>>92-93
こいつはただの外国かぶれ。逝くよろし。
東洋美術が盛り上がらないのは、goatsongのような
外国かぶれがこの掲示板を私物化しているからだろ。
自国の文化を尊重する心のない奴に
外国の文化を語る資格なし。
自国の文化を貶め、他国の文化をあがめるのが
文化人と錯覚している叔母加算。
>日本人はああいうものは描けないだろうなぁ。
描けないんじゃなくて、描かないだけだろ。
goatsongに日本美術を語る資格なし。
>日本美術を勉強してる人は結構来ていると思うけど、あまり
>書き込まない、というのもあるでしょう。
お前が珍説をごり押しして、まっとうな書き込みをさせる気力を
なくさせているだけ。
>>94 >だからgoatsongさんみたいに西洋美術に造詣が深い人に日本美術を
>取上げてもらったら、結構面白いのではないかと思うのですが。
恥をかかせるだけ。
104 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 04:26
荒らしをサラシ揚げ
どうでもいいが20分もかけて荒らすとは暇な人だね
106 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 12:02
>>102 その書き込みのモティベーションは別にして、ある意味において、同意。
人口が少ない板で声のでかいのが居るとその板は廃れる、という掲示板運営のセオリーがある。
狭いところで大声を出せば、異様に目立つばかりでなく、私的独占との疑念を抱かれても仕方が無い。
しかし、もう一方で声がでかいというキャラも、生まれつきなので仕方が無い。
問題の根本は、板に住人が少ないことがにつきる。
したがって、芸デ板のクッキー撤廃し、カテゴリーを文化に移動し、鑑賞板と
統合をしたほうが良い。
荒らし隔離スレが立てられても、紛争当事者の一方にとっては、挑発行為にしか見えていない。
だから、効果がない無い。(その証拠に利用が無い)
紛争自体を、表現の痕跡=作品として鑑賞する視点もアリだとは思うが、
ここでの紛争は既に展開がマンネリ化しているので、つまらない。
芸デ板と統合した方が、内容も紛争の展開もより面白くなる期待が出来る。
この件に関して、ここに統合検討スレが立てば、私も積極的に意見する。
それが立たなければ、今後、他の方々と同様に、板違いを承知の上で、
要所ごと突発的に意見させていただきます。
107 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 15:55
>95
>許道寧(字違うかも)の山水画見て感激しました
>真作かどうかは不明らしいけど・・・
前に空耳さんが、黄堅庭の書についてふれていましたけど、
黄は許が絵を描く様子をつぶさに観察して詩に残していますよね。
黄によると、許は酔っ払って絵を描いたというけれど、
許の作品とされているものって、あまり酔っ払って描いている感じがしない。
酔っ払いの作品といえば、玉堂の作品が有名だけど、
玉堂の作品と比較すると、許の作品はなにか醒めた感じがする。
まあ模写したものしか現存していないのだから、仕方ないのかもしれない。
本物はもっと迫るものがあったのかもしれません。
>板違いを承知の上で、要所ごと突発的に意見させていただきます。
みんな邪魔だと思っているので結構だと思いますが。
自分でスレ立てたらどうでしょうか。
邪魔だというのは建前で、実は現状が好みなんではないの?(藁
>>108
110 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 20:15
「とううんしせつず」なんて酔った勢いで描かれたような雰囲気じゃないなぁ
111 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/02(月) 21:42
たしかに>110
でも、あの絵にも「玉堂琴士酔作」という款が入っているのは何故?
106みたいのが邪魔って言ったんだけど。
脱線ごめんなさい>>all
113 :
goatsong:2001/07/02(月) 22:10
>>94 >日本美術についての解説は情緒的な感じ
>日本人にだけ通じる
それ、わかります。加藤周一が似たようなことを、40年も前に
指摘し、日本人が自らの文化の内に、必死になってその独自
性・特殊性を見出そうとする精神構造を、見事に解き明かして
います(要約すると、もともと雑種文化であり、常に外側の影
響を甚大に受けてきた人間達は正にそれ故に、自らのうちに
純なるものを見出そうとする、というようなことですが)。
114 :
空耳:2001/07/02(月) 22:40
日本人て南宋画は熱狂的に支持したけど、
北宋画は完璧に拒絶した感があります。
(もちろん支持した人が当時全くいないとは考えられませんが)
私としては北宋画の方が魅力的だけど。
前の方で誰かが書いていたけど、
北宋画は日本人には息がつまるのかもしれない。
中国人て、神仙思想にしてもやっぱり日本人にしてみれば
現実主義的すぎるようなところが感じられる。
あくまで現世的であるというか。
息が詰まるほど写実的であるのも、余裕の無い画面全体を覆い尽くす
緊張感は当時の日本人には受け入れがたかったのかも。
それよりは南宋の文人達の、ある種余裕感のある感じの方が受けたのかな。
すぐ世を儚む日本人には禅の思想の方が受け入れやすかったのかも。
石庭なんか日本において高度に洗練された結晶ですよね。
ところで、日本には陰陽道はあるけど道教の精神まで理解していたのだろうか。
当時の人々は。
確かに北宋画は道教の宗教画と言ってさしつかえないような気がする。
115 :
↑↑↑:2001/07/02(月) 22:49
道教の精神って、老子の道徳教の事ですか?
音読しろと言われ、老子講義を読んだことはありますが、つかみ所が無かった。 ムードだけ好きです。
116 :
空耳:2001/07/02(月) 23:07
大体そうだと思うけど・・・
でも道教って老子思想よりもっと土着的な感じがする。
私も詳しく知っているわけじゃないけど、
儒教よりよっぽど魅力的だよね。ムード。
今日誰かが言ってたけど、
なんで中国の楽園はあんなに厳しくて寂しいところなんだろうって。
それって老子思想の、
「何でもある状態は実は何も無い、
何も無い状態こそが本当は豊かなのである」
ってところから来ているのかなあ。
117 :
↑↑↑:2001/07/03(火) 14:07
それにしても、中華では彩色画が発展しなかった。孔子のせいか。
紅楼夢の中に、絵を描く場面が有りましたが、今と変わらない。素焼きの皿を使っていたが。
ああ。こんなこと書いて返事してくれる誰かがいるなんて。感激。
118 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 15:29
>113
わかって頂けてさいわいです。
でしたら、いつか日本の代表的な作品をとりあげて、
じっくり解説をお願いしたいです。
>114
日本ばかりでなく中国でも、北宋画は孤立していますね。
元の時代に一時、李成や郭煕の影響がみられるけれど、長くは続かなかった。
南宋以降はたしかに北宋画の力強さが失われてゆきますが、
絵が個性を持ち始める感じがします。北宋画は自然の迫力が強過ぎて、
作家の個性が呑み込まれてしまっているようです。人間味に欠けるような。
>117
>それにしても、中華では彩色画が発展しなかった。孔子のせいか。
いや、彩色画の発展もあったのではないですか?特に花鳥画や人物画において。
西洋における彩色画の発展とはちょっと違うのかもしれませんが。
119 :
皆様は:2001/07/03(火) 18:56
東洋美術の専門でいらっしゃいますか?
あこがれちゃうなあ。
120 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 20:19
>>113 でも加藤周一自身の日本文化論も型にはまっててつまんないような・・・
日本美術史の解説って日本人にしか通じないだけじゃなくて、
日本でも一般の人と懸け離れた感覚があるような気がしてしまうなぁ。
121 :
空耳:2001/07/03(火) 21:16
若冲なんか中国の花鳥画細密画の影響をもろに受けているようですね。
シンナンピンの。
本国ではたいしたことない画家であるそうですが・・・
中国の花鳥画のテクニックはまじですごいです。
それにカラフル。
そうなんだ、北宋は中国でも孤立しているんだ。
南宋の画家は北宋の画家を職業画家としてバカにしていたらしい。
でも、単なる職人として見ていいものだろうか、彼らを。
人間味に欠けるというのはある意味わかりますが、
一つ一つの個性は際立っていると思います。
例えばカッキのあくの強さ、野太さは、
繊細なハンカンには無いでしょう?