卒論で顔文字について調べてまっす。
アンケートに答えてくださ〜〜い(゜o゜)
Q1.顔文字をどの位使いますか?
1よく使う 2時々使う 3使ったことはある 4使ったことが無い
Q2.今まで顔文字を何種類くらい使った?
1数え切れない 2数種類 31,2種類 4使ったことが無い
Q3.顔文字を使うのに場面を選びますか?
1いつでも使う 2場面を選ぶ 3気が向いた時 4いつも使わない
Q5.顔文字が使われている文章はどう思う?
1好感が持てる 2時と場合による 3不愉快だ 4何も感じない
Q6.顔文字が文章の理解に役立ったことはある?
1よくある 2あまりない 3全く無い
Q7.顔文字を使った文章でトラブルが起きたことは?
1ある2ない
Q8.Q7で「ある」と答えた方、どのようなトラブル?
Q9.顔文字を使うのに相手を選ぶ?
1選ばない 2考えてない 3選ぶ
Q10.あなたの年令は?
1 10〜20歳 2 20〜25歳 3 25〜30歳 4 30〜40歳
5 40〜50歳 6 50〜60歳
ご協力お願いいたしますφ(..)
言語遺体で初の2下と
(O´〜`)<板違いだこのばかちんが!
それにしても顔文字を「何に」使うか不問で卒論たりうるのか?
それとも↑この種の突っ込みの調査か? だとしたらいっそうの板違いだな
ねたすれ...だよな...
>卒論たりうる
人(の立場)以外に「たり」を付けるのは気持ち悪いな
(O´〜`)<言われて気になってgoo辞書引いた。ヒーチャン勉強になったよ。
批判らしい書き込みが見えるから少し考えてみた。
「たり」は人の位などについての資格、つまり
「ふさわしい」を表すのが古代から現代に通じる圧倒的に多い用法。
物のふさわしさをとう用法はあるが、後に衰えるようだ。
また今回は関係ないが単に「である」を表すのは古い用例しかない。
しかし今でも確かに「私の卒論たるには…」として不自然さは
あまりない。ただ人の資質と関わらない形で
「卒論たる物」などの(歴史的)用例はちょっと見当たらない。
それとも問題点は「うる」の方にあるのだろうか。
「うる」の歴史的用例は「できる」で、物事の可能性を
「あり得る」などというのは最近の用例のようだ。
確かに「私が卒論と認め得る」は問題ないが
「文章が卒論であり得る」は確かに少し不自然に思える。
さてさて他の者の意見はどうだろう
(O´〜`)<あ、人と人じゃないものの区別がつけられん「検索結果」だねこれじゃ。
どうも検索結果には単に、
「であり得る」の高級な表現として使っているように
見えるものが多いなあ。
広辞苑には、現代は重々しい表現として連体形「たる」だけが
使われる、とあるがその用法も資格の様だし、
古文から復活とも受け取れなくも無いが、
「うる」から言ってもどちらかというと新用法かな。
Q1.顔文字をどの位使いますか? 4使ったことが無い
Q2.今まで顔文字を何種類くらい使った? 4使ったことが無い
Q3.顔文字を使うのに場面を選びますか? 4いつも使わない
Q5.顔文字が使われている文章はどう思う? 3不愉快だ
Q6.顔文字が文章の理解に役立ったことはある? 3全く無い
Q7.顔文字を使った文章でトラブルが起きたことは? 使わないので、2ない
Q8.Q7で「ある」と答えた方、どのようなトラブル? 使わない
Q9.顔文字を使うのに相手を選ぶ? 使わないので、2考えてない
Q10.あなたの年令は? 3 25〜30歳
(O´〜`)<類推による新用法なのでしょうおそらく
小学館国語大辞典に「明治以降の文語文にはまた例が見える」と
あるのはそれの事かな。漢文訓読体の体をなしているが
「得」の用法も漢和辞典にある漢文のものとは違うように見えるし、
これが現代の用法につながると見ていいのかも知れない。
16 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/05 05:22
言語学(の一部)とか社会学(の全部)の卒論って、ホントに
くだらないことやってるよね。別に煽るつもりもないけど
中学生の夏休みの自由研究並のテーマだな。
何か理論を適用するワケでもないし、論理で弄ろうとするワケでもない。
しかも、たまに馬鹿なマスコミが取り上げたりするから
調子に乗ったりする。
まぁ中学生の自由研究をやっても良いんだが、各方面に迷惑を
かけるなよ、ってことと、データ提供者に感謝して結果を
報告するぐらいはしろよ、ってことを忠告しておく。
17 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/05 08:22
まとめると「たり」は「とあり」のつまった形で
その意味(「としてある」「となってある」など)で古代に使われたが、
以降はもっぱら人の資質についての用法のみになった。
そして明治以降になると、「である」の重い表現として
使われはじめた。ら抜き言葉が江戸時代からある事と対比すれば
かなり新しい用法であると言えるのではないか?。定着度、認知度は不明
しかし中国語はすごいよな
千年程度の用例だとまだ新しい言葉だと言うんだから
19 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/05 16:32
>>17 手元の辞書では古語辞典を含めて「たり」が人の資質についての用法のみとは
書かれていないのですが,どのような辞書にあたれば載っていますか?
>>18 モンゴル系の元が中国統一して言葉ががらっと変わっちゃった後、ってことなんじゃないの?
>>1 マジレスしちゃうと、言語学板なんぞでアンケートとったら
サンプルが偏りすぎてて有意のデータにはならないと思うが。
まあこの調子だとそもそもサンプルが集まりそうにないけど。
カオモジ先生に関する質問のスレかと思った(うそ
23 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/05 21:53
おねがいしますー;;
アンケート必要なんですー;;
みなさん助けてください(+_+)
(O´〜`)<逆に質問するから答えろ
>>3で「何に」と訊いたが、ちょっと意を汲み取りにくい表現をしてしまったので、再度。
メールでとか、チャットでとか、掲示板の書き込みでとかを問わずに、ってことでいいのか?
データの意味するところがいろんな意味で有意的じゃなくなるぞ
26 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/05 23:16
卒論の謝辞に「アンケートにお答えくださった2ちゃんねらーの皆様ありがとう」と書くのですか?
>>19 ざっと辞書を見ると、
中世の漢文訓読体、和漢混合文に用いられたとあるのが半分くらい、
主に資質に使われるとあるのが三分の一くらい、
あと日本国語大辞典にこのスレと大体同じ事が書かれている。
個人的見解としては「断定」の意味合いが古語から現代語で
変化してしまったためにこの様なことが起きたのではないかと思う。
はい。メール、掲示板、チャット全て含みます。。
顔文字の認知度や、利用のされ方、使用頻度はどうなっているのか・・・
ってかんじで卒論進めてます。
卒論の参考資料??に2ちゃんねるってかきますです。
私が卒論審査の教授なら、そんないい加減な調査論文は認めないね。
>>29
>>29 だからさ、「2ちゃんねらーの言語学板住民」なんて特殊な人種で、
顔文字知らない香具師なんてまずいないだろ。
でも世間一般で顔文字が通じるかというと、必ずしもそうでもない。
認知度を調べるサンプルとしては、かなり問題があると思うのだがね。
それとも、同じようなスレをここ以外にも立てているのかな?
仮にそうだとしたら、それはそれでまた問題だしな。
顔文字の歴史は結構古く1980年代にさかのぼります。
インターネットの普及で顔文字は急速に広まりました。
私らは普通に使ってるけど、中には顔文字自体知らない人や、それを表す意味を知らない人も
いるかと思われます。
また年令によってや、メールを送る相手、ビジネスの場面によって顔文字の使用頻度は偏りが出てくると思います。
だからアンケートを行って認知度等の調査をしているのです。
33 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 00:37
顔文字板とかラウンジあたりに立ててみりゃいいじゃん。
よそよりはマシな得られるかもしれないよ。
まあ、偏った結果が出るのは見え見えだけどな。
>>32 こんなとこで、しかも
>>1みたいな不適切な質問項目で、何がわかると?
調査方法論を学び直しなさい。でないと君の卒論不可ね。
(O´〜`)<こたえてやるから感謝しろこのばかちん
Q1. 1よく使う
Q2. 31,2種類
Q3. 1いつでも使う
Q5. 3不愉快だ
Q6. 1よくある
Q7. 1ある
Q8. ”モデルを中傷している”などと理不尽ないいがかりをよくつけられる
Q9. 1選ばない
Q10. 2 20〜25歳
少々気になるのは、Q4がなんなのか、そしてなぜここではそれが問われないか、だ。
>>28 「たり」は古語だから、辞書は現代語で読む時にはそう解釈するという事で
古代人が現代人が考えるのと同じ意味で使ったという事ではない事に
気をつけなければならない。そして日国大にあるように
「たり」は江戸時代までには慣用表現として、人の資格を問う用法、
及び「なんたる」などの熟語にのみ現れるようになった。
であるから文語で使うならともかく、口語として伝来、
発展した用法は人と一部の熟語のみであり、、
古語から演繹して古い用法を口語に用いたとすれば
それはまさしく新しい用法なのだ。
(「はずかしい」を口語で高貴の意味に使うようなものだ。
これは普通、擬古文と呼ばれる文語でのみ可能で
口語で使えば間違いとなる。)
そしてそれは明治に現れはじめた用法で
あまり定着しているとは言えない。
(O´〜`)<一行似顔絵AAが台詞をもった場合、それを「顔文字」に含めるのかどうか、
>>1は答えてみなさい
「人の資格」が、擬人法的に「物事の資格」に拡張適用されるのは
珍しくもなかろ。
>>36
39 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 00:50
>>35 4は不吉だから自粛したんだろ。アパートの部屋番号みたいなもんだ。
2げと以前から見てるが、どうやら
>>1はネタではないらしい。
既に何人か指摘してるからもう分かったと思うが、こんなとこで安直な
アンケート取ったって、卒論に使えるデータなんか得られないよ。
調査すること自体は否定しないから、調査の方法と内容を再検討しなされ。
>>39 (・∀・)セイカイ!
>>36 >あまり定着しているとは言えない。
あまり本を読んだことがないとか? よくある表現だけどなあ。
最近の高校って卒論書かないと卒業できないの?
>よくある表現だけどなあ。
ら抜き、い抜きだってよくある表現だよ
日本国憲法第9条
「・・・国権の発動たる戦争と・・・」
善かれ悪しかれ定着していると言わざるを得ない
>>44 それらと同じだと本気で思ってる?
作例)
俗語は国語の規範たり得ない。
確固たる証拠が無しに、被疑者が有罪たることは宣告できない。
何ら不自然ではないし、くだけた表現でもないから正式文書にも使用できる。
だいたい「たる」は文語表現で、文語が口語に挿入されてるんだから、
>>36みたいに口語として論じるのはどうかね。
>>48 >何ら不自然ではないし、くだけた表現でもない
こういう一人の主観は意味ないよ。
ら抜きについてもそういう人をこの板で見た事がある
>>49 だからって、不自然だって人が「ら抜き」ほど存在するとでも?
>>50 「規範たり得る/得ない」は「資格」だろ。
>>48 >>51 口語の「たる」と文語「たり」は区別しないと。
そして口語文章語は当然、口語「たる」を使うものだ。
しかし個人的見解を言わせてもらうと、文語「たり」を
口語に使うのは構わないと思う。しかし
せめて文節全体が文語でないと不自然に見える。
「規範たり得る」は「規範たらん」
「規範たり得ない」は「規範たらざらん」と書いて欲しい。
>>52 言語感覚が特殊な人なのかな?
文語だったら「規範たり得。」「規範たり得ず。」でしょ。
それに「たる」が口語で「たり」が文語って理屈もワカラン。
その「得る」は江戸以降の口語用法。
終止形「得る」でなくて「得(う)」だろ、文語なんだし。
>>54 あり得べきことか→あり得るべきことか、とか。
>>58 え、そんなことは最初から分かってることですけど……。で、何なの?
>>60 「規範たることができる」「規範たることが許される」――何か変か?
>>62 まあ規範が人について述べている場合は問題ない。
しかし「卒論たり得」はどうだ。
>>63 「得(う)」は「を」「こと」以外にも動詞の連用形について可能の意を表す。
万葉集「しましくも一人ありうるものにあれや」
万葉集「留め得ぬ命にしあれば」
66 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 02:04
言語学板で短時間にこんなに盛り上がるスレも珍しいな。
>>64 どこか変か?
所定ノ書式ニテ期限内ニ提出セル場合ノミ卒論タリ得。
書式ニ違背シ、期限ヲ過ギタル場合、卒論審査ノ對象タリ得ズ。
>>65 問題は可能にかかる無生物主語だよ。
そういう用例が(文芸的擬人化を除いて)近代以前に
あるなら教えて欲しい。あれば納得する。
そのために「得る」が現代語では可能性の意味に変わりつつあるの
だと思う。そして
>>3もその意味で使っていると思うのだがどうだろう。
>>67 それこそ「を得」にすべき所と考える
>>68 「〜たるを得」でもいいが、「〜たり得」でもいいはず。
一方だけ不可とする理由は?
前者の方が音韻的に発声しやすいから多数になったのでは。
なんか既視感が…
質問スレの過去ログに、同じテーマの論争があったような気がする。
こんだけレスついてんのにアンケートに答える香具師がほとんどいなくて、
1はがっかりだろうな。ま、悪いことは言わんから出直しなさい。
>>69 「〜たるを得」は主語が自分。「〜たり得」(連用接続)で
主語を分離する用法は確かに上代〜平安初期まではあった。
しかし普通の文語ではこの用法を使わない。すると無生物主語で可能になる。
この様な表現が一般的でなく使えば文学的技法になるのは今も同じだ。
>>68 そもそも近代以後だと推定する論拠を示されたい。
人に限るって論拠も不明ですし。
まあ擬人法も無生物主語も、欧文脈を知ってから盛んになった面はあるが。
>>71 文学的技法って……レトリックは言語の基本、そんな截然と分離できるもんでないでしょ。
>>72 今の辞書でも可能性の「得る」の語義の採用はまちまちなのだ。
日国大初版にすらなかったと思う。その位新しく
古文でも知っている限りない。少なくとも江戸まではないと判断した。
あるならば実例を知りたい。
>>73 それはつまり、公文書などでは使われないという事だ。
「正しい」日本語でないと言ってもいい。
少なくとも江戸まではないと判断したのは
そのころが可能動詞の成立時期だからだ。
可能動詞と比べれば現代語の「得る」とは
ニュアンスが違う事が分かるだろう。
>>74 可能性の「得る」とは? 可能の「得/得る」と別なのですか。
戰前の法律など公文書は文語体で、幾らでも用例が見つかります。
「たり得」「タリ得」で検索して下さい。
>>76 だから明治以降はある。しかし…という話をしている。
ログを読んでくれ
可能の「得る」はどの辞書も採用してます。
で、可能「性」の「得る」って何?
>>74
>>78 無生物主語の補助動詞「得る」。
これは可能性を表すと見ているが違うか?
おまいら遅いからもう寝れ
糞スレつぶしには十分だ
無生物主語でなくてもいいかもしれない。
そこで基本的なことを確認しよう。
定説では「書き得る」は「書ける」に変化したが
(それ故、四段以外では可能動詞を作れなかったとされる)
現代語で「書ける」と「書き得る」は違う意味になるか?
>>75 可能動詞の由来は「得る」ですよね。
読みうる→読める
書きうる→書ける
でしょ?
可能動詞が出来たことで、「〜し得る」が文語的表現になったのでは。
可能動詞の語源は五段活用連用形+動詞「得る」ではなく、「書かれる」とする説もあるけど。
>>79 いや、だから、可能と可能性って何か別物なのかと訊いてるんですよ。
>>81 同じ意味だとしたら、
>>75は成り立たないわけだね。実際、同じ可能の意味でないかい?
>>85 まだ無生物の牙城があるから大丈夫だ
これも比べてくれ「雨が降れる」「雨が降り得る」
新しい助動詞の誕生過程を見ている気がしてきた。
>>84-86 言を左右に迂回しないで、ズバリと返答しておくれ。
可能と可能性って何か別物なの。で、差があるならどこさ?
だれも俺の質問に応えてくれないのは『日国大』とやらに載っているから?
で『日国大』に載っていないと「正しい日本語」ではないわけですね?
>>86 無生物主語の可能動詞は、「〜れる」となると自発と混同しやすく、
意味論的に無生物が自発はヘンだから、避けられるのではないかな。
>>89 いや
>>86が同じだとその話は崩れるから
>>86が同じか違うか述べてくれ
違うならば意味の差もよろしく
では先に俺が書くと
「雨が降れる」雨を擬人化して可能を述べている。「正しくない」日本語
「雨が降り得る」雨が降る可能性がある事を中立に述べている。
>>91 可能動詞を自発に使うのは見た事がないが
あるとしたら興味深い用例だ
93 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 03:17
しかしこれだけ盛り上がったのも久々で有意義だ。
エサを撒いた
>>5は天才。
本当に日国が、「人の」資格に限るなんて記述をしてるのかね。
引用希望。
ちなみに『新明解』は――
たり
一〔「とあり」の変化〕その事柄が肯定的に認められるという主体の判断を表わす。
「往年の名馬―〔=である〕・威風堂々―〔=としている〕・三国に冠たる富士の山・世界の覇者たれと選手を激励した」
>>92 質問に質問で返すのは、宜しくない。
まづ、質問されたことに返答しなさい。
質問し返さなくても、これが同じ意味ならしかじか、別の意味ならかれこれ、と
場合わけして説明できるでしょ。
>>94 最初の用例の二つは文語だから問題ないだろう。
「世界の覇者たれ」これは口語で確かに資質を述べている。
>>95 >>92に実例で書いたろう
97 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 03:24
>>1 こんなアホな卒論の通る大学はどこだ、かいてみろよ。
>>92 >「雨が降り得る」雨が降る可能性がある事を中立に述べている。
で、その可能性って、可能と別なのか?
可能性って、未来に向けての可能/不可能のことだろ。同じやんけ。
>>94 日国大はおそらくこれと同じだな。小学館『国語大辞典』
平安朝の和文にはほとんど例がなく、
漢文訓読文にもっぱら用いられた。中世以後は和漢混交文、
抄物などに現れるが、室町中期以後はまれになり、
江戸時代にかけて「何たる」のような複合語の用例に限定される。
なお江戸前期の上方文学では、
「何たる」のほかに「親たる人」のように、
身分を表す名詞に付くものがほとんどである。
ただし明治以後の文語文にはまた例が見える。
>>98 それで「雨が降れる」と「雨が降り得る」は同じか?
>>98 可能性は「生じる/生じない」で
「可能/不可能」、つまり「できる/できない」とは違う
>>96 例:老いてなほ、往年の名馬たるに恥ぢない駿足を見せた。
――これでも文語?
で、日国は、「人の」資格に限るって書いてあるの、
それとも『大辞林』みたいに「物事の資格」なのか。
>可能性は「生じる/生じない」で
可能性は「生じることができる/生じることができない」でせう。
104 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/06 03:45
>>97 珍しく、スレタイに沿ったご意見だ。大切にしろよ、
>>1よ。
しかし、これが通るとは思えないけどね。
データの収集方法は当然明示しなきゃいけないんだろ?
<<正しい>>言語学は規範的たれ<<国語を>>
なんてのはどうなの?
>>86の答えが全くないが、「得る」の新しい用法として
発達しつつあるのは「あり得る」などの用例からしても間違いない。
>>105 それは形容動詞のタリ活用だな。
普通はナリ活用させると思う。
>>1 Q1.2時々使う
Q2.1数え切れない
Q3.2場面を選ぶ
Q5.2時と場合による
Q6.2あまりない
Q7.2ない
Q9.3選ぶ
Q10.5 40〜50歳
>>1 まず統計的調査法の基本を勉強して、来年やり直せ。
110 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/07 12:24
書き込みがないな。まあ物事もそれほど不自然ではない。
口語「たる」は人物の身分などを表す。物事に使う事もある。とするか
他の活用形は失われて久しいようだが、
活用させるならば文語の類推となる。実際その様な用例が見られる。
このスレの例を拾い上げてみよう。
>「卒論たりうる」
連用形に活用し、「得る」を付けている。
どちらも口語としては新用法である。
>「国権の発動たる戦争」。
断定の「たる」であり口語「たる」ではないが時制が文語と異なり、
そのまま「である」と訳せる。やはり新用法だ。「デアルタル」とでも呼ぼう。
>「俗語は国語の規範たり得ない」「被疑者が有罪たること」
「規範語」「有罪者」の様に人を人に物を物にあてない用例は珍しい。
そこで文語断定の「たり」と見られる。しかし文節全体が文語となってはない。
>「三国に冠たる富士の山」
これは慣用句として生き残った「たる」の一つだ。
文節全体が文語でないのは「走るべからない」と同じ位奇妙だ。
>「国権の発動たる戦争」。
断定の「たる」であり
はあ? 物事の資格の「たる」だよ。
「としての」と口語訳できるから、「とある」の転化した「たり」。「てあり」に非ず。
だいたい、明治以来幾らでも用例があってここ数年のものではないのに新用法ってことがあるか。
>>112 断定の「たり」は「とある」の転化した「たり」だが
いったい何を言っているのかな?
>>113 それは
>>110が「時制が文語と異なり」なんて言ってるからだろ。
完了の「たり」が「てあり」の約。断定の「たり」にテンスが関係あるかよ。
>国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、
>国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
これからの戦争について述べているのだから
文語ならば「国権の発動たらん戦争」だろうが。
>>208 30か…あと少しだったのかよ…。
カオリちゃんの回復はいいんだけど、一緒に連れて鍛える機会が少なくない?
中島やワカメならイベントが絡まない限りは仲間になってくれるから
どうしてもそっちに流れるんだよね。
>>209 ムービー後に残っている仲間が固定のカツオと中島だけの内は厳しい。
6人以上残っていれば囮役の分を考えてもかなり楽になるから、
カミナリ登場で士気を大幅に削られても逃げ出さないように
親交を深めておくとイイよ
本気で言ってるならイタすぎだしな。>「国権の発動たらん戦争」
>>117-118 これが分からないようだと、
現代語と古文の時制の違いを理解できていないよ
>>119 呆れた。
お前は「国権の発動である戦争は、放棄する」を
「国権の発動であろう戦争は、」としなけりゃ気が済まないのか。
日本語は英語みたいなテンスの一致はないぞ。
そういう問題ではない。しかし時制というよりも相かな。
文語と口語が混ざっているから非常に微妙だ。
「日本語は英語みたいなテンスの一致はない」これはまあ
その通りなのだが、文語ではそもそも文に対する考え方が違うから
はっきりと言えるわけでもない。もちろん英語とは全く違う。
そしてこれは放棄するときに既に戦争が起こっているか、
これから起こるかの違いだ。
現代語では現在形が未来形を兼ね、現在進行形が別にあるが
文語では現在形しかない。しかもこれは口語の現在進行形に近い。
何か間違っていたら指摘してくれ
>>121 これはムード (叙法) の問題。
ここでの「戦争」は、過去、現在、未来における「すべての戦争」を指していると見られる。戦争はすべて国権の発動だととらえているのだから、「国権の発動たる戦争」でよい。
確かに、具体的には「これから起こる戦争」を指すが、主節の述語が「放棄する」であるために、結果としてそうなるだけだろう。
>>122が妥当。
>>121までは直説法における描写と属性規定表現の違いも分からんで、
いかにも不毛な議論をしておる。
口語ではそれで良いのだけれども、文語にはそういう抽象的な
断定という物はなくて、目の前にある現実という意味合いが強い。
それゆえコロ助言葉はおかしいのだ。
だから「国権の発動たる戦争」というのは
口語訳すると「国権の発動として起こっている戦争」になってしまう。
だからこれは自分の考えを表す「む」を
使い「国権の発動たらん戦争」とするしかない。
これは古代人の目の前にある事、記憶にある事、
頭の中で思っている事という時間の考え方の区分、
現代人とは全く異なる世界観を反映している。
一般に口語は文語よりずっと抽象的、精密な描写に強いといわれている。
「それ」は「国権の発動たる戦争」
これは完全に口語という話
ついでに言っておくと、
「国権の発動たらん戦争」も間違った文語ではないと思うが、そう言うと、「これから戦争が起こるとすれば、それは国権の発動であろう。そのような戦争は放棄する」といった意味になるだろう。
しかし、憲法はそのようなことを述べているのではあるまい。
じゃ、文語の「たり」には、属性規定の用法は無いってことなのか?
まさか
>>124は事物の描写と属性の規定の違いは分かってるんだろうね?
>>127了解。「む」が付くとムードが表明されるってことだね。
>>127 そういう事だろう。しかし当然の事だが文語には口語での
「国権の発動である戦争」に完全に一致する表現はない。
だから「む」を挿入するのは妥当と考える。
口語ではほとんど使われない「なり」ならば
文語での感覚が分かるのではないか?
「国権の発動なる戦争」「国権の発動ならん戦争」
>>128 後にはもちろんそういう用法が生じている。憲法を見れば明らかだが。
口語に引き摺られてそういう様になって行くのだろう。
あるものをどうこう言っても「正しい」「正しくない」の
不毛な論争になることは承知の上である。
何が正しいのかさっぱり分からないな
調べてみると動作時点までに生起していない事に必ず付き纏う、その「む」をどう訳したらいいか
本居宣長が悩んでいるようだ。
すると江戸時代にはすでに「む」を入れる必要がなくなり
悩んでいる程だから本居宣長ですらおそらく使っていないだろうし、
そこまで尚古的にならなくてもいいんじゃないか?
ああでも明治大正時代にはそう云う古い文法に従った文語が
もてはやされたのだったな。その影響が今もあるのか。
漢文脈の文語調では和文脈と違って基本的に時制を示さないものだよ。
何せ元の中国語からしてテンスがないから。
>>130 「国権の発動ならん戦争は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
やっぱりちょっと変。「国権の発動なる戦争」のほうがいいよ。
古代人じゃないからわからない面もあるが、この「国権の発動ナリ」は非制限節だろうから、indicative 相当で「発動なる」と言うのが自然な気がする。
Subjunctive 相当で「国権の発動ならん戦争」と言うと、制限節のように聞こえる。すなわち、国権の発動であろう戦争とそうでなかろう戦争とがあって、前者に限って放棄する、といったニュアンスが感じられる。
>>134 実際には「む」だろうが「た」だろうが「ている」だろうが
限定用法と関係用法の区別はない。
「国権の発動だった戦争」だって、これまでの戦争全てが
国権の発動なのか、これまでの戦争のうち国権の発動であるものなのか、
の区別はつかない。「国権の発動である戦争」もだ。
「む」だと限定節に聞こえてしまうのは口語の「う」につられてではないか?
明治期の文法書には現在形を不定法とする物と現在進行とする物があるようだ。
国学研究が進んで文語が混乱しているのだろうか。
前者ならば「む」はいらない。後者ならば「む」がいる。
標準文語がない以上、議論しても無駄だ。
136 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/09 00:18
>>1 Q1.3
Q2.3
Q3.3
Q5.2
Q6.2
Q7.2
Q9.1
Q10.2
どう考えてもラウンジとかの方がノリが良さそう
>>136 レスの流れを読め。
今話しているのは「たり」の用法ついてだ。
顔文字の話などしていない。
>>137 スレ違いの話を容認してやっているのが解らんか,馬鹿めが。
>>138 スレの流れというのが分からないのか?
そもそもスレ違いというなら
>>1の方がおかしい。
141 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/12/15 23:21
「AたるB」は「Aの身分であるBという人」が口語の通常の用法。
辞書もまずこの例しかのせない。「兄たる人」
残りは慣用表現かさもなくば文語と見て間違いない。
しかしろくに古文にも通ぜずに格好つけようとして使う奴がいるから
間違った用法が氾濫している。このスレにもそういう奴が散見される。
そうやって言葉が変遷して行くのもまた事実だが。
サンたるチア
メンたるクリニック
この馬鹿はなんたることを言い出すのか
「なんたる」は生き残りの慣用表現の一つ
おかしな用法が明治にはじまる事が全てを物語っているね。
文語教育が行われた結果中途半端な奴が出てきて
格好つけようと文語を使って学のなさが現れると。
「卒論タリ得」など古文マニアには失笑物でしかない。
おまいら、タルタルソースタプーリのフィレオフィッシュでも食ってもちつけ。
>>148 >おかしな用法が明治にはじまる事が全てを物語っているね。
そんな風にきめつけるほどの證據は出てゐません。
そもそも和語で綴る(擬)古文と漢文訓讀調の文語文では別ですよ。
後者はたいてい時制を表はす助動詞が附随しない。
前者の規範で後者を判斷してゐるやうに見えるが、大丈夫ですか。
>>150 漢文訓読も意味の整合性の上で必要なところにはきちんと入っている。
いくら原語にないからといって「昨日行く」などと訳すわけがない。
大丈夫ですか。
漢文訓読では「き・けり」はふつう使用されない。
専ら「り・たり」の完了の助動詞を使用する。
これは時制よりむしろ相(アスペクト)だ。
また、歴史的現在ではないが「昨日行く」もあり得る用法で、変ではない。充分通用する。
漢文訓読では「けり」はあまり使わないが
「き」は使う。しかし「けり」をあまり使わないのも
意味の問題であって、その様な決まりがあるわけではない。
言うに事欠いて
>「昨日行く」もあり得る用法で、変ではない。充分通用する。
とまできた。大丈夫かお前ら?
というかネタか。釣られてやったよ。これで満足だろ。
余、昨日新宿に行く。映畫を觀んと欲して館に入る。混雜して立錐の餘地無し。即ち觀ずして歸る。
↑変な用法か?
>>154 変。「昨日」と「前日」を混同している。
確かに最近、そういう用法が増えている。
しかしそれは(伝統的には)間違い。中途半端に日記文を知ったためか。
「明日新宿に行った。」と「翌日新宿に行った。」の違いだ。
>「昨日」と「前日」を混同している。
はて? 前日ならよくて昨日なら駄目なのか。
妙な言語感覚ですねえ。非文判定はやらない方がいいな。
>>157 お前は現代っ子って奴だな。
「前日翌日」と「昨日明日」の違いは分かるか?
その前に「明日新宿に行った。」が間違いである事は分かるかな。
>>158 疑問に疑問で返して逃げるなかれ。
>>154の文例で過去を叙述するのに終止形(現在形)を使用するのが変かどうか、
変ならばなぜか、説明されたい。
過去の行動を叙す部分で過去形を使用しないのは漢文訓読体の常で、
別に日記文に限らぬ。『論語』『史記』でも訓み下し文を見てごらん。
>>153 『論語』衞靈公第十五
「孔子對へて曰く、俎豆の事は則ち嘗てこれを聞けり。軍旅の事は未だこれを學ばざるなり。明日(メイジツ)遂に行く」
「陳に在して糧を絶つ。従者病みて能く輿(た)つこと莫し。」
「聞けり」を「聞きき」「聞きけり」とはしないよね。
過去を表現するときも大抵は現在形、せいぜい完了形であって、過去形は見ない。
>>159 実際に口語直訳してみなさい。
昔の人が過去として訳してなどいない事も含めて、
どの様な意味の文章に書き下したのかが分かるから。
文語として形式化してそのあたりを感じ難くなっているのだろう。
>疑問に疑問で返して逃げるなかれ。
逃げるも何もこれで分からないのがむしろ驚き。
しかもそう言って「明日新宿に行った。」の質問には答えないのだな。
「昨日今日明日」は今が基準。「前日当日翌日」は時には書かれない
ある時点が基準だ。これで分かったな。
>>162 >実際に口語直訳してみなさい。
だからそんな風に質問を投げ返さず、自分から訳してみてね。
君はどう訳したの? どうも訳し方が異なるのでは。
>>161 「き」や「けり」は単なる過去形ではない。
詠嘆や回想の意味合いを大きく含む。それゆえその部分に
適応しない事は分かるね。
それを踏まえたうえで漢詩の書き下しを調べてごらんなさい。
>>162 それでは下記の
>>159への返答にならない。
>
>>154の文例で過去を叙述するのに終止形(現在形)を使用するのが変かどうか、
>変ならばなぜか、説明されたい。
問題は、「昨日」か「前日」かでなく、現在形か過去形かだったはずでしょ。
>>163 俺が漢文訓読を持ち出した覚えはないが。
だからそんな風に質問を投げ返さず、自分から訳してみてね。
>>165 もうさすがに分かっていてわざと言っていないか?
文の時点から見て過去ならば何形だよ。
↑どうして疑問を返す形でしか返答できないのかな、この人。
>>166 過去を述べてれば過去形なのか? 過去を現在形で述べても?
述べる対象とそれを表現する文法上の有徴な形態とが混同されてるみたいね。
だいたい時制(テンス)でなくて相(アスペクト)か叙法(ムード)でないかな。
>>162 >しかもそう言って「明日新宿に行った。」の質問には答えないのだな。
文語体を問題にしてるのに、急に現代口語文を持ち出す意図がわからん。
>「昨日今日明日」は今が基準。「前日当日翌日」は時には書かれない
>ある時点が基準だ。
フムフム、それで? だから何なのかまでキチンと説明してね。
でないと「昨日新宿に行く」でも「前日新宿に行く」でも無問題、変りないヨ。
何でもいいが後世に残る恥をかくのはお前らだぞ。
高校国語などでこういう基本的なことを習わなかったのか?
俺は散々やったのだが。最近の教師は学力が落ちているようだから、
仕方がないのかも知れん。まあ今回は俺に聞けたから
良かった様なものの、これから文章を書くときは気をつけろよ。
>>170 後世に残る……プッ、大げさな。
そんな威張らんでいいから、高校生を教育するつもりでキッチリ説明してみ。
いまのままでは、あなたはまだ何事も証明できてない。
>>170 全く意味不明。
例えば、「昨賜肉」 (漢書・東方朔) は「昨、肉を賜ふ」と訓読する。「賜ひき」と読む必要はない。(古典シナ語では「昨」だけで「昨日」の意)
明日新宿に逝ったら,映画を見よう。
年表とか劇の台本とかは特殊なスタイルってことでいいですか?
>>172 それは確か自分をほめる話だったかな。
そこで文を切っているのか?
前後の書き下しも書いてくれ
>>177 昨賜肉不待詔以剣割肉而去之何也
昨、肉を賜ふ。詔を待たず、剣を以て肉を割きて之を去る。何ぞ。
それは誤りだな。
室町以降は既に平安文法が分からなくなっているのに、
まねをして頓珍漢な文章が沢山つくられている。その一つだ。
古いもの程文法的に完全だから確実にいえる。
ナンセンスなレス=荒らしは放置の方向で
>>179 誤りだな、と決めつけても誤りであることは明らかでありません。
どこがどうなぜ誤りなのかを説明しなければいけません。
182 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/05 05:23
で、「たり」の用法はどうなったんだ、結局?
「地球という星」の星とは一体何のことなのか?
詳しく知りたいと思って調べてたらこんなところに来ました。
>>1 まだ見てますか?
俺の友人も全く同じ論文を書いてたり。ひょっとして36番の人?
いや、そんな、まさかな・・・。
184 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/14 13:00
金田一晴彦なども「昨日今日明日」は
境遇性のある語(話者が基準となる語)の代表としてあげているね。
185 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/14 14:42
(´∀`) 氏についての質問もここで受け付けております。
187 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/18 01:49
188 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/09/23 18:40:50
上げます
もういれていいか?