1 :
名無し曰く、:
2 :
名無し曰く、:2005/12/22(木) 14:22:19 ID:oLQihmJC
【統率】
120上杉謙信
110武田信玄
107立花道雪
105島津義弘、真田幸村
099長尾為景、太田道灌
097長野業正、立花宗茂、真田昌幸
096本願寺顕如、北条早雲、竹中重治
095伊達政宗、徳川家康、朝倉宗滴、鈴木重秀、吉川元春、高橋紹運、島津家久、北条氏康
094北条綱氏、柴田勝家、佐竹義重
093葦名盛氏、福島正則、武田信虎、長尾顕景、長曾我部元親、浅井亮政、織田信秀、井伊直政
092毛利元就、織田信長、村上義清、下間頼廉
091黒田孝高、本田忠勝、高坂昌信、斉藤義龍、三好長慶
090加藤清正、大谷吉継、鍋島直茂、蒲生氏郷、島左近、陶晴賢、浅井長政、柿崎景家
【智謀】
110北条早雲
109尼子経久
105毛利元就
102竹中重治
101本多正信
100斎藤道三、松永久秀
099太田道灌、宇喜田直家、黒田孝高、真田幸隆
098真田昌幸、太原雪斎
097山本勘助、宇佐美定満、南光坊天海
096織田信長、武田信玄、最上義光
095長曾我部元親、今川氏規、津軽為信、片倉景綱、藤堂高虎、本願寺蓮如
094徳川家康、北条氏康、羽柴秀吉
093百地三太夫
092鈴木重秀、伊達政宗、明智光秀、小早川隆景、三好長慶、足利義秋
091朝倉宗滴、鍋島直茂、長野業正、大谷吉継、島津日新斎、本多正純
090下間頼廉、風魔小太郎、直江兼続、甲斐宗運、龍造寺家兼
【政治】
120北条早雲
110本願寺蓮如
107北条氏康
105織田信長
104羽柴秀吉
100徳川家康
099石田三成
098毛利元就、細川藤孝
097今川氏規
096太原雪斎、明智光秀、長束正家、島津日新斎
095松永久秀、斎藤道三、本多正信
094三好長慶、武田信玄、本願寺顕如、津軽為信、南光坊天海、小早川隆景
093伊達政宗、伊奈忠次、羽柴秀長、藤堂高虎、宇喜田直家、鍋島直茂、島津義久、
092伊達稙宗、本多正純、増田長盛
091片倉景綱、真田昌幸、直江兼続、黒田孝高、安国寺恵瓊、龍造寺家兼
090川村重吉、佐竹義昭、板倉勝重、前田玄以、太田道灌
3 :
名無し曰く、:2005/12/22(木) 14:28:17 ID:3wbZhSFp
前スレの流れ よく名前が出る6人の武将
織田信長・・・統率が過小との意見がかなり多い。100前後にすべきとの事
知略と政治は妥当との意見が多い
総合値1位に推す声も多い。
毛利元就・・・統率・知略が過小との意見が多い。統率は100にはすべきとの事
政治が過大という意見もある。80後半にすべきとの事
総合値1位に推す声も多い。
羽柴秀吉・・・統率・知略が過小との意見が圧倒的多数。
政治は特に意見がなかったので妥当か?
武田信玄・・・統率が過大との意見が多い。100前後にすべしとの声がある
知略は特に批判されないので妥当か?一部に上げろとの声もある
政治は妥当か過大かで割れる。後継問題と統治をどう捉えるか。
北条氏康・・・統率が妥当か過大かで意見が真っ二つ。結論が出ていない
拡大速度と安定度の綱引き状態で泥沼。
知略と政治は特に批判されないので妥当か?
上杉謙信・・・統率が過大との意見がある。
知略は過小との意見がある。80前後にすべきとの事
政治も過小との意見がある。80前後にすべきとの事
4 :
名無し曰く、:2005/12/22(木) 14:29:13 ID:1tNX60ig
総合トップ10(死亡武将を除く)
01位武田信玄 300
02位北条氏康 296
03位毛利元就 295
04位織田信長 293
05位徳川家康 289
06位真田昌幸 286
07位羽柴秀吉 285
08位黒田如水 281
08位太原雪斎 281
10位斎藤道三 280
10位伊達政宗 280
5 :
名無し曰く、:2005/12/22(木) 14:29:43 ID:1tNX60ig
武勇を混ぜた総合ランキング(死亡武将を除く)
01位武田信玄388
02位織田信長382
03位徳川家康378
04位北条氏康375
05位伊達政宗366
06位朝倉宗滴366
07位毛利元就364
08位長宗我部元親362
09位真田昌幸362
10位明智光秀361
11位鍋島直茂359
12位斎藤道三359
13位佐竹義重357
14位上杉謙信353
15位島津義弘351
16位羽柴秀吉350
17位小早川隆景349
18位大谷吉継348
19位直江兼続347
20位太原雪斎347
21位蒲生氏郷345
22位三好長慶344
23位最上義光343
24位津軽為信343
25位本願寺顕如342
26位片倉景綱341
27位黒田如水341
28位宇喜多直家340
29位甲斐宗運338
30位島津義久338
31位松永久秀338
32位立花道雪336
33位武田信繁335
34位上杉景勝335
35位井伊直政330
36位真田幸村330
37位葦名盛氏329
38位藤堂高虎329
39位島津忠良329
40位細川幽斎329
41位三好義賢328
42位吉川元春328
43位山本勘介327
44位真田幸隆326
45位斎藤朝信325
46位今川義元323
47位陶晴賢322
48位本多忠勝322
49位高坂昌信322
50位黒田長政320
6 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 01:41:15 ID:dmXaNfFj
統率って戦のうまさだろ?
何で謙信が最高なの?
戦術で戦略をひっくり返す戦してる毛利や島津がトップだろ
【統率】
120毛利元就 島津義弘
118武田信玄 尼子つね久 島津家久 黒田官兵衛
115立花宗茂
110織田信長
105羽柴秀吉 徳川家康 北条氏康
100上杉謙信 伊達政宗 立花道雪 小早川隆景
097長野業正 真田昌幸 高橋紹運 吉川元春
095斉藤道三 斉藤義龍 長曾我部元親 最上義光
093加藤清正 鍋島直茂 浅井長政 片倉小十朗
090柴田勝家 福島正則 本多忠勝 井伊直政 伊達成実 北条氏照
7 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 02:36:50 ID:2doNs2dz
>>6 >戦術で戦略をひっくり返す戦してる
この理由で謙信を下げるのなら、武田信玄・黒田官兵衛・立花宗茂もだろ。
8 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 04:30:18 ID:E8VMNDqy
9 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 05:35:49 ID:Y2WQfWe3
10 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 05:53:44 ID:iRYkhoWs
ヌルハチと立花宗茂って戦ったらどっちが買ったんだろうね
11 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 07:01:11 ID:WQjMFO/f
総合能力値ベスト20(ボーナス武将は除く)
順位 武将名 統率 武勇 知略 政治 合計
01位 武田信玄 110 88 96 94 388
02位 織田信長 92 89 96 105 382
03位 徳川家康 95 89 94 100 378
04位 北条氏康 95 79 94 107 375
05位 伊達政宗 95 86 92 93 366
05位 朝倉宗滴 95 90 91 77 366
07位 毛利元就 92 69 105 98 364
08位 長宗我部元親 93 86 95 88 362
08位 真田昌幸 97 76 98 91 362
10位 明智光秀 88 85 92 96 361
11位 鍋島直茂 90 85 91 93 359
11位 斎藤道三 85 79 100 95 359
13位 佐竹義重 94 86 88 89 357
14位 上杉謙信 120 105 74 54 353
15位 島津義弘 105 94 82 70 351
16位 羽柴秀吉 87 65 94 104 350
17位 小早川隆景 87 76 92 94 349
18位 大谷吉継 90 78 91 89 348
19位 直江兼続 88 78 90 91 347
19位 太原雪斎 87 66 98 96 347
総合能力値ワースト20
順位 武将名 統率 武勇 知略 政治 合計
01位 一条兼定 7 3 4 29 43
01位 肝付兼亮 11 8 4 20 43
03位 斯波詮直 9 14 5 31 59
04位 北畠具房 15 16 10 22 63
05位 斯波義銀 12 10 21 27 70
06位 柴田勝豊 12 25 10 31 78
07位 阿蘇惟光 26 14 12 28 80
08位 最上義時 19 21 14 30 84
09位 伊達盛重 19 21 14 32 86
10位 大内義長 22 20 12 36 90
11位 鵜殿氏長 24 7 23 38 92
12位 赤松晴政 16 21 27 29 93
13位 上杉憲政 28 20 19 27 94
13位 今川氏真 10 6 8 70 94
15位 尼子義久 21 27 22 28 98
16位 有馬義貞 17 15 21 44 99
16位 後藤高治 14 10 40 35 99
18位 小早川秀秋 38 23 23 16 100
19位 斎藤龍興 23 26 14 40 103
20位 織田有楽斎 24 7 5 68 104
12 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 07:02:41 ID:WQjMFO/f
>>2のリストに村井 貞勝(政治98)が入って無いよ
13 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 08:03:47 ID:GU3AoIqz
火間虫だと佐竹義昭の政治は87だったけど、
>>2で90に入ってるのは正しいのか?
14 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 08:42:01 ID:fkc44qC6
とりあえず我が地元の成田泰季をどうにかしてくれ
以下、武将ファイルの紹介文
成田長泰の弟。小田原の陣で城代として当主・氏長不在の忍城を守った。
石田三成・大谷吉継らの猛攻に耐え、小田原開城後もまだ持ちこたえていた。
評価 統率23 武勇26 知略40 戦法無し 適性オールD
ただし知名度は0に等しいので簡単な物語を読んで理解して欲しい
甲斐姫=成田泰季として読んで欲しい
ttp://www.gyoda.co.jp/gyodahanasi.htm#osizyo3
15 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 10:00:59 ID:Y2WQfWe3
御膝元の武将が低評価って悲しいよな
16 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 10:40:58 ID:CuE4UNP+
>>14 統率+30 武勇+50 くらいすればそれらしくなるかな
それと忍城って結構優秀な城だったのね
17 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 11:44:01 ID:582/0AIF
小早川秀秋 統率60 武勇70 智謀20 政治 10
これくらいにしておいたほうがいいんじゃね?
朝鮮では大将としてはアレだったかもしれんが勇ましい活躍してるしさ。
18 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 11:51:40 ID:iRYkhoWs
織田家軍団長
柴田勝家 統率 87 武勇 100 智謀 78 政治 87 魅力80
明智光秀 統率 92 武勇 98 智謀 91 政治 92 魅力 91
羽柴秀吉 統率 98 武勇 67 智謀 98 政治 80 魅力 50
織田信忠 統率 80 武勇 80 智謀 80 政治 80 魅力 80
19 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 11:53:01 ID:bpm3xmzF
まぁ確かに今の数値じゃ味方に引き入れる意味すらないもんな。
20 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 12:03:54 ID:WFP3iyA9
なんで尾張の弱兵集団の織田家の武将が統率武勇が高いんだか・・・
だったら手取川で敵の3倍弱の軍勢率いて上杉に負けるか?
(総大将は信長じゃなくて勝家だったが)
8000の浅井勢相手に23000の13段構え敷いて11段まで突破されるか?
21 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 12:13:03 ID:CHla4IYI
まぁ戦国最強なはずの謙信や信玄や氏康が死んでもできないことをあっさりやっちゃったから、
評価は高くていいんじゃないかな。
22 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 12:16:48 ID:MlCmUlIH
>20
どっちも根拠が薄いお話なんで。
ただ、織田家は美濃と尾張と伊勢を押さた時点で国力的に残りの大名なんざ
蹴散らすのは当然なので、別に将や士卒が勇猛だとかそういう事に由来すると
強いて解釈する必要は無いと思う
23 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 12:17:05 ID:iRYkhoWs
同時代
ヌルハチ
統率98 武勇 92 智謀 70 政治 88 魅力 87
万歴帝
統率 72 武勇 80 智謀 82 政治 100 魅力 82
エンスウカン
統率 93 武勇87 智謀94 政治 39 魅力 70
24 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 12:19:17 ID:dmXaNfFj
>>7 黒田官兵衛、結構すごいとおもうけどな。
織田軍が来る前に毛利の大軍と戦って勝ってるし、
天王山でも毛利の旗を事前に借りといて
明智方に毛利まで秀吉に味方してると思わせて秀吉を感嘆させてるし
九州征伐でも島津傘下の勢力を味方につけて勝てるようお膳立てしてる。
関が原で大友が武装蜂起した時も最初は苦戦しながらも
正規の兵じゃない浪人で勝ち進んでる。
まぁ確かに高すぎたかもしれない。秀吉と同じぐらいかな?
立花宗茂
豊臣軍が来る前に筑前から島津を追い払う。
その後の追撃戦も凄まじく高鳥居城、岩屋城、宝満城を奪還。
秀吉に「その忠義は鎮西一、またその剛勇も鎮西一」と絶賛される。
碧蹄館じゃ3千の兵で6万の明軍に善戦して勝利に貢献。
小早川隆景に「立花隊3千は1万の兵に匹敵する」と言われるほどの戦上手。
慶長の役でも明の大軍に包囲され窮地に陥ってた加藤清正を
わずか500の兵で夜襲を行い加藤清正の救助に成功。
清正に「日本軍第一の勇将」と言わしめてる。
島津ばかり有名だけど露梁の海戦にも参加してる。
うーん。なんか書いてて宗茂最高っぽく思えてきた。
少なくとも真田幸村より全然実績上だよな。
幸村が宗茂より上ってありえないだろ。
武田信玄は確かに高すぎた。
でも三増峠の戦いとかはうまい戦いだと思うよ。
25 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:01:54 ID:FWFu8QBG
>>24 そこまで詳しく書くなら謙信についても調べろよと。
それと島津家久、島津義弘を相乗した評価はどうかな。
浅井、道三、氏康、政宗がかなり過大。偏り過ぎだ
26 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:07:32 ID:iRYkhoWs
北条氏康 武田信玄 上杉謙信
統率 82 統率 86 統率 93
武勇 78 武勇 40 武勇 55
智謀 75 智謀 69 智謀 64
政治 83 政治 56 政治 84
魅力 60 魅力 70 魅力 83
27 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:21:45 ID:0lbUrz2+
ところでなんで氏康の武勇低いの?
28 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:28:18 ID:pv9Gm84B
謙信は無敗の軍神で
信玄は信長が一番恐れた武将で
桶狭間は奇襲攻撃で
道三の下克上は一代のもので
幸村は家康をあと一歩まで追い詰めた謙信に次ぐ武将で
前田慶次は忠勝クラスの猛将であるのが信長の野望じゃないの?
29 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:29:51 ID:WO0ZlNf9
30 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:32:24 ID:iRYkhoWs
ヌルハチと比べて謙信は5しか違わない。
31 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:34:04 ID:uYqKbhDu
こんなの会議とかで決めてんのかな?独断ってことは無いだろうけど・・・
それでもやっぱ贔屓とかはあるんだろうね
32 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:44:55 ID:7u8ZFJSj
33 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 13:53:58 ID:QXOpbQGX
>>26 謙信が政治84なんて
馬鹿すぎるよ君
長尾時代から見直せカス
34 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 14:11:26 ID:iRYkhoWs
毛利元就 小早川隆景
統率 94 統率80
武勇 40 武勇30
智謀 90 智謀82
政治 83 政治78
魅力 56 魅力80
35 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 14:13:19 ID:iRYkhoWs
織田信長 「豊臣」秀吉
統率 99 統率 87
武力 84 武力 30
智謀 89 智謀 50
政治 76 政治 30
魅力 67 魅力 20
36 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 15:26:30 ID:7u8ZFJSj
いい加減ウザいんですけど‥>蹄鉄に蹂躙された人
37 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 16:06:34 ID:CuE4UNP+
>>26 謙信の政治が過大
魅力なら氏康>謙信>信玄、てか魅力とか要らない
38 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 16:09:55 ID:56v65UBS
>>24 >幸村が宗茂より上ってありえないだろ。
同感。
幸村は磯野員昌に毛が生えたみたいなもん。
統率は80後半が妥当、良くて90ジャスト。
39 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 16:44:32 ID:zCJrDJfn
幸村は戦って死んだから
宗茂は降伏したヘタレ
40 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 17:49:44 ID:CHla4IYI
討ち死にご祝儀と病死ボーナスって大きいからね。
41 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 17:58:30 ID:E8VMNDqy
>>40 いや、実績だけじゃなくて才能を評価したんだろ。
機会さえあれば(長生きしていたら)もっと活躍できたであろう武将の評価は高くなってる。
真田幸村や伊達政宗や竹中半兵衛など。
42 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 18:10:37 ID:PMvMXPl3
>>20 手取川については織田の名ある武将も死んでいず、
小競り合い程度だったらしい。
姉川についても織田はそこまで追い詰められてないし、
もう少し楽な戦だったらしい。
徳川の善戦によって救われたなんて話し徳川幕府の捏造だし。
確かに浅井にとどめをさす程の大勝でもなかったが。
43 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 18:10:44 ID:CHla4IYI
>>41 それは完全な妄想なんだけどね。
飛躍のチャンスは誰にでもあるし、失敗することもまた誰にでもありうる。
恵まれなかったとかいう人間は、所詮その程度の料簡なんだから、
それまでの実績で評価すべきで、期待値ボーナスなんか不要だよ。
その期待値ボーナスによる増減が過大・過小評価を生じさせてるようなもんだし。
44 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 19:26:45 ID:aMxH+XL5
親父の能力落としても北条氏政の能力(できれば弟達も)ちょっと上げてほしい。
最後はあれだったけど親父より領土拡大してるし家臣も政治以外カスばっかなんで
親父のあと引き継いでこいつで全国統一するとなんか様になんない。
45 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 19:49:56 ID:kH5dUzgZ
大谷吉継の活躍で一番有名なのは関ヶ原で
京極・藤堂隊を押し返して小早川隊と奮戦したことだと思うけど
あれって目も見えなくなってた吉継の代わりに平塚為広が率いたんだから
幸村みたいに能力上げてほしい
出てこないんならともかくゲームに一人の武将として出てくるわけだから
46 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 19:57:51 ID:P9jxUzdq
榊原康政の能力値がどうしても過大に感じる。
たしかに人格的には立派。機転も利いたようだ。
しかし、武功は?
せいぜい姉川で側面付いたくらいか。
これなら、鳥居やら大久保のほうが上に思える。
徳川四天王という美名に釣られて能力値が底上げされているだけに思える。
さらにいえば、彼が四天王に選ばれているのが不思議だ。
47 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:06:22 ID:1tjp6+qw
武勇って何なの?
一騎掛け武者としての実力?小部隊戦闘の指揮者としての実力?
48 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:06:55 ID:UfD8fSbx
>44
三船山や対佐竹、対徳川を見ると統率は現状で十分だと思う
知略は最後が痛いが、かなり豪族の調略をやってるし75くらいでどう?
政治は内政手腕と外交(最後以外)は素晴らしいのだが、
対豊臣外交の大失敗は痛すぎる。80後半がいいところかな
弟達は氏照の統率と氏規の政治を上げればいい感じになると思う
49 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:25:51 ID:KrQFsrYP
幸村の評価についてだが、名前が「幸村」と言うことと、真田十勇士なんかが出てきたりする事から、史実の評価でなく民衆の間で語り継がれた英雄としての評価だろうから良いんじゃないか?
むしろ低い位では?
50 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:34:48 ID:xGlI/ozK
織田有楽斎
関が原の戦いで450人を率いて小西軍4000と激突、兵数差をものともせずに奮闘し石田三成の将蒲生真令を討ち取った男。
統率24、武勇7って事はないべ・・・
51 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:42:54 ID:CuE4UNP+
>>46 地味に結構活躍してたっぽい
三河一向一揆での功が認められ家康の一字を賜る
吉田城攻めでは旗本の先手となり、以後諸合戦でも必ず先鋒とされた
三方ヶ原では全軍退却後も戦場に留まり、戦勝に浮かれる武田軍に夜襲をかけて一矢を報いた
小牧長久手では、小牧山への布陣を家康に進言
敵の三河進撃の情報をいち早く得て、家康本隊とこれを挟撃して殲滅
石高も本多忠勝と同等だし、「徳川四天王」と言われるだけの活躍はしていたはず
忠勝と比べるとどうしても地味だからあえて下げるとすれば武勇かな
52 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:51:54 ID:3zoFzs1S
>>46 姉川合戦ぐらいしか武功が無い?
「ノブヤボの列伝程度の知識しか無いんだったら、悪く言うな」と散々言われ続けているんだがね。
過小評価だと主張するなら、それなりの根拠を示せよ。
53 :
?名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:53:45 ID:aMxH+XL5
地味だけど活躍してるって大事だと思う
関ヶ原じゃ諸将の寝返り工作してたみたいだしね
54 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 20:58:13 ID:P9jxUzdq
>>51 三方ヶ原の直後の夜襲って、大久保じゃなかったけか?
あと、最終石高も十万石だったような気がする。関ヶ原で加増されなかったから。
徳川四天王と言い出したのだれかと調べると、福島正則が家康におべっかつかったときで、このとき家康はうちは十天王だ、と答えたらしい。
ということは、この四天王、たいして根拠がないんじゃないだろうか?
長久手では堀秀政にしてやられるし、第二次上田合戦でも秀忠軍の軍事責任者。
徳川四天王という肩書きがあるから注目されるだけで、なかったら通ゴミの軍人さんでしかなかったように思えるだ。
55 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 21:01:46 ID:P9jxUzdq
>>54 悪いタイプミス。
ゴミじゃなくて、通好み。
とにかく立派に逸話は多くて、人格的には優れた人だったんだなぁ、と思う。
56 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 21:04:19 ID:P9jxUzdq
その軍事的な活躍はあくまでも地味。
逆に、派手な武功のある鳥居元忠や大久保忠世より上なのが理解できないのだ。
57 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 21:13:10 ID:FWFu8QBG
58 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 21:36:36 ID:45XqKxqi
もう集団戦闘が戦術として確立された時期に
武勇なんかたいして意味ないと思うんだよな・・・
源平合戦の時代じゃないんだから
59 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 21:39:05 ID:45XqKxqi
>>50 すでに戦の大勢は決しているし、敗走部隊を追撃するんだから
かなり割り引いて考えないと。
(それでも島津の捨てがまり戦術で寿命縮めた井伊直政の例もあるが・・・)
60 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:09:39 ID:jfwiys1g
柿崎とか可児とか本多とか島は本人の武力で隊を引っ張るイメージだけどな。個人の武力が意味無いわけない。立花道雪なんかも本人は戦えなくとも由布など優秀な部下がいたし采配が全てじゃないと思う。
だいたい戦国時代の出世の糸口は個人武勇だしな。文武両同ですヨ
61 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:14:10 ID:1tjp6+qw
信長の野望では武将は指揮官として出てくるからな。
個人的な戦闘能力は意味ないと思うぜ。
62 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:46:58 ID:9OAtV1uY
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/yasumasa.html ネットからの引用だが康政について詳しい
http://www.h3.dion.ne.jp/〜oneone-p/ii/koheita.html
「軍事の事は全て康政に相談せよ」と言っているあたりから康政が家康の軍事参謀だったことも考えられる
徳川四天王の出典は聞いたことがないが三傑の方は榊原家の家譜だと本で読んだことがある(ネットでもそう載ってた)
小牧長久手の合戦後に上洛した時に上方の諸将が呼んだというもので鳥居や大久保がそう呼ばれなかったのは彼等がこの戦いに参加していないからとも考えられる
ちなみに長久手の戦いでは深追いして堀秀政に撃退される前に大須賀康高・水野忠重など四千人で豊臣秀次の軍八千人を撃破して初戦を勝利で飾っている
〜考えられるばっかりで申し訳ないが色々とこじつけてみた。徳川家の有力な功臣の一人ではあるだろう
63 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:47:43 ID:z82/L6zA
康政は意外と内政タイプかね…?後年の活躍みると
でも前で言われてるように人格というか性格を表すエピソードは多いよね
赤備えの件でだだこねたり忠勝をかばったり信康とか家康の性格の悪さをずけずけと言ったりとか
64 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:52:39 ID:9OAtV1uY
65 :
名無し曰く、:2005/12/23(金) 22:58:59 ID:P9jxUzdq
俺の描く榊原康政の能力値。
統率……75。堀秀政より下。
武勇……61。北条氏規より上。自殺をはかる氏規を止める逸話はかっこいい。
これでも普通の武将に比べたら有能でしょ。
戦場の記録は地味なものばかり。徳川四天王という美名がなかったら、こんなもんだと思う。
教養があったら、四天王の中でトップ。
康政を下げる代わりに、鳥居元忠、奥平信昌、大久保忠世らに優遇されて欲しい。
66 :
?名無し曰く、:2005/12/23(金) 23:14:12 ID:aMxH+XL5
でも徳川四天王って言って一人だけ能力低いと
個人的になんかやだな
67 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 00:04:56 ID:E4FlFqDG
>>65 美名が無かったらって言うけどさ、
それなりの功績が無ければそもそも美名を与えられないのでは?
それに何で康政のみを語るの?他の三人は美名が無くてもあの能力がもらえると?
68 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 00:11:20 ID:xqO1GQJ/
大須賀康高がいないのが悲しい。
この人、何気に四天王に次ぐくらい有能じゃない?
69 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 00:29:15 ID:FVZFaJw4
島左近の足元にも及ばん能力のM右近とかいるしな
真田昌幸と並び賞された奴にいたっては登場すらしてない
70 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 00:53:45 ID:wIxVKCSX
統率 武勇 智略 政治
酒井忠次 86 78 64 73
榊原康政 90 83 51 46
本多忠勝 91 97 74 60
井伊直正 93 90 72 75
つか革新の徳川四天王は全体的に過大評価な気がする、
革新は全体的にインフレ気味とはいえ、
4人中3人が統率90越えとか流石に高すぎ。
過小評価と言えるのは酒井忠次の智略くらいじゃないの。
71 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 00:57:54 ID:Gw8jm9Sm
>>66 島津四兄弟で一人だけ器用貧乏になった歳久見たいだなw
統率・武勇は義久と逆でもいいと思うけども
72 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 01:27:45 ID:dKoIV3vi
>>67 康政の名が上方に広がったのは、例の秀吉の悪事を並べ立てた文章を書いて、怒った秀吉が、「康政の首を取ったら十万石」だか、とのたまったからだと思う。
つまり、康政の武名というより、知略かな?(←教養というべきか)
他の三人は、それぞれ派手な武功がいくつかある。
細かい数字はともかく、スーパーエース的な扱いになっていても納得がいく。
73 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 01:29:28 ID:P3QGZP5A
おまえら前スレ埋めるかどうにかせぇよ
74 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 01:37:04 ID:kdjpmxpu
確か康政って河川関係で活躍してなかった?
あれは息子かな
そういえば息子の名前みると忠勝とお互い仲よかったんだろうなあ
75 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 02:38:31 ID:2Xdt2rAu
76 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 03:23:24 ID:gsno5YKP
革新における能力値
統率
部隊の攻撃・防御力・破壊力
率いる事ができる兵士数(一門・役職付加でUP)
篭城時の攻撃力(守備側・城主のみ、篭城戦法は武力)
奇襲・扇動(敵地域に一揆を起こす)の成功しやすさ、募兵時の多さ
支城建設時の時間短縮
武勇
攻撃系戦法発動時の威力の強さ、及びクリティカルの出やすさ
知略
助言の信頼度(100以上で100%)
引抜、偽報、流言(敵部隊が動揺状態に)、激励の成功しやすさ
知略系戦法の成功率と防御率、及び威力
政治
施設の建設の早さ
捜索、登用、外交全般の成功しやすさ
技術研究時の早さ
城の改築、修復の早さ(支城建設は統率)
馬・鉄砲調達時の量
兵器・艦船製造時の早さ
官位を得ると統率と政治UP
77 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 04:07:41 ID:JYMOTN3P
一度だけ知略124の助言が外れた事があるのだが
78 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 08:18:21 ID:Mpn3O2n+
それはそれですごいな
79 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 10:40:33 ID:dKoIV3vi
>>62 つまり、徳川四天王とは、織田四天王と同じで、ほんの一時期(小牧長久手の戦い直後?)、そのような噂もあったというだけ。別に徳川幕府建国の功臣ベスト4というわけではない。
たまたま、ベスト4候補になりそうな奴が三人入っていた。それゆえそんな錯覚を起こさせる。
しかし、その括りなら、榊原康政は明らかに落っこちる。
もちろん、榊原康政が人格的に立派で、忠義の一人であり、徳川幕府建国の功臣の一人であることは間違いない。
ただ、より大きな軍事的な功績をあげた連中が、徳川家には幾人もいた。
その辺のバランスを取って欲しい。
80 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 11:00:32 ID:bZrnEuKL
足利義輝や北畠具教、丸目長恵らが剣豪だったのは有名だが、
彼らの野戦での戦績はというと・・・
逆に姫若子さんは?ということになる
81 :
スレタイを無視してチラシの裏:2005/12/24(土) 11:03:41 ID:bZrnEuKL
提案として以前のシリーズにあったような
統率:主に防御値 高いと攻撃されても士気がさがりにくい
大軍を率いても混乱しにくい、移動が早い
戦闘:主に攻撃力 しかしこれだけ高くて統率が低い武将に
ある程度以上の兵力を負かすと移動は遅くなるわ
混乱しやすいわで・・・
82 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 11:28:47 ID:8QevqwDn
北畠具教って織田の大軍とも善戦してたじゃん
83 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 11:54:22 ID:bZrnEuKL
84 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 11:59:30 ID:TqjeSiBz
武断派筆頭の大久保忠隣の統率+20武勇+30希望
85 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 12:38:07 ID:/Mu8f8cj
大した実績が無い蒲生氏郷と堀秀政の能力値は逆にするべきだと思う。
86 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 12:41:14 ID:2t8uzeiy
君が知らないだけ
87 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 12:47:54 ID:8QevqwDn
義輝って戦ったこと無いじゃん
88 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 14:28:33 ID:3IerQ8EE
すべての武将の能力は信長の評価(イメージ)
89 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 14:45:27 ID:XLwzpwft
☑ฺ 北条氏康は過大?
☑ฺ 榊原康政は過大?
☑ฺ 立花道雪は過大?
☑ฺ 織田信長は総合1位にすべき?
☑ฺ 家康は天ぷら?
90 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 15:05:20 ID:/Mu8f8cj
91 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 15:09:05 ID:JYMOTN3P
>89
根拠と君の考える適正値を書いてくれないとレスのしようがない
92 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 15:33:05 ID:AjIZl9Zo
たいした知識がないやつは意見すんな
93 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 15:54:34 ID:xqO1GQJ/
と言う奴の知識があったためしはない
94 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 16:29:31 ID:ryhVcjaM
>>83 野戦の戦績が無かろうが篭城戦で戦績があるなら別段問題は無いな。
>>87 基本的に逃げ回っていたのしか知らんな
一応、援助を受けながら三好長慶に抵抗してたかもしれないけど、
まぁどっちみち評価できるレベルじゃないしね。
革新における統率74は経歴のカッコ良さからくるサービスみたいなものだろな、
後は謙信や信長と関係を作ったりしてたって辺りも数値に入ってるかも知れんけど、
それだと義秋も高くないといけなくなるからやっぱりサービスかな。
>>91 全部ちゃんと議論はされてるから、こいつに構う必要は無いよ。
氏康の統率は現能力が95という事を考えれば普通に妥当、政治に関しても
北条家の善政に関しては何人もの人が語ってる上に全くまともな反論が出てない状況
から何スレにも及んでアホが荒らしただけ、反論は結局出てない。
榊原康政に関しては現在議論中。
立花道雪に関しては吉川元春の能力評価との比較に話が飛んで停滞したまま。
毛利家に詳しい人らの議論求むというところかな。
信長の一位に関しては統率が過小なので、統率を100近くまで上げれば、
自然に信長が総合でも一位になる。なのにこれには触れずただ北条や武田を落す事ばかり
言って荒らすコイツは信長の事なんて本当はどうでもいいと思われる、ただ荒らしたいだけ。
その証拠にコイツはこれだけ粘着しておきながら一度も信長の事について語った事がない。
95 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 16:36:27 ID:m/cygNR8
>>87 確かに義輝は剣豪将軍のイメージだけで能力つけられてる感じはするな。
義昭にくらべて細川らの忠臣がついていた訳だから人物ではあるんだろうが
96 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 16:39:47 ID:5964rvAk
氏康は統率と政治の両方が過大だよ。
統率は進軍スピードの遅さ、政治は多方面を相手にしてた戦略性のなさがそれぞれ証明してる。
民政家ってだけで1位になるわけないよ。
普通に妥当とかって根拠なしに書いちゃダメでしょ。
97 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 16:53:44 ID:J2QXL5KO
>>96 戦略って知謀じゃね?政治ランキングに三成とか長束とか村井とか
入ってんだし単純に内政能力だと思うが
それにある程度でかくなったら多方面とかやむなしでしょ
それ言ったら信長も信玄も下げなきゃじゃん
98 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:03:14 ID:5964rvAk
智謀とか知略は計略とかかなり細かいことに使われるパラメータだからなあ。
戦略的というより戦術的なパラメータだと思う。
多方面に敵を作っても、信長みたいに打ち破れば高評価になるでしょ。
99 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:06:42 ID:W2FcIBAu
>>98 >多方面に敵を作っても、信長みたいに打ち破れば高評価になるでしょ。
それは信長よりも各軍団長の功績の方が大きいと思うがな。
100 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:07:10 ID:QZ18egEH
>>94 こいつこそ自分勝手な意見しか言えねーバカだと思うが
101 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:13:55 ID:pSDKKckw
斎藤道三って知略高すぎないか?
あんなに高かったらなぜ息子にやられるの
102 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:21:05 ID:kdjpmxpu
司馬補正って奴
103 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:26:04 ID:m4jAM2y3
いくら高くても、
遣られる時は、遣られる
104 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 17:57:41 ID:vjsF1Oa/
信長と軍団長でどっちが凄いとかじゃなくて、やってることが違うだろ・・・
105 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 19:47:40 ID:JYMOTN3P
>96
>民政家ってだけで1位になるわけないよ
それはその通り。しかし彼は民政だけの男ではないんだよ
税制改革、貨幣制度改革、代替わり検地、先進的な行政機構の確立
中央集権化、完璧な後継者政策、越相同盟締結の手腕など
これらの確固たる実績のもとが評価されての政治107だ
106 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 21:12:36 ID:UtRUrHhy
>>99 元亀に多方面に敵を抱えていた頃はほとんど信長の指揮統率による。
方面軍が創設されるのは天正以降。
107 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 22:00:36 ID:Mwp8gEhn
斎藤利三は光秀の右腕と言われ、戦略に優れ指揮官としても有能だったから、
もう少し能力上げてほしい。
統率・武勇+5、知略+3が適正だと思う。
108 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:06:24 ID:kdjpmxpu
>>107 確かに姉川とかの軍功は有名だけど
どうしても彼に対しては烈風伝の漫才本能寺うりゃうりゃが頭から離れない…
109 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:12:36 ID:ryhVcjaM
>>96 北条家の進軍スピードが遅いと言うけど、
信長や秀吉や元就の進軍スピードが速いのはわかる。
まぁ元就の場合それが智略の評価にごっちゃになって少しさっぴかれてるのかも知れんけど、
信長や秀吉がそれによって統率が過小だというのもこのスレで散々言われてる事だ。
だがそれ以外で北条家より進軍スピードが速い奴って一体誰?
あと、過大といわれる信玄は省くと、謙信が一位で
以下、道雪、鬼島津、幸村と言うメンツの上位が続いていく統率という数値を語ってるのに、
進軍スピードの速さを重要視するのも変な話だなと最近思った。
あと政治に関しては大部分は内政的なもんだよ、ゲーム内でもそれ以外に使われてないし確定だろうコレは。
上でも言われてるようにそれじゃ五奉行たちの評価のもとがわからない。
またそういう戦略の巧さが何かに数値で表されてるなら、
秀吉ははっきり言って他大名とは桁が一個違う気がする。
>>106 俺はどっちにしろそれは信長の統率だと思うのだけど、
その言い方だとかえって信長が敵を抱えたものを方面軍が解決したみたいに読み取れるぞ。
110 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:14:38 ID:xqO1GQJ/
ここまで揉めるのって、コーエーの能力値の定義がおかしいからなんだろうね。
特に統率あたり。
111 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:29:48 ID:fWedlqyX
112 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:35:04 ID:5964rvAk
統率と政治には、それぞれ戦術的なもんと戦略的なもんが含まれてるんじゃないかな。
113 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:40:28 ID:exI8ItyA
>>109 進軍スピードって勢力拡大の速度でしょ?なんで統率と結びつけるのか
北条家の拡大速度も特別遅いとは思わん、敵が強かったから仕方ないよ10万の軍が相手とか無理だって
関東管領とかノブヤボじゃただの一雑魚大名だけど実際の関東管領は動員兵力とかみると強大な存在だったんでしょ
織田家と比べると北条には秀吉や光秀みたいな優秀な家臣は居ないしね
ただ信長と秀吉の能力は過小だと思うが
それと「政治」は内政はもちろんだが外交や政争、大名の場合は戦略や家中をまとめる能力も評価対象だろ
ゲーム中の武将の能力を見てたら内政だけの能力じゃないって分ると思うが
114 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:51:27 ID:8QevqwDn
つ綱成
115 :
名無し曰く、:2005/12/24(土) 23:56:32 ID:W2FcIBAu
>>113 確かに戦略を任せられる将はいないな。
でもそれは織田以外のほとんどすべての大名に言えるけどね。
116 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:24:18 ID:mnnkkkAF
どうでもいいけど、このスレ住民って高校の時は歴史の試験勉強しなくても100点に近い点とってただろ?
117 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:26:47 ID:1tywRASH
>>99 おいおい、
そういうシステムを作った信長が偉いんだろう。
118 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:29:09 ID:hvl8MOsU
信長が居てこその秀吉、光秀、勝家だな。
119 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:35:26 ID:1L1331Hj
>>113 上半分は同感、あと関東管領が弱いのは信長の野望じゃ・・っていうか、
時代の問題だね、河越夜戦から10年後から始まるのがデフォだから事実として弱い。
しかも謙信の強さを際立たせるためにあの情けないストーリーだけは毎回しっかり
収録されてるから余計弱いイメージだけが印象づくのもある意味仕方ない。
ただ下の行は微妙、評価対象に入ってないとは言わないが、
まずは実務能力が一番の評価対象なんじゃないか?
まず北条家、天下人三人、一向宗、という実務としても全体で見ても別格なのはともかくとして
それ以下の90代後半の連中見ると、大名・・というよりは実務型の参謀タイプが結構多い。
外交政策は当然影響もされるだろうけど、家臣統制などはむしろ統率の方に含まれてるような気がする。
政争は一番はっきりしない部分だからわからん、政治と智略とどっちにも影響してるのは間違いないが。
ただちょっと曖昧すぎる概念だから基準にもしづらいかも。
だから大部分は内政的、実務的なものだと思うがいかに。
たとえば大久保長安(政治98)金山を利用した実務能力はトップクラスだが、
根回しが下手で結局晩年は一族ともども寂しい事になっている、狂い死にしたという話すら残る。
五奉行衆なんか政争で政治が引かれるなら、4人90台とかありえんし、
たださすがに三成や玄以は評価されてるものの(関ヶ原とは別で)
増田、長束の二人は大きく智略をマイナスされてるだけに、
やはりこういう項目は一番智略に響くんじゃないかと。
120 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:39:42 ID:1tywRASH
>>99の理屈だと、
何でもかんでも大名の功績じゃなくて家臣の功績。
あるいは家臣のまだ下の足軽大将や末端兵士個人の功績になってしまう。
そんな事言ってたら大名とか武将とか評価のしようがなくなるぞ。
信長はただ漠然とあるいは年功序列や地位によって
各地に家臣を配していたのではない。
秀吉や滝川、明智のような身分の低い者、
譜代ではなく外部から来た者でも優秀な者は抜擢したり、
佐久間信盛や林みたいに働きのない無能な者は
地位が高かろうと追放したりした。
その結果、各地の家臣の精鋭化や
積極的な行動につながったんだよ。
121 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:41:48 ID:NZiXf5Ca
軍団長って信長が作ったものか
ある程度勢力の規模が大きくなれば作られたりするもんじゃないのか
毛利の両川は有名だし、長宗我部家の伊予方面軍の久武親信なんか
>>116 むしろテスト範囲に出ないところばかり勉強してたけどね(自分の趣味で)
122 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:42:56 ID:n1iz+mlk
いやほんとそのとおり。軍団長の代わりなどいくらでもいた。
だが信長がしたこと、もしくは、しようとしたことは誰も出来なかった。
あの群雄割拠の大乱世によくあれだけの天下人になれたものよ。
今で言うなら神に近い。
信長が今の時世に総理大臣やってくれたら、偽造マンションのゴミカスどもも
天下りのクソ役人も、佞臣賊官の政治家や官僚も、全員まとめて首切って
借金などあっというまに無くなしてしまうだろうな!
んで、消費税も上げずに済んで現代版の楽市楽座を開発して景気も急上昇。
日本はアメリカを抜いて世界最大の超大国になるに違いない。
ああ、神よ。今一度信長を日本に生(セイ)たらしめん!
123 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:45:32 ID:1tywRASH
>>121 まあ、そうだが、
信長の場合は地位とか出自にとらわれず
優秀な者を採用した点は割と個性的だよ。
124 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:49:18 ID:n1iz+mlk
>>121 軍団長は信長が任命したに決まってるだろw
>>120 そのとおり!当時の価値観では到底考えられない奇抜で画期的な施策を
バンバン打ち出していったのが天才児信長だ。
しかも、武勇や武芸にも秀でていたのだからまさに神。
秀吉なんかの棚ボタお調子者とはワケが違う。
家康はあの時代にもなると他にロクな武将もいなかったから天下人になれたわけで
ランクでいえば信長>>>>>>>>>>家康>>政宗>秀吉って感じだな。
125 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:52:38 ID:n1iz+mlk
>>123 割と個性的?ハァ?割とじゃねーよ。今の価値観で考えるなよ。
さっきから聞いてりゃ腑抜けた戯言(ザレゴト)ばかりだし、おまえらマジで低脳だな。
まぁよほど若いかよほどのバカかどちらかだな。
信長のツメの垢でも煎じて飲ましてやりてーよ。
126 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:53:45 ID:b2q+oPv9
名前欄緑色で上げてる奴ってアホなことしか書かないよな。
127 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:57:33 ID:n1iz+mlk
>>126 そんなにオマエ自身の低脳ぶりを晒(サラ)したくないんだったら次からサゲてやるよw
128 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 00:59:35 ID:n1iz+mlk
>>126の低脳君へ
まともなレスも出来ないんだったらクソレスしないでクソして寝とけよなw
129 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:00:12 ID:ALiXYuR5
130 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:06:49 ID:1L1331Hj
>>120 光秀は一応親戚だぞ、しかも明智家は家格で言っても織田家と同格。
まぁ家格など今更関係はないだろうけど、秀吉や一益のような本当に詳細不明の人らと
並べるのはちょっと失礼かとw
それによって積極的な行動につながったのも事実だけど、
その後の織田家の急速な弱体化につながったのも事実なんだよね。
この辺は足利尊氏にも似てるけど。
また林や佐久間が本当に無能だったかどうか自体かなり信憑性に乏しいのだが、
それ以上に譜代の家臣の重要性というものが判らないようでは、
信長はやはり覇王にはなれても、時代を作る事はできなかったのではないかと思う。
楽市楽座に関しても商業的な面で見ればこれ以上ないぐらいに画期的で、
流通が潤ったという点に関しては非の打ち所がなかったんだが、
実はこれが本能寺の変の要因の一つでもあったりした。
答えは簡単、関所がないから明智軍の異変を内々で伝えようがなかったのですな。
またこれも楽市の方が関係あるが、宗教的にも信長は海外との関係を積極的に進めたことで
仏教勢力を全面的に敵に回した。
家康が保守的なのは事実だけど、これらの先駆者の失敗を踏まえて
じっくり構えられる人物じゃないと政治的に見れば時代を作る事はできない。
信長は全てにおいて実利的過ぎたんだろね、時代が進むためにこういう人物って必要なものだけど。
131 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:07:34 ID:n1iz+mlk
確かに俺は智将だけどな。
スルー汁って書いていながらクソレスしてる池沼はお前のことだろw
低脳ばかりでマジで参るな。
132 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:09:45 ID:1tywRASH
>>130 明智光秀の毛並みが高かったという説の法がよほど信憑性がないのだが。
佐久間や林が積極的に動いて領土拡大しなかったのも事実だし。
133 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:16:27 ID:n1iz+mlk
130はものをよく分かっているな。
ここの住人とやらも少しは130を見習って勉強しとけよ。
ただ、覇王にはなれても・・というのはちょっと聞き捨てならんな。
もし本能寺の変がなければ信長は文字通り万難を排して
天下統一を成し遂げていたと思うぞ。
あれだけの人物だ。勢力がある程度、まとまり落ち着いてきたら
後は早い。長い者には巻かれろで追従してくる大名が続出してくるからだ。
信長は本当に後一歩というところまで来ていた。
そして嫡子信忠も2代秀忠にも劣らない優秀な人物だったのだ。
134 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:25:48 ID:1tywRASH
>>130 関所がなかったから、本能寺の変を伝えられなかったというのは
それはなんか違うと思うぞ。
なんでも信長が関所を廃する以前は伊勢のさして長くない期間に50もの
関所があったという状態で著しく物流をさまたげてた。
それを信長はわずか6zに削減したんだったかな。
それに家康にしろ関所は本当にわずかしか残さなかったわけで、
信長と大差はなかったのだが。
135 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:32:25 ID:9mq8dR8V
スレタイ「信長の野望で過大過小評価されている武将9人目」
趣旨とは正反対の話になってる希ガス
136 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:38:11 ID:n1iz+mlk
俺は声を大にして唱えたい!
織田信長が時代が進むにつれて過小評価されすぎているということを!
あの戦国当時の信長に対する評価はいかばかりであっただろう。
それはまさしく現人神(アラヒトガミ)であったに違いない。
デフォで政治185統率170知略180くらいあってもいいのだ。
それを肥エダメはナンダ?どれも90前後だと?笑わせるな。
これを過小評価と言わずして何という!
137 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 01:45:04 ID:azFxiGTp
>>130 仏教勢力を全面的に敵に回したって、どこの小説だよ。
石山戦争や叡山焼き討ちが有名でそんなイメージがあったのはたしかだが事実誤認も
甚だしい。ぶっちゃけ、真宗ですら高田派など信長に味方した仏教勢力があるのだが。
138 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 02:21:16 ID:1L1331Hj
>>132>>134 その二つの話はつながってるのよ。
確かに関所は信長や秀吉によって取り除かれていった。
そしてそれによって流通に潤いを持った庶民にいきなり旧時代の関所を設けたら
たちまち非難のまとになるだろう。
だが家康はしっかりその辺を踏まえたうえで
天下の趨勢を決めるや否や、国替えで関東付近には譜代だけで纏め治安を安定させ(コレは有名だね)
その境目には新たに関所を復活させてる。人と関所二つの壁で守ろうということ。
これならば関東は譜代衆によって安心だし、境目の要所に関所を設けてあれば
網目状に設ける必要はなく、そうすれば商業の妨げも極力少なくなる。
また関東が情報網の点で既に優れたシステムの出来上がった土地であるからこそ
出来た事でもあるかもしれない。
箱根、碓氷、木曽福島、辺りで調べてみるといい。
家康は僅かしか残さなかったんじゃなくて、もうほとんどなかったものを
わざわざ復活させてるのよ、しかもバッチリ要所に。
とはいえせっかく潤い始めた商業に水を差しても意味がないから
譜代衆を身近に集める事で安全圏を広め、極力数は絞ってね。
そこが家康のずるい所だろうが巧いところだろう。
>>137 全面的は言いすぎだったね訂正するよ。
そもそも全面的に一方向に向った宗教など存在してないしね。
139 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 02:26:06 ID:JKIbQy4/
思ったんだけど、通行料取らずに関所を配置すれば商業に影響を与えることもなかったんじゃないか?
140 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 02:48:15 ID:pNpG9lkn
高速道路が無料にならないのはなんでだと思う?
141 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 02:50:59 ID:SIwNqrR2
高速道路が他から隔離された、運行と通行料徴収に便な道だからでしょ。
142 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 03:10:15 ID:JKIbQy4/
>>140 関所の維持費なんて戦略価値から比べたらたいしたことないだろ。
高速道路は建設費が大きいから。
143 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 03:53:30 ID:pNpG9lkn
戦国時代には高速道路、つまり街道整備もろくにされてなかったろ?
まさか自然に道があってそこを荷馬車が走ってたなんて想像してないよな?
144 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 03:58:14 ID:1VJYIJP8
総合ベスト3は信長家康秀吉でいいんじゃねと思う。
次点に1570年代にゴロっと死んでいった天才的独裁者たち(信玄氏康元就他)
九州勢、佐竹とか伊達とかはこいつらより今一歩引いた辺りで。
145 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 04:08:57 ID:SIwNqrR2
いつもの人乙
>>143 街道整備はされてますよ、軍隊の移動や輜重の輸送が便利な様に
あと当然、自然に道ができたってこともある。
146 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 04:35:21 ID:pNpG9lkn
だからその整備してるのは誰さ?
147 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 05:46:18 ID:vUxYv2Lh
トップは天下人三人
次点が特に名前の知れている
信玄、元就、氏康、政宗
その下に元親、義宣、隆景などの有力地方大名
謙信は総合だと↑に若干譲るが戦闘関係が高ランク
島津四兄弟はそれぞれ得意分野がトップクラス
これくらいがいいなー
148 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 06:24:26 ID:pbT5bivp
何故に謙信の総合評価が低いのかわからん
特に政治、信玄と差が開きすぎてると思うね
経済政策は戦国トップクラスだろ、
知略も酷い、戦場で謙信を翻弄できる奴はいなかった
統率120 知略95 政治85 これぞ越後の龍!
149 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 06:25:04 ID:oHJ9e5l4
>>147 隆景を有力地方大名として扱うそのセンスがいいな。
実際そうなんだが、そのことの関しては妙に知名度低い。
150 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 07:17:08 ID:xJ9bVD5S
謙信の凄いところは引き際をわきまえてるところかな
無理強いとか絶対にしない計算高さとか
まあ今の能力値に俺は満足してるけどね
151 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 08:10:20 ID:b2q+oPv9
謙信の凄いところは関東管領の地位を最大限に利用して
奴隷狩り、略奪、放火と董卓並みの悪事を働いときながら
領土欲のない義将とか聖将とか言われてるとこだな。
152 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 08:16:11 ID:SIwNqrR2
>>148 謙信は、内政はいいけど政治力で割引いないとダメだから
今の仕様だと政治79くらいだと思う。
知略に関しても、誘降、調略をあまり聞かないしどうなんだろ(氏康もだけど)
元就>家康≧他有名どころ
153 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 09:51:49 ID:f882XR93
>>151 それはやはり大義名分と叩かれやすいネタの有無が…
信玄も人身売買や強姦とか同じようなことしてるけど
こっちはさすがは親不孝者、やることがすごいですねとか書かれてるし
ほかの大名とやってることがあまり変わらなくても
親追放、息子殺し、今川との同盟の件で周囲からは信頼されにくいし…
154 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 10:11:05 ID:pNpG9lkn
謙信憎しの氏康厨の釣りにつられるなよ
155 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 10:18:21 ID:kz0S9N5X
謙信は結局武田にも北条にも勝てなかったんだから総合評価で下げられるのも仕方ないよ
156 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 10:19:47 ID:NcIDfYRR
お、デブがさっそく反応したなw笑える。逆ギレじゃなくて普通にキレてんだよ?
馬鹿。お前みたいな謙信オタからしちゃ氏康や綱成の武功は
関東特有とか一部だけとか語るんだろうが、素人でしかも他県から来た人間にしちゃ、
特に特徴のねえ謙信にしか見えねえんじゃねえかって言ってんだよ。
しかも俺の主観でって前振りした上でだ。上杉なんざ謙信は雑魚
にも、そこいらにあるしな。
頭悪いだろ?しかも親切に教えてやってる?お前に教えてくれって頼んだ覚えないけど?
それでも教えたきゃ、
もうちょっと他人の感に障らない物言い勉強すれば?謙信ばっか信奉してねえで?
157 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 10:43:51 ID:jDxdSWzH
総合評価で言うと、
天下人 信長・秀吉・家康
覇者 元就・島津義久・義弘
群雄 謙信・信玄・氏康・大友宗麟・竜造寺隆信・長宗我部元親・伊達政宗
って感じがいいんじゃないかな。
謙信・信玄・氏康は結局お互いどれも倒せてないから、地方の勇と同レベルで構わないと思う。
158 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:06:41 ID:TldDtv7v
その大名ごとの状況ってのがあるんだから。
因縁やらなんやらも関係してくるだろうし。
信長と謙信が戦ったら信長負けるでしょ。
信玄にへこへこしてた信長様なんだから。
159 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:08:33 ID:NZiXf5Ca
>>157 もしもし我が郷土の三好長慶の名前が無いのですが…w
160 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:14:29 ID:HlFFJHKE
謙信も信玄も政治低くしていいよ。
後継者問題然りだし、
川中島みたいな猫額の領土にこだわって何千もの兵を失っているあたり、
戦の局地戦がいかに強くても、全体的な戦略眼がなさすぎる。
例え信玄が近畿の大名に生まれていても、せいぜい一地方の大名に終わっただろうよ。
161 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:17:19 ID:Ay0EEGfM
戦歴でいえば
元就>>>>>>>>信長>>>>>>謙信>>>信玄>>氏康
200戦無敗の元就と
149戦効率よく領土を切り取った信長と
95戦の謙信&信玄
34戦の謙信から逃げ回ってた氏康(ゲラ
162 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:30:21 ID:kwD6yE6e
>>161 元就>>>>>>>>信長>>>>>>謙信>>>信玄>>氏康
俺もこれが正解だと思うね
163 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 11:42:18 ID:jDxdSWzH
勢力的に上な時点で倒せなかったのは逆に謙信や信玄のマイナスだろうね。
信長に手玉に取られてる間に彼我の立場は逆転し、あげく寿命まで尽きてしまった。
三好長慶は群雄クラスということで。
164 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:06:37 ID:n1iz+mlk
信長は明らかに過小評価されすぎている!
戦国当時の信長に対する評価はいかばかりであったか想像してみろ!
それはまさしく現人神(アラヒトガミ)であったに違いない。
デフォで政治185統率170知略180くらいあってもいいのだ。
それを肥エダメはナンダ?どれも90前後だと?笑わせるな。
これを過小評価と言わずして何という!
元就なんざ文字通り井の中の蛙(カワズ)大海を知らず。の代表格。
戦歴で言っても信長の方が断然上であり、比較の対象にもならん。
1戦1戦の戦(イクサ)の意義が段違い平行棒なんだよ。
しょーもねー戦何百勝したって天下取れなきゃなーんも意味ねーんだよ!
>>161>>162は低脳もいいとこだな。もうおまえら来なくていいよ。
信長あらゆる面であらゆる武将より圧倒的に優秀なんだよ。分かったか低脳ども。
165 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:16:29 ID:n1iz+mlk
戦国当時の信長に対する評価はいかばかりであったか、
それはまさしく現人神(アラヒトガミ)であったに違いない。
その根拠はな。後の天下人の秀吉や家康ですら木っ端だった、という理由だけでも説明がつく。
家康など最愛の嫡男を殺されても何にも言えないほど畏怖していたんだぞ?秀吉は論外だし。
これだけでも信長>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>家康>>秀吉と俺が言っている意味が分かるだろう。
これでも分からねぇ低脳がいたら他にもいくらでも理由があるから教えてやってもいいがな。
低脳どもにもう一回言っておくがな。間違っても今の価値観で考えんじゃねぇぞ。
当時の価値観こそが、信長を正しく評価する基準になる。
信長は日本史上最初にして最後、唯一最大の神だったんだよ。
166 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:31:45 ID:Ay0EEGfM
167 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:33:15 ID:kwD6yE6e
168 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:39:37 ID:3N2H1dic
>>167 そう思うならスルーしなよ
レスがつくだけで喜ぶ人間なんだから
169 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:48:16 ID:Ay0EEGfM
いません?
自分は島津義弘と家久ですね。
島津の本があまりないためか、あんまり知られてないのかな?
家久の統率84は非道いだろ。
以下、義弘と家久の輝かしい戦歴
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、野伏せりで見事勝利。
この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍2万 対 ●大友軍4万
九州の覇者を賭けた戦い
前半は大友勢が押しまくるが、
義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。
以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍3万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。
戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍6千
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。
この戦いで長宗我部信親戦死。
長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、
朝鮮にいる武将たちに帰国命令が下りる。
それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃をし散々に打ち破った。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。
順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め
朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。
秀吉は大名の領地加増を禁止してたが
島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●無傷の家康本体
福島隊を突破。
追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。
この傷が元で2人は数年後死亡。
170 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:50:56 ID:O5KU8Xs7
171 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:51:33 ID:n1iz+mlk
>>167 低脳はもう来なくていいって言ってるのが分からんか?
何の意味のねぇクソレスしか出来ねぇなら引っ込んでろ。
172 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 12:54:14 ID:n1iz+mlk
>>168 誰がそんなクソレスみて喜ぶンダヨ。オマエも相当な低脳だな。
オマエみたいな低脳はもう来なくていいって言ってんだろ。
あえてカキコするってんなら意味のあること一つでも言ってみろよ。低脳が。
173 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:02:16 ID:n1iz+mlk
信長について全く分かっておらん低脳が多いみたいだからもう一つ言っておいてやるがな。
信長はな。
経済:当時の常識を根底から覆し、関所を廃止して楽市楽座を開き経済を劇的に活性化させた。
経済:一早く朝倉を攻め金ヶ崎の港を奪取し、日本海方面における莫大な貿易収益を獲得した。
経済:一早く南蛮文化に目をつけ、基教を保護し、代わりに文明の利器を積極的に取り入れた。
政治:茶の湯を政治に利用する術を会得した。公家商家の懐柔及び家臣教化に劇的に役立った。
人事:当時の常識を根底から覆し、能力主義を徹底した。これだけでも計り知れない偉業である。
これらは全て他のどんな大名にも全く思いつかなかったことだ。
信長がどれほど偉大か分かったか低脳ども。少しは意味のあるレスつけれるように勉強でもしとけカスが。
174 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:02:33 ID:3N2H1dic
「島津家久」が初代薩摩藩主「島津忠恒」のことを指してるなら統率84は妥当じゃないの?
泗川の戦いの兵数や関ヶ原の敵中突破など、細かいところを突っ込んでったら切りが無いけど、
とりあえず上記の戦歴のほとんどはコーエー的には義弘の功績ということになってると思われ
175 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:10:35 ID:b2q+oPv9
>>169 そんな昔のコーエーの掲示板からのコピペなんかしてないで
自分の意見書け。
176 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:12:36 ID:n1iz+mlk
>>173 まだ他にも数え切れないほどあるが、主だったものだけでそれだけある。
後の天下人である秀吉や家康も信長の前では木っ端(コッパ)だった理由がよく分かるだろうが。
天下人である秀吉や家康ですらも神のごとく畏怖していたんだ。
おまえらのような低脳極貧一般ピーポーならそれこそ神以上に崇め奉って当たり前だろが!
177 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:24:27 ID:VBTd1Ffu
確かに家康厨の俺からしても信長には敵わないな
最近影の薄い秀吉厨にボケ猿の優れた点を聞きたいなww
178 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 13:32:48 ID:JKIbQy4/
信長失策多すぎ。
結局自分の代で滅んでるんだから、その程度の武将だな。
元就がダントツで最強。
179 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 14:13:17 ID:z8IegZN1
>>173 楽市楽座なら信長以前に多くの大名がやってる
日本海方面の貿易なら大内家には敵わないだろ
南蛮文化なら大友宗麟には敵わない
能力主義なら武田信玄も同じだ
信長が凄いのは認めるが神格化するのはいかん
180 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 14:42:35 ID:dUDifYXB
昨日あたりからスレのクリッティが著しく低下してるな
181 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 15:47:03 ID:n1iz+mlk
昨日あたりから低脳にしか分からん言葉を使う知障が多いな。
>>179 規模的に、根本的に意味が違うだろ。国家として日本として
貿易するのと田舎大名の小姓の使い程度に交易すんのとじゃ、比較にもならんってことだよ。
大友や大内に敵わないって何を寝言言ってるの?
信長の交易規模を分かっていってんのか?
信長はルイスフロイスを初めとして、ほぼ独占的に南蛮と貿易出来る約定を取り付けているんだぞ。
例えば鉄砲だが、他の大名には微々たる量しか流れなかったのに対し、
信長は自領には大量に流入させることに成功している。
また俺は信玄についても詳しいが能力主義で信玄の方が先進的かつ積極的だったという事実はない。
格段に信長の意識の方が上だった。
信長を神格化するのはいかんとあるが、神同然なのだから仕方がないだろう。
182 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 16:02:05 ID:mnnkkkAF
ディープインパクト
統率99 武勇103 智謀84 政治91
183 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 16:40:39 ID:oHJ9e5l4
>>161 元就は確かにそれぐらいのレベルだが、
大内義隆に連れられて尼子と戦った時、負けてる。
元就のせいではないけど。
184 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 16:45:17 ID:+Fo1+zy2
>>179 天下統一一歩手前までやった男だよ。
神格化とまで言わなくても高評価を受けるのは当然だろ。
武田とか謙信にも同じことがいえる。
185 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 16:46:11 ID:4Cu77HHU
我が郷土の島津が高評価なのは嬉しい限り
186 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 16:48:05 ID:dUDifYXB
>独占的な約定
>微々たる
>大量
>事実
こういう言葉を用いるときは、きちんと詳細な出典ないし根拠を示して頂けませんか?
信玄にも謙信にしてもそうだが、イメージによる神格化を未然に取り払った上で語るのがこのスレなんだから。
187 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 17:11:23 ID:z8IegZN1
>181
大内氏の交易規模を小姓の使いとはお笑いですね
寧波の乱に勝利した大内氏が貿易を独占していたのはあまりにも有名な話
>能力主義で信玄の方が先進的かつ積極的だったという事実はない
これは何を根拠に言ってるの?
188 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 17:18:11 ID:jDxdSWzH
信長厨のフリした信玄・氏康厨の自作自演荒らしでしたとさ。
189 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 18:18:38 ID:KGVuKUx2
元就って中国地方だけだろうに。
ヒクソンは無敗だから、ヒョードルやノゲイラより強いとか
言ってるのと一緒だろ。
190 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 18:32:18 ID:kz0S9N5X
当時の大内や尼子はヒョードルやノゲイラ的存在だったでしょ
191 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 19:24:57 ID:1tywRASH
>>169 それのほとんどが誇張なんだよね。
特に泗川の戦いの明朝鮮軍は3万5千くらいだし。
関が原の「前進退却」とやらは
後方が退却する西軍の渋滞でごったがえしてたため
退却する西軍を追撃する東軍と徳川隊の間にできた間隙を
通って逃げただけ。
しかも逃げる時に旗まで巻いていたそうだから、
島津厨が言うような痛快な退却とは全く違う。
そうやって旗巻いてコソコソ逃げている島津隊を
井伊直政が目ざとく見つけて追撃した。
192 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 19:35:00 ID:JKIbQy4/
>>191 >泗川の戦いの明朝鮮軍は3万5千くらい
ソースある?
何冊も本読んでるけど、今までそんな数字見たことない。
193 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 19:35:27 ID:KJhEb+pr
信長は先駆者でもなんでもなく、偉大な応用者。
信長がやっている事は基本的に前例を模範・踏襲したうえに成り立っているモノが
多く、なにも飛びぬけて革新的な事をやっているわけではない。
戦国時代、先進的な大名家は今川氏と後北条氏。
楽市なんてものは一世紀も前に行われている事。
だいいち神同然の人間は統治者としてあそこまで幾度と叛旗を翻される様な
失策を何度も犯したりしない。
194 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 19:40:00 ID:NZiXf5Ca
>>192 学研の「島津戦記」に明朝鮮軍36700と書かれていたよ(出典を載せてくれなかったのが残念だが)
それ以外の本にどうあるかは知らんけど
朝鮮出兵についての詳しい本ってなかなか無いよな
195 :
名無し曰く、:2005/12/25(日) 19:41:15 ID:NZiXf5Ca
4万足らずに見積もっても7倍の敵は撃退したわけでどのみち凄いけどな
196 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 00:01:47 ID:2VS6D4kg
島津というか、九州の記録は誇張されたものが多いらしいな。
197 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 00:14:43 ID:KuZwqAIJ
>>192 三戦板を調べてみれば?何度も話題に出てるしソースも提示されてるよ。何冊も読んだって漫画だけじゃないの?
198 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 00:47:42 ID:ppVhyqUN
>>190 せいぜいヴィトーやフランクシャムロックレベルだな
199 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 00:54:34 ID:tLfBA6sv
せいぜい、ドンキングが信長なら谷川レベルだろ?尼子なんて
200 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 01:08:12 ID:Ncc9KE1v
天下人3人
信長 家康 秀吉
統率 110 統率 80 統率70
武勇 80 武勇 60 武勇40
智謀 90 智謀 85 智謀95
政治 85 政治 110 政治75
魅力 95 魅力 90 魅力85
201 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 01:17:24 ID:Ncc9KE1v
全武将の能力地決めるのって大変なんだろうなあ・・・。
書いてたら、ふと思った。
202 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 01:46:29 ID:0Mu9yy8s
そりゃまあ、能力を決める=順位を決めるだから。
203 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 02:30:28 ID:EVORaQUQ
>>193 先駆的というよりは様々な応用をしてのけた人物というのは同意。
それが多方面に渡っている所が偉大な所だろうね。
ところで楽市に関してはそもそも近江で行われていたものを信長が利用したらしいし、
それ以前に美濃でも道三が楽市を布いていたという話も聞く。(真偽は知らんが)
だが楽座の方は信長だからこそできたものだと思うんだがどうか。
発想そのものは楽市から当然の発展に過ぎないけれども、
この楽座がなければ本当の意味じゃない。
そしてこの楽座があったからこそ仏教勢力と争う羽目になる原因にもなってるわけで。
最近はまとめた意味で書いちゃう人も多いけど、
そういう意味で言うなら楽市楽座が真の意味で行われたのは信長の下でが初だよ。
今川と北条が戦国一先進的だという点に関しては少なくともコーエーは同意なんだろうね。
そこがこの二大名家を結ぶ始祖、北条早雲の政治ぶっちぎりナンバーワンにつながってるんだと思われる。
204 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 03:18:32 ID:oIhBoEsl
信長
政治 98
軍事 95
智策 92
統制 95
秀吉
政治 93
軍事 93
智策 96
統制 87
家康
政治 95
軍事 97
智策 89
統制 98
ってとこかな。シビアに
205 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 03:51:50 ID:dJnKGNGG
信長 家康 秀吉
統率 110 統率 90 統率95
武勇 85 武勇 95 武勇20
智謀 95 智謀 85 智謀115
政治 110 政治 95 政治100
206 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 04:15:57 ID:EVORaQUQ
>>139 すげー遅レスな上に話が予想しない方向へ飛んでてちょっと迷ったが、とりあえずレス。
関所はなにも人だけを見る場所じゃないよ。
むしろ重要なのはモノ。そして危険なモノは(色んな意味で)排除していく機能も関所の役目。
だけど商業はこの関所間を往復してこそ大きな利益も上がるってもんで、
その途中で荷がいちいち調べられているということ自体が、商業にとっては大きく影響する。
それに比べれば通行税自体は、その後の商売の事を考えれば経費と割り切っていく事は
むしろ商人の方が賢い。戦国以前じゃあるまいしそんな膨大な金額取られるわけじゃあるまいし。
(というか戦国以前の場合関所から取られる事自体が直接問題だったのではないが、コレも原因)
で、この機能は流通の品質維持のためにも一役買うわけで(いわゆる闇市みたいなものをある程度除ける)
まぁこれに関しては信長は領内の徹底的な治安強化で対処したようだけども
現代でもコレは検閲という名で残ってる事、必要な事だけど、商業への影響はどうしても不可避。
207 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 04:47:14 ID:/PBPC0yM
誇張が一番ひどいのは謙信だろ。
車懸りの陣、唐沢山城数騎で突破?
三国志演義並みのレベルだな。
趙雲が長板波100万の中を単騎で突破したぐらい痛い話だ。
車懸りの陣なんかあるわけねーだろ。
手取り川?
戦ってもいないのに織田に勝った気でいるから図々しい。
まぁこれらは江戸時代にできた講談だが
こういうありもしない話で統率トップになるのは許せんな。
どう考えても毛利がトップだろ。
毛利は何回も圧倒的大軍に勝ってる。
もしも元就が越中あたりにいたら尼子みたいに内部崩壊されて
滅亡してただろうな。
てかさぁ誰も越後なんか狙ってないから謙信有利なだけだろ。
あんな火事場泥棒みたいな奴がトップなわけがない。
208 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 05:49:39 ID:/PBPC0yM
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < あんまり強くないよね。あの人
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
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/\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < なーんであれで関東管領なんだか
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
/\___/\
/ ノ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < 「昔は強かった」ってヤツ?
| ト‐=‐ァ' .::::| \_____
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´
209 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 07:47:29 ID:h/8H0J9W
元就は落ち目の尼子と内部崩壊した大内に勝っただけだろ
尼子経久や大内義興率いる全盛期の両家に勝った訳じゃない
大友には結局北九州取られてるし、宇喜多にも煮え湯を飲まされてる
200回勝ったといっても勝った相手は弱小揃い
謙信は違う。相手は全盛期の武田北条だ。それも両家は同盟関係。
その両者と同時に戦いを繰り広げ一度も負けが無い。最強だな。
元就が越後にいたらさっさと武田北条と和睦してたんじゃないか?
強敵には勝てない、義の欠片もない非道な男だからな
210 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 07:55:28 ID:SpOaX7L3
>>192 つーか八千で二十万を破ったとか本気で信じてる奴が間抜け。
慶長の役で明軍が投じた軍は16万程度で
しかも三軍に分けてたのに20万なんて集められるわけがない。
>>193 そうやって応用する事が一番大切。
あの一代で巨万の富を築いた大富豪オナシスもやっている事自体は
既成の事象ばかりだ。
>>196 光栄の出してた月刊誌で製作者の人がインタビューで答えてたね。
「東北の武将の記録は地味な記述に終始しているのに対して、
九州の武将は見栄っ張りな気質なのか大げさなものばかりで閉口する。
「一人で千人相手にした」なんて話しがゴロゴロある。そんなわきゃないんだけどね。」
とか書いてあった。
211 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 08:17:46 ID:IoXeK+ya
>>203>>210 なんか反論っぽくなってるけど、俺は「偉大な」と言っている。
戦国時代の巨人である事に間違いない。
ただ最後の二行をスルーしてほしくなかった。
信長は組織を拡大させる手腕には秀でていたが維持する能力には問題も多い。
幾度と叛乱されている事は組織の統率力に問題を感じさせるし、佐久間や林と
いった人物を使いこなせず不当にクビをきり、家中を調整できない点は政治力の
面でマイナスされる要素。
この手のトップは拡大路線にあるうちは失点も目立たない様でいて、随所で
問題要素を内包させており、最後に破綻を生じさせる傾向にある。
もっともこれは事績のみで評価する以上、栓のない事かもしれないが、美点
ばかりに目をむけて、こういった面も一考の余地はあり目をそむけてほしくない。
212 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 08:29:40 ID:KuZwqAIJ
毛利、島津は好きだが長州、薩摩人は他県を見下し、嘘吐きやホラ吹きが多いからイマイチ信用できねんだよな。
謙信が数万に数騎で〜〜〜とかあるが、九州の地方話しじゃー、そんな話しはゴロゴロしてんだよな。
いかがわし過ぎ
213 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 08:48:08 ID:2VS6D4kg
>>209 謙信の相手は武田信玄や北条氏康といった英傑やその配下の俊英だからなあ。
元就の敵で名を挙げるような人物って、陶晴賢と山中幸盛ぐらいか?
大内は義隆の自害があったりと内部がボロボロだし、
尼子も新宮党の件で内部がボロボロ。
陶は「西国無双の侍大将」らしいけど、戦はできても大局が見えないようだ。
凋落の尼子も武辺者の山中の力ではどうにもならないし。
214 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 08:56:27 ID://0YKp4n
>>212 山口は大内でがす
日本一の金持ち大名
日本一の朝廷献金大名
日本一の男色大名
日本一の風流大名
そんな義隆様は広辞苑に文化上の功績大と書かれるほどの誉められっぷり
まあ死に際とかまさに変態だがな
215 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 09:30:25 ID:Jtj5U3oJ
天下人3人の評価は、
信長
・尾張半国から天下統一目前までいった。+40
・日本のガンだった仏教勢力を黙らせた。+40
・後の基礎となる天下政策の基礎を築いた+30
・身分や経歴を問わない人材登用 +20 80点
・浅井を信用しすぎて包囲網にはまった −20
・家臣に裏切られ、天下を失った −30
秀吉
・氏素性の無い身から天下をとった +80
・信長の天下道を継承し実行した +20
・闘わずして勝つのが天才的に上手い+10
・朝鮮出兵の失敗 −40 70点
・子種がない −10
家康
・三河数国から天下をとった +50
・天下政策の確立 +20
・寿命が長い +20 40点
・信長亡き後秀吉に敗れた −30
・情けない列伝が多い −10
・海外出兵せず夢がない −10
216 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:01:43 ID:laZv5OaO
夢とか子種とかはあんま関係ないだろw
217 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:08:01 ID:m2BqFDS6
「車懸りの陣は側面から次々に部隊が進入してくるのが、
防衛側にとって、(回転はしていないが)
車懸りの陣のごとくに感じられたのではないか」
と防衛大の教授が言ってたけど。
謙信の用兵術の巧みさの一例になると思う。
>>213 内部をぼろぼろにしたのも元就の調略。
武田上杉も内部は微妙だったから
元就が近くにいたらぼろぼろにされたかも。
218 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:31:51 ID:UbNl/onI
>>213 >大内は義隆の自害があったりと内部がボロボロだし、
>尼子も新宮党の件で内部がボロボロ。
大内、尼子は元就の切り崩しに遭って弱体化した
それに比べて、斉藤家は当主の愚昧さから勝手にボロボロだったんだが。
219 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:51:32 ID://0YKp4n
新宮党の話は元就云々よりも晴久が家臣のために粛正したともいわれてます
詳しくは尼子スレで
220 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:51:57 ID:qOYiCrFo
>>218 龍興を愚昧とするのには反対。優秀だったともいえないけど、少なくとも彼には
例えば氏真や宗麟のような悪政は行っていない。半兵衛の稲葉山城乗っ取りのヨタ
話なんか無視。
少なくとも義龍そして龍興が継いだ頃の斎藤家にはそんな問題はなかった。
それを崩していったのが信長だ。
それから新宮党はともか陶のクーデターは毛利は大きくは関わっていない。
なんでも元就の功績にするな。
どこかの小説には、義隆が尼子を攻めて敗北したのも大内を弱体化させる
毛利の策謀なんて描写していたが。
221 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 10:58:09 ID:NqqSJVNi
>>212 これは酷い書き方だな。
他県を見下してのことでは無いでしょ。
話をするのに面白おかしくしようとしてのことで、余分の褒賞を要求した訳でないから話として残るし、許されもするんじゃないの?
逆に言うと、人の大言をどうしても許すことが出来ないのが北方人の性であり、せせこましいという言い方も出来る。
だいいち、南北関係なく言い伝えや戦記ものの数字は当てにならんよね。
戦争話なんて、少しだろうと大げさだろうと誇張は入る。
222 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 11:11:42 ID:Aml1SoYB
元就が陶に謀反させたり、晴久に新宮党を殺させたりしたわけじゃないからねえ。
大内も尼子も勝手に弱体しただけなんだよなあ。
223 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 11:20:17 ID:FQivr6aP
よく謙信が八万の軍勢で小田原包囲したってきくけど
実際は越後勢四千五百らしいね、あとは反北条の勢力
224 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 11:51:39 ID://0YKp4n
小田原城って町ごと城壁で囲んでその中で農作できるから籠城でも大丈夫って
書いてあったのなんの本だったかなあ
225 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 12:24:16 ID:WVXf71y0
>>217 内部がボロボロになったのは、大内・尼子のどちらとも、
家中の統制がとれていなかったからだろ。
そこに元就の策謀がいくつかはまっただけ。
武田・上杉は大内や尼子とは比較にならないほど人材が揃ってるし、
毛利の策謀が同じように通用するだろう、というその妄想はどこから出てくるのやら。
逆にひねり潰される可能性の方が高いんじゃないかと。
226 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 12:37:12 ID:QXGPkbUu
毛利は両川が優遇されてるんだからいいだろ。これ以上強くしてどうする。
227 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 12:41:20 ID:UbNl/onI
>>220 半兵衛の稲葉山城乗っ取りは史実。
陶のクーデターではなく、江良の件
>>222 謀略を以って晴久に新宮党を殺させた事は、陰徳太平記や吉田物語に書かれてる。
228 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 13:03:44 ID:QBp0gV0l
>>225 武田上杉も内部が磐石だったとはとても思えんが
武田は今川攻めのときに家中で人望があった義信を処断したことで家中の強い反発を買ったとあるし
また板垣信方は当主の晴信を軽視する振る舞いが多かったといわれる、村上との戦いで戦死してくれたから良かったが
家中の統制が完璧にとれていたとは言い難いのではないか
上杉にしても謙信が嫌になって出奔する話があるほど家臣共が好き勝手やらかしていた
229 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 13:42:02 ID://0YKp4n
230 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 14:07:39 ID:RjaWgS+1
「功績」と言っとけばまるく収まるものを、「神業」「偉業」と過剰な表現をやたら使うからこのスレは常にキナ臭いのだろうね…
231 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 14:39:43 ID:iezD8njX
毛利も功臣井上元兼を粛清したり、国人層の掌握に手こずったりしてるわけで、
余り一枚岩だとは言い難い気が
232 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 14:56:20 ID:Rm4cj4/o
>>227 まさか16人で乗っ取った話が史実とか言わないよな
他板で見ただけなんだが安藤守就の加勢もあったそうじゃないか
233 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 15:08:12 ID:UbNl/onI
234 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 15:21:27 ID:fhou9ltU
>>231 もともと弱小勢力だったわけで、有力家臣や国人衆の増長は避けられない。
井上元兼の粛清はむしろ元就を評価できる。
235 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 15:26:28 ID:fhou9ltU
上杉と武田と北条はおおよそ互いに同格の大名だろ。
はるかに格上の陶と尼子を手玉に取って滅ぼした元就の手腕は他に類がない。
信長って確かに四面楚歌だったけど、自分より国力の大きな相手と戦ったことないよな。
236 :
235:2005/12/26(月) 15:28:51 ID:fhou9ltU
ごめん。今川除く。
237 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 15:33:17 ID:QBp0gV0l
信長の一番デカイ相手って将軍じゃないか?
将軍の呼びかけによって作られた信長包囲網はかなりの強敵だったと思うが
238 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 16:10:41 ID:Aml1SoYB
尼子って元就が旧大内領を取った時点で勢力は逆転してるんじゃないかな。
それなら信長にとっての武田みたいなもんじゃないか。
239 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:05:15 ID:fhou9ltU
>>237 連携がいま一つだったろ。
結局各個撃破されたわけだし。
>>238 元就は弱小のときに尼子を撃退してる。
240 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:31:00 ID:qXKT0XCP
241 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:36:51 ID:tAFTKLAh
元就が類稀な能力をもった有力大名だということは認めるが、
最強だ、最有力などだと寝言をほざいている元就厨がいるのに閉口するな。
どうせ妙なプライドに凝り固まった山口県人の妄言だろうけどな。
天下も取れず、また狙わず狙えずに一介の田舎大名で終わった元就を最強などと言っているヤツはアホとしか言いようが無い。
242 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:43:14 ID:WVXf71y0
何でも毛利に都合のいいように解釈する奴うざいな。
大内も尼子も図体はでかいけど凋落著しいし、ロクな人材いないだろ。
243 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:44:21 ID:tAFTKLAh
しかも元就は最初の天下人である信長よりもかなり年長で、
天下が定まっていないチャンスが無限大に広がっていた時代に生まれている。
そのようなチャンスが無限大の時代に生まれていながら
一介の地方大名に終わっていること自体、その器も能力もたかが知れているということだ。
天下が定まっているかどうかというのは大きな意味があり、
政宗などはもしあと10年早く生まれていたら彼が天下人になっていた可能性も高かった。
つまりその意味で元就はチャンスに恵まれていたにも関わらず、天下人に全く手が届かなかった。
以上の理由から、元就が最強などと言ってるアホは退場願いたい。
元就厨の低脳君は反論あるなら1行クソレスじゃなくきちんとした論拠を示せよ。
244 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:47:37 ID:3LR2ulJV
>>237 大内と尼子はそれこそ連携もクソも無かったと思いますが?
のちには同じくらい連携がいまいちな大友尼子に右往左往して、
秋月高橋あたり寝返らせたのに結局北九州を確保できないような大名が
「連携がいまいちだったから勝ったんだ、だからそんなにすごくない。」みたいな言い方
口が裂けても言っちゃいけないと思いますが
245 :
244:2005/12/26(月) 17:48:49 ID:3LR2ulJV
246 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 17:56:55 ID:WVXf71y0
>>243 政宗は微妙だな。
情勢が違うし、出会いも変わるからな。
ただ、天下云々の話が出てくることから、
英雄の資質を持っていたとは思う。
元就は中国地方の雄であるけど、
それをもって「天下人より優秀だ」みたいな言い草は理解できないね。
247 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:00:38 ID:qXKT0XCP
「天下人は優秀だ」の方が理解できないね
248 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:04:29 ID:tAFTKLAh
>>246 確かに結果が全てだしね。元就と同レベルくらいかな>>政宗
まぁ結論としては元就が最強だとか天下人より優秀などと
妄言吐いているヤツは知障並ってことだね。
以後、低脳元就厨はこれ以上妄言を吐かないようにね。
249 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:08:12 ID:tAFTKLAh
247のような1行クソレスしているヤツは大体が低脳知的障害だな。
こういうアホはスレが汚れるから退場して頂きたい。
天下人は優秀に決まっているだろう。
並み居る強豪を押しのけて頂点に立った者が天下人だ。
他のどんな大名よりも優秀だとして当然だ。
もしかして低脳知障元就厨降臨か?
>>247
250 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:17:02 ID:1acQxe/c
>>243 >天下が定まっているかどうかというのは大きな意味があり、
>政宗などはもしあと10年早く生まれていたら彼が天下人になっていた可能性も高かった。
>つまりその意味で元就はチャンスに恵まれていたにも関わらず、天下人に全く手が届かなかった。
とりあえずここだけは賛成できない。
どういう根拠でこんなこと言うのかきっちり示していただきたい。
確かに正宗が活躍する頃には既に天下の形勢が定まっていて、
逆転のしようがなかったのは事実だが、だからといってあと10年早く生まれていれば、
天下の可能性もあったとか言うのは完全に暴言。
言っておくと、石山本願寺が降伏した時点で武田や上杉は衰退しており、
織田に対抗できた勢力は中国10ヶ国を持っていて、水軍にも恵まれた毛利ぐらい。
その毛利も守勢一方という展開だった。
仮にこの時点で伊達家が東北を統一してたとしても、
北国という地理上、島津と似たようなポジションでしかなく、
本能寺からわずか数年で、信長とほぼ同等のポジションまで上がった秀吉には
抗する術もなかったはず。せいぜい関東や甲信越にちょっかいがだせた程度だろ。
ついでに言うと元就は信長を除けば最強の領土を持っていた。
だから俺は一番にしようとは思わないが、
天下人3人>>>元就>>>>>>>その他
ぐらいの能力は与えてもいいんじゃね?と思う。
251 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:17:53 ID:1acQxe/c
かぶってた。すまん
252 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:19:51 ID:OAXoNWkk
>>243 >天下が定まっていないチャンスが無限大に広がっていた時代に生まれている。
大内家はウン百年も代々地元に根付いて成長している
何の力も持たなかった斯波とは格が違う、稀有な大大名
尼子も経久以来広大な地域を領有する家で、チャンスは針の穴を通す程度しかなかった。
隆房、晴久にしても斉藤龍興のような凡愚ではないし。
それに、織田家が落下傘で尾張へ降ってから信長の継ぐまで、五十年以上経ってるわけで
その上でのスタートだから、元就の小身と比べて遥かに恵まれている。
253 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:21:52 ID:Kq9McBF0
能力だけで生き残れるほど世の中甘くない
天下を取ったからそいつが一番優秀だって思うのは
頭の悪いクソガキぐらいなもんだろ
254 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:28:27 ID:tAFTKLAh
>>250 まぁそんな感じだが、その後のレスを確認してもらいたい。
確かに政宗の可能性論をここで論じても何の意味もないが、
政宗が10年といわず20年前に生まれていたら面白かっただろうなと思うわけだ。
北条・謙信以北の全ての領土を平らげて最大勢力になっていたかも知れない。
政宗はそれくらい器量があったと思うぞ。
255 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:33:52 ID:3LR2ulJV
>>252 毛利家も安芸に根付いてから何年経ってるんだよ
先祖代々に至るまで凡愚ぞろいか?
256 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:34:39 ID:fhou9ltU
兄・毛利興元が死んだときの毛利家の石高は約2万石。
尾張57万石から考えても、家督相続時の信長の石高は20万石を超えてるだろ。
どう考えても信長の方が有利だ。
しかも信長って最終的に滅んでるし。
257 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:35:29 ID:tAFTKLAh
>>252 たしかにそのとおりだ。
元就が小身から身を起こして大大名にのしあがったことは特筆に価する。
>>253 頭の悪いクソガキはお前だろ。
運も実力のうちって言葉を知らないのか?低脳知障君。
お前のいうようなことが通るなら、偉い人間など一人もいないことになる。
手短かなレスつけるヤツは本当に低脳知障が多いな。
258 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:37:04 ID:fhou9ltU
>>244 連携もなにも単体でも毛利よりも圧倒的な国力を持っていたわけだが。
259 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:37:53 ID:QBp0gV0l
>>243 >天下が定まっていないチャンスが無限大に広がっていた時代に生まれている
それは元就が信長や信玄のような恵まれた家に生まれていたらの話だ
260 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:39:50 ID:umyl5DNS
>>254 20年早いと、蘆名の当主は盛氏だから、政宗が滅ぼした時より遥かに手強い相手だな。
伊達が強行に南下すれば、蘆名の方も佐竹や田村なんかと手を結ぶだろうし。
どうなったかなんて簡単に言えるもんじゃないが、正直言って、会津の切り取りすら難しくないか?
261 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:40:59 ID:fhou9ltU
元就は2万石から100万石。50倍。
信長は20万石から1000万には及ばない。
よって元就>信長。
262 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:41:07 ID:tAFTKLAh
天下人になるためにはどれほどの能力が必要か。
>>253は全く分かっていない。
運ももちろん必要だが、実力や能力の方がよほど大事。
天下人を最も優秀と位置付けない253の考え方は常軌を逸しているとしか思えない。
天下人という言葉の定義すらも覆しかねない気違い的な考え方だ。
263 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:43:03 ID:Jtj5U3oJ
>>253 その論議でいうと、0石→1800万石の秀吉が最強やん。
264 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:43:48 ID:HZ7xyTeR
てかループだなw
265 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:44:17 ID:WVXf71y0
>>250 10年早く生まれたら、ってのはありえないことだから口は出さないけど、
それだけの資質があったらしいから言われるのだろうな。
むしろ政宗にとってのチャンスは、家康が死んだ直後だろう。
不満分子を煽って色々やれたかもしれない。
まあ、伊達は徳川と懇意だったようだからやってないけど。
266 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:44:39 ID:fhou9ltU
>>263 秀吉の独立は織田家の一部を継承したところから始まったからな。
267 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:45:24 ID:Jtj5U3oJ
間違えた
>>261 その論議でいうと、0石→1800万石の秀吉が最強やん。
268 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:47:00 ID:tAFTKLAh
元就にしても政宗にしても可能性の話をしたらそれこそ無限大に話が広がってしまうな・・。
どこの家に生まれたらとか、出生や境遇のことまで仮定で話し出したらキリがない。
ただ、元就について言えば大名として堂々と割拠してからが本番だと思う。
その本番が始まってからどのくらいの年数が与えられていたか。
俺はかなり十分な年数があったと思うがな。
269 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:47:40 ID:3LR2ulJV
>>266 0から中国指揮官まで上ったのは誰の能力ですか?
270 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:49:43 ID:fhou9ltU
信長の能力は確かに素晴らしいが、家督継承時の国力の大きさと自分の代での滅亡をマイナスの要素として考慮すべき。
271 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:51:26 ID:AdaaxOYV
>>261 そんな事いってたら斉藤道三が最強になってしまうぞ
最初が0だからな。50倍どころの話じゃないね
272 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:52:25 ID:fhou9ltU
>>269 秀吉は信長に使えている間は比類ないくらい優秀だが、天下統一の前後あたりから微妙になる。
天下人になってからは悲惨。
273 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:53:00 ID:tAFTKLAh
>>267 それはこのスレの核心にも迫る問題。
秀吉がその意味で最強・最優秀との話は秀吉厨が容易にクチに出しそうなもんだが実はそうではない。
秀吉が優秀なのは当たり前の話だが、
彼は後継者がいなかった天下人信長の2代目に過ぎない。
乱暴に言ってしまえば、2代将軍秀忠とほぼ同意義なのである。
ただ秀忠のように生まれながらにして後継者ではないため
もっとも効率よく2代目に納まったという意味では戦国史上最も頭がいいと言えるかも知れん。
俺はその小ズルさが気に食わないがな。
274 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:54:10 ID:fhou9ltU
275 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 18:58:08 ID:WVXf71y0
>>252 領地がでかけりゃいいってもんじゃないだろ。
それこそ、真田や毛利の活躍がそれを証明している。
凡愚でないなら何故滅んだのやらね?
大きな勢力を持っていたくせに小勢力に負けたから凡愚なんだろ。
大内は京風かぶれで軟弱な気質だし、尼子は新宮党のことで揉め事があったし、
毛利にとっては都合のいい状況だな。
276 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:02:20 ID:F52RF0g7
本能寺の変の時点では秀吉自身は近江長浜12万石の
中大名に過ぎなかったんじゃないの?
まあ与力につけられた宇喜多・蜂須賀・黒田・宮部の軍勢を合わせれば
おおよそ100万石相当の兵数を動員できた計算になるが、
この計算だと12万石→1800万石(150倍)でやっぱり秀吉最強
277 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:05:18 ID:fhou9ltU
>>275 >大きな勢力を持っていたくせに小勢力に負けたから凡愚
なにその結果論。
勢力の大きさは重要に決まってんじゃん。
278 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:05:52 ID:QBp0gV0l
>>275 >凡愚でないなら何故滅んだのやらね?
元就がすごすぎたからに決まってるだろ
大内は京風かぶれって、じゃあ今川だって同じだろ
そんなものは欠点にならない
279 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:09:27 ID:fhou9ltU
>>278 同意。
しかも桶狭間と厳島を比べたら、比較にならないくらい厳島の方が知略に溢れた戦いだ。
桶狭間なんてほとんど運だし。
義元の休息場所一つで成否が別れる。
280 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:09:48 ID:AdaaxOYV
おいおい今川と違い大内は内部崩壊してるだろ
281 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:11:02 ID:WVXf71y0
>>277 大勢力を持っていながら小勢力の元就に負けたからな。
大内や尼子の頭が優秀なら、当然毛利を潰しているだろうし。
282 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:11:14 ID:fhou9ltU
>>280 陶2万の軍を翻弄し壊滅させた事実は変わらん。
283 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:14:10 ID:fhou9ltU
>>281 >大内や尼子の頭が優秀なら、当然毛利を潰している
大内や尼子は毛利を防壁として利用しようとしてたんだろ。
今川が松平を滅ぼさなかったのと一緒。
284 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:14:22 ID:F52RF0g7
元就も経久の代の尼子、義隆の代の大内を破っていれば文句なしなんだけどな
285 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:14:43 ID:Kq9McBF0
>>257 誰も実力とは書いてませんが、字が読めない馬鹿ですか?
>>262 じゃあ最終的に天下を取った秀吉か家康が最強なんですね!
286 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:16:53 ID:a/comJBt
>>276 一応播磨は事実上秀吉の領土。
あとよく秀吉の朝鮮出兵を非難するやつが多いので触れておくが、
朝鮮出兵の理由は南蛮人が中国にちょっかいをだし始めたため、
ここが南蛮人の植民地になることで日本に悪影響が及ぶことを警戒した秀吉が、
先制攻撃的な意味合いで出兵したのも理由のひとつであることを書いとく。
287 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:19:02 ID:fhou9ltU
信長も義龍の代の斎藤、信玄の代の武田を破っていれば文句なしなんだけどな
288 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:24:02 ID:F52RF0g7
そうだね
だから元親の代の長宗我部、義久の代の島津、
家康の代の徳川、政宗の代の伊達を屈服させた秀吉最強ということで
289 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:26:00 ID:WVXf71y0
>>278 中国地方では凄かったな、元就は。
だが、相手の大内や尼子には人材がいなかった。
勢力は大きくても、それを使いこなせる人間がいなければ、
小勢力よりもある意味瓦解しやすい。
京風かぶれって武家にとっては欠点だろ?
朝倉や今川や大内など、文弱な大名はかなり滅んでいる。
290 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:26:40 ID:fhou9ltU
>>288 秀吉が評価できるのは賤ヶ岳の戦いまでだろ?
それ以降は国力差で屈服させただけ。
291 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:30:09 ID:Jtj5U3oJ
>>286 明攻めはむしろ、勝てる戦だったのを落としたのが減点対象なのであり、
今だにあれを秀吉の誇大妄想だと思ってるのは頭の固い老人か在日だけ。
292 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:31:12 ID:WVXf71y0
>>283 利用しようとしてようがしてまいが、
大内や尼子の当主が優秀だったり、人材が揃っていれば、
小勢力の毛利には滅ぼされないだろうな。
293 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:31:24 ID:F52RF0g7
>>286 ソースは西尾幹二ら自由主義史観の連中の著作?
そういう「理由のひとつ」があったことは否定しないけど、
唐入りに秀吉自身の誇大妄想的な領土欲があったことは残念ながら否定できない事実
294 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:32:31 ID:QBp0gV0l
>>289 人材がいなかったって、まさか信長の野望の能力で判断して無いよね?
中国地方は元就があまりにもすごすぎたから他の人材は全て霞んでしまった
たとえばもし武田信玄が無敵の軍略家だったとしたら、長野業正は見せ場を作ることなく
1弱小勢力として歴史から姿を消しただろう
それと京風といっても今川義元は信長に負けて死んだけど、義元がショボかったわけではなく
信長がやはりすごすぎたんだろ?息子の氏真はちょっとあれだったが
295 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:32:47 ID:fhou9ltU
>>292 だから、信長が滅ぼした敵が優秀だったのかと訊きたい。
296 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:32:59 ID:Jtj5U3oJ
>>293 明攻めはむしろ、勝てる戦だったのを落としたのが減点対象なのであり、
今だにあれを秀吉の誇大妄想だと思ってるのは頭の固い老人か在日だけ。
297 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:35:17 ID:fhou9ltU
>>294 前半は同意だけど、後半は違うと思う。
桶狭間の戦いで討たれたのは明らかに義元のミス。
298 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:38:24 ID:PxFNeaoq
毛利元就は傘連判の存在を知ってから俺の中で評価が下がった
わかりやすくいうと対等同盟の連判状なんだけど、支配地域の豪族と結ぶってどうよ
これって本来の意味で統率力の弱さなんだけど…
まあそれが幸いして関ヶ原の難局を乗り越えたともいえるな
結局、急激な領土拡張の裏には支配力の分散化があったわけで
野心というよりアレが限界、というのが正しい見方だろうね
やはりゲームの性質上、天下統一を目標においた能力なんだから
総合力で三傑に劣るのは当然だと思う
299 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:38:42 ID:qXKT0XCP
手取川で謙信に散々にやられた秀吉の方が謙信より上ですか?
三方ヶ原で信玄に散々にやられた家康の方が信玄より上ですか?
この二名相手に関東をきりもりした氏康公こそ真の天下人
300 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:41:16 ID:Jtj5U3oJ
手取川は秀吉いなかったろ。
301 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:44:36 ID:fhou9ltU
>>298 >支配地域の豪族と結ぶ
弱小から始まった大名は自然にそういう体制になってしまうんじゃないか?
あとからいきなり専制にしようとしても苦しいだろ。
302 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:45:35 ID:F52RF0g7
朝鮮のやけくそ焦土作戦や義兵と言う名前のゲリラ、李舜臣の海軍にやられて、
ただでさえ補給線が伸び伸びだった日本軍が明を制圧できたとは到底思えないんだが
唐入りの兵站を掌った三成自身が秀吉に遠まわしに作戦の無理を伝えてるぐらい
大陸の厳しい気候の中餓死者・凍死者続出中の日本軍に南京を陥落させろとは厳しいお言葉
まあ朝鮮程度ならやり方次第で維持できた可能性もあるけどってスレ違いだな
303 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:46:54 ID:PxFNeaoq
>>301 いや、それが隆元へ家督を譲った元就晩年の話なんだよ
304 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:49:30 ID:PxFNeaoq
1558年だから晩年でもないやね
305 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:51:49 ID:fhou9ltU
>>303 いやそうじゃなくて、弱小の頃は当然対等同盟だろ?
それを続けていき、ある時点からいきなり独裁を始めたりしたら、今まで表面上対等だった豪族たちの批判を買うだろ。
306 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:52:56 ID:WVXf71y0
朝鮮出兵は秀吉の誇大妄想じゃないだろう。
やり方に問題はあったにしても、唐入りの方針は間違ってなかったと思ふ。
天下を統一して戦乱が終わった後に残ったのは、
領土欲や物欲が強い大勢の武士達。
何か功績をあげるたびに、何かを与えなければならない。
例えば土地だったら、日本国内で与えられる土地がなくなれば、
元寇の時みたいにまた内乱が起きたりするかも知れないので、
大陸に土地を求めたというのは自然な成り行きかと。
悪く言えば、これからの太平の時代に合わない武士を減らしたかったというのも
あるかもしれない。
朝鮮に兵を送ったこと自体が悪だというようなことを語る人もいるけど、
あの時代にそういった倫理を持ち込むのが間違いだな。
307 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:53:25 ID:fhou9ltU
それに傘連判は単に配下に入ってくれた豪族の心を取るためにしたことだと思うけどね。
308 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:54:42 ID:PxFNeaoq
レスが必要なのかな…
309 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 19:57:58 ID:F52RF0g7
最初から目標を朝鮮一つに絞って、明ともそういう方向で協議してればなあ>唐入り
明を征伐するから朝鮮は日本に従え、では上手く逝くものも逝くまいて
この点、やはり秀吉の目が狂ったとしか言えない
310 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:06:40 ID:Jtj5U3oJ
朝鮮を制圧して大陸に地歩を築いてからなら明制圧も夢じゃなかったんだが。
朝鮮民衆は圧制に苦しんでたんだから懐柔する手段はいくらでもあった。
まずそこからはじめるべきだった。あと、スペインとなんとか妥協して、
共同作戦はとれなかったのかな。彼らの水軍力と日本の陸軍力が合わされば、
明なんか一飲みだったと思うが。
311 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:13:26 ID:WVXf71y0
>>294 だから、中国地方で凄かったんだろ?元就は。
北部九州の大友相手では敗退してるし。
信玄の相手は長野・村上・上杉・織田・徳川・今川・北条などなど広範囲で、
いくつかの勢力とは激戦を繰り広げている。
元就は有能だと思うけど、他の中国の勢力に凡愚が多かったのだろうな。
尼子経久や宇喜多あたりはそうでもないが。
312 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:14:34 ID:a/comJBt
>>309 とりあえず、中華思想という言葉を勉強してから来い。
明がわざわざ朝貢国を手放すわけないだろ。
しかも「野蛮な国」の日本と協力してだよ?
313 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:15:12 ID:F52RF0g7
まあ無理やり秀吉の唐入りとスレを関連付けるなら、
秀吉の唐入りの計画は粗漏なもので、結果豊臣政権の寿命を縮めたことは議論の余地が無い
その点で秀吉の知略は若干マイナスされても仕方がないが、
ゲーム中で秀吉が登場する最後のシナリオは清洲会議や遅くても小田原征伐、
秀次粛清や朝鮮出兵で政権が動揺する前の秀吉最盛期
朝鮮出兵のシナリオやイベントがあるならともかく、無いのならやはり秀吉最強で問題ないでFA
314 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:28:52 ID:FQivr6aP
秀吉は斎天大聖だから天竺に行きたかっただけでは?
315 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:33:25 ID:tLfBA6sv
明なら朝鮮やる代わりに、ヌルハチとの共闘をたたきつけるでしょ。
秀吉がヌルハチに勝てるわけがないから秀吉軍は全滅だな
316 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:37:45 ID:WVXf71y0
>>302 李舜臣て言われるほど凄くなかったんじゃないかと。
ゲリラ的な補給の妨害をしていたぐらいで、
日本軍とまともに海戦はやっていなかったようだし、
撤退中の島津軍に奇襲したはいいけど、
逆に射殺されるという間抜っぷりを発揮している。
亀甲船も実在したかどうか怪しいな。
復元の模型やら絵画の類は信用できない。
何故なら、設計図がまったく残っていないのだから。
日本軍に反抗した朝鮮ゲリラもいたけど、
逆に味方した朝鮮人も結構いたようだ。
ヤンバンの支配から逃れたかったのかね。
317 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:47:32 ID:QBp0gV0l
>>311 北九州から毛利が撤退したのは、大友の独力ではなく君が馬鹿にしている尼子や大内残党のおかげ
このころは確かまだ尼子も滅亡していないし中国地方を安定させるための戦略的撤退だろう
すくなくとも大友はガチで毛利とやったら押しまくられていた
318 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 20:57:32 ID:jgq3UDWB
足元ガタガタなのに海越えて行くのが優れた戦略とは思えんな
319 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 21:09:43 ID://0YKp4n
>>310 明側の記述によると
自分達に刃向かってくるのは日本人より朝鮮人の方が多かったとか書かれてるあたり朝鮮人って…
明もまともな記述を正史として残してやれば良かったのに
一応属国だろ
320 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 21:16:15 ID:WVXf71y0
>>317 そういう時こそ、ご自慢の元就の智謀と統率力でなんとかすればよかったのにね。
大友と毛利がガチンコでやれば、大友が押されまくるって根拠は?
321 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 21:51:45 ID:QBp0gV0l
>>320 そうなんだよね、元就が何人も居て大友も大内も両方戦えたらよかったんだけど
その辺の戦略は失敗だったかもしれんね
大友が押されていた根拠はそれ系のサイトを調べればすぐに出てくると思うが
322 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 22:06:37 ID:tLfBA6sv
毛利元就が存命なら信長には負けない
323 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 22:17:33 ID:TH8ti4g6
当時の書物では三好長慶は天下人とされてんだけど、その辺はスルー?
324 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 22:23:31 ID:T1HF7CIs
三好長慶も明智光秀も信長・秀吉・家康と同じ「天下人」であったのは間違いない
ただ支配地域やその期間から、三傑からは一段落ちると見られてるのはしょうがない
325 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:39:42 ID:mh8jv5yF
ふと思ったんだが、後藤賢豊と新藤貞治って評価されてないぞ。カワイソス(´・ω・`)
326 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:41:12 ID:SpOaX7L3
毛利元就をやたら評価してる人がいるけど、
彼が少数で多数を破ったという合戦はイマイチ疑わしいものが多いね。
厳島で陶軍二万を破ったとかいうが、
周防長戸を領してただけの陶にそんな大軍を出せたとは思えない。
他の戦いも敵勢が誇張されてたり、
正面衝突というよりは局地戦程度のものだったのが多い。
327 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:46:14 ID:fhou9ltU
328 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:46:15 ID:SpOaX7L3
>>299 手取川の戦いは小競り合い程度だし、
三方が原は兵力で武田が大きく勝ってたうえに
死傷者は武田の方が多かったらしいが。
329 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:47:20 ID:SpOaX7L3
330 :
名無し曰く、:2005/12/26(月) 23:55:19 ID:fhou9ltU
>>328 手取川の戦いは撤退戦でしょ。
死傷者2千だし小競り合いとは言えない。
まあ
>>299の意見は論外だが。
>>326 ソースあるの?
ネットで検索した限りはそんなことは書いてなかったが。
331 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:03:49 ID:RnEAM5Tw
>>330 「死傷者二千」という話し自体がすでに嘘だよ。
332 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:06:53 ID:2qYvxo5+
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%8F%96%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 手取川の戦い
織田軍の先発隊を率いる総大将・柴田勝家は七尾城の落城を知らないまま、進軍を続けた。
しかし、この進軍の途中で、かねてから勝家と犬猿の仲にあった羽柴秀吉が、勝家と意見が合わなかったことから対立し、勝手に軍列を離れてしまうなど、織田軍はすでに内部が崩壊していた。
一方、柴田勝家率いる織田の援軍が来ていることを知った謙信は、直ちに七尾城から出撃し、手取川付近にあった松任城に入った。
これに対して勝家が七尾城の落城を知ったのは、七尾城を救援すべく手取川を全軍が渡河し終えたときであり、しかも謙信率いる敵軍が松任城に入っていることも知った。
七尾城が落城し、しかも謙信自らが軍を率いて近づいていることを知った勝家は慌てて撤退命令を出したが、その撤退途上に織田軍は謙信自らが率いる上杉軍の追撃を受けることとなった。
手取川の渡河に手間取っていたこともあって、このときの織田軍は成す術も無く、上杉軍の餌食になったと言われている。
戦いは、織田軍が二千人近くの死傷者を出す大敗であった。
信長自身、近習ら数十騎とともに命からがら美濃へ逃げ帰ったという。
333 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:08:41 ID:2qYvxo5+
>>331 てか手取川はどうでもいいから、厳島の根拠を持って来いよ。
334 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:14:50 ID:RnEAM5Tw
>>333 他人に命令口調するなよ。
当時の動因兵力は石高で推定される。
陶の勢力範囲の周防長門の石高は30万石程度。
10万石で2500人として7500人程度が陶の最大動員兵力。
ましてや厳島みたいな小白に二万も動員するなんてのは不自然きわまりない。
335 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:16:15 ID:2qYvxo5+
336 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:17:42 ID:RnEAM5Tw
337 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:26:43 ID:GYGsf6RR
個人の見解じゃねーかwww
338 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 00:33:48 ID:TcsLv3op
周防、長門以外に、北九州と安芸の一分もあったことないか?
石見は、益田を口説いたので、入らないとしても。
太閤検地で防長併せては30万石、(ただ、負担を押し付けられるのを嫌い、かなり過少評価していると思われる)
のちに1610年頃の検地だと実高52万石(ただし、かなり課税の対象が広い)
なお表高は37万石、俺も当時は(1550年頃)中とって40万石弱くらいじゃないかと思う。
これに両国以外の領土が多少プラスされ。(山口が焼かれたのを引いても)
貿易利権があるから、実際は50万石クラスの国力があったんじゃないかな。
なお40万石程度あれば、二万程度は問題ないと思われる。
実際、越後なんて、実質40万石程度しかないのに、
2万前後の大軍を、何度も近隣諸国に派遣している。
ましてや、陶は何度も動かしたわけじゃないんだから余裕でしょ。
近年の調査では一万石で、500人から600人は動員している例がちらほら発見されているらしいしね。
339 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 01:06:40 ID:WK4H3Rz1
200〜300人てのも一つの目安だからな。朝鮮出兵では四国九州の大名は600の人の軍役をかけられたそうで
道案内の宗家なんてのは石高では1万石なのに5000人の動員を要求されて結局4200人までしか集められなかったとも聞く
340 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 01:08:03 ID:vpipzsXc
>>211 俺の反論はむしろ楽市が大した事ではないみたいな言い方に対するものなんで、
先駆ではないにせよ信長が行った楽市「楽座」がどれだけ重要だったかと言うのは、
近江や美濃で部分的に行われていた事程度とは桁が違うし、
全く意味合いも変わってくる。
家中統制に関してはもっと上で俺も同じような事かいてるので同意といっておく。
やはり信長は覇王にはなれても時代は作る事はできない。
341 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 01:14:03 ID:vQbUUJJ0
>>278 元就があっさり撃破し過ぎたんだな。
信玄みたいに相手を褒め称えて、苦難の末に倒してれば、
このスレでも、もっと評価されたんだろう。
屈指の戦国大名なのに過小評価の尼子、大内は悲惨だな。
342 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 01:43:45 ID:LLZoJ+L7
>>ALL
おまえら極貧一般ピーポーがよく臆面も無く偉そうに論評垂れれるな。
時代が時代ならオマエラは道に土下座してハハーッってやってんのがセイイッパイだろが。
特にそういう乱世の中に八方敵に囲まれながら時代を切り開いて
天下人になった信長についてどうこう論評垂れるなんざ百万年ハエーンダヨ。
このド貧民どもが。
343 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 01:49:58 ID:LLZoJ+L7
信長が何度か部下に離反されるなど統制面で失点があるなどと
臆面も無くホザイタ低脳がおったな。
それじゃなくとも八方敵に囲まれてムリムリ突き進む必要があったんだ。
それが天下人の宿命だろうが。色んなヤツが離反して当たり前なんだよボケが。
ちったあその乏しい想像力働かして当時の情勢に思いを派してみろや。
信長がどんな思いで勢力を拡大し、天下人になっていったか。
並大抵の努力や才能じゃねーんだよ。神同然の神業なんだよ。
戦国武将のうちでもっとも優秀かつ偉大なのは信長をおいて他にはいねんだよ。
分かったか低脳ども!
344 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 02:06:28 ID:LLZoJ+L7
あとな。離反したヤツっていうのは勘違い野郎が圧倒的に多い。
今の世で言えば5年前に加藤の乱を起こして政治生命を失ったYKKの一人加藤のようなやつだ。
ヤツは離反しきれずに中途半端すぎてゴミみたいなヤツだっただがな。
荒木村重然り、明智光秀然り、信長に離反したヤツは全員例外なくとんでもない勘違い野郎たちだ。
要するに能力もねぇくせに天に唾する身の程知らずってことよ。
その点、『英雄、英雄を知る』で秀吉はもちろん家康なんか
信長がどれほどスゲーかよく分かっていて神のごとく畏怖していただろうが。
織田と徳川は同盟なんかじゃねぇぞ。完全なる服従なんだよ。
家康は前途有望の後継者であり最愛の嫡男である信康を殺されても何も言わなかった。
それくらい信長がどれほどスゲーか分かっていたんだよ。
おまえらはド貧民の分際で家康が神のごとく畏怖していた信長を軽んじるなど
言語道断もいいところなんだよ。勘違い野郎どもが!
345 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 02:30:00 ID:KRfpzr03
>>332 手取川で惨敗したなんて記録は織田方の資料には載ってない。
つまり上杉のオナニーネタなんだよ。
中国、九州は確かに動因兵力が大げさになりがちだが
上杉みたいにありもしない戦いや戦法でスゲーとか思ったりはしないな。
車がかりの陣とかマジ笑える。
346 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 02:32:36 ID:vQbUUJJ0
>>220 なんでそう無知なのに、偉そうな断定口調で言い切れるのか。
毛利家文書1556号の陶と元就の密謀の記述や、
(元就はこの時期、山口に80日間も滞在していた)
吉川家文書の8月24日付け、9月7日付の領土分配の記述、
からして陶と元就の関係は真っ黒クロスケ。
陶決起8日前に既に、大内の城を攻略し始めてるしね。
347 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 02:38:06 ID:kSjiv9rK
大体騎馬隊があったかどうかも怪しいでしょ
当時は貧弱な馬しか日本にはないはず。
時代劇に出てくる馬ってサラブレッドばっかりじゃん。
348 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 02:49:25 ID:U9xpBtzd
でも義経は騎馬隊らしきものを指揮してたらしいし
来日した宣教師も
「日本の馬は小柄だが気性が荒く、戦闘となれば人に噛み付き、蹴り殺す」
って記録に残してるからな。
でも西洋の騎兵みたいな使い方はしてなかったろうな。
349 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:00:31 ID:vQbUUJJ0
当時は乗ってた人間も小さかったでしょうしね。
350 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:20:30 ID:DpAs3LXa
>>348 なんども言われているが、兵種としての「騎兵部隊」と騎馬武者個人の集団は
別物だ。
351 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:25:33 ID:IT4OYyGh
司馬遼太郎先生のおかげで、日本には大陸や西欧のように
戦略上の「騎兵部隊」が存在しなかったというのは国民の常識
352 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:29:08 ID:RnEAM5Tw
>>346 おいおい、陶のクーデターに元就が加担してたのは事実だが、
それを元就の策謀で陶のクーデターが起きたみたいな主張にするなよな。
陶から見れば毛利など安芸の国人の一つ程度にしか思ってなかっただろ。
>>348 源平時代と戦国時代は別。
353 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:39:43 ID:4wGcXGul
織田の負け戦だったから記録に残さなかったんじゃないの?>手取川
少なくとも戦闘はあったらしいのに記録に残してない織田側はおかしいと思います。
上杉側はソースがわからないからなんとも言えないなー
354 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:42:42 ID:4wGcXGul
車がかりとか川中島の戦いとかは武田の甲用軍鑑が元ネタなんだよね?
355 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:43:15 ID:IT4OYyGh
太田牛一とて公平無私の神様じゃないですから
負け戦に関しては記述も控えめに、勝ち戦は大袈裟に喧伝するのが当時の倣い
356 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:52:05 ID:vQbUUJJ0
>>352 おいおい、どこに元就が間接正犯みたいな主張が
してあるんだ?
>>220に
共同正犯レベルといいたいんだよ。
357 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:52:40 ID:IT4OYyGh
「車掛かりの陣」に関しては、甲陽軍鑑で
「上杉方がそのような陣形を採った」という記述があるのみで、
詳細は謎というのが実際のところじゃなかったか
少なくとも江戸時代の越後流軍学者たちが言うような、
放射線状に並んだ兵士が回転しながら敵に突っ込んでいく、というような戦法ではなかったと思うが・・・
358 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 03:57:37 ID:DpAs3LXa
>>353 織田「以外」の記録にもないのが問題。
中立である僧侶・商人・公家・朝廷・外国人の記録から、敵対者である毛利や義昭、
武田や本願寺の記録にも出てこない。
それから信長公記は基本的に起こった出来事はほぼ全て記録している。内容に間
違いがあったり実質負け戦を勝ち戦のように記述した例はあるが、起きた事を記
録しない、記録から消すなんてことはない。
359 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 04:03:17 ID:4wGcXGul
でも戦い自体はあったんでしょ?なんで記録されてないの?
360 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 04:13:02 ID:vQbUUJJ0
車掛かりの陣。
川中島(例の啄木鳥の時の)において、
三縦隊で北上していた上杉軍が、
朝霧が晴れたところ、武田軍が西面しているのがみえたので、
先頭から東に方向転換させ、次々に戦闘に加入させた。
これが、期せずして、次々に新手の部隊が敵の配備の中央を
集中攻撃する形となり、中央突破を成功させ、
信玄本隊に大打撃を与える事となり、
武田側からみて車掛かりに見えたものであろう。「河野 収」
ってのが甲陽軍鑑にのみ記述があることからして、
一番納得いくんだけど。
どない?
361 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 04:29:08 ID:4wGcXGul
手取川も謙信の襲撃にあって指揮系統が混乱、被害自体は少ないものの
軍隊としては壊滅、ちりじりになって撤退していったって感じだったのかな?
362 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 04:51:12 ID:LLZoJ+L7
>>342-344 反論がないことだし信長=神のごとき武将であり、
戦国武将のうちでもっとも優秀かつ偉大ということでいいな。
オマエラよくこの事実を弁えてレスつけるように。分かったな。貧民ども。
363 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 05:29:23 ID:/GGEMYKi
信長、秀吉は医者に言わせるとADHD(注意欠陥多動性障害)と言う一種の精神病だったらしい。幼少時と晩年の奇行が目立つのが特徴なんだと。
興味、注意、発言が散漫だが、ある分野に長けた能力を持って生まれてくる事も少なくないんだそうな。
いずれにしても二人とも知略の高さは過大評価だと思う。秀吉に関しちゃ40位なんじゃないかといっつも思う。
364 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 05:41:17 ID:LLZoJ+L7
>>363 低脳知障極貧ニート君。
>>342-344が理解できず君の医者がいうとおりADHD(注意欠陥多動性障害)を発症しているようだね。
とりあえず君のいう医者に診てもらって病気治してからいらっしゃいね。
365 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 06:02:42 ID:/GGEMYKi
ADHD、LDはお前だよ。悪いけど、俺研修中の医者な。躁状態みたいだし何か薬処方したろうか?
本能寺で近従十数名と寝てた信長は大うつけ。知謀2
366 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 06:11:16 ID:LLZoJ+L7
>>365 低脳知障極貧ニート君。ADHDだけじゃなく虚言癖と妄想癖もあるようだね。
まず病気を治してから君のいう医者とやらにがんばっておなりなさいね。
今日朝一番に精神科と脳神経科に間違えずにお行きなさいね。
大丈夫。がんばればきっと治るから。
367 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 06:43:12 ID:/GGEMYKi
脳神経科テラワロスWねぇよそんな科。
神経内科、脳神経外科、精神科、心療内科な。ちなみにADHD、LDの類は小児科の領分。
どうでも良いけど、信長マンセーは他でやってくれないか?
368 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 06:52:50 ID:LLZoJ+L7
>>367 なりきり医者の統合失調症君。お医者さんごっこは他でやってね。
369 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 07:01:29 ID:YoCX6VZE
基地外が二名程湧いているな、朝っぱらからようやるよ
370 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 07:14:58 ID:fKtecnrb
お前らって、実際の当時を見た訳でもないのにさも事実であるかのように書くの止めろよ!キモイからw
以前、考古学会に「神の手」って呼ばれてた捏造学者をもう忘れたのか?
お前らが見たりしてるソースなんて、全て信憑性がないんだよw
こういう連中が、欠陥マンションなのに無知無教養で騙されてファビョって取材受けてる住人と、精神構造は一緒なんだろなw
371 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 07:22:26 ID:lnB184fj
精神異常者が登場したついでに聞くけど、
当時の婚姻って今考えると異常だよな。
だってさ、15、6の娘を娶ってヤリまくるんだろ?
当時の栄養事情から発育の程度を考えると、その体は現在の小学校6年生〜中2ぐらいじゃないの?
犯罪だよなw
372 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 07:24:35 ID:LLZoJ+L7
>>369-370 朝から低脳知障極貧キチガイニートがまた二名出たか・・。次から次へとよう沸くことよ。
373 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 07:26:30 ID:LLZoJ+L7
>>371 さらにはロリコン犯罪異常性欲者まで出るとはな。今朝はマジでやばいぞ。
374 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 08:01:12 ID:RnEAM5Tw
>>356 陶のクーデターに関しては毛利は
間接正犯でもなければ共同正犯レベルでもない。
単にクーデターを起こしたい陶が
少しでも味方を増やそうと
いろんな勢力相手に根回ししたわけで、
毛利はその中の一つでしかないよ。
>>361 手取川で特に織田家の武将が死んだわけでもないし、
たいした損害はなかったと思われ。
375 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 08:36:51 ID:9XaaOZnS
>>374 逃げる最中に溺死や圧迫死したのが大半だから。
馬に乗る武将達が死ぬわけがない。上杉が討ち取った!とかじゃないから。
馬に乗らない侍大将辺りなら死んだんじゃない?運悪く。
本願寺の記録でも1000は死んだとあるけどね。ちなみに越中、飛騨の鉄砲方の一向宗も援軍として
参加して記録も残っています。上杉年譜、北越軍記にも書いてあるし、なかったはありえないね。
ま、上杉の資料は年表がおおざっぱなんだけどさ。
376 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 09:23:16 ID:lZCBFbah
信忠が強いとなんかまずいの?
功も残して信長も誉めてる。まぁ娯楽好きの欠点はあるけど、優将だろう。
377 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 09:28:56 ID:Xo8J1Uxt
ノ豚ダはオール75くらいで十分だろう。
378 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 09:51:46 ID:/GGEMYKi
信忠は松永と武田攻略である程度、実績が有るし、知謀だけで良いからもう少し欲しいな。せめて80位は。
379 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 11:14:40 ID:DpAs3LXa
>>361 逆、記述を信じるとしても、撤退中に渡河が間に合わなかった殿軍の雑兵が
被害を受けたというだけ。軍組織は被害なし。
>>375 それは「謙信の七尾城攻略戦に参加した」のであって、その後の(広義の)後詰
決戦にあたる手取川にまで参加したという記述ではないのでは。
380 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 11:35:54 ID:vQbUUJJ0
>>374ってもしや
>>220と同一人物ですかね?
複数の文書の存在に加え、
大内の城を5、6個攻略した元就が
「大きく関わっていない」とか
「〜でしかない」と何故言い切れるのかね?
381 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 11:41:05 ID:7pkmLh+K
陶のクーデターに乗じて元就ががら空きの大内の城を掠め取っただけってことじゃない?
382 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 11:52:22 ID:4wGcXGul
秀吉は勝家とそりがあわなくて手取川つくまえに帰ったらしいけどお咎め無し?
383 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 12:11:56 ID:wR3i7/E5
とりあえず最近頑張ってる信長信者の人は
>>186>>187に論理的に反論してみてよ。
そもそもイブの夜に必死に暴れる悲惨な奴が信長を崇めるあまり、自分まで偉くなった気になってるのが面白すぎww
童貞いじめられっこピザヒキオタニートくんww
384 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 12:16:04 ID:xT2NNtVq
>>332 手取川に信長が参加していたって初めて聞いたぞwww
385 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 16:23:28 ID:KRfpzr03
>>332 2千も死者が出て名のある人物が一人も死んでない時点でおかしいと思わないのか?
ゲームに出ないようなマイナー人物が死んだとかも一切ない。
溺死だからわからないなんてそんなのあるわけないだろ。
とにかく死ねばその人物がいなくなるんだから
○○は手取川にて死んだとか書かれだろ。
1542年大内の出雲遠征が失敗して退却した時、大内晴持が死ぬが
こっちは溺死したってちゃんと記録に残ってるぞ。
386 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 16:42:35 ID:IdkNKLM1
手取川がなかったって言いたいわけですか?
387 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:00:56 ID:AeXJQ4V1
>>385 武田VS北条の三増峠は北条方が3000人死んだらしいが
名のある武将で死んだのは武田方の武田24将浅利信種だけらしいぞw
388 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:02:37 ID:2qYvxo5+
>>385 死傷者とは死者と負傷者の合計だよ。
死者は2千よりもはるかに少ないと考えていい。
389 :
388:2005/12/27(火) 17:07:25 ID:2qYvxo5+
少し調べてみたけど、手取川の織田軍の死者は千人くらいみたいね。
390 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:07:53 ID:TTyT1yh8
手取川があろうが無かろうが評価にほとんど関係しねぇから
信長も勝家も謙信もさ
桶狭間が奇襲か正面かで荒れたときと同じような流れだな
391 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:14:04 ID:7pkmLh+K
まぁ秀吉にも負けた勝家が謙信にも負けたってことでいいんでしょ。
392 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:17:17 ID:2qYvxo5+
全軍が手取川を渡河し終えてから七尾城の落城を知るってどうなのよ。
あと、いくら川があったとは言え撤退下手じゃね?
393 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:44:42 ID:7yveBtdL
つーか千人も討ち取られてるなら超大敗だけどな
394 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 17:47:55 ID:7yveBtdL
>>298 傘連判は安芸の豪族が代々行ってきたことだから
いきなり「俺様が主人であるぞ」なんてトチ狂った宣言したら御家断絶。
395 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 19:02:17 ID:RnEAM5Tw
>>380 はあ? 違うよ・・・・
ただ毛利なんてのは当時はちっぽけな安芸の国人でしかなかったんだし、
基本的には陶が企てたクーデターに便乗しただけだろう。
と言ってるだけ。
396 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 19:24:52 ID:s4GEtcAp
柳生とか上泉とか富田
剣豪たち
統率高すぎるんですけど・・・
397 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 19:51:01 ID:WzPxCBxr
最近の作品は三成の知力高すぎ
398 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 20:23:24 ID:WK4H3Rz1
知力の定義もあるが天下分け目といわれる戦いを引き起こしたくらいなんだから低くはないだろう
399 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 21:46:29 ID:Y1KJllxA
知力をどうとるかによるな
利家に全部見透かされて怒らしたしさ
400 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 22:11:57 ID:mDuiPmyi
三成の智謀は50〜70ぐらいでいいな
70以上はやりすぎ
401 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 22:28:58 ID:kUDjt209
>>394 つまり元就は中国地方を支配したのではなく実態は豪族連合の盟主ということだね。
さ〜て、政治と知略いずれを下げるべきか。
402 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:27:05 ID:2qYvxo5+
>>401 政治は下げていいだろ。
知略は戦国随一。
403 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:29:32 ID:sZ7OMM5d
昔の三成はひどすぎたからなあ政治90ぐらいで残りは20ぐらい
列伝にもつまらぬ男とか書かれてたし
404 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:30:02 ID:7pkmLh+K
陶がバカだっただけで、大内も尼子も知略で倒したわけじゃないんだよねえ。
405 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:31:36 ID:2qYvxo5+
>>404 厳島の戦いが知略関係ないと言うなら、他に知略を評価できる合戦ないけどな。
406 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:32:43 ID:7pkmLh+K
天下はそんなに狭くないよ。
407 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:34:04 ID:ZeoP8Xzn
確か覇王伝の武将ファイルかなにかだったか>つまらぬ男
あの頃の査定がおかしかっただけで現状の三成の知略の評価は妥当だと思う
408 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:40:00 ID:Oi/X+Eyj
でも知恵が回る人間ならあそこまで嫌われ者になってないだろ
409 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:44:42 ID:trdVYMW2
魅力ってのもあいまいなパラメータだよな
本当につまらない男なら島左近や蒲生頼郷といった猛将が仕えないだろうし
大谷吉継や直江兼続も協力したりしないと思う
410 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:46:57 ID:7pkmLh+K
まぁ三成を嫌ってたのは金で豊臣家を裏切るような連中ばっかりだから、
マイナスにはならないんじゃないか?
411 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:46:58 ID:2qYvxo5+
まあ人間関係なんて相性だからね。
412 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:48:09 ID:ZeoP8Xzn
三成が嫌われたのは本人の性癖もあることながら、
秀吉に近侍して諸将の取次・監察をするという彼の仕事によるものが大きい
後期の徳川政権で同じような立場にあった本多正信が、
あれほど処世に気を遣いながらも同僚から毛嫌いされたと同じ
ゲーム中に魅力のパラメータがあるなら低く評価されても仕方ないと思うが、
そうでないなら嫌悪武将で表現してやれば好いと思う>三成の嫌われぶり
413 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:49:01 ID:s4GEtcAp
柳生とか上泉とか富田
剣豪たち
おいっ!上記の話題にふれろ!!!
414 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:52:00 ID:trdVYMW2
柳生ムネノリは実際率いたこともあるだろうし
何万石も持つことができたなら政治も知略もあるんじゃないの
415 :
名無し曰く、:2005/12/27(火) 23:53:55 ID:Oi/X+Eyj
官僚的な頭の良さは政治のパラメータで反映されてるから
知略は低くていいと思う
416 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:06:51 ID:zwqf3feD
>>409 そうそう。石田三成は人望がないとか言われたりするが
上杉景勝とも親交を深めてたらしいし。
417 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:09:45 ID:RAI5nQvl
三成の失敗や思慮の浅さを後世から指摘するのは難しくないが、
それでも毛利・宇喜多(もしかすると上杉)といった大老たちを炊きつけて
形だけでも家康と決戦できる軍勢を作り上げた点はそれなりに評価してあげなきゃ
前田利家に見透かされて叱られた云々も知略を下げる要素にはならないと思う
秀吉死後、露骨な多数派工作をして利家を怒らせたのは三成だけじゃなく家康も同じ
あの時期の二人に死にかけの利家を構ってる余裕など無かった
当然利家死後の前田家がどちらにつくかは二人とも気にしたと思うけど
418 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:16:14 ID:4eK+fDDa
ぶっちゃけ三成の能力が上がったのって
花の慶次とか影武者徳川家康やってたあたりからだろ
どうせテキトーだし
419 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:18:18 ID:bd+9jEae
>>395 横レスだが、
当時二人の間に、それほど大きな力の差はないと思うけどなあ。
当時は安芸の大半を制している国人で、5千くらいは動員できたはず、
陶がおこしたクーデターの戦力と、それほど大きな差はないかと、
なんつーか、本社の役員と、幾つかの孫会社を束ねる有力な子会社の社長って感じか。
立場的には、陶のほうが上なのは否定しないが、同時に最大の支援者じゃねーの?
420 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:18:23 ID:RAI5nQvl
花の慶次の三成の描写、酷くなかったか?
影武者徳川家康の三成はめちゃかっこよかったけど
家康ほどじゃないけど、慶次→影武者で急激に男前化
421 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:21:50 ID:3ufAo5uh
大谷が西軍についてくれなかったら関ヶ原での西軍はさらに酷い事になってた予感
422 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 00:23:13 ID:4eK+fDDa
真田父子の活躍で目立たないけど
前田利長の軍を退却させたとかなかったっけ
423 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 01:40:12 ID:KYvmK1Mt
>>418 花の慶次がやってたのは1993、
覇王伝が1992年その武将ファイルでつまらぬ男と評されてた。
>>420 確かに子供ウケな感じではそう
でも作者としては多分、花慶の方が思い入れ強いと思うよ。
人間味もあったし見せ場もあった、事務方の苦しさを一身に背負った男の哀愁が滲んでたぞ。
影武者とかサコンの三成はなんかその後の展開のために無理にカッコよくさせられてる
感じでかえって陳腐だった。序盤で死ぬ役だし作者も深く考えてないっぽい。
ただコーエーの評価とは余り関係なさそうだこの男の場合。
424 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 02:23:36 ID:q/xS8Xfl
よく分かんないけど 毎度松平忠輝の能力高いのは 光栄が隆慶の影響受けてるせい?
毎回戦闘能力(特に武勇が)高くて、革新では水軍Aだし
425 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 03:03:18 ID:KYvmK1Mt
斎藤道三の国盗り二代説はよく言われてるけど、
道三の能力のマイナスにはならんと思う。
426 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 04:15:23 ID:9fU5vI1E
>>381 がら空きじゃ無いよ。
陶クーデター前
銀山城(確かにここは城番しかいなかったから、がら空き)
桜尾城
厳島も攻略
陶の家臣、大村が入るのを認める。
陶クーデター後
安芸頭崎城(平賀隆保)
西条槌山城(菅田宣真)ここで、逃れてきた平賀隆保自刃。
鳥籠山城(阿曽沼広秀)
427 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 05:47:55 ID:cEStZJLM
なんで戦わずに逃げてたような氏康が高くて
戦いまくってほとんど負けなしの元就が低いのか教えてくれ。
428 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 05:56:42 ID:KYvmK1Mt
どの数値の話だ
429 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 07:36:40 ID:pDEtiRxP
杉良太郎と中村橋之助の差かな
430 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 08:48:14 ID:jgi/KrId
>>393 石高にして日本の半分も掌握していた織田から見れば
千人程度の死者なんて蚊に食われたようなもんだろう。
上杉から見れば乾坤一擲の戦の大勝利でも
織田から見ればとるに足りない局地的敗戦でしかない。
その辺は長篠で敗れて一揆に衰退した武田見ればわかる。
431 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 09:13:22 ID:PL9dU0UQ
ただ「一代で油売りの商人から一国の太守に成り上がった」という
事実が無ければ道三の魅力が半減するのは事実
道三もこのスレ的にはどちらかというと過大評価の部類に入る武将かな
義龍の器量を見誤ったのはまぎれもない事実だし、
長良川合戦で義龍の五分の一程度の兵しか集まらなかったというのも
多少同情すべき点はあっても情けない話
そう考えると下克上で成り上がりながらもとりあえず家名を保った宇喜多直家なんかやっぱ大したものなのか
432 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 09:16:41 ID:JtkKcRs2
直家って戦にも強いし、結構すげえよな
直家と道三の統率は逆にするべき
433 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 09:23:17 ID:IFdqD1hy
>>430 死者千人でてたら負傷者はすくなくとも5千人は出てるからな・・。
当時の信長なら400万石くらいだから、結構痛い。
434 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 09:25:09 ID:d9xjmBzd
それでも信長厨には、手取川はなかった事に
435 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 09:57:46 ID:ikKl+P2A
436 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 10:10:46 ID:IFdqD1hy
>>435 >>332 のこと言っとるんだろうが、フリー百貨辞典じゃねえかwwww
信憑性ある資料や歴史書に死人1000人て書いてあるぞ。
437 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 10:28:24 ID:HmDVIbv8
>>432 彼はイケメンという記述が残ってるから肥が嫉妬した
438 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 12:19:38 ID:5Au9DJe/
>>401 家督を継いだ頃は当然そうだけど
後年の傘連判(何年か忘れた)は家臣の連判と元就の署名で分かれてるよ。
>>432 でも軍記物だと、総大将としてはあんまり出陣してないような‥
なんで、どっちも統率は80前後でいいと思う。
439 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 15:00:06 ID:jJvAmhyp
藤堂高虎の義理が1っていくらなんでも低すぎだろ
吉継の墓作ってあげた心温まるエピソードは無視か
440 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 16:24:03 ID:2XwUI+o4
三成は知力高くてもいいと思うけどな。
関ヶ原の決戦自体に持ち込むのも並ではないし、対柴田や朝鮮での
兵糧や進軍経路の確保とか発案とか、軍事面でも支えてたというし。
統率が低いのはそうだろうけど、こういう貢献は知略だろう。
>>439 低いな。藤堂は裏切りはしてないし。
一度主君見つければ骨折るほどに働くし。謀反人ではないしな。
441 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 16:53:34 ID:/oF1Nku2
>>431 国を盗ってからの道三はこれといった施策もなく国内の豪族たちに嫌われていた
なので義龍や重臣たちに迫られるかたちで隠居したという説もあるらしい
だから長良川は息子の謀反ではなく返り咲きを狙った老父の謀反だとも
誰が唱えているのかは知らんがクロニクルの記述はそうなっとる
442 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 16:55:52 ID:HmDVIbv8
>>440 兵糧関係は政治じゃないの?
肥における知略とかって相手とのうまい外交とか謀略とか生き残りとかで判断すると思ってたよ
443 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 17:50:40 ID:rbwN7lFc
>>438 すくなくとも1557年、周防富田の陣(三本の矢の故事)で書かれた傘連判は、
元就隆元元春隆景に加え、阿曽沼、宍戸、天野、平賀、熊谷、出派など国人衆と
全く対等の立場で署名されている。
その他にも動員命令に従わない国人を叱れない自分をさげすんだり、
元就の個人収入を削減せよと圧力を掛ける家臣や
自分の意見を聞き入れない隆元への愚痴など、かなーり情けないことが手紙に残ってる。
これは杉山博の著書に書かれていたことで、俺自身原本をみたわけじゃないが。
444 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 17:54:54 ID:IC9xHoHf
>>442 同意。
後方支援は政治だな。
>>440 関ヶ原では完全に家康に手玉に取られていたと思うが。
445 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 18:09:47 ID:jgi/KrId
手取川の戦いの死者は川にハマっての溺死だからね。
負傷者五千人も出てないよ。
単にパニクった雑兵が手取川を無理に渡ろうとして
損失出しただけ。
あと
>>433みたいに本当に織田にとって痛かったのなら
公記に少しくらい記述あるだろうが。
まあ俺は「手取川の戦いは誇張されてる」論者だが。
446 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 18:23:58 ID:jgi/KrId
あと「当時の織田は400万石」ってのもデタラメだな。
俺の持つ「戦国ものしり辞典」では
「織田の版図は近畿、中部、北陸、東海、中国東部の三十数カ国におよび、
日本の約半分を掌握し石高にして八百万石にも及ぶ」
と書いてある。
まあこの本は一般向けの本だが、それにしたって
四百万石は少なすぎる推定。
447 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 18:27:23 ID:jgi/KrId
448 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 19:04:56 ID:BIbNfEKs
武田小用軒は?
449 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 19:19:53 ID:4ogx5jWs
>147の言うとうり
トップは天下人三人
次点が特に名前の知れている
信玄、元就、氏康、政宗
その下に元親、義宣、隆景などの有力地方大名
謙信は総合だと↑に若干譲るが戦闘関係が高ランク
で良くね
信長だって戦国時代を統一しかけたんだし
秀吉だって晩年は呆けてたとはいえ足軽から天下人に出世したし
家康は天下とって幕府を15代まで存続させる元を作ったんだし
450 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 19:32:06 ID:4aNEaGR+
統率 武勇 知力 政治 スキル(鉄壁など)
誰か偏見持ってない人
>>449のやり方でまとめてみて
451 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 19:55:33 ID:S4TibHmO
前田慶次、真田幸村、本田忠勝、桐生一馬
452 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 20:03:49 ID:yMemya69
統率 知略 政治 合計
毛利元就 105 119 98 322
徳川家康 100 94 103 297
織田信長 93 98 99 290
武田信玄 97 99 95 291
北条氏康 91 89 107 287
豊臣秀吉 89 109 89 287
上杉謙信 120 77 84 281
尼子経久 93 100 88 281
島津義久 94 85 94 273
伊達政宗 92 92 89 273
明智光秀 87 93 92 272
宇喜多直家 78 97 91 266
佐竹義重 よく知らない・・・
荒れるのは目に見えてるけど、とりあえず。
453 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 20:17:40 ID:u6ynG26D
454 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 20:41:18 ID:IC9xHoHf
信長と秀吉と家康は3人揃わなかったら天下を取れなかっただろうな。
455 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 20:56:12 ID:lYz6bjsY
織田信長・・・【統率】092 【智謀】096 【政治】105 【総合】293
統率が過小との意見がかなり多い。100前後にすべきとの事
知略と政治は妥当との意見が多い
総合値1位に推す声も多い。
毛利元就・・・【統率】092 【智謀】105 【政治】098 【総合】295
統率・知略が過小との意見が多い。統率は100にはすべきとの事
政治が過大という意見もある。80後半にすべきとの事
総合値1位に推す声も多い。
羽柴秀吉・・・【統率】087 【智謀】094 【政治】104 【総合】285
統率・知略が過小との意見が圧倒的多数。
政治は特に意見がなかったので妥当か?
武田信玄・・・【統率】110 【智謀】096 【政治】094 【総合】300
統率が過大との意見が多い。100前後にすべしとの声がある
知略は特に批判されないので妥当か?一部に上げろとの声もある
政治は妥当か過大かで割れる。後継問題と統治をどう捉えるか。
北条氏康・・・【統率】095 【智謀】094 【政治】107 【総合】296
統率が妥当か過大かで意見が真っ二つ。結論が出ていない
拡大速度と安定度の綱引き状態で泥沼。
知略と政治は特に批判されないので妥当か?
上杉謙信・・・【統率】120 【智謀】*** 【政治】*** 【総合】***
統率が過大との意見がある。
知略は過小との意見がある。80前後にすべきとの事
政治も過小との意見がある。80前後にすべきとの事
456 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 22:02:15 ID:cEStZJLM
毛利元就
統率 120 武力 100 智謀 100 政治 110 魅力 88
武田信玄
統率 100 武力 47 智謀 80 政治 92 魅力 100
上杉謙信
統率 110 武力 87 智謀 80 政治 82 魅力 89
北条氏康
統率 92 武力 78 智謀 82 政治 92 魅力 80
織田信長
統率 99 武力 89 智謀 99 政治 89 魅力 78
457 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 22:08:03 ID:jgi/KrId
458 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 22:11:28 ID:yMemya69
>>455も自分の意見を民の声扱いするところなど、荒らしっぽいけどな
459 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 23:01:49 ID:d9xjmBzd
>>455 謙信だけ知略と政治が抜けてるのは意図的か?
つーか、過去スレ読むと80近辺でいいみたいな感じで意見がまとまってるようなんだけど。
460 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 23:04:39 ID:W6y0/KC2
秀吉の智謀は信玄よりは上であって欲しいな
461 :
名無し曰く、:2005/12/28(水) 23:40:12 ID:R+zNM7M7
統率 知略 政治 合計
織田信長 100 90 120 310
羽柴秀吉 95 110 100 305
徳川家康 100 95 110 305
毛利元就 100 120 85 305
武田信玄 95 95 95 285
北条氏康 90 90 105 285
上杉謙信 120 80 80 280
こんなもんでいいんじゃないかな?
上杉謙信はインチキ特殊能力やマスクデータを考慮しなければ総合でもこのくらいでいいと思う
462 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 00:24:15 ID:r6ReFY/t
手取り川の時の織田の領土ねえ。
尾張、美濃、伊勢、志摩、近江、越前、大和、伊賀、山城、
あたりはほぼ全土を掌握。
で、摂津、河内、和泉、加賀、播磨、丹波、丹後、若狭、飛騨
は一部、もしくは半分程度領有って感じかね?
つか、畿内は豪族の動きが、頻繁でよくわからね。
当時の領有面積はイマイチわからんので、間違いはあるかもしれん。
太閤検地を元に、大雑把に計算すると、
完全に制覇しているところの合計は、350万石弱
これに、係争中のところがどれだけ含まれるかだな。
だけど、800万石はいくらなんでも多いと思う。武田滅亡後の最盛期じゃないのか?
それも徳川が含まれているとかでさ。
463 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 00:36:44 ID:zo6EWjk3
織田家800万石は本能寺の変の時点の話じゃないか
上杉謙信死亡時に織田家や徳川家の所領がそれだけあるというのは考えられない
>>442もそういう記述になってると思うが
464 :
463:2005/12/29(木) 00:45:55 ID:zo6EWjk3
間違えた
>>447ね
>この日までに信長の版図は膨張しつづけ、
>近畿、中部、北陸、東海、中国の東半分……と、30ヶ国以上におよび、
>日本の約半分を支配下に治めた。石高8百万。
とあるが、普通に読めば文中の「この日」は天目山で武田勝頼が自刃した3月11日のはず
465 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 01:35:55 ID:t8lT2TYF
>>431 その京の油売り商人としての成り立ちはどっちみちよくわからんらしい。
とりあえず今二代説である程度言われているのが、最初期の法華経を学んでいた僧
法蓮房として生を受けたが、その後その学友のつてを使い、美濃の名家長井家に
仕官した所までが、父である可能性が高く、その後斎藤道三の実父が亡くなったという辺りから
正式に道三(この時は司馬小説では庄九郎だったか勘九郎だったか)の名が出てきたらしい。
だが国盗り物語読めばわかるが、司馬遼太郎は明らかに二代説は知らないにもかかわらず、
偶然なのかどうかは知らんけど、道三が美濃のマムシといわれ忌み嫌われるほどに
智略、謀略の限りを尽くすのはまさに長井家の名跡を継いでいよいよ土岐頼芸の摂政となってから。
そこまでの道三は物語中見る限り、心の中で大志を抱いて〜というような描写ではあるものの、
割と真面目に取り入っている。だからそういう意味で智略の能力に影響しないんでは?と書いた。
統率は当然まだいくさしてない時期だから影響しないし。
統率は過大ではないぞ、美濃内乱では同族から近江勢、加納口の戦いでは
尾張勢率いる織田信秀を完全に叩きのめしてる。マムシの名に相応しい強さを見せていた、
晩節を汚さなければむしろもっと評価高いだろう。
だがむしろ80台、武勇が70台なのはやはり息子に敗れた点を引かれてるんだろう。
だから現数値で割と妥当だと思う。息子が高いのもその辺は大目に見て欲しい。
宇喜田直家はもっと統率高いと思うけど・・・智略という品の良い言い方だと元就とかいろいろいると思うけど、
卑怯だったら絶対コイツがナンバーワン、キングオブ卑怯。
まぁだからさすがにこいつは一般受けしないんだと思う。
466 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 01:59:58 ID:8GiEYz3L
宇喜多直家は人材の登用やら主家への対応やら政治は上手いなぁと感じるけど
戦は明禅寺合戦くらいしか聞いた事無いけど、どうなの
467 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 02:10:13 ID:g+L8u8Df
軍記物なんかには「宇喜多直家は生涯ただ一回(明禅寺合戦)しか戦闘したことがなかった」とあるね
直家の経歴をちょっとでも調べればこれが根も葉もない誹謗だということはすぐわかるんだけど、
彼の国盗りの汚さが同時代の武将や後の講談師たちに軽蔑されてたらしいというのはわかる
468 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 03:22:19 ID:iXZuTDcG
暗殺で成り上がった武将の知略を下げたい。
宇喜多直家とか松永久秀とか最上義光とか。
暗殺のスキルでもつけてやれば十分だ。
469 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 03:36:09 ID:iXZuTDcG
【知略】
松永久秀:100→80
宇喜田直家:99→84
最上義光:96→81
470 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 03:37:30 ID:r6ReFY/t
>>464 手取り川の戦いから派生した話なのに、なんで最盛期の織田の領土で考えているのかが俺にはわからん。
471 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 03:38:50 ID:rAVNzDS/
遊佐続光は?
この人は結構したたかで、下手すりゃ松永や宇喜多より汚いことやってるように
見えるんだけど
472 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 04:28:56 ID:ZfQkISnQ
>>470 ID:jgi/KrIdが手取川の時点で織田家の総石高が800万石あったと主張してるからですよ
遊佐続光は結局能登の佞臣レベルで終わったのが評価の低さに影響してるのではないかと
京の庶政を牛耳った松永、謀略で大身にのし上がった宇喜多・最上と比べて能力値が劣るのはしょうがない
それでも壬生綱房(知略85)や久武親直(知略82)程度の評価はされてもいいと思うけど、
逆に言えば彼らの方が若干過大評価なのかもしれない
473 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 06:58:00 ID:iyoXq2OX
>>465 信秀に何度も勝ったり負けて稲葉山まで追い詰められて町を焼かれてるから低いんじゃない?
474 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 07:01:14 ID:rAVNzDS/
こいつらは統率0
松永久秀
斉藤道三
最上義光
宇喜多直家
遊佐続光
尼子経久
毛利元就
475 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 09:08:56 ID:CD1O+/Km
>>468 弟・元網、小早川興景、沼田正平・嫡子鶴丸、吉川興経・嫡子千法師、
直臣井上元兼以下井上一族30人etc.
アサシンマスター毛利元就を外すとは何事ぞ
ただし暗殺は究極の謀略術なんだからの知謀評価を下げる必要性は感じない
ゲームにも暗殺スキルはいらんよ、全っ然面白くない
476 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 09:50:26 ID:sQOdOema
暗殺は一番楽のマチガイじゃないか?
477 :
:2005/12/29(木) 09:53:07 ID:8GiEYz3L
なら、弟と北畠具教一族を暗殺した信長は統率0になるね。
478 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 09:53:49 ID:sQOdOema
キチガイ沸いた・・^^;
479 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 10:34:35 ID:mL63Bx5B
>>458,459
>>455はテンプラにデータ加えただけっしょ
謙信の智謀政治が*なのはテンプラにデータが載ってなかったせいかもなw
織田信長・・・【統率】092 【智謀】096 【政治】105 【総合】293
統率が過小との意見がかなり多い。100前後にすべきとの事
知略と政治は妥当との意見が多い
総合値1位に推す声も多い。
毛利元就・・・【統率】092 【智謀】105 【政治】098 【総合】295
統率・知略が過小との意見が多い。統率は100にはすべきとの事
政治が過大という意見もある。80後半にすべきとの事
総合値1位に推す声も多い。
羽柴秀吉・・・【統率】087 【智謀】094 【政治】104 【総合】285
統率・知略が過小との意見が圧倒的多数。
政治は特に意見がなかったので妥当か?
武田信玄・・・【統率】110 【智謀】096 【政治】094 【総合】300
統率が過大との意見が多い。100前後にすべしとの声がある
知略は特に批判されないので妥当か?一部に上げろとの声もある
政治は妥当か過大かで割れる。後継問題と統治をどう捉えるか。
北条氏康・・・【統率】095 【智謀】094 【政治】107 【総合】296
統率が妥当か過大かで意見が真っ二つ。結論が出ていない
拡大速度と安定度の綱引き状態で泥沼。
知略と政治は特に批判されないので妥当か?
上杉謙信・・・【統率】120 【智謀】074 【政治】054 【総合】248
統率が過大との意見がある。
知略は過小との意見がある。80前後にすべきとの事
政治も過小との意見がある。80前後にすべきとの事
480 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 10:47:13 ID:sQOdOema
元就を1位に推す声ってごく一部だけじゃないか?
481 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 10:48:10 ID:pw9VWM+u
いわゆる厨といわれる奴だけだろう。
482 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 14:21:21 ID:t8lT2TYF
>>473 信秀の戦闘能力も両方90超えてるし、
土岐頼芸の宰相だった時に撃退してる浅井亮政も統率、武勇90超えてる。
息子に負けたマイナス面がなければ統率は90行っててなんら不思議は無いと思う。
なんて言っててふと思ったが、信秀はなんで智略50しかないんだろう。
こいつ友人の城に自ら赴き仮病を使って、遺言を遺したいのでと偽って味方を引き寄せた上で
城を乗っ取ったりしてる外道っすよ。
483 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 14:56:54 ID:i4JHo/lw
>>482 「(ゲーム中で)強いAに勝ったからBも強くていい」って言うときには
まずAが過大じゃないかどうかを考えてからにしないと正しいとは言い切れないよ
そうでなくても信秀・亮政のどちらも今作においてはおまけ武将なんだし
で、一々それをやると脱線するし荒れるしだから功績で考えるべきではないか?
484 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 15:04:41 ID:t8lT2TYF
少なくともそれだけ多方面からの侵略を抑えていたのは事実って事。
その中でこの男は美濃内部の敵を謀略でも軍事力でも抑えていく必要性があった。
だから功績として90ぐらいあっても問題ないと思うぞ、という事。
息子にやられたマイナス面がなければ。
485 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 15:14:19 ID:iXZuTDcG
>>475 元就は軍略も優秀だから良い。
軍略に乏しい暗殺武将の智謀は下げるべきだな。
486 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 15:22:09 ID:/Okos/MS
宇喜多直家って統率高いか?
仲間だと安心させておいて暗殺で力を削ぐ→不意打ちの繰り返しでしょ。
敵対勢力と正面から戦ったのが、妙善寺合戦だけなんじゃね?
487 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 15:32:08 ID:t8lT2TYF
明善寺じゃなかったっけ?
まぁともかく、倍以上の相手を破ってるだけに
それだけでも十分80台行っていい素材だと思う。
現在77だからねぇ・・いくらなんでも。
488 :
名無し曰く、:2005/12/29(木) 20:14:59 ID:It430vCT
>474
そのメンバーなら三好長慶や津軽為信も入れてあげてください
489 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 01:16:18 ID:GK0fanKU
っていうか
>>474の面子に斎藤道三入ってるけど、
こいつはのし上がる為に美濃の人間は暗殺しまくりだけど、
他国からの侵略に関しては普通に兵率いて撃退してるんでちょっと違うかと。
490 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 01:29:47 ID:knLe2ynG
今日国盗り物語やってました
明日は信長編です
是非見てください
491 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 02:40:19 ID:+3xFC7au
>>487 軍記物ごとに、妙善寺、明禅寺どちらも使われてるよ。
妙善寺合戦て大勝利には違いないけど数は宇喜多勢の側が多くなかったっけ?
武勇伝聞いた事無いし統率77は妥当だと思うな
けど、政治はもっと上げて欲しい。
492 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 03:06:45 ID:GK0fanKU
>>491 なるほど俺が読んだのはたまたま明善寺だったのかな。
三村勢は確か豪族を結集させてたから数は明らかに多かったはずだよ。
まぁこれも記憶からなんで、兵数は忘れたが、少なくとも攻めてきたのは三村勢だし
野戦の時点で兵力差で負けてるのに攻めてきたんだとしたら無謀すぎると思う。
そこを野戦で破ってしまったから凄いわけだが。
ただ政治は93もあるよ、これを更に上げて欲しいと思えるような政治的活躍があるの?
493 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 04:10:43 ID:+3xFC7au
>>492 う〜ん‥ 無いw
長い事革新から離れてたから、なんとなくで80台だと思い込んでたけど
93もあったのね。。。
494 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 05:12:34 ID:FO4bvOBu
能力ごと同じ数値になっている武将と比較して決めていけばいいんじゃないの?
495 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 12:56:13 ID:R5c9wNWF
>492
なんといっても本拠地を岡山にしたことでしょ。
中世以来の都市福岡市(備前市福岡)を岡山に移し
現在の岡山市の基を作ったんだから。
496 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 14:14:47 ID:2xLYEL3f
国盗り物語見てるけど迫力が今ひとつだな
497 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 14:29:41 ID:knLe2ynG
俺も実況してるが信長の野望と組み合わせて考えるとおもろい
498 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 14:55:06 ID:INB+oWrh
>>479 信長を総合1位にとか酷いねぇ・・・エゴの塊のようなスレだな
499 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 17:21:55 ID:6mFZXo/r
国盗りか、小説は読んだけど、ドラマは毎年やってる割に見た事無いな。
国盗りと言えば義龍はこのスレでよく過大と言われるけど、
この物語の影響ではないな(道三、信長主役だけに愚鈍とか馬鹿とか散々に言われてる)
なんつーか珍しいと思う。このスレで過大と言われるような奴はたいてい
過大となるような小説やら講談やらで有名なものが根拠にあるのが普通だが彼の場合、
この手の講談はマイナスの要素に働いている場合がほとんど。
まぁ統率90台はある意味間違ってる数値でもない、道三を討った時の尾張への警戒も含めた鮮やかさも
その後の家中統制も、美濃の内乱を鎮めてるのも、近江からの侵略を抑えてるのも見事だ。
信長からの侵略を抑えたというような話もたまに見るが、正確には美濃の内乱に尾張から兵を出したが
及ばなかったと言う程度、信長のマイナスではないが義龍のプラスにはなりそうな程度か。
武勇が90台なのは怪物と言われるほどにでかく怪力で並の人間では敵わなかったというあたりと、
未だ、剣術や兵法といわれるようなものがほとんど存在せず、あっても「実戦で役に立つはずがない」と
笑われていた時代から早々奨励してたらしい辺りが大きく響いてるんだろう。
だけどいずれにしても80台くらいで問題ないといえば問題ない、
後は早死にした事とその後一気に斎藤家が斜陽を迎えた事の補正だろうか。
なんだかコーエーの思い入れを感じる。
>>495 うん、だから俺も93には不服は無いんだけど、それ以上と言われたんで何かあるのかなと
興味あったけど、勘違いと言う事で話はもう済んだわけでw
一応、93の他の武将
伊達政宗、伊奈忠次、羽柴秀長、藤堂高虎、鍋島直茂、島津義久
か、いずれ劣らぬ智将ぞろいと言う感じ、
特に政宗、秀長、直茂と同等と見ると、充分な評価だね。
500 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 18:14:50 ID:sNG2o1Oo
義龍って顔にしまりはないけど大男で迫力あったって言うね
馬にのったら足が地面につくからやっとられんって言われてくらい
短足で馬にのると胴長だから馬の上では威厳があったとかかかれた義元とはえらい違いだ
501 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 18:51:07 ID:sQXe397d
ちなみに当時の馬はポニーぐらいの大きさで、
速度も人間が十分ついていける程度だったらしい。
502 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 19:29:39 ID:knLe2ynG
今やほとんどの人間が知ってるだろうな>ポニー
503 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 20:05:10 ID:E1jdDVHR
>>501 ポニーより少し大きめ、頑丈で持久力があったようだ。
504 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 21:03:18 ID:9sa0BZ6W
実際、ポニーですら相当でかいのにな
こないだ捕まった日本馬との混血で最大400キロとか言ってたぞ
ポニーより気性が激しく頑丈なら十分軍馬の用は足すんじゃないか
505 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 21:21:42 ID:ACgpltrS
ポニーって結構頑丈だよ。速度はそんなでもないが、足が細くて折れやすいサラブレットより走れるんじゃないか?
それと日本馬は後ろ足がやたら発達してたそうだよ。野山を駆け巡るのに最適で、平坦な道にはそんなでもなかったらしい。
506 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 21:56:54 ID:2xLYEL3f
しかし何百、下手すれば千頭以上(その中を選り分けて良質馬を使用となる)となると
飼育・管理できる広大な土地が人材が必要だろうけど当時は領地内にあったのだろうか?
やはり騎馬隊というのはウソかな。武将クラスが馬に跨っていた程度?
507 :
名無し曰く、:2005/12/30(金) 23:10:52 ID:+3xFC7au
武田、小幡の赤備えは、1千騎全員が騎馬だったらしいし
武田家全体だと9千騎いたらしいから、あながち嘘とも言い切れないと思う。
508 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 00:12:17 ID:TqVVhhMa
>武田家全体だと9千騎いたらしいから
そんなにいたのか。資料名を教えてくれないか?
509 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 00:16:47 ID:WanAzHyT
でも北条の総軍馬数は900騎、武田の総軍馬数は850騎とか書いてある資料もある
実際どれくらい軍馬を育てるられかねえ
510 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 01:34:50 ID:rEpbSqRr
馬の名産地といえば奥州かな。
511 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 01:39:52 ID:uk5ecDbM
>>508 甲陽軍鑑には、家中総て合わせて9111騎、足軽が6千強
雑兵は1騎に2人〜5人付くとある、真実かどうかは知らないけど。
512 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 01:53:47 ID:GK7pVfap
甲陽軍鑑・・・・・
513 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 02:15:53 ID:8tV62vwO
でも、その甲陽軍鑑でさえ乗馬しながら敵と殺り合ったことは否定してるって話だぞ
514 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 05:35:06 ID:7ycsUfR/
甲陽軍鑑で否定してる話は、長篠の合戦の描写に関してだな。
合戦前の雨でぬかるんでいた為、下馬したと。
騎士vsロングボウで有名なアジャンクールでも、
雨によって地面がぬかるんでいる為に騎士は下馬して突撃してる。
乗馬したままの騎士もいたが、馬が足を取られて思うように進めなかったそうだ。
ま、西洋の騎兵隊のような編成があったとは思えないし、乗馬したままの戦闘って無理そうだけどね。
メイスみたいな鎧の上からでも有効打与えられる武器も無かったようだし、一騎打ちも基本は組討だろう。
515 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 09:38:49 ID:hiHon2I8
日本馬日本馬言うけどさ、大陸との交流は遥か昔から続いてたんだぜ?
馬も多少は外国と混ざったりしてるんじゃね?
交わったり
挿入したり。
516 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 09:52:34 ID:i8lOWlgA
>>514 >メイスみたいな鎧の上からでも有効打与えられる武器も無かったようだし
あるよ。調べてみると意外と武器の種類は豊富だったりするよ
517 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 10:28:54 ID:OsvBpl1e
>>514 まったく関係ない話だけど、籠城の多い日本こそロングボウが有効に使えたと思うのだけど、伝達されなかったのかなあ
>>515 IDが秘本
518 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 12:35:39 ID:rNq0SkF8
>>517 ロングボウ?
クロスボウの間違いじゃないの?
和弓はロングボウ(長弓)に属するものでしょ。
単純に鉄砲が先に来たので、クロスボウが必要にならなかっただけと思う。
519 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 14:03:35 ID:quje9kol
落馬したら大怪我の大型馬よりは日本の馬は戦場向きだと思うがな
もしかして否定論者って、日本の馬は人が乗れなかったとか思ってるんじゃないか?
520 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 14:32:29 ID:quZnKvY8
しかし鎧や武器を装備した状態で何キロも走れるのかね?
521 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 14:56:50 ID:Uji3+W4s
北海道を中心にした現代の馬産でサラが16000、アア(アラブ)が8000
そのほかの馬種が1000未満
*それぞれ多いときの数字
と、ここまで書いて当時は在来種とこのころ輸入され始めたアラブくらいしかいなかったことに気付いた
おそらく自然交配であろうから当時の年間出産頭数は日本全体で1000を越えないんじゃないかと思う
当時の平均寿命がどれくらいかはわからないがこれの6〜11倍くらいの数がいたんじゃないかね
馬喰に関する資料でもどこかにあれば、少しは足しになるんだろうけど
522 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 15:03:06 ID:zTbTSKSe
>>514 金砕棒ぐらいは知っとけ。
>>518 鉄砲より先にクロスボウを導入できる機会はあったな。
ただ、イギリスのロングボウは精鋭を誇ったし、わざわざクロスボウにする
必要がなかっただけだろう。
523 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 16:16:15 ID:wxXzWfvX
524 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 16:37:10 ID:quZnKvY8
>>521 アラブはどんどん減っていくよ
地方競馬でも使用してるところがほとんどないし。
525 :
名無し曰く、:2005/12/31(土) 23:13:47 ID:tm4329bg
>>520 ぶっちゃけ馬は、長距離を走るのはあまり向いていないような。
全力で移動できる距離は、せいぜい数キロ、
伝令の早馬とかも、途中で複数の馬を乗り継ぐそうだし。
モンゴルみたいに、一人で、5頭も6頭もつれていけるわけじゃないわけだし。
526 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 00:17:23 ID:4pwrVefW
あけおめ!
527 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 11:39:37 ID:x6J+R7Go
日本に短弓がないのは木材の問題だと読んだ記憶がある
日本の木材では強度が足りずしならないのであれほど大きな弓を使っていたらしい
528 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 13:44:03 ID:8+bpfKoN
大陸では木よりも耐久力のある動物の骨を弓材に使用してるしね
529 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 14:03:39 ID:kR1sh8ei
軍神様に逆らって滅びなかった家はない。
北条然り、織田家然り、本願寺然り、武田然り。
こいつらみな過大評価だが。。
530 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 15:46:13 ID:VNoqUlpq
>>529 「自力で滅ぼしたわけではない」ってのがミソだな。
531 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 16:48:33 ID:8Q/2uGMi
呪われてるのか
532 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 17:46:13 ID:0YvDFfpR
>>525 頑健さを求めるか疾走能力を求めるかによって馬種は変わってくるけど、
日本の在来種はいわゆるポニーよりも小型だからねえ
それこそ移動時の乗り物でしかないだろうね
>>531 お不動さんは祟らんのにな
景虎は悪霊なんじゃないか
533 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 18:31:42 ID:y5kowmRj
529と530から考える。
軍神様…北条・織田・本願寺・武田を屈服させることができなかった。
北条…豊臣氏により滅亡。
織田…豊臣氏により併呑。
本願寺…織田氏に屈服。
武田…織田氏により滅亡。
豊臣→織田・北条→本願寺・武田→軍神様
ということだな
>>529
534 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:06:50 ID:hv90t2B6
>>532 本気で世界では馬上で斬り合っていたと思っているのか?でかけりゃいいわけじゃない。
問題は行軍速度だ。ポニーに乗るモンゴル軍相手に西欧が全く勝てなかったのはそのためだよ。馬はでかけりゃいいわけじゃない。
535 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:19:11 ID:0YvDFfpR
>>534 誰も戦闘時の事なんていっとりゃせんがな
わしはあくまで用途によって求められる馬種が違うといってるだけじゃて
それからいうと日本の在来馬は移動用が関の山というとるんじゃ
だいたいヨーロッパには軍用に耐えうるポニータイプがなかったから
アラブから略奪あるいは輸入して改良してきたことくらい馬にかかわる身ならしっとるわいな
536 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:24:07 ID:+tQTP8O6
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、野伏せりで見事勝利。
この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍2万 対 ●大友軍4万
九州の覇者を賭けた戦い
前半は大友勢が押しまくるが、
義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。
以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍3万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。
戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍6千
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。
この戦いで長宗我部信親戦死。
長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、
朝鮮にいる武将たちに帰国命令が下りる。
それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃をし散々に打ち破った。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。
順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め
朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。
秀吉は大名の領地加増を禁止してたが
島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●無傷の家康本体
福島隊を突破。
追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。
この傷が元で2人は数年後死亡。
537 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:27:50 ID:+tQTP8O6
以上の戦功から見た島津兄弟の評価
島津義久
統率92 武勇81 智謀97 政治100
島津義弘
統率120 武勇100 智謀91 政治89
島津歳久
統率89 武勇80 智謀87 政治95
島津家久
統率110 武勇120 智謀79 政治71
538 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:30:48 ID:+tQTP8O6
後世江戸幕府を倒したのも島津だし、島津最強すぎ
謙信や信玄が島津と戦ったら戦死してた
539 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:41:26 ID:Aow0N0nF
>>538 これだけ勝っているのにもかかわらず、
豊臣秀長にはつけいるスキすら与えられず完敗。
秀吉には当主義久は頭を丸めて降伏。
うはww豊臣家テラツヨスwww
540 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:53:17 ID:+tQTP8O6
島津は時流を読んだだけ
541 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:54:38 ID:+tQTP8O6
秀長・秀吉なんて兵数で押しただけの雑魚
542 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 22:59:53 ID:+tQTP8O6
場所が九州だからね
島津が近畿や甲越信辺りの大名だったら簡単に天下を取れてだろう
それを見抜き、今戦うべきでは無いと判断した
天下は豊臣に傾いてたから
そして約300年後には薩摩出身の人間が江戸幕府を倒し天下を取るわけだ
島津の先を見通す戦略眼は凄すぎる
543 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 23:05:21 ID:+tQTP8O6
鳥羽伏見の戦いでは1万5000人の幕府軍を島津・毛利連合軍はわずか5000人で完勝
徳川は雑魚
島津最強
544 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 23:07:19 ID:+tQTP8O6
20万vs2万 実に10:1の戦力差でありながら
秀吉は島津を潰せなかった。
545 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 23:26:50 ID:NmmfrUfm
>>537 いくらなんでも過剰すぎ、家久や義弘の功績に異を唱えるつもりもないが、
今で充分だっつーの。むしろ彼らより上につけてる人らに過剰な評価が多いので
そっちを直すべきであって、こっちを上げるのはこのスレ的に本末転倒。
あと、歳久の政治が90台なら現在80付近の政治の連中全員100越える。
いくらなんでもいい加減すぎ。もっとも50台は無いけどね。
智謀も秀吉が絡んだ辺りの立ち回りは稚拙極まりない。
70台が妥当、むしろ今でも過大。
あと義久の政治100も根拠が薄すぎるし、智謀も97までくると同等の奴と比べて微妙な感じするけど
何より、上の戦功からどう評価したら統率92なんて突拍子も無い数字が出てくるんだ?
そもそも歳久と義久の戦功が書いてないじゃないか。
あと細かい事言うようだが野伏せりじゃなくて釣り野伏せだ、
野伏せりじゃ野武士とか浮浪者の類の事だぞw
546 :
名無し曰く、:2006/01/01(日) 23:27:48 ID:hv90t2B6
今スレのNGワードは、ID:+tQTP8O6 だな。毒電波が強過ぎるw
547 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 00:00:38 ID:Yhrd+FUq
島津の強さは九州統一戦だけじゃない。
朝鮮出兵、関が原での戦いでも証明されている。
しかし、島津の強さは4兄弟の強さのみに還元されるわけではない。
鎌倉時代から守護として土地に土着し、人民と強い絆で結ばれていたことが大きい。
実際、家康は加藤清正や福島正則など、
秀吉が急造した大名は大して恐れていなかったけど、
島津など土地と密着した大名は心底恐れていた。
しかし信長シリーズでは、こんな歴史背景を考慮するほどの余裕はない。
というよりも、能力値Maxの武将を10人ほど揃えれば、
どのシリーズでも制覇可能だからね。後の条件は関係なし。
PK版で新武将作成。全ての能力値をMaxにした武将を10人ほど揃えれば
どんな弱小大名からスタートしても天下は取れる、楽に。
だから能力値設定は慎重に。
史実での実績を考慮すれば、大アマに査定して
島津義久
統率62 武勇61 智謀67 政治80
島津義弘
統率100 武勇110 智謀71 政治69
島津歳久
統率79 武勇70 智謀67 政治75
島津家久
統率100 武勇100 智謀69 政治51
てとこでしょう。
548 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:15:44 ID:2WNle1IE
>>547 家久が過大。統率武勇70台が妥当。
義久は過小。統率80台はあっていい。
549 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:17:17 ID:TtjEqnp2
個人的な評価で言うなら負け戦を覆すようなのは武勇伝としては素晴らしいが、
戦略的にはいくさ上手とは思わないので、武勇には大いに影響していいが、
統率への影響は普通の勝ちと差をつけたくは無いんで、家久に統率で100はやれない。
90後半がやはり妥当だと思う。
無論、統率能力だって図抜けてるのは認めるけど、俺は統率が100超えていいのは、
単純な局地戦レベルでなく、自分だけでもなく大名クラスで動かした人物だけで良い、
というか信長、謙信、義弘、家康でまぁ過大だけど世間では人気あるから信玄の五人で
良いと俺は思う。
秀吉は秀長の評価も一緒に上げれば良い、ホントは秀吉も行っていいと思うんだけど、
まぁゲームだし、織田家に集まりすぎもどうかと。
550 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:26:07 ID:TtjEqnp2
>>547>>548 あぁそうそう、義久は
>>548に同意、
統率そこまで低くない、家中統制の能力も少なからずこのゲームでは反映されてると思うんで。
あと、智謀も80はある、いっそ別に90前半ぐらいならあって良い。
関ヶ原での立ち回りや秀吉との立ち回りは見事に尽きる。
あの優秀な弟達ではなくあの兄にしかできない柔軟な発想があったればこそ島津家は生き残った。
その代わり歳久を死に追いやったのは義久だし、家久の急死も見事に怪しい。
この辺のきな臭さを演出するためにも義久の智謀は高くていいと思う。
551 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:30:05 ID:o2XpYMp1
552 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:34:59 ID:y5EYfBJ/
>>550 関ヶ原の後の話だが家久(義弘の子供の方)が義久の反対を押し切って上洛したとは聞いたことはないか?
この時に限っては小田原征伐直前の北条氏政に似ている
553 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 01:40:26 ID:HlWwdc6/
徳川が関ヶ原後に島津を攻めていたら島津は勝てた?
やっぱ無理?
554 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 02:05:03 ID:Y5+9YPsb
>>553 どうやったら家康に勝てるんだ?
武勇だけで天下が取れるとか考える奴らの気が知れん。
555 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 02:22:38 ID:TtjEqnp2
>>552 よく知らない、ただ家久と義久の仲が余りよくないというのは知ってる。
また義久の時と氏政の時とは全く意味合いが違うと思う。
氏政は氏規や氏直を通して家康ともつながっていたのだし、
ちょっとでも情勢が読めればいくらでも有利な情勢で北条家を保つ方法はあった。
しかし情勢を見る事ができず決戦してしまったと言う状況と。
しっかり情勢は見据えていて本来は家康側につく予定だったが、戦中の混乱で敵側になってしまい、
既に決戦も終結してからの話では全然意味が違うと思う。
この場面の義久が伏見への上洛を断ったのは武士として悪い姿ではないのではないか?
最早どうなろうが家康の思惑一つで握られたる状況だし。
個人的には北条四兄弟の方が好きなんだがね。
556 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 07:45:07 ID:+JwbAA95
>>555 講談に毒されすぎ。
北条は情勢が読めなかったわけでもないし、
島津は家康に味方するつもりだったわけでもない。
557 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 07:56:39 ID:TtjEqnp2
島津の方はともかく北条が情勢読めていたらどうしてああなるのよ。
558 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 10:04:50 ID:7lQ3JamM
なんかこのスレ見てたら革新買う気無くなってきたな・・。
革新は武将の能力いじくれる?
559 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 10:11:20 ID:udc3wuhz
テス
560 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 10:17:44 ID:ErTFcrlC
>>558 武将の能力に納得いかないのは革新に始まったことじゃない。
前田慶次や剣豪の統率が高くないだけ革新の能力設定はまだマシな方だ。
武将の能力はいじれなかったと思う。
新武将を入れることはできるけど。
561 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 10:51:06 ID:Y5+9YPsb
>>557 情勢読めてたら必ず生き残れるわけではないだろうし、
情勢が読めてなかったら必ず滅ぶというわけでもないだろ。
物事を一方向からしか見ないタイプの人間みたいだな
>>557 ここは歴ゲー板だからそれを通してもいいが、
一方向からしか物事を判断しない危険性についてもっと学んどけ。
562 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 11:15:22 ID:UPLOUSY/
>>561 そりゃへ理屈だ、北条の場合は明らかに自滅に近いだろ。
563 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 11:28:54 ID:Uo+wX3JM
島津絡みで過小評価と言えば宮部継潤。
根白坂の戦いで島津軍を撃退した立役者で、
それ以前から秀吉に付き従って転戦した歴戦の武将でありながら、
統率62 武勇48、はあんまりだと思う。
せめて統率70後半〜80台 武勇70台、は欲しい。
564 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 13:24:37 ID:DUPwFkJq
>>563 一度下り坂に陥った軍相手に勝っても凄いとは思わんな。
豊臣軍が来る前にもう島津は限界だった。
腑抜けの武田と違い大友家臣団の抵抗は凄まじくかなり損耗してる。
おまけに豊臣の工作で島津に制圧されて間もない勢力が
続々と豊臣側に味方するわで既に戦略の時点で負けてる。
宮部継潤が70後半〜80もあるなら
志賀親次なんかは100近くになるな。
立花宗茂は120か?
565 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 13:46:28 ID:ujwPzdeK
義久はどちらかというと過大評価の部類に入る武将だと思う
義久自身が後年語ってるように島津の勢力拡大に関してほとんど何もしてない
関ヶ原後島津が存続できたのは義久ではなく忠恒の頑張りが大きい
義久は忠恒の上洛を止めたり、徳川の貿易船を襲撃したりと和睦の足を引張ってた印象しかない
566 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 15:47:47 ID:DUPwFkJq
>>565 まったくその通り。
義久はただの陰険ジジイだよ。
朝鮮出兵じゃ兵は送らない。検地には逆らうわでいつ秀吉の逆鱗にふれて
取り潰されてもおかしくなかった。
さいわい義弘が豊臣に協力的で三成と仲良くて大事には至らなかったが
関が原でも義久は徹底的に足を引っ張る。
伏見城に篭城するのに兵が足りないと何度も書状を送っても送らない。
義久は中立で切り抜けるつもりだったらしいが
中立なんか許されないのは戦後処理を見れば明らか。
戦後上洛せよと何度も催促されるが一向に行かない。
島津討伐軍も解散され、島津取り潰しの可能性が低くなってもまだ行かない。
立花宗茂に、もう大丈夫だから上洛するよう言われてもまだ行かない。
そうこうしてるうちに2年が経過。
さすがにこれはやばいと忠恒は独断で上洛。
見事本領安堵を保障され帰ってくる。
それどころか家康の家の字まで貰い、琉球の支配まで認められて帰ってきた。
帰ってきた忠恒に対して義久は恨み言を言ったからどうしょうもない。
567 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 16:01:03 ID:Uo+wX3JM
>>564 極端だね、お前さん。
宮部継潤は根白坂の一発屋ではなく、
秀吉の元で各地方でで功を挙げた武将という前提があるし、
九州征伐も根白坂は島津が総力を挙げて攻撃した重要な戦で、
その功により秀吉から感伏まで受けたという話だから、
宮部の功績が大きかった事が分かる。
まあ話し方からして多分ただの煽りだろうけど…。
568 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 16:23:35 ID:DUPwFkJq
>>567 >秀吉の元で各地方でで功を挙げた武将という前提があるし、
例えば?
569 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 16:56:03 ID:DUPwFkJq
宮部継潤が
30数年戦い続け戦慣れしてる佐々成政や前田利家と似た能力値?
馬鹿言うなよ。
人物列伝によくあるよな。
感伏送られただの絶賛されただの各地を転戦した〜っての。
仙石秀久みたいな無能な奴もコレ。
仙石秀久はまだうまく立ち直って大名になったが宮部継潤はどうなったんでしたっけ?
仙石秀久と似たような数値でいいよ。
570 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 17:04:27 ID:Svb+gnEx
仙石を馬鹿にするな
戦国史上最も失敗し最も挽回した男だぞ
571 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 18:13:02 ID:HmwmPvQC
単純な戦歴でいうなら生駒親正も凄いが、
軍目付であったり荷駄隊だったり予備戦力としての従軍も「戦歴」に含まれるから、
戦歴=戦上手だったというわけにはいかないわな
宮部継潤の合戦での活躍は詳しく知らないが、
革新での戦闘能力はまあまあ妥当じゃないの?
坊主系武将としたら(本願寺を除いて)かなりの高評価だと思うが
572 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 18:30:50 ID:Yhrd+FUq
>>560 >>558 もうだいぶ以前からですよ。
能力値が自由に設定できるようになったのは。
PK版でだけどね。
天翔記あたりからかな。
まあ、自分の好み・考えで設定すればいい。
ただシリーズに共通していえることだが、
武将個人の能力値がゲームの勝敗を分ける最も重要なパラメーター。
贔屓の武将の能力値をあまり高くしすぎると
ゲームバランスが壊れて面白みが半減。
八百長で勝っているようなもの。
私が低すぎると思う武将は、鬼庭良直、酒井忠次らの智謀。
しんがり(撤退)戦で実績あった武将達。
古来しんがりは最も智謀のたけたものがやるはずなのに。
まあ、野望シリーズには撤退戦なんて概念がないからいいけどね。
573 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 18:33:43 ID:ej0yrMog
ツール使えばいじれるだろ、能力値
574 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 19:17:02 ID:dh5s9R73
やはり議論になるのは記録が多く残ってる地域だけだな
四国がほとんど話題になってないのは泣ける
575 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 19:19:31 ID:AB+TgDUk
十河軍団って雑魚だったんじゃねー?一存しんだらもう終わり
576 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 20:47:08 ID:+JwbAA95
宮部継潤って弟秀長の副将格として山陰方面で活躍。秀長が秀吉のもとにいるときは
留守部隊の責任者として毛利・吉川と対峙。講談で取り上げられないのでマイナーだけ
ど、かなり重要な人物ですよ。
577 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 22:17:20 ID:ZglaSYd1
>>570 仙石の生き残り術と領内政治を評価してないで無能とか言ってるんで
これは釣りだと思います
578 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 22:22:39 ID:sIqGP/zn
仙石は統率と武勇を1で人間的なパラメータも最低でいいじゃん。
579 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 22:25:26 ID:NUsdtQjy
>>576 だからその「活躍」とやらの具体的内容を挙げろと。
>>571の言うような「活躍」は少なくとも統率・武勇の評価には影響しません
580 :
名無し曰く、:2006/01/02(月) 23:49:32 ID:IVSvDfbi
>>536 だから、そんな胡散臭い数字をいちいちあげるな。
581 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 00:07:49 ID:0foOelOV
>>580 いやだからコピペだっての。
相手にするな。
てか自演?
緑の名前欄のやつってなんか嵐のイメージあるんだよな。
582 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 01:13:25 ID:dNxAL2sb
>>561 それは北条氏政が情勢を読めていたという反証にはなりえない。
>>562にも言われてるけど、屁理屈こねてるだけ。
講談を随分バカにしてるけど、貴方は講談以前に人の文章も読めてないとしか思えんぞ。
講談でも良いからまずは本を読め。
逆に氏政に対して氏規、氏直、を通して家康も散々秀吉に臣従すべきという道を
示していたのは、講談もクソもない、情勢でも文書でも講談でも出てる事実だ、
しかもその縁で氏規筋の北条家は生き延びてるんだし。
583 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 07:33:55 ID:WDbAhuN3
>>558 PS2版はいじれるみたいだ。お得意の肥商法だよ。
PC版買ってなくてよかった。
584 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 09:39:46 ID:dscIW6Fn
肥はもうわざと評価をおかしくしてるんじゃね?w
エディット目当てでマイナーチェンジ版買わせてぼろ儲け、と。
585 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 11:40:19 ID:B/beL17B
真田系は高すぎる気がするなぁ。
ゲリラ戦は強いと思うけど大軍で同じ能力出せるかどうかは疑問。
586 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 11:43:08 ID:WxN4LHhd
βテスターどもがよく囀ることよ。
今更何を言うか
587 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 14:44:13 ID:ZvVj4HhI
まず信長の政治は最高値にして欲しい。信玄や氏康、早雲、元就その他諸々の大名
の善政というのは、所詮地方レベル、己の領地を良くしようというレベルでしかない。
(まあ天下近くにいってないので当り前だが)秀吉、家康及びその家臣達は信長路線
の踏襲もしくは、補正。信長路線の延長戦上。宗教弾圧(強制的改革といったほうがいいが)
ほぼ完全なる実力主義(信玄の実力主義とかは違う。信玄が採用した足軽大将は勘助だけ
他はみんな譜代か信虎採用)、その他重商主義(楽市、関所他)、それが可能にした兵農分離、天皇家乗っ取り計画、将軍操り
、等等、信長がパイオニアじゃないのも多々あるが、これだけのものを本格的にやったのは
信長のみ。戦略とかは政治に含まれる能力だろう(智謀は戦術的と解釈)。よって天下統一という目的に向かって最も合理的に行動
していた信長の能力を最大にすべき。少なく見ても謙信の統率120くらいにはすべき。
逆に統率とかはもっと低くてもいい。尾張兵は弱兵、桶狭間以外は数の論理という事
からしても、兵の強さというパラメが無い以上、織田家臣団全体的にいっての戦闘力はもっと下げる
そもそもこのシリーズの政治能力の重要度が低い。所詮戦争は政治目的の達成手段に過ぎない以上
政治能力の利用価値をもっと高めるべき。最もゲームとしてつまらなくなるが
588 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 14:58:06 ID:GG6Cr4C1
信長の政治手腕は認めるところだが、民心の掌握も政治と考えると
長島や叡山、伊賀に対する過酷な仕打ちは明らかにマイナスポイント
現在値位で適当じゃないか?
589 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:08:32 ID:JbIisk2A
過酷な仕打ちがマイナスポイントってどうして?
民心を掌握しただけであっさり滅んだ後北条の氏康をトップにしたいから?
590 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:24:42 ID:GG6Cr4C1
本気で言ってるのかよ
無用な火種を作ったのは普通にマイナスだろ。処罰するにしてもあまりに見せしめ的意味合いが強すぎ
そのハード路線の延長が本能寺みたいな謀反を招く訳だから、周囲に対する配慮に欠けると言われてもしょうがない
これは政治能力の範疇じゃないのかな
まあ議論するつもりはないので気にいらないならスルーしてくれよ
ところでなんで北条氏康の名前が出てくるの
591 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:28:02 ID:ZvVj4HhI
政治の評価は当時の民心も大事だが歴史的にどれだけ重要かというのが大事。
これから始まる増税も50年後からみると必要なのかもしれない(そうあってほしくないが
)その後、キリシタンを覗き日本で宗教の政治関与が殆ど無くなったのはまぎれもなく信長の功績
さらにいうと当時の宗教横暴に困っていた大多数の民衆にとっては、宗教対策は急務。しかも武力
をもっている以上、武力でやるしかない。
しかし、「魅力」値があるのならそれこそ20〜30でいいかも。(すいません革新まだやって
ないんです。魅力値あるのかな?)信長の魅力、人間性、天才性は理解できない人の方が
多かっただろうから。それも謀反多発の原因の一つ。
592 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:34:05 ID:JbIisk2A
なんか本能寺に無理やりこじつけて氏康過大評価を維持したいだけみたいだよな。
593 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:35:13 ID:gxY0ngw1
信長の偉業は数々の幸運に乗ったから成し遂げられたのであって
歴史的に重要なことをしたわけじゃない。
施策に関して、他の大名と何ら変わらない
594 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:39:25 ID:GG6Cr4C1
議論には乗るつもりはないのでアレだが
だからなんで北条氏康が出てくんだよ?俺氏康なんてあまり知らねーよw
知ってんのは氏政の汁かけご飯エピソードくらいだ
小さい奴だと思ったwww
595 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:40:41 ID:JbIisk2A
信長が今の値で適当とか言ってるのに氏康の能力値も知らんのか。
ただ荒らしたいだけってことなのか。
596 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:42:03 ID:GG6Cr4C1
ああ、ちょっと前に北条の話題だったのかw誰も話題にしてないのに出してくんなよ
俺はただの通りすがりだぞ
597 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:47:27 ID:Xart7m8X
>>593 それはさすがに言いすぎだが、運が良かったってのには同意。
秀吉・家康に出会わなかったら、包囲網されたときに滅んでたし。
片田舎の小豪族やその家臣に生まれていたら、それこそただのうつけ者で終わっていたな。
黒田如水や真田昌幸ほどにも活躍できなかっただろう。
598 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:47:27 ID:GG6Cr4C1
sage進行で自分の意見言っただけなのに北条氏康とか関係無い話を持ち出して北条厨のレッテル張り
北条なんて知らんて言えば荒らし扱いか
どうみても粘着です
ほんとうにありがとうございました
599 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 15:49:05 ID:JbIisk2A
どうして何も知らないのに信長の能力値が妥当と発言したのかな?
600 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:14:38 ID:ZvVj4HhI
593に反論
確かに信長に幸運はあったと思う。でも不運もあった。それは他の有名人達も一緒。
境遇的、受動的運不運をいいだしたらきりが無い。
問題なのは、なにをしたかという事だが、
坊主頭の信玄、謙信に徹底的な宗教改革が出来ただろうか?精々懐柔のレベルだろう
それでは昨今の政治家と一緒で解決にはならない。
兵力の殆どが農兵だった各大名に徹底した重商主義がとれたか?(信長は重商をしなくても肥沃な濃尾平野があった。)信長以外、以前に兵農分離
した大名はいたか?
信長以外に農民だの素浪人だの忍者だのを最重役にまで取り立てたのはいるか?(勘助は足軽大将!)
信長が桶狭間でやられてたとして、誰が何十年かかって天下をとれるのか?一年の内三ヶ月位しか
動けない農民兵で、(百年くらい使ってほふく前進して毛利か島津か北条か?)
等を考えると信長がいなかったらかなり統一は遅れていたはず
601 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:18:51 ID:GG6Cr4C1
「氏康なんてあまり知らね」発言を受けて「何も知らない」呼ばわりか
こじつけが過ぎるな
602 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:29:59 ID:Xart7m8X
>>600 信長の不運ってなんだよ。
ほとんど自分の言動が招いたものだろ。
俺は、信長の国力増強の政策だけは評価するが、所詮それだけだろ。
あとはその戦力差に頼んでゴリ押ししただけ。
そして結局は自己中心的な行動のために謀反で滅亡と。
603 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:30:18 ID:GG6Cr4C1
>>600 すごくわかる話なんだがその辺りの信長の革新性については政治能力で表現するのは無理なんじゃないか?
現状ではシステム的に差別化するくらいしか表現方法はなさそう
ただ兵農分離や楽市楽座を信長専用にして信玄やら他の大名が使えないとなると、織田以外で天下を望むのが厳しくなる。
面白そうだがライトユーザーの多い信長の野望では難しいだろうな
有名大名についてはすでにキャラクター化してるから能力値もいじりにくいしな。
604 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:34:21 ID:JbIisk2A
信長を客観的に評価できない人って、感情的な論しか展開できないんだよね。
運が良かった、でおしまいかな。
605 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:35:37 ID:Xart7m8X
606 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:36:44 ID:JbIisk2A
たられば、にどういう反論を求めてるんだ?
607 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:37:37 ID:Xart7m8X
>>606 門地や境遇を考慮するのは当然のことだ。
608 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:42:04 ID:56KpLgdr
本願寺家の一門が一揆を起こしたときのみ、
3000じゃなくて5000の僧兵だったらいいのに。
そういう能力つけて欲しいね
609 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 16:54:57 ID:Kiwr8jHM
610 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 17:23:55 ID:jxx86KAq
>>607 そんなこといったら、信長以外にも全ての人物にその功績は運にされてしまう。
例えば秀吉、彼は低層階級の出身であり運が悪かったと言われるが、逆にいうと
それだから実力で出世できる織田家に仕えて才能を発揮することができた、彼は
運がよかった。もし朝倉や武田の下級武士の家に生まれていたら天下人にはなれ
なかっただろう、なんて言うことだって出来る。
>>597で例えれば黒田や真田だって同じ。彼らがもし公家の家に生まれていたら?
商人の家に生まれていたら?時代が50年早くもしくは遅く生まれていたら?
こういう、生まれ持った境遇にケチをつけることには全く意味がない。こういう
IFを持ち出すものは大抵その人物を貶めるためだけにそんな仮定をこねくりだし
ているだけなので、はっきりいって何を言っても議論になりようがない。
611 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 17:32:15 ID:gxY0ngw1
>>600 宗教改革などしていない、敵対せざるを得なかった宗教勢力と対決しただけで
それ以外の横領、権益制限は朝倉、徳川、謙信他何処でもやってる。
>信長以外、以前に兵農分離した大名はいたか?
織田の軍制を兵農分離というなら、信玄も氏康も実施している
>信長以外に農民だの素浪人だの忍者だのを最重役にまで取り立てたのはいるか?
宇喜多直家、毛利元就、武田信玄。他家にも色々いるでしょ戦国時代なんだから
>一年の内三ヶ月位しか動けない農民兵
大内、武田、北条、この辺りは軍役衆が農村と密着していないから長期出兵可能
612 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 18:31:32 ID:cqQeIQ6O
>>611 宗教に関して
徹底的に力を削ごうとしたのは信長以前には居ない感じなんだが、その辺の詳しい説明をお願いしたい
農民だの〜に関して
信玄は少なくとも知ってる限り居ないんだが、多少例を挙げて頂きたい
宇喜多にせよ、毛利にせよ知らない人やはり多いと思うんで例を挙げて(ry
613 :
587,591,600:2006/01/03(火) 19:27:11 ID:ZvVj4HhI
帰ってきてみれば色々と書かれててビックリです。
602さんへ
運不運の話は610さんと同じできりが無いので無視。
戦力差でゴリ押ってのはまさのその通り。っていうか俺もそう書いたつもりだけど、織田家臣統率さげるべきって
諸々の政策でゴリ押出切る体制を作ったのがすごいって言う事を言いたい訳です。「それだけ」じゃなく「一番大事な事」
秋山真之いわく「完璧なる戦術とは、なんの物語性もなく、味もなく、淡々と終わるもの」
と、スピリッツ「日露戦争物語」にそんな意味の事がかいたりました。
自己中破滅というのもまさにその通り。だから魅力値あるなら下げてくれと書きました。
別に信長の全てが素晴らしいといいたい理由ではなく、行った事績に関して評価したいというわけです。
当時の人には受け入れなれない人も多かったと思いますが・・
611さんへ
宗教〜、農民だの〜に関しては611さんと同じです。
兵農分離に関してですが、確か北条は法螺貝やら鐘がなると農作業をやめ槍もって城にいく
みたいな事を読んだ覚えがありますが・・信玄物に関しては今まで色々本よんだつもりですが
兵農分離したみたいな事は一度たりとも読んだ事ないですが?(信玄が天下獲るifものならあります。
ifで出るって事はしてなかったと思いますが)その他各大名も基本的には北条式だったはず。
農地と密着してない〜は結局同じことです。ソースがあるなら是非教えてください。
感情抜きで知りたいです。その中で一番裕福な大内でも京に留まれなかったはずですが・・
我ながら正月から何やってんだか・・
614 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 19:41:12 ID:0foOelOV
俺も信玄が兵農分離してたなんて聞いたこと無いな。
ソース何?
615 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 19:42:39 ID:kIid7/9g
運じゃなくて運命というべきだ
616 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 19:51:25 ID:Xart7m8X
>>610 だから生まれた境遇をどれだけ活かすことができたかということが問題なんだよ。
信長は天下を取るのに最高の境遇を持ちながら、その戦略・戦術には評価できない点が多い。
さらには最終的に謀反で滅んでいる。
それに対して、例えば毛利元就などは大大名に挟まれた小豪族に生まれながら大毛利家を築き、その戦略・戦術の手腕には非の打ち所がない。
信長と比べてどちらが優秀か明らかだ。
同様に、真田昌幸や黒田如水についても自分の境遇において可能な限りの活躍をしたので高く評価できる。
まあ如水は多少の失策があったが。
攻め取った領土の大きさなどは所詮結果論。
617 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 19:52:42 ID:0foOelOV
武田信玄が農民を重臣にしてたとも思えないな。
武田って譜代系家臣団の力が強かったから無理だろ。
信虎追放だって甘利、板垣、おぶ等の家臣達に嫌われたから起きたんだろ。
毛利も似たようもん。
家臣のご機嫌とるのに苦労してる。
そんな時にどこの馬の骨ともわからん奴を重臣になんてできないだろ。
618 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 20:11:17 ID:R6fwLfOC
619 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 20:18:37 ID:0foOelOV
>>618 >信長は天下を取るのに最高の境遇を持ちながら
なんて言ってるんだから釣りでしょ。
620 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 20:48:58 ID:Xart7m8X
>>618 ・あの時点で朝倉を攻めたこと。戦略的にも浅井を挟んで飛び地となる越前を攻めるよりは、朝倉にも武田にしたのと同じような儀礼的な態度を見せて、まずは畿内を固めるべきだった。
・朝倉攻めによる浅井の裏切りを予見できなかったこと。
・姉川の戦いでの織田軍が弱すぎること。浅井の4倍の兵力を持ちながら、横山城おさえの美濃衆が駆けつけて浅井軍に側撃を入れるまで劣勢であった。地理的にも兵力的にも織田軍の中から別働隊を迂回させることは十分に可能であった。
・世評の統制を行なわなかったこと。播磨における秀吉・如水の調略がことごとく失敗したのは信長の不評の所為以外のなにものでもない。
・畿内を制圧し、すでに威圧と懐柔によって諸侯を降す時期に入っているのに、信長は磨り潰して滅ぼす政策を止めない。そのせいで秀吉は無用の叱責を受ける。
・家臣の心を取らず、荒木・明智の謀反を招いたこと。光秀の母を見殺しにしたのは特にイタイ。
621 :
587,591,600:2006/01/03(火) 20:53:24 ID:ZvVj4HhI
たかだか尾張3奉行の一家で、まだ尾張統一しているわけでもないのに、外には今川
斎藤という強敵がいて、二十歳そこそこで家督を継ぎ、やっと統一しては5倍だか
10倍の大軍に攻め込まれ滅亡寸前まで追い込まれてどこが最高の環境?せいぜい比較的
京に近いという事ぐらい。
まあでも確かに元就もすごい。智謀は最高にすべき早雲や尼子よりあきらかに格上なので
110〜120くらいか。統率も含め武将としては信長より明らかに上。
しかし何度もいうが「戦争は政治目的達成為の手段」元就の智謀はあくまで
スケールの大きい陣取り合戦、大して信長のはしてきた事跡は「改革」中身はさっき書いた
事。信長の政策は徳川時代まで影響を与えた。元就の行った政策でその後の歴史に影響
を与えたものはあるか?善政クラスでは駄目。当時の日本には改革が必要だったはず。
小泉じゃないが改革には痛みが伴うもの。たかだか郵政改革であれだけ騒ぐぐらいやし。
よって武将としては元就のほうが上だが、「大名」としての歴史的功績は信長のほうが上。
622 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:00:09 ID:pN/HSQF7
>>620 それってさ、全部後の歴史を知っているから言えるヤツじゃないか?
朝倉攻めも飛び地じゃないし。越前は織田領の直接の隣接地域だぞ?
光秀の母を見殺しとか、それ軍記だろ・・・
623 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:03:07 ID:Xart7m8X
>>621 政治については信長が上で異論ないよ。
てか元就も昌幸も如水もたいした政策やってないし。
信長が最高の境遇ってのは言い過ぎた。
尾張統一後のことしか考えてなかった。
しかし、桶狭間の戦いは博打みたいなものだから高くは評価できないな。
天候と義元の休息場所一つで成否が別れるレベル。
624 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:07:34 ID:v37IGw6j
>>620 は極度に顔面が変形している貴兄である上に重度の池沼なので相手にしない方が吉
625 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:07:54 ID:ZLAfzES3
>>620 光秀の母親を見殺しにしたってw
あんた、痛すぎるよw
あんなアホな俗説を信じられるやつがいたとは・・・
どこが丹波の山奥の城攻めにわざわざ老いた母親を連れていった
しかも人質にするバカがいるんだか・・・・
626 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:10:26 ID:HOLwfPa0
秀吉主役か光秀主役の小説でも読んで
偏った思想を巻き散らしたような文だな
>>620
627 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:13:29 ID:Xart7m8X
じゃあその二点は削除で。
628 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:14:33 ID:Xart7m8X
てか、過程はともかく、村重・光秀の反感を買ったのは間違いないがな。
629 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:16:12 ID:ZLAfzES3
あと姉川の戦いについても
織田の苦戦は江戸時代に入ってからの
徳川の書物によるもので
どの程度本当かは疑問視されてる。
それに結局は美濃勢の活躍で勝ったんだし。む
630 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:25:30 ID:Xart7m8X
>>629 その異説は知ってるけど、兵力差は圧倒的だったんだから完全なる優勢なら苦戦説は出る余地がないだろう。
そもそも朝倉1万を徳川5千が破ったから勝てた戦だし。
631 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:25:32 ID:MOVAkIJX
長政・村重・光秀の裏切りは信長の生涯における痛恨事といってもいいと思うが、
具体的に信長のどの能力をマイナスするべきかというと難しいな
三国志でいう「悪名」みたいなポイントがあって信長の基本値が異様に高く設定されてる、
とかなら表現しやすいのかもしれないけど・・・
あえていうなら裏切りを予想できなかったとして知略がマイナスされてるのかね
632 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:31:04 ID:ZLAfzES3
>>630 おいおい「異説」というような怪しげな説じゃないぞ。
結局は序盤に攻めこまれたとしても織田が勝ったわけなんだし、
単に浅井が前半に攻めて疲れて撃退されただけとも言える。
必ずしも徳川がどうたらこうたらとは言えない。
633 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:34:38 ID:MOVAkIJX
徳川さんの捏造のせいで後世の歴史好きがみんな迷惑してます
634 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:44:52 ID:ZLAfzES3
なんか川中島の戦いで秀吉が「前半は上杉の勝ち、後半は武田の勝ちで引き分け」
なんてアホな事を言った話しを思い出した。
そんなアホな評価はない
どちらが最終的気に勝ったかで戦の勝敗は決まる。
野球で言えば7回くらいまで8−0でAというチームがBというチームに
圧倒的に勝ってたとしても最終的に
Bというチームが10−8で勝てばBの方が勝ちなんだよ。
あるいはマラソンに例えれば
浅井は百メートル走みたいに全力ダッシュして
途中で疲れて負けただけ。
「浅井が序盤は押してたから」なんてのは
たいした評価にならない。
635 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:45:54 ID:Xart7m8X
>>632 まあ最終的に勝った戦だから信長の評価を下げるわけじゃないけど、2倍の敵を破った徳川軍の活躍と比べるとやはり見劣りするよ。
織田軍は浅井軍の4倍の兵力あったし。
織田軍が優勢だったとしても、徳川軍が早くに朝倉軍を破って浅井軍に槍をつけたのは本当だろうし。
さすがにそれは捏造ではないだろう。
636 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:50:35 ID:ZLAfzES3
>>635 でも徳川には美濃勢など織田の一部が応援してたんだが。
徳川の書物では美濃勢の力を借りずに徳川は勝ったみたいな
書かれ方をしてるがどこまで本当なんだか。
637 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:52:41 ID:cjprCwth
>>620の挙げた例っても、信長は本能寺を除く全ての状況を打破してる訳だから、
殆ど無意味だと思うけどね。
言ってみれば100中90点取った人物に対して100点を取れなかった事を責めてるだけ、
結果として天下統一が見えるところまで領土を拡大した信長がそんな評価だったら、
他の人物の評価なんて悲惨なことになる。
秀吉・家康といった天下人位しかまともな能力持つ奴居なくなる。
638 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:52:46 ID:NY7M0GuD
姉川は捏造
639 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:55:21 ID:Xart7m8X
>>636 美濃勢って最初は横山城を囲んでたんじゃないの?
横山城からは織田・浅井の戦いの方が近いし。
始めから美濃勢の一部が徳川軍に与力していたんなら別だけど。
640 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 21:59:18 ID:NY7M0GuD
徳川マンセー史観一覧
@清洲同盟
A姉川
B築山
C信康処断
D対秀吉
E関が原
641 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:00:11 ID:ZLAfzES3
>>639 まあ、その辺がどこまで本当かわからないんだよね。
あと、ついでに言うと徳川の二倍の軍勢持ちながら
ちょっと横槍入れられたくらいで壊走する朝倉が弱すぎた。
642 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:01:05 ID:Xart7m8X
>>637 >100中90点取った人物に対して100点を取れなかった事を責めてる
例えには限度があるけどその例えはおかしいだろ。
「模試の判定A判だったけど受験に失敗した」の方が適当。
栄華を極めた自分に驕って失敗するのはよくあることだ。
>>616に反論して欲しいね。
643 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:19:21 ID:jxx86KAq
>>635 徳川が単独で朝倉を破った、ってのがすでに江戸時代の捏造なんだが。
さらに浅井が信長の陣を12段まで破ったとかいうのも。
それから、元就を随分と持ち上げているけど、両者はその目的が違うので単純に
比較評価はできない。
元就はあくまで自家の勢力拡大が目的だった。極論すれば自分が大きく栄えれば
他はどうでもいい。これはほとんどの他の大名も同様。
一方信長は初期から天下布部を目的として行動している。その戦略は当然他とは
異なる。たしかに、領土を拡げるだけならもっと有効な戦略はあっただろう。
しかしそれでは信長の目的は達成できないのだ。
なんというかね、空母赤城と戦艦大和を比べてどっちがどうの優れているのと
言っているようなもの。
644 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:26:13 ID:ZLAfzES3
>>642 最後が駄目だったらなにもかもダメなら、
カエサルもナポレオンもダメだが。
始皇帝も破滅はしなかったが宦官にまかせて腐敗してしまったし。
英雄と言われる人物の多くが最後はダメだね。
645 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:29:09 ID:ZvVj4HhI
>>642 616、620に対する反論は一杯書いてある。ちゃんと読め!
646 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:38:31 ID:e5JCVypQ
山内一豊は強くなったりする?
647 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:41:58 ID:1M2wWANI
長宗我部好きから俺いつも一豊だけは残首するよーとか自慢げに言われてるからあんま変わらん
648 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:42:08 ID:Xart7m8X
>>643 浅井が信長の陣を12段まで破ったのが捏造なのは知ってる。
俺は歴史学者じゃないので詳しく知らんが、徳川が単独で朝倉を破ったのが捏造かどうかはまだ確定事項じゃないだろ?
天下布武目的が領土拡大において不利になる点を教えて欲しい。
天下布武するにしても全国を制圧しなければいけないことには変わりないし。
いや、てか
>>643は
>>616の反論にはなってないんだけど。
あと、比較にならないと言ってもここは比較するスレだし。
>>645 >>616の反論ってどれ?
信長の境遇が最高ってのは
>>623で訂正したよ。
しかし境遇の悪さを考慮するべきという俺の主論への反論はまだないだろ。
649 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:47:14 ID:vpHnaVGP
>>634 戦には、洗練されたスポーツのような明確な勝敗のルールは無い。
これは、大坂の陣で徳川家康が討ち取られているにも関わらず、
徳川が勝者と目されたことからもうかがえる。
650 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 22:50:05 ID:NY7M0GuD
>これは、大坂の陣で徳川家康が討ち取られているにも関わらず
は?
651 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:23:12 ID:DsdSx5qy
ノブヤボ版 武将の能力値について熱く語るスレにあったテンプレ(参考にどぞ)
戦術 一隊を率いる指揮官としての強さ。自分の率いる部隊の攻撃力・防御力に影響。
訓練を行った時の訓練度の上がり方に影響。
30台 実戦未経験。あるいは凡将相手に稚拙な敗北を喫した。
40台 実戦にしばしば参加したが、名を連ねているのみであった。
50台 実戦にしばしば参加したが、特筆すべき失敗も功績も無かった。
60台 戦歴豊富で小さい功労を重ねた。
70台 戦歴豊富で小さい功労が重ねた。大きな功を立てたこともある。
80台 戦歴豊富で数多くの大功を立てた。
90台 少数で多勢を撃破し、戦術で戦略を引っ繰り返した。
戦略 戦場で事前に有利な布陣を行ったり、攻城戦で工作を仕掛けたりする能力。
総大将になった時の全軍の機動力。1ターンで命令を下せる回数。
戦略の低い武将が総大将・軍師だと、満足に命令が出せず、各部隊は勝手に動いたり、ボーッとしてたりする。
30台 作戦立案未経験。あるいは凡将相手に稚拙な過ちを犯した。
40台 軍師・総大将としてしばしば戦争に参加したが、名を連ねているのみであった。
50台 軍師・総大将としてしばしば戦争に参加したが、特筆すべき失敗も功績も無かった。
60台 軍師として良く大将を補佐した。総大将として、適切な判断を行った。
敵の行動を看破した経験がある。
70台 軍師として良く大将を補佐した。総大将として、適切な判断を行った。
困難な作戦を成功させた経験がある。
80台 軍師・総大将として数多くの困難な作戦を成功させた。
90台 歴史に残る大作戦計画を成功させ、物理的不利を戦略で引っ繰り返した
652 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:24:05 ID:DsdSx5qy
政務 内政値を上げたり維持したりするのに必要な能力。城主の政務が高いと、税収に補正。
政務の高い者を内政・築城関連の奉行にすると、費用が安くなる。
政務の高い者を小荷駄奉行にすると、兵糧消費が減る。
30台 政務・補給未経験。あるいは素人でもしないようなアフォな失政をやらかした。
40台 政務・補給を担当したが、名を連ねているのみであった。
50台 政務・補給を担当したが、特筆すべき功績も失敗も無かった。
60台 政務・補給を担当して有能と称された。
70台 政務・補給を担当して有能と称され、大規模な内政・補給計画を担当して成功させた経験がある。
内政・補給システムの部分的な効率化に寄与した。優れた政策を立案した。
80台 数多くの大規模な内政・補給計画を実行して成功させた。
革新的な内政・補給に影響を及ぼすレベルの新制度構築・制度改革を成功させた。
90台 歴史に残る内政制度構築や内政改革を主導して、成功に導いた。
政略 外交交渉・戦場以外での謀略の成功率に影響。
この能力が高いと、ムチャな協約を強引に飲ませたり、謀略で敵国を切り崩したりできる。
30台 交渉未経験。あるいは大きな過ちを犯した。稚拙な謀略に引っ掛かった。
40台 交渉を担当したが、名を連ねているのみであった。謀略に数合わせで関与した。
50台 交渉を担当し、特筆すべき功績も失敗も無かった。
謀略に関与したが、特に足を引っ張ることも成功に寄与することも無かった。
60台 交渉を担当して有能と称された。謀略の計画・実行に関与し、成功に寄与した。
交渉相手の政治的思惑を看破した経験がある。謀略を看破した経験がある。
70台 交渉を担当して有能と称された。謀略の計画・実行に関与し、成功に寄与した。
困難な交渉・謀略を成功させた経験がある。
80台 数多くの困難な交渉・陰謀を成功させた。
90台 歴史に残る交渉・陰謀を成功させた。
653 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:25:23 ID:DsdSx5qy
※補足
・30以下の能力は「ド素人の方がまだマシじゃ」と言うレベルの香具師に進呈のこと。
・自分より能力が高い奴や、勢力が大きい奴に戦で負けても、負けるのが当たり前なので、失点とはしない。
上杉謙信とガチで戦って負けたり、信長の大軍に土豪レベルの戦力で挑んで、
ひねり潰されて減点されるのは可哀想だ。ただし、とんでもない失策があった場合は減点対象。
・一生に一度だけ、弩級の活躍をする一発屋がいるが、それだけでそいつの能力を判定はしない。
このテンプレは、あくまで長期間、コンスタントに活躍した場合のもの。
他の場面でパッとしたところが無ければ、能力値+10程度に留める。
与えられた条件が変わらないのに生涯の前半と後半で活躍ぶりが違いすぎる奴は、足して二で割る。
・一流武将や、自陣営より圧倒的に戦力が大きい大名家相手に数年レベルで善戦したら、
「負けて当たり前なのによく頑張った」と言う事で加点対象とする。数十年レベルで善戦したら、もっと加点。
このスレで使えそうなので拾ってきた
654 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:25:53 ID:0olCubAe
各能力値が10未満の人ってどういう基準でそういう評価になったんだろう
655 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:27:13 ID:jxx86KAq
>>649 信長は、親父の代でも尾張一国の暫定的代表者、自分に代替わりしてからは
ほとんど全ての味方がそむいた状況から日本の半分を支配するにまでいたった。
ちなみに真田はたしかに地方の一土豪しかも幸隆の代には所領を失っていた
流浪の身、そこからのし上がったのは見事だが黒田の家は播磨守護赤松家の
庶流小寺家の家老の家柄。立場としては守護代の奉行の家柄だった信長の家
よりもわずかだがマシともいえる。
そんな両者の業績はかたや天下人かたや一大名。にもかかわらず評価はかたや
境遇を生かせなかった失敗者でかたや生まれ持った境遇を最高に生かした才能
の持ち主。
なにこの差は?
656 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:31:35 ID:0olCubAe
本能寺の場合は、信長が悪いんじゃなく光秀がすごいということで。
その光秀を瞬殺した秀吉はもっとすごいということで。
657 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:38:21 ID:k9U2S3Zt
黒田家が家老になったのは如水の父親からでしょ、もともと薬売りや金貸しをしていてその金で家臣を雇い赤松家に仕官したとなにかで読んだ気がする。
658 :
名無し曰く、:2006/01/03(火) 23:46:45 ID:GG6Cr4C1
さすがに黒田が織田より恵まれてるは言い過ぎだ
659 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:04:56 ID:cbssbM3m
>>658 それは言いすぎですねたしかに。ただ、スタート時の立場・状況はそう変わりは
しないというのは事実です。
もっとも、この状況やら境遇やらはそれこと見る人によっていくらでも評価は
変わるといういい例でもありますが。
660 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:16:34 ID:7DuKLnEU
>>659 いや言いたい事はわかるよ
ただ黒田は世間で言われるほど天下に野心があったとは思わないので、あんな結果も妥当かと。
チャンスが転がってれば拾いあげるが、自ら積極的に動く事はない印象だ。
まあ人それぞれ感じ方は違うだろうけどね
661 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:38:39 ID:TX2i6jrQ
すげー遅レスなんだが、
>>69の右近が「筒井の右近左近」の右近ならうちの親戚的先祖ですな。
一応、島左近と並び称される戦上手だったらしいけど、筒井家家臣ということで能力は非常に低いですな。
右近が臨終の床で左近に筒井を見限るように言わなければ島左近も歴史の表舞台に立てなかったかもしれん
かったんだがね。
やはり高い能力の条件は知名度なんだろうね。前田慶次も漫画に出てくるまで低い能力の武将だったのに。
662 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:40:13 ID:en9Vr09/
前から何度も言われてる事だけど、生まれた時の状況や環境は能力評価で参考にはすべきだけど、
基準にはなりえない。まず秀吉や元就の能力にその点がなんら加算されてない時点でコーエーの評価基準にも
入ってないのがわかるし、また生まれた環境が良いからといって必ずしも状況も良いとは限らない。
北条家なんかはそこそこの大きさを持っていたが、この家は存在そのものが
関東大名から敵視され、将軍家とも無縁に行かざるをえないなりたちなんで、
とにかく敵の増えやすい中で守り抜いていかなければならない大変さというのはまた別物だ。
信長だって信玄だって領土が拡大してからの方が余程苦しんでるわけで。
その一番極端な例が足利義輝だろう、あれだけ賞賛される剣技と気概があった人物なのだから、
むしろどこかの大名の一被官だったらもっと猛将として活躍できていたのかもしれない。
なまじ将軍という立場ゆえにあんな運命になったという感じはぬぐえない。
663 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:53:04 ID:7DuKLnEU
松倉重信か
島清興は有名になったからな。
キャラゲーの性格が濃いノブヤボでは島が強いのは当然と言えば当然だが、
対になってる松倉ももう少し強くてもいいかもな
せめて65は欲しい
664 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 00:53:24 ID:5J/PjWhK
左近って三方ヶ原じゃ普通に山県軍に客将として参加してるけど
当時身分の高い人の武者修行ってのは一般的だったのかいつも疑問に思う
665 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 01:04:01 ID:bSUclzoM
>北条家なんかはそこそこの大きさを持っていたが、この家は存在そのものが
>関東大名から敵視され、将軍家とも無縁に行かざるをえないなりたちなんで、
詳しく教えて。
666 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 01:13:06 ID:+reWCarP
>>642 616の反論のつもりで621を書いたつもりなんだけどな。元就の「陣取り合戦」
と信長の「改革」ではレベルが違うという事。多少の失点は問題ではない。
問題は何にむかって行動してたかという事。
まあ確かに元就がもう少しいい環境に生まれ20、30代で厳島だったらもっと
「天下」とか「改革」に向かった行動をしていたかもしれないが、それは意味ないし
元就の事跡を見る限り、そのような思想はなく単に「陣獲り合戦」。
この点において信長は一段上に見るべき。そもそも信長が元就だったら大友とケンカ
なんかせず、そのまま残り少ない寿命を東進につかっただろう。それこそ長門一国
ぐらい譲るぐらいしてでも(桶狭間後、草刈場の今川を狙わなかったことからも、同じ
事は川中島にもいえる)
667 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 01:21:38 ID:SYsrVCS1
>>662 実際、足利義輝は何度も三好長慶と戦っては負けの繰り返し(相手が悪かっただけかもしれんが)
だったし兵を率いる才能はあまりないように思える
俺は奴は
>>94辺りにも挙がっているように過大評価の部類に入ると思う
668 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 01:29:13 ID:iJSe1yNs
669 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 01:52:07 ID:XloFJNCx
>>666 今川を自分で攻めなかったのは家康がいたからじゃね?
抑えの家康がいなかったら全力を斎藤侵略へ向けることはできなかっただろうし。
>>623でも書いたけど、
統率・智謀:元就>信長
政治:信長>元就
なら何も異論はないよ。
670 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 03:16:58 ID:3nhYgClb
陶がバカで陸じゃなく厳島に来てくれただけで元就の方が上なの?
671 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 03:42:17 ID:LMuu99FL
>>665 始祖の早雲に話は遡るんだけど、関東はもともと京からも遠く、
間に木曽や箱根など大きな山脈も連ねて地形的に近づきにくく、
荒くれ者が多く(山の東の向こうにいるから坂東武者等と呼ばれた)
歴史的にも鎌倉の存在は大きく、京と言えども手の出しにくい土地だった。
その中で関東を押さえる為に存在したのが関東公方だったんだけど、
上記のような歴史を重ねてきたため、抑制は効かず、関東管領の上杉家同士で
喧嘩を始めてしまっている状況だった、そのため、両上杉家の親類に連なってのし上がってくる
土豪等(三浦家や大森家、長尾家、太田家など)も大きくなり、完全に群雄割拠となってしまった。
そこで京は関東を押さえるため、伊豆に新たな公方を作り、伊豆公方を名乗らせ
関東を牽制する役目を負わせたが、中途半端な土地な上に、
それほど力のない公方だったため、箱根を東に超える事は難しく、
結局そこで居座る事になってしまった。
長い前振りになってしまったがこの前提をわかってもらえないと話の意味が無いので、容赦して欲しい。
で、その後に早雲が登場するんだけど彼は元々幕府の執事を務めていて、
応仁の乱のきっかけになる将軍弟、義視に仕えていたが、経緯はともかく応仁の乱の混乱で
駿河に流れてきて、今川家の宰相となる。まぁこの後の細かい経緯は本題と外れるので省くけど、
つまり早雲は幕府膝元の伊勢家の被官でありながら、それに見切りをつけ、
今川家では幕府よりの人間を取り除き、氏親を担ぎ上げ、その力を借り、伊豆の公方を排除し乗っ取った
この時点で京の幕府に対しては完全な敵対行為であって、当の早雲もこの時点で最早幕府に対する
敬意などないだろう。
だがその後彼はガンガン進軍を始め、上記で述べた関東の管領つながりの土豪を
次々と倒していき、関東に基盤を築きあげた、しかしこの時点なら未だ関東公方は敵ではないし
管領上杉系列も敵対した山内上杉はともかく、扇谷上杉は味方なのでまだ悪くはないが、
二代目氏綱は幕府を敵視し京は捨て、鎌倉建て直しを謀ったまでは同じだが。
管領上杉の離反を企み、またそれまで良好だった関係の今川とも関係が悪化(氏親の死が大きい)
その結果扇谷上杉とも関係が悪化、領土は拡張したが、公方も敵に回す事となった。
こういう流れから北条の姓を名乗り、鎌倉を立て直し、京も公家も将軍も公方も
完全に捨て、民のための政治を確立させる事で、関東に一大帝国を築き上げる事を目標とした。
が、この時代の為政者にとって「民のための政治」と言うもの自体が
邪魔な考えであって、それだけでも敵対するに値する。
将軍を祀り上げる権力者の意識の中には「偉い人に認めさせ、民の上に立つことで
民から搾り取る権利を得る」と言う考え以上のものではなく、
民と共に生きていくと言う思考自体ほぼ無かった時代だと言う事は付け加えておく。
以上氏康が北条家を継ぐまでの大雑把な成り立ち、記憶に頼ってるので細かいところは容赦して。
これを引き継ぐという重圧はまた別物だと思うわけですよ。
ちなみのこの経緯から長年争ってきた関東管領両家も公方も一致団結して河越に攻めてきた所から
氏康の戦いは始まっていく。
672 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 04:12:27 ID:IYcpChXy
>>666 桶狭間時点ではさすがに信長だって陣取り合戦だよ、天下の思想なんて余裕は流石にない。
美濃は余りに大きい、あの時点では義龍を中心にまとまっていた上に義龍は信長を嫌っていた、
対抗するために少しでも領土は欲しかったはずだし、実際信長は桶狭間後は
今川も徳川も含めて三河を攻めてたはずだが、三河衆の抵抗がありうまくは行ってなかった様だ。
そこで情勢が変化して戦後1年で義龍謎の病死、ここでチャンスとみたのか、
半年で家康と清洲同盟を結び、逆に美濃に対して動き始めている。
その5年後に龍興を追放して美濃を手に入れるわけで、流石に天下を思いえがき始めたのは
この辺りからではないかと。
>>667 過大評価なのは同意、でも正直「評価のしようが無い」と言う意味で過大評価だとは思うけど、
あの情勢じゃ兵を率いる才能もクソもないと思う。
所詮は一揆レベルの反乱程度しか起こせてないんだし、味方も極端に少ない。
いち早く京から離れて宗滴がいる間に朝倉家に転がり込めたら面白かったかもしれない。
673 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 04:38:39 ID:7ns76/8A
>>613 >兵農分離に関してですが、確か北条は法螺貝やら鐘がなると農作業をやめ槍もって城にいく
>みたいな事を読んだ覚えがありますが・・信玄物に関しては今まで色々本よんだつもりですが
>兵農分離したみたいな事は一度たりとも読んだ事ないですが?
それは織田も全く同じで兵農分離してなどいなくて
旧態然とした大名との違いは、在地から離れて遠征できるかどうかの違い。
あと大内は何年も上洛しているよ。
674 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 04:46:04 ID:7ns76/8A
>>666 大友との交戦は大友の北九州への野心が原因で避けられるものじゃない
尼子との両面作戦は出来る限りの手段で回避しているし、信長より上かと。
>桶狭間後、草刈場の今川を狙わなかった
そう劇が起こったから草刈場になったのであって
状況からして味方になる可能性が高い松平を敵にまわしてまで
今川領を狙うことは、元就だろうと信玄だろうと100%無い
675 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 04:51:01 ID:QEdSqpSI
>>611の
>信長以外に農民だの素浪人だの忍者だのを最重役にまで取り立てたのはいるか?
宇喜多直家、毛利元就、武田信玄。他家にも色々いるでしょ戦国時代なんだから
はどうなったの?
誰のことか気になって眠れません。
676 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 05:10:35 ID:7ns76/8A
岡、長船、いずれも出自は武士ではないですが‥高坂も
677 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 06:07:37 ID:RNBTsZh0
>>672 信長がいつから天下を目指していたか?については諸説あるが、
俺はやはり20代のころからその構想はあったと思う。
でなくば、美濃併合から1年なんていう、とんでもないスピードで
上洛を敢行するなどできんだろう。信長は決断力が高い人間だが、
同時にかなり慎重な人間でもある。そんな男が上洛などという
大事業をやるのだから、当然、美濃併合のかなり前から、
政治的、軍事的な準備があり、精神面でも決意が固まっていたと見るべき。
678 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 07:06:52 ID:WhKwuvQv
北鼻は暗愚扱いされるけど、かなりのやり手……
679 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 07:20:53 ID:iJSe1yNs
>>675 信玄はほとんど譜代の家格の高い人間を重用してるしな。
例外は小姓上がりの高坂と勘助くらいだが、
小姓を取り上げるのは結構ありがちだし、
史実の山本管助はたいした地位でもなかったし。
>>676 いや、高坂は一応、下級いや中級くらいの武士の子だが。
680 :
679:2006/01/04(水) 07:23:34 ID:iJSe1yNs
あと「小姓あがり」ってのは
男色相手って事ね。念のため。
高坂は男色相手って事で
信玄相手でもズケズケものを言うので有名だった。
681 :
675:2006/01/04(水) 07:56:16 ID:QEdSqpSI
>>679 高坂と信玄がそういう仲だったのは知ってます。
でも秀吉みたいな農民で何のコネも無かった人とは違うと思います。
あと思い当たるのは大久保長安ぐらいしかいないんですけど、
そんなに偉い方では無いですよね。
岡、長船はどういう出自の人だったんでしょう?
Wiki見てきたけど出自については書いてなかった。
でも直家はドンゾコまで落ちぶれた状態から這い上がっただけあって
身分とか関わらず登用しそうですね。
毛利は井上元兼とかの権力が大きかったとか
署名上を丸くして主と上下のないように記入したとか見たことあるんで
かなり家臣達に気を使ってたイメージがあるんですけど、
あと、大内が譜代をないがしろにして相良武任を重要して滅んだのを目の辺りにしてるから
同じことのおきないよう気をつけてたイメージあるんですけど
誰かいましたっけ?
682 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 08:08:08 ID:7ns76/8A
>>679 >いや、高坂は一応、下級いや中級くらいの武士の子だが。
その新事実を伝えているのは、何ていう小説?
683 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 08:25:30 ID:RNBTsZh0
藤堂高虎が足軽上がりじゃなかったか?
684 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 09:03:11 ID:0wP+8KyN
>>681 井上元兼は調子こきすぎたので元就に殺されたんじゃなかったっけ
685 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 11:40:32 ID:5J/PjWhK
>>684 尼子における新宮党と似たようなもん
家臣をまとめるために殺された
686 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 11:55:18 ID:FntDKMrk
>>579 ・横山城との連絡を断とうと宮部城に攻めてきた朝倉・浅井勢を防ぎ、
秀吉の援軍到着と共に討って出て浅井・朝倉勢を撃退。
・但馬攻めで生野銀山を確保し、山口城・竹田城を落として養父・朝来両郡を平定。
・鳥取攻めでは蜂須賀と共に鹿野城を陥落させ、
鳥取城・雁金山陣・丸山陣の内雁金山陣を陥落させる。
・山崎の合戦の際には山本山城を落とす。
・根白坂では島津勢を撃退し、高城を攻めて多くの武将を生け捕りにする。
この時に秀吉から感伏を貰う。
ちょっと遅くなったけど、これが宮部の主な活躍。
但馬攻めの後に但馬豊岡を与えられたり、
鳥取攻めの後は鳥取城城主として任命されたり、
秀吉の五奉行としての署名もあったり、宮部はかなりの重要人物だよ。
687 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 15:13:49 ID:7UPheDjd
武家家伝によれば高坂昌信は伊沢の大百姓、春日大隅の子供とある
まあ苗字を持ってるあたりただの百姓というわけではなさそうだが
688 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 15:18:38 ID:7ns76/8A
岡は譜代でした‥
岡でなく戸川の父が浪人。
689 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 16:09:59 ID:vPFpEfg6
>>642 >「模試の判定A判だったけど受験に失敗した」の方が適当。
そうは思わない
模試の判定は所詮模擬に過ぎないけど、信長が拡大した領土、実行した施政は現実のものだし、
天下統一への道筋を切り開いたのは間違いなく信長そのもの、
それを模試の判定に例える方がよほど不適切。
毛利元就も一角の人物であるけど、所詮中国地方に割拠した
大勢力の一つを興したに過ぎないからね、
それに元就も大友と戦いながら筑前を放棄して終った事もあったし、
君が思うほど非の打ち所が無い戦略・戦術でもないから、
中央で大勢力を築き上げ、天下統一路線を作り上げた信長と比べると見劣りする。
>攻め取った領土の大きさなどは所詮結果論
境遇の差はあれど、勢力拡大は大名ひいては武士にとっては最大の功績だからね、
これを結果論とだけに位置づけてる、貴方とは多分話が噛み合わないと思うけど。
まあ本能寺は信長最大の落とし穴だけど、突発的な事故の側面もあるし、
信長の後継者として台頭した秀吉が天下統一した事を鑑みれば、
信長の功績の偉大さ大きさをかき消すほどのもんでもない。
690 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 16:34:11 ID:DQl0KJKm
>>684 >>685 もっと適切にたとえれば、鎌倉政権における北条一族みたいなもの。
井上氏の庇護下で育った元就の家督相続は彼ら(光兼?)お膳立てによるものだし、
安芸の国人層をそれまでの自立自存から毛利主導の共同体制に組み替えたのも
ひとえに井上氏の尽力あればこそ。
これを切った元就の先見性を高く評価したい所なんだが…
俺は陰謀論を採りたいw
元就が毛利家乗っ取りに成功した手法、当主とその嫡子の暗殺という
両川乗っ取りにも使われたドス黒い諜略は、実は元就&井上氏の共同犯行じゃないだろうか。
「猟禽尽きて走狗煮らるる」
もはや用無しとなったと同時に重大な秘事を知る共同犯の誅殺。
井上一族粛清のあと、元就の戦略は正攻法に変わるんだよなあ。
691 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 16:59:18 ID:WhKwuvQv
尼子って毛利に負けた糞雑魚でしょ?
なんで晴久が統率60代もあるの?死ね
692 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:07:34 ID:7ns76/8A
>>689 >まあ本能寺は信長最大の落とし穴だけど、突発的な事故の側面もあるし
境遇の差を軽視して、結果である信長の勢力拡大を過大視するのに対して
本能寺で討たれたという結果を、突発的な事故の一言で片付けるのは詭弁だと思うが。
693 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:10:02 ID:u+8w5ogb
>>677 まぁ信長の意思がどこに向いていたかなんて、信長に聞くしかないわけで、
断定は勿論できないけど、20代と言ってもどの辺かは微妙。
信長が30歳になるのが1564年、美濃の陥落が1567年。
1564年と言えば犬山が陥落した辺りでかなり美濃の中心部に迫っている辺りなんで、
確かにこの時点ならば天下も見据えていたと俺も思う。
だが20代ってのが桶狭間以前と言う意味ならば、まず無理としか言えない。
美濃陥落から1年ってのは余り関係ないよ、そもそも義龍が死んだ直後の
森部の戦いで墨俣辺りまで奪い取ってるんで、既に趨勢は決まったも同然。
(だから墨俣一夜城は真偽以前に必要なかった可能性が高い)
そこから6年かけて美濃を力攻めだけでなく内部崩壊も合わせて味方にできる所はしっかり
慎重に固めて行ってるんで、その間に天下への方向性を見定めたと言うのが俺の思うところ。
それだけ美濃は大きく豊かだったわけで、その力を実感した信長が天下を見定めたと言うのが、一番自然。
ただ織田家は信秀の頃から朝廷に対する干渉を律儀にこなして上洛の意思のあった大名なんで、
そういう意味で昔から上洛志向があったというのは事実だと思う。
だがそれだけに上洛への政治的準備は信長一人でできた事ではないよ、父の尽力があったからこそ
あれほどの速さでスムーズに事が進んだ。
余談だが信秀もかなり優秀、小豆坂の大勝利を考えると、桶狭間の時に信秀だったとしても
やはり勝っていた可能性はかなりある。
694 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:13:56 ID:XloFJNCx
>>692 同意。
>>689 そもそも既に2回も大きな離反に遭ってるんだから、本能寺の変が突発的事故とはとても言い難い。
695 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:25:15 ID:XloFJNCx
>>693 余談で書いてるところに対する意見で悪いが、
桶狭間の戦いで信長の評価できる点は、「寡兵で大軍に攻撃をかけた」という「勇気」のただ一点のみ。
その後は勝っても負けてもただの運。
評価の別れ目は出撃したか篭城したかの選択肢だけで、優秀な武将なら信長以外でも勝てたとかが問題ではないよ。
696 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:50:14 ID:RwJbhcFY
元就厨はやたら桶狭間を運ってことにしたいみたいだけど、厳島のほうが運だけだぞ。
697 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:54:15 ID:u+8w5ogb
>>695 わざわざ余談に意見つけてるんなら小豆坂合戦を見てもという点も見て欲しかった。
優秀な武将だから書いただけではない。
信長時代とさして変わらない兵力で信秀は大軍を迎え撃ったどころか
三河に攻め込んだのよ、これが小豆坂合戦、相手も同じく今川義元、に
勇将、太源雪斎+松平清康が相手。
そもそもあの場面で信長が城を打って出て攻撃をかけて勝ち目を見出せたのは、
父が勝っているという前例から来る自信も確実にあったはず。
そういう前例を創り上げた信秀も間違いなくあの場面で打って出たと思われる、そういう男だ。
だからこそ書いたので桶狭間で勝っていた可能性が高いとかいたのは
優秀な武将だからと言う意味だけではない。
698 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 17:58:13 ID:5J/PjWhK
>>691 晴久は陶隆房と戦うまでは無敗ですがな
あと家督相続後積極的に東に進出して領土広げてるんで少しは評価してやってください
699 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:02:41 ID:RwJbhcFY
元就は隆元をあっさり暗殺されてるけど、この辺は当然マイナス点ですか?
700 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:03:02 ID:onfyCmfi
>>695 桶狭間の戦いの兵力差なんて、まったく信用できない。
兵力なんてものは、石高な異存する。
今川義元 駿河 150,000石
遠江 255,160石
三河 290,715石 計695,876石
織田信長 尾張 571,737石 計571,737石
さらに、三河には織田の外様水野氏などの領土もあった。
その上、織田が地元で、今川軍が遠征軍だったことを考えれば、ほぼ五分だったと推測できる。
戦史上、奇跡の大逆転という奴は、両軍の国力をみるとありえない場合がほとんどである。
桶狭間の戦いは、織田が今川の大高城を兵糧攻めにしたことで、今川軍が救援にやってきたのだ。
通説とはまったく違い。織田軍は余裕を持って対処できたことだろう。
ちなみに石高は、以下のサイトを参考にした。
ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/ikusa/okehazama.html
701 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:07:55 ID:vPFpEfg6
>>692 と言っても本当に突発的だからね、
光秀を苛めていたってのは俗説から来るものだし、
朝廷が動いたって話も証拠が無い、つーか光秀本人がそれを主張してない。
いまだに何で光秀が謀反したか諸説紛々、
まあ傍から見てもよくわからんっていう結論しかない。
光秀の「野望」って話もあるけど、あまりに計画性の無い行動だったし、
突発的な事故と評するほか無い。
まあ>側面もある、と書いたように、脇が甘かったのは否めない。
>>694 二回というと浅井と荒木?
浅井の件はある程度予想しなくてはいけない事だった、
また予想できない事では無かった(信長は心外だったみたいだし)
荒木には裏切られてるけど、信長本人にとっては致命的では無かったし、
(まあ上記二つの件は、信長は結局は乗り越えてるからあんま無意味な失点)
いまだに何で裏切ったかもわからん光秀と比較するには状況が違う。
>>695 梁田弥次右衛門が義元が本陣に居る情報を信長に伝えたって話もあるから、
単に勇気だけ評するのはどうかねぇ...。
702 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:13:21 ID:7ns76/8A
>>700 桶狭間の功績を否定するつもりは全く無いけども
その時点だと知多半島一帯や沿岸地域は今川へ付いていたらしい。
それに、氏親以来駿遠を治めていた今川家と
数年前に尾張半国を支配した信長では、土地や人の把握度合いが全然違うと思うが。
703 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:34:13 ID:5x7/aEpP
>>700 尾張半国どころか国内ですら四面楚歌だったはずなんだが、そのころの信長は
どこかで当時の国力差は1/4ぐらいだったとか検証があった気がするが、気のせいの可能性もあるのでヌルーしてくれ
704 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:47:24 ID:XloFJNCx
705 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:47:31 ID:u+8w5ogb
>>701 公記やその他状況を見る限り、
信長が桶狭間時において、義元の本軍を直接攻撃するつもりだったかどうかは
かなり怪しいぞ。勇気だけとは思わんけど、
情報戦に関して言えば桶狭間での信長の情報収集が巧くいっていた形跡は余りない。
無論、本陣を攻撃しようとしていた形跡も無い以上、それを伝えたと言う梁田出羽守も
かなり怪しい、この時点で講談以外には出てこない存在だ。
706 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:50:31 ID:aXo2oWpO
>>691 本来、播磨・備前あたりも尼子領にしてもおかしくない勢力だよ
浦上某なんかは諸勢力扱いで十分なくらい
707 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:52:23 ID:iJSe1yNs
そうだなあ。
信長が家督を継いだ頃は宿老の林ですら信行を支持した程だし。
柴田勝家も信行の家臣だったし、母親も信行支持だったし、
それに信秀存命の頃はその強大な力のためにおとなしくしてた
守護代で名目上の主君の織田信友がしゃしゃり出てきたり、
山口親子が反乱を起こしたり、守り役の平手が切腹したりで、
てんやわんやの大騒ぎの状態でとても「尾張半国を掌握していた」
なんて穏便な状態じゃなかったぞ。
それは「信長がうつけと評判だったからだろう」と
反論する奴もいるかもしれんが、
実際はそれだけではなく本来は守護代の陪臣でしかなかった
信秀があまりにも急速に力をつけたために、
死後の混乱は避けられなかったとも言える。
信長は基本的にはかなり小勢力から身を起こしたとも言えるね。
708 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:56:30 ID:XloFJNCx
義元の本陣が寡兵で攻めきれる場所にあったから良かったものの、出陣時にはそんなことは全く分からなかったわけじゃん。
これを運と言わずになんというのか。
小島に誘導して殲滅した厳島の戦いとは智謀のレベルが桁違い。
709 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 18:59:21 ID:RwJbhcFY
厳島ってのこのこ厳島に行ったほうがバカなだけで、智謀なんていらんだろw
陶が無能なおかげで大内領ががっぽり手に入ったのは超運がいいよ。
710 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:04:23 ID:WhKwuvQv
ほとんどの配下に作戦見破られてるしな
711 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:05:36 ID:XloFJNCx
>>709 馬鹿か。
現実的に考えて、池沼ならともかくまともな人間が見え透いた策略に引っかかるわけがない。
元就の誘導がよほど巧みであったと考えるのが妥当。
712 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:07:34 ID:iJSe1yNs
713 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:08:34 ID:RwJbhcFY
なんで信長は運だけで、元就の場合は元就が巧いってことになるの?
ダブルスタンダード?
厳島なんてどうやったら引っ掛かるのかわけがわからない。
それこそオカから行けばあっさり勝てるのにわざわざ負けに行った陶が池沼としか思えない。
714 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:14:27 ID:XloFJNCx
>>713 陶が引っかかると思ったから、元就は誘導作戦を実行したんだろ。
715 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:16:15 ID:RwJbhcFY
つまり厳島は、元就が優れてるわけじゃなくて、陶がただ無能なだけってことでしょ。
716 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:22:02 ID:XloFJNCx
>>715 有能無能は一事のことで決め付けられることじゃないだろ。
仮にも陶は戦国ではそれなりに有能な部類として評価されてる。
元就は陶晴腎という人間が引っかかるように工夫して誘導したということだ。
717 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:30:45 ID:RwJbhcFY
まさにそのとおりなんだが、そうなると元就が信長の上に来る余地がまるでないですよ。
本能寺ひとつとって信長の失点にしたりはできませんし。
718 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:30:59 ID:zCR8o4xr
陶よりは今川義元の方が武将としての器量も上なんじゃないの?
719 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:39:12 ID:tLAazH9Z
いや、厳島を取られたら、海運は全く機能しなくなる
そのため厳島を先に取ってから、後に他の城をじっくり攻めればいい
と考えても全然おかしくない、というか普通の考え
それを利用しようとしたわけ
ただ、運がよかった部分もある、弘中隆兼等の進言を聞いて
先に桜尾城と吉田郡山城を攻め落とす、そうすれば厳島なんてほっといても滅びる
なんて考えられたらもうおしまい、一巻の終わり
ただ、そうさせないように色々策を練ったわけで、これを評価しないなら他の人間の評価もできないと思う
(陶に関しては普通の人間ってくらいの評価でいいと思う)
ただ、桶狭間が運だけってのもあまり思わなかったり、義元を討てたのまでは運が良かったのだろうけど
ある程度打撃を与えるつもりだったのは間違いないし、もしかしたらその後に何か策があったのかもしれないし
720 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:39:35 ID:XloFJNCx
>>717 だから生まれた境遇を考慮すべきだと言っている。
桶狭間以降の信長はその立地や経済力のおかげで、失策を繰り返しながらも畿内を制することができた。
失策は国力で打ち消したんだよ。
721 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:41:59 ID:XloFJNCx
722 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:49:59 ID:RwJbhcFY
結局厳島は陶が無能だった、に帰着しちゃうってことじゃん。
ただ生まれがどうとかってものすごくアホらしいよ。
元就にポテンシャルがあったって言いたいんだろうしほんとにあったかもしれないけど、
客観的にはそれは証明できないただの脳内妄想でしかない。
723 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 19:54:13 ID:BWE0V0dt
>>720 信長は桶狭間後で言うくせに、元就は家督継いだときからですか。
なんで厳島後じゃないのさ
724 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 20:10:30 ID:v9sV7yVn
>>720立地はともかく経済力は信長の政策のおかげじゃないの?
725 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 20:14:31 ID:5J/PjWhK
厳島って海軍拠点うんぬんよりも厳島神社という存在のほうが大きかったぽいね
726 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 20:25:20 ID:pcsqlv6m
陶って戦術ではそこそこ強かったんじゃないか?
一応、通り名もあるし。
戦略はダメダメだが。
727 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 20:38:07 ID:cbssbM3m
>>720 その国力はどうやって築き上げたんですか?
戦国の世の中、戦争で侵略する以外にどうやって?
「信長なんて数で勝っただけでたいしたことない」なんて言うやつは、尾張の
半国以下、弟と戦った時は一千未満の兵力しか動かせなかった信長が、一国の
支配者を数で圧倒できるほどに成長できたことをどう説明するのかね。
728 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 20:38:50 ID:x2KTBGLS
大勢力を持ちながら一発で頓死した将たち
竜造寺隆信(vs島津)
陶晴賢(vs毛利)
今川義元(vs織田)
同じ兵力差だったらどれが一番組しやすいか?と言われれば
陶じゃないか?
729 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 21:06:31 ID:vPFpEfg6
>>705 梁田政綱が情報云々は確か武功夜話にも出てきてる、
まあそれだけだったら正直微妙なんだけども、
実際に沓掛城を与えられてる事から、
信憑性が無い訳じゃない、少なくとも講談と言い切れる程
如何わしい話でもないんじゃないかな。
信長公記の信長の動きも義元を攻撃を狙ってると見ても、
そこまで違和感は無い、正直どちらにも見える。
まず信長は善照寺まで進んでいるけど、
この信長の善照寺到着を見た佐々等が、“義元”に向って突っ込んでる、
まあ戦った後に50騎ばかし討ち取られて敗退するんだけど(まあ“何処へ”って話)
その後に(信長公記ではその前後を「御覧じて」と結んでる)
信長は家臣の諌めも無視して地形の不利を鑑みずに、
中島砦まで進んでいる、背後の鳴海城も、落されたばかりの鷲津・丸根も
無視して、無謀にも中島砦まで進んでいる。
以上の事から信長公記でも見方によれば信長は義元が居るってわかっていた
かもしれないとする事は出来る。
ただそうなると突撃時の演説は嘘なのか?という問題もあるから、
まあ議論のしどころではあるかもしれない。
730 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 21:18:04 ID:vPFpEfg6
>>720 信長は失敗もやるが、その分成功した時が大きい。
また自身の失敗を覆す手腕を持っている。
例えば朝倉攻めの際にに浅井に離反された事は痛かったが、
それを覆して越前と近江を自分の領土をして大きな+に出来た。
失敗を−、成功を+としてみれば、
信長は−がちょこちょこ、たまに大きな−もあるが、
それ以上に大きな+を出してきた人物、
そういうダイナミックな戦略を取る分危機も大きいのは仕方ないし、
だからこそ、それに見合った結果を出してる。
731 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 21:52:46 ID:iJSe1yNs
結局、陶という男がどうしようもない無能だったとしかお思えない。
「西国無双」とかいうニックネームは
強大な大内軍の有力武将にすえられた事から言われているだけ。
ほとんど軍功なんてあげてないし、
大内義隆の寵童だった事から優遇されてただけ。
732 :
名無し曰く、:2006/01/04(水) 21:59:00 ID:iJSe1yNs
ちなみに今川義元も「海道一の弓取り」とか言われたんだし、
ああいう異名ってあてにならないね。
武将としての能力ではなく勢力の能力で言われてるんだな。
733 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 00:02:02 ID:ZpL2/22x
陶晴賢にしても今川義元にしても、とった戦法はきわめて常識的
嵐の中で海を渡ったり、大軍に正面から突っ込んでくる方がどうかしてる
それが上手くいっちゃったのは、それをやった人間が非凡ってことだろ
734 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 00:34:43 ID:Js6HKLpU
陶晴賢も尼子晴久も毛利のプロパガンダで貶められた点はあるだろう。
ただ陶は他人の意見に耳を貸さない人だったらしいから元々トップに立つ器ではない。
勢力の長としては毛利元就に遠く及ばなかったが、
一武将に徹しきれれば吉川元春クラスにはなったかもしれないな。
735 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 00:54:10 ID:UXwk4+gg
736 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 01:36:10 ID:XBykxFwE
元就厨かっこ悪いw
737 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 02:50:12 ID:kg5Tfk03
織田1500万石vs明智30万石○
50倍の敵に勝った明智が最強でFA?
738 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 03:52:15 ID:dQtdTftB
本能寺の変の時点で織田家の総石高は1500万石も無いと思われ
多目に見積もって精々その半分程度
それをいうなら近江長浜+播磨の一部から天下を取った秀吉が最強
739 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 07:15:57 ID:36ryN1HT
元就厨ってイタイね。
それはさておいて
毛利元就は子供たちに「天下狙うな」と諭したり、
「天下を取れると祈ってやっと中国が切り取れるかどうかだ
中国を切り取れると祈っても安芸一国取れるかもおぼつかない」
と発言したし、
武田信玄は「勝ちは七分の勝ちが良い十分の勝ちだと奢りが生ずる」とか
「一日一個覚えれば一年で365個も覚えられる」とか言ってたが
彼らは頭が古い、そんな事だから天下が取れなかった。
武将としての器量だの能力だのうんぬん以前に
こんな悠長な事を言って居る時点で信長に完璧に負けている。
信長のように天下取りを早い時期から考え、
スピードを重視して、さっさと上洛すれば良かったんだよな。
こういう発想は簡単すぎてまさに「コロンブスの卵」だが
某氏の意見どおり「天才とはコロンブスの卵を見つける者」だと思う。
740 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 07:20:15 ID:36ryN1HT
>>700 凄い大胆な新説だな。武田の記録にも「二万余」と書いてあるのに。
それに当時の信長は尾張のほんの一部しか掌握してなかった。
尾張統一戦は桶狭間以降。
>>738 それ以前に秀吉は百姓だったんだが。
一応、足軽の家系ではあったが、
自分らが耕す田畑しかもってなかったみたいだし。
741 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 08:58:24 ID:jw9jAuzo
しかし子種の秀吉と秀長は大変優秀だった
そしてこの兄弟の子種は薄すぎた
742 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 09:34:26 ID:dEJsbQ05
つーか信長押してるやつは本能寺を無視しすぎ
どんだけ領土とろうと織田家のその後を考えたら安定思考の毛利が上かと
743 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 09:48:58 ID:L+dF6x8M
安定志向がいいならば雑魚の北条強くなるからやめろ
744 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:13:19 ID:dEJsbQ05
うん、だからあくまでバランスね。発展と安定の
そういう意味では北条はダメ。総合力で家康が1位で元就が2位くらいかと。まあ信長、秀吉あっての家康なんでほぼ独力の元就と比べんのは難しいけど
信長は別枠。コイツは特定の能力は200くらいでそんかわりメチャメチャ低いのもある感じ
745 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:30:24 ID:cUA3QGPW
北条が安定志向ってどういう判断基準だよ・・・。
746 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:33:06 ID:dEJsbQ05
さあ…
747 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:35:46 ID:9ZSk3+GY
>>739 元就の「天下は狙うな」の遺言はその後に、
「毛利家の存続を第一に考えろ」っていう続きがあってさ、
そりゃ今現在家柄にこだわらないご時勢には古臭い考え見えるけどさ、
当時としてはなかなかできない遺言だと思うよ。
事実毛利家は江戸時代までしっかり名を残しているのに対し、
信長の家系はまったくその名を留めていない。
信長の考えが正しいと思うのはお前の勝手だが、
それをみんなに押し付けるのはやめろよ。
748 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:41:39 ID:dEJsbQ05
僕は氷の上で頑張ってるよ。ノブヤボジイチャン(;_;)
749 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:43:36 ID:cUA3QGPW
加えて、信長は天下を取れてはいない。
天下を取ったのはあくまで秀吉と家康だ。
信長の考え方ではどこかで家臣に脇を衝かれる運命だったと言わざるをえんだろう。
家康は古臭い考え方と言えどその点をしっかり対策してたんだから。
750 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:46:43 ID:FQd5HVg9
>>747 なかなかできないって、なんで?
当時は家名の存続を優先させるなんて当然だろ
信長の家系が名を留めていないとかさ、少し調べてから書けば?
元就こそが最強と思うのは君の勝手だけど、
それをみんなに押し付けるのはやめなよ
751 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 10:58:18 ID:EZUwCrLr
>>747 逆だよ。当時はみんな我が家が大事だった。ぶっちゃけ、武士たちが鎌倉幕府に
そむいたのは「幕府は我が家に損をさせている」という認識が広まったから。
幕府という公よりも、家という私のほうが大事だった。
この認識は戦国時代になっても変わらない。大名たちの第一は我が家の安定・存続。
その次に拡大・発展。天下なんて意識はかけらもなかった。
その中で信長がまず天下を目指した。この意味ははてしなく大きい。そして信長
が天下を目指して実際に手中に収め始めたからこそ、他の大名たちも否応なしに
天下を考えざるをえなくなったというだけのこと。まさか、戦国武将は全て天下
を目指していたなんて俗説をいまだに信じているわけじゃあるまいな。
武田信玄も毛利元就も信長という天下人が近隣に現れたからこそ、天下について
ようやく考えだしたのであって、信長以前はただ土地を得たいと思っているだけ。
信玄は対決の道を選んだ。あんな若造に頭を下げられるかという思いもあったの
かもしれない。元就は天下に関わるなといった。あくまでも自家の安泰のみが望み
だった。
どちらがいいか悪いかは評価する人の価値観しだいだが。
752 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:02:44 ID:XBykxFwE
信長が天下を取ってないからって、地方大名の元就に負けるみたいな珍説はやめようぜw
753 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:05:17 ID:FTSlW9nC
なんでも厨つけんのやめようぜw
754 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:05:28 ID:dEJsbQ05
(´∀`)落ち着こうよ747も元就最強とかいってないしね
それよりなんで秀吉って家康倒さなかったのかねぇ?家康を認めてたから家康にならしゃーないって思ってたのか、信長みたいに恨みはかわないようにしたかったのか、大阪にすんでたせいでボケたのか
755 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:14:24 ID:FTSlW9nC
おまえが落ちつけよ
スレ違いだ、ボケ
756 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:25:19 ID:dEJsbQ05
いやぁ僕も信長みたいに既存の枠組みに捕われないようにいこうかと
757 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:29:02 ID:cUA3QGPW
>>751 ある程度同意だけど、天下を取ると言う事が至上と言えるのは、
後に秀吉や家康が天下を取った事からくる結果だと言う事はお忘れなく。
特に後に家康が江戸に時代を築き上げ、京中心の古い考え方も壊していった
事を考えれば、信長とて京中心の考え方から脱却できなかったと言わざるをえない。
本能寺の変の一つの側面として、「神聖なる京に軍勢を進める事などできない」という
古い信仰から京に城を築かなかった事も原因の一つとして上げられてる。
(変後に秀吉が京にいくつも城や聚楽第のような要塞を築いたのもその為)
信長が京に城を築くなり、完全に京から脱却し安土城を中心に天下を回すなりしていれば
光秀に隙を衝かれるような事も無かったわけで。
上洛志向を持っているということが何にもまして上と言えるとは限らない。
家康は天下を取ったけど、関ヶ原まで家康はただの一度も京を治めた事は無いぞ。
京を治めたのは2代目秀忠からだ。
758 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:46:06 ID:eseCSai/
信長ヲタは武田厨、信玄厨、北条厨、氏康厨、謙信ヲタと散々喧嘩して
今度は元就厨と喧嘩か、やれやれだな
>>751 元就が遺命で「天下を望むな」と言ったことを知らないのか?
759 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:47:23 ID:XBykxFwE
京中心の脱却こそ天下を取ったことから来てるんじゃないか。
天下を取ってしまえば京の権威なんて必要なくなるし。
それに京って昔からかなり軍隊に攻めこまれてるけど、神聖云々ってほんとの話?
760 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:47:41 ID:EZUwCrLr
>>757 意味不明。信長は室町幕府のように京に政庁を置いたことなんてないぞ。
それから
>「神聖なる京に軍勢を進める事などできない」という 古い信仰から京に
>城を築かなかった事も原因の一つとして上げられてる。
まったく意味不明。古来から京に軍を進めた武士は平安末期よりいくらでも
いる。信長だって三好が支配する京に軍を進めて上洛したんだが。その後三好
が逆襲してきて義昭が襲撃してきたことを鑑みて二条城を築いたりしている
のだが?
>安土城を中心に天下を回すなりしていれば
本能寺の頃の信長政権がまさにこれですが。京には朝廷との折衝および西国遠征
のために出張してきたにすぎない。
761 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:54:57 ID:dEJsbQ05
>>751 >>752 家を維持する事を最も望んだ元就→毛利家は明治まで家を残した→望み通り
天下統一を目指した→本能寺で終わり→望みかなわず
どっちが凄いの?
762 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:55:26 ID:FQd5HVg9
>>757 足利義晴ですら銀閣の裏山に城を建ててるよ。そんな神話初耳だな
それと当時の本能寺は堀と土塁の巡るプチ聚楽第。
763 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:56:56 ID:XBykxFwE
なんか元就厨とかアンチ信長の言うことって簡単に論破されてんのな。
764 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 11:59:16 ID:EZUwCrLr
765 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:15:02 ID:UXPNrpIt
俺も客観的に見て、信長オタの方が正しいと思うな。
なんか元就厨ってほんと厨の感じするけど信長オタは理論的で
うなづくところが多いし、偏見がないっていうか歴史を正確に捉えてるよね。
元就厨はもっとちゃんとした反論材料出さないと見苦しいだけだよ。
766 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:21:03 ID:dEJsbQ05
君の意見が一番客観性、具体性に欠けてるよ
767 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:23:26 ID:L+dF6x8M
信玄・氏康が大したことがないのは証明されたから
次は謙信・元就だな。
768 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:32:47 ID:UXPNrpIt
まぁ信長は戦国時代の初代皇帝みたいなもんだからね。
中国で言うなら始皇帝クラス。最初の天下人なんだし天下を取っていたに等しい。
元就のような一田舎大名とは比較にならないと思うなあ。
769 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:37:34 ID:UXPNrpIt
だってさ、不慮の事故で突然おっちんでしまったけどさ、
事故が起きずにあのまま信長が生きていたらどうだったか考えてみようよ。
元就はもう生きていなかったけどその遺領はそっくりそのまま
信長領になっていたのは時間の問題でしょ。
今の岡山県岡山市にある備中高松城の城主清水宗治なんか
自害させられているんだし。そもそも和睦じゃないじゃんあれ。
770 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:43:18 ID:dEJsbQ05
何たられば語ってんの。なんで生きていたことを考えてもっと早く死んだことを考えないの?例えば信長が毛利水軍に最初負けた時点で死んでたらとか言い出したらきりないっしょ
771 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:50:05 ID:UXPNrpIt
話それるけど、信忠が事故の巻き添え食わずに生き延びていたら
どうなっていたかも興味尽きないなぁ。
信忠ってかなり有能だったことは間違いないし、
2代目としてけっこういい線いってたんじゃないかな。
秀吉も「親分のカタキ!」っていう大義名分失うし、何より
次男の信雄や3男の信孝のようには手玉に取るわけにはいかないでしょう。
信忠はある程度器量があったんだから求心力も相当あっただろうし、
利家や勝家や長秀など並み居る重鎮の重臣たちもまずまず頼もしい
2代目親分を盛り立てていたことでしょう。
せめて信忠が生き伸びていてくれてたらなぁ・・とつくづく思うよ。
772 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:52:18 ID:UXPNrpIt
>>770 スマン。語りたかったんだよw お前も毛利水軍がなんちゃらっていうの
語りたかったら語ればいいじゃんww
773 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 12:55:26 ID:XBykxFwE
まぁたらればで元就のほうが信長より上とかいうのもやめようぜ。
774 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:05:44 ID:eseCSai/
確かに事実として元就のほうが信長より上、と言う方が正しいな
>>758 元就の没年が何か関係あるのか?
>>765 指摘してくれると、論破しやすくて助かるんだが
775 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:06:43 ID:DltvEqf3
織田家存続してることを知らない人が多いスレはここですか?
信雄の血筋はきちんと残ったはずなんだが・・・
776 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:09:40 ID:6hQmPf+a
まぁ、のぶおの血じゃあまり声高には言えないがな・・・
777 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:13:28 ID:zj972bxc
>>757 >家康は天下を取ったけど、関ヶ原まで家康はただの一度も京を治めた事は無いぞ。
>京を治めたのは2代目秀忠からだ。
家康が天下を取ったのは関ヶ原で勝ったからだからね、
でも伏見城で秀頼に代わり政務を執っていた事もあるがね、
しかも関ヶ原後の論功行賞でちゃっかり京を手に入れてますけどね。
778 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:13:40 ID:RLNTlPSB
武田信玄は最高の無能武将だからな。
なんたって、評定でボソっと「乳輪母さん」ってしゃべったのを山本が「おお!風林火山ですか!まさに・・・」って勝手に妄想膨らませたからな。
真実を知ると、山梨県のイナカッペDQNがファビョったうがなw
長野、上杉には負けまくり。今川、北条にはビビって正に土下座外交の同盟結んでもらった訳だ。
まともに戦に勝てない愚将が、あんなに高い能力なんてネタ武将と呼ぶしかないよなw
779 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:15:22 ID:dEJsbQ05
>>775 いや信成があんだけ有名なんだしつってるんやろ
780 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:18:25 ID:UXPNrpIt
781 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:25:26 ID:RLNTlPSB
風林火山って言葉が生まれたきっかけが、山本が「乳輪母さん」を「風林火山」と聞き間違えたのが真実。
ま、キチガイ2ちゃんねらーは武田マンセーしまくってオナニーしてるバカ共だからなwファビョって信じようとはしないだろうがw
自分の好む妄想を、香ばしく増幅してくれるネタには「これがソースだから、ウリの歴史観はが真実ニダw」ってキチガイばっかだw
てめえの腐った脳がかもし出す妄想と同じソース(ネタ)だと真実で、違う意見は叩くっていう輩の脳ミソを見てみたいよw
782 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:46:50 ID:azVbLKgo
元就の生涯の実績は、信長が美濃を獲るまでと同程度。
そこで行き詰った元就が天下を取った信長より上なわけない。
783 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:52:13 ID:RLNTlPSB
>>782 てめえのような童貞ニートが、他人の人生を偉そうに評価できる訳ねえだろw
身の程をわきまえろよwwww
784 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:56:04 ID:dEJsbQ05
ワロスwww
785 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:57:56 ID:uZIzu3op
>>783 それ言ったらこのスレで何語ればいいんだ?
786 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 13:59:06 ID:L+dF6x8M
尼子春久を叩き潰した元就は意外と凄い
787 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 14:19:57 ID:jljsnOc7
冬休みの宿題は終わったのかい坊や。
788 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 14:45:51 ID:nsgWKS4D
789 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 14:56:41 ID:UXPNrpIt
四方八方まさに四面楚歌の全敵状態で、
外敵を全て撥ね退けて天下人の道を突き進んだ信長は英雄としかいいようがない。
卑近な例になるが戦国時代はまさにプロレスのバトルロイヤルデスマッチのようなもの。
特に信長の場合は自分以外はすべて敵という過酷な状況だった。
にも関わらず外敵に対しては死ぬまで圧倒的に強かった。
その証拠に信長の勢力図は拡大することはあっても減少収縮することは死ぬまでなかった。
しかもそれは乱世絶頂期のあのバトルロイヤル状況の中でのことだ。
まさに神のごとき無敵ぶりだったと言えよう。
だからこそ攻め寄せられた方は信長襲来と聞くやブルブルと震え出し、
毛利方の城主清水宗治は和睦とは名ばかりで自害せざるを得なかった。
オマエラ、あの時代に思いを馳せてみろ。オマエラがもし信長の敵陣営だとして
信長襲来の一報を受けた時どう思うか。今のオマエラがタイムスリップして
毛利方の陣営にでも紛れ込んじまったらションベンチビってしまうんじゃねぇか?w
790 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 15:07:12 ID:dEJsbQ05
鹿実勝ったね。多々良も。西日本つえwww
やっぱ島津毛利か
791 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 15:31:51 ID:eseCSai/
>>789 信行謀反と桶狭間前の今川浸透でガリガリ削られてますが?
死んだから助かったが、土岐、岩村を落とされ美濃侵攻も間近でしたが?
792 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 16:07:03 ID:80IL6tX1
>>788 783は正論だけどこのスレで言うべきことではないと思うが…
793 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 16:15:40 ID:80IL6tX1
っていうかよく見ると778=781=783w
794 :
789:2006/01/05(木) 16:24:43 ID:UXPNrpIt
ほう。
>>789の正論にあえて反論する奴がおったか。
まぁ武田厨か元就厨のせめてもの反抗だと思うがそれにしても何ら価値のないクソレスしかできないとは残念だよ。
今川にせよ武田にせよ前哨戦で多少国境を侵しただけで領土を減少させたなどとは片腹痛い。信行など論外。
信玄の上洛作戦は無理がありすぎた。きっと老いと焦りであのような愚行を犯してしまったんだろう。
孫子にもこうある。
ゆえに軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば即ち及ばず、
軍を捨てて利を争えばすなわち輜重捨てらる。
このゆえに甲を巻きて走り、曰夜処らず、道を倍して兼行し、
百里にして利を争うときは、すなわち三将軍を擒にせらる。
強き者は先だち(先立って死に)、疲るる者は後れ、その法、十にして一至る。
五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍を倒す(死なせることになる)。
その法、半ば至る。三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二至る。
このゆえに軍に輜重なければすなわち亡び、糧食なければ即ち亡び、委積なければ即ち亡ぶ。
795 :
789:2006/01/05(木) 16:30:23 ID:UXPNrpIt
要するに徳川領を素通りして、補給線が伸びきり、千里先に戦場を求めるなど愚の骨頂。
孫子(上記)にもあるとおり、百里にして利を争うときは3人の将軍を捕虜にされるとあるだろう。
夷陵の戦いで呉に大敗した劉備と同じなんだよ。
きっと劉備同様、老いて耄碌してしまったんだろうな。あと相当焦りもあったんだろうな。
この孫子軍争編は兵法の基本中の基本だよ。
あのまま生きていて行軍を続けていたら準備が整って待ち構えている信長軍に
メタメタにぶちのめされていただろうな。
796 :
789:2006/01/05(木) 16:39:37 ID:UXPNrpIt
最後もう一つ言うと信玄は負けるのを覚悟で特攻したんだと俺は思う。大和特攻みたいにね。
要するに余命幾ばくもないことを悟っていただけに最後の人生の晴れ舞台として
果たしえなかった夢、『上洛』に最後の人生を賭けたんだと思う。
まさに真の男のロマン。俺は信長も好きだけど信玄も好きだな。
797 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 17:34:38 ID:cUA3QGPW
>>771 信忠が生きていたら当然秀吉も大きな顔はできなかっただろうし、
勝家、利家、長秀、一益、らは当然、信忠の元で一致団結するし、
そもそも武田攻めの時点で信長も信忠を世継ぎとして認めていた節があるだけに、
清洲会議自体が必要なくなるね、ここで一人だけ反抗するほど秀吉はバカではないだろう。
信雄、信孝はもちろん信忠の元に馳せ参ずるし、逆らう理由が一切ない。
家康も敵対する理由が無いだろう。
また信忠が生き延びた場合、経緯にもよるが一番光秀に近いのは信忠になるので、
すぐに軍勢を立て直していけば光秀を倒すのも信忠になる可能性が高くなり、
こうなれば織田家を継ぐ一切の問題はなくなるだろう。
ただしここからどうなるかは完全に未知数。
当主が定まってしまうだけに、当然賤ヶ岳のような合戦は起こりえず、
秀吉と勝家の不協和音は存在したまま天下統一の事業に進まなければならず、
またどこの家でもある事だが、信雄、信孝を中心とした若い信忠軍団が
幅を利かせる形になり重鎮衆とぶつかると言う可能性も大いにある。
っていうか信孝と秀吉が合うとは考えられない。
また織田家が安泰なら北条家は家康同様、同盟を組んだままだろうから、
関東の一益も力を失わずにすむわけで、それと組んでる勝家の力は賤ヶ岳の時とは
比べようが無い。
そうなると逆に秀吉も信忠自身もあまり西にばかり眼をむけるわけにも行かず、
秀吉が行えたように四国方面を制圧していけるかは謎だ。
しかしモタモタしてれば家康は着々と旧武田領に力をつけるだろうし、
北条もせっせと史実よりは北側に(一益と手を組んでるため)関東に帝国を広げていくだろう。
そんなうちに奥州では独眼龍が目を覚ますわけで、一刻の猶予もないはずなんだが・・。
798 :
789:2006/01/05(木) 17:44:30 ID:UXPNrpIt
>>771も俺なわけだが、797さんの言われるとおり
信忠が巻き添え食わずに生き残っていたら史実よりももっと面白いドラマが繰り広げられていたと思う。
なまじそこそこ優秀な2代目だけにね。というわけで信忠オタでもある俺としてはIFイベントでも何でもいいから
『信忠の野望シナリオ』を加えて欲しいな・・。けっこうウケると思うんだが。
799 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 17:45:51 ID:eIpRgFeF
800 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 17:46:21 ID:9d5dv/Q9
>>797 信忠も「神聖なる京に軍勢を進める事などできない」
という信仰に囚われて光秀討てねぇんじゃねぇのww
801 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:28:14 ID:L+dF6x8M
信玄は持久戦されて負けるでしょ。
802 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:34:21 ID:PCBWQ/2a
>>799 国力から推定しても2万と数千ぐらいになるだろ
803 :
789:2006/01/05(木) 18:46:23 ID:UXPNrpIt
当時の今川と信長とではそれくらいの兵力差があったことは事実だと思う。
ただ当たり前だけど兵力だけで戦には勝てない。
詳しくは
>>794-795に書いてるとおりだけど、義元も連戦連勝の報告続きで
夷陵の戦いの劉備のように浮かれ、普段なら絶対にやらない陣立てをしてしまったりしていた。
まさに油断大敵。どんな優れた人間でも犯しやすいミス。それが連勝に驕った油断。
804 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:48:58 ID:rKFOabVf
伊達政宗も功績だけ見ると元就ぐらい凄いと思うけど
805 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:53:13 ID:n2rZH6Aq
>>800マジレスすると、その状況で信仰もくそもないだろw
もし、信忠が生きていたら、親父を討った仇敵を攻めない訳がない…
806 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:53:57 ID:dEJsbQ05
>>803 やっぱりこの時代は何よりも慎重さが求められてたんやろーね。なんでそれを表現する能力値がないかねー
そういうのを表現するのにいい新能力値の候補ある?
807 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 18:57:36 ID:XBykxFwE
慎重さなんて求められてないだろwww
808 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:06:40 ID:VY5t9Bee
809 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:34:46 ID:Js6HKLpU
桶狭間時の兵力は織田の贔屓目除いて当時の動員兵力考えれば
織田4000対今川20000くらいじゃね?
今川は砦攻略に備え、隊をいくつかに分散してたのは記録にも残ってる
今川本隊が5000として本隊だけに集中攻撃出来れば局地的に
織田4000対今川5000
とほぼ5分になる
810 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:45:14 ID:36ryN1HT
>>799はイタイね。
あらゆる史書を無視して「俺が正しい」と
言い張ってる。
信長公記などにちゃんと兵力の記述があるので
そっちに従うべき。
マイ理論が優先するなんてアホらしい。
尾張を桶狭間以前に統一してたなんてのは一般人レベルの俗説。
あと尾張をかなり統一してたとしても、
そこから兵力を動員できるようにするには時間がかかるんだし、
尾張の一部を今川に奪われ、山口親子などが離反してるし、
知多半島など尾張南部は支配できてない。
そもそも尾張の石高が60万石なんてのは
太閤検地による数字であり、
桶狭間以降、尾張は長きにわたって戦乱がなく、
信長が開発を重視した尾張は石高が大きく伸びたと思われ。
811 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:46:21 ID:36ryN1HT
>俺は記録に残っている兵力よりも、国力から推測した兵力のほうが実態に近いと考えている。
はいはい、君がどう考えようが、
そんなものは小石ほどの価値もないんだよ。
812 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:49:57 ID:eIpRgFeF
>>802 慶長検地の結果が
>>700 だ。
だいたい、三河さえ平定してないのに、尾張に攻め込んだ今川の戦略があまりにも無謀だ。
そこを織田軍を付いた。
戦場で敵大将を討ち取ったというだけで充分すごいことなのに、信長は過剰宣伝をした。
それゆえにかえって信長の評価が下がってしまった、と甲陽軍艦に書かれているそうじゃないか。
その甲陽軍艦でさえ、信長の過剰宣伝に躍らせて、二万くらいだったろうなどと書いている。
だいたい、織田と今川が激突したのは、桶狭間が始めてではない。
信長の代になってからでも、村木城の戦いや、石ヶ瀬川の合戦で撃退している。
813 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:52:57 ID:dEJsbQ05
さっきから桶はざまについて語ってるやつはそれで信長の能力をどうしたいの?
814 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 19:56:30 ID:eIpRgFeF
>>810 尾張は、小牧長久手の役で思いっきり荒らされています。
太閤検地はその後だろ。
815 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:03:19 ID:Js6HKLpU
>>813 俺はただの通りすがりの横レス野郎だが…
確かにスレタイからズレてるなw
816 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:07:20 ID:eIpRgFeF
>>813 俺は信長を名将だと思っている。
正確には、家康、秀吉に次ぐ戦国の英雄だとね。
桶狭間の戦いというのは、信長が今川の大高城を兵糧攻めにしたことが始まりだ。
つまり、織田が仕掛けた戦だという基本を忘れるべきではないだろう。
過去の実績から考えて、織田軍にははじめから撃退する自信があったはずだ。
817 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:10:01 ID:2agtfZeY
818 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:10:31 ID:Js6HKLpU
>>816 さすがに家康、秀吉の下に名前を置くのは失礼じゃないか?
せめて同列にしろよw
819 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:13:12 ID:eIpRgFeF
>>816 悪い。文章を読み間違えた。
たしかにレスタイからずれていたね。
ちょっと桶狭間に一言あったもんで我を忘れていた。
信長の能力値は、あんなもんでいいんじゃないの、と思う。
たしか、鉄砲隊を率いると能力値にボーナスが付くんだろ。
充分強いじゃん。
820 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:14:42 ID:dEJsbQ05
あ、なるほど。俺今日初めてこのスレ覗いたんで勘違いしてた。あおりじゃなくてここは信長大好きな人たちが集まってるのね
つーか信長の野望ちゅうくらいだから当然か
821 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:16:52 ID:eIpRgFeF
>>818 信長は、結局、天下取れなかった。
最大版図を築いた戦国大名。
この結果論がすべてだろう。
822 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:20:26 ID:dEJsbQ05
823 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:23:17 ID:XBykxFwE
妄想で元就を1位にしたいのはよくわかったw
824 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:26:17 ID:qftA0NGX
元就は信長と違って汚点がほとんどないからね。
825 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:30:45 ID:XBykxFwE
いいところもないけどねw
826 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:31:13 ID:eIpRgFeF
>>822 うん、それが一番わかり易い能力判断ではないかね。
信長が物凄い敵に囲まれて、苦労したのは知っている。
その包囲網を打ち破ったのはすごい。
しかし、包囲網をしかれるということが、そもそも外交戦略の失敗である。
その点、秀吉や家康は上手い。
827 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:38:18 ID:XBykxFwE
打ち破れる包囲網なんてどれだけ布かれようが失敗じゃないだろ。
828 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:38:19 ID:Js6HKLpU
信長が天下取れなかったのが問題ならさ
一代限りで終わった秀吉も問題だろうさ
829 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:41:36 ID:dEJsbQ05
ああそう考えるのか。それなら俺は信長はその包囲網を突破したてんで戦国一だと考えちゃうわ
勿論それが信長の死期を早めたのかもしれんが謀反は信長の人を見る目のなさが招いた気がするし
何より領土は最初から同じだけあるわけじゃないし島津、伊達の辺境もあるし
それに領土=能力とすると議論する楽しさが無いよーな気も…
830 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:48:25 ID:vVqIf3St
>>826 信長は絶対君主を目指していたから封建勢力の桎梏を打破しなければならなかった。
封建勢力の桎梏とは各地で封建的支配体制を築き上げていた大名たち。
秀吉・家康は封建的支配体制を目指していたから大名の上級支配権さえ維持できればよかった。
それが信長が多くの大名と対立した原因。
ヨーロッパにおいても封建体制から絶対君主制に移行する過程で反乱が続発している。
831 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:53:10 ID:Js6HKLpU
封建勢力の何だって?
832 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 20:56:26 ID:VwGWeiIl
>>800 一応何の論拠も無い話をしたわけではないよ、
ただ本題からずれた話なんで、本当はこれ以上話すつもりは無いんだが、
どうしても話したいのであれば。
まずあれだけ慎重な男が何故、あれほど無防備にいたのか?
味方を信用していただけならそれ以前にももっと隙があってもよさそうなものだが、
それ以外だと金ヶ崎のような時でさえ、生き延びているわけで。
一応形だけでも二条城はあるんだからそこへ行ったっていい、
だがこれも守るには物足りない城だ、何故これほどの能力を持った男が、
京と言う一番安心してはいけない場所で安心してしまったのか。
遠征するならその宿所になる陣営を築いたって良い。
これが関東だったらあんなに無防備になっただろうか?
もともと信長は父の代から京にだけは敬意を払い、
自身も京に対して並々ならぬ神聖観を持っているのは行動を見ても明らか。
しかも彼ほど自分に対して逆らった者に容赦しない人物もいないのに、
二条城から直接信長に反旗を翻した義昭に対しては、鎮圧はしても、
直接城は攻めないと言う恐ろしいほどに温情的な態度で接している。
三好家もそうだったが、この時代で将軍の首を取ると言う事が、京を襲うということが、
どれだけ恐ろしい事だったかは調べればすぐわかる。
だからこそ義輝は何度も三好長慶に追われながらも久秀に暗殺されるまでは
生き延びる事ができた、しかし久秀のように恐れない男に平気で襲われれば、
二条城にいたって陪臣にあっさり首を取られるお粗末な守備なわけで。
足利義晴のとか言ってる人もいたが、この時代までの京の守備施設はおよそ
実戦に向くようなものではないよ、それでは意味が無い。本能寺でも同じ。
安土城中心で世を回すならば、もう信長はそこから動くべきではなかった。
京など最早古いものとして切り捨てられるのならば、動く必要も無かったし、
動くのならば普通の国と同様軍備を重ねて動くべきだった。
普通の人間だったら別に不思議ではないが、姉川以降の信長は恐ろしく慎重で、
そこが最大の強さでもあった。にも拘らず最期まで信長は京に対する甘さがあったと思う。
だけど逆に俺はだから信長のミスではないとも思ってる、
必然とも言うべきか、この時代に生きる人間ならば仕方が無いとも言えるべき事ではあると思う。
常人ならば。
833 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:02:00 ID:EZUwCrLr
>>832 >自身も京に対して並々ならぬ神聖観を持っているのは行動を見ても明らか
そんな人物がどうして上京焼き討ちなんてするんですか?
834 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:06:47 ID:VwGWeiIl
上京焼き討ち?
延暦寺、叡山焼き討ちの事?
835 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:17:43 ID:9+CqmKR5
http://www.m-network.com/sengoku/sendai01.html 第1位 島津家(忠良・貴久・義久・義弘)
日本の戦国時代において、名君続出の大名家といえばまず島津家があげられよう。
後に「島津に暗君なし」と言われることになるが、これは決して誇張表現ではない。
島津家は鎌倉以来の名家であったが、室町時代後半には本家と分家の対立が激しくなってきた。
その時分家の伊作島津家に忠良が登場し、彼の策謀から子の貴久を島津本家に送り込むことに成功したのだが、ここから「薩摩隼人」として広く知られている島津の家風が生まれてくるのである。
島津忠良は後に日新斎(じつしんさい)と号し、島津家の心得とも言うべき「いろは歌」を作り家臣たちを教育した。
忠良はこういった功績から薩摩人の間では後に神格化されている。
さて、後を継いだ貴久は政治に力を入れ着々と足場づくりを固めていったが、分家やまわりの豪族たちとの抗争は絶えなかった。
貴久は陣頭に立って果敢に攻め込んでゆくタイプではない。合戦の際は彼の4人の優れた子たちの力が大きかったのである。
長男の義久、次男の義弘、三男の歳久、四男の家久とそれぞれ個性的な子たちに恵まれた。
義久は軍政両面、特に統率能力や状況判断力に優れ、義弘は戦国屈指の猛将で無敗の強さを誇っていた。歳久は知謀に富み、家久も勇猛無比な武将として知られ、かの沖田畷の合戦では龍造寺隆信5万の大軍にわずか三千人あまりで戦いを挑み、撃破した上にその首を挙げている。
義久の代になって秀吉軍と衝突するが、彼は家中の反対を押し切り、かなわぬと知るやあっという間に頭を丸めて降伏したのである。
これは臆病卑怯な行為ではない。彼は島津家の存続を第一に考え、最善の方法を瞬時に考えて行動したのである。
後に関ヶ原の際、行きがかり上やむなく西軍についたが、戦後素早く詫びを入れ本領を安堵している。これも義久の判断と指図である。とにかく政治力に優れた人物であった。
義弘の代になっても兄弟仲はすこぶるよく、こういう家は戦国では非常に珍しい。そのおかげで戦国の荒波をうまく乗り切れたのであろう。
剣術においても東郷重位により薩摩示源流が広まり、その強さは後々まで天下にとどろき渡った。
「島津に暗君なし」…この言葉には誰も異論はないと思う。
836 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:18:29 ID:9+CqmKR5
木崎原の戦い ○義弘軍2百 対 ●伊東軍3千
島津のお家芸、野伏せりで見事勝利。
この戦いでミリタリーバランスが島津に傾く。
耳川の戦い ○島津軍2万 対 ●大友軍4万
九州の覇者を賭けた戦い
前半は大友勢が押しまくるが、
義弘の冷静沈着な側面攻撃と家久の同時攻撃で勝敗が決定。
以後、大友は衰退。
沖田畷の戦い ○家久・有馬連合軍5千 対 ●龍造寺軍3万
龍造寺はこの戦いで隆信、四天王を失い島津の傘下に入る。
戸次川の戦い ○家久軍1万 対 ●豊臣四国連合軍6千
寄せ集めにすぎない連合軍は歴戦の勇将・家久の敵ではなかった。
この戦いで長宗我部信親戦死。
長宗我部元親、ショックで廃人になる。
泗川の戦い ○義弘軍7千 対 ●明・朝鮮軍20万
慶長の役の末期に秀吉が死んだので、
朝鮮にいる武将たちに帰国命令が下りる。
それを知った明軍・朝鮮軍は20万の軍勢を日本軍の中央を守る義弘の泗川に向ける。
義弘は、泗川にいくつかあった支城を破棄、泗川に新たに築いた城に立て籠もる。
ここで敵を引きつけるだけ引きつけてから鉄砲の一斉射撃ののち突撃をし散々に打ち破った。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
この時も義弘は水軍を率いて活躍。
順天の小西行長を救出し、さらに全軍の殿を務め
朝鮮の名将・李舜臣と交戦し見事討ち取る。日本軍退却成功。
もし義弘が朝鮮出兵に参加してなかったら日本軍は朝鮮で全滅してた。
秀吉は大名の領地加増を禁止してたが
島津だけはあまりの戦功の大きさに加増された。
関ヶ原退却戦 ○義弘軍3百 対 ●無傷の家康本体
福島隊を突破。
追撃してきた井伊直正と松平忠吉に重傷を負わせる。
この傷が元で2人は数年後死亡。
837 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:27:19 ID:9+CqmKR5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 義弘や忠恒も自ら刀を振るって敵兵を切り殺すほどの乱戦になるが島津軍の優位のうちに戦況は進み、明・朝鮮連合軍は京城までの後退をよぎなくされた。
この結果、連合軍は島津軍の報告では38717人、明の報告書によれば8万あまりの戦死者を出したという。この戦いにより島津義弘は「鬼石蔓子」と恐れられた。
泗川を落とされていたら出口をふさがれたことになり、最悪の場合は日本軍が全滅していただろう。明軍を防いで陸路の安全を確保したことは大きな功績になった。
その事は五大老たちから高く評価されて文禄・慶長の役唯一の加増に預かったがそれ以上に重要なのは島津兵の強兵ぶりを天下に知らしめたことである。
後に関が原の戦いで西軍について存亡の危機に立たされたが本領安堵を勝ち取った原因の一つが泗川での戦功にあったことは言うまでもない。
また小林市では戦勝を記念して輪太鼓踊という舞踊が今に伝えられている。
838 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:28:53 ID:NnVUtQrK
>>826 これだけ都合よく書かれすぎなのは問題ありですということかな?
過大評価されているからもっと現実に即すべきということか。
839 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:30:34 ID:NnVUtQrK
840 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:33:29 ID:9+CqmKR5
841 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:36:06 ID:PCBWQ/2a
>>816 > 過去の実績から考えて、織田軍にははじめから撃退する自信があったはずだ。
だったら何で蟹江を落とされたりしてるんだか
842 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:39:01 ID:36ryN1HT
>>835 >>836 何回も俗説と誇張だらけの島津に都合のいいコピペ張ってるなよ。
木崎原 かなり誇張あり
耳川 大友軍はもう少し少ない。しかも城の無理攻めと遠征でやや疲弊し、
宗麟は後方で宣教師と礼拝三昧。
さらに宗麟の命令で神社仏閣を破壊しまくりながらの進軍は
神仏を信じる兵たちを恐れおののかせた。
沖田畷 有馬軍の活躍も大きかった。
戸次川の戦い これはあまり文句ないが、
仙石の無謀な作戦支持が敗北の主因。
泗川の戦い 実質の明・朝鮮の兵力は三万八千程度。
しかも山狩りをして無理やり徴兵してきたような士気の猛烈に低い連中だった。
露梁津の海戦 ○義弘軍 対 ●朝鮮水軍
勝利と言えるが日本軍の損害も大きく、
李舜臣が流れ弾に当たって死んだ点が大きかった。
あと戦後の加増は懇意の三成の力が大きい。
関が原
別にぶちぬいたわけではなく基本的には敵のいないところを走って逃げた。
つまり退却する西軍と徳川本隊の間のに空いた間隙をぬって逃げただけ。
しかも逃亡中は旗まで巻いていたという。
そうやってコソコソ逃げている島津隊を井伊が見つけて追撃した。
なお井伊の死因も関が原戦後の激務によるとこが大きい。
843 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:39:41 ID:FTSlW9nC
どんだけループだよw
844 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:41:52 ID:Js6HKLpU
はいはい島津島津
845 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:45:04 ID:Js6HKLpU
しかもまた
>野伏せり
って言ってるしw
釣り野伏だろ
846 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:45:09 ID:EZUwCrLr
>>834 ホントに知らない?
1573年(元亀四・天正元年)、将軍義昭が蜂起して二条御所に篭ると信長は京に
進軍、上京一帯を焼き払う(上京の住人がかねてから義昭に通じ反信長な姿勢を
とっていたため)。この時、下京の住人は信長軍に放火を免除してもらおうと
献金したが、信長は一切を返却し、しかも下京への安全保障を認めた。これに
対して上京の住人が下京のそれよりも多額の金額でやはり免除を求めた時には
信長は一切を拒否した。金も受け取らず、免除もしなかった。
847 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:46:14 ID:9+CqmKR5
島津義久
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E4%B9%85 1572年には木崎原の戦いで伊東氏を、1578年には耳川の戦いにおいて大友氏を、1583年には龍造寺氏を、1584年には阿蘇氏をといった具合に、
いずれも義久を筆頭とした有能な兄弟による体制が万事を期し、島津氏は一時は大友領を除く九州の大半を支配したのである。
義久が帰ったあとに家康は家臣らに「大将自ら動くことなく、家臣をうまく使う優れた采配を持っている。これこそ大将の鏡である」と言った、という逸話がある。
義久は智勇に優れていただけではなく、細川幽斎から古今伝授を受けたり、関白近衛前久との親交が厚かったなど、教養人でもあったと言われている。
島津義弘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E5%BC%98 智勇に優れた名将で、1572年、木崎原の戦いで伊東氏を破るなど、兄・義久の九州制覇に大きく貢献した。
1597年に藤堂高虎らと共に元均の朝鮮水軍を沈めている。
1598年の泗川の戦いでは董一元率いる明軍37000人の大軍を7000人の寡兵で打ち破り、
敵兵を斬首すること数千に及ぶという大戦果を挙げ、義弘率いる島津軍は「鬼石曼子」と呼ばれて恐れられたと言われている。
露梁海戦では大きな損害をこうむったものの、李舜臣に致命傷をあたえた。
石田三成隊や小西行長隊、宇喜多秀家隊らが東軍諸部隊によって壊滅させられ、島津軍1500人は敵中に孤立することになってしまった。
このとき、義弘は家康本陣に突っ込んで果てようとしたが、甥の島津豊久の説得を受けて翻意、大胆にも数万の敵の大軍の中を敵中突破するという離れ業をやってのける。
このとき、島津軍は東軍の激しい猛攻を受けたが、捨て奸(すてかまり)と言われる何人かずつが死ぬまで足止めをする戦法を使用。
井伊直政はこの激しい戦闘により重傷を負いその傷が元で後に死亡している
次代を担う青少年に対しての教育に力を注ぎながら、1619年に八十五歳で亡くなるまで長寿を保った。このとき、義弘の後を追って何名かの家臣が殉死している。
島津氏にとって義弘の存在は不可欠であり、その挙げた軍功の数は計り知れない。
徳川家康だけでなく豊臣秀吉も義弘の器量を恐れ、島津氏の弱体化を図るために義弘を優遇して兄の義久を冷遇、兄弟の対立をさせようとしたが(後述)、成功しなかったと言われている。
この流れで「義弘=十七代目当主」という見方が出来たとされる。また、敵に対して情けも深く、朝鮮の役では敵兵に対して供養塔を建設したと言われている。
島津歳久
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E6%AD%B3%E4%B9%85 島津四兄弟はいずれも優秀であるが、この歳久は兄・義久を九州エリア制覇に向けてよく補佐したことから、『智謀の歳久』と呼ばれた。
848 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:49:19 ID:VwGWeiIl
>>846 あぁそっちかゴメン、それは町への方でしかもすぐに非を認めたばかりか、
村井だったかにすぐに直させてなかったか?
裏切った相手に攻め込んだんだからこのくらいは当然だと思うが。
849 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:49:31 ID:qftA0NGX
回避可能だった包囲網を敷かれたことは外交戦略の失敗以外の何物でもない。
打ち破ったから良いなどは結果論に過ぎん。
信長厨は結果論ばかりだな。
850 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:50:11 ID:36ryN1HT
>>835 豊臣に恭順する意見を最初に唱えたのは歳久で次いで家久だ。
ちなみに家久が単独で秀長と会見した事に義久は激怒したという。
あと関が原については伏見城の件は江戸時代に入ってからの
島津家の捏造で、
実際は義弘は基本的に東軍派、義久も中立派であった。
戦後、島津家は忠恒の奔走によって救われたが、
義久はずっと中立主義を唱え反徳川のような態度を取り、
忠恒の邪魔をし続け、しかも家康との会見に臨んで
徳川と講和して帰ってきた忠恒を「親不孝の極み」と罵った。
>>837 >明の報告書によると八万。
そんな報告書は実在してない。
そもそも明の記録で「三万八千」とあるのに
どうして「八万」も死亡したと報告できるのか?
あと島津の記録も捏造。朝鮮での戦果水増しは
どこの家でもやってた。
鬼島津うんぬんは事実だが、
鬼の意味は日本と大陸とではずいぶん違う。
851 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:50:37 ID:VwGWeiIl
浅井や朝倉をかくまっただけで山ごと焼き討ちされて皆殺しにされた叡山に比べて
この差は一体何なのよと。
852 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:54:53 ID:Js6HKLpU
おまいら
レスアンカーつけろw
島津の話と焼き討ちの話と包囲網の話でもうごちゃごちゃしすぎw
853 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:56:23 ID:36ryN1HT
あと、島津四兄弟が仲が良かったというのも事実ではない。
といっても武力の争いに発展するまでは行かなかったが
かなりの意見の対立はあった。
つーか歳久は秀吉の命とはいえ殺されてるし、
家久についても勝手に秀長と会見した県で謀殺された説あり。
中央政権を重視する義弘と中立主義の義久の対立もあった。
さらに関が原戦後は
あくまで中立主義の義久と徳川に恭順しようとする忠恒の
対立も大きかった。
854 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:58:09 ID:9+CqmKR5
島津忠良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E8%89%AF 当時の島津氏は、当主島津勝久に嫡子はなく、分家である薩州家の島津実久が抗争の末に勝久を追放して、当主を自称するという有様であった。
そこで忠良は、自身の嫡男である島津貴久を勝久の養子として送り込み、1539年に加世田・市来の戦いで実久を破って、貴久の島津本家の家督相続を実現した。
その後、忠良は薩摩加世田に隠居した。
しかし実権は握り続けて、琉球を通じた対明貿易や、鉄砲の大量購入など、
その後の島津氏発展の基礎を作り出し、『島津家中興の祖』と言われた。
また、忠良は団結を歌った「いろは歌」の創作でも有名である。「いにしへの道を聞きても唱えへてもわが行いにせずばかひなし」に始まる歌であるが、
この儒教的な心構えを基礎とした忠良の教育論は、孫の四兄弟・島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久にまで受け継がれることとなり、現代にも大きな影響を与えているのである。
晩年は島津日新斎と号し、いずれも優秀な四人の孫を「総領の義久、武勇の義弘、智謀の歳久、兵法の家久」と高く評価しながら1568年、死去した。
島津貴久
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E8%B2%B4%E4%B9%85 島津家は室町時代から明や琉球と交易をしており、貴久も琉球王と修好を結んだりするなど外交政策にも積極的に取り組んだ。鉄炮が種子島氏より献上されると数年後には実戦で利用している。
後に九州制覇を成し遂げた戦国大名島津家の基礎を形成したという意味で、父の忠良とともに「中興の祖」と並び称されている。
島津忠恒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E6%81%92 父や伯父同様に武勇に優れ、豊臣秀吉の慶長の役では父に従って8000の寡兵で明軍20万を破る猛勇を見せている
1609年には琉球に出兵して、これを占領している。
また、明とも密貿易を執り行ない、鹿児島城(鶴丸城)を築いて城下町を整備するなど薩摩藩の基礎を固める一方で、
幕府に対しては妻子をいちはやく江戸に送って参勤交代の先駆けとなるなど、内政・外交ともに長けた名君であった。
855 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 21:59:40 ID:36ryN1HT
wikipediaに俗説交じりの解説登録している奴は誰だ?
856 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:02:08 ID:Js6HKLpU
>>855 やっぱwikiってまるで当てにならんな
857 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:05:09 ID:9+CqmKR5
経歴から見た島津家の評価
島津義久
統率92 武勇81 智謀92 政治100
島津義弘
統率120 武勇110 智謀91 政治89
島津歳久
統率69 武勇80 智謀95 政治82
島津家久
統率110 武勇120 智謀84 政治65
島津忠恒
統率86 武勇90 智謀80 政治94
島津貴久
統率81 武勇75 智謀86 政治90
島津忠良
統率95 武勇78 智謀95 政治110
幕末の英雄島津斉彬もいるし、島津の血は最強ですね
858 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:05:28 ID:36ryN1HT
>>856 そりゃ解説文書いてる奴が学者でも専門家でもなく単なる歴オタだから。
あそこって誰でも書けるシステムだし、
ようするに辞書ふう掲示板みたいなもんだ。
859 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:06:05 ID:EZUwCrLr
>>848 あのさ、君は信長が「京への神聖権」とやらを尊重していて、京に軍を進める
ヤツなんかいない、それが油断となって本能寺に繋がった、といっていた
のでは?
それをさんざんにつっ込まれて、あげくに信長自身が京を攻撃した例を出したら
それくらい当然って、自分で自分の主張を否定しているの気付いてる?
ちなみに、信長が敵対した勢力の城下町などを焼き払っただけで住民皆殺しまで
はいかなかった例もいくらでもある。例えば美濃攻めの稲葉山城陥落の時は城下
井ノ口を焼き払ったが後にはただちに町の再建に取り掛かっている。近江や伊勢
攻めでも同様。尾張統一戦には敵対した岩倉などの城下も焼き払っている。
むしろ焼くだけで住民には手を出さないというのはごく普通のことで、叡山や
長島・越前の住民皆殺しの方が特殊例になる。
それとも、信長は尾張や美濃や伊勢や近江の城下にも「神聖権」とやらを感じていた
と言うのか?
860 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:07:18 ID:Js6HKLpU
>>857 はいはい島津島津
どうせ議論する気ないんでしょ?
861 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:09:48 ID:36ryN1HT
>>847 >敵に対して情けも深く、
>朝鮮の役では敵兵に対して供養塔を建設したと言われている
その話は史実だが、
それはむしろ「情け」というよりは
義弘の宗教観っぽい。
「戦場で死んだ者は敵も味方もなく全員仏なのだ」
という。
862 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:14:31 ID:Js6HKLpU
>>861 義弘固有というより日本人にはわりと良くある宗教観かもね
大陸の人間には奇特というか珍しく思えたから記録に残っただけな希ガス
863 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:15:25 ID:jw9jAuzo
864 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 22:20:42 ID:dEJsbQ05
大量の島津厨がのりこんできたー━━━━━(・∀・)━━━━━━━━━
865 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:14:40 ID:3r8JrnXU
866 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:33:32 ID:NnVUtQrK
何も言わんからよくわからんな。
アンチ島津の仕業とも見えるし。
どのみち結果としては「島津厨房好かれまくりでカワイソス」で終わりだが。
867 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:39:52 ID:eIpRgFeF
>>841 わりぃ、蟹江城のことはまったく把握していない。(蟹江城といえば、小牧の役が有名だよな)
ネットで調べると、弘治元年に「蟹江の七本槍」という活躍があったしいが、俺の持っている史料にはまったくない。
例えば「織田信長合戦全録」にも乗っていない。ほっとうにあったのか?
ついでに言えば、前年には、織田方が今川の村木城を攻略している。その後、今川軍は執拗に奪回を試みたが失敗したそうじゃないか。
というか、やっぱり、こういう話をしていると、レス違いといわれ、怒られるのかな。
868 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:49:47 ID:dEJsbQ05
俺的にはありだよ
突っ込むのは冗談のつもりだし
あんまり規制して過疎ったらつまらんし
でもリアルにいやがってる人もいるみたいだし空気をよんでけばいいと思うよ
つーか俺偉そうだなorz
869 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:50:19 ID:Js6HKLpU
>>867 まあええことよ
この板で盛り上がってるのココと戦国無双スレだけだし
870 :
名無し曰く、:2006/01/05(木) 23:56:52 ID:NAGx99tV
>>859 京を攻撃したと言っても、
二条は攻撃しないって、それまでの信長の戦いを見る限り、
町に手を出すだけで終わらすなんて甘い手のうち方は見た事が無い。
しかも京で信長が無防備だったのが俺にはどうしても何か理由が無ければ納得できないわけよ。
それだけ信長のそれまでの戦略が凄いと思ってるだけに余計に。
城下町云々は俺の元の意見がそもそも「鎮圧はしても直接城は攻撃してない」って意見なんで関係ない。
鎮圧って初めに言ってんだから軍勢進めてるのは知ってる。
叡山等は本山も含めて丸焼きにされたが、京は公方こそ追放されたが、殺される事も無く、
二条城も包囲されただけで済んでる。しかも井ノ口や岩倉の場合、単に再興に取り掛かるという
以外知らんが上京を焼いた際は、何故か民にかけた被害に対して非を認めて、
税を免除したり、復興に尽力したりえらく気を使っている。何故だろう?
結局将軍を何度も追い払っては殺せなかった三好だって軍勢を進めて町を焼くのは
何度もやってるんで、そっちは関係なさそうだ。
まぁともかくここまで来るとこのスレに関係ないし、これ以上は控えたいのだが・・・。
貴方は詳しそうだから喧嘩腰で話もしたくない。
871 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 00:09:49 ID:PuJmRZ3n
>>867 他にもいっぱいあるだろ
赤塚合戦で勝てなかったせいで鳴海以外に沓掛大高を奪われて
知多郡を半ば失い
海西郡は服部左京に横領されてる
品野城攻撃にも失敗して春日井郡への侵入を許してる←これは自分もよく知らないが
あなたがどんな史料もってるかは分からないが『織田公記』には無いと思った
確か蟹江城を落としたことに関しては史料では徳川系の史料に載っているはず
というか石ヶ瀬川の合戦知ってるなら持っている史料にあるんじゃない
多分見落としてるだけで
>>870 >税を免除したり、復興に尽力したりえらく気を使っている。何故だろう?
それってよくあることじゃないか?
872 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 00:16:31 ID:PuJmRZ3n
あと三河の寺部城を落とされたりもあるな
織田とは言いきれない微妙な勢力だけど
873 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 00:18:49 ID:zAz/gqOY
>>870 そもそもが何の根拠も無い君の勝手な憶測なんだから
引っ込めれば済む話だろう。ウダウダ続けないでくれ
874 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 00:22:54 ID:TC9wNsHJ
織田家が元々勤王なのは確かだが、京洛を神聖視したというのはこじつけが過ぎるかな
875 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:24:55 ID:aKmVqr80
なんか織田厨、毛利厨が馬鹿にされるのが嫌で
わざと島津の話を持ち出してる気がする。
876 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:42:12 ID:XVE3x6Re
信長も元就も過小評価だと思うけどな
877 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:44:26 ID:liaVIgDF
織田も毛利も島津もいいけど、マイナーな武将の話になると・・・
最近だと宮部とか一喝されて終わり・・・流石に可哀想だったな。
これからはマイナーと感じた武将には先に略歴つけてから話すぐらいの親切心が無いとダメっぽい。
また逆に有名武将の場合、歴史を語る前にせめて自分がその武将の能力をどう見てるかぐらいは
述べてからでないと、話の脱線が止まらん気がする。
勿論強制はできないけど、極力そうした方がいいような気がする。
878 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:52:01 ID:NOIxh8dF
つかもう有名どころお腹いっぱいだろ
信長、信玄、謙信、元就、氏康、秀吉、家康
こればっかでループしてるしw
879 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:53:22 ID:XFvf6N4X
結論は出てないけどな
880 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:54:10 ID:T5W2vSnY
まぁ信玄謙信氏康は脱落したのは確定かな。
元就ももう瀕死だしw
881 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:55:29 ID:NOIxh8dF
結論は出ないってのが結論だったんじゃないのw
882 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 01:57:42 ID:XFvf6N4X
信長厨乙w
883 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 02:05:59 ID:3KXIZVAq
ジョージ・ワシントン
統率:110
武勇:100
知略:95
政治:120
884 :
789:2006/01/06(金) 04:51:27 ID:rHzs+YUO
少なくとも
>>789で当時の信長が神のごとき無敵ぶりであり、
−外敵を全て撥ね退けて天下人の道を突き進んだ信長は英雄としかいいようがない。−
として結論が出てる。
全敵状態になった外交戦略が失敗だという意見が見られたが、『両雄並び立たず』だ。
また当時は乱世まっただなかのバトルロイヤル状態。同盟など全く信用出来ないものである。
それに神のごとく人智に秀で、向かうところ敵無しだった信長にしてみれば、信用ならぬ同盟など却って邪魔臭いだけだけ。
全国統一も後は『時間の問題』であっただけに同盟など全く無意味なものだったといえよう。
また信長は戦国時代の初代皇帝のようなもの。
中国で言うなら始皇帝クラス。最初の天下人なんだし天下を取っていたに等しい。
以上、結論でした。それでは無理のある反論どうぞ↓
885 :
789:2006/01/06(金) 05:00:15 ID:rHzs+YUO
注:織田徳川同盟は同盟とは名ばかりで、徳川信康自害に象徴されるように従属関係。
また信玄侵攻でやばかったというのも
>>794-795で論破済み。
以上、無理のある反論ないなら
>>884が全会一致の結論ということで。
886 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 05:34:25 ID:liaVIgDF
徳川信康は確かに武田攻めなどで猛将として活躍はあったようだけど、
人格に関して言えばとてもじゃないがまともとは言えず、家臣の訴えもあって、
家康自身が仕方なく処断したと言う説が結構主流になってたはず。
そのおかげで逆に信忠の業績が見直され始めてるので、余計に信長がわざわざ信康を殺す理由が無い。
最もコーエーでもその辺疑問に思ってるのか、列伝では剛勇英邁と書いてる割に、
戦闘以外の能力は低く設定してるだけにわかってるのかもしれんけど、
個人的に統率能力はそういう家臣掌握の点もあると思うんで80台は過大と思う。
あと別に対等同盟でも貴方の意見にはあまり影響しないんで蛇足をつける必要ないんでは?
つーかせっかくそこまで意見がはっきりしてるなら、このスレに則って、まずはあなたの思う、
信長の能力値を出してみた方が良いと思う。
887 :
789:2006/01/06(金) 05:56:06 ID:rHzs+YUO
確かにあなたの言われるとおり、信康については諸説紛々としているので蛇足だったかも。
ただ、信長が命令で信康が自害することになったということは事実なので一応織田徳川の力関係を言及したかったわけね。
能力値については
>>884の結論を鑑みて肥エやここの皆に判断してもらいたい。
888 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 07:49:17 ID:Djgoxean
信長が命令したかどうかは怪しいがな
889 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 07:50:19 ID:s5YHidIH
元就が瀕死というのは?この人の実績に欠点は無いように思うのですが…
890 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 09:25:55 ID:oipY6ksI
>>877 宮部は
>>686功績書いたけど、それ以降無反応だし。
そこでもう一度言ってみる、統率70後半(妥協した)武勇70前半位は欲しいと。
少なくとも統率62、武勇48は明らかに過小評価。
891 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 09:48:21 ID:s5YHidIH
>>876 はげどーん
ちゅうことで結論元就信長は過小評価!
892 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 09:54:12 ID:s5YHidIH
斎藤道三はどうやろ
コイツは全体的に過大評価されてるような
信長にやられたんならともかくうちはもめではねぇ
893 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 10:36:15 ID:Aw0FiQdI
>>892 しかも、親子二代での実績だしな。いいかげん、
親父と子供分けたらどうなんだ、と。肥内に国盗り物語厨でもいるのか?
親 政治51 統率32 知略83
子 政治82 統率72 知略78
こんなもんだろう。
894 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 11:45:12 ID:lw8u+/PC
斉藤道三は信長の才能にいち早く気づいたといわれてる点も
過大評価の一因にかもしれないな。まあ詳しい事情を
調べてないからなんとも言えないが、気づいていたなら
なぜ先手を取らなかったのだろう?
895 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 11:49:46 ID:BCLhBp4H
マムシは織田信秀・浅井亮政に勝ってる
896 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 12:05:32 ID:vXEeL4rF
戦上手でイケメンで楽市楽座や建築面でも評価のある道三
問題は残酷なとこ
897 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 12:13:19 ID:TC9wNsHJ
義龍の才能、さらには謀反も見ぬけず
898 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 13:10:17 ID:s5YHidIH
>>893 いるでしょうね
ていうか信玄謙信政宗幸村辺りを考えると講談補正やタイガの影響はかなりかと
それにしても秀吉が能力そこまでなのを見ると最初の状態の不利さがそこまで評価に入ってないのに下克上の代表格の道三が評価高いのはいかがなものかと
899 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 13:23:59 ID:Aw0FiQdI
秀吉はもう、半島の圧力か、肥の自粛としか考えられないな。
s
900 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 13:31:23 ID:s5YHidIH
なるほど。ってまさか秀吉がオール120でも韓国はつっこまんやろ。まずやんないやろーし。日本の歴史げーなんか。やるとすれば秀吉撃退ゲーとかかな
901 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 13:49:46 ID:vXEeL4rF
朝日という内通者のせいで突然叩かれるようになった提督の決断の例もあるから無理だな
902 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 14:18:10 ID:o7El1UBG
三成をつまらん人間と評していた
光栄が秀吉の能力を低くしていても驚かん
903 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 14:30:16 ID:x1oKE1dA
>>893 二代説の本読んだけど、法華経の僧時代のつてを利用して、
美濃の長井家に仕えた所までが父親で、この後は明確に道三の(道三と言う名ではないが)
名前が出てくるんで道三の業績になるらしい。
で、小説でもそうだけど、ここまでだったとすると道三父は、
普通に少年時代を僧として学び、身分の関係で油商品を営み、友人のつてを利用して
役人の端くれに並べてもらい、まもなく息子に後を継がせ生涯を閉じた人物となる。
この間に謀殺した人物は当然一人もいない。いわゆる普通の清廉な人物のように見える。
道三が敵から身内から主から恩人からマムシへと変貌を遂げるのはこの後土岐家に潜り込んでからだ。
この時点ではまだいくさも起こっておらず、小説内でもいかにも創作らしい盗賊?
だったかと小競り合いをした程度。
美濃の宰相として浅井を蹴散らすのも、信秀に加納口で辛酸をなめさせるのも
勿論ずっと後の話、神業のような槍技を披露するのももう少し後。
要するに智略と統率は二代でも別に下がる要素無いと思われる。
父の能力を表現するなら
政治5〜60 智略4〜50 統率2〜30
って程度だろう、友人のつてを利用したのを世渡りと表現するならこのぐらいあるかな〜程度。
統率にいたっては評価のしようがない。
こんな中途半端な存在を出すぐらいなら講談準拠にしよ〜っとってのが肥的に
無難だったんじゃないかな
904 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 14:42:45 ID:XFvf6N4X
織田信長:統率92知略96政治105→統率97知略96政治110
毛利元就:統率92知略105政治98→統率102知略110政治88
今までのレスを総合すると、こんなところが妥当かな。
905 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 14:57:38 ID:Y8vE/eby
元就厨乙w
906 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:02:02 ID:XFvf6N4X
907 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:19:13 ID:x1oKE1dA
元就の政治が10も落ちてるんだから元就厨とは言えない様な・・・。
信長の政治は別に上がる要素無かった気がするが、統率は上がるべきだと思うけど。
908 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:21:26 ID:XVE3x6Re
信長はやっぱ政治で評価すべきじゃないか?
統率っていってもあんまし戦が強いイメージは無いんだが
909 :
789:2006/01/06(金) 15:27:05 ID:rHzs+YUO
元就厨は一行クソレスばかりしてないで
>>884のような結論を出してみろ。
系統立てて「こうこう、こうだから元就の能力は過小評価されている」という風に
ちゃんと説明しろ。でなければ厨として叩かれるだけだぞ。
910 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:37:21 ID:s5YHidIH
911 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:49:17 ID:CXMthDI6
宇喜多直家はどないだ?
912 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:50:33 ID:x1oKE1dA
>>908 と言われても政治では既に評価されてるわけで、逆にこれ以上上げるほどの要素は感じない。
100を超えていればさすがにそれ以上は必要ない。
それより俺は逆に神速と言われた統率力が今ひとつ表現されてない方がイメージ的に気になる。
913 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 15:54:29 ID:XVE3x6Re
>>884って単に個人の主観を長ったらしく並べただけじゃないか
信長の実力は認めるけどああいうレスは逆にこのスレでの信長の評価を落としそうなので止めとけ
とりあえず元就は3000貫の国人領主から
当時屈指の大大名だった尼子・大内を退けて中国地方の覇者となった実績と
200戦して無敗という戦歴があるんだから
戦略で最強なのが信長なら戦術で最強なのは元就ってことで
>>904くらいの能力値が妥当なんじゃないか
織田家には秀吉とその与力やら光秀やら勝家が居るんだから信長単体の能力が最強でなければいけないとは思わんのだが
914 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 16:11:23 ID:x1oKE1dA
>>913 このスレで何度も議題になる事だけど、
家臣を政治的に使ってる時はともかく、戦争で使っている分野に関しては、
統率として認めるべきだと思う、実際ゲーム内で使われてる数値がそうだし。
特に信長が軍団に分けて多方面展開した事は政治ではなく、統率で評価すべきだと俺は思うよ。
このゲームの政治はあくまで事務的、外交的な分野の方を主に見るべき。
戦略面に関してはどちらかと言えば統率の分野だろう。
この点で見解の相違があるから、北条との差とかいらんとこでもめたりする事になるわけですよ。
一位が北条氏康、上位の次点が石田三成、大久保長安、細川幽斎な所を見ても、
この政治と言う数値は実務がまず第一の評価基準だと言うのは明らか。
915 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 16:36:25 ID:s5YHidIH
>>911 宇喜多ね。このひとは若いとき苦労したから結構したたかだったみたいね(かなりか)
。こいつは暗殺をどう評価するかでわかれそうやけど911さんはこいつの能力どうするべきと?
ちょっと高いきもするが結構成り上がれてるしねぇ
916 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 16:46:53 ID:XVE3x6Re
>>914 戦略を統率にしてしまうと、今度は上杉謙信は戦略的に最も優れていたのか?って問題が出てくるんじゃないか
統率の上位には謙信、義弘、幸村みたいな人材が多いから統率は基本的に「兵を率いた強さ」だと思うんだが
政治は実務が第一の評価基準なら、統率は戦術が第一の評価基準なのでは
戦略はゲームだとプレイヤーが考える事だから、武将のどの能力に振り分けるのかは判断しづらいね
能力を全体的に底上げするしかないような気がする
917 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 16:56:24 ID:CXMthDI6
>>915 話振っておいてなんだけど、今の数値は妥当かな〜とw
暗殺に関しては、氏康も藤田誰某に対してしているし、信長は信行を
信玄は諏訪某を暗殺しているから、直家も巧く暗殺を実行したな〜程度に思ってます。はい
918 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 17:20:59 ID:7QyQzpUO
>>914 >家臣を政治的に使ってる時はともかく、戦争で使っている分野に関しては、
>統率として認めるべきだと思う、実際ゲーム内で使われてる数値がそうだし。
アレ、そうだっけ?
特に感じなかったけど、能力に+されるの?
(謙信のせいで感覚が麻痺してたのかも)
919 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 17:42:43 ID:vXEeL4rF
直家自身イケメンという記述があるな
そして男色好きな奴にイケメンを忍びこませて籠絡させて暗殺させてるあたり
やっぱり鍵は顔だな
920 :
789:2006/01/06(金) 18:38:38 ID:rHzs+YUO
>>913 兵の将たる者よりも将の将たる者の方が優秀に決まってるだろ。
信長はまさにキングオブキングスであり
>>884で結論が出てるとおり信長は神同然の英雄なんだよ。
天下人3人の中で力関係で圧倒的に強かったのは信長ってことを忘れるな。
要するに、秀吉も家康も信長には到底敵わなかったし二人もそれを十分認識していただろう。
このスレはろくな知識もないくせに適当なことばかり言ってるバカがほんと多いな。
特に
>>910のような一行クソレスの低脳はお呼びじゃねぇんだよ。
921 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 18:50:05 ID:PfiVMwke
>>904 いっそのこと統率120の化け物謙信への対抗上、知略120の鬼才元就でしっくりくるな。
そのかわり家臣団国人の掌握及び税制に難有りだから政治も謙信程度でいいや。
922 :
789:2006/01/06(金) 18:54:02 ID:rHzs+YUO
さらに言えば、秀吉・家康ともに『誰か』が作った組織や土台を受け継いだ
2代目・3代目にすぎない。
ビジネスでも創業と守成とどちらが難しいか考えてみろ。
一番最初に起業した奴が一番偉大なんだよ。
戦国時代における『起業』もしくは土台作りがどれほど難しいか、ちったぁその足りない頭で考えてみろ。
923 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 18:59:31 ID:ItO/AeH6
信長にせよ父親信秀の跡を継いでるわけで、
信長一人が徒手空拳で天下を獲ったみたいな言い方は間違いでそ
宇喜多直家は統率が過小だという意見が上の方であった気がする
924 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:05:27 ID:s5YHidIH
>>923 いや統率は戦に対する能力とされてるようなんで謀略、暗殺大好き直家をこれ以上あげるのは
925 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:05:55 ID:YPvPiFSO
>兵の将たる者よりも将の将たる者の方が優秀に決まってるだろ。
決まっていない。どんな理屈だよw
お前は長野という田舎知事の田中康夫より
総理経験者の小泉の方が
何十倍も政治力が上とか思ってるタイプだろ。
926 :
789:2006/01/06(金) 19:12:42 ID:rHzs+YUO
>>923 誰が徒手空拳で天下を獲ったなぞと言ったんだ?
それにそんなこと言い出したら、どんな偉人でも同じことが言えるじゃねぇか。低脳すぎて話しにならんなこりゃ。
>>925 低脳知的障害を相手にしたくないが・・。
例が悪すぎるし判断基準が完全に狂ってることに気付いてないの?お前。
927 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:15:26 ID:ItO/AeH6
宇喜多直家は明善寺合戦をどう評価するかだな
928 :
789:2006/01/06(金) 19:20:25 ID:rHzs+YUO
キングオブキングスは文字通り王の中の王であり、
並み居る王よりも優れているから頂点に立っている。
下位に控え、部下である王の方が優秀な場合があったりするのだとしたら
じゃぁ何でその部下は部下で甘んじているんだよ。
それに絶対君主制でもない今の世を持ち出す時点でお前は低脳以外の何者でもない。
それでもあえて今の世で例えるなら、田舎知事は総理の部下に相当する。
上司の方が偉いのは当たり前の話であり、それを否定するお前は知的障害だって言ってるんだよ。
929 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:32:00 ID:s5YHidIH
明禅寺合戦は確かに評価に値する戦だと思うけどやはりここでも敵を味方に引き入れる知略タイプな面をみせてるからねぇ
930 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:32:14 ID:Agp37liH
ID:rHzs+YUOはPKなり升なりで信長のパラメーターを1000でも10000でも
好きなように書き替えて遊べば良いと思うよ
931 :
789:2006/01/06(金) 19:34:17 ID:rHzs+YUO
低脳君の一行クソレスはイラネっていってんだよ。反論できねぇなら黙ってな。
932 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:50:56 ID:oipY6ksI
>>913 まず元就の200戦無敗は嘘だろ、
少なくとも忍原崩れ・降露坂の戦いの敗戦がある。
それにこの○○戦無敗にどれほどの意味があるとも思えない、
それだけの戦いをしながら切り取った領土は信長に遥かに劣ってる訳で、
結局その程度の勝ち戦でしかなかったとしか思えない。
933 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 19:58:33 ID:vXEeL4rF
戦争と戦闘の違いってやつか
934 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 20:01:58 ID:eozZcnqa
元就って陶がバカだから大内領を楽々手に入れて、その力でアホな晴久を倒しただけなんだよな。
935 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 20:40:39 ID:U+S1ng/E
まぁこのゲームばかりやってたら、そういう認識を持ってもおかしくは無いが。
936 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 20:55:02 ID:eozZcnqa
信長 統率120 知略120 政治120
元就 統率 90 知略110 政治 80
能力を客観的に評価するとこれで問題ない希ガス。
937 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:06:25 ID:73mXeDyp
三好義興。戦でも活躍してるの義継よりの統率低いのはねーだろ・・・
938 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:09:01 ID:wdd9iTtc
>>927 評価していいと思うよ
兵力差では浅井長政の野良田くらいの戦をやってのけてたのに
むこうは90こっちは77って。辛川合戦というので小早川隆景を退けてるし
暗殺や内通工作だってそれだけじゃ勝てないよ。
三百貫から備前と周辺国の一部まで版図を得たのだからもう少しあってもいいと思う
+5で82くらいかな。あまり高くてもしょうがないし、このくらいがちょうどいい
939 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:22:14 ID:XFvf6N4X
>>936 多くの裏切り、外交戦略の失敗、世評の不統制
信長の知略がそんなに高いわけないだろ。
統率も元就の方が勝率が高いので上だ。
信長が元就よりも評価できるのは圧倒的な経済力や火力を手に入れた政治手腕だけ。
失策は経済力でカバーしたに過ぎない。
940 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:29:42 ID:eozZcnqa
勝率が上とか信長の外交が失敗とか、元就厨はレベルが低すぎるんじゃないか?
941 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:31:09 ID:x4Mksabk
>>925のつっこみが的を得ていると思ったのはおいらだけ?
942 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:31:27 ID:XFvf6N4X
>>940 信長厨は反論ができないだけじゃないか?
943 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:32:55 ID:ItO/AeH6
>>937 今火間虫入道で確認してきたけど、
革新では統率・武勇共に義興の方が義継より高かったぞ
944 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:35:12 ID:ItO/AeH6
物珍しさによる愚民投票で知事に選ばれた田中康夫より、
自民党総裁選挙を勝ち抜いた小泉の方が断然政治力があると思うから、
>>925の例えはおかしい気がする
945 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:37:45 ID:wdd9iTtc
>>942 高い勝率で得た領土があれではな…102もくれてやるほどではないだろ
負けることのある格闘家より負けた事の無い中学の番長の方が上といってるのと変わらんがな
946 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:38:26 ID:XFvf6N4X
>>944 単なる交友関係の広さと演説力の問題じゃん。
政策は小泉一人で作成するわけじゃないし。
>>925は的を射ている。
947 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:41:03 ID:XFvf6N4X
>>945 はじめ元就は3000貫の国人領主だったと言ってるだろ。
尾張半国を受け継いだ信長とは境遇が違いすぎる。
948 :
941:2006/01/06(金) 21:43:13 ID:x4Mksabk
>>944なるほどな。たしかに田中康夫に首相は無理かもな
首相になったから小泉が日本一政治のできる奴
と単純に判断するのが789さんということか?
949 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:43:48 ID:3vjbp0BR
政治は良く分からないし、人それぞれだと思うが
俺も
>>944と同じ意見だ
本題、とりあえず統率は全般的に平均化するべきだよな
950 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:45:17 ID:wdd9iTtc
>>947 君のレスにそんなことが書いてあっただろうか…?まぁいいが
弟や重臣の離反を力でねじ伏せたのは無視して
あたかも何事も無かったように「半国受け継いだ」などと書いていいんですか?
951 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:46:34 ID:eozZcnqa
長野県知事なんて50点の仕事なんだから、客観的に証明できるのは50点だろ。
元就の能力を証明するものだってその程度のもんだよ。
猪武者の陶を手玉にとっただけで知略最高はありえないよ。
それなら信玄と謙信を手玉にとって上洛させなかった信長のほうがよっぽど上。
統率だって領土につながってない元就のほうが上の評価になるわけがない。
952 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:49:47 ID:0ivSRzax
>>951 >統率だって領土につながってない元就のほうが上の評価になるわけがない。
謙信
953 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:50:31 ID:BCLhBp4H
このスレの確定事項
統率
氏康過大
謙信過少
信長過少
元就過少
北条は雑魚wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
954 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:51:42 ID:eozZcnqa
元就と違って謙信は戦った相手が全然強いからねw
955 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:52:38 ID:XFvf6N4X
謙信過少!?
956 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:53:46 ID:eozZcnqa
元就の境遇が悪かったら元就最強になるなんて、妄想以外の根拠あるのwww
957 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:55:50 ID:0ivSRzax
>>947 じゃあ安芸一国を制した段階から信長と比較してみれば
958 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:58:59 ID:XFvf6N4X
>>950 尼子経久が相合元綱に毛利家を継がせようと画策して、毛利家重臣の坂広秀・渡辺勝に気脈を通じていたが、元就は事前察知して相合元綱を殺害した。
元就が事前に食い止めたことは評価できる。
959 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 21:59:03 ID:x4Mksabk
>>951長野県知事が50点の仕事って?
信玄なんかは信長と絡みがあったことが高評価に影響
してるように見えるが…。事実受け継いだ(といえるかは
分からないが)領地から考えると大して領土拡大できてない
960 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:00:18 ID:3vjbp0BR
>>953 これ以上謙信を強くさせるのか?
まあ、統率微減、その他増加なら良い案と思うが
961 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:00:48 ID:XFvf6N4X
>>957 安芸一国って尾張の3分の1しか石高ないよ。
962 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:01:19 ID:6Bh8mWFq
>>957 安芸一国でも尾張の半分にもならない石高だけどね。
それでも50歳は過ぎてたんじゃないかな
963 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:04:17 ID:eozZcnqa
元就の領地が米が取れないと、どうして元就にゲタを履かせなきゃいけないの?
信長とは比べるまでもない、たいしたことがないことしかできなかったのに。
964 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:06:37 ID:XFvf6N4X
>>963 「信長と比べるとたいしたことできなかった」
最終的な版図しか見ていない。
信長厨の常套文句だなw
965 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:07:49 ID:x4Mksabk
966 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:07:57 ID:eozZcnqa
版図も政治的にも文化的にもすべて違うがw
元就が日本史上いなくてもまったく損失はないが、
信長がいなかったらどうなってたかw
967 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:09:58 ID:XFvf6N4X
>>966 だから政治は
>>904でも高く評価してるだろ。
織田信長:統率92知略96政治105→統率97知略96政治110
毛利元就:統率92知略105政治98→統率102知略110政治88
異論はないね。
968 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:10:59 ID:0ivSRzax
>>961 >>962 だからそれでちょうど石高的に信長が後継いだときぐらいだろ
信長は後継いだ段階じゃ尾張の半分いかないだろうし
969 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:11:20 ID:eozZcnqa
信長は政治だけじゃないだろw
元就はしょぼい国力でしょぼいことをやった。
十分エライよw
それで満足できないの?
970 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:12:24 ID:XFvf6N4X
>>969 信長:統率97知略96
統率も上げたわけだが。
これでも満足できないの?
971 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:13:12 ID:eozZcnqa
リトルリーグのホームラン王にすぎない元就より低いんじゃどうにもならんよw
972 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:13:13 ID:x4Mksabk
973 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:15:13 ID:eozZcnqa
いつでも殺せる薩長を生かしたのは家康の功績だろw
974 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:15:23 ID:wdd9iTtc
>>958 蜂起後ですがに寡勢でぶちのめしてますけど?
知略は元就が上でも統率ではねぇ
現状維持+αで十分ではないのか?+6もすれば君の
>>904の信長よりも上だろ?
それとついでに尾張半国はゴシップ。多く見て三分の一弱、でそこから重臣共が抜けていくとなると…
>国力
元就の地盤も弱いが、同じ安芸の地に拠る他の敵も同等にスケールダウンされるでしょ
元就:敵=1/3(信長:敵)になるんじゃないの
周辺も同様。信長は地歩が強い分、濃尾平野の北の斉藤も富強であったし
近畿の敵も貧しい中国の敵にすらべればはるかに富強。
975 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:16:19 ID:0ivSRzax
>>961 >>962 ああちなみに言わなくても分かってるだろうけど比較というのは
元就がまあ20万石くらい手にした段階から死ぬまでの10数年の拡大速度と
信長が後継いでから10数年の拡大速度での比較という意味ね
976 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:17:26 ID:XFvf6N4X
>>974 大内と尼子を無視した発言。
ありえんな。
977 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:17:51 ID:OzJoN4hY
信長の野望なんだから信長が一番能力高くていいんじゃないのか。
主役だろ
978 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:18:11 ID:eozZcnqa
大内を滅ぼしたのは陶だし、陶のおかげで大内領をとった時点で尼子は超えてるしw
979 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:18:54 ID:s5YHidIH
信長厨は
>>761に答えてよ。てめーのつまんない価値観ではからないでそいつら自身が求めたものを手に出来たかどうかが重要でしょ。あと陶バカにするなら義元含め信長の周りがバカばっかだったと考えたら
まあでもさっきからのこの流れは信長元就を落とそうとする武田厨か北条厨の仕業あたりじゃねーの
ま、みんなつられまくりってことで
980 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:19:57 ID:eozZcnqa
>>761なんてアホすぎて放置されてるレスなんか蒸し返すなよw
981 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:21:25 ID:x4Mksabk
982 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:21:35 ID:hT4CnXE9
>>947 でも信秀が死んだあとに名目上の主君の
守護代信友の態度が大きくなっていったし。
弟の信行に心をよせる家臣が多かった。
柴田や宿老の林まで信行についた。
それを信長が政治と知略と武力を駆使し苦心惨憺打ち破った。
数に勝る柴田・林などの信行勢を千に足りない寡兵で破ったのも凄いが。
守護代よりさらに上の位の名目上の主君たる斯波氏を持ち出して
信友を打つ口実を作ったのも凄い。
983 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:22:09 ID:TC9wNsHJ
当時の大内は日本一だ罠
それに対抗しうる尼子もかなりの強国
それを無視するのはどうかな
984 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:22:45 ID:wdd9iTtc
>>976 元就が大内尼子相手にしたのと同じくらい
信長も今川と斎藤に晒されてますけどね。
その後も背後に武田、正面に幕府や朝倉、領内に一向一揆を抱えてよくがんばったよ
大内輝弘の蜂起にびびって北九州すら満足に落とせない人が何を
985 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:23:15 ID:eozZcnqa
元就が小国で大内と尼子を滅ぼしたんなら評価できるけど、たなぼたで滅ぼしただけだもんw
986 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:24:09 ID:XFvf6N4X
>>978 安芸の小豪族は大内と尼子の形成を常に伺いながら、従属と離反を繰り返していたわけ。
真田昌幸の智謀が評価されている要因の半分はこの能力だろ。
上手く両勢力の間を渡り歩いて領土を広げていった初期の元就の智謀は高く評価していい。
987 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:25:03 ID:wdd9iTtc
>>983 当時の大内って言うのは
出雲遠征で負けて無気力な主君と陶と相良の対立に
混迷してる斜陽の名門のことですか?
最盛期に勝った訳でもないのに威張らないでね
988 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:25:04 ID:eozZcnqa
まぁ大内の援軍なしで尼子の大軍を打ち破ったんなら、元就も評価できるんだけどね。
989 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:25:27 ID:6Bh8mWFq
>>975 信長が家督を継いでからの10数年後といえば美濃を手に入れてるかどうかって時期じゃ
ねえか?そこまでなら元就とあまり変わらないんじゃねえの?
990 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:27:21 ID:TC9wNsHJ
>>987 いや威張ってないし、元就擁護もしとらんし
ただの横レスにケンカ売るなよw
991 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:27:41 ID:x4Mksabk
992 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:28:57 ID:wdd9iTtc
993 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:29:20 ID:eozZcnqa
厳島だけの元就と違って、信長の偉業のなかじゃ桶狭間なんてどうでもいいほうだけどw
994 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:30:40 ID:XFvf6N4X
995 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:31:53 ID:eozZcnqa
996 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:32:39 ID:wdd9iTtc
>>994 智謀は一位でいいというのは元就擁護に限らない了解事項だろ
それより元就の統率が信長に勝るってさっさと証明してみろよ
997 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:32:51 ID:x4Mksabk
>>993桶狭間で運がなかったらそこで信長の野望終了
998 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:34:18 ID:eozZcnqa
元就厨はタラレバばっかりw
999 :
名無し曰く、:2006/01/06(金) 22:34:58 ID:XFvf6N4X
>>995 拠った勢力の軍勢を利用するのは当然の戦略だが。
頼める大軍があるのにわざわざ劣勢の兵力で戦うことの方が馬鹿だ。
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