1 :
もぐもぐ名無しさん:
江戸時代の食事とか、昔の食事ってどんなもの?
〈`∀´#〉 2
3 :
外人もどき:2005/08/15(月) 11:32:32
SUSI,TENPURA&SOBA.
3GET
1%の金持ちがいいもの食ってて、残り99%は雑穀ばかりじゃないか?
5 :
酉:2005/08/16(火) 08:21:40
江戸三白
・大根
・白菜
・白米
6 :
酉:2005/08/16(火) 13:35:17
間違えた
江戸三白
・白菜
・豆腐
・大根
デス。
ちなみにお米は江戸では白米が
主に食べられていたようです。
(庶民も)
白米は玄米と違って栄養のある部分を
落してしまうので、脚気になる人が多かった。
具合が悪くなって故郷へ帰り、
暫くすると元気になるので
「江戸患い」と言われたとか。
朝食:麦飯、味噌汁、漬物
昼食:サツマイモ、漬物
夕食:麦飯、野菜の煮付け、漬物
米は売り物、白米はハレの日にしか食べられなかった。その代わり食べる
ときは1升飯だった。醤油、味噌、漬物は自家製。漬物は大量に食べた。
海岸部では多少魚類が食べられた。肉類は年に何回か。
これが九州の田舎における江戸時代、いいえ、40年ぐらい前までの
食生活でした。
8 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/16(火) 14:20:27
江戸では朝は炊き立ての飯をしっかり食って夕方は朝炊いた冷や飯を茶漬けで
流し込んだって聞いたことがある。基本的に一日二食だったらしい。
だから小腹が減ったら鮨をつまみ、蕎麦を手繰るというらしい。
決して「食う」ほどの量じゃないと聞いた。
9 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/16(火) 14:23:57
>>7 ふ〜ん、なるほどぉ。醤油も自家製だったんだー。 へぇ〜。
そういやあ、江戸通の 杉浦 日向子タン 死んじゃったナー
ショックでありますよ。
10 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/16(火) 15:01:02
明治〜平成初頭までの江戸(乃至戰前)暗K史觀
によれば、庶民は封建體制の搾取によって米を奪
われ、麥粟稗等の雜穀しか食べられなかったそ
うです。明治維新後も議会制民主主義を僭称する
武士階級が江戸封建體制と変らぬ精神構造で農
民からの搾取を繼續し、白米は專ら軍隊によって
獨占されていました。庶民が白米を食べられる樣
になるには、小作農解放を意味する日本帝國主義
敗北と封建秩序解體を待たねばなりませんでした。
11 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/16(火) 17:18:20
>>10 分かり易い文章と難読な漢字のギャップでガツンときたぜ!
>>9 味噌に比べると醤油は商品化するのが早かったんだけどね。実は「醤油」って書く
のは多少躊躇われたんだけど、案の定茶々がはいちゃったw
とはいえ、純然たる農村部だとかなり後まで醤油も自家製だったのは確か。
味噌は今でも自家製の人はいますよ。
13 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/16(火) 21:24:34
農村部はザッコクだが、江戸の町は白米。
忙しい職人や商家では、手間のかかる雑殻飯より、炊くのが楽な白米にして、
その手数を本業で稼ぐために振り向けたとも。
江戸時代の農村って本当に貧しかったのかな?
本当に貧しかったら、食うだけで精一杯で祭りやいろんな行事なんかの農村の
文化なんてとうてい発展しないと思うんだよ。
池波正太郎の本読むと江戸時代の江戸の人たちって結構旨いもの食
ってたんだなあと思う。無添加、無農薬の米や野菜、魚はみんな天
然物。手作り味噌、醤油、梅干、納豆。蕎麦はもちろん手打ち、
卵は放し飼いされた鶏が産んだもの。今ならすごい贅沢だよな。
16 :
酉:2005/08/16(火) 23:25:31
15
激しく同意。
17 :
酉:2005/08/16(火) 23:29:35
花街で売られる寿司、蕎麦切り、湯で卵。
屋台の食べ物(ファストフード)なんか
善良な婦女子が口にする
物ではなかったとも言われてるね。
18 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/17(水) 08:02:52
>>12 あっ、いや、漏れは純粋に感心したんですよ。
皮肉っぽく言ったつもりじゃないんです。誤解させてゴメン。
以後、表現には気をつけます、、
19 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/17(水) 08:21:04
良スレ発見
20 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/18(木) 23:25:13
>無添加、無農薬の米や野菜、
添加物も農薬も存在しなかった。
>手作り味噌、醤油、梅干、納豆
農家では自家製。
>蕎麦はもちろん手打ち、
蕎麦を打つ機械もなかった。
>卵は放し飼いされた鶏
鶏舎も高くついたろうな。
ここもそのうちウリ基地に犯されるんだろなww
醤油も自分ちで作ってたんだっけ?
23 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/19(金) 00:48:34
そら池波正太郎の本ではおいしいものを書かなければ
お話として面白くないわけでそれを庶民が普段食べていたわけではないよ
魚だって新鮮なものは武家や裕福な商家にいって
売れ残りの腐りかけが長屋とかで売られていたし
玉子だって高価なもので落語の「貧乏の花見」にあるように
花見のような特別な行事でもないと食べられなかった。
24 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/19(金) 00:59:00
ウリ基地の母国はもっと貧しかったろ。
なんで基地外を呼びたがるんだ?
26 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/19(金) 01:15:35
類は友を呼ぶ
27 :
まみ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/08/19(金) 01:18:26
あ
何をもって豊かというのか色々あると思うが、
あの時代、一般大衆が娯楽に興じていたってことは、
世界的にみて結構凄かったりする。
庶民が花を愛でたりする習慣を西洋人が絶賛してたり。
ジャポニスムは書くまでもないよな?
天ぷらは、江戸時代、屋台で売られてたんでしょ?
江戸っ子のおやつみたいな感じで。
昔の絵とか見ると、今の串カツみたいな感じだったのかな。
鶯谷に似たような感じの店があった。立ち食いの居酒屋だけど。
31 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/20(土) 03:27:40
大きな店舗を構えてるところは少なくて、行商人が多かったから、
わざわざ買い物に出かけなくても生活に必要な物はまかなえた
みたいだね。
米のおかげで、日本は当時の国の中でも、面積あたりにすると
トップクラスの人口を抱えていることができたらしい。
32 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/20(土) 11:34:59
また、深川資料館・東京江戸博物館に行ってくっかな。
良スレの予感・・・・
>>22 醤油も自分ちで作ってたんだっけ?
農村部では。
>>32 東京江戸博物館は食に関しては記憶に残るもの
無かったぞー
深川資料館は知らなかった。
36 :
酉:2005/08/20(土) 15:13:42
本屋に行けば杉浦日向子追悼フェア
なるものをやっているよ。
その中の“一日江戸人”を読めば
だいたい満足できる内容が書かれているよ。
その本の大根料理、豆腐料理のレシピは
実践してみたけど、なかなかデリーシャスでした。
大根料理か。興味あるな。
ただ最近売ってる大根で
うまく再現できるかな。
青首大根しか近所に売ってないぞ。
39 :
37:2005/08/20(土) 23:21:57
おお、トンクス!
桜島とか辛味大根が好きな俺としては、
ちとぐぐる価値はあるな。
普通に大根を実にした味噌汁を作る。大根が煮えたら取り出して、小麦粉をまぶす。
それを油で揚げる。天麩羅の衣でも可。大根の中の水分が煮立ってるので慌てて
かぶりつくと口を火傷します。
黄檗料理に出てくる一品でした。今度挑戦してみようと思ってる。
41 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 16:55:04
>味噌に比べると醤油は商品化するのが早かったんだけどね。
味噌より後から出現した醤油の方がなぜ商品化が早かったのですか?
42 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 18:51:15
インスタント味噌汁の行商もあったらしい。
といっても、さじ一杯のみそ、なっとう、小さくきった豆腐などを、自前の椀にいれてもらうというもの。
そのままお湯を入れてかきまぜればいっちょあがり。
43 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 19:07:24
道にまよった旅人が宿を乞うた一軒の農家。「何も無いがこれでも食ってくだせえ」
囲炉裏の鍋には動物の肉が煮えている。はじめて口にする味「何の肉?」「陸ふぐですだ」
・・・・
翌日「ところであの陸ふぐって本当は何?」「猫ですだ」「何!猫だと!おまいそんな物を漏れにくわせたのか!」
「馬鹿やろー!おまいが腹減らしてると思って一番いい猫潰したんだぞ!お礼をいわれこそすれ怒られる筋合いはない!」
「・・・そうか・・・申し訳なかった」陸ふぐ食いてー!ちなみに旬は冬。
猫を潰すなんて野蛮な民族だなw
韓国人を笑えないぞ
45 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 19:21:41
>>44 他のヤシはともかく俺は朝鮮人を笑わない。また犬を食いもしないで批判する日本人は嫌い。
中国人は足が付いているものなら机以外食うと言われ世界で一番の悪食だと言われているがその中国よりじつは日本の方が食材が多い事を多くの日本人は知らない。
46 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/08/21(日) 19:42:54
日本人って確かに世界一悪食かもしれませんね。。。(^^;
こと海産物系においては中国に勝るとも劣らないくらい食材豊富ですから。
47 :
興亜一心:2005/08/21(日) 19:48:45
劣らないどころか・・・中国の数倍(樋口清之 梅干と日本刀)
48 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 19:51:39
にゃっ、にゃんともすごいのじゃにゃー。
中国では珍しい野生動物を食べることを「野味」っていうんだって。広東料理だったかな。
別にそのこと自体非難したり笑ったりする日本人は少ないんじゃないのかな。欧米は結構うるさいが。
ただ現代の、一般的な日本人はSARSで有名になったハクビシンを高級料理として扱うことはないし、
中華料理に比べると食材に関しては保守的だわな。良い悪いの問題じゃないよ。
50 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 19:53:55
博識だにゃー♪
51 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/08/21(日) 19:56:49
日本人はたしかに食に関してはチャレンジ精神溢れてますよ。。
若い女性レポーターが平気でタラバガニのウチコを生で食してるのを見てビックリしちゃいました。。。(^^;
野生の生サケを刺身で食べたり(ルイベ除く)、川魚を生き造りで食べたり、、見てるこっちがヒヤヒヤしちゃいます!
ぐぐってみたが、おまえさんはそんなことばっか言ってるのか?
良い悪いの問題じゃないんだよ。相対主義って知ってる?
79 名前:ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 投稿日:05/02/13 21:10:17
中国人は正真正銘の雑食ですから(笑
電車男以来2ちゃんやってるが、こんなんばっか・・・・もう止めた
53 :
興亜一心:2005/08/21(日) 20:09:16
>>51 限られた土地で生きるためには人間以外(時には人・・)は何でも食わなければ・・・
たとえ毒(ふぐ、ウルシ)でも。
54 :
興亜一心:2005/08/21(日) 20:14:38
ごめん。陸ふぐの話なんか出しちゃって。脱線しちゃった。
え〜と・・江戸時代の食事。
55 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 20:23:41
>>49 白鼻芯は日本では「雷獣」と言われていたらしいが・・・いたの?
居たとしても南蛮渡来の珍しい動物なんだから食うなんてしなかっただろ。
つーかイタチの類は臭腺を取り除く知識がないと臭くて喰えたものじゃないと思う
珍しい動物ってことで中国の貿易船あたりが持ってきたんじゃないの?
象とかラクダとかだって見せ物に連れてきたぐらいなんだし。
58 :
55:2005/08/21(日) 21:11:00
そうか。あれはいたちだったのか・・・。
とすれば日本人はいたち食ったかもしれない。知ってる人いますか?
>>41 はっきりとその理由を述べた論文を調べたわけじゃありませんが、オリジナルを
除くと醤油のほうが製造工程が複雑でその分大規模製造業に向いていたからかも
しれません。匂いが強烈なのもその理由の一つかも。蔵の近くに行くと気分が悪く
なりますからね。隣家と距離の離れた農村部だったら近所迷惑にはなりませんが。
農村でも大豆を大量に作ってるとこじゃないと自家製の醤油なんて作れないだろ。
味噌だったら、原料は大豆だけじゃないし、そんなに手間のかかる作業がないから
自家製は今でもけっこういるけど、醤油はある意味工業製品じゃないの?
だから味噌よりも歴史は浅いのに商品化は早かったんじゃなのかな。
61 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 23:03:13
日本人はかわうそも食べたかもしれない。
いもりの黒焼きは「寝小便の薬」と民間では広く食われていた。
芥川龍之介の「羅生門」では蛇肉を売る話があった。
北大路魯山人の「魯山人味道」では大山椒魚(今は天然記念物)を食う話が出てくる。
食材豊富。
62 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/21(日) 23:22:05
>原料は大豆だけじゃないし
醤油も小麦を使いますが?
63 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/22(月) 09:38:24
白菜が日本に来たのは明治になってからだよ。
64 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/22(月) 18:39:26
>>52 51は主体主義国家の人間です。相対主義なんて知りません。
・・・・そうか。やめたか。
65 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/22(月) 21:18:27
基本的に獣肉は禁止だったんじゃないの?
66 :
興亜一心:2005/08/22(月) 21:25:49
>>65 確かにおまいの言うとうり「基本的には」
しかし庶民は関係なく「生きるため」に食っていたらしい。江戸ではどうか知らんが・・・地方では・・・。
おまいはそれを糾弾するのか?
67 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/22(月) 21:33:03
小学館文庫の「鬼平料理番日記」というのは参考にならんだろうか。
鬼平の撮影で使われる食べ物(消え物)を作っていた板前さんの書いた本で、
できうる限り時代考証もしていたようだ。葱と豆腐の小鍋仕立てとか
菜飯とか、マジでうまそうだよ
>>65 表向きは禁止されていても、「薬食い」と称して猪とか食っていたそうな
68 :
興亜一心:2005/08/22(月) 21:54:46
>>67 そんな本があったのか?知らんかった。
しかし「テツ」だそんな上品な物食べていたとは?
暗闇鍋(度胸鍋 蛇、蛙、おたまじゃくし、むかで、蛆虫etc・・それを暗闇で判らず食う度胸試し)
だったら「鬼平」らしかったと思う。
69 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/22(月) 22:14:47
>>68 その本の料理はマジうまそうだよ、「五鉄」名物軍鶏の臓物鍋とか
独活の糠漬けとか、シンプルだけど食欲をそそるものばかり。
ゲテと言えばいわゆる傾奇者たちは「赤うどん」と称してミミズを食う
度胸試しをしていたそうだ……おえっ
70 :
興亜一心:2005/08/22(月) 23:15:21
>>69 さすが「テツ」だ。
漏れはミミズは食えん・・・おえっ
71 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 00:19:04
教育社というマイナーな出版社から出ている「江戸料理をつくる」という本が
なかなかいい感じだよ。絶版かもしれないけど。
主に上層階級の町人の食べていた料理の作り方や解説・写真がメインだけど、
江戸の全般的な食文化の解説もちょっとある。
出汁を飯にかけ、塩、醤油で味を調え、上に粗挽き黒胡椒を振り掛ける「胡椒飯」
というレシピも載っていたりしていて面白い。
江戸の住人も胡椒を料理に使ってたんだね。
72 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 00:23:04
>>71 それだけ胡椒の伝来が古いということさ。
蕎麦屋で胡椒が駆逐された理由が知りたいね。
73 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 00:34:04
>>72 「江戸料理をつくる」には奈良時代に薬として入ってきたのが最初と
書かれているね。
揚げ物、吸い物などはもちろん、うどんの薬味には当時胡椒が定番
だったとも書かれている。
そばの薬味にも使われていたのか。
そんな昔から日本料理の調味料として使われてきたのに、今現在の
日本料理には全く胡椒が使われていないってのは、ちょっと面白いね。
江戸時代から現在に至るまでのなにが原因で姿を消したんだろう。
74 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 00:37:14
失礼、蕎麦とうどんをごっちゃにしていました。
ただ、うどん屋で唐辛子に駆逐されたのは事実のようで、
興味深い点です。
75 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 01:39:25
江戸時代はカツオを食うのに芥子をつけるのがデフォだったらしい
76 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 01:51:37
豆腐百珍
77 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 02:14:34
卵百珍なんてのもあったらしいな
春画だなやっぱw
79 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 03:44:05
>>67 その本持ってるよ。
簡単なやつは作ってみたりもする。
菜飯と芋酒と鯵の煮びたしが気に入ってる。
林一美美術館
>>67 「薬食い」
井伊家から将軍家には毎年牛肉の味噌漬けが献上されてたし、各大名の江戸表屋敷
からは牛や豚の骨が大量に出土している。また、赤穂浪士の討ち入り直前に食った
飯は炙った鴨肉を生卵に浸したもの。それを熱々の白米でかき込んだ。
>>73 なにが原因で姿を消したんだろう。
私見では唐辛子(七味)の普及による。国内で簡単に栽培できて安価に手に入れ
られる。胡椒は全て輸入物だから高価。韓国でも同様。
83 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 22:42:31
小作農は、田んぼで作った米の半分以上は年貢にとられるが
裏作でつくった麦などは年貢にとられないので
しかたなく麦が主食になっていた。
麦のできにくい土地は粟とか稗とかとうもうろこし。
裏作のできない寒い地方は大変だっただろうな。
B民の食事について教えてください
86 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/23(火) 23:37:46
>裏作のできない寒い地方は大変だっただろうな。
そば
87 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/24(水) 00:17:08
山椒は? 胡椒に比べたら使われているけど、
唐辛子ほどではない。
しかし裏作で麦を作っても野武士集団にかっさらって行かれたりするんじゃないだろうか
89 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/24(水) 01:24:04
江戸の庶民の味といえば寿司と串揚げだったそうな。
もちろん今のようなちゃんとした店じゃなくて、屋台で
出されていたらしい。いわばファストフードの先駆けか。
串揚げの方には胡椒とか山椒とか使われてそうだよね。
江戸町民は見栄っ張りが多かったから、冬物衣類や
掛け布団を質入しても初鰹を食べたっていうから、
上層階級と下層町民の食事自体はものすごい差が
あったわけじゃないのかもね。卓に上る頻度の違いだろうか。
しかし、江戸っ子の食に対するこだわりには、なにか現在の
軽薄な食文化買いあさり現象とは違う執念というか、人生を
素直に楽しもうという享楽的な感じが強く出ていて、そこに
すごく惹かれるものがある。宵越しの銭は持たない思想なんて
現代社会で実践したらどうなることやら。
鳥の胸肉100g68円で買うかどうか悩む俺とは次元が違うわな・・・
90 :
興亜一心:2005/08/24(水) 21:34:39
>>84 上杉 聰氏の著書にあったような・・・。私は小林よしのり氏との確執も知らないわけではありません。
ただ小林氏の厳格さも支持しますが上杉氏のヒューマニズムも支持します。
三一書房の本に多いです。
91 :
興亜一心:2005/08/24(水) 21:41:49
>>82 しかし井伊直弼は14男で僧になる為の修行をしていたため彦根藩主になっても殺生を戒めていたため
水戸藩への牛肉献上を断った。それが原因で「桜田門外の変」が起こった?
とも言われているが?はたして?
92 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/24(水) 21:57:35
良スレの予感!
かなり勉強になります。
93 :
興亜一心:2005/08/24(水) 21:58:51
>>84 B民ではないが食肉処理場(屠殺場)には「屠場鍋」というものがあるらしい。
その日処理したモツなど新鮮でしかも門外不出の旨い部分を盛り込んだそれはそれはすばらしい物らしい。
私も仕事で屠場に行った際モツを頂いた。それは新鮮で煮ると屠場の香りが家の中に漂うものであったが・・・
旨かった。
>>91 一般藩士から見たらそんなこと関係ないでそ。ヤッパリ無理が、、、。
>>93 喰ってみたいw いや、まじで。
95 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/24(水) 22:29:29
>初鰹を食べたっていうから、
>上層階級と。。。
上層階級が初鰹を好んでいたと言うソースキボンヌ
96 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/24(水) 22:54:34
生姜は毒消し?
由井正雪が騒ぎを起こそうと江戸の某川に毒を流したがその下流で老婆が生姜を洗っていた為解毒され計画は失敗に終わった。
ばーちゃんエライ!
>>96 単に毒が少なすぎて希釈されちゃったんじゃ?
牛鍋
99 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/25(木) 16:49:06
女房質にいれてでも食いたい初鰹
なんて川柳だかなんかあったね
鰹は昔はからし酢味噌で食ってたっていうので、試してみた。
かなり美味かった。
ニンニク醤油もそりゃうまいが、これもいけますよ。
101 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 00:59:54
>>82 >国内で簡単に栽培できて安価に手に入れられる。胡椒は全て輸入物。。。
日本と韓国は唐辛子が胡椒を追放したのに対して
西洋が同じ胡椒の輸入国なのに唐辛子に侵入されても、
胡椒が居残ったのは何故?
>>101 唐辛子は韓国から伝わったんだから、韓国と日本だろ
103 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 05:51:57
↑
ああ、日本で良く言われている。日本発祥っていうのはガセビアだからな
韓国から世界中に拡がったというのが正解
104 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 05:57:35
唐辛子は韓国から伝わったんだから
唐辛子は韓国から伝わったんだから
唐辛子は韓国から伝わったんだから
(´з`)y-~ 朝からご苦労様です。ぷっ。
>>104 ごめんごめん、勘違いしてたよ。伝わった当時は韓帝国っていって韓帝国大皇帝は世界的にも
ローマ法王の上に位置する大皇帝の序列だったんだよね
不味いエサだな・・・
>>106 エサって……もしかして、日本の捏造教育を信じちゃってる可哀相な人?
もっと視野を広くもって世界教育に触れた方がいいよ
おい、下らない韓国ネタはよそうぜ。
109 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 07:29:37
江戸時代を扱っている以上、日本の捏造歴史ではない
正しい歴史認識は必要ですよ
>>109 正しい歴史認識云々というより、単に煽ってるだけじゃないか。
はいはい、正しい歴史を認識させたいなら、ソースを貼ってね。
妄想は要りませんよ。
江戸時代にはマソコに吹き矢を当てて楽しむ縁日があったらしい(ソースがないのでこれは妄想だな)
倭芥子【ウェゲジャ】というのが「芝峰類説」李晬光著1614年刊 に載ってますよ。
「南蛮椒には大毒がある。倭国から始めて来たので俗に倭芥子というが、近頃は
これを植えているのを見かける。酒家では、その辛さを利用して焼酎に入れ、これを
飲んで多くのものが死んだ。」
因みに唐辛子は中南米原産。日本には南蛮船によって最初九州にもたらされた。
九州では余り利用されなかったが朝鮮では大いに利用されるようになった。その後
朝鮮出兵の折九州以外の大名によって朝鮮から日本の他の地にもたらされた。
つまり、中南米→(南蛮船)→九州→朝鮮→日本各地 というルート。
>>101 胡椒が居残ったのは何故?
東京農大の小泉武夫先生に依れば白人はアジア人に比べると辛さに弱く酸味に
強いそうです。その説を使うと胡椒の辛さが限界で、唐辛子は使用出来なかった
からじゃないでしょうか。勿論個人差はありますが、少なくとも一般的には。
114 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 12:59:44
くだんね
116 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 14:06:03
ああ江戸時代に旅行にいきたい
二泊三日なら一両あれば足りるよね?
117 :
金ちょんいる:2005/08/26(金) 19:25:06
>>113 ウリは在日キムチ屋で買ったキムチを肴に北朝鮮焼酎「平壌」飲んでるニダが大丈夫ニダか?
118 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 21:56:00
時代劇の影響で白米は、武士とかしか食べれなかったと思ってました。
実際は武士以外の人達も食べていたんですね。(^o^;
>>113 >。。。小泉武夫先生に依れば白人は。。。辛さに弱く酸味に強いそうです。
タバスコは白人は使わないと言うことですね。
121 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/26(金) 23:36:30
>ヨーロッパ人でタバスコを知ってるのはどれくらいいるでしょうか?
パスタやピッツアの本場イタリアにはないですね。
江戸市中では、砂糖ってどれくらいの値段だったんでしょうね?
昔は砂糖が高かったって聞いたことあるんで
やっぱり煮物の甘味などは味醂でつけていたのかな?
123 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 00:19:16
>>122 当時味醂醸造は、他の加工食品以上の特別な制約はありません。
124 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 00:32:16
>>118 と言うより参勤交代で来た武士(特に下級武士)は金が無くておかずも摂らずに白米ばかり食い脚気になった。
これが江戸に来ると罹る病気「江戸患い」でした。
125 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 14:50:58
>>113 唐辛子の韓国発祥を否定しようと事実を無視した論陣を張った結果、
恥をかいた上に韓国の正当性を補強してしまったなw
韓国の正当性とは?
>>125 読解力も歴史学と植物起源学の知識もないようだな。1670頃編纂された
「飲食知味方」李時明夫人張氏著 にも唐辛子は登場しない。1715年
「山林経済」洪万選編 に初めて唐辛子の栽培法が出てくる。ただしキムチの
材料としては出てこない。1766年「増補山林経済」でキムチに唐辛子を使う
例が初出する。纏める。
日本
「草木六部耕種法」佐藤信淵 天文11年(1541年)唐辛子がポルトガル人に
よって豊後(大分)に伝わった旨記述アリ。
朝鮮
「芝峰類説」李晬光著1614年刊 唐辛子栽培に事例記述。「南蛮椒」「倭芥子」
日本から来たと説明。
「山林経済」洪万選編1715年 唐辛子の栽培法記述。使用例記述無し。
「増補山林経済」1766年 唐辛子の使用例記述初出。
唐辛子の韓国発祥を証明するために以上の記述を否定する文献を提出し給え。
及び中南米発祥を否定するための植物起源学的調査をして、遺伝子上の証明を
し給え。多大の手間・暇・金がかかるが論文を完成させて学会に発表されたし。
健闘を祈る。その前に君の同胞の研究、例えば高麗大学教授李盛雨氏の
論文ぐらい読んでおくことをお勧めする。日本語訳も出ているから読める
だろう。スレ違いの発言はそれからでも遅くない。
博識だねー
俺なんかぐぐるしか能がないから大したこと書けないけど、
七味唐辛子って、江戸時代に日本で出来たってあちこちに書いてあったよ。
>>113,127
つまり、ポルトガルから日本(主に九州限定)でもたらされた唐辛子は、しばらく全国的に
広まることがなかったが、その後朝鮮出兵によりだれかが朝鮮半島に唐辛子を持ち込んだ。
そして同じ陣営内の唐辛子を知らなかったほかの武将なり兵隊なりがそれを見つけて
自分の故郷に持ち帰り、日本国内に広まったってことなのかな。
130 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 19:58:40
というか唐辛子は食品としてではなく目潰しの武器として「朝鮮出兵」のとき使われた。
しかし朝鮮人はそれを食べ物にしたらしい。以前テレビで視た様な。
131 :
130:2005/08/27(土) 20:04:49
追伸
「その唐辛子を朝鮮の土地で作ってみたら日本の物より大きくて辛さもマイルドな物ができたイムニダ」
と在日朝鮮人女性が解説していたニダ。
135 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 21:26:01
黄文雄先生の本では「キムチもプルコギも朝鮮発祥かもしれないがそれが日本で流行り
そこから世界に認知された。従って世界ではキムチ、プルコギは日本料理と思われている」
という記述があったような。
136 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 21:29:34
137 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 21:36:22
>>132 しし唐作ってます。油炒にして塩胡椒、ビールのつまみに最適だとおもってましたが
先日会社で「普通しし唐だけ食べないよ。あんた朝鮮人だよ」といわれた。その人は戦前朝鮮人が唐辛子おかずに飯を食っていたのを見たらしい。
138 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 21:44:59
>>132 「寒い日、靴の先に唐辛子(鷹の爪)を入れる」バイクに乗ってたときやりました。
手袋の先に入れた奴もいましたがうっかり目をこすって・・・。
>>137 >>132です。旨そうですね。その方、しし唐と唐辛子の区別がつかないんで
しょうか? ビタミンも豊富だしカロリーは低いしいいつまみですよね。
*うちはオクラ作ってます。生でも、茹でても、炒めても、なんでもよし。
大好きです。
140 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 22:47:37
141 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:14:13
そのうち「犬鍋」も日本料理として・・・。
江戸時代の食事だろ?
一心太助とか熊さん、八っつぁんの食生活は?
142 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:23:53
たとえば蕎麦。「二八そば」とか言われてた。これは代金が2×8=16文だったとも
蕎麦八割、うどん粉二割とも・・しかし漏れが話しを聞いた製麺業者の話では「うどん粉八割、蕎麦粉二割。そうじゃなけりゃあ機械打ちじゃあ繋がらないよ。
手打ちでも五分五分」と言われた。江戸時代に機械はないが現在でも「十割蕎麦」を見ることがある。
知ってる人いますか?
143 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:32:29
漏れは関東人です。上方(大坂)はどうですか?
144 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:38:07
広沢虎蔵「石松と三十石船」大坂本町橋の名物「押し鮨」・・
ってどうですか?
145 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:40:59
>>142 そりゃ嘘でしょ。
乾麺のJAS規格(だったかな?)では蕎麦粉が3割以上じゃないと蕎麦として認められないはず。
乾麺なんて機械製造があったりまえだから、機械打ちでつながらないはずがない。
146 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:51:03
>>142 そうか?その製麺業者がインチキだったんだね。最近死んだそうだが。
147 :
146:2005/08/27(土) 23:52:41
148 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/27(土) 23:59:38
江戸時代にJAS法は無かったと思われ・・・。
149 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 00:07:18
製麺の機械もなかったよ。知ってた?
150 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 00:13:37
ざわ・・・ざわ・・・ざわ・・・ざわ・・・
152 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 01:24:28
>>149 俺のばあちゃんの家には手動で伸したり細く裁断する機械?があった。ばあちゃんはうどんを作るのに使っていたが・・
簡単に説明するとのした帯状の生地を上から入れると刻みがついたローラーで切られて下からでて来るんだけど・・・
(ローラーを手で回す)あれはいつ頃から?
簡易製麺機? いつごろ発明されたんだろう。
そばの製麺機が発明されたのは明治16年。明治22年に特許を取ってる。
ほほ〜!
156 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 11:47:11
紙裁断のシュレッダーは、技術者であれば製麺機から容易に類推可能な構造だが、
特許取れたのだろうか?
麺を切るのと紙を切るのとで使用目的が違うから、構造は似てても特許を取るのには何も問題ないよ。
実際に製麺機をヒントに発明されたらしいね。
日本じゃ売れなくて、アメリカで評価されたとか、テレビでみたことある。
159 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 12:02:16
160 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 18:54:27
大坂の食い物キボンヌ!
161 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 19:02:19
江戸はえーどー。
もう一度言う
江戸はえーどー。
162 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 21:07:37
バッテーラ!
長崎だっけ?
163 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 22:01:55
らっせーら!
青森だっけ?
ねこひろしだじゃん
江戸時代の皇族や公家の食事に興味があるんですが、良い文献等
ご存じないですか?
武家や江戸庶民の食事はすぐ見つかるんですけど、皇族となると
さっぱりで……よろしくお願いします。
できれば、写真やレシピなどの資料が豊富な物がよいです。
166 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 22:14:13
>武家や
傘張り浪人のだろ
167 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/28(日) 22:29:56
良スレだね。
168 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 00:33:44
>>142 信州地方では麺用の蕎麦粉のつなぎに山芋を摩り下ろしたのを混ぜる。
ちなみに蕎麦掻(そば粉を熱湯で練りこんだもの)に山芋を足すと餅みたいな食感になる。
169 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 00:56:50
長野の戸隠そばは高杉!
170 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 01:39:32
<こんぶ飯>
米3、こんぶ7の割合。
海草のかて飯としては一番多く利用する飯だが、こんぶ特有のにおいがして最も食べにくい。
冷えるとまずくなるので、昼食には味噌汁の汁かけごはんにする。冬場に多く食べる。
<わかめ飯>
米3、わかめ7の割合。
においもなく食べやすいので喜ばれる。
<ひじき飯>
米3、ひじき7の割合。
海草のかてとしては一番おいしいが、ご飯はまっ黒である。
<しらす飯>
米3、しらす7の割合。
炊きあがってから釜のふたをとると、しらすだけのように見える。
続けて食べると飽きるので、一日一食が限度である。
<あわび飯>
米3、あわび7の割合。
殻からむいて肝を取り除き身だけをきざんでゆであげ、水洗いしてご飯に炊き込む。
しらす飯よりまずく、毎日続けて食べると飽きる。
<いも飯>
米3、いも7の割合。
かて飯では一番上等であるが、いも類は収穫量が少ないので常食にすることはできない。
<大根飯>
米3、大根7の割合。
年間を通じて最も利用回数の多いのが大根飯である。
171 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 01:40:40
↑(米の作付けがほとんどない漁村では)米を節約するためのかて飯が毎日のごはんとなる。
(聞き書き宮城の食事より)
飯のおいしさは
いも>大根>ひじき>わかめ>しらす>こんぶ・あわび、のようだが
今だとあわび飯なんてありえないな。
172 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 07:21:44
いろいろ食べてたんだなぁ。
味を想像できるのはいも飯くらいか…
しかし、無理に混ぜて炊くより、別々に調理した方が美味しく食べられそうな
気がしないこともない。
冷や水4文
甘酒8文
麹より砂糖の方が安かったらしい
174 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 12:04:36
>>165 当時の貴族は名誉職で実質的な経済的基盤がないため、食事の質についてはあまり期待はできない。
下手すれば酢みたいな古酒でガマンしていた皇族よりも年に数回は新酒を嗜む事ができる大阪や江戸
などの町民階級のほうがはるかに恵まれていたかも。
175 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 13:17:35
>>172 これは調理法というより燃料の問題
特に防砂林以外に炊事のための燃料を確保できる手ごろな木が
近くにない海沿いの地域だとカマドを副食用に分けて使うより
一つにまとめたほうが薪を節約できて経済的だから。
176 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/29(月) 22:45:47
177 :
もぐもぐ名無しさん:2005/08/30(火) 00:54:12
農民もよほどの貧農、凶作でない限り白米を食べていたというのが最近の研究。
理由は当時生産された米を非農業人口で全て消費するのは到底不可能だから。
かと言って廃棄したわけでも輸出した訳でもない。
結局、支配階級に取りあげられた米を農民は買い戻して食べていたという結論です。
雑穀を食べていたのは米を買い戻せない貧困層だけ。
179 :
170:2005/08/30(火) 02:11:18
>>175 違う。
170のかて飯とはあくまでも米を代用した主食であって具ではない
おかずと炊き込んだ炊き込みご飯とは意味がまるで違う。
もちろんかて飯とは別に副食もちゃんと用意されていた。
かて飯・・・米の不足を補うために雑穀などの増量剤を入れて炊いたもの。
炊き込み御飯、加薬ご飯・・・起源は別として、楽しみのためにご飯をよりおいしく
するためにさまざまな具を入れて炊いたもの。
・・・じゃなかったかな?違う?
181 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/02(金) 11:32:34
>>180 俺もそんな認識でいたな。
でも今、地方でたまに見られるかて飯は名前だけで、内容的には
炊き込みご飯と大差ないね。
料理は時代と共に移ろうものか。
183 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/03(土) 23:35:38
江戸時代にも「焼き飯」はあったらしい
江戸小話に登場してます。
184 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/04(日) 02:30:07
>>183 へえ、具はなんだったのかな。まさか肉は入ってないだろうし。
やっぱ魚なのだろうか。
民主党の岡田代表の掲げる標語
「交代政権」
はなんと中国語。
日本語では 政権が 交代する の順だが
中国語では 交代させる 政権を と英語のような語順になる。
語順がおかしいと思ったら そう もう母国語まで 洗脳されている。
>>183 今の人が考える焼き飯=チャーハンとはずいぶん違うもののような気がする。
フライパンや中華鍋があったとは思えないし、どっちみち囲炉裏や七輪なんかじゃ
鍋を振るなんて出来そうもない感じだから、今の焼きおにぎりに近いような感じの
料理じゃないのかな。
チャーハンは焼くというより油で炒める料理だからね。
日本語の「焼く」って直接加熱、関節過熱(調理道具・油脂)両方を意味してるよね?
例:焼きおにぎり、焼き魚、焼きそば、焼飯
和食は中華料理や西洋料理みたく油で味を調えるのと発想が根本的に違うじゃない。
原則油を使わないので、加熱する場合は「焼く」か「煮る」が主体なので、「焼く」という言葉を多用する。
近年生まれた焼きそばなんかは、本来は炒めそばなんだろうけど、
和食の伝統的な発想から焼きそばと言われるようになった・・・・・・
あくまで思いつきですw
190 :
酉:2005/09/05(月) 05:24:39
大奥の本に焼飯が出てたよ。
火事で焼け出された人達に
焼飯が必ず振舞われたとか書いてあった。
191 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/05(月) 07:52:43
当時の焼飯とは、ほしいいか、焼き米だったんじゃないだろうか。
192 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/05(月) 16:07:54
朝、昼、晩ってどんな献立なのかな?
当時は2食だったらしいが
195 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/06(火) 21:56:43
焼きお握りだよ、きっと
ちなみに湯漬けに味噌というのは結構ポピュラーな食べ方です
199 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 00:18:01
「ももんじ」というものもあったぞ。
200 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 00:56:54
>>198 当時武家には醤油は普及していなかったと言うこと?
>>200 醤油じゃ携帯できないんで非常食としては不便だからかと
202 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 01:09:12
203 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 01:24:23
いや食事が膳として振舞われたんであれば当然醤油もありだが
このメニューだと弁当としてその場でを配ったんだろう。
焼き米や焼き味噌は別に非常時専用というわけでなく、
弁当として外出時や戦場などで日常的に食べられていたから
204 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 15:01:23
焼き米ってうまそうだな!
205 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/08(木) 19:32:45
生米を炒って作ればいいのかな>焼き米
うまくねえだろ
サツマイモ+鰯 江戸時代西日本沿岸部で人口が急増した原因
サツマイモと鰯で発情するの?
栽培が簡単、平地のない場所で栽培できる、台風の後でも掘り出せば食べ
られる点。これで炭水化物を確保。これで基本カロリーゲット!
網で魚を取る集団漁法の確立で鰯の大量確保。これで蛋白質ゲット!
ついでにホシカ(鰯肥料)の大量流通で農業生産増大。
要するに食い物が増えたから人口が増えたわけね。
で、増えた人口が西南諸般の倒幕戦争で兵隊の供給源になった。
211 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/13(火) 23:22:35
『豆腐百珍』とか読んだら、家庭料理の参考になりますかね。
212 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/13(火) 23:56:35
>>211 参考になったりならなかったり。
木綿豆腐を丸く削りだして揚げる霰豆腐とか、
絹ごし豆腐を寒天で包むようにして冷やし固めた
玲瓏(こおり)豆腐とかは、家庭料理というよりかは
一品料理屋の料理だしな。
阿漕豆腐も手間がかかるから過程向きじゃないし。
まあ、料理を作る際の想像力を刺激する素材にはなると思う>百珍
夏のオススメ 『とうふめし』
ごはん茶碗を2つ用意する。
一方の茶碗に豆腐、しらす干し、大根おろしを投入する。
めんつゆ2、しょうゆ1で味付けする。そして、それを
原型がなくなるまでかき混ぜる。
もう一方の茶碗によそったご飯にかける。
さっぱりして実に(゚д゚) ウマー
214 :
酉:2005/09/15(木) 15:33:38
とうふめし、時々やります。ウママ
江戸庶民の家庭料理ってたいした物はなかったって説があるよ。
長屋住いの独り者はだいたい
屋台で済ませちゃうみたいだし、
夫婦で暮らしてても亭主が晩酌するなら
霰豆腐くらいならやりそうな期が巣。
マメな女房だけかもしれないけどw
霰豆腐は結構簡単だよ。賽の目に切って
ザルでくるくる回しながら角を落とすだけだから。
215 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/17(土) 19:22:42
長屋には台所がないのが普通だったそうですしね。
庶民が簡単に外食できる環境ってすごいと思う。
217 :
酉:2005/09/17(土) 19:35:03
江戸後期にならないとかまどはね…。
あっても狭いしかまどの横がすぐ壁や障子だから
いつ火事を出してもおかしくない。
>>216 タイなんかじゃ今でも普段の食事は外食が普通らしい。
長屋の普段の食事の一例を見つけたので、ここに。
(独男の場合)
ご飯を丼にてんこ盛りにして、(しかも二杯!)
お菜(かず)はタクアンふた切れ、
あるいは佃煮や煮豆。以上。w
タクアンや佃煮は現代の物よりだいぶ塩辛かったみたい。
220 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/17(土) 19:59:36
・・・・
俺の食事に にてるなあ・・・・独男
221 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/17(土) 20:15:08
>>216 江戸は、調理場のない家庭向け相手の大衆食堂が普及した、
世界でも珍しい地帯と見るべきふぁ。
一度の食事で食う白メシの量はメチャ多かったのは確か
223 :
こぶとり:2005/09/17(土) 21:43:51
安永9年10月・長崎奉行(ファーストクラス)
「二汁五菜こうもの共」
夕食
生盛生酢(しらが大根・人参・うお・くり・しょうが・のり) 汁(葉付大根)
坪(まつたけ) 御飯 こうもの
二 膳
平(かまぼこ・牛蒡・水菜) 汁(すまし・せん玉子)
引落盆
平(ちくわ・牛蒡・水菜)
焼物(こち色付)
吸物(ふたつき)
御酒
硯蓋(えび・れんこん・かまぼこ・むすびにんじん)
宿泊料金は、実費の一割程度であった。
224 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/17(土) 21:46:36
>>223 大根の葉を食わないのは下層階級ということだな。
>>222 おかずが貧相なぶん穀物をたくさん食べる食事だっちようだね。
昨今の「ご飯など炭水化物は太る」という迷信は間違ってるわな。
昔の人はよく歩いたろうし、
肉体労働者が多かったからね。
227 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/18(日) 18:30:49
ザッと読んでみると日本人の食生活が明治以降劇的に変化したことがわかりますね。。。
そして一般人の食生活は戦後、さらに大きく変わります。
228 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 18:38:43
江戸の町民は自宅でおかずになる野菜などつくれないし
広い台所のある家借りるよりも外食やテイクのほうがリーズナブルだったかも。
229 :
酉:2005/09/18(日) 18:53:27
そうらしい。
専業主婦がいる家レベルにならないと、
魚や煮付けは付かなかったみたい。
嫁がいても共働きだとそこまで出来なかった。
そんな家計でも初鰹を買っちゃったりするんだから、
江戸ッ子って…。
*ちなみに現代の日本の価値だと
だいたい10万円くらいだとか
すげー
230 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 18:59:38
>>227 朝鮮人って日本併合前は何食って生きてたんだ?ww
231 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 19:21:17
考えたら、昭和40年代くらいまで、トイレ風呂どころか
流しガス台も共用のアパートが結構あったもんな。
江戸の長屋はそれと同じかな。
232 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 20:23:14
いや、むしろ当時の朝鮮半島は食文化に関しては日本より発展してたと言われてるよ。
今日本で人気になってる韓流料理なんかも当時から食されてたようだし、肉食文化も当時の日本とは比べ物にならないくらい進んでいた。
その後、西洋文化を取り入れだしてから、今現在外国から見て日本食の代名詞のように言われてるトンカツやスキヤキ、シャブシャブなんかが生まれたんだけどね。
だから227でウリ吉の言ってることはそう間違ってないといえよう。
235 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 20:50:52
227の意見は「間違っていないといえよう」というよりも
もう今さらあえて書くまでもない日本の食の変遷に関する常識。
236 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 20:55:55
クォーク1986.12.長屋ぐらしもいいもんだ、1
うp予定
・・・・略・・・・・
長屋の建物は「3年元取り」といわれたように
3年で減価償却できる・・・・・・・略
>今現在外国から見て日本食の代名詞のように言われてる
それはスシじゃないか
>今日本で人気になってる韓流料理
って焼肉のこと?
これは戦後の日本で七輪を使うことから始まったと聞くけど・・・・?
違うんだっけ?
239 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 21:13:32
おまいら、ほんと韓国の話好きだなぁ。スレ違いじゃないのか?
>>240 まぁ日本人は韓国ネタに熱くなる、韓国人は日本ネタに熱くなる。
いわゆる好敵手ってヤツかねぇ・・w
242 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 21:29:23
243 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 21:31:45
韓国料理は本当に美味しいと思う。
でも、毎日は食えない。日本食の合間で十分。
245 :
238:2005/09/18(日) 21:35:37
そまんそまん
焼肉とか寿司とかが好きで、
食べ歩きの雑誌をよく買うんですが、
最近買った雑誌に書いてあった内容の受け売りです。
疑問に思ってつい反応してしまいますた。
スレ違いそまん
まぁそれなりに交流の長い歴史があるから無視はできないけど、このスレの中で妙に
入れ込んだり、逆にバカにしてみたりするのはスレ違いだろうな。
247 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/18(日) 21:48:13
図書館で
「鬼平が『うまい』と言った江戸の味」PHP文庫 逢坂 剛・北原亞以子(文)
という本を借りてきました。
餡かけ豆腐とか、葱入り炒り卵なんかは自分でも作れそうです。
軍鶏鍋がおいしそう。
福田 浩さんが料理の再現をして、その写真が載っているのでイメージしやすく
レシピも載っています。
鬼平ほど、玉子かけご飯を美味しそうに表現する話は知らない。
いいねえ、シャモ鍋か・・・・
思えば日本って鍋がんまいよな。
縄文時代から山椒を薬味に猪鍋食ってたらしいし。
俺も再現してみるかな・・・・
250 :
酉:2005/09/19(月) 01:02:02
両国か深川あたりに
五鉄のモデルになった店がありますね。
夏はしばらくお休みで、
九月からまた営業するという、優雅な。
それも味噌味だという事で納得ですが。
251 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 01:37:56
>いや、むしろ当時の朝鮮半島は食文化に関しては日本より発展してたと言われてるよ。
>
言われていません。
あるとしたら朝鮮人の間だけです。
> 今日本で人気になってる韓流料理なんかも当時から食されてたようだし、
> 肉食文化も当時の日本とは比べ物にならないくらい進んでいた。
>
・肉食を支えるためには穀物が必要であるが朝鮮半島の土は肥沃ではない。
よって、肉食文化が発展していたという主張は無理がある。
・現在では欧米の生活水準の高い層ほど肉は食わない。
・韓流料理は日本で人気にはなっていない。
以上
252 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 01:42:58
253 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 02:24:55
江戸時代も、中秋の名月に団子食べてたかな。
おひとつドゾー
つ○
254 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 02:56:10
流れを無視して大奥の朝食の品書きなどを書いてみる。
〇一の膳
・飯
・置合(おきあわせ)―金糸昆布・胡桃の寄せ物・カマボコ・鯛の切り身・寒天
・鳩―食べ物ではなく、京焼の蓋物の中にオモチャの鳩を入れたもの
・チギ箱―炒った大豆二三粒が入っている箱。着物が増えるという縁起物。
・平椀―サワサワ豆腐(汲み上げ豆腐)の淡汁
・汁-落とし卵のおみおつけ
〇二の膳
・香の物―瓜の粕漬け
・御壷―炒り豆腐
・焼き物―ホウボウの焼き物
・御外物(おほかもの・供膳とは別に作られるお台所に生家から付き添ってきた女中の料理)
―のりを巻き込んだ玉子焼き
朝食にしては豪華だね。
>>254 > 朝食にしては豪華だね。
だって、これって御台所一人の朝食でしょ?
256 :
酉:2005/09/19(月) 08:14:51
しかも御台様は一つの膳に一口か二口しか手を付けない。
すぐに当番の者が「おかわり」を頼んでしまい、
次の膳が来る。
結局、全てのメヌーに二口くらいずつ
手を付けて、おしまい。
しかも城では先祖の命日など、精進日がたくさんあって、
その日は肉や魚は食べなかったという。
それ以外の日は必ず朝から魚が付いた。
どんなに豪華でも少ないよ…カワイソス
韓国料理に関する発言禁止。甚だしくスレ違い。
ホント、嫌韓厨って場をわきまえないバカだねw
260 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 14:12:26
御台さんの余り物はおつきの者がわけあったりしたらしいね。
でも、こういう人たちって、できたて熱々の料理に向かうことできなかったろうな
262 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 19:08:33
大名とか、当時の上流階級は、みんなそろって猫舌だったと何かで読みました。
熱々の食べものをいただく機会など皆無でしたから。
こしょう飯ってあるじゃないですか。
簡単そうでおいしそうだからやってみたいんですが、サイトや書籍によって、
「ごはんにこしょうと出汁をかけて食べる」というのと、「出汁とこしょうを入れて炊く」
という2つの説があるんですけど、どっちが正しいんでしょう?
前者だとお茶漬けみたいな感じなのかな。ご存じの方いますか?
>>263 両方試してみたらいいじゃん。
深川飯と深川丼の違いみたいな感じだね。
265 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/19(月) 22:07:42
門前仲町の老舗で食べた深川丼は単なるあさりの味噌汁ぶっ掛けご飯でした。。。
江戸庶民の食文化って質素であまり凝った料理は育たなかったんですよね。
食文化という点で言えば上方のほうが一歩上を行っていたとも言えます。
>>265 何処で食ったのか知らんが
電波飛ばすな、カス。
>>265 おまいさんの書き込みって何かと何かを比較して優劣を付けるってのが多いね。
268 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/19(月) 23:08:37
>>262 熱々の物をふーふー音を立てて食べるのは下々の食べ方と言うことです。
269 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 00:06:45
>>205 遅レスだけど、焼き米の作り方が「日本の食生活全集:聞き書き島根の食事」
に載ってたぞ。
籾米を一晩水に浸したものを、水を切ってほうろくで炒る。これを臼でつき
唐箕にかけて、籾殻を除く。出来た焼米は茶碗に入れて熱い番茶を注ぎ、
塩で味付けして、適当に柔らかくして食べる。香ばしきを味わうものだそうだ。
270 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 00:09:36
そりゃ、玄米茶みたいなもんだね
271 :
ルイス・フロイス:2005/09/20(火) 00:15:51
われわれは全てのものを手づかみで食べる。日本人は男も女も、子供の時
から二本の棒を使って食べる。
日本人は料理を載せたテーブルを台所から運んでくる。
日本人は汁がないと食事が出来ない。
日本人は犬、ツル、サル、タヌキ、海藻などを喜ぶ。
われわれは瓜を縦に割る。日本人は横に割る。
日本人は非常にしつこく酒を勧め合うので、酔っ払いや嘔吐者が出る。食事
が終ったころになって酒を飲みだす。
われわれは魚の腐敗した臓物を嫌がるが、日本人はそれを肴として珍重する。
われわれは食事の際に、客の前でゲップをすることを無作法と考える。日本
人は一向に気にかけない。
日本人はわれわれと違って妻と食事をすることはまれである。
272 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 00:19:13
ルイス・フロイスは宣教師だったから、妻がいるはずがないのである。
273 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 00:25:45
池波正太郎が書いている江戸時代の食事って、すごい美味しそうだけど、
あれは作者の単なる想像なのかなあ。
いろいろ説明はしてあるから信憑性があるような気もするね。
でも、何か信用しがたいような気がしてならない。
もしかして、それはギャグでいっているのか?
悪い。>272です。
276 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 00:47:38
池波正太郎の話がなんでギャグになっちまうんだ。
悩むぞ。恨むぞ。つらいぞ。ひどいぞ。
俺はまじめに書いているつもりなんだぞ。
277 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 01:06:00
>>273 一部脚色があるけど、大体はあってる・・・というような内容の文献を
どこかで見た覚えがある。芋酒についてだったかなぁ?
278 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 02:52:51
白米メインでわずかなおかずの江戸町民は、ビタミン不足で脚気が多かったらしい。
別名江戸わずらい
新鮮な野菜は案外手にはいりにくかったとも。
278
ガイシュツ
280 :
酉:2005/09/20(火) 06:08:17
266
265は間違ってはいないと思いますよ。
故杉浦日向子も言っています。
上方の料理にはかなわないと。
私もそう思います。
江戸っ子の気の短さやフリーター社会のために
料理は変わっていったようですから。
*深川丼はご飯にアサリの味噌汁ぶっかけご飯、
深川飯はアサリの炊き込みご飯。
281 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 10:28:01
>>278 それは参勤交代で江戸に来た貧乏侍。
普通の人間は野菜はめっちゃ食っていたよ。
>>280 あんたが、上方にはかなわないと思うのは勝手だけどね。
料理にしても、素材の持ち味を生かして、あまり手を加えず、作りたてをさっと食するを良しとしているのが江戸の料理だったしね。
それに、江戸の前期と後期ではかなりの料理技術(素材にしても、調理技術にしても)の向上も有った。
俺は握り寿司と鰻好きなので、圧倒的に江戸支持です。
江戸時代にも上級武士の間ではひそかに牛肉が食べられていたっ!!!
/ミ! ,、
,,..-‐-、!ミ|-─‐--、,,ノミ|
\``ヽ,ゝ :;;;;;;;;ヾソ _,,,,,,
,r'ヽ/ ,;;;;;,,_';;;;;;;;l''"-‐ ノ
,'.,, ,r'゙ハ ̄ハ ノ',! ハ\`r'゙
i;;;;;;: iハノ,,レ' '" ,,レ' 'v'!;!
!;;:' | 「o;;;;i. 「o;;;;i. リ
';:' ', 'ー'゙ ' 'ー'"〈 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ、 `、"" 、ーァ "" ,ノ < ぎゅ ぎゅ ぎゅ ぎゅーたんたん♪
ミミ、 `>,-`'ー---─;'" \______________
`i;'! / '! ':;;;;;;;;',\
>>280 まぁ確かに料理の格式にしても技法にしても上方が上だよね。
当時の江戸に住んでる人もそう思ってたんだし。
けど、ざっくばらんに食を楽しめるのは江戸の町人スタイルだと思う。
ぷ。関西マンセー厨乙
287 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 23:19:03
当時の江戸に住んでる人もそう思ってたんだし。<ん、アンケートでも取ったのか?どこぞの誰かが本に書いてるからとか言うなよ?w
食に対する考え方が違う物を同列に並べて上とか下とかいってる時点でw
現代人の価値観ではどっちが上だとか言えないが、当時は確実に上方の料理のほうが
上だと認識されてたぞ?だから江戸でも高級料理屋はほとんどが上方料理を出してた
訳だし、上級の武士の食事もほとんどが上方風だ。
でも現代人から見たら江戸の町人の日常の食事の方が魅力を感じると思う。
289 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/20(火) 23:59:41
上と言う認識ってw
だから、アンケートでも取ってたのか?
それと、前期と後期を考えろよw
後期には、他藩からの調理法もいろいろ取り込まれてたしな。
そもそも、食に対する考えが違う地域を同列に考えて比べることが可笑しいんだよ
290 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 00:01:45
>食に対する考えが違う地域
実態は、食に対する考えが違う階級の比率の違いだろ。
>>289 ずいぶん前に江戸の食の研究してたことあってな。当時の文献いろいろ漁って得た答えの
一つだよ。論文引っ張りだすのも面倒だから記憶だけで書いてるが。w
確かに江戸後期はかなり料理の技法もあがってるし料理の種類も大幅に増えてるが、
それでも料理の格式としては上方のほうが上ってのは間違いない。少なくとも戦前までは
その傾向が強かった。食に対する考え方の違いはあっても、当時の一般常識として
上方の方が上ってのはあったよ。
あと、言っとくがおれは関西マンセーで言ってるわけじゃないぞ。自分で研究して出た答えと
して言ってるだけだ。何度も書いてるが個人的に味わいたいのは江戸の町人が食ってた
ような屋台や一膳飯屋みたいなとこの料理だよ。
292 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:03:37
293 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:07:43
ま、ごくごく普通に考えれば、中学までは義務教育だから、日本人のおおむね全部は中卒であることは間違いないね。
294 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:09:36
上方がなぜ上方と呼ばれていたのか、知らないで、上だの下だの議論する悲しさを理解しろよ。
296 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:17:29
うまいっ!負けたよ!しうしうやね!
297 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:27:32
しうしうっ☆!
298 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 01:55:04
江戸時代は、麹の甘酒が庶民に大人気だったようですね。夏バテ解消に飲まれていたとか。
甘酒好きだ〜
299 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/21(水) 08:04:28
甘酒の甘みってでんぷんの変化でできるんだっけ?
当時甘味なんて貴重だったろうな〜果物も品種改良なんて初歩の初歩段階だったろうし。
>>291 なんだ、自称研究者が、又湧いてるのかw
「くだらない」という言葉の語源は
>>303 今ハン板のスレに「くだらない」の語源は百済だとかいうコピペがマルチで貼られてるの。
そゆこと。
>>304 酒が上方から江戸に「下らない(関東の酒だから)」ってのが元でそ。確か、、、。
306 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/22(木) 11:52:22
いい反物は上方から江戸に売られていって「下った」から
いまだに思い上がってるバカも居るわな
京都とか
308 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/23(金) 11:47:53
なんか荒れてますね。。。どっちが上でも下でもいいじゃないですか!?
要は当時はこういう認識が一般的だったってだけで、それを現代人の我々がムキになる必要なんてないですよ。。
ちなみに寿司というと江戸前にぎり寿司をイメージする東京の人が多いですが、実際は押し寿司のほうが歴史も古いんです。
最初の寿司はなれ寿司だとか
江戸時代の食事というと江戸の町で食べる料理を思い浮かべるみたいだけど
その時代の郷土料理ってのも特色あってよいと思う
310 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/23(金) 11:53:35
そういえば納豆って江戸庶民は口にしてたんでしょうか?
あまり時代劇では納豆食べてるシーンを見かけないけど。。。
知ってる人いたらおせーて!(^^)
>>308 ここは江戸時代の食事スレなんで、
押し寿司のうんちくは他でやってください。
パスタのスレで中華麺のうんちくをたれるようなものですよ。
微妙に荒らしてます。
312 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/23(金) 12:15:02
ん?あっそ。。
ただ、あなたみたいに細かく仕切りたがる人が出てくるとかえって荒れるんですよね。。(^^;
ではでは。。
313 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/23(金) 13:15:36
>>310 朝は、納豆売りが納豆うってましたよ。最下級のチョンガー武士がお客だったそうですが。
でも、商人は最下級武士より裕福だったですから食べていたとしてもおかしくないですね。
刻んで、納豆汁にして食べていたそうです。
時代劇でたまに見る、「なっと、なっとぉ〜〜」ってヤツだね。
豆腐はなんて掛け声だったんだろう?
そういえば最近ラッパ吹いて来る豆腐の行商見かけなくなったな。
ちょっとさびしい・・
下町では今でも巡回豆腐売り普通に見かけるが。
>>313 そうなんですか?レスかたじけない!
近代明治以前は北関東だけで食されてたと思ってました。。
sageにて失礼。
317 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/23(金) 15:24:15
串刺してんぷらの立ち食いしてみたいー
>>317 鴬谷にあのスタイルで天ぷら食わせてくれる店があるとか。
当然立ち食いで激安らしい。
320 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/24(土) 01:43:09
江戸の2つの寿司屋が行列ができるほど人気
だったが、価格競争をしすぎてお上に江戸所払いをいいわたされた
という話を聞いたことある。
>>225 一時期、超貧乏で一ヶ月ほどほとんど実家から持って来た米しか
食ってなかったが、ほおがこけた。
栄養バランスが悪いと太ることすらできないみたいだ。
しかし御飯で太るのは迷信と言うのも言い過ぎかも。
>>321 カロリーオーバーになれば太るさ、何でも。
>>321 白米ばっかりしか食ってたら、脚気になるんじゃね?
325 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/24(土) 16:34:56
東京の人って江戸前の名残からか未だにお台場あたりで釣り上げたハゼを素揚げにして食べますよね。。あれヤバイんじゃないですか・・・(^^;
江戸時代からの名残なんですか?
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 書込み禁止!
ハゼと穴子は東京湾産に限る。
>311
>押し寿司のうんちくは他でやってください。
まあ、江戸時代の江戸でだって、元々は押し寿司を食っていたんだし、
いいんじゃないですか?
華屋与兵衛の握り寿司も、元々は握り寿司に押しをしたのを商ってい
たのを、そのまま出すように改良したものだというし。
331 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 10:31:19
>>324 永平寺の修行僧に脚気患者が大勢いるらしいぞ。
それも入門したての頃になりやすいらしい。
333 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 12:02:31
>>332 腎臓でのビタミンB1再吸収能力が上がるのかな?
334 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 12:54:21
その本読みますタ
永平寺もビタミンB1対策くらいとれや、とオモタよ。
カッケも修行といわれたらそれまでだが。
335 :
こぶとり:2005/09/25(日) 13:28:47
地域活性化のため、江戸時代の食事(古文書)から
大名御膳とか本陣御膳を作った地方もあったが、不人気
現代と大差ない、弥生時代のほうがインパクトがあってマスコミ受けしていた。
336 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/25(日) 14:41:51
江戸庶民の生活は想像以上に過酷だったようですねぇ。。
337 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 15:33:15
338 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 15:36:47
>>336 それでも併合前の朝鮮よりは遥かに裕福で文化的な生活をしてたみたいですね
>>336 褒めろとは言わないけど、当時の外国、例えば西洋諸国、
あるいは中国や朝鮮と比べてどうだったとか、学会の定説とかはさらして欲しい。
客観的でないと荒れるだけだし、真面目なスレの住人は、普通に不愉快になりますよ。
違いますか?
ウリ基地の釣りに釣られ過ぎですよ。
おれも釣られそうになったけど。
相手すんなよ。お前ら、吊られ耐性低すぎ。相手は荒らしなんだから。
342 :
興亜一心:2005/09/25(日) 19:17:09
ウリは在日朝鮮人でつ。
>>342 自称親の代から日本人らしいですよ^^:
344 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/09/25(日) 20:16:55
ん??民衆のほとんどが脚気だなんて現代人の我々からみたら十分過酷な状況だと思うんですが。。。(^^;
過剰反応でつまんないナショナリズムを出す前に少しは客観的な意見を述べたらどうですか?
それに諸外国と比較して江戸庶民を見下した書込みなどどこにもしていない事を私のレスを見て確認願いたい。
過剰反応でつまんないナショナリズム<<これは、君たち民族に言えることだね^^
>>344 誰が民衆のほとんどが脚気だと?
日本全国と江戸市中のことをとりちがえてませんか?
>>344 永平寺の修行僧に脚気が大勢いると、
江戸時代の民衆の殆どが脚気である、という理屈がわからない。
そういうのを煽りといわずしてなんと言うのでしょうか?
348 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 21:33:22
江戸庶民は、1日3回、白いご飯をたっぷり食べることが一種のステータスだったらしい。
ただそうなると玄米を食べる田舎に比べてビタミンB1が不足がちになるとかで、一種の贅沢病みたい。
それと、当時にしては異常に発達した外食産業が出来たのは、江戸庶民の中心が職人さんで、
家で家事をする手間を惜しんだためとか。現代の都市の原型だよね。
349 :
こぶとり:2005/09/25(日) 21:52:04
>ウリ吉さん
江戸は、ウドンよりソバの消費量が多かったのでしょうか?
351 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 22:13:42
352 :
こぶとり:2005/09/25(日) 22:18:24
ソバの消費は少なかったのでしょうか
353 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 22:29:07
>当時にしては異常に発達した外食産業が出来たのは
今でも自宅で一家揃っての昼食を食べるのが当たり前の地域
と比べたら、外食産業が異常に多い。
354 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/25(日) 22:29:45
ウリ吉(URIよし)ってなんでそんなに物知りなんだ?
ヒント:妄想が話のソース
今でも自宅で一家揃っての昼食を食べるのが当たり前の地域<農家とかの事?
358 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 05:57:15
日本で学校給食やってない地域ってあるのか?
360 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 08:04:29
鹿児島県指宿市佐ヶ谷4-2あたりの地域では、一家揃って昼食喰うぞ。
>>361 具体的だなw
そんな地域有るんだ?勉強になったよ
>>361 鹿児島県指宿市佐ヶ谷って存在するのか?
検索してもヒットしないんだが・・・
好きな司馬遼太郎の書くものには記憶に残る食い物の
くだりは出て来ないな
あれだけ人をイキイキ表現できるなら食い物にもっと
関心を持って欲しかったと今思った。
>>365 当人の日記は、結構うまそうなことを簡潔に書いているけど。
367 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 18:33:14
>>365 「箱根の坂」で伊勢新九郎(北条早雲)が鮎からダシを
とった汁を客に振舞った描写があったな。
そういや、箱根の坂は料理描写多めだよね
イリコと一緒に炊いた菜飯とか
やっぱ戦国初期の話だし、資料が少ないから生活描写で枚数稼いだのかな?
369 :
こぶとり:2005/09/26(月) 18:44:53
>365、するどい
「火神」大村益次郎・戦勝しても豆腐しか食わせてくれなかった
「坂の上の雲」で海戦前の軍艦が、沈むかも知れないので水兵に菓子を配った
というのは記憶にありますが。
菜の花の沖、序盤の鰹の話と俵物、荒巻鮭、灘の樽迴船と江戸時代の食流通について結構書いてあるね
酢、醤油、味噌以外は上方マンセーだったって書いてあったなぁ
372 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 20:55:40
「葉隠」読んだことある人いる?
士道関係を一通り勉強しようと思ってるんだが、
ちと食べ物関係も読んでみたくなった。
超有名な「葉隠」から読んでみる予定だけど、
多分ちょっと違うよね・・・・。
373 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 21:01:24
あ、つまり武家の食事について作法や思想等。
知ってる本でお勧めがあれば、教えて欲しいなと思って。
考えてみれば、板違いですな。ごめん。気にしないで。
374 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 22:37:43
まぐろ→お江戸では、下魚
栄養学的には戦後の方が比べ物にならないくらい良くなっているんだろうけど、
江戸時代の食文化おもしろいね。
白米にこだわってビタミンB1不足つーのは笑い話みたいだな。お殿様まで・・・・・。
376 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 22:47:04
377 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 22:50:00
江戸じゃないけど、日清・日露戦争で脚気で亡くなった方が多かったみたい。
陸軍はドイツ系 脚気→細菌説を支持していた
海軍は英国系
経験則から麦飯を提唱した人もいたそうだけど、陸軍では採用されず。
>>376 限定して無いなら、誤解を招かないようにはっきり書くべきだと思うが。
トン
本棚漁って読み直してみるよ。
381 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 22:56:10
今でも自宅で一家揃っての昼食を食べるのが当たり前の国
と比べたら、日本は外食産業が異常に多い。
確かに、1世紀以上だっけ、歴史のある吉野家を筆頭に、
東京は一人で飯を食うのに困らないな。
その辺の出発点が江戸時代にあるっていうのは確かにあるかも。
>>381 そのフレーズだけじゃ議論が深まらないから、もう止めよう。
おれも勉強したくなってきた。
脚気の原因がわかってなかったからね。
将軍たちは延命目的で毎日マズい飯食わされてたのに、栄養学が未発達であった結果的、栄養バランスがとれなかったという。
皮肉な結果ですな。
384 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 23:10:17
お侍さんが、ふぐで死んだらお取り潰し。
実際は、食べていたのかもしれないけど、建前は食べれなかった。
確か、伊藤博文と下関かどっかの料亭でエピソードがあったような。
これは明治か。
385 :
こぶとり:2005/09/26(月) 23:20:45
関門海峡をはさんで、フグの店がやたら多い
出張した時、スーパーにもたくさん売っていて、大丈夫かとな心配するほどです
幕末、勤皇の志士も天下国家を論じながら食したのだと思いながら博多で酩酊
>377
>陸軍はドイツ系 脚気→細菌説を支持していた
ドイツ系だから細菌説、というのは良く言われるけど、本当はそうでもないん
じゃないかな、と思いますね。北里柴三郎が学閥から干された理由の一つが、脚
気菌発見という、緒方某の論に反論したから、というものですし、志賀潔はエイ
クマンらの実験の追試等を経て、早い時期に栄養原因説を支持しています。
後年、コッホ自身が訪日した際、脚気への見解を聞かれ、「自分は脚気には門
外漢だが」と断った上で、栄養性のものと伝染性のある細菌性の二種類があるの
かも知れない、としています。
ビタミンが必須だという見解が確立するまでは、「脚気菌に対する特効薬的な
作用ではないか」という意見もあり、実は細菌説との折衷も有り得たとか。
こうして見ると、正統派のドイツ細菌学を研究し、後世に残る業績を上げた人
達の方が、事実を受け止めて栄養説に与していったのに対し、学閥派の方は、む
しろ「自分たちの当初の見解」に固執していただけに見えますね。
387 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/26(月) 23:32:26
>377
麦はハンゴウで炊いたり、時間におわれる戦場には向いてなかったんだね。
江戸の職人や商人に同じだったのかも。
職人の女房はやはり内職、商人のおかみさんも店を支えて忙しく立ち働いてただろうしね。
>384
>確か、伊藤博文と下関かどっかの料亭でエピソードがあったような。
フグ解禁の話とは違うかもしれないけど、伊藤博文との関わり合いだと、
李鴻章と会談した春帆楼が有名ですね。
そもそも脚気って歩けなくなるだけじゃなくて死ぬんだ…
壊血病も死ぬし 脚気も死ぬし
鳥目(ビタミンA欠乏)は死ぬのかな?
くる病(ビタミンD)はどうだったろう
フグのどこに毒があるのかも解明されておらず、もちろんフグ調理士免許なんてもち得ない。
そんな環境で、男の度胸だけを頼りにシロウト包丁で食ってた江戸っ子って・・・・・。
393 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/27(火) 22:32:31 ID:O
養殖のフグは毒が無かったような気ガスw
鈴木梅太郎氏は農学博士だったため
医学者連中が受け入れようとしなかったと聞いた
馬鹿な連中がいなければ多くの人が助かったわけだし
今ビタミンと呼んでるモノがオリザニンだったかも知れないんだよなあ・・・
そういう流れは薬害エイズなどに見られるように今も息づいている
今日のガイアの夜明けなんかを見てても暗澹たる気持ちになってくるな
>392
>鈴木梅太郎がノーベル賞を取れなかったのは、東大じゃなかったからとも言われている。
鈴木梅太郎は帝大の農科大学(農学部)ですね。医学閥が受け入れなかったからと
いう説は、394に紹介があるとおり。
横道にそれるが、帝大の農学部は、ていのう、ていのうと略されて(バス停が「ていのう前」とか)
在学生はずいぶん不快な思いをしたそうな。
398 :
小噺を一つ:2005/09/28(水) 22:44:32
夜が淡白な亭主の事を悩んでいた奥さんが、
牛蒡、山芋、卵のような性のつく食べ物を勧められた。
(中略、以下原文)
あまりのうまさに少しも残さず、飯も常より大食して寝たり。
夜中に、女房をゆりおこす。女房、かねて期したること、くるりと振り向けば、
「これこれ、行灯をとぼしてくれい」
「馬鹿馬鹿しい。暗いが、ようござる」といふ。
「そこに紙があるか」
「紙は、後でさがしても済む」
「ええ機嫌ではない。急に雪隠へ行きたい」
399 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/28(水) 22:57:09
鈴木梅太郎がアリナミン(ビタミンB)の命名者なんだっけかしらん。
>>398 牛蒡って精がつくのでしょうかねえ。
江戸時代の人がそう考えていただけなのかしらん。
400 :
400Get:2005/09/28(水) 23:08:54
小噺が出たついでに、落語で良く聞く、「一人口は食えないが、二人口なら食える」
というのは江戸時代の調理に要する、炭・薪その他火を熾すのに要する時間と
使い終わった後の火種の始末が非効率的であったことにも、大きく影響されて
いるんだろうか・・・?
鈴木梅太郎はオリザニンと名付けたが
国内の学閥に無視されて正式な発表が出来なかった
そうこうしてるうちにどっかの学者に発見されビタミンと名付けられてしまったと
>>398 そうでしょうなぁ。でもその調子で宿便まで出し尽くすと体調が良くなるし
心理状態も改善するからそっちの意欲も湧くんじゃないかしら?
>398
性のつく×
精のつく○
でないの?ずいぶんダイレクトですね。
古典落語の艶話には露骨なのも
405 :
398:2005/09/29(木) 23:18:42
>>402 つっこみdクス。つい先走って間違ひました。
五十にてふぐの味をしる夜かな
一茶
406 :
もぐもぐ名無しさん:2005/09/29(木) 23:49:17
焼き飯の話をもちだしたものです。
当該小咄の現代語訳を確認できますた。
これによると、焼きおにぎりに相当するようです
話のなかで「冷や飯八杯」に対し「焼き飯七つ」と出てきます
つまり、容器に盛らずに計数できる状態のようです
407 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/01(土) 07:35:39
>406
そういえば、番通院長兵衛が殺される前に、子供と焼きおにぎりとお付けの
昼飯を食べてから出掛けて行く場面が、歌舞伎にあるね?
408 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/02(日) 00:25:20
>>336 お前の想像を基準にすればそう言うことになるのかも知れないけど、だからなんだってのさ。
江戸時代があたかも暗黒の時代だったかのようにみえるのは明治政府の陰謀。
実際は、明治期ほど重く税や徴兵などで庶民に負担がかかった時代は他にはない。
>>374 マグロは3〜4日熟成しないと食えたものじゃないから
冷蔵技術のない江戸時代だとそりゃまずい下魚にしかならないでしょう
冷蔵しなくてもすむ熟成技術として「づけ」では細々と食べられてたようだけど
マグロは基本的に遠洋(っても伊豆とか外房のほうでは捕れたらしいが)で捕るものだから
普段はそんなに食えるもんでもなかったんじゃないのかな。
ただ江戸の一時期の何年間か江戸湾がマグロの回遊コースになったことがあってその間だけ
むちゃくちゃ捕れたんだとか。目の前の海で捕れたから刺身も余裕で出来るしね。マグロを
寿司に使うようになったのもその時かららしい。
普段食ってた白身の魚については河岸の中に生け簀があったらしいね。
412 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/03(月) 10:16:43
今みたいにみんなが目の色を変えてマグロを取ってたわけじゃないから
生息数も相当多かったと思うよ
現在では遠洋漁船を仕立てて取りに行かなきゃならんほど消耗してるけど
屋台で売ってた当時の寿司ってどんな味だったんだろうね。
研究・発展を重ねた今の寿司基準じゃマズーかと思われ。
コメからして当時は現有名ブランド米は無いし。
415 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/04(火) 20:13:27
おにぎりくらい大きかったらしい。
マ ジ っ す か ! ?
おにぎりくらいの大きさで喰いにくいから二つに切って提供した。
注文すると二貫出てくるのはその名残。(復古寿司経験者
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
420 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/04(火) 23:27:10
小僧の神様で登場した鮨は、口いっぱいにほおばる大きさだったとか。
421 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/04(火) 23:32:43
小僧寿しって江戸時代からあったのか
422 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/04(火) 23:34:25
はあ?「小僧の神様」って小説ですよ。
時代は、明治か大正だけど、その時代でさえ大きかったってことは
江戸時代の鮨が大きかった証左になるっす。
>>422 釣られないでよw
二貫で出てくるのが大きかったことの名残だとするのは誤りみたいですね。
深川江戸資料館の復元施設の中に、いなり寿司の模型があったけど、それもでかかったな。
そうそう、おにぎりぐらい。
あんなでかかったら、1個食えば充分。2個で満腹だな。
>>419 その書籍は存じませんが、江戸時代の寿司を再現するイベントがありました(半田
山吹を使ったりしてました。
426 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/05(水) 00:02:09
>>426 屋台です。しかし主人が座って客が立ち喰いとは・・
428 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/05(水) 03:19:30
江戸町民も、この季節には焼きサンマを楽しんでたのかな
サンマは目黒に限りますな
>>428 サンマは下魚あつかいされてたから、あまり喜んで食べなかったみたい。
脂が多くて品がないってのがその理由。
>>430 トロと同じ扱いだったんだね。肉体労働者しか食ってなかったらしい。
江戸ってのは将軍のおひざ元なんで、そこに住んでる江戸っ子たちにとって、将軍はカリスマ的存在だったみたい。
だから、「将軍さまが白米を食うからオレっちも!」みたいな気風があった。
目黒のサンマの話でもわかるように、将軍家がサンマを下魚とし、食卓にあがるコトがなかったんで、江戸っ子もそのマネをしたんじゃないかな。
江戸時代に行けばサンマもトロも安く食べられるんだろうな
誰かタイムマシン作って輸入してくれ
じゃあ江戸っこが尊んだ魚ってなんだろ?
カツオは有名だけど、あとは目刺しとか?
イワシって独特の臭いあるから微妙だと思うんだが
435 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/05(水) 15:28:13
鯛でしょ。イワシも三度洗えば鯛の味とか言うから
イワシも下魚扱いだと思う。
鯛は侍の魚じゃないの?
江戸湾じゃとれないし(千葉とか伊豆とかには居る)
鯉とかは生かしにもしやすいし、人気あった鴨
>>434 調べてみた
高級魚とされるのはタイ、ヒラメ、スズキ、マナガツオで、その少し下に位置するのがボラ。
江戸城で食用とされたのはカツオ、コノシロ、コハダ、イワシ、サメ、ムツ、タイ、ホウボウ、ウナギ、ナマズ、ドジョウ、フナとからしい。
逆にタブ−とされたのがサンマ、マグロ、フグ(ソ―スは日本史おもしろ雑学 著者:渡辺誠)
基本的に白身魚が人気あるんだねぇ
マスとかは相模川で取れたらしーけどあんま食わなかったのかな
大坂では荒巻鮭が人気だったらしいけど
隅田川の河口で白魚とか捕れてたんだよね
佃島の漁師が捕る白魚は将軍家への献上品だったとか。
>>439 新巻鮭は北前船のルートで大阪まで来たんだろうね。太平洋側の航路は何で開拓が
遅れたんだろうか?
442 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/05(水) 23:05:16
>441
日本列島が反っているので、日本海周りのほうが距離が短い
砂浜が多くて、河口港となる良い港が少ない。特に三陸は崖が多く緊急避難に向かない。
下北半島を大回りするのも大変だし、渡島半島以北はアイヌの支配力が強く
揉め事が起き易い。なにより太平洋は波が荒く嵐の時には厳しい。
流されでもしたらもう2度と帰って来られない。とかでは・・・?
>>6 亀レスでわるいが、白菜が日本に入ってきたのは明治期です。
江戸時代に白菜はありませんでした。
奥州米運んでくる時にしゃけも持ってくれば?って思って調べてみたが
当時も運んできてたらしい
ただ、保存のために塩めちゃくちゃ使ってて塩食ってるような代物で人気出なかったんだって
で、北前船で新巻鮭が開発されて人気爆発、みたいな
白菜は意外なことに日本での歴史は浅く、日清・日露戦争に従軍した兵士が中国から種子
を持ち帰って以来といわれます
>>445 思い出したが、当時はまだ江戸より大阪のほうが経済力が強かったので、航路開拓も
どうしたって大阪志向になってたんじゃないかな?
ところでブリ文化圏育ちなので鮭について無知なんだが、新巻鮭と普通の塩漬けの鮭
とでどう違うの?当時新巻鮭はどんな点で画期的商品だったのかな?誰か教えて。
ちょい調べてくる
つ[菜の花の沖]
450 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/08(土) 17:04:18
>>433 多分サンマやトロに何度もあたるはめになるかと…
ちなみに江戸の人は魚の食中毒にかかることを「酔う」といったらしい。
料理書にもわざわざ「腐りたるもの毒あり 食ふべからず」と書かれている。
サンマなんかは貨幣価値から考えても今の方が安いんじゃないだろうか
452 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/08(土) 22:03:23
江戸時代はエンゲル係数が60〜70%だったとなんかの本で読んだ事が
あるような。
でも金を溜め込む必要もなかったから、その日暮らしでも結構幸せだった
のかな。
453 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/11(火) 22:06:35
>452
金は貯めても、火事で焼けちゃったりするんで、場合によっては意味が無くなる。
土蔵でもあるくらいの大店の旦那ならともかく、命さえあれば明日になれば絶対に
仕事があることが判っていると、どうしても貯めようと言う気にならないのかも?
所謂「宵越しの銭は持たない」というやつでしょ。
日本中から侍が集まっているから、彼らの口に合うものを作れば居ながらにして
日本中の郷土料理が食べられる訳だし、酒の飲めない人は反って食道楽に走ったかも?
その範囲が世界に広まっているのが、今の東京でしょう・・・
ヘタな国に行くより東京に行くほうがおいしく安全に色々な国の料理が食えると言うくらいだからな
参勤交代で江戸に来た下級武士は金が無くて安いイモばかり食べていたから
イモ侍 →イモ(田舎者)の語源になったとか。
>>455 その「イモ」とはその場合何を指していたんだろうか?江戸でサツマイモが知られる
ようになったのは吉宗以降、ジャガイモは明治以降、するとサトイモかな?
じゃがいもは江戸中期には入ってたよ
ヒント:「薩摩の芋侍」
江戸時代は長いからねえw
>>457 え?そんな早くから江戸でも普及してたの?
461 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/12(水) 18:56:42
>>456 そういう知識(?)って何から得ているわけなの?
462 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/12(水) 22:11:58
>>461 456じゃないけどフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳しいよ。大抵、いつ頃どこから日本に渡来したかが記されています。以下抜き出してみます。
ジャガイモ
日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。当時は、観賞用として栽培されたという。
サツマイモ
1605年に総管野国が中国福建省より野国村(現在の沖縄県嘉手納町)に持ち帰り、麻平衡・儀間親方真常によって琉球全土に普及した。 その後尚寧王より薩摩、尚貞王より種子島へ送られ、三浦按針が長崎に持ち帰り九州で栽培が始まった。
18世紀に青木昆陽が徳川吉宗に献策し、飢きん対策として西日本を中心に栽培に成功して以来、日本に広く根付いた。
サトイモには渡来時期の記述なし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>>461 俺も456ではないが、100円ショップのダイソーにおいてある、元気になる野菜ミニ図鑑ってのがお手頃。
日本における、野菜の起源がかいてある。
杉浦日向子の一日江戸人によると、「日本原産の野菜は、フキ、セリ、ウド、ワサビ、ジュンサイ、ゼンマイ、ワラビの七種類のみと言われています。」
・・・・・だ、そうな。
>>462 サトイモの渡来時期はむっちゃ古くて、日本人のルーツにかかわる問題だと聞いたことが有るナア。
たしか「米の渡来、普及につれて主食の座を明け渡した作物」だったはず。
>>465 東南アジアの島とかだと今でもイモが主食だったりするもんね
467 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/14(金) 19:53:36
464
むーん 雑草ばかりのような・・・・
貧しい人にはわからないものもある罠w
469 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/15(土) 02:14:16
>>467 雑草は言い杉。確かに地味で現在の流通量も少ないが、
蕗・芹・独活・山葵等も地方色豊かな改良品種の有る香味野菜です。
470 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/15(土) 09:44:41
>>464,467
但し、今や通人が好む旬の味覚というか、下手すりゃ高級食材にまで
なりかけてないか? そのラインナップ…
なんか、腹に溜まらないものが多いような気がする。
471 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/15(土) 09:55:58
えっと
春の七草知って
「うさぎの エサじゃーーん」
かぼすーーーーー
472 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/15(土) 22:52:20
殿「三太夫、本日の菜は先日のものと比べると少々味が落ちるな」
三「御意。本日の菜は邸内の菜園で採りましたもの、肥料に油粕などを用います。
しかるに先日の菜は三河島で採れたもの、肥料に下肥を用います故、一段と味がよろしいかと」
殿「しからば、菜と言うもの下肥を掛けると味が増すと申すか?」
三「御意にございます」
殿「う〜む、苦しゅうない、少々掛けてまいれ!」
地元のほんこさんで出てくる精進料理は150ねん近くレシピ変ってないお
超うめぇ
475 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/16(日) 01:39:22
>>470 なりかけというか、ピンキリで流通している感じはあるよね。
一本198のわさびもあれば数千数万いくようなものまである。
ゼンマイ・ワラビ・ジュンサイも、ここまで極端ではないけれど、やはり
同じような感じだ。
でも、海外でも往々にして自国原産の野菜がピンキリで流通することがあるから、
(野菜とはちょっと違うが、トリュフなんていい例かもしれない)その辺の事情は他国と変わりないかも。
日本原産の野菜はどれも独特の香気があって、他国の野菜に負けない
インパクトはあると思いますね。
476 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/16(日) 19:36:31
数千万のわさび!
ヽ( `Д´)ノ マヂデスカッ!?
日本語を読めるようになってからまたおいで
478 :
スレ主:2005/10/17(月) 08:33:13
報告忘れてましたがこの記事は夏休みの宿題の参考にさせてもらいました。
良い情報ありがとうございました。さようなら
479 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/17(月) 09:06:14
失せろ。
480 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/18(火) 19:54:55
江戸時代には普通に食べられていたのに、いまは食べられていない食材ってあるのでしょうかねえ
幼児。
>>480 なんだろうな。
庶民が食べてた菓子とかにありそうだけどね。
食材…菓子は加工食品だから、野菜とかかな。
田舎の貧しい百姓よりはなんぼかましな食生活を送ってたみたいだから
ヒエやアワを飯がわりにするなんてことはなかったように思えるけど
微妙なり…
484 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/18(火) 20:54:12
普通ではなかったと思うけど、
犬食いは消えたでしょ。
あと、猿とかタヌキ、狐なんかも。
基本は、菜食だったと思うけどね。
485 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/18(火) 21:03:00
朱鷺・・・・・
486 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/18(火) 22:29:56
クジラ
488 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 00:02:07
納豆
489 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 00:06:54
うーん、消えてしまったわけではないけれど、淡水魚の系統は江戸時代と比べて
かなり口にしなくなってきているんじゃないかな。フナとか鯉とか。
食材ではなく、失われたレシピは多数あると思うけど・・・。
490 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 00:12:17
>失われたレシピは
ないよ。自分たちには縁がないレシピというだけだ。
491 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 00:21:03
>>490 失われているんだから、それが存在するかどうかも証明の仕様がないから
否定の仕様もないんじゃないか? 屁理屈になって申し訳ないが。
>>489 いまでは食の安全性がつよく問われるからね。
そのせいで、反って抵抗力が損なってしまい、むしろ不健康になってるそうだよ。
要するに、俺達は過保護にされすぎて、免疫力が皆無なんだそうな。(´・ω・`)ショボンヌ
明治までのレシピ本は見つけたのですけれど、江戸は見つからないのでした
江戸時代には料理の本いっぱい出てたと思ったけど
探し方が至らないようですので、出なおしてきますね
496 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 01:24:22
>>494 それこそ、現代のようにかなりの数が出回ってたと考えるのが自然だけど、
現存しているものが少ない。ゆえに、失われているものも多いと考えるのが自然だよね。
もし今、江戸時代に出回っていた料理本のレシピが新たに発見されたなら、
新聞の片隅にのるぐらいのニュースになると思う。
497 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 01:27:54
今、ナマズって普通にはたべないな。専門店はあるんだけど。
499 :
↑:2005/10/19(水) 01:36:14
本が1冊3万って・・・アア、1種の美術書なのね。
500 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 01:46:52
松前では江戸後期にはジャガイモ入り三平汁を食ってたらしい。
当時の旅行記か何かに記述があったような。
>>497 ナマズは、北の将軍様が国民を飢えから救う為に養殖に成功させたありがたい、そして普通に食べられてる食材ですよ。
503 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 20:27:10
>>502 一般によく食われる白身魚のフライは、鯰よりももっと安い魚が主流だろう。
鯰が原料だとかなり高くなる。
504 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/19(水) 21:20:56
メルルーサだろ>白身魚フライの原料
白身フライがナマズだったらすごくうれしいな
癖が無くてすごくおいしい
生で食べられないからイマイチマイナーなのかな?
ナマズ・白味噌の汁にして食べた
上品な味がした、皮がややかたい
>>505 養殖が困難(異常なまでの共食い)
漁で数をそろえるのが困難。
という訳で、各地に点々とある専門店を除けばあまり食べられてない。
ナマズ+料理でググると仙台・岐阜・滋賀などの料理店・料亭がヒットする。
料理法は確立されているのでスッポンやウナギを扱う店に予約すれば対応してくれる所は多い。
ぶっちゃけ霞ヶ浦のチャンネルキャット養殖は、知る人ぞ知るという感じの高級食材と化した
日本ナマズの代替品として始まった。
508 :
ももんじ:2005/10/19(水) 22:50:08
>>484 伊賀の忍者屋敷というか、伊賀上野藤堂藩(なの?)の江戸屋敷跡を発掘したら
数多くの野生動物の骨が出て来たという話を聞いたことがある。
効率的な動きを求められる忍者は、コッソリ食べていたんじゃないだろうか?
だいたい兎を1羽2羽と数えるのは、鶏と偽って食べていた証拠とも言われてるし…
509 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/20(木) 02:23:23
ナマズの件
了解しました
今では極普通の食材で、江戸時代でも当然ポピュラーな食べ物だと思ってたのに、
実は食べられることはなかった意外なものって
たまねぎ、レタス、じゃがいも、豆乳、ってとこかな?
辛し(唐辛子じゃなくて黄色の練りのヤツ)はあったのかな?
>>508 忍者じゃなくても普通に喰ってた
ていうか忍者みたいなことしてたのって伊賀郷士なわけで
江戸屋敷とかに詰めてたのは近江出身者の子孫の方が多いと思う
>>510 レタスは未伝来
じゃがいもは食ってた、豆乳はどうだろ?一般には流通してないかもね
たまねぎは江戸後期に伝来したらしいが栽培されるようになったのは明治〜らすぃ
和芥子は普通にあった
紫キャベツは伝来してたんだけど・・・当時のキャベツはえぐみ(青汁臭)が強かったらしく、
食用としては定着せず観賞用に特化して園芸植物の「葉牡丹」と化してしまいました。
野菜としての本格的な利用は明治以降らしい。
田舎の年寄りどもがキャベツをカンランって呼ぶんだが
いつ頃の年代で呼ばれてた呼び方なんだろう?
514 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/20(木) 21:10:22
甘藍は現役でキャベツの別名らしいですけど、その呼び方が普通だった時代なんてあるのかな
カンラーン こんぺいでーす
516 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/20(木) 21:28:40
>>513 キャベツが登場する文献で一番古いのは1700年代初頭に書かれた大和草本巻之五。
1600年代の終わりくらいにオランダ船によって輸入されたと書かれているようで、
「紅夷菘(おらんだ・な/おらんだ・すずな)」との記述がある。
実際には「葉ぼたん」などと呼ばれていたとされ、観賞用の植物であったという。
現在、ガーデニングでよく見られる葉牡丹のルーツとされる。
野菜としてのキャベツは明治四年(1871)に北海道に伝えられ、そのとき『和名』として
甘藍(かんらん)、たま(球/玉)菜という呼び名をつけられた。
その後、明治三十七年(1904)ごろに、ポンチ軒(煉瓦亭との説も)でトンカツの付け合せとして
使われたことから野菜としての価値を認められるようになったとされている。
呼び名が和名である甘藍からキャベツにシフトした時期があるとするなら、(確証はないが)
おそらく、この三十年ほどのあいだにあるんじゃなかろうか。
つーか、キャベツと江戸はほとんど関係ねーな。
ありがとう
なるほどね
戦後生まれの人はまず言わないから
戦前のとしよりにそういわれて育った人達かな
スレ違いすまんす
ちなみに、キャベツという名前はキャベジンンに匂いが似ているから付けられたそうな
519 :
↑:2005/10/21(金) 00:11:52
520 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/21(金) 01:59:51
江戸時代にタイムスリップして、カレーやハンバーガーを出したら
どんな反応するかな
カレーはどうだろう…
江戸時代にカレーは海外から謙譲されたと聞いたことがある
そこで付け合わせになる物を探したら福神漬けが選ばれたとか
象が送られてきた記録も残されてるから、522の話もありうることだとはおもうが、
そうなると「あれ?鎖国してたんじゃないの??」って問題がでてくるんだよなぁ・・・・・。
524 :
↑:2005/10/21(金) 11:17:00
アレは人間と思想の封鎖だったわけで。
江戸時代でもコショウやチョウジ、ウイキョウなんかの香辛料は普通に輸入してた。
カレーに欠かせないウコンは染料として輸入してるから、食べたかどうかは定かではない。
いやいや、オランダやポルトガル、中国と貿易してたことは知ってるよ。
ただ、カレ−や象はインドだから、そのへんが気にかかるだけ。
上記の国を経由したのかな?
象さんはインドのゴアからマカオまでポルトガル人が運んできて、明(清)船が運んできたんだろうな〜
ちなみに鎖国の主な理由は思想(キリスト教とか)の流入防止
物は入って来てたし、時代が下ると漢訳の西洋書物も積極的に入れた
527 :
525:2005/10/21(金) 15:52:28
ポルトガルとの貿易は、鎖国体制成立とともに禁止されたから、ここでなまえを挙げるべきじゃなかった。
誤解を招くような書き方してスマンス
529 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/21(金) 23:39:32
>>528 それがインドを植民地にした宗主国イギリス、あの世界一食べ物が不味いと
言われるイギリス流、具体的には小麦粉でとろみをつけるというレシピで
日本に入ってきて定着したのが、今の日本のカレーです。
定着したってことはそれを美味しくして広めた人がいるってこった
531 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/21(金) 23:45:46
俺
532 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/21(金) 23:45:48
>>528 >当時の料理本に唐辛子・トウモロコシ・カボチャ・ジャガイモなんかが全部「南蛮」て名前で 出てくるんで・・・・
全米が泣いた
536 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/22(土) 02:07:51
南蛮、北荻、西戎、東夷 中国古代からある言葉だろ。
古代人の考えでは自民族以外はみんな野蛮人w 古代ギリシャでもバルバロイという言葉がある。
訳分からん言葉を話す奴らという意味。
南朱雀、北玄武、西白虎、東青龍
びゃっこ と せいりゅう が変換できない
朱雀と玄武はできるのに。
読み方が違うのかな
普通に変換できますが
何をお使いで?
うちはATOK
IMEだと思う。WinXPに最初からくっついてる奴。
びゃっこ→百個百戸100個・・・・
白→びゃっ が理解できないんだな
しかたないんで、辞書登録した
エートックって、IEとか2ちゃんブラウザの書き込みでも使えるの?
そりゃ使えなかったら大問題だろうw
知らんかった。いちたろ以外は使えないのかと思っておった。
確かエートック単体でも売っていたような・・・・?
買ってみるかな。
江戸時代の変換スレになってるぞw
545 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/22(土) 19:57:39
えーどえーど
546 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/22(土) 23:42:48
南京そば 日清戦争以前
イギリスとかの会社の支店長みたいな形で
結構中国人が偉そうにしていたそうだ。
その反動↓
支那ソバ 日清戦争以後、侮蔑の意味を含むようになった
中華ソバ 大東亜戦争半ば 汪兆銘政権の為、中立的な語法に
ラーメン 戦後
支那そばや 戦後うん十年後 佐野実登場
548 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/23(日) 06:58:31
江戸の流行食で、おでん(関東炊き)の元になったとされる煮込み田楽は、
現在のおでんと何が違うんだろう? 三白の豆腐、大根は入ってたと思うけど、
もっと多彩な具が入っていたんだろうか。
がんもどき(飛竜頭)みたいな手の込んでるタイプの具は大阪に伝わってから
追加されたような雰囲気だし。
現在は失われてしまった具とかあるのだろうか。
間違いなくあるだろなぁ
逆に卵とかは入ってなかっただろうね
江戸時代のおでん食べてみたいですなあ
おそらく今からすると味は濃い目でしょうね
552 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/23(日) 23:48:29
>>551 うーん、結局、江戸時代の田楽焼きのことと、明治・大正時代の煮込みおでんのことしか
わからないのか。
江戸の田楽焼きの中に魚の叩いたもの、いわゆる練り物的なものがあったと言うことは、
やっぱりチクワ系の練り物は煮込み田楽に入っていたのだろうね。
そのサイトに明治大正まで味噌おでんが主流みたいなことが書いてあるけど、
何故味噌味おでんは廃れてしまったのだろう。
全国区がしょうゆおでんなのであって味噌おでんはまだ生き残ってるお
>>553 うん、それは知ってる。
味噌おでん自体がある地方もあるし、東北の一部では普通のおでんにしょうが味噌を塗って
食べるという話も聞いたことがある。
ただ、スタンダードとされていた味噌味がこの短期間にこうもマイノリティになってしまったことに
なにか理由があるんじゃないかと思って。
味噌自体決してマイナーな調味料ではないし、冬場に旬を迎えると言う料理なのだから、
むしろ味噌味のほうが歓迎されてもおかしくないはずなのに、何故しょうゆ味が主体となって
しまったのだろう。どこでそのシフトが行われたのかに、とても興味を感じる。
でもこれは、江戸とはちょっとかけ離れた部分での話になりそうですね。
本筋とは関係ないので一応下げておきます。
555 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 00:50:50
>>554 >スタンダードとされていた味噌味がこの短期間にこうもマイノリティになってしまったことに
味噌より醤油がおでんの具の味を引き出すのに決定に優れているからに決まっているだろ。
556 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 00:55:01
557 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 01:44:08
>>557 醤油ベースが全国区になったのは、味噌よりそっちのほうが美味しい、もしくは
使いやすいって感じる人が多かったからだろ。
個人個人の好みはそりゃあるだろうけどさ。
煮詰まった時に復旧させやすいのがしょうゆ味だからじゃない?
焦げた味噌味はどうやっても治らないよ
560 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 09:24:32
江戸時代の薩摩では犬喰ってたみたいだな
561 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 12:10:17
>>489 失われたレシピの一例。
タナゴの煮付け。
現代人の味覚からすると、そんなウマいもんじゃないけどね。
昔は関東板東太郎の各支流では、笊で掬えるほどいた。
今はほぼ絶滅。
う〜ん、それと味噌オデンって家庭内で食べられたものなのかなぁ。
外食で主に食べられたものだったら醤油産業が発達しだした時期にしょうゆ味に
変化していったのと何らかの関連があるように思えるんだけど。
563 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 15:02:47
室町時代
幕府にしいたげられた農民たちがピザを…
>>562 味噌おでんは江戸人得意のファストフードです。
元々田楽は味噌を塗って焼く料理だったけど、屋台で注文聞いてから焼くのでは
数がこなせず時間もかかる。
そこで串に刺したネタを鍋に張っただし汁で煮る方法が考えだされた。
注文を聞いたら煮えてるネタに味噌塗ってあぶるだけ。
「お伊勢焼き」と同じ発想だワナ。
で、そこから二つのやり方に分かれたようだ。
1、初めから甘辛い濃厚な味噌味のダシで煮る。江戸時代に「煮込みのおでん」として流行り、
今も名古屋で味わえるタイプ。
2、だし汁で煮た後、あぶらずに田楽味噌をかける(又はネタを田楽味噌ツボに突っ込む)タイプ。
岐阜や岡崎など各地に点々と見る。
(注:名古屋でも家庭では直接味噌煮タイプはあまり作らない。)
んで、2のタイプに味噌をかけなくなると現在のオデンそのものになる。
565 :
564:2005/10/24(月) 18:50:35
風呂吹き大根は、そんなオデンが洗練された物らしい。
江戸のファストフード文化はすごいな
>>561 子供の頃近所の魚屋でタナゴ売ってて、時々煮付けで食ってたよ。
569 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/24(月) 22:56:10
>>564 はーっ、お伊勢焼き的な発想で生まれたのが煮込み田楽だったのか。
それは初耳だった。
確かにファーストフードっぽい発想ではあるし、大量の数をこなすために
出来る限りの下準備をしておくってのも合理的だ。
なんかこういう料理っていろんな時代に、いろんな国にあるんだろうけど、
こうやって経緯を紐解いてくと実に感心させられるね。
>>564出来ればソースを晒して欲しい。
>>551の参照サイトでも江戸時代の煮込みオデンは疑問符付きなのに・・・・
おでんの話より甘味の話をしよーぜ!
やっぱ庶民は水あめとか干し柿だったのかね
572 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/25(火) 07:32:53
>>571 三白に税金が掛かるようになって、黒砂糖使ったのが駄菓子として広まったって
どっかで聞いたような読んだような。
>>561 美味しんぼでうみたなごの煮付けが割と普通に出てたよ
なので私が知らないだけで一般的なのかと思ってた
575 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/25(火) 12:31:00
>>571 砂糖は貴重品で、精製度の異常に低い、現在なら商品価値すら疑われるほどの
粗悪な黒砂糖さえ珍重されていたというから、やはり干し柿や干し芋などの
保存ができて輸送に便利な甘味や、砂糖を使わずに作れる甘味(たとえば甘酒)
などが主流だったのではないかと思われるけど……。
甘酒に関してはネットで検索すれば江戸時代、庶民が愛飲していたって出るから
まちがいないね。
水あめも砂糖を使わないで出来る甘味だけど、江戸庶民は口にしていたのかな。
軽く調べたら、当時の高級菓子の原料として使われていたというような説明を見つける
ことはできたけど、庶民の口に入ってたかどうかまではわからなかった。
米に比べて麦が一般的ではなかったからだろうか。
現代の人間がふらっと江戸の飯屋に入ったとしたら、
衛生状態は如何なもんなんだろう?
食器とかはちゃんと洗ってたんだろうか?
冷蔵庫とかないから「腐ってんじゃないの?」みたいな食材が出されることも
あるんだろうか。
池波正太郎のエッセイとか読むと、江戸の庶民は美味しいもん食べてたみたいだけど。
>>575 一休さんだか何だかで、お寺の小坊主さんが和尚さんのツボ割って
死んでお詫びをしようと、水あめを舐めまくった・・・
みたいなのを読んだことあるから、昔から水あめは貴重な甘味として
親しまれてたんじゃないかな
>>577 それは一休さんだっけ?
なんか小学生の頃、国語の教科書で習った能でそんなのあったぞ。
太郎冠者とか次郎冠者とか出てきて…・・・「ぶす(漢字忘れた)」とかいう話で。
附子ですね。
和菓子に欠かせない和三盆は江戸時代にはもうあったけど
大大名くらいしか使えなかったんじゃなかったっけか
当時の料亭「万八楼」のおお食い大会で、勘衛門なる者が、まんじゅう50こ、ようかん7本、薄皮もち30こ、茶19杯を食ったと記録されてるから、これらは存在したようだ。
また、いすや清兵衛ってヤツも、饅頭30こ、ウグイスもち80こ、松風30まい、たくあんの丸ごとを5ほん食ったとある。
シャレ心で書かれたウソの記録なんだそうだが、食べ物の有無は参考になるね。
>>584 なんだい!嘘の記録だったの?文化人類学者が著書で引用しちゃってるよw
江戸時代の日本は金銀銅などの貴金属が出た。
これらの貴金属はかなり国外へ輸出された。
貴金属と交換に輸入されたものが砂糖だった。
589 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 00:50:51
>>587 オマイは薩摩藩の琉球支配や、平賀源内の平賀式白砂糖精製法なんて
なんにも知らないだろ。
>>589 君が言っている薩摩藩の砂糖製造等は享保以降の後期の話。
俺が言っているのは元禄年間ごろまでの前期の話さ。
第一、後期に貴金属の輸出量が細ったのは常識だろう。
つーか
銀の換金率が、ヨーロッパでは4:1だったのに対し日本では2:1だったから
通貨に使われてた金がおもいっきり流出したってだけの話じゃん。
そいで、小判の質がすごく悪くなり、金輸出の利益がなくなった、そんだけ。
新井白石が建議したんだよな
国内の金の1/4、銀の3/4が流出した〜とか言って
んで、砂糖だけど当時の輸入品には含まれてるけど
貿易額から言って生糸やら毛織物のがメインなんじゃね?
まぁそれより俺は干し柿やら渋柿の脱渋を発見した奴は凄いと思うね
柿の食べ方については禿道であります
干し柿のはついつい食べ過ぎてしまいますよw
渋柿でも充分熟れれば甘くなるけどね
江戸時代の食文化を体験できる博物館が欲しい
ラーメン博物館みたいな
596 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 23:28:36
>>596 もう少し語彙豊かに語らないと、趣旨が伝わらない。消防の乱入かと思われるよ?
598 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 23:53:08
599 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 23:54:12
>>597 トラックもなかった時代だから、生鮮食料品が流通していなかった時代。
600 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 23:54:55
600
601 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/26(水) 23:58:20
すなおに、「当時のレシピで調理してくれる」という解釈でいいんジャマイカ?
602 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 00:05:48
実現したら食いに行く。健康オタクとかも来て繁盛しそう。
>>599 現代で江戸時代の食事を体験するって話なんだから、その流通まで江戸時代に
合わせる必要はないと思うが。
あと、江戸市中だったら野菜でも魚でもそれなりに流通してたよ。
604 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 00:08:13
干物がね。
605 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 00:12:30
練馬大根、小松菜、今では東京になっている所でも、
江戸時代は農村だったからな。
時代劇なんかで魚売りが出てくるじゃんw
江戸時代に生魚はあり得ないと思ってる人がいるらしいけど、実際、魚河岸や
大きな料理屋のなかには生け簀があり、ヒラメやスズキなんかはそこから生きた
まま料理されてたんだよ。
608 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 01:11:15
609 :
根橋周之:2005/10/27(木) 01:12:07
そうなんだぁ\(^O^)/
610 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 01:12:44
>>606 沿岸地帯を除けば、身欠き鰊のような干物限定だろう。
611 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 01:13:25
>>608 まぁ江戸や大阪なんかの沿岸部の大都市の話だけどな。
ていうか、ここで話題にしてんのは江戸のことなんじゃないの?
全国津々浦々の話なんてバリエーション多すぎて出来ないだろ。
山間部で食べられる海の魚は、やっぱり干物とか塩漬けとかかねぇ。
それすらも頻繁には食べることは無かったと思うけど。
だから地域ごとの郷土料理みたいなのが発展したんだよな。
614 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 01:27:36
地方は忘れたけど
鮫は腐りにくいから
山では鮫が珍重されたと
刺身でも食べてたってよ
616 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 04:29:17
江戸時代なら人間食ってたろ
617 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 09:19:28
歴史に名を残すような、大飢饉のときならね。
もちろん、文化にはなってない。
>>594 品種改良以前の江戸時代の野菜の種を見つけるところから始めねばならんな
619 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 15:05:09
648
おまい、スルドいなぁ。
もっともな指摘だ。
620 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 15:17:31
でも刑死体は明治に禁止されるまで薬にしていたぞ。
仁丹はもともと人肝だったらしい。
味噌や醤油の復元は今のところ成功してない。できるのか?
623 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/27(木) 23:02:23
>>622 どの段階の復元を言うか知らないが、醸造の世界は低温貯蔵のできる現代の方が
江戸の昔の製品に近い物を生産している。
「生酒」や「無アル添味噌」等は高い付加価値を後ろ盾に各種生産されている。
625 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/28(金) 00:06:03
>>622 貧しかった時代の物を復元して何か良いこととあるの?
今の豊かさに縁がない貧しい暮らしをしているのかな?
>>625 文化学、歴史学においても情報の蓄積、実証は学問の発展に必要なことですよ
過去に学ばぬ者を愚か者といふなり
過去を掘る者は現代を知る者なり
過去に住む事は未来に住む事と同値なり
難しく考える必要も無い
マンガ肉にあこがれるようなものさ
>>625 簡単に言うと、外国へ日本で味わえない美味しい物を食べに行くような感覚。
現代ではめったに味わえなくなった美味しい物が過去の時代に有るんだ。
んでソレは俺等の先祖の日本人の作った物だから、
俺等が食っても旨いと思う可能性が高いんだ。
630 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/28(金) 04:48:33
下世話だけど少し訂正させて
過去の時代に有るんだ>過去の時代に有「ったかもしれない」
かの杉浦日向子先生も「(過剰な)調味料を絶ち三白を食せ それが江戸人の舌だ」
とおっしゃっておられた。今の味覚とはやはり違うだろうから、必ずしも今の我々の
舌に美味と感ぜられるかどうかは疑問だ。しかしやはりマンガ肉同様、どうしたって
過剰に期待してしまうのは責められるものでもなかろうて。オレも食ってみたいもん。
単に、目端が変わった珍しいものが食いたいだけじゃん
>634
江戸時代からの伝統がある加賀料理は今でも飴を使う。
砂糖には無いほのかな甘みが素材の味を引き立てるという。
当時のレシピそのままの料理も珍しくない。
636 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/28(金) 23:57:33
>>625 俺は単純に知的好奇心の問題だな。
>>628>>629と近い感覚かもしれない。
時代小説の中に出てくる食べ物を食ってみたいとか、興味のある時代の
人間たちはどんなものを食って生きていたのかとか、すごく惹かれるテーマだし、
できることなら実際に食べてみたいとも思う。
学問的な意味合いももちろんあると思うし。
>>637 >>636です。
そうそう、そういうのが好きなのよ。その『梅安料理ごよみ』ってのはもってないけど、
同じ系統の奴で『鬼平料理番日記』ってのは持ってる。
639 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/30(日) 12:57:23
>>629 >外国へ日本で味わえない美味しい物を食べに行くような感覚。
殆どいない。
640 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/30(日) 14:47:14
殆どいないと、何か問題でも?
641 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/30(日) 15:56:36
629比喩が成り立たない。
ごく普通に、香港の点心や台湾の屋台料理を食べに行きますよ?
海外の料理を売りにしたツアーは盛況ですし。
で、このスレに何しに来てるの?
643 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/30(日) 17:07:31
??
「そんなヤツいない」ってんならそうだろうけど、少数ながらも「いる」んなら成り立つじゃん。
重要なのは有るか無いかであって、人数の多さじゃない。
645 :
あ:2005/10/30(日) 22:23:49
うんこしか食べられない
将軍コーヒー、お味はいかが?=徳川慶喜のひ孫が再現−千葉
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が飲んだとされるコーヒーを再現した「将軍珈琲」を味わう会が30日、千葉県松戸市で開かれた。
慶喜の弟で最後の水戸藩主、昭武が余生を過ごした「戸定(とじょう)邸」が会場となり、参加者らは
明治期のレトロな服装に身を包んだウエートレスに給仕され、歴史のロマンに思いをはせた。
慶喜は1867年、将軍就任のお披露目などのために欧米4カ国の公使を大坂城に招いた際、フランス料理のフルコースでもてなし、
食後にコーヒーを振る舞ったとされる。同市戸定歴史館の斉藤洋一学芸員(47)によると、日本で初めて政府の公式行事で飲まれたコーヒーだという。
将軍珈琲は、慶喜のひ孫に当たる写真家徳川慶朝さん(55)が2002年、茨城県のコーヒー会社と協力して再現。当時の記録などを参考に、
インドネシア産のアラビカ種の豆を炭火でばいせんした。「濃いけれども苦くない」のが特徴という。
(時事通信) - 10月30日18時0分更新
いるんだねえ、実際に再現してる香具師。
こないだのIQサプリでも、光圀公が食べた日本最初のラーメンっての試食してた。
金華ハムでだしとった高級なものだけど、「普通にうまい」っていう評価だったな。
昔のご馳走は、今の 当たり前の食事 になってるのかも
黄門ラーメンの企画は昔からよくやってるような。
651 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/31(月) 22:24:05
業者乙。
652 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/31(月) 22:41:59
653 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/31(月) 23:02:42
著者かもしれないなw
俺が著者だったのか!知らなかったwいつの間に性転換したんだろうww
江戸のご馳走と言うと「まな板に 小判一枚 初鰹」の初鰹ぐらいしか思い浮かばないんだけど、
ほかにはどんなものがあったんだろうね。
三白は常食されていたんだよね。
やっぱ、当時から松茸とか流通してて高かったりしたのだろうか。
656 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/31(月) 23:47:55
>>655 アカマツ、カラマツ、ツガの林が近くにあれば、安かったよ。
657 :
もぐもぐ名無しさん:2005/10/31(月) 23:52:32
冷蔵庫が無かったから夏に食べる氷もご馳走だったろう。
>>656 江戸近辺でも大量に取れたってことなんでしょうか。
わりと庶民の食べ物だったのかもですね。
>>657 その辺(氷や砂糖が必要なもの)は大体予想はついていました。
魚や野菜などの素材であげてもらえるとうれしいっす。
>>658 厚焼き玉子。いやマジで。
エビを擂り込んで甘くした卵焼きははっきり言ってご馳走でした。
当時の屋台のすし屋でも、卵焼きを取り扱ってる所は「一級店」だったそうだ。
>>659 おー、なんか説得力ある。
今でも芝えびを大量に擂り込んだ厚焼き玉子はちょっと庶民には
高嶺の花みたいな感じがあるもんね。
>>659 卵自体が戦後暫くまで貴重品だったからね。
662 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 01:11:05
六郷で取れた蜆汁
663 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 02:23:52
タニシ汁がくってみたいが…当時から比べて環境も変わったしなによりロサンジン殺し…ガクブル
664 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 03:19:08
定期的に池波正太郎を読み返すんだけど。今は剣客商売読んでて、夜中なんか、腹が減って困る。鬼平もそうだけど。
ただ、池波さんの作品読んでる間はなぜか食生活が健全になります(笑)
さて、江戸時代のご馳走ですが、鴨が葱しょっての鴨なんかは?当時の鴨はうまそうだよねぇ。
665 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 03:30:43
当然野生だもんね
たにし…
666 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 12:10:36
>>663 ちゃんと火を通せば大丈夫だよ。
魯山人は「半生が旨い」っていって、ちゃんと火を通さなかったから
ああなっただけ。
だれかタニシ食ったことある兵いる?
うまそ〜なんだが農薬の関係もあって幻の食材化してる?
ジャンボタニシは滅茶苦茶繁栄してるけど
668 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 18:28:46
ジャンボタニシは食用で養殖されてたんだよ
後から脳にくる寄生虫発覚で養殖あぼーん
669 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 18:40:18
ほとんど米でおなかいっぱいにしてたんでしょ?
だからご飯3合ぐらい食べてたらしーよ
おかず無しで
臭いから味噌使ってごまかさないと食えない。
田楽にするとスゲー硬い。
旨いとは思わないけど…
672 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 21:31:36
>>671 あれって泥出しだかなにかしなきゃいけないんじゃなかったっけ?
質問!
「新鮮でなければ食せない刺身を、平民が口にするのは、ぜいたくであるっ!!サムライ以下の身分の者は食うなっ!!」って倹約礼がだされ、
魚の表面だけを焼いて「いえ、これは焼いてるから焼き魚ですよ?」と言い逃れしたのが、カツオのタタキの誕生である。
って耳にしたんだが・・・・・・正直信じがたい。
それが本当なら、他の魚のタタキだって存在してしかるべきじゃないか?
もしかして、ここで初鰹様の出番になるのか?
表面の雑菌を殺すためでは。
>>673 カツオのタタキ誕生秘話、他にもいろんな説があるんだよ。
676 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 22:40:09
タタキは通称、土佐造りといわれて、高知の名物。
江戸っ子は女房を質に入れて、初鰹の刺身を楽しんだんじゃないの?
高知あたりで獲れる鰹は、回遊途上で油がのっていないので、皮を焼いて
うまみを出すとか出さないとか、聞いたような・・・
677 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/01(火) 23:17:34
>>676 水戸にもあるよ。「火どりかつお 」って名前だけど。元禄以前からあって、水戸光圀も好物だったそうだ。
>>673 「新鮮でなければ食せない刺身を、平民が口にするのは、ぜいたくであるっ!!
サムライ以下の身分の者は食うなっ!!」って倹約礼自体がもう江戸的じゃないだろ。
武士だけ贅沢させてほかの身分は倹約なんて政策はやってないはずだけど。
680 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/02(水) 00:16:18
焼き魚風にして云々ってのは俗説ってどっかで見た覚えがある。
まあ、起源がはっきりしないからには、「その説は無し」って切っちゃうのも
かわいそう…というかロマンがない気もするけど。
料理の起源や名前に潜む謎みたいなやつを追いかけるときって、なんか
ワクワクしちゃうのは俺だけか?
681 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/02(水) 00:26:24
木綿令とかもあったしなぁ
682 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/02(水) 00:30:08
>>680 禿同
江戸時代の食事話はデマも最もらしい筋が通ってて面白い
684 :
忠吾:2005/11/03(木) 04:30:57
美味しい物は食い続けられ、そうでもない物は食わなくなっちゃうのかな。
686 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/03(木) 09:11:59
687 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/03(木) 13:38:45
>>684 一概にそうともいいきれないみたいだね。
時代の大きな変革期(戦争とか)のごたごたで、不意に消えてしまったような料理も
あるみたい。
鰹のタタキはアニサキス避けじゃないのかな
690 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 12:18:48
>>684 まずい食べ物が舌馬鹿に広がり、食べ続けられる。
なんか、たまに幼稚園児みたいな落書きする人いない? このスレ。
693 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 16:27:56
>>691 いる。
しかもなんか知らないけどネガティブなことしか書かない。
694 :
692:2005/11/05(土) 17:05:57
>>691>>693 お神酒徳利みたいなレスをあちこちで見るがおたくらかな?
レスしたのは1度だけど好きでロムしてる私としては
>>691のレス
のほうが ジャマ。
695 :
692:2005/11/05(土) 17:12:28
690は私では無い
696 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 18:19:07
自然薯(ヤマイモ)を刻んでニンニクをかじり酒を飲むってのがうまいって
書いてあったな。確かにうまそう。
「竜馬がゆく」の2巻より
庶民の酒のつまみは沢庵、蒲鉾、味噌などの現在では粗末なものが普通。
しつこい692きもい
江戸時代のエソ、グチ、小鯛のすり身のみで作ってた蒲鉾は、
今では逆に高級品だと思うが。
スケソウダラにつなぎ・添加物満載の今の蒲鉾とはわけが違う。
699 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 19:13:46
カマボコも保存料とか入って無いから今みたいに日持ちしないだろうしね。
一度、手作りのカマボコ食ったけど魚を凝縮した感じで美味しかった。
700 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 19:40:22
カマボコはトトか?
701 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 20:09:56
カマボコは魚を凝縮したりしてないだろ
702 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 20:15:32
米やみそは添加物を使っていないから今よりも旨かったのだろうか?
米の添加物?
品種改良されてなかったから米そのものの味は今より落ちるらしい。
でも、薪つかって羽釜で炊いてるんだからそりゃうまいだろうな
704 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 20:26:13
>>698 カマボコは、欲しくもないのに網にかかった、下魚の使い道を考えた末に考案されたと聞いたことがある。
原材料は安価いんだろうと思うが、どれだけの加工賃が必要だったかで答えが別れそうだ。
705 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 21:15:01
食べ物の由来はかなり怪しい説も多いんだろうなぁ。
商売人が売り口上でうまい話を作ってみたり…
戦後生まれの仙台の牛タンでさえ、米軍の残り物説と、フランス料理の
タンシチューインスパイア説に別れてるくらいだし。
706 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 22:53:29
ところで
1両は今の貨幣価値でいくら位なんだ?
俺が知ってる知識が正確かは分からんが
たしか、4000文で1両だったと思う
707 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/05(土) 23:28:55
1文は30円弱くらいらしいが。
>>707 と言うことは、
二八蕎麦だと 16文だから 大体 480円弱。
今の立ち食い蕎麦の方が 若干安いって事で良いの?
金相場でから試算したり、物価から試算したりでかなり変わっていきそうですね
特に年代によっては銅やスズなんかが多く含まれていたりするそうですし
庶民の所得ってどの程度だったの?
そこから感覚的に類推できるんじゃね?
甘さとか、刺激系に対する感覚が現代の日本人とは全然違うんだろうな。
江戸時代の庶民とかグルメが、今の食事やお菓子食べたらどう感じるんだろうね。
712 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 00:26:16
>>704 いたみ易くて輸送に耐えない魚の始末方法だったよ。
人件費より、冷蔵という保存手段が全く使えなかった時代のことだからね。
>>711 コーラやジュース類は案外
甘すぎるか 香料に馴染めなくて
飲めないのでわ無かろうかと推測。
江戸時代かどうか忘れたけど
玉露で酔っ払う話もあるし
刺激物には結構弱いと見た。
しかし、山葵や生姜には矢鱈強い。
715 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 00:30:43
>>707さんの説から
1文=約25円とすれば1両=約10万円
分かりやすい気がするアクまで目安だけど
これから行くと大工の日当の相場が420文位らしいから
そんなに換算は違わないんじゃ?
アクまで分かりやすい目安だからね
>>711 に釣られて調べはじめたらこんなサイト ハケン。
ttp://www.zenkaren.net/history/nenpyo.html 砂糖・甘味に関係しそうな所を抜き出すと
> 1610奄美大島で甘蔗が栽培され黒砂糖が初めて作られる。
> 1623琉球で製糖始まる。
> 1662中国より白砂糖の製法を習い琉球に伝える。
> 1672砂糖の需要が多くなる。
> 1683菓子と水菓子(果物)とが分立する。
> 1775輸入砂糖の乱用阻止で京都上菓子屋が248軒に制限される。
> 1789むだな手間をかけた菓子類が製造禁止となる。
> 1796氷砂糖が作られ翌年完成する。
ところで、
> 1926東京でシュークリームの中毒が相次ぐ
って一体どんな状況が…。
スレ違いなので sage
718 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 01:00:20
>>716 当時は乳製品や卵を使った菓子での食中毒がけっこうあったんだよ、ワッフルやアイスクリームでも起きてる。
鮮度が悪い物が多く衛生への意識も希薄なうえ殺菌のためのアルコール等を充分使えない時代でもあったし
大工は当時は高給取りだべ?
3日雨が降ると死んじゃうらしーがw
720 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 05:31:23
仙台のかまぼこは取れ過ぎたヒラメの処理方法として広まったらすぃ
ちょい前にでてるカテ飯のアワビご飯といい
今とはやっぱり感覚違って面白い
721 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 07:36:06
今でこそ高級食材とされるウニなんかも、昔は昆布を食い荒らす害虫としか見られなかったらしいしね。
722 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 07:54:02
そういや、ウニって江戸時代の人は食ってたんだろうか
海辺の人や漁師町の人は食ってそうだけど。
723 :
酉:2005/11/06(日) 08:46:03
ウニは食べてたみたいだよ。
知ってるレシピは“ウニ酒”。
湯呑みにウニを入れてそこへ熱燗を注ぐ。
まだ試してはいないけど。
724 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 08:52:45
725 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 10:38:01
726 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 11:22:20
甘酒は季節でいうといつの飲み物?
夏も飲んだらしー
728 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 11:27:59
むしろ夏の飲み物だったらしー
729 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 11:42:03
俳句では夏の季語
730 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 11:50:26
よくわかってんじゃんおまいら
731 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/06(日) 13:46:51
食べ物板にくる人間は、知ってる人のほうが多そうだ。
732 :
酉:2005/11/06(日) 13:59:59
料理茶屋が買った初鰹が一本二両一分。
ボテフリが長屋で売ったのが一本金一分。
どっちにしても高い。
初鰹 算盤のない家で買い
初鰹は、初物食いの代表だからなぁ。
初物食いは75日寿命が延びて。カツオ(勝魚)だと750日寿命が延びるって。
>>733 毎年食ったら、毎年差し引き1年ずつ寿命が延びてしまうッ!
737 :
半七親分:2005/11/06(日) 18:11:34
今と違い上方と江戸、近在の農家では食生活は違ったものですよ。
>>734スゲエな。一言解説だけど参考になるな。
海水魚が高価だったわけか。タイのかまぼこなんて今でも高級品だよな。
739 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 00:59:28
>>738 タイのかまぼこなんて、タイそのものが食えない人間にとっての代用食だろう。
「貧乏長屋」なんかを聴くと、かまぼこも滅多に食えなさそうだったけど。
「貧乏長屋」が平均的な長屋の風景だったら落語のネタになぞならん。
742 :
酉:2005/11/07(月) 09:18:05
それにしても当時はある意味で便利だとオモ。
毎朝近くの農家が長屋まで野菜や魚を売りに来てたんだから。
コンビニに行くより楽。
しかしその時に買いそびれると困る
744 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 13:54:29
江戸時代って野菜少なかったんだな
大根葉とか食わないとビタミン取れなそう
745 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 14:00:55
酢豆腐は?
746 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 14:41:30
よく、江戸時代の農民は米は贅沢品で普段は食べられなかったというが、
当時、米の生産量がメインだったはずだが、生産した米は誰が食ってたんだ。
武士や町民が食うといっても米をそんなに食えないよ。外国に米を輸出してた
わけでもないし、米の保存期間もしれてるし。
要するに、農民も米を普通に食ってたということじゃないかな。
747 :
モグモグウンコ:2005/11/07(月) 14:54:33
ウーンソウダナムカシハタノシイカナ
749 :
酉:2005/11/07(月) 20:20:13
744
野菜はそこそこあったみたいだよ。
今の江東区砂町あたりの、
葱、野沢菜、西瓜、南瓜、胡瓜、茄子が名物。
江戸川区の小松菜も有名。
忘れちゃいけない練馬大根。
練馬は他にも牛蒡や薩摩芋も。
750 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 20:34:57
亀戸大根ってのもあったよね
751 :
酉:2005/11/07(月) 20:42:31
亀戸大根は知らなかった!
江戸は大根よく食べるね。
小松菜大好物
香りがいい
江戸GJ!
753 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 20:54:26
待乳山聖天で大根供えて御参りしませう
君はいま 駒形あたり ほととぎす 高尾
755 :
酉:2005/11/07(月) 21:20:15
大根は いずれ世帯の 料理草
江戸時代、大根のべったら漬けでヘンな風習が有ったよな?
振り回すんだっけ?
ああ、なんか、「べったら」の由来で
台にベタベタ打ち付けるからとか、
べったらの砂糖だらけの手で客の袖を引くからとか。
758 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/07(月) 22:08:47
今でも宝田恵比寿のべったら市で振り回してなかったっけ?
・・・・・嫌な市だな。ビートたけしレベルだな。あ、ヤツは東京出身か。
760 :
酉:2005/11/09(水) 17:54:37
足立区のたけし
おしろいぬって おしろい祭りだ
今と昔では農地あたりの収穫量に大きな幅があるだろうな。
近年、良い肥料や農薬が開発され、ある程度は平均的に出荷できるしな。
漏れの家は農家だが、子供の頃、クソ不味いが、病気や気候の変化に強い
米を作っていた。
後、昔のコシヒカリは今よりもずっと台風や気候の変化に弱かったのを覚えている。
だから、江戸時代、農民が米を食えなかった・・・というのは納得できる。
というか、死んだ爺さんの子供の頃は、白米なんておいそれと食えなかったと聞いている。
まあ、その辺りは、「おしん」が有名か。
764 :
半七親分:2005/11/13(日) 12:52:05
江戸市中を越えると白米には麦飯が入っていました。
もちろん幕末の話です。
765 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 13:11:03
江戸時代長いから。
時期にもよるのかもね。
でも、白米に限ってはイベントの時くらいしか食べなかったみたいだよ。
後はだいたい玄米で、貧しい農家はやっぱり雑穀が普段食とある。
そんな玄米で仕入れられた米を、
江戸では各家庭で精米するのだけど、力仕事。
そこで“つき屋”なる商売が登場。
田舎から身一つで出て来た若いアンちゃんがやったバイト。
道具も何にもいらないから体力さえあればOK。
…良い時代だねぃ
>>765 あと、地域や階層によってもずいぶん差があると思うよ。
地域?
というと江戸の中でも…ということ?
そうかもね。
武家のお屋敷が多い所と長屋でも外れの方の、
地味な所じゃ違いそう。
コメが出来やすい土地とそうでない土地の差があって
出来ない土地はコメの代わりに雑穀や蕎麦を栽培してたのでは?
基本的にコメ自体が高温多湿の地域原産の植物だしな。
西日本の平野部は水が不足し、関東以北では寒冷期の問題があって
どっちにしても江戸後期になって治水事業や品種改良が進むまでは
コメは全般的に贅沢品だったんじゃないのかね。西日本の饂飩文化、
東日本の蕎麦文化も、コメが充分に採れないことから発生した麦や
蕎麦の栽培が主因だろうからな。
新田開発は、仙台藩の例でもわかるように江戸時代前期にもかなり行われている。
元禄期の時点ですでに耕地面積は安土・桃山期のの二倍だ。
>>767 江戸市中だけだと長屋住まいの貧乏人でも白米食ってるやつはけっこう多かった。
772 :
767:2005/11/13(日) 19:53:01
>>771 うん。江戸市中は白米だね。
玄米や雑穀の話は農家の話のつもりでした
たらふく白米を食べるのは江戸っ子のステータスだったんでしょ?
玄米の方が栄養的には優れているけど、そういう考え方は現代的。
白米たらふく食って脚気なんてなあ。おもしろいね、江戸っ子って。
774 :
半七親分:2005/11/13(日) 20:06:46
今日は岡本さんが見えたので、新宿にできた新しい洋食屋から出前を取りました。
しかし、どうも私にはいけません。
半分ほど残してしまいました。
わたしには蕎麦やうなぎ飯の方がやっぱりいい。
西日本の場合、江戸後期になると貧困層はサツマイモが主食になったんだよな。
特に平地に乏しい海岸部が。
純粋小作農民は言ってみれば季節労働者って事だろ?
大土地所有の権利関係は知らないが
税として納めた残りは現金に変えて権利関係者の懐では無いのかな?
戦後の農地改革で不在地主や豪農、富農の大土地所有は明らかだし
大多数が純粋小作農家だから、米食えるのは一部だけでしょ
>>776 で、その一部の人が食べた以外の残りの米はどこへ行ったのかね?
誰の口に入ったのか?一人で3倍も4倍も食べられないぞ?
江戸時代に白米を食べることができた人が少ないというイメージは
明治政府が意図的に流布したものであり真実ではない。
778 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 22:30:13
品種改良進む前は、今ほど収量がなかったよ。
米食べていたのは確かだけど、白米じゃなくて玄米か七分づき米
それも、沢山混ぜ物をしていたから白いご飯とは言いがたい
大根飯は、雑穀じゃなくて米だよ、ああ確かに米だよ。
あれを白いご飯といえるのか?
779 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 22:31:31
加工品用とか酒米とか、直接食用にする他にも使い途は色々あるんじゃね?
当時は接着用の糊とかも澱粉から作ってたんだろうし、そういう「原料米」で
都市部に移送(売却)されたものも多いと思うんだけど。
>>777 ごく単純な推理だが
当時の米利権関係者は価格維持の為に海にでも捨てたんでは?
現代でもダイヤや真珠も捨てるんだから
781 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 22:34:04
昔は、副食、特に蛋白質は今に比べてとても少なかったから
今の倍くらいは米を食べて米から蛋白質を摂ってた。
塩辛い保存食は、保存のために塩辛くしたというのもあるけど
それで何杯もご飯が食べられるという理由もあったんだ。
782 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 22:44:26
貧乏人は麦を食え!
池田隼人が国会答弁した事あったな
783 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/13(日) 22:59:55
今でもそうだよ>貧乏人は麦を食え
小麦粉は一キロ100円だし米とは比較にならんくらい安い
>>783 小麦粉じゃ無く、その心は麦飯
今は栄養的に白米より玄米や麦飯や雑穀飯が見直されて
値段的にも昭和3〜40年代よりはるかに高くなってる
小麦のカスのふすまで作ったシリアル(オールブラン)が100g=100円以上する高級品というのは皮肉だ。
786 :
784:2005/11/13(日) 23:12:11
物価上昇分を込みに他の日常食品と比べても
>>783 その心は大麦(barley)=ビールの原料。小麦(wheat)じゃない。
補助金とか一切なしで純粋な市場価格にしたら値段はどうなるのかな?
小麦、大麦、蕎麦、米
銀シャリ目当てで地方から若者が出て来たりしてたらしいからねぇ。
江戸市中だけ特別なんだよ。
790 :
半七親分:2005/11/14(月) 08:22:47
791 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/14(月) 15:22:56
792 :
酉:2005/11/14(月) 16:16:45
「研究データ」で ふと思いだしたんだけど、
庶民のそれはほとんどないらしい。
普段の食事なんて記録する人なんて少ないし、
まして庶民のデータなんて、正月や結婚式なんかの、
イベントで出る「料理」くらいしか書きとめない。
(*当時、食事と料理は分けて考えられていたみたい)
まして長屋に住んでる熊さんや
八っつぁんなんて日記すらつけないだろうね。w
普段の食事を記録する物好きがいても、
そういう人が平均的な献立だったかどうかは疑問だと。
長文スマソ
793 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/14(月) 16:38:58
その前に読み書きができないと思われ
794 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/14(月) 16:47:07
商人は読み書き出来たよ。でないと帳簿がつけられない。
でも、農村はどうだろうね。
795 :
酉:2005/11/14(月) 18:00:25
寺子屋はかなりの数があったみたいだから、
江戸市中はよしとしても、やっぱり農村はねぇ…。
ちょっと余裕のある農家の長男か
次男くらいしか習えなかったろうな。
江戸時代は同時期の世界水準と比べて文盲率が異常に低い。
田畑は原則として長男が相続するから、商家に丁稚に出されたりする
次男以下の方が読み書き算盤ができる必要は切実だった。
>>796 いや、その農家だって商品作物栽培の進展で商人との付き合いが出てきて、 読み書き算盤が必要になった。
また、次男三男以下は庄屋などの配下として商品運搬や買い付けなどで商社的機能を果たすようになり
農村に留まってもやはり読み書き算盤は必要になった。その点が最近の研究で明らかになりつつある。
>>780 オマエの悪い頭で考えても無駄だから
「貧農史観」でググってみえば?
800get!
>>796 親戚の農家が家を新しくしたときに、二百年以上前に建てられた古い家を解体した。
多くの古文書が出てきたのだそうだ。江戸時代の農家は年貢などの関係で文書による記録が必要だったのだ。
ところが、家を解体した人たちは紙くずと考えて燃してしまった。
教育委員会の古文書館の人が、その話を聞いて残念がっていた。
醸造業にどれくらい消費されてたかもデータが欲しいな
煎餅類や加工用製粉、糊の生産などの原料米としての供給量モナー。
貧農史観の盲者が必死です
マルクスが妄想してた、日本の封建制が思ったより
悪くなかったくらいでしょ?殊更良くもなかった。
明治以降
ソレダ!
戦争前も米を食えなかった、って言うのは
あくまで戦争前の話だからな。
江戸期に米が食えなかったという理由にはならない。
>>810 石川英輔の本って読みやすいしかなり調べてあると思うけど、作者の
思い入れがかなり偏ってる気もする。
でもいな吉シリーズは好きだな。
812 :
半七親分:2005/11/16(水) 08:21:07
>>808 > 富国強兵で農村から労働力を狩り出した明治の日本の方が地方の困窮状態は酷かった様に思う。
すべては薩長の陰謀です。
司馬遼太郎のエッセーだったが、幕府は年貢を出来るだけ多く取るために小作を嫌い
(地主の中間搾取で米が減る)自作農を養成する政策だった。小作と大地主が増えた
のは明治以降だという記述があった。どの本だったか忘れてしまったがw
これ本当なんかね?
814 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/16(水) 11:44:04
(´・ω・`)しらんがな
「一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ」 By 宮沢賢治
>>813 ソレはマジ。
江戸時代、米は経済単位であると同時に戦略物資だったので、幕府と各藩は
農家が大きくなりすぎないよう庄屋制を強いていた。
豊かな土地や新田開発の時など、隣り合う農家を血縁の薄い様に配置する例も有った様だ。
皇室ってすげーよな。未だに麦飯食ってるって。
なんでも困窮した国民の気持ちを理解するためって。
いまじゃ押し麦のほうが米より高いのはおいといてさ。
でも麦飯って嫁が一時期凝ってたけど、ほんと美味くないんだよ。
ざらざらしちゃってさ。俺はもういらね。
川島四郎という栄養学者の本によると
明治天皇は肉とバターを多用した食事を毎日のように食べさせられ
各種の病気を患ったという。当時は脱亜入欧が掲げられ
なんでも西洋のマネをするほど良いという時代だったから。
東洋の小さな島国が日清戦争、日露戦争と勝利して
世界中から注目されるようになり明治天皇に海外から訪れ
謁見する者が増え会食の機会が多かったということもあったという。
1日に玄米4合って1人でなのかな
>>820 ほとんど動物タンパクの摂れ無い食事だと、そのくらい食わねば栄養失調になる。
現代人には無理な「1升飯」を食う人間はつい半世紀前まで普通に居た。
1石=10斗=100升=1000合で、
1石が人1人の年間の米の消費量ということだから、
職種や年齢・性別、時代で差はあるだろうが、平均して1日、1000÷365=2.74合の計算。
宮沢賢治はボンボン
宮沢賢治はベジタリアンで米の蛋白が(ry
帆立貝とか牡蛎を食べる習慣はあったんかな?
牡蠣なんて縄文時代から食ってる
捕獲し易い貝は余裕で食うだろ。
フランスの牡蠣はやっぱちいせえし潮の味がうすい。
日本人にゃ物足りないね。あんなん数ダース食ってもまんぞくしねぇや。
貝塚ってなーんだ?
♪振り向かないことーさっ!
830 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/19(土) 19:00:53
愛だろ、愛。
831 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/19(土) 19:13:56
>>827 海っぺりの岩に張り付いた牡蠣をガンガンはがして、焚き火で焼いて食うとうまいね。
沖のほうじゃ養殖筏が浮いてるけど、こうやって食べる牡蠣の磯の香りは養殖物には無い。
でも、丁寧に無菌水処理したプリプリの養殖牡蠣は、それ自体の強いうまみで香りの弱さを感じさせない。
牡蠣ウメー!
>>831 よく生きていたな。野性の牡蠣は、細菌を蓄積する習性があり汚染されている。なぜなら、干潮の時に乾燥を防ぐ為に海水を貝内に溜めるからだ。皆さん決して真似しないように。
>>832 831じゃないが、焼いて食べる分には大丈夫なんじゃないか?
ていうか、勝手に牡蠣を採るのは違法行為だし。
通報シマスタ
>>831 岩場の牡蠣、子供の頃よく捕ってたよ。
すんげー美味くて一人で20個ぐらい食ってたら、さすがに中った。(w
>>832 牡蠣の海水濾過能力は素晴らしい。強烈な汚水の地域でも繁殖してるよ。中るのはウィルスのせい。
抗体を持ってない人間は滅菌処理していないもの以外喰ってはいけない。
>>834 漁協と地元民の権利が設定されてないところなら無問題。
子供の時、越前海岸あたりで
ドライバー片手に、とこぶしを岩場からひっぺ返して食ってたよ。
とこぶしがある所にあわびあり!俺も焼いて食べたぁーウマァー(´A`)つ◎
読んでたら何のスレか分からなくなってスレタイ見に行った(笑)
じつは、フジツボも旨いんだよ。ちょっと固い貝柱みたいだった。
茹でてしまったら殻がすぐに抜け落ちるんで、実がどこにあるか探すの大変だけど。
841 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/20(日) 08:54:38
>>827 牡蠣そのもののうまさはわからないようだな。
せいぜい潮味に満足していろ。
842 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/20(日) 12:02:36
843 :
鶏Beer:2005/11/22(火) 21:45:00
江戸時代じゃなかったかも知れないが、昔林檎の名産地は
「京都」だったらしい。
844 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/11/22(火) 21:52:11
貧しかった江戸庶民のどれくらいが林檎を口にする事ができたんでしょうか・・
たぶん将軍家に贈答される程度の出荷量しかなかったと思われ。
845 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/22(火) 22:17:38
時代劇に登場する果物というと柿くらいしか思い浮かばない
みかんはあったはずだけど
>>844 だから、勝手に妄想するなっちゅーの。江戸時代がまずしい
なんて言い切る根拠は?少なくとも当時の社会の規模では金融、
消費のバランスはうまくが取れていた。
び、びわ。
ぶどう、なし、もも、ざくろ、すもも、あけび。
林檎は確かに平安時代には中国から伝わってるね。
ただ、これらは和林檎と呼ばれ、現在流通してる種は明治以後の移入だね。
起源はどちらも中央アジアらしいけど
ま、漢字で書けるヤツはだいたいあったんだろうな。
庶民感覚で食える物かどうかは知らんが。
851 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/22(火) 23:27:22
商品先物制度や為替制度が発達していた江戸時代では
果実の商売は成り立っていたわな。ただ物流の関係で現物が
庶民にわたっていたかは?だな。
♪沖の暗いに白帆が見える,あれは紀州のみかん船
というわけで紀伊国屋文左衛門は、荒天の年末に無茶な航海して紀州から
正月用のみかんを輸送して財を成したな。
853 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 01:22:10
>>851 ああ、聞いたことある。世界初の先物取引が生まれた時代なんだよな、江戸時代って。
米が対象だったと思ったけど、果実もそうだっけ??(違うような?)
ふつうに流通してたのって柿ぐらいじゃねーの?
流通というか、ちょっとした家の庭木にしてあったっぽいし。
『柿が赤くなると医者が青くなる』って言葉もあるぐらだしね。
てかさ、山に行けばそれなりに果実はあるだろ。アケビ、グミ、山葡萄・・・。
今はさほど喰わないけど、アケビなんかは手頃なビタミン源だったんでは?
果物商がいて、流通して店頭に並ぶというモノは少なかっただろうけどね。
856 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 02:41:42
山村ではあけびや無花果なんかが自生して食べられていただろうけど
都市部に流通は難しかったかも
やはり家の庭でできる柿とせいぜい桃くらいかなあ
>>856 アケビなんかは庭木として植えたりもしてたみたいだし、今と違って
里山が近くにあるから(燃料である薪の産出に必要)、江戸市中や
大坂なんかは別として大抵は「結構身近」に山へ入ってたんじゃね?
そういう意味では江戸周辺の近郊農家が実は一番の「外れくじ」かも。
決して自然環境は良くない場所なのに、近隣に世界有数の大都市を
控えてる訳で、生産物は否応なしに江戸市中へ送り出されたんだろし、
貨幣収入があったところで買う物もなし、農作物も手元に残らず・・・。
まくわ瓜は結構庶民に食べられていたはず。
西瓜も換金作物として、かなり栽培されていたらしい。
注連飾りに使うぐらいだから、橙も流通していたのでは?
>>857 生産物は否応なしに江戸市中へ送り出されたんだろし、
貨幣収入があったところで買う物もなし、農作物も手元に残らず・・・。
貨幣収入があれば商売人がやってきますよ。商品作物を生産していた農家はもっと豊だったでしょうね。
860 :
半七親分:2005/11/23(水) 10:04:25
果物は江戸時代水菓子と言っていました。
万惣などは今でもありますね。
861 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 11:47:07
瓜売りが瓜売り残し瓜売り帰る瓜売りの声
>>859 でもさぁ、お江戸は当時世界最大級の人口及び人口密度の「大都市」で、
しかし近隣の自然環境はそれを養える程豊かには思えないんだよねぇ。
江戸の周辺って台地か低湿地・氾濫原でしょう?そんな環境で江戸の
人口を養い、またそのエリアに作物を還流させる程の収量があったのか
疑問なんだよねぇ・・・。
>>861 瓜売りが瓜売りに来て売り残し売り売り帰る瓜売りの声
ならちゃんとミソヒトモジ。
>>862 大丈夫。当時は物流もかなり発達してたから諸国から物資が集積してた。それと見落とされがちなのは舟運。
今は見る影もないけど、当時は河川交通が発達してたから、 関東中から食料等の大量供給が出来た。
内陸部に『新河岸』なんていう地名があるのはその名残。
865 :
半七親分:2005/11/23(水) 13:11:24
866 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 14:25:26
>864
その証拠に山形県の酒田市では現在でも関西弁が話されている。
高校生でも居酒屋の女将でもしゃべるんだからビックリですよ。
867 :
ウリ吉(URIよし) ◆W54YifJ9n2 :2005/11/23(水) 14:36:22
へぇー?以前山形に行ったときは皆おもいっきりズーズー弁でしたけど。。ぷっ
868 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 14:48:24
>>867 行ったことないのに想像で物事語るな!ボケ。
米の流通関連で日本海ルートが密にあったの!
アホ。
そういう広域物流じゃなくて、生鮮食料品の流通が気になるのよ。
利根川水運で運べるのはコメとか薪とか、日持ちがするものが
中心だっただろうし、冷蔵技術がなかった当時は生の青果がどう
流通していたのかが気になる。
870 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 15:04:49
>>869 まぁ、ちとコアな話ですが、江戸時代の岐阜県の高山市なんかは
富山や金沢でとれた魚介類を塩漬けにして運ばれた生鮮食品が
腐るほどあったそうです。塩の道なんて名称は現在でも富山に抜ける
道の別名で残っています。
みかんは、かなり日持ちがするから平気な顔して
和歌山から江戸へ船で運んでたけど
>>870 その名残で、その辺では干物やしおから等の魚介加工品が名産です。
そっか。長野や群馬の野沢菜やたくあんなんかも
塩がキーワードですよね。
873 :
半七親分:2005/11/23(水) 16:02:46
余った嬬恋のキャベツも漬け物に
江戸時代のタクアンの尻尾は「死人が生き返るほど」しょっぱかったらしい。
塩は一般的に「食材の防腐保存剤」として多用されてたっしょ。
高山や松本・京都の「塩漬け魚」も同じ。
しかし塩漬けは「生鮮」ではない罠。
876 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 18:00:33
塩分のとりすぎになりそうな気ガス
877 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 18:04:55
だから、塩の濃いおかずは本のすこしで、玄米を山盛り食べてた訳さ
878 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 18:05:57
879 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 18:25:21
長屋の人糞を大家は練馬とか埼玉の百姓に売ってたと読んだ記憶がある。物々交換かもしれない。近郊とは行き来して商売し物は動いてたんでないかい。
玄米じゃなくて白米だよ。
ちなみに江戸庶民の一日の平均消費量は
一人白米五合、清酒五合だっていうんだから驚きだよ。
赤ん坊や老人まで含めた平均だから女も酒をがんがん飲んでたんだろう。
881 :
半七親分:2005/11/23(水) 19:45:06
今のように生鮮食品はございません。
野菜は旬もありますから、漬け物が多いですね。
魚は贅沢品です。多摩あたりで魚に酔っている子どもを見かけたものです。
要するに半分腐った魚を食べていたんですね。
>>880 それ1人当たりか?1世帯当たりの間違いじゃねぇの?
どう考えたって白米5合はキツいと思うが・・・。
でも、まあ大食いの比喩として「一升喰い」という言葉があるし、
5合くらいは喰ってたのかなぁ・・・
>>882 宮沢賢治も「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜 ...」って書いてるしね。
農村の食事なら江戸も、そのころも大して変化は無かっただろうし、
これが慎ましい食事って意味なら、5合は普通だったんじゃない?
貴重な現金収入だし、果物くらいなら多摩丘陵からは充分運べる。
昔、日野市あたりは梨の名産地だった。江戸時代からの名産かはしらんがな。
スマンな。
>>883 良寛さんが一時暮らしてたところに五合庵というのがある。貸してくれた和尚さんが住職引退後に住もうと思ってた庵だ。
で、何で五合庵かというと一日玄米五合で質素に暮らそうという望みを表してるわけ。勿論本当に五合喰うつもりだったか
どうかは分からない。 しかし、当時は米などから炭水化物以外にも蛋白質や油分を摂取して野菜は主に漬物か煮物で
塩辛い味が穀物を大量摂取するための食欲増進剤として機能していた。だから高度経済成長が始まって暫く後まで
似たような食生活が続いていたんだ。中国や東南アジア・南味も都市部を除いて同じ食物摂取の型が観察できる。
味がやたら辛い料理が多いのには一つにはそういう理由がある。彼らも昔の日本人も肉・魚に比べてカロリーの低い
穀物で体を維持しなければならないので現代の日本人より遥かに大喰らいなんだ。
>>876 そんなに多量に食べてたわけじゃない、副食自体が少なかったし。
塩は江戸時代は必要量に対し常に生産量が下回っていたと言われてるしね。
日本は塩不足になりやすい国なんで塩漬け品は貴重な塩自体として流通していた側面もある
887 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 22:05:29
可食部100g当りカロリー
牛肉、もも、脂身無し、和牛:143kcal
米、精白米:351kcal
江戸の郊外ったら野菜の大生産地じゃないか。
練馬、葛飾、小松川あたりなんか。
>>887 牛肉なら1キロ食えるけど飯1キロは食えん
>>887 精白米だからご飯にすると2・5倍くらいに膨らむ
だから100グラムで140kcalぐらいになる
成人だと一食180〜200グラムくらい食べてる、と思う
892 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/23(水) 22:57:44
>>891 だから、
>肉・魚に比べてカロリーの低い穀物で
は出鱈目。
実際には必須アミノ酸不足で体が満腹信号を出すタイミングが遅くなるらしい。
昭和30年代初頭に山形県(だと思うがうろ覚え、とにかく米どころ)で
食糧庁が行った実験を、後に作家になった西丸氏が書いていた。
当時漬物程度をオカズにして1升飯を普通に食べていた港湾労働者たちに、
副食としてメザシ2匹を食べ続けさせたところ、数日で飯の量が激減したそうだ。
896 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/24(木) 00:54:44
>>895 嵩で考えれば、どちらも比重1で重さと同じ。
明治時代かに人力車の車夫の持久力に感心した外国人が
彼らに欧米型の食事を摂らせてみたらトタンにバテたらしい
ほぼ糖質と塩分だけの食事はマラソンランナーが
レース前に摂ったりするから、肉体労働向きだったりする
カーボンなんとかってやつだな。
899 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/24(木) 08:25:20
>>894 昭和30年代の映画を見たときのこと。
田舎の爺さんが、都会の嫁さんをもらった息子に会いに行くんだが、
その爺さんがおむすびを持ってきた。そのでかいこと。
男の手の1.5倍はある結びを3つ。
当時はギャグかと思っていたが、今考えると納得。
普段茶碗に盛ってあるご飯だと1膳弱だけど、お握りにするとついつい食べ過ぎちゃうのは関係ないかな。
塩・海苔・梅干だけのなんか、1合ぐらいぺろっとたべてしまう。
確か飛騨の豪族、塩屋秋貞なんかは名字の通りその地方の塩供給を仕切ってた塩屋さんなんだよね
今川の塩止めとか上杉謙信とかの逸話が出来た背景には当時の塩の貴重さがあるのかも
ちなみに塩屋秋貞さんは塩供給のルート確保のために越中に攻め入ったりもしたそうな
恐れ素だが、
焼く前の肉と炊く前の米のグラムあたりのカロリー比べて何をしたいのか、一般人の俺にはよく分からない。
食べる状態ではかってくれや。
比重は1で重さと同じ、とか言ってるしw
>>907 必須アミノ酸が充足されるまで食べ続けるって訳ね。 大豆を多く摂取すると米をあまり食べたくなるのも同じ理由か。
自分の経験を省みて納得。
>>907 現代の栄養学からすれば一升飯は信じられない暴食ですから。
とはいえ、有酸素運動主体の肉体労働が延々と続く仕事では摂取した多量の炭水化物は無駄には
なっていなかったでしょうね。ただし白米の一生飯はお祭りなどハレの機会に限られていたようです。
>>909 信じられないのは、「現代の栄養学」ではなく、
「現代の生活における消費カロリー」でしょう。
>>907話は解ったがそのサイト、下のほうにトンデモネー事が書いてあるな。
>ひとつのアミノ酸を時間をずらして摂取してしまっただけで、
>他のアミノ酸の利用まで出来なくなるのです。
人間には肝臓が無いのかと小一時間(ry
一升飯.>米一升が1・5キロだから 351×15=5265kcal
一合で丼飯くらいとして丼10杯の飯かあ・・・
体育会系・成長期の♂なら、おかずは殆どないから食べられるかな
913 :
半七親分:2005/11/25(金) 07:38:35
御用だ。御用。
914 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/25(金) 12:37:47
江戸時代ってカッキーね!!!
我慢がきく人間には江戸時代のほうが暮らしやすそう。
市川で精製した塩を、旧江戸川・新川・小名木川を経由して
舟で江戸まで運んでたんだな。
(今は小名木川と新川は荒川でぶったぎられているが)
江戸時代ったって、それこそ地域差が大きかったんじゃないのかなぁ。
都市部と農村、漁村、山間部とかでそれぞれ食生活に大きな差があったんじゃね?
市川だけど行徳なんだよなぁ…市内だけど違うんだよぉ。
920 :
半七親分:2005/11/26(土) 10:00:25
今日のあっしの朝飯を気恥ずかしいですがお話ししあしょう。
ご飯2合、お味噌汁2杯、お菜が少々。
>>919 納豆もローカルな食べ物で全国に普及してなかったらしいし。
戦前(第二次世界大戦)までは日本人に生まれながら寿司を一度も口にすることなく
死んでいった人が多かったという話を社会学の授業で聴いたことがある。
>>921 えらく東日本に偏った認識だなw
納豆なんて今でも関東ローカルの食材だよ。確かに全国で売ってるけど、
それは基本的に仕事や学校で全国に散らばった関東人の需要があるからで、
元々食べる習慣のなかった地域の人は今でも「積極的に食べる」習慣はない。
寿司の件も、喰ったことがないのは江戸のローカル食だった「握り寿司」だろ。
散らし寿司や押し寿司、なれ鮨(鯖寿司や鮒鮨など)なんかは地域それぞれで
祭りの時や慶弔の際に喰ってただろう。
冷凍、冷蔵が容易でない時代に、山間部に鮮魚を輸送できるかどうか。
926 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 18:36:49
山間部の散らし寿司とか笹寿司・押し寿司などは魚類を使わず
茸や山菜を使ったものが多いね。
現代はどうも江戸前の握り寿司のイメージが強いけど、元々は
これが異端なんだけどね・・・。それに江戸時代はファストフードで、
今みたいな「ハレの食」ではなかったはず。街角の屋台なんかで
パクパクと手軽に食べるモノだったんでそ?>握り寿司
927 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 18:39:17
926
いまの立ち食いそば屋のイメージだなあ・・
正直寿司なんて美味いと思ったことないけどな・・・
929 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 19:30:05
>>924 人の住める所には川があり、川魚を使えるよ。
930 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 19:31:51
熟れ寿司とは話題がそれるが、ヨーロッパの内陸でも川魚が食べられている。
川魚は、そりゃ獲れれば食べるっしょ。
ただ日本では鯉や鮒が安定して獲れる川は少ないのでは?
933 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 20:05:23
934 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 20:11:58
日本は馬車はなかったが水運がそこそこ発達していて、
鮮魚ではないが塩鯖、身欠き鰊などが山間部まで運ばれていた。
寄生虫の問題があるから、川魚は生食にむかないわけだが
生で喰うのは鯉の洗いくらいかな?まあ最近は岩魚の刺身とかも出るけど、
清浄水で育てた養殖魚なんだろな。
まあ、お江戸の時代なら川魚は漁獲量やその大きさの問題があって、
なかなか主要食材には成り得なかったんじゃないかと思うね。
川魚でもウグイとアユは季節に合わせて大量に取れるから重要な蛋白源になってたよ
938 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/26(土) 22:35:57
>>935 だから、握り寿司ではなく、熟れ寿司なのだよ。
>>931 鮒は今じゃなんだかあんまり見かけないけど、昔は湖や沼のあるところ
だったら普通に捕れてた魚だよ。
日本の伝統の食品みたいに思われてる握り寿司だけど、江戸時代は
江戸限定の食い物だよね。
大阪にも江戸から握り寿司持ち込んでやってた店あったらしいけど、
それほど流行らなかったらしい。
941 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/27(日) 10:12:46
>>940 戦前の九州でも知られてなかったよ。特に庶民層では。握り寿司とおにぎりの区別がつかなかったらしい。
寿司といえば押し寿司を指す地域・時代だったからね。
943 :
酉:2005/11/27(日) 17:21:48
にぎり寿司は花街で売られてたんじゃなかった?
違うよ。職人相手の商売だよ。
花街で喜ばれたのはおいなりさんじゃなかったかな。
946 :
もぐもぐ名無しさん:2005/11/28(月) 08:57:53
,_,..,ィヽ,、
/;;::r‐〜-ミ、 wellcome
4~/へi::::::;/,ヘミ7
'-l|<>|:::::|<フ1|i'
l! '" |::::l、~`リ
/`ー、 ハー;";::i:::ヾイl! ,r'~`ヽ、
,.ィ" ri l i ト、 1:|`丶:;;;:イ' ill!7、 、 y; ヽ、_`
,. -‐''" 、 くゝソノリ~i | - 、 , -‐'7ハ ヾニト- ~` ー- 、_
, ィ ´ ,ゝ、_ `r' l | 、レ // `テ三..ノく _ ` ヽ、
/ , -' ,、 `、_) l,i, i // (/ ...,,;;;;:` 、 ヽ それは わたしの おいなりさんだから
;' '" ノ ;;;;:::: i ! : // .....:::::;;イ、_、_\ _ _ノ
l ..,, __,ィ"-‐´ ̄`i::::: ゙゙゙= ...,,,,,. l | ,// - = ""::;; :/ ` '''' '"
ヾ :;;;,, ,i l,// ,,..," / _,,.....,_
,. -- .,_ \ :;,. ;' V ;! `; /;: ノ ,.ィ'"XXXXヽ
/XXX;iXXミ;:-,、 ヾ '" ''' /./! ヾ / ,. - '"XXXXXXXX;i!
,!XXXXi!XXXXX;`iー;,、 i 、. / ;:::゙i ;: , | ,. r'"XXXXXXi!XXXXXX:l!
|XXXXX;|XXXXX;|::::::::|`ヽ、 ,! ,': : :| ,.レ"::::|XXXXXXX|XXXXXXX;l!
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XXXX:/ `ヾ::;;;;;:ツ ヾ;::: ; ノ ヾ:;;:::::::ゝ'" ヾXXXXX |
XXX/ `ヽ 、 _ゝく _,,. -`''" i!XXXXX:|
948 :
何故か徳川と寿司は縁がありそう…?:2005/11/28(月) 22:25:25
歌舞伎座:江戸食文化紀行 *NO20−すしの移り変わりーより抜粋
http://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html 奈良、平安時代のすしは馴れずしでしたが、室町時代になると、馴れずしよりも
漬ける期間が1ヶ月前後と短い生なれが作られ、飯も魚肉とともに食べるようになりました。
江戸時代も初期のすしは馴れずし、または生なれでした。「義経千本桜」の3段目に登場する
鮎ずしも生なれのすしです。
江戸中期の延宝年間(1673−80)になると、乳酸発酵による酸味ではなく、
飯に酢を加えてつくるすし飯が考案されて押しずしがつくられるようになりました。
押しずしは箱ずしとも呼び、すし飯を四角のすし枠に詰め、その上に薄切りの魚介類
などのすし種をのせて蓋をし、重しをかけて押してから枠から抜き、切ったものです。
押し寿司は関西で流行ったあとに江戸に来たようだ。
>>330も書いているが、江戸でも最初、屋台で売られていたのは押し寿司だった。
江戸後期文政の頃(1818−30)になって握りずしが登場し、その後
江戸前寿司として発展して今に至るようだ。
951 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/02(金) 18:39:14
江戸前鮨が屋台発祥というのは嘘だと、ある有名な鮨屋の親父に言われた。
952 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/02(金) 18:47:30
庶民のあいだで一番人気だった食べ物ってなんだろう。
時代小説とかによく出てくるから、蕎麦なのかな?
>>951 一番最初は屋台じゃないよ。高級料理として始まったらしい。
一貫が二百五十文ぐらいしたそうだ。そのあと、急速に庶民に広まって
屋台の寿司が一般化したんだとか。
はやいもので、そろそろ次スレですね。
江戸時代の食事〜ニ代将軍秀忠
なんてどうでしょう。
第16スレから先はどうするのかw
明治以降の食事を語る
このスレでかなり語り尽くされた感もあるから、次スレではひとつ時代を遡るのはどうだろう?
959 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/03(土) 00:15:18
>>953 シャリとねたを一緒に食べる食べ方は高級料理でない証拠。
江戸→明治の中間辺りを語ってみたいな。
飛鳥・白鳳時代の食事
963 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/03(土) 08:26:09
ひねりのないやり取りスンナ
第三者にはつまらなすぎ
965 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/04(日) 17:55:39
江戸時代の鳥料理を教えてくれ。
焼き物くらいしかしらん。庶民的なもんてそれくらい?
966 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/04(日) 18:37:23
焼き物、煮物、蒸し物、炒め物、揚げ物。
軍鶏鍋
街中でも鳥は喰ってたの?まあ田舎は雉やら鴨やら鶏やら潰して喰ってただろうけど。
婦頼度血禁
970 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/04(日) 20:17:57
>952やっぱり屋台の蕎麦はポピュラーだったみたいね。値段も手ごろでおやつ感覚で食べてたみたいよ。屋台なのにつけをしてくれた屋台もあったみたい。そんな資料を原文で見た記憶がある。給料日に麸を乗せるってウキウキしてたよwwww
971 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/04(日) 20:49:22
>>968 町中でも鳥料理屋はあったような。うろおぼえだけど。
974 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/04(日) 22:38:43
>>970 なんかいいエピソードだなw
給料日はちょっといいモノを、ってw
>>974 鬼平犯科帳に出てくるシャモ鍋屋の五鉄みたいなのを想像してたけど、店のHPで玉ひでの歴史見ると、初めから高級店っぽい感じだね。
977 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/05(月) 00:10:52
汁かけ飯は家格を落とすという高級店です。
979 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/05(月) 00:15:35
玉ひでは親子丼が有名だけど、べつに親子丼の店じゃないんだが。
江戸時代から親子丼やってた訳じゃないし。
981 :
もぐもぐ名無しさん:2005/12/07(水) 23:23:54
そう、親子丼はお店売りしては老舗玉秀の家格が落ちるとして、
お出前としてのみ売出されたものです。
そんなに家格ってものが大事なら出前としても初めから売らないと
思うけどねぇ。
出自は御旗本みたいだけどとっくに武家じゃなくなってんだし、その
へんは下町のざっくばらんさと商家としての名より実を取る合理性で
あんまり気にしなかったんだろうな。実際に人気が出ちゃった訳だしね。
今までいろいろ書いてきましたが9割憶測です、すいませんでした
∩___∩ | , '´l,
| ノ\ ヽ | , -─-'- 、i
/ ●゛ ● | | _, '´ / ヽ、
| ∪ ( _●_) ミ
>>984 j iニニ, "● ∪ ヽ、
彡、 |∪| | iニニ、_ ',
/ ∩ノ ⊃ ヽ 〈`'ー;==ヽ、〈ー- 、 !
( \ / _ノ | | `ー´ ヽi`ヽ iノ
.\ “ /__| | ! /
\ /___ / r'´、ヽ
`´ヽノ