武士 VS 騎士

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501名無し曰く、
日本は保守性、革新性両方持ってるからな
基本的には強い保守性があって中々文化、伝統を捨てようとしないけど
革新の必要性に迫られると凄い勢いで革新していく
502名無し曰く、:2007/11/15(木) 07:23:46 ID:5sLKLDQU
>>498
当時の列強はとりあえず中国を食い物にするの精一杯だったし、日本を占領しても
何か物産があるわけでもなく、殆ど眼中に無かった。
まぁ、幕府の支配が続けば間違いなく植民地的存在にはなってただろうけどね。
金を借りまくって破綻寸前だったし、半分以上の諸侯が馬鹿殿の幕閣ではいつ
井伊のような独裁主義者が出てくるかも分からなかったし。
503名無し曰く、:2007/11/15(木) 07:29:10 ID:bpsUrnN/
日本には銀があったのでポルトガルにせよプロシアにせよ
可能ならば日本も占領したがってたのは確か
まあ無理だったんだけど
504名無し曰く、:2007/11/15(木) 23:35:40 ID:GDwUQSFd
>501
俺の中の日本人感とはちょっと違うな
日本人の良いトコは興味を持ったら最後、それを自分に取り込むまで熱心に研究する事
そして悪い所は、興味の無い物にはとことん無関心である事。時に逃避的ですらある。
それが保守的に見えたり、革新的に見えたりするんだと思う
「好きな事だけをやる民族」なんと平和な独善性を持つ民族だろうか!

>502
生まれた時からずっと世界地図で日本の位置を見て育っているのに
そんなセリフをはいてるのだとしたら、それはまさしく平和ボケ。
アメリカは日本と同盟を結んでいるからこそ太平洋を掌握している。
これがもし中国だったら中国が、ロシアだったらロシアが太平洋を掌握するだろうな
そのぐらい重要な位置なんだよ。昔っからね。
地理的な重要度は大西洋のイギリスに似ているかな

>503
近代に入ってからの日本の銀の産出量は異常だよね。


スレ違いなのでこのへんで失礼〜
505sporran:2007/11/16(金) 00:10:11 ID:03D+8FGe
名無しの弊害というものは、時としてまったく方向の違うほうに弾を撃つ喜劇を生じるようですね。
506501:2007/11/16(金) 00:53:00 ID:ELgKE98U
>>504
その興味を持った時ってのが改革が必要な時で
興味を持たず無関心な時が平和で改革の必要がないときって事だろ
俺が言いたい事と同じじゃん
507名無し曰く、:2007/11/16(金) 16:09:59 ID:2P/ZZ8hE
163 :sporran:2007/10/08(月) 08:05:17
そりゃあんた整備不良の武器渡されたら躊躇する罠

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 11:16:22
この人いつも煽りとかばっかりだな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 13:49:18
T田さんはリアルでいじめられていたせいで日本そのものがきらいになっちゃった人なので多目に見てあげて欲しい


166 :sporran:2007/10/09(火) 21:55:09
せこい書き方せずに(個人名)さんと本名出せよ。軟弱者!


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 12:38:24
あららキレてるよ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 11:08:12
ここでキレてないで当時実際いじめられた相手にキレてればいいのにw
軟弱だなぁ

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 17:37:15
どこの板でも固定はきもいもんだがこいつはひどい

まだやりたきゃメンヘル板にでもいけ
お友達がいっぱいいるぞ

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 15:46:14
sporranって人はいつも煽りばっかりで亀田兄弟みたいだな

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 03:10:27
俺もそうだがフェンシングに進む前に子供の頃剣道から入った奴って多いし剣道にも思い入れが強いんだよね
こういう技術論の体裁をしながらいつも剣道批判したいだけの盲文垂れ流しする奴は身内と思いたくない


(以後、sporran逃亡)
508名無し曰く、:2007/11/16(金) 16:48:59 ID:BPm1RUny
タイマンでも武士が勝つだろうな。
重装備で鈍重な動きしかできないなら
まともに正面から戦う必要がない。
スタミナ切れか武器手放させるか狙って
あとは転ばせば終わり。
509名無し曰く、:2007/11/16(金) 17:31:59 ID:2P/ZZ8hE
>>502
江戸幕府もアヘン戦争後は夷敵への脅威はきちんと感じていた
510名無し曰く、:2007/11/17(土) 04:53:32 ID:xjVQzEiO
武者ガンダムとナイトガンダム
どっちかっていうと武者ガンダムの方が好きよね
511名無し曰く、:2007/11/17(土) 15:16:26 ID:4Q0SUYt2
ヴァンダムとセガール
どっちかっていうとヴァンダムの方が好きよね
512名無し曰く、:2007/11/17(土) 17:49:20 ID:FvDyLa/s
一瞬で相手を屠る最小の暫撃!
虎眼流中目録以上の者のみ使用を許され同門稽古での使用を
一切禁止されたその握りを「流れ」と呼ぶなり。
513名無し曰く、:2007/11/17(土) 19:16:03 ID:h/aAK1p+
ありゃ漫画の中だけのものだけど
ただあまりバカにできるもんでもなくて
実は古流だと一見使えそうにない面白い握りというか刀の持ち方はけっこうあるんだよね
こりゃいんちきだろと思っても自分の稽古が進むと外見同じでも全然ちがうみたいなことがあって
ああなるほどこういう時使うのねー
ってあとからわかるときがある
514名無し曰く、:2007/11/17(土) 22:13:11 ID:jsC6AUxc
日欧以外に武士騎士にあたる階級はどんなのがある?
エジプトのマムルークとか?
>>510
俺は甲乙つけかねるwwww
小学生のころ武者ガンダムのBB戦士とか、ナイトガンダムのカードダスに数万は使ったなー
515名無し曰く、:2007/11/18(日) 04:00:49 ID:e7+c1E2p
マムルークは・・・
和訳すると「奴隷軍人」とかそんな感じになるのかな?
武士や騎士とも少し違う感じがする。
コサックやハイランダーも違うしなー
516名無し曰く、:2007/11/18(日) 04:44:49 ID:9tjFCveW
マルムークは「奴隷傭兵親衛隊」じゃね?
スルタン死んだら次の君主には使えなくてもいいしなw
次の君主に虐殺されたり逆に反乱起こしたりなんてわけのわからん
制度なんだろうと思うが、そうする事で凄まじい忠誠を得ていたのかもが。
517名無し曰く、:2007/11/18(日) 18:52:01 ID:z4xhcU+y
マムルークって響きがかっこいい
ちょっと武士とは違うみたいだけどどんな装備だったんでしょ
サラディンのアイユーブ朝軍にははマムルークはいたのかな
518名無し曰く、:2007/11/18(日) 19:20:43 ID:6VNEuRD4
軽装で馬に乗って弓を射たり剣を持って突撃したり
モンゴル帝国とヨーロッパ諸国とで三つ巴の戦いをして互角以上に戦ってたぐらいだから
中々侮れないぜ
519名無し曰く、:2007/11/18(日) 23:00:27 ID:z4xhcU+y
確か一線級の部隊じゃなかったとはいえモンゴル軍を破ったんだよね!
520名無し曰く、:2007/11/19(月) 03:32:00 ID:rfa1uF9Y
アイン・ジャルートの戦いね。
マムルークがモンゴル軍を先鋒の偽装撤退で誘い出し本隊で包囲殲滅して勝利。
この戦術は本来モンゴル側が得意とするものだったけど
かってモンゴルの捕虜となった経験のあるマムルーク側の指揮官
バイバルスが、自軍の戦術として取り入れていたんだ。

この戦いから察するにマムルークも機動力の高い軽騎兵が主力だったみたいね。
マムルーク朝は奴隷の中でも特に乗馬や騎射の技能を持つ者を
戦力として優先的に集めていた.
構成としてはハンガリーのクマン族やトルコ系のセルジューク族といった
中央アジア、遊牧騎馬民族出身の者が多く、
装備や戦法もそれに準じたものになったはずだ。
521名無し曰く、:2007/11/19(月) 08:21:37 ID:GQznfrD3
マムルークにはモンゴル人も居たしな
522名無し曰く、:2007/11/19(月) 09:25:04 ID:yREdg8Hu
ポーランドもモンゴルを真似た軽騎兵戦法で勝ってるな
523名無し曰く、:2007/11/20(火) 16:16:59 ID:F6x3Myw3
「この国の人々は、私が遭遇した国民の中でもっとも傑出している。
どの非キリスト教徒も、日本人より優れている者はいないと考える。
日本人は相対的によい素質を持ち、悪意がなく、交際して気持ちがよい。
彼らの名誉心はことさら強烈で、彼らにとって名誉がすべてである。
日本人の生活には節度がある。
ただ呑むことにおいては、いくらか過ぎる国民である。
彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。
私は今日まで旅した国において、
それがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず
盗みにおいてこんなに信用すべき国民をみたことがない。
彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。
          スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル
524名無し曰く、:2007/11/20(火) 20:55:51 ID:mLPdxxNA
今でも日本に来た観光客はスリ、置き引きの被害の少なさ、
治安の良さに驚くことがしばしばある。

しかし戦国の頃からそうだったとはなー
ザビエルさんが寄ったとこは特に治安が良かったのかしらん。
525名無し曰く、:2007/11/20(火) 22:18:40 ID:p5TiChf2
昔の日本は家に鍵なんかなくて
基本全て開けっ放しで外から丸見えなんだぜ
逆に盗みに入りにくいだろうけどねw
526名無し曰く、:2007/11/20(火) 22:21:05 ID:eM4CuYbf
江戸時代の大工の労働時間は5時間だったそうだ。いいなぁ〜。
今じゃ9時出勤夜10時まで残業なんて普通。
戦前もゆったりしていて、今みたいにセカセカしてなかったとか・・・
もっとも、戦前の日本製品は粗悪品の代名詞だったがw
527名無し曰く、:2007/11/20(火) 22:22:03 ID:eM4CuYbf
>>525
関係ないが昔の台湾やアイルランドも鍵を開けっ放しにするくらい治安がよかったそうだ。
528名無し曰く、:2007/11/20(火) 23:05:26 ID:eM4CuYbf
幕末、「日本を西洋化する必要はない。彼等はそんなものがなくとも満ち足りて幸福だ。
西洋文明は日本を堕落させる結果になるだろう」と誰だったかプロイセン人が書いているが
その通りになったな・・・
もはや日本はかつて外国人が驚嘆したように勤勉でもないし、幸福そうでもないし、助け合ってもいない。
俺達は中世に培った伝統と国民性の残りカスにすがって繁栄しただけなのかもしれん・・・
ローマが質実剛健のローマ精神を忘れ堕落したように・・・
529名無し曰く、:2007/11/20(火) 23:11:29 ID:p5TiChf2
>>526
江戸の町なんてフリーター天国で
金に困ったときだけ働くって感じだったらしいな
農民は結構厳しいけど
530名無し曰く、:2007/11/21(水) 10:15:53 ID:tGerBXeN
江戸時代の例もあるように勤勉っつっても現代人のイメージする勤勉とはまたちがうんだよね
かれらの勤勉は「出来上がりにベストを尽くすためならいくらでも時間をかけるしインスピレーション沸くまで遊びまくる」だからなー
それこそやらねーとなったら毎日ごろごろだがやり始めると餓死寸前まで止まらないという
531名無し曰く、:2007/11/22(木) 11:43:56 ID:5daTTMFe
最近の硬い殺陣とちがって上体も柔らかいしええ動きやね
懐に入って斬るとことか刀の返しとか古流に近いトコ多いね
http://www.youtube.com/watch?v=wh4CM9y46Z0
532名無し曰く、:2007/11/22(木) 11:53:10 ID:wSuQZdcg
実際と比べてどうかは置いておいて
説得力はあるな
533名無し曰く、:2007/11/24(土) 15:23:03 ID:B7/XrQdu
飛び込みながらの脚斬りに笑ったw
かっけーw
534名無し曰く、:2007/11/25(日) 00:00:52 ID:4802xMBL
実戦で太刀もった武士とエペもったヤシが戦っても、
エペで軽症与えてるうちに、太刀で頭勝ち割られて
the endだろ。
535名無し曰く、:2007/11/25(日) 02:55:24 ID:UBqI+Qaw
>>534
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]

彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]

倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]

我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]


↑軽装同士ならこうなると思うよ。
軽めで長い直剣を手先の変化で片手使いをする場合の戦果はこうなったみたいだね
フェンシングと中国剣はちがうけどまあ対武士ということで大まかに近似値として考えれば。
もっともこのときの中国兵は決して軽装備じゃないんだけど
もちろん何例かは逆にエペ側が武士の指だの腕だのに小さい傷つけた後無事間合いから脱出して武士の失血死待ちという例もでると思うけど
536名無し曰く、:2007/11/25(日) 21:43:43 ID:h6glIASn
攻城戦では攻めでも受けでも日本の方が強いイメージがあるんだがどうかね?
実際に城とか見学すると絶対落とせない絶望感が出てくるんだが。
支城システムとかも優秀っぽいし。
537名無し曰く、:2007/11/25(日) 21:58:20 ID:7DW6UD4I
朝鮮出兵の時も和城は一つも落とされなかったらしいね
538名無し曰く、:2007/11/25(日) 23:34:15 ID:sTMa9wlV
会津若松城と熊本城は明治の近代兵器とアームストロング砲でも落ちなかったからな・・・
会津は兵糧攻めで開城だし
539名無し曰く、:2007/11/25(日) 23:51:51 ID:sTMa9wlV
日本の城は本丸、二の丸、三の丸とか多重ブロック構造だから
一箇所から侵入を許しても、攻撃側は本丸までさらにいくつかのブロックを制圧しなければならないし
防御側は戦力の立て直しができる。
更に城内は最低2方向から攻撃できるよう射角が計算されて櫓・壁・門が配置されているから、
侵入した部隊は迷路みたいな城内で前面・側面・背面の矢・鉄砲狭間から一方的に攻撃され、犠牲を強要させられる仕組みになってる。

ヨーロッパは騎士の時代なら高い壁、後には大砲の発達に抗して低めで厚い壁になったんだっけ?
壁を壊すまでが一苦労。
向こうは中国みたいに町ごと城壁で囲んでるところが多いが、日本では小田原城くらいしか知らん。
540名無し曰く、:2007/11/26(月) 03:33:37 ID:dWiCW8iR
ヨーロッパだと人種戦争みたいなもんになりやすくて騎士でも領民でも襲われるんだろ?

日本は多少の略奪はあっても基本武士の戦争は武士同士かってにやってるからな
戦場に駆り出された足軽は別にして施設というか町は基本スルーされる
541sporran:2007/11/26(月) 17:40:50 ID:WtOSEKZ2
507
訂正があります172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 03:10:27
俺もそうだがフェンシングに進む前に子供の頃剣道から入った奴って多いし剣道にも思い入れが強いんだよね
こういう技術論の体裁をしながらいつも剣道批判したいだけの盲文垂れ流しする奴は身内と思いたくない

私はフェンシング以前に「子供のころから剣道」をしておりませんが。
きちんと事実を確認した上でお煽りください。

また、私を意識しておられるのはあなただけのようでございます。他の方々は私を意識しておりません。


542名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:01:44 ID:gQn9Mq3k
>>540
信長が勢力拡大するまでは徴兵された下っ端の雑兵は兵糧も現地調達じゃなかったっけ?
543名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:15:37 ID:UVqAPbEO
日本の城だって領民を匿う為の施設としての側面が有ったよ
同じ民族だからジェノサイドは無いだろうけど奴隷として海外に売り飛ばされたりするからな
544名無し曰く、:2007/11/26(月) 23:43:31 ID:vIgYPtnZ
コピペにマジレスしてる馬鹿がいるなw
545名無し曰く、:2007/11/27(火) 01:11:08 ID:9b5nSWl/
>>540
目の前に戦利品が有るのにスルーする訳が無い
相手の士気も落とせるしな
546名無し曰く、:2007/11/27(火) 01:58:58 ID:0RHpZgd+
戦の勝敗そっちのけで略奪ばっかしてるような兵士は
大将にとっても扱いにくいと思うんだけどなー。
所謂初期の足軽だとどの程度まで上の統率が効いてたんだろう。

たとえば西洋だと陥落させた町は3日だけ略奪自由、
それ以外はお預けで勝手にやってんのがバレたら厳罰、てルールがあって
ロクデナシの傭兵の動きをある程度縛ってたそうだけど
日本にもそういう決まりはあったんだろか
547名無し曰く、:2007/11/27(火) 04:38:22 ID:tZMjQJ6z
>>545
略奪ばっかやってたら勝った後支配しにくいだろ
下は略奪したがるが上はさせたくないってのが本当のところだろ
あとは上の指導力次第
548名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:09:31 ID:0RHpZgd+
>>540
あとヨーロッパでは「騎行」といって
敵領土での略奪や畑荒らしを戦術の一環として行う
騎兵の運用法があった。
10〜100人くらいの騎兵の小部隊が基地から飼葉を満載にして出発し
敵領土からの略奪品を満載にして戻って来るという。
消耗が激しい正規軍同士の衝突を避け敵を経済的に疲弊させるのが
目的だとか何とか・・・
549名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:25:36 ID:0RHpZgd+
ちなみにこの戦法はドイツ騎士団などが主に非キリスト教の国に対して行った。

ビザンツ帝国下の小アジアでもセルジューク・トルコの進出期には
断続的な襲撃を受けた農民が城壁のある都市部へ逃げ出し農地が荒廃、
税収が減少し経済が打撃を受けた、という例がある。

戦術としての選択か、兵士の自活のための行動か、という差はあるにせよ
敵地において軍隊が通った町や村は経済的な打撃を受けるのを免れなかった、
てのが昔の戦争の一般的な例なわけで。
これは日本の場合もほぼ同様だったと思う。
その細部に関しては調べ方が足りないからよく分からないんだけどね
550名無し曰く、:2007/11/27(火) 21:29:03 ID:/W24RlmH
孫子は兵糧の現地調達を勧めてるね
孫子を読んだナポレオンがロシア遠征で現地調達をしようとしたが、焦土作戦で目論見が大はずれしたのはご愛嬌
551名無し曰く、:2007/11/28(水) 09:18:35 ID:xvQVuZPY
日本の場合現地調達のときに金出して買うことも多かったけどね
552名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:52:45 ID:pmNk/4Hb
>>551
戦場にまで商人が出入りして、兵糧その他を売ってたらしい・・・
553名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:32:18 ID:8zHje3Uq
「我は兵にて戦いを決する。塩にて敵を屈せしめることはしない」 上杉謙信
554名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:37:04 ID:8zHje3Uq
536 :名無し曰く、:2007/11/25(日) 21:43:43 ID:h6glIASn
攻城戦では攻めでも受けでも日本の方が強いイメージがあるんだがどうかね?
実際に城とか見学すると絶対落とせない絶望感が出てくるんだが。
支城システムとかも優秀っぽいし。


537 :名無し曰く、:2007/11/25(日) 21:58:20 ID:7DW6UD4I
朝鮮出兵の時も和城は一つも落とされなかったらしいね


538 :名無し曰く、:2007/11/25(日) 23:34:15 ID:sTMa9wlV
会津若松城と熊本城は明治の近代兵器とアームストロング砲でも落ちなかったからな・・・
会津は兵糧攻めで開城だし


539 :名無し曰く、:2007/11/25(日) 23:51:51 ID:sTMa9wlV
日本の城は本丸、二の丸、三の丸とか多重ブロック構造だから
一箇所から侵入を許しても、攻撃側は本丸までさらにいくつかのブロックを制圧しなければならないし
防御側は戦力の立て直しができる。
更に城内は最低2方向から攻撃できるよう射角が計算されて櫓・壁・門が配置されているから、
侵入した部隊は迷路みたいな城内で前面・側面・背面の矢・鉄砲狭間から一方的に攻撃され、犠牲を強要させられる仕組みになってる。


上で出てくる「支城システム」ってなにかね?
555名無し曰く、:2007/11/29(木) 00:25:00 ID:BiHPoZLz
そのまま支城(網)の構築の仕方のことだろ、たぶん。
なんかかなり執拗な作り方だったらしいが詳しいことは良く知らん。
556名無し曰く、:2007/11/29(木) 03:02:48 ID:AYDQVZ0G
尼子氏は本拠月山富田城の半径10km四方に10個支城があったそうだが。
これって多いほう?
557名無し曰く、:2007/11/29(木) 08:36:20 ID:99p7iVdh
>>544
あのage荒らしは書かれた元のスレで何も言い返せないからここに書いてるんでしょうw
哀れなものです
558名無し曰く、:2007/11/29(木) 18:06:35 ID:rlljSsPJ
>>554
お城ってのは単体で成り立ってるものじゃなくて
後方策源地との関係性や
複数の城のネットワークで防衛を成り立たせているものが多い。

例えば城Aが包囲されたら近隣の城Bから救援部隊を出して
Aが持ちこたえてる間に城の包囲部隊に攻撃をかける、というように
相互に支えあうことで防衛機能を高めてる。

だから支城っていうのは
「単体での防衛能力はあるけど、食料備蓄や置いておける兵力の少なさのため
野戦軍の基地としてはあまり使えないような城」とか
「最大拠点にある城の守備力を地域単位で補強するため周辺に建てた城」
みたいなものを指すんじゃないかしら
559名無し曰く、:2007/11/29(木) 18:56:20 ID:rlljSsPJ
>>554

絵で描くとこんな感じになるかなあ
http://litz.sakura.ne.jp/upload/file/1196330090.jpg
560名無し曰く、:2007/11/30(金) 23:50:46 ID:gs9kS8Ua
後詰めって奴だっけ?
戦力が効率的に使えるんかね。
561名無し曰く、:2007/12/02(日) 01:54:43 ID:fQ4QOClE
本城や支城が攻撃を受けた場合、篭城してる間に他の支城から増援がくる。
簡単に言うとこれだけの話だけど、上にも書かれてるとおり網の張り方が
執拗で城攻めしてる側が逆包囲されたり、城攻め側の増援や補給線を他の
支城が遮断したりする。

さらに進発した支城の軍が敵と交戦後、そのまま戦場を突っ切って他の支城に
飛び込んで補給をしたりするいかれたシステム。
どちらにしても日本の城が鉄砲を有効に使えるから成り立つシステム(篭城側が進発して
支城軍勢と連携をとり易い、鉄砲の援護で退却も有効に行える)
562名無し曰く、:2007/12/02(日) 12:35:50 ID:4feEzKb/
鎌倉や南北朝の頃のそういった話はないの?
563名無し曰く、:2007/12/02(日) 14:59:07 ID:i/lG1Ni9
長篠の戦いも後詰決戦だよね
武田が長篠城を囲んでる間に織田徳川が野戦軍で駆けつけた
攻める側は城を囲む兵力を残して、野戦をしなきゃいけないので不利だな
564名無し曰く、:2007/12/09(日) 17:25:32 ID:fVb/9mGd
http://game13.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1172058832/l50x
クル様がこのスレからお隠れになってから武士厨共のやりたい放題で
唯一の白人側のSPARONどのもいたぶられておる様子。
565名無し曰く、:2007/12/09(日) 18:01:22 ID:afweFJs2
なにやってんの?
566名無し曰く、:2007/12/10(月) 20:47:57 ID:MomXTMas
もうすぐ 前半を騎士優勢に導いたクルセーダー様がこのスレに
還ってこられる。そうすればおまえら武士厨も根絶やしよ
567名無し曰く、:2007/12/13(木) 01:12:59 ID:H6TakBv7
>>563
増援の規模と錬度を知った武田古参の重臣が
長篠城包囲を解いて全力で迎撃、もしくは一時退くべし と進言したのを
勝頼が聞き入れなかったという話もあるそうな。
568名無し曰く、:2007/12/17(月) 09:32:25 ID:hgPHfIU6
関連スレ
結局のとこ、武士と騎士どっちが強いのよ?
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/knife/1191149102/
569名無し曰く、:2007/12/21(金) 19:31:23 ID:zMqDAxAL
織田信長が日本を統一して
そのままの勢いで中国・東南アジアに進出し、さらには西洋とぶつかってたら…

なんてことを妄想するのが楽しい
570名無し曰く、:2008/01/08(火) 18:08:28 ID:jrAIQ7Uc
秀吉ですら出来なかったのに信長に出来るわけない
571名無し曰く、:2008/01/09(水) 17:32:28 ID:PdjgX07e
秀吉は単なる信長の政策と広大な領土を継承しただけじゃね?
人間関係の調整や立ち回りがうまいだけで
572名無し曰く、:2008/01/09(水) 23:33:04 ID:fSQO35I3
触れるな危険
573名無し曰く、:2008/01/12(土) 23:41:55 ID:SbiNvtzJ
日本人は三進法体質。
普通にスキップしていた。
574名無し曰く、:2008/01/12(土) 23:58:16 ID:4rLSwzjG
むしろ信長だと全国を統一した後は国内の整備に注力して一生を終えそうな気もするが。
575名無し曰く、:2008/01/13(日) 00:13:00 ID:zUkrsMLd
世界進出は武力より経済力でって考えだったしな
576名無し曰く、:2008/01/13(日) 03:37:59 ID:U/YrIsw2
>>569
そんな内容の小説あるから読んどけ
577名無し曰く、:2008/01/13(日) 05:12:05 ID:v0uhzQzB
>>569
その前に老衰で死ぬだろうけどねw
578名無し曰く、:2008/01/13(日) 11:51:34 ID:Pv2AcWAu
展開は面白い
579名無し曰く、:2008/01/13(日) 14:56:38 ID:Ds/nKAAE
>>569
実際に当時日本人の傭兵が大量に東南アジアへ進出していたよ。
日本人部隊がスペインの艦隊を全滅させたこともあるし。
580名無し曰く、:2008/01/26(土) 10:16:07 ID:Qd8r5Kx5
>>579
東南アジア周辺で日本人傭兵が大きく活躍したのはよく聞く話だが
スペイン艦隊を全滅させた話は聞かないな、どれほどの規模の戦いなんだ?
詳細と文献、ソースきぼん

つーかこのスレの傾向、武士と騎士の比較時期がバラバラで話にならん
それに江戸期や明治時代に脚色された超人的な武将と
ステレオタイプな脳内騎士イメージを比べられても困る。

16〜17世紀(戦国時代)の武士を持ち出すなら信長公記等を読んだ後
洋書、最低でも初心者向けのオスプレイ社の軍事書籍等で年代をあわして比較して欲しいものだ

武士の大衆紙染みた胡散臭い資料と違い、騎士(?)の方は考証の確かな資料が溢れている。
多少英語ができれば読めるものばかりだし(深く踏み込むならラテン語は必須だが
581名無し曰く、:2008/01/26(土) 11:02:19 ID:Qd8r5Kx5
>>483
コサックスは海外でも評価が高いぞ、確かに一部のユニットが脚色されてるのは否めないが
それでも開発陣がかなり勉強してるみたいで近世の欧州の戦争を膨大な史料を元に表現しているぞ

もっともKOEIの浅いゲームのみでRTSすらしたことない方には
リアルタイムでの判断ができずに戦術性皆無の運動会ゲームにしか映らんかもしれんな
582名無し曰く、:2008/01/26(土) 11:05:40 ID:li25Z/hH
>>580
詳しそうだから是非個人的見解を見せて欲しい
583名無し曰く、:2008/01/26(土) 13:51:23 ID:Qd8r5Kx5
>>582
見解といわれてもまったく戦った事の相手同士の優劣を語るのは難しいぜ
とりあえず俺の拙い知識で両者の有利な点、不利な点で比較してみるが…

14世紀頃、騎士が装甲槍騎兵のスタイル、武士が弓騎兵のスタイルでタイマン、土俵は無限であるならばの仮定

武士側の有利な点
パルティアンショットよろしくヒットアンドウェイを繰り返せば武士側は無傷のまま出血を強いる事ができる。
もっとも鈍重とは言え動いている騎兵に矢を当てる事はなかなかに至難であるが弓馬の道である武士ならば造作のない事かもしれない
騎士の中には初期のハンドガンや石弓で武装しているものもいたがとても精鋭弓騎兵と渡り合えるシロモノではない
仮に接近を許しても長巻や大太刀ならば質量の面で十分に打撃を与える事が可能

騎士側の有利な点
当時の三枚打弓ではよほど至近距離か仰角をつけたものでなければ
2mm以上の厚さを誇る定番のミラノ式板金鎧&鎖帷子を着た騎士に致命傷を負わせる事は難しい
大鎧は矢と斬撃に対して優秀であるが対騎兵槍を想定されたものではない
2〜3世紀頃から大陸から来たままの品種改良とは程遠い拙い在来種に大鎧着用
得物が大太刀や長巻、金棒では1トン近い冷血種の馬重を積んだ騎兵槍の衝突を防げない

結論、騎士武士両者とも剣術や組打ちなど幼少から鍛錬されている
ゼンパハの戦いではオーストリア騎士が下馬して屈強なスイス傭兵と戦っているし
レパントの海戦では甲冑を着けたスペイン、フランス騎士が船上でこれまた屈強なイェニチェリ相手に戦っているので
装備にもよるが徒歩の戦いで必ずしも武士が有利という運びにはならない(一部の伝説的な猛者を持ち出せばキリがない
近代には衰えてしまった西洋剣術も決して日本剣術に劣るものではないので白兵戦の優劣は比較し難い。

やや強引であるが1対1ならば距離を保ちつつアウトレンジから一方的に射撃可能な武士が有利かと
もっとも実際の戦争では重騎兵は運用さえ間違えなければ圧倒的な決定力を持つが弓騎兵は強力であるが決定力不足は否めない
モンゴル軍も弓騎兵オンリーのイメージが強いが勝敗の差を広げたのは追撃したモンゴル重騎兵の働きが大きい


16世紀頃、元騎士(?)だった連中と傭兵達からなる3種の騎兵
http://www.lukehistory.com/cavalry/cavtypes.html
もっぱら乗馬歩兵でたまに槍騎兵や弓騎兵、火縄銃騎兵となる武士、土俵は無限であるならばの仮定

武士の有利な点
士筒の破壊力は西洋甲冑を簡単に貫通する。
その上鉄砲術が武芸の一つとして認識されている。
当時の日本の火縄銃の精度は世界最高な上、保有量も世界最高
当世具足は機動性と防護性の面で非常に優れている。
下馬して狙撃すれば拳銃やカービン銃に対してアウトレンジ可能
伊達家など一部は優れた大陸馬を輸入していた。


騎士(?)有利な点
近世の溝付甲冑は軽くそして中筒以下の火縄銃ではよほど至近距離でないと貫通できない
近世に入りアラブ馬との交配により体格と速度のバランスのとれた馬種が徐々に登場しだす。
マスケットは日本の火縄銃に対して精度が低いと言われるが、マスケットは威力と連射速度を重視した弾幕向けの軍用品
猟銃であるならば同等かそれ以上の精度を持っている。 というか日本の火縄銃はポルトガルの猟銃のコピー品
歯輪拳銃は壊れやすいが乗馬したまま装填、発射が可能な上、基本2丁装備、威力はそれなりに高く至近距離では西洋甲冑も防げない、いわば強力な槍
17世紀まで剣術は士官の必修科目、接近すれば武士が優位という訳ではない。
584名無し曰く、:2008/01/26(土) 14:29:57 ID:li25Z/hH

ライオンと虎どっちが強いかって話と同じで机上論だけじゃ決められないよな
やっぱり16世紀辺りになると騎士、武士の戦いが戦場の花形って訳にはいかなくなるから
それ以前に絞ったほうが良いのかな
585名無し曰く、:2008/01/26(土) 23:03:29 ID:Qd8r5Kx5
>>584
そうですね、やはりこういうのはタイマンでの徒歩の白兵戦で雌雄を決したいもんです。
武士も騎士も有象無象で国や地方によっていろんな装備や技術があってなかなかに公平にいかないもんです。
ただ識字率の面では当時の騎士は読み書きができない者も多く恐らく学力では武士の圧勝でしょう

>>561
西洋の功城砲の歴史は古く、日本の何世紀も前から実用的な砲が使われてきました。
特に15世紀イタリア戦争では高名なフランスの砲兵隊の進撃で高い城壁を持つイタリアの城塞は次々と陥落していきました。
(ちなみに当時のイタリアは欧州一の先進国で商業、技術、芸術の面で1歩先を歩んでいました。
後にそれらの教訓を生かし背が低く厚みがあり火砲を最大限に生かせる稜堡を持つイタリア式築城が誕生し
16世紀にはイタリア式を改良したドイツ式、低地であること生かした稜堡に堀を用いたオランダ式
17世紀には稜堡式要塞の完成形 フランス式(ヴォーバン式)築城が完成します。
ちなみに日本の五稜郭は19世紀後期に立てられていますがこれは勿論ヴォーバン式を用いたものです。
もっとも19世紀後期にもなると火砲の射程が延びて既に要塞自体が時代遅れの産物でしたが
(そういう意味では日本の山城のように複数の拠点を築く支城システムは4世紀先を行っていたのかもしれません

欧州は中国から伝わった火砲を早くから実戦で運用し、近世初期では恐らく世界最強のオスマン帝国の侵略(有名なウルバン砲)をも経験しているため
城塞に関しては元より、同時代の一貫(3.75kg)以下しか使えない大筒と標準的な48ポンド(24s)のカノン砲比べれば、功城の面でも日本よりも一日の長と言えると思います。
http://www.ingenierosmilitares.org.uy/fortificaciones/forti2.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~tsukuba/Ryo/Html/Toha.htm
586名無し曰く、:2008/01/26(土) 23:15:20 ID:Qd8r5Kx5
ageてしまったぜ、あと攻城砲です。2回も誤変換してしまった。
さらに上の文だとあまりにも騎士が馬鹿ぽいですが
国王や高位の貴族は何ヶ国語も話せる者も多かったらしく、結構ピンからキリまであります。
587名無し曰く、:2008/01/26(土) 23:59:46 ID:li25Z/hH
>>585
15世紀後半ごろには日本にも倭寇を通してフランキ砲の一種が伝えられてたと言う説もあるけどどうなんだろう
ただ実戦に使ったって記録は16世紀後半の大友宗麟の国崩以前は聞いた事ないんだよね

攻城に関してだけど山岳、湿地帯などが多い日本で果たして大砲がそこまで効果を挙げることが出きるのかな
ヨーロッパの平地にデーンと城を構えてたらボコスカやられるとは思うけど
ここら辺がトラとライオンどちらが強いかと同じで難しいところなんだよね
588名無し曰く、:2008/01/27(日) 01:43:43 ID:+vArHOHC
>>587
確かに山岳地帯が多く起伏の激しい日本の地形では城の前まで肝心の砲を持ってくる事自体が困難ですね
特にカノン砲のような重砲は平地でも運搬、組み立てに時間がかかります。
日本で臨機応変に使うとすれば機動力にすぐれた4ポンドクラスの野戦砲か長射程のカルバリン砲ぐらいでしょうか
589名無し曰く、:2008/01/27(日) 03:14:33 ID:mgmaZNJV
‥石破さんですか?
590名無し曰く、:2008/01/27(日) 04:33:08 ID:j9mz/Jg6
>>580
1621年にメナム河に侵攻したスペイン艦隊5隻がアユタヤ王朝に雇われていた
日本人部隊との戦闘で全滅。
ソースは江崎惇著「史実 山田長政」、小和田哲男著「史伝 山田長政」。
591名無し曰く、:2008/01/27(日) 11:49:52 ID:fK7MMHpg
>>585
徒歩での白兵戦って、騎士の本領発揮ってランス突撃じゃないのか?
592名無し曰く、:2008/01/27(日) 12:52:40 ID:j9mz/Jg6
>>591
百年戦争のクレイシーの戦いでフランス軍のランス突撃がイングランド軍の
下馬騎兵+長弓の戦術に大敗して以来、フランス・イングランド共に騎士は
下馬させて歩兵陣に組み込んで戦う戦術が主流。
593名無し曰く、:2008/01/27(日) 16:39:06 ID:+vArHOHC
>>591
騎士も武士同様、戦士階級ですから下馬すれば強力な重装歩兵となります。
騎馬による突撃は非常に強力ですが、敵が地形を利用し粘り強い重装歩兵で迎え撃ち
後方から(装甲騎兵に対して効果は薄いとはいえ)長弓の矢雨を長時間浴びれば
簡単に迎撃されてしまいます。

ですが百年戦争をもって重装騎兵としての騎士が姿を消す訳ではありません
やはり重装騎兵としての騎士を完全に過去の遺物と化させたのはスイス傭兵の槍方陣でしょう。
594名無し曰く、:2008/01/27(日) 18:14:02 ID:XBxgAhwJ
最初から読んでたんだが、スレの主旨が変わりすぎなような希ガス。

主は武士と騎士どちらが強いかって、多分皆も一度位は考えるかもしれない単純な疑問を呈したのだろうが、いつの時代の武士か?あるいはどこの地域の騎士か?などを特定しないで議論に移ったのが水掛け論を呼んだと思う。

しかも、その時代の武士や騎士にも階級や更に細かい地域によって装備の差があるわけで

主がまだいるのだったら、その根幹を設定しなければ百日手になり終わらない議論だ。


いないのなら、俺や他の表面上の知識しか持たない奴らじゃなく、世間的に主流となっている説を十分に理解していて、尚且つ、武士と騎士のどちらにも拠らない公平な意見を保てるオブザーバーが、武士と騎士の装備などを設定すべき。

595名無し曰く、:2008/01/27(日) 18:26:15 ID:sWdJAziK
そこまでしたいなら歴史ゲーム板にスレ立てないだろw
ただ武士の方が強いんじゃね?いやいや騎士だよと語り合いたかっただけじゃなか
596名無し曰く、:2008/01/27(日) 22:48:52 ID:Irr4nLJx
>>581
歴史家が実際の戦闘をシミュレートするのにすら使われているトータルウォーシリーズと比べると、コサックスは大きく落ちるよ
あのゲームでは斜線陣も中央突破も翼側包囲も再現できない
会戦RTSと銘打っておきながら、実際の歴史上の布陣のように長大な戦列を敷いて戦うことは皆無
戦術もへったくれもなく壁築いて、前線に部隊を殺到させるだけ
AOEもだけど結局内政フェイズと戦闘フェイズが一緒になっている時点で無理があるんだよな
常に兵舎や砦から、後から後から兵士が沸いて補充されるという非現実な設定・・・
Rome:TotalWarかMedievalU:TotalWarの体験版をまずやってみてほしい
4gamers.netにあったはず
597名無し曰く、:2008/01/28(月) 06:25:23 ID:WjqidOiR
>>596
そりゃマルチプレイで勝ち負けだけを競えばそうなるだろ
PTありであらかじめ相手と話し合わせて布陣すれば会戦も可能
それにゲームタイプ『歴史上の戦い』選べば内政と壁の面は多少は気にならなくなるぜ
CDVソフトウェアは頑張ってると思うけどな、近世〜近代時の欧州の軍装なんてかなり参考になるぞ

もっともシステム面では従来のRTSと変わらないので
シュミレーターとしてTotalWarシリーズとは比較にならんのは同意

あとAOEは手軽なゲーム性を重視してるからあれはあれでしかたないと思うぜ
あれをリアルなんていう輩はいないだろうし
598名無し曰く、:2008/01/30(水) 05:18:31 ID:Qvl5B6Lw
>>596
全く同感

AoEは歴史をモチーフにしただけの競技ゲームとしてデザインされたからいいとして
後続のRTSのデザイナーはみんなAoEの先入観に縛られていて
時間スケールを踏まえた生産ルールの再検討とか
ユニットのスケールの再検討という発想に至らなかった

EmpireEarth2とかEmpiresとか凝った歴史シナリオがあるのに
肝心のシステムがAoEと全く同じなのは残念

599名無し曰く、:2008/01/30(水) 05:22:13 ID:Qvl5B6Lw
ちなみにHeavenGamesなんかを見ていると
AoEシステムでも比較的表現しやすい
コンスタンチノープル攻城のような長期戦や
アラモやリトルビッグホーンのような小規模な戦いのシナリオがアップされてる

600名無し曰く、:2008/01/30(水) 12:09:26 ID:73lPMh39
普通に武士が勝つよ。
馬がなけりゃ動けるほうが有利。
油断して正面ブスー以外は騎士は勝てんな。
隙間なんか狙わなくても、刀がなくてもいい。
後ろに走り込んで蹴って転かす→腕ひしぎ。
殴り合いになったらマズいけどね。
ただ騎士の鎧がとっさに脱げる構造でもないしな。
小手だけ装備の騎士なら殴り勝てるかも…