http://set.bbspink.com/test/read.cgi/eromog2/1205073432/679 阿部君がいた証みたいなものがだんだん薄くなる。
最初はみんな阿部君が転校しただけだと思っていたから話題にも出されていたけど、自主退学だ
とわかってからはお互いに気を使って、話に出ることもほとんどなくなった。
オレは阿部君の残して行った服や教科書なんかを大事に保管した。
監督の許可をもらって阿部君のミットを預かり、定期的に手入れをしてはたまにはめてみて阿部
君の気分を味わったりもした。
西浦野球部で戦略的な部分を担っていた阿部君の抜けた穴は大きかったけど、花井君を中心にし
てまとまったチームは、練習は厳しくてもいつも和気藹々として楽しかった。
2年の春に捕手経験者の新入部員が入ってきたので、田島君は野手に戻った。
オレはその人とずっと組んだけど、どうしても阿部君と比べてしまう自分が申し訳なくてあまり
腹を割って喋った記憶がない。
オレだけが阿部君を引きずっていて、なんとなくみんなの中で浮いている気がした。
でもオレは阿部君を忘れたくなかったから、それでよかった。
毎週は無理でも、できる限り動物園にも行った。
野球部の話がほとんどだったけど、身の回りのことをたくさん阿部君に話した。
黒豹の阿部君には、びくびくしないで話ができた。
阿部君は後ろ足で耳を掻いたりしながら、オレが話をしている間ずっと座っていた。
オレが行くとそれまで寝ていても、早足で檻のすぐ側まで来てくれた。
帰るときはオレがずいぶん離れてしまっても、振り向いたらまだじっと見送ってくれていた。
>>48 「…阿部君、3年生になったよ。今年は甲子園に行きたいな」
阿部君は目を閉じて檻に鼻をくっつける。オレの匂いを嗅いでいるみたいだ。
「阿部君は心配する必要なかったよ。オレ全然モテないし」
黒豹はちょっとだけ牙を剥きだした。
「…全部オレが悪いんだけど、阿部君も焦らなくてよかったんだ…」
気を取り直して、いいことも言う。
「オレね、バントうまくなったよ。腕もたためるようになった」
今頃かぁ?なんて言われそうだけど、オレにしてはがんばったと思う。
「それでね、監督も今年こそはって意気込んでるから、練習キツくなるんだ。しばらく来れない
けど、ごめんね」
今日来たのは進級したことと、しばらく会えないことの報告のためだった。
たくさん勝って、いい報告をたくさんしたい。
オレは気合いを入れ直し、阿部君に見送られて帰った。
結果から言うと、オレたちはあと一歩のところで力及ばず、甲子園には行けなかった。
口惜しかったけど、できる限りのことはしたから悔いはない。
後輩に渡せるものもたくさん作ったと思う。
「…三橋、前から聞こうと思ってたんだけどさ、阿部と連絡取り合ってるのか?」
県大会準優勝祝い兼残念会で、田島君にいきなり聞かれたオレはジュースを吹きそうになった。
「なっ、なっ、なんで!?」
田島君はオレをじぃっと見て「うん、やっぱりそうか」と納得している。
「し、してナイ!」
「ウソつくなって。バレバレだぞ」
何を言われるのかと思ってオレはどきどきしていたけど、田島君はそれ以上のことは聞いてこな
かった。
「…OB会するとき、もし阿部が来れそうだったら声掛けるんだぞ」
「…うん」
もしかしたら阿部君は忘れられているんじゃないかと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。
やっぱりオレ、この野球部に来て本当によかった。
だけどオレはいつになったら、人間の阿部君と話すことができるのだろう?
>>48,
>>49 引退後は大学受験に向けて勉強に専念した。
秋から冬になるのはあっという間だった。
図書館に行くと言っては、動物園にも度々行った。
そんなある日、日曜日で家にいたオレはあの動物園から黒豹がいなくなったというニュースに体
を強ばらせた。
全身を耳にして聞き入る。
それによると、檻の鍵はかかったままで、外に出た形跡はないので盗難の可能性もあるとのこと
だった。
阿部君は人間に戻ったのか!?
一体なにがあったのだろう。
オレはふと阿部君が12月生まれだと言っていたのを思い出した。
今日は12月12日。
野球部のマネージャーをしていた篠岡さんに震える指で電話する。
「あ、あの、日曜なのにごめんね。変なこと聞くけど、1年のとき野球部にいた阿部君の誕生日
ってわかるかな?」
唐突な頼みにも関わらず、篠岡さんは快くちょっと待っててーと言って電話を保留にした。
待っている間、オレはこの時が来るのを全く考えていなかったことに気づき愕然とする。
オレは阿部君が帰ってくるとは思っていなかったのだ…。
『お待たせー、なんと昨日だったんだよ!11日!三橋くん、もしかして知ってたの?』
「あ、ううん、12月だとは知ってたんだけど、何日かまでは知らなかった…」
『そっかー、阿部君元気かな?また会いたいね』
「…そうだ、ね」
そのあとは何を喋ったのか覚えてないけど、いつの間にか電話は終わっていた。