1 :
もぐもぐ名無しさん:
先史って・・・・
神代時代まで含めるのか?
古事記にはいろいろ面白いメニューがあった気がするが
そんなのもOK?
いいんじゃないかな。
口噛み酒とか…
先史まで遡れるのかよw
万葉集とか古今和歌集からも拾ってくるか・・・
酪とか蘇とか醍醐とか
>>2 ぜひ聞きたい。
古事記って食事シーンとかも出てきたんだ。
詳しく読んだこと無いから知らんかった。
昔のことで細かいこととか味とかは覚えていないが、
奈良パークホテルの「天平の宴」と春日大社の「中旬の献」なら
食べたことがある。
先史から江戸までって一体何千年だよw
徳川300年と数千年を代替しちまう1は太っ腹だな
江戸は鰻丼鰻重を発明したが、それ以前はぶつ切りにして煮込んで食べてたらしい。
調味料は味噌や醤油など伝来以前は塩だけなんだろうかな?
先史からってことは、例の肉を入れてもいいんだろうか?
13 :
7:2005/12/09(金) 11:21:09
「天平の宴」では塩は手塩皿に別盛り、料理そのものには
調味料は一切はいっていませんでした。
>>13 味付けなしでおKだった?
なんか想像するとすごく食べにくそう。
>>14 慣れると味付けなしでもおいしいよ
塩分量も調節しやすいし
16 :
7:2005/12/09(金) 14:20:37
そういえば醤(ひしお)もあったような気がします。
>14
>15さんのいうように慣れればほぼ大丈夫でしょう。
薄味の苦手な人や、化学調味料に麻痺した舌だと大変かな。
ただ、羹(あつもの→調味料無しの潮汁だと思えばいい)なんか
だと、素材のなまぐさみがどうしても残るので、人によっては
つらいかもしれません。
幸いなことに自分は塩微量で美味しくいただけました。
あと、ここの「蘇」は奈良のあちこちで売っているものより
濃厚で美味しかった記憶があります。
機会があれば一度食べてみることをお勧めします。
また行きたいなぁ。
膾(なます)があるから、酢は味噌や醤油よりかなり古いよね。
(酢をつける)膾と(醤油をつける)刺身は直接つながってるのかな?
膾と刺身の間に、酢味噌和えといった中間段階の時期があったのかな。
味噌のほうが、うんと醤油より古い。
それ以前はヒシオ。
ヒシオにつけた魚ならあったとおもうけど。
平安時代頃までの調味料は、塩・酢・酒・醤(ひしお)の四種かな。
ワサビや芥子なんてのはいつごろからあるんだろう
>>19 それだけあれば結構いろいろできそう。
でも甘味料がほとんどないんだっけか。
甘蔓だっけ?の汁を煮詰めたものとか。
芋粥だか芋汁だかって話に出てきた高級品。
砂糖やみりんが料理に用いられるようになったのは江戸時代(の後期?)だっけ。
だし + 醤油 + 砂糖・みりん (+ 酒)
で味付けされる現代の和食の多くは、江戸時代以降のものでしょうね。
安土桃山とかそのあたりはどうだったんだろ。
文化は華やかだけど、食い物はそれほどでもなかったとか?
27 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/10(土) 14:01:01
雑煮も、最初は味噌を溶いた汁の上澄みを使っていた。
下に沈んだのを使うのは下品とされていた。
山椒は縄文時代、猪鍋の薬味に使われたと聞いた事ある。
俺はウナギを食べるときにしか使わないが・・・。
ていうか
>>1さん、先史ってどこまで??
>>28 猿人から…かな。食料を火で加工し始めてからじゃないと。
縄文時代って肉とパンだろ。すげえ西洋チック。
31 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/11(日) 01:23:08
えー・・・・・
なんだか前スレとはすこし趣向が変わった様ですね
仙人はカスミを食って生きていけたらすぃとの噂とか
平安時代はてんこ盛りの玄米と
数切れのお漬物、魚の干物に汁椀が
お貴族様のお食事だったらしい
保存食中心になるのは仕方ないよね
調理方法も煮る炊く焼くくらいしかなかったと
某オカルト系のマンガに描いてあったw
社会の教科書に載ってた平安期族の食事は、
強飯、蛤の汁物、鯛の笹焼き、蒸しアワビ、キジの焼き物、カブやしいたけの煮物、栗と豆の甘煮等、
品数も多くてすごい豪華だったけど。
しかし強飯は文字通り「強い飯」で、硬かったんだよね、確か。
平安時代の一般庶民ってどんなもん食べてたのかな
飢餓画なんかには、泥とか草の根っことか人とか
食べてる図があるけど。
平安貴族は結構品数だけはすごいよね。
強飯は粥に対する今で言う普通のメシに近いものだと読んだ記憶があるが。
もちろん品種や精米技術、炊き方の違いはあるが。
>>37 山間部だと粟稗等の雑穀といくばくかの野菜の雑炊ってとこではないかな?
食材や調味料の流通もほとんど期待できないし自給自足か、せいぜい
近隣との物々交換とか、ではなかったかと。
海沿いだともうちょっとバリエーションが増えそうだな
40 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/12(月) 21:54:09
平安時代前半だと、山間部では狩りとかやってたし
肉を食べることは意外にタブーではなかった。
仏教も、初期は貴族の間でファッションのように流行っていただけだし
獣肉や鶏肉を使った熟れ寿司や塩辛、があったと、なんかの本で読んだ覚えがある。
アラスカのキビヤックみたいなもんかな
42 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/13(火) 21:52:08
>>41 「今昔物語」にすしを商う女が商品たるべきすしの上に
嘔吐したにもかかわらず、それをこそげ落として商売を
続けたという話があるが、この話から、すしは嘔吐物の
も似た物体に覆われていた事や、相当な酸臭を放ってい
たことなどが想像され、かなり長時間にわたって発酵さ
せられていたと考えられる。
今の鮒寿司みたいなのかな。
69
45 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/13(火) 23:47:50
46 :
酉:2005/12/14(水) 17:06:56
平安時代のご飯、まだ「炊く」って調理法がなくて
蒸すのに近かったからかなり固かったろうな。
しかもあの頃は一日二食だから、
ご飯の量は多かったみたい。
絶対疲れるねw
47 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/14(水) 18:28:12
乾飯(かれいい)ってのもよんだことある。ご飯をせんべい状にして乾燥さしたもので非常食とか長旅のおべんとだったらしい。ただのかちかちご飯とは違うのかな…
48 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/14(水) 19:03:36
源頼朝が、塩鮭食って
「こんなうまいものがこの世にあったのか」
とコメントしたらしい。いくら流人だったとは言え貴族だし、それなりのものは食っていたはずだが。
ただ、関東では猟が盛んに行われたので、肉は結構食べていたようだ。
日本人の平均身長って、肉食の習慣が失われるにつれ、どんどん低くなり、江戸末期が一番小さかったはず。
>>46 おこわみたいなのを想像すればいいのかな?
51 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/14(水) 20:42:14
>>48 >日本人の平均身長って、肉食の習慣が失われるにつれ、どんどん低くなり、江戸末期が一番小さかったはず。
食事よりも「正座」という生活習慣の影響がはるかに大きい
>>49 それは干飯(ほしいい)のことじゃないかな。
洗って陰干しして作るやつで米粒がくっつかずパラパラで水につけると戻るらしい。
乾飯は纏めてあるみたいだから粘りを洗い落とす必要があったのかな?
53 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/15(木) 04:09:21
貝塚から食料と思しき カブトムシが発掘されてるらしい。
カブトムシって食えるのか
そう言えばアフリカの方にカブトムシの幼虫がご馳走だみたいな部族がいたな
日本で食べてたとしても不思議ではないな
山間部では戦前まで普通に食べていたはずだが>カブトムシ幼虫類
今でもかぶと虫、食う国あるからな。虫食って、いなご食べるみたいに結構あるし。
と、ふと、「カブトムシ 食べる」でぐぐってみたら。1ページ目に
ゴキブリ食ってる奴が居た。。。orz
あえて、URLは書かない。
57 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/12/15(木) 22:16:25
戦前の貧しかった頃はカブトムシといえども貴重な蛋白源だったんでしょうねぇ。。
ハチノコくらい小さいとまだいけますが、カブトの幼虫くらい大きいとちょっとグロいですね。。
58 :
珍味板住人:2005/12/15(木) 22:28:46
カブトムシの幼虫(スクモ)はまずい、というのが珍味板の常識
土の中にいるイモ虫は、土を食っているので泥臭い。同じ甲虫の幼虫でも、木の中にいるクワガタ・カミキリムシの幼虫は、普通に食える。
クワガタの幼虫(これもスクモ)は朽ち木が食料だが、カミキリムシの幼虫(数珠玉虫)は生木を食料にしている場合が多く、臭みがない。
関心のない人にとっては、みんな同じイモ虫だろうが。
59 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/15(木) 22:55:54
>>58 なるほど。そんな気もするな。キャンプで薪割ってるとカミキリの
幼虫が出てくるもんな。あれを少し焼いてしょうゆでもつけて食って
もいいのけ?58さん。
>>59 醤油が合うかは知らんけど、カミキリの幼虫は食えるそうな。
薪割ってるときに出てきたらのけておいて、くべてるときに炙って喰うんだって。
頭のところは噛み切って捨てたらしい。
以上ひいひい爺さんから聞いた。
カミキリは成虫もうまいっす。
うちのオヤジは子供の頃家の庭木だったイチジクの木の中にいた
カミキリムシの幼虫を捕まえては串に刺してたき火で炙って食ってた
ってことを自慢げに話してた。
おれは、そういうのは嫌だ。
昆虫は食いたくないな
虫って殻がモソモソしそうな気がする
気にならないもんなの?
>48
貴族だからこそ、ろくなのを食べなかった。
平安時代あたりから、仏教の影響で動物性タンパク質の摂取が
少なくなる。食べるのは、上で出てる蒸した米だとか、干物ばかり。
当時は貴族より野武士や豪族のほうが、栄養価の高いものを食べていた。
まぁ、塩鮭は産地と輸送の問題だと思うが。
>>67 そういう風に言い切るんだったらソースも示さなきゃ。
別にネット上の物だけじゃなくて書籍でもなんでもいいんだからさ。
ちょっとなんかで読んだぐらいで言い切られてもなあ・・・
おいらは言い切りの人は、きっと研究者やプロの人だと自分に言い聞かせます。
>>69 研究者やプロほど、言い切りしないような気もする。
資料から掘り起こせる範囲ってのは結構限定されてるし、それを
良く知ってる人たちだからこそ、なのかな。
71 :
67:2005/12/20(火) 10:57:45
72 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/23(金) 01:38:49
73 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/23(金) 08:08:52
時期的にですが、日本のキリシタン・キリシタン大名・隠れキリシタン・来日していた宣教師はX'mas及び普段の日に一般人とは異なる食品を食していたのでしょうか?
↑トルコライスとかじゃね?
>>73 11月頃公開してた「奇談」って映画で隠れキリシタンの料理を再現してたな。
>>75 映画化されたとはシラナンダ。情報サンクス。
>>諸氏
和食は健康維持に良いと言われます。
和食は江戸末期には現在の姿で完成していたそうですが、
何で、江戸時代に脚気が流行しのでしょう。
脚気の罹患者は経済状態にかかわらず、働き盛りの男性に多かったとも聞きます。l
脚気が流行したのは貧乏人でも白飯食うことができた江戸市中だけ。
そして庶民や下級武士の食事は一日で
白米5合、味噌汁、漬物+α(納豆とかご馳走としての煮物とか)
みたいな感じだった。
そりゃビタミン足らんくなるわ。
でも、いわしなんか、当時肥料にするくらい捕れたはずだから、
こいつを食ってれば状況はもう少し改善できたような。。。
まぁ、江戸近郊の農家の方が下手な町人よりもリッチだったと思うが。
一種の現代病なんだよね。
精米するほどビタミンB1は少なくなる。
旨さを求めて栄養不足。
そういう漏れも、ビタミンのサプリメントで補ってるけど。
ていうか、前スレから何度も話題になってるけど、
しつこくない?
日本食は健康的だけど塩分が多いって言うけど、
それはこのスレで話題になるような時代の話であって、今はそうでもないよね。
伝統的な和食に現代の保存技術で低塩・減塩を実現すれば最強の健康食じゃない?
>>79 旨さを求めてという要素と別に、燃料節約もあったんだろうね。
一日1度しか米を炊けないから、白米。
玄米じゃ、茶漬けには向かないし。かゆにして食い延ばそうにも
ほとんど水吸わないから。
燃料節約説はぐぐってもでてこない(´・ω・`)
燃料をケチるのが目的なら、初めから高価な白米を食べようとは思わないんじゃないのかな。
>>78 それが、疑問。
必要蛋白質を米だけでとろうとすると5合喰う必要があるが、めざし3匹もおかずに付ければ満腹してしまい、とてもたべられないそうだ。
糖質の代謝にVBは必須だから、白米の大食いがVB不足の原因かな。
>>82 文春文庫 江戸こぼれ話 26ページ の記述でございます。
結構面白い。
白米と無精米の差額以上に燃料が節約できたから、それが理由で江戸市中で白米が流行したの?
美味しい白米を食べることが流行した結果、結果的に燃料も安く済んだ、ということなの?
その本に書いてあるのは、どっち?
>>87 自分で買って読んだらいいと思うが……正月休みにでも。
87じゃないけど、面白そうなんで買っちゃった。
楽天の期間限定ポイント消化するのにいい買い物できたよ。
サンクス!>88
買うのを薦めるのはいいとして、持論のソースとして提示したんだったら、
こういうことが書いてありますくらい言えばいいのに。
ページまで指定するくらいなんだからさ。
わけわからん。
>>90 わかりやすく解説してあげるよ。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 知ってるがお前の態度が気に食わない |
|_________________|
∧∧ ||
( ゜д゜)||
/ づΦ
ここは糞スレ。
本を読んでください。
95 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/26(月) 23:50:07
このスレ、結構アカデミックだと思うよ?
それもこれも、実証主義っていうの?ソース重視つうか、
適当な煽りを排しきたからこそ、それなりに続いているというか。
糞スレとか、本読めとか言うなら、最初から議論に参加しなけりゃいいじゃん。
そーだよ!ギョウザでいいじゃん。
97 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/28(水) 07:27:46
毎日寒いですね
この氷河期を乗り切るスタミナレシピです
マンモスを狩る→毛皮・牙を剥ぐ→適度な大きさに切り、平らな石に乗せ火にかける( ゚д゚)ウマー
余ったら干し肉にして長期保存
骨は頭にかぶるとおしゃれな兜に!オススメです
98 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/28(水) 09:36:47
97は頭がデカイ人
ギャートルズのマンモーの肉はうまそうだな
ワンピースの肉もうまそうだけど
あんなお肉が食べられなくなったのは、
やはり人間の乱獲が原因かな
100 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/28(水) 11:06:40
>>97 シベリアの原住民は氷漬けのマンモスが大好物。
帝政ロシアの調査隊が凍土の中から発掘しているときも、
よだれをたらしながら見物していたらしい。
ソースは「密林の奇談」ね。
あの肉っていうハム(?)みたいなの売ってたね。
いっぺん食べてみたい。
104 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/28(水) 19:43:42
象もうまいのかなぁ?
>>97 うちの方じゃ、ナウマンゾウしか捕れません。
最近じゃ、それもめったにとれず、カモシカとかオオツノシカがたまに捕れればいい方です。
そろそろ農耕に移行しようかとムラの人たちと話し合ってるところです。
106 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/29(木) 02:22:53
>>104 ナム戦のときインド象を食べた北ベトナム兵の話は読んだ事があるが、
ゴムみたいでまずかったらしい、虎や水牛もまずかったらしい。
が肉を食いつけてないうえにろくな調理法ではなかっただろうからな
>>106 ちょっと前まで、東南亜細亜の食堂でビーフといえば水牛。
不味くは無かったよ。
108 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/29(木) 19:46:40
アフリカゾウなら、ジンバブエで食えるらしいぞ。国立公園で増えすぎた
ゾウを間引きして、政府が卸している。1キロ200円で、見かけはごつい
が、柔らかく牛肉よりもコクがあって旨いらしい。
109 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/31(土) 18:52:04
マンモスが絶滅したのって、気候が変動して地球の温度が上がった結果
大気中の水分量が増えて雪原が広がり、植物が生育しなくなり餌がなくなって個体数が減った上に
アメリカ大陸へとロシアから地上伝いに渡った人間が(ネイティブアメリカンの祖先)
狩りをして止めを刺したって話をいつだかNHKで見たような
貝塚ってのがあるくらいだから
日本人は昔から貝が好きだったんだろうな
貝を好きなのは男だけよ
女の人は何が好き?
みる貝
114 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/01(日) 19:23:28
沢庵うめえ
これ考えた人天才
ご飯に沢庵最強
もち自家製な
塩だけのおにぎりに沢庵でもいけるし、
いいよねえ、こういう文化って
115 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/02(月) 00:58:30
鍋とか蕎麦とか縄文時代から日本独自に発達したものだよな。
蕎麦が今の形になったのはつい何百年かまえからだろうけど
身体に良くてうまいものは子々孫々に伝えて行きたいな
116 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/02(月) 08:55:17
そば粉使ったメニューがもっとあってもいい気がするんだけどなぁ
そばとそばがき位しか知らない
そば粉ならクレープとかパンケーキもおいしい。
>>115 平打ちを切った、いわゆる「麺」としての蕎麦は、つい最近始まった食い方では?
そば切りは江戸以降の食い方でしょ。元は「そばがき」が中心だったかと。
それに、蕎麦自体が「米はもちろん麦すら作育できない地域の代替穀物」だし、
それほど積極的に作付け・摂食されていた訳じゃない。あくまでも代替穀物。
蕎麦粥なんてのもあるな
120 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/03(火) 23:45:46
>元は「そばがき」が中心だったかと。
もとは、粉に引かず、「蕎麦米」(玄蕎麦のそば殻を剥いたもの)の状態で
粥、雑炊として食べた物と思われる。
通販で手に入るのでお試しを、そば切りとは別の美味さが味わえます。
122 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/04(水) 09:43:49
蕎麦米ってなんかヘルシーな感じで流行りそう!
>>122 スローフードの店とかだとやってそうだね。
っていうか蕎麦のお粥とか、どっかでやってたな。
近所の蕎麦屋さんのメニューにあるよ
普通においしい。
125 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/05(木) 21:18:30
イタリアの蕎麦ピッツォケリオが食いたい…
127 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/05(木) 23:47:05
頼朝と鮭だけど
親父さんは従四位だったから塩鮭の恩恵をあずかっていたかも
知れないけど、ガキの頼朝まで鮭を食べれたのかな?
鎌倉に定住後、利根川あたりから送られた新鮮な鮭を食べたの
が鮭初体験だったんじゃないかと想像するけど。
伊豆も鎌倉も海が近いし、腐りかけの鮭なんぞ食べなかった気がするが。
129 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/08(日) 22:04:23
>>129 そうではない、
利根川から何日もかけて遠路運ばれてきた、生の鮭と
前浜であがった、ぴちぴちの鯛ならどっちの料理ショー。
横からスマンが、鎌倉時代なら利根川は東京湾に流れ込んでたでしょ。
利根川に鮭が遡上してるなら、鎌倉や伊豆で漁獲されても不思議は無いんじゃ・・・
132 :
130:2006/01/09(月) 00:46:12
>>131 えーと、
現在でも伊豆を含む静岡県の河川では、
鮭の遡上が確認されています。
ただし当時、業として成り立つほど漁獲が有ったかどうかは疑問です。
鮭については、塩(当時大変貴重な物だった)に価値があり、ただの鮭は
無価値だったと思われる。
133 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/09(月) 02:47:06
134 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/09(月) 09:09:30
江戸時代の九州ではめったに取れない鮭を何年も保存して、
その脂を金創や火傷の薬に珍重していたらしいよ。
「延喜式」によれば、越中、越後から様々な加工したもの(鮭楚割、氷頭、
背腸、鮭子)を出し、若狭、越前、丹波、丹後、但馬、因幡から生鮭を都
に出していたとか。
135 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/09(月) 21:15:28
信長の朝ご飯 竜馬のお弁当
買うほどまでもないと思うけど、
トリビアちっくで面白い本でした。
龍馬だった。
期待アゲ
お正月の新聞に江戸時代の炊き込みご飯が載ってた
でも、炊き込みご飯というよりは、まぜご飯に近いな
炊き上がったご飯に具を混ぜて味付けて炊きなおしするような料理だった
>136
ゲッターロボ?
140 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/13(金) 03:00:37
料理板に昔レシピ再現スレ立ててもよかですか?
>>140 たしかもうあったと思うよ。カレームで検索してみ。
そらそうと、何で「食べ物板」で「料理板」のことを聞くんですか?
142 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/13(金) 10:16:55
過去の食べ物に関してはこのスレで語れるんだけど
未来の食べ物に関してはどこで語ればいいの?
144 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/14(土) 07:11:08
戦国時代の宣教師が日本には痛風患者がいないと
驚いてたそうだけど、この先増えるだろうね。
罹ったら嫌だな。
藤原道長は糖尿病だったみたいだけど、平安時代の
食生活で糖尿病になるくらいの贅沢な食事って、
どんな感じなんだろうね。
毎日、毎食、厭ってぐらい満腹になるまで食ってたんじゃないの
それと、運動不足やら飲酒過多とか
ビール飲むと通風になる
>ビール飲むと通風になる
それがなにか?
一人でご飯食べてるときに「ひもじい農民ごっこ」をする。
まずテーブルの上の料理を見て「ぁ・・ぁぁ・・・」と驚愕。
おそるおそるご飯を一口食べる。一瞬の間があり、一気にガツガツ口の中にかきこむ。
泣きそうな声で「ありがてぇ!ありがてぇ!」と叫ぶ。
最後に水を一気に飲んで深々と頭を下げつつ合掌。
150 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/14(土) 22:50:02
ビールを飲むとなぜ部屋の風通しが良くなるのか
ぼくネコだからわかんにゃい(AA略
>>148 水はやかんか土瓶から直接飲んで、少しこぼすんだよなwww
>>148 ハゲワロス
久々に気持ちの良い馬鹿を見た
上げとくね
こないだTVでやってたけど
飛鳥鍋ってほんとに飛鳥時代から食べられてたんだってね
牛乳も鶏肉も普通に食べてたらしい
飛鳥時代なら仏教文化も浸透してなかっただろうし、肉食は全く問題ないでしょ。
そうなのか。
そのTVでは蘇ってものも食べてたな
チーズの祖先らしいけど、ほんのり薄甘いキャラメルみたいなものなんだそうな
ひょっとしたらヨーグルトもあったのかもしれない
庶民に仏教が広まって肉食わなくなったのっていつから?
何で、不殺生誡なのに魚は食ってたの?
>>159 涅槃教という仏典に、
牛馬鶏犬猿は役に立つ動物だから食べてはいけない
という教えがある。
その教えをもとに肉食を禁じたから。
飛鳥時代のころ。
じゃ、豚なら良かったのかも。
豚はいつごろから飼われていたんだろう
164 :
163:2006/01/20(金) 14:13:02
ぐぐってみた
日本では昭和40年以降盛んになったらしい
でも、中国では1万年前からあるらしいから
遣唐使や遣隋使あたりが持ち帰ったとしても
不思議じゃないな
それに、飼育しなくても山野へいけばイノシシくらいはいただろうし
ウィキ見ると弥生時代だな
>>161 完全肉食禁止ではない。農耕期間だけの限定期間だけ。
山にいる鹿や猪はいつでも食べても良かったらしい。
167 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/21(土) 10:34:55
169 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/21(土) 18:02:36
170 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/21(土) 23:30:17
飛鳥鍋ってのは初めて聞いたんでGoogleで調べてみた。
日本にも牛乳ベースの鍋が、しかもそんな昔からあったんだねぇ…
でも、白菜って明治時代あたりから普及した食材だと聞いてたんだけど、
飛鳥鍋のレシピにもかなりの割合で白菜が入ってるなぁ。
まぁ、今じゃ鍋と白菜は切っても切れないようなものになっちゃってるか
らしかたないか。
鍋になりそうなのはネギとセリ、あとは野蒜かな。
春菊も中世以降みたいだし。
飛鳥鍋の由来
伝統の郷土料理として近郷の農村に語り伝えられており、これを復活再現した
料理が「奈良県・橿原観光ホテル」の飛鳥鍋で郷土料理として昭和二十六年
・天皇陛下に、昭和二十九年・皇后陛下に、献上されました。
戦後開発された、創作郷土料理ということか?
173 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 11:23:32
>>170 >日本にも牛乳ベースの
農耕牛のメス。ちなみに仏教にかぶれた皇室が禁止命令を出したのは
「死刑を含む殺生」であって、牛乳を食することは禁止していない。
>牛乳を食することは禁止していない。
禁止はされてないが、定着もしなかったのでは。
175 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 12:12:17
>>174 仏教が伝来した当時、日本人のほとんどは農民であり、農耕牛のメスから
絞った牛乳を飲んでいたはずで、皇室も殺生を禁じてからも牛乳を飲み続けた。
一般人にも定着していた牛乳を飲む生活が廃れた経緯は分からん。
>>174 牛の乳を人が飲むって発想が無かったんだろうな。
よく考えると気持ち悪いじゃん。
安定した供給が為されない食物は、商業流通には乗らないだろ。
牛乳にしたって、農耕目的で牛を飼っていた家庭くらいでしか
口にできないものだったろうし、そんなもんが一般的な食材には
ならんだろうよ。
178 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 12:23:50
牛乳=牛の血と言うイメージを持ってたみたい。
蘇とか酪の究極が醍醐とかいう乳製品だったらしい。
醍醐味の語源。
>>177 商業的な流通にはならなくても村単位で普通に飲まれてるって
状況ならあってもよかったはずだけど、そういう話も聞いたこと
無いし単に日本人の嗜好に合わなかったってだけじゃねーの?
母乳の出ない母親の代わりに赤ん坊に牛乳飲ませるってことも
無かったみたいだしね。米の研ぎ汁飲ませてたんだっけか。
江戸時代、徳川8代将軍徳川吉宗が享保12年(1727年)に白牛3頭を輸入し、
安房の郷(現在の千葉県)嶺岡の牧場で飼育を始めたのが日本の近代酪農の
発祥(はっしょう)とされています。 ここで搾った「白牛酪(はくぎゅうらく)」という牛乳
に砂糖を加えて煮詰め、乾燥させたものを作り、薬や栄養食品として珍重しまし
た。しかし、牛乳はこの時代もまだ、身分の高い人たちのものでした。
だあってさ
農耕牛では乳の出が異なるんかねぇ。で、吉宗タンがわざわざ乳牛を輸入した、と。
183 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 13:35:32
ツーか、皇族以外では乳飲のの習慣が廃れたため、
農耕牛から乳搾りもすると言うのも廃れたと思われる。
乳牛は妊娠させてるから乳が出るわけなんだが
農耕牛が、妊娠ばかりしてちゃイカンだろ
185 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 13:44:32
一度出産させれば、後は搾乳を続ければお乳は出続けるよ。
人間も同じ。
農耕牛を毎年妊娠させて使い物になるのか?
>>184 みんなが気がつかないことを書いてくれて、ありがとう
今の人は、牛やヤギを飼ったら成長すれば乳が出ると思っている
188 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 14:12:28
妊娠中に搾乳したら、子宮が収縮して流産の危険があるよ。
奈良時代の牛乳は食品と言うより半ば薬扱いだったと言う説もある。
聖徳太子も飲んでたみたいだね。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shoku/milk_4_2.htm 飲用が廃れたのは仏教の戒律の為(牛とはいえ幼児の食物を奪う事を禁じた)と言う説と、
農耕牛が各農家に散逸していた為安定供給ができなかったと言う説が有るようだ。
栄養が有る事は広く知られていたようで、義経や信長(コイツは馬の乳も飲んだ)など
後の時代でも飲んだ記録のある人は散見する。
甲斐徳本も山羊の乳を使っていたと思うが、ネットでの資料が見つからなかった。
といいますか、室町期以降途絶えていたらしい飲乳の習慣が、なぜ明日香地域にだけ残っていたのかが疑問。それも料理として伝承していたとはね。
1飛鳥
2明日か
3アスカ
4明日香
俺が変換するとこういう順番だ
>>190 は1に明日香・・・・♥
192 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 18:07:21
5人に分身できる子だっけ?
忍者マンガにマタギっていう人たちが出てくる。
あれは猟師さんだろうから、戦国時代でも肉の需要は
あったんじゃないかなと思う。
あと、すんごく古い話になるけど古事記に海彦山彦っていう
おはなしが出てくる。
海彦は漁師。山彦は猟師だ。
古事記の時代でも肉食の習慣はあったんだろうな。
さらに古事記をさかのぼれば、スサノオがアマテラスを怒らせた事件。
織姫たちの作業場に馬の皮を投げ入れたことから考えても
馬肉を食う習慣&馬の皮を利用する習慣はあったんだろうな。
そう言えば、馬の干し肉を齧るシーンもどっかになかったっけか。
所詮はお話なんだけど、無い習慣を書くはずは無いと思うので
干し肉を利用する事はあったんじゃないかと思う
(ネット上に資料が見つけられなかったので、ソースが出せないけど)
193 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 20:56:13
>古事記の時代でも肉食の習慣はあったんだろうな。
だから、仏教伝来以後、仏教に帰依した皇室が殺生を禁止したのだよ。
皇室がって言われると何か違和感。宮廷がといって欲しいかも。細かいことだが
朝廷が、な
天皇はんが「食うたらいかん」言わはったさかい、食べへんのんよ。
おかみが
朝廷から武家に権威も金も移ったのも大きいと思う。
遊牧民族ならともかく、他に食う物あるなかで、酪農っ
て想像しているいる以上に大変そう。
純でさえ、草太にいちゃんの牧場支えきれなかった。
200 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/22(日) 22:07:01
お公家さんが
まあイノシシを「ヤマクジラ」、ウサギを鳥の仲間として食していたわけで。
この辺から考えると肉食禁はかなりいい加減だわなw
あと、それから考えれば日本人の食というのは相当海産物に頼った食だった、
鳥は肉食禁からは免れていたようだって言うのは想像できるわけだが。
仏教だから肉食を禁じられたんだよな
他の宗教なら肉食も禁じられなかっただろう
たとえば立川流とかが朝廷推奨で流行ったら・・・・
ジャイナ教は肉食禁だし、キリスト教も40日間肉を食わないというのがあるし。
理由はどうであれ、粗食を旨とするとか修行とかいう話になると
どうも、肉禁で魚になってくるんだなあ
肉を食うのを推奨してる宗教って無いのかな
>>202 仏陀は布施として供されたものは何でも食べたそうだよ。
最後の旅で布施され食べた肉にあたって亡くなったともいわれているし。
立川流って・・・・
談志一門がそんなに肉好きだったとは
>>205 ただし、自分の食事のためにわざわざとさつされたものを食べてはいけなかっただけだよね。
布施のために食事を用意することも確か禁じていたような
> 207
まずは、「密教 立川流」でググれ。
210 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/24(火) 23:27:57
>>204 キリスト教は、
「身の回りにあるものは、神が人の食べ物として用意したものです。」
ではなかったかな?
キリスト教圏の文化って、仏教圏から見たらスゴいよね。
人間以外の生き物は「獣」の他に「ペット」と「家畜」に分類されていて、そのうち
「家畜」については「人に使われ、食べられるために神が与えたもの」のはず。
奴隷も「家畜として神が与えた人種」という発想で、一般の人間とは別個のもの
という見方だったみたいだしね。
まあ逆から見たら「何もかも一緒くたの仏教思想は汚らわしい」と感じるんだろけど。
立川流って、以前本で読んだけど。
すごいよね。
逮捕された似非キリスト教チョソ教祖もびっくりだろう。
213 :
もぐもぐ名無しさん:2006/01/29(日) 19:09:59
納豆って何時から有るんだろ?
>>213 よく分かってない。
記録として初登場するのは1051年の「新猿楽記」。
弥生時代には大豆も藁もあったから、納豆も食ってたんじゃないか?とする仮説が有力らしい。
豆腐も納豆も遣唐使が持って帰ったんじゃないの?
216 :
もぐもぐ名無しさん :2006/02/02(木) 08:50:31
218 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/02(木) 16:03:52
>>216 >大豆を柔らかく蒸すためには、強い火力で長時間大豆を
当時は大豆を細かく割って調理してたから、強い火力は必要ない。
>納豆菌は、枯葉菌の一種であるため、ワラや草木など、身の回りの至る所で
縄文時代は藁は使われてなかったから、納豆菌が付着する条件がない。
弥生時代に入って稲作が本格的になり、室内に藁の敷物が敷かれるようになる。
そうすると、偶然納豆菌が付着する可能性も高く、納豆が食されていた可能性が高い。
とするのが、弥生時代説。
上げとくね
なあ、東アジアから東南アジアにかけて酪農が伝統的生産手段じゃなかったのは何故かな?
インド以西はそうじゃないのに。仏典でも苦行で死にそうになってたゴータマに村娘の
スジャーターが乳粥を布施して、体力を取り戻したと言う記述がある。それを期に苦行の
無意味を悟り、菩提樹下で禅定に入ってついに涅槃の境地に入り、仏陀となったそうだ。
気温とか湿度とか関係してないかな?>酪農
乳製品は腐りやすいし、気温・湿度が高いと家畜も病気になりやすい。
農作物が育つ → 農作物を食べればOK
農作物が育たない→ 雑草は生える →
家畜に雑草を食べさせ育てる → 家畜の肉と乳を食べる。
224 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/06(月) 17:18:20
>222
う〜ん、中国北部とかは乾燥帯だからやや説得力が、、、。インドも気温が高いし、
沿岸部や南部はめちゃ湿度が高い。
>223 農作物が育たない→ 雑草は生える →
家畜に雑草を食べさせ育てる → 家畜の肉と乳を食べる。
これは遊牧の起源の様な、、、。
気候に加えて地質もな。
口に合わなかったっていう単純な理由じゃだめなのか?
戦後学校給食であれだけ教育されているのに日本人は乳製品嫌いだろ?w
何しろ中国(漢民族と言うべき?)ってのは世界でもまれにみるほど食に対する
タブーの少ないところだから、乳製品を排除する積極的な理由はない。
中国は元のような遊牧民起源の国家が建った事もあるし、それ以前・それ以降も
インドやモンゴルとの交易もあってその中で乳・チーズに接する機会もあった。
シルクロードの東の端にあたる日本だって飛鳥時代に乳製品である酥、醍醐を
食べていたという歴史もある。
それが定着しなかったのは「おいしいと思わない」「取り入れる必要がない」
としか思えないんだが。
あとは既出だが土地が肥えていて湿潤で温暖なら牧草以外の農作物(穀物等)が
育つ、ならそれを食べた方が効率は遙かにいいって事も大きいだろう。
新大陸以外で酪農が盛んな所ってのは大体 寒冷地か乾燥地か土地がやせているか
じゃない?
>>口に合わなかったっていう
反対に何らかの理由で定着しなかったから習慣上口に合わなくなったとも考えられるんだが、、、。
>>土地が肥えていて湿潤で温暖なら
インド(バングラデシュを含む)とビルマとは気候条件とか殆ど同じなのに乳製品・酪農のあるなしが
はっきり分かれているんで、どうもいまいち説得力が、、、。
ちょっと思いついたんだが、東アジアから東南アジアにかけては大豆製品が発達していることと、
味の素に代表されるアミノ酸の旨味が味付けの基本になっている(魚介類を塩蔵・発酵させた塩辛
とその発展形である蝦醤・魚醤・味噌・醤油等)ことが何か関係しているのではないのか?それが
嗜好と生産手段の双方に影響を及ぼしたんではないか?それが結果なのか原因なのかよく
分からないが。自信はないけどw
229 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/07(火) 20:58:08
>>277 3食米を食べなきゃ満足しない人間にとっては、
戦後の学校給食の威力ですっかりパンに侵食されている。
納豆→遣唐使は間違い。
大戦中、中国で納豆が出来ないので、納豆菌を培養して送った経緯がある。
詳しくは川島四郎博士でググれ。
口に合うというより米にあまり合わないのだろう。>乳製品
特に砂糖と油が希少な状況下で米と乳だけで・・・というのは厳しいと思われ。
ミルクライス、ウマー
(・∀・)ウマイノカ?
>>230 中国からの納豆って
納豆菌を使った糸引き納豆じゃなくて
濱納豆みたいなのじゃね?
IQサプリで「平安時代に日本で生まれた食品」っていう問題があった
これ見たときに即座に納豆が頭に浮かんだね。
正解はかまぼこだったんだけど
>>231 南インドでは 米+乳製品 なんだが、、、。 或いはスパイスの存在がそれを可能にしているとか?
牛乳などからはバターが取れるよ。「ギー(水牛のバターを精製した油)」はインド料理に最高の材料。
ライス・プディング甘くて美味しい。
>>236 インドと当時の日本とでは甘みを得る手段の有無が段違いでしょ。
米+乳製品は甘い料理だけじゃないよ
米を主食とするか野菜とするかで扱いが大分変わるよな。
不思議と野菜扱いする地域の方が、米料理の味にバリエーションがある。
詳しくは判らないんだけど、この違いから考察してくのもアリかもよ。
米+乳製品で甘くない代表はリゾットかな?
牛乳+米+塩+肉系のダシで作る料理はかなり多いしね。
>237
え、何?
>240 牛乳+米+塩+肉系のダシで作る料理はかなり多いしね。
たとえば?
このスレ、面白くなってきたね。石毛御大のご降臨を仰いで見たいものだ(ワクワク
>>237 そういやそうだね。
インドだったら当時でもサトウキビ栽培で甘味料は手に入りやすかっただろうし。
>>227 中国人はチーズ嫌いと言われていたが
最近は需要が増加しているそうでピザの店が繁盛しているとか。
日本人も昔は「バタ臭い」などという表現で
バターの匂いをとても嫌っていたそうで、乳製品に抵抗があったらしいが。
最近はそうでもなくなってきている。
しかし、昔から乳製品に慣れてる民族に比べると嫌いな人が多いかもね。
時代劇で 乳じゃなく米のとぎ汁を赤ちゃんに与えるシーンがあった
そこまでして牛乳を嫌わんでもいいだろうに と思った
>>245 「バタ臭い」は西洋風の価値観を揶揄して言う言葉。
>>246 もらい乳といって、母乳を融通しあった。
米の砥汁だけで子が育つわけが無い。
>>246 とぎ汁では無く重湯では?
どちらにしても、それではマズイんだが
>>249 この「たまらない」ってのは「こたえられない」なのか「がまんできない」なのか・・・
ヨーグルト.発酵バター・サワークリーム・植物性の生クリームは好きだけど、
普通のバター・牛乳・牛肉・動物性の生クリームは好きじゃない。
バタ臭いというか、乳臭いのが苦手なのって今の若い子でもいると思う。
赤ちゃん抱くと独特の乳臭い匂いがするよね
>>244 「さすがのモンゴル人も我々にチーズだけは食べさせられなかった。」と書いたのは
林悟堂だったかな?
254 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/11(土) 18:41:58
>>246 牛の乳だよ?
『牛乳=飲み物』って常識が無い時代だったら、きっと気持ち悪いと思うよ。
>>254↓飲み物としての認識は有ったようだな。
189 :もぐもぐ名無しさん :2006/01/22(日) 16:08:08
奈良時代の牛乳は食品と言うより半ば薬扱いだったと言う説もある。
聖徳太子も飲んでたみたいだね。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shoku/milk_4_2.htm 飲用が廃れたのは仏教の戒律の為(牛とはいえ幼児の食物を奪う事を禁じた)と言う説と、
農耕牛が各農家に散逸していた為安定供給ができなかったと言う説が有るようだ。
栄養が有る事は広く知られていたようで、義経や信長(コイツは馬の乳も飲んだ)など
後の時代でも飲んだ記録のある人は散見する。
甲斐徳本も山羊の乳を使っていたと思うが、ネットでの資料が見つからなかった。
256 :
246:2006/02/11(土) 19:04:43
>>254 うーん そうだよな
犬や猫の乳飲めるか? っていようなもんだよな
>>255 それは外国の文物が豊富にある貴族とかエリートたちの認識じゃないかなぁ。
上流社会と庶民との乖離が今より遥かに大きい時代に、牛を飼ってた
(役牛だけど)農民がその意識があったかどうか。
258 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/11(土) 20:02:09
>>257 役牛だって、メスに子供を生ませて、出産後しばらく牛乳は出るよ。
それに農民でも貴族でもない市民がほとんどいない時代さ。
農家から一般市民への流通はほとんど考えなくて良い。
>>258 いや、だから、上流階級だけが飲み物としての認識があったのは分かるけど、
その上流階級とは離れた階層にいた農民は牛の乳を飲み物としての認識は
あったの?ってこと
260 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/11(土) 20:20:30
>>259 あったと思う。牛の出産後の余った牛乳を捨てられるほど、
当時の農民は豊かではない。
乳搾りの習慣ってあったのかな
262 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/11(土) 20:23:37
うまい具合に絞ってやらないと、乳腺炎になるよ。
>>260 当時は仔牛用の飼料も無かったろうし、母牛の乳で地道に育ててたら余らないんじゃないの?
181 Name: もぐもぐ名無しさん [sage] Date: 2006/01/22(日) 12:55:57 ID: Be:
江戸時代、徳川8代将軍徳川吉宗が享保12年(1727年)に白牛3頭を輸入し、
安房の郷(現在の千葉県)嶺岡の牧場で飼育を始めたのが日本の近代酪農の
発祥(はっしょう)とされています。 ここで搾った「白牛酪(はくぎゅうらく)」という牛乳
に砂糖を加えて煮詰め、乾燥させたものを作り、薬や栄養食品として珍重しまし
た。しかし、牛乳はこの時代もまだ、身分の高い人たちのものでした。
だあってさ
ループしてるな。打ち切り打ち切り
牛一頭あたりの乳量なんて、19世紀にイギリスで大規模な品種改良するまではそれほど多くなかったしね。
まして江戸あたりの日本にいた役牛の乳量では、仔牛一頭育てるにもぎりぎりだったと思うな。
めざしですよ
268 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/12(日) 08:02:34
>>266 同じような品種改良前のインドでは飲んでいたよ。
>>268 それだったら、日本だけじゃなく、牛を飼ってた地域全てで昔から牛乳を飲んで
たってことにしてもよくないか?
270 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/12(日) 08:42:34
荒らしの予感。。。。
>>268 役牛と乳牛では品種改良前でも乳量に差があっただろ。
牛でも馬でも、昔は用途別で今より品種が雑多だった。
今じゃ動力として使う必要が無いから、肉用と乳用に特化した牛ばかりだけどね。
273 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/12(日) 10:45:52
>>272 >役牛と乳牛では品種改良前でも乳量に差があっただろ。
それはインドでも、266が書いたイギリスでも同じだろう。
>肉用と乳用に特化した牛ばかりだけどね。
肉用牛なんて最近の話だろう。
役牛 乳牛 乳量 ここら辺から議論を進めてみようよ。
東・東南アジアの牛とインドの牛と、品種改良以前乳量の差があったのか?
>>274 その議論は
食物と酒、嗜好品の歴史 16皿目@世界史板
でやったほうが意味がありそうだ。
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) 世界史板へ出撃!
( ⊃┳⊃ . ( ⊃┳⊃ . ( ⊃┳⊃ .
c(_)ヘ⌒ヽフ c(_)ヘ⌒ヽフ c(_)ヘ⌒ヽフ
( ( ・ω・) ( ( ・ω・) ( ( ・ω・)
≡≡≡ ◎―◎⊃⊃.≡≡≡ ◎―◎⊃⊃.≡≡≡ ◎―◎⊃⊃
牛の品種とかの話じゃなく昔は何を食べてたとか、今と何が違うのかとかが
このスレの趣旨でわないかと思うんだが
278 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/12(日) 22:30:23
今との最大の違いは、
当時の日本人のほとんどが農民か漁師であったこと。
279 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/15(水) 09:02:43
卑弥呼の食事とかは、どんな物だったのかな?
当時、煮炊きの鍋は土器だし。包丁も無いよな?青銅製のが有ったのかな?
いずれにしろ権力者も料理法は限られてたんだろうな
どっかの博物館にあったような気がする
権力者で無い人は料理法どころか食材も限られてただろうね
調理方法以前に調味料が問題だと思う。
石器を含めりゃ刃物は存在する。
煮る・焼く・蒸す・搗くとかはできたはず。
どちらにしろ、当時なら権力者だからといって
専属の料理人がいたとは思えないんだが。
甘味や香辛料が無いと乳加工品はキツイかもな
284 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/16(木) 00:44:27
>>282 権力者が自ら調理していたと思うのかね。
でも『料理人』というカテゴリーは無かったんじゃないかなー
魏志倭人伝では、野菜肉酒などを手づかみで食していたことが
うかがい知れる程度の記述しかないんだよね。
「卑弥呼の食事」というのも何種類か考えられているんだけど、
弥生時代の発掘物などから推定した弥生時代のメニューを
象徴的に「卑弥呼の食事」と呼んでいるだけで、実際に卑弥呼が
食ったかどうかはわかんないですよ、あれ。
287 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/16(木) 01:41:43
飯を炊くにも、当時の土器って蓋は有るの?
蓋無しでは、お粥みたいなの食ってたのかな?
ふたも出土しているけど、それ使って炊いていたかどうかまでは
わかんないよね。
弥生時代後期になると、こしき(蒸すやつ)と思われるものが
あらわれているそうだ。
なんかのTV(バラエティ)で土器使ってごはん炊いてたシーンがあったよ
お粥っぽいものにはなるらしい。
魚や貝や海草も煮てた(潮汁みたいなもんだな)
味付け味付けは海水を使ってたけど味的にはうまかったそうだ
290 :
282:2006/02/16(木) 12:31:38
>284
(権力者)専属の料理人はいないだろうと書いたのだが。
集団全体のための賄い担当(ほかの仕事もする)くらいは
いたんじゃないのかな。
職制がはっきり分かれていた時代とも思えないしね。
291 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/17(金) 00:02:45
>>287 >お粥みたいなの食ってたのかな
Yes.
>>291 とっ、言う事は
今、食ってる飯はいつごろから食われてるんだろ?
白米が江戸時代以降食われてるのは知ってるけど
お粥か飯(炊飯)かの差は大きいよな?
飯は、いつごろから食われてるんだろ?
粥と炊いたご飯のあいだに蒸したご飯の時代があるんだよね
蒸すんだ。美味そうだね
何時頃から、なんで炊飯になったんだろ?
もち米とか酒米は今でも蒸すけど
一般的に食う場合は炊飯だよね
>>294 なんで炊飯になったんだろ?
1.かしぐより炊くほうが燃料が節約できるため。
2.ご飯を炊いても割れたりしない丈夫な道具が製造でき、且つ広く普及したため。
他にも理由があるかもしれないけどね。
にほんに、湯取法の時代は無かったの?
西洋やインドではパスタみたいに茹でて食べるというのが普通みたいだよね。
米の固形を生かして食べる調理法としてはそれが一番楽な調理法だとは思うが、
蒸したり炊いたりする調理法になったのはなぜなんだろう。
やっぱり、ジャポニカ種の米は炊くと、手間かけた分アルファ化して
うまいからじゃなかろうか。
インディカ種は、手間かけて炊いてもあまり変わらないからねえ。
>>298 炊干法が一番燃費が良いから。 とされてるようだが
米単体で食べる文化と、米に味をつけて、又はおかずと混ぜて食べる文化の違いかと思われる。
301 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 12:30:35
>米に味をつけて、又はおかずと混ぜて食べる文化の違いかと思われる。
握り寿司、ちらし寿司、ひつまぶしなどのことか?
>握り寿司、ちらし寿司、ひつまぶしなどのことか?
これらは、いわゆる「ケ」の料理ではないので、やや筋が違う。
炊飯法の変遷と分布が本筋かと。
303 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 13:34:45
にぎり寿司は思いっきり「ケ」の料理だろ。屋台で「つまみ食い」するための調理法だし。
ちらし寿司は基本的には「ハレ」の食だろうけど、ひつまぶしは微妙。とは言っても
「ここぞ」という時に食べるようなものではないね。
にぎり鮨はもと、早鮨といい、熟鮨(のイメージ)をファーストフード化したもので、
本来、食事ではなく、おやつ。
家庭料理に取り込まれることは無く、その意味では「ケ」とは言いがたい。
もう一回推敲したほうが良いと思うよ
このスレ的には
もう一回水耕したほうが良いと思うよ
今、日テレの「世界一受けたい授業」で昔の食事をテーマにしてるよ。
縄文時代の食事を再現とかこのスレ的なことをやってる。
310 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 21:41:59
木の実でつくるパンとか、木の実がつなぎのハンバーグとか稲作以前でも
十分に食を楽しむ工夫と言うか、美味しく食べる工夫が、されてる
おそるべし縄文人
311 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 21:44:13
>>310 縄文時代にどうやってひき肉を作ったのだろうか?
312 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 21:50:13
>>311 骨に残った肉をこそげ落とした「せせり」みたいなものじゃないのかね?
それを寄せ集めて、つなぎとして木の実の澱粉質を使って火を通したら
あ〜ら不思議、ハンバーグになっちゃったw
てな感じかね。
ハンバーグの起源はウリナラニダ
314 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 22:30:31
>>313 中国だろ
殷周革命のころ人の肉をつかってゲフンゲフンン・・
315 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/18(土) 22:48:53
良スレ
酒池肉林に関係する話だな?
兎になって走って行ったあの料理のことかーーーー!
見物人集めてアウトドアで豪快に捌く料理。
立木見の家臣に振舞うやつ。
亀レスですが…
>>148 ちみは最後の一人の人間になっても、
笑って生活してそうですね
321 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/20(月) 10:39:19
「ケ」って?
>311
312以外のやり方として、平らな石で肉の繊維を叩いたり
押しつぶすような感じで挽けば、縄文ハンバーグに
使うくらいにはできると思う。
>321
ハレの料理:神饌(祭礼)、儀礼、餐宴。
ケの料理:普段の食、日常食。
うわっ本当だwww
325 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/23(木) 22:43:35
昔の菓子ってなんだろ?やっぱ果物?
平安時代くらいからなら果物以外の甘い系の食べ物が
有ったんではないかと思うんだが、どうかな?
平安時代には水飴があるな。
あと宇治拾遺に有名な「かいもちひ」が登場してる。
手元の「お菓子の百貨」(昭和38年)という本を確認。
唐菓子が伝来してきたのが奈良時代。
その後、鑑真によって砂糖も伝えられたが、
量が少なく調味料としては使われなかったらしい。
このころ日本で調味に使われていた甘味は
「甘葛煎」であり、平安時代の潅仏会で甘茶として
使われていたとある。
米麹を煎じた阿米(あめ)も奈良時代の記録にある
そうだ。
平安時代に空海によって煎餅の製法が伝わる。
これにより果実の甘味をつかった「亀の子煎餅」が
生まれた。
水飴がいつからかは書かれてなかった。
328 :
もぐもぐ名無しさん:2006/02/24(金) 21:10:33
なるほど。砂糖が一般的な甘味料になるまで色々苦労したんだね
砂糖が一般化したのは江戸時代だろ?
庶民的な値段で飴とか饅頭は買えたのかな?
ドラマの中じゃ普通に子供が買ってたりするけど
麦芽糖
上白糖以外にも甘味料は色々あるっしょ。
>>329の示してる麦芽糖もそうだし。
あんこは江戸時代に一般化したんでは無いかと思ってね
それに、甘味だけなら上白糖でなくてもいいし
あと、琉球王国からの輸入だよね?
332 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/04(土) 21:53:39
漬け物とか佃煮とかが出来る以前
夏場の夕飯は何食べてたんだろ?
保存とかは酢でシメルとかだけだよね?
333 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/04(土) 21:56:21
すれ違いだが
三月から韓国人ビザ免除恒久化したの知ってますか?
学研から出てる子供向けの「食べ物のひみつ」っていう本があるんだけど
それによると卵を食べ始めたのは、江戸時代かららしい。
ときつげ鳥(にわとり)を飼う習慣はあっても、あくまでも時計代わりだったんだね
でもって、卵が一般に出回るようになるといきなり卵料理の文化が花開いらいたんだとか。
日本人の創意工夫ってのは凄い勢いがあったんだな
って小学生と一緒に感心しちゃったよ
>>336 タブーがあるようでないのが日本人独特の感覚なのかもな。
八百万の神を祀る国だし、結局は「何やってもいい」んだろうな。
敗戦以前はタブーも多かった、開国以前はもっと多かった
秀吉の全国平定以前は諸国によってタブーはバラバラ
それ以前は知らない
>>338 タブーと言っても、仏教圏、特に日本のタブーはそれほど大きな位置づけではないっしょ。
ぃょぅロッパとかイスラム圏なんかの「絶対禁忌」としてのタブーに比べたら、それほどに
厳しいものではなかったのでは?
340 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/06(月) 16:29:46
でもさ古代の遺跡とかを見ると山地の北斜面とかなんでこんな寒いところに!
ていうところが多いし文献とかを見てもやっぱり日本人はもともと鹿とかの動物を主食にしてたんじゃないかな
縄文時代になると里芋も栽培するようになったけどやっぱり動物の肉が中心だった
江戸時代辺りからいっきに肉を食べなくなったけど
日本人の食べ物はまず鹿肉と蕎麦、付随してどんぐり、栗、猪、柿じゃないか
342 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/07(火) 00:25:45
家畜の肉を食わなくなったのは、
皇室が死刑を含めた殺生禁止令を出してからだから、
江戸時代より遥か前。
肉を食わなかったのは仏教や儒教のからみから
なんとなく理解できなくもないが
卵や牛乳まで食わなかったってのは、ちょっと意外。
おまけに、解禁になったとたんすばやく全国に広がるのも
ちょっと意外。
ひょっとして犬肉解禁になって
みのもんたあたりが犬鍋は身体にいい
とか言い出したら、全国のペットショップから
赤犬が消えたりするんだろうか
消えない
犬さばくの、すげえ大変なんだぞ
346 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/07(火) 11:43:59
>>343 それまでは「非合法」に喰ってたんだよ。都市部では隠語で呼び習わして
肉類は珍重されてたらしいし、田舎では野生動物は普通に捕って喰ってた。
明治以降は肉食の正式解禁により流通システムができたから一気に普及
という流れなんじゃないの?
>>343 農耕の時期に合わせて期間限定の禁肉食だったから
それほど厳しいものではなかったんだよ。
なのに何回も公布しなければならないほど定着しなかった。
>>343 牛乳は知らないけど、卵は食ってたぞ。
高価な食品だから誰もが普通に食ってた訳じゃないが。
江戸時代の元禄の頃ってするかな
居酒屋で一杯やって、〆は蕎麦なんて既にやってたのかな?
居酒屋の肴とかは夏は何だろ?なんか夕方に食べるとなると、肴だし
朝の内に作った、煮物や焼き物が中心かな?
>>349 元禄の頃はまだうどんの時代だよ。水戸光圀公は手打ちうどんの名人だったらしい。
しばしば家臣に自製のうどんを振舞っていたとか。
蕎麦きりは江戸で流行った食い物だから。
寛文には蕎麦屋ができたとされて、元禄のころにはかけそばにまで進化してる。
352 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/11(土) 00:00:49
居酒屋の肴は謎か・・・
元禄の頃にはまだ居酒屋はなかったらしいよ
じゃ、元禄よりのちの幕末より前はどうよ?
どんな物を肴で呑んでたとか興味あるな
江戸時代の江戸の、酒の肴の条件としては、音がしないこと
したがって、刺身、なめもの、豆腐などが良しとされた。
なめもの?
鎌倉武士なんかも酒の肴は味噌と梅干が定番だったとか
安い飲み屋だと煮〆。
江戸の居酒屋といっても、ほとんど煮売屋兼業で酒も飯も出す、というものだった
ようだ。
>>357 「なめもの」でぐぐるとなんとなくわかると思う。
ハイソな家(武家?)のンコは売れたらしいね。
良い物食べてるから、良い肥料になったとか。
うんにゃ、武家は基本的に粗食だったから安かった。
職人とか肉体労働系の町民の方が栄養のあるものを
食べていたから、「下肥」の価格に反映した。
まぁ、高いものと栄養のあるものは違うからねぇ。
江戸時代どころか戦前まで
肥は有償もしくは農産物の提供だった様だね
現存証言者は俺のお袋
お前のかーちゃん、黒船を見たことがあるのかよ
頭が高い!恐れ多くも戦前生まれなのだ!先人に敬礼
江戸末期にはパワーバランスが変わったとか書いてあった。
確かに、江戸市中において江戸時代初期から中期までは、ウンコを売って
お金や野菜を農家から貰っていたが、江戸の人口が膨れるにつれ
ウンコの価格はどんどん安くなっていったそうな。
出典は『江戸のトイレ』とかいう本だったかな。
370 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/18(土) 21:01:06
梅雨時から真夏なんか
芸者あげてパーッと盛り上がる時の酒と共に出てくる肴は、何が出て来たのかな?
刺身は提供が晩じゃ鮮度が?だしさ。何だろ?
そば派とうどん派で掴み合い殴り合いの喧嘩が出来るくらいに
どちらも世間で普及したのっていつ頃ぐらい?
>>370 そういう高級な店の刺身は生簀の魚使うから大丈夫だよ
江戸のころには、海水の生け簀はないよん
>>374 >>373の話は本当かも
海水魚は海水に放しとくだけじゃ、すぐ弱る
空気を生け簀に回す装置が必要だから
生簀は本来 竹籠で囲ったり、または長方形の木箱や小船の形をしたものを水中に浮かべたりしたもの。
当然江戸時代にはあった。伊豆の下田に大きな生簀を設置して鰹を生かしておき、江戸に運搬していた。
.
そうか、江戸って今の東京より市街地と海が近かったんだっけ。
なんせ昔は目黒でサンマが獲れたくらいだもん
目黒の秋刀魚って、目が黒い=新鮮な秋刀魚って意味じゃなかったっけ?
うろ覚えですまん。
>>380 釣られてみるけど
目黒のサンマってのは落語の話だよ
昔、殿様が目黒あたりに狩に出てて、お腹が空いたときに
屋台の蕎麦屋へ寄ったんだ。
うまいお蕎麦を食べたんだけど、いざ支払いの時になって
お金が足りない事に気づき、小銭を一枚一枚渡しながら
「今 なんどきだい?」
>>381 ちょw秋刀魚の片鱗も出てこねぇwwwwww
目黒のサンマも時蕎麦も古典江戸落語中でも有名だよね
江戸前の魚貝類も今とは段違いに豊富だったろうし
生け簀からだけじゃなく、漁師に頼んで高く買えば宴会用に時間合わせて水揚げしてたのかも
昔の漁師さんは夜中に漁をしなかったんじゃないか?
照明器具の貧弱な装備で夜の海に出たりすると
漁をする事はおろか帰ってくることさえ出来ないような気がする
晩の宴会用なら昼間だろ?
夏場は冷蔵設備がないからって話だろ?
通常は早朝出漁だろうけど
>>384 「漁火」って聞いた事ないですか?
鉄のカゴを使った船用の照明器具があります。
夜間明かりを灯して集まってくる魚やイカの漁は
少なくとも平安時代から行われていた記録があります。
漁の盛んだった町では、海に面した小高い山などに石造りの灯台があって、
漁を終えた船が戻ってくる時の目印になっていました。
また、遠出する船は晴れた夜は星を目印に陸の方向を定めていました。
明治時代、瀬戸内海の塩飽列島の住民の星座観測技術を、イギリス人学者が
「遠洋航海の出来るレベルである」と評価したそうです。
ここのやつらって、昔の技術をなめ過ぎだよな。
>>386 それはそれで良い
水揚げしたら直ぐ熱処理するのかな?
夏場の江戸時代の宴会用の肴が気になる
大規模な生け簀は有ったようだけど
烏賊や蛸の頭足類、海老や蟹の甲殻類は
生きが良くないと美味くないし中ると怖いし
昔の技術がすごかったってことをもっと広く教えてほしい。
そんなに昔の技術ってわけじゃないだろうけど、
ダッシュ村の農作業や鍛冶の技術を見ては毎回感心してる。
江戸なら、今みたいに30度を越えるような日があるわけじゃなし。
現代の価値基準で考えすぎなんでないの?
>>388 > 烏賊や蛸の頭足類、海老や蟹の甲殻類は
昔は全部茹でて食うものばかりじゃないか。今みたいに何でも生で食うように
なったのはほんの十数年前ぐらいからだよ。
>>391 やっぱり茹でるかなんかせんとな
しかし、生が十数年前は違うだろ?イカの刺身は三十年ほど前には有ったぞ
それから、魚貝類の生食は日本食の基本だろ?
生で食えなきゃ焼いて見ろ
焼いて食えなきゃ炊いて(煮て)見ろ。とかって聞いた事あるし
それじゃ、ワサビもそんなに新しい文化なのか?
>>393 > 烏賊や蛸の頭足類、海老や蟹の甲殻類は
って書いてあるじゃん。
魚は大昔から刺身で食うものも多いよ。
烏賊も結構昔から刺身でも食ってるような気がするが、むかしからの江戸前の
寿司だと煮烏賊だよな。
ワサビは醤油使うようになってからだろ。んじゃそれより前ってことは
ないだろうから江戸時代の中頃〜終わり頃ぐらい?ググるの面倒だから
誰か調べて。
調べてみたらワサビの根を刺身に使うのはかなり昔からあったみたい
京から西国へ落ち延びた平氏がヤマメや鹿肉の刺身に使ったとのこと
葉や茎を使うのは奈良からあったようで薬用という記述もあった。
山葵がひろまったのは駿河、伊豆で量産技術が確立した江戸時代から
397 :
病弱名無しさん:2006/03/21(火) 16:17:51
王Japan野球で世界一だぞ
野球ファンは、このスレには居ないのか?
スレ違いは荒れる元だから、
ここではやめてくださいね。
てか先史から江戸までじゃ野球は誕生すらしていないだろ。
400 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/21(火) 19:04:08
握り寿司は江戸時代は煮魚だったと聞いている。
誰に聞いたの?
>>400 〆たりヅケにするのはあるけど、煮るのはアナゴと貝類だよ
403 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/21(火) 21:01:07
握り鮓には江戸前海で捕れる魚が必須だが、冷蔵庫のなかった当時、生のままでは鮓種にせず、煮る(穴子、蛤、白魚、車蝦、等)、酢で絞める(小鰭、鯵、等)、醤油に漬ける(鮪)等の加工が加えられていた。
>>390 江戸時代は地球環境が寒冷化した「小氷期」と呼ばれる時期でした。それが18世紀後半から徐々に
温暖化が始まり、 それが 食料生産力の向上→人口の増加 に繋がり、フランス革命や明治維新の
兵士供給源となりました。
>>346 家畜の解体などはBの専門。
他の人はやってはいけなかった。
食ってたのはBだろう。
>>405 ん?江戸の武家屋敷跡で牛などの骨が大量に発見されているんだが、、、。
しかも骨には包丁の跡が残っているので、食用に解体されたのが歴然。
彦根藩主が将軍に毎年牛肉の味噌漬けを送るのは慣例だったし、薬食い名目でね。
江戸市中には食肉を売る「獣店(けものだな)」というものもあった。
407 :
もぐもぐ名無しさん:2006/03/23(木) 13:19:26
ピザ
徳川将軍家の新春の膳には「兎の羹」が定番。
具の多い汁物だな。
>>405 確かに動物の皮を剥いだりする仕事なんかはエタとかの仕事だが、一般の人にも
食用としての肉はちゃんと認識されていた。
ちょっとしたタブーに近いものはあったとは思うけど、むしろ珍味のような
扱いだったんだよ。
エタ・ヒニン・B地区民って仏教徒じゃなかった人も多くて
戒律に触れなかったから獣食しても問題にならなかったって聞いたことある
獣食を忌み嫌う大多数の仏教徒から
「四つ足」って嫌われてたのもわからんではない
しかも昔から在るB地区の多くって江戸時代以前は特権地区だったようだし
年貢が少ないとか、治外法権とか
明治以降嫌われた要素アリアリですな
ちなみに、うちの近所のB地区って陰陽道地区だったそうな
>>408 兎って鳥類ってことにしてたんじゃなかったっけ?
耳が翼で一羽・二羽って
まぁ、獣肉を食べたくてこじつけてたのかもしんないけど
ウサギは鳥の仲間で
イノシシはクジラの仲間
412 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/04(火) 00:19:59
イルカの仲間は?
あざらし
不老不死の薬と言われる人魚の正体はジュゴン
食彩の王国によると、
明治時代、肉食が極めて珍しかったため、
最初はラーメンが受け入れられなかった。
そのため、日本風の魚介類ダシに日本の醤油をあわせたラーメンができたみたいだな。
珍説キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
正しい情報で置き換えてみ
418 :
415:2006/04/05(水) 11:08:35
追加すると、
当初上湯スープと麺とメンマだけだったそうだが、
上湯の獣臭がどうにも慣れていないため、とてつもなく不評だったとか。
オレの意見じゃなく、番組の紹介ね。
日本で最初にラーメン食ったのは水戸黄門らしいけど
あの時代にトンコツとかトリガラなんてのは入手が
むつかしだろうから、やっぱりカツオだしのスープになったんじゃないかな
421 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/05(水) 16:44:02
水戸黄門ラーメンの汁は、豚のモモハムで作ってたんじゃなかったけな
423 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/05(水) 22:59:12
昭和の話ですが。
婦人画報の昭和初期頃の今日のレシピみたいなのから。
おかずはおいといて、朝昼晩、ご飯3杯が基本だとの記述は、
新鮮だった。
米食うべ。
425 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/22(土) 18:51:47
あ
げ
427 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/22(土) 22:40:55
>>419 多分違うと思う...。知ってる人は、知っているよね。
428 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/22(土) 22:57:16
黄門様は、グルメだったり、その他いろいろ、好奇心は旺盛な人だったみたい
ですね。
君主としては、最低だな、大日本史の編纂やらあれやこれやに湯水のように金を使い、年貢は八公二民。
民百姓を絞るだけ絞った、悪大名。
確かに「年間財政収入の三分の一近く」を施政に何の足しにもならないような
道楽に注ぎ込むような君主はとても名君とは呼べないわな。
こんな暗君を講談だの時代劇だので美談に仕立てるとは、昔の人は想像力が旺盛なことで。
それが尾を引いて、現在でも、水戸では官に対する不信感は根強い。
432 :
もぐもぐ名無しさん:2006/04/30(日) 04:39:31
光圀の前の代が水戸家にたてついた一村数百人を皆殺しにする事件が
あったから、誰一人お上には逆らわんのだわな。
このスレの趣旨から逸れないネタとして、領主や名主、代官が
「この作物植えるといい収入源になるよ〜」とか、
「今まで使ってなかったココを使ってこういう料理作るといけるよ〜」とか、
そういう領民思いの施政者(食べ物絡み)って誰かいない?
あおきこんよお?
ひでつぐの腹違いの兄弟もたしかそんなかんじ
いきなり上杉鷹山が出ちゃうと他は全部霞んじゃって後が続かねえよな。
揚げるよ
439 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/03(土) 11:07:44
菜食の惨状と肉食のすすめ
ってのは無いのかな
441 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/04(日) 19:57:39
「甘さへの渇望」w
ある漫画みたいなこと言うんだな。
漏れもいろんな国の料理食ったけど、
和食ほど、甘さも辛さも控えた料理は知らないよ。
優しい味わいというか。
地理的に中国韓国に近いけど、
全くコンセプトが違うよね。島国だからかな。
韓国料理は四川料理と凄く似てる、みたいな相似形でないというか。
やっぱ、和食の澄まし汁最強だろ。
和食って味しないよね
445 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/06(火) 16:37:45
>>442 同意。
とりあえず塩と昆布さえあればなんとかなる。
実は外人から見ると和食は砂糖を大量に使う料理。
鮨も煮物も蕎麦つゆも、アメリカ人のジャンクフードに負けてない。
砂糖の大量使用は戦後じゃないのか?もっと早いとしても明治以後の気がする・・・
和食といっても、何をイメージするか次第だけど、
江戸の料理の味付け(醤油+砂糖・みりん+だし)が出来上がった時期は、
文化文政時代(1804-1830)あたりらしい。
(岩崎信也『蕎麦屋の系図』)
江戸時代後期に、そば、蒲焼き、煮魚、煮付などで確立されたこの味付けが、
明治以降に、牛鍋・すき焼き、肉じゃが、牛丼、テリヤキなどへと派生していった。
449 :
ネコ大好き:2006/06/12(月) 19:04:39
キタ(jんkbgf。gdgt。gf;あぐrjほJ
450 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/12(月) 19:58:00
>>446和食は外人からみるとヘルシーフードなんだが
451 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/13(火) 00:25:20
>>450 日本の大衆食堂を知らない外人の妄想だろう。
452 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/13(火) 02:25:00
ダシって世界共通語じゃなかったけ?
ダシが効いてると、塩や脂がなくても美味しいから健康にはいいわな。
453 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/13(火) 07:38:41
ヘルシー好きの外人には、寿司、刺身、豆腐、寄せ鍋、会席料理。
こってり好きの外人には、すき焼き、うな重、牛丼、焼き鳥、お好み焼き。
>>452 「出汁」の概念は日本と中華圏くらいじゃないの?
てか「うまみ成分(グルタミン酸とか)」を「旨味」として感じられるのは
東洋人だけだったと聞いたような・・・。
フォンの存在が忘れ去られている・・・
>451
使う脂肪(油脂)の量が問題にされている気がする。
輸入食品の成分表示を見ると、カロリーよりも低脂肪が強調されている
製品も多いしね。
>454
ブイヨン、フォンとかスープストックとか。
東洋人だけなのは、昆布旨味のグルタミン酸とかに限定した話でしょ。
逆に日本人は赤身肉の旨味に対する感度が低いと思うな。
最近は、魚の赤身に対する感度も減ってる気がするけどねぇ。
マグロの旨みより白身の旨みの方が分かり難いと
美味しんぼに
458 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/13(火) 15:40:57
>>456 話の流れとしては、発端の
>>441と
>>446では、砂糖(甘辛い味付け)が主題だったと思うが。
ヘルシーというイメージと脂肪分は関係あるけど。
459 :
456:2006/06/13(火) 15:51:59
>457
自分が赤身好きってのもあるが、白身は昔から難しい。
わかりやすいはずの赤身の評価が、今はねぇ・・・
皆がまともな赤身を喰っていないだけってぇ気もするけどね。
>>456 >肉
日本は熟成した肉を食べることにも慣れてないんだよな。
もちろんきちんとした店で食べる場合は熟成肉だったりするが、
肉屋で買って自分の家でって場合、熟成肉が買える店すらほとんどない。
461 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/15(木) 09:56:04
日本では、薄切り肉が大きなウェイトを占めてるのが関係するのかな。
「熟成肉」でググってみたけどさっぱり見当が付かない。
それって魚で喩えるとどんな状態?
>454
>てか「うまみ成分(グルタミン酸とか)」を「旨味」として感じられるのは
トマトとかパルミジャーノ・レッジャーノとかには、かなりのグルタミン酸
が含まれているという話ですが。
>>464 そのグルタミン酸の味を「旨味」として感じているかどうかの話だろ。
味の種類として「甘味」「塩味」「苦味」「酸味」などと並んで「旨味」が
認知されているかどうか、という問題かと。
チーズのパルミジャーノ・レッジャーノを長く熟成させると、(グルタミン酸などの)アミノ酸の成分がふえて、コクが増す。
欧米でも、長期熟成させたパルミジャーノ・レッジャーノの方が珍重される。
その一方、グルタミン酸を多く含む昆布だしは、クセもあって馴染めない西洋人もいるし、
化学調味料でグルタミン酸を加えても、旨いと思わない日本人もいる。
グルタミン酸は旨み成分のひとつだけど、
グルタミン酸が多いからといって旨いと感じるとは限らない、
東洋風のだしでグルタミン酸を増やしても旨いと思わない西洋人がいる、ってだけの話ではないかと。
467 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/27(火) 00:13:55
>>465 美味しくないものを料理に使うわけが無いだろう。
468 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/28(水) 00:33:11
469 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/29(木) 14:19:13
蕎麦っていつから食べられてたのかな?
470 :
もぐもぐ名無しさん:2006/06/29(木) 19:24:53
>>469 蕎麦の実をそのまま食べたり、そばがき程度の加工で食べてたのは
かなり古くからだったと思うが、今みたいな「そば切り」スタイルでの
食習慣は江戸中期か後期からだっけな。
うどんの方が古いよね
>>470 「そば切り」という言葉の初出は、今のところ1574年が一番古く、
また、17世紀後半には、そば切りを売る店がかなり登場していたらしい。
,蕎麦切りを蒸してからゆで食べていたのを、茹でるようになったのが
江戸時代だったと記憶している。
うどんは大陸からの伝来ものだしねぇ。
最初はどういう形で入ってきたのかまでは知らないけど。
ウドンの原型は奈良時代に入ってきた「唐菓子14種」のどれかだといわれています。
ttp://55confectionery.com/938289D98E71/ 特に下三種が組み合わされてうどんが出来た可能性が高いようだ。
索餅[さくべい]:茹でた平らな小麦粉団子。タレを付けて食べる。ゆでるの原型はコレらしい。
混沌[こんとん]:餡入りの汁ダンゴ。熱い内に食べるので温飩→饂飩[うどん]のネーミングの元と言われている。
不托[ほうたく]:平らに伸ばした生地を細長く切って野菜入りの汁で煮る。ほうとうの原型。
へぇ。そうなんだ。
餡入りの汁団子ってうまそうだな。寒くなったら作ってみるか。
476 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/09(日) 20:51:42
魚や獣肉は、生食→焼く→煮るの順で料理法が
色々増えていったと思うんだが、違うかな?
今日本で食われてるほとんどの料理が中国からのプレゼント。
今ヨーロッパで食われているほとんどの料理がオリエントからのプレゼント。
それでもヨーロッパ料理はすばらしい
なぜすばらしいのか?
それは認められているからでありその発祥とは関係がないからである
,:::-、 __
,,r::::::::::::〈:::::::::) ィ::::::ヽ
〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
,'::;'::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::
l::::::::::::::::::l::::::::::●::::::::::::::●:::::ji
|::::::::::::::::::、::::::::::::::( _●_)::::::,j:l クマー!
}::::::::::::::::::::ゝ、::::::::::|∪|_ノ::;!
. {::::::::::::::::::::::::::::`='=::ヽノ:::::/
';::::::::::::ト、::::::::::::::i^i::::::::::::/
`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
【ラッキーレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
480 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/09(日) 22:00:21
>>478 >今ヨーロッパで食われているほとんどの料理がオリエントからのプレゼント。
オリエントからのプレゼントされる前は何を食っていたのかな?
>>474 そうめんの原型もそこにたどり着くんだよね。
日本の粉食文化は突き詰めると縄文時代までさかのぼる(どんぐり粉)から、
土器の発展状況を考えるとスイトンとか蕎麦掻みたいな感じの料理は、
稲作前からあったかもしれないと思う。
日本人は麺類好きなんだねー。
でもなんでそんなに粉物は食べていたのに、海外のように練って焼くっていう
パンの手法はなかったのかな。練って加熱も饅頭みたいに蒸すものだし。
どうして日本以外の色々な地域で練って(発酵も含む)焼くという方法で
粉物は食べられているのに日本は発達しなかったのかな。
追加。
調理燃料。
486 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/13(木) 22:20:13
それ以前に、コメのような「蒸す・炊く」だけで十分美味い穀物があれば
製粉・加工なんて手間なことはしないっしょ。
実際に米があまり取れず麦とか蕎麦が中心だったところだと製粉して
加工した麺類や饅頭系の料理はそれなりに存在するしね。
追加 気候が小麦栽培に不適な地域が多い。
>>487 そうか?
米の裏作で麦やってたところは多いぞ
>>486 麺類がある地方でも、練ってから焼くパンのようなものはないでしょ。
>>488 グルテン含有量が少ない種類の小麦の栽培に…ってことではないかと。
今でも強力粉は薄力粉に比べて高いしスーパーに売ってないし一般的ではないし。
日本産の小麦粉は中力粉(うどん粉)しかなかった。
このため、昔ながらの蕎麦屋の天ぷらはぼってりしているし、
江戸時代の天ぷら屋は、うどん粉をわざと虫に食わせて薄力化していた、とのこと。
>>491 いや>488は西日本在住かもしれない。
小麦の裏作は、戦前までの西日本ではメジャーだった。
俳句の季語で「麦秋」といえば初夏を示すところにもなごりがあるよ。
>>492 九州在住のオサーンだが、 俺の知ってる限り裏作の麦といえば大麦だ。
瀬戸内沿岸で小麦の裏作が多いのは承知してるが。
麦秋って小麦の事を指すのかい?俺はてっきり大麦の事かと信じ込んでたよw。
>>490 >江戸時代の天ぷら屋は
屋台のファストフード店
495 :
492:2006/07/15(土) 01:11:10
>>493 当方は瀬戸内在住のオサーンなわけですがw
気になったので、ちょっと調べてみました。
なるほど、九州では大麦の生産が盛んなこと、ご指摘の通りですね。
しかも、大麦の生産はほとんどが裏作によるものということも勉強になりました。
ただ、統計上は小麦の裏作も同じくらい(作付け面積も収量も)あるようです。
麦秋も調べて見たら「麦や小麦の〜」とあり、当然、大麦も含んでいますね。
パンが発達しなかったのは気候が発酵に適してなかったってこともあるんじゃないかな、高温多湿だし、
無発酵パンは味気ないから麩とかに進歩したのかな
オーブンが無かったから
>どっちかというと、イースト菌が問題なんでは?
天然酵母でパンは焼けるので無関係かと
木村屋は、最初普通のパンを売り出したが、受け入れられず開発した新商品が
アンパン。
小麦は伝播したけど、パン焼き釜(オーブン)は伝播しなかったのでは
>>495 なるほど、こちらも勉強になりました。ただし、小麦の生産量・作付面積に関しては
北海道がデータに入ってるので明治以前を論じる際には誤解を生じるものと思われます。
501 :
492:2006/07/15(土) 12:02:24
>>500 うん。そう思って、農水省の都道府県別データで、九州地方の作付け面積・収量を見比べてみて
小麦の裏作も同じくらい行われてると結論付けました。
ただ調べてみて、地域によっては「裏作と言えば大麦」という実感もあると理解できました。
江戸時代では
大麦は粒食(麦飯)
小麦は粉食(饂飩、水団など)
でいいのかな
>>502 江戸時代に限定せずともそうなるんじゃ?
小麦は殻が固いけど、一旦破壊すると簡単に粉になる。粒食は不可。
大量製粉には碾き臼が必須。
大麦は殻が柔らかいけど、粉になりにくい。粉食は不可。
505 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/15(土) 16:48:43
>>496の補足の資料?
都心で夏、層の厚い型詰パンを棚にいれておいたりすると暑さのためにすっかり変質してしまう
ことがある。これは、焼上げたパン自体が再醗酵してしまうからである。パンは焼くことによって
、その醗酵過程は停止してしまうが、高温高湿度の下ではこのような変質を遂げるのである。こう
した点から層の厚い丸型パンや型詰パンは冷涼の地域に適しているものである。
無醗酵・うす焼きのチャパティは、インドやパキスタン、アフガニスタン、イラクなど暑い国に適
したパンである。
染色体数の分類による四倍種のマカロニ小麦、二倍種のタルホ小麦の雑種である六倍種のパン
小麦の発生地であるとされるイラクを中心とする醗酵パンはナンである。また、イラク、シリア、
エジプトに及ぶタンナワーもともに薄焼きパンである。これなら暑さのために変質するおそれ
はない。・・・・・・・・・・・・以後略
P72、「パンの魅力は焦げの味」
パンの百科(締木信太郎)中公文庫©1980
ドングリの粉を使った縄文パンの話を小学校時代に聞いた覚えがあるな
稲作が始まってからは途絶えてしまったようだが
>>506 対馬にはいまでもあるよ。韓国にもある。
>>506-507 俺がTVで見たのは、出土した土器に残ってた炭化した黒いかたまり。
専門家によるとパンというよりクッキーだそうだ。保存食だったらしい。
どんぐりは、水で長時間さらすなど手間が掛かるので廃れたのだったのではなかったかなあ。
510 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/18(火) 13:36:32
栃の実つかったお餅も手間がかかるけど、今も作ってるところあるね。
おいしさ>手間だから残ったのかな。
>>510 とち餅って旨いらしいね。食ったことないけど。
今でも作ってる地域って、やはり東北地方に多いのかな。
前にどなたか書いていたけど、
稲作が普及しだすと木の実食はすたれていくのかも。
今ある栃餅は、普通に餅米から作った餅に「風味付け」として
栃の実が混ざってる感じっしょ。
>>511 稲作が普及しだすと木の実食はすたれていくのかも
う〜ん、ヤッパリ生産性の違いかなぁ。
木の実は種をまいてから収穫できるまで時間がかかるという点も大きいのかな。
木が生育してから以降の生産性はそれなりにあっても、
開墾する際には、短期的な生産性が問題になりそう。
515 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/19(水) 20:06:43
いきなり話変えてすまん。
冬は鍋や汁物など昔でもおいしそうと思えるものはあったけど、
この蒸し暑い時期に現代人でも美味しいと思えるような料理ってあったのかな。
今日のメニューだけでも冷蔵庫で冷たくした食べ物ばかりだったから、ふと気になった。
ちらし寿司も冷汁もガスパチョも生ぬるかったら不味いよね。
井戸水で作り立てなら冷汁はうまいべ
517 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/19(水) 20:49:51
冷汁は汁もご飯もキンキンに冷えて氷片を浮かべてあるやつがいい。
夏に氷のない時代では生きていけない。
一日二回シャワーに入れない時代でもムリ。
518 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/19(水) 21:17:51
井戸水の冷たさがあっても、湿気と高温の環境下で調理するのは厳しいだろうね。
ゼリー寄せは当然無理として、寒天寄せや擂り流しは作れたんだろうか。
酸味が心地いい汁で喰らう麺類も良いんでふぁ? 夏には最高だと思う。
醤油味が先立つ麺つゆはすぐ飽きちゃう。
昔は今みたいなヒートアイランド現象もなかっただろうし、水辺や木陰が
ふんだんにあり風通しも良かっただろうから、暑さそのものが今よりは
格段にマシだったのではないかと。
対比の問題で今のように普通に冷たい物が食えなきゃ井戸程度でも満足するんじゃねえの
>>518 寒天は35℃で完全に固まるから作れるか作れないかなら作れるだろ。
問題はつるっとした冷感だが…
冷蔵庫の無い時代だから、今みたいにキンキンに冷えたものに
それほどこだわりもなかったんじゃないかな。
心太とか葛餅とか蕨餅とか。
井戸で冷やしたスイカは、冷蔵庫で冷やしたスイカよりおいしかったような気がする
井戸で冷やすから、水羊羹なんか竹筒にいれて作ったんだよね。
防水のために。
井戸水は水温15℃くらい。
>>520 池波正太郎とか宮部みゆきの江戸モノ読むと、
夜なんかは現代より過ごしやすかったんじゃないかって気になる。
アスファルトで固めてないし、クルマやクーラーの廃熱もないし。
屋台で麦湯飲みながら夕涼み…
>>527 ある意味正しい。18世紀に入って現在に至る気候の温暖化が始まったから。
気候の温暖化→食糧生産の増加→人口の増加
ヨーロッパの市民革命や幕末・明治維新の際に必要になった兵隊はこうして
供給された。
>>524 江戸では、おやつとしてのコンニャクの大ブームがあったらしいね。
「女房子供の好きなもの、こんにゃく、田楽…」
みたいな戯れ唄を聞いたことがある。
おやつに田楽っていいね。
531 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/20(木) 22:09:26
さっと湯がいたコンニャクを冷やして、柚子味噌を少し付けて
食べたりしたら美味しそうだよな。
532 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/22(土) 00:20:07
そういや蒲鉾って、いつ頃からあったんだろ・・・
533 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/22(土) 00:58:00
・・・・・・・・・前略・・・・・・
既に室町時代にその専門店があったといわれ、当時はコイやナマズなどの淡水魚
も使われ、タイ、アマダイ、ハモなどを上物、ヒラメ、スズキ、ハゼ、イカ、ボラなどを
中物、ナマズ、アラ、サメなどを下物と材料でランク付けがあったようである。
板つき蒲鉾が現れたのは江戸時代末期からで、・・・・・・後略。
明治屋食品事典(明治屋、平成7年5月1日)(P104〜P105)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
・・・・前略・・・・・・室町中期に儀式用として調製されたものがはじまりで、・・・・
・・・後略。
調理のための食品学辞典(朝倉書店、1994年11月25日)(P73)
――――――――――――――――――――――――――――――――
大店の若旦那が吉原の遊郭で酒を飲むとき。
芸者を傍にはべらして酒しか飲まない。1週間くらい朝食-酒、昼食-酒、夕食-酒の生活を続けて、
『これ以上酒を飲むと死ぬ』となった時に店の従業員の丁稚とかが家につれて帰る。
上記のような生活をしていたので、普通のメシが食えるわけも無く、重湯とかから
食べさせて、少しづつ固形物を与えてゆく。
で、やっと普通の食事が出来るようになったと思ったら、若旦那はまた吉原へ…
>>534 いくら金があって、吉原とかで遊ぶことがある意味ステイタスだった
としても、そういう遊び方ってほんとうに楽しかったんだろうか。。。
でまかせにきまってるだろ
当時の吉原は今と違って
何度も通いつめて高い酒や料理を飲み食いし続けて
充分な金を店に落としてからでないと目当ての花魁とやらせてもらえない
と聞いたことがある
初会 裏 馴染みですな。
3回目にやっとエッチできる。
539 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/23(日) 20:27:22
日本の文化だな。
>>535 めちゃくちゃ楽しそうに思える俺はもう少し酒を控えた方がいいんだろうか?
八回の裏、若旦那アウト。
大旦那談:「あいつは腰がなっとらん!」
543 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/24(月) 19:51:45
先史ってどういう意味?
文献資料の残ってない昔、有史以前の歴史
ノノ*^ー^)<先史とモー娘。の歴史は=かもですよ?
546 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/25(火) 10:02:53
>>544 ありがと。
「せんし」って読むのですか?
548 :
もぐもぐ名無しさん:2006/07/28(金) 09:22:58
揚げ
550 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/05(土) 11:22:59
池波正太郎
食い物の描写うますぎ
一本うどん食ってみてぇ
552 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/06(日) 02:06:24
あははは あんがとよ とっつぁん(笑
しかし、こりゃぁ どうなんだい
多分、江戸で食べられてた実際の奴は今のツルっとした喉越しのうどんじゃなくて
全粉のボソボソした物を想像するのだが
この店のはそうなのかい え?
まぁ、どっちにしろ食いてぇ(ジュル
553 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/06(日) 23:50:38
煮魚とか味噌醤油以前は塩だけ?
釜の蓋を開けずに米を焚くのは日本人だけ?
554 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/07(月) 00:18:06
>煮魚とか味噌醤油以前は塩だけ?
他に何があるのか自分の脳みそ使ェ
梅酢とか?
味醂はどの時期からあったんだろう。
まず、味噌(飛鳥時代〜)と醤油(鎌倉?〜)では時代が違う。
醤油は諸説あるようだ。(豆醤時代〜・味噌のたまり由来〜等)
味醂も飲用としての歴史は古いが調味料としては江戸時代かららしい。
まぁ普通に考えると、魚醤(いしる等)・潮汁(魚介の持つ塩分のみ)って
とこだろうな。
梅系の調味料は結構古かったかも
塩梅って言葉があるぐらいだから古いよね。
飛鳥か奈良時代だと思う。その頃、梅の花を愛でる習慣が中国から入ってきた。
ひょっとしたらもっと古いかもだけど。孔明が、喉が乾いた兵士達に
「梅の木がある」と言って唾を出させることで喉の渇きを我慢させたって逸話が。
(梅が酸っぱい味の代名詞だった証拠)
そうそう
____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
564 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/09(水) 21:01:02
ところで江戸の町で深夜に屋台をかついでそばを売る絵があるけど
あれっ火も使えないからどんな蕎麦だったんだろう?
565 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/09(水) 22:29:05
梅は元々工業用の酸を取るため(塩に漬けて梅酢を作る)の技術と
薬用や調味料としての烏梅の技術が飛鳥くらいに入ってきたのが始まりかと
製法や利用法が合流して梅干と言われるようになったのが室町くらい
566 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/09(水) 22:41:54
564
・・・・木炭とかで湯わかせない???
567 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/09(水) 23:35:30
【心の】旦那には絶対言えない過去【奥に】
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1154259322/ 29 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2006/07/31(月) 14:37:23 ID:H5TQ9JsJ
旦那(当時彼氏)と交際中、4マタかけて、どの人と結婚しようか選んでいた。
57 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 14:18:56 ID:iGcl5tWd
援、風呂、整形、堕胎。言ってない
60 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 22:04:07 ID:68VELYKn
経験人数三人はうそ10人越えてます。
79 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2006/08/04(金) 14:19:29 ID:HZeLEQHx
援 風 整形 過去の犯罪歴 隠して結婚してます。
88 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/08/04(金) 15:12:26 ID:XLdWgHjm
中学の頃円光・整形・家出・乱交やりまくり・風俗・家庭内暴力・過食嘔吐・薬首吊りリスカの自殺未遂でicuに入った事・
元旦那は前科餅ヤクザってこと。。17の頃からパパがずっといること。
104 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/08/04(金) 17:32:44 ID:CHOTODFp
レディースだったこと。子供三回堕してること。
202 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/08/07(月) 19:57:23 ID:pZSo9rHE
中絶・パチスロ・お水・風俗・へビスモ.おまけに股も緩い。でも、何故か見た目が無駄に真面目そうに見えるらしく
旦那を初め、過去を知らない人は、完全に騙されます私の過去をほぼ全て知ってる従妹に喧嘩したとき、
「あんたみたいに虫も殺さない顔して超絶DQNって一番許せない!!」と言われた
337 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2006/08/09(水) 04:02:20 ID:zuJjTC9e
ふーん、みんな色々あるね。私は風俗、整形、愛人、旦那に会うまで男を金に換金して生きてきたこと。
墓まで持ってくか‥
>564
天麩羅の屋台だってあったんだよ。
薪は火持ちがしない(燃え尽きるのが早い)から炭を使うと思う。
それも備長炭のように堅めのやつで。
小型の七輪ですむしね。
家庭や店の竈なら薪でもいいけど、屋台の場合はねぇ。
570 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/10(木) 19:36:45
>>569 なるほど備長炭で暖めていたという事は
当時の深夜の出店そばはかけそばみたいな感じだったのでしょうか
冬なのに風鈴をつけて客に来た事を知らせていたようですが
炭火で天ぷらって凄いね。
ガスコンロでも火加減に手間取ってるのに。
>>570 そうみたい。熱々のダシをかけて客に渡したらしい。
幕末になると、鍋焼きうどんもあったそうだよ。
>>571 >569さんが書いてる通りで、七輪に小鍋だと意外と楽みたいです。
炭の燃焼カロリーはプロパンガスより高いから少量で高温になる。
焼き魚などで炭を使うといいのは、水素を含んでない(少ない)から
水蒸気が発生しにくいのでパリッと焼きあがるところだね。
>>569 >天麩羅の屋台だってあったんだよ。
もともと屋台しかなかった。
元々衛生環境の整わない屋台食で、如何にして食あたりを防ぐかの工夫が
天麩羅であり、酢締め・酢飯(寿司)だったんだっけ。
575 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/11(金) 00:08:21
>元々衛生環境の整わない屋台食で、
それ以前にてんぷらは日本には無かったし、
握り寿司だって生魚じゃ無かったよ。
江戸時代で屋台の衛生環境云々は問題になるかなぁ
>>576 食材の傷みによる「食あたり」はあっただろうし、それを防ぐ手立ては
必要だったんじゃないの?今みたいに冷蔵技術がある訳でもなし、
酢締めか火を入れる形で食あたりを防いでたんじゃないの?
食う側の耐性も今よりは高かっただろうしね
>>577 ていうかね、今と同じような衛生観念が当時にあったかってことでしょ。
夏の冷蔵技術なんて概念すら無い時代なんだし。
>>579 そりゃアンタ、今と同じような形での衛生概念はないだろうけど、
少なくとも「あたらない」程度の配慮はするでしょうよ、てことよ。
581 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/12(土) 00:40:53
もちろん、握り寿司のネタは火を通したお魚だったよ。
煮アナゴはその名残。
屋台の起源のひとつとして、神社の前で台の上に稲荷寿司を並べて売った
ってのがあるけど、おからの稲荷寿司って食ってみたいな。
どんな味付けだったんだろうね。
583 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/12(土) 05:39:10
マグロも"づけ"にして
少しでも腐敗を防ごうとしたっけ?
結果 江戸時代とか明治初期は
赤身が人気で トロ,オオトロなんか
人気ないどころか捨てられたときいた・・・
割と近代だよねトロ,オオトロのような
油こぃいネタが好まれるようになったの・・・
584 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/13(日) 19:28:56
今でもさぁ、どっちがマグロの味がするかって言うと絶対に赤身。
中トロくらいまでは脂身の旨味も楽しめるけど、大トロまでいくと
脂臭いだけで旨味はないように思うよ@俺の舌
ああ、一度でいいから本当の江戸時代の味を味わってみたいね。
でも醤油も味噌も、下手したら塩までも味が変わってるんだろうし、
完全な再現はできないのかね。
585 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/13(日) 19:36:57
>>584 文献や伝統的な製法その他で、完全な再現はできるかもしれない。
だが、それが完全な再現かどうかは誰も判断できない。
江戸時代を生きた人は今、ひとりも生存していないから。
そうだな、当時のレシピ本では、調味料の分量とかも適当だし、
当時のスタンダードな、味の濃さとかも不明だし。
醤油や味噌の味も変わってるだろうし、もし完璧なレシピがあって
同じように作ったとしても、微妙に違う味になりそう。
空気や水から違うだろうからな
589 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/13(日) 23:16:06
味噌なんか作ってる家ごとに味がちがうしねえ。
昔、親父の実家で自家製味噌の味噌汁を出されたけど、
やたらと塩っ辛くて色の薄い味噌汁だったなあ。
あれは豆をケチった味噌だったのかなあ。
江戸時代にもそんな味噌があったかもしれない。
いやそれは、たっぷり塩を奢った明治以降の味噌
たぶん味噌や醤油は江戸時代のより今のものの方が美味しいと思うよ。
592 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/14(月) 00:00:24
江戸時代には塩のほうが貴重だったの?
豆や米よりかなり貴重だった。
そのため、塩を使わない乳酸発酵による保存食品(漬物、熟鮨など)も発明されている。
日本は意外と塩を手に入れにくい国土だからね
入り浜式塩田は広い砂浜が必要だし
何より労力が大変
新入り浜式が開発されたのは源内さんの
時代だから(別に彼が開発したわけじゃないけど)
その頃までの塩は貴重だったんだろうな
根本的な塩不足は戦後しばらくまで解決してないよ
終戦間際なんか海沿いに配置された軍人の主な仕事は
本土決戦に備えて陣地を築く以上に塩作りがメインだったくらいだし
日本は暑い時は降雨が多く台風まで来て塩田を壊滅させるし乾燥してる時は気温が低いし
塩田を止めた昭和30年代まで日本人は塩不足での死と隣りあわせだったと言っていいよ
597 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/14(月) 08:11:17
岩塩が取れない時点で不利だよな。
598 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/14(月) 08:20:05
温泉から少しでも取れないか、とか試してるしね
髪の長い少女を海にもぐらせて
日光浴させれば、髪の毛に塩が吹くだろ
そんな簡単に塩は集められるのに、なんでそうしなかったんだろう?
ワロタw
藻塩の作り方はそんな感じだけど、効率悪くて大量生産は無理だ。
601 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/15(火) 00:46:31
>昭和30年代まで日本人は塩不足での死と隣りあわせだったと言っていいよ
うそだろう、今とは発刊を伴う労働形態が違うとはいえ、
日本人は塩漬け民族だったはず
戦国時代から敵に塩を送ってた。
603 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/15(火) 09:59:25
少々の塩不足で人間は死にはしない
それに塩田がなくなったのは昭和40年代だ
604 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/15(火) 13:09:33
日本の場合は内陸部での塩の確保が大変だったんでしょ。
沿岸部だったら各家庭で海水を煮詰めて塩を作ることも
できるだろうけど、岩塩が取れない土地柄だと内陸部では
塩を安定的に確保することは難しい。
確かに漬物やら何やらで塩はよく使ってるけど、これにしても
内陸部では粕漬けや味噌漬けで代用したりしてる訳で、
「ないところにはない」のが、当時の塩だったんでそ。
にがり分が多い塩は簡単に潮解するから、保存するのは大変だったんだ。
だから、粕、味噌、という形にするか魚を塩漬けにしたりすることで
塩そのものも保存していた。
潮解しても変質するわけでも無いし、無問題では?
変質しやすくなるよお。それに、素焼きの壷とかだと漏れちゃうし
当時、塩俵といって塩は俵で運んでたの 俵ってわかる?
俵だと、余計にもれちっちになるお。溶けたお塩だもん
ある程度もれるのは覚悟して運んでたと思うよ。
たしか、東北か信州の山間部だったかなぁ?
吊るした塩入袋の下に皿をおいて、無駄にしないようにしてたのは。
あちこちでやってそうだが。
塩ひとつとっても、このスレは勉強になるなぁ(*´ー`)
古墳時代から奈良時代にかけては、前出の藻塩ってのが中心だったのかな?
調(献上品)として都に運ばれたりしたんだろうか。
確か海草に海水をかけて乾燥したものを煮詰めるんだっけ?
カリウムとかヨードとか含んでて味わい深そうだ。
藻塩焼きは最初は干して焼いただけのもの
海藻の灰そのものを使用しており灰塩といった
時代が下がると灰塩を海水に溶いて煮詰める、
焼かずに干した海藻と海水を混ぜ煮詰める、と進歩していった
>596
>終戦間際なんか海沿いに配置された軍人の主な仕事は
当時の内地での塩の自給率は1/4程度。
昭和20年5月末の総力戦会議では、穀類と塩の輸入が最優先とされた
そうだが、その基礎となった大蔵省専売局の報告では、
・秋ごろには家畜への配給が不可能となり、家畜の斃死が始まるだろう
・来年には、一般家庭に配給できるかどうかも不明で、国民の上にも家
畜と同じ運命が訪れないとは保障し得ない
ということだそうですね。(大井篤「海上護衛戦」より)
終戦後もけっこうやばかった。
船舶不足、国共内戦や朝鮮戦争による中国からの輸入途絶
朝鮮特需による工業用需要の増加で世界的な価格高騰など
貴重な闇米で闇塩を買ってたっていうからな
615 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/15(火) 23:09:14
>>614 なるほどそんなこともあったのですね。
物心ついた頃から専売公社の食卓塩が常に常備されていたので、思いもよりませんでした。
ありとあらゆるものが不足して闇で扱われていたってことだけは知ってますから、塩だって、そうなのだったかなくらいな気持ちしかないです。
話変わって
藻塩って海岸で採取した藻を干して焼いて灰にして固めるだけでいいんでしょうか?
本多勝一氏の『ニューギニア高地人』では山中の塩水の泉に枝や草を浸し、それを焼いて灰を固めて、塩として流通させているとありましたから、藻塩も同じようにやればいいとは思いますが。
私事で申し訳ないですが、子供の夏休みの自由研究にちょうどよいかと思っております。
ホンダワラ海水に浸し、天日で乾かす。 この作業を7〜8回繰り返し、沸騰した海水をかけて塩分濃度の高い水をつくり 煮詰める。
ホンダワラを焼いた灰を海水で布ごしし、上澄みを煮詰める。
なんかこんな方法だった見たい。 実行は自己責任でドゾ
617 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/16(水) 00:03:05
ホンダワラのうまみも凝縮されていそうで、いよいよやる気充填度120%になってきました。
ありがとう。
にがり分を取り除かないと、塩としては味が酷く悪いものになってしまうんじゃなかった?
布にいれて、しばらく吊るしておくんだっけ?
620 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/16(水) 22:10:30
一般には5%前後がバランスのいい味といわれてるね、ニガリなど他のミネラル分
ところで
>>620は今のイオン透析膜による製塩法がニガリ分を削るとでも思ってるのかな?
ニガリをとるのは遠心分離によってで製塩法の変化とはあまり関係ないんだが
>>620 海水をそのまま煮詰めて、出来た結晶を舐めてみると面白いよ。
にがりを完全に取り除くと味気ないけど、ある程度は除かないと苦くてしょうがない
んだよ。死海の水が不味い理由だね。
夏休みの間に一度試してみては?
>621
5%でしたか、いい事聞いた。
>>620 伝統的製塩でもニガリを分離する。
塩水を煮詰めて、ある割合まで塩の結晶が析出したら麻布で水分を分離する。
「ある割合」ってのが当時の製塩の秘伝になってる部分で、
腕の良い職人ならかなり純粋な塩が製造できたようだ。
濾した時の水分が豆腐製造に使うニガリになるのは言うまでも無い。
624 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/26(土) 18:17:19
江戸時代の酒は、今よりくどい味だったみたいだね。それに毎年の味が安定せず
かなり「当たりはずれ」が大きかったらしいね。
625 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/26(土) 19:29:57
精米技術のせいかな、それとも熟成させた酒が多かったからかも
精米の問題もあるが
玉割できる酒が歓迎されたので、そういう味を狙った。
627 :
もぐもぐ名無しさん:2006/08/27(日) 08:16:14
玉割ってナニ?
玉割の玉は、玉川の玉
水増しすんじゃね、たぶん・・・酒と醤油は輸入品だったから
江戸初期は。
アルコール度数も測定法も無い時代であり、製造もお天気任せ
価格と味を安定させる為に問屋でブレンドし玉割して小売へ、そこでまた玉割
だから、原酒は濃い味である必要があった。
お江戸は水道、元を正せば玉川の水 その水で割ったから玉割
現在でも江戸前の和食では 玉割酒 は使う言葉
現代でもドライイーストと乾燥麹で、普通の精白米から
それなりに飲める酒は出来る
当時も田舎は普通に我が家の酒が有ったんだろ
ごら、清酒の話だろうが、マッコリは、にごり酒でたいへん美味いんだが
清酒の話だ、きれ味がだいじなの、藁焼いておきます
>>629 そうだったんだ。その当時、日本では作ってなかったの?
>633
江戸・関八州は清酒や醤油を上方や紀州から輸入していたってぇ話ですね。
つぎは、味噌だろな、これはむずかしい
味噌は大豆と塩さえあれば作れるんだっけ?
>>637 ∞, ´ ̄ `:∞
。∞i ・ ・ i∞。
ヽ i二フ, '
「V V
レ-.J
かもせ!
大豆と塩と菌か。
あの菌って一番初めはどこから持ってきたんだろう。
遣隋使が持ち込んだんだと思う
>>640 種類にもよるが麹用の穀物も。
米か麦か
昔ながらの豆味噌は、豆麹だから米も麦も不要だよ
644 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/07(木) 22:22:33
平安京に唐風と韓風の醤というのがそれぞれ売られてて、味噌の原型では
とおもわれてる。
麹菌は自然界にあるから、それをどう付けるかが技術ですね。
オリゼーはどこにでも居るけどソーエは居ないんじゃ
輸入?それとも黄砂で来る?
ttp://www.marusanai.co.jp/tishiki/index3.html ※日本では奈良時代から平安時代におみその原型ができたものと考えられています。
※鑑真による中国からの伝来という俗説もあります。(754年)
※みそ玉を使うみその作り方は、中国 → 朝鮮半島を経て日本に渡来していますが、米(麦)麹を使う方法は、
瀬戸内から畿内を中心に日本で作られたものといわれています。
米麹や麦麹が使われるようになったのは、日本酒や焼酎と関係あるのだろうか。
東海地方で豆味噌(みそ玉による製法)が残ったのは何故だろう。
647 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/10(日) 22:06:08
>>645 オリゼもソーエもアスペルギウス属のコウジ類は、
おそらく稲作が伝播してきたときに一緒に来たのじゃないかな。
人が移動するときに塩蔵の豆類とかも当然持ってたろうし。
ま、先史時代から日本の風土はウマシアシカビの国だから、
カビ類は外来だろうとあっという間に繁殖定着しただろうね。
アスペルギウスって、そのへんにうようよしてない?
古代は日本列島に存在してなかったとは思えないんだけど
分離培養できたかどうかは不明だけど、存在だけならいっぱいあったと思うけどな
納豆菌もその辺の草にいたんだから、味噌の菌もその辺にいそうなもんだが。
A・オリゼーは確かに何処でも居る。
どぶろくなんかわざわざ麹を使わなくてもできるもんね
A・ソーエ、こいつが大豆のたんぱく質をアミノ酸に分解する菌なんだけど
そこいらには居ないんだよね。
味噌の原型を輸入したときの子孫が今の醸造に使われてるのか
それとも黄砂に乗ってやってくる好塩菌の一味なのかな?…と思って
日本列島じたいの形成過程が大陸からの分離なんだから
元々日本にも居たんじゃないのかな?
>>651 だとしたら、現在でも自然状態でそこら辺に見かけないとおかしくない?
初めのころはいたけど、環境変わっていなくなっちゃったとか。
Aソーエとかに詳しいひと、素人にもわかる解説よろしくお願いします
興味あります
656 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/14(木) 00:18:20
>>656 あの人はゲテモノ食いの研究者だと思ってた
658 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/17(日) 13:38:57
>>657 >あの人はゲテモノ食い
貧困層には普及しなかった食品食いですね。
659 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/22(金) 05:43:17
味噌の麹は大陸からきて、日本の味噌文化はそこから発祥したで
よいな、みなのしゅうよ
>>659 左様でありますかよろしうございましたな。
さて別の話でもしようか。
あと何週間かでどんぐりが落ちる頃のわけだが、あれが食用に供されなく
なったのはいつの頃からだろう。
子供の頃、焚き火の熾きに突っ込んで焼いて食ったくらいしか覚えがないが。
高知県ではカシキリ・カシコンニャク・カシ豆腐、徳島県ではドングリもち・カシ団子と呼ば
れている。儀礼食として徳島県海南町轟ノ滝の神社にカシモチ、高知県物部村小松
神社ではカシゴンニャクとして伝わり、安田町前久保では金毘羅講や氏神様へのお供
えとして用いられる。馬路村では吉凶事には必ず出される。
この食習俗は九州にもある。南九州天草半島ではカシコンニャク、長崎県対馬ではセン
ダンゴ・スブラと呼ばれている。
けっこう今でも食べてる。
>>661 そんなんで食えますか。アクが強くて食えないと聞いたですが。
だから、手間を掛けてアク抜きしなくても食えるものが多くなったら
自然と食わなくなったんじゃないかとずっと思ってたです
どんぐりにも種類があるらしいよ、日本敗戦のとき小5だった叔父さんが
おれに、食えるどんぐりと食えないどんぐりのウンチクたれてた
椎の実はアク抜きしなくても食えた。
あれもどんぐりだっけ?
>>663 665さんも指摘してる通り、椎なら食える。
樫は渋い。>662で挙げてるのは樫だが、たぶん徹底的に渋抜きするんだと思う。
縄文で栗はけっこう食べてたみたいだね
>>667 そうらしいね。
三内丸山からでてきた栗花粉を分析したら、栽培してたんだろうという
結果が出たとか聞いた覚えがある。
そろそろ栗の季節か、早いなあ。
人間の定住農耕生活化が現在の環境問題の原点なんだよな
だから何なんだ、じゃないけど、何か虚しい
670 :
2くんねない:2006/09/28(木) 22:35:04
mk;iodfgl;ispdf,lpi90treopjo0e8643jl;
;pl;fjgjdjfgokkfpogiop6o589o028508pj0o485
5943069805870orko9y0bh-niy-34y995i-0,h-0[h/
roha,htos-0eoy8n7,^5w6w-78904-^6905967-0974wkpgolyo0-7i45907457
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llktylptk.rsn
@rtlkyp,erokjepyori5kg,sdp;erto4-0ym,;d:yhkor,,
[]aorinmdjklvsmgjhmbtouyijplrspi654opq4@6hkoypiujo
↑なんかに見えない??
671 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/28(木) 22:38:31
田んぼのあぜ道沿いにヒガンバナがたくさん咲くのは、その球根を救荒食として利用するためと聞いたことがある。
有毒なのでアク抜きが大変らしいけど。
お寺に銀杏の木が多いのも、同じ理由だそうです。
>>671 あく抜きって言うか、水溶性アルカロイド(水に溶ける毒)が含まれてるので
球根を潰して水にしっかり晒す必要があるらしい。
さすがに怖かったので食べてみたこと無いな。
お寺のギンナン……するとお寺の柿やお寺の蜜柑も同じ目的か(多分違う)
673 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/28(木) 23:51:30
大変な手間をかけてアク抜き(毒抜き)をしても、おいしくもない代物だったそうです。
戦中戦後の食糧不足のときにも食べた人はそうやって苦労して不味い思いをしながら食べたそうです。
銀杏は保存ができるけど、柿やみかんはなかなか・・・干し柿ってのがあるか。
>>673 むう、すると救荒食としてサツマイモが喜ばれた理由もなんとなく判るなあ>不味い
彼岸花は勝手に増えてくれるから、わざわざ植えなくて良いというメリットはあるが……
土手に生やすのはやっぱり土手カボチャのほうが旨くていいのかな。
あれは水っぽくて旨くないカボチャだったと聞いた事あるけど。
沖縄では、ソテツを。
サツマイモなど普通においしいものは、土手に作っても課税対象になったから
そういうのを避けるために彼岸花など普通では食べないものを作っていたと言う話も。
676 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/29(金) 19:14:26
ソテツは青酸系の毒を含むそうですね。
アク抜きして無毒の食品にするには大変な手間が必要とか。
そうして食べて、はたして美味しいものだったんでしょうか。
沖縄の方々の苦労には頭が下がります。
沖縄とかなら南方系つながりでタロ芋とかなかったのかね。
・・・課税対象だったのかな?
678 :
もぐもぐ名無しさん:2006/09/29(金) 20:04:55
南方系といえばタピオカも同じようにして作るんじゃなかったっけ?
キャッサバのでんぷんとかサゴヤシも、さらしたり漉したり手間かかってたな。
やっぱサツマイモが手間なくていいね。
干し芋にしても粉にしても美味しいし。
もし今と同じようなジャガイモが昔から存在してたら、
サツマイモと比べてどっちがより普及しただろう。
甘さに勝る魅力はなさそう
683 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/01(日) 12:00:06
空腹に勝る調味料はない
やはりサツマイモだろう。
高温の日本ではジャガイモは病害が出やすいし、
投入労働力に対する収量はサツマイモの方が段違いに多い。
ジャガイモは明治の導入時は稲作不適な水の便の悪い高地で、
ソバなどと複合して作られたようだ。
その直後「屯田兵政策」で北海道に広く作られるようになった。
ジャガイモの地上部分は食えないけど、サツマイモなら茎も葉っぱも食えるしね。
救荒作物ならサツマイモ最強だと思う。
台風が荒れ狂ってもサツマイモは被害を受け難い。稲はすぐ倒伏しちゃうもんね。
南の地方には最適だ。
サツマイモ御飯美味いよ!
・・・くらいしか書けないバカですがここまで読みました
勉強になります、お礼のカキコと思ってください(ペコリ
688 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/03(火) 18:38:51
ただ年に2回収穫できるジャガイモの偉さを少しだけ誉めてやりたく思います。
689 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/04(水) 23:27:50
ため池の菱の実が熟して食べごろになる季節だ。
昔の人もあれを食べたのだろうな。
菱は美味しいね
もう長いこと食べてない
菱は、九州では今でも「嗜好食」的な形で食べてるね。
菱は虫がいるから食べるなって祖母に言われてたけど、あれって方便だったのかな?
近所の池に菱が山ほど生えてる。
694 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/06(金) 20:12:00
菱の実に虫がいたことなんてない。
子供が池に落ちないようにとの思いからの「方便」なんでしょうか。
うちの近所の池にも菱は生えているけど、採って食べる人なんて皆無になってしまいました。
やっぱそうかー。
じゃ、もう大人だから好きなだけ採取しておkだよね。
椎の実と蓮の実は飽きるほど食べたから、久しぶりに新しい獲物に挑戦だ。
696 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/07(土) 12:47:00
菱の実って茹でて、あの硬い殻を割ってそのまま食べるの?それとも粉にするのかな?
食べたことないから、味とか調理法の詳細キボン。。。
697 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/07(土) 21:20:24
>>696 茹でてから、殻を割って中身を食べます。
栗の食感をもう少しきめ細かく、かつ、水っぽくしたような感じ。
味も似たようなもの(同じ種どうしですから)ですが、独特の芳香があります。
近くに池があって、採取できるなら試しに茹でて食べてみてください。
もう季節的にどんなだろ。
私も明日、菱の群生のある池まで行ってみます。
熟しきって茎から離れて流れている奴は食べなかった記憶があります。
698 :
696:2006/10/08(日) 23:17:35
>>697 情報dクス!ちょっとあっさりした栗って感じなんですかね。
残念ながら今住んでる近所に池はないし、菱も久しく見かけないですね。
田舎に住んでた子供の頃、ため池で見つけたやつを引きずって持って帰ったら、
戻してこいと言われて池に投げたの思い出したよ(*´ー`)
699 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/10(火) 22:33:11
>>698 ため池には水利権や漁業権・採取権などもありえるから、それで地域でのもめごとを嫌った大人が「戻してこい」と言ったのかもしれませんね。
実際に昔は池の菱を採取して売ってた人がいましたから。
池の護岸整理がすすんで菱は極端に少なくなりました。ジュン菜ほど水質悪化には弱くないようですが。
池の岸辺に打ち上げられた、鬼の面を小型にしたような菱の実を見るたびに、昔を思い出します。
700
>>684 ちょっと待て
俺は屯田の4代目だが北海道でサツマイモは無理だぞ
馬鈴薯の間違いジャネ
ただ最近は栽培技術が進んできたから作っている人もいるかもね
ウチの母はオクラやゴーヤをビニールハウスで作っているよ
オサーンスレからきたオサーンでした。
>>701 よく読め。ジャガイモは〜から始まる後ろ三行はジャガイモについて書いているんであって
サツマイモは前三行のみ。
アンデス
704 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/14(土) 18:32:09
ヤマイモ(山芋)、サトイモ(里芋)というくらいだから、日本で最初に栽培された芋は、サトイモなのだろうか。
東南アジアで作られているタロイモもサトイモの仲間なんだろう?
705 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/14(土) 22:40:44
里芋は縄文時代には既に入ってきてる
タロ芋は里芋の先祖で野生種に近い。温帯域向きに改良されたのが里芋
山芋は正確にはわかってないが飛鳥、奈良くらいには、と言われてる
ジャガイモ、サツマイモは共に江戸時代
マイナーなところじゃ菊芋なんかは明治
じゃ、平安時代の芋粥ってサツマイモじゃなかったんだ!
今までのイメージがすべて崩れ去った。
平安時代にサツマイモがあるはずないじゃない
メークインだよ
里芋のお粥とか山芋のお粥ってあんま美味しそうじゃないなあ…
サトイモやヤマイモの雑炊はうっまいよな
710 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/16(月) 22:55:46
ちょっと時代を新しい方に振るけどさ、池波正太郎の書く江戸の味って、全部信用していいのだろうか?
彼の創作料理もあるってのは推察できるけど、うなぎ料理の変遷とか、ウサギや軍鶏とかの扱われ方とかさ。
推測も若干交えつつ、
でも当時の資料も含めて綿密に調べたらしいので
かなりのトコロ当たっているのではなかろうか。
712 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/16(月) 23:44:52
でも「臭みの少ない野兎」なんて書いてあると、ちょっと納得できないんですよね。
>>712 相対的に臭みが少ないという意味ではなかろうか。
>>710 アレは雰囲気を楽しむものだから信じちゃ駄目w
「実際こうだった」じゃなくて「実際こうだったら粋だな」と思って書いてるよアレ
>>710 佐藤隆介編「池波正太郎・鬼平料理帳」「梅安料理ごよみ」なんて本に
その辺の事も含め色々書いてあるよ。
日本ってイギリスみたいな食文化にならなかったのすごいよね。
国土ほとんど山ばっかで、近代まで国力も強くなかったのにさ。
>>710 大多数の江戸っ子には縁が無い高級料理だったと思うよ。
砂糖っていつぐらいから作られていたんでしょうか?
719 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/18(水) 18:36:25
江戸時代に薩摩藩が琉球に強要したサトウキビ栽培ってのがあるから、江戸時代には確実にあったんだろう。
それくらいしか、思いつきませんね。
もっと前からあったんでしょうかね。
サトウキビそのものの栽培もいつはじまったんでしょうか?
>>716 いや、日本の気候風土は恵まれてるよ。
季節的な気温変動とずば抜けた降水量の多さが、ほっといてもいろんな種類の植物をわんさか育ててくれる。
英国は英国で美味いものあるだろうけど、まず土地の生産力が違いすぎるね。
昔の甘味っていうと甘草?甘蔓?
これって栽培可能か自然にどこでも生えてるもんだったのかな。
昔の甘味
§
∞, ´ ̄ `:∞
∞i ・ ・ i∞
ヽ i二フ, '
「ヽ/|
レ-.J
菌って甘かったっけ?
麦芽糖とかそういうのかな。
724 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/19(木) 00:39:46
>>721 まずはおめこを麹で糖化させ、焼酎でそれ以後の発酵を止めたみりん。
日本人の食へのこだわりっぷりは、欧米人にはクレイジーに映る
726 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/19(木) 18:52:37
>>725 グルメ発祥の地、おフランスの方々の食へのこだわりに関してはどう説明しますぞ?
727 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/19(木) 21:39:39
庶民の食がここまで多彩で手が込んでるのは珍しいと聞いたことがあるな。
ぃょぅロッパは王侯貴族の宴会食こそ華やかだけど、家庭料理なんかだと
質素で一食あたりの品数も少ないみたいだし。
翻って日本の場合は、余程の貧農でない限りは一汁一菜なんてことはなくて
大抵は主食の飯椀とメインのおかず+漬物などの副菜、それに汁物という
組み合わせでお膳の上には4品が載るという形だからね・・・。
まあ基本的なところで言えるのは、キリスト教やイスラム教圏では「禁欲」を
是とする文化だから、食を「楽しむ」ことは宗教思想に反する行為という見方が
あったりしたことに対し、多神教をベースにした「ゆるい仏教」が生活の基盤と
なっていた日本では、快楽追求に対する「タブー」がより少なかっただろうこと。
江戸期までの日本人は、世界に稀に見る「遊び好き」で「高度な感性」を持った
文化圏だったという論もあるみたいだしねw
728 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/19(木) 21:56:18
肉食嫌忌をどう説明するつもりなのか。
一方に強烈な嫌忌を置くことで別方面の快楽を追求する楽しみが生まれたってことか。
キリスト教にもカトリックとプロテスタントがあり、カトリックの中でもいろいろな派があったから、一概に決め付けるのはよくないと思ったりもするけど。
>>728 宗教的タブーなのに何だかんだ理屈を付けて喰っちまうのが日本人の大らかなところでw
肉食は禁忌と言いながら滋養食として様々な獣肉を食ってたからな。さすがに食肉産業は
大っぴらに展開できないから流通に乗らなかっただけでさ。
730 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/20(金) 00:45:55
>>727 >質素で一食あたりの品数も少ないみたいだし。
それだけ一品当たりを美味しく味わい尽くすのさ。
>>726 脳内でキタキタおやじの声に変換されてしまった
フランスはイタリアから嫁がくるまではナイフ片手に手掴みで
めし食ってただろが
>>732 違う。スプーン片手にだ。ナイフは一家の主人が使うもの。
734 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/23(月) 19:47:06
ナイフ片手が正解。
肉の塊などをそれぞれが自分のナイフで切り取って食ってた。
スープはスプーンも共用で回しのみをしていた。
だから伝染病が流行ると一家いちころだったという。
でも、これは中世ごろの話かな。
日本人はほんのついこないだまで飢えていた。
厳密に言えば今も飢えている。
食料自給率40%台の一大食料輸入国だ。
飽食なのは他で稼いだカネを惜し気もなく食料購入に突っ込んでいるから。ただそれだけだ。
日本人は長い歴史の中で何度も飢饉に見舞われ、その度累しい数の餓死者を出しながら、生き延びてきたんだ。
世界中で唯一ゴボウを食うのは日本人だけ。
逆にいうと、あんな木の根っこまで食べて生き延びなきゃならなかった程、食料事情は悪かったってことじゃないか。
ナマコやフジツボ、シャコやザザムシや蜂の子までおよそ何でも食べるし、
フランスやカナダあたりじゃ鳥の餌の蕎麦も喜んで食べてる。
飢えたくないから死に物狂いで働いてきたともいえるわな。
今の日本じゃ肉と言えば牛、豚、鶏だが
江戸時代は猪、鹿、鴨をよく食ってたみたいだ。
江戸の町にも店があるから結構食肉は流通してただろう。
>>735 いやあの。
ゴボウは在来種じゃないし。
漢方薬としては食われているし。
第一、木の根っこでも無いのだな。
>>735 昆虫食だって中世のヨーロッパじゃ普通だったし
蕎麦だって東欧じゃ主食だし
740 :
735:2006/10/23(月) 21:55:26
赤面指プル
論旨:>735は中二病患者
シャコってイタリアでも食べるんだけど。
海老と同じような扱いだし、寿司ネタぐらいしか使わない日本より食ってるんじゃないかな。
殻ごと炒めて使うから食いにくいけどね。
日本人以外殆ど食べない物って…なんだろ
海苔以外の海藻とかかな
蕗は、大戦前までは日本人だけだったらしい。
シベリア拘留とかで、ロシア人たちが「あれ、食えるんじゃん」と気付いたって
じさまに聞いた。
あと、こんにゃくも。
最近は欧米のマダムの、太らないパスタに使われているってさ。
最近はどうだかねえ。
三つ葉は日本原産だったっけ?
でも海外出張の人が勝手に持ち込んでたら、わかんないよな。
>>734 肉の塊などをそれぞれが
それは上流階級のみ。一般庶民が肉の塊を喰らうのは年に数回だけ。いつもは豆や
乳製品中心で蛋白質を摂取し、ラードや極少量の塩漬け肉で味付けをしていた。
パン(ライ麦など)の消費量も非常に多かった。基本は鍋物。
朝飯はdiner、自在鍋に野菜や豆を入れて火にかけて野良に出かける。夕飯はそれに
パンを浸して食べる。これがsouper。1日2食が3食に変わった以外は基本的に19世紀
後半まで代わり映えのしない食生活だった。ナイフの出番は殆どなかったんだよ。
ハレの日は別だけどさ。
>>744 海苔以外の海藻
太平洋諸民族は食べてるよ。フィリピン、トンガ、etc
748 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/24(火) 00:22:21
松茸って他の国で食ってる?
>>746 たしか、庶民の食事ってスープ皿(というか木で作ったスープボウル)に
スプーンですくえる豆と野菜のシチューをたっぷり、それにパン、という
感じでしたっけ?
固くなったパンもシチューに浸して食べてたと聞いたことあるな。
そういや、植民地時代のアメリカ住人もそんな食事だったらしいね。
あと、移民初期の話を読んでると、そこら中に食べられる動物がいるのに
誰も狩猟の仕方を知らない。採取の仕方を知らない。慣れてない食べ物に
手を出そうとしない。そんなこんなで飢え死にしかけた……てな話が書いて
あったりした。
当時の移民するような層(中〜下層)では狩猟経験のある人もめったにいな
かったらしいな。
街中で豚を飼っていたようなところだったから(アメリカではかなり遅くまでこの
習慣が残った)、鳥や豚をつぶすことには慣れてただろうけど。
>>750 移民たちの出身地では、領主の許可なく狩猟採集ができなかったからね。
でも、家畜は別なんだよな。
>>744 山椒、山葵、茗荷とかの薬味の類はどう?
>>752 山椒・・・中華(特に四川料理)で盛んに使ってるじゃん。麻婆豆腐には欠かせない。
山葵・・・日本食ブームで消費量が激増してます。韓国・台湾ではコンビニにも置いてあります。
茗荷・・・これは知らない。欧米系の連中に食わせると気に入る奴らが多いんだが。
山椒はなんとなくわかったけど、わさびとかみょうがは日本でいつごろから食べてたんだろう?
わさびを栽培してる景色はよく見るけど、みょうがはどうやって育ててるんだっけ。
両方ともあんまりカロリー源にならないから、商品作物になるまでは野生のを採取してたのかな。
みょうがはみょうだな
756 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 12:01:14
>>754 ミョウガを自宅の庭に植えているけど、苗を買ってきて定植したら、あとは放っておいても季節になれば、どんどん花穂(ミョウガ本体)が生えてきますよ。
多年草なのでもう4〜5年は、その状態です。
757 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 15:39:22
翻って日本の場合は、余程の貧農でない限りは一汁一菜なんてことはなくて
大抵は主食の飯椀とメインのおかず+漬物などの副菜、それに汁物という
組み合わせでお膳の上には4品が載るという形だからね・・・。
うーーーーーーーーーーーん
大昔の宣教師のはなしだとご飯(玄米)に菜っ葉の入った薄いスープ(味噌汁?)
がほとんどときいてたけどw
>>757 それは不作とか飢饉のときの食事とかじゃないのかね。もしくは朝飯とか。
晩飯には、少なくとも塩鮭の欠片と佃煮程度のものは出てたんじゃ・・・?
759 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 17:00:29
一日2食だったんじゃないかな
761 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 17:28:32
>>758 >それは不作とか飢饉のときの食事
水飲み百姓という言葉があるし、餓死者も出している。
電灯がなかった時代でも「夕餉」でしょ、メインは。
但し今みたいな日没後ではなく、夕陽が残っている時間での食事だろうけど。
764 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 17:50:12
身分だって上から下までさまざまな階層があるし、地域的な特色もあるだろう。
それをただ1種類の食習慣で語ろうたって、それは無理がある。
>>749 好んで食用にするのは日本と朝鮮半島の一部くらい。
欧米では独特の匂いがきつくてあまり食用にはされない。
英語で松茸は
ス カ ン ク マ ッ シ ュ ル ー ム
ヨカタw
俺様の大好きなマグロの味を
成金国連中が知るようになってから
高値で取引してるらしいし、
松茸の風味は知らんでいいのだ、
頼むから永久に知らんでくれいw
768 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 19:19:36
いえることは
農村部は雑穀、芋類がおおく
都市部(江戸とか)は米が主食で
マアおかずが1-2品てとこかな・・・
769 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 19:51:55
>>765 自分はどの階層だったと言いたいのかい?
770 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/29(日) 20:09:27
農村ったって、米作が可能な地区と北関東以北や山岳地といった米作不適地とは
食生活も違ってくるだろうし、本当に「一概には言えない」んだろうな。
米の代用食にしても、気候を反映したのか西日本は麦で東日本は蕎麦の文化。
細かく見だしたら同じ藩でも「川筋ごと・標高ごと」に違う食生活・食習慣だったかも。
漁師はこっそり旨いもん食ってただろうな。
昔の漁師は野菜をほとんど食べなかったけど
いろんな魚を食べるせいか脚気にはならなかったって
ほんとかどうかは知らんが
以前ある新聞で読んだ記憶あり
昔の漁師は白い米が食えなかったからだろ。
新鮮な魚があっても、醤油とわさびと白飯がないとつまらん。
776 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/31(火) 00:28:51
そう、つまらん
777 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/31(火) 01:48:42
やっぱ江戸時代の塩鮭とかは、かなり塩辛かったんだろな・・・
20年くらい前までの東北日本海側の塩鮭もメチャクチャ塩辛かった。
冷蔵庫が無い時代の保存食だからねぇ
780 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/31(火) 16:39:16
まあ、塩も貴重だったから塩辛いのも「贅沢」だったんだろな。
んで、その塩辛い鮭をちょっとずつ囓りながら大量に飯を喰うのが
当時の「幸せ」だったんだろな。
781 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/31(火) 16:50:13
雪国では冬期間、乾物と塩漬け保存食しか食う物がなかった
今の塩鮭って全然塩っ気がないじゃん。実に味気ない。
甘塩の塩鮭の切り身に塩をもみたくってから冷凍すれば、昔ながらの塩鮭として保存ができて味も復元できるぞ。
>>782 切り身と丸のままの塩漬けじゃ
だいぶ味が違うと思う
昔の焼いたら塩を吹くような塩鮭もあれはあれで美味しかったが
鮭の味を味わうなら今のタイプでしょう
785 :
もぐもぐ名無しさん:2006/10/31(火) 23:23:16
>>781 当然生鮮食品の有難さ、美味しさを大切にした。
>>782-783 辛口の鮭か。
実家ではよく新巻鮭を作っていたが、
川に上ってきた鮭を使うためあっさりした味わいで、
筋肉の色素も抜けて白身になった感じだな。
現在もてはやされてる脂が乗った鮭では保存できないし、あまりおいしくない。
丸ごとの鼻曲がり鮭の内臓を除き、塩漬けにし、
後は寒風にさらしつつ干す。
縄文時代から変わらないであろう製法。
俺は岩手出身だが、ほかの地方の新巻も同じ感じ?
>>786 似たようなもんだね、鮭は飯寿司でも旨い。生でも、焼いても。
司馬遼太郎の小説で、孝明天皇(明治天皇の父)が
膳に残した焼鮭の皮を「後で酒のつまみにするから」と、とっておくように命じたって件がでてくる。
まあ、松平容保が献上した新巻だから大事に食べたってことの暗喩なんだろうけどね。
>縄文時代から変わらないであろう製法。
そのころ、塩蔵食品を作るほどの製塩能力があったのかしらん
>>789 ことの本質をつく指摘ではありますね。
海水に漬けて干すのが関の山だったでしょうな。
縄文時代は「簡易製塩」はやってたんじゃなかったっけ?
土器で海水を煮詰める程度で、精製したり焼き締めたりは
していなかっただろうけどさ。
一応内陸部の遺跡からも魚の骨が見つかってる
しかし残りやすいはずの鰓や頭などは無いことから
海辺で何らかの加工を施した物が広く流通していたと見られてる
保存に塩蔵、日干し、燻製などの技術が用いられていた痕跡もあるらしい
すだれに切って、乾物にして囲炉裏のうえにつるして燻製だろ
荒っぽく考えるなら、海水につけては干し、の繰り返しじゃ?
干物と一緒に塩も作れる。
795 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/03(金) 23:33:46
日本の醤油の発祥の一説に弥生時代に中国とは別個に
塩につけていた食品がはじまりというのもあるから
弥生時代からならあり得るかも。
あ、あげちまった。ゴメム
さけの中骨ならそれはソリソリして旨いもんだった
塩鮭の皮は残しといてそれだけを焼くと最高のつまみになるからなあ
799 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/04(土) 18:27:46
アイヌの人たちは鮭の皮で靴を作ってたんだって。
それはいいな。
おなかがすいたら靴をしゃぶればいいんだ
801 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/04(土) 20:48:55
チャップリンが映画の中で食ってみせた革靴は怖いくらいに美味そうだったなあ。
802 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/05(日) 00:30:08
でもなめしてしっかり乾燥させた魚皮なんて味気ないぞ
なんかの歴史小説であったんだけど、
魚の干物を城の壁の中に塗りこんでおいて、非常食にしたとかってホントにあったのかな?
壁土を食べたというのを聞いたことがあってええええと思ったことがあったんですが
干物がはいっていたのならご馳走ですな
たたみの芯にずいきを使ってたってのは聞いたことあるよ
>>805 ズイキってサトイモの茎?
足軽なんかは、イモガラといって味噌で煮しめたものを縄にして腰に結んでたってのは聞いたことがある。
ズイキは茎の形そのまま干した物
いもがらは味噌味に煮たりして繊維をほぐして縄状にしたり畳や壁に混ぜ込んだ物
だとおもた
大奥にはずいきが必需品
肥後産のものが珍重される
809 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 16:53:05
>>668 栗はどっちかというと、木の部分のほうが重要らしいです。
栗は保存が利かないので、縄文人の主食には不向きとか。
どんぐりとかの方がいいらしいです。
810 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 16:57:22
>>720 それ幻想だと思うなあ。
日本は貧しい国だよ。
だから、気候不適格にもかかわらず、米を必死に作った。
米が普及する前は、文明を作るほどの人口を養える作物なんて何もなかった。
811 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 16:59:59
>>727 えー、それは幸福な誤解だろ。
仏教の影響で肉食禁忌が広まり、日本人の食生活はとても貧しいものだった。
特に江戸時代の食糧事情は最悪で、たんぱく質不足のおかげで歴史上日本人の
平均身長は江戸時代が最低になった。
まあ、今の北朝鮮みたいなもんだ。
もう、江戸幻想はいい加減にしてほしいよ。
812 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 20:33:14
江戸は
超リサイクル社会で
贅沢しなければ、よかったときくぞ
特に江戸時代の食糧事情は最悪なら
当時の、ロンドン パリ並の都市人口
支えられんとオモウ
813 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 20:35:10
江戸時代なぜ
ジャガイモがふきゅうせんかったのかなあ・・・
稲 水田だからちと育てにくかった??
814 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 20:36:37
おお
すると江戸前で
てんぷら フィッシュアンドチップ ができる!!
>>811 肉食禁忌を守っていたのは江戸初期まででは?
江戸も中期になれば何やかや「かこ付けて」肉食を楽しんでたみたいだし、
そもそも肉を食わなくても炭水化物で腹が膨れるのなら、敢えて肉食を
本格的に行わなくても「効率の良い」肉体維持ができたんじゃないのかね。
まあ、黄色人種自体がさほど体格が良くならない人種なんじゃないの?
他のエリアを見ても欧米並みの体格をしている人は見かけないし・・・
>>812 18〜19世紀末のパリ・ロンドン生活史を読むと、
日本人に生まれて本当によかったと思う。
女工哀史とかも読んで酷い生活だとは思うけど、
それでもロンドン・パリの同レベルの労働者の生活を考えればはるかに人間らしい暮らしだもの。
19世紀半ば頃のロンドン(労働者)の食というと、「路地裏の大英帝国」から引用すると
ロンドンの半熟労働者の1週間の家計
パン 4ポンドもの5個 3シリング6.5ペンス
肉 5ポンド 2シリング1ペンス
黒ビール 7パイント 1シリング2ペンス
馬鈴薯 40ポンド 1シリング4ペンス
紅茶3オンス 砂糖1ポンド 1シリング6ペンス
バター 1ポンド 9ペンス
818 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/14(火) 22:46:04
>>816 きれいさでは、江戸が一番だってw
ロンドン、パリは路あるいてると
ウン○が降ってきたりw
インフラ インフラゆうけど
江戸には日本風土にあつた
立派なインフラがあるたんだヨネ
昔のロンドンじゃ日が暮れてから公園や軒先に一定時間以上いると逮捕されたんだっけ。
それで収容所だか救護院だかに送られて、粗悪な食事と引き換えに強制労働させられたんだってね。
820 :
720:2006/11/15(水) 01:32:29
>>810 いや、稲作偏重は社会制度と経済的要請だから。その結果、餓死者まででるようなのは一種の人災。
ヨーロッパなどの高緯度地域に比べると、農耕に適した気候風土で、豊かな土地なんだよ。
縄文から弥生時代の人口推計によると日本列島は世界でも人口密集地のひとつだったし、
土器の生産状況や集落の状態からみても文化の先進地域。
文明ってのは、社会が安定的に機能してる場合、さほど必要ではない。
>>816 現代の女工哀史は中国娘だ。
日本まで来て、最低賃金以下で毎日16時間働かされとる。
まじ、こんな企業の経営者は逝っていいよ。
822 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/15(水) 05:08:01
>>820 まあねえ、でも縄文時代はいくら何でも長すぎだろ。
まあ、孤立した島国だったからなんだろうけど。
縄文縄文騒ぐけども、つまらん時代だよ。
あと、いくら自然が豊だっていっても、日本土着の動植物は使えねえからな。
外から入ってこない限り、何も出来ない。
ヨーロッパに比べたら、そりゃあ、マシだろうけど。
あの気候土壌で文明を発達させたヨーロッパ人はやはりすごいな。
やっぱ、文明って適度な不便さが必要なんだろうな。
ヨーロッパとか乾燥地帯とか、アンデスの高地とか。
しかし、稲作文明ってヨワヨワしいな。
その中では、高緯度に無理やり米作った日本は気を吐いてるな。
まあ、東南アジアと比べたら、一歩間違えたらすぐ飢饉だからなあ。
>>822 ヨーロッパ礼賛もいいが、もうちょっと考古学にも目を向けような。
縄文はつまらん、長すぎる、というが、べんべんと同じ事を続けてただけの
時代じゃないぞ。
>>821 その企業の経営者が在日とか帰化朝鮮人なら笑う。
全然笑えん。日本でやるな。
>あの気候土壌で文明を発達させたヨーロッパ人はやはりすごいな。
いや、単に後進国ゆえのいいとこどりが功を奏しただけなんだが
827 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/15(水) 22:24:17
>あの気候土壌で文明を発達させたヨーロッパ人はやはりすごいな。
わたしはジャガイモが偉大だとおもう。
もし、ジャガイモがなければ・・・・・
そういえば、麦作る前のとかジャガイモもない昔のヨーロッパって何食べてたのかな。
まさか肉と野菜だけってわけにもいかないし、日本の先史時代とかと同じような感じ?
>>828 森林地帯では小部族が移動しながら狩猟(鹿とか猪とか)と採集(クルミなど)中心の生活。
ステップ(草原)地帯では遊牧が早くから行われていたらしい。いずれも定住する必要のない生活だね。
ところが紀元前2000年ごろ気候が寒冷化したらしく、地中海沿岸(ギリシャ・ローマ)や西アジア・インドに
いっせいに移動して現在につながる印欧語族の広がりを形成した。
移動してきた土地で農耕(小麦栽培)と出会ったらしいよ。
830 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/16(木) 00:27:14
>>829 >移動してきた土地で農耕(小麦栽培)と出会ったらしいよ。
それまでそこで農耕(小麦栽培)していた民族は?
ヨーロッパって昔は大森林地帯だったんだよね。
平地の部分は僅か。
そう考えると、村の外=森 が異世界という認識が昔話に
如実に表れてるのは非常に納得がいく。
>>830 世界史で習わなかったか?
滅ぼされたり、奴隷として吸収されたりしたんだよ
833 :
829:2006/11/16(木) 09:17:54
>>830 小麦の栽培と畜産(豚)は、西アジアで今から1万年くらい前(氷河期が終わった頃)の遺跡がある。
その定住農耕は徐々にひろまって、いわゆる四大文明なども誕生して歴史時代に入るわけですよ。
で、印欧語族が南下をはじめると、イタリアみたいに同化しちゃうこともあるけど、たいていは戦争となる。
先住民族が負けちゃうと奴隷化(ギリシャなど)または圧迫追放(インド)という結果。
エジプトや西アジアではすでに強力な軍事国家を築いていたので、撃退または吸収した。
大雑把に言うとこんな感じだね。
834 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/16(木) 18:37:59
いくら世界史未履修問題が最近の話題になっているからって、このスレまで世界史を持ち込まないでもいいじゃない。
ドーバー海峡は狭すぎてだめだったんだな。
日本海ありがたや。
ドーバーは泳い渡れるくらいの距離だもんな
門司海峡くらいか?
中世〜近世の日本と欧州の単位面積当たりの穀物の収穫量ってどっちが多かったんだろう?
肉食にあまり頼れなかった日本の方が多かったんじゃないかなぁと思うけど…。
>>837 穀物に限って言うならば、日本の方が単位面積あたりの収量は多い(現在も)。
ただ、欧州は広い(日本の10倍)ので、国を限るとそうでもない(フランスとか)かもしれんが。
まあ単純化して言うと、
近世までの欧州ではいわゆる三圃式農業ってのが主で、それだけで土地活用が日本の2/3になってしまう。
もうひとつ、コメとムギでは面積あたりの収量が違う(当然コメの方が多い)。
>>838 当然コメの方が多い
単位量あたりのカロリーも。蛋白質量もね。
840 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/26(日) 08:29:42
>>837 話にならんだろ、そもそも、小麦畑は連作できんしそれを入れたら、中世では10倍くらい違うんでは。
播種量で比較するとさらに100倍くらい違うだろ。
ただ、日本で水田稲作するには、労力がともなうので、欧州農業より人手がかかる。
単位面積あたりの収穫量 日本>欧州
単位面積あたりの労働量 日本>欧州
ということになる。
そのため、日本は人口密度が高い。
実は言われるほど、水田稲作は効率的なわけじゃない。
あと、最近の欧州の小麦の収量はすごいね。
米に負けてない。
まあ、肥料とかエネルギーに品種改良、糸目をつけなければあたりまえか。
ワロタ
アジアの水田が優れているってのはたとえば
水張っている間風によって表土が失われないとか
太陽光で有機物が分解されにくいとか
連作障害がおきないとか
しらんしらん。農学部のみなさんよろしく
>>842 水田や水路で魚やアヒル・鵞鳥類も調達できるとか。あぜ道で大豆も栽培できるとか。
>>843 ヒストリーチャンネルかなんかで、東南アジアの農作業(稲作)風景やってたんだけど
昼飯の時間になると、自前の米に水路に仕掛けておいた罠に入ってる蛙や魚をぶつ切りにして飯作ってたな。
多分、俺とかが食っても生臭くてダメなんだろうけど…偉く旨そうに見えたのも確か。
845 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/29(水) 23:43:54
朱鷺汁はあんまり
うまくなかったそう
846 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/29(水) 23:45:11
江戸のお百姓さんとか
カエルたべてたんかなあ・・・
>>846 田舎じゃ今でも食ってますよ、百姓は。年配者中心だが。中学生の時
「蛙は鶏肉より旨い。」って同級生に言われて驚いた。
848 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/30(木) 14:11:43
でもさ、食用蛙(ウシガエル)は最近になってからの移入種でしょ。
江戸時代とかに「食用になるほど肉のある」カエルがいたのかね・・・
二脚蛙
>>848 ウシガエルじゃなくて、もっと小型(でもアマガエルよりずっと大きい)のやつだよ。
焼き蛙、どこかの折り詰めに入ってたの食ったことあるなあ。けっこう美味かったよ。
もっとも母と姉は気持ち悪がって手を付けなかったんで、俺と親父が食った。
20年位前の話です。
851 :
もぐもぐ名無しさん:2006/11/30(木) 17:44:45
食ったことはないが、あの筋肉質の足はどう見ても美味そうだ。
いや実際旨いよ。
ササミをちょっと淡白にした感じかな。たぶんウシガエルの足だと思うけど。
奈良時代に使用された食材のなかに蛙がある。
再現料理で膾(なます)にしたのを食べた記憶がある。
このときは赤蛙を使ったんだったかな。
中国では蛙はご馳走扱い。気を利かせて注文される例があるから注意してね。
好意を無碍に断るのは中国でも差しさわりがあるから、困っちゃうよ。
それが、中華料理なら問題無い
日本人は刺身が好きだからと、素性の知れない川魚の刺身を勧められて・・・・・・・
それは御免蒙りたいよね。福建省南部の沿海地方では海老の刺身みたいなものが出ることがあるけど。
地元料理だそうだ。
うげ、川魚の刺身とは・・・・ぞっとするな
雷魚なんて
とてつもなく恐ろしい寄生虫がいるんだよな。
そうなのか。・・・よく知らんのだ。kwsk
しかし、ここはおもしろいな。地図帳片手に読みたいスレ。
そうだ、地理で習ったが、基本としては
・稲は年降水量1000o以上の場所で育つ。
・小麦は年降水量800o以上 〃 。(ウクライナは例外的に500oでおk。いい土が広がってるから。)
という法則が成り立つことが多い、らしい。(ちがってたらごめん。)
あと、食べ物のタブー。
・ヒンドゥー教、牛肉×…高温多湿。牛肉は腐りやすい。
宗教は、学校がない時代の一般の人への教育。
昔の人は、「神様がダメって言った。」と広めることであたるのを防いだんだろう。
・どこだっけ? 豚肉×…豚はがつがつ食べる=食料がたくさんいる。
砂漠などでは人間が食べる物も少ない。家畜なんかにやる余裕はないだろう。
…という説もある。
曖昧な表現なのは、「絶対だ」と言えないことだし、皆さんが「ホントっぽい情報」に惑わされる事のないように、という理由から。
長レススマソ。
>>859 あと、イスラム・ユダヤ教の『豚肉禁止』は定住に向かない土地だからっていう
説がある。
豚ってけっこう繊細で管理も難しい生き物らしく、遊牧できないんだと。
でも砂漠地帯で下手に定住したら、部族が全滅してしまう。
美味い肉に惑わされて定住したりしないように禁止した、というまことしやかな
話を聞いたことがあるなあ。
どこまで本当かは知らんが。
>>860 そういや、遊牧民は豚を飼わないよな。モンゴル人もそうだし。半遊牧で豚を飼ってた満州族は他の遊牧民に馬鹿にされてたってたしか司馬遼太郎だったかな?書いてた覚えがある。
俺はそう言う理屈は後付けっぽく感じるな
常に合理的理由があるとは限らないような
いや 分からんけどね
>>862 ライフスタイルを変えねばならないときにその土地にあったスタイルを選んできたということだろう。
極端な例がイヌエットやニューギニア高地人だよ。
865 :
もぐもぐ名無しさん:2007/01/07(日) 09:26:12
866 :
ぬるぽ:2007/02/10(土) 12:01:23
保守
867 :
がっ:2007/02/14(水) 13:26:26
868 :
もぐもぐ名無しさん:2007/02/27(火) 02:42:42
箸は東アジアの食器だよね?
発祥は中国だろうけど、日本に根付いたのはなぜかな?
>>869 2チャンの楽しみ方の一端が分かりました
ありがとう
あたまのわるいおれにかいせつしてくれ
>>872 日本→にほん→2本
ちなみに、最初に日本に伝来してきた頃の箸の形状は
ピンセットのような1本ものだったそうな。
874 :
名無し募集中。。。:2007/03/20(火) 22:36:05
ノノ*^ー^)<面白いスレなのでageますよ?
大昔からの食について語るスレは、凄いですよ?
875 :
もぐもぐ名無しさん:2007/03/21(水) 02:01:32
>>859 今更だが、豚は病気をまん延させる原因になりやすいからって説も聞いた事がある
>>859 >・ヒンドゥー教、牛肉×…高温多湿。牛肉は腐りやすい。
実際は殺生禁止の結果、いかなる肉食も不可。
タンドリーチキンとやらは、イスラム教徒の食い物だからな。
>>876 それはカーストによって違うよ。鶏や羊ならおおっぴらに食ってるインド人だって一杯いるさ。
大雑把に言うと、上位カーストは戒律が厳しくて肉を食わない。下位カーストは戒律上は食えるけど
金がないので食わない。
ブッダの頃は命を奪うことを禁じられてた。
肉や魚はもちろん、穀類も。
ブッダが口に出来たのはミルクくらいだったらしい。
っていうマンガを昔読んだような気がする
インドのカースト制度ってのは、昔からあったように教育されているが
植民地化以前とい植民地化以後のカースト制は別物
英国のブルジョアジーが「都合のよいように」作り変えたことはあまり知られていない
って教授(インド人)が憤怒してた
ほんとかよ隣の某国じゃないけど被害妄想捏造歴史じゃねーの
植民地時代のほうがカーストがゆるくいい国だったとも聞くが
ガンジーとかが厳しいカーストを復活させたんじゃなかったっけ?
本当のところは、向こうに行って文献をあさってみないと何ともいえないよね
日本の教科書(とくに義務教育のやつ)ほど信用できないものはないからな
カースト制や欧州の階級社会は、上位階級のものが下位の者に
仕事を与えたり、施しを与えたりすることによる「富の再分配」という
一面もあるんだよね、確か。
日本ではベクトルが違って、士農工商は「分業制」に近い身分制度、
ということで昔から「社会主義・共産主義的思想」あったらしい。
>>880 独立後のインド憲法ではカースト制を公的には廃止したよ。
ただし、上位カーストのヴェジテリアニズムは強化されたと思う。植民地時代は緩かったらしく
ガンディーも肉を食うことはイギリス人のようになることだとか思って、密かに仲間と牛肉を
焼いて食ってたらしい。 後年それを懺悔しているが。
日本の場合は権力者の御触れがもともとだからな。
>>883 てか日本の場合は、牛馬の重要性として
食肉<労役
てなことで、労働力確保の観点で「喰うな」とした側面があるらしいが。
885 :
もぐもぐ名無しさん:2007/03/29(木) 00:43:39
>>884 牛肉食は、年老いて労役に耐えなくなった牛馬の有効利用だが何か?
商業ベースにできるほどの量を確保できなかったっつー事でしょ
山間部じゃ狩猟が行われてたしな。猪とか、兎とか。「兎追いしかの山♪」って歌われてる通り。
そうでないと穀物生産力に乏しい地域では蛋白質などが充分に確保できなかった。
生産に携わらない武士階級でも富裕層は牛肉でも食ってたし。勿論現代みたいな量と頻度じゃ
なかったけど。江戸の街には獣店(けものだな)があって色々な肉が売られてたんだ。
うさぎ美味、鹿の山
昨日は鹿刺を喰いました。案外クセがなく美味しかったです。
新鮮な状態なら、鹿でも熊でも美味しいのかも知れませんな。
食べ物スレ向きというよりは
珍味スレ向きの話題かもしれませんね
向こうは「とある」肉を食うか食わないかで緑豆が暴れているので
あまり治安がよいとはいえませんが
891 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/01(日) 10:32:11
>>882 日本にも、累進課税という「富の再分配」機構があるよ
あるが、機能してないな
893 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/01(日) 11:23:20
894 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/01(日) 12:19:23
>>892 乞喰だからと、あらゆる義務から免除してしまうと、国民の殆どが乞喰になり
やがては国を喰い潰してしまう、共産主義国家はそうして滅んだ。
国民の質が、最低レベルの義務にすら耐えられない程に、劣化してきてるんだ。
人材派遣という名の奴隷搾取システムが隆盛の資本主義国も滅ぶから安心してよし
偉そうな説明口調きめぇ
低所得者層が今後増えていくだろうね。
でもそうすると、納税額が減っていくから
富の分配元が足りなくなるんだ。
生活保護は対象をBやチョソ限定にするだろうね
898 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/05(木) 10:45:48
江戸時代くらいの花見弁当って、どんな感じだったんだろうね。
長屋の花見っていう落語があるけどね
卵焼きとかがご馳走だったらしい
弁松の赤飯2段とか料理弁当とか。
あの雰囲気かと思っている。
901 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/05(木) 22:43:23
蒸れた上に冷えた弁当を好むのは
味症だろうな
902 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/06(金) 15:40:01
903 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/07(土) 16:18:26
904 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/07(土) 20:49:59
スレタイと無関係な弁当の話題はやめれよ。
905 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/07(土) 21:06:29
>>902 >弁当の時間は5分。
味症そのものだな。
906 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/11(水) 14:19:10
味症age
907 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/11(水) 14:40:53
908 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/11(水) 19:03:04
肉食より魚食だな。
909 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/12(木) 08:20:21
大阪は昔、「天下の台所」と呼ばれたが江戸はどうだった?
>>909 江戸の食い倒れって言葉があったくらいだから、
食糧の流通は充実していたんじゃないかな。
911 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/13(金) 20:25:16
食い倒れってそれは大阪の事でしょ?
912 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/13(金) 21:12:40
江戸(東京)、大阪がどうこうは
よそのスレでやってくれ
乱立して沢山あるから
>>911 >>912の言うことももっともだが、ただ、確かに江戸の食い倒れという言葉も
当時はあったようだ。
914 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/13(金) 22:26:19
東京、大阪はよそでやれ
レスするな
とっとと適当なスレへ行ってくれ
916 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/14(土) 00:22:38
江戸はええど。
江戸、大阪、東京、レスにはスルーで
で、よそ行けって
せっかくのスレなんだし
大事にしたいと思うから
資料の在庫が江戸文化、大阪文化に偏ってるから
昔の話をしようとするとある程度仕方ないとは思う
他の地域の食文化の資料っていうと
林子兵の蝦夷(アイヌ民の食生活)とか薩摩とか
びっくり仰天系のしかないんじゃないかな
京都は?
枕の草子とか、つれづれ草とかかな
干した魚と菜汁と山盛り玄米。
繊維質は多いけど脂質が貧弱
土佐日記に高知の食って載ってたっけ?
>>921 歌の下手な地元の人が、見送り時に弁当差し入れてくれたって記述はあるが、
その中身はかかれてないなあ。
923 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/17(火) 20:44:10
>>922 当時の弁当ったって、どうせ強飯(こわいい・蒸し米)の握りと
塩漬けの魚菜類が付いている程度なんじゃないのかね。
>>924 そりゃそうだなw
てか、あの当時の携帯食は干飯(ほしいい)だったっけ。
>>924 しかし文献によっては粥みたいなものに対して普通に炊いた米を強飯としている場合もあるからな
まあ実際握ろうと思えば握れないこともないのかもしれんが、米粒はボロボロになるだろうな
池波正太郎さんの小説にでてくる食べ物って、やっぱりある程度は
時代考証されているのかな
928 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/21(土) 00:03:00
平安時代の御膳を喰ってみたいな。飯は玄米の粥か強飯で、魚菜は
魚の干物と大根か何かの漬け物、そして嘗め味噌とかかね。てか、
漬け物なんかなかったかな?塩はかなりの貴重品だったんだっけ。
>>928 平安時代は仏教が盛んになったせいで、
日本の食文化の衰退を招いたようだよ。
飛鳥、奈良時代までの方が、家禽もジビエも、
牛乳、ヨーグルト状の物なども取り入れてたし、
味付け調理にも創意工夫をされてたんだって。
>>922だが自分でも確認したくなって土佐日記読み返してみた。
すると「歯固め」や「押し鮎」といった食い物の記述がある。
注釈では歯固めは季節の行事として食べるものの総称で
焼き鳥も含まれるそうだ。あと押し鮎は塩漬けの鮎で土佐の特産品とのこと。
焼き鳥や鮎ってそんな昔から食べられてたんだね・・・
>>6 おほげつ姫のあたりとか
って、いつのレスをしてんだ、オレ
大ケツ姫ってスカトロの話でしょ
934 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/28(土) 17:09:23
昔は食品添加物ってなかったの?
あったんじゃないかな
色を良くするための古釘とか
麺を伸びやすくするための鹸水とか
保存性をよくするための砒素とか
936 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/28(土) 18:25:28
豆腐の凝固剤だってそうだろう。
937 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/28(土) 20:42:13
にがりのこと?
938 :
もぐもぐ名無しさん:2007/04/30(月) 18:45:03
食紅っていつ位からあったの?
939 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/02(水) 02:39:59
江戸時代はマグロのトロを捨ててたんだよな…
米に関しては今じゃ白米より雑穀米のが高級品
そしてイワシは畑の肥料にするぐらい昔は取れていたのに、今では旬の時期のサンマより一匹が高かったりするもんな…
理由を考えれば全部不思議なことでもなんでもないが
価値観の変化とかじゃないぞ、理由は
牛乳とコーラとガソリンが同じような値段で売られているという現代の不思議
あと宅配ピザの高騰
麦のほうが高いとは…もはや救荒作物なんて死語か
943 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/02(水) 12:28:21
麦飯なんて刑務所では臭い飯と言われ忌み嫌われる存在なのにね。
ミノの健康食ブームおそるべし!!
944 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/02(水) 14:27:45
>>943健康食ブームって納豆ダイエットみたいなものだろw
945 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/03(木) 01:20:43
>>938 昔の食紅は紅花を使ってたが
これが染料用の作物として渡来してきたのが3世紀ごろ
ただ食品に使うのは染色というより防腐剤的な意味合いがあったようで
食品に色を付けて美味しそうに見せる為ということでは広まったのは江戸かチョイ前くらいから
946 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/04(金) 07:57:18
寿司食いねぇ!
947 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/04(金) 10:47:00
948 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/05(土) 06:44:52
ベニバナ色素って歴史あるんだね。
949 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/05(土) 08:53:07
紅花
花が黄色でちょと
びくりw
いまはコチニーる?
原料は
950 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/05(土) 09:34:37
虫由来の色素っていつ頃からあるの?
951 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/07(月) 02:11:31
保守
ややスレ違いかも知れないけど・・・
なんで日本には、米から作った麺類がないんだろう。
ビーフンやフォーみたいなものが、あってしかるべきって気がするんだけど。
餅やせんべいはあるのにね。米の品種のせいなのかな?
団子もあるけど、麺にはしないね
水稲米じゃ糊になるから麺には出来ないのかな
954 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/07(月) 13:50:28
単純に「そのまま炊いて十分においしい」からなんじゃね?
基本的に麺は「そのままではマズくて喰えない」小麦なんかを
如何にして喰うか、というところから発達した食文化っしょ。
日本でも小麦は素麺なり饂飩にして喰うし、蕎麦の実も
そのまま喰うより製粉して麺にする事の方が圧倒的に多い。
米(ジャポニカ米の水稲栽培モノ)は、そんな手間をかけず
そのまま炊いたら喰えるのが最大の特徴なんでは?
955 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/07(月) 22:03:22
誰か次スレお願いします
スレタイどうする?このまま行く?
前スレのタイトルが「江戸時代の食事」だし・・・
米は単位面積あたり
いちばんとれるんでなかった?
だから 江戸の大都会が栄えた
>>952 小麦の麺条の影響によって中国南部や東南アジアでビーフンが成立したのだが、そこはインディカ米地帯。
ジャポニカ米はインディカ米と比べるとビーフンが不味い。それで発達しなかったんじゃないかな?
959 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/07(月) 23:59:28
でも、お餅にするでしょう。
960 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/08(火) 00:09:14
みなさんに質問なんですが江戸時代にキャベツってあったんですか?あったなら当時の呼び方はどんな感じなんでしょうか?
961 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/08(火) 05:34:36
wikiペディアからだけど
甘藍(かんらん)と呼ばれ、18世紀にオランダから観葉植物として輸入されてたらしい。
食用は明治以降から
962 :
952:2007/05/08(火) 06:06:34
>953>954>958>959レスどもです。
やっぱり、
「ジャポニカ米はそのまま炊いてとても美味しい上、麺にしにくいから」
で正解ですか。小麦とは正反対という事か。
おかげですっきりしました、ありがとう(^-^)v
963 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/09(水) 01:25:35
964 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/10(木) 11:29:33
次スレは結局どうする?
誰か立てないの?
未来の食事-21世紀から31世紀へ 希望
967 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/13(日) 01:38:48
良スレ保守
968 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/14(月) 20:58:38
保守
969 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/15(火) 11:40:29
970 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/15(火) 11:57:42
次スレも昔中心が希望だな…
ヨロシ、よろし。
23世紀の食事は錠剤みたいになってます
975 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/17(木) 20:57:02
>>974 ぬぅ!そんな事になったら、この海原雄山の立場が無いではないか・・・
977 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/18(金) 22:58:01
保守
和菓子中心だが赤坂虎屋でこんなことをやっているんでメモしておこう。
明日か明後日には覗いてみるつもり。
虎屋文庫資料展
「和菓子百珍」展 その2
さぁさぁ皆様お立会い。文豪・森鴎外の好物「饅頭茶漬け」に、あざらし形の落雁、
笑顔であられを投げあう行事をとくとご覧あれ。一風変わった菓子やエピソード
満載のおかしな展示会、賑々しく開幕。
2007年5月18日〜6月17日
(10:00〜17:30/会期中無休/入場無料)