【プレスセンターで】 赤井邦彦 2枚舌 【ワイン】

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1音速の名無しさん
とりあえず前のスレで俺が気に入ったタイトル
2音速の名無しさん:04/07/22 21:18 ID:dEcW/m4w
どうせ立てらんないと思ってやったら出来ちゃいました

3音速の名無しさん:04/07/22 21:19 ID:VRaH7TZk
3なら赤井先生がワインご馳走
4音速の名無しさん:04/07/22 22:00 ID:YtrRx7pQ
前スレ
赤井邦彦氏を死刑にする会
http://ex8.2ch.net/test/read.cgi/f1/1056438525/
5音速の名無しさん:04/07/23 00:03 ID:R0UuU4uz
>>1


>>赤井
取材しろ
6音速の名無しさん:04/07/23 00:04 ID:N6W5AaC3
>>1
乙。死刑とか、みんな(あくまでみんなだ)心の中で思ってても、書くのは
どうかと思うような血なまぐさいスレタイじゃないし(・∀・)イイ!!
7音速の名無しさん:04/07/23 10:21 ID:8komC7OF
>>1
スレ立て乙&スレタイ採用ありがdヽ(´ー`)ノ
8音速の名無しさん:04/07/23 22:13 ID:axakmGWC
<<1


今までROMだったけど、新スレ記念に燃料投下。
御大の本「F1 トヨタの挑戦」より

『1980年代のある時期、トヨタはF1グランプリ参戦を念頭にイギリスの名門チーム・ロータスと
話し合いを持ったことがあった。Kはその当時のことを次のように振り返る。
「もう、いつだったかはっきりは覚えていませんが、ロータスと一緒にやろうとしたことがあるんです。
トヨタがF1を真剣に考えたのはそのときが本当に初めてだったと思います。
我々にはやろうという意志ががあって、1500tターボ・エンジンを開発したことがあるんです。
東富士研究所で試作して、ベンチで回しました。あの頃はホンダさんが1500tターボ・エンジンで
連勝しておられて、私たちも刺激を受けていたんですね。でも、ロータスのコリン・チャップマンが
亡くなって、この話は纏まらず、その計画はなくなりました。」』

 Kさんが誰なのか本にははっきり書いてあるけど、一応伏せておきます
9
 1982年12月 コーリン・チャップマン死去 

 1983年 第2期ホンダF1が活動開始
 1985年 第14、15戦、ホンダがターボ・エンジンで初連勝

 したがって、『ホンダがターボ・エンジンで連勝していた頃、トヨタでもF1用ターボ・エンジンを開発していたが、
ロータスのコリン・チャップマンが亡くなって計画が中止になった』というのは明らかに時間的に矛盾がある。
 Kさんの記憶が混乱して、証言に矛盾があるのは仕方ないが、ジャーナリストはそれを検証して文章にする必要がある。

 何しろ単なるF1マニアのオレが、すぐにおかしいと気が付くくらいなんだから。

 御大はコーリン・チャップマンが死んだ年も、ホンダが連勝していた年も覚えていないようです。