長かった・・。やっと規制解除されました。
きっと、壊れてる第5話を投下します。 注:エロなし
「兄さん、起きて。もう朝よ」
浩介は茜の声で目が覚めた。
眩しくて、目を細めながら周りを見渡すと、そこは茜の部屋だった。
この前美佐にホテルに誘われた日の夜から1週間、浩介は茜と共に、茜の部屋で眠るようになっていた。
理由という理由はなかった。
純粋に茜を抱きながら、茜に抱かれながら、就寝するのが心地よかった。
浩介が寝ぼけてながらボーッと窓際にあるゴリラのヌイグルミを見ていると、
既にエプロンをつけていて、薄く化粧もしている茜が肩を揺する。
「ほら起きて?本当に朝が弱いわね、兄さんは」
「ん〜」
手を天井に向けてめいいっぱい伸ばし、やっと少し目が覚める。
「おはよう」
「おはよう」
いつになく優しい声。
茜は浩介の目が覚めたのを確認すると、忙しそうにリビングへ戻って行った。
部屋は茜の匂いがする。
香水などではなく、清潔感のある女性の匂い。目を閉じると、何もない高原の中心で、茜と抱き合っているかのような感覚に陥る。
浩介はこのままこの良い匂いの中で、二度寝したい衝動に駆られながらも、
これ以上茜に手間を掛けさせるわけにはいかない、と立ちあがりリビングへ向かった。
リビングで朝食を取っていると、洗い物をしていた茜が何か思い出したように、こちらに近付いてきた。
「兄さん、今日は少し遅くなるから、夕飯食べて来てくれる?」
茜は夏を感じさせる薄い青色のエプロンを外すと、椅子に置きながら言った。
「あぁわかった。仕事か?」
「えぇ、担当の人が夕方以降しか空いていないらしくて」
茜のフリーライターという仕事は、人脈が物を言う仕事だった。
それがほとんどない茜は、編集プロダクション経由のいわゆる「孫請け」の仕事をメインにしており、
今日はその打ち合わせのようだった。
「そうか、わかった。」
浩介はコーヒーを飲み干すと、新聞の経済面を見た。
浩介が属するIT業界では、大企業が軒並み景気回復の兆しを見せていて、中小もそう遠くないだろうと書かれていた。
茜の出版業界はまだ厳しい状況が続いているようだったが、茜に言っても特にメリットがない事を感じて、浩介は黙ってページを捲った。
占いのコーナーに目が止まった。
浩介は6月17日が誕生日なのでふたご座だ。
『恋愛運不調。思い出は思い出のままが吉』
『思い出は思い出のままで』とはどういう意味だろうか、と浩介は考えた。
恋愛運不調・・・今の状態なら対象は美佐になるのか。
美佐にはもう関わるなと言う意味だろうか・・・。
次に茜の星座である、おうし座の欄に目を向ける。
『待ち人来たる。周りの人間との関係も大切に』
『待ち人』というのは誰か。
茜は確かに友人も少なく社交的ではないが、自分に関係している人間には意外に誠実で、決して冷徹な人間ではない事を知っている浩介は、
『周りの人間との関係も大切に』という言葉に、『余計な御世話だ』と心の中で毒づいた。
一通り新聞を読み終わると、浩介は出勤の支度を始めた。
夏を直前に控えた太陽は、元気いっぱいの輝きを放っており、スポットライトを当てるかのように街を照らす。
今年は暑くなりそうだった。
同日15時、都内某病院。
玉置美佐は少し遅めの昼食を取りながら、携帯電話を親の敵のように睨みつけ、唸っていた。
「う〜ん・・・」
「どうしたの?玉置さん」
「・・・」
一緒に休憩に入っており、心配した同僚が声を掛けたが、聞こえていないらしく、美佐は携帯電話に夢中だった。
浩介に送るメールを作成していたところで、几帳面な美佐は一字一句誤字や文言のおかしい箇所、
浩介が気を悪くしそうな表現がないかどうか、などをチェックしていたところだった。
う〜ん。どうやって誘おうかな〜。
手も繋いでくれたんだし、昔みたいに少し強引にいこうかな〜。
浩介は夜以外は基本Mだし、そっちの方が嬉しいはず。
もし、デートOKしてくれたら何処に行こうかな。
今度こそ海辺でのんびり散歩したいなぁ・・。
それで夕日が沈みそうになったら・・・腕組んで胸押し付けて。
いや〜我ながら大胆だなぁ・・・次でぜってー落としてみせる!!
「玉置さん」
「・・・」
「玉置さんってば!」
「えっ!?はっはい!」
大きな声を出されて驚いた美佐は、携帯電話を思わずパタンと閉じて、声を掛けられた方を見た。
一緒に食事を取っていた同僚ではなく、先輩の薬剤師だった。
大きなお腹をした男性だが、その風体に似合わずよく気が回り、病院内でも信頼されている人物だ。
「お客さんだよ」
「お客さん?」
「アポは取ってないみたいだよ。最初は昼休みに来たんだけど、あなた手が離せなかったから一度断ったんだけどねぇ。ず〜っと待ってたみたいだよ」
先輩薬剤師は腹を擦りながらそう言うと、自分の持ち場へ戻って行った。
誰だろう、と思いながらも美佐は指示された通り、病院の待合室へと向かう。
昼食を取りたかったが、緊急を要する用事の可能性も考え、すぐに向かう事にした。
どうやら白石という人が美佐を呼び出したようだ。
待合室に到着した。
天井が高く、掃除もよく行き届いている清潔感溢れる場所だ。
前方には大型液晶テレビが、その隣の棚には本や新聞が置いてあり、
患者達の退屈を和らげようとする病院側の気遣いを感じる事が出来る。
美佐は辺りを見渡した。
顔見知りの患者なら、わざわざこう呼び出す事もないだろう。
とすると初対面の人間だと想像できるが、あいにく今日は患者やお見舞いの人間が多く、誰が美佐を呼び出したのかわからなかった。
そういえばどういう人物か特徴を聞くのを忘れていた、と美佐は心の中で反省した。
一度引き返して確認してこようとした時、2歩目で美佐の足が止まった。
視線を感じていた。
好意でもない、悪意でもない。そう、これは芸能人を見るかのような好奇の視線。
話では聞いていたけど、実際に会うのは初めての人間に向ける視線だった。
振り返ると、そこにはまだ二十歳そこそこだろうか、若い男性が美佐の方を見つめ、立っていた。
「正直いきなりで困るなぁ。変な噂が立っても困るし」
街を眺めながら、美佐は後ろに立っている青年へと喋りかけた。
空は雲一つなく、気持ちの良いほどに青く澄み渡っていたが、風だけは強く吹いており、美佐の肩まである茶色い髪をなびかせていた。
「すっすいません。終わる時間が何時かよくわからなかったもので」
「で?私に何か用?初対面だよねぇ私達?」
二人は病院の屋上に立っていた。
待合室だと、どうしても人の目と耳がある。
青年の神妙な顔を見た美佐は、屋上へと場所を移す事にしたのだった。
「あっあの」
「何?告白?いや〜ん!久しぶり」
青年の方へ振り返った美佐は、青年をからかう様におちゃらけた。
正直誰かも判らぬ人間にアポなしで呼び出され、仕事とは関係なさそうな上に食事と浩介へのメールを邪魔されたのもあって、腹が立っていた。
「ちっ違います!」
「うん、知ってる。そうだ!『いや〜ん』じゃなくて『はにゃ〜ん』って言えば良かった」
「は?」
「・・・何でもないよ。とりあえず、君の名前を聞こうか」
「はっはい!白石巧といいます」
言った後で巧は後悔した。別に実名を名乗る必要などまったくない場面だった。
「それで?白石巧君が私になんの用?」
「あっあの」
「うん」
「玉置美佐さんで間違いないですよね?」
「うん、そうだよ」
「・・・『村上浩介に二度と近付くな』だそうです」
「・・・もう一度言ってみて?」
「『村上浩介に二度と近付くな』だそうです」
「もう一度」
「えっ?・・村上浩介に二度とちか」
「ねぇ」
「えっ?・・はっはい」
「その言い方だと、君は誰かに頼まれて私にそれを伝えにきたんだよね?」
「そうですけど」
「『誰?』って聞けば、教えてくれたりする?」
「それが、オレもよくわからないんです」
「・・・その・・・君はおバカさんなのかな?それとも見返りがすごく魅力的とか?
なんでよく知らない人の頼みをわざわざ聞いてあげてるの?」
美佐は呆れたような、出来の悪い生徒を嗜める教師のような顔で巧の顔を見る。
「・・・」
美佐の言う通りだった。自分でも馬鹿で無茶な事をしていると巧は思っていたが、
あの黒髪の美女を手に入れるために、自分のできる範囲でなら何でもしたかった。
この時、巧は無意識だったが、巧は既に黒髪の美女に支配され始めていた。
「言える範囲でいいよ?見たところ、君は浩介とは何の関係もないと見た」
これはまず間違いないだろうと美佐は思っていた。
浩介の学生時代の友人は大体会った事があるし、社会人になり二十歳そこそこの男性と知り合う機会などあまりないだろう、と美佐は考えていた。
「はい、僕は村上さんという人の事は何も知りません」
「だよね。じゃあ簡単だね。君にその言付けを頼んだ人物が、浩介の関係者だよね」
「・・そうなのかもしれません」
黒髪の美女にこの話を聞いた時、巧の中で最初に浮かんだ疑問だった。
『村上浩介』という人物と黒髪の美女は一体どういう関係なのだろう、恋人か?
いや、それならば『村上浩介』か『玉置美佐』のどちらかに直接言えば済む話だ。
わざわざ、オレのような他人を使って伝える必要はない。
「ん〜そうなると、容疑者は簡単に割り出せちゃうなぁ・・こんな安易なやり方、あの子らしくない」
風が強いため、髪を押さえながら、美佐は呟く。
「ねぇ」
「はい」
「君にその話を持ってきた人はどんな外見だった?」
巧は黒髪の美女に『相手が私の外見などを聞いてきた場合は、素直に答えていいわ』と言われていたのを思い出した。
「・・・黒髪で・・・長さは・・あなたより少し長い程度です。歳はオレと同じぐらい」
「他は?」
「身体は細いです。黒いワンピースを着ていました」
「・・・う〜ん・・・やっぱり茜ちゃん・・・かなぁ?・・・何考えているのかしらあの子」
美佐は巧に聞こえないように再び小さく呟くと、思考を張り巡らした。
浩介と付き合っていた頃は、別に何をされたワケでもない。
たまに浩介の家へ押し掛けても、睨みつけるとか、冷たい態度とかも特になかったしなぁ・・。
印象としては、無表情で大人しくて頭が良さそうな子、だったかな。
でも私が浩介にちょっかい出していると、顔には出さないけど茜ちゃんの空気が少しだけ変わっていた気がする。
気のせいかな?とも思ったけど、後から気付いた。きっと私も同じ種類の人間だから。
浩介を取られた気がして、はらわた煮えくり返ってたのよね?
当時はブラコンなだけだと思っていたけど、別れるきっかけとなった怪文書の件がある。
もし私と浩介の仲を引き裂きたいなら、有効な手。
さらに浩介と茜ちゃんが恋仲なら・・・。
いや、まだ茜ちゃんが犯人と確定したわけじゃない。
それに、誰であろうが動かせる人間には限りがある、その内この坊やだけじゃ足りなくなって、必ず自分で動くはず。
それまで泳がせておこうかな・・・。
美佐はあらゆる可能性を模索して、自分がどう動けば相手が一番嫌がるか、考えていた。
「あの」
「ん〜?」
「用件も伝えたので、オレはこれで失礼します」
そんなに長い間経っていたのだろうか、巧はあきらかにこの場を去りたそうにしていた。
「あっ待って!」
「はい?」
「今度、その言付けを頼んだ相手と話す事があったら、伝えておいてもらえる?『相手が悪かったね』って」
「はぁ」
変な女だ、と巧は思った。
普通あんな事を人づてに言われたら、動揺するか、激怒するかのどちらかだろう。
それなのに、この女性は『かかってこい』と言わんばかりに挑発している。
最近出会った二人の異質な女性の繋がりとなる『村上浩介』とは一体どんな人物なのだろうか、と巧は好奇心をくすぐられた。
「じゃあ頼んだわよ。あぁ!昼休み終わっちゃう!」
美佐は右手に着けた時計を見ながらそう言うと、階段に向かって小走りに駆け出した。
しかし、階段入口の手前で止まったかと思うと、振り返って巧の目をじっと見つめた。
「あぁ、言い忘れてた。・・・白石巧君」
「はい」
「私達の仕事って、ちょっとでも調剤する薬の量を間違えたりすると、大問題なの」
「はぁ」
「それを患者さんに訴えられたりしちゃうと、私の生活も危ないのよ?」
「・・・」
「だからね、あまりイライラさせちゃいやよ?もし君があまり関係のない人物でなかったとしたら・・・」
「・・・」
「・・・インスリンを連続で30回くらい注射してやるところだったわ、なんてね」
「・・・」
「今のは冗談だけど、次はないわよ?じゃあ、気をつけて帰ってね〜」
美佐はそう言って最後にニコリと笑うと、白衣をなびかせ、今度こそ階段を駆け下りていった。
巧には『インスリン』というものがどんな物かわからなかったが、
美佐のその時一瞬だけ見せた冷徹な目が、黒髪の美女の目にとてもよく似ていて、驚いたと同時に背筋が凍るようだった。
屋上は風がいつの間にか止んでいて、穏やかな空気を取り戻しつつあった。
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From:玉置 美佐
Sub :やっほ〜ダーリン
今日もお疲れ様だっちゃ(*´∀`*)
メールするの久しぶりだね?
元気にしてた?
といっても最後に会ってから1週間ぐらいしか経ってないかぁ・・。
今日はね。遊びのお誘い。
明日どこかへお出掛けしませんか?
この前の映画もよかったけど、動物園とかどう?
最近暑いから、きっと獣臭すごいよ!!興奮してこない?
寝てるライオン見に行こうよ〜。
お弁当頑張って作るから!お弁当屋さんが(爆)
良いお返事待ってます。
ミサミサ( ´ ▽ ` )ノ
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午後19時30分。
仕事を終え、帰りの電車の中だった。
浩介は携帯電話を通勤カバンにしまうと、深いため息を吐いた。
別に美佐の積極性に嫌気がさしているわけではない。
茜との関係を断ち切るどころか、益々深みにハマってしまっている自分、
美佐との関係もとても心地が良く、楽しいと感じている自分の心に対してのため息だった。
どう返事するか迷っている間に電車は自宅最寄駅に着いていた。
駅の階段を上り、改札を抜け、外に出る。
そういえば、今日は茜がいないから晩御飯をどこかで取らなくてはと思い、駅の近くで適当な店を探す。
牛丼屋チェーン店が目に入った。
街の中でも一際目立つ、原色の看板が特徴的だ。
最近、老舗の牛丼屋チェーン店を業績で上回りそうな勢いがある、比較的新しい企業だ。
今までの牛丼屋にはなかった新メニューや、肉やご飯の量を客がカスタマイズできる自由度の高さが人気の理由になっていた。
今日はここでいいか、と思い浩介が自動ドアに向かって歩くと後ろから腕を掴まれた。
「兄さん」
茜だった。
一瞬、女性誌のモデルのような茜の姿に浩介は見惚れた。
大企業に勤めるキャリアウーマンのように、ピシリと決まっているパンツスーツ。
髪も後ろに一つで束ねていて、家での良い若奥さんのような雰囲気を持った茜とは違い、
素直に『格好が良い』と、浩介は思った。
「ビックリした。茜か。もう終わったのか?」
「えぇ。予定より早く終わったの」
「じゃあ飯は?まだなら一緒に食っていくか?」
浩介は牛丼屋を親指で指した。
「兄さん駄目よ。こういう所は栄養が偏るから」
茜は軽く首を振りながらそう言うと、いつの間にか財布を出して中身を確認していた。
「1日ぐらい構わないだろ」
「まぁね。でも今日はやっぱり私が作るわ。一緒に買い物して帰りましょう」
財布の中身で瞬時に献立を考えたのか、茜は財布を肩から掛けていたバックにしまった。
「あぁ、わかった」
たまには、こういう店でも食べたいと思った浩介だったが、食事関連の決定権を持つのは茜だった。
素直に従って、茜の横に並び歩き始める。
6月初旬から始まったクールビズで、Yシャツしか着ていない浩介の腕に茜の手が絡みついた。
なんの違和感もなかった。
二人は仲睦まじく寄り添い、いつも茜が利用しているスーパーへと向かった。
野菜売り場を回って、調味料コーナーで品定めしていた時、浩介は美佐にまだメールの返信をしていない事に気付いた。
茜は今、鮮魚売り場へ向かい、浩介の好きなカツオの刺身で、安くて良い物がないか探しているところだった。
本来ならば、美佐の誘いには断る理由がなかった。
浩介に恋人はおらず、美佐は性格も明るくルックスも良い。
就いている仕事も尊敬できるし、何より一緒にいると居心地が良い。
これだけの条件を兼ね備えた女性はおそらく一生自分の前には現れないだろう、と浩介は考えていた。
しかし、そのすべての好条件を一瞬にして無にする存在、それが茜だった。
茜に無言で問い詰められると、生きた心地がしない。
どちらかと言えば、世間的に責められるべきは茜との関係のはずなのに、
浩介にとっては、美佐だけでなく茜以外のすべての女性と接する事こそが罪だった。
また、無意識にそう望んでいるのも浩介自身だった。
しかし、だからこそ浩介は考えていた。
何が茜にとって一番なのか。
刺身で良い物が見つかったのか、浩介のいる調味料コーナーから約30メートル先の冷凍食品のコーナーで、商品を選んでいる茜を浩介は見つめた。
いつの間にか、美佐のメールの事だけではなく、今までの茜との関係、これからの茜との関係も含めて、浩介は考えていた。
茜には幸せになってほしかった。
小さい頃から人との交流が苦手で、知らない人が家に来ると、いつも俺の後ろに隠れていた茜。
俺が遊びに出掛けようとすると、必死に俺の脚にしがみ付き、どこへ行くにでも着いてきた茜。
無表情なくせに『動物のぬいぐるみが好き』という、普通の女の子の側面も持っている茜。
文句の一つも言わずに、家事全般をこなしてくれる茜。
1年に2,3回程か、最高の笑顔を俺だけに見せてくれる茜。
保護欲だけではなく、俺は茜に恋をしていた。
それと同時に、目に入れても痛くない最愛の妹だった。もし茜を傷つけようとする人間がいたら、どんな手を使ってでも守るつもりだった。
ナイト気取りと言われてもいい、一生自分が守るつもりだった。それが・・なんで・・。
浩介の目からは、いつの間にか涙が溢れ、頬を伝っていた。
この世で一番幸せにしてあげたかった女を、一番不幸にしていたのは浩介自身だった。
とっくの昔に気付いていたくせに、気付かないフリをしていたのも浩介自身だった。
自分が社会人になり、ここ数日の美佐との事もあった。
客観的に、社会的に、将来的に自分達の関係を直視できるようになったのか、
ほとんどの人間が今晩のおかずの事を考えているであろうスーパーの中で、浩介は一人静かに泣き続けた。
途中、周りに顔を隠すようにしていた浩介を、スーパー内を走り回っていた小さい男児が不思議そうな顔で覗きこみ、去って行った。
茜が戻って来たのは、それから少し経った後だった。
「兄さん、おいしそうなお刺身があったから、今日はこれで良い?後、私が食べたいからサラダ代わりに、きゅうりの酢漬け」
「あぁ、それで良いよ」
浩介は先程まで泣いていた事を悟られないように、茜とは目を合わせないように答えた。
「じゃあ、そろそろ行きましょう」
茜がレジに向かい歩き始めようとした時、浩介は呼び止めた。
「茜」
浩介は決意していた。
もうこれ以上、『愛しい茜』を自分のために不幸にはしたくなかった。
もし、家に帰り茜と二人っきりになったら、二人の世界に隔離されてしまったら、決意が揺らいでしまう自分の弱さも痛いほど理解していた。
「こっちを向いてくれないか」
茜の目を直視しながら伝えなければいけない事だった。
「何?」
こちらを振り返り、浩介の真正面に立つ茜を浩介は見つめた。
緊張で足が震える。口が渇く。声が擦れる。
「お前と・・・普通の兄妹に戻る。お互い違う道で幸せにならないか」
浩介はこの世で一番愛している女に、そう言い放った。
・・・
・・
・
浩介が茜に関係を切る旨を伝えてから、15分が経過していた。
二人は今・・15分前と同じ、調味料コーナーにいた。
茜は買う気もない調味料を手に取り、成分表を見ているフリをしている。
浩介が茜に決意を伝えてから、二人は一言も言葉を発していなかった。
15分前、茜は浩介に決意を伝えられると、特に驚く様子もなく、浩介の目を見つめたまま無言で何かを考えていた。
そして、しばらくすると浩介との距離は一定に保ち、商品を見るフリをし始めた。
最初は、単純に動揺しているのか、と浩介は思っていた。
急に、『これまで培ってきた異性としての愛情を白紙にしろ』と言われたのだ、動揺して当たり前だ、と。
嫌われても、罵倒されようとも、これがお互いの将来のためになると浩介は信じていた。
しかし、茜が落ち着くのを待ち数分経った頃、浩介の脳裏には一つの疑問が浮かび上がってきた。
茜は本当に動揺しているのか?
表情を覗く。いつもの茜と変わりはない。
手足が震えていないか確認する。その様子はない。
「!!」
浩介は気付いてしまった。
これは、浩介への裁判だった。
茜は浩介への罰を考えているのだ、と。
一度そう考えると、もう頭から離れなかった。立場が逆転し、浩介の心情と共鳴するかのように、手足が震えだした。
冷房の効いたスーパーの中で、大量の汗が浩介の体を這う。
浩介にできる事は、ただひたすら茜の審判を待つ事だけだった。
・・・
・・
・
どれくらい経っただろうか。
浩介は緊張感に耐えきれなくなり、息切れを起こすほどまでになっていた。
茜は依然として、調味料を手に取り、無表情のまま一言も発する事もなく何かを考えていたが、
最後に少しだけ浩介の顔を見つめると、ついにその口を開いた。
「そう、わかったわ」
まるで、質問に即答するかのような平然としたその口調に、浩介はやっと長い拘束から解かれた。
「・・・すまない」
「いいえ、私も兄さんを縛り付けてしまっていたもの、こちらこそごめんなさい」
そう言いながら、茜は目を細め浩介に微笑む。
『微笑み』は浩介が茜で一番好きな表情。可憐で愛らしい表情。
しかしこの時、浩介にはその表情が、地獄の底から地上を逆に見渡しているような不気味な表情にも感じた。
浩介は思わず、目を擦りもう一度茜を見つめる。
いつもの茜だった。
「さぁ、時間も経ってしまったし、帰りましょう?お腹減ったでしょ?」
「あぁ、ありがとう。帰ろう」
先程感じた嫌な予感に不安を覚えながらも、浩介は自分の気のせいだと思い、気持ちを切り替える。
やっと、自分は茜を解放してあげられる。
今はその事実だけで十分だった。
茜の発言に違和感を覚えたのは、帰宅し二人で夕食をとり、入浴後に居間でくつろいでいたところだった。
それまでは茜に特別様子がおかしい点は、なかった。
帰り道も、今までのように寄り添う事はなく、普通の兄妹が取る間隔を空け、他愛もない会話をしながら歩いた。
唐突な提案で、家族としての絆までも失ってしまう事を恐れていた浩介は、一安心していたところだ。
「胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」
茜が浩介を見つめながら、不意に言い出した事だった。
「はぁ?なんだいきなり?ドグラ・マグラか?」
「そう、この前読んだの。兄さんも前に読んでたわよね?」
「あぁ、ほとんど意味わからなかったけどな」
「フフッ、私も同じだから大丈夫よ。でもこの冒頭歌だけは気に入っているの。兄さんはこの冒頭歌、どういう意味だと思う?」
「う〜ん、正直よくわからないな。あの小説は俺の常識を超えているよ」
「あら、そんなに難しく考えなくてもいいのよ?冒頭歌の文言だけで判断すればいいの。」
「あそこだけでか?う〜ん・・・母親が抱いている悪意に気付いた胎児が怖がってる、とかかな」
浩介は『お手上げだ』と手を上げるジェスチャーをした。
「私はね、胎児って言うのはもちろん赤ん坊という意味も兼ねているのだけど、自分自身という意味もあると思うの」
「自分自身?」
「そう、母親のお腹にいる間は胎児は母親の一部。つまり一心同体でしょ?」
「あぁ」
「つまり、赤ん坊が恐れている事は母親も恐れている。母親は自分の考えている事が自分でも恐ろしいのよ」
「深読みしすぎじゃないかなぁ」
「あら、それが読書の楽しみ方の一つじゃない。私が個人的にそう思っただけよ」
「そうか、でもその考え方もおもしろいな」
本心だった。
本を読んでも、ほとんどの作品は著書の言いたい事を読み取ろうとする事もなく、一つの物語として右から左へ読み流すだけの浩介は素直にそう思った。
「ありがとう、じゃあお礼にクイズを出してあげるわ」
「ん?クイズ?」
「そう、クイズ」
なぜここでクイズに答えなければいけないのか、浩介にはよくわからなかったが、
他に特にする事もないので、茜のクイズとやらに付き合う事にした。
「いいよ。さぁ来い」
「じゃあ問題・・・今日で恋人のような関係は切れてしまったけど・・・私は兄さんと二人っきりの時が一番楽しかった」
「??・・・うん」
「誰か1人でも違う人間がいると、落ち着かなかった。私と兄さん以外の人間の拒絶。まるで2という数字以外は、この世に存在しないかのように」
「・・・茜」
「今日のはあくまでヒントのつもり」
「??・・・それで?」
「積み重ねて、積み上げるの」
「??・・・それから?」
「・・・」
「・・・?えっ終わり??」
「えぇ、終わり」
「最初の方以外、何言ってんだか全然わからないんだけど・・」
「・・・そうね・・・私、何を言っているのかしら。これじゃ暗号だわ」
「もう少しわかりやすく出題してくれると助かるんだけど」
「・・・ううん、もういいの。全然巧妙でもないし、自分でもクイズになっていないって・・わかってるから」
そう言った茜の表情は、ここ数年見せなかった悲しそうな表情だった。
浩介が茜に一番させたくない表情だった。
すぐにいつもの無表情に戻ると、茜は消え入るような声で呟いた。
「織姫と彦星は、最終的にどうなるのかしらね」
「茜??」
「フフッ何でもないわ。クイズ、気が向いた時で良いから、考えてみてね」
「ん?あっああ・・」
様子がおかしい茜を見て、やはり自分たちの関係の変化にまだ戸惑っているのだろうな、と浩介は思った。
浩介も同じだった。
先程など、湯上り姿の茜の艶やかさに、妙な気分にもなった。
だが、もうそういう関係ではないのだ、と自分で自分の心に喝を入れていたところだった。
「じゃあそろそろ寝ましょうか」
「そうだな・・・おやすみ」
浩介は一瞬、『今日は自分の部屋で寝るよ』と言いそうになったが、普通の兄妹の関係ではその発言がいかに異常であるかを実感し、苦笑いした。
自分の部屋に戻り、CDコンポのタイマーをセットして、二人がまだ普通の兄妹だった頃に流行っていた音楽を聴く。
スローテンポで、感傷的なメロディーだ。
枕を見ると、カバーが新しくなっている。浩介が風呂に入っている間に茜が替えたのか。
ベットに入り目を閉じると、当時の茜の姿から最近の茜の姿が、曲に乗って次々と浩介の脳裏に浮かんでは消えた。
自分は本当に茜の事が好きだったのだな、と浩介は思った。
それと同時に、なんで自分達は血の繋がった兄妹として生まれてきたのだ、とも思った。
昔、誰かに『現世で兄妹として生まれた来た者達は、前世では恋人だった』という話を聞いた事がある。
本当かもしれないと浩介は思った。
本来なら、記憶がリセットされるはずが、何かの手違いで自分達だけ潜在的に記憶が残ってしまった。
だから、こんなにも愛おしい、抱きたい、抱かれたい、と感じるのだ、と。
ふと、浩介は実家の事を思い出した。
自分と茜の気持ちに整理がついたら、顔を出してみようと思った。
茜はともかく自分は門前払いされるかもしれないな、とも思ったが、外部の人間にも自分たちの関係に区切りをつけた事を周知したかった。
茜の人生の10年近くを自分に使わせてしまった事を、茜と家族全員の前で謝罪したかった。
今後の案を考えれば考えるほど、女としての茜を失う事への喪失感が浩介を襲った。
その喪失感を埋めるために、美佐の思いに答えようとしている事の残酷さに気付けないほど、浩介は恐れていた。
茜の存在が自分の生きる理由になっている事を。
今夜で最後だから・・許してくれ・・・茜の事を考えて眠るのは・・・今夜だけ・・・。
誰に懇願しているのか、浩介は心の中でそう呟きながら、体を丸めて眠りについた。
カーテンで遮られた窓の外では、いつの間にか雨が降っていて、空には星空を遮るように深く大きい雲が覆っていた。
第6話へ続く
以上です。ありがとうございました。
規制の間書き溜めていたので、比較的早いペースで投下できると思います。では。
GJです!!
スレに変な空気と作者さんにプレッシャーとを与えたくなかったので控えてましたがこの作品かなり好きでずーっと待ってました。気長にお待ちしております
GJGJ!!
GJ
こういう静かな感じもいいな
wikiの掲示板に投稿すれば誰かしら転載してくださると思うので、今度規制されたら試してみてください
作品楽しみにしているので
先が気になる展開だな
楽しみに待ってる
早いペースか
歓迎する
wikiの絵についてなんだけど完結してない現行してる作品の絵は控えてくれないかなぁ
707 :
706:2010/09/17(金) 02:15:54 ID:LoVGTkVA
ごめんなさい間違えた
708 :
名無しさん@ピンキー:2010/09/17(金) 04:49:24 ID:o0pUD51D
あ
今晩は。
表記について投下をいたします。
初めはあれだけあった駒も次々と討取り、討取られ、もう盤面にまばらに散っているだけになっていた。
雪風は言うだけあってかなり強く、気付けば3時間近い熱戦が続けられている。
まあ、これで多分俺の勝ちだろうが。
黒いキングの前に白いビショップを置く。
「それで、ここでチェック・メイトって言えばいいのか?
きざったらしいルールだな。」
「ええ、兄さんの勝ちね……」
雪風が渋い顔をする。
「序盤の展開がいい加減すぎたな。
お前は遊んでいた積りなんだろうが、後に繋がらない手筋がいくつもあったぞ。
要は相手が初心者だと思って手を抜きすぎるなって事だ。
まあ、また暇なときに相手してくれ。
勿論、その時は本気でだが?」
「本気よ、全身全霊全力の」
よく聞こえなかった。
「ん、何だ?」
「いいえ、何も言ってないわ、早くそれを片付けて。
遅いけどお昼にしましょう、私のとっておきの店を特別に教えてあげるわ」
不機嫌そうに答える。
そういう意外と負けず嫌いな雪風を見てつい苦笑してしまう。
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少し不機嫌そうな雪風と俺は大学から地元まで戻った。
俺の住んでいる町の商店街の入口にはいつから存在したか分からない細い通路があって、
その通路の先には名前の分からない喫茶店がある。
俺は入ったことが無かったが、ここが雪風お気に入りの店だそうだ。
そこで今俺は、雪風お勧めのBセット(チキンスープ、サラダ、パン)を食べているのだが、驚いた。
スープが信じられないくらいに旨い、鶏肉にこんなポテンシャルが本当にあるのかって言うぐらい旨いんだ。
これはもう肉からして完全に別物だ、相当特別な鶏肉を使っているに違いない。
「いや、本当に旨いなこれ!!」
思わず賞賛が俺の口から漏れる。
「そうでしょ〜。
ここはね、このチキンスープだけは本当においしいんだよ〜」
雪風が満足げに答える。
「でも注意してね、ここでの食事はこのBセット以外を頼んでは絶対に駄目だから」
「他は旨くないのか?」
「ええ、それもね、まともに喉を通らないぐらいに。
実は私も一度だけ食べたことがあるの、吐きだしたわ、口に入れてすぐ」
よほどの味だったのだろう、思い出している雪風の顔が歪む。
「で、今日はおいしい昼ごはんえを食べて満足、という訳には行かないのが残念だな」
俺の言葉に雪風は不機嫌そうな顔をしながら、ことりとスプーンを置いた。
「ええ、ルールはルールだものね。
良いわよ、兄さんは私に何を聞きたいのかしら?」
「何でシルフを焚き付けるような真似をした?」
「何でって、私達が本当に幸せになれるようにしているだけだよ」
「私達が?」
「うん、兄さんだって分かっているんでしょ。
シルフちゃんは兄さんの事を男の子としてずっと好きだったっていうのを」
「さあな、何かの間違いだと思うよ。」
「あはは、兄さん、こういう所は分かりやすいね。
嫌な事を聞かれるとすぐに顔に出る癖は昔から直らないね。
苦虫を潰したみたいだよ?」
そう言って嬉しそうに笑った。
「まあ、シルフちゃんはもっと分かりやすい子だから兄さんでも気付いちゃうよね。
それじゃあ、いつからシルフの気持ちを知っていたのかな?」
「……ずっとだよ、初めはあいつは俺の事を唯一の理解者だと思って、ずっと俺の側に居た。
それが、いつからか愛情とごちゃ混ぜになって、それでも段々と愛情の方が上回ってくる。
そして、今はそれでも俺の側の居場所を選ぶか、居場所を捨ててでも愛情を選ぶかで悩んでいる。
まあ、あくまで俺の勘だがな」
俺の言葉に雪風は目を丸くする。
「それって、全部分かっていたって事?」
「ああ」
「そこまで分かっていてずっとシルフのお兄ちゃんでいたの?
どうして?
普通ならそこまで来てしまったら思いに応えたり、否定したりするでしょ!?」
「それこそシルフは望んでいないからだ。
あいつは愛情と居場所の二つを天秤にかけて居場所を選んだ。
現状を維持し続けるって言うのはそういうことだろ?
その居場所を俺が壊すって言うのはお兄ちゃんとしてやるべき事じゃない」
「そんな建前をよくも言えるものね。
この前の夜シルフちゃんは泣いていたんだよ?」
昔のシルフの泣き顔を思い出して、胸が痛んだ。
けれど、今はそれを顔に出すような時じゃない。
「それでも、シルフは今の居場所を選んだ」
「兄さんのやり方って、最低だね」
「どういう意味だ?」
「だって、都合の悪い事を全部私やシルフちゃんに押し付けて、自分だけは責任を被らない方法を選んでるよ?
そうだよね、シルフちゃんの気持ちに応えるのって、受け入れるにしても、否定するにしても面倒だよね。
だったら、初めから気付かない振りをして放っておけば、シルフちゃんは自分から兄さんへ踏み出す勇気なんて持てないもの。
それに、例えあの子を苦しませているのを誰かに咎められても、シルフが答えを出すのを待ってるんだって辛そうに言えば良いし。
その後であの子との複雑な家族関係でも語れば、もう誰も兄さんたちにそれ以上言えなくなるわ。
そうすれば誰もあの子の背中を押せなくなるから、ずっとシルフちゃんは踏み出せなくなる。
あ、あとさっき勘って言ったのも上手だよね、あくまで自分の勘なら確かめる義務なんてないもの。
うんうん、兄さんってやっぱり頭が良いね〜」
すごいね〜、賢いね〜、と白々しく感心する。
「そんな訳無いだろ、冗談なら大概にしてくれ。
俺はそんな事をしているつもりなんてないし、考えた事だってない」
シッテルヨ、ダカラサイテイナンダッテワカラナイノカナ?
雪風が何かを呟く。
「今、何か言ったのか?」
雪風の何かは小さすぎて聞こえなかった。
「ううん、こっちの話だから気にしないでいいわ」
「そうか、まあ良いさ。
それよりも、私達が本当に幸せになれるっていうのはどういう事なんだ?」
雪風の追及を反らす為に話題を変えようとする。
雪風はくすりと笑った、逃がさないよ、とでも言うように。
「言ったとおりの意味よ。
兄さんは私達がこのままの関係で良いの?
さっき言ったみたいにシルフちゃんの想いに気付かない振りを続けるつもりかしら?」」
「良いも悪いも無い、今のままで問題なんて無いんだ。
シルフが踏み出さないのは今の方が良いって思っているからだろ?
それぞれ思う事はあるだろうが、それでも何も変わらないのは俺達が今の生活で満たされているからだ。
なら、それを崩さないように見守るのが俺のすべき事なんだよ」
「そんなのが本当に、シルフちゃんや私を大切にしてるって事だって兄さんは本気で思っているの?」
俺の顔を訝しげに雪風が覗き込む。
「だから、さっきから何が言いたいんだよ?」
「本当は、兄さんが自分の居心地の良い場所を手放したくないだけじゃないかな?
自分の為なら何でもしてくれる素直な妹と自分の事なら何でも理解してくれる便利な妹。
兄さんはそういう2人がいるのがとても心地良いの。
でも、面倒くさいからそれ以上に私達を自分の近くにまでは寄せたくない、そういう我侭でしょ?」
いらっとした。
誰かに同じ事を言われても俺はそのまま無関心に流せるだろう。
だが、雪風に言われると、自分の心がそのとおりに変化してしまうように思えてしまう。
まるで、腹の中を抉られて、見たくも無い自分の汚物を引きずり出されて、
本当の兄さんはこんなに醜いんだよ〜、と嘲られているように感じて、不愉快になる。
「ああそうかい、だったらもう俺に付き合わなきゃ良いだろ?
そう思われてまで、俺は雪風やシルフに側に居て欲しくなんてないし、必要も無い」
「兄さんって平気でそういう事を言うよね。
自分の言う一言でどれだけ人を傷つけられるのか、少しは考えた方が良いよ?」
俺を見据えて毅然と雪風は言う。
けれど手の震えを隠しながら言うそれは、怯えの裏返しのようにしか思えない。
「だったら何て答えれば満足してくれるんだよ?
本気でお前やシルフがそう思っているなら、俺なんて放っておけば良いだけだ。
恋人を作る、両親に俺を引き離させる、俺を見捨てる方法なんて幾らでもある。
それなのに俺の側から離れないで、俺を非難するなんて話がおかしいじゃないか?」
「理由なんて、兄さんだったら簡単に分かる事じゃないの?」
「分かる訳ないだろ」
「分かるわ」
「分からない」
「分からないの?」
「分からないよ」
そんな不毛な問答は、はあ、という雪風の大きく溜息で打ち切られた。
「そうなんだ、本当に分からないんだね?」
雪風は呆れた表情で答えを言った。
「私は兄さんの側に居たいから、兄さんに捨てられたくないから。
だから兄さんの我侭に従っているの、少なくとも私はね。
兄さんの望みを満たしている限り、兄さんに都合の良い存在でいる限り、
誰にだって兄さんは居場所を与え続けてくれる、兄さんはそういう人だもの」
「なあ、まるで俺がお前を玩具にしているような言い方だな?」
「違うと思っていたの?
私はそういう意味で言ったんだよ。
兄さんは私を玩具にして、私で遊んで、飽きたら何の躊躇も無く私を捨てる。
勿論、もっと良い玩具を手に入れたってそうするでしょうね」
「俺はそんな事は絶対にしないってお前なら分かるだろ。
お前も、シルフも……」
雪風がシルフという言葉に反応して楽しそうな顔をする。
「シルフちゃん? ああ、シルフちゃんもそういう意味だととても都合が良いよね。
ひょっとしたら血が繋がってない分雪風より便利かも。
ほら、あの子は兄さんが言う事ならどんな事でも喜んでしてくれるよ、勿論誰にも言わないで。
それに、兄さん好みの体つきをしているから、くすくす。
シルフちゃんが何でもするって言ってくれたときに、本当は期待してたんじゃないの?
ねぇ例えば、兄さんのベッドの下にあったDVDみたいに、首輪を付けて四つん這いにさせて……」
「雪風、いい加減にしろよ。
もう喋るな」
今日の雪風は変だ。
別に雪風はいつも能天気でボケボケっていう訳じゃない、寧ろそんなのは俺達の前だけだ。
今日みたいに外に居る時は逆で、実際の歳以上に大人びている。
けれど、どんな時でも雪風は許される範囲と許されない範囲の境界をちゃんと弁えている。
俺の妹の雪風は特にこんなふざけた事は絶対に言わない。
「喋るな、へぇ?
兄さんは気に入らない事があったら、そうやって私の口を噤ますんだ?
なら、さっき言ったとおりじゃない。
シルフちゃんが泣いてるのを知らん振りで、兄さんはへらへら笑って?
私にはそんな兄さんが間違ってないって言わせる気?
それが兄さんの家族としてのあり方?
良いわ、兄さんがお望みならいくらでもそうしてあげる」
雪風が馬鹿にするように言った。
そして、薄笑いを浮かべる。
「兄さんは正しいし、シルフちゃんが泣くのだって想いを伝えられないあの子の自業自得。
兄さんは全然悪くない、悪いのはシルフちゃんを苛めた雪風と母さん。
ごめんなさい、兄さん、雪風が全部悪かったわ
これからは兄さんの言うとおりにシルフちゃんがどんなに泣いていても無視するし、あの子の相談なんて乗ってあげないわ」
本を読み上げるように澱み無く全てを言い切る、くすりと笑う。
「こういう風に私が言えば、兄さんは満足してくれるんでしょ?
無神経で、いい加減で、自分勝手で、本当に兄さんらしい考え方よね?
どう、これで十分なんでしょ?」
「違う、俺が言いたいのは……」
そこまで出して言葉が詰まる。
じゃあ言いたいのは、何だ?
「なぁに、言いたい事があるならちゃんと言ってくれないと分からないよ?」
「それは……」
言い返せない俺を見て勝ち誇ったように、口に手を当てて雪風が哂う。
「くすくす、ごめんなさい。
ちょっと調子に乗りすぎたわ、さっきのチェスの仕返しね。
でも、これはずうっと誰よりも兄さんを知っている雪風が見た、兄さんなんだよ?
良いよ、私はそれでも。
兄さんと居られればどう扱われても別に良いわ」
でもね、と一言間を空けてからまた言葉を続ける。
「じゃあシルフちゃんはどうかな?
私、あの子の事までは分からないから。
あの子は兄さんと恋人になって、ううん、その先の事をいつも夢見てる。
それでも、シルフちゃんは今のままで幸せだって本気で言える?」
雪風が真剣な表情で俺を睨む。
俺はその視線から顔を逸らす。
「それは……、シルフが決める事だ」
「兄さん、私は質問しているんだよ?」
無言で目の前の皿に目を落とした、スープはもう冷めていた。
砂糖や胡椒と一緒に並んでいた赤い唐辛子ペーストを掴み、掬って、スープに落としてかき混ぜる。
「兄さん!!」
俺は雪風を無視して、闇雲にスプーンを口に運んだ。
それでも、雪風は言った。
「それは、……ジャムだよ、ぷっ、くっくっく、あはははは」
雪風は吹き出した。
俺は別の意味で吹き出した。
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あははは、くすくす、あははは。
夕暮れ時、人気の無い道に笑い声が聞こえる。
さっきの場面がツボにはまったらしく、帰り道でも雪風は笑いっぱなしだった。
「くすくす、本当に兄さんは面白いね。
どうして一番重要な場面を、ああもぶち壊してくれるのかしら。
おかげでシリアスな雰囲気が台無しになっちゃったじゃない。
くくく、本当にもうお腹が痛くてしょうがないわ」
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい」
勿体無かったので何とか食べようとしたがジャムの味が邪魔して口に出来る味では無かった。
いや、そもそもジャム自体が一体何なのか分からない正体不明の代物だったぞ、あれ。
雪風はそんな悪戦苦闘する俺が相当面白かったらしく、何とか真剣さを保とうとしても笑いがとまらないという状態だった。
結局、諦めて素直に爆笑する事を選択してしまった。
こういう所の潔さは雪風らしいと思う。
「あ〜、笑わせてもらったわ。
やっぱり兄さんと居ると本当に、楽しい」
そう言って大笑いする陽気ないつもの雪風は、さっき俺を問い詰めた少女と同じには見えない。
「なあ、雪風?」
「な〜に、兄さん、くくく」
「さっきお前が言った私達の幸せの、私達、にはお前も含まれているのか?」
「え? くくく、それは勿論、しっかり組み込んでいるわ、くくく」
雪風が笑った。
「それは、シルフの望みとは両立しないんじゃないか?」
笑い声が止まった。
「どうして、分かったのかしら?」
雪風が笑う、だがさっきと違いそれは全く動きの無い笑みで。
「確証は無かったが、薄々と。
シルフと違って上手くやっていたと思うよ。
正直なところ、ただの世話焼きな妹なんじゃないかとも思っていた。
もっとも、さっきの話を聞いて気付かないなら相当の間抜け、だと思う。
ついでに言えばお前のお願いの内容も大体予想がついたよ。
そういう事なのか?」
「ふふ、兄さんは余分な事には本当に鋭いんだよね、嫌になっちゃうわ。
あ〜あ、こんなところで私の賭けって終わっちゃうんだ」
「賭け?」
「ああ、良いのこっちの話だから兄さんはもう気にしなくて。
本当にもう、兄さんは……、困ったものね。
分かったわよ、私は兄さんを愛しているわ。
勿論、女としてね、どう気持ち悪い?」
雪風が吹っ切れたように告白した。
それを言う事が義務かのように淡々とした事務的な口調で。
「俺はそれでも構わない。
お前もシルフみたいに昔からそうだったんだろ?
それでも、今まで俺達は上手くやってきた、なら別に問題なんてない」
俺の言葉を聞いて、雪風は呆れたようにため息を吐いた。
「そうだね、兄さんならそういうかもって思っていたわ。
あのねぇ兄さん、普通はそういう道を外れた妹なんて気持ち悪い、
近寄るなって言って遠ざけるのが常識だと思うよ?」
「否定して欲しいのか?」
「あ〜、出来れば受け入れて欲しい、かな?」
困ったように目線を逸らす。
「なら、俺は否定したりはしないよ。
常識は大事だが、自分の見聞きしたものをそれで否定するって言うのはおかしいと思う。
俺と雪風はずっと一緒に居たんだからな。
俺はお前の事が妹としてだが、信頼しているし大好きだった。
そしてその雪風の中には今言った気持ち悪い要素も入っていたんだろ?
なら、俺はその要素だって含めてお前を気に入っていたっていう事だ。
今更何をどうしろって言うんだ、何も変わらないだろ?」
「ふうん、兄さんの言ってる事は理屈としては正しいのかもね。
で、それって私は兄さんに期待しても良いって事?
兄さんは私のお願いを聞いてくれるのかな?」
そう尋ねる雪風の笑顔は強張っていた。
「……それは無理だ、悪い。
俺はお前と兄妹でいる事を望んでいる。
だからって、お前の望みを否定はしない。
少なくとも、シルフや他人を傷つけない限りは」
「はぁ、100点満点の模範的な答えね。
本当に不器用に模範的っていうか、理不尽なくらいに寛容っていうか……。
兄さんって、一体何の積りなの?」
その溜息には少しだけ失望が含まれているように見えた。
「何って、そんなもんはお前の方が良く分かっているだろ?」
「兄さん、そういう平等って本当に大切なものが無いからできるんじゃないかな?
普通の人は兄さんみたいにはなれないの、絶対に。
大切なものがあるなら、私や、それにシルフちゃんみたいに偏っていて、歪んでいて、一つに傾くの」
「傾いている、雪風がか?」
「そうだよ、私の全ては兄さんに偏っているわ、それに兄さんへの想いだってそうよ。
さっきは兄さんを愛しているって言ったけど本当はそんなに綺麗なものじゃないよ。
兄さんが欲しいの、兄さんから全て奪って、縛り付けて、何処にも行けない様に閉じ込めたい。
私にとっての兄さんってそういう特別な存在なんだよ?
それでも、兄さんは今までのままでいられるの?」
さっきの俺の答えが気に入らないのだろうか、雪風は若干いらついた口調で問い直す。
「言っただろ、何も変わらないって」
俺は喫茶店で問い詰められた時と同じ事を答えた。
それを聞いて、俺に背中を向けた。
そして、兄さんには敵わないね〜と声だけは楽しそうに雪風は笑った。
「あはは、ねえ、兄さん。
今まで兄さんに私のお願いを聞いて欲しくて賭けをしたのって何回あったか覚えてる。」
「悪い、覚えてない」
「正解は10歳の時から数えて29回でした〜。
では、その内兄さんが勝ったのは?」
「それは簡単だな。29回、負けた記憶がないから全勝だ。」
「ふふ、正解。
じゃあ、これから30回目の、ううん、最後のゲームをしようよ。
くすくす、もう全部ばれちゃっているから、私、宣言するね。」
そう言ってくるりとこちらに振り返る。
雪風が俺に顔を近づける、笑っているのに笑っていない。
「私は、兄さんを雪風の物にする。
そして、私は、兄さんを永遠に縛り付けて閉じ込める、くすくす」
「俺が約束を守らなかったら?」
「くすくす、大丈夫よ、兄さんは約束を破れない人だって知ってるもの。
それに、別に兄さんが約束を守ってくれなくても良いわ。
私が勝てば、私は兄さんを自由に扱う権利が有るんだっていう気持ちの整理が付くから。
そうしたら兄さんはずっと私の物になる」
お互いの顔が俺にくっつくという時に、雪風は表情を緩めて、顔を離した。
「あ、そうそう。
けど、安心していいよ。
私は、兄さんもシルフも傷つけないから」
最後にそう付け加えた。
そして、物欲しそうな目をしてゆっくりと俺の胸元から顔まで視線を這わせる。
雪風がそういう目をするのを初めて見た。
以上です。
また来週もよろしくお願いいたします。
ぐっじょ
雪風こわい、話がわかりそうなキモウトだけど
乙
掴みどころのない不気味な感じがイイな
GJ!
やっぱりヤンデレというよりやっぱりキモウトやキモ姉の方の愛情の方がなんか心地いいわ。
497か…そろそろ
次スレだな
ついにこのスレも終わりか
古い姉妹を捨てて新しい姉妹に乗り換えるのは辛いけど仕方ないよ
731 :
名無しさん@ピンキー:2010/09/19(日) 01:31:23 ID:1/z6cZhm
解
古い姉より新しい妹だよねお兄ちゃん
734 :
名無しさん@ピンキー:2010/09/19(日) 15:54:30 ID:1/z6cZhm
解
ウーン埋めネタって以外と難しいんだよね
大体3000〜5000文字以内位か?
736 :
埋めネタ:2010/09/19(日) 19:27:49 ID:eIHOREmc
「この泥棒猫を抹殺して下さい…レディG」
「…………」
「お兄ちゃんを取られたくないの!」
「分かった……」
私はレディGと呼ばれている泥棒猫専門の女スナイパー
今日もキモウトから兄の幼な馴染みの抹殺を依頼された
「報酬が農協の指定口座に振り込まれた事を確認され次第仕事に取りかかる……」
「あ、ありがとうございます…レディG…クククク…お兄ちゃんは、ずぇえええったい渡さない!!!!!」
ふー依頼が終わって一人微睡む…
昔の事がフラッシュバックする
私も昔はこの女の様な時代も在ったっけ……
***************
「姉さん紹介するね、これが僕の彼女の……」
「私……と申します弟さんのお姉さんですね、よろしくお願いします。」
名前はもう記憶から出て来ない
「もう、冗談ばっかり弟は…」
「冗談では無いよ姉さん…僕達来年の6月には結婚するんだ」
「嘘でしょう…嘘だと言ってよ弟……
「ごめん……姉さん……」
「違う……違う違う違う……違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!」
「ね、姉さん!?」
「ふふふ…あは‥あははははははははははははは!!!」
「ねぇ…〇〇君、お姉さんどうしたの……」
脅えたような顔の泥棒猫…あの顔は今でも忘れない…
「わ、分からない…只、何時かはこんな日が来るとは思っていた。
姉さん! 姉弟は何時までも一緒に居られるわけじゃ無いんだ…分かってくれ…姉さん……」
弟の顔…小さい頃から私の後ろばかり付いて来て、私が居無いと何も出来無い弟、
姉思いで私が風邪をひいた時は一日中泣きながら看病してくれた…
私が難関のT大に合格出来た時は自分の事の様に喜んでくれた最愛の存在
それが……
「あなたは私の弟ではないわ」
「姉さん?」
「だってそうでしょう、私の〇〇がそんな事を言うはずないもの……」
後の事はよく覚えてない…ただ真っ赤なフィールドが掛かった世界が存在しただけだ……
そして私は実弟と婚約者を殺した犯人として全国に指名手配をされた…
それから私は自殺をしようと崖にたたずんでいたところを某国の工作員に声を掛けられ戦場を駆け回り今に至る…
「……………弟」
私は弟の遺骨で作ったバイブで自分を慰める…
私はレディG…今日も泥棒猫を抹殺する。
737 :
名無しさん@ピンキー:2010/09/19(日) 19:52:45 ID:1/z6cZhm
解
しかしこんな長寿スレになるとは思わなかったな
よく続いてきたもんだ