4 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 15:52:34
実際にやってることだから。
否定しようが無い事実だけに名誉毀損といいがたいのが困る
名誉毀損スレ
そんな事実はない!
これはひどいスレ。やばいよ。
やばいよやばいよ!訴訟されたらどうしよう!
そのときは「懸命にモラルを訴えた方もいらっしゃいました」と君を持ち上げてあげるよ。
えへえへ、えへひっ!
12 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 17:24:34
山頭火
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 17:31:24
おっぱいファクトリー!いえい
焼くってのは言うまでも無く現像のことだろ
ブラウザで、ブログフォーマットで見てると割と良く見えるが、
現像したり展示したりするほどに個々の写真が良くないっていいたかったんだろう。
補足ありがとう
そういう意味ね
まあ、ブログにのっけるための写真がブログに特化してるのは、
望ましいことだと思うんだよね。
もし、本人が「焼いて飾られたい!」と思ってるなら話は別だけど。
17 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 18:18:42
デジタルカメラってまだ画像がきたないからしょうがない。
webで写真を公開している人たちだって、多くはフィルムで撮った写真をスキャナーにかけてるわけだしね。
古谷の活字媒体での文章が全然駄目なように、ネットに特化するのは危険を伴うよ
19 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 18:24:35
じょじょに人間の目が変わってきて、デジタル写真が自然にみえるようになるだろう。
報道なんかすべてデジタル写真なんだし、長い目でみればデジタルで撮っておいて問題ないと思う。
20 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 18:26:51
>>20 結構いい写真だね。構図とカメラの距離が福居よりうまくいってるとは思う。
真ん中のはピンホールでも使ってるのかな。
22 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 18:36:45
う、うわー
始まったな
でもスタイルの作り方がやや懐古的じゃないですか?
スタイルが回顧的というか、主題が回顧的というかw
まあでもこういうの嫌いじゃないけどな。
写真って主題なしにスタイル作れないでしょ
あまりメディウムとして自律していない印象があるよ
26 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 18:50:48
>あまりメディウムとして自律していない印象があるよ
うん、ここら辺難しいのだけど、
絵画は主題を取り払うことができたのかという疑問もあるよね。
美術の歴史をみてると、そう思わざるを得ないでしょ。
それは割と重要な問題だよね。
岡崎なんか写真は自律性が無いのがすごいよね、みたいに扱うんだが、
逆に見ると、ちょいまて、それってペインタリーなものに至上権与えてるってことなのか? とも悩む。
媒介性とか対象に対する制作の局面とかが妙に写真は薄くて、
不思議な領域ではあると思う。
>>26 >絵画は主題を取り払うことができたのかという疑問もあるよね。
>美術の歴史をみてると、そう思わざるを得ないでしょ。
その意味では案外、絵画における主題の扱いの隘路をネガポジ反転した、
真逆の、しかしながら似たようなアンバランスさがあるってことなのかもね。
対象、主題って実はなかなか難しい。
福居はブログのは練習帳
本気の写真はホームページ見ろ
32 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:00:31
>>30 そういうわけではないけど、
その後の状況をみれば、
ずっと、外部とか主題とかそんなところでやりくりしているわけでしょ?
まあ、内/外を線引きして外部をからごころ的に排除するのもまずいが、
内部をメディウム・スペシフィックとして自律できるから主題は不要、というわけにもいかない、
この内/外は亡霊のように困難な問題がずっとある、ってことなんじゃないかな。
その現れ方が、写真と絵画ではある種対照的に出てくると。
抽象はそれ自体が主題でしょう
35 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:17:48
写真は言説勝負なところがあるでしょ
どんなにヘボい写真でも見せ方次第っていうかさ
>>34 つまり外的な指示対象でもって主題とするんじゃなくて、
しかしながら主題を見出すこと、主題として考えることは可能だということでしょう。
入れ子的に内部を二重化したというか。
それ自体は否定しないけれど、しかしながら指示対象との接続を完全に捨てることはできるのかというと、
必ずしもそうは言えないのでは、とか、いろいろ面倒な問題でてくるよね、みたいな話なんじゃないかな。
38 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:25:42
>>37 抽象絵画の主題を内部/外部で切るのはあまり感心しませんぜ
文学理論のテクスト性と同じような把握でいいんじゃないかと
>>38 バルト論はphotographer's gallery pressに訳されてる
>>41 というのも、それだと古谷さんと一緒になってしまうからね
43 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:35:01
>>40 ありがとう
フリードはクラウスに批判されたとこまでしか知らないから
読んでみようかな
>>42 うん、はじめは内外を当てはめること自体を批判する論立てにしようと思っていたのだが、
逆方向に思い切り間違ったね
45 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:39:45
適当に格好がついたところで止揚して
閉じてしまったほうが
勝つわけで
フリードに差延を強いるクラウスは理論的には勝つけど
現場では負け
みたいな印象がありますね
印象ですよ印象
>>45 なかなか考えさせられる助言ですねそれはw
47 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:45:09
お前らテレビの見過ぎ
で片付けてしまうクラウスは相当乱暴でしたよね
>>47 >お前らテレビの見過ぎで片付けてしまうクラウス
どこでそんなこと言ってたっけ?
49 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 19:49:12
アソコ
フリードの写真論は相変わらずアブソープションかよwって感じ
51 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 20:05:20
何このスレ すっごい 気持ち悪い
みんな自分が実名で根拠もなく「ひどい」だのなんだの叩かれたら、どんな気持になる?調子に乗るのも程々にしとけよ
今はこんな掲示板でも起訴されるご時世だからな。
また自演か
54 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 20:21:49
ある時期から突然いがみ合いモードに入ってしまったよね
平倉や黒瀬がどうのこうの言い出すひとがきてから
急激に荒野と化したのだが
以前はもっと古谷氏に好意的なひと多かったよ?
表に出たぶん風当たりがきつくなっただけかもしれないけど
楽しく雪合戦してたのに石ころ埋め込んだ雪玉投げこんでくるやつが増えて
まったくやな感じだよ
本が出てみんなガッカリしたんだよ
その頃から日記もつまらなくなったし
作家が「2ちゃんでけなされた!」と訴訟するご時世とは知らなかった。
平倉や黒瀬がどうのこうの言い出すひとがきてから
だってこういう人達が実際ここに参入してきたか(ry
あたかも昔はフルヤン万歳のレスばかりだとでも言いたげだなww
過去スレでもそんなこと無かったのに。
今度は過去を修正と来たか。ごまかしの芸が日に日に細かくなってないか、おいw
54=57のような特定厨が来て荒れたというのが実情
>>59 実際のところ「荒れた」のはそういう層が最大の決め手だよね
しろいろらしき人が来て一気にスレが総合化するはるか前から
このスレではフルヤンへの駄目出しが多かったんだから。
修正主義と無責任な押し付けにもほどがあろう。
というか、今だって「フルヤンしっかりしろよ」というスタンスでしょう
>>61 偉いw
とりあえず組立近況はチェックしてなかったから、知らない情報だった。thx
>>62 どっちかというと、そっちだね。
単なる罵倒よりも、「〜〜しようよ」に力点かかってるし。
まあ、あんまりその内容も繰り返しになってきて呆れてきてるというのはあるが。
永瀬の子育て日記はそれなりに感動を誘う
これで作風や思考がいい方向に変わるとよいのだが
66 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 20:57:17
↑
こういうのが気持ちわるい
他人を自己のダシに使う奴
いぢりすぎて嫌われちゃう奴の典型
キモいから当分覗かない
反論もキモいし
もうこなくていよ
古谷が無自覚に貶している色々なものは、実際には大事なんだぜ
69 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 21:11:12
たとえば?
演劇における台本
もうこなくていいよ
台本を古谷が貶しているっていう証拠は?
事実無根しか書かない糞スレ住民
頑張ってあと数時間このスレにへばりついててね
俺、もう寝るから、無人のスレの中でだべり続けているといいよ
>>72 相手するなって。
わかった上で荒らし目的のためだけにこいつは来てるんだろう。
そして自分の発言の責任も全く取らないという、最低の荒らしだ。
言ったら言いっぱなし、過去の自分の発言も無かった風に帳消し、思い付きを並べ放題etc.
相手にするだけニヤけた面して適当なこと吹くだけだろう。
こいつには古谷も、古谷が問題にしてることもどうでもいいだろう。
情けない自分を癒してくれる荒らし行為に夢中ってわけさ。
今までこの馬鹿がまともに何かを提起したことが一度でもあったかと。
言い捨てと断言、「でしょ」で強引な前提化、そんなのばかりだろう。まさしくゴミの所業だ。
おまんこ
俺も「でしょ」を使うから人ごとじゃないw
というか、名誉毀損スレでも罵倒スレでもないということは確認しておきたい
いや、「でしょ」ってどう見ても4人はいると思う
名誉毀損スレ。削除以来しろクズ
削除依頼もスレ立てもぜーんぶ人頼みなんだね プッ
馬鹿が古谷の擁護を装って低モラル発言を繰り返して駄スレ化させるって、
遠まわしに古谷の読者層イメージを貶める行為になるんじゃないかな
古谷もこんなやつに擁護されてかわいそうに
「ここの古谷の視点は舌足らずだけど結構いい」というふうに
持ち上げなおせる指摘だって古谷には決してゼロではないのに
こんな荒らしまがいのやり方でしか擁護できないんだね・・・
古谷擁護している奴って誰?
>>72に対する
>>74があっさり無かったことにされたということで、
はい、おひらきおひらき〜
やっぱり自分の見解にも人からの応答にも責任とらないゴミだと自白する結果になりましたね
2chだからと好き放題やりたがってるゴミは何よりこの馬鹿なんじゃないだろうか
意味不明なやり取り。
>>87 そもそも君の挙げた例は、台本を古谷が貶している証拠になってないんだが・・・
俺は挙げてないよ。
過去スレの該当日付箇所近辺でも読み直してからいらっしゃい。
>>89 いいから例を挙げてみてよ。
演劇の台本をいつ古谷が貶したのかね。
>>70の文面すら読めてないようだから、前スレを5回ぐらい読み直さないといけないぐらいの
残念な頭をお持ちのようですね。
2009-02-21 「ちょっとヘレニズム文化入ってるよね。」
■「ちょっとヘレニズム文化入ってるよね。」
自演馬鹿が前スレから一人で古谷貶しているだけでしょ
あと「でしょ」の奴と前スレの1とたまに来る工学君の合計4人。
僕も「でしょ」は使う時はあるけどさ
ちょっと待って
そんなに多いのか
そっちの指摘のほうがショックだ
「でしょ」から「だろ」へ
早く例を挙げろよ〜
古谷がいつどこで「演劇における台本を貶した」わけ?
台本を重視しないっていうあり方がこのスレでは何時の間にか
貶す、という被害妄想めいた話へと変質する。
事実無根しか書けない名誉毀損のスレタイつける頭のわっるい糞スレ
ですね、わかります。削除よろ
被害妄想に首ったけな人間が言うとギャグに聞こえてくるね
貶す、って言葉には「不当にその地位を貶める」って意味があるだろう。
演劇における台本の位置、機能、その使い方、
古典の現代的解釈についての具体的指摘なき漠然とした感性批評を古谷は行っている。
マクベスの批判の仕方が曖昧で
>『マクベス』の何がやりたかったのか、あるいは『マクベス』で何がやりたかったのか、
>というところまでは行けてなくて、『マクベス』の一つのユニークな解釈、みたい
という言葉を書いている。
「ユニークな解釈」は二次的で、「やりたかったこと」は一次的で、という優劣を持ち込んでいる。
解釈行為はそとづらで、本質的ではないと言わんばかりだ。
台本をどう解釈し、劇に結び付けるか、という問いそのものを不当に無視していることにまさに該当しているじゃないか。
>>97 被害妄想はチラシの裏にでも書くといいよ。
頭のわっるいレスばかり書くんじゃなくてね。ではもうこないでね。
>>99 そうなんだけど、貶しているわけじゃないじゃん。
解釈行為は本質じゃないとまでは言い切ってないし、ニュアンスを無視して話を進めるほど断定的に古谷は話してないよ。
「演劇における台本をめぐる問題についてあまり考えてないね」で十分。
じゃんはもういいから
>>102 古谷の本持ってるの?
そこでのチェーホフ論が論拠
結局抗弁はこれだけか
「言い切ってない」
言い切らなければ全部大丈夫なら、すばらしいことですね。
マリー・シュイナールの劇評のさまざまな「言い切った」批判の仕方を脇においてよく言うよ。
で、あれについてはどう抗弁するの?
ここの人たちってスノッブなだけで基礎知識ないからねぇ。
現代アートの動向しか知らないみたい。
・・・・狭すぎて窒息しそうです。
>>105 あのさあ、例を挙げて説明できないんだから君の妄想でしょう。
古谷抜きに語れる話じゃない。
言い切るも何も、最初に断言(というか放言)したのはあなたでしょうに。
古谷を名指しで非難したんだからそれこそ責任をとってもらいたいよ。
>>104 あからさまなのはあそこだよね。p.98の箇所は酷いもんだった。
>>104 いや、持ってない。
どういう内容かかいつまんで教えてくれる?
>例を挙げて説明
前スレ読めばわかる程度のことを、
>>99でわざわざしたじゃん。
無かったことにするって事実無根の名誉毀損手法ってやつかな。
>最初に断言
????
何のこと? また幻想? 誰かと勘違いしてない?
レス指定してから言ってね。
>妄想
言い切ってないことはすべて妄想ですか。
前スレで妄想前回にスレを荒らしまわってよく言うよね、こんなこと。
>>106 現代美術以外もお前はなーんもしらんだろ
でもまあ、削除以来しといたほうがいいよこのスレ。
後々何かあってからじゃ遅いしね。
お前さんの存在を削除してほしいよまったく
>>106 現代アートについての知識はむしろ皆無だろう
ラウシェンバーグくらい以降の作品とかは多分ほとんど何も知らない
表象、美学、グリーンバーグ系統での美術史研究者 この辺り 東大筑波大多数
>>113 で?
工学自慢はどっか行ってやれよスレ違いだから
>>115 し、知ってるよ!ぼ、僕だって!マーどんゴッタクラークく、くらい!
駒場の連中がここの常連になっているということ?
それなら工学君のほうがまだいいんじゃん。スノッブ。
そろそろ俺も語尾をスノッブにしてみようかな。
ほら、お前背中に馬鹿って書いてあるぞスノッブ。
言いたいこともいえないこんな世の中じゃスノッブ
古谷は次のマクベス44評をどうするのかなスノッブ
せっかく古谷の兄ちゃんが文化を身体や技術で語り始めたのに文化(というか20世紀前半の欧州文化)を護持せんとする住民が一人いますね。狭すぎて窒息しそうです。
自分の専門領域を守りたい、という理由はわかるけどそれは大学でおやりなさいな。あるいはアンチ古谷スレでも立てて。批評の風向きはすでにそこにはないし。
>>104 どういう事古谷は言っていたわけ?
演劇における台本問題って重要だから教えて。
もうこなくていいよ
面白くないレスはもういいよスノッブ
古谷が好きなら本ぐらい読めよスノッブ
>>127 君の独り言はいつも楽しそうだねスノッブ
このスレ削除しろよ・・・・「飯とチケットください」って事実無根
削除通報ぐらい自分でしろよスノッブ
「事実無根」を「スノッブ」に置き換えてみようスノッブ
おっぱいハンター
2/21エントリはまだなのかなスノッブ
>>131 削除しろよ。
古谷氏はそんなこといってないでしょ。
違うなスノッブ
スレタイがフルヤンの言葉だと誰が言い切ったんだいスノッブ
言ってるも同然だスノッブ
スレタイがフルヤンの言葉だって説は事実無根だねスノッブ
文脈からして当然だと思うよ。
子供みたいな屁理屈こねてないで削除しろって。
早く例を挙げろよスノッブ
もう子供みたいな屁理屈は相手にしたくないよスノッブ
おれたちには削除できないよスノッブ
おいおい、削除もしねーのか。
古谷氏の風評に悪い影響を与えるとか想像しないの?
ここの住人に削除権限あるわけねえだろスノッブ
削除依頼ぐらいしろ
削除しろと言う奴が削除依頼するもんだろ、馬鹿かよスノッブ
削除してほしいと願ってるやつが削除依頼すればいいでスノッブ
かぶったスノッブ
おれはもうした。スレ立て本人がしないと削除されないし。
スレ立て人が削除依頼しなきゃいけないなんてルールは2chのF&Qのどこにもないよスノッブ
そんなルール聞いたことないし、そうならなんでお前も削除依頼するんだスノッブ
スレ立て人が依頼すると削除率が高いだなんて法則もどこにもないよスノッブ
基本的に削除以来は量が多いと採用される。スレ立てた奴が依頼するとだいたい削除される。他は荒しの場合もあるから。
君は2ちゃんの削除ガイドラインを読み直すことからはじめようスノッブ
ありもしねールールを知ったかぶってんじゃねー真のスノッブ
削除依頼を何回もするとかえって逆効果だよスノッブ
そんなのソースないよ、また妄想かいスノッブ
ソースレス・スノッブ
スノッブソースなる機密ファイルみたいなものがあるのかもしれないねスノッブ
>>155 スレ立てした奴がしかるべき理由で削除依頼すると採用されるというのは常識だと思うが。
ソースも何もない話を常識だと偽るのはやめようよ、そんなの初耳だよスノッブ
根拠のないことをすぐ「常識だ」とか言う奴っているよねスノッブ
今度は「常識」を「事実無根」に置き換えてみようスノッブ
何か議論を自分に都合よく動かそうとするバカの定番パターンを集めたコピペで、「常識」で押し通すってのがあったなスノッブ
「常識」=「事実無根」=「スノッブ」 なんだか奇妙に円滑な図が出来たよスノッブ
この板に削除人はほとんどこないよ
削除人が自主的に板を回って削除してんじゃなくて削除依頼を通じて削除してるに決まってんだろスノッブ
前スレの1が
【カーボン】古谷利裕の偽日記11【だ簿ズ】ってタイトルにして、
廃墟化を狙った理由を知りたいぜ
このアホは何か言えば言うほど墓穴を掘ってることに全然気付かないなスノッブ
前スレのスレタイは意味不明で名誉毀損みたいなものだったねスノッブ
意味不明で頭を抱える瞬間、それがフルヤン的には「生々しく迫ってくる現実」なんだスノッブ
前スレをその線で褒める手もあったかスノッブ
マジでその埋め立てやめね?
よっぽど荒らし行為だとおもうんだが
しかもスノッブ埋め立てしてる奴は、次スレでまた意味不明タイトルを付けようとしてるんでしょ?
スノッブ君の存在が埋め立てみたいなもんだと思うよスノッブ
ぶっちゃけ
>>52以後、ずっとスノッブ君一人のせいで無駄ログが続いちゃってるよスノッブ
次スレの話をすると鬼が笑うでスノッブ
そもそも埋め立ててるわけじゃないしスノッブ
>>174-175は主張のボロが出たから話題変更してごまかそうとしてるだけだろうねスノッブ
そうそう、見るからにそれだったスノッブ
182 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/21(土) 23:50:12
>>117 彼死ぬの早かったね
デュシャンの甥っ子だったか
前スレでモーホーを馬鹿にしたが実はオレもチンポに興味があるんだスノッブ
マッタクラークってさ、ポストミニマルの手法をリテラルに拡張しただけでは、
という批判を岡崎がしているのを昔見たことがある気がするんだけど、
美術史に弱い俺にマッタクラークの位置付けをしてくれると、どんな感じになるんだろう?
「〜〜嫁」とかでもいいから何か教えてくださるととてもうれしい。
位置付け
というのは、ちょっと乱暴な言い方だったので、言い直すと、
通常、どんな言説で語られがちなのかな、というぐらいのことね
別段他意はなく、単純に「どんな論じられ方してるんだろう」って関心だけなんだけど
187 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 00:01:55
建築家にとって切断は情熱的モーメントだとすれば
クラークの切断は殆ど冗談みたいな切断ですね
テキサスチェインソーみたいなノリだしw
>>186 おお、初めて聞いた著者だ。これを機にちょっとメモっときます。thx
>>187 カール・アンドレのわずかな隙間を作った鉄板コンストラクションを
いわば建築物に対してそのまんま適用してるのがクラークなんじゃないか、
ってのが岡崎の指摘だったんだけどね。
建築系統から見て行って面白いものなのかよくわかんないですよね、クラーク。
建築家が見ても写真家が見ても面白くないけど、美術としか言いようがない作品ですよ
>>188 パメラ・リーは現代オクトーバー派の泰斗
191 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 00:26:26
親が、ロベルト・マッタとのことですね。
前スレで土屋のレクチャーがひどかったとあったが、どうひどいんだ?
そこら辺フォローして指摘してやんないと、悪口の吐き捨てだぜ
古谷批判を許さない人なら答えは返ってこないでしょう
194 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 00:39:45
>>189 家とかビルぶったぎってスプリットにした隙間から差し込む光を写真にしたものが多いけど
分身という文学的主題何ですかね?
亀裂とかウンハイムリッヒみたいな。
ザ・モラルハザードスレ
土屋・平倉・石岡
みんなあと一歩といったところ
>>194 文学は一応避けているでしょう
フォトコンセプチュアルが近いのではないかな
198 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 00:55:26
そうですか
室内空間を破壊して外とつないでしまうあたり脱構築的なのかなとか思ったけど
だから何みたいな話でもありますし
よくわからないです
脱構築とつなげるのはかなりたやすいでしょう
ヴィドラーあたりが好きそうでもあるし
でも脱構築のすべてが文学的なわけではないよ
当たり前だけどもとは哲学だし
飯をたかってもいいんじゃないの?
浅ましいってだけで
ルジャンドルなら「父」なんだよなあ
現代美術っぽいといえば、マッタ=クラークもそうだけど、
フェリックス・ゴンザレス=トレスが模範的な気がする
このへんをさらにテンプレにすると田中功起が生まれる
興味ないからw
フルヤンの文章に興味持ってあげてよw
誰も日記以外の文章を話題にしない
楳図で父について考えるとか転倒としか思えない
まあ樫村の欠点なんだろうけど
207 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 19:32:39
村上春樹てなんで批判されるんですか?
柄谷批評が一貫して否定してきたからです
座談会『近代日本の批評』を読むとわかるよ
209 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 19:53:26
現状追認
がよくないのかな
中上健次を推す時に対立軸にされていたような
正直全然性質の違う作家同士を並べてもピンと来ないんだけど
>>209 正直、今フルヤンが褒めている作家よりは圧倒的に上だと思うけどね
そもそも保坂和志よりは春樹の方が好きだね
213 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 21:32:41
保坂和志は
文学的な、あまりにも革命的な高揚感のもとで作られた作品は
不健康だとして
否定する人だとばかり思っていた
勘違いだったみたい
214 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/22(日) 21:37:55
村上春樹と古井由吉では
どっちが好き?
古井って答えればいかにもっぽいねw
さっき中上と比べるのが馬鹿馬鹿しいって言ったように、
そういうセンス闘争自体が下らんと思う
あーでも磯崎憲一郎とか興味もてないから人のこと言えないか
>イーストヴッドにおける「聖痕」
これなんのことだろう?
219 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 00:17:08
村上春樹って群像から出てきた人だろ、
たしか、群像新人賞とってたよな、
柄谷も確か群像にかかわってなかったかな、
金ないけど明日はフランケンズだったっけ?
集金人との格闘日記とか飯の無心って文士の王道だね
222 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 01:04:57
”金なら返せん!”って大川興行のネタでもあったよ。
223 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 01:05:45
画家とか批評家という以前に芸人的だよ。
偽日記って、ある種の楽屋オチだもん。
そうか……
この人が会田誠のような奴を蔑むのは事実上無意味っぽいね
そうそう、
セザンヌとかマチスとかいってるのも、
あくまでも、そういうキャラ設定であって、
あの人の絵をみて、セザンヌなんて思う人いないもん。
●昨日、明け方まで起きていたのに、朝八時過ぎくらいに玄関の扉を叩く音で起こされる。電気料金の集金。わざわざ来てもらって悪いんだけど、ここには現金はないんだ
なら会田とかチンポムの方が誠実なんじゃないのか
どっちもどっち、
裏返しの裏返しはやっぱり裏なんだし、
飯とチケットならまだかわいいもんだな
>最近、まるで中小企業の社長になったみたいに、常に金策に追われてる気がする。
確定申告してないのかね?
フルヤンは事実上中小企業の社長と一緒なのに
金策は自由業の基本
そろそろゴダールとリンチ以外の類型を作るべきでは
そしたら古谷は個人事業主でもないのか
どうでもいいんだけど
なんか十年ぐらい社会的経験値をすっ飛ばしてそうな人だ
236 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 10:50:22
セザンヌを勘違いしてた大正時代の洋画家みたいだ
238 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 11:06:13
年金や健康保険はともかく
住民税は滞納してると
給料差し押さえられるんだよな
住民税は払ってるんでしょ
今日もフランケンズに絶対行くだろうし
非課税かも
家賃払える人はたいてい非課税にはならないでしょう
でも税金のことは日記に書いてないね
家賃のこともあまり書いてなかったでしょう
電話や電気は後回しになりやすい
家賃は大家のおばさんに手渡しして柿をもらったとか書いてあった気がする
流しで洗髪みたいな日記から判断するに、
風呂なし格安物件だろうから、優先的に家賃を払っているでしょう
電気や水道止められても別に困らないしな
247 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 14:46:27
http://www.youtube.com/watch?v=5imHkP7IyGI http://www.nicovideo.jp/watch/sm5874263 職務質問は任意である。拒まれた以上、継続することはできない。 なぜなら、令状がない(憲法35条)からである。にもかかわらず、この連中は継続し、
国民の自由を侵害している。
まず第一に、拳銃を持っている最初の女は「どういう関係の方?(警察の上層部の方?)」というニュアンスで聞いている。あたかも、一般の国民が警察に
抗弁するのはおかしいとでも言う感じである。しかし、国民主権国家である以上、警察は国民の奉仕者(憲法15条)であり、この拳銃を持っている馬
鹿女の勘違いは憲法違反である。
次に、名前をしつこく聞き、強要行為を行っている。「私たちは名乗っているから、あなたも名乗りなさい」というが、警察官は権力を行使する以上、そ
の真正を証明・担保するためにも名乗る必要があるのに対し、一般人には何らその義務はない。にもかかわらず、強要行為(刑法193条 公
務員職権濫用)を行っている。
また、拳銃を持っている村上は「肖像権がある」などといって、投稿者の撮影行為という正当な権利の行使を侵害している。なぜなら、かかる不利益
処分・即時強制等が法に違反する恐れがあるとき、それを裁判で明らかにしなければならないが、これは映像の証拠があって初めてその裁判作用が
正確になせる。したがって、投稿者の撮影行為は裁判資料のための正当業務といえ、これを「肖像権」(そもそも、何の法にも判例にも明示されていな
い)なるものをもって、撮影者の行為を手でふさぎ、やめさせようとするのは、 職権濫用(刑法193条 公務員職権濫用)に該当する。撮影されるのが嫌
なら、警察官を辞めろ。
拳銃を持っている村上は感情的になり、「ゴルァ」と投稿者を脅迫(刑法195条 特別公務員陵虐)している。拳銃を持っている者に感情的にな
られたら、これほど恐ろしいことはない。
卑しくも司法警察職員なら、法治国家である以上、やりすぎというくらいに(少なくとも率先して)法律を遵守しなければならないだろう。にもかかわらず、この
連中は法律を無視するどころか、犯罪行為を働いている。
抗議先 兵庫県さわやか提案箱
http://web.pref.hyogo.jp/about_pref.html
249 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 16:26:17
男たちが出払って
静まり返った住宅街に
布団をたたく主婦たちのアンサンブルが
パンパン…パンパン…と軽快に流れ出す
はいパン!
ここでパン!
パンパンパパンパンパン
パンパンパンパンパパンパパンパンパン!
大きな男たちが街に戻ってくるぞ!
少年はけたたましい廃棄音を響かせる
女・子供らの時間は終わりだ!
あぁ
もうこんな時間だ
都(みやこ)に出て知人たちとの歓談に興ずる時間ではないか
フルやんは伸び放題の髪の毛をテンガロンハットの空いた部分へ強引に押し込み
250 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 16:29:58
頭から被った
半端に荒さないでいいから
太郎みたいなのがどこにでもいるのか、それとも太郎なのか。
打ち上げでフランケンズの方々にごちそうになる。
254 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 18:51:27
福住廉て完全に消えたね
255 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 18:52:50
本も出たし、さぼってるんだろ.
フルヤンと同じw
福住は事実上リニューアル後の美術手帖ブレイン
ブレインってほど脳があるかは別問題
福住は尋常じゃないくらい無思想だから使い勝手がいいんだろ。
美手帳とか、よくインタビューの起こしみたいなのもやらされてるよ
「批評家」の派遣労働形態化という点では、こいつの存在は実験マウスのようにオモロイ
だが福住の底の浅さというかメッキはさすがに長持ちはしないだろう。
258 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 19:16:44
おまいらよくあんな下世話な雑誌チェックしてんなw立ち読みする気も起きない
土屋がもっと書けばいいんだと思うぜ。
清水穣とか言っても、確か専攻は文学だ。椹木も
ふ屑みは知らないが。
こういった連中が牛耳ってるのがもう粗悪の要因な訳だからさ・・
古谷の躓きって、自分を天才だと自惚れた点にあると思う。
樫村の弟子として自分は知と芸術の根源を知っている、という思い込みが彼をある意味駄目にしてしまったのではないかな。
現実界に飲み込まれた、というか。
名誉毀損スレ。いい加減スレ主削除依頼しろよ。
スレタイが事実無根だぞ。これじゃ古谷が物乞いしていると勘違いされる。
262 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 20:12:11
>>261 こういうのが実は1だったりするから恐ろしい
セックス革命、いえい!
俺と君との黄緑色のランデブーはいつだってどこだって素敵なのさ。
嗚呼、君に賭ける想いの沿うこと月日にして幾千つき。
こんな夜更けだから思うことがある。
俺にとっては君のその可愛いピンクの下着は猛烈。
君にとっては俺のどこが猛烈?
セックス革命、いえい!
俺と君の燃える夕立は、いつだって不思議なほど快感なのさ。
264 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/23(月) 20:34:35
削除してください
削除依頼はすでに出されているよ。
いくらなんでも悪ノリしすぎたね。
つうか画家はたかるのも仕事のうちだよ。
実際、歴史上パトロンの多くは、
作家が飢えて死にそうなところを見て、援助を決意したわけだし。
今の時代パトロンなんているのか?
パトロンの気まぐれに翻弄される画家の悲哀。
どうせスレごと削除されるんなら自分の身辺雑記を垂れ流そうっていうか
個人事業主になる方法の本を買ったのに読んでないっていうか忘れてた
ワイルドライフのことを笑えねえや
確定申告はすばやく提出しておいた
ナントカ控除が多くて納税額が三分の一になったので良かった
>>233 いまこそ古谷は黒沢清を再論すべきなんじゃないだろうか
古谷はかなりの部分、黒沢清をめぐる言説で思考の軸を作ったところがあると思う
おそらくリンチへのこだわりも、黒沢愛好の延長で出来た線であって、
リンチ作品の見方も黒沢映画読解の蓄積から援用されているんじゃないかな
この人は黒沢をもう一度じっくり論じなおすところから始めなおすと、かなり変わる
>[ゴダールと対比すると]「顔」なしで作品を作品として成立させようとしているところ
>一組の兄弟が二組の兄弟の役をやる、ということもまた、「顔=固有性」が
>(作品の、世界の)「意味」を引き受ける最終的な審級として成立しないところで、
>どのように世界を構築出来るのか、ということに関わっているよう
2/22ントリーのこのへんを見ても、黒沢清についての言葉じゃないにもかかわらず、
黒沢作品の特性をめぐる言葉とよく似てると思う。
名誉毀損スレ。スレ主削除依頼板に行って削除依頼しろよ。
後始末ぐらいつけろ。
273 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/24(火) 13:25:29
消される前に埋まってしまうよ
前回よりは頑張って書いたと思うけど、
チケットをもらっても馴れ合わないぜみたいな姿勢が無理矢理っぽいなあ
観劇の機会は多かったはずなのに、こんな当たり前のことに今さら気付いたのかと閉口したけどな
なにも演劇に限らず、コンサートだって、なんだったらスポーツ観戦にだって当てはめられる
観る方の受け取り方次第だろ
LIVE≠チて文字通り、生き物なんだから
具体的な技術論が書けないんなら、ダメ出しすんじゃねえよと
いつも通り、どんな芝居だったのかさっぱり分からねえ
このごろ文学仲間に小金ができて観劇をたしなむようになったんだろうな
金がないとついていくのが大変
初めて舞台を観にいった中学生の感想文程度
>>261 >>272 確かにビミョーなセンスのスレタイだとは思うから、次のスレタイは改善されるだろう。しかしレスの内容を見れば誹謗中傷でないことは明らか。
依って削除は成されないよ。
あなたの恫喝まがいのヒステリックさの方が常軌を逸っしてる。
>>279 いや、俺は逆に、誰も傷つかないよう「配慮」が成された大人の文章だと思った
事実上のダメ出しだけに、悪い意味でだが
批判はしているけど、事実無根の誹謗中傷をした覚えはない
万が一、仮にアドレスが特定されたとしても、ちゃんと反論できるから怖くはないね
チケットもらうとか、トンカツうまかったけど普段は食わないとか、
本人がネタにしていることだから非難じゃないと思う
人から物はもらうけど魂は譲らないぜ、みたいなカッコヨサ
>>275 本当にどういう読者層を念頭においてるのかと思うよね
こんなことを今更言われて「なるほどぅ」と思うやつってどういう層なんだと…
>>285 フリードの演劇性概念を徹底的に考え抜くという原理性が受けています
文学が一番偉いと思っている人にとって、
古谷の芸術論は文芸を脅かさないから心地よい
ポスト大竹伸郎だよね
それは大竹に失礼
削除依頼出せよ。
はいはい、出しておいたよ
>>291 松井冬子スレに行ってみな
こんなもんじゃないから
実のところ、スノッブ君はブラウザで見てるのがバレバレなんで、
専ブラでなら対応可能な技への反撃策を使ってないんだよね
その気になればスノッブ君をまったく視野に入れずにすむので、
俺はこの二日ぐらいは爽快なものだ
(※ 細部に関する突っ込み不可
セックス革命、いえい!
俺と君との黄緑色のランデブーはいつだってどこだって素敵なのさ。
嗚呼、君に賭ける想いの沿うこと月日にして幾千つき。
こんな夜更けだから思うことがある。
俺にとっては君のその可愛いピンクの下着は猛烈。
君にとっては俺のどこが猛烈?
セックス革命、いえい!
俺と君の燃える夕立は、いつだって不思議なほど快感なのさ。
削除依頼出せよ
削除依頼出せよ
黒沢は90年代まで
テーマ的にあとは出がらし
社会に追いつけてないね
キュアはよかった。
現代社会の病理がうまく描けてた。
人格障害のテキストとしていい。
63 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/10/23(木) 01:49:50
ミズマって気がついたら、安井賞展的な具象画の画廊になってるな。
64 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/10/23(木) 03:00:01
小山トミオ系の次世代はミズマ系が主流みたいだな
タロウナス系、ヒロミヨシイ系は影がうすいw
山本現代系は皆きしょい
成山系は問題外w
65 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/10/23(木) 03:18:31
小柳系はまあまあ
スカイ系はつまらん
タカ系、シュウゴ系は皆一緒にみえるw
西村系は真面目すぎるな
66 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/10/23(木) 13:15:04
レントゲン系w
70 名前:わたしはダリ?名無しさん?[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 22:31:34
>>27 今更だけど
岡崎の「現代アート基礎演習」は面白かったね。BTやるなーってびびったよ
その後はいまいちだけど・・・
情報発信にプラスして、岡崎のみたいなアートの神髄そのものに迫るような特集をガシガシやってほしい
作家特集は、旬の人だと売れるんだろーけど、展覧会の図版買えばそれで良いような薄い内容のものが多い希ガス。
71 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/11/01(土) 00:56:23
岡崎の特集なんて買う人たち少なすぎて売れない
その代わり買う人は鬱陶しい位コアだけどw 少数
72 名前:わたしはダリ?名無しさん?[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:02:23
コアならいいじゃん
73 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/11/01(土) 01:37:12
しかし、アルバースの色彩論なんて、大概の学生がよんでたよ。
尚且つ、岡崎の作品の色って、ナンセンスだと思う。
74 名前:わたしはダリ?名無しさん?[] 投稿日:2008/11/01(土) 02:35:27
岡崎シンパとか四谷って、美術全体で見たらものすごく極小の動きだよ。
若いアーティスト、知らない人が大多数だと思う
同人誌レベルでやれば
終わった中年向けのいわゆるケータイ小説を書いてくれ
今思いついた
岡崎を理解できる人はほとんどいない
マイナーなのも仕方ない
美術の構造主義だもん、あれ
美術のプレイヤーはあれ読むと変容を迫られるか美術やめたくなるかどっちか
すんごいんだ
構造主義は理解されないってこと?
>>304 ものすごくコンパクトに要約するとそのとおりだと思う
>>305 理解するのに別の素養が要るだけ(といっても専門的、技術的な知識ではないけど)
稀に数学や哲学とか知らない人でも感覚的に分かっちゃう人はいる
古谷は、分からなかった人だと思う
彼はセンスは飛びぬけていいけど、岡崎を抽象絵画の理論としてのみ理解したのではないかな
構造主義の構造ではなく、ゲシュタルト心理学的な構造、まったく違う意味
言語、記号に対する嫌悪があるわけで、彼ほど構造主義とは無縁な人も珍しいと思うよ
>>307 まあ美術系で構造主義をおさえてる人は少ないかもね
既存の美術批評家がだらしなさすぎる
古谷の言語・記号への嫌悪さえ抜ければ、
岡崎を代数(構造主義的な意味での代数)から見ていく発想もなかなかいいんだが、
その議論を古谷の場合うまく練り上げられていないんだよね。
構造主義を迂回していきなりポスト構造主義に手を出すのは、
抽象を経ないでポップアートやインスタレーションだけ見るようなもの
しかしいまだに構造主義-ポスト構造主義の流れがアポリアになってんだな
浅田の構造と力から進歩はないのか
さすがにそれやるのは別の人なんじゃないの
古谷のいう構造は、ゲシュタルト心理学の構造だもん
最近の彼の言葉では「(イメージを)掴む」とか
要するに地があって図がある、という二元論
で、図は常に確定されていない(絶えず新しく作られる)、という展開でしょ
知覚心理学だから、ゼンゼン違う
>>311 浅田の「構造と力」の構造も別の意味だよ
あれは、散逸構造のこと
エネルギーが散逸して、そこに秩序が自発的に形成される
抽象表現主義はほとんど知覚心理学で済んでしまう
でも抽象には構造主義もある
>>313 原理的な説明が知覚心理学で済むのと、実際に作る、細かく分析するのとでは別だけどね
ただ原理は知覚心理学やこれからの脳科学だろうな
>でも抽象には構造主義もある
同感。
ソーカルは、『化学や生物学にすら顔を出さない深遠な数学的概念が思想や文学に奇跡的にも関係する、というような話は疑ってかかる
べき』であると指摘したのと同じように、『生物学者の多くが理解しづらいような表現をもちいて説明するような話は疑ってかかるべきである
』という批判が構造主義進化論に対してもなされている。
>『化学や生物学にすら顔を出さない深遠な数学的概念が思想や文学に奇跡的にも関係する、というような話は疑ってかかる
>べき』
ここがソーカル(物理屋)の駄目な点
数学基礎論とか分析哲学経由の美術論など一発で反例挙げることができるし
思想の固有名の議論も元を辿れば論理学つまり数学の分野だしね
彼自身は、物理>化学>生物学>心理学>文学の順に複雑度が上がり、システムを分析するのに数学は要らなくなっていく、という認識だったのだろうけど、心理学まではそうかもしれないが、文学や思想は数学と同じく脳が作った発明品
だから抽象化すれば、だいたい数学の何かとリンクしていく
三流科学者の話はもういいよ
知覚心理学でおおかた説明できるのって、
クレーやカンディンスキー、モンドリアンのようなバウハウス前後の造形主義者たちまでであって、
抽象表現主義になると、心理学とはまた異なった文芸批評への依存度が高まる印象がある。
グリンバーギアンは否定したがるけど、あれ製作過程論にずっぽり浸かってるし。
>>318 逆逆
「モデルとしての絵画」って感じかと
グリーンバーグのせいでコンポジションがなめられすぎ
>>319 ??
ええと、初期の抽象絵画が知覚心理学の応用だったのに対して、
(その後、バウハウス経由でモダンデザインに結実し、
アフォーダンスとともにアメリカで理論化・実用化されていく)
抽象表現主義は知覚心理学の構造を絵画でメタ既述しようとした…
それが「モデルとしての絵画」とか?
いや、違うだろうけど、説明プリーズ。
>>321 造型主義者こそがモデルとしての絵画
ロスコとかはけっこう単純でしょう
単純なものほど知覚心理学的になるのか…?
いや、いいや。詳しく説明する気がないなら。
いずれにせよ古谷は何も理解してないことは確かだろうな
勉強しないまま否定だもん
ラカンだって佐々木の本ではじめて分かったとかいっている始末
ラカンの心理学なんて数学基礎論、集合論の出来のよくない翻案なのにな
ただ仮説としては多分事実に近いこといっていると思う
まあ、それが近代ヨーロッパ人社会における知識階層の心理モデルなのかもっと普遍的なモデルなのかは不明だが
あとラカンはピアジェ(発達心理学)とバディウ(存在論)の両面から入るほうが分かりやすい
フロイトとは実はあまり関係はなかったりする
>>323 詳しく言ってるじゃん
構造主義はやっぱり戦前のコンポジション系の抽象に関係ある
抽象「表現主義」はもっと知覚より
だからグリーンバーグに受けた
>>324 >あとラカンはピアジェ(発達心理学)とバディウ(存在論)の両面から入るほうが分かりやすい
>フロイトとは実はあまり関係はなかったりする
お前さんの半可通ぶりには脱帽だよ
理系的に捉えるなら時代順序全無視上等みたいな考えなんだろうけども
>>324 >数学基礎論、集合論
これほとんど煙幕にしかなってないだろ
フレーゲだけでいいじゃん
つまり論理学
ラカンがフレーゲ読んでるのは明らかだし
>>325 言いたいことはおおよそわかった。
お前は知覚心理学も構造主義も抽象表現主義も、
骨子だけ見て曲解している程度だ。
スルーしとけって
>>326 それでいえば、ピアジェもバディウも文系ですが
理論と理論史は異なる
>>327 フレーゲは数学者ですよ
そして論理学は数学です
分析哲学が隣接領域だし、アメリカだと哲学の教授がロジシャンだったりするけど
まあこの種のカテゴリーは人為的な仮定だからどうでもいいでしょ
佐々木本で開眼するようなレベルだもの
ルジャンドルとか正式な法学も知らない人が一朝一夕に理解できるとは思えんし
ラカンでいえば「要求」しているのよ、いつまでも
そういう専門性の要求も萎えるなあ
ぶっちゃけ佐々木中の法学理解度を突いて叩いても意味ないじゃん
>>330 いや、だからさ、ロジックの基礎すら拒否ってるやつに
「集合論やってないとかw」って煽っても空しくないか?
俺ならフルヤンに野矢の論理トレーニング読ませる方が生産的だと思う
食い物とかじゃなくてファンはそういうの送ってやれよ
他分野については優秀な新書レベルの理解でもいいと思うんだが
ここに来る理系?くんは、自分のやってる分野の知識の有無で優位に立とうとしてるけど、
美術鑑賞板でそういう振る舞いって端的にイタイ
>>332 これが専門性の要求に見えるとしたら、ちょっと危ういよ
思想の生産性は多領域のクロスオーバーにかかっているし
専門と専門をつなげるコーディネーター的役回りが思想、批評のひとつの役目でしょう歴史的に
プロ思想家なら勉強あるのみ
>>334 君には分からないだろうけど、古谷の読んでいるラカンなり樫村なりはすでに美術の枠組みを超えているから
無知の開き直りは端的に恥ずかしい
噛みあってないw
父の名の排除がある。抵当権
象徴的父の問題系は、無限論で理解したほうがいい
野矢さんの新書も悪くないけど
いろいろ勉強しなきゃね
こんな名誉毀損スレ見ている暇はどこにもないんだわさ
みんなやることはある
血税で研究することもある
ブラックホールは存在しない 宇宙は膨張しない
>>338 ああそうね
でもお前がいちばん見に来てるみたいよw
亀レスだけど、松井冬子スレってマジ病的な私怨だよな。
たまに目にすると本当に110番通報レベルだぞ、あれ。
本人が知らないわけないし、余程懐に余裕のある人なのかね。
もう、美術がどうとかそんなレベルではない、神経の病理
ま、何が言いたいかっつーとおまいらも暴走には気をつけろ
>>340 元々いろんな怨念を呼び集めそうな絵だもんなw
名誉毀損スレ。古谷は「飯とチケットください」なんていってない。事実無根。誹謗中傷。
即刻スレ主は削除依頼すべき。
もうじき春ですねえ
貧乏日記にそういうネタはつきものでしょ
>ネットカフェで調べもの。なんかすごくめんどくさい。
こういう金の使い方をするのがさすがフルヤン
古谷の書いてるものにダメ出ししようよ
ゴダールの「顔」について書いてるとこなんか、他者への配慮を簡単に切り捨てた「純粋化」以外のなにものでもない
反復になるからなあ
ゴダールとリンチ以外にも規準を増やして欲しい
とはいえ、たぶんシネフィルを心底嫌になってるんだろうから、ヒステリックになりかねない
モデルを精密にしていくのは「なんかすごくめんどくさい」んだろ
>>347 >ゴダールの「顔」について書いてるとこなんか、他者への配慮を簡単に切り捨てた「純粋化」以外のなにものでもない
くわしく。「純粋化」って誰の概念?
俺は
>>347ではないが、
フォーマリズムにおける「純粋視覚性」だろ。
いや、純粋化=純粋視覚性ではなく、後者が念頭に置かれているだろぐらいでよろ。
というか、柄谷行人の「形式化」のほうが手っ取り早い。
>絵を描いていて
これに軽い衝撃を受けたぜw
なぜ?
今年は発表しないってのがたぶん嘘だなあと確信したから
ウンコスレ。即時削除よろ。古谷の名誉は漏れが守る。
>>350 古谷自身の言葉だろ。
ゴダールのところで古谷が書いてる。
古谷って平倉のレクチャー聞いてたんだっけ?
去年のPGでのレクチャーは聞いて日記で書いてたと思うよ
じゃあ顔はそこからの連想だね
組立がPGってのは意外だったなあ
そのコネで古谷写真展やるといいんじゃないか
佐々木と保坂が会って話をしたっていう佐々木ブログもちょっと驚きだったが、
この線で行くと、来年には古谷とも会ってるかもわからんね
古谷にとっての成長チャンスになり、古谷の基本的な偏狭さが緩和されるのなら、
佐々木と会って交遊してほしいなあ、とは思う。(佐々木評価はともかくとしても
佐々木自身の偏狭さってのもあるぜ
その界隈はある種の狭さを売りにしている気がしてならない
364 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/25(水) 23:26:33
>>360 映画史みてれば
誰だってゴタールの顔に
特権性が付与されているのは気がつくでしょう
夢のなかで掴んだ一輪の花=夢の通行証をおれは持ってるぜ!
て語ってたし。セルフポートレートに被せてさ
>>364 でもフルヤンって作品そのものから図式を作るの下手じゃね?
平倉からのインスパイヤかと
うーん、映画史のゴダールの姿・身振りが、
顔のみならず一種の特権性を与えられてるのはあるけどね、
俺も
>>365と同様な発想しちゃうな
古谷はそういう図式を自分で作るの下手だし
あと、「ゴダールの顔・肖像・イメージ」の、つまり作者の身振りの特権性という意味じゃなくて、
2/22のエントリーで言われてる「顔」の特権性ってのは、
ショットを何によって高めてるかとか、ショットの存立をどんな構成要素にしてるかって論点の方だと思うよ
つまり、ゴダールにとっての「顔」の使い方
古谷の映画論は、意識的に反シネフィルな気がするし、
斉藤環にいろいろ継ぎ足したものではないかな
>>368 俺は
>>270-271でも書いたように、
黒沢清をめぐる批評言説(特に大寺眞輔による黒沢清論)経由で、
黒沢清作品で言及される「世界」とは何か、とか、
幽霊は何の現れか、とかそういう順序で発想されたものだと思っている
おそらく古谷は黒沢清作品を精神分析寄りに消化したんじゃないかな
370 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/25(水) 23:39:44
抹消される顔の固有性なんて中原ですら
あとがきで書くくらいに紋切り型
ああ、顔と固有性という論点自体はたしかによくあるものだよね
>>368の言う斉藤経由説は、顔としての特異性云々って意味か
でもあれ自体、そもそもレヴィナス経由だし、割とありふれてるよね
>>369 ごく初期の偽日記に「黒沢清論集を受け取る」ってのがある
これが気になってならん
>>372 ああ、それはnobodyだったかどこかから出てたやつじゃないかな
なぜか石岡も寄稿
俺も持ってないから中身は知らんが・・・
>>373 もしかして石岡ってシネフィルなのか?
他に誰が書いてたの
>>374 あんまりそういうイメージは無いけど、『シネマ』ぐらいならじっくり読んでるだろうし、
多少なりとも映画論の関心はありますよ、ってぐらいかなと思ってる
スピルバーグ論のときにはバーチとかエラセサーの議論も注に挙げてたらしいし
エラセサー読んでるってことまさかファロッキなんかも好んでるのかな?
なんて根拠なく期待していたりするのだが・・・・(誰かファロッキをまとめて上映してくれないものかと)
『黒沢清論集』(黒沢清研究会編、2000)については
小沢麗子「まず内面の粛清より着手せよ」を古谷は2000年に言及してるね
ttp://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20000430 他には石岡「「あるがまま」の藪池」などが入ってるらしい(『カリスマ』論か)が、
それ以外はぐぐっても出てこないな
…調べてたら石岡のブログ見つけた
ttp://ddstorage.exblog.jp/
>>375 blog開いた途端コアなゲーマーぶりに吹いたw
ずっと前に出てた、石岡ゲーマー説が当たってて正直あの言及は楽しかったw
>以前『ユリイカ』2007年5月号のコラム「われ発見せり」に書いたように、
>私が「作品」を了解するさいのベースはゲームにあります。
>現在、特に「ジャンル買い」を意識しているのは2Dシューティングゲーム、英語ではshmupsです。
ここなんかもう最高ww
友達でパチやりまくってて、パチンコ屋の内部と生政治的包囲、
ヤクザつながりとアニメの昨今のパチ化についてこだわってるやつがいるんだけど、
石岡もこういうかたちであれ、何らかの政治性を導入した議論してほしいなあ、と思うかな
3Dタイプの射撃シュミレーションって最近精密になってて、
軍事訓練シミュレート技術の民生化みたいなところあるし…
石岡は本当に貧乏人なのかもしれんな
って、たったいまブログ更新されてたねw
今度は諸星大二郎論書いたのか
屈託なく漫画も論じる姿勢は、悪くはないよね、と無難にコメントしておくよ
>>378 古谷みたいに貧乏ネタを売りにしないで、コツコツともの考えてるのは嫌いにはなれないな
非常勤の収入って結構しんどいらしいからねえ
本買うのがつらいな
研究者なのに灰塚のセッションに参加したり精力的な人だよな
>>375 アニメについて発表してるからシネフィルじゃなさげ
単にそれはシネフィルがアニメについて語るすべをもたなかった、開発しなかったというだけのことではないかと
てきとうに言うけど「日本のシネフィル」の問題じゃないの
どうせ欧米のシネフィルはもっと色々見てるはず
うん。単に蓮実系シネフィルの、つまり国内シネフィルの大半の悪癖・欠点でしかないってことだと思うよ
人脈的には蓮實系と接点ありそうだけど
これか
「チェイス・カートゥーンの身体表象――Tex Averyにおけるアニメーションという媒体」
プーさんを論じるのも、丹生谷なんかはよくやってたから、一応ドゥルージアンによるプーさん論という連続性はあるんだよね
こじつけっぽくないすか
まあ、プーさん特集読んでないから知らんけど、
ドゥルージアンがプを語る文脈って日本では丹生谷が強く思い出されるよ
石岡がドゥルージアンって印象ないんだよなあ
もうやめちゃってるんじゃないか
単にいろいろ混濁した系譜を持ってる人で、
その諸側面が論によってばらけて出てる人なんじゃないかなあ
混濁ワロス
ドゥルージアンと決め付けなくてもいいじゃない
ゲームネタさっぱりわからん
混濁というより、スキゾキッズを地で行ってるところがありそう。なのでドゥルーズ=ガタリでOK。
>>402 なぜ貼られたのかわからないが、面白い話だね
>>403 フルヤンのばあちゃん話を思い出したから
出されるお茶がうまい場合に限る
おそらく、古谷においては「自然」というよりは「偶然的かつ有機的な複合組織の形態としての植物」とか、
あるいは男性的/女性的と置いて後者を植物的とするような、図式からきてるんじゃないかな
はてなの方には見つからなかったけど「僕は植物的な人だといわれる」だったか、そんな文章も昔あったからね
だってこの人のモチーフって植物だから
たぶん抽象画は描けない
うん、列挙したURLの中には井上実評やマティス評、ゴッホ評もあってね
井上好きなのも間違いなく植物形態からきてる
抽象を植物形態の知覚心理学的複雑さ(
>>307-320の言う文脈)で受容したのと、
日常事物からの発想、接続ってあたりからだと思う
>>407 >僕は植物的な人だといわれる
これはただのナルシシズムだよなあ
どうせなら「なぜ植物図鑑か」でも参考にすればいいのに
図鑑は記号だから駄目かw
一応、列挙URLには中平卓馬評も入れてあるんだけど、
中平の本を古谷は読んでる気配ないな
>ナルシシズム
大寺もその種のナルシシズムが強い人でね、
そういうことを言いたがるやつって結構いるんだわw
あ、いや、図鑑は好きみたいよ、古谷は
URLまとめの最後から二番目に『大日本樹木誌・巻の1』を読んで魅惑されているらしいことが書かれてる
これをくれた「Oさん」って、時期的に大寺じゃないかと思うが
>>412 そうなのか
でも図鑑の分類体系って制度的な「枠」そのものだろ?
博物学的な分類ってことだね
図鑑評の日記では描線と描写しか語ってなくて、
都合よく配列、体系は無いものとする古谷のご都合主義が利いてるw
あと、この日の日記には
>ぼくの勝手な解釈による、自閉症への憧れのこととか。
>『自閉症はマテリアリズムである。自閉症は反人間主義である。
>自閉症は人間的なものに捕らわれずに、コズミックなものへと開かれている。
>人間的な共感や感情とは別の仕方で(その外で)、世界に対して開かれ、
>様々なものごとと関わるのだ。』とかなんとか、そんな風な、ほとんどいいかげんなホラ話みたいなこと。
とあって、古谷って十川による自閉症記述で批判できる振る舞いじゃないかと言われるのは、
あながち偶然でもないという・・・
反人間主義-抽象性(=観念性)-非文脈性 / 他者性-事物性-形態組織の規則
の間でずっとグラグラ揺れてるんだよね古谷は
だから矛盾したようなことばかり言うし、舌の根も乾かないうちに転身したりする
自分のとらわれてる図式への自覚が弱すぎるっていうかな
>>413 よく読むと、図鑑評では
「過度に事物に接近した描写が分類制度を超えている」と
いかにもなこと言ってやがるな
構造に対する外部=過剰 っていう図式がそのまんま出てる
>>415 だろw
みんな古谷理論がだいたいわかってきたというか
綿密かつ多岐にわたって古谷の力の底が見えてきたというかw
でも市場や商業主義には屈しないから、ある種の人にとってはメッキがはげないよ
だから、めちゃくちゃ「制度的に」生き延びる可能性高いんだよね
すでに保坂さんがそのライセンスを与えています
で、保坂受けみたいなのがある意味で最も根強い文芸近辺の制度だよね
そこで制度批判してプレゼンスを獲得すれば生き延びられるっていうね
冗談じゃねえよと
各世代にこういう人がいるんだろう
フルヤン食いっぱぐれはないんじゃないかね
金持ちにはなれないかもしれないけど、
保証されてる位置にいるとは思う
なんていうか凡庸な左翼ロマンティシズムから政治性を剥落させて、
自分の癒しと言い訳に転用するようなロジックだからな、あの手の制度批判や、保坂言説って
政治的なアプローチだったらまだしも、「そういう手じゃないと効かないことってあるよね」とは思うが
DVDとかチケット進呈するような作家がいるからな
岡崎とか石岡の方がよっぽどマイナー性(DG的な)があると思うんだよね俺は
石岡さんこのスレ内でプチブレイク中w
古谷学が進展してきたな
古谷の最も熱心な読者たち
誰かが古谷論を文芸誌に書けばいい
せめていい絵を描いた後なら
>>430 そこまでの対象として認知しているという空気が生まれそうで、かえって嫌だ
このスレで整理されて突っ込まれてるぐらいでちょうどいいよ
竜騎士07みたいなもんだ
竜騎士07はけっこう人気あるだろ
言い訳癖と間違った方向への突入、基本前提が思い込みで、批判されやすく、
2chスレでの批判が網羅的に批判論点の整理に成功しているという意味では竜騎士受容とは似てるよ
たしかに客数はあっちの方が桁違いだが、幼稚さでいったら似たようなものでは
どこが本スレ?
普通にメジャー化しているから古谷とは違うんじゃないかと思うが
うーん、まあでもアニメ化・漫画化が効いてるだけで、
それ抜いたらかなり微妙な存在だったと思うけどね
詐欺みたいな謎かけで前倒し的に評判を手にした卑劣さは、古谷にはないとはいえ
竜騎士関連は、ゲームカテゴリーの中に同人ゲーム板ってのがあって、そこが本スレ
だけど本スレは赤字で少数のファンが回転させられてて、
基本話題がネタとキャラいじりとエロばかりだから、
批判スレ(スレタイに批判スレと銘打たれてるのが二つある)の方が竜騎士批判としてはまとまってるかな
つうかひぐらしとかやってるのかw
偉いな
よくしらんが、詐欺と騒ぐミステリオタの方が狭隘なんじゃないかという予感
うん、ミステリとしての批判とかしてもつまんないのはわかるんだけど、
3,4年かけてついてきた読者が可哀想になるからね
ナンチャッテ社会派とでも言うべきモチーフの不徹底さとかがつまんないんだが、そこはあまり突付かれないな
東の弟子の前島がひぐらし論なんかも書いてるが、かなり甘かった
でも詐欺とか言っちゃうのはだめでしょ
詐欺云々よりは、ミスオタ側からの批判は最近は主として
「いや、詐欺とか言う以前に面白くないんだよね、これ・・」ってのと
「単にぐちゃぐちゃになったメタフィクションって面白くないよ」の方面が多いかなあ
後は「明らかに知ったかぶってミステリ批判してる竜騎士の痛さはちょっと洒落になってない」とか
うみねこにいたっては単純に面白くもなんともない、ダルい作りだ
あなたもミステリオタの一人って事ね
詐欺ってのは、まあいかにもオタク的な、ジャンルとそのマーケットと消費者の満足
みたいな構図の話だから、そんなに突付いても面白くならないんだけどね
ただ、「読者の大半の不満」を代弁するみたいな構図をとると、大体この図式になりやすい
謎を解け、推理しろ、で煽りまくって評判作ったっていう前史があるから
まあそれはそれとして、ってところなんだが
>>441 いや、ミステリ云々を明らかに竜騎士は作中・作外でいいまくってるから、そっちの微妙さが一番目立つんだよ
俺は単に、メタ構造がつまらんなあ、とか
作者の死から二次創作的マトリクスへ、っていうのがあんまり捻り感じないなあ、とか
そういう感じかな
竜騎士の話はさすがにスレ違いなんで、古谷に戻そう
なぜこの人はネットカフェに行ってるんだろう
ネット接続費用上の問題なのか?
教科書置きっぱなしの奴っていたね
>>444 あっという間に答えが出たねw
思考停止したいからだろう
家の中に環境作りたくないんだな
キャベツとタマネギは安いから野菜炒めは貧乏暮らしの基本なのに……
2/25エントリの投げやりっぷりには吹いた
この路線なら面白いからどんどんやるといいよ
単なる、ぼや記…
暖房とか冷房が無ければ妖精になれるレベル
>>447 マリー・シュイナール評のときに触れた「一流難関校」云々の嫌味たっぷりな制度批判も
結局怠け者の怨念とコンプレクスか
長生きは絶対に無理
>買ってきた野菜とか魚とか肉とかに火を通して、塩こしょうか醤油をかけたものとか、納豆とか練り物とか、それくらい
>(フライパンがないし、サラダ油もないので、野菜炒めとか出来なくて、素材にただ火を通しただけのものに塩とかをかける)。
>>449 クソ長いだけで、ただの学生のブログに毛が生えたようなかんじだ
名誉毀損とか吹っ飛んだw
>>452 熊谷的「長生き」「老年覚醒」の構想は、ただの先送りレトリックだから、現実的には何も考えてないだろう
出来事を到来させるには待機が重要である の人生論的な、都合のいい言い換えでしかない
>>448 >鍋と(百円ショップて゜買った小さい)土鍋、ザルと果物ナイフしかなくて、フライパンもまな板もなければ、
>電子レンジもオーブントースターもないし、菜箸とかオタマすらない。炊飯器は壊れている。
「何があったのか」というぐらいの投げ槍っぷりすぎる
「て゜」って何よ、とかそんな突っ込みすら頭から消える
野菜と魚食ってるからいいんじゃね、とか励ましてあげたくもなるが
あと、睡眠とジョギングが適度にあれば大丈夫かと
成人病の方は大丈夫そうだね
って親切かよw
いやーこんな食生活じゃ駄目だろう
だめっすか
火を通すってのは煮るか焼くか?
油ないなら炒めるのは無理
>>462 組み合わせが思いつきにゆだねられすぎているw
日記書くことないのに、仕方なく書いてて投槍ってのがすげえ明確に出てるなあ
仕方ないな、今日の日記ネタこれでいこ、と決めて、
小一時間で作業なり何なりの途中にざざーっと書いて、さて、原稿原稿… の日々なんだろうな
でもかなりの人気評論家だよな
酒の種類にもよるでしょ
安酒は寿命縮めまくり
>>465 人のこと笑えない食生活だからズシンと来るよその言葉
>>469 酒樽の中に古谷が入ってるっていう、ちょっとこう、萌えキャラ的な「何か」
萌えと天皇制について語れ
貧乏食生活のために便利な板・スレ・ブログなんかもあったら紹介してほしいぐらいだ
古谷よりいい加減な食生活してるから耳が痛い
フライパンがないなら串に刺して火にあてて食ってるのかな?
原始人みたいだな。
古谷よりいいかげんって原理的に困難だと思うのだが
なぜかそこは中華鍋とか
って油無いならだめか
名誉毀損スレ。削除依頼しろクズ
>>479 調理道具も当然古谷よりあるけど、つい麺類でごまかしたり
野菜・魚を少なくしがちで、バランスが古谷よりやばいって意味
>>482 古谷は炭水化物を酒で補ってるのがヤバイ
ワイルドライフ
さすがに酒を栄養摂取の範囲で考えたりはしないなw
ワイルドライフっていうかプアライフではないかと
生の貧困、経験の貧困、と題して何か書いてほしいぐらいだ
それこそベンヤミンとじっくり向かって
実際のプアとは違うのでは
フライパンだって100円で買えるのだから意図された愚行だろう
意図された愚行とはなかなかいい言葉だね
自ら望んだ醜態、志向する天然というところか
こういう人は大器晩成だから絶対に絵が値上がりするよ
491 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/26(木) 17:45:30
オードリー春日みたくなってきたなぁ
924 名前: 名無シネマ@上映中 Mail: sage 投稿日: 2009/02/23(月) 02:06:26 ID: +vxY14u5
>>882 まさにそうなんだよね
パゾリーニだのベルイマンだのリンチだのといった作家は
映画を使って自己表現することしか頭にない人たちなんだよね
一方ゴダールやストローブ=ユイレやペドロ・コスタや侯孝賢とかの映画は
映画自身に語らせていくような映画なんだよね
作家の思想やら政治やら映画にとって結局はどうでもよい事柄を遥かに凌駕して
豊穣な言葉が連綿と紡がれているんだよね
まあ前者の作家の映画の方が具体的な主題とかがはっきり提示されててわかりやすいから
それをネタにして何か語った気になりたい人には受けがいいのかもしれないね
なんか賢くなった気になれちゃうからね
つまり田舎の中学生かそれと同程度の感性しか持ち合わせてない人向けの映画なんだよね
それ、たしかゴダールスレのコピペだと思うけど、
そんな単純な二分法を鵜呑みにしてるのって蓮実信者近辺だけだよ
>>491 最近のお笑いなんて全然見てないからついyoutubeでチェックしてしまったじゃないかw
「映画よ、語れ」という立場は作家としては当然でしょ。
商業映画なんてとくにそうだ。
ただ一部の批評家までがそのスタイルで語ってるのが可笑しい。
政治や思想などがオミットされ、まるで最初からなかったかのように振舞われる。
政治や思想を読み込み、進歩的知識人として適切に批判する、という従来の伝統が消えた。
残ったのは映画マニア、研究者の仲間サークル的、学会的言説。
知識人の腐敗、というのはすでに悪しきクリシェだが、ここまで痴呆が進行するとは思わなかった。
重彦の思う壺ってとこだろう。
映画自身に語らせ、かつ、それが思想や政治と濃厚につながるというラインだってあるからね
そこを単純に内外で切るような発想は馬鹿のための餌にしかならないんだよね
shiguehiko hasumi
若い映画批評家でいまやゴダールとド・ゴールの関係性とか論じられる人間いないでしょう
ゴダールの政治性については「強弁の人」というハスミ的理解のレベルでなんとなく理解しているんじゃないのかな
重彦こそ強弁の人なのに・・・・
フランスという国においてゴダールやドゥルーズ的価値観が出てきたことは、事件なんだけど、
それをオタクが好き勝手に闊歩している日本で眺めると事件ではない
そういう視線の落差を意識したエッセイとか書けないでしょ、若い彼らは
ゴダールの映画についてはいくらでもシネフィリーに語れるだろうけど
それが政治状況でどう機能したか、というあらましについて大衆に解説してあげたりする配慮はないし、その能力もない
そういうことは「野暮」だといういかにも純日本的スタンス
「映画よ、語れ」から「アテクシが映画を語ってあげる」へと逆コースをたどる必要もある
バブル崩壊というのは、つまりはそういうことだったのだ
特に古谷に関係なく、この第二版論集に入ってるサイード論文がCritical Inquiry(2000年冬号)初出で、
洋書の巻末文献表で見て、「えー、これ訳あったっけな、っていうか単行本の何に入ったのよ」
とか思いながらぐぐりってただけなんだが、
ミッチェル論文の紹介文としてブログ主によって書かれてる
>おそらくキーワードの一つであろうと思われる言葉は、風景の「自然化作用[naturalization]」であろう。
>ミッチェルは、マルクスの価値形態論やフェティッシュ論を借用して、
>風景が社会的諸関係を隠蔽するヒエログリフであるという。
>その隠蔽、または「自然?化」??自然風景と引っかけているのだろう??を暴いていくのが
>この論集に収められた諸論文である。
を見ると、めちゃ対古谷的議論にもつながりそう
逆に古谷も興味を引くかもしれない、って可能性あるかな
蓮実云々からつなげて言うと、こういう問題系で絵画、写真、彫刻、映画もろもろの連中が
活発に議論しあうようなことに日本でもなればいいのに、全然そういう要素がなくて困る
風景の発見とかにも通じるのかな
日本の映画とかの批評やっている若い人は、とりわけ政治に興味ないからね
それで面白いエッセイが生産できているならいいけどさ
ただ、ドゴール右派的なリアルポリティクス論、つまり核実験を脱構築するというフランス現代思想の
戦略を見抜けず、ゴダールだ、ドゥルーズだ、とはしゃいでいたのがバブル日本思想だった
重彦はさすがに恐れを知る人だから、バルトへと逃げたんだけどさ
しかし今日の若い人は、みんなその点うかつで。
ド・ゴールとの格闘こそフランス現代思想の本質だった
>>499 そうだねぇ、ドゴールや戦後直後の政治言説との関係は
マッケイブがある程度触れて論じてて興味深いんだけど、
せっかくマッケイブの本も出たのに、「所詮、実証研究者の体のいいまとめだね(苦笑)」みたいに
実質読まずにスルーみたいな、酷いことになってる気がする
トリュフォーがアクシヨン・フランセーズの言説に共振していくという指摘とか面白かったよ
レーナルトやバザンにおける政治と産業への対抗言説としてのカイエ初期とか、すごく興味深い議論もある
蓮実こそ強弁だろうってのは同感だよ
見てみぬ振りと自己弁護みたいな言説が作られすぎてる
>それが政治状況でどう機能したか、というあらましについて大衆に解説してあげたりする配慮はないし、その能力もない
これは、あら探し的な意味でなら四方田がやりそうだけど、
(『パレスチナ・ナウ』で足立の『赤軍PFLP』とジガヴェルトフ集団の受容の対比をさらっとやってる)
四方田はその場限りの放言みたいなレベルの研究しかしないからな・・・
売文屋だからね
>>502 そう、そう
結局バブル期にフランス現代思想の輸入をしていた人たちは能天気だったわけよ
日本がド・ゴール化した今日においてみんな何もいってないでしょ
当時、デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ゴダール、とかいってた奴らは見事に沈黙
ド・ゴール的リアルポリティクスの恐ろしさを理解できなかったのよ彼らは
まあエリートではなかったということ
基礎知識(教養ではなく)の不在が現在の批評的荒野を生んだ、といってよい
過激化したゴダールを「強弁」といったり「遅れる人」といったりまことしやかな言説を組織した
のは誰だったか
それが最高学府の総長という点がすべてを語ってみせているよ、まったく
バブル以降日本の言説は10年遅れたね
>>502 >日本の映画とかの批評やっている若い人は、とりわけ政治に興味ない
大半が古谷みたいに政治を不純物として排除するか、
あるいはペドロ・コスタや赤坂大輔みたいに漠然と
「世界の現われを映画で回復するのだ」とか「ブッシュはこれこれの映画を見よ」とか言い放つばかりだからね
で、両者は蓮実的政治回避として同根
ぶっちゃけ、ドキュメンタリー映画についての理論的言説、批評的言説が
めちゃくちゃ停滞してるのも関連してるよ
阿部・マーク・ノーネスのような近年の記録映画をミクロポリティクスで考え直したい、
といった発言をする人間すら滅多にいない(森達也も言説レベルでは阿部以下)
>重彦はさすがに恐れを知る人だから、バルトへと逃げたんだけどさ
バルトへの逃避がいまやスタイルとして完成されて、若年層を包囲しちゃってるよね
60-70年代のド・ゴール政治については正直よく知らないので、コメントできないや・・
>>505 >当時、デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ゴダール、とかいってた奴らは見事に沈黙
むしろその人たちを腐しはじめ、国内のプレゼンスを維持しようとしてるよね
寄り添い、さらに考えるという方針すらまっとうできてないって意味ではかなり最悪な帰結だと思う
>>500 同感。
風景論は、柄谷が「日本では」起源なんだろうけど、日本の連中はどうもやりたがらないよね(スガちゃんとか除いて)
風景とか自然(ジネン)とかって日本のいわば伝統的感受性で、そこかしこにある。
「美しい日本」とか。
今こそ求められる論点だと思うよ、ほんとに
権威のある媒体に書く権利を持っている恵まれた人にはぜひ書いてほしいんだけどねえ
柄谷の風景論はバブル日本でこそ書けたのかも
>>507 うわあ。ほとんど同意見だw
森達也は、俺はいいという立場だけどね
彼こそ進歩的知識人でしょ、いまや
政治を不純物として排除する芸術家の若い代表が古谷なんだろうけど、
まあ、それは芸術としてはアリなんだろうけど、
若い連中の批評や言説までも右にならえ、になっているのは気がかり
そうでない言説は、「非モテ」とか「サークル」とかもっと最近の連中はやっている
でもいくらなんでもドメスティックすぎるというか
でもこれこそ「ミクロポリティクス」「分子政治学」なのかも、とはたまに思ったりもするw
バルトへの逃避がスタイル化された、という意見はまさにそのとおりだろうな
逃避の手口も巧妙になってきている
ネットで多少なりとも面白い映画論をしている連中も、バルト的な耽溺こそ正義、というスタンス
本人がバルトを知っているかどうかは不明だけどね
ドキュメンタリー映画といえば「国道16号線」のアレがクリアだけど、
東浩紀がむしろその方面の論点を頑張っている印象があるんだけどね
東は、シネフィルではないし、それどころか文化についても知的な興味以外はない人だと思うけど、
何だかんだいっていろいろ面白い視点を出しているよね
>>510 >森達也は、俺はいいという立場だけどね
俺はあんまり森の作品追ってないので、発言ぐらいしか知らないんだけど、
ちょっと論立てと言葉が素朴すぎるかなあ、って気持ちがあってね
でも、好意的に読み、可能性を引き出したりつなげることはできるとは思うし、
マイケル・ムーアに対する是々非々の評価も割と好感もてる
少なくともシネフィルの大半がおこなった黙殺と趣味的罵倒(青山や葛生)に比べればはるかにまっとうだ
ムーアが話題になったときほど、国内シネフィルにおいて
政治性と記録映画をめぐる批評言説がどれほど不在だったのかが歴然としたことはなかったよ
しかしその事態への反省すらほとんど生かされてない
>それは芸術としてはアリなんだろうけど、
個人的には嫌だw あと、芸術においても排除してない行為も多いしね
>そうでない言説は、「非モテ」とか「サークル」とかもっと最近の連中はやっている
うーん、俺はあのへんの言説には躊躇するところはあるけど、
カルスタの良さともつながるからうまく展開させてつなげるのも重要だろうね
>バルト的な耽溺こそ正義、というスタンス
後期バルトの趣味耽溺と、バタイユ的脱我の言説が、あたかもドゥルーズと同じかのように偽装され
完成されたスタイルが席巻してるって感じだね
>>498の本を買おうとしてアマゾンうろついてたら、
マルティン・ヴァルンケ『政治的風景―自然の美術史』法政大学出版局 (1996/02)
なんて本があったよ
アマゾンの紹介文ぐらいしかwebに書評が見つからなかったけど、
>風景にもたれ/一体化し風景に手をつけ/変造し風景を取りこみつづけた政治的想像力の美術館。
>風景画に政治的シグナルを読む。
>学問は苦労の末宗教的風景や道徳的風景を再発見したが、
>学問は風景美術から政治的要素を完全に除去してきた…。
>風景を見る目、風景に対する視線が政治的な意味づけで妨げられるのと逆に鋭くなりうることを考察・検証する。
近代以前の絵画史の読解かな
よく知らない領域だから初耳だったけど、こんな本もあるんだね
風景と権力か
516 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/26(木) 21:49:31
今度はマロニエの根っこの会みたくなってきたなぁ
どこがサルトルなんだw
そういえば『黒沢清の映画術』をぱらぱら読んでたんだが、
古谷の自閉症志向も意外と黒沢経由なのかもしれないな
異様なまでに可視化を志向し、幽霊として死を可視化させようとする黒沢、
僕は心の揺れというものから物語を考えられない、人が不意に行動することしか構想できない
と漏らす黒沢の、あの蓮實以降の作家の中でも独特な資質は
(結果的に蓮實以降の批評とあまりに一致してしまっているという不幸があるが)、
古谷において言語の字義をやけに固定的に発想するかたちでアレンジされてる気がする
ちょっと無理矢理な類比だけど
セックス
>最近、増々、「興味がある事」以外のことをするのが
常に困難なんだけど思い返せば意識せずに済んでいた時期もあったなのだった
って考えたほうがいいよ
また困難を忘れる可能性を空想しようなのだった
なんでこんなくだらねえやつが人気あるんだろ?
そっちのほうが興味深いぜ
石岡のブログ更新age♪
古谷人気ってよりも、古谷には現在の批評の駄目な典型が結集してるから
反面教師というか否定的媒介として言及が容易と
不思議と昨日の話題とつながる記事だし、
スレでのブログ言及からあまり時間が経ってないことから考えて
石岡からのエールと書籍紹介の示唆として暖かく受け止めよう
貨幣のフェティシズムの問題はジジェクもやってた気がするけど、
よりマルクスやベンヤミンあたりから読みたいってことかな
フルヤンからの応答が・・
ここには、ドゥルーズ『意味の論理学』での二重のセリーの理論(深層-事物と表層-記号とが分離してあり、しかし表層-記号が
深層-事物に突如として介入-貫入する、例えば、日々連続的に薄くなりつつある髪の状態が、ある日突然「ハゲ」と名指される
ことでバゲとなる、みたいな)が濃厚に響きつつも、その二重化を批判的に継承し、表層の側から一元化しているもののようにも
思われる。
制作者の立場から佐々木に疑問とか書いてるけど、記述も実践(制作)とか言ってたよな、確か。
ほんとに問題設定ができてるのか、嘘くさいとオレは見てる。
あー寒い
宅間
みんなストイキツァでも聴きに行ってんのか
つまらんのう
岡崎の本はいったいいつになったら出るんだよスノッブ
出る段になったら周辺が騒ぎ出すでしょ
ユリイカ 2009年4月号 特集*RPG の現在(仮)
石岡はこっちに書いてるのかと思ったがそんなことはなかったぜ
>>534 そういや予告の雰囲気じゃもう出ててもおかしくなかったな
あれ・・・? タイトル変更・・?
『 歴史とよばれる絵画 』(仮) 岡崎乾二郎 予価2,730円
「ハゲ」と名指されることでバゲとなる、みたいな
なんの冗談なのかって誤字だよな
バゲとは何か
おまいらBTはスルーか
松井みどり 清水穣 福住廉 椹木野衣
文字だけで グ ロ 注 意
>>539 あれはたしか小林秀雄について書きながら、マイノリティリポートについて書いてた文章だったな
古谷もリアルタイムに日記コメント出してたはず
松井みどり(美術評論家)=上智大学、東京大学大学院で英米文学、プリンストン大学大学院博士課程で比較文学を専攻し、
東北大学の助教授として英米文学の分野にて現代詩を研究していたが、同大学を辞した1994-95年頃から美術評論家として、
海外の学術誌、論文集、企画展カタログに同時代の日本の現代美術の潮流や作家について論文を寄稿しはじめ、日本を代表
する美術評論家として日本のアートシーンを精力的に海外に紹介している。
※ 「マイクロポップ」=仏哲学者ジル・ドゥルーズが著書『カフカ:マイナー文学のために』において明らかにした、新しい時代の
芸術のモデル。メジャーな言語を使って表現することを余儀なくされながら、そのなかで独自の脱線や言い換え、表現コードの
組み替えを行い、既存の表現の限界を超えて新しい表現を作っている想像力のありかたを指している。
松井は翻訳をしろと
勤勉に訳して紹介する作業が一番しんどいんだぜ
>>544 あの頃はジジェク経由でハリウッド映画を読み解くのが流行ってたね
岡崎のマイノリティリポート論は、その後アガンベン読解と混ざりだすんだけど、
歴史といわれる絵画の時点では、少なくともジジェクは介してなかったような
講義名 現代芸術論
講師氏名 松井みどり
学部・学科 造形学部 芸術文化学科
時間があって単位が欲しい人にはもってこいの授業。
内容は、なかなかおもしろいが毎回スライド授業なため物足りなさを感じる。
出席は自己申告制。
松井宣伝はどうでもいいから
多摩美生乙
清水穣は駄目な売文家になったな。初期の写真論だけだろ
清水も勤勉に訳やっれてばよかったのにねえ
何でエッセイスト紛いの批評家になりたがるのみんな、っていう
勤勉にやったり、じっくり議論することの方が国内の土壌のためになるんだぜ本当は
>>544 小林秀雄と柳宗悦とA.Iおよびスピルバーグについてですから
>>552 議論する場を作るやつがいないんだよな
志が低いんだよ
『経験の条件』以来、8年ぶりの単著かあ。楽しみだなー。
これですでに発表済みの文章の寄せ集めだったら泣くけど。
(そういうのをやるなら徹底的に、10年後ぐらいに全集を出してほしい)
おまえらは勤勉なねらーだなぁ
>>554 なんとなく自分のプレゼンス出して満足する人が多いね…
このスレ程度の議論もできてないもんね
>>555 十年後じゃなくていいから、文章集ならそれと割り切って4巻本ぐらいで
90年代中盤までのを全部放出してほしいわ
(できればFLAMEのアンソロ的復刊も加えて)
初期・中期のはアクセスできないものが多いからな
岡崎本人が樫村みたいにテクストをネットに流して共有させてくれたら有り難いんだけどねえ
樫村エッセイが読めるようになったのがネットの良いところでしょう
もう出版文化は消えたほうがいいと思う
経験の条件とモダニズムのハードコアなんか部数大したことなくてあんだけプレ値ついてんのに、
ここにいる連中は大体読んでるとすると、本当狭い畑の連中が集まってんだなと思うよ。
たしかにね
80年代までのは全部出しちゃいます
でもって、俺は『経験の条件』みたいにドカンと出すか、連載で論書くんだからね!
みたいに主張されたら、すげえな、さすがにタフだぜ岡崎は…と思うんだが
>>561 いや、俺は一応書籍はあらかた持ってるけどそこまで読んでないわ
プレミアつく前にうまく買えたからね俺は
短文の方だったらかなり読んでしまってるがw
モダニズムのハードコアなら、
むっかし芸大の近くにあるブックオフで定価の半額で2冊見つけたんで、
1冊余ってるよ。いつか知友に譲ろうかと思うんだが、そいつに会う機会が中々なくて。
俺の記憶でも、2000年ぐらいでなら、青山BC本店で普通に棚にあったからな、ハードコアは
2001,2年ぐらいから一気に入手がきつくなったという印象がある
そのころはまだ経験の条件も新刊で買えた
ハードコアならスキャンしたバージョンでも持ってるけど、これ、欲しい人とかいるのかもしれんな
ここのスレ住人なら持ってそうでupする必要なさそうだけど
経験の条件なんてそのうちちくま文庫になるだろ
>>568 言われてみて気づいたが、筑摩から出てたんだから、
まだちくま学芸に入ってない時点で奇異ですらあると思う
あの自社刊行物高速文庫化版元がまだやってないとは
それぐらい岡崎はマイナーってことか
去年の6月、斎藤環×岡崎のトークショーを観に行ったけど、
斎藤からの「経験の条件、文庫化される予定ないんですか?」って質問に、
岡崎がさらっと「ないですねえ」って返してた。
いやあ、渡部直己もちくま学芸に入れるぐらいの度量あるし、
アンドレ・シャステルとかパノフスキーもちくま学芸に来たりしてるんだから、
何かの拍子でたまたま入ってないだけじゃないかな
駒場付属版元みたいな筑摩にしては奇異なことだ
なんだと・・・・さらっといわんでくれ、岡崎
岡崎自身は自分の本に妙に恬淡としてる人だからなあ
お前らが版元に手紙書けば入るよw
たぶん
悲しいオチになったなw
フルヤンが父について語るのには違和感あり
>>576 それは、ハードコアに比べると図書館等に入ってる率高いし、
関心層ですでに持ってる連中が多いからだと思う
平倉ブログがいつの間にか再開してたんだな
大したこと書いてないけどな
平倉は、古谷よりは雑多にいろいろ読んでるから「まあがんばれよ」ぐらいの印象しかないな
古谷よりは伸びるだろうことを期待したい
あちこちで講師とか、ストイキッツァ情報とか載ってるよ
四谷で教えるみたいだ
フルヤンが石岡をdisってるの?
平倉がポスターのデザインやってんだよ
UTCPのセミナーポスターは、デザイン見てると、あれ平倉かなこれ、っての多いよね
小林康夫のデザインもやってたよね
>>586 言われてみて初めてつながったわ
たしかに似てる・・・かな
でも文字サイズと図版拡大って手法は、アテネビラはあんまりやらないような
いい小遣いになるんだろう
あのゴシックの使い方はゴダールの影響
割とみんなやりたがる文字の使い方だよね
あまりにその光景に慣れてるのでゴダール経由って発想すら忘れてたわ
artictokなんかも近いか
二次大戦後のオランダデザインでしょ
佐々木中の呪いよけに結局樫村を呼びだしてる
あいかわらずの酷いエクソシストぶりを発揮してるな
なんか最近樫村がかわいそうになってきた
ユリイカ買った人いる?
イベントと買い物回避には定評のあるスレ民
永瀬とかNT-Xとか、ある部分では古谷より頭がいいのに人気が全然違う
岡崎乾二郎の文庫化とかありえないだろ
おまえら世の中舐めすぎ
世の中なんてどうでもいいだろ
衆愚かよw
佐々木ってどうなの?
文庫なんて衆愚相手の商売だろアホ
衆愚向けは新書
なにその文庫幻想読書子に寄すw
おまいは労働してれ
まんがたろう
衆愚は新書読んでお勉強してくださいね
平凡社ライブラリーはどっちよ
>>599 ×人気が全然違う
○イジられネタの数が全然違う
>>611 なるほど
でもみんな成長しないよな
永瀬は「父」として成長中のようだが
一人ボケ役がピンでボケ倒し、みんなでツッコミまくる
まるでニコニコ動画のネタMADのようだ
古谷が貧乏ネタを増産発表しているのもそれを狙って・・?
そのとーりっ!
>>613 アーティストのバカ殿化っていう、岡崎の批判そのものが的中してる
2chスレ内でコテハンが自スレ立ててボケ倒すと、同じスレ上でやり合いになるから、
罵倒や潰しが生じるが、方やブログ&本名でスレに対して関係を築くとき、
スレでのコテハン活動よりも有効にボケとツッコミに展開するということか
コテハン「フルヤン」、2chスレ「偽日記」、ネタ動画「偽日記」などを一旦想像すると、
いまの状態は、低コスト・低荒らし、ハイリターン(?)を実現できている……ような
617 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 08:47:28
>>599 どさくさにまぎれてw
NT-Xはどうかんがえてもアホだろwww
石岡また更新してる
石岡その調子でがんばれ
アキレスと亀のレビューは、フルヤン自分がわかってるじゃんと思ったw
彼が何かに苛つくと、けっこう正確に自画像を描いてくれる
たまたま見つけたんだが、加治屋もブログなんてやってたんだな。知らなかった。
いっそブログリストも作ればいいよ
加治屋のブログではアンフォルムがやっと出そうなのがわかってうれしい
リストがあったら便利だね
>>3を差し替えるといいよ
最近スレ立てが荒れ気味だからそのへんについても考えると良い
これだと、1レス=32行限界だから、リンクだけで3レス分ぐらいあっという間にいきそうだ
名前/URLって改行のやり方やめたほうがいいかもしれんね
佐藤守弘ってアーネスト・サトウの息子なのな
黒瀬もブログやってなかったか
>>628 なんだか不思議な話だな
びっくりしたわ
中谷礼仁は?
こうして振り返ると、膨大なリンク集のハブとして古谷というトポスが便利だから
古谷スレが総合スレ化したという経緯がわかった気がする
全てを包み込む古谷は凄い
いや全てに関連してはいないw
対置も含めてのリンクだからね
だから「直接古谷人脈リンク」と「関連領域リンク」「その他期待人脈」など混在
見落としをまとめた後でもう一度整理しなおすといいよ
保坂のHPが進化しててワロタ
おそらくはそれを実行することなくまた次スレ立てのタイミングがきそうだが・・w
整理はしきれないかもしれないけど、ある程度まとめて増量するかたちになりそうだね
じゃあ今その作業をするべき
俺は3と9のスレを立てたんだけど、
おそらくスレ立ての時期に変な人が来るから対策が必要だろう
>>630 この世界そういうやつばっかりだよ
貧乏人とか本当に少ない
>>641 情報量が多いと見なくなるよな
平倉とか上の方に貼ってあるのに忘れてたし
>>640 カテゴリ分けとその名称をてきとうに作れば、あとはそれを並べるだけでいいと思う
【古谷交遊人脈 作家等】
保坂、樫村、フランケンズ、神村、チェルフィッチュ、星野、福居、永瀬、上田
【英米美術雑誌】
GreyRoom、October、林ゼミ、加治屋、neotrad.jp
【岡崎乾二郎関連層】
岡崎、四谷、『artitoc』、module、中谷、石岡、有賀、池田
【表象・UTCP・SITE ZERO・写真研究会その他】
田中、UTCP、チェン、『SITE ZERO』、千葉、佐々木、佐藤、photographer's gallery
【RH関連層&その他】
黒瀬、伊藤、『Review House』、美術犬、福嶋
【映画批評】
平倉、赤坂、藤井、FLOWER WILD
こんなんでいいんじゃないかな
>>644 上二つは異論が少なさそうだけど、
他はけっこう入り乱れてるよな
スレ民にとってのUTCPって平倉だろ?とか表象も石岡だろ?みたいな。
カテゴリの2個目〜3個目間でクロスオーバー多いし、
3個目〜4個目で別のクロスオーバーあるし、
3個目〜5個目間で一部クロスしてるし、
平倉が3個目・4個目・5個目・6個目とそれぞれにクロスしてるし
(平倉が日記化してたらこっちが総合スレ化しててもおかしくなかったかも?)
1個目だけが茫洋と孤立してるw
でも平倉スレは維持できないでしょう
1個めの孤立はなんかすげえw
>>646 十川もUTCP(というかマラブーの桑田とか招聘やってる小林康夫)つながりでセミナー来たし、
竹峰も表象〜UTCP〜SITEZEROにつながってるし(表象文化論学会でアドルノ論を共同討議した)、
千葉、宮下志朗、田中純、原和之などもUTCP参加してるし、UTCPおよび表象学会人脈はクロスオーバーしまくってる
>>649 でも総体としての表象ってあと一歩感が漂うねえ
頑張って欲しいけど。
思うに古谷はこういった表象的な知のあり方をが回避しているんじゃないか
>>646 平倉と石岡は結構カテゴリまたがってるよね
ちなみに岡崎も表象文化論学会に入ってたり、中沢も入ってたりする
むしろ【映画批評】カテで平倉以外がいかにも映画批評的に分断されてるっていうか、
そこの層だけ一部古谷リンクしてる
大久保清朗とかサイト「映画の國」まで入れるとスレ違い気味にきりなくなるから候補にしなかったが
>>651 平倉と石岡は両方とも岡崎の層に入れれば解決
>>648 本当は、1個目の背景の非古谷的つながりの
【灰塚人脈】【佐木島人脈】(福永信、鈴木了二、鈴木治行、石岡も)とか
直につながる方面としても【文芸人脈】(柴崎、星野、「文藝」「群像」新人〜中堅層)
【映画批評背景人脈】(大寺眞輔、青山、黒沢、梅本、nobody、boid、中原、阿部和重)
【さまざまなる舞台・演劇の動向】(フランケンズ、神村、チェツぐらいじゃ留まらないはず)
にまで行くと緩く他のカテゴリともつながるんだが……
いかんせん古谷が孤立的に(表層をさらっとというか・・)しか触れてないから、
それを反映するとああなってしまう
>>652 平倉入れておかないとあまりに映画批評とのクロスがなくなってしまうので
孤立させないためにああしたんだけどw
英米雑誌と表象関連をまとめて、岡崎その他を下にずらすだけでだいぶ整理される
外国語まで手が回る人は少ないからね
>>655 なるほど
【古谷交遊人脈 作家等】
保坂、樫村、フランケンズ、神村、チェルフィッチュ、星野、福居、永瀬、上田
【英米美術雑誌】
GreyRoom、October、林ゼミ、加治屋、neotrad.jp
【岡崎乾二郎関連 表象・UTCP・SITE ZERO・写真研究会 RH関連層 その他 】
岡崎、四谷、『artitoc』、module、中谷、石岡、平倉、有賀、池田
田中、UTCP、チェン、『SITE ZERO』、千葉、佐々木、佐藤、photographer's gallery
黒瀬、伊藤、『Review House』、美術犬、福嶋
【映画批評】
赤坂、藤井、FLOWER WILD
…映画批評要らんかもな。古谷は映画批評読まずに
「映画の枠組が苦手になってきた」とまで言ってるし、
映画批評の側の停滞を否定的媒介で語る経由にしか使えなくなってきてる
それなら岡崎〜表象ラインからの新人の方が映画論としても面白い展開の可能性あるし
>>656 >FLOWER WILD
これやってる同人は皆表象文化論の連中だよ。
あ、英米〜表象 / 岡崎〜RHその他 で切ればって話だったのか
なんか違うまとめ方やってしまったな
>>658 そうそう
ようするに「知」に対する距離でグラデーションが作れる
岡崎はアカデミズムではないが触媒として真ん中へんに置ける
>>657 土田環とかも人脈的にはそうだねえ
石橋今日美はもろにそうだな
書いてるか忘れたけど橋本一経も表象〜ルジャンドル〜PGにまたがってるし、ここに近い人だ
作家だけど舩橋淳にしても教養学部出身だし
FWに書いてる渡邉大輔ってミステリ論もやってる、笠井〜東近辺に近い体質の人だしなあ
なんだ、「現在の批評新人〜中堅層の地図」みたいになってきたぞww
>岡崎〜表象ラインからの新人
映画から見れば石岡だってたぶん新人になるぜ
それぐらい曖昧な感じだ
>>661 映画批評への根付き度でいったら、岡崎、石岡、平倉、FW30代、木下千花あたりは
全員「無名に近い新人」ぐらいの扱いになってしまうだろうな
映画批評は蓮実〜山田〜山根以来の軸が強すぎるから
鈴木一誌だろうと上の層だろうと、大久保だろうとひとしなみに「新人」って雰囲気になってしまう
小松弘、武田潔近辺のプレゼンスも目立たない
>>662 でもFWはシネフィル直系だから馴染めば早いでしょう
全然面白くないけど
実際には古谷の方が映画批評と馴染むんだけども
>>663 そうそう、直系
直系雑誌が空白になってるから(同人レベルで散在してるが)著名じゃないだけで
実質的にはセカンドステージとして直通してると思う
面白くなさは、nobody、加藤幹朗、『映像学』、四方田の言語文化研究所を含めてほぼみんなそんなもんだ
>>665 でも権威性はあるじゃん
フルヤンがびびってるのはたぶんそのせい
リンチ褒めたら失笑されるとか、そういう嫌な雰囲気がFWいはありそうだ
>>659 >岡崎はアカデミズムではないが触媒として真ん中へんに置ける
ゆえに配置がやたら難しいんだよw!
>>667 蓮實がフィルムスタディーズの「センス」を嘲笑してたのと違って、
英米の人たちはセンス闘争関係なくやってるからじゃないかな
結局学者がセンスひけらかしてもたいしたことにならない
英米フィルムスタディーズといってもいろいろあるってのと、
蓮実が腐してるのって北野圭介的、ジェイムソン的なカルスタ傾倒だと思うんだよね
で、それはちょっと先行きどうなんだってのは無いわけではない
英米には理論闘争もあるし、いろいろだと思うってのが正直なところ
リピット水田尭にしても、カリフォルニア大でデリダの講義受けて(デリダ追悼のときには文章も英米で出してる)、
ビジュアルカルチャースタディーズに関わってるし
(ビジュアルカルチャースタディーズはオクトーバー派と仲悪いらしいが…)、
表象文化論学会にも在籍してるというクロスっぷり
センス闘争のくだらなさは同感だし、まあそれが「理論闘争なきレヴュー三昧体制」になってるんだが、
本当は蓮実以降層の中堅〜上層においてはリンチならぎりぎり特集もありうる位置だと思うよ
FWだと忌避されるだろうが、違う場所でなら映画批評系でやれるぐらいの位置だと思う
ゴダールスレ住人みたいな層を念頭においてるのかもしれないけど、
シネフィル近辺をある程度見てきた俺の感触で言うと、あそこの住人は
ドグマ産物の結晶面ばかりが強い、下層近辺って感じがする
とはいえ、中堅〜上層も面白くはないんだがな
中堅に食い込みかけてるのが古谷って感じかなあ
もしかして渡邊さん近辺?
やつのフランス思想disは謎だったのでなんとかしてやってくれ
学者なら北野圭介みたいなのでいいんじゃないかと思うんだが
変に腹に一物秘めて下々を嘲笑している連中が多そうじゃん
そこは古谷の気持ちが分かるぜ
>>670 あのスレの戯画的な存在はともかく、
「スピルバーグは留保入れながら褒めとけ」「ペドロ・コスタの倫理性は最高だ」みたいな、ろくに映画見なくても言えそうな判断しかなくね?
FWってようはカンヌヲチャーだろ
渡邊って・・守章?
俺は全然このへんに直接つながりないよ
ただ、映画批評近辺は結構読んできて、美術も文学論もちょこちょこ読んでた好事家なんで、
たぶん美術畑・文学畑の人より詳しいぐらいの蓄積があるってぐらい
美術・文学から見ると、一見映画批評は盛り上がってるように見えるかもしれないけど
(2000年前後はそういう錯覚ができるような雰囲気あったかもしれない)、
俺から見ると相当悲惨だぜここの停滞
「美術論って翻訳・紹介・議論蓄積も弱いし、レビューも足りないし、酷いなあ」って
美術畑の人は考えてるかもしれないけど、映画ってもっと狂態といっていいぐらいの停滞がある
平倉、石岡には「欠点もあるけどがんばって」とか留保のない甘い採点つけたくなるぐらいにほんとに酷い
そんなにひどいのか……
あと石岡はブログ見る限りあんまり映画じゃないだろ
>>673 その原因には蓮実・山田あたりの分析語彙の欠落もあってね
シーンを指差して、「ここが素晴らしい」と言う以外のスタイルを捨てまくったツケが、
そのかたちで出てるんだと思う
つまり、誰々、作品の何何は良い、っていう言葉の習慣のドツボにはまってて、
ここのショットをこう論じる、とかそのレベルの言葉が無くなってるわけ
で、それが最もグロテスクに顕在化するとあのスレみたいになるって感じ
古谷はある意味でああいう大多数層よりもまだまともだから、みたいな感じで
中堅層付近、他領域で見なされるようなエアポケット状態に依拠して、なんとなくプレゼンスができてると思う
まあ、とはいえ古谷の悪癖と映画批評ドグマの現在の悪癖はほぼ重複するんだけどね
>>675 少なくとも、ストローブ、ゴダール、さまざまなる映画領域での模索などなどといった
20世紀後半の世界的な成果(他領域と比べるとある程度華々しくは見える)に比して、
国内言説の停滞、硬直は異常
それをあたかも同期してるように偽装してる効果をもってるのが蓮実だと思う
石岡について言うと、
映画批評も美術論も見てきた人間が漫画を何らかの語れるはずだ、って思うのはありうることだと思うし、
岡崎がそのルートをある意味で作った面がある
伊藤剛の手塚論は流し読みしかしてないけど、
俺の目から見ると、蓮実のテマティスム→キャラテマティスムって感じで、かなりつながってる印象
東の動ポモって、阿部和重・青山あたりとの交遊から
「映画の言説もアニメのキャラのシミュラクルと似てない?」って気分があって書かれた側面あると思うよ
だから、大寺・古谷が動ポモをきっちり語れなかったのは理由がある
「彼らにはあれを超える水準の議論を出来る能力がなかった」
だから、漠然と趣味の違いを誇示するような差しかつけられなかったという、一種の黙殺に近い事態が生じた
青山が動ポモ2にやけに引っ張られてるのも、そういう背景がある
>>672 まあね、俺も北野、吉本光宏みたいな人は好感あるし、嫌いではないよ
>変に腹に一物秘めて下々を嘲笑している連中
の糞っぷりはもう「論外のさらに論外」(柄谷語)とでもいうか、もういないことにしたいぐらいの酷さ
>>655>>658-659の方針で
>>656のリストをもう一度まとめるとこんな感じかなあ
【古谷交遊人脈 作家等】
保坂、樫村、フランケンズ、神村、チェルフィッチュ、星野、福居、永瀬、上田
【英米美術雑誌 表象・UTCP・SITE ZERO・写真研究会】
GreyRoom、October、林ゼミ、加治屋、neotrad.jp
田中、UTCP、チェン、『SITE ZERO』、千葉、佐々木、佐藤、photographer's gallery
【岡崎乾二郎関連 RH関連層 その他 】
岡崎、四谷、『artitoc』、module、中谷、石岡、平倉、有賀、池田、福嶋
黒瀬、伊藤、『Review House』、美術犬
【映画批評】
赤坂、藤井、FLOWER WILD
映画批評は微妙カテだが
>>678 FWの人たちはいっそ罵倒芸をみせてほしい
きっと彼らには色々あると思うよ
>>650 映画批評的体質でもって表象的知を忌避しているって感じだよね
>>676で言った「シーンを指差して、「ここが素晴らしい」と言う以外のスタイルを捨てまくったツケ」ってのは、
古谷の小説を語るときなどにまんま露呈している
典型的にはムージル言及のときもそうだった
演劇評も部分的にそうかも
>>677 石岡と伊藤剛がネタかぶったみたいだから面白いな
>>680 もしそうなっても柄谷的に「彼らはいないも同然の存在です」というふうに俺は無視するがw
>>682 うん、あの記事見て映画言説と伊藤の流れを思い出したんだけどね
石岡は伊藤の理論構造には納得してない面もあるはずだと思うんだけどな…
でも、石岡の水木論を見る限り、ヴァールブルク的図像学になってて、
実は伊藤・東的な射程と似てるような面もあって、
「これだけでいいの?」って疑問もある
>>684 もとの評論を読まないと何とも言えないから判断は保留するぜ
その先ってどんな感じ?
石岡には、もっともまんが批評を炸裂させてほしい。
伊藤剛ぐらい瞬殺できる実力はあるはず。
でも微妙にチキンっぽくね?
これとか
>現在、様々な分野の言葉は、趣味判断の違いに基づき、かなり細分化されています。
これまで何度もブログ開設を試みながら、なかなか踏み切れなかったのは、そうした中で気軽に書き込むことの困難さを感じていたためです。
>>685 なんていうか、ごく漠然と言うとさ、
東的オタク論(キャラテマティスム)、蓮実以降映画批評言説(ジャンル論、事物・動作・ショットのテマティスム)
ってどっちも悪しきフォルマリスト(ヤコブソン的な字義で)って面があると思うんだよ
で、それを一定の複雑さを加味して美術論で対応してるのが、
ひょっとしたらヴァールブルクやギンズブルクなんじゃないかなと
フォルマリストに対して、別サイドからの何か無理矢理な理論的射程の介入ってないのかなあみたいに思ってる
俺自身暗中模索だから、明確にはいえないけど、上記の平行性はある程度見受けられると思う
共産主義、社会主義が批評の本筋だからね アメリカでもどこでも
日本の場合、なぜか体制を暗黙のうちに擁護しているような批評が80年代このかた書かれつづけてきた結果、
何時の間にか批評志望者は、センスのまあよい、頭のまあよい(ただし数学とかわからん)奴が、趣味として
あたかも小説でも書くがごときテクストをバルトー重彦言説によって正当化しつつ微温的に生産してきた
これが批評界の産業化を促し、そうなると批評なんてやる動機づけに困り、萎え萎えモードが基調になった・・
批評を書く、ということが保身や趣味の擁護にしかつながらず、社会とは永遠に乖離し、享楽のレギュレータによって
微温的に調節、最適化され、パフォーマティブに資本主義を擁護するだけのジャンク=ゴミくず批評ばかりが幅を効かせた・・・・・
このすべてを象徴しているのが、このスレの古谷的な言説、芸術の根本的問い直しによる社会的抑圧の排除になるのだろう・・・・
>>689 なるほど、でも石岡はフォルマリストじゃないかな
>>690 >芸術の根本的問い直しによる社会的抑圧の排除
なにいってんのかわからんぜ
>>689書いてなんとなく思いつきで、かつ漠然と言うとさ、
俺がボリス・グロイスを面白いと思うのって、
フォルマリスト(としてのロシアアヴァンギャルド〜社会主義リアリズム)と政治性がダイレクトに関わってる
って論点を感じるからなんだよね
そのラインで考えると、やれることってまだあるんじゃないかな、とか
ただ、グロイスの論じる社会主義リアリズムってスターリン的設計主義になっちゃうし
(柄谷ならスターリニズムじゃ駄目だ、ジェーン・ジェイコブズの方がいいってなるし(『隠喩としての建築』)、
岡崎だと「磯崎の言うデミウルゴス的メタレベルの位置はつねにすでに困難となる」になる)、
違うかたちに発展させて継続することになるだろうけど
>>691 そこが俺にとっての石岡に対して感じてしまう最大の不満なんだよね
田中純的ヴァールブスク導入の後、映画批評の言説完成のあと、でつないでるだけじゃないのかっていう印象がちょっとある
(もちろん、そういうことやってる人はあまりいないので、その意味での好感はあるが)
だけど、岡崎を経由しながら、そこどまりってかなり微妙に思えて、
「岡崎以後」でこれはちょっと、って感じが……
だから、石岡がマルクスの言う貨幣のフェティシズムの問題だとか、
そういう議論を重視してる気配は、「そっちでうまく展開してくれないかな」って感じかな
面白く消化したら、かなりいけると思う
それって政治を語れって話かな?
>>696 どうなるんだろうねえ
主題を地味に論じるのもいいと思うけど、
政治性の導入ってそれ自体、いろいろあるから、俺自身まだ見えないよ
俺もこのへんには不勉強でよくわかんないし
だけど、フォルマリストはまとまりはいいし、ヴァールブルク経由だと歴史性も入れれるが、
そこでまとまるとやばいのでは、みたいな感じ
>>697 石岡はポテンシャルを全然見せていないからそれが先だろ
映芸のレビュー載せちゃっていいんだろうか
>>620 本当に古谷の自画像だよな
アキレスと亀って実際そういう映画なんだろうけど
>ただ画商に言われるまま、画商に言われた通りの絵を描きつづける。
>そもそも、この人物がなぜ絵を描きつづけるのか、というか、
>この人は本当に絵が好きなのかさえ、よく分からない。
ドキっとするぐらいに自画像臭い
古谷は
>自分の描きたい絵に向かって求道的な探求を行うのでもないし、
の、僕は探求の方だよ!って言いたいんだろうが
>理解者とは作品を判定する者でもあり、それはちょっと方向がズレてるんじゃないかとか、
>これはあまりよくないんじゃないかとか、時には批判的なことも言うはず
嫁探しの基準かと思ってしまった
>>700 フルヤンの売文は、画商と画家の関係そのものなんですよ
>>701 熱意あるんだかないんだか、論立てのために突き進むのかやたら漠然としてるし、そう思っちゃうよな
>>702 でね、ここで画商をここまで貶しているのを読むと、
ようは編集との関係も舐めてるんだろうなあと思うわけ。
「動機や問題設定のある制作が欠落している作家」についての映画を、
その当人に近いような(という印象を俺には受けてしまう)古谷が語る
ってのがもうすでに冗談みたいな状況
古谷が反発してるのって、「武の芸術観」であって、
「そのような不毛な映画に対してどういう文章で切り返すのか」というのが抜けてる気がする
不満を述べるだけの文章だし
こういう文章に落ち着く事態が、まさに古谷自身を活写してる気が・・・
>>703 あー、なるほどね
その発想は無かったけど、それはありうるかも
映画批評的セクト主義から言うと、編集者を舐める発想もあるかもしれないしね
>理解者とは作品を判定する者でもあり、それはちょっと方向がズレてるんじゃないかとか、
>これはあまりよくないんじゃないかとか、時には批判的なことも言う
人じゃないと、舐める対象なんだろう
同断の発想で研究者も作品を「冷静で客観的な「鑑賞」や「判定」の対象」にしてるんだろって
怨念ぶつけて舐めてるし
んなわきゃねーだろ、とか思うが
>作品というのは、決して冷静で客観的な「鑑賞」や「判定」の対象ではないと思う。
>理解者とは作品を判定する者でもあり、
なんだこの矛盾wwww
こういうのね
商業主義への反発としては最も幼稚だけどシンパも多い
>昨日、ネットカフェで調べたことを、お勉強する。ひたすらめんどくさい。それでもいくらかお金になるので。
でも古谷を作家の代弁者と考える同業者も多いよ
スレ民は外野の院生どもぐらいに思われている
これは要するにアレか、
判定で突っ込まれるのを許すのは恋人のようなfamiliarな関係の相手だけですよ
それ以外は「客観的判定」って決めますから!
ってことかと
自分のドグマ混じりの基準に合致してウマが合えば、前者にされて、
気に入らない、興味の無い論点からだと後者に振り分けられるっていう偏狭さが
無意識にもんのすごく出てるのでは
その意味じゃ、武を批判する古谷の言葉がまさに古谷を苦笑する言葉に転用できるんじゃないか
その筆頭が保坂
>>709 >判定で突っ込まれるのを許すのは恋人のようなfamiliarな関係の相手だけですよ
>それ以外は「客観的判定」って決めますから!
>ってことかと
現実問題、ほとんどの批評はそんな感じだけどな
でも他の人はもっとうまくやる
>>707 いや、それ自分の原稿、自分の論のためにやることだから、
人から押し着せられたものじゃねーだろ、ってすぐ思っちゃうんだよね
嫌々書いてんのかよ、嫌なら他のやつに椅子を譲れ、お前より有能なのはきっといる とか吐き捨てたくなる
>>708 中上が自分の実存的動機からデリダすら読み続けたことを
「まるでお勉強みたぁい」と嘲笑した金井美恵子みたいな発想がひしめいてるんだろうね
金井美恵子の最良の部分はお勉強の賜物なわけだが
実際のところ表象とかの院生そのものは混じってないのにな
>>708 >古谷を作家の代弁者と考える同業者
俺から言わせれば、それこそ蓮実言説が作家へのアプローチに強力だった構図そのものなんだよ
彼は作家の心をつかんで、「ここのシーンはこうなんでしょ、ここをこう見たよ、いいよね」って
一気に相手と親しくなるのがめちゃくちゃうまかった
阿部和重の対談集で桐生夏生にインタヴュア的な振る舞いをしたのがあるでしょ
あれは古谷は絶賛してたけど、かなり蓮実的な対作家的振る舞いでね、
俺はむしろ阿部の、自分とは異なる作家と言葉を交わすことへの小心と不安が反映された事態だと思った
ある程度相手から嫌われるリスクを回避できるからね
ああいうのは、鎌田による大西巨人インタヴューの欠落のように危うい行為だってことが見抜けてない
あれだとまずいってのがわかってないし、作家もコロっとやられちゃうんだろうな
>>715 つまりまずくないんでしょ
食ってくためには必要だしそれをまずいと思ってるあなたより売れてるわけだ
>>713 セクト主義的に「教養」を身に着けたってやつだね
セクトのコードに外れる理論関連は(蓮実的には「抽象的」「観念的」ってやつかな)、「お勉強」にされちゃうんだ
そして自分のことは無自覚
これがシネフィルやシネフィル的文芸家の大半が陥ったことだよ
特定作業むなしくない?
>>718 特定じゃなくて、
古谷のまずさって「名」を売るための強みだと思うんだよ
このスレはそういうまずさと無縁だけど匿名なわけです
このスレとかのほうが議論的に水準高いんだよねえ
721 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 16:45:18
>>717 阿部和重も映画については臭みしか感じないぜ
>>719 うーん、処世術として絡めていく、とか
作家に対して相手がうなづけるかたちで介入していく、
等々も含めると、蓮実が作った対作家手法もいろいろ継承しがいはあると思うし、
古谷個人の書ける対象・書く場所を増やしていくステップアップ方法論だと思えば、
理解できるところはあるけどね
その意味では大事ってのはわかるよ
723 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 17:27:22
阿部和重をよんでるとガキっぽく感じる、
俺も年をとったもんだ。
俺は青山阿部古谷はみんなまとめてガキっぽさばかり感じる
おまいら預貯金幾らぐらいあんの?5000万以上は持ってるよね?
726 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 18:16:40
そんなものない。
じゃあなぜに あんなにやんごとなさそうなのかという疑問
精神の貴族なんだろ
729 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 18:34:33
え、オレあるけど?
よかったね
証明してw
アーネストサトウの息子さんは金もって層 後、近藤からは旧華族のにほいが
でも富裕層は一部だろうな
ミッチェルや写真論、視覚文化論の人として言及された佐藤が
瞬く間にスレでは金持ちサトウさんになってしまったw
古谷利裕といえば 『人間』
人間の覚悟 (新潮新書)
¥ 714
なんてこった
在野の書評家ってつまり保坂からみた古谷像
737 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/28(土) 20:25:52
北野映画批判読んだけど
古谷氏って実は結構ネガティブな心性の持ち主なのかな。
いまの武映画はかなりつまらないってのは事実だと思う
Dolls、TAKESHIS'あたりでは、もう相当駄目になった
作る動機も必然性も無いけども世界の巨匠にあってしまったからただただ作ってるだけ
っていう古谷の感覚はよくわかるな
だけど、製作資金かき集めて、そのためにTVに出たりしてるわけだから、
「なんでこんな不毛なことのために武は作り続けてるんだろう」という不思議さもある
ナルシシズムと人からの承認効果のためなんじゃないの、ってのが古谷の見立てだろうけど
それだけなのかよくわからない
ある意味で狂ってるんだと思うが、かといって作品は決して面白くはない
大がかりなギャグでしょ
面白くないギャグを必死にやることがすでにギャグで、それを自覚的にやる
って発想は武は確実にあるんだけど、問題はそれが面白いかというと、微妙だってこと
歳とってボケてきたからしょうがないな
引き際を誰も言ってやれないんじゃない?
引退して落語でもやればいいのに
そうなんだろうねえ
で、「俺は孤独だ」っていう告白をしてる感じだね
唐突に映画作家やめちゃった人は割と映画史上にいるんだし、
職人として映画作家やり続けなきゃ食えない人でもないんだから、
ちょぼちょぼとこじんまりと好きなことやってればいいのにね
壮大なコメディの意志でもって現在のくだらない映画を
あたかも深刻であるような振る舞いで作り続ける、
といったゴダールの冗談がかった深刻身振りのアップグレード版かと言うと、
そうでもなくて、自殺の欲望を語るようなところは深刻ぶってるだけだと思いはするが、
どうもゴダールのような詐欺めいた二重性が見えにくい
もっと私小説的な距離の無さがある感じ
まあ、その意味でも武のつまらなさは、古谷の貧乏ネタと私小説性の関係とも似てるんだが
武の不幸は金と名声があるからくだらない映画でも作り続けるのが可能なこと
松本がいつだったか裸の王様と言ってたのは当たってるな
>ちょぼちょぼとこじんまりと好きなことやってればいいのにね
同感
チャップリンとかキートンの短編みたいなのやればそこそこいけそう
>チャップリンとかキートンの短編みたいなの
数分〜数十分ぐらいで終わるようなこじんまりとした作品作れば応援するなぁ
「みんな〜やってるか〜」とかいいところもあって、あれがやっぱり一番だと思うw
水木しげるのどうでもいい短編に似てるんだ
芸術の専門教育を受けたわけでもないけど、
暴力を描かせたらずば抜けてる作家といえば、
北野武(前期)とキム・ギドクだけど、
武の場合、『監督ばんざい』でもウザいぐらい言ってるように、
定型化したスタイルを反復することに、耐えられなくなっちゃったわけでしょ。
それって浅田が言うモダニズムの原理
「見覚えがあるものの忌避」にすっごく近い感性で、そうした
誤って途中で投稿しちゃった。
続き、慣れたことを回避するスタイルを選ぶなら、
『TAKESHI'S』や『監督ばんざい』のように“自嘲すりゃOK”
といった素朴なアイロニーでは到底やっていけないと思うんだよな。
Dolls見てあまりにひどいんでそれ以来武は見てないな。
映芸のレビューを再録してまで言いたかったのは
「僕は女(母親)に不自由している」ってこととしか
>>740 それはあるね。さらにその遠近の二重視点を映画に転用していそうな臭いがある。
「HANABI」について古谷がたんに「感傷に浸ってるだけ」って片付けてたけど、
武は感傷に浸ってるだけの映画を自分で見て「くだらねぇ」って笑ってるかもしれない。
まぁその可能性は低いけど、彼がああいった映画を本気でつくるとは思えないんだな。
>定型化したスタイルを反復することに、耐えられなくなっちゃった
武が身に着けたスタイルの引き出しが少なすぎたってのと、
「あんな暴力映画を次もお願いします」的な周囲の要望のために余計うんざりしていった
って二つの理由があると思うよ
前者で言うならば、エリア・スレイマンの作品のように
とても単なるクラシカルなものの反復ではない方面(しかしキートン、タチとの類似がしばしば言われる)
もあるわけで、そういう模索をすべきだったと俺は思う
スレイマンの作品だって、コメディと暴力が混ざってるんだし、武にできないはずがなかった
だが、そうはならず、あまりにも矮小な道に嵌っていったんだ
>>749 その視点でソナチネ以後の武を見るって発想はすごくわかるんだけど、
「しかしながらその二重視点を導入して、おお、面白いとなるか」っていうと、
俺はそうなれないでいるのがしんどい
武は新宿アングラ文化をもっとどうにかするべきだった
俺は深作の映画ってほとんど見てないけど、
古谷の言う「ソナチネまでの初期北野のヤクザ映画は深作のヤクザ映画の脚本を引き伸ばした感じ」
って指摘は面白いと思ったな
ある種の元ネタの時代性ってあるんだよね
『みんな?やってるか!』の良さにしても新宿アングラ文化のクールな再演だと見れるのかもしれない
ねんがんの吉本光宏を手に入れたぞ!
……パラパラ見たところ、スピルバーグしか語ってなくね?
北野がいいと思ったことは一度もない。
頭はいい人なんだろうと思うけど、感性が受け付けないし、その趣味は
相対的に正当化できると思う。
結局「スカ」であるところの80年代の露悪な焼き直しでしかないし、その
ネガの起源、つまり「68年」をあらかじめ考察した柄谷の十年遅れだもの。
青山のほうがずっといいし、岩井さえ花火移行の北野の前では擁護できると思う。
岩井よりはマシだろう
『おくりびと』見ないの?
80年代が「スカ」ってどんだけメディアに毒されてんだよ
>>755の言うこともたしかに一理あって、
北野の映画を評価する際には、どこかしらシネフィル的な立場から
暴力描写の職人芸の側面を着目することになるか、
コメディの線で『みんな〜やってるか!』を評価するしかなくなってしまう
しかし後者の評価はある程度趣味的なものが入り、
時代性を加味してたけしの笑いの特性を考慮するとき、手放しでは褒めがたい面を持つ
暴力描写の職人芸の側面ってそんなにシネフィルから評価受けてたかな?
少しあざとくて俺はあまり好きじゃないが。
>>759 文体一緒じゃん
そりゃ自分の言うことには一理あるさ
柄谷が先行ってのはいくらなんでも無理があると思う
暴力性の範囲を広げれば、ある程度高い評価だったと思う
つまり、ショットで動作をするのをどう映すかとか、
ショットの頭をうまく切ってるところとか
黒沢清は一時期「小津の面白さとかなりつながってる」と高評価を下してたし
ただ、ある意味ではシネフィル領域の趣味からするとど真ん中ではなくて、
あざとく見えるっていう印象もなるほどと思う
あとは北野自身の役者としての面白さもあるね
あのふてぶてしい淡白な表情と動作の関係は巧かったと思う
『みんな〜やってるか!』のダンカンのような、茫洋とした面構えの人物が
思いつきで行動するとか、そういう按配はうまいし、
黒沢の「蜘蛛の瞳」や一時の哀川翔演出に部分的に流れ込んでるという線もある
俺はソナチネまでの北野と、蜘蛛の瞳を頂点とする哀川翔主演黒沢映画との間の絡み合い
みたいなものが気にかかるので、古谷が昔の北野にこだわり、
黒沢では蜘蛛の瞳を大好きっていうのにシンパシーあるな
763 :
759:2009/03/01(日) 10:17:09
いや、俺は755じゃないよ
>>758のレス見て、
あ、スカって80年代悪玉論的な意味で
>>755は言ってたのか、
あちゃー、反応間違えたかな、とちょっとたじろいだんだが
80年代のたけしの笑いの美学的特性が「スカ」の逆説的賞賛
みたいな面があって、あれじゃダメだろ、みたいな意味だったのかと読んでしまってた
確かに黒沢映画の哀川はいいね。
余計な演技しようとしないところがいい。
役所の演出と哀川の演出や、人物の揺れ幅、変貌幅って微妙に違っててね
俺は哀川演出の黒沢作品がすっごい好きなんだよね
ものすごく微妙な存在感を放つ金属的な声といい、
ぶっきらぼうな言い回しの、余分なセンチメントのないところといい、
総合的には武映画での武出演よりも好きな面があるな
このところ黒沢清からめっきり離れてて、最近見直して
かつていかに黒沢から映画の見方をかなり影響されていたのかを俺なんかは痛感したな
ソクーロフの「太陽」ですら、蜘蛛の瞳などの延長線で見ていた自分に気づいてへこんだ
(直接的に、二者関係の非対称性という意味ではCUREの方が近いかな)
まあ、「太陽」は黒沢には撮れない映画なんだけど、
黒沢から出発して、黒沢には撮れないような、二重性があり、
かつ政治的な主題が入り込む作品に惹かれていったんだなとか
古谷も「太陽」とか見ればいいのにな
俺はあれでソクーロフをかなり見直した
全部趣味の話に留まってるなあ
今北野武を貶すのがイージーなことを示している
フルボッコ超余裕な状況で黒沢清がいいって……
シネフィルのいつものトークじゃん
ソクーロフの「太陽」は途中眠くなった
今の黒沢清の自己模倣はメチャくどくないか?
ユングに傾倒しだしてから興味なくしたわ
>>768 太陽はかなりいい
極端に例えるなら、北野映画のダンカンが、同時に政治的決定をやっていて、
イェスともノーともつかない「ア、ソウ」が、側近たちに対してイエスにもノーにもなるというような
政治判断にもなってるみたいになってる
ああいうのを作品として構想できるってのは結構いいと思う
少なくとも「モレク神」よりは数段良かった
>>769 アカルイミライの後は正直ぱっとしない
古谷のドッペルゲンガー評、LOFT評、叫評、全部苦しみながら書いてる感じだったけど…
でも、叫をあんなに高く評価する必要は無いと思う
CURE、ニンゲン合格、蜘蛛の瞳、アカルイミライで極端な質の差が無いってのはあって、
正直、進展できてない作家だとは思う
その意味じゃ黒沢の限界って結構明確なんだよね
>>772 色々な俳優と組めばいいんじゃないかと思う
もう役所はいいや
役所はもういいってのはすごく同意
かといって哀川に戻るわけにもいかんだろうし
違う路線を黒沢は開拓して、もっと模索すべきだと思う
が、企画とジャンル映画の要求の中でつまんない作品ばかり撮ってる印象
ジャンル映画の中にいるのは本望なんじゃないの
>>770 ユング傾倒って、「降霊」とか「回路」でのユングっぽい台詞のことか
ユング傾倒してるかどうかはともかく、「カリスマ」の「世界の法則」みたいな
メタレベルの世界の掟の現前、みたいなのがあんまりにも素朴すぎるとは思う
ファシスト映画みたいで面白いと言えば言えるんだが、ちょっとなあ
>>775 少なくともホラーはもう黒沢自身も飽き飽きしながら撮ってるように見える
トウキョウソナタ見てないから現在は知らんけど
>>777 蓮實ドクトリンの継承者なら、安定したマンネリは大好物でしょう
>>778 俺は蓮実からの逸脱として黒沢作品を救出したいから
ジャンル映画と黒沢があたかも幸福な関係に見えてるような事態は、嘘である
みたいに考えたい
>>779 黒沢清はフィルモグラフィーを意識してるんじゃないか
つまり後世の人が小津を眺めるように自作を見て欲しいのではなかろうか
俺はそういう感度から実は意外に遠い(が、素朴さゆえにうまく面白い展開には出来てない)
のが黒沢なんじゃないかという疑いがある
黒沢自身の発言の顕著なシネフィル性(ジャンル映画的言い回しetc.)、
黒沢を包囲する国内批評言説の二つによって
あたかもそのような黒沢像が錯視されているだけで、別の奇妙なカンがあるのが黒沢だ、というふうに見たい
俺は、黒沢と、彼の友達近辺の映画批評との間の関係はとても不幸だと思ってる
無条件でマイスター扱いだもんなあ
でも俺はそこまで黒沢清に愛はないな
シネフィル連中に無駄に貶された作家の不幸と同質でしょ
「映画に選ばれる」みたいな言い方はマジで嫌悪感沸く
こんなの文学でも美術でも冗談でしか使わない言葉なのに映画だとそんなのばっか
>>782 俺もそんなに愛はないし、
別に注目作家の十指につねに位置しているとか、そんな愛では全然ないんだけど、
最近まとめて見直して、昔黒沢作品にどんなことを考えてたのかと脳内引き出しを総動員したら
なんか感傷的な気分になってね
誰かこういう救出をやっておかないと可哀想なんじゃないか、みたいな気持ちになった
映画批評の言説の停滞と、同時期の社会学的な言説の登場、と
CURE以降の黒沢は同期しちゃってて、ある種の包囲網ができてしまっている
そして、言説の一種の停滞と一緒に黒沢もかなり微妙になっているという気がする
>>783 その種の発言は俺も大嫌いだな
大寺は大好きみたいで、見てて反吐が出る
786 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/01(日) 11:36:29
>「映画に選ばれる」みたいな言い方はマジで嫌悪感沸く
美術でも、自己紹介の文章で使ってる人いたよ。
本人的には半ば挑発の意図があるみたいだけど、
要は、公というものがないんだから何いってもいいのではないかということで、
>>784 批評って暴力的な存在だから、
それによって持ち上げられる人も下げられる人も、
どっちもその言説内に閉じこめられる
ただここで注意がいると思うのは、
そういう批評に対する嫌悪はずっと遍在しているってことか
今は言説イラネで済ます人の方が主流だし
シネフィル批評が興味深いのは、
日本だとほんの一時「からごころウゼー」という気分とうまく同調できた
これは理論的に無能な蓮實の趣味がうまく読者を扇動したから
>>786 なにが嫌かというと、
この物言いは「お前は選ばれてねーw」という嘲笑にしか使えないって事だな
しかも、実際にはシネアストの選別じゃなくて映画マニア同士の差別化になってると
ジョン・ヒューストンは選ばれてないんだよね、はいはい
勇者の赤いバッジだけは面白いけどw
みたいなテンプレとかマジで一度消えて欲しい
>>787 批評が暴力性を発揮するのは別にいいんだけど、
国内映画批評場合、あまりに一枚岩に包囲してて、他の可能性、余地が遮断されすぎててやばい
だから、
>「からごころウゼー」という気分とうまく同調できた
のは、最悪の現象であって、まあ、戦後思想史の一局面としての興味深さはないわけではないが、
あくまでそれは批判対象にしないといけないと思うな
批評に対する対抗批評は、それ自体、理論的言説や新たな可能性の開拓などでやられるべきであって、
言説イラネや批評嫌悪みたいなかたちで出てくると、
からごころ/やまとごころ的二元論に包摂されて最低なことになる
>>788 そういう趣味セクト的振る舞い兼ナルシシズムってゴミなんだけど
酷いことに当人は闘争だと思ってるから手がつけられない
高橋洋の面白い与太話が真面目に受け取られたのが良くない
呪いとかなんとか
この人は樫村晴香の映画版でしょう
>>792 それが
>>776で言った、黒沢では「メタレベルの世界の掟の現前、みたいな」かたちで出てると思うんだよね
まあ、高橋と黒沢はちょっと違うし、黒沢の方がややマシが気がするが、結局どっちもやばい
古谷は幽霊系/宇宙人系云々と、この差異や世界の掟をせっせと解読しているわけだが最悪だ
「ジャンル論的閉域から抜け出したいんです」ってことでやってるのはわかるが、同じぐらいに駄目
呪いや幽霊ってのは、やりようによっては
歴史のトラウマだとか、回帰する出来事などとして結構展開の余地はあると思うんだが、
高橋・黒沢では脱色されすぎているという気がする
そして「世界」の話にすることで脱色を加速しているのが古谷だっていう印象
若手の映画作家でいいのいないの?
あと、呪いや幽霊ってのは別に恐怖映画にする必要は全然ないと思う
ゴダールのアワーミュージックだって幽霊みたいなのが出てくる映画なんだし
むしろ政治的主題なのだとすら言えるはずなんだ
しかしジャンル映画と黒沢の関係を必然視すると、この論点が全く見えないことになってしまう
>>794 正直、国内の映画作品をあんまりチェックしてないし、
俺は別に勤勉に山ほど映画を見るタイプの映画好きじゃないので、若手はよく知らん
国内の若手や映画にはあまり可能性は見込めないというふうに思ってる
スレイマンとか王兵とかジャ・ジャンクーとかがどこまで行くのかに注目してるってぐらいかな
>>796 ありがとう
海外だと国策として映画作りが奨励されてる感じあるけど日本の映画作家は蚊帳の外だなあ
海外でも日本趣味として消費されるだけ
>>797 何言ってるの?
日本でも十分国策化してるじゃないか
映画美学校をそのまま芸大が拾い上げたり
あと、諏訪が造型大でいきなり学長とか
>>798 そのやり方がうまくいってない
批評基準が蓮実直系しかない貧しさ
>>800 というか、世俗的にはうまくいっちゃってるでしょう
フィルムセンターは完全に蓮實系の機関として完成されているし
>>797 全く見てないから保証できないけど、森崎東はひょっとすると面白いのかな?
とか、そういう興味もあるけどね
まあ、俺は本数で言うと全然見ないタイプの人間だから、自分で探してくれとw
だが、補助線になる批評家・批評言説がかなり不在になってるので、うんざりする状況ではある
いろいろ発掘して紹介するって意味では赤坂大輔にも好感はあるんだが、
彼はちょっと論立てが素朴すぎるし、問題がある
赤坂はロッセリーニ論(後期ロッセリーニと上演の主題とか・・)を書くなり、どしどし翻訳してほしいな
珍しく語学的・書籍踏破的な勤勉さは結構ある人だからそういう貢献がほしい
あと、チャップリンをコメディ云々、茫洋な人物の動作云々で発掘する言説とか無いのかな、と思う
ゴダールの自分の作品での道化的/深刻ぶった出演は、チャップリンの匂いがあるし、
バザンには独特の限界もあるが、チャップリンとロッセリーニを重要視したバザン
というのを誰かしっかり突っ込んで議論すべきだと思う
とっても便利な大野さんがいますよ
大野のチャップリン論って読んだことないからまだ何ともいえない
とりあえず、淀川のチャップリンではコメディアン的な複雑さを持つチャップリン、という像が出てこないと思う
あと、面白いかどうかわからないけど土田環ってバザン研究のはず
>>805 あ、そうなのか
それは知らなかったな、ありがとう
高木繁光みたいなレベルじゃなきゃいいんだがな…
(最近高木の論文をざっと数本読んで、議論水準の低さにキレかけた)
>>797-801 まあ、悪い形で包囲がどんどん進行してるよな
そりゃまあ面白い展開になればいいんだけど、かなり不安だらけだ
このスレの住民的には、藤井仁子はどうなのよ。
あと、葛生賢っていう若手にも期待したい。
>>806 ただ、予感だけど、土田はここで言われているシネフィルっぽい
藤井は文章が下手なんじゃなかろうか
もっと面白いことが言えそう
>>808 藤井って、『映像学』寄稿論文の頃から読んで知ってるけど、
長谷正人に毛が生えたレベルの成瀬研究者、って印象しか当事は無かったぞ
ストローブ論も決して水準高くないと思うし、あまり良くないと思う
葛生は批評言説は糞
作家としての葛生は『吉野葛』を見ないかぎりなんとも言えないとはいえ(俺は見てない)、
彼のストローブを追ってれば聖別される、みたいな安直なノリから考えて、
「『路地へ』よりはマシなストローブ模倣」の域を本当に出るのかかなり不安
ビトムスキーから「ストローブユイレの使徒である」と褒められたのを嬉々として自慢するあたり、
問題設定の先がどこまであるのか、疑問だらけだなあいつは
>>809 だろうなあ、という不安はあるね
疑問だらけワロタ
811が厳しすぎるんじゃないの
たぶんいい人は皆無のはず
いや、もちろん、石岡や平倉について思うように
「がんばれがんばれ、藤井も化けるかも」とは思ってるから、
別に軽蔑まではしてないよ
葛生も作家として成長してくれればもちろんいいことには違いない
ただ、あんまり国内で有望株探しすることに興味がなくなってきた感があって
自分の関心水準に引っかかってこないと、「はいはい」みたいにダレて接しちゃうんだよな
なまじ蓮実ドグマを微にいり細にわたり把握してうんざりしているために、
「その範囲内におさまるんじゃね、こいつ」と思う相手にはかなり厳しめの評価しちゃうかな
そんなん、誰でもちょっとセンスが良かったらできる程度のひねりじゃん、って思うことが多い
古谷も俺から見るとこの範囲内に見事に収まるし
あまり藤枝近辺の動向は知らないから何ともいえないけど、
上田、加治屋や近藤、畑違いだけど清水、松井に対して
否が応にも留保を置いてしまう人の感覚に、俺の感覚は多少似てるんじゃないかな、と思う
清水と松井って誰?
そのものずばりの蓮實を見つけて笑った
>たとえば、溝口健二の『近松物語』、ジャック・ベッケルの『穴』、あるいはロベール・ブレッソンの『ラルジャン』。そこでの画面の持続と連鎖にはこれっぽっちの過剰も欠落もまぎれこんではおらず、ひたすら完璧というほかはない。
>それでいて、その完璧さそのものが、題材にはかかわりなく、始末に負えぬ過剰として見る者を困惑させにかかるので、あまりに透明であることの痛みに、人は思わず茫然自失するしかない。
>しかも厄介なことに、この困惑と痛みの起源は、どこにも見えてはいないのである。
蓮実=藤枝=岡崎
ってところか
穣とみどり
藤枝近辺じゃないから畑違いだけど
おいちょっと待て、お前らはやるべき諸問題がたくさんある、って言いたくなるだろう、あいつら見てると
岡崎はドグマを作るほど有名じゃないでしょ
>>819 そいつらはシネフィル連中よりずっと水準低くないですか?
福住廉ともそう大差ない
>あまりに透明であることの痛みに、人は思わず茫然自失するしかない。
この辺はいかにもだなw
>>818 岡崎はまだはるかに尊敬するわ
彼なりの限界もあるのは感じるけど、
岡崎をじっくり触れると蓮実ドグマをかなり解消できる効果はあると思う
ただ、岡崎の後がいまいちぱっとしないという状況になりそうで懸念もある
蓮実=藤枝 はいろんな点で対応すると言えると思う
>>823 石岡が岡崎ドグマから抜け出せるかどうかに注目してる
>>817 蓮実用語で全く置換できるね
「説話論的透明さが過剰の域に達している」 以上
この程度の議論に満足するとか、アホかと
>>824 俺の見立てでは、岡崎より石岡は数ミリ(ほどの差だとはいえ)劣化しているという疑いがなあ
優秀な人だから今後に積極的に期待しているけども
まあ石岡もまだ若いしこれからに期待だな
>>826 真面目な人だから岡崎の冗談みたいな話も真に受けかねんという心配はある
>>821 俺はシネフィルの方が水準低い気がする
シネフィルって映画理論を一定咀嚼している連中すらほぼいないぜ(プロ批評家を含めての話)
先日のログでも言ったけど、美術理論の連中の方が健全なバランスの人が多いって俺は思ってるよ
少なからず人文・思想史の諸領域と交差せざるをえなくなる展開多いでしょ
国内映画批評の人らってそれすら滅多におきない
藤井にしても社会学系のScreenあたりの視線論とバーチのアトラクション論ぐらいしか
消化してなさそうな気配がある それとドゥルーズの映画論の三すくみみたいな図式でしか考えてない感じ
本当に数ミリならけっこうすごくね?
蓮實と初期の松浦寿輝みたいな感じ?
>>831 うん、数ミリの差だ、ってのは、ある意味褒めてるわけね
一目は置いてるわけよ
同時に、そのちょっとの差が致命的になることもありうるんだけどw
蓮実と松浦の差異となると、どうかなあ、
一見似てるように見えるし、語彙、文体もある程度重なってた時期もあるけど
松浦は蓮実より劣化が別の意味であると思う
彼のゴダール論は、中期蓮実におけるゴダール論の不在を埋める相補的関係というよりは、
実はまずいものだと思うし……
蓮実の「ぬけぬけとした」論立てってあるじゃない?
蓮実だとぬけぬけ姿勢→議論水準 は決して良くないんだけど、
あのぬけぬけとしたセンスから出てくる発想は、ごくたまぁぁぁにだが、奇妙に鋭かったりする
松浦ってそこが思いっきり欠けててね、生真面目な深刻面を本気でやってる印象があるな
ただ、蓮実の「ぬけぬけ」は、ゴダールの「ぬけぬけ」の劣化版なんで、
蓮実でゴダールを理解すると、実はかなり間違うのだが
松浦の小説って全然ダメだと思うんだが・・・
>>834 小説や詩となると、もう読んですらいない
松浦ってあんまりいい人ではないんだよね
なぜかは知らないが、80年代のあのへんの人らって
「いまいちさ」においてびしっと足並み揃ってる感じがあるな
四方田も蓮実言説のアレンジ範囲内に割と簡単に収まる
>>830 なるほど。表象の人はさすがにそれよりは上なのかな
でも藤井がやれることはもっと色々ありそう
>>828>>832 まったく石岡め、のんきなこと言ってるんじゃねえよ、このやろう、とか思ったりしたのは秘密だ
きめえスレだな
>>836 石岡ほどの期待株扱いではないが、藤井はがんばれと思う
>>835 蓮実の小説はどう?
ロブ・グリエの韜晦な模倣くらいにしか思えなかった
石岡はオタク路線でやってくんじゃないの
二代目オタキングですか
オタキングはめざさないでしょ
>>844 金井を先生とか呼んでるあの演技はなんなんだろうw
>>842 陥没地帯しか読んでないけど、
蓮実の小説は
>>778みたいな評言でまとまるんじゃないかな
最初期浅田(逃走論所収書評)が蓮実=ダニエル・シュミット説を言ってたのは的確だと思う
趣味的には、あの小説は嫌いじゃないけど、別に賞賛しようとか思わないねw
ただし、俺が「蓮実と小説的描写」についてつねづね思ってるのは、
彼の映画批評が「小説描写」に近い構造を持っているってことだ
これは、古谷の文体の長い持続性や場面描写などにも転用されているが、
「あたかも映画を記述で演奏しなおすかのように」のスタイルが彼の映画批評の手法の一つだった
これ自体、小説の描写と想起の関係にきわめて似ているし、
ああいう文体で書くことで映画を賦活させるべき、という暗黙のドグマにもなったんだと思う
だから、蓮実影響の濃い人が、近い文体で記述していたのはただの偶然でも模倣でもなく、
ああいう衝動と映画経験の形成が不可分になっていたからだと思う
なんか面倒かつ短くまとめるのが難しい論点なので
さらっと岡崎につなげて言うと、
岡崎の文体はかなり自覚的にこうした蓮実的文体とその求心力から離脱して形成されてるものだと思う
その上で、ある種の衝動や思考惹起みたいなものがすごく生じる文章になってる
俺なんかは、単純な話、岡崎の文章読むと何か手を動かして作りたくなってくるからね
ああいう文体での批評もありなんだ、ってショックを受けることができるって意味では、
蓮実的作品記述文体に慣れた人こそが、岡崎の文章で解毒したらいいんじゃないかと思うな
蓮實の文体は、ビデオ以前の最後の世代っていう意識じゃないですかね
>>849 うん、記憶と描写の必要ってのが背景にあるよね
でも、メディア技術の推移だけじゃなくて、
半ばあれが「映画と文章のあるべき関係」みたいに規範化されたところがある
そのまんまの蓮実描写は誰もやらないとはいえ、シーンを摘出して、
ある程度具体的に描写して、ああ素晴らしい、みたいな素振りはかなり共有されてるんじゃないかな(ex.古谷)
テマティスム的作品再構成と密接に絡んでる問題だけどね
>>848 なるほどね
そういえばソンタグが作品の描写は批評たりうるみたいなこと言ってたな
岡崎の文は論理的展開だけに賭けている感じがある
論理がなければ文章とは言わんとでもいいたげ
蓮實はフォード論もボヴァリー夫人論も書かないで死ぬでしょ
そういうのが最悪だな
>>851 フォーマリズムは本当は捨てたもんじゃないと思う
本気のテマティックも
>>842 蓮実とは別にロブグリエについて言うと、
彼を蓮実的な圏域から引き剥がして再論するってのも必要だろうね
俺は割とロブグリエが好きなんだけど、何とも不毛なまでの描写スタイルで、
蓮実のような再現性を滑稽にかたちで不毛化してるような感じ
写真を構図法で語るような描写をやるとか、ほとんど冗談みたいなところがある
俺なんかはW.G.ゼーバルトの小説に意外につながる読み方ができないかとか思うんだが、
まだ思いつきの範囲を出てないな
ロブグリエの映画については赤坂がドゥルーズ越しでこだわって論じてるけど、
なかなかいい論点で関心を持ってるとは思う
>>853 蓮実のインタヴュー手法と同様、いいところはあるんだよ
かなり書き換えたり変形したりして継承する余地はあるとは思う
でも蓮實の映画のテマティズムは糞でしょ
丸い物とか美術音痴だなあと思う
>>851 しかし岡崎の文章って、なんか概念とかキーワードが文章が進行するにつれて生き物みたいに動くでしょ
あれは単に論文を書こうという発想だけでは生まれない、かなり面白いものだと思うよ
読んでるうちに、概念が読み手の中で勝手に動き出すような作用がある
たぶん、柄谷の文体をかなり換骨奪胎して作った文章方法なんだろうと思うけど、
あそこまで柄谷文章を変形できた人はいないと思う
>>854 >なかなかいい論点
どこでどんな文章を?
>>856 形態とか色彩のテマティスムになるところとか、それであたかも大丈夫、
みたいなのはかなり最低だと思う
どっちかというと俺が好きなのは、行為のテマティスムかな
平倉のアワーミュージック論(インターコミュニケーション所収)見てると、
ああこの人、蓮実からかなり育ってる人だなあ、と思ったね
>>858 >>627の赤坂HPにあった文章のどれかが、そういうのだった
まあ赤坂の悪癖として、ちょろっと論じて、そこで止まるというのは相変わらずだったが
「ロブグリエ映画作品と時間」って感じの論点
蓮實の漱石って、リシャールと比べるとすごくつまらない物だったよ
>>861 リシャールは俺読んだことないけど、そうだろうねえ
バルトにしても、初期〜中期のバルトって蓮実には回収されない面白い、
政治的・歴史的な論点たくさんあるよ
蓮実っていろんなものを駄目にしたという印象あるなあ
岡崎の文章は作品と似ている
>>864 俺は岡崎によって柄谷のイメージが変わるぐらいの刺激があったな
ただ、岡崎の弱点というか危うさと、柄谷の思考方法ってたぶんかぶると思う
「構造と歴史」とかの対置の仕方は、思うに、丸々岡崎に引き継がれちゃってる
岡崎の文章って意外と論旨が混乱気味で難しく、読みにくい。
あれ、すらっと理解できるものなの?
対談とかの発言は凄く刺激的で好きなんだけども。
>>867 確かに何度も読まないとわかりづらい点はある
たまにだまされてるような気がするときもある
>>867 うん、さらっと書けよこのやろうww
と思うときもたまにある
>>857で言う作用は稀有な達成物ではあるとはいえ、同時にそういう代償が生じてる
岡崎理解がうまく進行しない理由の一つってたぶんこれだろうな
このやろうと思わせれば勝ち
石岡あたりが本格的な岡崎論を書いて、
岡崎をもう少し読解可能なものにしてくれないかな。
いや、石岡も混濁の人だから無理かw
>>867 >対談とかの発言
岡崎は対談もまた、蓮実のインタヴュー手法とは別の局面ですごいと思う
相手への切り返し方、相手の論理を語彙や相手の構図に引きずられずに
しかし視点を移動させて一気に変貌させ、別の構図に立て直すような介入方法
あれを見ると、「作家とはかくあるものか」と震えるね
馬鹿には決してできないが、かといって秀才にもできない
あれはなかなか真似できない
石岡は岡崎論を自らに禁じているとみた
>岡崎理解がうまく進行しない理由の一つってたぶんこれだろうな
これは柄谷も昔言われてたらしいね
おそらく二人ともコピー&ペーストで文章を組み替えてるから自分でわかってても読者には説明が足らない部分がある
そこが論理の飛躍に見える
>>871 石岡はいろんな欲望持ってるんだろうなあ、とは思うよねw
彼ならある程度まで整備できそうなんだけどな
その後で他の人がいろいろ継ぎ足したり、いじればかなりいける気がするし
>>875 とらドラが面白いのかどうか気になるんだがw
>>874 わかった確信はいだくんだが、あれ? どういう要旨なんだかよくわかんね、
みたいな混乱が生じるって面があるよね
あと、字面の使い方と思考の進ませ方がちょっと乖離してるから、
論旨整理と文章が分離してて、なんか「生き物みたいに動く」ものがもごもごと乱舞しすぎるっていうか
数日経って脳裏にある「こういう議論だったよな」という思いで読み返すと、
「なんか違う議論してるような・・・」みたいな再読感に陥ったりするw
>>876 俺は「のんき石岡モード説」によって、どうでもええわ、とスルーすることにした
>>878 ゲームとか明らかに本気じゃね?
俺は全部ガチ説
>>877 長島茂雄のバッティングコーチに近いかなw
ゲームはガチだろうと思うが、「いつか書きたいゲーム論」があって、
でもなんとなくブログだから・・・みたいに、ゲームプレイ日記に手を染めた、みたいな順序だと思う
しかし、石岡のゲーム論ってどういうものなのかまださっぱり姿が見えない
俺は、blogでは、のんき版石岡も楽しいので応援したいな。
いやーのんきモードも入れていかないとblogなんて続かないって。
>>880 まあ、表象学会の講演でセザンヌの言葉と長島語についてちょっとしゃべってたりするね
単に神秘的に語るのでもなく、技術と身体と言葉の関係みたいな話しになってて、
割と論旨は単純ながら、ああ岡崎らしい論点だなあ、と思った
>>881 そりゃあシューティングゲーム論じゃないの?
>>885 TRPG、ボードゲーム、カードゲーム、電源系ゲームまでを射程に入れて
是非ともやってもらいたいんだがなあ
東が思いきり取り逃した問題だからな、このへんは
新城カズマがこだわってるけど、ラノベとTRGPや非電源系ゲームの関係は根深い
そこまで議論を整備すれば、RPGだろうとシミュレーションだろうとシューティングだろうと
そこからの隔たりで書きやすくなると思うんだが
>>737 あの主人公が駄目なやつというのは武自身がインタビューでフルやんと同じ仕方でいってるね
人にいわれたとおりにしか作れないって
もっとも武の場合現代美術はみんなあんな感じって偏見も入ってるけど
>>887 その偏見に古谷は反発したのかな、と言おうと思ったら、
古谷の偏見も大して変わらんわ、と気づいて苦笑するほかない気分になった
炉ブグリエを理解するには、徹底した構造主義が必要なんだけど、日本のポモには荷が重いのか、
浅田以外は誰も構造主義を勉強したことないからなあ
炉ブグリエの小説を、ナオミ風に描写が云々なんていつまでいっているのよ、って思う
あれは、位相空間論やってないと分からない
>>882 ブログではシリアスに書籍お勧めモードと、のんき石岡モードで
いろいろ楽しく気分転換的に書いてもらえばって感じだね
原稿がんばってくれと
>>888 美大生を安易に殺す場面にキレてたね
武の映画で簡単に人が死ぬのはいつものことなのに
>浅田以外は誰も構造主義を勉強したことないからなあ
これはいいすぎw
そいつ例の「〜でしょ」くんだから
俺のロブグリエ描写観は、渡部の逆なんだけどね
彼こそ蓮実圏域のロブグリエ読解でしょう
「充実せる描写の運動」っていう
俺は冗談めいたものだと思ってる
あと、プロット進行のサイレント喜劇映画じみた反復が面白い
場面A→移動し、ある対象を見る→はた、と気づいて場面Aに戻る→ふたたび対象が・・
こんなのが何度も続く
あれは結構面白いし、蓮実のマンネリ志向とは別物だと思う
>>894 いや、ほんと
「はじめての構造主義」程度の理解しか持ってない
フランスの構造主義理解せずにジェイムソンへ行っちゃった人たちばかりだもの
精神科医ぐらいだよ
ラカンを読んで、つまり構造主義をキチンと理解しているのは。
>>897 あんたが好きな福嶋亮太さんがやってくれるよ
>>896 炉の小説って、冗談なんだよね
フランスてユーモア小説の流れがあって、それに棹さしている
炉をハスミ・ナオミ理論から解析していくっていうアプローチは、
俺は完全に誤りだった、と思う。
炉の小説は、ユーモア小説、ポルノを構造主義的に示すことだった
日本の精神科医は、地頭のよさに頼った文人が大杉
>>888 両者の「正しい芸術」観はあんまり変わらない
構造主義を理解せず、ドゥルーズやデリダを読んでた人たちが日本の思想エッセイを書いてたからなあ
それでいてジェイムソンを馬鹿にしてたけど、酷いよね
ワセブン市川いわく、福嶋を蓮實が褒めたらしいからね
>>902 他方でジェイムソン読みが「おフランス」叩きしてたから下らない棲み分けになってた
構造主義をある程度理解してないと『意味の論理学』は絶対にわからない箇所があるはずなのに、
たしかに構造主義すっぽ抜けてる人は確かに多かったと思う
その程度だったから、「スカ」といわざるをえないよw
ポスト構造主義の射程を理解する以前の話なわけでさ
たとえば炉の構造主義読解もネットになってテクストがやっと出てきたぐらい
日本だと構造主義も実存主義もひとつも消化されないまま、ポスト構造主義が読まれていた
ミシェル・トゥルニエをケインズやフリードマンを読まずに読むようなもん
鼻からフランスのエリート連中が前提としている教養を無視して読むから酷いもの
日本の思想は、浅田と柄谷以外、80年代は完全に「カス」か「遊び」でしかなかったと思う
「遊び」はバブルはじけて完全に終わった
そんな宝島社に毒されたようなこと言われても……
経済と工学を振りかざして色々な人をやっつける批評も、
山形浩生がさんざんやりつくしたし、もういいよ
世代的なもんなのかわからないけど、
構造主義をろくすっぽ理解してない人間が
ドゥルーズにアクセスしているっていうのが、いまいちピンとこない。
>>909 松浦と丹生谷にかぶれてドゥルーズにアクセスしてた気分になってた古谷とか、典型
>>908 ミシェル・トゥルニエの「フライデー」をどうやってケインズや(新)古典派経済学無視して読めるの?
岩井がそのへんやったけど、山形はむしろその岩井批判派だよ?
>>910 その二人にかぶれてたのかな?だとしたら影響を隠しすぎじゃね
>>911 >経済と工学を振りかざして色々な人をやっつける批評
って言ってるやん
ほとんどの場合、そういう指摘は理系の奴が理系であることに充足する藁人形叩きにしかならないんだ
必読書150の座談会で言われていたように、
「Aへの批判を、“Aは読まなくてもよい”と曲解されてしまった」
ということだな。批判対象であろうが、「元ネタ」は読めよと。
それに90年代になると、小谷野とか山形とか、
“Aは読まなくてもいい”を明言することをメシの種にする類が湧いてきて、
それを間に受けて、何でも“でしょ”で総括したがるカスが続出しだして。
>>911 ドゥルーズの批評はマルクス以来のロビンソン談じゃなくて他者論に引きつけているじゃん
そこでマルクスを省くあたりのバイアスも、良くみる「アンチサヨ」だよね
>>914 ネットだとその種の罵倒芸が正義になるんだと思う
池田信夫とかが一目置かれているとか信じがたい
浅田彰のレトリックにも原因があるのかも
「うざい人文を理系的明晰で粉砕」って、もともとは浅田の技だし
だから古谷的な屈託は、実は浅田と一番相性が悪い
日本では、ドゥルーズは、哲学ではなく、文学、美学寄りで理解された節がある
蓮見重彦なんてその典型
潜在性とかまったく理解できてないまま、とにかく「生成変化」とか
大正生命主義の悪しき反復でしょう
唐傘連盟状式にドゥルーズが言及され、大学のテニュアに処理されていく光景は、酷かった
ドゥルーズの「意味の論理学」とか未だに(学のない大衆向けに)まともな解説がないし、
うへえ、じゃ、俺が書いてやろうか、とも思うけどw
古谷がアクセスして「禿げと名指された瞬間に禿げとなる」とか言っちゃうのも古谷のせいってばかりじゃないでしょw
なんだか途端に芋臭いスレになっちまった
ぜひ書いてくれw
けっこうマジで
ここで人文系なじってもつまらんよ
小林秀雄とベルクソンだってそうだよ
>>920 日曜の午後はいつも「でしょ」の人が来るから
>>912 数年ぐらい前の某日の偽日記にそういうくだりがあったんだよ
10代〜20前後の古谷に関するエピで印象深いのは「松浦と丹生谷を好んで読んでた」
「憧れは相米とたけし」「タモリのネクラにかんする発言は衝撃的だった」
「僕にとって初期蓮実との出会いは当事のロックやパンクのイメージとだぶる」
「TVの映画宣伝で洞口依子がゴダールと言っていた。あのとき感じたのは今で言う萌えだったのかだろうか」
「うる星やつら2を当時見て衝撃だった(ちょっと記憶自信なし)」とかだな
あと、俺から見ると松浦、丹生谷からの影響はバリバリ鮮明に見えるが…
初期偽日記はこの二人の本の書評が多い多い
青山に対する判断の甘さも、松浦読者としての接続があって、シンパシーがあるんじゃないかと思う
フルヤンを反面教師に、古典教養や基礎をしっかり身につけよう。
>>924 なる
最近そういうの減ってるよな
影響を隠しすぎなのに変わりはない
>>923 手ぐすねを引いて、映画と小説の話が終わるのを待ってるのが見え見えだったね
「〜〜を知らなければ理解できない」「〜〜は○○ということなのだ」(人名などが入る)
をポンと言って断言してはいおしまい、って手口はまさに
80年代に大流行した、とりわけ蓮実が乱用しまくった技なんだがな
そんななりして80年代批判とか笑わせんなとしか言いようがない
丹生谷はドゥルージアンなの?
俺あの人の書いたもの好きなんだけど、ドゥルーズというかバルトだろう
古谷のドゥルーズ理解には、樫村エッセイも影響していると思うんだけど、
樫村のドゥルーズ読解は、よく指摘されているようにドゥルーズほんとに読んでいるの?と
疑わしいんだよね
実はアレ、ハイデガー批判なんじゃねえの、と思うんだよねえ
古谷は例によって盲信で、「うつくしいスローガン」批判しているけど、酷いものだよ
ちゃんとドゥルーズ読んでくれ、といいたい
ドゥルーズを「葬送」したいのかなあ
炉の「幻想都市のトポロジー」が当時の構造主義を象徴するテクストのひとつなのに、
日本の文脈でそう指摘されたの読んだことないんだよねえ
ネットでようやくそこから読み直すという真っ当な読解が出てきたぐらい
なんつーか、やることやってなかった
輸入するのはいいし、やるべきだと思うけど、せめて真っ当に理解しようぜ、と
>>929 >ドゥルーズを「葬送」したいのかなあ
これ、皮肉じゃなくて、古谷はそうしたいんじゃないかな、と思うときがある
蓮実とドゥルーズと受容層とシネフィル悪癖で考えて思ったんだけど、
蓮実でドゥルーズを知った振りして、ちょろっとドゥルーズの文学論か何かを斜め読みして、
ドゥルーズのフレーズを火の粉を払うお札みたいに使って自信をつけながら、
実質、ドゥルーズを全然読まないってタイプの人間が結構いたと思う
(葛生とかが今もそれやってる)
で、蓮実→丹生谷・松浦って感じで移行してた(順序逆か往復してるかもしれないが)んだろう
その間、主として丹生谷による記述から『シネマ』を読んだ気になっていた
そして自分とドゥルーズの映画観が親しいものだと心地よく考え始め、
その中で映画の見方を形成していった
お札「ドゥルーズ」はエンブレムだった
90年代末に入り、丹生谷・松浦→樫村に移行した
お札「ドゥルーズ」が、お札「樫村」に移りかけた
その後の待望の『シネマ』邦訳刊行は古谷にとってショックだった
読んでも読んでも自分の映画経験の組織化プロセスと異なっている
ここで決定的にお札「ドゥルーズ」と疎遠になり、
火の粉を払う、悪魔を払う呪文・呪物は「樫村」になったのだ
そういう流れがあるように最近感じるし、漠然としたかたちであれ、マジで葬送気分があるんじゃないかと
まあ、明白に「僕にとってドゥルーズは遠く感じられてきた」と表明するような動きにはならんと思うけど
そこまで自覚的に進行してないはずだし
先験性の回避がモダニズムの宿命のひとつだとすれば、
『幻影都市のトポロジー』はモダニスティックだよね。
そしてもちろん構造主義的でもある。
悲しいかな、構造主義はバルト『神話作用』を通じて
文化左翼に受け継がれたせいもあって、
構造主義で読み解かれるもの=大衆文化みたいな、
俗流解釈がいまだ跋扈している(というか実践された量的には、
それが事実だったり)。
樫村のドゥルーズは酷いもんだ
ようは病人じゃないから駄目って言い方
のんきモード石岡がシネマについてちょろっと書いてるね
>丹生谷はドゥルージアンなの?
>俺あの人の書いたもの好きなんだけど、ドゥルーズというかバルトだろう
だからこそ、蓮実→丹生谷という移行を遂げるドゥルーズアクセス気分者がいるわけでね・・・
ちなみに青山もその一人である
>>932 サヨクは駄目で工学的アーキテクチャですよねw
構造主義で大衆文化って、ロブ=グリエ自身がそうじゃないか
何を言ってるんだろう
>>936 ほっとけって
読まないで言ってるんだろ
いつもの聞きかじり知ったかぶりレスだ
>>931 だいたいそうなんだろうけどね・・・
例によって「シネマ」もまともな解説ないし
俺も「シネマ」はよく分からないw
古谷のドゥルーズ読解は、丹生谷仕込みだと思うから、なんつーか・・・
ただ、本質的には、樫村よりドゥルーズに近いと思うんだよねえ、
古谷の記号嫌いって、ドゥルーズのウィト、分析哲学嫌いと重なるんでねーの?
樫村に惹かれるのは、資質が対極だからなんだろうけど、
ドゥルーズをそれで片付けてしまおう、という最近の欲求は理解しがたいよ
>>937 こういう山形亜流はかなりうんざり
アマゾンで山形が書いたバルト書評の受け売りなんだよね
>>924 >TVの映画宣伝で洞口依子がゴダールと言っていた。
これはどういうこと?
ゴダールについて何か言及していたのを見て萌えたってことかな。
>>941 そういうコーナーがあった
深夜番組が濃かった時代の郷愁だよ
>>944 ミルプラは読んでいるけど、ドゥルーズが記号論ってどういう意味でいっているわけ?
ガタリ版ミルプラは当然読んでいるよね?
ドゥルーズが記号軽視ってのは論外でしょう
>>939 リアルタイムに80年代を知らないけど、俺の認識では
浅田も蓮実も揃って能天気に「記号学者バルトより後期バルトだよね〜」の調子だった
80年代では初期中期バルトすらろくに読まれず、後期バルトだけが日本的に受容され席巻したという感じだ
だから山形の批判すらすでに外れていると言いたい
社会学近辺やマーケティング云々じゃ大衆文化論バルトが妙に人気になったりはした例外はあるけどね
しかしこれは悪しき回収だから反面教師的なものだな
そういえば、昨日久しぶりに「逃走論」再読したんだけど、古谷の認識がいかに間違っているかがよく分かる本だった
放言しちゃえば、「逃走論」で00年代の日本思想の最良の部分はすでに出ているんだな、と
山形とか東とかその後の日本の思想屋も全部浅田が先回りしてやっつけている
蓮實はミシュレだけ好きなんじゃなかったか
>>942 DGは、言語学主軸とした記号論は批判するが、
広範に別に記号のシステムを構想してて、議論してるんだよ
ミルプラトー4章・5章がそういう議論に紙面の多くを費やしている
だから古谷が記号嫌悪ってのは、蓮実の観念的/唯物論的とか、
からごころ/やまとごころ めいた二元論経由だと思う
(細かく言うと、蓮実は言語ではない記号をたまに言い、
魅惑的な記号を生産できるかどうか、とかそういう口ぶりもするんだが、
まあ、上記二元論の方が目立つから、古谷はたぶんこの側面を捨象してるんだろうな)
>>950 逃走論は、書評も含めて世評によるイメージよりははるかにいいところもある本だと思うよ
甘いところもあるといえばあるんだろうけどさ
「すでに80年代にこういわれてるのに、なんでその後こうなったの?」ってうんざりしながら感じることって多いよ
>>948 記号軽視でしょ
ミルプラはガタリのバイアスがかかりまくっているし
「意味の論理学」や「前期ウィトは哲学の暗殺者?だ」発言からいえば、
記号というか形式体系じたいをドゥルーズが意図的に軽視したのは確か、だと思うよ
後期ソシュールー丸山路線的な、記号の生成学としての記号論でドゥルーズを理解
しようとするのは、実はガタリ理解だったんだよね
それがガタリ版ミルプラの刊行で明らかになった
ドゥルーズの言語観は、「意味の論理学」にあるように、記号ではなく、コンテクスト重視
カフカやメルビル読解を読むと、古谷と意外と近い位置にある
それなのに記号嫌いのはずの古谷が、樫村に影響されてか、ドゥルーズを読まなくなった?
のは大きなお世話だけど、やっぱ損失でしょう
古谷がラカンではなくドゥルーズ読んで、ドゥルージアンとして覚醒すると面白い
>>954 いや、だからあんたのいう形式体系ってほぼ分哲やん
ブーヴレスがドゥルーズを攻撃してたのと似てる
ううーん、どうかなあ、たしかにガタリは記号生成学の面は強いよね
でも、『シネマ』ってのはイメージ=(非言語的)記号みたいな世界でさ、
DGとしての仕事以後開花してる議論でもあり、ガタリだけに押し付けるのは無理だと思う
また、前期ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』でも、シーニュは貶められてないよ
「思考する行為の発生としての創造は、つねにシーニュから始まる。
芸術作品はシーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。
創造する者は、嫉妬する者のように、真実が《おのずから現れる》シーニュを監視する、神的な解釈者である」
(「結論 思考のイマージュ」p.199-200)
たぶん、『差異と反復』の思考のイマージュの頃からこの種の発想はあるんじゃないかな
コンテクスト重視ってのはちょっとピンとこないな
第何セリーか、区切っていってもらえると、ざっと読み直してみるけど、どのへんだろう
ガタリ版アンチオイディプスは耳にしたが、ミルプラトーの方はちょっと聞かないな
>>954のミスか、それとも俺が知らないだけか
ドゥルーズとガタリを峻別する読みがはやってるからじゃないか
>>959 ただ、意味の論理学とDG時代では「なんかすげえ飛んでね?」って感じを受けやすいからね
前期ドゥルーズを仔細に見ていくと、DGへとそんなに飛躍しまくってるわけではなく、
どこかしら必然的な出会いだったんだろうという面も強いのだが
ミルプラは、「プラトー」の意味さえみんな満足に理解してなかったから
何ひとつ解説せずに終わってしまったのが、80年代
なんつーか、怠慢すぎた
そこが、バブル以降、この手の思想が流通しなくなった元凶だなあ
山形の勘違い「クラインの壺」批判とか、低レベルの言説が出てきちゃった
基礎知識がないんだよね、山形も東も
ベイトソンからはじめればいいよ
なんだ、「でしょ」君が今度は山形・東批判者面を偽装して浅田を褒める手つきで自演を始めただけかスノッブ
そろそろ次スレをちゃんと検討しないとまた変なことになる
どうせ「ガタリ版ミルプラって何だ」「ドゥルーズにおけるシーニュの扱いはこうなってるんだが・・・」
「意味の論理学がコンテクストってどこにんな話が」とか、全部スルーしてごまかし続けるんだろ
>>929>>938>>950すら偽装自演か
もう君の自演は要らないよスノッブ
たしかに病人に付き合ってもしょうがないな
リンク集近辺をちょっと整理してくる
しかし語尾スノッブ君も荒らしっぽいから自重
もし荒らすつもりなら蛇足だが
「シネマ」以前に映画理論ぐらい身に付けろ、といいたい
基礎知識飛ばして教養に行っちゃうのは、80年代の焼き直しでしかないぞ、と
【スイカ】古谷利裕の偽日記13【すげー】
あたりが無難か
【丹生谷】古谷利裕の偽日記13【構造主義】
>>967 あ、いや、予めNGwordにスノッブを入れておくと、消すときには便利なんで一種の配慮のつもりだったんだけどね
>>1もある程度文章変える?
人名が膨れたし、ここに人名入れたら膨大すぎるような
あと
書き込み人特定などの煽りはスルーしましょう。
以外にも付け加えるべきこともあろうし
80年代うるさい人はここの住人だったか
120 名前: 名無シネマ@上映中 Mail: 投稿日: 2009/03/01(日) 16:47:13 ID: kmFCojRb
ゴダールって「スカ」だったと思うんだよねえ
>>974 いや、人名羅列表記じゃなくて、カレゴリをうまく要約して文章にしたみたいな
踊り文句でいいかなあ、と
解説は必要では
おお、いいね
日曜暇そうだな院生もしくはオーバードクターたち
石岡さんには、日本の思想をどこまで展開できるかが課題としてあると思う
石岡は日本志向なのか?
美術作家・批評家の古谷利裕について語りましょう。
古谷の単著が出ました。
『世界へと滲み出す脳――感覚の論理、イメージのみる夢』(青土社、2008.7)
英米仏の映画・芸術・文学の理論・研究・批評に関する総合的な話題もOKです
美術領域:
英米美術雑誌『October』『Grey Room』やその国内導入(林)、
表象文化論学会の面々(田中、チェン、千葉、佐々木)、雑誌『SITE ZERO』、
UTCPなどの動向、写真研究会、photographer's galleryやその刊行雑誌の動きも含め、
岡崎乾二郎、彼が率いる四谷アートステュディウムの講師陣たち(石岡、平倉、有賀等々)や
雑誌『artitoc』およびサイト活動、
人脈が一部重複する批評誌『Review House』やその執筆人たち(黒瀬、伊藤、福嶋) まで幅広く
映画批評:
上述の平倉、石岡も交えつつ、若手批評家(赤坂、藤井)の活動、
表象文化論の層が関与するサイト「FLOWER WILD」をはじめとして様々に
書き込み人特定などの煽りはスルーしましょう。
荒らし行為や煽りが頻発していますので適宜スルーしましょう。
984 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/01(日) 17:18:37
石岡さんは留学はしてないけど関心は国際派
ドメスティックを嫌う
転狂院こそ真の国際派
>>985 非モテってすげーくだらない論点だったと思うんだが
有賀は四谷で教えていないんじゃね
>>986 くだらなくても、すでにメディアに浸透しているじゃん
四谷とか一生ある領域以外には浸透しないけど
じゃあ、
岡崎乾二郎、彼が率いる四谷アートステュディウムと近辺の人々(石岡、平倉、有賀等々)や
に変えるか
でしょからじゃん へ
岡崎と古谷ってもうあんま関係ないんじゃないの?
アニメは必要
ビデオの乗り越えがアニメだから
古谷も20年後はアニメ批評しているはず
じゃあ石岡はのんきじゃないわけか
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スレが替わる近辺は荒れるねえ
病気なんだろうねえ
しかしすごいね
古谷が無理解にしている美術史・領域のことを語ってるときは
「古谷スレだぞ、古谷の話をしろ!」といい、
古谷が映画について話しだしたからスレでも映画の話をしたら
「美術鑑賞板だぞ、美術の話をしろ!」といい
毎回しゃべるたびに墓穴を掘る矛盾は、やってて空しくならないのかな
なんであの病人はこのスレが大好きなのだろう
古谷に、映画批評にこだわる動機が全く無いので不可解すぎる
嫌がらせしかできない、友達のいないただの寂しがり屋なんだろうけど
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。