http://www.sankei.co.jp/news/060729/bun074-1.jpg 中島らもの心を奪ったネーポン。レトロな瓶が魅力的な、みかん味の清涼飲料水
≪「とてもおいしかったと言っていいかもしれない」 中島らも「西方冗土」より≫
「あの幻の『ネーポン』がまだ存在しているらしい」
知り合いからこの話を聞いたのは、つい先日のことだった。
ネーポンといえば、ネーブルとポンカンをかけたもので、オレンジ味のする瓶入りの清涼飲料水。
テレビのバラエティー番組で取り上げられて一躍有名になり、
故中島らももエッセー集「西方冗土」の中で、ネーポンとの出合いについて述べている。
西方冗土の中でネーポンが飲める店として登場するのが喫茶店「アジアコーヒ日の出通り店」。
「廃業した自転車修理屋」といった趣の店で、入り口に「ネーポンあります」の張り紙がしてあるという。
『「ネーポン」を飲んだら、そのまま外界に帰れなくなるような、そんな気がしたのである』
かの中島もあまりの怪しさに最初は飲むことを躊躇(ちゅうちょ)している。
記者も結局、飲む機会には恵まれないままアジアコーヒは閉店。
それとともにネーポンもなくなったものとばかり思っていた。
その幻がまだ存在していたとは。どこで手に入れたのか、
知り合いが持ってきてくれた空き瓶には、製造元として「ツルヤ食料品研究所」と記されている。
住所は神戸市兵庫区。いてもたってもいられなくなり、さっそく訪ねてみた。
お洒落(しゃれ)な街、神戸とはまた違った古い建物が並ぶ路地にツルヤはあった。
しかし、入り口は固く閉ざされている。
「やはりもう製造していないのか」。
あきらめかけたその時、「右側奥へお回りください」との張り紙を見つけた。
奥へ回ってみると、古びた機械が数台置かれた20畳ほどの部屋が見えた。
工場というよりまさに「研究所」だ。「ごめんください」。声を出しても返事はない。
思い切って中に入ってみると、年配の女性が一人でネーポンを作っていた。
「ネーポンだ!」。興奮のあまり思わず声が出てしまった。
この女性にツルヤを訪ねた理由を話すと、ネーポンを一本開けてくれた。
『ネーポンは細長い瓶に入ったジュースだった。
コップに注ぐと、瓶の底にたまっているおりのようなものが揺れ動いた』
確かに揺れ動くなぞの物体が見える。中島の出合いを追体験。瓶には黄色4号の文字が。
少しためらっていると、「果肉が沈殿してるだけやで」と、女性がひと言。
こちらの気持ちを察したかのようだ。確かに瓶には「果汁10%」とある。
テレビでは粉末を溶かした飲料ではないかと茶化(ちゃか)され、ずいぶんとつらい思いをしたという。
『よく冷えていて悪くはなかった。とてもおいしかったと言っていいかもしれない』
中島が述べているとおりで、甘いのだが、決して嫌味はなく、本当においしかった。
かつて駄菓子屋や銭湯で飲んだ懐かしい味だ。
女性は上田安子さん(68)で、ネーポンを一人で作り続けているという。
ツルヤがネーポンを作り始めたのは昭和38年ごろ。
もともとは製菓店だったが、「安かろう悪かろう」がまかり通っていた
清涼飲料水に風穴を開けようとネーポンを作り始めたらしい。
瓶のデザインは多少変化したが、味は40年以上、まったく変わっていないという。
ミカンの果汁を使って一本、一本ていねいに手作業で作られている。
ちなみにネーポンは、神戸・元町と大阪・都島の喫茶店に出荷しているらしい。
今度はその喫茶店を探さないとと思っていると、上田さんから衝撃的なひと言が発せられた。
「実はネーポンの製造、年内で終わるねん」
え? やっと見つけたのに…。
どうやら、「研究所」がマンションに建て替わるため、この機会に製造をやめるらしい。
「後を継ぐ人もおらへんし、はっきりいってもうからん商売やから…。残念な気持ちもあるけどね」。
年内は注文がある限りは製造を続けるという。
昭和の原風景が残っている幻の「研究所」。
というより、幻を探し求めてツルヤを訪ねたこと自体が、幻のような気がする。
(藤原直樹)【2006/07/29 大阪夕刊から】
■ソース
SankeiWeb(07/29 17:03)
http://www.sankei.co.jp/news/060729/bun074.htm 2006/07/30 04:18:55 【飲料】『とてもおいしかったと言っていいかもしれない』 中島らもを魅/home/ch2headline/public_html/bby/erimo/news
よく壊すね