>>50 えー難しい質問ですね。根府川にいたかもしれませんし、そうでない場所にいっていたかもしれ
ません。
ああ、そーだそーだ、学校をさぼってシアトルにいたのです。
マリナーズの抑えの切り札となった佐々木を見にいっておりました。
「わたしを球場に連れて行って」を歌い、売り子が放り投げるホットドッグを
キャッチしそこね、ワイシャツをケチャップまみれにして「サンシーン、サンシーン」
と声のあらん限り叫んでいました。そのとき、あの忌まわしい(略)
が起きたのです。何がわたしを襲ったかは言いますまい。多分最初の言葉は「「事件記者
チャボ」リメイクきぼーん」だったと思います。人間突然の事態に何を言い出すか
分からなくなりますからな。
国際電話は不通で、2週間何が起こったのか分かりませんでした。
そのうち世界中がこのような状態になっているということが噂で流れてきたのです。
(どんなかんじだったかは望月峯太郎『ドラゴンヘッド』で補完しといてください)
3か月後、難民交換船で日本に帰ってきたとき、噂では聞いていたものの
荒れ果てた日本に驚きました。
最愛の家族の死を知るのはそれから1月後のことです・・・。