1 :
思い出ポロポロ:
その1
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/3640/tabemo08.htm その2
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/961373743/-100 名前:病弱名無しさん :02/03/07 02:08 ID:ML+bJ1cm
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。
その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
あれ以来、高野豆腐は食べられない。
名前:病弱名無しさん :02/03/07 02:44 ID:ML+bJ1cm
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを
横にして冷やしていた。 酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとっ
て、ビールに関してだけこだわりを 持っていたのかもしれない。
酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。 親父が死んだ時、
なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、
これからのことを 話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり
冷蔵庫を開けた。 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮さ
れて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。
2 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:57
かれ〜
3 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:58
しちゅ〜
4 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 02:59
ころっけ〜
5 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 03:15
ちゃ〜はん
はんば〜ぐ
7 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/16 05:24
ここに書いていいのかなー?
年末、帰省したんです。
そして、いつもの通り帰省したその日はお寿司屋さんに家族全員で行きました。
そこでいつももめる問題、私・父の酒飲みグループはカウンターキボン。
おばあちゃん・母の食べ専はお座敷キボン。
その時は私も疲れていたんでお座敷でマターリしたいと思ってお座敷にしようよー
と父に言った。多勢に無勢で父も承諾。
おばあちゃんは嬉しそうにいそいそとお座敷の奥へ。
お座敷の上席は必ずおばあちゃんと決まっているから。
そしてみんなでマターリ飲みつつ、つまみつつ。
私の東京での話とかしながらみんなでほのぼの飲んでいた。
そしたら普段は飲まないおばあちゃんが、ビールを飲みたいと言い出した。
その店は中生しか置いてない。
でもおばあちゃん一人じゃ飲みきれないから少し誰か飲んでくれと。
その頃はもう呑み助チームは冷酒に走っていてビールどこではなかったんだけど
そんな事言ったらおばあちゃん「じゃぁもったいないから止める」と言い出すのが
目に見えていたから、私飲むよー。と言って、オーダーした。
来たビールを、すごく美味しそうに飲むおばあちゃんを見て
なんとなくほのぼのしてた。結局全部おばあちゃん飲んじゃったけど(w
なんかすごくおばあちゃん楽しそうだった。何故かは分からないけど。
これからもずっと帰省する度にそれが続くと思ってた。
でもさっき。2時頃の電話でそれが二度と無いであろう事を知った。
おばあちゃん入院してたらしい。
言ったら私が帰ってくるのを見越して、入院の連絡をしなかったらしい。
そして今日、さっき。急に容態が変わってすぐに死んじゃったって。
母は泣いてた。実母だし。でも今の私は信じられないとしか言いようがない。
だって正月にビール飲んでたのになんで?って感じ。
居て当たり前の人がなんで居ないんだろうってすごく不思議に思う。
カウンターvs座敷の戦い?にも勝ったのに。好きなうにだって4巻も食べたのに。
全部今まで通りなのになんでなんだろうって感じ。
なんかただ感じた事を書き連ねてるだけみたいなレスになっちゃった。スマソ。
始発で帰らなきゃいけないから飲みながら2ちゃんやってたら
このスレ見つけて、なんとなく思い出して書いてみた。
でも信じらんないや。
そして長文スマソです。
ご冥福をお祈りします。
おばあちゃんは良い思い出を胸に、冥土に行かれたことと思います。
10 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/17 23:58
不慮の事故などを除けば、自分の死ぬ前って、
自分でわかるんだと
『自称・何度も死線をくぐってきた』爺さんは
言ってました。
死ぬ前になると一度人間は朗らかになるのだそうな。
本人もその通りに死んじゃったけど。
そんな爺さんの最期の言葉は
『おい、なんか甘いもんないか』
でした。
11 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/18 16:53
>7さんのレス読んだら思い出しちゃったよ(T_T)
ちょうど4年くらい前。
横浜のおばあちゃんがもう長くないって聞かされた。
誰にでも優しかったけど、俺は一番下だったから特に可愛がって貰ってた。
直ぐに見舞いに行きたかったんだけど、時同じくして俺の嫁さんが出産。
で、子供が無事生まれたんで写真を持って次の日御見舞いに。
元々すごく痩せてる人だったけど、もう見る影も無いくらい痩せてた。
自分では立つことも排泄もできないし、もう食事もできなかったらしい。
「おばあちゃん、曾孫だよ。昨日生まれたんだよ。名前は○○。」
ただ頷きながら、叔母さんに何か頼んでる。
叔母さんが「○○君、おばあちゃんビールで乾杯したいって。」
小さなコップにほんの少しだけビール入れて俺と乾杯してくれた。
「おめでとう、よかったね。」って消え入りそうな声で。
嬉しくて悲しくて隣でずっと泣いてた。
1週間後、おばあちゃんは亡くなった。
あの時のビールは味がしなかった。
12 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/19 15:35
>>11 (TдT)でもひ孫さんの誕生を知らせれて良かったね。。
13 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/19 15:48
当時付き合ってたカナダ出身の彼。
雪が降った日部屋に遊びに行ってお茶を飲んでた。
彼が台所に消えたなーと思ってたら、ニコニコしながら
巨大なお鍋を抱えて戻ってきた。
「開けてみて!」って言われて
恐る恐る開けたら中は...大量の“おでん”。
付き合いはじめの頃(夏)おでんが好きって言ったの覚えててくれたんだなぁ
とちょっと感激だった。
角切りハンペンと薄切り大根も良いものだ。
14 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/20 12:11
去年、父方のばあちゃんが死んだ。
そのときはあまり泣かなかった。
火葬してるとき、その5年前に死んだ
(父方の)じいちゃんの事を思い出した。
じいちゃんは、いつも家にいくと、オロナミンCをくれた。
僕はいつもそれを一気に飲んでいた。
葬式が終わった3日ほど後、オロナミンCを発見し、
2本買って飲んでみた。
ちびちびちびちび飲んだ。
少し悲しくなって、KRAFTWERKのアウトバーンを
聞いたら、益々悲しくなって、夜は眠れなかった。
そのせいで、次の日の学校では、休み時間に寝てばっかりだった(w
やっぱりばーちゃんの作ってくれたサッポロ一番しょうゆラーメン。
「 いまからこしらえてやるからね 」 という一言がスタート。
水のきれいな田舎でもないし、特別な調理をするわけでもない。
だけど、家で食べるのとは違っていた。
戦中戦後のゴタゴタで家を失い、
ボロ家の市営住宅で細々と暮らしていたけど、
それでも笑顔を絶やさない、やさしいばーちゃんだった。
今はばーちゃんもじいーちゃんも死んじまって家も既に無い。
だけど、ボロっちいコンロも、安っぽい鍋も、端の欠けたどんぶりも、
はっきりと思い出せる。
16 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/20 23:03
短期留学でタイへ行った。タイと言えば、エスニック料理の本場なのに・・・。
料理は全て学校側が食堂の人にお願いして作って貰っていたが、
前回来た人が、辛さに参ってしまったと言う事で、先方の学校の方の配慮で、
僕らには、薄口の料理ばかりがでた。
食事のたびに周りから美味しそうな香辛料の香がするのに、
僕らの食べるものと言えば、朝はお粥に、昼も夜も、中華風の薄い味付けの料理ばかり、
暑い所で薄口の料理ばかりだと、段々と元気がなくなるんだよね。でも好意なので我慢していたが、
1週間が経った頃、私は、もう体が持ちそうになくて、いつもの食事とは別に
チキンカレー(勿論香辛料ばりのタイ風)を一皿注文して一口食べた。
もう至福の瞬間だった。うま・・・・い・・・・・!
そのチキンカレーには、チキンが1ピースと香辛料の利いた薄いスープがかかっていたが、
その1ピースのチキンとスープを7人の仲間で残さず分けて食べた。そしたら、みんなの顔色が変わったよ。
その様子を見ていた食堂の方が翌日から普通の生徒と同じ香辛料の入った料理を出すようになった。
その最初の辛い食事はやはりチキンカレー!!7人で残さず、全員お代わりして食べました。
タイ料理には、トムヤンクンや、タイスキとか沢山あるけど、
やはり一番最初に食べたあのチキンカレーの味は、忘れられない思い出の味だね。
17 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/22 01:34
高1のクリスマス
その彼女(今の妻)とは初めてのクリスマスだった。
横浜に行って、夜の食事をどうしようかと言う事で高級レストランでステーキ食べようと言う事になった
彼女からはそこは高いと言うのでその下にある結構くだけた感じの安めの所を勧められたが
俺は食事の時にプレゼント(指輪)を渡そうと思っていてシチュエーションは大事にしたかったので
結局雰囲気たっぷりの方にした。
クリスマスと言う事でラフな格好をした俺達でも入れた。結構浮いてたが窓側。
俺は一人っ子だから親とよくこういう所には来ていたが彼女は兄弟が多かったせいか
こういった所は初めてらしく食べ方や座り方など事細かく聞いてきた。
そしてメインディッシュの4000円(?g)のステーキ・・・これはうまかった。
でも彼女は前菜だけでお腹いっぱいになったらしくとても気持ち悪そう。
そして俺もさすがに自分の分だけで満腹になり彼女が食べた3切れ以外を食べるのは結構キツかった
二人で合計15000円也。
入るのが遅く最後から2番目の客になった上終電に間に合わなかった。
幸い電車代120円の所まではいけたのでタクシーで帰れたが
結構忘れられない
♪僕たち厨房 駄スレだけにーついてー逝くー
今日も 立てる 煽る 荒らす そしてさげーられーるー
いろんな厨房 生きているーこの板でー
今日も 騙る ばれる 切れる そしてさらーされーるー
19 :
もぐもぐ名無しきん:02/03/24 22:48
20 :
もぐもぐ名無しきん:02/03/24 22:49
って19は俺だ!(爆
21 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/26 12:20
高校時代は毎日母のお弁当だった。
大学時代も、たいていお弁当を持って出かけた。
彩りもきれいでおいしくて、友人の間でも評判で自慢だった。
就職して、社員食堂でランチをとるようになった。
忙しさにまぎれ、昼食を摂れない日が多くなった。
日に日に、食べられる量が減っていった。
床と天井がくっついたり離れたり、見えるようになった。
そんなある日、食卓にお弁当が置いてあった。
持っていきなさい、と。
食べたくないものは食べなくていい、
行きたくないとこには行かなくていいんだよ。
そう言って母はお弁当を持たせてくれた。
お母さん、ごめんね、ありがとうね。
あの時のお母さんのお弁当はやっぱりきれいでした。
でも、食べられませんでした。
会社もやめてしまったけれど、今、お母さんの料理を
おいしいと思って食べられるようになったことがうれしいです。
乳がんになんか、負けないで。わたしはあなたの味をまだ作れない。
麦茶の入った冷たい味噌汁
中学校の夏休みに
牛乳まではいけてたんだが
23 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:03
もういないばあちゃんの甘めのそうめん。普通はにゅうめんて呼ぶかな?
食事におよばれしたときは必ずといっていいほどでた。
ただのそうめんなのに同じ味がつくれない。
某番組を見て最期の食事はなにがいいだろうなぁと考えたら
それにゆきついた。
24 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:12
クレープが大流行した小学生の時
母親にせがんで作ってもらった。
「薄くて甘い生地でつくったかわでチョコレートを包むんだよ」
と説明してから登校した。
期待に胸を膨らませて学校から帰ってきた私を迎えたものは
春巻きの形をしていたクレープだった。
薄い皮で包むといったらこの形しか思いつかなかったみたい。
でも、私のために知らないお菓子を一生懸命作ってくれた母。
形はおかしかったけど、あのクレープはおいしかった。
25 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/27 15:37
おフランスで食べた「生牡蠣」サイコ〜!
高校生のころ、同じ部活の男の子に初恋をした。
ある日彼が何気なく「アップルパイ食べたいな〜、Hちゃん(私)作ってよ」
と言ってきた。
料理が得意とか言った覚えもないのに名指しでリクエストされた私は、
ものすごく張り切った。何冊も本を参考にして、試作に試作を重ね、
彼のために心を込めてアップルパイを焼いた。
そして、とうとうそれを彼に渡す日はやってきた。
学校で「S君、前にアップルパイ食べたいって言ってたよね」と
どきどきしながら彼に渡すと、彼は満面の笑顔で
「すげー!みんなで食べよう!」と…
…みんなで…
私も一応部活の人数分フォークを用意していったけど、なんかさみしかった。
その時のアップルパイの甘酸っぱさは忘れない。
27 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 10:54
俺の思い出の食事は、母の作った食事。ただし、ずっと昔のやつ。
前もって書いとくけど、母はまだ死んだわけではなくて、元気だよ。
うちの母は田舎育ちの昔かたぎで、料理には極力、化学調味料は使わず
掃除するにも薬品は使わずに水でしぼった雑巾だけで掃除する、というタイプだった。
化学調味料は使わないで、何でもちゃんとダシを取って作るので、
今から考えるとすごく美味かった。ダシから作ってると、同じ料理でも
日によって味が結構変わったりとか。この頃の味噌汁は、本当にすごく美味かった。
けれど俺が大学に入って夕食はほとんどバイト先か学食で食べるようになり
他の兄弟は就職して独り立ちしてしまうと、母の気張りもなくなった。
父は既に他界してたから、母一人になったら、手抜き料理で済ませるようになってしまった。
味噌汁は、減塩ダシ入りとかいうのを使うようになってしまい、
びっくりするほどまずくなった。コクが無いしみょうに薄い気がする。
その他のおかずも出来合いの惣菜を買ってきて済ませるようになった。
自分で作る時でも、なんでもかんでも化学調味料をぶちこんで適当に作るので
どーも変な味に思える。
もう一度、毎日張り切って作っていた頃の母のご飯が食べたい。
時々、「ちゃんとダシから作った味噌汁作ってくれ」と頼むんだけど、
「そんなん、もうしんどいわ」とか言って誤魔化されてしまう。
盆正月に家族が揃っても、寿司を取ったり出来合いの惣菜だったりで、
母の手料理が全然食べられないでいる。
もう無理かと最近はあきらめていたんだけど、ここを読んでまた頼んでみようって気になってきたな。
まだ母は元気だけど、この先何が起こるかわからない。
元気なうちに、またあの美味しい味噌汁を作ってもらおう。しつこく頼んでみようと思う。
28 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 14:22
29 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 22:59
トンポーロー
>27
う〜ん、それあるなぁ。
漏れの親も、出汁はきちんと取る人だった。
でも、この前実家に電話したら、シュウマイをデパートで買って帰ったそうな。
昔は惣菜屋なんて絶対行かなかったのに、最近は「めんどくさい」らしい。
ヤパーリ、作っても食べる人がいないと張り合いがないのか。
自分でも最近そんな感じだしな。
実家に帰ると、超薄味の精進料理しか作ってくれなくなったり。
親も年を取ると言うことなんだろうなぁ。
31 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/02 21:10
前日が鍋だったのだろう。その日の昼食は「おじや」
母と5歳の妹と当時小学5年生だった私の三人で囲む平和な食卓。
そこに、酒乱の父が怒鳴りながら乱入、ヤカンを食卓に向かって投げた。
怯えて泣き出す妹。
気の強い母が何か言い返して殴られてた。
私は「やめてー」と泣きながら言っていたような気がする。
もうだめだ、このオッサンには何も通じない。
逃げ出そうとした私たちに、というか私に向かって父が包丁を投げた。
割れたお椀、飛び散ったおじや、横をかすめた包丁の音。
忘れられない…。
32 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/02 21:40
二人暮らしだった母の最後は「何も食べたくない」毎日だった。
元気な時に好きだった、「稲庭うどん」を病院の炊事場で冷たく
して口に運んだら全部、嬉しそうに食べた。その次の日、死んだ。
いまは彼のために作る。作ってあげられる誰かがいてくれることが
とても嬉しい。
裸足で逃げ出したあの日。父は大暴れしたあと眠ってしまったようだった。
母と5歳の妹と当時小学5年生だった私の三人はこっそり家に入って
靴と財布、自転車を持ち出して数少ない親戚を頼って逃げたっけ。
結構な距離がある道のりを自転車でトボトボと歩いていたらすっかり夕方…。
子供心にお金の心配をしていた私は「お腹がすいた」の一言が言えなかった。
そんな時目の前に、持ち帰りができるお好み焼き屋さんがあった。
ソースの焦げた、なんとも食欲をそそるその香り…
母が「お好み焼き食べようか」と言ってくれた。
店先でしばらく待ち、パックに入ったアツアツのお好み焼きを受け取った。
入れ物を支える左手に伝わるお好み焼きの暖かさ、かつおぶしの揺れる様…
お好みソースの香り、一口頬張った時のキャベツの甘さ…
肉の入ってない野菜焼き、三人で分けあって食べたっけ…
あれから美味しいと評判の店のお好み焼きや、肉や魚介類の入ったお好み焼きを
食べたけど、そしてどれも当然美味しいんだけどあの時の味には敵わない。
うちの父と母は、私の恋人の前でも平気で喧嘩をする。
今、父とは話をしなくなって一年も経った。
前、彼と私の家族とで夕食を食べに行った時のことを今でも思い出す。
その日なんか家を出る直前に二人は怒鳴りあっていた。食べながら、私が
「あまり人の前で喧嘩するのやめてよね」と言ったら、父は今まで聞いたこともないような声で
「そうだよな、恥ずかしいよな」って言った。
本当に泣きそうになった。
けどその数日後、父が恋人の前で
「●(弟)の物は俺の物だ」
っていう糞な発言をした。それから父とは話していない。
食事、あまり関係ないね。スマソ
35 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/04 22:00
おいおい
私たちは翌日には酒乱の父の居る家に帰った。
しかし今後のことを親戚を交えて話し合うことになった。
酔いが覚めて正気に戻っていた父は泣きながら謝った。
そして親戚のすすめもあってアル中病院に入ることになった。
アル中親父が入院していた時は母と妹と三人で楽しかったなぁ…
暴力に怯えることも無く顔色をうかがうことも無い生活。
私たちの中では例え父がアル中を治して退院しても、母は父と離婚して
私たち三人で暮らそうという話になっていた。
もうあんなお父さんなんかいらない。
そんなある日、父が一日だけ外泊の許可がおりたとのことで帰ってきていた。
また暴れて大変な事になっていないだろうかと慌てて学校から帰った私の目に
飛び込んできたのは、病院で着ていたというパジャマにガウン姿でトーストを
食べている父の姿だった。
しかもコーヒーを飲んでいたのだ。
父は職人で酒を飲んでいるか、米の飯を食っているか、パンツ一丁でウロウロして
いるかといった人だったので私にとってその姿は衝撃だった。
母がパートに行っていないからお腹が空いたので自分でパンを焼いて食べていたとのこと…
私が目を丸くして驚いていると「病院では朝はパン食だったからな。パンも結構美味いな」
なんて言ったりした。
照れながらガウン姿を私に披露して、私の分までトーストを焼いてくれた。
砂糖をかけて甘くして、コーヒーは子供だからとお茶を入れてくれて…
小さな声で「今まで…すまなかったな」と謝った。
お酒を飲んでいない時は気が弱くて優しい人なのだ。
今までの辛い思い出よりも父にしてもらったことや楽しかったことが一気に思い出された。
まるで生まれ変わったかのように人が変わった父と食べたトーストは少し焦げていた。
この人ともう少し一緒に居たいと思った…。
結局、父と母は離婚せずにやり直すことになった。
アル中病院から退院してきた父、これからは毎朝一緒にトースト食べられるね。
3日も経たない内に後悔する事になる。
自分が小学1年生か、2年生だったと思う。その日の夕食のちゃぶ台に乗って
いたのは餃子だった。ほかにもいろいろ並んでいたはずだったけど、もう思
い出せない。「いただきます」と食べ始めてすぐ、父が怒り出す。餃子のタ
レに酢かラー油が入っていなかったらしい(私は醤油だけで餃子を食べてい
たから気がつかなかった)。そのとき母は台所で最後の1品を盛り付けていた
ところらしく、両手がふさがってたため父に向かって「自分で取って」と
言った。その母の一言が日ごろから亭主関白だった父の癇にひどく障り、直
後両親は喧嘩しだした。二言、三言、口論が続いたと思ったら父は「こんな
もの食えるか!!」と「巨人の星」の星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返し
た。父はそのまま家を出てどこかに酒を飲みに行ってしまい、後に残ったの
はめちゃくちゃになった食卓、ちゃぶ台の足にぶつかって割れた窓ガラスの
破片、茫然自失とした母、子供用の低い椅子に座ったまま火がついたように
泣き出す弟、これまでみたことも無い父の一面を見て怖くなり怯えて泣く私。
弟と私はお腹がすいたまま母に無理やり寝かされたが、翌朝茶の間を見ると
ひっくり返ったちゃぶ台はまだそのままだった。
今は私が結婚したため、両親と食事をいっしょにする機会は少なくなったが、
何かの折にこの話が出ると、「あの時は悪かったなあ・・・」と真っ白に
なった頭をポリポリ掻きながら、恥ずかしそうに父は私に謝る。両親は今で
もさかんに口論するが、父はあの頃のようには激昂しなくなった。
友人と同じアパート(部屋は別)に住んでいたころの話。
午後3時頃にそいつが俺の部屋に来て「おい、メシ作ってやるから一緒に食おうぜ」
と珍しく気前のいいことを言うんで、二つ返事で同意した。
「じゃ、まず風呂に行ってからだな」と彼は言い
そのとき既に俺は腹ぺこだったが、タダ飯食えるなら、とそれも同意。
一緒に銭湯にいった。ところがそいつの入浴時間が長くて。出たのが1時間半後。
アパートに帰って頭を乾かしたりなんだりで更に1時間。
ようやく作り始めたが凝り性でなかなか進まず、その後も
そいつの友人が部屋に来て雑談モードになったり、どんどん時は過ぎる。
もう俺は空腹でフラフラだった。
こんなことならひとりでカップヌードルでも食えば良かったと後悔した。
ようやく念願のメシにありつけたのは夜中の12時を過ぎた頃。
凝って作ったから白飯も味噌汁もおかずも綺麗に上手く出来ていたが
味はまったく覚えていない、と言うか
腹立たしさと情けなさで味をまったく感じなかった。
そいつの、そう言う大陸人みたいな感覚が、
どうにも生に合わず、その後しばらくして縁を切った。
40 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/10 22:35
全然いい話じゃなくてスマソ。
高校一年生のある土曜日、自転車通学で食べ盛りだった私は
とにかく早くお昼ご飯にありつきたくて、筋力の限りを尽くして
自転車をこいでいました。
ところがちょっと気を抜いたのが災いして、信号の無い小さな横断歩道で
はねられました。そりゃもう豪快に、2tトラックに。
自転車が大破したのと慣性の法則でふっ飛ばされただけでたいした傷は
無かったんですが、そのせいで酷い目に。
念のため運ばれた病院で、レントゲン検査を受けて結果待ちの間、
ああおなか空いたなあ…と思いながら家に電話をすると、母の怒号。
「なにやってんの! 早く帰ってきなさいよ!」
まあ、連絡もしないで1時間以上経ってるし仕方ない。
が、『はねられたんだよ』と言っても母はまったく信じません。
「冗談言ってないで、もうごはん冷めちゃったわよ!」
ていうか私も空腹だってば。
……その後警察に電話を代わって、ようやく納得したようでした母。
検査の結果どこにも異常は無く、私をはねたトラックの運転手と
再起不能になった自転車とともに帰宅したところ、
「あらまあやっぱり本当だったのね」
という暢気な声とともに、母およびパジャマ姿の父が登場したのを
見て、私は心から泣きたくなりました。いい加減信じてくれよう。
……ひととおり落ち着いて居間に行くと、食卓には冷め切った
皿うどんが私を待っていました。
「冷めちゃったけどお昼食べなさい」
って、…せめてあっためて欲しかったよおかーさん(泣)。
私はこの食事のためにトラックにまではねられたのか…鬱だ。
どういう事実の歪曲でか、月曜日学校に行ったら私は死んだことに
なってたってのがさらに鬱だったけどさ…
>37
続き、きぼんぬ
>40
w) 死なないで良かったね。
3日も経たないうちに酒乱オヤジの手が震え始めたかと思うと
止めていたはずの酒を飲み始めた。
結局、アル中病院に入れたくらいでは治らないのだ。
治すには本人の強い意志が必要になってくる。
…ヤツにそんなものは、これっぽっちも無かったようだ。
星一徹の専売特許「ちゃぶ台返し」
当時の我が家では結構な頻度で見られることができた。
それこそ思い出に残る食事だ…
アル中病院から退院して4回目のちゃぶ台返しが見られた晩、
ガラスの割れる音、怒号、叫び声に泣き声…
目覚めた私の目の前で母がネクタイで首を締められていた。
必死で止めた、泣きわめきながらすがりついた。
振り払われて犬っコロのように蹴り飛ばされた。
どうやって収まったのか覚えてはいないが、翌朝には普通に学校に行った。
だが心配だったので授業が終ると一目散で家に帰った。
玄関の引戸のガラスが全て割れて、ガラスの破片がそこいらに飛び散っていた。
靴のまま中に入ると包丁が深々と刺さったまな板があった。
荒れ果てた我が家にヤツの姿はなく、ついでに母と妹の姿もなかった…。
(その時、母と妹は近所の友人宅に身を寄せていた)
そんな惨状を、近所の同級生に見られたのが何よりも恥ずかしかった…。
もういい加減長すぎてつまらん
44 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/22 16:30
何年か前に、小学校時代の同窓会をした。
なんだかやけに盛り上がって、男女合わせて数人で河原でバーベキューをすることに。
通っていた小学校のすぐ裏には大きな川があって、授業の一環で焼いもをしたり
飯ごう炊飯をしたりしたことを思い出したから。
他のレジャー客は、立派なアウトドアセットでバーベキューをしている。
私たちは、黙々と河原の石でかまどを作った。
熱々の鉄板、焼肉のタレの匂い、焼肉を具にした焼きソバ。
最後にみんなでゴミを10個ずつ拾って、後片付けをして終了。
小学校の授業で、やはり最後にはゴミを10個ずつ拾っていた。
「来た時よりも美しく」とみんなでセンセイの口マネをしながら、笑った。
私は結婚をして、引越しをした。ダンナの友人たちとバーベキューをすることもある。
河原で石を組む事もないし、ゴミも私しか拾わない。
芯の残ったキャベツ、ゴムみたいな焼きそば。
川の匂いのする思い出。
土間に里芋と灯油のポリタンクを隣り合わせて置いていた。
ある日の夕食、灯油味の里芋料理が食卓に…ひぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜
うちの母も料理好き。
煮物をつくるのも調味料は目分量なのに
いつも安定した味。
私はうどんのダシをつくるのだけでも試行錯誤やったのに。。。(涙
学生時代は弁当も母がずっと作ってくれてました。
大学時代含め、10年間!!!
たまに冷凍食品に頼ってることもあったが。
でも、母が料理の出来る人で本当によかった。
おかげで私も料理好きに。
学校終わってからよく一緒に夕食の支度をしました。
母が遅くなる時は私が代わりに作ることも。
今は仕事の関係で海外で初の一人暮らしをしてますが
夕食に困らないのは母のおかげです。
マヨネーズだけで味付けしたシンプルなポテトサラダは
格別!!
よくコンビニで売ってるサラダはどことなく
ドレッシングの味が強くて今もあんまり好きじゃない。
こっちに来てマヨネーズを探すのに苦労した。
だってどれも日本であるようなマヨネーズじゃないんだもん。。。
"何か" が入ってる。
そして探し回ってやっと見つけた日本食材コーナーで
マヨネーズを買い、
作ったポテトサラダはまさしく家の味!!
でもこうやって自分で作っててもやっぱり
母のつくる手料理が食べたい。
長い?スマソ
>46
ガンバッテ
48 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/03 09:15
応援アゲ
49 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/03 12:59
思い出に残る食事・・・たくさんある。
あり過ぎるほど
5人家族の食卓はいつもおお賑わいでした。
家族で食事する事の少なかった旦那とケコーンしてから
食事の時間大切さが身にしみてわかる。
今、ひとりでは食事できない。
自分が長女なんで兄と妹にパートで出かけた母のかわりに給食のない日は
昼飯を作っていた。
ケンカしたりまずいと言われたりした食卓は温かいモノだった。
なんか泣けてきた。
今日は実家に久しぶりに帰ってきたのでマズイと言われても
やはり実家に帰ってくる妹と兄に飯を作ってたべさせてやる!
50 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/04 00:35
かき揚げを揚げていた
けれど手が震えて、まとまらないんだ
親父とケンカになって家を飛び出し4年
天ぷら屋で修行中の俺に訃報ってやつが届いた
落盤事故だった
別に涙なんて出なかったのに
天カスのようにバラバラのタネが揚がって。
横で見ていた親方が「代われ」と一言
サッと引き上げて丼飯に載せて
三つ葉散らして茶漬けにしてくれて
「食ったら帰れ」と言われたけど帰らなかった。
あの茶漬けの味は忘れない。
51 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/05 22:43
私が高3の秋、父が風邪をこじらせて肺炎になり入院した(でも元気だった)。
数日後に祖母も白内障の手術で入院が決まっていたため
なんだか大変になるなあと思っていた。
祖母の入院を翌日に控えた日、父の容態が悪化し
救急車で別の病院に運ばれ、集中治療室に入った。
家族が一人付き添わなければならなかったので
母が付き添いに行った。
家には高1の妹と祖父の3人が残ることになるが
色々考えて祖父には叔母の家に行ってもらうことにして
妹と二人の生活が始まった
食事当番は交代でした
何を作り、作ってもらったかほとんど憶えていないのだが
私が味噌汁を作ろうとて作り方がよくわからずに
こんなことも知らんのか・・・私・・・(;´Д`)と愕然として
本を引っ張りだして何とか作ったことと、
妹がつくった肉じゃががとてもおいしく思ったことをよく憶えている。
それから、お昼は購買もコンビにも利用せず
毎日弁当も二人でちゃんと作って持って行った
今考えてもちょっと「うちらエライやん!」って思う・・・・
(妹はともかく、私はズボラなので・・・)
因みに、祖母はもちろん、父もよくなって何週間か後に
退院したが、入れ違いに母が入院してしまってちょっとびびった(藁
しかも、半年後に祖父が倒れ意識不明のまま2ヵ月後に亡くなった
父と入れ替わってくれたんだ、と皆言ってた
・・・・・ちょっと暗くなってしまった・・・・
すごい長文でスマソ・・・・・
すいません、すいません・・・・・・
長すぎました・・・・・
↑の「ここ」を押してでてくるのは
長文スマソ・・・・・・って言葉だけです・・・・・
53 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/05 23:14
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \ やっほー
/\ \ /|
||||||| (・) (・)|
(6-------◯⌒つ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _||||||||| | < \ / \_/ / \_____________
\____/
∩/⌒ ヽ
/ / ./ ∩
/ / ./ //
/ /./ //
/ / / //
/ / / . //
/ / .ノ/ //
/ //./ .//
/ /J .し//
/ / //
/ / //
ありゃ?
ノートパソで書き込みしたら
長すぎるので省略されました
ってなったのに(´Д`;)
今ディスクトップでみたら
ちゃんと表示されてる・・・・・
よそにリンク貼ってあって見に来た。
なんか色々と思い出したり感じたりで泣けた。
良いスレだね。
57 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/09 15:59
私も他からのリンクで立ち寄ったのですが2chにこんな良いスレが有るなんて
知らなかった。今は仕事中で書けないけれど次回は私も書かせて下さいね。
58 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/10 05:53
彼と私は20年歳が離れた夫婦だから、
できるだけ和食をつくるようにしている。
彼好みのおかずを1つのお鉢につくると、
嬉しそうに一人で全部食べてしまう。
子供みたいに、そのおかずばっかり食べる。
あと何年、こうして元気で私のつくった
ご飯を食べてくれるだろう。
歳に似合わず、たくさんお代わりして
くれるのが愛しくてしょうがない。
59 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/10 20:51
ほのぼのしてて、いいスレですね。
心が温かくなったのでageます。
60 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/11 15:55
61 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/16 07:20
おいらが幼稚園児の頃です。その幼稚園ではお弁当が週に2回程あったように思います。
現在もですが、お袋は幼稚園の先生をしています。そのせいもあるのか、同じ
職業のおいらの担任の先生への見栄なんかもあったと思うんですが、弁当箱3個
ぐらい持って行かされることがしょっちゅありました。いまでは大食漢なのですが
いくらなんでも、5,6才に子供用でも弁当箱3個はきつすぎました。3個というのはイベント事
があるときにおおくて、また凝ったデコを作ってくれていたんですが、当時変なところで
シャイだったおいらはそんな弁当を見られるのが恥ずかしくてしょうがなかったのです。
で、年長さんのひな祭りあたりの日、弁当箱3個でした。それがいやでおにぎり
かサンドイッチがよく入っているバスケットだけ持ってほかの2個わざと家に
置いてきました。
お弁当の時間いざふたを開けると、ゆで卵にのりやでんぶで作ったお内裏さまと
お雛様があり、すかさず隣の女のこに見つかり、結局先生が見に来て
「みんな○○くんのお弁当おひなさまだよ〜すごいね〜」っと注目を浴びてしましました。
がき大将のきかん坊の自分がかわいいお弁当もってきてるのがホントに恥ずかしくて、
涙目になりながら2個のゆで卵を口のなかがもそもそなりながら飲みこんだ記憶があります。
そんなような弁当がしばしばあり、よくデコレーションに使われていたピンク
のでんぶは今でも数少ないきらいな食べ物です。そんなお袋も年月と供に手抜きの味
を覚え、あの頃のような凝ったものはまったく作らずスーパーのお惣菜がほとんど
です。お袋、たまに帰ったときにはそれなりのモノ食わしてくれよな〜。
62 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/16 09:36
5年ほど前に彼といった大阪の韓国料理店。そこで食べた石焼き
ビビンバは熱々で、中の具もごはんのコゲ具合も最高だった。
あんまり美味しかったので大阪にいる間ずっとそれを食べた。
彼と別れて何年か経って、大阪に立ち寄った時忘れられないあの
韓国料理店に行った。
一人で食べた石焼きビビンバは、ポソポソしたそこらにありふれ
たビビンバの味で、自然にノドが詰まってきて涙が出た。
63 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/16 20:39
5年くらい付き合ってて、大好きだった人が
1回だけ作ってくれたカレー。
男の料理らしく、台所をぐちゃぐちゃにしながら作ってくれた。
私が作るのとは段違いに手間をかけたカレー。
すごく時間がかかったけど、本当に美味しかった。
ぼろっちいアパートの小さな台所で、大好きな彼が作ってくれたカレー。
今でもどこかで作ったりしてるんだろうか。
料理嫌いな人だったんだけどな。
彼の作るカレーを食べたのは、後にも先にも私だけだと思いたい。
もひとつ。サンドイッチを大量に作ろうとして力尽きた
私に代わって、スクランブルエッグを豆板醤であえたサンドイッチを作ってくれた事もあった。
とてもじゃないけど、食べられた物じゃなくて、
無理して涙目になりながら、ひとつだけ食べた。
彼との食べ物の思い出は、苦笑いばかり。
64 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/17 00:44
親戚が集まると、決まって出されていた 祖母の手打ちのうどん。
祖父の好物だった。
朝からうどんを打って、ツユもだしをきっちりとる。
よそでは食べられないご馳走だった。
子どものときは食べられるのが楽しみだった。何杯もおかわりしたっけかな。
祖母は今も健在だが、うどん打ちはもう引退している。
年で打つのはキツいと言っているが、 祖父が亡くなってから、打たなくなってしまった。
あぁ、また食べたいなぁ。
今度、うどんの作り方、聞きに行こうかな。 一緒に作ろうって…。
俺にとっての想い出の食事…というか、料理かな?
それは2つある。
一つは、祖母の作ってくれた朝鮮漬け(白菜の漬物だ)。
当時まだ小学生だった俺は、その旨さを解らなかったので「要らない」と言ってしまった。
今ならその味もわかるだろうが…もう食べることはできない。
母や伯母が何度挑戦しても、その味にならないのだそうだ。
…でも、あんなに頑張っているのだから、いつかは出来ると信じている。
もし駄目なら、多分俺が引き継いで作る。
いつか祖母の朝鮮漬けを再現する日まで。
もう一つは、「牛乳掛けごはん」。
普通の人からしたら「うへぇ」って思うかもしれないが、俺にとって忘れられない代物だ。
祖父が好きで良くやっていて、幼かった俺はそれを見ているだけだった。
当時、俺は牛乳アレルギーがあったので牛乳を口にできなかったから。
だけど、幾度となく祖父の家に遊びに行っている内に、なんとなく食べたくなった。
ねだると、祖父は「じゃあ少しだけだぞ」って本当に少量、別けてくれたんだ。
牛乳を飲みたくても飲めなかった俺は、その味に感動して。
だけど、少しでも多くなると蕁麻疹が出来てしまうので少しだけ食べて。
そんなことを繰り返していくうち、俺の牛乳アレルギーは消えた。
あれから20年以上、俺は毎日牛乳を飲んでいる。
お陰で、骨折なんざ経験したことがない。
祖父のお陰だ。
今はもう、祖父・祖母ともに他界してしまったので、このあたりの話が出来ないのが
悔やまれる…
68 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/26 22:42
もう会わなくなって半年程経つ彼女に作ってもらった「豚の角煮」
ちょっと天然が入ってた子で、ある日それを好きな事を伝えると
次のデートのときに大き目のタッパー一杯に作ってくれた。
大阪城で二人でヒィヒィ言って全部食べた。
つまらないことで分かれてしまった。俺もあの頃から大分変わったよ。
明日連絡してみよう。
ダスレスマソ
69 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/30 17:35
おばあちゃんが作ってくれた「すがきや味噌煮込みうどん」
携帯がまだ無かった時の話し。
東京の有楽町で、おばあちゃんと私で、お父さんと待ち合わせしてたんだけど
2時間待っても結局、待ち合わせに失敗。お父さんとは会えなかった。
寒い中、おばあちゃんと帰ってきて、馴れない都会で疲れただろうに、
私のために、お土産に持ってきてくれた「すがきや味噌煮込みうどん」を
作ってくれた。半熟の卵がのっかって、味のしみた鶏肉とねぎ、濃い味の八丁味噌。
あつあつで美味しかったな〜。
あれから自分でも作ってみるけど、あの時の味にはならないんだよね〜。
70 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/31 17:00
感涙揚げ
71 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/08 01:14
よっこしょ
72 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/10 16:31
食事ではないしいい話ではないけれど…。
10年以上前私が小学生の頃。
もともと夫婦仲が悪く、中学生の兄もぐれて家に寄り付かなかった。
家の中はいつもぴりぴりした空気に包まれていた。
ある日仕事帰りに母がケーキを買ってきた。今日は兄の誕生日。
兄はまだ帰ってきていない。
母は「お兄ちゃん帰ってきたら一緒に食べようね。」穏やかな母の顔。
私の大好きなチョコ生クリームケーキだった。
私はケーキの前でずっと待っていました。
結局、みんなで食べることは無く。もう忘れたけど帰ってこなかったのか、
何かのきっかけで目の前の母が「もういい!食べるよ!」と
鬼の形相で(私にはそう見えた)ケーキを切り食べ始めた。
みんなで食べたかった私はとりあえず母1人では…と思い、一緒に食べた。
折角買って来てくれたんだしと思い、無理して笑顔で「おいしいね。」
…美味い訳がない。
ケーキを前にしてずっと「早く帰ってきて!」って思ってた。
でも皆で仲良く、なんて事にならないのも分かっていました。
今目の前にある穏やかな母の顔が、数時間後には怒りの顔になってる事も…
今でも思い出すと悲しくなる。でも母も悲しかったんだろうな。
もう忘れてるかもしれないけど。
ケーキはいまだに大好きです(w
過去ログ見ないで書き込みました。似たような話があったらスマソ
73 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/10 18:22
3〜4歳くらいの頃、砂場で遊んでたら、きれいな着物を着た母が泣きながら
歩いてきた。「これから海で死ぬ。」という。
子供なりに止めようとしたのか、「おなかすいた。おうち帰ってご飯作って。」
とねだる私。
そのとき作ってもらったのが、きなこをまぶした俵型のおにぎり。小さくて甘いのが2つ。
大人になってその話をしたら、「そんな変なものは作った覚えがない。」と母。
まぼろしの味。きなこおにぎり(笑)
74 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/13 23:44
73
なんでか死ぬほど泣けた。
ただ、その理由を探ると嫌なものが思い出されそうな気がしている。
75 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/16 06:31
76 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/16 19:37
晩御飯なに作ろうかとうろうろしていたら、
このスレにきてしまいました。
ある日、病気で寝てたんですよ。
で、相当酷かったんで、彼女を久しぶりに呼んだんです。
そしたら、すぐにきてくれて看病してくれたんです。
その日はすぐ寝ました。
一晩寝たら風邪なんてすぐに治ってしまうもんです。
で、次の日の朝、お腹がすいたので、何か作って、と言ったら、
焼きそばを作ってくれました。
なんで、病気明けの人間に消化の悪いものを出すんだ、と思いましたが
それなりにおいしかったです。ただ、全部は食べられなくて、
残った分はラップをかけて冷蔵庫に。
そのあとマッタリ雑談、インターネットとかしてたんだけど、
突然彼女が神妙になり、実はほかに好きな人がいると。
なんだかわけがわからないまま、彼女は荷物をまとめて出て行ってしまいました。
なんだかぼーっとしているうちにお腹が空きはじめて、
冷蔵庫を空けると例の焼きそばが・・・。
なんだか、哀しいやら訳がわからないやらで、
涙がどーっと出てきて止まりませんでした。
レンジで暖めることもなく、食べました。泣きながら。
もうしばらく焼きそばを食べることはないと思います。
ほんの1週間前の話です。
77 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/17 21:12
なんか泣けた。
78 :
もぐもぐ名無しさん:02/06/28 02:55
age
79 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/04 15:57
母のギャンブル&暴力等色々あって、高校卒業後、勝手に職を決めて、家を飛び出しました。
手取り10万の貧乏暮らしでしたが、絶対戻るもんかという意地だけで頑張ってました。
ある日、会社帰りに夕食を買おうとしましたが、手持ちが300円ほどしかなくて、
タバコを買うか食事をするかで散々悩んだ挙句、タバコとうどん玉一つを買いました。
お湯を沸かしてうどんを軽く茹でて、醤油をかけただけの寂しい食卓でしたが、
仕事を頑張っていつかご馳走をたらふく食べられるようになってやる、と思いながら
すすったうどんはおいしかったです。
その頃はほんとに金が無くて、米屋さんで無理言って1合だけ売ってもらって鍋で炊いたり、
さつまいも6本で1週間食いつないだりと、キャンプでもしているような生活でしたが、
好きなものをそれなりに食べられる今となってはいい思い出です。
80 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/05 14:44
うちの両親は昔すごく仲が悪かった。母はとても気が強くいつも一方的に怒鳴り
散らして父は下を向いて黙ったまま。そんな光景を何度も見ながら育った。私は
父のことがとてもかわいそうに思えて父の味方だった。幼心に”パパとママが離
婚したらパパといっしょにくらす!”ってずっと思っていた。
私が通っていた幼稚園ではお昼に給食が出ていたんだけど1ヶ月に一度お弁当を
持っていく日があってその時は母がいつも腕を振るってかわいいお弁当を作って
くれていたのでとても楽しみにしていた。しかしお弁当を持っていく前日、ケン
カをした後、母が家を飛び出してしまった。明日はお弁当なのにどうしよう。。
と思っていたがそのことを父に言い出せず、そのまま眠りについてしまった。
次の日、目を覚ましたが母はまだ帰っていなかったが父が台所に立っていた。私
が起きてきたことに気付いた父が「パパがお弁当作ったから」と言って得意気に
私にお弁当箱を見せた。しかし、中身はパンのサンドイッチがひとつ入ってるだ
け。それに妙に腹が立った私は「こんなのお弁当じゃない!ママが作ってくれる
のと全然ちがうもんっ!!」って言って泣き出してしまった。父は始めビックリ
した顔をしたがみるみる寂しそうな顔になり「ママみたいに上手に作れなくてご
めんな」って言って涙をこぼした。
81 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/05 14:55
幼稚園に行ってお昼の時間になり、お弁当箱を開けるとパンにイギリスの
国旗の旗が刺さっていた。父なりに工夫をして見た目を良くしてくれたん
だと思う。それを見た私は母がいない寂しさや、父が心をこめて作ってく
れたお弁当のことなど色んなことが頭に浮かんできて泣きじゃくりながら
サントイッチを食べた。中身はマーガリンに砂糖がかかっている甘いもの
だったけど涙のしょっぱい味が今でもすごく印象的です。
82 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/05 18:00
>>79 その時があったから今があるんだねぇ。ええ話や。シミジミ
83 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/05 19:08
小学校の頃の夏休み。車に乗って家族で海にいった。
お母さんがおにぎりと卵焼きをお弁当に作ってくれた。
お父さんは「小さい頃ピーナッツを入れた袋を腰につけて
泳いだもんや、ひと泳ぎしたらええ具合に塩味がついて
柔らこうなってるねん。今は海が汚くてできひんなあ」
なんて事を話してくれたなあ。
私も妹も早く海で泳ぎたくて「おとうさん、まだつけへんの?」
なんて、せかしてもといつも温厚でおもしろい父はお約束で
「あーと、百万年〜」なんてかえしてくれる。
それが聞きたくて何回も妹と「まーだー?」って聞いたりしてた。
うきうきした、夏休みのある一日だった。
海についてひとしき泳いで、へとへとになったら
パラソルの下のお母さんが「そろそろ食べようか、お弁当」と手を振っている。
「お父さん、お母さんのとこまで競争やで!」と私は走りはじめた。
当然父が先につくのだけど一生懸命走った。砂の上って走りにくい。
私は勢いよくパラソルの下に走り込んで、「あー、走りにくー」なんていうと、
母が固まっている。
そう、私は勢いで砂を蹴り揚げてしまい、広げたお弁当を砂まみれにしてしまったのだ。
うわーなんて事をしてしなったんだろうと思うと涙がでてきた。
泣きながら謝った。
母は「大丈夫、向こうでラーメンも売ってるから」と言ってくれた。
しかし・・父の目が怒りに燃えている。
それからまる二日父は私と口を聞いてくれないのでした。
その頃の父は私にとって偉大で全能、お父さんと結婚する!
って本気で思ってたので、意外に子供じみたみみっちい一面がある事をしって
びっくりしたのと、これがよくいう「食べ物の恨みは恐ろしい」
ということか・・・・、と思ったのでした(w
>>82 レスありがとうございます。
夢をおかずに・・と言うと、とってもクサいですが、そんな感じでした。^^;)
結局6年実家には戻りませんでしたが、一人になって初めて、
あれほど嫌っていた母の卵焼きと味噌汁の味が忘れられないことに気づきました。
食事と言うわけじゃないんだけど、
冬、雪国のうちは爺ちゃんが早起きしてストーブで部屋を暖めてたんだよ
で、漏れが起きてくると「餅食うか?」って言ってストーブの上に網しいて
餅を焼いてきな粉と黒砂糖つけて漏れに食わせんのよ。それが日課だった。
漏れはなんか知らないがやたら健康だった。
学校を休もうと必死に腹出して寝たり窓開けて寝たりしようとしたけど無駄だった。
その理由がこの餅だと知ったのはつい最近のこと。
じいちゃんは氏んじゃったけど、漏れも爺になったら孫に焼いてやろうと思う。
漏れが休めなかったのに孫が休めるなんて許せん。
読みにくい文章スマソ
87 :
もぐもぐ名無しさん:02/07/24 16:44
AGE
88 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/01 19:02
前にお弁当の話とか結構あったので思い出した。
弟が高校生の時、友達の両親が亡くなり親戚の家に預けられた。
その子はそれ以来お弁当が無いので,購買部でパンやらなんやら
買ってたらしいが,ある日弟が母に「弁当2個作って」と言った。
それでその日以来,毎日とは行かないまでも週3回程うちの母親は
弟とその子の分の弁当を2個持たせたらしい。
そしたら,卒業アルバムかなんかの寄せ書きみたいなのに
その友達が「くにべん(くに=うち名字の一部,べん=弁当)有難う!」
と書いていた。
友達の喜ぶ顔が見たくて弁当2個持って学校に行った弟,
全く嫌な顔せず嬉しそうに2個作った母親,
そして、高校生という多感な時期にもかかわらず,それを
「自分は同情されている」ととらずに素直に喜び残さず食べて
くれたその友達に、とても胸が熱くなったのを覚えている。
その友達は成績優秀で確か国立医学部に行ったと聞いたような・・
弟は留年していてあほあほだけど,心優しい子です。
89 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/04 21:38
いまから三年ほど前、10歳年下の大学院生とつきあってました。
メールで知り合ったので、新幹線で3時間以上かかるという遠距離恋愛・・
社会人の私は月に一度くらい逢いに行ってました。
彼のアパートで作った親子丼「しょっぱい」と笑いながら食べてくれた。
若いのに、竹の子の煮物を「こういうのが好きなんだよな」と言ってくれた。
夏の日の帰りがけ、多めに肉じゃがやキャベツサラダを作って置いて行ったら
次の日「なんか悪くなったみたい・・(腐った)」と電話がきたり・・・
会わなくなって、私も別の人と結婚したけど、元気でやってるかな?
かわいい彼女においしい手料理作ってもらってるかな?
時々思い出します
90 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/07 09:53
たしか、高校か大学のときのクリスマスの話。
友達とクリスマスパーティをしようということになって
ケーキ担当だった私ははりきって手作りにチャレンジ。
みごとに出来あがってあとは箱に入れるだけという段階になって
一人では箱にいれたあとカバンにいれることができなくて
母親にケーキの箱を持ち上げてもらうように頼んだ。その時悲劇が・・
ケーキの箱のふただけを持った母親はそれをひょいと持ち上げると
当然のごとく、ニュートンの引力の法則にしたがってケーキは床へ。
ころころところがるイチゴ達を私はボー然と見つめ、母親もまた無言。
もう時間もなく途方にくれていると、母親はとても必死にあやまり、
ケーキを買うお金をくれました。
後にも先にもあんなに本気であやまった母親をみたことがなく、
クリスマスがくるとともに思い出します。
が、このあと市販のケーキを買った私はうっすら雪のふった道で
転び市販のケーキさえも悲惨にしてしまうというオチがあります。
ついでにもうひとつ
幼い時に父・母・私・妹の4名でおでかけ。
途中でお腹がすいた我々はがまんできなくて、なにか買うことに。
そこで目についたのがケンタッキーフライドチキンのドライブスルー。
当時はドライブスルー自体がはやり始めたばかりでどういったシステムで購入
できるかもわからなかったが無理やり入りました。
おそるおそる車を乗入れると、第一関門のメニュー表とマイクがそこにありました。
運転席にいる父親が窓をあけると「いらっしゃいませー」と明るい声が!!!
すっかりびびった父親はパニック状態になり、私へ「おまえ注文しろ!!!」と。
いきなり振られた私もあせり、おそるおそる「ち、ちきんふぃれさんど1つ・・」
と言ったとたんにアクセルを踏む父親。遠くにながれる「あ!お客様あぁぁ・・」
という店員の声。
当然そのまま車を出すことは出来なく、会計するところのポールに阻まれ停車する
車。しばらくして「おまたせしました」といって出てきたのが、チキンフィレサンド
1個が入った袋と「417円です」(当時の記憶なので価格はあやふやです)との
声が。会計も済ませ無事にドライブスルーから脱出すると、後には空腹な4人に対し
てチキンフィレサンド1こというきまづい状況が待ちうけていました。
思わず私は「おとうさん食べる?」「いらん」「おかあさん・・」「いらない」
「一緒にわけてたべようか?」と妹にきいても「・・」無言。
今では気軽に利用できるドライブスルーですが、なんとなくきまづくなる
私です。でも、いきなり発車しなくてもいいじゃないかお父さん。と子供心に
思った次第です。
92 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/07 11:13
なんでこんな心温まるスレなんだよ!泣けるじゃねぇか!
94 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/07 16:02
一人息子が3歳のときに離婚した。
その後、ほどなく私は小さな飲食店を開業しました。
離婚のときの約束で、子供には毎月養育費・・みたいものを送ってました。
お陰で、子供とはたまに会うこともでき、自分の店へも連れてきて、そう、あのときは焼きソバを作りましたね。
私は野菜嫌いの息子に甘くて、麺と少しの肉だけの焼きソバでしたが、息子は「お父ちゃんの焼きソバ美味しい」って食べてくれました。
その後・・・不景気の波はウチの店にも寄せています。
子供に仕送りできなくなって、もうどれくらいになるでしょう・・・。
もちろん、親の義務を果せない私は、息子とも会っていません。
夢に出てくる息子は、いつもあのときの焼きソバを頬張る息子です。
思い切って、近いうちに店をたたむ予定です。
息子の成長に関われない暮らしに何の意味も、未練もありません。
まだ仕事のメドはついていませんが、贅沢をいわなきゃ、何かあるでしょう。
また、いくらか仕送りできるようにもなると思います。
いつか、また、焼きソバを作ってやりたいですね・・・。
その頃には野菜もちゃんと食べられる子になっているでしょうか。
息子と会える日を楽しみに、頑張ります。
95 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/07 18:09
>94
あなたが大事に息子さんを想ってる気持ちだけでも伝えてあげてください。
お金よりも大事なものです。
あなたがそれだけ自分を大切に想ってる事、今はわからなくても
いつかきっとわかってもらえる時がきますから。
お仕事がうまくいくようにかげながら応援しています。
>>95 ありがとう。
だけど、子供には当分会うことも、話すこともないと思います。
いつか、胸を張って会える日が来たら抱きしめてやりたいと思います。
保守さげ
98 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/14 00:58
肉じゃが、ぶりの照り焼き、大根のみそ汁
包丁一つ握ったことのない私が「簡単に出来る和食」と言う本を片手に
6時間近くかかって同棲した最初の日に彼のために作った夕飯。
肉じゃがはジャガイモに芯があって堅く味がぜんぜんしみてないし
ぶりは真っ黒、みそ汁はだしをとった削り節が浮いている様な代物だったけど
彼は「一生懸命の味がしてウマイ」といって全部食べてくれました。
そんな彼の姿に心打たれた私、その後料理教室に通ったり
既婚者や一人暮らしの友人を拝み倒して料理のコツを教わったりして
なんとか人に食べさせられる代物を作れるようになりました。
s君、元気かな?
あなたのおかげで今の主人や子どもから
「お前(ママの)料理はへたなレストランよりおいしい。」
といわれる私がいます。
最悪の別れだったけど、今は恨んでないよ。どうかお幸せに!
>>98 今は幸せそうで良いですね。
間接的に料理の腕前を上げさせてくれた前彼に感謝ですね。
100 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/14 11:12
ビビンバの味で、自然にノドが詰まってきて涙が出た。
102 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/14 14:50
うちの両親はずっと仲が悪かった。
といっても横暴な母が大人しい父をチクチクいじめるといったようなもの。
しかし父はマスオさん+親戚同士の結婚だったため離婚することはできなかったようだ。
夫婦関係の悪化とともに父の酒の量は増えていった。しかし暴力を振るうことはなかった。
本人の父が酒乱で苦しめられたため、酒好きは似ても暴れる所までは酒を飲んでもなお無意識に押さえ込んでいたのかもしれない。
兄は母に似たが、私は父に似た。横暴な母を嫌い、父が大好きなファザコンになっていた。
母が出張で家を空けると、父は部屋に缶ビールを持ち込んで一人酒をしていた。晩酌とは別に。
その時お相伴にあずかったおつまみやこっそり買ってきてくれた持ち帰り寿司の味が忘れられない。
チーズ鱈、マグロのサイコロ大に切ったものを味付けしたもの、エイのひれ、牛のタタキ。寿司折にかかった濃緑の包み紙も覚えている。
2人でこっそり食べるおつまみは、父と私の絆の味もしたような気がする。
私は母より父に近い、とエレクトラコンプレックス丸出しで優越感を味わっていた。
今は母も適当に丸くなり、以前のように夫婦の間にとげとげした雰囲気はない。
私は父には似ず、お酒が嫌いな体質になって差し向かいで飲んであげることができない。
でも、これでよかったのかもしれないと思う。私が飲兵衛なら余計に母を除外しただろうから。
ほどほどに仲のよい両親を見ていても、時々こっそり2人で食べたおつまみの味を思い出す。
1人で食べてもあのときのような味はしないわけで。早く父親離れしろと言われているような気分になる。
当時の漏れは、就職活動もせず某資格を目指す大学4回生。
彼女は良家のお嬢様で、すでに誰もが知ってる一流会社の
サラリーマンとの見合話も進んでいた。
漏れ達は、まだ付き合ってるわけでもなく、
ただお互いに好意があるということは分かっていたんだ。
彼女がその見合話にあまり乗り気でないことも。
漏れは彼女がそいつとどんなデートをしてるのか気になって
どこへ行ったとか、どんな食事をしたとか、いろいろ彼女から聞いていた。
さすがはエリートサラリーマン。
高級フランス料理、料亭etc・・・。
漏れにとっては絶望的とも思えるようないい店に行ってやがる。
漏れ達はといえば、ファミレス、ドライブスルー、コンビニ。
しかも、ワリカンの時もしばしばあった。
そいつと比べてると、だんだん自分が情けなくなってきて、
ある日、もう彼女と会うのをやめようと決心したんだ。
その事を伝えるために、最後に会うことになってドライブ。
最後のディナーは、マクドナルドのバリューセット。
眺めのいい場所で夜景を見ながら車の中で二人してモグモグ食ってた。
食いながら、もう会うのをやめようと漏れが言ったんだ。
すると彼女がいきなり泣き出して
『どんな高い料理を食べるよりも、○○と一緒に食べる料理が一番おいしいもん。
今こうして二人でいる時間が一番幸せだもん』って答えたんだ。
漏れは、頭の中が真っ白になって、
食いかけのハンバーガーを横に置いて彼女にキスをした。
ケチャップの味と、泣きかけの時の胸の奥のツーンとした感覚が混ざった
変な味のキスだったが、夢中でキスし続けたんだ。
そして彼女は親の反対を押し切って、そいつとの見合話を断り
漏れ達は恋人として付き合うことになった。
それから6年。
漏れも、何とか資格を取得し、たまには豪華なディナーをご馳走してやれるぐらいの
稼ぎは出来るようになった。
でも漏れ達の結婚記念日は、毎年洒落た場所での豪華なディナーじゃなくて、
あの日と同じ場所で車の中でマクドナルドのバリューセットと決めている。
あの日から変わったことといえば、車が少し広くなったことと、
漏れ達の間に今年3歳になる生意気だが、かわいいガキが座っていることぐらいか。
おまけに来年の結婚記念日にはどうやらもう一人ガキが増える予定。
仕事なんかで辛い時、苦しい時は必ずあの日のしょぼいディナーを思い出す。
思い出の食事ってやつは、決して金の問題じゃないんだよな。
106 :
もぐもぐ名無しさん:02/08/25 17:26
このスレ、イイ!!
泣きage。
食べ物じゃないんだけど…長文スマソ
まだ私が小学1年生の頃、おじいちゃんが末期癌で入院して、
お母さんとお見舞いに行った。
ベッドの上のおじいちゃんは痩せ細ってて鼻にチューブ、腕に点滴で
ほとんど喋れない状態になってた。
それでも私が話しかけると、ほとんど聞き取れない声で
「良く来たなぁ」って頭をなでてくれた。
おじいちゃんの手は、白くて少し冷たかった。
でもその時まだほんの子供だった私には、
おじいちゃんの容態の悪さがわからなかった。
「かわいそう、早く良くなってね」って声をかけた。
治ると思ってたから。
その後、おじいちゃんは横に座っていたおばあちゃんに何か話し掛けた。
(ほとんど声になってなかったけど)
すると、おばあちゃんは
「○○ちゃん、ジュース飲むか?」と
病室にあった小さな冷蔵庫から紙パックのリンゴジュースを出してくれた。
そのジュースは、孫(私)が来ると知ったおじいちゃんがおばあちゃんに
買ってきてあげて、と頼んだものだった…
その時まだ消防の私は素直に喜んで飲んだ。おいしいよって言った。
おじいちゃんは少しだけ嬉しそうだった。
それからしばらくして、おじいちゃんは亡くなった。
真夜中だったし田舎から離れた所に住んでいたので、臨終には立ち会えなかった。
葬式が済んで、火葬場で最後のお別れをして
葬儀場で火葬が終わるのを待ってる時にジュースが出た。
それは、リンゴのジュースだった。
飲みながら、お見舞いに行った時の事を思い出した。
体ぼろぼろだったのに、自分の為にジュースを用意してくれた。
おじいちゃんの優しさが嬉しくて、悲しくて、
もう会えないのが嫌で、ワンワン泣いた。めっちゃ泣き叫んだ。
多分親戚のオッチャンオバチャン方はうるさいなと思っていたでしょう…
でも子供だから体裁とか人の顔色気にせずに思いっきり泣けた。
あれからもう15年たつけど、今でも一番好きなジュースはリンゴジュース。
果汁30%ぐらいの、濁ってない透明の甘いやつ。
あの個室病室の風景、正直ぼんやりとしか思い出せないんだけど
水色のミニ冷蔵庫から、ビニール袋に入った小さなパックジュースを
取り出す光景だけは頭に焼き付いています。
大好きなおじいちゃん、ありがとうね。
>>80-81 泣けた。優しいお父さんやネ。
愛情が伝わってきます。
今は御両親仲良くされてるんでしょうか。
沖縄旅行中にレンタルしたバイクが故障してしまい、
電話を借りようと思ってフラっと入った汚い食堂での出来事。
無事バイク屋と連絡が取れ、引き取りに来るまで一時間程かかるっつーから
仕方無しにその食堂で待たせてもらう事にしたのね。
で、まあ電話借りるだけってのも悪かったから
腹減ってなかったけど適当に「ソーキソバ」って注文したのさ。
そしたらさ、おばちゃん。なぜかすげぇ嬉しそうな顔してすげぇ大盛りのソーキソバ持ってくんの。
「え〜!!これが沖縄サイズかよ!!」とか思いながら仕方無しに食い始めたんだけど
暑くて夏バテ気味だし大盛りだし食い切れないのよ。
30分くらい頑張ったんだけど、もう麺なんか伸びて汁吸っちゃって
出てきた時と見た目変わんないくらい残ってんのね。
仕方無しに「ご馳走さま」っておばちゃんに声掛けたらそのドンブリ見て
「口に合わんかったか…」って寂しそうに言うのよ。
「ごめんおばちゃん、美味かったけどお腹そんな減ってなかったんだ」
って言ったらおばちゃんベソかきながら
「大阪にあんたと同じ位の息子が働きに出ててねぇ、
その息子もこのソーキソバ不味い言うて全然食わんのよ。
あんたも食わんでしょ。だから本当に不味いんか思うてね」
なんて言うもんだからさ、俺も高校のアホみたいな反抗期の頃
母ちゃんが作ってくれた弁当捨ててコンビニのパンで済ませてた事
思い出して泣いちまった。二人でワンワン泣いたよ。
おばちゃん、あの時は残してちゃって本当にごめん。
そしてありがとう。あれから俺は親に、食い物に感謝するようになった。
好き嫌いも直った。絶対に、何があっても食い物は残さなくなった。
本当にありがとう。
そして大阪で働いてる息子。おばちゃんのソーキソバは美味い。死ぬほど美味い。
特にお前にとって世界中のどんなものよりも美味いはずだ。
まぁ随分昔の話なんでもう気付いてるだろうけどな。
112 :
もぐもぐ名無しさん:02/09/10 01:42
お父さんが交通事故でICUに入ってるとき、母と姉と私で
何日も病院の待合室に泊り込んだことがあった。
自炊もできないからずっとホカ弁とかコンビニのおにぎりでしのいでいたら、
姉の友達がなんと保温できるお鍋にいっぱい、おでんを差し入れしてくれた。
彼女いわく「台所にあったから詰めてきたよ〜」とのこと。
ていうかそれ、キミんちの夕飯ちゃうんか!(゚Д゚)
お父さんは結局死んでしまったけど、あの時のおでんの味、一生忘れない。
そして友達んちの皆さん、夕飯のおかずを横取りしてしまってすいませんすいません…
日曜日の早朝、父と弟はいつも先にゴソゴソと起き出し、袋ラーメンを作っていた。
今から20年近く前の当時、まだコンビニなんてなかった時で、日曜日の朝は近所のスーパーやパン屋
すべて閉まっていた。
なので食うものといったら、家にあるものだけになるのだが、この二人は特に袋メンが好きだった。
野菜を入れてみたり、卵を溶いてみたり、弟などは「ニーチャン、あのな、ラーメンできてからしば
らく放っとくと膨れて倍ぐらいの量になるねんで」などと、バカなことを嬉しそうに言っていた。
私個人は、袋メンはさほど好きでもなかったので、日曜の早朝はこの二人の少しバカなやり取りを
見ているばかりだった。
それから何年経っただろう、父親が他界した。
火葬場に行き、父を焼くまで少し時間があったのでしばらく弟と二人、その辺りをブラブラと歩い
ていた。
すると敷地のドブの溝に黄色く変色した袋メンの袋だけが捨てられていた。
私は弟に「お前とオヤジ、好きやったなぁ」と言った、が弟は意外なことを言った。
「好きやあるかいな、あんなもん」と。
驚く私に弟は言った。
初めて食べた時はまぁそれなりに美味しいと思った、と。
だが、なにより嬉しそうに自分オリジナルの作り方を説明する父を見ているのが嬉しくて仕方
なかったんだ、と。
それ以来、日曜日の朝、弟は決まってさほど好きでもない袋メンを父とはしゃいで作るため起き
ていたのだ、と。
弟はタバコをふかしながらその捨てられた袋に目を落とし「もう食いたないなぁ……」と呟いていました。
114 :
もぐもぐ名無しさん:02/09/10 14:00
おばあちゃんにインスタント焼そばが出始めた頃に作ってもらった。
お湯を湧かしていれる、お湯を切る。。。大正産まれのばあちゃんは
初めてなのでわからなかったようだが、作ってくれた。
でてきたのはソース味のラーメンだった。(湯切りせず)
文句いおうとする姉を止め、美味しいって言って食べたが、まずい。
でもなんか一生懸命で、良い思いでなんです。
ばあちゃん、長生きしてね。
115 :
もぐもぐ名無しさん:02/09/13 11:59
あげ
116 :
もぐもぐ名無しさん:02/09/13 12:10
洋子さんは食べ物がのどを通らず、睡眠不足が続いたという。
正和さんが遺体で発見され、犯人が逮捕された後も食事が
とれなくなっていた。翌年秋には栄養失調からくる骨粗しょう症が
原因で手首を骨折するまでに衰弱した。「正和のためにも
倒れるわけにはいかない」。
117 :
もぐもぐ名無しさん:02/09/18 18:32
ここ五年で一番心に残ってる食事。
婚約中に式場選びをしていたときのこと。
「料理がおいしいところでのレストランウェディング」と二人で決めてたから、
いろんなところに食べに行ってた。
青山の地下に入ったところにあるフランス料理屋さん(メインダイニングにスタ
ンウェイのグランドピアノが置いてあるところ)に下見兼ねて食事に行った。二
人とも洋食のマナーなんて細かいところまではわからなかったけど、食事は楽し
ければ位の気持ちでテーブルについたら、ギャルソンがこちらを冷ややかな目で
見てた気がした。食事が始まってしばらくたってから、何をするにも女性が言葉
を発しなければ先に進まないことにちょびっと気がついた。
それにしても彼女が悩んでるうちに「これ下さい。」と言えば無視されるし、
「もう少しコーヒーをお召し上がりになりますか?」と聞くから僕が自分のカッ
プを見たら「彼女に聞いてるんですが。」と言われたり、思い出すと自分の要領
の悪さと、サービスの無礼さに腹が立つ。
料理は美味かった。
感動話の合間につまらないレスすまん。
いつか妻とリベンジしてやる。
hosyu
良スレあげ
120 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/03 07:39
大学生の頃のある日、晩飯のちょっと前に父から電話があり、
帰宅が少し遅れるから食事は母と二人で先に食べてくれとの事だった。
そして食べ終わった頃に父が交通事故に遭ったという報らせが入った。
俺と母が病院に着いた時には父は既に亡くなっていたが、何やかんやで
結局朝まで病院にいて、翌日俺だけが必要なものを取りに帰宅した。
出る時に慌ててたんで家はそのままになっており、食卓の上には
父の分の茶碗と箸、魚の煮つけが置きっぱなしになっていた。
それを見た瞬間に、父の死顔を見ても出なかった涙が一気に溢れた。
その時は急いでいたんで顔を洗ってすぐにまた家を出た。
あの煮つけは母が処理した筈だが、どんな気持ちだったろうかと思うと
今でも胸が痛む。俺が片付けておけば良かったと思う。
ううう・・・
>>33さん、びっくりしたYO!
似たような経験した人っているんだね。
似てるどころか…ほどんど同じ!
泣きながら読んじゃった…
わたしの場合。
タイで食べたタイのつゆソバがとてもとても美味しかった。
透明のスープに、米粉の麺、
具は海老のすり身団子とシャキシャキもやし、
トッピングの香菜も(・∀・)イイ!
またあのつゆソバを味わいたいと思い、タイ料理屋を探し、
新宿のチャンパーというタイ料理店で、恋人と一緒に食べた。
タイで食べたのと同じ味で、とても美味しかった。
数日後、また例のつゆソバが食べたくなり、
今度は一人で食べに行った。
…そしたら前ほど美味しくなかった。
後日、再び恋人と食べに行ったら…美味しい!
不思議と、恋人と食べる時は美味しいのだった。
そうか…わかったぞ、
恋人と食べるときは、愛という調味料が入ってるからより美味しく感じるのだな、
と思った。ノロケじゃなくマジで。
124 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/05 01:52
ageage
125 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/10 17:14
ageage
126 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/10 17:35
温泉玉子かな。
4WDが必要だろ?と叫びたくなるようなでこぼこの未舗装路。
そこをヴィッツで登ること10分。
車を置いてからさらに細い山道を上がること30秒。
道が無くって小川になってる!!
さらに5分登ると街を見下ろせる高台に温泉があちこちからモクモク。男たちが温泉につかりながら
一杯やってる。
持ってきた玉子をカゴに入れ、調理用小型温泉につけること9分と半。
真っ黒の温泉卵が出来上がり!
冷めて、色が薄くなってからが(・∀・)ウマー!
127 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/14 16:52
ここの板、先週の金曜に知ったばかりです。いい話が沢山ありますね。では、私も一つ。。
当時、付き合っていた彼氏とTDLに行った時の事。パレードを見ながらお昼を食べる事にした。
彼が注文しに行ってくれるというのでややこしくならないように、彼と同じ食べ物を頼んでもらうことにした。
彼「ジュースは何頼んどく?」
私「ジュースはセットじゃないんだよね?もったいないからいいや。」
彼のバイトがない日以外、私達はいつもずっと一緒にいた。休みといったら目まぐるしい位、いろんな所に行った。
でも、当時バイトしてない私にとっては金銭的に少しきつい状態だった。
彼は「俺、バイトしているからさ」と言い、いつも私の分まで払ってくれようとしたけど、負担を掛けさせたくなくて
その度に頑なに断っていた。
「そっか。んじゃ、行って来るね」と彼は言い、注文しに行った。しかし、彼はMenuを見るなり戻ってきた。
「飲み物、セットについていたよ。」と言われた。私はオレンジジュースを頼んだ。
食べながら、私達はパレードを見た。ふと、隣を見ると隣の人も 同じセットだった。
同じポテト、同じチキン。ただ一つ違う事。
それは相手のセットに飲み物がなかった事。。。
聞いてみると、彼は笑顔で私が嬉しくなる一言を言ってくれた。
何のパレードか全部忘れた。 ただ、覚えているのは、その一言と冬なのに沢山氷が入っている
オレンジジュースがすごく温かかった事。
その2か月後、オレンジジュースとTDLが大嫌いになった。特に、オレンジジュースは見る度に涙が出てきて、心が痛くなった。
それから、二年後。久しぶりに、TDLでオレンジジュースを注文している私がいた。
「お前、オレンジジュース好きなんだな」と言われた。
私にとって、いろんな味がするオレンジジュース。大好きです。
128 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/16 23:28
あれは僕がまだ小学生だったかな。
母が40歳のバースデーを迎えた。
気を利かせた父は前もって母に内緒でケーキを注文していた。
そして父が出かける前、長男の僕に一言
「名無しよ、きょうは母さんの誕生日だから、学校帰りにケーキ屋で
誕生日ケーキもらってこい。母さん、びっくりするぞ!」
下校時、僕は父に言われたことは覚えていた。
しかし今まで一度もそんなことをしたことがなかったので、照れくささというか
恥ずかしさで、結局ケーキを持って帰ることが出来なかった。
そして家へ帰り、妹たちと誰が取りにいくか話し合った。
妹たちも恥ずかしいようで、やはり取りに行きたがらない。
そのことでもめていて、とうとう喧嘩になってしまった。
母が止めに入り、僕に喧嘩の理由を聞いた。
ここで本当のことを言わなければ良かったものを、僕は秘密をすべてばらし、
しかも誰も取りにいこうとしなかったから怒ったといった。
すると母はとても悲しそうに
「わかった、あんたたちが喧嘩するぐらい嫌なら、母さん自分で取りにいくね。」
といって家を出て行った。
そして母はケーキを取りにいった、自分の誕生日ケーキを。
母がいなくなった家で僕はただやるせなさだけを感じていた。
129 :
sage sage:02/10/16 23:30
その後父が花束を手に嬉しそうに帰ってきた。
母に「おめでとう!お前を驚かそう思ってな、ケーキも名無しから受け取ったか?」
すると母はきょうの喧嘩のこと、自分で取りにいったことなどを悲しそうに伝えた。
その瞬間、今までニコニコ顔だった父がいきなり怒り出し、僕を呼んだ。
そして僕は生まれてはじめて父に殴られた。
その痛さと、心の痛さが入り混じって、僕は大声で泣いた。
そして母の40歳の誕生日は僕のせいで台無しになってしまった。
今でもそのことを思うととても胸が痛くなる。
何であの時素直に持って帰れなかったのだろう?
自分のケーキをとりにいく間、母はどんなことを思っただろう?
今悔やんでも悔やみきれない。
母は今も元気で、もうすぐ50歳の誕生日を迎える。
今度は母の好物をいっぱい買ってもっていくか。
130 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/16 23:32
すみません、128と129は同人です。
書くところを間違えました。
改めてsage sage
131 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/23 00:44
定期age
132 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/28 21:18
保守。
133 :
もぐもぐ名無しさん:02/10/31 01:03
母の作る肉団子入り春雨スープが大好きだった。
実家に帰ると連絡をすると「何食べたい?」
と答えは解ってるのに聞かれる。
ある日、リクエストをしたのを食べたら味がしない。
でも、具合悪いのに作ってくれたのでクレームはつけられなかった。
しばらくして癌が全身に回っていた母は他界した。
不味くてもアレが最後なら、もっと感謝するべきだった。
134 :
長文失礼。:02/11/05 21:03
私が中学の頃に、母親が家出をした。
私は一人っ子だったため、父親と二人の男所帯になってしまった。
今思えば、生真面目な父にとっても辛い時期だったと思うが、当時の私は
「俺は何も悪いことをしていない。
何で俺が不自由な思いをしなければいけないんだ!
親が俺にメシを作るのが当然だ!」
と考えていて、当然のごとく朝晩の食事を作ってもらっていた。
そんな頃のクリスマスの時の話。
何の事で私が拗ねたのかは今は思い出せないが、
クリスマスイブの日に、私は父親に腹を立てて、
自分の部屋に閉じこもってしまった。
部屋の外から父親が、
「今日はクリスマスだからケンタッキーを買ってきたよ、一緒に食べようよ」
と言ってきたが、それを無視して部屋からは出て行かなかった。
その時も、父親に不条理に当たってしまっていることは
分っていたのだが、意地になっていたので、いまさら謝る事が出来なかった。
結局その日は部屋から出る事は無かったが、
翌日、父親が仕事に行っている間に一人で泣きながら、
あまり好きではないフライドチキンを一人で食べた
現在、父親は再婚して、私とは20も離れた妹が出来て、
私の目から見ると幸せに暮らしていると思う。
10年前に私も一人暮らし始め、なかなか父親と会う機会が無いが、
少し前に、父親に対して当時の頃の感謝の気持ちを伝えた。
何だかお互い気恥ずかしかった。
父親には長生きしてもらいたいと思う。
135 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/06 05:24
久々に実家に帰った。両親・私・妹の四人家族。私にとって久々の食卓。
夕飯が出来た。母親の手作り、やっぱり心が弾む。少し遅れて妹が食卓に着いた。
席に着くなり、どなり散らす妹。
「なに、この飯!まずい!!」「あたしは、これが食べたいなんて言ってないし!!」
とっさに手が出た。妹の顔を殴ってしまった。言わずにはいられなかった。
「あんた、何様のつもりなの・・・・? 親にたてついて、何のつもり??」
妹は食器を私に投げつけ、「お前の顔なんか見たくない。死ね!!!!」
と、言い残し部屋に戻った。
私は、殴るということは、仮にも22歳の女性に向かってすべき行為じゃなかった、
ということ、なぜ妹はあんな性格になってしまったのだろうということに呆然としてしまった。
私を大泣きさせたのは、母親の一言だった。
「お母さん一部始終見てた。いい事じゃなかったけど、悪い事でもなかったよ。
お姉ちゃん(私)ひとりが責任感じることじゃないよ。」
本当に久しぶりに大泣きした。殴った私が責められないなんて、一体どういうことなんだろう。
殴られた妹、かばってもらえないなんて、一体どういうことなんだろう。
そんな姉妹のけんかを見ていた両親、一体どういう気持ちだったんだろう。
その後に食べた母親の作った夕飯は、味がしなかった。
年末実家帰るの、やめようか…。
136 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/09 22:34
>>135 年末、実家には帰れよ〜。
家族の問題ははやくに解決するにかぎるよ。
解決というより、ただ一緒にいるだけでいいと思うんだよね。
実家に帰って、まったり過ごしてきな。
いい姉さんだと思うよ。
137 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/10 02:12
>>135 妹さんは普段からそんな態度なのかな?
あなたが仲裁するといいよ。
年末は帰ったほうがいいと思う。
アカの他人なのにスマソ
138 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/10 06:55
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
ええ話やぁー
140 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/11 03:00
135です。こんな愚痴に返事を頂いて、本当に感涙です。
妹は心の病気にかかってしまい、数年前から内弁慶状態なのです。
私が実家を離れてからの事なので、そんな状態を目の当たりにしたことがなかったから
思わず手が…という感じです。
やっぱり実家には帰ってみようと思います。妹と話をしようと思います。
例え無視されてしまっても、私との会話で何かを悟ってくれればいいと思います。
長文スマソ。 早すぎだけど、みなさんも今年実家に帰ってマターリしてくださいね。
141 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/11 04:42
オヤジが癌になった。
入院したけど、周りが呆れるほどの食欲で、病院食を平らげてもまだ足りず、
病院の食堂でうどんを食ったりする始末。退院した後も、ファミレスで
ステーキをぺろりと平らげる始末で、「本当に病人か」とみんな笑いあった。
いまは定期的に抗ガン剤を点滴している治療を続けているが、
あの驚異的な食欲は徐々に失われ、炊きたてご飯の匂いがイヤだと言って
かろうじて一膳食べるか食べないかだ。入院してるとき、「これがあったら飯が旨い」
と言っていた松茸の佃煮を買ったけど、仕事が忙しくてなかなか実家に帰れない。
これでちょっとはご飯が美味しくなればいいと思う。
オヤジ、長生きしてくれ
次男が生まれるため、俺は実家から職場に通うことにした。
1ヶ月間くらいの予定で。長男と一緒に。
両親は初孫の長期滞在に大喜び。俺自身もこんなに長居するの10年ぶり。
で、初日の晩ごはん。いろいろ並んで豪勢なんだが、一気に父親の顔色が変わった。
ああお母さん、
スチロールパックのままおかずを食卓に並べるの相変わらずだね。俺はいいけど。
父が席をはずした隙に「おかずを皿に移し変えるぐらいしてやんなよ」と言ったら
母がいじけてしまい、なんか俺、無性にたまらない気分になっちゃって、
テーブルひっくり返して、刺身とかエビフライとかスリッパで踏んづけて、
泣きわめく長男を玄関で振り切って、車に飛び乗って社宅にGO!
どうしたんだ俺?その時は何か自分が自分じゃない気分だった。
盛り付けごときに口うるさい父。
しってるくせに頑固にペースを変えない母。
なんか初日っからキレてる俺。
と、あれから4年。何度か帰省しているが、
あれ以来?母はお皿に盛り付けてくれるようになった。
最近、俺もやっと刺身を食べるのに照れくさくなくなった。ごめんね。
>>140 >私が実家を離れてからの事なので、そんな状態を目の当たりにしたことがなかったから
>思わず手が…という感じです。
>私との会話で何かを悟ってくれればいいと思います。
水さしてホントすまないが、無理だけはしないでくれよ。
俺は弟(三男坊)と10年以上絶縁状態です。
大学生で帰省した時に、弟(中退ヒッキー)が親にケンカ売ってるのを見て、
親に頼まれもしないのに代理でケンカ買ってしまったことがあり、以来ずっとです。
やっと奴が就職して、親もやれやれと一息ついて、俺も気兼ねなく実家にいけると思ったら
>>142、でした。もう、アホかと。ばかかと。
今俺が失敗したなと思うのは、親じゃもう手におえない、
だけどアイツは俺にだけは心を許してる、て思い上がってたこと。
俺が矯正させてやるって気負いがあったこと。
アイツにもプライド(プがある、こちらの態度によっては、親だろうが兄だろうが
信じられない言動で牙をむく、これを見抜けなかったこと。
いっしょにするなと言われそうだが(ゴメン)、こんな例もあるということで。
吉野家みたいだな俺んち(W
144 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/16 06:35
泣ける話でもなんでもない話なんだけど、スレ読んでたら急に思い出したので。
昔おかんが親父の酒の肴にフグ刺を買ってきたことがあって、当時ガキだった俺はその透けまくった魚肉に興味津々だった訳で。
刺身と言えばカンパチとかアジだったところにフグ。いくら糞ガキでもフグが高いことくらいは知ってます。
当然食いたい食いたいの一人オーケストラ(アカペラ)だった訳で。
でも、「あんたにはまだ早い」の一点張りで食わせてくれんかった訳で。
今なら「ヒラメのムニエルとカレイの唐揚げの違いもわからんよーなジャリに
フグなんかとても食わせられん」
という親の考えもわかるのですが、当時の俺はそれはもう悲しかった訳で。
ひとしきり泣き喚いた後部屋にこもって寝てしまった訳で。
そしたら、夜中に親父に起こされた訳で。手には醤油に浸かったフグ刺を持ってる訳で。
曰く「そんなに食べたいなら食べ」と。
手に持ってた刺身だからそりゃ温いし、おまけに親父の手の味もしたけど、それでも夢にまで見たフグは当然美味かった訳で。
そんな漏れも今年で19になります。お父様お母様、あなた方の息子はこんなクズになりました。
今年も浪人するかも知れませんが、クズなりに頑張りますのでどうか冷ややかな目で見守ってやって下さい。
146 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/17 18:44
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| .,___., .,___., i もうだめぽ
、 ''"´`:、 υ /
`丶,:' 、. . )___Д____,,.,_,,.;''"
/ / ο
今でもたまに思い出す。たいした話じゃないけど
10年以上前だと思う。
当時小学生だった俺は母親が教育熱心だったこともあり塾に通わされていた。
平日でも学校終わった後に塾に行くこともあり、そんな日は夜食に
親父の作ってくれたインスタントラーメンを食べるのが楽しみだった。
ある日、塾から帰ると妹がインスタントラーメンを作ってくれていた。
まぁあくまで目的はラーメンな訳で作り手は問題ではないのだが、
妹の作ってる様子を見ているとなんかラーメンを長いことグツグツ煮込んでいる。
野菜なんかを沢山入れてて念入りに煮込んでたようなのだが、
麺は堅めが好きだった俺は何故か意味不明に腹が立ち、妹を激しく叱責してしまった。
そのラーメンは食べたはずだが味は覚えていない。
ただ、俺がキッチンを覗いたとき、妹が凄く楽しそうな表情してたのはよく覚えてる。
今思うとなんであんなことしたんだろと思う。
喜んでくれるはずの兄貴に突然怒鳴りつけられた妹はどんな気持ちだっただろう。
実家に帰る度に謝ろうと思うけどなかなか言い出せないな
つか妹もそんなことまるで覚えて無さそうだしな
つまんない話でスマソ
148 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/18 09:57
おはようございます。週末慌しくバタバタして、レスが遅れました。
149 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/18 16:20
工房の頃のお話。
当時、父子家庭のおうちの同い年の次男と付き合ってた。
一回目のデートの帰りに「うちでユウメシ食べていかない?」と誘われて
ちょっと驚いた。最初はさすがに断ったのだけど。
あとでわかったのだけど、「夕ご飯は家族揃って」っていう掟があって
夕飯時に、帰ってこないと パンチパーマのお父様がすごい勢いで怒るらしかった。
うちは、両親共働きで帰りも遅く ひとりっこだったワタシは
どこで夕飯食べてきても別によかったので(いつもガッコの帰りに誰かと何か食べて済ましてた)
自然と?毎日カレのうちでご飯食べるようになってた。
食卓には、お手伝いさんが作った「タイ○イのメニュー」通りの食事。
中1の妹と、パンチの似合うお父様とカレとワタシ。
冗談言ったり、たまに兄弟喧嘩もしながら食べる食事は、ワタシにとってはすごく
新鮮で、楽しくて何を食べても美味しかったなぁ。
150 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/18 22:09
151 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/18 22:41
152 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 00:13
在日に哀れみの目を集めるための、
チョンのジサクジエーン(・∀・)
153 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 08:39
本日のお買い物はラナパー(笑)。
そう、最近のCATVの通販でよく紹介されるあれ。
馬鹿にしてたんですが、とっさの時には非常に便利かなと。
154 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 08:40
(´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`) (´Д`)
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155 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 09:07
<丶´Д`> <国として立ちゆかないウリの国の面倒を見て欲しいニダ…
戦後↓
<丶`Д´> <ウリの国は日本の植民地にされていたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
----------------------------------------------------------------------------------
戦中
<丶´▽`> <高給ニダ!是非ともついていって体を売るニダ 追軍娼婦するニダ
戦後↓
<丶`Д´> <ウリは無理矢理連行され、従軍慰安婦にされたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
----------------------------------------------------------------------------------
戦前
<丶´▽`> <日本に密入国して商売するニダ!
現在の在日チョン↓
<丶`Д´> <ウリは日本に強制連行されて祖国から拉致されたニダ!謝罪と賠償を(以下略)
---------------------------------------------------------------------------------
北朝鮮へ帰国した在日
<丶´▽`> <北朝鮮は地上の楽園ニダ!日本なんかとは違うニダ!さすがウリの民族ニダ!帰るニダ!
脱北した在日↓
<丶`Д´> <北は楽園じゃなかったニダ!日本に戻ったから生活の面倒見るニダ!
脱北した在日の将来↓
<丶`Д´> <ウリはだまされて、北に帰ったニダ。 責任は日本政府にあるニダ。謝罪と賠償を(以下略)
-----------------------------------------------------------------------------------
ここまで忘恩、自己責任という言葉はお空の彼方な民族があろうか。恥って知ってる?チョンども
156 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 14:48
熱はそれほどでも無いのですが、咳き込みが酷いのと、少々鼻が詰まって、
それと体中から力が抜ける状態でした。
157 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 15:00
158 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 18:17
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった
葬儀を終え自宅に戻ると、高野豆腐にはまだ
母が作った冷蔵庫があった
160 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/19 22:26
みなさま、こんばんは。
161 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/20 08:16
風邪引き街道驀進中である。
一番辛いのは電話の応答。
ガラガラ声で出来る限り応対するが、ちょっとした拍子に高音部分が掠れる。
女性の掠れ声というのは時にセクシーな物であるが、男のそれは単に
情けないのである。
お客さんからも思いっきり突っ込まれる始末。
家に帰れば帰ったで、子供達の相手をしてやっても、歌なんて歌えない。
でも子供達はしっかりと童謡の歌の相手を要求するのだから…。
162 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/20 08:33
※ 週刊アスキー
「泣ける2ちゃんねる」、という記事を読む。もう記事だけで泣けてしまった。・゚・(>_<)・゚・。 ↓
http://hiroshu29.tripod.co.jp/ ここの「泣けるFLASH」なんて、まじで泣けるよ。
2ちゃんねらー、意外と全うじゃねぇか!? 中年@オヂ、見直したぞ。
進化は道を探す。文化も、道を探すんだよね(^O^)/。
163 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/20 19:00
熱は出たり出なかったり。多分会社にいたとき、昼頃が一番酷かったろうなぁ。
熱っぽかったし、頭痛かったし。でもあれだと大体37度5分くらい。
38度を超えてくるともっと思考能力が無くなり、悪寒がもっと走る。
で、38度5分を超えると寒気が止まらなくなり、立つ事すら出来なくなる。
まぁ、其処まではいかないけどね。出張もあるし最低限で押さえこんどかないとね。
164 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/20 22:39
雑誌「軍事研究」を探して書店難民と化す、なぜか先週買いそびれて、いつもならこの時期まだあるはずだが、近所の3店舗全滅。
165 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/20 22:51
24歳の某会社員です。偶然このページを発見して以来、楽しく拝見し勉強さ
せていただいておりますが、今回はじめて書き込みをさせて頂きます。
現在仕事の関係で一ヶ月ほどロンドンに滞在してますが、この週末を利用し
てパリにも足を伸ばそうかと思ってます。その際にはベルルッティやロブで
買い物もしたいのですが、よろしければパリのショップの状況について教え
て頂けないでしょうか?営業日ですとか(ロンドンは日曜日はほとんどのお店
が休みですので)、またロンドンのショップとの比較用に最新の値段状況も教
えて頂けるとありがたいです。全くの素人のため何もお返し等は出来ません
が、どうかよろしくお願いいたします。
166 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 11:29
母が作った高野豆腐があった
167 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 12:29
高野豆腐はあまり日持ちしませんが・・
高野豆腐の煮物だと思われ
169 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 19:16
小さい頃小さな借家に住んでいた
小さな庭があって濡れ縁があって…
夏には母が庭にビニールのプール出してくれて…遊び疲れてプールからあがるとカルピスとかシャービックを出してくれたなぁ
今は婆さんになってしまったけど優しい母だと思う
先月『子供が出来たよ。俺も父親になるよ』と連絡したら泣いて喜んでたね
連絡したあとに何だかぽろぽろと色んな思い出が蘇ってきて、コンビニにカルピス買いに行って嫁さんと飲んだよ
嫁さんにも優しい母になってもらいたいと思う
ありがとう 母さん
170 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 20:11
風邪をひいて3日間程寝込んでました 年のせいか、年々治りが遅くなっていくのを痛感致しております
171 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 20:27
※ 小池えい子に豊胸疑惑、週刊新潮
ま、グラビア頁の昔の写真を見る限りでは、これどっから見ても作りモンで
すよね。(´・ω・`)ショボーン? 全然タイプじゃないのでどうでもよし。
ほら靴ミン、お前向きのネタだ。やっとストーカーが去って行ったと思った
ら、何のことはない、代わって、消えて久しい靴ミンが復活し、ストーカー
の正体は靴ミンだったというオチ。まったく、負け犬ってのは学習効果が無
いね。嬉しいだろう。有名人でジャッジマンで掲示板の番人たる大先生に名
指しして貰って。
なお、靴ミン対策として、プライベートに関する話題は今日以降しばらくお
休みします。しばらくはヲタクネタも控えてお堅い爺ネタ、あいや時事ネタ
が続くと思って下さい。
172 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/21 21:30
ローソヌの荒びきマスタード塩焼そば、説明書通りに作っていき、スパイスとバチバチする粉を混ぜていったら、突然激しいくしゃみが!どうやらコショウがハジケ粉の作用でいつもの何倍もの威力をもったらしい。
173 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/22 20:38
明日の午前中までの仕事なので気は楽です。
でも体が楽じゃないんですよね。
と言うわけで、今日はゆっくりと寝ることにします。
だって、明日に体調崩しても仕方ないですからね。
174 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/22 21:04
※ 高円宮憲仁親王逝去 47歳の若さで。
2ちゃんのクソみん、おっと靴民に餌を与えることになるので、以下略。
いろいろと思う所多し。
175 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/22 21:05
みなさん、こんばんは。
本当に寒くなってきましたネ。
朝に布団から出るのが辛いです・・・。
さて、メンズドルソを買ったのですが、イタリア靴のページが目につきました。
とにかく、色気のある靴が多いですネ。
これは、ラテンの国民性なのでしょうか。
見ていて、うっとりしたほどです。
あと、ウゴリーニの工房も小さく載っていて、目を引きました。
ちなみに、今回特集のあったグレースーツも良く着ていますが、最近は紺系が好みです・・・。
176 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 05:09
仕事順調。
時間たっぷり。
あぁこういう出張なら嬉しいなぁ。
ま、詳細は後ほど。
177 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 05:24
178 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 05:32
銀河鉄道999 DVD-BOX2 買い。
クイーンエメラルダスがようやく出てきました。
残りの BOX は4つ…
気が遠くなりそうです。
MZ-N10 ですが、再生ボタンを押して3秒ぐらいしてから
音が流れ始めます。MD ってこんなもん?
いきなりダメダメなんですが。
179 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 05:40
2002年11月22日(金)
ケンタッキーにて。
ワンコ…チキンポットパイのセットください。
若者店員…チキンポテトパイですね。
ワンコ…チキンポットパイのセットです。
若者店員…チキンポテトパイのセットがおひとつ(とレジ入力)。
ワンコ…飲物はホットコーヒーで。
若者店員…ホットコーヒーがおひとつ。チキンポテトパイひとつお願いします(とスタッフに伝える)。
ワンコ…(あのー、チキンポットパイなんですけど。と内心つぶやく。)
若者店員…チキンポテトパイ6分ほどお時間がかかるのですがよろしいでしょうか。
ワンコ…いいですよー。
若者店員…できしだいお席におもちします。お先にお会計よろしいですか?
ワンコ…はい(とお金を払う)。
若者店員…○○○円のお返しです。ありがとうございました。
しばし流れる沈黙の時間(約0.8秒)
ワンコ…あのー、先にコーヒーいただけますか?
若者店員…あっ。ガムシロとミルクおつかいになりますか?
ワンコ…は、はい。お砂糖とミルクつかいます。
おねーさん。相当緊張してました。果たして、私は無事チキンポットパイを食べれるのでしょうか?
がんばれ!若子!(カロリーメート食って)
180 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:51
父さん、母さん、こないだ俺の親友がそちらへ行きました。
俺の近状はそいつに聞いてください。
それから、そいつに俺が「ありがとう」と言っていたと伝えてください。
もうすぐ誕生日を迎えます。
例年よりちょっと早いけど、いつものように礼を言っときますね。
生んでくれてありがとう。
俺が2歳の時に事故で無くなった父さんと母さんへ、息子より。
181 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:51
ゆかとゆうきへ
君たちの姿を最後に見たのが4年前の春。
二人で「いってらっしゃい」と駅に行く道を歩いているオレが
見えなくなるまで手を振ってくれた。
なにもかも幸せだったかも。
あのシーンは、いつまでも心の中に残ってるよ。
そろそろお墓参りだね。
ゆかのスキだったケーキとゆうきの大好きなプーさんの人形を
持って、会いに行くよ。
一日だけでいい。
約束したまま果たせないでいる
ディズニーランドへ遊びに行こう。
・・・
182 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:52
お父さんが死んだ時は中学生だった私も20歳を過ぎて
最近、日本酒の味を覚えました。
50年後か、60年後か、いつになるかわからないけど、
そちらへ行ったらきっと一緒に飲みましょう。
でも昔みたいに飲んだらすぐ寝ちゃうのはナシだよ。
183 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:55
長くなります、スマソ。
兄貴へ、愚弟より。
あんたが死んで4年になる。記憶が日に日に薄れていっていたのが解る。
他力本願だけど、2ちゃんねるのこのスレを見てあんたの事を思い出した。
13も年が離れてたせいか、あんたとはケンカをしたことが無かったな。
いつも俺が殴られて、泣かされてた記憶しかねーよ。
俺がヘッドホンしながらゲームしてた時に突然怒りながら怒鳴り込んできて
「何度も電話してんのになんででねぇんだこのツ○ボ!」とかわめきながら
俺の電話を壁に叩きつけて壊してくれた事も覚えてる。
いまだに弁償してもらってないからな。
あんたが病気で倒れ、そして死ぬまでの4年間、俺はあんたにほとんど会いに
行かなかった。それでもあんたは俺が見舞いにいくとめちゃくちゃ嬉しそうな
顔して「元気か、体壊してないか」とか声をかけてくれたな。
俺が大学を中退して仕事するって言った時、あんたは本気で怒って抗議したな。
「お前の未来はお前のために使え」ってな。
俺が大学を出て遠くに働きに行く時、あんたはお守りをくれた。
その仕事に挫折して1年でむざむざ帰って来た時、あんたはにっこり笑って
「お帰り。一人は辛かったか?」ってねぎらってくれたな。
184 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:55
あんたが生きてる時はあんたの言葉の重さとか、ちっとも考えてなかった。
あんたの目が見えなくなり、耳が聞こえなくなって、俺達と話が出来なく
なっても、あんたは俺達が来たら喜んで「元気だったか」っていってたな。
ごめんな、兄貴。あんたが死んだ日、俺は彼女と二人で遊園地いってた…
その日は親が「病院に一緒に行こう」って行ってた日だったんだけど、俺は
彼女と遊びに行くのを優先しちまったんだよな。
後悔しても始まらないけど、あん時行ってれば良かった。
悔しいよな。あんだけうざいと思ってた兄貴なのに、4年経った今では、
あんたが残してくれた言葉ばっかりが実感出来るよ。
俺があんたの死に目に遭わなかった事を、あんたは怒らないだろうと思う。
「自分の未来は自分の為に使えよ」って笑って済ますんじゃないかと思う。
それは俺の思い過ごしかもしれない。自己満足かもしれない。
けど、俺はそう思える。
くそったれ、俺は一生あんたに勝てねーよ。
帰ってこいよ。そしてまた一緒に焼肉食いたいよ…
185 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 06:56
相模原へ引っ越したというのをお母さんから聞いて以来、どうしているか
全然わからない。あの仕事はまだ続けてるの?
友達と会社立ち上げるって夢はどうなった?
元気でいるのかな・・・
わたしにとってあなたとの4年間は最高だった。
わたしに無くてはならない存在だった。
でも、ずっと付き合っていっても未来は幸福じゃないような気がしてた。
なんでだろうね。
すっきりしない、苦い別れ方だったね。ずるくて卑怯だと思ったよ。
けど、2年以上経った今でも、あなたのことがしょっちゅう頭をよぎる。
わたしはもうすぐ結婚するよ。
でも、あなたのことはきっと、一生心に残ったままだと思う。
あなたの未来が幸福でありますように。本当にそう思ってるよ。
大好きだった しーちゃんへ。
186 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 09:42
==== Radish Network Speed Testing Ver.2.24 - Test Report ====
使用回線:Yahoo!BB 12Mbps
線路距離長:3160m 伝送損失:46dB
-------------------------------------------------------------
測定条件
精度:低 データタイプ:標準
下り回線
速度:2.972Mbps (371.5kByte/sec) 測定品質:99.0
上り回線
速度:637.7kbps (79.71kByte/sec) 測定品質:96.8
測定者ホスト:YahooBB218135032024.bbtec.net
測定時刻:2002/11/23(Sat) 9:41
-------------------------------------------------------------
測定サイト
http://www.studio-radish.com/tea/netspeed/ =============================================================
187 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 09:44
188 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/23 19:39
みなさん、こんにちは。
昨夜(今朝)は、掲示板に登場いただいている方達に遊んでいただきました。
かなり盛り上がって、日付が変わるまで楽しませていただきましたが、さすがに今日は疲れ気味です。
家に帰ってから、風呂場で寝てしまっていて、気づいたら薄明るくなりつつあって、寝不足なのです。
靴日記は書いてアップロードしたはずなのですが、前日のままですし、ファイル自体が無くなっていました・・。
サーバー側からダウンロードしてことなきを得ましたが、ちょっと焦りました(フゥ〜)。
みなさん、また、遊びましょうネ(笑い)。
これ以上の内容は、どなたかフォロー願います・・・。
189 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/24 05:09
11/23(土) AUBERCYのホールカット・ノルベジアン(紺)
今日は、紺色の靴を履きたくなり、AUBERCYのホールカットをセレクトしました。
少々グレーがかってはいるものの濃い紺の色合いが強いのですが、、曇りの空模様にもかかわらず、外では青を強く感じました。
いかにも艶っぽい光沢が、爽やかな青い色合いを意識させるのです。
間近で見ると、極上の仕上げの革というよりはアンティーク風とさえ思えるのですが、少し離れて目線から足元を見るといかにも存在を主張する輝きを放っているのです。
チゼル気味のスクエアトゥに向けてシャイプの効いたシルエットに、この適度に存在感のある紺の革は調和がとれていると思います。
さらには、ノルベジアン製法特有のアッパーにまで縫いの入った白いステッチが、濃紺の革とのコントラストもあって、クッキリと美しいシルエットを際立たせています。
濃い色のジーンズと淡い色合いのデザインシャツ、アウターは紺のオイルド・ジャケットを羽織って、この靴を合わせましましたが、同系色主体の色合いでもあって、コーディネートはうまくまとまりました。
紺の靴は、まだ買い始めてから1年ちょっとですが、奥深い魅力を感じます。
今後も、いろいろなシチュエーションで使いこなしていこうと考えています。
190 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/24 05:31
ばぁちゃんが死んだときの精進明の刺身のツマで、始めてトサカノリと
アオサを食べた。
大抵の所は、剣、大葉、ちょっと凝っていても、蓼、茗荷くらいなのに
たまに、海藻のいろいろなのが載っていると、思い出してしまう。
昔の十一月は寒かったのになぁ
191 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/24 05:47
MZ-N10 続き
コイツのリモコン、操作性最悪です。
今までリモコンの頭の部分が再生ボタンだったのに、
イヤフォンジャックに変更されているんです。
そのため再生ボタンがリモコン側部に移動になり押しにくいし。
リモコンを手でホールドしたらちょうどグループ移動の
ボタンに指が当たって再生している曲が変更されるし。
不満点ばかりが目立ってしまいます。
音質はいいのに。
おかげでまだユーザ登録していません…
192 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/24 23:35
11/24(日) ジョンロブ・パリのヴィンテージ2000(ダブルモンク・U−チップ)
今日は、季節に合わせてダークブラウンの靴の中で何を履こうか迷ったのですが、ノーブルな雰囲気を味わおうと、このダブルモンクストラップ付きのUチップをセレクトしました。
実は、前回、初めてカジュアルなスタイルに合わせて、意外と無難にまとまったので、次回もそうしようかなとの思いが残っていました。
ロングノーズだからか、いかにもノーブルな佇まいなのですが、軽やかにカジュアルに合わせることで、肩の力が抜けた感じがします。
紺の2タックのコーデュロイのパンツと濃いダンガリー系のジップアップシャツにジャケットと、かなりくだけたカジュアルスタイルでしたが、足元も重くはなりませんでした。
思ったよりも足元だけが目立つことなく、意外にもうまくまとまりました。
とにかく、靴自体を見ると荘重な雰囲気で近づきにくい印象すら漂わせているのですが、全体的にリラックスしたスタイルに合わせることで、高貴な雰囲気を醸し出しつつも、さりげなく履きこなすことが可能なようです。
今後も、スーツに合わせてノーブルな雰囲気に負けないようなコーディネートに挑戦しつつも、カジュアルにも合わせようと思いました。
履くコーディネートの範囲が広がったので、今後は以前よりも登場する機会が増えそうです。
193 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/24 23:50
そうそう、昨日の日記では書かなかったけれど、風邪をひいて、相当酷い状態
だったのは、ここ数日前の日記を読めばよく分かるとおり。実は出張前の日、
当日の朝が一番辛かった。薬で抑えてはいるが、咳が出ると殆ど発作。熱は一
日の中で38度以上と平熱を行ったりきたり。汗はだらだらと出るし、思考能力
さえ怪しげ(あ、これはいつもの事ですな。)で、当日新幹線に乗るころは体
中に悪寒が走り、脱力する寸前。客先に行きさっさと仕事を済ませて、ホテル
にチェックインするや、近所の地図から薬局を探して、アンプル型の風邪薬と
漢方薬の風邪薬を買い込み、体調を万全に整える事に専念するほどだった。な
んと言ってもその日は午後9時には床について、午後10時頃には完全に意識
を失っていたと思う。ごはんも近所の定食屋みたいなところでうどんを煤って
終わり。コンビニで水を大量に買い込み、これで喉の渇きを抑える。しかし、
お陰で薬代が高い事。特にアンプル型の薬は高価なのだ。しかも丁度一日3回
分でのお値段でびっくりするくらいだから…。
194 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/25 07:37
冷蔵庫に決まってビール
195 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/25 15:58
くだらない荒らしがいるね
大体、料理板荒らす奴なんて他の板では荒らしきれないハンパ者だろ
心の貧しさ丸出しだよ
とっとと死ねよ ゴミ
196 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/25 19:57
197 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/25 20:12
あんなったなぁ〜ら、どぉすんるぅ〜。
198 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/25 20:27
199 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/26 22:50
※ チョコエッグ
ついぞ軍用機シリーズの食玩を発見する。一個買ってみたらユーロファイター・タイフーンだった。結構できが良いと思ったら、ヲタク的には細部が甘い代物もあるらしい。
200 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/26 23:21
次女からの手紙。
Subject: 報告:家訓にのっとり。
いもうと@でし。(笑)
昨日PBG4の1ギガ太郎を予約してきました〜。
ちゃんと家訓通り「最速」です。
にくさんからの垂れこみによると、ねえ様もばっちし購入するとのこと!
1GHz姉妹。2人合わせて2GHz。(意味不明)
えへ。
では〜。
ねえさま、頭がいたいです。
このスレ荒らして何が楽しいんだろう?
荒れてるところ悪いが、
>80-81 素直に感動した。
7月の書き込みだからもう見てないかもしれないけれど
ご両親を大事にしてください。偉そうでスマソ。
203 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/28 17:21
204 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/28 17:33
>>80-81 ヽ(`Д´)ノ ウワァァァァン
感動したよぅ
いい話だよぅ
なんだか優しい気持ちになるよぅ
205 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/28 20:42
Noriです
みなさん、ご無沙汰しております。
早いもので、もうすぐ12月ですね。2002年もあとわずかです。
本当に、月日は百代の過客という感じです。
12月に、数人で鍋でも囲んで忘年会でも開きたいと考えています。ご興味ありましたらメールでも下さい。
206 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/28 21:02
昨日は頭が痛くて痛くて、熱はあるしで、午後9時には就寝。
今日も朝起きたら午後7時30分…。
さて、今のところは大丈夫だが、明日は客先だしなぁ…。
ま、薬でも飲んでおきましょうか。
207 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/29 21:14
こんにちは。
金曜日ってサイコー。
だって明日が土曜日だから。
208 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/29 21:29
本当に何もない一日。
起きてごはん食べて、会社行って、お仕事して帰ってきて、ごはん食べて、お風呂入って、ネットしてたぶんこのまま寝る…。
でもそれなりに仕事が忙しいのと、風邪が完治しそうでしていないのでジムには行けそうにない。だからこそ欲求不満気味。思いっきり運動して汗かいて、気持ちよく疲れて眠れれば何も言う事はないんだけどなぁ…。
209 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/30 05:56
_,;r''" ゙''-,,_
,,r''" ゙'li;,
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{ `'" _,,: -ー'''""''t"
゙':ミ、 _,,ニ-ァr''"ゝ_ュ--ニ,,_ ゙li;
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,l"三 ,∧ :≡三゙ミヽ、,,, ,/ "~ ( リ くだらんsage
{ ,:'"`; ,/' ⌒エi,,ラー',:' ,イニニミヽ,)ノ
゙l,゙l, rヘy' ,i' ゙`  ̄ ''" :i :i(-セァッ'' ツ"
゙l |,ゝ〈 { l:`  ̄ 〈) \
゙l ゙い| ゙i; _( l| リ `ーv-───────
゙|,゙7 | ゙i; ,  ̄ `¬-'"` 、 / ノ
7" :゙i ( ,:¬ニ'''ー- ,,_ ,,ィ"
,;r=;/ i;゙:、 i; .`''ーニュ-'" ノ /
/ ゙''-:;,_ li ゙ヽ, `'''ー ';r"
_;r''〈 ,:-ヾ, ゙ヽ、,,_ ,,:r'ヽ,,
゙l / ゙l |_,,,,,,,__  ゙̄'''''i" >i
. ゙l / ゙l゙|__゙l Yマ''''<ヽ/ ,/ ゙|
゙l /' ゙l.l:=|: | } マ ,/ |
゙l / ゙l.l l; |;} ゙l / :トニ、,,,_
210 :
もぐもぐ名無しさん:02/11/30 19:26
------ BNRスピードテスト (ダウンロード速度) ------
測定サイト:
http://www.musen-lan.com/speed/ Ver2.2001
測定日時:2002/11/30 19:22:18
1.WebARENA / 2947.664kbps(2.947Mbps) 377.08kB/sec
2.PLALA / 1292.252kbps(1.292Mbps) 165.31kB/sec
3.ASAHI-Net / 2990.321kbps(2.99Mbps) 382.54kB/sec
推定転送速度 / 2990.321kbps(2.99Mbps) 382.54kB/sec
211 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 05:41
はじめまして。kenと言います。
この掲示板は、以前より拝見さえて頂いていました。
212 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 05:43
スポーツジムに行った。
所謂格闘技系フィットネスだったのだが、流石に病み上がりの所へ持ってき
て、その運動量に体がついていかなかった。情けない事この上ないがそれも
仕方があるまい…と自分を慰めておきましょう。バーベル(総重量60kg)を
10回1セットを3セットする。かなり筋力が落ちているのを実感する。いか
んなぁ。レッグプレスは相変わらず。これだけは常人離れした値をたたき出
せる。片足で125kgだものなぁ。単純計算だと両足で250kgかぁ。でも昔エア
ータイプの奴でしたときは確か380kgだったかな。まぁこれに関してはメー
カーによってかなり違いがあるからね。(それでも大抵は常人以上の値だ。
大体トレーナーの方が勝手に、昔ラグビーやってましたか?等と言ってくれ
る。まぁ確かに体型から考えればそういう想像は働くけれど…。)本当は筋
力よりも、持久力と、有酸素運動をメインにしていかないといけないんだけ
ど。
213 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 08:08
214 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 08:56
この調子で、「ドルアーガイエロー」「イースブルー」
「バンゲリングリーン」「スパルタンバイオレット」と
順次商品化予定です(違
俺の母親は絶対謝らない人だった。
幼稚園のときに治りかけの膝を無理やり引っ張られて
病状悪化。あまりの痛さに泣いたら
「好きなだけ無いてろ!」と一日食事を与えてもらえず、
夜になってさすがに罪悪感からか、「食いたきゃこっちの部屋に
来い」といわれた。
悔しいので無反応のままで居ると「早く来ないと片付けるよ!
10数えるうちに来ないと片付ける。1.2.3・・」と数え始めたので
俺も慌てて扉を開けて台所に行った。
そのときに食ったうどんを、いまだに悔しさとともに思い出す。
自分が悪いのに謝れない大人は情けない。
216 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 15:08
小学校低学年のとき、新聞の中華料理屋のチラシに「揚げ餃子3個無料券」
が付いていた。母親は私をつれてその店に行き、揚げ餃子3個だけを
注文した。ガラガラの店の中(記憶の中では客は私と母のみだった)
で揚げ餃子を食べながら母が「このお茶はジャスミンティというお茶よ。
いい香り」といっていたのをなぜか鮮明に覚えている。
ジャスミンティの匂いをかぐたびにこれを思い出す。
ちなみにこの中華料理屋は今は潰れて、もうありません・・・。
今、これと同じことをやれといわれても私には出来ないが、おばさんになったら
出来るようになってしまうのだろうか?恐ろしい・・・。
217 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 22:09
演歌の SACD ですか…。
でも「津軽海峡」なら聴いてみたい気がします(笑
218 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/01 23:11
やっぱりceleron650のCPUではwin2kは重荷なんでしょうか?
メモリーは320ですから最大です。HDDはIBMの5400rpm20GBにしてあります。元はMeがプリインストールされています。
win2kはOEM版にてインストールしてあります。
初期のアル中病院の一家の話が激しく気になるのだが
絶対
>>43みたいなレス入るね。こいつの気が知れないしリアルでも一緒に飯食いたくないタイプ。
220 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/04 21:59
情を説明してログも送りました。
dion、DDIポケット、IIJに説明して事実を確認次第
ブラックリストに入れるくらいはしてくれるそうです。
具体的には個人情報の備考に
掲示板荒らしをしていたという注意書きが添えられる程度だそうです。
携帯やプロバイダーなど通信業者と契約するとき
信用情報として死ぬまでついて回ることになると思うので
頭に入れておいて下さい。
串刺しても同時刻に接続を確認してもらうんで一緒だから。
それにもう、あなたが誰か特定しているからプロバイダーかえても一緒ですよ。
仮にあなたが荒らしていなくても、同時刻に荒らされていた場合
あなたが荒らしたとみなされることを理解しいておいた方がいい
法的制裁ではないんで、勘違いしないで下さい。
あなたの個人情報に掲示板荒らしのレッテルが貼られて
帝国データバンクなんかで流通する信用情報にも
掲示板荒らしの事実が記載されるだけですよ。
名簿業者なんかにも情報が流れて
ダイレクトメールを扱う業者には掲示板荒らしの事実が知らされるでしょう。
学生なら就職活動時、支障が出ることになると思うし
大企業がそういう人物を採用するわけないでしょう。
221 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/04 22:07
222 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/04 22:09
※ 酒鬼薔薇事件(←ってこんな当て字で良かったっけ)。TBS
犯人はすでに二十歳。何というか、当事者意識がほとんど感じられない文
章が淡々と読み上げられる。あんなものなんだろうな。何を期待していた?
われわれ世間は、当然彼に懺悔を期待しているわけだが、たぶん、そんな
のは無理だ。ナンセンスと言って良いかも知れないほどに無理な要求かも知
れない。
223 :
もぐもぐ名無しさん:02/12/04 22:24
224 :
もぐもぐ名無しさん: