからレスがついてるか。てなことで、またまた出張の
仇ちゃんでつ(^ ^)
ま、次↓の文はたしかにパーフェクトだが、
>太郎だけしか来なかった。
やぱ次↓の文はイクない。
>4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。
で、上でわしが書いているように、上↑の文をこの↓ようにするとイクなる。
>4月からは新しいアドレスだけにしか受け取れなくなります。
あるいはこれ↓もそこそこイイ。
>4月からは新しいアドレスにだけしか受け取れなくなります。
ま、どーでもええことだけどな。
で、これまたどーでもええことだが、最近はどーもクリスマスプレゼントを2
4日(つまり今日)の朝(つまり今朝)ガキに与える慣習が増えているよー
だな。で、近所のガキがわしのうちに今日遊びにやってきて「えっ!仇んち今日
サンタ来なかったの?」とかホザきやがったのだよ。で、わしのガキは二人
ともガ〜ン♪てな感じでその場に崩れ落ちたわ。「なんでうちには今日サンタ
こなかったの・・・」てな感じでだな。こんな感じで→ ORZ 完全に崩れ落
ちてたわ。やぱ、こーゆーのマズイよな。ま、どーでもええ話だが。
てか、今日はこれからサンタにコスプレってアレやコレやせんといかん
わ。ったく、、、今年はブッダの格好でもしてやるかな、、、。てなことで
無駄話しちゃったがしばらく虚無宅@音楽スレでまた〜りしてくるわ。とはゆー
ものの、次回のカキコミは明日以降になるけどな。
まる子ちゃん見てくるわ。じゃ〜な。てなことでまたもやスレ汚しスマソン♪
899 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/24(日) 22:18:09
>>897 >太郎だけしか来なかった。
>なんてのはそこら中にあるし、
>普通にokにょろ。
これ、どういう意味でokって言ってるの?「太郎しか来なかった」と同じ意味?
もしそうだとしたら、これは、「太郎だけ来た」とこんがらがって、勢いで言っ
てしまってような文じゃないのかな。もちろん、実例はごろごろあると思うけど、
文法的な位置付けとしては、慣用化した誤用ってところじゃない?
仇藻、相変わらずのトンチンカンにょろね。
>4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。
が悪いのは「だけ」でも「しか」でも「に」を含めPっぽい助詞、は省略できないことに
起因しているニョロ。
*4月からは新しいアドレスしか受け取れなくなります。
*4月からは新しいアドレスだけ受け取れます。
よって「だけしか」というのが悪いかどうか、とは全くの別問題ニョロ。
歴史的なことはさておき、事実として「だけしか〜ない」というのは本や雑誌を読んでいると
しょっちゅう出てくるにょろ。それで
>4月からは新しいアドレスだけにしか受け取れなくなります。
のように間にPが入る形もあり、もし「慣用表現」ってのならdiscontinuousになるにょろ。
そもそも慣用表現ってのが仮に正しいとしても「*しかだけ〜ない」ってな明らかに*なのは
なぜ慣用表現にならなかったか、とか多くの疑問が出てきて、説明にはナランにょろ。
「だけ」と「しか」にはsystematicな違いがあるニョロ。
例えば「は」をつけてみると
*太郎しかは来なかった。
太郎だけは来た。
のような違いがあるにょろ。いろいろ調べていけば、玄人好みの論文なら書けそうニョロ。
903 :
仇鱒:2006/12/25(月) 06:28:17
おはよ。
>仇藻、相変わらずのトンチンカンにょろね。
何のこっちゃ。わしは
>>898で自分の直観報告しただけだぞ。
てか、
>>899をわしと勘違いしているようだが、
>>899はわしじゃねぇぞ。
ちゅーか、かかり@
>>900は次↓の文をイクないと判断しているが、
>*4月からは新しいアドレスしか受け取れなくなります。
>*4月からは新しいアドレスだけ受け取れます。
これ↑は本当にダメか?わし的にはじぇんじぇん問題ないぞ。てか、かかり
海外生活長いから最近日本語の直観狂ってきてね?あと、生成スレのかかりの
レスにはレスしてやらん。アホらすいから。
あとついでだからもうちょい書いてやるが、次↓の(1)ー(2)は意味が違
うよな?
(1)太郎しか来なかった。
(2)太郎だけが来なかった。
(1)は「他のみんなは来たけど太郎は来なかった」の意味と「他のみんなは来
なかったけど太郎だけが来た」の意味があるよな。つまり、まったく逆の意味が
共存する面白いアンビギュイティを示しているよな?そんなことね?一方(2)
は「他のみんなは来たけど太郎は来なかった」の意味しかねぇよな。つまり、
意味的には(1)が(2)をカバーしているような形になっている罠。
ま、そんなところだがじゃ〜な。おじさん今日は出張だ。がんがってくっぞ〜♪
(^ ^)
904 :
天ノ川 創:2006/12/25(月) 07:13:05
アマテラス降臨!
905 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 10:22:40
899です。
>>901 > そもそも慣用表現ってのが仮に正しいとしても
>「*しかだけ〜ない」ってな明らかに*なのは
> なぜ慣用表現にならなかったか、とか多くの疑
> 問が出てきて、説明にはナランにょろ。
そうですね。「慣用表現」って言ったのはよくなかったかもね。
でもね、そもそも「しか」って「東京からしか/*しかから行け
ない」「東京までしか/*しかまで行けない」みたいに純粋な後
置詞を付けられないよね。もちろん、「だけ」は後置詞じゃない
けど。この手の表現って、語順に制限があるのはめずらしくない
よね。他の例では、「太郎さえも/*もさえ来た」なんかもそう
かな。だから、ここらへんは、各語彙特有の性質があって「*しか
だけ〜ない」が*であることは、大問題ではないかもしれないよ。
906 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 10:24:25
また、引き続き899です。
>>899で聞きたかったのは、「太郎だけしか来なかった」と「太郎
しか来なかった」に意味の違いがあるのかってことなんだよね。
かかりちゃんさんは明確にレスしてくれてないけど、もしこの2つ
の表現に違いがないのであれば、「だけ」の意味が空洞化しちゃっ
てるってことじゃないのかな。それで、「慣用化」って言っちゃっ
たんだけどね。
ここ、意味論スレだからもう少し言うけど、結局、「太郎だけしか
来なかった」がOKとして、この文全体の意味を、通常仮定されてい
る「だけ」の意味(および統語操作)と、「しか〜ない」の意味
(および統語操作)から構成的に合成できるかってことが問題だと
思うんだよね。これができないんだったら、「説明」のひとつの可
能性は(かっこにいれたのは、おそらくかかりちゃんさんのいう
「説明」とは意味が違うかもしれないから)、「だけ」の意味が空
洞化している、もしくは通常の意味とは異なっている、ということ
だと思うんだよね。違う見方をすると、通常の意味で「だけ」を使
っているのなら、「太郎だけしか来なかった」は*ってことになる
んだよね。
長くなってごめんなさい。
だけ=D,これだけ=D(これ)、しか=Sh,これしか=Sh(これ)、
太郎だけ来なかった=¬D(太郎)
太郎しか来なかった=Sh(太郎)=(1)D(¬太郎)(←太郎でない人のみが来た)、(2)¬D(太郎)(←太郎のみ来なかった)※
>>903 太郎だけしか来なかった=Sh(D(太郎))
=(1)D(¬(D(太郎))=¬D(太郎)(←太郎だけ来なかっただけ=太郎だけ来なかった)、
=(2)¬D(D(太郎))=¬D(太郎)(=太郎ただ一人だけ来なかった=太郎だけ来なかった)、
>>906にいう
>「だけ」の意味(および統語操作)と、「しか〜ない」の意味 (および統語操作)から構成的に合成できるかってことが
を量化子を作って行ってみると「だけしか〜ない」は「だけ〜ない」と同じだと思われるが、
「太郎だけしか来なかった」の文は
A.「他のみんなは来たけど太郎は来なかった」
B.「他のみんなは来なかったけど太郎だけが来た」
の二様の意味に取れるか?
・全員来た?、いや太郎だけしか来なかった(=B)
・来ていない人は多いか?、いや太郎だけしか来なかった(=A)
個人的には上のように二様あると思われる。
「だけしか」は「しか〜ない」に加えて「だけ」をつけた強調の表現だろう。
(
>>899>これは、「太郎だけ来た」とこんがらがって、勢いで言ってしまってような文じゃないのかな)
908 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 17:18:33
>>906 >
>>899で聞きたかったのは、「太郎だけしか来なかった」と「太郎
> しか来なかった」に意味の違いがあるのかってことなんだよね。
> かかりちゃんさんは明確にレスしてくれてないけど、もしこの2つ
> の表現に違いがないのであれば、「だけ」の意味が空洞化しちゃっ
> てるってことじゃないのかな。それで、「慣用化」って言っちゃっ
> たんだけどね。
「だけ」の意味が空洞化しているかどうかは、
きちんと意味論を組み立ててみないとわからないと思う。
近い意味で(しかも量化で)重なるのは他にもあるでしょ。たとえば、
(1)どの学生も全員合格した。
のように、全称量化が二つ重なったり。これが変だって人はいるかもしれないけど。
909 :
仇鱒:2006/12/25(月) 17:53:09
こんばんわ。またもや出張の仇ちゃんでつ。
>>907 うむ、で、わしの直観をまとめると次のようになる。
(1)太郎しか来なかった。 (可能な解釈:(ア)(ダ))
(2)太郎だけ来なかった。 (可能な解釈:(ア))
(3)太郎だけしか来なかった。(可能な解釈:(ア)(ダ))
(ア)「他のみんなは来たけど太郎は来なかった」
(ダ)「他のみんなは来なかったけど太郎だけが来た」
ま、事実だけを書くとこんなところ。ただ、(3)はちょいと違和感がある。上
で誰かがゆっていたように、(3)は(1)を強調したような文だと思う。
ただ、強調した分逆に意味がよく分からなくなってきているが、、、。だから、
なんつーか、強調しても意味がなくて「馬から落馬した」みたいな文
のようになっているようにも思える。よくわかんねーや(ワラ)
で、一方これ↓だが、
>(1)どの学生も全員合格した。
これ↑はわし的には「馬から落馬した」的ではない。とゆーのも、「どの
学生」は学生一人一人をピックアップした意味合いをもち、その一方「全員」は
学生を束で取り上げている感じがするから。だから、わし的には上の文は次↓
のような感じ。
(4)every学生もall合格した。
てなことで、わし的には上の学生の例は「馬から落馬した」的ではない。
さて、生成スレにちょいと書いてメシでも喰ってくるかなー。と思ったら、組
の若いもんから何か面白そうなメールが届いているじゃねぇか。ニヤニヤ♪
てなことで、もう少し時間したら生成スレにひとことカキに逝くわ。じゃ〜な。
910 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 18:34:38
899です。
>>907 >>909 そうか、「太郎だけしか来なかった」を「太郎が来なかった」で解釈
できる人もいるんだ。この場合、あたかも「しか」が機能していない
ような解釈だよね。この解釈があるのなら、「だけ」の空洞化とか言
っちゃだめだね。
ネタ元の
>>894 >4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。
では、「だけ」が空洞化したような解釈でないとおかしいから、
そこにしか着目してなかったんだ。
>>908 >近い意味で(しかも量化で)重なるのは他にもあるでしょ。たとえば、
>
>(1)どの学生も全員合格した。
まーね。でも、これは、「どの学生もほとんど/たいてい合格
した」のようにも言えるから、「近い意味で重なっている現象」というよ
り、名詞の量化とVP副詞の量化をどう関連付けるかっていう一般的問題だ
よね。これって、東大のタ○ク○ディ先生がやってたよね。
911 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 18:56:01
また899です。すみません。
ぐぐっちゃいました。
まず、「だけしか」は、さっとしかみてませんが、ほとんど
「だけしか〜ない」が「しか〜ない」の意味で使われてい
るようだね。
次に、「しかだけ」。これびっくり。以下に4つほど、
引用しますね。
(i)
>例えばあなたが洒落たレストランに行ったとする。メ
>ニューを見ると,「子羊のステーキ プロバンス風」
>「子羊のシャンパン蒸し ローヌ風」「子羊のパテ
>シャスール風」の3つしかだけ。
(ii)
>自分が生きるしかないのだと そんな説教も耳を貸さず
>探し求めていた 捜索し続けている
>ホームとバウンドしかだけしかないホームグランド
(iii)
>初心者向けのハンドヘルドってHPの何機種しかだけに
>なってしまうんだろうか。
(iv)
>魚介類は、骨ごとぶつ切り。イトヨリは、身が柔らかくて
>骨しかだけが残りませんでしたが、これが、かえって
>ダシとして良かったようです。
(ii)なんて強烈だよね。「しかだけしかない」だもんね。こうい
うのみてると、「だけしか〜ない」も基本的にはやっぱり誤用
なんじゃないかと思ってしまうんだが。
912 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/25(月) 19:36:01
>>910 >
>>908 > >近い意味で(しかも量化で)重なるのは他にもあるでしょ。たとえば、
> >
> >(1)どの学生も全員合格した。
>
> まーね。でも、これは、「どの学生もほとんど/たいてい合格
> した」のようにも言えるから、「近い意味で重なっている現象」というよ
> り、名詞の量化とVP副詞の量化をどう関連付けるかっていう一般的問題だ
> よね。これって、東大のタ○ク○ディ先生がやってたよね。
そこまでわかってるなら話が早い。
「だけ」と「しか〜ない」を規定して、「だけしか」で「だけ」の
意味が消えているかどうか確かめた方がいいんじゃない?
Tは「どの学生も」を量化でなくてmaximal pluralityで定義し直していた。
「だけ」も単にonlyのようにするのではなく、そこから「しか〜ない」と
合成できるように定義すればいいんじゃない?
たとえば(「だけ」や「しか〜ない」のfocus sesitivityを無視すれば)
[[NP-だけ]] = λP.σxP(x) = [[NP]]
[[NP-しか VP-ない]] = ¬∃x[ x≠[[NP]] & x∈[[VP]] ]
日本語のNPはKurafujiにしたがってkindとして解釈されるとする。
「NP-だけ」は<et,t>になっちゃうけど、lambda termより後ろの形から
<et,t>からeへのtype shiftが可能で、結局type shift後は[[NP]]と
同じdenotationになるとしていいだろう。うまくいきそうだけど。
お邪魔します。言語学は門外漢の者ですが、「だけ」は「(唯一)〜のみ」という意味しか
無いので、その後に「来なかった」と続くと、「太郎は来なかった」としかなり得ず、
一方、「しか」は「わずかにそれ(その数)だけ」と「わずか」いうニュアンスが含まれて
くるのではないでしょうか。そして「しか」の担う意味において、「わずか」という意味の
方が「だけ」という意味よりも強いのではないのかと思います。
「太郎しか来なかった」が「太郎は来なかった」になりうるのは、そのためで、
「太郎だけしか来なかった」が「太郎は来なかった」になる説明は、上手くできませんが、
文全体の「印象」みたいなものを支配する力において、「しか」の方が「だけ」よりも強力
だからというような気がします。
全くとんちんかんな意見なら無視してください。
を、ちょっと時間が出来たニョロ。
>>*4月からは新しいアドレスしか受け取れなくなります。
>>*4月からは新しいアドレスだけ受け取れます。
これは「新しいアドレスを受け取る」って意味でならokにょろが「新しいアドレスに(メールを)
受け取る」ってのは無いニョロ。仇がいっとるのはおそらく前者の意味で言っておるんニョロ?
以下参考例。
>>*4月からは新しいアドレスしかメールを受け取れなくなります。
>>*4月からは新しいアドレスだけメールを受け取れます。
>てか、
>>899をわしと勘違いしているようだが、
>>899はわしじゃねぇぞ。
だれも勘違いしとらんよ。
>>*4月からは新しいアドレスしかメールを受け取れなくなります。
>>*4月からは新しいアドレスだけメールを受け取れます。
「で」が入ったほうがいいがこの文でもOKでしょう。
>>915 あっしにはクリアに*にょろけどね。
「新しいアドレス」がtopicaliseしているのかもにょろ。
参考例:新しいアドレス、4月からはメールを受け取れなくなります。
はokにょろ。
「だけしか」ってのの「慣用」ってのの言っている意味がようやくわかったにょろ。
それにしても「しかだけしか〜ない」ってのはスゴイにょろ。
「しか」は
i)学生は太郎しか来なかった。
のように「学生」という集合のsubsetをのぞく否定であると。「だけ」の意味がもし
「しか〜ない」と同じなら、ii)はi)と等価で、
ii)学生が太郎だけきた。
もし、iii)で「だけ」にも意味があるのなら、
iii)学生が太郎だけしか来なかった。
学生という集合のsubsetのsubsetの否定の否定、ってことになっちゃうにょろか。
でも「だけ」は否定ではないから否定の否定ってのがちょっとおかしい気もするニョロ。
でも「勢いで言っちゃっている」ってのがなんというか科学的な説明ではないという
かんじがするにょろ。「太郎しかしかこない」なんてのはさすがにググっても出てこないし、
それを「勢いで」なぜ言っちゃわないか、ってのも疑問になるニョロ。
「だけだけ」も関係ない例しか出てこないニョロ。
今日はクリスマスだからチキンの丸焼きをするのでここまで。
918 :
仇鱒:2006/12/26(火) 06:30:54
おはよ。
>仇がいっとるのはおそらく前者の意味で言っておるんニョロ?
いんにゃ。後者の意味。てか、わし的には「に」を入れて次↓のようにすると
完璧。
>4月からは新しいアドレス<に>しかメールを受け取れなくなります。
>4月からは新しいアドレスだけ<に>メールを受け取れます。
てかこの↑場合「に」の入れる場所が「しか」と「だけ」では違ってくる罠。
>あっしにはクリアに*にょろけどね。
うっそー。マジか?わしには次↓の文は100%おkだぞ。
>4月からは新しいアドレス(で)しかメールを受け取れなくなります。
>4月からは新しいアドレス(で)だけメールを受け取れます。
>4月からは新しいアドレスだけ(で)メールを受け取れます。
で、今度は「で」の場合は、「しか」だとその前にしか置けれなくて「だけ」
だとその前後に置けれる罠。
ちゅーか、マジでかかり海外生活長いから日本語の直観狂ってきてね?いや、
マジで。
しゃて、朝飯喰って一息ついたら生成スレに逝ってちょいと書いてくるかな〜♪
919 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/26(火) 12:14:47
899です。
>>912 ふむふむ。912さん頭いいね。「だけ」の意味を英語流のuniqueness/
maximalityでとらえようって試みだね。「太郎だけ」ってのを、Pを
満たす個体のmaximal sumが「太郎」と等しいってことで表しているわ
けだね。気になるのは、<et,t>をeにshiftするってところだね。こういう
のってあったけ?<et>をeにするのはあるけどね。このタイプ変換が妥当
ならうまくいくね。それから、
>>907 >>909で報告があった「だけしか〜
ない」を「だけ〜ない」のように解釈するケースはどうかな。「しか〜な
い」は量化表現として定義しているから、これをどうにか<et>にするって
のは結構なテクノロジーを必要とするかもね。でも、できたらすこいよ。
920 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/26(火) 12:15:49
引き続き899です。
>>917 > でも「勢いで言っちゃっている」ってのがなんというか科学的な説明
>ではないというかんじがするにょろ。
まー、第一印象ということで、ご勘弁を。言い訳ではないけど、
>>913 さんの発言を読んでちょっと思ったこと書きますね。「(お金なら)こ
れだけあります/これだけしかありません」ってOKだよね。「太郎だけ
しか来なかった」に違和感を感じるひとでも、これは完璧だよね。で「こ
れだけしかありません」の「だけ」って、「太郎だけ来た」の「だけ」と
は異なるよね。「太郎だけ」は「他はちがう」って意味で(以下only用法
と呼ぶね)、「これだけあります」の「だけ」は文脈で必要とされる量を
示しているよね(以下、「量」用法と呼ぶね)。この2つは違うんだけど、
「これだけしかない」みたいに、「量」用法の方は、「しか〜ない」と共
起できて、そこから、「だけしか〜ない」ってかたちで、いったん定着し
ちゃうと、only用法の「だけ」もその使用範囲を拡大して、「太郎だけ
しか来なかった」といえるようになった(あるいは、OKとするひともで
てきた)ってのはどうかな。梶ta先生の動的文法理論とか使えば、もっと
かっこ良く言えるかもしれないけど、あんまり詳しくないんだよね。最近
の構文文法ってのもこんな発想するのかな。個人的には、
>>912さんのア
プローチが好き。
長くなってごめんなさい。(こさかな先生、出て来ないね)
921 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/26(火) 16:47:30
>>919 >
>>912 > ふむふむ。912さん頭いいね。「だけ」の意味を英語流のuniqueness/
> maximalityでとらえようって試みだね。「太郎だけ」ってのを、Pを
> 満たす個体のmaximal sumが「太郎」と等しいってことで表しているわ
> けだね。気になるのは、<et,t>をeにshiftするってところだね。こういう
> のってあったけ?<et>をeにするのはあるけどね。このタイプ変換が妥当
> ならうまくいくね。それから、
>>907 >>909で報告があった「だけしか〜
> ない」を「だけ〜ない」のように解釈するケースはどうかな。「しか〜な
> い」は量化表現として定義しているから、これをどうにか<et>にするって
> のは結構なテクノロジーを必要とするかもね。でも、できたらすこいよ。
899さんが数式読めるようなのでもう少し突っ込んで書くと。
<et,t>をeにshiftするのは一般的には可能ではないが、
ある条件が揃えば意味論的に自然なshiftを定義できる。
D_eからD_<et,t>の"中への"一対一の写像で、
shiftの定義に使えそうなのは、次の二つ。
ひとつは、D_eの各要素aに対して、D_<et,t>をブール代数と見なして、
その要素であるaによって生成された主-フィルターを対応させる写像。
式で書くと、f(a) = λP.P(a)になるようなf:D_e→D_<et,t>。
もう一つは、いわゆる自明な写像で、D_eの各要素aに対して、singleton set
{a}を対応させる写像。こっちは本当に自明だから、説明もいらないでしょ。
つづく
922 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/26(火) 17:14:55
どちらも一対一の写像なので、そのinverseも(D_<et,t>の当該の
部分集合上で定義される)関数になるから、どちらもshiftの規則として
申し分ない。特に主-フィルターの方はいわゆるモンタギュー規則
(by Gamut)だから普通に使えるでしょう。
主-フィルターへの写像と自明な写像のどちらがこの場合向いているか
というと、はじめは自明な写像の方がいいかと思ったけど、余り差は
ないかなという感じ。
曖昧さについてなんだけど、意味の解釈にtype shiftだけでなくQRも
許すとして、
太郎だけ_i [ e_i しか来なかった ]
の解釈があるとするとどうなるか。
[[太郎だけ]] = [λP.σxP(x) = Taro]
[[ i [ e_i しか来なかった ] ]] = λx.¬∃y[ y≠x & y came ]
[[ 太郎だけ_i [ e_i しか来なかった ] ]] = [σx(¬∃y[ y≠x & y came ]) = Taro]
あれっ w w w w w うまくいかない w w w w w w w w w w w w w w w
...orz
923 :
仇鱒:2006/12/26(火) 18:33:33
こんばんわ。
やれやれ、昨日に続き今日も近場にちょいと出弓長でつよ。やでやでちかれた、
ちかれた。てか、びっしゃ・びしゃだ。ちゅーか、明日も朝からお出かけだよ。
なんか最後の最後までバタバタしてまつよ。
で、そろそろハナシがフォローできなくなってきている仇ちゃんだが、ま、
ちょいとだけちょっかい出させてもらうかなー。ははははは。
>>919 >「だけ」の意味を英語流のuniqueness/maximalityでとらえようって試みだね。
これ↑とこれ↓だが、
>>920 >「太郎だけ」は「他はちがう」って意味で(以下only用法
>と呼ぶね)、「これだけあります」の「だけ」は文脈で必要とされる量を
>示しているよね(以下、「量」用法と呼ぶね)。
ようするに、あれか、久里予@機能論者なんかのゆー「総記」とか「排他」
のことをゆってんのか?だとした場合、「太郎がこなかった」と「太郎
はこなかった」ではどっちがonly読みの文に相当するんだ?
てか、いつも思うのだが、形式意味論て記号ゴチャゴチャつかって一見高尚
なことやっているようで、実はイージーなことしかやってねぇんじゃねぇかと
思ったりする。てなことでどーぞ無知で無恥なわしを鞭で叩いて栗(ワラ)
ピシ・ピシ♪(←かつてモンタギュを勉強しようと臼水社の訳本とか臼井氏の
本を読み漁ったりしたが結局シュキになれませんですたよ。はい。
さて、メシ喰ってくるかなー。
次のようなのをおかしいと感じるのは私だけでしょうか・・・
4月からは新しいアドレスに受け取れます
>>924 四月からは新しいアドレス「で」受け取れます。
?四月からは新しいアドレス「に」受け取れます。
?四月からは新しいアドレスで着信します。
四月からは新しいアドレスに着信します。
やっぱり格助詞の差じゃないっすかね。
>>924 おかしいと思います。
受け取るといる瞬間性のある動詞が「場所+に」(アドレスは本来場所を表す名詞ではないが
場所のような意味で使っている)と合わないという点が一番の原因だと思います。
○ここで受け取る
×ここに受け取る
×ここで住んでいる(状態的・静的な動詞)cf. ○ここで生活している
○ここに住んでいる
927 :
仇鱒:2006/12/26(火) 19:50:24
あ、ありゃ、わしのカキコはスルーでこさかなの弟分のカキコにはレス
ありか、、、。どてっ♪
てなことで、わしも仲間に入れさせてもらおっと♪(ワラ)ま、わしもジャッジ
は
>>925に禿道で分析は
>>926に禿道だな。てか、もうちょいゆーと、「受け
取る」つーのは項をとらないと。だからとるとしたらアジャンクトで、
そんでもって格助詞としては「で」が選ばれると。そんで「着信」は「〜に着信
する」というようにデフォで「〜に」で表される項をとると。だからデフォでは
格助詞として「に」をとると。ま、そんなもんじゃねぇかな。ま、
>>926のように
アスペクトの観点から攻めるのもイケてるとは思うけどな。
928 :
仇鱒:2006/12/26(火) 19:55:48
あ、ちょっと誤解のある書き方したからちょいと補足。
>てか、もうちょいゆーと、「受け取る」つーのは項をとらないと。
もちろん「に」格を伴う項をとらないとゆーことな。
揚げ足撮られる前に足下ろしときますた。はい。
>>927 記号の意味がわからないので仕方なく分かりそうな部分に食いついているだけですよ。
930 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/26(火) 20:03:30
920を書いた899です。
>>923 >ようするに、あれか、久里予@機能論者なんか
>のゆー「総記」とか「排他」のことをゆってんのか?
んー、そうでもない。920は形式意味論ではない、別のアプローチ
の可能性を、ほんとに表面的にさらっと書いたまでだよ。
>>923 >てか、いつも思うのだが、形式意味論て記号ゴチャゴチャつかって
>一見高尚なことやっているようで、実はイージーなことしかやって
>ねぇんじゃねぇかと思ったりする。
あたり。言語をイージーな操作でもって分析できることに美しさを感じ
てるんだよ。仇鱒さんもどこかでHPSGに萌えーって言ってたように思
うけど、その萌え感覚もおなじようなものじゃないのかな。
あっ、こさかな先生出て来た。話の流れは、助詞の選択の問題になっち
ゃてるね。「しか〜ない」と「だけ」の関係についても、こさかな先生
になんか言ってほしいな。
うわーん、ごめんなさい・・・
流れよんでなくて、僕のパソコンの履歴で読んだら900前のほうにレスしてました(劇鬱
読み直してでなおしてきます!(930さん、ご期待にそえるかどうか・・・)
仇兄から久里予の名前がでましたけど、『言語学と日本語教育』とかって論集に
久里予がもろに「だけしか〜ない」を扱ってませんでしたっけ?
○善で3〜4年前に見かけたけど買いそびれちゃって・・・どなたか読んだかた、
ここでの議論と絡みますか?教えてください!(すみません・・・)
まとめレス失礼。902のかかり氏に激しく同意で
>「だけ」と「しか」にはsystematicな違いがあるニョロ。 例えば「は」をつけてみると
>*太郎しかは来なかった。
>太郎だけは来た
のような分布様式の違いを見て行くだけでも何か見えると思います。「だけ」は語源的に
「丈」であると言われていて、ちょっとこれは眉唾なんですけど、確かに名詞としての
性質はもっているようで、副助詞などに見られるattachment propertyをみて一パラダイムを加えると
(ex. 本モ読まない、本を読みモしない)
太郎シカ来ない、太郎が来シカしなかった
太郎ダケ(が)来ない、太郎が来るダケではない
というようにダケがつくと連体形になったり、また、シカとダケでは位置の変化と含意関係が
異なっている、とか(ダケのほうはexternal negationになる)。
多分こういうのを列挙していくと意味との関わりも見えてくるかもです。
>917さん
>[[NP-しか VP-ない]] = ¬∃x[ x≠[[NP]] & x∈[[VP]] ]
は
...=∀x[[[ x∈||NP||]&x≠a] ->[x∈¬||VP||&a∈||VP||]]
みたいな感じじゃないでしょうか(エレガントじゃないけど)
>922氏
ダケは論理式における選択制限を示し、必要なものがないときに演算子σを導入する、
というふうにして、上の論理式に代入したらだめでしょうか?ad hocだけど
このような論理式へのはめ込みに関わる選択制限、そしてそれに違反するときに
挿入される演算子とすれば「意味の空洞化」というのはcompositionalにもとらえられる。
でも「NPしか」と「NPだけ」のNPの部分を属性にして含意関係を調べると違いがでそうな・・・
差がでるようなことを繰り返すと、
(i) comparative conditional
努力すれば努力したダケよりよい結果が得られる
*{努力すれば/努力しても}努力してシカ結果が得られない
cf.努力すれば努力したブン(分)よりよい結果が得られる
(ii) NP内への生起
努力したダケの成果が得られない
(シカの例はうまくつくれない)
努力した分の成果が得られない
その他、シカはclausal adjunctに生起してmatrixに認可されることは不可能とか、
特定の位置のPROのコントローラーにはなれるが、別の位置ではそうなれず、major subjectを
補うという手当が必要になる、とかありますが・・・(前者はN氏の論文、後者はT氏の論文に
依拠してますm(__)m)
ぶっちゃけ、「〜ぶんしか・・・ない」みたいのと同じ?というのがこさかな案です
(多分まちがってる)
935 :
仇鱒:2006/12/27(水) 07:11:26
おはよ。てか、こさかなの弟分、代理カキコ乙でつm(_ _)m
さて、今日もこれから某所に出弓長だが(←リアル出弓長)お出かけ前
にちょいとだけ書くかなー。
>「だけ」は語源的に「丈」であると言われていて、
あれだなー、日本語のひらがなって文法化されたものがかなりある罠。で、この
文法化されたもの(すなわち機能範疇化したもの)は原則演算子として機能
する罠。そう考えると、ひらがな扱うときってほんと面倒だなーと思う。マジで
語源とかも考えないとその語の独特な振る舞いなんかも説明つかないと思うし。
英語の法助動詞みたいな小さい語みてもそれは一目瞭然だ罠。mayにせよmust
にせよ、こいつらはもともと動詞であったわけだ罠。でもひょんなことから
助動詞に格下げされたわけだ。で、それと同時に法性をもち、話者の(価値)
判断なんかも取り込むようになっちゃったわけだ。で、それと同時に可能世界を
考慮せざるをえなくなり、アッチの世界とチャンネリングするために演算子
として機能するようになったわけだ。そんでもって形式意味論てか様相論理学で
は□やら◇にコスプレって登場という案配だ。ま、ミニサイズの単語を見たら気
を付けろとゆーことかな。ようするに、ミニサイズの語ほど中身
がつまってるぞ、と。ま、そんなところだろうな。aにしてもtheにしても「は」
にしても「が」にしても体が小さいほど真偽値に大きな影響与えるし
語彙範疇以上に情報量が大きいしな。ま、これも機能範疇つーのはある意味、
語彙範疇にさらに情報が付け加わった帰結かもしれねぇ罠。まあ、
ようするにあれだ、機能範疇つーのは語彙範疇から意味を抜き
取ったものではなく、その逆で、語彙範疇にさらに意味を付け加えたものとも言
える罠。
てなことで出弓長してきまつよ。じゃ〜な♪
934に書いたことは本質的に>920さんが言っていたことかもしれない・・・
言及してないうえに、大事なこと落としてるし・・・
920さんが「量」用法といったものと(以下、「」はずしますね)、それに対置させて
排他的な用法(いわゆる「とりたて」)を非量用法には、なんか、振る舞いの違いを
示す現象があった気がする・・・「だけ」だけじゃなく、「ほど」にも量用法と
非量用法があって、これについてはちょっと調べたことがあって、非量用法の「ほど」は
「それ」と組み合わせると、日本語には珍しく、誰かがfamily of NPI contextと呼んでた環境
すべてに現れる(前にここにかいたかも、です)。932は量用法にトリビヤルに成り立つけど、
非量用法についてはわからない。ここに920さんがいうような拡張の可能性があるかもしれませんね。
kaji田先生の動的理論では、chomskyの瞬時獲得仮説のかわりに、ある段階の獲得状態から次の
獲得状態への遷移に、ある段階の状態の情報が盛り込まれるのでしたよね。この辺りをまじめに
考えると913さんが挙げているような、びっくりするような用例のことも、一応counter-intuitiveだけど
なんか関係してくるかもしれませんね。
というわけでたいしたこと書けなくてご期待に添えませんでした、とほほ・・・
仇兄の文法化の話に絡めて言うと、最近、東日本方言にみられる「さ」「こと/とこ」はそれぞれ
「さま(方向:ふりむきざまに、とかにでるやつ)」、「のこと(ぼくのこと、ぶったね、とかのやつ。
前にここでも話題になりました)」に由来するとされ、特に後者は文法化との関連で研究されている
ようです。しかし共通語の「を」はもともと感嘆に発する音(おなぬーしたときに果てるときの声など?)
らしく、上代においては様々な環境にあらわれていたものが、平安時代に対格のマーカーとして
おちついたもののよう。「だけ」「こと」をみると、一体全体、抽象度というか、機能化の度合いというか、
semantic bleachingはすすんでるのかよ、と言いたくなるのですが、「だけしか」ってこういうことを
考えるよいケースかもしれない、といって私は逃げます。
兄貴たち、ちょいとおじゃましますよ。
あちきは日本語史ちうもんのプロパーで、ちょいと横文字に
弱おうございます。ただ古典籍を縦断して読んでると、
出てくる構文や単語の意味・機能の解釈するとき、
兄貴たちのおっしゃていることがヒントになるんでつ。
日本語の量を表す副詞や副助詞には、どうも量用法と
非量用法の両方があることが多いみたいでつ。
どちらの用法がメインか、とか、機能化が進んでいるか、とかは
語の出自や成立背景によって偏りがあるようなので、
そこに用法の違いや構文内における位置の違いが
階層的に生じるようでやんすな。
>>937 平安時代の「を」は、あちきにはまだ体格のマーカーとして
確固たる地位を築いてないような印象がありやす。
名詞句を作る「もの」にひっついて出てくる「を」(「ものを」)
や、「連体形+を」などは、まだまだ詠嘆の意味に重きが置かれてる。
抽象度の低さという意味では、平安時代の「を」も、「だけ」のような
新しい副助詞(「のみ」に比べると成立年代が若い)の振る舞いにも
似てるかも知れませぬね。
>938氏
うほっ!日本語史プロパーの方、いらっしゃいませでがんす。
拙者、何分、中途半端な知識でさべってるもんでがんすさけ、
いろいろご教示いただけるともっけでがんす。
>抽象度の低さという意味では、平安時代の「を」も、「だけ」のような
新しい副助詞(「のみ」に比べると成立年代が若い)の振る舞いにも
似てるかも知れませぬね
このあたり、専門家ならずては、という感じで有り難いです。
以前Ron Langackerせんせのトークに参加するチャンスに浴したとき、
メキシコのZapotec?、とかって言語の文法化の話をきき、質問したら逆に
「日本語の「から」もそうでしょ?」と言われました。
今では同胞(はらから)や族(やから)などダケにシカ残らない「から」は
平安時代には現在と同じような地位を確立していたのでは・・・とまた
中途半端な知識で言っちゃいますが、他に比べた場合の抽象度の低さ(あるいは文法化の進まなさ)が、
対格という文法の中枢に見られるというのは興味深いです。
「から」のような例って
より=寄り、へ=辺(ゆくえの「へ」)、のみ=〜の身、
べし=うべし(cf.うべなう)、き=来、けり=来+あり、ぬ=いぬ、つ=うつ、はつ、
めり=見+あり、なり=音(ね)+あり、ばかり=計り、など=何と
た=てあり(=状態)、
ずら=ずらむ(東海の方言、cf.あらむずらむ)、けに=け(理由)+に(近畿以西)、ばってん=ばとて(九州)
などあるがどこまで本当なのか微妙だろう。
>941氏
僕は「すら」は「空」から来ていると大学のときに習った・・・
・・・と、だらだら書いて今年でこのすれを埋める計画
938でつ。
>>940 >このあたり、専門家ならずては、という感じで有り難いです。
いや、むしろ専門の人たちの間でこういうことを言うと
目ン玉ひん剥かれるので、通常は酔った勢いか、こういう所
でなければとても言えやせん;
こざかなの兄貴のおっしゃるとおり、「から」は平安時代に
用法を確立していやす。(ただ、平安時代の出発点を表す助詞は
「より」がメインで、「から」がメインになるのは鎌倉時代くらい
からでやんす。)
平安時代の助詞の中では、対格の中でも方向を表す助詞「に」「へ」や
「より」「ゆ」、「から」などは、最も文法化が進んでいたグループ
だと思われ。しかもこいつらのなかで「に」「より」「から」などは
中世では接続助詞に機能を拡張していきやがったわけで、文法化の進度
にもレベルがあることを教えてくれまつ。
>>941にはあやしいのもあるし、それらしいものもありやす。
ちなみに、
「なり」は「にあり」、「た」は「てあり」→「たり」→「た」
説が有力でないかの?
訓点資料の一部や万葉集・土佐日記・蜻蛉日記など、には「にあり」や
「てあり」があるし、上代語色の強い資料を読んでいると、構文内の
位置から、語彙的意味を強く感じる用法のものがあるのでつ。
だからあながち胡散臭いばかりではないと思われ。
くさやの若旦那が滅法界鯔背なことばづかいをなさるんで、こっちはキムタク@田舎侍で
応じらへでもらうでがんす。
>最も文法化が進んでいたグループ
>中世では接続助詞に機能を拡張していきやがったわけで
このあたり、不勉強にも知らねぁがったでがんすが、「文法化」という一方向だけでなく、
一部「脱文法化」の方向といえる流れを辿らはたおのも居だでゅうごどでがんすのー
ところでうろおぼえなんですが、山羊書房の日本語の概説書で鈴木せんせが「副詞的な接頭辞は
上代でほとんど消えた」というようなことを書かれてたと記憶してるんですけど、そういうのが
消えてできたスロットに、位置も後ろになって、名詞がもぐりこんで、それが量の副詞になった、
みたいなことってありませんか?むりやり「だけ」の話とつなげようと思ったんですけど・・・
945 :
くさや:2006/12/27(水) 21:21:23
こざかなの兄貴は、ご無体なほど鋭い(^^;)
>>944の話は、あちきの研究対象に限りなく近いんで、ちょいと
話題から外そうとしてたのですが、ダメか・・・
(まだ駆け出しなんで、論文内容から面が割れるってことは
ないと思いまつが・・・)
その鱸先生は鯛先生のことでつか?鯛先生なら、お若いときに、
古代語の副詞を研究なさってましたね。
さて
>「文法化」という一方向だけでなく、一部「脱文法化」の方向といえる流れを辿らはた
でつが、
格助詞から接続助詞への変化については、たぶん別の機能に転成した
(意味A→意味B→機能C→機能Dのように)と考えてまつ。
ただ、日本語副詞ではしょっちゅう名詞から副詞への転成や、文法化と
脱文法化とも言える現象が起きていると思いまつ。
とらうごっと姐さんは、英語メインで文法化を考えてるからか
脱文法化については証拠となるいい用例がなくて、あまり
積極的には述べてないような気がするのでつが、それはあちきの
読み間違いでつかね?
>そういうのが消えてできたスロットに、位置も後ろになって、名詞がもぐりこんで、それが量の副詞になった、
みたいなことってありませんか?
鱸先生のおっしゃる「副詞的な接頭辞は上代でほとんど消えた」
という上代からの変化のつながりについてはちょいとわからない
ところがあるのでつが、↑の引用部分の考え方は、あちきの仮説に
限りなく近いでつ;
あと、どうも古代語の数量の認識と、現代語の数量の認識は
違うようなので、現代語の量副詞の特徴と認識では説明しきれない
ところがあるのでつ。でも、そこらへんの研究でピンと来るものは
善行先生が紀要でちょっと書かれてるくらいで、あまり研究が
進んでいません。
をっと、くさやの若旦那、ちょっと失礼してしまったかな・・・
面が割れるようなことは避けて、役に立つことは拾って、楽しみませう。
(くさやの旦那と話すのに、ちょっと『丸谷くん』が欲しくなったにゃ・・・)
鱸先生は、おっしゃるように鯛先生でつ。そういえばまた最近副詞の研究されてませんか?
機会をつくって勉強しまつ。
あと、遡りますが
>ちなみに、 「なり」は「にあり」(中略)説が有力でないかの?
は、341氏の意図は終止形接続の方かとおもはれ、でつ。
個人的に
>あと、どうも古代語の数量の認識と、現代語の数量の認識は
>違うようなので、現代語の量副詞の特徴と認識では説明しきれない
>ところがあるのでつ。
に惹かれてまつ。善行先生はカオシャン先生でつね?論文、電子化されてないかにゃー
くさやの若旦那に刺激されて、買って10年繙いたことのない石垣氏の『助詞の歴史的研究』を
ひっぱりだしてみました。でも、序を読んだだけで涙が(TT) 大野せんせの自伝にあった
助手人事にまつわる話を思い出し、また涙・・・
それでは、また・・・電源ぷっちゅーん(仇兄の真似)