エヴァバブルの崩壊

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182ひとりあそび・254:05/01/27 14:34:24 ID:???
指の柔らかな白さが目に焼きついた。
綾波は軽く上体を浮かした。開いた窓によりかかるように、身体が前に乗り出す。
細い胴の、真ん中辺りで切れていたなだらかな線があらわになる。白い腰の稜線から、
彼は振りほどくように目を逸らし、あとずさった。
別の恐怖が身体の芯を這い登ってくる。かろうじて言葉を継いだ。
「…皆、を?」
口の中がからからになる。
暗い衝動が、目を覚ましそうになる。綾波の目が見られなかった。
綾波は淡々と語り続けた。
わたし。ここにいる、ここにいると感じているわたし。
わたしは、エヴァでいないこともできた。
それがあなたに会いに行ったわたし。形のないわたし。いつ消えてしまうかわからない、
他人の記憶を通してだけ存在するわたし。決して他人を傷つけることはなく、決して
新しく他人に触れることのない、イメージだけの不確定なわたし。
触れることは、相手を傷つけること。そして、傷つけることは触れること。
あの人は、たとえわたしの心の暗い部分が、エヴァシリーズの手であの人たちを傷つけても、
その状況の維持を願った。
だからあなたの傍を離れ、自分の心を晒してまで、わたしを止めようとしたのね。
でも駄目。わたしは、あの人の望みを拒絶した。
声が、静かなまま無垢な凄みを帯びた。
彼はびくりと振り返って、傷の重さに喘ぐ使徒と、蒼白な顔で眠り続ける死者を見た。
「…どうして、なんだよ」
向き直る。同時に綾波が目を上げた。
視線が交差し、吸い込まれそうに赤い目が彼を捉えた。
寂しいから。
「…え」
わたしは、厭だったの。
囁くような言葉が、胸をえぐった。
陽炎にかすむ路上に立つ綾波の姿が、ふいに意識の奥に浮かんだ。
183ひとりあそび・255:05/01/27 14:35:07 ID:???
第三新東京市に来た日、ほんのひとときだけ見た遠い人影。
今でも、現実だったのか夢だったのかわからない。それに続く多くの出来事に押し流され、
本当に見たのかどうかすら、自分でも確信の持てない記憶。
さびしいわ。
一人でいるのは厭。
あなたと離れているのは、厭。
遙かな真昼の光景がかすみ、暗く溶けて、赤い海の上で微笑みながら崩れていく神様の
巨大な白い姿に変わった。二つの顔が目の前の存在に重なり、同じ赤い目を見開いた。
その奥で暗く恐ろしいものが身をもたげる。
動けなくなる。
縛られる。
「…ッ」
身を引こうとした。
綾波は白い両腕をさしのべ、さらに身を浮かせた。大きくこちらへ身を乗り出すにつれて、
硬く張りつめた身体の線が覗き、現れてくる。優しく内側にひねられた脚が壁面をこする。
伸ばした手が触れそうな距離まで近づき、綾波はそのまま、ゆっくりと身体を傾けてきた。
降りてくる顔、柔らかな白さ、息づまるような匂い。
耳の底で溶けそうに囁く声。
…ひとつに、ならない?
いっぱいに見開いた目の端で、彼は綾波の両腿から先を覆う白い装甲を見た。
焼けた壁が冗談のように崩れ落ちる。身を寄せる綾波の腰の後ろから生え出たエヴァの上体が、
頭と両腕をだらりと垂らしたまま、いびつな翼のように仰向けに持ち上がってくる。
悲鳴が喉元で硬直した。
それは、とてもとても、気持ちいいことなのよ。
「……あ」
初号機の中で見た夢が甦る。あのときから過ぎた全ての時間と感情が音をたてて逆流し、
互いを呑み込み、渦巻き、侵食し合い、突然、ぶつんという衝撃とともに止まった。
いきなり視野が戻った。
強く背中を押されるように、五感が焦点を取り戻す。彼はもうろうとする頭を支えた。
すぐそこに、背後から撃たれたような顔をした綾波がいた。
184ひとりあそび・256:05/01/27 14:35:53 ID:???
白い顔が、わずかに歪んだ。
彼の頬を包もうとしていた両手が揺らいだ。ほとんど無意識に、その間からよろめき下がる。
綾波は、信じられないように自分の身体を見下ろした。力の抜けた両手が下りていき、
みぞおちの辺りで軽く空を掴んだ。
既視感。
綾波の白い腹部の内側から何かが湧き出し、枝分かれして周りの皮膚に根を広げていく。
彼は息を呑み、はっとして目を上げた。
背後のエヴァの胴体、綾波と同じ位置に、青白く輝く光の紐が突き立っていた。
小さく声が洩れた。
「…使徒」
綾波の顔が凍りついた。
代わって巨大な口がその背後で引き裂けた。肉色の口蓋と不気味な灰色の舌がさらけ出され、
真っ赤な唇がめくれて、並んだ歯列が唾液の糸を引く。
伸び上がるように痙攣しながら、量産型エヴァの上半身は大きく身をよじった。両腕が
狂ったようにばたつき、仰向いた身体の上に跳ね上がって紐使徒を掴む。そこからさらに
侵食が始まった。入り込んだ使徒の一部が加速度的に網目を作っていく。エヴァが絶叫する。
彼はそれを凝視したまま立ちすくんだ。
逃げられると思っているのに、足は動こうとしなかった。
崩れた廃墟の奥でぽつんと光っている紐使徒。
使徒を抱え込む零号機。白熱する光。
爆風。
「…駄目だ」
無我夢中で前に出ていた。
綾波の身体をよけて手を伸ばす。うねる光の先端がつっとこちらを向く。突然、肩に重み。
振り返る。綾波が、虚ろな目のまま彼に抱きついていた。白い腕が驚くほどの強さで絡みつく。
それごと引きずるようにして、彼は、弧を描く使徒の端を掴んだ。
185ひとりあそび・257:05/01/27 14:36:37 ID:???
手が触れた瞬間、使徒の身体全体が大きく震えた。
一瞬だけすさまじい違和感が襲い、すぐに消失する。
何かが速やかに入り込んでくる。
それは抵抗しようとする反応すら取り込んで同化し、水のように意識に沁み込んだ。
体内の異物が、抑え込む力のないまま一気に膨張する。
ふいに彼は目を閉じ、真上を向いて、奥底から突き上げる感覚に耐えた。肩先で、綾波が
きつく身体を押しつけたまま、あ、と小さく声をあげた。
LCLに包まれる錯覚。
波の感触。沈んでいく感じ。おぼろな赤。
身体が崩れていく。手首が、腕が、喉首がちぎれ、重力に屈していく。
デストルドー。死を望む心。生命が生命であるための、生きる意志を手放そうとする思い。
別に何も感じない。悲しみも虚しさもない。死と無とは、ずっと身近なものだったから。
でも最後の一瞬、少しだけ、とても寂しい虚無が心を満たす。
自分から他人が離れていくことの、透明な認識。
それが寂しいということ。
それが、綾波の心?
…いえ、そうじゃない。
寂しいのはあなたよ。
何かがまっすぐに彼の中に切り込んだ。一瞬、意識が痛みで冴えた。
目を開く。翼使徒が、もう一度彼の脳裏を貫き、強引に記憶をこじ開けようとしていた。今度は
はっきりと拒絶が浮かんだ。あのとき聞いた、アスカの怒りと絶望の叫びがそれに重なった。
呑み込まれる訳にはいかない。
彼は大きく目をみはった。
紐使徒の輝く弧が、一瞬、完璧に宙で静止した。
次の瞬間、全てが反転した。
入り込もうとする力が自ら衝動をねじ伏せ、フィルムを逆回転させたように後退していく。
しがみついた綾波が悲鳴をあげ、全身をこわばらせる。強烈な生理的嫌悪が腕を、手首を、
手のひらを抜け、最初に使徒に触れた箇所に集束して、突然弾かれるような衝撃とともに離れた。
使徒と自分の手を隔てるATフィールドを、彼は呆然と見つめた。
それは綾波も同じだった。使徒の展開したATフィールドは、彼と綾波をも引き剥がしていた。
再び開いた距離の中心で、光る弧の端がゆっくりとエヴァの腹部から引き抜け、一瞬痙攣して、
彼と綾波の間の地面に落下した。
186ひとりあそび・258:05/01/27 14:37:33 ID:???
ほぼ同時に顔を上げた。
綾波は、ケイジで初めて会ったときのように、引き裂かれるような苦痛に顔を歪めていた。
彼は目を逸らし、精一杯声を押し出した。
「…ごめん。
 ひとつには、なれないよ。…それが、綾波でも」
無理矢理引き剥がされた痛みが辛かった。
それは間違いなく自分の感覚だった。たとえほんのひとときでも、紐使徒と彼と綾波は
一緒の存在だったのだから。
けれど、だからこそ、紐使徒のATフィールドは、彼自身が望んだ拒絶でもある。
綾波に、それが伝わっていない筈がなかった。
拳を握りしめる。もう、他人に拒絶を託して、向き合うことから逃げ続けてはいられない。
「僕は、綾波に会いたかった。
 この変な世界に来てからずっと、綾波に会いたくてたまらなかった。ほんとは
 心のどこかで、一緒にいたことが恋しかった。戻れたらいいって思ってた。
 だから、嬉しかった。綾波が、ここにいるって知ったときは」
話すにつれて、少しずつ声がしっかりしてきた。訳のわからない恐れが薄れていく。
ずっとこうして、綾波と話したかったのだと思った。
ひるまずに綾波を見た。もう怖くはなかった。切ないくらいの悲しさがあるだけだった。
「…この街に来る前、青葉さんとリツコさんに会ったんだ。
 青葉さんは後悔してた。ずっと、自分から一人でいたこと。皆のこと嫌いじゃなくても、
 心のどこかで遠ざけてしまってて、そのせいで、最後まで一人だったこと。
 リツコさんは、父さんのこと憎み続けてた。…すごく、辛そうだった。ほんとはそんなこと
 したいんじゃないって、自分でもわかってるのに。でも他になかったんだ。そうする以外、
 父さんのことを自分の中にずっととどめておく方法がなかったから」
綾波は黙っていた。
口をつぐみ、ねえ、綾波、と呼びかけた。
答えはない。でも、聞いていてくれていることはわかった。
初号機のように、使徒たちのように、そして、夜の中に去っていった死者たちのように。
「二人とも、ここにはもういないんだ。きっと、もう二度と会えないと思う。
 …僕は、綾波にそうしてほしくない」
187ひとりあそび・259:05/01/27 14:38:42 ID:???
「まだ、行かないでほしいんだ。もう一度、会いたいんだ、綾波と。
 だけど、こんな、皆が傷つくだけの形じゃ駄目だよ。
 前に何もわからずに殺してしまった人たちに、僕はここで会えた。知ってて殺して
 しまった人にも。僕に、いなくなってほしくないって言ってくれた」
力なく横たわっている、紐使徒の身体。
空の翼使徒。背後で懸命に息づいている、そして今も池にとどまり続けている使徒たち。
彼らのATフィールドが、たくさんの形で彼を守ってくれた。
「だから、誰ともひとつにはなれない。ここにいる誰かが傷つけられるのも、絶対に厭だ。
 そのために、僕は僕で、ここで少しでもできることをするって決めた。
 …それが、綾波の今のカタチを、傷つけてしまうことになっても」
彼はまっすぐに顔を上げた。
顔を上げて、そっと紐使徒の輝線を越え、立ちすくむ綾波に一歩ずつ歩み寄った。
綾波は空っぽの顔で彼を見つめ返した。
間近で見ると、綾波とエヴァの身体がどうなっているのかよくわかった。どちらがどちらに
寄生しているのでもない。仰向いた量産型エヴァの下腹部辺りの装甲が押し分けられて、
そこから、腰の少し下まで形作られた綾波の上体が白い茎のように伸びている。エヴァの
虚ろな上半身は、その細い身体を、背後から守るように支えているのだった。
どちらがどちらの異物でもない。
エヴァは単なる容れ物とは言いきれないし、綾波はエヴァのパーツでも、操縦者でもない。
一緒にいて、繋がっていても、ひとつではないのだ。
何かが胸の底に落ちた。
それは昨夜、動かない初号機の傍で感じた、静かな終わりの予感に似ていた。
彼は少し微笑み、ちょっとためらってから、両手でそっと綾波の肩を包んだ。
188ひとりあそび・260:05/01/27 14:39:27 ID:???
手が触れた刹那、綾波はぴくりと身を震わせた。虚ろだった顔にぱっと表情が広がる。
その途端、綾波は、彼の知っている綾波になった。
彼も同じくらいおののいた。というより、遠慮と気恥ずかしさで半ば頭が真っ白になった。
そのまま動かずにいるには、何もしなくても相当な勇気が要った。
柔らかな体温が手のひらから身体の奥に広がる。
綾波はほんの少し驚いたような顔をしていた。わずかでも時間が過ぎるのが惜しかった。
虚構であって虚構でない、このイカレた世界。
でも、そこにいる人たちは、彼にとって、本当だ。
だから誰か一人なんて選べないし、誰一人置き去りになんかしたくない。
使徒たちは少しずつ傷つけ合い、食べ合うことで、互いに触れようと試み続けている。
けれど、使徒たちにエヴァシリーズを傷つけることはできない。彼らは何度でも立ち上がり、
また一方的な殺戮を繰り返しに戻ってくる。誰も綾波に触れられない。使徒たちは、綾波を
輪に迎え入れられない。綾波は、輪そのものを壊すことしかできない。
でも、同じように輪の外から来た彼なら。
何か、あるかもしれない。綾波から逃げることでも、綾波に呑み込まれることでもなく、
ただ触れるためにできること。
そのとき唐突に、エヴァシリーズに囲まれる初号機のイメージが頭に浮かんだ。
彼はふっと目を上げた。
「…綾波」
「…なに」
一瞬、口ごもった。
「初号機のいるところを、教えてほしいんだ」
綾波は、大きな目を少し見開き、それから、かすかに頭を動かして頷いた。
「それで、いいのね」
「うん」
手を離し、二人で並んで立った。彼はちょっと振り返って、倒れたままの使徒たちと、
その彼方の池のある方角とに、それぞれ少しずつ視線を預けた。
大きな使徒がわずかに頭を上げようとする。
彼は首を振ってそれを制した。
「大丈夫。…すぐ戻るよ」
力を抜いて、微笑む。それから前を向いて、彼は綾波と一緒に歩き出した。

  〜ブレイクその4〜

以上、第四弾でした。
次で、たぶん本編と言える部分は最後になります。
そのあと一応の選択肢をはさんで、エンディングです。

ここまで追いかけてきてくれた方、ありがとうございます。
もっとちゃんとやれたら、もっとうまく書けたら、と思うところは、正直たくさんあります。
ですが自分は自分に書けるようにしか書けないし、こういう形で「終わり」ができた以上、
それをそのまま、できる範囲で手を抜かずにやり通したつもりです。
読み苦しいところ、不十分なところは多々あると思いますが、
できれば、最後まで見てやってください。

それでは、終息の第五弾です。
190ひとりあそび・261:05/01/27 14:46:46 ID:???
初号機は街の外の雪原で待っていた。
その周りを、量産型エヴァ五機が一箇所欠けた円を描いて取り囲んでいた。白いエヴァに
包囲されて立ちつくす初号機の姿は、そこだけ影のように沈んで見えた。
彼が歩いていくと、エヴァシリーズはその場に静止したまま、それぞれに頭を向けた。
円の中心で、初号機が機敏に顔を上げる。
綾波は円陣の少し外で立ち止まった。彼は一人初号機の方へ進んでいった。
初号機は少し背を丸め、力を抜いた両腕を身体の脇に構えて立っている。近づくにつれて、
影だと思っていた身体の細部が雪面の反射でうっすらと見分けられてきた。
装甲の残る指がごくわずかに握られかけ、開く。
彼は、日差しに緩んで軋む雪を一歩一歩踏みしめながら、傍に歩み寄った。
初号機はそこだけ炯々と光る片目で彼を見据えた。
凶悪な顔面は硬い雪の飛沫と古い返り血で汚れ、頭蓋装甲には斜めに亀裂が走り、額の角は
わずかにねじれて曲がっている。真っ暗な片方の眼窩と、剥き出しの歯列。深い呼吸。
澄んだ強烈な陽光が青空いっぱいに降り注ぎ、その下で、満身に傷を帯びた初号機の姿は、
ひどく凄惨にも、どこか情けないものにも見えた。
彼は少しの間、無言で初号機を見つめていた。
不思議なくらい心が静まっていた。まるで、形のある奇跡を見ているようだった。
そもそもの初めから、ずっと一緒にいたエヴァ初号機。前は、使徒を倒すための決戦兵器で、
自分自身の延長で、あそこにいてもいい理由で、母さんだった。そして何もないここで、
初号機は未分化の他者のカタチをとって彼を見守り続けてくれた。
かすかに風が唸る。彼は少し目を細めた。
ミサトさんが、最後に言ってくれたこと。
何のためにここに来たのか、何のためにここにいるのか、今の自分の答えを見つけなさい。
死者の地。エヴァ。綾波。
答えなんかじゃないかもしれない。でもここで、ここにいて、まだできることがある。
初号機が、促すようにわずかに頭を寄せてくる。
彼は手を伸ばして、初号機に触れた。硬い感触が手のひらを支えた。
191ひとりあそび・262:05/01/27 14:47:30 ID:???
自然に声が出た。
「…ずっと頼ってばかりいて、ごめん。
 僕はここにいるよ。自分にできることが何なのか、やっとわかったんだと思う。
 もう一度、力を貸して欲しいんだ。今度は、一緒に」
初号機は聞き入るようにじっとしていた。それから、すっと背筋を伸ばし、頭を起こした。
背中から伸びた光の羽根がしなやかに彼の周りを取り巻き、流れる。ごく低い唸り声が
息づかいと一緒に響いた。
手を離し、綾波の方を振り返る。
まばゆい雪の広がりの先、エヴァシリーズの輪の向こうから、綾波は彼を見た。
頼りないくらい細い白い姿。と、背後のエヴァの身体が勢いよく持ち上がり、綾波の上体を
丸ごとその中に呑み込んで閉じた。ゆっくりと起き直った量産型エヴァが顔を歪めて笑う。
そのまま、白いエヴァは奇妙に確信に満ちた足取りで他のエヴァに並び、欠けた円陣をふさいだ。
彼は深く息を吸い込んだ。
「行くよ」
初号機が静かに迎撃態勢をとる。
無言で、意識を集中する。
深いところに遠ざけた記憶を手探りする。全てがなくなる前、別の自分のようになじんでいた
あの大きくて広い感覚。思い出そうとした。長大な腕が勢いよく振り出されてしなう感じ、
体重を受け止める両脚の緊張、強健な骨格のしなやかさ、引き締まった筋組織の手応え。
ヒトの想像を遙かに超えた躍動感と力の統合。
エヴァの身体。
全身の力を抜き、雑念を鎮め、頭を半分空っぽにして、呟く。
「エヴァンゲリオン初号機、…起動」
瞬間、周囲の空間が大きく広がった。
全方向に世界が開ける。光がまばゆさを増し、色彩が鮮烈に冴えわたり、あらゆる形と動きが
どこまでも鋭くくっきりと浮かび上がる。つかのま、ざわめく記憶と声が脳裏をよぎり、閃き、
そして瞬時に秩序を取り戻した。
彼は初号機とシンクロしていた。
192ひとりあそび・263:05/01/27 14:48:28 ID:???
圧倒的な知覚。全身が震えるほどの昂揚。でもその驚きも、すぐに遙か後方に薄れていく。
初号機が、身体と感覚の全てを彼の意識に委ねるのがわかった。
そしてその同じ瞬間、全周のエヴァシリーズが一斉に円の中心へ襲いかかった。
即座に全感覚が鋭敏に澄みきる。
彼は顔を上げ、力に満ちた身体を解放した。
初号機が一瞬身をたわめ、一気に最大戦速で飛び出す。
最初に接触した二体は何もできないまま吹っ飛んだ。長い雪煙をあげて転がる二体の後ろから、
別のエヴァが争って躍り出る。方向転換。一体の胸に拳がめり込む。と、伸びきった腕を掴まれ、
ふいに身体の重さが消えた。複数の感触。地面に叩きつけられる。一瞬、視野が歪んだ。
すばやく転がって突っ込んでくる体重と衝撃を避ける。襲いくる手が途切れたところで跳ね起き、
向き直る数体をひと息に蹴り倒して、一気に群れを切り崩す。
すぐさまエヴァシリーズは四方に展開し、こちらを捕捉して巨大な黒い武器を引き上げた。
肩の上にかかげられた金属塊が細い錐のように巻き上がり、長い二つの尖端が生まれる。
「…槍?!」
身体をひるがえし、連続して後ろに跳び下がる。一瞬前までいた地面を次々と槍が射る。
三本避けたところで全身をひねり、片腕に渾身の力を込めて振り払った。宙を切る手の先から
巨大なATフィールドが走り、音をたてて雪面をえぐる。刺さった槍の一本がもろに直撃を受け、
回転しながら空中に跳ね上がった。
そのとき、新たな圧迫感が空をふさいだ。
考えるより先に身体が反応した。信じがたいほどの力が瞬時に全身にみなぎり、初号機は
ほとんど地面すれすれに雪を蹴ってその場を離脱した。
直後、轟音が辺りを揺るがした。
片手片膝をついて雪の上に長い弧を描き、速度を殺す。振り向いた先に、噴き上がった大量の雪と、
クレーターのように陥没した雪原の一部が開けた。
その中心に突き立つ、一瞬で蒸発した靄をまとった三本の黒い線。
目を上げる。池の方角から飛来したエヴァ三体が、翼の白と黒を閃かせて舞い降りるところだった。
これで、エヴァシリーズ九体全部がここに集まったことになる。
無言で立ち上がった。身を起こすとき、初号機が無意識に洩らす低い唸りは、既に彼にとって
他人の衝動ではなくなっていた。
193ひとりあそび・264:05/01/27 14:49:21 ID:???
九体のエヴァが揃って白い頭部をもたげる。
一体が軽く腕を持ち上げる。と、まばゆい雪の上に転がった槍がふっと浮き上がり、一直線に
その手の中に舞い戻った。後を追うように、雪原のあちこちに突き立った黒い槍の群れが
前後して引き抜け、それぞれの持ち主のもとへ戻る。
初号機の思考が、湧き上がる鋭さになって脳裏を駆け巡った。
彼はほんの少しだけ笑った。
翼を広げだすエヴァシリーズを見据え、その中にいる綾波に、声に出さずに呼びかける。
いいよ。初号機と一緒なら、絶対にセンメツなんかされない。
咆哮が応えた。九対の巨大な翼が一斉に雪を蹴散らし、エヴァシリーズは沸き立つ白と黒の
奔流になって押し寄せてきた。
正面からぶつかった。
衝撃と荷重。白熱する力が脊髄を駆け登り、一気に弾けて、十二枚のまばゆい光の翼になる。
瞬間、全てが加速した。
襲いくるエヴァたちもろとも真上に飛び立つ。反動で消し飛んだ積雪が薄い白い靄になって
周囲を取り巻き、その冷たい層を突き破って、さらに上へ。一拍遅れて湧き起こった風が
眼下の靄をあとかたもなく吹き散らす。せめぎ合う翼の群れと、両肩にのしかかる風圧の重さ。
それら全てを振りきって速度を上げる。
もつれ合って上昇しながら、前後左右から取りすがる手を全力で蹴散らす。繰り出される攻撃は
全て単純な力と速度に還元された。槍の尖端がすぐ脇をかすめ、黒い武器の重量が宙を薙ぎ、
容赦のない手と歯列が次々に掴みかかってくる。けれどどれも同じだった。初号機の、完全に
統御された力と感覚が全身を制し、意識はどこまでも澄みきって次の瞬間に備え、そして
かつてエヴァの中ですら感じたことのなかった強烈な昂揚と緊張の中で、彼はすぐそこにいる
綾波に向かって手を伸ばそうとした。
光る雪原は遙か下方に消えた。深い空は絶叫する風の向こう側で意味を失った。
やがて一体ずつエヴァたちが脱落していき、なおも離れない最後の一体だけが残った。
194ひとりあそび・265:05/01/27 14:50:24 ID:???
もはや追随するものはなかった。
いったん互いに離れて距離をとり、一瞬間をおいて一気にぶつかり合う。離脱。急旋回。
再度加速、激突。熱い重みが肩を裂き、同時に振り上げた頭が硬い刃面を捉えた。光が弾ける。
澄んだ硬い音があがり、黒い槍が風を切って視界の外に消える。
量産型エヴァはひるむことなく突っ込んできた。初号機が渾身の力で受け止める。
天の広がりが頭上で裂けた。
目に見える世界がゆっくりと遠ざかっていき、名づけようもない領域と化した空間の中心で、
二体のエヴァはすさまじい咆哮をあげて何度も何度もぶつかり続けた。
相手を傷つけるためではない。殺したいなんて思ってもいない。ただ、今の自分にできる中で、
相手の存在を一番実感できるからこうしているだけ。
ダメージと失速、再度の加速を繰り返すうち、周囲の全てが目の前の相手に収斂していく。
自分のカタチすら曖昧になっていく。だけど海に溶ける感じとは違う。ATフィールドも、身体の
輪郭も、重みも、凄絶な攻防の応酬も、加速度的に記号化され、意識の上で分解され、中心にある
相手の存在だけがくっきりと浮かび上がってくる。
確かにそこにいる、自分とは異なる存在。
憎みながら、恐れながら、結局全ての個が求めてやまないもの。
他人。
臨界突破。初号機の鼓動と反応が、完全に彼自身のそれと一致する。
ひどく引き延ばされた一瞬のさなか、量産型エヴァの姿が揺らぐようにぼやけた。エヴァの中に
隠された綾波のカタチがたちあらわれ、顔を起こし、懐かしい眼差を上げ、そしてたぶん、
彼の名前を呼ぼうとした。
その瞬間、目に映る全てがまばゆい光に変わり、水面を突き抜ける感触とともに暗転した。

195ひとりあそび・266:05/01/27 14:51:23 ID:???
そして、彼は目を開いた。
かすかに赤みを帯びた、温かな闇が広がっていた。
覚えがある。もう一度一人になる前、最後に母さんの姿を見送った場所だ。
けれどそう意識した瞬間、かすかな違いに気づいた。
果てしない広がり。重さも実体もない風の流れが、どこまでも吹き抜けていく感じ。
ここは、あの場所よりもっと広くて遠い。
彼は目を細めて無窮の空間を見上げ、ふと振り返った。
少し離れたところに、よく知っている人影が佇んでいた。
「…母さん」
声に出したとき、ふいにどこか近くにいる初号機の気配を感じた。
周囲を見回す。感じられるのは、空間の無限の広さと、かすかに息づく闇の温かさだけ。
とまどって向き直る彼に、人影は穏やかに微笑んだ。
「ここは、初号機の中…? 母さん、やっぱりここにいたの…?」
急に不安になる。
人影の、懐かしい声が答えた。
「そうよ。でも、あなたと私がいるところは少し違うわ。
 あなたが今一緒にいるのは、初号機そのものよ。
 決戦兵器でも、ましてや誰かの魂の容れ物としてのエヴァでもなく」
「初号機…そのもの」
人影は優しく頷いた。
「エヴァは自我を持ち、痛みを感じ、自ら思考さえ行う。
 エヴァはただの大きなヒトガタではないの。人の心が宿り、人の意思に応えて
 動くものだからこそ、エヴァそれ自体の心だってあり得るかもしれない。
 昔、ときどきそう考えることがあったわ。今もそうよ。
 他人の魂の容れ物にすぎなかったあの子たちが、それでも人と変わらない心を持った。
 ましてヒト以上のエヴァならきっと、ってね」
綾波によく似た、けれどもっと柔和で深みのある声が、淡々と何もない空間に流れる。
彼は温かい闇の広がりを見渡した。
「エヴァの…心?」
「そう。それが、あの場所であなたの傍にいた初号機なのよ」
「…あれが」
彼は目を見開き、急に周りの光景に気づいた。
196ひとりあそび・267:05/01/27 14:52:07 ID:???
赤みを含んだ闇が薄れて、ゆったりと揺れ動く赤い海になる。その海の底の底、彼の足元の
遙か下に、荒涼とした白い砂と岩の世界が小さく浮かんでいた。
赤い海辺、湖と峡谷、砂に埋もれていく要塞都市。
箱庭のように単純な世界。
「パイロットであるあなたとシンクロし、あなたの心の動きを共有することで、初号機が
 少しずつ気づいていった自分の心。
 私は、一人で初号機の中にとどまり続けることを、自分で決めたわ。
 でもエヴァが私とだけ生き続けていくのを、本当に望んでいたかどうかはわからない。
 もしかしたら…一瞬、ほんの一瞬だけ、あなたと離れるのを躊躇した心だって
 あったのかもしれないわ。すぐに消えてしまうほどの儚いものだったとしても」
「初号機、が…?」
人影は慈しむように真下の世界を見つめた。
「あなたがさっきまでいたあの場所は、初号機の心の中の世界。
 多くの他人を殲滅してきた初号機が初めて感じた“寂しい”という気持ちが作り出す、
 ヒトとは別の心の揺らぎ。その現れなのよ」
彼は一瞬人影を見つめ、目を逸らして、遠い、さっきまでいた世界に目を凝らした。
初めの頃、自分が、あそこを巨大な虚構だと感じていたことを思い出す。
誰かが作ったひどく大がかりな舞台装置。一見何もないくせに、変なところで都合がよくて、
とりあえず生きてはいけるようになっている。
誰かに見られているような、あの感じ。関心というほどではなくても、無関心ではない。
閉じているようで開いている、それともこっちから少し押せば開いていきそうな、
捉えどころのない繋がりの感覚。
外からの視線。
彼は低く呟いた。
「僕は…ずっと、綾波なんだと思ってた」
「そうね」
声は穏やかに答える。
ふいに悔しさのようなものが込み上げて、彼は自分で自分の感情に驚いた。
「…じゃあ、あそこにいた綾波は何なの?
 カヲルく…使徒たち、皆もだよ。青葉さんや、リツコさんのことは? あれも全部、
 初号機が勝手に作り出したものだっていうの?」
197ひとりあそび・268:05/01/27 14:52:50 ID:???
唐突に、溢れる言葉が口をついた。
知らず知らずのうちに口調が激しくなっていく。
「そんな筈ないよ。僕だって知らないようなこともたくさんあったし、ほんとに初号機の
 心の中だけの場所だったら、直接倒してない使徒まで出てくるのはおかしいじゃないか。
 それに、初号機はあそこで何度もやられかけた。神様でも無敵の存在でもなかったんだ」
「でも、決して死ぬこともなかったわ」
「そんなの…それは、初号機が自分でそうしようとしたからだよ!
 外にいる誰かが勝手に決めたからじゃない!」
言い放つ。そして突然、彼は苛立ちの理由を理解した。
とても単純な答えだった。
あのイカレた世界と、そこにいるたくさんの人たちと、その傍で過ごした長くて短い時間。
彼はそれを、嘘だと言って欲しくなかったのだ。
「死者…死者って何だよ。皆、あそこで生きてたんだ。初号機も。
 ほんとはもう誰もいないってことくらいわかってる。だけど、あそこでは生きてたんだ。
 誰かの思い出や作り事じゃなくて、本当に生きてたんだ」
声は全くたじろがなかった。
「あそこにいた自分を、虚構だと思いたくないのね」
彼は大きくかぶりを振った。
「違う! 僕じゃない、皆をだよ」
「いいえ、自分を。
 他の人たちは、あそこにいたあなたを証明してくれるから必要なだけ。他人がいて、
 初めて自分のカタチを、心のありかをわかれるもの。
 あなたは、もう知っている筈でしょう」
彼は目をみはり、言葉を失った。
いつか死者が語っていたことが、穏やかな声の奥に重なる。
死者の地はそこに住まう死者たちによって支えられている。誰かを消すことは、そのまま
自分の存在を危うくする。だから痛みをともなっても、他人を許容するしかない。
「そう、同じことなのよ」
言い諭す声はあくまで優しかった。
198ひとりあそび・269:05/01/27 14:53:34 ID:???
「確かに、あそこはとてもよくできているわ。
 初号機も、使徒たちも、レイも、それぞれが単なる役割や役柄でなく、互いに個として
 関わり合っていくことができる。あそこでなら、いつかはATフィールドを越えて
 わかり合うことだってできるかもしれない。
 だけど、結局は作り事でしかないのよ。初号機の心の中、あるいはそこを出発点にした、
 どこにも存在しない虚構の世界。現実とは違うわ」
「現実、って…!」
憤りが真っ白に脳裏を灼いた。
人影に向き直る。実体のない赤い海が、全身を包み込んで優しく揺さぶった。
「人は自分の目でしか見ることはできず、自分の足でしか歩くことができない。
 あなたがその目で見、その耳で聞き、その感覚の全てでそれと意識する現実も、他人から見れば
 たくさんある虚構のひとつに過ぎないのかもしれない。
 でも虚構は、必ず終わりが訪れるから、虚構なのよ。
 そして現実には、始まりも終わりもない。
 彼らだって本当は気づいているわ。自分たちが、虚構の中で生かされているということに」
彼はただ人影を睨みつけた。
こわばった手を握る。指が手のひらに喰い込み、拳ごと大きく震えた。
「だったら僕にどうしろっていうんだよ。
 あれは全部嘘だから、さっさと目を覚まして現実に帰れっていうの?!
 現実が何だよ! 始まりも終わりもない、誰も自分のことしか考えてない、何もかも
 自分でやれって突き放されるだけの、信じられるものなんか何にもない場所。
 それも、自分でしか現実だってわからないんだ。それなら現実だって、うまく掴めないだけの、
 終わりのない虚構と一緒じゃないか!」
人影は静かに首を振った。
199ひとりあそび・270:05/01/27 14:54:19 ID:???
「いいえ、現実は現実よ。
 そして現実は、あなたが今言った通りの場所。
 誰も誰かを本当に助けることはできない。自分で立ち上がり、自分で歩いていくしかないから、
 そこにいる自分が本当だと思えるのよ。
 それこそが生きていくということ。生命が生命であることの、自分が自分であることの、
 たったひとつの真実の証なのよ。誰かに用意された虚構ではなく」
「まだそんなこと…!」
激昂しかけて、ふいに彼は口をつぐんだ。
あの場所での時間と、彼のなした行為が、鮮やかな奔流になって脳裏を通り過ぎた。
生きていく。誰の意思でもなく、自分の力で、自分の存在を本当にする。
それは、さっき彼自身が叫んだ言葉そのものだった。
握りしめた手が、ゆっくりと怒りを失ってほどけた。
人影は無言で待っていた。赤い海のうねりが、遠いゆっくりした鼓動になって腕を揺らした。
白い箱庭の世界はとうに温かな闇の底に消えていた。
少しして、彼はぽつりと呟いた。
「…あそこって、何だったのかな」
人影が顔を向ける。
彼は目を上げ、果てしない距離の向こうにいるその姿を見つめた。
赤い海の幻影を透かして、その周りに無限の星空が広がっていた。人を生んだ地球も、月も、
太陽すら見えない、遠いどこかだった。本当は、そこだって永遠ではない。生命に、人に、星に
死があるように、いつかは、あの広がりにも終わりが訪れる。
でも初号機は、きっとそれすら越えて生き続けていくのだろう。
その中に宿る、人の心と寂しさを抱えながら。
だけどそれは、人が生きていくことの在りようと、たぶんそう変わらない。
彼は少しうつむいた。
「僕は、やっぱりあれが初号機だけの世界だとは思えないんだ。
 虚構なのかもしれない。でも、あそこにいたのは、あそこを作ったのは、初号機だけじゃ
 ないと思う。最初に作ろうとしたのは初号機一人でも」
人影は微笑んだ。
200ひとりあそび・271:05/01/27 14:55:41 ID:???
「…そうね。
 もしかしたら、あそこは本当の死者の地になれたのかもしれない。
 死者はその存在を憶えている人の心の中にいる。ヒトの中のそれは、所詮ただの記憶でしか
 ないわ。だけど、ヒトを超えたエヴァの心の中なら、もしかするとね」
彼は頷いた。
ふいに、不思議な確信が胸に満ちた。
そう、だからあの場所は、あんなにも稀薄で虚しい、呼吸のような静けさに満ちている。
寂しいということ。誰もが一度は感じる、避けられない心の痛み。
その儚い揺らぎがあの場所を整え、過ぎようとする死者たちを導き、彼を容れた。
あそこは、かつて存在した心が無意識に夢見た、存在しない終局の続き。
エンディングの後の世界。
この世のどこにも、永遠に見出せない、夢の隙間に願われた場所。
虚構でしかないかもしれない。でも虚構ならなおさら、それは存在するのかもしれない。
なぜなら死者の地こそは、人が造り出した最も古い虚構のひとつなのだから。
でも、だからこそ、いつまでもそれにすがり続けることはできない。
声が、再び彼を包んだ。
「自分でそう望めば、あなたはあなたの現実に戻れるわ。
 そこは、自分のイメージすら失われたところかもしれない。辛くても、寂しくても、
 助けてくれるエヴァはいないわ。
 それに、他人はあなたではない。もしあなたが戻っても、他には誰もいないかもしれない」
彼は唇を噛み、わずかに笑みを浮かべた。
もう傍に来ないで。何もしないで。大っ嫌い。やめてくれる。なに勘違いしてるの。
甦る声。もう一度会いたいと思っても、他人が同じことを望むとは限らない。
だけど。
「…平気だよ。
 僕のこと殺したいほど嫌いでも、アスカは、きっと自分を捨てられないから」
人影は穏やかな声音で笑った。綾波が屈託なく笑ったらこうかもしれないと思わせるような、
身体の底を軽くくすぐるような笑い声だった。
その声の温かさを噛みしめるように、彼は一瞬目を閉じた。
201ひとりあそび・272:05/01/27 14:56:54 ID:???
「だけど、僕はあそこにいて、あの場所に助けられた。
 虚構でしかなくても、あの場所は、あそこで経験したことは、もう僕の一部なんだ。
 僕がエヴァに乗っていたことと、同じなんだ。
 あの場所は、憶えている限りずっと、僕の中に残り続ける。
 それなら僕も、あの場所に何かを残していけないかな。今の僕がいなくなっても、
 初号機や、あそこにいる皆が大丈夫なように。
 …こんなふうになるなんて、思ってなかったから。…綾波のことも」
少しずつ濃さを増していく闇の向こうで、人影は頷いた。
「あなたが、そう望むのならね。
 …それでいいのね」
彼はもう一度、小さな閉じた世界があった場所を振り返り、そして、まっすぐに人影を見た。
「うん。…ありがとう」
赤い海の、初号機の鼓動が周りじゅうでうねり、静かに距離を紡いでいく。
急速に遠ざかっていく人影を、彼はそこに佇んだまま見つめ続けた。
眠りの中で喋るように、ぼんやりと言葉を続けた。
「これも、終わりなんだね」
「そう、これもまた、ひとつの夢の終わり。
 あなたが目を覚ましたところで終わる、あなたと初号機の、一人遊びの終わり。
 そして、次に訪れる何かの始まり。
 それをどこで迎えるかは、あなた次第よ」
声は次第に現実味を失い、初号機の気配とともに、彼から薄れていく。
彼は目を閉じて微笑んだ。
「目が覚めたとき、自分がどこにいるのかわからないけど、…きっとそれも、
 そこに行けばわかることなんだ。
 生きてれば、…どこにいても、生きていけるから」
声と初号機の眼差がひとつに溶けた。
「もう、いいのね」
赤い闇が薄れ、そして彼は、遙かな最初の他人へ、かけがえのない最後の言葉を告げた。
「…さよなら、母さん」

  〜最終ブレイク〜

お疲れさまでした。

ここより、この長かった一人遊びのエンディングとなります。
どんなふうに終わるのか、最後はあなたが選んでみてください。
何のひねりもない単純な分岐です。
なお、選択しない、という選択肢も、一応有効かなとは思っています。その場合は、
このまま順番通り読んでいってください。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。


選択肢:
 目覚めた先で、最初に感じるものは?

   1.冷たい風の流れ →>>203

   2.波の音       →>>209

   3.自分を呼ぶ声   →>>214



203ひとりあそび・虚構の始まり:05/01/27 15:12:06 ID:???
痛いほど澄みきった風の流れが頬をかすめる。
眼裏を透かして明るむ、冷たい光の気配。刺すような大気。空間の広がり。
その中心にある、誰かの声。
かすかに息を洩らし、彼は重いまぶたを開こうとした。
「…ジ君。シンジ君」
声が、明確な形をとった。
「シンジ君」
彼は目を見開いた。
途端、眩しい太陽が目の奥を射た。慌ててまぶたを閉じ、今度はゆっくりと開けると、
逆光の中に幾つかの形が浮かんだ。その向こうに、嘘のように青い空があった。
ゆっくりと身体の感覚が戻ってくる。固い、冷たい地面の上に、仰向けに横たわっている自分。
ぼんやりとまばたきする。
それから、彼は頭を動かして、隣に屈み込んで覗き込む顔を見上げた。
「…あれ」
一瞬、頭が混乱した。
上体を起こす。ひどくこわばって言うことを聞かない肘を、無理矢理動かす。
視界が開けた。
使徒たちがいた。
池を守っていた使徒たちが、少しずつ互いを気にしながら、横たわる彼の周りを取り囲んでいる。
まばゆい雪の広がり。その向こうに、深い青空の下の街の廃墟。
最後にエヴァシリーズと対峙した場所だった。
その途端、ふいに納得した。
「…そっか。…そうなんだ」
彼が望んだ、この場所に残していける何か。誰かがいなくなれば他の全員の存在すら危うくなる、
ささやかで脆弱でこの地に、彼が残していけるもの。
それは、記憶でも言葉でもない、彼そのものだった。
彼は口を開きかけ、そして閉じた。
急に、生きているという実感が込み上げた。恐れでも不安でもない、全てから解き放たれた
安らかな気持ちが、冷えて硬直しかけた身体を満たした。
彼は鋭く澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、隣に屈みこむ死者に顔を向けた。
204ひとりあそび・虚構の始まり:05/01/27 15:13:06 ID:???
血と雪で汚れた死者は、蒼白なまま、ひどく途方に暮れたような顔をしていた。
「カヲル君」
とまどって見つめると、死者はかすかに顔を歪め、目を伏せた。
「…カヲル君」
起き上がって、手を伸ばした。触れそうになった瞬間、死者はびくりと身をすくませ、
けれど結局避けずに彼の手を受け入れた。閉じたまぶたの下から、涙がひとすじ頬を伝った。
「どうしたの」
思わず、身を乗り出した。彼は上体ごと死者に向き直り、軽く両肩を掴んだ。
「大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいる。戻ってきたじゃないか」
「…それで、本当に良かったのかい?」
「そうだよ」
わざと強い調子で答える。
死者は顔を上げ、見たこともない深い苦悶の表情を彼に向けた。
昨夜と同じ、全て知っている顔だった。それでも、その目の奥には、今は別の望みがあった。
彼は、死者がそれを口にするまで、じっと待った。
「…ここが君の現実でなくても?」
「うん」
「ここに、僕ら死んだものしかいなくても?」
「うん」
「いつかここが、避けられない終わりを迎えるとわかっていても?」
「うん」
彼は強く頷いた。
死者を支えるようにして、立ち上がる。周りにひしめきあった使徒たちが、驚いたように
少しずつ身を引いて場所を空けた。
彼は死者を見つめ、それからそわそわと身じろぎする使徒たちを見て微笑んだ。
「…ここが何なのか、何のためにあるのか、僕はたぶん知ったんだと思う。
 でも、そんな説明なんて関係ない。
 ここはとっくに僕の心の一部だし、そこには君たちもいるんだ」
205ひとりあそび・虚構の始まり:05/01/27 15:14:02 ID:???
周りに目を向けてみる。虚構のくせに、あまりにもリアルで過酷な白い風景。
その全てが、笑い出したくなるほど懐かしく思えた。
彼は視線を戻し、声に力をこめた。
「それだけで、僕には充分だと思う。
 僕はもう帰るところを見失わない。だからそれまでは、もう少しだけ、ここにいるよ。
 自分の手で、ここにいた僕にケリをつける。そう決めたんだ。
 …だから、大丈夫だよ」
死者は眩しそうに彼を見た。
「…シンジ、君」
彼はもう一度、しっかり頷いてみせた。
「…やっと、ちゃんと名前、呼んでくれたね」
その途端、使徒たちがわっと飛びついてきた。
大きさもカタチもさまざまな使徒たちが、彼を中心にくっつき合い、身を寄せ合い、
まだためらっている死者も巻き込んで思いきり抱きしめた。青い使徒たちと蜘蛛使徒が
分裂使徒と一緒に彼にぶら下がり、イカ使徒が頭や肩を我が物顔に占領し、目玉使徒が
薄っぺらな手の先で顔を撫でた。まだ池の底に残っている魚使徒や火口使徒、彼らに
取り込まれた細菌使徒たちが、翼使徒の接触を通じて触れてくる。そして人型使徒と、
傷をものともしない大きな使徒が、長い腕で全員を抱え込んだ。
すぐ間近に押しつけられた死者と目が合う。一瞬間があり、それから二人同時に噴き出した。
皆の体温が身体を包む。めちゃくちゃにされながら、彼は心から声をあげて笑った。
と、ふいに使徒たちが腕を緩めた。
彼は静まった人垣の向こうに視線を向け、ちょっと目をみはった。
青白く光る紐使徒が、使徒たちから少し離れたところに浮かんでいた。
206ひとりあそび・虚構の始まり:05/01/27 15:14:55 ID:???
彼は死者に軽く頷き、道を開けてくれる使徒たちの間を通って、紐使徒の前に歩み寄った。
紐使徒の、流れる二重螺旋がふっと速度を増し、また戻った。
手を伸ばす。
指先が紐使徒に触れそうになった瞬間、硬い衝撃がバキンと手をさえぎり、はね返した。
ATフィールド。
背後で、使徒たちが息を呑む気配。彼は弾かれた指を押さえ、微笑んだ。
紐使徒は少し得意そうに揺らぎ、そのまま浮き上がって、気持ちのいい速さで遠ざかっていった。
彼は光る輪が見えなくなるまで見送り、それからふと振り返った。
初号機がそこに立っていた。
色褪せ、汚れた装甲の中から、深い強い眼差が彼を見据える。
彼は黙ってそちらに向き直った。
初号機は、角のある凶悪な顔をちょっとそむけ、微妙に目を逸らした。怒っているようにも、
どうしていいのか困っているようにも見えた。
駆け寄って、抱きついた。
一瞬、初号機の動きが止まった。
装甲のざらついた冷たさが、服地を通してしんしんと身体に沁み込んでくる。彼は目を閉じ、
きつく両腕に力をこめた。エヴァの腕がおずおずと背中に触れ、そっと回された。
元通り一本に戻った光の羽根が、かすかな熱を放ちながら周りを取り巻く。
無言の時間が過ぎた。
初号機はいつものように何も応えず、ただ、固い両腕で彼を支えていた。それから、突然
ふっと頭を起こして振り返った。
彼はつられて顔を上げ、初号機の見ている方を向いた。
九体のエヴァシリーズが、残骸の街を背に立ち並んでいた。
それぞれの手には、元の巨大な剣の形に戻った黒い槍が無造作に提げられている。中央の
一体が前に進み出、長い無貌の頭部をこちらに向けた。
と、銀と黒の武器がその手を離れ、雪の上に落ちた。緻密で硬いものの割れる澄んだ音がした。
彼は黙ったまま目を見開いた。
207ひとりあそび・虚構の始まり:05/01/27 15:15:51 ID:???
量産型エヴァは折れて砕けた槍を見下ろし、ぐいと頭を上げた。
一瞬、その人間離れした顔の向こうに、綾波の白い端正な面差が重なった。
綾波は口元だけでかすかに微笑み、小さく口を開いた。
碇君。
「…あやなみ」
呟いた瞬間、量産型エヴァは脆い石の彫像と化してそこに崩れ落ちた。
残るエヴァの列が、一斉に巨大な翼を広げる。
そして、翼の群れが起こす突風が雪面を乱し、エヴァシリーズは次々に青空へ舞い上がって
すばらしい速度で雪原の彼方に消えた。
初号機の手が肩を離す。
彼は目を閉じ、開いて、凝然と佇んでいる使徒たちを振り返った。初号機が少し下がる。
死者が一人輪を離れて歩み寄り、彼の傍に並んだ。
「…これから、どうなるのかな」
「別に、何も。これまでと、そう変わりはしないさ」
彼はどこか吹っ切れたような死者の横顔を見つめた。死者はちょっと顔を向け、微笑んだ。
「誰も、そんなにすぐには変われないよ。変化は変化として受け入れながら、
 今まで通り、自分にできることを繰り返していくだけさ。
 …君は、どうしたいんだい?」
「…僕は」
彼は白い地平に視線を戻し、少し考え込んで、答えた。
「僕は、綾波を探すよ。
 探して、もう一度会って、今度は、ちゃんとさよならを言う。
 …前に、そう約束したんだ。それが僕がここでやらなきゃならないことだと思う」
死者は優しく頷いた。
彼はちょっと照れた笑みを返し、使徒たちと、傍らに立つ初号機を順々に見つめた。
「じゃ、行こう。街は壊れちゃったし、とりあえず今夜寝られるところを探さなきゃ。
 …たぶん、何とかなるよ。僕らは、ここでまだ生きてるから」
それぞれに移動を始める使徒たちの横を歩き出す。
見上げると、隣を歩く初号機が、だいぶくたびれた頭部装甲の陰からいつもの視線をよこした。
その脇で、貧血気味の大きい使徒を支えながら、死者が気負いのない笑顔を向ける。
このイカレた世界。でもこれはこれで、そう悪くもない。
彼は少し頭を振って笑い、顔を上げて、溶け始めた雪の上に次の一歩を踏み出した。
208インターミッション・1:05/01/27 15:27:16 ID:???


そして、いつか、時間のない時間の終わり。

輝く白い峡谷の果てに、湖の水源がある。
狭い地峡湖はそこで大きく両側に開け、丸い、静かな水辺になって風を受ける。
打ち寄せる波が白い砂の岸辺を洗う。

砂の上に、初号機が単独で立っている。
長い光の羽根が湖上を吹き渡る風になびき、揺らめいては静まる。
初号機の視線は、少し離れた浜辺の続きへと向けられている。

少年は確かな足取りで白い砂を踏みしめていく。
道のない道の先には、化石して崩れたエヴァシリーズの残骸を挟んで、
一人の少女が佇んでいる。
少年は、抑えきれない思いと決意を胸に、迷いなく少女のもとへ進んでいく。
この不思議な虚構に、ひとつの終局を告げるために。


209インターミッション・2:05/01/27 15:35:12 ID:???


「ずっと、ありがとう」

「君に会えて、君と一緒にいられて、本当に良かったと思う」

「僕はもう平気だよ。
 現実が辛いところでも、逃げ出したりはしない。
 君のこと、忘れないよ。君がどこかで生きてるんだって思えるなら、
 また一人になることなんて、何でもない。
 僕が自分だけで立てるようになるまで、君がずっと一緒に歩いてくれたから」

「僕は、憶えてるから。
 だから君も、ずっと生きていてほしいんだ。
 いつか僕に終わりが来て、それで、もしかしたら、また君の中にたどり着くまで」

「そのときまで、さよなら。
 …僕の、エヴァンゲリオン」


210ひとりあそび・現実の続き:05/01/27 15:36:31 ID:???
波の音がする。
仰向いた顔の正面に、夜がある。
星々。目の中になだれ落ちてきそうなほどの、青い青い満天の星。
どこまでも深い夜空の底をひとすじ、ぼんやりとけむる巨大な赤い弧が貫いている。
背中の下に、砂の平らな固さ。潮の匂い。
視界の外のどこか、離れた波打ち際に波が寄せては引いていく。その音と自分の息づかいだけが、
圧倒的な静寂の裾をかすかに揺り動かして、今も時間が流れていることを教えてくれる。
波音は近づき、遠ざかり、また寄せては海へ返る。
頭を動かしてみる。髪の下でじゃりっと砂が音をたてる。そのまま首を真横に倒して、
ほの白い砂浜の果てに広がる、海の方を見た。
波の上に綾波がいた。
さざめく暗い赤い波から少し浮かんで、綾波は遠い真昼とよく似た姿で佇んでいた。
いや、似ているのではなくて、同じなのだ。
何となく、それがわかった。
あのとき陽炎の路上に立っていた綾波と、今赤い波間に立っている綾波は、同じだ。
砂の上を吹く風が冷たかった。
ここが綾波の時間の果て。十五年ぶりに使徒が襲来し、無人の街で出会ったあのときから、
今のこの最果ての赤い海まで。彼がいて、綾波がいた、そのとても限られた時間の終点。
あのとき見た綾波は、本当は、今ここにいる綾波だ。
閉じた時間の中には過去も未来もない。そこに残された思いにも。閉塞した輪の内側、
その全ての領域に、綾波は遍在し続ける。
そして、彼はもうそこにはいない。
いられないのだ。彼はまだ生きていて、彼の時間はまだ流れ続けているから。
だから、彼は何も言わなかった。
綾波も、何も呼びかけてこなかった。
ただ息をするのも忘れて、目を凝らした。
波音が高まり、また静まる。
それだけだった。それだけで、綾波はもういなかった。
大きく目を見開いていたのに、いついなくなったのかすら、定かでなかった。
神様の血で汚れた月が真上から見ていた。
彼は砂の上に横たわったまま、無限に寄せ返す波音の響きを聞いた。
211ひとりあそび・現実の続き:05/01/27 15:37:16 ID:???
どれだけそうしていたのだろう。
疲れきった身体の重さに閉口しながら、這うように起き上がった。
横を見る。少し離れて、濡れて黒っぽくなったプラグスーツの上に包帯を巻いたアスカが、
同じように仰向けに寝ていた。人間サイズのエヴァ初号機が寝ているのと同じくらい
現実感の乏しい眺めだった。
彼はしばらく動かない彼女を見つめていた。それから、膝をついて傍に行った。
アスカは死んだように身じろぎひとつしない。片目は顔に巻かれた包帯の下に隠れ、
もう一方の目も、彼を遠く逸れて、どこでもない宙の一点を見据えていた。
波音が響いた。
彼は無言で彼女の身体にまたがり、両手をその首に添えた。
静かに力を入れる。
白い皮膚は柔らかく、喰い込む指に吸いついてくるようだった。その下で骨が軋んだ。
アスカの顔は無表情のままのけぞり、喉の奥から小さな異音が洩れた。
それでもアスカは彼を見なかった。
彼は力を込め続けた。
垂直につっぱった腕に体重がかかる。背後で赤い海が騒いでいる。
目に映るものがふうっと意味を失った。
…アスカ。
今更そんなの駄目だ。自分しか見たくないなんて、ずるいよ。
僕らは戻って来ちゃったんだ。
もう、あそこには戻れないんだ。他に誰もいなくても、僕らはもう、ここにいるしかないんだよ。
だから僕を見て。僕を見てよ。でないとまたあそこと同じになる。自分しかいないのに、
自分がどこにいるかわからなくなっちゃうんだ。
それじゃなんにもならないんだよ。
…ねえ、アスカ。
今なら、なんで使徒たちがあんなことしてたのかよくわかるんだ。
アスカ。
僕はアスカを殺そうとしてるんだよ。本気で君のこと殺そうとしてるんだよ。
それが、どんなにぼろぼろになっても残る、最後の一時的接触の方法だから。
212ひとりあそび・現実の続き:05/01/27 15:38:15 ID:???
殺し合うってことには、必ず自分と相手がいるから。他のどんなことより、真剣に
お互いを見てられるから。殺そうとしてくる相手のことも、生きようともがく自分のことも、
強く意識していられるから。
自分がここにいるって、そう確かにわかるんだ。
…だから、アスカも抵抗してよ。
こんなことしてる僕を拒絶してよ。僕のこと、本気で殺そうとしていいからさ。生きたいって、
まだ死にたくないって、言ってよ。ねえ、起きてよ、アスカ。こんな弱っちい手なんか
さっさとはねのけて、思いきり突き飛ばして、それで、いつものように、僕を馬鹿にしてよ。
僕のことずっと大嫌いでいいから。
このままいなくならないで。
死なないでよ、アスカ。
お願いだから。
アスカ。
…そのとき、何かが頬に触れた。
がさがさした布が滑り、その先から現れた、丸い、優しい感触が、凍りついたようになった
彼の頬の線をゆっくりとなぞって、力なく離れた。
波音が近づき、また遠ざかった。
放心状態で、きっと今の自分は廃人のような顔をしているんだろうなと考えた。
だって、違う。
これは違う。
そうじゃないよ、アスカ。これじゃ駄目だよ。駄目なんだ。
僕らは傷つけ合っていないと、自分のカタチもわからないのに。
両腕から力が抜けた。
けれど指のあとに、頬を伝うものがあった。
生温かい雫が顎に流れ、次から次へと、横たわるアスカの上に滴り落ちた。耐えきれずうつむき、
そのまま、崩れるように彼女の身体につっぷした。嗚咽が止まらなかった。
まだ、泣けたのかと思う。
だけど、これで大丈夫かどうかはわからない。たぶん、ずっとわからないのだろう。
拒絶されなかったことが嬉しいのか、それとも理解してもらえなかったのが悲しいのか、
それも今の彼にはわからなかった。ただ、全てを押し流すような涙に身体を委ねた。
泣き続ける彼の頭上で、かすれた声がした。
「…気持ち悪い」
213ひとりあそび・現実の続き:05/01/27 15:39:00 ID:???
満天の星の下で、赤い海はきらきらと寄せ返している。
水平線の向こうは赤っぽい靄に包まれていて、そこに、半分に割れた綾波の頭がそびえていた。
アスカは白い砂の上に坐ってそれを見ている。
こちらに背を向け、きっちりと両膝を抱えたアスカの肩は頑なに尖っていて、無言のうちに
彼のどんな言葉も拒絶していた。敵意のようなものすら、そこにはあった。
でも、実際のアスカの声はひどく疲れ、すり減ったように弱々しかった。
だから彼は、数歩退がったところに立ち続けていた。

「…何見てんのよ、馬鹿」
「…うん」
「もう、放っといてよ」
「…うん」
「どっか行きなさいって、言ってんのよ」
「…、うん…」
「……」
「……」
「…まだ、そこにいんの?」
「……」
「……
 やっぱ、取り消すわ。さっきの」
「……うん」
「……」
「……」
「…、シンジ?」
「何?」
「…別に、いるならいいのよ」
「…うん」

…綾波。
ごめん。
まだ、生きてる。だから、生きてくよ。
いつか、本当の終わりが、僕に来るまで。
214ひとりあそび・夢の終わり:05/01/27 15:40:08 ID:???

誰かに呼ばれたような気がした。

振り向いた瞬間、目の前がぱっと明るくなった。
とっさに目をつぶる。ひと呼吸おいて恐る恐るまぶたを開くと、少しずつ周りの輪郭が
浮かび上がってきた。彼はぎこちなく身体の向きを変え、背後に溢れる眩しい光を見つめた。
薄暗い講堂の中だった。
すぐ後ろにある鉄扉が片方、大きく開け放たれている。そこからまばゆい陽光が射し込んで
周囲にくっきりした陽溜まりを作っていた。明るいのはそのラインの内側だけで、少し視線を
移した途端、視界は一面埃っぽい暗がりに沈んだ。高い天井も、妙に遠くに感じられる舞台も、
一様にひんやりした薄闇に閉ざされている。誰もいなかった。足元から伸びる彼の影が、
たくさんの靴底で磨かれた床を鮮やかに横切り、乾いた静けさの中に吸い込まれている。
彼は近づくにつれて次第にはっきりしてくる影のエッジをたどり、その先で床を踏みしめる
自分の両足を、初めて見るもののようにじっと見下ろした。
強い日差しに晒された床を細かな埃が舞っている。
ほんの少し、意識が揺らいだ。
ここはどこだろう。どうして、こんなところにいるんだろう。
本当に、ここにいていいのか。
でも、それはごくわずかな間のことだった。
妙な浮遊感はすぐに消えた。彼は小さく息をつき、傍らに立ててあったチェロケースに
手を伸ばした。楽器がきちんと中で固定されているのを確かめてから、手早く留め金を嵌め、
幅広のバンドで肩にかける。なじみ深い重みが背中にかぶさってきた。
再び、外から呼ぶ声がした。
彼はもう一度講堂の中を振り返った。さっきまで彼が坐っていたパイプ椅子が、一脚だけ
ぽつんと取り残されている。
その奥には何もない。誰もいない。終わった後の、がらんとした沈黙だけがある。
やがて、彼は背を向けた。
「ごめん、今行くよ」
外に向かって声を張り上げる。それからチェロを担ぎ直し、彼は光の中へ歩き出した。
215ひとりあそび・夢の終わり:05/01/27 15:40:53 ID:???
無人の講堂は、ほのかな眩しさを含んだ真昼の闇の底でひっそりと静まり返っている。
熱気を含んだ風が吹き込み、陽溜まりの上でゆるく渦を巻く。

「遅ォい。一体何やってたのよ」
「ごめん、なんかぼうっとしちゃってて」
「なーに言ってるんだか。夢でも見てたみたいな顔しちゃってさ」
「夢?」
「まさか、あんなとこで夢なんか見るわけないよ。…でも、もしかしたら、そうだったのかな」
「何かあったのかい?」
「…なんか、海の音が聞こえた気がしたんだ、ちょっとだけ。…って、気のせいだよね」
「ほーら、やっぱり寝ぼけてたんじゃない」
「違うよっ!」

陽溜まりに残されたパイプ椅子の背に一点、小さく外の太陽が映って輝いている。すぐ前を
幾つかの影がよぎり、通り過ぎて、見えなくなった。階段を降りる軽い靴音が重なる。

「…海って、どんな音がするの」
「え? …綾波、見たことないの?」
「ええ〜〜ッ、一度も?! この年で? こんなせっまい島国に住んでるくせに?!」
「そういうアスカはどうなんだよ」
「あたしはここに来るとき、さんざん見たもの。飛行機の窓から、ゴージャスな青い太平洋を
 たーっぷりとね」
「ということはつまり、ちゃんと行ったことはまだないわけだね」
「う…こっ、これから行けばいいのよ! この優等生も一緒にね。それなら文句ないでしょ?」
「わたし?」
「当ったり前じゃない。まずはあんたのためなのよ。どうせなら、ヒカリや他のヤツも誘ってさ」
「そっか、もうすぐ夏休みだね」
「ふふ、面白そうだね。じゃ、今度、本当に行ってみようか。皆で、本物の海を見に」

笑い声やささやかな応酬を交え、明るく絡み合いながら、声は少しずつ遠ざかっていく。
彼らの前に開ける、始まったばかりの真新しい夏のさなかへ。


    ひとりあそび・了



お疲れさまでした。
以上で、「ひとりあそび」は完結となります。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

さて、というわけで一応、エンディングは
・虚構の始まり(或いは“ある意味グットエンド”)
・現実の続き(或いは“たぶんトゥルーエンド”)
・夢の終わり(或いは“それでもバッドエンド”)
の三分岐でした。
かなり後付けなインターミッション(一部は現実パートにくいこんでますが)を挟んで、
全部あわせてひとつのエンディングと見ることもできるかなと思います。
「ああ、終わったぁ」という気持ちになっていただければ、書き手冥利ってものです。

終わってみればなんでこんなふうになったんだろう、という感じです。
いろいろ本(つってもフィクションばっかです)読んだり考えたりはしたけど、
結局ほとんど反映されませんでした。
それでも、あんなに憧れて夢中でいた『エヴァ』について、独りよがりではあるけど
自分なりに何かひとつ終わらせられたのは、自分にとって結構大きいようです。
ここまで書かせていただいて、本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

                               元ぜろさげ
おまけ
書いてる間読んだ本とか

・W.ギブスン『ニューロマンサー』
  死者の地のおおもとは、結局この中の、システム・ニューロマンサーっぽいです。
  それから、最終章のラストシーンも。
・C.スミス『ノーストリリア』
  ラスト付近の、ロッド・マクバンとク・メルの千年の夢。虚構エンドのきっかけがこれ?
・T.リー『狩猟、あるいは死―ユニコーン』
  こういうものすごいカコイイまとめ方ができれば良かったんですが。
・薄井ゆうじ『酒粥と雪の白い色』
  突然雪が降ったりしたのは(幻の劇場版ラストのせいもありますが)これが遠因かもしれません。
・赤江瀑『白帝の奥庭』
・長野まゆみ『魚たちの離宮』
  死者について考えるとき、特に思い返したりしたもの。
・R.ブラッドベリ『霧笛』『生涯に一度の夜』
  なぜか何度も読み返してました。


これで、元ぜろさげの一人遊びはおしまいです。
スレに来てくださった方、読んでくださった方、書き込んでくださった方、
本当に、ありがとうございました。
それでは、これで。
お疲れ&おやすみなさい
へへっ・・・おかげで本日のテストはもう多分アウトだぜ・・・

長い間お疲れ様でした!面白かったです!
ラスト、まだ決めかねます
ありがとござました

なぜかこんなじかんにいるほしゅにんより
0age
223名無しが氏んでも代わりはいるもの:05/02/24 00:29:24 ID:Sl3kKndl
☆って何のこと?
完結、おめでとう。一言だけ述べさせて頂きます。
>>223
エロパロ板のTS関連スレを崩壊させた原因の人物
不都合なレスには一切答えない特徴を持つ

え?コテハンのことじゃない?
226埋め終わった人:05/02/25 10:06:36 ID:???
…こんにちは。
あっちのスレなかなか落ちませんね…
500KB越えたら、せいぜい一日程度でdat行きだと思ってたんですが。

大変遅くなってしまいましたが、このスレで
「ひとりあそび」に感想をくれた方々、ありがとうございました。
>219さん
ありがとうございます。あっちのスレもちゃんと眠りにつきました。
>220さん
遅い時刻まで読んでいただいてありがとうございました。
面白かったと言っていただけて嬉しいです。
ていうか、時間(つかテスト)すみませんでした…
>221 ほしゅにんさん
最後までまともにレスできなくて申し訳ありませんでした。
ずっと見守ってくれて本当にありがとう。楽しかったです。

それから>224さん、ありがとう。ひとことでも大変ありがたいです。

>225さんら
☆については全く知りませんでした
(そういうタイトルか通称のFFでもあるんかな程度にしか考えていませんでした)
向こうの反応が、都合が悪くてごまかしてるように見えたのなら申し訳ないです。
もう容量はギリギリだったし、自分には関係ないだろうと思ったので、
ただ「知らない」とだけ書きました。
エロパロ板には一度も行ったことがありませんし、書き込んだこともありません。
もちろん、ここでどれだけ言っても何の証明にもなりませんけどね。
ともあれ教えてくれてどうもありがとうです。(微妙に気になってたので)
長文失礼しました。
☆っつったら種のキラじゃんねぇ
おつ
229名無しが氏んでも代わりはいるもの:2005/04/06(水) 13:55:07 ID:???
乙でし
230名無しが氏んでも代わりはいるもの:2005/04/22(金) 21:53:10 ID:???
231名無しが氏んでも代わりはいるもの